<?xml version="1.0"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xml:lang="ja">
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/api.php?action=feedcontributions&amp;feedformat=atom&amp;user=60.33.37.184</id>
		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
		<link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://18.236.240.21/mediawiki/api.php?action=feedcontributions&amp;feedformat=atom&amp;user=60.33.37.184"/>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/60.33.37.184"/>
		<updated>2026-05-17T07:57:21Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
		<generator>MediaWiki 1.25.1</generator>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E4%BF%B3%E5%8F%A5&amp;diff=32850</id>
		<title>俳句</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E4%BF%B3%E5%8F%A5&amp;diff=32850"/>
				<updated>2008-07-10T05:23:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.37.184: 新しいページ: '{{Redirect|Haiku|オープンソースなオペレーティングシステム|Haiku (オペレーティングシステム)}} {{文学}} [[画像:国宝極楽山浄土寺-芭蕉...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Redirect|Haiku|オープンソースなオペレーティングシステム|Haiku (オペレーティングシステム)}}&lt;br /&gt;
{{文学}}&lt;br /&gt;
[[画像:国宝極楽山浄土寺-芭蕉句碑.jpg|thumb|200px|right|[[国宝]]の極楽山浄土寺と[[松尾芭蕉|芭蕉]]句碑]] &lt;br /&gt;
'''俳句'''（はいく）とは五・七・五の[[音節]]から成る[[日本語]]の[[定型詩]]であり、世界最短の[[詩]]である。俳句を詠む（作る）人を俳人と呼ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
俳句は近世に発展した文芸である俳諧連歌、略して[[俳諧]]から生まれた近代文芸である。[[室町時代]]に流行した[[連歌]]の遊戯性、庶民性を高めた文芸が俳諧であったが[[17世紀]]に[[松尾芭蕉]]が出てその芸術性を高め、なかでも単独でも鑑賞に堪える自立性の高い発句、すなわち地発句を数多く詠んだ事が後世の俳句の源流となる。さらに近代文芸として個人の創作性を重視して俳句を成立させたのが[[明治]]時代の[[正岡子規]]であった。子規は江戸末期の俳諧を月並俳諧と批判して近代化した文芸たらしめるための文学運動を行い、発句が俳句として自立した。俳句の自立後の視点から、松尾などの詠んだ発句をさかのぼって俳句とみなす見方もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無季俳句、[[自由律俳句]]も含まれるがそれを俳句と認めない立場も存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、英語などの非日本語による3行詩も「Haiku」と称される。日本語以外の俳句では五・七・五のシラブルの制約がなく、季語もない場合が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在では外国人が日本語で俳句を作ることも始まった。そうした外国人の俳人には現在[[マブソン青眼]]、[[ドウーグル]]、[[アーサー・ビナード]]などがいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の詩歌の伝統をひきついで成立した俳句は、五・七・五の音数による言葉の調べ（[[韻律 (韻文)|韻律]]）と「季語」と「切れ」によって短い詩でありながら心のなかの場景（心象）を大きくひろげることができる特徴を持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 俳句とは何か ==&lt;br /&gt;
「俳句とは何か」という、本質的問いに対する答えは多数存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;山本健吉&lt;br /&gt;
:俳句評論家の[[山本健吉]]はエッセイ「挨拶と滑稽」のなかで、俳句の本質として3ヶ条をあげている。これが有名な「俳句は[[滑稽]]なり。俳句は[[挨拶]]なり。俳句は[[即興]]なり」である。&lt;br /&gt;
;松根東洋城&lt;br /&gt;
:[[松根東洋城]]は俳句について[[大正天皇]]から問われた[[1914年]]、「渋柿のごときものにては候へど」の句を奉答したという。「渋柿のごときもの」、これはたしかに俳句の本質の一面といえよう。松根は、この句にちなんで主宰誌を「渋柿」と命名した。&lt;br /&gt;
;他、著名な俳人&lt;br /&gt;
:*俳句とは「[[客観写生]]」、「[[花鳥諷詠]]」である。（[[高浜虚子]]）&lt;br /&gt;
:*「俳句は東洋の眞珠である」。「俳句は諸人旦暮の詩である」。（[[日野草城]]）&lt;br /&gt;
:*俳句とは「人間だよ」。（[[古沢太穂]]）&lt;br /&gt;
:など。&lt;br /&gt;
;「寄物陳思」&lt;br /&gt;
:俳句は「寄物陳思」の詩とも言われる。「[[万葉集]]」にある「物に寄せて思いを陳（の）べる」の意である。&lt;br /&gt;
（出典：安藤次男・飯田竜太編「俳句の本・俳諧と俳句」筑摩書房、村山古郷・山下一海編「俳句用語の基礎知識」角川選書、「証言・昭和の俳句」角川書店）&lt;br /&gt;
;桑原武夫&lt;br /&gt;
:フランス文学研究者・[[桑原武夫]]は「第二芸術」にて（雑誌「世界」[[1946年]]）「俳句というものは同好者だけが特殊世界を作りその中で楽しむ芸事。大家と素人の区別もつかぬ第二芸術に過ぎない」と糾弾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 特徴 ==&lt;br /&gt;
俳句には次の特徴がある。&lt;br /&gt;
*五・七・五の「'''[[リズム|韻律]]'''」で詠まれる定形詩である。&lt;br /&gt;
*たいてい「'''[[季語]]'''」が入る。&lt;br /&gt;
*一か所、必ず「'''切れ'''」がある。&lt;br /&gt;
*'''余韻'''を残す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 韻律 ===&lt;br /&gt;
俳句は定型詩であり、五・七・五の韻律が重要な要素となっている。この韻律は開音節という日本語の特質から必然的に成立したリズムであって、俳句の制約とか、規則と考えるべきではない。五の部分が6音以上に、または七の部分が8音以上になることを'''字余り'''という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば&lt;br /&gt;
*'''芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな'''  [[松尾芭蕉|芭蕉]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
は8・7・5で、上5が8の字余りである。そのほか字足らず、句またがりなど5・7・5定型に収まらない作品もある。さらに、俳句は定型詩ではないとして一句一律を唱える[[自由律俳句]]も存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
和歌の時代からの伝統であろうが、字余りがゆるされるのは母音ないし撥音が含まれる場合が多い。それは、母音および撥音が音の一単位としては少々短いためと思われる。例えば本位を「ほい」と表記する伝統は撥音が一音としては不足していることを表すだろうし、ア行で活用する動詞が「得（う）」一語なのも母音だけでは語としてなにがしかの不足感をその当時の人々が感じていたからではなかろうか。&lt;br /&gt;
=== 季語 ===&lt;br /&gt;
俳句にとって、[[季語]]は大きな役割がある。季語を必ず入れなければならないとする有季（季語絶対）派から季語よりも季感が大切とする「季感」派、無季でもよいとする無季容認、無季俳句が旧来の俳句的情趣を打破するという「無季」派まで、さまざまな考え方がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[松田ひろむ]]は、「俳句に[[季語]]はあってもなくてもいいのでしょうか。そうではありません。はっきりいって季語はあったほうがいいのです。俳句にとって『季語』は大きな役割を果たします。季語は象徴となるイメージを与えてくれるのです。これを連想力といってもいいでしょう。また時間と空間を大きく広げる役割があるのです」（『入門詠んで楽しむ俳句16週間』新星出版社）という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また橋本直は[[2006年]]3月の[[現代俳句協会]]青年部勉強会で「季語の現在─本意の変遷と生成、その未来」の基調報告を行ない、そこで「本来の季語、季題の役割は、[[通時的]]／[[共時的]]な詩的機能を引き出すためのものであって、あたかも軛のごとく自由を束縛するものではない」と問題を提起している。このように総じて有季定型派よりも無季、自由律に眼を向けた俳人のほうがより深く季語の役割について考えをすすめている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
有季絶対派は「季語・季題があればいい」として、かえって緊張感を欠いているともいえよう。また「俳諧の発句はその場に対する挨拶の意味を濃厚に含んでいたからである」とするが、現代の俳句は「俳諧の発句」とは異なるものとして発展してきているので、俳諧の発句という説は説得力を持っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
季語が季節の情感を表現していたかといえば談林の俳諧などではかえって季語を季感と切り離すことで、笑いを生みだすものとしていた部分もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 季語と季題 ===&lt;br /&gt;
[[季語]]といい季題というが、それぞれの用語にはそれぞれの拘りがある。[[日本放送協会|NHK]]のBS放送でも、「季語」という[[金子兜太]]と「季題」という[[稲畑汀子]]とがしばしば激論を交している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もともと季語・季題という言葉は江戸時代にはなかった。芭蕉の言葉にも「季節の一つも探り出したらんは 後世によき賜と也」（去来抄）とあり、この「季節」とは季語・季題のこと。その他芭蕉はすべて「季」（季の詞）といっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大胆に要約すれば季の題を詠むとする立場が「季題」、それでは季題趣味に陥るとするのが「季語」派である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 切れ ===&lt;br /&gt;
[[俳諧]]では、最初に詠まれる発句は後に続ける'''脇句'''や'''平句'''の動機となる必要がある。そのため発句には、脇句に依存しない完結性が求められた。そこで編み出されたテクニックが「'''切れ'''」である。上手く切れた発句は「'''切れ'''がある」と評価され、重視された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たとえば有名な芭蕉の句&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*'''古池や 蛙飛び込む水の音'''  '''芭蕉'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
では、「古池や」の後で一呼吸、句の流れが切れている。読者はその一瞬の休符の合間に、作者を取り巻く環境や作者の思想・感情・情念・背景などを勝手に想像してしまう仕掛けになっている。このテクニックが「切れ」と呼ばれ、十七文字という限定された語数で、葉に形と質感を与える効果を持つ。さらに、季語とあいまって句に余韻をかもしだす。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代の俳句でも「切れ」は重要なテクニックの一つであり、「切れ」のない句は俳句としては評価されない。&lt;br /&gt;
==== 切れ字 ====&lt;br /&gt;
強制的に句を切るために使われるのが切れ字である。現代の俳句でも使われている切れ字には「かな」「や」「けり」がある。俳句以前の連歌・俳諧の時代には「もがな」「し」「ぞ」「か」「よ」「せ」「れ」「つ」「ぬ」「へ」「ず」「いかに」「じ」「け」「らん」など、先の3個と合わせ、計18種類の助詞、助動詞が使われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 切れ字がなくても句は切れる ====&lt;br /&gt;
芭蕉の弟子・[[去来]]は『[[去来抄]]』の中で、こんな芭蕉の言葉を紹介している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「切れ字を入れるのは句を切るためである。しかし切れている句というのは切れ字によって切る必要はない。いまだに句が切れている、いないが、わからない初心者のために、あらかじめ切れ字の数を定めているのである。この定め字を入れれば十のうち七八の句は自然に切れる。しかし残りの二三は切れ字を入れても切れないダメ句である、また入れなくても切れるいい句もある。そういう意味では四十七文字すべてが切れ字となりうる」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり芭蕉の言いたいことは、切れは句の内容の問題で切れ字があるなしの問題ではないということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
切れ字がないのに切れている例としては、たとえば&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*'''旅に病んで 夢は枯れ野をかけめぐる'''  '''芭蕉'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
がある。「旅に病んで」の後で切れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 客観写生 ===&lt;br /&gt;
この言葉自体は[[高浜虚子]]のものであるが、その起源は芭蕉の句までたどることのできる俳句の特徴の1つである。芭蕉の門人・[[土芳]]は『[[三冊子]]』の中でこれを「見るにつけ、聞くにつけ、作者の感じるままを句に作るところは、すなわち'''俳諧の誠'''である」と表現している。江戸時代には客観や写生という言葉こそなかったが'''俳諧の誠'''というのは私意や虚偽を排し、対象をよく観察し、傾聴して、そのありさまを十七文字で表現することに全力を傾けるという意味である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例としては&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*'''吹き飛ばす石は 浅間の野分かな'''  '''芭蕉'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
が挙げられる。ここには浅間山に登る芭蕉の感想などは、一切述べられていない。しかし、浅間山に吹く野分の凄さを「石まで吹き飛ばす」と表現することで読者は、荒涼とした風景とともに、こういう表現を選ぶ芭蕉という人物の面白さをもかえって十分に感じることができるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 川柳との違い ===&lt;br /&gt;
[[川柳]]も俳句と同じく俳諧に起源を持つ五・七・五の定形詩だが俳諧連歌の冒頭の発句が独立した俳句と違い、川柳は[[付け句]]（'''平句'''）を前句から独立的に鑑賞するようになったもので発句の性格を継承しておらず、そこから俳句と対照的な特徴を有する。&lt;br /&gt;
*「季語」がない。&lt;br /&gt;
*「切れ」がない。（'''一句一姿'''）&lt;br /&gt;
*自分の思いをストレートに言い切り、「余韻」を残さない。（'''穿ち'''）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 技法 ==&lt;br /&gt;
=== 注意六条 禁忌八条 ===&lt;br /&gt;
[[水原秋桜子]]が『俳句の作り方』で提唱した、俳句を作る時に意を注ぐべき六ヶ条と避けるべき八ヶ条。よくまとめられているので、初心者が俳句を作るときに参考にすることができる。&lt;br /&gt;
==== 注意六条 ====&lt;br /&gt;
俳句を詠むとき、意を注ぐべき六条&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
#'''詩因'''を捉える&lt;br /&gt;
#'''分量'''をわきまえる&lt;br /&gt;
#'''省略'''を巧みにする&lt;br /&gt;
#'''配合'''を工夫する&lt;br /&gt;
#わかる'''用語'''を使って&lt;br /&gt;
#'''丁寧'''に詠む&lt;br /&gt;
===== 省略 =====&lt;br /&gt;
