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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-11-03T20:25:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[[さとうかよ]]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[新宿音楽祭]]金賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第26回[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本テレビ音楽]]祭新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第15回日本歌謡大賞新人賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデン・アロー賞]] &lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁鬱病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-11-01T19:45:33Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[[さとうかよ]]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[新宿音楽祭]]金賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第26回[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本テレビ音楽]]祭新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第15回日本歌謡大賞新人賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデン・アロー賞]] &lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁鬱病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-11-01T13:05:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[[さとうかよ]]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[新宿音楽祭]]金賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第26回[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本テレビ音楽]]祭新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第15回日本歌謡大賞新人賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデン・アロー賞]] &lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁鬱病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-31T21:37:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[[さとうかよ]]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[新宿音楽祭]]金賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第26回[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本テレビ音楽]]祭新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第15回日本歌謡大賞新人賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデン・アロー賞]] &lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁鬱病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-30T22:03:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[[さとうかよ]]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[新宿音楽祭]]金賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第26回[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本テレビ音楽]]祭新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第15回日本歌謡大賞新人賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデン・アロー賞]] &lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-29T22:28:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[[さとうかよ]]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[新宿音楽祭]]金賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第26回[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本テレビ音楽]]祭新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第15回日本歌謡大賞新人賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデン・アロー賞]] &lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-28T09:29:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[[さとうかよ]]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[新宿音楽祭]]金賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第26回[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本テレビ音楽]]祭新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第15回日本歌謡大賞新人賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデン・アロー賞]] &lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%A7%E3%81%AE%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%86%B2%E5%A4%AA%E9%83%8E&amp;diff=17655</id>
		<title>ウィキペディア日本語版での野田憲太郎</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%A7%E3%81%AE%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%86%B2%E5%A4%AA%E9%83%8E&amp;diff=17655"/>
				<updated>2007-10-27T13:14:00Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;在日管理者の存在を差別的な悪口で異常な反応の証拠を公開したために、慌ててSnow steed（Mixiを退会済）が無期限投稿ブロックを提案した。2007年7月の京都烏丸おばんざいやさんで行われた海外組の接待は、この男によって暴露された。小西規勝や利用者:KMTは頻繁に利用者:Noda,KentaroのMixiを「勤務中に」覗いてくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼の開設した日本語版Wikitruthにも、「日本語の出来ない振りをした」利用者がコメントを寄せたことで話題となる。嘘を書かれたら本人がここの項をRVするのは当然である。この節のフォークを主張する利用者もいたようだが、その者が名誉毀損に該当する記述まで差し戻すことを主張したため、今後は差し戻しを常に行う利用者や誹謗中傷の類を書いた利用者の法的責任が問われることも考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Noda,Kentaroの編集を阻害するために、ツールまで使ってユアペディアを破壊している者が多数存在する。事実ここの項目も編集合戦化され毎日お互いに有利なように編集され続けている。結局のところ水掛け論である。野田憲太郎がWikipediaをブロックされたようにここにもそういう荒らし行為のブロック化が求められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代音楽関連の記事に関して、出典の明記をするよう他の利用者から注意を受けたが、それを頑なに拒否しつづけた為に無期限投稿ブロックを受けた。それ以来、ウィキペディア日本語版及びウィキペディア日本語版の管理者を憎んでいる。その無念を他人に知らせたかったのか、[[2ちゃんねる]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://music8.2ch.net/test/read.cgi/contemporary/1165228479/ 野田憲太郎応援スレッド]&amp;lt;/ref&amp;gt;と[[mixi]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10353087&amp;amp;comm_id=5454&amp;amp;page=all ウィキペディア日本語版|ウィキペディア日本語版の恐怖政治体制] 閲覧にはmixiへの参加が必要。&amp;lt;/ref&amp;gt;でも同時期に不可解な絨毯爆撃を行い、ウィキペディア以外のコミュニティにも重大な迷惑をかけた。現在でもウィキペディア日本語版の諸利用者（管理者を含む）を敵視し、[http://d.hatena.ne.jp/Kasumoerer/ 自分のウェブサイト]やYourpediaの本項目でこれらの利用者の中傷糾弾を続けているところを見ると、ウィキペディア日本語版には相当の思い入れがあると考えられる。事実、ウィキペディア日本語版では投稿ブロック以後も数々のサブアカウントを取得し編集投稿を続けているが、悉く発見され、これらの多くは投稿ブロックを受けた。この騒動で本人と推定され投稿ブロックを受けた利用者アカウントやIPの数は10を超える。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E9%80%B2%E8%A1%8C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E8%8D%92%E3%82%89%E3%81%97%E8%A1%8C%E7%82%BA/%E9%95%B7%E6%9C%9F/Noda%2CKentaro Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro]&amp;lt;/ref&amp;gt;余談ではあるが、この利用者はYourpediaで同名のアカウントを取得しており、本項目の起草・加筆もこの利用者の尽力によるものが大きい。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;amp;limit=500&amp;amp;action=history ウィキペディア日本語版の利用者 - 履歴]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
詳しくは[[:w:ja:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro|こちら]]と[[Wikitruth|日本語版Wikitruth]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに利用者:Co.kyotoと利用者:Hatukanezumiと利用者:Electric goatが木津尚子の靴下であることを見破ったユーザーは彼が最初である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼のピアノの演奏（と称するもの）を聴いたもののある者であれば、誰にでも解かることであるが、彼が音楽と称するものは、幼稚園児の落書きか、またはそれ以下である。ピアニストを'''目指す'''のであれば、まずは「猫踏んじゃった」を正しく弾くことを目指すべきであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアの項では、作曲家、演奏家、著作家と書かれているのに何ら書籍・アルバムの出版、客観的な表彰歴など、出典の不明確な記載が多くなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
投稿に使用しているプロバイダはOCN。アクセスポイントは、四日市元新町局である。同APのアドレスレンジは下記である。&lt;br /&gt;
*122.20.160.0/24&lt;br /&gt;
*124.99.92.0/23&lt;br /&gt;
*125.172.136.0/22&lt;br /&gt;
*222.148.148.0/23&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
従って野田を追放するためには、上記全てを排除しなければ意味がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、野田は公開プロクシを使うことでも知られているので注意が必要である。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=17654</id>
		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-27T13:07:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[[さとうかよ]]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[新宿音楽祭]]金賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第26回[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本テレビ音楽]]祭新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第15回日本歌謡大賞新人賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデン・アロー賞]] &lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-26T20:13:27Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: /* 受賞歴 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[[さとうかよ]]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[新宿音楽祭]]金賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第26回[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本テレビ音楽]]祭新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第15回日本歌謡大賞新人賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデン・アロー賞]] &lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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				<updated>2007-10-26T20:10:27Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: /* 受賞歴 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[[さとうかよ]]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[新宿音楽祭]]金賞 &lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本テレビ音楽]]祭新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第15回日本歌謡大賞新人賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデン・アロー賞]] &lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[[さとうかよ]]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Netts/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90%E3%81%AE%E5%B9%BD%E9%9C%8A%E9%A8%92%E5%8B%95&amp;diff=17578</id>
