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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-05-17T19:00:18Z</updated>
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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87&amp;diff=39828</id>
		<title>継体天皇</title>
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				<updated>2008-09-19T12:49:48Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{基礎情報 天皇&lt;br /&gt;
|名=継体天皇&lt;br /&gt;
|代数=第26&lt;br /&gt;
|在位=継体天皇元年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]（[[507年]][[3月3日]]） - &amp;lt;br/&amp;gt;同25年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]（[[531年]][[3月10日]]）&lt;br /&gt;
|皇居=樟葉宮&amp;lt;br/&amp;gt;筒城宮&amp;lt;br/&amp;gt;弟国宮&amp;lt;br/&amp;gt;磐余玉穂宮&lt;br /&gt;
|別名=袁本杼命・男大迹王&amp;lt;br/&amp;gt;彦太尊&amp;lt;br/&amp;gt;雄大迹天皇&amp;lt;br/&amp;gt;乎富等大公王&lt;br /&gt;
|生年=[[450年]]?&lt;br /&gt;
|生地=[[近江国]]高嶋郷三尾野&amp;lt;br/&amp;gt;（現・[[滋賀県]][[高島市]]）&lt;br /&gt;
|没年=継体天皇25年2月7日（531年3月10日）&lt;br /&gt;
|陵墓=三島藍野陵&lt;br /&gt;
|子=[[安閑天皇]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[宣化天皇]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[欽明天皇]]&amp;lt;br/&amp;gt;他多数&lt;br /&gt;
|皇后=手白香皇女&lt;br /&gt;
|父親=[[彦主人王]]&lt;br /&gt;
|母親=振媛&lt;br /&gt;
|}}&lt;br /&gt;
'''継体天皇'''（'''けいたいてんのう'''、[[允恭天皇]]39年（[[450年]]）? - 継体天皇25年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]（[[531年]][[3月12日]]））は第26代の[[天皇]]（在位：継体天皇元年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]（[[507年]][[3月5日]]） - 同25年2月7日（531年3月12日））。オホド王。継体天皇以降、[[大和]]の勢力と[[越前]]や[[近江]]など北方の豪族の勢力が一体化し、[[ヤマト王権]]の力が国内で強くなった。また[[天皇家]]の系譜として伝わるものは彼以降はほぼ正確であるとされる。しかし継体の出自に関しては諸説ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別名として伝わるのは『[[古事記]]』に'''袁本杼命'''（おおどのみこと）、『[[日本書紀]]』に'''男大迹王'''（おおどのおおきみ）、'''彦太尊'''（ひこふとのみこと）、『[[筑後国風土記]]』[[逸文]]に「'''雄大迹天皇'''（おおどのすめらみこと）」、『[[上宮記]]』逸文に'''乎富等大公王'''（おおどのおおきみ）。なお、隅田八幡宮（[[和歌山県]][[橋本市]]）蔵の[[隅田八幡宮人物画像鏡|人物画像鏡銘]]（允恭天皇32年（[[443年]]）説と[[武烈天皇]]5年（[[503年]]）説）に見える「孚弟王（男弟王?）」は継体天皇を指すとする説がある（詳細は異説にて後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生没年 ==&lt;br /&gt;
*推定生年：『古事記』には[[顕宗天皇]]元年（[[485年]]）、『日本書紀』には允恭天皇39年（450年）。&lt;br /&gt;
*推定没年：『古事記』には丁未[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]（[[527年]][[5月26日]]）、『日本書紀』には辛亥2月7日（531年3月12日）または甲寅（[[534年]]）とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
『古事記』、『日本書紀』によると継体天皇は[[応神天皇]]5世の孫であり、父は彦主人王。[[近江国]]高嶋郷三尾野（現在の[[滋賀県]][[高島市]]あたり）で誕生したが幼い時に父を亡くし、母の故郷である[[越前国]]高向（たかむく、現在の[[福井県]][[坂井市]]丸岡町高椋）で成長した。『日本書紀』によれば武烈天皇8年（[[506年]]）に武烈天皇が後嗣定めずして崩御したため、[[連|大連]]（おおむらじ）・[[大伴金村]]らは越前に赴いて男大迹王を大王に推戴した。これを承諾した王は翌年58歳にして[[河内国]]'''樟葉宮'''（くすばのみや）で即位。武烈天皇の姉（妹との説もある）にあたる'''手白香皇女'''（たしらかのひめみこ）を[[皇后]]とした。継体天皇20年（[[526年]]）、大倭（後の[[大和国]]）に都をおいた。その直後、継体は百済救援の軍を送ったが新羅と結んだ磐井により[[九州]]北部で[[九州]]で[[磐井の乱]]が勃発し、その平定に苦心している（磐井の乱については諸説ある）。&amp;lt;br&amp;gt;しかしこの記述が事実とすれば、継体は継体天皇元年（507年）に即位してから大和に都をおくまで約20年かかっており、天皇家周辺で何らかの混乱があったとする見方もある。継体天皇25年（[[531年]]）に後継を皇子の勾大兄に[[譲位]]（記録上最初の譲位例）し、その即位（[[安閑天皇]]）と同日に[[崩御]]したという。また『日本書紀』は『[[百済本記]]』（「百濟本記爲文 其文云 大歳辛亥三月 軍進至于安羅 營乞乇城 是月 高麗弑其王安 又聞 日本天皇及太子皇子 倶崩薨 由此而言 辛亥之歳 當廿五年矣」）を引いて天皇及び太子、皇子が同時に死んだという説を紹介しており、何らかの政変によって殺害されたとの見方もある（「[[辛亥の変]]」説）。また、『古事記』では没年を継体天皇21年（[[527年]]）としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Emperor family tree15-26.png|thumb|right|150px|天皇系図 15～26代]]&lt;br /&gt;
*品太（ほむだ）王の五世（いつせ）の孫（みこ）、袁本杼（をほどの）命、伊波禮（いわれ）の玉穂宮に坐しまして、天の下治らしめしき（この後は、何人かの妻を娶って産ませた子供が19人でこれらの子から後の三人の天皇が出たことを書いている。即ち欽明、安閑、宣化の3天皇である）。この御世に竺紫君石井（いはい）、天皇の命（みこと）に従わずして、多くの禮無かりき。故、物部荒甲（もののべのあらかひ）の大連（おほむらじ）、大伴の金村（かなむら）の連二人を遣わして、石井を殺したまひき。天皇の御歳、四十三歳（よそじまりみとせ）。〔丁未の年の四月九日に崩りましき。〕御陵は三島の藍の御陵なり（『古事記』より。〔〕は分注）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出自を巡る議論 ==&lt;br /&gt;