俳句では17文字という限られた音で表現をしなければならないため、不用な言葉の'''省略'''が重要視される。[[体言止め]]により[[動詞]]や[[助詞]]を省略したり、助詞で止めて後に来る動詞を省略したりすることが多い。また、測可能な言葉を省くことにより、余韻を残したり時間的な「間」を表現することにもなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 禁忌八条 ====&lt;br /&gt;
俳句を詠むときで避けるべき八ヶ条（水原秋桜子の見解、特に無季の句に関しては異論もあろう）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
#'''無季'''の句を詠まない&lt;br /&gt;
#'''重季'''の句を詠まない&lt;br /&gt;
#'''空想'''の句を詠まない&lt;br /&gt;
#'''や・かな'''を併用した句を詠まない&lt;br /&gt;
#'''字あまり'''の句を詠まない&lt;br /&gt;
#'''感動'''を'''露出'''した句を詠まない&lt;br /&gt;
#'''感動'''を'''誇張'''した句を詠まない&lt;br /&gt;
#'''模倣'''の句を詠まない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他の技法 ===&lt;br /&gt;
==== 本歌取り ====&lt;br /&gt;
有名な既存の俳句や短歌などから[[言葉]]を流用し、言外に本歌の内容を表現する技法。例えば「見わたせば山もと霞む水無瀬川」から「山もと霞む」を流用し、言外に「水無瀬川」を示すなど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 句またがり ====&lt;br /&gt;
意味的な切れ目を五・七・五の音の切れ目とは異なる場所に持ってくることで、リズムに変化を与える技法。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著名な俳人 ==&lt;br /&gt;
[[俳人の一覧]]も参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;江戸時代（厳密には俳句ではなく俳諧を詠んだが、優れた地発句ゆえに俳句と同一視される）&lt;br /&gt;
*[[松尾芭蕉]]（[[1644年]] - [[1694年]]）&lt;br /&gt;
*[[与謝蕪村]]（[[1716年]] - [[1783年]]）&lt;br /&gt;
*[[小林一茶]]（[[1763年]] - [[1827年]]）&lt;br /&gt;
;近現代&lt;br /&gt;
*[[正岡子規]]（[[1867年]] - [[1902年]]）&lt;br /&gt;
*[[河東碧梧桐]]（[[1873年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
*[[高浜虚子]]（[[1874年]] - [[1959年]]）&lt;br /&gt;
*[[種田山頭火]]（[[1882年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
*[[尾崎放哉]]（[[1885年]] - [[1926年]]）&lt;br /&gt;
*[[水原秋桜子]]（[[1892年]] - [[1981年]]）&lt;br /&gt;
*[[山口青邨]]（[[1892年]] - [[1988年]]）&lt;br /&gt;
*[[西東三鬼]]（[[1900年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
*[[日野草城]]（[[1901年]] - [[1956年]]）&lt;br /&gt;
*[[山口誓子]]（1901年 - [[1994年]]）&lt;br /&gt;
*[[中村草田男]]（1901年 - [[1983年]]）&lt;br /&gt;
*[[大野林火]]（[[1904年]] - [[1982年]]）&lt;br /&gt;
*[[加藤楸邨]]（[[1905年]] - [[1993年]]）&lt;br /&gt;
*[[古沢太穂]]（[[1913年]] - [[2000年]]）&lt;br /&gt;
*[[鈴木真砂女]]（[[1906年]] - [[2003年]]）&lt;br /&gt;
*[[森澄雄]]（[[1919年]] - ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書籍 ==&lt;br /&gt;
;入門書&lt;br /&gt;
*『金子兜太の俳句の作り方が面白いほどわかる本』みんなの俳句学校入門の入門  楽書ブックス [[金子兜太]]  [[中経出版]]（2002/06） ISBN 4806116378  &lt;br /&gt;
*『新実作俳句入門』[[藤田湘子]] [[立風書房]]（2000/06） ASIN:4651600727 &lt;br /&gt;
*『入門 詠んで楽しむ俳句16週間』 [[松田ひろむ]] [[新星出版社]]（2002/07） ISBN 4405055580 &lt;br /&gt;
*『一億人の俳句入門』 [[長谷川櫂]] [[講談社]]（2005/10） ISBN 4062129302&lt;br /&gt;
*『無敵の俳句生活』俳筋力の会 ナナ・コーポレートコミュニケーション（2002/06）  ISBN 4901491067&lt;br /&gt;
;関連書&lt;br /&gt;
*『俳句理解の心理学』 皆川直凡 北大路書房（2005/9） ISBN 4-7628-2463-1&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[俳諧]]&lt;br /&gt;
*[[漢俳]]&lt;br /&gt;
*[[詩]]&lt;br /&gt;
*[[定型詩]]&lt;br /&gt;
*[[自由律]]&lt;br /&gt;
*[[わび・さび]]&lt;br /&gt;
*[[軽み]]&lt;br /&gt;
*[[俳句甲子園]]&lt;br /&gt;
*[[和歌]]&lt;br /&gt;
*[[都々逸]]&lt;br /&gt;
*[[NHK俳句]]&lt;br /&gt;
*[[青春俳句大賞]]&lt;br /&gt;
*[[結社]]&lt;br /&gt;
*[[俳句団体]]&lt;br /&gt;
*[[Haiku (オペレーティングシステム)|Haiku]]&lt;br /&gt;
*[[短歌]]&lt;br /&gt;
*[[川柳]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.haiku.jp/index.asp 日本伝統俳句協会]&lt;br /&gt;
*[http://es.geocities.com/bosque_de_bambu/ Bosque de bambú Camino del Haiku]&lt;br /&gt;
*[http://www.escritorium.com/haikus Spanish Haikus]&lt;br /&gt;
*[http://ricardo-haiku.blogspot.com/ Ricardo Haiku]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:俳句|はいく]]&lt;br /&gt;
[[Category:俳諧|はいく]]&lt;br /&gt;
[[Category:詩|はいく]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.37.184</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=32849</id>
		<title>その時歴史が動いたの全放送リスト</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=32849"/>
				<updated>2008-07-10T02:33:22Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.37.184: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''その時歴史が動いたの全放送リスト'''（そのときれきしがうごいたのぜんほうそうりすと）ではNHKの番組『[[その時歴史が動いた]]』で放送した内容のタイトルについて説明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このリストではアンコール放送分は除いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==放送タイトル==&lt;br /&gt;
放送時間は2006年3月8日放送分までが水曜日21時15分～21時58分、2006年4月5日放送分からが水曜日22時～22時43分。&lt;br /&gt;
===2000年===&lt;br /&gt;
*3月29日　運命の一瞬、[[東郷平八郎|東郷]]ターン ～[[日本海海戦]]の真実～&lt;br /&gt;
*4月5日　世紀の対決 [[沢村栄治|沢村]]VS[[ベーブ・ルース]] ～日本プロ野球誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月12日　天下分け目の[[天王山]] ～[[豊臣秀吉|秀吉]]・必勝の人心掌握術～&lt;br /&gt;
*4月19日　幕末のプリンセス・日本を救う ～皇女[[和宮親子内親王|和宮]]の悲願～&lt;br /&gt;
*4月26日　[[新撰組]]参上![[池田屋事件]]に賭けた若者たち&lt;br /&gt;
*5月10日　その日 6人がいた ～[[火縄銃|鉄砲]]伝来・偶然のドラマ～&lt;br /&gt;
*5月17日　[[織田信長]]・勝利の方程式 ～真説・[[長篠の戦い|長篠合戦]]～&lt;br /&gt;
*5月24日　[[だるま|ダルマ]]大臣・[[高橋是清]]経済危機と格闘する（[[昭和金融恐慌]]）&lt;br /&gt;
*5月31日　敵は[[本能寺の変|本能寺]]にあり ～[[明智光秀|光秀]]はなぜ主君・信長を裏切ったのか～&lt;br /&gt;
*6月7日　[[坂本龍馬]] 幕末の日本を動かす ～[[薩長同盟]]成立の時～&lt;br /&gt;
*6月14日　我輩は小説家である ～[[夏目漱石]]・[[東京大学|東大]]辞表提出の時～&lt;br /&gt;
*6月21日　[[蘇我入鹿]]（そがのいるか）暗殺事件 ～実録・[[乙巳の変|大化改新のクーデター]]～&lt;br /&gt;
*6月28日　戦火の中で[[アニメーション|アニメ]]が生まれた（[[桃太郎 海の神兵]]）&lt;br /&gt;
*7月5日　[[大坂の役|大坂の陣]]、[[豊臣氏|豊臣家]]滅亡す ～[[徳川家康]]・非情の天下取り～&lt;br /&gt;
*7月12日　[[西郷隆盛]]、明治に挑む ～[[西南戦争]]勃発の時～&lt;br /&gt;
*7月19日　[[奇兵隊]]決起せよ![[高杉晋作]]挙兵の時&lt;br /&gt;
*7月26日　[[黒船]]来航 日米交渉ここに始まる&lt;br /&gt;
*8月2日　[[ミッドウェー海戦]]の悲劇&lt;br /&gt;
*8月9日　予ノ判断ハ外レタリ ～[[ソビエト連邦|ソ連]]対日参戦の衝撃～&lt;br /&gt;
*8月23日　[[キリシタン]]禁制 ～秀吉・[[ヨーロッパ]]と対決す～&lt;br /&gt;
*8月30日　[[関東大震災]] ～知られざる日米友好～&lt;br /&gt;
*9月6日　[[前畑秀子|前畑]]ガンバレ!! ～[[ベルリンオリンピック]]の光と影～&lt;br /&gt;
*10月4日　[[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]] 家康 なぞの大突撃 ～ヨーロッパ製甲冑の威力～&lt;br /&gt;
*10月11日　弟・[[源義経|義経]]を討て ～[[源頼朝]]・武家政権確立への決断～&lt;br /&gt;
*10月18日　[[津田梅子]]・[[津田塾大学|女子英学塾]]設立の時 ～女性の真の自立をめざして～&lt;br /&gt;
*10月25日　[[1929年]][[ニューヨーク|NY]]株価大暴落（[[世界恐慌]]）&lt;br /&gt;
*11月1日　[[伊能忠敬]] 56歳からの挑戦&lt;br /&gt;
*11月8日　[[桶狭間の戦い]] ～織田信長、逆転への情報戦略～&lt;br /&gt;
*11月15日　坂本龍馬暗殺事件 ～魔の一瞬が歴史を変えた～&lt;br /&gt;
*11月22日　「[[学校]]」誕生 ～初代文部大臣・[[森有礼]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月29日　[[将軍]][[徳川慶喜|慶喜]]・最後の決断 ～幕末を動かした[[大坂城]]脱出～&lt;br /&gt;
*12月6日　[[20世紀|二十世紀]]十大事件 ～歴史を動かした決定的瞬間～&lt;br /&gt;
*12月13日　脱盟者たちの[[忠臣蔵]] ～忠義か人情か　人生の選択の時～&lt;br /&gt;
*12月20日　サムライ・[[福澤諭吉|福沢諭吉]] [[アメリカ合衆国|アメリカ]]に立つ! ～[[咸臨丸]][[サンフランシスコ]]入港の時～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2001年===&lt;br /&gt;
*1月10日　男たちよ、立て! ～[[北条政子]] 演説の時～&lt;br /&gt;
*1月17日　大衆の夢を形に ～起業家・[[小林一三]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*1月24日　検証・[[桜田門外の変]] ～[[井伊直弼]]暗殺・幕末大転換の時～&lt;br /&gt;
*2月7日　6000人の命を救った外交官 ～[[杉原千畝]] [[ビザ]]大量発給決断の時～&lt;br /&gt;
*2月14日・21日　シリーズ[[二・二六事件|2・26事件]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
*2月28日　秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす&lt;br /&gt;
*3月7日　[[大津事件|ロシア皇太子襲撃事件]] ～近代日本をつくった裁判～&lt;br /&gt;
*3月14日・21日　もしもその時（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「古代・中世編」&lt;br /&gt;
:後編「戦国・幕末編」&lt;br /&gt;
*3月28日　妻たちは決断した&lt;br /&gt;
**3月の3回は主として2000年度に放送された内容の総集編的な作品だった&lt;br /&gt;
*4月4日　世界を制した[[ハリウッド]][[映画]] ～[[風と共に去りぬ]]公開の時～&lt;br /&gt;
*4月11日　秀吉・家康 たった一度の直接対決 ～天下取りの知恵くらべ～&lt;br /&gt;
*4月18日　[[春日局]] 徳川家康を動かす ～戦国女性・太平の世への願い～&lt;br /&gt;
*4月25日　日本を救った[[サツマイモ]] ～[[青木昆陽]]・飢きん救済に挑む～&lt;br /&gt;
*5月2日　戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]沈没 ～[[大艦巨砲主義]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*5月9日　[[昭和天皇]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]・会見の時&lt;br /&gt;
*5月16日　「[[阿吽|あうん]]」の呼吸はこうして生まれた ～[[東大寺]] 金剛力士像完成の時～&lt;br /&gt;
*5月23日　[[岡倉天心|天心]]の恋 ～東洋の美を追い続けた男～&lt;br /&gt;
*5月30日　[[徳川吉宗]]、執念の財政再建 ～米将軍・最後の決断～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[土方歳三]]・北の大地に散る ～[[戊辰戦争]]、最後の激戦～&lt;br /&gt;
*6月13日　[[伊達政宗]]、[[百万石]]への挑戦&lt;br /&gt;
*6月20日　[[邪馬台国]]の女王・[[卑弥呼]] ～動乱の[[魏 (三国)|中国]]に使者を出す～&lt;br /&gt;
*6月27日　[[白村江の戦い|白村江]]・古代最大の対外戦争&lt;br /&gt;
*7月4日　金融恐慌・日本を揺るがす ～巨大商社、[[鈴木商店]]の挫折～&lt;br /&gt;
*7月11日　[[北条時宗]]、起死回生の決断 ～[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍壊滅の時～&lt;br /&gt;
*7月18日　モンゴル軍来襲 ～九州武士・[[竹崎季長]]の戦い～&lt;br /&gt;
*7月25日・8月1日　[[ポツダム宣言]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「米ソの攻防」 ～[[原子爆弾|原爆]]投下・[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]の決断～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連対日参戦」～ソ連対日参戦・[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の焦燥～&lt;br /&gt;
*8月22日　夏休みスペシャル・[[三国志]]英雄伝（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風、[[長江]]に吹く」 ～[[諸葛亮|孔明]]の知略、天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*8月29日　そして、人は空を飛んだ ～[[ライト兄弟]]に先がけた男・[[二宮忠八]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*9月5日　[[上杉鷹山]] ふたたびの財政改革&lt;br /&gt;
*9月19日　キリシタン女性 関ヶ原合戦を揺るがす ～[[細川ガラシャ]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*9月26日　ぼく一生の不覚 ～[[日独伊三国軍事同盟|三国同盟]]締結・[[松岡洋右]]の誤算～&lt;br /&gt;
