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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>嫌韓</title>
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				<updated>2008-03-21T06:54:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.157.206.233: /* 政財界 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''嫌韓'''（けんかん）とは、[[日本人]]がもつ[[外国人恐怖症|外国人嫌悪（ゼノフォビア）]]感情の一つで、[[大韓民国]]（韓国）に関わっている全ての事象、韓国[[文化]]、韓国人、[[在日コリアン]]などを嫌悪する態度の[[俗称]]。韓国に留まらず[[朝鮮民主主義人民共和国]]（北朝鮮）、同国民、中国[[朝鮮族]]、[[韓国系アメリカ人]]など[[朝鮮民族|朝鮮半島をルーツに持つ人間]]、または嫌韓を批判する日本人、韓国を評価する日本人まで対象に含む場合もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[外国人恐怖症|外国人嫌悪（ゼノフォビア）]]は、世界のどの国でもごく普遍的に見られるものであり、隣国同士の対立感情としても古代から存在する。ゆえに、日本における朝鮮半島への悪感情・差別感情は長い歴史をもつ。以下の欄では、現在称される「嫌韓」という言葉がいかに一般的に知られるようになったか歴史をひもといて述べていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 第二次世界大戦前後までの対朝鮮認識 ==&lt;br /&gt;
[[日本人]]の朝鮮民族に対する反感・嫌悪はもともと三韓鼎立の時代にさかのぼり、優越意識・差別意識も近代以前にさかのぼることができる。これには東アジア中華文明圏に属する両国の特殊な事情もある。『[[三国史記]]』新羅伝には倭と倭人を萌芽的小中華思想に基づき蛮族と見下しているような記述が散見されるが、日本でも『[[日本書紀]]』・『[[続日本紀]]』の中ですでに同様の思想に基づき朝鮮半島の諸国と住民を見下しているような記述が散見される。また、[[元寇]]や[[応永の外寇]]において起きた[[壱岐]]・[[対馬]]島民の虐殺&amp;lt;ref&amp;gt;元寇以来、子どもを泣き止ませるのに「いつまでも泣いているとムクリ・コクリが来るよ」という言い方がされるようになった。ムクリは蒙古＝[[元]]、コクリは[[高句麗]]即ち[[高麗]]のことであるという。転じて、鬼のように恐ろしいものや無理非道で理不尽な物事のたとえとして使用された。尤も、ムクリコクリは「蒙古国（むくりこく）」という言い方が変形したもので、本来は高麗とは何の関係もない表現であったというのが有力である。&amp;lt;/ref&amp;gt;や、[[文禄・慶長の役]]といった不幸な歴史の積み重ねも関係している。[[日明貿易]]の最末期には日本の軍事力・国力が伸張したことを反映して、日本を華夷秩序の中で朝鮮・琉球よりも格上として扱ってほしいと申し入れたということもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本来よしみを通じる目的である[[朝鮮通信使]]においてさえも、その紀行文などには日朝相互の小中華思想に基づく蔑視・軽視が根底に見られた。江戸時代、清朝の成立後には、大陸にもはや中華はなく日本こそが中華であるとの中華秩序論が幕内で有力に主張されてもいた。同様に朝鮮でも朝鮮こそ中華であるとの中華秩序論が保守的な儒学者を中心に広く流布した。お互いに相手を蛮族と見る思想は表面的な友好の裏で火種のように燻った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対朝蔑視は、日本が[[李氏朝鮮]]を併合する前後に、多くの[[日本人]]にとって明確な「目前の問題」となった。[[日韓併合]]をとおして、日本人は朝鮮人を「遅れた民族」として[[差別]]するようになった。その意識がピークに達したのは、[[関東大震災#影響|関東大震災における朝鮮人虐殺事件]]であり、朝鮮人に対する最大の迫害事件の一つとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、朝鮮人の対日蔑視も小中華思想から来ており、中華文明との距離が小さい朝鮮を「兄」、距離が大きく中華帝国との結びつきも弱い日本を「弟」とし「中華文明の恩恵少なき野蛮な弟・日本を文明国たる兄・朝鮮が教化する」という発想が前提になっていた期間が長い。これは両国の関係が表向き対等となっていた室町、江戸時代に至っても残存し、実情にそぐわない自尊主義的な対日観を朝鮮の知識人にもたらした。&amp;lt;!--現在でもこの発想はたびたび散見される。)--&amp;gt; また、過去の時点で「弟」であったその日本に併合され支配されるに至ったという反発は、知識人を支配者側に同化させないという世界の植民地支配において珍しい事態をもたらした。以降、朝鮮の知識人は近代的知識人に世代交代してからも日本を普遍文明とみなすことは少なく、これが日本人による反発をさらに強めたとする主張が存在する。しかし、日本・朝鮮の双方とも近代以前の文明に対する認識を根拠に差別意識を持ったのは知識人層にかぎられており、一般庶民への浸透度に関する疑問も長らく唱えられつづけている。少なくとも、一般庶民における蔑視感情は併合の前後と植民地支配をとおしてピークに達していることは確認できる&amp;lt;ref&amp;gt;朝鮮憲兵隊司令部『朝鮮同胞に対する内地人反省資録』（内閣送付文書）、京城、1933年。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第二次世界大戦]]終戦後にも一時的に朝鮮人への反感が増した。日本の敗戦を受け、併合の抑圧意識から解放された朝鮮人の一部が民族的な組織を組み始めた。その一部は[[日本共産党]]と組し、各地で暴動を起こした。[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ/SCAP]]がこれを危険視し、解体させたが、「朝鮮人を差別する」という優越した立場を失ったと感じた多くの日本人はこれを「朝鮮人の横行・横暴」ととらえ、反感を覚えた&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 東西冷戦時代の対韓認識 ==&lt;br /&gt;
55年体制下では、韓国に対する批判は、左翼・革新陣営によって行われていた。そこでの批判の要点は、「韓国を支配しているのは軍事独裁政権であり、日本や米国の支配層と癒着して民衆を抑圧している」ととらえ、その民主化を求め、民衆同士の連帯を指向する性質のものだった。この立場からの韓国批判の象徴として広く影響を与えたのが、雑誌『世界』に長期連載された[[T・K生]]「[[韓国からの通信]]」である。しかし、この時点では「嫌韓」という言葉は使われていなかった。このときは、韓国政府あるいはその情報機関[[韓国中央情報部|KCIA]]批判であり、韓国人・朝鮮人・在日批判ではなかった。むしろ人倫的救済を意味していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「嫌韓」の誕生 ==&lt;br /&gt;
もともと「嫌韓」とは、[[1990年代]]前半頃より日本の[[保守]]系[[マスコミ]]、その他[[メディア (媒体)|メディア]]によって使われ始めた言葉だと言われている。この言葉は、過去の日本による[[日韓併合]]について[[日本]]政府の明確かつ公式な「謝罪と賠償」などを強く求める韓国世論に対し日本人が反発するさまを示すために使われている。この問題については、[[1965年]]の[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓基本条約]]以来、嫌韓を自称する者のみならず、いわゆる[[保守]]派は日本政府の立場と同調しつづけてきた。日本政府は、請求権を日本と韓国が相互に放棄し、日本側が当時数億ドルもの「経済協力金」を支払い、事実上これと引き換えに1965年の請求権協定2条に「請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と明記したことによって、すべての問題が既に決着済であるという立場を取っている。これに対して、日本政府の態度を批判する立場は多様である。韓国政府と同じく[[日韓併合]]以降の立法がすべて不法無効であるとの立場にたつ者、ここから派生した立場として[[第二次日韓協約]]以降が無効であるとする者、日韓基本条約は不平等条約であり日本国にのみ有利であるから不当であるとする者、逆に同条約は2つの反動国家の同盟条約であり朝鮮民族への補償になり得ていないから不当であるという立場をとる者、個人補償を国家間交渉によって放棄せしめてはいけないという国際法学における比較的新しい立場を取るもの、全世界の植民地支配と奴隷貿易と人種差別は遡及的に弾劾されるべきであるという立場を取る者など、多様である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
重要な側面として[[1980年代]]中ごろから韓国を軍事独裁国家であるとする見方が後退し、[[ソウルオリンピック]]の成功、[[ソビエト連邦|ソ連]]の崩壊など、[[冷戦]]が西側陣営の勝利に終わり、日本国内で民主主義国家として韓国を認識するようになったことがあげられる。これに伴い、[[日本社会党|社会党]]や[[日教組]]、各種労働団体、[[革新]]/[[左翼]]系マスコミは、韓国に宥和的な態度を取り、韓国に対する批判を忌避する姿勢を見せ始めた。このころ、北朝鮮に対しては各メディアとも認識を明らかにしないことや触れないことが多かった&amp;lt;ref&amp;gt;社会党は当初は南北対等の態度を取ると説明しつつ、また実際には党内対立もあって、北朝鮮との関係は皆無であった。しかし、[[1970年代]]に日本共産党と北朝鮮が対立したことから、かわって社会党が北朝鮮と友好関係を築きはじめた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。韓国への批判はかつて左翼系マスコミがリードしていたものが、[[右翼]]系マスコミに入れ替わった。これと共に反軍事独裁と言ったスローガンに置き換わる形で嫌韓が広まった。軍事政権化では、日本の自民党を始めとする保守勢力は融和的であり実際に「親韓派」と呼ばれる勢力が大きな影響力をもっていた。これら保守系は、韓国が民主化し、韓国人に言論の自由が広がるにつれて、手のひらを返すかのように、嫌韓的態度を露にするようになった。軍事政権下の反韓国は、[[金芝河]]への[[大江健三郎]]の獄中闘争援助など、あくまで政権批判であり、韓国人に対する攻撃ではなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 自由主義史観の台頭 ==&lt;br /&gt;
同時期、[[第二次世界大戦]]終結前の日本の政策に対する「否定的な暗黒歴史観（[[自虐史観]]）」を正そうと考える歴史観（[[自由主義史観]]）が生まれた。自由主義史観は提唱者である[[藤岡信勝]]の主張によれば、元々は「右の極端」（[[大東亜戦争]]肯定史観）にも「左の極端」（[[コミンテルン]]史観）も排し、“[[司馬遼太郎]]の歴史観（主として「[[坂の上の雲]]」にみられるそれ）を基本に幅広い国民的合意を得られる歴史観を構築しようとする”運動である。韓国人が抱く執拗な反日感情への反発（＝嫌韓）も見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由主義史観の誕生は、それまで日本国内で建前上よく言われていた「韓国は軍国日本の犠牲者である」と一方的に見る風潮への修正であると言われる。これは、執拗な反日政策をとる韓国への強い反感・軽蔑心を持つ日本人を増加させた。その一方で、韓国人が持つ反日感情をも増幅させ悪循環を引き起こしている。嫌韓感情と反日感情が対で語られる所以の一つである。韓国国内での反日感情は初代大統領[[李承晩]]が国策として、[[反共]]・[[反日]]・[[反中]]の3つの柱を据えたことに端を発するという見方もあり、嫌韓とは数十年の断絶がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初期の自由主義史観は「[[朝鮮半島]]統治は、確か悪い面があったが良い面もあった」と主張した。これは日本の悪かった面ばかりを強調する戦後民主主義における歴史教育を日本国民が見直す機会を与えたという主張もあるが、しかし植民地支配を行った側がそのようなことを主張するのは道義に照らしてふさわしくないという批判も受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、「自由主義史観」の提唱者である藤岡は、間もなく幅広い国民的合意を得られる歴史観の構築という自らの提唱を放棄し、事実上、当初は批判していた「大東亜戦争肯定史観」と同一化するに至り、「日本の支配の良い面ばかりを強調する史観」に移行している。今日では、「自由主義史観」とは、大東亜戦争肯定史観の別名と見做される事が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「新しい嫌韓」 ==&lt;br /&gt;
{{未検証}}&lt;br /&gt;
=== 2002 FIFA ワールドカップ以降 ===&lt;br /&gt;
現在の嫌韓現象を、これまでの朝鮮人[[差別]]とは違った現象であるとみなす者もおり、この立場からは「嫌韓」は「[[差別]]」ではないと主張される。戦前においては対朝鮮人差別・対支那人差別が堂々と正当化されることがあったが&amp;lt;ref&amp;gt;渡辺岐山『支那国民性論』大阪屋号書店、1922年。大谷孝太郎『支那国民性と経済精神』巌松堂書店、1943年。&amp;lt;/ref&amp;gt;、現代日本において民族差別思想そのものを正当化し「彼らは蔑視されるべきである」と断定する言説は、インターネット上の一部ページを除いては少ない。&lt;br /&gt;
嫌韓現象をこれまでの朝鮮人[[差別]]とは違った現象であるという主張によっては、以下の事柄が実際に起きている新たな現象であるとして挙げられている。まず[[日本人]]に、朝鮮民族や朝鮮文化全体に対して新たに嫌悪感を抱くに至ったと表明する者が出現したこと、その感情が若い世代に特徴的であることである。これは、[[21世紀]]に入って立て続けにおこった以下の事態と密接に関係していると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]に日韓共催で開催されたサッカーワールドカップ（[[2002 FIFAワールドカップ]]）で、韓国がベスト4へ進出する過程において、韓国に有利な誤審が相次いだことにより審判の買収が疑われて批判が相次ぎ、サポーターが韓国に対し嫌悪感を抱いたこと&amp;lt;ref&amp;gt;韓国×イタリア戦、韓国×スペイン戦では、誤審があったのではないかとする電子メールが80万件以上届き、FIFAは2002年6月23日に、誤審があったことを認めた[http://news.bbc.co.uk/hi/spanish/specials/mundial_2002/newsid_2053000/2053589.stm]。&amp;lt;/ref&amp;gt;、韓国人の日本代表チームへのブーイング、韓国との[[竹島 (島根県)|竹島問題]]が再燃したこと。また、韓国の国史教科書による「[[反日]]教育」なども要因に挙げられている。ただし、これについては近年改善中であるとする見解もある。また、そもそも[[反日教育]]などは行われていないという見解や、植民地支配の歴史を教えることが日本人には[[反日教育]]だとみなされていると解する者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも韓国の新聞社により開設された日本語サイトや日韓翻訳サイトにより直接韓国国内の対日言説を読めるようになり韓国に対する反発意識が起こったこと、そして韓国内での反日デモなどが挙げられる。加えて、北朝鮮による様々な対日工作、特に[[日本人拉致事件]]が明らかとなり、これまでそれほど行われていなかった北朝鮮への批判がマスコミ上でも目立つようになったことも、大きな影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
在日コリアンによる犯罪が実名ではなくしばしば[[通名]]で報道されること、日本における[[外国人犯罪]]で件数2位であるのが韓国であることも嫌韓感情の発生理由であるとして特にインターネット上で取り上げられがちである。一方で、朝鮮語読みを本名として報道される例も少なくないことから本人が通常使用している名前が基準となって報道されているだけであるとの指摘もあれば、警察発表を鵜呑みにしているに過ぎない（事実そうである媒体が多い）との指摘もある。通名報道に関しては、有名人レベルではない朝鮮人が成功者として稀に取り上げられるときには通名で報じられつつ犯罪者は常に朝鮮名で報じられるのが通例であった時期に多くの在日コリアンが不満を訴えてもいた。通称名報道がいつから定着したのかは検証されておらず、本名報道・通名報道の使い分けがどのように行われているかはもちろん、使い分けが存在すると認識されたのはなぜかなども明らかではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[パチンコ]]、[[パチスロ]]は在日朝鮮人および在日韓国人の経営が多く、その利益の一部が北朝鮮に送金され北朝鮮の資金源になっていると報じられるなどしたこと&amp;lt;ref&amp;gt;北朝鮮の核武装の資金源になっているとも日本国外で報じられた。[http://pqasb.pqarchiver.com/wsj/access/9988728.html?dids=9988728&amp;amp;FMT=ABS&amp;amp;FMTS=ABS&amp;amp;date=Jul+24%2C+1996&amp;amp;author=Glain%2C+Steve&amp;amp;type=91_1996&amp;amp;desc=Lost+gamble%3A++How+Japan%27s+attempt+to+slow+nuclear+work+in+North+Korea+failed][http://www.ft.com/cms/s/56732fa8-14fe-11db-b391-0000779e2340.html][http://search.ft.com/searchArticle?queryText=pachinko&amp;amp;y=3&amp;amp;javascriptEnabled=true&amp;amp;id=021107001549&amp;amp;x=5]。2001年12月の北朝鮮工作船事件ではその船内から発見された携帯電話の通話先の一つが在日韓国人パチンコ店であり、その関係が現在調査されている[http://kyushu.yomiuri.co.jp/special/fushinsen/f-news/f-news021120.htm]。&amp;lt;!--「新しい嫌韓」の発生源？核武装やアメリカでの報道はさらに後では？--&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;、また警察との癒着体質が明らかになったこと、そして、これらの情報がインターネットの普及によって多くの人に同時に伝播するようになったことも大きな要因の一つと考えられる（但しこれは先述の社会的[[差別]]も影響している　学卒でさえ就職出来ない在日韓国・朝鮮人達が手っ取り早く起業出来た業種であるため&amp;lt;!--http://www.kobe-np.co.jp/rensai/back/korian/korian5-6.html--&amp;gt;）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、朝鮮の植民地化とその統治について話題になるときや、歴史認識で対立するときに嫌韓派からは次のような不満がしばしば表明される。「同じく植民地となった[[台湾]]で植民地統治に一定の評価が与えられ、感謝する者までいるのに対し、韓国・北朝鮮では植民地統治をほぼ全否定している」という不満である。ただし、台湾の例はあくまで「植民地統治が全否定されている」という不満を述べる立場からの解釈であり、どのような統計に基づいた理解であるかは明らかではない。また、実際には韓国、更には北朝鮮のように直接な表明はしないものの、日本の侵略を受けた他のアジア諸国でも同じように「戦前の日本」（具体的には侵略）に対して否定的である点が顧慮されない点も特徴である(ref)The Straits Times（シンガポール）Kwan Wang Kin記事『COURRiER Japon』2006年14号、同編集部訳、講談社、27頁。(/ref)。これらのことから嫌韓派は日本の植民地統治、侵略、軍政が批判されることよりも、それらの批判を各国の政府が国内統治や外交カードとして利用する姿勢に反発しているのだと見ることもできる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「在日コリアンは日本によって[[強制連行]]された朝鮮人とその子孫である」という認識がしばしば見られていたが、実際は多数が、戦後出稼ぎなどの事情で入国したもので強制連行された者は少数派である（徴用工補償請求訴訟に見られるように、連行された人も少なからずいる）ということを取り上げて、「これまでの虚偽が暴かれたので在日コリアンに対する感情が変化した」と主張し、認識の変化を嫌韓意識の理由とする人々もいる。しかし実際には在日朝鮮人の中でも強制連行主流派説は一般的でなく、これを嫌韓の理由とすることを疑問視する人もいる。なお、日本への移民が生まれた理由は無数にあるが、経済的困窮、土地改革に於ける土地の収奪（朝鮮人から日本人地主及び対日協力した[[親日派]]地主への大量の土地所有権の移動）が誘因であるとする解釈は、教科書的な記述においては一般的でありつづけている&amp;lt;ref&amp;gt;月脚達彦「植民地化と抵抗運動」吉田光男編『韓国朝鮮の歴史と社会』放送大学教育振興会、2004年、137頁、144頁、148頁。宮嶋博史「朝鮮における植民地地主制の展開」大江志乃夫他編『岩波講座　近代日本と植民地―４：統合と支配の論理』岩波書店、1993年、103-132頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。事実[[土地収用法]]の悪用により、日本語が解らない者から、書類不備を理由に土地を取り上げ、代わりに日本人を入植させた例が数多く存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓意識は韓国人の日本に対する対抗意識や対抗意識が昂じた行き過ぎた言動の裏返しとする意見もある。この意見は、韓国の教科書などのメディアでしばしば見られる「日本にある××は元は自分達が教えたものだ」といった様々な俗説に対する日本側の反発によって補強されている（[[韓国起源説]]）。そしてそれらの中には日本人を形成するうえでとても大切な文化もある。そのため、こういった韓国起源説を唱えるメディアを疑いなく信じて韓国起源だと言い張る韓国人による日本文化の起源捏造が日本人のプライドを傷つけ、より日本人の嫌韓感情を高まらせていると言われている。しかし、新しい嫌韓意識が取り沙汰される以前から、日本から韓国人に対して「韓国の文化は日本人がもたらしたものだ」という言説が少数飛び出しており、さらに「古代より日本の属国」という捏造といった言動が飛び出すなど、日本人の一部も同レベルの歴史歪曲を行っている。それが逆に上記のような韓国における一部の反日主義を煽っており、両国共に偏狭なナショナリストが国民を扇動している面もあるともいわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓派の主な[[プロパガンダ]]の場所はインターネット（とりわけインターネット掲示板[[2ちゃんねる]]の[[ハングル板]]など）であるという声が一部ある。しかし韓国政府の言動や韓国国民による[[反日デモ]]などが日本の若者の嫌韓感情を芽生えさせるケースも多く、彼等がそうした感情をインターネットの掲示板で投稿しているとも考えられる。実際のところ韓国批判の書籍は日本では90年代初頭より目立つようになってきている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本人の嫌韓感情は韓国人の[[反日感情]]と対に語られることがあるが、相手国大使館にデモをかけたり、国旗を燃やしたり、小指を切ったりといった類のデモンストレーションが日本で見られることはきわめて稀であり、両国文化の違いと、嫌韓感情と反日感情の性格的な違いを表現している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
若い世代の嫌韓意識は、初等中等教育に対する反動であるという主張がある。日本では初等中等教育において過去の日本の「悪行」を強調して教わり、中国、韓国など東アジア諸国への過去の清算が必要だと教わるため、そのことへの反発が原因であるとする主張である。初等中等教育の現状にはここでは立ち入らないとして、ここで言われているような教育への反発には、自分の前の世代の行為を何故自分達が謝らなければならないんだという意識も影響している。これに対して「過去の自国の過ちを忘れぬことは、人間の責務である」、「なんでも教育のせいにするな」という主張もある。[[田原総一朗]]のように「その左翼教育を受けて右になったんだから（今までどおりの教育で）いいじゃないですか」と主張する知識人もいる。&amp;lt;ref&amp;gt;もっとも、田原のこの論法を肯定することは、「どれだけ自由を弾圧しても自由を求める人は出てくるのだから、自由は弾圧してもよい」というような論を肯定することと同じであり詭弁にすぎないという批判、その批判自体が詭弁だという指摘もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓を表明する人間の多くは嫌韓の理由を問われた際、必ずしも韓国であるから嫌うわけではないとしている。彼等が考える所によれば、韓国は『捏造された歴史』&amp;lt;ref&amp;gt;『歴史を偽造する韓国――韓国併合と搾取された日本』中川八洋（徳間書店, 2002年）, 『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する―歪曲された対日関係史』勝岡寛次（小学館, 2001年）&amp;lt;/ref&amp;gt;を教え、自国の負の面（たとえば[[朝鮮戦争]]における[[保導連盟事件]]や[[ベトナム戦争]]参戦時の韓国のベトナム人民の無差別殺戮など）を隠して日本を弾劾しており、同時に日本国内にも、日本に不利なことばかりを教え韓国や周辺諸国の負の面をひたすらに隠し、周辺諸国に弱腰な日本の政治家やマスコミ、教育機関が存在しているので、あくまでそれらに対して反発しているだけで、韓国を貶めて日本を持ち上げ美化するという意図があるわけではないのだと主張している。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特筆すべきは、これらの対立がおおむね日本国内の[[歴史認識]]をめぐる対立を反映している点である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インターネットは嫌韓感情が盛んな媒体の一つである。そこでの発言は上記の[[歴史認識]]をめぐる対立を反映したものが多くを占めるが、同時に、嫌韓派の発言には背後にコリアンへの差別偏見や、韓国の「反日」と同レベルの韓国絶対悪という感情が透けて見える場合も多い。実際に、愉快犯的に「嫌韓」アジテーションや「[[差別]]表現を書き込むものもおり、インターネットは韓国・朝鮮人に対する[[差別]]表現と[[ヘイトスピーチ]]が横溢している空間になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在のインターネットでは韓国との直接的な議論が翻訳サイトを中心に可能になっている、少なくとも翻訳サイトにおいては韓国側による日本側に対する侮蔑的差別的書き込みの方がはるかに多くみられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ある世論調査 ===&lt;br /&gt;
インターネットでは2005年度の[[日本放送協会|NHK]]の[[BSディベート]]の投稿欄を外部の個人が集計した結果「95％の人間が韓国に親しみを感じないと回答した」としている。但し、インターネットで行われるアンケートはもとより無作為抽出でなく、投票者が限られている上に組織票を投じることも容易く、また珍しくないので、[[世論調査]]に比べると世論をどこまで反映しているかは不明である（[[2ちゃんねらー#団体行動]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
各種世論調査では長く「韓国に親しみを感じない」とするものが多数派だったが、平成11年以降の調査では「親しみを感じる」とするものが多数派に転じていた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www8.cao.go.jp/survey/h16/h16-gaikou/images/z07.gif 韓国に対する親近感]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、[http://www.nrc.co.jp 日本リサーチセンター]による[http://www.nrc.co.jp/rep/rep20050815.html 2005年の最新調査]では「（どちらかというと）韓国に親しみを感じる」意見は32%、「（どちらかというと）韓国に親しみを感じない」とする意見は41.1%となっており「親しみを感じない」とするものがふたたび多数派となった。[[内閣府]]による2005年度調査の[http://www8.cao.go.jp/survey/h17/h17-gaikou/2-1.html 外交に関する世論調査]では「（どちらかというと）親しみを感じる」が51.1％「（どちらかというと）親しみを感じない」とする者の割合が44.3％で、依然「親しみを感じる」とするものが若干多数派となっているが、2004年度に比較して減少傾向となっている。また、2006年度の内閣府による外交に関する世論調査でも「（どちらかというと）親しみを感じる」が48.5％「（どちらかというと）親しみを感じない」が47.1％となっており、「親しみを感じる」とするものが2年連続で減少している&amp;lt;ref&amp;gt;http://www8.cao.go.jp/survey/h18/h18-gaiko/2-1.html&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== マスメディアが果たした役割 ===&lt;br /&gt;
