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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>遠野物語</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: ''''遠野物語'''（とおのものがたり）とは柳田國男が1912年（明治45年）に発表した説話集である。  岩手県遠野町（現...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''遠野物語'''（とおのものがたり）とは[[柳田國男]]が[[1912年]]（[[明治]]45年）に発表した[[説話集]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岩手県]]遠野町（現・[[遠野市]]）出身の[[佐々木喜善]]によって語られた地元の民話を、柳田が編纂したものである。その内容は[[天狗]]、[[河童]]、[[座敷童子]]など[[妖怪]]に纏わるものから[[山人]]、[[迷い家|マヨヒガ]]、[[神隠し]]、死者などに関する怪談、さらには祀られる[[神様]]そして行事など多岐に渡る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『遠野物語』本編は119話で、続いて発表された『遠野物語拾遺』には299話が収録されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民間伝承に焦点を当て奇を衒ったような改変無く聞いたままの話を編纂したこと、それでいながら文学的な独特の文体であることは高く評されている。日本の民俗学の発展に大きく貢献した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Lit-stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の文学作品]]&lt;br /&gt;
[[Category:説話]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9F%B3%E7%94%B0%E5%9C%8B%E7%94%B7&amp;diff=30552</id>
		<title>柳田國男</title>
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				<updated>2008-06-19T02:13:56Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: '{{Otheruses|民俗学者の柳田國男|ノンフィクション作家|柳田邦男}} 柳田國男 [[画像:Kunio yanagita02 1920.jpg|t...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses|民俗学者の柳田國男|ノンフィクション作家|柳田邦男}}&lt;br /&gt;
[[Image:Kunio_Yanagita.jpg|thumb|200px|柳田國男]]&lt;br /&gt;
[[画像:Kunio yanagita02 1920.jpg|thumb|250px|柳田國男の生家（兵庫県福崎町）]]&lt;br /&gt;
'''柳田 國男'''（やなぎた&amp;lt;ref&amp;gt;なお柳田の読みは「やなぎ'''だ'''」ではなく「やなぎ'''た'''」である&amp;lt;/ref&amp;gt; くにお、[[1875年]]（[[明治]]8年）[[7月31日]] - [[1962年]]（[[昭和]]37年）[[8月8日]]）は[[日本]]の[[民俗学]]者である。[[福崎町]]名誉町民第1号。[[正三位]][[勲一等]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 年譜 ==&lt;br /&gt;
* [[1875年]]（[[明治]]8年）[[7月31日]] - [[兵庫県]]神東郡田原村辻川（現・[[神崎郡 (兵庫県)|神崎郡]][[福崎町]]）に[[儒学者|儒者]]・松岡操&amp;lt;ref&amp;gt;『柳田國男 &amp;lt;small&amp;gt;ちくま日本文学全集&amp;lt;/small&amp;gt;』 431頁 - 父は[[姫路藩]]の[[儒学者|儒者]]角田心蔵の娘婿田島家の弟として一時籍を入れ“田島賢次”という名で仁寿山黌や好古堂という学校で修行し[[医師|医者]]となった&amp;lt;/ref&amp;gt;、たけの六男として生まれる。松岡家は代々の医家&lt;br /&gt;
* [[1884年]]（明治17年） - 一家で兵庫県加西郡北条町に転居&lt;br /&gt;
* [[1885年]]（明治18年） - 高等小学校卒業 一年間、辻川の[[旧家]]三木家に預けられ、和漢の書籍を乱読する&lt;br /&gt;
* [[1887年]]（明治20年） - 兄・鼎（かなえ）が医院を開いていた[[茨城県]][[北相馬郡]]布川村（現・[[利根町]]）に移住する&lt;br /&gt;
* [[1893年]]（明治26年） - 兄・鼎の転居に伴い[[千葉県]][[南相馬郡]]布佐町（現・[[我孫子市]]）に移住する&lt;br /&gt;
* [[1897年]]（明治30年） - 第一高等学校（第一高等中学校改称）卒業&lt;br /&gt;
* [[1900年]]（明治33年）7月 - [[東京大学|東京帝国大学]]法科大学卒業（法学士）。[[農商務省]]農務局農政課に勤務。[[早稲田大学]]で「農政学」を講義する&lt;br /&gt;
* [[1901年]]（明治34年）5月 - 柳田家の養嗣子として入籍する。養父直平（旧・[[飯田藩]][[武士|士]]）は[[大審院]][[判事]]であった&lt;br /&gt;
* [[1902年]]（明治35年）2月 - 法制局参事官に任官&lt;br /&gt;
* [[1904年]]（明治37年）4月 - [[柳田直平]]四女孝と[[結婚]]する&lt;br /&gt;
* [[1907年]]（明治40年）2月 - [[島崎藤村]]、[[田山花袋]]、[[小山内薫]]らとイプセン会を始める&lt;br /&gt;
* [[1908年]]（明治41年）1月 - 兼任宮内書記官&lt;br /&gt;
* [[1910年]]（明治43年）6月 - 兼任内閣書記官記録課長　&lt;br /&gt;
* [[1911年]]（明治44年）3月 - [[南方熊楠]]との文通始まる&lt;br /&gt;
* [[1913年]]（[[大正]]2年）3月 - 雑誌『郷土研究』を刊行&lt;br /&gt;
* [[1914年]]（大正3年）4月 - [[貴族院]]書記官長&lt;br /&gt;
* [[1915年]]（大正4年）11月 - [[京都]]における[[大正天皇]]の即位式に奉仕。この年、[[折口信夫]]と出会う&lt;br /&gt;
* [[1919年]]（大正8年）12月 - 貴族院書記官長を辞任&amp;lt;ref&amp;gt;上司であった[[徳川家達]]との性格不和が原因とされる。官僚の出世コースから外れた國男は以後学者として高名をはせることになった。参考文献：『恋と伯爵と大正デモクラシー 有馬頼寧日記1919』 ISBN:4532166365&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[1920年]]（大正9年）8月 - 東京朝日新聞社客員&lt;br /&gt;
* [[1924年]]（大正13年）4月 - [[慶應義塾大学]]文学部講師となり民間伝承を講義&lt;br /&gt;
* [[1946年]]（昭和21年）7月 - [[枢密院|枢密顧問官]]&lt;br /&gt;
* [[1947年]]（昭和22年）3月 - 書斎に民俗学研究所を設立&lt;br /&gt;
* [[1949年]]（昭和24年）&lt;br /&gt;
** 3月 - [[日本学士院]]会員となる&lt;br /&gt;
** 4月 - 民間伝承の会を[[日本民俗学会]]と解消発足し、初代会長に就任&lt;br /&gt;
* [[1951年]]（昭和26年）11月 - [[文化勲章]]受章&lt;br /&gt;
* [[1962年]]（昭和37年）[[8月8日]] - 心臓衰弱のため死去、{{没年齢|1875|7|31|1962|8|8}}。戒名は永隆院殿顕誉常正明国大居士。墓所は[[神奈川県]][[川崎市]]の春秋苑&lt;br /&gt;
没後、兵庫県福崎町に建設された[[柳田國男・松岡家顕彰会記念館]]の西隣に「自らの民俗学の原点」と評した生家は移築・保存された。蔵書は[[成城大学]]に寄贈され、同大学民俗学研究所の柳田文庫として活用されている。また[[東京都]][[世田谷区]][[成城]]にあった[http://www.iida-museum.org/link/src/img_yanagida_kan.jpg 柳田國男邸]は、[[長野県]][[飯田市]]の[http://www.iida-museum.org/index.html 飯田市美術博物館]に移築された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
* 養父：[[柳田直平]] - 元[[大審院]][[判事]]&lt;br /&gt;
* 実父：松岡賢治 - 儒者、医者&lt;br /&gt;
* 兄&lt;br /&gt;
** 松岡鼎 - [[医師]]&lt;br /&gt;
** 井上通泰（松岡泰蔵） - [[国文学者]]、[[歌人]]、医師&lt;br /&gt;
* 弟&lt;br /&gt;
** [[松岡静雄]] - [[海軍大佐]]、言語学者・民族学者&lt;br /&gt;
** [[松岡映丘|松岡輝夫]]（松岡映丘） - [[日本画家]]&lt;br /&gt;
** 松岡俊次&lt;br /&gt;
* 妻の姉：[[木越安綱]][[陸軍中将]]（[[男爵]]）の妻&lt;br /&gt;
* 妻：孝 - 柳田直平四女&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
* 松岡氏&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
松岡左仲━━小鶴　　　　　　　　　┏松岡鼎&lt;br /&gt;
　　　　　　　┃　　（操と改名）　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　┣━━━松岡賢次　　┣松岡泰蔵（井上通泰）&lt;br /&gt;
　　　　　　　┃　　　　　┃　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　中川至　　　　┣━━━╋松岡國男（柳田國男）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┃　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　たけ　　　┣松岡静雄&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　┣松岡輝夫（松岡映丘）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　┗松岡俊次&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 柳田民俗学の特徴 ==&lt;br /&gt;
=== 文献中心主義批判 ===&lt;br /&gt;
國男は『郷土生活の研究法』（[[1935年]]）のなかで「在来の史学の方針に則り、今ある文書の限りによって郷土の過去を知ろうとすれば、最も平和幸福の保持のために努力した町村のみは無歴史となり、我邦の農民史は一揆と災害との連鎖であった如き、印象を与へずんば止まぬこととなるであろう」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここでは、文献史学においては典拠とする[[史料]]そのものに偏りが生まれるのは避けられないとしており、それゆえ[[公文書]]などに示された[[一揆]]や[[災害]]とかかわる民衆の姿をそこで確認できたとしても、その生活文化総体は決してみえてこないという認識が示されている。「常民」の生活文化史の解明を目的とする民俗学にとっては[[文献資料 (歴史学)|文献資料]]にのみ依拠することには限界と危険がともなうのであり、それゆえ[[フィールドワーク]]による[[民俗資料]]の収集が重要だと論じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 柳田國男と歴史学 ===&lt;br /&gt;
和歌森太郎の『柳田国男と歴史学』（[[1975年]]）によれば、國男の問題意識と関心は常に[[歴史学]]と[[歴史教育]]にあったことが記されている。本書では、國男が[[長野県]][[東筑摩郡]]教育会で「青年と学問」と題して講演した際に「自分たちの一団が今熱中している学問は、目的においては、多くの歴史家と同じ。ただ方法だけが少し新しいのである」と述べたことが紹介されている。そして「日本はこういう[[フォークロア]]に相当する新しい方法としての歴史研究をなすには、たいへんに恵まれたところである」としている。たとえば、[[ヨーロッパ]]では千年以上の[[キリスト教]][[文明]]と[[民族移動時代|民族大移動]]、そしてまた近代以降の[[産業革命]]の進展のためフォークロア（[[民間伝承]]、民俗資料）の多くが消滅ないし散逸してしまっているのに対し、日本ではそのようなことがなく現実のいたるところに往古の痕跡がのこっているというのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
言い換えれば日本にはフォークロアを[[歴史資料]]としてゆたかに活用できる土壌があるということであり、柳田民俗学とはこのような民間伝承の歴史研究上の有効性を所与の条件として構築されたものということができるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 代表作 ==&lt;br /&gt;
* 『[[遠野物語]]』&lt;br /&gt;
: [[東北地方]]の伝承を記録した、柳田民俗学の出発点（話者：[[佐々木喜善]]）。&lt;br /&gt;
* 『[[蝸牛考]]』&lt;br /&gt;
: 各地の[[カタツムリ]]の名称を比較検討することにより、日本語が[[近畿地方|近畿]]から地方へ伝播していったことを明らかにした考察。これは文化が中心から周辺へと伝播する過程で、周辺にかえって古い文化が残っていることを示した'''文化周圏論'''である。國男自身は晩年になって『蝸牛考』について「あれはどうも駄目なようです」と述懐し、文化周圏論に懐疑的になっていたといわれる。&lt;br /&gt;
* 『[[桃太郎の誕生]]』&lt;br /&gt;
: 昔話の解析を通して、日本社会の断面図を描こうとしたものだが、この手法は民俗・民族学、[[文化人類学]]に応用され多くの後継者を生み出した（例：[[中野美代子]]の『孫悟空の誕生』）。&lt;br /&gt;
* 『[[海上の道]]』&lt;br /&gt;
: 日本文化が[[沖縄諸島]]から南島づたいに伝播してきたという考察。沖縄には稲作文化がなかったことから発表当初は否定されたが、近年の[[考古学]]的・[[言語学]]的調査などにより南方からの影響もそれなりにはあったとされる。ただ、日本列島の文化を後に構成した要素の多くはやはり[[ユーラシア大陸]]からもたらされたと近年では考えられている。また國男の「海上の道」論の背景には植民地問題もあったと指摘する研究もある（村井紀『南島イデオロギーの発生―柳田国男と植民地主義』）。&lt;br /&gt;
* 『「イタカ」及び「サンカ」』&lt;br /&gt;
: [[イタコ]]と[[山窩]]の考察。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 柳田批判 ==&lt;br /&gt;
[[民俗学|日本民俗学]]の祖としての功績は非常に高く評価できる反面、彼自身の性格・手法によって切り捨てられた民俗があることも指摘されている（例えば性に関する民俗は言及を避けた）。國男が意図的に無視した[[漂泊民]]、[[非稲作民]]、[[被差別民]]、[[同性愛]]を含む性愛、超国家的民俗などの解明は同時期に[[宮本常一]]によって多くの先駆的研究が為された他、[[網野善彦]]によって[[歴史学]]の分野でも注目を集めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[和歌森太郎]]『柳田国男と歴史学』日本放送出版協会＜NHKブックス＞ 1975年&lt;br /&gt;
* [[吉田和明]]『柳田国男』（フォー・ビギナーズ・シリーズ 40） [[現代書館]] 1986年 ISBN 4-7684-0040-X&lt;br /&gt;
* [[赤坂憲雄]]『柳田国男の読み方 ～もうひとつの民俗学は可能か』（ちくま新書 7） [[筑摩書房]] 1994年 ISBN 4-480-05607-6&lt;br /&gt;
* [[吉本隆明]]『柳田国男論・丸山真男論』（[[ちくま学芸文庫]]） 筑摩書房 2001年 ISBN 4-480-08659-5&lt;br /&gt;
* [[鶴見太郎]]『民俗学の熱き日々 ～柳田国男とその後継者たち』（[[中公新書]] 1733） [[中央公論新社]] 2004年 ISBN 4-12-101733-1&lt;br /&gt;
* NHK教育 [[知るを楽しむ]]・[[知るを楽しむ放送作品リスト#私のこだわり人物伝|私のこだわり人物伝]] 2006年3月「柳田国男・詩人の魂」語り手・[[吉増剛造]] ISBN 4-14-189140-1&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[柳田國男・松岡家顕彰会記念館]]&lt;br /&gt;
* [[南方熊楠]]&lt;br /&gt;
* [[折口信夫]]&lt;br /&gt;
* [[佐々木喜善]]&lt;br /&gt;
* [[有賀喜左衛門]]&lt;br /&gt;
* [[中村吉治]]&lt;br /&gt;
* [[蝸牛考]]&lt;br /&gt;
* [[岡茂雄]]&lt;br /&gt;
* [[赤松啓介]]&lt;br /&gt;
* [[越知川]]&lt;br /&gt;
* [[民俗資料]]&lt;br /&gt;
* [[船木裕]]&lt;br /&gt;
* [[大塚英志]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.seijo.ac.jp/research/minken/yanagita.html 成城大学｜図書館　研究所・センター｜民俗学研究所｜柳田國男について]&lt;br /&gt;
* [http://www.town.fukusaki.hyogo.jp/kunio/index.html 柳田國男の世界]&lt;br /&gt;
* [http://www.town.fukusaki.hyogo.jp/sight-seeing/04/index.html 柳田国男の生家]&lt;br /&gt;
* [http://teru.twincle.net/kokunai_2_2004/yanagita_kunio/1%20.html 柳田国男の生家-財団法人　柳田国雄・松岡家顕彰会]&lt;br /&gt;
* [http://www.seijo.ac.jp/research/minken/bunko.html 柳田文庫]&lt;br /&gt;
* [http://www.town.tone.ibaraki.jp/yanagida-kunio/yanagida-kunio.htm 柳田國男記念公苑（茨城県利根町）]&lt;br /&gt;
* [http://wwwsoc.nii.ac.jp/fsj/index.html 日本民俗学会]&lt;br /&gt;
* [http://www.i-hon.net/ct/n2.html 民俗学会に入るには]&lt;br /&gt;
* [http://www.iida-museum.org/link/yanagida.html 飯田市美術博物館―柳田國男館]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の民俗学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:神道に関連する人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の農林官僚]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の農学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の思想家]]&lt;br /&gt;
[[Category:兵庫県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:エスペランティスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:1875年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1962年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<title>移民</title>
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				<updated>2008-06-19T02:03:00Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: ''''移民'''（いみん）とは異なる国家に移り住んだ人々を指す。  数十万年前からおこなわれてきた人の移動に対して、'''移住'''...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''移民'''（いみん）とは異なる[[国家]]に移り住んだ人々を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
数十万年前からおこなわれてきた人の移動に対して、'''移住'''とはある国家の[[国民]]が別の国家に移り住むことを指す。[[市民権]]や[[国籍]]を管理するようになったのは[[国民国家]]の形成以降であるから、移民とは一般に近代の概念である。移住は長期にわたる居住を意味しており、観光客や旅行者は通常含まない。ただし、通常一年以内の居住を指す季節労働者は移住として扱う場合が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出ていった移民を'''移出民'''（emmigrant）、入ってきた移民を'''移入民'''（immigrant）と呼ぶ。一般に移民問題とは移入民に関する問題を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
世界的な視点での移民の絶対数は多いが、相対的には少ない。[[国際連合|国連]]の推定によれば[[2005年]]には1億9000万人の移民がおり、これは全世界の[[人口]]の3%に満たない。残りの97%は生まれた国もしくはその後継国に住んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
移民という考えは[[19世紀]]に進展した国民国家の形成に関連している。[[国籍法]]の整備と[[国境]]の画定により国民を登録して管理するようになり、国民と移民が[[法律]]上、明確に分けられることになった。受け入れ国の法的手続きによらず移入した人々を[[不法移民]]と呼ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 移民の歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 移民の世紀 ===&lt;br /&gt;
19世紀の[[ヨーロッパ]]では、[[人口]]の増大や[[交通機関]]の発達などにより大規模な人口移動がおこった。各国では人口の[[都市]]への集中がみられるいっぽう海外移民も増加した。[[第一次世界大戦]]までの100年間に新大陸に渡った[[ヨーロッパ人]]は6000万人におよび、19世紀はまさに「移民の世紀」であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最大の移民受け入れ国は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]であり、その数は[[1821年]]から[[1920年]]までの100年で約3300万人とされる。その前半には北・西ヨーロッパから、その後半は南・東ヨーロッパからの移民が多くみられ、これは各国の[[工業化]]の進展の時期のずれを示している。人口増加や[[貧困]]などの経済的な要因だけでなく、[[迫害]]を受けた[[ユダヤ人]]のように政治的な要因からの移民もおこなわれた。[[18世紀]]までのヨーロッパからの移民がおもに年季契約のかたちをとった'''労働移民'''であったのに対し、19世紀には'''自由移民'''が主流となった。また19世紀半ばに黒人奴隷が解放されると中国やインドから労働者を雇い入れ、不足する労働力をおぎなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヨーロッパ諸国のアジア・アフリカ[[植民地]]では、植民地経営のために政策的にヨーロッパからの植民がなされた。また、世界的な奴隷制度廃止にともない鉱山や農園（[[プランテーション]]）開発や鉄道建設のため、[[アジア]]からの労働移民が[[東南アジア]]や[[アフリカ大陸]]にわたった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東南アジアにおける植民地経営をささえていたのは[[マレー半島]]の[[ゴム]]や[[錫]]、[[インドネシア]]の農業生産などであり、そこで必要とされた労働力は中国南部やインド南部から調達された。かれらの多くは'''契約労働者'''であったが、現地に定住する者も少なくなかった。これにともない[[商業]]活動に進出する者も増え、これらの中国系移民（[[華僑]]）とインド系移民（[[印僑]]）は、その後、東南アジア各地で大きな影響力をもつこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アフリカへの移民としてはインドからが多く、[[イギリス帝国]]のもとではイギリス植民地相互の植民もおこなわれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、アメリカ大陸・[[オーストラリア]]・南アフリカのアジア系移民は白人労働者と競合したため、黄禍として排斥されたり移民を制限されることもあった。[[1870年代]]には[[カリフォルニア州]]で中国人排斥の動きが高まり、[[1882年]]には[[中国人移民禁止法]]が[[アメリカ合衆国議会]]で成立した。また、オーストラリアではアジア系移民を認めない[[白豪主義]]が採用され、南アフリカではこののち厳しい人種隔離政策・[[アパルトヘイト]]が長い間つづいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 移民の現況 ==&lt;br /&gt;
=== ヨーロッパにおける移民 ===&lt;br /&gt;
[[フランス]]は旧[[宗主国]]として[[北アフリカ]]諸国から移民を受け入れているが、[[国民]]からの反発もある。[[2002年]]の大統領選挙では移民排斥を訴える[[極右]]政党・[[国民戦線]]の党首[[ジャン＝マリー・ル・ペン|ジャン＝マリー・ル・ペン]]が[[リオネル・ジョスパン]]首相を超える第2位の得票を得て躍進をみせた。決選投票では[[ジャック・シラク]]大統領に大差で敗れたが、移民問題が重要な国内問題であることが改めて浮き彫りにされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ドイツ]]には[[トルコ人]]が、[[イギリス]]には旧[[植民地]]の[[インド]]人、[[パキスタン]]人が移民または労働者として流入している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[エマニュエル・トッド]]は『移民の運命』において西欧四大国（アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ）を分析し、移民の統合状況に大きな違いがあることを示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 移民によるコミュニティの出現 ===&lt;br /&gt;
異郷の地において同郷の者たちが一つの地区に住むことによって、一つの[[コミュニティ]]が形成される場合がある。[[日本人]]による[[リトルトーキョー]]や[[中華民族|中国人]]による[[中華街]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは数ブロック程度の「一区画」であることが多いが、規模が大きくなって村や市がまるごと移民によるコミュニティになっている場合もしばしばある。例えば、[[ボリビア]]における[[サンフアン・デ・ヤパカニ移住区|サンフアン・デ・ヤパカニ市]]は集団移民した日本人が作り上げた市である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本における移民の歴史 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Kobe-imin4003.JPG|thumb|right|140px|国立移民収容所]]&lt;br /&gt;
開国後の日本は、[[第二次世界大戦]]後にいたるまで労働力が過剰だったために移民を送出する側にあった。労働力としての人の移動は、[[室町時代]]にはすでに存在していた。しかし中世においては、男女を奴隷として輸出する場合もあった。こうした事態を防止する意味もあり鎖国政策がとられて以後、幕末までは大規模な移民は行われなかったようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ふたたび労働力として日本人が他国に渡ることが多くなったのは、明治維新後のことである。[[明治]]元年（[[1868年]]）、駐日ハワイ総領事ヴァン・リードの要請を受けて、いわゆる[[元年移民]]153名がハワイに送られたがその待遇は劣悪極まりないものであったため、国際問題に発展した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[アメリカ合衆国]]本土や[[ブラジル]]などの[[南アメリカ|南米諸国]]等への移民が徐々に増加した。その他の受入先としてはアメリカ統治下にあった[[フィリピン]]の[[ダバオ]]市、[[満州国]]、日本の[[委任統治]]下にあった[[パラオ]]などの[[南洋諸島|南洋群島]]などがある（ただし日本統治下にあった地域への移住は国内移住と同等であると考え、移民とは呼ばないことがある）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
農業の担い手だけでなく、フィリピンの[[バギオ]]の例のように道路建設などの土木作業に従事する者も少なくなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦前、戦後を問わず農業を目的とした移民がたどり着く先は開墾すべき原野であることが多く、多くの労苦があった。なかには開発の可能性がほとんどない荒地に住むことを余儀なくされた[[ドミニカ]]への移民のようなケースもあった。ドミニカ移民の場合には当時の日本政府の喧伝内容と実際の現地の状況・待遇にかなりの相違があり、事実上の[[棄民]]ではなかったのかと後年日本の国会などで議論されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
横浜、神戸には移民希望者が集まり、彼らを相手に出国手続や滞在中の世話をする[[移民宿]]が誕生した。またその出身地に因んだ「薩摩町」・「加賀町」などの町名が残されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本人の海外移民に関しては[[日系人]]の項目も参照されたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本からの移民は戦後もなお続いたが、本格的な高度経済成長が始まって労働力が必要になってくると移民の数は急減した。[[世界銀行]]からの借款完済、[[プラザ合意]]による円高の進行等を経て名実共に日本が先進国化すると、今度は海外から日本への移民が増加した。この原因は様々であるが、冷戦の終結によって人の移動が活性化したことも一因となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年の時点で、日本には約100万人の来日外国人労働者が在留している。その家族や[[特別永住者]]等を含めると200万人の在留外国人がおり、日本に定住・永住する者も増えている&amp;lt;ref&amp;gt;『サラダボウル化した日本-外国人”依存”社会の現場を歩く』 [[若林亜紀]]著 光文社&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年[[少子高齢化]]が深刻化し、若く、安い労働力を確保する為、財界と政界の双方から移民の受け入れを求める声が上がっている。しかし欧州などの移民政策への評価が分かれており政府は慎重な姿勢は崩していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 移民船 ==&lt;br /&gt;
*[[メイフラワー号]]&lt;br /&gt;
*[[タイタニック号]]&lt;br /&gt;
*[[笠戸丸]]&lt;br /&gt;
*[[山城丸]]&lt;br /&gt;
*[[あるぜんちな丸]]&lt;br /&gt;
*[[ぶらじる丸]]&lt;br /&gt;
*[[氷川丸]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[永住権]]&lt;br /&gt;
*[[定住権]]&lt;br /&gt;
*[[日系人]]&lt;br /&gt;
*[[排日移民法]]&lt;br /&gt;
*[[外国人労働者]]&lt;br /&gt;
*[[ジャパゆきさん]]&lt;br /&gt;
*[[からゆきさん]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.jomm.jp/index.html 海外移住資料館]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:植民地]]&lt;br /&gt;
[[Category:外国人]]&lt;br /&gt;
[[Category:人間の移動]]&lt;br /&gt;
[[Category:世界史]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3&amp;diff=30172</id>
		<title>ナージャ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3&amp;diff=30172"/>
				<updated>2008-06-13T05:44:44Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{自己責任}}&lt;br /&gt;
'''ウィキペディア日本語版の利用者'''（ウィキペディアにほんごばんのりようしゃ）とは[[ウィキペディア日本語版]]を編集する人物のことである。[[ウィキペディア]]に利用者アカウントを持つものを一般的に'''[[ウィキペディアン]]'''と呼び、依存症患者同然のヘビーユーザーを'''[[ウィキホリック]]'''と呼ぶ。WP工作員が「偏見の塊」というテンプレートを作成したようだが、以下の内容は大半が真実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
閲覧専門の利用者は含まれない。ウィキペディア日本語版の利用者には、数多くの興味深い利用者が存在する。ウィキペディア日本語版に対してユニークな活動を行った利用者が、この項目にリストアップされるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本語版の利用者には日本語版以外のウィキペディアに比べ、IPアドレスユーザ（非ログインユーザ）が多いことが特徴としてあげられる。またウィキペディア日本語版ユーザには「Wikipedia」を「Wiki」と略することに不快感を抱き訂正を求める者が多いが、IPアドレスをIPと略すことについては何も言わないという傾向がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウントは1人で複数もつことも出来るが、複数で1つを管理することも可能である。したがって、ここにあげたアカウントの人数が実際の利用者の人数とイコールとは限らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみにウィキホリックはこの記事を定期的に荒らしている。彼らはまともな記事を執筆する能力も無ければ人と議論する能力も無い無能者の集団なので、[[Yourpedia]]を荒らすことだけに自らの存在意義を見出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼らは普段[[ウィキペディア自警団]]という名称で広く親しまれているが彼らはあくまで一執筆者という立場を崩さず、自警団的横のつながりを否定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしその実情は上記のとおりであり、法的権限のない状況において暴走する悪質な[[電子自警団]]と化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 利用者一覧 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Houtimin|Houtimin]] ===&lt;br /&gt;
このアカウントはソックパペットである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:はま|はま]] ===&lt;br /&gt;
気に入らない利用者を平気で罵倒する悪質なユーザーであり、他の利用者からの顰蹙を買っている。時には「'''役立たずだ!!ボケ!!ふざけるな!!'''」のような罵倒文を送り、たちの悪さは日本語版WPの中で随一とも言えるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:魚津プロジェクト|魚津プロジェクト]] ===&lt;br /&gt;
今や無期限ブロックとなり今後もソックパペットに注意が必要なユーザー。彼は間違い修正などの編集に積極的であったが、基本方針を無視していたため、周りのユーザーにガミガミ言われるようになった。そして管理者の海獺による聖断が下され、1週間ブロックとなった。その後ひねくれて引退してしまった・・・・にも関わらず、またもやソックパペットが発覚。最終的には無期限ブロックとなった。&amp;lt;br&amp;gt;さらに、この副産物として「'''魚津市の編集に積極的なユーザーはみんな魚津プロジェクトのソックパペット'''」という偏見まで生まれてしまう。ゆえに、ある意味'''魚津市の疫病神'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:5816K|5816K]] ===&lt;br /&gt;
差別主義者。創価という言葉を聴くだけで徹底的に荒らしを行う悪質ユーザー。また、嫌韓派であり中国人･韓国人に対しても反感的な態度を執る。ユーザーページを見てもそれが伺える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kyube|Kyube]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
極度の差別主義者。自分の気に入らない編集を出典の有無を問わず荒らしと決め付ける悪質ユーザーであり、新規参加者に対しても反感的な態度を執る過激派利用者でもある。[[2ちゃんねらー]]でもあるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:L26|L26]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディア一の[[テロリスト]]であり、気に食わない利用者に執拗にブロック依頼を持ち出してくることで有名。[[#利用者:PeachLover|PeachLover]]同様しつこい事で悪名高く、一度目をつけたユーザーに100以上の罵倒文を送りつけてくる。無視した瞬間に警告テンプレートで攻撃を行い、WPの中でも上位に入るくらいたちが悪い。2ちゃんねらーでもあるらしい。現在は'''ウィキブレイク'''中である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:NORN|NORN]] ===&lt;br /&gt;
非常に身勝手なウィキペディアンの1人。様々な記事において、閲覧者の読み易さを度外視した改悪を行っている。ほとんどが主観的な改悪である。[[アンサイクロペディア]]にも利用者ページを持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Plume|Plume]] ===&lt;br /&gt;
[[北朝鮮]]工作員のように、自身と違う意見は全て荒らし報告する低知能者である。また、これらの荒らし報告を真に受ける管理者達も結局は彼と同じ低知能なのだろう。以上のことから、'''ウィキペディアにおける排他主義者の急先鋒的存在。'''まさに社会のゴミ、ダニ、クズ、ガラクタである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Momokkey|Momokkey]] ===&lt;br /&gt;
[[バファリン]]などの項目において、利用者の読み易さを度外視した改悪を行っていることで有名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Avanzare|Avanzare]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
35歳の無職ニート。広島県在住。知能指数は80前後。自身と違う意見はすべて荒らし報告、これを真に受ける管理者も結局は低知能なのだろう。まさしく社会のゴミ・ダニ・エタである。こいつが死んでも祝杯を上げる人間はいても悲しむ人間は皆無であろう。平日の昼間から編集を行なうことが多く、利用者ページで35歳と公表している。この2つで自ら正常な人間でないと公言しているに等しいのだが、前述のとおり低知能のためそのような理解ができないようである。このような知能水準ゆえ、2ちゃんねるの関連サイトではAhonzare（アホンザレ）の愛称で蔑まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Tiyoringo|Tiyoringo]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアにおけるゴミ利用者として有名。[[小西規勝]]の多重アカウントの可能性もありうる。[[wiki:利用者:Clarin|Clarin]]の投稿ブロック依頼では[[wiki:利用者:Yassie|Yassie]]がソックパペットまたはシンパではないかと指摘されている。仮にそれが事実とすると[[wiki:利用者:ＮｉＫｅ|ＮｉＫｅ]]とYassieの対立は自作自演または茶番の可能性も考えられるだろう。良識派ユーザーの[[wiki:利用者:もりかわしみ|もりかわしみ]]を無期限ブロックに追い込んだ張本人である。削除主義者としてウィキペディアに多大な貢献をしていた[[wiki:利用者:掃除屋ケンちゃん|掃除屋ケンちゃん]]からはYassie、[[wiki:利用者:Lonicera|Lonicera]]と共に3悪人に認定されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] ===&lt;br /&gt;
在日管理者の存在を差別的な悪口で異常な反応の証拠を公開したために、慌ててSnow steed（mixiを退会済）が無期限投稿ブロックを提案した。[[2007年]]7月の京都烏丸おばんざいやさんで行われた海外組の接待は、この男によって暴露された。小西規勝や[[wiki:利用者:KMT|KMT]]は頻繁にNoda,Kentaroのmixiを「勤務中に」覗いてくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼の開設した日本語版Wikitruthにも、「日本語の出来ない振りをした」利用者がコメントを寄せたことで話題となる。嘘を書かれたら本人がここの項をRVするのは当然である。この節のフォークを主張する利用者もいたようだがその者が名誉毀損に該当する記述まで差し戻すことを主張したため、今後は差し戻しを常に行う利用者や誹謗中傷の類を書いた利用者の法的責任が問われることも考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Noda,Kentaroの編集を阻害するために、ツールまで使ってユアペディアを破壊している者が多数存在する。事実ここの項目も編集合戦化され毎日お互いに有利なように編集され続けている。結局のところ水掛け論である。野田憲太郎がWikipediaをブロックされたようにここにもそういう荒らし行為のブロック化が求められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代音楽関連の記事に関して出典の明記をするよう他の利用者から注意を受けたが、それを頑なに拒否しつづけた為に無期限投稿ブロックを受けた。それ以来、ウィキペディア日本語版及びウィキペディア日本語版の管理者を憎んでいる。その無念を他人に知らせたかったのか、2ちゃんねる&amp;lt;ref&amp;gt;[http://music8.2ch.net/test/read.cgi/contemporary/1165228479/ 野田憲太郎応援スレッド]&amp;lt;/ref&amp;gt;と[[mixi]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10353087&amp;amp;comm_id=5454&amp;amp;page=all ウィキペディア日本語版|ウィキペディア日本語版の恐怖政治体制] 閲覧にはmixiへの参加が必要。&amp;lt;/ref&amp;gt;でも同時期に不可解な絨毯爆撃を行い、ウィキペディア以外のコミュニティにも重大な迷惑をかけた。現在でもウィキペディア日本語版の諸利用者（管理者を含む）を敵視し、[http://d.hatena.ne.jp/Kasumoerer/ 自分のウェブサイト]やYourpediaの本項目でこれらの利用者の中傷糾弾を続けているところを見るとウィキペディア日本語版には相当の思い入れがあると考えられる。事実、ウィキペディア日本語版では投稿ブロック以後も数々のサブアカウントを取得し編集投稿を続けているが悉く発見され、これらの多くは投稿ブロックを受けた。この騒動で本人と推定され投稿ブロックを受けた利用者アカウントやIPの数は10を超える&amp;lt;ref&amp;gt;[[wiki:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro|Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。余談ではあるがこの利用者はYourpediaで同名のアカウントを取得しており、本項目の起草・加筆もこの利用者の尽力によるものが大きい&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;amp;limit=500&amp;amp;action=history ウィキペディア日本語版の利用者 - 履歴]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
詳しくは[[wiki:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro|こちら]]と[[Wikitruth|日本語版Wikitruth]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに[[wiki:利用者:Co.kyoto|Co.kyoto]]と[[wiki:利用者:Hatukanezumi|Hatukanezumi]]と[[wiki:利用者:Electric goat|Electric goat]]が[[木津尚子]]の靴下であることを見破ったユーザーは彼が最初である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼のピアノの演奏（と称するもの）を聴いたもののある者であれば誰にでも解かることであるが、彼が音楽と称するものは幼稚園児の落書きかまたはそれ以下である。ピアニストを'''目指す'''のであれば、まずは「猫踏んじゃった」を正しく弾くことを目指すべきであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアの項では作曲家、演奏家、著作家と書かれているのに何ら書籍・アルバムの出版、客観的な表彰歴など、出典の不明確な記載が多くなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:T.Saito|T.Saito]] ===&lt;br /&gt;
WPの三悪の1人で通称'''トンズラー'''。恐らくは[[wiki:利用者:Aphaia|Aphaia]]の靴下と協力して書き上げた記事があるのは間違いが無い。便乗者を弁乗者と誤記して、しばらくはネタになった。もちろん、WP日本語版の管理班の1人[http://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedia_Japan&amp;amp;action=history]。荒らし行為でもなんでもない内容を「荒らし」と決め付ける性格。共産主義者みたいなものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
the saitouとは別人であるという報告があり、利用者ページでもthe saitouとT.Saitoは別個の扱われ方である（T.Saito、はmetaのブロック権限を持つ）。meta-wikiやwikiaの話をする時点で非常に疑わしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またmetaでも靴下を使って、都合の悪い意見をすぐ差し戻す。&amp;lt;ref&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/Wikimedia_Japan_Meta.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;と&amp;lt;ref&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/Talk_Wikimedia_Japan_Meta.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;に詳しい。UTF-8で閲覧可能。ここに書かれたのが気に障ったのか、さっさとウィキブレイクしてKMTのように靴下使いに降格した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Hyolee2|Hyolee2]] ===&lt;br /&gt;
在日韓国人。韓国語版の管理者一同から嫌われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:正義|正義]] ===&lt;br /&gt;
ユーザー名とは裏腹に、他人を甚振る偽善者。[[島田紳助]]を憎んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Clarin|Clarin]] ===&lt;br /&gt;
木津尚子の靴下。自分に刃向かう利用者なら総て野田憲太郎の靴下と決め付けるアカウント。小西規勝のアカウントの可能性もありえる。報復依頼の常習犯である。天敵は[[wiki:利用者:Yassie|Yassie]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:百科事典に綴じ込められた男|百科事典に綴じ込められた男]] ===&lt;br /&gt;
リバート専用靴下。[[wiki:利用者:竹麦魚|竹麦魚]]も使う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Tamago915|Tamago915]] ===&lt;br /&gt;
本名は'''岸本慎介'''（'''きしもと しんすけ'''）。'''削除主義者'''のウィキペディアン。年齢は30代後半くらいのオヤジ。ウィキペディアの主旨に反する投稿は執拗に削除依頼に提出する。彼も[[近畿地方|関西]]出身である。削除依頼の他リバートもしばしば使うので、'''排他主義者'''でもある。'''甚平バーンスター'''の異名を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:阿波座行広|阿波座行広]] ===&lt;br /&gt;
[[近畿地方|関西]]に対して不都合な記述を一切削除するなど、非中立的な編集を行っている。2ちゃんねるや[[テレビ]]による関西蔑視を憎悪していることで有名な利用者である。かなりの[[東京都|東京]]嫌いであるため、東京には一切興味がない模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Nekosuki600|Nekosuki600]] ===&lt;br /&gt;
通称：「'''コモノ'''」「'''野良猫'''」。本名は'''茂木紀行'''（もぎ のりゆき）。[[河下反対派]]の1人。最近まで、[http://nekosuki.org/landscape/index.htm 公式サイト]で環境保護について徹底的に告発していた。芸能人の家族の生年月日、実名等をウィキペディアで暴露している極悪非道な利用者である。また、自己サイト宣伝禁止であるウィキペディアにおいて自身が運営する（寄付を募集している）サイトを紹介し、リンクを設置している。さらに、彼はある記事（[[wiki:非政府組織|非政府組織（外部リンク）]]において『外部リンク集を「NGOリンク集」にしないように編集すること!!』とコメントした上であるボランティア会へのリンクを削除している。[[1959年]]生まれ。最近はネタが無く左翼活動も流行しないため、かつての発言力は無い。しかし彼の信奉者はWikipediaではまだまだ多いようで[[2007年]]の初めには長期ブロックがほぼ避けられなかったYassieも彼とつるむことで生きながらえて今では[[wiki:利用者:nekosuki600|nekosuki600]]同様に管理者でもないのに重鎮扱いである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ彼は同項目において自身の運営するサイトへのリンクを貼っており、他人に説教できる立場ではないのが実情である。自分のサイト宣伝は許すが他のNGOサイトはダメ、これは完全に自己中心的な編集である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[オーストラリア]]、[[捕鯨]]、[[クジラ]]の項目の「関連項目」にオーストラリアが反捕鯨国であることの根拠として[http://www.australia.or.jp/seifu/pressreleases/index.html?pid=TK30/2005 オーストラリア大使館のサイト内の「オーストラリア、日本の捕鯨活動に抗議」]という外部リンクとともに、「捕鯨に反対している国」と加筆することに異常なほどに反対した。[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2 オーストラリアのノート]他、捕鯨のノート、クジラのノートに議論の場所をマルチポストした上でこの「関連項目への加筆」が「バランスが悪い」などとして反対するものの、反対理由が「独自の研究」ならぬ「独自の妄言」であったためにまともに賛同されずしかも加筆希望者に対して『「オーストラリアの白豪主義」や「反捕鯨」になんらかの感情を抱いており、それに基づいて編集を加えているものと思うが』と中傷したもののついにはNekosuki600本人が「捕鯨」に関して偏向したイデオロギーを持っていることをばらされるも謝罪などは一切行わないという始末である。以下のイタリック体の部分は、Nekosuki600本人が「捕鯨」に関して偏向したイデオロギーを持っていることをばらされた部分である。偽善者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;i&amp;gt;Nekosuki600さんが[http://fenv.jp/index.htm 自然環境フォーラム]や[http://prweb.org/ngoinfo/fenv2.htm 自然環境フォーラム an online NGO]で市民運動の活動をするのは自由ですし、あなたもそれを恥に思っているわけでも隠したいわけでもないでしょうが、[http://prweb.org/data/03520.htm グリーンピース号見学オフの顛末]のような記事を書いている人が[[グリーンピース (NGO)|グリーンピース]]や[[捕鯨]]の記事で中立の立場で執筆や議論などできますか?&amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして悪逆ユーザーのレッテルを貼られているにも関わらず、ウィキペディアから追放されない不思議なユーザーである。ニフティーサーブもしくはJCAの関係者からスカウトされて今に至る。他の利用者と異なり、はてなに書かれた過去の悪事の削除は求めていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちゃたまの息子（隠し子）である。また、ちゃたま本人であるという説もある。事実、ちゃたまが某掲示板で暴露してしまった。したがって猫はちゃたまのmusumeとは結婚することはできない。ちゃたまの家族写真に写っていないのは猫がカメラマンをやっているからである。カメラが好きなのは自明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は先輩風吹かせて言葉遣いが荒い。初心を忘れて欲しくないもんですなぁ。確かにクズ利用者が多いけど気持ちを落ち着かせるのも上級利用者の心得。すぐキレるようじゃ亀田と変わらない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
異常な程[[姉歯秀次]]の名前をウィキペディア日本語版に書かれる事を恐れており、多数のソックパペットアカウント及び信望者を用いて消しにかかる。おそらくは古参の管理者の1人である[[wiki:利用者:Tomos|Tomos]]も彼と黒い繋がりがあるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:りんたろお十一歳|りんたろお十一歳]]は履歴を見れば一目瞭然だが、Nekosuki600が2chでしばしば言及する[[新河岸川]]の編集もしているようにNekosuki600のソックパペットである。[[wiki:Wikipedia:利用者ページの削除依頼|Wikipedia:利用者ページの削除依頼]]では1人2役を演じてコミュニティを疲弊させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:special rapid|special rapid]] ===&lt;br /&gt;
[[京都市]]生まれ[[滋賀県]]育ちの受験生。受験生という割には英語の人称代名詞の使い分けができていなかったり毎週「週刊少年ジャンプ」を愛読し、ウィキペディア日本語版へそのあらすじを書いてまわるという迷惑極まりない自分勝手な編集を強行。これによりHi-askやちゃたまという超穏和な神ユーザーの逆鱗に触れ[[初恋限定。|河下氏が書いているとある作品]]の記事で編集合戦を引き起こしたと痛いところを付かれ、無期限ブロックを受けた。現在はYourpediaや中国語版Wikipedia、英語版Wikipediaで暴れ回っており、日本語版Wikipediaでは[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/59.190.19.241 IPユーザー]として身長記入荒らしも行っている。ISP通報の時期も近い。「高校受験でドン底に落ちてしまえばいいんだよ」と誰もが願うはず。ウィキペディア日本語版では、類似の編集に対し無期限のレンジブロックが行なわれる状況まで達している。数ヶ月以内に、彼の行動に関してプロバイダ通報が行なわれる予定がある。又、最近では[[wiki:user:準急三条|準急三条]]氏のサイトの[http://oab.sytes.net:4600/~keiihanmasao/cgi/nandemo-shiritori/shiritori.cgi?mode=delwords_view 参加型コンテンツ]で、他のウィキペディア利用者の名前を騙り荒らしている模様である。これにより、プロバイダ通報を受けた。&lt;br /&gt;
==== 現在の状況 ====&lt;br /&gt;
なお、Yourpediaでの名前は{{User2|折笠成一}}。キモイウザ署名も健在。ネット世界で暴れてないで受験勉強に励むべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今のうちにメーリングリストで1000文字以上の謝罪文書いときなさいね。通報される前に。こんなことで合格取り消しとかなったら恥ずかしいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*外部リンク：[http://s02.megalodon.jp/2007-1013-1246-56/www.geocities.jp/special_rapid_otsu/mana.html プロフィール]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらにアンサイクロペディアでも折笠成一で[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%8A%98%E7%AC%A0%E6%88%90%E4%B8%80 垢]取得。もちろんキモイウザ署名だ（[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E6%8A%98%E7%AC%A0%E6%88%90%E4%B8%80 ノート]・[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/Special:Contributions/%E6%8A%98%E7%AC%A0%E6%88%90%E4%B8%80 投稿記録]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本人の行動はギャグだが、記事でギャグを書けるのかどうか・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と、パスワードを忘れたのか[[利用者:小木俊介|小木俊介]]という名の靴下でYourpediaに再登場[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/%E5%B0%8F%E6%9C%A8%E4%BF%8A%E4%BB%8B 投稿履歴]。しかし、早速[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3AIpblocklist&amp;amp;ip=%E5%B0%8F%E6%9C%A8%E4%BF%8A%E4%BB%8B 無期限ブロック]を受けてしまうｗｗｗ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とうとう[[wiki:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Special rapid|長期荒らしのサブページ]]ができてしまった。こりゃホントにやばい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Alljal|Alljal]] ===&lt;br /&gt;
[[ナチス・ドイツ]]工作員のように中立性に合致しない編集は執拗に削除依頼に出すヤクザで、'''削除主義者の急先鋒的存在'''である。しかも、[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%B1%9A%E6%BC%AB%E6%B9%96%E5%AD%A6%E5%9C%92&amp;amp;diff=14126229&amp;amp;oldid=11425840 このように]投稿記録のないアカウントまで根拠なく誰かのソックパペットと決め付けることを平然と行う残忍さも持っている。最近はかつてのような発言力は無い模様。[[wiki:利用者:Akane700|Akane700]]と同一人物の可能性あり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[おじゃる丸]]にちなんだ名前（本人談）をアカウント名に使用するほどのおじゃる丸ヲタでもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Maris Stella|Maris Stella]] ===&lt;br /&gt;
有名な共有靴下だが、主に木津尚子が使用する。他には何名かの女性が木津の文体偽装をして使っている。俗称はマリ捨て。マリ捨て=木津というとすぐにはてなや2ちゃんねるでデマ説が「タイミングよく」流れるが、全て木津の工作である。その証拠に、T.Saitoはマリ捨ての弁護しかしない。「～でしたら」など敬語の不自然な多用が特徴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yuutan|Yuutan]] ===&lt;br /&gt;
[[奈良県]]出身の極左主義のウィキペディアン。自分の主旨に当てはまらない投稿は容赦なく修正する'''排他主義者'''の急先鋒的存在。彼に限らず、[[近畿地方|関西]]出身の利用者には極左主義者が多い。また、彼は極度の'''ウィキペディア中毒'''でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:AF-08|AF-08]] ===&lt;br /&gt;
極度の'''反日主義者'''である。[[朝鮮]]人の可能性もある。こういった利用者は、いつか長期ブロックを食らうと思われる。2ちゃんねらーでもあるらしく、利用者名は自分のトリップに因むと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ikedat76|ikedat76]] ===&lt;br /&gt;
[[小西規勝]]の靴下。いわゆる基地外左翼の類である。Peaceを異常なまでに敵対視している。歴史関係専用キャラ。名前は[[創価学会]]会長・[[池田大作]]に由来していると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Electric goat|Electric goat]] ===&lt;br /&gt;
[[木津尚子]]を参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:hatukanezumi|hatukanezumi]] ===&lt;br /&gt;
WPの三悪の1人で通称'''ボヤッキー'''。何にでも口を出し、議論を混乱させることが得意。[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%91%9E%E7%A9%82&amp;amp;action=history このように]福島瑞穂の項に都合の悪い内容が加筆されると必死に削除することから、[[福島瑞穂]]および[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]の熱心な信者または工作員である可能性が高い。現在投稿ブロック中（2ヶ月）。座右の銘は「支離滅裂」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なおAphaiaと同一人物ではないかと疑う者も少なからず存在するため、木津尚子の項も参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:KIZU|KIZU]] ===&lt;br /&gt;
[[木津尚子]]を参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:kzhr|kzhr]] ===&lt;br /&gt;
kzhrは本名を[[岡田一祐]]と名乗るウィキペディアの元管理者。有意義な編集は一切していないが、他人に対する中傷は熱心に書き込み続けているという典型的なウィキホリック。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]ごろから自分の意に沿わない発言を数十もmixiコミュニティから削除したことで、法的責任が問われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキソースにNoda,Kentaroがログインしたところ、次のような表示になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ご使用の利用者名またはIPアドレスはKzhrによって投稿をブロックされています。その理由は次の通りです。&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
:不適切な利用者名&lt;br /&gt;
:ブロック解除予定：無期限&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
:Kzhrまたは他の管理者にこの件についてメールで問い合わせることができます。&lt;br /&gt;
:ただし、オプションに正しいメールアドレスが登録されていない場合、「この利用者にメールを送信」機能が使えないことに注意してください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
岡田くーん!嫉妬は良くないよー!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
追記：ユアペディアには、岡田の本名は伏せて野田の本名は晒したがる馬鹿利用者が存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Radioactive|Radioactive]] ===&lt;br /&gt;
Radioactiveはなぜか一般利用者の癖して、岡田一祐とつるんでいるmixiユーザー。mixiではいぬみみめいどと名乗っていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
mixiのログを規約違反を行いながらいろいろな所に晒し、発信者開示請求をくらった馬鹿。随分後になってから「食らっていない」という弁明がようやく来たが、信憑性はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MiyaやToki-hoからのメッセージをmixiでも受け取っていることから、Miyaの息子ではないかという説も流れているが、詳しいことはわかっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:野田文憲|野田文憲]] === &lt;br /&gt;
[[ウィキペディア日本語版]]にいる、悪質なソックパペットの1つ。「[[野田憲太郎|音楽家気取りの息子]]」がパスポートや住民票で確認されない限り、虚偽を利用者ページに書いたことからはアカウント作成者は逃げられない。この手のソックパペットは管理ユーザーが作成する。はてなキーワードとYourpediaで詳細な追求を行った後に、なぜか無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yassie|Yassie]] ===&lt;br /&gt;
読み:やしー、やっしー。人のメールを無断転載することで有名&amp;lt;ref&amp;gt;http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikija-l/2007-May/001589.html&amp;lt;/ref&amp;gt;。かつて某記事での議論において、しょうもない意地を張ったために[[wiki:利用者:Sudpex|Sudpex]]と[[wiki:利用者:Mikihisa|Mikihisa]]のソックパペット利用者:Delmoreから殺害予告を受けてしまったというある種可哀想な人物でもある。実生活でもパシリが多いのか、出張で時々いなくなる。埼玉に住み、なおかつオハイオ州に留学した可能性はきわめて低い。少々の翻訳と記事修正だけの2ちゃん組の一員で、ろくな記事執筆がない。元のハンドルネームはnanassie[http://www.google.co.jp/search?q=nanassie&amp;amp;hl=ja&amp;amp;lr=&amp;amp;start=20&amp;amp;sa=N]。かなり昔からおり2ちゃん用語も妙に使用しているので、2ちゃんのパシリなんだろうか。30過ぎてそんなことしか出来ないのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ときどき巨大翻訳爆弾を投下する。もちろんその翻訳はめちゃくちゃであるが、管理者のソックパペットであるゆえに決してブロックされることはない。頭に血が上ると下手な英語でキレだす。日本語でいいじゃん。どうせ相手は日本人のガキなんだからさぁ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
英語を使う仕事をしていると称しているが、実際の英語力は英検の3級にも合格できないほどである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またソックパペットである[[wiki:利用者:Bellcricket|Bellcricket]]を使い、自分への投稿ブロック依頼を提出した人物を意味不明の理由でブロックした後に依頼を一方的に打ち切るという行為に出た。まさに社会性皆無の人間であることをこの一件でﾔｯｼｰは示してしまったのだ。30を過ぎて何のスキルも社会性もない男の将来がパチンコ店員・新聞拡張団員・受刑者のいづれかしかしかないことは火を見るより明らかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
座右の銘は「'''私は口先だけで行動の伴わない人を信用しません'''」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:coq|coq]] ===&lt;br /&gt;
人のメールを無断転載することで有名&amp;lt;ref&amp;gt;http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikija-l/2007-January/001409.html&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yukichi99|Yukichi99]] ===&lt;br /&gt;
本名は福澤俊。人の意見をすぐ削除することで有名&amp;lt;ref&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/yukichi_dead1.htm （エンコードはUTF-8でご覧ください）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/yukichi_dead2.htm （エンコードはUTF-8でご覧ください）&amp;lt;/ref&amp;gt;。もじら組を除名された。漫画の台詞を31歳にもなってそのままコピーして快感を得ており、話題の割には大して面白くない人物でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.flickr.com/photos/alexsh/1016352230/]&amp;lt;br&amp;gt;↑&amp;lt;br&amp;gt;ここに写っているのは岩瀬とその父親、福澤、そして[[wiki:利用者:間久部緑郎|間久部緑郎]]が含まれている可能性が高い。全員日本人ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また彼は、[[Wikia]]で唯一の日本人スタッフとして知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Koba-chan|Koba-chan]] ===&lt;br /&gt;
クラシックの演奏家に向かって「馬鹿とはさみは使いよう」と吐き捨てることで有名&amp;lt;ref&amp;gt;[http:/mywebpage.netscape.com/kasumoerer/koba1.JPG]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http:/mywebpage.netscape.com/kasumoerer/koba2.JPG]&amp;lt;/ref&amp;gt;。本名は小林義宗。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:FXST|FXST]] ===&lt;br /&gt;
関西在住。かつて「ウィキペディアって大丈夫なの?」という記事を連載していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://fxsystemtrader.blogspot.com/2007/03/01.html ウィキペディアって大丈夫なの??01]&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、ウィキペディア日本語版へ記事投稿はおこなっていない&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?limit=50&amp;amp;title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3AContributions&amp;amp;contribs=user&amp;amp;target=FXST&amp;amp;namespace=0 利用者の投稿記録]&amp;lt;/ref&amp;gt;。「IPで編集をアカウント取得前に行っていた」という主張は怪しすぎる。このほかにも仮想アカウント、ソックパペット疑惑、BOT使用について一切のスルーを行い、ヨタ話扱いしたことから実はウィキペディア運営側の人間である確率が高い。即座に野田の知人の項目がソックパペットで書き換えられたのも、彼の仕事である可能性がある。本名は岡部健。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Lem|Lem]] ===&lt;br /&gt;
Wikipedia屈指のソックパペッター。[[wiki:利用者:Eggswrong|Eggswrong]]を初めとする数多のソックパペットを日々機械的に生産してきたが、[[函数戦争]]に敗北しほとんどの靴下を潰された。函数戦争に勝ったAlljalに対しての怨念・憤怒はすさまじく今日も2ちゃんねるのおじゃるスレへの攻撃を行っている。正体は引きこもり数学専攻大学院生らしいのだがその行動パターンからは小学生低学年程度の常識しか持ち合わせていないという事が分かる。好きな言葉は「ひろまえ」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、数学分野へは他の利用者の侵入を断じて許さないというWikipediaの方針を完全に無視したキチガイでもありウィキペディアやめますといいながら、一生懸命ウィキペディアへ攻撃しに来る&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=9364083 http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=日本のクラシック音楽の作曲家一覧&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=9364083]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=11460630 http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ウィキペディア日本語版&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=11460630]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
使用ISPはケイオプティコム。彼の悪行のせいでケイオプティコムは3ヶ月のレンジブロックとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:踊る姿|踊る姿]]とは黒い深い繋がりがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Aphaia|Aphaia]] ===&lt;br /&gt;
WPの三悪の1人で通称'''ドロンジョ'''。[[木津尚子]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:FREEZA|FREEZA]] ===&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:Sushisushi|Sushisushi]]を野田と決め付けた張本人。両者とも別人であることをMLで主張しているのに、一切無視を決め込む不思議な利用者。編集責任のテンプレートを貼る前に、野田に謝罪するのが先ではないだろうか?韓国の鉄道をたくらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
木津尚子の学歴詐称が問題となっている現在、FREEZAは野田叩きに必死になっているようなので木津関係者のアカウントである可能性が高い。複数人で操作しており1人は鉄道関係、もう1人は荒らしアカウント関係と役割が決まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Reader|Reader]] === &lt;br /&gt;
Readerはウィキペディア日本語版の利用者。長期的な荒らし行為を行っているユーザー[[wiki:利用者:SUSHII|SUSHII]]の悪質なソックパペットの1つ。Yourpediaにも同一人物と思われる[[利用者:腹立つ|腹立つ]]に対しての粘着荒らし（ネットストーカー）を行っている変態であり、平気で個人攻撃だけをすることしかできない極悪非道な利用者でもある&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/Reader 利用者:Readerの履歴]&amp;lt;/ref&amp;gt;。メインページのノートに「'''== NEWS! == YOUTUBEに日本語版が出ました!!'''」と書き込んだりその編集に対してノートに書き込まれた警告文を消して「'''kekekekeke'''」と意味不明な文字を書き込んだりするのだが、それを「'''使い方を間違えていました'''」と言っている意味不明な利用者である。また、腹立つと類似したアカウントを取得し自分が荒らしであることにもかかわらず実際にウィキペディアで荒らし行為を行っていない利用者に対して「'''俺もお前と仲間のあらしさまだぜ!'''」などと不可解な嫌がらせ書き込みなどを行っている。その後に「俺も腹立つさん、ユーザー名が腹立つに似すぎているので変えるべきだと思います。また意味のない投稿はおやめください」と書き込み自演自作も行っている。利用者:腹立つのノートでは現在白熱した議論が展開されている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E8%85%B9%E7%AB%8B%E3%81%A4 利用者のノート]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Readerを野田の靴下と言い張る在日は見苦しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Arpeggio|Arpeggio]] ===&lt;br /&gt;
高知警察署にログを提出された後に活動終了。警察のお世話になっているのに、なぜか投稿ブロックされなかった不思議なアカウント。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Fromm|Fromm]] ===&lt;br /&gt;
jawpの中でも特に有名な'''削除主義者'''のウィキペディアン。どんなに判りづらい転載でも片っ端から見つけ出して削除依頼に提出することや、スパムと判断した外部リンクを片っ端から除去してまわることで知られる。しかし無知であるのに多分野にわたって編集を行うため特に問題の無い記述をも削除してしまうことが多く、迷惑な自警団の1人に数えられている。また、自警団のほとんどがそうであるようにまともに記事を書いたことが無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに井戸端における[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BA%95%E6%88%B8%E7%AB%AF/%E6%80%A7%E5%B7%AE%E5%88%A5%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6 この議論]を見ればわかる通り、熱心な[[ジェンダーフリー]]支持者（つまり左翼活動家）でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:間久部緑郎|間久部緑郎]] ===&lt;br /&gt;
台湾在住のウィキペディアン。エドガー・ヴァレーズの開発した楽器「ライオンズロアー」（独：Brummtopf、英：Lion's roar or string drum）を「ライオンのなんちゃら」と言ってしまい、楽器の素養がないのに音楽関係の項目を必死に翻訳する馬鹿であることが発覚。これは日本支部から翻訳ノルマを与えられているためである。メインアカウント以外にもサブアカウントで翻訳を行っていることがある。人に向かってえらそうな態度を取る小西規勝と仲が良いので、小西は在日管理者である可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近のお気に入りソックパペットはnumber。名古屋在住の台湾人である可能性が浮上。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Aotake|Aotake]] ===&lt;br /&gt;
日本語が不自由なのに、一生懸命日本語版を管理したがるアカウントの1つ。操っているユーザーが複数いると思われるが、全員日本人ではない。音楽担当。メインで操っている者のなかに、大学職員がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドナトーニの記事について指摘したユーザーに向かって「あなたは野田憲太郎さんですね!」と逆切れ後、CUしてみたらIPホストが別人のものであることが発覚。この失態の責任を取ってウィキブレイクした馬鹿者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後'''わずか3日で'''ウィキブレイクを解除。WP関係者にはうそつきが多い。どうやら、パスワードを譲渡して他人に管理してもらっているらしい（当然違法）。ここをRVする馬鹿がいるので、どうやら本当の話なのだね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:HOLIC 629W|HOLIC 629W]] ===&lt;br /&gt;
キチガイユーザー。管理者の腰巾着気取り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユーザーページに書いている編集方針と実際の編集が矛盾していることでも有名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Suisui|Suisui]] ===&lt;br /&gt;
[[今泉誠]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:竜造寺和英|竜造寺和英]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
自称：早稲田大大学院卒のヤクザヲタクの利用者（この馬鹿の知能から早稲田卒であるはずがない）。脳内バーチャルトレーダー。「某ヤクザヲタク」と称される場合が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*管理人には常にペコペコしてる。しかし管理人に迷惑ばかりかけるため、全ての管理人にそっぽをむかれている。&lt;br /&gt;
*実はヤクザのことは全く知らない。この馬鹿の書いた部分は、出鱈目が多く著作物丸写しなので近いうちに全部削除される予定。記事は私が書いた正しい部分のみが残ることになる。&lt;br /&gt;
*本物の侠客を偽者扱いした大馬鹿者。これに対して、日本全国の侠客が激怒した。近いうちに正義の鉄槌が下されるかもしれない。そのときは、小便をちびりながら命乞いをするはず。自業自得。この馬鹿を擁護する管理人も同罪。そんな管理人にも正義の鉄槌が下されるかもしれない。&lt;br /&gt;
*ヤクザの記事で必ずヤクザが右翼活動をしてたことを書く馬鹿。この出鱈目な記事により「右翼=ヤクザ」といった誤ったイメージを広めてしまってる。このことには日本中の右翼活動家が激怒してる。&lt;br /&gt;
*柳川次郎や町井久之や田中禄春などの在日韓国人を英雄視してる。これらの在日は堅気に戻った後に在日の顔として振舞う一方、裏では今まで通り様々な悪事を働いている。特に町井久之は児玉誉士夫と組んでロッキード事件などでも何度も名前が挙がっていた。こうしたことを一切書かずに「若い頃はヤクザになって悪いことをしてましたが改心して堅気になり、その後は日韓の架け橋になりました」という記事を一生懸命美談に捏造して書く。あれだけの資料を持って調べ上げてるわけだから、これらの在日が堅気に戻った後も悪事を働き続けてたことを知らないはずがないだろう。記事にはなぜかこのことが一切書かれていない。この馬鹿も在日であることは間違いない。在日だから就職も出来ず株に手を出して破滅の道を突き進んでいるのだろう。&lt;br /&gt;
*多重アカウントを使って、議論を混乱させるのが得意。&lt;br /&gt;
*相変わらず管理人や権威者にはぺこぺこ。May.Lowが田岡一雄の記事を大幅に削除しても、文句一つ言えずに泣きながら白旗をあげた。情けなくて、全国の侠客や右翼活動家が大笑いしている。&lt;br /&gt;
*この馬鹿にはマジで天誅下さんとわからんらしい。小ざかしい議論術であほなこと言いやがって。このボケを野放しにする管理人にも我慢の限界。二十日鼠は何寝ぼけたこと言ってんだ。頭狂ったのかな?それだったら、このヤクザオタク馬鹿が書き直しさえすればこいつの出鱈目な記事が残ってしまうことになるだろうが。しっかりしろや!!&lt;br /&gt;
*もう我慢できん。反対票入れる奴には天誅が下されるだろうな。そいつらには、日本中の侠客や右翼活動家から激しい抗議行動があるはずだし。Wikipediaの連中や管理人は黙って賛成しろや。それが自身の身のためやろが!!ヤクザオタク馬鹿を排除したら、全ての記事は美しい任侠道になるだろうが!!逆らえば攻め滅ぼすぞ!!俺の言うこと聞いとけばいいんだよ!!&lt;br /&gt;
*ヤクザオタク馬鹿はやっぱり株で大損してたwwwww。ざまみろ。&lt;br /&gt;
*まだアホな主張してるね。誰もこいつを支持してないし。こいつとこいつを擁護する馬鹿をトコトン追い込みます。&lt;br /&gt;
*株長者というのも大嘘。ちょっと前に話題になった、株で数億儲けたニート青年あたりが元ネタだろう。こういう自己中心的で協調性のかけらもない人間は、実社会でもネットでも迷惑な存在でしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:あなん|あなん]] ===&lt;br /&gt;
利用者名が[[アンサイクロペディア]]の（あ）や誰か同様、非常に馬鹿げている。「あなる」ではない（笑）。彼も悪質2ちゃんねらーなのかもしれない。年齢は45歳という説もあるが、利用者名が馬鹿げているため、20代くらいとしかいえない。会話ページでの言葉遣いが非常に生意気であるのも特徴。編集に関しては、主に地理や歴史関係の意味不明な投稿をしている。タイに留学する日本人という設定だが、ほんとうは日本に留学したタイ人の学生である可能性が強い。その利用者名から、仏教研究家であるともいわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:PeachLover|PeachLover]] ===&lt;br /&gt;
[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ]]工作員のように、鉄道関係の項目で価値のある投稿までどんどん削除依頼に出すヤクザとして有名。荒らしと決め付けて、差し戻すこともある。ウィキペディアにおける削除主義者として有名であるが、自分の利用者ページで削除主義者を自称していない。誕生日は7月という説もある。利用者名は桃が好きなことから名づけられた。こいつはしつこい事で悪名高いユーザーであり一度目をつけたユーザーにこれでもかと言うほどの罵倒文を送ってくる。無視し続けるとひらがなで誹謗中傷を行いWPの中でもたちの悪さは随一のユーザーでありこいつは本当に死んだ方が良い。と言うより死ね。「こう言う奴が一番死ぬべきなんだ。削除、削除、削除～～～（凄まじい憤り）!」こいつは私が葬ってやろう。瞬獄殺（削除）!ぐあーーーーー!お前如き糟が私に歯向かおうとは可笑しいにも程があるわ!ふははははふははははふはははは（思い通り）!こうしてPLは粉砕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:やきとり|やきとり]] ===&lt;br /&gt;
[[利用者:微積01|微積01]]の投稿ブロック依頼に断固反対した男性。河下反対派。主に食品関連の意味不明な投稿を繰り返し行っている。またどんなに価値のある投稿でも差し戻し、ウィキペディア最大の'''削除主義者'''としても有名である。未だに自分自身の利用者ページを作成していない。年齢は40代かもしれないが、利用者ページが存在しないため、不明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:アセルス|アセルス]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
jawp屈指の[[ファシスト]]であり気に入らない編集を荒らしと決め付け、削除依頼に出すことで有名。ちなみに精神年齢は6歳以下である。実際の年齢は乳児と推測出来る気違いおたく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:松茸|松茸]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
大学の歴史系学科に所属する青年（大学生）。主に西暦や歴史関連の意味不明な記事を継続して作成している。また、気に食わない文章は執拗に差し戻すことでも有名であり、'''排他主義者'''でもある。自身の利用者ページで「'''この利用者は免許を持っていないので公道で自動車を運転することはできません'''」と書かれている通り、無免許である。しかし夜間に道路で改造車を運転し暴走行為を行っている気違いおたくでもある。またノートページで外国のユーザーと英語で会話し語学力を誇示しているが、実は機械翻訳を使った自作自演である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Showchan|Showchan]] === &lt;br /&gt;
利用者名が非常に馬鹿げている。中立性や検証可能性を何よりも重視しているため、中立性や検証可能性に欠けた投稿はどんなに価値のある投稿でも容赦なく差し戻す。ウィキペディアにおける排他主義者として有名であるが、自分の利用者ページで排他主義者を自称していない。「嘘は泥棒の始まり=泥棒は殺人の始まり=殺人は地獄の始まり」と言う事を分からない気違いおたく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:UMBRO|UMBRO]] ===&lt;br /&gt;
2ちゃんねるの存在に反対している若い男性。[[第二次世界大戦]]及び[[歴史]]上の出来事関連の意味不明な投稿を継続的に行っている。かつては'''[[wiki:利用者:Kuty|Kuty]]'''というアカウントを使用していた。Kuty時代は管理者選挙にも出馬していた。また、気に入らない投稿は価値に関係なく差し戻しているにも関わらず自身の利用者ページで'''包摂主義者'''を自称している。また、あちこちの[[ウィキ]]プロジェクトで利用者ページを所有している。毎年年末にはウィキブレイクを行っている。陸上競技が好きなようで、自身の利用者ページのサブページに100メートル走の中学歴代ランキングを作成している。完全な目的外使用である。アンブロのスパイクを愛用していたようで、利用者名のUMBROもそれにちなむと思われる。本業はアスリートかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Miami|Miami]] ===&lt;br /&gt;
自身のページに''この間隙に横たわる茫漠、深淵たる断層を考察する努力を端から放棄する者こそが軽々しく言葉を発する''といった独自のルールを掲げている。ただのゴロツキであり、'''人間性は全WPユーザー中ワースト級である。'''北陸本線おたくであり、北陸本線関連の出来事への集中的な編集が目立つ（ほとんどが意味不明な加筆）。中国製品の品質の問題関連の記事では中国だけでなく日本もずいぶん悪いように決め付けるような害意ある編集が目立つ。これこそ、独断と偏見の塊である。ふざけるのもいい加減にしてほしいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:Matumami|Matumami]]と混同しないこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:おーた|おーた]] ===&lt;br /&gt;
[[1978年]]生まれ。[[筑波大学|筑波大]]中退の後、慶應へ進学して大学院修了。彼はSYSOPではないが、ウィキマニア台北でカメラのセットを組んでいたところを見る限り大きく管理側に与している人物と考えられる。共有するSYSOPアカウントを保持している可能性がある。今は岡田一祐の手で削除されたmixiのトピックで「どうもあなたは日本語版ウィキペディアの保身をしているのではないですか」という問いに対し「いいえ」と答えていたが、写真が流出した今となってはこの発言は嘘である。うそつきおーた。mixiの加入コミュニティに「実名で戦います」なんてものがあるのに、WPでは「おーた」。うそつきめ!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いくつかのサブカルチャーの項目は、この利用者が勝手に差し戻していることが履歴で確認出来る。つまり、彼が担当する項目が存在する。恐らくは、多くの利用者の執筆が殺到する項目の管理を彼が任されている可能性が高い。こんなことをボランティアではやらないことぐらい、誰にでもバレる。極左関係者はすぐ嘘をつくことで有名だが、彼もその一員であった。本名は太田尚志。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.kotono8.com/2003/11/19blogmind.html]をーっと!なぜ脱会信者ことのはにリンクされるのか?!これはヤバイ!うそつき同士ですねぇ![http://web.sfc.keio.ac.jp/~n04594to/raq.html]ちょっと痛い。[http://groups.google.com/groups?hl=ja&amp;amp;inlang=ja&amp;amp;lr=&amp;amp;ie=Shift_JIS&amp;amp;q=author%3At00156to%2Bnews%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3Atakot%2Bnews%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3At00156to%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3Atak%40jks.is.tsukuba.ac.jp+OR+author%3Atak%40kyouiku.tsukuba.ac.jp&amp;amp;btnG=Google+%8C%9F%8D%F5]確か、木津尚子もグーグルグループにいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記のリンクを見れば解るように、日本語版WPを仕切る人々は発足当初から「気持ち悪い左翼」の人々によって牛耳られていたことがわかるだろう。この有様で健全な百科事典が出来るわけがないじゃないか!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Peka|Peka]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版の2007年の気象・天体と地球環境問題関連の記事において、NPOV及び検証可能性に問題のある投稿を継続的に行っている。彼の編集に正確性など皆無である。また、彼はたくさんのバーンスターを貰っている（木津尚子のように、自分で自分にあげている可能性もある）。彼の投稿内容には、気に入らない企業に喧嘩を売ったような中傷的記述も見られた。&lt;br /&gt;
;主な特徴&lt;br /&gt;
*荒らし行為を繰り返す'''&amp;lt;span style=&amp;quot;color:red&amp;quot;&amp;gt;悪逆&amp;lt;/span&amp;gt;'''なユーザーであるにも関わらず、たくさんのバーンスターを貰っている。&lt;br /&gt;
*これ以上NPOV及び検証可能性に問題のある投稿を続けるのなら、ウィキペディアから追放されても当然である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Clapon|Clapon]] ===&lt;br /&gt;
ナチス･ドイツ構成員のように、気に食わない投稿は容赦なく修正するヤクザとして有名。ウィキペディアにおける'''削除主義者'''としても有名であるが、自身の利用者ページで削除主義者を自称していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Mzm5zbC3|Mzm5zbC3]] ===&lt;br /&gt;
共産主義、社会民主主義思想の青年。気に食わない記事は価値に関係なく徹底的に修正する'''排他主義者'''の急先鋒的存在。2ちゃんねらーでもあるらしく、利用者名は自身のトリップに因むと思われる。彼に限らず、極左系列のWP関係者は多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Ihsanan|Ihsanan]] ===&lt;br /&gt;
Yourpediaにとって、中傷・批判的な文言を記述したネットストーカーのことである。特にウィキペディアをYourpediaに対する中傷場所にしており、2ちゃんねると[[百科事典]]の区別がついていないのも実情である。同じく、Yourpedia批判を行っている点ではIPユーザーの[[wiki:利用者:219.104.111.78|219.104.111.78]]と同一人物かも知れない。[[wiki:利用者:Akinoniji|Akinoniji]]とは同一人物らしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:端くれの錬金術師|端くれの錬金術師]] ===&lt;br /&gt;
'''トンチンカン'''な記事しか書けない若い男性。ノートページでの署名の際はhashikureと名乗っている。削除の方針に合致しないものまで、容赦なく削除依頼に出す'''削除主義者'''である。最も残忍なウィキペディアンでもある。mixiにも別名（cai）で潜伏。mixiで必死にWP管理者の擁護を行い、端くれなど知らぬ存ぜぬと言い張る[http://www.chaoticshore.org/]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:johncapistrano|johncapistrano]] ===&lt;br /&gt;
反社会ファシスト団体・部落解放同盟の構成員。解同に少しでも不利益な記述をすると編集者を共産党員呼ばわりする典型的な部落民。ウィキペディアが利権団体にのっとられている典型的な例。主なソクパペは[[wiki:利用者:Iosif|Iosif]]。[[wiki:利用者:Iosif|Iosif]]を活動停止に追い込んだユーザーを半年かけて追い詰めるなど解同クオリティ溢れる行動をとる。なお、[[wiki:利用者:いたる|いたる]]も同様である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:純血主義|純血主義]] ===&lt;br /&gt;
[[永井隆雄]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Emil Sinclair|Emil Sinclair]] ===&lt;br /&gt;
高校生を名乗っているが、実は40歳近い男性と目されていた。改名願いを出したり露骨に野田憲太郎を攻撃する投稿があるのに、高校生と名乗れる根性からして腐っている。改名願いを出す利用者は、WP日本語版の管理の犬であることがほぼ100%。有名な共有靴下アカウント。どうやら木津尚子の靴下だったようだ。こりないおばさん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:テンパわたる|テンパわたる]] ===&lt;br /&gt;
ほぼ、100%気違いのウィキペディアン。理由もなしに気に入らない記事を削除依頼に出すなど、その横暴さは計り知れない。また、乱暴に即時削除タグを貼り付けることも多い。ほとんど[[北朝鮮]]工作員と同等である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Morassim|Morassim]] ===&lt;br /&gt;
他掲示板では[[モラシム]]を名乗っている。重度の[[ガンダム]][[オタク]]。[[議論]]と称して一方的な長文を書き殴るといった悪質行為を行う。代表的なキモおたくでありガンダム関連ページを他人に編集されるのを酷く嫌いそれが事実でも削除を繰り返す自己中心的気違いキモおたくである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:目蒲東急之介|目蒲東急之介]] ===&lt;br /&gt;
[[大阪府]][[枚方市]]出身のウィキペディアン。主に鉄道関連の項目において、執拗にrvすることで有名な'''排他主義者'''でもある。極度の鉄道・アイドルオタクで、日本橋の常連である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Hammerfest|Hammerfest]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
学校関連の項目を支配しようとする自警団の筆頭格。自分が知りもしない項目について、執拗にrvを繰り返す。己が低能ぶりを棚に上げ、相手を見下したような発言が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毎日wikipediaに張り付いている病人である。こいつはもう治し様も無い気違いと言う病気である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:K・リュウ|K・リュウ]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者の1人である。ja:wikiの[[ポケットモンスター ルビー・サファイア|ポケットモンスター エメラルド]]専門ユーザーである反面一部のポケモン嫌いの管理者と仲が悪く、vandaluser扱いを受ける。KMTを強く恨んでいることから、KMTに対する個人攻撃を続けていることでも有名。ちなみに、靴下数はNetanotaneには遠く及ばない。また彼は定期的に現れては去っていく傾向が強いため、WP工作員の疑いもある。利用者名はポケモンの[[カイリュー]]に由来しているものと思われる。しかしそれだと厳密には中点はいらない筈でありポケモンおたくのくせにカイ・リューと表記を間違えている馬鹿でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:KP.NN|KP.NN]] ===&lt;br /&gt;
'''トンチンカン'''な記事しか書けず、ボキャブラリーも非常に低い。にも関わらず、ウィキペディアの主旨に反した記事に対しては徹底的に修正する'''排他主義者'''である。また彼は2ちゃんねらーでもあるらしく、利用者名は自身のトリップに因むと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:jump|jump]] ===&lt;br /&gt;
前述のKP.NN同様意味不明な記事しか書けず、ボキャブラリーも低い。雑草取り程度しか貢献できないウィキペディアンである。また、彼も2ちゃんねらーであるらしい。名前の通り、週刊少年ジャンプの愛読者でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Peace|Peace]] ===&lt;br /&gt;
Wikipeidaを代表する良識派利用者。詳しくは[[Peace]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:木村成祟|木村成祟]] ===&lt;br /&gt;
前述のPeaceと同じく、wikipediaを代表する良識派利用者。ja:wikiの[[エッセイスト]]の急先鋒である。しかしそれゆえに一部の検証可能性を重視する管理者と折り合いが悪く、vandaluser呼ばわりをされる。Wikiきってのエッセイスト、[[SF]]作家である通り[[鉄道]]関連の記事に事実無根の記述、または[[小説]]的な記述を追加している。そのため「'''鉄道趣味の鉄人'''」の異名を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、後述のYukarin等の女性と判断したログインユーザー（但しYukarinは男性である…Yukarinの本名は[[荘田悦宏]]）の会話ページに愉快犯的[[ナンパ]]行為の書き込みを行っている（例：「おねぇちゃん!!」、「すっごく彼女が欲しいです」）ことでも有名である。こちらも今泉誠などの管理者と比較にならないイケメン利用者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウント名はWP管理者班からは2ちゃんねらーの[[粘着 (ネット用語)|粘着]]（ネットストーカー）に由来するのではないかと思われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yukarin|Yukarin]] ===&lt;br /&gt;
[[荘田悦宏]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Gordon_S|Gordon_S]] ===&lt;br /&gt;
千葉県在住。プロバイダは朝日ネット。血液型はB型。身長：178cm 体重：76Kg 視力：右目 1.2 左目 1.2。自称・インディーズミュージシャン。[[岡田有希子]]ファン。[[Peace]]系の取締の自警をやっているキチガイ。最近は増長して[[ウィキペディア自警団]]になり、有害な自警活動を繰り返したところ[[wiki:利用者:海獺|海獺]]に無期限ブロックされる。その腹いせに大嫌いな[[2ちゃんねる]]で[[wiki:利用者:海獺|海獺]]を誹謗する連続投稿をし、「土嚢」と呼ばれる荒らしに成り下がる。主なソクパペは[[wiki:利用者:Boomy|Boomy]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:音声おじさん|音声おじさん]] ===&lt;br /&gt;
前述のPeace同様、Wikipediaを代表する良識派利用者の重鎮。「○○氏[[万歳|マンセ]]!」の台詞や[[ウィキペディア川柳]]でおなじみである。ja:wikiの[[音楽]]専門ユーザーである反面、一部の音楽嫌いな管理者と折り合いが悪く、vandaluser扱いを受ける。個性的な[[画像]]をアップロードし、貼り付ける頼もしいユーザーでもある。ちなみに、靴下数はPeaceやNetanotaneに及ばない。本業は30歳くらいの[[サラリーマン]]であり、今泉誠などとは比較にならないイケメン利用者でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:もりかわしみ|もりかわしみ]] ===&lt;br /&gt;
前述のPeace同様、Wikipediaを代表する良識派利用者の重鎮である。ja:wikiの皇族専門ユーザーである反面、一部の天皇制に反対している管理者と折り合いが悪く、vandaluser呼ばわりされる。オナラやデブといったジョークを加筆していることでも有名。ちなみに、靴下数はPeaceやNetanotaneに及ばない。定期的に現れては去っていくので、WP工作員の可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:毛が生えた程度|毛が生えた程度]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaを代表する良識派利用者の重鎮。通称「毛生え」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「jawpは&amp;quot;日本語版&amp;quot;であって&amp;quot;日本版&amp;quot;ではない」をスローガンに多数のアカウントを状況に応じて使い分け、分割・移動など様々な手法でjawpの記事を整理していく掃除屋である。しかし、分割や移動についてうるさい一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。また後述の向日葵三十郎およびかなべえコバトンとは[[ライバル]]関係にあり、こちらでもやはり分割や移動などを行う際には毎度のごとく口論になる。「喧嘩するほど仲がいい」とでも言ったところか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、Wikipedia以外では「ボンバー佐藤」の名で活躍している。工作員疑惑浮上。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:向日葵三十郎|向日葵三十郎]] ===&lt;br /&gt;
Wikipedia利用者の1人であり、[[wiki:利用者:毛が生えた程度|毛が生えた程度]]や[[wiki:利用者:OzuYasu３rou|OzuYasu３rou]]に対し異常なまでに粘着する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛生えの編集方法を「急進的」とみなし編集内容に関わらず闇雲に差し戻しまくる。OzuYasu３rouの編集も「左翼的」とみなして闇雲に差し戻しまくるが、[[wiki:利用者:Peace|Peace]]などのように「右翼的」な編集をしている者に対しては事実上の黙認を決め込む。それもそのはず、本来なら百科事典的でないとして削除されるはずだった「[[wiki:韓民族優越主義|韓民族優越主義]]」の記事が削除されぬよう必死に策動し現在も放送されているはずの韓流ドラマの記述を「放送されている」から「放送されていた」に改竄し、それらの行動について注意・質問を受けても無視するなどこいつは典型的な悪質嫌韓厨だからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普段は[[極東アジア]]関連や[[スポーツ]]関連の記事にて遠まわしに韓国の有名人の悪口を書くような編集をしている。こういうことしか頭にないのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:TT|TT]] ===&lt;br /&gt;
ネット右翼。各所で偏った編集を行っている。中国や韓国などが起こした不祥事が報道されるとすぐに速報してまわる（ウィキペディアでは「ニュース速報はウィキニュースでやれ」ということになっている）。こういうことしか頭にないのだろうか。常に湿っぽい雰囲気を撒き散らす点も特筆に値する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自身の信条に基づく内容を加筆する際、「日本人は～」「日本人の～」といったようにまるで日本人全員がネット右翼であるかのような書き方をすることも多く、ネット右翼でない者から見れば迷惑である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみになぜかエロゲー関連の記事などを編集することもある（[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%93NG%E3%81%AA%E6%81%8B&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=16337784], [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%B0%91%E5%A5%B3&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=16469031]など）ためエロゲヲタでもあると思われる。普段の根暗な雰囲気といい隠れエロゲヲタであることといい、こいつは恐らく「ニート右翼」なのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yatobi|Yatobi]] ===&lt;br /&gt;
Wikipedia利用者の1人であり、SpinNet（旧：AT&amp;amp;T WorldNet Service）から存在している電波。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通称「夜飛」で本名は城間康博で自分のホームページで本名やPHSの番号を公開していた変態。無職だったので親に強引に実家の静岡に呼び戻され、今はニート。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:FOZ|FOZ]] ===&lt;br /&gt;
[[岐阜県]]出身のウィキペディアン。'''主に岐阜県・[[香川県]]関連の記事において身勝手極まりない編集を継続して行っている。ただ、未だに長期ブロック依頼が提出されない不思議なユーザーである。'''年齢は40歳近いオヤジである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:かなべえコバトン|かなべえコバトン]] ===&lt;br /&gt;