*10月3日　走れ!AA型 ～国産自動車誕生物語～&lt;br /&gt;
*10月10日　不平等条約を改正せよ ～[[陸奥宗光]]～&lt;br /&gt;
*10月17日　日本を愛した[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]・その悲劇&lt;br /&gt;
*10月24日　人生に絶望なし ～[[ヘレン・ケラー|ヘレンケラ]]ー来日の時～&lt;br /&gt;
*10月31日　羽柴秀吉、謎の敵前退却 ～[[賤ヶ岳の戦い|賤ヶ岳合戦]]・勝利の秘策～&lt;br /&gt;
*11月7日　戦国の茶人 秀吉と戦う ～[[千利休]]切腹の悲劇～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[前田利家]]の妻・[[芳春院|まつ]]の決断 ～加賀百万石・息子への教え～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[満州事変]] [[関東軍]]独走す&lt;br /&gt;
*12月5日　この難を逃げ候こと 本懐にあらず ～改革者・[[大久保利通]]暗殺の悲劇～&lt;br /&gt;
*12月12日　汽笛一声・日本の産声 ～[[鉄道]]開通に賭けた若者たち～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2002年===&lt;br /&gt;
*1月9日　スペシャル『日本を動かした15人』（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
*1月16日　[[溥儀|ラストエンペラー]]最後の日 ～「[[満州国]]」と皇帝・溥儀～&lt;br /&gt;
*1月23日　役人の不正許すまじ ～[[大塩平八郎]]決起の時～&lt;br /&gt;
*1月30日　志のある者 立ち上がれ ～獄中の出会いが生んだ[[吉田松陰]]の思想～&lt;br /&gt;
*2月6日　王宮の恋・[[サラエボ事件|サラエボ]]に散る ～[[第一次世界大戦|世界大戦]]を招いた暗殺事件～&lt;br /&gt;
*2月13日　日本の夢、[[ベルサイユ]]に散る ～[[パリ講和会議]]・人種差別 廃止提案の挫折～&lt;br /&gt;
*2月20日　[[田中正造]]、足尾鉱毒事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット|マリ・アントワネット]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*7月17日　[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]、皇帝への野望 ～戴冠式の一瞬に秘められた謎～&lt;br /&gt;
*7月24日　本能寺の変 ～信長暗殺!闇に消えた真犯人～&lt;br /&gt;
*7月31日　[[ガダルカナル島]]撤退 ～苦渋の決断～&lt;br /&gt;
*8月21日　特別編「戦い・その決定的瞬間」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「勝利の時・男たちは決断した」&lt;br /&gt;
:後編「戦乱・その時 妻は、母は」&lt;br /&gt;
*8月28日　さらば淀殿 お初の決断 ～運命に立ち向かった戦国三姉妹～&lt;br /&gt;
*9月4日　日本人、[[南極]]の大地に立つ（[[白瀬矗]]）&lt;br /&gt;
*9月11日　昭和を揺るがした銃弾 ～ライオン宰相・[[浜口雄幸]]狙撃の時～&lt;br /&gt;
*9月18日　ヒトラー情報 日本を揺るがす ～「真珠湾」へのもう一つの道～&lt;br /&gt;
*9月25日　ヒトラー最後の日 ～新資料が明かす独裁者の末路～&lt;br /&gt;
*10月2日　[[与謝野晶子]]『今ぞ目覚めて』 ～情熱の歌人、女性の自立を宣言～&lt;br /&gt;
*10月9日　幕末、[[京都市|京都]]炎上 ～長州・[[久坂玄瑞]]、志に散る～&lt;br /&gt;
*10月16日　必勝の方程式、江戸を制す ～[[大村益次郎]]、彰義隊撃破の時～&lt;br /&gt;
*10月23日　関ヶ原の戦い、決死の的中突破 ～戦国の猛将 [[島津義弘]]、決断の時～&lt;br /&gt;
*10月30日　人類のために生き、人類のために死す ～未公開書簡が明かす[[野口英世]]の真実～&lt;br /&gt;
*11月6日　豊臣秀吉天下統一の必勝戦略 ～[[小田原の役|小田原攻め]]に秘策あり～&lt;br /&gt;
*11月13日　激突 [[武田信玄]]と[[上杉謙信]] ～[[川中島の戦い]]、両雄決戦の時～ &lt;br /&gt;
*11月20日　改革に散った最後の幕臣 [[小栗上野介]] ～一本のねじから日本の近代は始まった～&lt;br /&gt;
*12月4日　[[銀行]]は人々のために ～金融危機を救った[[渋沢栄一]]の決断～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵、父と子の決断 ～赤穂浪士討ち入りの時～&lt;br /&gt;
*12月18日　[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]] [[交響曲第9番|第九]]誕生! ～民衆に自由を呼びかけた交響曲～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2003年===&lt;br /&gt;
*1月8日　新春スペシャル「ニッポン開国」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「なぜアメリカだったのか?」 ～[[マシュー・ペリー|ペリー]]の知られざる外交戦略～&lt;br /&gt;
:後編「通商か?亡国か?」 ～日本全権、決死の通商条約締結～&lt;br /&gt;
*1月15日　[[佐々木小次郎|小次郎]] 敗れたり ～決闘巌流島・[[宮本武蔵]]の執念～&lt;br /&gt;
*1月22日　兵法の道は人の道 宮本武蔵 ～『五輪書』完成への苦闘～&lt;br /&gt;
*1月29日　外交立国の志、いまだ死なず ～[[榎本武揚]]、箱館戦争終結の決断～&lt;br /&gt;
*2月12日　乱世を制するリーダーの条件 ～[[湊川の戦い]] [[足利尊氏]]、苦悩の決断～&lt;br /&gt;
*2月19日　夢は征夷大将軍 ～徳川家康・逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*2月26日　緊迫の二十四時間 ～新資料が明かす二・二六事件の内幕～&lt;br /&gt;
*3月5日　独裁者ヒトラー ～破滅への軌跡～&lt;br /&gt;
*3月12日　幕末立志伝 今こそ変革の時 ～[[吉田松陰]]・久坂玄瑞・[[高杉晋作]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*4月2日　家康・天下を制した184通の書状 ～関ヶ原の合戦・知られざる情報工作～&lt;br /&gt;
*4月9日　[[真田幸村]] どん底からの挑戦 ～家康を追いつめた伝説の名将～  &lt;br /&gt;
*4月16日　ロシア女帝が涙した帰国願い ～日露交渉の扉を開いた[[大黒屋光太夫]]～&lt;br /&gt;
*4月23日　改革者か、悪徳老中か? ～[[田沼意次]]、江戸の経済改革に挑む～&lt;br /&gt;
*5月7日　幕末ニッポン・幻の遷都計画 ～江戸か大坂か?[[大久保利通]]の大改革～&lt;br /&gt;
*5月14日　[[チャーリー・チャップリン|チャップリン]]を襲撃せよ ～五・一五事件　首相暗殺の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*5月21日　我が言は、万人の声 ～太平洋戦争前夜、日本を揺るがした国会演説～（[[斉藤隆夫]]）&lt;br /&gt;
*5月29日　日出づる処の天子より ～[[聖徳太子]]、理想国家建設の夢～&lt;br /&gt;
*6月4日　信長と家康、そして同盟は幻と消えた? ～[[長篠の戦い]]、戦国を変えた両雄の決断～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[源義経]]、大水軍を奪いとれ! ～[[壇ノ浦の戦い|壇の浦の戦い]]、奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*6月18日　新撰組誕生 ～幕末に青春をかけた男たち～&lt;br /&gt;
*6月25日　新撰組の夢、関東に散る ～江戸城明け渡しの裏で何がおきていたのか～&lt;br /&gt;
*7月2日　[[盧溝橋事件]] 運命の4日間 ～中国派兵への重大決意～&lt;br /&gt;
*7月9日　[[高杉晋作]]、50倍の敵を制する必勝戦略 ～幕末長州・奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*7月16日　海を越えた愛、日本を守る ～新史料、[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]開国秘話～&lt;br /&gt;
*7月23日　占領日本・運命を決した直談判 ～[[吉田茂]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]～&lt;br /&gt;
*7月30日　スパイ・[[リヒャルト・ゾルゲ|ゾルゲ]] 最後の暗号電報 ～新資料が明かす国際スパイ事件～&lt;br /&gt;
*8月20日　夏休みスペシャル・そして日本はよみがえった ～混迷を打ち破ったヒーローたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「混沌の時代を切り開いた男たち」&lt;br /&gt;
:後編「近代の日本を作った男たち」&lt;br /&gt;
*8月27日　[[板垣退助|板垣]]死すとも、自由は死せず ～日本に国会を誕生させた不朽の名言～&lt;br /&gt;
*9月3日　[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]] 世界帝国の夢 ～知られざる愛と誇りの決断～&lt;br /&gt;
*9月10日　[[ジャンヌ・ダルク]] 戦いはわが愛の証 ～裁判記録が明かす聖女の真実～&lt;br /&gt;
*9月17日　[[日野富子]] 愛と憎しみの和平工作 ～[[応仁の乱]]を終結させた将軍の妻～&lt;br /&gt;
*10月1日　秀吉に天下を取らせた男 ～[[黒田孝高|黒田官兵衛]] 戦国最強のナンバー2～&lt;br /&gt;
*10月8日・15日「[[始皇帝]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「希代のカリスマ・中国に立つ」 ～[[秦]]王朝 天下統一のとき～&lt;br /&gt;
:後編「崩壊は絶頂の中から始まった」 ～秦王朝 滅亡のとき～&lt;br /&gt;
*10月22日　[[正岡子規]] 余命十年で[[日本語]]を革新した男&lt;br /&gt;
*10月29日　[[白虎隊]] 自刃への三十六時間 ～生存隊士の手記が語る悲劇の真相～&lt;br /&gt;
*11月5日・12日　古代中国・[[項籍|項羽]]と[[劉邦]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「天下を分けた運命の宴 [[鴻門の会]]」&lt;br /&gt;
:後編「勝利への60万人の大合唱 [[垓下の戦い|四面楚歌]]」&lt;br /&gt;
*11月19日　[[勝海舟]] 江戸城無血開城はなぜ実現したか&lt;br /&gt;
*11月19日　[[マハトマ・ガンジー|ガンジー]] 暴力の連鎖を断ち切れ!&lt;br /&gt;
*12月4日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵 お裁き始末記 ～忠義か、犯罪か?幕府がゆらいだ50日～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2004年===&lt;br /&gt;
*1月7日　新春スペシャル・「新撰組」 ～最後のサムライたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「立志編 剣に生きる」&lt;br /&gt;
:後編「死闘編 武士道に死す」&lt;br /&gt;
*1月14日　秘められた革命工作 ～[[孫文]]を支えた日本人～&lt;br /&gt;
*1月21日　[[平清盛]] 早すぎた革新 ～平氏政権誕生のとき～&lt;br /&gt;
*1月28日　[[明治天皇]] [[あんパン]]を食す ～リストラ武士 [[木村安兵衛]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月4日　そして近代ニッポン人が誕生した ～明治の文豪たちの生き方革命～&lt;br /&gt;
*2月11日　日露開戦 男たちの決断 ～明治日本 存亡をかけた戦略～&lt;br /&gt;
*2月25日　[[外様大名]]はこうして生き残った! ～家康に勝利した逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*3月3日　大久保利通・新生日本を救う ～回避された「幻の日清戦争」～&lt;br /&gt;
*3月31日　[[さとうきび]]畑の村の戦争 ～新史料が明かす[[沖縄県|沖縄]]戦の悲劇～&lt;br /&gt;
*4月7日　新発見![[大坂城]]は超ハイテク要塞だった ～秀吉VS家康「堀」をめぐる攻防の真相～&lt;br /&gt;
*4月14日　日本の運命を背負った少年たち ～[[天正遣欧少年使節|天正遣欧使節]]・ローマ教皇謁見の時～&lt;br /&gt;
*4月21日　信長暗殺を命じた男 ～新説・本能寺の変 浮上した黒幕～&lt;br /&gt;
*4月28日　[[女優]]誕生 ～[[川上貞奴|マダム貞奴]]、「[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]」初演の時～&lt;br /&gt;
*5月5日　子供の心に歌を ～大正・[[童謡]]誕生物語～&lt;br /&gt;
*5月12日　日本[[サッカー]]・[[ベルリンオリンピック]]の奇跡 ～世界を驚かせた逆転勝利～&lt;br /&gt;
*5月19日・26日　モンゴル帝国（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「草原の覇者[[チンギス・ハーン|チンギス・カン]]」～ユーラシア統一への道～&lt;br /&gt;
:後編「[[マルコ・ポーロ]]は見た巨大国家の盛衰」 ～「[[東方見聞録]]」誕生のとき～&lt;br /&gt;
*6月2日　家康、人生最大の危機の3日間 ～大脱出!伊賀越えの先に天下が見えた～&lt;br /&gt;
*6月9日・16日　日露戦争100年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「二〇三高地の悲劇はなぜ起きたのか」 ～新史料が明かす激戦の真相～&lt;br /&gt;
:後編「逆転の極秘電報154号」 ～知られざるポーツマス講和会議の真相～&lt;br /&gt;
*6月23日　大江戸発至急便 黒船あらわる ～幕末日本の情報ネットワーク～&lt;br /&gt;
*6月30日　もう一つの日本を創った男 ～[[平将門]] 東国独立政権の謎～&lt;br /&gt;
*7月7日　「関白」対「源氏長者」 ～家康・秀吉 「姓」をめぐる知られざる攻防～&lt;br /&gt;
*7月14日　ドキュメント[[池田屋事件]] ～[[近藤勇|近藤 勇]]・突入決断の真相～&lt;br /&gt;
*7月21日　[[世界遺産]] [[熊野]]の森を守れ ～[[南方熊楠]]・日本初の自然保護運動～&lt;br /&gt;
*7月28日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす 最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*8月16日　奇跡の銀メダル [[人見絹江]] ～日本女子初メダル獲得の時～&lt;br /&gt;
*9月1日　武田信玄 地を拓き水を治める ～戦国時代制覇への夢～&lt;br /&gt;
*9月8日　信長と[[斎藤道三|道三]] ～改革者を生んだ非情の絆～&lt;br /&gt;
*9月15日　悲劇の英雄 ～“[[トーマス・エドワード・ロレンス|アラビアのロレンス]]”の真実～&lt;br /&gt;
*9月22日　焼け跡に[[ゾウ]]がやってきた ～海を越えた日本の子どもたちの夢～&lt;br /&gt;
*10月6日　グッドバイ ちょんまげ ～明治日本 文明開化騒動記～&lt;br /&gt;
*10月13日　列国の野望 [[シベリア]]を走る ～[[ロシア革命]]・[[ソビエト連邦|ソビエト]]成立までの混迷の5年～&lt;br /&gt;
*10月27日　実録・[[ええじゃないか]] ～幕末ニッポンを動かした民衆パワー～&lt;br /&gt;
*11月3日　義経はなぜ死んだのか ～源頼朝と奥州藤原氏の攻防～&lt;br /&gt;
*11月10日　秘録・幻の明治新政府 ～維新を変えた激動の27日間～&lt;br /&gt;
*11月17日　サムライ魂でデパートを創れ! ～近代百貨店誕生物語～&lt;br /&gt;
*11月24日　ニッポンに学べ![[タイ王国|タイ]]の”明治維新” ～「[[王様と私]]」・[[ラーマ5世|ラーマ五世]]の苦闘～ &lt;br /&gt;
*12月8日　ミステリー大化改新 ～蘇我入鹿暗殺の実像～&lt;br /&gt;
*12月15日　それからの新選組 ～土方歳三、箱館に死す～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2005年===&lt;br /&gt;
*1月5日　[[歌舞伎]]スタア誕生 [[市川團十郎 (2代目)|二代目 市川團十郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*1月12日　百世の安堵をはかれ 安政大地震・奇跡の復興劇&lt;br /&gt;
*1月26日　日露戦争100年 日本海海戦 ～参謀 [[秋山真之]]・知られざる苦闘～&lt;br /&gt;
*2月2日　龍馬が愛した女 ～幕末、愛と別れの物語～&lt;br /&gt;
*2月9日　[[プロ野球]]を変えた[[ホームラン]] [[天覧試合]] オーナーたちの戦い&lt;br /&gt;
*2月16日　日米攻防90日 国際軍縮を実現せよ! [[ワシントン会議 (1922年)|ワシントン会議]]・全権 [[加藤友三郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*2月23日　我が運命は民と共に 悲劇の英雄 [[楠木正成]]の実像&lt;br /&gt;