嫌韓感情をもつと言われる人々から日本の[[マスメディア]]に対しては次のような主張がある。「一般に韓国を好意的に扱って[[反日]]的な情報や韓国側に非のあるニュースを意図的に小さく扱っている」、「昨今の[[韓流]]ブームは[[電通]]などによる人工的な作為である」、「日本における韓国人[[俳優]]の[[ファン]]の大半が[[在日コリアン]]であり、その人達は韓国人タレントが来日する度に韓流ブームを加熱させたい勢力の出す動員令を受けて集結し騒ぎ立てている」という主張である。しかし在日だけでそれだけ盛り上がるのかと言う疑問も当然あり、[[陰謀論]]的な見解ではないかとの指摘もある（当項目・[[嫌韓#陰謀論|陰謀論]]参照）。この種の主張の真偽については嫌韓派の間でも見解が分かれる。しかし、実際に[[2005年]]の「日韓友情年2005」日本側実行委員会の副委員長には電通の会長が就任しており、これを韓流陰謀論の根拠となす見方もある。これに対しては「自社が関わっているイベントを大いに盛り上げるのは当然」という反論もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また批判にいう、当時のNHK会長[[海老沢勝二]]が、自局のドラマを差し置いて韓国ドラマを褒め称えているのを見ても明らかである。[[2003年]]に[[東京放送|TBS]]に就任間もない[[盧武鉉]]大統領が出演した際に100人が観客として番組に参加したのだが、通訳が行われる前にジョークに笑い出す、過半数の人が「愛している」を韓国語で言うことができるなど、韓国語に通じている人が集合しているといったこともあった。[[日本テレビ放送網|日テレ]]系番組『[[ザ!情報ツウ]]』で『[[冬のソナタ]]』の批判をした[[麻木久仁子]]のように、批判をしたがために女性週刊誌から一斉に攻撃されるタレントまで出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓を訴える人達によるマスコミバッシングの背景には、以前からたびたび批判されているマスコミのいわゆる「横並び体質」がある。ただ、従来からの「横並び体質」と一つ違うのは、公共放送であるNHKが加わっているということ、である。これに対しては[[テレビ]]メディアがドラマを流す事が、韓国に媚びている事になるのかと言う疑問、アメリカドラマや[[ハリウッド]]映画を連日流しても、“アメリカに媚びている”と主張する声は少ないではないかという意見もある（ただし、嫌韓を訴える人達の意見として[[アメリカ合衆国|アメリカ]]は[[同盟国]]であり、韓国よりつながりが深いのは当然だと言う意見もある）。また、NHKは韓国の映画業界に対して経済的な援助を継続している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓が増えるきっかけになった[[2002年]]の[[2002 FIFAワールドカップ]]開催以前からも韓国人タレント（[[ユンソナ]]や、かつては[[チョー・ヨンピル]]など）は日本にいるし、いくつかの韓国ドラマも、放送回数等の不完全もあったが『冬のソナタ』の日本での放送開始以前に日本のテレビ局で放送されていた（例：『[[イヴのすべて]]』テレビ朝日系）。[[深田恭子]]と韓国人俳優[[ウォンビン]]主演による日韓合作ドラマ『[[フレンズ]]』もTBSで製作されている。しかし、昨今の韓流ブームのような、誰でも明確にわかる爆発的な盛り上がりはあまり見られなかった。ドラマの視聴率の低迷が、即「嫌韓」に直結するのかどうか、疑問を持つものもいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[SAPIO]]、[[正論 (雑誌)|正論]]、[[諸君!]]で、しばしば嫌韓特集が組まれる。また[[PHP研究所]]、[[小学館]]、[[扶桑社]]、[[祥伝社]]、[[展転社]]で、嫌韓本が出されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インターネットが果たした役割 ===&lt;br /&gt;
1990年代後半になると、「嫌韓」という感情・行動はその言葉と共に[[インターネット]]の普及を境に大きく広がり始める。これは従来のメディアでは発信できなかった韓国・韓国人・韓国文化に嫌悪感を抱くような情報が、虚実を問わずインターネットを介して容易に発信できるようになった事があげられる。また、インターネットにより、韓国国内の日本に対する意識や記事などが日韓翻訳サイトや韓国の新聞社サイトを通じて手軽に日本人に読めるようになり、反日感情に対する安易な反発に直結してしまったネットワーカーが多い事も挙げられよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主なネット上の嫌韓派の拠点としては、[[2ちゃんねる]]の[[ハングル板]]や極東アジアニュース板、東アジアnews+板、&lt;br /&gt;
そして[[ふたばちゃんねる]]などが伝統的に挙げられてきたが、近年はブログなどにも広がりを見せている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「マンガ 嫌韓流」の登場 ===&lt;br /&gt;
[[2005年]]には、これらネット情報を元に書かれ、ネット上に掲載された漫画を書籍化した『[[マンガ 嫌韓流]]』（[[山野車輪]]作、晋遊舎、[[2005年]]）が発売された。&lt;br /&gt;
これは、インターネット上で広まっていた「嫌韓」ブームにのる形で出版された。&lt;br /&gt;
作者[[山野車輪]]も[[2ちゃんねる]]に固定ハンドルを使っての書き込みを行っていたほどの[[2ちゃんねらー]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『マンガ嫌韓流」は予約のみで[[Amazon.co.jp]]の売上ランキング1位を記録した（総発行部数は、2006年7月1日の段階で1巻2巻合わせて公称67万部）。ネット書店での実売から火がついたが、amazon.co.jpには発注が相次いだにもかかわらず書店には発注がないままでありつづけ、また小部数であることの必然として取次も大きく扱わず、特定勢力以外からはまともに相手にされず、大手書店には大きく並べられない期間があった。このことから嫌韓派の一部からは大手書店が扱いを控えているという疑心暗鬼と被害妄想が生まれた。また「大手書店が扱いを控えている理由」についてもさまざまな憶測が生まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓流は、1巻2巻合わせての総発行部数が67万部（2006年7月1日現在）を記録。インターネット上のごく一部の流行であった嫌韓が、アメリカの民主党系の新聞でも日本における[[外国人]][[差別]]だとして取り上げられる事態となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同書は一部の層に強く支持された。この層は次のように戦後の日本社会を見ている。戦後日本では外国人[[差別]]に反対する考え方が強く存在しているため、その流れを社会に示すことはなく、それを示すことは[[人種差別]]主義者と評される恐れを抱かせるため嫌韓が一般社会の流れとして現れることは無い、朝日新聞をはじめとする[[報道機関]]では韓国のイメージを悪化させる報道を差し控えることを社是としており韓国に対する否定的な観点が含まれた論調はまったく報道されることが無かった。このように信じている一部の人達、報道自主規制があると信じている特定勢力には、「マンガ嫌韓流」発売は「言論弾圧」を告発し、正しい情報を広めるものとして好意的に受け止められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際には、民主化が進展する以前は韓国政府に対し批判的であり、韓国という国家を好意的に報道していたわけではない。逆にサンケイ新聞等は韓国政府の人権抑圧や金大中事件（日本の国家主権の侵害であり、本来なら彼ら右派の格好の批判の的となるはず）等も共産主義との戦いの為だとし是認あるいは黙認し批判することはなく、反共主義的政策を賞賛していた。（「冷戦後の対韓認識と「嫌韓」という言葉の誕生」を参照。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その発売において、[[報道機関]]から広告の掲載すら拒否されたと出版元の晋遊舎のコメントが[[東京スポーツ]]により報じられたが、[[報道機関]]側からは“広告出稿さえなかった”と回答があり、晋遊舎の単なる宣伝の話題作りに東京スポーツがのせられただけなのではとの見方もある。（詳しくは[[マンガ 嫌韓流]]を参照のこと）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「嫌韓」支持者の言い分 ===&lt;br /&gt;
嫌韓感情を持つ人物が嫌韓の原因として主張している理由の主なものとしては、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*日本の朝鮮半島を併合して行った、学校・病院・ダム・水道・電信・鉄道・港湾・道路・近代建築などの[[インフラ]]整備が、少なくない朝鮮民族に恩恵を与えたことを韓国の歴史教育で教えない。&lt;br /&gt;
*日本が行った教育制度・近代法の制定など・産業の振興などのソフト面での近代化・文明化の成果を一切無視している。&lt;br /&gt;
*日本が近代化をするために行った数々の政策に対して、韓国側が荒唐無稽な陰謀論を流布してまで日本絶対悪説に務める態度。（韓民族の精気の抹殺するために山に呪いの鉄柱を埋めたなど。実際は測量用の基準点）&lt;br /&gt;
*韓国国定教科書で見られる日韓併合以前の歴史に対する記述。また日本に対する極端な侮辱的な記述。（「日本は元々文化的に劣等」もしくは「未開な日本が秀吉の朝鮮侵攻と朝鮮通信使によって韓国を追い抜いた」とよめるような記述）&lt;br /&gt;
*[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓基本条約]]の締結により韓国に関する補償問題は解決済みであるにもかかわらず、執拗に個人補償要求や謝罪要求を繰り返すところ。&lt;br /&gt;
*日本が[[右傾化]]や[[国粋主義]]や歴史歪曲をしていると執拗に喧伝しているにもかかわらず、韓国自身がどの国よりも[[右傾化]]や[[国粋主義]]や歴史歪曲にまみれているところ。&lt;br /&gt;
*韓国人旅行者や留学生の日本人に対する異常なまでの敵愾心。&lt;br /&gt;
*スポーツイベントに見られる、極端な民族主義と反日・侮日行為。&lt;br /&gt;
*「～の起源は韓国」（[[韓国起源説]]）と、根拠や証拠もなしに外国（主に日本）が発明もしくは発生したものを、韓国が独自に開発したと取られかねない歴史記述や詐称をし、それらを基にした不条理な要求をおこなうところ。&lt;br /&gt;
*敗戦後の混乱期に警察権の及ばない国内在住の朝鮮人が行った犯罪行為&lt;br /&gt;
*韓国人による犯罪行為と、それに対する報道機関による隠蔽、たとえ報道したとしても、本人とは特定できないよう考慮した偽名による報道。いわゆる通名報道。&lt;br /&gt;
*貸金業（[[消費者金融|サラ金]]業界及び[[闇金融|闇金]]）、[[パチンコ]]等のギャンブル、[[暴力団]]など社会的に問題のある産業への広い関与&lt;br /&gt;
*国際世論として非難されている日本国民の拉致、及び核武装政策を推し進める北朝鮮に対して[[在日本朝鮮人総連合会|朝鮮総連]]が一切の非難を行わない事&lt;br /&gt;
*[[在日本大韓民国民団]]（民団）など[[在日コリアン|在日韓国人]]団体が、日本国に保護されているにもかかわらず日本を非難することへの不満&lt;br /&gt;
*[[不法滞在|不法入国者、不法滞在者]]、[[不法就労|不法就労者]]の増加とそれによる治安の悪化&lt;br /&gt;
*[[盧武鉉]]政権下での竹島近辺での海洋調査問題や、韓国での親日糾弾法の成立などの[[反日]]政策と大統領自身の日本に対する発言&lt;br /&gt;
*韓国人の強い反日感情に呼応する感情行為としてのもの&amp;lt;ref&amp;gt;ソウル新聞「日本に[[特定アジア]]される韓国」（韓国語）[http://www.kdaily.com/news/newsView.php?id=20051220030004 ]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*アジア諸国の中で反日感情が強いのは[[中国]]と[[韓国]]だけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
等があげられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「嫌韓」批判者の言い分 ===&lt;br /&gt;
嫌韓に否定的な立場からは―&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*韓国に対する[[占領政策]]を正当化するための[[自慰史観]]であり、日本[[右翼]]による[[扇動]]である&lt;br /&gt;
*[[嫌韓流]]の支持者や[[ネット右翼]]は、[[嫌韓流]]の作者と同様、韓国の実情や[[歴史]]について非常に不勉強で、せいぜい数冊の本を読んだ程度で歴史が分かったような気になっているが、そもそも実際に韓国へ行った事のある者は少数に過ぎず、誤解が多い&lt;br /&gt;
*その結果、[[日本政府]]や[[日本軍]]が行った数多くの残虐行為や圧政、[[韓国]]での[[文化遺産]]の破壊（詳しくは[[朝鮮総督府]]や[[景福宮]]などの項を参照）について、何も知らないか知識が乏しい&lt;br /&gt;
*日本軍が、主として軍の輸送を目的として作った港や鉄道さえ、韓国のためにやったと主張してしまい、日本の行為を過剰に正当化している&lt;br /&gt;
*人間が根底に持っている他者を排除したがる[[選民思想]]の特徴的な現れである&lt;br /&gt;
*日本が韓国を占領した際に発生した、韓国人への謂れなき[[差別]]、優越意識と[[植民地]]人に対する[[蔑視]]感情である&lt;br /&gt;
*[[日本人]]が[[韓国]]に行ってきた[[占領政策]]や[[独立運動]]に対する[[弾圧]]等、処遇に対する、韓国の[[復讐]]への[[恐怖]]感が嫌韓の原因である&lt;br /&gt;
*嫌韓を主張する[[2ちゃんねらー]]や[[ウィキペディアン]]は、明らかに[[フリーター]]や[[ニート]]、[[引きこもり]]など、いわゆる社会の[[負け組]]であり、[[マスコミ]]や[[社会体制]]への怨念（[[ルサンチマン]]）を持ち、これを発散するために[[外国人]]の悪口を言っているだけである。&lt;br /&gt;
*嫌韓はネット上の一部の人間が主張しているだけで、多くの[[国民]]はそれほど関心もなく、[[嫌韓流]]などの本もその支持者が主張するほど現実には売れてはいない。&lt;br /&gt;
*日本政府が、[[北朝鮮]]の脅威を利用して、韓国人への[[差別]]を煽っている&lt;br /&gt;
*植民地支配に関する[[日本の戦争謝罪発言一覧|首相談話]]が公式に存在するにも拘らず、保守派からこれを無視しての正当化発言が繰り返されている&lt;br /&gt;
*アメリカでユダヤ系のタレントが多数活躍しているのと同様に、[[民族差別]]により韓国・朝鮮人在留者は実力のみが評価される社会で生きざるを得ないのであり、被差別者なら誰にでもあり得る境遇である（出典：別冊宝島『嫌韓流の真実! ザ・在日特権』の芸能、スポーツ選手に関する項目 ）&lt;br /&gt;
*[[小林よしのり]]は自著の中で「マンガ・嫌韓流はただの差別行為」と一蹴した。&lt;br /&gt;
*「車の運転が荒い」など、日本以外ならどこでも当てはまるようなことも批判している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
等と主張している。気をつけたいのは、お互いにあくまで「主張」であり、必ずしも事実認識ではないことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 嫌韓運動の実態 ==&lt;br /&gt;
嫌韓運動は、人によって主張の内容に大きな幅がある。単に韓国の芸能人、芸能界が嫌いと言うものから、[[ネオナチ]]紛いの選民・優生思想を掲げて朝鮮民族の排斥を唱えるもの等まで、様々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓派の態度は多様である。在日コリアンが多いと言われる[[サラ金]]・[[パチンコ]]業界と政治の癒着体質を問題視する者もいる。韓国人の[[在日外国人]]の犯罪者数（外国人犯罪では中国に次ぎ2位）も近年になり急増し、電車内で所かまわず刃物を振り回し、また催涙スプレーをまき散らす韓国人強盗団(武装すり集団)などの日本での犯罪を例示して、韓国人入国[[ビザ]]免除などの政策が犯罪を助長していると指摘する者など、日本政府の政策を問題視する者（ただしビザ免除は相互主義であり、日本人も韓国に自由に短期滞在でき、また相互協定を取り消すこともできる）もいる。さらに、日本政府の竹島問題に対する「弱腰」を声高に非難する者、[[渡来人]]を先祖に持つ人物を[[コリアンジャパニーズ|朝鮮民族の仲間]]だと見做して敵視する者もいる。一方でこういった問題には関心を見せない者もいる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「嫌韓厨」の登場 ===    &lt;br /&gt;
嫌韓派がネット上で増加するにつれ、[[2ちゃんねる]]内も含め、嫌韓派の行為に不快感を持つ者も現れてきた。とくに、時機を弁えずに嫌韓[[コピペ]]を貼る、韓国人に対しあからさまに差別意識を出す、嫌韓情報を捏造する、韓国人が関われば無条件で罵倒する、嫌韓発言を批判する相手を“在日”または“工作員”扱いする―などといった行為を行う者は、'''嫌韓厨'''（厨とは「[[厨房]]」の略語）と呼ばれることがある。嫌韓派は、「韓国に対して不都合な情報を発信しただけで、『嫌韓厨』と決め付けられている」と主張しているが、一般的に、それだけで「嫌韓厨」と呼ばれることはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、2ちゃんねるの管理人[[西村博之|ひろゆき]]も、嫌韓派に対しては否定的な発言をしており、[[ハングル板]]および極東アジアニュース板は公式に、2ちゃんねる内の[[隔離板]]という位置づけがなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 陰謀論 ===&lt;br /&gt;
嫌韓の間では[[陰謀論]]が頻繁に唱えられている。例えば、インターネット上で嫌韓運動を扇動している各サイトでは「[[街宣車]]を用いて[[プロパガンダ]]活動を行なう行動派右翼の団体は主に在日韓国朝鮮人を構成員としており、右派の社会的イメージを貶めるために、反社会的な活動を行っている」と言う主張がされている。しかし、その根拠とされている物には憶測や捏造された情報もあり、この為、いくつかの右翼団体は反感を覚えてインターネットにおける活動から退却した(「街宣車ギャラリー」、「大日本大門党」など)。&amp;lt;ref&amp;gt;根拠として、[[BBC]]が「右翼団体構成員の大半は[[在日コリアン]]と被差別出身者が九割を占める」等と報道したという番組の存在があげられる（ネット上では多くの場合、菊紋と共に“韓日友好”とリヤゲートにペイントされた「武相育成塾」の街宣車の写真と共に流布される。）しかし、BBCの番組については、タイトルや放映日時など何一つ不明で未だに一切明らかになっていない。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元[[公安調査官]]（[[公安調査庁]]調査第二部部長）の[[菅沼光弘]]は、2006年10月19日の外国特派員協会の講演において、[[ヤクザ]]の構成員について「60％の人々は所謂同和の関係者であります。そして、30％の人たちは在日の人たちであります。」と発言、右翼団体については「今の右翼、或いは民族団体と言われるものは、これは資金的な関係が最大の理由でありますけれども、ほとんど全て、もう100％と言っていいと思いますけれども、これは、バックグランドはヤクザであります。」と発言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他には「日本の芸能界と報道機関は&amp;lt;!--([[左翼]]と)陰謀論としても初耳--&amp;gt;在日コリアンによって牛耳られており、在日社会にとって不利な活動を行うと抹殺される」「ある都道府県は裏で在日コリアンによって支配されている」等と言う陰謀論が多い。&amp;lt;!--(もっとも、朝鮮人が経営者の大部分を占めるパチンコ業界と警察OBの癒着など、これらの主張には全く根拠が無いわけではない。)←根拠とは呼べない。（←パチンコ企業が少なくとも在日系とつながりがあるというのは昔から言われている話しで）←それがなぜ芸能界・左翼・報道・自治体支配の根拠になるのか????--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 政財界 ====&lt;br /&gt;
嫌韓意識をもつ人、嫌韓的な特集を良く組む保守系新聞及び保守系論壇誌は、親日的だった[[統一協会]]や[[朴正煕]]-[[全斗煥]]時代の[[軍事政権]]による[[民主主義]]の弾圧にはほとんど触れる事はない。&amp;lt;!--(嫌韓論をあおる事で、韓国に軍事政権を復活させ、防共の砦でありつづけることを望んでいたとする陰謀説もある。)←右の陰謀説の方も聞いたことがない--&amp;gt;[[1990年代]]以降語られることが減ったが、政界においては「[[親韓派]]」（[[岸信介]]、[[福田赳夫]]など）と呼ばれる勢力が大きな存在感をもち「親韓派ロビー」の影響力は大とされていた。政界にかぎらず日本の右派勢力と韓国軍事政権とは緊密な関係を保っており、多額の政府間経済協力も行われていた。また、右派文化人は、韓国民主化運動には無関心かむしろ否定的であった。例えば[[大江健三郎]]などの態度、[[金芝河]]の解放運動への態度、「[[学園浸透スパイ団事件]]」の解決に関する無関心、[[金大中事件|金大中拉致事件]]に対する冷淡な態度と[[KCIA]]によって日本の主権を侵害されたことをほとんど不問としたことなどが挙げられる。これらのことから、韓国における左右勢力と日本における左右勢力の配置がうかがえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自民党内部から、工作費、謀略費が元[[韓国中央情報部|KCIA]]（[[金大中]]時代に大幅縮小された）幹部に流れていると言う陰謀説もある。なおCIAから自民党や韓国軍部に反共活動支援のための秘密資金が流されていたのは事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国内の不安・不満を外に向けさせるために、敢えて竹島へと測量船を出そうとし、与党自民党中心に、日韓関係の緊迫化を狙っていると言う陰謀説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカの[[軍産複合体]]が、日本に高度・高価な武器を売りつけるために、朝鮮半島と日本の緊張感を敢えて作り出している、それにアメリカ国防省または[[CIA]]が絡んでいるのでは、という陰謀説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみにこれら陰謀論自体が嫌韓を嫌った韓国政府の陰謀と言う説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
===両国にまたがる事柄===&lt;br /&gt;
*[[反日]]&lt;br /&gt;
*[[日韓問題]] - [[竹島問題]] - [[日本海呼称問題]]&lt;br /&gt;
*[[ナショナリズム]] - [[排外主義]] - [[愛国無罪]]&lt;br /&gt;
*[[右翼思想・左翼思想]] &lt;br /&gt;
*[[ヘイトクライム]]&lt;br /&gt;
*[[不法入国]]&lt;br /&gt;
*[[従軍慰安婦]]&lt;br /&gt;
*[[強制連行]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===日本の事柄===&lt;br /&gt;
*[[ヘイトスピーチ]]&lt;br /&gt;
*[[ヘイトクライム]]&lt;br /&gt;
*[[逆差別]]&lt;br /&gt;
*[[自慰史観]]&lt;br /&gt;
*[[自虐史観]]&lt;br /&gt;
*[[日本の民族問題]]&lt;br /&gt;
*[[在日コリアン]]&lt;br /&gt;
*[[人権擁護法案]]&lt;br /&gt;
*[[マンガ嫌韓流]]&lt;br /&gt;
*[[チョン]]&lt;br /&gt;
*[[2ちゃんねらー]]&lt;br /&gt;
*[[自由主義史観]]&lt;br /&gt;
*[[新しい歴史教科書をつくる会]]&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会]]&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟]]&lt;br /&gt;
*[[日本会議]]&lt;br /&gt;
*[[ネット右翼]]&lt;br /&gt;
*[[特定アジア]]&lt;br /&gt;
*[[在日認定]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===韓国の事柄===&lt;br /&gt;
*[[事大主義]]&lt;br /&gt;
*[[小中華思想]]&lt;br /&gt;
*[[韓国起源説]]&lt;br /&gt;
*[[統一教会]]&lt;br /&gt;
*[[NAVER]]&lt;br /&gt;
*[[AKIA]]&lt;br /&gt;
===メディア関連===&lt;br /&gt;
*[[産経新聞]]&lt;br /&gt;
*[[朝日新聞]]&lt;br /&gt;
*[[日本放送協会]]&lt;br /&gt;
===人物関連===&lt;br /&gt;
*[[小林よしのり]]&lt;br /&gt;
*[[安倍晋三]]&lt;br /&gt;
*[[麻生太郎]]&lt;br /&gt;
*[[小泉純一郎]]&lt;br /&gt;
*[[石原慎太郎]]&lt;br /&gt;
*[[西村眞悟]]&lt;br /&gt;
*[[櫻井よしこ]]&lt;br /&gt;
*[[西村幸祐]]&lt;br /&gt;
*[[黄文雄]]&lt;br /&gt;
*[[中川八洋]]&lt;br /&gt;
*[[勝岡寛次]]&lt;br /&gt;
*[[山野車輪]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.jkcf.or.jp/friendship2005/japanese/ 日韓友情年2005：フレンドシップ2005 トピックス・イベントカレンダー(K-POPS,韓国映画,他)]&lt;br /&gt;
*[http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_machimura/acd/gaisho_gai.html 日韓外相会談（概要）（平成17年4月7日）]&lt;br /&gt;
*[http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_machimura/acd/gaisho_gai.html 読売新聞世論調査より　「親韓」ムード、急速に冷え込む…日韓共同世論調査]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}} &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:民族差別|けんかん]]&lt;br /&gt;
[[Category:嫌韓| ]]&lt;br /&gt;
[[Category:日韓関係|けんかん]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.157.206.233</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AB%8C%E9%9F%93&amp;diff=27454</id>
		<title>嫌韓</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AB%8C%E9%9F%93&amp;diff=27454"/>
				<updated>2008-03-21T06:51:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.157.206.233: /* 陰謀論 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''嫌韓'''（けんかん）とは、[[日本人]]がもつ[[外国人恐怖症|外国人嫌悪（ゼノフォビア）]]感情の一つで、[[大韓民国]]（韓国）に関わっている全ての事象、韓国[[文化]]、韓国人、[[在日コリアン]]などを嫌悪する態度の[[俗称]]。韓国に留まらず[[朝鮮民主主義人民共和国]]（北朝鮮）、同国民、中国[[朝鮮族]]、[[韓国系アメリカ人]]など[[朝鮮民族|朝鮮半島をルーツに持つ人間]]、または嫌韓を批判する日本人、韓国を評価する日本人まで対象に含む場合もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[外国人恐怖症|外国人嫌悪（ゼノフォビア）]]は、世界のどの国でもごく普遍的に見られるものであり、隣国同士の対立感情としても古代から存在する。ゆえに、日本における朝鮮半島への悪感情・差別感情は長い歴史をもつ。以下の欄では、現在称される「嫌韓」という言葉がいかに一般的に知られるようになったか歴史をひもといて述べていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 第二次世界大戦前後までの対朝鮮認識 ==&lt;br /&gt;