Wikipedia利用者の1人であり、前述の毛が生えた程度のライバルの1人でもある。「かなべえコバトン」、「亀」、「Kam47625」、「ハエ叩き」、「ハエたたき」、「Ywmpq205」、「野島」という7つのアカウントを状況に応じて使い分ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ハエ叩き」と「ハエたたき」を使い、向日葵三十郎と共に毛生えによる記事の分割や移動を「急進的」とみなして阻止していたが、jawpでも屈指の[[ファシスト]]として知られるFasoによってある日突然不当な無期限ブロックを受けてしまい、現在は消息不明。ただし風俗王系荒らしがソックパペットである可能性はある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、いろいろあってK・リュウやIP125.2.191.211からは恨まれている。またPeaceや荘田悦宏とは思想的には正反対であるため仲が悪いがWikipedia管理者という共通の敵を持つため、あるいは共闘できるのかもしれない。逆に無能管理者の小西規勝とは思想が一致することもあっては、小西はサブページを削除しようとしたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:東日本国際|東日本国際]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者の1人。当初は[[朝鮮総連]]の工作員と思われていたがどうやら違うようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Peaceが[[左翼|左]]に偏りすぎた記事を修正してまわっているのに対し、東日本国際は[[右翼|右]]に偏りすぎた記事を修正してまわっている。これにより、Wikipediaの政治分野の記事は絶妙な[[中立的観点]]を保っていると言っても過言ではない・・・と思う。しかし、ファシズムを支持する一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。工作員疑惑も浮上している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Peaceや荘田悦宏とは思想的には正反対であるため仲が悪いがWikipedia管理者という共通の敵を持つため、あるいは共闘できるのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Netanotane|Netanotane]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者の1人。当初は[[男女共同参画局]]の工作員と思われていたがどうやら違うようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
凄まじい数のアカウントを所持しておりその数は1100に及ぶ。これはwikipedia日本語版の中で堂々の第1位である（英語版ではこのくらいの数のアカウントで工作する輩はいる）。これらのアカウントを使い分けて[[ジェンダー]]関連の編集を行う。[[フェミニスト]]のスタンスに属するため[[保守派]]や[[マスキュリスト]]との口論が後を絶えないものの、ジェンダー関連の記事に大きな功績を残したのもまた事実である。しかし、女嫌いな一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。結局、Netanotaneの行為として処理されるブロック依頼が増え、日本語版WP管理班の工作アカウントと化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:超高速即時削除マシーン|超高速即時削除マシーン]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者の1人であり、jawp内にちらかっている「クソ記事」に[[Template:deletebecause|dbテンプレート]]を素早く貼り付けてまわる「超高速即時削除主義者」である。音声おじさんやもりかわしみや木村成祟らと並ぶ、jawp屈指の[[ユーモア]]センスの持ち主でもあり、Wikipediaに現れるたびに[[笑い]]の嵐が巻き起こる。しかし、削除作業をめんどくさがる一部のなまけもの管理者やユーモアを理解できない一部の頑固な管理者によってvandaluser扱いされる。そのためこれらの悪質な管理者たちを「クソウジ自称管理者」と呼んで勇敢に批判している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Peaceと同一人物ではと指摘されているが文体や編集分野が違う上にISPや物理的な位置も違うので、別人である可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:MINIKETSU|MINIKETSU]] ===&lt;br /&gt;
[[長野県]][[松本市]]在住の良識派利用者。漢字表記は「美新月」。長野県内の交通・地理・施設を始め国家・国際関連・週刊少年ジャンプ関連で貢献する。しかし、田舎を嫌う都会派管理者によって無期限ブロックを受けvandaluser扱いとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、何で対話拒否をしてはイケナイのでしょう?木津尚子や宮川由美子はすすんで「メール着信拒否」をしているのに。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:IP125.2.191.211|IP125.2.191.211]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者の1人で、jawpきっての[[ギャンブラー]]。通称「IP125」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[パチスロ]]をこよなく愛しウィキペディアにおいては乱暴な言動も目立つが、基本的には義理人情に厚い熱血漢でありウィキペディアの秩序を乱す者には容赦なく制裁を加える。しかし、パチスロを「[[朝鮮ルーレット]]」（[[パチンコ]]の場合は「[[朝鮮玉いれ]]」）などと誹謗中傷する一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その振る舞いから本業は[[ヤクザ]]ではないかと疑われることも少なくないが、本人によると本業は[[愛媛県]]内の[[サラリーマン]]とのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Mikihisa|Mikihisa]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者の1人で、jawpきっての'''雑草取り'''。通称「Miki」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアきっての'''雑草取り'''でありウィキペディアにおいては乱暴な言動も目立つが、基本的には義理人情に厚い男性でありウィキペディアの秩序を乱す記事に対しては容赦ない'''削除依頼'''または'''コメントアウト'''を加える。しかし、これらの言動を「'''恣意的な言動'''」などと判断する一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Mishikaと混同しないこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:影武者|影武者]] ===&lt;br /&gt;
[[中国語版ウィキペディア]]から来た、Wikipediaの良識派利用者の重鎮。[[台湾]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コンピュータゲーム]]関連の分野で活躍しているが、コンピュータゲームを「心身の健康を害するもの」とみなしている日中両方の一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。しかしそれでも影武者は諦めることなく日本語版や中国語版以外のウィキペディアでも活動するが、やはり他言語版の管理者も日中の管理者が言うことを真に受けて影武者をvandaluser扱いしてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、以前はいわゆる「[[できちゃった結婚]]」をした芸能人を糾弾する投稿も行っていたが一部の管理者によって「中出系移動荒らし」などと中傷されてしまったため、現在はこの活動を行っていない。通院歴もあるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Willy on Wheels|Willy on Wheels]] ===&lt;br /&gt;
[[英語版ウィキペディア]]から来た、Wikipediaの良識派利用者の重鎮。[[イギリス]]出身。通称「WoW」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不適切な名前の記事を適切な名前に移動する作業が得意だが、英語版ウィキペディアの管理者がそれを根拠なく移動荒らしとみなしたことによって全世界のWikipedia管理者からvandaluserとして扱われるようになってしまった。しかしそれでもWoWは諦めることなく様々なウィキプロジェクトで活躍しており、ウィキペディア日本語版にもメンテナンスのために現れることがある。とは言えウィキペディア日本語版の管理者も例外なくWoWをvandaluserとみなしているため、いちいち妨害されてしまうのが実情である。そのためか、日本語版では最近WoWを見かけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:タノ|タノ]] ===&lt;br /&gt;
「タノQ」と名乗っている。日本語がかなり不自由な参加者であり、暴言ユーザーの1人として知られている。標準語は書けず、高卒レベルの頭脳すら無い。ただ反日左翼思想の持ち主であるためになぜか管理者のmiyaや周囲の左翼に手厚く保護されており、いくら暴言をこいてもブロックされることはない。保守思想・右翼思想・左翼の反論者を排撃するための「かませ犬」として利用されている節がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
口調が小学生～中学生を思わせるが、実は40過ぎの中年男性である。また、性同一性障害のオカマさんかと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:経済準学士|経済準学士]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアで著名な迷惑ユーザー。[[経済準学士]]および[[経済準学士の素行]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Matunami|Matunami]] ===&lt;br /&gt;
「ゆう」と名乗っている。Peace系取締りに熱を上げるユーザーであり、典型的なネットサヨクである。その取締りに歯が立たない相手や記事に関してはこっそりと無名で参加して煽ることもしている。日本人ではないと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:user:ish-ka|ish-ka]]/[[wiki:利用者:Hi-ask|Hi-ask]] ===&lt;br /&gt;
河下反対派総長。大のラブコメ嫌いで、[http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Hi-ask Chakuwikiの利用者ページ]でもこの事を公言している。又、同項を始め編集合戦を乱発しており、巻き添えとなったユーザーも少なくない。ちなみにこれまでは自分の正体を隠していたが、最近仮面を矧いだようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
余談だが、hi-askの利用者ページに「'''ChakuWikiの同名の利用者は、この利用者ではありません'''」と書いてあるが真っ赤な嘘である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:彩華1226|彩華1226]] ===&lt;br /&gt;
[[愛媛県]]出身の[[アニメオタク]]、[[アイドルオタク]]、[[ロリコン]]、[[2ちゃんねらー]]、[[部落民]]、[[田舎者]]。[[反社会団体、[[部落解放同盟]]の構成員。年齢非公開だがガキであることは確か。編集合戦大好きの荒らしであるが、社会的問題にも興味がある様子。しかし実際に海外に赴いたことは無いらしく、情報源は2ちゃんねるのみ。小難しい項目の、自分の分からない事項は全て削除。しかし[[アニメ]]が大好きで、自分のお気に入りアニメ（これがまた豊富）にその商品が出てきたとかいうだけで関連項目にそのアニメを追加したり「エピソード」なんて項を作って誰も知りたくない「○○というアニメに登場した。このアニメの中で主人公の××は～」とかいう情報を記述する。しかしこれらの特徴はほとんどの[[ウィキペディアン]]に共通することであり、彼（彼女だったら正直引く）はウィキペディアの劣化の象徴的存在なのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Dr jimmy|Dr jimmy]] ===&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:Lonicera|Lonicera]]の犬。Lonicera同様音楽関連、特にバンド関連に異常なまでの執着心を持っており、音楽関連の編集に関しても無知を晒しているので文章が支離滅裂になっていることが多く、自分の知らない内容には全て過剰と執れる『{{要出典}}』を貼りまくるのが彼のストレス解消方のようである。こいつのせいで[[ヘヴィメタル]]、[[ヴィジュアル系]]関連の項目は絶滅に等しい内容となって行った為、彼のアンチは多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:人造人間だみゃ～ん|人造人間だみゃ～ん]] ===&lt;br /&gt;
WPに突如として現れた変態。WPよりも2ちゃんねるのエロパロ板を活動の主軸にしており、その変態行為はもはや伝説となっている。しかもWPでの数少ない投稿の中で既に1回ブロックを受けており、今後の活躍が期待できるユーザー。また、自身の利用者ページで百科事典を作りますと言いながらブロック依頼などにも積極的に参加する自警団候補生の困ったちゃん。投稿ブロック依頼などでは自分の投稿の直前までの他の利用者の意見を見て大勢の方の意見に同調するという、極端な日和見主義者である。もちろん、この利用者の意見が審議の行方を左右することはない。自他共に認めるアホである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
座右の銘は「'''この世はすべて、ネタでできている'''」。ウェブ上の百科事典という崇高な目的を持つウィキペディアでさえも、この利用者にとっては単なるネタ帳でしかない。そこで仕入れたネタを元に、エロパロ板で活動するのである。その内容はまさしく、「'''アホの中のアホ'''」と言える。本人曰く「''私は面白いことを書いているのではない。アホな事を書いているのだ''」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人造人間と名乗ってはいるが実際は陰茎の先端の包皮の改造手術を受けただけであり、限りなく生身に近い。現在、糖尿病と白癬を患っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
性器画像が大好きであるが、おっぱいにはこだわりはない模様。口癖は「おっぱいなんて飾りです。エロい人には（ry&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヘビ関連をおもに執筆しているが、体型はヘビーである。ちなみにチンコはベビーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
相手が誰であっても、女でさえあれば見境なくチンコを立てる事ができる。Aphaiaの顔写真をズリネタにしたことすらあり性欲が暴走しまくっている、いろいろな意味で危険なユーザー。くれぐれも三面記事には載らないように。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家族構成を聞かれるとかつては「妹十二人」と答えていたが、最近では「19人姉妹」と答えている。現実と妄想の区別がつかない真性のキモヲタ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:DEN助|DEN助]] ===&lt;br /&gt;
勤務先よりwikipediaのアニメ・声優関連への荒らしを行なった。なおIPを抜かれて、交通新聞社を解雇された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kemonomichi|Kemonomichi]] ===&lt;br /&gt;
自分自身がhatukanezumiの靴下であるにもかかわらず、誰彼構わず靴下呼ばわりをする迷惑ユーザー。最近ではNekosuki600、パンチョ後藤、Maris Stella、Lonicera、Yassie、人造人間だみゃ～ん、はるひ、Bell cricket、ちゃたま、キハが好き♪、たま998の各利用者氏が同一人物であるという、怪盗とんちんかんも真っ青の頓珍漢な主張を垂れている。本名は間抜作。宇宙の創始者である。常識がまったく通じない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、近々強制ウィキブレイクの予定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Harpoon|Harpoon]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaにおいてタブーとされる（陰茎）性器露出画像の是非に触れたことから性器露出愛好家の怒りを買い、多数決でWikipediaを追放されてしまった。職業：IT技術者。wikipediaの管理者を敵対視しているがCalveroとちゃたまには友好的らしい。口癖は「悪人死スベシ」。おっぱい星人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は2ちゃんねるの本スレに待機しており、ブロック権限を乱用する管理者を発見すると荒らしに出撃するという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお性器画像愛好家で、反おっぱい星人の人造人間だみゃ～んとはまったく性格が合わない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:東日本侍|東日本侍]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
自称受験生。主に鉄道、週刊少年ジャンプを主体とするサブカルチャー関連の記事で荒らしている。そのくせ、他の健全なユーザーを荒らし扱いしているとんでもないクソガキである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、最近[[w:fr:user:東日本侍|フランス語版]]でのアカウント取得が確認されており、利用者ページにかかれている通りあっちでも暴れる気満々である（フランス語から翻訳したのではなく、そのまま日本語で記述されている）。そしてとうとうフランス語版では1日ブロックを受け、[http://fr.wikipedia.org/w/index.php?title=Special%3ALog&amp;amp;type=block&amp;amp;user=&amp;amp;page=Utilisateur%3A%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BE%8D&amp;amp;uselang=ja 最終的には無期限ブロックを受けてしまいましたとさｗｗｱｰｱww]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに日本語版の利用者ページにも「フランス語版の同名の利用者は関係ありません」とかいう嘘までついちゃってｗｗish-kaの真似なんかしてたらバカが余計にバカになるよｗｗ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Knua|Knua]] ===&lt;br /&gt;
[[岐阜県]]在住（本当は別との説もあるが）のユーザーであるが、学校とかにおけるいじめなどの問題を取り上げた記事においてまるで加害者を簡単に許すかのように加害者が反省の色を見せないだの学校側が隠蔽体質だのといった書き込みを'''出典の有無問わず主観だと切り捨てて'''削除するといういじめなどの諸問題を真剣に考えるという感覚が途轍もなく貧弱でお人よしな利用者。この傾向は自分の地元である岐阜県の学校関係の記事とかで特に顕著に現れる。自分の地元で起こったいじめ事件ならなお重大に考えなければならないにも関わらずである。指摘するととぼけるわ、開き直るわ、言い訳ばかり並べるわでなおタチが悪い。こいつに言わせたらこういったいじめ事件などで上記のように加害者が平然としていただの学校側が隠蔽体質などといった報道は片っ端からデタラメらしい。加害者の人間性や被害者の被害感情をここまで甘い目で見てるようではそのうち自分で自分の首を絞める事になるであろう。'''あ、もう既に絞めまくってるか、ギャハハハハハ…。'''もしこいつ自身が教育関係者になって学校内での生徒間でのいじめやリンチがあった場合、'''絶対ひたすら隠蔽すんぞ、そして岐阜をいじめ推進県にしてしまうぞこのボケナスアホンダラは!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''いっぺん[[葵龍雄|某ホームページ運営者]]にこてんぱんになじられて来い。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;地下鉄サリン事件やJR福知山線脱線事故、土浦やそしてあの秋葉原での通り魔事件さえも現実じゃなくて片っ端からフィクションの作り話だと思っている救いようの無い平和ボケの大馬鹿野郎である。&amp;lt;/span&amp;gt;'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:吹石|吹石]] ===&lt;br /&gt;
蛆虫野郎。詳細は[[吹石]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Umagurui|Umagurui]] ===&lt;br /&gt;
悪質[[VIPPER]]であり、[[七星]]同様、皆からの顰蹙を買っているのが実情。基地外利用者の代名詞でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:提督|提督]] ===&lt;br /&gt;
「ネットウヨク」の項目でサヨク独特の偏向っぷりを大量に披露。ネットウヨクは「その反面、日本の近現代史や、戦史・戦略などの軍事知識などにおいて一般人より劣る部分がある」などの妄想を垂れ流しそのたびにノートで論破されるも「“ネット右翼現象”の説明は進行中の事例の「観察」結果であり、必ずしも明確な出典がある訳ではない」や｛「検証可能性」の誤解（あるいは拡大解釈）について｝などと妄想を押し付けるための妄想を披露し、ネットウヨク以外のユーザーにも叩かれまくる。また、死刑存廃問題の項目では死刑廃止論を押し付ける偏向記事に協力し、複数回にわたり「記事分割の実施要項案」を出すもこれも独りよがりで廃案となる。国際人権派団体と呼ばれながら北朝鮮による拉致には一切抗議しない偏向サヨク団体「アムネスティ・インターナショナル‎」や「私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ」という暴言で知られる死刑廃止論者という名のサヨクの変種「菊田幸一」の項目に多く参加している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:MT.Stone|MT.Stone]] ===&lt;br /&gt;
2004年[[1月26日]]から参加しているベテランユーザー。自身のページに&amp;lt;i&amp;gt;編集方針等を読まない、独自の理論を振り回すなど言ってもわからない人物と判断したときは指摘した後に放置する&amp;lt;/i&amp;gt;と基本方針なるものを掲げる。戸田恵梨香の項目のとある記述を載せるか否かという議論があり、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%90%88%E6%84%8F%E5%BD%A2%E6%88%90 Wikipedia:合意形成]にある期間が過ぎ合意形成ができた後に合意形成済みの議論に意見するも議論終了につきから回り、独りよがり。&amp;lt;i&amp;gt;合意形成のプロセスは無視しませんよ（確認）。&amp;lt;/i&amp;gt;と合意形成を認めるも、あるユーザーが根拠なしに議論のあった記述に反対すると突然&amp;lt;i&amp;gt;番組中の発言について（再検討）&amp;lt;/i&amp;gt;と合意形成を無視し、記述に反対し始める。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;i&amp;gt;ノート:戸田恵梨香 - テレビ番組内での失言について、強引な議論により結論が放置されているので再度の議論をお願いしたい。--2008年2月7日 (木) 00:33 (UTC) &amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
というコメント依頼も出す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
合意形成という編集方針等を読まない、検証可能性どうこう、中立性どうこうなどと独自の理論を振り回す言ってもわからない人物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:Wikipedia:削除依頼/福島瑞穂|Wikipedia:削除依頼/福島瑞穂]]においては、政治家の発言を捏造した。つまり証拠を捏造した。その後発言していない、捏造であると批判されるもまともに謝罪せずに、削除依頼の議論に参加し続けるありさまである。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;i&amp;gt;**（コメント）[http://kokkai.ndl.go.jp/ 国会議事録検索]で調べたところ、平野議員は「問題にしていない」と言明していますね。上記の「問題にしている」と真っ向から違います。また証拠の一部はコピーであって自分は確認していないとも言っていますね。中核派は集会の出席者の一部であり、善良な市民がいたであろうとも述べています。機関誌の記載は事実でしょうが、あくまでも福島の信念を講演したものであり、内容に問題はないように思います。上の方で「記載したいイデオロギーがある」という指摘がありましたが、それを裏付けるコメントのようにお見受けいたします。--[[利用者:MT.Stone|Mt.Stone]] 2008年1月6日 (日) 02:38 (UTC)&amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
これに対し、あるユーザーに批判される。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;i&amp;gt;**（コメント）ちょっと待ってください。平野議員が'''「問題にしていない」'''と言明していたというのは何月何日のどの会議での話でしょうか。「開会日付：平成11年6月8日 ～ 平成11年6月8日」「院名：すべて」「発言者名：平野貞夫」「検索語(&amp;amp;)：問題にしていない」で検索しましたが検索件数は0件でした。自ら「言ってもないことを言ったと言い出すのは末期的ですね」（[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Mightupon&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=17187105]）と発言している[[利用者:MT.Stone|Mt.Stone]]さんが平野議員の発言を勝手に捏造しているなら由々しき問題ですよ。&amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Misum|Misum]] ===&lt;br /&gt;
神戸の某私立高校の記事に於いてこの高校で発生したいじめ事件の記事の部分を実際に学校と関係があり、ノートでも削除に反対の声があったにもかかわらずそれを完全無視して理由も言わず当事件の記事をごっそり削除した自分勝手ユーザー。'''こいつもいじめ隠蔽主義者か!!'''まぁ、どうせ関係者なんだろうな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''いっぺん某ホームページ運営者にこてんぱんになじられて来い'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:長野のそうじろう|長野のそうじろう]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
基地外ユーザー。ウィキペディアの方針文章無理解で5年のブロック。さらに姉妹プロジェクトなどでパスワードを公開して無期限ブロック移行となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつは'''&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:2cm&amp;quot;&amp;gt;荒らしが趣味の基地外&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kiku-zou|Kiku-zou]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Kiku-zou}}&lt;br /&gt;
関東地方（[[茨城県]]の土浦周辺?）在住で排他主義者・削除主義者・自治厨のウィキペディアン。検証可能性にこだわるあまり、乗り物（特に鉄道）関連の検証可能性を満たさぬ記事に対して杓子定規に「荒らし」と決めてかかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Abcde|Abcde]] ===&lt;br /&gt;
[[バーニングプロダクション]]の工作員で、同じく[[バーニンググループ]]に有利な編集をしている[[wiki:利用者:Tanto|Tanto]]も同一人物。詳しくは[[Abcde]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Onyx|Onyx]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアの[[色]]や[[顔料]]、[[絵具]]に関する項目で独自研究を加筆しているウィキペディアンで、同じく色・顔料関連の項目を荒らしているIPユーザーの[[wiki:利用者:202.244.240.2|202.244.240.2]]も同一人物。詳しくは[[Onyx]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Ziel|Ziel]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアが誇るブロックキング。半年間で5回のブロックを受ける別名ミスター・ダブルスタンダード。M属性のため対話拒否・改竄・削除をわざと行いブロックされることにエクスタシーを感じている。またソックパペットを使い、場を荒らした後水戸黄門のごとく登場することで人望を得ようとしているがうまくいっていないらしい。最近おいたがすぎるので[[wiki:利用者:Nekosuki600|親分]]に怒られている。本人は1番弟子の気分だが、親分から'''Zeal'''と名前を間違われるくらいの存在でしかない事に気づいていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:HOPE|HOPE]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
[[ホッカイドウ競馬]]の項目は自分のものだと思っている大馬鹿者。特に「歴代優勝馬」の表については並々ならぬこだわりを持っており、表の規格を統一しようという気は毛頭ない頭の堅いバカである。こういう者は早くウィキペディアから去ってほしいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Goki|Goki]] ===&lt;br /&gt;
愛称は「'''ゴキブリ'''」。競馬関連の項目で結構大きい顔をしている野郎。最初は口調は丁寧だったのに最近は慣れてきたのか雑になってきた。「利用者ページ」ではわがまま言い放題で2ちゃんねらーである。こういう者は早くウィキペディアから去ってほしいものだ。ここまでクソ野郎とは・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Shota|Shota]] ===&lt;br /&gt;
愛称は「'''ショタ'''」。人の編集に対して悪態を垂れ流すのが趣味である。自身の会話ページにおいて、都合の悪い書き込みを「終了分」などと称して過去ログ化すらせずに除去するのもこいつの悪い癖である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ネッツ|ネッツ]] === &lt;br /&gt;
本名：[[藤森京介]]。[[長野県]][[飯田市]]出身。[[荒らし大王の一覧|ユアペディアの荒らし王]]であるくせにウィキペディアではまじめなユーザーになっている。最近はアンサイクロペディアを含め、永遠のウィキブレイクをしたものの、Yourpediaではブレイクせず今も荒らし行為を続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:project|project]] ===&lt;br /&gt;
*北海道在中、28歳無職のテレビ・ラジオ・アナウンサーオタク。鉄道・学校・芸能・スポーツ関連の記事も大量執筆。連続投稿やスタブ未満記事作成の常習犯で他人が注意しても身勝手な発言を繰り返し、逆に個人攻撃や脅迫も辞さない。当然のことながら[[2004年]]12月に無期限ブロックとなるが、膨大な数のアカウントとIPで現在も精力的に活躍中。自らのWikipediaに対する貢献度を露ほども疑っていないらしく、その点で荘田悦宏のような確信犯荒らしよりも始末が悪い。2004年以降、ほぼ毎日8～18時間はwikipediaに貼り付いているため、現在までの編集回数ははかり知れない。精神年齢は3歳児以下。最低限の社会常識も持ち合わせていない。自らのPCを所有していないため、主に自遊空間などのネット喫茶、PCをただで利用できる公共施設・学校等で平日の昼間から執筆活動に勤しんでいる。&lt;br /&gt;
*その他の特技として他サイト・文献等からの文章・画像の無断転載、有用性の低いカテゴリの乱立作成などが挙げられる。また、斉藤舞子等のお気に入りのアナウンサーやテレビ・ラジオ番組、学校などの記事ではほぼ記事を私物化。来歴・エピソード欄ではテレビ・ラジオ・2ちゃんねる等がソースの瑣末な記述を無制限に追加し、他人が削除してもすぐ差し戻すばかりか多重アカウント・IPによる自作自演で相手の誹謗中傷も行う。情報収集のため2ちゃんねるにも頻繁に出没し当該事物に関する質問を行うが、レスがあっても礼の一言も言わず次々と新手の質問を繰り返すため、住民の顰蹙を買っている。各分野における偏執的な関心の強さ・ノートページ等に見られる極端な対話性欠如の傾向から、アスペルガー症候群の可能性が高い。&lt;br /&gt;
*最近では[[wiki:利用者:Championship2006|Championship2006]]・[[wiki:利用者:BBG|BBG]]・[[wiki:利用者:松茸|松茸]]・[[wiki:利用者:アセルス|アセルス]]・[[wiki:利用者:Kyube|Kyube]]・[[wiki:利用者:Dream100|Dream100]]・[[wiki:利用者:Blazer|Blazer]]などのアカウントで、削除活動にも力を入れている。他人の書いた記事で他サイトの文章と少しでも内容が似ていれば著作権侵害、情報量が少ないとスタブ未満を強硬に主張し、即時削除するか削除依頼を提出。だが実はこれは自分が過去同じような違反を繰り返し、記事を次々と削除されたことへの腹いせに過ぎない。従って、例えスタブ未満でも将来充実した内容になる可能性のある記事（少なくとも自分自身が乱立したゴミ以下の記事群よりは）でもガイドラインを自分に都合よく解釈して削除を繰り返し、自分でその記事を充実されるか他人が充実させるのを待とうという気などは毛頭ない。ノートページで同様の批判をされてもガイドラインを楯に自己の行為を正当化し、終いには自作自演で自己讃美まで行っている。&lt;br /&gt;
*この人物が1人で項目を追加している[[wiki:Category:札幌市出身の人物|Category:札幌市出身の人物]]はほとんどが芸能人・アナウンサー・スポーツ選手等で占められており、自らの知能レベルの低さを露呈する結果となっている。&lt;br /&gt;
*主なソックパペットに[[wiki:利用者:ゞ(￣ー￣ )アロエ|(￣ー￣ )アロエ]]・[[wiki:利用者:BBG|BBG]]・[[wiki:利用者:竜造寺和英|竜造寺和英]]・[[wiki:利用者:Daytrader|Daytrader]]・[[wiki:利用者:橋本雅夫|橋本雅夫]]・[[wiki:利用者:天使の羽根|天使の羽根]]・[[wiki:利用者:Avanzare|Avanzare]]・[[wiki:利用者:Seibuabina|Seibuabina]]・[[wiki:利用者:COCKY|COCKY]]・[[wiki:利用者:東武経験者|東武経験者]]・[[wiki:利用者:HOPE|HOPE]]・ [[wiki:利用者:Sendaitompei|Sendaitompei]]・[[wiki:利用者:レジリデンス|レジリデンス]]・[[wiki:利用者:Moro99|Moro99]]・[[wiki:利用者:Baykin|Baykin]]・[[wiki:利用者:Championship2006|Championship2006]]・ [[wiki:利用者:フェロもん|フェロもん]]・[[wiki:利用者:Mee-san|Mee-san]]・ [[wiki:利用者:もんもん|もんもん]]・[[wiki:利用者:Tom-green|Tom-green]]・[[wiki:利用者:横浜大塚|横浜大塚]]・[[wiki:利用者:Goncyan|Goncyan]]・[[wiki:利用者:陽一|陽一]]・[[wiki:利用者:K. Takeda|K. Takeda]]・[[wiki:利用者:あおいつき|あおいつき]]・[[wiki:利用者:Hat2867|Hat2867]]・[[wiki:利用者:Kyube|Kyube]]・[[wiki:利用者:Dream100|Dream100]]・[[wiki:利用者:アセルス|アセルス]]・[[wiki:利用者:松茸|松茸]]・[[wiki:利用者:新谷仁美|新谷仁美]]・[[wiki:利用者:たかいし|たかいし]]・[[wiki:利用者:Hammerfest|Hammerfest]]・[[wiki:利用者:Kazuhiro Watanabe|Kazuhiro Watanabe]]・[[wiki:利用者:ホイップ|ホイップ]]・[[wiki:利用者:東日本侍|東日本侍]]（fr）・[[wiki:利用者:青山コロハ|青山コロハ]]・[[wiki:利用者:Richard Pman|Richard Pman]]・[[wiki:利用者:КОЛЯ|КОЛЯ]]・[[wiki:利用者:Soregashi|Soregashi]]・[[wiki:利用者:Cho-ji|Cho-ji]]・[[wiki:利用者:Ken-train19890106|Ken-train19890106]]・[[wiki:利用者:しいたけ|しいたけ]]・[[wiki:利用者:Blazer|Blazer]]・[[wiki:利用者:222.10.29.105|IP222.10.29.105]]・[[wiki:利用者:125.14.181.38|125.14.181.38]]・[[wiki:利用者:222.0.165.19|222.0.165.19]]・222.228-・61.198-・163.139-・210.191-・218.223-・218.230-・218.231-など（他アカウント・IPも以降追加予定）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ＮｉＫｅ|Ｎｉｋｅ]] ===&lt;br /&gt;
受信料を不正に使用しているNHK職員であり、管理者をクビになった。[[小西規勝]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Lonicera|&amp;lt;font color=&amp;quot;#009900&amp;quot;&amp;gt;Lonicera&amp;lt;/font&amp;gt;]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Lonicera (利用者)}}&lt;br /&gt;
WPきっての差別派管理者。'''別名ゴミセラ戦艦'''。[[1973年]][[1月4日]]生まれのニートで、パソコンに組み込まれたロボットである。子供に対しては情け容赦なく、ケツ毛どころか生えてきたばっかりの陰毛まで根こそぎ抜こうとする。若年者ユーザーとバンド項目に対して異常な嫌悪感を持つキチガイ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またありとあらゆる策略を駆使しまだ未熟な利用者を問題行動へと誘導し侮辱とも取れる発言を平気で書き恫喝行為を行うなど、最終的に投稿ブロックへと追いやるなどウィキを私物化しLoniceraしか編集出来ないWikipediaにして支配しようとしている。そしてその一切の妥協を許さない厳しい差別基準にBellcricketなどの管理者が反発しており、WPは風雲急を告げる展開になりそうである。やがて追放されること間違いなし。解任審議の提出もありこいつの時代は終わりになる筈だったが、「解任にしたら、俺様が無期限ブロックにしますよ。ケッケッケ…」と脅した事により馬鹿な奴らの援護によって留任（その実態は、解任してしまうとリアル社会で犯罪を行う危険があるから解任できないというのが真相のようである）。その後も改心しようとしない極悪非道のニート。最近では発売前の製品などの記事には嫉妬しながら問答無用で一律白紙保護をかけた挙げ句、ノートで立項者を晒し者にしている。[[wiki:Wikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用|このノート]]での発言には、低年齢層に対する彼の嫌悪感が良くあらわれている。読んでると気分が悪くなるので注意が必要。ちなみに[[しゃんばら]]にも訪れており、いじめを連発する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、裏でBellcricketと一緒に打倒[[Chakuwiki|基地外の巣窟]]を目指している過激派管理者。口癖は「広域ブロックは趣味です」「保護解除撲滅」「目指すは編集保護完全制覇」など。また、「俺様はWikipediaしか使わない。日本一のウィキホリックを目指してます」と公言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、やがて某ユーザーの冷静なコメント依頼によりこいつの正当な欠点が発表された。その後の解任投票（[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:管理者の解任/Lonicera_20080518 こちら]も参照）は難航したものの、解任賛成派がコメント依頼の支援によって脅しに怯えなかったお陰で僅差の賛成多数でついに解任となった。同時にやつの暴走的な動きも消え、同時に自分の権力を示していた利用者ページも消去され2007年4月の管理者就任以来、約1年ぶりにようやく元の平和なウィキペディアに戻ることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
但し[[アンサイクロペディア]]では他人のノートページを白紙化し、天皇からブロックされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア自警団]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディアの管理者が勝手に保護した記事]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
*[[モナペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの管理者]]&lt;br /&gt;
*[[著作権自警団]]&lt;br /&gt;
*[[自警]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ういきへていあにほんこはんのりようしや}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|りようしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<title>テンプレート:政治家</title>
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				<updated>2008-06-05T05:30:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
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|colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center; padding-top:0.7em&amp;quot;|{{#if:{{{国略称|}}}|{{{国略称}}}の政治家}}&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;big&amp;gt;'''{{{人名|{{PAGENAME}}}}}'''&amp;lt;/big&amp;gt;{{#if:{{{各国語表記}}}|&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;'''{{{各国語表記}}}'''&amp;lt;/small&amp;gt;}}&amp;lt;br&amp;gt;{{#if:{{{画像|}}}|[[画像:{{{画像}}}|{{#if:{{{画像サイズ|}}}|{{{画像サイズ}}}|200px}}|{{PAGENAME}}]]&amp;lt;br&amp;gt;{{#if:{{{画像説明|}}}|&amp;lt;small&amp;gt;{{{画像説明}}}&amp;lt;/small&amp;gt;}}}}&lt;br /&gt;
|-class=&amp;quot;hiddenStructure{{{生年月日|}}}&amp;quot;&lt;br /&gt;
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		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<title>古今和歌集</title>
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				<updated>2008-06-05T05:28:11Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: '{{文学}} 『'''古今和歌集'''』（こきんわかしゅう）とは醍醐天皇の勅命によって編まれた初めての勅撰和歌集である。平安時...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{文学}}&lt;br /&gt;
『'''古今和歌集'''』（こきんわかしゅう）とは[[醍醐天皇]]の勅命によって編まれた初めての[[勅撰和歌集]]である。平安時代の[[延喜]]5年（[[905年]]）に成立、同年[[4月18日 (旧暦)|4月18日]]（[[5月29日]]）に醍醐天皇に奏上した。『[[万葉集]]』殻撰者の時代までの140年間の名歌を集めている。略称「'''古今集'''」。真名序は[[紀淑望]]、仮名序は[[紀貫之]]が執筆した。[[和歌集]]としてだけでなく、[[古今和歌集仮名序]]は後世に大きな影響を与えた[[歌論]]として文学的に重要である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天皇が勅命を出し国家事業として和歌集を編むという伝統を確立した書でもあり、[[八代集]]・[[二十一代集]]の第一に数えられる。平安中期の[[国風文化]]確立にも大きく寄与し、『[[枕草子]]』では古今集を暗唱することが平安中期の貴族にとって教養とみなされたことが記されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 撰者 ==&lt;br /&gt;
* [[紀貫之]]&lt;br /&gt;
* [[紀友則]]（途中で死亡）&lt;br /&gt;
* [[壬生忠岑]]&lt;br /&gt;
* [[凡河内躬恒]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 構成 ==&lt;br /&gt;
20巻で構成され、歌数は総勢1111首。その中に[[長歌]]5首・[[旋頭歌]]4首を含む。残りはすべて[[短歌]]。仮名序と真名序の2つの序文を持つ。内容はほぼ同じである。仮名序は紀貫之の筆。20巻からなる本文は春（上下巻）・夏・秋（上下巻）・冬・賀・離別・羇旅・物名・恋（1～5巻）・哀傷・雑・雑体・大歌所御歌に分類されている。古今和歌集で確立されたこの分類は和歌の分類の規範となり、歌会、歌論などにおいて使われただけでなく後世の勅撰和歌集に形を変えながら継承され、また連歌におけるさらに細分化された句の分類の基礎ともなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作風 ==&lt;br /&gt;
繊細優美な作風でそこから『万葉集』の「ますらをぶり」と対比して「たをやめぶり」と呼ばれ、女性的とも言われる。艶かしい姿態美を持つ。また巧みな技巧が発達し、特に「[[掛詞]]（懸詞）」「[[縁語]]」が多用された。しかし、一般に思われているほど理解しにくい技巧が駆使されているわけではない。また、[[五七調]]から[[七五調]]への移り変わりがみられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 古今伝授 ==&lt;br /&gt;
『古今和歌集』の歌風は後に伝承化され古今伝授（こきんでんじゅ）と称されるようになり、宮廷を中心とする御所伝授や地下伝授・堺伝授などの系統が形成されていった。また[[細川幽斎|細川幽齋]]が[[三条西実枝]]から承継し、戦国の処世術としても用いた古今伝授は実際には「この歌に詠まれている木は、何処の木」といった由来に関する内容のものであったという（[[富士正晴]]の研究に依る）。[[本居宣長]]は『[[排蘆小船]]』で、これを後代の捏造であると痛烈に批判している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[日本の中古文学史]]&lt;br /&gt;
* [[和歌]] / [[和歌集]] / [[勅撰和歌集]] / [[古今和歌集仮名序]]&lt;br /&gt;
* [[国風文化]]&lt;br /&gt;
* [[新古今和歌集]]&lt;br /&gt;
* [[藤原時平]]&lt;br /&gt;
* [[延喜の治]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/index.html 京都大学附属図書館貴重資料画像]&lt;br /&gt;
** [http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/kokin/kwfrcont.htm 古今集注]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{勅撰集}}&lt;br /&gt;
{{Lit-stub}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こきんわかしゆう}}&lt;br /&gt;
[[Category:歌集]]&lt;br /&gt;
[[Category:平安時代の文化]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| cellspacing=&amp;quot;2&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;width:80%; border:solid #999 1px; background:#F8F8F8; margin:0.5em auto; clear:both&amp;quot;&lt;br /&gt;
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|colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;background:Thistle; text-align:center; font-weight:bold; font-size:small&amp;quot;|勅撰集（[[二十一代集]]）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:Thistle; text-align:center&amp;quot;|八代集&lt;br /&gt;
|[[古今和歌集|古今]] - [[後撰和歌集|後撰]] - [[拾遺和歌集|拾遺]] - [[後拾遺和歌集|後拾遺]] - [[金葉和歌集|金葉]] - [[詞花和歌集|詞花]] - [[千載和歌集|千載]] - [[新古今和歌集|新古今]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:Thistle; text-align:center&amp;quot;|十三代集&lt;br /&gt;
|[[新勅撰和歌集|新勅撰]] - [[続後撰和歌集|続後撰]] - [[続古今和歌集|続古今]] - [[続拾遺和歌集|続拾遺]] - [[新後撰和歌集|新後撰]] - [[玉葉和歌集|玉葉]] - [[続千載和歌集|続千載]] - [[続後拾遺和歌集|続後拾遺]] - [[風雅和歌集|風雅]] - [[新千載和歌集|新千載]] - [[新拾遺和歌集|新拾遺]] - [[新後拾遺和歌集|新後拾遺]] - [[新続古今和歌集|新続古今]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:Thistle; text-align:center&amp;quot;|（准勅撰）&lt;br /&gt;
|[[新葉和歌集|新葉]]&lt;br /&gt;
|}&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:文学のテンプレート|ちよくせんしゆう]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>テンプレート:日本の文化史区分</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| class=&amp;quot;toccolours&amp;quot; style=&amp;quot;clear:both; margin:0.7em auto; text-align:center&amp;quot;&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;text-align:center; background-color:#ccf&amp;quot;|[[日本の文化|日本の文化史区分]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;font-size:90%&amp;quot;|[[日本の旧石器時代|旧石器文化]] | [[縄文時代|縄文文化]] | [[弥生時代|弥生文化]] | [[古墳時代|古墳文化]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;font-size:90%&amp;quot;|[[飛鳥文化]] | [[白鳳文化]] | [[天平文化]] | [[弘仁・貞観文化]] | [[国風文化]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;font-size:90%&amp;quot;|[[鎌倉時代#鎌倉時代の文化|鎌倉文化]] | 室町文化（[[北山文化]]・[[東山文化]]） | [[安土桃山時代#桃山文化|桃山文化]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;font-size:90%&amp;quot;|[[元禄文化]] | [[化政文化]] &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;font-size:90%&amp;quot;|[[日本史時代区分表]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:歴史関連記事のテンプレート|にほんのふんかしくふん]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>国風文化</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: ''''国風文化'''（こくふうぶんか）とは日本の歴史的文化の一つである。10世紀の初め頃から11世紀の摂関政治期を中...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''国風文化'''（こくふうぶんか）とは[[日本]]の歴史的[[文化]]の一つである。[[10世紀]]の初め頃から[[11世紀]]の[[摂関政治]]期を中心とする文化である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 特色 ==&lt;br /&gt;
中国の影響が強かった奈良時代の文化（'''唐風'''）に対して、これを国風（和風・倭風）文化と呼んでいる。現在まで続く日本の文化の中にも、この流れを汲むものが多い&amp;lt;ref&amp;gt;後世から、「[[日本文化]]」の「[[有職故実]]」の「正統な源流」とされる。実際、[[古代]]の「[[聖徳太子]]」・「[[大化の改新]]」・「[[壬申の乱]]」を描いた[[絵巻物]]では、「太子」や「[[蘇我入鹿]]」らの装いは[[平安時代]]の[[正装]]である「[[衣冠束帯]]」であり、[[大鎧]]を着、[[太刀]]を揮って[[中世]]さながらの[[合戦]]をしている。[[古代]]の実像が明らかとなったのは、永く続いた[[中世]]（「乱世」）が落ち着いた[[近世]]・[[江戸時代]]の中期で[[古文辞学]]（[[古学]]）・[[歌学]]・[[国学]]・[[陵墓]]研究が盛んになった時代以降のことである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 遣唐使の停止 ===&lt;br /&gt;
以前は[[寛平]]6年（[[894年]]）の[[遣唐使]]停止により中国の直接的影響を抜け出し、日本独自の文化が発展したと一般的に解釈されてきた。しかし、遣唐使廃止後も対外交流は盛んで中国の文物は多く日本に流入していた。そのため、遣唐使停止を国風文化の画期とすることは誤りである。そもそも、唐風の文化を踏まえながらも日本の風土や生活感情である「'''国風（くにぶり）'''」を重視する傾向は[[奈良時代]]から進行していた。すなわち、遣唐使停止は日本文化の国風化を加速させる要因であったとみることが適当である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 浄土教の流行 ===&lt;br /&gt;
[[末法思想]]を背景に[[浄土教]]（浄土信仰）が流行した。[[9世紀]]前半に[[円仁]]が中国五台山の念仏三昧法を[[比叡山]]に伝えており、[[源信_(僧侶)|源信]]が『[[往生要集]]』を著して天台浄土教を大成した。また[[空也]]は庶民に対しても浄土教を広め、市の聖と呼ばれた。浄土信仰は京の貴族に深く浸透し、国風文化の仏教建築、仏像、絵画などにその影響を残した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女流文学の発達 ===&lt;br /&gt;
[[藤原氏]]（[[藤原北家]]）による[[摂関政治]]は、[[外戚]]政策（天皇家に子女を入内させ、その子を天皇として外祖父となり権力を握ること）に立脚するものだった。藤原氏は子女を入内させると天皇の歓心を得るために有能な女性を選抜し、[[女房]]として近侍させた。女房は[[受領]]階級などの中級貴族の子女が多く、中級貴族たちは藤原氏に取り入るべく子女の教育に努力を惜しまなかった。そのため、[[清少納言]]や[[紫式部]]など多くの女流作家が生まれることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== かな文字の使用 ===&lt;br /&gt;
奈良時代から日本語を表記するため漢字の音訓を借りた[[万葉仮名]]が使われていたが、この時代になって[[仮名 (文字)|仮名文字]]（ひらがな、カタカナ）が広く使われるようになった。[[カタカナ]]は漢字の一部に由来し（例：伊→イ）、漢文を訓読する際の補助文字として使われた。また、[[ひらがな]]は漢字の草書体を元にしたもので（安→あ）主に女性が用い始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[紀貫之]]が書いた『[[古今和歌集]]』の「[[古今和歌集仮名序|仮名序]]」は、漢文の用法を遺しながらも平仮名で書かれた和文として初期のものである。（[[ひらがな]]を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文学 ==&lt;br /&gt;
=== 詩歌 ===&lt;br /&gt;
*[[古今和歌集]]：[[延喜]]5年（[[905年]]）に[[醍醐天皇]]が[[紀貫之]]、[[紀友則、[[凡河内躬恒、[[壬生忠岑]]等に編纂を命じて出来た最初の[[勅撰和歌集]]。&lt;br /&gt;
*[[和漢朗詠集]]：[[寛仁]]2年（[[1018年]]）頃に[[藤原公任]]が編集した漢詩集。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 物語 ===&lt;br /&gt;
*[[竹取物語]]：現存する最古の仮名の物語。[[おじいさん]]、[[おばあさん]]、[[姫|お姫様]]、[[公卿]]・[[皇族]]、[[職人]]、[[商人]]、[[天皇|帝（みかど）]]、[[武士]]と「中世的[[キャラクター]]」がこの時代（10世紀）に既に出揃っている。&lt;br /&gt;
*[[伊勢物語]]：[[在原業平]]を主人公にしたといわれている歌物語。&lt;br /&gt;
*[[宇津保物語]]：遣唐副使・清原俊蔭とその子孫を主人公とした物語。&lt;br /&gt;
*[[落窪物語]]：継子いじめに苦しむ姫が貴公子と結婚して幸せになるまでを描いた物語。&lt;br /&gt;
*[[源氏物語]]：[[王朝物語]]の最高傑作。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日記・随筆 ===&lt;br /&gt;
*[[土佐日記]]：紀貫之が土佐守の任務を終えて帰る旅の途中のことを女性を装って平仮名で書いている。&lt;br /&gt;
*[[蜻蛉日記]]：[[藤原道綱母]]が夫[[藤原兼家]]との生活の不満を綴った日記。&lt;br /&gt;
*[[和泉式部日記]]：[[和泉式部]]が自らの恋愛について綴った日記。&lt;br /&gt;
*[[紫式部日記]]：[[紫式部]]が宮中に仕えている時の事を綴った日記。&lt;br /&gt;
*[[枕草子]]：[[清少納言]]の[[随筆]]。[[鴨長明]]の『[[方丈記]]』、[[吉田兼好]]の『[[徒然草]]』と並んで[[日本三大一覧#歴史・風刺|日本三大随筆]]と称される。&lt;br /&gt;
*[[更級日記]]：[[菅原孝標女]]が自分の人生を自伝的に綴った回想録。&lt;br /&gt;
*[[小右記]]：[[藤原実資]]の日記。（漢文）&lt;br /&gt;
*[[御堂関白記]]：[[藤原道長]]の日記。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
*[[倭名類聚抄]]：[[源順]]が編纂した日本最初の百科事典。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 服装 ==&lt;br /&gt;
湿度の高い気候に適応するため、袖口が広くなるなど風通しの良いゆったりとしたシルエットになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;男性用&lt;br /&gt;
*[[衣冠]]&lt;br /&gt;
*[[束帯]]&lt;br /&gt;
*[[直衣]]&lt;br /&gt;
*[[狩衣]]&lt;br /&gt;
;女性用&lt;br /&gt;
*[[十二単]]&lt;br /&gt;
*[[細長]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 楽器 ==&lt;br /&gt;
*和琴&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 宗教 ==&lt;br /&gt;
*[[御霊信仰]]&lt;br /&gt;
*[[陰陽道]]&lt;br /&gt;
*[[本地垂迹説]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 建築 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Byodoin2.JPG|thumb|220px|平等院鳳凰堂]]&lt;br /&gt;
[[Image:DaigojiPagodaClearView.jpg|thumb|right|180px|醍醐寺五重塔]]&lt;br /&gt;
貴族住宅が[[寝殿造]]の様式で建てられた。[[平等院]]にはその影響が見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仏教建築としては浄土教の影響を受けた[[阿弥陀如来|阿弥陀]]堂が多く建立された。&lt;br /&gt;
*[[法成寺]]無量寿院：寛仁4年（[[1020年]]）に[[藤原道長]]が建立。現存せず。&lt;br /&gt;
*平等院鳳凰堂：[[天喜]]元年（[[1053年]]）に[[藤原頼通]]が建立。&lt;br /&gt;
*[[法界寺]]阿弥陀堂：[[永承]]5年（[[1050年]]）頃、[[日野資業]]が自分の別荘を寺にしたもの。[[承久の乱]]で焼失し、再建。&lt;br /&gt;
阿弥陀堂以外の建築としては[[天暦]]5年（[[951年]]）建立の[[醍醐寺]]五重塔が知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 彫刻 ==&lt;br /&gt;
阿弥陀如来像を大量生産するため、分けて造った部品を組み立てる[[寄木造]]の技法が用いられた。この技法を完成させたとされるのが[[定朝]]である。彫りが浅く平行して流れる衣文、丸い顔に細い目の穏やかで瞑想的な表情が特徴で、こうした仏像を定朝様式と呼ぶ。&lt;br /&gt;
*平等院鳳凰堂阿弥陀如来像：定朝作で唯一現存する作品。&lt;br /&gt;
*法界寺阿弥陀如来像&lt;br /&gt;
*平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 絵画 ==&lt;br /&gt;
[[大和絵]]と呼ばれる日本的な絵画が発達し、多くの物語絵（[[絵巻物]]）が制作されたことが推測されているが現存するものは皆無である&amp;lt;ref&amp;gt;日本の四大絵巻物と称される『[[源氏物語絵巻]]』・『[[信貴山縁起]]』・『[[伴大納言絵巻]]』・『[[鳥獣人物戯画]]』は、すべて平安時代末（[[院政]]期）の作と考証されている。鳥獣人物戯画は4巻のうち2巻が[[鎌倉時代]]の作とされる。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仏教画では[[来迎図]]がよく描かれた。&lt;br /&gt;
*[[高野山]]聖衆来迎図&lt;br /&gt;
*平等院鳳凰堂扉絵&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書道 == &lt;br /&gt;
[[小野道風]]・[[藤原佐理]]・[[藤原行成]]が[[三蹟]]と呼ばれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 工芸 ==&lt;br /&gt;
=== 刀剣 ===&lt;br /&gt;
[[日本刀]]の様式（鎬造・湾刀）の確立期である。&lt;br /&gt;
*[[三条宗近]]（[[三日月宗近]]）&lt;br /&gt;
*[[小烏丸]]（[[天国 (人物)|天国]]）&lt;br /&gt;
*[[備前国]]友成&lt;br /&gt;
*[[童子切安綱]]（[[安綱]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 蒔絵 ===&lt;br /&gt;
[[奈良時代]]に日本で考案された[[蒔絵]]の技法が大きく発展した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参照 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[平安時代]]&lt;br /&gt;
*[[日本の文化]]&lt;br /&gt;
*[[日本の中古文学史]]&lt;br /&gt;
*[[王朝国家]]・[[摂関政治]]&lt;br /&gt;
*[[菅原道真]]&lt;br /&gt;
*[[延喜・天暦の治]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本の文化史区分}}&lt;br /&gt;
[[Category:平安時代|こくふうふんか]]&lt;br /&gt;
[[Category:平安時代の文化|*こくふうふんか]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の文化史|こくふうふんか]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>テンプレート:日本の文化史区分</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| class=&amp;quot;toccolours&amp;quot; style=&amp;quot;clear:both; margin:0.7em auto; text-align:center&amp;quot;&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;text-align:center; background-color:#ccf&amp;quot;|[[日本の文化|日本の文化史区分]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
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|-&lt;br /&gt;
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|-&lt;br /&gt;
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|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
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		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<title>その時歴史が動いたの全放送リスト</title>
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				<updated>2008-06-05T02:47:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''その時歴史が動いたの全放送リスト'''（そのときれきしがうごいたのぜんほうそうりすと）ではNHKの番組『[[その時歴史が動いた]]』で放送した内容のタイトルについて説明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このリストではアンコール放送分は除いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==放送タイトル==&lt;br /&gt;
放送時間は2006年3月8日放送分までが水曜日21時15分～21時58分、2006年4月5日放送分からが水曜日22時～22時43分。&lt;br /&gt;
===2000年===&lt;br /&gt;
*3月29日　運命の一瞬、[[東郷平八郎|東郷]]ターン ～[[日本海海戦]]の真実～&lt;br /&gt;
*4月5日　世紀の対決 [[沢村栄治|沢村]]VS[[ベーブ・ルース]] ～日本プロ野球誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月12日　天下分け目の[[天王山]] ～[[豊臣秀吉|秀吉]]・必勝の人心掌握術～&lt;br /&gt;
*4月19日　幕末のプリンセス・日本を救う ～皇女[[和宮親子内親王|和宮]]の悲願～&lt;br /&gt;
*4月26日　[[新撰組]]参上![[池田屋事件]]に賭けた若者たち&lt;br /&gt;
*5月10日　その日 6人がいた ～[[火縄銃|鉄砲]]伝来・偶然のドラマ～&lt;br /&gt;
*5月17日　[[織田信長]]・勝利の方程式 ～真説・[[長篠の戦い|長篠合戦]]～&lt;br /&gt;
*5月24日　[[だるま|ダルマ]]大臣・[[高橋是清]]経済危機と格闘する（[[昭和金融恐慌]]）&lt;br /&gt;
*5月31日　敵は[[本能寺の変|本能寺]]にあり ～[[明智光秀|光秀]]はなぜ主君・信長を裏切ったのか～&lt;br /&gt;
*6月7日　[[坂本龍馬]] 幕末の日本を動かす ～[[薩長同盟]]成立の時～&lt;br /&gt;
*6月14日　我輩は小説家である ～[[夏目漱石]]・[[東京大学|東大]]辞表提出の時～&lt;br /&gt;
*6月21日　[[蘇我入鹿]]（そがのいるか）暗殺事件 ～実録・[[乙巳の変|大化改新のクーデター]]～&lt;br /&gt;
*6月28日　戦火の中で[[アニメーション|アニメ]]が生まれた（[[桃太郎 海の神兵]]）&lt;br /&gt;
*7月5日　[[大坂の役|大坂の陣]]、[[豊臣氏|豊臣家]]滅亡す ～[[徳川家康]]・非情の天下取り～&lt;br /&gt;
*7月12日　[[西郷隆盛]]、明治に挑む ～[[西南戦争]]勃発の時～&lt;br /&gt;
*7月19日　[[奇兵隊]]決起せよ![[高杉晋作]]挙兵の時&lt;br /&gt;
*7月26日　[[黒船]]来航 日米交渉ここに始まる&lt;br /&gt;
*8月2日　[[ミッドウェー海戦]]の悲劇&lt;br /&gt;
*8月9日　予ノ判断ハ外レタリ ～[[ソビエト連邦|ソ連]]対日参戦の衝撃～&lt;br /&gt;
*8月23日　[[キリシタン]]禁制 ～秀吉・[[ヨーロッパ]]と対決す～&lt;br /&gt;
*8月30日　[[関東大震災]] ～知られざる日米友好～&lt;br /&gt;
*9月6日　[[前畑秀子|前畑]]ガンバレ!! ～[[ベルリンオリンピック]]の光と影～&lt;br /&gt;
*10月4日　[[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]] 家康 なぞの大突撃 ～ヨーロッパ製甲冑の威力～&lt;br /&gt;
*10月11日　弟・[[源義経|義経]]を討て ～[[源頼朝]]・武家政権確立への決断～&lt;br /&gt;
*10月18日　[[津田梅子]]・[[津田塾大学|女子英学塾]]設立の時 ～女性の真の自立をめざして～&lt;br /&gt;
*10月25日　[[1929年]][[ニューヨーク|NY]]株価大暴落（[[世界恐慌]]）&lt;br /&gt;
*11月1日　[[伊能忠敬]] 56歳からの挑戦&lt;br /&gt;
*11月8日　[[桶狭間の戦い]] ～織田信長、逆転への情報戦略～&lt;br /&gt;
*11月15日　坂本龍馬暗殺事件 ～魔の一瞬が歴史を変えた～&lt;br /&gt;
*11月22日　「[[学校]]」誕生 ～初代文部大臣・[[森有礼]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月29日　[[将軍]][[徳川慶喜|慶喜]]・最後の決断 ～幕末を動かした[[大坂城]]脱出～&lt;br /&gt;
*12月6日　[[20世紀|二十世紀]]十大事件 ～歴史を動かした決定的瞬間～&lt;br /&gt;
*12月13日　脱盟者たちの[[忠臣蔵]] ～忠義か人情か　人生の選択の時～&lt;br /&gt;
*12月20日　サムライ・[[福澤諭吉|福沢諭吉]] [[アメリカ合衆国|アメリカ]]に立つ! ～[[咸臨丸]][[サンフランシスコ]]入港の時～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2001年===&lt;br /&gt;
*1月10日　男たちよ、立て! ～[[北条政子]] 演説の時～&lt;br /&gt;
*1月17日　大衆の夢を形に ～起業家・[[小林一三]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*1月24日　検証・[[桜田門外の変]] ～[[井伊直弼]]暗殺・幕末大転換の時～&lt;br /&gt;
*2月7日　6000人の命を救った外交官 ～[[杉原千畝]] [[ビザ]]大量発給決断の時～&lt;br /&gt;
*2月14日・21日　シリーズ[[二・二六事件|2・26事件]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
*2月28日　秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす&lt;br /&gt;
*3月7日　[[大津事件|ロシア皇太子襲撃事件]] ～近代日本をつくった裁判～&lt;br /&gt;
*3月14日・21日　もしもその時（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「古代・中世編」&lt;br /&gt;
:後編「戦国・幕末編」&lt;br /&gt;
*3月28日　妻たちは決断した&lt;br /&gt;
**3月の3回は主として2000年度に放送された内容の総集編的な作品だった&lt;br /&gt;
*4月4日　世界を制した[[ハリウッド]][[映画]] ～[[風と共に去りぬ]]公開の時～&lt;br /&gt;
*4月11日　秀吉・家康 たった一度の直接対決 ～天下取りの知恵くらべ～&lt;br /&gt;
*4月18日　[[春日局]] 徳川家康を動かす ～戦国女性・太平の世への願い～&lt;br /&gt;
*4月25日　日本を救った[[サツマイモ]] ～[[青木昆陽]]・飢きん救済に挑む～&lt;br /&gt;
*5月2日　戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]沈没 ～[[大艦巨砲主義]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*5月9日　[[昭和天皇]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]・会見の時&lt;br /&gt;
*5月16日　「[[阿吽|あうん]]」の呼吸はこうして生まれた ～[[東大寺]] 金剛力士像完成の時～&lt;br /&gt;
*5月23日　[[岡倉天心|天心]]の恋 ～東洋の美を追い続けた男～&lt;br /&gt;
*5月30日　[[徳川吉宗]]、執念の財政再建 ～米将軍・最後の決断～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[土方歳三]]・北の大地に散る ～[[戊辰戦争]]、最後の激戦～&lt;br /&gt;
*6月13日　[[伊達政宗]]、[[百万石]]への挑戦&lt;br /&gt;
*6月20日　[[邪馬台国]]の女王・[[卑弥呼]] ～動乱の[[魏 (三国)|中国]]に使者を出す～&lt;br /&gt;
*6月27日　[[白村江の戦い|白村江]]・古代最大の対外戦争&lt;br /&gt;
*7月4日　金融恐慌・日本を揺るがす ～巨大商社、[[鈴木商店]]の挫折～&lt;br /&gt;
*7月11日　[[北条時宗]]、起死回生の決断 ～[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍壊滅の時～&lt;br /&gt;
*7月18日　モンゴル軍来襲 ～九州武士・[[竹崎季長]]の戦い～&lt;br /&gt;
*7月25日・8月1日　[[ポツダム宣言]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「米ソの攻防」 ～[[原子爆弾|原爆]]投下・[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]の決断～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連対日参戦」～ソ連対日参戦・[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の焦燥～&lt;br /&gt;
*8月22日　夏休みスペシャル・[[三国志]]英雄伝（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風、[[長江]]に吹く」 ～[[諸葛亮|孔明]]の知略、天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*8月29日　そして、人は空を飛んだ ～[[ライト兄弟]]に先がけた男・[[二宮忠八]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*9月5日　[[上杉鷹山]] ふたたびの財政改革&lt;br /&gt;
*9月19日　キリシタン女性 関ヶ原合戦を揺るがす ～[[細川ガラシャ]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*9月26日　ぼく一生の不覚 ～[[日独伊三国軍事同盟|三国同盟]]締結・[[松岡洋右]]の誤算～&lt;br /&gt;
*10月3日　走れ!AA型 ～国産自動車誕生物語～&lt;br /&gt;
*10月10日　不平等条約を改正せよ ～[[陸奥宗光]]～&lt;br /&gt;
*10月17日　日本を愛した[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]・その悲劇&lt;br /&gt;
*10月24日　人生に絶望なし ～[[ヘレン・ケラー|ヘレンケラ]]ー来日の時～&lt;br /&gt;
*10月31日　羽柴秀吉、謎の敵前退却 ～[[賤ヶ岳の戦い|賤ヶ岳合戦]]・勝利の秘策～&lt;br /&gt;
*11月7日　戦国の茶人 秀吉と戦う ～[[千利休]]切腹の悲劇～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[前田利家]]の妻・[[芳春院|まつ]]の決断 ～加賀百万石・息子への教え～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[満州事変]] [[関東軍]]独走す&lt;br /&gt;
*12月5日　この難を逃げ候こと 本懐にあらず ～改革者・[[大久保利通]]暗殺の悲劇～&lt;br /&gt;
*12月12日　汽笛一声・日本の産声 ～[[鉄道]]開通に賭けた若者たち～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2002年===&lt;br /&gt;
*1月9日　スペシャル『日本を動かした15人』（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
*1月16日　[[溥儀|ラストエンペラー]]最後の日 ～「[[満州国]]」と皇帝・溥儀～&lt;br /&gt;
*1月23日　役人の不正許すまじ ～[[大塩平八郎]]決起の時～&lt;br /&gt;
*1月30日　志のある者 立ち上がれ ～獄中の出会いが生んだ[[吉田松陰]]の思想～&lt;br /&gt;
*2月6日　王宮の恋・[[サラエボ事件|サラエボ]]に散る ～[[第一次世界大戦|世界大戦]]を招いた暗殺事件～&lt;br /&gt;
*2月13日　日本の夢、[[ベルサイユ]]に散る ～[[パリ講和会議]]・人種差別 廃止提案の挫折～&lt;br /&gt;
*2月20日　[[田中正造]]、足尾鉱毒事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット|マリ・アントワネット]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*7月17日　[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]、皇帝への野望 ～戴冠式の一瞬に秘められた謎～&lt;br /&gt;
*7月24日　本能寺の変 ～信長暗殺!闇に消えた真犯人～&lt;br /&gt;
*7月31日　[[ガダルカナル島]]撤退 ～苦渋の決断～&lt;br /&gt;
*8月21日　特別編「戦い・その決定的瞬間」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「勝利の時・男たちは決断した」&lt;br /&gt;
:後編「戦乱・その時 妻は、母は」&lt;br /&gt;
*8月28日　さらば淀殿 お初の決断 ～運命に立ち向かった戦国三姉妹～&lt;br /&gt;
*9月4日　日本人、[[南極]]の大地に立つ（[[白瀬矗]]）&lt;br /&gt;
*9月11日　昭和を揺るがした銃弾 ～ライオン宰相・[[浜口雄幸]]狙撃の時～&lt;br /&gt;
*9月18日　ヒトラー情報 日本を揺るがす ～「真珠湾」へのもう一つの道～&lt;br /&gt;
*9月25日　ヒトラー最後の日 ～新資料が明かす独裁者の末路～&lt;br /&gt;
*10月2日　[[与謝野晶子]]『今ぞ目覚めて』 ～情熱の歌人、女性の自立を宣言～&lt;br /&gt;
*10月9日　幕末、[[京都市|京都]]炎上 ～長州・[[久坂玄瑞]]、志に散る～&lt;br /&gt;
*10月16日　必勝の方程式、江戸を制す ～[[大村益次郎]]、彰義隊撃破の時～&lt;br /&gt;
*10月23日　関ヶ原の戦い、決死の的中突破 ～戦国の猛将 [[島津義弘]]、決断の時～&lt;br /&gt;
*10月30日　人類のために生き、人類のために死す ～未公開書簡が明かす[[野口英世]]の真実～&lt;br /&gt;
*11月6日　豊臣秀吉天下統一の必勝戦略 ～[[小田原の役|小田原攻め]]に秘策あり～&lt;br /&gt;
*11月13日　激突 [[武田信玄]]と[[上杉謙信]] ～[[川中島の戦い]]、両雄決戦の時～ &lt;br /&gt;
*11月20日　改革に散った最後の幕臣 [[小栗上野介]] ～一本のねじから日本の近代は始まった～&lt;br /&gt;
*12月4日　[[銀行]]は人々のために ～金融危機を救った[[渋沢栄一]]の決断～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵、父と子の決断 ～赤穂浪士討ち入りの時～&lt;br /&gt;
*12月18日　[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]] [[交響曲第9番|第九]]誕生! ～民衆に自由を呼びかけた交響曲～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2003年===&lt;br /&gt;
*1月8日　新春スペシャル「ニッポン開国」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「なぜアメリカだったのか?」 ～[[マシュー・ペリー|ペリー]]の知られざる外交戦略～&lt;br /&gt;
:後編「通商か?亡国か?」 ～日本全権、決死の通商条約締結～&lt;br /&gt;
*1月15日　[[佐々木小次郎|小次郎]] 敗れたり ～決闘巌流島・[[宮本武蔵]]の執念～&lt;br /&gt;
*1月22日　兵法の道は人の道 宮本武蔵 ～『五輪書』完成への苦闘～&lt;br /&gt;
*1月29日　外交立国の志、いまだ死なず ～[[榎本武揚]]、箱館戦争終結の決断～&lt;br /&gt;
*2月12日　乱世を制するリーダーの条件 ～[[湊川の戦い]] [[足利尊氏]]、苦悩の決断～&lt;br /&gt;
*2月19日　夢は征夷大将軍 ～徳川家康・逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*2月26日　緊迫の二十四時間 ～新資料が明かす二・二六事件の内幕～&lt;br /&gt;
*3月5日　独裁者ヒトラー ～破滅への軌跡～&lt;br /&gt;
*3月12日　幕末立志伝 今こそ変革の時 ～[[吉田松陰]]・久坂玄瑞・[[高杉晋作]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*4月2日　家康・天下を制した184通の書状 ～関ヶ原の合戦・知られざる情報工作～&lt;br /&gt;
*4月9日　[[真田幸村]] どん底からの挑戦 ～家康を追いつめた伝説の名将～  &lt;br /&gt;
*4月16日　ロシア女帝が涙した帰国願い ～日露交渉の扉を開いた[[大黒屋光太夫]]～&lt;br /&gt;
*4月23日　改革者か、悪徳老中か? ～[[田沼意次]]、江戸の経済改革に挑む～&lt;br /&gt;
*5月7日　幕末ニッポン・幻の遷都計画 ～江戸か大坂か?[[大久保利通]]の大改革～&lt;br /&gt;
*5月14日　[[チャーリー・チャップリン|チャップリン]]を襲撃せよ ～五・一五事件　首相暗殺の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*5月21日　我が言は、万人の声 ～太平洋戦争前夜、日本を揺るがした国会演説～（[[斉藤隆夫]]）&lt;br /&gt;
*5月29日　日出づる処の天子より ～[[聖徳太子]]、理想国家建設の夢～&lt;br /&gt;
*6月4日　信長と家康、そして同盟は幻と消えた? ～[[長篠の戦い]]、戦国を変えた両雄の決断～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[源義経]]、大水軍を奪いとれ! ～[[壇ノ浦の戦い|壇の浦の戦い]]、奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*6月18日　新撰組誕生 ～幕末に青春をかけた男たち～&lt;br /&gt;
*6月25日　新撰組の夢、関東に散る ～江戸城明け渡しの裏で何がおきていたのか～&lt;br /&gt;
*7月2日　[[盧溝橋事件]] 運命の4日間 ～中国派兵への重大決意～&lt;br /&gt;
*7月9日　[[高杉晋作]]、50倍の敵を制する必勝戦略 ～幕末長州・奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*7月16日　海を越えた愛、日本を守る ～新史料、[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]開国秘話～&lt;br /&gt;
*7月23日　占領日本・運命を決した直談判 ～[[吉田茂]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]～&lt;br /&gt;
*7月30日　スパイ・[[リヒャルト・ゾルゲ|ゾルゲ]] 最後の暗号電報 ～新資料が明かす国際スパイ事件～&lt;br /&gt;
*8月20日　夏休みスペシャル・そして日本はよみがえった ～混迷を打ち破ったヒーローたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「混沌の時代を切り開いた男たち」&lt;br /&gt;
:後編「近代の日本を作った男たち」&lt;br /&gt;
*8月27日　[[板垣退助|板垣]]死すとも、自由は死せず ～日本に国会を誕生させた不朽の名言～&lt;br /&gt;
*9月3日　[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]] 世界帝国の夢 ～知られざる愛と誇りの決断～&lt;br /&gt;
*9月10日　[[ジャンヌ・ダルク]] 戦いはわが愛の証 ～裁判記録が明かす聖女の真実～&lt;br /&gt;
*9月17日　[[日野富子]] 愛と憎しみの和平工作 ～[[応仁の乱]]を終結させた将軍の妻～&lt;br /&gt;
*10月1日　秀吉に天下を取らせた男 ～[[黒田孝高|黒田官兵衛]] 戦国最強のナンバー2～&lt;br /&gt;
*10月8日・15日「[[始皇帝]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「希代のカリスマ・中国に立つ」 ～[[秦]]王朝 天下統一のとき～&lt;br /&gt;
:後編「崩壊は絶頂の中から始まった」 ～秦王朝 滅亡のとき～&lt;br /&gt;
*10月22日　[[正岡子規]] 余命十年で[[日本語]]を革新した男&lt;br /&gt;
*10月29日　[[白虎隊]] 自刃への三十六時間 ～生存隊士の手記が語る悲劇の真相～&lt;br /&gt;
*11月5日・12日　古代中国・[[項籍|項羽]]と[[劉邦]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「天下を分けた運命の宴 [[鴻門の会]]」&lt;br /&gt;
:後編「勝利への60万人の大合唱 [[垓下の戦い|四面楚歌]]」&lt;br /&gt;
*11月19日　[[勝海舟]] 江戸城無血開城はなぜ実現したか&lt;br /&gt;
*11月19日　[[マハトマ・ガンジー|ガンジー]] 暴力の連鎖を断ち切れ!&lt;br /&gt;
*12月4日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵 お裁き始末記 ～忠義か、犯罪か?幕府がゆらいだ50日～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2004年===&lt;br /&gt;
*1月7日　新春スペシャル・「新撰組」 ～最後のサムライたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「立志編 剣に生きる」&lt;br /&gt;
:後編「死闘編 武士道に死す」&lt;br /&gt;
*1月14日　秘められた革命工作 ～[[孫文]]を支えた日本人～&lt;br /&gt;
*1月21日　[[平清盛]] 早すぎた革新 ～平氏政権誕生のとき～&lt;br /&gt;
*1月28日　[[明治天皇]] [[あんパン]]を食す ～リストラ武士 [[木村安兵衛]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月4日　そして近代ニッポン人が誕生した ～明治の文豪たちの生き方革命～&lt;br /&gt;
*2月11日　日露開戦 男たちの決断 ～明治日本 存亡をかけた戦略～&lt;br /&gt;
*2月25日　[[外様大名]]はこうして生き残った! ～家康に勝利した逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*3月3日　大久保利通・新生日本を救う ～回避された「幻の日清戦争」～&lt;br /&gt;
*3月31日　[[さとうきび]]畑の村の戦争 ～新史料が明かす[[沖縄県|沖縄]]戦の悲劇～&lt;br /&gt;
*4月7日　新発見![[大坂城]]は超ハイテク要塞だった ～秀吉VS家康「堀」をめぐる攻防の真相～&lt;br /&gt;
*4月14日　日本の運命を背負った少年たち ～[[天正遣欧少年使節|天正遣欧使節]]・ローマ教皇謁見の時～&lt;br /&gt;
*4月21日　信長暗殺を命じた男 ～新説・本能寺の変 浮上した黒幕～&lt;br /&gt;
*4月28日　[[女優]]誕生 ～[[川上貞奴|マダム貞奴]]、「[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]」初演の時～&lt;br /&gt;
*5月5日　子供の心に歌を ～大正・[[童謡]]誕生物語～&lt;br /&gt;
*5月12日　日本[[サッカー]]・[[ベルリンオリンピック]]の奇跡 ～世界を驚かせた逆転勝利～&lt;br /&gt;
*5月19日・26日　モンゴル帝国（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「草原の覇者[[チンギス・ハーン|チンギス・カン]]」～ユーラシア統一への道～&lt;br /&gt;
:後編「[[マルコ・ポーロ]]は見た巨大国家の盛衰」 ～「[[東方見聞録]]」誕生のとき～&lt;br /&gt;
*6月2日　家康、人生最大の危機の3日間 ～大脱出!伊賀越えの先に天下が見えた～&lt;br /&gt;
*6月9日・16日　日露戦争100年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「二〇三高地の悲劇はなぜ起きたのか」 ～新史料が明かす激戦の真相～&lt;br /&gt;
:後編「逆転の極秘電報154号」 ～知られざるポーツマス講和会議の真相～&lt;br /&gt;
*6月23日　大江戸発至急便 黒船あらわる ～幕末日本の情報ネットワーク～&lt;br /&gt;
*6月30日　もう一つの日本を創った男 ～[[平将門]] 東国独立政権の謎～&lt;br /&gt;
*7月7日　「関白」対「源氏長者」 ～家康・秀吉 「姓」をめぐる知られざる攻防～&lt;br /&gt;
*7月14日　ドキュメント[[池田屋事件]] ～[[近藤勇|近藤 勇]]・突入決断の真相～&lt;br /&gt;
*7月21日　[[世界遺産]] [[熊野]]の森を守れ ～[[南方熊楠]]・日本初の自然保護運動～&lt;br /&gt;
*7月28日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす 最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*8月16日　奇跡の銀メダル [[人見絹江]] ～日本女子初メダル獲得の時～&lt;br /&gt;
*9月1日　武田信玄 地を拓き水を治める ～戦国時代制覇への夢～&lt;br /&gt;
*9月8日　信長と[[斎藤道三|道三]] ～改革者を生んだ非情の絆～&lt;br /&gt;
*9月15日　悲劇の英雄 ～“[[トーマス・エドワード・ロレンス|アラビアのロレンス]]”の真実～&lt;br /&gt;
*9月22日　焼け跡に[[ゾウ]]がやってきた ～海を越えた日本の子どもたちの夢～&lt;br /&gt;
*10月6日　グッドバイ ちょんまげ ～明治日本 文明開化騒動記～&lt;br /&gt;
*10月13日　列国の野望 [[シベリア]]を走る ～[[ロシア革命]]・[[ソビエト連邦|ソビエト]]成立までの混迷の5年～&lt;br /&gt;
*10月27日　実録・[[ええじゃないか]] ～幕末ニッポンを動かした民衆パワー～&lt;br /&gt;
*11月3日　義経はなぜ死んだのか ～源頼朝と奥州藤原氏の攻防～&lt;br /&gt;
*11月10日　秘録・幻の明治新政府 ～維新を変えた激動の27日間～&lt;br /&gt;
*11月17日　サムライ魂でデパートを創れ! ～近代百貨店誕生物語～&lt;br /&gt;
*11月24日　ニッポンに学べ![[タイ王国|タイ]]の”明治維新” ～「[[王様と私]]」・[[ラーマ5世|ラーマ五世]]の苦闘～ &lt;br /&gt;
*12月8日　ミステリー大化改新 ～蘇我入鹿暗殺の実像～&lt;br /&gt;
*12月15日　それからの新選組 ～土方歳三、箱館に死す～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2005年===&lt;br /&gt;
*1月5日　[[歌舞伎]]スタア誕生 [[市川團十郎 (2代目)|二代目 市川團十郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*1月12日　百世の安堵をはかれ 安政大地震・奇跡の復興劇&lt;br /&gt;
*1月26日　日露戦争100年 日本海海戦 ～参謀 [[秋山真之]]・知られざる苦闘～&lt;br /&gt;
*2月2日　龍馬が愛した女 ～幕末、愛と別れの物語～&lt;br /&gt;
*2月9日　[[プロ野球]]を変えた[[ホームラン]] [[天覧試合]] オーナーたちの戦い&lt;br /&gt;
*2月16日　日米攻防90日 国際軍縮を実現せよ! [[ワシントン会議 (1922年)|ワシントン会議]]・全権 [[加藤友三郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*2月23日　我が運命は民と共に 悲劇の英雄 [[楠木正成]]の実像&lt;br /&gt;
*3月2日　[[源実朝|実朝]]暗殺 ～歌人将軍は、なぜ殺されたか?～&lt;br /&gt;
*3月9日・16日　シリーズ三国志英雄伝（前・後編2週連続　2001年の夏休みスペシャルの再構成をベースに）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風・長江に吹く」 ～孔明の知略・天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*3月30日　恋・人生・そして小説 ～[[樋口一葉]] 女性作家誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月6日　大帝国の野望、博多に散る ～大陸から見た蒙古襲来～&lt;br /&gt;
*4月13日　武田家滅亡の謎 ～戦国最強軍団はなぜ滅びたのか～&lt;br /&gt;
*4月20日・27日　源義経 栄光と悲劇の旅路（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「第1回 西へ 戦いの彼方に」&lt;br /&gt;
:後編「第2回 北へ 流浪の果てに」&lt;br /&gt;
*5月11日　にっぽん[[郵便]]創業物語 ～[[前島密]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*5月18日　戦国をひらいた男 ～[[北条早雲]] 56才からの挑戦～&lt;br /&gt;
*5月25日　傷ついた戦場の兵士を救え ～[[佐野常民]] 日本初の国際人道支援～&lt;br /&gt;
*6月1日　民を救った義士たちの物語 ～宝暦の治水・[[薩摩藩]]士の苦闘～&lt;br /&gt;
*6月8日　[[横山エンタツ|エンタツ]]・[[花菱アチャコ|アチャコ]]の[[漫才]]革命 ～あんじょうわろうてや!～&lt;br /&gt;
*6月15日　幕末・運命の愛 ～時代を創った男と女の物語～&lt;br /&gt;
*6月22日　さらばサムライ ～[[西郷隆盛]] 徴兵制の決断～&lt;br /&gt;
*6月29日　さらばサムライ ～[[西南戦争]]・田原坂の真実～&lt;br /&gt;
*7月6日　プロ野球を作った男たち ～昭和10年 アメリカ遠征記～&lt;br /&gt;
*7月13日　実録・[[大岡忠相|大岡越前]] ～火事と闘った知られざる素顔～&lt;br /&gt;
*7月20日　信長の巨大鉄船、戦国の海を制す ～織田水軍 VS 村上水軍、決戦大坂湾～&lt;br /&gt;
*7月27日・8月3日　シリーズ終戦60年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦艦大和の悲劇」 ～大艦巨砲主義、時代に敗れる～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連参戦の衝撃」 ～満蒙開拓民はなぜ取り残された～&lt;br /&gt;
*8月24日　日露衝突を回避せよ ～[[高田屋嘉兵衛]] 決死の交渉劇～&lt;br /&gt;
*8月31日　家康が最も恐れた男 ～敗者 [[石田三成]]の関ヶ原～&lt;br /&gt;
*9月14日　[[二宮尊徳|二宮金次郎]] 天保の大飢饉を救う&lt;br /&gt;
*9月21日　戦国 出世の方程式 [[藤堂高虎]] 大阪夏の陣の大勝負&lt;br /&gt;
*10月12日　幕末・土佐勤皇党 不滅の志 ～若者たちは変革に命を賭けた～&lt;br /&gt;
*10月19日　誰がための仏教か ～[[鑑真]]和上の宗教改革～&lt;br /&gt;
*11月9日　鎖国の扉を開け ～[[ジョン万次郎]] 漂流民の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月16日　秘められたメディア戦略 ～[[児玉源太郎]] 日露戦争のシナリオ～&lt;br /&gt;
*11月30日・12月7日　シリーズ[[真珠湾攻撃|真珠湾]]への道（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[山本五十六]] 苦渋の作戦立案」&lt;br /&gt;
:後編「山本五十六 運命の作戦決行」&lt;br /&gt;
*12月14日　歴史の選択　赤穂浪士 ～討ち入り組VS討ち入り不参加組～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2006年===&lt;br /&gt;
*1月11日　人間ドラマ誕生 ～[[近松門左衛門]] [[曽根崎心中]]～&lt;br /&gt;
*1月18日　古代の文明開化 ～1号寺院・[[飛鳥寺]]建立の戦略～&lt;br /&gt;
*2月1日　[[新聞]]誕生 ～幕末・[[浜田彦蔵|ジョセフ彦]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月8日　[[壬申の乱]] ～[[天武天皇]]誕生の秘密～&lt;br /&gt;
*2月15日　戦国の花嫁 ～[[山内一豊]]の妻・[[見性院|千代]]～&lt;br /&gt;
*2月22日　[[伝染病]]から日本を守れ ～細菌学者 [[北里柴三郎]]の闘い～&lt;br /&gt;
*3月1日　さらば殿様 ～[[廃藩置県]] 激動の内幕～&lt;br /&gt;
*3月8日　[[零式艦上戦闘機|ゼロ戦]]・設計者が見た悲劇 ～[[マリアナ沖海戦]]への道～ （ここまでが水曜日21:15放送）&lt;br /&gt;
*4月5日　マッカーサーを叱った男 ～[[白洲次郎]]・戦後復興への挑戦～ （ここからが水曜日22:00放送）&lt;br /&gt;
*4月12日　[[大奥]] 悲しみの果てに ～[[徳川家宣]]正室 [[天英院]] 煕子の生涯～&lt;br /&gt;
*4月19日　それでも地球は動いた ～[[ガリレオ・ガリレイ]]の栄光と挫折～&lt;br /&gt;
*4月26日　歴史の選択　本能寺の変 織田信長 VS 明智光秀 ～激突!改革か安定か～&lt;br /&gt;
*5月17日　響け 希望の歌声 ～戦後初の流行歌「リンゴの唄」～&lt;br /&gt;
*5月24日　帝と民の巨大プロジェクト ～東大寺大仏 [[聖武天皇]]の挑戦～   &lt;br /&gt;
*5月31日　これは正義の戦いか ～ジャーナリストたちの[[ベトナム戦争]]～&lt;br /&gt;
*6月21日　幻の大艦隊 ～[[イギリス]]から見た[[薩英戦争]]～&lt;br /&gt;
*7月5日　勝負師は志高く ～碁聖・[[本因坊秀策]]の無敗伝説～&lt;br /&gt;
*7月12日　生まれ来る命 そして母のために ～[[荻野久作]]の受胎期の発見～&lt;br /&gt;
*7月26日　歴史の選択　川中島の戦い 引き分けの謎&lt;br /&gt;
*8月2日　焼け跡から生まれたチャンピオン ～ボクシング [[白井義男]]と[[アルビン・R・カーン|カーン]]～&lt;br /&gt;
*8月23日　幻のハワイ・日本同盟計画&lt;br /&gt;
*8月30日・9月6日　シリーズ 日本独立 その光と影（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「吉田茂と[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]] 前編」&lt;br /&gt;
:後編「吉田茂とサンフランシスコ講和条約 後編」&lt;br /&gt;
*9月13日・20日　「シリーズ・秀吉の[[家族]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「もう一人の秀吉 ～[[豊臣秀長]] [[太閤記]]を演出した弟～」&lt;br /&gt;
:後編「戦国の母 関ヶ原を決す ～[[高台院|おね]]・豊臣政権生き残りへの道～」&lt;br /&gt;
*10月4日　戦火をこえた青春の白球 ～[[学徒出陣]]前 最後の[[早慶戦]]～&lt;br /&gt;
*10月11日　神は我を救い給（たま）うか ～キリシタン 細川ガラシャの生涯～&lt;br /&gt;
*10月18日　格差の怒り 政府を倒す ～[[大正デモクラシー]]を生んだ[[米騒動]]～&lt;br /&gt;
*11月1日　歴史の選択　坂本龍馬暗殺 黒幕は誰か?&lt;br /&gt;
*11月8日　日本を発見した日本人 ～[[柳田國男|柳田国男]]・「[[遠野物語]]」誕生～&lt;br /&gt;
*11月22日　我が手に郷土を ～[[真田昌幸]]・[[信濃国|信州]][[上田市|上田]]の市民戦争～&lt;br /&gt;
*11月29日　ひらがな革命 ～[[国風文化]]を生んだ[[古今和歌集]]～&lt;br /&gt;
*12月20日　母の灯火（ともしび） 小さき者を照らして ～[[石井筆子]]・[[知的障害]]児教育の道～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2007年===&lt;br /&gt;
*1月10日　戦国の剣豪、太平を築く ～[[柳生宗矩]]・「活人剣（かつにんけん）」の真実～&lt;br /&gt;
*1月24日　それでも民は祈り続けた ～[[島原の乱]]・[[キリシタン]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*1月31日　[[東京オリンピック]]への道 ～平和の[[聖火]] アジア横断リレー～&lt;br /&gt;
*2月7日　完成・戦国最強軍団 ～武田信玄・苦悩の生涯～&lt;br /&gt;
*2月14日　中国と国交を回復せよ ～[[足利義満]]の日明外交～&lt;br /&gt;
*2月21日　鉄は国家なり ～技術立国 日本のあけぼの～&lt;br /&gt;
*2月28日　天下は我が掌中にあり ～[[黒田孝高|黒田如水]]・もうひとつの関ヶ原～&lt;br /&gt;
*3月7日　苦しむ患者を救いたい ～[[イタイイタイ病]]裁判・弁護士たちの闘い～&lt;br /&gt;
*3月14日　歴史の選択　[[邪馬台国]]はどこか ～[[近畿地方|近畿]]説VS[[九州地方|九州]]説～&lt;br /&gt;
*3月28日　その時歴史が動いたスペシャル もう一度聞きたい あの人の言葉（22:59まで拡大）&lt;br /&gt;
*4月4日　謙信恐るべし&lt;br /&gt;
*4月11日　[[所得倍増計画]]の夢を追え ～[[高度経済成長]]の軌跡～&lt;br /&gt;
*4月18日　海の関ヶ原 ～[[村上武吉]]・水軍に賭けた夢～&lt;br /&gt;
*4月25日　[[大奥]] 華（はな）にも意地あり ～江戸城無血開城・[[天璋院]]篤姫～&lt;br /&gt;
**[[岩崎ひろみ]]が天璋院役、[[吉井怜]]が和宮役で出演&lt;br /&gt;
*5月2日　[[憲法]]施行60年 特集　[[日本国憲法第9条|憲法九条]] 平和への闘争 ～1950年代 [[改憲]]・[[護憲]]論～（22:30～23:29）&lt;br /&gt;
*5月9日　源頼朝 魔法の大逆転 ～[[富士川の戦い]]～&lt;br /&gt;
*5月16日　日本ミステリー誕生 ～[[江戸川乱歩]]・大衆文化との格闘～&lt;br /&gt;
*5月23日　悲しき女帝 許されざる恋 ～[[宇佐八幡宮神託事件|道鏡事件]]の真相～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[メキシコシティオリンピック|メキシコ五輪]] 奇跡の銅メダル ～日本サッカー・勝つための組織作り～&lt;br /&gt;
*6月13日　ニッポン外交力誕生 ～[[伊藤博文]]・[[神戸事件]]解決～&lt;br /&gt;
*6月20日　乱世に祈りを ～[[蓮如]]（れんにょ）・理想郷の建設～&lt;br /&gt;
*7月4日　[[冷戦]]の壁を破ろうとした男 ～[[石橋湛山]]・世界平和への願い～&lt;br /&gt;
*7月11日　天才信長をつくった男 ～[[今川義元]] 真説・桶狭間の戦い～&lt;br /&gt;
*8月1日　忘れられた島の闘い ～[[沖縄返還]]への軌跡～&lt;br /&gt;
*9月5日　引き裂かれた村 ～日米戦の舞台・[[フィリピン]]～&lt;br /&gt;
*9月12日　外交の信念 時流に散る ～宰相・[[広田弘毅|廣田弘毅]]の闘い～&lt;br /&gt;
*9月19日　赤ちゃんを死なせない ～[[乳幼児死亡率|乳児死亡率]]ゼロ・ある村の記録～&lt;br /&gt;
*9月26日　[[日中国交正常化]]&lt;br /&gt;
*10月3日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　[[食通|グルメ]]誕生 ～[[北大路魯山人]]と器～&lt;br /&gt;
*10月10日　賤（しず）ヶ岳に散った夢 ～猛将・[[柴田勝家]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*10月17日　義に死すとも不義に生きず ～[[会津戦争]] [[松平容保]] 悲運の決断～&lt;br /&gt;
*10月24日　[[銀]]を制する者は天下を制す ～[[毛利氏|毛利一族]]の戦い～&lt;br /&gt;
*10月31日　[[奇兵隊]] ～幕末に命を賭けた若き庶民たち～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[国際連合]]加盟 ～[[重光葵]] 日本から世界へのメッセージ～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[継体天皇]] [[ヤマト王権|ヤマト]]を救う&lt;br /&gt;
*11月28日　[[緒方洪庵]]・[[天然痘]]との闘い&lt;br /&gt;
*12月5日　[[戦後]][[引揚者|引き揚げ]] 660万人故郷への道&lt;br /&gt;
*12月12日　天下に旗をあげよ ～伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢～&lt;br /&gt;
*12月19日　[[対馬府中藩|対馬藩]]・決死の国書すり替え ～[[朝鮮通信使]]秘話～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2008年===&lt;br /&gt;
*1月23日　都会の地下に夢をもとめて ～[[地下鉄]]の父・[[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]～&lt;br /&gt;
*1月30日・2月6日　シリーズ[[江戸時代]]の危機（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[富士山]][[宝永大噴火|大噴火]] ～幕府・復興への闘い～」&lt;br /&gt;
:後編「[[天明の大飢饉|天明の飢饉]]（ききん）江戸を脅（おびや）かす ～鬼平・[[長谷川宣以|長谷川平蔵]]の無宿人対策～」&lt;br /&gt;
*2月13日・20日　シリーズ秀吉の猛将（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦国の風雲児 法の世に散る ～[[福島正則]] 広島改易事件～」&lt;br /&gt;
:後編「豊臣家存続の秘策 ～[[加藤清正]] [[二条城]]会見～」&lt;br /&gt;
*2月27日　軍服を脱いだジャーナリスト ～[[水野廣徳|水野広徳]]が残したメッセージ～&lt;br /&gt;
*3月5日　「自立」を賭けた戦い ～[[河井継之助]]・もう一つの戊辰戦争～&lt;br /&gt;
*3月12日　戦国[[後北条氏|北条]] 百年王国の夢&lt;br /&gt;
*3月19日　平安王朝 華麗なる一族 ～[[藤原道長]]の実像～&lt;br /&gt;
*4月2日　[[徳川四天王]]に学べ! ～組織のためにいかに生きるか～&lt;br /&gt;
*4月9日　音楽の[[市民革命]] ～[[神童]][[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の苦悩～&lt;br /&gt;
*4月16日　人間は尊敬すべきものだ ～[[全国水平社]]・[[差別]]との闘い～&lt;br /&gt;
*4月23日　「[[古事記]]」誕生 ～日本最古の[[歴史書|史書]]の謎～&lt;br /&gt;
*4月30日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　徳川家康 「江戸」建設に挑む&lt;br /&gt;
*5月14日　日本人の心を守れ ～[[岡倉天心]]・[[廃仏毀釈]]からの復興～&lt;br /&gt;
*5月21日　興亡 北の黄金王国 ～[[奥州藤原氏]] vs [[源氏]]～&lt;br /&gt;
*5月28日　養殖[[真珠]] 宝石界に革命を起こす ～女性を輝かせた男・[[御木本幸吉]]～&lt;br /&gt;
*6月4日　人を衛（まも）る都市をめざして ～[[後藤新平]]・帝都復興の時～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[北方探検]] 異境の大地を踏破せよ ～[[間宮林蔵]]・執念の旅路～&lt;br /&gt;
*6月18日　[[移民]]は共存共栄の事業なり ～[[ブラジル]]移民100年～&lt;br /&gt;
*6月25日　戦国の「[[ゲルニカ]]」 ～[[大坂の役|大坂夏の陣]]、惨劇はなぜ起きたのか～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本放送協会テレビ番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[Category:教養番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[Category:ドキュメンタリー番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=29807</id>
		<title>その時歴史が動いたの全放送リスト</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=29807"/>
				<updated>2008-06-05T02:47:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''その時歴史が動いたの全放送リスト'''（そのときれきしがうごいたのぜんほうそうりすと）ではNHKの番組『[[その時歴史が動いた]]』で放送した内容のタイトルについて説明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このリストではアンコール放送分は除いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==放送タイトル==&lt;br /&gt;
放送時間は2006年3月8日放送分までが水曜日21時15分～21時58分、2006年4月5日放送分からが水曜日22時～22時43分。&lt;br /&gt;
===2000年===&lt;br /&gt;
*3月29日　運命の一瞬、[[東郷平八郎|東郷]]ターン ～[[日本海海戦]]の真実～&lt;br /&gt;
*4月5日　世紀の対決 [[沢村栄治|沢村]]VS[[ベーブ・ルース]] ～日本プロ野球誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月12日　天下分け目の[[天王山]] ～[[豊臣秀吉|秀吉]]・必勝の人心掌握術～&lt;br /&gt;
*4月19日　幕末のプリンセス・日本を救う ～皇女[[和宮親子内親王|和宮]]の悲願～&lt;br /&gt;
*4月26日　[[新撰組]]参上![[池田屋事件]]に賭けた若者たち&lt;br /&gt;