		<title>利用者:Netts/岡田有希子の幽霊騒動</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''岡田有希子の幽霊騒動'''(おかだゆきこのゆうれいそうどう)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下は、[[岡田有希子]]の自殺後に幽霊騒動として語られた[[都市伝説]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の1986年4月8日の午後12時20分頃に現場を通りかかった[[カメラマン]]がうつぶせ状態の有希子の遺体を蹴りあげ仰向けにしてその姿を写真に撮ったが、その人は翌年の1987年某日に交通事故に遭い死んだ・・・との説が流れた。　　&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から約2か月後の[[1986年]][[5月28日]]とその同年の[[6月18日]]テレビの歌番組の[[夜のヒットスタジオ]]の生中継でその時に出演していた[[中森明菜]]が自分のシングル曲の「[[シプシー・クィーン]]」を歌っている最中に彼女の背後や横あたりに有希子の幽霊だと思う物がテレビモニターに写っていたという視聴者からの電話が殺到し、その他にも同じ歌番組であるザ・ベストテンや歌のトップテンの生中継にも前者が同じ歌を歌っている最中に有希子の霊だと思う物がテレビモニターに写っていたという視聴者からの電話が殺到した。 &lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]の[[アルバム]]「[[SUPREME]]」（1986年[[6月1日]]発売）内の[[シングル]]「[[マリオネットの涙]]」の最後の部分に有希子の声だと思われる「ありがとう」と言うセリフが入っていた。 &lt;br /&gt;
*トーク番組「[[さんまのまんま]]」1986年[[6月9日]]放送分で、スタジオのセットのべットの上で有希子の霊が血だらけで笑っていたと言うテレビモニターが映っていて視聴者からの電話が来た。1987年の同番組の放送で松田聖子がゲスト出演したときに、聖子の後ろで有希子の幽霊と思われるものがテレビモニターに映り、聖子は首をしめられた感覚がしたという。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

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		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''岡田有希子の幽霊騒動'''(おかだゆきこのゆうれいそうどう)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下は、岡田有希子の自殺後に幽霊騒動として語られた[[都市伝説]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の1986年4月8日の午後12時20分頃に現場を通りかかった[[カメラマン]]がうつぶせ状態の有希子の遺体を蹴りあげ仰向けにしてその姿を写真に撮ったが、その人は翌年の1987年某日に交通事故に遭い死んだ・・・との説が流れた。　　&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から約2か月後の[[1986年]][[5月28日]]とその同年の[[6月18日]]テレビの歌番組の[[夜のヒットスタジオ]]の生中継でその時に出演していた[[中森明菜]]が自分のシングル曲の「[[シプシー・クィーン]]」を歌っている最中に彼女の背後や横あたりに有希子の幽霊だと思う物がテレビモニターに写っていたという視聴者からの電話が殺到し、その他にも同じ歌番組であるザ・ベストテンや歌のトップテンの生中継にも前者が同じ歌を歌っている最中に有希子の霊だと思う物がテレビモニターに写っていたという視聴者からの電話が殺到した。 &lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]の[[アルバム]]「[[SUPREME]]」（1986年[[6月1日]]発売）内の[[シングル]]「[[マリオネットの涙]]」の最後の部分に有希子の声だと思われる「ありがとう」と言うセリフが入っていた。 &lt;br /&gt;
*トーク番組「[[さんまのまんま]]」1986年[[6月9日]]放送分で、スタジオのセットのべットの上で有希子の霊が血だらけで笑っていたと言うテレビモニターが映っていて視聴者からの電話が来た。1987年の同番組の放送で松田聖子がゲスト出演したときに、聖子の後ろで有希子の幽霊と思われるものがテレビモニターに映り、聖子は首をしめられた感覚がしたという。&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-26T11:40:30Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: /* 有希子の自殺で中止となった企画 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Netts/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90%E3%81%AE%E5%B9%BD%E9%9C%8A%E9%A8%92%E5%8B%95&amp;diff=17574</id>
		<title>利用者:Netts/岡田有希子の幽霊騒動</title>
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				<updated>2007-10-26T11:37:43Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: 新しいページ: ''''岡田有希子の幽霊騒動'''(おかだゆきこのゆうれいそうどう)  以下は、岡田有希子の自殺後に幽霊騒動として語られた都市伝説...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''岡田有希子の幽霊騒動'''(おかだゆきこのゆうれいそうどう)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下は、岡田有希子の自殺後に幽霊騒動として語られた[[都市伝説]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
有希子の自殺から約2か月後の[[1986年]][[5月28日]]とその同年の[[6月18日]]テレビの歌番組の[[夜のヒットスタジオ]]の生中継でその時に出演していた[[中森明菜]]が自分のシングル曲の「[[シプシー・クィーン]]」を歌っている最中に彼女の背後や横あたりに有希子の幽霊だと思う物がテレビモニターに写っていたという視聴者からの電話が殺到し、その他にも同じ歌番組であるザ・ベストテンや歌のトップテンの生中継にも前者が同じ歌を歌っている最中に有希子の霊だと思う物がテレビモニターに写っていたという視聴者からの電話が殺到した。 &lt;br /&gt;
[[松田聖子]]の[[アルバム]]「[[SUPREME]]」（1986年[[6月1日]]発売）内の[[シングル]]「[[マリオネットの涙]]」の最後の部分に有希子の声だと思われる「ありがとう」と言うセリフが入っていた。 &lt;br /&gt;
トーク番組「[[さんまのまんま]]」1986年[[6月9日]]放送分で、スタジオのセットのべットの上で有希子の霊が血だらけで笑っていたと言うテレビモニターが映っていて視聴者からの電話が来た。1987年の同番組の放送で松田聖子がゲスト出演したときに、聖子の後ろで有希子の幽霊と思われるものがテレビモニターに映り、聖子は首をしめられた感覚がしたという。 &lt;br /&gt;
有希子が自殺した直後に現場を通りかかったカメラマンがうつぶせ状態の有希子の遺体を蹴りあげ仰向けにしてその姿を写真に撮ったが、その人は翌年の1987年某日に交通事故に遭い死んだ・・・との説が流れた。　　&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:208.43.195.106&amp;diff=17565</id>
		<title>利用者:208.43.195.106</title>
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				<updated>2007-10-26T08:29:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{クラシック音楽}}&lt;br /&gt;
'''野田 憲太郎'''（のだ けんたろう、[[1976年]][[2月24日]] -）は[[三重県]][[四日市市]]生まれの自称[[作曲家]]・[[演奏家]]・[[著作家]]。社会に認められるようなたいした実績はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
[[京都市立芸術大学]]音楽学部にてピアノを専攻後、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ワイオミング大学]]音楽学部や[[ノースフロリダ大学]]音楽学部に在学中にピアノ、作曲等を学んだ。[[ノースフロリダ大学]]在学中まで、学生による個展ボイコットなどのトラブルのために{{fact}}、目立った作品を発表していない。日本へ帰国後、[[若手作曲家の集い]]第一位を含むいくつかの作曲コンクールに入賞。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作曲 ==&lt;br /&gt;
代表作品に[[フルート]]と[[ヴァイオリン]]の為の「最も大切なこと」、弦楽四重奏の為の「希望なき自由」、[[ピアノ]]、[[チェレスタ]]、[[グロッケンシュピール]]、[[クロタレス]]の為の「五つの[[精霊]]」、5人の歌手と14人の楽器奏者の為の「[[ツンデレラ]]」などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでの一般的な形式としては、ある一定の素材を始めに長時間にわたって集中して提示し、その作品への印象を深ませる点、そして最後の[[コーダ]]に至ってそれを 180 度場面転換または開放しさらに新しい世界を求めていく事が第一の特徴としてあげる事ができる{{fact}}。A-B の A の部分が長い[[バール形式]]の一種と考えられ、近年では A の部分が 95% を占める作品も作曲している。譜面は[[モートン・フェルドマン]]風の書き方だが、出てくる音響は別物に近い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 演奏 ==&lt;br /&gt;
[[ピアニスト]]としては国内外の無名や新作の初演を行うことが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
[[フランコ・ドナトーニ]]が作曲した[[ピアノ]]独奏の為の「[[フランソワーズ変奏曲]]」の、第一変奏から第二八変奏までの校訂報告を作成した。但し日本語版のみ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自著は存在しない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連リンク ==&lt;br /&gt;
*[[野田憲太郎のネット上の言動について]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://kentaro-noda.hp.infoseek.co.jp/index-e 公式サイト]　（[http://kentaro-noda.hp.infoseek.co.jp 上位サイト]こそが野田本人であると見られる）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
{{Stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:のたけんたろう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の作曲家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のピアニスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:1976年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:三重県出身の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=17537</id>
		<title>岡田有希子</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=17537"/>
				<updated>2007-10-25T20:59:27Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=17491</id>
		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-24T22:03:15Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=17433</id>
		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-23T21:58:13Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=17331</id>
		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-22T05:30:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

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				<updated>2007-10-21T15:33:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-21T08:57:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-20T05:23:02Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-18T22:16:01Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクターで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。某書籍の文献には『「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行われなかった。」とされている。』と記されていた。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集で、早まらないよう呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=17051</id>
		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-18T05:10:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクターで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。某書籍の文献には『「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行われなかった。」とされている。』と記されていた。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集で、早まらないよう呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=16967</id>
		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-17T05:48:00Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクターで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。某書籍の文献には『「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行われなかった。」とされている。』と記されていた。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集で、早まらないよう呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=16936"/>