[[記紀]]によると先代の武烈天皇に後嗣がなかったため、越前（[[近江国|近江]]とも）から[[応神天皇]]5世の孫である継体天皇が迎えられ群臣の要請に従って即位したとされるが『日本書紀』の系図一巻が失われたために正確な系譜が書けず、『上宮記』逸文によって辛うじて知ることが出来る。しかし、この特殊な即位事情を巡っては議論がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記紀の記述を尊重して継体天皇を大王家（[[ヤマト大王|「天皇」号成立]]は[[7世紀]]）の「遠い傍系に連なる有力王族」とする旧来の説に対し、戦後、歴史とりわけ天皇に関する自由な研究が認められることになったことから継体は従来の大王家とは血縁のない「新[[王朝]]の始祖（初代大王）」とする説（[[水野祐]]「[[三王朝交代説]]」）が提唱され、にわかに有力となった。この説によれば、いわゆる[[万世一系]]は否定され出自不明の第26代・継体天皇から新たな大王家が始まったということである。さらに論を進め、近江の皇別氏族（皇族が臣籍降下して誕生した氏族）[[息長氏]]（おきながうじ）の出身と見なし、[[大和王権]]を武力制圧して王位を簒奪したとする説も出された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが[[1980年代]]に入り、継体の出自を伝える『上宮記』の成立が[[推古天皇|推古]]朝に遡る可能性が指摘され（[[黛弘道]]「継体天皇の系譜について」『律令国家成立史の研究』吉川弘文館、[[昭和]]57年（[[1982年]]））、傍系王族説が再び支持を集めるようになった。{{fact}}『上宮記』逸文が載せられている『釈日本紀』の記述内容は「上宮記曰一伝」という文章があり、『上宮記』の作者が別の史料を引用していることが判る。ただ単に継体即位から1世紀後の推古朝の伝承を書いたものではなく、さらに古い資料に基づき系譜を載せている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年では継体以前には大王の地位は特定の血縁に固定されなかったとする見解も出されている。つまり、継体を含め祖先の異なる複数の豪族があり、祖先が誰かは分からないという意味である。[[武光誠]]は継体以前の大王は複数の有力豪族から出たとの見方を紹介している（以下の文献参照）。現在は「王族」「王朝」の概念自体を根本的に問い直す時期に来ていると言えよう。武光によれば、武烈天皇などは実在した天皇でなく創作との見方が現在では有力であり、応神天皇の実在に関しても諸説ある。また、現在伝わる継体の系譜は事実ではなく信用できるのはせいぜい継体の祖父まであり、それ以前については『上宮記』の成立時点で既に伝説上の人物だった応神天皇を継体の祖先として系譜に持ってきたのみとする見方もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の歴史学界では継体が応神の5世孫かどうか不明とする慎重な立場をとる学者も多くいるものの、中央豪族の支持を得て平和裏に即位したとする説が有力である。[[記紀]]の記録も継体以降の系譜は、ある程度信用できるとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Keitaitennou.png|thumb|300px|継体天皇出自系図]]&lt;br /&gt;
[[画像:Emperor family tree26-37.png|thumb|right|300px|天皇系図 26～37代]]&lt;br /&gt;
『日本書紀』によれば応神天皇5世の孫（曾孫の孫）で父は[[彦主人王]]（ひこうしのおおきみ）、母は[[垂仁天皇]]7世孫の振媛（ふりひめ）である。ただし、応神から継体に至る中間4代の系譜について『[[記紀]]』では省略されており、辛うじて[[鎌倉時代]]の『[[釈日本紀]]』に引用された『上宮記』逸文という史料によって知ることが出来る。これによると、男子の直系は「凡牟都和希王（ほむたわけのおおきみ・応神天皇） ─ 若野毛二俣王 ─ 大郎子（一名[[意富富杼王|意富富等王]]） ─ [[乎非王]] ─ &amp;lt;span lang=&amp;quot;zh&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x6c59;斯王&amp;lt;/span&amp;gt;（=彦主人王） ─ 乎富等大公王（=継体天皇）」とされる。『上宮記』逸文は近年、黛弘道の研究によって推古朝の遺文である可能性も指摘され、その内容の信憑性や実際の血統については前述のとおり議論が分かれているものの原帝紀の編纂（[[欽明天皇|欽明]]朝か）と同じ頃に系譜伝承が成立したものと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*皇后：手白香皇女（たしらかのひめみこ。[[仁賢天皇]]の皇女）&lt;br /&gt;
**天国排開広庭尊（あめくにおしはらきひろにわのみこと。[[欽明天皇]]）&lt;br /&gt;
*妃：目子媛（めのこひめ。尾張連草香の女）&lt;br /&gt;
**勾大兄皇子（まがりのおおえのみこ。[[安閑天皇]]）&lt;br /&gt;
**檜隈高田皇子（ひのくまのたかたのみこ。[[宣化天皇]]）&lt;br /&gt;
*妃：稚子媛（わかこひめ。三尾角折君の妹）&lt;br /&gt;
**大郎皇子（おおいらつこのみこ）&lt;br /&gt;
**出雲皇女（いずものひめみこ）&lt;br /&gt;
*妃：広媛（ひろひめ、黒比売。坂田大跨王の女）&lt;br /&gt;
**神前皇女（かむさきのひめみこ）&lt;br /&gt;
**茨田皇女（まんたのひめみこ）&lt;br /&gt;
**馬来田皇女（うまぐたのひめみこ）&lt;br /&gt;
*妃：麻績娘子（おみのいらつめ、麻組郎女。[[息長真手王]]の女）&lt;br /&gt;
**荳角皇女（ささげのひめみこ）　[[斎宮]]&lt;br /&gt;
*妃：関媛（せきひめ。茨田連小望の女）&lt;br /&gt;
**茨田大娘皇女（まんたのおおいらつめのひめみこ）&lt;br /&gt;
**白坂活日姫皇女（しらさかのいくひひめのひめみこ）&lt;br /&gt;
**小野稚娘皇女（おののわかいらつめのひめみこ、長石姫）&lt;br /&gt;
*妃：倭媛（やまとひめ。三尾君堅&amp;lt;span lang=&amp;quot;zh&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x6972;&amp;lt;/span&amp;gt;の女）&lt;br /&gt;
**大郎子皇女（おおいらつめのひめみこ、大郎女）&lt;br /&gt;
**椀子皇子（まろこのみこ、丸高王）　三国公・三国真人の祖&lt;br /&gt;
**耳皇子（みみのみこ）&lt;br /&gt;
**赤姫皇女（あかひめのひめみこ）&lt;br /&gt;
*妃：&amp;lt;span lang=&amp;quot;zh&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x8351;媛&amp;lt;/span&amp;gt;（はえひめ。和珥臣河内の女）&lt;br /&gt;
**稚綾姫皇女（わかやひめのひめみこ）&lt;br /&gt;
**円娘皇女（つぶらのいらつめのひめみこ）&lt;br /&gt;
**厚皇子（あつのみこ、阿豆王）&lt;br /&gt;
*妃：広媛（ひろひめ。根王の女）&lt;br /&gt;
