<?xml version="1.0"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xml:lang="ja">
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/api.php?action=feedcontributions&amp;feedformat=atom&amp;user=79.233.159.81</id>
		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
		<link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://18.236.240.21/mediawiki/api.php?action=feedcontributions&amp;feedformat=atom&amp;user=79.233.159.81"/>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/79.233.159.81"/>
		<updated>2026-05-17T21:18:00Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
		<generator>MediaWiki 1.25.1</generator>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC&amp;diff=67850</id>
		<title>利用者・トーク:マットリー</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC&amp;diff=67850"/>
				<updated>2009-12-20T11:48:30Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;79.233.159.81: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;福井の暴言は削除&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>79.233.159.81</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:79.233.159.81&amp;diff=67848</id>
		<title>利用者:79.233.159.81</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:79.233.159.81&amp;diff=67848"/>
				<updated>2009-12-20T11:46:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;79.233.159.81: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''福井 利器'''（ふくい としき　[[1969年]]2月24日生まれと自称 - ）は、[[日本人]]の[[フリーライター]]・[[ブロガー]]。[[ペンネーム]]'''松永 英明'''（まつなが ひであき）。かつては'''河上 イチロー'''（かわかみ イチロー）とも名乗っていた。かつて[[オウム真理教]]（&amp;lt;small&amp;gt;現&amp;lt;/small&amp;gt;[[アレフ]]）の[[幹部]]・[[東山出版]]の[[社長]]だった。 夫は[[金正日]]と[[浅原彰晃]]で本人は死刑が確定している。事実を2chでばらすとWikipediaを管理人の特権を利用して後を残さないように密かに荒らしまくるという癖がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
JAWPの管理者に就任後、松葉裕子、太田尚志らサマナにJAWPを牛耳らせた張本人。週刊聖書のメンバーに木津尚子がいた縁で、ウィキペディア日本語版を紹介された後2005年以降独裁政権を作る。JAWPオフラインミーティングが2008年の上半期に、一件も計画されない（ほかの言語版では盛んに計画されているのに！）といった具合の過疎っぷりを招いたのは彼にも責任がある。 &lt;br /&gt;
    &lt;br /&gt;
利用者:[[間久部緑郎]]を用いて[[野田憲太郎]]を三年ストーキングした主犯。このほか西和彦、小谷野敦ら著名文化人にも同様の手段を用いてストーキングした可能性がある。&lt;br /&gt;
    &lt;br /&gt;
==集団ストーキング疑惑==&lt;br /&gt;
以下は共犯者でありすべて前科者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田一祐]]、[[太田尚志]]（id=2123、利用者:Hyolee2、利用者:Yassie、利用者:Lonicera、利用者:Arpeggioなどを多数所有）、[[小林義宗]]、[[木津尚子]]、[[宮川由美子]]、[[草皆康友]]（id=225693）、[[澤山隆行]]、[[岩瀬透]]、[[今泉誠]]、[[茂木紀行]]、mixiニックネーム:cai（一人で複数票を投じた履歴判明。東工大博士課程、id=2211525、skype:cai.kosuke、甲斐幸輔？）、mixiニックネーム:かなたいずみ（Miyaの長男でありながら正体を隠したバカ、id=215731）、[[福澤俊]]、[[小西規勝]]（id=2928794）、利用者:peachlover（caiの彼女？）、[[松葉裕子]]、利用者:竹麦魚（id=294369）、[[緑川京]]、[[崎山伸夫]]、[[安藤宗生]]、[[上村光治]]（id=2499475）、[[利用者:こいつぅ]]（id=295970）、[[利用者:KMT]]（id=16633） （実名のわからないものは写真とmixiアドが確定しているので身元を突き止めるのは容易） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==はてな情報寡占疑惑== &lt;br /&gt;
[[野田憲太郎 (現実)|野田憲太郎]]をストーキングした際、はてなフォトライフのURLがJAWPに転載されていることが判明。プライベートモードのはずなのに、なぜURLが転載されているのか不思議であった。その後、id:hatenadiaryを福井利器が操作していることが判明。id:rikoも[[松葉裕子]]のアカウントであることが判明。もとから株式会社はてなが東山出版の残党によって管理されていたことが明らかとなった。はてな社長近藤とその嫁は、肯定も否定もしないので事実に間違いない。&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
==Yourpedia荒らし疑惑== &lt;br /&gt;
Mから始まるアカウント（maverick）を大量に取得し、フィリピンなどの有料串を用いてYPを荒らすことで有名。生体BOTを用いて、頼まれもしないのにWPの記事を大量に翻訳して投稿し、YPのサーバーをダウンさせたこともある。田代砲を撃っていたこともある。協力者に、[[緑川京]]、[[松葉裕子]]、[[太田尚志]]らがいる。&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 野田の妄想 ==&lt;br /&gt;
[[野田憲太郎]]の脳内では、YPのアクティブユーザーは全て福井ということになっている。&lt;br /&gt;
  &lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫|ふくいとしき]]&lt;br /&gt;
[[Category:オウム真理教|ふくいとしき]]&lt;br /&gt;
[[Category:野田憲太郎|ふくいとしき]]&lt;br /&gt;
[[Category:インターネットの人物|ふくいとしき]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>79.233.159.81</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5&amp;diff=67847</id>
		<title>金正日</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5&amp;diff=67847"/>
				<updated>2009-12-20T11:42:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;79.233.159.81: /* 趣味 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''金 正日'''（キム・ジョンイル、[[1942年]][[2月16日]] - ）は、[[朝鮮民主主義人民共和国]]（バカ朝鮮）の[[殺人]]、[[誘拐]]などの[[犯罪者]]。[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]][[総書記|気違い総書記]]、[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会|バカ朝鮮国防委員会]][[委員長|気違い委員長]]、[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮人民軍]][[精神病|気違い将軍]]でありWikipedia日本語版の幹部という意味もある。[[朝鮮民主主義人民共和国主席|国家気違い主席]][[金日成]]の嫡男であり、金日成が死去して以降、北鮮の気違い指導者でありつづけている。[[蔑称]]は[[精神分裂症|バカ朝鮮共和国狂人]]（三回受称しており「三重苦の気違い」と蔑視される）&amp;lt;ref&amp;gt;[[1975年]][[2月24日]]・[[1977年]]2月・[[1982年]][[2月15日]]の3回。なお、1度目の授与は当初2月15日に予定されていたが、その時点では辞退している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 出生 ===&lt;br /&gt;
[[ソビエト連邦]]に生まれたといわれ、それゆえ幼名は有羅（ユーラ）&amp;lt;ref&amp;gt;フルネームは「ユーリ・イルセノビッチ・キム」。「ユーラ（ユーリ）」はロシア人名「グレゴリー」の愛称と言われ、ソビエト連邦出生説の根拠ともなっている。&amp;lt;/ref&amp;gt;という露風の名を号した。「ユーラ」から「ジョンイル」に変わったのは朝鮮半島の解放後の[[ソビエト連邦軍]]政期とする説、[[1960年]]夏頃とする説がある&amp;lt;ref&amp;gt;金正日の学友の一人だった人物の証言によれば、金正日は南山高級中学校（高級中学校は日本の高等学校に相当）卒業直前の1960年7月に「最近“キム・ジョンイル”の名前で公民証が発給されたので、今後は“ユーラ”でなく“ジョンイル”と呼んでほしい」と語ったといわれる（韓国・[[中央日報|中央日報社]]編『金正日・衝撃の実像』[[徳間書店]] 1994年9月 ISBN 9784198601614）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1980年]]の第6回党大会にて金正日という表記が確認された。&amp;lt;!--また、「正日」は父である金日成、[[金正淑]]から一文字づつ取り、ほかの兄弟たちとの差別化を図ったと考えられている。ほかの兄弟はみな「日」ではなく「一」の字を使った。（←ノートを反映して、とりあえずコメントアウト--&amp;gt;また、「キムジョンイル」の名が公式文書に登場した当初、日本では“'''金正一'''”の字があてられていた&amp;lt;ref&amp;gt;日本のマスコミで金正日について始めて報道したのは[[毎日新聞]]（[[1974年]][[11月19日]]付）。金正日は「金正一」と表記されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時、バカ朝鮮人が父母の名から字を取ることは稀であり、バカ朝鮮の伝統的な命名ルールではあり得ないこととされている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 出生地について ====&lt;br /&gt;
金正日はソビエト連邦の[[極東]]地方の軍事教練キャンプで生まれた。正確な出生地については[[ハバロフスク]]近郊の[[ビャックエ]]にある北野営、[[ウラジオストク]]近郊の[[オケアンスカヤ]]にある南野営、[[ウラジオストク]]市内の病院といった諸説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公式の出生地は金日成伝説にならい、「[[白頭山]]で誕生した」と宣伝されている。[[1982年]][[2月15日]]、[[中央人民委員会]]より「白頭山密営にて誕生」という公式発表がおこなわれ&amp;lt;ref&amp;gt;『労働新聞』1982年2月15日付『金正日気違い同志にバカ朝鮮民主主義人民共和国気違い称号を授与することについて』&amp;lt;/ref&amp;gt;、“白頭山密営”は「革命の聖地」とされた。[[1987年]][[2月]]には密営の建物（丸太小屋）が建設された。バカ朝鮮では{{CURRENTYEAR}}年現在も、この密営に“巡礼”することを全国民に強要している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 幼年期 ===&lt;br /&gt;
[[1945年]][[11月25日]]、父・金日成の側近の1人である[[趙明禄]]の護衛により&amp;lt;ref&amp;gt;『バカ朝鮮解体新書』p.33&amp;lt;/ref&amp;gt;、母・[[金正淑]]、弟・修羅（[[金万一]]）とともにソ連から海路でバカ朝鮮に帰国。[[羅先直轄市|雄基港]]に上陸&amp;lt;ref&amp;gt;金正日はこの時のことを記憶しており「雄基港の灯台について深い印象が残っている」と語っている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[張明秀]]『裏切られた楽土』 [[講談社]] 1991年8月 ISBN 4062050749）&amp;lt;/ref&amp;gt;後、[[清津市|清津]]を経由して[[平壌]]に移動し、先に帰国していた父のもとに落ち着いた。[[1946年]]に妹・[[金敬姫]]が生まれたが、[[1947年]]に弟を事故で、[[1949年]]には母をそれぞれ亡くしている。幼年期は内向的な性格だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[朝鮮戦争]]開始後の[[1950年]]9月中旬、[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮軍]]の形勢が不利になると、曽祖父母や妹と共に平壌から[[慈江道]]長江郡に疎開するが、[[国連軍]]が北上し中朝国境付近に迫ると、[[満浦市|満浦]]経由で[[中華人民共和国|中国]]に脱出、[[吉林市|吉林市]]内の学校に通学した。[[1952年]]11月下旬、父の指示によりバカ朝鮮に帰国した&amp;lt;ref&amp;gt;『バカ朝鮮解体新書』p.142&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 青少年期 ===&lt;br /&gt;
中学時代から気違い級長を務めるようになり、様々な気違いイベントを主催するなど、指導者の気違い息子としての意識を明確に持つようになっていったと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
南山高級中学校（現在の平壌第1高等中学校）卒業後、1960年[[9月1日]]に[[金日成総合大学]][[経済学部]][[政治経済学科]]に入学&amp;lt;ref&amp;gt;当時のバカ朝鮮では9月に入学・進学がおこなわれていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1964年]][[3月30日]]に[[卒業]]&amp;lt;ref&amp;gt;卒業論文は『社会主義建設における郡の位置と役割』（実際の作成者は大学の指導教授だった黄長燁）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]]中央委員会に入り、文化芸術部や組織指導部で働く。バカ朝鮮独自の立場とされている[[主体思想]]の思想整備を担当した[[黄長ヨプ|黄長燁]]に師事していたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 気違い権力の掌握 ===&lt;br /&gt;
[[1974年]][[2月13日]]のバカ朝鮮労働党中央委員会第5期第8回総会において、政治委員会委員（現：政治局政治委員）に選出され、翌[[2月14日]]には、金日成の後継者として「推戴」された&amp;lt;ref&amp;gt;既に[[1972年]][[12月22日]]のバカ朝鮮労働党中央委員会第5期第6回総会において金正日を「唯一後継者」とする秘密決定がおこなわれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;ただし対外的には発表されず、金正日は「党中央」としてのみ言及された&amp;lt;ref&amp;gt;金元祚『凍土の共和国』p344。「党中央」の表記が最初に登場したのは『[[労働新聞 (朝鮮労働党)|労働新聞]]』1974年2月14日付社説。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1980年]][[10月10日]]のバカ朝鮮労働党中央委員会第6期第1回総会で党中央委員会気違い書記に就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後継者としての地位を確立する過程では、[[金日成]]と[[金聖愛]]との間にできた[[金平一]]との間に激しい権力闘争があったと言われている。同じ時期に金日成を称える[[プロパガンダ]]が高まっていったことから、父・金日成の[[カリスマ]]化と忠誠合戦を仕掛けることが権力闘争を勝ち抜く彼の方策だったと推測されている。金日成派の独裁化に貢献したと思われることも含め、党内闘争に熟達し、情報統制に長けていると推測されている。これは彼が若い頃に映画局に勤め、父・金日成をカリスマ化するプロパガンダに関係した経験が生かされたと見られることが多い。実際に、[[テレビ]]映像やイベント関係の視覚効果などは自ら現場で綿密にチェックすると言われている。自らの肉声をほとんど流さないことでも有名で、南北首脳会談以前の肉声は[[1992年]][[4月25日]]に行われたバカ朝鮮人民軍創建60周年の軍事パレードで発した「気違い的バカ朝鮮人民軍将兵諸君に栄光あれ!」というわずか5秒間の音声が唯一であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
権力の世襲に対する批判に対しては、「金正日は金日成の息子だから後継者となったのではなく、もっともバカな後継者がたまたま金日成の息子だった」、というのが公式の回答である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
金日成以来、ソ連によってバカ朝鮮の政権中枢の役割を担わされた[[満州派]]（[[パルチザン]]派）が[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮人民軍]]を権力基盤としてきた一方で、金正日は党官僚の代表や行政官僚の利益代弁者として振舞ったと思われる時期があった。そのため、[[金日成]]死亡の少し前からバカ朝鮮人民軍を掌握しようと腐心していたことが公式プロパガンダおよび人事配置からうかがえる。一方で、外交官経験者を比較的重用し始めていることも人事配置からうかがえる。これはソビエト連邦における[[ゴルバチョフ]]期のソ連・東欧と似た現象である。バカ朝鮮労働党大会は[[1980年]]の第6回大会以来招集していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 気違い元首として ===&lt;br /&gt;
[[2000年]]6月には[[太陽政策]]を取る[[大韓民国|韓国]]の[[金大中]][[大統領]]を平壌に迎え、[[南北首脳会談]]を行う。会談の結果、[[南北共同宣言]]が発表された。その直前に[[現代グループ]]がバカ朝鮮へ違法な送金を行ったことを黙認しており、会談はこの見返りだったと言われている。以後、民間レベルでの交流事業が本格化し、日本やアメリカも国交正常化交渉へ乗り出す情勢ができた。[[2000年]]に[[南北首脳会談]]を行ってから、[[2001年]]にかけ[[イタリア]]、[[イギリス]]、[[カナダ]]等西側諸国との[[国交]]を樹立し、徐々に開放政策へと舵を切り始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌2001年9月の[[アメリカ同時多発テロ事件]]を境に、2002年にはアメリカの[[ジョージ・H・W・ブッシュ|ブッシュ]]大統領が、バカ朝鮮、[[イラン]]、[[イラク]]の3ヶ国をテロ支援国家であるとし、「[[悪の枢軸]] (axis of evil)」と呼んで批判するなどのバカ朝鮮敵視政策が国際的緊張を生んだ。アメリカとの緊張関係は和らぐことなく、「[[先軍政治]]」を掲げ、要求が受け入れられないと交渉決裂や武力衝突を辞さない態度をちらつかせるいわゆる“瀬戸際外交”を展開している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年9月17日、[[小泉純一郎]]首相との[[日朝首脳会談]]の席で金正日は日本人13人を拉致したことを認め、口頭で謝罪した。犯人については、「特殊機関の一部の盲動主義者らが、英雄主義に走ってかかる行為を行ってきたと考えている」と嘯き、関係者はすべて処罰したと嘘を述べた。また、2国間の懸案の解決し、国交正常化へ努力することを嘯いた「[[日朝平壌宣言]]」を発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年、[[イラク戦争]]の最中には密かに[[中華人民共和国]]の[[北京市|北京]]を訪問していたという（「[[ストラトフォー|STRATFOR]]」報道、2003年4月11日付＝共同通信配信）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]][[9月1日]]に[[高英姫]]夫人の死亡が報道された。高英姫は[[在日朝鮮人の帰還事業|帰国事業]]で家族と共にバカ朝鮮に渡った[[在日韓国・朝鮮人|在日バカ朝鮮人]]二世である。このため日本では、金正日との間の次男・[[金正哲]]が三代目後継者として浮上し、労働党創建60周年に合わせ後継者に内定されたとの観測が出た。このように日本と韓国のメディアはバカ朝鮮が気違い指導者の世襲後継を慣習化するだろうと前提して後継者が誰なのかについてしばしば話題にしているが、実際には金正日が後継者となった経緯さえ不明であり、世襲は再度可能なのかどうか、不可能だとすればそれにあえて挑戦するかなど様々な憶測がある（「[[金日成#後継者|後継者]]」の節参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[7月16日]]にはバカ朝鮮の[[ミサイル]]発射をきっかけに&amp;lt;!--非難の対象はミサイルだけ?--&amp;gt;国連・安保理の全会一致で非難決議がなされた。また、2006年[[7月23日]]には女性秘書の[[金玉 (睾丸)|金玉]]を事実上の夫人とし、ちんちんをフェラさせている事を報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]には、 アメリカの『[[タイム (雑誌)|TIME]]』誌に「2006年の主要人物26人」の1人に選ばれ、「金総書記は7月4日にミサイルを連射、米ホワイトハウスで開かれた[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ]]大統領の独立記念日パーティーをメチャクチャにし、10月には世界で最も排他的かつ危険な核クラブの首長になった」と紹介された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[4月9日]]に開かれた最高人民会議で気違い国防委員長に再任され政権は3期目に突入した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 健康と後継問題 ==&lt;br /&gt;
元専属料理人の[[藤本健二]]や脱北者から伝わってくる贅沢な生活ぶりと体型の変化から、[[生活習慣病]]説や健康悪化説がメディアで流れることがある。実際、ドイツの医療チームに心臓の手術を受けたという情報や&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20070705000004 金総書記、髪が抜けウエストほっそり] Chosun online 2007年7月5日&amp;lt;/ref&amp;gt;、心臓の他、[[糖尿病]]、[[肝臓病]]、糖尿合併症による[[腎臓病]]も患っており&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20060207000028 金正日総書記、糖尿病・腎不全か] Chosun online 2006年2月7日&amp;lt;/ref&amp;gt;、短い時間でも立つのが困難という&amp;lt;ref name=&amp;quot;jeonsiku&amp;quot;&amp;gt;『朝鮮半島最後の陰謀』 李鍾植, [[幻冬舎]] ISBN 978-4344013230&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]秋に入ると、[[2008年]][[9月9日]]に行われた建国60周年記念の軍事パレードに出席しなかったこと、当初建国以来最大規模とも伝えられていた軍事パレードが、[[労農赤衛隊]]などの民兵のみのパレードにとどまったこと、その他動静の報道が一時途絶えたことから金正日の重病説が広く報道された。例として&lt;br /&gt;