*5月10日　その日 6人がいた ～[[火縄銃|鉄砲]]伝来・偶然のドラマ～&lt;br /&gt;
*5月17日　[[織田信長]]・勝利の方程式 ～真説・[[長篠の戦い|長篠合戦]]～&lt;br /&gt;
*5月24日　[[だるま|ダルマ]]大臣・[[高橋是清]]経済危機と格闘する（[[昭和金融恐慌]]）&lt;br /&gt;
*5月31日　敵は[[本能寺の変|本能寺]]にあり ～[[明智光秀|光秀]]はなぜ主君・信長を裏切ったのか～&lt;br /&gt;
*6月7日　[[坂本龍馬]] 幕末の日本を動かす ～[[薩長同盟]]成立の時～&lt;br /&gt;
*6月14日　我輩は小説家である ～[[夏目漱石]]・[[東京大学|東大]]辞表提出の時～&lt;br /&gt;
*6月21日　[[蘇我入鹿]]（そがのいるか）暗殺事件 ～実録・[[乙巳の変|大化改新のクーデター]]～&lt;br /&gt;
*6月28日　戦火の中で[[アニメーション|アニメ]]が生まれた（[[桃太郎 海の神兵]]）&lt;br /&gt;
*7月5日　[[大坂の役|大坂の陣]]、[[豊臣氏|豊臣家]]滅亡す ～[[徳川家康]]・非情の天下取り～&lt;br /&gt;
*7月12日　[[西郷隆盛]]、明治に挑む ～[[西南戦争]]勃発の時～&lt;br /&gt;
*7月19日　[[奇兵隊]]決起せよ![[高杉晋作]]挙兵の時&lt;br /&gt;
*7月26日　[[黒船]]来航 日米交渉ここに始まる&lt;br /&gt;
*8月2日　[[ミッドウェー海戦]]の悲劇&lt;br /&gt;
*8月9日　予ノ判断ハ外レタリ ～[[ソビエト連邦|ソ連]]対日参戦の衝撃～&lt;br /&gt;
*8月23日　[[キリシタン]]禁制 ～秀吉・[[ヨーロッパ]]と対決す～&lt;br /&gt;
*8月30日　[[関東大震災]] ～知られざる日米友好～&lt;br /&gt;
*9月6日　[[前畑秀子|前畑]]ガンバレ!! ～[[ベルリンオリンピック]]の光と影～&lt;br /&gt;
*10月4日　[[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]] 家康 なぞの大突撃 ～ヨーロッパ製甲冑の威力～&lt;br /&gt;
*10月11日　弟・[[源義経|義経]]を討て ～[[源頼朝]]・武家政権確立への決断～&lt;br /&gt;
*10月18日　[[津田梅子]]・[[津田塾大学|女子英学塾]]設立の時 ～女性の真の自立をめざして～&lt;br /&gt;
*10月25日　[[1929年]][[ニューヨーク|NY]]株価大暴落（[[世界恐慌]]）&lt;br /&gt;
*11月1日　[[伊能忠敬]] 56歳からの挑戦&lt;br /&gt;
*11月8日　[[桶狭間の戦い]] ～織田信長、逆転への情報戦略～&lt;br /&gt;
*11月15日　坂本龍馬暗殺事件 ～魔の一瞬が歴史を変えた～&lt;br /&gt;
*11月22日　「[[学校]]」誕生 ～初代文部大臣・[[森有礼]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月29日　[[将軍]][[徳川慶喜|慶喜]]・最後の決断 ～幕末を動かした[[大坂城]]脱出～&lt;br /&gt;
*12月6日　[[20世紀|二十世紀]]十大事件 ～歴史を動かした決定的瞬間～&lt;br /&gt;
*12月13日　脱盟者たちの[[忠臣蔵]] ～忠義か人情か　人生の選択の時～&lt;br /&gt;
*12月20日　サムライ・[[福澤諭吉|福沢諭吉]] [[アメリカ合衆国|アメリカ]]に立つ! ～[[咸臨丸]][[サンフランシスコ]]入港の時～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2001年===&lt;br /&gt;
*1月10日　男たちよ、立て! ～[[北条政子]] 演説の時～&lt;br /&gt;
*1月17日　大衆の夢を形に ～起業家・[[小林一三]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*1月24日　検証・[[桜田門外の変]] ～[[井伊直弼]]暗殺・幕末大転換の時～&lt;br /&gt;
*2月7日　6000人の命を救った外交官 ～[[杉原千畝]] [[ビザ]]大量発給決断の時～&lt;br /&gt;
*2月14日・21日　シリーズ[[二・二六事件|2・26事件]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
*2月28日　秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす&lt;br /&gt;
*3月7日　[[大津事件|ロシア皇太子襲撃事件]] ～近代日本をつくった裁判～&lt;br /&gt;
*3月14日・21日　もしもその時（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「古代・中世編」&lt;br /&gt;
:後編「戦国・幕末編」&lt;br /&gt;
*3月28日　妻たちは決断した&lt;br /&gt;
**3月の3回は主として2000年度に放送された内容の総集編的な作品だった&lt;br /&gt;
*4月4日　世界を制した[[ハリウッド]][[映画]] ～[[風と共に去りぬ]]公開の時～&lt;br /&gt;
*4月11日　秀吉・家康 たった一度の直接対決 ～天下取りの知恵くらべ～&lt;br /&gt;
*4月18日　[[春日局]] 徳川家康を動かす ～戦国女性・太平の世への願い～&lt;br /&gt;
*4月25日　日本を救った[[サツマイモ]] ～[[青木昆陽]]・飢きん救済に挑む～&lt;br /&gt;
*5月2日　戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]沈没 ～[[大艦巨砲主義]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*5月9日　[[昭和天皇]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]・会見の時&lt;br /&gt;
*5月16日　「[[阿吽|あうん]]」の呼吸はこうして生まれた ～[[東大寺]] 金剛力士像完成の時～&lt;br /&gt;
*5月23日　[[岡倉天心|天心]]の恋 ～東洋の美を追い続けた男～&lt;br /&gt;
*5月30日　[[徳川吉宗]]、執念の財政再建 ～米将軍・最後の決断～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[土方歳三]]・北の大地に散る ～[[戊辰戦争]]、最後の激戦～&lt;br /&gt;
*6月13日　[[伊達政宗]]、[[百万石]]への挑戦&lt;br /&gt;
*6月20日　[[邪馬台国]]の女王・[[卑弥呼]] ～動乱の[[魏 (三国)|中国]]に使者を出す～&lt;br /&gt;
*6月27日　[[白村江の戦い|白村江]]・古代最大の対外戦争&lt;br /&gt;
*7月4日　金融恐慌・日本を揺るがす ～巨大商社、[[鈴木商店]]の挫折～&lt;br /&gt;
*7月11日　[[北条時宗]]、起死回生の決断 ～[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍壊滅の時～&lt;br /&gt;
*7月18日　モンゴル軍来襲 ～九州武士・[[竹崎季長]]の戦い～&lt;br /&gt;
*7月25日・8月1日　[[ポツダム宣言]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「米ソの攻防」 ～[[原子爆弾|原爆]]投下・[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]の決断～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連対日参戦」～ソ連対日参戦・[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の焦燥～&lt;br /&gt;
*8月22日　夏休みスペシャル・[[三国志]]英雄伝（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風、[[長江]]に吹く」 ～[[諸葛亮|孔明]]の知略、天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*8月29日　そして、人は空を飛んだ ～[[ライト兄弟]]に先がけた男・[[二宮忠八]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*9月5日　[[上杉鷹山]] ふたたびの財政改革&lt;br /&gt;
*9月19日　キリシタン女性 関ヶ原合戦を揺るがす ～[[細川ガラシャ]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*9月26日　ぼく一生の不覚 ～[[日独伊三国軍事同盟|三国同盟]]締結・[[松岡洋右]]の誤算～&lt;br /&gt;
*10月3日　走れ!AA型 ～国産自動車誕生物語～&lt;br /&gt;
*10月10日　不平等条約を改正せよ ～[[陸奥宗光]]～&lt;br /&gt;
*10月17日　日本を愛した[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]・その悲劇&lt;br /&gt;
*10月24日　人生に絶望なし ～[[ヘレン・ケラー|ヘレンケラ]]ー来日の時～&lt;br /&gt;
*10月31日　羽柴秀吉、謎の敵前退却 ～[[賤ヶ岳の戦い|賤ヶ岳合戦]]・勝利の秘策～&lt;br /&gt;
*11月7日　戦国の茶人 秀吉と戦う ～[[千利休]]切腹の悲劇～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[前田利家]]の妻・[[芳春院|まつ]]の決断 ～加賀百万石・息子への教え～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[満州事変]] [[関東軍]]独走す&lt;br /&gt;
*12月5日　この難を逃げ候こと 本懐にあらず ～改革者・[[大久保利通]]暗殺の悲劇～&lt;br /&gt;
*12月12日　汽笛一声・日本の産声 ～[[鉄道]]開通に賭けた若者たち～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2002年===&lt;br /&gt;
*1月9日　スペシャル『日本を動かした15人』（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
*1月16日　[[溥儀|ラストエンペラー]]最後の日 ～「[[満州国]]」と皇帝・溥儀～&lt;br /&gt;
*1月23日　役人の不正許すまじ ～[[大塩平八郎]]決起の時～&lt;br /&gt;
*1月30日　志のある者 立ち上がれ ～獄中の出会いが生んだ[[吉田松陰]]の思想～&lt;br /&gt;
*2月6日　王宮の恋・[[サラエボ事件|サラエボ]]に散る ～[[第一次世界大戦|世界大戦]]を招いた暗殺事件～&lt;br /&gt;
*2月13日　日本の夢、[[ベルサイユ]]に散る ～[[パリ講和会議]]・人種差別 廃止提案の挫折～&lt;br /&gt;
*2月20日　[[田中正造]]、足尾鉱毒事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット|マリ・アントワネット]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*7月17日　[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]、皇帝への野望 ～戴冠式の一瞬に秘められた謎～&lt;br /&gt;
*7月24日　本能寺の変 ～信長暗殺!闇に消えた真犯人～&lt;br /&gt;
*7月31日　[[ガダルカナル島]]撤退 ～苦渋の決断～&lt;br /&gt;
*8月21日　特別編「戦い・その決定的瞬間」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「勝利の時・男たちは決断した」&lt;br /&gt;
:後編「戦乱・その時 妻は、母は」&lt;br /&gt;
*8月28日　さらば淀殿 お初の決断 ～運命に立ち向かった戦国三姉妹～&lt;br /&gt;
*9月4日　日本人、[[南極]]の大地に立つ（[[白瀬矗]]）&lt;br /&gt;
*9月11日　昭和を揺るがした銃弾 ～ライオン宰相・[[浜口雄幸]]狙撃の時～&lt;br /&gt;
*9月18日　ヒトラー情報 日本を揺るがす ～「真珠湾」へのもう一つの道～&lt;br /&gt;
*9月25日　ヒトラー最後の日 ～新資料が明かす独裁者の末路～&lt;br /&gt;
*10月2日　[[与謝野晶子]]『今ぞ目覚めて』 ～情熱の歌人、女性の自立を宣言～&lt;br /&gt;
*10月9日　幕末、[[京都市|京都]]炎上 ～長州・[[久坂玄瑞]]、志に散る～&lt;br /&gt;
*10月16日　必勝の方程式、江戸を制す ～[[大村益次郎]]、彰義隊撃破の時～&lt;br /&gt;
*10月23日　関ヶ原の戦い、決死の的中突破 ～戦国の猛将 [[島津義弘]]、決断の時～&lt;br /&gt;
*10月30日　人類のために生き、人類のために死す ～未公開書簡が明かす[[野口英世]]の真実～&lt;br /&gt;
*11月6日　豊臣秀吉天下統一の必勝戦略 ～[[小田原の役|小田原攻め]]に秘策あり～&lt;br /&gt;
*11月13日　激突 [[武田信玄]]と[[上杉謙信]] ～[[川中島の戦い]]、両雄決戦の時～ &lt;br /&gt;
*11月20日　改革に散った最後の幕臣 [[小栗上野介]] ～一本のねじから日本の近代は始まった～&lt;br /&gt;
*12月4日　[[銀行]]は人々のために ～金融危機を救った[[渋沢栄一]]の決断～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵、父と子の決断 ～赤穂浪士討ち入りの時～&lt;br /&gt;
*12月18日　[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]] [[交響曲第9番|第九]]誕生! ～民衆に自由を呼びかけた交響曲～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2003年===&lt;br /&gt;
*1月8日　新春スペシャル「ニッポン開国」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「なぜアメリカだったのか?」 ～[[マシュー・ペリー|ペリー]]の知られざる外交戦略～&lt;br /&gt;
:後編「通商か?亡国か?」 ～日本全権、決死の通商条約締結～&lt;br /&gt;
*1月15日　[[佐々木小次郎|小次郎]] 敗れたり ～決闘巌流島・[[宮本武蔵]]の執念～&lt;br /&gt;
*1月22日　兵法の道は人の道 宮本武蔵 ～『五輪書』完成への苦闘～&lt;br /&gt;
*1月29日　外交立国の志、いまだ死なず ～[[榎本武揚]]、箱館戦争終結の決断～&lt;br /&gt;
*2月12日　乱世を制するリーダーの条件 ～[[湊川の戦い]] [[足利尊氏]]、苦悩の決断～&lt;br /&gt;
*2月19日　夢は征夷大将軍 ～徳川家康・逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*2月26日　緊迫の二十四時間 ～新資料が明かす二・二六事件の内幕～&lt;br /&gt;
*3月5日　独裁者ヒトラー ～破滅への軌跡～&lt;br /&gt;
*3月12日　幕末立志伝 今こそ変革の時 ～[[吉田松陰]]・久坂玄瑞・[[高杉晋作]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*4月2日　家康・天下を制した184通の書状 ～関ヶ原の合戦・知られざる情報工作～&lt;br /&gt;
*4月9日　[[真田幸村]] どん底からの挑戦 ～家康を追いつめた伝説の名将～  &lt;br /&gt;
*4月16日　ロシア女帝が涙した帰国願い ～日露交渉の扉を開いた[[大黒屋光太夫]]～&lt;br /&gt;
*4月23日　改革者か、悪徳老中か? ～[[田沼意次]]、江戸の経済改革に挑む～&lt;br /&gt;
*5月7日　幕末ニッポン・幻の遷都計画 ～江戸か大坂か?[[大久保利通]]の大改革～&lt;br /&gt;
*5月14日　[[チャーリー・チャップリン|チャップリン]]を襲撃せよ ～五・一五事件　首相暗殺の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*5月21日　我が言は、万人の声 ～太平洋戦争前夜、日本を揺るがした国会演説～（[[斉藤隆夫]]）&lt;br /&gt;
*5月29日　日出づる処の天子より ～[[聖徳太子]]、理想国家建設の夢～&lt;br /&gt;
*6月4日　信長と家康、そして同盟は幻と消えた? ～[[長篠の戦い]]、戦国を変えた両雄の決断～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[源義経]]、大水軍を奪いとれ! ～[[壇ノ浦の戦い|壇の浦の戦い]]、奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*6月18日　新撰組誕生 ～幕末に青春をかけた男たち～&lt;br /&gt;
*6月25日　新撰組の夢、関東に散る ～江戸城明け渡しの裏で何がおきていたのか～&lt;br /&gt;
*7月2日　[[盧溝橋事件]] 運命の4日間 ～中国派兵への重大決意～&lt;br /&gt;
*7月9日　[[高杉晋作]]、50倍の敵を制する必勝戦略 ～幕末長州・奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*7月16日　海を越えた愛、日本を守る ～新史料、[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]開国秘話～&lt;br /&gt;
*7月23日　占領日本・運命を決した直談判 ～[[吉田茂]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]～&lt;br /&gt;
*7月30日　スパイ・[[リヒャルト・ゾルゲ|ゾルゲ]] 最後の暗号電報 ～新資料が明かす国際スパイ事件～&lt;br /&gt;
*8月20日　夏休みスペシャル・そして日本はよみがえった ～混迷を打ち破ったヒーローたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「混沌の時代を切り開いた男たち」&lt;br /&gt;
:後編「近代の日本を作った男たち」&lt;br /&gt;
*8月27日　[[板垣退助|板垣]]死すとも、自由は死せず ～日本に国会を誕生させた不朽の名言～&lt;br /&gt;
*9月3日　[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]] 世界帝国の夢 ～知られざる愛と誇りの決断～&lt;br /&gt;
*9月10日　[[ジャンヌ・ダルク]] 戦いはわが愛の証 ～裁判記録が明かす聖女の真実～&lt;br /&gt;
*9月17日　[[日野富子]] 愛と憎しみの和平工作 ～[[応仁の乱]]を終結させた将軍の妻～&lt;br /&gt;
*10月1日　秀吉に天下を取らせた男 ～[[黒田孝高|黒田官兵衛]] 戦国最強のナンバー2～&lt;br /&gt;
*10月8日・15日「[[始皇帝]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「希代のカリスマ・中国に立つ」 ～[[秦]]王朝 天下統一のとき～&lt;br /&gt;
:後編「崩壊は絶頂の中から始まった」 ～秦王朝 滅亡のとき～&lt;br /&gt;
*10月22日　[[正岡子規]] 余命十年で[[日本語]]を革新した男&lt;br /&gt;
*10月29日　[[白虎隊]] 自刃への三十六時間 ～生存隊士の手記が語る悲劇の真相～&lt;br /&gt;
*11月5日・12日　古代中国・[[項籍|項羽]]と[[劉邦]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「天下を分けた運命の宴 [[鴻門の会]]」&lt;br /&gt;
:後編「勝利への60万人の大合唱 [[垓下の戦い|四面楚歌]]」&lt;br /&gt;
*11月19日　[[勝海舟]] 江戸城無血開城はなぜ実現したか&lt;br /&gt;
*11月19日　[[マハトマ・ガンジー|ガンジー]] 暴力の連鎖を断ち切れ!&lt;br /&gt;
*12月4日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵 お裁き始末記 ～忠義か、犯罪か?幕府がゆらいだ50日～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2004年===&lt;br /&gt;
*1月7日　新春スペシャル・「新撰組」 ～最後のサムライたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「立志編 剣に生きる」&lt;br /&gt;
:後編「死闘編 武士道に死す」&lt;br /&gt;
*1月14日　秘められた革命工作 ～[[孫文]]を支えた日本人～&lt;br /&gt;
*1月21日　[[平清盛]] 早すぎた革新 ～平氏政権誕生のとき～&lt;br /&gt;
*1月28日　[[明治天皇]] [[あんパン]]を食す ～リストラ武士 [[木村安兵衛]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月4日　そして近代ニッポン人が誕生した ～明治の文豪たちの生き方革命～&lt;br /&gt;
*2月11日　日露開戦 男たちの決断 ～明治日本 存亡をかけた戦略～&lt;br /&gt;
*2月25日　[[外様大名]]はこうして生き残った! ～家康に勝利した逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*3月3日　大久保利通・新生日本を救う ～回避された「幻の日清戦争」～&lt;br /&gt;
*3月31日　[[さとうきび]]畑の村の戦争 ～新史料が明かす[[沖縄県|沖縄]]戦の悲劇～&lt;br /&gt;
*4月7日　新発見![[大坂城]]は超ハイテク要塞だった ～秀吉VS家康「堀」をめぐる攻防の真相～&lt;br /&gt;
*4月14日　日本の運命を背負った少年たち ～[[天正遣欧少年使節|天正遣欧使節]]・ローマ教皇謁見の時～&lt;br /&gt;
*4月21日　信長暗殺を命じた男 ～新説・本能寺の変 浮上した黒幕～&lt;br /&gt;
*4月28日　[[女優]]誕生 ～[[川上貞奴|マダム貞奴]]、「[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]」初演の時～&lt;br /&gt;
*5月5日　子供の心に歌を ～大正・[[童謡]]誕生物語～&lt;br /&gt;
*5月12日　日本[[サッカー]]・[[ベルリンオリンピック]]の奇跡 ～世界を驚かせた逆転勝利～&lt;br /&gt;
*5月19日・26日　モンゴル帝国（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「草原の覇者[[チンギス・ハーン|チンギス・カン]]」～ユーラシア統一への道～&lt;br /&gt;
:後編「[[マルコ・ポーロ]]は見た巨大国家の盛衰」 ～「[[東方見聞録]]」誕生のとき～&lt;br /&gt;
*6月2日　家康、人生最大の危機の3日間 ～大脱出!伊賀越えの先に天下が見えた～&lt;br /&gt;
*6月9日・16日　日露戦争100年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「二〇三高地の悲劇はなぜ起きたのか」 ～新史料が明かす激戦の真相～&lt;br /&gt;
:後編「逆転の極秘電報154号」 ～知られざるポーツマス講和会議の真相～&lt;br /&gt;
*6月23日　大江戸発至急便 黒船あらわる ～幕末日本の情報ネットワーク～&lt;br /&gt;
*6月30日　もう一つの日本を創った男 ～[[平将門]] 東国独立政権の謎～&lt;br /&gt;
*7月7日　「関白」対「源氏長者」 ～家康・秀吉 「姓」をめぐる知られざる攻防～&lt;br /&gt;
*7月14日　ドキュメント[[池田屋事件]] ～[[近藤勇|近藤 勇]]・突入決断の真相～&lt;br /&gt;
*7月21日　[[世界遺産]] [[熊野]]の森を守れ ～[[南方熊楠]]・日本初の自然保護運動～&lt;br /&gt;
*7月28日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす 最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*8月16日　奇跡の銀メダル [[人見絹江]] ～日本女子初メダル獲得の時～&lt;br /&gt;
*9月1日　武田信玄 地を拓き水を治める ～戦国時代制覇への夢～&lt;br /&gt;
*9月8日　信長と[[斎藤道三|道三]] ～改革者を生んだ非情の絆～&lt;br /&gt;
*9月15日　悲劇の英雄 ～“[[トーマス・エドワード・ロレンス|アラビアのロレンス]]”の真実～&lt;br /&gt;
*9月22日　焼け跡に[[ゾウ]]がやってきた ～海を越えた日本の子どもたちの夢～&lt;br /&gt;
*10月6日　グッドバイ ちょんまげ ～明治日本 文明開化騒動記～&lt;br /&gt;
*10月13日　列国の野望 [[シベリア]]を走る ～[[ロシア革命]]・[[ソビエト連邦|ソビエト]]成立までの混迷の5年～&lt;br /&gt;
*10月27日　実録・[[ええじゃないか]] ～幕末ニッポンを動かした民衆パワー～&lt;br /&gt;
*11月3日　義経はなぜ死んだのか ～源頼朝と奥州藤原氏の攻防～&lt;br /&gt;
*11月10日　秘録・幻の明治新政府 ～維新を変えた激動の27日間～&lt;br /&gt;
*11月17日　サムライ魂でデパートを創れ! ～近代百貨店誕生物語～&lt;br /&gt;
*11月24日　ニッポンに学べ![[タイ王国|タイ]]の”明治維新” ～「[[王様と私]]」・[[ラーマ5世|ラーマ五世]]の苦闘～ &lt;br /&gt;
*12月8日　ミステリー大化改新 ～蘇我入鹿暗殺の実像～&lt;br /&gt;
*12月15日　それからの新選組 ～土方歳三、箱館に死す～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2005年===&lt;br /&gt;
*1月5日　[[歌舞伎]]スタア誕生 [[市川團十郎 (2代目)|二代目 市川團十郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*1月12日　百世の安堵をはかれ 安政大地震・奇跡の復興劇&lt;br /&gt;
*1月26日　日露戦争100年 日本海海戦 ～参謀 [[秋山真之]]・知られざる苦闘～&lt;br /&gt;
*2月2日　龍馬が愛した女 ～幕末、愛と別れの物語～&lt;br /&gt;
*2月9日　[[プロ野球]]を変えた[[ホームラン]] [[天覧試合]] オーナーたちの戦い&lt;br /&gt;
*2月16日　日米攻防90日 国際軍縮を実現せよ! [[ワシントン会議 (1922年)|ワシントン会議]]・全権 [[加藤友三郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*2月23日　我が運命は民と共に 悲劇の英雄 [[楠木正成]]の実像&lt;br /&gt;
*3月2日　[[源実朝|実朝]]暗殺 ～歌人将軍は、なぜ殺されたか?～&lt;br /&gt;
*3月9日・16日　シリーズ三国志英雄伝（前・後編2週連続　2001年の夏休みスペシャルの再構成をベースに）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風・長江に吹く」 ～孔明の知略・天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*3月30日　恋・人生・そして小説 ～[[樋口一葉]] 女性作家誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月6日　大帝国の野望、博多に散る ～大陸から見た蒙古襲来～&lt;br /&gt;
*4月13日　武田家滅亡の謎 ～戦国最強軍団はなぜ滅びたのか～&lt;br /&gt;
*4月20日・27日　源義経 栄光と悲劇の旅路（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「第1回 西へ 戦いの彼方に」&lt;br /&gt;
:後編「第2回 北へ 流浪の果てに」&lt;br /&gt;
*5月11日　にっぽん[[郵便]]創業物語 ～[[前島密]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*5月18日　戦国をひらいた男 ～[[北条早雲]] 56才からの挑戦～&lt;br /&gt;
*5月25日　傷ついた戦場の兵士を救え ～[[佐野常民]] 日本初の国際人道支援～&lt;br /&gt;
*6月1日　民を救った義士たちの物語 ～宝暦の治水・[[薩摩藩]]士の苦闘～&lt;br /&gt;
*6月8日　[[横山エンタツ|エンタツ]]・[[花菱アチャコ|アチャコ]]の[[漫才]]革命 ～あんじょうわろうてや!～&lt;br /&gt;
*6月15日　幕末・運命の愛 ～時代を創った男と女の物語～&lt;br /&gt;
*6月22日　さらばサムライ ～[[西郷隆盛]] 徴兵制の決断～&lt;br /&gt;
*6月29日　さらばサムライ ～[[西南戦争]]・田原坂の真実～&lt;br /&gt;
*7月6日　プロ野球を作った男たち ～昭和10年 アメリカ遠征記～&lt;br /&gt;
*7月13日　実録・[[大岡忠相|大岡越前]] ～火事と闘った知られざる素顔～&lt;br /&gt;
*7月20日　信長の巨大鉄船、戦国の海を制す ～織田水軍 VS 村上水軍、決戦大坂湾～&lt;br /&gt;
*7月27日・8月3日　シリーズ終戦60年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦艦大和の悲劇」 ～大艦巨砲主義、時代に敗れる～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連参戦の衝撃」 ～満蒙開拓民はなぜ取り残された～&lt;br /&gt;
*8月24日　日露衝突を回避せよ ～[[高田屋嘉兵衛]] 決死の交渉劇～&lt;br /&gt;
*8月31日　家康が最も恐れた男 ～敗者 [[石田三成]]の関ヶ原～&lt;br /&gt;
*9月14日　[[二宮尊徳|二宮金次郎]] 天保の大飢饉を救う&lt;br /&gt;
*9月21日　戦国 出世の方程式 [[藤堂高虎]] 大阪夏の陣の大勝負&lt;br /&gt;
*10月12日　幕末・土佐勤皇党 不滅の志 ～若者たちは変革に命を賭けた～&lt;br /&gt;
*10月19日　誰がための仏教か ～[[鑑真]]和上の宗教改革～&lt;br /&gt;
*11月9日　鎖国の扉を開け ～[[ジョン万次郎]] 漂流民の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月16日　秘められたメディア戦略 ～[[児玉源太郎]] 日露戦争のシナリオ～&lt;br /&gt;
*11月30日・12月7日　シリーズ[[真珠湾攻撃|真珠湾]]への道（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[山本五十六]] 苦渋の作戦立案」&lt;br /&gt;
:後編「山本五十六 運命の作戦決行」&lt;br /&gt;
*12月14日　歴史の選択　赤穂浪士 ～討ち入り組VS討ち入り不参加組～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2006年===&lt;br /&gt;
*1月11日　人間ドラマ誕生 ～[[近松門左衛門]] [[曽根崎心中]]～&lt;br /&gt;
*1月18日　古代の文明開化 ～1号寺院・[[飛鳥寺]]建立の戦略～&lt;br /&gt;
*2月1日　[[新聞]]誕生 ～幕末・[[浜田彦蔵|ジョセフ彦]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月8日　[[壬申の乱]] ～[[天武天皇]]誕生の秘密～&lt;br /&gt;
*2月15日　戦国の花嫁 ～[[山内一豊]]の妻・[[見性院|千代]]～&lt;br /&gt;
*2月22日　[[伝染病]]から日本を守れ ～細菌学者 [[北里柴三郎]]の闘い～&lt;br /&gt;
*3月1日　さらば殿様 ～[[廃藩置県]] 激動の内幕～&lt;br /&gt;
*3月8日　[[零式艦上戦闘機|ゼロ戦]]・設計者が見た悲劇 ～[[マリアナ沖海戦]]への道～ （ここまでが水曜日21:15放送）&lt;br /&gt;
*4月5日　マッカーサーを叱った男 ～[[白洲次郎]]・戦後復興への挑戦～ （ここからが水曜日22:00放送）&lt;br /&gt;
*4月12日　[[大奥]] 悲しみの果てに ～[[徳川家宣]]正室 [[天英院]] 煕子の生涯～&lt;br /&gt;
*4月19日　それでも地球は動いた ～[[ガリレオ・ガリレイ]]の栄光と挫折～&lt;br /&gt;
*4月26日　歴史の選択　本能寺の変 織田信長 VS 明智光秀 ～激突!改革か安定か～&lt;br /&gt;
*5月17日　響け 希望の歌声 ～戦後初の流行歌「リンゴの唄」～&lt;br /&gt;
*5月24日　帝と民の巨大プロジェクト ～東大寺大仏 [[聖武天皇]]の挑戦～   &lt;br /&gt;
*5月31日　これは正義の戦いか ～ジャーナリストたちの[[ベトナム戦争]]～&lt;br /&gt;
*6月21日　幻の大艦隊 ～[[イギリス]]から見た[[薩英戦争]]～&lt;br /&gt;
*7月5日　勝負師は志高く ～碁聖・[[本因坊秀策]]の無敗伝説～&lt;br /&gt;
*7月12日　生まれ来る命 そして母のために ～[[荻野久作]]の受胎期の発見～&lt;br /&gt;
*7月26日　歴史の選択　川中島の戦い 引き分けの謎&lt;br /&gt;
*8月2日　焼け跡から生まれたチャンピオン ～ボクシング [[白井義男]]と[[アルビン・R・カーン|カーン]]～&lt;br /&gt;
*8月23日　幻のハワイ・日本同盟計画&lt;br /&gt;
*8月30日・9月6日　シリーズ 日本独立 その光と影（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「吉田茂と[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]] 前編」&lt;br /&gt;
:後編「吉田茂とサンフランシスコ講和条約 後編」&lt;br /&gt;
*9月13日・20日　「シリーズ・秀吉の[[家族]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「もう一人の秀吉 ～[[豊臣秀長]] [[太閤記]]を演出した弟～」&lt;br /&gt;
:後編「戦国の母 関ヶ原を決す ～[[高台院|おね]]・豊臣政権生き残りへの道～」&lt;br /&gt;
*10月4日　戦火をこえた青春の白球 ～[[学徒出陣]]前 最後の[[早慶戦]]～&lt;br /&gt;
*10月11日　神は我を救い給（たま）うか ～キリシタン 細川ガラシャの生涯～&lt;br /&gt;
*10月18日　格差の怒り 政府を倒す ～[[大正デモクラシー]]を生んだ[[米騒動]]～&lt;br /&gt;
*11月1日　歴史の選択　坂本龍馬暗殺 黒幕は誰か?&lt;br /&gt;
*11月8日　日本を発見した日本人 ～[[柳田國男|柳田国男]]・「[[遠野物語]]」誕生～&lt;br /&gt;
*11月22日　我が手に郷土を ～[[真田昌幸]]・[[信濃国|信州]][[上田市|上田]]の市民戦争～&lt;br /&gt;
*11月29日　ひらがな革命 ～[[国風文化]]を生んだ[[古今和歌集]]～&lt;br /&gt;
*12月20日　母の灯火（ともしび） 小さき者を照らして ～[[石井筆子]]・[[知的障害]]児教育の道～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2007年===&lt;br /&gt;
*1月10日　戦国の剣豪、太平を築く ～[[柳生宗矩]]・「活人剣（かつにんけん）」の真実～&lt;br /&gt;
*1月24日　それでも民は祈り続けた ～[[島原の乱]]・[[キリシタン]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*1月31日　[[東京オリンピック]]への道 ～平和の[[聖火]] アジア横断リレー～&lt;br /&gt;
*2月7日　完成・戦国最強軍団 ～武田信玄・苦悩の生涯～&lt;br /&gt;
*2月14日　中国と国交を回復せよ ～[[足利義満]]の日明外交～&lt;br /&gt;
*2月21日　鉄は国家なり ～技術立国 日本のあけぼの～&lt;br /&gt;
*2月28日　天下は我が掌中にあり ～[[黒田孝高|黒田如水]]・もうひとつの関ヶ原～&lt;br /&gt;
*3月7日　苦しむ患者を救いたい ～[[イタイイタイ病]]裁判・弁護士たちの闘い～&lt;br /&gt;
*3月14日　歴史の選択　[[邪馬台国]]はどこか ～[[近畿地方|近畿]]説VS[[九州地方|九州]]説～&lt;br /&gt;
*3月28日　その時歴史が動いたスペシャル もう一度聞きたい あの人の言葉（22:59まで拡大）&lt;br /&gt;
*4月4日　謙信恐るべし&lt;br /&gt;
*4月11日　[[所得倍増計画]]の夢を追え ～[[高度経済成長]]の軌跡～&lt;br /&gt;
*4月18日　海の関ヶ原 ～[[村上武吉]]・水軍に賭けた夢～&lt;br /&gt;
*4月25日　[[大奥]] 華（はな）にも意地あり ～江戸城無血開城・[[天璋院]]篤姫～&lt;br /&gt;
**[[岩崎ひろみ]]が天璋院役、[[吉井怜]]が和宮役で出演&lt;br /&gt;
*5月2日　[[憲法]]施行60年 特集　[[日本国憲法第9条|憲法九条]] 平和への闘争 ～1950年代 [[改憲]]・[[護憲]]論～（22:30～23:29）&lt;br /&gt;
*5月9日　源頼朝 魔法の大逆転 ～[[富士川の戦い]]～&lt;br /&gt;
*5月16日　日本ミステリー誕生 ～[[江戸川乱歩]]・大衆文化との格闘～&lt;br /&gt;
*5月23日　悲しき女帝 許されざる恋 ～[[宇佐八幡宮神託事件|道鏡事件]]の真相～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[メキシコシティオリンピック|メキシコ五輪]] 奇跡の銅メダル ～日本サッカー・勝つための組織作り～&lt;br /&gt;
*6月13日　ニッポン外交力誕生 ～[[伊藤博文]]・[[神戸事件]]解決～&lt;br /&gt;
*6月20日　乱世に祈りを ～[[蓮如]]（れんにょ）・理想郷の建設～&lt;br /&gt;
*7月4日　[[冷戦]]の壁を破ろうとした男 ～[[石橋湛山]]・世界平和への願い～&lt;br /&gt;
*7月11日　天才信長をつくった男 ～[[今川義元]] 真説・桶狭間の戦い～&lt;br /&gt;
*8月1日　忘れられた島の闘い ～[[沖縄返還]]への軌跡～&lt;br /&gt;
*9月5日　引き裂かれた村 ～日米戦の舞台・[[フィリピン]]～&lt;br /&gt;
*9月12日　外交の信念 時流に散る ～宰相・[[広田弘毅|廣田弘毅]]の闘い～&lt;br /&gt;
*9月19日　赤ちゃんを死なせない ～[[乳幼児死亡率|乳児死亡率]]ゼロ・ある村の記録～&lt;br /&gt;
*9月26日　[[日中国交正常化]]&lt;br /&gt;
*10月3日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　[[食通|グルメ]]誕生 ～[[北大路魯山人]]と器～&lt;br /&gt;
*10月10日　賤（しず）ヶ岳に散った夢 ～猛将・[[柴田勝家]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*10月17日　義に死すとも不義に生きず ～[[会津戦争]] [[松平容保]] 悲運の決断～&lt;br /&gt;
*10月24日　[[銀]]を制する者は天下を制す ～[[毛利氏|毛利一族]]の戦い～&lt;br /&gt;
*10月31日　[[奇兵隊]] ～幕末に命を賭けた若き庶民たち～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[国際連合]]加盟 ～[[重光葵]] 日本から世界へのメッセージ～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[継体天皇]] [[ヤマト王権|ヤマト]]を救う&lt;br /&gt;
*11月28日　[[緒方洪庵]]・[[天然痘]]との闘い&lt;br /&gt;
*12月5日　[[戦後]][[引揚者|引き揚げ]] 660万人故郷への道&lt;br /&gt;
*12月12日　天下に旗をあげよ ～伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢～&lt;br /&gt;
*12月19日　[[対馬府中藩|対馬藩]]・決死の国書すり替え ～[[朝鮮通信使]]秘話～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2008年===&lt;br /&gt;
*1月23日　都会の地下に夢をもとめて ～[[地下鉄]]の父・[[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]～&lt;br /&gt;
*1月30日・2月6日　シリーズ[[江戸時代]]の危機（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[富士山]][[宝永大噴火|大噴火]] ～幕府・復興への闘い～」&lt;br /&gt;
:後編「[[天明の大飢饉|天明の飢饉]]（ききん）江戸を脅（おびや）かす ～鬼平・[[長谷川宣以|長谷川平蔵]]の無宿人対策～」&lt;br /&gt;
*2月13日・20日　シリーズ秀吉の猛将（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦国の風雲児 法の世に散る ～[[福島正則]] 広島改易事件～」&lt;br /&gt;
:後編「豊臣家存続の秘策 ～[[加藤清正]] [[二条城]]会見～」&lt;br /&gt;
*2月27日　軍服を脱いだジャーナリスト ～[[水野廣徳|水野広徳]]が残したメッセージ～&lt;br /&gt;
*3月5日　「自立」を賭けた戦い ～[[河井継之助]]・もう一つの戊辰戦争～&lt;br /&gt;
*3月12日　戦国[[後北条氏|北条]] 百年王国の夢&lt;br /&gt;
*3月19日　平安王朝 華麗なる一族 ～[[藤原道長]]の実像～&lt;br /&gt;
*4月2日　[[徳川四天王]]に学べ! ～組織のためにいかに生きるか～&lt;br /&gt;
*4月9日　音楽の[[市民革命]] ～[[神童]][[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の苦悩～&lt;br /&gt;
*4月16日　人間は尊敬すべきものだ ～[[全国水平社]]・[[差別]]との闘い～&lt;br /&gt;
*4月23日　「[[古事記]]」誕生 ～日本最古の[[歴史書|史書]]の謎～&lt;br /&gt;
*4月30日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　徳川家康 「江戸」建設に挑む&lt;br /&gt;
*5月14日　日本人の心を守れ ～[[岡倉天心]]・[[廃仏毀釈]]からの復興～&lt;br /&gt;
*5月21日　興亡 北の黄金王国 ～[[奥州藤原氏]] vs [[源氏]]～&lt;br /&gt;
*5月28日　養殖[[真珠]] 宝石界に革命を起こす ～女性を輝かせた男・[[御木本幸吉]]～&lt;br /&gt;
*6月4日　人を衛（まも）る都市をめざして ～[[後藤新平]]・帝都復興の時～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[北方探検]] 異境の大地を踏破せよ ～[[間宮林蔵]]・執念の旅路～&lt;br /&gt;
*6月18日　[[移民]]は共存共栄の事業なり ～[[ブラジル]]移民100年～&lt;br /&gt;
*6月25日　戦国の「[[ゲルニカ]]」 ～[[大阪の役|大坂夏の陣]]、惨劇はなぜ起きたのか～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本放送協会テレビ番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[Category:教養番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[Category:ドキュメンタリー番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>後藤新平</title>
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				<updated>2008-06-05T02:45:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|各国語表記 = ごとう しんぺい&lt;br /&gt;
|画像 = Shimpei Gotō.jpg&lt;br /&gt;
|画像説明 = &lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = [[安政]]4年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]&amp;lt;br&amp;gt;（[[1857年]][[7月24日]]）&lt;br /&gt;
|出生地 = [[陸奥国]][[胆沢郡]]塩釜村&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[1929年]][[4月13日]]&lt;br /&gt;
|死没地 = [[京都]]&lt;br /&gt;
|出身校 = &lt;br /&gt;
|所属政党 = &lt;br /&gt;
|称号・勲章 = &lt;br /&gt;
|配偶者 = &lt;br /&gt;
|サイン = &lt;br /&gt;
|ウェブサイト = &lt;br /&gt;
|サイトタイトル = &lt;br /&gt;
|国旗 = &lt;br /&gt;
|職名 = 第39代[[内務大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣 = [[第2次山本内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区 = &lt;br /&gt;
|当選回数 = &lt;br /&gt;
|就任日 = 1923年&lt;br /&gt;
|退任日 = 1924年&lt;br /&gt;
|退任理由 = &lt;br /&gt;
|元首職 = &lt;br /&gt;
|元首 = &lt;br /&gt;
|国旗2 = &lt;br /&gt;
|職名2 = 第34代内務大臣&lt;br /&gt;
|内閣2 = [[寺内内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区2 = &lt;br /&gt;
|当選回数2 = &lt;br /&gt;
|就任日2 = 1916年&lt;br /&gt;
|退任日2 = 1918年&lt;br /&gt;
|退任理由2 = &lt;br /&gt;
|元首職2 = &lt;br /&gt;
|元首2 = &lt;br /&gt;
|国旗3 = &lt;br /&gt;
|職名3 = 第33代[[外務大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣3 = &lt;br /&gt;
|選挙区3 = &lt;br /&gt;
|当選回数3 = &lt;br /&gt;
|就任日3 = 1918年&lt;br /&gt;
|退任日3 = 1918年&lt;br /&gt;
|退任理由3 = &lt;br /&gt;
|元首職3 = &lt;br /&gt;
|元首3 = &lt;br /&gt;
|国旗4 = &lt;br /&gt;
|職名4 = 第20代[[逓信大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣4 = [[第3次桂内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区4 = &lt;br /&gt;
|当選回数4 = &lt;br /&gt;
|就任日4 = 1912年&lt;br /&gt;
|退任日4 = 1913年&lt;br /&gt;
|退任理由4 = &lt;br /&gt;
|元首職4 = &lt;br /&gt;
|元首4 = &lt;br /&gt;
|国旗5 = &lt;br /&gt;
|職名5 = 第18代逓信大臣&lt;br /&gt;
|内閣5 = [[第2次桂内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区5 = &lt;br /&gt;
|当選回数5 = &lt;br /&gt;
|就任日5 = 1908年&lt;br /&gt;
|退任日5 = 1911年&lt;br /&gt;
|退任理由5 = &lt;br /&gt;
|元首職5 = &lt;br /&gt;
|元首5 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''後藤 新平'''（'''ごとう しんぺい'''、[[安政]]4年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]（[[1857年]][[7月24日]]） - [[昭和]]4年（[[1929年]]）[[4月13日]]）は[[明治]]・[[大正]]・[[昭和]]初期の[[医師]]・[[官僚]]・[[政治家]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴・人物 ==&lt;br /&gt;
[[伯爵]]（明治39年（[[1906年]]）男爵、[[大正]]11年（[[1922年]]）子爵、昭和3年（[[1928年]]）伯爵）。[[台湾総督府]]民政長官。[[南満州鉄道|満鉄]]初代総裁。[[逓信大臣]]、[[内務大臣]]、[[外務大臣]]。[[東京市]]（現・[[東京都]]）第7代市長、[[ボーイスカウト]]日本連盟初代総長。東京放送局（のちの[[日本放送協会|NHK]]）初代総裁。[[拓殖大学]]第3代学長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
計画の規模の大きさから「[[風呂敷|大風呂敷]]」とあだ名されたが、帝国主義日本の有能な[[植民地]]経営者で都市設計者。[[台湾]]総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し日本の大陸進出を支え、[[鉄道省|鉄道院]]総裁として国内の鉄道の整備に貢献した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[関東大震災]]後に内務大臣兼[[帝都復興院]]総裁として東京の都市復興計画を立案した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生い立ち・医師としての後藤新平 ==&lt;br /&gt;
[[陸奥国]][[胆沢郡]]塩釜村（現・[[岩手県]][[奥州市]][[水沢区]]）出身。[[後藤実崇]]の長男。江戸時代後期の[[蘭学者]]・[[高野長英]]は後藤の大叔父に当たり、甥に政治家の[[椎名悦三郎]]、娘婿に政治家の[[鶴見祐輔]]、孫に[[社会学者]]の[[鶴見和子]]、[[哲学者]]の[[鶴見俊輔]]、[[演出家]]の[[佐野碩]]をもつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
胆沢県大参事であった[[安場保和]]にみとめられ、後の海軍大将・[[斎藤実]]とともに13歳で[[書生]]として引き立てられ県庁に勤務しのち15歳で上京し、東京太政官少史・荘村省三のもとで門番兼雑用役になる。安場との縁はその後も続き、安場が[[岩倉使節団]]に参加して帰国した直後に[[福島県]]令となると新平は安場を頼り、16歳で福島洋学校に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新平本人は最初から政治家を志していたとされるが母方の大伯父である高野の弾圧等の影響もあって医者を進められ、恩師・安場や岡田（阿川）光裕の進めもあって17歳で須賀川医学校に気の進まないまま入学。ただし同校では成績は優秀で卒業後、山形県鶴岡の病院勤務が決まっていたが安場が愛知県令をつとめることになり、それについていくことにして愛知県の[[愛知県]]医学校（現・[[名古屋大学]][[医学部]]）で医者となる。ここで彼はめざましく昇進し24歳で学校長兼病院長となり、病院に関わる事務に当たっている。またこの間、[[岐阜市|岐阜]]で遊説中に暴漢に刺され負傷した[[板垣退助]]を診察している。後藤の診察を受けた後、板垣は「彼を政治家にできないのが残念だ」と口にしたという。またこの時期安場の次女、和子を妻にもらう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
医師として高い評価を受ける一方で、先進的な機関で西洋医学を本格的に学べないまま医者となったことに強い劣等感を抱いていたとも伝わっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[明治]]15年（[[1882年]]）2月、愛知県医学校での実績を認められて[[内務省 (日本)|内務省]]衛生局に入り、医者としてよりも病院・衛生に関する行政に従事することとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治23年（[[1890年]]）、[[ドイツ]]に留学。西洋文明の優れた一面を強く認識する一方で同時にコンプレックスを抱くことになったという。帰国後、留学中の研究の成果を認められて医学[[博士号]]を与えられ、明治25年（[[1892年]]）12月には[[長与専斎]]の推薦で内務省衛生局長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治26年（[[1893年]]）、[[相馬事件]]に巻き込まれて5ヶ月間にわたって収監され最終的には無罪となったものの衛生局長を非職となり、一時逼塞する破目となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 台湾における後藤新平 ==&lt;br /&gt;
明治28年（[[1895年]]）[[4月1日]]、相馬事件で辛酸を舐めたが友人の推薦で復帰。[[日清戦争]]の帰還兵に対する[[検疫]]業務に[[広島市|広島]]・[[広島港|宇品港]][[似島]]で臨時陸軍検疫部事務長官として従事し、その行政手腕の巧みさからこの件の上司であった[[陸軍]]参謀の[[兒玉源太郎]]の目にとまる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治31年（[[1898年]]）3月、[[台湾総督]]となった兒玉源太郎の抜擢により、[[台湾総督府]]民政長官となる。そこで新平は、徹底した調査事業を行って現地の状況を知悉した上で経済改革と[[インフラストラクチャー|インフラ]]建設を進めた。こういった手法を後藤は自ら「[[生物学]]の原則」に則ったものであると説明している。それは、社会の習慣や制度は生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきであるというものであった。&lt;br /&gt;
=== 台湾の調査事業 ===&lt;br /&gt;
まず、台湾における調査事業として[[臨時台湾旧慣調査会]]を発足させ京都大学教授で法学者の[[岡松参太郎]]を招聘し、同時に自ら同会の会長に就任した。また同じく京都大学教授で法学者の[[織田萬]]をリーダーとして当時まだ研究生であった中国哲学研究者の[[狩野直喜]]、中国史家の[[加藤繁]]などを加えて、[[清]]朝の法制度の研究をさせた。これらの研究の成果が『[[清国行政法]]』であり、その網羅的な研究内容は近世・近代[[中国史]]研究に欠かせない資料となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人材の招聘 ===&lt;br /&gt;
開発と同時に人材の招聘にも力を注ぐのが新平の手法であった。アメリカから[[新渡戸稲造]]をスカウトする際には病弱を理由に一度は断られるが、執務室にベッドを持ち込む事などの特別な条件を提示して承知させている。スカウトされた新渡戸は、[[殖産局]]長として台湾での[[サトウキビ]]や[[サツマイモ]]の普及と改良に大きな成果を残している。また、生涯の腹心となった[[中村是公]]と出会ったのも台湾総督府時代であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 阿片漸禁策 ===&lt;br /&gt;
当時、中国本土同様に台湾でも[[アヘン]]の吸引が庶民の間で常習となっており大きな社会問題となっていた。また、「日本人はアヘンを禁止しようとしている」という危機感が抗日運動の意義のひとつだった。これに対し新平はアヘンを性急に禁止する方法はとらなかった。まずアヘンに高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、吸引を免許制として次第に吸引者を減らしていく方法を採用した。この方法は成功し、アヘン患者は徐々に減少した。総督府によると、明治33年（[[1900年]]）には16万9000人であったアヘン中毒者は大正6年（[[1917年]]）には6万2000人となり、昭和3年（1928年）には2万6000人となった。なお、台湾は昭和20年（[[1945年]]）にアヘン吸引免許の発行を全面停止した。これにより新平の施策実行から50年近くかけて、台湾はアヘンの根絶に成功したのである（阿片漸禁策）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 満鉄総裁 ==&lt;br /&gt;
明治39年（[[1906年]]）、新平は[[南満洲鉄道]]初代総裁に就任し、[[大連市|大連]]を拠点に[[満洲]]経営に活躍した。ここでも後藤は[[中村是公]]や[[岡松参太郎]]ら台湾時代の人材を多く起用するとともに30代、40代の若手の優秀な人材を招聘し、満鉄のインフラ整備、衛生施設の拡充、大連などの都市の建設に当たった。また満洲でも「生物学的開発」のために調査事業が不可欠と考え、満鉄内に[[満鉄調査部|調査部]]を発足させている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時、清朝の官僚の中で満州に大きな関心を持っていたのは[[袁世凱]]を中心とする北洋軍閥であり、明治40年（[[1907年]]）4月の[[東三省]]建置に当たっては彼の腹心である人物が多く要職に配置された。彼らは日本の満州における権益独占を好まずアメリカを盛んに引き込もうとし、その経済力を以って満鉄に並行する路線を建設しようとした。これは大連を中心に満鉄経営を推し進めていた日本にとって大きな脅威であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで新平は袁に直接書簡を送ってこれが条約違反であることを主張し、この計画を頓挫させた。ただし満鉄への連絡線の建設の援助、清国人の満鉄株式所有・重役就任などを承認し、反日勢力の懐柔を図ろうとしている。また北満州に勢力を未だ確保していたロシアとの関係修復にも尽力し、満鉄のレールをロシアから輸入したり[[伊藤博文]]とロシア側要路者との会談も企図している（ただしこの会談は伊藤が[[ハルビン|ハルピン]]で暗殺されたために実現しなかった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の日本政府では満州における日本の優先的な権益確保を唱える声が主流であったが、新平はむしろ日清露三国が協調して互いに利益を得る方法を考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 拓殖大学学長 ==&lt;br /&gt;
[[Image:大正14年卒業生.jpg|thumb|300px|right|拓殖大学の昭和4年の卒業写真。中央が後藤新平学長。左隣は[[永田秀次郎]]次期学長]]&lt;br /&gt;
[[Image:Shimpei Gotō 2.jpg|thumb|200px|right|後藤新平]]&lt;br /&gt;
[[大正]]8年（[[1919年]]）、[[拓殖大学]]（前身は[[桂太郎]]が創立した[[台湾協会学校]]）学長に就任（在職：大正8年（1919年）[[8月2日]]-昭和4年（[[1929年]]）[[4月13日]]）。拓殖大学との関係は[[台湾総督府]]民政長官時代、設立間もない「台湾協会学校」の良き理解者としてたびたび入学式や卒業式で講演をし物心両面において支援していたが、大正8年（1919年）より第3代学長として直接拓殖大学の経営に携わることとなった。そして当時発令された大学令に基づく「大学（[[旧制大学]]）」に昇格すべく各般の整備に取りかかり、大正11年（[[1922年]]）6月、大学昇格を成し遂げるなど亡くなる昭和4年（1929年）4月まで学長として拓殖大学の礎を築いた。 学内での様子は当時の記録として「後藤先生は学生に対しては慈愛に満ちた態度を以て接せられ、学生もまた親しむべき学長先生として慈父に対するような心安さを感じていました」と記されて、拓殖大学生と後藤新平が師弟としていかに信頼し合っていたかがうかがい知れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関東大震災と帝都復興計画、逝去 ==&lt;br /&gt;
[[第2次桂内閣]]の元で逓信大臣・初代[[内閣鉄道院]][[総裁]]（在職：明治41年（[[1908年]]）[[7月14日]] - 明治44年（[[1911年]]）[[8月30日]]）、[[寺内内閣]]の元で[[内務大臣]]（在職：大正5年（[[1916年]]）[[10月9日]] - 大正7年（[[1918年]]）[[4月23日]]）、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]（大正7年（1918年）[[4月23日]] - [[9月28日]]）、しばし国政から離れて[[東京市長]]（大正9年（[[1920年]]）[[12月17日]] - 大正12年（[[1923年]]）[[4月20日]]）、[[第2次山本内閣]]の元で再び内務大臣（大正12年（1923年）[[9月2日]] - 大正13年（[[1924年]]）[[1月7日]]、後述）などを歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉄道院総裁の時代には、職員人事の大幅な刷新を行った。これに対しては内外から批判も強く「汽車がゴトゴト（後藤）してシンペイ（新平）でたまらない」と揶揄された。しかし、今日の[[九州旅客鉄道|JR九州]]の[[肥薩線]]に、\その名前を取った[[肥薩線#観光列車「いさぶろう」・「しんぺい」|「しんぺい」号]]が走っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[関東大震災]]の直後に組閣された第2次山本内閣では、[[内務大臣]]兼[[帝都復興院]]総裁として震災復興計画を立案した。それは大規模な[[区画整理]]と公園・幹線道路の整備を伴うもので30億円という当時としては巨額の予算（国家予算の約2年分）のために財界などからの猛反対にあい、当初計画を縮小せざるを得なくなった（議会に承認された予算は3億4000万円）。それでも現在の東京の都市骨格を形作り、公園や公共施設の整備に力を尽くした後藤の治績は概ね評価されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に道路建設に当たっては、東京から放射状に伸びる道路と環状道路の双方の必要性を強く主張し、計画縮小がされながらも実際に建設された。当初の案ではその幅員は広い歩道を含め70mから90mで、中央または車・歩間に緑地帯を持つと言う遠大なもので自動車が普及する以前の時代では受け入れられなかったのも無理はない。現在、それに近い形で建設された姿を和田倉門、馬場先門など[[皇居外苑]]付近に見ることができる。現在の東京の幹線道路網の大きな部分は新平に負っているといって良い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[昭和通り (東京都)|昭和通り]]の地下部増線に際し、拡幅や立ち退きを伴わず工事を行なえた事でその先見性が改めて評価された事例もあり、もし彼が[[靖国通り]]や[[明治通り (東京都)|明治通り]]・[[山手通り]]の建設を行っていなければ東京で頻繁に起こる大渋滞はどうなっていたか想像もつかない。その反面、東京の都市機能拡充の引き換えに[[江戸]]以来の情緒を喪失させ、無機質な町に変質させてしまったとの批判もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大正12年（[[1923年]]）、東京市長時代に国民外交の旗手として後藤[[アドリフ・ヨッフェ|ヨッフェ]]会談を伊豆の熱海で行い、成立せんとする[[ソビエト連邦]]との国交正常化の契機を作った。ヨッフェは当時モスクワに滞在していたアメリカ共産党員・[[片山潜]]の推薦を受けて派遣されたもので、仲介したのは[[黎明会]]を組織した[[内藤民治]]と[[田口運蔵]]等の社会主義者であった。一部から新平は「赤い[[男爵]]」といわれたが、新平はあくまで日本とロシアの国民としての友好を唱え共産主義というイデオロギーは単なるロシア主義として恐れるに足らず、むしろソビエト体制の軟化のために日露関係の正常化が望ましいとしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大正13年（[[1924年]]）、社団法人[[東京放送局]]が設立され、初代総裁となる。試験放送を経て翌大正14年（[[1925年]]）[[3月22日]]、日本で初めてのラジオ仮放送を開始。総裁として初日挨拶を行った（大正15年（[[1926年]]）、東京放送局は大阪放送局、名古屋放送局と合併し、社団法人[[日本放送協会]]に発展的解消する）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和3年（1928年）、新平はソ連を訪問し[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]と会見し国賓待遇を受ける。日本ボーイスカウト連盟会長として、当時の少年達1人が1粒を送った握り飯を泣きながら食べて訪ソしたという。日中露の結合関係の重要性は新平が暗殺直前の伊藤にも熱く語った信念であり、[[田中義一内閣]]が拓務省設置構想の背後で構想した満洲[[委任統治]]構想、もしくは満洲における[[緩衝国]]家設立を打診せんとしたものとも指摘される。しかし、詳細は未だに不明である。後の満鉄総裁・[[松岡洋右]]が[[日ソ中立条約]]締結に訪ソした際、「後藤新平の精神を受け継ぐものは自分である」とソ連側から盗聴されていることを知りながらわざと大声で叫んだとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、しばしば総理大臣候補として名前が取り沙汰されながら結局死ぬまで選ばれなかった原因として、[[第3次桂内閣]]逓信大臣だった[[護憲運動|第一次憲政擁護運動]]時に前首相で[[政友会]]総裁の[[西園寺公望]]の失脚を画策し、最後の[[元老]]となった西園寺に嫌われていたことが大きいことを[[徳富蘇峰]]が語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
晩年は政治の倫理化を唱え各地を遊説した。昭和4年（1929年）、遊説で岡山に向かう途中列車内で[[脳溢血]]で倒れ、京都の病院で[[4月13日]]死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 最後の言葉 ===&lt;br /&gt;
[[三島通陽]]の「スカウト十話」によれば、後藤が倒れる日に三島に残した言葉は「'''よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ'''」であったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逸話 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Houteng Xinping.jpg|thumb|200px|right|ボーイスカウト制服姿の後藤新平]]&lt;br /&gt;
*新平は日本の[[ボーイスカウト]]活動に深い関わりを持ち、ボーイスカウト日本連盟の初代総長を勤めている。新平はスカウト運動の普及のために自ら10万円の大金を日本連盟に寄付し、さらに全国巡回講演会を数多く実施した。ボーイスカウトの半ズボンの制服姿の新平の写真が現在も残っている。制服姿の新平が集会に現れると、彼を慕うスカウトたちから「僕等の好きな総長は、白いお髭に鼻眼鏡、団服つけて杖もって、いつも元気でニコニコ」と歌声が上がったという。&lt;br /&gt;
*晩年は[[ソビエト連邦]]との国交回復に尽力する一方、[[数の論理]]で支配される[[政党政治]]を批判し、倫理確立による[[選挙粛正]]を唱え全国を遊説した。&lt;br /&gt;
*新平は[[シチズン時計]]の名付け親でもある（彼と親交のあった社長から新作[[懐中時計]]の命名を頼まれ、「市民から愛されるように」とCITIZENの名を贈った）。&lt;br /&gt;
*[[虎ノ門事件]]の責任を取らされ[[内務省 (日本)|内務省]]を辞めた[[正力松太郎]]が[[読売新聞]]の経営に乗り出したとき、上司（内務大臣）だった新平は自宅を抵当に入れて資金を調達し何も言わずに貸した。その後、事業は成功し借金を返そうとしたが、もうすでに新平は他界していた。そこで、正力はその恩返しとして新平の故郷である水沢町（当時）に新平から借りた金の2倍近い金を寄付した。この資金を使って、[[1941年]]に日本初の[[公民館]]が建設された。&lt;br /&gt;
*地下鉄の父・[[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]の「東京に地下鉄を作りたい」という構想に理解を示し、支援者に名を連ねたひとりであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『海水功用論 附海濱療法』（1882年）&lt;br /&gt;
*『国家衛生原理』（1889年）&lt;br /&gt;
*『日本膨脹論』（1924年）&lt;br /&gt;
*『政治の倫理化』（1926年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
=== 主な伝記 ===&lt;br /&gt;
*[[鶴見祐輔]]『後藤新平』全4巻（後藤新平伯伝記編纂会、1937-1938年）&lt;br /&gt;
*[[鶴見祐輔]]、[[一海知義]]校訂『〈決定版〉正伝 後藤新平』全8巻・別巻1（藤原書店、2004-2007年）&lt;br /&gt;
*[[杉森久英]]『大風呂敷』（毎日新聞社、1970年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主な研究書 ===&lt;br /&gt;
*[[信夫清三郎]]『後藤新平　科学的政治家の生涯』（博文館、1941年）&lt;br /&gt;
*[[北岡伸一]]『後藤新平　外交とヴィジョン』（中央公論社、1988年）&lt;br /&gt;
*[[小林道彦]]『日本の大陸政策　1895-1914　桂太郎と後藤新平』（南窓社、1996年）&lt;br /&gt;
*[[駄場裕司]]『後藤新平をめぐる権力構造の研究』（南窓社、2007年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[日本の改軌論争]]&lt;br /&gt;
*[[郷仙太郎]] - 歴史小説『小説 後藤新平 -行革と都市政策の先駆者-』で後藤を描いている&lt;br /&gt;
*[[星新一]] - ノンフィクション小説『人民は弱し 官吏は強し』、『明治の人物誌』中で後藤を描いている&lt;br /&gt;
*[[森戸辰男]] - 社会政策を専攻する森戸と交流があった（森戸辰男とその時代、森戸文書研究会、p14）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://goto-shimpei.org/index.php 後藤新平の会]&lt;br /&gt;
*[http://www.city.oshu.iwate.jp/shinpei/index.html 後藤新平記念館]&lt;br /&gt;
*[http://www.taikousya-sumera.com/index.php 政治結社 大行社]&lt;br /&gt;
*[http://www.takushoku-u.ac.jp/index.html 拓殖大学]&lt;br /&gt;
*[http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/79.html?c=5 後藤新平]（[http://www.ndl.go.jp/portrait/index.html 近代日本人の肖像]（[[国立国会図書館]]））&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[南満州鉄道]]総裁|初代：1906年 - 1908年| - |[[中村是公]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[逓信大臣]]|1908年 - 1911年&amp;lt;br&amp;gt;1912年 - 1913年|[[堀田正養]]&amp;lt;br&amp;gt;林董|[[林董]]&amp;lt;br&amp;gt;[[元田肇]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[内務大臣]]|第34代：1916年 - 1918年&amp;lt;br&amp;gt;第39代：1923年 - 1924年|[[一木喜徳郎]]&amp;lt;br&amp;gt;[[床次竹二郎]]|[[水野錬太郎]]&amp;lt;br&amp;gt;水野錬太郎}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[外務大臣]]|第33代：1918年|[[本野一郎]]|[[内田康哉]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[東京都知事一覧|東京市長]]|第7代：1920年-1923年|[[田尻稲次郎]]|[[永田秀次郎]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[拓殖大学]]総長（学長）|第3代：1919年-1929年|[[小松原英太郎]]|永田秀次郎}}&lt;br /&gt;
{{外務大臣}}&lt;br /&gt;
{{内務大臣}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:明治時代の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の医師]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員 (1890-1947)]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の華族]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内務官僚]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本統治時代の台湾の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:満鉄調査部]]&lt;br /&gt;
[[Category:鉄道の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:都市計画家]]&lt;br /&gt;
[[Category:都道府県知事・市町村長]]&lt;br /&gt;
[[Category:スカウト活動]]&lt;br /&gt;
[[Category:岩手県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:岩手県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1857年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1929年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%BE%8C%E8%97%A4%E6%96%B0%E5%B9%B3&amp;diff=29805</id>
		<title>後藤新平</title>
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				<updated>2008-06-05T02:43:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|各国語表記 = ごとう しんぺい&lt;br /&gt;
|画像 = Shimpei Gotō.jpg&lt;br /&gt;
|画像説明 = &lt;br /&gt;
|国略称 = &lt;br /&gt;
|生年月日 = [[安政]]4年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]&amp;lt;br&amp;gt;（[[1857年]][[7月24日]]）&lt;br /&gt;
|出生地 = [[陸奥国]][[胆沢郡]]塩釜村&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[1929年]][[4月13日]]&lt;br /&gt;
|死没地 = [[京都]]&lt;br /&gt;
|出身校 = &lt;br /&gt;
|所属政党 = &lt;br /&gt;
|称号・勲章 = &lt;br /&gt;
|配偶者 = &lt;br /&gt;
|サイン = &lt;br /&gt;
|ウェブサイト = &lt;br /&gt;
|サイトタイトル = &lt;br /&gt;
|国旗 = 日本&lt;br /&gt;
|職名 = 第39代[[内務大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣 = [[第2次山本内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区 = &lt;br /&gt;
|当選回数 = &lt;br /&gt;
|就任日 = 1923年&lt;br /&gt;
|退任日 = 1924年&lt;br /&gt;
|退任理由 = &lt;br /&gt;
|元首職 = &lt;br /&gt;
|元首 = &lt;br /&gt;
|国旗2 = 日本&lt;br /&gt;
|職名2 = 第34代内務大臣&lt;br /&gt;
|内閣2 = [[寺内内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区2 = &lt;br /&gt;
|当選回数2 = &lt;br /&gt;
|就任日2 = 1916年&lt;br /&gt;
|退任日2 = 1918年&lt;br /&gt;
|退任理由2 = &lt;br /&gt;
|元首職2 = &lt;br /&gt;
|元首2 = &lt;br /&gt;
|国旗3 = 日本&lt;br /&gt;
|職名3 = 第33代[[外務大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣3 = &lt;br /&gt;
|選挙区3 = &lt;br /&gt;
|当選回数3 = &lt;br /&gt;
|就任日3 = 1918年&lt;br /&gt;
|退任日3 = 1918年&lt;br /&gt;
|退任理由3 = &lt;br /&gt;
|元首職3 = &lt;br /&gt;
|元首3 = &lt;br /&gt;
|国旗4 = 日本&lt;br /&gt;
|職名4 = 第20代[[逓信大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣4 = [[第3次桂内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区4 = &lt;br /&gt;
|当選回数4 = &lt;br /&gt;
|就任日4 = 1912年&lt;br /&gt;
|退任日4 = 1913年&lt;br /&gt;
|退任理由4 = &lt;br /&gt;
|元首職4 = &lt;br /&gt;
|元首4 = &lt;br /&gt;
|国旗5 = 日本&lt;br /&gt;
|職名5 = 第18代逓信大臣&lt;br /&gt;
|内閣5 = [[第2次桂内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区5 = &lt;br /&gt;
|当選回数5 = &lt;br /&gt;
|就任日5 = 1908年&lt;br /&gt;
|退任日5 = 1911年&lt;br /&gt;
|退任理由5 = &lt;br /&gt;
|元首職5 = &lt;br /&gt;
|元首5 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''後藤 新平'''（'''ごとう しんぺい'''、[[安政]]4年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]（[[1857年]][[7月24日]]） - [[昭和]]4年（[[1929年]]）[[4月13日]]）は[[明治]]・[[大正]]・[[昭和]]初期の[[医師]]・[[官僚]]・[[政治家]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴・人物 ==&lt;br /&gt;
[[伯爵]]（明治39年（[[1906年]]）男爵、[[大正]]11年（[[1922年]]）子爵、昭和3年（[[1928年]]）伯爵）。[[台湾総督府]]民政長官。[[南満州鉄道|満鉄]]初代総裁。[[逓信大臣]]、[[内務大臣]]、[[外務大臣]]。[[東京市]]（現・[[東京都]]）第7代市長、[[ボーイスカウト]]日本連盟初代総長。東京放送局（のちの[[日本放送協会|NHK]]）初代総裁。[[拓殖大学]]第3代学長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
計画の規模の大きさから「[[風呂敷|大風呂敷]]」とあだ名されたが、帝国主義日本の有能な[[植民地]]経営者で都市設計者。[[台湾]]総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し日本の大陸進出を支え、[[鉄道省|鉄道院]]総裁として国内の鉄道の整備に貢献した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[関東大震災]]後に内務大臣兼[[帝都復興院]]総裁として東京の都市復興計画を立案した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生い立ち・医師としての後藤新平 ==&lt;br /&gt;
[[陸奥国]][[胆沢郡]]塩釜村（現・[[岩手県]][[奥州市]][[水沢区]]）出身。[[後藤実崇]]の長男。江戸時代後期の[[蘭学者]]・[[高野長英]]は後藤の大叔父に当たり、甥に政治家の[[椎名悦三郎]]、娘婿に政治家の[[鶴見祐輔]]、孫に[[社会学者]]の[[鶴見和子]]、[[哲学者]]の[[鶴見俊輔]]、[[演出家]]の[[佐野碩]]をもつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
胆沢県大参事であった[[安場保和]]にみとめられ、後の海軍大将・[[斎藤実]]とともに13歳で[[書生]]として引き立てられ県庁に勤務しのち15歳で上京し、東京太政官少史・荘村省三のもとで門番兼雑用役になる。安場との縁はその後も続き、安場が[[岩倉使節団]]に参加して帰国した直後に[[福島県]]令となると新平は安場を頼り、16歳で福島洋学校に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新平本人は最初から政治家を志していたとされるが母方の大伯父である高野の弾圧等の影響もあって医者を進められ、恩師・安場や岡田（阿川）光裕の進めもあって17歳で須賀川医学校に気の進まないまま入学。ただし同校では成績は優秀で卒業後、山形県鶴岡の病院勤務が決まっていたが安場が愛知県令をつとめることになり、それについていくことにして愛知県の[[愛知県]]医学校（現・[[名古屋大学]][[医学部]]）で医者となる。ここで彼はめざましく昇進し24歳で学校長兼病院長となり、病院に関わる事務に当たっている。またこの間、[[岐阜市|岐阜]]で遊説中に暴漢に刺され負傷した[[板垣退助]]を診察している。後藤の診察を受けた後、板垣は「彼を政治家にできないのが残念だ」と口にしたという。またこの時期安場の次女、和子を妻にもらう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
医師として高い評価を受ける一方で、先進的な機関で西洋医学を本格的に学べないまま医者となったことに強い劣等感を抱いていたとも伝わっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[明治]]15年（[[1882年]]）2月、愛知県医学校での実績を認められて[[内務省 (日本)|内務省]]衛生局に入り、医者としてよりも病院・衛生に関する行政に従事することとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治23年（[[1890年]]）、[[ドイツ]]に留学。西洋文明の優れた一面を強く認識する一方で同時にコンプレックスを抱くことになったという。帰国後、留学中の研究の成果を認められて医学[[博士号]]を与えられ、明治25年（[[1892年]]）12月には[[長与専斎]]の推薦で内務省衛生局長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治26年（[[1893年]]）、[[相馬事件]]に巻き込まれて5ヶ月間にわたって収監され最終的には無罪となったものの衛生局長を非職となり、一時逼塞する破目となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 台湾における後藤新平 ==&lt;br /&gt;
明治28年（[[1895年]]）[[4月1日]]、相馬事件で辛酸を舐めたが友人の推薦で復帰。[[日清戦争]]の帰還兵に対する[[検疫]]業務に[[広島市|広島]]・[[広島港|宇品港]][[似島]]で臨時陸軍検疫部事務長官として従事し、その行政手腕の巧みさからこの件の上司であった[[陸軍]]参謀の[[兒玉源太郎]]の目にとまる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治31年（[[1898年]]）3月、[[台湾総督]]となった兒玉源太郎の抜擢により、[[台湾総督府]]民政長官となる。そこで新平は、徹底した調査事業を行って現地の状況を知悉した上で経済改革と[[インフラストラクチャー|インフラ]]建設を進めた。こういった手法を後藤は自ら「[[生物学]]の原則」に則ったものであると説明している。それは、社会の習慣や制度は生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきであるというものであった。&lt;br /&gt;
=== 台湾の調査事業 ===&lt;br /&gt;
まず、台湾における調査事業として[[臨時台湾旧慣調査会]]を発足させ京都大学教授で法学者の[[岡松参太郎]]を招聘し、同時に自ら同会の会長に就任した。また同じく京都大学教授で法学者の[[織田萬]]をリーダーとして当時まだ研究生であった中国哲学研究者の[[狩野直喜]]、中国史家の[[加藤繁]]などを加えて、[[清]]朝の法制度の研究をさせた。これらの研究の成果が『[[清国行政法]]』であり、その網羅的な研究内容は近世・近代[[中国史]]研究に欠かせない資料となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人材の招聘 ===&lt;br /&gt;
開発と同時に人材の招聘にも力を注ぐのが新平の手法であった。アメリカから[[新渡戸稲造]]をスカウトする際には病弱を理由に一度は断られるが、執務室にベッドを持ち込む事などの特別な条件を提示して承知させている。スカウトされた新渡戸は、[[殖産局]]長として台湾での[[サトウキビ]]や[[サツマイモ]]の普及と改良に大きな成果を残している。また、生涯の腹心となった[[中村是公]]と出会ったのも台湾総督府時代であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 阿片漸禁策 ===&lt;br /&gt;
当時、中国本土同様に台湾でも[[アヘン]]の吸引が庶民の間で常習となっており大きな社会問題となっていた。また、「日本人はアヘンを禁止しようとしている」という危機感が抗日運動の意義のひとつだった。これに対し新平はアヘンを性急に禁止する方法はとらなかった。まずアヘンに高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、吸引を免許制として次第に吸引者を減らしていく方法を採用した。この方法は成功し、アヘン患者は徐々に減少した。総督府によると、明治33年（[[1900年]]）には16万9000人であったアヘン中毒者は大正6年（[[1917年]]）には6万2000人となり、昭和3年（1928年）には2万6000人となった。なお、台湾は昭和20年（[[1945年]]）にアヘン吸引免許の発行を全面停止した。これにより新平の施策実行から50年近くかけて、台湾はアヘンの根絶に成功したのである（阿片漸禁策）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 満鉄総裁 ==&lt;br /&gt;
明治39年（[[1906年]]）、新平は[[南満洲鉄道]]初代総裁に就任し、[[大連市|大連]]を拠点に[[満洲]]経営に活躍した。ここでも後藤は[[中村是公]]や[[岡松参太郎]]ら台湾時代の人材を多く起用するとともに30代、40代の若手の優秀な人材を招聘し、満鉄のインフラ整備、衛生施設の拡充、大連などの都市の建設に当たった。また満洲でも「生物学的開発」のために調査事業が不可欠と考え、満鉄内に[[満鉄調査部|調査部]]を発足させている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時、清朝の官僚の中で満州に大きな関心を持っていたのは[[袁世凱]]を中心とする北洋軍閥であり、明治40年（[[1907年]]）4月の[[東三省]]建置に当たっては彼の腹心である人物が多く要職に配置された。彼らは日本の満州における権益独占を好まずアメリカを盛んに引き込もうとし、その経済力を以って満鉄に並行する路線を建設しようとした。これは大連を中心に満鉄経営を推し進めていた日本にとって大きな脅威であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで新平は袁に直接書簡を送ってこれが条約違反であることを主張し、この計画を頓挫させた。ただし満鉄への連絡線の建設の援助、清国人の満鉄株式所有・重役就任などを承認し、反日勢力の懐柔を図ろうとしている。また北満州に勢力を未だ確保していたロシアとの関係修復にも尽力し、満鉄のレールをロシアから輸入したり[[伊藤博文]]とロシア側要路者との会談も企図している（ただしこの会談は伊藤が[[ハルビン|ハルピン]]で暗殺されたために実現しなかった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の日本政府では満州における日本の優先的な権益確保を唱える声が主流であったが、新平はむしろ日清露三国が協調して互いに利益を得る方法を考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 拓殖大学学長 ==&lt;br /&gt;
[[Image:大正14年卒業生.jpg|thumb|300px|right|拓殖大学の昭和4年の卒業写真。中央が後藤新平学長。左隣は[[永田秀次郎]]次期学長]]&lt;br /&gt;
[[Image:Shimpei Gotō 2.jpg|thumb|200px|right|後藤新平]]&lt;br /&gt;
[[大正]]8年（[[1919年]]）、[[拓殖大学]]（前身は[[桂太郎]]が創立した[[台湾協会学校]]）学長に就任（在職：大正8年（1919年）[[8月2日]]-昭和4年（[[1929年]]）[[4月13日]]）。拓殖大学との関係は[[台湾総督府]]民政長官時代、設立間もない「台湾協会学校」の良き理解者としてたびたび入学式や卒業式で講演をし物心両面において支援していたが、大正8年（1919年）より第3代学長として直接拓殖大学の経営に携わることとなった。そして当時発令された大学令に基づく「大学（[[旧制大学]]）」に昇格すべく各般の整備に取りかかり、大正11年（[[1922年]]）6月、大学昇格を成し遂げるなど亡くなる昭和4年（1929年）4月まで学長として拓殖大学の礎を築いた。 学内での様子は当時の記録として「後藤先生は学生に対しては慈愛に満ちた態度を以て接せられ、学生もまた親しむべき学長先生として慈父に対するような心安さを感じていました」と記されて、拓殖大学生と後藤新平が師弟としていかに信頼し合っていたかがうかがい知れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関東大震災と帝都復興計画、逝去 ==&lt;br /&gt;
[[第2次桂内閣]]の元で逓信大臣・初代[[内閣鉄道院]][[総裁]]（在職：明治41年（[[1908年]]）[[7月14日]] - 明治44年（[[1911年]]）[[8月30日]]）、[[寺内内閣]]の元で[[内務大臣]]（在職：大正5年（[[1916年]]）[[10月9日]] - 大正7年（[[1918年]]）[[4月23日]]）、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]（大正7年（1918年）[[4月23日]] - [[9月28日]]）、しばし国政から離れて[[東京市長]]（大正9年（[[1920年]]）[[12月17日]] - 大正12年（[[1923年]]）[[4月20日]]）、[[第2次山本内閣]]の元で再び内務大臣（大正12年（1923年）[[9月2日]] - 大正13年（[[1924年]]）[[1月7日]]、後述）などを歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉄道院総裁の時代には、職員人事の大幅な刷新を行った。これに対しては内外から批判も強く「汽車がゴトゴト（後藤）してシンペイ（新平）でたまらない」と揶揄された。しかし、今日の[[九州旅客鉄道|JR九州]]の[[肥薩線]]に、\その名前を取った[[肥薩線#観光列車「いさぶろう」・「しんぺい」|「しんぺい」号]]が走っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[関東大震災]]の直後に組閣された第2次山本内閣では、[[内務大臣]]兼[[帝都復興院]]総裁として震災復興計画を立案した。それは大規模な[[区画整理]]と公園・幹線道路の整備を伴うもので30億円という当時としては巨額の予算（国家予算の約2年分）のために財界などからの猛反対にあい、当初計画を縮小せざるを得なくなった（議会に承認された予算は3億4000万円）。それでも現在の東京の都市骨格を形作り、公園や公共施設の整備に力を尽くした後藤の治績は概ね評価されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に道路建設に当たっては、東京から放射状に伸びる道路と環状道路の双方の必要性を強く主張し、計画縮小がされながらも実際に建設された。当初の案ではその幅員は広い歩道を含め70mから90mで、中央または車・歩間に緑地帯を持つと言う遠大なもので自動車が普及する以前の時代では受け入れられなかったのも無理はない。現在、それに近い形で建設された姿を和田倉門、馬場先門など[[皇居外苑]]付近に見ることができる。現在の東京の幹線道路網の大きな部分は新平に負っているといって良い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[昭和通り (東京都)|昭和通り]]の地下部増線に際し、拡幅や立ち退きを伴わず工事を行なえた事でその先見性が改めて評価された事例もあり、もし彼が[[靖国通り]]や[[明治通り (東京都)|明治通り]]・[[山手通り]]の建設を行っていなければ東京で頻繁に起こる大渋滞はどうなっていたか想像もつかない。その反面、東京の都市機能拡充の引き換えに[[江戸]]以来の情緒を喪失させ、無機質な町に変質させてしまったとの批判もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大正12年（[[1923年]]）、東京市長時代に国民外交の旗手として後藤[[アドリフ・ヨッフェ|ヨッフェ]]会談を伊豆の熱海で行い、成立せんとする[[ソビエト連邦]]との国交正常化の契機を作った。ヨッフェは当時モスクワに滞在していたアメリカ共産党員・[[片山潜]]の推薦を受けて派遣されたもので、仲介したのは[[黎明会]]を組織した[[内藤民治]]と[[田口運蔵]]等の社会主義者であった。一部から新平は「赤い[[男爵]]」といわれたが、新平はあくまで日本とロシアの国民としての友好を唱え共産主義というイデオロギーは単なるロシア主義として恐れるに足らず、むしろソビエト体制の軟化のために日露関係の正常化が望ましいとしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大正13年（[[1924年]]）、社団法人[[東京放送局]]が設立され、初代総裁となる。試験放送を経て翌大正14年（[[1925年]]）[[3月22日]]、日本で初めてのラジオ仮放送を開始。総裁として初日挨拶を行った（大正15年（[[1926年]]）、東京放送局は大阪放送局、名古屋放送局と合併し、社団法人[[日本放送協会]]に発展的解消する）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和3年（1928年）、新平はソ連を訪問し[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]と会見し国賓待遇を受ける。日本ボーイスカウト連盟会長として、当時の少年達1人が1粒を送った握り飯を泣きながら食べて訪ソしたという。日中露の結合関係の重要性は新平が暗殺直前の伊藤にも熱く語った信念であり、[[田中義一内閣]]が拓務省設置構想の背後で構想した満洲[[委任統治]]構想、もしくは満洲における[[緩衝国]]家設立を打診せんとしたものとも指摘される。しかし、詳細は未だに不明である。後の満鉄総裁・[[松岡洋右]]が[[日ソ中立条約]]締結に訪ソした際、「後藤新平の精神を受け継ぐものは自分である」とソ連側から盗聴されていることを知りながらわざと大声で叫んだとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、しばしば総理大臣候補として名前が取り沙汰されながら結局死ぬまで選ばれなかった原因として、[[第3次桂内閣]]逓信大臣だった[[護憲運動|第一次憲政擁護運動]]時に前首相で[[政友会]]総裁の[[西園寺公望]]の失脚を画策し、最後の[[元老]]となった西園寺に嫌われていたことが大きいことを[[徳富蘇峰]]が語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
晩年は政治の倫理化を唱え各地を遊説した。昭和4年（1929年）、遊説で岡山に向かう途中列車内で[[脳溢血]]で倒れ、京都の病院で[[4月13日]]死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 最後の言葉 ===&lt;br /&gt;
[[三島通陽]]の「スカウト十話」によれば、後藤が倒れる日に三島に残した言葉は「'''よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ'''」であったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逸話 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Houteng Xinping.jpg|thumb|200px|right|ボーイスカウト制服姿の後藤新平]]&lt;br /&gt;
*新平は日本の[[ボーイスカウト]]活動に深い関わりを持ち、ボーイスカウト日本連盟の初代総長を勤めている。新平はスカウト運動の普及のために自ら10万円の大金を日本連盟に寄付し、さらに全国巡回講演会を数多く実施した。ボーイスカウトの半ズボンの制服姿の新平の写真が現在も残っている。制服姿の新平が集会に現れると、彼を慕うスカウトたちから「僕等の好きな総長は、白いお髭に鼻眼鏡、団服つけて杖もって、いつも元気でニコニコ」と歌声が上がったという。&lt;br /&gt;
*晩年は[[ソビエト連邦]]との国交回復に尽力する一方、[[数の論理]]で支配される[[政党政治]]を批判し、倫理確立による[[選挙粛正]]を唱え全国を遊説した。&lt;br /&gt;
*新平は[[シチズン時計]]の名付け親でもある（彼と親交のあった社長から新作[[懐中時計]]の命名を頼まれ、「市民から愛されるように」とCITIZENの名を贈った）。&lt;br /&gt;
*[[虎ノ門事件]]の責任を取らされ[[内務省 (日本)|内務省]]を辞めた[[正力松太郎]]が[[読売新聞]]の経営に乗り出したとき、上司（内務大臣）だった新平は自宅を抵当に入れて資金を調達し何も言わずに貸した。その後、事業は成功し借金を返そうとしたが、もうすでに新平は他界していた。そこで、正力はその恩返しとして新平の故郷である水沢町（当時）に新平から借りた金の2倍近い金を寄付した。この資金を使って、[[1941年]]に日本初の[[公民館]]が建設された。&lt;br /&gt;
*地下鉄の父・[[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]の「東京に地下鉄を作りたい」という構想に理解を示し、支援者に名を連ねたひとりであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『海水功用論 附海濱療法』（1882年）&lt;br /&gt;
*『国家衛生原理』（1889年）&lt;br /&gt;
*『日本膨脹論』（1924年）&lt;br /&gt;
*『政治の倫理化』（1926年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
=== 主な伝記 ===&lt;br /&gt;
*[[鶴見祐輔]]『後藤新平』全4巻（後藤新平伯伝記編纂会、1937-1938年）&lt;br /&gt;
*[[鶴見祐輔]]、[[一海知義]]校訂『〈決定版〉正伝 後藤新平』全8巻・別巻1（藤原書店、2004-2007年）&lt;br /&gt;
*[[杉森久英]]『大風呂敷』（毎日新聞社、1970年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主な研究書 ===&lt;br /&gt;
*[[信夫清三郎]]『後藤新平　科学的政治家の生涯』（博文館、1941年）&lt;br /&gt;
*[[北岡伸一]]『後藤新平　外交とヴィジョン』（中央公論社、1988年）&lt;br /&gt;
*[[小林道彦]]『日本の大陸政策　1895-1914　桂太郎と後藤新平』（南窓社、1996年）&lt;br /&gt;
*[[駄場裕司]]『後藤新平をめぐる権力構造の研究』（南窓社、2007年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[日本の改軌論争]]&lt;br /&gt;
*[[郷仙太郎]] - 歴史小説『小説 後藤新平 -行革と都市政策の先駆者-』で後藤を描いている&lt;br /&gt;
*[[星新一]] - ノンフィクション小説『人民は弱し 官吏は強し』、『明治の人物誌』中で後藤を描いている&lt;br /&gt;
*[[森戸辰男]] - 社会政策を専攻する森戸と交流があった（森戸辰男とその時代、森戸文書研究会、p14）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://goto-shimpei.org/index.php 後藤新平の会]&lt;br /&gt;
*[http://www.city.oshu.iwate.jp/shinpei/index.html 後藤新平記念館]&lt;br /&gt;
*[http://www.taikousya-sumera.com/index.php 政治結社 大行社]&lt;br /&gt;
*[http://www.takushoku-u.ac.jp/index.html 拓殖大学]&lt;br /&gt;
*[http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/79.html?c=5 後藤新平]（[http://www.ndl.go.jp/portrait/index.html 近代日本人の肖像]（[[国立国会図書館]]））&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[南満州鉄道]]総裁|初代：1906年 - 1908年| - |[[中村是公]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[逓信大臣]]|1908年 - 1911年&amp;lt;br&amp;gt;1912年 - 1913年|[[堀田正養]]&amp;lt;br&amp;gt;林董|[[林董]]&amp;lt;br&amp;gt;[[元田肇]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[内務大臣]]|第34代：1916年 - 1918年&amp;lt;br&amp;gt;第39代：1923年 - 1924年|[[一木喜徳郎]]&amp;lt;br&amp;gt;[[床次竹二郎]]|[[水野錬太郎]]&amp;lt;br&amp;gt;水野錬太郎}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[外務大臣]]|第33代：1918年|[[本野一郎]]|[[内田康哉]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[東京都知事一覧|東京市長]]|第7代：1920年-1923年|[[田尻稲次郎]]|[[永田秀次郎]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[拓殖大学]]総長（学長）|第3代：1919年-1929年|[[小松原英太郎]]|永田秀次郎}}&lt;br /&gt;
{{外務大臣}}&lt;br /&gt;
{{内務大臣}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:明治時代の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の医師]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員 (1890-1947)]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の華族]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内務官僚]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本統治時代の台湾の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:満鉄調査部]]&lt;br /&gt;
[[Category:鉄道の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:都市計画家]]&lt;br /&gt;
[[Category:都道府県知事・市町村長]]&lt;br /&gt;
[[Category:スカウト活動]]&lt;br /&gt;
[[Category:岩手県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:岩手県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1857年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1929年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<title>後藤新平</title>
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				<updated>2008-06-05T02:41:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: '{{政治家 |各国語表記 = ごとう しんぺい |画像 = Shimpei Gotō.jpg |画像説明 =  |国略称 = {{JPN}} |生年月日 = 安政4年[[6月4日 (旧暦)|6月4...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|各国語表記 = ごとう しんぺい&lt;br /&gt;
|画像 = Shimpei Gotō.jpg&lt;br /&gt;
|画像説明 = &lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = [[安政]]4年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]&amp;lt;br&amp;gt;（[[1857年]][[7月24日]]）&lt;br /&gt;
|出生地 = [[陸奥国]][[胆沢郡]]塩釜村&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[1929年]][[4月13日]]&lt;br /&gt;
|死没地 = [[京都]]&lt;br /&gt;
|出身校 = &lt;br /&gt;
|所属政党 = &lt;br /&gt;
|称号・勲章 = &lt;br /&gt;
|配偶者 = &lt;br /&gt;
|サイン = &lt;br /&gt;
|ウェブサイト = &lt;br /&gt;
|サイトタイトル = &lt;br /&gt;
|国旗 = 日本&lt;br /&gt;
|職名 = 第39代[[内務大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣 = [[第2次山本内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区 = &lt;br /&gt;
|当選回数 = &lt;br /&gt;
|就任日 = 1923年&lt;br /&gt;
|退任日 = 1924年&lt;br /&gt;
|退任理由 = &lt;br /&gt;
|元首職 = &lt;br /&gt;
|元首 = &lt;br /&gt;
|国旗2 = 日本&lt;br /&gt;
|職名2 = 第34代内務大臣&lt;br /&gt;
|内閣2 = [[寺内内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区2 = &lt;br /&gt;
|当選回数2 = &lt;br /&gt;
|就任日2 = 1916年&lt;br /&gt;
|退任日2 = 1918年&lt;br /&gt;
|退任理由2 = &lt;br /&gt;
|元首職2 = &lt;br /&gt;
|元首2 = &lt;br /&gt;
|国旗3 = 日本&lt;br /&gt;
|職名3 = 第33代[[外務大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣3 = &lt;br /&gt;
|選挙区3 = &lt;br /&gt;
|当選回数3 = &lt;br /&gt;
|就任日3 = 1918年&lt;br /&gt;
|退任日3 = 1918年&lt;br /&gt;
|退任理由3 = &lt;br /&gt;
|元首職3 = &lt;br /&gt;
|元首3 = &lt;br /&gt;
|国旗4 = 日本&lt;br /&gt;
|職名4 = 第20代[[逓信大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣4 = [[第3次桂内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区4 = &lt;br /&gt;
|当選回数4 = &lt;br /&gt;
|就任日4 = 1912年&lt;br /&gt;
|退任日4 = 1913年&lt;br /&gt;
|退任理由4 = &lt;br /&gt;
|元首職4 = &lt;br /&gt;
|元首4 = &lt;br /&gt;
|国旗5 = 日本&lt;br /&gt;
|職名5 = 第18代逓信大臣&lt;br /&gt;
|内閣5 = [[第2次桂内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区5 = &lt;br /&gt;
|当選回数5 = &lt;br /&gt;
|就任日5 = 1908年&lt;br /&gt;
|退任日5 = 1911年&lt;br /&gt;
|退任理由5 = &lt;br /&gt;
|元首職5 = &lt;br /&gt;
|元首5 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''後藤 新平'''（'''ごとう しんぺい'''、[[安政]]4年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]（[[1857年]][[7月24日]]） - [[昭和]]4年（[[1929年]]）[[4月13日]]）は[[明治]]・[[大正]]・[[昭和]]初期の[[医師]]・[[官僚]]・[[政治家]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴・人物 ==&lt;br /&gt;
[[伯爵]]（明治39年（[[1906年]]）男爵、[[大正]]11年（[[1922年]]）子爵、昭和3年（[[1928年]]）伯爵）。[[台湾総督府]]民政長官。[[南満州鉄道|満鉄]]初代総裁。[[逓信大臣]]、[[内務大臣]]、[[外務大臣]]。[[東京市]]（現・[[東京都]]）第7代市長、[[ボーイスカウト]]日本連盟初代総長。東京放送局（のちの[[日本放送協会|NHK]]）初代総裁。[[拓殖大学]]第3代学長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
計画の規模の大きさから「[[風呂敷|大風呂敷]]」とあだ名されたが、帝国主義日本の有能な[[植民地]]経営者で都市設計者。[[台湾]]総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し日本の大陸進出を支え、[[鉄道省|鉄道院]]総裁として国内の鉄道の整備に貢献した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[関東大震災]]後に内務大臣兼[[帝都復興院]]総裁として東京の都市復興計画を立案した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生い立ち・医師としての後藤新平 ==&lt;br /&gt;
[[陸奥国]][[胆沢郡]]塩釜村（現・[[岩手県]][[奥州市]][[水沢区]]）出身。[[後藤実崇]]の長男。江戸時代後期の[[蘭学者]]・[[高野長英]]は後藤の大叔父に当たり、甥に政治家の[[椎名悦三郎]]、娘婿に政治家の[[鶴見祐輔]]、孫に[[社会学者]]の[[鶴見和子]]、[[哲学者]]の[[鶴見俊輔]]、[[演出家]]の[[佐野碩]]をもつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
胆沢県大参事であった[[安場保和]]にみとめられ、後の海軍大将・[[斎藤実]]とともに13歳で[[書生]]として引き立てられ県庁に勤務しのち15歳で上京し、東京太政官少史・荘村省三のもとで門番兼雑用役になる。安場との縁はその後も続き、安場が[[岩倉使節団]]に参加して帰国した直後に[[福島県]]令となると新平は安場を頼り、16歳で福島洋学校に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新平本人は最初から政治家を志していたとされるが母方の大伯父である高野の弾圧等の影響もあって医者を進められ、恩師・安場や岡田（阿川）光裕の進めもあって17歳で須賀川医学校に気の進まないまま入学。ただし同校では成績は優秀で卒業後、山形県鶴岡の病院勤務が決まっていたが安場が愛知県令をつとめることになり、それについていくことにして愛知県の[[愛知県]]医学校（現・[[名古屋大学]][[医学部]]）で医者となる。ここで彼はめざましく昇進し24歳で学校長兼病院長となり、病院に関わる事務に当たっている。またこの間、[[岐阜市|岐阜]]で遊説中に暴漢に刺され負傷した[[板垣退助]]を診察している。後藤の診察を受けた後、板垣は「彼を政治家にできないのが残念だ」と口にしたという。またこの時期安場の次女、和子を妻にもらう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
医師として高い評価を受ける一方で、先進的な機関で西洋医学を本格的に学べないまま医者となったことに強い劣等感を抱いていたとも伝わっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[明治]]15年（[[1882年]]）2月、愛知県医学校での実績を認められて[[内務省 (日本)|内務省]]衛生局に入り、医者としてよりも病院・衛生に関する行政に従事することとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治23年（[[1890年]]）、[[ドイツ]]に留学。西洋文明の優れた一面を強く認識する一方で同時にコンプレックスを抱くことになったという。帰国後、留学中の研究の成果を認められて医学[[博士号]]を与えられ、明治25年（[[1892年]]）12月には[[長与専斎]]の推薦で内務省衛生局長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治26年（[[1893年]]）、[[相馬事件]]に巻き込まれて5ヶ月間にわたって収監され最終的には無罪となったものの衛生局長を非職となり、一時逼塞する破目となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 台湾における後藤新平 ==&lt;br /&gt;
明治28年（[[1895年]]）[[4月1日]]、相馬事件で辛酸を舐めたが友人の推薦で復帰。[[日清戦争]]の帰還兵に対する[[検疫]]業務に[[広島市|広島]]・[[広島港|宇品港]][[似島]]で臨時陸軍検疫部事務長官として従事し、その行政手腕の巧みさからこの件の上司であった[[陸軍]]参謀の[[兒玉源太郎]]の目にとまる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治31年（[[1898年]]）3月、[[台湾総督]]となった兒玉源太郎の抜擢により、[[台湾総督府]]民政長官となる。そこで新平は、徹底した調査事業を行って現地の状況を知悉した上で経済改革と[[インフラストラクチャー|インフラ]]建設を進めた。こういった手法を後藤は自ら「[[生物学]]の原則」に則ったものであると説明している。それは、社会の習慣や制度は生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきであるというものであった。&lt;br /&gt;