**菟皇子（うさぎのみこ。記になし）　酒人公の祖（[[能楽]]の[[金剛流]]はこの子孫という）&lt;br /&gt;
**中皇子（なかつみこ。記になし）　坂田公の祖&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 皇居 ==&lt;br /&gt;
:※『日本書紀』に拠る。&lt;br /&gt;
*[[507年]]2月、樟葉宮（くすばのみや、[[大阪府]][[枚方市]]楠葉丘の交野天神社付近が伝承地）で即位。&lt;br /&gt;
*[[511年]]10月、筒城宮（つつきのみや、現在の[[京都府]][[京田辺市]]多々羅都谷か）に遷す。&lt;br /&gt;
*[[518年]]3月、弟国宮（おとくにのみや、現在の京都府[[長岡京市]]今里付近か）に遷す。&lt;br /&gt;
*[[526年]]9月、磐余玉穂宮（いわれのたまほのみや、現在の[[奈良県]][[桜井市]]池之内か）に遷す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上叙の遷都は政治上の重大な変革があったからではないかとする説もあるが、憶説の域を出ない。ただし、この記録が事実ならば継体が大和にいたのは最後の5年のみである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 異説 ==&lt;br /&gt;
隅田八幡神社旧蔵の[[国宝]]「人物画像鏡」の銘文に''『癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟』''「癸未の年八月十日、男弟王が意柴沙加の宮にいます時、斯麻が長寿を念じて河内直、穢人今州利の二人らを遣わして白上銅二百旱を取ってこの鏡を作る」（判読・解釈には諸説あり）とあり、このように読むと「癸未」を武烈天皇5年（[[503年]]）、「男弟王」を（おおと）=男大迹王と解釈出来、継体天皇は癸未=武烈天皇5年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]（503年[[9月18日]]）の時点では大和の意柴沙加宮=忍坂宮にいたとする仮説が成り立つ。もしこの説が正しければ継体天皇が畿内勢力の抵抗にあい、長期に渡って奈良盆地へ入れなかったとする説も崩れる。また、鏡を作らせて長寿を祈った「斯麻」は[[百済]]の[[武寧王]]（別名斯麻）のことと思われ、鏡は百済王より継体天皇に贈られた品という見方も出来る。ただ、「古事記」に見える王名「袁本杼（ヲホド）」と鏡の銘文に記された「男弟（ヲオト）」とは6世紀初頭における発音は異なっていたので{{要出典}}、この説は根本部分に無理があるのは否めない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 伝承 ==&lt;br /&gt;
ゆかりの地である越前はかつて[[湿原]]が広がり農耕や居住に適さない土地であった。男大迹王（おおとのみこ、のちの継体天皇）はこの地を治めると、まず[[足羽山]]に社殿を建て'''大宮地之霊'''（おおみやどころのみたま）を祀りこの地の守護神とした。これが現在の[[足羽神社]]である。次に地形を調査のうえ、大規模な[[治水]]を行い[[九頭竜川]]・[[足羽川]]・[[日野川 (福井県)|日野川]]の三大河川を造ることで湿原の干拓に成功した。このため[[越前平野]]は実り豊かな土地となり人々が定住できるようになった。続いて港を開き水運を発展させ[[稲作]]、[[養蚕]]、[[採石]]、[[製紙]]など様々な産業を発達させた。天皇即位のため越前を離れることになると、この地を案じて自らの御生霊を足羽神社に鎮めて御子の'''馬来田皇女'''（うまくだのひめみこ）を[[斎主]]としてあとを託したという。このような伝承から'''越前開闢の御祖神'''とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 陵墓 ==&lt;br /&gt;
'''三島藍野陵'''（みしまのあいののみささぎ）に葬られた。&amp;lt;br /&amp;gt;[[宮内庁]]は同陵を大阪府[[茨木市]]太田三丁目の[[太田茶臼山古墳]]（前方後円墳・全長226m）に比定しているが、近年、同府[[高槻市]]郡家新町の'''[[今城塚古墳]]'''（前方後円墳・全長190m）から[[兵馬俑]]の如き[[埴輪]]群が発見され、こちらを継体天皇陵とするのが定説になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 石碑 ==&lt;br /&gt;
[[弘化]]4年（[[1847年]]）、[[飛騨高山]]の[[国学者]]・[[田中大秀]]の起案を受けて門弟・[[橘曙覧]]、[[池田武万侶]]、[[山口春村]]、足羽神社神主・[[馬来田善包]]らにより'''継体天皇御世系碑'''が足羽神社境内に建立されている。この碑文には、大秀の研究による応神天皇から継体天皇までの系図が彫り込まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これには「玉穂宮天皇大御世系」とあり、その下に「品陀和気命（御諡 応人天皇） ─ 若沼毛二俣王 ─ 大郎子（亦名 意本杼王） ─ 宇斐王 ─ 汙斯王（書記云 彦主人王）─ 袁本杼命（書記云 更名 彦太尊 御諡 継体天皇）」と彫り込まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また足羽神社の近くにある足羽山公園には継体天皇を模した巨大な石像が[[坂井市|三国]]を見下ろすように建っており、観光スポットとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 在位年と西暦との対照表 ==&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;clear:both; border:1px solid #999; margin:0.5em auto; text-align:center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|colspan=&amp;quot;11&amp;quot; style=&amp;quot;background-color:#CCCCFF; font-size:90%; border-left:3em soli; font-weight:bold&amp;quot;|'''在位年と西暦との対照表'''&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!継体天皇!!元年!!2年!!3年!!4年!!5年!!6年!!7年!!8年!!9年!!10年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|西暦||[[507年]]||[[508年]]||[[509年]]||[[510年]]||[[511年]]||[[512年]]||[[513年]]||[[514年]]||[[515年]]||[[516年]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[干支]]||[[丁亥]]||[[戊子]]||[[己丑]]||[[庚寅]]||[[辛卯]]||[[壬辰]]||[[癸巳]]||[[甲午]]||[[乙未]]||[[丙申]]&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!