				<updated>2007-10-16T06:38:44Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクターで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。某書籍の文献には『「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行われなかった。」とされている。』と記されていた。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集で、早まらないよう呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>ファイナルファンタジーV</title>
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				<updated>2007-10-15T12:52:30Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: /* 映像表現に置ける問題 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{コンピュータゲーム&lt;br /&gt;
|Title = ファイナルファンタジーV&amp;lt;br /&amp;gt;''Final Fantasy V''&lt;br /&gt;
|Genre = [[コンピュータRPG|ロールプレイングゲーム]]&lt;br /&gt;
|Plat = [[スーパーファミコン]](SFC)&amp;lt;br /&amp;gt;[[プレイステーション]](PS)&amp;lt;br /&amp;gt;[[ゲームボーイアドバンス]](GBA)&lt;br /&gt;
|Dev = '''SFC:'''[[スクウェア (ゲーム会社)| スクウェア]]&amp;lt;br /&amp;gt;'''PS:'''[[トーセ]]&amp;lt;br /&amp;gt;'''GBA:'''[[スクウェア・エニックス]]&lt;br /&gt;
|Pub = '''SFC,PS:'''[[スクウェア (ゲーム会社)|スクウェア]]&amp;lt;br /&amp;gt;'''GBA:'''[[スクウェア・エニックス]]&lt;br /&gt;
|Date = '''SFC:'''1992年12月6日&amp;lt;br /&amp;gt;'''PS:'''1998年[[3月19日]]&amp;lt;br/&amp;gt;'''GBA:'''2006年10月12日&lt;br /&gt;
|Play = 1人&lt;br /&gt;
|Price = '''SFC:'''9,800円（税抜）&amp;lt;br /&amp;gt;'''PS:'''4,800円（税抜）&amp;lt;br /&amp;gt;'''GBA:'''5,040円（税込）&lt;br /&gt;
| Media = '''SFC:'''16Mb[[ロムカセット]]&amp;lt;br /&amp;gt;'''PS:'''[[CD-ROM]]1枚&amp;lt;br /&amp;gt;'''GBA:'''[[ロムカセット]]&lt;br /&gt;
|Rating = '''GBA:'''[[CERO]]:A（全年齢対象）&lt;br /&gt;
|Sale = '''SFC:'''約245万本&amp;lt;br /&amp;gt;'''PS:'''約15万本&amp;lt;br /&amp;gt;'''GBA:'''約24万本&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『'''ファイナルファンタジーV'''』（ファイナルファンタジーファイブ、''FINAL FANTASY V''、略称'''FFV'''）は、[[スクウェア (ゲーム会社)|スクウェア]]（現[[スクウェア・エニックス]]）発売の[[コンピューターゲーム]][[ゲームソフト|ソフト]]で、[[ファイナルファンタジーシリーズ]]の本編第5作目にあたる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[1992年]][[12月6日]]に、[[スーパーファミコン]]（SFC）用のソフトとして発売、[[1998年]]には[[コンビニエンスストア]]流通向けの[[プレイステーション]]（PS）版が発売され、[[1999年]]には、『[[ファイナルファンタジーIV]]』と『[[ファイナルファンタジーVI]]』をセットにした『[[ファイナルファンタジーコレクション]]』として一般流通で販売された。また、[[ゲームボーイアドバンス]]（GBA）版『ファイナルファンタジーV アドバンス』が[[2006年]][[10月12日]]に発売されている。SFC版はシリーズ初のダブルミリオンを記録した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 特徴 ==&lt;br /&gt;
*キャラクターの成長に関しては、『[[ファイナルファンタジーIII]]』の[[#ジョブチェンジシステム|ジョブチェンジシステム]]の発展系で、新たにジョブ固有の'''アビリティ'''を覚えられるようになっている。覚えたアビリティは他のジョブになっているときにも一定数利用可能であり、プレイヤーキャラクターはジョブ固有のものとは別のアビリティが使えるようになり、キャラクターのカスタマイズ性が高くなった。弊害として、キャラクターの個性が弱くなったが、それを補って余りある戦闘の自由度の高さを生み出しており、後のシリーズ作品のシステムにも反映されている&amp;lt;!--『[[ファイナルファンタジーVII]]』のマテリアの付け替え、『[[ファイナルファンタジータクティクス]]』など。--&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*スクウェア社自身が、グラフィックスの綺麗さも本作の特徴と位置づけており、前作までと比較して全体的に綺麗になっている。また、この作品からマップ上のキャラクターに表情が付くようになる。前作でも頭を下げる程度のアクションはあったが、驚いたりといった表情については本作で初めて登場する。&lt;br /&gt;
*ファイナルファンタジーシリーズとしては初めてメッセージ中に漢字が使われている。これより前に発売されていた『ロマンシング サ・ガ』では、漢字と仮名の大きさが違い、見にくいことが指摘されていたが、本作では同じ大きさに統一されている。&lt;br /&gt;
*レベルに頼った単純な力押しでの攻略は難しいとされており、多彩なジョブと習得したアビリティを組み合わせ、敵の弱点を正確に突くようなスタイルの攻略が推奨されている&amp;lt;sup&amp;gt;&amp;lt;span title=&amp;quot;要出典&amp;quot;&amp;gt;''&amp;lt;nowiki&amp;gt;[&amp;lt;/nowiki&amp;gt;[[Wikipedia:「要出典」をクリックされた方へ|&amp;lt;span title=&amp;quot;要出典&amp;quot;&amp;gt;要出典&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;nowiki&amp;gt;]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;''&amp;lt;/span&amp;gt;&amp;lt;/sup&amp;gt;&amp;lt;!--製作者がそのように推奨しているのですか？--&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*全てのボスにレベルとは無関係に圧勝できる戦術が存在する、ボスを倒しても経験値が入らない、経験値取得の回避が容易などの理由から、低レベル攻略を代表とした様々な[[やり込み]]の題材として末永く愛されるゲームとなった。現在では、ほぼ全てのボスをレベル1のキャラ一人で撃破する戦術が確立されるまでに至っている。&lt;br /&gt;
*FFシリーズは基本的に各作品の間にストーリー的なつながりがなく、それぞれが独立した世界になっている。しかし本作には、いろいろな次元や別の世界に繋がっている「異次元空間」である「次元のはざま」が存在し、そこに送り込まれた「[[ギルガメッシュ (ファイナルファンタジー)|ギルガメッシュ]]」というキャラクターが、しばしば『FFVIII』『IX』『XII』の世界に顔を出し、Vと同一人物であると思わせるような描写がされている。また、[[OVA]]『[[ファイナルファンタジー (OVA)|ファイナルファンタジー]]』は本作の200年後の物語であり、FFシリーズで始めてゲーム終了後の物語が描かれた作品である。&lt;br /&gt;
*タイトルロゴに描かれている[[ドラゴン]]は、天野喜孝の画集『JAPAN―FINAL FANTASY』（NTT出版）にて「飛竜」と明記されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 制作スタッフ ==&lt;br /&gt;
*ディレクター・原案: [[坂口博信]]&lt;br /&gt;
*イメージデザイン・タイトルロゴデザイン: [[天野喜孝]]&lt;br /&gt;
*音楽: [[植松伸夫]]&lt;br /&gt;
*シナリオ・ゲームデザイン: [[北瀬佳範]]&lt;br /&gt;
*フィールドプラン: [[北瀬佳範]]、[[土橋生哉]]&lt;br /&gt;
*バトルプラン: [[伊藤裕之]]、[[松井聡彦]]&lt;br /&gt;
*フィールドプログラム: [[成田賢]]&lt;br /&gt;
*バトルプログラム：[[吉井清史]]、[[樋口勝久]]&lt;br /&gt;
*フィールドグラフィック: [[高橋哲哉 (ゲーム製作者)|高橋哲哉]]、[[皆葉英夫]]&lt;br /&gt;
*アートディレクター: [[皆葉英夫]]&lt;br /&gt;
*OBJグラフィック: [[渋谷員子]]&lt;br /&gt;
*モンスターデザイン: [[野村哲也]]&lt;br /&gt;
*モンスターグラフィック: 星野雅紀、[[野村哲也]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 他機種への移植 ==&lt;br /&gt;
;プレイステーション版&lt;br /&gt;
:1998年[[3月]]に、プレイステーション版『ファイナルファンタジーV』が発売された。内容はSFC版を移植したものであり、SFC版とほとんど違いはないが、オープニングとエンディングにオリジナルのCGムービーが追加されている。また、SFC版に存在したいくつかの[[バグ]]が修正されている。加えて、フィールド上で'''×'''ボタンを押す事で2倍速で移動できるようになっている。しかしCD-ROMによる読み込みのため、マップが切り替わるのがSFC版よりも遅かったり、音楽や効果音の音質が変質していたりする。また「メモファイル」機能により、移動中であればいつでもデータを保存・再開することができるようになった。ただし一時的な保存なので電源を切ると消滅する。&lt;br /&gt;
;ゲームボーイアドバンス版&lt;br /&gt;
:2006年10月12日に、ゲームボーイアドバンス版『ファイナルファンタジーV アドバンス』が発売された。キャッチコピーは「風が、変わる。」(TGSPV)「純度を超えた透明感」(TVCM)。SFC版からの追加要素として、ジョブの追加（4種）、ダンジョンの追加、武器防具の追加等がされている。他機種のバグの大半は修正されたが基本システムに変更はないので、[[やり込み]]についてはほぼSFC版と同じ戦術を使うことができる。&lt;br /&gt;
:その他、以下のような変更点もある。&lt;br /&gt;
:*オープニングが一新された。オープニングムービーが追加され、隕石に乗っているガラフや飛竜の世話をするレナなどの様子を見ることが出来る。なお、2006年以前に退社したスタッフ（植松氏以外）の名前はクレジットされていない。&lt;br /&gt;
:*FFI・IIアドバンスやFFIVアドバンスと同様、おまけとしてモンスター図鑑とミュージックプレイヤーが追加。&lt;br /&gt;
:*音源や画面サイズの都合上、BGMや戦闘背景が作り直されている。&lt;br /&gt;
:*台詞の表示ウインドウにメインキャラクターの顔グラフィックが出るようになる。&lt;br /&gt;
:*セーブ機能に通常のセーブと携帯機向けの「ちゅうだん」が加えられる。ニューゲームや通常のロードを選んだ場合や中断したデータを再開するとそのデータは消える（PS版における「メモファイル」とは異なるので注意）。&lt;br /&gt;
:*シーフのアビリティ扱いであった「[[Bダッシュ|ダッシュ]]」が最初から使用可能になっており、常にダッシュ状態か従来のようにBボタンでダッシュかを選択可能。シーフの「ダッシュ」では通常のBダッシュの倍の速さとなる。&lt;br /&gt;
:*いくつかの能力の仕様変更。例「きゅうけつ」（SFC/PS→最大HP-現在HPの半分を吸収する。GBA→最大HP-現在HPを吸収する）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== システム ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== パーティ ===&lt;br /&gt;
パーティーのメンバーに関しては[[#光の戦士|光の戦士]]の節を参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パーティの人数は最大で4人。前作『[[ファイナルファンタジーIV]]』は、パーティメンバーの強制的な入れ替わりが多い作品であったが、本作ではメンバーが入れ替わるのは一度だけである。その際、入れ替わる前のキャラクターのレベルやジョブ・アビリティがそのまま引き継がれる仕組みになっているので、一から育てなおす必要がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ストーリーの進行中、パーティメンバーの一部が欠けることがある。また、パーティを分割して進めるイベントもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦闘システム ===&lt;br /&gt;
;アクティブタイムバトルシステム&lt;br /&gt;
:前作『ファイナルファンタジーIV』に引き続き、[[アクティブタイムバトルシステム]](ATB)が採用されている。また本作からプレイヤーキャラの行動待ち時間を視覚的に示す、ウェイトゲージが追加された。&lt;br /&gt;
;攻撃・魔法の命中システムの変更&lt;br /&gt;
:過去のシリーズ作品の「攻撃回数」の概念が廃止され、命中判定は一度だけになった。ただし一部のアビリティや武器などで同時に二回以上攻撃ができる場合は、それぞれの攻撃において命中判定が発生する。&amp;lt;!--アビリティ「[[二刀流]]」を使用している場合と両手とも素手の場合、あるいは2回攻撃可能な特定の武器など--&amp;gt;&lt;br /&gt;
;魔法&lt;br /&gt;
:FFIVでは各魔法ごとの詠唱時間に大きな差があったが、全て一律、ほぼ詠唱時間なしで即時発動するようになった。またパラメーターもそれまでは黒系の知性と白系の精神とがあったが、今作より魔力に統合された。&lt;br /&gt;
;弓矢の使用制限撤廃&lt;br /&gt;
:FFIII、FFIVでは、[[弓 (武器)|弓]]と[[矢]]は別個のアイテム扱いであり、矢を消費して攻撃を行うシステムだった。本作においては弓矢はワンセットになり、その使用にも制限は無くなっている。&lt;br /&gt;
;クリティカルヒット&lt;br /&gt;
:確率発動するタイプのクリティカルヒットは、素手と[[刀]]、特定の弓矢以外の攻撃では発動しない。ただし特定種族（竜、魔獣など）に対して必ずクリティカルヒットを放つ武器や、MP消費と引き替えに確実なクリティカルを保証する武器も存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ジョブチェンジシステム ===&lt;br /&gt;
ジョブの種類および詳細に関しては[[#ジョブ一覧|ジョブ一覧]]を参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''ジョブチェンジシステム'''とは、イベントによって入手した[[ジョブ (ファイナルファンタジー)|ジョブ]]（[[キャラクタークラス]]）を状況に合わせてプレイヤーが任意に切り替えられるシステムのことである。ジョブチェンジはメニューが呼び出せる状況であればいつでも可能である。各ジョブには固有の'''アビリティ'''が用意されており、ABP（アビリティポイント）を貯めることでアビリティを覚えることができる。クリスタルのかけらを入手することで選択できるジョブの種類が増える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ジョブチェンジシステムは本作の前に『FFIII』で採用されたが、『FFIII』ではジョブチェンジの際に所定量のキャパシティ値を必要としたのに対して、本作ではキャパシティ値が廃止されており、特に何も消費することなく、好きなときに好きなジョブになることができるようになっている。なお、各ジョブにはすっぴんからの力・素早さ・体力・魔力の変化率が、各キャラクターにはすっぴんにおける各パラメータのバッツとの差が設定されており、最大HPはレベルと体力、最大MPはレベルと魔力によって算出されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
各ジョブには1つの「ジョブコマンド」といくつかの「ジョブ特性」が設定されている。ジョブ特性とはそのジョブになれば自動で発揮される能力である。&lt;br /&gt;