[[日本人]]の朝鮮民族に対する反感・嫌悪はもともと三韓鼎立の時代にさかのぼり、優越意識・差別意識も近代以前にさかのぼることができる。これには東アジア中華文明圏に属する両国の特殊な事情もある。『[[三国史記]]』新羅伝には倭と倭人を萌芽的小中華思想に基づき蛮族と見下しているような記述が散見されるが、日本でも『[[日本書紀]]』・『[[続日本紀]]』の中ですでに同様の思想に基づき朝鮮半島の諸国と住民を見下しているような記述が散見される。また、[[元寇]]や[[応永の外寇]]において起きた[[壱岐]]・[[対馬]]島民の虐殺&amp;lt;ref&amp;gt;元寇以来、子どもを泣き止ませるのに「いつまでも泣いているとムクリ・コクリが来るよ」という言い方がされるようになった。ムクリは蒙古＝[[元]]、コクリは[[高句麗]]即ち[[高麗]]のことであるという。転じて、鬼のように恐ろしいものや無理非道で理不尽な物事のたとえとして使用された。尤も、ムクリコクリは「蒙古国（むくりこく）」という言い方が変形したもので、本来は高麗とは何の関係もない表現であったというのが有力である。&amp;lt;/ref&amp;gt;や、[[文禄・慶長の役]]といった不幸な歴史の積み重ねも関係している。[[日明貿易]]の最末期には日本の軍事力・国力が伸張したことを反映して、日本を華夷秩序の中で朝鮮・琉球よりも格上として扱ってほしいと申し入れたということもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本来よしみを通じる目的である[[朝鮮通信使]]においてさえも、その紀行文などには日朝相互の小中華思想に基づく蔑視・軽視が根底に見られた。江戸時代、清朝の成立後には、大陸にもはや中華はなく日本こそが中華であるとの中華秩序論が幕内で有力に主張されてもいた。同様に朝鮮でも朝鮮こそ中華であるとの中華秩序論が保守的な儒学者を中心に広く流布した。お互いに相手を蛮族と見る思想は表面的な友好の裏で火種のように燻った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対朝蔑視は、日本が[[李氏朝鮮]]を併合する前後に、多くの[[日本人]]にとって明確な「目前の問題」となった。[[日韓併合]]をとおして、日本人は朝鮮人を「遅れた民族」として[[差別]]するようになった。その意識がピークに達したのは、[[関東大震災#影響|関東大震災における朝鮮人虐殺事件]]であり、朝鮮人に対する最大の迫害事件の一つとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、朝鮮人の対日蔑視も小中華思想から来ており、中華文明との距離が小さい朝鮮を「兄」、距離が大きく中華帝国との結びつきも弱い日本を「弟」とし「中華文明の恩恵少なき野蛮な弟・日本を文明国たる兄・朝鮮が教化する」という発想が前提になっていた期間が長い。これは両国の関係が表向き対等となっていた室町、江戸時代に至っても残存し、実情にそぐわない自尊主義的な対日観を朝鮮の知識人にもたらした。&amp;lt;!--現在でもこの発想はたびたび散見される。)--&amp;gt; また、過去の時点で「弟」であったその日本に併合され支配されるに至ったという反発は、知識人を支配者側に同化させないという世界の植民地支配において珍しい事態をもたらした。以降、朝鮮の知識人は近代的知識人に世代交代してからも日本を普遍文明とみなすことは少なく、これが日本人による反発をさらに強めたとする主張が存在する。しかし、日本・朝鮮の双方とも近代以前の文明に対する認識を根拠に差別意識を持ったのは知識人層にかぎられており、一般庶民への浸透度に関する疑問も長らく唱えられつづけている。少なくとも、一般庶民における蔑視感情は併合の前後と植民地支配をとおしてピークに達していることは確認できる&amp;lt;ref&amp;gt;朝鮮憲兵隊司令部『朝鮮同胞に対する内地人反省資録』（内閣送付文書）、京城、1933年。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第二次世界大戦]]終戦後にも一時的に朝鮮人への反感が増した。日本の敗戦を受け、併合の抑圧意識から解放された朝鮮人の一部が民族的な組織を組み始めた。その一部は[[日本共産党]]と組し、各地で暴動を起こした。[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ/SCAP]]がこれを危険視し、解体させたが、「朝鮮人を差別する」という優越した立場を失ったと感じた多くの日本人はこれを「朝鮮人の横行・横暴」ととらえ、反感を覚えた&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 東西冷戦時代の対韓認識 ==&lt;br /&gt;
55年体制下では、韓国に対する批判は、左翼・革新陣営によって行われていた。そこでの批判の要点は、「韓国を支配しているのは軍事独裁政権であり、日本や米国の支配層と癒着して民衆を抑圧している」ととらえ、その民主化を求め、民衆同士の連帯を指向する性質のものだった。この立場からの韓国批判の象徴として広く影響を与えたのが、雑誌『世界』に長期連載された[[T・K生]]「[[韓国からの通信]]」である。しかし、この時点では「嫌韓」という言葉は使われていなかった。このときは、韓国政府あるいはその情報機関[[韓国中央情報部|KCIA]]批判であり、韓国人・朝鮮人・在日批判ではなかった。むしろ人倫的救済を意味していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「嫌韓」の誕生 ==&lt;br /&gt;
もともと「嫌韓」とは、[[1990年代]]前半頃より日本の[[保守]]系[[マスコミ]]、その他[[メディア (媒体)|メディア]]によって使われ始めた言葉だと言われている。この言葉は、過去の日本による[[日韓併合]]について[[日本]]政府の明確かつ公式な「謝罪と賠償」などを強く求める韓国世論に対し日本人が反発するさまを示すために使われている。この問題については、[[1965年]]の[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓基本条約]]以来、嫌韓を自称する者のみならず、いわゆる[[保守]]派は日本政府の立場と同調しつづけてきた。日本政府は、請求権を日本と韓国が相互に放棄し、日本側が当時数億ドルもの「経済協力金」を支払い、事実上これと引き換えに1965年の請求権協定2条に「請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と明記したことによって、すべての問題が既に決着済であるという立場を取っている。これに対して、日本政府の態度を批判する立場は多様である。韓国政府と同じく[[日韓併合]]以降の立法がすべて不法無効であるとの立場にたつ者、ここから派生した立場として[[第二次日韓協約]]以降が無効であるとする者、日韓基本条約は不平等条約であり日本国にのみ有利であるから不当であるとする者、逆に同条約は2つの反動国家の同盟条約であり朝鮮民族への補償になり得ていないから不当であるという立場をとる者、個人補償を国家間交渉によって放棄せしめてはいけないという国際法学における比較的新しい立場を取るもの、全世界の植民地支配と奴隷貿易と人種差別は遡及的に弾劾されるべきであるという立場を取る者など、多様である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
重要な側面として[[1980年代]]中ごろから韓国を軍事独裁国家であるとする見方が後退し、[[ソウルオリンピック]]の成功、[[ソビエト連邦|ソ連]]の崩壊など、[[冷戦]]が西側陣営の勝利に終わり、日本国内で民主主義国家として韓国を認識するようになったことがあげられる。これに伴い、[[日本社会党|社会党]]や[[日教組]]、各種労働団体、[[革新]]/[[左翼]]系マスコミは、韓国に宥和的な態度を取り、韓国に対する批判を忌避する姿勢を見せ始めた。このころ、北朝鮮に対しては各メディアとも認識を明らかにしないことや触れないことが多かった&amp;lt;ref&amp;gt;社会党は当初は南北対等の態度を取ると説明しつつ、また実際には党内対立もあって、北朝鮮との関係は皆無であった。しかし、[[1970年代]]に日本共産党と北朝鮮が対立したことから、かわって社会党が北朝鮮と友好関係を築きはじめた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。韓国への批判はかつて左翼系マスコミがリードしていたものが、[[右翼]]系マスコミに入れ替わった。これと共に反軍事独裁と言ったスローガンに置き換わる形で嫌韓が広まった。軍事政権化では、日本の自民党を始めとする保守勢力は融和的であり実際に「親韓派」と呼ばれる勢力が大きな影響力をもっていた。これら保守系は、韓国が民主化し、韓国人に言論の自由が広がるにつれて、手のひらを返すかのように、嫌韓的態度を露にするようになった。軍事政権下の反韓国は、[[金芝河]]への[[大江健三郎]]の獄中闘争援助など、あくまで政権批判であり、韓国人に対する攻撃ではなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 自由主義史観の台頭 ==&lt;br /&gt;
同時期、[[第二次世界大戦]]終結前の日本の政策に対する「否定的な暗黒歴史観（[[自虐史観]]）」を正そうと考える歴史観（[[自由主義史観]]）が生まれた。自由主義史観は提唱者である[[藤岡信勝]]の主張によれば、元々は「右の極端」（[[大東亜戦争]]肯定史観）にも「左の極端」（[[コミンテルン]]史観）も排し、“[[司馬遼太郎]]の歴史観（主として「[[坂の上の雲]]」にみられるそれ）を基本に幅広い国民的合意を得られる歴史観を構築しようとする”運動である。韓国人が抱く執拗な反日感情への反発（＝嫌韓）も見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由主義史観の誕生は、それまで日本国内で建前上よく言われていた「韓国は軍国日本の犠牲者である」と一方的に見る風潮への修正であると言われる。これは、執拗な反日政策をとる韓国への強い反感・軽蔑心を持つ日本人を増加させた。その一方で、韓国人が持つ反日感情をも増幅させ悪循環を引き起こしている。嫌韓感情と反日感情が対で語られる所以の一つである。韓国国内での反日感情は初代大統領[[李承晩]]が国策として、[[反共]]・[[反日]]・[[反中]]の3つの柱を据えたことに端を発するという見方もあり、嫌韓とは数十年の断絶がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初期の自由主義史観は「[[朝鮮半島]]統治は、確か悪い面があったが良い面もあった」と主張した。これは日本の悪かった面ばかりを強調する戦後民主主義における歴史教育を日本国民が見直す機会を与えたという主張もあるが、しかし植民地支配を行った側がそのようなことを主張するのは道義に照らしてふさわしくないという批判も受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、「自由主義史観」の提唱者である藤岡は、間もなく幅広い国民的合意を得られる歴史観の構築という自らの提唱を放棄し、事実上、当初は批判していた「大東亜戦争肯定史観」と同一化するに至り、「日本の支配の良い面ばかりを強調する史観」に移行している。今日では、「自由主義史観」とは、大東亜戦争肯定史観の別名と見做される事が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「新しい嫌韓」 ==&lt;br /&gt;
{{未検証}}&lt;br /&gt;
=== 2002 FIFA ワールドカップ以降 ===&lt;br /&gt;
現在の嫌韓現象を、これまでの朝鮮人[[差別]]とは違った現象であるとみなす者もおり、この立場からは「嫌韓」は「[[差別]]」ではないと主張される。戦前においては対朝鮮人差別・対支那人差別が堂々と正当化されることがあったが&amp;lt;ref&amp;gt;渡辺岐山『支那国民性論』大阪屋号書店、1922年。大谷孝太郎『支那国民性と経済精神』巌松堂書店、1943年。&amp;lt;/ref&amp;gt;、現代日本において民族差別思想そのものを正当化し「彼らは蔑視されるべきである」と断定する言説は、インターネット上の一部ページを除いては少ない。&lt;br /&gt;
嫌韓現象をこれまでの朝鮮人[[差別]]とは違った現象であるという主張によっては、以下の事柄が実際に起きている新たな現象であるとして挙げられている。まず[[日本人]]に、朝鮮民族や朝鮮文化全体に対して新たに嫌悪感を抱くに至ったと表明する者が出現したこと、その感情が若い世代に特徴的であることである。これは、[[21世紀]]に入って立て続けにおこった以下の事態と密接に関係していると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]に日韓共催で開催されたサッカーワールドカップ（[[2002 FIFAワールドカップ]]）で、韓国がベスト4へ進出する過程において、韓国に有利な誤審が相次いだことにより審判の買収が疑われて批判が相次ぎ、サポーターが韓国に対し嫌悪感を抱いたこと&amp;lt;ref&amp;gt;韓国×イタリア戦、韓国×スペイン戦では、誤審があったのではないかとする電子メールが80万件以上届き、FIFAは2002年6月23日に、誤審があったことを認めた[http://news.bbc.co.uk/hi/spanish/specials/mundial_2002/newsid_2053000/2053589.stm]。&amp;lt;/ref&amp;gt;、韓国人の日本代表チームへのブーイング、韓国との[[竹島 (島根県)|竹島問題]]が再燃したこと。また、韓国の国史教科書による「[[反日]]教育」なども要因に挙げられている。ただし、これについては近年改善中であるとする見解もある。また、そもそも[[反日教育]]などは行われていないという見解や、植民地支配の歴史を教えることが日本人には[[反日教育]]だとみなされていると解する者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも韓国の新聞社により開設された日本語サイトや日韓翻訳サイトにより直接韓国国内の対日言説を読めるようになり韓国に対する反発意識が起こったこと、そして韓国内での反日デモなどが挙げられる。加えて、北朝鮮による様々な対日工作、特に[[日本人拉致事件]]が明らかとなり、これまでそれほど行われていなかった北朝鮮への批判がマスコミ上でも目立つようになったことも、大きな影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
在日コリアンによる犯罪が実名ではなくしばしば[[通名]]で報道されること、日本における[[外国人犯罪]]で件数2位であるのが韓国であることも嫌韓感情の発生理由であるとして特にインターネット上で取り上げられがちである。一方で、朝鮮語読みを本名として報道される例も少なくないことから本人が通常使用している名前が基準となって報道されているだけであるとの指摘もあれば、警察発表を鵜呑みにしているに過ぎない（事実そうである媒体が多い）との指摘もある。通名報道に関しては、有名人レベルではない朝鮮人が成功者として稀に取り上げられるときには通名で報じられつつ犯罪者は常に朝鮮名で報じられるのが通例であった時期に多くの在日コリアンが不満を訴えてもいた。通称名報道がいつから定着したのかは検証されておらず、本名報道・通名報道の使い分けがどのように行われているかはもちろん、使い分けが存在すると認識されたのはなぜかなども明らかではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[パチンコ]]、[[パチスロ]]は在日朝鮮人および在日韓国人の経営が多く、その利益の一部が北朝鮮に送金され北朝鮮の資金源になっていると報じられるなどしたこと&amp;lt;ref&amp;gt;北朝鮮の核武装の資金源になっているとも日本国外で報じられた。[http://pqasb.pqarchiver.com/wsj/access/9988728.html?dids=9988728&amp;amp;FMT=ABS&amp;amp;FMTS=ABS&amp;amp;date=Jul+24%2C+1996&amp;amp;author=Glain%2C+Steve&amp;amp;type=91_1996&amp;amp;desc=Lost+gamble%3A++How+Japan%27s+attempt+to+slow+nuclear+work+in+North+Korea+failed][http://www.ft.com/cms/s/56732fa8-14fe-11db-b391-0000779e2340.html][http://search.ft.com/searchArticle?queryText=pachinko&amp;amp;y=3&amp;amp;javascriptEnabled=true&amp;amp;id=021107001549&amp;amp;x=5]。2001年12月の北朝鮮工作船事件ではその船内から発見された携帯電話の通話先の一つが在日韓国人パチンコ店であり、その関係が現在調査されている[http://kyushu.yomiuri.co.jp/special/fushinsen/f-news/f-news021120.htm]。&amp;lt;!--「新しい嫌韓」の発生源？核武装やアメリカでの報道はさらに後では？--&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;、また警察との癒着体質が明らかになったこと、そして、これらの情報がインターネットの普及によって多くの人に同時に伝播するようになったことも大きな要因の一つと考えられる（但しこれは先述の社会的[[差別]]も影響している　学卒でさえ就職出来ない在日韓国・朝鮮人達が手っ取り早く起業出来た業種であるため&amp;lt;!--http://www.kobe-np.co.jp/rensai/back/korian/korian5-6.html--&amp;gt;）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、朝鮮の植民地化とその統治について話題になるときや、歴史認識で対立するときに嫌韓派からは次のような不満がしばしば表明される。「同じく植民地となった[[台湾]]で植民地統治に一定の評価が与えられ、感謝する者までいるのに対し、韓国・北朝鮮では植民地統治をほぼ全否定している」という不満である。ただし、台湾の例はあくまで「植民地統治が全否定されている」という不満を述べる立場からの解釈であり、どのような統計に基づいた理解であるかは明らかではない。また、実際には韓国、更には北朝鮮のように直接な表明はしないものの、日本の侵略を受けた他のアジア諸国でも同じように「戦前の日本」（具体的には侵略）に対して否定的である点が顧慮されない点も特徴である(ref)The Straits Times（シンガポール）Kwan Wang Kin記事『COURRiER Japon』2006年14号、同編集部訳、講談社、27頁。(/ref)。これらのことから嫌韓派は日本の植民地統治、侵略、軍政が批判されることよりも、それらの批判を各国の政府が国内統治や外交カードとして利用する姿勢に反発しているのだと見ることもできる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「在日コリアンは日本によって[[強制連行]]された朝鮮人とその子孫である」という認識がしばしば見られていたが、実際は多数が、戦後出稼ぎなどの事情で入国したもので強制連行された者は少数派である（徴用工補償請求訴訟に見られるように、連行された人も少なからずいる）ということを取り上げて、「これまでの虚偽が暴かれたので在日コリアンに対する感情が変化した」と主張し、認識の変化を嫌韓意識の理由とする人々もいる。しかし実際には在日朝鮮人の中でも強制連行主流派説は一般的でなく、これを嫌韓の理由とすることを疑問視する人もいる。なお、日本への移民が生まれた理由は無数にあるが、経済的困窮、土地改革に於ける土地の収奪（朝鮮人から日本人地主及び対日協力した[[親日派]]地主への大量の土地所有権の移動）が誘因であるとする解釈は、教科書的な記述においては一般的でありつづけている&amp;lt;ref&amp;gt;月脚達彦「植民地化と抵抗運動」吉田光男編『韓国朝鮮の歴史と社会』放送大学教育振興会、2004年、137頁、144頁、148頁。宮嶋博史「朝鮮における植民地地主制の展開」大江志乃夫他編『岩波講座　近代日本と植民地―４：統合と支配の論理』岩波書店、1993年、103-132頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。事実[[土地収用法]]の悪用により、日本語が解らない者から、書類不備を理由に土地を取り上げ、代わりに日本人を入植させた例が数多く存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓意識は韓国人の日本に対する対抗意識や対抗意識が昂じた行き過ぎた言動の裏返しとする意見もある。この意見は、韓国の教科書などのメディアでしばしば見られる「日本にある××は元は自分達が教えたものだ」といった様々な俗説に対する日本側の反発によって補強されている（[[韓国起源説]]）。そしてそれらの中には日本人を形成するうえでとても大切な文化もある。そのため、こういった韓国起源説を唱えるメディアを疑いなく信じて韓国起源だと言い張る韓国人による日本文化の起源捏造が日本人のプライドを傷つけ、より日本人の嫌韓感情を高まらせていると言われている。しかし、新しい嫌韓意識が取り沙汰される以前から、日本から韓国人に対して「韓国の文化は日本人がもたらしたものだ」という言説が少数飛び出しており、さらに「古代より日本の属国」という捏造といった言動が飛び出すなど、日本人の一部も同レベルの歴史歪曲を行っている。それが逆に上記のような韓国における一部の反日主義を煽っており、両国共に偏狭なナショナリストが国民を扇動している面もあるともいわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓派の主な[[プロパガンダ]]の場所はインターネット（とりわけインターネット掲示板[[2ちゃんねる]]の[[ハングル板]]など）であるという声が一部ある。しかし韓国政府の言動や韓国国民による[[反日デモ]]などが日本の若者の嫌韓感情を芽生えさせるケースも多く、彼等がそうした感情をインターネットの掲示板で投稿しているとも考えられる。実際のところ韓国批判の書籍は日本では90年代初頭より目立つようになってきている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本人の嫌韓感情は韓国人の[[反日感情]]と対に語られることがあるが、相手国大使館にデモをかけたり、国旗を燃やしたり、小指を切ったりといった類のデモンストレーションが日本で見られることはきわめて稀であり、両国文化の違いと、嫌韓感情と反日感情の性格的な違いを表現している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
若い世代の嫌韓意識は、初等中等教育に対する反動であるという主張がある。日本では初等中等教育において過去の日本の「悪行」を強調して教わり、中国、韓国など東アジア諸国への過去の清算が必要だと教わるため、そのことへの反発が原因であるとする主張である。初等中等教育の現状にはここでは立ち入らないとして、ここで言われているような教育への反発には、自分の前の世代の行為を何故自分達が謝らなければならないんだという意識も影響している。これに対して「過去の自国の過ちを忘れぬことは、人間の責務である」、「なんでも教育のせいにするな」という主張もある。[[田原総一朗]]のように「その左翼教育を受けて右になったんだから（今までどおりの教育で）いいじゃないですか」と主張する知識人もいる。&amp;lt;ref&amp;gt;もっとも、田原のこの論法を肯定することは、「どれだけ自由を弾圧しても自由を求める人は出てくるのだから、自由は弾圧してもよい」というような論を肯定することと同じであり詭弁にすぎないという批判、その批判自体が詭弁だという指摘もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓を表明する人間の多くは嫌韓の理由を問われた際、必ずしも韓国であるから嫌うわけではないとしている。彼等が考える所によれば、韓国は『捏造された歴史』&amp;lt;ref&amp;gt;『歴史を偽造する韓国――韓国併合と搾取された日本』中川八洋（徳間書店, 2002年）, 『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する―歪曲された対日関係史』勝岡寛次（小学館, 2001年）&amp;lt;/ref&amp;gt;を教え、自国の負の面（たとえば[[朝鮮戦争]]における[[保導連盟事件]]や[[ベトナム戦争]]参戦時の韓国のベトナム人民の無差別殺戮など）を隠して日本を弾劾しており、同時に日本国内にも、日本に不利なことばかりを教え韓国や周辺諸国の負の面をひたすらに隠し、周辺諸国に弱腰な日本の政治家やマスコミ、教育機関が存在しているので、あくまでそれらに対して反発しているだけで、韓国を貶めて日本を持ち上げ美化するという意図があるわけではないのだと主張している。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特筆すべきは、これらの対立がおおむね日本国内の[[歴史認識]]をめぐる対立を反映している点である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インターネットは嫌韓感情が盛んな媒体の一つである。そこでの発言は上記の[[歴史認識]]をめぐる対立を反映したものが多くを占めるが、同時に、嫌韓派の発言には背後にコリアンへの差別偏見や、韓国の「反日」と同レベルの韓国絶対悪という感情が透けて見える場合も多い。実際に、愉快犯的に「嫌韓」アジテーションや「[[差別]]表現を書き込むものもおり、インターネットは韓国・朝鮮人に対する[[差別]]表現と[[ヘイトスピーチ]]が横溢している空間になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在のインターネットでは韓国との直接的な議論が翻訳サイトを中心に可能になっている、少なくとも翻訳サイトにおいては韓国側による日本側に対する侮蔑的差別的書き込みの方がはるかに多くみられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ある世論調査 ===&lt;br /&gt;
インターネットでは2005年度の[[日本放送協会|NHK]]の[[BSディベート]]の投稿欄を外部の個人が集計した結果「95％の人間が韓国に親しみを感じないと回答した」としている。但し、インターネットで行われるアンケートはもとより無作為抽出でなく、投票者が限られている上に組織票を投じることも容易く、また珍しくないので、[[世論調査]]に比べると世論をどこまで反映しているかは不明である（[[2ちゃんねらー#団体行動]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
各種世論調査では長く「韓国に親しみを感じない」とするものが多数派だったが、平成11年以降の調査では「親しみを感じる」とするものが多数派に転じていた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www8.cao.go.jp/survey/h16/h16-gaikou/images/z07.gif 韓国に対する親近感]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、[http://www.nrc.co.jp 日本リサーチセンター]による[http://www.nrc.co.jp/rep/rep20050815.html 2005年の最新調査]では「（どちらかというと）韓国に親しみを感じる」意見は32%、「（どちらかというと）韓国に親しみを感じない」とする意見は41.1%となっており「親しみを感じない」とするものがふたたび多数派となった。[[内閣府]]による2005年度調査の[http://www8.cao.go.jp/survey/h17/h17-gaikou/2-1.html 外交に関する世論調査]では「（どちらかというと）親しみを感じる」が51.1％「（どちらかというと）親しみを感じない」とする者の割合が44.3％で、依然「親しみを感じる」とするものが若干多数派となっているが、2004年度に比較して減少傾向となっている。また、2006年度の内閣府による外交に関する世論調査でも「（どちらかというと）親しみを感じる」が48.5％「（どちらかというと）親しみを感じない」が47.1％となっており、「親しみを感じる」とするものが2年連続で減少している&amp;lt;ref&amp;gt;http://www8.cao.go.jp/survey/h18/h18-gaiko/2-1.html&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== マスメディアが果たした役割 ===&lt;br /&gt;
嫌韓感情をもつと言われる人々から日本の[[マスメディア]]に対しては次のような主張がある。「一般に韓国を好意的に扱って[[反日]]的な情報や韓国側に非のあるニュースを意図的に小さく扱っている」、「昨今の[[韓流]]ブームは[[電通]]などによる人工的な作為である」、「日本における韓国人[[俳優]]の[[ファン]]の大半が[[在日コリアン]]であり、その人達は韓国人タレントが来日する度に韓流ブームを加熱させたい勢力の出す動員令を受けて集結し騒ぎ立てている」という主張である。しかし在日だけでそれだけ盛り上がるのかと言う疑問も当然あり、[[陰謀論]]的な見解ではないかとの指摘もある（当項目・[[嫌韓#陰謀論|陰謀論]]参照）。この種の主張の真偽については嫌韓派の間でも見解が分かれる。しかし、実際に[[2005年]]の「日韓友情年2005」日本側実行委員会の副委員長には電通の会長が就任しており、これを韓流陰謀論の根拠となす見方もある。これに対しては「自社が関わっているイベントを大いに盛り上げるのは当然」という反論もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また批判にいう、当時のNHK会長[[海老沢勝二]]が、自局のドラマを差し置いて韓国ドラマを褒め称えているのを見ても明らかである。[[2003年]]に[[東京放送|TBS]]に就任間もない[[盧武鉉]]大統領が出演した際に100人が観客として番組に参加したのだが、通訳が行われる前にジョークに笑い出す、過半数の人が「愛している」を韓国語で言うことができるなど、韓国語に通じている人が集合しているといったこともあった。[[日本テレビ放送網|日テレ]]系番組『[[ザ!情報ツウ]]』で『[[冬のソナタ]]』の批判をした[[麻木久仁子]]のように、批判をしたがために女性週刊誌から一斉に攻撃されるタレントまで出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓を訴える人達によるマスコミバッシングの背景には、以前からたびたび批判されているマスコミのいわゆる「横並び体質」がある。ただ、従来からの「横並び体質」と一つ違うのは、公共放送であるNHKが加わっているということ、である。これに対しては[[テレビ]]メディアがドラマを流す事が、韓国に媚びている事になるのかと言う疑問、アメリカドラマや[[ハリウッド]]映画を連日流しても、“アメリカに媚びている”と主張する声は少ないではないかという意見もある（ただし、嫌韓を訴える人達の意見として[[アメリカ合衆国|アメリカ]]は[[同盟国]]であり、韓国よりつながりが深いのは当然だと言う意見もある）。また、NHKは韓国の映画業界に対して経済的な援助を継続している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓が増えるきっかけになった[[2002年]]の[[2002 FIFAワールドカップ]]開催以前からも韓国人タレント（[[ユンソナ]]や、かつては[[チョー・ヨンピル]]など）は日本にいるし、いくつかの韓国ドラマも、放送回数等の不完全もあったが『冬のソナタ』の日本での放送開始以前に日本のテレビ局で放送されていた（例：『[[イヴのすべて]]』テレビ朝日系）。[[深田恭子]]と韓国人俳優[[ウォンビン]]主演による日韓合作ドラマ『[[フレンズ]]』もTBSで製作されている。しかし、昨今の韓流ブームのような、誰でも明確にわかる爆発的な盛り上がりはあまり見られなかった。ドラマの視聴率の低迷が、即「嫌韓」に直結するのかどうか、疑問を持つものもいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[SAPIO]]、[[正論 (雑誌)|正論]]、[[諸君!]]で、しばしば嫌韓特集が組まれる。また[[PHP研究所]]、[[小学館]]、[[扶桑社]]、[[祥伝社]]、[[展転社]]で、嫌韓本が出されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インターネットが果たした役割 ===&lt;br /&gt;
1990年代後半になると、「嫌韓」という感情・行動はその言葉と共に[[インターネット]]の普及を境に大きく広がり始める。これは従来のメディアでは発信できなかった韓国・韓国人・韓国文化に嫌悪感を抱くような情報が、虚実を問わずインターネットを介して容易に発信できるようになった事があげられる。また、インターネットにより、韓国国内の日本に対する意識や記事などが日韓翻訳サイトや韓国の新聞社サイトを通じて手軽に日本人に読めるようになり、反日感情に対する安易な反発に直結してしまったネットワーカーが多い事も挙げられよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主なネット上の嫌韓派の拠点としては、[[2ちゃんねる]]の[[ハングル板]]や極東アジアニュース板、東アジアnews+板、&lt;br /&gt;