継体天皇!!11年!!12年!!13年!!14年!!15年!!16年!!17年!!18年!!19年!!20年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|西暦||[[517年]]||[[518年]]||[[519年]]||[[520年]]||[[521年]]||[[522年]]||[[523年]]||[[524年]]||[[525年]]||[[526年]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[干支]]||[[丁酉]]||[[戊戌]]||[[己亥]]||[[庚子]]||[[辛丑]]||[[壬寅]]||[[癸卯]]||[[甲辰]]||[[乙巳]]||[[丙午]]&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!継体天皇!!21年!!22年!!23年!!24年!!25年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|西暦||[[527年]]||[[528年]]||[[529年]]||[[530年]]||[[531年]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[干支]]||[[丁未]]||[[戊申]]||[[己酉]]||[[庚戌]]||[[辛亥]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*宇治市教育委員会 編『継体王朝の謎 &amp;lt;small&amp;gt;うばわれた王権&amp;lt;/small&amp;gt;』（河出書房新社、1995年） ISBN 978-4-309-22285-1&lt;br /&gt;
*水谷千秋『謎の大王 継体天皇』（文春新書、2001年） ISBN 978-4-16-660192-9&lt;br /&gt;
*武光誠『大和朝廷と天皇家』（平凡社新書、2003年） ISBN 978-4-582-85180-9　&lt;br /&gt;
*NHK大阪今城塚古墳プロジェクト『大王陵発掘! 巨大はにわと継体天皇の謎』（NHK出版、2004年） ISBN 978-4-14-080872-6&lt;br /&gt;
*山中鹿次「継体天皇の即位への背景と大和進出」愛知学院大学文学研究科　文研会紀要4.5号、1994年 ISSN 0917-3633&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[ヤマト王権]]&lt;br /&gt;
*[[磐井の乱]]&lt;br /&gt;
*[[百済]]&lt;br /&gt;
*[[大和]]&lt;br /&gt;
*[[古事記]]&lt;br /&gt;
*[[日本書紀]]&lt;br /&gt;
*[[上宮記]]&lt;br /&gt;
*[[足羽神社]]&lt;br /&gt;
*[[淡墨桜]]&lt;br /&gt;
*[[韓国起源説]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.asuwajinja.jp/index.html 足羽神社公式ホームページ]&lt;br /&gt;
*[http://info.pref.fukui.jp/keitaidaio/index.html 継体大王と越の国・福井県公式ホームページ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[天皇の一覧|天皇]]|第26代：507年-531年|[[武烈天皇]]|[[安閑天皇]]}}&lt;br /&gt;
{{歴代天皇一覧}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の天皇|けいたい]]&lt;br /&gt;
[[Category:古墳時代以前の皇族|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:450年生|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:531年没|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:福井県の歴史|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:金石文|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87&amp;diff=39827</id>
		<title>継体天皇</title>
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				<updated>2008-09-19T12:40:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{基礎情報 天皇&lt;br /&gt;
|名=継体天皇&lt;br /&gt;
|代数=第26&lt;br /&gt;
|在位=継体天皇元年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]（[[507年]][[3月3日]]） - &amp;lt;br/&amp;gt;同25年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]（[[531年]][[3月10日]]）&lt;br /&gt;
|皇居=樟葉宮&amp;lt;br/&amp;gt;筒城宮&amp;lt;br/&amp;gt;弟国宮&amp;lt;br/&amp;gt;磐余玉穂宮&lt;br /&gt;
|別名=袁本杼命・男大迹王&amp;lt;br/&amp;gt;彦太尊&amp;lt;br/&amp;gt;雄大迹天皇&amp;lt;br/&amp;gt;乎富等大公王&lt;br /&gt;
|生年=[[450年]]?&lt;br /&gt;
|生地=[[近江国]]高嶋郷三尾野&amp;lt;br/&amp;gt;（現・[[滋賀県]][[高島市]]）&lt;br /&gt;
|没年=531年3月10日&lt;br /&gt;
|陵墓=三島藍野陵&lt;br /&gt;
|子=[[安閑天皇]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[宣化天皇]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[欽明天皇]]&amp;lt;br/&amp;gt;他多数&lt;br /&gt;
|皇后=手白香皇女&lt;br /&gt;
|父親=[[彦主人王]]&lt;br /&gt;
|母親=振媛&lt;br /&gt;
|}}&lt;br /&gt;
'''継体天皇'''（'''けいたいてんのう'''、[[允恭天皇]]39年（[[450年]]）? - 継体天皇25年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]（[[531年]][[3月12日]]））は第26代の[[天皇]]（在位：継体天皇元年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]（[[507年]][[3月5日]]） - 同25年2月7日（531年3月12日））。オホド王。継体天皇以降、[[大和]]の勢力と[[越前]]や[[近江]]など北方の豪族の勢力が一体化し、[[ヤマト王権]]の力が国内で強くなった。また[[天皇家]]の系譜として伝わるものは彼以降はほぼ正確であるとされる。しかし継体の出自に関しては諸説ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別名として伝わるのは『[[古事記]]』に'''袁本杼命'''（おおどのみこと）、『[[日本書紀]]』に'''男大迹王'''（おおどのおおきみ）、'''彦太尊'''（ひこふとのみこと）、『[[筑後国風土記]]』[[逸文]]に「'''雄大迹天皇'''（おおどのすめらみこと）」、『[[上宮記]]』逸文に'''乎富等大公王'''（おおどのおおきみ）。なお、隅田八幡宮（[[和歌山県]][[橋本市]]）蔵の[[隅田八幡宮人物画像鏡|人物画像鏡銘]]（[[443年]]説と[[503年]]説）に見える「孚弟王（男弟王?）」は継体天皇を指すとする説がある（詳細は異説にて後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生没年 ==&lt;br /&gt;