*3月2日　[[源実朝|実朝]]暗殺 ～歌人将軍は、なぜ殺されたか?～&lt;br /&gt;
*3月9日・16日　シリーズ三国志英雄伝（前・後編2週連続　2001年の夏休みスペシャルの再構成をベースに）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風・長江に吹く」 ～孔明の知略・天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*3月30日　恋・人生・そして小説 ～[[樋口一葉]] 女性作家誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月6日　大帝国の野望、博多に散る ～大陸から見た蒙古襲来～&lt;br /&gt;
*4月13日　武田家滅亡の謎 ～戦国最強軍団はなぜ滅びたのか～&lt;br /&gt;
*4月20日・27日　源義経 栄光と悲劇の旅路（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「第1回 西へ 戦いの彼方に」&lt;br /&gt;
:後編「第2回 北へ 流浪の果てに」&lt;br /&gt;
*5月11日　にっぽん[[郵便]]創業物語 ～[[前島密]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*5月18日　戦国をひらいた男 ～[[北条早雲]] 56才からの挑戦～&lt;br /&gt;
*5月25日　傷ついた戦場の兵士を救え ～[[佐野常民]] 日本初の国際人道支援～&lt;br /&gt;
*6月1日　民を救った義士たちの物語 ～宝暦の治水・[[薩摩藩]]士の苦闘～&lt;br /&gt;
*6月8日　[[横山エンタツ|エンタツ]]・[[花菱アチャコ|アチャコ]]の[[漫才]]革命 ～あんじょうわろうてや!～&lt;br /&gt;
*6月15日　幕末・運命の愛 ～時代を創った男と女の物語～&lt;br /&gt;
*6月22日　さらばサムライ ～[[西郷隆盛]] 徴兵制の決断～&lt;br /&gt;
*6月29日　さらばサムライ ～[[西南戦争]]・田原坂の真実～&lt;br /&gt;
*7月6日　プロ野球を作った男たち ～昭和10年 アメリカ遠征記～&lt;br /&gt;
*7月13日　実録・[[大岡忠相|大岡越前]] ～火事と闘った知られざる素顔～&lt;br /&gt;
*7月20日　信長の巨大鉄船、戦国の海を制す ～織田水軍 VS 村上水軍、決戦大坂湾～&lt;br /&gt;
*7月27日・8月3日　シリーズ終戦60年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦艦大和の悲劇」 ～大艦巨砲主義、時代に敗れる～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連参戦の衝撃」 ～満蒙開拓民はなぜ取り残された～&lt;br /&gt;
*8月24日　日露衝突を回避せよ ～[[高田屋嘉兵衛]] 決死の交渉劇～&lt;br /&gt;
*8月31日　家康が最も恐れた男 ～敗者 [[石田三成]]の関ヶ原～&lt;br /&gt;
*9月14日　[[二宮尊徳|二宮金次郎]] 天保の大飢饉を救う&lt;br /&gt;
*9月21日　戦国 出世の方程式 [[藤堂高虎]] 大阪夏の陣の大勝負&lt;br /&gt;
*10月12日　幕末・土佐勤皇党 不滅の志 ～若者たちは変革に命を賭けた～&lt;br /&gt;
*10月19日　誰がための仏教か ～[[鑑真]]和上の宗教改革～&lt;br /&gt;
*11月9日　鎖国の扉を開け ～[[ジョン万次郎]] 漂流民の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月16日　秘められたメディア戦略 ～[[児玉源太郎]] 日露戦争のシナリオ～&lt;br /&gt;
*11月30日・12月7日　シリーズ[[真珠湾攻撃|真珠湾]]への道（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[山本五十六]] 苦渋の作戦立案」&lt;br /&gt;
:後編「山本五十六 運命の作戦決行」&lt;br /&gt;
*12月14日　歴史の選択　赤穂浪士 ～討ち入り組VS討ち入り不参加組～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2006年===&lt;br /&gt;
*1月11日　人間ドラマ誕生 ～[[近松門左衛門]] [[曽根崎心中]]～&lt;br /&gt;
*1月18日　古代の文明開化 ～1号寺院・[[飛鳥寺]]建立の戦略～&lt;br /&gt;
*2月1日　[[新聞]]誕生 ～幕末・[[浜田彦蔵|ジョセフ彦]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月8日　[[壬申の乱]] ～[[天武天皇]]誕生の秘密～&lt;br /&gt;
*2月15日　戦国の花嫁 ～[[山内一豊]]の妻・[[見性院|千代]]～&lt;br /&gt;
*2月22日　[[伝染病]]から日本を守れ ～細菌学者 [[北里柴三郎]]の闘い～&lt;br /&gt;
*3月1日　さらば殿様 ～[[廃藩置県]] 激動の内幕～&lt;br /&gt;
*3月8日　[[零式艦上戦闘機|ゼロ戦]]・設計者が見た悲劇 ～[[マリアナ沖海戦]]への道～ （ここまでが水曜日21:15放送）&lt;br /&gt;
*4月5日　マッカーサーを叱った男 ～[[白洲次郎]]・戦後復興への挑戦～ （ここからが水曜日22:00放送）&lt;br /&gt;
*4月12日　[[大奥]] 悲しみの果てに ～[[徳川家宣]]正室 [[天英院]] 煕子の生涯～&lt;br /&gt;
*4月19日　それでも地球は動いた ～[[ガリレオ・ガリレイ]]の栄光と挫折～&lt;br /&gt;
*4月26日　歴史の選択　本能寺の変 織田信長 VS 明智光秀 ～激突!改革か安定か～&lt;br /&gt;
*5月17日　響け 希望の歌声 ～戦後初の流行歌「リンゴの唄」～&lt;br /&gt;
*5月24日　帝と民の巨大プロジェクト ～東大寺大仏 [[聖武天皇]]の挑戦～   &lt;br /&gt;
*5月31日　これは正義の戦いか ～ジャーナリストたちの[[ベトナム戦争]]～&lt;br /&gt;
*6月21日　幻の大艦隊 ～[[イギリス]]から見た[[薩英戦争]]～&lt;br /&gt;
*7月5日　勝負師は志高く ～碁聖・[[本因坊秀策]]の無敗伝説～&lt;br /&gt;
*7月12日　生まれ来る命 そして母のために ～[[荻野久作]]の受胎期の発見～&lt;br /&gt;
*7月26日　歴史の選択　川中島の戦い 引き分けの謎&lt;br /&gt;
*8月2日　焼け跡から生まれたチャンピオン ～ボクシング [[白井義男]]と[[アルビン・R・カーン|カーン]]～&lt;br /&gt;
*8月23日　幻のハワイ・日本同盟計画&lt;br /&gt;
*8月30日・9月6日　シリーズ 日本独立 その光と影（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「吉田茂と[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]] 前編」&lt;br /&gt;
:後編「吉田茂とサンフランシスコ講和条約 後編」&lt;br /&gt;
*9月13日・20日　「シリーズ・秀吉の[[家族]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「もう一人の秀吉 ～[[豊臣秀長]] [[太閤記]]を演出した弟～」&lt;br /&gt;
:後編「戦国の母 関ヶ原を決す ～[[高台院|おね]]・豊臣政権生き残りへの道～」&lt;br /&gt;
*10月4日　戦火をこえた青春の白球 ～[[学徒出陣]]前 最後の[[早慶戦]]～&lt;br /&gt;
*10月11日　神は我を救い給（たま）うか ～キリシタン 細川ガラシャの生涯～&lt;br /&gt;
*10月18日　格差の怒り 政府を倒す ～[[大正デモクラシー]]を生んだ[[米騒動]]～&lt;br /&gt;
*11月1日　歴史の選択　坂本龍馬暗殺 黒幕は誰か?&lt;br /&gt;
*11月8日　日本を発見した日本人 ～[[柳田國男|柳田国男]]・「[[遠野物語]]」誕生～&lt;br /&gt;
*11月22日　我が手に郷土を ～[[真田昌幸]]・[[信濃国|信州]][[上田市|上田]]の市民戦争～&lt;br /&gt;
*11月29日　ひらがな革命 ～[[国風文化]]を生んだ[[古今和歌集]]～&lt;br /&gt;
*12月20日　母の灯火（ともしび） 小さき者を照らして ～[[石井筆子]]・[[知的障害]]児教育の道～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2007年===&lt;br /&gt;
*1月10日　戦国の剣豪、太平を築く ～[[柳生宗矩]]・「活人剣（かつにんけん）」の真実～&lt;br /&gt;
*1月24日　それでも民は祈り続けた ～[[島原の乱]]・[[キリシタン]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*1月31日　[[東京オリンピック]]への道 ～平和の[[聖火]] アジア横断リレー～&lt;br /&gt;
*2月7日　完成・戦国最強軍団 ～武田信玄・苦悩の生涯～&lt;br /&gt;
*2月14日　中国と国交を回復せよ ～[[足利義満]]の日明外交～&lt;br /&gt;
*2月21日　鉄は国家なり ～技術立国 日本のあけぼの～&lt;br /&gt;
*2月28日　天下は我が掌中にあり ～[[黒田孝高|黒田如水]]・もうひとつの関ヶ原～&lt;br /&gt;
*3月7日　苦しむ患者を救いたい ～[[イタイイタイ病]]裁判・弁護士たちの闘い～&lt;br /&gt;
*3月14日　歴史の選択　[[邪馬台国]]はどこか ～[[近畿地方|近畿]]説VS[[九州地方|九州]]説～&lt;br /&gt;
*3月28日　その時歴史が動いたスペシャル もう一度聞きたい あの人の言葉（22:59まで拡大）&lt;br /&gt;
*4月4日　謙信恐るべし&lt;br /&gt;
*4月11日　[[所得倍増計画]]の夢を追え ～[[高度経済成長]]の軌跡～&lt;br /&gt;
*4月18日　海の関ヶ原 ～[[村上武吉]]・水軍に賭けた夢～&lt;br /&gt;
*4月25日　[[大奥]] 華（はな）にも意地あり ～江戸城無血開城・[[天璋院]]篤姫～&lt;br /&gt;
**[[岩崎ひろみ]]が天璋院役、[[吉井怜]]が和宮役で出演&lt;br /&gt;
*5月2日　[[憲法]]施行60年 特集　[[日本国憲法第9条|憲法九条]] 平和への闘争 ～1950年代 [[改憲]]・[[護憲]]論～（22:30～23:29）&lt;br /&gt;
*5月9日　源頼朝 魔法の大逆転 ～[[富士川の戦い]]～&lt;br /&gt;
*5月16日　日本ミステリー誕生 ～[[江戸川乱歩]]・大衆文化との格闘～&lt;br /&gt;
*5月23日　悲しき女帝 許されざる恋 ～[[宇佐八幡宮神託事件|道鏡事件]]の真相～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[メキシコシティオリンピック|メキシコ五輪]] 奇跡の銅メダル ～日本サッカー・勝つための組織作り～&lt;br /&gt;
*6月13日　ニッポン外交力誕生 ～[[伊藤博文]]・[[神戸事件]]解決～&lt;br /&gt;
*6月20日　乱世に祈りを ～[[蓮如]]（れんにょ）・理想郷の建設～&lt;br /&gt;
*7月4日　[[冷戦]]の壁を破ろうとした男 ～[[石橋湛山]]・世界平和への願い～&lt;br /&gt;
*7月11日　天才信長をつくった男 ～[[今川義元]] 真説・桶狭間の戦い～&lt;br /&gt;
*8月1日　忘れられた島の闘い ～[[沖縄返還]]への軌跡～&lt;br /&gt;
*9月5日　引き裂かれた村 ～日米戦の舞台・[[フィリピン]]～&lt;br /&gt;
*9月12日　外交の信念 時流に散る ～宰相・[[広田弘毅|廣田弘毅]]の闘い～&lt;br /&gt;
*9月19日　赤ちゃんを死なせない ～[[乳幼児死亡率|乳児死亡率]]ゼロ・ある村の記録～&lt;br /&gt;
*9月26日　[[日中国交正常化]]&lt;br /&gt;
*10月3日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　[[食通|グルメ]]誕生 ～[[北大路魯山人]]と器～&lt;br /&gt;
*10月10日　賤（しず）ヶ岳に散った夢 ～猛将・[[柴田勝家]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*10月17日　義に死すとも不義に生きず ～[[会津戦争]] [[松平容保]] 悲運の決断～&lt;br /&gt;
*10月24日　[[銀]]を制する者は天下を制す ～[[毛利氏|毛利一族]]の戦い～&lt;br /&gt;
*10月31日　[[奇兵隊]] ～幕末に命を賭けた若き庶民たち～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[国際連合]]加盟 ～[[重光葵]] 日本から世界へのメッセージ～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[継体天皇]] [[ヤマト王権|ヤマト]]を救う&lt;br /&gt;
*11月28日　[[緒方洪庵]]・[[天然痘]]との闘い&lt;br /&gt;
*12月5日　[[戦後]][[引揚者|引き揚げ]] 660万人故郷への道&lt;br /&gt;
*12月12日　天下に旗をあげよ ～伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢～&lt;br /&gt;
*12月19日　[[対馬府中藩|対馬藩]]・決死の国書すり替え ～[[朝鮮通信使]]秘話～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2008年===&lt;br /&gt;
*1月23日　都会の地下に夢をもとめて ～[[地下鉄]]の父・[[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]～&lt;br /&gt;
*1月30日・2月6日　シリーズ[[江戸時代]]の危機（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[富士山]][[宝永大噴火|大噴火]] ～幕府・復興への闘い～」&lt;br /&gt;
:後編「[[天明の大飢饉|天明の飢饉]]（ききん）江戸を脅（おびや）かす ～鬼平・[[長谷川宣以|長谷川平蔵]]の無宿人対策～」&lt;br /&gt;
*2月13日・20日　シリーズ秀吉の猛将（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦国の風雲児 法の世に散る ～[[福島正則]] 広島改易事件～」&lt;br /&gt;
:後編「豊臣家存続の秘策 ～[[加藤清正]] [[二条城]]会見～」&lt;br /&gt;
*2月27日　軍服を脱いだジャーナリスト ～[[水野廣徳|水野広徳]]が残したメッセージ～&lt;br /&gt;
*3月5日　「自立」を賭けた戦い ～[[河井継之助]]・もう一つの戊辰戦争～&lt;br /&gt;
*3月12日　戦国[[後北条氏|北条]] 百年王国の夢&lt;br /&gt;
*3月19日　平安王朝 華麗なる一族 ～[[藤原道長]]の実像～&lt;br /&gt;
*4月2日　[[徳川四天王]]に学べ! ～組織のためにいかに生きるか～&lt;br /&gt;
*4月9日　音楽の[[市民革命]] ～[[神童]][[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の苦悩～&lt;br /&gt;
*4月16日　人間は尊敬すべきものだ ～[[全国水平社]]・[[差別]]との闘い～&lt;br /&gt;
*4月23日　「[[古事記]]」誕生 ～日本最古の[[歴史書|史書]]の謎～&lt;br /&gt;
*4月30日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　徳川家康 「江戸」建設に挑む&lt;br /&gt;
*5月14日　日本人の心を守れ ～[[岡倉天心]]・[[廃仏毀釈]]からの復興～&lt;br /&gt;
*5月21日　興亡 北の黄金王国 ～[[奥州藤原氏]] vs [[源氏]]～&lt;br /&gt;
*5月28日　養殖[[真珠]] 宝石界に革命を起こす ～女性を輝かせた男・[[御木本幸吉]]～&lt;br /&gt;
*6月4日　人を衛（まも）る都市をめざして ～[[後藤新平]]・帝都復興の時～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[北方探検]] 異境の大地を踏破せよ ～[[間宮林蔵]]・執念の旅路～&lt;br /&gt;
*6月18日　[[移民]]は共存共栄の事業なり ～[[ブラジル]]移民100年～&lt;br /&gt;
*6月25日　戦国の「[[ゲルニカ]]」 ～[[大坂の役|大坂夏の陣]]、惨劇はなぜ起きたのか～&lt;br /&gt;
*7月9日　古池や蛙飛こむ水のおと ～[[松尾芭蕉]] 人生を映した[[俳句|17文字]]～&lt;br /&gt;
*7月16日　[[応仁の乱]]、天下を滅ぼす ～終わりなき“戦いの連鎖”～&lt;br /&gt;
*7月23日　枠内特集　歴史秘話 ヒストリア 幕末 殿様たちの恋・夢・涙&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本放送協会テレビ番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[Category:教養番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[Category:ドキュメンタリー番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.37.184</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AD%A6%E5%BE%92%E5%87%BA%E9%99%A3&amp;diff=32848</id>
		<title>学徒出陣</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AD%A6%E5%BE%92%E5%87%BA%E9%99%A3&amp;diff=32848"/>