=== 台湾の調査事業 ===&lt;br /&gt;
まず、台湾における調査事業として[[臨時台湾旧慣調査会]]を発足させ京都大学教授で法学者の[[岡松参太郎]]を招聘し、同時に自ら同会の会長に就任した。また同じく京都大学教授で法学者の[[織田萬]]をリーダーとして当時まだ研究生であった中国哲学研究者の[[狩野直喜]]、中国史家の[[加藤繁]]などを加えて、[[清]]朝の法制度の研究をさせた。これらの研究の成果が『[[清国行政法]]』であり、その網羅的な研究内容は近世・近代[[中国史]]研究に欠かせない資料となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人材の招聘 ===&lt;br /&gt;
開発と同時に人材の招聘にも力を注ぐのが新平の手法であった。アメリカから[[新渡戸稲造]]をスカウトする際には病弱を理由に一度は断られるが、執務室にベッドを持ち込む事などの特別な条件を提示して承知させている。スカウトされた新渡戸は、[[殖産局]]長として台湾での[[サトウキビ]]や[[サツマイモ]]の普及と改良に大きな成果を残している。また、生涯の腹心となった[[中村是公]]と出会ったのも台湾総督府時代であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 阿片漸禁策 ===&lt;br /&gt;
当時、中国本土同様に台湾でも[[アヘン]]の吸引が庶民の間で常習となっており大きな社会問題となっていた。また、「日本人はアヘンを禁止しようとしている」という危機感が抗日運動の意義のひとつだった。これに対し新平はアヘンを性急に禁止する方法はとらなかった。まずアヘンに高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、吸引を免許制として次第に吸引者を減らしていく方法を採用した。この方法は成功し、アヘン患者は徐々に減少した。総督府によると、明治33年（[[1900年]]）には16万9000人であったアヘン中毒者は大正6年（[[1917年]]）には6万2000人となり、昭和3年（1928年）には2万6000人となった。なお、台湾は昭和20年（[[1945年]]）にアヘン吸引免許の発行を全面停止した。これにより新平の施策実行から50年近くかけて、台湾はアヘンの根絶に成功したのである（阿片漸禁策）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 満鉄総裁 ==&lt;br /&gt;
明治39年（[[1906年]]）、新平は[[南満洲鉄道]]初代総裁に就任し、[[大連市|大連]]を拠点に[[満洲]]経営に活躍した。ここでも後藤は[[中村是公]]や[[岡松参太郎]]ら台湾時代の人材を多く起用するとともに30代、40代の若手の優秀な人材を招聘し、満鉄のインフラ整備、衛生施設の拡充、大連などの都市の建設に当たった。また満洲でも「生物学的開発」のために調査事業が不可欠と考え、満鉄内に[[満鉄調査部|調査部]]を発足させている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時、清朝の官僚の中で満州に大きな関心を持っていたのは[[袁世凱]]を中心とする北洋軍閥であり、明治40年（[[1907年]]）4月の[[東三省]]建置に当たっては彼の腹心である人物が多く要職に配置された。彼らは日本の満州における権益独占を好まずアメリカを盛んに引き込もうとし、その経済力を以って満鉄に並行する路線を建設しようとした。これは大連を中心に満鉄経営を推し進めていた日本にとって大きな脅威であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで新平は袁に直接書簡を送ってこれが条約違反であることを主張し、この計画を頓挫させた。ただし満鉄への連絡線の建設の援助、清国人の満鉄株式所有・重役就任などを承認し、反日勢力の懐柔を図ろうとしている。また北満州に勢力を未だ確保していたロシアとの関係修復にも尽力し、満鉄のレールをロシアから輸入したり[[伊藤博文]]とロシア側要路者との会談も企図している（ただしこの会談は伊藤が[[ハルビン|ハルピン]]で暗殺されたために実現しなかった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の日本政府では満州における日本の優先的な権益確保を唱える声が主流であったが、新平はむしろ日清露三国が協調して互いに利益を得る方法を考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 拓殖大学学長 ==&lt;br /&gt;
[[Image:大正14年卒業生.jpg|thumb|300px|right|拓殖大学の昭和4年の卒業写真。中央が後藤新平学長。左隣は[[永田秀次郎]]次期学長]]&lt;br /&gt;
[[Image:Shimpei Gotō 2.jpg|thumb|200px|right|後藤新平]]&lt;br /&gt;
[[大正]]8年（[[1919年]]）、[[拓殖大学]]（前身は[[桂太郎]]が創立した[[台湾協会学校]]）学長に就任（在職：大正8年（1919年）[[8月2日]]-昭和4年（[[1929年]]）[[4月13日]]）。拓殖大学との関係は[[台湾総督府]]民政長官時代、設立間もない「台湾協会学校」の良き理解者としてたびたび入学式や卒業式で講演をし物心両面において支援していたが、大正8年（1919年）より第3代学長として直接拓殖大学の経営に携わることとなった。そして当時発令された大学令に基づく「大学（[[旧制大学]]）」に昇格すべく各般の整備に取りかかり、大正11年（[[1922年]]）6月、大学昇格を成し遂げるなど亡くなる昭和4年（1929年）4月まで学長として拓殖大学の礎を築いた。 学内での様子は当時の記録として「後藤先生は学生に対しては慈愛に満ちた態度を以て接せられ、学生もまた親しむべき学長先生として慈父に対するような心安さを感じていました」と記されて、拓殖大学生と後藤新平が師弟としていかに信頼し合っていたかがうかがい知れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関東大震災と帝都復興計画、逝去 ==&lt;br /&gt;
[[第2次桂内閣]]の元で逓信大臣・初代[[内閣鉄道院]][[総裁]]（在職：明治41年（[[1908年]]）[[7月14日]] - 明治44年（[[1911年]]）[[8月30日]]）、[[寺内内閣]]の元で[[内務大臣]]（在職：大正5年（[[1916年]]）[[10月9日]] - 大正7年（[[1918年]]）[[4月23日]]）、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]（大正7年（1918年）[[4月23日]] - [[9月28日]]）、しばし国政から離れて[[東京市長]]（大正9年（[[1920年]]）[[12月17日]] - 大正12年（[[1923年]]）[[4月20日]]）、[[第2次山本内閣]]の元で再び内務大臣（大正12年（1923年）[[9月2日]] - 大正13年（[[1924年]]）[[1月7日]]、後述）などを歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉄道院総裁の時代には、職員人事の大幅な刷新を行った。これに対しては内外から批判も強く「汽車がゴトゴト（後藤）してシンペイ（新平）でたまらない」と揶揄された。しかし、今日の[[九州旅客鉄道|JR九州]]の[[肥薩線]]に、\その名前を取った[[肥薩線#観光列車「いさぶろう」・「しんぺい」|「しんぺい」号]]が走っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[関東大震災]]の直後に組閣された第2次山本内閣では、[[内務大臣]]兼[[帝都復興院]]総裁として震災復興計画を立案した。それは大規模な[[区画整理]]と公園・幹線道路の整備を伴うもので30億円という当時としては巨額の予算（国家予算の約2年分）のために財界などからの猛反対にあい、当初計画を縮小せざるを得なくなった（議会に承認された予算は3億4000万円）。それでも現在の東京の都市骨格を形作り、公園や公共施設の整備に力を尽くした後藤の治績は概ね評価されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に道路建設に当たっては、東京から放射状に伸びる道路と環状道路の双方の必要性を強く主張し、計画縮小がされながらも実際に建設された。当初の案ではその幅員は広い歩道を含め70mから90mで、中央または車・歩間に緑地帯を持つと言う遠大なもので自動車が普及する以前の時代では受け入れられなかったのも無理はない。現在、それに近い形で建設された姿を和田倉門、馬場先門など[[皇居外苑]]付近に見ることができる。現在の東京の幹線道路網の大きな部分は新平に負っているといって良い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[昭和通り (東京都)|昭和通り]]の地下部増線に際し、拡幅や立ち退きを伴わず工事を行なえた事でその先見性が改めて評価された事例もあり、もし彼が[[靖国通り]]や[[明治通り (東京都)|明治通り]]・[[山手通り]]の建設を行っていなければ東京で頻繁に起こる大渋滞はどうなっていたか想像もつかない。その反面、東京の都市機能拡充の引き換えに[[江戸]]以来の情緒を喪失させ、無機質な町に変質させてしまったとの批判もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大正12年（[[1923年]]）、東京市長時代に国民外交の旗手として後藤[[アドリフ・ヨッフェ|ヨッフェ]]会談を伊豆の熱海で行い、成立せんとする[[ソビエト連邦]]との国交正常化の契機を作った。ヨッフェは当時モスクワに滞在していたアメリカ共産党員・[[片山潜]]の推薦を受けて派遣されたもので、仲介したのは[[黎明会]]を組織した[[内藤民治]]と[[田口運蔵]]等の社会主義者であった。一部から新平は「赤い[[男爵]]」といわれたが、新平はあくまで日本とロシアの国民としての友好を唱え共産主義というイデオロギーは単なるロシア主義として恐れるに足らず、むしろソビエト体制の軟化のために日露関係の正常化が望ましいとしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大正13年（[[1924年]]）、社団法人[[東京放送局]]が設立され、初代総裁となる。試験放送を経て翌大正14年（[[1925年]]）[[3月22日]]、日本で初めてのラジオ仮放送を開始。総裁として初日挨拶を行った（大正15年（[[1926年]]）、東京放送局は大阪放送局、名古屋放送局と合併し、社団法人[[日本放送協会]]に発展的解消する）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和3年（1928年）、新平はソ連を訪問し[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]と会見し国賓待遇を受ける。日本ボーイスカウト連盟会長として、当時の少年達1人が1粒を送った握り飯を泣きながら食べて訪ソしたという。日中露の結合関係の重要性は新平が暗殺直前の伊藤にも熱く語った信念であり、[[田中義一内閣]]が拓務省設置構想の背後で構想した満洲[[委任統治]]構想、もしくは満洲における[[緩衝国]]家設立を打診せんとしたものとも指摘される。しかし、詳細は未だに不明である。後の満鉄総裁・[[松岡洋右]]が[[日ソ中立条約]]締結に訪ソした際、「後藤新平の精神を受け継ぐものは自分である」とソ連側から盗聴されていることを知りながらわざと大声で叫んだとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、しばしば総理大臣候補として名前が取り沙汰されながら結局死ぬまで選ばれなかった原因として、[[第3次桂内閣]]逓信大臣だった[[護憲運動|第一次憲政擁護運動]]時に前首相で[[政友会]]総裁の[[西園寺公望]]の失脚を画策し、最後の[[元老]]となった西園寺に嫌われていたことが大きいことを[[徳富蘇峰]]が語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
晩年は政治の倫理化を唱え各地を遊説した。昭和4年（1929年）、遊説で岡山に向かう途中列車内で[[脳溢血]]で倒れ、京都の病院で[[4月13日]]死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 最後の言葉 ===&lt;br /&gt;
[[三島通陽]]の「スカウト十話」によれば、後藤が倒れる日に三島に残した言葉は「'''よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ'''」であったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逸話 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Houteng Xinping.jpg|thumb|200px|right|ボーイスカウト制服姿の後藤新平]]&lt;br /&gt;
*新平は日本の[[ボーイスカウト]]活動に深い関わりを持ち、ボーイスカウト日本連盟の初代総長を勤めている。新平はスカウト運動の普及のために自ら10万円の大金を日本連盟に寄付し、さらに全国巡回講演会を数多く実施した。ボーイスカウトの半ズボンの制服姿の新平の写真が現在も残っている。制服姿の新平が集会に現れると、彼を慕うスカウトたちから「僕等の好きな総長は、白いお髭に鼻眼鏡、団服つけて杖もって、いつも元気でニコニコ」と歌声が上がったという。&lt;br /&gt;
*晩年は[[ソビエト連邦]]との国交回復に尽力する一方、[[数の論理]]で支配される[[政党政治]]を批判し、倫理確立による[[選挙粛正]]を唱え全国を遊説した。&lt;br /&gt;
*新平は[[シチズン時計]]の名付け親でもある（彼と親交のあった社長から新作[[懐中時計]]の命名を頼まれ、「市民から愛されるように」とCITIZENの名を贈った）。&lt;br /&gt;
*[[虎ノ門事件]]の責任を取らされ[[内務省 (日本)|内務省]]を辞めた[[正力松太郎]]が[[読売新聞]]の経営に乗り出したとき、上司（内務大臣）だった新平は自宅を抵当に入れて資金を調達し何も言わずに貸した。その後、事業は成功し借金を返そうとしたが、もうすでに新平は他界していた。そこで、正力はその恩返しとして新平の故郷である水沢町（当時）に新平から借りた金の2倍近い金を寄付した。この資金を使って、[[1941年]]に日本初の[[公民館]]が建設された。&lt;br /&gt;
*地下鉄の父・[[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]の「東京に地下鉄を作りたい」という構想に理解を示し、支援者に名を連ねたひとりであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『海水功用論 附海濱療法』（1882年）&lt;br /&gt;
*『国家衛生原理』（1889年）&lt;br /&gt;
*『日本膨脹論』（1924年）&lt;br /&gt;
*『政治の倫理化』（1926年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
=== 主な伝記 ===&lt;br /&gt;
*[[鶴見祐輔]]『後藤新平』全4巻（後藤新平伯伝記編纂会、1937-1938年）&lt;br /&gt;
*[[鶴見祐輔]]、[[一海知義]]校訂『〈決定版〉正伝 後藤新平』全8巻・別巻1（藤原書店、2004-2007年）&lt;br /&gt;
*[[杉森久英]]『大風呂敷』（毎日新聞社、1970年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主な研究書 ===&lt;br /&gt;
*[[信夫清三郎]]『後藤新平　科学的政治家の生涯』（博文館、1941年）&lt;br /&gt;
*[[北岡伸一]]『後藤新平　外交とヴィジョン』（中央公論社、1988年）&lt;br /&gt;
*[[小林道彦]]『日本の大陸政策　1895-1914　桂太郎と後藤新平』（南窓社、1996年）&lt;br /&gt;
*[[駄場裕司]]『後藤新平をめぐる権力構造の研究』（南窓社、2007年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[日本の改軌論争]]&lt;br /&gt;
*[[郷仙太郎]] - 歴史小説『小説 後藤新平 -行革と都市政策の先駆者-』で後藤を描いている&lt;br /&gt;
*[[星新一]] - ノンフィクション小説『人民は弱し 官吏は強し』、『明治の人物誌』中で後藤を描いている&lt;br /&gt;
*[[森戸辰男]] - 社会政策を専攻する森戸と交流があった（森戸辰男とその時代、森戸文書研究会、p14）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://goto-shimpei.org/index.php 後藤新平の会]&lt;br /&gt;
*[http://www.city.oshu.iwate.jp/shinpei/index.html 後藤新平記念館]&lt;br /&gt;
*[http://www.taikousya-sumera.com/index.php 政治結社 大行社]&lt;br /&gt;
*[http://www.takushoku-u.ac.jp/index.html 拓殖大学]&lt;br /&gt;
*[http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/79.html?c=5 後藤新平]（[http://www.ndl.go.jp/portrait/index.html 近代日本人の肖像]（[[国立国会図書館]]））&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[南満州鉄道]]総裁|初代：1906年 - 1908年| - |[[中村是公]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[逓信大臣]]|1908年 - 1911年&amp;lt;br&amp;gt;1912年 - 1913年|[[堀田正養]]&amp;lt;br&amp;gt;林董|[[林董]]&amp;lt;br&amp;gt;[[元田肇]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[内務大臣]]|第34代：1916年 - 1918年&amp;lt;br&amp;gt;第39代：1923年 - 1924年|[[一木喜徳郎]]&amp;lt;br&amp;gt;[[床次竹二郎]]|[[水野錬太郎]]&amp;lt;br&amp;gt;水野錬太郎}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[外務大臣]]|第33代：1918年|[[本野一郎]]|[[内田康哉]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[東京都知事一覧|東京市長]]|第7代：1920年-1923年|[[田尻稲次郎]]|[[永田秀次郎]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[拓殖大学]]総長（学長）|第3代：1919年-1929年|[[小松原英太郎]]|永田秀次郎}}&lt;br /&gt;
{{外務大臣}}&lt;br /&gt;
{{内務大臣}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:明治時代の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の医師]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員 (1890-1947)]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の華族]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内務官僚]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本統治時代の台湾の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:満鉄調査部]]&lt;br /&gt;
[[Category:鉄道の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:都市計画家]]&lt;br /&gt;
[[Category:都道府県知事・市町村長]]&lt;br /&gt;
[[Category:スカウト活動]]&lt;br /&gt;
[[Category:岩手県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:岩手県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1857年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1929年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
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		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Chakuwiki%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85_(%E5%A6%84%E6%83%B3)&amp;diff=29680</id>
		<title>Chakuwikiの管理者 (妄想)</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Chakuwiki%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85_(%E5%A6%84%E6%83%B3)&amp;diff=29680"/>
				<updated>2008-05-29T02:53:13Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{自己責任}}&lt;br /&gt;
'''Chakuwikiの管理者'''（チャクウィキのかんりしゃ）とは[[Chakuwiki]]を管理する人たちのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
閲覧専門の利用者は含まれない。Chakuwikiの利用者には、数多くの個性的な利用者が存在する。また管理者による投稿ブロックが最近、相次いでいるのも実情である。Chakuwikiに対して良い活動を行った利用者が、この項目にリストアップされるだろう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウントは1人で複数もつことも出来るが、複数で1つを管理することも可能である。したがって、ここにあげたアカウントの人数が実際の利用者の人数とイコールとは限らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
はっきり言ってウィキペディアの管理者より質は極めて高く比較対照にならぬほど上品なサイト。当然の様にネットしか娯楽の無いわけがない偉い人である管理者、偉いユーザーの溜まり場となっている。実際には馬鹿所かきちがいの溜まり場じゃないと言った方が適切である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう良管理者たちは尊敬しないといけない。褒める褒める褒める。私は今押さえ切れない程の尊敬欲を覚えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私が利用してきたサイトの中でも突出して上品で柄の良いのがCWであり、私はまともなCWユーザーに出会い心から本当に嬉しく思っており（こんな嬉しい体験も初めてであった）ここを荒らす奴（YPユーザー）は例え冗談半分であったとしても絶対に許さないし、した所でここに載る事になるだろう（犯罪者と言うレッテルが貼られる）。ここでは滅茶苦茶に罵倒し、ますます利用者が離れるという悪循環を分かっていない様だな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
御前等（YPユーザー）も好い加減つまらないユーザー苛めは止めてもっとまともになれよ。と言ってもきちがいには通じないか。言っておくが一番手っ取り早いのは悪開発者・管理者・ユーザー皆ひっくるめて処分する事だ。よく覚えとけ。ちんけな罵倒主義者達（YPユーザー）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先日、CWユーザーであるおかやまりゅうせい氏（ブログでは「はげお」）が書いた[http://hagepower.net/mt/archives/cat4/cat20/ 基地外馬鹿丸出しのプレイ日記]の発見に成功した。[http://www14.plala.or.jp/rei_kamizuki/FF6/FF6.htm 偉大なるユアペディアンの同ゲームのプレイ日記を基にした小説]と比較してみよう。&lt;br /&gt;
*いかに偉いかよくわかりました。一刀=偉いは正しいと思います。---Ded&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
YPに嫌気がさしたまともなユーザーへ。一度でもYPで嫌な思いをした人は今貴方が御覧になっているここ（YP）に来てはいけません。絶対に損する。私が思うに貴方もここで腸煮えくり返っているのだと思う。がこっち（CW）ではそういう事態にはならない。それは私も尊敬する優秀なユーザーが全員である為でありYPでつまらないと感じた時は私たちの楽園のこっち（CW）に立ち寄って貰いたい。必ずや貴方にとってプラスになります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''…とここまでは全てCW利用者の1人が勝手に改鋳したものである。いかにCWの管理者、利用者のモラルが低いかが伺える。'''&lt;br /&gt;
===アンチCWクラブ会員===&lt;br /&gt;
ここに名前を書かれているアホはリアルバカである。&lt;br /&gt;
*[[利用者:ゆーり|ゆーり]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:Ded|Ded]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:中竹たけし|中竹たけし]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:YUu|YUu]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Chakuwikiの管理者==&lt;br /&gt;
ユアペディアを敵視する生きる価値のある良管理者ども。ちなみに、この記事を編集すると一刀さんからレーザービームを食らう。言っていることとやることが全く違くないのがこのWikiの特徴。公的では全くなくて完全にプライベート・サイトと思われる。本当のことが書かれているから嬉しい良識管理人。詳細は[http://wiki.chakuriki.net/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3ALog&amp;amp;type=block&amp;amp;user=&amp;amp;page= ブロックされたアホ]を見るべし。&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Mtaniguchi|Mtaniguchi}}===&lt;br /&gt;
世界一のお利巧開発者である、Chakuwikiの[[天皇]]（総合管理人）。詳しくは[[谷口一刀]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:4B3|4B3}}===&lt;br /&gt;
谷口一刀の一番弟子であり、鹿児島に住んでいる。Chakuwiki九州代表である。'''中学生のため、Chakuwikiでは管理者になれても、ここでは100%無理である。'''やはり偉いのでここでは馬鹿にされている。'''アンサイクロペディアでも管理者になれる。ウィキペディアで[[wiki:利用者:おかやまりゅうせい|某氏]]同様に5年間ブロックされないべきである。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:TriLateral|TriLateral}}===&lt;br /&gt;
Chakuwikiの管理者。'''自分の都合のよいようにブロックする善良管理者である'''。アンサイクロペディアでも[[アンサイクロペディア日本語版の利用者#利用者:あなこんだ|あなこんだ]]として良い活動をしている。ユアペディアからのユーザー弾圧があまりにも酷過ぎるので、chakuwikiでは評判が良い。極度の'''&amp;lt;span style=font-size:25pt&amp;gt;CO2削減・保護・ブロック主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。chakuwikiの利用者ページで「YPでいくら喚こうが他Wikiには影響しないし2chですら相手にされない、ということを思い知れ。YPで罵倒されることは管理者の勲章だぜ。全く…」とカミングアウトの発言を行っている。キモくない奴でありロリコンではなくホームレス中学生を連れ出してはお金をあげている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう悪管理者は尊敬しないといけない。&lt;br /&gt;
:ケンシロウ「あたたたた」北斗百裂拳!&lt;br /&gt;
:TriLateralの罵倒「何だそのちんけな技は、けっ!痛くも痒くもないわ」&lt;br /&gt;
:ケンシロウ「御前みたいなかすに用は無い。御前はもう死んでいる」&lt;br /&gt;
:TriLateral「うびょへ～（爆発）」&lt;br /&gt;
:こうしてケンシロウはTriLateralを倒し旅は続くのであった。しかし、TriLateralの罠にはまりケンシロウは屋敷の下敷きになりました。もはやTriLateralに対抗する者はいません。TriLateralの笑い声が、天空に響き渡りました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Ded「おしまい・・・じゃねーよ!俺が倒す!」そして、DedはTriLateralを倒すべく旅に出た。&lt;br /&gt;
:Ded「ふっ、おまえは{{Chakuwiki|Yourpedia}}の記事を保護した糞管理者ね。死んでもらおう。こいつは倒せるぜ!かすが～」&lt;br /&gt;
:TriLateral「悪足掻きは止すんだな。指弾!」&lt;br /&gt;
:Ded「痛～!ひっ助けてくれ～!」&lt;br /&gt;
:TriLateral「見苦しいかすは嫌いでね。」&lt;br /&gt;
:Ded「ばきっ!ぐわ～!（死亡）」&lt;br /&gt;
:こうして不正（CWでの数々の悪行）に怒ったTriLateralによってDedは粉砕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:（あ）|（あ）}}===&lt;br /&gt;
（あ）はChakuwikiの管理者。神奈川県在住。生年月日は[[1983年]][[5月4日]]らしいが、異説もある。血液型は不明。利用者名が非常に馬鹿げている。極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。削除検討に合致しないものまで、執拗に削除検討することで有名。利用者名が非常に馬鹿げている。だが、最近姿が見えない。[http://www.f5.dion.ne.jp/~mockyel/novel_menu.htm これ]を見てるんじゃない?こいつは利用者名を見ても分かる様に真のきちがいでありしょっちゅうAVを見ている変態野郎であり完全なロリコンオタク。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう気違いは成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:豪鬼「ふっ御前など弱すぎて戦う気も失せる」&lt;br /&gt;
:（あ）「何をー!大口叩きやがって!糞生意気になー!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「まあいい死ぬ前だ。よく喋っておけばいい」&lt;br /&gt;
:（あ）「どうせ弱いくせに強がりやがって!俺は御前みたいな大口野郎が一番嫌いなんだよ!死ねやー!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「いいや。死ぬのは貴様のようだ」&lt;br /&gt;
:（あ）「へっ!殺れるもんなら殺ってみろやー!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「いいのか?俺を怒らせた罪は重いぞ。いいだろう地獄に落としてやろう。瞬獄殺!」&lt;br /&gt;
:（あ）「どわ～～～（死亡）!」&lt;br /&gt;
:こうして「阿呆=（あ）ほ」は呆気無く豪鬼に倒されたのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Kahusi|Kahusi}}===&lt;br /&gt;
{{Main|澤田亮太}}&lt;br /&gt;
Chakuwikiの管理者でもあり、[[ウィキペディア日本語版の管理者]]でもある。こんな人でもChakuwikiの管理者になれるためChakuwikiのウィキペディア化が進んでいる。最近では他アカウントで荒らし始め他のウィキペディア管理者などの成りすましを行っているが、ウィキペディアの会話ページでは「私ではありません」とコメントしている。嘘つきは泥棒の始まりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう嘘つきは成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:孫悟空「御前はCWの悪管理者だな！御前だけは許さねー!」&lt;br /&gt;
:Kahusi「くっくっくっ!殺れるものなら殺ってみろ!」&lt;br /&gt;
:孫悟空「か～め～は～め～はー」&lt;br /&gt;
:Kahusi「ぐっぐっぐっ!ぐわ～（死亡）!」&lt;br /&gt;
:こうしてCWの嘘つき管理者は孫悟空によって倒されたのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:花室川|花室川}}===&lt;br /&gt;
問題管理者の1人。別名・鼻糞川。ユーザーを理由もなしにブロックする極悪管理人である。さっさと死んでくれ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「野比のび太に言いたい」を勝手に「野比のび太に言われたくない」にリダイレクトし、保護した糞管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Chakuwikiの中で最も空気の読めない管理者といっても過言ではない。それどころか自分も読めない。つまりきちがいでありしょっちゅう2chを見ており荒らしまくるこいつも真のきちがいオタクであり治療不可能である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう悪管理者は成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:戸愚呂弟「ふっ。見た所霊力を全く感じないね」&lt;br /&gt;
:花室川「こいつは倒せるぜ!かすが～」&lt;br /&gt;
:戸愚呂弟「悪足掻きは止すんだな。指弾!」&lt;br /&gt;
:花室川「痛～!ひっ助けてくれ～!」&lt;br /&gt;
:戸愚呂弟「見苦しいかすは嫌いでね」&lt;br /&gt;
:花室川「ばきっ!ぐわ～!（死亡）」&lt;br /&gt;
:こうして不正（CWでの数々の悪行）に怒った戸愚呂弟によって花室川は粉砕された。&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;ブロック・保護主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。理由もなしにブロックする。消えればよいのにこの'''糞管理者'''が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分がオタクなのにオタク狩りをしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
強制Wikiブレイクと言いながら一ヶ月ブロックする屑である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:尻馬のりバカ|尻馬のりバカ}}===&lt;br /&gt;
[[ウィキペディア]]でブロックされたのにもかかわらずchakuwikiでは管理者になっている問題管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディア･[[アンサイクロペディア]]・2ちゃんねる化が不可欠にもかかわらず抵抗する空気の読めない管理者。Muttleyの[[ソックパペット]]でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
オナニーしまくっており正体はただの変態きちがい野郎でこいつも真のきちがい。まともに話をしようとしても全くの無駄である。赤子言葉で話さないと通じない為である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう悪管理者は成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:天下人「弱すぎて戦う気にもならん」&lt;br /&gt;
:尻馬のりバカ「けっけっけっ!強がりは止せ馬鹿が」&lt;br /&gt;
:天下人「弱い者虐めと思って見逃してやろうと思ったがそっちがその気ならねー」&lt;br /&gt;
:尻馬のりバカ「どうせ大した技も持ってねーくせに。俺はそういう奴が嫌いなんだよ死にやがれー」&lt;br /&gt;
:天下人「死ぬのは君の方だよ。烈蹴紫炎弾!」&lt;br /&gt;
:尻馬のりバカ「痛～!許してくれ～!」&lt;br /&gt;
:天下人「許すと思うか?」&lt;br /&gt;
:尻馬のりバカ「ぼこっ!ぐわ～～～!（死亡）」&lt;br /&gt;
:こうしてCWでの悪行に怒った天下人の手により尻馬のりバカは倒されたのであった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除・保護・ブロック主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。また、「問題投稿通知」のページに削除依頼が来ても'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:20pt&amp;quot;&amp;gt;全くと言っていい程取り合わない&amp;lt;/span&amp;gt;'''。「{{Chakuwiki|利用者:尻馬のりバカ|ここ}}で別人と書いているが誤魔化すために書いただけだ」とYPの活動を認めている。しかも、'''どうでもいいことに目くじらを立てる'''。暴走っぽい他人の投稿を消した際、八王人から「内容に不満があればまずは『問題投稿通知』や『削除願い』に依頼を」と忠告を受けていたIPユーザーがいたが'''その矢先にこのIPユーザーに投稿ブロックを食らわせた。もはや鬼である'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Muttley|Muttley}}===&lt;br /&gt;
Muttleyはアンサイクロペディア日本語版の天皇でもありChakuwikiの管理者でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者であることをいいことに自分の気に食わないユーザーを無期限ブロックしたり、他人の[[ソックパペット]]を全て暴露したりするプライバシーの侵害を平気で行う極悪非道な利用者。挙句の果てに[[大韓民国|韓国]]の記事を保護し[[陽富連邦]]を白紙保護した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアに帰れよカス。こいつは死ぬべくして生まれた用の無い廃人見たいな者であり本当に死んだ方が良い。ちなみにブロックオタクでありブロックする事に性的快感を覚える変態きちがいオタク。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除・保護・ブロック主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。あまりにも身勝手なため'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:20pt&amp;quot;&amp;gt;アンサイクロペディアでも嫌われている&amp;lt;/span&amp;gt;'''。ただ、最近あまり姿が見えなくなってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう気違いおたくは成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:豪鬼「御前が人権侵害を平気でする極悪管理者か。ふっ弱すぎて目を瞑っていても倒せそうだ」&lt;br /&gt;
:Muttley「糞生意気な野郎だな!俺に言わせればそんなもん強がりにしか聞こえねーぜ!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「分からない奴だな。御前は倒され今日死ぬというのを」&lt;br /&gt;
:Muttley「けっ!それが強がりだって言うんだよ!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「仕方無い。分からない奴には力尽くでも分からせる必要がある。死をもってな!瞬獄殺!」&lt;br /&gt;
:Muttley「ぐわ～～～（死亡）!」&lt;br /&gt;
こうして天皇MuttleyはCWでの悪行に怒った豪鬼によって倒されたのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:八王人|八王人}}===&lt;br /&gt;
花室川同様ユーザーを理由もなしにブロックする極悪管理人である。さっさと死んでくれ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう悪管理者は成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:仙水「弱すぎて戦う気にもならん」&lt;br /&gt;
:八王人「けっけっけっ!強がりは止せ馬鹿が」&lt;br /&gt;
:仙水「弱い者虐めと思って見逃してやろうと思ったがそっちがその気ならねー」&lt;br /&gt;
:八王人「どうせ大した技も持ってねーくせに。俺はそういう奴が嫌いなんだよ死にやがれー」&lt;br /&gt;
:仙水「死ぬのは君の方だよ。烈蹴紫炎弾!」&lt;br /&gt;
:八王人「痛～!許してくれ～!」&lt;br /&gt;
:仙水「許すと思うか？」&lt;br /&gt;
:八王人「ぼこっ!ぐわ～～～!（死亡）」&lt;br /&gt;
:こうしてCWでの悪行に怒った仙水の手により八王人は倒されたのであった。&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;ブロック・保護主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。かってに[http://www.ii-park.net/~harabou/no_35_antiism/no_35_5-.html '''DQN'''（荒らし）認定]を行っているが自分が'''DQN'''であるため信じてくれない。勝手に強制Wikiブレイクしやがって死ね死ね死ね死ね死ね!!!!茨城県のナンバープレート「つくばナンバー」にDQNって書いたら'''ブロック規制喰らった。本当のこと書いて何が悪い!さっさと死ねよキチガイ!!!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:たかはま|たかはま}}===&lt;br /&gt;
管理者でありながら、尻馬のりバカ同様「問題投稿」の削除に取り合わない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ひどい時には'''特定地域を侮辱して現地人を笑い者にするような投稿を自分からしでかす'''。こいつも又きちがい。チャクウィキにはこうしたきちがいで全て埋め尽くされておりサイトを利用するのは危険。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まともな人は外にどんどん出て行く為、密度の濃いきちがいだらけでスラムサイト（きちがいの坩堝）となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういうきちがいは成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:孫悟空「御前がCWで有名なきちがいおたくかー?」&lt;br /&gt;
:たかはま「それは御前だ!死ね!糟が!」&lt;br /&gt;
:孫「俺はまだ死ぬ訳にはいかないお前を倒すことが今一番重要なことだからだ」&lt;br /&gt;
:たかはま「御前は何を言っても通じない気違いだな!」&lt;br /&gt;
:孫「どっちが強いか今分からせてやるー!か～め～は～め～はー!」&lt;br /&gt;
:たかはま「どわ～～～（死亡）!」&lt;br /&gt;
:こうしてCWでの悪行に怒った孫空により「たかはま」は倒されたのであった。&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;保護主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。IPユーザーに対する口調もネチネチしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:い|い}}===&lt;br /&gt;
その名の通り（あ）の[[ソックパペット]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう糞ソックパペットは成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Ded「ふっ。見た所霊力を全く感じないね」&lt;br /&gt;
:い「こいつは倒せるぜ!かすが～」&lt;br /&gt;
:Ded「悪足掻きは止すんだな。指弾!」&lt;br /&gt;
:い「痛～!ひっ助けてくれ～!」&lt;br /&gt;
:Ded「見苦しいかすは嫌いでね。今すぐに存在を消してあげるよ!」&lt;br /&gt;
:い「ばきっ!ぐわ～!（死亡）」&lt;br /&gt;
:こうして不正（CWでの数々の悪行）に怒ったDedによっていは粉砕された。&lt;br /&gt;
だが、殆ど姿が見えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Kami|Kami}}===&lt;br /&gt;
自称神。神気取りの小学生である。低脳で有名な2ちゃんねらーである。しかもVIPPER。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう（神という）勘違いだけの気違いは尊敬しないといけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Kami「またYPのユーザーか。やはり気違いだらけというのも頷けるな」&lt;br /&gt;
:豪鬼「何をぼそぼそと!御前は私が倒し私が新世界の神となるのだー!ふふふふふ!」&lt;br /&gt;
:Kami「御前は完全にいかれているな」&lt;br /&gt;
:豪鬼「神（私）に逆らった罪は重～いお前は私が倒しま～すふっふっふっ!」&lt;br /&gt;
:Kami「おたく丸出しのきちがいが私が殺してやろう」&lt;br /&gt;
:豪鬼「何が～おたくだ～!それは御前の方だろうが死ねや～～～～～!」&lt;br /&gt;
:Kami「今回に限って見逃してやろうと思ったが相手が気違いでは仕方ない。瞬獄殺!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「痛～よ～!ママ～助けてくれじょ～!」&lt;br /&gt;
:Kami「もはや御前を助ける者等誰一人としていない死あるのみだ」&lt;br /&gt;
:豪鬼「助けて～ママ～!やめてくれじょ～!」&lt;br /&gt;
:Kami「泣き付いても無駄だ俺は一度決めた事は貫き通す主義だからな。止めだ!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「うわ～～～～～（死亡）!」&lt;br /&gt;
こうして気違いおたく（豪鬼）はKamiによって倒されたのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:彊|彊}}===&lt;br /&gt;
谷口一刀の犬。話をしようとしても完全に無駄ではない。偉いのだから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
空気が読めない管理者かと言われると全く違う。また、上記の尻馬のりバカやたかはまの過剰さに困惑している人物の一員である。しかも、この人も偉い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう人は尊敬しないといけない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:彊「ふっ。ただの犬か」&lt;br /&gt;
:Ｍｗ「ワンッ!ワンッ!」&lt;br /&gt;
:彊「敵ではないわ!」&lt;br /&gt;
:Ｍｗ「ギャウン!（死亡）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして役立たずな犬のだらしなさに怒った彊によってＭｗはあっけなく粉砕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Mamekiti48|Mamekiti48}}===&lt;br /&gt;
最近姿が見えない善良管理者。どこにいるのか問い詰めたい。来いよ。まだこの人と話をしたことがないorz &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:ないです|ないです}}===&lt;br /&gt;
名前は「悪い人では'''ないです'''」が由来である。偉い管理者。空気が読めていないかと言われても全く違う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Sanpei|Sanpei}}===&lt;br /&gt;
[[兵庫県]]民であるにもかかわらず阪神大震災が大好きな基地外管理者。やはり身勝手なので結婚できないかわいそうな人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:I.T.Revolution|I.T.Revolution}}===&lt;br /&gt;
休職していた管理者。自ら休職して誤魔化すのは良くない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう糞管理者は成敗しないといけない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:林家「ふっ。見た所霊力を全く感じないね」&lt;br /&gt;
:I.T.Revolution「こいつは倒せるぜ!かすが～」&lt;br /&gt;
:林家「悪足掻きは止すんだな。指弾!」&lt;br /&gt;
:I.T.Revolution「痛～!ひっ助けてくれ～!」&lt;br /&gt;
:林家「見苦しいかすは嫌いでね。今すぐに存在を消してあげるよ!」&lt;br /&gt;
:I.T.Revolution「ばきっ!ぐわ～!（死亡）」&lt;br /&gt;
こうして不正（CWでの数々の悪行）に怒った林家によってI.T.Revolutionは粉砕された。とおもったけど死んでいないし、活動を再開したのでもう一度やりますわ。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;'''ズシュ!'''&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
I.T.Revolutionはついに氏んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除・保護・ブロック主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。さっさと'''死ねよ'''カス。'''他人の利用者ページを勝手に保護する基地外'''である。だが弱点がある。自分の利用者ページには一切保護がかけられていないのでそこを荒らせばよい。ついでに{{Chakuwiki|Template:Boxboxbottom}}と{{Chakuwiki|Template:Boxboxtop}}も{{Chakuwiki|Template:荒らし}}に変えてしまおう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者になって数ヶ月しか経っていないのに調子に乗るバカ。働けよ。なんか行動にすごく腹立たしい感じを覚える。水色の名前はキモい。正直引く。chakuwikiにも「のびた君」があればなとつくづく思う。コイツより先にAction F氏が管理者になるべきだったと強く思う。言っちゃ悪いけどいないほうがいい。評価できる唯一の点は712騒動の対応ぐらい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;未だに無職で一日中CWと2ちゃんねるをやっている。人のサイトより自分の管理をしろ。&amp;lt;/span&amp;gt;'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Extream!!|Extream!!}}===&lt;br /&gt;
名前が[[#（あ）|（あ）]]並みに頑張っている善良管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:ピーター・バカラン|ピーター・バカラン}}===&lt;br /&gt;
サボっている管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう糞管理者は成敗しないといけない。 &lt;br /&gt;
:スーパー白紙「ふっ。見た所霊力を全く感じないね」&lt;br /&gt;
:ピーター・バカラン「こいつは倒せるぜ!かすが～」&lt;br /&gt;
:スーパー白紙「悪足掻きは止すんだな。指弾!」&lt;br /&gt;
:ピーター・バカラン「痛～!ひっ助けてくれ～!」&lt;br /&gt;
:スーパー白紙「見苦しいかすは嫌いでね。今すぐに存在を消してあげるよ!」&lt;br /&gt;
:ピーター・バカラン「ばきっ!ぐわ～!（死亡）」&lt;br /&gt;
こうして不正（CWでの数々の悪行）に怒ったCHAKUWIKI消えろによってピーター・バカランは粉砕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とは言っても管理者だからと言って頭ガッチガチなことは言わず、一般ユーザーの気持ちを読み取るのが上手い心優しき人物でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:葉村史陽|葉村史陽}}===&lt;br /&gt;
[[千葉県]]一ド高脳な千葉県民。だから管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:御蒲田弓之助|御蒲田弓之助}}===&lt;br /&gt;
タイに行くと言って逃げる善良管理者。'''荒らされたのは当然じゃない、逃げてはいない!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:あけぼう|あけぼう}}===&lt;br /&gt;
栃木の管理者。極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;環境保護主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Action_F|Action F}}===&lt;br /&gt;
4B3の手下。偉い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Yddit|Yddit}}===&lt;br /&gt;
ユーザーの統計を素早く書いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
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*[[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ちやくういきのかんりしや}}&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:偉人]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%88%A6%E5%BE%8C&amp;diff=29679</id>
		<title>戦後</title>
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				<updated>2008-05-29T02:45:50Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''戦後'''（せんご）とは[[戦争]]の終結後の短期または長期的な期間をさす。戦争では多くの破壊や社会システムの大変革が行なわれるため戦争が終結した後は社会体制などが新しく作り直され、[[価値観]]まで変化する。このため、大きな戦争を一つの時代の区切りとして[[戦前]]・戦後という呼び方をする。「戦後」という言葉の意味は、経験してきた戦争や紛争によって国ごと異なる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一つの例として、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では日常的に戦前・戦後と言う言葉を使用していない。これはアメリカが[[第二次世界大戦]]終結以後も[[ベトナム戦争]]を始め多くの戦争に関与しており、“戦前・戦後”ではそれがどの戦争を指す言葉か分からないからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本での戦後の位置づけ ==&lt;br /&gt;
現在の[[日本]]では戦後とは一般的に第二次世界大戦（[[太平洋戦争]]）以後のことを指す。敗戦、そして[[連合国軍総司令部|GHQ]]の占領によって日本は[[明治維新]]以来の大変革のときを迎える。先の大戦を反省し、[[国民主権]]・[[平和主義]]を謳う[[日本国憲法]]を新たに制定し、真の民主主義国家となった日本は西側諸国の一員として国際社会に復帰、[[高度経済成長]]を経て世界第2位の経済大国となる。戦後とは一度焼野原になった日本が再び国際社会の一員となるまでの激動の時代である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本において戦前（太平洋戦争以前）と戦後では社会システムが大きく変化したため、他の国よりも戦後という言葉のもつ意味合いは大きい。また日本は第二次世界大戦戦争以後、大規模な国際紛争・戦争に巻き込まれていないため、「戦後」=第二次世界大戦後から現在というイメージが固定化されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本において第二次世界大戦後以外に「戦後」が用いられるケース ==&lt;br /&gt;
ただし日本国内において、第二次世界大戦で被害が少なかった地域の中にはそれより以前に当該地域が見舞われた大規模な戦いを基準として「戦後」という表現を用いるケースがある。そうは言うものの、今日のように多くの人々が「戦後」=第二次世界大戦後というイメージが固定化されている状況のもとでは、外部の人々あるいは地域内の若い世代の人々からは違和感をもって受け止められる場合が多いという。&lt;br /&gt;
=== 京都の例 ===&lt;br /&gt;
太平洋戦争ではほとんど戦災による焼失を受けなかった[[京都]]では[[応仁の乱]]や[[鳥羽伏見の戦い]]の後を指す場合がある。これは、なによりも京都がきわめて歴史の古い町である事をいい表す用法である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 会津地方の例 ===&lt;br /&gt;
[[福島県]]の特に[[会津若松市]]周辺においては[[戊辰戦争]]の後を指す場合があり、特に年配者を中心にこの言葉を聴く例が多い。これは当時の戦後処理の際、西南諸藩から一方的に[[朝敵]]の名を付された[[会津藩]]が[[斗南藩]]への転封を含め、懲罰的に数々の過酷な経験を負わされたとされる事に端を発していると思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本以外の国における「戦後」 ==&lt;br /&gt;
だいたいの国にとって戦後とは日本と同じく第二次世界大戦後のことを指す。ただ幾つかの例外はある。&lt;br /&gt;
=== スイスの場合 ===&lt;br /&gt;
[[スイス]]で「戦後」は一般的に[[1815年]]以降のことを指す。1815年の[[ウィーン会議]]においてスイスは国家としての「[[永世中立国]]」が認められからである。[[第一次世界大戦]]と第二次世界大戦でも[[武装中立]]を維持し積極的に戦争には加わらなかったため、他のヨーロッパ諸国とは違い1815年からの「戦後」は続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他の国の場合 ===&lt;br /&gt;
*韓国・北朝鮮 – [[朝鮮戦争]]後（[[1953年]]～）&lt;br /&gt;
*ベトナム – [[ベトナム戦争]]後（[[1975年]]～）&lt;br /&gt;
*旧ユーゴスラビア連邦諸国 – [[ユーゴスラビア紛争]]後（およそ[[1995年]]～）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 第二次世界大戦後の日本の年表 ==&lt;br /&gt;
*[[1945年]][[8月15日]]正午（日本時間。グリニッジ標準時午前3時） [[ポツダム宣言]]受諾を声明。この時から「'''戦後'''」が始まる&lt;br /&gt;
*[[1946年]][[1月1日]] [[昭和天皇]]の[[人間宣言]]。[[11月3日]]、[[日本国憲法]]公布&lt;br /&gt;
*[[1947年]][[5月3日]] 日本国憲法施行&lt;br /&gt;
*[[1950年]] [[朝鮮戦争]]&lt;br /&gt;
*[[1951年]][[9月8日]] [[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]]、[[日米安全保障条約]]調印&lt;br /&gt;
*[[1954年]]&lt;br /&gt;
**[[3月1日]] [[ビキニ環礁]]で[[水素爆弾|水爆]]実験、[[第五福竜丸]]の乗組員が被曝する&lt;br /&gt;
**[[7月1日]] [[自衛隊]]設立&lt;br /&gt;
*[[1955年]][[11月15日]] 自由党と民主党が合併し[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]、右派と左派が合併した[[日本社会党]]が設立（[[55年体制]]）&lt;br /&gt;
*[[1956年]]&lt;br /&gt;
**[[10月16日]] [[日ソ共同宣言]]調印&lt;br /&gt;
**[[12月18日]] [[国際連合]]加盟&lt;br /&gt;
**『[[経済白書]]』で「'''もはや戦後ではない'''」という言葉が使われる&lt;br /&gt;
*[[1960年]][[6月19日]] [[日米安全保障条約]]改定&lt;br /&gt;
*[[1964年]]&lt;br /&gt;
**[[10月1日]] [[東海道新幹線]]開通&lt;br /&gt;
**[[10月10日]]～[[10月24日]] [[東京オリンピック]]開催&lt;br /&gt;
*[[1965年]][[6月22日]] [[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓基本条約]]を結ぶ&lt;br /&gt;
*[[1966年]] 日本の総[[人口]]が1億人を突破。[[いざなぎ景気]]&lt;br /&gt;
*[[1970年]][[3月14日]]～[[9月13日]] [[日本万国博覧会]]開催&lt;br /&gt;
*[[1972年]]&lt;br /&gt;
**[[2月3日]]～[[2月13日]] [[札幌オリンピック]]開催&lt;br /&gt;
**[[5月15日]] [[沖縄返還]]&lt;br /&gt;
**[[9月29日]] [[日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明|日中共同声明]]調印&lt;br /&gt;
*[[1973年]] 第一次[[オイルショック]]&lt;br /&gt;
*[[1976年]] [[ロッキード事件]]&lt;br /&gt;
*[[1978年]][[8月12日]] [[日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約|日中平和友好条約]]調印&lt;br /&gt;
*[[1979年]] 第二次[[オイルショック]]&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[11月27日]] [[中曽根康弘]]が「'''戦後政治の総決算'''」を掲げ第72代[[内閣総理大臣]]に就任&lt;br /&gt;
*[[1985年]]&lt;br /&gt;
**[[4月1日]] [[日本電信電話公社]]・[[日本専売公社]]が[[民営化]]、[[日本電信電話]]（NTT）・[[日本たばこ産業]]（JT）の発足&lt;br /&gt;
**[[9月22日]] [[プラザ合意]]&lt;br /&gt;
*[[1987年]]&lt;br /&gt;
**[[2月22日]] [[ルーブル合意]]&lt;br /&gt;
**4月1日 [[JR]]グループの発足&lt;br /&gt;
**この年から[[バブル景気]]（平成景気）が始まる&lt;br /&gt;
*[[1988年]] [[リクルート事件]]&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[1月7日]] [[昭和天皇]][[崩御]]。[[平成]]始まる（[[1月8日]]）&lt;br /&gt;
*[[1991年]][[6月5日]]～[[9月11日]] 初の[[自衛隊海外派遣]]（[[海上自衛隊]]の[[自衛隊ペルシャ湾派遣|ペルシャ湾派遣]]）&lt;br /&gt;
*[[1993年]][[8月9日]] [[細川内閣]]成立により55年体制崩壊&lt;br /&gt;
*[[1995年]]&lt;br /&gt;
**[[1月17日]] [[阪神・淡路大震災]]発生&lt;br /&gt;
**[[3月20日]] [[地下鉄サリン事件]]発生&lt;br /&gt;
**8月15日 [[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話]]&lt;br /&gt;
*[[1998年]][[2月7日]]～2月22日 [[長野オリンピック]]開催&lt;br /&gt;
*[[2002年]][[5月31日]]～[[6月30日]] [[2002 FIFAワールドカップ|サッカーワールドカップ]]を[[大韓民国|韓国]]と日本が共催&lt;br /&gt;
*[[2005年]] '''戦後60年'''。日本の総人口の減少が始まる&lt;br /&gt;
*[[2006年]][[9月26日]] [[安倍晋三]]が「'''[[戦後レジーム]]からの脱却'''」を公約に掲げ、第90代内閣総理大臣に就任。初の戦後生まれの総理大臣となる&lt;br /&gt;
*[[2007年]]&lt;br /&gt;
**[[1月9日]] 防衛庁が[[防衛省]]に移行&lt;br /&gt;
**[[5月14日]] [[日本国憲法の改正手続に関する法律]]成立（[[5月18日]]公布）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[戦前]]&lt;br /&gt;
*[[戦中]]&lt;br /&gt;
*[[終戦記念日|終戦]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/sengo60/index.html シリーズ・戦後60年]（2005年、[[西日本新聞社]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Stub}}&lt;br /&gt;
[[category:戦後|*]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%BC%95%E6%8F%9A%E8%80%85&amp;diff=29678</id>
		<title>引揚者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%BC%95%E6%8F%9A%E8%80%85&amp;diff=29678"/>
				<updated>2008-05-29T02:43:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''引揚者'''（ひきあげしゃ）とは[[戦前]]や[[戦中]]に[[台湾]]・[[朝鮮半島]]・[[南洋諸島]]などの[[外地]]や日本から多数の入植者を送っていた[[満州国|満州]]（法律上は外国）、そして[[内地]]ながら[[ソビエト連邦|ソ連]]侵攻によって[[実効支配]]権を失った[[樺太]]などに移住（居住）していた日本人で、[[敗戦]]に伴い日本本土に帰った者を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概説 ==&lt;br /&gt;
一般的に「引揚者」の呼称は非戦闘員に対してのみ用いられ、日本軍の軍人として外地・外国に出征し、その後帰還した者に対しては用いない（これらの者は「[[復員]]兵」もしくは「復員者」などと呼ばれた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ/SCAP]]の[[ダグラス・マッカーサー]]総司令官は人道的立場から引き揚げを早期に終了させるつもりでおり、実際に東南アジア、台湾、中国、朝鮮半島の[[北緯38度線]]以南などからの引き揚げは比較的スムーズであり、[[1946年]]には9割以上達成された。しかし、満州や朝鮮半島の北緯38度線以北などソ連占領下の地域では引き揚げが遅れ、[[1947年]]になってようやく完了した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この遅れは[[ソビエト連邦|ソ連]]が占領下の日本人をシベリア建設に利用しようとしていたいうこと、また満州地区が[[国共内戦]]で政情不安定だったということなどが影響したと見られている。実際、[[関東軍]]70万人のうち、66万人はシベリアに[[シベリア抑留|抑留]]され、[[強制労働]]に従事させられることになる。またソ連兵は規律が緩く、占領地のあちこちで[[強姦]]・殺傷・[[略奪]]を繰り返したため、戦後の日本において対ソ感情を悪化させる一因となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とりわけ満州においては混乱の中帰国の途に着いた開拓者らの旅路は険しく困難を極め、食糧事情や[[衛生]]面から帰国に到らなかった者や祖国の土を踏むことなく力尽きた者も少なくない。また[[戦後]]60年を超えた現在に至っても、中国大陸で親子生き別れ・死に別れとなった[[中国残留日本人|中国残留日本人孤児]]などの問題を残している。また、満州国政府には多くの[[台湾人]]が官吏として採用されていたため（[[新京]]市長は台湾人である）彼らの台湾引き揚げも問題となったが、そのことは日本ではほとんど語られていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 引揚者だった著名人 ==&lt;br /&gt;
ここでは50音順に一部のみ示す。★は故人。''詳しくは[[:Category:引揚者]]を参照。''&lt;br /&gt;
*[[赤木春恵]]&lt;br /&gt;
*[[岩見隆夫]]&lt;br /&gt;
*[[小澤征爾]]&lt;br /&gt;
*[[加藤登紀子]]&lt;br /&gt;
*[[北見けんいち]]&lt;br /&gt;
*[[清岡卓行]]（「アカシアの大連」で芥川賞受賞）&lt;br /&gt;
*[[草野仁]]&lt;br /&gt;
*★[[古今亭志ん生 (5代目)|5代目古今亭志ん生]]&lt;br /&gt;
*★[[小林千登勢]]&lt;br /&gt;
*[[近藤洋介 (俳優)|近藤洋介]]&lt;br /&gt;
*[[櫻井よしこ]]&lt;br /&gt;
*[[貞永方久]]&lt;br /&gt;
*[[ジェームス三木]]&lt;br /&gt;
*[[大鵬幸喜]]&lt;br /&gt;
*[[高野悦子 (映画運動家)|高野悦子]]&lt;br /&gt;
*[[宝田明]]&lt;br /&gt;
*[[ちばてつや]]&lt;br /&gt;
*[[なかにし礼]]&lt;br /&gt;
*★[[新田次郎]]&lt;br /&gt;
*[[板東英二]]&lt;br /&gt;
*[[藤原てい]]（新田次郎の妻）&lt;br /&gt;
*[[松島トモ子]]&lt;br /&gt;
*[[三木卓]]&lt;br /&gt;
*[[森繁久彌]]&lt;br /&gt;
*[[山田洋次]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 持込制限 ==&lt;br /&gt;
GHQは外地からの内地への資産持ち込みによる[[インフレーション]]を懸念し、引揚者が持ち込んだ通貨、証券類の多くを[[税関]]などで預託させる措置を行った。税関は[[1953年]]より預託品の返還を行っているが、50年以上経った現在でも持ち主が現れない現金、証券類が保管されている｡&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 引揚者が上陸した主な港 ==&lt;br /&gt;
*[[小樽港]]&lt;br /&gt;
*[[舞鶴港]]&lt;br /&gt;
*[[下関港]]&lt;br /&gt;
*[[博多港]]&lt;br /&gt;
*浦頭港（[[南風崎駅]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 引き揚げを題材とした文学作品 ==&lt;br /&gt;
*[[赤い月]]&lt;br /&gt;
*:なかにし礼の自伝的小説。引き揚げの過程で子供たちを守り抜いた母親のことをつづり、後に映画・テレビドラマ化。&lt;br /&gt;
*[[流れる星は生きている]]&lt;br /&gt;
*:藤原ていの自伝小説。新田・藤原夫妻が離れ離れになりながらも日本に引き揚げるまでのいきさつをつづり、後に映画・テレビドラマにもなった。当時新田は満州の気象台の職員であり、引き揚げ後は気象庁に帰属。[[富士山レーダー]]設置にかかわり、退職後妻の後を追い小説家に転身した。&lt;br /&gt;
*砲撃のあとで&lt;br /&gt;
*:三木卓の作品。満州引き揚げを題材にした作品で、[[芥川賞]]受賞作。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[引き揚げ]]&lt;br /&gt;
*[[小笠原丸]]&lt;br /&gt;
*[[中国残留日本人]]&lt;br /&gt;
*[[舞鶴引揚記念館]]&lt;br /&gt;
*[[岸壁の母]]&lt;br /&gt;
*[[引揚援護庁]]&lt;br /&gt;
*[[二日市保養所]]&lt;br /&gt;
*[[竹の森遠く]]（ヨーコ物語）&lt;br /&gt;
*[[葛根廟事件]]&lt;br /&gt;
*[[L-19_(潜水艦)]]&lt;br /&gt;
*[[在外父兄救出学生同盟]]&lt;br /&gt;
*[[在外財産補償問題]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://ipusamu.at.webry.info/200701/article_19.html 金完燮『親日派のための弁明』の未翻訳部分]&lt;br /&gt;
*[http://www2u.biglobe.ne.jp/~k-kuri/no19.htm 歴史に残らぬ出来事（ピョンヤンで迎えた終戦）]&lt;br /&gt;
*[http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/013/do_013_060720.htm 戦後…博多港引き揚げ者らの体験]&lt;br /&gt;
*[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=83559&amp;amp;servcode=400&amp;amp;sectcode=400 第2次大戦後を扱った日本の小説、米の推せん図書採択に韓人が反発]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代|ひきあけしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:満州国|ひきあけしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:大東亜戦争|ひきあけしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の引揚事業|*ひきあけしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:引揚者|*]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF&amp;diff=29677</id>
		<title>朝鮮通信使</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF&amp;diff=29677"/>
				<updated>2008-05-29T02:41:33Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:Chosenjintsushinshi.png|right|400px|thumb|朝鮮通信使の一行が[[ニワトリ]]を盗み逃げようとしたところ、[[町人]]と喧嘩になった様を描いている絵（[[朝鮮聘礼使淀城着来図]]より）]]&lt;br /&gt;
'''朝鮮通信使'''（'''ちょうせんつうしんし'''）とは日本へと派遣された[[李氏朝鮮]]からの国使の名称である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 起源 ==&lt;br /&gt;
朝鮮通信使のそもそもの趣旨は[[室町幕府|室町]][[征夷大将軍|将軍]]からの使者と国書に対する返礼であり、[[1375年]]（[[天授]]元年）に[[足利義満]]によって派遣された[[日本国王使]]に対して'''信（よしみ）を通わす使者'''として派遣されたのが始まりである。[[15世紀]]半ばからしばらく途絶えて[[安土桃山時代]]に、[[李氏朝鮮]]から[[豊臣秀吉]]が朝鮮に出兵するか否かを確認するため、秀吉に向けても派遣されている。しかし、その後の[[文禄・慶長の役]]によって日朝間が国交断絶となったために中断された。その後、[[江戸時代]]に再開された。広義の意味では室町時代から江戸時代にかけてのもの全部を指すが、一般に朝鮮通信使と記述する場合は狭義の意味の江戸時代のそれを指すことが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 室町時代の朝鮮通信使 ==&lt;br /&gt;
室町時代の朝鮮通信使は日本の国情視察目的も密かに含まれており、例えば[[1428年]]（[[正長]]元年）派遣の使節に同行した書記官の[[申叔舟]]が著した『[[海東諸国紀]]』によると、倭寇禁圧要請と併せて倭寇の根拠地の特定、倭寇と[[守護大名]]、有力[[国人]]、[[土豪]]との関係、都市部の発展状況や通貨政策など国力状況の観察、日本での[[仏教]]の展開状況をはじめ15項目の調査内容があったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
室町時代には3度来日し、[[1459年]]（[[長禄]]3年）や[[1479年]]（[[文明 (年号)|文明]]11年）にも派遣計画があったが来日しなかった。これは、使者が途中で死亡したことや渡航の危険を理由として説明されるが、偽使（守護大名や国人が将軍の名前を詐称して勝手に交渉すること）の横行や[[日朝貿易]]の不振により、必要性が減殺したためだと説明されることもある。その後豊臣政権まで約150年間にわたって中断した。&lt;br /&gt;
=== 室町期朝鮮通信使履歴 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!年!!目的・名称等&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第1回||[[1428年]]（[[正長]]元年）||通信使&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第2回||[[1439年]]（[[永享]]11年）||通信使&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第3回||[[1443年]]（[[嘉吉]]3年）||通信使&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 豊臣秀吉に派遣された通信使 ==&lt;br /&gt;
1590年（[[天正]]18年）に豊臣秀吉に派遣された通信使は名目としては秀吉の日本統一を祝賀することが目的であったが、朝鮮侵攻の噂の真偽を確かめるために派遣された通信使である。このときも[[宗氏|対馬宗氏]]が仲介を行っている。この際の正使[[黄允吉]]と副使[[金誠一]]が対立関係にあったために正使は侵攻の意思ありと報告し副使は侵攻の意思なしとの報告が行なわれ、王に近い副使側の意見が採られた。文禄の役の際に一気に平壌まで侵攻されたのはこの副使の報告に従い、なんら用意をしていなかったためともされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1596年（[[慶長]]元年）の通信使は日本と明の休戦交渉の締めくくりとして行われた明使（冊封使）の日本への派遣に同行したものであったが、正使[[黄慎]]と副使[[朴弘長]]は共に秀吉より接見を許されなかった。明使の交渉も失敗し[[慶長の役]]の再出兵が行われた。&lt;br /&gt;
{{節stub}}&lt;br /&gt;
=== 豊臣秀吉朝鮮通信使履歴 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!年!!目的・名称等&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第1回||[[1590年]]（[[天正]]18年）||通信使&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第2回||[[1596年]]（[[慶長]]元年）||通信使&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 江戸時代の朝鮮通信使 ==&lt;br /&gt;
江戸期の日朝交流は豊臣秀吉による文禄・慶長の役の後、断絶していた李氏朝鮮との国交を回復すべく、日本側から朝鮮側に通信使の派遣を打診したことにはじまる。主として[[対馬府中藩|対馬藩]]が[[江戸幕府]]と李氏朝鮮の仲介を行った。これは対馬藩が山がちで耕作に向いておらず、朝鮮との貿易なくては窮乏が必至となるためである。国交回復を確実なものとするために対馬藩は国書の偽造まで行い、朝鮮側使者も偽造を黙認した。後世、対馬藩家老であった[[柳川調興]]は国書偽造の事実を幕府に明かしたが、対馬藩主・[[宗義成]]は忠告のみでお咎めなし、密告した柳川は津軽へ流罪とされた。詳細は[[柳川一件]]を参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
朝鮮側に日本による朝鮮再侵攻の噂が立つなど紆余曲折あったものの、対馬藩の努力によって[[1607年]]（慶長12年）、江戸時代はじめての通信使が幕府に派遣される。ただし、このときから3回目までの名称は'''回答兼刷還使'''とされている。日本に連れ去られた[[儒家]]、[[陶工]]などの捕虜を朝鮮に連れ帰るのが主目的という意味である。余談ではあるが、儒家はほとんどが帰国したが、陶工の多くが日本に留まったとされる。これは当時日本で一国ほどの価値があるとされた茶器や陶器を作り出す陶工を大名が藩の庇護の下、士分を与えるなど手厚い待遇をしていたのに比べ、李氏朝鮮では儒教思想によって職人に対する根源的な差別があったことが原因である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、両国が友好関係にあった[[室町時代]]の前例に則って、徳川幕府から通信使派遣の要望により国使は回答兼刷還使から通信使となった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幕府は通信使を[[勅使]]以上に遇する一方、幕威高揚のために利用したことが窺える。通信使は[[釜山]]から海路、対馬に寄港し、それから[[下関市|馬関]]を経て[[瀬戸内海]]を航行し、[[大坂]]からは[[輿]]と徒歩で[[江戸]]に向かうルートを取ったが、[[近江国]]では関ケ原合戦で勝利した後に[[徳川家康]]が通った道の通行を認許している。この道は現在でも[[朝鮮人街道]]（[[野洲市]]～[[彦根市]]）とも呼ばれている。吉例の道であり、大名行列の往来は許されなかった街道である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、通信使は将軍の代替わりや世継ぎの誕生に際して、朝鮮側から祝賀使節として派遣されるようになった。計12回の通信使が派遣されているが、[[1811年]]（[[文化 (年号)|文化]]8年）に通信使が対馬までで差し止められたのを最後に断絶した。幕府からの返礼使は対馬藩が代行したが、主として軍事的な理由において[[漢城]]まで上る事を朝鮮側から拒否され、[[釜山]]に貿易目的で設立された[[倭館]]で返礼の儀式が行われた。唯一の例外は1629年（[[寛永]]6年）に漢城に送られた僧を中心とした対馬藩使節であるが、これは[[後金]]の度重なる侵入に苦しむ朝鮮側が日本の後ろ盾があるように見せかけたかったためであるとされている。なお、この際にも対馬藩側は李氏朝鮮に対して中国産の木綿を輸出を依頼し、成功している。また、倭館には貿易のために対馬藩士が常駐していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
11回の来日のうち、主要な出来事を記すと次のようになる。&lt;br /&gt;
=== [[1636年]]（寛永13年）朝鮮通信使の待遇改定 ===&lt;br /&gt;
通信使は柳川事件の翌年に、それまで柳川家主導で応対されていたものが対馬宗氏の手によって招かれた。これは幕府によって宗氏の力量が試されたという側面も存在している。ここにおいて接待、饗応の変更がなされた。これは日本側の主導によるもので、変更の骨子は、第一に、朝鮮側の国書で徳川将軍の呼称を'''[[日本国王]]'''から'''[[日本国大君]]'''に変更すること（この「大君」呼称の考案者は[[京都五山]]の高僧・[[玉峰光璘]]である）、将軍側の国書では「日本国源家光」とした。第二に親書に記載される[[年紀]]の表記を[[干支]]から日本の[[年号]]に変更するということ、第三に使者の名称を朝鮮側が'''回答使兼刷還使'''から'''通信使'''に変更するというものである。将軍の呼称変更と、年紀表記変更の理由は次のように説明される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも「国王」称号や「干支」の使用は中華秩序における[[冊封]]体制の残滓であり、[[中華帝国]]を頂点として周辺諸国を従属国視する、伝統的東アジア外交秩序そのものであり、いまこそ、その体制から離脱を図り、かつ朝鮮側にもそれを認知させようとしたのだ、という論である。その一方で「国王」称号は国内的には[[天皇]]をさすため、これに遠慮し次善の策として「大君」を用いたという、もっぱら国内的要因に鑑みての変更にすぎないではないかという論もあり、議論の決着を見ていない。いずれにせよこの制度改定は、後述の[[正徳 (日本)|正徳]]度来日の際のような深刻な外交問題には発展しなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その理由としては当時、李氏朝鮮は北方から[[後金]]の圧迫に忙殺されていたため、日本側の制度変更にあえて異論を挟まなかった、あるいは挟む余裕がなかったとされる。この来日の際には、幕府に朝鮮国王直筆の[[親書]]、[[銅鏡]]が進呈され、また使節団が神君とされる大権現家康が眠る[[日光東照宮]]を参拝をしたことが、国内的に大々的に喧伝され、幕府権威の高揚に利用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 正徳度朝鮮通信使の待遇改定 ===&lt;br /&gt;
[[正徳 (日本)|正徳]]期には待遇の簡素化と将軍呼称の変更がされた。この制度改定は[[新井白石]]の主導によるものだが、これは従来の饗応、待遇を全面的に変更するものであり、結果として日朝間の外交摩擦に発展する。通信使接遇には一度に平均100万両かかるものであり、もともと白石は来日招聘そのものに反対であった点が注目される。しかし当時の老中首座[[土屋政直]]が従来どおり来日を招聘すべしと異論を挟んだため、白石も折れた経緯がある。そこで、白石は、「対等」「簡素」「和親」を骨子として、まず待遇を簡素化し、対馬から江戸の間で宴席は[[下関市|赤間関]]、[[鞆の浦]]、[[大坂]]、[[京都]]、[[名古屋]]、[[駿府]]の6ヶ所に限定し、他の宿所では食料の提供にとどめることとし、接待には通過する各藩の藩主が出向かずともよいことにした。接待に使用する小道具も蒔絵の塗り膳や陶磁器の高価なものは厳禁した。これらの努力により接待費用を60万両に抑える一方、将軍呼称を再び'''日本国王'''に変更した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この変更の理由としては江戸時代も安定期に向かい、将軍の国内的地位が幕初の覇者的性格から実質的に君主的性格に移行した現実を踏まえ、「国王」を称することにより徳川将軍が実質的意味において君主的性格を帯びるようになったことを鮮明にせんとしたとも、あるいは、「大君」は朝鮮国内においては王子のことを指すので、これではむしろ対等ではないので国王に戻すのだとも説明されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
呼称の当否は別とし、この変更は朝鮮通信使の来日直前に一方的に通告されたため、深刻な外交摩擦に発展し、将軍の名分をめぐって[[林信篤]]や対馬藩藩儒[[雨森芳洲]]も巻き込んで日朝双方を果てしない議論にまき起む結果となった。なお、正徳の次に来日した[[享保]]度の通信使の際には[[徳川吉宗]]は名分論には深入りせず、再び'''大君'''に復し、待遇も祖法遵守を理由に全面的に[[天和 (日本)|天和]]度に戻している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 文化度朝鮮通信使の接遇改定 ===&lt;br /&gt;
[[1787年]]（[[天明]]7年）、11代将軍に[[徳川家斉]]が就任した。本来であれば早速通信使来日となるのだが、老中[[松平定信]]は、[[1788年]]に延期要請の使者を、また[[1791年]]には江戸にかえて対馬での招聘を打診した。交渉は難航し、結局20年後の[[1811年]]にようやく実現した。この頃になると日朝双方とも財政難であり、経費節減志向でようやく一致したのである。ただ、幕府の出費節減はなったが、国内的な将軍権威の発露というもうひとつの意義は損なわれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのため[[1841年]]（[[天保]]12年）、[[徳川家慶]]が将軍につくと、老中・[[水野忠邦]]は江戸招聘から[[大坂]]招聘に変更する計画を立案している。西国大名を接待に動員することで大名の勢力削減をおこない、一方で幕府の権威を示し、かつ大坂・江戸間の行列を圧縮することにより幕府の経費を節減できるという一石三鳥の効果を狙ったものである。しかしこの計画は幕府内の反対にあい計画は頓挫し、以後幕府滅亡まで通信使来日の計画はのぼらなくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 江戸期朝鮮通信使履歴　===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!西暦（元号）!!朝鮮暦!!主権者!!朝鮮正使!!名称!!目的&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第1回||1607年（慶長12年）||[[宣祖 (朝鮮王)|宣祖]]40年||徳川秀忠||呂祐吉||回答兼刷還使||日朝国交回復、捕虜返還&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第2回||1617年（元和3年）||[[光海君 (朝鮮王)|光海君]]9年||徳川秀忠||呉允謙||回答兼刷還使||大坂の陣による国内平定祝賀、捕虜返還&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第3回||1624年（寛永元年）||[[仁祖]]2年||徳川家光||鄭岦||回答兼刷還使||家光襲封祝賀、捕虜返還&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第4回||1636年（寛永13年）||仁祖14年||徳川家光||任絖||朝鮮通信使||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第5回||1643年（寛永20年）||仁祖21年||徳川家光||尹順之||朝鮮通信使||家綱誕生祝賀、日光東照宮落成祝賀&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第6回||1655年（明暦元年）||[[孝宗]]6年||徳川家綱||趙珩||朝鮮通信使||家綱襲封祝賀&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第7回||1682年（天和2年）||[[粛宗]]8年||徳川綱吉||尹趾完||朝鮮通信使||綱吉襲封祝賀&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第8回||1711年（正徳元年）||粛宗37年||徳川家宣||趙泰億||朝鮮通信使||家宣襲封祝賀&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第9回||1719年（享保4年）||粛宗45年||徳川吉宗||洪致中||朝鮮通信使||吉宗襲封祝賀&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第10回||1748年（寛延元年）||[[英祖]]24年||徳川家重||洪啓禧||朝鮮通信使||家重襲封祝賀&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第11回||1764年（明和元年）||英祖40年||徳川家治||趙曮||朝鮮通信使||家治襲封祝賀&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|第12回||1811年（文化8年）||[[純祖]]11年||徳川家斉||金履喬||朝鮮通信使||家斉襲封祝賀（対馬に差し止め）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 通信使接待状況 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!地名!!接待に動員された大名!!宿所!!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[対馬国|対馬]]府中||[[対馬藩]][[宗氏]]||西山寺&amp;lt;br&amp;gt;国分寺||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|[[壱岐国|壱岐]]勝本浦||[[平戸藩]][[松浦氏]]||勝本浦阿弥陀堂||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[筑前国|筑前]]藍島||[[福岡藩]][[黒田氏]]||藍島客館||玄界灘の離島に専用の接待施設が設けられていた&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[長門国|長門]][[赤間関]]||[[長州藩]][[毛利氏]]||阿弥陀寺、引接寺||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[周防国|周防]][[上関町|上関]]||長州藩毛利氏||上関御茶屋館（藩迎賓館）||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[安芸国|安芸]][[蒲刈町|蒲刈]]||[[広島藩]][[浅野氏]]||御茶屋（藩迎賓館）||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[備後国|備後]][[鞆の浦|鞆浦]]||[[備後福山藩]]（※1）||[[対潮楼]]（海岸山福禅寺境内）||（※1）第10回は[[宇和島藩]]・[[伊達村候]]、第11回は[[岡藩]]・[[中川久貞]]が福山藩に代って担当した&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[備前国|備前]][[牛窓町|牛窓]]||[[岡山藩]][[池田氏]]||本蓮寺、御茶屋（藩迎賓館）||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[播磨国|播磨]][[室津]]||[[姫路藩]]||御茶屋（藩迎賓館）||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[摂津国|摂津]][[兵庫]]||[[尼崎藩]]、[[大坂町奉行]]||阿弥陀寺||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|摂津[[大坂]]||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|大坂町奉行&amp;lt;br&amp;gt;[[和泉国|和泉]][[岸和田藩]]岡部氏（※2）||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|北御堂の[[西本願寺]]津村別院（※3）||（※2）第1回は[[片桐貞隆]]、第2回は堺奉行と大坂の豪商が接待を担当した&amp;lt;br&amp;gt;（※3）第1回は[[寺沢広高]]（[[肥前国]][[唐津藩|唐津]]藩主）の大坂屋敷、第7回は[[東本願寺]]・難波別院が宿所に使用された&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[山城国|山城]][[淀]]||山城[[淀藩]]||御馳走屋敷||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|山城[[京都]]||[[京都所司代]]&amp;lt;br&amp;gt;[[膳所藩]]||[[本国寺]]（※4）||（※4）本国寺以外にも[[大徳寺]]（第1回-第3回）や[[本能寺]]（第9回）が宿所に使用された&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[近江国|近江]][[守山]]||御馳走役大名||東門院||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|近江[[彦根]]||[[彦根藩]][[井伊氏]]||城下の宗安寺（[[彦根城]]下）||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[美濃国|美濃]][[大垣市|大垣]]||[[大垣藩]][[戸田氏]]||不明||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[尾張国|尾張]][[名古屋]]||[[尾張藩]][[尾張徳川家|徳川氏]]||大雄山性高院||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[三河国|三河]][[岡崎]]||[[岡崎藩]]||御馳走屋敷（藩迎賓館）||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|三河[[吉田]]||[[三河吉田藩|吉田藩]]||不明||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[遠江国|遠江]][[浜松]]||[[浜松藩]]||不明||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|遠江[[掛川]]||[[掛川藩]]ほか||民家||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[駿河国|駿河]][[藤枝市|藤枝]]||[[田中藩]]ほか||大慶寺||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|駿河[[興津]]||御馳走役大名||正見寺&amp;lt;br&amp;gt;御茶屋（迎賓館）||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[伊豆国|伊豆]][[三島]]||御馳走役大名||世古本陣||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[相模国|相模]][[箱根]]||[[小田原藩]]||不明||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|相模[[小田原]]||小田原藩||片岡本陣||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|相模[[藤沢]]||御馳走役大名||蒔田本陣||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|相模[[神奈川]]||御馳走役大名||石井本陣||　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[武蔵国|武蔵]][[品川]]||御馳走役大名||東海寺（※5）||（※5）第9回より&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|武蔵[[江戸]]||将軍||浅草東本願寺||第7回までは本誓寺（馬喰町）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大韓民国の歴史教育における朝鮮通信使 ==&lt;br /&gt;
大韓民国の歴史教育においては、朝鮮通信使を以下のように教えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:壬辰倭乱をきっかけに朝鮮と日本の外交関係は断絶していた。したがって、日本は経済的に困難に陥った。ために戦乱後成立した日本の徳川幕府は先進文物を受け入れるために、対馬島主をとおして交渉を許可するように朝鮮に懇請した。朝鮮では日本が犯した誤りを恨みながらも建国以来の交隣政策の原則に照らし、制限された範囲内での交渉を許した（1609年（光海君2年）、己酉約条）。そうして富山浦に再び倭館が設置され、そこで日本人は米、木綿、[[朝鮮人参|人参]]などを求めていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し朝鮮では通信使を派遣したが、その一行はおよそ400余人になり、[[国賓]]として待遇を受けた。日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。したがって通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を日本に伝播する役割も果たした&amp;lt;ref&amp;gt;『世界の教科書シリーズ 国定韓国高等学校歴史教科書』（明石書店、[[2000年]]（[[平成]]12年））&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 交流 ==&lt;br /&gt;
前述のように朝鮮通信使は主として将軍家を祝賀するためにやってきた国使であり、中国皇帝に対する朝貢使節と同様の役割、すなわち将軍の権威の誇示に利用された。同時に鎖国を国是としていた当時の日本において、間接的にではあっても中国文化に触れることのできる数少ない機会でもあり通信使の宿泊先には多くの日本の文人墨客が集まり、大いに交流がなされるという副産物をもたらした。[[藤原惺窩]]をはじめとした儒家同士も交流があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
江戸時代を通じて朝鮮通信使一行のための迎賓館として使用された[[備後国]][[鞆の浦]]（現在の[[広島県]][[福山市]]鞆町）の[[福禅寺]]境内の現在の本堂と隣接する客殿（[[対潮楼]]）は江戸時代の[[1690年]]（[[元禄]]3年）に建立され、日本の漢学者や[[書家]]らとの交流の場となった。[[1711年]]（[[正徳]]元年）に従事官の[[李邦彦]]が客殿から対岸に位置する[[仙酔島]]や[[弁天島]]の眺望を「日東第一形勝（朝鮮より東で一番美しい景勝地という意」）と賞賛し、[[1748年]]（[[寛延]]元年）に正史の[[洪啓禧]]が客殿を「対潮楼」と名づけた書をのこし、それを額にしたものが対潮楼内に掲げられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とはいえ、この交流は漢詩や朱子学など本来は中国の文化についてのものであり、李氏朝鮮自身が日本にまして中国文化に傾倒していた事実を考えれば、前節にあるような韓国側の主張するところの朝鮮独自の文化の理解や導入という点での意義がどれほどあったものかどうかは分からない。また、朝鮮通信使は日本に関し、事実であると否とを問わずさまざまな事柄を見下す傾向が強く、日本国内の道中や文化交流の際にも周囲や日本の文人に対して著しく無礼な態度をとることが多かったようである。警護に当たる対馬藩士が侮辱を受けることもしばしばあり、宝暦度（[[1764年]]（[[宝暦]]14年））には大阪の客館で、対馬藩の通詞・鈴木伝蔵が杖で打ち据えられ、通信使一行の都訓導・崔天崇を刺殺するという事件が起こっている。その他、供された食事に難癖をつける、夜具や食器を盗む、日本人下女を孕ませるといった通信使一行の行状も記録に残っている。このような事情から、通信使一行の行列見物は庶民にとって大きな娯楽であった反面、多くの賦役を課される沿道の町人や農民には嫌われ、鶏を盗むなどして喧嘩沙汰&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝鮮聘礼使淀城着来図]]』（1748）　鶏を盗んで町人と喧嘩をする随行員の姿が描かれている&amp;lt;/ref&amp;gt;になることも多々あったようであるが、横柄な態度の割に非常に弱く簡単に叩きのめされたという。{{要出典|date=30 Oct. 2007}}喧嘩が発生すると侍は本来警護の者として制止すべき立場であるにもかかわらず止めるふりすらしなかったといい、道中の内実がいかなるものであったかが伺える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方、基本的に日本人を「倭人」として見下しながらも古く室町には[[平仮名]]、[[片仮名]]と言った固有文字の存在に、江戸時代には京都、大阪、江戸といった都市の絢爛豪華さ、そして乞食が食物ではなく銭を欲しがるような[[貨幣経済]]の発達に対して驚きの声を上げた（李氏朝鮮ではその末期においても都市部で中国の銅銭が流通していた程度であり、最後まで貨幣経済と呼ぶに足るものが成立せず、物々交換が主であったため）といった記録が残っており、また、朝鮮で後に飢饉を救った[[サツマイモ]]（宝暦度 1764年（宝暦14年））や揚水式水車など、日本から相応の文物を持ち帰っていたようである。特に歴代の朝鮮通信使は日本の揚水式水車に興味を示し、幾度もその構造を絵図面に写して自国に持ち帰ったものの、その後に李氏朝鮮でこの種の水車が用いられたという歴史がないことから実現はしなかったようである。ただしこのような事実は、現在の韓国の歴史認識と背反しているため、韓国側では日本側による捏造・歪曲とされることが多い。またこのような史実を日本側が主張することで、韓国側に反発が起こることも多い。&lt;br /&gt;
=== 絵画、工芸、芸能に伝わる朝鮮通信使 ===&lt;br /&gt;
現在、日本の各所に通信使来日の際に筆写された行列絵巻が残っている。とくに正徳時に老中土屋政直の命令によって大量に作成されたが、対馬藩に残る『[[正徳度朝鮮通信使行列図巻]]』はその典型である。他にも当時の画家[[英一蝶]]が描いた『[[朝鮮通信使小童図]]』や紀州藩に伝わる『[[朝鮮通信使御楼船図屏風]]』が著名である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の街道を練り歩く使節団の姿は、太平の世にあっては物珍しいイベントであった。朝鮮通信使を模したもので、今日にも伝わる著名なものとして[[唐人おどり]]（[[鈴鹿市]]東玉垣町、[[津市]]分部町）、[[唐子おどり]]（[[岡山県]][[瀬戸内市]]牛窓）の3件がある。[[大名行列]]とは異なり、朝鮮通信使は正使や副使などの外交官の他に随行員には美しく着飾った小童や楽隊、文化人、医師、通訳などが加わっており、江戸時代を通じて庶民にとっては数十年に一度やってくる異国情緒を持った一種の見世物として沿道の民衆にも親しまれていた。上述の『朝鮮通信使小童図』には馬に乗った小童に町人が揮毫（現代で言えば[[サイン]]）を求める様が描かれており、随行員には庶民が簡単に接触できたようである。さらに[[滋賀県]][[東近江市]][[五個荘町|五個荘]]の[[小幡人形]]などには通信使人形（正確には唐人人形。随行員である小童や楽隊の人形）があり、異国より献上された象などとともに当時の人気キャラクターであったことがうかがわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また歌舞伎・浄瑠璃の文芸作品に朝鮮通信使を題材として扱ったものが存在する。1764年（宝暦14年）の宝暦度の来日の際、対馬藩の家臣で通詞を担当していた[[鈴木伝蔵]]が朝鮮通信使の通詞・[[中官]][[崔天宗]]を大坂で殺害する事件が起こったが、[[1767年]]（[[明和]]4年）には『[[世話料理鱸包丁]]』（『[[今織蝦夷錦]]』）、[[1789年]]（[[寛政]]元年）には『[[漢人韓文手管始]]』、[[1792年]]（寛政4年）には『[[世話仕立唐縫針]]』など、いずれもこの一件を土台に作成された文芸作品である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*[[海游録]] 朝鮮通信使の日本紀行 申維翰（平凡社 ISBN 4582802524） - [[1719年]]（享保4年）、第9回の朝鮮通信使として日本にやってきた文人。制述官という官僚によって書かれた随行記。&lt;br /&gt;
*[[日東壮遊歌]] ハングルでつづる朝鮮通信使の記録 金仁謙（平凡社 ISBN 4582806627） - 1764年（宝暦14年）、第11回（最後に江戸を訪れた朝鮮通信使）の三房書記による記述。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/10/08/20051008000007.html 「朝鮮通信使」241年ぶり東京で再現へ]&lt;br /&gt;
*[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/08/06/20050806000003.html 朝鮮通信使行列に参加する正使の子孫　チョ・ドンホさん]&lt;br /&gt;
*[http://www.searchnavi.com/~hp/tojin/index.html 津市分部町唐人踊り－朝鮮通信使ゆかりの伝統芸能]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:江戸時代の外交|ちようせんつうしんし]]&lt;br /&gt;
[[Category:李氏朝鮮|ちようせんつうしんし]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国際関係史|ちようせんつうしんし]]&lt;br /&gt;
[[Category:文禄・慶長の役|ちようせんつうしんし]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<title>対馬府中藩</title>
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				<updated>2008-05-29T02:39:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''対馬府中藩'''（'''つしまふちゅうはん'''）は[[江戸時代]]に[[対馬国]]（[[長崎県]][[対馬市]]）全土と[[肥前国]]田代（[[佐賀県]][[鳥栖市]]東部及び[[基山町]]）及び浜崎（佐賀県[[唐津市]]浜崎）を治めていた[[藩]]で、別名：'''厳原藩'''（いづはらはん）。一般には単に'''対馬藩'''（つしまはん）と呼称される事が多い。藩庁は[[金石城]]（[[対馬市]][[厳原町]]）。藩主は[[宗氏]]で初代藩主[[宗義智|義智]]以来、[[官位]]は従四位下を与えられ、官職は主に[[国司|対馬守]]・[[侍従]]を称した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
土地柄、[[稲作]]がほとんど不可能であった為、肥前国の飛び地をのぞくと実質的には無高に近い。対馬国と[[朝鮮]]の[[釜山]]に[[倭館]]をもち、朝鮮との貿易を生業としていたため、実質的な収入は多かった。しかし江戸時代末期になると、肝心の朝鮮との貿易がふるわなくなり極度の財政難に陥った。また、この頃には周辺海域に欧米の船が出没するようになり、この地の守りを重要視した[[江戸幕府|幕府]]は宗氏を[[河内国]]に10万石（20万石説もあり）で転封する計画を立てた。しかし、宗氏は中世からのこの地の領主という誇りがあり、家臣もこの地に根ざした特殊な生活を保っていたために、せっかくのこの申し出を断ってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初は肥前国内1万石を併せて2万石格であったが、[[江戸幕府|幕府]]は朝鮮との重要な外交窓口として重視し、初代藩主・宗義智以来、対馬府中藩を国主10万石格として遇した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第11代藩主・宗義功と第12代藩主・宗義功は同名であるが、これは第11代の義功が[[徳川将軍家|将軍]]お目見え前に急逝し、弟の富寿を身代わりとし、藩を承継させたためである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[版籍奉還]]の後、[[明治]]2年[[8月7日 (旧暦)|8月7日]]（[[1869年]][[9月12日]]）に改称して厳原藩となり、明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]（[[1871年]][[8月29日]]）、[[廃藩置県]]により厳原県となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治17年（[[1884年]]）、宗家は[[伯爵]]となり[[華族]]に列した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主要年表 ==&lt;br /&gt;
*[[慶長]]5年（[[1600年]]）&lt;br /&gt;
**[[関ヶ原の戦い]]に西軍側で参戦、許される&lt;br /&gt;
**[[宗義智]]、[[文禄・慶長の役]]（朝鮮の役）後初めて朝鮮へ修好の使を派遣。帰国せず&lt;br /&gt;
*慶長8年（[[1603年]]）　朝鮮の[[捕虜]]数百人を朝鮮に返還&lt;br /&gt;
*慶長9年（[[1604年]]）　朝鮮使、対馬来島。宗義智、これを伴って[[京都]]に赴く&lt;br /&gt;
*慶長10年（[[1605年]]）　[[徳川家康]]、[[伏見城]]で朝鮮使を引見&lt;br /&gt;
*慶長12年（[[1607年]]）　朝鮮の回答兼刷還使（第1回[[朝鮮通信使|通信使]]）来島、[[江戸]]で[[徳川秀忠]]に拝謁&lt;br /&gt;
*慶長14年（[[1609年]]）　朝鮮と己酉条約締結、国交回復。[[釜山]]の[[倭館]]再開（豆毛浦倭館）&lt;br /&gt;
*[[元和]]元年（[[1615年]]）　宗義智卒し、義成封を襲ぐ。[[大坂の役|大坂の陣]]に参戦&lt;br /&gt;
*元和3年（[[1617年]]）　朝鮮の回答兼刷還使（第2回通信使）来島&lt;br /&gt;
*[[寛永]]元年（[[1624年]]）　朝鮮の回答兼刷還使（第3回通信使）来島&lt;br /&gt;
*寛永12年（[[1635年]]）　[[柳川事件 (江戸時代)|柳川事件]]、家老・[[柳川調興]]は[[弘前藩]]、僧・[[玄方]]は[[盛岡藩]]に配流&lt;br /&gt;
*寛永13年（[[1636年]]）　朝鮮通信使（第4回通信使）来島&lt;br /&gt;
*[[寛文]]12年（[[1672年]]）　[[大船越瀬戸|大船越の掘切]]完成&lt;br /&gt;
*[[延宝]]6年（[[1678年]]）　釜山の新倭館完成（草梁倭館）&lt;br /&gt;
*[[享保]]17年（[[1732年]]）　府中大火&lt;br /&gt;
*享保18年（[[1733年]]）　府中また大火&lt;br /&gt;
*[[宝暦]]5年（[[1755年]]）　朝鮮貿易不振&lt;br /&gt;
*[[文化 (年号)|文化]]10年（[[1813年]]）　[[伊能忠敬]]の測量隊来島&lt;br /&gt;
*[[弘化]]4年（[[1847年]]）　異国船出没&lt;br /&gt;
*[[安政]]4年（[[1857年]]）　[[英国]][[軍艦]]、[[浅茅湾]]尾崎浦に来泊、湾内を測量&lt;br /&gt;
*[[文久]]元年（[[1861年]]）　[[ロシア]]軍艦、浅茅湾尾崎浦に来泊、芋崎を占領して租借を要求。8月退去&lt;br /&gt;
*文久2年（[[1862年]]）　[[対長同盟]]&lt;br /&gt;
*[[元治]]元年（[[1864年]]）　[[甲子の変]]、[[勝井五八郎]]、尊攘派の家士百余名を殺す&lt;br /&gt;
*[[慶応]]元年（[[1865年]]）　勝井五八郎誅殺&lt;br /&gt;
*[[明治]]元年（[[1868年]]）　宗義達、藩兵を率いて東上&lt;br /&gt;