*推定生年：『古事記』には[[485年]]、『日本書紀』には允恭天皇39年（450年）。&lt;br /&gt;
*推定没年：『古事記』には丁未[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]（[[527年]][[5月26日]]）、『日本書紀』には辛亥2月7日（531年3月12日）または甲寅（[[534年]]）とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
『古事記』、『日本書紀』によると継体天皇は[[応神天皇]]5世の孫であり、父は彦主人王。[[近江国]]高嶋郷三尾野（現在の[[滋賀県]][[高島市]]あたり）で誕生したが幼い時に父を亡くし、母の故郷である[[越前国]]高向（たかむく、現在の[[福井県]][[坂井市]]丸岡町高椋）で成長した。『日本書紀』によれば[[506年]]に[[武烈天皇]]が後嗣定めずして崩御したため、[[連|大連]]（おおむらじ）・[[大伴金村]]らは越前に赴いて男大迹王を大王に推戴した。これを承諾した王は翌年58歳にして[[河内国]]'''樟葉宮'''（くすばのみや）で即位。武烈天皇の姉（妹との説もある）にあたる'''手白香皇女'''（たしらかのひめみこ）を[[皇后]]とした。[[526年]]、大倭（後の[[大和国]]）に都をおいた。その直後、継体は百済救援の軍を送ったが新羅と結んだ磐井により[[九州]]北部で[[九州]]で[[磐井の乱]]が勃発し、その平定に苦心している（磐井の乱については諸説ある）。&amp;lt;br&amp;gt;しかしこの記述が事実とすれば、継体は507年に即位してから大和に都をおくまで約20年かかっており、天皇家周辺で何らかの混乱があったとする見方もある。[[531年]]に後継を皇子の勾大兄に[[譲位]]（記録上最初の譲位例）し、その即位（[[安閑天皇]]）と同日に[[崩御]]したという。また『日本書紀』は『[[百済本記]]』（「百濟本記爲文 其文云 大歳辛亥三月 軍進至于安羅 營乞乇城 是月 高麗弑其王安 又聞 日本天皇及太子皇子 倶崩薨 由此而言 辛亥之歳 當廿五年矣」）を引いて天皇及び太子、皇子が同時に死んだという説を紹介しており、何らかの政変によって殺害されたとの見方もある（「[[辛亥の変]]」説）。また、『古事記』では没年を[[527年]]としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Emperor family tree15-26.png|thumb|right|150px|天皇系図 15～26代]]&lt;br /&gt;
*品太（ほむだ）王の五世（いつせ）の孫（みこ）、袁本杼（をほどの）命、伊波禮（いわれ）の玉穂宮に坐しまして、天の下治らしめしき（この後は、何人かの妻を娶って産ませた子供が19人でこれらの子から後の三人の天皇が出たことを書いている。即ち欽明、安閑、宣化の3天皇である）。この御世に竺紫君石井（いはい）、天皇の命（みこと）に従わずして、多くの禮無かりき。故、物部荒甲（もののべのあらかひ）の大連（おほむらじ）、大伴の金村（かなむら）の連二人を遣わして、石井を殺したまひき。天皇の御歳、四十三歳（よそじまりみとせ）。〔丁未の年の四月九日に崩りましき。〕御陵は三島の藍の御陵なり（『古事記』より。〔〕は分注）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出自を巡る議論 ==&lt;br /&gt;
[[記紀]]によると先代の武烈天皇に後嗣がなかったため、越前（[[近江国|近江]]とも）から[[応神天皇]]5世の孫である継体天皇が迎えられ群臣の要請に従って即位したとされるが『日本書紀』の系図一巻が失われたために正確な系譜が書けず、『上宮記』逸文によって辛うじて知ることが出来る。しかし、この特殊な即位事情を巡っては議論がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記紀の記述を尊重して継体天皇を大王家（[[ヤマト大王|「天皇」号成立]]は7世紀）の「遠い傍系に連なる有力王族」とする旧来の説に対し、戦後、歴史とりわけ天皇に関する自由な研究が認められることになったことから継体は従来の大王家とは血縁のない「新[[王朝]]の始祖（初代大王）」とする説（[[水野祐]]「[[三王朝交代説]]」）が提唱され、にわかに有力となった。この説によれば、いわゆる[[万世一系]]は否定され出自不明の第26代・継体天皇から新たな大王家が始まったということである。さらに論を進め、近江の皇別氏族（皇族が臣籍降下して誕生した氏族）[[息長氏]]（おきながうじ）の出身と見なし、[[大和王権]]を武力制圧して王位を簒奪したとする説も出された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが[[1980年代]]に入り、継体の出自を伝える『上宮記』の成立が[[推古天皇|推古]]朝に遡る可能性が指摘され（[[黛弘道]]「継体天皇の系譜について」『律令国家成立史の研究』吉川弘文館、1982年）、傍系王族説が再び支持を集めるようになった。{{fact}}『上宮記』逸文が載せられている『釈日本紀』の記述内容は「上宮記曰一伝」という文章があり、『上宮記』の作者が別の史料を引用していることが判る。ただ単に継体即位から1世紀後の推古朝の伝承を書いたものではなく、さらに古い資料に基づき系譜を載せている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年では継体以前には大王の地位は特定の血縁に固定されなかったとする見解も出されている。つまり、継体を含め祖先の異なる複数の豪族があり、祖先が誰かは分からないという意味である。[[武光誠]]は継体以前の大王は複数の有力豪族から出たとの見方を紹介している（以下の文献参照）。現在は「王族」「王朝」の概念自体を根本的に問い直す時期に来ていると言えよう。武光によれば、武烈天皇などは実在した天皇でなく創作との見方が現在では有力であり、応神天皇の実在に関しても諸説ある。また、現在伝わる継体の系譜は事実ではなく信用できるのはせいぜい継体の祖父まであり、それ以前については『上宮記』の成立時点で既に伝説上の人物だった応神天皇を継体の祖先として系譜に持ってきたのみとする見方もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の歴史学界では継体が応神の5世孫かどうか不明とする慎重な立場をとる学者も多くいるものの、中央豪族の支持を得て平和裏に即位したとする説が有力である。[[記紀]]の記録も継体以降の系譜は、ある程度信用できるとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Keitaitennou.png|thumb|300px|継体天皇出自系図]]&lt;br /&gt;
[[画像:Emperor family tree26-37.png|thumb|right|300px|天皇系図 26～37代]]&lt;br /&gt;