				<updated>2008-07-10T02:24:52Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.37.184: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:Gakuto shutsujin.jpg|thumb|400px|出陣学徒壮行会（1943年（昭和18年）10月21日）]]&lt;br /&gt;
'''学徒出陣'''（がくとしゅつじん）とは[[第二次世界大戦]]末期の[[1943年]]（[[昭和]]18年）に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系（および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の）学生を在学途中で徴兵し出征させたことである。それまで（旧制）高校や（旧制）大学に在籍する学生は、26歳まで徴兵猶予されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
日本は[[1937年]]（昭和12年）以来、当初は[[中華民国]]、続いて[[1941年]]（昭和16年）からは[[アメリカ合衆国]]・[[イギリス]]などとの長期戦を続けていた。特にアジア・太平洋地域に及ぶ広大な戦線の維持や[[1942年]]（昭和17年）以降の戦局悪化で戦死者数が増加したため、次第に兵力不足が顕著になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
従来、[[兵役法]]などの規定により大学（[[旧制大学]]）・高等学校（[[旧制高等学校]]）・専門学校（[[旧制専門学校]]）などの学生は26歳まで徴兵を猶予されていた。しかし兵力不足を補うため、次第に徴兵猶予の対象は狭くされていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず[[1941年]]（昭和16年）10月、大学、専門学校などの修業年限を3ヶ月短縮することを定め同年の卒業生を対象に12月臨時徴兵検査を実施して、合格者を翌1942年（昭和17年）2月に入隊させた&amp;lt;ref&amp;gt;大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ臨時短縮ニ関スル件（昭和16年勅令第924号）、大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ昭和十六年度臨時短縮ニ関スル件（昭和16年文部省令第79号）。在学徴集延期期間ノ臨時特例ニ関スル件（昭和16年陸軍省令第43号）、在学徴集延期期間ノ短縮ニ関スル件（昭和16年陸軍省、文部省令第2号）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この1942年（昭和17年）には、さらに予科と高等学校も対象として修業年限を6ヶ月間短縮し、9月卒業、10月入隊の措置をとった&amp;lt;ref&amp;gt;大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ昭和十七年度臨時短縮ニ関スル件（昭和16年文部省令第81号）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、さらなる戦局悪化により下級将校の不足も顕著になったため翌1943年（昭和18年）[[10月2日]]、当時の[[東條内閣]]は'''在学徴集延期臨時特例'''（昭和18年勅令第755号）を公布した。これは、理工系と教員養成系を除く文科系の高等教育諸学校の在学生の徴兵延期措置を撤廃するものである&amp;lt;ref&amp;gt;なお朝鮮では、同年10月に学徒兵制が施行された。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この特例の公布・施行と同時に昭和十八年臨時徴兵検査規則（昭和18年陸軍省令第40号）が定められ、同年10月と11月に徴兵検査を実施し丙種合格者（開放性結核患者を除く）までを12月に入隊させることとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この第1回学徒兵入隊を前にした1943年（昭和18年）[[10月21日]]、東京の[[明治神宮外苑競技場]]では文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれ、[[東条英機]]首相、[[岡部長景]]文相らの出席のもと関東地方の入隊学生を中心に7万人が集まった。出陣学壮行会は、各地でも開かれた。しかし翌年の第2回出陣以降、壮行会は行われなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
学徒出陣によって、陸海軍に入隊することになった学生らは陸軍甲種・乙種[[幹部候補生 (日本軍)|幹部候補生]]や[[海軍予備学生]]・[[海軍予備生徒]]として、不足していた[[下士官]]や下級[[将校]]の充足に当てられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、1943年（昭和18年）10月には教育に関する戦時非常措置方策が[[閣議決定]]され、文科系の高等教育諸学校の縮小と理科系への転換、在学入隊者の卒業資格の特例なども定められた。さらに翌[[1944年]]（昭和19年）年10月には徴兵適齢が20歳から19歳に引き下げられ、学徒兵の総数は13万人に及んだと推定される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==対象==&lt;br /&gt;
1943年（昭和18年）の徴兵対象者拡大の際、学徒出陣の対象となったのは主に[[帝国大学令]]及び[[大学令]]による大学（[[旧制大学]]）・[[高等学校令]]による高等学校（[[旧制高等学校]]）・[[専門学校令]]による専門学校（[[旧制専門学校]]）などの[[高等教育機関]]に在籍する'''文科系学生'''であった。彼らは各学校に籍を置いたまま休学とされ、徴兵検査を受け入隊した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対して理科系学生は兵器開発など、戦争継続に不可欠として徴兵猶予が継続され、陸軍・海軍の研究所などに勤労動員された。ただし、農学部の一部学科（農業経済学科など）は「文系」とみなされて徴兵対象となった&amp;lt;ref&amp;gt;後に[[中華民国総統]]を務めた[[台湾人]]の[[李登輝]]は当時、[[京都帝国大学]]農学部農業経済学科所属の日本人だったため徴兵されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、教員養成系大学（師範大学）の理系学科（数学、理科）に在籍する者も猶予の制度が継続された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==学徒出陣の実施==&lt;br /&gt;
1943年（昭和18年）10月21日、全国を代表して[[東京都]][[四谷区]]の[[明治神宮外苑競技場]]で「出陣学徒壮行会」が実施された。当時の報道によれば秋の強い雨の中、観客席で見守る多くの人々（引き続き徴兵猶予された理工系学部生、中等学校（現在の高等学校）生徒、女子学生などを含む）の前で東京都・[[神奈川県]]・[[千葉県]]・[[埼玉県]]の各大学・専門学校から召集された出陣学徒の隊列行進、宮城（[[皇居]]）遙拝、[[岡部長景]]文部大臣による開戦詔書の奉読、東條内閣総理大臣による訓辞、[[東京帝国大学]]文学部学生の[[江橋慎四郎]]（後の東京大学教育学部教授、鹿屋体育大学初代学長）による答辞などが行われ、最後に競技場から宮城（[[皇居]]）まで行進して終わったとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
壮行会を終えた学生は[[徴兵検査]]を受け、1943年（昭和18年）12月に[[大日本帝国陸軍|陸軍]]もしくは[[大日本帝国海軍|海軍]]に入隊して各地の戦場へと出征していった。士官不足であったため入営後に幹部候補生試験などを受け[[下士官]]扱いで最前線に出征した者が多いが、戦況が悪化する中でしばしば[[玉砕]]などによる全滅も起こった激戦地に配属されたり、慢性化した兵站・補給不足から生まれる[[栄養失調]]や疫病などで大量の戦死者を出した。また、それまで前線で敵と戦った古参兵はそれまで戦争被害がほとんど無かった[[内地]]から学歴だけを理由に自分の上官として着任した学徒兵への反発を隠さなかった。また学生も学の無い上官への不満を隠さなかった。[[1944年]]（昭和19年）末から[[1945年]]（昭和20年）[[8月15日]]の敗戦にかけて、戦局が悪化してくると志願や強制によって[[神風特別攻撃隊]]に配属され戦死する学徒兵も多数現れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、全国で学徒兵として出征した対象者の総数は日本政府による公式の数字が発表されておらず、大学や専門学校の資料も戦災や戦後の学制改革によって失われた例があるため未だに不明な点が多い。出征者は約13万人という説もあるが推定の域を出ず、死者数に関してはその概数すら示す事が出来ないままである。ただ、当時の[[文部省]]の資料によれば当時の高等教育機関就学率（大学・専門学校・旧制高等学校などの総計）は'''5%'''以下であり[http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/001/03090201/003/002.pdf]、さらに理工系学生は引き続き徴兵猶予されたため日本軍が新たに動員することが出来た学徒兵の実数は決して多くなかった。しかしその多くが富裕層、社会の支配層の男子であった大学生が「生等もとより生還を期せず」（江橋の答辞の一節）という言葉とともに戦場に向かった意味は大きく、日本国民全体に[[総力戦]]への覚悟を迫る象徴的出来事となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==戦後の困難==&lt;br /&gt;
1945年（昭和20年）[[9月2日]]に日本が降伏文書に調印し日本軍が武装解除されると、日本国外（沖縄を含む）からの[[復員]]が開始された。しかし[[満州国]]駐留の[[関東軍]]などに配属されていた学徒兵はそのまま[[ソビエト連邦]]による[[シベリア抑留]]を受け、日本への帰国を果たせずに亡くなる者も出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また学徒兵は大半が下級士官以下の階級にあったため、日本軍が行った[[捕虜]]の虐待や処刑などの残虐行為について現場責任者として告発される例が生じた。この[[BC級戦犯]]裁判で死刑が宣告され、帰還後に日本であるいは降伏した現地で命を落とす学徒兵もいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==帰国後の活躍==&lt;br /&gt;
このような戦中・戦後の死線をくぐり、日本に帰還した学徒兵は多くが元の学校に復学し卒業した後は戦後日本の復興や発展の牽引役となった者も現れた。答辞を読んだ江橋も生還し、後に東京大学教育学部教授や[[鹿屋体育大学]]学長になった。[[早稲田大学]]第一商学部から出征した[[竹下登]]も戦後に卒業して故郷の[[島根県]]で県議となり、後に内閣総理大臣まで務めた。一方、竹下の後に内閣総理大臣となった[[宇野宗佑]]は[[神戸商業大学 (旧制)|神戸商業大学]]在学中に学徒動員となり、[[シベリア抑留]]を経て帰国した後も大学には戻らず[[滋賀県]]議から政治家の道を歩んだ。[[宇野内閣]]では[[内閣官房長官]]の[[塩川正十郎]]も慶應義塾大学経済学部の学生として明治神宮外苑の壮行会から出征した（出征中に卒業扱いとなる）。竹下と宇野、それに[[明治大学]]専門部政治経済学科から1944年（昭和19年）に召集され、戦後に卒業した[[村山富市]]の3人が、日本の内閣総理大臣になった学徒出陣経験者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[茶道]][[裏千家]]の家元の家に生まれた[[千玄室]]は[[同志社大学]]法経学部経済学科在学中に召集を受け海軍で志願して特攻隊員となったが、出撃前に戦争が終結したために大学に復学し後に第15代家元を襲名した。千のいた隊で生き残ったのは2人だけで、もう1人が[[日本大学]]専門部芸術科から召集された後に俳優になる[[西村晃]]だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出陣し戦死した学徒が生きていれば成し得ていたはずの業績がどれほど大きいものであったは知れない。特に文科系の学問は多くの有望な人材を失い、この世代の実務家や研究者が不足する事態となりその影響は平和が定着した戦後にも及んだ。その反面、結果的に温存した形になった理工系の学生は戦後に各企業等で活躍していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この学徒出陣が復員した元学徒兵の人生に与えた影響は様々で、一概に語ることはできない。宇野や塩川は自分の戦争体験を（宇野はその後の抑留を含めて）著書や講演などで語ったが、江橋はほとんど触れることはなかったとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお学徒動員を実施した東條は戦後に[[極東国際軍事裁判]]（東京裁判）で死刑判決を受け[[1948年]]（昭和23年）に刑死したが、岡部は戦後にも[[東京国立近代美術館]]館長などを務めた後、[[1970年]]（昭和45年）に亡くなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==わだつみのこえ==&lt;br /&gt;
また、亡くなった学徒兵達の意思を後世に伝えるため[[1947年]]（昭和22年）には東京大学の戦没学徒兵の手記として『はるかなる山河に』、続く[[1949年]]（昭和24年）にはBC級戦犯処刑者を含む日本全国の戦没学徒兵の遺稿集として『[[きけ わだつみのこえ]]』が出版された。これは当時の政府により学業を中断させられて戦場に出征し軍隊の不条理や死の恐怖と直面した学徒兵の哲学思索、日本国家や民族への考察、未来の平和への願望などが綴られた文章をまとめたもので'''敵愾心や軍国主義への礼賛、この戦争を正当化する主張や愛国心などが削除されており'''、学徒全員の願望ではなく[[検閲]]という事情や「[[左翼]]偏向」、「[[歴史修正主義|歴史の改竄]]」などの批判を考慮する必要があるが平和を強く希求していた'''当時の'''日本人には強いメッセージとして受け入れられ、現在よりもはるかに劣悪な流通事情にも関わらず約200万部を売り上げる当時の大ベストセラーとなった。また[[1950年]]（昭和25年）にはこの本の最初の映画化が実現し、最新では[[1995年]]（[[平成]]7年）にも映画となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この本をきっかけに1950年（昭和25年）には[[日本戦没学生記念会]]が発足し現在に至るまで戦没学徒兵の記憶を伝え、平和運動を展開している。また、[[2006年]]（平成18年）[[12月1日]]には東京大学のキャンパスに近い東京都[[文京区]][[本郷 (文京区)|本郷]]のマンション内に「わだつみのこえ記念館」を設立し、戦没学徒兵の遺品などを展示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==沖縄における学徒兵==&lt;br /&gt;
日本で唯一市民をも巻き込んだ[[地上戦]]の舞台となった[[沖縄戦]]においては、徴兵年齢に達しない中学生までもが義勇兵として動員された（詳細は[[鉄血勤皇隊]]の項を参照のこと）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[徴兵制度]]&lt;br /&gt;
*[[万葉集]]&lt;br /&gt;
:万葉集の持つ[[古代]]から続く[[日本]]の「[[抒情]]世界」と「[[近代]]」の「[[科学技術]][[文明]]」との「[[シナジー|融合]]」が、「[[散華]]」していった学徒兵たちが胸に抱いていた「[[浪漫主義]]」だった。学徒出陣の[[世代]]の必読書の筆頭が「万葉集」である（「[[日本浪曼派]]」・「近代の超克」参照）。&lt;br /&gt;
*[[入江泰吉]]&lt;br /&gt;
:「[[奈良県#文化財|大和路]]」の[[美]]を追い続けた[[写真家]]。戦没学生たちが胸に刻んで「[[散華]]」していった、[[祖国]]の「山河・[[まほろば]]」を象徴する作品をのこす。&lt;br /&gt;
*[[杉本苑子]]&lt;br /&gt;
:&amp;lt;!--（要確認、異説あり）[[千代田女子専門学校]]（現在の[[武蔵野女子大学]]）の生徒として、--&amp;gt;明治神宮外苑競技場での壮行式に女学生として参加し、観客席から出陣学徒を見送った。後に作家となり、この時の印象を度々語っている[http://www1.odn.ne.jp/~cbb75250/news-kako18.html]。&amp;lt;!--（要確認）その中の一つは21年後の[[1964年]]（昭和39年）[[10月10日]]に、同競技場を取り壊してできた[[国立霞ヶ丘陸上競技場]]で行われた[[東京オリンピック]]開会式とこの壮行会を重複した印象だった。－講談社『明日への祈念』での言及情報あり--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.geocities.jp/torikai007/1945/okinawa-chiran.html 特攻隊と学徒動員]&lt;br /&gt;
*[http://www.youtube.com/watch?v=iEd1WI-3mSU 映画『学徒出陣1』（06:22）]&lt;br /&gt;
*[http://www.youtube.com/watch?v=zegiRxlZDnU 映画『学徒出陣2』（08:35）]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代|かくとしゆつしん]]&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代戦前の文化|かくとしゆつしん]]&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代戦前の教育|かくとしゆつしん]]&lt;br /&gt;
[[Category:太平洋戦争|かくとしゆつしん]]&lt;br /&gt;
[[Category:高等教育の歴史 (日本)|かくとしゆつしん]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.37.184</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AD%A6%E5%BE%92%E5%87%BA%E9%99%A3&amp;diff=32847</id>