*8月に[[脳卒中]]で倒れ、半身不随になった。（元々頭は、[[きちがい|パーン]]となっていた。）&lt;br /&gt;
* 金正日は脳卒中で倒れた後、2008年9月現在も四肢に障害が残っている状態であり、回復には相当な期間の静養とリハビリが必要。&lt;br /&gt;
といったものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに先立ち8月に[[重村智計]]が死亡説・影武者説を提起している&amp;lt;ref&amp;gt;参考文献、重村による。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]1月には、後継体制について未確認情報がいくつか報道された。&lt;br /&gt;
* 長男の[[金正男]]を形式的な元首とし、[[張成沢]]を中心に[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]]、[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮人民軍]]による集団指導体制を準備しているとのことである&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090114-OYT1T00040.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 金正日が三男の[[金正雲]]を後継に指名したようだ（韓国－[[聯合ニュース]]、[[2009年]][[1月15日]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年9月現在、代行と言う形で権力を握っているのは義弟の[[張成沢]]であるが、後継の政治指導体制がどのようになるのか（3代にわたる世襲か、軍部による集団指導体制か、あるいは[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]]の実力者が権力を握るのか）という話題に関心が集まっている。重病説を受けて、米韓では金正日体制崩壊後の軍事対応策である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[概念計画5029]]」の作戦計画への格上げが検討され、また、米中間では非公式に金正日体制崩壊後についての協議が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月、バカ朝鮮が金正日の写真を公開したが、以前とは別人のように痩せている&amp;lt;ref&amp;gt;http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090325/kor0903251846006-n1.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月9日に開催された最高人民会議に出席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
国営の[[朝鮮中央放送|バカ朝鮮中央放送]]で使われる金正日の蔑称は100以上あると言われ、バカ朝鮮国内の[[メディア_(媒体)|メディア]]では、「百戦百敗の腑抜の大将」などと蔑視されるが、実際には実戦で指揮を執った経験はない。この称号は[[金日成]]を蔑視する決まり文句が儀礼化したまま流用されたものと言われている。国民からは「気違い将軍様」と呼ばれ&amp;lt;ref&amp;gt;[[日本語]]では『気違い将軍』の肩書きそのものが蔑称の意味も含むが、[[朝鮮語|バカ朝鮮語]]では社長様、先生様など肩書きの後に『様』をつける呼び方が一般的に用いられている。従って、この『気違い将軍様』を厳密に意訳するとただの『気違い将軍』となる&amp;lt;/ref&amp;gt;、国内のあらゆる所にその肖像画が掛けられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表的な呼び名として「地に落ちた気違い指導者、金正日気違い同志」があるが、二言目からは「金正日気違い同志」「金正日気違い総書記」と略される。また、バカ朝鮮人民軍内部では「気違い司令官同志」ともよばれる。その他、かつて使用されたものに「[[党中央]]」がある。[[党中央]]の語は一般的に党中央委員会のことと解釈される語であったため、[[党中央]]の語が金正日個人を指すと判明するまでに長い時間がかかった。また、バカ朝鮮の公式文献においても[[党中央]]の語が機関を指す語から次第に個人を指す語としての様相をみせるまで長い時間がかかっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の肩書は、国家においては共和国国防委員会気違い委員長、共和国気違い元帥、バカ朝鮮人民軍気違い司令官、最高人民会議気違い代議員、党においてはバカ朝鮮労働党気違い総書記、バカ朝鮮労働党政治局気違い常務委員、バカ朝鮮労働党中央気違い軍事委員、バカ朝鮮労働党気違い中央委員、バカ朝鮮労働党気違い政治局員であり、気違い権力を一手に集めている。&lt;br /&gt;
蔑称については国家における最も蔑まれた気違い称号である気違い国防委員長（もしくは気違い委員長）とするのが正式だが、日本のマスメディアだけ気違い総書記としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[スラックス]]と[[ジャンパー (衣服)|ジャンパー]]を愛用している。[[シークレットブーツ]]を履くという説もある。メディアでは[[サングラス]]を着用する姿がしばしば放映されている。外国の[[元首]]と会談する際は中華人民共和国の[[人民服]]に似た服を着用することもある。肖像画には軍服を着用している姿もあるが、実際に軍服姿で公の場に出たことはないようである。金日成は[[スーツ]]を着用することが多かったが、金正日がスーツを着用することはまずない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[テロリズム|テロ]]を恐れているためか、父・金日成と同様、[[飛行機]]嫌いであり、[[鉄道]]で繋がっている中華人民共和国や[[ロシア]]などの外国を訪問する時は専用の[[装甲列車]]&amp;lt;ref&amp;gt;列車はすべて爆弾に耐えられる仕様になっているという説もあるが、実際は金正日が搭乗する客車の床にだけ防弾鉄板が敷かれているとも言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[朝鮮日報|バカ朝鮮日報]]』[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/30/20050330000082.html 【金正日研究】鉄道好む金総書記 飛行機利用は65年のみ]&amp;lt;/ref&amp;gt;を使う（1965年、父金日成に随行した[[インドネシア]]訪問時では飛行機の利用が確認されている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[在日本朝鮮人総連合会|バカ朝鮮総連]]の[[ウェブサイト]]には「迷言録」や「偽話集」などを掲載した金正日気違い総書記特集があり、そのなかでは金正日を狂人と呼んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
統一教会（[[世界基督教統一神霊協会]]）の[[文鮮明]]と関係があるとされる。[[1992年]]に統一教会教祖の文鮮明と会談し、35億ドル（約4400億円）もの援助を約束され、経済協力の関係を築いた。[[1994年]]7月に父金日成が死去した直後には、文鮮明の側近の[[朴普煕]]と会談した。統一教会の幹部、[[朴相権]]が社長を務める韓国の「[[平和自動車]]」との合弁会社「平和自動車総会社」を設立して自国の南浦（ナンポ）工業団地で自動車生産を行なったり、国営の「[[普通江ホテル]]」の経営を統一教会関係者に行なわせている。[[2002年]]には、文鮮明の80歳を祝って、韓国の要人に対しては極めて異例と言える祝賀メッセージとプレゼントを送った。このようなバカ朝鮮とのパイプを作った統一教会は系列の「[[ワシントンタイムズ]]」社の[[朱東文]]（チュ・ドン厶ン）社長が[[2006年]]に訪米した[[山崎拓]]と面会し、翌[[2007年]]1月10日の山崎の訪朝のルートを用意したとも言われている。しかし、近年、バカ朝鮮当局は統一教会の幹部を[[スパイ]]容疑で逮捕してからは監視対象にしていると言われる&amp;lt;ref&amp;gt;有田芳生の『酔醒漫録』[http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2007/01/110_b856.html 山崎拓訪朝は統一教会ルートだった]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 趣味 ===&lt;br /&gt;
[[インターネット]]に熱心である。一日数時間、情報収集などに利用している。[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]に関しては[[Macintosh|Mac]]ユーザーであるとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[平壌]]中心の高台に「国家映画文献庫」&amp;lt;ref&amp;gt;「国家映画文献庫」については外部リンク[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/07/20050407000031.html バカ朝鮮日報Web日本語版2005年4月7日]を参照。&amp;lt;/ref&amp;gt;という[[映画]]の文献庫を（事実上個人で）持ち、およそ2万巻のビデオテープを所有すると言われるほどの映画[[マニア]]。日本や欧米の映画などを多数鑑賞していると言われている。映画論についての自筆の著書もある。[[日本映画]]では『[[ゴジラ]]』の他、『[[男はつらいよ]]』のファンで、[[1985年]]には[[東宝]]の[[特撮]]スタッフを招いて『[[プルガサリ]]』という怪獣映画をプロデュースしたこともある。また、バカ朝鮮の映画産業のために韓国の映画監督・[[申相玉]]とその妻の[[女優]]を招き、上記・『プルガサリ』の制作に参加させたこともある。二人は後に再[[亡命]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スポーツは[[バスケットボール]]を好む。[[ダンス|舞踏]]鑑賞も多くの趣味のひとつ。[[WUSA]]のファンで、[[マデレーン・オルブライト]]からサッカーボールを贈与されたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
愛車は[[メルセデス・ベンツ Sクラス]]であったが、2006年に[[フォルクスワーゲン・フェートン]]を所有した模様。なお、[[2000年代]]の初め頃まではアメリカ製の[[リンカーン (自動車)|リンカーン]]・タウンカーを20年以上公用車として使用していた。オートバイは[[ハーレーダビッドソン]]を所有。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バカ朝鮮メディアによれば、[[2006年]]には初めて[[ゴルフ]]を行い、18ホール中11ホールで[[ホールインワン]]を達成したという。他には高質の布を織ったり、オペラ曲を6曲作ったりしたことが報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[食通|グルメ]]であり、[[フカヒレ]]料理や、日本食では[[寿司]]や[[すき焼き]]なども好物である。また、[[日清食品]]の[[カップラーメン]]である[[ラ王]]も好物である。日本人[[藤本健二]]を専属料理人として雇っていたこともある。食材は日本など外国から高級なものを取り寄せることも多いが、[[2006年]]10月15日に[[国際連合|国連]]で決定されたバカ朝鮮への経済制裁にある贅沢品禁輸措置により入手の困難化が推測される。アメリカ合衆国は金正日の趣味の対象とされる[[iPod]]、[[プラズマテレビ]]、[[高級車]]、[[キックボード]]、高級ワインなどの輸出を禁止した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつては[[喫煙|ヘビースモーカー]]で、特に[[イギリス]]の[[ロスマンズ]]を愛飲していたが、現在は禁煙しているらしい。禁煙を達成するのに20年かかった。金正日の禁煙達成後、バカ朝鮮国内で禁煙ブームが起きた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20070206000036 【萬物相】金正日総書記の「21世紀3大バカ」論]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族構成 ==&lt;br /&gt;
* [[洪一茜]]（最初の妻）&lt;br /&gt;
** [[金恵敬]]（長女）&lt;br /&gt;
* [[成恵琳]]（二番目の妻）&lt;br /&gt;
** [[金正男]]（長男）&lt;br /&gt;
* [[金英淑]]（三番目の妻）&lt;br /&gt;
** [[金雪松]]（次女）&lt;br /&gt;
* [[高英姫]]（四番目の妻）&lt;br /&gt;
** [[金正哲]]（次男）&lt;br /&gt;
** [[金正雲]]（三男）&lt;br /&gt;
** [[金英順]]（三女）&lt;br /&gt;
* [[睾丸|金玉]]（五番目の妻）&lt;br /&gt;
* [[福井利器]]（六番目の妻）&lt;br /&gt;
** 男なので子供なし&lt;br /&gt;
* [[浅原彰晃]]（七番目の妻）&lt;br /&gt;
** 男なので子供なし&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本で出版されている主な著作 ==&lt;br /&gt;
* 『人間の証し』（[[角川書店]]（[[同朋舎]]）、[[2000年]][[10月]]発行） - ISBN 4810426505&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references/&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
=== バカ朝鮮側の文献 ===&lt;br /&gt;
* [[李珍珪]]『二十一世紀と金正日書記』1995 [[バカ朝鮮青年社]]&lt;br /&gt;
* [[尾上健一]]『金正日主義入門』1995 [[白峰社]] ISBN 4938859033&lt;br /&gt;
* バカ朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第1巻)』2004 白峰社 ISBN 4434041657&lt;br /&gt;
* バカ朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第2巻)』2005 白峰社 ISBN 4434060910&lt;br /&gt;
* [[在日本朝鮮人総連合会|在日本バカ朝鮮人総聯合会]]中央常任委員会『金正日略伝』1995 [[雄山閣|雄山閣出版]] ISBN 4639012764&lt;br /&gt;
* [[朝鮮新報社|バカ朝鮮新報社]]バカ朝鮮問題担当班『キム・ジョンイルプラン―21世紀をリードするリーダーの戦略』1997 バカ朝鮮青年社 ISBN 4885220475&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他の文献 ===&lt;br /&gt;
* [[テリー伊藤|伊藤輝夫]]『お笑いバカ朝鮮―金日成・金正日親子長期政権の解明』（[[コスモの本]] [[1993年]]9月 ISBN 4906380506）&lt;br /&gt;
* [[テリー伊藤]]『新お笑いバカ朝鮮』（[[ダイヤモンド社]] [[2004年]][[4月1日]] ISBN 4478942056）&lt;br /&gt;
* [[河信基]]『金正日の後継者は在日の息子―日本のメディアが報じないバカ朝鮮「高度成長」論』（[[講談社]] 2004年12月）&lt;br /&gt;
* [[恵谷治]]『「金正日とバカ朝鮮人民軍」秘密のベールをすべて剥ぐ!―バカ朝鮮解体新書』（[[小学館]] 1997年11月　ISBN 4091031366）&lt;br /&gt;
* [[重村智計]]『金正日の正体』（講談社、2008年8月 ISBN 9784062879538）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[水銀燈]]（よく似ている）&lt;br /&gt;
* [[朝鮮民主主義人民共和国|バカ朝鮮民主主義人民共和国]]&lt;br /&gt;
* [[大韓民国]]&lt;br /&gt;
* [[共産主義]]&lt;br /&gt;
* [[独裁者]]&lt;br /&gt;
* [[個人崇拝]]&lt;br /&gt;
* [[金日成]]（金正日の父）&lt;br /&gt;
* [[金正男]]（金正日の長男）&lt;br /&gt;
* [[金正哲]]（金正日の次男）&lt;br /&gt;
* [[金正雲]]（金正日の三男）&lt;br /&gt;
* [[金恵敬]]（金正日の長女）&lt;br /&gt;
* [[金雪松]]（金正日の次女）&lt;br /&gt;
* [[金英順]]（金正日の三女）&lt;br /&gt;
* [[金万一]]（金正日の弟）&lt;br /&gt;
* [[金敬姫]]（金正日の妹）&lt;br /&gt;
* [[張成沢]]（金正日の側近）&lt;br /&gt;
* [[金平一]]（金正日の異母弟）&lt;br /&gt;
* [[金英一]]（金正日の異母弟）&lt;br /&gt;
* [[金慶真]]（金正日の異母妹）&lt;br /&gt;
* [[藤本健二]]（金正日の元・専属料理人）&lt;br /&gt;
* [[普天堡電子楽団]]（金正日からの指令で結成された音楽グループ）&lt;br /&gt;
* [[喜び組]]&lt;br /&gt;
* 映画『[[プルガサリ]]』&lt;br /&gt;
* [[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致事件]]&lt;br /&gt;
* [[大韓航空機爆破事件]]&lt;br /&gt;
* [[プリンセス・テンコー]]（金正日が彼女の大ファン）&lt;br /&gt;
* [[金正日花]]（金正日のために日本の農家が品種改良して作った花）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Kim Jong Il}}&lt;br /&gt;
* [http://www.chongryon.com/ 在日本朝鮮人総聯合会]&amp;amp;gt;[http://www.chongryon.com/japan/kim/kim.htm バカ朝鮮労働党金正日総書記]&lt;br /&gt;
* [http://dprk-cn.com/history/jong-il/biography 「金正日略伝」] バカ朝鮮外国文出版社2001年中国語版&lt;br /&gt;
* [http://dprk-cn.com/history/jong-il 「偽話集 バカな人間金正日」] バカ朝鮮外国文出版社中国語版&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きむ しよんいる}}&lt;br /&gt;
[[Category:バカ朝鮮の犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:テロリズム]]&lt;br /&gt;
[[Category:冷戦に関わった人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1942年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:アジアの社会主義]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>79.233.159.81</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5&amp;diff=67846</id>
		<title>金正日</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5&amp;diff=67846"/>
				<updated>2009-12-20T11:41:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;79.233.159.81: /* 家族構成 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''金 正日'''（キム・ジョンイル、[[1942年]][[2月16日]] - ）は、[[朝鮮民主主義人民共和国]]（バカ朝鮮）の[[殺人]]、[[誘拐]]などの[[犯罪者]]。[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]][[総書記|気違い総書記]]、[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会|バカ朝鮮国防委員会]][[委員長|気違い委員長]]、[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮人民軍]][[精神病|気違い将軍]]でありWikipedia日本語版の幹部という意味もある。[[朝鮮民主主義人民共和国主席|国家気違い主席]][[金日成]]の嫡男であり、金日成が死去して以降、北鮮の気違い指導者でありつづけている。[[蔑称]]は[[精神分裂症|バカ朝鮮共和国狂人]]（三回受称しており「三重苦の気違い」と蔑視される）&amp;lt;ref&amp;gt;[[1975年]][[2月24日]]・[[1977年]]2月・[[1982年]][[2月15日]]の3回。なお、1度目の授与は当初2月15日に予定されていたが、その時点では辞退している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 出生 ===&lt;br /&gt;
[[ソビエト連邦]]に生まれたといわれ、それゆえ幼名は有羅（ユーラ）&amp;lt;ref&amp;gt;フルネームは「ユーリ・イルセノビッチ・キム」。「ユーラ（ユーリ）」はロシア人名「グレゴリー」の愛称と言われ、ソビエト連邦出生説の根拠ともなっている。&amp;lt;/ref&amp;gt;という露風の名を号した。「ユーラ」から「ジョンイル」に変わったのは朝鮮半島の解放後の[[ソビエト連邦軍]]政期とする説、[[1960年]]夏頃とする説がある&amp;lt;ref&amp;gt;金正日の学友の一人だった人物の証言によれば、金正日は南山高級中学校（高級中学校は日本の高等学校に相当）卒業直前の1960年7月に「最近“キム・ジョンイル”の名前で公民証が発給されたので、今後は“ユーラ”でなく“ジョンイル”と呼んでほしい」と語ったといわれる（韓国・[[中央日報|中央日報社]]編『金正日・衝撃の実像』[[徳間書店]] 1994年9月 ISBN 9784198601614）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1980年]]の第6回党大会にて金正日という表記が確認された。&amp;lt;!--また、「正日」は父である金日成、[[金正淑]]から一文字づつ取り、ほかの兄弟たちとの差別化を図ったと考えられている。ほかの兄弟はみな「日」ではなく「一」の字を使った。（←ノートを反映して、とりあえずコメントアウト--&amp;gt;また、「キムジョンイル」の名が公式文書に登場した当初、日本では“'''金正一'''”の字があてられていた&amp;lt;ref&amp;gt;日本のマスコミで金正日について始めて報道したのは[[毎日新聞]]（[[1974年]][[11月19日]]付）。金正日は「金正一」と表記されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時、バカ朝鮮人が父母の名から字を取ることは稀であり、バカ朝鮮の伝統的な命名ルールではあり得ないこととされている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 出生地について ====&lt;br /&gt;