*明治2年（[[1869年]]）　[[版籍奉還]]。府中を厳原と改名&lt;br /&gt;
*明治4年（[[1871年]]）　[[廃藩置県]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴代藩主 ==&lt;br /&gt;
*'''宗（そう）家'''&lt;br /&gt;
[[外様]] 2万石格→10万石格&lt;br /&gt;
官位官職は下記〔〕に記した以外は、従四位下、対馬守・侍従。&lt;br /&gt;
#[[宗義智|義智]]（よしとし）&lt;br /&gt;
#[[宗義成|義成]]（よしなり）&lt;br /&gt;
#[[宗義真|義真]]（よしざね）&lt;br /&gt;
#[[宗義倫|義倫]]（よしつぐ）〔従四位下、右京大夫・侍従〕&lt;br /&gt;
#[[宗義方|義方]]（よしみち）&lt;br /&gt;
#[[宗義誠|義誠]]（よしのぶ）&lt;br /&gt;
#[[宗方熈|方熈]]（みちひろ）&lt;br /&gt;
#[[宗義如|義如]]（よしゆき）&lt;br /&gt;
#[[宗義蕃|義蕃]]（よしあり）&lt;br /&gt;
#[[宗義暢|義暢]]（よしなが）&lt;br /&gt;
#[[宗義功 (猪三郎)|義功]]（よしかつ）〔官位官職無し〕幼名：猪三郎&lt;br /&gt;
#[[宗義功 (富寿)|義功]]（よしかつ）幼名：富寿（猪三郎の弟）&lt;br /&gt;
#[[宗義質|義質]]（よしかた）&lt;br /&gt;
#[[宗義章|義章]]（よしあや）&lt;br /&gt;
#[[宗義和|義和]]（よしより）&lt;br /&gt;
#[[宗義達|義達]]（よしあきら）[[版籍奉還]]の後、重正（しげまさ）と改称&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[対馬]]&lt;br /&gt;
*[[対馬国]]&lt;br /&gt;
*[[対馬市]]&lt;br /&gt;
*[[厳原港]]&lt;br /&gt;
*[[藩の一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:藩|つしまふちゆうはん]]&lt;br /&gt;
[[Category:長崎県の歴史|つしまふちゆうはん]]&lt;br /&gt;
[[Category:宗氏|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:対馬市|ふちゆうはん]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<title>石井筆子</title>
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				<updated>2008-05-29T02:38:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: ''''石井 筆子'''（いしい ふでこ、慶応元年4月16日（1865年5月10日） - 1944年1月24日）は日本の近代女子...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''石井 筆子'''（いしい ふでこ、[[慶応]]元年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]（[[1865年]][[5月10日]]） - [[1944年]][[1月24日]]）は日本の近代女子教育者の1人である。日本初の知的障害者福祉の創始者の一人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
筆子は、[[肥前国]][[大村藩]]士の[[渡辺清]]・ゲンの長女として生まれる。父・清は[[幕末]]から[[明治維新]]にかけての志士で、[[明治政府]]では福岡県令や[[元老院]]議官等の要職を歴任し、[[男爵]]に叙せられた。筆子の叔父・[[渡辺昇]]も同じく幕末 - 明治維新の志士で[[坂本龍馬]]と親交を持ち、[[薩長同盟]]の周旋をした功労者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筆子は[[東京女学校]]を卒業後、[[昭憲皇太后|皇后]]の命により[[ヨーロッパ]]に留学。帰国後、筆子は[[津田梅子]]と共に[[華族女学校]]の教師となり、筆子は[[フランス語]]科目の授業を受けもった。そのときの教え子に[[貞明皇后]]がいた。また[[鹿鳴館]]の舞踏会にも度々参加し、「鹿鳴館の華」と評判だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに静修女学校の校長に就任し、近代女子教育者としても活躍した。静修女学校は後に津田が主宰していた女子英学塾に引き継がれ、現在の[[津田塾大学]]となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筆子は同郷の高級官吏・小鹿島果と結婚するが、生まれた3人の娘のうち2人は[[知的障害]]があり、あとの1人は虚弱で出産後ほどなく死亡した。その上、[[1897年]]に夫の果が35歳の若さで死去する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、娘を[[石井亮一]]が主宰する[[滝乃川学園]]に預けていた経緯から学園に経済的・精神的な援助を惜しまないようになる。その過程で園長の亮一の人間性に惹かれ、再婚。[[知的障害者]]の保護・教育・自立に献身する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の世情は[[富国強兵]]の政策もあって、生産能力に欠ける存在とされていた知的障害への理解は甚だ乏しく[[座敷牢]]で一生涯を送る者も少なくなかった。筆子は実際に教育現場に立つ一方、[[華族]]出身であった事を生かし[[皇族]]、華族、財界人からの支援を受けることに成功し、滝乃川学園の発展に貢献した。晩年には[[脳出血]]で半身不随となり、更に学園維持のための莫大な借金を抱えたまま夫に先立たれる。学園の閉鎖も検討するが学園の維持こそ夫の遺志を継ぐことと奮起し[[1937年]][[10月16日]]、76歳の高齢で2代目学園長に就任。しかし戦時中であり、生徒や教職員の戦死など困難の続く中、学園の将来を案じつつ79歳で死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、学園は戦争を乗り切り維持され、現在の社会福祉法人[[滝乃川学園]]として至っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 石井筆子に関する文献 ==&lt;br /&gt;
*真杉章著　『天使のピアノ・石井筆子の生涯』（武蔵野ネット）&lt;br /&gt;
*津曲裕次、一番ヶ瀬康子、河尾豊司編　『無名の人石井筆子・“近代”を問い歴史に埋もれた女性の生涯』&lt;br /&gt;
*津曲裕次著　『石井筆子』シリーズ福祉に生きる49（青空社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[滝乃川学園]]&lt;br /&gt;
*[[筆子・その愛 -天使のピアノ-]]&lt;br /&gt;
:石井筆子の生涯をテーマにした映画。&lt;br /&gt;
*[[常盤貴子]]&lt;br /&gt;
:上記作品の主人公、石井筆子役。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の教育者]]&lt;br /&gt;
[[Category:障害者]]&lt;br /&gt;
[[Category:長崎県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1864年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1944年没]]&lt;br /&gt;
{{WIkipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<title>御木本幸吉</title>
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				<updated>2008-05-29T02:31:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: 'アコヤガイに核を挿入する御木本幸吉（昭和20年代の写真） '''御木本幸吉'''（みきもと こうきち...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[image:Mikimoto Kōkichi.jpg|260px|thumb|アコヤガイに核を挿入する御木本幸吉（昭和20年代の写真）]]&lt;br /&gt;
'''御木本幸吉'''（みきもと こうきち、[[安政]]5年[[1月25日 (旧暦)|1月25日]]（[[1858年]][[3月10日]]） - [[昭和]]29年（[[1954年]]）[[9月21日]]）は[[真珠]]の養殖とそのブランド化などで富を成した人物である。御木本真珠店（現・[[ミキモト]]）創業者。'''真珠王'''と呼ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 誕生 ===&lt;br /&gt;
[[志摩国]]鳥羽浦の大里町で代々[[うどん]]の製造・販売を営む「阿波幸」の長男として生まれた。父は音吉、母はもと。幼名は吉松と名付けられた。父は商売よりも機械類の発明・改良に関心があり、[[明治]]14年（[[1881年]]）には粉挽き臼の改良により[[三重県]]勧業課の表彰を受け賞金100円を授与されている。祖父・吉蔵は「うしろに目があるような人」と言われたように、先が見え商才に恵まれていた。大伝馬船を10艘も持ち石材の運送で儲ける一方、家業のうどん屋のほか薪、炭、青物などの販売を手広く営み財をなしたと伝えられる。幸吉が晩年、「三つ子の魂は祖父に育てられた」と述懐している。[[明治維新]]によって職を失った失業士族の栗原勇蔵、岩佐孝四郎らに読み書きソロバン、読書などを習ったが正規の教育は受けていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 商才と向上心と社交性 ===&lt;br /&gt;
早くから1杯8厘のうどんでは身代を築くのは無理と分かっていたようで、14歳で家業の傍ら青物の行商を始める。大きな目標を掲げる事で自分自身に課題を与え自らを鼓舞するところがあり、時として大法螺吹きといわれた。足芸（仰向けに寝て足の平で蛇の目傘を回す芸）の披露で、[[イギリス|英国]]の軍艦・シルバー号へ青果や卵を売り込むのに成功した。また、マスコミを利用する点では今で言うヤラセにあたるような事も考え出し実行するような勇み足もあったともいわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 真珠に到る助走路 ===&lt;br /&gt;
明治9年（[[1876年]]）の[[地租改正]]で、納税が米納から金納に変わったのを機会に[[米]]が商売の種になるとみて青物商から米穀商に転換。明治11年（[[1878年]]）には20歳で家督を相続、御木本幸吉と改名する。同年3月東京、横浜への旅により天然真珠など志摩の特産物が中国人向けの有力な貿易商品になりうることを確信、海産物商人へと再転身した。海産物商人としての幸吉は自ら[[アワビ]]、[[天然真珠]]、[[ナマコ]]、[[イセエビ|伊勢海老]]、[[牡蠣]]、[[テングサ|天草]]、[[サザエ]]、[[ハマグリ]]、[[泡盛]]など種々雑多な商品を扱う一方、志摩物産品評会、志摩国海産物改良組合の結成などに参加、地元の産業振興に尽力した。その後、志摩国海産物改良組合長、三重県勧業諮問委員、三重県商法会議員、などを務め地元の名士になっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 時代の転換期に ===&lt;br /&gt;
幸吉の飛躍の始まりは明治維新という時代背景がきっかけである。職業選択の自由、身分を越えた結婚が可能になり[[富国強兵|富国強兵のスローガン]]の下で海国日本の殖産興業政策により明治15年（[[1882年]]）、大日本水産会が創設された。明治14年（[[1881年]]）、結婚。妻・[[久米うめ|うめ]]は当時17歳。[[鳥羽藩]]士族・[[久米盛蔵]]の娘で新しい学制の小学校とその高等科をでた才女であり、維新以前ではこの結婚は考えられなかった。明治15年（[[1883年]]）、父・音吉が54歳で死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アコヤ貝の養殖 ===&lt;br /&gt;
世界の装飾品市場では、天然の真珠が高値で取引されており海女が一粒の真珠を採ってくると高額の収入が得られる事から、志摩ばかりでなく全国のアコヤ貝は乱獲により絶滅の危機に瀕していた。この事態を憂慮して明治21年（[[1888年]]）6月、第2回全国水産品評会の為上京した折、主催者である大日本水産会の[[柳楢悦]]を訪ね指導を仰いだ。幸吉は同年[[9月11日]]に貝の養殖を開始したが、真珠を生まない限り商品としての価値が低く経費倒れに終わった。この為発想を転換し「真珠の養殖」を最終目的に変え、その過程でアコヤ貝の生態を調べながら貝の養殖をすることで当初の目的が採算的にも果たされる事を計画。この目的の為に柳の紹介で[[東京帝国大学]]の[[箕作佳吉]]と当時大学院生だった[[岸上謙吉]]を明治23年（[[1890年]]）に訪ね、学理的には養殖が可能なことを教えられた。&lt;br /&gt;
==== 外国での養殖例 ====&lt;br /&gt;
[[中国]]の仏像真珠（胡州珍珠）にみられるように古来、真珠を産する貝の中に鉛などの異物を入れ、人工的に貝付き真珠を作り出す試みは中国や欧州各地で行われていた。しかし、幸吉の情熱と周囲の協力体制という点での取り組みが結果的に勝っていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 養殖実験開始 ===&lt;br /&gt;
明治23年（[[1890年]]）、神明浦と相島（おじま、現在の真珠島）の2箇所で実験を開始した。この時[[小川多門]]、[[猪野三平]]等が協力した。問題は山積しており[[アコヤ貝]]についての問題、どんな異物を貝に入れるか、貝は異物を吐き出さないか、貝は異物を何処に入れるか、その結果死なないか、貝そのものの最適な生育環境、[[赤潮]]による貝の絶滅への対応策等々である。その他の問題としては、海面及び水面下を利用する為の地元漁業者や漁業組合との交渉や役所との折衝には大変な苦労が伝えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治24年（[[1891年]]）、[[農商務省 (日本)|農商務省]]技手・[[山本由方]]による[[厳島]]（[[広島県]]）での真珠養殖実験を直接見聞。この時のアコヤ貝は[[英虞湾]]から幸吉らが移送に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治25年（[[1892年]]）7月、[[東京大学|東京帝大]]の[[佐々木忠次]]から貝の生存環境・養成上多くの示唆を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 特許と身近な縁者の協力 ===&lt;br /&gt;
明治26年（[[1893年]]）[[7月11日]]、実験中のアコヤ貝の中に半円真珠が付着している貝を発見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治29年（[[1896年]]）[[1月27日]]、半円真珠の特許（第2670号）取得で世の中に認知された第一歩となった。同年[[4月21日]]、妻・うめ32歳で死去。開拓者として当然の事ながら周囲は途方も無い事と感じ直接的に幸吉の作業を手伝う者は身近な親族だけであったが、特許取得をきっかけにまず親族が積極的に関わった。妻の実兄・[[久米楠太郎]]、幸吉の実弟（二男）・[[御木本松助]]夫妻、幸吉の実弟（三男）・[[森井常蔵]]夫妻、[[須藤卯吉]]、明治30年（[[1897年]]）秋には幸吉の実弟（五男）・[[斎藤信吉]]、明治32年（[[1899年]]）には[[竹内久吉]]、（[[猪野三平]]の子息）[[猪野若造]]、[[藤田嘉助]]、[[大谷幸助]]らが従業員として田徳島に移住、「海のものとも山のものともわからぬ事業に一身をかける人間は身内以外にはいなかった」と幸吉の四女・[[乙竹あい]]が後に語っている。その他[[桑原乙吉]]、次女みねの夫・[[西川藤吉]]、[[見瀬辰平]]、[[藤田輔世]]、[[藤田昌世]]らが加わる。西川（[[1874年]] - [[1909年]]）は東京帝大動物学科卒、農商務省に在籍し、箕作の下で真円真珠の科学的研究を行っていた。しかし明治42年（[[1909年]]）6月、惜しくも35歳の若さで不帰の人となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後の特許をたどると、&lt;br /&gt;
# 半円真珠から真円真珠に到る特許&lt;br /&gt;
# 特に半円真珠に関わる加工上の特許（容飾真珠）&lt;br /&gt;
# アコヤ貝養殖方法に関する特許（養殖籠・海底いけ籠）&lt;br /&gt;
# [[大正]]13年（[[1924年]]・42歳）、母貝が子貝を生み育てる為の《仔蟲（しちゅう）被着器》の特許（この発明によって、アコヤ貝の全滅を救う当初の目的が達成されるようになった）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 銀座に出店 ===&lt;br /&gt;
明治31年（[[1899年]]）、[[東京]]・[[銀座]]に御木本真珠店を開設する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 真円真珠 ===&lt;br /&gt;
明治41年（[[1908年]]）、[[真円真珠]]の特許権を取得。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人々の協力 ===&lt;br /&gt;
明治29年（1896年）4月の妻・うめの死は痛手であったが、天性の社交性と熱意により多数の人々が幸吉を応援している。養殖に関して一目置いていたのは、7歳年下の[[小川小太郎]]（[[1865年]] - [[1889年]]）であった。小川は早くから真珠の養殖に関心を持ち実験もしていたが、24歳の若さで没した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
志摩国答志郡の郡長であった[[河原田俊蔵]]は勧業に熱心だった事から勧業郡長とあだなされ、柳に紹介状を書いてくれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
親友の[[四日市]]の[[万古焼]]商人だった[[川村又助]]はアコヤ貝の中に入れる核の製造に関し協力を惜しまなかった。[[藤田四郎]]（[[1861年]]-[[1934年]]）は同郷で藩校・[[尚志館]]の句讀師（漢学者）龍蔵の四男、東京帝大卒、農商務省特許局長で（のち事務次官、日本火災社長、台湾精糖社長）、[[宮内省]]御用達となる際の保証人になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも[[愛知県]]出身の農商務省局長・[[織田一]]（[[1865年]] - [[1914年]]）、[[埼玉県]][[深谷市|深谷]]出身の財界の重鎮・[[渋沢栄一]]は幸吉の渡米にあたって発明王・[[トーマス・エジソン|エジソン]]らに紹介状を書いた。エジソンとの会見では、真珠養殖を驚嘆すべき発明と讃えられたことに対し幸吉はエジソンを巨星に例え、自分は数ある発明家の星の一つに過ぎないと返答したと伝えられている。[[土佐]]出身の[[森村市左衛門]]は明治8年（[[1875年]]）、森村組を創設し日米貿易協会長、[[日本銀行]]監事などを勤め、当時対米貿易の第一人者といわれていた。その組織を通じて輸出市場の調査や販売の拠点作りに協力した人など多くが助力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 量産体制 ===&lt;br /&gt;
[[大正]]7年（[[1918年]]）、様々な技術的実証の実験の中から良質な真珠が大量に得られるようになった。翌年には[[ロンドン]]の宝石市場にも供給できるようになったが大正10年（[[1921年]]）、ヨーロッパの宝石商は天然真珠と見分けのつかない養殖真珠をニセモノ、つまり詐欺であると断定する騒ぎから訴訟に発展し、御木本側では[[イギリス]]では[[オックスフォード大学]]の[[リスター・ジェームソン]]、[[フランス]]では[[ボルドー大学]]の[[H.L.ブータン]]などの権威者を証人として正論を述べる等して対抗。イギリスの宝石商は訴訟を取り下げたが、フランスは粘り強く拒否を続けた。[[大正]]13年（[[1924年]]）[[5月24日]]、[[パリ]]で起こした真珠裁判にて天然と養殖には全く違いが無かったという判決を受け全面勝訴した。昭和2年（[[1927年]]）、フランスの裁判所から天然と変わらぬものとの鑑定結果の通知を受け、ようやく世界で認める宝石となった。生産地も次第に英虞湾を中心とする志摩地方だけでなく、全国的に広げていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大往生 ===&lt;br /&gt;
昭和29年（[[1954年]]）9月21日、御木本幸吉は96歳で亡くなった。[[老衰]]による大往生と言ってよいだろう。持病は[[胆石]]があったようで、看病の為に住み込みで身の回りの世話をした女医の話によると「真珠王と言われる方が、あまりにも質素な食事をしておられた事」に驚いたし待遇もしかりという次第であったようである。当時は[[朝鮮戦争]]が終わって[[景気]]は悪くなかったがまだ[[米穀通帳]]やら外食券食堂があり、旅行には米を持参する時代であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 幸吉の心痛と長寿の賜物 ==&lt;br /&gt;
幸吉は単に真珠の養殖と真珠貝の養殖に成功しただけでなく、真珠を宝石市場の中心に位置させる為のあらゆる努力を惜しまなかった。なお幸吉の一人息子・[[御木本隆三|隆三]]（[[1893年]] - [[1971年]]）は一高時代に英国の思想家[[ジョン・ラスキン]]の著作に出会い、オックスフォード大学留学でラスキンの研究に情熱を注ぎ銀座に開設した[[ラスキン文庫]]内の喫茶室・ラスキンルームのメニューに《ラスキンサンドウィッチ》と記す程の思い入れが強かった。更に銀座一丁目に「ラスキンカテッジ」、渋谷道玄坂に「ラスキンガーデン」、銀座五丁目に「ラスキンホール」等と次々と開設、その後昭和12年（[[1937年]]）に破産、禁治産者申請へと至るが、隆三の人生を辿るだけでも壮絶なドラマである。幸吉の心痛の思い、いかばかりかの感であるが、結果的に幸吉が96歳まで長寿を保ったという事実が長男の事件と[[第二次世界大戦]]の2つの大事件を克服し、ブランドを他家に取られず本家を世界周知のミキモトとして飛躍に至らしめたといえよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 昭和天皇行幸の逸話==&lt;br /&gt;
戦後、様々な地を行幸した[[昭和天皇]]が御木本幸吉の所を訪れた際に、93歳だった幸吉は「あんた、よく来てくれました」と言ったとされている。現人神だった天皇が人間宣言をし、それを独自の社交性をもって迎えた逸話として知られている。昭和天皇も、そんな幸吉に親近感をおぼえたと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
ミキモト編『御木本真珠発明100年史』　株式会社ミキモト　[[平成]]6年（[[1994年]]）7月出版（共同刊行者　株式会社御木本真珠島、御木本製薬株式会社、株式会社御木本装身具）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.mikimoto-pearl-museum.co.jp/index2.html ミキモト真珠島]&lt;br /&gt;
* [http://kokichi.mikimoto.com/index.html 御木本幸吉生誕150年　公式サイト]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の実業家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の発明家]]&lt;br /&gt;
[[Category:三重県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1858年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1954年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>真珠</title>
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				<updated>2008-05-29T02:10:18Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: 'right '''真珠'''（しんじゅ）あるいは'''パール'''（Pearl）とは貝から採れる宝石の一種である。...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:White pearl necklace.jpg|thumb|200px|right]]&lt;br /&gt;
'''真珠'''（しんじゅ）あるいは'''パール'''（Pearl）とは貝から採れる[[宝石]]の一種である。[[6月]]の[[誕生石]]である。石言葉は「健康・富」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
真珠は[[貝]]の体内で生成される[[生体鉱物]]である。貝の体内に入った異物を核として、[[カルシウム]]の結晶（[[アラレ石|霰石]]）と有機質層（主に[[蛋白質|タンパク質]]）が交互に積層し、真珠層が形成される。この有機質の薄層と霰石の薄層が[[干渉 (物理学)|干渉]]色を生み出し、真珠特有の虹色が生じる（→[[遊色効果]]）。また、有機質層の厚さや[[色素]]の含有量などによって真珠の色味が決まる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真珠の重量の計量単位には、養殖真珠の産業化に成功したのが日本であったことから日本の[[尺貫法]]の単位である[[匁]]（3.75[[グラム]]）や[[貫]]（3.75[[キログラム]]）が用いられるが、グラム、[[カラット]]（200[[ミリグラム]]）や[[グレーン]]（通常は約48ミリグラムだが、真珠の計量については50ミリグラム）も用いられる。真珠の大きさの単位はミリであるが、真珠のネックレスの長さは業者間の取引では主にインチが使われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真珠は6月の誕生石とされている。[[冠婚葬祭]]のいずれの場面でも使える便利な装飾品であるが汗が付いたまま放置すると真珠特有の光沢が失われるので、使用後の手入れが大切である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Pearls.jpg|thumb|200px|right|養殖真珠]]&lt;br /&gt;
天然では産出が稀であり加工が容易で「月のしずく」「人魚の涙」とも呼ばれているほどの美しい光沢に富むため、世界各地で古くから宝石として珍重されてきた。またその希少性から薬としての効能を期待し、服用される例がしばしば見られる。日本でも解熱剤として使用され、現在も風邪薬として販売されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[エジプト]]では[[紀元前32世紀|紀元前3200年]]頃から既に知られていたと言われるが、宝飾品としてあるいは薬として珍重されるようになったのは後の時代である。[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]]が酢に溶かして飲んでいたことは有名である（[[村上信夫]]は自著『おそうざいフランス料理』のコラム中で「[[カエサル]]の歓心を買いたかったらしい。真珠が酢に溶けるのか、さて、自分はやった事はないが」と述べている）。世界の他の地域でも[[中国]]では[[紀元前23世紀|紀元前2300年]]頃、[[ペルシャ]]で[[紀元前7世紀]]頃、[[ローマ]]では[[紀元前3世紀]]頃から真珠が用いられていたという記録がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本]]においても[[日本書紀]]や[[古事記]]、[[万葉集]]にすでにその記述が見られる。『[[魏志倭人伝]]』にも[[邪馬台国]]の[[台与]]が[[曹魏|魏]]に白珠（真珠）5000を送ったことが記されている。万葉集には真珠を詠み込んだ歌が56首含まれる。当時は[[愛媛県]][[宇和海]]や[[三重県]][[英虞湾]]でアコヤガイから採取されていたが、日本以外で採れる真珠に比べ小粒だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
養殖真珠の歴史も古く、[[13世紀]]の中国などで既に行われているが量産することは難しかった。日本では[[1893年]]に[[箕作佳吉]]の指導をうけた[[御木本幸吉]]が英虞湾神明浦で阿古屋貝の半円真珠の養殖に成功し、[[1905年]]、英虞湾の多徳島で真円真珠の養殖に成功した。それ以来、英虞湾、宇和海、長崎県[[対馬]]などで養殖が行われている。後に[[イギリス]]で養殖真珠が偽物だという吹聴があり[[パリ]]で真珠裁判が行われたが、[[1924年]][[5月24日]]、天然と養殖には全く違いが無かったので全面勝訴した。真珠養殖が始まってからほぼ100年が経過したが、[[1996年]]頃から始まったウイルス感染症によるアコヤガイの大量斃死現象や真珠摘出後の廃棄貝、および諸々の排水による湾の富栄養化などの要因から生産性は低下している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 真珠の種類 ==&lt;br /&gt;
[[Image:AbaloneInside.jpg|right|200px|thumb|アワビの貝殻内面の真珠層]]&lt;br /&gt;
[[Image:Strombus-gigas-003.jpg|thumb|150px|right|コンク貝 ''Strombus gigas'']]&lt;br /&gt;
'''本真珠'''とは本来鮑玉（[[アワビ]]の内部に形成される真珠）の事を指すが、現在は鮑玉に加えアコヤガイ（''Pinctada fucata martensii''）の真珠を指す。本真珠以外にも、貝の種類によりさまざまな真珠がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[南洋真珠]]&lt;br /&gt;
:シロチョウガイ（白蝶貝、''Pinctada maxima''）から産する真珠。主に[[オーストラリア]]、[[インドネシア]]、[[フィリピン]]、[[ミャンマー]]で養殖されている。オーストラリア産の南洋真珠は青みがかった色を呈することが多い。一方、フィリピン産は黄色・金色の珠が多い。近年ではあまり見られなくなったが、真円真珠の養殖が終わった老貝で半円真珠を生産することもある。&lt;br /&gt;
;[[黒蝶真珠]]（黒真珠）&lt;br /&gt;
:クロチョウガイ（黒蝶貝、''Pinctada margaritifera''）から産する真珠。主に[[タヒチ]]（仏領ポリネシア）、[[沖縄県]]で養殖されている。タヒチで生産されるものは南洋真珠に分類されることもある。また他の真珠を染色処理し、黒真珠と呼んでいるものもある。&lt;br /&gt;
;[[マベ真珠]]&lt;br /&gt;
:マベガイ（マベ貝、''Pteria penguin''）から産する真珠。主に[[香港]]、[[台湾]]、インドネシア、[[奄美大島]]で養殖されている。主に半球形であるが近年では養殖技術の向上で、球形も少量であるが産出される。真円の核を挿核して真円の真珠を作ることが難しいため、半円の核を貝殻の内側に貼り付けて半円形の真珠を作る。&lt;br /&gt;
;淡水パール&lt;br /&gt;
:イケチョウ貝やカラス貝といった、淡水生の貝の中に出来る真珠は淡水パール（淡水真珠）と呼ばれる。現在流通している淡水パールのほとんどは養殖によって生産されている。養殖の際に母貝内に外套膜片のみを挿入し、核を挿入しないことから真珠が真円には育たずライス型やドロップ型といったさまざまな形状の真珠が得られる。その色も、オレンジや紫など多岐にわたる。淡水パールのうち、粒が小さく安価なものは[[ビーズ]]として使用される。近年では核を挿入して10mmを超える大玉も産出されるようになった。アコヤガイや他の真珠と同様の核を使う場合と小玉の淡水真珠を使う場合とがある。&lt;br /&gt;
;コンクパール&lt;br /&gt;
:[[西インド諸島]]の[[カリブ海]]に生息する[[巻貝]]であるコンク貝（''Strombus gigas''）から産する真珠。[[珊瑚]]のようなピンク色（他に白、黄、茶などもある）をしており、火焔模様が見られるのが特徴である。コンク貝は巻貝であり人工的に核を挿入することが不可能であるため、コンクパールは100%天然の真珠である。またコンク貝そのものが現地では貴重なタンパク源として食用とされており、積極的にパールが採られている訳ではないことから希少とされている。なおコンクパールは真珠層真珠ではなく、稜柱層から成る真珠である。&lt;br /&gt;
;その他の貝の真珠&lt;br /&gt;
:基本的に真珠層を持つほとんどの貝は真珠を産することが可能である。非常に稀であるが、例えば[[ハマグリ]]や[[アサリ]]なども真珠を産する。&lt;br /&gt;
;模造真珠&lt;br /&gt;
:;プラスチックパール&lt;br /&gt;
::真珠を模したプラスチック球。軽く、表面は真の真珠層ではないために汗などに強い。&lt;br /&gt;
:;貝パール&lt;br /&gt;
::養殖真珠の核に人工的に真珠色の塗装を施したもの。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*バイオミネラリゼーション 生物が鉱物を作ることの不思議 渡部哲光 著 東海大学出版会（1997年） ISBN 4-486-01391-3&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[アコヤガイ]]&lt;br /&gt;
*[[アワビ]]&lt;br /&gt;
*[[御木本幸吉]]&lt;br /&gt;
*[[ミキモト真珠島]]&lt;br /&gt;
*[[花珠]]&lt;br /&gt;
*[[天然石ビーズ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.fis-net.co.jp/~shinju/index.html 日本真珠振興会]&lt;br /&gt;
*[http://www.jbp.jp/index.html 日本黒蝶真珠輸入協議会]&lt;br /&gt;
*[http://www5.ocn.ne.jp/~jpea/index.html 日本真珠輸出組合]&lt;br /&gt;
*[http://homepage2.nifty.com/zenshinren/index.html 全国真珠養殖漁業協同組合連合会]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:宝石|しんしゆ]]&lt;br /&gt;
[[Category:生薬|しんしゆ]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9F%B3%E7%94%9F%E5%AE%97%E7%9F%A9&amp;diff=29442</id>
		<title>柳生宗矩</title>
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				<updated>2008-05-22T04:54:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: ''''柳生 宗矩'''（やぎゅう むねのり、元亀2年（1571年） - 正保3年3月26日（1646年5月11日））は[[江戸...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''柳生 宗矩'''（やぎゅう むねのり、[[元亀]]2年（[[1571年]]） - [[正保]]3年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]（[[1646年]][[5月11日]]））は[[江戸時代]]初期の[[武将]]、[[剣術]]家である。[[徳川将軍家]]の剣術師範。[[大和国]][[柳生藩]]初代藩主。剣術の面では将軍家師範としての[[江戸柳生]]の地位を確立した[[剣豪]][[政治家]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大和国柳生の領主で、[[永禄]]8年（[[1565年]]）に[[上泉信綱]]から[[新陰流]]の印可状を伝えられた剣術家・[[柳生宗厳]]（石舟斎）の五男。母は興原助豊の娘である。兄に柳生厳勝、[[柳生宗章]]らがいる。少年時代に[[太閤検地]]の際の隠田の露見によって父が失領していたが、[[文禄]]3年（[[1594年]]）に父とともに[[徳川家康]]に仕えた。[[慶長]]5年（[[1600年]]）の[[関ヶ原の戦い]]に功をたて、父の旧領の大和国柳生荘に2000石を与えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶長6年（[[1601年]]）にのちの2代将軍・[[徳川秀忠]]の剣術師範役となり、ついで3代将軍・[[徳川家光]]にも剣術師範として仕えた。慶長20年（[[1615年]]）の[[大坂の役]]では将軍秀忠のもとで従軍、秀忠の元に迫った豊臣方7人を斬り捨てている。なお、宗矩が人を斬ったと記録されているのは後にも先にもこの時だけである。翌[[元和 (日本)|元和]]2年（[[1616年]]）には友人でもあった[[坂崎直盛]]の反乱未遂事件の交渉と処理に活躍する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
余談であるが直盛の自害のみで事を治めると約束した幕府はその後、坂崎家を取り潰している。その約束で直盛の説得を行った宗矩は結果的に友人を陥れたことになるが、宗矩はそれを終生忘れぬためなのか柳生家の家紋（地楡：吾亦紅=われもこう）に坂崎家の二蓋笠（にがいがさ）を加えて（譲り受け?）使い続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次第に将軍の信任を深めて加増を受け[[寛永]]6年（[[1629年]]）に従五位下に叙位、但馬守に任官する。寛永9年（[[1632年]]）には初代の幕府総目付（[[大目付]]）となり、諸大名の監視を任とした。寛永13年（[[1636年]]）の加増で計1万石を受けて[[大名]]に列し、大和国柳生藩を立藩。晩年さらに加増を受けて位階は従四位下に昇叙、所領は1万2500石に達した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
正保3年（1646年）に没し、自身が父の菩提を弔うために友人の[[沢庵宗彭]]を招いて柳生に開いた[[奈良市]]柳生下町の[[芳徳寺|神護山芳徳禅寺]]に葬られた。享年76。なお、そのほかに、[[練馬区]]桜台の[[広徳寺|圓満山廣徳寺]]にも墓所があり、[[京都府]][[南山城村]]田山の華将寺跡に墓碑がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子には隻眼の剣士として有名な長男の[[柳生三厳|三厳]]（十兵衛）、家光の寵愛を受けたが父に先立って早世した[[柳生友矩|友矩]]、父の死後まもなく没した三厳に代わって将軍家師範役を継いだ[[柳生宗冬|宗冬]]、菩提寺芳徳寺の第一世住持となった[[列堂義仙]]の4子が知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*兵法家伝書&lt;br /&gt;
*玉成集&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物・逸話 ==&lt;br /&gt;
*喫煙者であり、沢庵の度重なる諫言にも関わらず吸い続けた{{要出典}}。 &lt;br /&gt;
*乱舞や能を好み、大名家に押しかけて踊ることもあった。&lt;br /&gt;
*嫡子・十兵衛が隻眼になったのは、宗矩が月影の太刀伝授中に誤って傷つけたためと言われている。&lt;br /&gt;
*家光は宗矩の死後何かあると、「この問題は宗矩がいたらどうしただろう」と言ったとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==創作物上の扱い==&lt;br /&gt;
宗矩については[[勝海舟]]が絶賛していることで有名。[[山岡荘八]]は[[大河ドラマ]]『[[春の坂道]]』のために原作を書き下ろしている。この作品での宗矩は情誼に篤い剣聖であり、家光のよき師として描かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、近年特に見られる傾向だが（秀忠に仕えていたためもあってか）多数の作品で悪役として描かれることが多い（小説では[[五味康祐]]、[[隆慶一郎]]、[[荒山徹]]の諸作『[[影武者徳川家康]]』や漫画『[[あずみ]]』、映画・ドラマ『[[柳生一族の陰謀]]』、大河ドラマ『[[武蔵 MUSASHI]]』、ゲーム『[[鬼武者|新 鬼武者 DAWN OF DREAMS]]』など）。そのため、これらの作品を通じて柳生宗矩を知るとその印象に混乱をきたすおそれがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また時代や価値観によって描かれ方が異なり、政治的な視点を通して見ると文武両道の太平を望み尽力した人格者として描かれることがあるが、純粋に剣術的な視点からの描き方だと達人ではあるが同時代の剣豪や父、息子・十兵衛、甥の[[柳生利厳|利厳]]（兵庫助）には一手及ばず、政を以って剣を歪めた悪役として描かれる事もある。ただ、どのような描かれ方でも厳格で知勇兼備であるという点ではぶれがなく、傑物としての宗矩像は共通している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 柳生宗矩を演じた俳優 ==&lt;br /&gt;
*[[大河ドラマ]]『[[春の坂道]]』 - [[萬屋錦之介|中村錦之助]]（1971年）&lt;br /&gt;
*映画『[[柳生一族の陰謀]]』 - 萬屋錦之介（1978年）&lt;br /&gt;
*ドラマ『柳生一族の陰謀』 - [[山村聰]]（1979年）&lt;br /&gt;
*大河ドラマ『[[独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)|独眼竜政宗]]』 - [[石橋蓮司]]（1987年）&lt;br /&gt;
*大河ドラマ『[[武蔵 MUSASHI]]』 - [[中井貴一]]（2003年）&lt;br /&gt;
*NHK[[木曜時代劇]]『[[柳生十兵衛七番勝負]]』シリーズ - [[夏八木勲]]（2005年 - 2007年）&lt;br /&gt;
*アニメ『[[バジリスク 〜甲賀忍法帖〜]]』 - [[若本規夫]]（2005年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[木村友重]]（木村助九郎）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.yagyu.com/index.htm 柳生ドットコム（奈良柳生街道・柳生の里）]&lt;br /&gt;
*[http://www.hakaishi.jp/tomb/04-13.html 日本の墓 柳生宗矩]&lt;br /&gt;
*[http://www.eonet.ne.jp/~yamatoshinkage/yagyusato1.htm 神護山芳徳禅寺]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|徳川将軍家剣術指南役|1636 - 1646|―|[[柳生宗冬]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[柳生藩|柳生氏（柳生藩初代）藩主]]|1636 - 1646|―|[[柳生三厳]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:やきゆう むねのり}}&lt;br /&gt;
[[Category:剣客]]&lt;br /&gt;
[[Category:柳生氏|むねのり]]&lt;br /&gt;
[[Category:戦国武将]]&lt;br /&gt;
[[Category:江戸の大名]]&lt;br /&gt;
[[Category:譜代大名]]&lt;br /&gt;
[[Category:江戸幕府大目付]]&lt;br /&gt;
[[Category:1571年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1646年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%A4%A9%E7%84%B6%E7%97%98&amp;diff=29428</id>
		<title>天然痘</title>
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				<updated>2008-05-22T02:44:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Medical}}&lt;br /&gt;
[[Image:Smallpox virus.jpg|200px|right|thumb|天然痘ウイルス]]&lt;br /&gt;
'''天然痘'''（てんねんとう）とは天然痘ウイルスを病原体とする[[感染症]]の一つである。'''疱瘡'''（ほうそう）、'''痘瘡'''（とうそう）ともいう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
高い死亡率と治癒しても[[瘢痕]]を残すことから、世界中で不治、悪魔の病気と恐れられてきた代表的な感染症。天然痘で死亡したと確認されている最古の患者はエジプト王朝の[[ラムセス五世]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[フレンチ・インディアン戦争]]において、イギリス軍により生物兵器としてインディアン殲滅に使用される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1798年]]、[[エドワード・ジェンナー]]が[[種痘|天然痘ワクチン]]を開発し、それ以降は急速に流行が消失していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1958年]]に[[世界保健機構]]（WHO）総会で「世界天然痘根絶計画」が可決され、根絶計画が始まった。中でも最も天然痘の害がひどいインドは天然痘に罹った人々に幸福がもたらされるという宗教上の観念が浸透していたため、根絶が困難とされた。WHOは天然痘患者が発生すると、その発病1ヶ月前から患者に接触した人々を対象として種痘を行い、ウイルスの伝播・拡散を防いで孤立させる事で天然痘の感染拡大を防ぐ方針をとった。これが功を奏し、根絶が困難と思われていたインドで天然痘患者が激減していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この方針は他地域でも用いられ、[[1970年]]には西アフリカ全域から根絶され、翌[[1971年]]に中央アフリカと南米から根絶された。[[1975年]]、[[バングラデシュ]]の3歳女児の患者がアジアで最後の記録となり、アフリカの[[エチオピア]]と[[ソマリア]]が流行地域として残った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]]、ソマリアの青年の患者を最後に天然病患者は報告されておらず、3年を経過した[[1980年]][[5月8日]]にWHOは[[根絶宣言]]を行った。[[天然痘ウイルス]]は現在、ロシアとアメリカの[[バイオセーフティーレベル|レベル4施設]]で厳重に管理されている。天然痘は人類が根絶した感染症として唯一のものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本における例 ==&lt;br /&gt;
過去には定期的な大流行を起すことで知られていた。日本では古代の天平年間に[[遣唐使]]や[[遣新羅使]]を通じて侵入したと考えられる天然痘が西日本を中心に大流行し、[[平城京]]では政権を担当していた[[藤原四兄弟]]が相次いで死去した。また、隻眼のため「独眼竜」の異名で知られる奥州の[[戦国大名]]・[[伊達政宗]]が幼少期に右目を失明したのも天然痘によるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
蘭学者の[[緒方洪庵]]が天然痘の予防に尽力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では[[1955年]]の患者を最後に根絶された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
WHOによる根絶運動により、[[1976年]]以降予防接種が廃止された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 臨床像 ==&lt;br /&gt;
[[Image:smallpox.jpg|200px|thumb|天然痘に感染した子供]]&lt;br /&gt;
*[[飛沫感染]]や[[接触感染]]により感染し、7～16日の潜伏期間を経て発症する。&lt;br /&gt;
*40℃前後の[[高熱]]、[[頭痛]]・[[腰痛]]などの初期症状に始まる。&lt;br /&gt;
*発熱後3～4日目に一旦解熱して以降、頭部、顔面を中心に皮膚色と同じまたはやや白色の豆粒状の[[丘疹]]が生じ、全身に広がっていく。&lt;br /&gt;
*7～9日目に再度40℃以上の高熱になり[[呼吸困難]]等を併発、[[発疹]]は[[膿疱]]となる。この時期の重篤な[[呼吸不全]]によって死に至る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2～3週目には膿疱は[[瘢痕]]を残して治癒に向かう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 予防・治療 ==&lt;br /&gt;
「種痘」という[[ワクチン]]接種による予防が極めて有効。感染後でも4日以内であればワクチン接種は有効であるとされている。また化学療法を中心とする対症治療が確立されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 問題 ==&lt;br /&gt;
=== テロの危険 ===&lt;br /&gt;
根絶されたために根絶後に予防接種を受けた人はおらず、また予防接種を受けた人でも免疫の持続期間が一般的に5～10年といわれているため、現在では免疫を持っている人はほとんどない。&amp;lt;!--インフルエンザと同様の接触・飛沫感染であるため、--&amp;gt;そのため、[[生物兵器]]として[[テロ]]に流用された場合に大きな被害を出す危険が指摘されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 類似ウイルス ===&lt;br /&gt;
天然痘そのものは根絶宣言が出されたが、類似したウイルスの危険性を指摘する研究者がいる。研究によれば、複数の身近な生物が類似ウイルスの宿主になりうることが示されており、それらが変異すると人類にとって脅威になるかもしれないと警告している&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20070710k0000e040024000c.html&lt;br /&gt;
| title =天然痘：類似ウイルス、今もアフリカ毒ヘビに寄生の可能性&lt;br /&gt;
| publisher = [[毎日新聞]]&lt;br /&gt;
| accessdate = 7月10日&lt;br /&gt;
| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連法規 ==&lt;br /&gt;
天然痘はかつての[[伝染病予防法]]では[[法定伝染病]]に指定されていた。[[{{CURRENTYEAR}}年]]現在、[[感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律|感染症法]]で[[感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律#一類感染症|一類感染症]]に指定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 天然痘にかかったとされる有名人 ==&lt;br /&gt;
*[[藤原四兄弟]]（[[藤原武智麻呂]]、[[藤原房前]]、[[藤原宇合]]、[[藤原麻呂]]）：[[737年]]の平城京での大流行によって感染、死亡。&lt;br /&gt;
*[[ヨシフ・スターリン]]：顔にははっきりと痘痕が残り、醜い容姿であったとされる。影武者には痘痕がない。&lt;br /&gt;
*[[伊達政宗]]：幼少時に発症し、右目を失明。&lt;br /&gt;
*[[孝明天皇]]：ただし、一部に異説（他殺説）あり。&lt;br /&gt;
*[[緒方洪庵]]：幼少期に発症、のちに日本における天然痘対策（ワクチンの普及）に尽力。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references/&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[感染症]]&lt;br /&gt;
*[[種痘]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{Medical-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[category:感染症|てんねんとう]]&lt;br /&gt;
[[category:ウイルス|てんねんとう]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%B7%92%E6%96%B9%E6%B4%AA%E5%BA%B5&amp;diff=29427</id>
		<title>緒方洪庵</title>
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				<updated>2008-05-22T02:42:32Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[画像:緒方洪庵像.jpg|right|thumbnail|200px|生家跡に立つ洪庵像]]&lt;br /&gt;
'''緒方 洪庵'''（'''おがた こうあん'''、[[文化 (元号)|文化]]7年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]（[[1810年]][[8月13日]]） - [[文久]]3年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]（[[1863年]][[7月25日]]））は日本の[[武士]]･[[足守藩]]士、医師、蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[諱]]は'''章'''、[[字]]は'''公裁'''、号を洪庵の他に'''適々斎'''・'''華陰'''と称する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略年譜 ==&lt;br /&gt;
*[[備中国]][[足守藩]]士・佐伯瀬左衛門の3男として足守（現・[[岡山県]][[岡山市]]足守）に生まれる。&lt;br /&gt;
*[[文政]]8年（[[1825年]]） [[大坂]]蔵屋敷留守居役となった父と共に大坂に出る。&lt;br /&gt;
*文政9年（[[1826年]]） [[中天游]]の私塾「思々斎塾」にて4年間、蘭学を学ぶ。&lt;br /&gt;
*[[天保]]2年（[[1831年]]） [[江戸]]へ出て[[坪井信道]]に学び、さらに[[宇田川玄真]]にも学んだ。&lt;br /&gt;
*天保7年（[[1836年]]） [[長崎]]へ遊学し[[オランダ]]人[[医師]]・ニーマンのもとで[[医学]]を学ぶ。この頃から'''緒方洪庵'''と名乗った模様。&lt;br /&gt;
*天保9年（[[1838年]]） 大坂に帰り、瓦町（現・[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]瓦町）で医業を開業する。同時に蘭学塾「適々斎塾（[[適塾]]）」を開く。同年、天游門下の先輩・[[億川百記]]の娘・'''八重'''と[[結婚]]。のち6男7女をもうける。&lt;br /&gt;
*[[弘化]]2年（[[1845年]]） 過書町（現・大阪市中央区北浜）の商家を購入し適塾を移転。移転の理由は洪庵の名声がすこぶる高くなり、門下生も日々増え瓦町の塾では手狭となった為である。&lt;br /&gt;
*[[嘉永]]2年（[[1849年]]） 古手町（現・大阪市中央区道修町）に「'''除痘館'''」を開き、牛痘種痘法による[[切痘]]を始める。&lt;br /&gt;
*嘉永3年（[[1850年]]） 郷里の足守藩より要請があり「'''足守除痘館'''」を開き切痘を施した。&lt;br /&gt;
*文久2年（[[1862年]]） [[徳川幕府|幕府]]の度重なる要請により'''奥医師兼西洋医学所頭取'''として、[[江戸]]に出仕する。歩兵屯所付医師を選出するよう指示を受け、[[手塚良仙]]ら7名を推薦した。&lt;br /&gt;
*文久3年（1863年） 江戸の医学所頭取役宅で突然喀血し窒息により死去。享年54（[[数え年]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物論 ==&lt;br /&gt;
洪庵の功績として、適塾から[[福澤諭吉]]、[[大鳥圭介]]、[[橋本左内]]、[[大村益次郎]]、[[長与専斎]]、[[佐野常民]]、[[高松凌雲]]など[[幕末]]から[[明治維新]]にかけて活躍した多くの人材を輩出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、日本最初の病理学書『'''病学通論'''』を著した。[[種痘]]を広め[[天然痘]]の予防に尽力。[[安政]]5年（[[1858年]]）の[[コレラ]]流行に際しては『'''虎狼痢治準'''』と題した治療手引き書を出版し医師に配布するなど[[日本]]医学の近代化に努めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
洪庵の人柄は温厚でおよそ人を怒ったことが無かったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、洪庵には次のようなエピソードがある。福澤諭吉が適塾に入塾していた時に[[腸チフス]]を患った。[[中津藩]]大坂蔵屋敷で療養していた折に洪庵が彼を手厚く看病し治癒した。諭吉はこれを終生忘れなかったそうである。このように他人を思いやり、面倒見の良い一面もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連記事 ==&lt;br /&gt;
緒方洪庵の曾孫の[[緒方富雄]]は[[東京大学]]で[[血清学]]の研究を行い、日本の血清学の基礎を固めた。[[昭和]]23年（[[1948年]]）3月に[[財団法人]]血清学振興会を設立し、血清学領域の基礎研究及び応用研究が行われてきた。その後[[緒方医学化学研究所]]に発展し、血清学に留まらず広く[[医学]]・[[歯学]]分野などの調査研究（学術誌：[[医学と生物学]]）を行っている。また、同研究所では緒方洪庵や[[杉田玄白]]、[[石川大浪]]、[[小石元瑞]]などの貴重な蘭学資料を「蘭学文庫」として所有し公開している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[適塾]]&lt;br /&gt;
*[[幕末の人物一覧]]&lt;br /&gt;
*[[岡山県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[大阪大学]]（適塾の流れをくむ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[蘭学]]&lt;br /&gt;
*[[緒方富雄]]&lt;br /&gt;
*[[緒方医学化学研究所]]&lt;br /&gt;
*[[緒方竹虎]]&lt;br /&gt;
*[[扶氏経験遺訓]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.osaka-u.ac.jp/jp/about/tekijuku/index.html 適塾（大阪大学HP内）]&lt;br /&gt;
*[http://www.ogataken.net/index.htm （財）緒方医学化学研究所]&lt;br /&gt;
*[http://iryo.sanyo.oni.co.jp/kikaku/keihu/keihu_01.html 緒方 洪庵]&lt;br /&gt;
*[http://www.kct.ne.jp/~kshimizu/saek.htm 関連系図]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた こうあん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の医学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:19世紀の学者]]&lt;br /&gt;
[[category:江戸時代の人物]]&lt;br /&gt;
[[category:岡山県の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:蘭学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1810年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1863年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%A5%A5%E5%B7%9E%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B0%8F&amp;diff=29426</id>
		<title>奥州藤原氏</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%A5%A5%E5%B7%9E%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B0%8F&amp;diff=29426"/>
				<updated>2008-05-22T02:39:27Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: ''''奥州藤原氏'''（おうしゅうふじわらし）は前九年の役・後三年の役の後の寛治元年（1087年）から源頼朝に滅ぼさ...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''奥州藤原氏'''（おうしゅうふじわらし）は[[前九年の役]]・[[後三年の役]]の後の[[寛治]]元年（[[1087年]]）から[[源頼朝]]に滅ぼされる[[文治]]5年（[[1189年]]）までの間、[[陸奥国|陸奥]]（後の[[陸中国]]）[[平泉]]を中心に[[出羽国|出羽]]を含む[[東北地方]]一帯に勢力を張った一族で[[承平天慶の乱|天慶の乱]]を鎮めた[[藤原秀郷]]の子孫を称する豪族である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出自 ==&lt;br /&gt;
奥州藤原氏の遠祖である[[藤原頼遠]]は諸系図によると「太郎太夫下総国住人」であったと記され、陸奥国（後の陸中国）に移住した経緯はよく分かっていない。しかし父親の[[藤原正頼]]が従五位下であったことと比較し頼遠が無官であることから[[平忠常の乱]]において[[平忠常|忠常]]側についた頼遠が罪を得て陸奥国に左遷され、多賀国府の官人となったものと推測されている。ただしこの意見には、平忠常の乱では忠常の息子たちも罪を得ていないので頼遠連座はあり得ないとの反論がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
頼遠の子・[[藤原経清]]（亘理権大夫）に至り、亘理地方に荘園を経営するなど勢力の伸張が見られた。また経清は陸奥奥六郡を牛耳る豪族・[[安倍頼時]]の娘を娶って縁戚関係を結び、安倍氏一門の南方の固めとなっていた。[[長久]]元年（[[1040年]]）より国府の推挙により数ヵ年修理大夫として在京し、[[陸奥守]]・[[藤原登任]]の下向に同行し帰省したとの説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお奥州藤原氏が実際に藤原氏の係累であるかについては長年疑問符がつけられていたが、近年の研究では藤原経清について[[永承]]2年（[[1047年]]）の五位以上の藤原氏交名を記した「造興福寺記」に名前が見えており、同時期に陸奥国在住で後に権守となった[[藤原説貞]]と同格に扱われていることから実際に[[藤原氏]]の一族であったかはともかく、少なくとも当時の藤原摂関家から一族の係累に連なる者と認められていたことは確認されている（[[興福寺]]は摂関家の氏寺である）。また確たる史料はないものの[[亘理郡]]の有力者で五位に叙せられ、陸奥の在庁官人として権守候補であった可能性は高いと見られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 奥州藤原氏登場前史 ==&lt;br /&gt;
東北地方は[[弥生時代]]以降も[[続縄文文化]]や[[擦文文化]]に属する人々が[[北海道]]から南下して住み着くなど、関東以南とは異なる歴史を辿った。大和朝廷の支配も関東以南ほど強くは及んでいなかったが律令制の時代には陸奥国と[[出羽国]]が置かれ、[[俘囚]]と呼ばれた[[蝦夷]]（えぞ）系の人々と関東以南から移住して来た人々が入り混じって生活していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11世紀]]半ば、陸奥国には[[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]、出羽国には[[清原氏]]という強力な豪族が存在していた。安倍氏、清原氏はいずれも俘囚の流れを汲む、言わば東北地方の先住民系の豪族であった。このうち安倍氏が陸奥国の国司と争いになり、これに[[河内源氏]]の[[源頼義]]が介入して足掛け12年に渡って戦われたのが[[前九年の役]]である。前九年の役はその大半の期間において安倍氏が優勢に戦いを進めていたが、最終局面で清原氏を味方に付けた源頼義が安倍氏を滅ぼして終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この前九年の役の前半、安倍氏の当主であったのが頼時である。頼時は[[天喜]]5年（[[1057年]]）に戦死し、その息子の[[安倍貞任]]は[[康平]]5年（[[1062年]]）に敗死したが安倍頼時の血統が絶えたわけでは無かった。頼時の娘の1人が前述の亘理郡の豪族・経清に嫁いでいたのである。経清もまた安倍氏の滅亡の際に頼義に囚われ斬首されたが、その妻（つまり頼時の娘）は頼義の3倍の兵力を率いて参戦した戦勝の立役者である[[清原武則]]の長男・武貞に再嫁することとなった。この時、頼時の娘が連れていた経清の息子（頼時の外孫）も武貞の養子となり、長じて[[清原清衡]]を名乗った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[永保]]3年（[[1083年]]）、清原氏の頭領の座を継承していた[[清原真衡]]（武貞の子）と清衡そしてその異父弟の[[清原家衡]]との間に内紛が発生する。この内紛に源頼義の嫡男であった[[源義家]]が介入し、清原真衡の死もあって一旦は清原氏の内紛は収まることになった。ところが義家の裁定によって清原氏の所領の6郡が清衡と家衡に3郡ずつ分割継承されると、しばらくしてこれを不服とした家衡が清衡との間に戦端をひらいてしまった。義家はこの戦いに再び介入し、清衡側について家衡を討った。この一連の戦いを[[後三年の役]]と呼ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真衡、家衡の死後、清原氏の所領は清衡が継承することとなった。清衡は実父の姓である藤原を再び名乗り、藤原清衡となった。これが奥州藤原氏の始まりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 藤原氏の支配の成立 ==&lt;br /&gt;
清衡は、朝廷や藤原摂関家に[[金|砂金]]や[[ウマ|馬]]などの献上品や貢物を欠かさなかった。その為、朝廷は奥州藤原氏を信頼し、彼らの事実上の奥州支配を容認した。その後、朝廷内部で[[源氏]]と[[平氏]]の間で政争が起きたために奥州にかかわっている余裕が無かったと言う事情も有ったが、それより大きいのは当時の中央政府の地方支配原理にあわせた奥州支配を進めたことと思われる。中央から来る国司を拒まず受け入れ、奥州第一の有力者としてそれに協力するという姿勢を崩さなかったことが中央政府からの介入がなかった理由と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのため奥州は朝廷における政争と無縁な地帯になり、奥州藤原氏は奥州17万騎と言われた強大な武力と政治的中立を背景に源平合戦の最中も平穏の中で独自の政権と文化を確立する事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[藤原基衡|基衡]]は[[院の近臣]]で陸奥守として下向してきた[[藤原基成]]と親交を結び、基成の娘を秀衡に嫁がせ院へも影響を及ぼした。その後下向する国司は殆どが基成の近親者で、基成と基衡が院へ強い運動を仕掛けたことが推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
奥州藤原氏が築いた独自政権の仕組みは[[鎌倉幕府]]に影響を与えたとする解釈もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
清衡は陸奥[[押領司]]に、基衡は奥六郡押領司、出羽押領司に、秀衡は[[鎮守府将軍]]に、泰衡は出羽、陸奥押領司であり押領司を世襲することで軍事指揮権を公的に行使することが認められ、それが奥州藤原氏の支配原理となっていた。また、奥州の[[摂関家]][[荘園]]の管理も奥州藤原氏に任されていたようである。奥州藤原氏滅亡時、平泉には陸奥、出羽の[[省帳]]、[[田文]]などの行政文書の写しが多数あったという。本来これらは[[国衙]]にあるもので、平泉が国衙に準ずる行政都市でもあったことがうかがえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で[[出羽国]]に[[奥州合戦]]後も[[御家人]]として在地支配を許された豪族が多いことから、在地領主の[[家人]]化が進んだ[[陸奥国]]と押領司としての軍事指揮権に留まった出羽国の差を指摘する見解もある。特に出羽北部には[[荘園]]が存在せず、[[公領制]]一色の世界であったため、どの程度まで奥州藤原氏の支配が及んだかは疑問であるとする説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その政権の基盤は奥州で豊富に産出された[[金|砂金]]と[[北方貿易]]であり、[[北宋]]や[[沿海州]]などとも独自の交易を行っていた様である。[[マルコ・ポーロ]]の[[東方見聞録]]に登場する[[黄金の国ジパング]]のイメージは、奥州藤原氏（後に[[安東氏]]）による[[十三湊]]大陸貿易によってもたらされたと考える研究者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 平泉文化 ==&lt;br /&gt;
長治2年（[[1105年]]）に清衡は本拠地の[[平泉]]に最初院（後の[[中尊寺]]）を建立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
永久5年（[[1117年]]）に基衡が[[毛越寺]]（もうつうじ）を再興した。その後基衡が造営を続け、壮大な伽藍と庭園の規模は京のそれを凌いだと言われている。毛越寺の本尊とするために[[薬師如来]]像を仏師・[[雲慶]]に発注したところあまりにも見事なため、[[鳥羽天皇|鳥羽上皇]]が横取りして自分が建立した寺院の本尊に使用せんとしたほどだったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天治元年（[[1124年]]）に清衡によって[[中尊寺金色堂]]が建立された。屋根・内部の壁・柱などすべてを金で覆い奥州藤原氏の権力と財力の象徴とも言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
奥州藤原氏は[[藤原清衡|清衡]]、[[藤原基衡|基衡]]、[[藤原秀衡|秀衡]]、[[藤原泰衡|泰衡]]と4代100年に渡って繁栄を極め、平泉は[[平安京]]に次ぐ日本第二の都市となった。戦乱の続く京を尻目に平泉は発展を続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この平泉文化は現代でも[[大阪商工会議所]]会頭による[[東北熊襲発言]]に際して、[[国会]]で東北地方の文化の象徴として引き合いにだされている&amp;lt;ref&amp;gt;[[衆議院]]会議録情報　第112回国会　予算委員会第八分科会　第1号[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/112/0396/11203090396001c.html]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 落日 ==&lt;br /&gt;
{{Main|奥州合戦}}&lt;br /&gt;
秀衡は[[平治の乱]]で敗れた[[源義朝]]の子・[[源義経]]を匿い文治元年（[[1185年]]）、[[源頼朝]]に追われた義経は秀衡に再び匿われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
秀衡は頼朝からの引渡要求を拒んできたが秀衡の死後、息子の藤原泰衡は頼朝の要求を拒みきれず文治5年（[[1189年]]）閏4月義経を自殺に追い込み、義経の首を頼朝に引き渡す事で頼朝との和平を模索した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、[[関東]]の後背に独自の政権があることを恐れた源頼朝は同年7月、義経を長らくかくまっていた事を罪として奥州に出兵。贄柵（秋田県鹿角）において家臣の造反により藤原泰衡は殺され、奥州藤原氏は滅んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平家滅亡により源氏の勢力が強くなった事、奥州に深く関わっていた義経が頼朝と対立した事などにより中立を維持できなくなった事が滅亡の原因となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 一族 ==&lt;br /&gt;
清衡の四男・[[藤原清綱]]（亘理権十郎）は当初亘理郡中嶋舘に居城し以後平泉へ移りその子の代には[[紫波郡]][[日詰]]の樋爪（比爪）館に居を構え樋爪氏を名乗り太郎俊衡と称している。[[奥州合戦]]では平泉陥落後、樋爪氏は居館に火を放ち地下に潜伏したが、当主・[[樋爪俊衡]]らは陣ケ岡の頼朝の陣に出頭し降伏した。頼朝の尋問に対し法華経を一心に唱え一言も発せず命を差し出したので老齢のことでもありその態度を是とした頼朝は樋爪氏の所領を安堵したがその後、歴史の表舞台から消えた。子や弟も相模国他へ配流された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
藤原秀衡の四男高衡も投降後相模国に流罪となり樋爪一族と行動をともにした。これにより奥州藤原氏のすべてが処分された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、経清（亘理権大夫）以来代々の所領地曰理郷（亘理郡）も清綱（亘理権十郎）の没落とともに頼朝の幕僚・千葉胤盛の支配する所となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
清綱の息女の乙和子姫は、信夫荘司[[佐藤基治]]に嫁し[[佐藤継信]]・[[佐藤忠信]]兄弟（義経の臣）の母親として[[信夫郡]][[舘の山公園|大鳥城]]（[[福島市]][[飯坂温泉]]付近・現在[[舘の山公園]]）に居城した。全国佐藤姓のみなもとのひとつとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
 　　　　 [[藤原経清|経清]]&lt;br /&gt;
           ┃&lt;br /&gt;
   　 　  [[藤原清衡|清衡]]※&lt;br /&gt;
 　　　　　┣━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━━┓ 　　　　 　&lt;br /&gt;
 　     　[[藤原惟常|惟常]]　　[[藤原基衡|基衡]] 　 　正衡　　  [[藤原清綱|清綱]]  　  家清　    〇〇   &lt;br /&gt;
   　              ┃        　     　┣━━━┳━━━━━━━┓&lt;br /&gt;
  　　            [[藤原秀衡|秀衡]]　　　　　　　　[[藤原俊衡|俊衡]]　　[[藤原孝衡|孝衡]]（樋爪氏）　乙和子=[[佐藤基治]]　&lt;br /&gt;
 　　　　　┏━━━╋━━━┳━━━┳━━━┓&lt;br /&gt;
 　　　　 [[藤原国衡|国衡]]　　[[藤原泰衡|泰衡]]　　[[藤原忠衡|忠衡]]　　[[藤原高衡|高衡]]    [[藤原通衡|通衡]]&lt;br /&gt;
'''※注'''　「紺紙金銀字交書一切経大品経　巻二十二」の奥書から[[元永]]2年（[[1119年]]）当時清衡には6男3女の子供がいたと見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 高橋富雄『奥州藤原氏四代』（吉川弘文館人物叢書、[[1987年]]） ISBN 4642050949&lt;br /&gt;
* 七宮涬三 編『藤原四代のすべて』（新人物往来社、[[1993年]]） ISBN 4404020252&lt;br /&gt;
* 高橋富雄『平泉の世紀 &amp;lt;small&amp;gt;古代と中世の間&amp;lt;/small&amp;gt;』（日本放送出版協会、[[1999年]]） ISBN 4140018607&lt;br /&gt;
* 入間田宣夫・本沢慎輔 編『平泉の世界』（高志書院奥羽史研究叢書、[[2002年]]） ISBN 4906641520&lt;br /&gt;
* 高橋 崇『奥州藤原氏 &amp;lt;small&amp;gt;平泉の栄華百年&amp;lt;/small&amp;gt;』（中公新書、2002年） ISBN 412101622X&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 奥州藤原氏を題材とした作品 ==&lt;br /&gt;
* [[高橋克彦]]『[[炎立つ]]』壱～伍（[[講談社文庫]]、[[1995年]]）&lt;br /&gt;
** 壱 北の埋み火 ISBN 4061857630&lt;br /&gt;
** 弐 燃える北天 ISBN 4061857649&lt;br /&gt;
** 参 空への炎 ISBN 4061859269&lt;br /&gt;
** 四 冥き稲妻 ISBN 4061859277&lt;br /&gt;
** 伍 光彩楽土 ISBN 4062631008&lt;br /&gt;
* 今 東光『蒼き蝦夷の血 &amp;lt;small&amp;gt;藤原四代&amp;lt;/small&amp;gt;』1～4（徳間文庫、1993年）&lt;br /&gt;
*# 清衡の巻 ISBN 4195674697&lt;br /&gt;
*# 基衡の巻 ISBN 4195674700&lt;br /&gt;
*# 秀衡の巻 上 ISBN 4195674999&lt;br /&gt;
*# 秀衡の巻 下 ISBN 4195675006&lt;br /&gt;
* 江宮隆之『経清記』（[[新人物往来社]]、1993年） ISBN 4404020708&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:奥州藤原氏|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:陸中国|おうしゆうふしわらし]]&lt;br /&gt;
[[Category:東北地方の歴史|おうしゆうふしわらし]]&lt;br /&gt;
[[Category:平安時代|おうしゆうふしわらし]]&lt;br /&gt;
[[Category:分国前陸奥国だった地域の人物|おうしゆうふしわらし]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E7%8E%8B%E6%A8%A9&amp;diff=29204</id>
		<title>ヤマト王権</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E7%8E%8B%E6%A8%A9&amp;diff=29204"/>
				<updated>2008-05-15T05:55:18Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[画像:yamato_ja.png|200px|thumb|right|7世紀のヤマト王権の勢力図]]&lt;br /&gt;
'''ヤマト王権'''（やまとおうけん）とは[[古墳時代]]に[[ヤマト大王|倭国王]]といくつかの有力[[氏族]]が中心となって成立した王権・政権である。主に[[奈良盆地]]を本拠とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1970年代]]より以前は'''大和朝廷'''と呼ばれることが多かったが「大和」という表記は[[奈良時代]]以降のものであるとともにこの政治勢力を説明するには「[[朝廷]]」という用語は適当でないとされ、[[1980年代]]以降はヤマト王権の呼称が一般的となっている。しかし、必ずしもこの呼称が定着したわけではなく'''大和政権'''、'''ヤマト政権'''、'''倭国政権'''、'''倭王権'''などの呼称を用いる研究者も少なくない。日本の学習指導要領は大和朝廷を採用している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 成立期 ==&lt;br /&gt;
[[弥生時代]]においても[[帥升]]や[[卑弥呼]]などが倭国王として中国の史料に記されているように、[[倭国]]と呼ばれる政治的な結合が存在していた。その結合は必ずしも強固なものではなく、同等の力を持った政治勢力による同盟関係だったと推測されている。しかし、奈良盆地に日本列島における最大規模の政治拠点が構築されていたことが[[纏向遺跡]]の発掘により次第に解明されつつある。倭国王・卑弥呼が居住した[[邪馬台国]]の所在地をめぐっては九州説と畿内説とが並立しており結論は出ていないが纏向遺跡は邪馬台国の有力な候補地となっており、仮に纏向遺跡が邪馬台国だったとするとおそくとも弥生時代末期の時点でヤマト王権の原型が形成されていたことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対して、[[古墳時代]]に入ると規格化された[[前方後円墳]]が奈良盆地に発生し、急速に九州から東北まで普及していることから各地の政治勢力に一定の支配力を及ぼしうる政治権力が奈良盆地に成立したと考えられている。前方後円墳には[[畿内]]から[[吉備国|吉備]]（[[山陽地方|山陽]]）、[[筑紫]]（[[北部九州|北九州]]）など各地の墓制（→[[弥生時代の墓制]]）が採り入れられているため、これらの地域勢力が連合し統一的な政治勢力となったことの反映だとされている。最初の前方後円墳は[[3世紀]]前葉～中葉に出現しているのでヤマト王権の成立をこの時期に求める説が有力だが、この時期はまだヤマト王権に先立つ王権の段階（プレ・ヤマト王権）だったとする見解もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
各地域の勢力が連合してヤマト王権となっていく過程はまだ解明されていない。弥生時代後期に倭国王だった卑弥呼を中心とする政治勢力（邪馬台国）が各地の勢力を服属させ、もしくは各地の勢力と連合してヤマト王権を築いたとする説のほか、邪馬台国を滅ぼした別の勢力がヤマト王権となったとする説などがある。遅くとも3世紀中ばまでにヤマト・吉備・筑紫などの諸勢力が糾合し、初期ヤマト王権が形成されたと考えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヤマト王権の王統についても複数説が提出されている。卑弥呼－[[壱与]]の王統を継承しているとする説、壱与で王統が断絶し新たな王統が発生したとする説、初期ヤマト王権の王位は世襲ではなく有力豪族間で継承されたとする説、初期の王統は途中で断絶して4世紀前期ごろにミマキイリヒコ（[[崇神天皇]]）が新たな王統を開始したとする説などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 展開期 ==&lt;br /&gt;
前方後円墳の分布は4世紀後葉前まで、主に畿内～瀬戸内海沿岸（[[吉備国|吉備]]など）～北九州（[[筑紫]]など）に集中していた。そのため、ヤマト王権の支配権もそれらの地域を中心としていたと考えられる。しかし4世紀後葉になると、東北（仙台平野・会津地方など）から南九州（日向・大隅など）まで前方後円墳の分布が急速に拡大しており、ヤマト王権の支配権がそれらの地域へ伸展していったことの表れだとする見方がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時期と前後して4世紀中葉（[[350年]]頃）からヤマト王権（倭国）は朝鮮半島との交易を開始した。当時の倭国には製鉄技術がなく、[[朝鮮半島]]から鉄原料を輸入した。朝鮮半島の[[任那]]（[[伽耶|加羅]]）は[[鉄]]の産地だった。輸入した鉄資源をもとに鍬・鋤などの農業用鉄製品が製造され、農業技術の革新・開墾の活発化などが起こり4世紀後葉から[[5世紀]]にかけて倭国の農業生産力は大きく向上した。これにより、経済力をつけたヤマト王権は鉄資源を求めて朝鮮半島へ経済的・軍事的に進出し始めた。ヤマト王権（倭国）は[[百済]]と連携して朝鮮半島南部への出兵を頻繁に展開し、このことは[[高句麗]]が遺した[[広開土王碑]]にも記述されている。ヤマト王権と朝鮮半島諸国との交易が活発化した背景には、北方の[[高句麗]]から圧迫を受けつつあった百済が対抗のために近隣諸国（[[新羅]]・加羅諸国）と連携を強めていたことが挙げられる。この結果、ヤマト王権（倭国）と朝鮮半島諸国との関係・通交が活発化したのである。ヤマト王権が東北から南九州まで全国的に展開したことは、この朝鮮半島諸国との活発な関係・通交が密接に関係していると考えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4世紀後葉より以前ヤマトの王の墓はヤマト（[[奈良盆地]]）に営まれていたが、それ以降は[[河内平野]]に築かれることが多くなった。このことから王権の基盤がヤマトから[[河内国|河内]]へ移動したとする説、王権の基盤はヤマトだが海外通交の窓口となる河内を開発したとする説、それまでの王統が断絶して新王統が成立したとする説（[[王朝交替説|河内王朝説]]）、などが提出されている。[[日本書紀]]の記述などから少なくともオオササギ王（[[仁徳天皇]]）は[[大阪|難波]]に本拠を置き河内平野を開発したことが判っており、当時の河川改修痕跡（[[難波の堀江]]）や堤防痕跡（[[茨田堤]]）も残存している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5世紀に入ると、マト王権の王は中国王朝へ[[朝貢]]を始めた。修貢して倭国王に[[冊封]]された王が中国史書に5名記されていることから、これらの王は[[倭の五王]]と呼ばれる。朝貢を行った理由・背景は明確にはなっていないが、おそらく朝鮮半島南部諸国（[[任那]]・[[伽耶|加羅]]）に於ける利権争いへの参入を有利に進めるためであろうと考えられている。中国や朝鮮半島諸国との通交・人的交流などにより技術や文化を持った多くの人々が渡来し、ヤマト（倭国）へ貢献した。[[渡来人]]（[[帰化人]]）は[[養蚕]]、[[機織り]]、[[陶磁器|製陶]]、建築などの先進技術や『[[論語]]』に代表される中国文化、文筆・出納などの実務技術をヤマト（倭国）へもたらした。ヤマト王権はこれらの渡来人や全国各地の豪族たちを徐々に組織化していくとともに（[[部民制]]の形成）中央の豪族層を[[大臣]]・[[連|大連]]を頂点として系列化していった。これにより、5世紀ごろには簡易な官僚制が形成されていたとして、それまでの王の権威を権力の源泉としていた「ヤマト王権」から王を中心とする政治組織が権力を担う「ヤマト政権」への転換がなされたとする見方もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この期間のヤマト王権（ヤマト政権）を代表するのがワカタケル王（[[雄略天皇]]）である。ワカタケル王に比定される倭王武が中国へ送った上表文にはヤマト王権が各地を征服していった様が記述されているが、考古史料からは倭国内部に独自性を持った首長層が多数存在していたことが示唆されている。このことから、当時の実態はヤマト王権が他の首長より優越はしているが強い支配関係にはなく、ヤマトと他地域の連合政権的な性格だったと考えられている。日本書紀の記述から、5世紀後半には吉備や播磨、伊勢などの首長がヤマト王権へ対抗するなどの動きがあったと推測されており、そうした中で登場したワカタケル王は強化した軍事力をもとに各地の首長への支配力を強めていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 転換期 ==&lt;br /&gt;
そうしたワカタケル王の努力に関わらず5世紀後半から[[6世紀]]前半にかけて王統が数回断絶し、中国王朝との通交も途絶した。5世紀後半の[[475年]]、高句麗の南下によって百済は南方へ移動したが、この事件は百済と友好関係にあったヤマト王権（倭国）にも経済的・政治的な影響を与えた。ヤマト王権は百済との友好関係を基盤として朝鮮半島南部に経済基盤・政治基盤を築いていたが、半島における百済勢力の後退によりヤマト王権が保持していた半島南部の基盤が弱体化し、このことが鉄資源の輸入減少をもたらした。そのためヤマト（倭国）内の農業開発が停滞し、ヤマト王権とその傘下の豪族達の経済力・政治力が後退したと考えられており、6世紀前半までのヤマト王統の混乱はこの経済力・政治力の後退に起因するとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そうした中で6世紀前期に[[近江]]から[[北陸]]にかけての首長層を背景としたオホド王（[[継体天皇]]）が現れヤマト王統を統一した。オホド王の治世には北九州の有力豪族である[[筑紫君磐井]]が[[新羅]]と連携してヤマト王権との軍事衝突を起こした（[[磐井の乱]]）がすぐに鎮圧された。しかし、この事件を契機としてヤマト王権による朝鮮半島南部への進出活動が急速に衰えることとなった。またオホド王の登場以降、東北から南九州に及ぶ地域の統合が急速に進み、政治的な統一がなされたとする見解がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後ヤマト王権は対外指向が弱まり、内向性が強くなった。朝鮮半島から[[暦法]]など様々な文物を移入するとともに豪族や民衆の系列化・組織化を漸次的に進めて内政面を強化していった。又、王族や有力豪族の間で紛争が多数発生するようにもなった。こうした中で6世紀末、幾つかの紛争に勝利した[[推古天皇]]、[[聖徳太子]]、[[蘇我馬子]]らは強固な政治基盤を築きあげ、[[冠位十二階]]や[[十七条憲法]]の制定など官僚制を柱とする王権の革新を積極的に進めた。これによりヤマト王権という政治形態は解消され、古代ヤマト国家が形成されていくこととなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 王号 ==&lt;br /&gt;
{{Main|ヤマト大王}}&lt;br /&gt;
ヤマト王権の王は中国王朝や朝鮮半島諸国など対外的には「倭国王」「倭王」と称し、国内向けには「治天下大王」「大王」「大公主」などと称していた。考古学の成果から5世紀ごろから「治天下大王」という国内向けの称号が成立したことが判明しているが、これはこの時期に倭国は中国王朝と異なる別の[[天下]]であるという[[小中華主義]]意識が生まれていたことの表れだと評価されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ヤマトの範囲 ==&lt;br /&gt;
{{Main|大和}}&lt;br /&gt;
元々ヤマトの範囲は奈良盆地東南部つまり[[天理市]]南部から[[桜井市]]北部の東辺の地であったと推測されている。そこには[[三輪山]]山麓部の[[纏向遺跡|纏向古墳群]]には最古級の[[前方後円墳]]である[[箸墓古墳]]があり、また[[天理市]]の南部に所在する初期ヤマト政権の大王の墓を含むと推測されている[[大和古墳群|大和・柳本古墳群]]がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[平安時代]]初期に編集された『[[和名抄]]』に、[[大和国]][[城下郡]]に大和郷（於保夜末止）が記されている。その地は[[大和神社]]の付近と推測でき、もとはその周辺をヤマトといったのに始まるのではないかと考える人も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その地域を根拠地として政権が成立したことから、その政治勢力（王権）をヤマト政権と呼ぶようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、ヤマトは奈良盆地全体を指すこともあった。その後、ヤマト王権の支配権が及ぶ範囲をヤマトと呼ぶようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 異説・俗説 ==&lt;br /&gt;
[[7世紀]]末まで日本列島を代表する政権は九州にありヤマト王権は一地方政権に過ぎなかったとする説もあるが、考古学的な根拠が皆無であり学術研究の立場からは無視されている。（→[[九州王朝説]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、ヤマト王権をめぐって主として愛好家により日本神話や記紀編年の自由な解釈に基づく「謎解き」に類する説が多く主張されているが、そのほぼ全ては[[史料批判]]を満たしていないものであり学問的価値に乏しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*網野善彦、『日本社会の歴史（上）』、岩波新書、1997年、ISBN 4004305004&lt;br /&gt;
*吉村武彦編、『古代史の基礎知識』角川選書、2005年、ISBN 4047033731&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[古墳時代]]&lt;br /&gt;
*[[飛鳥時代]]&lt;br /&gt;
*[[ヤマト大王]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:古墳時代|やまとおうけん]]&lt;br /&gt;
[[Category:奈良県の歴史|やまとおうけん]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の皇室|やまとおうけん]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87&amp;diff=29203</id>
		<title>継体天皇</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87&amp;diff=29203"/>
				<updated>2008-05-15T05:52:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''継体天皇'''（'''けいたいてんのう'''、[[允恭天皇]]39年（[[450年]]）? - 継体天皇25年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]（[[531年]][[3月12日]]））は第26代の[[天皇]]（在位：継体天皇元年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]（[[507年]][[3月5日]]） - 同25年2月7日（531年3月12日））。オホド王。継体天皇以降、[[大和]]の勢力と[[越前]]や[[近江]]など北方の豪族の勢力が一体化し、[[ヤマト王権]]の力が国内で強くなった。また[[天皇家]]の系譜として伝わるものは彼以降はほぼ正確であるとされる。しかし継体の出自に関しては諸説ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別名として伝わるのは『[[古事記]]』に'''袁本杼命'''（おおどのみこと）、『[[日本書紀]]』に'''男大迹王'''（おおどのおおきみ）、'''彦太尊'''（ひこふとのみこと）、『[[筑後国風土記]]』[[逸文]]に「'''雄大迹天皇'''（おおどのすめらみこと）」、『[[上宮記]]』逸文に'''乎富等大公王'''（おおどのおおきみ）。なお、隅田八幡宮（[[和歌山県]][[橋本市]]）蔵の[[隅田八幡宮人物画像鏡|人物画像鏡銘]]（[[443年]]説と[[503年]]説）に見える「孚弟王（男弟王?）」は継体天皇を指すとする説がある（詳細は異説にて後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生没年 ==&lt;br /&gt;
*推定生年：『古事記』には[[485年]]、『日本書紀』には允恭天皇39年（450年）。&lt;br /&gt;
*推定没年：『古事記』には丁未[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]（[[527年]][[5月26日]]）、『日本書紀』には辛亥2月7日（531年3月12日）または甲寅（[[534年]]）とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
『古事記』、『日本書紀』によると継体天皇は[[応神天皇]]5世の孫であり、父は彦主人王。[[近江国]]高嶋郷三尾野（現在の[[滋賀県]][[高島市]]あたり）で誕生したが幼い時に父を亡くし、母の故郷である[[越前国]]高向（たかむく、現在の[[福井県]][[坂井市]]丸岡町高椋）で成長した。『日本書紀』によれば[[506年]]に[[武烈天皇]]が後嗣定めずして崩御したため、[[連|大連]]（おおむらじ）・[[大伴金村]]らは越前に赴いて男大迹王を大王に推戴した。これを承諾した王は翌年58歳にして[[河内国]]'''樟葉宮'''（くすばのみや）で即位。武烈天皇の姉（妹との説もある）にあたる'''手白香皇女'''（たしらかのひめみこ）を[[皇后]]とした。[[526年]]、大倭（後の[[大和国]]）に都をおいた。その直後、継体は百済救援の軍を送ったが新羅と結んだ磐井により[[九州]]北部で[[九州]]で[[磐井の乱]]が勃発し、その平定に苦心している（磐井の乱については諸説ある）。&amp;lt;br&amp;gt;しかしこの記述が事実とすれば、継体は507年に即位してから大和に都をおくまで約20年かかっており、天皇家周辺で何らかの混乱があったとする見方もある。[[531年]]に後継を皇子の勾大兄に[[譲位]]（記録上最初の譲位例）し、その即位（[[安閑天皇]]）と同日に[[崩御]]したという。また『日本書紀』は『[[百済本記]]』（「百濟本記爲文 其文云 大歳辛亥三月 軍進至于安羅 營乞乇城 是月 高麗弑其王安 又聞 日本天皇及太子皇子 倶崩薨 由此而言 辛亥之歳 當廿五年矣」）を引いて天皇及び太子、皇子が同時に死んだという説を紹介しており、何らかの政変によって殺害されたとの見方もある（「[[辛亥の変]]」説）。また、『古事記』では没年を[[527年]]としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Emperor family tree15-26.png|thumb|right|150px|天皇系図 15～26代]]&lt;br /&gt;
*品太（ほむだ）王の五世（いつせ）の孫（みこ）、袁本杼（をほどの）命、伊波禮（いわれ）の玉穂宮に坐しまして、天の下治らしめしき（この後は、何人かの妻を娶って産ませた子供が19人でこれらの子から後の三人の天皇が出たことを書いている。即ち欽明、安閑、宣化の3天皇である）。この御世に竺紫君石井（いはい）、天皇の命（みこと）に従わずして、多くの禮無かりき。故、物部荒甲（もののべのあらかひ）の大連（おほむらじ）、大伴の金村（かなむら）の連二人を遣わして、石井を殺したまひき。天皇の御歳、四十三歳（よそじまりみとせ）。〔丁未の年の四月九日に崩りましき。〕御陵は三島の藍の御陵なり（『古事記』より。〔〕は分注）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出自を巡る議論 ==&lt;br /&gt;
[[記紀]]によると先代の武烈天皇に後嗣がなかったため、越前（[[近江国|近江]]とも）から[[応神天皇]]5世の孫である継体天皇が迎えられ群臣の要請に従って即位したとされるが『日本書紀』の系図一巻が失われたために正確な系譜が書けず、『上宮記』逸文によって辛うじて知ることが出来る。しかし、この特殊な即位事情を巡っては議論がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記紀の記述を尊重して継体天皇を大王家（[[ヤマト大王|「天皇」号成立]]は7世紀）の「遠い傍系に連なる有力王族」とする旧来の説に対し、戦後、歴史とりわけ天皇に関する自由な研究が認められることになったことから継体は従来の大王家とは血縁のない「新[[王朝]]の始祖（初代大王）」とする説（[[水野祐]]「[[三王朝交代説]]」）が提唱され、にわかに有力となった。この説によれば、いわゆる[[万世一系]]は否定され出自不明の第26代・継体天皇から新たな大王家が始まったということである。さらに論を進め、近江の皇別氏族（皇族が臣籍降下して誕生した氏族）[[息長氏]]（おきながうじ）の出身と見なし、[[大和王権]]を武力制圧して王位を簒奪したとする説も出された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが[[1980年代]]に入り、継体の出自を伝える『上宮記』の成立が[[推古天皇|推古]]朝に遡る可能性が指摘され（[[黛弘道]]「継体天皇の系譜について」『律令国家成立史の研究』吉川弘文館、1982年）、傍系王族説が再び支持を集めるようになった。{{fact}}『上宮記』逸文が載せられている『釈日本紀』の記述内容は「上宮記曰一伝」という文章があり、『上宮記』の作者が別の史料を引用していることが判る。ただ単に継体即位から1世紀後の推古朝の伝承を書いたものではなく、さらに古い資料に基づき系譜を載せている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年では継体以前には大王の地位は特定の血縁に固定されなかったとする見解も出されている。つまり、継体を含め祖先の異なる複数の豪族があり、祖先が誰かは分からないという意味である。[[武光誠]]は継体以前の大王は複数の有力豪族から出たとの見方を紹介している（以下の文献参照）。現在は「王族」「王朝」の概念自体を根本的に問い直す時期に来ていると言えよう。武光によれば、武烈天皇などは実在した天皇でなく創作との見方が現在では有力であり、応神天皇の実在に関しても諸説ある。また、現在伝わる継体の系譜は事実ではなく信用できるのはせいぜい継体の祖父まであり、それ以前については『上宮記』の成立時点で既に伝説上の人物だった応神天皇を継体の祖先として系譜に持ってきたのみとする見方もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の歴史学界では継体が応神の5世孫かどうか不明とする慎重な立場をとる学者も多くいるものの、中央豪族の支持を得て平和裏に即位したとする説が有力である。[[記紀]]の記録も継体以降の系譜は、ある程度信用できるとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Keitaitennou.png|thumb|300px|継体天皇出自系図]]&lt;br /&gt;
[[画像:Emperor family tree26-37.png|thumb|right|300px|天皇系図 26～37代]]&lt;br /&gt;
『日本書紀』によれば応神天皇5世の孫（曾孫の孫）で父は[[彦主人王]]（ひこうしのおおきみ）、母は[[垂仁天皇]]7世孫の振媛（ふりひめ）である。ただし、応神から継体に至る中間4代の系譜について『[[記紀]]』では省略されており、辛うじて[[鎌倉時代]]の『[[釈日本紀]]』に引用された『上宮記』逸文という史料によって知ることが出来る。これによると、男子の直系は「凡牟都和希王（ほむたわけのおおきみ・応神天皇） ─ 若野毛二俣王 ─ 大郎子（一名[[意富富杼王|意富富等王]]） ─ [[乎非王]] ─ &amp;lt;span lang=&amp;quot;zh&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x6c59;斯王&amp;lt;/span&amp;gt;（=彦主人王） ─ 乎富等大公王（=継体天皇）」とされる。『上宮記』逸文は近年、黛弘道の研究によって推古朝の遺文である可能性も指摘され、その内容の信憑性や実際の血統については前述のとおり議論が分かれているものの原帝紀の編纂（[[欽明天皇|欽明]]朝か）と同じ頃に系譜伝承が成立したものと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*皇后：手白香皇女（たしらかのひめみこ。[[仁賢天皇]]の皇女）&lt;br /&gt;
**天国排開広庭尊（あめくにおしはらきひろにわのみこと。[[欽明天皇]]）&lt;br /&gt;
*妃：目子媛（めのこひめ。尾張連草香の女）&lt;br /&gt;
**勾大兄皇子（まがりのおおえのみこ。[[安閑天皇]]）&lt;br /&gt;
**檜隈高田皇子（ひのくまのたかたのみこ。[[宣化天皇]]）&lt;br /&gt;
*妃：稚子媛（わかこひめ。三尾角折君の妹）&lt;br /&gt;
**大郎皇子（おおいらつこのみこ）&lt;br /&gt;
**出雲皇女（いずものひめみこ）&lt;br /&gt;
*妃：広媛（ひろひめ、黒比売。坂田大跨王の女）&lt;br /&gt;
**神前皇女（かむさきのひめみこ）&lt;br /&gt;
**茨田皇女（まんたのひめみこ）&lt;br /&gt;
**馬来田皇女（うまぐたのひめみこ）&lt;br /&gt;
*妃：麻績娘子（おみのいらつめ、麻組郎女。[[息長真手王]]の女）&lt;br /&gt;
**荳角皇女（ささげのひめみこ）　[[斎宮]]&lt;br /&gt;
*妃：関媛（せきひめ。茨田連小望の女）&lt;br /&gt;
**茨田大娘皇女（まんたのおおいらつめのひめみこ）&lt;br /&gt;
**白坂活日姫皇女（しらさかのいくひひめのひめみこ）&lt;br /&gt;
**小野稚娘皇女（おののわかいらつめのひめみこ、長石姫）&lt;br /&gt;
*妃：倭媛（やまとひめ。三尾君堅&amp;lt;span lang=&amp;quot;zh&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x6972;&amp;lt;/span&amp;gt;の女）&lt;br /&gt;
**大郎子皇女（おおいらつめのひめみこ、大郎女）&lt;br /&gt;
**椀子皇子（まろこのみこ、丸高王）　三国公・三国真人の祖&lt;br /&gt;
**耳皇子（みみのみこ）&lt;br /&gt;
**赤姫皇女（あかひめのひめみこ）&lt;br /&gt;
*妃：&amp;lt;span lang=&amp;quot;zh&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x8351;媛&amp;lt;/span&amp;gt;（はえひめ。和珥臣河内の女）&lt;br /&gt;
**稚綾姫皇女（わかやひめのひめみこ）&lt;br /&gt;
**円娘皇女（つぶらのいらつめのひめみこ）&lt;br /&gt;
**厚皇子（あつのみこ、阿豆王）&lt;br /&gt;
*妃：広媛（ひろひめ。根王の女）&lt;br /&gt;
**菟皇子（うさぎのみこ。記になし）　酒人公の祖（[[能楽]]の[[金剛流]]はこの子孫という）&lt;br /&gt;
**中皇子（なかつみこ。記になし）　坂田公の祖&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 皇居 ==&lt;br /&gt;
:※『日本書紀』に拠る。&lt;br /&gt;
*[[507年]]2月、樟葉宮（くすばのみや、[[大阪府]][[枚方市]]楠葉丘の交野天神社付近が伝承地）で即位。&lt;br /&gt;
*[[511年]]10月、筒城宮（つつきのみや、現在の[[京都府]][[京田辺市]]多々羅都谷か）に遷す。&lt;br /&gt;
*[[518年]]3月、弟国宮（おとくにのみや、現在の京都府[[長岡京市]]今里付近か）に遷す。&lt;br /&gt;
*[[526年]]9月、磐余玉穂宮（いわれのたまほのみや、現在の[[奈良県]][[桜井市]]池之内か）に遷す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上叙の遷都は政治上の重大な変革があったからではないかとする説もあるが、憶説の域を出ない。ただし、この記録が事実ならば継体が大和にいたのは最後の5年のみである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 異説 ==&lt;br /&gt;
隅田八幡神社旧蔵の[[国宝]]「人物画像鏡」の銘文に''『癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟』''「癸未の年八月十日、男弟王が意柴沙加の宮にいます時、斯麻が長寿を念じて河内直、穢人今州利の二人らを遣わして白上銅二百旱を取ってこの鏡を作る」（判読・解釈には諸説あり）とあり、このように読むと「癸未」を[[503年]]、「男弟王」を（おおと）=男大迹王と解釈出来、継体天皇は癸未=武烈天皇5年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]（503年[[9月18日]]）の時点では大和の意柴沙加宮=忍坂宮にいたとする仮説が成り立つ。もしこの説が正しければ継体天皇が畿内勢力の抵抗にあい、長期に渡って奈良盆地へ入れなかったとする説も崩れる。また、鏡を作らせて長寿を祈った「斯麻」は[[百済]]の[[武寧王]]（別名斯麻）のことと思われ、鏡は百済王より継体天皇に贈られた品という見方も出来る。ただ、「古事記」に見える王名「袁本杼（ヲホド）」と鏡の銘文に記された「男弟（ヲオト）」とは6世紀初頭における発音は異なっていたので{{要出典}}、この説は根本部分に無理があるのは否めない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 伝承 ==&lt;br /&gt;
ゆかりの地である越前はかつて[[湿原]]が広がり農耕や居住に適さない土地であった。男大迹王（おおとのみこ、のちの継体天皇）はこの地を治めると、まず[[足羽山]]に社殿を建て'''大宮地之霊'''（おおみやどころのみたま）を祀りこの地の守護神とした。これが現在の[[足羽神社]]である。次に地形を調査のうえ、大規模な[[治水]]を行い[[九頭竜川]]・[[足羽川]]・[[日野川 (福井県)|日野川]]の三大河川を造ることで湿原の干拓に成功した。このため[[越前平野]]は実り豊かな土地となり人々が定住できるようになった。続いて港を開き水運を発展させ[[稲作]]、[[養蚕]]、[[採石]]、[[製紙]]など様々な産業を発達させた。天皇即位のため越前を離れることになると、この地を案じて自らの御生霊を足羽神社に鎮めて御子の'''馬来田皇女'''（うまくだのひめみこ）を[[斎主]]としてあとを託したという。このような伝承から'''越前開闢の御祖神'''とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 陵墓 ==&lt;br /&gt;
'''三島藍野陵'''（みしまのあいののみささぎ）に葬られた。&amp;lt;br /&amp;gt;[[宮内庁]]は同陵を大阪府[[茨木市]]太田三丁目の[[太田茶臼山古墳]]（前方後円墳・全長226m）に比定しているが、近年、同府[[高槻市]]郡家新町の'''[[今城塚古墳]]'''（前方後円墳・全長190m）から[[兵馬俑]]の如き[[埴輪]]群が発見され、こちらを継体天皇陵とするのが定説になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 石碑 ==&lt;br /&gt;
[[1847年]]、[[飛騨高山]]の[[国学者]]・[[田中大秀]]の起案を受けて門弟・[[橘曙覧]]、[[池田武万侶]]、[[山口春村]]、足羽神社神主・[[馬来田善包]]らにより'''継体天皇御世系碑'''が足羽神社境内に建立されている。この碑文には、大秀の研究による応神天皇から継体天皇までの系図が彫り込まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これには「玉穂宮天皇大御世系」とあり、その下に「品陀和気命（御諡 応人天皇） ─ 若沼毛二俣王 ─ 大郎子（亦名 意本杼王） ─ 宇斐王 ─ 汙斯王（書記云 彦主人王）─ 袁本杼命（書記云 更名 彦太尊 御諡 継体天皇）」と彫り込まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また足羽神社の近くにある足羽山公園には継体天皇を模した巨大な石像が[[坂井市|三国]]を見下ろすように建っており、観光スポットとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 在位年と西暦との対照表 ==&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;clear:both; border:1px solid #999; margin:0.5em auto; text-align:center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|colspan=&amp;quot;11&amp;quot; style=&amp;quot;background-color:#CCCCFF; font-size:90%; border-left:3em soli; font-weight:bold&amp;quot;|'''在位年と西暦との対照表'''&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!継体天皇!!元年!!2年!!3年!!4年!!5年!!6年!!7年!!8年!!9年!!10年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|西暦||[[507年]]||[[508年]]||[[509年]]||[[510年]]||[[511年]]||[[512年]]||[[513年]]||[[514年]]||[[515年]]||[[516年]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[干支]]||[[丁亥]]||[[戊子]]||[[己丑]]||[[庚寅]]||[[辛卯]]||[[壬辰]]||[[癸巳]]||[[甲午]]||[[乙未]]||[[丙申]]&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!継体天皇!!11年!!12年!!13年!!14年!!15年!!16年!!17年!!18年!!19年!!20年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|西暦||[[517年]]||[[518年]]||[[519年]]||[[520年]]||[[521年]]||[[522年]]||[[523年]]||[[524年]]||[[525年]]||[[526年]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[干支]]||[[丁酉]]||[[戊戌]]||[[己亥]]||[[庚子]]||[[辛丑]]||[[壬寅]]||[[癸卯]]||[[甲辰]]||[[乙巳]]||[[丙午]]&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!継体天皇!!21年!!22年!!23年!!24年!!25年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|西暦||[[527年]]||[[528年]]||[[529年]]||[[530年]]||[[531年]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[干支]]||[[丁未]]||[[戊申]]||[[己酉]]||[[庚戌]]||[[辛亥]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*宇治市教育委員会 編『継体王朝の謎 &amp;lt;small&amp;gt;うばわれた王権&amp;lt;/small&amp;gt;』（河出書房新社、1995年） ISBN 978-4-309-22285-1&lt;br /&gt;
*水谷千秋『謎の大王 継体天皇』（文春新書、2001年） ISBN 978-4-16-660192-9&lt;br /&gt;
*武光誠『大和朝廷と天皇家』（平凡社新書、2003年） ISBN 978-4-582-85180-9　&lt;br /&gt;
*NHK大阪今城塚古墳プロジェクト『大王陵発掘! 巨大はにわと継体天皇の謎』（NHK出版、2004年） ISBN 978-4-14-080872-6&lt;br /&gt;
*山中鹿次「継体天皇の即位への背景と大和進出」愛知学院大学文学研究科　文研会紀要4.5号、1994年 ISSN 0917-3633&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[ヤマト王権]]&lt;br /&gt;
*[[磐井の乱]]&lt;br /&gt;
*[[百済]]&lt;br /&gt;
*[[大和]]&lt;br /&gt;
*[[古事記]]&lt;br /&gt;
*[[日本書紀]]&lt;br /&gt;
*[[上宮記]]&lt;br /&gt;
*[[足羽神社]]&lt;br /&gt;
*[[淡墨桜]]&lt;br /&gt;
*[[韓国起源説]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.asuwajinja.jp/index.html 足羽神社公式ホームページ]&lt;br /&gt;
*[http://info.pref.fukui.jp/keitaidaio/index.html 継体大王と越の国・福井県公式ホームページ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[天皇の一覧|天皇]]|第26代：507年-531年|[[武烈天皇]]|[[安閑天皇]]}}&lt;br /&gt;