		<title>学徒出陣</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AD%A6%E5%BE%92%E5%87%BA%E9%99%A3&amp;diff=32847"/>
				<updated>2008-07-10T02:23:56Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.37.184: 新しいページ: '出陣学徒壮行会（1943年（昭和18年）10月21日） '''学徒出陣'''（がくとしゅつじん）とは[[第二次世界...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:Gakuto shutsujin.jpg|thumb|400px|出陣学徒壮行会（1943年（昭和18年）10月21日）]]&lt;br /&gt;
'''学徒出陣'''（がくとしゅつじん）とは[[第二次世界大戦]]末期の[[1943年]]（[[昭和]]18年）に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系（および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の）学生を在学途中で徴兵し出征させたことである。それまで（旧制）高校や（旧制）大学に在籍する学生は、26歳まで徴兵猶予されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
日本は[[1937年]]（昭和12年）以来、当初は[[中華民国]]、続いて[[1941年]]（昭和16年）からは[[アメリカ合衆国]]・[[イギリス]]などとの長期戦を続けていた。特にアジア・太平洋地域に及ぶ広大な戦線の維持や[[1942年]]（昭和17年）以降の戦局悪化で戦死者数が増加したため、次第に兵力不足が顕著になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
従来、[[兵役法]]などの規定により大学（[[旧制大学]]）・高等学校（[[旧制高等学校]]）・専門学校（[[旧制専門学校]]）などの学生は26歳まで徴兵を猶予されていた。しかし兵力不足を補うため、次第に徴兵猶予の対象は狭くされていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず[[1941年]]（昭和16年）10月、大学、専門学校などの修業年限を3ヶ月短縮することを定め同年の卒業生を対象に12月臨時徴兵検査を実施して、合格者を翌1942年（昭和17年）2月に入隊させた&amp;lt;ref&amp;gt;大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ臨時短縮ニ関スル件（昭和16年勅令第924号）、大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ昭和十六年度臨時短縮ニ関スル件（昭和16年文部省令第79号）。在学徴集延期期間ノ臨時特例ニ関スル件（昭和16年陸軍省令第43号）、在学徴集延期期間ノ短縮ニ関スル件（昭和16年陸軍省、文部省令第2号）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この1942年（昭和17年）には、さらに予科と高等学校も対象として修業年限を6ヶ月間短縮し、9月卒業、10月入隊の措置をとった&amp;lt;ref&amp;gt;大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ昭和十七年度臨時短縮ニ関スル件（昭和16年文部省令第81号）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、さらなる戦局悪化により下級将校の不足も顕著になったため翌1943年（昭和18年）[[10月2日]]、当時の[[東條内閣]]は'''在学徴集延期臨時特例'''（昭和18年勅令第755号）を公布した。これは、理工系と教員養成系を除く文科系の高等教育諸学校の在学生の徴兵延期措置を撤廃するものである&amp;lt;ref&amp;gt;なお朝鮮では、同年10月に学徒兵制が施行された。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この特例の公布・施行と同時に昭和十八年臨時徴兵検査規則（昭和18年陸軍省令第40号）が定められ、同年10月と11月に徴兵検査を実施し丙種合格者（開放性結核患者を除く）までを12月に入隊させることとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この第1回学徒兵入隊を前にした1943年（昭和18年）[[10月21日]]、東京の[[明治神宮外苑競技場]]では文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれ、[[東条英機]]首相、[[岡部長景]]文相らの出席のもと関東地方の入隊学生を中心に7万人が集まった。出陣学壮行会は、各地でも開かれた。しかし翌年の第2回出陣以降、壮行会は行われなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
学徒出陣によって、陸海軍に入隊することになった学生らは陸軍甲種・乙種[[幹部候補生 (日本軍)|幹部候補生]]や[[海軍予備学生]]・[[海軍予備生徒]]として、不足していた[[下士官]]や下級[[将校]]の充足に当てられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、1943年（昭和18年）10月には教育に関する戦時非常措置方策が[[閣議決定]]され、文科系の高等教育諸学校の縮小と理科系への転換、在学入隊者の卒業資格の特例なども定められた。さらに翌[[1944年]]（昭和19年）年10月には徴兵適齢が20歳から19歳に引き下げられ、学徒兵の総数は13万人に及んだと推定される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==対象==&lt;br /&gt;
1943年（昭和18年）の徴兵対象者拡大の際、学徒出陣の対象となったのは主に[[帝国大学令]]及び[[大学令]]による大学（[[旧制大学]]）・[[高等学校令]]による高等学校（[[旧制高等学校]]）・[[専門学校令]]による専門学校（[[旧制専門学校]]）などの[[高等教育機関]]に在籍する'''文科系学生'''であった。彼らは各学校に籍を置いたまま休学とされ、徴兵検査を受け入隊した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対して理科系学生は兵器開発など、戦争継続に不可欠として徴兵猶予が継続され、陸軍・海軍の研究所などに勤労動員された。ただし、農学部の一部学科（農業経済学科など）は「文系」とみなされて徴兵対象となった&amp;lt;ref&amp;gt;後に[[中華民国総統]]を務めた[[台湾人]]の[[李登輝]]は当時、[[京都帝国大学]]農学部農業経済学科所属の日本人だったため徴兵されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、教員養成系大学（師範大学）の理系学科（数学、理科）に在籍する者も猶予の制度が継続された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==学徒出陣の実施==&lt;br /&gt;
1943年（昭和18年）10月21日、全国を代表して[[東京都]][[四谷区]]の[[明治神宮外苑競技場]]で「出陣学徒壮行会」が実施された。当時の報道によれば秋の強い雨の中、観客席で見守る多くの人々（引き続き徴兵猶予された理工系学部生、中等学校（現在の高等学校）生徒、女子学生などを含む）の前で東京都・[[神奈川県]]・[[千葉県]]・[[埼玉県]]の各大学・専門学校から召集された出陣学徒の隊列行進、宮城（[[皇居]]）遙拝、[[岡部長景]]文部大臣による開戦詔書の奉読、東條内閣総理大臣による訓辞、[[東京帝国大学]]文学部学生の[[江橋慎四郎]]（後の東京大学教育学部教授、鹿屋体育大学初代学長）による答辞などが行われ、最後に競技場から宮城（[[皇居]]）まで行進して終わったとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
壮行会を終えた学生は[[徴兵検査]]を受け、1943年（昭和18年）12月に[[大日本帝国陸軍|陸軍]]もしくは[[大日本帝国海軍|海軍]]に入隊して各地の戦場へと出征していった。士官不足であったため入営後に幹部候補生試験などを受け[[下士官]]扱いで最前線に出征した者が多いが、戦況が悪化する中でしばしば[[玉砕]]などによる全滅も起こった激戦地に配属されたり、慢性化した兵站・補給不足から生まれる[[栄養失調]]や疫病などで大量の戦死者を出した。また、それまで前線で敵と戦った古参兵はそれまで戦争被害がほとんど無かった[[内地]]から学歴だけを理由に自分の上官として着任した学徒兵への反発を隠さなかった。また学生も学の無い上官への不満を隠さなかった。[[1944年]]（昭和19年）末から[[1945年]]（昭和20年）[[8月15日]]の敗戦にかけて、戦局が悪化してくると志願や強制によって[[神風特別攻撃隊]]に配属され戦死する学徒兵も多数現れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、全国で学徒兵として出征した対象者の総数は日本政府による公式の数字が発表されておらず、大学や専門学校の資料も戦災や戦後の学制改革によって失われた例があるため未だに不明な点が多い。出征者は約13万人という説もあるが推定の域を出ず、死者数に関してはその概数すら示す事が出来ないままである。ただ、当時の[[文部省]]の資料によれば当時の高等教育機関就学率（大学・専門学校・旧制高等学校などの総計）は'''5%'''以下であり[http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/001/03090201/003/002.pdf]、さらに理工系学生は引き続き徴兵猶予されたため日本軍が新たに動員することが出来た学徒兵の実数は決して多くなかった。しかしその多くが富裕層、社会の支配層の男子であった大学生が「生等もとより生還を期せず」（江橋の答辞の一節）という言葉とともに戦場に向かった意味は大きく、日本国民全体に[[総力戦]]への覚悟を迫る象徴的出来事となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==戦後の困難==&lt;br /&gt;
1945年（昭和20年）[[9月2日]]に日本が降伏文書に調印し日本軍が武装解除されると、日本国外（沖縄を含む）からの[[復員]]が開始された。しかし[[満州国]]駐留の[[関東軍]]などに配属されていた学徒兵はそのまま[[ソビエト連邦]]による[[シベリア抑留]]を受け、日本への帰国を果たせずに亡くなる者も出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また学徒兵は大半が下級士官以下の階級にあったため、日本軍が行った[[捕虜]]の虐待や処刑などの残虐行為について現場責任者として告発される例が生じた。この[[BC級戦犯]]裁判で死刑が宣告され、帰還後に日本であるいは降伏した現地で命を落とす学徒兵もいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==帰国後の活躍==&lt;br /&gt;
このような戦中・戦後の死線をくぐり、日本に帰還した学徒兵は多くが元の学校に復学し卒業した後は戦後日本の復興や発展の牽引役となった者も現れた。答辞を読んだ江橋も生還し、後に東京大学教育学部教授や[[鹿屋体育大学]]学長になった。[[早稲田大学]]第一商学部から出征した[[竹下登]]も戦後に卒業して故郷の[[島根県]]で県議となり、後に内閣総理大臣まで務めた。一方、竹下の後に内閣総理大臣となった[[宇野宗佑]]は[[神戸商業大学 (旧制)|神戸商業大学]]在学中に学徒動員となり、[[シベリア抑留]]を経て帰国した後も大学には戻らず[[滋賀県]]議から政治家の道を歩んだ。[[宇野内閣]]では[[内閣官房長官]]の[[塩川正十郎]]も慶應義塾大学経済学部の学生として明治神宮外苑の壮行会から出征した（出征中に卒業扱いとなる）。竹下と宇野、それに[[明治大学]]専門部政治経済学科から1944年（昭和19年）に召集され、戦後に卒業した[[村山富市]]の3人が、日本の内閣総理大臣になった学徒出陣経験者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[茶道]][[裏千家]]の家元の家に生まれた[[千玄室]]は[[同志社大学]]法経学部経済学科在学中に召集を受け海軍で志願して特攻隊員となったが、出撃前に戦争が終結したために大学に復学し後に第15代家元を襲名した。千のいた隊で生き残ったのは2人だけで、もう1人が[[日本大学]]専門部芸術科から召集された後に俳優になる[[西村晃]]だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出陣し戦死した学徒が生きていれば成し得ていたはずの業績がどれほど大きいものであったは知れない。特に文科系の学問は多くの有望な人材を失い、この世代の実務家や研究者が不足する事態となりその影響は平和が定着した戦後にも及んだ。その反面、結果的に温存した形になった理工系の学生は戦後に各企業等で活躍していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この学徒出陣が復員した元学徒兵の人生に与えた影響は様々で、一概に語ることはできない。宇野や塩川は自分の戦争体験を（宇野はその後の抑留を含めて）著書や講演などで語ったが、江橋はほとんど触れることはなかったとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお学徒動員を実施した東條は戦後に[[極東国際軍事裁判]]（東京裁判）で死刑判決を受け[[1948年]]（昭和23年）に刑死したが、岡部は戦後にも[[東京国立近代美術館]]館長などを務めた後、[[1970年]]（昭和45年）に亡くなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==わだつみのこえ==&lt;br /&gt;
また、亡くなった学徒兵達の意思を後世に伝えるため[[1947年]]（昭和22年）には東京大学の戦没学徒兵の手記として『はるかなる山河に』、続く[[1949年]]（昭和24年）にはBC級戦犯処刑者を含む日本全国の戦没学徒兵の遺稿集として『[[きけ わだつみのこえ]]』が出版された。これは当時の政府により学業を中断させられて戦場に出征し軍隊の不条理や死の恐怖と直面した学徒兵の哲学思索、日本国家や民族への考察、未来の平和への願望などが綴られた文章をまとめたもので'''敵愾心や軍国主義への礼賛、この戦争を正当化する主張や愛国心などが削除されており'''、学徒全員の願望ではなく[[検閲]]という事情や「[[左翼]]偏向」、「[[歴史修正主義|歴史の改竄]]」などの批判を考慮する必要があるが平和を強く希求していた'''当時の'''日本人には強いメッセージとして受け入れられ、現在よりもはるかに劣悪な流通事情にも関わらず約200万部を売り上げる当時の大ベストセラーとなった。また[[1950年]]（昭和25年）にはこの本の最初の映画化が実現し、最新では[[1995年]]（[[平成]]7年）にも映画となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この本をきっかけに1950年（昭和25年）には[[日本戦没学生記念会]]が発足し現在に至るまで戦没学徒兵の記憶を伝え、平和運動を展開している。また、[[2006年]]（平成18年）[[12月1日]]には東京大学のキャンパスに近い東京都[[文京区]][[本郷 (文京区)|本郷]]のマンション内に「わだつみのこえ記念館」を設立し、戦没学徒兵の遺品などを展示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==沖縄における学徒兵==&lt;br /&gt;
日本で唯一市民をも巻き込んだ[[地上戦]]の舞台となった[[沖縄戦]]においては、徴兵年齢に達しない中学生までもが義勇兵として動員された（詳細は[[鉄血勤皇隊]]の項を参照のこと）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[徴兵制度]]&lt;br /&gt;
*[[万葉集]]&lt;br /&gt;
:万葉集の持つ[[古代]]から続く[[日本]]の「[[抒情]]世界」と「[[近代]]」の「[[科学技術]][[文明]]」との「[[シナジー|融合]]」が、「[[散華]]」していった学徒兵たちが胸に抱いていた「[[浪漫主義]]」だった。学徒出陣の[[世代]]の必読書の筆頭が「万葉集」である（「[[日本浪曼派]]」・「近代の超克」参照）。&lt;br /&gt;
*[[入江泰吉]]&lt;br /&gt;
:「[[奈良県#文化財|大和路]]」の[[美]]を追い続けた [[写真家]]。戦没学生たちが胸に刻んで「[[散華]]」していった、[[祖国]]の「山河・[[まほろば]]」を象徴する作品をのこす。&lt;br /&gt;
*[[杉本苑子]]&lt;br /&gt;
:&amp;lt;!--（要確認、異説あり）[[千代田女子専門学校]]（現在の[[武蔵野女子大学]]）の生徒として、--&amp;gt;明治神宮外苑競技場での壮行式に女学生として参加し、観客席から出陣学徒を見送った。後に作家となり、この時の印象を度々語っている[http://www1.odn.ne.jp/~cbb75250/news-kako18.html]。&amp;lt;!--（要確認）その中の一つは21年後の[[1964年]]（昭和39年）[[10月10日]]に、同競技場を取り壊してできた[[国立霞ヶ丘陸上競技場]]で行われた[[東京オリンピック]]開会式とこの壮行会を重複した印象だった。－講談社『明日への祈念』での言及情報あり--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.geocities.jp/torikai007/1945/okinawa-chiran.html 特攻隊と学徒動員]&lt;br /&gt;
*[http://www.youtube.com/watch?v=iEd1WI-3mSU 映画『学徒出陣1』（06:22）]&lt;br /&gt;