そして[[ふたばちゃんねる]]などが伝統的に挙げられてきたが、近年はブログなどにも広がりを見せている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「マンガ 嫌韓流」の登場 ===&lt;br /&gt;
[[2005年]]には、これらネット情報を元に書かれ、ネット上に掲載された漫画を書籍化した『[[マンガ 嫌韓流]]』（[[山野車輪]]作、晋遊舎、[[2005年]]）が発売された。&lt;br /&gt;
これは、インターネット上で広まっていた「嫌韓」ブームにのる形で出版された。&lt;br /&gt;
作者[[山野車輪]]も[[2ちゃんねる]]に固定ハンドルを使っての書き込みを行っていたほどの[[2ちゃんねらー]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『マンガ嫌韓流」は予約のみで[[Amazon.co.jp]]の売上ランキング1位を記録した（総発行部数は、2006年7月1日の段階で1巻2巻合わせて公称67万部）。ネット書店での実売から火がついたが、amazon.co.jpには発注が相次いだにもかかわらず書店には発注がないままでありつづけ、また小部数であることの必然として取次も大きく扱わず、特定勢力以外からはまともに相手にされず、大手書店には大きく並べられない期間があった。このことから嫌韓派の一部からは大手書店が扱いを控えているという疑心暗鬼と被害妄想が生まれた。また「大手書店が扱いを控えている理由」についてもさまざまな憶測が生まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓流は、1巻2巻合わせての総発行部数が67万部（2006年7月1日現在）を記録。インターネット上のごく一部の流行であった嫌韓が、アメリカの民主党系の新聞でも日本における[[外国人]][[差別]]だとして取り上げられる事態となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同書は一部の層に強く支持された。この層は次のように戦後の日本社会を見ている。戦後日本では外国人[[差別]]に反対する考え方が強く存在しているため、その流れを社会に示すことはなく、それを示すことは[[人種差別]]主義者と評される恐れを抱かせるため嫌韓が一般社会の流れとして現れることは無い、朝日新聞をはじめとする[[報道機関]]では韓国のイメージを悪化させる報道を差し控えることを社是としており韓国に対する否定的な観点が含まれた論調はまったく報道されることが無かった。このように信じている一部の人達、報道自主規制があると信じている特定勢力には、「マンガ嫌韓流」発売は「言論弾圧」を告発し、正しい情報を広めるものとして好意的に受け止められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際には、民主化が進展する以前は韓国政府に対し批判的であり、韓国という国家を好意的に報道していたわけではない。逆にサンケイ新聞等は韓国政府の人権抑圧や金大中事件（日本の国家主権の侵害であり、本来なら彼ら右派の格好の批判の的となるはず）等も共産主義との戦いの為だとし是認あるいは黙認し批判することはなく、反共主義的政策を賞賛していた。（「冷戦後の対韓認識と「嫌韓」という言葉の誕生」を参照。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その発売において、[[報道機関]]から広告の掲載すら拒否されたと出版元の晋遊舎のコメントが[[東京スポーツ]]により報じられたが、[[報道機関]]側からは“広告出稿さえなかった”と回答があり、晋遊舎の単なる宣伝の話題作りに東京スポーツがのせられただけなのではとの見方もある。（詳しくは[[マンガ 嫌韓流]]を参照のこと）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「嫌韓」支持者の言い分 ===&lt;br /&gt;
嫌韓感情を持つ人物が嫌韓の原因として主張している理由の主なものとしては、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*日本の朝鮮半島を併合して行った、学校・病院・ダム・水道・電信・鉄道・港湾・道路・近代建築などの[[インフラ]]整備が、少なくない朝鮮民族に恩恵を与えたことを韓国の歴史教育で教えない。&lt;br /&gt;
*日本が行った教育制度・近代法の制定など・産業の振興などのソフト面での近代化・文明化の成果を一切無視している。&lt;br /&gt;
*日本が近代化をするために行った数々の政策に対して、韓国側が荒唐無稽な陰謀論を流布してまで日本絶対悪説に務める態度。（韓民族の精気の抹殺するために山に呪いの鉄柱を埋めたなど。実際は測量用の基準点）&lt;br /&gt;
*韓国国定教科書で見られる日韓併合以前の歴史に対する記述。また日本に対する極端な侮辱的な記述。（「日本は元々文化的に劣等」もしくは「未開な日本が秀吉の朝鮮侵攻と朝鮮通信使によって韓国を追い抜いた」とよめるような記述）&lt;br /&gt;
*[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓基本条約]]の締結により韓国に関する補償問題は解決済みであるにもかかわらず、執拗に個人補償要求や謝罪要求を繰り返すところ。&lt;br /&gt;
*日本が[[右傾化]]や[[国粋主義]]や歴史歪曲をしていると執拗に喧伝しているにもかかわらず、韓国自身がどの国よりも[[右傾化]]や[[国粋主義]]や歴史歪曲にまみれているところ。&lt;br /&gt;
*韓国人旅行者や留学生の日本人に対する異常なまでの敵愾心。&lt;br /&gt;
*スポーツイベントに見られる、極端な民族主義と反日・侮日行為。&lt;br /&gt;
*「～の起源は韓国」（[[韓国起源説]]）と、根拠や証拠もなしに外国（主に日本）が発明もしくは発生したものを、韓国が独自に開発したと取られかねない歴史記述や詐称をし、それらを基にした不条理な要求をおこなうところ。&lt;br /&gt;
*敗戦後の混乱期に警察権の及ばない国内在住の朝鮮人が行った犯罪行為&lt;br /&gt;
*韓国人による犯罪行為と、それに対する報道機関による隠蔽、たとえ報道したとしても、本人とは特定できないよう考慮した偽名による報道。いわゆる通名報道。&lt;br /&gt;
*貸金業（[[消費者金融|サラ金]]業界及び[[闇金融|闇金]]）、[[パチンコ]]等のギャンブル、[[暴力団]]など社会的に問題のある産業への広い関与&lt;br /&gt;
*国際世論として非難されている日本国民の拉致、及び核武装政策を推し進める北朝鮮に対して[[在日本朝鮮人総連合会|朝鮮総連]]が一切の非難を行わない事&lt;br /&gt;
*[[在日本大韓民国民団]]（民団）など[[在日コリアン|在日韓国人]]団体が、日本国に保護されているにもかかわらず日本を非難することへの不満&lt;br /&gt;
*[[不法滞在|不法入国者、不法滞在者]]、[[不法就労|不法就労者]]の増加とそれによる治安の悪化&lt;br /&gt;
*[[盧武鉉]]政権下での竹島近辺での海洋調査問題や、韓国での親日糾弾法の成立などの[[反日]]政策と大統領自身の日本に対する発言&lt;br /&gt;
*韓国人の強い反日感情に呼応する感情行為としてのもの&amp;lt;ref&amp;gt;ソウル新聞「日本に[[特定アジア]]される韓国」（韓国語）[http://www.kdaily.com/news/newsView.php?id=20051220030004 ]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*アジア諸国の中で反日感情が強いのは[[中国]]と[[韓国]]だけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
等があげられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「嫌韓」批判者の言い分 ===&lt;br /&gt;
嫌韓に否定的な立場からは―&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*韓国に対する[[占領政策]]を正当化するための[[自慰史観]]であり、日本[[右翼]]による[[扇動]]である&lt;br /&gt;
*[[嫌韓流]]の支持者や[[ネット右翼]]は、[[嫌韓流]]の作者と同様、韓国の実情や[[歴史]]について非常に不勉強で、せいぜい数冊の本を読んだ程度で歴史が分かったような気になっているが、そもそも実際に韓国へ行った事のある者は少数に過ぎず、誤解が多い&lt;br /&gt;
*その結果、[[日本政府]]や[[日本軍]]が行った数多くの残虐行為や圧政、[[韓国]]での[[文化遺産]]の破壊（詳しくは[[朝鮮総督府]]や[[景福宮]]などの項を参照）について、何も知らないか知識が乏しい&lt;br /&gt;
*日本軍が、主として軍の輸送を目的として作った港や鉄道さえ、韓国のためにやったと主張してしまい、日本の行為を過剰に正当化している&lt;br /&gt;
*人間が根底に持っている他者を排除したがる[[選民思想]]の特徴的な現れである&lt;br /&gt;
*日本が韓国を占領した際に発生した、韓国人への謂れなき[[差別]]、優越意識と[[植民地]]人に対する[[蔑視]]感情である&lt;br /&gt;
*[[日本人]]が[[韓国]]に行ってきた[[占領政策]]や[[独立運動]]に対する[[弾圧]]等、処遇に対する、韓国の[[復讐]]への[[恐怖]]感が嫌韓の原因である&lt;br /&gt;
*嫌韓を主張する[[2ちゃんねらー]]や[[ウィキペディアン]]は、明らかに[[フリーター]]や[[ニート]]、[[引きこもり]]など、いわゆる社会の[[負け組]]であり、[[マスコミ]]や[[社会体制]]への怨念（[[ルサンチマン]]）を持ち、これを発散するために[[外国人]]の悪口を言っているだけである。&lt;br /&gt;
*嫌韓はネット上の一部の人間が主張しているだけで、多くの[[国民]]はそれほど関心もなく、[[嫌韓流]]などの本もその支持者が主張するほど現実には売れてはいない。&lt;br /&gt;
*日本政府が、[[北朝鮮]]の脅威を利用して、韓国人への[[差別]]を煽っている&lt;br /&gt;
*植民地支配に関する[[日本の戦争謝罪発言一覧|首相談話]]が公式に存在するにも拘らず、保守派からこれを無視しての正当化発言が繰り返されている&lt;br /&gt;
*アメリカでユダヤ系のタレントが多数活躍しているのと同様に、[[民族差別]]により韓国・朝鮮人在留者は実力のみが評価される社会で生きざるを得ないのであり、被差別者なら誰にでもあり得る境遇である（出典：別冊宝島『嫌韓流の真実! ザ・在日特権』の芸能、スポーツ選手に関する項目 ）&lt;br /&gt;
*[[小林よしのり]]は自著の中で「マンガ・嫌韓流はただの差別行為」と一蹴した。&lt;br /&gt;
*「車の運転が荒い」など、日本以外ならどこでも当てはまるようなことも批判している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
等と主張している。気をつけたいのは、お互いにあくまで「主張」であり、必ずしも事実認識ではないことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 嫌韓運動の実態 ==&lt;br /&gt;
嫌韓運動は、人によって主張の内容に大きな幅がある。単に韓国の芸能人、芸能界が嫌いと言うものから、[[ネオナチ]]紛いの選民・優生思想を掲げて朝鮮民族の排斥を唱えるもの等まで、様々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌韓派の態度は多様である。在日コリアンが多いと言われる[[サラ金]]・[[パチンコ]]業界と政治の癒着体質を問題視する者もいる。韓国人の[[在日外国人]]の犯罪者数（外国人犯罪では中国に次ぎ2位）も近年になり急増し、電車内で所かまわず刃物を振り回し、また催涙スプレーをまき散らす韓国人強盗団(武装すり集団)などの日本での犯罪を例示して、韓国人入国[[ビザ]]免除などの政策が犯罪を助長していると指摘する者など、日本政府の政策を問題視する者（ただしビザ免除は相互主義であり、日本人も韓国に自由に短期滞在でき、また相互協定を取り消すこともできる）もいる。さらに、日本政府の竹島問題に対する「弱腰」を声高に非難する者、[[渡来人]]を先祖に持つ人物を[[コリアンジャパニーズ|朝鮮民族の仲間]]だと見做して敵視する者もいる。一方でこういった問題には関心を見せない者もいる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「嫌韓厨」の登場 ===    &lt;br /&gt;
嫌韓派がネット上で増加するにつれ、[[2ちゃんねる]]内も含め、嫌韓派の行為に不快感を持つ者も現れてきた。とくに、時機を弁えずに嫌韓[[コピペ]]を貼る、韓国人に対しあからさまに差別意識を出す、嫌韓情報を捏造する、韓国人が関われば無条件で罵倒する、嫌韓発言を批判する相手を“在日”または“工作員”扱いする―などといった行為を行う者は、'''嫌韓厨'''（厨とは「[[厨房]]」の略語）と呼ばれることがある。嫌韓派は、「韓国に対して不都合な情報を発信しただけで、『嫌韓厨』と決め付けられている」と主張しているが、一般的に、それだけで「嫌韓厨」と呼ばれることはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、2ちゃんねるの管理人[[西村博之|ひろゆき]]も、嫌韓派に対しては否定的な発言をしており、[[ハングル板]]および極東アジアニュース板は公式に、2ちゃんねる内の[[隔離板]]という位置づけがなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 陰謀論 ===&lt;br /&gt;
嫌韓の間では[[陰謀論]]が頻繁に唱えられている。例えば、インターネット上で嫌韓運動を扇動している各サイトでは「[[街宣車]]を用いて[[プロパガンダ]]活動を行なう行動派右翼の団体は主に在日韓国朝鮮人を構成員としており、右派の社会的イメージを貶めるために、反社会的な活動を行っている」と言う主張がされている。しかし、その根拠とされている物には憶測や捏造された情報もあり、この為、いくつかの右翼団体は反感を覚えてインターネットにおける活動から退却した(「街宣車ギャラリー」、「大日本大門党」など)。&amp;lt;ref&amp;gt;根拠として、[[BBC]]が「右翼団体構成員の大半は[[在日コリアン]]と被差別出身者が九割を占める」等と報道したという番組の存在があげられる（ネット上では多くの場合、菊紋と共に“韓日友好”とリヤゲートにペイントされた「武相育成塾」の街宣車の写真と共に流布される。）しかし、BBCの番組については、タイトルや放映日時など何一つ不明で未だに一切明らかになっていない。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元[[公安調査官]]（[[公安調査庁]]調査第二部部長）の[[菅沼光弘]]は、2006年10月19日の外国特派員協会の講演において、[[ヤクザ]]の構成員について「60％の人々は所謂同和の関係者であります。そして、30％の人たちは在日の人たちであります。」と発言、右翼団体については「今の右翼、或いは民族団体と言われるものは、これは資金的な関係が最大の理由でありますけれども、ほとんど全て、もう100％と言っていいと思いますけれども、これは、バックグランドはヤクザであります。」と発言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他には「日本の芸能界と報道機関は&amp;lt;!--([[左翼]]と)陰謀論としても初耳--&amp;gt;在日コリアンによって牛耳られており、在日社会にとって不利な活動を行うと抹殺される」「ある都道府県は裏で在日コリアンによって支配されている」等と言う陰謀論が多い。&amp;lt;!--(もっとも、朝鮮人が経営者の大部分を占めるパチンコ業界と警察OBの癒着など、これらの主張には全く根拠が無いわけではない。)←根拠とは呼べない。（←パチンコ企業が少なくとも在日系とつながりがあるというのは昔から言われている話しで）←それがなぜ芸能界・左翼・報道・自治体支配の根拠になるのか????--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 政財界 ====&lt;br /&gt;
嫌韓意識をもつ人、嫌韓的な特集を良く組む保守系新聞及び保守系論壇誌は、親日的だった[[統一協会]]や[[朴正煕]]-[[全斗煥]]時代の[[軍事政権]]による[[民主主義]]の弾圧にはほとんど触れる事はない。&amp;lt;!--(嫌韓論をあおる事で、韓国に軍事政権を復活させ、防共の砦でありつづけることを望んでいたとする陰謀説もある。)←右の陰謀説の方も聞いたことがない--&amp;gt;[[1990年代]]以降語られることが減ったが、政界においては「[[親韓派]]」（[[岸信介]]、[[福田赳夫]]など）と呼ばれる勢力が大きな存在感をもち「親韓派ロビー」の影響力は大とされていた。政界にかぎらず日本の右派勢力と韓国軍事政権とは緊密な関係を保っており、多額の政府間経済協力も行われていた。また、右派文化人は、韓国民主化運動には無関心かむしろ否定的であった。例えば[[大江健三郎]]などの態度、[[金芝河]]の解放運動への態度、「[[学園浸透スパイ団事件]]」の解決に関する無関心、[[金大中事件|金大中拉致事件]]に対する冷淡な態度と[[KCIA]]によって日本の主権を侵害されたことをほとんど不問としたことなどが挙げられる。これらのことから、韓国における左右勢力と日本における左右勢力の配置がうかがえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自民党内部から、工作費、謀略費が元[[韓国中央情報部|KCIA]]（[[金大中]]時代に大幅縮小された）幹部に流れていると言う陰謀説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国内の不安・不満を外に向けさせるために、敢えて竹島へと測量船を出そうとし、与党自民党中心に、日韓関係の緊迫化を狙っていると言う陰謀説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカの[[軍産複合体]]が、日本に高度・高価な武器を売りつけるために、朝鮮半島と日本の緊張感を敢えて作り出している、それにアメリカ国防省または[[CIA]]が絡んでいるのでは、という陰謀説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみにこれら陰謀論自体が嫌韓を嫌った韓国政府の陰謀と言う説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
===両国にまたがる事柄===&lt;br /&gt;
*[[反日]]&lt;br /&gt;
*[[日韓問題]] - [[竹島問題]] - [[日本海呼称問題]]&lt;br /&gt;
*[[ナショナリズム]] - [[排外主義]] - [[愛国無罪]]&lt;br /&gt;
*[[右翼思想・左翼思想]] &lt;br /&gt;
*[[ヘイトクライム]]&lt;br /&gt;
*[[不法入国]]&lt;br /&gt;
*[[従軍慰安婦]]&lt;br /&gt;
*[[強制連行]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===日本の事柄===&lt;br /&gt;
*[[ヘイトスピーチ]]&lt;br /&gt;
*[[ヘイトクライム]]&lt;br /&gt;
*[[逆差別]]&lt;br /&gt;
*[[自慰史観]]&lt;br /&gt;
*[[自虐史観]]&lt;br /&gt;
*[[日本の民族問題]]&lt;br /&gt;
*[[在日コリアン]]&lt;br /&gt;
*[[人権擁護法案]]&lt;br /&gt;
*[[マンガ嫌韓流]]&lt;br /&gt;
*[[チョン]]&lt;br /&gt;
*[[2ちゃんねらー]]&lt;br /&gt;
*[[自由主義史観]]&lt;br /&gt;
*[[新しい歴史教科書をつくる会]]&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会]]&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟]]&lt;br /&gt;
*[[日本会議]]&lt;br /&gt;
*[[ネット右翼]]&lt;br /&gt;
*[[特定アジア]]&lt;br /&gt;
*[[在日認定]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===韓国の事柄===&lt;br /&gt;
*[[事大主義]]&lt;br /&gt;
*[[小中華思想]]&lt;br /&gt;
*[[韓国起源説]]&lt;br /&gt;
*[[統一教会]]&lt;br /&gt;
*[[NAVER]]&lt;br /&gt;
*[[AKIA]]&lt;br /&gt;
===メディア関連===&lt;br /&gt;
*[[産経新聞]]&lt;br /&gt;
*[[朝日新聞]]&lt;br /&gt;
*[[日本放送協会]]&lt;br /&gt;
===人物関連===&lt;br /&gt;
*[[小林よしのり]]&lt;br /&gt;
*[[安倍晋三]]&lt;br /&gt;
*[[麻生太郎]]&lt;br /&gt;
*[[小泉純一郎]]&lt;br /&gt;
*[[石原慎太郎]]&lt;br /&gt;
*[[西村眞悟]]&lt;br /&gt;
*[[櫻井よしこ]]&lt;br /&gt;
*[[西村幸祐]]&lt;br /&gt;
*[[黄文雄]]&lt;br /&gt;
*[[中川八洋]]&lt;br /&gt;
*[[勝岡寛次]]&lt;br /&gt;
*[[山野車輪]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.jkcf.or.jp/friendship2005/japanese/ 日韓友情年2005：フレンドシップ2005 トピックス・イベントカレンダー(K-POPS,韓国映画,他)]&lt;br /&gt;
*[http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_machimura/acd/gaisho_gai.html 日韓外相会談（概要）（平成17年4月7日）]&lt;br /&gt;
*[http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_machimura/acd/gaisho_gai.html 読売新聞世論調査より　「親韓」ムード、急速に冷え込む…日韓共同世論調査]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}} &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:民族差別|けんかん]]&lt;br /&gt;
[[Category:嫌韓| ]]&lt;br /&gt;
[[Category:日韓関係|けんかん]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.157.206.233</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%9C%A8%E6%97%A5%E8%AA%8D%E5%AE%9A&amp;diff=27453</id>
		<title>在日認定</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%9C%A8%E6%97%A5%E8%AA%8D%E5%AE%9A&amp;diff=27453"/>
				<updated>2008-03-21T06:49:22Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.157.206.233: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''在日認定'''（ざいにちにんてい）とはある[[日本人]]を[[在日コリアン]]であると認定すること。特に、日本人が自分の気に入らない著名人（[[芸能人]]や[[政治家]]他）を同様に決めつけて（具体的には姓を韓国風に捏造、「この者の名前は[[通名]]である」と主張するなどして）貶める行為。多くの場合事実無根のデマ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 概要 ===&lt;br /&gt;
日本では基本的に[[2ちゃんねる]]で広がった用語であると見られ「韓国や韓国人に不信を抱く」人達によって他の掲示板やウェブサイトでも使われ、また各所に実しやかに流布されている。同じ在留外国人であっても、欧米人が“在日”と呼ばれる事はまずないために、[[蔑称]]として捉える事も出来るだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
在日コリアンの犯罪率が高いことは事実であるが、[[嫌韓]]系の[[ウェブサイト]]では、警察白書のデータでは外国人犯罪に占める韓国籍の者が一位である事実を持って、凶悪犯罪や性犯罪が報じられると「''そのような悪質犯罪者は韓国人や朝鮮人に決まっている''」という先入観や偏見、「''そのような悪質犯罪者が日本人であってほしくない''」という願望によって被疑者・犯人が在日認定される事もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また偶然[[創氏改名]]時や[[帰化]]時の通名に多くの在日韓国人が選択した苗字または韓国姓に似た[[苗字]]などだった場合、それだけで「在日認定」されることもある。&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[文化多元主義]]&lt;br /&gt;
* [[名誉毀損罪]]&lt;br /&gt;
* [[日本の民族問題]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人種差別|さいにちにんてい]]&lt;br /&gt;
[[Category:インターネットの文化|さいにちにんてい]]&lt;br /&gt;
[[Category:Wikipediaで保護された記事|さいにちにんてい]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja|在日認定}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.157.206.233</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%B8%81%E5%B5%90&amp;diff=27452</id>
		<title>利用者・トーク:丁嵐</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%B8%81%E5%B5%90&amp;diff=27452"/>
				<updated>2008-03-21T06:48:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.157.206.233: /* 唖然 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ひひひひひ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 唖然 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あんた、バカ？　他人を稲村某と断じてるが証拠があるの？--[[利用者:220.157.206.233|220.157.206.233]] 2008年3月21日 (金) 15:47 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.157.206.233</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%B8%81%E5%B5%90&amp;diff=27451</id>
		<title>利用者・トーク:丁嵐</title>
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				<updated>2008-03-21T06:47:26Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.157.206.233: New section: 唖然&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ひひひひひ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 唖然 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あんた、バカ？--[[利用者:220.157.206.233|220.157.206.233]] 2008年3月21日 (金) 15:47 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.157.206.233</name></author>	</entry>

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		<title>利用者・トーク:121.92.91.31</title>
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				<updated>2008-03-21T06:44:52Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.157.206.233: 新しいページ: '無関係の相手を特定個人と断じるなら然るべき物証を挙げなさい。--~~~~'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;無関係の相手を特定個人と断じるなら然るべき物証を挙げなさい。--[[利用者:220.157.206.233|220.157.206.233]] 2008年3月21日 (金) 15:44 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.157.206.233</name></author>	</entry>

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		<title>利用者・トーク:125.2.81.185</title>
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				<updated>2008-03-21T06:44:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.157.206.233: 新しいページ: '無関係の相手を特定個人と断じるなら然るべき物証を挙げなさい。--~~~~'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;無関係の相手を特定個人と断じるなら然るべき物証を挙げなさい。--[[利用者:220.157.206.233|220.157.206.233]] 2008年3月21日 (金) 15:44 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.157.206.233</name></author>	</entry>