{{歴代天皇一覧}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の天皇|けいたい]]&lt;br /&gt;
[[Category:古墳時代以前の皇族|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:450年生|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:531年没|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:福井県の歴史|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:金石文|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%B7%92%E6%96%B9%E6%B4%AA%E5%BA%B5&amp;diff=29202</id>
		<title>緒方洪庵</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%B7%92%E6%96%B9%E6%B4%AA%E5%BA%B5&amp;diff=29202"/>
				<updated>2008-05-15T05:52:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[画像:緒方洪庵像.jpg|right|thumbnail|200px|生家跡に立つ洪庵像]]&lt;br /&gt;
'''緒方 洪庵'''（'''おがた こうあん'''、[[文化 (元号)|文化]]7年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]（[[1810年]][[8月13日]]） - [[文久]]3年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]（[[1863年]][[7月25日]]））は日本の[[武士]]･[[足守藩]]士、医師、蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[諱]]は'''章'''、[[字]]は'''公裁'''、号を洪庵の他に'''適々斎'''・'''華陰'''と称する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略年譜 ==&lt;br /&gt;
*[[備中国]][[足守藩]]士・佐伯瀬左衛門の3男として足守（現・[[岡山県]][[岡山市]]足守）に生まれる。&lt;br /&gt;
*[[文政]]8年（[[1825年]]） [[大坂]]蔵屋敷留守居役となった父と共に大坂に出る。&lt;br /&gt;
*文政9年（[[1826年]]） [[中天游]]の私塾「思々斎塾」にて4年間、蘭学を学ぶ。&lt;br /&gt;
*[[天保]]2年（[[1831年]]） [[江戸]]へ出て[[坪井信道]]に学び、さらに[[宇田川玄真]]にも学んだ。&lt;br /&gt;
*天保7年（[[1836年]]） [[長崎]]へ遊学し[[オランダ]]人[[医師]]・ニーマンのもとで[[医学]]を学ぶ。この頃から'''緒方洪庵'''と名乗った模様。&lt;br /&gt;
*天保9年（[[1838年]]） 大坂に帰り、瓦町（現・[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]瓦町）で医業を開業する。同時に蘭学塾「適々斎塾（[[適塾]]）」を開く。同年、天游門下の先輩・[[億川百記]]の娘・'''八重'''と[[結婚]]。のち6男7女をもうける。&lt;br /&gt;
*[[弘化]]2年（[[1845年]]） 過書町（現・大阪市中央区北浜）の商家を購入し適塾を移転。移転の理由は洪庵の名声がすこぶる高くなり、門下生も日々増え瓦町の塾では手狭となった為である。&lt;br /&gt;
*[[嘉永]]2年（[[1849年]]） 古手町（現・大阪市中央区道修町）に「'''除痘館'''」を開き、牛痘種痘法による[[切痘]]を始める。&lt;br /&gt;
*嘉永3年（[[1850年]]） 郷里の足守藩より要請があり「'''足守除痘館'''」を開き切痘を施した。&lt;br /&gt;
*文久2年（[[1862年]]） [[徳川幕府|幕府]]の度重なる要請により'''奥医師兼西洋医学所頭取'''として、[[江戸]]に出仕する。歩兵屯所付医師を選出するよう指示を受け、[[手塚良仙]]ら7名を推薦した。&lt;br /&gt;
*文久3年（1863年） 江戸の医学所頭取役宅で突然喀血し窒息により死去。享年54（[[数え年]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物論 ==&lt;br /&gt;
洪庵の功績として、適塾から[[福澤諭吉]]、[[大鳥圭介]]、[[橋本左内]]、[[大村益次郎]]、[[長与専斎]]、[[佐野常民]]、[[高松凌雲]]など[[幕末]]から[[明治維新]]にかけて活躍した多くの人材を輩出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、日本最初の病理学書『'''病学通論'''』を著した。[[種痘]]を広め[[天然痘]]の予防に尽力。[[安政]]5年（[[1858年]]）の[[コレラ]]流行に際しては『'''虎狼痢治準'''』と題した治療手引き書を出版し医師に配布するなど[[日本]]医学の近代化に努めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
洪庵の人柄は温厚でおよそ人を怒ったことが無かったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、洪庵には次のようなエピソードがある。福澤諭吉が適塾に入塾していた時に[[腸チフス]]を患った。[[中津藩]]大坂蔵屋敷で療養していた折に洪庵が彼を手厚く看病し治癒した。諭吉はこれを終生忘れなかったそうである。このように他人を思いやり、面倒見の良い一面もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連記事 ==&lt;br /&gt;
緒方洪庵の曾孫の[[緒方富雄]]は[[東京大学]]で[[血清学]]の研究を行い、日本の血清学の基礎を固めた。[[昭和]]23年（[[1948年]]）3月に[[財団法人]]血清学振興会を設立し、血清学領域の基礎研究及び応用研究が行われてきた。その後[[緒方医学化学研究所]]に発展し、血清学に留まらず広く[[医学]]・[[歯学]]分野などの調査研究（学術誌：[[医学と生物学]]）を行っている。また、同研究所では緒方洪庵や[[杉田玄白]]、[[石川大浪]]、[[小石元瑞]]などの貴重な蘭学資料を「蘭学文庫」として所有し公開している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[適塾]]&lt;br /&gt;
*[[幕末の人物一覧]]&lt;br /&gt;
*[[岡山県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[大阪大学]]（適塾の流れをくむ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[蘭学]]&lt;br /&gt;
*[[緒方富雄]]&lt;br /&gt;
*[[緒方医学化学研究所]]&lt;br /&gt;
*[[緒方竹虎]]&lt;br /&gt;
*[[扶氏経験遺訓]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.osaka-u.ac.jp/jp/about/tekijuku/index.html 適塾（大阪大学HP内）]&lt;br /&gt;
*[http://www.ogataken.net/index.htm （財）緒方医学化学研究所]&lt;br /&gt;
*[http://iryo.sanyo.oni.co.jp/kikaku/keihu/keihu_01.html 緒方 洪庵]&lt;br /&gt;
*[http://www.kct.ne.jp/~kshimizu/saek.htm 関連系図]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた こうあん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の医学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:19世紀の学者]]&lt;br /&gt;
[[category:江戸時代の人物]]&lt;br /&gt;
[[category:岡山県の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:蘭学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1810年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1863年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<title>キリシタン</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: ''''キリシタン'''（''cristão''）とは日本の戦国時代から江戸時代更には明治の初めごろまで使われていた言...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''キリシタン'''（''cristão''）とは[[日本]]の[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]更には明治の初めごろまで使われていた言葉で、もともとは[[ポルトガル語]]、英訳すれば[[キリスト教徒|クリスチャン]]となる。本来には[[キリスト教]]の信者全般を指すが、日本語として使用される通例ではカトリック信者のみを指す。漢字では'''吉利支丹'''等と書く。[[江戸時代]]以降は禁教令等による弾圧に伴い侮蔑を込めて'''切死丹'''、'''鬼利死丹'''等という当て字も使われるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお5代将軍・[[徳川綱吉|綱吉]]の名に含まれる'''吉'''の字をはばかって綱吉治世以降は'''吉利支丹'''という字は公には使われなくなり、'''切支丹'''という表記が一般となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[キリシタン大名]]&lt;br /&gt;
* [[日本のキリシタン一覧]]&lt;br /&gt;
* [[隠れキリシタン]]&lt;br /&gt;
* [[宣教師]]&lt;br /&gt;
* [[キリスト教徒]]&lt;br /&gt;
* [[宗門改]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Christ-stub}}&lt;br /&gt;
{{Japanese-history-stub}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きりしたん}}&lt;br /&gt;
[[Category:キリシタン|*きりしたん]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: '{| cellspacing=&amp;quot;2&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;width:80%; border:solid #999 1px; background:#F8F8F8; margin:0.5em auto; clear:both&amp;quot; |style=&amp;quot;width:10%; text-align:right&amp;quot;|[[画像:Red...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| cellspacing=&amp;quot;2&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;width:80%; border:solid #999 1px; background:#F8F8F8; margin:0.5em auto; clear:both&amp;quot;&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;width:10%; text-align:right&amp;quot;|[[画像:Redentor.jpg|70px|執筆の途中です]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;color:black&amp;quot;|この項目「'''{{PAGENAME}}'''」は、[[キリスト教]]に関連した'''[[Wikipedia:スタブ|書きかけ項目]]'''です。[{{SERVER}}{{localurl:{{NAMESPACE}}:{{PAGENAME}}|action=edit}} 加筆・訂正]などをして下さる協力者を求めています（[[Portal:キリスト教|P:キリスト教]]/[[Wikipedia:ウィキプロジェクト キリスト教|PJ:キリスト教]]）。&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;includeonly&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:キリスト教スタブ{{#if:{{{1|}}}|{{!}}{{{1}}}}}]]&amp;lt;/includeonly&amp;gt;&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:キリスト教スタブ|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:スタブテンプレート|{{PAGENAME}}]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<title>廃仏毀釈</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: '{{Buddhism}} 破壊された石仏。川崎市麻生区黒川。 '''廃仏毀釈'''（'''はいぶつきしゃく'''、廢佛毀釋...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Buddhism}}&lt;br /&gt;
[[Image:Lelelenokeee.JPG|right|350px|thumb|破壊された石仏。川崎市麻生区黒川。]]&lt;br /&gt;
'''廃仏毀釈'''（'''はいぶつきしゃく'''、廢佛毀釋）とは[[仏教]][[寺院]]・仏像・経巻を破毀し僧尼など[[出家]]者が受けていた特権を廃するなど、[[仏教]]に対する攻撃を指す。文献によっては「廃仏稀釈」と表記されることもあるが、誤用である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 明治の廃仏毀釈 ==&lt;br /&gt;
一般に「廃仏毀釈」と言えば、[[日本]]において[[明治維新]]後に成立した新政府が[[慶応]]4年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]（[[1868年]][[4月5日]]）に発した[[太政官布告]]「[[神仏分離令]]」、明治3年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]]（[[1870年]][[2月3日]]）に出された[[詔書]]「[[大教宣布]]」など[[神道]]国教・[[祭政一致]]の政策によって引き起こされた仏教施設の破壊などを指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神仏分離令や大教宣布は決して仏教排斥を意図したものではなかったが、結果として廃仏毀釈運動（廃仏運動）とも呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまった。[[神仏習合]]の廃止、[[神体]]に[[仏像]]の使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われた。[[祭神]]の決定、[[寺院]]の廃合、[[僧侶]]の[[神職]]への転向、仏像・[[仏具]]の取り壊し、[[仏事]]の禁止、民間への神道強制などを急激に実施したために大混乱となった。明治4年（[[1871年]]）ごろ嵐が収まったが、長い間回復は困難であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば[[千葉県]]の[[鋸山 (千葉県)|鋸山]]には[[五百羅漢]]像があるが、すべての仏像が破壊された。現在は修復されているが、羅漢像には破壊された傷跡が残っている。また、[[公爵]]や[[侯爵]]などの[[華族]]の墓地も仏教方式から神道方式へと強制的に変更させられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[王政復古]]の大号令のもとに明治政府は[[神政政治]]を目指し、神道を国家統合の機関にしようと意図した。一部の[[国学者]]主導のもと仏法は外来の宗教であるとしてそれまで大きな勢力を持つ仏教勢力の財産や地位を剥奪し、弱体化するように誘導した。江戸時代までは[[寺院法度]]によって禁止されていた僧侶の[[肉食]]・妻帯を明治政府は「肉食妻帯勝手なるべし」と号令し、[[戒律]]を犯させることで僧侶を[[破戒]]させようとした。また僧侶の下に置かれていた神官は政府の威をかりて仏教の全てを否定し破壊する「廃仏毀釈」運動を起こし、混乱にまぎれて寺院を破壊し、寺院の土地を接収した。また僧侶のなかには神官や兵士となるものや寺院の土地や宝物を売り逃げていくものもいた。[[国宝]]である[[興福寺]]の[[五重塔]]は明治の廃仏毀釈の法難に遭い、わずか2円（2006年現在の価値で約5万円）で売りに出され[[薪]]にされようとしていた。大寺として非常に広壮な伽藍を誇っていたと伝えられる[[内山永久寺]]に至っては徹底的に破壊しつくされ、その痕跡すら残っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
廃仏毀釈が徹底的に行われた[[薩摩藩]]では寺院1616寺が廃寺され、[[還俗]]した僧侶は2966人にのぼった。その内の3分の1はその後[[軍属]]となったため、寺領から没収された財産や人員が強兵にまわされたと言われることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[国学 (学問)|国学]]の普及による[[神仏習合]]への不純視や[[江戸時代]]の[[寺社奉行]]による[[寺請制度]]での仏教寺院を通じた民衆管理への反発が背景にあり、政府主導による神道優位の風潮が影響した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[平田篤胤]]派の国学や[[水戸学]]が盛んであった地域ではとくに仏教排斥の動きが激しく神道を[[国教]]化する運動へと結びついてゆき、[[国家神道]]の発端となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== インド・中国などの廃仏毀釈 ==&lt;br /&gt;
*[[インド]]の有力仏教寺院・ヴィクラマシラー寺への[[イスラーム]]教徒の軍勢による攻撃。&lt;br /&gt;
*[[中国]]での「[[三武一宗の法難]]」と呼ばれる[[北魏]]の[[太武帝 (北魏)|太武帝]]・[[北周]]の[[武帝 (北周)|武帝]]・[[唐]]の[[武宗 (唐)|武宗]]・[[後周]]の[[世宗 (後周)|世宗]]による仏教への弾圧。&lt;br /&gt;
*[[大韓民国|韓国]]、[[李氏朝鮮|李朝時代]]の[[李成桂]]王よる崇儒廃仏。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが廃仏毀釈の事例として挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[神仏分離]]&lt;br /&gt;
*[[法難]]&lt;br /&gt;
*[[神仏習合]]&lt;br /&gt;
*[[本地垂迹]]&lt;br /&gt;
*[[東白川村]]（[[岐阜県]][[加茂郡 (岐阜県)|加茂郡]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Buddhism-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:事件 (仏教)]]&lt;br /&gt;
[[Category:神仏習合]]&lt;br /&gt;
[[Category:明治時代]]&lt;br /&gt;
[[category:明治維新]]&lt;br /&gt;
[[Category:明治時代の文化]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: '&amp;lt;div class=&amp;quot;boilerplate metadata&amp;quot; id=&amp;quot;stub&amp;quot;&amp;gt; {| cellpadding=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;width:80%; border: 1px solid #af4630; background:#ffffe8; padding:4px; margin:0.5em auto; clear:both&amp;quot; |st...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;div class=&amp;quot;boilerplate metadata&amp;quot; id=&amp;quot;stub&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| cellpadding=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;width:80%; border: 1px solid #af4630; background:#ffffe8; padding:4px; margin:0.5em auto; clear:both&amp;quot;&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;width:10%; text-align:right&amp;quot;|[[画像:BuddhaHead.jpg|50px|執筆の途中です]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;color:black&amp;quot;|この「'''{{PAGENAME}}'''」は、[[仏教]]関連の'''[[Wikipedia:スタブ|書きかけ項目]]'''です。[{{SERVER}}{{localurl:{{NAMESPACE}}:{{PAGENAME}}|action=edit}} この記事を加筆・訂正]して下さる[{{SERVER}}{{localurl:{{NAMESPACE}}:{{PAGENAME}}|action=edit}} 執筆協力者を求めています]（[[Portal:仏教|ポータル 仏教]]/[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 仏教|ウィキプロジェクト 仏教]]）。&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;width:10%;text-align:center&amp;quot;|[[画像:Dharma_wheel_1.png|Dharma wheel]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;includeonly&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:仏教関連のスタブ項目{{#if:{{{1|}}}|{{!}}{{{1}}}}}]]&amp;lt;/includeonly&amp;gt;&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:仏教関連のスタブ項目|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:スタブテンプレート|{{PAGENAME}}]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: '{| cellpadding=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;clear:both; float:right; border:2px solid #af4630; background:#ffffe8; padding:4px; font-size:95%; margin:5px 0 5px 15px&amp;quot; !style=&amp;quot;background:#ffeec2; ...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| cellpadding=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;clear:both; float:right; border:2px solid #af4630; background:#ffffe8; padding:4px; font-size:95%; margin:5px 0 5px 15px&amp;quot;&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#ffeec2; text-align:center&amp;quot;|[[Image:Dharma_wheel.svg|50px|middle|Dharma wheel]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[仏教]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#ffeec2; text-align:center&amp;quot;|[[Wikipedia:ウィキポータル 仏教#基本教義|基本教義]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center; font-size:85%&amp;quot;|[[縁起]]　[[四諦]]　[[八正道]]&amp;lt;br&amp;gt;[[三法印]]　[[四法印]]&amp;lt;br&amp;gt;[[諸行無常]]　[[諸法無我]]&amp;lt;br&amp;gt;[[涅槃寂静]]　[[一切皆苦]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#ffeec2; text-align:center&amp;quot;|人物&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center; font-size:85%&amp;quot;|'''[[釈迦]]'''　[[十大弟子]]　[[龍樹]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#ffeec2; text-align:center&amp;quot;|[[Wikipedia:ウィキポータル 仏教#仏|如来・菩薩]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center; font-size:85%&amp;quot;|[[仏の一覧]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#ffeec2; text-align:center&amp;quot;|[[Wikipedia:ウィキポータル 仏教#部派・宗派|部派・宗派]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center; font-size:85%&amp;quot;|[[初期仏教|原始仏教]]　[[上座部仏教|上座部]]　[[大乗仏教|大乗]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#ffeec2; text-align:center&amp;quot;|[[Wikipedia:ウィキポータル 仏教#地域別|地域別仏教]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center; font-size:85%&amp;quot;|[[インドの仏教]]　[[中国の仏教]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center; font-size:85%&amp;quot;|[[韓国の仏教]]　[[日本の仏教]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#ffeec2; text-align:center&amp;quot;|[[経典]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#ffeec2; text-align:center&amp;quot;|[[聖地]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center; font-size:85%&amp;quot;|[[八大聖地]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#ffeec2; text-align:center&amp;quot;|[[Portal:仏教|ウィキポータル 仏教]]&lt;br /&gt;
|}&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:宗教・信仰・神話のナビゲーションテンプレート|ふつきよう]]&lt;br /&gt;
[[category:仏教|*てんふれと]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E5%80%89%E5%A4%A9%E5%BF%83&amp;diff=29196</id>
		<title>岡倉天心</title>
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				<updated>2008-05-15T05:32:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: ''''岡倉 天心'''（おかくら てんしん、男性、文久2年12月26日（1863年2月14日） - 大正2年（1913年）[[9...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''岡倉 天心'''（おかくら てんしん、男性、[[文久]]2年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]]（[[1863年]][[2月14日]]） - [[大正]]2年（[[1913年]]）[[9月2日]]）は[[明治]]期に活躍した[[美術家]]、[[美術史家]]、[[美術評論家]]、[[美術]][[教育者]]である。本名は'''覚三'''（かくぞう）。幼名は角蔵。弟の[[岡倉由三郎]]は[[英語学|英語学者]]。[[横浜市|横浜]]生まれ。東京美術学校（現・[[東京藝術大学]]）の設立に大きく貢献し、[[日本美術院]]の創設者としても著名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
福井[[藩士]]だった[[父親|父]]・岡倉勘右衛門は[[貿易]][[商人|商]]で、幼いころから英語に慣れていた。東京開成所（のちの[[開成学校|官立東京開成学校]]、現・[[東京大学]]）に入所し、[[政治学]]・理財学を学ぶ。英語が得意だったことから同校[[講師]]の[[アーネスト・フェノロサ]]の助手となり、フェノロサの美術品収集を手伝った。また天心は[[明治]]15年（[[1882年]]）に[[専修学校]]（現在の[[専修大学]]）の教官となり、専修学校創立時の繁栄に貢献し学生達を鼓舞した。専修学校での活躍は、文部省専門学務局内記課に勤めていたころである。また専修学校の師弟関係で[[浦啓一]]も天心と出会い、天心の指導によりその一生に決定的な影響を受けたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治23年（[[1890年]]）から3年間、東京美術学校でおこなった講義「日本美術史」は日本（の美術史学）における日本美術史叙述の嚆矢とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京都]][[台東区]]に[[岡倉天心記念公園]]（旧邸・日本美術院跡）がある。また、[[ニューヨーク]]で英語で「茶の本」を出版して100年にあたる[[2006年]]の[[10月9日]]に、天心が心のふるさととしてこよなく愛した[[福井県]]の大本山[[永平寺]]において“岡倉天心「茶の本」出版100周年記念座談会”が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
* [[明治]]13年（[[1880年]]）、[[東京大学|東京帝国大学]]卒業。&lt;br /&gt;
* [[文部省]]勤務。アーネスト・フェノロサと[[日本]]美術を調査。&lt;br /&gt;
* 明治15年（[[1882年]]）、[[専修学校]]（現在の[[専修大学]]）の教官となり、専修学校創立時の繁栄に貢献し、学生達に大きな影響を与えた。&lt;br /&gt;
* 明治19 - 20年（[[1886年|1886]] - [[1887年]]）、東京美術学校設立のため、欧米視察旅行。&lt;br /&gt;
* 美術[[雑誌]]『[[国華]]』創刊。&lt;br /&gt;
* 明治20年（1887年）、[[東京美術学校]]幹事。東京美術学校は明治22年（[[1889年]]）に開校した（現・[[東京藝術大学]]美術学部）。&lt;br /&gt;
* 明治23年（[[1890年]]）、東京美術学校第2代校長（初代は浜尾新）。27歳のこの頃もっとも活動がさかんであった。同校での美術教育が特に有名で、[[横山大観]]、[[下村観山]]、[[菱田春草]]らを育てたことで知られる。&lt;br /&gt;
* 明治31年（[[1898年]]）、東京美術学校を排斥され辞職。同時に連帯辞職した横山らを連れ、[[日本美術院]]を上野谷中に発足させる。&lt;br /&gt;
* 明治34 - 35年（[[1901年|1901]] - [[1902年]]）、[[インド]]訪遊。&lt;br /&gt;
* 明治36年（[[1904年]]）、ビゲローの紹介で[[ボストン美術館]]中国・日本美術部に迎えられる&amp;lt;ref&amp;gt;アメリカでの教え子の1人に、[[ラングドン・ウォーナー]]がいる。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この後は館の美術品を集めるため日本と[[ボストン (マサチューセッツ州)|ボストン市]]を往復することが多くなり、それ以外の期間は[[茨城県]][[五浦海岸|五浦]]のアトリエにいることが多くなり表立った活動は少なくなった&amp;lt;ref&amp;gt;アトリエの跡地は現在、[[茨城大学]]五浦美術文化研究所となっている（「[[五浦海岸]]」の項参照）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 明治38年（[[1906年]]）、美術院の拠点を茨城県五浦に移す。この団体は岡倉の活動が鈍るにつれて活動も減少するが岡倉の没後、横山らによって再興された。&lt;br /&gt;
* 明治43年（[[1910年]]）、ボストン美術館中国・日本美術部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 親類縁者 ==&lt;br /&gt;
子の岡倉一雄は[[朝日新聞]]記者で天心の伝記をまとめた。孫（一雄の子）の[[岡倉古志郎]]は[[非同盟|非同盟運動]]にも関わった[[国際政治学|国際政治学者]]。曾孫（古志郎の子）の[[岡倉徹志]]は[[中東]]研究者。玄孫（徹志の子）の[[岡倉禎志]]は[[写真家]]。[[西洋史]]学者の[[岡倉登志]]は曾孫。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
岡倉家の祖先は、[[浅井長政]]が有名な[[近江国]]の[[戦国大名]]・[[浅井氏]]の一門であると言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逸話 ==&lt;br /&gt;
* 明治36年（1903年）、天心は米国ボストン美術館からの招聘を受け、横山、菱田らの弟子を伴って渡米。羽織・袴で一行が街の中を闊歩していた際に1人の若い米国人から冷やかし半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。そう言われた天心は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返した。&lt;br /&gt;
: &amp;lt;原文&amp;gt;&lt;br /&gt;
:: &amp;quot;What sort of nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?&amp;quot;&lt;br /&gt;
:: &amp;quot;We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?&amp;quot;{{要出典}}&lt;br /&gt;
* 当初は天心を引き立てた上司である文部官僚の[[九鬼隆一]]男爵の妻・波津子（[[九鬼周造]]の母）との不倫関係は彼の更迭との関連をも噂され、世情の好奇の対象となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連著作 ==&lt;br /&gt;
* 『The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan』 [[1903年]] ジョン・マレー書店（ロンドン） 日本語訳：『東洋の理想』&lt;br /&gt;
* 『The Awakening of Japan』 [[1904年]] センチュリー社（ニューヨーク）及びジョン・マレー社（ロンドン） 日本語訳：『日本の目覚め』&lt;br /&gt;
* 『THE BOOK OF TEA』 [[1906年]] フォックス・ダフィールド社（ニューヨーク） 日本語訳：『茶の本』[[岩波文庫]] 村岡博訳 [[1929年]] ISBN 4-00-33151-5&lt;br /&gt;
* 岡倉天心全集&lt;br /&gt;
* 宮川寅雄著『岡倉天心』 [[1956年]] 日本美術史叢書&lt;br /&gt;
* 斉藤隆三著『岡倉天心』 [[1960年]] 人物叢書&lt;br /&gt;
* 木下長宏著『岡倉天心』 [[2005年]] ミネルヴァ書房&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[五浦海岸]]&lt;br /&gt;
* [[九州国立博物館]]&lt;br /&gt;
* [[茶道]]&lt;br /&gt;
* [[わび・さび]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://info.pref.fukui.jp/tenshin/index.html 福井県と岡倉天心]&lt;br /&gt;
* [http://www.ibaraki.ac.jp/izura/goannai/index.html 茨城大学五浦美術文化研究所]&lt;br /&gt;
* [http://www.tenshin.museum.ibk.ed.jp/index.htm 茨城県天心記念五浦美術館]&lt;br /&gt;
* [http://www.sekiya.net/cha-no-hon/tensin/chaidx.html 岡倉天心の世界、茶の本]&lt;br /&gt;
* [http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person238.html 岡倉 天心：作家別作品リスト]（[[青空文庫]]）&lt;br /&gt;
* [[プロジェクト・グーテンベルク]]の[http://www.gutenberg.org/author/Okakura+Kakuzo 岡倉天心作品集]（英語）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の美術評論家]]&lt;br /&gt;
[[Category:美術史家]]&lt;br /&gt;
[[Category:アジア主義の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1863年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1913年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>戦場のヴァルキュリア</title>
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				<updated>2008-05-08T05:24:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{コンピュータゲーム&lt;br /&gt;
|Title=戦場のヴァルキュリア&amp;lt;br /&amp;gt;Gallian Chronicles&lt;br /&gt;
|Genre=アクティブ・シミュレーションRPG&lt;br /&gt;
|Plat=[[プレイステーション3]]&lt;br /&gt;
|Pub=[[セガ]]&lt;br /&gt;
|Dev=セガ&lt;br /&gt;
|Play=1人&lt;br /&gt;
|Media=[[BD-ROM]]&lt;br /&gt;
|Date={{Flagicon|Japan}}[[2008年]][[4月24日]]&lt;br /&gt;
|Price=通常版：7,980円（税込）&amp;lt;br /&amp;gt;リミテッドボックス版：9,980円（税込）&lt;br /&gt;
|Rating=[[コンピュータエンターテインメントレーティング機構|CERO]]：B（12歳以上対象）&lt;br /&gt;
|Device=&lt;br /&gt;
|etc=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
『'''戦場のヴァルキュリア'''』（せんじょうのヴァルキュリア、''Gallian Chronicles''）とは[[2008年]][[4月24日]]発売の[[プレイステーション3]]専用ソフトである。開発スタッフは『[[サクラ大戦シリーズ]]』の制作チーム。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[2007年]][[7月17日]]、マスコミ向けイベント「PLAYSTATION PREMIERE 2007」において発表された。現代では失われつつある人と人の絆」がメインテーマとなる。架空の[[1930年代]]の[[ヨーロッパ]]が舞台。帝国と連邦という強力な勢力に挟まれた小国・ガリア公国のガリア軍ウェルキン・ギュンターとアリシア・メルキオットの視点が展開される。元民間人を含む10人ほどの第7小隊の姿を描くストーリーが展開される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''BLiTZ'''と呼ばれる戦闘システムを搭載し、「コマンドモード」と「アクションモード」の2つがある。グラフィックは「CANVAS」という手描きイラストが動いているかのような表現方法。リアルタイムに操作できるようになっており郭線から色がはみ出たり、遠くにあるものは稜線がかすんだり輪郭が歪んだりする。写実的なCGとはまったく別のテイストをかもし出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらのサブキャラクター約50名全員に個々の人物像や戦後の暮らしまでことこまかな設定が存在し、また各キャラクターの入隊・除隊、死亡、被回復・衛生兵要請のセリフまで大量に用意されており、中でも仲の良い人物を救援する場合専用の固有セリフまで存在する。このため、メインキャラクターより一部のサブキャラクターの方を好むファンも少なくない。これを象徴するように、ワンダーGOO特別予約購入特典のB2型タペストリーではメインヒロインのアリシア・メルキオットよりサブキャラクターのイーディ・ネルソンが前に出ている。また、公式サイト中のブログ[http://blog.valkyria.jp/index.html 陣中日記]では、サブキャラクターのイーディ・ネルソンとホーマーの2人がコント風のブログを手がけている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あらすじ ==&lt;br /&gt;
征暦[[1935年]]。専制国家「東ヨーロッパ帝国」と共和制連邦国家「大西洋連邦」その間で始まった第二次ヨーロッパ戦争は、両国に挟まれた小国「ガリア公国」へ飛び火した。帝国は燃料や兵器、治療目的で使われる鉱物資源「ラグナイト」を大量に手に入れ、それによって連邦との戦争を優位に進めることを目的としラグナイトを豊富に産出するガリア公国への侵攻を開始したためである。ガリア公国に住む大学生ウェルキン・ギュンターは故郷・ブルールで偶発的におきた戦闘へ参加したことをきっかけに自らも戦争へ参加し、義勇軍第3中隊第7小隊長として亡父が遺した戦車「エーデルワイス号」を駆り、祖国を守る戦いへと臨んでいく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== システム ==&lt;br /&gt;
=== BLiTZ ===&lt;br /&gt;
ターン制シミュレーションRPGの要素に、アクション要素を取り入れた、本作ならではの戦闘システム。&amp;lt;/br&amp;gt;正式には「'''Battle of Live Tactical Zones'''」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コマンドモードではマップを見ながら敵の視界から隠れて移動、建物の屋上など敵の眼をかいくぐりつつ攻撃できるポイントを探したり、敵の動きを見ながら戦線を押し上げたりするなど戦略上非常に重要な要素を持っている。また地形や敵味方の位置、進軍ルートの確認が行なえる。動かすキャラクターを選択すると、そのキャラクターが「アクションモード」に移行する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アクションモードは「アクションポイント（AP）」と呼ばれるオレンジ色のゲージがゼロになるまで移動、行動ができる。「アクションモード」では途中で敵を発見したら狙いを定めて攻撃できるし、障害物に隠れたりもできる。敵はコチラを発見し、迎撃範囲に入り次第攻撃をしかけてくる。同様に、敵フェイズ中に敵が迎撃範囲に入れば自動で攻撃を開始する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ポテンシャル ===&lt;br /&gt;
それぞれのプレイヤーキャラクターは様々なポテンシャルを有し、一定の確率でステータスが向上したりその他種々の特殊能力を発揮する。メインキャラクターなどは、ストーリーに併せた固有のポテンシャルを有することが多い（反面、マイナス効果のポテンシャルも存在する）。これらは活躍させたり、ストーリーを進めることで最大8つまで獲得できる。これにより、各サブキャラクターの戦闘能力の差別化が図られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オーダー ===&lt;br /&gt;
司令官（自軍ではウェルキン）のみ許される技能。CPを1つから6つ消費し、自軍を強化・回復したり支援攻撃により敵にダメージを与える。Sランクでのクリアやフリーミッションの難易度HARDでの攻略で極めて重要となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 登場人物 ==&lt;br /&gt;
=== ガリア公国義勇軍 ===&lt;br /&gt;
==== メインキャラ ====&lt;br /&gt;
;ウェルキン・ギュンター（Welkin Gunther）&lt;br /&gt;
:声：[[千葉進歩]]&lt;br /&gt;
:[[主人公]]。22歳。第一次ヨーロッパ大戦の英雄を父に持つ。自然科学の教師を目指す[[大学生]]だったが徴兵され、義勇軍第7小隊の隊長となる。軍人らしく無い性格をしておりのんびり屋で穏やか。迫害や暴力に遭いやすい妹を気にかけて大切にしている。&lt;br /&gt;
:教師を目指し大学で自然科学を学んでいる生物オタクであり、動植物にはかなり詳しい。自然以外には興味が無く、自分には無頓着。&lt;br /&gt;
:ブルールでの戦積を認められ、また父が英雄・ギュンター将軍であった、戦車を所有していたことなどから義勇軍第7小隊長に任ぜられる。階級は少尉。&lt;br /&gt;
;アリシア・メルキオット（Alicia Melchiot）&lt;br /&gt;
:声：[[井上麻里奈]]&lt;br /&gt;
:[[ヒロイン]]。階級は軍曹。19歳。パン職人を夢見る偵察兵。トレードマークのスカーフは、戦争が終わったらパン屋に戻る事の誓い。ウェルキン同様徴兵され、第7小隊へ配属される。&lt;br /&gt;
:正義感が強く、開戦前の時点でブルールの町の自警団を務めていた。幼い頃から孤児院で生活していたためか世話好き。&lt;br /&gt;
;イサラ・ギュンター（Isara Gunther）&lt;br /&gt;
:声：[[桑島法子]]&lt;br /&gt;
:実父の死後、友人で上官であったギュンター将軍に引き取られた。ウェルキンの義理の妹であるがヨーロッパ大陸で差別され続けている'''ダルクス人'''の血を継いでおり、善意を悪意と捉える事が少々ある。ウェルキンを本当の兄のように慕っている。16歳。&lt;br /&gt;
:機械に精通しており、戦車整備兵・操縦士として第7小隊に参加、ギュンター将軍が開発した高機動型戦車「エーデルワイス」号にウェルキンと乗る。仲間によると、頑固なのが玉にキズ。&lt;br /&gt;
;ロージー（Rosie）&lt;br /&gt;
:声：[[豊口めぐみ]]&lt;br /&gt;
:本名：ブリジット・シュターク（Brigitte Stark）。第7小隊の切込み隊長。突撃兵。27歳。&lt;br /&gt;
:いささか乱暴な性格の女性で、以前は酒場で歌手をやっていた。またダルクス人に差別意識を持っているため、イサラが部隊にいることを快く思っていない。&lt;br /&gt;
;ラルゴ・ポッテル（Largo Potter）&lt;br /&gt;
:声：[[江川央生]]&lt;br /&gt;
:豪腕の対戦車兵。36歳。古参の兵士であり、ひょっこり隊長となったウェルキンには懐疑的である。しかし友情には厚く、また仲間思いである。&lt;br /&gt;
:エレノアとは第一次ヨーロッパ大戦からの顔見知りであり、仲も悪くない。作物が取れそうな良い大地を見ると、両手ガッツポーズをとり「野菜万歳!」と雄叫びを上げてしまう癖ができる。&lt;br /&gt;
;ザカ（Zaka）&lt;br /&gt;
:声：[[中井和哉]]&lt;br /&gt;
:階級は軍曹。33歳。ダルクス人収容所のリーダーで第7小隊の工作作戦に協力する。子供の頃から工場で働いていたため、機械に強い。&lt;br /&gt;
:また戦車兵の経験があり、小型戦車シャムロック号の戦車長として第7小隊に加わる。&lt;br /&gt;
:少なくとも表面上は悪意ある発言を受け流すような強い心の持ち主であり、また現実主義的で過去の恨みは抱かず、今後のことを重視する。迫害されている他のダルクス人を守るためグループのリーダーを務める。&lt;br /&gt;
:ダルクス布を頭にバンダナ状に巻いており、片目を瞑っていることが多いが両目とも視力は2.0。&lt;br /&gt;
;ファルディオ・ランツァート（Faldio Landzaat）&lt;br /&gt;
:声：[[櫻井孝宏]]&lt;br /&gt;
:義勇軍第1小隊長であり、ウェルキン同様に戦車長である。首都の大学で民俗考古学を学んでおり、ウェルキンとは同級生で友人である。&lt;br /&gt;
:ウェルキンによると、大学で彼を知らない女子はいないというほどのナイスガイ。軽い人間と思われがちだが、根は真面目な性格であり義勇軍でありながらも愛国心や責任感が強く、この先小国ガリアがどうやって生き残れば良いか苦心している。社交的で礼儀正しく伝統を重んじ、その場に合わせて振舞う事が出来る器用さを持つ。アリシアに気がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== サブキャラ ====&lt;br /&gt;
===== 偵察兵 =====&lt;br /&gt;
;ヒルメス・キッシンジャー&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;メルビル・ヤング&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;テッド・ユスチノフ&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ワヴィ&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;モントリィ・レオナール&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ノーチェ・ワーズワース&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ナンシー・デュフォー&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;レミィ・リントン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;スージー・エヴァンス&lt;br /&gt;
:声：[[戸塚利絵]]&lt;br /&gt;
;フロージア・ヨーク&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ユーノ・コレン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;チェリー・スタイネン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;アイカ・トンプソン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ムサード・メイフィールド&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 突撃兵 =====&lt;br /&gt;
;アレス・レイモンド&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ケビン・アレッド&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;コビィ・ケアード&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;サリナス・ミルトン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ハンネス・サリンジャー&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ミッコリ・ホーキング&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ヴァイス・イングルバード&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ウェンディ・チェスロック&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;イーディ・ネルソン&lt;br /&gt;
:声：[[鹿野優以]]&lt;br /&gt;
;アイシャ・ノーマン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ジェーン・ターナー&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ドロシー・ハワード&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ニィナ・ストレイス&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;リィン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 対戦車兵 =====&lt;br /&gt;
;ヤン・ウォーカー&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ニルス・デールデン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;セオルド・ボーア&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ウォルター・ナッシュ&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ヘクター・カルヴェ&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ロジーナ・セルデン&lt;br /&gt;
:声：戸塚利絵&lt;br /&gt;
;ヨーコ・マルデンス&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;エリシス・ムーア&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;オードリィ・ハイティンガ&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 支援兵 =====&lt;br /&gt;
;ヘルバート・ニールセン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;カロス・ランザート&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ホーマー・ピエローニ&lt;br /&gt;
:声：[[庄司宇芽香]]&lt;br /&gt;
;ターリス・ワイアット&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ラミィ・クレメント&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ネーディレス&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;クローディア・モーンス&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ヌッティ・ユング&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 狙撃兵 =====&lt;br /&gt;
;オスカー・ベイラート&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ツェザーリ・ルガード&lt;br /&gt;
:声：[[平井啓二]]&lt;br /&gt;
;マリーナ・ウルフスタン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;キャスリン・オハラ&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;エミール・ベイラート&lt;br /&gt;
:声：[[日比愛子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 研究開発所 =====&lt;br /&gt;
;リオン・シュミット&lt;br /&gt;
:声：[[小野坂昌也]]&lt;br /&gt;
;クライス・チェルシー&lt;br /&gt;
:声：[[野島健児 (声優)|野島健児]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ガリア公国 ===&lt;br /&gt;
;コーデリア姫（Cordelia gi Randgriz）&lt;br /&gt;
:声：[[能登麻美子]]&lt;br /&gt;
:代々ガリア領を治めるランドグリーズ家現当主であり、ヴァルキュリア人の血を継いでいると言われる。16歳と若年なこともあり施政は宰相に委ねており、自らの意思を表に出すことは少ない。義勇軍の活躍を聞くうちに興味を抱くようになる。&lt;br /&gt;
;マウリッツ・ボルグ&lt;br /&gt;
:ガリア公国宰相。68歳。若年のコーデリアに代わり国政を治めている。貴族政推進派であるため、民主化を目指した先代の大公とは対立していた。素晴らしくユニークな髪型を持つ。&lt;br /&gt;
;ゲォルク・ダモン&lt;br /&gt;
:ガリア中部方面総司令官。階級は大将。54歳。マウリッツの推薦により総司令官に任命された貴族であり、義勇軍を捨て駒のように軽視したような言動が目立つ。典型的な中年親父体系で、およそ軍人らしくない体付きをしている。&lt;br /&gt;
;エレノア・バーロット（Eleanor Varrot）&lt;br /&gt;
:声：[[田中敦子]]&lt;br /&gt;
:ガリア公国軍人。階級は大尉。35歳、独身。第一次ヨーロッパ大戦後も軍に残り、今は義勇軍第3中隊長でありウェルキンやファルディオにとって直接の上官である中隊長。ゲォルクとは異なり義勇軍メンバーとは一定の信頼関係を築いている。趣味は読書。なお若い頃は狙撃兵であった。&lt;br /&gt;
:仕事に対しては厳しく、非情な任務も部下に命じられるキャリアウーマン系。冷たく感じられるが、任務以外では隊員の相談を受けたり軽い冗談も言える大人の女性。自分の過去に触れられる事を嫌う。&lt;br /&gt;
;エレット（Elet）&lt;br /&gt;
:声：[[進藤尚美]]&lt;br /&gt;
:第7小隊の従軍記者。真実を人々に届けるために努力する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東ヨーロッパ帝国軍 ===&lt;br /&gt;
;マクシミリアン（Maximilian）&lt;br /&gt;
:声：[[福山潤]]&lt;br /&gt;
:帝国の準皇太子であり、ガリア方面の指揮官。後継者争いにより身分の低かった母を殺され自身は助かったという過去を持ち、帝国への復讐という野心を抱いている。&lt;br /&gt;
:そのため目的のためには手段を選ばない熾烈な性格の持ち主であり、セルベリアやラディを幕僚にかかえる。&lt;br /&gt;
:一方、卑怯者や俗物といった者を嫌い軍規を乱した者には躊躇なく極刑を下す面も。癖のある金髪と白肌で、また目にはアイシャドウのようなものを付けている。&lt;br /&gt;
:実力を重視し、さらにカリスマ性もあることから部下に信頼されている。また戦術家としての力量も高く、その地位に相応しい能力を持っていると言える。&lt;br /&gt;
;セルベリア・ブレス（Selvaria Bles）&lt;br /&gt;
:声：[[大原さやか]]&lt;br /&gt;
:階級は大佐。22歳。ガリア方面侵攻軍に従軍する。伝説のヴァルキュリア人の末裔であり、その血を強く継いでいるため長い銀髪と赤い瞳を有する。普段は寡黙であまり感情を表に出さない。&lt;br /&gt;
:幼い頃から研究機関で実験体とされていた所をマクシミリアンに救われ、忠誠を誓う。&lt;br /&gt;
:ヴァルキュリア化後の戦闘力は一個中隊にすら匹敵するとも言われ、ほぼ無敵である。地図上は戦車アイコンで記されるが名前のボードにあるアイコン上は偵察兵となっており、CP消費も1つで移動距離（AP）も長い。ちなみに趣味は料理。&lt;br /&gt;
;ベルホルト・グレゴール（Berthold Gregor）&lt;br /&gt;
:声：[[大塚周夫]]（ラディ・イェーガー役をしている大塚明夫の父親）&lt;br /&gt;
:階級は少将。51歳。初老のマクシミリアン幕僚。絵に描いたような帝国至上主義者であり、ことあるごとに帝国だの皇帝陛下と口にする。&lt;br /&gt;
:そのため、周辺諸国や属国人に対しては強い侮蔑感を有している。普段から軍服に勲章をいくつかブラ下げているような人物だが、眼鏡は洒落た下縁フレームである。&lt;br /&gt;
:勝利のためには手段を選ばないという残忍な性格で、仲間にも恐れられている。&lt;br /&gt;
;ラディ・イェーガー（Radi Yaeger）&lt;br /&gt;
:声：[[大塚明夫]]&lt;br /&gt;
:階級は少将。36歳。かつて帝国に併合された小王国・フェラルド出身の将軍で祖国復興・独立を目指し、マクシミリアン幕下に加わる。&lt;br /&gt;
:帝国軍の兵士としては珍しく騎士道を重んじ、敵対する相手にも敬意を払い接する。また同時に軍人として厳しい考えも持っている勇将。愛戦車・ヴォルフ（ケーニヒヴォルフ）に搭乗し、その指揮力や戦況を読む力は極めて高く部下からの信頼も厚い。部下やマクシミリアンに対しても屈託のない話し方をする。&lt;br /&gt;
:右肩に謎の動物の頭部が付いている。&lt;br /&gt;
:実力を見抜いたマクシミリアンによって直属の配下に抜擢された。かなりの切れ者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 世界観 ==&lt;br /&gt;
=== ガリア公国 ===&lt;br /&gt;
帝国と連邦という強力な勢力に挟まれ、争いを好まない中立国。小国だけに軍事力もあまりないこのガリア公国では、有事の際は16歳以上の男女は民間人であっても兵として戦いに参加することが義務付けられていた。彼らによって組織されているのが義勇軍。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ラグナイト ===&lt;br /&gt;
この世界では一般的なエネルギー源として広く使われている鉱石で、ヨーロッパ大陸全土から産出される。エネルギー発生時に青く光を発するのが特徴で、その光には鎮痛効果や回復効果がある。この効果を利用したのが「ラグナエイド」で、負傷した兵士を回復させるのに使われる。液状に精製されたラグナイトは「ラグナリン」と呼ばれ、現実世界での[[ガソリン]]のように自動車や戦車など車両を動かすのに使用されている。また急激に反応させると爆発する性質を活かし、[[手榴弾]]や[[榴弾砲]]といった爆発物としても活用される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このようにラグナイトは人間にとって非常に便利なエネルギー源であり、この世界では最早生活必需な重要な存在となっている。そのため、東ヨーロッパ帝国がガリア公国を侵略し始めたのも大西洋連邦機構との戦争によりラグナイトの需要が増えたことが原因だと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヴァルキュリア人 ===&lt;br /&gt;
ヴァルキュリア人とは紀元前に、後述するダルクス人と戦いヨーロッパ大陸を平定したとされる民族である（この戦いは後に古代ヴァルキュリア戦争と呼ばれる）。彼らはラグナイトで作られた槍と盾を持ち、「神の力」と呼ばれる力で戦ったとされている。しかし純血のヴァルキュリア人は遙か昔に絶えており、現代のヨーロッパでは神話やおとぎ話の中だけの存在になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だがその血脈は未だ続いており、帝国軍のセルベリアやガリア公国を治めるランドグリーズ家の人間はヴァルキュリア人の末裔と言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ダルクス人 ===&lt;br /&gt;
[[紀元前1世紀|紀元前30年]]頃までヨーロッパ全土で繁栄していたが、同族間の戦争を繰り返した末に「ダルクスの災厄」と呼ばれる惨事を引き起こして大陸を焦土にしかけたと言われる。その後ヴァルキュリア人との戦争に敗北してからは「大陸を焼いた民族」と呼ばれ、人々から迫害の対象となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 登場する機械・兵器など ==&lt;br /&gt;
=== ガリア公国 ===&lt;br /&gt;
==== 車両 ====&lt;br /&gt;
*エーデルワイス号&lt;br /&gt;
:イサラの実父が開発し、ギュンター将軍が使用した戦車。高性能であり、現代の戦車とも渡り合える実力をもつ。複雑な構造とコスト高から、量産されることはなかった。乗員は戦車長兼砲手と操縦手兼無線手の2名。&lt;br /&gt;
:武装は主砲に44口径88mm砲1門、副武装として12.7mm車載機銃1挺を搭載。主砲は徹甲弾、榴弾、煙幕弾などを撃てる。&lt;br /&gt;
*シャムロック号&lt;br /&gt;
:ザカが搭乗するガリア公国主力戦車。独自の改良を施し、エンジン出力を向上させたり任務に応じて兵装を変えられるようにしてある。&lt;br /&gt;
:武装は主武装として24口径75mm砲、連装機銃、火炎放射器などを選べる。75mm砲は徹甲弾、榴弾を撃てるが煙幕弾には対応していない。副武装は7.92mm機銃1挺。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 携帯火器 ====&lt;br /&gt;
*ガリアン&lt;br /&gt;
:偵察兵や支援兵が使用する小銃。発射数は5～7発。発展型にに命中率強化、火力強化、ステータス異常を起こす特殊効果付与の三種類あり。偵察猟兵のものにはライフルグレネードが装備され、より遠くまでグレネードを投擲することが可能。&lt;br /&gt;
*マグス&lt;br /&gt;
:突撃兵が使用する機関銃。発射数は20発。&lt;br /&gt;
*T-MAG&lt;br /&gt;
:突撃兵が使用する機関銃。発射数は30～35発。1発あたりの威力はマグスより低いが、その分発射数が多くなっている。&lt;br /&gt;
*マジェックス&lt;br /&gt;
:突撃兵が使用する機関銃。発射数は15発。1発あたりの威力も発射数も低いが、敵兵にステータス異常を起こさせる。&lt;br /&gt;
*FF&lt;br /&gt;
:突撃猟兵の機関銃に装備する火炎放射機。&lt;br /&gt;
*フォグ&lt;br /&gt;
:同じく火炎放射機で、こちらはステータス異常を与えることができる。&lt;br /&gt;
*ランカー&lt;br /&gt;
:対戦車兵が使用する対戦車槍（対戦車ロケット）。発射数は1発。&lt;br /&gt;
*テイマー&lt;br /&gt;
:ランカーを発展させたもの。&lt;br /&gt;
*ランカーSH&lt;br /&gt;
:対人榴弾を発射できるよう仕様が変更されたランカー。&lt;br /&gt;
*GSR&lt;br /&gt;
:狙撃兵が使用する狙撃銃。発射数は1発。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スタッフ ==&lt;br /&gt;
*野中竜太郎（プロデューサー）&lt;br /&gt;
*西野陽（チーフプロデューサー）&lt;br /&gt;
*RAITA（キャラクター原案）&lt;br /&gt;
*[[崎元仁]]（音楽）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連情報 ==&lt;br /&gt;
*2007年[[9月20日]]、[[高精細度テレビジョン放送#1125p.2F1080p|フルハイビジョン（1080p）]]画質の「イメージムービー」が[[プレイステーションストア|PLAYSTATION Store]]にて配信された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[サクラ大戦シリーズ]]&lt;br /&gt;
*[[ガリア戦記]]&lt;br /&gt;
**[[ガリア人]]&lt;br /&gt;
**[[ウェルキンゲトリクス]]（ガリア戦記に登場する英雄。主人公・ウェルキンの名前の由来と思われる）&lt;br /&gt;
**[[アリシアの戦い]]（[[ガリア戦争]]終結の要因となった戦い。ヒロイン・アリシアの名前の由来と思われる）&lt;br /&gt;
**[[セルウィリア・カエピオニス]]（ガリア戦記に登場する[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]の愛人。セルベリアの名前の由来と思われる）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://valkyria.jp/index.php 戦場のヴァルキュリア 公式サイト]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Video-game-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:プレイステーション3用ソフト]]&lt;br /&gt;
[[Category:セガのゲームソフト]]&lt;br /&gt;
[[Category:2008年のコンピュータゲーム]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AE%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A2&amp;diff=28789</id>
		<title>戦場のヴァルキュリア</title>
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				<updated>2008-05-08T05:21:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{コンピュータゲーム&lt;br /&gt;
|Title=戦場のヴァルキュリア&amp;lt;br /&amp;gt;Gallian Chronicles&lt;br /&gt;
|Genre=アクティブ・シミュレーションRPG&lt;br /&gt;
|Plat=[[プレイステーション3]]&lt;br /&gt;
|Pub=[[セガ]]&lt;br /&gt;
|Dev=セガ&lt;br /&gt;
|Play=1人&lt;br /&gt;
|Media=[[BD-ROM]]&lt;br /&gt;
|Date={{Flagicon|Japan}}[[2008年]][[4月24日]]&lt;br /&gt;
|Price=通常版：7,980円（税込）&amp;lt;br /&amp;gt;リミテッドボックス版：9,980円（税込）&lt;br /&gt;
|Rating=[[コンピュータエンターテインメントレーティング機構|CERO]]：B（12歳以上対象）&lt;br /&gt;
|Device=&lt;br /&gt;
|etc=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
『'''戦場のヴァルキュリア'''』（せんじょうのヴァルキュリア、''Gallian Chronicles''）とは[[2008年]][[4月24日]]発売の[[プレイステーション3]]専用ソフトである。開発スタッフは『[[サクラ大戦シリーズ]]』の制作チーム。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[2007年]][[7月17日]]、マスコミ向けイベント「PLAYSTATION PREMIERE 2007」において発表された。現代では失われつつある人と人の絆」がメインテーマとなる。架空の[[1930年代]]の[[ヨーロッパ]]が舞台。帝国と連邦という強力な勢力に挟まれた小国・ガリア公国のガリア軍ウェルキン・ギュンターとアリシア・メルキオットの視点が展開される。元民間人を含む10人ほどの第7小隊の姿を描くストーリーが展開される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''BLiTZ'''と呼ばれる戦闘システムを搭載し、「コマンドモード」と「アクションモード」の2つがある。グラフィックは「CANVAS」という手描きイラストが動いているかのような表現方法。リアルタイムに操作できるようになっており郭線から色がはみ出たり、遠くにあるものは稜線がかすんだり輪郭が歪んだりする。写実的なCGとはまったく別のテイストをかもし出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらのサブキャラクター約50名全員に個々の人物像や戦後の暮らしまでことこまかな設定が存在し、また各キャラクターの入隊・除隊、死亡、被回復・衛生兵要請のセリフまで大量に用意されており、中でも仲の良い人物を救援する場合専用の固有セリフまで存在する。このため、メインキャラクターより一部のサブキャラクターの方を好むファンも少なくない。これを象徴するように、ワンダーGOO特別予約購入特典のB2型タペストリーではメインヒロインのアリシア・メルキオットよりサブキャラクターのイーディ・ネルソンが前に出ている。また、公式サイト中のブログ[http://blog.valkyria.jp/index.html 陣中日記]では、サブキャラクターのイーディ・ネルソンとホーマーの2人がコント風のブログを手がけている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あらすじ ==&lt;br /&gt;
征暦[[1935年]]。専制国家「東ヨーロッパ帝国」と共和制連邦国家「大西洋連邦」その間で始まった第二次ヨーロッパ戦争は、両国に挟まれた小国「ガリア公国」へ飛び火した。帝国は燃料や兵器、治療目的で使われる鉱物資源「ラグナイト」を大量に手に入れ、それによって連邦との戦争を優位に進めることを目的としラグナイトを豊富に産出するガリア公国への侵攻を開始したためである。ガリア公国に住む大学生ウェルキン・ギュンターは故郷・ブルールで偶発的におきた戦闘へ参加したことをきっかけに自らも戦争へ参加し、義勇軍第3中隊第7小隊長として亡父が遺した戦車「エーデルワイス号」を駆り、祖国を守る戦いへと臨んでいく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== システム ==&lt;br /&gt;
=== BLiTZ ===&lt;br /&gt;
ターン制シミュレーションRPGの要素に、アクション要素を取り入れた、本作ならではの戦闘システム。&amp;lt;/br&amp;gt;正式には「'''Battle of Live Tactical Zones'''」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コマンドモードではマップを見ながら敵の視界から隠れて移動、建物の屋上など敵の眼をかいくぐりつつ攻撃できるポイントを探したり、敵の動きを見ながら戦線を押し上げたりするなど戦略上非常に重要な要素を持っている。また地形や敵味方の位置、進軍ルートの確認が行なえる。動かすキャラクターを選択すると、そのキャラクターが「アクションモード」に移行する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アクションモードは「アクションポイント（AP）」と呼ばれるオレンジ色のゲージがゼロになるまで移動、行動ができる。「アクションモード」では途中で敵を発見したら狙いを定めて攻撃できるし、障害物に隠れたりもできる。敵はコチラを発見し、迎撃範囲に入り次第攻撃をしかけてくる。同様に、敵フェイズ中に敵が迎撃範囲に入れば自動で攻撃を開始する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ポテンシャル ===&lt;br /&gt;
それぞれのプレイヤーキャラクターは様々なポテンシャルを有し、一定の確率でステータスが向上したりその他種々の特殊能力を発揮する。メインキャラクターなどは、ストーリーに併せた固有のポテンシャルを有することが多い（反面、マイナス効果のポテンシャルも存在する）。これらは活躍させたり、ストーリーを進めることで最大8つまで獲得できる。これにより、各サブキャラクターの戦闘能力の差別化が図られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オーダー ===&lt;br /&gt;
司令官（自軍ではウェルキン）のみ許される技能。CPを1つから6つ消費し、自軍を強化・回復したり支援攻撃により敵にダメージを与える。Sランクでのクリアやフリーミッションの難易度HARDでの攻略で極めて重要となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 登場人物 ==&lt;br /&gt;
=== ガリア公国義勇軍 ===&lt;br /&gt;
==== メインキャラ ====&lt;br /&gt;
;ウェルキン・ギュンター（Welkin Gunther）&lt;br /&gt;
:声：[[千葉進歩]]&lt;br /&gt;
:[[主人公]]。22歳。第一次ヨーロッパ大戦の英雄を父に持つ。自然科学の教師を目指す[[大学生]]だったが徴兵され、義勇軍第7小隊の隊長となる。軍人らしく無い性格をしておりのんびり屋で穏やか。迫害や暴力に遭いやすい妹を気にかけて大切にしている。&lt;br /&gt;
:教師を目指し大学で自然科学を学んでいる生物オタクであり、動植物にはかなり詳しい。自然以外には興味が無く、自分には無頓着。&lt;br /&gt;
:ブルールでの戦積を認められ、また父が英雄・ギュンター将軍であった、戦車を所有していたことなどから義勇軍第7小隊長に任ぜられる。階級は少尉。&lt;br /&gt;
;アリシア・メルキオット（Alicia Melchiot）&lt;br /&gt;
:声：[[井上麻里奈]]&lt;br /&gt;
:[[ヒロイン]]。階級は軍曹。19歳。パン職人を夢見る偵察兵。トレードマークのスカーフは、戦争が終わったらパン屋に戻る事の誓い。ウェルキン同様徴兵され、第7小隊へ配属される。&lt;br /&gt;
:正義感が強く、開戦前の時点でブルールの町の自警団を務めていた。幼い頃から孤児院で生活していたためか世話好き。&lt;br /&gt;
;イサラ・ギュンター（Isara Gunther）&lt;br /&gt;
:声：[[桑島法子]]&lt;br /&gt;
:実父の死後、友人で上官であったギュンター将軍に引き取られた。ウェルキンの義理の妹であるがヨーロッパ大陸で差別され続けている'''ダルクス人'''の血を継いでおり、善意を悪意と捉える事が少々ある。ウェルキンを本当の兄のように慕っている。16歳。&lt;br /&gt;
:機械に精通しており、戦車整備兵・操縦士として第7小隊に参加、ギュンター将軍が開発した高機動型戦車「エーデルワイス」号にウェルキンと乗る。仲間によると、頑固なのが玉にキズ。&lt;br /&gt;
;ロージー（Rosie）&lt;br /&gt;
:声：[[豊口めぐみ]]&lt;br /&gt;
:本名：ブリジット・シュターク（Brigitte Stark）。第7小隊の切込み隊長。突撃兵。27歳。&lt;br /&gt;
:いささか乱暴な性格の女性で、以前は酒場で歌手をやっていた。またダルクス人に差別意識を持っているため、イサラが部隊にいることを快く思っていない。&lt;br /&gt;
;ラルゴ・ポッテル（Largo Potter）&lt;br /&gt;
:声：[[江川央生]]&lt;br /&gt;
:豪腕の対戦車兵。36歳。古参の兵士であり、ひょっこり隊長となったウェルキンには懐疑的である。しかし友情には厚く、また仲間思いである。&lt;br /&gt;
:エレノアとは第一次ヨーロッパ大戦からの顔見知りであり、仲も悪くない。作物が取れそうな良い大地を見ると、両手ガッツポーズをとり「野菜万歳!」と雄叫びを上げてしまう癖ができる。&lt;br /&gt;
;ザカ（Zaka）&lt;br /&gt;
:声：[[中井和哉]]&lt;br /&gt;
:階級は軍曹。33歳。ダルクス人収容所のリーダーで第7小隊の工作作戦に協力する。子供の頃から工場で働いていたため、機械に強い。&lt;br /&gt;
:また戦車兵の経験があり、小型戦車シャムロック号の戦車長として第7小隊に加わる。&lt;br /&gt;
:少なくとも表面上は悪意ある発言を受け流すような強い心の持ち主であり、また現実主義的で過去の恨みは抱かず、今後のことを重視する。迫害されている他のダルクス人を守るためグループのリーダーを務める。&lt;br /&gt;
:ダルクス布を頭にバンダナ状に巻いており、片目を瞑っていることが多いが両目とも視力は2.0。&lt;br /&gt;
;ファルディオ・ランツァート（Faldio Landzaat）&lt;br /&gt;
:声：[[櫻井孝宏]]&lt;br /&gt;
:義勇軍第1小隊長であり、ウェルキン同様に戦車長である。首都の大学で民俗考古学を学んでおり、ウェルキンとは同級生で友人である。&lt;br /&gt;
:ウェルキンによると、大学で彼を知らない女子はいないというほどのナイスガイ。軽い人間と思われがちだが、根は真面目な性格であり義勇軍でありながらも愛国心や責任感が強く、この先小国ガリアがどうやって生き残れば良いか苦心している。社交的で礼儀正しく伝統を重んじ、その場に合わせて振舞う事が出来る器用さを持つ。アリシアに気がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== サブキャラ ====&lt;br /&gt;
===== 偵察兵 =====&lt;br /&gt;
;ヒルメス・キッシンジャー&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;メルビル・ヤング&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;テッド・ユスチノフ&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ワヴィ&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;モントリィ・レオナール&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ノーチェ・ワーズワース&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ナンシー・デュフォー&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;レミィ・リントン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;スージー・エヴァンス&lt;br /&gt;
:声：[[戸塚利絵]]&lt;br /&gt;
;フロージア・ヨーク&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ユーノ・コレン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;チェリー・スタイネン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;アイカ・トンプソン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ムサード・メイフィールド&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 突撃兵 =====&lt;br /&gt;
;アレス・レイモンド&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ケビン・アレッド&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;コビィ・ケアード&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;サリナス・ミルトン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ハンネス・サリンジャー&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ミッコリ・ホーキング&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ヴァイス・イングルバード&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ウェンディ・チェスロック&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;イーディ・ネルソン&lt;br /&gt;
:声：[[鹿野優以]]&lt;br /&gt;
;アイシャ・ノーマン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ジェーン・ターナー&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ドロシー・ハワード&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ニィナ・ストレイス&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;リィン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 対戦車兵 =====&lt;br /&gt;
;ヤン・ウォーカー&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ニルス・デールデン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;セオルド・ボーア&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ウォルター・ナッシュ&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ヘクター・カルヴェ&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ロジーナ・セルデン&lt;br /&gt;
:声：戸塚利絵&lt;br /&gt;
;ヨーコ・マルデンス&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;エリシス・ムーア&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;オードリィ・ハイティンガ&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 支援兵 =====&lt;br /&gt;
;ヘルバート・ニールセン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;カロス・ランザート&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ホーマー・ピエローニ&lt;br /&gt;
:声：[[庄司宇芽香]]&lt;br /&gt;
;ターリス・ワイアット&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ラミィ・クレメント&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ネーディレス&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;クローディア・モーンス&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ヌッティ・ユング&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 狙撃兵 =====&lt;br /&gt;
;オスカー・ベイラート&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;ツェザーリ・ルガード&lt;br /&gt;
:声：[[平井啓二]]&lt;br /&gt;
;マリーナ・ウルフスタン&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;キャスリン・オハラ&lt;br /&gt;
:声：&lt;br /&gt;
;エミール・ベイラート&lt;br /&gt;
:声：[[日比愛子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 研究開発所 =====&lt;br /&gt;
;リオン・シュミット&lt;br /&gt;
:声：[[小野坂昌也]]&lt;br /&gt;
;クライス・チェルシー&lt;br /&gt;
:声：[[野島健児 (声優)|野島健児]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ガリア公国 ===&lt;br /&gt;
;コーデリア姫（Cordelia gi Randgriz）&lt;br /&gt;
:代々ガリア領を治めるランドグリーズ家現当主であり、ヴァルキュリア人の血を継いでいると言われる。16歳と若年なこともあり施政は宰相に委ねており、自らの意思を表に出すことは少ない。義勇軍の活躍を聞くうちに興味を抱くようになる。&lt;br /&gt;
;マウリッツ・ボルグ&lt;br /&gt;
:ガリア公国宰相。68歳。若年のコーデリアに代わり国政を治めている。貴族政推進派であるため、民主化を目指した先代の大公とは対立していた。素晴らしくユニークな髪型を持つ。&lt;br /&gt;
;ゲォルク・ダモン&lt;br /&gt;
:ガリア中部方面総司令官。階級は大将。54歳。マウリッツの推薦により総司令官に任命された貴族であり、義勇軍を捨て駒のように軽視したような言動が目立つ。典型的な中年親父体系で、およそ軍人らしくない体付きをしている。&lt;br /&gt;
;エレノア・バーロット（Eleanor Varrot）&lt;br /&gt;
:声：[[田中敦子]]&lt;br /&gt;
:ガリア公国軍人。階級は大尉。35歳、独身。第一次ヨーロッパ大戦後も軍に残り、今は義勇軍第3中隊長でありウェルキンやファルディオにとって直接の上官である中隊長。ゲォルクとは異なり義勇軍メンバーとは一定の信頼関係を築いている。趣味は読書。なお若い頃は狙撃兵であった。&lt;br /&gt;
:仕事に対しては厳しく、非情な任務も部下に命じられるキャリアウーマン系。冷たく感じられるが、任務以外では隊員の相談を受けたり軽い冗談も言える大人の女性。自分の過去に触れられる事を嫌う。&lt;br /&gt;
;エレット（Elet）&lt;br /&gt;
:声：[[進藤尚美]]&lt;br /&gt;
:第7小隊の従軍記者。真実を人々に届けるために努力する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東ヨーロッパ帝国軍 ===&lt;br /&gt;
;マクシミリアン（Maximilian）&lt;br /&gt;
:声：[[福山潤]]&lt;br /&gt;
:帝国の準皇太子であり、ガリア方面の指揮官。後継者争いにより身分の低かった母を殺され自身は助かったという過去を持ち、帝国への復讐という野心を抱いている。&lt;br /&gt;
:そのため目的のためには手段を選ばない熾烈な性格の持ち主であり、セルベリアやラディを幕僚にかかえる。&lt;br /&gt;
:一方、卑怯者や俗物といった者を嫌い軍規を乱した者には躊躇なく極刑を下す面も。癖のある金髪と白肌で、また目にはアイシャドウのようなものを付けている。&lt;br /&gt;
:実力を重視し、さらにカリスマ性もあることから部下に信頼されている。また戦術家としての力量も高く、その地位に相応しい能力を持っていると言える。&lt;br /&gt;
;セルベリア・ブレス（Selvaria Bles）&lt;br /&gt;
:声：[[大原さやか]]&lt;br /&gt;
:階級は大佐。22歳。ガリア方面侵攻軍に従軍する。伝説のヴァルキュリア人の末裔であり、その血を強く継いでいるため長い銀髪と赤い瞳を有する。普段は寡黙であまり感情を表に出さない。&lt;br /&gt;
:幼い頃から研究機関で実験体とされていた所をマクシミリアンに救われ、忠誠を誓う。&lt;br /&gt;
:ヴァルキュリア化後の戦闘力は一個中隊にすら匹敵するとも言われ、ほぼ無敵である。地図上は戦車アイコンで記されるが名前のボードにあるアイコン上は偵察兵となっており、CP消費も1つで移動距離（AP）も長い。ちなみに趣味は料理。&lt;br /&gt;
;ベルホルト・グレゴール（Berthold Gregor）&lt;br /&gt;
:声：[[大塚周夫]]（ラディ・イェーガー役をしている大塚明夫の父親）&lt;br /&gt;
:階級は少将。51歳。初老のマクシミリアン幕僚。絵に描いたような帝国至上主義者であり、ことあるごとに帝国だの皇帝陛下と口にする。&lt;br /&gt;
:そのため、周辺諸国や属国人に対しては強い侮蔑感を有している。普段から軍服に勲章をいくつかブラ下げているような人物だが、眼鏡は洒落た下縁フレームである。&lt;br /&gt;
:勝利のためには手段を選ばないという残忍な性格で、仲間にも恐れられている。&lt;br /&gt;
;;ラディ・イェーガー（Radi Yaeger）&lt;br /&gt;
:声：[[大塚明夫]]&lt;br /&gt;
:階級は少将。36歳。かつて帝国に併合された小王国・フェラルド出身の将軍で祖国復興・独立を目指し、マクシミリアン幕下に加わる。&lt;br /&gt;
:帝国軍の兵士としては珍しく騎士道を重んじ、敵対する相手にも敬意を払い接する。また同時に軍人として厳しい考えも持っている勇将。愛戦車・ヴォルフ（ケーニヒヴォルフ）に搭乗し、その指揮力や戦況を読む力は極めて高く部下からの信頼も厚い。部下やマクシミリアンに対しても屈託のない話し方をする。&lt;br /&gt;
:右肩に謎の動物の頭部が付いている。&lt;br /&gt;
:実力を見抜いたマクシミリアンによって直属の配下に抜擢された。かなりの切れ者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 世界観 ==&lt;br /&gt;
=== ガリア公国 ===&lt;br /&gt;
帝国と連邦という強力な勢力に挟まれ、争いを好まない中立国。小国だけに軍事力もあまりないこのガリア公国では、有事の際は16歳以上の男女は民間人であっても兵として戦いに参加することが義務付けられていた。彼らによって組織されているのが義勇軍。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ラグナイト ===&lt;br /&gt;
この世界では一般的なエネルギー源として広く使われている鉱石で、ヨーロッパ大陸全土から産出される。エネルギー発生時に青く光を発するのが特徴で、その光には鎮痛効果や回復効果がある。この効果を利用したのが「ラグナエイド」で、負傷した兵士を回復させるのに使われる。液状に精製されたラグナイトは「ラグナリン」と呼ばれ、現実世界での[[ガソリン]]のように自動車や戦車など車両を動かすのに使用されている。また急激に反応させると爆発する性質を活かし、[[手榴弾]]や[[榴弾砲]]といった爆発物としても活用される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このようにラグナイトは人間にとって非常に便利なエネルギー源であり、この世界では最早生活必需な重要な存在となっている。そのため、東ヨーロッパ帝国がガリア公国を侵略し始めたのも大西洋連邦機構との戦争によりラグナイトの需要が増えたことが原因だと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヴァルキュリア人 ===&lt;br /&gt;
ヴァルキュリア人とは紀元前に、後述するダルクス人と戦いヨーロッパ大陸を平定したとされる民族である（この戦いは後に古代ヴァルキュリア戦争と呼ばれる）。彼らはラグナイトで作られた槍と盾を持ち、「神の力」と呼ばれる力で戦ったとされている。しかし純血のヴァルキュリア人は遙か昔に絶えており、現代のヨーロッパでは神話やおとぎ話の中だけの存在になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だがその血脈は未だ続いており、帝国軍のセルベリアやガリア公国を治めるランドグリーズ家の人間はヴァルキュリア人の末裔と言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ダルクス人 ===&lt;br /&gt;
[[紀元前1世紀|紀元前30年]]頃までヨーロッパ全土で繁栄していたが、同族間の戦争を繰り返した末に「ダルクスの災厄」と呼ばれる惨事を引き起こして大陸を焦土にしかけたと言われる。その後ヴァルキュリア人との戦争に敗北してからは「大陸を焼いた民族」と呼ばれ、人々から迫害の対象となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 登場する機械・兵器など ==&lt;br /&gt;
=== ガリア公国 ===&lt;br /&gt;
==== 車両 ====&lt;br /&gt;
*エーデルワイス号&lt;br /&gt;
:イサラの実父が開発し、ギュンター将軍が使用した戦車。高性能であり、現代の戦車とも渡り合える実力をもつ。複雑な構造とコスト高から、量産されることはなかった。乗員は戦車長兼砲手と操縦手兼無線手の2名。&lt;br /&gt;
:武装は主砲に44口径88mm砲1門、副武装として12.7mm車載機銃1挺を搭載。主砲は徹甲弾、榴弾、煙幕弾などを撃てる。&lt;br /&gt;
*シャムロック号&lt;br /&gt;
:ザカが搭乗するガリア公国主力戦車。独自の改良を施し、エンジン出力を向上させたり任務に応じて兵装を変えられるようにしてある。&lt;br /&gt;
:武装は主武装として24口径75mm砲、連装機銃、火炎放射器などを選べる。75mm砲は徹甲弾、榴弾を撃てるが煙幕弾には対応していない。副武装は7.92mm機銃1挺。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 携帯火器 ====&lt;br /&gt;
*ガリアン&lt;br /&gt;
:偵察兵や支援兵が使用する小銃。発射数は5～7発。発展型にに命中率強化、火力強化、ステータス異常を起こす特殊効果付与の三種類あり。偵察猟兵のものにはライフルグレネードが装備され、より遠くまでグレネードを投擲することが可能。&lt;br /&gt;
*マグス&lt;br /&gt;
:突撃兵が使用する機関銃。発射数は20発。&lt;br /&gt;
*T-MAG&lt;br /&gt;
:突撃兵が使用する機関銃。発射数は30～35発。1発あたりの威力はマグスより低いが、その分発射数が多くなっている。&lt;br /&gt;
*マジェックス&lt;br /&gt;
:突撃兵が使用する機関銃。発射数は15発。1発あたりの威力も発射数も低いが、敵兵にステータス異常を起こさせる。&lt;br /&gt;
*FF&lt;br /&gt;
:突撃猟兵の機関銃に装備する火炎放射機。&lt;br /&gt;
*フォグ&lt;br /&gt;
:同じく火炎放射機で、こちらはステータス異常を与えることができる。&lt;br /&gt;
*ランカー&lt;br /&gt;
:対戦車兵が使用する対戦車槍（対戦車ロケット）。発射数は1発。&lt;br /&gt;
*テイマー&lt;br /&gt;
:ランカーを発展させたもの。&lt;br /&gt;
*ランカーSH&lt;br /&gt;
:対人榴弾を発射できるよう仕様が変更されたランカー。&lt;br /&gt;
*GSR&lt;br /&gt;
:狙撃兵が使用する狙撃銃。発射数は1発。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スタッフ ==&lt;br /&gt;
*野中竜太郎（プロデューサー）&lt;br /&gt;
*西野陽（チーフプロデューサー）&lt;br /&gt;
*RAITA（キャラクター原案）&lt;br /&gt;
*[[崎元仁]]（音楽）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連情報 ==&lt;br /&gt;
*2007年[[9月20日]]、[[高精細度テレビジョン放送#1125p.2F1080p|フルハイビジョン（1080p）]]画質の「イメージムービー」が[[プレイステーションストア|PLAYSTATION Store]]にて配信された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[サクラ大戦シリーズ]]&lt;br /&gt;
*[[ガリア戦記]]&lt;br /&gt;
**[[ガリア人]]&lt;br /&gt;
**[[ウェルキンゲトリクス]]（ガリア戦記に登場する英雄。主人公・ウェルキンの名前の由来と思われる）&lt;br /&gt;
**[[アリシアの戦い]]（[[ガリア戦争]]終結の要因となった戦い。ヒロイン・アリシアの名前の由来と思われる）&lt;br /&gt;
**[[セルウィリア・カエピオニス]]（ガリア戦記に登場する[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]の愛人。セルベリアの名前の由来と思われる）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://valkyria.jp/index.php 戦場のヴァルキュリア 公式サイト]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Video-game-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:プレイステーション3用ソフト]]&lt;br /&gt;
[[Category:セガのゲームソフト]]&lt;br /&gt;
[[Category:2008年のコンピュータゲーム]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%8D%92%E3%82%89%E3%81%97%E5%A4%A7%E7%8E%8B%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=28788</id>
		<title>荒らし大王の一覧</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses|一覧|その他の荒らし|荒らし}}&lt;br /&gt;
ここでは'''荒らし大王の一覧'''を著す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 荒らし大王 ==&lt;br /&gt;
*[[Peace]] - [[ウィキペディア]]日本語版の荒らし王&lt;br /&gt;
*[[藤森京介]] - [[ユアペディア]]の荒らし王。ネッツと言うハンドルネームで荒らし行為、ソックパペット作成を繰り返してきたバカである。&lt;br /&gt;
*[[七星]] - [[チャクウィキ]]の荒らし王。&lt;br /&gt;
*[[山田AG]] - ジャンルを問わない荒らし王。10年以上同じ主張を繰り返す馬鹿。成長しない。&lt;br /&gt;
*[[利用者:マグナム酒井|マグナム酒井]] - [[B'z]]の正当な部分を編集したのに名誉毀損、誹謗中傷に戻した悪質な荒らしをした。マグナム酒井を信じる人は1人もいない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 荒らし大王と誤解される人物 ==&lt;br /&gt;
*[[利用者:スーパーマルヤ|スーパーマルヤ]] - [[沢尻のクソガキ|沢尻エリカ]]、[[三田のクソババア|三田佳子]]を厳しく批判している。一見荒らし王に見えるがその批判は正当なものであり、断じて荒らし王ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[天皇の一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あらしたいおうのいちらん}}&lt;br /&gt;
[[Category:荒らし]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<title>天皇の一覧</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses|天皇のごとく崇められている人物の一覧|日本の天皇一覧|日本の天皇の一覧}}&lt;br /&gt;
ここでは天皇のごとく崇められている人物のリストを著す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[ジミー・ウェールズ]]－[[ウィキペディア]]の天皇&lt;br /&gt;
*[[今泉誠]] - [[ウィキペディア日本語版]]の天皇&lt;br /&gt;
*[[ひよこ陛下]] － [[アンサイクロペディア日本語版]]の天皇&lt;br /&gt;
*[[谷口一刀]] － [[Chakuwiki]]の天皇&lt;br /&gt;
*[[吉本敏洋|吉本敏洋（Beyond）]] - ユアペディアの天皇&lt;br /&gt;
*[[七星|七星（Nanahoshi）]] － [[モナペディア]]の天皇&lt;br /&gt;
*[[長嶋茂雄]] － 虚塵の天皇&lt;br /&gt;
*[[渡邊恒雄]] － 読売の天皇&lt;br /&gt;
*[[池田犬作]] － [[創価学会|層化]]の天皇&lt;br /&gt;
*[[黒沢明]] - 映画界の天皇&lt;br /&gt;
*[[佐伯達夫]] - 高校野球の天皇&lt;br /&gt;
*[[熊沢寛道]] - 南朝の正統&lt;br /&gt;
*[[横路孝弘]] - [[北海道]]の天皇&lt;br /&gt;
*[[手塚治虫]] - [[漫画]]の天皇&lt;br /&gt;
*[[守屋武昌]] - [[防衛省]]の天皇&lt;br /&gt;
*[[西村ひろゆき]] - [[2ちゃんねる]]の天皇&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[荒らし大王の一覧]] - 天皇とは、別の意味で崇められる人物の一覧&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:てんのうのいちらん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の天皇]]&lt;br /&gt;
[[Category:君主]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E8%87%AA%E8%AD%A6%E5%9B%A3&amp;diff=28786</id>
		<title>ウィキペディア自警団</title>
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				<updated>2008-05-08T02:14:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ウィキペディア自警団'''（ウィキペディアじけいだんいん）とは[[ウィキペディア日本語版]]を編集する人物の中で設立した[[電子自警団]]の[[ウィキペディア]]版であり、独自のルールを敷き自由な執筆を排除、物事の底辺にいたるまで情報源を要求し、それが叶わない場合は即削除するといった行動を繰り返す集団である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に'''[[ウィキホリック]]'''と呼ぶ一団がこの自警団に所属している。ただし彼ら自身は自らを一執筆者であると豪語しており、横の派閥というものを否定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしその実体は彼ら独自のルールによってなりたっているため、自らの派閥=自警団に組み込まれないとみなした一般ユーザーは執筆者としての権限を一方的に排除。IPアドレスの違法追跡やウィキペディアからの追放・迫害・つるし上げ・炎上などありとあらゆる手段でもって鉄槌を下す。ただし、これら行為はすべて法的に違法である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
ウィキペディアはあらゆるユーザーからの情報によって日々成長している。しかし、その中には悪質な物もしくは情報不確ながらその中に真実性のある内容などが含まれており、ウィキペディア創設者は情報の昇華・及び真実性の密度を高める為に全てのユーザーに対して自由な執筆を保障することで情報の精度を増している。しかしいつ頃からか定かではないが、一部のウィキペディアユーザーの間で「全ての書き込む情報は全て100%の正確さを求める」という理念をもつユーザーが登場。基本ルールを忠実に守ることを信念に、あいまいな情報を一切カット。書き込む情報には全て出典元を明らかにし、それ以外は独自研究として削除するという活動を開始する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディア自警団の誕生である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ウィキペディア自警団の排除過多 ==&lt;br /&gt;
ウィキペディア自警団の活動は、結果としてウィキペディア全てのページにおいて「本に書かれている文章を複製する」以外の情報を記載することを禁止している。イベントなどで開発者がコメントした内容についてはDVDとして市販しないかぎり独自研究として取り扱い、情報源としての明記をしても真実性がないと評価する。これはウィキペディア自警団が「自分の知らない作品に対して執筆をする」という暴挙に出た為である。その他、ファンの間では有名な逸話でも'''情報を知らないユーザーから見たら理解不能である'''情報は独自研究の部類もしくは作品を知らないユーザーが見たら混乱するという理由により、本来乗せていいはずの情報を排除。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「だれが褒めた」云々の記述を繰り返さない、些末。ヒロインの色、共演の多さについて削除、独自の研究。中川素州については当該記事に書く'''（[[蜂須賀祐一]]記録 [http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E9%A0%88%E8%B3%80%E7%A5%90%E4%B8%80]）'''。'''と、様々なジャンルでの情報を消している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これによりウィキペディア自警団員が「知っている」以外のページ（主に目立つのはアニメなどのサブカルチャー）は全て検閲が入り、逸話・イベントでのセリフなど本来なら記載していてもおかしくないデータをとにかく削除。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「'''出典のない情報は事実であろうが何であろうが書くことができません'''」と彼らは述べてる。しかし出典のない情報というのを集めるのが本来の目的である為、しかも事実であるとわかっていながら書き込まないとしている為、ただ本に書いてある文面が書いてある以外の価値がないというページが増えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアには時に自警団が知らない事が記事として書き込まれる。相手が専門知識を持たない為議論がなりたたないのだが、大抵は討論者vs自警団による大多数の圧力によって「'''討論する内容が最初から存在しない'''」=相手の主張は独自研究であるとして最初から取り扱う気がなく、自警団の主張のみを採用という状態が多い（これは実際に起きた事であるが、討論をしているという最中において「'''討論の期日当日に相手の投稿ブロックを行い、討論の最終決定に参加できなくなる'''」という状況を作り出した（しかも相手は今まで一度も討論に参加していない人物がブロックしている））。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自警団は全知全能であるので自警団が知らないことは全て嘘なのであり、自警団が知らないことを書き込むのが悪いというのが彼らの主張である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ウィキペディア自警団による追放と迫害 ==&lt;br /&gt;
本来ならば、このような活動は荒らしとして排除される行為である。しかし、ウィキペディア自警団員は複数の人物ネットワークまたは1人による自作自演をおこなっているため、ユーザー登録上では圧倒的に味方が多い。その為、1人のユーザーが違反をした場合、ウィキペディア内の基本ルールを逆手に取り投稿ブロック処置を下しユーザーが反論（書き込み）が出来ない間に投稿ブロック・コメント依頼などにより相手を罵詈雑言で埋め尽くし、人海戦術でもってあいてを追い詰める。その内容は様々だが、改善の余地があるとお情けを貰ったユーザーは熟読期間として取り扱われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在ウィキペディアでは、【ウィキペディア電子自警団】によってウィキペディアの有利と見なされたユーザー以外は迫害と追放の対象となっている。その多くが個人で執筆を行っている者であり、多勢に無勢の状況では投稿ブロックによって執筆を停止させられる。仮に投稿ブロック期間がきれたとしてもその場合は強制的に自警団に対する従属を余儀なくされ、これをよしとしないユーザーは自らが培った投稿履歴を捨ててウィキペディア執筆から引退もしくは新たな名前でもって活動を開始する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この作業をおこなった場合、ユーザーが今まで執筆した内容は全て自警団の管理下に入ることとなり事実上の自警団による勝手な編集を黙認してしまう事となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以前は[[wikipedia:ja:Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:自警団|Wikipedia:自警団]]という項目でもって自警団の行動を規制しようとした試みとその団体も存在したが、項目立ち上げの当人とその同意者を討論前に排除・投稿ブロックと人海戦術を駆使した結果、不必要な項目として排除された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、ウィキペディア自警団に対する処置方法は皆無といってよく、結果としての[[ウィキペディア衰退]]とユーザー離反が続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 投稿ブロックによる最大の問題 ==&lt;br /&gt;
現在のパソコンは1台に対して複数のユーザーが共同で使用する物が主流である（家族内使用など）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その為、IPブロックを行うと対象となるユーザー以外の無関係のユーザー（対象者が息子の場合、父親と母親）のIPもブロックされ、書き込みが停止される。またIP追跡と情報の公表を行うことで多くの人物にIPアドレスが判明され、ネット上でのストーカー行為が発生する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ういきへていあしけいたん}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット弁慶]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3&amp;diff=28785</id>
		<title>ナージャ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3&amp;diff=28785"/>
				<updated>2008-05-08T02:07:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{自己責任}}&lt;br /&gt;
