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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-05-17T12:55:28Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>その時歴史が動いたの全放送リスト</title>
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				<updated>2008-02-28T02:31:56Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''その時歴史が動いたの全放送リスト'''（そのときれきしがうごいたのぜんほうそうりすと）ではNHKの番組『[[その時歴史が動いた]]』で放送した内容のタイトルについて説明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このリストではアンコール放送分は除いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==放送タイトル==&lt;br /&gt;
放送時間は2006年3月8日放送分までが水曜日21時15分～21時58分、2006年4月5日放送分からが水曜日22時～22時43分。&lt;br /&gt;
===2000年===&lt;br /&gt;
*3月29日　運命の一瞬、[[東郷平八郎|東郷]]ターン ～[[日本海海戦]]の真実～&lt;br /&gt;
*4月5日　世紀の対決 [[沢村栄治|沢村]]VS[[ベーブ・ルース]] ～日本プロ野球誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月12日　天下分け目の[[天王山]] ～[[豊臣秀吉|秀吉]]・必勝の人心掌握術～&lt;br /&gt;
*4月19日　幕末のプリンセス・日本を救う ～皇女[[和宮親子内親王|和宮]]の悲願～&lt;br /&gt;
*4月26日　[[新撰組]]参上![[池田屋事件]]に賭けた若者たち&lt;br /&gt;
*5月10日　その日 6人がいた ～[[火縄銃|鉄砲]]伝来・偶然のドラマ～&lt;br /&gt;
*5月17日　[[織田信長]]・勝利の方程式 ～真説・[[長篠の戦い|長篠合戦]]～&lt;br /&gt;
*5月24日　[[だるま|ダルマ]]大臣・[[高橋是清]]経済危機と格闘する（[[昭和金融恐慌]]）&lt;br /&gt;
*5月31日　敵は[[本能寺の変|本能寺]]にあり ～[[明智光秀|光秀]]はなぜ主君・信長を裏切ったのか～&lt;br /&gt;
*6月7日　[[坂本龍馬]] 幕末の日本を動かす ～[[薩長同盟]]成立の時～&lt;br /&gt;
*6月14日　我輩は小説家である ～[[夏目漱石]]・[[東京大学|東大]]辞表提出の時～&lt;br /&gt;
*6月21日　[[蘇我入鹿]]（そがのいるか）暗殺事件 ～実録・[[乙巳の変|大化改新のクーデター]]～&lt;br /&gt;
*6月28日　戦火の中で[[アニメーション|アニメ]]が生まれた（[[桃太郎 海の神兵]]）&lt;br /&gt;
*7月5日　[[大坂の役|大坂の陣]]、[[豊臣氏|豊臣家]]滅亡す ～[[徳川家康]]・非情の天下取り～&lt;br /&gt;
*7月12日　[[西郷隆盛]]、明治に挑む ～[[西南戦争]]勃発の時～&lt;br /&gt;
*7月19日　[[奇兵隊]]決起せよ![[高杉晋作]]挙兵の時&lt;br /&gt;
*7月26日　[[黒船]]来航 日米交渉ここに始まる&lt;br /&gt;
*8月2日　[[ミッドウェー海戦]]の悲劇&lt;br /&gt;
*8月9日　予ノ判断ハ外レタリ ～[[ソビエト連邦|ソ連]]対日参戦の衝撃～&lt;br /&gt;
*8月23日　[[キリシタン]]禁制 ～秀吉・[[ヨーロッパ]]と対決す～&lt;br /&gt;
*8月30日　[[関東大震災]] ～知られざる日米友好～&lt;br /&gt;
*9月6日　[[前畑秀子|前畑]]ガンバレ!! ～[[ベルリンオリンピック]]の光と影～&lt;br /&gt;
*10月4日　[[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]] 家康 なぞの大突撃 ～ヨーロッパ製甲冑の威力～&lt;br /&gt;
*10月11日　弟・[[源義経|義経]]を討て ～[[源頼朝]]・武家政権確立への決断～&lt;br /&gt;
*10月18日　[[津田梅子]]・[[津田塾大学|女子英学塾]]設立の時 ～女性の真の自立をめざして～&lt;br /&gt;
*10月25日　[[1929年]][[ニューヨーク|NY]]株価大暴落（[[世界恐慌]]）&lt;br /&gt;
*11月1日　[[伊能忠敬]] 56歳からの挑戦&lt;br /&gt;
*11月8日　[[桶狭間の戦い]] ～織田信長、逆転への情報戦略～&lt;br /&gt;
*11月15日　坂本龍馬暗殺事件 ～魔の一瞬が歴史を変えた～&lt;br /&gt;
*11月22日　「[[学校]]」誕生 ～初代文部大臣・[[森有礼]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月29日　[[将軍]][[徳川慶喜|慶喜]]・最後の決断 ～幕末を動かした[[大坂城]]脱出～&lt;br /&gt;
*12月6日　[[20世紀|二十世紀]]十大事件 ～歴史を動かした決定的瞬間～&lt;br /&gt;
*12月13日　脱盟者たちの[[忠臣蔵]] ～忠義か人情か　人生の選択の時～&lt;br /&gt;
*12月20日　サムライ・[[福澤諭吉|福沢諭吉]] [[アメリカ合衆国|アメリカ]]に立つ! ～[[咸臨丸]][[サンフランシスコ]]入港の時～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2001年===&lt;br /&gt;
*1月10日　男たちよ、立て! ～[[北条政子]] 演説の時～&lt;br /&gt;
*1月17日　大衆の夢を形に ～起業家・[[小林一三]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*1月24日　検証・[[桜田門外の変]] ～[[井伊直弼]]暗殺・幕末大転換の時～&lt;br /&gt;
*2月7日　6000人の命を救った外交官 ～[[杉原千畝]] [[ビザ]]大量発給決断の時～&lt;br /&gt;
*2月14日・21日　シリーズ[[二・二六事件|2・26事件]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
*2月28日　秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす&lt;br /&gt;
*3月7日　[[大津事件|ロシア皇太子襲撃事件]] ～近代日本をつくった裁判～&lt;br /&gt;
*3月14日・21日　もしもその時（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「古代・中世編」&lt;br /&gt;
:後編「戦国・幕末編」&lt;br /&gt;
*3月28日　妻たちは決断した&lt;br /&gt;
**3月の3回は主として2000年度に放送された内容の総集編的な作品だった&lt;br /&gt;
*4月4日　世界を制した[[ハリウッド]][[映画]] ～[[風と共に去りぬ]]公開の時～&lt;br /&gt;
*4月11日　秀吉・家康 たった一度の直接対決 ～天下取りの知恵くらべ～&lt;br /&gt;
*4月18日　[[春日局]] 徳川家康を動かす ～戦国女性・太平の世への願い～&lt;br /&gt;
*4月25日　日本を救った[[サツマイモ]] ～[[青木昆陽]]・飢きん救済に挑む～&lt;br /&gt;
*5月2日　戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]沈没 ～[[大艦巨砲主義]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*5月9日　[[昭和天皇]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]・会見の時&lt;br /&gt;
*5月16日　「[[阿吽|あうん]]」の呼吸はこうして生まれた ～[[東大寺]] 金剛力士像完成の時～&lt;br /&gt;
*5月23日　[[岡倉天心|天心]]の恋 ～東洋の美を追い続けた男～&lt;br /&gt;
*5月30日　[[徳川吉宗]]、執念の財政再建 ～米将軍・最後の決断～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[土方歳三]]・北の大地に散る ～[[戊辰戦争]]、最後の激戦～&lt;br /&gt;
*6月13日　[[伊達政宗]]、[[百万石]]への挑戦&lt;br /&gt;
*6月20日　[[邪馬台国]]の女王・[[卑弥呼]] ～動乱の[[魏 (三国)|中国]]に使者を出す～&lt;br /&gt;
*6月27日　[[白村江の戦い|白村江]]・古代最大の対外戦争&lt;br /&gt;
*7月4日　金融恐慌・日本を揺るがす ～巨大商社、[[鈴木商店]]の挫折～&lt;br /&gt;
*7月11日　[[北条時宗]]、起死回生の決断 ～[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍壊滅の時～&lt;br /&gt;
*7月18日　モンゴル軍来襲 ～九州武士・[[竹崎季長]]の戦い～&lt;br /&gt;
*7月25日・8月1日　[[ポツダム宣言]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「米ソの攻防」 ～[[原子爆弾|原爆]]投下・[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]の決断～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連対日参戦」～ソ連対日参戦・[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の焦燥～&lt;br /&gt;
*8月22日　夏休みスペシャル・[[三国志]]英雄伝（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風、[[長江]]に吹く」 ～[[諸葛亮|孔明]]の知略、天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*8月29日　そして、人は空を飛んだ ～[[ライト兄弟]]に先がけた男・[[二宮忠八]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*9月5日　[[上杉鷹山]] ふたたびの財政改革&lt;br /&gt;
*9月19日　キリシタン女性 関ヶ原合戦を揺るがす ～[[細川ガラシャ]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*9月26日　ぼく一生の不覚 ～[[日独伊三国軍事同盟|三国同盟]]締結・[[松岡洋右]]の誤算～&lt;br /&gt;
*10月3日　走れ!AA型 ～国産自動車誕生物語～&lt;br /&gt;
*10月10日　不平等条約を改正せよ ～[[陸奥宗光]]～&lt;br /&gt;
*10月17日　日本を愛した[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]・その悲劇&lt;br /&gt;
*10月24日　人生に絶望なし ～[[ヘレン・ケラー|ヘレンケラ]]ー来日の時～&lt;br /&gt;
*10月31日　羽柴秀吉、謎の敵前退却 ～[[賤ヶ岳の戦い|賤ヶ岳合戦]]・勝利の秘策～&lt;br /&gt;
*11月7日　戦国の茶人 秀吉と戦う ～[[千利休]]切腹の悲劇～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[前田利家]]の妻・[[芳春院|まつ]]の決断 ～加賀百万石・息子への教え～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[満州事変]] [[関東軍]]独走す&lt;br /&gt;
*12月5日　この難を逃げ候こと 本懐にあらず ～改革者・[[大久保利通]]暗殺の悲劇～&lt;br /&gt;
*12月12日　汽笛一声・日本の産声 ～[[鉄道]]開通に賭けた若者たち～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2002年===&lt;br /&gt;
*1月9日　スペシャル『日本を動かした15人』（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
*1月16日　[[溥儀|ラストエンペラー]]最後の日 ～「[[満州国]]」と皇帝・溥儀～&lt;br /&gt;
*1月23日　役人の不正許すまじ ～[[大塩平八郎]]決起の時～&lt;br /&gt;
*1月30日　志のある者 立ち上がれ ～獄中の出会いが生んだ[[吉田松陰]]の思想～&lt;br /&gt;
*2月6日　王宮の恋・[[サラエボ事件|サラエボ]]に散る ～[[第一次世界大戦|世界大戦]]を招いた暗殺事件～&lt;br /&gt;
*2月13日　日本の夢、[[ベルサイユ]]に散る ～[[パリ講和会議]]・人種差別 廃止提案の挫折～&lt;br /&gt;
*2月20日　[[田中正造]]、足尾鉱毒事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット|マリ・アントワネット]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*7月17日　[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]、皇帝への野望 ～戴冠式の一瞬に秘められた謎～&lt;br /&gt;
*7月24日　本能寺の変 ～信長暗殺!闇に消えた真犯人～&lt;br /&gt;
*7月31日　[[ガダルカナル島]]撤退 ～苦渋の決断～&lt;br /&gt;
*8月21日　特別編「戦い・その決定的瞬間」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「勝利の時・男たちは決断した」&lt;br /&gt;
:後編「戦乱・その時 妻は、母は」&lt;br /&gt;
*8月28日　さらば淀殿 お初の決断 ～運命に立ち向かった戦国三姉妹～&lt;br /&gt;
*9月4日　日本人、[[南極]]の大地に立つ（[[白瀬矗]]）&lt;br /&gt;
*9月11日　昭和を揺るがした銃弾 ～ライオン宰相・[[浜口雄幸]]狙撃の時～&lt;br /&gt;
*9月18日　ヒトラー情報 日本を揺るがす ～「真珠湾」へのもう一つの道～&lt;br /&gt;
*9月25日　ヒトラー最後の日 ～新資料が明かす独裁者の末路～&lt;br /&gt;
*10月2日　[[与謝野晶子]]『今ぞ目覚めて』 ～情熱の歌人、女性の自立を宣言～&lt;br /&gt;
*10月9日　幕末、[[京都市|京都]]炎上 ～長州・[[久坂玄瑞]]、志に散る～&lt;br /&gt;
*10月16日　必勝の方程式、江戸を制す ～[[大村益次郎]]、彰義隊撃破の時～&lt;br /&gt;
*10月23日　関ヶ原の戦い、決死の的中突破 ～戦国の猛将 [[島津義弘]]、決断の時～&lt;br /&gt;
*10月30日　人類のために生き、人類のために死す ～未公開書簡が明かす[[野口英世]]の真実～&lt;br /&gt;
*11月6日　豊臣秀吉天下統一の必勝戦略 ～[[小田原の役|小田原攻め]]に秘策あり～&lt;br /&gt;
*11月13日　激突 [[武田信玄]]と[[上杉謙信]] ～[[川中島の戦い]]、両雄決戦の時～ &lt;br /&gt;
*11月20日　改革に散った最後の幕臣 [[小栗上野介]] ～一本のねじから日本の近代は始まった～&lt;br /&gt;
*12月4日　[[銀行]]は人々のために ～金融危機を救った[[渋沢栄一]]の決断～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵、父と子の決断 ～赤穂浪士討ち入りの時～&lt;br /&gt;
*12月18日　[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]] [[交響曲第9番|第九]]誕生! ～民衆に自由を呼びかけた交響曲～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2003年===&lt;br /&gt;
*1月8日　新春スペシャル「ニッポン開国」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「なぜアメリカだったのか?」 ～[[マシュー・ペリー|ペリー]]の知られざる外交戦略～&lt;br /&gt;
:後編「通商か?亡国か?」 ～日本全権、決死の通商条約締結～&lt;br /&gt;
*1月15日　[[佐々木小次郎|小次郎]] 敗れたり ～決闘巌流島・[[宮本武蔵]]の執念～&lt;br /&gt;
*1月22日　兵法の道は人の道 宮本武蔵 ～『五輪書』完成への苦闘～&lt;br /&gt;
*1月29日　外交立国の志、いまだ死なず ～[[榎本武揚]]、箱館戦争終結の決断～&lt;br /&gt;
*2月12日　乱世を制するリーダーの条件 ～[[湊川の戦い]] [[足利尊氏]]、苦悩の決断～&lt;br /&gt;
*2月19日　夢は征夷大将軍 ～徳川家康・逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*2月26日　緊迫の二十四時間 ～新資料が明かす二・二六事件の内幕～&lt;br /&gt;
*3月5日　独裁者ヒトラー ～破滅への軌跡～&lt;br /&gt;
*3月12日　幕末立志伝 今こそ変革の時 ～[[吉田松陰]]・久坂玄瑞・[[高杉晋作]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*4月2日　家康・天下を制した184通の書状 ～関ヶ原の合戦・知られざる情報工作～&lt;br /&gt;
*4月9日　[[真田幸村]] どん底からの挑戦 ～家康を追いつめた伝説の名将～  &lt;br /&gt;
*4月16日　ロシア女帝が涙した帰国願い ～日露交渉の扉を開いた[[大黒屋光太夫]]～&lt;br /&gt;
*4月23日　改革者か、悪徳老中か? ～[[田沼意次]]、江戸の経済改革に挑む～&lt;br /&gt;
*5月7日　幕末ニッポン・幻の遷都計画 ～江戸か大坂か?[[大久保利通]]の大改革～&lt;br /&gt;
*5月14日　[[チャーリー・チャップリン|チャップリン]]を襲撃せよ ～五・一五事件　首相暗殺の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*5月21日　我が言は、万人の声 ～太平洋戦争前夜、日本を揺るがした国会演説～（[[斉藤隆夫]]）&lt;br /&gt;
*5月29日　日出づる処の天子より ～[[聖徳太子]]、理想国家建設の夢～&lt;br /&gt;
*6月4日　信長と家康、そして同盟は幻と消えた? ～[[長篠の戦い]]、戦国を変えた両雄の決断～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[源義経]]、大水軍を奪いとれ! ～[[壇ノ浦の戦い|壇の浦の戦い]]、奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*6月18日　新撰組誕生 ～幕末に青春をかけた男たち～&lt;br /&gt;
*6月25日　新撰組の夢、関東に散る ～江戸城明け渡しの裏で何がおきていたのか～&lt;br /&gt;
*7月2日　[[盧溝橋事件]] 運命の4日間 ～中国派兵への重大決意～&lt;br /&gt;
*7月9日　[[高杉晋作]]、50倍の敵を制する必勝戦略 ～幕末長州・奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*7月16日　海を越えた愛、日本を守る ～新史料、[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]開国秘話～&lt;br /&gt;
*7月23日　占領日本・運命を決した直談判 ～[[吉田茂]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]～&lt;br /&gt;
*7月30日　スパイ・[[リヒャルト・ゾルゲ|ゾルゲ]] 最後の暗号電報 ～新資料が明かす国際スパイ事件～&lt;br /&gt;
*8月20日　夏休みスペシャル・そして日本はよみがえった ～混迷を打ち破ったヒーローたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「混沌の時代を切り開いた男たち」&lt;br /&gt;
:後編「近代の日本を作った男たち」&lt;br /&gt;
*8月27日　[[板垣退助|板垣]]死すとも、自由は死せず ～日本に国会を誕生させた不朽の名言～&lt;br /&gt;
*9月3日　[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]] 世界帝国の夢 ～知られざる愛と誇りの決断～&lt;br /&gt;
*9月10日　[[ジャンヌ・ダルク]] 戦いはわが愛の証 ～裁判記録が明かす聖女の真実～&lt;br /&gt;
*9月17日　[[日野富子]] 愛と憎しみの和平工作 ～[[応仁の乱]]を終結させた将軍の妻～&lt;br /&gt;
*10月1日　秀吉に天下を取らせた男 ～[[黒田孝高|黒田官兵衛]] 戦国最強のナンバー2～&lt;br /&gt;
*10月8日・15日「[[始皇帝]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「希代のカリスマ・中国に立つ」 ～[[秦]]王朝 天下統一のとき～&lt;br /&gt;
:後編「崩壊は絶頂の中から始まった」 ～秦王朝 滅亡のとき～&lt;br /&gt;
*10月22日　[[正岡子規]] 余命十年で[[日本語]]を革新した男&lt;br /&gt;
*10月29日　[[白虎隊]] 自刃への三十六時間 ～生存隊士の手記が語る悲劇の真相～&lt;br /&gt;
*11月5日・12日　古代中国・[[項籍|項羽]]と[[劉邦]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「天下を分けた運命の宴 [[鴻門の会]]」&lt;br /&gt;
:後編「勝利への60万人の大合唱 [[垓下の戦い|四面楚歌]]」&lt;br /&gt;
*11月19日　[[勝海舟]] 江戸城無血開城はなぜ実現したか&lt;br /&gt;
*11月19日　[[マハトマ・ガンジー|ガンジー]] 暴力の連鎖を断ち切れ!&lt;br /&gt;
*12月4日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵 お裁き始末記 ～忠義か、犯罪か?幕府がゆらいだ50日～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2004年===&lt;br /&gt;
*1月7日　新春スペシャル・「新撰組」 ～最後のサムライたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「立志編 剣に生きる」&lt;br /&gt;
:後編「死闘編 武士道に死す」&lt;br /&gt;
*1月14日　秘められた革命工作 ～[[孫文]]を支えた日本人～&lt;br /&gt;
*1月21日　[[平清盛]] 早すぎた革新 ～平氏政権誕生のとき～&lt;br /&gt;
*1月28日　[[明治天皇]] [[あんパン]]を食す ～リストラ武士 [[木村安兵衛]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月4日　そして近代ニッポン人が誕生した ～明治の文豪たちの生き方革命～&lt;br /&gt;
*2月11日　日露開戦 男たちの決断 ～明治日本 存亡をかけた戦略～&lt;br /&gt;
*2月25日　[[外様大名]]はこうして生き残った! ～家康に勝利した逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*3月3日　大久保利通・新生日本を救う ～回避された「幻の日清戦争」～&lt;br /&gt;
*3月31日　[[さとうきび]]畑の村の戦争 ～新史料が明かす[[沖縄県|沖縄]]戦の悲劇～&lt;br /&gt;
*4月7日　新発見![[大坂城]]は超ハイテク要塞だった ～秀吉VS家康「堀」をめぐる攻防の真相～&lt;br /&gt;
*4月14日　日本の運命を背負った少年たち ～[[天正遣欧少年使節|天正遣欧使節]]・ローマ教皇謁見の時～&lt;br /&gt;
*4月21日　信長暗殺を命じた男 ～新説・本能寺の変 浮上した黒幕～&lt;br /&gt;
*4月28日　[[女優]]誕生 ～[[川上貞奴|マダム貞奴]]、「[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]」初演の時～&lt;br /&gt;
*5月5日　子供の心に歌を ～大正・[[童謡]]誕生物語～&lt;br /&gt;
*5月12日　日本[[サッカー]]・[[ベルリンオリンピック]]の奇跡 ～世界を驚かせた逆転勝利～&lt;br /&gt;
*5月19日・26日　モンゴル帝国（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「草原の覇者[[チンギス・ハーン|チンギス・カン]]」～ユーラシア統一への道～&lt;br /&gt;
:後編「[[マルコ・ポーロ]]は見た巨大国家の盛衰」 ～「[[東方見聞録]]」誕生のとき～&lt;br /&gt;
*6月2日　家康、人生最大の危機の3日間 ～大脱出!伊賀越えの先に天下が見えた～&lt;br /&gt;
*6月9日・16日　日露戦争100年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「二〇三高地の悲劇はなぜ起きたのか」 ～新史料が明かす激戦の真相～&lt;br /&gt;
:後編「逆転の極秘電報154号」 ～知られざるポーツマス講和会議の真相～&lt;br /&gt;
*6月23日　大江戸発至急便 黒船あらわる ～幕末日本の情報ネットワーク～&lt;br /&gt;
*6月30日　もう一つの日本を創った男 ～[[平将門]] 東国独立政権の謎～&lt;br /&gt;
*7月7日　「関白」対「源氏長者」 ～家康・秀吉 「姓」をめぐる知られざる攻防～&lt;br /&gt;
*7月14日　ドキュメント[[池田屋事件]] ～[[近藤勇|近藤 勇]]・突入決断の真相～&lt;br /&gt;
*7月21日　[[世界遺産]] [[熊野]]の森を守れ ～[[南方熊楠]]・日本初の自然保護運動～&lt;br /&gt;
*7月28日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす 最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*8月16日　奇跡の銀メダル [[人見絹江]] ～日本女子初メダル獲得の時～&lt;br /&gt;
*9月1日　武田信玄 地を拓き水を治める ～戦国時代制覇への夢～&lt;br /&gt;
*9月8日　信長と[[斎藤道三|道三]] ～改革者を生んだ非情の絆～&lt;br /&gt;
*9月15日　悲劇の英雄 ～“[[トーマス・エドワード・ロレンス|アラビアのロレンス]]”の真実～&lt;br /&gt;
*9月22日　焼け跡に[[ゾウ]]がやってきた ～海を越えた日本の子どもたちの夢～&lt;br /&gt;
*10月6日　グッドバイ ちょんまげ ～明治日本 文明開化騒動記～&lt;br /&gt;
*10月13日　列国の野望 [[シベリア]]を走る ～[[ロシア革命]]・[[ソビエト連邦|ソビエト]]成立までの混迷の5年～&lt;br /&gt;
*10月27日　実録・[[ええじゃないか]] ～幕末ニッポンを動かした民衆パワー～&lt;br /&gt;
*11月3日　義経はなぜ死んだのか ～源頼朝と奥州藤原氏の攻防～&lt;br /&gt;
*11月10日　秘録・幻の明治新政府 ～維新を変えた激動の27日間～&lt;br /&gt;
*11月17日　サムライ魂でデパートを創れ! ～近代百貨店誕生物語～&lt;br /&gt;
*11月24日　ニッポンに学べ![[タイ王国|タイ]]の”明治維新” ～「[[王様と私]]」・[[ラーマ5世|ラーマ五世]]の苦闘～ &lt;br /&gt;
*12月8日　ミステリー大化改新 ～蘇我入鹿暗殺の実像～&lt;br /&gt;
*12月15日　それからの新選組 ～土方歳三、箱館に死す～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2005年===&lt;br /&gt;
*1月5日　[[歌舞伎]]スタア誕生 [[市川團十郎 (2代目)|二代目 市川團十郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*1月12日　百世の安堵をはかれ 安政大地震・奇跡の復興劇&lt;br /&gt;
*1月26日　日露戦争100年 日本海海戦 ～参謀 [[秋山真之]]・知られざる苦闘～&lt;br /&gt;
*2月2日　龍馬が愛した女 ～幕末、愛と別れの物語～&lt;br /&gt;
*2月9日　[[プロ野球]]を変えた[[ホームラン]] [[天覧試合]] オーナーたちの戦い&lt;br /&gt;
*2月16日　日米攻防90日 国際軍縮を実現せよ! [[ワシントン会議 (1922年)|ワシントン会議]]・全権 [[加藤友三郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*2月23日　我が運命は民と共に 悲劇の英雄 [[楠木正成]]の実像&lt;br /&gt;
*3月2日　[[源実朝|実朝]]暗殺 ～歌人将軍は、なぜ殺されたか?～&lt;br /&gt;
*3月9日・16日　シリーズ三国志英雄伝（前・後編2週連続　2001年の夏休みスペシャルの再構成をベースに）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風・長江に吹く」 ～孔明の知略・天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*3月30日　恋・人生・そして小説 ～[[樋口一葉]] 女性作家誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月6日　大帝国の野望、博多に散る ～大陸から見た蒙古襲来～&lt;br /&gt;
*4月13日　武田家滅亡の謎 ～戦国最強軍団はなぜ滅びたのか～&lt;br /&gt;
*4月20日・27日　源義経 栄光と悲劇の旅路（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「第1回 西へ 戦いの彼方に」&lt;br /&gt;
:後編「第2回 北へ 流浪の果てに」&lt;br /&gt;
*5月11日　にっぽん[[郵便]]創業物語 ～[[前島密]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*5月18日　戦国をひらいた男 ～[[北条早雲]] 56才からの挑戦～&lt;br /&gt;
*5月25日　傷ついた戦場の兵士を救え ～[[佐野常民]] 日本初の国際人道支援～&lt;br /&gt;
*6月1日　民を救った義士たちの物語 ～宝暦の治水・[[薩摩藩]]士の苦闘～&lt;br /&gt;
*6月8日　[[横山エンタツ|エンタツ]]・[[花菱アチャコ|アチャコ]]の[[漫才]]革命 ～あんじょうわろうてや!～&lt;br /&gt;
*6月15日　幕末・運命の愛 ～時代を創った男と女の物語～&lt;br /&gt;
*6月22日　さらばサムライ ～[[西郷隆盛]] 徴兵制の決断～&lt;br /&gt;
*6月29日　さらばサムライ ～[[西南戦争]]・田原坂の真実～&lt;br /&gt;
*7月6日　プロ野球を作った男たち ～昭和10年 アメリカ遠征記～&lt;br /&gt;
*7月13日　実録・[[大岡忠相|大岡越前]] ～火事と闘った知られざる素顔～&lt;br /&gt;
*7月20日　信長の巨大鉄船、戦国の海を制す ～織田水軍 VS 村上水軍、決戦大坂湾～&lt;br /&gt;
*7月27日・8月3日　シリーズ終戦60年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦艦大和の悲劇」 ～大艦巨砲主義、時代に敗れる～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連参戦の衝撃」 ～満蒙開拓民はなぜ取り残された～&lt;br /&gt;
*8月24日　日露衝突を回避せよ ～[[高田屋嘉兵衛]] 決死の交渉劇～&lt;br /&gt;
*8月31日　家康が最も恐れた男 ～敗者 [[石田三成]]の関ヶ原～&lt;br /&gt;
*9月14日　[[二宮尊徳|二宮金次郎]] 天保の大飢饉を救う&lt;br /&gt;
*9月21日　戦国 出世の方程式 [[藤堂高虎]] 大阪夏の陣の大勝負&lt;br /&gt;
*10月12日　幕末・土佐勤皇党 不滅の志 ～若者たちは変革に命を賭けた～&lt;br /&gt;
*10月19日　誰がための仏教か ～[[鑑真]]和上の宗教改革～&lt;br /&gt;
*11月9日　鎖国の扉を開け ～[[ジョン万次郎]] 漂流民の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月16日　秘められたメディア戦略 ～[[児玉源太郎]] 日露戦争のシナリオ～&lt;br /&gt;
*11月30日・12月7日　シリーズ[[真珠湾攻撃|真珠湾]]への道（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[山本五十六]] 苦渋の作戦立案」&lt;br /&gt;
:後編「山本五十六 運命の作戦決行」&lt;br /&gt;
*12月14日　歴史の選択　赤穂浪士 ～討ち入り組VS討ち入り不参加組～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2006年===&lt;br /&gt;
*1月11日　人間ドラマ誕生 ～[[近松門左衛門]] [[曽根崎心中]]～&lt;br /&gt;
*1月18日　古代の文明開化 ～1号寺院・[[飛鳥寺]]建立の戦略～&lt;br /&gt;
*2月1日　[[新聞]]誕生 ～幕末・[[浜田彦蔵|ジョセフ彦]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月8日　[[壬申の乱]] ～[[天武天皇]]誕生の秘密～&lt;br /&gt;
*2月15日　戦国の花嫁 ～[[山内一豊]]の妻・[[見性院|千代]]～&lt;br /&gt;
*2月22日　[[伝染病]]から日本を守れ ～細菌学者 [[北里柴三郎]]の闘い～&lt;br /&gt;
*3月1日　さらば殿様 ～[[廃藩置県]] 激動の内幕～&lt;br /&gt;
*3月8日　[[零式艦上戦闘機|ゼロ戦]]・設計者が見た悲劇 ～[[マリアナ沖海戦]]への道～ （ここまでが水曜日21:15放送）&lt;br /&gt;
*4月5日　マッカーサーを叱った男 ～[[白洲次郎]]・戦後復興への挑戦～ （ここからが水曜日22:00放送）&lt;br /&gt;
*4月12日　[[大奥]] 悲しみの果てに ～[[徳川家宣]]正室 [[天英院]] 煕子の生涯～&lt;br /&gt;
*4月19日　それでも地球は動いた ～[[ガリレオ・ガリレイ]]の栄光と挫折～&lt;br /&gt;
*4月26日　歴史の選択　本能寺の変 織田信長 VS 明智光秀 ～激突!改革か安定か～&lt;br /&gt;
*5月17日　響け 希望の歌声 ～戦後初の流行歌「リンゴの唄」～&lt;br /&gt;
*5月24日　帝と民の巨大プロジェクト ～東大寺大仏 [[聖武天皇]]の挑戦～   &lt;br /&gt;
*5月31日　これは正義の戦いか ～ジャーナリストたちの[[ベトナム戦争]]～&lt;br /&gt;
*6月21日　幻の大艦隊 ～[[イギリス]]から見た[[薩英戦争]]～&lt;br /&gt;
*7月5日　勝負師は志高く ～碁聖・[[本因坊秀策]]の無敗伝説～&lt;br /&gt;
*7月12日　生まれ来る命 そして母のために ～[[荻野久作]]の受胎期の発見～&lt;br /&gt;
*7月26日　歴史の選択　川中島の戦い 引き分けの謎&lt;br /&gt;
*8月2日　焼け跡から生まれたチャンピオン ～ボクシング [[白井義男]]と[[アルビン・R・カーン|カーン]]～&lt;br /&gt;
*8月23日　幻のハワイ・日本同盟計画&lt;br /&gt;
*8月30日・9月6日　シリーズ 日本独立 その光と影（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「吉田茂と[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]] 前編」&lt;br /&gt;
:後編「吉田茂とサンフランシスコ講和条約 後編」&lt;br /&gt;
*9月13日・20日　「シリーズ・秀吉の[[家族]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「もう一人の秀吉 ～[[豊臣秀長]] [[太閤記]]を演出した弟～」&lt;br /&gt;
:後編「戦国の母 関ヶ原を決す ～[[高台院|おね]]・豊臣政権生き残りへの道～」&lt;br /&gt;
*10月4日　戦火をこえた青春の白球 ～[[学徒出陣]]前 最後の[[早慶戦]]～&lt;br /&gt;
*10月11日　神は我を救い給（たま）うか ～キリシタン 細川ガラシャの生涯～&lt;br /&gt;
*10月18日　格差の怒り 政府を倒す ～[[大正デモクラシー]]を生んだ[[米騒動]]～&lt;br /&gt;
*11月1日　歴史の選択　坂本龍馬暗殺 黒幕は誰か?&lt;br /&gt;
*11月8日　日本を発見した日本人 ～[[柳田國男|柳田国男]]・「[[遠野物語]]」誕生～&lt;br /&gt;
*11月22日　我が手に郷土を ～[[真田昌幸]]・[[信濃国|信州]][[上田市|上田]]の市民戦争～&lt;br /&gt;
*11月29日　ひらがな革命 ～[[国風文化]]を生んだ[[古今和歌集]]～&lt;br /&gt;