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		<title>トーク:岡田有希子</title>
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				<updated>2008-03-21T06:41:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.157.206.233: /* いいかげんにしてください */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==記事を差し戻しすぎではないか？==&lt;br /&gt;
このような大容量の差し戻し行為はサーバーに著しい負荷をかけてしまうのでおやめください。内容に問題があるのならここで議論して下さい。--[[利用者:レッヅ|レッヅ]] 2007年11月14日 (水) 22:46 (JST)&lt;br /&gt;
:バッサリ消した理由をこそ明示願います。そもそもそれが差し戻される原因です。--[[利用者:121.1.238.17|121.1.238.17]] 2007年11月16日 (金) 22:09 (JST)&lt;br /&gt;
あまりにも偏った自己満足な内容の捏造記事ばかりだからです。　--[[利用者:116.80.12.135|116.80.12.135]] 2007年11月17日 (土) 05:28 (JST)&lt;br /&gt;
:では、その捏造の部分を明示して頂けないでしょうか。--[[利用者:レッヅ|レッヅ]] 2007年11月17日 (土) 22:06 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 捏造について詳しく説明 ==&lt;br /&gt;
上記の部分に詳しく説明。--[[利用者:121.103.2.186|121.103.2.186]] 2007年11月19日 (月) 15:03 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:余りにもファンにとって都合のいい捏造が多過ぎて説明の余地なし。--[[利用者:124.25.223.177|124.25.223.177]] 2008年1月11日 (金) 18:28 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 復帰 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
消す理由について何らの説明もされていない。全復帰させました。--[[利用者:122.249.118.120|122.249.118.120]] 2008年1月9日 (水) 21:58 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:余りにもファンにとって都合のいい捏造が多過ぎて説明の余地なし。--[[利用者:124.25.223.177|124.25.223.177]] 2008年1月11日 (金) 18:31 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全体に亘って、余りにも偏り過ぎて自己満足な間違った痛い捏造情報だらけである！しかも書いたのはほとんどが中岡一久である！！バッサリカットしたのは、ここは百科事典であるはずなのに岡田有希子の項目だけが特別詳し過ぎるのはおかしいだろ！しかもここは岡田有希子ファンサイトではないし。--[[利用者:124.25.223.177|124.25.223.177]] 2008年1月11日 (金) 22:05 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:詳しいバージョンが見たいのであれば、下記のサイトに改正されたものがコピペされてあった。ここだと自己満足な痛い捏造部分だけを全てカットして正確な情報に正してあるので好感が持てる。&lt;br /&gt;
:http://www.hamq.jp/i.cfm?i=yukikoban&amp;amp;s=7050--[[利用者:124.25.223.177|124.25.223.177]] 2008年1月11日 (金) 22:22 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Yourpedia:編集についての方針]]にない解釈で削除されることは反対します。[[利用者:たこさま|たこさま]] 2008年1月22日 (火) 08:52 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:没後ヲタが強情に差し戻している長い長い記事の内容が嘘だらけで痛過ぎるんですよ！！--[[利用者:116.80.25.106|116.80.25.106]] 2008年1月23日 (水) 00:11 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
……中岡某だって？　あんたバカ？　でなきゃ偏執狂だ。差し戻してる人がそうだと言うなら証拠挙げなさい。--[[利用者:122.249.118.130|122.249.118.130]] 2008年1月25日 (金) 14:51 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:中岡であろうがなかろうがそんな事はどうでもいい。お前が強情に差し戻している長い記事は嘘だらけで余りにも自分達没後ヲタに都合が良すぎる捏造だらけで偏ってて痛すぎると言ってるんだ。お前ら没後ヲタは編集するな！！--[[利用者:121.92.91.31|121.92.91.31]] 2008年1月28日 (月) 20:55 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::IPが自分勝手で削除してるので復帰。（早く保護してほしいよ）。--[[利用者:Morikawa|Morikawa]] 2008年2月1日 (金) 20:45 (JST)&lt;br /&gt;
Morikawa＝千葉県佐倉市井野1109-99に在住の「セシル」こと稲村良光（昭和42年12月24日生まれ・40歳）が自分勝手で嘘だらけの捏造版に差し戻して岡田有希子を晒し者にしてるので復帰。（早く保護してほしいよ）。--[[利用者:116.80.216.211|116.80.216.211]] 2008年2月2日 (土) 06:57 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:IPが勝手に差し戻しをしているので復帰。（早く保護してほしいよ）--[[利用者:YOURPEDIA|YOURPEDIA]] 2008年2月2日 (土) 12:37 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
YOURPEDIA（これもソックパペット）が勝手に嘘だらけの捏造版に差し戻して岡田有希子を晒し者にしてるので復帰。（早く保護してほしいよ）。--[[利用者:125.2.81.185|125.2.81.185]] 2008年2月3日 (日) 20:21 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:いいかげんにしろ！！！いつまでこんなこと続けるんだ！！！、こんな記事さっさと保護しろ！！！--[[利用者:234.118.056|234.118.056]] 2008年2月4日 (月) 00:47 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== いいかげんにしてください ==&lt;br /&gt;
ちゃんと議論を行ってください。稲村良光さんをいじめるのはやめてください。--[[利用者:第3者|第3者]] 2008年2月10日 (日) 18:51 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:[[利用者:第3者]]＝稲村良光の臭すぎるソックパペットの自演ｗ--[[利用者:124.27.131.124|124.27.131.124]] 2008年2月11日 (月) 07:00 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
稲村氏でもファンでもないけどリバートは良くないと思う。初版執筆者が先編集権を行使すればいいのに。保護したほうがいいですよ。--[[利用者:キラークイーン|吉良吉影]] 2008年2月13日 (水) 14:20 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:いつんなったら保護すんだ！いいかげんにしろ！！--[[利用者:Vasdeklassea ceelo|Vasdeklassea ceelo]] 2008年3月13日 (木) 15:16 (JST)&lt;br /&gt;
::インフォウェブ（ニフティ）東京・光接続のIP（124.25.128.0/17、116.80.0.0/17他）が必死になってますね。--[[利用者:220.157.206.233|220.157.206.233]] 2008年3月21日 (金) 15:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.157.206.233</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=27447</id>
		<title>岡田有希子</title>
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				<updated>2008-03-21T06:38:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.157.206.233: リスト書式崩壊により修正&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ActorActress|&lt;br /&gt;
| 芸名 = 岡田有希子&amp;lt;br /&amp;gt;おかだ ゆきこ&lt;br /&gt;
| 画像ファイル =&lt;br /&gt;
| 画像サイズ =&lt;br /&gt;
| 画像コメント =&lt;br /&gt;
| 本名 = 佐藤佳代&lt;br /&gt;
| 愛称 = '''ユッコ'''&lt;br /&gt;
| 出生地 = {{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
| 民族 =&lt;br /&gt;
| 血液型 = O型&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=84&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| 生年 = 1967&lt;br /&gt;
| 生月 = 8&lt;br /&gt;
| 生日 = 22&lt;br /&gt;
| 没年 = 1986&lt;br /&gt;
| 没月 = 4&lt;br /&gt;
| 没日 = 8&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986年]]&lt;br /&gt;
| 活動内容 =&lt;br /&gt;
| 配偶者 =&lt;br /&gt;
| 主な作品 = 『[[禁じられたマリコ]]』&lt;br /&gt;
| 受賞 = レコード大賞最優秀新人賞&lt;br /&gt;
| その他 =&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田 有希子'''（おかだ ゆきこ、本名は'''佐藤 佳代'''（さとう かよ）、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
*夜、四谷斎場でファン達のための密葬お通夜が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの一般人 ===&lt;br /&gt;
*岡田虫→''[[岡田虫]]を参上''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[新宿音楽祭]]金賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第26回[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本テレビ音楽]]祭新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第10回[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第15回日本歌謡大賞新人賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデン・アロー賞]] &lt;br /&gt;
*1985年：第11回あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁鬱病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.157.206.233</name></author>	</entry>

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				<updated>2008-03-21T06:31:41Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.157.206.233: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|芸名=岡田有希子&lt;br /&gt;
|愛称=ユッコ&lt;br /&gt;
|画像ファイル=&lt;br /&gt;
|画像コメント=岡田有希子&lt;br /&gt;
|生年=1967&lt;br /&gt;
|生月=8&lt;br /&gt;
|生日=22&lt;br /&gt;
|没年=1986&lt;br /&gt;
|没月=4&lt;br /&gt;
|没日=8&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[愛知県]][[一宮市]]&lt;br /&gt;
|血液型=o&lt;br /&gt;
|身長=155&lt;br /&gt;
|体重=42&lt;br /&gt;
|バスト=86&lt;br /&gt;
|ウエスト=58&lt;br /&gt;
|ヒップ=84&lt;br /&gt;
| [[堀越学園高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
| ジャンル = 歌手&lt;br /&gt;
| 所属事務所 = [[サンミュージック]]&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1984年]] - [[1986]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岡田 有希子'''（おかだ ゆきこ、本名は'''佐藤 佳代'''（さとう かよ）、[[1967年]][[8月22日]] - [[1986年]][[4月8日]]）は[[日本]]の80年代の[[アイドル歌手]]の一人。[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]出身（出生は同県[[一宮市]]）。[[名古屋市立向陽高等学校]]→[[堀越高等学校|堀越高校]]卒業。所属事務所は[[サンミュージック]]。当時[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」。その後「いつまでも、一緒にいてね」と変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
中学3年生の時に[[オーディション]]番組『[[スター誕生!]]』の第85代チャンピオンになり、[[芸能界]]入りする。[[1984年]][[4月21日]]に『ファースト・デイト』でアイドル歌手として[[デビュー]]。同年、[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞を受賞。ポスト[[松田聖子]]と評された典型的な「清純派アイドル」の一人であり、その「ユッコスマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔と控えめなキャラクター、笑顔とアンバランスなグラビア映えするスタイルで人気を博し、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[コマーシャル|CM]]と引っ張り凧になる。[[1986年]]1月、[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]・ソング『くちびるNetwork』が大ヒット。しかし、人気絶頂の中、所属事務所ビルから投身自殺。人気アイドルの突然の死は18歳という若さとともに、ファンや[[芸能界]]のほか、社会にも大きな衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
没後10年以上経過してもなお、収録曲を[[ファン]]投票で選んだ[[ベストアルバム]]が[[2002年]]に発売されたり、同年リリースのアルバムBOXが3万枚以上を売り上げるなど人気は根強く、活動期間がわずか3年であったにも関わらず、“永遠のアイドル”として今なお多くの人々に慕われ、その[[夭折]]を惜しまれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
===デビューする以前の出来事===&lt;br /&gt;
====[[1967年]](8月22日～12月)====&lt;br /&gt;
*[[8月22日]]正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体重2000グラム、体長47センチという小柄な赤ちゃんであった。&amp;lt;ref&amp;gt;「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」やは「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「[[帝王切開]]」を勧めたが、母親は[[自然分娩]]の道を選んだ&amp;lt;/ref&amp;gt;。姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられる。&amp;lt;ref name=why&amp;gt;『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1969年]]====&lt;br /&gt;
*2歳で、名古屋市熱田区に引越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1972年]]====&lt;br /&gt;
*4月　市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『[[キリスト教青年会|YMCA]]体操教室』に通い出す（小学校二年生まで続けた）。&lt;br /&gt;
*[[天地真理]]や[[桜田淳子]]のものまねをしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1974年]]====&lt;br /&gt;
*4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1975年]]====&lt;br /&gt;
*2年生になり、歌の上手さを買われ[[合唱]]部に入部。[[ソプラノ]]を担当。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1977年]]====&lt;br /&gt;
*4年生になり、絵画教室に通う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1979年]]====&lt;br /&gt;
*6年生の時、音楽劇『[[浦島太郎]]』で「乙姫」役を演ずる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1980年]]====&lt;br /&gt;
*3月に同小学校を卒業をする。&lt;br /&gt;
*4月　[[名古屋市立沢上中学校]]に入学する。一年から[[油絵]]を習い始める。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;[[河合奈保子]]のファンになる。&amp;lt;ref name=yoiko&amp;gt;よい子の歌謡曲4月増刊号『ベスト・オブ・岡田有希子』1987年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1982年]]====&lt;br /&gt;
*中学2年生の頃、『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』など様々な[[オーディション]]に応募するようになる。[[ニコン]]の「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。&lt;br /&gt;
*中学2年生の終わり頃、[[芸能界]]入りを両親に大反対される。&lt;br /&gt;
*中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、クリアできないと思われる条件（'''学校のテストで成績が学年で1番になること'''、'''中部統一テストで5位以内に入ること'''、'''第一志望の高校の試験に合格すること'''）を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を見事クリアし、『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。（当時、アイドル雑誌『[[Dunk]]』に昔の成績表を公開する企画があったが、岡田の成績は5段階評価でほとんどが5であった。）&lt;br /&gt;
*10月　『スター誕生!』の名古屋地区予選で[[北原佐和子]]の『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[1983年]](1月～9月)====&lt;br /&gt;
*[[3月30日]]　学校を早退してオーディションに出るなら[[内申書]]は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、[[後楽園ホール]]で開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。[[中森明菜]]の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*4月 [[進学校]]の[[名古屋市立向陽高等学校]]に入学する。同級生には[[東進ハイスクール]]の[[講師]]である[[河本敏浩]]がいたが面識があったかは不明。&lt;br /&gt;
*向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。&lt;br /&gt;
*4月某日　「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。（サンミュージック、[[キャニオン]]、[[研音]]、[[バップ|VAP]]）の四社から指名された）&lt;br /&gt;
*福田専務の[[スカウト]]で、プロダクションの[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]に入りを決め(同じ『スター誕生！』出身の[[桜田淳子]]が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。&lt;br /&gt;
*5月15日　サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。[[相澤秀禎]]社長（現在は会長）のリクエストに答え、[[薬師丸ひろ子]]の『セーラー服と機関銃』と[[松田聖子]]の『[[秘密の花園]]』を歌う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*7月　一[[学期]]の[[終業式]]の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*8月25日　両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、[[新幹線]]で東京へ旅立つ。&lt;br /&gt;
*8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の[[成城]]にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした[[桑田靖子]]とデビュー前の[[滝里美]]がいた。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*9月、[[堀越高等学校]]に転校。芸能コースＤ組で学ぶ。クラスメイトには「[[本田美奈子.|本田美奈子]]」、「[[南野陽子]]」、「[[長山洋子]]」、「[[倉沢淳美]]」、「[[高部知子]]」、「[[桑田靖子]]」、「[[石野陽子]]」、「[[宮崎ますみ]]」、「[[永瀬正敏]]」などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能活動開始　1983年10月～1984年2月===&lt;br /&gt;
*10月、[[毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラー[[ディスクジョッキー|DJ]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歌手デビュー以降　1984年3月～1986年3月===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1984年(3月～12月)====&lt;br /&gt;
*○月○日　同行取材ツアーという事務所の企画で、[[スポーツ新聞]]の芸能担当記者たちと[[サイパン]]へ行く。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*3月25日　『[[NHKヒットステージ]]』で初めてのテレビ出演。&lt;br /&gt;
*4月、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]の『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。&lt;br /&gt;
*[[4月21日]]　 キャニオン・レコード（現：[[ポニーキャニオン]]）から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。（レコーディングには作曲者の[[竹内まりや]]が激励に現れた）10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。&lt;br /&gt;
*その後[[竹内まりや]]と[[尾崎亜美]]が[[シングル]]曲を[[プロデュース]]した。&lt;br /&gt;
*7月18日　デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月21日　第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。&lt;br /&gt;
*9月30日　ファーストコンサートを行う。&lt;br /&gt;
*12月31日　「[[日本レコード大賞]]」で「新人賞」を授賞。&lt;br /&gt;
*当時は、[[1980年]]デビュー組の'''[[松田聖子]]'''・'''[[田原俊彦]]'''・'''[[河合奈保子]]'''・'''[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]'''・'''[[柏原芳恵]]'''、翌[[1981年]]デビューの'''[[近藤真彦]]'''、さらに「'''[[花の82年組]]'''」と呼ばれた'''[[中森明菜]]'''・'''[[小泉今日子]]'''・'''[[シブがき隊]]'''・'''[[堀ちえみ]]'''・'''[[早見優]]'''・'''[[松本伊代]]'''・'''[[石川秀美]]'''等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には'''[[菊池桃子]]'''・'''[[吉川晃司]]'''・'''[[荻野目洋子]]'''・'''[[長山洋子]]'''などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞をとったが、[[1985年]]の終わりまでは大きな[[ヒット]]には恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せなず[[地味]]な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であった[[菊池桃子]]がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であった[[吉川晃司]]も選ばれず、結果として有希子が[[FNS歌謡祭]]の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1985年====&lt;br /&gt;
*1月16日　第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月17日　第五弾シングル『ＳＵＭＭＥＲ　ＢＥＡＣＨ』をリリース。12万1千枚を記録。&lt;br /&gt;
*4月　『スプリング・コンサート』を開催。&lt;br /&gt;
*7月　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）「[[月曜ドラマランド]]」単発ドラマ[[かぐや姫・とんで初体験!?]]に主演。好評を得る。&lt;br /&gt;
*8月　東京・[[池袋]]のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。&lt;br /&gt;
*ＮＨＫの『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 11月29日 12月2日まで[[過労]]で入院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====1986年(1月～3月)====&lt;br /&gt;