;ジョブコマンド、ジョブ特性の例&lt;br /&gt;
:;ナイト&lt;br /&gt;
::*ジョブコマンド:まもり （次の行動までの間、物理攻撃のダメージを0にする）&lt;br /&gt;
::*ジョブ特性:かばう （瀕死状態の仲間に対する物理攻撃を代わりに受ける）&lt;br /&gt;
:;白魔道士&lt;br /&gt;
::*ジョブコマンド :しろまほう（所持している白魔法を使える。なお魔導士系ジョブや魔法剣士のジョブコマンドはそのジョブで使える魔法の最高レベルとなっており、白魔導士の場合ジョブコマンドとして付いているアビリティは「しろまほうL6」である）&lt;br /&gt;
::*ジョブ特性 :無し&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フィールド上および戦闘時に利用できるコマンドとして「たたかう」、「アイテム」および「ジョブコマンド」のほかにもう1つ追加アビリティ枠が設定されており、覚えているジョブから自由に選択できる（例外のジョブあり）。例えばナイトに「しろまほう」を付ければ回復魔法を使え、「まほうけん」を付ければ属性を切り替えて対処する事が可能になる。このようにジョブとアビリティの組み合わせによっては効果的な戦術が編み出せるが、アビリティの選択を誤るとジョブの能力を台無しにしたり、アビリティを全く活かせなくなったりするので、プレイヤーの工夫が試されるシステムである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===装備===&lt;br /&gt;
武器には13の系統、防具には4種類の系統がある。それぞれの系統に大まかに共通する特徴がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;短剣&lt;br /&gt;
:攻撃力がやや高く、大半のジョブが装備可能で、魔法剣にも対応。忍者専用の忍者刀、踊り子専用武器も含まれる。&lt;br /&gt;
;剣&lt;br /&gt;
:攻撃力が高く、かつ魔法剣に対応する。より高い攻撃力を持つナイト専用の騎士剣（GBA版では剣闘士も装備可能）も含まれる。&lt;br /&gt;
;槍&lt;br /&gt;
:攻撃力が高く、アビリティ「ジャンプ」の攻撃力が2倍になる。&lt;br /&gt;
;刀&lt;br /&gt;
:攻撃力が高く、クリティカルヒットが出る。&lt;br /&gt;
;斧（ハンマー）&lt;br /&gt;
:攻撃力がやや高く、敵の防御力の影響が少ない&amp;lt;!--敵の防御力の75％を無視できる--&amp;gt;。命中率が低く、ダメージが不安定。&lt;br /&gt;
;弓矢&lt;br /&gt;
:攻撃力が高く、後列でも威力が半減しない。特殊効果も豊富。命中率が少し低く、両手でないと扱えない。&lt;br /&gt;
;杖&lt;br /&gt;
:攻撃力はやや低く、後列でも威力が半減しない。魔法の力を秘めたものや、斧に近い特性を持つフレイルなどがある。&lt;br /&gt;
;ロッド&lt;br /&gt;
:攻撃力はかなり低く、後列でも威力が半減しない。攻撃魔法を増幅する効果や、魔法の力を秘めたものが多い。&lt;br /&gt;
;鞭&lt;br /&gt;
:攻撃力がやや高く、後列でも威力が半減しない。敵を麻痺させる効果を持つものが多い。&lt;br /&gt;
;ベル&lt;br /&gt;
:攻撃力がかなり低く、後列でも威力が半減しない。魔力と素早さに依存して威力が高まる。ダメージが不安定。&lt;br /&gt;
;竪琴&lt;br /&gt;
:極めて特殊な効果を持つ。&amp;lt;!--ほとんどのものが割合ダメージを与える。--&amp;gt;両手でないと扱えない。&lt;br /&gt;
;特殊武器&lt;br /&gt;
:いずれにも属さない系統。武器のアイコンが表示されない。&lt;br /&gt;
;手裏剣・忍術&lt;br /&gt;
:アビリティ「なげる」でのみ使用できる。強力だが使い捨て。&lt;br /&gt;
;盾&lt;br /&gt;
:一定の確率で、相手の物理攻撃を完全に防ぐことができる。両手武器とは併用できない。&amp;lt;!--両手持ちや二刀流の場合は装備できる--&amp;gt;&lt;br /&gt;
;頭防具&lt;br /&gt;
:頭部に身に付ける。兜・戦闘帽・魔法帽など。&lt;br /&gt;
;体防具&lt;br /&gt;
:体に身に付ける。鎧・戦闘服・ローブなど。&lt;br /&gt;
;アクセサリ&lt;br /&gt;
:特殊な効果を持つものが多い。指輪・篭手・腕輪・靴など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 魔法 ===&lt;br /&gt;
魔法は全部で7つの系統に分類される（GBA版では8つ）。それぞれの系統で大まかな習得方法が異なる。一度魔法を習得すると、ジョブ・アビリティ条件さえ整えば、パーティ全員がその魔法を使用できるようになる。大半の系統にはレベルが設定されており、習得してもアビリティのレベルを満たさなければ使用できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;白魔法&lt;br /&gt;
:回復や防御補助を中心とした系統。アンデットに対しては攻撃手段にもなる。店での購入・宝箱・特定のイベントなどで習得可能。&lt;br /&gt;
;黒魔法&lt;br /&gt;
:攻撃やステータス異常が中心の系統。炎・冷気・雷の3[[属性]]が基本。店での購入・特定のイベントなどで習得可能。&lt;br /&gt;
;時空魔法&lt;br /&gt;
:時間・空間・重力に作用する系統。補助が中心で、攻撃もある程度可能。店での購入・宝箱・特定のイベントなどで習得可能。&lt;br /&gt;
;召喚魔法&lt;br /&gt;
:幻獣を召喚して攻撃などを行う系統。黒魔法と比べ複数の敵に効果を発揮しやすいのが特徴&amp;lt;!--黒魔法は全体攻撃すると威力が半減するが、召喚魔法はそれがない--&amp;gt;。初歩の魔法は店で購入できるが、基本的には対応する召喚獣を倒すことで習得できる。&lt;br /&gt;
;魔法剣&lt;br /&gt;
:武器（短剣・剣・騎士剣）に特定の白魔法・黒魔法の効果を追加する系統。通常の魔法と比べMP消費が少なく、永続的に効果を発揮するのが特徴&amp;lt;!--ただし、装備武器を交換すると解除される。--&amp;gt;。対応する魔法を習得するのが使用条件。&lt;br /&gt;
;青魔法&lt;br /&gt;
:モンスターの技をそのまま使う系統。他の系統にない特殊な効果や、限定された状況下で真価を発揮するものが多いのが特徴。「ラーニング」のジョブ特性やアビリティを持つキャラが習得可能な攻撃を受け、その戦闘に勝利することで習得できる。レベルは設定されていない。&lt;br /&gt;
;歌&lt;br /&gt;
:特殊な効果を持つ歌を歌う系統。魔法に分類されているがMPは消費しない。歌うと瞬時に効果を発揮するものと、歌い続ける間徐々に味方の能力値を上昇させるものがある。特定のイベントで入手可能。レベルは設定されていない。&lt;br /&gt;
;暗黒魔法（GBA版のみ）&lt;br /&gt;
:禁断の魔法。全般的に威力が高く、何らかの追加効果があるのが特徴。ネクロマンサーのジョブに就いているキャラが、特定のモンスターに止めを刺すことで習得可能。ある場所で習得条件となるモンスターの情報が得られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他（システム） ===&lt;br /&gt;
;モンスターのレベル&lt;br /&gt;
:本作から全てのモンスターにレベルが設定されるようになった。主に攻撃力や魔法の成功率に影響し、一部3桁を超える敵もいる&amp;lt;!--限界値は255--&amp;gt;。特定の魔法やアビリティには一時的にレベルを上下させたり、一定の倍数のレベルの敵にのみ効果を発揮するものなどもある。&lt;br /&gt;
;時間制限付きイベント &lt;br /&gt;
:本作から、シナリオ中に時間制限の付いたイベントが出現するようになった。イベントに突入すると画面上にカウントダウンタイマーが表示され、フィールド移動中、戦闘中に関わらずカウントが減っていく（戦闘中のポーズ機能を利用することで、一時的に時間経過を止めることは可能であり、移動中は現在のフロアが画面上部に表示されている最中のみ時間経過がストップする）。残り時間が0になった時点で、イベント固有の理由によってゲームオーバーとなってしまう。なお、プレイステーション版では戦闘前後の画面切り替え時のみカウントがストップする。&lt;br /&gt;
:ちなみにこのカウントダウンに関連したバグを利用した、ラスボスを瞬殺する裏技がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ジョブ一覧 ==&lt;br /&gt;
以下にジョブ名および簡単な解説を示す。太字はアビリティ名、「」はジョブコマンド、＜＞はジョブ特性である。同一ジョブでも各キャラクターごとにビジュアル的な違いが多々あり、キャラクターの個性を感じさせるものとなっている。英語表記で2つある場合は、2番目がSFC時点でのそれである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===初期状態===&lt;br /&gt;
;すっぴん (Freelancer / Suppin) 装備可能：すべて&lt;br /&gt;
:どのジョブの効果も受けない、基本的な状態。素の状態では通常攻撃とアイテムの使用しか出来ないが、＜全ての武器、防具、アクセサリを装備可能＞(ただしこのジョブ特性はものまねしには引き継がれず、アビリティとしての修得も出来ない)。アビリティは2つつけることが可能。また、一部を除いて既にマスターになっているジョブの特性とステータスの補正値を引き継ぐ。&lt;br /&gt;
:なお、このジョブには固有のアビリティは無くジョブレベルも存在しないが、他のすべてのジョブをマスター（そのジョブで習得できるすべてのアビリティを習得した状態）にすると、このジョブをマスターしたことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===風のクリスタル===&lt;br /&gt;
;[[ナイト]] (Knight) 装備可能：短剣・剣・騎士剣・盾&lt;br /&gt;
:戦士系の基本ジョブ。[[剣術]]のエキスパートで、瀕死の仲間をかばう事や（'''＜かばう＞'''）、物理攻撃を完全に防御する事（'''「まもり」'''）が可能。[[盾]]を持たない代わりに攻撃力を2倍にする'''りょうてもち'''や、装備できる[[防具]]が増えるアビリティも習得できる。&lt;br /&gt;
:アビリティ'''けんそうび'''は、剣・[[騎士]][[剣]]を他のジョブにも装備させる事が可能。&lt;br /&gt;
:グラフィック上は全員が[[鎧]]と鉢金を纏った姿になる（鎧の色はバッツとガラフが[[赤]]、レナとファリスが[[青]]、クルルが[[ピンク]]）。&lt;br /&gt;
;モンク (Monk) 装備可能：なし&lt;br /&gt;
:戦士系ジョブに属するが、防具は戦闘服、戦闘帽に制限されるため防御力は鎧兜の戦士には劣る（以後、このタイプのジョブを&amp;quot;軽戦士系&amp;quot;と呼ぶ）。ただし、全ジョブ中でHP、力、体力に最大の補正がかかる。&lt;br /&gt;
:武器を装備することは出来ないが、素手での攻撃力が上がる'''＜かくとう＞'''や、敵から物理攻撃を受けると確率発動で即座に反撃する'''＜[[カウンター]]＞'''、1ターン待機することで攻撃力を上げる'''ためる'''、HPと一部のステータス異常を回復する'''チャクラ'''、HP最大値を増やすアビリティなどを習得できる。&lt;br /&gt;
:素手での攻撃は両手ということで2回攻撃であり（そのためアビリティをつけて盾を装備すると攻撃は1回）、クリティカルヒットを確率発動する（発動判定は1回ごと）。&lt;br /&gt;
:ジョブコマンド'''「けり」'''は素手1回の威力で全体攻撃をする（後列の敵には威力半減）。しかしアビリティとして修得できない為、他のジョブでは使う事ができない。&lt;br /&gt;
:グラフィック上では[[中国]]風の衣装になる（レナに至っては[[チャイナドレス]]）。&lt;br /&gt;
;[[シーフ]] (Thief) 装備可能：短剣・特殊武器&lt;br /&gt;
:軽戦士系ジョブ。全ジョブ中で最高の素早さを誇るが打たれ弱く、攻撃手段に乏しい。その分探索や戦闘回避に特化したアビリティを持つ。&lt;br /&gt;
:敵からアイテムを'''「ぬすむ」'''（あるいは'''ぶんどる'''）ことができ、盗むことでしか入手できないアイテムも存在する。また、隠し通路が見えるようになる（'''＜かくしつうろ＞'''）、'''＜ダッシュ＞'''ができる（あるいはダッシュの速度がさらに上昇する）、戦闘突入時のバックアタックや不意打ちを防止する'''＜けいかい＞'''、と3つもの移動補助系ジョブ特性を持つ。&lt;br /&gt;
:上記のコマンドアビリティ、ジョブ特性や、戦闘離脱用アビリティ'''とんずら'''を習得できる。最終的にはすばやさをシーフ並みに引き上げる'''ちょこまかうごく'''を習得可能。&lt;br /&gt;
:グラフィックでは全員がバンダナを頭につけているが、それぞれ柄や結び方が異なる。&lt;br /&gt;
;[[白魔道士]] (White Mage / Priest) 装備可能：杖&lt;br /&gt;
:魔道士系ジョブ。'''「白魔法」'''を使用できる。&lt;br /&gt;
:習得するアビリティは基本的に各レベルの白魔法を使用可能とするもの（'''しろまほうLV○'''←○にはレベル数が入る）だが、最後にはMP最大値を増やすアビリティを習得する。&lt;br /&gt;
:装備できる武器が杖しかないため、打撃力の点で特に他のジョブに比べると劣っている。&amp;lt;!--ただしとある杖、ダンジョンの組み合わせでは特大の威力を振るう。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
:FFシリーズ御馴染みの白い[[ローブ]]姿で、女性キャラクターは[[フード]]を被っている。クルルの場合は[[猫耳]]フード（『III』の導士のスタイル）。&lt;br /&gt;
;[[黒魔道士]] (Black Mage / Wizard) 装備可能：短剣・ロッド&lt;br /&gt;
:魔道士系ジョブ。魔力が高く、'''「黒魔法」'''を使用できる。&lt;br /&gt;
:各レベルの黒魔法を使用可能とするアビリティ（'''くろまほうLV○'''）とMP最大値を増やすアビリティを習得するという点では白魔道士とほぼ同様。ただし、MPアップのアビリティはこちらのほうが上昇率が高い。&lt;br /&gt;
:容姿はFFシリーズにおける[[黒魔道士]]の基本形（青や紫など暗い色のローブや[[マント]]を身に着けて三角帽子を深く被り、顔は暗くて見えない）を踏襲したものである。&lt;br /&gt;
;青魔道士 (Blue Mage) 装備可能：短剣・剣・ロッド・盾&lt;br /&gt;
:魔道士系ジョブだが、一部の剣や盾、軽戦士が使える防具も装備可能。敵から一部の特殊攻撃を受ける事で、それを習得（'''＜ラーニング＞'''）し、'''「青魔法」'''として使うことができる。&lt;br /&gt;
:また、白魔法&amp;quot;ライブラ&amp;quot;と類似の効果を持つアビリティ、'''しらべる'''と'''みやぶる'''が習得可能（後者の方がより多くの情報を確認可能）。&lt;br /&gt;
:その名の通り、青いマントと[[仮面]]を身に付けた姿となる。女性キャラクターはベレー帽を被る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===水のクリスタル===&lt;br /&gt;
;[[バーサーカー]] (Berserker) 装備可能：短剣・斧・盾&lt;br /&gt;
:戦士系ジョブ。プレイヤーの操作を受け付けず（白魔法&amp;quot;バーサク&amp;quot;の状態）、常に強力な通常攻撃を繰り返す狂戦士。ジョブコマンドは（見た目上）ないが、アビリティは1つしか身に付けられない。なお、バーサーカーの自動バーサクは公式ガイドブックではジョブ特性とされているが、実際のシステム上は'''「（空欄）」'''のジョブコマンド扱いとなっている。効果もアビリティの'''バーサク'''とは違い、アビリティのものはそのキャラの1ターン目が回ってきた直後から発動するのに対し、バーサーカーのものは戦闘開始直後から発動する。バーサーカーをマスターしても自動バーサクはすっぴんやものまねしには引き継がれない（アビリティのバーサクを別に付けることは可能）。&lt;br /&gt;
:素早さが最も低く、コマンドアビリティも使えず、攻撃対象も指定できないため、使いこなすのは難しい。4人全員をバーサーカーにすると逃走も不可能になる。&lt;br /&gt;
:ビジュアル的には狼や虎などの毛皮をそのまま身に着けたような姿になる。クルルやレナの場合は首に[[鈴]]が付いている。&lt;br /&gt;
;魔法剣士 (Mystic Knight / Enchanter) 装備可能：短剣・剣・盾&lt;br /&gt;
:戦士系ジョブ。'''「魔法剣」'''での属性や追加効果を持った直接攻撃が可能。瀕死状態になると、自動的に'''＜まほうバリア＞'''（白魔法&amp;quot;シェル&amp;quot;に相当）を使用して魔法防御力が上がる。他の戦士系ジョブに比べて力やHPは少し低いが、素早さが高く、すっぴんと比較した場合に全てのステータスが上方修正される数少ないジョブでもある。&lt;br /&gt;
:グラフィックは男性キャラは[[ターバン]]を巻いた[[インド]]風、女性キャラは[[ヴェール]]をまとった[[アラブ]]の踊り子を思わせるものとなっている。&lt;br /&gt;