*12月20日　母の灯火（ともしび） 小さき者を照らして ～[[石井筆子]]・[[知的障害]]児教育の道～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2007年===&lt;br /&gt;
*1月10日　戦国の剣豪、太平を築く ～[[柳生宗矩]]・「活人剣（かつにんけん）」の真実～&lt;br /&gt;
*1月24日　それでも民は祈り続けた ～[[島原の乱]]・[[キリシタン]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*1月31日　[[東京オリンピック]]への道 ～平和の[[聖火]] アジア横断リレー～&lt;br /&gt;
*2月7日　完成・戦国最強軍団 ～武田信玄・苦悩の生涯～&lt;br /&gt;
*2月14日　中国と国交を回復せよ ～[[足利義満]]の日明外交～&lt;br /&gt;
*2月21日　鉄は国家なり ～技術立国 日本のあけぼの～&lt;br /&gt;
*2月28日　天下は我が掌中にあり ～[[黒田孝高|黒田如水]]・もうひとつの関ヶ原～&lt;br /&gt;
*3月7日　苦しむ患者を救いたい ～[[イタイイタイ病]]裁判・弁護士たちの闘い～&lt;br /&gt;
*3月14日　歴史の選択　[[邪馬台国]]はどこか ～[[近畿地方|近畿]]説VS[[九州地方|九州]]説～&lt;br /&gt;
*3月28日　その時歴史が動いたスペシャル もう一度聞きたい あの人の言葉（22:59まで拡大）&lt;br /&gt;
*4月4日　謙信恐るべし&lt;br /&gt;
*4月11日　[[所得倍増計画]]の夢を追え ～[[高度経済成長]]の軌跡～&lt;br /&gt;
*4月18日　海の関ヶ原 ～[[村上武吉]]・水軍に賭けた夢～&lt;br /&gt;
*4月25日　[[大奥]] 華（はな）にも意地あり ～江戸城無血開城・[[天璋院]]篤姫～&lt;br /&gt;
**[[岩崎ひろみ]]が天璋院役、[[吉井怜]]が和宮役で出演&lt;br /&gt;
*5月2日　[[憲法]]施行60年 特集　[[日本国憲法第9条|憲法九条]] 平和への闘争 ～1950年代 [[改憲]]・[[護憲]]論～（22:30～23:29）&lt;br /&gt;
*5月9日　源頼朝 魔法の大逆転 ～[[富士川の戦い]]～&lt;br /&gt;
*5月16日　日本ミステリー誕生 ～[[江戸川乱歩]]・大衆文化との格闘～&lt;br /&gt;
*5月23日　悲しき女帝 許されざる恋 ～[[宇佐八幡宮神託事件|道鏡事件]]の真相～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[メキシコシティオリンピック|メキシコ五輪]] 奇跡の銅メダル ～日本サッカー・勝つための組織作り～&lt;br /&gt;
*6月13日　ニッポン外交力誕生 ～[[伊藤博文]]・[[神戸事件]]解決～&lt;br /&gt;
*6月20日　乱世に祈りを ～[[蓮如]]（れんにょ）・理想郷の建設～&lt;br /&gt;
*7月4日　[[冷戦]]の壁を破ろうとした男 ～[[石橋湛山]]・世界平和への願い～&lt;br /&gt;
*7月11日　天才信長をつくった男 ～[[今川義元]] 真説・桶狭間の戦い～&lt;br /&gt;
*8月1日　忘れられた島の闘い ～[[沖縄返還]]への軌跡～&lt;br /&gt;
*9月5日　引き裂かれた村 ～日米戦の舞台・[[フィリピン]]～&lt;br /&gt;
*9月12日　外交の信念 時流に散る ～宰相・[[広田弘毅|廣田弘毅]]の闘い～&lt;br /&gt;
*9月19日　赤ちゃんを死なせない ～[[乳幼児死亡率|乳児死亡率]]ゼロ・ある村の記録～&lt;br /&gt;
*9月26日　[[日中国交正常化]]&lt;br /&gt;
*10月3日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　[[食通|グルメ]]誕生 ～[[北大路魯山人]]と器～&lt;br /&gt;
*10月10日　賤（しず）ヶ岳に散った夢 ～猛将・[[柴田勝家]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*10月17日　義に死すとも不義に生きず ～[[会津戦争]] [[松平容保]] 悲運の決断～&lt;br /&gt;
*10月24日　[[銀]]を制する者は天下を制す ～[[毛利氏|毛利一族]]の戦い～&lt;br /&gt;
*10月31日　[[奇兵隊]] ～幕末に命を賭けた若き庶民たち～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[国際連合]]加盟 ～[[重光葵]] 日本から世界へのメッセージ～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[継体天皇]] [[ヤマト王権|ヤマト]]を救う&lt;br /&gt;
*11月28日　[[緒方洪庵]]・[[天然痘]]との闘い&lt;br /&gt;
*12月5日　[[戦後]][[引揚者|引き揚げ]] 660万人故郷への道&lt;br /&gt;
*12月12日　天下に旗をあげよ ～伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢～&lt;br /&gt;
*12月19日　[[対馬府中藩|対馬藩]]・決死の国書すり替え ～[[朝鮮通信使]]秘話～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2008年===&lt;br /&gt;
*1月23日　都会の地下に夢をもとめて ～[[地下鉄]]の父・[[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]～&lt;br /&gt;
*1月30日・2月6日　シリーズ[[江戸時代]]の危機（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[富士山]][[宝永大噴火|大噴火]] ～幕府・復興への闘い～」&lt;br /&gt;
:後編「[[天明の大飢饉|天明の飢饉]]（ききん）江戸を脅（おびや）かす ～鬼平・[[長谷川宣以|長谷川平蔵]]の無宿人対策～」&lt;br /&gt;
*2月13日・20日　シリーズ秀吉の猛将（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦国の風雲児 法の世に散る ～[[福島正則]] 広島改易事件～」&lt;br /&gt;
:後編「豊臣家存続の秘策 ～[[加藤清正]] [[二条城]]会見～」&lt;br /&gt;
*2月27日　軍服を脱いだジャーナリスト ～[[水野廣徳|水野広徳]]が残したメッセージ～&lt;br /&gt;
*3月5日　「自立」を賭けた戦い ～[[河井継之助]]・もう一つの戊辰戦争～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[category:日本放送協会テレビ番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[category:教養番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[category:ドキュメンタリー番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>護憲</title>
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				<updated>2008-02-28T02:29:42Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: 新しいページ: ''''護憲'''（ごけん）には以下の意味がある。 #立憲政治を擁護する主張ないしは政治的立場 #憲法の条文について、...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''護憲'''（ごけん）には以下の意味がある。&lt;br /&gt;
#[[立憲主義|立憲政治]]を擁護する主張ないしは政治的立場&lt;br /&gt;
#[[憲法]]の条文について、全てを変更せずに護るべきであるとする主張ないし政治的立場&lt;br /&gt;
ここでは、上記のいずれについても記述する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 1の概要 ==&lt;br /&gt;
立憲政治を擁護する主張ないしは政治的立場のこと。詳細は用語の使用者などが主張する立憲政治の内容によって異なり、以下のような例がある。&lt;br /&gt;
*議会の過半数を制した政党が政府を組織すべきだとして議会制民主主義の実現を訴える主張、政治的立場のこと。日本においては[[大正]]時代の[[護憲運動]]など過去の政治状況についての記載で使用される。日本では、現在は[[日本国憲法]]により議会の議決により首相を指名することとされており、少なくとも首相指名時点では議会の過半数を制した[[政党]]などの指名した者が政府を構成する制度的保証があるため、現在の日本の政治に関してこの意味で護憲の用語を使用することは少ない。現在の日本の主要政党は議会の過半数を制した政党などが政府を組織することを前提として活動しているので、あえて言えば現在の日本の主要政党はこの意味では全て護憲派である。なお、現在の日本の主要政党がここで述べた以外の意味で護憲派であるかどうかは「護憲派」の意味するところとそれぞれの政党の理念等により異なる。&lt;br /&gt;
*立憲政治を行うためには[[君主制]]を廃止する必要があるとする主張を前提として[[天皇制]]廃止を訴える立場のこと。天皇制廃止の手段として憲法の改正を主張する者は[[改憲]]派でもあることになるが、このような主張を行う者は自己を護憲派と称することが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2の概要 ==&lt;br /&gt;
日本においては、日本国憲法の条文について全てを変更するべきではないとする主張ないし政治的立場のことを指し、以下のいずれもが含まれる。&lt;br /&gt;
*[[日本国憲法第9条]]を維持する観点からなす主張&lt;br /&gt;
*[[男女同権]]を維持する観点からなす主張&lt;br /&gt;
*[[基本的人権]]を維持する観点からなす主張&lt;br /&gt;
*天皇制を維持する観点からなす主張&lt;br /&gt;
*[[民主制]]を維持する観点からなす主張&lt;br /&gt;
*[[共産主義|共産化]]を阻止する観点からなす主張&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年の政治状況や日本国憲法第9条が[[憲法改正論議]]において中心的に論じられること、また逆に憲法第9条こそがいわゆる平和憲法の要とする立場があることから[[左翼|左派]]・[[革新]]は護憲派で、[[右翼|右派]]・[[保守]]的な立場は改憲派とされることが多いが、護憲・改憲は改正内容を限定するものではないことから特定の政治的立場に必ずしも結びつくものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
護・改という語に既に[[価値]]的な意味合い・[[イデオロギー]]的機能が含まれているとする立場から護憲・[[改憲]]という用語ではなく、改正不要・改正必要と分けるのが好ましいとされることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[大日本帝国憲法]]&lt;br /&gt;
*[[大正デモクラシー]]&lt;br /&gt;
*[[憲政擁護運動]]-[[大正政変]]&lt;br /&gt;
*[[不磨の大典]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[日本国憲法]]&lt;br /&gt;
*[[改憲]]&lt;br /&gt;
*[[憲法改正論議]]&lt;br /&gt;
*[[社共共闘]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Poli-stub}}&lt;br /&gt;
{{Law-stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:憲法|こけん]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
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[[Category:スタブテンプレート|{{PAGENAME}}]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
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[[Category:スタブテンプレート|{{PAGENAME}}]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%94%B9%E6%86%B2&amp;diff=25107</id>
		<title>改憲</title>
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				<updated>2008-02-28T02:20:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: 新しいページ: ''''改憲'''（かいけん）には以下の意味がある。 #憲法を改正すること。日本国憲法改正についての詳細は憲法改正論議を、憲法...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''改憲'''（かいけん）には以下の意味がある。&lt;br /&gt;
#憲法を改正すること。日本国憲法改正についての詳細は[[憲法改正論議]]を、憲法改正一般についての詳細は[[憲法改正]]を参照のこと。&lt;br /&gt;
#[[憲法改正]]をすべきとする主張ないし[[政治]]的立場。改憲派とも。以下で詳述する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
憲法の条文について、変更すべき点があるとする主張ないし政治的立場のことを指し、以下のいずれもが含まれる。&lt;br /&gt;
*[[自衛隊]]を[[軍]]として位置づける観点からなす主張&lt;br /&gt;
*[[家庭]]の重要性について明記する観点からなす主張&lt;br /&gt;
*[[環境権]]等の[[新しい人権]]を明記する観点からなす主張&lt;br /&gt;
*[[天皇]]の権威権限を強化し名実共に[[元首]]化する観点からなす主張&lt;br /&gt;
*天皇の廃位を行う観点（[[天皇制廃止論]]）からなす主張&lt;br /&gt;
*[[社会主義]]／[[共産主義]]化を実施する観点からなす主張&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年の政治状況から[[右翼|右派]]・[[保守派]]が改憲派とされることが多いが、[[左翼|左派]]・[[革新]]的な立場（例えば天皇の廃位）から改憲を主張することもあり得ることから、特定の政治的立場をさす語としては元来適切とはいえない。なお、革新的な立場から天皇の廃位を主張する人々は天皇がいる状態では[[立憲主義|立憲政治]]を行いえないとする立場の[[護憲]]派であると同時に、天皇に関する条文を憲法改正を通して削除するという改憲派である場合もある。この種の人々は、&amp;lt;!--護憲派としても改憲派としても正解ではあるが、--&amp;gt;自分たちを護憲派と表明していることが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改憲・護憲の前の「改」・「護」という語には[[価値]]的な意味合い・[[イデオロギー]]的機能を果たす側面があるとされ、この点から憲法改正の必要・不要を示す改憲・護憲は、憲法改正必要派・憲法改正不要派（または憲法改定反対派）などと分けるのが好ましいとされることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[護憲]]&lt;br /&gt;
*[[憲法改正]]&lt;br /&gt;
*[[憲法改正論議]]&lt;br /&gt;
*[[憲法]]&lt;br /&gt;
*[[日本国憲法]]&lt;br /&gt;
*[[日本国憲法前文]]&lt;br /&gt;
*[[日本国憲法第9条]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.jimin.jp/jimin/shin_kenpou/shiryou/pdf/051122_a.pdf 〔PDF〕新憲法草案]（[[2005年]][[11月22日]] - [http://www.jimin.jp/jimin/shin_kenpou/index.html 自由民主党]）&lt;br /&gt;
*[http://www.dpj.or.jp/seisaku/sogo/BOX_SG0058.html 民主党「憲法提言中間報告」（要約版）]（[[2004年]][[6月23日]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[category:憲法|かいけん]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%BA%83%E7%94%B0%E5%BC%98%E6%AF%85&amp;diff=25105</id>
		<title>広田弘毅</title>
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				<updated>2008-02-28T02:14:00Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{日本の内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|[[廣田内閣|32]]&lt;br /&gt;
|廣田 弘毅&amp;lt;br/&amp;gt;（ひろた こうき）&amp;lt;br/&amp;gt;[[Image:Kohki Hirota suit.jpg|200px]]&lt;br /&gt;
|[[1878年]][[2月14日]]&lt;br /&gt;
|[[福岡県]][[那珂郡 (筑前国)|那珂郡]][[鍛冶町]]&lt;br /&gt;
|[[東京帝国大学]][[法学部]]卒業&lt;br /&gt;
|法学士（東京帝国大学）&lt;br /&gt;
|[[外務省]][[外交官]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[外務大臣]]&lt;br /&gt;
|非[[国会議員]]&lt;br /&gt;
|[[1936年]][[3月9日]]|[[1937年]][[1月23日]]&lt;br /&gt;
|非国会議員&lt;br /&gt;
|非国会議員&amp;lt;br/&amp;gt;（[[内閣総理大臣]]辞任後：&amp;lt;br/&amp;gt;[[貴族院議員]]）&lt;br /&gt;
|非国会議員}}&lt;br /&gt;
'''広田 弘毅'''（'''廣田 弘毅'''、ひろた こうき。[[1878年]]（[[明治]]11年）[[2月14日]] - [[1948年]]（[[昭和]]23年）[[12月23日]]）は[[日本]]の[[外交官]]、[[政治家]]である。第32代[[内閣総理大臣]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
1878年（明治11年）2月14日、[[福岡県]][[那珂郡 (筑前国)|那珂郡]]鍛冶町（現・[[福岡市]][[中央区 (福岡市)|中央区]]天神3丁目）の石材店を営む広田徳平の息子として生まれる。徳平は[[箱崎]]の農家の息子で、広田家に徒弟で入り真面目さと仕事熱心が買われ、子どもがいなかった広田家の養子になった。今日でも福岡市の[[東公園 (福岡市)|東公園]]内にある[[亀山上皇]]像の銘板には設置に功績があった石工として徳平の名が刻まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初名は'''丈太郎'''（じょうたろう）。信仰している禅宗の僧侶に相談に行き、「おまえが自分で自分に責任を持てると思うなら自分で名前を考えろ」と言われて『[[論語]]』巻四 泰伯第八にある「士不可以不弘毅」（士はもって弘毅（「弘」とは広い見識、「毅」とは強い意志力）ならざるべからず）から採って、旧制中学卒業直前のときに改名した。当時は改名が難しく1年間は僧籍に入る必要があったが、1年間寺に入ったということにしてもらった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
福岡市立大名小学校、福岡県立修猷館（現・[[福岡県立修猷館高等学校]]）、[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]を経て[[東京帝国大学]]法学部卒業後に[[山座円次郎]]の勧めによって[[外務省]]に入省、外交官になる。同期に[[吉田茂]]らがいる。とびきりの秀才というわけではなく修猷館では4番ぐらい、一高に入るときは10番ぐらいで外務省の試験は肝心の英語が苦手のため一度落ちている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交官時代 ===&lt;br /&gt;
[[1907年]]（明治40年）、清国公使館付外交官補として北京に在勤、その後は三等書記官としてロンドンの在英大使館に赴任。5年後、本省の通商局第一課長となり[[第一次世界大戦後]]、中国への「[[対華21ヶ条要求]]」の条約作製に参加するものの最後通牒の形で出すことには強く反対した。[[1919年]]（[[大正]]8年）、ワシントンに赴任することになり、その際サンフランシスコに着くと外務省の役人として初めて日本人移民村の視察を行い、移民たちから歓迎を受ける。その後、新設された情報部の課長、次長を経て[[1923年]]（大正12年）、第2次[[山本権兵衛]]内閣発足にともない欧州局長となる。次の加藤高明内閣では国際協調を重んじる「幣原外交」のもとで欧州局長として対ソ関係の改善に取り組み、[[1925年]]（大正14年）の[[日ソ基本条約]]締結により国交回復にこぎつける。&lt;br /&gt;
当時、広田は党派を超え広く外部と交際しており「外務省には幣原、出淵、広田の3人の大臣がいる」と言われるほどであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1927年]]（昭和2年）、オランダ公使を拝命。[[1930年]]（昭和5年）から[[1932年]]（昭和7年）にかけて、駐[[ソビエト連邦]][[特命全権大使]]を務めた。当時は[[学歴]][[立身出世]]の典型として知られた。着任後、[[満州事変]]が勃発。政府は軍がすぐに撤兵する旨を各国政府に通告するよう各国大公使に訓令を出したが広田は慎重な態度をとり、ソ連に通告を出さなかった。結果関東軍は永久占領の形でチチハルに居座り、各国大公使が各国政府の信頼を失う中、モスクワだけが例外となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 協和外交 ===&lt;br /&gt;
[[1933年]]（昭和8年）[[9月14日]]、[[斎藤実|斎藤]]内閣の[[外務大臣]]に就任。これは[[内田康哉]]前外相の人選によるものである。このとき、各国の駐日大公使を招いて新任挨拶をした際、駐日米国大使[[ジョセフ・グルー]]の信頼を得る。斉藤内閣で5回にわたり開かれた五相会議では、強硬意見を唱える[[荒木貞夫]]陸相と[[大角岑生]]海相を相手によく渡り合い、陸軍の提出した「皇国国策基本要綱」を骨抜きにした。次の[[岡田啓介|岡田]]内閣でも外相を留任。当時ソ連との間で懸案となっていた、東支鉄道買収交渉を妥結、条約化し、鉄道をめぐる紛争の種を取り除いた。また、ソ連との間で国境画定と紛争処理の2つの小委員会をもつ委員会を設けることを取り決め、のちに自身の内閣で国境紛争処理委員会として設置される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1935年]]（昭和10年）に議会において広田は日本の外交姿勢を「協和外交」と規定し万邦協和を目指し、「私の在任中に戦争は断じてないことを確信しているものである」と発言した。この発言は[[蒋介石]]や[[汪兆銘]]からも評価された。その後、中国に対する外交姿勢は高圧的なものから融和的なものに改められ、[[治外法権]]の撤廃なども議論されるようになった。さらに在華日本代表部を公使から大使に昇格させた。これにより中国国民党政府は広田外交を徳とし、大いに評価した。しかし軍部は現地で中国側と衝突し、中国側は日本の二重外交を非難し協和外交は偽装ではないかと疑われるようになった。そのため広田は外務・陸・海の3大臣の了解事項として、以下の「広田の対華三原則」を決定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1、支那側をして排日言動の徹底的取締りを行い、かつ欧米依存より脱却すると共に対日親善政策を採用し、諸政策を現実に実行し、さらに具体的問題につき帝国と提携せしむること。&lt;br /&gt;
:2、支那側をして満州国に対し窮極において正式承認を与えしむること必要なるも、差当り満州国の独立を事実上黙認し反満政策を罷めしむるのみならず、少なくともその接満地域たる北支方面においては、満州国と間に経済的および文化的の融通提携を行わしむること。&lt;br /&gt;
:3、外蒙等より来る赤化勢力の脅威が日満支三国の脅威たるに鑑み、支那側をして外蒙接壌方面において右脅威排除のためわが方の希望する諸般の施設に協力せしむること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これは一見すると日本側の一方的な要求のようだが、対中外交の大枠を決定することにより実質的に軍部を牽制するものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、軍の国防問題講演会や国体明徴講演会に対抗するため吉田茂ら待命の大公使に国内各地で外交問題講演会を開かせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 内閣総理大臣 ===&lt;br /&gt;
==== 総理就任 ====&lt;br /&gt;
[[Image:The Hirota Cabinet.jpg|thumb|right|300px|広田内閣（[[1936年]]（昭和11年）[[3月9日]]）]]&lt;br /&gt;
[[二・二六事件]]の責任をとり岡田内閣が総辞職した。当時の総理大臣は最後の[[元老]]であった[[西園寺公望]]が天皇の御下問を受けて推薦していた。このとき西園寺はまず[[近衛文麿]]を推し、初めに近衛に組閣命令が下ったが、病気を理由に辞退。そのため西園寺は、広田弘毅を候補に挙げる。天皇は広田が総理になることについて西園寺に「広田は名門の出ではない。それで大丈夫か」と尋ねた。広田は名家出身ではなく、親類・縁者にもこれといった人がなかった。当時はまだ、本人自身よりも親類・縁者の関係が重視され、いわゆる毛並みのいい人が総理大臣に選ばれていた時代であった。これを後で聞いた広田は「陛下は自分に対して信任がないのではないか」ととても気にしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西園寺は首相就任を引き受けさせるため[[近衛文麿]]と[[吉田茂]]（広田とは外交官の同期生）を説得役として派遣した。広田は拒み続けたがついには承諾し[[1936年]]（昭和11年）[[3月5日]]、[[天皇]]から組閣大命が下る。この際、天皇から新総理への注意として歴代総理に与えれた3ヵ条の注意（第一に憲法の規定を遵守して政治を行なうこと。第二に外交においては無理をして無用の摩擦を起こすことのないように。第三に財界に急激な変動を与えることのないように）の他に「第四に名門を崩すことのないように」という1ヵ条が特に付け加えられた。これにより広田は「自分は50年早く生まれ過ぎたような気がする」と語ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
組閣にあたって、陸軍から閣僚人事に関して不平がでた。好ましからざる人物として指名されたのは吉田茂（外相）、[[川崎卓吉]]（内相）、[[小原直]]（法相）、[[下村海南]]、[[中島知久平]]である。吉田は欧米と友好関係を結ぼうとしていた自由主義者であるとされ結局吉田が辞退し、広田が外務大臣を兼務し小原、下村らも辞退、川崎を商工相に据えることになり[[3月9日]]、広田内閣が成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 政策 ====&lt;br /&gt;
就任後はニ・ニ六事件当時の[[陸軍次官]]、[[軍務局長]]、陸軍大学校長の退官・更迭、軍事参事官全員の辞職、寺内ら若手3人を除く陸軍大将の現役引退、計3千人に及ぶ人事異動、事件首謀者の将校15人の処刑など大規模な粛軍を[[寺内寿一]]に実行させた。しかし[[軍部大臣現役武官制]]を復活させ、軍備拡張予算を成立させるなど軍部の意見を広範に受け入れることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また粛軍と共に「庶政刷新」に取り組み、以下の広田内閣の七大国策・十四項目を決定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1、国防の充実&lt;br /&gt;
:2、教育の刷新改善&lt;br /&gt;
:3、中央・地方を通じる税制の整備&lt;br /&gt;
:4、国民生活の安定&lt;br /&gt;
:（イ）災害防除対策、（ロ）保護施設の拡大、（ハ）農漁村経済の更生振興及び中小商工業の振興&lt;br /&gt;
:5、産業の統制&lt;br /&gt;
:（イ）電力の統制強化、（イ）液体燃料及び鉄鋼の自給、（ハ）繊維資源の確保、（ニ）貿易の助長及び統制、（ホ）航空及び海運事業の振興、（ヘ）邦人の海外発展援助&lt;br /&gt;
:6、対満重要国策の確立、移民政策及び投資の助長等&lt;br /&gt;
:7、行政機構の整備改善&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
具体的には義務教育期間を6年から8年へ延長、地方財政調整交付金制度の設立、発想電事業の国営化、母子保護法などの法案化を決定した。11月には[[日独防共協定]]を締結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また自ら天皇にも働きかけ、[[文化勲章]]を制定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 内閣総辞職 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Hirota_and_Terauchi_during_the_Kappuku-mondou.jpg|thumb|right|200px|割腹問答&amp;lt;br/&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;険しい表情で浜田議員に反駁する寺内陸相、奥が広田総理&amp;lt;/small&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
[[1937年]]（昭和12年）1月、議会で[[浜田国松]]議員の「[[割腹問答]]」があるとこれに激怒した寺内寿一陸相が広田に[[衆議院解散]]を要求、広田は議会を解散するつもりがなかったため、閣内不統一を理由に[[内閣総辞職]]を行なった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
広田の後任として組閣大命を受けたのは[[宇垣一成]]であったが、軍部が反対し流産。替わって[[林銑十郎]]に組閣大命が下り、[[2月2日]]に林内閣が成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 辞職後 ===&lt;br /&gt;
しばらくは鵠沼の別荘で恩給生活を送る。その後、[[第一次近衛内閣]]の外務大臣に就任。[[支那事変]]（[[盧溝橋事件]]）勃発に際しては不拡大方針を主張し現地解決を目指した。閣議で不拡大方針が放棄された後も[[有田八郎]]元外相を北京に派遣して国民党政府との交渉の糸口を探らせ、また駐日ドイツ大使[[ディルクセン]]を介して蒋介石に支那事変の平和的解決を働きかけるなど平和外交に努めた。この頃、上海でのヒューゲッセン事件、揚子江のパネー号事件、蕪湖のレディバード号事件に善処し、英国大使・[[クレーギー]]と米国大使・[[グルー]]から高く評価された。また[[企画院]]による総理直属の対華中央機関である対支局設置構想に、外交の一元主義を破壊するとして反対した。また元首相として[[重臣]]会議に出席、勅選の[[貴族院議員]]にもなった。[[米内光政]]内閣では請われて内閣参議となった。[[第二次世界大戦]]（[[大東亜戦争]]/[[太平洋戦争]]）中は[[東郷茂徳]]や[[石黒忠篤]]とともに院内会派[[無所属倶楽部]]を組織して[[東條内閣]]や[[大政翼賛会]]と対抗した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦争末期の[[1945年]]（昭和20年）6月にソ連を通じた和平交渉を探っていた政府の意を受けて、箱根・強羅に疎開していたソ連大使[[ヤコブ・マリク]]と非公式の接触を図る。広田は私的な来訪を装ってソ連の条件を探り出そうとしたがその意図はソ連側に見抜かれており、政府側が期待した返答を得ることはできなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== A級戦犯 ===&lt;br /&gt;
==== 東京裁判 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Hirota Koki.jpg|right|200px|thumb|[[ウィリアム・ウェブ]]裁判長から死刑宣告を聞かされる広田]]&lt;br /&gt;
大戦終結後、進駐してきた[[連合国軍]]により[[A級戦犯|A級戦争犯罪人]]として[[逮捕]]され「対[[アジア]]侵略の共同謀議」や「非人道的な行動を黙認した罪」等に問われ、[[極東国際軍事裁判]]で[[文官]]唯一の[[死刑]]判決を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一番大きな罪状とされたのは'''[[南京大虐殺]]と[[日中戦争]]を始めた'''ことである。南京虐殺事件に関しては外務省は軍部に対して改善を申し入れていたが暴行が8週間の間継続したため、連合軍は外務省がこの事件を黙認したとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
外国人の弁護士と日本人の弁護士がついて「このままあなたが黙ってると危ないですよ。あなたが無罪を主張し、ほんとうのことをいえば重い刑になることはないんですから」としきりに勧め、同じA級戦犯の[[佐藤賢了]]も同様に広田に無罪を主張するよう促していた。にもかかわらず東京裁判で広田がほとんどしゃべらなかったのは天皇に累が及ぶことを一番心配していたからだとされる。広田は御前会議にも重臣会議にも出席しており、日中戦争が始まるときにも天皇を交えた話し合いがもたれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお11人の裁判官中、3人（[[インド]]、[[オランダ]]、[[フランス]]）が無罪、2人（[[オーストラリア]]、[[ソビエト連邦|ソ連]]）が禁錮刑を主張している。[[オランダ]]の[[ベルト・レーリンク]][[判事]]は「広田が戦争に反対したこと、そして彼が平和の維持とその後の平和の回復に最善を尽くしたということは疑う余地が無い」と明確に無罪を主張している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦争を止めようとしていた感が強い広田に対する死刑判決には多くの疑問の声もあったという。減刑するように全国から数十万という署名（特に多かったのが福岡での7万2千、東京での3万）が集められた程である（広田自身は息子を通して、嘆願書は絶対に出してはいけないという声明を出した）。また、死刑を求刑していたはずの[[連合国]]の検察側からですら判決は意外だったとの声もあり、最終弁論で「彼らは誰一人として、人類の品位というものを尊重していない」と被告人達に罵詈雑言を浴びせた首席検事の[[ジョセフ・キーナン|キーナン]]ですら「なんという馬鹿げた判決か! どんなに重い刑罰を考えても終身刑までではないか!」とのコメントを残している。[[国粋主義]]団体[[玄洋社]]幹部・[[月成功太郎]]の娘・静子を妻にしていたことや（当時のGHQの調査分析課長であった[[エドガートン・ハーバート・ノーマン|ハーバート・ノーマン]]は玄洋社を「日本の国家主義と帝国主義のうちで最も気違いじみた一派」という見解を示していた）大陸で工作活動をした[[黒龍会]]を設立した[[内田良平 (政治運動家)|内田良平]]と友人であったことから、[[右翼]]であると先入観があったと見る説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 絞首刑 ====&lt;br /&gt;
1948年（昭和23年）12月23日、[[巣鴨拘置所|巣鴨プリズン]]内で[[刑罰の一覧|絞首刑]]を執行される。他のA級戦犯同様広田も[[靖国神社|靖國神社]]に合祀されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]]（[[平成]]13年）当時首相であった[[小泉純一郎]]が靖國神社に参拝したことをきっかけにA級戦犯分祀論が議論された中、広田の孫の弘太郎（当時67歳）が[[2006年]]（平成18年）[[7月27日]]付[[朝日新聞]]をはじめとする[[マスメディア]]の取材に対し「広田家が[[1978年]]（昭和53年）の合祀に同意した覚えはない。祖父は軍人でも戦没者でもなかったので、靖國神社と広田家はそもそも縁がない。また、首相であったので何らかの責任はある」という趣旨の発言をしている。しかし、靖國神社では合祀に際して遺族への同意を必要としていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Hirota Kouki statue.jpg|200px|right|thumb|福岡市美術館前にある広田弘毅の銅像]]&lt;br /&gt;