金正日はソビエト連邦の[[極東]]地方の軍事教練キャンプで生まれた。正確な出生地については[[ハバロフスク]]近郊の[[ビャックエ]]にある北野営、[[ウラジオストク]]近郊の[[オケアンスカヤ]]にある南野営、[[ウラジオストク]]市内の病院といった諸説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公式の出生地は金日成伝説にならい、「[[白頭山]]で誕生した」と宣伝されている。[[1982年]][[2月15日]]、[[中央人民委員会]]より「白頭山密営にて誕生」という公式発表がおこなわれ&amp;lt;ref&amp;gt;『労働新聞』1982年2月15日付『金正日気違い同志にバカ朝鮮民主主義人民共和国気違い称号を授与することについて』&amp;lt;/ref&amp;gt;、“白頭山密営”は「革命の聖地」とされた。[[1987年]][[2月]]には密営の建物（丸太小屋）が建設された。バカ朝鮮では{{CURRENTYEAR}}年現在も、この密営に“巡礼”することを全国民に強要している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 幼年期 ===&lt;br /&gt;
[[1945年]][[11月25日]]、父・金日成の側近の1人である[[趙明禄]]の護衛により&amp;lt;ref&amp;gt;『バカ朝鮮解体新書』p.33&amp;lt;/ref&amp;gt;、母・[[金正淑]]、弟・修羅（[[金万一]]）とともにソ連から海路でバカ朝鮮に帰国。[[羅先直轄市|雄基港]]に上陸&amp;lt;ref&amp;gt;金正日はこの時のことを記憶しており「雄基港の灯台について深い印象が残っている」と語っている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[張明秀]]『裏切られた楽土』 [[講談社]] 1991年8月 ISBN 4062050749）&amp;lt;/ref&amp;gt;後、[[清津市|清津]]を経由して[[平壌]]に移動し、先に帰国していた父のもとに落ち着いた。[[1946年]]に妹・[[金敬姫]]が生まれたが、[[1947年]]に弟を事故で、[[1949年]]には母をそれぞれ亡くしている。幼年期は内向的な性格だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[朝鮮戦争]]開始後の[[1950年]]9月中旬、[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮軍]]の形勢が不利になると、曽祖父母や妹と共に平壌から[[慈江道]]長江郡に疎開するが、[[国連軍]]が北上し中朝国境付近に迫ると、[[満浦市|満浦]]経由で[[中華人民共和国|中国]]に脱出、[[吉林市|吉林市]]内の学校に通学した。[[1952年]]11月下旬、父の指示によりバカ朝鮮に帰国した&amp;lt;ref&amp;gt;『バカ朝鮮解体新書』p.142&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 青少年期 ===&lt;br /&gt;
中学時代から気違い級長を務めるようになり、様々な気違いイベントを主催するなど、指導者の気違い息子としての意識を明確に持つようになっていったと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
南山高級中学校（現在の平壌第1高等中学校）卒業後、1960年[[9月1日]]に[[金日成総合大学]][[経済学部]][[政治経済学科]]に入学&amp;lt;ref&amp;gt;当時のバカ朝鮮では9月に入学・進学がおこなわれていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1964年]][[3月30日]]に[[卒業]]&amp;lt;ref&amp;gt;卒業論文は『社会主義建設における郡の位置と役割』（実際の作成者は大学の指導教授だった黄長燁）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]]中央委員会に入り、文化芸術部や組織指導部で働く。バカ朝鮮独自の立場とされている[[主体思想]]の思想整備を担当した[[黄長ヨプ|黄長燁]]に師事していたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 気違い権力の掌握 ===&lt;br /&gt;
[[1974年]][[2月13日]]のバカ朝鮮労働党中央委員会第5期第8回総会において、政治委員会委員（現：政治局政治委員）に選出され、翌[[2月14日]]には、金日成の後継者として「推戴」された&amp;lt;ref&amp;gt;既に[[1972年]][[12月22日]]のバカ朝鮮労働党中央委員会第5期第6回総会において金正日を「唯一後継者」とする秘密決定がおこなわれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;ただし対外的には発表されず、金正日は「党中央」としてのみ言及された&amp;lt;ref&amp;gt;金元祚『凍土の共和国』p344。「党中央」の表記が最初に登場したのは『[[労働新聞 (朝鮮労働党)|労働新聞]]』1974年2月14日付社説。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1980年]][[10月10日]]のバカ朝鮮労働党中央委員会第6期第1回総会で党中央委員会気違い書記に就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後継者としての地位を確立する過程では、[[金日成]]と[[金聖愛]]との間にできた[[金平一]]との間に激しい権力闘争があったと言われている。同じ時期に金日成を称える[[プロパガンダ]]が高まっていったことから、父・金日成の[[カリスマ]]化と忠誠合戦を仕掛けることが権力闘争を勝ち抜く彼の方策だったと推測されている。金日成派の独裁化に貢献したと思われることも含め、党内闘争に熟達し、情報統制に長けていると推測されている。これは彼が若い頃に映画局に勤め、父・金日成をカリスマ化するプロパガンダに関係した経験が生かされたと見られることが多い。実際に、[[テレビ]]映像やイベント関係の視覚効果などは自ら現場で綿密にチェックすると言われている。自らの肉声をほとんど流さないことでも有名で、南北首脳会談以前の肉声は[[1992年]][[4月25日]]に行われたバカ朝鮮人民軍創建60周年の軍事パレードで発した「気違い的バカ朝鮮人民軍将兵諸君に栄光あれ!」というわずか5秒間の音声が唯一であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
権力の世襲に対する批判に対しては、「金正日は金日成の息子だから後継者となったのではなく、もっともバカな後継者がたまたま金日成の息子だった」、というのが公式の回答である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
金日成以来、ソ連によってバカ朝鮮の政権中枢の役割を担わされた[[満州派]]（[[パルチザン]]派）が[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮人民軍]]を権力基盤としてきた一方で、金正日は党官僚の代表や行政官僚の利益代弁者として振舞ったと思われる時期があった。そのため、[[金日成]]死亡の少し前からバカ朝鮮人民軍を掌握しようと腐心していたことが公式プロパガンダおよび人事配置からうかがえる。一方で、外交官経験者を比較的重用し始めていることも人事配置からうかがえる。これはソビエト連邦における[[ゴルバチョフ]]期のソ連・東欧と似た現象である。バカ朝鮮労働党大会は[[1980年]]の第6回大会以来招集していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 気違い元首として ===&lt;br /&gt;
[[2000年]]6月には[[太陽政策]]を取る[[大韓民国|韓国]]の[[金大中]][[大統領]]を平壌に迎え、[[南北首脳会談]]を行う。会談の結果、[[南北共同宣言]]が発表された。その直前に[[現代グループ]]がバカ朝鮮へ違法な送金を行ったことを黙認しており、会談はこの見返りだったと言われている。以後、民間レベルでの交流事業が本格化し、日本やアメリカも国交正常化交渉へ乗り出す情勢ができた。[[2000年]]に[[南北首脳会談]]を行ってから、[[2001年]]にかけ[[イタリア]]、[[イギリス]]、[[カナダ]]等西側諸国との[[国交]]を樹立し、徐々に開放政策へと舵を切り始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌2001年9月の[[アメリカ同時多発テロ事件]]を境に、2002年にはアメリカの[[ジョージ・H・W・ブッシュ|ブッシュ]]大統領が、バカ朝鮮、[[イラン]]、[[イラク]]の3ヶ国をテロ支援国家であるとし、「[[悪の枢軸]] (axis of evil)」と呼んで批判するなどのバカ朝鮮敵視政策が国際的緊張を生んだ。アメリカとの緊張関係は和らぐことなく、「[[先軍政治]]」を掲げ、要求が受け入れられないと交渉決裂や武力衝突を辞さない態度をちらつかせるいわゆる“瀬戸際外交”を展開している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年9月17日、[[小泉純一郎]]首相との[[日朝首脳会談]]の席で金正日は日本人13人を拉致したことを認め、口頭で謝罪した。犯人については、「特殊機関の一部の盲動主義者らが、英雄主義に走ってかかる行為を行ってきたと考えている」と嘯き、関係者はすべて処罰したと嘘を述べた。また、2国間の懸案の解決し、国交正常化へ努力することを嘯いた「[[日朝平壌宣言]]」を発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年、[[イラク戦争]]の最中には密かに[[中華人民共和国]]の[[北京市|北京]]を訪問していたという（「[[ストラトフォー|STRATFOR]]」報道、2003年4月11日付＝共同通信配信）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]][[9月1日]]に[[高英姫]]夫人の死亡が報道された。高英姫は[[在日朝鮮人の帰還事業|帰国事業]]で家族と共にバカ朝鮮に渡った[[在日韓国・朝鮮人|在日バカ朝鮮人]]二世である。このため日本では、金正日との間の次男・[[金正哲]]が三代目後継者として浮上し、労働党創建60周年に合わせ後継者に内定されたとの観測が出た。このように日本と韓国のメディアはバカ朝鮮が気違い指導者の世襲後継を慣習化するだろうと前提して後継者が誰なのかについてしばしば話題にしているが、実際には金正日が後継者となった経緯さえ不明であり、世襲は再度可能なのかどうか、不可能だとすればそれにあえて挑戦するかなど様々な憶測がある（「[[金日成#後継者|後継者]]」の節参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[7月16日]]にはバカ朝鮮の[[ミサイル]]発射をきっかけに&amp;lt;!--非難の対象はミサイルだけ?--&amp;gt;国連・安保理の全会一致で非難決議がなされた。また、2006年[[7月23日]]には女性秘書の[[金玉 (睾丸)|金玉]]を事実上の夫人とし、ちんちんをフェラさせている事を報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]には、 アメリカの『[[タイム (雑誌)|TIME]]』誌に「2006年の主要人物26人」の1人に選ばれ、「金総書記は7月4日にミサイルを連射、米ホワイトハウスで開かれた[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ]]大統領の独立記念日パーティーをメチャクチャにし、10月には世界で最も排他的かつ危険な核クラブの首長になった」と紹介された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[4月9日]]に開かれた最高人民会議で気違い国防委員長に再任され政権は3期目に突入した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 健康と後継問題 ==&lt;br /&gt;
元専属料理人の[[藤本健二]]や脱北者から伝わってくる贅沢な生活ぶりと体型の変化から、[[生活習慣病]]説や健康悪化説がメディアで流れることがある。実際、ドイツの医療チームに心臓の手術を受けたという情報や&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20070705000004 金総書記、髪が抜けウエストほっそり] Chosun online 2007年7月5日&amp;lt;/ref&amp;gt;、心臓の他、[[糖尿病]]、[[肝臓病]]、糖尿合併症による[[腎臓病]]も患っており&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20060207000028 金正日総書記、糖尿病・腎不全か] Chosun online 2006年2月7日&amp;lt;/ref&amp;gt;、短い時間でも立つのが困難という&amp;lt;ref name=&amp;quot;jeonsiku&amp;quot;&amp;gt;『朝鮮半島最後の陰謀』 李鍾植, [[幻冬舎]] ISBN 978-4344013230&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]秋に入ると、[[2008年]][[9月9日]]に行われた建国60周年記念の軍事パレードに出席しなかったこと、当初建国以来最大規模とも伝えられていた軍事パレードが、[[労農赤衛隊]]などの民兵のみのパレードにとどまったこと、その他動静の報道が一時途絶えたことから金正日の重病説が広く報道された。例として&lt;br /&gt;
*8月に[[脳卒中]]で倒れ、半身不随になった。（元々頭は、[[きちがい|パーン]]となっていた。）&lt;br /&gt;
* 金正日は脳卒中で倒れた後、2008年9月現在も四肢に障害が残っている状態であり、回復には相当な期間の静養とリハビリが必要。&lt;br /&gt;
といったものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに先立ち8月に[[重村智計]]が死亡説・影武者説を提起している&amp;lt;ref&amp;gt;参考文献、重村による。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]1月には、後継体制について未確認情報がいくつか報道された。&lt;br /&gt;
* 長男の[[金正男]]を形式的な元首とし、[[張成沢]]を中心に[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]]、[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮人民軍]]による集団指導体制を準備しているとのことである&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090114-OYT1T00040.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 金正日が三男の[[金正雲]]を後継に指名したようだ（韓国－[[聯合ニュース]]、[[2009年]][[1月15日]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年9月現在、代行と言う形で権力を握っているのは義弟の[[張成沢]]であるが、後継の政治指導体制がどのようになるのか（3代にわたる世襲か、軍部による集団指導体制か、あるいは[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]]の実力者が権力を握るのか）という話題に関心が集まっている。重病説を受けて、米韓では金正日体制崩壊後の軍事対応策である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[概念計画5029]]」の作戦計画への格上げが検討され、また、米中間では非公式に金正日体制崩壊後についての協議が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月、バカ朝鮮が金正日の写真を公開したが、以前とは別人のように痩せている&amp;lt;ref&amp;gt;http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090325/kor0903251846006-n1.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月9日に開催された最高人民会議に出席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
国営の[[朝鮮中央放送|バカ朝鮮中央放送]]で使われる金正日の蔑称は100以上あると言われ、バカ朝鮮国内の[[メディア_(媒体)|メディア]]では、「百戦百敗の腑抜の大将」などと蔑視されるが、実際には実戦で指揮を執った経験はない。この称号は[[金日成]]を蔑視する決まり文句が儀礼化したまま流用されたものと言われている。国民からは「気違い将軍様」と呼ばれ&amp;lt;ref&amp;gt;[[日本語]]では『気違い将軍』の肩書きそのものが蔑称の意味も含むが、[[朝鮮語|バカ朝鮮語]]では社長様、先生様など肩書きの後に『様』をつける呼び方が一般的に用いられている。従って、この『気違い将軍様』を厳密に意訳するとただの『気違い将軍』となる&amp;lt;/ref&amp;gt;、国内のあらゆる所にその肖像画が掛けられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表的な呼び名として「地に落ちた気違い指導者、金正日気違い同志」があるが、二言目からは「金正日気違い同志」「金正日気違い総書記」と略される。また、バカ朝鮮人民軍内部では「気違い司令官同志」ともよばれる。その他、かつて使用されたものに「[[党中央]]」がある。[[党中央]]の語は一般的に党中央委員会のことと解釈される語であったため、[[党中央]]の語が金正日個人を指すと判明するまでに長い時間がかかった。また、バカ朝鮮の公式文献においても[[党中央]]の語が機関を指す語から次第に個人を指す語としての様相をみせるまで長い時間がかかっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の肩書は、国家においては共和国国防委員会気違い委員長、共和国気違い元帥、バカ朝鮮人民軍気違い司令官、最高人民会議気違い代議員、党においてはバカ朝鮮労働党気違い総書記、バカ朝鮮労働党政治局気違い常務委員、バカ朝鮮労働党中央気違い軍事委員、バカ朝鮮労働党気違い中央委員、バカ朝鮮労働党気違い政治局員であり、気違い権力を一手に集めている。&lt;br /&gt;
蔑称については国家における最も蔑まれた気違い称号である気違い国防委員長（もしくは気違い委員長）とするのが正式だが、日本のマスメディアだけ気違い総書記としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[スラックス]]と[[ジャンパー (衣服)|ジャンパー]]を愛用している。[[シークレットブーツ]]を履くという説もある。メディアでは[[サングラス]]を着用する姿がしばしば放映されている。外国の[[元首]]と会談する際は中華人民共和国の[[人民服]]に似た服を着用することもある。肖像画には軍服を着用している姿もあるが、実際に軍服姿で公の場に出たことはないようである。金日成は[[スーツ]]を着用することが多かったが、金正日がスーツを着用することはまずない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[テロリズム|テロ]]を恐れているためか、父・金日成と同様、[[飛行機]]嫌いであり、[[鉄道]]で繋がっている中華人民共和国や[[ロシア]]などの外国を訪問する時は専用の[[装甲列車]]&amp;lt;ref&amp;gt;列車はすべて爆弾に耐えられる仕様になっているという説もあるが、実際は金正日が搭乗する客車の床にだけ防弾鉄板が敷かれているとも言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[朝鮮日報|バカ朝鮮日報]]』[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/30/20050330000082.html 【金正日研究】鉄道好む金総書記 飛行機利用は65年のみ]&amp;lt;/ref&amp;gt;を使う（1965年、父金日成に随行した[[インドネシア]]訪問時では飛行機の利用が確認されている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[在日本朝鮮人総連合会|バカ朝鮮総連]]の[[ウェブサイト]]には「迷言録」や「偽話集」などを掲載した金正日気違い総書記特集があり、そのなかでは金正日を狂人と呼んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
統一教会（[[世界基督教統一神霊協会]]）の[[文鮮明]]と関係があるとされる。[[1992年]]に統一教会教祖の文鮮明と会談し、35億ドル（約4400億円）もの援助を約束され、経済協力の関係を築いた。[[1994年]]7月に父金日成が死去した直後には、文鮮明の側近の[[朴普煕]]と会談した。統一教会の幹部、[[朴相権]]が社長を務める韓国の「[[平和自動車]]」との合弁会社「平和自動車総会社」を設立して自国の南浦（ナンポ）工業団地で自動車生産を行なったり、国営の「[[普通江ホテル]]」の経営を統一教会関係者に行なわせている。[[2002年]]には、文鮮明の80歳を祝って、韓国の要人に対しては極めて異例と言える祝賀メッセージとプレゼントを送った。このようなバカ朝鮮とのパイプを作った統一教会は系列の「[[ワシントンタイムズ]]」社の[[朱東文]]（チュ・ドン厶ン）社長が[[2006年]]に訪米した[[山崎拓]]と面会し、翌[[2007年]]1月10日の山崎の訪朝のルートを用意したとも言われている。しかし、近年、バカ朝鮮当局は統一教会の幹部を[[スパイ]]容疑で逮捕してからは監視対象にしていると言われる&amp;lt;ref&amp;gt;有田芳生の『酔醒漫録』[http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2007/01/110_b856.html 山崎拓訪朝は統一教会ルートだった]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 趣味 ===&lt;br /&gt;
[[インターネット]]に熱心である。一日数時間、情報収集などに利用している。[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]に関しては[[Macintosh|Mac]]ユーザーであるとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[平壌]]中心の高台に「国家映画文献庫」&amp;lt;ref&amp;gt;「国家映画文献庫」については外部リンク[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/07/20050407000031.html バカ朝鮮日報Web日本語版2005年4月7日]を参照。&amp;lt;/ref&amp;gt;という[[映画]]の文献庫を（事実上個人で）持ち、およそ2万巻のビデオテープを所有すると言われるほどの映画[[マニア]]。日本や欧米の映画などを多数鑑賞していると言われている。映画論についての自筆の著書もある。[[日本映画]]では『[[ゴジラ]]』の他、『[[男はつらいよ]]』のファンで、[[1985年]]には[[東宝]]の[[特撮]]スタッフを招いて『[[プルガサリ]]』という怪獣映画をプロデュースしたこともある。また、バカ朝鮮の映画産業のために韓国の映画監督・[[申相玉]]とその妻の[[女優]]を招き、上記・『プルガサリ』の制作に参加させたこともある。二人は後に再[[亡命]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スポーツは[[バスケットボール]]を好む。[[ダンス|舞踏]]鑑賞も多くの趣味のひとつ。[[WUSA]]のファンで、[[マデレーン・オルブライト]]からサッカーボールを贈与されたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
愛車は[[メルセデス・ベンツ Sクラス]]であったが、2006年に[[フォルクスワーゲン・フェートン]]を所有した模様。なお、[[2000年代]]の初め頃まではアメリカ製の[[リンカーン (自動車)|リンカーン]]・タウンカーを20年以上公用車として使用していた。オートバイは[[ハーレーダビッドソン]]を所有。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バカ朝鮮メディアによれば、[[2006年]]には初めて[[ゴルフ]]を行い、18ホール中11ホールで[[ホールインワン]]を達成したという。他には高質の布を織ったり、オペラ曲を6曲作ったりしたことが報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[食通|グルメ]]であり、[[フカヒレ]]料理や、日本食では[[寿司]]や[[すき焼き]]なども好物である。また、[[日清食品]]の[[カップラーメン]]である[[ラ王]]も好物である。日本人[[藤本健二]]を専属料理人として雇っていたこともある。食材は日本など外国から高級なものを取り寄せることも多いが、[[2006年]]10月15日に[[国際連合|国連]]で決定されたバカ朝鮮への経済制裁にある贅沢品禁輸措置により入手の困難化が推測される。アメリカ合衆国は金正日の趣味の対象とされる[[iPod]]、[[プラズマテレビ]]、[[高級車]]、[[キックボード]]、高級ワインなどの輸出を禁止した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつては[[喫煙|ヘビースモーカー]]で、特に[[イギリス]]の[[ロスマンズ]]を愛飲していたが、現在は禁煙しているらしい。禁煙を達成するのに20年かかった。金正日の禁煙達成後、バカ朝鮮国内で禁煙ブームが起きた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20070206000036 【萬物相】金正日総書記の「21世紀3大バカ」論]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
