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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>音響作曲法</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;84.175.160.65: 新しいページ: '音響作曲法：Klangkomposition（独語）は、旋律や伴奏・リズムなどの古典音楽的要素を一切用いないで、音そのものだけで構成する典...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;音響作曲法：Klangkomposition（独語）は、旋律や伴奏・リズムなどの古典音楽的要素を一切用いないで、音そのものだけで構成する典型的な現代の音楽における作曲法。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＝＝＝歴史＝＝＝&lt;br /&gt;
＝＝ロマン派から調性崩壊まで＝＝&lt;br /&gt;
グスタフ・マーラーが交響曲の中で非流動性の旋律を用いたが発端と言われるが、リヒャルト・ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の調性崩壊と密接に関係しているとされる。しかし調性の不安定さはカルロ・ジェズアルド以降つねに西洋音楽史を脅かしていた。この非流動性の旋律とは、伴奏系に繰り返しが頻繁な定常のリズムの替わりに、繰り返しの少ないリズムを、旋律には通常の一貫したオーケストレーションを棄てて、楽器の交代を旋律の途中でも頻繁に行うことで、後のオリヴィエ・メシアンに見られるような[[音色旋律]]の先駆をなす。前者はアーノルド・シェーンベルクに受け継がれ、作品11の「３つのピアノ曲」で旋律と和音・伴奏の区別を曖昧になり、「5つの管弦楽曲」作品16の第三曲において史上初めての音響だけの音楽が登場した。後者はアントン・ウェーベルンに旋律を最後の一音ずつなで、ずたずたに切り裂かれて完全調性崩壊の一つの大要因となった。&lt;br /&gt;
＝＝第二次世界対戦後＝＝&lt;br /&gt;
戦後、[[電子音楽]]が登場した当時には音響作曲法はもはや必須の常識となり、ほぼ平行して[[セリエル音楽]]がもう一つの音響作曲法の大支柱となったが、この２大現象は互いに対立するの物ではなく、寧ろお互いの技法の発展に密接に影響した。電子音楽側ではピエール・アンリやピエール・シェッフェルが、ミュージック・セリエル側ではダルムシュタット３羽鳥のノーノ、ブーレーズ、シュトックハウゼンらとアンリ・プッスールによって代表され、その後ヤニス・クセナキスやジュルジュ・リゲティー、ルチアーノ・ベリオらが独自の電子音楽や器楽・声楽曲を作曲する一方、アメリカではチャールズ・アイヴス以降ジョン・ケージらが旋律や既成の楽曲そのものを一つの音・Sound/Klangと見なす考え方で音響作曲法を開発し、後年にそれらをすべてをヘルムート・ラッヘンマンによって５つの音響作曲技法に統合されるようになり、弟子の菅野茂らによって正確に受けつがるれようになる。同じころクリストフ・ペンデレツキは電子音楽を通じて管弦楽による音響作曲法を独自に開発したが、聴衆が離れていくのを嫌い次第に復古主義的な作法に変わっていった。スペクトル学派はその倍音の美しさを、モートン・フェルドマンの音楽は逆に音響作曲法の世界から旋律と伴奏音楽の世界を見つめ直した芸術である。一方ラモンテ・ヤングやジェームス・テニーの一音による音楽はその単純な例だが、それを受けついだまたは並行して活動するミニマル学派は旋律的要素も多く含み、真の芸術の高尚化を目指すよりもより商業的目的の功利性方が遥かに強い。&lt;br /&gt;
＝＝日本の状況＝＝&lt;br /&gt;
１２音主義者の入野義郎や柴田南雄らは完全なセリエル音楽まではいたらずじまいの傍ら、電子音楽のほうは黛敏郎や武満徹らによって積極的に試みられたが、その旋律と音響の区別はかなり曖昧であった。また湯浅譲二らによって音楽の構成面から完全な音響作法が試みられたが、彼自身も作風を徐々に古典風に変えつつある。しかし嶋津武仁はベルリン工科大学時代以降、電子音楽で相当の長いキャリアを積んだ為、今日器楽等の分野の作品においても作風が容易に古典的要素に妥協しない地点まで高まりつつある。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>84.175.160.65</name></author>	</entry>

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		<title>ロクリアン正岡</title>