* 現在の[[国会議事堂]]は広田が首相の当時の1936年（昭和11年）に「帝国議会議事堂」として完成している。&lt;br /&gt;
* 福岡市[[中央区 (福岡市)|中央区]]の福岡市美術館前に広田の銅像が設置されている。&lt;br /&gt;
* 福岡市天神の[[水鏡天満宮]]の「天満宮」と書かれた額は広田が11歳のときに書いたものである。&lt;br /&gt;
* [[重光葵]]の手記『巣鴨日記』（「[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]」[[1952年|昭和27年]]8月号掲載）によると、広田は[[巣鴨拘置所|巣鴨プリズン]]収監中に受けた揮毫の依頼には何十篇でも「''物來順応　弘毅書''」と書き、まるで自身の経文であるかの様で筆跡も見事なものだったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 吉田裕『昭和天皇の終戦史』 （岩波書店、岩波新書、1992年）&lt;br /&gt;
=== 伝記 ===&lt;br /&gt;
* 岩崎栄『広田弘毅伝』（新潮社、1936年）&lt;br /&gt;
* [[北川晃二]]『黙してゆかむ:広田弘毅の生涯』 （講談社、1975年。講談社文庫、1987年、ISBN 4061840959）&lt;br /&gt;
* 沢田謙『広田弘毅伝』 （歴代総理大臣伝記刊行会、1936年）&lt;br /&gt;
* 永松浅造『新日本の巨人を語る:人間・広田弘毅（他三編）』 （森田書房、1936年）&lt;br /&gt;
* 広田弘毅伝記刊行会編『広田弘毅』（広田弘毅伝記刊行会、1966年。複製版: 葦書房、1992年5月、ISBN 4751204270）&lt;br /&gt;
* 吉井魯斎『児童の鑑 広田弘毅さん』 （尚文館、1936年）&lt;br /&gt;
* 渡邊行男『秋霜の人 広田弘毅』 （葦書房、1998年、ISBN 475120730X）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 伝記小説 ===&lt;br /&gt;
* [[城山三郎]]『落日燃ゆ』 （新潮社、1974年、ISBN 4103108045。新潮文庫、1986年、ISBN 4101133182。単行本新装版: 2002年、ISBN 4103108142）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[廣田内閣]]&lt;br /&gt;
* [[重臣会議]]&lt;br /&gt;
* [[福岡県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本国歴代内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|当代=[[広田内閣|32]]&lt;br /&gt;
|在任期間=1936年 - 1937年&lt;br /&gt;
|前代=31&lt;br /&gt;
|前首相名=岡田啓介&lt;br /&gt;
|次代=33&lt;br /&gt;
|次首相名=林銑十郎&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[外務大臣]]|第49-51代：1933年 - 1936年&amp;lt;br /&amp;gt;第55代：1937年 - 1938年|[[内田康哉]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[佐藤尚武]]|[[有田八郎]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[宇垣一成]]}}&lt;br /&gt;
{{外務大臣}}&lt;br /&gt;
{{A級戦犯}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ひろた こうき}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の外交官]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員 (1890-1947)]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京裁判]]&lt;br /&gt;
[[Category:福岡県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:福岡市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1878年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1948年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%B0%B4%E9%87%8E%E5%BB%A3%E5%BE%B3&amp;diff=25104</id>
		<title>水野廣徳</title>
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				<updated>2008-02-28T02:11:33Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: 新しいページ: ''''水野 廣徳'''（'''みずの ひろのり'''、1875年5月24日 - 1945年10月18日）は日本海軍の軍人・軍事評論家...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''水野 廣徳'''（'''みずの ひろのり'''、[[1875年]][[5月24日]] - [[1945年]][[10月18日]]）は[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の軍人・軍事評論家である。父は旧[[伊予松山藩|松山藩]]能方の水野光之で末子。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
[[愛媛県]][[松山市]]に生れる。幼少に両親を失い、伯父に育てられる。伯父の妻は[[秋山好古]][[陸軍大将]]・[[秋山真之]][[海軍中将]]の兄弟の親戚。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日清戦争]]後の[[1898年]]（明治31年）に江田島の[[海軍兵学校 (日本海軍)|海軍兵学校]]を卒業（26期）。[[義和団事件]]では[[陸戦隊]][[小隊|小隊長]]として[[上海]]の警備を担当する。[[1905年]]（明治38年）、[[日露戦争]]では[[旅順口閉塞作戦]]や[[黄海海戦 (日露戦争)|黄海海戦]]、[[海軍大尉]]（第41号[[水雷艇]]長）として[[日本海海戦]]に従軍。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦後は[[軍令部]]に所属し、日露海戦史の編纂に従事し、日本海海戦部分などを担当。[[1911年]]（明治44年）、『[[此一戦]]』を[[博文館]]から刊行。編纂作業終了後は舞鶴水雷団、佐世保海軍工廠検査官、のちに海軍省文庫主官となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第一次世界大戦]]では2度にわたり欧米諸国を私費で視察、戦時下である1度目の視察の後に[[1917年]]（大正6年）に東京[[朝日新聞]]に連載の紀行文『バタの臭』では、空襲を受ければ東京や大阪が灰になる可能性を早くも指摘。戦後の2度目の際にはその惨状を目の当たりにし、一転して反戦思想家に転じ反戦・平和論を説いた。[[1921年]]（大正10年）には[[東京日日新聞]]に文章を発表して謹慎処分を受ける。この問題をきっかけに、慰留する海軍を自ら退役した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1930年]]（昭和5年）、日米戦のシミュレーション・ノベル『海と空』を刊行。[[1932年]]（昭和7年）、『海と空』を膨らませた『打開か破滅か 興亡の此一戦』を出版するが、内容が問題となり直ちに発売禁止となる。そして[[1941年]]（昭和16年）[[2月26日]]、遂に軍部の執筆禁止者リストに載ってしまった。1945年（昭和20年）、[[腸閉塞]]を発症し、10月18日、遺書に「百年後の知己を待つ」と書き残し、[[今治市]]内の病院で生涯を閉じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作品 ==&lt;br /&gt;
*『[[此一戦]]』&lt;br /&gt;
:1911年（明治44年）に博文館より刊行。1905年（明治38年）[[5月27日]]、[[東郷平八郎]]司令長官率いる[[連合艦隊]]は、当時無敵の艦隊として世界に名を轟かせたロシア・[[バルチック艦隊]]を[[日本海]]に迎え撃った。海軍大尉として従軍した廣徳は、日露両艦隊の戦力比較から丁字戦法、後に東郷ターンと言われた奇跡の敵前大回頭など、日本海海戦の実像を臨場感をもって記した。また戦闘の合間にある[[士官]]兵卒の会話、バルチック艦隊の大遠征、秋山真之が敵艦に乗艦し[[降伏]]を受け入れる緊迫した場面などが克明に描かれている[[日本海海戦]]を描いたルポルタージュ。なお、『此一戦』が無許可出版であったので処罰されたとする評論がいくつかあるが、これは2作目の『次の一戦』の時のことである。『此一戦』は許可を受けての刊行であり、東郷らの題字や[[加藤友三郎]]らの序文が掲載されている。&lt;br /&gt;
*『次の一戦』&lt;br /&gt;
:[[1914年]]（大正3年）に金尾文淵堂より刊行。日米戦争のシミュレーション・ノベル。日露戦争のときはロシア海軍の旅順艦隊とバルチック艦隊を別々に撃破することが可能であったが、対アメリカ戦ではパナマ運河開通により太平洋艦隊と大西洋艦隊の両艦隊と間をおかず戦わねばならず、日本が敗北する結末を描いて海軍の拡張を訴えた。無許可出版であったため処罰を受けたが、時の海軍大臣・[[八代六郎]]が海軍の必要を訴える内容であったことに気を良くし、10日の謹慎処分を5日に軽減した。&lt;br /&gt;
*『戦影』（『血の飛沫』）&lt;br /&gt;
:1914年（大正3年）に金尾文淵堂より刊行。[[1904年]]（明治37年）の日露戦争における旅順方面の作戦を水雷艇長であった著者の視点で描いた。旅順口封鎖のための哨戒任務や、第三回旅順口閉塞作戦に閉塞隊員収容の任務に当たった時の状況などが克明に描かれる。1930年（昭和5年）、改訂版を改造社より刊行。初版でしばしば訴えていた海軍の拡張を訴える文言を削除。[[1935年]]（昭和10年）に香風閣より刊行された際には『血の飛沫』と改題。しかし[[1939年]]（昭和14年）の雄山閣での刊行の際は元の題名に戻した。&lt;br /&gt;
*『海と空』&lt;br /&gt;
:1930年（昭和5年）に海洋社より刊行。日米戦のシミュレーション・ノベル。海戦において大艦巨砲が既に時代遅れであり、戦局を決定するのが航空戦力であることを明示し、[[東京大空襲]]を予言。&lt;br /&gt;
*『打開か破滅か　興亡の此一戦』&lt;br /&gt;
:1932年（昭和7年）に東海書院より刊行。『海と空』を膨らませたもので、戦闘シーンの一部や東京大空襲の描写には『海と空』を流用。当時多数刊行されていた日米戦争を煽り立てる著作に対する批判や社会評論が随所に挿入されている。満州問題を論じた部分が検閲に引っかかり、発売後まもなく発禁となる。検閲で不可とされた部分を伏字とし『日米興亡の一戦』と改題、東海書院より再刊行。&lt;br /&gt;
*『秋山眞之』&lt;br /&gt;
:[[1933年]]（昭和8年）に秋山眞之会から限定刊行。桜井真清を代表として複数で執筆された秋山真之の伝記で、水野は立案監修を担当。翌年これを一般刊行のため簡略化した『提督秋山眞之』（岩波書店刊）には「巻頭に寄す」を書く。&lt;br /&gt;
*『秋山好古』&lt;br /&gt;
:1935年（昭和10年）に秋山好古伝記刊行会より刊行。秋山好古の伝記。『秋山眞之』同様桜井真清が代表者となっているが、執筆は廣徳が主導して松下芳男と2人で行われた。『秋山眞之』『秋山好古』ともにこの兄弟を研究する際の必須資料となっており、[[司馬遼太郎]]の『[[坂の上の雲]]』なども両書から多大な影響を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参照文献 ==&lt;br /&gt;
*木村久邇典 『帝国軍人の反戦：水野広徳と桜井忠温』朝日新聞社、1993　ISBN 4022607823 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[大日本帝国海軍軍人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[愛媛県出身の人物一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の海軍軍人|みすの ひろのり]]&lt;br /&gt;
[[category:愛媛県出身の人物|みすの ひろのり]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の評論家|みすの ひろのり]]&lt;br /&gt;
[[Category:1875年生|みすの ひろのり]]&lt;br /&gt;
[[Category:1945年没|みすの ひろのり]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=23552</id>
		<title>その時歴史が動いたの全放送リスト</title>
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				<updated>2008-02-07T05:26:42Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''その時歴史が動いたの全放送リスト'''（そのときれきしがうごいたのぜんほうそうりすと）ではNHKの番組『[[その時歴史が動いた]]』で放送した内容のタイトルについて説明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このリストではアンコール放送分は除いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==放送タイトル==&lt;br /&gt;
放送時間は2006年3月8日放送分までが水曜日21時15分～21時58分、2006年4月5日放送分からが水曜日22時～22時43分。&lt;br /&gt;
===2000年===&lt;br /&gt;
*3月29日　運命の一瞬、[[東郷平八郎|東郷]]ターン ～[[日本海海戦]]の真実～&lt;br /&gt;
*4月5日　世紀の対決 [[沢村栄治|沢村]]VS[[ベーブ・ルース]] ～日本プロ野球誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月12日　天下分け目の[[天王山]] ～[[豊臣秀吉|秀吉]]・必勝の人心掌握術～&lt;br /&gt;
*4月19日　幕末のプリンセス・日本を救う ～皇女[[和宮親子内親王|和宮]]の悲願～&lt;br /&gt;
*4月26日　[[新撰組]]参上![[池田屋事件]]に賭けた若者たち&lt;br /&gt;
*5月10日　その日 6人がいた ～[[火縄銃|鉄砲]]伝来・偶然のドラマ～&lt;br /&gt;
*5月17日　[[織田信長]]・勝利の方程式 ～真説・[[長篠の戦い|長篠合戦]]～&lt;br /&gt;
*5月24日　[[だるま|ダルマ]]大臣・[[高橋是清]]経済危機と格闘する（[[昭和金融恐慌]]）&lt;br /&gt;
*5月31日　敵は[[本能寺の変|本能寺]]にあり ～[[明智光秀|光秀]]はなぜ主君・信長を裏切ったのか～&lt;br /&gt;
*6月7日　[[坂本龍馬]] 幕末の日本を動かす ～[[薩長同盟]]成立の時～&lt;br /&gt;
*6月14日　我輩は小説家である ～[[夏目漱石]]・[[東京大学|東大]]辞表提出の時～&lt;br /&gt;
*6月21日　[[蘇我入鹿]]（そがのいるか）暗殺事件 ～実録・[[乙巳の変|大化改新のクーデター]]～&lt;br /&gt;
*6月28日　戦火の中で[[アニメーション|アニメ]]が生まれた（[[桃太郎 海の神兵]]）&lt;br /&gt;
*7月5日　[[大坂の役|大坂の陣]]、[[豊臣氏|豊臣家]]滅亡す ～[[徳川家康]]・非情の天下取り～&lt;br /&gt;
*7月12日　[[西郷隆盛]]、明治に挑む ～[[西南戦争]]勃発の時～&lt;br /&gt;
*7月19日　[[奇兵隊]]決起せよ![[高杉晋作]]挙兵の時&lt;br /&gt;
*7月26日　[[黒船]]来航 日米交渉ここに始まる&lt;br /&gt;
*8月2日　[[ミッドウェー海戦]]の悲劇&lt;br /&gt;
*8月9日　予ノ判断ハ外レタリ ～[[ソビエト連邦|ソ連]]対日参戦の衝撃～&lt;br /&gt;
*8月23日　[[キリシタン]]禁制 ～秀吉・[[ヨーロッパ]]と対決す～&lt;br /&gt;
*8月30日　[[関東大震災]] ～知られざる日米友好～&lt;br /&gt;
*9月6日　[[前畑秀子|前畑]]ガンバレ!! ～[[ベルリンオリンピック]]の光と影～&lt;br /&gt;
*10月4日　[[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]] 家康 なぞの大突撃 ～ヨーロッパ製甲冑の威力～&lt;br /&gt;
*10月11日　弟・[[源義経|義経]]を討て ～[[源頼朝]]・武家政権確立への決断～&lt;br /&gt;
*10月18日　[[津田梅子]]・[[津田塾大学|女子英学塾]]設立の時 ～女性の真の自立をめざして～&lt;br /&gt;
*10月25日　[[1929年]][[ニューヨーク|NY]]株価大暴落（[[世界恐慌]]）&lt;br /&gt;
*11月1日　[[伊能忠敬]] 56歳からの挑戦&lt;br /&gt;
*11月8日　[[桶狭間の戦い]] ～織田信長、逆転への情報戦略～&lt;br /&gt;
*11月15日　坂本龍馬暗殺事件 ～魔の一瞬が歴史を変えた～&lt;br /&gt;
*11月22日　「[[学校]]」誕生 ～初代文部大臣・[[森有礼]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月29日　[[将軍]][[徳川慶喜|慶喜]]・最後の決断 ～幕末を動かした[[大坂城]]脱出～&lt;br /&gt;
*12月6日　[[20世紀|二十世紀]]十大事件 ～歴史を動かした決定的瞬間～&lt;br /&gt;
*12月13日　脱盟者たちの[[忠臣蔵]] ～忠義か人情か　人生の選択の時～&lt;br /&gt;
*12月20日　サムライ・[[福澤諭吉|福沢諭吉]] [[アメリカ合衆国|アメリカ]]に立つ! ～[[咸臨丸]][[サンフランシスコ]]入港の時～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2001年===&lt;br /&gt;
*1月10日　男たちよ、立て! ～[[北条政子]] 演説の時～&lt;br /&gt;
*1月17日　大衆の夢を形に ～起業家・[[小林一三]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*1月24日　検証・[[桜田門外の変]] ～[[井伊直弼]]暗殺・幕末大転換の時～&lt;br /&gt;
*2月7日　6000人の命を救った外交官 ～[[杉原千畝]] [[ビザ]]大量発給決断の時～&lt;br /&gt;
*2月14日・21日　シリーズ[[二・二六事件|2・26事件]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
*2月28日　秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす&lt;br /&gt;
*3月7日　[[大津事件|ロシア皇太子襲撃事件]] ～近代日本をつくった裁判～&lt;br /&gt;
*3月14日・21日　もしもその時（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「古代・中世編」&lt;br /&gt;
:後編「戦国・幕末編」&lt;br /&gt;
*3月28日　妻たちは決断した&lt;br /&gt;
**3月の3回は主として2000年度に放送された内容の総集編的な作品だった&lt;br /&gt;
*4月4日　世界を制した[[ハリウッド]][[映画]] ～[[風と共に去りぬ]]公開の時～&lt;br /&gt;
*4月11日　秀吉・家康 たった一度の直接対決 ～天下取りの知恵くらべ～&lt;br /&gt;
*4月18日　[[春日局]] 徳川家康を動かす ～戦国女性・太平の世への願い～&lt;br /&gt;
*4月25日　日本を救った[[サツマイモ]] ～[[青木昆陽]]・飢きん救済に挑む～&lt;br /&gt;
*5月2日　戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]沈没 ～[[大艦巨砲主義]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*5月9日　[[昭和天皇]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]・会見の時&lt;br /&gt;
*5月16日　「[[阿吽|あうん]]」の呼吸はこうして生まれた ～[[東大寺]] 金剛力士像完成の時～&lt;br /&gt;
*5月23日　[[岡倉天心|天心]]の恋 ～東洋の美を追い続けた男～&lt;br /&gt;
*5月30日　[[徳川吉宗]]、執念の財政再建 ～米将軍・最後の決断～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[土方歳三]]・北の大地に散る ～[[戊辰戦争]]、最後の激戦～&lt;br /&gt;
*6月13日　[[伊達政宗]]、[[百万石]]への挑戦&lt;br /&gt;
*6月20日　[[邪馬台国]]の女王・[[卑弥呼]] ～動乱の[[魏 (三国)|中国]]に使者を出す～&lt;br /&gt;
*6月27日　[[白村江の戦い|白村江]]・古代最大の対外戦争&lt;br /&gt;
*7月4日　金融恐慌・日本を揺るがす ～巨大商社、[[鈴木商店]]の挫折～&lt;br /&gt;
*7月11日　[[北条時宗]]、起死回生の決断 ～[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍壊滅の時～&lt;br /&gt;
*7月18日　モンゴル軍来襲 ～九州武士・[[竹崎季長]]の戦い～&lt;br /&gt;
*7月25日・8月1日　[[ポツダム宣言]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「米ソの攻防」 ～[[原子爆弾|原爆]]投下・[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]の決断～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連対日参戦」～ソ連対日参戦・[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の焦燥～&lt;br /&gt;
*8月22日　夏休みスペシャル・[[三国志]]英雄伝（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風、[[長江]]に吹く」 ～[[諸葛亮|孔明]]の知略、天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*8月29日　そして、人は空を飛んだ ～[[ライト兄弟]]に先がけた男・[[二宮忠八]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*9月5日　[[上杉鷹山]] ふたたびの財政改革&lt;br /&gt;
*9月19日　キリシタン女性 関ヶ原合戦を揺るがす ～[[細川ガラシャ]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*9月26日　ぼく一生の不覚 ～[[日独伊三国軍事同盟|三国同盟]]締結・[[松岡洋右]]の誤算～&lt;br /&gt;
*10月3日　走れ!AA型 ～国産自動車誕生物語～&lt;br /&gt;
*10月10日　不平等条約を改正せよ ～[[陸奥宗光]]～&lt;br /&gt;
*10月17日　日本を愛した[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]・その悲劇&lt;br /&gt;
*10月24日　人生に絶望なし ～[[ヘレン・ケラー|ヘレンケラ]]ー来日の時～&lt;br /&gt;
*10月31日　羽柴秀吉、謎の敵前退却 ～[[賤ヶ岳の戦い|賤ヶ岳合戦]]・勝利の秘策～&lt;br /&gt;
*11月7日　戦国の茶人 秀吉と戦う ～[[千利休]]切腹の悲劇～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[前田利家]]の妻・[[芳春院|まつ]]の決断 ～加賀百万石・息子への教え～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[満州事変]] [[関東軍]]独走す&lt;br /&gt;
*12月5日　この難を逃げ候こと 本懐にあらず ～改革者・[[大久保利通]]暗殺の悲劇～&lt;br /&gt;
*12月12日　汽笛一声・日本の産声 ～[[鉄道]]開通に賭けた若者たち～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2002年===&lt;br /&gt;
*1月9日　スペシャル『日本を動かした15人』（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
*1月16日　[[溥儀|ラストエンペラー]]最後の日 ～「[[満州国]]」と皇帝・溥儀～&lt;br /&gt;
*1月23日　役人の不正許すまじ ～[[大塩平八郎]]決起の時～&lt;br /&gt;
*1月30日　志のある者 立ち上がれ ～獄中の出会いが生んだ[[吉田松陰]]の思想～&lt;br /&gt;
*2月6日　王宮の恋・[[サラエボ事件|サラエボ]]に散る ～[[第一次世界大戦|世界大戦]]を招いた暗殺事件～&lt;br /&gt;
*2月13日　日本の夢、[[ベルサイユ]]に散る ～[[パリ講和会議]]・人種差別 廃止提案の挫折～&lt;br /&gt;
*2月20日　[[田中正造]]、足尾鉱毒==放送タイトル==&lt;br /&gt;
放送時間は2006年3月8日放送分までが水曜日21時15分～21時58分、2006年4月5日放送分からが水曜日22時～22時43分。&lt;br /&gt;
===2000年===&lt;br /&gt;
*3月29日　運命の一瞬、[[東郷平八郎|東郷]]ターン ～[[日本海海戦]]の真実～&lt;br /&gt;
*4月5日　世紀の対決 [[沢村栄治|沢村]]VS[[ベーブ・ルース]] ～日本プロ野球誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月12日　天下分け目の[[天王山]] ～[[豊臣秀吉|秀吉]]・必勝の人心掌握術～&lt;br /&gt;
*4月19日　幕末のプリンセス・日本を救う ～皇女[[和宮親子内親王|和宮]]の悲願～&lt;br /&gt;
*4月26日　[[新撰組]]参上![[池田屋事件]]に賭けた若者たち&lt;br /&gt;
*5月10日　その日 6人がいた ～[[火縄銃|鉄砲]]伝来・偶然のドラマ～&lt;br /&gt;
*5月17日　[[織田信長]]・勝利の方程式 ～真説・[[長篠の戦い|長篠合戦]]～&lt;br /&gt;
*5月24日　[[だるま|ダルマ]]大臣・[[高橋是清]]経済危機と格闘する（[[昭和金融恐慌]]）&lt;br /&gt;
*5月31日　敵は[[本能寺の変|本能寺]]にあり ～[[明智光秀|光秀]]はなぜ主君・信長を裏切ったのか～&lt;br /&gt;
*6月7日　[[坂本龍馬]] 幕末の日本を動かす ～[[薩長同盟]]成立の時～&lt;br /&gt;
*6月14日　我輩は小説家である ～[[夏目漱石]]・[[東京大学|東大]]辞表提出の時～&lt;br /&gt;
*6月21日　[[蘇我入鹿]]（そがのいるか）暗殺事件 ～実録・[[乙巳の変|大化改新のクーデター]]～&lt;br /&gt;
*6月28日　戦火の中で[[アニメーション|アニメ]]が生まれた（[[桃太郎 海の神兵]]）&lt;br /&gt;
*7月5日　[[大坂の役|大坂の陣]]、[[豊臣氏|豊臣家]]滅亡す ～[[徳川家康]]・非情の天下取り～&lt;br /&gt;
*7月12日　[[西郷隆盛]]、明治に挑む ～[[西南戦争]]勃発の時～&lt;br /&gt;
*7月19日　[[奇兵隊]]決起せよ![[高杉晋作]]挙兵の時&lt;br /&gt;
*7月26日　[[黒船]]来航 日米交渉ここに始まる&lt;br /&gt;
*8月2日　[[ミッドウェー海戦]]の悲劇&lt;br /&gt;
*8月9日　予ノ判断ハ外レタリ ～[[ソビエト連邦|ソ連]]対日参戦の衝撃～&lt;br /&gt;
*8月23日　[[キリシタン]]禁制 ～秀吉・[[ヨーロッパ]]と対決す～&lt;br /&gt;
*8月30日　[[関東大震災]] ～知られざる日米友好～&lt;br /&gt;
*9月6日　[[前畑秀子|前畑]]ガンバレ!! ～[[ベルリンオリンピック]]の光と影～&lt;br /&gt;
*10月4日　[[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]] 家康 なぞの大突撃 ～ヨーロッパ製甲冑の威力～&lt;br /&gt;
*10月11日　弟・[[源義経|義経]]を討て ～[[源頼朝]]・武家政権確立への決断～&lt;br /&gt;
*10月18日　[[津田梅子]]・[[津田塾大学|女子英学塾]]設立の時 ～女性の真の自立をめざして～&lt;br /&gt;
*10月25日　[[1929年]][[ニューヨーク|NY]]株価大暴落（[[世界恐慌]]）&lt;br /&gt;
*11月1日　[[伊能忠敬]] 56歳からの挑戦&lt;br /&gt;
*11月8日　[[桶狭間の戦い]] ～織田信長、逆転への情報戦略～&lt;br /&gt;
*11月15日　坂本龍馬暗殺事件 ～魔の一瞬が歴史を変えた～&lt;br /&gt;
*11月22日　「[[学校]]」誕生 ～初代文部大臣・[[森有礼]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月29日　[[将軍]][[徳川慶喜|慶喜]]・最後の決断 ～幕末を動かした[[大坂城]]脱出～&lt;br /&gt;
*12月6日　[[20世紀|二十世紀]]十大事件 ～歴史を動かした決定的瞬間～&lt;br /&gt;
*12月13日　脱盟者たちの[[忠臣蔵]] ～忠義か人情か　人生の選択の時～&lt;br /&gt;
*12月20日　サムライ・[[福澤諭吉|福沢諭吉]] [[アメリカ合衆国|アメリカ]]に立つ! ～[[咸臨丸]][[サンフランシスコ]]入港の時～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2001年===&lt;br /&gt;
*1月10日　男たちよ、立て! ～[[北条政子]] 演説の時～&lt;br /&gt;
*1月17日　大衆の夢を形に ～起業家・[[小林一三]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*1月24日　検証・[[桜田門外の変]] ～[[井伊直弼]]暗殺・幕末大転換の時～&lt;br /&gt;
*2月7日　6000人の命を救った外交官 ～[[杉原千畝]] [[ビザ]]大量発給決断の時～&lt;br /&gt;
*2月14日・21日　シリーズ[[二・二六事件|2・26事件]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
*2月28日　秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす&lt;br /&gt;
*3月7日　[[大津事件|ロシア皇太子襲撃事件]] ～近代日本をつくった裁判～&lt;br /&gt;
*3月14日・21日　もしもその時（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「古代・中世編」&lt;br /&gt;
:後編「戦国・幕末編」&lt;br /&gt;
*3月28日　妻たちは決断した&lt;br /&gt;
**3月の3回は主として2000年度に放送された内容の総集編的な作品だった&lt;br /&gt;
*4月4日　世界を制した[[ハリウッド]][[映画]] ～[[風と共に去りぬ]]公開の時～&lt;br /&gt;
*4月11日　秀吉・家康 たった一度の直接対決 ～天下取りの知恵くらべ～&lt;br /&gt;
*4月18日　[[春日局]] 徳川家康を動かす ～戦国女性・太平の世への願い～&lt;br /&gt;
*4月25日　日本を救った[[サツマイモ]] ～[[青木昆陽]]・飢きん救済に挑む～&lt;br /&gt;
*5月2日　戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]沈没 ～[[大艦巨砲主義]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*5月9日　[[昭和天皇]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]・会見の時&lt;br /&gt;
*5月16日　「[[阿吽|あうん]]」の呼吸はこうして生まれた ～[[東大寺]] 金剛力士像完成の時～&lt;br /&gt;
*5月23日　[[岡倉天心|天心]]の恋 ～東洋の美を追い続けた男～&lt;br /&gt;
*5月30日　[[徳川吉宗]]、執念の財政再建 ～米将軍・最後の決断～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[土方歳三]]・北の大地に散る ～[[戊辰戦争]]、最後の激戦～&lt;br /&gt;
*6月13日　[[伊達政宗]]、[[百万石]]への挑戦&lt;br /&gt;
*6月20日　[[邪馬台国]]の女王・[[卑弥呼]] ～動乱の[[魏 (三国)|中国]]に使者を出す～&lt;br /&gt;
*6月27日　[[白村江の戦い|白村江]]・古代最大の対外戦争&lt;br /&gt;
*7月4日　金融恐慌・日本を揺るがす ～巨大商社、[[鈴木商店]]の挫折～&lt;br /&gt;
*7月11日　[[北条時宗]]、起死回生の決断 ～[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍壊滅の時～&lt;br /&gt;
*7月18日　モンゴル軍来襲 ～九州武士・[[竹崎季長]]の戦い～&lt;br /&gt;
*7月25日・8月1日　[[ポツダム宣言]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「米ソの攻防」 ～[[原子爆弾|原爆]]投下・[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]の決断～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連対日参戦」～ソ連対日参戦・[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の焦燥～&lt;br /&gt;
*8月22日　夏休みスペシャル・[[三国志]]英雄伝（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風、[[長江]]に吹く」 ～[[諸葛亮|孔明]]の知略、天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*8月29日　そして、人は空を飛んだ ～[[ライト兄弟]]に先がけた男・[[二宮忠八]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*9月5日　[[上杉鷹山]] ふたたびの財政改革&lt;br /&gt;
*9月19日　キリシタン女性 関ヶ原合戦を揺るがす ～[[細川ガラシャ]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*9月26日　ぼく一生の不覚 ～[[日独伊三国軍事同盟|三国同盟]]締結・[[松岡洋右]]の誤算～&lt;br /&gt;
*10月3日　走れ!AA型 ～国産自動車誕生物語～&lt;br /&gt;
*10月10日　不平等条約を改正せよ ～[[陸奥宗光]]～&lt;br /&gt;
*10月17日　日本を愛した[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]・その悲劇&lt;br /&gt;
*10月24日　人生に絶望なし ～[[ヘレン・ケラー|ヘレンケラ]]ー来日の時～&lt;br /&gt;
*10月31日　羽柴秀吉、謎の敵前退却 ～[[賤ヶ岳の戦い|賤ヶ岳合戦]]・勝利の秘策～&lt;br /&gt;
*11月7日　戦国の茶人 秀吉と戦う ～[[千利休]]切腹の悲劇～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[前田利家]]の妻・[[芳春院|まつ]]の決断 ～加賀百万石・息子への教え～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[満州事変]] [[関東軍]]独走す&lt;br /&gt;
*12月5日　この難を逃げ候こと 本懐にあらず ～改革者・[[大久保利通]]暗殺の悲劇～&lt;br /&gt;
*12月12日　汽笛一声・日本の産声 ～[[鉄道]]開通に賭けた若者たち～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2002年===&lt;br /&gt;