;時魔道士 (Time Mage / Time Sorcerer) 装備可能：短剣・ロッド・杖&lt;br /&gt;
:魔道士系ジョブ。'''[[時空]]魔法'''を使用できる（画面上では'''「じくう」'''と表示される）。また、他のジョブに[[ロッド]]を装備させるアビリティも習得可能である。&lt;br /&gt;
:グラフィックは青系やオレンジのローブとマント、とんがり帽子で装ったピエロ風姿となる。&lt;br /&gt;
;[[召喚士]] (Summoner) 装備可能：短剣・ロッド&lt;br /&gt;
:魔道士系ジョブ。'''「しょうかん」'''が使用可能。アビリティによって、MPを使わずにランダムで1体を'''よびだす'''事も可能。SFC版とPS版では全ジョブ中で魔力とMPに最大の補正がかかる。&lt;br /&gt;
:グラフィックは頭に[[ユニコーン]]のような角を生やし、緑のローブをまとった姿となる。&lt;br /&gt;
;[[赤魔道士]] (Red Mage / Red Wizard) 装備可能：短剣・剣・ロッド・杖&lt;br /&gt;
:魔道士系ジョブだが、一部の剣や盾、軽戦士が使える防具も装備可能。レベル3までの白および黒魔法が使える（'''「白黒魔」'''）。&lt;br /&gt;
:高位の魔法が使えないため後半戦では力不足だが、最終的には魔法を連続して使用するアビリティ'''れんぞくま'''を習得する。&lt;br /&gt;
:グラフィック上はその名の通り、全員赤いマントと羽根つきのカウボーイハットを被る。&lt;br /&gt;
;ものまね師 (Mime / Mimic) 装備可能：短剣・杖・ロッド・特殊武器・盾&lt;br /&gt;
:特殊系ジョブ。踊り子専用防具以外の全ての防具を装備可能。前のキャラの行動をコストなしで繰り返す'''「ものまね」'''の他に3つのコマンドやアビリティを付けることが可能（ただし、他のジョブでは最初から付いている&amp;quot;たたかう&amp;quot;と&amp;quot;アイテム&amp;quot;も、使いたいなら付ける必要がある）。ステータスとジョブ特性は既にマスターしたジョブを引き継ぐ。&lt;br /&gt;
:隠しジョブであり、入手可能になる時期も上記の各ジョブとは大きく異なる。&lt;br /&gt;
:グラフィック上はすっぴんのそれにマントと肩当てを付け加えたような状態になる。また、入手時期の関係上ガラフのグラフィックはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===火のクリスタル===&lt;br /&gt;
;[[忍者]] (Ninja) 装備可能：短剣・忍者刀・特殊武器&lt;br /&gt;
:軽戦士系ジョブ。ジョブ特性は、両手に別々の武器を装備することができる'''＜にとうりゅう＞'''と、先制攻撃の確率が上昇する'''＜せんせいこうげき＞'''。武器や専用の巻物を'''「なげる」'''攻撃が可能な他、戦闘離脱用のアビリティ'''けむりだま'''と、白魔法&amp;quot;ブリンク&amp;quot;と同様の効果を持つ'''ぶんしん'''を習得できる。&lt;br /&gt;
:ちなみにこのジョブの時、レナの髪型は[[ポニーテール]]になる。&lt;br /&gt;
;魔獣使い (Beastmaster / Monster Trainer) 装備可能：短剣・鞭&lt;br /&gt;
:特殊系ジョブ。モンスターの力を利用したアビリティを得意とする。敵を自分の意のままに操ること（'''あやつる'''）や、弱った敵を捕獲して利用する（'''「とらえる」'''と'''「はなつ」'''）などが可能。&lt;br /&gt;
:このジョブのアビリティ'''あやつる'''は、青魔法を覚えるための手段の1つとして重宝する。&lt;br /&gt;
:ビジュアル的には羊の[[毛皮]]を身に着けたような感じになる。&lt;br /&gt;
;風水士 (Geomancer / Elemental User) 装備可能：短剣・ベル&lt;br /&gt;
:魔道士系ジョブ。戦闘時の[[地形]]に応じた特殊攻撃'''「ちけい」'''を使い、MP消費なしで強力な攻撃が可能。ただし、どのような効果が出るかをプレイヤー自ら指定することはできない。&lt;br /&gt;
:落とし穴を発見したり（'''＜おとしあなかいひ＞'''）、歩くとダメージを受ける床でのダメージ回避（'''＜ダメージゆか＞'''）などのジョブ特性を持つ。&lt;br /&gt;
:見た目は全員[[パジャマ]]を着ているような姿になる。ちなみにナイトキャップも被っている。いわゆる[[風水]]の要素は外見からは窺えない。&lt;br /&gt;
:なお、風水士と魔法剣士のみがすっぴんと比較した場合に全てのステータスが上昇するジョブであるが、こちらは魔法剣士と比較して魔力やMPの上昇率が高い。&lt;br /&gt;
;[[吟遊詩人]] (Bard) 装備可能：短剣・竪琴&lt;br /&gt;
:魔道士系ジョブ。歌を'''「うたう」'''ことができる。また、'''かくれる'''ことで敵の攻撃を回避できる。上記の3ジョブとは入手時期が異なる。&lt;br /&gt;
;[[狩人]] (Ranger / Archer) 装備可能：短剣・弓矢&lt;br /&gt;
:軽戦士系ジョブ。弓矢を使うことにより後列からでも前列と同等のダメージを与えられる。ジョブコマンドの'''「ねらう」'''で攻撃の命中率をほぼ100%に高めることが可能。また、アビリティ'''どうぶつ'''により、[[森]]の[[動物]]を呼び寄せる事も出来る。アビリティ'''ゆみやそうび'''は弓矢を装備できるだけでなく、狩人の高い力と素早さも身につく。&lt;br /&gt;
:マスターまで育てることで標的はランダム、回避率と防御力無視の4回連続攻撃（ただし、1回当りの攻撃力は通常の1/2となる）を放つ'''みだれうち'''を習得する。この技能を'''にとうりゅう'''、又は'''かくとう'''と併用すると8回攻撃が可能となる。吟遊詩人と同時期に使用可能となる。&lt;br /&gt;
:力も素早さも高く、弓矢の特性も相俟って非常に使い勝手のいい物理攻撃ジョブである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===土のクリスタル===&lt;br /&gt;
;[[侍]] (Samurai) 装備可能：短剣・刀・盾&lt;br /&gt;
:戦士系ジョブ。刀による攻撃はクリティカルヒットを繰り出し（画面エフェクトもより派手なものとなる）、敵の物理攻撃を'''＜しらはどり＞'''で回避できる。この攻守の確率発動ボーナスが侍の特徴である。&lt;br /&gt;
:所持しているギルを投げて敵全体にダメージを与える'''「ぜになげ」'''を使うことができる。「ぜになげ」は威力が使用者のレベルと敵の防御力のみに依存し、レベルさえ高ければほとんどの敵に大ダメージを与えられる。他にはランダムで敵を即死させる'''いあいぬき'''を習得できる。&lt;br /&gt;
:このジョブの時は、全員[[日本]]の鎧[[兜]]をまとった姿になる（より正確を期すなら、レナだけは兜ではなく鉢金）。ちなみに兜の鍬形は全員三日月形で、[[伊達政宗]]のそれをモチーフにしていると思われる。&lt;br /&gt;
;竜騎士 (Dragoon / Dragon Knight) 装備可能：短剣・槍・盾&lt;br /&gt;
:戦士系ジョブ。'''「ジャンプ」'''攻撃により敵の攻撃を回避しつつ攻撃できる。ただし実際に攻撃するまでの空中にいる間は完全に戦闘から離脱し&amp;lt;!--戦闘不能のメンバーを除いた全員がジャンプすると、逃走扱いになる--&amp;gt;、その分残りのメンバーに敵の攻撃が集中してしまう、といった難点も持つ。ちなみにSFC版ではゾンビ化した状態で「ジャンプ」を使用するとフリーズするというバグがある。&lt;br /&gt;
:敵のHP、MPを吸収する特殊攻撃'''りゅうけん'''を習得する。これは魔道士系ジョブに付けると極めて効果的なアビリティであるが、黒魔法ドレインやアスピルと同様の欠点を持つ。&lt;br /&gt;
:グラフィック上はシリーズ伝統の竜をイメージした鎧兜を着用した状態となる。ただしキャラクターごとに配色が異なり（バッツとレナが青、ガラフとクルルが紫、ファリスが赤）、レナとクルルは兜を被っていない（レナはヘッドギア、クルルは髪留め）。&lt;br /&gt;
;[[薬師]] (Chemist) 装備可能：短剣・杖&lt;br /&gt;
:特殊系ジョブ。薬師が戦闘中に回復薬を用いると、効果が通常の2倍になる（'''＜くすりのちしき＞'''）。戦闘中に手持ちの薬品アイテム2つを'''調合'''し、独自の攻撃・補助・回復薬品を作り出すことも可能。また、薬を'''「のむ」'''ことで能力を上昇させる事ができる。&lt;br /&gt;
:SFC版では、このジョブでラストボスを倒してエンディングを迎えるとフリーズするというバグが存在する。&lt;br /&gt;
;[[踊り子]] (Dancer) 装備可能：短剣・踊り子専用装備&lt;br /&gt;
:特殊系ジョブ。'''「おどる」'''ことで特殊な効果を発揮するほか、ステータス変化を防ぐ&amp;quot;リボン&amp;quot;などの専用装備が用意されている。但し、どの踊りを踊るかを決めることは出来ず、ランダムで発動する（ただし装備によりある踊りの発生確率を上げることはできる）。また、'''いろめ'''を使うことで敵の動きを止められる。&lt;br /&gt;
:グラフィック上ではダンサーの衣装を身に纏う。他のジョブでは男性的な格好が多いファリスも、このジョブでは女性的な格好をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===GBA版の追加ジョブ===&lt;br /&gt;
これらは入手時期が既存のジョブとは異なるため、ガラフのグラフィックは存在しない。&lt;br /&gt;
;剣闘士 (Gladiator) 装備可能：短剣・剣・騎士剣・槍・斧・弓矢・盾&lt;br /&gt;
:戦士系ジョブ。前列後列関係なくダメージを与える'''こうれつぎり'''、敵全体を攻撃できる'''ぜんぎり'''、エンカウント率をあげる'''てきよせ'''などを覚える。&lt;br /&gt;
:グラフィック上は鎧と仮面を身につけている。鎧のデザインはナイトなどのそれとは異なり、ローマ帝国時代のそれをモチーフにしていると思われる。&lt;br /&gt;
;砲撃士 (Cannoneer) 装備可能：短剣・剣・盾&lt;br /&gt;
:特殊系ジョブ。砲弾をあつかうことができ、大砲で敵を攻撃する'''ほうげき'''や、'''ごうせい'''で砲弾と特定のアイテムと組み合わせて様々な種類の攻撃を行うことが出来る。&lt;br /&gt;
:グラフィック上は海賊の船長のような姿をとる。（但し、ファリスのみ帽子を被っていない。）&lt;br /&gt;
;予言士 (Oracle) 装備可能：杖&lt;br /&gt;
:魔道士系ジョブ。天変地異を'''「よげん」'''することや、敵に対してステータス異常を'''せんこく'''することができる。GBA版ではMPと魔力の補正が全ジョブ中で最高。&lt;br /&gt;
:グラフィック上では、全員が大きな宝石の付いた頭飾りを身につけているのが特徴。&lt;br /&gt;
;ネクロマンサー (Necromancer) 装備可能：短剣・ロッド&lt;br /&gt;
:魔道士系ジョブ。'''「あんこく」'''を利用して暗黒魔法を使うことが出来る（FF4に登場した同名のアビリティ&amp;quot;あんこく&amp;quot;とは別物である）他'''めいやく'''によってアンデッドモンスターを召喚する事も可能。&lt;br /&gt;
:常に[[アンデッド]]の状態で、回復魔法をかけると逆にダメージになるが、黒魔法&amp;quot;デス&amp;quot;で全回復できる。このジョブ特性'''＜アンデッド＞'''はすっぴんやものまねしには引き継がれない（付けることは可能）。手に入れるには上記3種のジョブとは違う条件を必要とする。&lt;br /&gt;
:黒装束やドクロに身を包み、禍々しさを押し出したビジュアルとなっている。&lt;br /&gt;
レナのネクロマンサー時のイラストは、かなり露出度が高い。&lt;br /&gt;
{{ネタバレ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 登場人物 ==&lt;br /&gt;
=== 光の戦士 ===&lt;br /&gt;
プレイヤーキャラクター。バッツ、レナ、ファリスはストーリー序盤からのメンバーで、クルルはストーリー後半からプレイヤーキャラクターになる。男女構成が1対3だが、作中の恋愛要素はほぼ皆無である。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--ゲーム内で用いられない'第n世界'表現には気を使うべきだと思う。もし使うなら事前説明を。しかも世界の名称とシナリオ進行度合いを混同するのは良くない--&amp;gt;&lt;br /&gt;
;バッツ・クラウザー (Butz Klauser)&lt;br /&gt;
:176cm 58kg&lt;br /&gt;
:[[主人公]]。父・ドルガンの遺言に従い、[[チョコボ]]に乗って世界を回る青年。年齢20歳。リックスの村出身であるが、父は別の世界の人間である。明るい性格と正義感の強さ、父譲りの剣の腕前を持つが、少年時代の経験により[[高所恐怖症]]という一面もある。ただし「バリアの塔」では「仲間を抱えて塔の最上階から飛び降り、飛竜の背に飛び乗る」という高所恐怖症とは思えない行動を見せている。&lt;br /&gt;
:なお、主人公の名前はゲーム開始時に1度だけ、プレイヤーが自由に付ける事ができる。スーパーファミコン版ではゲーム内のデフォルト名が空欄となっており、説明書でも一貫して「'''スクウェア'''」という名前になっていたため、「バッツ」という名前はパッケージ裏の画面写真から分かるのみで、後に出版された攻略本にて初めてフルネームが明かされた。ジョブチェンジ時の衣装はオーソドックスでシリーズを通してのイメージに近いものが多い。&lt;br /&gt;
:北米版では名前の綴りが&amp;quot;Bartz&amp;quot;となっている。&lt;br /&gt;
;レナ・シャルロット・タイクーン (Lenna Charlotte Tycoon)&lt;br /&gt;
:161cm 45kg&lt;br /&gt;
:タイクーン第二王女。年齢19歳。タイクーン城出身。父を追って城を飛び出し、その際にバッツ達に出会う。弱者に対する労わりを忘れない心優しい性格で、飛竜を友とする。ストーリー中で飛竜を気遣うあまり毒草に足を踏み入れたり、人体に有害な飛竜草を自ら口にしたりと献身的な面も見せる。だがその裏には病の床に伏した母を救えなかったことに対する後悔の念がある。また、魔物に憑かれたり毒矢を受けたり魔物にファリス諸共攫われたりと、災難に遭う回数が多い。&lt;br /&gt;
;ファリス・シェルヴィッツ / サリサ・シュヴィール・タイクーン (Faris Scherwiz / Sarisa Scherwil Tycoon)&lt;br /&gt;
:172cm 53kg&lt;br /&gt;
:海賊集団の頭。年齢20歳。タイクーン城出身。一部ではファリス・シュヴィルツと記載される。海賊として「女だとナメられる」からと普段は男装し、子分以外には女性であることを知られていない。&lt;br /&gt;
:実は行方不明のタイクーン王国第一王女で、レナの姉である。幼少期に船から海に落ちたところを海賊に助けられ、育てられた。ファリスという名前は、自分を拾った海賊に名を尋ねられた際、幼さ故に舌が回らず「ファリファ」と言ったためについた。&lt;br /&gt;
:海竜のシルドラを友とし、子分からも慕われている。&lt;br /&gt;
;クルル・マイア・バルデシオン (Krile Mayer Baldesion)&lt;br /&gt;
:154cm 40kg&lt;br /&gt;
:ガラフの孫娘。年齢14歳。バル城出身。メインパーティ中最年少でとても純粋な心を持ち、モーグリやチョコボなどの動物と会話する事ができる。&lt;br /&gt;
:両親はクルルが生まれてすぐに飛竜を捜しにグロシアーナ砂漠に入り行方不明になった。他のパーティメンバーを兄もしくは姉のように見ている節がある。&lt;br /&gt;
:前半のシナリオの山場で登場し（厳密には、序盤に彼女の幻影は登場している）、しばらくは戦闘に参加しないが、祖父ガラフの死の後、彼の力を引き継ぐパーティキャラクターとして使用可能になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 暁の四戦士 ===&lt;br /&gt;
30年前に封印が解けたエクスデスと戦い、異世界へ行ったエクスデスを追ってバッツ達の世界にエクスデスを封印した。ガラフのみパーティメンバーとして操作可能である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;ガラフ・ハルム・バルデシオン (Galuf Halm Baldesion)&lt;br /&gt;
:168cm 64kg&lt;br /&gt;
:序盤は記憶喪失の老人でその正体は分からないが、ストーリーの進行に合わせて次第に記憶が戻り、ロンカ遺跡内部でバッツ達とは別の世界の住人であること、さらに、バル城ではバル城の城主である事が判明する。ただし、王と呼ばれるのは余り性に合わないとのことである。年齢60歳。ムーアの大森林の長老の木の内部で、絶体絶命となった主人公達を守るために満身創痍ながらクリスタルの力を借りて単身エクスデスに挑み、相打ちとなり命を落とす（一度もガラフのHPが0にならずに倒すこともできるが、結局は相打ちと同じストーリーになり死んでしまう）。その際、自分の力を孫であるクルルに授ける。&lt;br /&gt;
:記憶を失っていた時は「ガラフ・ドゥ」（Galuf Doe、名無しのガラフ）と名乗る。&lt;br /&gt;
;ドルガン・クラウザー (Dorgann Klauser)&lt;br /&gt;
:170cm 59kg&lt;br /&gt;
