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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-05-17T17:38:14Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>地下鉄サリン事件</title>
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				<updated>2015-02-28T12:18:03Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.23.128.108: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:地下鉄サリン事件1.jpg|350px|thumb|地下鉄サリン事件]]&lt;br /&gt;
[[Image:地下鉄サリン事件2.jpg|350px|thumb|地下鉄サリン事件]]&lt;br /&gt;
'''地下鉄サリン事件'''（ちかてつサリンじけん）は、[[1995年]]（[[平成]]7年）[[3月20日]]に東京都の地下鉄で[[カルト]][[新宗教|新興宗教団体]]の[[オウム真理教]]が起こした[[化学兵器]]を使用した無差別[[テロリズム|テロ]]事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[神経ガス]]の[[サリン]]が散布されて、死者を含む多数の被害者を出した事件である。この事件は、大都市の民間人を標的とした世界初の毒ガステロ事件であり、日本の社会のみならず世界に大きな衝撃を与えた。警察庁による正式名称は'''地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件'''（[[警察白書]]にある表記）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概説 ==&lt;br /&gt;
[[Image:地下鉄サリン事件3.jpg|350px|thumb|地下鉄サリン事件]]&lt;br /&gt;
[[1995年]]（平成7年）3月20日午前8時ごろ、[[東京都]]内の[[帝都高速度交通営団]]（現在の[[東京地下鉄]]（東京メトロ）、以下営団地下鉄）[[東京地下鉄丸ノ内線|丸ノ内線]]、[[東京地下鉄日比谷線|日比谷線]]で各2編成、[[東京地下鉄千代田線|千代田線]]で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガス[[サリン]]が散布され、乗客や駅員ら13人が[[死亡]]、負傷者数は約6,300人とされる。日本において、当時戦後最大級の無差別殺人行為であるとともに[[1994年]]（平成6年）に発生したテロ事件である[[松本サリン事件]]に続き、[[都市|大都市]]で一般市民に対して[[化学兵器]]が使用された史上初の[[テロリズム|テロ]]事件として、全世界に衝撃を与え、世界中の治安関係者を震撼させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件直後、この5編成以外の編成で事件が発生したという情報もあったが、これは情報の錯綜などによる誤報であり、5編成以外で発生はなかった。しかし、乗客等に付着したり、気化したりしたサリンは他の駅や路線にも微細に拡散していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[有機リン化合物|有機リン]]系中毒の解毒剤である[[プラリドキシムヨウ化メチル]] (PAM) は当時多くの[[病院]]で大量ストックする種類の薬剤ではなく（主に農薬中毒用の薬だった）、被害がサリンによるものだと判明すると同時に都内でのストック分が使い果たされてしまった。このため全国の病院・薬品卸会社へ収集令が出されることになり、[[東海道新幹線]]沿線では各病院・卸会社の使者が最寄り駅まで薬剤を届けて別の使者が[[東京駅|東京]]行[[こだま (列車)|こだま]]に乗車して各駅で受け取るという作戦が展開された（後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
営団地下鉄では事件発生に伴い日比谷線の運転が不可能となり、[[霞ケ関駅 (東京都)|霞ケ関駅]]を通る丸ノ内線・千代田線については同駅を通過扱いとして運行することにしたが、一時的に部分運休した（後述）。運転再開後はほぼ所定どおりのダイヤで運行したが、終電まで霞ケ関駅を通過扱いする措置をとった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件から2日後の[[3月22日]]に、[[警視庁]]は[[新宗教|新興宗教]]団体[[オウム真理教]]に対する[[強制捜査]]を実施し、事件への関与が判明した教団の幹部クラスの信者が[[逮捕]]され、[[林郁夫]]の[[自供]]がきっかけとなって全容が明らかになり、5月16日に教団教祖の[[麻原彰晃]]が事件の首謀者として逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京地方裁判所]]は、首謀者の麻原彰晃を始め、林郁夫を除く散布実行犯全員に[[死刑]]を言い渡した。林郁夫は[[自首]]し、さらに事件の詳しい内容などを自供したため[[無期懲役]]。[[2009年]]（平成21年）12月10日、最高裁判所で上告が棄却されたため、総合調整役である[[井上嘉浩]]の死刑が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 背景 ==&lt;br /&gt;