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				<updated>2008-01-01T20:28:23Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;84.175.160.65: 新しいページ: 'ロクリアン正岡：正岡　泰千代（まさおか・やすちよ）　  東京芸術大学音楽学部作曲科を経て6年間ドイツの[[ベルリン芸術大...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ロクリアン正岡：正岡　泰千代（まさおか・やすちよ）　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京芸術大学]]音楽学部作曲科を経て6年間ドイツの[[ベルリン芸術大学]]作曲科を卒業。[[イサン・ユン]]に師事する。1985年に帰国してから[[放送大学]]などに頻繁に通い哲学研究会などを作り思索を深め同僚の作曲家たちと録音や楽譜を交換しあって交流を深める。幼児へのピアノ教師をしながらフリーの作曲家として活動を続ける。更に国際作曲コンクールなどにも入賞しながら自作の出版にも労を尽くす。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後「カンバス・コンサート」等も主催して独自の画家としての絵描き活動も音楽といっしょに発表する。[[日本音楽舞踊会議]]で若き日の[[嶋津武仁]]と同じように[[電子音楽]]による[[バレエ音楽]]も何回か発表する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作風は変わった人柄を反映してか[[ロベルト・シューマン]]や[[ベルント・アロエス・ツィンマーマン]]、[[フォルカー・ハイン]]のような狂気ではあるが非常に芸術的に完璧な作品が多く、極度に演奏難解なものが多い。弦楽六重奏曲「マックス・エルンストへのオマージュ」や九重奏曲「ピタゴラス夫人の為の三面鏡 II」、「人体ソナタ」などが有名。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>84.175.160.65</name></author>	</entry>

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		<title>柴田南雄</title>
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				<updated>2008-01-01T20:27:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;84.175.160.65: 新しいページ: '柴田南雄 (しばた　みなお)日本の作曲家・音楽評論家。 略歴  1916（大正５）年東京生まれの作曲家・音楽評論家。 [[東...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;柴田南雄 (しばた　みなお)日本の作曲家・音楽評論家。&lt;br /&gt;
略歴&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1916（大正５）年]][[東京]]生まれの[[作曲家]]・[[音楽評論家]]。&lt;br /&gt;
[[東京帝国大学]]理学部植物学科と文学部美術学科を卒業し、作曲は諸井三郎に師事。&lt;br /&gt;
[[桐朋学園大学]]、[[お茶の水女子大学]]、[[東京芸術大学]]、[[放送大学]]、[[尚美学園]]などで作曲や学理の教鞭をとり多くの音楽学者や作曲家の後身を育てる。&lt;br /&gt;
[[NHK]]、[[朝日新聞]]、[[放送大学]]、音楽ジャーナリズムで、日本国外の深い客観性に基づいた知的な解説や執筆活動で知られる。&lt;br /&gt;
1992年には文化功労者に選ばれるが、1996年に死去。&lt;br /&gt;
代表作には[[合唱]]の[[シアターピース]]：「追分節考」、「萬歳流し」。「北越戯譜」、「念仏踊」等が第一に挙げられる。そのほか４つの「－フォニア」：「シンフォニア」、「ディアフォニア」、「メタフォニア」、「アンティフォニア」と名がつく[[管弦楽曲]]がユニークなレパートリーとして注目を集めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
著書・訳書には[[クヌート・イェッペセン]]著の「対位法」や「西洋音楽史４ 印象派以後」などが音楽学生必携の書として忘れがたき存在となっている。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>84.175.160.65</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%8C%87%E6%8F%AE%E3%81%AE%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%80%85&amp;diff=20604</id>
		<title>指揮の指導者</title>
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				<updated>2008-01-01T20:26:15Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;84.175.160.65: 新しいページ: '==指揮の指導者== 有力な指揮者との師弟関係により、その指揮者の流儀が継続することがしばしばある。[[グスタフ・マーラー|マー...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==指揮の指導者==&lt;br /&gt;