'''ウィキペディア日本語版の利用者'''（ウィキペディアにほんごばんのりようしゃ）とは[[ウィキペディア日本語版]]を編集する人物のことである。[[ウィキペディア]]に利用者アカウントを持つものを一般的に'''[[ウィキペディアン]]'''と呼び、依存症患者同然のヘビーユーザーを'''[[ウィキホリック]]'''と呼ぶ。WP工作員が「偏見の塊」というテンプレートを作成したようだが、以下の内容は大半が真実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
閲覧専門の利用者は含まれない。ウィキペディア日本語版の利用者には、数多くの興味深い利用者が存在する。ウィキペディア日本語版に対してユニークな活動を行った利用者が、この項目にリストアップされるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本語版の利用者には日本語版以外のウィキペディアに比べ、IPアドレスユーザ（非ログインユーザ）が多いことが特徴としてあげられる。また、ウィキペディア日本語版ユーザには「Wikipedia」を「Wiki」と略することに不快感を抱き訂正を求める者が多いが、IPアドレスをIPと略すことについては何も言わないという傾向がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウントは1人で複数もつことも出来るが、複数で1つを管理することも可能である。したがって、ここにあげたアカウントの人数が実際の利用者の人数とイコールとは限らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみにウィキホリックはこの記事を定期的に荒らしている。彼らはまともな記事を執筆する能力も無ければ人と議論する能力も無い無能者の集団なので、[[Yourpedia]]を荒らすことだけに自らの存在意義を見出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼らは普段、[[ウィキペディア自警団]]という名称で広く親しまれているが彼らはあくまで一執筆者という立場を崩さず、自警団的横のつながりを否定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしその実情は上記のとおりであり、法的権限のない状況において暴走する悪質な[[電子自警団]]と化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 利用者一覧 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Houtimin|Houtimin]] ===&lt;br /&gt;
このアカウントはソックパペットである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:はま|はま]] ===&lt;br /&gt;
気に入らない利用者を平気で罵倒する悪質なユーザーであり、他の利用者からの顰蹙を買っている。時には「'''役立たずだ!!ボケ!!ふざけるな!!'''」のような罵倒文を送り、たちの悪さは日本語版WPの中で随一とも言えるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:5816K|5816K]] ===&lt;br /&gt;
差別主義者。創価という言葉を聴くだけで徹底的に荒らしを行う悪質ユーザー。また、嫌韓派であり中国人･韓国人に対しても反感的な態度を執る。ユーザーページを見てもそれが伺える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kyube|Kyube]]（→[[ウィキペディア日本語版の利用者#利用者:project|project]]） ===&lt;br /&gt;
極度の差別主義者。自分の気に入らない編集を出典の有無を問わず荒らしと決め付ける悪質ユーザーであり、新規参加者に対しても反感的な態度を執る過激派利用者でもある。[[2ちゃんねらー]]でもあるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:L26|L26]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディア一の[[テロリスト]]であり、気に食わない利用者に執拗にブロック依頼を持ち出してくることで有名。[[#利用者:PeachLover|PeachLover]]同様しつこい事で悪名高く、一度目をつけたユーザーに100以上の罵倒文を送りつけてくる。無視した瞬間に警告テンプレートで攻撃を行い、WPの中でも上位に入るくらいたちが悪い。2ちゃんねらーでもあるらしい。現在は'''ウィキブレイク'''中である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:NORN|NORN]] ===&lt;br /&gt;
非常に身勝手なウィキペディアンの1人。様々な記事において、閲覧者の読み易さを度外視した改悪を行っている。ほとんどが主観的な改悪である。[[アンサイクロペディア]]にも利用者ページを持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Plume|Plume]] ===&lt;br /&gt;
[[北朝鮮]]工作員のように、自身と違う意見は全て荒らし報告する低知能者である。また、これらの荒らし報告を真に受ける管理者達も結局は彼と同じ低知能なのだろう。以上のことから、'''ウィキペディアにおける排他主義者の急先鋒的存在'''。まさに社会のゴミ、ダニ、クズ、ガラクタである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Momokkey|Momokkey]] ===&lt;br /&gt;
[[バファリン]]などの項目において、利用者の読み易さを度外視した改悪を行っていることで有名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Avanzare|Avanzare]]（→project） ===&lt;br /&gt;
35歳の無職ニート。広島県在住。知能指数は80前後。自身と違う意見はすべて荒らし報告、これを真に受ける管理者も結局は低知能なのだろう。まさしく社会のゴミ・ダニ・エタである。こいつが死んでも祝杯を上げる人間はいても悲しむ人間は皆無であろう。平日の昼間から編集を行なうことが多く、利用者ページで35歳と公表している。この2つで、自ら正常な人間でないと公言しているに等しいのだが、前述のとおり低知能のためそのような理解ができないようである。このような知能水準ゆえ、2ちゃんねるの関連サイトではAhonzare（アホンザレ）の愛称で蔑まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Tiyoringo|Tiyoringo]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアにおけるゴミ利用者として有名。[[小西規勝]]の多重アカウントの可能性もありうる。[[wiki:利用者:Clarin|Clarin]]の投稿ブロック依頼では[[wiki:利用者:Yassie|Yassie]]がソックパペットまたはシンパではないかと指摘されている。仮にそれが事実とすると[[wiki:利用者:ＮｉＫｅ|ＮｉＫｅ]]とYassieの対立は自作自演または茶番の可能性も考えられるだろう。良識派ユーザーの[[wiki:利用者:もりかわしみ|利用者:もりかわしみ]]を無期限ブロックに追い込んだ張本人である。削除主義者としてウィキペディアに多大な貢献をしていた[[wiki:利用者:掃除屋ケンちゃん|掃除屋ケンちゃん]]からはYassie、[[wiki:利用者:Lonicera|Lonicera]]と共に3悪人に認定されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] ===&lt;br /&gt;
在日管理者の存在を差別的な悪口で異常な反応の証拠を公開したために、慌ててSnow steed（mixiを退会済）が無期限投稿ブロックを提案した。[[2007年]]7月の京都烏丸おばんざいやさんで行われた海外組の接待は、この男によって暴露された。小西規勝や[[wiki:利用者:KMT|KMT]]は頻繁にNoda,Kentaroのmixiを「勤務中に」覗いてくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼の開設した日本語版Wikitruthにも、「日本語の出来ない振りをした」利用者がコメントを寄せたことで話題となる。嘘を書かれたら本人がここの項をRVするのは当然である。この節のフォークを主張する利用者もいたようだがその者が名誉毀損に該当する記述まで差し戻すことを主張したため、今後は差し戻しを常に行う利用者や誹謗中傷の類を書いた利用者の法的責任が問われることも考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Noda,Kentaroの編集を阻害するために、ツールまで使ってユアペディアを破壊している者が多数存在する。事実ここの項目も編集合戦化され毎日お互いに有利なように編集され続けている。結局のところ水掛け論である。野田憲太郎がWikipediaをブロックされたようにここにもそういう荒らし行為のブロック化が求められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代音楽関連の記事に関して出典の明記をするよう他の利用者から注意を受けたが、それを頑なに拒否しつづけた為に無期限投稿ブロックを受けた。それ以来、ウィキペディア日本語版及びウィキペディア日本語版の管理者を憎んでいる。その無念を他人に知らせたかったのか、2ちゃんねる&amp;lt;ref&amp;gt;[http://music8.2ch.net/test/read.cgi/contemporary/1165228479/ 野田憲太郎応援スレッド]&amp;lt;/ref&amp;gt;と[[mixi]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10353087&amp;amp;comm_id=5454&amp;amp;page=all ウィキペディア日本語版|ウィキペディア日本語版の恐怖政治体制] 閲覧にはmixiへの参加が必要。&amp;lt;/ref&amp;gt;でも同時期に不可解な絨毯爆撃を行い、ウィキペディア以外のコミュニティにも重大な迷惑をかけた。現在でもウィキペディア日本語版の諸利用者（管理者を含む）を敵視し、[http://d.hatena.ne.jp/Kasumoerer/ 自分のウェブサイト]やYourpediaの本項目でこれらの利用者の中傷糾弾を続けているところを見ると、ウィキペディア日本語版には相当の思い入れがあると考えられる。事実、ウィキペディア日本語版では投稿ブロック以後も数々のサブアカウントを取得し編集投稿を続けているが悉く発見され、これらの多くは投稿ブロックを受けた。この騒動で本人と推定され投稿ブロックを受けた利用者アカウントやIPの数は10を超える&amp;lt;ref&amp;gt;[[wiki:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro|Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。余談ではあるがこの利用者はYourpediaで同名のアカウントを取得しており、本項目の起草・加筆もこの利用者の尽力によるものが大きい&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;amp;limit=500&amp;amp;action=history ウィキペディア日本語版の利用者 - 履歴]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
詳しくは[[wiki:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro|こちら]]と[[Wikitruth|日本語版Wikitruth]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに[[wiki:利用者:Co.kyoto|Co.kyoto]]と[[wiki:利用者:Hatukanezumi|Hatukanezumi]]と[[wiki:利用者:Electric goat|Electric goat]]が[[木津尚子]]の靴下であることを見破ったユーザーは彼が最初である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼のピアノの演奏（と称するもの）を聴いたもののある者であれば誰にでも解かることであるが、彼が音楽と称するものは幼稚園児の落書きか、またはそれ以下である。ピアニストを'''目指す'''のであれば、まずは「猫踏んじゃった」を正しく弾くことを目指すべきであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアの項では作曲家、演奏家、著作家と書かれているのに何ら書籍・アルバムの出版、客観的な表彰歴など、出典の不明確な記載が多くなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:T.Saito|T.Saito]] ===&lt;br /&gt;
WPの三悪の1人で通称'''トンズラー'''。恐らくは[[wiki:利用者:Aphaia|Aphaia]]の靴下と協力して書き上げた記事があるのは間違いが無い。便乗者を弁乗者と誤記して、しばらくはネタになった。もちろん、WP日本語版の管理班の1人[http://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedia_Japan&amp;amp;action=history]。荒らし行為でもなんでもない内容を「荒らし」と決め付ける性格。共産主義者みたいなものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
the saitouとは別人であるという報告があり、利用者ページでもthe saitouとT.Saitoは別個の扱われ方である（T.Saito、はmetaのブロック権限を持つ）。meta-wikiやwikiaの話をする時点で非常に疑わしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またmetaでも靴下を使って、都合の悪い意見をすぐ差し戻す。&amp;lt;ref&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/Wikimedia_Japan_Meta.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;と&amp;lt;ref&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/Talk_Wikimedia_Japan_Meta.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;に詳しい。UTF-8で閲覧可能。ここに書かれたのが気に障ったのか、さっさとウィキブレイクしてKMTのように靴下使いに降格した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Hyolee2|Hyolee2]] ===&lt;br /&gt;
在日韓国人。韓国語版の管理者一同から嫌われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:正義|正義]] ===&lt;br /&gt;
ユーザー名とは裏腹に、他人を甚振る偽善者。[[島田紳助]]を憎んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Clarin|Clarin]] ===&lt;br /&gt;
木津尚子の靴下。自分に刃向かう利用者なら総て野田憲太郎の靴下と決め付けるアカウント。小西規勝のアカウントの可能性もありえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:百科事典に綴じ込められた男|百科事典に綴じ込められた男]] ===&lt;br /&gt;
リバート専用靴下。[[wiki:利用者:竹麦魚|竹麦魚]]も使う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Tamago915|Tamago915]] ===&lt;br /&gt;
本名は'''岸本慎介'''（'''きしもと しんすけ'''）。'''削除主義者'''のウィキペディアン。年齢は30代後半くらいのオヤジ。ウィキペディアの主旨に反する投稿は執拗に削除依頼に提出する。彼も[[近畿地方|関西]]出身である。削除依頼の他リバートもしばしば使うので、'''排他主義者'''でもある。'''甚平バーンスター'''の異名を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:阿波座行広|阿波座行広]] ===&lt;br /&gt;
[[近畿地方|関西]]に対して不都合な記述を一切削除するなど、非中立的な編集を行っている。2ちゃんねるや[[テレビ]]による関西蔑視を憎悪していることで有名な利用者である。かなりの[[東京都|東京]]嫌いであるため、東京には一切興味がない模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Nekosuki600|Nekosuki600]] ===&lt;br /&gt;
通称：コモノ。本名は'''茂木紀行'''（もぎ のりゆき）。[[河下反対派]]の1人。最近まで、[http://nekosuki.org/landscape/index.htm 公式サイト]で環境保護について徹底的に告発していた。芸能人の家族の生年月日、実名等をウィキペディアで暴露している極悪非道な利用者である。また、自己サイト宣伝禁止であるウィキペディアにおいて自身が運営する（寄付を募集している）サイトを紹介し、リンクを設置している。さらに、彼はある記事（[[wiki:非政府組織|非政府組織（外部リンク）]]において『外部リンク集を「NGOリンク集」にしないように編集すること!!』とコメントした上であるボランティア会へのリンクを削除している。[[1959年]]生まれ。最近はネタが無く左翼活動も流行しないため、かつての発言力は無い。しかし彼の信奉者はWikipediaではまだまだ多いようで[[2007年]]の初めには長期ブロックがほぼ避けられなかったYassieも彼とつるむことで生きながらえて今では[[wiki:利用者:nekosuki600|nekosuki600]]同様に管理者でもないのに重鎮扱いである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、彼は同項目において自身の運営するサイトへのリンクを貼っており、他人に説教できる立場ではないのが実情である。自分のサイト宣伝は許すが他のNGOサイトはダメ、これは完全に自己中心的な編集である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[オーストラリア]]、[[捕鯨]]、[[クジラ]]の項目の「関連項目」にオーストラリアが反捕鯨国であることの根拠として[http://www.australia.or.jp/seifu/pressreleases/index.html?pid=TK30/2005 オーストラリア大使館のサイト内の「オーストラリア、日本の捕鯨活動に抗議」]という外部リンクとともに、「捕鯨に反対している国」と加筆することに異常なほどに反対した。[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2 オーストラリアのノート]他、捕鯨のノート、クジラのノートに議論の場所をマルチポストした上でこの「関連項目への加筆」が「バランスが悪い」などとして反対するものの、反対理由が「独自の研究」ならぬ「独自の妄言」であったためにまともに賛同されずしかも加筆希望者に対して『「オーストラリアの白豪主義」や「反捕鯨」になんらかの感情を抱いており、それに基づいて編集を加えているものと思うが』と中傷したものの、ついにはNekosuki600本人が「捕鯨」に関して偏向したイデオロギーを持っていることをばらされるも謝罪などは一切行わないという始末である。以下のイタリック体の部分は、Nekosuki600本人が「捕鯨」に関して偏向したイデオロギーを持っていることをばらされた部分である。偽善者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;i&amp;gt;Nekosuki600さんが[http://fenv.jp/index.htm 自然環境フォーラム]や[http://prweb.org/ngoinfo/fenv2.htm 自然環境フォーラム an online NGO]で市民運動の活動をするのは自由ですし、あなたもそれを恥に思っているわけでも隠したいわけでもないでしょうが、[http://prweb.org/data/03520.htm グリーンピース号見学オフの顛末]のような記事を書いている人が[[グリーンピース (NGO)|グリーンピース]]や[[捕鯨]]の記事で中立の立場で執筆や議論などできますか?&amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして悪逆ユーザーのレッテルを貼られているにも関わらず、ウィキペディアから追放されない不思議なユーザーである。ニフティーサーブもしくはJCAの関係者からスカウトされて今に至る。他の利用者と異なり、はてなに書かれた過去の悪事の削除は求めていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちゃたまの息子（隠し子）である。また、ちゃたま本人であるという説もある。事実、ちゃたまが某掲示板で暴露してしまった。したがって猫はちゃたまのmusumeとは結婚することはできない。ちゃたまの家族写真に写っていないのは猫がカメラマンをやっているからである。カメラが好きなのは自明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は先輩風吹かせて言葉遣いが荒い。初心を忘れて欲しくないもんですなぁ。確かにクズ利用者が多いけど気持ちを落ち着かせるのも上級利用者の心得。すぐキレるようじゃ亀田と変わらない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
異常な程[[姉歯秀次]]の名前をウィキペディア日本語版に書かれる事を恐れており、多数のソックパペットアカウント及び信望者を用いて消しにかかる。おそらくは古参の管理者の1人である[[wiki:利用者:Tomos|Tomos]]も彼と黒い繋がりがあるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:りんたろお十一歳|りんたろお十一歳]]は履歴を見れば一目瞭然だが、Nekosuki600が2chでしばしば言及する[[新河岸川]]の編集もしているようにNekosuki600のソックパペットである。[[wiki:Wikipedia:利用者ページの削除依頼|Wikipedia:利用者ページの削除依頼]]では1人2役を演じてコミュニティを疲弊させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:special rapid|special rapid]] ===&lt;br /&gt;
[[京都市]]生まれ[[滋賀県]]育ちの受験生。受験生という割には英語の人称代名詞の使い分けができていなかったり、毎週「週刊少年ジャンプ」を愛読し、ウィキペディア日本語版へそのあらすじを書いてまわるという迷惑極まりない自分勝手な編集を強行。これによりHi-askやちゃたまという超穏和な神ユーザーの逆鱗に触れ[[初恋限定。|河下氏が書いているとある作品]]の記事で編集合戦を引き起こしたと痛いところを付かれ、無期限ブロックを受けた。現在はYourpediaや中国語版Wikipedia、英語版Wikipediaで暴れ回っており、日本語版Wikipediaでは[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/59.190.19.241 IPユーザー]として身長記入荒らしも行っている。ISP通報の時期も近い。「高校受験でドン底に落ちてしまえばいいんだよ」と誰もが願うはず。ウィキペディア日本語版では、類似の編集に対し無期限のレンジブロックが行なわれる状況まで達している。数ヶ月以内に、彼の行動に関してプロバイダ通報が行なわれる予定がある。又、最近では[[wiki:user:準急三条|準急三条]]氏のサイトの[http://oab.sytes.net:4600/~keiihanmasao/cgi/nandemo-shiritori/shiritori.cgi?mode=delwords_view 参加型コンテンツ]で、他のウィキペディア利用者の名前を騙り荒らしている模様である。これにより、プロバイダ通報を受けた。&lt;br /&gt;
==== 現在の状況 ====&lt;br /&gt;
なお、Yourpediaでの名前は{{User2|折笠成一}}。キモイウザ署名も健在。ネット世界で暴れてないで受験勉強に励むべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今のうちにメーリングリストで1000文字以上の謝罪文書いときなさいね。通報される前に。こんなことで合格取り消しとかなったら恥ずかしいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*外部リンク：[http://s02.megalodon.jp/2007-1013-1246-56/www.geocities.jp/special_rapid_otsu/mana.html プロフィール]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらにアンサイクロペディアでも折笠成一で[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%8A%98%E7%AC%A0%E6%88%90%E4%B8%80 垢]取得。もちろんキモイウザ署名だ（[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E6%8A%98%E7%AC%A0%E6%88%90%E4%B8%80 ノート]・[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/Special:Contributions/%E6%8A%98%E7%AC%A0%E6%88%90%E4%B8%80 投稿記録]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本人の行動はギャグだが、記事でギャグを書けるのかどうか・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と、パスワードを忘れたのか[[利用者:小木俊介|小木俊介]]という名の靴下でYourpediaに再登場[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/%E5%B0%8F%E6%9C%A8%E4%BF%8A%E4%BB%8B 投稿履歴]。しかし、早速[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3AIpblocklist&amp;amp;ip=%E5%B0%8F%E6%9C%A8%E4%BF%8A%E4%BB%8B 無期限ブロック]を受けてしまうｗｗｗ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とうとう長期荒らしのサブページができてしまった。こりゃホントにやばい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Alljal|Alljal]] ===&lt;br /&gt;
[[ナチス・ドイツ]]工作員のように中立性に合致しない編集は執拗に削除依頼に出すヤクザで、'''削除主義者の急先鋒的存在'''である。しかも、[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%B1%9A%E6%BC%AB%E6%B9%96%E5%AD%A6%E5%9C%92&amp;amp;diff=14126229&amp;amp;oldid=11425840 このように]投稿記録のないアカウントまで根拠なく誰かのソックパペットと決め付けることを平然と行う残忍さも持っている。最近はかつてのような発言力は無い模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[おじゃる丸]]にちなんだ名前（本人談）をアカウント名に使用するほどのおじゃる丸ヲタでもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Maris Stella|Maris Stella]] ===&lt;br /&gt;
有名な共有靴下だが、主に木津尚子が使用する。他には何名かの女性が木津の文体偽装をして使っている。俗称はマリ捨て。マリ捨て=木津というとすぐにはてなや2ちゃんねるでデマ説が「タイミングよく」流れるが、全て木津の工作である。その証拠に、T.Saitoはマリ捨ての弁護しかしない。「～でしたら」など敬語の不自然な多用が特徴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yuutan|Yuutan]] ===&lt;br /&gt;
[[奈良県]]出身の極左主義のウィキペディアン。自分の主旨に当てはまらない投稿は容赦なく修正する'''排他主義者'''の急先鋒的存在。彼に限らず、[[近畿地方|関西]]出身の利用者には極左主義者が多い。また、彼は極度の'''ウィキペディア中毒'''でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:AF-08|AF-08]] ===&lt;br /&gt;
極度の'''反日主義者'''である。[[朝鮮]]人の可能性もある。こういった利用者は、いつか長期ブロックを食らうと思われる。2ちゃんねらーでもあるらしく、利用者名は自分のトリップに因むと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ikedat76|ikedat76]] ===&lt;br /&gt;
小西規勝の靴下。いわゆる基地外左翼の類である。Peaceを異常なまでに敵対視している。歴史関係専用キャラ。名前は[[創価学会]]会長・[[池田大作]]に由来していると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Electric goat|Electric goat]] ===&lt;br /&gt;
木津尚子を参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:hatukanezumi|hatukanezumi]] ===&lt;br /&gt;
WPの三悪の1人で通称'''ボヤッキー'''。何にでも口を出し、議論を混乱させることが得意。[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%91%9E%E7%A9%82&amp;amp;action=history このように]福島瑞穂の項に都合の悪い内容が加筆されると必死に削除することから、[[福島瑞穂]]および[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]の熱心な信者または工作員である可能性が高い。現在投稿ブロック中（2ヶ月）。座右の銘は「支離滅裂」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なおAphaiaと同一人物ではないかと疑う者も少なからず存在するため、木津尚子の項も参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:KIZU|KIZU]] ===&lt;br /&gt;
木津尚子を参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:kzhr|kzhr]] ===&lt;br /&gt;
kzhrは本名を[[岡田一祐]]と名乗るウィキペディアの元管理者。有意義な編集は一切していないが、他人に対する中傷は熱心に書き込み続けているという典型的なウィキホリック。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]ごろから自分の意に沿わない発言を数十もmixiコミュニティから削除したことで、法的責任が問われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキソースにNoda,Kentaroがログインしたところ、次のような表示になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ご使用の利用者名またはIPアドレスはKzhrによって投稿をブロックされています。その理由は次の通りです。&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
:不適切な利用者名&lt;br /&gt;
:ブロック解除予定：無期限&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
:Kzhrまたは他の管理者にこの件についてメールで問い合わせることができます。&lt;br /&gt;
:ただし、オプションに正しいメールアドレスが登録されていない場合、「この利用者にメールを送信」機能が使えないことに注意してください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
岡田くーん!嫉妬は良くないよー!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
追記：ユアペディアには、岡田の本名は伏せて野田の本名は晒したがる馬鹿利用者が存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Radioactive|Radioactive]] ===&lt;br /&gt;
Radioactiveはなぜか一般利用者の癖して、岡田一祐とつるんでいるmixiユーザー。mixiではいぬみみめいどと名乗っていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
mixiのログを規約違反を行いながらいろいろな所に晒し、発信者開示請求をくらった馬鹿。随分後になってから「食らっていない」という弁明がようやく来たが、信憑性はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MiyaやToki-hoからのメッセージをmixiでも受け取っていることから、Miyaの息子ではないかという説も流れているが、詳しいことはわかっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:野田文憲|野田文憲]] === &lt;br /&gt;
[[ウィキペディア日本語版]]にいる、悪質なソックパペットの1つ。「[[野田憲太郎|音楽家気取りの息子]]」がパスポートや住民票で確認されない限り、虚偽を利用者ページに書いたことからはアカウント作成者は逃げられない。この手のソックパペットは管理ユーザーが作成する。はてなキーワードとYourpediaで詳細な追求を行った後に、なぜか無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yassie|Yassie]] ===&lt;br /&gt;
読み：やしー、やっしー。人のメールを無断転載することで有名&amp;lt;ref&amp;gt;http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikija-l/2007-May/001589.html&amp;lt;/ref&amp;gt;。かつて某記事での議論において、しょうもない意地を張ったために[[wiki:利用者:Sudpex|Sudpex]]と[[wiki:利用者:Mikihisa|Mikihisa]]のソックパペット利用者:Delmoreから殺害予告を受けてしまったというある種可哀想な人物でもある。実生活でもパシリが多いのか、出張で時々いなくなる。埼玉に住み、なおかつオハイオ州に留学した可能性はきわめて低い。少々の翻訳と記事修正だけの2ちゃん組の一員で、ろくな記事執筆がない。元のハンドルネームはnanassie[http://www.google.co.jp/search?q=nanassie&amp;amp;hl=ja&amp;amp;lr=&amp;amp;start=20&amp;amp;sa=N]。かなり昔からおり2ちゃん用語も妙に使用しているので、2ちゃんのパシリなんだろうか。30過ぎてそんなことしか出来ないのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ときどき巨大翻訳爆弾を投下する。もちろんその翻訳はめちゃくちゃであるが、管理者のソックパペットであるゆえに決してブロックされることはない。頭に血が上ると下手な英語でキレだす。日本語でいいじゃん。どうせ相手は日本人のガキなんだからさぁ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
英語を使う仕事をしていると称しているが、実際の英語力は英検の3級にも合格できないほどである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またソックパペットである[[wiki:利用者:Bellcricket|Bellcricket]]を使い、自分への投稿ブロック依頼を提出した人物を意味不明の理由でブロックした後に依頼を一方的に打ち切るという行為に出た。まさに社会性皆無の人間であることをこの一件でﾔｯｼｰは示してしまったのだ。30を過ぎて何のスキルも社会性もない男の将来がパチンコ店員・新聞拡張団員・受刑者のいづれかしかしかないことは火を見るより明らかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
座右の銘は「'''私は口先だけで行動の伴わない人を信用しません'''」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:coq|coq]] ===&lt;br /&gt;
人のメールを無断転載することで有名&amp;lt;ref&amp;gt;http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikija-l/2007-January/001409.html&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yukichi99|Yukichi99]] ===&lt;br /&gt;
本名は福澤俊。人の意見をすぐ削除することで有名&amp;lt;ref&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/yukichi_dead1.htm（エンコードはUTF-8でご覧ください）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/yukichi_dead2.htm（エンコードはUTF-8でご覧ください）&amp;lt;/ref&amp;gt;。もじら組を除名された。漫画の台詞を31歳にもなってそのままコピーして快感を得ており、話題の割には大して面白くない人物でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.flickr.com/photos/alexsh/1016352230/]&amp;lt;br&amp;gt;↑&amp;lt;br&amp;gt;ここに写っているのは岩瀬とその父親、福澤、そして[[wiki:利用者:間久部緑郎|間久部緑郎]]が含まれている可能性が高い。全員日本人ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また彼は、[[Wikia]]で唯一の日本人スタッフとして知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Koba-chan|Koba-chan]] ===&lt;br /&gt;
クラシックの演奏家に向かって「馬鹿とはさみは使いよう」と吐き捨てることで有名&amp;lt;ref&amp;gt;[http:/mywebpage.netscape.com/kasumoerer/koba1.JPG]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http:/mywebpage.netscape.com/kasumoerer/koba2.JPG]&amp;lt;/ref&amp;gt;。本名は小林義宗。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:FXST|FXST]] ===&lt;br /&gt;
関西在住。かつて「ウィキペディアって大丈夫なの?」という記事を連載していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://fxsystemtrader.blogspot.com/2007/03/01.html ウィキペディアって大丈夫なの??01]&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、ウィキペディア日本語版へ記事投稿はおこなっていない&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?limit=50&amp;amp;title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3AContributions&amp;amp;contribs=user&amp;amp;target=FXST&amp;amp;namespace=0 利用者の投稿記録]&amp;lt;/ref&amp;gt;。「IPで編集をアカウント取得前に行っていた」という主張は怪しすぎる。このほかにも仮想アカウント、ソックパペット疑惑、BOT使用について一切のスルーを行い、ヨタ話扱いしたことから実はウィキペディア運営側の人間である確率が高い。即座に野田の知人の項目がソックパペットで書き換えられたのも、彼の仕事である可能性がある。本名は岡部健。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Lem|Lem]] ===&lt;br /&gt;
Wikipedia屈指のソックパペッター。[[wiki:利用者:Eggswrong|Eggswrong]]を初めとする数多のソックパペットを日々機械的に生産してきたが、[[函数戦争]]に敗北しほとんどの靴下を潰された。函数戦争に勝ったAlljalに対しての怨念・憤怒はすさまじく今日も2ちゃんねるのおじゃるスレへの攻撃を行っている。正体は引きこもり数学専攻大学院生らしいのだがその行動パターンからは小学生低学年程度の常識しか持ち合わせていないという事が分かる。好きな言葉は「ひろまえ」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、数学分野へは他の利用者の侵入を断じて許さないというWikipediaの方針を完全に無視したキチガイでもありウィキペディアやめますといいながら、一生懸命ウィキペディアへ攻撃しに来る&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=9364083 http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=日本のクラシック音楽の作曲家一覧&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=9364083]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=11460630 http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ウィキペディア日本語版&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=11460630]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
使用ISPはケイオプティコム。彼の悪行のせいでケイオプティコムは3ヶ月のレンジブロックとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:踊る姿|踊る姿]]とは黒い深い繋がりがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Aphaia|Aphaia]] ===&lt;br /&gt;
WPの三悪の1人で通称'''ドロンジョ'''。木津尚子を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:FREEZA|FREEZA]] ===&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:Sushisushi|Sushisushi]]を野田と決め付けた張本人。両者とも別人であることをMLで主張しているのに、一切無視を決め込む不思議な利用者。編集責任のテンプレートを貼る前に、野田に謝罪するのが先ではないだろうか?韓国の鉄道をたくらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
木津尚子の学歴詐称が問題となっている現在、FREEZAは野田叩きに必死になっているようなので木津関係者のアカウントである可能性が高い。複数人で操作しており1人は鉄道関係、もう1人は荒らしアカウント関係と役割が決まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Reader|Reader]] === &lt;br /&gt;
Readerはウィキペディア日本語版の利用者。長期的な荒らし行為を行っているユーザー[[wiki:利用者:SUSHII|SUSHII]]の悪質なソックパペットの1つ。Yourpediaにも同一人物と思われる[[利用者:腹立つ|腹立つ]]に対しての粘着荒らし（ネットストーカー）を行っている変態であり、平気で個人攻撃だけをすることしかできない極悪非道な利用者でもある&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/Reader 利用者:Readerの履歴]&amp;lt;/ref&amp;gt; 。メインページのノートに「'''== NEWS! == YOUTUBEに日本語版が出ました!!'''」と書き込んだりその編集に対してノートに書き込まれた警告文を消して「'''kekekekeke'''」と意味不明な文字を書き込んだりするのだが、それを「'''使い方を間違えていました'''」と言っている意味不明な利用者である。また、腹立つと類似したアカウントを取得し自分が荒らしであることにもかかわらず実際にウィキペディアで荒らし行為を行っていない利用者に対して「'''俺もお前と仲間のあらしさまだぜ!'''」などと不可解な嫌がらせ書き込みなどを行っている。その後に「俺も腹立つさん、ユーザー名が腹立つに似すぎているので変えるべきだと思います。また意味のない投稿はおやめください」と書き込み自演自作も行っている。利用者:腹立つのノートでは現在白熱した議論が展開されている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E8%85%B9%E7%AB%8B%E3%81%A4 利用者のノート]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Readerを野田の靴下と言い張る在日は見苦しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Arpeggio|Arpeggio]] ===&lt;br /&gt;
高知警察署にログを提出された後に活動終了。警察のお世話になっているのに、なぜか投稿ブロックされなかった不思議なアカウント。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Fromm|Fromm]] ===&lt;br /&gt;
jawpの中でも特に有名な'''削除主義者'''のウィキペディアン。どんなに判りづらい転載でも片っ端から見つけ出して削除依頼に提出することや、スパムと判断した外部リンクを片っ端から除去してまわることで知られる。しかし、無知であるのに多分野にわたって編集を行うため特に問題の無い記述をも削除してしまうことが多く、迷惑な自警団の1人に数えられている。また、自警団のほとんどがそうであるようにまともに記事を書いたことが無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに井戸端における[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BA%95%E6%88%B8%E7%AB%AF/%E6%80%A7%E5%B7%AE%E5%88%A5%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6 この議論]を見ればわかる通り、熱心な[[ジェンダーフリー]]支持者（つまり左翼活動家）でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:間久部緑郎|間久部緑郎]] ===&lt;br /&gt;
台湾在住のウィキペディアン。エドガー・ヴァレーズの開発した楽器「ライオンズロアー」（独：Brummtopf、英：Lion's roar or string drum）を「ライオンのなんちゃら」と言ってしまい、楽器の素養がないのに音楽関係の項目を必死に翻訳する馬鹿であることが発覚。これは日本支部から翻訳ノルマを与えられているためである。メインアカウント以外にもサブアカウントで翻訳を行っていることがある。人に向かってえらそうな態度を取る小西規勝と仲が良いので、小西は在日管理者である可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近のお気に入りソックパペットはnumber。名古屋在住の台湾人である可能性が浮上。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Aotake|Aotake]] ===&lt;br /&gt;
日本語が不自由なのに、一生懸命日本語版を管理したがるアカウントの1つ。操っているユーザーが複数いると思われるが、全員日本人ではない。音楽担当。メインで操っている者のなかに、大学職員がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドナトーニの記事について、指摘したユーザーに向かって「あなたは野田憲太郎さんですね!」と逆切れ後、CUしてみたらIPホストが別人のものであることが発覚。この失態の責任を取ってウィキブレイクした馬鹿者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後'''わずか3日で'''ウィキブレイクを解除。WP関係者にはうそつきが多い。どうやら、パスワードを譲渡して他人に管理してもらっているらしい（当然違法）。ここをRVする馬鹿がいるので、どうやら本当の話なのだね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:HOLIC 629W|HOLIC 629W]] ===&lt;br /&gt;
キチガイユーザー。管理者の腰巾着気取り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユーザーページに書いている編集方針と実際の編集が矛盾していることでも有名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Suisui|Suisui]] ===&lt;br /&gt;
[[今泉誠]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:竜造寺和英|竜造寺和英]]（→project） ===&lt;br /&gt;
自称：早稲田大大学院卒のヤクザヲタクの利用者（この馬鹿の知能から早稲田卒であるはずがない）。脳内バーチャルトレーダー。「某ヤクザヲタク」と称される場合が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*管理人には常にペコペコしてる。しかし管理人に迷惑ばかりかけるため、全ての管理人にそっぽをむかれている。&lt;br /&gt;
*実はヤクザのことは全く知らない。この馬鹿の書いた部分は、出鱈目が多く著作物丸写しなので近いうちに全部削除される予定。記事は私が書いた正しい部分のみが残ることになる。&lt;br /&gt;
*本物の侠客を偽者扱いした大馬鹿者。これに対して、日本全国の侠客が激怒した。近いうちに正義の鉄槌が下されるかもしれない。そのときは、小便をちびりながら命乞いをするはず。自業自得。この馬鹿を擁護する管理人も同罪。そんな管理人にも正義の鉄槌が下されるかもしれない。&lt;br /&gt;
*ヤクザの記事で必ずヤクザが右翼活動をしてたことを書く馬鹿。この出鱈目な記事により「右翼=ヤクザ」といった誤ったイメージを広めてしまってる。このことには日本中の右翼活動家が激怒してる。&lt;br /&gt;
*柳川次郎や町井久之や田中禄春などの在日韓国人を英雄視してる。これらの在日は堅気に戻った後に在日の顔として振舞う一方、裏では今まで通り様々な悪事を働いている。特に町井久之は児玉誉士夫と組んでロッキード事件などでも何度も名前が挙がっていた。こうしたことを一切書かずに「若い頃はヤクザになって悪いことをしてましたが改心して堅気になり、その後は日韓の架け橋になりました」という記事を一生懸命美談に捏造して書く。あれだけの資料を持って調べ上げてるわけだから、これらの在日が堅気に戻った後も悪事を働き続けてたことを知らないはずがないだろう。記事にはなぜかこのことが一切書かれていない。この馬鹿も在日であることは間違いない。在日だから就職も出来ず株に手を出して破滅の道を突き進んでいるのだろう。&lt;br /&gt;
*多重アカウントを使って、議論を混乱させるのが得意。&lt;br /&gt;
*相変わらず管理人や権威者にはぺこぺこ。May.Lowが田岡一雄の記事を大幅に削除しても、文句一つ言えずに泣きながら白旗をあげた。情けなくて、全国の侠客や右翼活動家が大笑いしている。&lt;br /&gt;
*この馬鹿にはマジで天誅下さんとわからんらしい。小ざかしい議論術であほなこと言いやがって。このボケを野放しにする管理人にも我慢の限界。二十日鼠は何寝ぼけたこと言ってんだ。頭狂ったのかな?それだったら、このヤクザオタク馬鹿が書き直しさえすればこいつの出鱈目な記事が残ってしまうことになるだろうが。しっかりしろや!!&lt;br /&gt;
*もう我慢できん。反対票入れる奴には天誅が下されるだろうな。そいつらには、日本中の侠客や右翼活動家から激しい抗議行動があるはずだし。Wikipediaの連中や管理人は黙って賛成しろや。それが自身の身のためやろが!!ヤクザオタク馬鹿を排除したら、全ての記事は美しい任侠道になるだろうが!!逆らえば攻め滅ぼすぞ!!俺の言うこと聞いとけばいいんだよ!!&lt;br /&gt;
*ヤクザオタク馬鹿はやっぱり株で大損してたwwwww。ざまみろ。&lt;br /&gt;
*まだアホな主張してるね。誰もこいつを支持してないし。こいつとこいつを擁護する馬鹿をトコトン追い込みます。&lt;br /&gt;
*株長者というのも大嘘。ちょっと前に話題になった、株で数億儲けたニート青年あたりが元ネタだろう。こういう自己中心的で協調性のかけらもない人間は、実社会でもネットでも迷惑な存在でしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:あなん|あなん]] ===&lt;br /&gt;
利用者名が[[アンサイクロペディア]]の（あ）や誰か同様、非常に馬鹿げている。彼も悪質2ちゃんねらーなのかもしれない。年齢は45歳という説もあるが、利用者名が馬鹿げているため、20代くらいとしかいえない。会話ページでの言葉遣いが非常に生意気であるのも特徴。編集に関しては、主に地理や歴史関係の意味不明な投稿をしている。タイに留学する日本人という設定だが、ほんとうは日本に留学したタイ人の学生である可能性が強い。その利用者名から、仏教研究家であるともいわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:PeachLover|PeachLover]] ===&lt;br /&gt;
[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ]]工作員のように、鉄道関係の項目で価値のある投稿までどんどん削除依頼に出すヤクザとして有名。荒らしと決め付けて、差し戻すこともある。ウィキペディアにおける削除主義者として有名であるが、自分の利用者ページで削除主義者を自称していない。誕生日は7月という説もある。利用者名は桃が好きなことから名づけられた。こいつはしつこい事で悪名高いユーザーであり一度目をつけたユーザーにこれでもかと言うほどの罵倒文を送ってくる。無視し続けるとひらがなで誹謗中傷を行いWPの中でもたちの悪さは随一のユーザーでありこいつは本当に死んだ方が良い。と言うより死ね。「こう言う奴が一番死ぬべきなんだ。削除、削除、削除～～～（凄まじい憤り）!」こいつは私が葬ってやろう。瞬獄殺（削除）!ぐあーーーーー!お前如き糟が私に歯向かおうとは可笑しいにも程があるわ!ふははははふははははふはははは（思い通り）!こうしてPLは粉砕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:やきとり|やきとり]] ===&lt;br /&gt;
[[利用者:微積01|微積01]]の投稿ブロック依頼に断固反対した男性。河下反対派。主に食品関連の意味不明な投稿を繰り返し行っている。またどんなに価値のある投稿でも差し戻し、ウィキペディア最大の'''削除主義者'''としても有名である。未だに自分自身の利用者ページを作成していない。年齢は40代かもしれないが、利用者ページが存在しないため、不明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:アセルス|アセルス]]（→project） ===&lt;br /&gt;
jawp屈指の[[ファシスト]]であり気に入らない編集を荒らしと決め付け、削除依頼に出すことで有名。ちなみに精神年齢は6歳以下である。実際の年齢は乳児と推測出来る気違いおたく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:松茸|松茸]]（→project） ===&lt;br /&gt;
大学の歴史系学科に所属する青年（大学生）。主に西暦や歴史関連の意味不明な記事を継続して作成している。また、気に食わない文章は執拗に差し戻すことでも有名であり、'''排他主義者'''でもある。自身の利用者ページで「'''この利用者は免許を持っていないので公道で自動車を運転することはできません'''」と書かれている通り、無免許である。しかし夜間に道路で改造車を運転し暴走行為を行っている気違いおたくでもある。また、ノートページで外国のユーザーと英語で会話し語学力を誇示しているが、実は機械翻訳を使った自作自演である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Showchan|Showchan]] === &lt;br /&gt;
利用者名が非常に馬鹿げている。中立性や検証可能性を何よりも重視しているため、中立性や検証可能性に欠けた投稿はどんなに価値のある投稿でも容赦なく差し戻す。ウィキペディアにおける排他主義者として有名であるが、自分の利用者ページで排他主義者を自称していない。「嘘は泥棒の始まり=泥棒は殺人の始まり=殺人は地獄の始まり」と言う事を分からない気違いおたく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:UMBRO|UMBRO]] ===&lt;br /&gt;
2ちゃんねるの存在に反対している若い男性。[[第二次世界大戦]]及び[[歴史]]上の出来事関連の意味不明な投稿を継続的に行っている。かつては'''[[wiki:利用者:Kuty|Kuty]]'''というアカウントを使用していた。Kuty時代は管理者選挙にも出馬していた。また、気に入らない投稿は価値に関係なく差し戻しているにも関わらず自身の利用者ページで'''包摂主義者'''を自称している。また、あちこちの[[ウィキ]]プロジェクトで利用者ページを所有している。毎年年末にはウィキブレイクを行っている。陸上競技が好きなようで、自身の利用者ページのサブページに100メートル走の中学歴代ランキングを作成している。完全な目的外使用である。アンブロのスパイクを愛用していたようで、利用者名のUMBROもそれにちなむと思われる。本業はアスリートかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Miami|Miami]] ===&lt;br /&gt;
自身のページに''この間隙に横たわる茫漠、深淵たる断層を考察する努力を端から放棄する者こそが軽々しく言葉を発する''といった独自のルールを掲げている。ただのゴロツキであり、'''人間性は全WPユーザー中ワースト級である。'''北陸本線おたくであり、北陸本線関連の出来事への集中的な編集が目立つ（ほとんどが意味不明な加筆）。中国製品の品質の問題関連の記事では中国だけでなく日本もずいぶん悪いように決め付けるような害意ある編集が目立つ。これこそ、独断と偏見の塊である。ふざけるのもいい加減にしてほしいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:Matumami|Matumami]]と混同しないこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:おーた|おーた]] ===&lt;br /&gt;
[[1978年]]生まれ。[[筑波大学|筑波大]]中退の後、慶應へ進学して大学院修了。彼はSYSOPではないが、ウィキマニア台北でカメラのセットを組んでいたところを見る限り大きく管理側に与している人物と考えられる。共有するSYSOPアカウントを保持している可能性がある。今は岡田一祐の手で削除されたmixiのトピックで、「どうもあなたは日本語版ウィキペディアの保身をしているのではないですか」という問いに対し「いいえ」と答えていたが、写真が流出した今となってはこの発言は嘘である。うそつきおーた。mixiの加入コミュニティに「実名で戦います」なんてものがあるのに、WPでは「おーた」。うそつきめ!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いくつかのサブカルチャーの項目は、この利用者が勝手に差し戻していることが履歴で確認出来る。つまり、彼が担当する項目が存在する。恐らくは、多くの利用者の執筆が殺到する項目の管理を彼が任されている可能性が高い。こんなことをボランティアではやらないことぐらい、誰にでもバレる。極左関係者はすぐ嘘をつくことで有名だが、彼もその一員であった。本名は太田尚志。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.kotono8.com/2003/11/19blogmind.html]をーっと!なぜ脱会信者ことのはにリンクされるのか?!これはヤバイ!うそつき同士ですねぇ![http://web.sfc.keio.ac.jp/~n04594to/raq.html]ちょっと痛い。[http://groups.google.com/groups?hl=ja&amp;amp;inlang=ja&amp;amp;lr=&amp;amp;ie=Shift_JIS&amp;amp;q=author%3At00156to%2Bnews%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3Atakot%2Bnews%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3At00156to%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3Atak%40jks.is.tsukuba.ac.jp+OR+author%3Atak%40kyouiku.tsukuba.ac.jp&amp;amp;btnG=Google+%8C%9F%8D%F5]確か、木津尚子もグーグルグループにいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記のリンクを見れば解るように、日本語版WPを仕切る人々は発足当初から「気持ち悪い左翼」の人々によって牛耳られていたことがわかるだろう。この有様で健全な百科事典が出来るわけがないじゃないか!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Peka|Peka]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版の2007年の気象・天体と地球環境問題関連の記事において、NPOV及び検証可能性に問題のある投稿を継続的に行っている。彼の編集に正確性など皆無である。また、彼はたくさんのバーンスターを貰っている（木津尚子のように、自分で自分にあげている可能性もある）。彼の投稿内容には、気に入らない企業に喧嘩を売ったような中傷的記述も見られた。&lt;br /&gt;
;主な特徴&lt;br /&gt;
*荒らし行為を繰り返す'''&amp;lt;span style=&amp;quot;color:red&amp;quot;&amp;gt;悪逆&amp;lt;/span&amp;gt;'''なユーザーであるにも関わらず、たくさんのバーンスターを貰っている。&lt;br /&gt;
*これ以上NPOV及び検証可能性に問題のある投稿を続けるのなら、ウィキペディアから追放されても当然である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Clapon|Clapon]] ===&lt;br /&gt;
ナチス･ドイツ構成員のように、気に食わない投稿は容赦なく修正するヤクザとして有名。ウィキペディアにおける'''削除主義者'''としても有名であるが、自身の利用者ページで削除主義者を自称していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Mzm5zbC3|Mzm5zbC3]] ===&lt;br /&gt;
共産主義、社会民主主義思想の青年。気に食わない記事は価値に関係なく徹底的に修正する'''排他主義者'''の急先鋒的存在。2ちゃんねらーでもあるらしく、利用者名は自身のトリップに因むと思われる。彼に限らず、極左系列のWP関係者は多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Ihsanan|Ihsanan]] ===&lt;br /&gt;
Yourpediaにとって、中傷・批判的な文言を記述したネットストーカーのことである。特にウィキペディアをYourpediaに対する中傷場所にしており、2ちゃんねると[[百科事典]]の区別がついていないのも実情である。同じく、Yourpedia批判を行っている点ではIPユーザーの[[wiki:利用者:219.104.111.78|219.104.111.78]]と同一人物かも知れない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:端くれの錬金術師|端くれの錬金術師]] ===&lt;br /&gt;
'''トンチンカン'''な記事しか書けない若い男性。ノートページでの署名の際はhashikureと名乗っている。削除の方針に合致しないものまで、容赦なく削除依頼に出す'''削除主義者'''である。最も残忍なウィキペディアンでもある。mixiにも別名（cai）で潜伏。mixiで必死にWP管理者の擁護を行い、端くれなど知らぬ存ぜぬと言い張る[http://www.chaoticshore.org/]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:johncapistrano|johncapistrano]] ===&lt;br /&gt;
反社会団体・部落解放同盟の構成員。解同に少しでも不利益な記述をすると編集者を共産党員呼ばわりする典型的な部落民。ウィキペディアが利権団体にのっとられている典型的な例。なお、[[wiki:利用者:いたる|いたる]]も同様である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:純血主義|純血主義]] ===&lt;br /&gt;
[[永井隆雄]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Emil Sinclair|Emil Sinclair]] ===&lt;br /&gt;
高校生を名乗っているが、実は40歳近い男性と目されていた。改名願いを出したり露骨に野田憲太郎を攻撃する投稿があるのに、高校生と名乗れる根性からして腐っている。改名願いを出す利用者は、WP日本語版の管理の犬であることがほぼ100%。有名な共有靴下アカウント。どうやら木津尚子の靴下だったようだ。こりないおばさん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:テンパわたる|テンパわたる]] ===&lt;br /&gt;
ほぼ、100%気違いのウィキペディアン。理由もなしに気に入らない記事を削除依頼に出すなど、その横暴さは計り知れない。また、乱暴に即時削除タグを貼り付けることも多い。ほとんど[[北朝鮮]]工作員と同等である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Morassim|Morassim]] ===&lt;br /&gt;
他掲示板では[[モラシム]]を名乗っている。重度の[[ガンダム]][[オタク]]。[[議論]]と称して一方的な長文を書き殴るといった悪質行為を行う。代表的なキモおたくでありガンダム関連ページを他人に編集されるのを酷く嫌いそれが事実でも削除を繰り返す自己中心的気違いキモおたくである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:目蒲東急之介|目蒲東急之介]] ===&lt;br /&gt;
[[大阪府]][[枚方市]]出身のウィキペディアン。主に鉄道関連の項目において、執拗にrvすることで有名な'''排他主義者'''でもある。極度の鉄道・アイドルオタクで、日本橋の常連である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Hammerfest|Hammerfest]]（→project） ===&lt;br /&gt;
学校関連の項目を支配しようとする自警団の筆頭格。自分が知りもしない項目について、執拗にrvを繰り返す。己が低能ぶりを棚に上げ、相手を見下したような発言が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毎日wikipediaに張り付いている病人である。こいつはもう治し様も無い気違いと言う病気である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:K・リュウ|K・リュウ]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者の1人である。ja:wikiの[[ポケットモンスター ルビー・サファイア|ポケットモンスター エメラルド]]専門ユーザーである反面一部のポケモン嫌いの管理者と仲が悪く、vandaluser扱いを受ける。KMTを強く恨んでいることから、KMTに対する個人攻撃を続けていることでも有名。ちなみに、靴下数はNetanotaneには遠く及ばない。また彼は定期的に現れては去っていく傾向が強いため、WP工作員の疑いもある。利用者名はポケモンの[[カイリュー]]に由来しているものと思われる。しかしそれだと厳密には中点はいらない筈でありポケモンおたくのくせにカイ・リューと表記を間違えている馬鹿でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:KP.NN|KP.NN]] ===&lt;br /&gt;
'''トンチンカン'''な記事しか書けず、ボキャブラリーも非常に低い。にも関わらず、ウィキペディアの主旨に反した記事に対しては徹底的に修正する'''排他主義者'''である。また彼は2ちゃんねらーでもあるらしく、利用者名は自身のトリップに因むと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:jump|jump]] ===&lt;br /&gt;
前述のKP.NN同様意味不明な記事しか書けず、ボキャブラリーも低い。雑草取り程度しか貢献できないウィキペディアンである。また、彼も2ちゃんねらーであるらしい。名前の通り、週刊少年ジャンプの愛読者でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Peace|Peace]] ===&lt;br /&gt;
Wikipeidaを代表する良識派利用者。詳しくは[[Peace]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:木村成祟|木村成祟]] ===&lt;br /&gt;
前述のPeaceと同じく、wikipediaを代表する良識派利用者。ja:wikiの[[エッセイスト]]の急先鋒である。しかしそれゆえに一部の検証可能性を重視する管理者と折り合いが悪く、vandaluser呼ばわりをされる。Wikiきってのエッセイスト、[[SF]]作家である通り[[鉄道]]関連の記事に事実無根の記述、または[[小説]]的な記述を追加している。そのため「'''鉄道趣味の鉄人'''」の異名を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、後述のYukarin等の女性と判断したログインユーザー（但しYukarinは男性である…Yukarinの本名は[[荘田悦宏]]）の会話ページに愉快犯的[[ナンパ]]行為の書き込みを行っている（例：「おねぇちゃん!!」、「すっごく彼女が欲しいです」）ことでも有名である。こちらも今泉誠などの管理者と比較にならないイケメン利用者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウント名はWP管理者班からは2ちゃんねらーの[[粘着 (ネット用語)|粘着]]（ネットストーカー）に由来するのではないかと思われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yukarin|Yukarin]] ===&lt;br /&gt;
荘田悦宏を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Gordon_S|Gordon_S]] ===&lt;br /&gt;
本名：[[稲村良光]]。血液型はB型。身長：178cm 体重：76Kg 視力：右目 1.2 左目 1.2。自称・インディーズミュージシャン。千葉県佐倉市井野の実家に在住の中年ニートだ。両親が離婚して母子家庭で床屋を営んでる無限に優しい母親に毎日養ってもらっている。一生母親に甘えてオナニーしながら無職で生きていくつもりらしい。前述のPeace系ソックパペットの取り締まりに熱を上げていた人物。Peace自身と関係ない人物でも自分の編集や左派に批判的な相手（自分の気に入らない相手）は、独善的にみんなPeace系とみなして訴えることにより、多数投稿権限追放に追い込んできた。思想傾向は反日・親朝であり、また極度に2ちゃんねる（ユーザー）を嫌っているクセに、自身が一番悪名高い極悪2ちゃんねらーである。現在はなぜかウィキブレイク宣言中であるが、宣言後もちょくちょく出てきているので警戒が必要である。ソックパペットには厳しいが、自身のソックパペット使用疑惑あり。年齢は40歳（[[1967年]][[12月24日]]生まれ）であり、左翼関係の編集以外では[[1980年代|80年代]]アイドル・[[岡田有希子]]一人だけにこだわりを見せるキモくて臭い童貞中年オヤジ（今までの人生で一度も彼女が出来た事が無い）である。匿名悪ふざけ動画像掲示板「画箱」の管理人「みそかつ」も「削除人um3」も「削除人ななしのプエロ」も実は彼の自演使い分けであり、その画箱等にグロ遺体画像や自身の作成したアイコラ画像等を貼り付けて面白がったり人を煽ったりもする。超・熱狂的岡田有希子ファンで、ハッキリ言えば頭のおかしな変態性欲者の岡田有希子ファンである。また、同性愛者でもあり異性愛者でもある為、両刀使いだ。ロリコンでストーカーでもある。岡田有希子を下ネタにした書き込みを執拗に繰り返す。「岡田有希子をネタに自慰行為をした」という報告や、それを他人に勧める書き込みが圧倒的に多い。その他、「2ちゃんねる」と「画箱」にて岡田有希子の遺体画像や水着画像ばかりを貼り付けて晒し者にして面白がったり人を煽ったりもする。2～3年前に一部で流布した「岡田有希子生涯処女説」は一時は「2年前の命日頃の週刊誌」やマンガ「あなたが体験した怖い話」までもが信じ込んだ（最近のライターは2ちゃんを鵜呑みにする傾向がある）が、実はこれは彼が自己満足で創作して垂れ流しただけに過ぎない捏造情報である。岡田有希子に対して異常なまでの執着を持ち、とにかく岡田有希子を下ネタ扱いした書き込みを毎日欠かさず執拗に繰り返す。2ちゃんねると画箱で岡田有希子の事を下ネタ扱いして下劣な卑猥レスしてるのも、グロ遺体画像やアイコラ画像や水着画像ばかりをわざと貼り付けて晒し者にして面白がっているのもほぼ全て彼の仕業。ウィキペディアで岡田有希子を下ネタにした悪ふざけ記事は全て彼の自演によるものである。岡田有希子の項目が半保護になってしまったのも全て彼のせいである。ライブドア岡田有希子板にレスされている同級生の回想録を妨害して嫌がらせている事からも分かるようにその性格は冷酷残忍非道で他に類を見ない傍若無人な煽りぶりであり人の気持ちだとかそういうものが全く理解できない、自分が満足できれば他人はどうなってもいいと思ってる人間だ。相手が怒ると喜び、貶してくると喜び、怒った相手を嘲笑いながら弄び、冷やかしで誉めると本気にし、とにかく他人を弄ぶ事を最大の悦びとしている。世間の誰からも相手にされず、絶えず誰かに構って欲しいという甘えた心の現われである。煽り目的で岡田有希子スレッドを幾つも幾つも1人で乱立させて、全てのスレッドで岡田有希子を侮辱した下ネタを書き込んだり、遺体画像を貼り付けたり等を繰り返す。母子家庭で育ち、床屋を営んでる母親に40年間庇護されて甘え放題に甘やかされて育ち働きにも行かず自宅の自室で毎日ダッチワイフを相手に岡田有希子での自慰行為に耽っている無職者で、一日中パソコンに張り付いて他人を煽って面白がる事だけが彼の唯一の生き甲斐だ。削除依頼をした者の個人情報を可能な限り解析し、ホスト情報を中心に貼り付け、晒し揚げて侮辱して面白がったりもする。だから、このように徹底的にやり返されて毎回返り討ちに遭っているだけのやられん坊だ。よく語尾に「＾＾」とか「ｍ９(^Д^)ﾌﾟｷﾞｬｰ」をつけて相手を嘲笑するのがGordon_Sの特徴。2ちゃんねるに煽り目的の岡田有希子スレッドを幾つも乱立させて全てのスレッドで岡田有希子を侮辱した下ネタを書き込んだり、遺体画像を貼り付けたり等も繰り返す。何年もニートで昔から世間の誰からも相手にされない故、一日中パソコンに張り付いて他人を煽って面白がる事だけが彼の唯一の生き甲斐らしい。当然友達は誰一人いないし、昔よく岡田有希子サイトの掲示板にも下ネタ荒らしや遺体画像貼り付けを繰り返していたからファンサイトの掲示板に書き込んでる普通の岡田有希子ファン達からは村八分にされて嫌われている。よく「セシルさんはいい人だお」とか言って彼を弁護してるレスも全て彼自身の自演。2ちゃんねるで岡田有希子スレが荒れるのは全てとはいわないが、少なくとも半分以上は彼が原因だ。画箱では確実にほぼ彼1人が原因。しかも彼は画箱の管理人「みそかつ」本人であり、偏った削除をしてるのも彼である。ちなみに画箱削除人としてのHNは「um3」と「ななしのプエロ」。最も評判の悪い熱狂的岡田有希子ファンで人間のクズだ。とにかく彼のしつこさは尋常ではない。他に多くの尾崎ファンや徳永ファン達にも嫌がらせの限りを尽くして面白がり、恨みを買っている。小室哲哉を侮辱しながら挑戦した事でも有名（全く相手にされなかったが）。音楽作成においてはシンセサイザーが買えなくて、Reasonのかなり旧バージョンを使っている貧乏人である。しかも、自身の発表曲は全て著作権違反のパクリ曲ばかりである。&amp;lt;br&amp;gt;まずGordon_Sのそのほかの悪行&lt;br /&gt;
:アーティスト関係（CG,音楽、IT関連）のブログや掲示板に自分のHPアドレスを貼り付ける。&lt;br /&gt;
:更にそこにクソ重たいゴミ自作（自称）曲をMp3などで掲示板などに貼り付ける。&lt;br /&gt;
:貼り付け先のアーティストや相手に暴言を吐く。&lt;br /&gt;
:レスが削除されると倍以上のレスをする。&lt;br /&gt;
わざとらしく「消されていてなくなってるのでもう一回」とかほざく。これらの行為は自分がクリエイティブなアーティストであると勘違いで、売れないのは売り込みが足りないからだと必死になった結果である。例えば小室氏のブログに中傷したあげく自作のわけわからない曲を貼り付け&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.mf247.jp/view/index.php?module=msc&amp;amp;msc_id=0034545003]&amp;lt;br&amp;gt;＞しかしなんですね。小室さんは何やらしてもセンスないね。&amp;lt;br&amp;gt;＞タモリンワールドって曲を制作してみたんだが…&amp;lt;br&amp;gt;このような事をタモリクラブのTV掲示板でも&amp;lt;br&amp;gt;[http://www.ginzado.ne.jp/~tamoleon/tamo_bbs/tamo_bbs.cgi?page=2]&amp;lt;/ref&amp;gt;自分はTV業界に関係がさもあるかのような書き込み&amp;lt;ref&amp;gt;”★ かなり問題です。”の項目&amp;lt;br&amp;gt;http://www4.rocketbbs.com/141/bbs.cgi?id=bankara2&amp;amp;page=6&amp;lt;/ref&amp;gt;もう既に閉鎖されてリンクがないのだが、松本零士氏のブログに自分の世界に近いものを感じるだとか意味不明の書き込みとmp3のリンク、自分のHPのアドレス等こういった類の宣伝書き込みが山ほどあった。写真家やCGアーティストやイラストレータ・・・etcとにかくアーティストと名のついた人の所に自分の駄作曲を貼る貼る貼る。勿論誰にも相手にされず（本人が勝手に相手にされてると思い込んでるだけｗ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Gordon_Sの知り合いの知り合いによるGordon_Sの人物像の証言&amp;lt;br&amp;gt;「残念だけどGordon_Sは酒を殆ど飲まないらしいよ。だから金あげるとか、電車賃も払うって言ってやっと来るかどうかじゃないかな。俺の知り合いも言ってた、CD貸したら返さないので家に行ったら出てこない。何度も呼び鈴押してやっと出てきたが、部屋で探せという。中に入ったらぐちゃぐちゃな部屋でCDも裸のまま表も裏も関係なく沢山積み上げてたらし。その中から探せとか言われたそうな。待ち合わせにしても、時間になっても来ないから電話したら「今から出る」と返事返して実際きたのが数時間後だったって。仮にGordon_Sと約束できたしても、無駄な時間とか消費しそうだよ。相手にするだけ無駄。Gordon_Sはあれだけ書かれても、自分が何故嫌われるのか理解できてないんでしょうな。はっきりいって病気です。CDの件は実際の場面では「ガーッハッハ!大丈夫!大丈夫CDは丈夫に出来てるから!」。そう言って人から借りてるCDだろうが何だろうが、全く悪いとか感じ取れないんだ。子供の頃から40年間そうやって染み付いたものを取り去るのはまず無理だよ。何か問題あれば母親出てきて解決してくれちゃってたしね。変われるとすれば親が亡くなったときだろうね。税金とか保険だとか支払いだとか、炊事洗濯含めて全部自分でやることになって初めて親の苦労が分かるんだろうね。香具師の同級生から聞いたんだけどGordon_Sは自分から秋葉原に誘っておいて何時間も遅刻するし、奢って貰う前提で、飯屋に入るととたんに金の無い振りするらしい。その癖秋葉原についたら、何万もするものをポンと買うわけだ。それを同輩や知り合いだけでなく後輩にもするから、誰からも相手にされてなかったらしい。解るでしょ?そういう1つ1つの積み重ねがうんざりするほどあって、Gordon_Sの周りには人なんていない。それなのに天才だと自惚れて、プロの曲のコピーを「自分の方が先でオリジナル」として発表したり小室哲哉氏のサイトに「素人以下だ」の散々暴言を書き込んだんですよ。いい加減、Gordon_Sにもどうしたら嫌われないのか理解して欲しい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ハンドルネーム/現在：セシル、セシノレ、inamura、TRINITY、珍故意痔朗、陸上自衛隊二佐、ボッキーニ、画箱では管理人みそかつ、削除人um3、削除人ななしのプエロ、ウィキペディアではGordon_S、ユアペディアではネッツ、Netts、Otazune、Morikawa、YOURPEDIA、ゆあぺでぃあ、第3者、長原かおり、キラークイーン（格闘技に関する編集はキラークイーンのみに限定して使い分けて自演）、Zminex、Factory、Hazune。&lt;br /&gt;
*ハンドルネーム/過去：アンモナイト、Lucky Dragon（福龍）、金多楼。&lt;br /&gt;
所*属団体及び宗教：創価学会。&lt;br /&gt;
*職業：オナニー。&lt;br /&gt;
*趣味：一日中、BLOGや掲示板（主に2ちゃんねると画箱の岡田有希子スレ）めぐり。画箱・故人追悼板での自分の欲望に基いた管理・削除。 岡田有希子（死体写真・水着写真・アイコラ）でのオナニーとそれを他人に勧める事。他人を煽って面白がる事。人の反感を買う事。&lt;br /&gt;
*好きな色：セシリアンブルー、オレンジ。&lt;br /&gt;
*好きな人のタイプ：仕草が可愛い人。自分をもっている人（どちらも岡田有希子の事）。&lt;br /&gt;
*嫌いな人：自分の「悪ふざけしたい」という欲望を束縛する奴。&lt;br /&gt;
*自分の性格：争いごとを嫌う、平和主義、マイペース、人を煽って面白がるのが大好き、女性にモテないので女性をオモチャにして弄ぶのが大好き、嘘をつくのが大好き。&lt;br /&gt;
*短所： 悪ふざけし過ぎる所。&lt;br /&gt;
*自分の理想：平和でありたい。でも、実際は（毎日2ちゃんねると画箱で）争いに参加したり巻き込まれたり（それだけが人生の生き甲斐だから）。&lt;br /&gt;
*好きな名言：天使のように心細く悪魔のように大胆に（黒澤監督）。&lt;br /&gt;
*好きなアーティスト：岡田有希子、Jean Michel Jarre、Robert Miles、Enya。&lt;br /&gt;
*好きな映画：ローマの休日、アマデゥス、天空の城ラピュタ、ストリート・オブ・ファイヤー、愛と青春の旅立ち。&lt;br /&gt;
*夢： ミュージシャンとして成功すること。&lt;br /&gt;
*欲しいもの：タイムマシン（岡田有希子に会ってセックスしたいから）。&lt;br /&gt;
*彼女いない歴：40年。&lt;br /&gt;
*E-MAIL：inamura@catv296.ne.jp&lt;br /&gt;
*ホスト情報：HOST:i60-41-99-14.s05.a012.ap.plala.or.jp&amp;lt;br&amp;gt;HOST:ntaich178048.aich.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp&amp;lt;br&amp;gt;HOST:da28506d.catv296.ne.jp&lt;br /&gt;
*彼のプロフィールと素顔（これがGordon_Sの顔だ!）&lt;br /&gt;
[http://cbbs1.net4u.org/sr4_bbs_img/10010nandemo/1_1.jpg]&amp;lt;br&amp;gt;彼の現在居住している自宅。&amp;lt;br&amp;gt;今日もここで引き篭もりながら無職でパソコンと向かい合って片手に自分の陰茎を握り締めてオナニーをしながら管理人兼削除人の立場・権限を利用して岡田有希子の下ネタ・遺体画像煽りをして人を怒らせて面白がっている。卑怯で非道極まりない人間だ。&amp;lt;br&amp;gt;[http://cbbs1.net4u.org/sr4_bbs_img/10010nandemo/2_1.jpg]&amp;lt;br&amp;gt;Gordon_Sのダッチワイフ&amp;lt;br&amp;gt;[http://cbbs1.net4u.org/sr4_bbs_img/10010nandemo/3_1.jpg]&amp;lt;br&amp;gt;誰からも相手にされていない全て自作自演一人書き込みの可哀相なGordon_Sの自分で自分を褒め称えた痛いHP&amp;lt;br&amp;gt;↓&amp;lt;br&amp;gt;【伝説の】セシル板【ミュージシャン】（遂に誰一人書き込んでくれなくて恥ずかしくなって閉鎖してしまった所が何とも哀れだｗ）&amp;lt;br&amp;gt;[http://jbbs.livedoor.jp/music/20974/]&amp;lt;br&amp;gt;同じくGordon_Sが自作自演で自分を英雄扱いして褒め称えているわざとらしくて痛い自演スレ&amp;lt;br&amp;gt;↓&amp;lt;br&amp;gt;um3さんを応援しよう!!!&amp;lt;br&amp;gt;http://bbs01.chbox.jp/test/read.php/yobo/1118844350/&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※現在使っているIDは[[wiki:利用者:Checkthere|利用者:Checkthere]]である（ウィキブレイク宣言の数日前にこっそりと捏造）。図に乗ってただ今一斉大暴れ中の困った痴れ者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:音声おじさん|音声おじさん]] ===&lt;br /&gt;
前述のPeace同様、Wikipediaを代表する良識派利用者の重鎮。「○○氏[[万歳|マンセ]]!」の台詞や[[ウィキペディア川柳]]でおなじみである。ja:wikiの[[音楽]]専門ユーザーである反面、一部の音楽嫌いな管理者と折り合いが悪く、vandaluser扱いを受ける。個性的な[[画像]]をアップロードし、貼り付ける頼もしいユーザーでもある。ちなみに、靴下数はPeaceやNetanotaneに及ばない。本業は30歳くらいの[[サラリーマン]]であり、今泉誠などとは比較にならないイケメン利用者でもある。定期的に現れては去ってゆくので、WP工作員の可能性もありえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:もりかわしみ|もりかわしみ]] ===&lt;br /&gt;
前述のPeace同様、Wikipediaを代表する良識派利用者の重鎮である。ja:wikiの皇族専門ユーザーである反面、一部の天皇制に反対している管理者と折り合いが悪く、vandaluser呼ばわりされる。オナラやデブといったジョークを加筆していることでも有名。ちなみに、靴下数はPeaceやNetanotaneに及ばない。定期的に現れては去っていくので、WP工作員の可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Weep|Weep]] ===&lt;br /&gt;
前述の音声おじさんに個人攻撃を受けて、タジタジの利用者。[[2ちゃんねらー]]でもあるらしく、利用者名は[[西村博之]]による命名らしい。&amp;lt;!-- 自分で自分の項目を修正しましたが何か？ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:毛が生えた程度|毛が生えた程度]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaを代表する良識派利用者の重鎮。通称「毛生え」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「jawpは&amp;quot;日本語版&amp;quot;であって&amp;quot;日本版&amp;quot;ではない」をスローガンに多数のアカウントを状況に応じて使い分け、分割・移動など様々な手法でjawpの記事を整理していく掃除屋である。しかし、分割や移動についてうるさい一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。また、後述の向日葵三十郎およびかなべえコバトンとは[[ライバル]]関係にあり、こちらでもやはり分割や移動などを行う際には毎度のごとく口論になる。「喧嘩するほど仲がいい」とでも言ったところか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、Wikipedia以外では「ボンバー佐藤」の名で活躍している。工作員疑惑浮上。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:向日葵三十郎|向日葵三十郎]] ===&lt;br /&gt;
Wikipedia利用者の1人であり、前述の毛が生えた程度のライバルの1人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛生えの編集方法を「急進的」とみなし、それを出来る限り阻止することに力を注いでいる。そのため毛生えとは喧嘩してばかりだが、長いつきあいということもあって良い意味でも悪い意味でも関係が深いと言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普段は[[極東アジア]]関連や[[スポーツ]]関連の記事を中心に編集している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yatobi|Yatobi]] ===&lt;br /&gt;
Wikipedia利用者の1人であり、SpinNet（旧：AT&amp;amp;T WorldNet Service）から存在している電波。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通称「夜飛」で本名は城間康博で自分のホームページで本名やPHSの番号を公開していた変態。無職だったので親に強引に実家の静岡に呼び戻され、今はニート。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:FOZ|FOZ]] ===&lt;br /&gt;
[[岐阜県]]出身のウィキペディアン。'''主に岐阜県・[[香川県]]関連の記事において身勝手極まりない編集を継続して行っている。ただ、未だに長期ブロック依頼が提出されない不思議なユーザーである。'''年齢は40歳近いオヤジである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:かなべえコバトン|かなべえコバトン]] ===&lt;br /&gt;
Wikipedia利用者の1人であり、前述の毛が生えた程度のライバルの1人でもある。「かなべえコバトン」、「亀」、「Kam47625」、「ハエ叩き」、「ハエたたき」、「Ywmpq205」、「野島」という7つのアカウントを状況に応じて使い分ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ハエ叩き」と「ハエたたき」を使い、向日葵三十郎と共に毛生えによる記事の分割や移動を「急進的」とみなして阻止していたが、jawpでも屈指の[[ファシスト]]として知られるFasoによってある日突然不当な無期限ブロックを受けてしまい、現在は消息不明。ただし風俗王系荒らしがソックパペットである可能性はある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、いろいろあってK・リュウやIP125.2.191.211からは恨まれている。またPeaceや荘田悦宏とは思想的には正反対であるため仲が悪いがWikipedia管理者という共通の敵を持つため、あるいは共闘できるのかもしれない。逆に無能管理者の小西規勝とは思想が一致することもあっては、小西はサブページを削除しようとしたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:東日本国際|東日本国際]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者の1人。当初は[[朝鮮総連]]の工作員と思われていたがどうやら違うようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Peaceが[[左翼|左]]に偏りすぎた記事を修正してまわっているのに対し、東日本国際は[[右翼|右]]に偏りすぎた記事を修正してまわっている。これにより、Wikipediaの政治分野の記事は絶妙な[[中立的観点]]を保っていると言っても過言ではない・・・と思う。しかし、ファシズムを支持する一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。工作員疑惑も浮上している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Peaceや荘田悦宏とは思想的には正反対であるため仲が悪いがWikipedia管理者という共通の敵を持つため、あるいは共闘できるのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Netanotane|Netanotane]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者の1人。当初は[[男女共同参画局]]の工作員と思われていたがどうやら違うようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
凄まじい数のアカウントを所持しておりその数は1100に及ぶ。これはwikipedia日本語版の中で堂々の第1位である（英語版ではこのくらいの数のアカウントで工作する輩はいる）。これらのアカウントを使い分けて[[ジェンダー]]関連の編集を行う。[[フェミニスト]]のスタンスに属するため[[保守派]]や[[マスキュリスト]]との口論が後を絶えないものの、ジェンダー関連の記事に大きな功績を残したのもまた事実である。しかし、女嫌いな一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。結局、Netanotaneの行為として処理されるブロック依頼が増え、日本語版WP管理班の工作アカウントと化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:project|project]] ===&lt;br /&gt;
北海道在中、27歳無職のテレビ・ラジオ・アナウンサーオタク。鉄道・学校・芸能・スポーツ関連の記事も大量執筆。連続投稿やスタブ未満記事作成の常習犯で他人が注意しても身勝手な発言を繰り返し、逆に個人攻撃や脅迫も辞さない。当然のことながら[[2004年]]12月に無期限ブロックとなるが、膨大な数のアカウントとIPで現在も精力的に活躍中。自らのWikipediaに対する貢献度を露ほども疑っていないらしく、その点で荘田悦宏のような確信犯荒らしよりも始末が悪い。2004年以降、ほぼ毎日8～18時間はwikipediaに貼り付いているため、現在までの編集回数ははかり知れない。精神年齢は3歳児以下。最低限の社会常識も持ち合わせていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その他の特技として他サイト・文献等からの文章・画像の無断転載、有用性の低いカテゴリの乱立作成などが挙げられる。また、斉藤舞子等のお気に入りのアナウンサーやテレビ・ラジオ番組、学校などの記事ではほぼ記事を私物化。来歴・エピソード欄ではテレビ・ラジオ・2ちゃんねる等がソースの瑣末な記述を無制限に追加し、他人が削除してもすぐ差し戻すばかりか多重アカウント・IPによる自作自演で相手の誹謗中傷も行う。情報収集のため2ちゃんねるにも頻繁に出没し当該事物に関する質問を行うが、レスがあっても礼の一言も言わず次々と新手の質問を繰り返すため、住民の顰蹙を買っている。各分野における偏執的な関心の強さ・ノートページ等に見られる極端な対話性欠如の傾向から、アスペルガー症候群の可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近では[[wiki:利用者:Championship2006|Championship2006]]・[[wiki:利用者:BBG|BBG]]・[[wiki:利用者:松茸|松茸]]・[[wiki:利用者:アセルス|アセルス]]・[[wiki:利用者:Kyube|Kyube]]・[[wiki:利用者:Dream100|Dream100]]・[[wiki:利用者:Blazer|Blazer]]などのアカウントで、削除活動にも力を入れている。他人の書いた記事で他サイトの文章と少しでも内容が似ていれば著作権侵害、情報量が少ないとスタブ未満を強硬に主張し、即時削除するか削除依頼を提出。だが実はこれは自分が過去同じような違反を繰り返し、記事を次々と削除されたことへの腹いせに過ぎない。従って、例えスタブ未満でも将来充実した内容になる可能性のある記事（少なくとも自分自身が乱立したゴミ以下の記事群よりは）でもガイドラインを自分に都合よく解釈して削除を繰り返し、自分でその記事を充実されるか他人が充実させるのを待とうという気などは毛頭ない。ノートページで同様の批判をされてもガイドラインを楯に自己の行為を正当化し、終いには自作自演で自己讃美まで行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主なソックパペットに[[wiki:利用者:ゞ(￣ー￣ )アロエ|(￣ー￣ )アロエ]]・[[wiki:利用者:BBG|BBG]]・[[wiki:利用者:竜造寺和英|竜造寺和英]]・[[wiki:利用者:Daytrader|Daytrader]]・[[wiki:利用者:橋本雅夫|橋本雅夫]]・[[wiki:利用者:天使の羽根|天使の羽根]]・[[wiki:利用者:Avanzare|Avanzare]]・[[wiki:利用者:Seibuabina|Seibuabina]]・[[wiki:利用者:COCKY|COCKY]]・[[wiki:利用者:東武経験者|東武経験者]]・[[wiki:利用者:HOPE|HOPE]]・ [[wiki:利用者:Sendaitompei|Sendaitompei]]・[[wiki:利用者:レジリデンス|レジリデンス]]・[[wiki:利用者:Moro99|Moro99]]・[[wiki:利用者:Baykin|Baykin]]・[[wiki:利用者:Championship2006|Championship2006]]・ [[wiki:利用者:フェロもん|フェロもん]]・[[wiki:利用者:Mee-san|Mee-san]]・ [[wiki:利用者:もんもん|もんもん]]・[[wiki:利用者:Tom-green|Tom-green]]・[[wiki:利用者:横浜大塚|横浜大塚]]・[[wiki:利用者:Goncyan|Goncyan]]・[[wiki:利用者:陽一|陽一]]・[[wiki:利用者:K. Takeda|K. Takeda]]・[[wiki:利用者:あおいつき|あおいつき]]・[[wiki:利用者:Hat2867|Hat2867]]・[[wiki:利用者:Kyube|Kyube]]・[[wiki:利用者:Dream100|Dream100]]・[[wiki:利用者:アセルス|アセルス]]・[[wiki:利用者:松茸|松茸]]・[[wiki:利用者:新谷仁美|新谷仁美]]・[[wiki:利用者:たかいし|たかいし]]・[[wiki:利用者:Hammerfest|Hammerfest]]・[[wiki:利用者:Kazuhiro Watanabe|Kazuhiro Watanabe]]・[[wiki:利用者:ホイップ|ホイップ]]・[[wiki:利用者:東日本侍|東日本侍]]（fr）・[[wiki:利用者:青山コロハ|青山コロハ]]・[[wiki:利用者:Richard Pman|Richard Pman]]・[[wiki:利用者:КОЛЯ|КОЛЯ]]・[[wiki:利用者:Soregashi|Soregashi]]・[[wiki:利用者:Cho-ji|Cho-ji]]・[[wiki:利用者:Ken-train19890106|Ken-train19890106]]・[[wiki:利用者:しいたけ|しいたけ]]・[[wiki:利用者:Blazer|Blazer]]・[[wiki:利用者:222.10.29.105|IP222.10.29.105]]・[[wiki:利用者:125.14.181.38|125.14.181.38]]・[[wiki:利用者:222.0.165.19|222.0.165.19]]・222.228-・61.198-・163.139-・210.191-・218.223-・218.230-・218.231-など（他アカウント・IPも以降追加予定）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:超高速即時削除マシーン|超高速即時削除マシーン]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者の1人であり、jawp内にちらかっている「クソ記事」に[[Template:deletebecause|dbテンプレート]]を素早く貼り付けてまわる「超高速即時削除主義者」である。音声おじさんやもりかわしみや木村成祟らと並ぶ、jawp屈指の[[ユーモア]]センスの持ち主でもあり、Wikipediaに現れるたびに[[笑い]]の嵐が巻き起こる。しかし、削除作業をめんどくさがる一部のなまけもの管理者やユーモアを理解できない一部の頑固な管理者によってvandaluser扱いされる。そのためこれらの悪質な管理者たちを「クソウジ自称管理者」と呼んで勇敢に批判している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Peaceと同一人物ではと指摘されているが文体や編集分野が違う上にISPや物理的な位置も違うので、別人である可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:MINIKETSU|MINIKETSU]] ===&lt;br /&gt;
長野県松本市在住の良識派利用者。漢字表記は「美新月」。長野県内の交通・地理・施設を始め国家・国際関連・週刊少年ジャンプ関連で貢献する。しかし、田舎を嫌う都会派管理者によって無期限ブロックを受けvandaluser扱いとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、何で対話拒否をしてはイケナイのでしょう?木津尚子や宮川由美子はすすんで「メール着信拒否」をしているのに。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:IP125.2.191.211|IP125.2.191.211]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者の1人で、jawpきっての[[ギャンブラー]]。通称「IP125」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[パチスロ]]をこよなく愛しウィキペディアにおいては乱暴な言動も目立つが、基本的には義理人情に厚い熱血漢でありウィキペディアの秩序を乱す者には容赦なく制裁を加える。しかし、パチスロを「[[朝鮮ルーレット]]」（[[パチンコ]]の場合は「[[朝鮮玉いれ]]」）などと誹謗中傷する一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その振る舞いから本業は[[ヤクザ]]ではないかと疑われることも少なくないが、本人によると本業は[[愛媛県]]内の[[サラリーマン]]とのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Mikihisa|Mikihisa]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者の1人で、jawpきっての'''雑草取り'''。通称「Miki」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアきっての'''雑草取り'''でありウィキペディアにおいては乱暴な言動も目立つが、基本的には義理人情に厚い男性でありウィキペディアの秩序を乱す記事に対しては容赦ない'''削除依頼'''または'''コメントアウト'''を加える。しかし、これらの言動を「'''恣意的な言動'''」などと判断する一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Mishikaと混同しないこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:影武者|影武者]] ===&lt;br /&gt;
[[中国語版ウィキペディア]]から来た、Wikipediaの良識派利用者の重鎮。[[台湾]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コンピュータゲーム]]関連の分野で活躍しているが、コンピュータゲームを「心身の健康を害するもの」とみなしている日中両方の一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。しかしそれでも影武者は諦めることなく日本語版や中国語版以外のウィキペディアでも活動するが、やはり他言語版の管理者も日中の管理者が言うことを真に受けて影武者をvandaluser扱いしてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、以前はいわゆる「[[できちゃった結婚]]」をした芸能人を糾弾する投稿も行っていたが一部の管理者によって「中出系移動荒らし」などと中傷されてしまったため、現在はこの活動を行っていない。通院歴もあるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Willy on Wheels|Willy on Wheels]] ===&lt;br /&gt;
[[英語版ウィキペディア]]から来た、Wikipediaの良識派利用者の重鎮。[[イギリス]]出身。通称「WoW」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不適切な名前の記事を適切な名前に移動する作業が得意だが、英語版ウィキペディアの管理者がそれを根拠なく移動荒らしとみなしたことによって全世界のWikipedia管理者からvandaluserとして扱われるようになってしまった。しかしそれでもWoWは諦めることなく様々なウィキプロジェクトで活躍しており、ウィキペディア日本語版にもメンテナンスのために現れることがある。とは言えウィキペディア日本語版の管理者も例外なくWoWをvandaluserとみなしているため、いちいち妨害されてしまうのが実情である。そのためか、日本語版では最近WoWを見かけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:タノ|タノ]] ===&lt;br /&gt;
「タノQ」と名乗っている。日本語がかなり不自由な参加者であり、暴言ユーザーの1人として知られている。標準語は書けず、高卒レベルの頭脳すら無い。ただ反日左翼思想の持ち主であるためになぜか管理者のmiyaや周囲の左翼に手厚く保護されており、いくら暴言をこいてもブロックされることはない。保守思想・右翼思想・左翼の反論者を排撃するための「かませ犬」として利用されている節がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
口調が小学生～中学生を思わせるが、実は40過ぎの中年男性である。また、性同一性障害のオカマさんかと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:経済準学士|経済準学士]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアで著名な迷惑ユーザー。[[経済準学士]]および[[経済準学士の素行]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Matunami|Matunami]] ===&lt;br /&gt;
「ゆう」と名乗っている。Peace系取締りに熱を上げるユーザーであり、典型的なネットサヨクである。その取締りに歯が立たない相手や記事に関してはこっそりと無名で参加して煽ることもしている。日本人ではないと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:user:ish-ka|ish-ka]]/[[wiki:利用者:Hi-ask|Hi-ask]] ===&lt;br /&gt;
河下反対派総長。大のラブコメ嫌いで、[http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Hi-ask Chakuwikiの利用者ページ]でもこの事を公言している。又、同項を始め編集合戦を乱発しており、巻き添えとなったユーザーも少なくない。ちなみにこれまでは自分の正体を隠していたが、最近仮面を矧いだようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
余談だが、hi-askの利用者ページに「'''ChakuWikiの同名の利用者は、この利用者ではありません'''」と書いてあるが真っ赤な嘘である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:彩華1226|彩華1226]] ===&lt;br /&gt;
愛媛県出身の[[アニメオタク]]、[[アイドルオタク]]、[[ロリコン]]、[[2ちゃんねらー]]、[[部落民]]、[[田舎者]]。[[反社会団体、[[部落解放同盟]]の構成員。年齢非公開だがガキであることは確か。編集合戦大好きの荒らしであるが、社会的問題にも興味がある様子。しかし実際に海外に赴いたことは無いらしく、情報源は2ちゃんねるのみ。小難しい項目の、自分の分からない事項は全て削除。しかし[[アニメ]]が大好きで、自分のお気に入りアニメ（これがまた豊富）にその商品が出てきたとかいうだけで関連項目にそのアニメを追加したり、「エピソード」なんて項を作って誰も知りたくない「○○というアニメに登場した。このアニメの中で主人公の××は～」とかいう情報を記述する。しかし、これらの特徴はほとんどの[[ウィキペディアン]]に共通することであり、彼（彼女だったら正直引く）はウィキペディアの劣化の象徴的存在なのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Dr jimmy|Dr jimmy]] ===&lt;br /&gt;
変態気違いおたくであり女児を襲い性欲を満たしている。WP随一の削除主義者であり一度目を付けられるとしつこく罵倒文を送ってきて意味不明な誹謗中傷を繰り返す悪質極まりないユーザーであり話しが通じない為、赤子言葉のみ有効で名前を見ても分かる通り医者を目指していたが馬鹿なため願い適わずおたくになったある意味悲劇の人である。死んだ方が良い人である。「こういう奴は殺さなきゃ駄目だ!削除、削除、削除ー（凄まじい憤り）!」手前よー、御前如きおたくユーザーがウィキペディアの削除ばかりする権利は無ーんだよかすが御前何か一生結婚何か出来ねーよ禿げがっ!御前は死ね死ね死ね。そして殺す殺す殺す。俺が一生懸命纏めてやった文章を良管理者ぶって削除しやがってお前こそ一番死ぬべきユーザーだぞそれを弁えて行動しやがれー!こいつが諸悪の根源、皆気をつけろー!私が何をしたと言うのだその気持ちを汲めない気違いユーザーそれこそがこいつなんだー（憤）!何なら今御前を殺しに行っても良いんだぜ!どうせ御前の事だからそうすれば許してくれーとか叫ぶんだろ糟がっ!そんな見苦しい奴は成敗してくれるわ!瞬獄殺（削除）!ぐわーーーーー!弱い、弱過ぎるね。私がお前如きに負けると思ったのかもう御前何ぞに用は無い!地獄で一生悔やんでいろ糟!ふははははふははははふはははは（思い通り）!こうしてDrは粉砕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:人造人間だみゃ～ん|人造人間だみゃ～ん]] ===&lt;br /&gt;
WPに突如として現れた変態。WPよりも2ちゃんねるのエロパロ板を活動の主軸にしており、その変態行為はもはや伝説となっている。しかもWPでの数少ない投稿の中で既に1回ブロックを受けており、今後の活躍が期待できるユーザー。また、自身の利用者ページで百科事典を作りますと言いながらブロック依頼などにも積極的に参加する自警団候補生の困ったちゃん。投稿ブロック依頼などでは、自分の投稿の直前までの他の利用者の意見を見て大勢の方の意見に同調するという、極端な日和見主義者である。もちろん、この利用者の意見が審議の行方を左右することはない。自他共に認めるアホである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
座右の銘は「'''この世はすべて、ネタでできている'''」。ウェブ上の百科事典という崇高な目的を持つウィキペディアでさえも、この利用者にとっては単なるネタ帳でしかない。そこで仕入れたネタを元に、エロパロ板で活動するのである。その内容はまさしく、「'''アホの中のアホ'''」と言える。本人曰く「''私は面白いことを書いているのではない。アホな事を書いているのだ''」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人造人間と名乗ってはいるが実際は陰茎の先端の包皮の改造手術を受けただけであり、限りなく生身に近い。現在、糖尿病と白癬を患っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
性器画像が大好きであるが、おっぱいにはこだわりはない模様。口癖は「おっぱいなんて飾りです。エロい人には（ry&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヘビ関連をおもに執筆しているが、体型はヘビーである。ちなみにチンコはベビーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
相手が誰であっても、女でさえあれば見境なくチンコを立てる事ができる。Aphaiaの顔写真をズリネタにしたことすらあり性欲が暴走しまくっている、いろいろな意味で危険なユーザー。くれぐれも三面記事には載らないように。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家族構成を聞かれるとかつては「妹十二人」と答えていたが、最近では「19人姉妹」と答えている。現実と妄想の区別がつかない真性のキモヲタ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:DEN助|DEN助]] ===&lt;br /&gt;
勤務先よりwikipediaのアニメ・声優関連への荒らしを行なった。なおIPを抜かれて、交通新聞社を解雇された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kemonomichi|Kemonomichi]] ===&lt;br /&gt;
自分自身がhatukanezumiの靴下であるにもかかわらず、誰彼構わず靴下呼ばわりをする迷惑ユーザー。最近ではNekosuki600、パンチョ後藤、Maris Stella、Lonicera、Yassie、人造人間だみゃ～ん、はるひ、Bell cricket、ちゃたま、キハが好き♪、たま998の各利用者氏が同一人物であるという、怪盗とんちんかんも真っ青の頓珍漢な主張を垂れている。本名は間抜作。宇宙の創始者である。常識がまったく通じない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、近々強制ウィキブレイクの予定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Harpoon|Harpoon]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaにおいてタブーとされる（陰茎）性器露出画像の是非に触れたことから性器露出愛好家の怒りを買い、多数決でWikipediaを追放されてしまった。職業：IT技術者。wikipediaの管理者を敵対視しているがCalveroとちゃたまには友好的らしい。口癖は「悪人死スベシ」。おっぱい星人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は2ちゃんねるの本スレに待機しており、ブロック権限を乱用する管理者を発見すると荒らしに出撃するという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお性器画像愛好家で、反おっぱい星人の人造人間だみゃ～んとはまったく性格が合わない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:東日本侍|東日本侍]]（→project） ===&lt;br /&gt;