[[Image:地下鉄サリン事件4.jpg|350px|thumb|地下鉄サリン事件]]&lt;br /&gt;
オウム真理教に対する[[目黒公証役場事務長拉致事件]]・[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]などの疑惑追及の動きが高まり、[[警察]]の[[強制捜査]]が想定されていた。事件2日前の[[3月18日]]、麻原ら幹部を乗せたリムジンにおいてサリンを散布する案が浮上し、強制捜査の直前に大規模なテロ事件を起こせば、警察の捜査の目を逸らすことができると考え、朝の通勤時間帯で混雑する地下鉄内でのサリンの散布を信者達に命じた（リムジン謀議。また車中謀議とも）。リムジン謀議には麻原、[[村井秀夫]]・[[遠藤誠一]]・[[井上嘉浩]]・[[青山吉伸]]・[[石川公一]]の6人の幹部がいたが、謀議に積極的発言をした麻原・村井・遠藤・井上の4人の共謀が成立するとし、同乗しながら謀議に積極的な発言が確認できなかった青山と石川の共謀の立件は見送られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このため[[霞ヶ関]]や[[国会議事堂]]・[[永田町]]などの、国家の中核を支える重要な地点が標的にされた。後の調べによると、警視庁も標的になっていたのではないかと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]（平成22年）[[2月22日]]、[[共同通信]]は、事件当時の警察庁長官だった[[国松孝次]]が地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人である[[高橋シズヱ]]のインタビューに答えて「警察当局は、オウム真理教が[[3月22日]]の強制捜査を予期して何らかのかく乱工作に出るという情報を事件の数日前に得ていた」と発言した報道を配信した。国松は「情報に具体性がない」ために予防措置を講じることは不可能だったとの認識を示しているが、共同通信は「当時の捜査があらためて問われそうだ」と報道している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 犯行 ==&lt;br /&gt;
[[Image:地下鉄サリン事件5.jpg|350px|thumb|地下鉄サリン事件]]&lt;br /&gt;
[[1995年]]（平成7年）[[3月20日]]は[[平日]]の[[月曜日]]で、事件は[[ラッシュ時|ラッシュアワー]]のピーク時に発生した。霞ヶ関の[[官公庁]]の公務員は、通常は午前9時30分頃に出勤することが多い。しかし、月曜日だけは朝早くに[[朝会|朝礼]]があるところが多く、8時という早い時間を狙ったのはそういう官公庁の内部を知っている者が犯人の中にいたからではないかと推測できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
液体のサリンはビニール袋に入れられた上で[[聖教新聞]]と[[しんぶん赤旗]]の新聞紙に包まれていた。この新聞の読者は、ほぼこれらを発行している団体の構成員（聖教新聞は[[創価学会]]、しんぶん赤旗は[[日本共産党]]が発行）とその支持者に限られるため、濡れ衣を着せ、一時的にオウムへの矛先をそらすためだったと思われる。各実行犯は、およそ1リットルの袋詰めを2つを運び、[[林泰男]]だけが3つを携帯した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯人は割り当ての列車に乗り込み、乗降口付近で先端を尖らせた[[傘]]を使い、袋を数回突いた後に列車を降り、各々が共犯者の用意した[[自動車]]で逃走した。営団地下鉄はラッシュアワー時には非常に混雑するため、車両間を移動することは大変困難であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件は麻原が首謀、[[村井秀夫]]が総括指揮を担当、そして[[井上嘉浩]]が現場調整役を務めた。サリンは[[土谷正実]]・[[遠藤誠一]]・[[中川智正]]が生成したものが使われた。サリン散布役は5人選出されたが、[[林郁夫]]のみ麻原が選出し、残り4人は村井が選出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 千代田線（我孫子発代々木上原行・[[国鉄203系電車|JRの車両による運用]]） ===&lt;br /&gt;
[[Image:地下鉄サリン事件6.jpg|350px|thumb|地下鉄サリン事件]]&lt;br /&gt;