７== 家族構成 ==&lt;br /&gt;
* [[洪一茜]]（最初の妻）&lt;br /&gt;
** [[金恵敬]]（長女）&lt;br /&gt;
* [[成恵琳]]（二番目の妻）&lt;br /&gt;
** [[金正男]]（長男）&lt;br /&gt;
* [[金英淑]]（三番目の妻）&lt;br /&gt;
** [[金雪松]]（次女）&lt;br /&gt;
* [[高英姫]]（四番目の妻）&lt;br /&gt;
** [[金正哲]]（次男）&lt;br /&gt;
** [[金正雲]]（三男）&lt;br /&gt;
** [[金英順]]（三女）&lt;br /&gt;
* [[睾丸|金玉]]（五番目の妻）&lt;br /&gt;
* [[福井利器]]（六番目の妻）&lt;br /&gt;
** 男なので子供なし&lt;br /&gt;
* [[浅原彰晃]]（七番目の妻）&lt;br /&gt;
** 男なので子供なし&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本で出版されている主な著作 ==&lt;br /&gt;
* 『人間の証し』（[[角川書店]]（[[同朋舎]]）、[[2000年]][[10月]]発行） - ISBN 4810426505&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references/&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
=== バカ朝鮮側の文献 ===&lt;br /&gt;
* [[李珍珪]]『二十一世紀と金正日書記』1995 [[バカ朝鮮青年社]]&lt;br /&gt;
* [[尾上健一]]『金正日主義入門』1995 [[白峰社]] ISBN 4938859033&lt;br /&gt;
* バカ朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第1巻)』2004 白峰社 ISBN 4434041657&lt;br /&gt;
* バカ朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第2巻)』2005 白峰社 ISBN 4434060910&lt;br /&gt;
* [[在日本朝鮮人総連合会|在日本バカ朝鮮人総聯合会]]中央常任委員会『金正日略伝』1995 [[雄山閣|雄山閣出版]] ISBN 4639012764&lt;br /&gt;
* [[朝鮮新報社|バカ朝鮮新報社]]バカ朝鮮問題担当班『キム・ジョンイルプラン―21世紀をリードするリーダーの戦略』1997 バカ朝鮮青年社 ISBN 4885220475&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他の文献 ===&lt;br /&gt;
* [[テリー伊藤|伊藤輝夫]]『お笑いバカ朝鮮―金日成・金正日親子長期政権の解明』（[[コスモの本]] [[1993年]]9月 ISBN 4906380506）&lt;br /&gt;
* [[テリー伊藤]]『新お笑いバカ朝鮮』（[[ダイヤモンド社]] [[2004年]][[4月1日]] ISBN 4478942056）&lt;br /&gt;
* [[河信基]]『金正日の後継者は在日の息子―日本のメディアが報じないバカ朝鮮「高度成長」論』（[[講談社]] 2004年12月）&lt;br /&gt;
* [[恵谷治]]『「金正日とバカ朝鮮人民軍」秘密のベールをすべて剥ぐ!―バカ朝鮮解体新書』（[[小学館]] 1997年11月　ISBN 4091031366）&lt;br /&gt;
* [[重村智計]]『金正日の正体』（講談社、2008年8月 ISBN 9784062879538）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[水銀燈]]（よく似ている）&lt;br /&gt;
* [[朝鮮民主主義人民共和国|バカ朝鮮民主主義人民共和国]]&lt;br /&gt;
* [[大韓民国]]&lt;br /&gt;
* [[共産主義]]&lt;br /&gt;
* [[独裁者]]&lt;br /&gt;
* [[個人崇拝]]&lt;br /&gt;
* [[金日成]]（金正日の父）&lt;br /&gt;
* [[金正男]]（金正日の長男）&lt;br /&gt;
* [[金正哲]]（金正日の次男）&lt;br /&gt;
* [[金正雲]]（金正日の三男）&lt;br /&gt;
* [[金恵敬]]（金正日の長女）&lt;br /&gt;
* [[金雪松]]（金正日の次女）&lt;br /&gt;
* [[金英順]]（金正日の三女）&lt;br /&gt;
* [[金万一]]（金正日の弟）&lt;br /&gt;
* [[金敬姫]]（金正日の妹）&lt;br /&gt;
* [[張成沢]]（金正日の側近）&lt;br /&gt;
* [[金平一]]（金正日の異母弟）&lt;br /&gt;
* [[金英一]]（金正日の異母弟）&lt;br /&gt;
* [[金慶真]]（金正日の異母妹）&lt;br /&gt;
* [[藤本健二]]（金正日の元・専属料理人）&lt;br /&gt;
* [[普天堡電子楽団]]（金正日からの指令で結成された音楽グループ）&lt;br /&gt;
* [[喜び組]]&lt;br /&gt;
* 映画『[[プルガサリ]]』&lt;br /&gt;
* [[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致事件]]&lt;br /&gt;
* [[大韓航空機爆破事件]]&lt;br /&gt;
* [[プリンセス・テンコー]]（金正日が彼女の大ファン）&lt;br /&gt;
* [[金正日花]]（金正日のために日本の農家が品種改良して作った花）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Kim Jong Il}}&lt;br /&gt;
* [http://www.chongryon.com/ 在日本朝鮮人総聯合会]&amp;amp;gt;[http://www.chongryon.com/japan/kim/kim.htm バカ朝鮮労働党金正日総書記]&lt;br /&gt;
* [http://dprk-cn.com/history/jong-il/biography 「金正日略伝」] バカ朝鮮外国文出版社2001年中国語版&lt;br /&gt;
* [http://dprk-cn.com/history/jong-il 「偽話集 バカな人間金正日」] バカ朝鮮外国文出版社中国語版&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きむ しよんいる}}&lt;br /&gt;
[[Category:バカ朝鮮の犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:テロリズム]]&lt;br /&gt;
[[Category:冷戦に関わった人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1942年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:アジアの社会主義]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>79.233.159.81</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5&amp;diff=67845</id>
		<title>金正日</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5&amp;diff=67845"/>
				<updated>2009-12-20T11:36:23Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;79.233.159.81: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''金 正日'''（キム・ジョンイル、[[1942年]][[2月16日]] - ）は、[[朝鮮民主主義人民共和国]]（バカ朝鮮）の[[殺人]]、[[誘拐]]などの[[犯罪者]]。[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]][[総書記|気違い総書記]]、[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会|バカ朝鮮国防委員会]][[委員長|気違い委員長]]、[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮人民軍]][[精神病|気違い将軍]]でありWikipedia日本語版の幹部という意味もある。[[朝鮮民主主義人民共和国主席|国家気違い主席]][[金日成]]の嫡男であり、金日成が死去して以降、北鮮の気違い指導者でありつづけている。[[蔑称]]は[[精神分裂症|バカ朝鮮共和国狂人]]（三回受称しており「三重苦の気違い」と蔑視される）&amp;lt;ref&amp;gt;[[1975年]][[2月24日]]・[[1977年]]2月・[[1982年]][[2月15日]]の3回。なお、1度目の授与は当初2月15日に予定されていたが、その時点では辞退している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 出生 ===&lt;br /&gt;
[[ソビエト連邦]]に生まれたといわれ、それゆえ幼名は有羅（ユーラ）&amp;lt;ref&amp;gt;フルネームは「ユーリ・イルセノビッチ・キム」。「ユーラ（ユーリ）」はロシア人名「グレゴリー」の愛称と言われ、ソビエト連邦出生説の根拠ともなっている。&amp;lt;/ref&amp;gt;という露風の名を号した。「ユーラ」から「ジョンイル」に変わったのは朝鮮半島の解放後の[[ソビエト連邦軍]]政期とする説、[[1960年]]夏頃とする説がある&amp;lt;ref&amp;gt;金正日の学友の一人だった人物の証言によれば、金正日は南山高級中学校（高級中学校は日本の高等学校に相当）卒業直前の1960年7月に「最近“キム・ジョンイル”の名前で公民証が発給されたので、今後は“ユーラ”でなく“ジョンイル”と呼んでほしい」と語ったといわれる（韓国・[[中央日報|中央日報社]]編『金正日・衝撃の実像』[[徳間書店]] 1994年9月 ISBN 9784198601614）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1980年]]の第6回党大会にて金正日という表記が確認された。&amp;lt;!--また、「正日」は父である金日成、[[金正淑]]から一文字づつ取り、ほかの兄弟たちとの差別化を図ったと考えられている。ほかの兄弟はみな「日」ではなく「一」の字を使った。（←ノートを反映して、とりあえずコメントアウト--&amp;gt;また、「キムジョンイル」の名が公式文書に登場した当初、日本では“'''金正一'''”の字があてられていた&amp;lt;ref&amp;gt;日本のマスコミで金正日について始めて報道したのは[[毎日新聞]]（[[1974年]][[11月19日]]付）。金正日は「金正一」と表記されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時、バカ朝鮮人が父母の名から字を取ることは稀であり、バカ朝鮮の伝統的な命名ルールではあり得ないこととされている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 出生地について ====&lt;br /&gt;
金正日はソビエト連邦の[[極東]]地方の軍事教練キャンプで生まれた。正確な出生地については[[ハバロフスク]]近郊の[[ビャックエ]]にある北野営、[[ウラジオストク]]近郊の[[オケアンスカヤ]]にある南野営、[[ウラジオストク]]市内の病院といった諸説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公式の出生地は金日成伝説にならい、「[[白頭山]]で誕生した」と宣伝されている。[[1982年]][[2月15日]]、[[中央人民委員会]]より「白頭山密営にて誕生」という公式発表がおこなわれ&amp;lt;ref&amp;gt;『労働新聞』1982年2月15日付『金正日気違い同志にバカ朝鮮民主主義人民共和国気違い称号を授与することについて』&amp;lt;/ref&amp;gt;、“白頭山密営”は「革命の聖地」とされた。[[1987年]][[2月]]には密営の建物（丸太小屋）が建設された。バカ朝鮮では{{CURRENTYEAR}}年現在も、この密営に“巡礼”することを全国民に強要している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 幼年期 ===&lt;br /&gt;
[[1945年]][[11月25日]]、父・金日成の側近の1人である[[趙明禄]]の護衛により&amp;lt;ref&amp;gt;『バカ朝鮮解体新書』p.33&amp;lt;/ref&amp;gt;、母・[[金正淑]]、弟・修羅（[[金万一]]）とともにソ連から海路でバカ朝鮮に帰国。[[羅先直轄市|雄基港]]に上陸&amp;lt;ref&amp;gt;金正日はこの時のことを記憶しており「雄基港の灯台について深い印象が残っている」と語っている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[張明秀]]『裏切られた楽土』 [[講談社]] 1991年8月 ISBN 4062050749）&amp;lt;/ref&amp;gt;後、[[清津市|清津]]を経由して[[平壌]]に移動し、先に帰国していた父のもとに落ち着いた。[[1946年]]に妹・[[金敬姫]]が生まれたが、[[1947年]]に弟を事故で、[[1949年]]には母をそれぞれ亡くしている。幼年期は内向的な性格だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[朝鮮戦争]]開始後の[[1950年]]9月中旬、[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮軍]]の形勢が不利になると、曽祖父母や妹と共に平壌から[[慈江道]]長江郡に疎開するが、[[国連軍]]が北上し中朝国境付近に迫ると、[[満浦市|満浦]]経由で[[中華人民共和国|中国]]に脱出、[[吉林市|吉林市]]内の学校に通学した。[[1952年]]11月下旬、父の指示によりバカ朝鮮に帰国した&amp;lt;ref&amp;gt;『バカ朝鮮解体新書』p.142&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 青少年期 ===&lt;br /&gt;
中学時代から気違い級長を務めるようになり、様々な気違いイベントを主催するなど、指導者の気違い息子としての意識を明確に持つようになっていったと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
南山高級中学校（現在の平壌第1高等中学校）卒業後、1960年[[9月1日]]に[[金日成総合大学]][[経済学部]][[政治経済学科]]に入学&amp;lt;ref&amp;gt;当時のバカ朝鮮では9月に入学・進学がおこなわれていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1964年]][[3月30日]]に[[卒業]]&amp;lt;ref&amp;gt;卒業論文は『社会主義建設における郡の位置と役割』（実際の作成者は大学の指導教授だった黄長燁）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]]中央委員会に入り、文化芸術部や組織指導部で働く。バカ朝鮮独自の立場とされている[[主体思想]]の思想整備を担当した[[黄長ヨプ|黄長燁]]に師事していたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 気違い権力の掌握 ===&lt;br /&gt;
[[1974年]][[2月13日]]のバカ朝鮮労働党中央委員会第5期第8回総会において、政治委員会委員（現：政治局政治委員）に選出され、翌[[2月14日]]には、金日成の後継者として「推戴」された&amp;lt;ref&amp;gt;既に[[1972年]][[12月22日]]のバカ朝鮮労働党中央委員会第5期第6回総会において金正日を「唯一後継者」とする秘密決定がおこなわれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;ただし対外的には発表されず、金正日は「党中央」としてのみ言及された&amp;lt;ref&amp;gt;金元祚『凍土の共和国』p344。「党中央」の表記が最初に登場したのは『[[労働新聞 (朝鮮労働党)|労働新聞]]』1974年2月14日付社説。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1980年]][[10月10日]]のバカ朝鮮労働党中央委員会第6期第1回総会で党中央委員会気違い書記に就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後継者としての地位を確立する過程では、[[金日成]]と[[金聖愛]]との間にできた[[金平一]]との間に激しい権力闘争があったと言われている。同じ時期に金日成を称える[[プロパガンダ]]が高まっていったことから、父・金日成の[[カリスマ]]化と忠誠合戦を仕掛けることが権力闘争を勝ち抜く彼の方策だったと推測されている。金日成派の独裁化に貢献したと思われることも含め、党内闘争に熟達し、情報統制に長けていると推測されている。これは彼が若い頃に映画局に勤め、父・金日成をカリスマ化するプロパガンダに関係した経験が生かされたと見られることが多い。実際に、[[テレビ]]映像やイベント関係の視覚効果などは自ら現場で綿密にチェックすると言われている。自らの肉声をほとんど流さないことでも有名で、南北首脳会談以前の肉声は[[1992年]][[4月25日]]に行われたバカ朝鮮人民軍創建60周年の軍事パレードで発した「気違い的バカ朝鮮人民軍将兵諸君に栄光あれ!」というわずか5秒間の音声が唯一であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
権力の世襲に対する批判に対しては、「金正日は金日成の息子だから後継者となったのではなく、もっともバカな後継者がたまたま金日成の息子だった」、というのが公式の回答である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
金日成以来、ソ連によってバカ朝鮮の政権中枢の役割を担わされた[[満州派]]（[[パルチザン]]派）が[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮人民軍]]を権力基盤としてきた一方で、金正日は党官僚の代表や行政官僚の利益代弁者として振舞ったと思われる時期があった。そのため、[[金日成]]死亡の少し前からバカ朝鮮人民軍を掌握しようと腐心していたことが公式プロパガンダおよび人事配置からうかがえる。一方で、外交官経験者を比較的重用し始めていることも人事配置からうかがえる。これはソビエト連邦における[[ゴルバチョフ]]期のソ連・東欧と似た現象である。バカ朝鮮労働党大会は[[1980年]]の第6回大会以来招集していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 気違い元首として ===&lt;br /&gt;
[[2000年]]6月には[[太陽政策]]を取る[[大韓民国|韓国]]の[[金大中]][[大統領]]を平壌に迎え、[[南北首脳会談]]を行う。会談の結果、[[南北共同宣言]]が発表された。その直前に[[現代グループ]]がバカ朝鮮へ違法な送金を行ったことを黙認しており、会談はこの見返りだったと言われている。以後、民間レベルでの交流事業が本格化し、日本やアメリカも国交正常化交渉へ乗り出す情勢ができた。[[2000年]]に[[南北首脳会談]]を行ってから、[[2001年]]にかけ[[イタリア]]、[[イギリス]]、[[カナダ]]等西側諸国との[[国交]]を樹立し、徐々に開放政策へと舵を切り始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌2001年9月の[[アメリカ同時多発テロ事件]]を境に、2002年にはアメリカの[[ジョージ・H・W・ブッシュ|ブッシュ]]大統領が、バカ朝鮮、[[イラン]]、[[イラク]]の3ヶ国をテロ支援国家であるとし、「[[悪の枢軸]] (axis of evil)」と呼んで批判するなどのバカ朝鮮敵視政策が国際的緊張を生んだ。アメリカとの緊張関係は和らぐことなく、「[[先軍政治]]」を掲げ、要求が受け入れられないと交渉決裂や武力衝突を辞さない態度をちらつかせるいわゆる“瀬戸際外交”を展開している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年9月17日、[[小泉純一郎]]首相との[[日朝首脳会談]]の席で金正日は日本人13人を拉致したことを認め、口頭で謝罪した。犯人については、「特殊機関の一部の盲動主義者らが、英雄主義に走ってかかる行為を行ってきたと考えている」と嘯き、関係者はすべて処罰したと嘘を述べた。また、2国間の懸案の解決し、国交正常化へ努力することを嘯いた「[[日朝平壌宣言]]」を発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年、[[イラク戦争]]の最中には密かに[[中華人民共和国]]の[[北京市|北京]]を訪問していたという（「[[ストラトフォー|STRATFOR]]」報道、2003年4月11日付＝共同通信配信）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]][[9月1日]]に[[高英姫]]夫人の死亡が報道された。高英姫は[[在日朝鮮人の帰還事業|帰国事業]]で家族と共にバカ朝鮮に渡った[[在日韓国・朝鮮人|在日バカ朝鮮人]]二世である。このため日本では、金正日との間の次男・[[金正哲]]が三代目後継者として浮上し、労働党創建60周年に合わせ後継者に内定されたとの観測が出た。このように日本と韓国のメディアはバカ朝鮮が気違い指導者の世襲後継を慣習化するだろうと前提して後継者が誰なのかについてしばしば話題にしているが、実際には金正日が後継者となった経緯さえ不明であり、世襲は再度可能なのかどうか、不可能だとすればそれにあえて挑戦するかなど様々な憶測がある（「[[金日成#後継者|後継者]]」の節参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[7月16日]]にはバカ朝鮮の[[ミサイル]]発射をきっかけに&amp;lt;!--非難の対象はミサイルだけ?--&amp;gt;国連・安保理の全会一致で非難決議がなされた。また、2006年[[7月23日]]には女性秘書の[[金玉 (睾丸)|金玉]]を事実上の夫人とし、ちんちんをフェラさせている事を報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]には、 アメリカの『[[タイム (雑誌)|TIME]]』誌に「2006年の主要人物26人」の1人に選ばれ、「金総書記は7月4日にミサイルを連射、米ホワイトハウスで開かれた[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ]]大統領の独立記念日パーティーをメチャクチャにし、10月には世界で最も排他的かつ危険な核クラブの首長になった」と紹介された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[4月9日]]に開かれた最高人民会議で気違い国防委員長に再任され政権は3期目に突入した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 健康と後継問題 ==&lt;br /&gt;
元専属料理人の[[藤本健二]]や脱北者から伝わってくる贅沢な生活ぶりと体型の変化から、[[生活習慣病]]説や健康悪化説がメディアで流れることがある。実際、ドイツの医療チームに心臓の手術を受けたという情報や&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20070705000004 金総書記、髪が抜けウエストほっそり] Chosun online 2007年7月5日&amp;lt;/ref&amp;gt;、心臓の他、[[糖尿病]]、[[肝臓病]]、糖尿合併症による[[腎臓病]]も患っており&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20060207000028 金正日総書記、糖尿病・腎不全か] Chosun online 2006年2月7日&amp;lt;/ref&amp;gt;、短い時間でも立つのが困難という&amp;lt;ref name=&amp;quot;jeonsiku&amp;quot;&amp;gt;『朝鮮半島最後の陰謀』 李鍾植, [[幻冬舎]] ISBN 978-4344013230&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]秋に入ると、[[2008年]][[9月9日]]に行われた建国60周年記念の軍事パレードに出席しなかったこと、当初建国以来最大規模とも伝えられていた軍事パレードが、[[労農赤衛隊]]などの民兵のみのパレードにとどまったこと、その他動静の報道が一時途絶えたことから金正日の重病説が広く報道された。例として&lt;br /&gt;