*[http://www.youtube.com/watch?v=zegiRxlZDnU 映画『学徒出陣2』（08:35）]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代|かくとしゆつしん]]&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代戦前の文化|かくとしゆつしん]]&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代戦前の教育|かくとしゆつしん]]&lt;br /&gt;
[[Category:太平洋戦争|かくとしゆつしん]]&lt;br /&gt;
[[Category:高等教育の歴史 (日本)|かくとしゆつしん]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.37.184</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=JBC%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88&amp;diff=32846</id>
		<title>JBCスプリント</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=JBC%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88&amp;diff=32846"/>
				<updated>2008-07-10T02:16:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.37.184: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{競馬の競走&lt;br /&gt;
|馬場     = ダート&lt;br /&gt;
|競走名   = JBCスプリント&lt;br /&gt;
|開催地   = [[大井競馬場]]（2007年）&lt;br /&gt;
|格付け   = JpnI&lt;br /&gt;
|1着賞金  = 8000万円&lt;br /&gt;
|距離     = [[ダート]]1200[[メートル|m]]（2007年）&lt;br /&gt;
|条件     = [[サラブレッド]]系3歳以上&amp;lt;br /&amp;gt;[[地方競馬]]選定馬ならびに[[中央競馬]]選定馬&lt;br /&gt;
|負担重量 = 本文に記載&lt;br /&gt;
|創設     = [[2001年]][[10月31日]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''JBCスプリント'''（じぇいびいしーすぷりんと）とは[[日本]]のJBC実行委員会と施行競馬場を管轄下する地方競馬団体とで、各地方競馬の[[競馬場]]で持ち回り開催される「'''[[ジャパンブリーディングファームズカップ|ジャパンブリーディングファームズカップ（JBC）]]'''」で施行される[[地方競馬]]の[[重賞]]（[[統一グレード競走|統一JpnI]]）[[競馬の競走|競走]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[2001年]]から始まったジャパンブリーディングファームズカップの準メイン競走として、春の[[かしわ記念]]（統一JpnI・[[ダート]]1600[[メートル|m]]）、秋の[[マイルチャンピオンシップ南部杯]]（統一JpnI・ダート1600m）と並ぶ地方競馬の短距離路線の最高峰の競走として創設された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
施行コースはダート1200mが基本だが競馬場のコース事情&amp;lt;ref&amp;gt;地方競馬が開催される日本の競馬場でダート1200mの競走が施行できるのは[[門別競馬場]]、[[盛岡競馬場]]、[[船橋競馬場]]、[[大井競馬場]]の4か所しかない。&amp;lt;/ref&amp;gt;により前後する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出走条件は[[トライアル競走|トライアルレース]]の[[東京盃]]（統一JpnII・ダート1200m）・マイルチャンピオンシップ南部杯（統一JpnI・ダート1600m）の優勝馬及び、選定選抜された[[サラブレッド系種|サラ系]]3歳（旧4歳）以上の日本国内の競馬団体に所属する[[競走馬]]である。負担重量については変則的である。本競走が10月月末から11月月始に行われるが、10月に行われる場合には3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減で行われ、11月に行われる場合には3歳56kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減で行われる。2007年は10月31日に施行されるため、前者の規定で行われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[2006年]]は[[川崎競馬場]]のコース形態によりダート1600mで名称を'''JBCマイル'''として施行された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== Road to JBC（トライアル競走シリーズ）==&lt;br /&gt;
このシリーズはJBCスプリントの出走権をかけて争うシリーズで、大きくトライアル指定競走と選抜指定競走の2つで構成されている。&lt;br /&gt;
=== トライアル指定競走 ===&lt;br /&gt;
次に示す2競走の優勝馬については優先出走権が与えられる。&lt;br /&gt;
*[[東京盃]]（統一JpnII・大井競馬場ダート1200m）&lt;br /&gt;
*[[マイルチャンピオンシップ南部杯]]（統一JpnI・盛岡競馬場ダート1600m）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 選抜指定競走 ===&lt;br /&gt;
次に示す各競走は、優勝馬がJBCの出走馬を決める選定の対象馬としてノミネートされる。&lt;br /&gt;
*アフター5スター賞（S3・大井競馬場ダート1200m）&lt;br /&gt;
*オータムスプリントカップ（重賞・金沢競馬場ダート1400m）&lt;br /&gt;
*青藍賞（D重賞・水沢競馬場ダート1600m）&lt;br /&gt;
*[[姫山菊花賞]]（重賞・園田競馬場ダート1700m）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
*[[2001年]] 創設。&lt;br /&gt;
*[[2006年]] ダート1600mのJBCマイルとして施行。[[ブルーコンコルド]]が初の2連覇。&lt;br /&gt;
*[[2007年]] 国際セリ名簿基準委員会（ICSC）の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により、統一グレード表記をJpnIに変更。&lt;br /&gt;
=== 歴代優勝馬 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!施行日!!優勝馬!!性齢!!所属!!勝時計!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第1回||[[2001年]][[10月31日]]||[[ノボジャック]]||牡4||[[日本中央競馬会|JRA]]||1:11.1||[[蛯名正義]]||[[森秀行]]||（有）池ばた&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第2回||[[2002年]][[11月4日]]||[[スターリングローズ]]||牡5||JRA||1:11.4||[[福永祐一]]||[[北橋修二]]||（株）協栄&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第3回||[[2003年]][[11月3日]]||[[サウスヴィグラス]]||牡7||JRA||1:09.7||[[柴田善臣]]||[[高橋祥泰]]||南波壽&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第4回||[[2004年]]11月3日||[[マイネルセレクト]]||牡5||JRA||1:10.6||[[武豊]]||[[中村均]]||[[サラブレッドクラブ・ラフィアン|（株）サラブレッドクラブ・ラフィアン]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第5回||[[2005年]]11月3日||[[ブルーコンコルド]]||牡5||JRA||1:25.3||[[幸英明]]||[[服部利之]]||[[荻伏レーシング・クラブ|（株）荻伏レーシング・クラブ]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第6回||[[2006年]][[11月2日]]||ブルーコンコルド||牡6||JRA||1:39.6||幸英明||服部利之||（株）荻伏レーシング・クラブ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第7回||[[2007年]]10月31日||[[フジノウェーブ]]||牡5||[[大井競馬場|大井]]||1:11.0||[[御神本訓史]]||[[高橋三郎]]||[[大志総合企画|大志総合企画（株）]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.keiba.go.jp/guide/jbc/jbc_01.html 地方競馬全国協会・JBC]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ダートグレードのGI・JpnI競走}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.37.184</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC&amp;diff=32845</id>
		<title>ジャパンダートダービー</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC&amp;diff=32845"/>
				<updated>2008-07-10T02:10:46Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.37.184: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{競馬の競走&lt;br /&gt;
|馬場     = ダート&lt;br /&gt;
|競走名   = ジャパンダートダービー&lt;br /&gt;
|開催地   = [[大井競馬場]]&lt;br /&gt;
|施行日   = [[2007年]][[7月11日]]&lt;br /&gt;
|格付け   = JpnI&lt;br /&gt;
|1着賞金  = 5000万円&lt;br /&gt;
|距離     = [[ダート]]2000[[メートル|m]]&lt;br /&gt;
|条件     = [[サラブレッド]]系3歳&amp;lt;br /&amp;gt;（[[中央競馬]]・[[地方競馬]]全国）&lt;br /&gt;
|負担重量 = [[牡馬]]56[[キログラム|kg]]、[[牝馬]]54kg&lt;br /&gt;
|創設     = [[1999年]][[7月8日]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''ジャパンダートダービー'''とは[[日本]]の[[特別区競馬組合]]が[[大井競馬場]]の[[ダート]]2000[[メートル|m]]で施行する[[地方競馬]]の[[重賞]]（[[ダートグレード競走|統一JpnI]]）[[競馬の競走|競走]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[1999年]]に創設された[[三冠 (競馬)#日本|4歳ダート三冠]]（[[ユニコーンステークス]]・[[ダービーグランプリ]]・[[スーパーチャンピオンシップ|スーパーダートダービー]]）の3競走はいずれも秋に開催される競走だった為、「春にも4歳（現3歳）のダートチャンピオン決定戦を」と言う意見があった。また特別区競馬組合が主催するダート4歳ダート三冠競走最終戦のスーパーダートダービーを統一GIIから統一GIに昇格を目指していた思惑とも合致し、スーパーダートダービーをスーパーチャンピオンシップと改名の上、4歳ダート三冠から撤退および南関東交流競走に降格させ、本競走を統一グレード競走のスーパーダートダービーの後身競走として春季に新設した。春の3歳ダートチャンピオン決定戦の位置付けで、統一グレードJpnIとして開催されている。なお、[[2006年]]までは南関東グレードG1が併記されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また新設年よりユニコーンステークス・ダービーグランプリと共に'''3歳ダート三冠'''を形成。更に[[2002年]]より[[羽田盃]]・[[東京ダービー]]と共に'''[[南関東公営競馬|南関東]]3歳三冠'''を形成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
負担重量条件は定重量で[[牡馬]]は56[[キログラム|kg]]、[[牝馬]]は54kgと定められている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総額賞金は8500万円で1着賞金5000万円、2着賞金1750万円、3着賞金1000万円、4着賞金500万円、5着賞金250万円と定められている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、1着入賞した地方所属馬に限り[[ダービーグランプリ]]の優先出走権が与えられた（[[2007年]]まで）。&lt;br /&gt;
=== 出走条件 ===&lt;br /&gt;
[[サラブレッド系種|サラ系]]3歳（旧4歳）の[[競走馬]]を前提として南関東所属馬6頭、南関東所属以外の地方所属馬5頭、JRA所属馬5頭と出走枠が定められおり、'''地方所属馬に限り'''優先出走権保持馬、指定馬が所属枠内の頭数で出走できる。その指定競走は以下のとおり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;優先出走権トライアル競走&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!競走名!!競走格!!施行競馬場!!施行コース!!取得条件&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[兵庫チャンピオンシップ]]||統一JpnII||[[園田競馬場]]||ダート1800m||1着入賞&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[ユニコーンステークス]]||統一JpnIII||[[東京競馬場]]||ダート1600m||1着入賞&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[関東オークス]]||統一JpnII||[[川崎競馬場]]||ダート2100m||1着入賞&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
;南関東・岩手枠トライアル競走&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!競走名!!競走格!!施行競馬場!!施行コース!!取得条件&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[羽田盃]]||南関東S1||[[大井競馬場]]||ダート1800m||1着入賞&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[東京ダービー]]||南関東S1||大井競馬場||ダート2000m||1着・2着入賞&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
;指定馬トライアル競走&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!競走名!!競走格!!施行競馬場!!施行コース!!取得条件&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[九州ダービー栄城賞]]||KJ1||[[佐賀競馬場]]||ダート2000m||1着入賞&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[東海ダービー]]||SPI||[[名古屋競馬場]]||ダート1900m||1着入賞&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
また上記以外のダートグレード競走の1着入賞馬、兵庫チャンピオンシップの2着・3着入賞馬、[[中央競馬]]における重賞競走（2歳芝重賞・障害重賞除く）及びオープン特別競走（ダート・障害・2歳競走を除く）の1着入賞馬にも指定馬としての権利が与えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
*[[1999年]] 大井競馬場のダート2000mの統一グレード競走「ジャパンダートダービー」として創設。競走格は統一GI・南関東G1。&lt;br /&gt;
*[[2001年]] [[トーシンブリザード]]が優勝、史上初の南関東4冠を達成。&lt;br /&gt;
*[[2003年]] [[武豊]]が[[騎手]]として史上初の連覇。&lt;br /&gt;
*[[2006年]] [[角居勝彦]]が[[調教師]]として史上初の連覇。&lt;br /&gt;
*[[2007年]] 国際セリ名簿基準委員会（ICSC）の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により、統一グレード表記をJpnIに変更。&lt;br /&gt;