*1月29日　[[カネボウ化粧品]]の春の[[カネボウ]]の[[キャンペーン]]ソング『[[くちびるNetwork]]』をリリース。[[作詞]]が[[松田聖子]]、[[作曲]]・[[アレンジ|編曲]]が[[坂本龍一]]ということでも話題となり、23万枚（[[オリコン]]調べ）を記録する初の大ヒットとなり、[[ヒットチャート|チャート]]誌で初の1位も記録する。&lt;br /&gt;
*3月　堀越高等学校を卒業する。&lt;br /&gt;
*3月25日　サンミュージックで高校卒業を祝うパーテｲ―が開かれる。[[桑田靖子]]、[[酒井法子]]らが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺する1週間前以内での出来事 1986年(4月1日～4月7日）===&lt;br /&gt;
====[[4月2日]]====&lt;br /&gt;
*「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月4日]]====&lt;br /&gt;
*「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相沢社長宅から[[南青山]]の[[マンション]]の一室（2DK）に引越し、一人暮らしを始める。&lt;br /&gt;
*プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする（この模様が自殺後にテレビ放映される）。 &lt;br /&gt;
*結果的に最後の番組収録となった[[テレビ朝日]]の『[[歌謡ドッキリ大放送]]』（司会者は関口宏）の収録で『くちびるNetwork』を歌う。（この番組は自殺後の[[4月13日]]に放送され、歌の後に[[訃報]]を伝える[[スーパー (映像編集)|テロップ]]が出た）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月5日]]====&lt;br /&gt;
*友人であり当時アイドル歌手であった[[南野陽子]]と都内某所で[[映画]]『[[女優フランシス]]』を鑑賞する。&amp;lt;ref name=idolpops&amp;gt;　『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』[[宝島社]] &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*この日に[[渋谷公会堂]]での昼夜二回の『スプリング・コンサート』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲は[[ビートルズ]]の『Tell Me Why』、[[杏里]]の『悲しみがとまらない』、[[早見優]]の『PASSION』を[[カバー]]した。&lt;br /&gt;
*コンサート終了後、相沢社長の宅に引っ越しのあいさつに行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月6日]]====&lt;br /&gt;
*14時30分開始の[[名古屋市民会館]]でのコンサートのために[[新幹線]]で東京から名古屋へ向かう。同じ[[車両]]に、当時は無名であり[[落語家]][[修行]]時代の[[伊集院光]]が乗っており、有希子を目撃していたと言う（伊集院は「有希子さんの歌はたやすく聞くことが出来ない」と語った。）&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;コンサート終了後、『[[国際ホテル]]』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[4月7日]]====&lt;br /&gt;
*スケジュールが「OFF」のこの日の19時に[[渋谷]]の[[東急文化会館]]内にある「渋谷パンテオン」での『[[ロッキー (映画)|ロッキー4]]』の試写会に以前にドラマで共演した女性と共に出席。この試写会が[[マスコミ]]前での人生最後の姿となる（翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった）。22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフ[[マネージャー#芸能界のマネージャー|マネージャー]]から電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』（[[テレビ朝日]]）の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺直前の出来事 1986年4月8日 (～12時15分）===&lt;br /&gt;
*[[4月8日]] 午前5時20分頃、成城で[[タクシー]]を拾い、[[東京駅]]を目前にした[[東京都庁]]わきの工事現場前で降りる。&amp;lt;ref name=idolpops/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*早朝、[[南青山]]にある自宅[[マンション]]の室内で[[ガス]][[自殺]]に加え[[リストカット]]による自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、[[警視庁]]指令センターに[[110番]]通報し、同センターより[[東京消防庁災害救急情報センター]]に連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、[[救急車]]で[[港区 (東京都)|港区]]の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の[[福田時雄]]専務と、女性付き人の[[山崎結美]]が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー[[溝口伸郎]]は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の[[歯科]]にて[[歯]]の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京[[四谷]]の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務の「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ」との励ましにうなづく。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ（相澤社長からだった説も&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;）から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっと[[ティッシュ]]を・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の[[階段]]で7階の上の[[屋上]]へ上がり、12時15分頃に'''[[飛び降り]][[自殺]]'''を図る。[[享年]]18。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==死後の出来事==&lt;br /&gt;
===自殺直後の出来事　1986年4月8日 (12時15分～）===&lt;br /&gt;
*遺体は[[警察]]の手で12時40分、[[四谷警察署]]に運ばれた。事件を報じた週刊平凡は警察の回答として「[[検視]]の結果、自殺と確認された為、[[司法解剖]]は行わない」。&lt;br /&gt;
*午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。&lt;br /&gt;
*夜、四谷斎場でファン達のための密葬お通夜が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺の原因===&lt;br /&gt;
岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり、正確な原因は現在も不明である。&lt;br /&gt;
*遺書めいた物に名前が記されていたとされる[[俳優]]、[[峰岸徹]]に失恋説&lt;br /&gt;
:*この件について自殺当日夜、仕事先の[[東京放送|TBS]]別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。&lt;br /&gt;
:*報道陣から、&amp;quot;愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか？&amp;quot;との問いに「もしそういうこと（有希子が峰岸に対して愛情があった）だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は[[独身]]であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*2005年に相澤秀禎元社長（現在は会長）が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城付近で[[タクシー]]を拾った有希子の行動の一部を『[[日刊ゲンダイ]]』にてコメント。成城にある&amp;quot;その男性&amp;quot;の自宅を見つめて夜明けまで過ごしたとしている。&lt;br /&gt;
:*また、週刊誌や[[パソコン通信]]上などで、俳優の[[神田正輝]]との恋の噂も出ていたため、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。&lt;br /&gt;
*恋仲であると一部で噂された神田正輝の子を[[妊娠]]していた説&lt;br /&gt;
:*遺稿集『愛をください』（[[朝日出版社]] 1988年）において有希子の母が、有希子が自殺する2日前に名古屋の実家に立ち寄った際に[[月経| 生理]]用品を買っていたのを目撃したと語り、妊娠説を[[否定]]。&lt;br /&gt;
*前日の[[4月7日]]に[[サーキット]]で事故死した[[レーシングドライバー]]・[[萩原光]]の後を追った説。二人の間に[[面識]]が有ったかは不明。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺の10日前に、『[[スケバン刑事]]』で女優としても活動し、[[1986年]]5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった[[遠藤康子]]（当時17歳）がビルから投身自殺したことに影響された説。（遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある（当時の『[[週刊平凡]]』に男性のインタビュー記事あり）。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の表情の変化・兆候===&lt;br /&gt;
事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族らは「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし出演していたテレビの録画を後日よく観察して見た人々からは、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、表情はにこやかにしているものの、振り付けを殆んどしないで耳に手を当てたまま歌っている事があったり、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かないなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていたのではないかとする向きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後の世間の騒動===&lt;br /&gt;
*翌日朝の報道で、有る[[スポーツ紙]]が岡田有希子本人が、歩道に落下し頭部から出血した写真を最終面で掲載したため、報道側の倫理概念を批判する意見を提起する専門家・報道関係者が相次いだ。（当時は写真のデジタル加工などを行う習慣や、技術もなかったため、非常に露骨な報道として叱責の対象となった。）&lt;br /&gt;
*青少年の連鎖的な後追い自殺が直後に発生した為、国内年間の[[自殺]]者数が前年度よりも急上昇、'''「有希子シンドローム」'''&amp;lt;ref&amp;gt;このように知名度や人気の高い人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象は[[ウェルテル効果]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と称され&amp;lt;ref&amp;gt;この1986年の１月から３月までの少年・少女の自殺者は過去２年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125％（151人）もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。&amp;lt;/ref&amp;gt;、当時の国会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html 第104回国会　文教委員会　第10号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007c.html 第104回国会　補助金等に関する特別委員会　第7号] 昭和61年（1986年）4月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;でも取り上げられる程の[[社会問題]]にまで発展した。また当時の[[総理府]]の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で（報道は）行われるべきである」との声明を発表し、[[日本自殺予防学会]]では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時[[テレビ朝日]]系で放送されていた「[[ニュースステーション]]」では[[キャスター]]の[[久米宏]]が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の[[和泉雅子]]が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の[[森田健作]]が『[[おはようナイスデイ]]』で組まれた自殺防止特集「緊急特集　後追い自殺はやめて」で、早まらないようファンに呼びかけた事がこれを物語っている。&lt;br /&gt;
*有希子の自殺から2日後の[[1986年]][[4月10日]]、[[TBSテレビ]]系『[[ザ・ベストテン]]』（[[生放送]]）のエンディングでは、司会の[[黒柳徹子]]が落胆した[[ファン]]や家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった[[中森明菜]]と[[南野陽子]]、[[西村知美]]など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた（中森はしきりに目頭を押さえていた）。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら（岡田と同期デビューだった[[荻野目洋子]]が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映）、番組の[[クレジットタイトル|エンドロール]]を流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。&lt;br /&gt;
*それから6日後の[[4月13日]]に放送された[[テレビ東京]]系『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』でも、司会の[[あのねのね]]がオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ（通常の形式ではなく調整室で撮影）、デスクに立てられた[[遺影]]に献花した。&lt;br /&gt;
*有希子が自殺した直後の[[写真]][[映像]]が[[週刊誌]]『[[Emma]]』（[[1986年]][[5月10日]]号）に公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での[[峰岸徹]]との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの[[堀越高等学校]]の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた[[絵画]]などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の[[山口智子]]・[[麻木久仁子]]・[[鈴木保奈美]]の[[グラビア]]が掲載されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葬儀での出来事===&lt;br /&gt;
[[告別式]]は、通夜の翌日[[4月10日]]に堀越高校近くにある[[中野区]]の[[宝仙寺]]で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の[[落合斎場]]で[[荼毘]]に付された。その翌日[[4月11日]]、[[遺骨]]は故郷の名古屋に戻り、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[東本願寺名古屋別院]]でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、[[桜田淳子]]、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった[[南野陽子]]に[[荻野目洋子]]、さらに[[吉川晃司]]と[[舘ひろし]]らが参列した。このとき、吉川と舘は[[サングラス]]を掛けたまま参列したため、[[ダン池田]]は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺書===&lt;br /&gt;
現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。&lt;br /&gt;
内容はごく近い血縁関係の遺族しか見ていないと言われ、所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長ですら、見ていたか否かは定かではない。遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれる'''M'''の名前が書かれていると言う説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の自殺で中止となった企画===&lt;br /&gt;
有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。&lt;br /&gt;
*[[1986年]]4月○○日　愛知県[[豊橋市]]でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。&amp;lt;ref name=why/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*1986年[[4月13日]]：[[鶴岡市民文化会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月2日]]：[[大阪厚生年金会館]]での「Heart Jack」中止。&lt;br /&gt;
*1986年[[5月5日]]：[[よみうりランド]]での[[コンサート]]中止。&lt;br /&gt;
*「[[花のイマージュ]]」：有希子の幻のシングル曲（[[1986年]][[5月14日]]発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の[[1999年]][[3月17日]]に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]系列『[[ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業]]』：[[1986年]][[8月4日]]放送。[[渡辺典子]]主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。&lt;br /&gt;
*『素敵な休日』：[[堀ちえみ]]のシングル曲（[[1986年]][[10月21日]]発売）。有希子が歌う予定であったが、有希子の自殺でちえみが代わりに歌ったとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幽霊騒動===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡田有希子の幽霊騒動]]の項目を参上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===岡田有希子に捧げられた曲===&lt;br /&gt;
*[[インディーズ]]時代の[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]が[[1989年]]に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露（[[ボーカル]]の[[草野マサムネ]]が「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った）。&lt;br /&gt;
*竹内まりやのアルバム『Quiet Life』（[[1992年]]発売）の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada（岡田有希子さんの思い出に捧ぐ） ”の言葉が入れられている。&lt;br /&gt;
*[[パール兄弟]]のアルバム『パールトロン』（[[1997年]]発売）発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』について[[ヴォーカル]]兼[[作詞]]者の[[サエキけんぞう]]が複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。&lt;br /&gt;
*[[Rhymester]]のアルバム『[[HEAT ISLAND]]』（[[2006年]]発売）の『LIFE GOES ON feat. [[Full Of Harmony]]』の中にある[[宇多丸]]のパートでは、全て岡田有希子について唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。また命日の4月8日には大木戸ビル前広場に黙祷を捧げに行く。[http://blog.sonymusic.co.jp/rhymester/2006-04-08]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子の墓===&lt;br /&gt;
岡田有希子の[[墓]]は'''[[成満寺]]'''（[[愛知県]][[愛西市]]東篠町）にある。&lt;br /&gt;
*成満寺の[[納骨堂]]には、数々の岡田有希子に関する品々が納められている。&lt;br /&gt;
*納骨堂の他にも有希子の墓前にはファンたちによる有希子へのメッセージの[[メモ帳]]やファンからの品々が置いてあり有希子とは無関係の物は他のファンに取られたり寺関係の方たちに捨てられるケースがある。&lt;br /&gt;
*有希子は[[星]]の[[イヤリング]]が好きであったためにファンの多くは星のイヤリングをお供えする。&lt;br /&gt;
*有希子に関係する貴重な物(例えば[[遺品]])は成満寺の倉庫に保管されている。&lt;br /&gt;
* [[戒名|法名]]は「'''有楽院釈尼佳朋（ゆうぎょういんしゃくにかほう）'''」であるが、これは、'''有'''希子・音'''楽'''・'''佳'''代から一文字ずつ取り、“みんなに愛されたアイドル”を意味する'''朋'''の字を入れたものである。（「院釈尼」が[[浄土真宗]]における法名）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===自殺後のその他の出来事===&lt;br /&gt;
*有希子の自殺後、プロダクションは今後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部の[[ワイドショー]]を除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の[[1997年]][[2月9日]]放送の[[テレビ朝日]]系列の[[特別番組]]、[[ザ・スーパーサンデー]]「[[完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ]]」の中で岡田有希子を取り上げた。当日の各新聞のテレビ欄には往年の[[石原裕次郎]]・[[松田優作]]・[[夏目雅子]]・[[逸見政孝]]等といった大物たちを凌いで、トップで掲載された。さらに放送の数日前に[[ワイドショー]]や[[スポーツ紙]]でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]に有希子の[[命日|13回忌]]にちなみ、[[新宿文化センター]]で「岡田有希子展」が[[4月6日]]から[[4月8日]]までの3日間開催された。&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[7月19日]]に有希子の元[[マネージャー]]で、取締役制作部長の[[溝口伸郎]]&amp;lt;ref&amp;gt;溝口伸郎は以前はグループサンウズのバンド[[ザ・クーガーズ]]の[[ボーカル]]であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;（当時54歳）がプロダクションがある大木戸ビルの5階の[[便所|トイレ]]内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・[[新聞]]の報道・テレビ欄では「[[酒井法子]]のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた[[糖尿病]]を苦にしたのではないかと見られた。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**5月15日　ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。&lt;br /&gt;
**12月4日　ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた[[服部隆之]]のストリング・アレンジで録音された。&lt;br /&gt;
**12月18日 [[コンパクトディスク|CD]]6枚と[[DVD]]1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
===一般に対する評価===&lt;br /&gt;
*世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「''飛び降り自殺したアイドル''」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。 &lt;br /&gt;
*有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、マスコミが岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなった（事務所等の意向もあったと思われる）ため、[[1970年代]]半ば以前生まれの人達にはそれなりの[[知名度]]があるが、1970年代末以降生まれの人達の間での知名度は低い。&lt;br /&gt;
*有希子を[[リアルタイム]]で観ていた人達（ファンもファン以外も含めて）は「''全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない''」と評する人と「''生きていても限界で下り坂だろう''」と批判する人とがいる。&lt;br /&gt;
*有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「'''没後ファン'''」の人達からは、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。&lt;br /&gt;
===著名人からの評価===&lt;br /&gt;
* [[消しゴム]][[版画家]]で[[テレビ]][[批評家]]の[[ナンシー関]]が自書で同じく[[夭折]]した[[山田かまち]]・[[尾崎豊]]・[[hide]]・[[リバー・フェニックス]]よりも印象が強い人物と評した。&lt;br /&gt;
* [[評論家]]の[[大塚英志]]は有希子の自殺についてこう述べている&lt;br /&gt;
*:「アイドルとは(シミュラークル)が生身の実体を持った不幸な存在」あると言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岡田有希子のファン ==&lt;br /&gt;
=== ファンの主な活動 ===&lt;br /&gt;
* [[21世紀]]となった今でも、有希子のお墓参りで知り合ったファン同士で、全国各地の小会場で[[慰霊]]コンサート興行を行なったり、有希子をテーマにした[[ビデオ]]を製作したりしている。&lt;br /&gt;
* 岡田有希子の死後、ファン達によって「岡田有希子[[記念館]]」を故郷の名古屋市中区内か有希子の墓（成満寺）がある愛知県[[愛西市]]内に建立をしようとしたが、「自殺した」という当時の[[報道]]があまりにも衝撃的であり、世間では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまった為、地元の住民達に反対された。現在計画は全くというほど無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファンが起こした出来事 ===&lt;br /&gt;
* [[1986年]]&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[神戸]]で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1986年4月15日付（[[夕刊]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[4月24日]]、[[千葉県]]で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じた[[ワイドショー]]のビデオを繰り返し見ていたという。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[読売新聞]]』、『[[毎日新聞]]』いずれも4月24日付の夕刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[5月6日]]、21歳の男性ファンが、隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]&lt;br /&gt;