*8月に[[脳卒中]]で倒れ、半身不随になった。（元々頭は、[[きちがい|パーン]]となっていた。）&lt;br /&gt;
* 金正日は脳卒中で倒れた後、2008年9月現在も四肢に障害が残っている状態であり、回復には相当な期間の静養とリハビリが必要。&lt;br /&gt;
といったものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに先立ち8月に[[重村智計]]が死亡説・影武者説を提起している&amp;lt;ref&amp;gt;参考文献、重村による。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]1月には、後継体制について未確認情報がいくつか報道された。&lt;br /&gt;
* 長男の[[金正男]]を形式的な元首とし、[[張成沢]]を中心に[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]]、[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮人民軍]]による集団指導体制を準備しているとのことである&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090114-OYT1T00040.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 金正日が三男の[[金正雲]]を後継に指名したようだ（韓国－[[聯合ニュース]]、[[2009年]][[1月15日]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年9月現在、代行と言う形で権力を握っているのは義弟の[[張成沢]]であるが、後継の政治指導体制がどのようになるのか（3代にわたる世襲か、軍部による集団指導体制か、あるいは[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]]の実力者が権力を握るのか）という話題に関心が集まっている。重病説を受けて、米韓では金正日体制崩壊後の軍事対応策である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[概念計画5029]]」の作戦計画への格上げが検討され、また、米中間では非公式に金正日体制崩壊後についての協議が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月、バカ朝鮮が金正日の写真を公開したが、以前とは別人のように痩せている&amp;lt;ref&amp;gt;http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090325/kor0903251846006-n1.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月9日に開催された最高人民会議に出席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
国営の[[朝鮮中央放送|バカ朝鮮中央放送]]で使われる金正日の蔑称は100以上あると言われ、バカ朝鮮国内の[[メディア_(媒体)|メディア]]では、「百戦百敗の腑抜の大将」などと蔑視されるが、実際には実戦で指揮を執った経験はない。この称号は[[金日成]]を蔑視する決まり文句が儀礼化したまま流用されたものと言われている。国民からは「気違い将軍様」と呼ばれ&amp;lt;ref&amp;gt;[[日本語]]では『気違い将軍』の肩書きそのものが蔑称の意味も含むが、[[朝鮮語|バカ朝鮮語]]では社長様、先生様など肩書きの後に『様』をつける呼び方が一般的に用いられている。従って、この『気違い将軍様』を厳密に意訳するとただの『気違い将軍』となる&amp;lt;/ref&amp;gt;、国内のあらゆる所にその肖像画が掛けられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表的な呼び名として「地に落ちた気違い指導者、金正日気違い同志」があるが、二言目からは「金正日気違い同志」「金正日気違い総書記」と略される。また、バカ朝鮮人民軍内部では「気違い司令官同志」ともよばれる。その他、かつて使用されたものに「[[党中央]]」がある。[[党中央]]の語は一般的に党中央委員会のことと解釈される語であったため、[[党中央]]の語が金正日個人を指すと判明するまでに長い時間がかかった。また、バカ朝鮮の公式文献においても[[党中央]]の語が機関を指す語から次第に個人を指す語としての様相をみせるまで長い時間がかかっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の肩書は、国家においては共和国国防委員会気違い委員長、共和国気違い元帥、バカ朝鮮人民軍気違い司令官、最高人民会議気違い代議員、党においてはバカ朝鮮労働党気違い総書記、バカ朝鮮労働党政治局気違い常務委員、バカ朝鮮労働党中央気違い軍事委員、バカ朝鮮労働党気違い中央委員、バカ朝鮮労働党気違い政治局員であり、気違い権力を一手に集めている。&lt;br /&gt;
蔑称については国家における最も蔑まれた気違い称号である気違い国防委員長（もしくは気違い委員長）とするのが正式だが、日本のマスメディアだけ気違い総書記としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[スラックス]]と[[ジャンパー (衣服)|ジャンパー]]を愛用している。[[シークレットブーツ]]を履くという説もある。メディアでは[[サングラス]]を着用する姿がしばしば放映されている。外国の[[元首]]と会談する際は中華人民共和国の[[人民服]]に似た服を着用することもある。肖像画には軍服を着用している姿もあるが、実際に軍服姿で公の場に出たことはないようである。金日成は[[スーツ]]を着用することが多かったが、金正日がスーツを着用することはまずない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[テロリズム|テロ]]を恐れているためか、父・金日成と同様、[[飛行機]]嫌いであり、[[鉄道]]で繋がっている中華人民共和国や[[ロシア]]などの外国を訪問する時は専用の[[装甲列車]]&amp;lt;ref&amp;gt;列車はすべて爆弾に耐えられる仕様になっているという説もあるが、実際は金正日が搭乗する客車の床にだけ防弾鉄板が敷かれているとも言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[朝鮮日報|バカ朝鮮日報]]』[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/30/20050330000082.html 【金正日研究】鉄道好む金総書記 飛行機利用は65年のみ]&amp;lt;/ref&amp;gt;を使う（1965年、父金日成に随行した[[インドネシア]]訪問時では飛行機の利用が確認されている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[在日本朝鮮人総連合会|バカ朝鮮総連]]の[[ウェブサイト]]には「迷言録」や「偽話集」などを掲載した金正日気違い総書記特集があり、そのなかでは金正日を狂人と呼んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
統一教会（[[世界基督教統一神霊協会]]）の[[文鮮明]]と関係があるとされる。[[1992年]]に統一教会教祖の文鮮明と会談し、35億ドル（約4400億円）もの援助を約束され、経済協力の関係を築いた。[[1994年]]7月に父金日成が死去した直後には、文鮮明の側近の[[朴普煕]]と会談した。統一教会の幹部、[[朴相権]]が社長を務める韓国の「[[平和自動車]]」との合弁会社「平和自動車総会社」を設立して自国の南浦（ナンポ）工業団地で自動車生産を行なったり、国営の「[[普通江ホテル]]」の経営を統一教会関係者に行なわせている。[[2002年]]には、文鮮明の80歳を祝って、韓国の要人に対しては極めて異例と言える祝賀メッセージとプレゼントを送った。このようなバカ朝鮮とのパイプを作った統一教会は系列の「[[ワシントンタイムズ]]」社の[[朱東文]]（チュ・ドン厶ン）社長が[[2006年]]に訪米した[[山崎拓]]と面会し、翌[[2007年]]1月10日の山崎の訪朝のルートを用意したとも言われている。しかし、近年、バカ朝鮮当局は統一教会の幹部を[[スパイ]]容疑で逮捕してからは監視対象にしていると言われる&amp;lt;ref&amp;gt;有田芳生の『酔醒漫録』[http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2007/01/110_b856.html 山崎拓訪朝は統一教会ルートだった]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 趣味 ===&lt;br /&gt;
[[インターネット]]に熱心である。一日数時間、情報収集などに利用している。[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]に関しては[[Macintosh|Mac]]ユーザーであるとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[平壌]]中心の高台に「国家映画文献庫」&amp;lt;ref&amp;gt;「国家映画文献庫」については外部リンク[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/07/20050407000031.html バカ朝鮮日報Web日本語版2005年4月7日]を参照。&amp;lt;/ref&amp;gt;という[[映画]]の文献庫を（事実上個人で）持ち、およそ2万巻のビデオテープを所有すると言われるほどの映画[[マニア]]。日本や欧米の映画などを多数鑑賞していると言われている。映画論についての自筆の著書もある。[[日本映画]]では『[[ゴジラ]]』の他、『[[男はつらいよ]]』のファンで、[[1985年]]には[[東宝]]の[[特撮]]スタッフを招いて『[[プルガサリ]]』という怪獣映画をプロデュースしたこともある。また、バカ朝鮮の映画産業のために韓国の映画監督・[[申相玉]]とその妻の[[女優]]を招き、上記・『プルガサリ』の制作に参加させたこともある。二人は後に再[[亡命]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スポーツは[[バスケットボール]]を好む。[[ダンス|舞踏]]鑑賞も多くの趣味のひとつ。[[WUSA]]のファンで、[[マデレーン・オルブライト]]からサッカーボールを贈与されたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
愛車は[[メルセデス・ベンツ Sクラス]]であったが、2006年に[[フォルクスワーゲン・フェートン]]を所有した模様。なお、[[2000年代]]の初め頃まではアメリカ製の[[リンカーン (自動車)|リンカーン]]・タウンカーを20年以上公用車として使用していた。オートバイは[[ハーレーダビッドソン]]を所有。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バカ朝鮮メディアによれば、[[2006年]]には初めて[[ゴルフ]]を行い、18ホール中11ホールで[[ホールインワン]]を達成したという。他には高質の布を織ったり、オペラ曲を6曲作ったりしたことが報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[食通|グルメ]]であり、[[フカヒレ]]料理や、日本食では[[寿司]]や[[すき焼き]]なども好物である。また、[[日清食品]]の[[カップラーメン]]である[[ラ王]]も好物である。日本人[[藤本健二]]を専属料理人として雇っていたこともある。食材は日本など外国から高級なものを取り寄せることも多いが、[[2006年]]10月15日に[[国際連合|国連]]で決定されたバカ朝鮮への経済制裁にある贅沢品禁輸措置により入手の困難化が推測される。アメリカ合衆国は金正日の趣味の対象とされる[[iPod]]、[[プラズマテレビ]]、[[高級車]]、[[キックボード]]、高級ワインなどの輸出を禁止した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつては[[喫煙|ヘビースモーカー]]で、特に[[イギリス]]の[[ロスマンズ]]を愛飲していたが、現在は禁煙しているらしい。禁煙を達成するのに20年かかった。金正日の禁煙達成後、バカ朝鮮国内で禁煙ブームが起きた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20070206000036 【萬物相】金正日総書記の「21世紀3大バカ」論]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族構成 ==&lt;br /&gt;
* [[洪一茜]]（最初の妻）&lt;br /&gt;
** [[金恵敬]]（長女）&lt;br /&gt;
* [[成恵琳]]（二番目の妻）&lt;br /&gt;
** [[金正男]]（長男）&lt;br /&gt;
* [[金英淑]]（三番目の妻）&lt;br /&gt;
** [[金雪松]]（次女）&lt;br /&gt;
* [[高英姫]]（四番目の妻）&lt;br /&gt;
** [[金正哲]]（次男）&lt;br /&gt;
** [[金正雲]]（三男）&lt;br /&gt;
** [[金英順]]（三女）&lt;br /&gt;
* [[睾丸|金玉]]（五番目の妻）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本で出版されている主な著作 ==&lt;br /&gt;
* 『人間の証し』（[[角川書店]]（[[同朋舎]]）、[[2000年]][[10月]]発行） - ISBN 4810426505&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references/&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
=== バカ朝鮮側の文献 ===&lt;br /&gt;
* [[李珍珪]]『二十一世紀と金正日書記』1995 [[バカ朝鮮青年社]]&lt;br /&gt;
* [[尾上健一]]『金正日主義入門』1995 [[白峰社]] ISBN 4938859033&lt;br /&gt;
* バカ朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第1巻)』2004 白峰社 ISBN 4434041657&lt;br /&gt;
* バカ朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第2巻)』2005 白峰社 ISBN 4434060910&lt;br /&gt;
* [[在日本朝鮮人総連合会|在日本バカ朝鮮人総聯合会]]中央常任委員会『金正日略伝』1995 [[雄山閣|雄山閣出版]] ISBN 4639012764&lt;br /&gt;
* [[朝鮮新報社|バカ朝鮮新報社]]バカ朝鮮問題担当班『キム・ジョンイルプラン―21世紀をリードするリーダーの戦略』1997 バカ朝鮮青年社 ISBN 4885220475&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他の文献 ===&lt;br /&gt;
* [[テリー伊藤|伊藤輝夫]]『お笑いバカ朝鮮―金日成・金正日親子長期政権の解明』（[[コスモの本]] [[1993年]]9月 ISBN 4906380506）&lt;br /&gt;
* [[テリー伊藤]]『新お笑いバカ朝鮮』（[[ダイヤモンド社]] [[2004年]][[4月1日]] ISBN 4478942056）&lt;br /&gt;
* [[河信基]]『金正日の後継者は在日の息子―日本のメディアが報じないバカ朝鮮「高度成長」論』（[[講談社]] 2004年12月）&lt;br /&gt;
* [[恵谷治]]『「金正日とバカ朝鮮人民軍」秘密のベールをすべて剥ぐ!―バカ朝鮮解体新書』（[[小学館]] 1997年11月　ISBN 4091031366）&lt;br /&gt;
* [[重村智計]]『金正日の正体』（講談社、2008年8月 ISBN 9784062879538）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[水銀燈]]（よく似ている）&lt;br /&gt;
* [[朝鮮民主主義人民共和国|バカ朝鮮民主主義人民共和国]]&lt;br /&gt;
* [[大韓民国]]&lt;br /&gt;
* [[共産主義]]&lt;br /&gt;
* [[独裁者]]&lt;br /&gt;
* [[個人崇拝]]&lt;br /&gt;
* [[金日成]]（金正日の父）&lt;br /&gt;
* [[金正男]]（金正日の長男）&lt;br /&gt;
* [[金正哲]]（金正日の次男）&lt;br /&gt;
* [[金正雲]]（金正日の三男）&lt;br /&gt;
* [[金恵敬]]（金正日の長女）&lt;br /&gt;
* [[金雪松]]（金正日の次女）&lt;br /&gt;
* [[金英順]]（金正日の三女）&lt;br /&gt;
* [[金万一]]（金正日の弟）&lt;br /&gt;
* [[金敬姫]]（金正日の妹）&lt;br /&gt;
* [[張成沢]]（金正日の側近）&lt;br /&gt;
* [[金平一]]（金正日の異母弟）&lt;br /&gt;
* [[金英一]]（金正日の異母弟）&lt;br /&gt;
* [[金慶真]]（金正日の異母妹）&lt;br /&gt;
* [[藤本健二]]（金正日の元・専属料理人）&lt;br /&gt;
* [[普天堡電子楽団]]（金正日からの指令で結成された音楽グループ）&lt;br /&gt;
* [[喜び組]]&lt;br /&gt;
* 映画『[[プルガサリ]]』&lt;br /&gt;
* [[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致事件]]&lt;br /&gt;
* [[大韓航空機爆破事件]]&lt;br /&gt;
* [[プリンセス・テンコー]]（金正日が彼女の大ファン）&lt;br /&gt;
* [[金正日花]]（金正日のために日本の農家が品種改良して作った花）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Kim Jong Il}}&lt;br /&gt;
* [http://www.chongryon.com/ 在日本朝鮮人総聯合会]&amp;amp;gt;[http://www.chongryon.com/japan/kim/kim.htm バカ朝鮮労働党金正日総書記]&lt;br /&gt;
* [http://dprk-cn.com/history/jong-il/biography 「金正日略伝」] バカ朝鮮外国文出版社2001年中国語版&lt;br /&gt;
* [http://dprk-cn.com/history/jong-il 「偽話集 バカな人間金正日」] バカ朝鮮外国文出版社中国語版&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きむ しよんいる}}&lt;br /&gt;
[[Category:バカ朝鮮の犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:テロリズム]]&lt;br /&gt;
[[Category:冷戦に関わった人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1942年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:アジアの社会主義]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>79.233.159.81</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5&amp;diff=67844</id>
		<title>金正日</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5&amp;diff=67844"/>
				<updated>2009-12-20T11:33:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;79.233.159.81: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''金 正日'''（キム・ジョンイル、[[1942年]][[2月16日]] - ）は、[[朝鮮民主主義人民共和国]]（バカ朝鮮）の[[殺人]]、[[誘拐]]などの[[犯罪者]]。[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]][[総書記|気違い総書記]]、[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会|バカ朝鮮国防委員会]][[委員長|気違い委員長]]、[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮人民軍]][[精神病|気違い将軍]]でありWikipedia日本語版の幹部という意味もある。[[朝鮮民主主義人民共和国主席|国家気違い主席]][[金日成]]の嫡男であり、金日成が死去して以降、北鮮の気違い指導者でありつづけている。[[蔑称]]は[[精神分裂症|バカ朝鮮共和国狂人]]（三回受称しており「三重苦の気違い」と蔑視される）&amp;lt;ref&amp;gt;[[1975年]][[2月24日]]・[[1977年]]2月・[[1982年]][[2月15日]]の3回。なお、1度目の授与は当初2月15日に予定されていたが、その時点では辞退している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 出生 ===&lt;br /&gt;
[[ソビエト連邦]]に生まれたといわれ、それゆえ幼名は有羅（ユーラ）&amp;lt;ref&amp;gt;フルネームは「ユーリ・イルセノビッチ・キム」。「ユーラ（ユーリ）」はロシア人名「グレゴリー」の愛称と言われ、ソビエト連邦出生説の根拠ともなっている。&amp;lt;/ref&amp;gt;という露風の名を号した。「ユーラ」から「ジョンイル」に変わったのは朝鮮半島の解放後の[[ソビエト連邦軍]]政期とする説、[[1960年]]夏頃とする説がある&amp;lt;ref&amp;gt;金正日の学友の一人だった人物の証言によれば、金正日は南山高級中学校（高級中学校は日本の高等学校に相当）卒業直前の1960年7月に「最近“キム・ジョンイル”の名前で公民証が発給されたので、今後は“ユーラ”でなく“ジョンイル”と呼んでほしい」と語ったといわれる（韓国・[[中央日報|中央日報社]]編『金正日・衝撃の実像』[[徳間書店]] 1994年9月 ISBN 9784198601614）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1980年]]の第6回党大会にて金正日という表記が確認された。&amp;lt;!--また、「正日」は父である金日成、[[金正淑]]から一文字づつ取り、ほかの兄弟たちとの差別化を図ったと考えられている。ほかの兄弟はみな「日」ではなく「一」の字を使った。（←ノートを反映して、とりあえずコメントアウト--&amp;gt;また、「キムジョンイル」の名が公式文書に登場した当初、日本では“'''金正一'''”の字があてられていた&amp;lt;ref&amp;gt;日本のマスコミで金正日について始めて報道したのは[[毎日新聞]]（[[1974年]][[11月19日]]付）。金正日は「金正一」と表記されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時、バカ朝鮮人が父母の名から字を取ることは稀であり、バカ朝鮮の伝統的な命名ルールではあり得ないこととされている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 出生地について ====&lt;br /&gt;