*1月9日　スペシャル『日本を動かした15人』（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
*1月16日　[[溥儀|ラストエンペラー]]最後の日 ～「[[満州国]]」と皇帝・溥儀～&lt;br /&gt;
*1月23日　役人の不正許すまじ ～[[大塩平八郎]]決起の時～&lt;br /&gt;
*1月30日　志のある者 立ち上がれ ～獄中の出会いが生んだ[[吉田松陰]]の思想～&lt;br /&gt;
*2月6日　王宮の恋・[[サラエボ事件|サラエボ]]に散る ～[[第一次世界大戦|世界大戦]]を招いた暗殺事件～&lt;br /&gt;
*2月13日　日本の夢、[[ベルサイユ]]に散る ～[[パリ講和会議]]・人種差別 廃止提案の挫折～&lt;br /&gt;
*2月20日　[[田中正造]]、足尾鉱毒事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット|マリ・アントワネット]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*7月17日　[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]、皇帝への野望 ～戴冠式の一瞬に秘められた謎～&lt;br /&gt;
*7月24日　本能寺の変 ～信長暗殺!闇に消えた真犯人～&lt;br /&gt;
*7月31日　[[ガダルカナル島]]撤退 ～苦渋の決断～&lt;br /&gt;
*8月21日　特別編「戦い・その決定的瞬間」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「勝利の時・男たちは決断した」&lt;br /&gt;
:後編「戦乱・その時 妻は、母は」&lt;br /&gt;
*8月28日　さらば淀殿 お初の決断 ～運命に立ち向かった戦国三姉妹～&lt;br /&gt;
*9月4日　日本人、[[南極]]の大地に立つ（[[白瀬矗]]）&lt;br /&gt;
*9月11日　昭和を揺るがした銃弾 ～ライオン宰相・[[浜口雄幸]]狙撃の時～&lt;br /&gt;
*9月18日　ヒトラー情報 日本を揺るがす ～「真珠湾」へのもう一つの道～&lt;br /&gt;
*9月25日　ヒトラー最後の日 ～新資料が明かす独裁者の末路～&lt;br /&gt;
*10月2日　[[与謝野晶子]]『今ぞ目覚めて』 ～情熱の歌人、女性の自立を宣言～&lt;br /&gt;
*10月9日　幕末、[[京都市|京都]]炎上 ～長州・[[久坂玄瑞]]、志に散る～&lt;br /&gt;
*10月16日　必勝の方程式、江戸を制す ～[[大村益次郎]]、彰義隊撃破の時～&lt;br /&gt;
*10月23日　関ヶ原の戦い、決死の的中突破 ～戦国の猛将 [[島津義弘]]、決断の時～&lt;br /&gt;
*10月30日　人類のために生き、人類のために死す ～未公開書簡が明かす[[野口英世]]の真実～&lt;br /&gt;
*11月6日　豊臣秀吉天下統一の必勝戦略 ～[[小田原の役|小田原攻め]]に秘策あり～&lt;br /&gt;
*11月13日　激突 [[武田信玄]]と[[上杉謙信]] ～[[川中島の戦い]]、両雄決戦の時～ &lt;br /&gt;
*11月20日　改革に散った最後の幕臣 [[小栗上野介]] ～一本のねじから日本の近代は始まった～&lt;br /&gt;
*12月4日　[[銀行]]は人々のために ～金融危機を救った[[渋沢栄一]]の決断～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵、父と子の決断 ～赤穂浪士討ち入りの時～&lt;br /&gt;
*12月18日　[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]] [[交響曲第9番|第九]]誕生! ～民衆に自由を呼びかけた交響曲～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2003年===&lt;br /&gt;
*1月8日　新春スペシャル「ニッポン開国」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「なぜアメリカだったのか?」 ～[[マシュー・ペリー|ペリー]]の知られざる外交戦略～&lt;br /&gt;
:後編「通商か?亡国か?」 ～日本全権、決死の通商条約締結～&lt;br /&gt;
*1月15日　[[佐々木小次郎|小次郎]] 敗れたり ～決闘巌流島・[[宮本武蔵]]の執念～&lt;br /&gt;
*1月22日　兵法の道は人の道 宮本武蔵 ～『五輪書』完成への苦闘～&lt;br /&gt;
*1月29日　外交立国の志、いまだ死なず ～[[榎本武揚]]、箱館戦争終結の決断～&lt;br /&gt;
*2月12日　乱世を制するリーダーの条件 ～[[湊川の戦い]] [[足利尊氏]]、苦悩の決断～&lt;br /&gt;
*2月19日　夢は征夷大将軍 ～徳川家康・逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*2月26日　緊迫の二十四時間 ～新資料が明かす二・二六事件の内幕～&lt;br /&gt;
*3月5日　独裁者ヒトラー ～破滅への軌跡～&lt;br /&gt;
*3月12日　幕末立志伝 今こそ変革の時 ～[[吉田松陰]]・久坂玄瑞・[[高杉晋作]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*4月2日　家康・天下を制した184通の書状 ～関ヶ原の合戦・知られざる情報工作～&lt;br /&gt;
*4月9日　[[真田幸村]] どん底からの挑戦 ～家康を追いつめた伝説の名将～  &lt;br /&gt;
*4月16日　ロシア女帝が涙した帰国願い ～日露交渉の扉を開いた[[大黒屋光太夫]]～&lt;br /&gt;
*4月23日　改革者か、悪徳老中か? ～[[田沼意次]]、江戸の経済改革に挑む～&lt;br /&gt;
*5月7日　幕末ニッポン・幻の遷都計画 ～江戸か大坂か?[[大久保利通]]の大改革～&lt;br /&gt;
*5月14日　[[チャーリー・チャップリン|チャップリン]]を襲撃せよ ～五・一五事件　首相暗殺の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*5月21日　我が言は、万人の声 ～太平洋戦争前夜、日本を揺るがした国会演説～（[[斉藤隆夫]]）&lt;br /&gt;
*5月29日　日出づる処の天子より ～[[聖徳太子]]、理想国家建設の夢～&lt;br /&gt;
*6月4日　信長と家康、そして同盟は幻と消えた? ～[[長篠の戦い]]、戦国を変えた両雄の決断～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[源義経]]、大水軍を奪いとれ! ～[[壇ノ浦の戦い|壇の浦の戦い]]、奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*6月18日　新撰組誕生 ～幕末に青春をかけた男たち～&lt;br /&gt;
*6月25日　新撰組の夢、関東に散る ～江戸城明け渡しの裏で何がおきていたのか～&lt;br /&gt;
*7月2日　[[盧溝橋事件]] 運命の4日間 ～中国派兵への重大決意～&lt;br /&gt;
*7月9日　[[高杉晋作]]、50倍の敵を制する必勝戦略 ～幕末長州・奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*7月16日　海を越えた愛、日本を守る ～新史料、[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]開国秘話～&lt;br /&gt;
*7月23日　占領日本・運命を決した直談判 ～[[吉田茂]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]～&lt;br /&gt;
*7月30日　スパイ・[[リヒャルト・ゾルゲ|ゾルゲ]] 最後の暗号電報 ～新資料が明かす国際スパイ事件～&lt;br /&gt;
*8月20日　夏休みスペシャル・そして日本はよみがえった ～混迷を打ち破ったヒーローたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「混沌の時代を切り開いた男たち」&lt;br /&gt;
:後編「近代の日本を作った男たち」&lt;br /&gt;
*8月27日　[[板垣退助|板垣]]死すとも、自由は死せず ～日本に国会を誕生させた不朽の名言～&lt;br /&gt;
*9月3日　[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]] 世界帝国の夢 ～知られざる愛と誇りの決断～&lt;br /&gt;
*9月10日　[[ジャンヌ・ダルク]] 戦いはわが愛の証 ～裁判記録が明かす聖女の真実～&lt;br /&gt;
*9月17日　[[日野富子]] 愛と憎しみの和平工作 ～[[応仁の乱]]を終結させた将軍の妻～&lt;br /&gt;
*10月1日　秀吉に天下を取らせた男 ～[[黒田孝高|黒田官兵衛]] 戦国最強のナンバー2～&lt;br /&gt;
*10月8日・15日「[[始皇帝]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「希代のカリスマ・中国に立つ」 ～[[秦]]王朝 天下統一のとき～&lt;br /&gt;
:後編「崩壊は絶頂の中から始まった」 ～秦王朝 滅亡のとき～&lt;br /&gt;
*10月22日　[[正岡子規]] 余命十年で[[日本語]]を革新した男&lt;br /&gt;
*10月29日　[[白虎隊]] 自刃への三十六時間 ～生存隊士の手記が語る悲劇の真相～&lt;br /&gt;
*11月5日・12日　古代中国・[[項籍|項羽]]と[[劉邦]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「天下を分けた運命の宴 [[鴻門の会]]」&lt;br /&gt;
:後編「勝利への60万人の大合唱 [[垓下の戦い|四面楚歌]]」&lt;br /&gt;
*11月19日　[[勝海舟]] 江戸城無血開城はなぜ実現したか&lt;br /&gt;
*11月19日　[[マハトマ・ガンジー|ガンジー]] 暴力の連鎖を断ち切れ!&lt;br /&gt;
*12月4日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵 お裁き始末記 ～忠義か、犯罪か?幕府がゆらいだ50日～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2004年===&lt;br /&gt;
*1月7日　新春スペシャル・「新撰組」 ～最後のサムライたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「立志編 剣に生きる」&lt;br /&gt;
:後編「死闘編 武士道に死す」&lt;br /&gt;
*1月14日　秘められた革命工作 ～[[孫文]]を支えた日本人～&lt;br /&gt;
*1月21日　[[平清盛]] 早すぎた革新 ～平氏政権誕生のとき～&lt;br /&gt;
*1月28日　[[明治天皇]] [[あんパン]]を食す ～リストラ武士 [[木村安兵衛]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月4日　そして近代ニッポン人が誕生した ～明治の文豪たちの生き方革命～&lt;br /&gt;
*2月11日　日露開戦 男たちの決断 ～明治日本 存亡をかけた戦略～&lt;br /&gt;
*2月25日　[[外様大名]]はこうして生き残った! ～家康に勝利した逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*3月3日　大久保利通・新生日本を救う ～回避された「幻の日清戦争」～&lt;br /&gt;
*3月31日　[[さとうきび]]畑の村の戦争 ～新史料が明かす[[沖縄県|沖縄]]戦の悲劇～&lt;br /&gt;
*4月7日　新発見![[大坂城]]は超ハイテク要塞だった ～秀吉VS家康「堀」をめぐる攻防の真相～&lt;br /&gt;
*4月14日　日本の運命を背負った少年たち ～[[天正遣欧少年使節|天正遣欧使節]]・ローマ教皇謁見の時～&lt;br /&gt;
*4月21日　信長暗殺を命じた男 ～新説・本能寺の変 浮上した黒幕～&lt;br /&gt;
*4月28日　[[女優]]誕生 ～[[川上貞奴|マダム貞奴]]、「[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]」初演の時～&lt;br /&gt;
*5月5日　子供の心に歌を ～大正・[[童謡]]誕生物語～&lt;br /&gt;
*5月12日　日本[[サッカー]]・[[ベルリンオリンピック]]の奇跡 ～世界を驚かせた逆転勝利～&lt;br /&gt;
*5月19日・26日　モンゴル帝国（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「草原の覇者[[チンギス・ハーン|チンギス・カン]]」～ユーラシア統一への道～&lt;br /&gt;
:後編「[[マルコ・ポーロ]]は見た巨大国家の盛衰」 ～「[[東方見聞録]]」誕生のとき～&lt;br /&gt;
*6月2日　家康、人生最大の危機の3日間 ～大脱出!伊賀越えの先に天下が見えた～&lt;br /&gt;
*6月9日・16日　日露戦争100年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「二〇三高地の悲劇はなぜ起きたのか」 ～新史料が明かす激戦の真相～&lt;br /&gt;
:後編「逆転の極秘電報154号」 ～知られざるポーツマス講和会議の真相～&lt;br /&gt;
*6月23日　大江戸発至急便 黒船あらわる ～幕末日本の情報ネットワーク～&lt;br /&gt;
*6月30日　もう一つの日本を創った男 ～[[平将門]] 東国独立政権の謎～&lt;br /&gt;
*7月7日　「関白」対「源氏長者」 ～家康・秀吉 「姓」をめぐる知られざる攻防～&lt;br /&gt;
*7月14日　ドキュメント[[池田屋事件]] ～[[近藤勇|近藤 勇]]・突入決断の真相～&lt;br /&gt;
*7月21日　[[世界遺産]] [[熊野]]の森を守れ ～[[南方熊楠]]・日本初の自然保護運動～&lt;br /&gt;
*7月28日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす 最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*8月16日　奇跡の銀メダル [[人見絹江]] ～日本女子初メダル獲得の時～&lt;br /&gt;
*9月1日　武田信玄 地を拓き水を治める ～戦国時代制覇への夢～&lt;br /&gt;
*9月8日　信長と[[斎藤道三|道三]] ～改革者を生んだ非情の絆～&lt;br /&gt;
*9月15日　悲劇の英雄 ～“[[トーマス・エドワード・ロレンス|アラビアのロレンス]]”の真実～&lt;br /&gt;
*9月22日　焼け跡に[[ゾウ]]がやってきた ～海を越えた日本の子どもたちの夢～&lt;br /&gt;
*10月6日　グッドバイ ちょんまげ ～明治日本 文明開化騒動記～&lt;br /&gt;
*10月13日　列国の野望 [[シベリア]]を走る ～[[ロシア革命]]・[[ソビエト連邦|ソビエト]]成立までの混迷の5年～&lt;br /&gt;
*10月27日　実録・[[ええじゃないか]] ～幕末ニッポンを動かした民衆パワー～&lt;br /&gt;
*11月3日　義経はなぜ死んだのか ～源頼朝と奥州藤原氏の攻防～&lt;br /&gt;
*11月10日　秘録・幻の明治新政府 ～維新を変えた激動の27日間～&lt;br /&gt;
*11月17日　サムライ魂でデパートを創れ! ～近代百貨店誕生物語～&lt;br /&gt;
*11月24日　ニッポンに学べ![[タイ王国|タイ]]の”明治維新” ～「[[王様と私]]」・[[ラーマ5世|ラーマ五世]]の苦闘～ &lt;br /&gt;
*12月8日　ミステリー大化改新 ～蘇我入鹿暗殺の実像～&lt;br /&gt;
*12月15日　それからの新選組 ～土方歳三、箱館に死す～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2005年===&lt;br /&gt;
*1月5日　[[歌舞伎]]スタア誕生 [[市川團十郎 (2代目)|二代目 市川團十郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*1月12日　百世の安堵をはかれ 安政大地震・奇跡の復興劇&lt;br /&gt;
*1月26日　日露戦争100年 日本海海戦 ～参謀 [[秋山真之]]・知られざる苦闘～&lt;br /&gt;
*2月2日　龍馬が愛した女 ～幕末、愛と別れの物語～&lt;br /&gt;
*2月9日　[[プロ野球]]を変えた[[ホームラン]] [[天覧試合]] オーナーたちの戦い&lt;br /&gt;
*2月16日　日米攻防90日 国際軍縮を実現せよ! [[ワシントン会議 (1922年)|ワシントン会議]]・全権 [[加藤友三郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*2月23日　我が運命は民と共に 悲劇の英雄 [[楠木正成]]の実像&lt;br /&gt;
*3月2日　[[源実朝|実朝]]暗殺 ～歌人将軍は、なぜ殺されたか?～&lt;br /&gt;
*3月9日・16日　シリーズ三国志英雄伝（前・後編2週連続　2001年の夏休みスペシャルの再構成をベースに）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風・長江に吹く」 ～孔明の知略・天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*3月30日　恋・人生・そして小説 ～[[樋口一葉]] 女性作家誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月6日　大帝国の野望、博多に散る ～大陸から見た蒙古襲来～&lt;br /&gt;
*4月13日　武田家滅亡の謎 ～戦国最強軍団はなぜ滅びたのか～&lt;br /&gt;
*4月20日・27日　源義経 栄光と悲劇の旅路（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「第1回 西へ 戦いの彼方に」&lt;br /&gt;
:後編「第2回 北へ 流浪の果てに」&lt;br /&gt;
*5月11日　にっぽん[[郵便]]創業物語 ～[[前島密]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*5月18日　戦国をひらいた男 ～[[北条早雲]] 56才からの挑戦～&lt;br /&gt;
*5月25日　傷ついた戦場の兵士を救え ～[[佐野常民]] 日本初の国際人道支援～&lt;br /&gt;
*6月1日　民を救った義士たちの物語 ～宝暦の治水・[[薩摩藩]]士の苦闘～&lt;br /&gt;
*6月8日　[[横山エンタツ|エンタツ]]・[[花菱アチャコ|アチャコ]]の[[漫才]]革命 ～あんじょうわろうてや!～&lt;br /&gt;
*6月15日　幕末・運命の愛 ～時代を創った男と女の物語～&lt;br /&gt;
*6月22日　さらばサムライ ～[[西郷隆盛]] 徴兵制の決断～&lt;br /&gt;
*6月29日　さらばサムライ ～[[西南戦争]]・田原坂の真実～&lt;br /&gt;
*7月6日　プロ野球を作った男たち ～昭和10年 アメリカ遠征記～&lt;br /&gt;
*7月13日　実録・[[大岡忠相|大岡越前]] ～火事と闘った知られざる素顔～&lt;br /&gt;
*7月20日　信長の巨大鉄船、戦国の海を制す ～織田水軍 VS 村上水軍、決戦大坂湾～&lt;br /&gt;
*7月27日・8月3日　シリーズ終戦60年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦艦大和の悲劇」 ～大艦巨砲主義、時代に敗れる～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連参戦の衝撃」 ～満蒙開拓民はなぜ取り残された～&lt;br /&gt;
*8月24日　日露衝突を回避せよ ～[[高田屋嘉兵衛]] 決死の交渉劇～&lt;br /&gt;
*8月31日　家康が最も恐れた男 ～敗者 [[石田三成]]の関ヶ原～&lt;br /&gt;
*9月14日　[[二宮尊徳|二宮金次郎]] 天保の大飢饉を救う&lt;br /&gt;
*9月21日　戦国 出世の方程式 [[藤堂高虎]] 大阪夏の陣の大勝負&lt;br /&gt;
*10月12日　幕末・土佐勤皇党 不滅の志 ～若者たちは変革に命を賭けた～&lt;br /&gt;
*10月19日　誰がための仏教か ～[[鑑真]]和上の宗教改革～&lt;br /&gt;
*11月9日　鎖国の扉を開け ～[[ジョン万次郎]] 漂流民の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月16日　秘められたメディア戦略 ～[[児玉源太郎]] 日露戦争のシナリオ～&lt;br /&gt;
*11月30日・12月7日　シリーズ[[真珠湾攻撃|真珠湾]]への道（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[山本五十六]] 苦渋の作戦立案」&lt;br /&gt;
:後編「山本五十六 運命の作戦決行」&lt;br /&gt;
*12月14日　歴史の選択　赤穂浪士 ～討ち入り組VS討ち入り不参加組～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2006年===&lt;br /&gt;
*1月11日　人間ドラマ誕生 ～[[近松門左衛門]] [[曽根崎心中]]～&lt;br /&gt;
*1月18日　古代の文明開化 ～1号寺院・[[飛鳥寺]]建立の戦略～&lt;br /&gt;
*2月1日　[[新聞]]誕生 ～幕末・[[浜田彦蔵|ジョセフ彦]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月8日　[[壬申の乱]] ～[[天武天皇]]誕生の秘密～&lt;br /&gt;
*2月15日　戦国の花嫁 ～[[山内一豊]]の妻・[[見性院|千代]]～&lt;br /&gt;
*2月22日　[[伝染病]]から日本を守れ ～細菌学者 [[北里柴三郎]]の闘い～&lt;br /&gt;
*3月1日　さらば殿様 ～[[廃藩置県]] 激動の内幕～&lt;br /&gt;
*3月8日　[[零式艦上戦闘機|ゼロ戦]]・設計者が見た悲劇 ～[[マリアナ沖海戦]]への道～ （ここまでが水曜日21:15放送）&lt;br /&gt;
*4月5日　マッカーサーを叱った男 ～[[白洲次郎]]・戦後復興への挑戦～ （ここからが水曜日22:00放送）&lt;br /&gt;
*4月12日　[[大奥]] 悲しみの果てに ～[[徳川家宣]]正室 [[天英院]] 煕子の生涯～&lt;br /&gt;
*4月19日　それでも地球は動いた ～[[ガリレオ・ガリレイ]]の栄光と挫折～&lt;br /&gt;
*4月26日　歴史の選択　本能寺の変 織田信長 VS 明智光秀 ～激突!改革か安定か～&lt;br /&gt;
*5月17日　響け 希望の歌声 ～戦後初の流行歌「リンゴの唄」～&lt;br /&gt;
*5月24日　帝と民の巨大プロジェクト ～東大寺大仏 [[聖武天皇]]の挑戦～   &lt;br /&gt;
*5月31日　これは正義の戦いか ～ジャーナリストたちの[[ベトナム戦争]]～&lt;br /&gt;
*6月21日　幻の大艦隊 ～[[イギリス]]から見た[[薩英戦争]]～&lt;br /&gt;
*7月5日　勝負師は志高く ～碁聖・[[本因坊秀策]]の無敗伝説～&lt;br /&gt;
*7月12日　生まれ来る命 そして母のために ～[[荻野久作]]の受胎期の発見～&lt;br /&gt;
*7月26日　歴史の選択　川中島の戦い 引き分けの謎&lt;br /&gt;
*8月2日　焼け跡から生まれたチャンピオン ～ボクシング [[白井義男]]と[[アルビン・R・カーン|カーン]]～&lt;br /&gt;
*8月23日　幻のハワイ・日本同盟計画&lt;br /&gt;
*8月30日・9月6日　シリーズ 日本独立 その光と影（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「吉田茂と[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]] 前編」&lt;br /&gt;
:後編「吉田茂とサンフランシスコ講和条約 後編」&lt;br /&gt;
*9月13日・20日　「シリーズ・秀吉の[[家族]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「もう一人の秀吉 ～[[豊臣秀長]] [[太閤記]]を演出した弟～」&lt;br /&gt;
:後編「戦国の母 関ヶ原を決す ～[[高台院|おね]]・豊臣政権生き残りへの道～」&lt;br /&gt;
*10月4日　戦火をこえた青春の白球 ～[[学徒出陣]]前 最後の[[早慶戦]]～&lt;br /&gt;
*10月11日　神は我を救い給（たま）うか ～キリシタン 細川ガラシャの生涯～&lt;br /&gt;
*10月18日　格差の怒り 政府を倒す ～[[大正デモクラシー]]を生んだ[[米騒動]]～&lt;br /&gt;
*11月1日　歴史の選択　坂本龍馬暗殺 黒幕は誰か?&lt;br /&gt;
*11月8日　日本を発見した日本人 ～[[柳田國男|柳田国男]]・「[[遠野物語]]」誕生～&lt;br /&gt;
*11月22日　我が手に郷土を ～[[真田昌幸]]・[[信濃国|信州]][[上田市|上田]]の市民戦争～&lt;br /&gt;
*11月29日　ひらがな革命 ～[[国風文化]]を生んだ[[古今和歌集]]～&lt;br /&gt;
*12月20日　母の灯火（ともしび） 小さき者を照らして ～[[石井筆子]]・[[知的障害]]児教育の道～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2007年===&lt;br /&gt;
*1月10日　戦国の剣豪、太平を築く ～[[柳生宗矩]]・「活人剣（かつにんけん）」の真実～&lt;br /&gt;
*1月24日　それでも民は祈り続けた ～[[島原の乱]]・[[キリシタン]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*1月31日　[[東京オリンピック]]への道 ～平和の[[聖火]] アジア横断リレー～&lt;br /&gt;
*2月7日　完成・戦国最強軍団 ～武田信玄・苦悩の生涯～&lt;br /&gt;
*2月14日　中国と国交を回復せよ ～[[足利義満]]の日明外交～&lt;br /&gt;
*2月21日　鉄は国家なり ～技術立国 日本のあけぼの～&lt;br /&gt;
*2月28日　天下は我が掌中にあり ～[[黒田孝高|黒田如水]]・もうひとつの関ヶ原～&lt;br /&gt;
*3月7日　苦しむ患者を救いたい ～[[イタイイタイ病]]裁判・弁護士たちの闘い～&lt;br /&gt;
*3月14日　歴史の選択　[[邪馬台国]]はどこか ～[[近畿地方|近畿]]説VS[[九州地方|九州]]説～&lt;br /&gt;
*3月28日　その時歴史が動いたスペシャル もう一度聞きたい あの人の言葉（22:59まで拡大）&lt;br /&gt;
*4月4日　謙信恐るべし&lt;br /&gt;
*4月11日　[[所得倍増計画]]の夢を追え ～[[高度経済成長]]の軌跡～&lt;br /&gt;
*4月18日　海の関ヶ原 ～[[村上武吉]]・水軍に賭けた夢～&lt;br /&gt;
*4月25日　[[大奥]] 華（はな）にも意地あり ～江戸城無血開城・[[天璋院]]篤姫～&lt;br /&gt;
**[[岩崎ひろみ]]が天璋院役、[[吉井怜]]が和宮役で出演&lt;br /&gt;
*5月2日　[[憲法]]施行60年 特集　[[日本国憲法第9条|憲法九条]] 平和への闘争 ～1950年代 [[改憲]]・[[護憲]]論～（22:30～23:29）&lt;br /&gt;
*5月9日　源頼朝 魔法の大逆転 ～[[富士川の戦い]]～&lt;br /&gt;
*5月16日　日本ミステリー誕生 ～[[江戸川乱歩]]・大衆文化との格闘～&lt;br /&gt;
*5月23日　悲しき女帝 許されざる恋 ～[[宇佐八幡宮神託事件|道鏡事件]]の真相～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[メキシコシティオリンピック|メキシコ五輪]] 奇跡の銅メダル ～日本サッカー・勝つための組織作り～&lt;br /&gt;
*6月13日　ニッポン外交力誕生 ～[[伊藤博文]]・[[神戸事件]]解決～&lt;br /&gt;
*6月20日　乱世に祈りを ～[[蓮如]]（れんにょ）・理想郷の建設～&lt;br /&gt;
*7月4日　[[冷戦]]の壁を破ろうとした男 ～[[石橋湛山]]・世界平和への願い～&lt;br /&gt;
*7月11日　天才信長をつくった男 ～[[今川義元]] 真説・桶狭間の戦い～&lt;br /&gt;
*8月1日　忘れられた島の闘い ～[[沖縄返還]]への軌跡～&lt;br /&gt;
*9月5日　引き裂かれた村 ～日米戦の舞台・[[フィリピン]]～&lt;br /&gt;
*9月12日　外交の信念 時流に散る ～宰相・[[広田弘毅|廣田弘毅]]の闘い～&lt;br /&gt;
*9月19日　赤ちゃんを死なせない ～[[乳幼児死亡率|乳児死亡率]]ゼロ・ある村の記録～&lt;br /&gt;
*9月26日　[[日中国交正常化]]&lt;br /&gt;
*10月3日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　[[食通|グルメ]]誕生 ～[[北大路魯山人]]と器～&lt;br /&gt;
*10月10日　賤（しず）ヶ岳に散った夢 ～猛将・[[柴田勝家]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*10月17日　義に死すとも不義に生きず ～[[会津戦争]] [[松平容保]] 悲運の決断～&lt;br /&gt;
*10月24日　[[銀]]を制する者は天下を制す ～[[毛利氏|毛利一族]]の戦い～&lt;br /&gt;
*10月31日　[[奇兵隊]] ～幕末に命を賭けた若き庶民たち～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[国際連合]]加盟 ～[[重光葵]] 日本から世界へのメッセージ～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[継体天皇]] [[ヤマト王権|ヤマト]]を救う&lt;br /&gt;
*11月28日　[[緒方洪庵]]・[[天然痘]]との闘い&lt;br /&gt;
*12月5日　[[戦後]][[引揚者|引き揚げ]] 660万人故郷への道&lt;br /&gt;
*12月12日　天下に旗をあげよ ～伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢～&lt;br /&gt;
*12月19日　[[対馬府中藩|対馬藩]]・決死の国書すり替え ～[[朝鮮通信使]]秘話～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2008年===&lt;br /&gt;
*1月23日　都会の地下に夢をもとめて ～[[地下鉄]]の父・[[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]～&lt;br /&gt;
*1月30日・2月6日　シリーズ[[江戸時代]]の危機（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[富士山]][[宝永大噴火|大噴火]] ～幕府・復興への闘い～」&lt;br /&gt;
:後編「[[天明の大飢饉|天明の飢饉]]（ききん）江戸を脅（おびや）かす ～鬼平・[[長谷川宣以|長谷川平蔵]]の無宿人対策～」&lt;br /&gt;
*2月13日・20日　シリーズ秀吉の猛将（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦国の風雲児 法の世に散る ～[[福島正則]] 広島改易事件～」&lt;br /&gt;
:後編「豊臣家存続の秘策 ～[[加藤清正]] [[二条城]]会見～」&lt;br /&gt;
*2月27日　軍服を脱いだジャーナリスト ～[[水野廣徳|水野広徳]]が残したメッセージ～&lt;br /&gt;
*3月5日　「自立」を賭けた戦い ～[[河井継之助]]・もう一つの戊辰戦争～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[category:日本放送協会テレビ番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[category:教養番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[category:ドキュメンタリー番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=23551</id>
		<title>その時歴史が動いたの全放送リスト</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=23551"/>
				<updated>2008-02-07T05:24:51Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''その時歴史が動いたの全放送リスト'''（そのときれきしがうごいたのぜんほうそうりすと）ではNHKの番組『[[その時歴史が動いた]]』で放送した内容のタイトルについて説明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このリストではアンコール放送分は除いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==放送タイトル==&lt;br /&gt;
放送時間は2006年3月8日放送分までが水曜日21時15分～21時58分、2006年4月5日放送分からが水曜日22時～22時43分。&lt;br /&gt;
===2000年===&lt;br /&gt;
*3月29日　運命の一瞬、[[東郷平八郎|東郷]]ターン ～[[日本海海戦]]の真実～&lt;br /&gt;
*4月5日　世紀の対決 [[沢村栄治|沢村]]VS[[ベーブ・ルース]] ～日本プロ野球誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月12日　天下分け目の[[天王山]] ～[[豊臣秀吉|秀吉]]・必勝の人心掌握術～&lt;br /&gt;
*4月19日　幕末のプリンセス・日本を救う ～皇女[[和宮親子内親王|和宮]]の悲願～&lt;br /&gt;
*4月26日　[[新撰組]]参上![[池田屋事件]]に賭けた若者たち&lt;br /&gt;
*5月10日　その日 6人がいた ～[[火縄銃|鉄砲]]伝来・偶然のドラマ～&lt;br /&gt;
*5月17日　[[織田信長]]・勝利の方程式 ～真説・[[長篠の戦い|長篠合戦]]～&lt;br /&gt;
*5月24日　[[だるま|ダルマ]]大臣・[[高橋是清]]経済危機と格闘する（[[昭和金融恐慌]]）&lt;br /&gt;
*5月31日　敵は[[本能寺の変|本能寺]]にあり ～[[明智光秀|光秀]]はなぜ主君・信長を裏切ったのか～&lt;br /&gt;
*6月7日　[[坂本龍馬]] 幕末の日本を動かす ～[[薩長同盟]]成立の時～&lt;br /&gt;
*6月14日　我輩は小説家である ～[[夏目漱石]]・[[東京大学|東大]]辞表提出の時～&lt;br /&gt;
*6月21日　[[蘇我入鹿]]（そがのいるか）暗殺事件 ～実録・[[乙巳の変|大化改新のクーデター]]～&lt;br /&gt;
*6月28日　戦火の中で[[アニメーション|アニメ]]が生まれた（[[桃太郎 海の神兵]]）&lt;br /&gt;
*7月5日　[[大坂の役|大坂の陣]]、[[豊臣氏|豊臣家]]滅亡す ～[[徳川家康]]・非情の天下取り～&lt;br /&gt;
*7月12日　[[西郷隆盛]]、明治に挑む ～[[西南戦争]]勃発の時～&lt;br /&gt;
*7月19日　[[奇兵隊]]決起せよ![[高杉晋作]]挙兵の時&lt;br /&gt;
*7月26日　[[黒船]]来航 日米交渉ここに始まる&lt;br /&gt;
*8月2日　[[ミッドウェー海戦]]の悲劇&lt;br /&gt;
*8月9日　予ノ判断ハ外レタリ ～[[ソビエト連邦|ソ連]]対日参戦の衝撃～&lt;br /&gt;
*8月23日　[[キリシタン]]禁制 ～秀吉・[[ヨーロッパ]]と対決す～&lt;br /&gt;
*8月30日　[[関東大震災]] ～知られざる日米友好～&lt;br /&gt;
*9月6日　[[前畑秀子|前畑]]ガンバレ!! ～[[ベルリンオリンピック]]の光と影～&lt;br /&gt;
*10月4日　[[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]] 家康 なぞの大突撃 ～ヨーロッパ製甲冑の威力～&lt;br /&gt;
*10月11日　弟・[[源義経|義経]]を討て ～[[源頼朝]]・武家政権確立への決断～&lt;br /&gt;
*10月18日　[[津田梅子]]・[[津田塾大学|女子英学塾]]設立の時 ～女性の真の自立をめざして～&lt;br /&gt;
*10月25日　[[1929年]][[ニューヨーク|NY]]株価大暴落（[[世界恐慌]]）&lt;br /&gt;
*11月1日　[[伊能忠敬]] 56歳からの挑戦&lt;br /&gt;
*11月8日　[[桶狭間の戦い]] ～織田信長、逆転への情報戦略～&lt;br /&gt;
*11月15日　坂本龍馬暗殺事件 ～魔の一瞬が歴史を変えた～&lt;br /&gt;
*11月22日　「[[学校]]」誕生 ～初代文部大臣・[[森有礼]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月29日　[[将軍]][[徳川慶喜|慶喜]]・最後の決断 ～幕末を動かした[[大坂城]]脱出～&lt;br /&gt;
*12月6日　[[20世紀|二十世紀]]十大事件 ～歴史を動かした決定的瞬間～&lt;br /&gt;
*12月13日　脱盟者たちの[[忠臣蔵]] ～忠義か人情か　人生の選択の時～&lt;br /&gt;