有力な指揮者との師弟関係により、その指揮者の流儀が継続することがしばしばある。[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の教えを受けた[[ブルーノ・ワルター]]や[[オットー・クレンペラー]]の例、[[リヒャルト・シュトラウス|R・シュトラウス]]に学んだ[[カール・ベーム]]や[[ジョージ・セル]]などが好例といえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すべての指揮者が後進の指導に熱心だったわけではないが、[[クラウデｲオ・アバド]]や[[ズビン・メータ]]、[[ジュゼッペ・シノポリ]]らを育てた[[ウｲーン]]の[[ハンス・スワロフスキー]]やその後継者でハンガリーのフィシャー兄弟、ぺーター・シュナイダー、ヘスス・ロペス・コボス、[[マリス・ヤンソンス]]らを出した[[カール・エスターライヒャー]]、ビシコフやゲルギエフを世に送った[[サンクト・ぺテルブルク]]のムーシン､そのほかサロネンやラシライネン､セーゲルスタムなどを出したフィンランドの[[シベリウス音楽院]]やラットルやノットを出した[[ロンドン王立音楽院]]などのように名教師として知られた指揮者や音楽大学も多数ある。俗にウｲーン・スタイルやサンクト・ぺテルブルク・スタイルなどともいう｡&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの優れた教授法の要因は、ただ単に優秀な先生の存在だけではなくて、その学校の教育システム、例えばウィーンではほぼ午前中はピアノで指揮のレッスンとアナリーゼ､午後は毎日実際に学生オーケストラを振らせるなどや、其の国家の芸術的な法整備、例えばフィンランドやスイス・オーストリアでの芸術家の保護政策：[[年金]]や税金、プロモーションやドイツの文化局などの公平な補助金配分の為の役所､音楽大学の無料化、FM放送の多様化、十分な[[基金]]や[[財団]]の数、音楽プロダクションの数の多さと其の廉価な入場料、音楽図書館の充実などに大きく起因する事が多い.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、日本のクラシック音楽界において指揮法の指導に多大な功績を残した人物として[[斎藤秀雄]]がいる。著書『指揮法教程』は指揮法の教科書として非常に良く知られている。チェロ奏者、教育者としても著名であり、その功績を讚えて[[サイトウ・キネン・オーケストラ]]が結成され[[小沢征爾]]や[[秋山和義]]などの国際的指揮者を育てた｡&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>84.175.160.65</name></author>	</entry>

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		<title>平義久</title>
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				<updated>2008-01-01T20:25:34Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;84.175.160.65: 新しいページ: '平義久　（日本の作曲家/１９３８年－２００５年）  東京藝術大学を経て、フランスのパリ音楽院で[[アンリー・デュティ...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;平義久　（日本の作曲家/１９３８年－２００５年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京藝術大学]]を経て、[[フランス]]の[[パリ音楽院]]で[[アンリー・デュティユ]]､[[アンドレ・ジョリヴェ]]、[[オリヴィエ・メシアン]]らに作曲を学ぶ。その後そのままパリで活動し､[[エコール・ノルマル]]の作曲家の教授として[[岡谷かおり]]などの後進を育てる[[ロワイアン]]や[[メッツ]]などのフランスの各地の音楽際から委嘱を受け、それらのいくつかはドイツなどでも良く演奏される。「Ｉｇｎｅｓｃｅｎｃｅ」や「ラディアンス」、「５人のソリストの為のパンタルファ」などが代表作とされ、暗く静寂な不思議な繊細さが魅力的である。生涯独身で通し､晩年は癌の告知で、パリで再三手術を受け、大変な苦渋の生涯を送り､最後に肺炎の併発で返らぬ人となり、ついに故国に帰ることは出来なかった。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>84.175.160.65</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B5%90%E9%87%8E%E8%8B%B1%E5%BD%A6&amp;diff=20602</id>
		<title>嵐野英彦</title>
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				<updated>2008-01-01T20:24:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;84.175.160.65: 新しいページ: '嵐野英彦（あらしの・ひでお）　1935年京都生まれ。東京芸大で松本民之助に師事し、初期に「鉄人28号」などのアニメ...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;嵐野英彦（あらしの・ひでお）　1935年[[京都]]生まれ。[[東京芸大]]で[[松本民之助]]に師事し、初期に「[[鉄人28号]]」などのアニメや[[映画音楽]]で名をあげた作曲家。[[尚美学園]]教授や[[滋賀大学]]教授を勤め後進の指導にあたる。作風は決して[][前衛]]ではないが、出版されたピアノ曲集Ｉ～ＩＩＩなどでは簡潔・完璧な[[書法]]が特徴。代表作に[[オペラ]]「たらちね」などがある。非常に厳しい音楽理論のレッスンが有名で、門下に石丸基詞や[[河合孝治]]・菅野茂などの前衛作曲家がいる。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>84.175.160.65</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%AE%E5%8E%9F%E8%B1%8A&amp;diff=20601</id>