:3年前に病気で亡くなった、バッツの父。ルゴルの村出身だが、かつてエクスデスを封印した際に、そもそもエクスデスを異世界に封印する事自体に反対していた彼は、封印の見張り役として別の世界に残った。&lt;br /&gt;
:そして後にその別世界でステラと結婚し、バッツが生まれる。&lt;br /&gt;
:享年51歳。&lt;br /&gt;
;ゼザ・マティアス・サーゲイト (Zezae Matias Surgate)&lt;br /&gt;
:177cm 69kg&lt;br /&gt;
:サーゲイト城城主。冷静沈着な性格から「氷のゼザ」の異名を持つ。ただし、王と呼ばれるのはどうも性に合わないと語り、バッツたちとの初対面時は｢剣士ゼザ｣と名乗った。バリアの塔で動力装置をダウンさせ、バッツ達にアンテナを破壊させるが、その際行き場を失った余剰エネルギーの爆発に巻き込まれ命を落とす（実は本人はこうなることを最初からわかっており、そのために自らが犠牲になった）。&lt;br /&gt;
:船団を有するだけでなく、海中を自由に移動できる潜水艇を所有している。年齢58歳。&lt;br /&gt;
:北米版では名前の綴りが&amp;quot;Xezat&amp;quot;となっている。&lt;br /&gt;
;ケルガー・ヴロンデット (Kelger Vlondett)&lt;br /&gt;
:174cm 52kg&lt;br /&gt;
:ウェアウルフの村・ケルブの村長。バッツ一行が到着した時には既に病弱であったが、バッツ達との初対面では、彼らがクリスタルを砕いてエクスデスを復活させたと誤解し、バッツに1対1の勝負を挑んでいる。後に自分の命と引き換えにエクスデス城の幻を打ち破り、死亡。尚、暁の四戦士の中では一番最後に死去した。&lt;br /&gt;
:残像による分身を使ったルパインアタックはドルガン以外には破られたことがない（が、上記の勝負の際にバッツにも破られた）。年齢63歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他（登場人物） ===&lt;br /&gt;
;タイクーン王【アレクサンダー・ハイウィンド・タイクーン】 (Alexander Highwind Tycoon)&lt;br /&gt;
:レナ、ファリス（サリサ）の父親。風の異変に気づき風の神殿へと向かうが、クリスタルの力が弱まったことで封印が解け掛けていたエクスデスに操られ、行方不明となる。以降、土のクリスタルを砕くため暗躍する。土のクリスタルが砕けた後、エクスデスの魔力によって狂わされたクリスタルのかけらを取り戻すも、それが元で命を落とす。死に際に二人の娘と未来をバッツに託した。後に魂として登場、一人で無（さほど大きくは無いが）を消し去るほどの力を持っている。&lt;br /&gt;
;[[シド (ファイナルファンタジー)|シド・プリヴィア]] (Cid Previa)&lt;br /&gt;
:170cm 60kg &lt;br /&gt;
:カルナックの技術発展に貢献した学者。クリスタルの力を増幅する装置も彼の発明したものである。しかしクリスタルの力の限界を悟り諫言した事から女王の怒りを買う。クリスタルが砕け散る原因を作った上、それを阻止できなかった事で完全に打ちひしがれてしまうが、バッツ達と孫のミドの励ましによって元気を取り戻す。その後は火力船、飛空艇の整備、改造を一手に引き受けバッツ達の旅を助けている。&lt;br /&gt;
:スーパーファミコン版の一部の攻略本では「'''シド・プレビア'''」という表記も見られる。&lt;br /&gt;
;ミド・プリヴィア (Mid Previa) &lt;br /&gt;
:シドの孫。外で遊ぶことより本を読むことが好きな少年。母は家を出て行き、父は事故で亡くなったためシドが唯一の肉親。シドを「おじいちゃん」と慕う一方、師として尊敬もしている。その研究熱心さはシド譲りで、集中して本を読んでいると後ろで戦闘が起きていても気付かないほど。シドとともに火力船、飛空艇の整備、潜水艦への改造を引き受ける。&lt;br /&gt;
;賢者ギード&lt;br /&gt;
:齢700歳の亀。500年前に生まれたエクスデスを一度封印している。見た目とは裏腹に、エクスデスと互角に戦う程の実力を持つ。&lt;br /&gt;
;[[エクスデス]] (Exdeath)&lt;br /&gt;
:封印されていた暗黒魔道士。ムーアの大森林に生える一本の樹に、邪悪な意思が集まり人の形を取るようになったもの。かつて存在した'''無の力'''を求めて暗躍する。植物の生命力を持ち、限りなく不死に近い。元が樹齢1000年以上の樹だったため、'''次元の狭間'''や'''無の力'''についての知識がある。本作の[[ラストボス]]（エクスデス城でも一度戦う）。次元の狭間では本来の木の姿と対峙する事になる。&amp;lt;!--また、ネオ化した際の「'''うちゅうの ほうそくが　みだれる！'''」は、その妙なスケールの大きさからか、ネット上などでそこそこ愛用されてるようである。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
:なお、エクスデスという名前は「死を超越するもの」という意匠を持つ。&lt;br /&gt;
;[[ギルガメッシュ (ファイナルファンタジー)|ギルガメッシュ]] (Gilgamesh)&lt;br /&gt;
:エクスデス親衛隊長。何度もバッツ達の前にボスとして立ちはだかり、戦いを通じてライバルと認める。人情に厚く、人間くさい台詞や振る舞いが多い。エクスカリバーの偽物であるエクスカリ'''パ'''ーで攻撃する間抜けさに失望したエクスデスにより、時空魔法デジョンで次元の狭間に送られた。後に次元の狭間の最深部で再会し、その際に感動的な最期を遂げるため、特に人気がある。&amp;lt;!--ただし、エクスデス城でエクスカリパーの入っていた宝箱を開けなかった場合は、イベントは発生しない。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
;ボコ (Boco)&lt;br /&gt;
:雄の[[チョコボ]]。バッツが一人で旅していた時に乗っていた、バッツのよき友。しかし海賊船を入手した後、足を負傷しベッド生活になってしまう。終盤では怪我も治り、再び乗れるようになる。&lt;br /&gt;
;ココ (Coco)&lt;br /&gt;
:雌のチョコボ。乗ることはできないが、ボコとつがいになる。また、エンディングではボコとの間に子供が生まれている。&lt;br /&gt;
;シルドラ (Syldra)&lt;br /&gt;
:ファリスの親友である海竜。体長は30メートルを超える。以前は近くの海域を荒らす暴れん坊だったが、ファリスと出会い親友になり、海賊船を牽引して活躍するようになった。トルナ運河の魔物に捕らえられて一時行方不明になるが、沈むウォルスの塔にバッツたちが巻き込まれる寸前に現れ、バッツたちを助けて力尽きる。その魂は後に[[ファイナルファンタジーシリーズの召喚獣|召喚獣]]となり、バッツたちの力となる。&lt;br /&gt;
;タイクーン城の飛竜&lt;br /&gt;
:バッツ達の世界で唯一の飛竜。オープニングでタイクーン王を乗せた後、王ともども行方不明になるが、北の山で怪我しているところをバッツ達に発見される。終盤で重傷を負い力尽きるが、召喚獣フェニックスとして復活する。&lt;br /&gt;
;バル城の飛竜&lt;br /&gt;
:ガラフ達の世界で唯一の飛竜。飛竜を回復させる飛竜草が魔物化したために絶滅の危機に瀕している。終盤でも乗用可能。&lt;br /&gt;
;黒チョコボ&lt;br /&gt;
:空を飛ぶチョコボ。黒チョコボという名だが、見た目は紫色をしている。森に完全に適応したチョコボなので、一度飛び立つと森にしか降りる事が出来ない。飛竜では越えられない低めの山を越える事が出来る。黒チョコボでしか行けない場所も存在する。&lt;br /&gt;
;ツース&lt;br /&gt;
:ウェアウルフ。ウェアウルフの村・ケルブ出身。火のクリスタルを守るため隕石に乗ってバッツ達の世界にやって来たが、守りきれず、クリスタルが砕ける際の炎に巻き込まれ死んでしまう。この時にバッツ達に対して他のクリスタルを守るように言い残している。彼の正体は登場した時点ではわからないが、ケルブ村で彼の兄から名前を聞く事が出来る。&lt;br /&gt;
;ステラ (Stellar)&lt;br /&gt;
:バッツの母親。バッツが3歳の時に他界し、その後バッツはドルガンと共に世界中を旅することになる。&lt;br /&gt;
;ジェニカ &lt;br /&gt;
:タイクーン城に勤める女性。彼女の会話にてレナの姉（サリサ）の存在が明かされる。 &lt;br /&gt;
;ゾック&lt;br /&gt;
:トゥールの村に住む男性でレナの知人。トルナ運河を通行するのに必要な鍵を所有している。&lt;br /&gt;
;エヌオー (Enuo)&lt;br /&gt;
:1000年前の暗黒魔道士。不死身であり、多くの魔物を率いて、封印城クーザーの十二の武器を持つ勇者達と戦った。不死身を失うことを代償に'''無の力'''を呼び起こして手にしたが、最期は'''無の力'''に飲み込まれて消滅したと伝えられる。エヌオー消滅後も'''無の力'''は消えず世界を飲み込み続けたため、勇者達は4つのクリスタルをそれぞれ2つに割って世界を2つに分け、その狭間（後の次元の狭間）に'''無の力'''とエヌオー配下の魔物達を封じた。SFC・PS版では名前でしか登場しないが、GBA版にて[[野村哲也]]によって新たに描き下ろされたデザインで、エクストラダンジョンのボスキャラとして登場する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
=== ラストボス ===&lt;br /&gt;
;エクスデス&lt;br /&gt;
:'''無の力'''を手にしたエクスデスが本来の樹としての姿をあらわしたもの。暁の四戦士とタイクーン王の霊が'''無の力'''を押さえ込んで最終決戦を挑むことになる。&lt;br /&gt;
;ネオエクスデス&lt;br /&gt;
:決戦の最中に、エクスデスが'''無の力'''に飲み込まれて、自分を含む世界や次元など全てを永遠の無にしようとする存在になったもの。多数のモンスターをそのままくっつけたような外見で、4つのパーツに分かれており、それぞれが特殊な攻撃を使う。ラスボス固有の攻撃はプレイヤー全体をランダムな状態異常にする「グランドクロス」とパーティメンバー全員にHPダメージ+スリップの「アルマゲスト」。本来のパーツのほかに2つのダミーパーツも存在し、これを攻撃しても空振りするだけでダメージは与えられない。各パーツには何らかの弱点が存在し、即死や石化すら効いてしまうパーツもある。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 強敵 ==&lt;br /&gt;
本作では初めて、ストーリーには全く関与しない、プレイヤーにとっての腕試しが目的のモンスターが設定された。特に、以下に挙げるモンスターのうち'''オメガ'''と'''神竜'''は次元のはざまの特定の場所に存在していて、戦闘を回避できるかわりにラストボスを越える高い戦闘能力を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; ギルガメ&lt;br /&gt;
:ガラフ達の世界で、バル城近くにある洞窟にいる亀のモンスター。この洞窟には、一歩進むごとに10ギル、20ギル、40ギル……と拾うごとに獲得金が指数関数的に増加していく場所があるが、そこに出現する。その区域ではランダム[[エンカウント]]となり、一回倒しても奥へ進もうとすると何度でも出現する。実はアンデッドである。爬虫類であるが故か氷属性が唯一の弱点である（その他の属性は全て吸収されてしまう）。&lt;br /&gt;
:ギルガメッシュの略称と勘違いするプレイヤーもいるが、別物である。FF世界における通貨単位である&amp;quot;ギル&amp;quot;と、[[ゼニガメ|銭亀]]を引っ掛けたもの。第2世界ではエクスデス以上の強さをもち、なおかつ何度でも出現するが第3世界では出てこない。&lt;br /&gt;
:GBA版のEXダンジョンにも同じモンスターがおり、倒すとグランドヘルムを落とす。&lt;br /&gt;
; オメガ&lt;br /&gt;
:1000年前、天から現われた謎の機械兵器。姿はプロトタイプやマシンヘッドと全く同じだが、戦闘能力は桁違いである。当時の勇者達でも敵わず次元の狭間に閉じ込めて封印した。現在は次元の狭間を彷徨っている。GBA版には本編クリアー後に入れるEXダンジョンのあるフロアで6体ほども徘徊している。戦闘に入ると逃げられないが、姿が見えているので避ける事は可能である。倒すと「オメガの勲章」が手に入る（アイテムとしての効力はない）。&lt;br /&gt;
:異常なまでの防御力・素早さを誇り、多彩な全体攻撃やカウンターが非常にやっかいな難敵である。唯一の弱点である雷属性を突いた魔法剣サンダガの乱れうち・吟遊詩人の「愛の歌」などが有効な対策として知られている。&lt;br /&gt;
:余談だが、同じ旧スクウェアのゲームである[[ライブ・ア・ライブ]]には、このモンスターをモデルにしたとされる「岩間さま」というボスがいる。&lt;br /&gt;
; 神竜&lt;br /&gt;
:1000年前、天から現われたオメガを追ってきた謎の竜。姿は水晶竜に酷似している。当時の勇者達でも敵わず次元の狭間に閉じ込めて封印した。現在は次元の狭間の宝箱の中で騎士剣「[[ラグナロク]]」を守っている。倒すとラグナロクだけでなく、「竜の紋章」（アイテムとしての効果は無い）も手に入る。戦闘中に逃げる事が可能。&lt;br /&gt;
:物理･魔法ともに圧倒的な攻撃能力と素早さを誇る。攻撃の種類は多彩だが、比較的対策が容易なものが多く、オメガと比べれば有効な攻撃手段も多い。ただし対策を施さなければ、戦闘開始直後に使うタイダルウエイブによって全滅させられる可能性が高い。&lt;br /&gt;
:余談だが、同じ旧スクウェアのゲームである[[ライブ・ア・ライブ]]には、このモンスターをモデルにしたとされる「魔神竜之介」というボスがいる。&lt;br /&gt;
; ものまねし　ゴゴ&amp;lt;!--ゲーム中では肩書きと名前の間にスペースがあるのでそれに準じます--&amp;gt;&lt;br /&gt;
:第3世界、海底に水没したウォルスの塔の最下部（第1世界で塔に入った時とは異なり、第3世界では上層から下層に進む形である）に居る。勝利すると水のクリスタルのかけらにより『ものまね師』のジョブが得られる。&lt;br /&gt;
:圧倒的な攻撃能力を持つが、基本的には一切手出しをせずカウンターのみで攻撃してくる。勝利するには彼のすることを真似する必要がある。正攻法でも倒せるが、あまりダメージを与えすぎると怒り出し、強力な攻撃を連発してくるため、実行するにはある程度の戦術を要する。&lt;br /&gt;
:次回作では仲間として登場する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===GBA版追加ボス===&lt;br /&gt;
; グランエイビス&lt;br /&gt;
:エイビス系の魔物。戦闘前は石化していて、イベントで石化を治す必要がある。何度でも復活するお供に回復を担当させ、自分は状態異常にする技を多用する。&lt;br /&gt;
; アルケオデーモン&lt;br /&gt;
:牢に閉じ込められていたツインタニアに似た魔物。外見からはわからないがアンデットで、こちらの打撃に反応してデスを自分に使用し、全回復すると言う行動パターンを持つ。&lt;br /&gt;
; オメガ改&lt;br /&gt;
:オメガの強化版。&lt;br /&gt;
:神竜改やエヌオーに比べると劣り、愛の歌も相変わらず通用するものの、それでもGBA版中屈指の難敵。最初の弱点は雷属性だが、バリアチェンジで弱点を変化させる。&lt;br /&gt;
; 神竜改&lt;br /&gt;
:神竜の強化版。&lt;br /&gt;
:より多彩な攻撃手段・乱れうち対策&amp;lt;!--ネオエクスデスのようにダミーパーツがある--&amp;gt;・一定間隔で無敵になる・特定の方法で倒すと瞬時に復活する&amp;lt;!--ダミーパーツが本体が戦闘不能になると即復活させると言うメカニズムによるもの。ファイナルアタックのギガフレアとメテオを発動させて倒せば復活しない--&amp;gt;など大幅に強化され、GBA版最強ボスとなっている。FFシリーズ全体を通してもかなりの強さを持つといっても過言ではない。ただし、バグを利用した比較的簡単に勝利できる方法が存在する&amp;lt;!--予言のダメージを吸収させると、HPがオーバーフローを起こして残り少なくなるという現象を利用したもの--&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; ガーディアン&lt;br /&gt;
:エヌオーのいるフロアの前にいる魔物。ソルカノンの色違いであるが、さらにパーツが細かく分かれており、それらを全て破壊しなければダメージを与えられない。&lt;br /&gt;
; エヌオー&lt;br /&gt;
:本編には登場しなかった無の魔導士。隠しダンジョンのラストに待ち受ける。一度倒しても、「無の力が増幅していく！」のメッセージと共にパワーアップする。&lt;br /&gt;
:なお、倒すとジョブ'''ネクロマンサー'''が手に入る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 世界観 ==&lt;br /&gt;