*12月20日　サムライ・[[福澤諭吉|福沢諭吉]] [[アメリカ合衆国|アメリカ]]に立つ! ～[[咸臨丸]][[サンフランシスコ]]入港の時～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2001年===&lt;br /&gt;
*1月10日　男たちよ、立て! ～[[北条政子]] 演説の時～&lt;br /&gt;
*1月17日　大衆の夢を形に ～起業家・[[小林一三]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*1月24日　検証・[[桜田門外の変]] ～[[井伊直弼]]暗殺・幕末大転換の時～&lt;br /&gt;
*2月7日　6000人の命を救った外交官 ～[[杉原千畝]] [[ビザ]]大量発給決断の時～&lt;br /&gt;
*2月14日・21日　シリーズ[[二・二六事件|2・26事件]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
*2月28日　秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす&lt;br /&gt;
*3月7日　[[大津事件|ロシア皇太子襲撃事件]] ～近代日本をつくった裁判～&lt;br /&gt;
*3月14日・21日　もしもその時（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「古代・中世編」&lt;br /&gt;
:後編「戦国・幕末編」&lt;br /&gt;
*3月28日　妻たちは決断した&lt;br /&gt;
**3月の3回は主として2000年度に放送された内容の総集編的な作品だった&lt;br /&gt;
*4月4日　世界を制した[[ハリウッド]][[映画]] ～[[風と共に去りぬ]]公開の時～&lt;br /&gt;
*4月11日　秀吉・家康 たった一度の直接対決 ～天下取りの知恵くらべ～&lt;br /&gt;
*4月18日　[[春日局]] 徳川家康を動かす ～戦国女性・太平の世への願い～&lt;br /&gt;
*4月25日　日本を救った[[サツマイモ]] ～[[青木昆陽]]・飢きん救済に挑む～&lt;br /&gt;
*5月2日　戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]沈没 ～[[大艦巨砲主義]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*5月9日　[[昭和天皇]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]・会見の時&lt;br /&gt;
*5月16日　「[[阿吽|あうん]]」の呼吸はこうして生まれた ～[[東大寺]] 金剛力士像完成の時～&lt;br /&gt;
*5月23日　[[岡倉天心|天心]]の恋 ～東洋の美を追い続けた男～&lt;br /&gt;
*5月30日　[[徳川吉宗]]、執念の財政再建 ～米将軍・最後の決断～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[土方歳三]]・北の大地に散る ～[[戊辰戦争]]、最後の激戦～&lt;br /&gt;
*6月13日　[[伊達政宗]]、[[百万石]]への挑戦&lt;br /&gt;
*6月20日　[[邪馬台国]]の女王・[[卑弥呼]] ～動乱の[[魏 (三国)|中国]]に使者を出す～&lt;br /&gt;
*6月27日　[[白村江の戦い|白村江]]・古代最大の対外戦争&lt;br /&gt;
*7月4日　金融恐慌・日本を揺るがす ～巨大商社、[[鈴木商店]]の挫折～&lt;br /&gt;
*7月11日　[[北条時宗]]、起死回生の決断 ～[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍壊滅の時～&lt;br /&gt;
*7月18日　モンゴル軍来襲 ～九州武士・[[竹崎季長]]の戦い～&lt;br /&gt;
*7月25日・8月1日　[[ポツダム宣言]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「米ソの攻防」 ～[[原子爆弾|原爆]]投下・[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]の決断～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連対日参戦」～ソ連対日参戦・[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の焦燥～&lt;br /&gt;
*8月22日　夏休みスペシャル・[[三国志]]英雄伝（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風、[[長江]]に吹く」 ～[[諸葛亮|孔明]]の知略、天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*8月29日　そして、人は空を飛んだ ～[[ライト兄弟]]に先がけた男・[[二宮忠八]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*9月5日　[[上杉鷹山]] ふたたびの財政改革&lt;br /&gt;
*9月19日　キリシタン女性 関ヶ原合戦を揺るがす ～[[細川ガラシャ]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*9月26日　ぼく一生の不覚 ～[[日独伊三国軍事同盟|三国同盟]]締結・[[松岡洋右]]の誤算～&lt;br /&gt;
*10月3日　走れ!AA型 ～国産自動車誕生物語～&lt;br /&gt;
*10月10日　不平等条約を改正せよ ～[[陸奥宗光]]～&lt;br /&gt;
*10月17日　日本を愛した[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]・その悲劇&lt;br /&gt;
*10月24日　人生に絶望なし ～[[ヘレン・ケラー|ヘレンケラ]]ー来日の時～&lt;br /&gt;
*10月31日　羽柴秀吉、謎の敵前退却 ～[[賤ヶ岳の戦い|賤ヶ岳合戦]]・勝利の秘策～&lt;br /&gt;
*11月7日　戦国の茶人 秀吉と戦う ～[[千利休]]切腹の悲劇～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[前田利家]]の妻・[[芳春院|まつ]]の決断 ～加賀百万石・息子への教え～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[満州事変]] [[関東軍]]独走す&lt;br /&gt;
*12月5日　この難を逃げ候こと 本懐にあらず ～改革者・[[大久保利通]]暗殺の悲劇～&lt;br /&gt;
*12月12日　汽笛一声・日本の産声 ～[[鉄道]]開通に賭けた若者たち～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2002年===&lt;br /&gt;
*1月9日　スペシャル『日本を動かした15人』（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
*1月16日　[[溥儀|ラストエンペラー]]最後の日 ～「[[満州国]]」と皇帝・溥儀～&lt;br /&gt;
*1月23日　役人の不正許すまじ ～[[大塩平八郎]]決起の時～&lt;br /&gt;
*1月30日　志のある者 立ち上がれ ～獄中の出会いが生んだ[[吉田松陰]]の思想～&lt;br /&gt;
*2月6日　王宮の恋・[[サラエボ事件|サラエボ]]に散る ～[[第一次世界大戦|世界大戦]]を招いた暗殺事件～&lt;br /&gt;
*2月13日　日本の夢、[[ベルサイユ]]に散る ～[[パリ講和会議]]・人種差別 廃止提案の挫折～&lt;br /&gt;
*2月20日　[[田中正造]]、足尾鉱毒==放送タイトル==&lt;br /&gt;
放送時間は2006年3月8日放送分までが水曜日21時15分～21時58分、2006年4月5日放送分からが水曜日22時～22時43分。&lt;br /&gt;
===2000年===&lt;br /&gt;
*3月29日　運命の一瞬、[[東郷平八郎|東郷]]ターン ～[[日本海海戦]]の真実～&lt;br /&gt;
*4月5日　世紀の対決 [[沢村栄治|沢村]]VS[[ベーブ・ルース]] ～日本プロ野球誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月12日　天下分け目の[[天王山]] ～[[豊臣秀吉|秀吉]]・必勝の人心掌握術～&lt;br /&gt;
*4月19日　幕末のプリンセス・日本を救う ～皇女[[和宮親子内親王|和宮]]の悲願～&lt;br /&gt;
*4月26日　[[新撰組]]参上![[池田屋事件]]に賭けた若者たち&lt;br /&gt;
*5月10日　その日 6人がいた ～[[火縄銃|鉄砲]]伝来・偶然のドラマ～&lt;br /&gt;
*5月17日　[[織田信長]]・勝利の方程式 ～真説・[[長篠の戦い|長篠合戦]]～&lt;br /&gt;
*5月24日　[[だるま|ダルマ]]大臣・[[高橋是清]]経済危機と格闘する（[[昭和金融恐慌]]）&lt;br /&gt;
*5月31日　敵は[[本能寺の変|本能寺]]にあり ～[[明智光秀|光秀]]はなぜ主君・信長を裏切ったのか～&lt;br /&gt;
*6月7日　[[坂本龍馬]] 幕末の日本を動かす ～[[薩長同盟]]成立の時～&lt;br /&gt;
*6月14日　我輩は小説家である ～[[夏目漱石]]・[[東京大学|東大]]辞表提出の時～&lt;br /&gt;
*6月21日　[[蘇我入鹿]]（そがのいるか）暗殺事件 ～実録・[[乙巳の変|大化改新のクーデター]]～&lt;br /&gt;
*6月28日　戦火の中で[[アニメーション|アニメ]]が生まれた（[[桃太郎 海の神兵]]）&lt;br /&gt;
*7月5日　[[大坂の役|大坂の陣]]、[[豊臣氏|豊臣家]]滅亡す ～[[徳川家康]]・非情の天下取り～&lt;br /&gt;
*7月12日　[[西郷隆盛]]、明治に挑む ～[[西南戦争]]勃発の時～&lt;br /&gt;
*7月19日　[[奇兵隊]]決起せよ![[高杉晋作]]挙兵の時&lt;br /&gt;
*7月26日　[[黒船]]来航 日米交渉ここに始まる&lt;br /&gt;
*8月2日　[[ミッドウェー海戦]]の悲劇&lt;br /&gt;
*8月9日　予ノ判断ハ外レタリ ～[[ソビエト連邦|ソ連]]対日参戦の衝撃～&lt;br /&gt;
*8月23日　[[キリシタン]]禁制 ～秀吉・[[ヨーロッパ]]と対決す～&lt;br /&gt;
*8月30日　[[関東大震災]] ～知られざる日米友好～&lt;br /&gt;
*9月6日　[[前畑秀子|前畑]]ガンバレ!! ～[[ベルリンオリンピック]]の光と影～&lt;br /&gt;
*10月4日　[[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]] 家康 なぞの大突撃 ～ヨーロッパ製甲冑の威力～&lt;br /&gt;
*10月11日　弟・[[源義経|義経]]を討て ～[[源頼朝]]・武家政権確立への決断～&lt;br /&gt;
*10月18日　[[津田梅子]]・[[津田塾大学|女子英学塾]]設立の時 ～女性の真の自立をめざして～&lt;br /&gt;
*10月25日　[[1929年]][[ニューヨーク|NY]]株価大暴落（[[世界恐慌]]）&lt;br /&gt;
*11月1日　[[伊能忠敬]] 56歳からの挑戦&lt;br /&gt;
*11月8日　[[桶狭間の戦い]] ～織田信長、逆転への情報戦略～&lt;br /&gt;
*11月15日　坂本龍馬暗殺事件 ～魔の一瞬が歴史を変えた～&lt;br /&gt;
*11月22日　「[[学校]]」誕生 ～初代文部大臣・[[森有礼]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月29日　[[将軍]][[徳川慶喜|慶喜]]・最後の決断 ～幕末を動かした[[大坂城]]脱出～&lt;br /&gt;
*12月6日　[[20世紀|二十世紀]]十大事件 ～歴史を動かした決定的瞬間～&lt;br /&gt;
*12月13日　脱盟者たちの[[忠臣蔵]] ～忠義か人情か　人生の選択の時～&lt;br /&gt;
*12月20日　サムライ・[[福澤諭吉|福沢諭吉]] [[アメリカ合衆国|アメリカ]]に立つ! ～[[咸臨丸]][[サンフランシスコ]]入港の時～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2001年===&lt;br /&gt;
*1月10日　男たちよ、立て! ～[[北条政子]] 演説の時～&lt;br /&gt;
*1月17日　大衆の夢を形に ～起業家・[[小林一三]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*1月24日　検証・[[桜田門外の変]] ～[[井伊直弼]]暗殺・幕末大転換の時～&lt;br /&gt;
*2月7日　6000人の命を救った外交官 ～[[杉原千畝]] [[ビザ]]大量発給決断の時～&lt;br /&gt;
*2月14日・21日　シリーズ[[二・二六事件|2・26事件]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
*2月28日　秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす&lt;br /&gt;
*3月7日　[[大津事件|ロシア皇太子襲撃事件]] ～近代日本をつくった裁判～&lt;br /&gt;
*3月14日・21日　もしもその時（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「古代・中世編」&lt;br /&gt;
:後編「戦国・幕末編」&lt;br /&gt;
*3月28日　妻たちは決断した&lt;br /&gt;
**3月の3回は主として2000年度に放送された内容の総集編的な作品だった&lt;br /&gt;
*4月4日　世界を制した[[ハリウッド]][[映画]] ～[[風と共に去りぬ]]公開の時～&lt;br /&gt;
*4月11日　秀吉・家康 たった一度の直接対決 ～天下取りの知恵くらべ～&lt;br /&gt;
*4月18日　[[春日局]] 徳川家康を動かす ～戦国女性・太平の世への願い～&lt;br /&gt;
*4月25日　日本を救った[[サツマイモ]] ～[[青木昆陽]]・飢きん救済に挑む～&lt;br /&gt;
*5月2日　戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]沈没 ～[[大艦巨砲主義]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*5月9日　[[昭和天皇]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]・会見の時&lt;br /&gt;
*5月16日　「[[阿吽|あうん]]」の呼吸はこうして生まれた ～[[東大寺]] 金剛力士像完成の時～&lt;br /&gt;
*5月23日　[[岡倉天心|天心]]の恋 ～東洋の美を追い続けた男～&lt;br /&gt;
*5月30日　[[徳川吉宗]]、執念の財政再建 ～米将軍・最後の決断～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[土方歳三]]・北の大地に散る ～[[戊辰戦争]]、最後の激戦～&lt;br /&gt;
*6月13日　[[伊達政宗]]、[[百万石]]への挑戦&lt;br /&gt;
*6月20日　[[邪馬台国]]の女王・[[卑弥呼]] ～動乱の[[魏 (三国)|中国]]に使者を出す～&lt;br /&gt;
*6月27日　[[白村江の戦い|白村江]]・古代最大の対外戦争&lt;br /&gt;
*7月4日　金融恐慌・日本を揺るがす ～巨大商社、[[鈴木商店]]の挫折～&lt;br /&gt;
*7月11日　[[北条時宗]]、起死回生の決断 ～[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍壊滅の時～&lt;br /&gt;
*7月18日　モンゴル軍来襲 ～九州武士・[[竹崎季長]]の戦い～&lt;br /&gt;
*7月25日・8月1日　[[ポツダム宣言]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「米ソの攻防」 ～[[原子爆弾|原爆]]投下・[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]の決断～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連対日参戦」～ソ連対日参戦・[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の焦燥～&lt;br /&gt;
*8月22日　夏休みスペシャル・[[三国志]]英雄伝（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風、[[長江]]に吹く」 ～[[諸葛亮|孔明]]の知略、天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*8月29日　そして、人は空を飛んだ ～[[ライト兄弟]]に先がけた男・[[二宮忠八]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*9月5日　[[上杉鷹山]] ふたたびの財政改革&lt;br /&gt;
*9月19日　キリシタン女性 関ヶ原合戦を揺るがす ～[[細川ガラシャ]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*9月26日　ぼく一生の不覚 ～[[日独伊三国軍事同盟|三国同盟]]締結・[[松岡洋右]]の誤算～&lt;br /&gt;
*10月3日　走れ!AA型 ～国産自動車誕生物語～&lt;br /&gt;
*10月10日　不平等条約を改正せよ ～[[陸奥宗光]]～&lt;br /&gt;
*10月17日　日本を愛した[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]・その悲劇&lt;br /&gt;
*10月24日　人生に絶望なし ～[[ヘレン・ケラー|ヘレンケラ]]ー来日の時～&lt;br /&gt;
*10月31日　羽柴秀吉、謎の敵前退却 ～[[賤ヶ岳の戦い|賤ヶ岳合戦]]・勝利の秘策～&lt;br /&gt;
*11月7日　戦国の茶人 秀吉と戦う ～[[千利休]]切腹の悲劇～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[前田利家]]の妻・[[芳春院|まつ]]の決断 ～加賀百万石・息子への教え～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[満州事変]] [[関東軍]]独走す&lt;br /&gt;
*12月5日　この難を逃げ候こと 本懐にあらず ～改革者・[[大久保利通]]暗殺の悲劇～&lt;br /&gt;
*12月12日　汽笛一声・日本の産声 ～[[鉄道]]開通に賭けた若者たち～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2002年===&lt;br /&gt;
*1月9日　スペシャル『日本を動かした15人』（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
*1月16日　[[溥儀|ラストエンペラー]]最後の日 ～「[[満州国]]」と皇帝・溥儀～&lt;br /&gt;
*1月23日　役人の不正許すまじ ～[[大塩平八郎]]決起の時～&lt;br /&gt;
*1月30日　志のある者 立ち上がれ ～獄中の出会いが生んだ[[吉田松陰]]の思想～&lt;br /&gt;
*2月6日　王宮の恋・[[サラエボ事件|サラエボ]]に散る ～[[第一次世界大戦|世界大戦]]を招いた暗殺事件～&lt;br /&gt;
*2月13日　日本の夢、[[ベルサイユ]]に散る ～[[パリ講和会議]]・人種差別 廃止提案の挫折～&lt;br /&gt;
*2月20日　[[田中正造]]、足尾鉱毒事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット|マリ・アントワネット]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*7月17日　[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]、皇帝への野望 ～戴冠式の一瞬に秘められた謎～&lt;br /&gt;
*7月24日　本能寺の変 ～信長暗殺!闇に消えた真犯人～&lt;br /&gt;
*7月31日　[[ガダルカナル島]]撤退 ～苦渋の決断～&lt;br /&gt;
*8月21日　特別編「戦い・その決定的瞬間」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「勝利の時・男たちは決断した」&lt;br /&gt;
:後編「戦乱・その時 妻は、母は」&lt;br /&gt;
*8月28日　さらば淀殿 お初の決断 ～運命に立ち向かった戦国三姉妹～&lt;br /&gt;
*9月4日　日本人、[[南極]]の大地に立つ（[[白瀬矗]]）&lt;br /&gt;
*9月11日　昭和を揺るがした銃弾 ～ライオン宰相・[[浜口雄幸]]狙撃の時～&lt;br /&gt;
*9月18日　ヒトラー情報 日本を揺るがす ～「真珠湾」へのもう一つの道～&lt;br /&gt;
*9月25日　ヒトラー最後の日 ～新資料が明かす独裁者の末路～&lt;br /&gt;
*10月2日　[[与謝野晶子]]『今ぞ目覚めて』 ～情熱の歌人、女性の自立を宣言～&lt;br /&gt;
*10月9日　幕末、[[京都市|京都]]炎上 ～長州・[[久坂玄瑞]]、志に散る～&lt;br /&gt;
*10月16日　必勝の方程式、江戸を制す ～[[大村益次郎]]、彰義隊撃破の時～&lt;br /&gt;
*10月23日　関ヶ原の戦い、決死の的中突破 ～戦国の猛将 [[島津義弘]]、決断の時～&lt;br /&gt;
*10月30日　人類のために生き、人類のために死す ～未公開書簡が明かす[[野口英世]]の真実～&lt;br /&gt;
*11月6日　豊臣秀吉天下統一の必勝戦略 ～[[小田原の役|小田原攻め]]に秘策あり～&lt;br /&gt;
*11月13日　激突 [[武田信玄]]と[[上杉謙信]] ～[[川中島の戦い]]、両雄決戦の時～ &lt;br /&gt;
*11月20日　改革に散った最後の幕臣 [[小栗上野介]] ～一本のねじから日本の近代は始まった～&lt;br /&gt;
*12月4日　[[銀行]]は人々のために ～金融危機を救った[[渋沢栄一]]の決断～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵、父と子の決断 ～赤穂浪士討ち入りの時～&lt;br /&gt;
*12月18日　[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]] [[交響曲第9番|第九]]誕生! ～民衆に自由を呼びかけた交響曲～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2003年===&lt;br /&gt;
*1月8日　新春スペシャル「ニッポン開国」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「なぜアメリカだったのか?」 ～[[マシュー・ペリー|ペリー]]の知られざる外交戦略～&lt;br /&gt;
:後編「通商か?亡国か?」 ～日本全権、決死の通商条約締結～&lt;br /&gt;
*1月15日　[[佐々木小次郎|小次郎]] 敗れたり ～決闘巌流島・[[宮本武蔵]]の執念～&lt;br /&gt;
*1月22日　兵法の道は人の道 宮本武蔵 ～『五輪書』完成への苦闘～&lt;br /&gt;
*1月29日　外交立国の志、いまだ死なず ～[[榎本武揚]]、箱館戦争終結の決断～&lt;br /&gt;
*2月12日　乱世を制するリーダーの条件 ～[[湊川の戦い]] [[足利尊氏]]、苦悩の決断～&lt;br /&gt;
*2月19日　夢は征夷大将軍 ～徳川家康・逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*2月26日　緊迫の二十四時間 ～新資料が明かす二・二六事件の内幕～&lt;br /&gt;
*3月5日　独裁者ヒトラー ～破滅への軌跡～&lt;br /&gt;
*3月12日　幕末立志伝 今こそ変革の時 ～[[吉田松陰]]・久坂玄瑞・[[高杉晋作]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*4月2日　家康・天下を制した184通の書状 ～関ヶ原の合戦・知られざる情報工作～&lt;br /&gt;
*4月9日　[[真田幸村]] どん底からの挑戦 ～家康を追いつめた伝説の名将～  &lt;br /&gt;
*4月16日　ロシア女帝が涙した帰国願い ～日露交渉の扉を開いた[[大黒屋光太夫]]～&lt;br /&gt;
*4月23日　改革者か、悪徳老中か? ～[[田沼意次]]、江戸の経済改革に挑む～&lt;br /&gt;
*5月7日　幕末ニッポン・幻の遷都計画 ～江戸か大坂か?[[大久保利通]]の大改革～&lt;br /&gt;
*5月14日　[[チャーリー・チャップリン|チャップリン]]を襲撃せよ ～五・一五事件　首相暗殺の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*5月21日　我が言は、万人の声 ～太平洋戦争前夜、日本を揺るがした国会演説～（[[斉藤隆夫]]）&lt;br /&gt;
*5月29日　日出づる処の天子より ～[[聖徳太子]]、理想国家建設の夢～&lt;br /&gt;
*6月4日　信長と家康、そして同盟は幻と消えた? ～[[長篠の戦い]]、戦国を変えた両雄の決断～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[源義経]]、大水軍を奪いとれ! ～[[壇ノ浦の戦い|壇の浦の戦い]]、奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*6月18日　新撰組誕生 ～幕末に青春をかけた男たち～&lt;br /&gt;
*6月25日　新撰組の夢、関東に散る ～江戸城明け渡しの裏で何がおきていたのか～&lt;br /&gt;
*7月2日　[[盧溝橋事件]] 運命の4日間 ～中国派兵への重大決意～&lt;br /&gt;
*7月9日　[[高杉晋作]]、50倍の敵を制する必勝戦略 ～幕末長州・奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*7月16日　海を越えた愛、日本を守る ～新史料、[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]開国秘話～&lt;br /&gt;
*7月23日　占領日本・運命を決した直談判 ～[[吉田茂]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]～&lt;br /&gt;
*7月30日　スパイ・[[リヒャルト・ゾルゲ|ゾルゲ]] 最後の暗号電報 ～新資料が明かす国際スパイ事件～&lt;br /&gt;
*8月20日　夏休みスペシャル・そして日本はよみがえった ～混迷を打ち破ったヒーローたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「混沌の時代を切り開いた男たち」&lt;br /&gt;
:後編「近代の日本を作った男たち」&lt;br /&gt;
*8月27日　[[板垣退助|板垣]]死すとも、自由は死せず ～日本に国会を誕生させた不朽の名言～&lt;br /&gt;
*9月3日　[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]] 世界帝国の夢 ～知られざる愛と誇りの決断～&lt;br /&gt;
*9月10日　[[ジャンヌ・ダルク]] 戦いはわが愛の証 ～裁判記録が明かす聖女の真実～&lt;br /&gt;
*9月17日　[[日野富子]] 愛と憎しみの和平工作 ～[[応仁の乱]]を終結させた将軍の妻～&lt;br /&gt;
*10月1日　秀吉に天下を取らせた男 ～[[黒田孝高|黒田官兵衛]] 戦国最強のナンバー2～&lt;br /&gt;
*10月8日・15日「[[始皇帝]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「希代のカリスマ・中国に立つ」 ～[[秦]]王朝 天下統一のとき～&lt;br /&gt;
:後編「崩壊は絶頂の中から始まった」 ～秦王朝 滅亡のとき～&lt;br /&gt;
*10月22日　[[正岡子規]] 余命十年で[[日本語]]を革新した男&lt;br /&gt;
*10月29日　[[白虎隊]] 自刃への三十六時間 ～生存隊士の手記が語る悲劇の真相～&lt;br /&gt;
*11月5日・12日　古代中国・[[項籍|項羽]]と[[劉邦]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「天下を分けた運命の宴 [[鴻門の会]]」&lt;br /&gt;
:後編「勝利への60万人の大合唱 [[垓下の戦い|四面楚歌]]」&lt;br /&gt;
*11月19日　[[勝海舟]] 江戸城無血開城はなぜ実現したか&lt;br /&gt;
*11月19日　[[マハトマ・ガンジー|ガンジー]] 暴力の連鎖を断ち切れ!&lt;br /&gt;
*12月4日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵 お裁き始末記 ～忠義か、犯罪か?幕府がゆらいだ50日～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2004年===&lt;br /&gt;
*1月7日　新春スペシャル・「新撰組」 ～最後のサムライたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「立志編 剣に生きる」&lt;br /&gt;
:後編「死闘編 武士道に死す」&lt;br /&gt;
*1月14日　秘められた革命工作 ～[[孫文]]を支えた日本人～&lt;br /&gt;
*1月21日　[[平清盛]] 早すぎた革新 ～平氏政権誕生のとき～&lt;br /&gt;
*1月28日　[[明治天皇]] [[あんパン]]を食す ～リストラ武士 [[木村安兵衛]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月4日　そして近代ニッポン人が誕生した ～明治の文豪たちの生き方革命～&lt;br /&gt;
*2月11日　日露開戦 男たちの決断 ～明治日本 存亡をかけた戦略～&lt;br /&gt;
*2月25日　[[外様大名]]はこうして生き残った! ～家康に勝利した逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*3月3日　大久保利通・新生日本を救う ～回避された「幻の日清戦争」～&lt;br /&gt;
*3月31日　[[さとうきび]]畑の村の戦争 ～新史料が明かす[[沖縄県|沖縄]]戦の悲劇～&lt;br /&gt;
*4月7日　新発見![[大坂城]]は超ハイテク要塞だった ～秀吉VS家康「堀」をめぐる攻防の真相～&lt;br /&gt;
*4月14日　日本の運命を背負った少年たち ～[[天正遣欧少年使節|天正遣欧使節]]・ローマ教皇謁見の時～&lt;br /&gt;
*4月21日　信長暗殺を命じた男 ～新説・本能寺の変 浮上した黒幕～&lt;br /&gt;
*4月28日　[[女優]]誕生 ～[[川上貞奴|マダム貞奴]]、「[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]」初演の時～&lt;br /&gt;
*5月5日　子供の心に歌を ～大正・[[童謡]]誕生物語～&lt;br /&gt;
*5月12日　日本[[サッカー]]・[[ベルリンオリンピック]]の奇跡 ～世界を驚かせた逆転勝利～&lt;br /&gt;
*5月19日・26日　モンゴル帝国（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「草原の覇者[[チンギス・ハーン|チンギス・カン]]」～ユーラシア統一への道～&lt;br /&gt;
:後編「[[マルコ・ポーロ]]は見た巨大国家の盛衰」 ～「[[東方見聞録]]」誕生のとき～&lt;br /&gt;
*6月2日　家康、人生最大の危機の3日間 ～大脱出!伊賀越えの先に天下が見えた～&lt;br /&gt;
*6月9日・16日　日露戦争100年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「二〇三高地の悲劇はなぜ起きたのか」 ～新史料が明かす激戦の真相～&lt;br /&gt;
:後編「逆転の極秘電報154号」 ～知られざるポーツマス講和会議の真相～&lt;br /&gt;
*6月23日　大江戸発至急便 黒船あらわる ～幕末日本の情報ネットワーク～&lt;br /&gt;
*6月30日　もう一つの日本を創った男 ～[[平将門]] 東国独立政権の謎～&lt;br /&gt;
*7月7日　「関白」対「源氏長者」 ～家康・秀吉 「姓」をめぐる知られざる攻防～&lt;br /&gt;
*7月14日　ドキュメント[[池田屋事件]] ～[[近藤勇|近藤 勇]]・突入決断の真相～&lt;br /&gt;
*7月21日　[[世界遺産]] [[熊野]]の森を守れ ～[[南方熊楠]]・日本初の自然保護運動～&lt;br /&gt;
*7月28日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす 最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*8月16日　奇跡の銀メダル [[人見絹江]] ～日本女子初メダル獲得の時～&lt;br /&gt;
*9月1日　武田信玄 地を拓き水を治める ～戦国時代制覇への夢～&lt;br /&gt;
*9月8日　信長と[[斎藤道三|道三]] ～改革者を生んだ非情の絆～&lt;br /&gt;
*9月15日　悲劇の英雄 ～“[[トーマス・エドワード・ロレンス|アラビアのロレンス]]”の真実～&lt;br /&gt;
*9月22日　焼け跡に[[ゾウ]]がやってきた ～海を越えた日本の子どもたちの夢～&lt;br /&gt;
*10月6日　グッドバイ ちょんまげ ～明治日本 文明開化騒動記～&lt;br /&gt;
*10月13日　列国の野望 [[シベリア]]を走る ～[[ロシア革命]]・[[ソビエト連邦|ソビエト]]成立までの混迷の5年～&lt;br /&gt;
*10月27日　実録・[[ええじゃないか]] ～幕末ニッポンを動かした民衆パワー～&lt;br /&gt;
*11月3日　義経はなぜ死んだのか ～源頼朝と奥州藤原氏の攻防～&lt;br /&gt;
*11月10日　秘録・幻の明治新政府 ～維新を変えた激動の27日間～&lt;br /&gt;
*11月17日　サムライ魂でデパートを創れ! ～近代百貨店誕生物語～&lt;br /&gt;
*11月24日　ニッポンに学べ![[タイ王国|タイ]]の”明治維新” ～「[[王様と私]]」・[[ラーマ5世|ラーマ五世]]の苦闘～ &lt;br /&gt;
*12月8日　ミステリー大化改新 ～蘇我入鹿暗殺の実像～&lt;br /&gt;
*12月15日　それからの新選組 ～土方歳三、箱館に死す～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2005年===&lt;br /&gt;
*1月5日　[[歌舞伎]]スタア誕生 [[市川團十郎 (2代目)|二代目 市川團十郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*1月12日　百世の安堵をはかれ 安政大地震・奇跡の復興劇&lt;br /&gt;
*1月26日　日露戦争100年 日本海海戦 ～参謀 [[秋山真之]]・知られざる苦闘～&lt;br /&gt;
*2月2日　龍馬が愛した女 ～幕末、愛と別れの物語～&lt;br /&gt;
*2月9日　[[プロ野球]]を変えた[[ホームラン]] [[天覧試合]] オーナーたちの戦い&lt;br /&gt;
*2月16日　日米攻防90日 国際軍縮を実現せよ! [[ワシントン会議 (1922年)|ワシントン会議]]・全権 [[加藤友三郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*2月23日　我が運命は民と共に 悲劇の英雄 [[楠木正成]]の実像&lt;br /&gt;
*3月2日　[[源実朝|実朝]]暗殺 ～歌人将軍は、なぜ殺されたか?～&lt;br /&gt;
*3月9日・16日　シリーズ三国志英雄伝（前・後編2週連続　2001年の夏休みスペシャルの再構成をベースに）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風・長江に吹く」 ～孔明の知略・天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*3月30日　恋・人生・そして小説 ～[[樋口一葉]] 女性作家誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月6日　大帝国の野望、博多に散る ～大陸から見た蒙古襲来～&lt;br /&gt;
*4月13日　武田家滅亡の謎 ～戦国最強軍団はなぜ滅びたのか～&lt;br /&gt;
*4月20日・27日　源義経 栄光と悲劇の旅路（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「第1回 西へ 戦いの彼方に」&lt;br /&gt;
:後編「第2回 北へ 流浪の果てに」&lt;br /&gt;
*5月11日　にっぽん[[郵便]]創業物語 ～[[前島密]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*5月18日　戦国をひらいた男 ～[[北条早雲]] 56才からの挑戦～&lt;br /&gt;
*5月25日　傷ついた戦場の兵士を救え ～[[佐野常民]] 日本初の国際人道支援～&lt;br /&gt;
*6月1日　民を救った義士たちの物語 ～宝暦の治水・[[薩摩藩]]士の苦闘～&lt;br /&gt;
*6月8日　[[横山エンタツ|エンタツ]]・[[花菱アチャコ|アチャコ]]の[[漫才]]革命 ～あんじょうわろうてや!～&lt;br /&gt;