		<title>宮原豊</title>
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				<updated>2008-01-01T20:23:43Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;84.175.160.65: 新しいページ: '宮原豊　（作曲家－小説家）  1947年下関市壇ノ浦で医者の息子として生まれ、萩で育つ。東京の国立音楽大学作...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;宮原豊　（[[作曲家]]－[[小説家]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1947年[[下関市]][[壇ノ浦]]で医者の息子として生まれ、[[萩]]で育つ。東京の[[国立音楽大学]]作曲科を経て、[[ウィーン]]で作曲・小説活動をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その作風は超保守に属し、その系列の作曲家たち[[別宮貞雄]]や [[原博]]の交響曲や[[高田三郎]]の合唱曲、[[ウィルヘルム・キルマイヤ]]ーの歌曲、[[ラディスラフ・クプコヴィツ]]のピアノ曲などと比べても遥かに最右翼に属する。１９８０年代は[[モーツアルト]]そっくりかそれ以上の曲を書いていたが､最近スタイルの幅が広がり､「[[キリエ]]」や「[[アヴェ・マリア]]」などの[[ポリフォニ]]ーを伴った[[宗教音楽]]、バッハ風の[[フーガ]]、[[交響曲]]ニ調などの作品がある。同時代の同僚の作曲態度を特に嫌い、[[独創性]]という点では今日全く問題にならないが、[[模倣様式]]と言う点では古今の作曲家の中でも右に出る者はいない。作曲のかたわら、「ふうてん先生春秋」などで、音楽や宗教を題材にし、難解な漢字を大量に使った[[小説]]を執筆し今日に至る。現在[[オーストリア]]の[[ウィーン]]に住み[[モーツアルト]]と同じように[[カジノ]]の趣味がある。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>84.175.160.65</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%8D%81%E4%BA%8C%E9%9F%B3%E6%8A%80%E6%B3%95&amp;diff=20600</id>
		<title>十二音技法</title>
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				<updated>2008-01-01T20:22:46Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;84.175.160.65: 新しいページ: '十二音技法： 定義：音楽の繰り返しを退屈な邪悪な物とみて、曲の要素をすべて繰り返しのない構成法で作曲しそれを秩序付けた...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;十二音技法：&lt;br /&gt;
定義：音楽の繰り返しを退屈な邪悪な物とみて、曲の要素をすべて繰り返しのない構成法で作曲しそれを秩序付けた音楽。最初の例は[[シェーンベルク]]の作品23の五つのピアノ曲（1923）が有名であるが、同じ[[ウィーン]]の[[ヨーゼフ・マティアス・ハウアー]]はその十年もまえに「[[トローぺ]]」と呼ばれる独自の十二音技法を編み出している。シェーンベルクのこの語法はその弟子の[[ウェーベルン]]に正確に引き継がれて音の高さだけではなく、音の長さや音色・強弱なども秩序付けられ、戦後の[[セリエル音楽]]の大きな出発点になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パラメーターの技法：&lt;br /&gt;
１．	音高：[[ソナタ形式]]の[[主題]]にあたる十二音列といわれる音の羅列を作成する。調性を感じさせてはいけないので隣同士の音程は[[トリトヌス]]（増4度や減5度）や半音音程（短二度や長七度）を主に並べられる。三度など調性を感じさせる物は原則禁止される。それぞれの音は一回しか使えない。実際に曲に使用する場合は調性を感じさせないようにすべて[[跳躍進行]]にする。シェーンベルクの十二音技法は主としてここまでで終っている。&lt;br /&gt;
２．	音長：[[セリエル音楽]]の場合は1から12までそれぞれ違った音の長さの違う音符を用意する。ウェーベルン時代は[[トータル・セリエル]]にはなっていないが、できるだけ繰り返しの少ない、図形的リズムやコントラスト・リズムで音の長さの秩序化を計る。参照：ウェーベルン作曲の「協奏曲」作品24。&lt;br /&gt;