** [[12月]]の上旬頃、四谷四丁目の大木戸ビル前の広場の花壇に有希子のファンの誰かが有希子の[[慰霊碑]]を東京都の無[[許可]]で建てた。&lt;br /&gt;
** [[12月19日]]に東京都・[[新宿区]]・[[国土交通省]]・[[警視庁]]によって[[慰霊碑]]が撤去された。&lt;br /&gt;
** 慰霊碑が撤去された変わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から[[2004年]]の[[3月]]頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画はまったく無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの著名人 ===&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[坂本ちゃん]]‐有希子の坂本ちゃんへのメッセージ入りの[[サイン]]&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;※サインの文章の内容は「坂本○○（本名）さんへ いつまでも応援してね」というものである&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;を持っていて生涯一番好きなアイドルだと言われている。&amp;lt;ref name=&amp;quot;idolpops&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[お笑い芸人]]：[[松村邦洋]]‐歌手の[[中森明菜]]の大ファンであり、その次にアイドルであった[[斉藤由貴]]や有希子のファンであったと有希子のファンから伝えられている。有希子の主演ドラマであった『禁じられたマリコ』を[[視聴]]していたと[[プライベート]]上で松村本人が言っていた。また[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[速報!歌の大辞テン]]』（[[1999年]][[11月24日]]放送）に[[ゲスト]]で出演し有希子の映像が流れる前に「有希子さんはねっ、僕と同い年なんですよっ、今生きていたら32歳（当時）なんですよっ。」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[漫画家]]・[[タレント]]：[[山咲トオル]]‐松田聖子の次に2番目に好きなアイドルだと言われている。命日に大木戸前広場へお参りに行ったともいわれている。&lt;br /&gt;
* [[ミュージシャン]]：[[村上てつや]]（[[ゴスペラーズ]]）‐ラジオ番組で有希子のお墓参りに行ったことを告白した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子ファンの一般人 ===&lt;br /&gt;
*岡田虫→''[[岡田虫]]を参上''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==[[命日]]の出来事（4月8日）==&lt;br /&gt;
''{{main|佳桜忌}}''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
===性格===&lt;br /&gt;
*コンサートイベント時以外のプライベートな時間ですら、ファンと街で出会うと気軽にサインや写真撮影に応じるなど、気さくでサービス精神が豊富であった人物像が窺える。&lt;br /&gt;
*一方、芸能界入りを母親に反対された時には[[ハンスト]]を決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。&lt;br /&gt;
*好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無く[[ポスト]][[松田聖子]]と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。&lt;br /&gt;
*今で言う[[ドリーム小説]]に近い創作小説や[[詩]]、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。&lt;br /&gt;
*8月生まれにも関わらず、春や[[桜]]、もしくは桜色・ピンクの衣装やアクセサリーに固執していた。余談ながら、有希子がこの世に生を受けたのは、尾張一宮市の『さくら助産院』であり、彼女が亡くなった日の東京が桜花爛漫であったことから、その[[命日]]はファンの間で[[佳桜忌]]（けいおうき）と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===夢===&lt;br /&gt;
*岡田有希子は生前雑誌でよく23歳([[1990年]])で結婚引退宣言をしていた。&lt;br /&gt;
*デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもファンクラブイベントでは、初めて会ったばかりのファンの顔を見事な腕前でイラストにしてサインと共に渡すなどの逸話もあり、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===愛読書===&lt;br /&gt;
*[[美内すずえ]]『[[ガラスの仮面]]』&lt;br /&gt;
*[[渡辺淳一]]や[[フランソワーズ・サガン]]の小説に心惹かれるという。&amp;lt;ref name=non&amp;gt;『[[ non-no]]』「PEOPLE・NOW」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流関係===&lt;br /&gt;
*有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である[[田中久美]]や[[荻野目洋子]]・[[南野陽子]]・[[高部知子]]などがいた。&lt;br /&gt;
*有希子が亡くなるすれ違えにデビューした事務所の後輩の[[酒井法子]]を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。&lt;br /&gt;
*有希子が最も尊敬していた歌手は、[[河合奈保子]]（[[芸映]]所属）である。奈保子は、有希子が所属していた[[サンミュージック]]の[[松田聖子]]のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と（態度が）変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==音楽==&lt;br /&gt;
===シングル===&lt;br /&gt;
*[[ファースト・デイト]]（1984年4月21日） 「[[江崎グリコ|グリコ]]・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[竹内まりや]] 編曲：[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
*[[リトル プリンセス]]（1984年7月18日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：[[大村雅朗]]&lt;br /&gt;
*[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]（1984年9月21日） 「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[二人だけのセレモニー]]（1985年1月16日）　「東芝・レッツチャット」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[夏目純]] 作曲：[[尾崎亜美]] 編曲：[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[Summer Beach]]（1985年4月17日）　「グリコ・カフェゼリー」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[哀しい予感]]（1985年7月17日）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
::※[[吉本ばなな]]の同名小説は無関係（タイトルは本曲の方が早い）。&lt;br /&gt;
*[[Love Fair]]（1985年10月5日）　「グリコ・セシルチョコレート」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞作曲：[[かしぶち哲郎]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[くちびるNetwork]]（1986年1月29日）　「カネボウ・春のキャンペーン」ＣＭ曲&lt;br /&gt;
*:作詞：[[松田聖子|Seiko]] 作曲：[[坂本龍一]] 編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[花のイマージュ]]（1986年5月14日、発売中止）&lt;br /&gt;
*:作詞作曲編曲：かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*[[Believe In You|Believe In You（2002 Strings Version）]]（2002年12月4日）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[吉沢久美子]] 作曲：[[梅垣達志]] 編曲：[[服部隆之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム===&lt;br /&gt;
*[[シンデレラ (アルバム)|シンデレラ]]（1984年9月5日）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞：竹内まりや 編曲：[[清水信之]]&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**彼はハリケーン&lt;br /&gt;
*:作曲：[[EPO]] 作詞編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**丘の上のハイスクール&lt;br /&gt;
*:作曲：[[康珍化]] 作詞編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**潮風のラブ・レター&lt;br /&gt;
*:作曲：康珍化 作詞:[[白井良朗]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**風の中のカフェテラス&lt;br /&gt;
*:作曲：[[三浦徳子]] 作詞:[[岡田徹]] 編曲：清水信之&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Plastic Girl&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:[[山口美央子]]編曲： 萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
*[[贈りもの]]（1984年11月28日、ベストアルバム）：[[レコード]]・カセット発売のみ。単独での[[CD]]発売はされていない。&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**そよ風はペパーミント&lt;br /&gt;
*:作曲:大村雅朗 作詞:[[田口俊]] 編曲：大村雅朗&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**気まぐれTeenage Love&lt;br /&gt;
*:作曲作詞竹内まりや 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**恋のダブルス&lt;br /&gt;
*:作曲:萩田光雄 作詞:康珍化 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
**Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:梅垣達志 編曲：萩田光雄&lt;br /&gt;
*[[FAIRY]]（1985年3月21日）&lt;br /&gt;
**風の魔法で&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Walking In The Moonlight&lt;br /&gt;
*:作曲:尾崎亜美 作詞:[[堀川まゆみ]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**目をさまして、Darling&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞:[[馬飼野康二]] 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Album Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:夏目純 作詞:尾崎亜美 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**森のフェアリー&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**おしゃれな雨音&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ストライプのジェラシー&lt;br /&gt;
*:作曲:三浦徳子 作詞:馬飼野康二 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Lady Joker&lt;br /&gt;
*:作曲:吉沢久美子 作詞:堀川まゆみ 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲:康珍化 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ポップ・アップ・リセエンヌ&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[十月の人魚]]（1985年9月18日）&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:[[小室哲哉]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**みずうみ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[財津和夫]] 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**花鳥図&lt;br /&gt;
*:作曲:財津和夫 作詞:[[高橋修]] 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**流星の高原&lt;br /&gt;
*:作曲:松任谷正隆 作詞:高橋修 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Bien&lt;br /&gt;
*:作曲:馬飼野康二 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ペナルティ&lt;br /&gt;
*:作曲:[[杉真理]] 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**十月の人魚&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:高橋修&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲：小室哲哉、作詞：三浦徳子、編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
*[[贈りものII]]（1985年12月5日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**哀しい予感（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**PRIVATE RED&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:[[売野雅勇]] 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
**星と夜と恋人たち&lt;br /&gt;
*:作曲:[[MAYUMI]] 作詞:吉沢久美子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**恋人たちのカレンダー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲：松任谷正隆&lt;br /&gt;
**二人のブルー・トレイン&lt;br /&gt;
*:作曲:杉真理 作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**子羊NOTE　※ベストアルバム専用曲&lt;br /&gt;
*:作曲:[[山川恵津子]] 作詞:康珍化 編曲:大村雅朗&lt;br /&gt;
*[[ヴィーナス誕生]]（1986年3月21日）&lt;br /&gt;
**WONDER TRIP LOVER&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一、作詞:EPO、編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛…illusion&lt;br /&gt;
*:作曲:[[飛澤宏元]] 作詞:松田聖子 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
*:作曲:[[木下伸司]] 作詞:[[前川由佳]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Spring Accident&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:EPO 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**銀河のバカンス&lt;br /&gt;
*:作曲:[[三井一正]] 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**ジュピター&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**眠れぬ夜のAQUARIUS&lt;br /&gt;
*:作曲:坂本龍一 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**水晶の家&lt;br /&gt;
*:作曲:かしぶち哲郎 作詞:高橋修 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**愛のコロニー&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アルバム（BOX版・メモリアル版）===&lt;br /&gt;
*メモリアルBOX（1999年3月17日）&lt;br /&gt;
**贈りもの&lt;br /&gt;
**贈りものII&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**秘密のシンフォニー&lt;br /&gt;
*:作曲:[[大貫妙子]] 作詞:[[麻生圭子]] 編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
*ALL SONGS REQUEST（2002年5月15日、ベストアルバム）&lt;br /&gt;
**さよなら・夏休み&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:清水信之&lt;br /&gt;
**リトル プリンセス（シングル曲）&lt;br /&gt;
**憧れ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ソネット&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**ファースト・デイト（シングル曲）&lt;br /&gt;
**―Dreaming Girl― 恋、はじめまして（シングル曲）&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー（シングル曲）&lt;br /&gt;
**あなたを忘れる魔法があれば&lt;br /&gt;
*:作曲編曲:松任谷正隆 作詞:康珍化&lt;br /&gt;
**Sweet Planet&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**ロンサム・シーズン&lt;br /&gt;
*:作曲作詞:竹内まりや 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**水色プリンセス ―水の精―&lt;br /&gt;
*:作曲:小室哲哉 作詞:三浦徳子 編曲:松任谷正隆&lt;br /&gt;
**Summer Beach（シングル曲）&lt;br /&gt;
**Love Fair（シングル曲）&lt;br /&gt;
**くちびるNetwork（シングル曲）&lt;br /&gt;
**花のイマージュ&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲:かしぶち哲郎&lt;br /&gt;
**Believe In You&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志　作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*贈りものIII～岡田有希子CD/DVD-BOX（2002年12月18日）&lt;br /&gt;
**シンデレラ + α&lt;br /&gt;
**FAIRY + α&lt;br /&gt;
**十月の人魚 + α&lt;br /&gt;
**ヴィーナス誕生 + α&lt;br /&gt;
**「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**Fly Up! Angel&lt;br /&gt;
*:作曲作詞編曲：&lt;br /&gt;
**二人だけのセレモニー(Single Version)&lt;br /&gt;
**Believe In You(2003 Present-Mix Version)&lt;br /&gt;
*:作曲:梅垣達志 作詞:吉沢久美子 編曲:萩田光雄&lt;br /&gt;
**「All Songs Request オリジナルカラオケ」（+ 哀しい予感）&lt;br /&gt;
**「YUKKO PV &amp;amp; CM COLLECTION」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===カバーしたアーティスト===&lt;br /&gt;
*竹内まりや：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*[[中嶋美智代]]：「ロンサム・シーズン」&lt;br /&gt;
*尾崎亜美: 「Summer Beach」&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]：「恋人たちのカレンダー」&lt;br /&gt;
*[[中谷美紀]]：「WONDER TRIP LOVER」（中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
*坂本龍一：「WONDER TRIP LOVER」（坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビデオ===&lt;br /&gt;
*Yukiko in SWISS（1985年8月21日）&lt;br /&gt;
*Memories of Switzerland（1985年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===DVD===&lt;br /&gt;
*Memories in Swiss（2002年12月18日―上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===テレビドラマ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] （[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]）&lt;br /&gt;
*:歌手としてデビューする前、エキストラではあったがレギュラー出演していた。&lt;br /&gt;
*マッチの青春スクランブル PART2 （[[1984年]]、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
*:歌手デビュー後初出演となる、『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ。 [[近藤真彦]]や[[ジャニーズJr.]]の石丸志門らと共演した。&lt;br /&gt;
*[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] （[[1985年]]、[[NHK総合|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」）&lt;br /&gt;
*[[かぐや姫・とんで初体験!?]] （1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
*:『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。[[おニャン子クラブ]]のメンバーである[[福永恵規]]との共演。&lt;br /&gt;
*[[禁じられたマリコ]] （1985年11月5日-[[1986年]]1月28日（全12話）、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
*:[[峰岸徹]]と共演、これがきっかけで交際との噂があった。自身最初で最後のドラマ出演。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う[[超能力]]を持つ少女の役を好演。自殺後、再放送が封印されているという話がまことしやかに語られるが、[[テレビ愛知]]などで1990年代に再放送されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
*サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん（[[毎日放送]]）&lt;br /&gt;
*奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ（1984年4月～1985年10月7日、[[東海ラジオ]]他）&lt;br /&gt;
*ちょっとおあずけ（1984年10月8日～1985年10月7日、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
*夜遊びしナイト!（中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日～1986年4月6日、ニッポン放送系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]] セシルチョコレート&lt;br /&gt;
*[[グリコ乳業]] カフェゼリー&lt;br /&gt;
*[[東芝]] [[パソピア]]IQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、[[国際科学技術博覧会|つくばEXPO'85]]東芝館（名誉館長）&lt;br /&gt;
:初代ヤングイメージキャラクター。（2代目は[[西村知美]]）&lt;br /&gt;
*[[牛乳石鹸共進社]] ラブジュ シャンプー＆リンス&lt;br /&gt;
*[[旺文社]] 中一時代、ハイトップ&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスタック顆粒、ブロン液W&lt;br /&gt;
*[[尾崎商事]] カンコー学生服、カンコー女子通学服&lt;br /&gt;
*[[月星化成]] ベンチャートランザム、ベンチャーΣ&lt;br /&gt;
*[[郵政省]] 電子郵便&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ポスター===&lt;br /&gt;
*[[神田警察署]]（年末年始防犯広報）&lt;br /&gt;
*[[防衛庁]]（自衛官募集）&lt;br /&gt;
*[[消防庁]]（火災予防運動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
===有希子をテーマにした書籍===&lt;br /&gt;
*『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』（[[学研]] 　[[1984年]]）&lt;br /&gt;
*『瞳はヒミツ色』（[[ワニブックス]]　 [[1985年]]、）&lt;br /&gt;
*『岡田有希子はなぜ死んだか』（[[上之郷利昭]]　 [[新森書房]] [[1986年]]）&lt;br /&gt;
*『愛をください』（遺稿集　[[朝日出版社]] [[1987年]]）&lt;br /&gt;
*『[[サクリファイス (漫画)|サクリファイス]]』([[白倉由美]]　[[弓立社]] [[1989年]])&lt;br /&gt;
*『[[イイナ ～Feel for Love～]]』（原作:[[S-nery Angel]] 作画:[[成瀬かおり]] [[角川書店]] [[1998年]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===有希子について掲載されている書籍（又は参考文献）===&lt;br /&gt;
*清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論（[[竹内義和]]　[[1987年]]、プラザ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*死よりも遠くへ[[吉岡忍]]　[[1992年]]、[[新潮文庫]]）&lt;br /&gt;
*レコード・コレクターズ増刊　遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム（[[1998年]]、[[ミュージック・マガジン社]]）&lt;br /&gt;
*夭折の系譜 （[[2001年]]、 [[アートブックの森]]）&lt;br /&gt;
*100万人が選ぶアイドルポップス（[[2002年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*歌謡曲という快楽 （[[宝泉薫]] [[ファッシネイション]] 2002年、 [[彩流社]]）&lt;br /&gt;