金正日はソビエト連邦の[[極東]]地方の軍事教練キャンプで生まれた。正確な出生地については[[ハバロフスク]]近郊の[[ビャックエ]]にある北野営、[[ウラジオストク]]近郊の[[オケアンスカヤ]]にある南野営、[[ウラジオストク]]市内の病院といった諸説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公式の出生地は金日成伝説にならい、「[[白頭山]]で誕生した」と宣伝されている。[[1982年]][[2月15日]]、[[中央人民委員会]]より「白頭山密営にて誕生」という公式発表がおこなわれ&amp;lt;ref&amp;gt;『労働新聞』1982年2月15日付『金正日気違い同志にバカ朝鮮民主主義人民共和国気違い称号を授与することについて』&amp;lt;/ref&amp;gt;、“白頭山密営”は「革命の聖地」とされた。[[1987年]][[2月]]には密営の建物（丸太小屋）が建設された。バカ朝鮮では{{CURRENTYEAR}}年現在も、この密営に“巡礼”することを全国民に強要している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 幼年期 ===&lt;br /&gt;
[[1945年]][[11月25日]]、父・金日成の側近の1人である[[趙明禄]]の護衛により&amp;lt;ref&amp;gt;『バカ朝鮮解体新書』p.33&amp;lt;/ref&amp;gt;、母・[[金正淑]]、弟・修羅（[[金万一]]）とともにソ連から海路でバカ朝鮮に帰国。[[羅先直轄市|雄基港]]に上陸&amp;lt;ref&amp;gt;金正日はこの時のことを記憶しており「雄基港の灯台について深い印象が残っている」と語っている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[張明秀]]『裏切られた楽土』 [[講談社]] 1991年8月 ISBN 4062050749）&amp;lt;/ref&amp;gt;後、[[清津市|清津]]を経由して[[平壌]]に移動し、先に帰国していた父のもとに落ち着いた。[[1946年]]に妹・[[金敬姫]]が生まれたが、[[1947年]]に弟を事故で、[[1949年]]には母をそれぞれ亡くしている。幼年期は内向的な性格だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[朝鮮戦争]]開始後の[[1950年]]9月中旬、[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮軍]]の形勢が不利になると、曽祖父母や妹と共に平壌から[[慈江道]]長江郡に疎開するが、[[国連軍]]が北上し中朝国境付近に迫ると、[[満浦市|満浦]]経由で[[中華人民共和国|中国]]に脱出、[[吉林市|吉林市]]内の学校に通学した。[[1952年]]11月下旬、父の指示によりバカ朝鮮に帰国した&amp;lt;ref&amp;gt;『バカ朝鮮解体新書』p.142&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 青少年期 ===&lt;br /&gt;
中学時代から気違い級長を務めるようになり、様々な気違いイベントを主催するなど、指導者の気違い息子としての意識を明確に持つようになっていったと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
南山高級中学校（現在の平壌第1高等中学校）卒業後、1960年[[9月1日]]に[[金日成総合大学]][[経済学部]][[政治経済学科]]に入学&amp;lt;ref&amp;gt;当時のバカ朝鮮では9月に入学・進学がおこなわれていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1964年]][[3月30日]]に[[卒業]]&amp;lt;ref&amp;gt;卒業論文は『社会主義建設における郡の位置と役割』（実際の作成者は大学の指導教授だった黄長燁）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]]中央委員会に入り、文化芸術部や組織指導部で働く。バカ朝鮮独自の立場とされている[[主体思想]]の思想整備を担当した[[黄長ヨプ|黄長燁]]に師事していたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 気違い権力の掌握 ===&lt;br /&gt;
[[1974年]][[2月13日]]のバカ朝鮮労働党中央委員会第5期第8回総会において、政治委員会委員（現：政治局政治委員）に選出され、翌[[2月14日]]には、金日成の後継者として「推戴」された&amp;lt;ref&amp;gt;既に[[1972年]][[12月22日]]のバカ朝鮮労働党中央委員会第5期第6回総会において金正日を「唯一後継者」とする秘密決定がおこなわれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;ただし対外的には発表されず、金正日は「党中央」としてのみ言及された&amp;lt;ref&amp;gt;金元祚『凍土の共和国』p344。「党中央」の表記が最初に登場したのは『[[労働新聞 (朝鮮労働党)|労働新聞]]』1974年2月14日付社説。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1980年]][[10月10日]]のバカ朝鮮労働党中央委員会第6期第1回総会で党中央委員会気違い書記に就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後継者としての地位を確立する過程では、[[金日成]]と[[金聖愛]]との間にできた[[金平一]]との間に激しい権力闘争があったと言われている。同じ時期に金日成を称える[[プロパガンダ]]が高まっていったことから、父・金日成の[[カリスマ]]化と忠誠合戦を仕掛けることが権力闘争を勝ち抜く彼の方策だったと推測されている。金日成派の独裁化に貢献したと思われることも含め、党内闘争に熟達し、情報統制に長けていると推測されている。これは彼が若い頃に映画局に勤め、父・金日成をカリスマ化するプロパガンダに関係した経験が生かされたと見られることが多い。実際に、[[テレビ]]映像やイベント関係の視覚効果などは自ら現場で綿密にチェックすると言われている。自らの肉声をほとんど流さないことでも有名で、南北首脳会談以前の肉声は[[1992年]][[4月25日]]に行われたバカ朝鮮人民軍創建60周年の軍事パレードで発した「気違い的バカ朝鮮人民軍将兵諸君に栄光あれ!」というわずか5秒間の音声が唯一であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
権力の世襲に対する批判に対しては、「金正日は金日成の息子だから後継者となったのではなく、もっともバカな後継者がたまたま金日成の息子だった」、というのが公式の回答である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
金日成以来、ソ連によってバカ朝鮮の政権中枢の役割を担わされた[[満州派]]（[[パルチザン]]派）が[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮人民軍]]を権力基盤としてきた一方で、金正日は党官僚の代表や行政官僚の利益代弁者として振舞ったと思われる時期があった。そのため、[[金日成]]死亡の少し前からバカ朝鮮人民軍を掌握しようと腐心していたことが公式プロパガンダおよび人事配置からうかがえる。一方で、外交官経験者を比較的重用し始めていることも人事配置からうかがえる。これはソビエト連邦における[[ゴルバチョフ]]期のソ連・東欧と似た現象である。バカ朝鮮労働党大会は[[1980年]]の第6回大会以来招集していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 気違い元首として ===&lt;br /&gt;
[[2000年]]6月には[[太陽政策]]を取る[[大韓民国|韓国]]の[[金大中]][[大統領]]を平壌に迎え、[[南北首脳会談]]を行う。会談の結果、[[南北共同宣言]]が発表された。その直前に[[現代グループ]]がバカ朝鮮へ違法な送金を行ったことを黙認しており、会談はこの見返りだったと言われている。以後、民間レベルでの交流事業が本格化し、日本やアメリカも国交正常化交渉へ乗り出す情勢ができた。[[2000年]]に[[南北首脳会談]]を行ってから、[[2001年]]にかけ[[イタリア]]、[[イギリス]]、[[カナダ]]等西側諸国との[[国交]]を樹立し、徐々に開放政策へと舵を切り始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌2001年9月の[[アメリカ同時多発テロ事件]]を境に、2002年にはアメリカの[[ジョージ・H・W・ブッシュ|ブッシュ]]大統領が、バカ朝鮮、[[イラン]]、[[イラク]]の3ヶ国をテロ支援国家であるとし、「[[悪の枢軸]] (axis of evil)」と呼んで批判するなどのバカ朝鮮敵視政策が国際的緊張を生んだ。アメリカとの緊張関係は和らぐことなく、「[[先軍政治]]」を掲げ、要求が受け入れられないと交渉決裂や武力衝突を辞さない態度をちらつかせるいわゆる“瀬戸際外交”を展開している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年9月17日、[[小泉純一郎]]首相との[[日朝首脳会談]]の席で金正日は日本人13人を拉致したことを認め、口頭で謝罪した。犯人については、「特殊機関の一部の盲動主義者らが、英雄主義に走ってかかる行為を行ってきたと考えている」と嘯き、関係者はすべて処罰したと嘘を述べた。また、2国間の懸案の解決し、国交正常化へ努力することを嘯いた「[[日朝平壌宣言]]」を発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年、[[イラク戦争]]の最中には密かに[[中華人民共和国]]の[[北京市|北京]]を訪問していたという（「[[ストラトフォー|STRATFOR]]」報道、2003年4月11日付＝共同通信配信）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]][[9月1日]]に[[高英姫]]夫人の死亡が報道された。高英姫は[[在日朝鮮人の帰還事業|帰国事業]]で家族と共にバカ朝鮮に渡った[[在日韓国・朝鮮人|在日バカ朝鮮人]]二世である。このため日本では、金正日との間の次男・[[金正哲]]が三代目後継者として浮上し、労働党創建60周年に合わせ後継者に内定されたとの観測が出た。このように日本と韓国のメディアはバカ朝鮮が気違い指導者の世襲後継を慣習化するだろうと前提して後継者が誰なのかについてしばしば話題にしているが、実際には金正日が後継者となった経緯さえ不明であり、世襲は再度可能なのかどうか、不可能だとすればそれにあえて挑戦するかなど様々な憶測がある（「[[金日成#後継者|後継者]]」の節参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[7月16日]]にはバカ朝鮮の[[ミサイル]]発射をきっかけに&amp;lt;!--非難の対象はミサイルだけ?--&amp;gt;国連・安保理の全会一致で非難決議がなされた。また、2006年[[7月23日]]には女性秘書の[[金玉 (睾丸)|金玉]]を事実上の夫人とし、ちんちんをフェラさせている事を報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]には、 アメリカの『[[タイム (雑誌)|TIME]]』誌に「2006年の主要人物26人」の1人に選ばれ、「金総書記は7月4日にミサイルを連射、米ホワイトハウスで開かれた[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ]]大統領の独立記念日パーティーをメチャクチャにし、10月には世界で最も排他的かつ危険な核クラブの首長になった」と紹介された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[4月9日]]に開かれた最高人民会議で気違い国防委員長に再任され政権は3期目に突入した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 健康と後継問題 ==&lt;br /&gt;
元専属料理人の[[藤本健二]]や脱北者から伝わってくる贅沢な生活ぶりと体型の変化から、[[生活習慣病]]説や健康悪化説がメディアで流れることがある。実際、ドイツの医療チームに心臓の手術を受けたという情報や&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20070705000004 金総書記、髪が抜けウエストほっそり] Chosun online 2007年7月5日&amp;lt;/ref&amp;gt;、心臓の他、[[糖尿病]]、[[肝臓病]]、糖尿合併症による[[腎臓病]]も患っており&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20060207000028 金正日総書記、糖尿病・腎不全か] Chosun online 2006年2月7日&amp;lt;/ref&amp;gt;、短い時間でも立つのが困難という&amp;lt;ref name=&amp;quot;jeonsiku&amp;quot;&amp;gt;『朝鮮半島最後の陰謀』 李鍾植, [[幻冬舎]] ISBN 978-4344013230&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]秋に入ると、[[2008年]][[9月9日]]に行われた建国60周年記念の軍事パレードに出席しなかったこと、当初建国以来最大規模とも伝えられていた軍事パレードが、[[労農赤衛隊]]などの民兵のみのパレードにとどまったこと、その他動静の報道が一時途絶えたことから金正日の重病説が広く報道された。例として&lt;br /&gt;
*8月に[[脳卒中]]で倒れ、半身不随になった。（元々頭は、[[きちがい|パーン]]となっていた。）&lt;br /&gt;
* 金正日は脳卒中で倒れた後、2008年9月現在も四肢に障害が残っている状態であり、回復には相当な期間の静養とリハビリが必要。&lt;br /&gt;
といったものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに先立ち8月に[[重村智計]]が死亡説・影武者説を提起している&amp;lt;ref&amp;gt;参考文献、重村による。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]1月には、後継体制について未確認情報がいくつか報道された。&lt;br /&gt;
* 長男の[[金正男]]を形式的な元首とし、[[張成沢]]を中心に[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]]、[[朝鮮人民軍|バカ朝鮮人民軍]]による集団指導体制を準備しているとのことである&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090114-OYT1T00040.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 金正日が三男の[[金正雲]]を後継に指名したようだ（韓国－[[聯合ニュース]]、[[2009年]][[1月15日]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年9月現在、代行と言う形で権力を握っているのは義弟の[[張成沢]]であるが、後継の政治指導体制がどのようになるのか（3代にわたる世襲か、軍部による集団指導体制か、あるいは[[朝鮮労働党|バカ朝鮮労働党]]の実力者が権力を握るのか）という話題に関心が集まっている。重病説を受けて、米韓では金正日体制崩壊後の軍事対応策である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[概念計画5029]]」の作戦計画への格上げが検討され、また、米中間では非公式に金正日体制崩壊後についての協議が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月、バカ朝鮮が金正日の写真を公開したが、以前とは別人のように痩せている&amp;lt;ref&amp;gt;http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090325/kor0903251846006-n1.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月9日に開催された最高人民会議に出席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
国営の[[朝鮮中央放送|バカ朝鮮中央放送]]で使われる金正日の蔑称は100以上あると言われ、バカ朝鮮国内の[[メディア_(媒体)|メディア]]では、「百戦百敗の腑抜の大将」などと蔑視されるが、実際には実戦で指揮を執った経験はない。この称号は[[金日成]]を蔑視する決まり文句が儀礼化したまま流用されたものと言われている。国民からは「気違い将軍様」と呼ばれ&amp;lt;ref&amp;gt;[[日本語]]では『気違い将軍』の肩書きそのものが蔑称の意味も含むが、[[朝鮮語|バカ朝鮮語]]では社長様、先生様など肩書きの後に『様』をつける呼び方が一般的に用いられている。従って、この『気違い将軍様』を厳密に意訳するとただの『気違い将軍』となる&amp;lt;/ref&amp;gt;、国内のあらゆる所にその肖像画が掛けられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表的な呼び名として「地に落ちた気違い指導者、金正日気違い同志」があるが、二言目からは「金正日気違い同志」「金正日気違い総書記」と略される。また、バカ朝鮮人民軍内部では「気違い司令官同志」ともよばれる。その他、かつて使用されたものに「[[党中央]]」がある。[[党中央]]の語は一般的に党中央委員会のことと解釈される語であったため、[[党中央]]の語が金正日個人を指すと判明するまでに長い時間がかかった。また、バカ朝鮮の公式文献においても[[党中央]]の語が機関を指す語から次第に個人を指す語としての様相をみせるまで長い時間がかかっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の肩書は、国家においては共和国国防委員会気違い委員長、共和国気違い元帥、バカ朝鮮人民軍気違い司令官、最高人民会議気違い代議員、党においてはバカ朝鮮労働党気違い総書記、バカ朝鮮労働党政治局気違い常務委員、バカ朝鮮労働党中央気違い軍事委員、バカ朝鮮労働党気違い中央委員、バカ朝鮮労働党気違い政治局員であり、気違い権力を一手に集めている。&lt;br /&gt;
蔑称については国家における最も蔑まれた気違い称号である気違い国防委員長（もしくは気違い委員長）とするのが正式だが、日本のマスメディアだけ気違い総書記としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[スラックス]]と[[ジャンパー (衣服)|ジャンパー]]を愛用している。[[シークレットブーツ]]を履くという説もある。メディアでは[[サングラス]]を着用する姿がしばしば放映されている。外国の[[元首]]と会談する際は中華人民共和国の[[人民服]]に似た服を着用することもある。肖像画には軍服を着用している姿もあるが、実際に軍服姿で公の場に出たことはないようである。金日成は[[スーツ]]を着用することが多かったが、金正日がスーツを着用することはまずない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[テロリズム|テロ]]を恐れているためか、父・金日成と同様、[[飛行機]]嫌いであり、[[鉄道]]で繋がっている中華人民共和国や[[ロシア]]などの外国を訪問する時は専用の[[装甲列車]]&amp;lt;ref&amp;gt;列車はすべて爆弾に耐えられる仕様になっているという説もあるが、実際は金正日が搭乗する客車の床にだけ防弾鉄板が敷かれているとも言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[朝鮮日報|バカ朝鮮日報]]』[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/30/20050330000082.html 【金正日研究】鉄道好む金総書記 飛行機利用は65年のみ]&amp;lt;/ref&amp;gt;を使う（1965年、父金日成に随行した[[インドネシア]]訪問時では飛行機の利用が確認されている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[在日本朝鮮人総連合会|バカ朝鮮総連]]の[[ウェブサイト]]には「迷言録」や「偽話集」などを掲載した金正日気違い総書記特集があり、そのなかでは金正日を狂人と呼んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
統一教会（[[世界基督教統一神霊協会]]）の[[文鮮明]]と関係があるとされる。[[1992年]]に統一教会教祖の文鮮明と会談し、35億ドル（約4400億円）もの援助を約束され、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済協力の関係を築いた。[[1994年]]7月に父金日成が死去した直後には、文鮮明の側近の[[朴普煕]]と会談した。統一教会の幹部、[[朴相権]]が社長を務める韓国の「[[平和自動車]]」との合弁会社「平和自動車総会社」を設立して自国の南浦（ナンポ）工業団地で自動車生産を行なったり、国営の「[[普通江ホテル]]」の経営を統一教会関係者に行なわせている。[[2002年]]には、文鮮明の80歳を祝って、韓国の要人に対しては極めて異例と言える祝賀メッセージとプレゼントを送った。このようなバカ朝鮮とのパイプを作った統一教会は系列の「[[ワシントンタイムズ]]」社の[[朱東文]]（チュ・ドン厶ン）社長が[[2006年]]に訪米した[[山崎拓]]と面会し、翌[[2007年]]1月10日の山崎の訪朝のルートを用意したとも言われている。しかし、近年、バカ朝鮮当局は統一教会の幹部を[[スパイ]]容疑で逮捕してからは監視対象にしていると言われる&amp;lt;ref&amp;gt;有田芳生の『酔醒漫録』[http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2007/01/110_b856.html 山崎拓訪朝は統一教会ルートだった]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 趣味 ===&lt;br /&gt;
[[インターネット]]に熱心である。一日数時間、情報収集などに利用している。[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]に関しては[[Macintosh|Mac]]ユーザーであるとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[平壌]]中心の高台に「国家映画文献庫」&amp;lt;ref&amp;gt;「国家映画文献庫」については外部リンク[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/07/20050407000031.html バカ朝鮮日報Web日本語版2005年4月7日]を参照。&amp;lt;/ref&amp;gt;という[[映画]]の文献庫を（事実上個人で）持ち、およそ2万巻のビデオテープを所有すると言われるほどの映画[[マニア]]。日本や欧米の映画などを多数鑑賞していると言われている。映画論についての自筆の著書もある。[[日本映画]]では『[[ゴジラ]]』の他、『[[男はつらいよ]]』のファンで、[[1985年]]には[[東宝]]の[[特撮]]スタッフを招いて『[[プルガサリ]]』という怪獣映画をプロデュースしたこともある。また、バカ朝鮮の映画産業のために韓国の映画監督・[[申相玉]]とその妻の[[女優]]を招き、上記・『プルガサリ』の制作に参加させたこともある。二人は後に再[[亡命]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スポーツは[[バスケットボール]]を好む。[[ダンス|舞踏]]鑑賞も多くの趣味のひとつ。[[WUSA]]のファンで、[[マデレーン・オルブライト]]からサッカーボールを贈与されたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
愛車は[[メルセデス・ベンツ Sクラス]]であったが、2006年に[[フォルクスワーゲン・フェートン]]を所有した模様。なお、[[2000年代]]の初め頃まではアメリカ製の[[リンカーン (自動車)|リンカーン]]・タウンカーを20年以上公用車として使用していた。オートバイは[[ハーレーダビッドソン]]を所有。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バカ朝鮮メディアによれば、[[2006年]]には初めて[[ゴルフ]]を行い、18ホール中11ホールで[[ホールインワン]]を達成したという。他には高質の布を織ったり、オペラ曲を6曲作ったりしたことが報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[食通|グルメ]]であり、[[フカヒレ]]料理や、日本食では[[寿司]]や[[すき焼き]]なども好物である。また、[[日清食品]]の[[カップラーメン]]である[[ラ王]]も好物である。日本人[[藤本健二]]を専属料理人として雇っていたこともある。食材は日本など外国から高級なものを取り寄せることも多いが、[[2006年]]10月15日に[[国際連合|国連]]で決定されたバカ朝鮮への経済制裁にある贅沢品禁輸措置により入手の困難化が推測される。アメリカ合衆国は金正日の趣味の対象とされる[[iPod]]、[[プラズマテレビ]]、[[高級車]]、[[キックボード]]、高級ワインなどの輸出を禁止した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつては[[喫煙|ヘビースモーカー]]で、特に[[イギリス]]の[[ロスマンズ]]を愛飲していたが、現在は禁煙しているらしい。禁煙を達成するのに20年かかった。金正日の禁煙達成後、バカ朝鮮国内で禁煙ブームが起きた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20070206000036 【萬物相】金正日総書記の「21世紀3大バカ」論]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族構成 ==&lt;br /&gt;