*6月15日　幕末・運命の愛 ～時代を創った男と女の物語～&lt;br /&gt;
*6月22日　さらばサムライ ～[[西郷隆盛]] 徴兵制の決断～&lt;br /&gt;
*6月29日　さらばサムライ ～[[西南戦争]]・田原坂の真実～&lt;br /&gt;
*7月6日　プロ野球を作った男たち ～昭和10年 アメリカ遠征記～&lt;br /&gt;
*7月13日　実録・[[大岡忠相|大岡越前]] ～火事と闘った知られざる素顔～&lt;br /&gt;
*7月20日　信長の巨大鉄船、戦国の海を制す ～織田水軍 VS 村上水軍、決戦大坂湾～&lt;br /&gt;
*7月27日・8月3日　シリーズ終戦60年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦艦大和の悲劇」 ～大艦巨砲主義、時代に敗れる～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連参戦の衝撃」 ～満蒙開拓民はなぜ取り残された～&lt;br /&gt;
*8月24日　日露衝突を回避せよ ～[[高田屋嘉兵衛]] 決死の交渉劇～&lt;br /&gt;
*8月31日　家康が最も恐れた男 ～敗者 [[石田三成]]の関ヶ原～&lt;br /&gt;
*9月14日　[[二宮尊徳|二宮金次郎]] 天保の大飢饉を救う&lt;br /&gt;
*9月21日　戦国 出世の方程式 [[藤堂高虎]] 大阪夏の陣の大勝負&lt;br /&gt;
*10月12日　幕末・土佐勤皇党 不滅の志 ～若者たちは変革に命を賭けた～&lt;br /&gt;
*10月19日　誰がための仏教か ～[[鑑真]]和上の宗教改革～&lt;br /&gt;
*11月9日　鎖国の扉を開け ～[[ジョン万次郎]] 漂流民の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月16日　秘められたメディア戦略 ～[[児玉源太郎]] 日露戦争のシナリオ～&lt;br /&gt;
*11月30日・12月7日　シリーズ[[真珠湾攻撃|真珠湾]]への道（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[山本五十六]] 苦渋の作戦立案」&lt;br /&gt;
:後編「山本五十六 運命の作戦決行」&lt;br /&gt;
*12月14日　歴史の選択　赤穂浪士 ～討ち入り組VS討ち入り不参加組～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2006年===&lt;br /&gt;
*1月11日　人間ドラマ誕生 ～[[近松門左衛門]] [[曽根崎心中]]～&lt;br /&gt;
*1月18日　古代の文明開化 ～1号寺院・[[飛鳥寺]]建立の戦略～&lt;br /&gt;
*2月1日　[[新聞]]誕生 ～幕末・[[浜田彦蔵|ジョセフ彦]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月8日　[[壬申の乱]] ～[[天武天皇]]誕生の秘密～&lt;br /&gt;
*2月15日　戦国の花嫁 ～[[山内一豊]]の妻・[[見性院|千代]]～&lt;br /&gt;
*2月22日　[[伝染病]]から日本を守れ ～細菌学者 [[北里柴三郎]]の闘い～&lt;br /&gt;
*3月1日　さらば殿様 ～[[廃藩置県]] 激動の内幕～&lt;br /&gt;
*3月8日　[[零式艦上戦闘機|ゼロ戦]]・設計者が見た悲劇 ～[[マリアナ沖海戦]]への道～ （ここまでが水曜日21:15放送）&lt;br /&gt;
*4月5日　マッカーサーを叱った男 ～[[白洲次郎]]・戦後復興への挑戦～ （ここからが水曜日22:00放送）&lt;br /&gt;
*4月12日　[[大奥]] 悲しみの果てに ～[[徳川家宣]]正室 [[天英院]] 煕子の生涯～&lt;br /&gt;
*4月19日　それでも地球は動いた ～[[ガリレオ・ガリレイ]]の栄光と挫折～&lt;br /&gt;
*4月26日　歴史の選択　本能寺の変 織田信長 VS 明智光秀 ～激突!改革か安定か～&lt;br /&gt;
*5月17日　響け 希望の歌声 ～戦後初の流行歌「リンゴの唄」～&lt;br /&gt;
*5月24日　帝と民の巨大プロジェクト ～東大寺大仏 [[聖武天皇]]の挑戦～   &lt;br /&gt;
*5月31日　これは正義の戦いか ～ジャーナリストたちの[[ベトナム戦争]]～&lt;br /&gt;
*6月21日　幻の大艦隊 ～[[イギリス]]から見た[[薩英戦争]]～&lt;br /&gt;
*7月5日　勝負師は志高く ～碁聖・[[本因坊秀策]]の無敗伝説～&lt;br /&gt;
*7月12日　生まれ来る命 そして母のために ～[[荻野久作]]の受胎期の発見～&lt;br /&gt;
*7月26日　歴史の選択　川中島の戦い 引き分けの謎&lt;br /&gt;
*8月2日　焼け跡から生まれたチャンピオン ～ボクシング [[白井義男]]と[[アルビン・R・カーン|カーン]]～&lt;br /&gt;
*8月23日　幻のハワイ・日本同盟計画&lt;br /&gt;
*8月30日・9月6日　シリーズ 日本独立 その光と影（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「吉田茂と[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]] 前編」&lt;br /&gt;
:後編「吉田茂とサンフランシスコ講和条約 後編」&lt;br /&gt;
*9月13日・20日　「シリーズ・秀吉の[[家族]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「もう一人の秀吉 ～[[豊臣秀長]] [[太閤記]]を演出した弟～」&lt;br /&gt;
:後編「戦国の母 関ヶ原を決す ～[[高台院|おね]]・豊臣政権生き残りへの道～」&lt;br /&gt;
*10月4日　戦火をこえた青春の白球 ～[[学徒出陣]]前 最後の[[早慶戦]]～&lt;br /&gt;
*10月11日　神は我を救い給（たま）うか ～キリシタン 細川ガラシャの生涯～&lt;br /&gt;
*10月18日　格差の怒り 政府を倒す ～[[大正デモクラシー]]を生んだ[[米騒動]]～&lt;br /&gt;
*11月1日　歴史の選択　坂本龍馬暗殺 黒幕は誰か?&lt;br /&gt;
*11月8日　日本を発見した日本人 ～[[柳田國男|柳田国男]]・「[[遠野物語]]」誕生～&lt;br /&gt;
*11月22日　我が手に郷土を ～[[真田昌幸]]・[[信濃国|信州]][[上田市|上田]]の市民戦争～&lt;br /&gt;
*11月29日　ひらがな革命 ～[[国風文化]]を生んだ[[古今和歌集]]～&lt;br /&gt;
*12月20日　母の灯火（ともしび） 小さき者を照らして ～[[石井筆子]]・[[知的障害]]児教育の道～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2007年===&lt;br /&gt;
*1月10日　戦国の剣豪、太平を築く ～[[柳生宗矩]]・「活人剣（かつにんけん）」の真実～&lt;br /&gt;
*1月24日　それでも民は祈り続けた ～[[島原の乱]]・[[キリシタン]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*1月31日　[[東京オリンピック]]への道 ～平和の[[聖火]] アジア横断リレー～&lt;br /&gt;
*2月7日　完成・戦国最強軍団 ～武田信玄・苦悩の生涯～&lt;br /&gt;
*2月14日　中国と国交を回復せよ ～[[足利義満]]の日明外交～&lt;br /&gt;
*2月21日　鉄は国家なり ～技術立国 日本のあけぼの～&lt;br /&gt;
*2月28日　天下は我が掌中にあり ～[[黒田孝高|黒田如水]]・もうひとつの関ヶ原～&lt;br /&gt;
*3月7日　苦しむ患者を救いたい ～[[イタイイタイ病]]裁判・弁護士たちの闘い～&lt;br /&gt;
*3月14日　歴史の選択　[[邪馬台国]]はどこか ～[[近畿地方|近畿]]説VS[[九州地方|九州]]説～&lt;br /&gt;
*3月28日　その時歴史が動いたスペシャル もう一度聞きたい あの人の言葉（22:59まで拡大）&lt;br /&gt;
*4月4日　謙信恐るべし&lt;br /&gt;
*4月11日　[[所得倍増計画]]の夢を追え ～[[高度経済成長]]の軌跡～&lt;br /&gt;
*4月18日　海の関ヶ原 ～[[村上武吉]]・水軍に賭けた夢～&lt;br /&gt;
*4月25日　[[大奥]] 華（はな）にも意地あり ～江戸城無血開城・[[天璋院]]篤姫～&lt;br /&gt;
**[[岩崎ひろみ]]が天璋院役、[[吉井怜]]が和宮役で出演&lt;br /&gt;
*5月2日　[[憲法]]施行60年 特集　[[日本国憲法第9条|憲法九条]] 平和への闘争 ～1950年代 [[改憲]]・[[護憲]]論～（22:30～23:29）&lt;br /&gt;
*5月9日　源頼朝 魔法の大逆転 ～[[富士川の戦い]]～&lt;br /&gt;
*5月16日　日本ミステリー誕生 ～[[江戸川乱歩]]・大衆文化との格闘～&lt;br /&gt;
*5月23日　悲しき女帝 許されざる恋 ～[[宇佐八幡宮神託事件|道鏡事件]]の真相～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[メキシコシティオリンピック|メキシコ五輪]] 奇跡の銅メダル ～日本サッカー・勝つための組織作り～&lt;br /&gt;
*6月13日　ニッポン外交力誕生 ～[[伊藤博文]]・[[神戸事件]]解決～&lt;br /&gt;
*6月20日　乱世に祈りを ～[[蓮如]]（れんにょ）・理想郷の建設～&lt;br /&gt;
*7月4日　[[冷戦]]の壁を破ろうとした男 ～[[石橋湛山]]・世界平和への願い～&lt;br /&gt;
*7月11日　天才信長をつくった男 ～[[今川義元]] 真説・[[桶狭間の戦い]]～&lt;br /&gt;
*8月1日　忘れられた島の闘い ～[[沖縄返還]]への軌跡～&lt;br /&gt;
*9月5日　引き裂かれた村 ～日米戦の舞台・[[フィリピン]]～&lt;br /&gt;
*9月12日　外交の信念 時流に散る ～宰相・[[広田弘毅|廣田弘毅]]の闘い～&lt;br /&gt;
*9月19日　赤ちゃんを死なせない ～[[乳幼児死亡率|乳児死亡率]]ゼロ・ある村の記録～&lt;br /&gt;
*9月26日　[[日中国交正常化]]&lt;br /&gt;
*10月3日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　[[食通|グルメ]]誕生 ～[[北大路魯山人]]と器～&lt;br /&gt;
*10月10日　賤（しず）ヶ岳に散った夢 ～猛将・[[柴田勝家]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*10月17日　義に死すとも不義に生きず ～[[会津戦争]] [[松平容保]] 悲運の決断～&lt;br /&gt;
*10月24日　[[銀]]を制する者は天下を制す ～[[毛利氏|毛利一族]]の戦い～&lt;br /&gt;
*10月31日　[[奇兵隊]] ～幕末に命を賭けた若き庶民たち～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[国際連合]]加盟 ～[[重光葵]] 日本から世界へのメッセージ～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[継体天皇]] [[ヤマト王権|ヤマト]]を救う&lt;br /&gt;
*11月28日　[[緒方洪庵]]・[[天然痘]]との闘い&lt;br /&gt;
*12月5日　[[戦後]][[引揚者|引き揚げ]] 660万人故郷への道&lt;br /&gt;
*12月12日　天下に旗をあげよ ～伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢～&lt;br /&gt;
*12月19日　[[対馬府中藩|対馬藩]]・決死の国書すり替え ～[[朝鮮通信使]]秘話～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2008年===&lt;br /&gt;
*1月23日　都会の地下に夢をもとめて ～[[地下鉄]]の父・[[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]～&lt;br /&gt;
*1月30日・2月6日　シリーズ[[江戸時代]]の危機（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[富士山]][[宝永大噴火|大噴火]] ～幕府・復興への闘い～」&lt;br /&gt;
:後編「[[天明の大飢饉|天明の飢饉]]（ききん）江戸を脅（おびや）かす ～鬼平・[[長谷川宣以|長谷川平蔵]]の無宿人対策～」&lt;br /&gt;
*2月13日・20日　シリーズ秀吉の猛将（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦国の風雲児 法の世に散る ～[[福島正則]] 広島改易事件～」&lt;br /&gt;
:後編「豊臣家存続の秘策 ～[[加藤清正]] [[二条城]]会見～」&lt;br /&gt;
*2月27日　軍服を脱いだジャーナリスト ～[[水野廣徳|水野広徳]]が残したメッセージ～&lt;br /&gt;
*3月5日　「自立」を賭けた戦い ～[[河井継之助]]・もう一つの戊辰戦争～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[category:日本放送協会テレビ番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[category:教養番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[category:ドキュメンタリー番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1&amp;diff=23549</id>
		<title>石橋湛山</title>
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				<updated>2008-02-07T02:41:18Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{日本の内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|[[石橋内閣|55]]&lt;br /&gt;
|石橋 湛山&amp;lt;br&amp;gt;（いしばし たんざん）&amp;lt;br&amp;gt;[[Image:Tanzan Ishibashi 2.jpg]]&lt;br /&gt;
|[[1884年]][[9月25日]]&lt;br /&gt;
|東京市麻布区芝二本榎&amp;lt;br&amp;gt;（現･東京都港区）&lt;br /&gt;
|早稲田大学&lt;br /&gt;
|[[従二位]]&amp;lt;br&amp;gt;[[勲一等旭日桐花大綬章]]&amp;lt;br&amp;gt;[[学士]]（早稲田大学）&lt;br /&gt;
|[[衆議院議員]]&amp;lt;br&amp;gt;[[自由民主党]][[総裁]]&lt;br /&gt;
|世襲ではない&lt;br /&gt;
|[[1956年]][[12月23日]]|[[1957年]][[2月25日]]&lt;br /&gt;
|静岡県第二区&lt;br /&gt;
|衆&lt;br /&gt;
|自由民主党}}&lt;br /&gt;
'''石橋 湛山'''（いしばし たんざん、[[1884年]][[9月25日]] - [[1973年]][[4月25日]]）は[[日本]]の[[ジャーナリスト]]、[[政治家]]である。[[内閣総理大臣]]。[[自由民主党総裁]]。[[従二位]][[勲一等]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[戦前]]から一貫して日本流の[[植民地]]経営を批判し加工貿易立国論を唱え、[[戦後]]は日中米ソ平和同盟を主張し政界で活躍した。保守合同後初の[[自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]を制して総理総裁となるが、在任2ヵ月弱で[[脳梗塞]]を発症して退陣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお'''湛山'''は[[日蓮宗]]の僧侶として得度してからの名前で、俗名は'''省三'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
[[1884年]]、[[日蓮宗]][[僧侶]]・[[杉田日布|杉田湛誓]]ときん夫妻の長男として生まれた。父の湛誓は、東京大教院（現・[[立正大学]]）の助教補（助手）を務めていた。後に総本山[[身延山]][[久遠寺]]第81世法主に選ばれた人物である。母・きんは[[江戸城]]内の[[畳]]表一式を請け負う大きな畳[[問屋]]石橋家の娘。石橋家は[[日蓮宗]]承教寺の有力な[[檀家]]で同寺院内に所在した東京大教院に在学中の湛誓と親しかった。故あって、母方の姓である石橋を名乗った&amp;lt;ref&amp;gt;『石橋湛山　&amp;lt;small&amp;gt;リベラリストの真髄&amp;lt;/small&amp;gt;』3-4頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1885年]]、湛誓が郷里[[山梨県]][[南巨摩郡]]増穂村（現・同郡[[増穂町]]）の昌福寺住職へ転じたため、きんと共に[[甲府市]]稲門へと移住した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1894年]]、湛誓が[[静岡市]]の本覚寺住職に転じることになり[[山梨県]][[中巨摩郡]]鏡中条村（旧・同郡[[若草]]町、現・[[南アルプス市]]）の長遠寺住職である望月日顕（後に身延山久遠寺83世法主）の下で育てられた。以来実質的な親子の関係は絶たれ、幾度となく手紙を出したが父母からの返事はもらえなかったという。湛山自身は「もし望月師に預けられず父の下に育てられたら、あるいはその余に厳格なるに耐えずしくじっていたかもしれぬ。…望月上人の薫陶を受けえたことは一生の幸福であった。そうしてくれた父にも深く感謝しなければならない」と「湛山回想」に記している&amp;lt;ref&amp;gt;『石橋湛山　&amp;lt;small&amp;gt;リベラリストの真髄&amp;lt;/small&amp;gt;』4-5頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1902年]]3月、[[山梨県立甲府第一高等学校|山梨県立第一中学校]]卒業。4月、[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]受験のため上京。しかし7月の試験は不合格となった。翌年、[[正則学園高等学校|正則英語学校]]で学び再度受験したがまたもや失敗し[[早稲田大学]]高等予科の[[編入学|編入試験]]を受け合格、9月に入学した。こうして東京での下宿生活が始まった&amp;lt;ref&amp;gt;『石橋湛山　&amp;lt;small&amp;gt;リベラリストの真髄&amp;lt;/small&amp;gt;』9頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ジャーナリスト時代 ===&lt;br /&gt;
早大を卒業すると[[毎日新聞社]]、兵役を経て[[東洋経済新報社]]に入社し、[[主幹]]・[[社長]]を歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
部下の[[高橋亀吉]]と共に経済論壇の一翼を担い、[[金解禁]]に当たっては新平価での金本位制復帰を主張し、旧平価での復帰や財界整理を主張した[[勝田貞次]]や[[堀江帰一]]たちや[[大蔵大臣]]として金解禁を旧平価で行った[[井上準之助]]と論争した。又、加工貿易立国論を唱えて[[満州]]の放棄を主張するなど、リベラルな言論人として知られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
行政面では[[中央集権]]・画一主義・[[官僚主義]]との訣別を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[支那事変]]が勃発してから敗戦に至るまで『東洋経済新報』誌上にて、長期戦化を戒める論陣を張った。署名記事を書くことが困難だった多くのリベラリストたち（[[清沢洌]]など）にも同誌は匿名での論説の場を提供した。石橋や匿名執筆者の論調は常に冷静な分析に基づいており、かつ婉曲・隠微に読者を啓蒙するといった物であったため、同誌は政府・[[内務省 (日本)|内務省]]から常に廃刊の標的にされ、インクや紙の配給を大きく制限されながらも『[[改造 (雑誌)|改造]]』や『[[中央公論]]』のような政府によって廃刊される事を免れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敗戦直後の[[1945年]][[8月25日]]には、論説「更正日本の進路～前途は実に洋々たり」で科学立国で再建を目指せば日本の将来は明るいとする先見的な見解を述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政界へ ===&lt;br /&gt;
戦後すぐに[[日本社会党]]からも[[総選挙]]出馬を誘われたが断り、[[自由党 (日本)|自由党]]から[[総選挙]]に出馬して落選したが第1次[[吉田茂]]内閣では大蔵大臣として入閣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大蔵大臣在任時には[[デフレーション]]を制えるための[[インフレーション]]を進め、傾斜生産（石炭増産の特殊促進）や[[復興金融公庫]]の活用を特徴とする「[[石橋財政]]」を推進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし戦後補償打ち切り問題、石炭増産問題、[[進駐軍]]経費問題などで[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]と対立。進駐軍経費は賠償費として日本が負担しており、ゴルフ場や邸宅建設、贅沢品等の経費も含んでいて日本の国家予算の3分の1を占めていた。このあまりの巨額の負担を下げる様、石橋は要求した。アメリカは諸外国の評判を気にしたことと以後の統治をスムーズに進行させることを考慮し、日本の負担額を2割削減することにした。戦勝国アメリカに勇気ある要求をした石橋は国民から'''心臓大臣'''と呼ばれるもアメリカに嫌われ、[[1947年]]にGHQの[[公職追放令]]により公職を追放された。[[1951年]]に追放が解除された後は、吉田の政敵であった[[自由党_(日本)|自由党]]・[[鳩山一郎]]派の幹部として打倒吉田内閣に動いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1954年]]の[[第1次鳩山内閣]]で[[通商産業省|通商産業大臣]]に就任した。石橋は[[中華人民共和国]]、[[ソビエト社会主義共和国連邦]]との国交回復などを主張し国民の期待も高かったが、アメリカの猛反発を受ける。アメリカの[[ジョン・フォスター・ダレス|ダレス]]国務長官は「中共（中華人民共和国）、ソ連との通商関係促進はアメリカ政府の対日援助計画に支障をきたす」と通告してきた。このアメリカの強硬姿勢に動揺した[[鳩山一郎]]首相に対し、石橋は「アメリカの意向は無視しましょう」と言った。[[1955年]]11月、[[日中輸出入組合]]の結成を支援し中共との貿易が軌道に乗るようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[11月15日]]の[[保守合同]]により、鳩山の[[日本民主党]]と吉田を継承した[[緒方竹虎]]の[[自由党_(日本)|自由党]]が合同して[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]が結成され、石橋もこれに入党した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 総理総裁 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Tanzan_Ishibashi.jpg|200px|thumb|right|総理に就任した頃]]&lt;br /&gt;
[[1956年]][[10月19日]]に日本とソビエト連邦が[[日ソ共同宣言]]により国交正常化するも、同年12月、鳩山首相が引退。これを受けてアメリカ追従を主張する[[岸信介]]が総裁選に立候補、これに対し石橋は社会主義圏とも国交正常化することを主張、鳩山派の一部を[[石橋派]]として率いて立候補した。総裁選の当初は岸優位であったが、[[石井光次郎]]と2位・2位連合を組んだ。1回目の投票では岸が1位であったが、決選投票では石橋派参謀の[[石田博英]]の功績もあって岸に7票差で競り勝って総裁に当選、[[12月23日]]に内閣総理大臣に指名された。しかし組閣が難航したため、石橋自身が一時的に全閣僚の臨時代理・事務取扱を兼務して発足している。親中派でもある石橋政権の樹立によって日本を反共の砦としたいアメリカの[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]]大統領は岸を望んでいたために狼狽したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内閣発足直後に石橋は全国10ヵ所を9日間でまわるという遊説行脚を敢行、自らの信念を語るとともに有権者の意見を積極的に聞いてまわった。しかし帰京した直後に自宅の風呂場で倒れる。軽い脳梗塞だったが、報道には「遊説中にひいた風邪をこじらせて[[肺炎]]を起こした上に、脳梗塞の兆候もある」と発表した。副総理格の外相として閣内に迎えられていた岸がただちに[[内閣総理大臣臨時代理|総理臨時代理]]となったが、2ヵ月の絶対安静が必要との医師の診断を受けると石橋は「政治的良心に従う」と潔く退陣した。在任65日。国会で一度も演説や答弁をしないまま退任した日本国憲法下初めての首相となった。後任の総理には全閣僚を引き継ぐ形で岸があたった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石橋はかつて『[[東洋経済新報]]』で、暴漢に襲われて[[帝国議会]]への出席ができなくなった当時の[[浜口雄幸]]首相に対して退陣を勧告する社説を書いたことがあった。もし国会に出ることができない自分が首相を続投すれば、当時の社説を読んだ読者をあざむく事態になると考えたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 退陣後 ===&lt;br /&gt;
幸い脳梗塞の症状は軽く、若干の後遺症は残ったものの石橋はまもなく政治活動を再開するまでに回復した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1959年]]9月、岸より「同盟国アメリカの意思に反する行為であるため日本政府とは一切関係ないものとする」と言われながらも中共を訪問。政府の一員ではない石橋は訪問してから数日はなかなか首脳と会える目処はつかなかったが、交渉に苦労の末、同月17日[[周恩来]]首相との会談を実現させた。冷戦構造を打ち破り、日本がその掛け橋となる'''日中米ソ平和同盟'''を主張。この主張はまだ国連の代表権を持たない中共にとって国際社会への足がかりになるものとして魅力的であり、周はこの提案に同意。周は[[台湾]]（[[中華民国]]）に武力行使をしないと石橋に約束。「日本と中国は両国民が手を携えて極東と世界の平和に貢献すべきである」との[[石橋・周共同声明]]を発表した。[[1960年]]、中共との貿易が再開した。この声明が後に[[第1次田中角榮内閣]]での[[日中共同声明]]に繋がったともいわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後も少人数ながら石橋派の領袖として影響力を持ち、岸が主導した[[日米安全保障条約|日米安保条約]]改定には批判的な態度をとるなど自民党内[[ハト派|鳩派]]の重鎮として活躍したが[[1963年]]の[[総選挙]]で落選し、そのまま政界から退いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政界を引退すると[[立正大学]]の[[学長]]も務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 年譜 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Ishibashi cabinet.jpg|thumb|250px|石橋内閣&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;前列左から[[岸信介|岸]]外相兼副総理、石橋総理、[[池田勇人|池田]]蔵相&amp;lt;/small&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
*[[1884年]]9月：[[東京市]][[麻布区]]芝二本榎（現･港区）に生まれる&lt;br /&gt;
*[[1885年]]3月：父が[[山梨県]][[南巨摩郡]][[増穂村]]の昌福寺住職に転じたことに伴い母と共に[[甲府市]]稲門に転居&lt;br /&gt;
*[[1894年]]9月：父が[[静岡市]]の本覚寺住職就任のため山梨県鏡中条村の長遠寺住職望月日謙に預けられる&lt;br /&gt;
*[[1895年]]4月：山梨県立尋常中学校入学&lt;br /&gt;
*[[1902年]]3月：省三を湛山と改名。山梨県立第一中学校卒業&lt;br /&gt;
*[[1903年]]9月：早稲田大学高等予科に編入 &lt;br /&gt;
*[[1904年]]9月：早稲田大学大学部文学科（現・文学部）哲学科へ進級。当時の校長は[[鳩山和夫]]&lt;br /&gt;
*[[1907年]]7月：早稲田大学大学部文学科を[[首席]]で卒業（英文科を含む）。特待研究生として宗教研究科へ進級&lt;br /&gt;
*[[1908年]]7月：宗教研究科修了。[[島村抱月]]の紹介で東京毎日新聞社入社&lt;br /&gt;
*[[1909年]]&lt;br /&gt;
**8月：東京毎日新聞を退社&lt;br /&gt;
**12月：東京麻布の歩兵第3連隊に入営　&lt;br /&gt;
*[[1910年]]11月：[[軍曹]]に昇進し除隊&lt;br /&gt;
*[[1911年]]&lt;br /&gt;
**1月：[[東洋経済新報社]]に入社。『東洋時論』編集を担当&lt;br /&gt;
**9月：見習い士官として3ヶ月召集を受ける&lt;br /&gt;
*[[1912年]]11月：岩井うめと[[結婚]]。岩井家は[[江戸時代]]、[[米沢藩]]士として[[家老]]職を務めた[[家柄]]&lt;br /&gt;
*[[1913年]]：陸軍歩兵少尉&lt;br /&gt;
*[[1915年]]11月：東洋経済新報社の合名社員に選ばれる&lt;br /&gt;
*[[1924年]]&lt;br /&gt;
**9月：鎌倉町議会議員に当選（～[[1928年]]8月）&lt;br /&gt;
**12月：東洋経済新報社第五代主幹に就任&lt;br /&gt;
*[[1925年]]1月：東洋経済新報社代表取締役･専務取締役に就任&lt;br /&gt;
*[[1935年]]9月：内閣より内閣調査局委員に任ぜられる&lt;br /&gt;
*[[1940年]]11月：東洋経済研究所を設立し所長ならびに理事に就任&lt;br /&gt;
*[[1941年]]2月：東洋経済新報社の社長制新設にともない代表取締役社長に就任&lt;br /&gt;
*[[1945年]]3月：早朝の[[東京大空襲|大空襲]]で芝の居宅焼失&lt;br /&gt;
*[[1946年]]&lt;br /&gt;
**3月：[[山川均]]提唱の民主人民連盟世話人会に参加&lt;br /&gt;
**4月：戦後初の総選挙に立候補し落選&lt;br /&gt;
**5月：[[第1次吉田内閣]]の大蔵大臣に就任&lt;br /&gt;
*[[1947年]]&lt;br /&gt;
**4月：静岡県第2区より立候補し初当選&lt;br /&gt;
**5月：[[公職追放]]となる&lt;br /&gt;
*[[1951年]]&lt;br /&gt;
**6月：公職追放解除、[[自由党]]に復党&lt;br /&gt;
**12月：[[立正大学]]学長に就任&lt;br /&gt;
*[[1953年]]3月：政策審議会会長に就任&lt;br /&gt;
*[[1954年]]&lt;br /&gt;
**11月：[[岸信介]]とともに自由党より除名処分を受ける&lt;br /&gt;
**12月：第1次鳩山一郎内閣の通商産業大臣に就任&lt;br /&gt;
*[[1956年]]12月:自由民主党第2代総裁に当選、内閣総理大臣に就任&lt;br /&gt;
*[[1957年]]&lt;br /&gt;
**1月：脳梗塞発症（公式発表は老人性急性肺炎）&lt;br /&gt;
**2月：自民党総裁・総理大臣辞職&lt;br /&gt;
*[[1959年]]9月：中華人民共和国を訪問し、[[周恩来]]と会談&lt;br /&gt;
*[[1963年]]&lt;br /&gt;
**9月：日本工業展覧会総裁として中華人民共和国を訪問&lt;br /&gt;
**11月：[[第30回衆議院議員総選挙]]で落選、政界引退&lt;br /&gt;
*[[1964年]]9月：ソビエト連邦を訪問&lt;br /&gt;
*[[1968年]]：[[立正大学]]学長を退任&lt;br /&gt;
*[[1973年]]4月：死去&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
石橋が首相を退陣した時にその潔さを国民は高く評価したが、一人[[弁護士]]の[[正木ひろし]]だけは私的な感情で「公務（首相の地位）を放棄した」と厳しく批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、石橋の全集が作られる事になった時に東洋経済新報社の編集者は全集に封入するコラムの執筆をその正木に依頼した。かつて石橋の部下であったその編集者は、石橋への賛美一色のコラムを集めたのでは一方の意見に偏らない言論の必要性を唱えて来た石橋の信念に反すると考えたのである。正木が書いた石橋への批判はそのまま掲載される事になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
=== 評論集 ===&lt;br /&gt;
*石橋湛山評論集（松尾尊兌・編、[[岩波書店]]、岩波文庫：ISBN 4-00-331681-9、ワイド版岩波文庫：ISBN 4-00-007005-3）&lt;br /&gt;
*小日本主義-石橋湛山外交論集（増田弘・編、1984年5月、[[草思社]]、ISBN 4-7942-0186-9）&lt;br /&gt;
*石橋湛山評論選集（1990年6月、[[東洋経済新報社]]、ISBN 4-492-06052-9）&lt;br /&gt;
*リベラリストの警鐘 石橋湛山著作集1-経済論（長幸男・編、1995年11月、東洋経済新報社、ISBN 4-492-06081-2）&lt;br /&gt;
*エコノミストの面目 石橋湛山著作集2-経済論（中村隆英・編、1995年11月、東洋経済新報社、ISBN 4-492-06082-0）&lt;br /&gt;
*大日本主義との闘争 石橋湛山著作集3-政治・外交論（鴨武彦・編、1996年1月、東洋経済新報社、ISBN 4-492-06083-9）&lt;br /&gt;
*改造は心から 石橋湛山著作集4-文芸・社会評論（谷沢永一・編、1995年12月、東洋経済新報社、ISBN 4-492-06084-7）&lt;br /&gt;
*石橋湛山全集（石橋湛山全集編纂委員会・編、全15巻、東洋経済新報社、ISBN 4-492-06010-3ほか）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 回想録・日記 ===&lt;br /&gt;
*湛山座談（1994年2月、岩波書店、ISBN 4-00-260173-0）&lt;br /&gt;
*湛山回想（1985年12月、岩波書店、ISBN 4-00-331682-7）&lt;br /&gt;
*石橋湛山―湛山回想 人間の記録47（1997年12月、[[日本図書センター]]、ISBN 4-8205-4290-7）&lt;br /&gt;
*石橋湛山日記（上下巻、石橋湛一ほか・編、2001年3月、[[みすず書房]]、ISBN 4-622-03676-2）&lt;br /&gt;
**単品としては、上巻：ISBN 4-622-03677-0、下巻：ISBN 4-622-03678-9であるが、新刊の分売はない模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*増田弘　『石橋湛山　&amp;lt;small&amp;gt;リベラリストの真髄&amp;lt;/small&amp;gt;』　1995年　中央公論社&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 栄典 ==&lt;br /&gt;
*1964年[[4月29日]]：[[勲一等旭日大綬章]]&lt;br /&gt;
*1973年4月25日：叙・[[従二位]]、旭日桐花大綬章追贈&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
*父　[[杉田湛誓]]（[[日蓮宗]][[僧侶]]）&lt;br /&gt;
*母　きん（東京、石橋藤左衛門二女）&lt;br /&gt;
*妻　うめ（[[福島県]]、岩井尊記三女）&lt;br /&gt;
*長男　[[石橋湛一|湛一]]&lt;br /&gt;
*長女　歌子&lt;br /&gt;
*二男　和彦&lt;br /&gt;
*孫　久美子（日商会頭を務めた[[足立正]]の孫に嫁する）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[石橋内閣]]&lt;br /&gt;
*[[石橋氏]]&lt;br /&gt;
*[[日蓮宗]]&lt;br /&gt;
*[[東洋経済新報社]]&lt;br /&gt;