=== 歴代優勝馬 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!施行日!!優勝馬!!性齢!!所属!!勝時計!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第1回||[[1999年]][[7月8日]]||[[オリオンザサンクス]]||牡3||[[大井競馬場|大井]]||2:06.9||[[早田秀治]]||赤間清松||日浦桂子&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第2回||[[2000年]][[7月12日]]||[[マイネルコンバット]]||牡3||[[日本中央競馬会|JRA]]||2:06.4||[[大西直宏]]||[[稲葉隆一]]||（株）サラブレッドクラブ・ラフィアン&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第3回||[[2001年]]7月12日||[[トーシンブリザード]]||牡3||[[船橋競馬場|船橋]]||2:05.8||[[石崎隆之]]||佐藤賢二||稲垣博信&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第4回||[[2002年]][[7月4日]]||[[ゴールドアリュール]]||牡3||JRA||2:04.1||[[武豊]]||[[池江泰郎]]||[[社台レースホース|（有）社台レースホース]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第5回||[[2003年]]7月8日||[[ビッグウルフ]]||牡3||JRA||2:04.9||武豊||[[中尾正]]||（有）ビッグ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第6回||[[2004年]]7月8日||[[カフェオリンポス]]||牡3||JRA||2:04.5||[[柴田善臣]]||[[松山康久]]||[[西川清]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第7回||[[2005年]][[7月13日]]||[[カネヒキリ]]||牡3||JRA||2:04.9||武豊||[[角居勝彦]]||[[金子真人ホールディングス|金子真人ホールディングス（株）]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第8回||[[2006年]]7月12日||[[フレンドシップ (競走馬)|フレンドシップ]]||牡3||JRA||2:06.1||[[内田博幸]]||角居勝彦||[[吉田照哉]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第9回||[[2007年]][[7月11日]]||[[フリオーソ (競走馬)|フリオーソ]]||牡3||船橋||2:02.9||[[今野忠成]]||[[川島正行]]||[[ダーレー・ジャパン|ダーレー・ジャパン・レーシング（有）]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第10回||[[2008年]][[7月9日]]||[[サクセスブロッケン]]||牡3||JRA||2:04.5||[[横山典弘]]||[[藤原英昭]]||高嶋哲&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[スーパーチャンピオンシップ]]&lt;br /&gt;
*[[ユニコーンステークス]]&lt;br /&gt;
*[[ダービーグランプリ]]（2007年限りで廃止）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ダートグレードのGI・JpnI競走}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.37.184</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89&amp;diff=32844</id>
		<title>松尾芭蕉</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89&amp;diff=32844"/>
				<updated>2008-07-10T02:03:50Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.37.184: 新しいページ: '{{文学}} '''松尾 芭蕉'''（まつお ばしょう、寛永21年（1644年） - 元禄7年10月12日（1694年11月28日））...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{文学}}&lt;br /&gt;
'''松尾 芭蕉'''（まつお ばしょう、[[寛永]]21年（[[1644年]]） - [[元禄]]7年[[10月12日 (旧暦)|10月12日]]（[[1694年]][[11月28日]]））は現在の[[三重県]][[伊賀市]]出身の[[江戸時代]]前期の[[俳諧師]]である。幼名は金作。通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎。名は宗房。[[俳号]]としては初め実名宗房を、次いで桃青、'''芭蕉'''（はせを）と改めた。[[蕉風]]と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、'''俳聖'''と呼ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
芭蕉が弟子の[[河合曾良]]を伴い、元禄2年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]（[[1689年]][[5月16日]]）に[[江戸]]を立ち[[東北]]、[[北陸]]を巡り[[岐阜県|岐阜]]の[[大垣市|大垣]]まで旅した紀行文『[[奥の細道|奥の細道]]』がある。&amp;lt;!-- 隠密説だけでは困ります。最初に表の面の紹介要。裏情報事典に有らず --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Basho by Buson.jpg|thumb|130px|[[与謝蕪村]]による松尾芭蕉像]]&lt;br /&gt;
[[伊賀国]]（現在の[[三重県]][[伊賀市]]）で、松尾与左衛門と妻・梅の次男として生まれる。松尾家は農業を業としていたが、松尾の苗字を持つ家柄だった。出生地には、赤坂（現在の伊賀市[[上野市|上野]]赤坂町）説と柘植（現在の伊賀市柘植）説の2説がある。これは芭蕉の出生前後に松尾家が柘植から赤坂へ引っ越しをしていて、引っ越しと芭蕉誕生とどちらが先だったかが不明だからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
若くして伊賀国上野の[[侍大将]]・[[藤堂良清|藤堂新七郎良清]]の嗣子・主計[[藤堂良忠|良忠]]（俳号は蝉吟）に仕え、2歳年上の良忠とともに[[北村季吟]]に師事して[[俳諧]]の道に入った。[[寛文]]6年（[[1666年]]）に良忠が歿するとともに仕官を退く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
寛文12年（[[1672年]]）、処女句集『[[貝おほひ]]』を[[上野天満宮]]（三重県伊賀市）に奉納。[[延宝]]3年（[[1675年]]）に[[江戸]]に下り、[[神田川 (東京都)|神田上水]]の工事に携わった後は延宝6年（[[1678年]]）に宗匠となり、職業的な俳諧師となった。延宝6年（[[1680年]]）に[[深川 (江東区)|深川]]に草庵を結ぶ。門人の[[李下]]から芭蕉を贈られ、[[バショウ|芭蕉]]の木を一株植えたのが大いに茂ったので「芭蕉庵」と名付けた。その入庵の翌秋、字余り調の芭蕉の句を詠んでいる。&lt;br /&gt;
&amp;lt;blockquote&amp;gt;『芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉　　芭蕉』&amp;lt;/blockquote&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[天和]]2年（1682年）の[[天和の大火]]（いわゆる[[八百屋お七]]の火事）で庵を焼失し、[[甲斐国]][[谷村藩]]（[[山梨県]][[都留市]]）の国家老高山伝右衝門に招かれ流寓する。しばしば旅に出て、『[[野ざらし紀行]]』・『[[鹿島紀行]]』・『[[笈の小文]]』・『[[更科紀行]]』などの紀行文を残した。元禄2年（[[1689年]]）、弟子の[[河合曾良]]を伴って『[[奥の細道]]』の旅に出、元禄4年（[[1691年]]）に江戸に帰った。その最期も旅の途中であり、[[大阪|大坂]][[御堂筋]]の旅宿・花屋仁左衛門方で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残して客死した（よく辞世の句と言われているが結果論である。「病中吟」との前詞があり、辞世とは当人も意識していなかった。なお、「'''秋深き 隣は何を する人ぞ'''」は死の床に臥す直前に書いた句である）。[[享年]]51。生前の「（墓は）[[源義仲|木曾殿]]の隣に」という遺言により、大津膳所（ぜぜ）の[[義仲寺]]（ぎちゅうじ）にある木曾義仲の墓の隣に葬られた。弟子に[[蕉門十哲]]と呼ばれる[[宝井其角]]、[[服部嵐雪]]、[[森川許六]]、[[向井去来]]、[[各務支考]]、[[内藤丈草]]、[[杉山杉風]]、[[立花北枝]]、[[志太野坡]]、[[越智越人]]や[[野沢凡兆]]などがいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Haiseiden.jpg|thumb|240px|[[俳聖殿]]]]&lt;br /&gt;
忌日である[[10月12日]]（現在は[[新暦]]で実施される）は、桃青忌・時雨忌・翁忌などと呼ばれる。[[時雨]]は[[旧暦]]十月の異称であり、芭蕉が好んで詠んだ句材でもあった。例えば、[[猿蓑]]の発句「初時雨猿も小蓑を欲しげ也」などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「古池や蛙飛込む水の音」（[[柿衞文庫]]に直筆の短冊が現存する）、「荒海や佐渡に横たふ天の河」、「夏草や兵（つはもの）どもが夢のあと」などが有名である。芭蕉の作と言われている「[[松島]]やああ松島や松島や」は、実際は江戸時代後期の[[狂歌]]師・[[田原坊]]の作とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『奥の細道』の旅の初め[[千住]]に滞在した日数が多いのに『奥の細道』には消息がないため、隠密としての任務を受けに行っていたのではないかとの憶測と出生地伊賀との関係、当時の[[日本人]]としては異常な速さの歩き方などから[[忍者]]ではなかったかという在野の説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
芭蕉の終焉地は、御堂筋の拡幅工事のあおりで取り壊された（ただしその跡は、現在の[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]久太郎町4丁目付近に石碑がある）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著名な句 ==&lt;br /&gt;
*古池や蛙飛びこむ水の音（ふるいけや かはずとびこむ みずのおと）&lt;br /&gt;
*夏草や兵どもが夢の跡（なつくさや つわものどもが ゆめのあと）：[[岩手県]][[平泉町]]&lt;br /&gt;
*閑さや岩にしみ入蝉の声（しずかさや いわにしみいる せみのこえ）：[[山形県]]・[[立石寺]]&lt;br /&gt;
*五月雨をあつめて早し最上川（さみだれを あつめてはやし もがみがわ）：山形県[[大石田町]]&lt;br /&gt;
*雲の峰いくつ崩れて月の山（くものみね いくつくずれて つきのやま）：山形県・[[月山]]&lt;br /&gt;
*荒海や佐渡によこたふ天河（あらうみや さどによことう あまのがわ）：[[新潟県]][[直江津市]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 隠密説 ==&lt;br /&gt;
{{観点}}&lt;br /&gt;
[[忍者]]であるという説は芭蕉が伊賀上野の生まれであるため、盛んに論じられてきた。古くから俳諧師は旅をして暮らしたことから、情報収集をともなったと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[昭和]]18年（[[1943年]]）、『奥の細道』の旅に同行した曾良の旅日記『[[曾良旅日記]]』が翻刻された。すると、『奥の細道』の記述とはおよそ80におよぶ相違点があることが判明した。例えば、出発した日は『奥の細道』では3月27日（5月16日）であるのに対し、『曾良旅日記』では[[3月20日 (旧暦)|3月20日]]（[[5月9日]]）となっている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/basho.html 「奥の細道はスパイ行」]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、日程も非常に異様である。[[黒羽町|黒羽]]で13泊、[[須賀川市|須賀川]]では7泊して仙台藩に入ったが、出発の際に「松島の月まづ心にかかりて」と絶賛した[[松島]]では1句も詠まずに1泊して通過している。この異様な行程は、仙台藩の内部を調べる機会をうかがっているためだとされる&amp;lt;ref&amp;gt;中名生正昭『奥の細道の謎を読む』南雲堂、[[平成]]10年（[[1998年]]）、ISBN 9784523263265&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また『曾良旅日記』には、仙台藩の軍事要塞といわれる[[瑞巌寺]]、藩の商業港・[[石巻港]]を執拗に見物したことが記されている（曾良は幕府の任務を課せられ、そのカモフラージュとして芭蕉の旅に同行したともいわれている&amp;lt;ref&amp;gt;村松友次『謎の旅人 曽良』大修館書店、平成14年（[[2002年]]）、ISBN 9784469221565&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの説から『奥の細道』は紀行本ではなく仙台藩の内部を記した報告書であるという見方もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 銅像・碑 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:MatsuoBashoChusonji.jpg|[[中尊寺]]境内にある銅像&lt;br /&gt;
画像:Kehi-jingu23s3872.jpg|[[氣比神宮]]にある銅像&lt;br /&gt;
画像:MatsuoBasho.jpg|[[大垣市]]「奥の細道」結びの地&lt;br /&gt;
画像:MatsuoBasyoSeika.jpg|[[芭蕉翁生家]]（伊賀市）&lt;br /&gt;
画像:MatsuoBasyoZou.jpg|[[上野市駅]]前の像&lt;br /&gt;
画像:MatsuoBshoIgaShisho.JPG|[[伊賀市]]伊賀支所にある銅像&lt;br /&gt;
画像:Keiunkan14s3200.jpg|[[慶雲館]]、日本最大の芭蕉句碑&lt;br /&gt;
画像:国宝極楽山浄土寺-芭蕉句碑.jpg|[[浄土寺 (小野市)|浄土寺]]、芭蕉句碑 &lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚註 ==&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[俳句]]&lt;br /&gt;
*[[俳聖殿]]&lt;br /&gt;
*[[俳人の一覧]]&lt;br /&gt;
*[[松岡青蘿]]&lt;br /&gt;
*[[河合曾良]]&lt;br /&gt;
*[[連歌]]&lt;br /&gt;
*[[日本の近世文学史]]&lt;br /&gt;
*[[蕉門十哲]]&lt;br /&gt;
*[[わび・さび]]&lt;br /&gt;
*[[軽み]]&lt;br /&gt;
*[[芭蕉翁生家]]&lt;br /&gt;
*[[芭蕉翁記念館]]&lt;br /&gt;
*[[義仲寺]]&lt;br /&gt;
*[[次郎兵衛]]&lt;br /&gt;
*[[日本の書家一覧]]&lt;br /&gt;
*[[バショウ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.city.iga.lg.jp/index.html 伊賀市公式ホームページ]&lt;br /&gt;
*[http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/basyo_hdb.html 三省堂-芭蕉ハンドブック]&lt;br /&gt;
*[http://www.city.koto.lg.jp/sisetsu/8383.html 江東区芭蕉記念館（江東区HP内）]&lt;br /&gt;
*[http://www.bashouan.com/index.html 芭蕉庵ドットコム]&lt;br /&gt;
*[http://www.ict.ne.jp/~basho/index.html 芭蕉と伊賀]&lt;br /&gt;
*[http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/basho.htm 芭蕉DB]&lt;br /&gt;
*[http://www.warabi.jp/okuhoso/index.html ミュージカル「おくのほそ道」]&lt;br /&gt;
*[http://es.geocities.com/bosque_de_bambu/archivos/sendas_de_oku/00.html Bosque de Bambú, camino del haiku - Bashô - Oku no Hosomichi] ''Japones - Español''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:俳人]]&lt;br /&gt;
[[Category:江戸時代の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:江戸時代の文学]]&lt;br /&gt;
[[Category:伊賀国の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:忍者|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:1644年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1694年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.37.184</name></author>	</entry>

	</feed>