千代田線は散布役の'''[[林郁夫]]'''と送迎役の'''[[新実智光]]'''が担当した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マスク姿の林は当日、[[千駄木駅]]より入場し、[[綾瀬駅]]・[[北千住駅]]で時間を潰した後、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[常磐緩行線|常磐線]][[我孫子駅 (千葉県)|我孫子駅]]から直通する[[代々木上原駅|代々木上原]]行[[列車番号]]「A725K」の先頭、1号車に[[北千住駅]]（7時48分発）から乗車した。8時2分ごろ[[新御茶ノ水駅]]への停車直前にサリンのパックを傘で刺し、逃走した。列車はそのまま走行し、[[二重橋前駅]] - [[日比谷駅]]間で乗客数人が相次いで倒れたのを境に次々に被害者が発生し、[[霞ケ関駅 (東京都)|霞ケ関駅]]で通報で駅員が駆け付け、サリンを排除した。当該列車は霞ケ関駅を発車したが更に被害者が増えたことから次の[[国会議事堂前駅]]で運転を打ち切った。サリンとは知らずに危険物を排除しようとした駅員数名が被害を受け、うち駅の助役と応援の電車区の助役の1人が死亡し、231人が重症を負っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 丸ノ内線（池袋発荻窪行） ===&lt;br /&gt;
丸ノ内線の[[池袋駅|池袋]]発は散布役の'''[[広瀬健一]]'''と送迎役の'''[[北村浩一]]'''が担当した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
広瀬は池袋から7時47分発（列車番号A777）の第3車両に乗車し、[[御茶ノ水駅]]でサリンを散布した。[[中野坂上駅]]で乗客から通報を受けた駅員が重症者を搬出し、サリンを回収したが、列車はそのまま運行を継続した。終点[[荻窪駅]]に到着。新しい乗客が乗り込みそのまま折り返したため、[[新高円寺駅]]で運行が停止されるまで被害者が出ることとなった。同線では3人が死亡し、945人が重症を負っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 丸ノ内線（荻窪発池袋行） ===&lt;br /&gt;
[[荻窪駅|荻窪]]発丸ノ内線は散布役の'''[[横山真人]]'''と送迎役の'''[[外崎清隆]]'''が担当した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
横山は列車番号B701の5号車に新宿駅から7時39分に乗り込み、[[四ツ谷駅|四ッ谷]]でパックに穴を1つ開けサリンを散布した。列車は8時30分に終点[[池袋駅]]に到着した。その際、本来なら終点駅で駅員によって車内の遺留物の確認が行われるがこの時はされなかった。A801として折り返し[[荻窪駅]]に向け出発した。[[本郷三丁目駅]]で駅員がサリンのパックを[[モップ]]で[[掃除]]し、B901として池袋駅に再び戻った。列車は[[新宿駅]]に向け運行を継続した。列車はサリン散布の1時間40分後、9時27分に[[国会議事堂前駅]]で運行停止された。同線では約200人が重症を負っているが、この電車は唯一死者が出なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日比谷線（中目黒発東武動物公園行・[[東武20000系電車|東武の車両による運用]]） ===&lt;br /&gt;
中目黒発日比谷線は散布役の'''[[豊田亨]]'''と送迎役の'''[[高橋克也_(オウム真理教)|高橋克也]]'''が担当した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
豊田は[[中目黒駅|中目黒]]発[[東武鉄道|東武]][[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]直通[[東武動物公園駅|東武動物公園]]行きの列車番号「B711T」の先頭車両に7時59分に乗り込み、[[恵比寿駅]]でサリンのパックを刺した（ニュースやワイドショーなどで、当該車両のドア脇に転がったサリンのパックが撮影された写真が用いられている）。[[六本木駅]] - [[神谷町駅]]間で異臭に気付いた乗客が窓を開けたが複数の乗客が倒れた。神谷町駅に到着後、乗客が運転士に通報し、被害者を病院に搬送された。その後、後続列車が六本木駅を出たため、先頭車両の乗客は後方に移動させられ、列車は[[霞ケ関駅 (東京都)|霞ケ関駅]]へ向けて運行継続された。列車は霞ケ関駅で運行停止した。同線では1人が死亡し、532人が重症を負っている。サリンの撒かれた車両には映画プロデューサーの[[さかはらあつし]]も乗り合わせていた。また当時[[共同通信社]]員の[[辺見庸]]が神谷町駅構内におり、外国人1人を救出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日比谷線（北千住発中&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.23.128.108</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>福島女性飲食店経営者殺人事件</title>
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				<updated>2015-02-28T12:13:10Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.23.128.108: /* 裁判 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''福島女性飲食店経営者殺人事件'''（ふくしまじょせいいんしょくてんけいえいしゃさつじんじけん）とは、[[1990年]][[5月2日]]に[[福島県]][[西白河郡]][[矢吹町]]で起こった強盗殺人事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件 ==&lt;br /&gt;