*[[石橋湛山賞]]&lt;br /&gt;
*[[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
*[[石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞]]&lt;br /&gt;
*[[私の履歴書]]&lt;br /&gt;
*[[立正大学]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連人物 ==&lt;br /&gt;
*[[石田博英]]&lt;br /&gt;
*[[宇都宮徳馬]]&lt;br /&gt;
*[[松村謙三]]&lt;br /&gt;
*[[三木武夫]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.ishibashi-mf.org/index.html 財団法人石橋湛山記念財団]&lt;br /&gt;
*[http://www.waseda.jp/koho/award/tanzan.html 石橋湛山-石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞]&lt;br /&gt;
*[http://info.toyokeizai.co.jp/award/tanzan/index.html 石橋湛山賞]（[http://www.toyokeizai.co.jp/index.html 東洋経済]WebSite内）&lt;br /&gt;
*[http://www.ris.ac.jp/index.php 立正大学]&lt;br /&gt;
*[http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/kensei/ishibashitannzann.html 石橋湛山関係文書 | 国立国会図書館]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本国歴代内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|当代=[[石橋内閣|55]]&lt;br /&gt;
|在任期間=1956年 - 1957年&lt;br /&gt;
|前代=54&lt;br /&gt;
|前首相名=鳩山一郎&lt;br /&gt;
|次代=56&lt;br /&gt;
|次首相名=岸信介}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[自由民主党総裁]]|第2代：1956年 - 1957年|鳩山一郎|岸信介}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[日本の大蔵大臣・財務大臣一覧|大蔵大臣]]|第51代：1946年 - 1947年|[[渋沢敬三]]|[[片山哲]]（臨時代理）}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[経済産業大臣|通商産業大臣]]|第12～14代：1954年 - 1956年|[[愛知揆一]]|[[水田三喜男]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[郵政大臣]]|第9代：1956年|[[村上勇]]|[[平井太郎]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{財務大臣}}&lt;br /&gt;
{{経済産業大臣}}&lt;br /&gt;
{{法務大臣}}&lt;br /&gt;
{{郵政大臣}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のジャーナリスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:静岡県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:大正デモクラシー]]&lt;br /&gt;
[[Category:山梨県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1884年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1973年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1&amp;diff=23548</id>
		<title>石橋湛山</title>
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				<updated>2008-02-07T02:37:58Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{日本の内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|[[石橋内閣|55]]&lt;br /&gt;
|石橋 湛山&amp;lt;br&amp;gt;（いしばし たんざん）&amp;lt;br&amp;gt;[[Image:Tanzan Ishibashi 2.jpg]]&lt;br /&gt;
|[[1884年]][[9月25日]]&lt;br /&gt;
|東京市麻布区芝二本榎&amp;lt;br&amp;gt;（現･東京都港区）&lt;br /&gt;
|早稲田大学&lt;br /&gt;
|[[従二位]]&amp;lt;br&amp;gt;[[勲一等旭日桐花大綬章]]&amp;lt;br&amp;gt;[[学士]]（早稲田大学）&lt;br /&gt;
|[[衆議院議員]]&amp;lt;br&amp;gt;[[自由民主党]][[総裁]]&lt;br /&gt;
|世襲ではない&lt;br /&gt;
|[[1956年]][[12月23日]]|[[1957年]][[2月25日]]&lt;br /&gt;
|静岡県第二区&lt;br /&gt;
|衆&lt;br /&gt;
|自由民主党}}&lt;br /&gt;
'''石橋 湛山'''（いしばし たんざん、[[1884年]][[9月25日]] - [[1973年]][[4月25日]]）は[[日本]]の[[ジャーナリスト]]、[[政治家]]である。[[内閣総理大臣]]。[[自由民主党総裁]]。[[従二位]][[勲一等]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[戦前]]から一貫して日本流の[[植民地]]経営を批判し加工貿易立国論を唱え、[[戦後]]は日中米ソ平和同盟を主張し政界で活躍した。保守合同後初の[[自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]を制して総理総裁となるが、在任2ヵ月弱で[[脳梗塞]]を発症して退陣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお'''湛山'''は[[日蓮宗]]の僧侶として得度してからの名前で、俗名は'''省三'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
[[1884年]]、[[日蓮宗]][[僧侶]]・[[杉田日布|杉田湛誓]]ときん夫妻の長男として生まれた。父の湛誓は、東京大教院（現・[[立正大学]]）の助教補（助手）を務めていた。後に総本山[[身延山]][[久遠寺]]第81世法主に選ばれた人物である。母・きんは[[江戸城]]内の[[畳]]表一式を請け負う大きな畳[[問屋]]石橋家の娘。石橋家は[[日蓮宗]]承教寺の有力な[[檀家]]で同寺院内に所在した東京大教院に在学中の湛誓と親しかった。故あって、母方の姓である石橋を名乗った&amp;lt;ref&amp;gt;『石橋湛山　&amp;lt;small&amp;gt;リベラリストの真髄&amp;lt;/small&amp;gt;』3-4頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1885年]]、湛誓が郷里[[山梨県]][[南巨摩郡]]増穂村（現・同郡[[増穂町]]）の昌福寺住職へ転じたため、きんと共に[[甲府市]]稲門へと移住した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1894年]]、湛誓が[[静岡市]]の本覚寺住職に転じることになり[[山梨県]][[中巨摩郡]]鏡中条村（旧・同郡[[若草]]町、現・[[南アルプス市]]）の長遠寺住職である望月日顕（後に身延山久遠寺83世法主）の下で育てられた。以来実質的な親子の関係は絶たれ、幾度となく手紙を出したが父母からの返事はもらえなかったという。湛山自身は「もし望月師に預けられず父の下に育てられたら、あるいはその余に厳格なるに耐えずしくじっていたかもしれぬ。…望月上人の薫陶を受けえたことは一生の幸福であった。そうしてくれた父にも深く感謝しなければならない」と「湛山回想」に記している&amp;lt;ref&amp;gt;『石橋湛山　&amp;lt;small&amp;gt;リベラリストの真髄&amp;lt;/small&amp;gt;』4-5頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1902年]]3月、[[山梨県立甲府第一高等学校|山梨県立第一中学校]]卒業。4月、[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]受験のため上京。しかし7月の試験は不合格となった。翌年、[[正則学園高等学校|正則英語学校]]で学び再度受験したがまたもや失敗し[[早稲田大学]]高等予科の[[編入学|編入試験]]を受け合格、9月に入学した。こうして東京での下宿生活が始まった&amp;lt;ref&amp;gt;『石橋湛山　&amp;lt;small&amp;gt;リベラリストの真髄&amp;lt;/small&amp;gt;』9頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ジャーナリスト時代 ===&lt;br /&gt;
早大を卒業すると[[毎日新聞社]]、兵役を経て[[東洋経済新報社]]に入社し、[[主幹]]・[[社長]]を歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
部下の[[高橋亀吉]]と共に経済論壇の一翼を担い、[[金解禁]]に当たっては新平価での金本位制復帰を主張し、旧平価での復帰や財界整理を主張した[[勝田貞次]]や[[堀江帰一]]たちや[[大蔵大臣]]として金解禁を旧平価で行った[[井上準之助]]と論争した。又、加工貿易立国論を唱えて[[満州]]の放棄を主張するなど、リベラルな言論人として知られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
行政面では[[中央集権]]・画一主義・[[官僚主義]]との訣別を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[支那事変]]が勃発してから敗戦に至るまで『東洋経済新報』誌上にて、長期戦化を戒める論陣を張った。署名記事を書くことが困難だった多くのリベラリストたち（[[清沢洌]]など）にも同誌は匿名での論説の場を提供した。石橋や匿名執筆者の論調は常に冷静な分析に基づいており、かつ婉曲・隠微に読者を啓蒙するといった物であったため、同誌は政府・[[内務省 (日本)|内務省]]から常に廃刊の標的にされ、インクや紙の配給を大きく制限されながらも『[[改造 (雑誌)|改造]]』や『[[中央公論]]』のような政府によって廃刊される事を免れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敗戦直後の[[1945年]][[8月25日]]には、論説「更正日本の進路～前途は実に洋々たり」で科学立国で再建を目指せば日本の将来は明るいとする先見的な見解を述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政界へ ===&lt;br /&gt;
戦後すぐに[[日本社会党]]からも[[総選挙]]出馬を誘われたが断り、[[自由党 (日本)|自由党]]から[[総選挙]]に出馬して落選したが第1次[[吉田茂]]内閣では大蔵大臣として入閣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大蔵大臣在任時には[[デフレーション]]を制えるための[[インフレーション]]を進め、傾斜生産（石炭増産の特殊促進）や[[復興金融公庫]]の活用を特徴とする「[[石橋財政]]」を推進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし戦後補償打ち切り問題、石炭増産問題、[[進駐軍]]経費問題などで[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]と対立。進駐軍経費は賠償費として日本が負担しており、ゴルフ場や邸宅建設、贅沢品等の経費も含んでいて日本の国家予算の3分の1を占めていた。このあまりの巨額の負担を下げる様、石橋は要求した。アメリカは諸外国の評判を気にしたことと以後の統治をスムーズに進行させることを考慮し、日本の負担額を2割削減することにした。戦勝国アメリカに勇気ある要求をした石橋は国民から'''心臓大臣'''と呼ばれるもアメリカに嫌われ、[[1947年]]にGHQの[[公職追放令]]により公職を追放された。[[1951年]]に追放が解除された後は、吉田の政敵であった[[自由党_(日本)|自由党]]・[[鳩山一郎]]派の幹部として打倒吉田内閣に動いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1954年]]の[[第1次鳩山内閣]]で[[通商産業省|通商産業大臣]]に就任した。石橋は[[中華人民共和国]]、[[ソビエト社会主義共和国連邦]]との国交回復などを主張し国民の期待も高かったが、アメリカの猛反発を受ける。アメリカの[[ジョン・フォスター・ダレス|ダレス]]国務長官は「中共（中華人民共和国）、ソ連との通商関係促進はアメリカ政府の対日援助計画に支障をきたす」と通告してきた。このアメリカの強硬姿勢に動揺した[[鳩山一郎]]首相に対し、石橋は「アメリカの意向は無視しましょう」と言った。[[1955年]]11月、[[日中輸出入組合]]の結成を支援し中共との貿易が軌道に乗るようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[11月15日]]の[[保守合同]]により、鳩山の[[日本民主党]]と吉田を継承した[[緒方竹虎]]の[[自由党_(日本)|自由党]]が合同して[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]が結成され、石橋もこれに入党した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 総理総裁 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Tanzan_Ishibashi.jpg|200px|thumb|right|総理に就任した頃]]&lt;br /&gt;
[[1956年]][[10月19日]]に日本とソビエト連邦が[[日ソ共同宣言]]により国交正常化するも、同年12月、鳩山首相が引退。これを受けてアメリカ追従を主張する[[岸信介]]が総裁選に立候補、これに対し石橋は社会主義圏とも国交正常化することを主張、鳩山派の一部を[[石橋派]]として率いて立候補した。総裁選の当初は岸優位であったが、[[石井光次郎]]と2位・2位連合を組んだ。1回目の投票では岸が1位であったが、決選投票では石橋派参謀の[[石田博英]]の功績もあって岸に7票差で競り勝って総裁に当選、[[12月23日]]に内閣総理大臣に指名された。しかし組閣が難航したため、石橋自身が一時的に全閣僚の臨時代理・事務取扱を兼務して発足している。親中派でもある石橋政権の樹立によって日本を反共の砦としたいアメリカの[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]]大統領は岸を望んでいたために狼狽したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内閣発足直後に石橋は全国10ヵ所を9日間でまわるという遊説行脚を敢行、自らの信念を語るとともに有権者の意見を積極的に聞いてまわった。しかし帰京した直後に自宅の風呂場で倒れる。軽い脳梗塞だったが、報道には「遊説中にひいた風邪をこじらせて[[肺炎]]を起こした上に、脳梗塞の兆候もある」と発表した。副総理格の外相として閣内に迎えられていた岸がただちに[[内閣総理大臣臨時代理|総理臨時代理]]となったが、2ヵ月の絶対安静が必要との医師の診断を受けると石橋は「政治的良心に従う」と潔く退陣した。在任65日。国会で一度も演説や答弁をしないまま退任した日本国憲法下初めての首相となった。後任の総理には全閣僚を引き継ぐ形で岸があたった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石橋はかつて『[[東洋経済新報]]』で、暴漢に襲われて[[帝国議会]]への出席ができなくなった当時の[[浜口雄幸]]首相に対して退陣を勧告する社説を書いたことがあった。もし国会に出ることができない自分が首相を続投すれば、当時の社説を読んだ読者をあざむく事態になると考えたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 退陣後 ===&lt;br /&gt;
幸い脳梗塞の症状は軽く、若干の後遺症は残ったものの石橋はまもなく政治活動を再開するまでに回復した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1959年]]9月、岸より「同盟国アメリカの意思に反する行為であるため日本政府とは一切関係ないものとする」と言われながらも中共を訪問。政府の一員ではない石橋は訪問してから数日はなかなか首脳と会える目処はつかなかったが、交渉に苦労の末、同月17日[[周恩来]]首相との会談を実現させた。冷戦構造を打ち破り、日本がその掛け橋となる'''日中米ソ平和同盟'''を主張。この主張はまだ国連の代表権を持たない中共にとって国際社会への足がかりになるものとして魅力的であり、周はこの提案に同意。周は[[台湾]]（[[中華民国]]）に武力行使をしないと石橋に約束。「日本と中国は両国民が手を携えて極東と世界の平和に貢献すべきである」との[[石橋・周共同声明]]を発表した。[[1960年]]、中共との貿易が再開した。この声明が後に[[第1次田中角榮内閣]]での[[日中共同声明]]に繋がったともいわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後も少人数ながら石橋派の領袖として影響力を持ち、岸が主導した[[日米安全保障条約|日米安保条約]]改定には批判的な態度をとるなど自民党内[[ハト派|鳩派]]の重鎮として活躍したが[[1963年]]の[[総選挙]]で落選し、そのまま政界から退いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政界を引退すると[[立正大学]]の[[学長]]も務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 年譜 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Ishibashi cabinet.jpg|thumb|250px|石橋内閣&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;前列左から[[岸信介|岸]]外相兼副総理、石橋総理、[[池田勇人|池田]]蔵相&amp;lt;/small&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
*[[1884年]]9月：[[東京市]][[麻布区]]芝二本榎（現･港区）に生まれる&lt;br /&gt;
*[[1885年]]3月：父が[[山梨県]][[南巨摩郡]][[増穂村]]の昌福寺住職に転じたことに伴い母と共に[[甲府市]]稲門に転居&lt;br /&gt;
*[[1894年]]9月：父が[[静岡市]]の本覚寺住職就任のため山梨県鏡中条村の長遠寺住職望月日謙に預けられる&lt;br /&gt;
*[[1895年]]4月：山梨県立尋常中学校入学&lt;br /&gt;
*[[1902年]]3月：省三を湛山と改名。山梨県立第一中学校卒業&lt;br /&gt;
*[[1903年]]9月：早稲田大学高等予科に編入 &lt;br /&gt;
*[[1904年]]9月：早稲田大学大学部文学科（現・文学部）哲学科へ進級。当時の校長は[[鳩山和夫]]&lt;br /&gt;
*[[1907年]]7月：早稲田大学大学部文学科を[[首席]]で卒業（英文科を含む）。特待研究生として宗教研究科へ進級&lt;br /&gt;
*[[1908年]]7月：宗教研究科修了。[[島村抱月]]の紹介で東京毎日新聞社入社&lt;br /&gt;
*[[1909年]]&lt;br /&gt;
**8月：東京毎日新聞を退社&lt;br /&gt;
**12月：東京麻布の歩兵第3連隊に入営　&lt;br /&gt;
*[[1910年]]11月：[[軍曹]]に昇進し除隊&lt;br /&gt;
*[[1911年]]&lt;br /&gt;
**1月：[[東洋経済新報社]]に入社。『東洋時論』編集を担当&lt;br /&gt;
**9月：見習い士官として3ヶ月召集を受ける&lt;br /&gt;
*[[1912年]]11月：岩井うめと[[結婚]]。岩井家は[[江戸時代]]、[[米沢藩]]士として[[家老]]職を務めた[[家柄]]&lt;br /&gt;
*[[1913年]]：陸軍歩兵少尉&lt;br /&gt;
*[[1915年]]11月：東洋経済新報社の合名社員に選ばれる&lt;br /&gt;
*[[1924年]]&lt;br /&gt;
**9月：鎌倉町議会議員に当選（～[[1928年]]8月）&lt;br /&gt;
**12月：東洋経済新報社第五代主幹に就任&lt;br /&gt;
*[[1925年]]1月：東洋経済新報社代表取締役･専務取締役に就任&lt;br /&gt;
*[[1935年]]9月：内閣より内閣調査局委員に任ぜられる&lt;br /&gt;
*[[1940年]]11月：東洋経済研究所を設立し所長ならびに理事に就任&lt;br /&gt;
*[[1941年]]2月：東洋経済新報社の社長制新設にともない代表取締役社長に就任&lt;br /&gt;
*[[1945年]]3月：早朝の[[東京大空襲|大空襲]]で芝の居宅焼失&lt;br /&gt;
*[[1946年]]&lt;br /&gt;
**3月：[[山川均]]提唱の民主人民連盟世話人会に参加&lt;br /&gt;
**4月：戦後初の総選挙に立候補し落選&lt;br /&gt;
**5月：[[第1次吉田内閣]]の大蔵大臣に就任&lt;br /&gt;
*[[1947年]]&lt;br /&gt;
**4月：静岡県第二区より立候補し初当選&lt;br /&gt;
**5月：[[公職追放]]となる&lt;br /&gt;
*[[1951年]]&lt;br /&gt;
**6月：公職追放解除、[[自由党]]に復党&lt;br /&gt;
**12月：[[立正大学]]学長に就任&lt;br /&gt;
*[[1953年]]3月：政策審議会会長に就任&lt;br /&gt;
*[[1954年]]&lt;br /&gt;
**11月：[[岸信介]]とともに自由党より除名処分を受ける&lt;br /&gt;
**12月：第一次鳩山一郎内閣の通商産業大臣に就任&lt;br /&gt;
*[[1956年]]12月:自由民主党第二代総裁に当選、内閣総理大臣に就任&lt;br /&gt;
*[[1957年]]&lt;br /&gt;
**1月：脳梗塞発症（公式発表は老人性急性肺炎）&lt;br /&gt;
**2月：自民党総裁・総理大臣辞職&lt;br /&gt;
*[[1959年]]9月：中華人民共和国を訪問し、[[周恩来]]と会談&lt;br /&gt;
*[[1963年]]&lt;br /&gt;
**9月：日本工業展覧会総裁として中華人民共和国を訪問&lt;br /&gt;
**11月：[[第30回衆議院議員総選挙]]で落選、政界引退&lt;br /&gt;
*[[1964年]]9月：ソビエト連邦を訪問&lt;br /&gt;
*[[1968年]]：[[立正大学]]学長を退任&lt;br /&gt;
*[[1973年]]4月：死去&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
石橋が首相を退陣した時にその潔さを国民は高く評価したが、一人[[弁護士]]の[[正木ひろし]]だけは私的な感情で「公務（首相の地位）を放棄した」と厳しく批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、石橋の全集が作られる事になった時に東洋経済新報社の編集者は全集に封入するコラムの執筆をその正木に依頼した。かつて石橋の部下であったその編集者は、石橋への賛美一色のコラムを集めたのでは一方の意見に偏らない言論の必要性を唱えて来た石橋の信念に反すると考えたのである。正木が書いた石橋への批判はそのまま掲載される事になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
=== 評論集 ===&lt;br /&gt;
*石橋湛山評論集（松尾尊兌・編、[[岩波書店]]、岩波文庫：ISBN 4-00-331681-9、ワイド版岩波文庫：ISBN 4-00-007005-3）&lt;br /&gt;
*小日本主義-石橋湛山外交論集（増田弘・編、1984年5月、[[草思社]]、ISBN 4-7942-0186-9）&lt;br /&gt;
*石橋湛山評論選集（1990年6月、[[東洋経済新報社]]、ISBN 4-492-06052-9）&lt;br /&gt;
*リベラリストの警鐘 石橋湛山著作集1-経済論（長幸男・編、1995年11月、東洋経済新報社、ISBN 4-492-06081-2）&lt;br /&gt;
*エコノミストの面目 石橋湛山著作集2-経済論（中村隆英・編、1995年11月、東洋経済新報社、ISBN 4-492-06082-0）&lt;br /&gt;
*大日本主義との闘争 石橋湛山著作集3-政治・外交論（鴨武彦・編、1996年1月、東洋経済新報社、ISBN 4-492-06083-9）&lt;br /&gt;
*改造は心から 石橋湛山著作集4-文芸・社会評論（谷沢永一・編、1995年12月、東洋経済新報社、ISBN 4-492-06084-7）&lt;br /&gt;
*石橋湛山全集（石橋湛山全集編纂委員会・編、全15巻、東洋経済新報社、ISBN 4-492-06010-3ほか）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 回想録・日記 ===&lt;br /&gt;
*湛山座談（1994年2月、岩波書店、ISBN 4-00-260173-0）&lt;br /&gt;
*湛山回想（1985年12月、岩波書店、ISBN 4-00-331682-7）&lt;br /&gt;
*石橋湛山―湛山回想 人間の記録47（1997年12月、[[日本図書センター]]、ISBN 4-8205-4290-7）&lt;br /&gt;
*石橋湛山日記（上下巻、石橋湛一ほか・編、2001年3月、[[みすず書房]]、ISBN 4-622-03676-2）&lt;br /&gt;
**単品としては、上巻：ISBN 4-622-03677-0、下巻：ISBN 4-622-03678-9であるが、新刊の分売はない模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*増田弘　『石橋湛山　&amp;lt;small&amp;gt;リベラリストの真髄&amp;lt;/small&amp;gt;』　1995年　中央公論社&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 栄典 ==&lt;br /&gt;
*1964年[[4月29日]]：[[勲一等旭日大綬章]]&lt;br /&gt;
*1973年4月25日：叙・[[従二位]]、旭日桐花大綬章追贈&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
*父　[[杉田湛誓]]（[[日蓮宗]][[僧侶]]）&lt;br /&gt;
*母　きん（東京、石橋藤左衛門二女）&lt;br /&gt;
*妻　うめ（[[福島県]]、岩井尊記三女）&lt;br /&gt;
*長男　[[石橋湛一|湛一]]&lt;br /&gt;
*長女　歌子&lt;br /&gt;
*二男　和彦&lt;br /&gt;
*孫　久美子（日商会頭を務めた[[足立正]]の孫に嫁する）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[石橋内閣]]&lt;br /&gt;
*[[石橋氏]]&lt;br /&gt;
*[[日蓮宗]]&lt;br /&gt;
*[[東洋経済新報社]]&lt;br /&gt;
*[[石橋湛山賞]]&lt;br /&gt;
*[[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
*[[石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞]]&lt;br /&gt;
*[[私の履歴書]]&lt;br /&gt;
*[[立正大学]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連人物 ==&lt;br /&gt;
*[[石田博英]]&lt;br /&gt;
*[[宇都宮徳馬]]&lt;br /&gt;
*[[松村謙三]]&lt;br /&gt;
*[[三木武夫]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.ishibashi-mf.org/index.html 財団法人石橋湛山記念財団]&lt;br /&gt;
*[http://www.waseda.jp/koho/award/tanzan.html 石橋湛山-石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞]&lt;br /&gt;
*[http://info.toyokeizai.co.jp/award/tanzan/index.html 石橋湛山賞]（[http://www.toyokeizai.co.jp/index.html 東洋経済]WebSite内）&lt;br /&gt;
*[http://www.ris.ac.jp/index.php 立正大学]&lt;br /&gt;
*[http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/kensei/ishibashitannzann.html 石橋湛山関係文書 | 国立国会図書館]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本国歴代内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|当代=[[石橋内閣|55]]&lt;br /&gt;
|在任期間=1956年 - 1957年&lt;br /&gt;
|前代=54&lt;br /&gt;
|前首相名=鳩山一郎&lt;br /&gt;
|次代=56&lt;br /&gt;
|次首相名=岸信介}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[自由民主党総裁]]|第2代：1956年 - 1957年|鳩山一郎|岸信介}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[日本の大蔵大臣・財務大臣一覧|大蔵大臣]]|第51代：1946年 - 1947年|[[渋沢敬三]]|[[片山哲]]（臨時代理）}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[経済産業大臣|通商産業大臣]]|第12～14代：1954年 - 1956年|[[愛知揆一]]|[[水田三喜男]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[郵政大臣]]|第9代：1956年|[[村上勇]]|[[平井太郎]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{財務大臣}}&lt;br /&gt;
{{経済産業大臣}}&lt;br /&gt;
{{法務大臣}}&lt;br /&gt;
{{郵政大臣}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のジャーナリスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:静岡県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:大正デモクラシー]]&lt;br /&gt;
[[Category:山梨県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1884年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1973年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%A5%9E%E6%88%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=23547</id>
		<title>神戸事件</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%A5%9E%E6%88%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=23547"/>
				<updated>2008-02-07T02:35:26Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses|幕末維新期の神戸事件|その他の神戸事件|神戸事件 (曖昧さ回避)}}&lt;br /&gt;
[[画像:Kobe-sannomiyajinjya81.JPG|right|180px|thumb|当時のものと同型の[[大砲]]]]&lt;br /&gt;
'''神戸事件'''（こうべじけん）とは[[慶応]]4年[[1月11日 (旧暦)|1月11日]]（[[1868年]][[2月4日]]）、[[神戸市|神戸]][[三宮神社]]前で[[備前藩]]（現・[[岡山県]]）兵が隊列を横切った[[フランス]]人水兵を負傷させた事件である。[[明治政府]]初の外交問題となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件により一時、外国軍が神戸中心部を占拠するなどの動きにまで発展したが、その際に問題を起こした隊の責任者であった[[滝善三郎]]が[[切腹]]する事で一応の解決を見た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
相前後して[[堺事件]]が発生し、共に外国人に切腹を深く印象付けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事件の発端==&lt;br /&gt;
慶応4年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]]（1868年[[1月27日]]）、[[戊辰戦争]]が開戦、間も無く、徳川方の[[尼崎藩]]（現・[[兵庫県]]）を牽制するため、明治新政府は備前藩に[[摂津国|摂津]][[西宮市|西宮]]の警備を命じた。備前藩では[[1月5日 (旧暦)|1月5日]]（[[1月29日]]）までに2,000人の兵を出撃させ、このうち家老・[[日置帯刀]]（へきたてわき）率いる500人（800人説もある）は[[大砲]]を伴って陸路を進んだ。この際、慶応3年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]]（1868年[[1月1日]]）の兵庫港（現・[[神戸港]]）開港に伴い、大名行列と外国人の衝突を避けるために[[徳川幕府]]によって作られた「[[徳川道]]」を通らず、[[西国街道]]を進んだことが事件の引き金の一つとなってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1月11日（2月4日）13時過ぎ、備前藩兵の隊列が神戸三宮神社近くに差しかかった時、付近の建物から出てきたフランス人水兵2人が列を横切ろうとした。これは日本側から見ると[[武家諸法度]]に定められた「'''供割'''」（ともわり）と呼ばれる非常に無礼な行為で、これを見た第3砲兵隊長・滝善三郎正信が[[槍]]を持って制止に入った。しかし、言葉が通じず、強引に隊列を横切ろうとする水兵に対し、滝が槍で突きかかり軽傷を負わせてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対していったん民家に退いた水兵数人が[[拳銃]]を取り出し、それを見た滝が「鉄砲、鉄砲」と叫んだのを発砲命令と受け取った藩兵が発砲、銃撃戦に発展した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事件の推移==&lt;br /&gt;
{{右|&lt;br /&gt;
[[画像:Kobe-sannomiyajinjya84.JPG|none|180pxpx|thumb|事件碑]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
この騒ぎを聞きつけた[[イギリス]]公使[[ハリー・パークス]]は激怒し、折しも兵庫開港を祝って集結していた各国艦船に緊急事態を通達、備前藩兵隊に向けて威嚇発砲を行わせた。このとき家老日置が藩兵隊に射撃中止・撤退を命令、お互いに死者も無く負傷者もほとんど無かったために一度は事無きを得たかに見えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが翌[[1月12日 (旧暦)|1月12日]]（[[2月5日]]）、神戸に領事館を持つ列強国艦船が陸戦隊を上陸させて[[外国人居留地|居留地]]防衛の名目をもって神戸中心部を軍事統制下に置いてしまう。この時点で朝廷は諸外国に対して徳川幕府から明治政府への政権移譲を宣言しておらず、伊藤俊輔（後の[[伊藤博文]]）が折衝に当たるも決裂するに至る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]（[[2月8日]]）、急遽開国和親を朝廷より宣言した上で明治新政府への政権移譲を表明、[[東久世通禧]]（ひがしくぜみちとみ）を代表として交渉を開始した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