*音楽誌が書かないJポップの批評（尾崎豊） （[[2003年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*「おたく」の精神史―1980年代論 （[[大塚英志]] [[2004年]]、[[講談社現代新書]]）&lt;br /&gt;
*蘇る!夭折のスター達 （[[2005年]]、 [[セントラルSOG]]）&lt;br /&gt;
*[[昭和]]・[[平成]]の「怪死」事件史 （[[2006年]]、 [[宝島社]]）&lt;br /&gt;
*劇画 疑惑の最期！非業のカリスマ列伝（[[2006年]]、[[竹書房]]）&lt;br /&gt;
*劇画 死の真相 ([[2007年]]、 [[ミリオン出版]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真集 ==&lt;br /&gt;
*岡田有希子special（1984年、[[近代映画社]]）&lt;br /&gt;
*岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…（1985年、近代映画社）&lt;br /&gt;
*もっと逢いたい…有希子（1985年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（[[写真]] [[武藤義]] 1985年、[[音楽専科社]]）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（1986年、[[扶桑社]]）&lt;br /&gt;
*さよなら…有希子（1986年、[[シーズ (出版社)|シーズ]]）&lt;br /&gt;
*SWEET LOVE DREAM（2002年・復刻版、音楽専科社）&lt;br /&gt;
*ヴィーナス誕生（2002年・復刻版、扶桑社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受賞歴==&lt;br /&gt;
*[[1984年]]：第3回[[メガロポリス歌謡祭]]最優秀新人ダイヤモンド賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本歌謡大賞]]最優秀放送音楽新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[新宿音楽祭]]金賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第26回[[日本レコード大賞]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第11回[[FNS歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第17回[[日本テレビ音楽]]祭新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第10回[[あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭]]最優秀新人賞 &lt;br /&gt;
*1984年：第15回日本歌謡大賞新人賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]：[[ゴールデン・アロー賞]] &lt;br /&gt;
*1985年：第11回あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞 &lt;br /&gt;
*1985年：第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===お宝関係===&lt;br /&gt;
*デビュー前の[[1981年]](中学2年生の時)に「[[ニコン]]・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。[[写真家]]・[[立木義浩]]が撮影した[[雑誌]][[広告]]がある（選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載）。&lt;br /&gt;
*写真集『ヴィ－ナス誕生』：有希子が自殺する4日前の[[1986年]][[4月4日]]に発売された。有希子が自殺した次の日の[[4月9日]]に発売中止・[[絶版]]となってしまい、都合5日間しか発売されず「幻の写真集」と言われていて、その後は全国の各[[古本屋]]（特に[[神田神保町]]の本屋街）では2万～3万円台で売られていた。約16年8ヵ月後の[[2002年]][[12月4日]]に[[復刻]]版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した（3500円ぐらい）。復刻版には[[2003年]]の[[カレンダー]]が新たについていた。&lt;br /&gt;
*写真集『SWEET LOVE DREAM』：[[1985年]]に旧版が発売。復刻版が[[2002年]][[12月4日]]に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言う[[ロゴタイプ|ロゴ]]が小さく書いており、復刻版はカバーつきで表紙に前文のロゴが書いていない。&lt;br /&gt;
*[[ポスター]]は全国のアイドルショップ（特に神田神保町の[[荒魂書店]]）では1万円～6万円の値段で売られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===芸能関係===&lt;br /&gt;
*[[女優]]・[[歌手]]の[[沢尻エリカ]]の[[生年月日]]が有希子の[[没年月日]]と同じ1986年4月8日であり、一部のファンで話題になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連スポット===&lt;br /&gt;
*[[愛知県出身の有名人一覧]]&lt;br /&gt;
*[[熱田区]]&lt;br /&gt;
*[[大木戸ビル前広場]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋市立向陽高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[堀越高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連用語===&lt;br /&gt;
*[[アイドル冬の時代]]&lt;br /&gt;
*[[ウェルテル効果]]&lt;br /&gt;
*[[岡田虫]]&lt;br /&gt;
*[[旧人類]]&lt;br /&gt;
*[[佳桜忌]]&lt;br /&gt;
*[[女性アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[双極性障害]]（躁鬱病）&lt;br /&gt;
*[[地下アイドル]]&lt;br /&gt;
*[[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
*[[マニア]]&lt;br /&gt;
*[[夭折]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====サンミュージック関連====&lt;br /&gt;
*[[相澤秀禎]]&lt;br /&gt;
*[[桑田靖子]]&lt;br /&gt;
*[[酒井法子]]&lt;br /&gt;
*[[松田聖子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====自殺関連====&lt;br /&gt;
*[[神田正輝]]&lt;br /&gt;
*[[舘ひろし]]&lt;br /&gt;
*[[萩原光]]&lt;br /&gt;
*[[峰岸徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====同期デビュー関連====&lt;br /&gt;
*[[岡村有希子]]&lt;br /&gt;
*[[荻野目洋子]]&lt;br /&gt;
*[[加藤香子]]&lt;br /&gt;
*[[菊池桃子]]&lt;br /&gt;
*[[吉川晃司]]&lt;br /&gt;
*[[田中久美]]&lt;br /&gt;
*[[山本ゆかり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀越高校関連====&lt;br /&gt;
*[[本田美奈子]]&lt;br /&gt;
*[[南野陽子]]&lt;br /&gt;
*[[森奈みはる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====音楽関連====&lt;br /&gt;
*[[大貫妙子]]&lt;br /&gt;
*[[尾崎亜美]]&lt;br /&gt;
*[[坂本龍一]]&lt;br /&gt;
*[[竹内まりや]]&lt;br /&gt;
*[[松任谷正隆]]&lt;br /&gt;
*[[萩田光雄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====芸能活動関連====&lt;br /&gt;
*[[河合奈保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====応援関連====&lt;br /&gt;
*[[坂本ちゃん]]&lt;br /&gt;
*[[村上てつや]]&lt;br /&gt;
*[[山咲トオル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の関連====&lt;br /&gt;
*[[白倉由美]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://itsumo-nikoniko-egaodene.hp.infoseek.co.jp/enter.html 岡田有希子BETTY`Sチャンプル]　→　成満寺への行き方・画像掲示板・掲示板・チャット・データなど&lt;br /&gt;
* [http://taste.sakura.ne.jp./index.cgi/yukko 岡田有希子情報基地]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/yukikos_page/ 岡田有希子とかのんのページ]&lt;br /&gt;
* [http://chano.dip.jp/~idol/okada_yukiko.html アイドルリング集(岡田有希子)]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/modoco39/index.html YUKIKO NO OHEYA]　→　テレビ出演時の動画、事件に関連した雑誌・書籍の紹介等&lt;br /&gt;
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~matarou/yukiko/ ファンサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.edit.ne.jp/~fei/yukiko/ YukikoOkada]&lt;br /&gt;
* [http://kingstar.orz.ne.jp/okada_yukiko/top_page02.htm 岡田有希子は誰が殺したか] &lt;br /&gt;
* [http://www001.upp.so-net.ne.jp/take-y/Yukko/Map/joman.htm 成満寺]&lt;br /&gt;
* [http://jbbs.livedoor.jp/music/18947/ 【永遠の】　岡田有希子板　【リトルプリンセス】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型趣旨別掲示板&lt;br /&gt;
* [http://r12.bannch.com/bs/bbs/207808 【岡田有希子動画像板】]　→　岡田有希子関係専用スレッド型動画像掲示板 &lt;br /&gt;
（ファンサイトの懐かしのポスター内で：その年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかた ゆきこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]] &lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1986年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yukiko_Okada]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.157.206.233</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=27445</id>
		<title>トーク:岡田有希子</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=27445"/>
				<updated>2008-03-21T06:29:33Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.157.206.233: /* いいかげんにしてください */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==記事を差し戻しすぎではないか？==&lt;br /&gt;
このような大容量の差し戻し行為はサーバーに著しい負荷をかけてしまうのでおやめください。内容に問題があるのならここで議論して下さい。--[[利用者:レッヅ|レッヅ]] 2007年11月14日 (水) 22:46 (JST)&lt;br /&gt;
:バッサリ消した理由をこそ明示願います。そもそもそれが差し戻される原因です。--[[利用者:121.1.238.17|121.1.238.17]] 2007年11月16日 (金) 22:09 (JST)&lt;br /&gt;
あまりにも偏った自己満足な内容の捏造記事ばかりだからです。　--[[利用者:116.80.12.135|116.80.12.135]] 2007年11月17日 (土) 05:28 (JST)&lt;br /&gt;
:では、その捏造の部分を明示して頂けないでしょうか。--[[利用者:レッヅ|レッヅ]] 2007年11月17日 (土) 22:06 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 捏造について詳しく説明 ==&lt;br /&gt;
上記の部分に詳しく説明。--[[利用者:121.103.2.186|121.103.2.186]] 2007年11月19日 (月) 15:03 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:余りにもファンにとって都合のいい捏造が多過ぎて説明の余地なし。--[[利用者:124.25.223.177|124.25.223.177]] 2008年1月11日 (金) 18:28 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 復帰 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
消す理由について何らの説明もされていない。全復帰させました。--[[利用者:122.249.118.120|122.249.118.120]] 2008年1月9日 (水) 21:58 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:余りにもファンにとって都合のいい捏造が多過ぎて説明の余地なし。--[[利用者:124.25.223.177|124.25.223.177]] 2008年1月11日 (金) 18:31 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全体に亘って、余りにも偏り過ぎて自己満足な間違った痛い捏造情報だらけである！しかも書いたのはほとんどが中岡一久である！！バッサリカットしたのは、ここは百科事典であるはずなのに岡田有希子の項目だけが特別詳し過ぎるのはおかしいだろ！しかもここは岡田有希子ファンサイトではないし。--[[利用者:124.25.223.177|124.25.223.177]] 2008年1月11日 (金) 22:05 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:詳しいバージョンが見たいのであれば、下記のサイトに改正されたものがコピペされてあった。ここだと自己満足な痛い捏造部分だけを全てカットして正確な情報に正してあるので好感が持てる。&lt;br /&gt;
:http://www.hamq.jp/i.cfm?i=yukikoban&amp;amp;s=7050--[[利用者:124.25.223.177|124.25.223.177]] 2008年1月11日 (金) 22:22 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Yourpedia:編集についての方針]]にない解釈で削除されることは反対します。[[利用者:たこさま|たこさま]] 2008年1月22日 (火) 08:52 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:没後ヲタが強情に差し戻している長い長い記事の内容が嘘だらけで痛過ぎるんですよ！！--[[利用者:116.80.25.106|116.80.25.106]] 2008年1月23日 (水) 00:11 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
……中岡某だって？　あんたバカ？　でなきゃ偏執狂だ。差し戻してる人がそうだと言うなら証拠挙げなさい。--[[利用者:122.249.118.130|122.249.118.130]] 2008年1月25日 (金) 14:51 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:中岡であろうがなかろうがそんな事はどうでもいい。お前が強情に差し戻している長い記事は嘘だらけで余りにも自分達没後ヲタに都合が良すぎる捏造だらけで偏ってて痛すぎると言ってるんだ。お前ら没後ヲタは編集するな！！--[[利用者:121.92.91.31|121.92.91.31]] 2008年1月28日 (月) 20:55 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::IPが自分勝手で削除してるので復帰。（早く保護してほしいよ）。--[[利用者:Morikawa|Morikawa]] 2008年2月1日 (金) 20:45 (JST)&lt;br /&gt;
Morikawa＝千葉県佐倉市井野1109-99に在住の「セシル」こと稲村良光（昭和42年12月24日生まれ・40歳）が自分勝手で嘘だらけの捏造版に差し戻して岡田有希子を晒し者にしてるので復帰。（早く保護してほしいよ）。--[[利用者:116.80.216.211|116.80.216.211]] 2008年2月2日 (土) 06:57 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:IPが勝手に差し戻しをしているので復帰。（早く保護してほしいよ）--[[利用者:YOURPEDIA|YOURPEDIA]] 2008年2月2日 (土) 12:37 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
YOURPEDIA（これもソックパペット）が勝手に嘘だらけの捏造版に差し戻して岡田有希子を晒し者にしてるので復帰。（早く保護してほしいよ）。--[[利用者:125.2.81.185|125.2.81.185]] 2008年2月3日 (日) 20:21 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:いいかげんにしろ！！！いつまでこんなこと続けるんだ！！！、こんな記事さっさと保護しろ！！！--[[利用者:234.118.056|234.118.056]] 2008年2月4日 (月) 00:47 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== いいかげんにしてください ==&lt;br /&gt;
ちゃんと議論を行ってください。稲村良光さんをいじめるのはやめてください。--[[利用者:第3者|第3者]] 2008年2月10日 (日) 18:51 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:[[利用者:第3者]]＝稲村良光の臭すぎるソックパペットの自演ｗ--[[利用者:124.27.131.124|124.27.131.124]] 2008年2月11日 (月) 07:00 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
稲村氏でもファンでもないけどリバートは良くないと思う。初版執筆者が先編集権を行使すればいいのに。保護したほうがいいですよ。--[[利用者:キラークイーン|吉良吉影]] 2008年2月13日 (水) 14:20 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:いつんなったら保護すんだ！いいかげんにしろ！！--[[利用者:Vasdeklassea ceelo|Vasdeklassea ceelo]] 2008年3月13日 (木) 15:16 (JST)&lt;br /&gt;
::インフォウェブ（ニフティ）東京・光接続のIP（124.25.128.0/17）が必死になってますね。--[[利用者:220.157.206.233|220.157.206.233]] 2008年3月21日 (金) 15:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.157.206.233</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90&amp;diff=27444</id>
		<title>トーク:岡田有希子</title>
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				<updated>2008-03-21T06:27:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.157.206.233: /* いいかげんにしてください */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==記事を差し戻しすぎではないか？==&lt;br /&gt;
このような大容量の差し戻し行為はサーバーに著しい負荷をかけてしまうのでおやめください。内容に問題があるのならここで議論して下さい。--[[利用者:レッヅ|レッヅ]] 2007年11月14日 (水) 22:46 (JST)&lt;br /&gt;
:バッサリ消した理由をこそ明示願います。そもそもそれが差し戻される原因です。--[[利用者:121.1.238.17|121.1.238.17]] 2007年11月16日 (金) 22:09 (JST)&lt;br /&gt;
あまりにも偏った自己満足な内容の捏造記事ばかりだからです。　--[[利用者:116.80.12.135|116.80.12.135]] 2007年11月17日 (土) 05:28 (JST)&lt;br /&gt;
:では、その捏造の部分を明示して頂けないでしょうか。--[[利用者:レッヅ|レッヅ]] 2007年11月17日 (土) 22:06 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 捏造について詳しく説明 ==&lt;br /&gt;
上記の部分に詳しく説明。--[[利用者:121.103.2.186|121.103.2.186]] 2007年11月19日 (月) 15:03 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:余りにもファンにとって都合のいい捏造が多過ぎて説明の余地なし。--[[利用者:124.25.223.177|124.25.223.177]] 2008年1月11日 (金) 18:28 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 復帰 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
消す理由について何らの説明もされていない。全復帰させました。--[[利用者:122.249.118.120|122.249.118.120]] 2008年1月9日 (水) 21:58 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:余りにもファンにとって都合のいい捏造が多過ぎて説明の余地なし。--[[利用者:124.25.223.177|124.25.223.177]] 2008年1月11日 (金) 18:31 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全体に亘って、余りにも偏り過ぎて自己満足な間違った痛い捏造情報だらけである！しかも書いたのはほとんどが中岡一久である！！バッサリカットしたのは、ここは百科事典であるはずなのに岡田有希子の項目だけが特別詳し過ぎるのはおかしいだろ！しかもここは岡田有希子ファンサイトではないし。--[[利用者:124.25.223.177|124.25.223.177]] 2008年1月11日 (金) 22:05 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:詳しいバージョンが見たいのであれば、下記のサイトに改正されたものがコピペされてあった。ここだと自己満足な痛い捏造部分だけを全てカットして正確な情報に正してあるので好感が持てる。&lt;br /&gt;
:http://www.hamq.jp/i.cfm?i=yukikoban&amp;amp;s=7050--[[利用者:124.25.223.177|124.25.223.177]] 2008年1月11日 (金) 22:22 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Yourpedia:編集についての方針]]にない解釈で削除されることは反対します。[[利用者:たこさま|たこさま]] 2008年1月22日 (火) 08:52 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:没後ヲタが強情に差し戻している長い長い記事の内容が嘘だらけで痛過ぎるんですよ！！--[[利用者:116.80.25.106|116.80.25.106]] 2008年1月23日 (水) 00:11 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
……中岡某だって？　あんたバカ？　でなきゃ偏執狂だ。差し戻してる人がそうだと言うなら証拠挙げなさい。--[[利用者:122.249.118.130|122.249.118.130]] 2008年1月25日 (金) 14:51 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:中岡であろうがなかろうがそんな事はどうでもいい。お前が強情に差し戻している長い記事は嘘だらけで余りにも自分達没後ヲタに都合が良すぎる捏造だらけで偏ってて痛すぎると言ってるんだ。お前ら没後ヲタは編集するな！！--[[利用者:121.92.91.31|121.92.91.31]] 2008年1月28日 (月) 20:55 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::IPが自分勝手で削除してるので復帰。（早く保護してほしいよ）。--[[利用者:Morikawa|Morikawa]] 2008年2月1日 (金) 20:45 (JST)&lt;br /&gt;
Morikawa＝千葉県佐倉市井野1109-99に在住の「セシル」こと稲村良光（昭和42年12月24日生まれ・40歳）が自分勝手で嘘だらけの捏造版に差し戻して岡田有希子を晒し者にしてるので復帰。（早く保護してほしいよ）。--[[利用者:116.80.216.211|116.80.216.211]] 2008年2月2日 (土) 06:57 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:IPが勝手に差し戻しをしているので復帰。（早く保護してほしいよ）--[[利用者:YOURPEDIA|YOURPEDIA]] 2008年2月2日 (土) 12:37 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
YOURPEDIA（これもソックパペット）が勝手に嘘だらけの捏造版に差し戻して岡田有希子を晒し者にしてるので復帰。（早く保護してほしいよ）。--[[利用者:125.2.81.185|125.2.81.185]] 2008年2月3日 (日) 20:21 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:いいかげんにしろ！！！いつまでこんなこと続けるんだ！！！、こんな記事さっさと保護しろ！！！--[[利用者:234.118.056|234.118.056]] 2008年2月4日 (月) 00:47 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== いいかげんにしてください ==&lt;br /&gt;
ちゃんと議論を行ってください。稲村良光さんをいじめるのはやめてください。--[[利用者:第3者|第3者]] 2008年2月10日 (日) 18:51 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:[[利用者:第3者]]＝稲村良光の臭すぎるソックパペットの自演ｗ--[[利用者:124.27.131.124|124.27.131.124]] 2008年2月11日 (月) 07:00 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
稲村氏でもファンでもないけどリバートは良くないと思う。初版執筆者が先編集権を行使すればいいのに。保護したほうがいいですよ。--[[利用者:キラークイーン|吉良吉影]] 2008年2月13日 (水) 14:20 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:いつんなったら保護すんだ！いいかげんにしろ！！--[[利用者:Vasdeklassea ceelo|Vasdeklassea ceelo]] 2008年3月13日 (木) 15:16 (JST)&lt;br /&gt;
::インフォウェブ（ニフティ）東京・光接続のIPが必死になってますね。--[[利用者:220.157.206.233|220.157.206.233]] 2008年3月21日 (金) 15:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.157.206.233</name></author>	</entry>

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