1990年5月2日の夕方、犯人の[[高田勝利]]（当時51歳）は福島県矢吹町で飲食店を経営していた女性の後頭部をハンマーで滅多打ちにして殺害し、約2万5000円入りのバッグを盗んで逃走した。高田は[[1991年]][[1月16日]]に逮捕される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
高田は[[1940年]][[2月]]に[[埼玉県]][[川越市]]で強盗殺人事件を起こしており、死刑求刑に対して無期懲役の判決を受けて服役。[[1966年]]に仮出所していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判では全く反省の態度を見せず、被告は遺族にこう言ったという【俺は悪い事はしていない。おいてめぇら！調子のってんじゃねぇぞ！てめぇらもぶっ殺したるからな！覚悟しとき！[[1992年]][[6月18日]]、[[福島地方裁判所|福島地裁]]郡山支部（[[慶田康男]]裁判長）は、その非道な犯行及び反省無き態度から更生は困難として懲役19年の判決を下した。被告は控訴せず、懲役19年が確定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1999年]][[9月10日]]、[[宮城刑務所]]仙台拘置支所で死刑が執行された。尚、同日にはこの事件と同様に殺人事件で服役し、出所後に再び殺人事件を起こして、1961年に死刑が確定した[[東京都北区パチンコ店幼女殺害事件]]と[[熊本母娘殺人事件]]の死刑も執行された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[累犯|再犯]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ふくしましよせいいんしよくてんけいえいしやさつしんしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:福島県の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:矢吹町]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:1990年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:殺人の前科のある人物による殺人事件]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.23.128.108</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%B2%B3%E5%86%85%E6%AD%A6%E5%BF%97&amp;diff=279052</id>
		<title>河内武志</title>
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				<updated>2015-02-28T12:06:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.23.128.108: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''河内 武志'''とは、[[広島県]]豊田郡安浦町立[[安登小学校]]にて数年にわたり教え子の[[女子小学生]]にわいせつ行為を続け、行為が発覚するや小学生を殺害した先生である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
[[平成2年]][[3月26日]]、広島県豊田郡の小学校の教師・河内武志(38)が、3年間担任をしていた6年生女子・川畑宏美さん(12)を自宅から車で連れ出陰部を舐めたり指を入れたりした後に浣腸をし女児のウンコをご飯にいれ食べた後&lt;br /&gt;
発覚を恐れ女児を金槌で1000回殴り殺害した&lt;br /&gt;
その後の調べで河内は女児1600人にイタズラしている事が分かった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨年の9月から川畑宏美さんに猥褻行為をくりかえしており、他の生徒がえこひいきを非難するため猥褻行為最中の声を録音したテープを持っていたため教育委員会に追及されて3月24日に辞表を出していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
河内武志は「殺したほうが生徒が世間の中傷を受けて悩まなくて済むと思った」と自供。河内には妻と2人の子供がいる。広島地裁で無期懲役。県と町は9786万円の損害賠償判決。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 中学生になる直前、小学校卒業式の3日後に殺害 ==&lt;br /&gt;