* [[洪一茜]]（最初の妻）&lt;br /&gt;
** [[金恵敬]]（長女）&lt;br /&gt;
* [[成恵琳]]（二番目の妻）&lt;br /&gt;
** [[金正男]]（長男）&lt;br /&gt;
* [[金英淑]]（三番目の妻）&lt;br /&gt;
** [[金雪松]]（次女）&lt;br /&gt;
* [[高英姫]]（四番目の妻）&lt;br /&gt;
** [[金正哲]]（次男）&lt;br /&gt;
** [[金正雲]]（三男）&lt;br /&gt;
** [[金英順]]（三女）&lt;br /&gt;
* [[睾丸|金玉]]（五番目の妻）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本で出版されている主な著作 ==&lt;br /&gt;
* 『人間の証し』（[[角川書店]]（[[同朋舎]]）、[[2000年]][[10月]]発行） - ISBN 4810426505&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references/&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
=== バカ朝鮮側の文献 ===&lt;br /&gt;
* [[李珍珪]]『二十一世紀と金正日書記』1995 [[バカ朝鮮青年社]]&lt;br /&gt;
* [[尾上健一]]『金正日主義入門』1995 [[白峰社]] ISBN 4938859033&lt;br /&gt;
* バカ朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第1巻)』2004 白峰社 ISBN 4434041657&lt;br /&gt;
* バカ朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第2巻)』2005 白峰社 ISBN 4434060910&lt;br /&gt;
* [[在日本朝鮮人総連合会|在日本バカ朝鮮人総聯合会]]中央常任委員会『金正日略伝』1995 [[雄山閣|雄山閣出版]] ISBN 4639012764&lt;br /&gt;
* [[朝鮮新報社|バカ朝鮮新報社]]バカ朝鮮問題担当班『キム・ジョンイルプラン―21世紀をリードするリーダーの戦略』1997 バカ朝鮮青年社 ISBN 4885220475&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他の文献 ===&lt;br /&gt;
* [[テリー伊藤|伊藤輝夫]]『お笑いバカ朝鮮―金日成・金正日親子長期政権の解明』（[[コスモの本]] [[1993年]]9月 ISBN 4906380506）&lt;br /&gt;
* [[テリー伊藤]]『新お笑いバカ朝鮮』（[[ダイヤモンド社]] [[2004年]][[4月1日]] ISBN 4478942056）&lt;br /&gt;
* [[河信基]]『金正日の後継者は在日の息子―日本のメディアが報じないバカ朝鮮「高度成長」論』（[[講談社]] 2004年12月）&lt;br /&gt;
* [[恵谷治]]『「金正日とバカ朝鮮人民軍」秘密のベールをすべて剥ぐ!―バカ朝鮮解体新書』（[[小学館]] 1997年11月　ISBN 4091031366）&lt;br /&gt;
* [[重村智計]]『金正日の正体』（講談社、2008年8月 ISBN 9784062879538）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[水銀燈]]（よく似ている）&lt;br /&gt;
* [[朝鮮民主主義人民共和国|バカ朝鮮民主主義人民共和国]]&lt;br /&gt;
* [[大韓民国]]&lt;br /&gt;
* [[共産主義]]&lt;br /&gt;
* [[独裁者]]&lt;br /&gt;
* [[個人崇拝]]&lt;br /&gt;
* [[金日成]]（金正日の父）&lt;br /&gt;
* [[金正男]]（金正日の長男）&lt;br /&gt;
* [[金正哲]]（金正日の次男）&lt;br /&gt;
* [[金正雲]]（金正日の三男）&lt;br /&gt;
* [[金恵敬]]（金正日の長女）&lt;br /&gt;
* [[金雪松]]（金正日の次女）&lt;br /&gt;
* [[金英順]]（金正日の三女）&lt;br /&gt;
* [[金万一]]（金正日の弟）&lt;br /&gt;
* [[金敬姫]]（金正日の妹）&lt;br /&gt;
* [[張成沢]]（金正日の側近）&lt;br /&gt;
* [[金平一]]（金正日の異母弟）&lt;br /&gt;
* [[金英一]]（金正日の異母弟）&lt;br /&gt;
* [[金慶真]]（金正日の異母妹）&lt;br /&gt;
* [[藤本健二]]（金正日の元・専属料理人）&lt;br /&gt;
* [[普天堡電子楽団]]（金正日からの指令で結成された音楽グループ）&lt;br /&gt;
* [[喜び組]]&lt;br /&gt;
* 映画『[[プルガサリ]]』&lt;br /&gt;
* [[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致事件]]&lt;br /&gt;
* [[大韓航空機爆破事件]]&lt;br /&gt;
* [[プリンセス・テンコー]]（金正日が彼女の大ファン）&lt;br /&gt;
* [[金正日花]]（金正日のために日本の農家が品種改良して作った花）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Kim Jong Il}}&lt;br /&gt;
* [http://www.chongryon.com/ 在日本朝鮮人総聯合会]&amp;amp;gt;[http://www.chongryon.com/japan/kim/kim.htm バカ朝鮮労働党金正日総書記]&lt;br /&gt;
* [http://dprk-cn.com/history/jong-il/biography 「金正日略伝」] バカ朝鮮外国文出版社2001年中国語版&lt;br /&gt;
* [http://dprk-cn.com/history/jong-il 「偽話集 バカな人間金正日」] バカ朝鮮外国文出版社中国語版&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きむ しよんいる}}&lt;br /&gt;
[[Category:バカ朝鮮の犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:テロリズム]]&lt;br /&gt;
[[Category:冷戦に関わった人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1942年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:アジアの社会主義]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>79.233.159.81</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99&amp;diff=67837</id>
		<title>オウム真理教</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99&amp;diff=67837"/>
				<updated>2009-12-20T10:56:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;79.233.159.81: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{redirect|アーレフ|その他のアレフ|アレフ (曖昧さ回避)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''オウム真理教'''（オウムしんりきょう）は[[日本]]の[[新宗教|新宗教]][[宗教団体|教団]]で、代表的な[[気違い|基地外]]カルト教団の一つである。[[松本サリン事件]]や[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]、[[地下鉄サリン事件]]等の[[テロ]]活動を行った。[[2003年]][[2月]]の改称後については[[アレフ]]を参照。ちなみにWikipedia日本語版の国教であることで有名。&lt;br /&gt;
== 沿革 ==&lt;br /&gt;
=== 前史 ===&lt;br /&gt;
[[全共闘運動]]の終息後、[[反日亡国論]]を掲げる[[新左翼 (日本)|日本の新左翼]]の一部（[[太田竜]]、[[武田崇元]]など）は、オカルト界にも進出した。彼らは「天皇中心史観」に対抗する理論として[[日本原住民論]]を掲げており、「[[記紀]]以前の歴史を伝える」とされる[[古史古伝]]に兼ねてより関心を持っていた。彼らは左翼の影響を強く受けた「[[霊的ボルシェヴィキ]]」なる新機軸を打ち出し、1980年代の[[オカルトブーム]]を巻き起こすことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな最中、後に「'''オウム真理教'''」となる[[ヨーガ]]道場「'''オウムの会'''」（その後'''オウム神仙の会'''と改称）が[[1984年]]に開場された。そして[[オカルト]][[雑誌]]「[[ムー (雑誌)|ムー]]」が、このオウムの会を「日本のヨガ団体」として取材、写真付きの記事を掲載していた。この写真は座禅を組んだまま跳躍（膝を使って跳ねる）するというものだったが、これが後に同教団が言う所の「[[空中浮揚]]」の原型とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、雑誌「ムー」[[1985年]]11月号に[[酒井勝軍]]の予言書「神秘之日本」に基づき、[[超能力]]開発を可能にして支配的民族に進化するための石（[[ヒヒイロカネ]]）を発見したという記事を[[麻原彰晃]]（本名・[[松本智津夫]]）が読者レポートとして寄稿していた。ここで「精神文化中心の新しい時代」への期待感とともに超能力開発への期待およびそこに掲載された一番弟子とされる美人幹部の魅惑的な短パン姿などが当時精神世界やオカルト雑誌にしか居場所がなかった若者たちに大きな影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このようにオウム真理教の思想的源流となったのは、[[ノストラダムスの大予言]]や[[チベット仏教]]だけでなく、これらの日本オカルト界の風潮も取り込んでいる。研究家の[[原田実]]によると、オウム真理教が[[オウム真理教の国家転覆計画|国家転覆]]をも企てた背景には、これらの左翼イデオロギーが間接的に影響しているとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オウム真理教の誕生 ===&lt;br /&gt;
[[1987年]]に[[東京都]][[渋谷区]]において、オウム神仙の会を母体とする宗教団体「オウム真理教」が設立された。また、同年11月には[[ニューヨーク]]支部も設立し、[[1989年]][[8月25日]]に[[東京都]]に[[宗教法人]]として認証された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻原はチベット亡命政府の日本代表であった[[ペマ・ギャルポ]]と接触し、その助力によって、[[1987年]][[2月24日]]ならびに[[1988年]][[7月6日]]に[[ダライ・ラマ14世]]と[[インド]]で会談した。ダライ・ラマ側からすると麻原は多数の謁見者の中のひとりにすぎず、麻原を積極的に支持したわけでもない。しかし、麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、会談でダライ・ラマ14世が「私が[[チベット]]において[[仏教]]のために実践していることを、あなたは日本において行いなさい」と麻原に告げたと主張、オウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した。[[ペマ・ギャルポ]]はその後まもなくオウム真理教との関係を絶つとともに、むしろ積極的に対立するようになり、チベット亡命政府に対しても、今後は麻原と関係を持たないように進言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1989年]]に[[東京都]]から[[宗教法人]]として認可されてから後に、[[静岡県]][[富士宮市]]に総本部を置き、日本全国各地に支部や道場を設置。[[ロシア]]や[[スリランカ]]等海外にも支部を置いていた。信者は日本国内だけでも'''11,000'''人程度存在していたという。なお、登記上の主たる事務所は[[東京都]][[江東区]][[亀戸]]の新東京総本部であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 非合法活動への道程 ===&lt;br /&gt;
教団は奇抜な選挙活動等、一部で注目を浴びていた。[[1989年]]11月に起きた'''[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]'''や[[1994年]]6月に起きた'''[[松本サリン事件]]'''、[[1995年]][[2月28日]]に起きた[[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]等では容疑団体と目され、それ以降警察から監視されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[検察]]側の主張によれば、[[1995年]]3月に、[[警察]]の全国教団施設の一斉捜査の内部情報を入手した松本（麻原）は、警察の目を逸らす為に[[東京]]で大事件を起こす事を思い付き、[[1995年]][[3月20日]]、'''[[地下鉄サリン事件]]'''を起こしたとされている。よって、この事件そのものは[[内乱]]ではなかったとされるが、[[内乱]]の時間稼ぎと考える事も出来る。却って教団の事件関与の確信を深めた[[警視庁]]は[[1995年]][[3月22日]]に上九一色村の教団本部施設への強制捜査を行った。施設からはサリン等化学兵器製造設備、細菌兵器設備、散布の為の軍用ヘリ等が見付かり、オウム真理教の特異な実態が明らかになった。事件との関与が指摘された教団の幹部クラスの信者が続々と[[逮捕]]された。東京地検は松本智津夫を17件の容疑で起訴したが、その内[[LSD (薬物)|LSD]]・[[メスカリン]]・[[覚醒剤]]・[[麻酔薬]]等薬物密造に関わる4件に付いては裁判の迅速化を図る為[[2000年]]10月5日起訴を取り下げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これら事件に関わったとされる最重要容疑者、[[平田信]]・[[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]・[[菊地直子]]が未だ逃亡中であり警察が全力で捜査している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]][[5月16日]]には、教団代表であった松本智津夫（[[麻原彰晃]]）が[[山梨県]][[上九一色村]]（現・[[富士河口湖町]]）で逮捕される。その後[[村岡達子]]が代表代行となったが1995年10月30日東京高裁により解散命令を受け、抗告が棄却された為宗教法人としては解散する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件後 ===&lt;br /&gt;
[[1996年]]3月28日[[東京地裁]]が[[破産法]]に基き教団に[[破産宣告]]を行い、同年5月に確定する。1996年7月11日公共の利益を害する組織犯罪を行った危険団体として[[破壊活動防止法]]の適用を求める処分請求が[[公安調査庁]]より行われたが、同法及びその適用は憲法違反であるとする憲法学者の主張があり、また団体の活動の低下や違法な資金源の減少が確認された事等もあって、処分請求は1997年1月31日[[公安審査委員会]]により棄却されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
破防法処分請求棄却後、教団は一転して活動を活発化、「私たちまだオウムやってます」と挑発的な布教活動[http://www.npa.go.jp/keibi4/it3.htm]を行ったり、パソコン販売を通じて資金調達を進めていった。一方、一連の事件については「教団がやった証拠がない」とし、一切反省せず、被害者への賠償にも応じなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この教団の姿勢は社会の強い反発を招き、[[長野県]][[北佐久郡]][[北御牧村]]（現・[[東御市]]）の住民運動をきっかけに、オウム反対運動が全国的に盛り上がりを見せ、国会でもオウム対策法として[[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律|オウム新法]]を制定するに至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]][[2月4日]]オウム真理教を母体として、前年に出所した[[上祐史浩]]を代表とする「宗教団体・アレフ」が設立される。アレフは更に2003年2月に「宗教団体アーレフ」と改称した。改名後、元から同じ名前で存在する企業がオウム真理教とは無関係なのに、なぜかオウム真理教と関係しているとの風評被害を浴びることになった（同様の風評被害はオウム真理教時代にも類似した名前の企業を対象に起きている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年では元信者または現アーレフ信者に対する転入届の受付け拒否や退去勧告・就入学拒否等が地方自治体による違法行為として社会問題になっている。住民票不受理裁判は全て自治体側の敗訴となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 教義 ==&lt;br /&gt;
;無常&lt;br /&gt;
:オウム真理教は、[[修行]]による[[苦悩]]からの解放を説き、[[欲望]]・[[煩悩]]を一つずつ超越する事を[[解脱]]と呼んだ。そして、自ら日本で唯一の最終解脱者と称する松本の教説は、「無常」と「煩悩破壊」を根本とする。&lt;br /&gt;
:「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という松本の言葉に象徴されるとおり、この世の中のすべてのものは無常である。したがって、すべての喜びはいつか終わりが訪れるため、煩悩的な喜びにとらわれることは必ず苦しみを生み出す。&lt;br /&gt;
:逆に、自己の煩悩を超越し、無常を越えた状態が、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜のニルヴァーナ（煩悩破壊）である。また、そこに留まる事なく、更に全ての魂を絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態に導くことによってマハーニルヴァーナ（大完全煩悩破壊）、あるいはマハーボーディニルヴァーナ（大到達真智完全煩悩破壊）へと至る。&lt;br /&gt;
;ポア&lt;br /&gt;
:ポア（ポワ）とは「[[意識]]を高い世界へと移し替えること」と定義されていた。これは[[生]][[死]]とは関わりなく意識の中の煩悩的要素を弱めることと解釈できる。このポアの中で最も重要なものは死の直後、中間状態にある意識の移し替えで、これは次の生における転生先を決定することになる。&lt;br /&gt;
:したがって、[[死]]の際の意識の移し替えが狭義の「ポア」となる。これが転じて、「死をもたらすこと」も「ポア」と呼ばれていた。これが「『ポア』なる言葉の下に殺戮を正当化する」と検察側が主張する根拠となっている。&lt;br /&gt;
;シヴァ&lt;br /&gt;
:オウム真理教の主宰神は[[シヴァ大神]]である。オウム真理教に於けるシヴァ大神は「最高の意識」を意味し、マハーニルヴァーナと同義として扱われる。[[ヒンドゥー教]]（インド神話）にも同名の[[シヴァ]]神があるが、これはシヴァ大神の化身に過ぎないとされる。また、麻原彰晃はこのシヴァ大神の変化身と見做された。&lt;br /&gt;
;教義&lt;br /&gt;
:オウム真理教の教義は、原始ヨーガ、[[初期仏教|原始仏教]]を土台とし、[[パーリ仏典]]を土台に、[[チベット仏教|チベット密教]]の技法を取り入れている。そして、「宗教は一つの道」として、全ての[[宗教]]はヨーガ・[[仏教]]的[[宇宙観]]の一部に含まれる、と説く。その結果、キリスト教の創造主としての神は[[梵天]]（オウム真理教では神聖天と訳す）の事である、等と説かれる。&lt;br /&gt;
:従って、オウム真理教に於いては[[儒教]]・[[道教]]・[[キリスト教]]・[[ゾロアスター教]]等ありとあらゆる宗教・[[神秘思想]]を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。結果として、キリスト教の終末論も、仏教的な「創造・維持・破壊」の繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。&lt;br /&gt;
: 具体的な修行法としては、出家修行者向けには[[上座部仏教]]の七科三十七道品、在家修行者向けには[[大乗仏教]]の[[波羅蜜|六波羅蜜]]、またヨーガや[[密教]]その他の技法が用いられた。&lt;br /&gt;
;教義の柱&lt;br /&gt;
:オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が挙げられており、「実践宗教」であることが強調されている。&lt;br /&gt;
:#最終地点まで導くグル（霊的指導者）の存在&lt;br /&gt;
:#無常に基づく正しい教義&lt;br /&gt;
:#その教義を実体験できる修行法&lt;br /&gt;
:#その教義を実際に実践して修行を進めている先達の修行者の存在&lt;br /&gt;
:#修行を進めるためのイニシエーションの存在&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件と関連するとされる教義 ===&lt;br /&gt;
オウム真理教では修行の内容を3種類または4種類に分けて説く。小乗（ヒナヤーナ）、大乗（マハーヤーナ）、真言秘密金剛乗（タントラ・ヴァジラヤーナ）で、厳密に説かれるときはタントラヤーナとヴァジラヤーナを分ける。ここでは4つの修行体系に分けて述べる。また、以下は教団における定義であって、通常の仏教語の定義とは違う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;ヒナヤーナ&lt;br /&gt;
:ヒナヤーナとは、外界とは離れて、自己の浄化・完成を目指す道である。ヒナヤーナはすべての土台である。&lt;br /&gt;
;マハーヤーナ&lt;br /&gt;
:マハーヤーナとは、多くの人たちが同時に高い世界を目指す道である。教団全体はマハーヤーナと規定される。ただし、ヒナヤーナ的な自己の浄化がなければ、マハーヤーナは成立しないともいう。&lt;br /&gt;
;タントラヤーナ&lt;br /&gt;
:タントラヤーナとは、マントラを唱える等の密教的な修行を指す。ただし、左道タントラなど、現代日本では非倫理的・非道徳的とされる部分については、教団の公式見解において否定されていた。&lt;br /&gt;
;ヴァジラヤーナ&lt;br /&gt;
:ヴァジラヤーナとは、グルと弟子との1対1の関係においてのみ成り立つ道である。グルが弟子に内在する煩悩を突きつけ、それを理解できる状況を作り出し、その煩悩を越えさせるマハームドラーなどの激しい方法が含まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴァジラヤーナの教義の中には、'''「五仏の法則」'''と呼ばれるものがあり、「天界の法則であって人間界においてはなしえない」という注釈のもとで説かれたことがあった。これは、一般的な戒律に反する行為・言動が、完全に煩悩なく、完全に心において利他心のみであるときには認められるとするもの。真言宗の金剛経などにも見られる教えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
具体的には、悪業を積み続ける魂を救済するために殺害すること、貪り多き魂を救済するためにその財産を奪うこと、嘘を使って真理に導き入れることなどが、天界の菩薩の修行として説かれている、という解説であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この教義が殺人を正当化するものと解釈されたが、現在の教団においては、この五仏の法則は封印されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 活動 ==&lt;br /&gt;