『日本書紀』によれば応神天皇5世の孫（曾孫の孫）で父は[[彦主人王]]（ひこうしのおおきみ）、母は[[垂仁天皇]]7世孫の振媛（ふりひめ）である。ただし、応神から継体に至る中間4代の系譜について『[[記紀]]』では省略されており、辛うじて[[鎌倉時代]]の『[[釈日本紀]]』に引用された『上宮記』逸文という史料によって知ることが出来る。これによると、男子の直系は「凡牟都和希王（ほむたわけのおおきみ・応神天皇） ─ 若野毛二俣王 ─ 大郎子（一名[[意富富杼王|意富富等王]]） ─ [[乎非王]] ─ &amp;lt;span lang=&amp;quot;zh&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x6c59;斯王&amp;lt;/span&amp;gt;（=彦主人王） ─ 乎富等大公王（=継体天皇）」とされる。『上宮記』逸文は近年、黛弘道の研究によって推古朝の遺文である可能性も指摘され、その内容の信憑性や実際の血統については前述のとおり議論が分かれているものの原帝紀の編纂（[[欽明天皇|欽明]]朝か）と同じ頃に系譜伝承が成立したものと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*皇后：手白香皇女（たしらかのひめみこ。[[仁賢天皇]]の皇女）&lt;br /&gt;
**天国排開広庭尊（あめくにおしはらきひろにわのみこと。[[欽明天皇]]）&lt;br /&gt;
*妃：目子媛（めのこひめ。尾張連草香の女）&lt;br /&gt;
**勾大兄皇子（まがりのおおえのみこ。[[安閑天皇]]）&lt;br /&gt;
**檜隈高田皇子（ひのくまのたかたのみこ。[[宣化天皇]]）&lt;br /&gt;
*妃：稚子媛（わかこひめ。三尾角折君の妹）&lt;br /&gt;
**大郎皇子（おおいらつこのみこ）&lt;br /&gt;
**出雲皇女（いずものひめみこ）&lt;br /&gt;
*妃：広媛（ひろひめ、黒比売。坂田大跨王の女）&lt;br /&gt;
**神前皇女（かむさきのひめみこ）&lt;br /&gt;
**茨田皇女（まんたのひめみこ）&lt;br /&gt;
**馬来田皇女（うまぐたのひめみこ）&lt;br /&gt;
*妃：麻績娘子（おみのいらつめ、麻組郎女。[[息長真手王]]の女）&lt;br /&gt;
**荳角皇女（ささげのひめみこ）　[[斎宮]]&lt;br /&gt;
*妃：関媛（せきひめ。茨田連小望の女）&lt;br /&gt;
**茨田大娘皇女（まんたのおおいらつめのひめみこ）&lt;br /&gt;
**白坂活日姫皇女（しらさかのいくひひめのひめみこ）&lt;br /&gt;
**小野稚娘皇女（おののわかいらつめのひめみこ、長石姫）&lt;br /&gt;
*妃：倭媛（やまとひめ。三尾君堅&amp;lt;span lang=&amp;quot;zh&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x6972;&amp;lt;/span&amp;gt;の女）&lt;br /&gt;
**大郎子皇女（おおいらつめのひめみこ、大郎女）&lt;br /&gt;
**椀子皇子（まろこのみこ、丸高王）　三国公・三国真人の祖&lt;br /&gt;
**耳皇子（みみのみこ）&lt;br /&gt;
**赤姫皇女（あかひめのひめみこ）&lt;br /&gt;
*妃：&amp;lt;span lang=&amp;quot;zh&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x8351;媛&amp;lt;/span&amp;gt;（はえひめ。和珥臣河内の女）&lt;br /&gt;
**稚綾姫皇女（わかやひめのひめみこ）&lt;br /&gt;
**円娘皇女（つぶらのいらつめのひめみこ）&lt;br /&gt;
**厚皇子（あつのみこ、阿豆王）&lt;br /&gt;
*妃：広媛（ひろひめ。根王の女）&lt;br /&gt;
**菟皇子（うさぎのみこ。記になし）　酒人公の祖（[[能楽]]の[[金剛流]]はこの子孫という）&lt;br /&gt;
**中皇子（なかつみこ。記になし）　坂田公の祖&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 皇居 ==&lt;br /&gt;
:※『日本書紀』に拠る。&lt;br /&gt;
*[[507年]]2月、樟葉宮（くすばのみや、[[大阪府]][[枚方市]]楠葉丘の交野天神社付近が伝承地）で即位。&lt;br /&gt;
*[[511年]]10月、筒城宮（つつきのみや、現在の[[京都府]][[京田辺市]]多々羅都谷か）に遷す。&lt;br /&gt;
*[[518年]]3月、弟国宮（おとくにのみや、現在の京都府[[長岡京市]]今里付近か）に遷す。&lt;br /&gt;
*[[526年]]9月、磐余玉穂宮（いわれのたまほのみや、現在の[[奈良県]][[桜井市]]池之内か）に遷す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上叙の遷都は政治上の重大な変革があったからではないかとする説もあるが、憶説の域を出ない。ただし、この記録が事実ならば継体が大和にいたのは最後の5年のみである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 異説 ==&lt;br /&gt;
隅田八幡神社旧蔵の[[国宝]]「人物画像鏡」の銘文に''『癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟』''「癸未の年八月十日、男弟王が意柴沙加の宮にいます時、斯麻が長寿を念じて河内直、穢人今州利の二人らを遣わして白上銅二百旱を取ってこの鏡を作る」（判読・解釈には諸説あり）とあり、このように読むと「癸未」を[[503年]]、「男弟王」を（おおと）=男大迹王と解釈出来、継体天皇は癸未=武烈天皇5年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]（503年[[9月18日]]）の時点では大和の意柴沙加宮=忍坂宮にいたとする仮説が成り立つ。もしこの説が正しければ継体天皇が畿内勢力の抵抗にあい、長期に渡って奈良盆地へ入れなかったとする説も崩れる。また、鏡を作らせて長寿を祈った「斯麻」は[[百済]]の[[武寧王]]（別名斯麻）のことと思われ、鏡は百済王より継体天皇に贈られた品という見方も出来る。ただ、「古事記」に見える王名「袁本杼（ヲホド）」と鏡の銘文に記された「男弟（ヲオト）」とは6世紀初頭における発音は異なっていたので{{要出典}}、この説は根本部分に無理があるのは否めない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 伝承 ==&lt;br /&gt;
ゆかりの地である越前はかつて[[湿原]]が広がり農耕や居住に適さない土地であった。男大迹王（おおとのみこ、のちの継体天皇）はこの地を治めると、まず[[足羽山]]に社殿を建て'''大宮地之霊'''（おおみやどころのみたま）を祀りこの地の守護神とした。これが現在の[[足羽神社]]である。次に地形を調査のうえ、大規模な[[治水]]を行い[[九頭竜川]]・[[足羽川]]・[[日野川 (福井県)|日野川]]の三大河川を造ることで湿原の干拓に成功した。このため[[越前平野]]は実り豊かな土地となり人々が定住できるようになった。続いて港を開き水運を発展させ[[稲作]]、[[養蚕]]、[[採石]]、[[製紙]]など様々な産業を発達させた。天皇即位のため越前を離れることになると、この地を案じて自らの御生霊を足羽神社に鎮めて御子の'''馬来田皇女'''（うまくだのひめみこ）を[[斎主]]としてあとを託したという。このような伝承から'''越前開闢の御祖神'''とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 陵墓 ==&lt;br /&gt;
'''三島藍野陵'''（みしまのあいののみささぎ）に葬られた。&amp;lt;br /&amp;gt;[[宮内庁]]は同陵を大阪府[[茨木市]]太田三丁目の[[太田茶臼山古墳]]（前方後円墳・全長226m）に比定しているが、近年、同府[[高槻市]]郡家新町の'''[[今城塚古墳]]'''（前方後円墳・全長190m）から[[兵馬俑]]の如き[[埴輪]]群が発見され、こちらを継体天皇陵とするのが定説になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 石碑 ==&lt;br /&gt;