担任教諭が日常的にわいせつ行為をしていた教え子を殺すという前代未聞の事件で、[[広島県警]]西条署は広島県豊田郡安浦町立安登小学校教諭・河内武志(38歳)を同小学校6年・川畑宏美さん(12歳)を絞殺した疑いで逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月26日午前9時頃、河内武志は教え子の川畑宏美さん宅にマイカーで訪れた。両親はすでに出勤しており、卒業式を終え、春休みで妹(8歳)と2人で留守番をしていた宏美さんを「ちょっと話がある」と言って言葉巧みに誘い出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、宏美さんを河内所有のワゴン型乗用車に乗せ、午前10時頃、宏美さん宅から約2キロほど離れた豊田郡安浦町安登西小島の海岸において、後部座席に座っていた宏美さんの首を手で絞め殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
河内はそのまま宏美さんの遺体を車に乗せ東広島駅まで行き公衆電話から妻(35歳)へ、「子供を殺してしまった、新幹線に乗ってどこかで死ぬ」と連絡。連絡を受けた妻は同駅までマイカーで掛け付け駅前から「教師の夫が小学生の女の子を殺した、今東広島駅にいる」と警察に通報した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通報を受けた西条署が直ちに緊急配備した結果、東広島駅南の駐車場で不審車を発見。警察官が車内に女児の遺体があるのを確認した。そして同駅前の公衆電話付近にいた河内武志(広島県豊田郡安芸津町三津在住)を確保、同署に連行し、「自分が殺した」と供述したため同日午後0時半、殺人の疑いで逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
発見された宏美さんは赤いトレーナーに白いスカート姿で車の後部座席に仰向けに寝かされ、布で覆われていた。河内は「本当に悪いことをした、自分も死ぬつもりだった」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 担任教師が教え子を殺害した事件は全国でも例のない初めてのケース ==&lt;br /&gt;
河内は[[広島県]][[竹原市]]出身。[[1975年]]に[[専修大学]]商学部を卒業後、通信教育で小学校教員免許を取得。豊田郡安芸津町の臨時職員を勤めた後、[[1977年]]4月に広島県呉市立広小学校の教諭になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1987年]]4月に仁方小学校から現在の同県豊田郡安浦町立安登小学校に赴任し教鞭を執る。それから3年間続けて宏美さんのクラスを受け持った。私生活では妻と一男一女の子供にも恵まれ、家庭内での問題は無かったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、[[1989年]]秋頃から、「河内先生が教室で女の子に性的ないたずらをしている」「宏美さんにキスをしていた」「変な声が入ったカセットテープがある」などの噂が立ち始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この噂は拡大し、保護者から学校側や広島県教育委員会に問い合わせや訴えが相次いだため、卒業式を2日後に控えた21日、安浦町教育委員会や同校の渡辺恒久校長(55歳)が内々に調査を始めた。ある1人のクラス児童宅に11人の友人を集め聴取した結果、その噂は事実と確認された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、河内が特に目をかけていたのが川畑宏美さんだった。宏美さんは河内から、執拗にキスされたり体を触られるなど繰り返しわいせつ行為を受けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 河内はなぜ宏美さんを狙ったのか ==&lt;br /&gt;
同級生によると河内は放送委員会や学級活動では宏美さんを特別扱いし、時間が遅くなった時は車で送ったこともあったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、同じクラスの男子児童や放送委員会で指導を受けていた児童らは「男子だけに暴力を振るう」「いつ怒りだすかわからない、殴られたこともある」「とても怖かった」「男子だけを正座させたり、差別する変な先生だった」と証言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 本当にあと少し何とかしていれば防ぐことのできた事件 ==&lt;br /&gt;
[[3月23日]]、卒業式が終了後、安浦町教育委員会の山根昭三教育長(62歳)も同席し河内を呼び出し5時間に渡って話しを聞いた。その結果、河内は教え子に対するわいせつ行為を複数回に渡り行なっていたことを認めたため、翌24日付けで自宅謹慎の処分に。そして、河内に同日付けで顛末書と辞職願を教委に提出させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、校内の同僚教師やPTA、そして児童の父母らにその事実は全く伝えられることはなく、2日後の3月26日に宏美さんは殺害された。河内が県教委宛に出した顛末書には「大変責任を感じております」と書かれていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件のあった26日は、河内と教え子9人で一緒に広島市にあるガラス製作体験施設「ガラスの里」に行く予定だった。しかし、河内は前日にこれを中止し、宏美さんだけを連れ出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 不祥事を内密に進めて処理することが仕事なのか ==&lt;br /&gt;