このゲームの世界は、風、水、火、土の4つの'''クリスタル'''のパワーによって構成されている。それぞれのクリスタルが、1000年前に世界を消し去ろうとした暗黒魔道士'''エヌオー'''が操る&amp;quot;'''無の力'''&amp;quot;を封じるために、2つに分けられたことにより世界も2つに分割された。この分けられた2つの世界は隕石などを使って往来することが可能。また、この世界分割により1つの街がどちらの世界にも属さない領域となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2つに分けられた世界の内、バッツが生活している世界（以下&amp;quot;第1世界&amp;quot;とする）では、クリスタルの力を増幅しそれを利用する高度な文明が発達している。しかし、クリスタルの力の増幅はクリスタルそのものに負担をかけており、力を使いすぎればクリスタルを失う事になりかねないと言う者もいる。また、ある森には4つの要石があり、クリスタルの力を受けてエクスデスを封じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、ガラフの住む世界（&amp;quot;第2世界&amp;quot;とする）では、辺境の村&amp;quot;ムーア&amp;quot;の近隣の大森林にある巨大な樹にクリスタルが納められており、その樹は&amp;quot;長老の樹&amp;quot;と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ストーリー終盤になると、両世界のクリスタルが破壊されたことで第1世界と第2世界が統合され、ひとつの世界となる（&amp;quot;第3世界&amp;quot;とする）。この第3世界は世界が2つに分割される前の姿であるため、第1世界、第2世界にあった町や村、建物がそのまま存在している。第3世界でないと入れないダンジョンなども、（岩山などで囲まれていて侵入こそできないが）第1、第2世界でその存在を確認できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 地名 ===&lt;br /&gt;
(＊)付きの地名はイベントをこなした後に消滅するなどの理由で再び入る事ができない場所、''斜字''は第3世界において入る事ができない場所。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;第1世界&lt;br /&gt;
:;''タイクーン城''&lt;br /&gt;
::タイクーン王が治める城でレナとファリス（サリサ）の故郷。&lt;br /&gt;
::第3世界になってからも入ることが可能な期間はある。&lt;br /&gt;
:;''タイクーンの隕石''&lt;br /&gt;
::バッツ（主人公）が最初に足を踏み入れる場所。突然空から降ってきた隕石。ここでレナ・ガラフと出会う。&lt;br /&gt;
:;海賊のアジト&lt;br /&gt;
::もともとは船でしか入れない場所だったが、タイクーンの隕石が落ちてきた時の地震によって洞窟ができ、海賊のアジトへ船以外でも入れるようになった。&lt;br /&gt;
:;トゥールの村&lt;br /&gt;
::大陸の西端に位置する、ストーリー上最初に訪れることになる村。初心者の館では本ゲームの基本的な操作方法などを教えてくれる。トルナ運河の門の建築者・ゾックが住む。&lt;br /&gt;
:;風の神殿&lt;br /&gt;
::タイクーンの北に位置する、[[風]]のクリスタルが安置されている神殿。&lt;br /&gt;
:;(＊)トルナ運河&lt;br /&gt;
::タイクーンとウォルスとを繋ぐ運河。しかし、いつしか魔物が多く出没するようになり、門が閉ざされてしまっている。&lt;br /&gt;
::ここの敵モンスターはなぜか女キャラしか狙わない。&lt;br /&gt;
:;''船の墓場''&lt;br /&gt;
::漂流した船が数多くたどり着く場所。多数の死亡した船員が[[アンデッド]]となり襲いかかってくる。&lt;br /&gt;
:;カーウェンの町&lt;br /&gt;
::ウォルスの北に位置する港町。風の力が弱まっているため船を出す事ができない。&lt;br /&gt;
:;北の山&lt;br /&gt;
::カーウェンの北に位置する山。飛竜草が生えている。&lt;br /&gt;
:;''ウォルスの城・町''&lt;br /&gt;
::[[水]]のクリスタルの恩恵を受ける国。城や町の内部まで水が通っている。&lt;br /&gt;
:;ウォルスの塔&lt;br /&gt;
::ウォルス城の北に位置する塔。水のクリスタルが安置されている。&lt;br /&gt;
:;''ウォルスの隕石''&lt;br /&gt;
::塔の側に落ちた隕石。隕石の内部にワープ装置があり、カルナックの隕石までワープできる。&lt;br /&gt;
:;(＊)カルナックの城・町&lt;br /&gt;
::[[火]]のクリスタルの恩恵を受ける国。城の地下には火のクリスタルが安置されている。&lt;br /&gt;
:;火力船&lt;br /&gt;
::火のクリスタルの力を動力とする船。後に、クリスタルの力無しで動くように改造される。&lt;br /&gt;
:;''古代図書館''&lt;br /&gt;
::カルナックの南に位置する図書館。蔵書量は膨大で、ありとあらゆる本が収蔵されているが、魔物が取り付いているものもある。地下はスイッチを押すと本棚が動くなどの仕掛けがある。&lt;br /&gt;
::第3世界になってからも入ることが可能な期間はある。&lt;br /&gt;
:;クレセントの町&lt;br /&gt;
::世界の南にある孤島群の中で一番大きい島・三日月島にある町。豊かな土地を持つ。&lt;br /&gt;
:;ジャコールの町&lt;br /&gt;
::世界の南西に位置する町。ジャコールの洞窟に眠る財宝を狙う冒険者で賑わう。&lt;br /&gt;
:;''リックスの村''&lt;br /&gt;
::風の神殿の北西に位置する、山に囲まれた村。バッツの故郷。&lt;br /&gt;
:;''イストリーの村''&lt;br /&gt;
::世界の北西に位置する村。近くにはイストリーの滝がある。&lt;br /&gt;
:;(＊)滅びの町（ゴーン）&lt;br /&gt;
::砂漠の南に位置する廃墟の町。&lt;br /&gt;
:;地下の遺跡（[[カタパルト]]）&lt;br /&gt;
::三日月島の地下にある施設。古代の遺産が眠る。ゴーンの地下とワープ装置で繋がっている。&lt;br /&gt;
:;(＊)ロンカ遺跡&lt;br /&gt;
::ゴーンより上空に浮上した遺跡。多数の砲台と魔物によって守られたその奥には[[土]]のクリスタルが安置されている。&lt;br /&gt;
;第2世界&lt;br /&gt;
:;''エクスデス城（下層）''&lt;br /&gt;
::エクスデスの居城。上層へはまだ入れない。&lt;br /&gt;
:;ルゴルの村&lt;br /&gt;
::世界の北に位置する辺境の村。幻と称されるルゴルの地酒が名物。ドルガンの故郷。&lt;br /&gt;
:;封印城クーザー&lt;br /&gt;
::ルゴルの南に位置する城。1000年前の戦いで使用された12の武器が封印されている。第2世界では封印を解くことができない。&lt;br /&gt;
:;''地下大河''&lt;br /&gt;
::グロシアーナ砂漠の地下に広がる茫漠たる水脈。洞窟になっているところもある。流れが速く泳ぐことは出来ない。&lt;br /&gt;
:;''グロシアーナ砂漠''&lt;br /&gt;
::世界の北東に位置する広大な砂漠。砂漠の中に網目状に森林が通っている。&lt;br /&gt;
:;''モーグリの村''&lt;br /&gt;
::グロシアーナ砂漠の先の森にある、モーグリ族の集落。&lt;br /&gt;
:;バル城&lt;br /&gt;
::世界の南西に位置する、ガラフが治める城。その歴史は古く、わかっていないことも多い。&lt;br /&gt;
:;ケルブの村&lt;br /&gt;
::バルの北に位置する、ウェアウルフ族の集落。ケルガーが治めている。ケルブ料理が名物。&lt;br /&gt;
:;飛竜の谷&lt;br /&gt;
::ケルブの北に位置する山。飛竜草が生えている。&lt;br /&gt;
:;サーゲイト城&lt;br /&gt;
::飛竜の谷の北に位置する、ゼザが治める城。&lt;br /&gt;
:;(＊)ゼザの船団&lt;br /&gt;
::エクスデス城に攻め込むためゼザが用意した船団。ゼザの乗る旗艦には秘密がある。&lt;br /&gt;
:;(＊)バリアの塔&lt;br /&gt;
::エクスデス城を包むバリアを張った4つの塔のうちの1つ。&lt;br /&gt;
:;ギードのほこら&lt;br /&gt;
::サーゲイト東の孤島にある、賢者ギードのほこら。しかし、ギードに会う前にエクスデスによって海底に沈められ、海底から訪れることになる。&lt;br /&gt;
:;ムーアの村&lt;br /&gt;
::世界の西端に位置する、山に囲まれた村。&lt;br /&gt;
:;''ムーアの大森林''（長老の樹）&lt;br /&gt;
::ムーアの村の東に広がる大きな森。森に生える樹は意思を持ち、侵入者を排除する。深奥部の長老の樹にはクリスタルが封印されている。&lt;br /&gt;
:;(＊)エクスデス城&lt;br /&gt;
::以前は行けなかった上層部へと行けるようになっている。&lt;br /&gt;
;第3世界&lt;br /&gt;
:;ピラミッド&lt;br /&gt;
::西の砂漠の中央に位置するピラミッド。封印の石版が眠る。&lt;br /&gt;
:;孤島の神殿&lt;br /&gt;
::ビッグブリッジの中央に位置する神殿。封印の石版が眠る。&lt;br /&gt;
:;(＊)フォークタワー&lt;br /&gt;
::カタパルトを塞ぐように位置する塔。2つの塔から成り、それぞれ白と黒の最強魔法が眠る。&lt;br /&gt;
:;大海溝（ゴール海溝）&lt;br /&gt;
::ウォルスの南の海底に位置する海溝。封印の石版と最強の時空魔法が眠る。&lt;br /&gt;
:;イストリーの滝&lt;br /&gt;
::世界の北西に位置する大滝。滝の裏の洞窟には封印の石版が眠る。&lt;br /&gt;
:;蜃気楼の町&lt;br /&gt;
::1000年前に世界が分裂した際、次元の狭間に飲み込まれ、存在が不安定な町。次元の狭間内では時間が止まっている。&lt;br /&gt;
:;フェニックスの塔&lt;br /&gt;
::東の砂漠の最南端に位置する塔。ここで死んだ竜は不死鳥になるという伝説がある。&lt;br /&gt;
:;次元の狭間&lt;br /&gt;
::ラストダンジョン。&lt;br /&gt;
:;次元城&lt;br /&gt;
::ハリカルナッソスが支配する城であり、1000年前に封印されたエヌオー配下のモンスターが多く居る。&lt;br /&gt;
:;ラストフロア&lt;br /&gt;
::クリスタルワールド。「無」の在る空間であり、最深部にエクスデスが待ち構えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ストーリー ==&lt;br /&gt;
かつて、この世界は、暗黒魔導師エヌオーのもつ「無の力」によって、消滅の危機に瀕していた。「無の力」とは、世界の森羅万象を消滅させる事ができる能力である。このエヌオーは勇敢な戦士によって倒され「無の力」は世界を2つに分割する事で封印された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
時は流れ、ムーアの大森林で人々の醜い心を糧に誕生した暗黒魔導師エクスデスが「無の力」を狙った。エクスデスは、暁の四戦士によって倒され、クリスタルの力によって封印された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに時は流れ、クリスタルに異常がみられるようになった。タイクーン王は、風が止まるという異常が起こっていることに気づき、風のクリスタルへと急行するが、目の前で砕け散ってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同様に風の異変に気づいたバッツ、レナ、ガラフ、ファリスの4人も、遅れて風のクリスタルへとたどり着くが、クリスタルはすでに砕け散っており、タイクーン王もどこかへ消えてしまった。バッツたちは、残りのクリスタルを守り、タイクーン王を探すための旅に出る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしトルナ運河を抜けようとして魔物に襲われ、船の動力だったシルドラを失う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北の山でタイクーン王の飛竜を見つけた一行は、それに乗ってウォルスに向かい王に会う。その時塔の近くに隕石が墜落したとの報せが入り、王はクリスタルの様子を見に城を飛び出してしまう。後を追ったバッツ達は、塔の屋上でガルラに襲われ、対峙しているうちに水のクリスタルが砕け散ってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
水のクリスタルが砕け散ったその頃、カルナック領の東端にも隕石が墜落しており、調査に来たカルナックの兵士がウォルスに迷い込んでしまった。当の兵士から話を聞いた一行は隕石を使ってカルナックへ向かう。カルナックは魔物にとりつかれた女王に支配されており、バッツ達は投獄された後、クリスタルの暴走を止めるため火力船のエンジン、そしてクリスタルルームへ向かうが、結局火のクリスタルも砕け散ってしまい、城は大爆発で消し飛ぶ。間一髪脱出した一行は古代図書館へ向かい、ミドと出会う。ミドの叱咤によりやる気を取り戻したシドの手により改造された火力船に乗り、一行は土のクリスタルの手がかりを探し求める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
南東のクレセントについた一行を激しい地震が襲い、火力船が沈んでしまうも、近くの森で黒チョコボを捕まえ古代図書館に戻った一行は、砂漠の先にある滅びの町ゴーンでタイクーン王の姿を見かけ、王を追いかけるが、王の目の前にたどりついたとき、落とし穴に落ちる。しかしその地下はクレセントの地下とつながっており、そこに飛空艇があった。飛空艇にとりついていた魔物を倒し再びゴーンに向かうが、そこで一行は浮上するロンカ遺跡を目にする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロンカ遺跡に潜入するには飛空艇の高度を上げなければならないが、それには飛空艇のエンジンの出力では足りなかった。しかしガラフが乗ってきた隕石にあったアダマンタイトを使うことでこの問題をクリアし、遺跡に設置されている防衛用の兵器を破壊して潜入する。土のクリスタルが安置されているロンカ遺跡の内部に潜入すると、そこにはまだ無事な土のクリスタルと、タイクーン王の姿があった。タイクーン王はなぜかバッツたちに攻撃を仕掛け、クリスタルを守ろうとするのを阻止する。そこにガラフの孫クルルが現れ王を正気に戻すが、最後のクリスタルは砕け散ってしまった。クリスタルの力によって封印されていたエクスデスは復活し、タイクーン王はエクスデスに操られたクリスタルのかけらを鎮めるため命を落とした。エクスデスを追うため、もといた世界に帰っていくガラフとクルルを追って、バッツたちはもう一つの世界へと向かうことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もう一つの世界へとたどり着いた3人はエクスデスの部下である魔物に捕まるが、単身城に乗り込んだガラフによって救出される。しかし、ビッグブリッジを渡りきる直前でエクスデスのバリアにより吹き飛ばされる。グロシアーナ大陸に飛ばされた4人は旅を続け、森で穴に落ちたモーグリを助けたことから、お礼としてバル城にいたクルルを導いてもらい、無事バル城への帰還を果たす。しかし、バッツ達を助けるため無理をした飛竜は重症を負う。飛竜を助けるために行動する中、バッツは自身の父ドルガンが、ガラフ同様「暁の四戦士」であることを知ることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
飛竜の傷を癒し、4人はサーゲイト城、そしてエクスデス城の東に構えている船団へ向かい、バリアを構成する4本の塔のうち1本を破壊するが、ゼザが爆発に巻き込まれ散る。その後住んでいるほこらが海底に沈んでいたギードの助力によりついにムーアの大森林へたどり着き、最深部でエクスデスを追い詰めたバッツ達だったが、エクスデスの強力な力に手も足も出ず敗北を喫する。仲間たちが死にそうな状況をみて、ガラフは一人勇敢にもエクスデスとの勝負に挑む。エクスデスはガラフとの戦いで傷を負い、エクスデス城へと撤退する。この戦いで散ったガラフは自らの力を孫のクルルに託し、バッツたちとともにエクスデスと戦うよう伝える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バッツたちはエクスデス城の最奥部でエクスデスと対決しこれを破るが、3つのクリスタルが砕け、世界は1つに戻ってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界は再び一つになり、無の力は蘇った。エクスデスの意志に応じタイクーン城を飲み込む無の力。世界の破滅が迫る中、伝説の12の武器の封印を解くための石版の在処への鍵となる「禁断の書」も1つに戻った。バッツ達はピラミッドへ潜入し、その奥で石版を手にし戻ると、そこにレナを乗せた飛竜がやってきた。が、レナは魔物に憑かれており、さらにエクスデスが無の力を操り世界各地の街を消し去っていく。レナにとりついていた魔物を倒したバッツたちは伝説の12の武器を集め、次元のはざまにいるエクスデスとの最後の決戦に挑む。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
;プレリュード&lt;br /&gt;
:今作ではお馴染みの音形に32分音符分のディレイがかかっている。&lt;br /&gt;
;物知りじいさん &lt;br /&gt;
:第3世界のカルナック近くの海中の[[ダンジョン]]にいるキャラクター。敵を倒した数・宝箱を取った数・敵から逃げた数などを教えてくれる。作中にその存在を示すヒントなどは一切ない。&lt;br /&gt;
;モアイ像&lt;br /&gt;