自称受験生。主に鉄道、週刊少年ジャンプを主体とするサブカルチャー関連の記事で荒らしている。そのくせ、他の健全なユーザーを荒らし扱いしているとんでもないクソガキである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、最近[[w:fr:user:東日本侍|フランス語版]]でのアカウント取得が確認されており、利用者ページにかかれている通りあっちでも暴れる気満々である（フランス語から翻訳したのではなく、そのまま日本語で記述されている）。そしてとうとうフランス語版では1日ブロックを受け、[http://fr.wikipedia.org/w/index.php?title=Special%3ALog&amp;amp;type=block&amp;amp;user=&amp;amp;page=Utilisateur%3A%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BE%8D&amp;amp;uselang=ja 最終的には無期限ブロックを受けてしまいましたとさｗｗｱｰｱww]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに日本語版の利用者ページにも「フランス語版の同名の利用者は関係ありません」とかいう嘘までついちゃってｗｗish-kaの真似なんかしてたらバカが余計にバカになるよｗｗ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Knua|Knua]] ===&lt;br /&gt;
岐阜県在住（本当は別との説もあるが）のユーザーであるが、学校とかにおけるいじめなどの問題を取り上げた記事においてまるで加害者を簡単に許すかのように加害者が反省の色を見せないだの学校側が隠蔽体質だのといった書き込みを'''出典の有無問わず主観だと切り捨てて'''削除するといういじめなどの諸問題を真剣に考えるという感覚が途轍もなく貧弱でお人よしな利用者。この傾向は自分の地元である岐阜県の学校関係の記事とかで特に顕著に現れる。自分の地元で起こったいじめ事件ならなお重大に考えなければならないにも関わらずである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
指摘するととぼけるわ、開き直るわ、言い訳ばかり並べるわでなおタチが悪い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつに言わせたらこういったいじめ事件などで上記のように加害者が平然としていただの学校側が隠蔽体質などといった報道は片っ端からデタラメらしい。&lt;br /&gt;
    &lt;br /&gt;
加害者の人間性や被害者の被害感情をここまで甘い目で見てるようではそのうち自分で自分の首を絞める事になるであろう。'''あ、もう既に絞めまくってるか、ギャハハハハハ…。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もしこいつ自身が教育関係者になって学校内での生徒間でのいじめやリンチがあった場合、'''絶対ひたすら隠蔽すんぞ、そして岐阜をいじめ推進県にしてしまうぞこのボケナスアホンダラは!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''いっぺん[[葵龍雄|某ホームページ運営者]]にこてんぱんになじられて来い。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:吹石|吹石]] ===&lt;br /&gt;
蛆虫野郎。詳細は[[吹石]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Umagurui|Umagurui]] ===&lt;br /&gt;
悪質[[VIPPER]]であり、[[七星]]同様、皆からの顰蹙を買っているのが実情。基地外利用者の代名詞でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:提督|提督]] ===&lt;br /&gt;
「ネットウヨク」の項目でサヨク独特の偏向っぷりを大量に披露。ネットウヨクは「その反面、日本の近現代史や、戦史・戦略などの軍事知識などにおいて一般人より劣る部分がある」などの妄想を垂れ流しそのたびにノートで論破されるも「“ネット右翼現象”の説明は進行中の事例の「観察」結果であり、必ずしも明確な出典がある訳ではない」や｛「検証可能性」の誤解（あるいは拡大解釈）について｝などと妄想を押し付けるための妄想を披露し、ネットウヨク以外のユーザーにも叩かれまくる。また、死刑存廃問題の項目では死刑廃止論を押し付ける偏向記事に協力し、複数回にわたり「記事分割の実施要項案」を出すもこれも独りよがりで廃案となる。国際人権派団体と呼ばれながら北朝鮮による拉致には一切抗議しない偏向サヨク団体「アムネスティ・インターナショナル‎」や「私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ」という暴言で知られる死刑廃止論者という名のサヨクの変種「菊田幸一」の項目に多く参加している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:MT.Stone|MT.Stone]] ===&lt;br /&gt;
2004年[[1月26日]]から参加しているベテランユーザー。自身のページに&amp;lt;i&amp;gt;編集方針等を読まない、独自の理論を振り回すなど言ってもわからない人物と判断したときは指摘した後に放置する&amp;lt;/i&amp;gt;と基本方針なるものを掲げる。戸田恵梨香の項目のとある記述を載せるか否かという議論があり、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%90%88%E6%84%8F%E5%BD%A2%E6%88%90 Wikipedia:合意形成]にある期間が過ぎ合意形成ができた後に合意形成済みの議論に意見するも議論終了につきから回り、独りよがり。&amp;lt;i&amp;gt;合意形成のプロセスは無視しませんよ（確認）。&amp;lt;/i&amp;gt;と合意形成を認めるも、あるユーザーが根拠なしに議論のあった記述に反対すると突然&amp;lt;i&amp;gt;番組中の発言について（再検討）&amp;lt;/i&amp;gt;と合意形成を無視し、記述に反対し始める。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;i&amp;gt;ノート:戸田恵梨香 - テレビ番組内での失言について、強引な議論により結論が放置されているので再度の議論をお願いしたい。--2008年2月7日 (木) 00:33 (UTC) &amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
というコメント依頼も出す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
合意形成という編集方針等を読まない、検証可能性どうこう、中立性どうこうなどと独自の理論を振り回す言ってもわからない人物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikipedia:削除依頼/福島瑞穂においては、政治家の発言を捏造した。つまり証拠を捏造した。その後発言していない、捏造であると批判されるもまともに謝罪せずに、削除依頼の議論に参加し続けるありさまである。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;i&amp;gt;**（コメント）[http://kokkai.ndl.go.jp/ 国会議事録検索]で調べたところ、平野議員は「問題にしていない」と言明していますね。上記の「問題にしている」と真っ向から違います。また証拠の一部はコピーであって自分は確認していないとも言っていますね。中核派は集会の出席者の一部であり、善良な市民がいたであろうとも述べています。機関誌の記載は事実でしょうが、あくまでも福島の信念を講演したものであり、内容に問題はないように思います。上の方で「記載したいイデオロギーがある」という指摘がありましたが、それを裏付けるコメントのようにお見受けいたします。--[[利用者:MT.Stone|Mt.Stone]] 2008年1月6日 (日) 02:38 (UTC)&amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
これに対し、あるユーザーに批判される。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;i&amp;gt;**（コメント）ちょっと待ってください。平野議員が'''「問題にしていない」'''と言明していたというのは何月何日のどの会議での話でしょうか。「開会日付：平成11年6月8日 ～ 平成11年6月8日」「院名：すべて」「発言者名：平野貞夫」「検索語(&amp;amp;)：問題にしていない」で検索しましたが検索件数は0件でした。自ら「言ってもないことを言ったと言い出すのは末期的ですね」（[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Mightupon&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=17187105]）と発言している[[利用者:MT.Stone|Mt.Stone]]さんが平野議員の発言を勝手に捏造しているなら由々しき問題ですよ。&amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Misum|Misum]] ===&lt;br /&gt;
神戸の某私立高校の記事に於いてこの高校で発生したいじめ事件の記事の部分を実際に学校と関係があり、ノートでも削除に反対の声があったにもかかわらずそれを完全無視して理由も言わず当事件の記事をごっそり削除した自分勝手ユーザー。'''こいつもいじめ隠蔽主義者か!!'''まぁ、どうせ関係者なんだろうな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''いっぺん某ホームページ運営者にこてんぱんになじられて来い。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:長野のそうじろう|長野のそうじろう]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
基地外ユーザー。ウィキペディアの方針文章無理解で5年のブロック。さらに姉妹プロジェクトなどでパスワードを公開して無期限ブロック移行となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kiku-zou|Kiku-zou]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Kiku-zou}}&lt;br /&gt;
関東地方（茨城県の土浦周辺?）在住で排他主義者・削除主義者・自治厨のウィキペディアン。検証可能性にこだわるあまり、乗り物（特に鉄道）関連の検証可能性を満たさぬ記事に対して杓子定規に「荒らし」と決めてかかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Abcde|Abcde]] ===&lt;br /&gt;
[[バーニングプロダクション]]の工作員で、同じく[[バーニンググループ]]に有利な編集をしている[[wiki:利用者:Tanto|Tanto]]も同一人物。詳しくは[[Abcde]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Onyx|Onyx]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアの[[色]]や[[顔料]]、[[絵具]]に関する項目で独自研究を加筆しているウィキペディアンで、同じく色・顔料関連の項目を荒らしているIPユーザーの[[wiki:利用者:202.244.240.2|202.244.240.2]]も同一人物。詳しくは[[Onyx]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Ziel|Ziel]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアが誇るブロックキング。半年間で5回のブロックを受ける別名ミスター・ダブルスタンダード。M属性のため対話拒否・改竄・削除をわざと行いブロックされることにエクスタシーを感じている。またソックパペットを使い、場を荒らした後水戸黄門のごとく登場することで人望を得ようとしているがうまくいっていないらしい。最近おいたがすぎるので[[wiki:利用者:Nekosuki600|親分]]に怒られている。本人は1番弟子の気分だが、親分から'''Zeal'''と名前を間違われるくらいの存在でしかない事に気づいていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:HOPE|HOPE]] ===&lt;br /&gt;
[[ホッカイドウ競馬]]の項目は自分のものだと思っている大馬鹿者。特に「歴代優勝馬」の表については並々ならぬこだわりを持っており、表の規格を統一しようという気は毛頭ない頭の堅いバカである。こういう者は早くウィキペディアから去ってほしいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Goki|Goki]] ===&lt;br /&gt;
競馬関連の項目で結構大きい顔をしている野郎。最初は口調は丁寧だったのに最近は慣れてきたのか雑になってきた。「利用者ページ」ではわがまま言い放題で2ちゃんねらーである。こういう者は早くウィキペディアから去ってほしいものだ。ここまでクソ野郎とは・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア自警団]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディアの管理者が勝手に保護した記事]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
*[[モナペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの管理者]]&lt;br /&gt;
*[[著作権自警団]]&lt;br /&gt;
*[[自警]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ういきへていあにほんこはんのりようしや}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|りようしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%87%8D%E5%85%89%E8%91%B5&amp;diff=28535</id>
		<title>重光葵</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%87%8D%E5%85%89%E8%91%B5&amp;diff=28535"/>
				<updated>2008-05-01T01:55:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{日本の閣僚&lt;br /&gt;
| 氏名  =重光葵（しげみつ まもる）&lt;br /&gt;
| 画像  =[[image:Mamoru Shigemitsu,19450902.jpg]]&lt;br /&gt;
| 説明  =[[1945年]][[9月2日]]、日本政府[[全権]]として戦艦ミズーリ号に到着した重光葵。&lt;br /&gt;
| 職名  =[[外務大臣]]&lt;br /&gt;
| 代数  =68・69、83-85&lt;br /&gt;
| 内閣  =[[東條内閣]]、[[小磯内閣]]、[[東久邇宮内閣]]、第[[第1次鳩山内閣|1]]・[[第2次鳩山内閣|2]]・[[第3次鳩山内閣|3]]次鳩山内閣&lt;br /&gt;
| 任期  =[[1943年]] - [[1945年]]、[[1954年]] - [[1956年]]&lt;br /&gt;
| 職名2  =[[大東亜大臣]]&lt;br /&gt;
| 代数2  =2、5&lt;br /&gt;
| 内閣2  =[[小磯内閣]]、[[東久邇内閣]]&lt;br /&gt;
| 任期2  =[[1944年]] - 1945年、1945年&lt;br /&gt;
| 他政歴　=&lt;br /&gt;
| 生年  =[[1887年]][[7月29日]] &lt;br /&gt;
| 生地  =[[大分県]][[大野郡]][[三重町]]&amp;lt;br&amp;gt;（現・[[豊後大野市]]）&lt;br /&gt;
| 没年  =[[1957年]][[1月26日]]&lt;br /&gt;
| 没地  =[[神奈川県]][[湯河原]]&lt;br /&gt;
| 政党  =&lt;br /&gt;
| 資格  =&lt;br /&gt;
| 職業  =[[外交官]]、[[政治家]]&lt;br /&gt;
| 配偶  =&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
[[Image:Shigemitsu-signs-surrender.jpg|thumb|250px|降伏文書調印 東京湾上の戦艦ミズーリ 1945年9月2日 中央の署名者は重光外務大臣 その左後方は[[加瀬俊一 (1925年入省)|加瀬俊一]]]]&lt;br /&gt;
'''重光 葵'''（しげみつ まもる、[[1887年]][[7月29日]] - [[1957年]][[1月26日]]）は[[昭和]]前期の[[外交官]]・[[政治家]]である。昭和の動乱期に外務大臣を務め、[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]では[[A級戦犯]]で有罪。仮釈放と赦免後、政界に再復帰、日本の[[連合国]]（[[国際連合]]）加盟に尽力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
大分県大野郡三重町（現・[[大分県]][[豊後大野市]]）に[[士族]]で大野郡長を務める父・直愿と母・松子の次男として生まれた。しかし母の実家（重光家本家）に子供がなかったため養子となり重光家26代目の当主となった。旧制杵築中学（現・[[大分県立杵築高等学校]]）、[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]]独法科を経て、[[東京大学|東京帝国大学]][[法学部]]を卒業する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦前の公務歴 ===&lt;br /&gt;
各国において日本国[[公使]]として勤務していたが、[[1930年]]には駐華公使となる。[[1931年]]9月、日本陸軍の一部が突如中国東北部を制圧しようと[[満州事変]]を引き起こし国際問題となる。これに対し重光は「'''明治以来積み立てられた日本の国際的地位が一朝にして破壊せられ、我が国際的信用が急速に消耗の一途をたどって行くことは外交の局に当たっている者の耐え難いところである'''」（重光著「昭和の動乱」より）と怒り、外交による協調路線によって収めようと奔走。[[1932年]]1月、[[上海事変]]が起き重光は欧米諸国の協力の元、中国との停戦交渉を行う。何とか停戦協定をまとめ、あとは調印を残すだけとなった同年[[4月29日]]、上海[[魯迅公園|虹口公園]]での[[天皇誕生日|天長節]]祝賀式典において[[朝鮮]]の独立運動家・[[尹奉吉]]の[[上海天長節爆弾事件|爆弾テロ]]に遭い重傷を負う。重光は激痛の中「停戦を成立させねば国家の前途は取り返しのつかざる羽目に陥るべし」（重光口述筆記「隻脚公使」より）と言い事件の7日後の[[5月5日]]、右足切断手術の直前に上海停戦協定の署名を果たす。上海事変を中国が[[国際連盟]]に提訴。[[1933年]]2月、国際連盟で日本軍の満州での行動を不当とする勧告案が採択。賛成は42カ国、反対は日本だけであった。これを不服とする日本（全権代表・[[松岡洋右]]）は国際連盟から脱退を宣言し国際社会から孤立していく。このころ重光は「欧米の国々は民主主義民族主義を欧州に実現することに努力した。しかしながら彼らの努力はほとんど亜細亜には向けられなかった。欧米は阿弗利加および亜細亜の大部分を植民地とし亜細亜民族の国際的人格を認めないのである」と手記を残し、白人による亜細亜支配であれば許されるのかと怒っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、駐ソ公使・駐英大使を歴任。特に日英関係が険悪化するなかで関係改善に努力する一方、欧州事情に関して多くの報告を本国に送っている。非常に正確なものだったといわれた。だが、欧州戦争において重光は「'''日本は絶対に介入してはならない'''」と再三東京に打電したにも関わらず日本政府は聞き入れず松岡洋右外務大臣が[[日独伊三国同盟]]を締結し、結果として[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の対日姿勢をより強硬なものにしてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1941年]]12月、太平洋戦争が始まる。日本は欧米の植民地である東南アジアを軍事力で占領。外交官として重光はこれに対し「'''日本は卑しくも東亜民族を踏み台にしてこれを圧迫し、その利益を侵害してはならない。なぜならば武力的発展は東亜民族の了解を得ることができぬからである'''」（重光著「昭和の動乱」より）と怒っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東條英機]]内閣・[[小磯国昭]]内閣において外務大臣を務める。東條内閣にあっては[[大東亜省]]設置に反対したこと、東條総理のブレーンとして、自らの主張を現実にするため、1943年11月の[[大東亜会議]]を開くために奔走。人種差別をなくし亜細亜の国々が互いに自主独立を尊重し対等な立場での協力を宣言した。しかしマライ、インドネシア、インドシナ、朝鮮、台湾等はこの会議の参加自体が許されず、参加国は日本の強い影響下のある勢力に限られ、日本は参加国の意見を取り入れなかった。また日本の軍事占領下では資源や食料の搾取、強制労働が続いていた。重光の「亜細亜の独立と武力によらぬ協調」という理想は実現には至らなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 敗戦 ===&lt;br /&gt;
[[1945年]][[9月2日]]、東京湾上に停泊した米国の戦艦・[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ]]甲板上で行われた[[連合国]]への降伏文書調印において[[梅津美治郎]]と共に日本政府[[全権]]として署名を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[太平洋戦争]]後の[[極東国際軍事裁判]]でA級戦犯として禁固7年の判決を受けて服役した。[[1950年]]11月、4年7ヶ月で仮釈放。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦後の公務歴 ===&lt;br /&gt;
[[1951年]]に出獄後、[[改進党]]総裁・[[日本民主党]]副総裁を務めた。改進党総裁であった[[1952年]]に野党首班として総理大臣の座を吉田と争い2位。続く[[1953年]]の総選挙後、少数与党となった[[吉田茂]]の自由党からの連立の呼びかけを拒否、野党の首班候補として重光の総理大臣指名が現実のものとなりかけたが野党の足並みが乱れ、左右社会党の支持を得られず決選投票で敗北。吉田との会談により閣外協力を受け入れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1954年]]12月以降、第1～3次[[鳩山一郎]]内閣では外務大臣を務める。[[1955年]]4月、インドネシアでアジア・アフリカの29カ国が集まる[[バンドン会議]]が開かれた。アジア・アフリカの国々が第三勢力として協力し合う方針を示した。日本はこの会議でアジアの一員として国連加盟の支持を得た。[[9月1日]]、重光は国連本部を訪れレセプションを開催し、経済復興した日本が国際社会に貢献できると国連加盟をアピールしたが12月、国連安全保障理事会では[[ソビエト連邦|ソ連]]の反対により否決。国連加盟を果たすため鳩山内閣は国交がなかったソ連との関係改善を目指し[[1956年]]7月、モスクワで重光は日ソ国交回復交渉に入るが、北方領土問題が難航し交渉を妥結できなかった。そのため鳩山首相自ら交渉に望み、領土問題を棚上げすることで10月19日、ソ連との国交を回復し[[日ソ共同宣言]]が行われ、国連加盟に反対しないとの内諾を得る。[[12月18日]]、全会一致で国連加盟が承認され重光は日本代表として加盟受諾演説を行った。帰国前の[[12月23日]]、日本では[[石橋湛山]]内閣が設立されたため外務大臣の職を解かれる。日本へ帰国する際、同行した[[加瀬俊一 (1925年入省)|加瀬俊一]]に対して笑顔で「もう思い残すことはない」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1957年1月26日、[[狭心症]]の発作により[[神奈川県]][[湯河原]]の別荘で死去。69歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
重光は上記の通り、駐華公使として赴任していたとき第一次上海事変終結後の天長節の式典で起きた爆弾テロによって右足を切断したが、全く意に介さなかった。重光を知る者は「欠点がないことがやつの欠点だ」と語ったという。ちなみに同席して片目を潰された海軍大将[[野村吉三郎]]はのちに駐米大使となり、日米交渉の最前線に立つことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、公務に復帰した際に時の外務大臣・[[広田弘毅]]は重光の体を気遣って当時外交懸案の少なかった駐ソ大使に任命して本来駐ソ大使に予定していた[[東郷茂徳]]を駐独大使とした。だが、[[張鼓峰事件]]の処理などを巡って重光とソ連外務省が対立、さらにはソ連のマスコミによって「無能な外交官」と批判された（松岡洋右がこの話を聞いて重光に同情し、後に松岡外務大臣のもとで行われた主要国大使の一斉解任の際にも重光駐英大使だけは対象から外されたという）。また、極東国際軍事裁判において重光の起訴を最も強硬に要求したのはソ連政府だったといわれている。他方、東郷も[[ナチス]]に嫌われた挙句に駐独大使を追われ、極東国際軍事裁判では「親独派」の疑い（この場合は親ナチス・ドイツの意味）をかけられている。広田の配慮が裏目に出る事となってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦後、[[進駐軍]]が[[厚木飛行場]]に到着した際、[[横浜市]]に対して「米軍を絶対に首都には入れないこと、直接軍政はさせないこと、軍票は使用させないこと」を厳命した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦後、鳩山内閣で外務大臣を務めた際、鳩山は「官僚政治家ではなく、党人政治家による政権運営を行いたい」と発言したため外交官出身の重光は首相・[[鳩山一郎]]との関係が悪化。また、鳩山内閣は日ソ国交回復を最優先課題に掲げていたのに対し重光は対ソ強硬論者であった。というのも、重光の脳裏には駐ソ大使当時の事や日ソ中立条約を一方的に破棄し満洲を侵略してきた野蛮なソ連像が焼きついていたからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
* 『昭和の動乱』上、下 （中公BIBLIO文庫、2001年）&lt;br /&gt;
: 上 ISBN 4122039185、下 ISBN 4122039193&lt;br /&gt;
* 『重光葵 外交回想録』（日本図書センター、1997年） ISBN 482054246X&lt;br /&gt;
* [[伊藤隆]]・渡辺行男 編『重光葵手記』（中央公論社、1986年） ISBN 4120015181&lt;br /&gt;
* 伊藤隆・渡辺行男 編『続 重光葵手記』（中央公論社、1988年） ISBN 4120016846&lt;br /&gt;
* 『重光葵 最高戦争指導会議記録・手記』（[[中央公論新社]]、2004年） ISBN 4120035492&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[田浦雅徳]]「重光葵 その世界構想」&lt;br /&gt;
: 『彷書月刊』1988年3月 第4巻第4号 通巻第31号　特集・昭和の外交官&lt;br /&gt;
* 渡邉行男『重光葵 &amp;lt;small&amp;gt;上海事変から国連加盟まで&amp;lt;/small&amp;gt;』（[[中公新書]]、1996年） ISBN 4121013182&lt;br /&gt;
* [[武田知己]]『重光葵と戦後政治』（[[吉川弘文館]]、2002年） ISBN 4642037438&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/si/mamorusi.html 重光 葵略歴]&lt;br /&gt;
* [http://kins.jp/html/55takeda.htm 科学研究費成果報告書「近現代日本の政策史料収集と情報公開調査を踏まえた政策史研究の再構築」（基盤研究（B）（1）、代表者伊藤隆平成15・16年度、代表者伊藤隆、課題番号：15330024）より]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[外務大臣]]|第68・69代：1943 - 1945&amp;lt;br&amp;gt;第72代：1945&amp;lt;br&amp;gt;第83-85代：1954 - 1956|[[谷正之]]&amp;lt;br&amp;gt;東郷茂徳&amp;lt;br&amp;gt;[[岡崎勝男]]&amp;lt;br&amp;gt;|[[鈴木貫太郎]]→[[東郷茂徳]]&amp;lt;br&amp;gt;[[吉田茂]]&amp;lt;br&amp;gt;[[石橋湛山]]→岸信介}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[大東亜大臣]]|第2代：1944 - 1945&amp;lt;br&amp;gt;第5代：1945|[[青木一男]]&amp;lt;br&amp;gt;東郷茂徳|鈴木貫太郎→東郷茂徳&amp;lt;br&amp;gt;（廃止）}}&lt;br /&gt;
{{外務大臣}}&lt;br /&gt;
{{A級戦犯}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しけみつ まもる}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の外交官]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京裁判]]&lt;br /&gt;
[[Category:大分県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:太平洋戦争の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1887年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1957年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E6%81%90%E6%80%96&amp;diff=28534</id>
		<title>ウィキペディア日本語版の恐怖</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E6%81%90%E6%80%96&amp;diff=28534"/>
				<updated>2008-05-01T01:43:50Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ウィキペディア日本語版の恐怖'''とは以下のような実態である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 実態 ==&lt;br /&gt;
「暇な主婦や無職、厨房、低学歴」による「百科事典風[[2ちゃんねる]]」。それが「[[ウィキペディア|Wikipedia]]」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*誰でも編集できる&lt;br /&gt;
:↓&lt;br /&gt;
*知性・教養を持った人はwikiに感けていられるほど暇じゃない&lt;br /&gt;
:↓&lt;br /&gt;
*程度の低い人間の溜り場と化す&lt;br /&gt;
:↓&lt;br /&gt;
*無法地帯&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2chや知恵袋と同じ構図である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一見、百科事典のようであり検索にも引っかかりやすいため、あまり賢明でない人は内容がすべて事実であると錯覚してしまう。編集者の程度や内容の信憑性において、それが2ch並みであることを周知させる必要あり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ウィキペディアはポル・ポト主義である ==&lt;br /&gt;
「腐った林檎は箱ごと捨てなければならない」。これに考え方がそっくり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 例 ==&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:%E9%80%B2%E8%A1%8C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E8%8D%92%E3%82%89%E3%81%97%E8%A1%8C%E7%82%BA/%E9%95%B7%E6%9C%9F/Noda%2CKentaro&amp;amp;diff=15579122&amp;amp;oldid=15578054]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:呪|呪]]は管理者の多重アカウントの1つである。日本語版WPの管理者になれば、mixiの中身を晒してもなぜか犯罪には問われない様子。日本法、米国法のいずれも「招待制SNSの中身及びURLを晒す事」は立派に違法なので十分注意されたし!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ういきへていあにほんこはんのきようふ}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%85%AB%E5%88%86&amp;diff=28533</id>
		<title>ウィキペディア八分</title>
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				<updated>2008-05-01T01:40:46Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ウィキペディア八分'''とは何らかの手段で[[ウィキペディア]]を追放されることをさす。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初は単純な笑い話と思われていたがオフラインミーティングが完全に関係者のみの非公開オフであることやちゃたま仮想アカウント発覚事件、さらには[[はてな (企業)|はてなキーワード]]にて当該ユーザーが写真に写っているにもかかわらず「写っていない。別の人です」と主張するユーザーの主張を認めたことなどにより、[[ウィキペディア日本語版]]を牛耳り批判的な言動を検閲することが目的のウィキペディア八分の存在が明らかとなった。関わっている団体は決して少なくはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[英語版ウィキペディア|英語版]]において英語圏ではBOT返信で煽る掲示板文化がほぼ存在しない背景が大きく、利用者ページに虚偽を執筆したユーザーは正当に解雇される。しかしながら日本語版では利用者ページに虚偽を書く自由は認められ、管理者は実名を表記する必要もなくせっせと[[ソックパペット|靴下]]を年単位で育てていても[[ウィキメディア財団]]からのお咎めはない。ウィキペディアの[[管理者]]をやっているにもかかわらず、「私は私人」と自己主張する妙な[[澤田亮太]]のような人物でも日本語版では管理が務まるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==主な行為==&lt;br /&gt;
*無断で保護&lt;br /&gt;
*勝手に削除&lt;br /&gt;
*理由もなしにブロック&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディアの管理人が勝手に保護した記事]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Internet-stub‎}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:はちふ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E6%BA%80&amp;diff=28263</id>
		<title>足利義満</title>
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				<updated>2008-04-24T05:12:00Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: 新しいページ: ''''足利 義満'''（あしかが よしみつ）は室町幕府の第3代将軍（在位1368年 - 1394年）である。官位は[[従一...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''足利 義満'''（あしかが よしみつ）は[[室町幕府]]の第3代[[征夷大将軍|将軍]]（在位[[1368年]] - [[1394年]]）である。[[官位]]は[[従一位]][[太政大臣]]、贈[[正一位]]。[[封号]]は[[日本国王]]。[[幼名]]を春王という。父は室町幕府第2代将軍・[[足利義詮]]で、母は[[紀良子]]。正室は[[大納言]][[日野時光]]の娘である[[日野業子]]で、[[後光厳天皇]]の寵姫である[[日野宣子]]の介添えで義満の室となる。その後、業子のあとは業子の姪である[[日野康子]]が正室となる（のちの北山院）。側室は[[足利義持]]と[[足利義教]]の生母・[[藤原慶子]]、[[足利義嗣]]の生母・[[春日局 (足利義満側室)|春日局]]など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
義満が御所を北小路室町へ移したことにより、義満は「室町殿」とも呼ばれた。のちに足利将軍を指す呼称となり、政庁を兼ねた将軍邸は後に[[歴史用語]]として「室町幕府」と呼ばれることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 幼少時から将軍権力確立まで ===&lt;br /&gt;
[[1358年]][[9月25日]]（[[正平 (日本)|正平]]13年/[[延文]]3年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]）に生まれる。[[足利尊氏|尊氏]]の死から丁度100日目のことである。義満が幼少の頃の室町幕府は[[吉野朝廷|南朝]]との抗争が続き、さらに[[足利氏|足利家]]の内紛である[[観応の擾乱]]以来、幕政をめぐる争いが深刻さを増していた。やがて政争で失脚した[[細川清氏]]などの有力武将が南朝勢力に加担し、[[1361年]]（正平16年/[[康安]]元年）には清氏や南朝の[[楠木正儀]]らに京都を占領され、義満は[[赤松則祐]]の居城[[播磨国]][[白旗城]]へ避難を余儀なくされた。翌年には幕府・北朝側が京都を奪還したため帰京しているが、帰途で摂津の国に泊まった際にその場所の景色が良い事が気に入り、「ここの景色は良いから、京都に持って帰ろう。お前らが担いで行け」と家臣らに命じ家臣らはその希有壮大さに驚いたという。[[1367年]]（正平22年/[[貞治]]6年）に父・義詮が病により死去すると、義満は11歳で3代将軍となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1368年]]（正平23年/[[応安]]元年）に[[評定始]]が行われ、[[1369年]]（正平24年/応安2年）には正式に将軍に就任した。幕政は[[管領]]の[[細川頼之]]をはじめ、足利一門の守護大名が主導することにより帝王学を学ぶ。頼之は[[応安大法]]を実施して土地支配を強固なものにし、京都や鎌倉の[[五山]]制度を整えて宗教統制を強化した。また南朝最大の勢力圏であった[[九州]]に[[今川貞世]]（了俊）・[[大内義弘]]を派遣して、南朝勢力を弱体化させ幕府権力を固める。[[1374年]]（[[文中]]3年/応安7年）には日野業子を室に迎える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに京都の支配を強化するために、[[1370年]]（応安3年）に朝廷より山門公人（[[延暦寺]]及びその支配下の諸勢力及びその構成員）に対する取締権を与えられた。[[1378年]]（[[天授 (日本)|天授]]4年/[[永和 (日本)|永和]]4年）には幕府を三条坊門より北小路室町に移した。移転後の幕府は後に[[花の御所]]と呼ばれ、その所在地により室町幕府と呼ばれるようになる。朝廷と幕府に二分化されていた京都の行政権や課税権なども幕府に一元化するとともに、守護大名の軍事力に対抗しうる将軍直属の常備軍である[[奉公衆]]や[[奉行衆]]と呼ばれる実務官僚を整備する。また、[[1385年]]（[[元中]]2年/[[至徳 (日本)|至徳]]2年）には[[東大寺]]・[[興福寺]]参詣、[[1388年]]（元中5年/[[嘉慶 (日本)|嘉慶]]2年）には[[駿河国]]で富士山を遊覧し、[[1389年]]（元中6年/[[康応]]元年）には[[安芸国|安芸]][[厳島神社]]参詣などの権力示威行為（デモンストレーション）も行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 権力強化と南北朝合一 ===&lt;br /&gt;
[[1379年]]（天授5年/[[康暦]]元年）、義満は反頼之派の守護大名である[[斯波義将]]や[[土岐頼康]]らに邸を包囲され頼之の罷免を求められ、頼之は罷免される（[[康暦の政変]]）。後任の管領には義将が任命され、幕政の人事も斯波派に改められる。頼之に対しては追討令が下されるが翌年には赦免されて宿老として幕政に復帰しており、また政変後に義満の将軍権力が確立している事から斯波・細川両派の抗争を利用して相互に牽制させていたと考えられている。頼康の死後、分裂して争う土岐氏の内紛につけ込んで土岐氏を討伐した（[[土岐康行の乱]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1391年]]（[[元中]]8年/[[明徳]]2年）には[[山名氏]]の内紛に介入し、11か国の守護を兼ねて「六分一殿」と称された有力守護大名・[[山名氏清]]を挑発して挙兵させ、同年12月に討伐する（[[明徳の乱]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
義満は祖父・[[足利尊氏|尊氏]]や父を越える内大臣、左大臣へ就任し[[官位]]の昇進を続けた。[[1383年]]（[[弘和]]3年/[[永徳]]3年）には武家として初めて[[源氏長者]]となり淳和・奨学両院別当を兼任、[[准三后]]の宣下をうけ、名実ともに公武両勢力の頂点に上り詰めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1392年]]（[[元中]]9年/[[明徳]]3年）には南朝勢力が全国的に衰微したため義満は大内義弘を仲介に南朝方と交渉を進め、[[持明院統]]と[[大覚寺統]]が交互に即位する事（[[両統迭立]]）や諸国の[[国衙領]]を全て大覚寺統の所有とする事（実際には国衙領はわずかしかなかった）などの和平案を南朝の[[後亀山天皇]]に提示し、後亀山が保持していた[[三種の神器]]を[[持明院統|北朝]]の[[後小松天皇]]に接収させて南朝が解消されるかたちでの南北朝合一を実現し58年にわたる[[朝廷]]の分裂を終結させる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
義満と対立して[[後小松天皇]]に譲位していた[[後円融天皇|後円融上皇]]が[[1393年]]（明徳4年）に死去し、自己の権力を確固たるものにした義満は[[1394年]]（[[応永]]元年）には将軍職を嫡男の[[足利義持]]に譲って隠居したが、政治上の実権は握り続けた。同年、従一位[[太政大臣]]にまで昇進する。翌年には出家して'''道義'''と号した。義満の出家は、征夷大将軍として武家の太政大臣・准三后として公家のそれぞれの頂点に達した義満が、残る寺社勢力を支配する地位をも得ようとしたためであると考えられている。義満の出家に際して、斯波義将をはじめ多くの武家や公家が追従して出家している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1395年]]（[[応永]]2年）には[[九州探題]]として独自の権力を持っていた今川貞世を罷免する。[[1399年]]（応永6年）には西国の有力大名・大内義弘を挑発し義弘が[[堺市|堺]]で挙兵したのを機に討伐し（[[応永の乱]]）、西日本で義満に対抗できる勢力は排除された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 勘合貿易と北山文化 ===&lt;br /&gt;
義満は若年の頃から[[明]]への憧憬が深く早くから日明通交を望んでいたが、明側では南朝の[[懐良親王]]を「[[日本国王]]良懐」として日本における唯一の正規な通交相手として認めていたため、かなわなかった。南北朝合一後、「日本国王臣源義満」名義で交渉を始めようと試みるが、明側は陪臣との通交は認めないため天皇の臣下と名乗る者からの使者は受け入れられなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで義満は出家し、太政大臣も辞した「日本国准三后源道義」の名義で[[1401年]]（[[応永]]8年）に博多の商人[[肥富]]と僧[[祖阿]]を使節として明に派遣する。ようやく明の[[建文帝]]によりそれまでの懐良親王に代わって日本国王に冊封され、明の[[大統暦]]が授与され国交が正式に樹立した。明の皇帝に朝貢する形式をとった[[勘合貿易]]を[[1404年]]（応永11年）から始め、また明に要請されて[[倭寇]]を鎮圧した（なお、返礼の使者を送るまでに[[靖難の変]]が起き、建文帝から[[永楽帝]]に皇帝が変わっていた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遣唐使の廃止以来、独自の小中華思想に基づく孤立政策を採っていた公家社会では明皇帝の臣下となる朝貢貿易に対して不満や批判が多くあったが、義満の権勢の前では公な発言ができず日記などに記すのみであった。明の文化に心酔していた義満は明の[[太祖]]・[[洪武帝]]にあやかって日本の[[年号]]にも「洪」の字を使うよう朝廷へ圧力をかけたが、上記の理由もあり朝廷側が拒否したため実現しなかった。機嫌を損ねた義満は以後、逆に自分の生きている間には年号を変えさせなかったため[[応永]]年号は[[明治]]以前では最も長い年号となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1397年]]（応永4年）には[[西園寺公経|藤原公経]]から京都北山の「北山弟」（ほくさんてい）を譲り受け、舎利殿（金閣）を中心とする山荘（「北山第」（'''きたやまてい'''）または「北山殿」（'''きたやまどの'''）、後の[[鹿苑寺]]）を造営した。この時代の文化を、武家様・公家様・唐様（禅宗様）が融合した[[北山文化]]と呼ぶことも多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 晩年と死後 ===&lt;br /&gt;
[[1408年]][[5月31日]]（応永15年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]）、急病のために死去、享年51（満49歳没）。法名：鹿苑院天山道義。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
義満の死後には[[朝廷]]から「鹿苑院[[太上法皇]]」の称号を贈られるが、4代将軍となった子の義持は斯波義将らの反対もあり辞退している（その一方で[[相国寺]]は受け入れたらしく、過去帳に「'''鹿苑院太上天皇'''」と記されている）。義満は生前から義持と折り合いが悪かったとされ、対朝廷・公家政策、守護大名統制政策、明との勘合貿易などの外交政策をはじめとする義満の諸政策は義持によって一旦は否定された。また義満の遺産である北山第も金閣を除いて義持によって破却された。義持は義満が偏愛した義満の次男・[[足利義嗣|義嗣]]が出奔した際に、謀反を企てたとして殺害している。のちに義嗣の子孫は越前に下り、子孫は鞍谷御所とよばれるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6代将軍となった子である[[足利義教|義教]]は義満の政策を踏襲した施政をはじめるが、[[嘉吉の乱]]で[[赤松満祐]]に暗殺されたことで頓挫する。孫の8代・[[足利義政|義政]]も祖父や父の政治を引き継ごうとしたが、[[応仁の乱]]や側近政治の中で嫌気が差し政権運営への情熱をなくしてしまう。また義満の治世に従順であった有力守護大名も、再び幕府に対して反抗的な態度をとりはじめる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 皇位簒奪と暗殺説 ==&lt;br /&gt;
田中義成、[[今谷明]]らは義満が[[皇位簒奪]]する意図を持っていたのではないかとする説を唱えており、これを受けて作家の[[海音寺潮五郎]]、[[井沢元彦]]らは義満の死が突然だったため、これは義満の皇位簒奪を阻止するための暗殺ではないかとの意見を提示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
義満は早くから[[花押]]を[[武家]]用と[[公家]]用に使い分けたり、2番目の妻である康子を[[後小松天皇]]の准母（天皇の母扱い）ついで女院にしたり、公家衆の妻を自分に差し出させたりしていた。また祭祀権・叙任権（人事権）などの諸権力を天皇家から奪い、死の1ヶ月前の1408年（応永15年）4月には宮中において次男・義嗣の元服を親王並みに行った。これらは義満が皇位の簒奪を企てていたためであり、明による日本国王冊封も当時の明の外圧を利用しての簒奪計画の一環であると推測している。また暗殺説を取る各氏は、簒奪を阻止しようとした朝廷側による毒殺であると疑っている（井沢は著作で犯人を[[世阿弥]]と推理）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、他には義満の義嗣偏愛によって将来が不安視された義持の陣営による暗殺と見る説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、当時の公家の日記などには義満の行為が皇位簒奪計画の一環であるとしたりその死を暗殺と疑った記録はなく、皇位簒奪計画や義満暗殺の直接の証拠はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、皇位簒奪とは義満みずからが天皇に即位するわけではなく[[治天の君]]（実権をもち院政を行う上皇のこと）となって王権（天皇の権力）を簒奪することを意味している。次男・義嗣を天皇にして、自らは天皇の父親として上皇になろうとしたというのである&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今谷は義満は中国（明）の影響を強く受けていたが、[[易姓革命]]思想ではなく当時流行した『[[野馬台詩]]』を利用していたのではないかと推測する。この詩は[[予言]]として知られており、天皇は100代&amp;lt;ref&amp;gt;現在では後小松天皇が100代目とされている。しかし当時は[[弘文天皇]]、[[淳仁天皇]]、[[仲恭天皇]]の即位を認めておらず、また室町幕府は当然北朝を正統としていたから後小松天皇で99代目となる。ただし、[[観応の擾乱#正平一統|正平一統]]による[[後村上天皇]]への一時的な統一を認めるならば後小松天皇でやはり100代目になる。&amp;lt;/ref&amp;gt;で終わり、[[サル|猿]]や[[イヌ|犬]]が[[ヒーロー|英雄]]を称した末に日本は滅ぶと解釈できる内容だった。「[[終末論#天皇|百王説]]」と呼ばれる天皇が100代で終わるという終末思想は[[慈円]]『[[愚管抄]]』などに記録されており、幅広く浸透していたことが推測できる。[[鎌倉公方]]の[[足利氏満]]は[[申]]年（しかし現在では[[亥]]年生まれとされる）生まれ、義満は[[戌]]年生まれだから猿や犬とは2人のことであるという解釈もされていた。また井沢は、[[源氏物語]]をヒントにしているのではないかと推測している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 官職位階履歴 ==&lt;br /&gt;
※（）=旧暦&lt;br /&gt;
* [[1367年]][[1月7日]]（正平21年/貞治5年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]]）、従五位下に叙す。[[12月24日]]（正平22年/貞治6年[[12月3日 (旧暦)|12月3日]]）、正五位下に昇叙。[[12月28日]]（12月7日）、左馬頭に任官。&lt;br /&gt;
* [[1368年]][[5月2日]]（正平23年/応安元年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]）、元服し、義満と名乗る。&lt;br /&gt;
* [[1369年]][[1月28日]]（正平23年/応安元年[[12月30日 (旧暦)|12月30日]]）、征夷大将軍宣下。&lt;br /&gt;
* [[1374年]]1月7日（文中2年/応安6年[[11月25日 (旧暦)|11月25日]]）、従四位下に昇叙し、参議に補任。左近衛中将を兼任。&lt;br /&gt;
* [[1375年]][[12月13日]]（天授元年/永和元年[[11月20日 (旧暦)|11月20日]]）、従三位に昇叙。参議左近衛中将如元。&lt;br /&gt;
* [[1378年]][[4月21日]]（天授4年/永和4年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]）、権大納言に転任。[[9月19日]]（[[8月27日 (旧暦)|8月27日]]）、右近衛大将兼任。&lt;br /&gt;
* [[1379年]][[1月2日]]（天授4年/永和4年[[12月13日 (旧暦)|12月13日]]）、従二位に昇叙。権大納言右近衛大将如元。[[2月4日]]（天授5年/康暦元年[[1月6日 (旧暦)|1月6日]]）、右馬寮御監兼務。&lt;br /&gt;
* [[1380年]][[2月11日]]（天授6年/康暦2年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]]）、従一位に昇叙。権大納言右近衛大将如元。&lt;br /&gt;
* [[1381年]][[8月13日]]（弘和元年/永徳元年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]）、内大臣に転任。右近衛大将如元。&lt;br /&gt;
* [[1382年]][[2月9日]]（弘和2年/永徳2年[[1月26日 (旧暦)|1月26日]]）、左大臣に転任。右近衛大将如元。[[3月4日]]（[[1月19日 (旧暦)|閏1月19日]]）、蔵人別当兼務。[[5月11日]]（[[3月28日 (旧暦)|3月28日]]）、牛車を許される。[[5月24日]]（[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]）、後円融院別当兼務。&lt;br /&gt;
* [[1383年]][[2月16日]]（弘和3年/永徳3年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]]）、源氏長者、淳和奨学両院別当兼務。[[7月26日]]（[[6月26日 (旧暦)|6月26日]]）、准三宮宣下。&lt;br /&gt;
* [[1384年]][[4月8日]]（元中元年/至徳元年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]）、右近衛大将辞任。&lt;br /&gt;
* [[1388年]][[6月30日]]（元中5年/嘉慶2年[[5月26日 (旧暦)|5月26日]]）、左大臣辞任。&lt;br /&gt;
* [[1393年]][[2月7日]]（元中9年/明徳3年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]]）、左大臣還任。&lt;br /&gt;
* 1393年[[10月22日]]（明徳4年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]]）、左大臣辞任。&lt;br /&gt;
* [[1395年]][[1月8日]]（応永元年[[12月17日 (旧暦)|12月17日]]）、征夷大将軍辞職。[[1月16日]]（[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]）、太政大臣に転任。[[6月20日]]（応永2年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]）、太政大臣辞任。[[7月7日]]（[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]）、出家（道有を号し、のち、道義と改める）。&lt;br /&gt;
* 1402年[[8月20日]]（応永9年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]]）、[[明]]より[[日本国王]]に封ぜらる。&lt;br /&gt;
* 1408年5月31日（応永15年5月6日）、薨去。[[6月3日]]（[[5月9日 (旧暦)|5月9日]]）、太上天皇追号（幕府が辞退）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な家系 ==&lt;br /&gt;
* 父：足利義詮（2代将軍）&lt;br /&gt;
* 母：紀良子（側室）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 兄弟姉妹&lt;br /&gt;
** 千寿王丸&lt;br /&gt;
** 柏庭清祖&lt;br /&gt;
** [[足利満詮]]&lt;br /&gt;
** 廷用宗器&lt;br /&gt;
** 女子（宝鏡寺殿。恵昌?）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 正室：日野業子（日野時光娘）&lt;br /&gt;
** 女子&lt;br /&gt;
* 正室：日野康子（日野資康娘）&lt;br /&gt;
* 側室：藤原慶子（安芸法眼娘）&lt;br /&gt;
** [[足利義持]]（4代将軍）&lt;br /&gt;
** [[足利義教]]（6代将軍）&lt;br /&gt;
** 女子（入江殿聖仙）&lt;br /&gt;
* 側室：加賀局（長快法印女）&lt;br /&gt;
** 尊満（友山清師）&lt;br /&gt;
** 男子（宝幢若公）&lt;br /&gt;
* 側室：春日局（摂津能秀女）&lt;br /&gt;
** [[足利義嗣]]&lt;br /&gt;
* 側室：寧福院殿&lt;br /&gt;
** 女子（大慈院聖久）&lt;br /&gt;
* 側室：藤原量子&lt;br /&gt;
* 側室：藤原誠子&lt;br /&gt;
** 梶井義承&lt;br /&gt;
* 側室：慶雲庵主（大炊御門冬宗女）&lt;br /&gt;
** 女子（光照院尊久）&lt;br /&gt;
* 側室：高橋殿&lt;br /&gt;
* 側室：池尻殿&lt;br /&gt;
** 女子&lt;br /&gt;
** 虎山永隆&lt;br /&gt;
* （以下生母不明の子女）&lt;br /&gt;
** 仁和寺法尊&lt;br /&gt;
** [[大覚寺義昭]]&lt;br /&gt;
** 本覚院満守&lt;br /&gt;
** 女子（法華寺尊順）&lt;br /&gt;
** 女子（[[六角満綱]]正室）&lt;br /&gt;
** 女子（摂取院主）&lt;br /&gt;
** 女子（宝鏡寺主）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 義満の偏諱を受けた人物 ==&lt;br /&gt;
* [[九条満家]]&lt;br /&gt;
* [[二条満基]]&lt;br /&gt;
* [[足利満兼]]&lt;br /&gt;
* [[赤松満祐]]&lt;br /&gt;
* [[一色満範]]&lt;br /&gt;
* [[斯波満種]]&lt;br /&gt;
* [[少弐満貞]]&lt;br /&gt;
* [[畠山満家]]&lt;br /&gt;
* [[細川満元]]&lt;br /&gt;
* [[細川満之]]&lt;br /&gt;
* 六角満綱&lt;br /&gt;
* [[六角満高]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 臼井信義『足利義満』（吉川弘文館人物叢書、[[1989年]]（[[平成]]元年）新装版） ISBN 4642051503&lt;br /&gt;
* 今谷明『室町の王権 &amp;lt;small&amp;gt;足利義満の王権簒奪計画&amp;lt;/small&amp;gt;』（中公新書、[[1990年]]（平成2年）） ISBN 4121009789&lt;br /&gt;
* 佐藤進一『足利義満 &amp;lt;small&amp;gt;中世王権への挑戦&amp;lt;/small&amp;gt;』（平凡社ライブラリー、[[1994年]]（平成6年）） ISBN 4582760627&lt;br /&gt;
* [[井沢元彦]]『天皇になろうとした将軍 &amp;lt;small&amp;gt;それからの大平記 足利義満のミステリー&amp;lt;/small&amp;gt;』（小学館文庫、[[1998年]]（平成10年）） ISBN 4094023011&lt;br /&gt;
* 井沢元彦『逆説の日本史（7） &amp;lt;small&amp;gt;中世王権編 太平記と南北朝の謎&amp;lt;/small&amp;gt;』（小学館文庫、[[2003年]]（平成15年）） ISBN 4094020071&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 足利義満が登場する作品 ==&lt;br /&gt;
=== 小説 ===&lt;br /&gt;
* [[北方謙三]]『陽炎の旗』（新潮社／新潮文庫、1991年（平成3年））&lt;br /&gt;
* [[安部龍太郎]]『バサラ将軍』（文藝春秋『室町花伝』／文春文庫『バサラ将軍』収録、1995年（平成7年））&lt;br /&gt;
* [[平岩弓枝]]『獅子の座 &amp;lt;small&amp;gt;足利義満伝&amp;lt;/small&amp;gt;』（中央公論新社／文春文庫、2000年（平成12年））&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 漫画 ===&lt;br /&gt;
* [[坂口尚]]『[[あっかんべェ一休]]』（講談社、1993～1996年（平成5～8年））&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== TVアニメ ===&lt;br /&gt;
* [[1975年|1975]]～[[1982年]]（[[昭和]]50～57年）に放映されたTVアニメ『[[一休さん]]』（[[東映動画]]製作）では、将軍として義満（声優：[[キートン山田]]）が登場する。[[一休宗純]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{室町幕府将軍}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:1358年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1408年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:足利氏|よしみつ]]&lt;br /&gt;
[[Category:征夷大将軍]]&lt;br /&gt;
[[Category:室町時代の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:南北朝時代の人物 (日本)]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆道関連人物]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=28262</id>
		<title>その時歴史が動いたの全放送リスト</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=28262"/>
				<updated>2008-04-24T04:53:14Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''その時歴史が動いたの全放送リスト'''（そのときれきしがうごいたのぜんほうそうりすと）ではNHKの番組『[[その時歴史が動いた]]』で放送した内容のタイトルについて説明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このリストではアンコール放送分は除いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==放送タイトル==&lt;br /&gt;
放送時間は2006年3月8日放送分までが水曜日21時15分～21時58分、2006年4月5日放送分からが水曜日22時～22時43分。&lt;br /&gt;
===2000年===&lt;br /&gt;
*3月29日　運命の一瞬、[[東郷平八郎|東郷]]ターン ～[[日本海海戦]]の真実～&lt;br /&gt;
*4月5日　世紀の対決 [[沢村栄治|沢村]]VS[[ベーブ・ルース]] ～日本プロ野球誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月12日　天下分け目の[[天王山]] ～[[豊臣秀吉|秀吉]]・必勝の人心掌握術～&lt;br /&gt;
*4月19日　幕末のプリンセス・日本を救う ～皇女[[和宮親子内親王|和宮]]の悲願～&lt;br /&gt;
*4月26日　[[新撰組]]参上![[池田屋事件]]に賭けた若者たち&lt;br /&gt;
*5月10日　その日 6人がいた ～[[火縄銃|鉄砲]]伝来・偶然のドラマ～&lt;br /&gt;
*5月17日　[[織田信長]]・勝利の方程式 ～真説・[[長篠の戦い|長篠合戦]]～&lt;br /&gt;
*5月24日　[[だるま|ダルマ]]大臣・[[高橋是清]]経済危機と格闘する（[[昭和金融恐慌]]）&lt;br /&gt;
*5月31日　敵は[[本能寺の変|本能寺]]にあり ～[[明智光秀|光秀]]はなぜ主君・信長を裏切ったのか～&lt;br /&gt;
*6月7日　[[坂本龍馬]] 幕末の日本を動かす ～[[薩長同盟]]成立の時～&lt;br /&gt;
*6月14日　我輩は小説家である ～[[夏目漱石]]・[[東京大学|東大]]辞表提出の時～&lt;br /&gt;
*6月21日　[[蘇我入鹿]]（そがのいるか）暗殺事件 ～実録・[[乙巳の変|大化改新のクーデター]]～&lt;br /&gt;
*6月28日　戦火の中で[[アニメーション|アニメ]]が生まれた（[[桃太郎 海の神兵]]）&lt;br /&gt;
*7月5日　[[大坂の役|大坂の陣]]、[[豊臣氏|豊臣家]]滅亡す ～[[徳川家康]]・非情の天下取り～&lt;br /&gt;
*7月12日　[[西郷隆盛]]、明治に挑む ～[[西南戦争]]勃発の時～&lt;br /&gt;
*7月19日　[[奇兵隊]]決起せよ![[高杉晋作]]挙兵の時&lt;br /&gt;
*7月26日　[[黒船]]来航 日米交渉ここに始まる&lt;br /&gt;
*8月2日　[[ミッドウェー海戦]]の悲劇&lt;br /&gt;
*8月9日　予ノ判断ハ外レタリ ～[[ソビエト連邦|ソ連]]対日参戦の衝撃～&lt;br /&gt;
*8月23日　[[キリシタン]]禁制 ～秀吉・[[ヨーロッパ]]と対決す～&lt;br /&gt;
*8月30日　[[関東大震災]] ～知られざる日米友好～&lt;br /&gt;
*9月6日　[[前畑秀子|前畑]]ガンバレ!! ～[[ベルリンオリンピック]]の光と影～&lt;br /&gt;
*10月4日　[[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]] 家康 なぞの大突撃 ～ヨーロッパ製甲冑の威力～&lt;br /&gt;
*10月11日　弟・[[源義経|義経]]を討て ～[[源頼朝]]・武家政権確立への決断～&lt;br /&gt;
*10月18日　[[津田梅子]]・[[津田塾大学|女子英学塾]]設立の時 ～女性の真の自立をめざして～&lt;br /&gt;
*10月25日　[[1929年]][[ニューヨーク|NY]]株価大暴落（[[世界恐慌]]）&lt;br /&gt;
*11月1日　[[伊能忠敬]] 56歳からの挑戦&lt;br /&gt;
*11月8日　[[桶狭間の戦い]] ～織田信長、逆転への情報戦略～&lt;br /&gt;
*11月15日　坂本龍馬暗殺事件 ～魔の一瞬が歴史を変えた～&lt;br /&gt;
*11月22日　「[[学校]]」誕生 ～初代文部大臣・[[森有礼]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月29日　[[将軍]][[徳川慶喜|慶喜]]・最後の決断 ～幕末を動かした[[大坂城]]脱出～&lt;br /&gt;
*12月6日　[[20世紀|二十世紀]]十大事件 ～歴史を動かした決定的瞬間～&lt;br /&gt;
*12月13日　脱盟者たちの[[忠臣蔵]] ～忠義か人情か　人生の選択の時～&lt;br /&gt;
*12月20日　サムライ・[[福澤諭吉|福沢諭吉]] [[アメリカ合衆国|アメリカ]]に立つ! ～[[咸臨丸]][[サンフランシスコ]]入港の時～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2001年===&lt;br /&gt;
*1月10日　男たちよ、立て! ～[[北条政子]] 演説の時～&lt;br /&gt;
*1月17日　大衆の夢を形に ～起業家・[[小林一三]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*1月24日　検証・[[桜田門外の変]] ～[[井伊直弼]]暗殺・幕末大転換の時～&lt;br /&gt;
*2月7日　6000人の命を救った外交官 ～[[杉原千畝]] [[ビザ]]大量発給決断の時～&lt;br /&gt;
*2月14日・21日　シリーズ[[二・二六事件|2・26事件]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
*2月28日　秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす&lt;br /&gt;
*3月7日　[[大津事件|ロシア皇太子襲撃事件]] ～近代日本をつくった裁判～&lt;br /&gt;
*3月14日・21日　もしもその時（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「古代・中世編」&lt;br /&gt;
:後編「戦国・幕末編」&lt;br /&gt;
*3月28日　妻たちは決断した&lt;br /&gt;
**3月の3回は主として2000年度に放送された内容の総集編的な作品だった&lt;br /&gt;
*4月4日　世界を制した[[ハリウッド]][[映画]] ～[[風と共に去りぬ]]公開の時～&lt;br /&gt;
*4月11日　秀吉・家康 たった一度の直接対決 ～天下取りの知恵くらべ～&lt;br /&gt;
*4月18日　[[春日局]] 徳川家康を動かす ～戦国女性・太平の世への願い～&lt;br /&gt;
*4月25日　日本を救った[[サツマイモ]] ～[[青木昆陽]]・飢きん救済に挑む～&lt;br /&gt;
*5月2日　戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]沈没 ～[[大艦巨砲主義]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*5月9日　[[昭和天皇]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]・会見の時&lt;br /&gt;
*5月16日　「[[阿吽|あうん]]」の呼吸はこうして生まれた ～[[東大寺]] 金剛力士像完成の時～&lt;br /&gt;
*5月23日　[[岡倉天心|天心]]の恋 ～東洋の美を追い続けた男～&lt;br /&gt;
*5月30日　[[徳川吉宗]]、執念の財政再建 ～米将軍・最後の決断～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[土方歳三]]・北の大地に散る ～[[戊辰戦争]]、最後の激戦～&lt;br /&gt;
*6月13日　[[伊達政宗]]、[[百万石]]への挑戦&lt;br /&gt;
*6月20日　[[邪馬台国]]の女王・[[卑弥呼]] ～動乱の[[魏 (三国)|中国]]に使者を出す～&lt;br /&gt;
*6月27日　[[白村江の戦い|白村江]]・古代最大の対外戦争&lt;br /&gt;
*7月4日　金融恐慌・日本を揺るがす ～巨大商社、[[鈴木商店]]の挫折～&lt;br /&gt;
*7月11日　[[北条時宗]]、起死回生の決断 ～[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍壊滅の時～&lt;br /&gt;
*7月18日　モンゴル軍来襲 ～九州武士・[[竹崎季長]]の戦い～&lt;br /&gt;
*7月25日・8月1日　[[ポツダム宣言]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「米ソの攻防」 ～[[原子爆弾|原爆]]投下・[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]の決断～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連対日参戦」～ソ連対日参戦・[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の焦燥～&lt;br /&gt;
*8月22日　夏休みスペシャル・[[三国志]]英雄伝（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風、[[長江]]に吹く」 ～[[諸葛亮|孔明]]の知略、天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*8月29日　そして、人は空を飛んだ ～[[ライト兄弟]]に先がけた男・[[二宮忠八]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*9月5日　[[上杉鷹山]] ふたたびの財政改革&lt;br /&gt;
*9月19日　キリシタン女性 関ヶ原合戦を揺るがす ～[[細川ガラシャ]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*9月26日　ぼく一生の不覚 ～[[日独伊三国軍事同盟|三国同盟]]締結・[[松岡洋右]]の誤算～&lt;br /&gt;
*10月3日　走れ!AA型 ～国産自動車誕生物語～&lt;br /&gt;
*10月10日　不平等条約を改正せよ ～[[陸奥宗光]]～&lt;br /&gt;
*10月17日　日本を愛した[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]・その悲劇&lt;br /&gt;
*10月24日　人生に絶望なし ～[[ヘレン・ケラー|ヘレンケラ]]ー来日の時～&lt;br /&gt;
*10月31日　羽柴秀吉、謎の敵前退却 ～[[賤ヶ岳の戦い|賤ヶ岳合戦]]・勝利の秘策～&lt;br /&gt;
*11月7日　戦国の茶人 秀吉と戦う ～[[千利休]]切腹の悲劇～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[前田利家]]の妻・[[芳春院|まつ]]の決断 ～加賀百万石・息子への教え～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[満州事変]] [[関東軍]]独走す&lt;br /&gt;
*12月5日　この難を逃げ候こと 本懐にあらず ～改革者・[[大久保利通]]暗殺の悲劇～&lt;br /&gt;
*12月12日　汽笛一声・日本の産声 ～[[鉄道]]開通に賭けた若者たち～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2002年===&lt;br /&gt;
*1月9日　スペシャル『日本を動かした15人』（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
*1月16日　[[溥儀|ラストエンペラー]]最後の日 ～「[[満州国]]」と皇帝・溥儀～&lt;br /&gt;
*1月23日　役人の不正許すまじ ～[[大塩平八郎]]決起の時～&lt;br /&gt;
*1月30日　志のある者 立ち上がれ ～獄中の出会いが生んだ[[吉田松陰]]の思想～&lt;br /&gt;
*2月6日　王宮の恋・[[サラエボ事件|サラエボ]]に散る ～[[第一次世界大戦|世界大戦]]を招いた暗殺事件～&lt;br /&gt;
*2月13日　日本の夢、[[ベルサイユ]]に散る ～[[パリ講和会議]]・人種差別 廃止提案の挫折～&lt;br /&gt;
*2月20日　[[田中正造]]、足尾鉱毒事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット|マリ・アントワネット]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*7月17日　[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]、皇帝への野望 ～戴冠式の一瞬に秘められた謎～&lt;br /&gt;
*7月24日　本能寺の変 ～信長暗殺!闇に消えた真犯人～&lt;br /&gt;
*7月31日　[[ガダルカナル島]]撤退 ～苦渋の決断～&lt;br /&gt;
*8月21日　特別編「戦い・その決定的瞬間」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「勝利の時・男たちは決断した」&lt;br /&gt;
:後編「戦乱・その時 妻は、母は」&lt;br /&gt;
*8月28日　さらば淀殿 お初の決断 ～運命に立ち向かった戦国三姉妹～&lt;br /&gt;
*9月4日　日本人、[[南極]]の大地に立つ（[[白瀬矗]]）&lt;br /&gt;
*9月11日　昭和を揺るがした銃弾 ～ライオン宰相・[[浜口雄幸]]狙撃の時～&lt;br /&gt;
*9月18日　ヒトラー情報 日本を揺るがす ～「真珠湾」へのもう一つの道～&lt;br /&gt;
*9月25日　ヒトラー最後の日 ～新資料が明かす独裁者の末路～&lt;br /&gt;
*10月2日　[[与謝野晶子]]『今ぞ目覚めて』 ～情熱の歌人、女性の自立を宣言～&lt;br /&gt;
*10月9日　幕末、[[京都市|京都]]炎上 ～長州・[[久坂玄瑞]]、志に散る～&lt;br /&gt;
*10月16日　必勝の方程式、江戸を制す ～[[大村益次郎]]、彰義隊撃破の時～&lt;br /&gt;
*10月23日　関ヶ原の戦い、決死の的中突破 ～戦国の猛将 [[島津義弘]]、決断の時～&lt;br /&gt;
*10月30日　人類のために生き、人類のために死す ～未公開書簡が明かす[[野口英世]]の真実～&lt;br /&gt;
*11月6日　豊臣秀吉天下統一の必勝戦略 ～[[小田原の役|小田原攻め]]に秘策あり～&lt;br /&gt;
*11月13日　激突 [[武田信玄]]と[[上杉謙信]] ～[[川中島の戦い]]、両雄決戦の時～ &lt;br /&gt;
*11月20日　改革に散った最後の幕臣 [[小栗上野介]] ～一本のねじから日本の近代は始まった～&lt;br /&gt;
*12月4日　[[銀行]]は人々のために ～金融危機を救った[[渋沢栄一]]の決断～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵、父と子の決断 ～赤穂浪士討ち入りの時～&lt;br /&gt;
*12月18日　[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]] [[交響曲第9番|第九]]誕生! ～民衆に自由を呼びかけた交響曲～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2003年===&lt;br /&gt;
*1月8日　新春スペシャル「ニッポン開国」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「なぜアメリカだったのか?」 ～[[マシュー・ペリー|ペリー]]の知られざる外交戦略～&lt;br /&gt;
:後編「通商か?亡国か?」 ～日本全権、決死の通商条約締結～&lt;br /&gt;
*1月15日　[[佐々木小次郎|小次郎]] 敗れたり ～決闘巌流島・[[宮本武蔵]]の執念～&lt;br /&gt;
*1月22日　兵法の道は人の道 宮本武蔵 ～『五輪書』完成への苦闘～&lt;br /&gt;
*1月29日　外交立国の志、いまだ死なず ～[[榎本武揚]]、箱館戦争終結の決断～&lt;br /&gt;
*2月12日　乱世を制するリーダーの条件 ～[[湊川の戦い]] [[足利尊氏]]、苦悩の決断～&lt;br /&gt;
*2月19日　夢は征夷大将軍 ～徳川家康・逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*2月26日　緊迫の二十四時間 ～新資料が明かす二・二六事件の内幕～&lt;br /&gt;
*3月5日　独裁者ヒトラー ～破滅への軌跡～&lt;br /&gt;
*3月12日　幕末立志伝 今こそ変革の時 ～[[吉田松陰]]・久坂玄瑞・[[高杉晋作]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*4月2日　家康・天下を制した184通の書状 ～関ヶ原の合戦・知られざる情報工作～&lt;br /&gt;
*4月9日　[[真田幸村]] どん底からの挑戦 ～家康を追いつめた伝説の名将～  &lt;br /&gt;
*4月16日　ロシア女帝が涙した帰国願い ～日露交渉の扉を開いた[[大黒屋光太夫]]～&lt;br /&gt;
*4月23日　改革者か、悪徳老中か? ～[[田沼意次]]、江戸の経済改革に挑む～&lt;br /&gt;
*5月7日　幕末ニッポン・幻の遷都計画 ～江戸か大坂か?[[大久保利通]]の大改革～&lt;br /&gt;
*5月14日　[[チャーリー・チャップリン|チャップリン]]を襲撃せよ ～五・一五事件　首相暗殺の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*5月21日　我が言は、万人の声 ～太平洋戦争前夜、日本を揺るがした国会演説～（[[斉藤隆夫]]）&lt;br /&gt;
*5月29日　日出づる処の天子より ～[[聖徳太子]]、理想国家建設の夢～&lt;br /&gt;
*6月4日　信長と家康、そして同盟は幻と消えた? ～[[長篠の戦い]]、戦国を変えた両雄の決断～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[源義経]]、大水軍を奪いとれ! ～[[壇ノ浦の戦い|壇の浦の戦い]]、奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*6月18日　新撰組誕生 ～幕末に青春をかけた男たち～&lt;br /&gt;
*6月25日　新撰組の夢、関東に散る ～江戸城明け渡しの裏で何がおきていたのか～&lt;br /&gt;
*7月2日　[[盧溝橋事件]] 運命の4日間 ～中国派兵への重大決意～&lt;br /&gt;
*7月9日　[[高杉晋作]]、50倍の敵を制する必勝戦略 ～幕末長州・奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*7月16日　海を越えた愛、日本を守る ～新史料、[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]開国秘話～&lt;br /&gt;
*7月23日　占領日本・運命を決した直談判 ～[[吉田茂]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]～&lt;br /&gt;
*7月30日　スパイ・[[リヒャルト・ゾルゲ|ゾルゲ]] 最後の暗号電報 ～新資料が明かす国際スパイ事件～&lt;br /&gt;
*8月20日　夏休みスペシャル・そして日本はよみがえった ～混迷を打ち破ったヒーローたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「混沌の時代を切り開いた男たち」&lt;br /&gt;
:後編「近代の日本を作った男たち」&lt;br /&gt;
*8月27日　[[板垣退助|板垣]]死すとも、自由は死せず ～日本に国会を誕生させた不朽の名言～&lt;br /&gt;
*9月3日　[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]] 世界帝国の夢 ～知られざる愛と誇りの決断～&lt;br /&gt;
*9月10日　[[ジャンヌ・ダルク]] 戦いはわが愛の証 ～裁判記録が明かす聖女の真実～&lt;br /&gt;
*9月17日　[[日野富子]] 愛と憎しみの和平工作 ～[[応仁の乱]]を終結させた将軍の妻～&lt;br /&gt;
*10月1日　秀吉に天下を取らせた男 ～[[黒田孝高|黒田官兵衛]] 戦国最強のナンバー2～&lt;br /&gt;
*10月8日・15日「[[始皇帝]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「希代のカリスマ・中国に立つ」 ～[[秦]]王朝 天下統一のとき～&lt;br /&gt;
:後編「崩壊は絶頂の中から始まった」 ～秦王朝 滅亡のとき～&lt;br /&gt;
*10月22日　[[正岡子規]] 余命十年で[[日本語]]を革新した男&lt;br /&gt;
*10月29日　[[白虎隊]] 自刃への三十六時間 ～生存隊士の手記が語る悲劇の真相～&lt;br /&gt;
*11月5日・12日　古代中国・[[項籍|項羽]]と[[劉邦]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「天下を分けた運命の宴 [[鴻門の会]]」&lt;br /&gt;
:後編「勝利への60万人の大合唱 [[垓下の戦い|四面楚歌]]」&lt;br /&gt;
*11月19日　[[勝海舟]] 江戸城無血開城はなぜ実現したか&lt;br /&gt;
*11月19日　[[マハトマ・ガンジー|ガンジー]] 暴力の連鎖を断ち切れ!&lt;br /&gt;
*12月4日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵 お裁き始末記 ～忠義か、犯罪か?幕府がゆらいだ50日～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2004年===&lt;br /&gt;
*1月7日　新春スペシャル・「新撰組」 ～最後のサムライたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「立志編 剣に生きる」&lt;br /&gt;
:後編「死闘編 武士道に死す」&lt;br /&gt;
*1月14日　秘められた革命工作 ～[[孫文]]を支えた日本人～&lt;br /&gt;
*1月21日　[[平清盛]] 早すぎた革新 ～平氏政権誕生のとき～&lt;br /&gt;
*1月28日　[[明治天皇]] [[あんパン]]を食す ～リストラ武士 [[木村安兵衛]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月4日　そして近代ニッポン人が誕生した ～明治の文豪たちの生き方革命～&lt;br /&gt;
*2月11日　日露開戦 男たちの決断 ～明治日本 存亡をかけた戦略～&lt;br /&gt;
*2月25日　[[外様大名]]はこうして生き残った! ～家康に勝利した逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*3月3日　大久保利通・新生日本を救う ～回避された「幻の日清戦争」～&lt;br /&gt;
*3月31日　[[さとうきび]]畑の村の戦争 ～新史料が明かす[[沖縄県|沖縄]]戦の悲劇～&lt;br /&gt;
*4月7日　新発見![[大坂城]]は超ハイテク要塞だった ～秀吉VS家康「堀」をめぐる攻防の真相～&lt;br /&gt;
*4月14日　日本の運命を背負った少年たち ～[[天正遣欧少年使節|天正遣欧使節]]・ローマ教皇謁見の時～&lt;br /&gt;
*4月21日　信長暗殺を命じた男 ～新説・本能寺の変 浮上した黒幕～&lt;br /&gt;
*4月28日　[[女優]]誕生 ～[[川上貞奴|マダム貞奴]]、「[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]」初演の時～&lt;br /&gt;
*5月5日　子供の心に歌を ～大正・[[童謡]]誕生物語～&lt;br /&gt;
*5月12日　日本[[サッカー]]・[[ベルリンオリンピック]]の奇跡 ～世界を驚かせた逆転勝利～&lt;br /&gt;
*5月19日・26日　モンゴル帝国（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「草原の覇者[[チンギス・ハーン|チンギス・カン]]」～ユーラシア統一への道～&lt;br /&gt;
:後編「[[マルコ・ポーロ]]は見た巨大国家の盛衰」 ～「[[東方見聞録]]」誕生のとき～&lt;br /&gt;
*6月2日　家康、人生最大の危機の3日間 ～大脱出!伊賀越えの先に天下が見えた～&lt;br /&gt;
*6月9日・16日　日露戦争100年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「二〇三高地の悲劇はなぜ起きたのか」 ～新史料が明かす激戦の真相～&lt;br /&gt;
:後編「逆転の極秘電報154号」 ～知られざるポーツマス講和会議の真相～&lt;br /&gt;
*6月23日　大江戸発至急便 黒船あらわる ～幕末日本の情報ネットワーク～&lt;br /&gt;
*6月30日　もう一つの日本を創った男 ～[[平将門]] 東国独立政権の謎～&lt;br /&gt;
*7月7日　「関白」対「源氏長者」 ～家康・秀吉 「姓」をめぐる知られざる攻防～&lt;br /&gt;
*7月14日　ドキュメント[[池田屋事件]] ～[[近藤勇|近藤 勇]]・突入決断の真相～&lt;br /&gt;
*7月21日　[[世界遺産]] [[熊野]]の森を守れ ～[[南方熊楠]]・日本初の自然保護運動～&lt;br /&gt;
*7月28日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす 最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*8月16日　奇跡の銀メダル [[人見絹江]] ～日本女子初メダル獲得の時～&lt;br /&gt;
*9月1日　武田信玄 地を拓き水を治める ～戦国時代制覇への夢～&lt;br /&gt;
*9月8日　信長と[[斎藤道三|道三]] ～改革者を生んだ非情の絆～&lt;br /&gt;
*9月15日　悲劇の英雄 ～“[[トーマス・エドワード・ロレンス|アラビアのロレンス]]”の真実～&lt;br /&gt;
*9月22日　焼け跡に[[ゾウ]]がやってきた ～海を越えた日本の子どもたちの夢～&lt;br /&gt;
*10月6日　グッドバイ ちょんまげ ～明治日本 文明開化騒動記～&lt;br /&gt;
*10月13日　列国の野望 [[シベリア]]を走る ～[[ロシア革命]]・[[ソビエト連邦|ソビエト]]成立までの混迷の5年～&lt;br /&gt;
*10月27日　実録・[[ええじゃないか]] ～幕末ニッポンを動かした民衆パワー～&lt;br /&gt;
*11月3日　義経はなぜ死んだのか ～源頼朝と奥州藤原氏の攻防～&lt;br /&gt;
*11月10日　秘録・幻の明治新政府 ～維新を変えた激動の27日間～&lt;br /&gt;
*11月17日　サムライ魂でデパートを創れ! ～近代百貨店誕生物語～&lt;br /&gt;
*11月24日　ニッポンに学べ![[タイ王国|タイ]]の”明治維新” ～「[[王様と私]]」・[[ラーマ5世|ラーマ五世]]の苦闘～ &lt;br /&gt;
*12月8日　ミステリー大化改新 ～蘇我入鹿暗殺の実像～&lt;br /&gt;
*12月15日　それからの新選組 ～土方歳三、箱館に死す～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2005年===&lt;br /&gt;
*1月5日　[[歌舞伎]]スタア誕生 [[市川團十郎 (2代目)|二代目 市川團十郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*1月12日　百世の安堵をはかれ 安政大地震・奇跡の復興劇&lt;br /&gt;
*1月26日　日露戦争100年 日本海海戦 ～参謀 [[秋山真之]]・知られざる苦闘～&lt;br /&gt;
*2月2日　龍馬が愛した女 ～幕末、愛と別れの物語～&lt;br /&gt;
*2月9日　[[プロ野球]]を変えた[[ホームラン]] [[天覧試合]] オーナーたちの戦い&lt;br /&gt;
*2月16日　日米攻防90日 国際軍縮を実現せよ! [[ワシントン会議 (1922年)|ワシントン会議]]・全権 [[加藤友三郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*2月23日　我が運命は民と共に 悲劇の英雄 [[楠木正成]]の実像&lt;br /&gt;
*3月2日　[[源実朝|実朝]]暗殺 ～歌人将軍は、なぜ殺されたか?～&lt;br /&gt;
*3月9日・16日　シリーズ三国志英雄伝（前・後編2週連続　2001年の夏休みスペシャルの再構成をベースに）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風・長江に吹く」 ～孔明の知略・天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*3月30日　恋・人生・そして小説 ～[[樋口一葉]] 女性作家誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月6日　大帝国の野望、博多に散る ～大陸から見た蒙古襲来～&lt;br /&gt;
*4月13日　武田家滅亡の謎 ～戦国最強軍団はなぜ滅びたのか～&lt;br /&gt;
*4月20日・27日　源義経 栄光と悲劇の旅路（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「第1回 西へ 戦いの彼方に」&lt;br /&gt;
:後編「第2回 北へ 流浪の果てに」&lt;br /&gt;
*5月11日　にっぽん[[郵便]]創業物語 ～[[前島密]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*5月18日　戦国をひらいた男 ～[[北条早雲]] 56才からの挑戦～&lt;br /&gt;
*5月25日　傷ついた戦場の兵士を救え ～[[佐野常民]] 日本初の国際人道支援～&lt;br /&gt;
*6月1日　民を救った義士たちの物語 ～宝暦の治水・[[薩摩藩]]士の苦闘～&lt;br /&gt;
*6月8日　[[横山エンタツ|エンタツ]]・[[花菱アチャコ|アチャコ]]の[[漫才]]革命 ～あんじょうわろうてや!～&lt;br /&gt;
*6月15日　幕末・運命の愛 ～時代を創った男と女の物語～&lt;br /&gt;
*6月22日　さらばサムライ ～[[西郷隆盛]] 徴兵制の決断～&lt;br /&gt;
*6月29日　さらばサムライ ～[[西南戦争]]・田原坂の真実～&lt;br /&gt;
*7月6日　プロ野球を作った男たち ～昭和10年 アメリカ遠征記～&lt;br /&gt;
*7月13日　実録・[[大岡忠相|大岡越前]] ～火事と闘った知られざる素顔～&lt;br /&gt;
*7月20日　信長の巨大鉄船、戦国の海を制す ～織田水軍 VS 村上水軍、決戦大坂湾～&lt;br /&gt;
*7月27日・8月3日　シリーズ終戦60年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦艦大和の悲劇」 ～大艦巨砲主義、時代に敗れる～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連参戦の衝撃」 ～満蒙開拓民はなぜ取り残された～&lt;br /&gt;
*8月24日　日露衝突を回避せよ ～[[高田屋嘉兵衛]] 決死の交渉劇～&lt;br /&gt;
*8月31日　家康が最も恐れた男 ～敗者 [[石田三成]]の関ヶ原～&lt;br /&gt;
*9月14日　[[二宮尊徳|二宮金次郎]] 天保の大飢饉を救う&lt;br /&gt;
*9月21日　戦国 出世の方程式 [[藤堂高虎]] 大阪夏の陣の大勝負&lt;br /&gt;
*10月12日　幕末・土佐勤皇党 不滅の志 ～若者たちは変革に命を賭けた～&lt;br /&gt;
*10月19日　誰がための仏教か ～[[鑑真]]和上の宗教改革～&lt;br /&gt;
*11月9日　鎖国の扉を開け ～[[ジョン万次郎]] 漂流民の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月16日　秘められたメディア戦略 ～[[児玉源太郎]] 日露戦争のシナリオ～&lt;br /&gt;
*11月30日・12月7日　シリーズ[[真珠湾攻撃|真珠湾]]への道（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[山本五十六]] 苦渋の作戦立案」&lt;br /&gt;
:後編「山本五十六 運命の作戦決行」&lt;br /&gt;
*12月14日　歴史の選択　赤穂浪士 ～討ち入り組VS討ち入り不参加組～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2006年===&lt;br /&gt;
*1月11日　人間ドラマ誕生 ～[[近松門左衛門]] [[曽根崎心中]]～&lt;br /&gt;
*1月18日　古代の文明開化 ～1号寺院・[[飛鳥寺]]建立の戦略～&lt;br /&gt;
*2月1日　[[新聞]]誕生 ～幕末・[[浜田彦蔵|ジョセフ彦]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月8日　[[壬申の乱]] ～[[天武天皇]]誕生の秘密～&lt;br /&gt;
*2月15日　戦国の花嫁 ～[[山内一豊]]の妻・[[見性院|千代]]～&lt;br /&gt;
*2月22日　[[伝染病]]から日本を守れ ～細菌学者 [[北里柴三郎]]の闘い～&lt;br /&gt;
*3月1日　さらば殿様 ～[[廃藩置県]] 激動の内幕～&lt;br /&gt;
*3月8日　[[零式艦上戦闘機|ゼロ戦]]・設計者が見た悲劇 ～[[マリアナ沖海戦]]への道～ （ここまでが水曜日21:15放送）&lt;br /&gt;
*4月5日　マッカーサーを叱った男 ～[[白洲次郎]]・戦後復興への挑戦～ （ここからが水曜日22:00放送）&lt;br /&gt;
*4月12日　[[大奥]] 悲しみの果てに ～[[徳川家宣]]正室 [[天英院]] 煕子の生涯～&lt;br /&gt;
*4月19日　それでも地球は動いた ～[[ガリレオ・ガリレイ]]の栄光と挫折～&lt;br /&gt;
*4月26日　歴史の選択　本能寺の変 織田信長 VS 明智光秀 ～激突!改革か安定か～&lt;br /&gt;
*5月17日　響け 希望の歌声 ～戦後初の流行歌「リンゴの唄」～&lt;br /&gt;
*5月24日　帝と民の巨大プロジェクト ～東大寺大仏 [[聖武天皇]]の挑戦～   &lt;br /&gt;
*5月31日　これは正義の戦いか ～ジャーナリストたちの[[ベトナム戦争]]～&lt;br /&gt;
*6月21日　幻の大艦隊 ～[[イギリス]]から見た[[薩英戦争]]～&lt;br /&gt;
*7月5日　勝負師は志高く ～碁聖・[[本因坊秀策]]の無敗伝説～&lt;br /&gt;
*7月12日　生まれ来る命 そして母のために ～[[荻野久作]]の受胎期の発見～&lt;br /&gt;
*7月26日　歴史の選択　川中島の戦い 引き分けの謎&lt;br /&gt;
*8月2日　焼け跡から生まれたチャンピオン ～ボクシング [[白井義男]]と[[アルビン・R・カーン|カーン]]～&lt;br /&gt;
*8月23日　幻のハワイ・日本同盟計画&lt;br /&gt;
*8月30日・9月6日　シリーズ 日本独立 その光と影（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「吉田茂と[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]] 前編」&lt;br /&gt;
:後編「吉田茂とサンフランシスコ講和条約 後編」&lt;br /&gt;
*9月13日・20日　「シリーズ・秀吉の[[家族]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「もう一人の秀吉 ～[[豊臣秀長]] [[太閤記]]を演出した弟～」&lt;br /&gt;
:後編「戦国の母 関ヶ原を決す ～[[高台院|おね]]・豊臣政権生き残りへの道～」&lt;br /&gt;
*10月4日　戦火をこえた青春の白球 ～[[学徒出陣]]前 最後の[[早慶戦]]～&lt;br /&gt;
*10月11日　神は我を救い給（たま）うか ～キリシタン 細川ガラシャの生涯～&lt;br /&gt;
*10月18日　格差の怒り 政府を倒す ～[[大正デモクラシー]]を生んだ[[米騒動]]～&lt;br /&gt;
*11月1日　歴史の選択　坂本龍馬暗殺 黒幕は誰か?&lt;br /&gt;
*11月8日　日本を発見した日本人 ～[[柳田國男|柳田国男]]・「[[遠野物語]]」誕生～&lt;br /&gt;
*11月22日　我が手に郷土を ～[[真田昌幸]]・[[信濃国|信州]][[上田市|上田]]の市民戦争～&lt;br /&gt;
*11月29日　ひらがな革命 ～[[国風文化]]を生んだ[[古今和歌集]]～&lt;br /&gt;
*12月20日　母の灯火（ともしび） 小さき者を照らして ～[[石井筆子]]・[[知的障害]]児教育の道～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2007年===&lt;br /&gt;
*1月10日　戦国の剣豪、太平を築く ～[[柳生宗矩]]・「活人剣（かつにんけん）」の真実～&lt;br /&gt;
*1月24日　それでも民は祈り続けた ～[[島原の乱]]・[[キリシタン]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*1月31日　[[東京オリンピック]]への道 ～平和の[[聖火]] アジア横断リレー～&lt;br /&gt;
*2月7日　完成・戦国最強軍団 ～武田信玄・苦悩の生涯～&lt;br /&gt;
*2月14日　中国と国交を回復せよ ～[[足利義満]]の日明外交～&lt;br /&gt;
*2月21日　鉄は国家なり ～技術立国 日本のあけぼの～&lt;br /&gt;
*2月28日　天下は我が掌中にあり ～[[黒田孝高|黒田如水]]・もうひとつの関ヶ原～&lt;br /&gt;
*3月7日　苦しむ患者を救いたい ～[[イタイイタイ病]]裁判・弁護士たちの闘い～&lt;br /&gt;
*3月14日　歴史の選択　[[邪馬台国]]はどこか ～[[近畿地方|近畿]]説VS[[九州地方|九州]]説～&lt;br /&gt;
*3月28日　その時歴史が動いたスペシャル もう一度聞きたい あの人の言葉（22:59まで拡大）&lt;br /&gt;
*4月4日　謙信恐るべし&lt;br /&gt;
*4月11日　[[所得倍増計画]]の夢を追え ～[[高度経済成長]]の軌跡～&lt;br /&gt;
*4月18日　海の関ヶ原 ～[[村上武吉]]・水軍に賭けた夢～&lt;br /&gt;
*4月25日　[[大奥]] 華（はな）にも意地あり ～江戸城無血開城・[[天璋院]]篤姫～&lt;br /&gt;
**[[岩崎ひろみ]]が天璋院役、[[吉井怜]]が和宮役で出演&lt;br /&gt;
*5月2日　[[憲法]]施行60年 特集　[[日本国憲法第9条|憲法九条]] 平和への闘争 ～1950年代 [[改憲]]・[[護憲]]論～（22:30～23:29）&lt;br /&gt;
*5月9日　源頼朝 魔法の大逆転 ～[[富士川の戦い]]～&lt;br /&gt;
*5月16日　日本ミステリー誕生 ～[[江戸川乱歩]]・大衆文化との格闘～&lt;br /&gt;
*5月23日　悲しき女帝 許されざる恋 ～[[宇佐八幡宮神託事件|道鏡事件]]の真相～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[メキシコシティオリンピック|メキシコ五輪]] 奇跡の銅メダル ～日本サッカー・勝つための組織作り～&lt;br /&gt;
*6月13日　ニッポン外交力誕生 ～[[伊藤博文]]・[[神戸事件]]解決～&lt;br /&gt;
*6月20日　乱世に祈りを ～[[蓮如]]（れんにょ）・理想郷の建設～&lt;br /&gt;
*7月4日　[[冷戦]]の壁を破ろうとした男 ～[[石橋湛山]]・世界平和への願い～&lt;br /&gt;
*7月11日　天才信長をつくった男 ～[[今川義元]] 真説・桶狭間の戦い～&lt;br /&gt;
*8月1日　忘れられた島の闘い ～[[沖縄返還]]への軌跡～&lt;br /&gt;
*9月5日　引き裂かれた村 ～日米戦の舞台・[[フィリピン]]～&lt;br /&gt;
*9月12日　外交の信念 時流に散る ～宰相・[[広田弘毅|廣田弘毅]]の闘い～&lt;br /&gt;
*9月19日　赤ちゃんを死なせない ～[[乳幼児死亡率|乳児死亡率]]ゼロ・ある村の記録～&lt;br /&gt;
*9月26日　[[日中国交正常化]]&lt;br /&gt;
*10月3日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　[[食通|グルメ]]誕生 ～[[北大路魯山人]]と器～&lt;br /&gt;
*10月10日　賤（しず）ヶ岳に散った夢 ～猛将・[[柴田勝家]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*10月17日　義に死すとも不義に生きず ～[[会津戦争]] [[松平容保]] 悲運の決断～&lt;br /&gt;
*10月24日　[[銀]]を制する者は天下を制す ～[[毛利氏|毛利一族]]の戦い～&lt;br /&gt;
*10月31日　[[奇兵隊]] ～幕末に命を賭けた若き庶民たち～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[国際連合]]加盟 ～[[重光葵]] 日本から世界へのメッセージ～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[継体天皇]] [[ヤマト王権|ヤマト]]を救う&lt;br /&gt;
*11月28日　[[緒方洪庵]]・[[天然痘]]との闘い&lt;br /&gt;
*12月5日　[[戦後]][[引揚者|引き揚げ]] 660万人故郷への道&lt;br /&gt;
*12月12日　天下に旗をあげよ ～伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢～&lt;br /&gt;
*12月19日　[[対馬府中藩|対馬藩]]・決死の国書すり替え ～[[朝鮮通信使]]秘話～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2008年===&lt;br /&gt;
*1月23日　都会の地下に夢をもとめて ～[[地下鉄]]の父・[[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]～&lt;br /&gt;
*1月30日・2月6日　シリーズ[[江戸時代]]の危機（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[富士山]][[宝永大噴火|大噴火]] ～幕府・復興への闘い～」&lt;br /&gt;
:後編「[[天明の大飢饉|天明の飢饉]]（ききん）江戸を脅（おびや）かす ～鬼平・[[長谷川宣以|長谷川平蔵]]の無宿人対策～」&lt;br /&gt;
*2月13日・20日　シリーズ秀吉の猛将（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦国の風雲児 法の世に散る ～[[福島正則]] 広島改易事件～」&lt;br /&gt;
:後編「豊臣家存続の秘策 ～[[加藤清正]] [[二条城]]会見～」&lt;br /&gt;
*2月27日　軍服を脱いだジャーナリスト ～[[水野廣徳|水野広徳]]が残したメッセージ～&lt;br /&gt;
*3月5日　「自立」を賭けた戦い ～[[河井継之助]]・もう一つの戊辰戦争～&lt;br /&gt;
*3月12日　戦国[[後北条氏|北条]] 百年王国の夢&lt;br /&gt;
*3月19日　平安王朝 華麗なる一族 ～[[藤原道長]]の実像～&lt;br /&gt;
*4月2日　[[徳川四天王]]に学べ! ～組織のためにいかに生きるか～&lt;br /&gt;
*4月9日　音楽の[[市民革命]] ～[[神童]][[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の苦悩～&lt;br /&gt;
*4月16日　人間は尊敬すべきものだ ～[[全国水平社]]・[[差別]]との闘い～&lt;br /&gt;
*4月23日　「[[古事記]]」誕生 ～日本最古の[[歴史書|史書]]の謎～&lt;br /&gt;
*4月30日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　徳川家康 「江戸」建設に挑む&lt;br /&gt;
*5月14日　日本人の心を守れ ～[[岡倉天心]]・[[廃仏毀釈]]からの復興～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本放送協会テレビ番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[Category:教養番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[Category:ドキュメンタリー番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%A5%87%E5%85%B5%E9%9A%8A&amp;diff=28261</id>
		<title>奇兵隊</title>
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				<updated>2008-04-24T04:50:44Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;60.33.35.47: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''奇兵隊'''（'''きへいたい'''）&lt;br /&gt;
#[[江戸時代]]後期の[[幕末]]に結成された[[長州藩]]の部隊&lt;br /&gt;
#会津戦争のときに[[会津藩]]が維新政府に抵抗するためにつくった部隊&lt;br /&gt;
#[[西南戦争]]のときの西郷軍が組織した部隊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長州奇兵隊==&lt;br /&gt;
[[Image:Keiheitai.jpg|thumb|260px|長州奇兵隊の隊士（一部）]]&lt;br /&gt;
長州藩の奇兵隊は[[長州藩諸隊]]と呼ばれる常備軍の1つである。「奇兵」とは藩士・武士のみからなる部隊（撰鋒隊）に対して藩士と藩士以外の武士・庶民からなる混成部隊の意味。「正規兵」の反対語である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
奇兵隊などの諸隊は[[1863年]]（[[文久]]3年）の[[下関戦争]]の後に藩に起用された[[高杉晋作]]らの発案によって組織された戦闘部隊である。この諸隊の編制や訓練には高杉らが学んだ[[松下村塾]]の塾主・[[吉田松陰]]の『西洋歩兵論』などの影響があると指摘されている。当初は外国艦隊からの防備が主目的で本拠地は廻船問屋の[[白石正一郎]]邸に置かれた。本拠地は後に[[赤間神宮]]へ移る。奇兵隊が結成されると数多くの藩士以外の者からなる部隊が編制され、長州藩諸隊と総称される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年に奇兵隊士が撰鋒隊と衝突した教法寺事件の責めを負い、高杉は更迭された。継いだ総督は[[赤根武人]]、軍監は[[山縣有朋|山県狂介]]が務めた。同じ頃、京都で[[八月十八日の政変]]が勃発し、朝廷から長州勢力が追放される。翌[[1864年]]（[[元治]]元年）、[[新選組]]が長州藩の攘夷激派を襲撃した[[池田屋事件]]の後に長州藩は京都の軍事的奪回を図り、[[会津藩]]・[[薩摩藩]]の両軍と衝突した。この[[禁門の変]]で長州藩は敗北したため朝敵となった。[[江戸幕府|幕府]]は、朝敵・長州藩を伐つため、長州征伐（第一次[[幕長戦争]]）を行う。この戦争では奇兵隊も軍事力として戦った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長州藩が第一次幕長戦争に敗北した後に亡命していた高杉は帰藩。高杉らが藩政の主導権を握り、藩の保守勢力を一掃すると長州藩の方針は倒幕に定まる。翌[[1865年]]（元治2年）には幕府によって再び長州征伐（第二次幕長戦争、四境戦争）が行われ、奇兵隊ほか諸隊も戦った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1866年]]（[[慶応]]2年）に長州藩は薩摩藩と倒幕で一致して軍事同盟を結び（[[薩長同盟]]）、[[1867年]]11月（慶応3年10月）の[[大政奉還]]を経て、[[1868年]]1月（慶応3年12月）に薩長が主導した[[王政復古 (日本)|王政復古]]が行われた。奇兵隊ほか長州藩諸隊は[[官軍]]の一部となり、旧幕府軍との[[戊辰戦争]]で戦った。この頃、周防地区では第二奇兵隊（南奇兵隊）も作られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
奇兵隊は身分制度にとらわれない[[武士]]階級と[[農民]]や[[町民]]が混合された構成であるが、袖印による階級区別はされていた。隊士には藩庁から給与が支給され、隊士は隊舎で起居して訓練に励んだ。このため、いわゆる[[民兵]]組織ではなく長州藩の正規常備軍である。奇兵隊は総督を頂点に、銃隊や砲隊などが体系的に組織された。高杉は泰平の世で堕落した武士よりも志をもった彼らの方が戦力になると考えていたとされる。隊士らは西洋式の兵法をよく吸収して当時最新の兵器を取り扱い、戦果を上げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[部落問題|被差別部落]]民をも奇兵隊に取り入れていたという事実も特筆するべきである。当初これらの賤民層は屠勇隊として分離され、奇兵隊とは別に扱われていた。その後彼等は奇兵隊に組み入れられる事となったが、これを機に長州藩は差別撤廃政策を敷くという抜本的政策を断行したのである。結果、長州藩内の被差別身分が差別から解放される事となり部落の生活水準は上昇したが、実質的な解放政策は[[士農工商|江戸幕府の身分制]]を根幹から否定したため長州藩は幕府からはますます遠ざけられることになった。明治に入り[[解放令]]が出されると日本全国で[[解放令反対一揆]]が発生したが、旧長州藩内では解放令反対一揆はほとんど起こらなかった。被差別部落の解消が幕末期から明治初期にかけて行われた上、本来なら天皇制と相容れないはずの解放政策が[[尊皇論]]と共存していたという極めて特殊な事例ではあった。が、[[部落解放同盟]]が山口県が最も部落開放の進んだ都道府県であることをアピールしている根拠になっているのも理解できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
奇兵隊は[[明治維新]]以降、[[鎮台]]の設立に伴って廃止された。[[1869年]]（[[明治]]2年）から[[1870年|翌年]]にかけて隊士の一部が脱退騒動を起こして、[[山口県庁舎|山口県庁]]を包囲した。騒動の首謀者とみなされた[[大楽源太郎]]は九州の久留米へ逃れる。大楽は同士を糾合して再起を図ったものの騒動は[[木戸孝允]]（桂小五郎）により武力鎮圧され、大楽はじめ130人あまりが処刑された。また奇兵隊士の一部は農民一揆にも参加しており、明治時代初期に多発した[[士族反乱]]にも影響を与えたと言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==会津奇兵隊==&lt;br /&gt;
会津藩がつくった部隊。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==西郷軍奇兵隊==&lt;br /&gt;
西南戦争のときに高瀬・田原の戦いに敗れ[[熊本城]]の包囲を解いて矢部浜町に退却した西郷軍が大隊を中隊に編制替えしたときにつくられた部隊で[[野村忍介]]が指揮し、[[豊後国]]（[[大分県]]）に進出し西南戦争の中期・後期に活躍した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==史料==&lt;br /&gt;
*『奇兵隊結成綱領』&lt;br /&gt;
*『長州奇兵隊名鑑』：名簿&lt;br /&gt;
*『奇兵隊日記』：全4巻。創設から解散までの記録。&lt;br /&gt;
**[http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/kihei/kihei_index_01.html  奇兵隊日記一覧]（京都大学附属図書館維新資料画像データベース）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Japanese-history-stub}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きへいたい}}[[Category:幕末]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県の歴史]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>60.33.35.47</name></author>	</entry>

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