広島県教委の菅川健二教育長は県教委に連絡を受けながら適切な指導をしなかったことなどについて、対応のまずさと連携不足が事件を防止できなかった一因だったと認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山根教育長は「まさか、現職の教師が教え子の命を奪うとは、私の不徳の致す所です」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
渡辺校長は「25日に本人を連れて家まで行ったのですが、留守だったので・・・。もっと素早い措置を取るべきでした。今日(26日)また、本人を連れて謝りに行く予定だったんですが、言葉もない」と自らの対応を謝罪した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件を知り学校に駆け付けた父兄の一人は「せめてこの(校長らによる事実確認ができた)段階で宏美さんの両親にだけでも事実を話していたら犯行は防げていたのに」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「卒業式が終わった後にやっと本人を呼び事実確認」「一部の所、一部の人間だけでたらいまわし」「警察への通報なし」「緊急PTA総会なし」 これが“隠蔽体質”“事なかれ主義”日本の、そして広島の教育界である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「謝ってもらわんでもええ、娘を返せ」 ==&lt;br /&gt;
広島大学医学部での司法解剖を終え、宏美さんは26日午後11時半、西条署の車で無言の帰宅をした。午後7時頃には、宏美さんの弔問に訪れ「すいません」とただ頭を下げるだけの渡辺校長と山根教育長、安登小の教職員らに対し、父親や親戚らが「謝ってもらわんでもええ、娘を返せ」「いたずらを知らせなかったのはおかしい」と詰め寄る場面もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宏美さんと同じクラスだったという女子児童(12歳)は「学級委員もする優しくて頼りになる友達だった。卒業式の時に中学校でも一緒のクラスになれたらいいねえと言っていたばかりなのに」と声を詰まらせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
娘が宏美さんと同じクラスだったという主婦(38歳)は「3年間受け持ってもらい信頼していた。これでは学校にも子供を安心して任せられない。こんな事件が起きると先生も学校も信じられない思い」と、怒りを隠し切れない様子で話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宏美さんの[[卒業文集]]には「学校では勉強やスポーツを学んだ。音楽も好きになることができた。中学になったら[[バスケットボール]]で活躍したい。10年後は学校の先生になりたい」などと書き残されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 河内武志の供述 ==&lt;br /&gt;
河内は警察の取調べに対し、「自分の軽率な行為で、生徒の将来も闇になった。妻子にもひどい仕打ちをしてしまった。こうなれば、生徒を殺して自分も死ぬ以外に方法はないと思った」と供述した。一方、警察は河内に自殺や無理心中をしようとした形跡などが見当たらないといい、引き続き調べを続ける方針。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かわち たけし}}&lt;br /&gt;
[[Category:1990年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:教師の犯罪]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.23.128.108</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%B2%B3%E5%86%85%E6%AD%A6%E5%BF%97&amp;diff=279051</id>
		<title>河内武志</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%B2%B3%E5%86%85%E6%AD%A6%E5%BF%97&amp;diff=279051"/>
				<updated>2015-02-28T11:57:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.23.128.108: /* 事件概要 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''河内 武志'''とは、[[広島県]]豊田郡安浦町立[[安登小学校]]にて数年にわたり教え子の[[女子小学生]]にわいせつ行為を続け、行為が発覚するや小学生を殺害した先生である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
[[平成2年]][[3月26日]]、広島県豊田郡の小学校の教師・河内武志(38)が、3年間担任をしていた6年生女子・川畑宏美さん(12)を自宅から車で連れ出陰部を舐めたり指を入れたりした後に絞殺した。&lt;br /&gt;