[[1847年]]、[[飛騨高山]]の[[国学者]]・[[田中大秀]]の起案を受けて門弟・[[橘曙覧]]、[[池田武万侶]]、[[山口春村]]、足羽神社神主・[[馬来田善包]]らにより'''継体天皇御世系碑'''が足羽神社境内に建立されている。この碑文には、大秀の研究による応神天皇から継体天皇までの系図が彫り込まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これには「玉穂宮天皇大御世系」とあり、その下に「品陀和気命（御諡 応人天皇） ─ 若沼毛二俣王 ─ 大郎子（亦名 意本杼王） ─ 宇斐王 ─ 汙斯王（書記云 彦主人王）─ 袁本杼命（書記云 更名 彦太尊 御諡 継体天皇）」と彫り込まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また足羽神社の近くにある足羽山公園には継体天皇を模した巨大な石像が[[坂井市|三国]]を見下ろすように建っており、観光スポットとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 在位年と西暦との対照表 ==&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;clear:both; border:1px solid #999; margin:0.5em auto; text-align:center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|colspan=&amp;quot;11&amp;quot; style=&amp;quot;background-color:#CCCCFF; font-size:90%; border-left:3em soli; font-weight:bold&amp;quot;|'''在位年と西暦との対照表'''&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!継体天皇!!元年!!2年!!3年!!4年!!5年!!6年!!7年!!8年!!9年!!10年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|西暦||[[507年]]||[[508年]]||[[509年]]||[[510年]]||[[511年]]||[[512年]]||[[513年]]||[[514年]]||[[515年]]||[[516年]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[干支]]||[[丁亥]]||[[戊子]]||[[己丑]]||[[庚寅]]||[[辛卯]]||[[壬辰]]||[[癸巳]]||[[甲午]]||[[乙未]]||[[丙申]]&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!継体天皇!!11年!!12年!!13年!!14年!!15年!!16年!!17年!!18年!!19年!!20年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|西暦||[[517年]]||[[518年]]||[[519年]]||[[520年]]||[[521年]]||[[522年]]||[[523年]]||[[524年]]||[[525年]]||[[526年]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[干支]]||[[丁酉]]||[[戊戌]]||[[己亥]]||[[庚子]]||[[辛丑]]||[[壬寅]]||[[癸卯]]||[[甲辰]]||[[乙巳]]||[[丙午]]&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!継体天皇!!21年!!22年!!23年!!24年!!25年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|西暦||[[527年]]||[[528年]]||[[529年]]||[[530年]]||[[531年]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[干支]]||[[丁未]]||[[戊申]]||[[己酉]]||[[庚戌]]||[[辛亥]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*宇治市教育委員会 編『継体王朝の謎 &amp;lt;small&amp;gt;うばわれた王権&amp;lt;/small&amp;gt;』（河出書房新社、1995年） ISBN 978-4-309-22285-1&lt;br /&gt;
*水谷千秋『謎の大王 継体天皇』（文春新書、2001年） ISBN 978-4-16-660192-9&lt;br /&gt;
*武光誠『大和朝廷と天皇家』（平凡社新書、2003年） ISBN 978-4-582-85180-9　&lt;br /&gt;
*NHK大阪今城塚古墳プロジェクト『大王陵発掘! 巨大はにわと継体天皇の謎』（NHK出版、2004年） ISBN 978-4-14-080872-6&lt;br /&gt;
*山中鹿次「継体天皇の即位への背景と大和進出」愛知学院大学文学研究科　文研会紀要4.5号、1994年 ISSN 0917-3633&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[ヤマト王権]]&lt;br /&gt;
*[[磐井の乱]]&lt;br /&gt;
*[[百済]]&lt;br /&gt;
*[[大和]]&lt;br /&gt;
*[[古事記]]&lt;br /&gt;
*[[日本書紀]]&lt;br /&gt;
*[[上宮記]]&lt;br /&gt;
*[[足羽神社]]&lt;br /&gt;
*[[淡墨桜]]&lt;br /&gt;
*[[韓国起源説]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.asuwajinja.jp/index.html 足羽神社公式ホームページ]&lt;br /&gt;
*[http://info.pref.fukui.jp/keitaidaio/index.html 継体大王と越の国・福井県公式ホームページ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[天皇の一覧|天皇]]|第26代：507年-531年|[[武烈天皇]]|[[安閑天皇]]}}&lt;br /&gt;
{{歴代天皇一覧}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の天皇|けいたい]]&lt;br /&gt;
[[Category:古墳時代以前の皇族|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:450年生|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:531年没|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:福井県の歴史|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:金石文|けいたいてんのう]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>テンプレート:基礎情報 天皇</title>
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}}&lt;br /&gt;