諸外国側の要求は日本在留外国人の身柄の安全保証と当該事件の日本側責任者の厳重処罰、すなわち滝の処刑というものであった。この事件における外国人側被害に対して処罰が重すぎるのではないかとの声もあり、また、日本側としては滝の行為は武士として当然のものでもあったが、列強の強い要求の前に抗うことが出来ず、伊藤や五代才助（後の[[五代友厚]]）を通じた[[伊達宗城]]の期限ギリギリまでの助命嘆願もフランスの[[レオン・ロッシュ]]をはじめとする公使投票の前に否決される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]（[[2月24日]]）、備前藩は諸外国側の要求を受け入れ、[[2月9日 (旧暦)|2月9日]]（[[3月2日]]）、[[永福寺]]において列強外交官列席のもとで滝を切腹させるのと同時に備前藩部隊を率いた日置について謹慎を課すということで、一応の決着を見たのである。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事件の意味==&lt;br /&gt;
神戸事件は[[大政奉還]]を経て明治新政府政権となって初めての外交事件である。結果として諸国列強に押し切られる形で滝善三郎という1人の命を代償として問題を解決する形にはなったが、これ以降、明治政府が対外政策に当たる正当な政府であるということを諸外国に示した。また、朝廷がこのときまで唱えていた「攘夷」（外国を討ち払う）政策を「開国和親」へと一気に方針転換させた事件でもあった（ただし、この「開国和親」表明は[[外交団]]に対するものであり、新政府内にも未だ攘夷を支持する者もいることから、国内に対してはその事実を明確らかにはしなかった。国内に対する正式な表明は翌年[[5月28日 (旧暦)|5月28日]]（[[1869年]][[7月7日]]）に行われた新政府の上局会議における決定によるものであった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この問題の行方によっては[[薩英戦争]]同様の事態に進展する可能性もあり、さらに神戸が[[香港]]や[[上海]]の様に理不尽な占領下に置かれる事態も起こり得たことから、滝善三郎の犠牲によって危機回避がなされたことは[[日本史]]の流れにおいても重大な出来事であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Japanese-history-stub|こうへしけん}}&lt;br /&gt;
[[category:明治時代の事件|こうへしけん]]&lt;br /&gt;
[[category:1868年|こうへしけん]]&lt;br /&gt;
[[category:兵庫県の歴史|こうへしけん]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%87%E4%BD%90%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E8%A8%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=23546</id>
		<title>宇佐八幡宮神託事件</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%87%E4%BD%90%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E8%A8%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=23546"/>
				<updated>2008-02-07T02:34:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''宇佐八幡宮神託事件'''（うさはちまんぐうしんたくじけん）とは[[奈良時代]]の[[神護景雲]]3年（[[769年]]）、[[宇佐八幡宮]]（大分県宇佐市）より称徳天皇（[[孝謙天皇]]）に対して「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受けて、[[道鏡|弓削道鏡]]が[[天皇]]位を得ようとしたとされる事件である。'''道鏡事件'''とも呼ばれている。同年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]（[[11月7日]]）に[[称徳天皇]]が詔を発し、道鏡には皇位は継がせないと宣言したため、事件の決着がついた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 前史 ==&lt;br /&gt;
弓削道鏡は[[法相宗]]の[[僧]]で、孝謙上皇の[[病]]を治したことからその信頼を得て出世。[[天平宝字]]8年（[[764年]]）、孝謙上皇と対立した最高実力者・[[藤原仲麻呂]]が反乱を起こす（[[藤原仲麻呂の乱]]）と上皇は仲麻呂の専制に不満を持つ[[貴族]]たちを結集して仲麻呂を滅ばした。乱後、上皇は仲麻呂の推挙で天皇に立てられた[[淳仁天皇]]を武力をもって廃位して[[淡路国]]に[[流刑]]にすると、自らが再度天皇に復位する（[[重祚]]）ことを宣言した。復位した称徳天皇のもとで道鏡はその片腕となり、[[天平神護]]元年（[[765年]]）には僧籍のまま[[太政大臣]]となり、翌2年（[[766年]]）には[[法王]]となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、反仲麻呂派の貴族の大勢はあくまでも仲麻呂の政界からの排除のために上皇に協力しただけであり、一度は[[出家]]して[[尼]]になった筈の孝謙上皇の復位やましてや道鏡の政界進出に賛同したわけではなかった。おまけに称徳天皇は[[独身]]であったために[[子供]]はおらず、[[皇太子]]は立てられなかった。このため、称徳天皇後の皇位は誰が継ぐのかが貴族達の最大の関心事となった。天皇もこの空気を敏感に察しており、[[淡路]]に流された廃帝（[[淳仁天皇]]）の謎の死、[[和気王]]の突然の[[処刑]]、天皇の異母妹である[[不破内親王]]の皇籍剥奪など皇族に対する粛清が次々と行われていき、皇位継承問題は事実上のタブーとなっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2つの神託 ==&lt;br /&gt;
神護景雲3年（769年）5月、道鏡の弟で[[大宰帥]]の[[弓削浄人]]と[[大宰主神]]の[[習宣阿曾麻呂]]（すげのあそまろ）は「道鏡を皇位に付ければ天下は太平になる」という内容の[[宇佐八幡宮]]の神託を奏上し、自ら皇位に就くことを望む（続紀没伝）。称徳天皇は宇佐八幡から法均（[[和気広虫]]）の派遣を求められ、虚弱な法均に長旅は堪えられぬとして、[[弟]]である[[和気清麻呂]]を派遣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
清麻呂は天皇の勅使として8月に宇佐神宮に参宮。宝物を奉り宣命の文を読もうとした時、神が禰宣の辛嶋勝与曽女（からしまのすぐりよそめ）に託宣、宣命を訊くことを拒む。清麻呂は不審を抱き、改めて与曽女に宣命を訊くことを願い出る。与曽女が再び神に顕現を願うと、身の丈三丈、およそ9mの僧形の大神が出現。大神は再度宣命を訊くことを拒むが、清麻呂は「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ」という大神の神託を大和に持ち帰り奏上する。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
道鏡を天皇に就けたがっていたと言われる称徳天皇は報告を聞いて怒り、清麻呂を因幡員外介にいったん左遷、さらに「別部穢麻呂（わけべのきたなまろ）」と改名させて[[大隅国]]へ配流し、姉の広虫も「別部広虫売（わけべのひろむしめ）」と改名させられて処罰された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宝亀]]元年（[[770年]]）に女帝が死去すると、皇太子は[[白壁王]]となり、道鏡は[[下野国]]の[[薬師寺]]へ配流された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== この事件に対する疑問説 ==&lt;br /&gt;
この事件については[[歴史書]]『[[続日本紀]]』に詳細が書かれ、道鏡の政治的陰謀を阻止した和気清麻呂が「忠臣の鑑」として戦前の歴史教育においてしばしば取り上げられてきたが、既に[[江戸時代]]に[[本居宣長]]によって一連の[[神話]]的な事件の流れに懐疑的な説が唱えられ、近年には『続日本紀』の記事には[[光仁天皇]]の即位を正当化するための作為が含まれている（神託には皇位継承については触れられていない）とする説も存在する。&lt;br /&gt;
=== 道鏡の皇位簒奪疑問説 ===&lt;br /&gt;
近年の[[中西康裕]]らの説では、道鏡が実際に皇位を狙ったとすれば[[極刑]]に該当する重罪であるにも関わらず称徳天皇崩御後の下野への流刑は罰としてはあまりにも軽く、浄人ら一族関係者にも死罪が出ていないことから、皇位継承を企てたという説は「後付」ではないかとされる。その説によれば、最初の神託は皇位継承以外の出来事に纏わる（恐らくはこの年に行われた[[由義宮]]（道鏡の故郷である[[河内国]]弓削）遷都に関する）ものであって、これに乗じた[[藤原氏]]（恐らくは[[藤原永手]]とその弟の[[藤原楓麻呂]]か）が和気清麻呂を利用して白壁王あるいはその子である[[他戸親王|他戸王]]（称徳天皇の父・[[聖武天皇]]の外孫の中で唯一皇位継承権を持つ）の立太子するようにという神託を仕立て上げようとしたことが発覚したために清麻呂が流刑にされたとする可能性も指摘されている。しかし、神託由義宮遷都説は根拠が憶測の域を越えるものではないとする見方もある。また、他戸王が立太子後に藤原氏によって廃位されて後に変死しているという指摘もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方で、称徳天皇や道鏡が清麻呂を流した事で2番目の神託を否認した以上、最初の神託に基づいて道鏡への皇位継承を進めることも可能であった筈なのに事件以後に全くそうした動きを見せていない事や逆に藤原氏らの反対派がこの事件を直接の[[大義名分]]として天皇や道鏡排除に積極的に動いていない事から、道鏡がこの事件に深く関わっていたとする証拠を見出す事は困難である。また、白壁王の擁立については藤原氏一族は一致していたものの、その次の天皇については早い段階で白壁王の子供のうち、他戸王を推す藤原永手ら[[藤原北家|北家]]と[[桓武天皇|山部王]]（後の桓武天皇）を推す[[藤原百川]]ら[[藤原式家|式家]]との間で意見の対立があり、他戸皇太子の廃位も政権の主体が北家から式家に移った直後に発生している事から、北家主導下で光仁擁立→他戸立太子が行われた事と式家への政権移行後にその廃太子が行われた事には矛盾は無いと考えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 宇佐八幡宮側の内部事情説 ===&lt;br /&gt;
また、この事件には道鏡側よりも宇佐八幡宮側の事情が強く関わっているという説もある。[[山上伊豆母]]によれば、[[天平感宝]]元年（[[749年]]）に宇佐八幡宮から祢宜の外従五位下・[[大神社女]]と主神司従八位下・[[大神田麻呂]]が建設中の[[東大寺盧舎那仏像]]を支援すると言う神託を奉じて平城京を訪れた。これによって宇佐八幡宮は[[封戸]]と「八幡大菩薩」の称号を授けられ、これを勧進した両名にもそれぞれ[[朝臣]]の[[カバネ|姓]]と従四位下と外従五位下の[[官位]]が授けられた。ところが、[[天平勝宝]]6年（[[754年]]）にはこの時の両名が[[薬師寺]]の[[行信]]と組んで[[厭魅]]を行ったとして位階と姓の剥奪と[[流刑]]に処せられた。これは本来は九州地方固有の神を祀った神社であったとも言われている宇佐八幡宮の社会的影響力の増大が、皇室と[[律令制]]・[[鎮護国家]]が形成する皇室祭祀と仏教を基軸とする宗教的秩序に対する脅威になる事を危惧したからだと言われている。更に翌年には宇佐八幡宮からの再度の神託があり、先年の神託が偽神託であったとして封戸の返却を申し出たとされている。これも朝廷側からの宇佐八幡宮への圧迫の結果であると見られる。だが、この路線確立に大きな影響力を与えてきた藤原仲麻呂が失脚して、仏教僧でありながら積極的に祈祷を行うなどの前代の[[巫|男巫]]的要素を併せ持った道鏡が政権の中枢に立ったことによって、宇佐八幡宮側が失地回復を目指して道鏡側に対して接触を試みた延長線上に同事件を位置づけられるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[簒奪]]&lt;br /&gt;
* [[日本史の出来事一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Japanese-history-stub}}&lt;br /&gt;
[[category:奈良時代|うさはちまんくうしんたくしけん]]&lt;br /&gt;
[[category:奈良時代の事件|うさはちまんくうしんたくしけん]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

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		<title>宇佐八幡宮神託事件</title>
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				<updated>2008-02-07T02:33:34Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: 新しいページ: ''''宇佐八幡宮神託事件'''（うさはちまんぐうしんたくじけん）とは奈良時代の神護景雲3年（769年）、宇佐八幡宮（大分...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''宇佐八幡宮神託事件'''（うさはちまんぐうしんたくじけん）とは[[奈良時代]]の[[神護景雲]]3年（[[769年]]）、[[宇佐八幡宮]]（大分県宇佐市）より称徳天皇（[[孝謙天皇]]）に対して「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受けて、[[道鏡|弓削道鏡]]が[[天皇]]位を得ようとしたとされる事件である。'''道鏡事件'''とも呼ばれている。同年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]（[[11月7日]]）に[[称徳天皇]]が詔を発し、道鏡には皇位は継がせないと宣言したため、事件の決着がついた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 前史 ==&lt;br /&gt;
弓削道鏡は[[法相宗]]の[[僧]]で、孝謙上皇の[[病]]を治したことからその信頼を得て出世。[[天平宝字]]8年（[[764年]]）、孝謙上皇と対立した最高実力者・[[藤原仲麻呂]]が反乱を起こす（[[藤原仲麻呂の乱]]）と上皇は仲麻呂の専制に不満を持つ[[貴族]]たちを結集して仲麻呂を滅ばした。乱後、上皇は仲麻呂の推挙で天皇に立てられた[[淳仁天皇]]を武力をもって廃位して[[淡路国]]に[[流刑]]にすると、自らが再度天皇に復位する（[[重祚]]）ことを宣言した。復位した称徳天皇のもとで道鏡はその片腕となり、[[天平神護]]元年（[[765年]]）には僧籍のまま[[太政大臣]]となり、翌2年（[[766年]]）には[[法王]]となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、反仲麻呂派の貴族の大勢はあくまでも仲麻呂の政界からの排除のために上皇に協力しただけであり、一度は[[出家]]して[[尼]]になった筈の孝謙上皇の復位やましてや道鏡の政界進出に賛同したわけではなかった。おまけに称徳天皇は[[独身]]であったために[[子供]]はおらず、[[皇太子]]は立てられなかった。このため、称徳天皇後の皇位は誰が継ぐのかが貴族達の最大の関心事となった。天皇もこの空気を敏感に察しており、[[淡路]]に流された廃帝（[[淳仁天皇]]）の謎の死、[[和気王]]の突然の[[処刑]]、天皇の異母妹である[[不破内親王]]の皇籍剥奪など皇族に対する粛清が次々と行われていき、皇位継承問題は事実上のタブーとなっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2つの神託 ==&lt;br /&gt;
神護景雲3年（769年）5月、道鏡の弟で[[大宰帥]]の[[弓削浄人]]と[[大宰主神]]の[[習宣阿曾麻呂]]（すげのあそまろ）は「道鏡を皇位に付ければ天下は太平になる」という内容の[[宇佐八幡宮]]の神託を奏上し、自ら皇位に就くことを望む（続紀没伝）。称徳天皇は宇佐八幡から法均（[[和気広虫]]）の派遣を求められ、虚弱な法均に長旅は堪えられぬとして、[[弟]]である[[和気清麻呂]]を派遣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
清麻呂は天皇の勅使として8月に宇佐神宮に参宮。宝物を奉り宣命の文を読もうとした時、神が禰宣の辛嶋勝与曽女（からしまのすぐりよそめ）に託宣、宣命を訊くことを拒む。清麻呂は不審を抱き、改めて与曽女に宣命を訊くことを願い出る。与曽女が再び神に顕現を願うと、身の丈三丈、およそ9mの僧形の大神が出現。大神は再度宣命を訊くことを拒むが、清麻呂は「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ」という大神の神託を大和に持ち帰り奏上する。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
道鏡を天皇に就けたがっていたと言われる称徳天皇は報告を聞いて怒り、清麻呂を因幡員外介にいったん左遷、さらに「別部穢麻呂（わけべのきたなまろ）」と改名させて[[大隅国]]へ配流し、姉の広虫も「別部広虫売（わけべのひろむしめ）」と改名させられて処罰された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宝亀]]元年（[[770年]]）に女帝が死去すると、皇太子は[[白壁王]]となり、道鏡は[[下野国]]の[[薬師寺]]へ配流された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== この事件に対する疑問説 ==&lt;br /&gt;
この事件については[[歴史書]]『[[続日本紀]]』に詳細が書かれ、道鏡の政治的陰謀を阻止した和気清麻呂が「忠臣の鑑」として戦前の歴史教育においてしばしば取り上げられてきたが、既に[[江戸時代]]に[[本居宣長]]によって一連の[[神話]]的な事件の流れに懐疑的な説が唱えられ、近年には『続日本紀』の記事には[[光仁天皇]]の即位を正当化するための作為が含まれている（神託には皇位継承については触れられていない）とする説も存在する。&lt;br /&gt;
=== 道鏡の皇位簒奪疑問説 ===&lt;br /&gt;
近年の[[中西康裕]]らの説では、道鏡が実際に皇位を狙ったとすれば[[極刑]]に該当する重罪であるにも関わらず称徳天皇崩御後の下野への流刑は罰としてはあまりにも軽く、浄人ら一族関係者にも死罪が出ていないことから、皇位継承を企てたという説は「後付」ではないかとされる。その説によれば、最初の神託は皇位継承以外の出来事に纏わる（恐らくはこの年に行われた[[由義宮]]（道鏡の故郷である[[河内国]]弓削）遷都に関する）ものであって、これに乗じた[[藤原氏]]（恐らくは[[藤原永手]]とその弟の[[藤原楓麻呂]]か）が和気清麻呂を利用して白壁王あるいはその子である[[他戸親王|他戸王]]（称徳天皇の父・[[聖武天皇]]の外孫の中で唯一皇位継承権を持つ）の立太子するようにという神託を仕立て上げようとしたことが発覚したために清麻呂が流刑にされたとする可能性も指摘されている。しかし、神託由義宮遷都説は根拠が憶測の域を越えるものではないとする見方もある。また、他戸王が立太子後に藤原氏によって廃位されて後に変死しているという指摘もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方で、称徳天皇や道鏡が清麻呂を流した事で2番目の神託を否認した以上、最初の神託に基づいて道鏡への皇位継承を進めることも可能であった筈なのに事件以後に全くそうした動きを見せていない事や逆に藤原氏らの反対派がこの事件を直接の[[大義名分]]として天皇や道鏡排除に積極的に動いていない事から、道鏡がこの事件に深く関わっていたとする証拠を見出す事は困難である。また、白壁王の擁立については藤原氏一族は一致していたものの、その次の天皇については早い段階で白壁王の子供のうち、他戸王を推す藤原永手ら[[藤原北家|北家]]と[[桓武天皇|山部王]]（後の桓武天皇）を推す[[藤原百川]]ら[[藤原式家|式家]]との間で意見の対立があり、他戸皇太子の廃位も政権の主体が北家から式家に移った直後に発生している事から、北家主導下で光仁擁立→他戸立太子が行われた事と式家への政権移行後にその廃太子が行われた事には矛盾は無いと考えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 宇佐八幡宮側の内部事情説 ===&lt;br /&gt;
また、この事件には道鏡側よりも宇佐八幡宮側の事情が強く関わっているという説もある。[[山上伊豆母]]によれば、[[天平感宝]]元年（[[749年]]）に宇佐八幡宮から祢宜の外従五位下。[[大神社女]]と主神司従八位下・[[大神田麻呂]]が建設中の[[東大寺盧舎那仏像]]を支援すると言う神託を奉じて平城京を訪れた。これによって宇佐八幡宮は[[封戸]]と「八幡大菩薩」の称号を授けられ、これを勧進した両名にもそれぞれ[[朝臣]]の[[カバネ|姓]]と従四位下と外従五位下の[[官位]]が授けられた。ところが、[[天平勝宝]]6年（[[754年]]）にはこの時の両名が[[薬師寺]]の[[行信]]と組んで[[厭魅]]を行ったとして位階と姓の剥奪と[[流刑]]に処せられた。これは本来は九州地方固有の神を祀った神社であったとも言われている宇佐八幡宮の社会的影響力の増大が、皇室と[[律令制]]・[[鎮護国家]]が形成する皇室祭祀と仏教を基軸とする宗教的秩序に対する脅威になる事を危惧したからだと言われている。更に翌年には宇佐八幡宮からの再度の神託があり、先年の神託が偽神託であったとして封戸の返却を申し出たとされている。これも朝廷側からの宇佐八幡宮への圧迫の結果であると見られる。だが、この路線確立に大きな影響力を与えてきた藤原仲麻呂が失脚して、仏教僧でありながら積極的に祈祷を行うなどの前代の[[巫|男巫]]的要素を併せ持った道鏡が政権の中枢に立ったことによって、宇佐八幡宮側が失地回復を目指して道鏡側に対して接触を試みた延長線上に同事件を位置づけられるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[簒奪]]&lt;br /&gt;
* [[日本史の出来事一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Japanese-history-stub}}&lt;br /&gt;
[[category:奈良時代|うさはちまんくうしんたくしけん]]&lt;br /&gt;
[[category:奈良時代の事件|うさはちまんくうしんたくしけん]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%A4%A9%E6%98%8E%E3%81%AE%E5%A4%A7%E9%A3%A2%E9%A5%89&amp;diff=23544</id>
		<title>天明の大飢饉</title>
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				<updated>2008-02-07T02:28:18Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: 新しいページ: ''''天明の大飢饉'''（てんめいのだいききん、1782年-1788年（天明2年-8年））とは江戸時代天明年間に起きた飢饉である...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''天明の大飢饉'''（てんめいのだいききん、[[1782年]]-[[1788年]]（天明2年-8年））とは[[江戸時代]][[天明]]年間に起きた[[飢饉]]である。[[江戸四大飢饉]]の1つで、日本の近世史上では最大の飢饉。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
東北地方は[[安永]]年間より天候不良や冷害により農作物の収穫が激減しており、既に農村部を中心に疲弊していた状況にあった。こうした中、天明3年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]（[[1783年]][[4月13日]]）には[[岩木山]]が、[[7月6日 (旧暦)|7月6日]]（[[8月3日]]）には[[浅間山]]が[[噴火]]し、各地に[[火山灰]]を降らせる。[[火山]]噴火は直接的な被害ばかりではなく日射量低下による冷害傾向が顕著となり農作物に壊滅的な被害が生じ、翌年度から深刻な飢饉状態となった。当時は[[田沼意次]]時代で[[重商主義]]政策が取られており、[[米価]]の上昇に歯止めが掛からず、結果的に飢饉は全国規模に拡大した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害は[[東北地方]]の農村を中心に、全国で数万人（推定で約2万人）が餓死したと[[杉田玄白]]の著書『[[後見草]]』が伝えるが、諸藩は失政の咎（[[改易]]など）を恐れ、被害の深刻さを表沙汰にさせないようにしていたため実数は1ケタ多い。[[弘前藩]]の例を取れば8万人とも13万人とも伝えられる死者を出しており、[[逃散]]した者も含めると藩の人口の半数近くを失う状況にとなった。飢餓と共に[[疫病]]も流行し、最終的な死者数は全国的で30万人とも50万人とも推定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
農村部から逃げ出した農民は各都市部へ流入し治安の悪化が進行した。天明7年（[[1787年]]）5月、[[江戸]]・[[大坂]]で米屋の打ち壊し事件が起こり、その後全国各地へ打ち壊しが広がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 異常気象の原因 ==&lt;br /&gt;
1783年、浅間山に先立ち[[アイスランド]]の[[ラキ火山]]（Lakagígar）が噴火（ラカギガル割れ目噴火）、同じくアイスランドのグリームスヴォトン（Grímsvötn）火山もまた1783年から[[1785年]]にかけて噴火した。これらの噴火は1回の噴出量が桁違いに大きく、おびただしい量の有毒な[[火山ガス]]が放出された。[[成層圏]]まで上昇した塵は地球の北半分を覆い、地上に達する日射量を減少させ、北半球に低温化・[[冷害]]を生起し[[フランス革命]]の遠因となったといわれている。影響は日本にも及び、浅間山の噴火とともに東北地方で天明の大飢饉の原因となった可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[洪水玄武岩]]&lt;br /&gt;
*[[御所千度参り]]&lt;br /&gt;
*[[加役方人足寄場]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://hakone.eri.u-tokyo.ac.jp/kazan/Question/topic/topic101.html 火山学者に聞いてみよう]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:飢饉|てんめい]]&lt;br /&gt;
[[category:江戸時代の事件|てんめいのたいききん]]&lt;br /&gt;
[[Category:江戸時代の経済|てんめいのたいききん]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.38.136</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>長谷川宣以</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.38.136: 新しいページ: ''''長谷川 宣以'''（はせがわ のぶため、延享3年（1746年） - 寛政7年5月10日（1795年6月26日））は[[江...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''長谷川 宣以'''（はせがわ のぶため、[[延享]]3年（[[1746年]]） - [[寛政]]7年[[5月10日 (旧暦)|5月10日]]（[[1795年]][[6月26日]]））は[[江戸時代]]の[[旗本]]である。『釣洋一』によれば、諸書が生年を延享2年（[[1745年]]）とするのは誤りで正しくは延享3年（1746年）であるという。通称は'''平蔵'''（へいぞう）。これは[[長谷川氏]]の当主が代々受け継ぐ通称で、家督相続以前は'''銕三郎'''（てつさぶろう）と名乗った。[[池波正太郎]]の[[小説]]『[[鬼平犯科帳]]』の主人公として描かれていることから、日本の[[時代劇]]ファンによく知られている。子に[[長谷川宣義]]（[[1772年]] - [[1837年]]）がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 史実における長谷川平蔵 ==&lt;br /&gt;
『[[寛政重修諸家譜]]』によると[[明和]]5年（[[1768年]]）、400石の旗本である[[長谷川宣雄]]の嫡男として（母は「某氏」と記されている。某氏とは農民・町人の娘のことである）、23歳の時に10代将軍・[[徳川家治|家治]]に御目見えし、長谷川家の家督相続人となる。時期は不明であるが旗本の大橋与惣兵衛親英の娘と結婚し、明和8年（[[1771年]]）に嫡男である宣義を授かっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
青年時代は放蕩無頼の風来坊だったようで、「本所の銕」などと呼ばれて恐れられたと記録にある。父の宣雄は[[火付盗賊改方]]を経て[[京都西町奉行]]の役に付き、平蔵も父と妻子と共に京都に赴く。父の死去に伴って平蔵は江戸に戻り、28歳で家督を継ぐ（[[安永]]2年・[[1773年]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安永3年（[[1774年]]）、31歳で江戸城西の丸御書院番士（将軍世子の警護役）に任ぜられたのを振り出しに、[[天明]]4年（[[1784年]]）、39歳で西の丸御徒士頭、天明6年（[[1786年]]）、41歳で[[御先手組]]弓頭に任ぜられ、順調に出世していく。火付盗賊改方の長官に任ぜられたのは天明7年（[[1787年]]）、42歳の時である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[寛政の改革]]で[[加役方人足寄場|人足寄場]]（犯罪者の更生施設）の建設を立案し、石川島人足寄場の設立などで功績を挙げた。しかし、この時上司である老中首座・[[松平定信]]に予算の増額を訴え出たが受け入れられず、やむなく平蔵は幕府から預かった資金を銭相場に投じるという方法で資金を得る。辣腕とも言えなくは無いが、当時の道徳的には認められるようなものではなく（もちろん現代の価値観・法においても、役人が国家予算を相場投機で殖やすのは認められるものではない）、またこのような手法はかつての[[田沼意次]]を思い起こさせるようなものであり、このため意次を毛嫌いしていた定信とは折り合いが悪かった。定信は自伝『宇下人言』において敢えて名を呼ばず「長谷川'''某'''（なにがし）」とまで記し、功績は認めたものの「山師などと言われ兎角の評判のある人物だ」と述べたほどであった。また前述のように清廉潔白というわけでもなかったので『よしの冊子』（定信の元に集まってきた隠密情報を整理した文書）によると「長谷川平蔵のようなものを、なんで加役に仰せ付けるのか」と同僚の旗本たちは口々に不満を訴えたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--しかし[[若年寄]]・[[京極高久]]からは知遇を得る。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[寛政]]元年（[[1789年]]）4月、関八州を荒らしまわっていた大盗、[[真刀徳次郎|神道（真刀・神稲とも書かれている）徳次郎]]一味を一網打尽にし、その勇名を天下に響き渡らせる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
寛政3年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]（[[1791年]][[6月4日]]）、江戸市中で[[強盗]]及び婦女暴行を繰り返していた凶悪[[盗賊]]団の首領・[[葵小僧]]を[[逮捕]]、処刑した。被害者に配慮し、逮捕後わずか3日で処刑している。[[三田村鳶魚]]は宣以が機転を利かせたためであり、幕府もこれを了承したとしている。このとき名刀・[[井上真改]]を用いたとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
非常に有能だが幕閣（特に前述の定信）や同僚からはあまり信頼されていなかったようで出世はままならなかったが、的確で人情味溢れる仕事振りに庶民からは「本所の平蔵さま」「今大岡」と呼ばれ、非常に人気があった。平蔵も出世できないことを愚痴っていることもあったが「越中殿（定信）の信頼だけが心の支え」と勤務に励んでいたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
寛政7年（1795年）、8年間勤め上げた火付盗賊改方の御役御免を申し出て、認められた直後（退官の3ヵ月後）に死去。死の直前、11代将軍・[[徳川家斉|家斉]]から懇ろな労いの言葉を受け、高貴薬「瓊玉膏」（けいぎょくこう）を下賜された。[[東京都]][[新宿区]]須賀町の戒行寺に供養碑がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、長谷川平蔵の住居跡に数十年後[[遠山景元]]（遠山の金さん）が住んだという。これは全くの偶然らしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 鬼平犯科帳における長谷川平蔵 ==&lt;br /&gt;
幼名は銕三郎。実母であるお園は巣鴨村の大百姓である三沢仙右衛門の娘。父である宣雄と共に実母の実家で暮らす。宣雄は長谷川家の跡継ぎとなるため新しい妻として兄の妹である波津を迎え、長谷川家に戻ることになるが、その直後にお園が死去。義母の反対により銕三郎は17歳まで母の実家で過ごすことになる。父の尽力により実家である長谷川家に迎えられてからも波津とはそりが合わず「妾腹の子」と手酷く蔑まれ、その反発から遂に家を飛び出す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それからは本所・深川界隈の無頼漢の頭となり、放蕩三昧の日々。「本所の鬼」「入江町の銕さん」などと恐れられ、行いの悪さから長谷川家を勘当寸前になる（ただし宣雄は銕三郎を庇い、キッパリとそれを撥ね付けた）。時を同じくして剣術を一刀流の高杉銀平に学び、腕を磨いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宣雄が亡くなり、長谷川家を継ぐ。堀帯力の後任として火付盗賊改方の長官に就任。鋭い推理力と観察眼を持ち、峻厳なる取り締まりに悪党からは「鬼の平蔵」と恐れられる。妻は旗本の大橋与惣兵衛親英の娘である久栄。子供は久栄との間に2男2女（後に養女を1人迎える）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昼夜を問わず続く火付盗賊改の激務のせいか、体調を崩して臥せっていることも多い。久栄からは大好物である酒を止めるよう言われるが、その目を掠めて盗み飲みしていることもある。&lt;br /&gt;
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煙草も嗜む。愛用の煙管は亡父から譲られた家紋（釘抜）入りの銀煙管（ただし盗賊に盗まれたこともある）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
愛刀は「[[粟田口国綱]]」「井上真改」。脇差に「[[備前兼光]]」。&lt;br /&gt;
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== 長谷川平蔵を演じた俳優 ==&lt;br /&gt;
*[[松本白鸚 (初代)|初代松本白鸚]]&lt;br /&gt;
*[[丹波哲郎]]&lt;br /&gt;
*[[萬屋錦之介]]&lt;br /&gt;
*[[中村吉右衛門 (2代目)|2代目中村吉右衛門]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[火付盗賊改方]]&lt;br /&gt;
*[[鬼平犯科帳]]&lt;br /&gt;
*[[藤田平]]（元[[阪神タイガース]]監督。その熱血指導ぶりと名前から、マスコミに「鬼平監督」と呼ばれ取り上げられた。なお、彼の名前は「たいら」である）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{People-stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:江戸時代の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:江戸幕府旗本]]&lt;br /&gt;
[[Category:1745年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1795年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
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