その後の調べで河内は女児5人の殺害も自供した&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨年の9月から川畑宏美さんに猥褻行為をくりかえしており、他の生徒がえこひいきを非難するため猥褻行為最中の声を録音したテープを持っていたため教育委員会に追及されて3月24日に辞表を出していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
河内武志は「殺したほうが生徒が世間の中傷を受けて悩まなくて済むと思った」と自供。河内には妻と2人の子供がいる。広島地裁で死刑確定。県と町は9,896万円の損害賠償判決。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 中学生になる直前、小学校卒業式の3日後に殺害 ==&lt;br /&gt;
担任教諭が日常的にわいせつ行為をしていた教え子を殺すという前代未聞の事件で、[[広島県警]]西条署は広島県豊田郡安浦町立安登小学校教諭・河内武志(38歳)を同小学校6年・川畑宏美さん(12歳)を絞殺した疑いで逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月26日午前9時頃、河内武志は教え子の川畑宏美さん宅にマイカーで訪れた。両親はすでに出勤しており、卒業式を終え、春休みで妹(8歳)と2人で留守番をしていた宏美さんを「ちょっと話がある」と言って言葉巧みに誘い出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、宏美さんを河内所有のワゴン型乗用車に乗せ、午前10時頃、宏美さん宅から約2キロほど離れた豊田郡安浦町安登西小島の海岸において、後部座席に座っていた宏美さんの首を手で絞め殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
河内はそのまま宏美さんの遺体を車に乗せ東広島駅まで行き公衆電話から妻(35歳)へ、「子供を殺してしまった、新幹線に乗ってどこかで死ぬ」と連絡。連絡を受けた妻は同駅までマイカーで掛け付け駅前から「教師の夫が小学生の女の子を殺した、今東広島駅にいる」と警察に通報した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通報を受けた西条署が直ちに緊急配備した結果、東広島駅南の駐車場で不審車を発見。警察官が車内に女児の遺体があるのを確認した。そして同駅前の公衆電話付近にいた河内武志(広島県豊田郡安芸津町三津在住)を確保、同署に連行し、「自分が殺した」と供述したため同日午後0時半、殺人の疑いで逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
発見された宏美さんは赤いトレーナーに白いスカート姿で車の後部座席に仰向けに寝かされ、布で覆われていた。河内は「本当に悪いことをした、自分も死ぬつもりだった」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 担任教師が教え子を殺害した事件は全国でも例のない初めてのケース ==&lt;br /&gt;
河内は[[広島県]][[竹原市]]出身。[[1975年]]に[[専修大学]]商学部を卒業後、通信教育で小学校教員免許を取得。豊田郡安芸津町の臨時職員を勤めた後、[[1977年]]4月に広島県呉市立広小学校の教諭になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1987年]]4月に仁方小学校から現在の同県豊田郡安浦町立安登小学校に赴任し教鞭を執る。それから3年間続けて宏美さんのクラスを受け持った。私生活では妻と一男一女の子供にも恵まれ、家庭内での問題は無かったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、[[1989年]]秋頃から、「河内先生が教室で女の子に性的ないたずらをしている」「宏美さんにキスをしていた」「変な声が入ったカセットテープがある」などの噂が立ち始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この噂は拡大し、保護者から学校側や広島県教育委員会に問い合わせや訴えが相次いだため、卒業式を2日後に控えた21日、安浦町教育委員会や同校の渡辺恒久校長(55歳)が内々に調査を始めた。ある1人のクラス児童宅に11人の友人を集め聴取した結果、その噂は事実と確認された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、河内が特に目をかけていたのが川畑宏美さんだった。宏美さんは河内から、執拗にキスされたり体を触られるなど繰り返しわいせつ行為を受けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 河内はなぜ宏美さんを狙ったのか ==&lt;br /&gt;
同級生によると河内は放送委員会や学級活動では宏美さんを特別扱いし、時間が遅くなった時は車で送ったこともあったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、同じクラスの男子児童や放送委員会で指導を受けていた児童らは「男子だけに暴力を振るう」「いつ怒りだすかわからない、殴られたこともある」「とても怖かった」「男子だけを正座させたり、差別する変な先生だった」と証言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 本当にあと少し何とかしていれば防ぐことのできた事件 ==&lt;br /&gt;