:第3世界の蜃気楼の町近くの海中にある石像。特に意味のないものだが、様々な噂や都市伝説が流れた。そのうちの１つには、作中で語られるのみの存在であった「エヌオー」と戦えるというものがあったが、GBA版の追加要素にてそれが現実のものとなり、モアイ像はそのイベントに関連のある物となった。その他の噂では「オメガ」「神竜」「ギルガメ」の打倒（とその際に入手可能なアイテムの所持）などの条件を満たすと、モアイ像の口が開き、中にある「侍の町」に行け、源氏の装備とラグナロクを除く各種の最強武器が入手できる、とされた。源氏の装備に関して[[攻略本]]に「通常の世界には製造されていない」と書かれているためにそのような噂が流れてきたと考えられる。 &lt;br /&gt;
;パラディンと暗黒騎士&lt;br /&gt;
:前作『[[ファイナルファンタジーIV]]』に登場した「暗黒騎士」「パラディン」が隠しジョブとして登場するという噂が広まり、これもまた[[都市伝説]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映像表現に置ける問題 ==&lt;br /&gt;
:本作の発売後の1993年1月に、ゲーム内映像表現によって、プレイした児童が[[てんかん]]を起こしたという事件が全国各地で発生した。本作は他のゲームソフトと比較しても圧倒的に販売本数が多かった為、症状の現れた子供も非常に多かった。その為、全国の小学校と中学校では本作を所有している生徒に対し、異例の症例アンケート調査と指導を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 派生作品 ==&lt;br /&gt;
* [[ファイナルファンタジー (OVA)]] - [[1994年]]に発売された、風の章、炎の章、竜の章、星の章の全4巻からなる[[OVA]]。本作より200年後の世界を描く。&lt;br /&gt;
* [[チョコチョコボンボン]] - 雑誌「[[Vジャンプ]]」に連載されていた[[ギャグ漫画]]。作者は[[菊池晃弘]]。本作の前史を描き、『[[ファイナルファンタジーVI|FFVI]]』や『[[ファイナルファンタジーVII|FFVII]]』の世界も入り乱れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.square-enix.co.jp/ff5/ FINAL FANTASY V ADVANCE]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ファイナルファンタジー|05]]&lt;br /&gt;
[[Category:スーパーファミコン用ソフト|ふあいなるふあんたしい05]]&lt;br /&gt;
[[Category:プレイステーション用ソフト|ふあいなるふあんたしい05]]&lt;br /&gt;
[[Category:ゲームボーイアドバンス用ソフト|ふあいなるふあんたしい05]]&lt;br /&gt;
[[Category:1992年のコンピュータゲーム|ふあいなるふあんたしい05]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=16821</id>
		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-15T03:46:46Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: /* その他 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクターで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。某書籍の文献には『「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行われなかった。」とされている。』と記されていた。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集で、早まらないよう呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

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		<title>岡田有希子</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: /* 註 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクターで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。某書籍の文献には『「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行われなかった。」とされている。』と記されていた。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集で、早まらないよう呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E4%BD%B3%E6%A1%9C%E5%BF%8C&amp;diff=16755</id>
		<title>佳桜忌</title>
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				<updated>2007-10-14T09:46:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;佳桜忌(けいおうき)とは岡田有希子の命日である4月8日にちなんで付けられた日である。&lt;br /&gt;
目次&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
命日の4月8日は本名の「佐藤佳代」と、桜の花が満開の時期である事に因み、「佳桜忌」（けいおうき）と呼ばれている。 岡田有希子のファン達が有希子が自殺した大木戸ビル前広場か有希子の墓がある成満寺のどちらかにお参りしにやって来る。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
==大木戸ビル前広場==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2005年以前の命日===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
有希子が自殺した大木戸ビル前の広場に午前11時頃から毎年30人ぐらいのファンたちが集まり、それぞれ花束・線香などを持って来て広場の隅っこで立っている。その理由は、近所の住民達や他の歩行者達の迷惑にならないため。また演奏のパフォーマンスは特に迷惑になるためタブーとしている。その日の広場周辺には春の全国交通安全運動のテントが設置されている。ファンの一部は地方からも新幹線や飛行機でやって来てくる。有希子が大木戸ビルの屋上から投身自殺をした時刻である12時15分に一斉に花束を有希子が自殺した場所に供えてお参りをして、それから1時間ほどその場を離れずにいる。13時30分頃にファン達は有希子が自殺した場所を後にする。警察官が見回りに来て受動喫煙調査される事がしばしばある。以前は命日にサンミュージックの相澤秀禎社長がファン達を自宅に招いてパーティーを行っていたが、ここ数年はパーティーを行っていない。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
===2006年の命日===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
休日であったためかいつもの年よりも2倍近い、100人程のファンがやって来て、それぞれ花束を持って有希子が自殺した場所辺りにお供えをした。12時15分になると前年までは行われていなかったファンの代表者の音頭による黙祷が居合わせたファン大半で行われた。12時頃から大雨に見舞われたが、雨は12時50分頃に上がり快晴となった。13時30分頃にファン有志がお供えをした花束を持って成城にある相澤会長の自宅へ向かい、大木戸ビル前を後にした。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
===2007年の命日===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ファン30人ぐらいやって来て、この年も同じくファンの代表者によって黙祷を唱え、その後その代表者が「成満寺の住職から“有希子さんはあの世へ成仏されています。彼女のことをかわいそうだと思わないで下さい”との事です」と発言した。お供えした花束は別のファンが車で積んでそのまま成満寺へ向かった。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
==成満寺==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡田有希子]] &lt;br /&gt;
*[[四谷大木戸]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=16753</id>
		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-14T09:41:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: /* 関連用語 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクターで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。某書籍の文献には『「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行われなかった。」とされている。』と記されていた。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集で、早まらないよう呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>佳桜忌</title>
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				<updated>2007-10-14T09:40:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: 新しいページ: '佳桜忌(けいおうき)とは岡田有希子の命日である4月8日にちなんで付けられた日である。 目次  ==概要==  命日の4月8日は本名の「佐...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;佳桜忌(けいおうき)とは岡田有希子の命日である4月8日にちなんで付けられた日である。&lt;br /&gt;
目次&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
命日の4月8日は本名の「佐藤佳代」と、桜の花が満開の時期である事に因み、「佳桜忌」（けいおうき）と呼ばれている。 岡田有希子のファン達が有希子が自殺した大木戸ビル前広場か有希子の墓がある成満寺のどちらかにお参りしにやって来る。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
==大木戸ビル前広場==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2005年以前の命日===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
有希子が自殺した大木戸ビル前の広場に午前11時頃から毎年30人ぐらいのファンたちが集まり、それぞれ花束・線香などを持って来て広場の隅っこで立っている。その理由は、近所の住民達や他の歩行者達の迷惑にならないため。また演奏のパフォーマンスは特に迷惑になるためタブーとしている。その日の広場周辺には春の全国交通安全運動のテントが設置されている。ファンの一部は地方からも新幹線や飛行機でやって来てくる。有希子が大木戸ビルの屋上から投身自殺をした時刻である12時15分に一斉に花束を有希子が自殺した場所に供えてお参りをして、それから1時間ほどその場を離れずにいる。13時30分頃にファン達は有希子が自殺した場所を後にする。警察官が見回りに来て受動喫煙調査される事がしばしばある。以前は命日にサンミュージックの相澤秀禎社長がファン達を自宅に招いてパーティーを行っていたが、ここ数年はパーティーを行っていない。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
===2006年の命日===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
休日であったためかいつもの年よりも2倍近い、100人程のファンがやって来て、それぞれ花束を持って有希子が自殺した場所辺りにお供えをした。12時15分になると前年までは行われていなかったファンの代表者の音頭による黙祷が居合わせたファン大半で行われた。12時頃から大雨に見舞われたが、雨は12時50分頃に上がり快晴となった。13時30分頃にファン有志がお供えをした花束を持って成城にある相澤会長の自宅へ向かい、大木戸ビル前を後にした。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
===2007年の命日===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ファン30人ぐらいやって来て、この年も同じくファンの代表者によって黙祷を唱え、その後その代表者が「成満寺の住職から“有希子さんはあの世へ成仏されています。彼女のことをかわいそうだと思わないで下さい”との事です」と発言した。お供えした花束は別のファンが車で積んでそのまま成満寺へ向かった。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
==成満寺==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子]] &lt;br /&gt;
[[四谷大木戸]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.211.3.173</name></author>	</entry>

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		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2007-10-14T09:28:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;61.211.3.173: 新しいページ: '{{女性モデル| |芸名=岡田有希子 |愛称=ユッコ |画像ファイル= |画像コメント=岡田有希子 |生年=1967 |生月=8 |生日=22 |没年=1986 |没月=4 |...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田有希子'''（おかだゆきこ、本名は'''佐藤佳代'''[さとうかよ]、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクターで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。某書籍の文献には『「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行われなかった。」とされている。』と記されていた。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集で、早まらないよう呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
有希子が自殺した翌日の[[4月9日]][[夜]]、所属事務所の近くにある[[新宿区]][[四谷]]の[[大宗寺]]でファン達のための[[通夜]]が営まれた。[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞&lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[日本テレビ音楽祭]]新人賞&lt;br /&gt;
*1984年：[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞&lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデンアロー賞]]&lt;br /&gt;
*1985年：あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞&lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞&lt;br /&gt;
*1985年：日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
*[[サイン]]の色紙は最低で3万円、最高で300万円の価額がついている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁うつ病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手|おかたゆきこ]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[Category:名古屋市出身の人物|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没|おかたゆきこ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;br /&gt;
[[zh:岡田有希子]]&lt;/div&gt;</summary>
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