３．	[[強弱]]：原則として繰り返しを避ける。セリエル音楽の場合は1から12までそれぞれ違った音の強弱を準備する。例えば（pppp, ppp, pp, p, mp, mf, f, sf, ff, ffz, fff, ffff）等である。ウェーベルン時代も強弱の繰り返しは極力避けるが[[デヌミエンド]]や[[クレッシェンド]]などの大雑把な強弱法がまだ多い。&lt;br /&gt;
４．	[[音色]]：その都度[[楽器]]を頻繁に替える。一回使った楽器は原則一つの音列が終わりまで使えない。セリエル音楽の場合は1から12までそれぞれ違った楽器を準備するのが理想的である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
十二音列は旋律ではないので、普通は音一つ一つが独立する[[音響作曲法]]のさきがけをなす。伴奏部分も十二音列によって初期には作曲されたが、「[[メロディー]]と[[伴奏]]との組み合わせ」と言う繰り返しを避ける為に次第に廃れ、代わって[[対位法]]的な技法（構成法や[[逆行]]・[[反行]]・[[反逆行]]）が多く用いられた。ウェーベルンでは音列と次の音列のつなぎに「[[鏡]]／Spiegel／Ambivalenz」と呼ばれる共有音で良く接続される。更に[[コントラバス]]と[[チェロ]]の[[オクターヴ]]音程奏法や[[オスティナート]]などは古今長らく使われてきたので[[和声学]]における[[平行五度]]等と同じく当然意図的に厳しく避けられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最初の十二音音列の提示が終った時に次に来る物は[[変奏]]であり、音高は12半音すべてに移調する事ができる。音長はリズムをずらす事による入れ替えで十二通りの可能性があり、強弱や音色も然りである。さらにそれらの[[パラメーター]]の組み合わせを考慮すると多数の組み合わせが可能である。数学的には少なくとも12の！乗（カイジョウ）の四乗ほどあり、その他自由に作曲する部分を入れた場合には無限の可能性がある。[[オペラ]]などの長い曲は2つ以上の音列の使用が可能である。また[[フルート]]等での最低音でのフォルテシシシモの最強音は音響的に不可能であるが、この技法ではそれに構わず絶対・機械的にそう書かねばならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
影響：&lt;br /&gt;
現在この作曲法そのものは[[和声課題の実施]]や[[学習フーガ]]と同じく実際の音楽にはほとんど使えないが、それらに匹敵する理論とも言える。十二音音楽に賛同する人も反対する人も現代音楽の議論においては、必ず“この作曲法から見て”どうのこうのと話され書かれるほどの多大な影響力をもった語法と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の十二音音楽の享受：&lt;br /&gt;
その第一人者は[[入野義郎]]（1921－1980）と言われる。その他、[[柴田南雄]]（1916－1996）や[[戸田邦雄]]（1915－2003）らも行ったが、日本では今も昔もごく少数派とされ、[[音楽大学]]等で教えられる事はなく、結果的にセリエル音楽語法までをきちんと発展・享受できないまま廃れてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
セリエル音楽：&lt;br /&gt;
戦後[[十二音技法]]から発展し、全面的パラメーターにわたって繰り返しを否定し秩序付けた音楽。その糸口は[[メシアン]]のピアノ曲「[[音価と強度のモード]]」（1949）である。この技法が[[ダルムシュタット]]で[[ブーレーズ]]と[[シュトックハウゼン]]らに引き継がれ、特に後者は第五のパラメーターとして「[[空間]]」を創始した。[[イタリア]]の[[ノーノ]]はそう言ったウェーベルンやメシアンを経由しないで、独自の全面セリエル技法を直接[[シェーンベルク]]から受け継ぎ編み出して、[[政治]]的事象と音楽を強く結びつけ、メシアン学派とダルムシュタットで鋭く対立した。その後、こう言った技法が複雑すぎてみな同じように聞えてしまうとか[[分析]]・[[演奏]]や[[鑑賞]]が非常に難解で非常に金がかかると言う批判で、ある意味で行き詰まってしまい、皮肉にも同じくシェーンベルクの弟子である[[アメリカ]]の[[ジョン・ケージ]]がこれらの思想をすべて壊してしまうまで時間はかからなかった。その後、自動的にシュトックハウゼンや[[シュネーベル]]のようなケージ音楽の折衷・変形か、その思想の外観だけを残す[[ポスト・セリエル音楽]]の時代に入って行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ポスト・セリエル音楽：&lt;br /&gt;
文字通り[[セリエル音楽]]のあとに来た音楽であるが広義には[[クセナキス]]・[[リゲティ]]・[[ベリオ]]・[[カーゲル]]・[[ペンデレツキ]]・[[ホリガー]]あたりらまでが含まれるが、狭義ではダルムシュタット語法を正確に受け継いだ作曲家として[[ラッヘンマン]]と[[ファニフォー]]の二人だけが挙げられる。すなわち繰り返しを否定するという思想はそのまま引き継がれるが、十二音化の秩序付けは棄てられ、それぞれのパラメーターの発展と[[変容]]化だけに目を向けられる。前者は[[特殊奏法]]を使った音色の発展とその[[ホモフォニ－]]性も[[ポリフォニー]]性も否定され、まだ名前が付いていない未知の構成法で音楽が書かれ、後者は複雑な[[リズム]]を使った音長の発展にだけ目を向けた。しかしながら晩年は[[ノーノ]]もセリエル技法を捨て、[[微分音]]を十六分の一音まで細かく追求したが、重箱の隅をつつくようなこう言った作曲技法は、人間の耳にもすでに限界に達したと言う意見が現在多数を占めつつある。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>84.175.160.65</name></author>	</entry>