[[3月23日]]、卒業式が終了後、安浦町教育委員会の山根昭三教育長(62歳)も同席し河内を呼び出し5時間に渡って話しを聞いた。その結果、河内は教え子に対するわいせつ行為を複数回に渡り行なっていたことを認めたため、翌24日付けで自宅謹慎の処分に。そして、河内に同日付けで顛末書と辞職願を教委に提出させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、校内の同僚教師やPTA、そして児童の父母らにその事実は全く伝えられることはなく、2日後の3月26日に宏美さんは殺害された。河内が県教委宛に出した顛末書には「大変責任を感じております」と書かれていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件のあった26日は、河内と教え子9人で一緒に広島市にあるガラス製作体験施設「ガラスの里」に行く予定だった。しかし、河内は前日にこれを中止し、宏美さんだけを連れ出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 不祥事を内密に進めて処理することが仕事なのか ==&lt;br /&gt;
広島県教委の菅川健二教育長は県教委に連絡を受けながら適切な指導をしなかったことなどについて、対応のまずさと連携不足が事件を防止できなかった一因だったと認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山根教育長は「まさか、現職の教師が教え子の命を奪うとは、私の不徳の致す所です」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
渡辺校長は「25日に本人を連れて家まで行ったのですが、留守だったので・・・。もっと素早い措置を取るべきでした。今日(26日)また、本人を連れて謝りに行く予定だったんですが、言葉もない」と自らの対応を謝罪した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件を知り学校に駆け付けた父兄の一人は「せめてこの(校長らによる事実確認ができた)段階で宏美さんの両親にだけでも事実を話していたら犯行は防げていたのに」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「卒業式が終わった後にやっと本人を呼び事実確認」「一部の所、一部の人間だけでたらいまわし」「警察への通報なし」「緊急PTA総会なし」 これが“隠蔽体質”“事なかれ主義”日本の、そして広島の教育界である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「謝ってもらわんでもええ、娘を返せ」 ==&lt;br /&gt;
広島大学医学部での司法解剖を終え、宏美さんは26日午後11時半、西条署の車で無言の帰宅をした。午後7時頃には、宏美さんの弔問に訪れ「すいません」とただ頭を下げるだけの渡辺校長と山根教育長、安登小の教職員らに対し、父親や親戚らが「謝ってもらわんでもええ、娘を返せ」「いたずらを知らせなかったのはおかしい」と詰め寄る場面もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宏美さんと同じクラスだったという女子児童(12歳)は「学級委員もする優しくて頼りになる友達だった。卒業式の時に中学校でも一緒のクラスになれたらいいねえと言っていたばかりなのに」と声を詰まらせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
娘が宏美さんと同じクラスだったという主婦(38歳)は「3年間受け持ってもらい信頼していた。これでは学校にも子供を安心して任せられない。こんな事件が起きると先生も学校も信じられない思い」と、怒りを隠し切れない様子で話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宏美さんの[[卒業文集]]には「学校では勉強やスポーツを学んだ。音楽も好きになることができた。中学になったら[[バスケットボール]]で活躍したい。10年後は学校の先生になりたい」などと書き残されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 河内武志の供述 ==&lt;br /&gt;
河内は警察の取調べに対し、「自分の軽率な行為で、生徒の将来も闇になった。妻子にもひどい仕打ちをしてしまった。こうなれば、生徒を殺して自分も死ぬ以外に方法はないと思った」と供述した。一方、警察は河内に自殺や無理心中をしようとした形跡などが見当たらないといい、引き続き調べを続ける方針。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かわち たけし}}&lt;br /&gt;
[[Category:1990年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:教師の犯罪]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.23.128.108</name></author>	</entry>

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