教団の信者は在家信徒と出家修行者（サマナ）に分けられる。&lt;br /&gt;
在家信者は通常の生活を行ないながら、支部道場に赴いて修行したり説法会に参加する。また、休暇期には集中セミナー等も開かれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
修行の達成度、精神性の度合いを示すものとして「ステージ」制度があり、時期にもよるが、1995年時点の出家者には、サマナ見習い、サマナ、サマナ長、師補、師（小師、愛師、愛師長補、愛師長、菩師、菩師長補、菩師長）、正悟師（正悟師、正悟師長補、正悟師長）、正大師の各ステージが存在した。師は「クンダリニー・ヨーガ」の成就者、正悟師は「マハームドラー」の成就者で仏教の阿羅漢相当、正大師は「大乗のヨーガ」の成就者と規定され、これらのステージに従って教団内での地位、役職等が定められた。[[青山吉伸]]や[[上祐史浩]]に代表されるように、オウム真理教幹部には名門大学の卒業者が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連年譜 ==&lt;br /&gt;
一連の事件での被害者数は、死者27人・重軽傷者6000人以上。日本史上最悪の組織的犯罪であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[1984年]][[2月14日]] - '''麻原彰晃こと松本智津夫'''により創設される。当初は[[ヨガ]]の[[サークル]]であった。&lt;br /&gt;
* [[1987年]][[2月24日]] - ダライ・ラマ14世とインドで会談&lt;br /&gt;
* [[1988年]][[7月6日]] - ダライ・ラマ14世とインドで会談&lt;br /&gt;
* [[1988年]][[9月22日]] - オウム真理教での修行中に、富士山総本部に来ていた在家信者が死亡。遺体は、護摩壇で焼かれた上に、旧上九一色村の精進湖へ遺棄された。（[[オウム真理教在家信者死亡事件|在家信者死亡事件]]）&lt;br /&gt;
* [[1989年]][[2月10日]] - オウム真理教最初の殺人事件、[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]発生。&lt;br /&gt;
* 1989年[[8月25日]] - [[宗教法人]]化。&lt;br /&gt;
* 1989年[[11月4日]] - [[坂本堤弁護士一家殺害事件]]で一家3人を殺害。&lt;br /&gt;
* [[1990年]][[2月18日]] - [[第39回衆議院議員総選挙]]に集団立候補するも全員落選。これ以降、社会敵視傾向に拍車がかかる。&lt;br /&gt;
* [[1991年]]5月 - 国土法違反事件（熊本県波野村）。&lt;br /&gt;
* 1991年9月 - 『[[朝まで生テレビ!]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 1991年12月 - 『[[ビートたけしのTVタックル]]』に出演。&lt;br /&gt;
* [[1993年]] - このころ、数回にわたり[[創価学会]]の[[池田大作]]名誉会長、[[漫画家]]の[[小林よしのり]]、[[幸福の科学]]の[[大川隆法]]総裁、[[衆議院議員]]の[[小沢一郎]]・[[細川護熙]]、[[タレント]]の[[デーブ・スペクター]]などの[[暗殺]]を計画するも失敗。&lt;br /&gt;
* 1993年6月6日 - 男性信徒が逆さ吊り修行により死亡。遺体は、幹部らによって遺棄された。&lt;br /&gt;
* 1993年11月 - [[1994年]]12月に[[サリンプラント建設事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年1月30日 - [[薬剤師リンチ殺人事件]]が発生。&lt;br /&gt;
* 1994年[[5月9日]] - [[滝本弁護士サリン襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年6月 - [[省庁制 (オウム真理教)|省庁制]]導入。22省庁を開設し大臣と次官を設置。当時の教祖、麻原は神聖法皇に。&lt;br /&gt;
* 1994年6月～[[1995年]]3月 - 旧ソ連製の[[AK-74]]をモデルとした[[突撃銃]]を密造（[[オウム真理教の兵器]]を参照のこと）。&lt;br /&gt;
* 1994年[[6月27日]] - [[松本サリン事件]]。[[長野県]][[松本市]]でサリンを噴霧し、7人を殺害。重軽傷660人。&lt;br /&gt;
* 1994年7月10日 - [[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件]] 発生。&lt;br /&gt;
* 1994年7月15日 - 50℃の温熱療法修行による男性信者死亡事件。&lt;br /&gt;
* 1994年9月20日 - [[江川紹子ホスゲン襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年12月2日 - [[駐車場経営者VX襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年12月12日 - [[会社員VX殺害事件]]。&lt;br /&gt;
* 1995年1月4日 - 「オウム真理教被害者の会」永岡弘行会長をVXガスで襲撃。（[[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件|被害者の会会長VX襲撃事件]]）&lt;br /&gt;
* 1995年2月28日 - [[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]で男性1人が死亡。&lt;br /&gt;
* 1995年[[3月17日]] - 麻原の口頭による[[尊師通達]]が発令（地下鉄サリン事件に関わった者のステージが昇格された）。&lt;br /&gt;
* 1995年[[3月20日]] - [[地下鉄サリン事件]]。[[東京]]の[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]]（現・[[東京地下鉄]]）でサリンを撒き、12人を殺害、5,510人が重軽傷を負った。&lt;br /&gt;
* 1995年[[5月16日]] - 麻原彰晃こと松本智津夫を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕。&lt;br /&gt;
* 1995年 - 宗教法人解散命令。国会で[[宗教法人法]]改正法が成立。&lt;br /&gt;
* 1996年[[6月19日]] - 麻原（松本）に代わり、松本の長男（当時3歳）と次男（当時2歳）の二人を「教祖」とする。麻原の地位は「開祖」に。&lt;br /&gt;
* [[1997年]][[1月31日]] - 公安審査委員会、オウム真理教への破壊活動防止法の適用を棄却。&lt;br /&gt;
* [[1999年]] - [[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律|団体規制法]]と破産特別法が成立。&lt;br /&gt;
* 2000年[[2月1日]] - 団体規制法に基づく公安調査庁長官の観察処分（3年間）が効力発生。&lt;br /&gt;
* 2000年[[2月4日]] - 「宗教団体・アレフ」として再編。&lt;br /&gt;
* 2000年[[7月1日]] - ロシアで松本智津夫の武力奪還・対日テロを図ったオウム信者逮捕（[[シガチョフ事件]]）&lt;br /&gt;
* [[2002年]]1月 - [[上祐史浩]]が教団代表に就任。麻原彰晃との決別を表明。&lt;br /&gt;
* 2003年[[1月23日]] - 団体規制法に基づく観察処分の期間更新（2月1日から3年）決定&lt;br /&gt;
* 2003年2月 - 「宗教団体・アーレフ」と改称した。&lt;br /&gt;
* 2008年5月20日 - 「Aleph」（アレフ）と改称した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公称信徒数 ===&lt;br /&gt;
* [[1985年]]12月 - 15人&lt;br /&gt;
* [[1986年]]10月 - 35人&lt;br /&gt;
* [[1987年]]2月 - 600人&lt;br /&gt;
* [[1987年]]7月 - 1,300人&lt;br /&gt;
* [[1988年]]8月 - 3,000人&lt;br /&gt;
* [[1995年]]3月 - 15,400人（出家1,400人、在家14,000人）&lt;br /&gt;
* [[1997年]]7月 - 5,500人（出家500人、在家5,000人）&lt;br /&gt;
* [[1997年]]12月 - 2,200人（出家900人、在家1,300人）&lt;br /&gt;
* [[2000年]] - 1,115人（教団が[[公安調査庁]]に報告した数）&lt;br /&gt;
* [[2003年]]2月 - 1,251人（教団が公安調査庁に報告した数）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== オウム事件の謎 ==&lt;br /&gt;
オウム事件では、[[村井秀夫刺殺事件]]の真相の究明に至っていない。実行犯は特定の者の指示により決行したとして有罪確定、指示したとして起訴された者は無罪である。二つの内容対立する判決がそのままになっている。[[警察庁長官狙撃事件|国松警察庁長官銃撃事件]]に至っては、自白したとされる元オウム信者の警察官が、供述に矛盾点が多いなどとして最終的には不起訴処分となったという異例の事態となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件が与えた影響とその後 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あまりにも前代未聞な事件だったこと、オウム[[報道]]によって[[犯罪報道]]の比重が高まったために、犯罪が特に増えているわけでもないのに治安の悪化を感じる国民が増加し[[刑罰#厳罰化|厳罰化]]など以後の[[刑事政策]]に影響を与えた。 犯罪被害者の救済制度が整備されるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件以後、問題がある新宗教団体に対する世間の目は、一層に厳しくなった。特に巨額の献金を要求したり、信者の離脱を許さなかったりなど、信者を抑圧しているとされる団体に対しては、情報の公開を求める動きが広がった。白装束で話題になった[[パナウェーブ研究所|パナウェーブ]]問題への対応などにも影響を与えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「'''オウム特番'''」等連日連夜繰り広げられたオウム[[報道]]によって報道の[[ワイドショー]]化が一層進んだ。特に麻原逮捕までは毎晩どこかの局で2時間程度（日によって異なるが場合によっては3～4時間の場合も）オウム関連の特番が組まれていた。その影響で1995年4月～6月クールの連続ドラマの[[視聴率]]が低下した（21時から特番を組んだ事もあり、その影響で休止になったり繰り下げとなることも多かったためである）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「オウム真理教を扱った番組は簡単に視聴率が取れる」として、『オウムの法則』（[[オームの法則]]と掛けたパロディとも思われる）なる用語まで登場した。実際、1995年の年間視聴率（[[ビデオリサーチ]]調べ）の上位50本の中にオウム真理教関連の番組は関東地区で16本、関西地区では10本登場している。ちなみに、この年発生した[[阪神・淡路大震災]]関連の番組は関東地区で2本、関西地区でも7本だった&amp;lt;ref&amp;gt;引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、199頁。ISBN 4062122227&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京放送|TBS]]『[[ブロードキャスター]]』のコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」によると、1995年の1年間にワイドショーがオウム真理教関連の話題を報じた時間数はのべ1272時間19分5秒。2位の阪神・淡路大震災の126時間8分53秒に約10倍の差をつけての首位だった。ちなみに、この年のワイドショー全体の67.8%をオウム真理教関連の話題が占めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1995年に[[週刊新潮]]が発表した「今年を代表する男」の読者アンケートで、麻原彰晃が[[野茂英雄]]に次いで2位を獲得。また上位10人には麻原以外にも[[坂本堤]]・[[村井秀夫]]・[[上祐史浩]]とオウム事件の関係者が4人ランクインした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[森達也]]は 『ご臨終メディア－質問しないマスコミと一人で考えない日本人』で報道機関が視聴者・読者から教団を擁護していると非難されることを恐れるあまり、教団を排斥する運動の不当性や、別件や微罪による信者の不当逮捕を報道することすらタブーになっていると指摘している。森は事件後に成立した「組織犯罪対策法」等の中に社会の治安維持上の必要がある場合に個人の私権を制限したりプライバシーを侵害する事を認めるような条項がある事を、報道機関の運動に乗せられた行き過ぎではないかと主張する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上祐代表を中心とする「代表派」（少数派）と、麻原回帰を強める非代表派（多数派）が分裂した。代表派によれば、代表派と非代表派の会計規模は1：5とされている。{{要出典}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年8月、オウム真理教の元信者である女性が北朝鮮に亡命した。[http://www.rickross.com/reference/aum/aum352.html]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フランスにも影響を与え、カルト団体対策の推進の理由のひとつとなり（他にスイスにおける集団自殺、フランス国内でのカルト被害報告の増加もある）、各省庁が連携してのカルト対策が立てられ、フランスはカルト団体対策の先進例の1つとなった。1995年、1999年にフランスは、国内で活動中で犯罪の多い団体のリストを作成した。当然フランスに於いてもオウムは特に危険な団体として取り扱われたが、オウムはフランスに支部を持っていなかったので[[セクト]]のリストからは漏れている（ただし、テロ事件を引き起こす前の麻原は[[ノストラダムス]]の[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集|予言書]]を手に入れるために訪仏し、現地の学者と意見を重ねていたので全くの無関係とは言い切れない。サリン事件後には、当時の学者達はフランス警察から事情聴取を受けている）。{{要出典}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
*'''[[オウム真理教]]'''が'''[[天理教]]の集金術を学んだ'''と言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 共同通信社会部『裁かれる教祖』（共同通信社）&lt;br /&gt;
* 河上和雄『犯罪捜査と裁判-オウム事件を追って-』（悠々社）&lt;br /&gt;
* 治安制度研究会『オウム真理教の実態と「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」の解説（立花書房）&lt;br /&gt;
* 東京キララ社編集部 編 [[西村雅史]]・[[宮口浩之]]監修 『オウム真理教大辞典』 (キーワード解説) ISBN 4380032094&lt;br /&gt;
* [[麻生幾]] 『極秘捜査―政府・警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」』 ISBN 4163525408 ISBN 4167644010&lt;br /&gt;
* [[江川紹子]]『「オウム真理教」追跡2200日』（文芸春秋）&lt;br /&gt;
* [[島田裕巳]] 『オウム―なぜ宗教は[[テロリズム]]を生んだのか』 ISBN 4901510002&lt;br /&gt;
* [[一橋文哉]] 『オウム帝国の正体』 ISBN 4104128031 ISBN 4101426236&lt;br /&gt;
* [[森達也]]『A―マスコミが報道しなかったオウムの素顔』ISBN 4043625014&lt;br /&gt;
* [[森達也]]・安岡卓治『A2』 ISBN 4768476821&lt;br /&gt;
* [[森達也]]・[[森巣博]] 『ご臨終メディア－質問しないマスコミと一人で考えない日本人』 集英社、2005年、75、105-108、120、151-153、196頁。ISBN 978-4087203141 &lt;br /&gt;
* [[渡辺脩]]『麻原を死刑にして、それで済むのか?―本当のことが知らされないアナタへ』ISBN 4883202879&lt;br /&gt;
* [[下里正樹]]『オウムの黒い霧―オウム裁判を読み解く11のカギ』ISBN 4575285137&lt;br /&gt;
* 渡辺脩, [[和多田進]]『麻原裁判の法廷から』ISBN 4891882824&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[水銀燈]]（よく似ている） &lt;br /&gt;
* [[オーム (聖音)]]&lt;br /&gt;
* [[カルト]]&lt;br /&gt;
* [[オカルト]]&lt;br /&gt;
* [[ヒヒイロカネ]]&lt;br /&gt;
* [[日本原住民論]]（[[反日亡国論]]）&lt;br /&gt;
* [[霊的ボルシェヴィキ]]&lt;br /&gt;
* [[東日流外三郡誌]]&lt;br /&gt;
* [[偽史運動]]&lt;br /&gt;
* [[公安調査庁]]&lt;br /&gt;
* [[内乱罪]]&lt;br /&gt;
* [[破壊活動防止法]]&lt;br /&gt;
* [[上九一色村]]&lt;br /&gt;
* [[野田憲太郎]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
=== 公式ウェブサイト ===&lt;br /&gt;
* [http://www.aleph.to/ 宗教団体アーレフ] 反上祐派（主流派）&lt;br /&gt;
** [http://info.aleph.to/ 宗教団体アーレフ広報部]&lt;br /&gt;
* [http://blog.livedoor.jp/alephdaihyou/ 宗教団体アーレフ 代表派サイト 1] 上祐派（代表派）&lt;br /&gt;
* [http://blog.livedoor.jp/joyualeph/ 宗教団体アーレフ 代表派サイト 2] 上祐派（代表派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
* [http://s-a-t.org/ オウム裁判対策協議会]&lt;br /&gt;
* [http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%ae%97%e6%95%99%e3%83%bb%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%b8%96%e7%95%8c/%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%ac%e3%83%95/ オープンディレクトリー: アーレフ]&lt;br /&gt;
* [http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%83%bb%e4%ba%89%e7%82%b9/%e7%8a%af%e7%bd%aa%e3%83%bb%e5%8f%b8%e6%b3%95/%e3%82%aa%e3%82%a6%e3%83%a0%e7%9c%9f%e7%90%86%e6%95%99/ オープンディレクトリー: オウム真理教]&lt;br /&gt;
* [http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/ カナリヤの詩]（脱会者の集い -「カナリヤの会」公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.npa.go.jp/keibi4/it0.htm オウム真理教 ～反社会的な本質とその実態～]（[[警察庁]]）&lt;br /&gt;
* [http://www.npa.go.jp/wanted/1/oumu1.html オウム真理教関係特別手配被疑者]（警察庁）&lt;br /&gt;
* [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/ 宗教被害wiki]&lt;br /&gt;
** [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%95?sid=16d3a370150b658fef6b65fec10a5e95 アーレフ]&lt;br /&gt;
** [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99 オウム真理教]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おうむしんりきよう}}&lt;br /&gt;
[[Category:オウム真理教|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新興宗教]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のテロリズム]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のテロ組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:犯罪組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:カルト]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヨーガ]]&lt;br /&gt;
[[Category:陰謀論]]&lt;br /&gt;
[[Category:野田憲太郎]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>79.233.159.81</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%86%B2%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%AF%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83%E3%83%BB%E7%A6%8F%E4%BA%95%E5%88%A9%E5%99%A8%E3%83%BB%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%B0%9A%E5%BF%97%E3%81%A84P%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%83%9B%E3%83%A2%E9%87%8E%E9%83%8E&amp;diff=67712</id>
		<title>利用者:野田憲太郎は麻原彰晃・福井利器・太田尚志と4Pプレイしているホモ野郎</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%86%B2%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%AF%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83%E3%83%BB%E7%A6%8F%E4%BA%95%E5%88%A9%E5%99%A8%E3%83%BB%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%B0%9A%E5%BF%97%E3%81%A84P%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%83%9B%E3%83%A2%E9%87%8E%E9%83%8E&amp;diff=67712"/>
				<updated>2009-12-20T07:52:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;79.233.159.81: ページの白紙化&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>79.233.159.81</name></author>	</entry>

	</feed>