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		<title>助川敏弥</title>
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				<updated>2008-01-01T20:21:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;84.175.160.65: 新しいページ: '助川敏弥（すけがわ　としや）1930年札幌市生まれの作曲家・音楽評論家・雑誌編集委員  1952年東京芸術大学音楽学...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;助川敏弥（すけがわ　としや）[[1930年]][[札幌市]]生まれの作曲家・[[音楽評論家]]・[[雑誌編集委員]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1952年[[東京芸術大学]]音楽学部作曲科で[[池内友次郎]]、[[荒谷正雄]]らに師事しながら、1954年[[日本音楽コンクール]]作曲部門で第一位受賞する。1957年に卒業し[[林光]]、[[間宮芳生]]、[[外山雄三]]らの作曲家同人「[[山羊の会]]」を作る。[[1960年]]に「オーケストラのためのパルティータ」で文部省芸術祭奨励賞受賞はじめとして後々まで数々の賞を獲得。[[NHK]]などの放送番組の音楽を担当したり、出版社勤務などもし、[[東京大学]][[教養学部]]講師も勤める。札幌新音楽集団「群」の音楽監督として、[[ヨーロッパ]]に演奏旅行などもこの頃から経験。[[日本音楽舞踊会議]]入会し日本現代音楽協会委員に選出され後月刊「[[音楽の世界]]」機関誌局長。1990年代以降には[[環境音楽]]にも手を染めていて現在も東京に住む。&lt;br /&gt;
作品は必ずしも[[前衛]]的ではなくて[[保守]]派といわれるが、数々の受賞歴にもあるように極めて円熟した書法を取る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最も知られた代表作に1971年の[[合唱組曲]]「白い世界」がある。&lt;br /&gt;
リンク：　http://www008.upp.so-net.ne.jp/sukegawa/&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>人智学音楽</title>
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				<updated>2008-01-01T20:20:32Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;84.175.160.65: 新しいページ: '人智学音楽とは主にオイリュトミー等の伴奏に使われ霊界への参入を容易に促すように作曲され使われる。  これには歴史が...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;人智学音楽とは主に[[オイリュトミー]]等の伴奏に使われ[[霊界]]への参入を容易に促すように作曲され使われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これには歴史があり、[[モーツァルト]]の「[[フリーメーソン]]の為の音楽」や「[[魔笛]]」、[[ワーグナー]]の「[[ローエングリン]]」や「[[パルシファル]]」が先駆と言われ主に秘儀的な音楽を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近代の具体例としては[[エリック・サティー]]が『バラ十字団のファンファーレ』や『天国の英雄的な門への前奏曲』などで[[バラ十字団]]のメンバーを宣言したが、現在の多くの音楽学会ではサテイーの音楽はひねくれやユーモアだけが強調され、真面目な芸術と受け取られていない為、この部分の研究は非常に遅れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次に来る[[アレクサンドル・スクリアービン]]は、[[神智学]]音楽の真髄でありその序だけでも五時間以上かかる『神秘劇』が源泉とされ、神智学から派生した人智学に思想のみならず音楽の分野でも多大の影響を与える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在は主にこの分野を専門に作曲している音楽家が存在している。&lt;br /&gt;
日本在住ではオイリュトミストの[[宇佐美陽一]]〔1953－〕が日本的な要素も組み込み活発な活動をしているが、[[藤井喬]]〔1959－〕の一部の音楽も人智学的と言われている。&lt;br /&gt;
ドイツではもう亡くなった[[カール＝ロベルト・ウィルヘルム]]（Karl-Robert・Wilhelm）や[[クリストフ・ぺーター]]（Chiristph・Peter）がいたが、前者は優れたピアノの即興演奏のみで譜面と言う形では残っていないので現在CDだけで聴くことができるだけである。次のカールスル－エ音大教授の[[ペーター＝ミヒャエル・リーム]]（Perter-Michael・Riehm）、[[ジャン・クレープ]]（Jean・Kleeb）、[[フリードヴァルト・ブリューメ]]（Friedward・Blüme）などが本格的で、 [[エアハルト・カルコシュカ]]や[[菅野茂]]の一部の音楽も人智学の為に作曲され、主にオイリュトミーの伴奏に使われている。しかし各作曲家たちはこの目的の為に作曲している意識がもっぱら低く、帰納法的にそうなってしまったと考えるのが妥当であるが、[[シュトットガルト]]のオイリュトミストの[[ディアーナ・マリア・サグヴォスキーナ]]が主催する『[[動くオブジェの為のスタジオ]]』では毎月これらの作曲家たちを集めた定期公演が行われており、大きな運動に発展する余地を残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参考リンク：http://www.bewegungschiffren.de&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>ミルコ・ケレメン</title>
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				<updated>2008-01-01T20:19:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;84.175.160.65: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ミルコ・ケレメン（Milko Kelemen）[[1924年]]3月30日生まれの[[クロアチア]]の作曲家でポドラヴスカ・スラチナに生まれた。 1959年に[[ザグレブ・ビエンナーレ]]現代音楽祭を設立し、その功績でドイツ国の十字勲章を授与される。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[パリ]]で[[オリヴィエ・メシアン]]と[[フライブルク]]で[[ウォルフガング・フォートナー]]に付く。彼の重要な仕事に著書の「音響の迷路」の引用から複雑な現代音楽を透かしてみせる事だと言われている。すなわち楽譜そのものを複雑に書くのではなくて、単純に書いても複雑に聞こえる言われる「シュトットガルト様式」の創始者と言われている。言い換えればむやみに効果の無い手法でやたらと楽譜を複雑化・絵としての視覚化しないと言う主張で、その考え方は後輩の[[ヘルムート・ラッヘンマン]]に見事に引き継がれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作曲教授の退官後も[[シュトットガルト]]に残り、ディッター・クルツ指揮のヴィルテンベルギッシュ室内合唱団などと新作の合唱曲なども発表している。終生の代表作はオペラ「アポカリプテイカ」やオラトリオ「月に今日は」と作曲者は語るが、作品は[[電子音楽]]・室内楽・オペラ・管弦楽伴奏の声楽曲まである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
教師としては不親切といつも不評を買っていたが、定年まで「[[現代楽器法]]」を教え、[[アドリアーナ・ヘルツキー]]などの逸材も出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書==&lt;br /&gt;
「ストラヴィンスキーへの書き物」&lt;br /&gt;
「音響世界」&lt;br /&gt;
他&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他の代表作==&lt;br /&gt;
「鏡」, バレー 1960 &lt;br /&gt;
「ロバが海岸を散歩してる」1961&lt;br /&gt;
「10の色たち」1985 &lt;br /&gt;
「天国の柱」1986 &lt;br /&gt;
他&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>ルチアーノ・ベリオ</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;84.175.160.65: 新しいページ: ''''ルチアーノ・ベリオ'''は1925年生まれのイタリアの作曲家で自作の指揮なども手がけ、2003年に没する。代々音楽家の家系に生まれ...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ルチアーノ・ベリオ'''は1925年生まれのイタリアの作曲家で自作の指揮なども手がけ、2003年に没する。代々音楽家の家系に生まれ、声楽家のキャシー・バベーリアンと結婚して話題を集める。引用のあるシンフォニアが有名であるが、ソロ・ピースのセクエンツァI~XIVは作曲家のみならず演奏家としても学ぶべき事が多い重要な曲。しかし真の傑作は｢エピファニア｣とも言われている。晩年はボッケリーニやシューベルト、プッチーニの「トゥーランドット」」完成・編曲なども手がけた。&lt;/div&gt;</summary>
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