{{#if:{{{注釈|&amp;lt;noinclude&amp;gt;-&amp;lt;/noinclude&amp;gt;}}}|&lt;br /&gt;
{{!}}colspan=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;{{!}}&amp;lt;small&amp;gt;※{{{注釈}}}&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{!}}-&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
|}&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{-}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{基礎情報 天皇&lt;br /&gt;
| 名=&lt;br /&gt;
| 代数=&lt;br /&gt;
| 画像=&lt;br /&gt;
| 説明=&lt;br /&gt;
| 在位=&lt;br /&gt;
| 時代=&lt;br /&gt;
| 年号=&lt;br /&gt;
| 首都=&lt;br /&gt;
| 皇居=&lt;br /&gt;
| 諱=&lt;br /&gt;
| 幼称=&lt;br /&gt;
| 別名=&lt;br /&gt;
| 印=&lt;br /&gt;
| 生年=&lt;br /&gt;
| 生地=&lt;br /&gt;
| 没年=&lt;br /&gt;
| 没地=&lt;br /&gt;
| 陵墓=&lt;br /&gt;
| 先代=&lt;br /&gt;
| 次代=&lt;br /&gt;
| 子=&lt;br /&gt;
| 皇后=&lt;br /&gt;
| 中宮=&lt;br /&gt;
| 女御=&lt;br /&gt;
| 更衣=&lt;br /&gt;
| 夫人=&lt;br /&gt;
| 夫=&lt;br /&gt;
| 父親=&lt;br /&gt;
| 母親=&lt;br /&gt;
| 注釈=&lt;br /&gt;
|}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:people infobox templates|てんのう]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>テンプレート:基礎情報 天皇</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| style=&amp;quot;background:#f9f9f9; border:1px #aaa solid; border-collapse:collapse; float:right&amp;quot;&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;color:#000; background-color:#996699; font-size:120%&amp;quot;|{{{名}}}&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
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{{!}}colspan=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;{{!}}'''{{{代数}}}代[[天皇]]'''&lt;br /&gt;
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}}&lt;br /&gt;
{{#if:{{{注釈|&amp;lt;noinclude&amp;gt;-&amp;lt;/noinclude&amp;gt;}}}|&lt;br /&gt;
{{!}}colspan=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;{{!}}&amp;lt;small&amp;gt;※{{{注釈}}}&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{!}}-&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
|}&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{-}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{基礎情報 天皇&lt;br /&gt;
| 名=&lt;br /&gt;
| 代数=&lt;br /&gt;
| 画像=&lt;br /&gt;
| 説明=&lt;br /&gt;
| 在位=&lt;br /&gt;
| 時代=&lt;br /&gt;
| 年号=&lt;br /&gt;
| 首都=&lt;br /&gt;
| 皇居=&lt;br /&gt;
| 諱=&lt;br /&gt;
| 幼称=&lt;br /&gt;
| 別名=&lt;br /&gt;
| 印=&lt;br /&gt;
| 生年=&lt;br /&gt;
| 生地=&lt;br /&gt;
| 没年=&lt;br /&gt;
| 没地=&lt;br /&gt;
| 陵墓=&lt;br /&gt;
| 先代=&lt;br /&gt;
| 次代=&lt;br /&gt;
| 子=&lt;br /&gt;
| 皇后=&lt;br /&gt;
| 中宮=&lt;br /&gt;
| 女御=&lt;br /&gt;
| 更衣=&lt;br /&gt;
| 夫人=&lt;br /&gt;
| 夫=&lt;br /&gt;
| 父親=&lt;br /&gt;
| 母親=&lt;br /&gt;
| 注釈=&lt;br /&gt;
|}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:people infobox templates|てんのう]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
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				<updated>2008-09-19T12:20:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;float:right&amp;quot;&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center; white-space:nowrap&amp;quot;|{{{開始|{{PAGENAME}}}}}&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
{{#if:{{{肖像|{{{肖像|}}}}}}|&lt;br /&gt;
{{!}}-&lt;br /&gt;
{{!}}colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;{{!}}{{{肖像|{{{肖像|&amp;amp;nbsp;}}}}}}|}}&lt;br /&gt;
{{#if:{{{時代|{{{時代|}}}}}}|&lt;br /&gt;
{{!}}-&lt;br /&gt;
{{!}}style=&amp;quot;text-align:center; white-space:nowrap&amp;quot;{{!}}時代&lt;br /&gt;
{{!}}{{{時代|{{{時代|&amp;amp;nbsp;}}}}}}|}}&lt;br /&gt;
{{#if:{{{生誕|{{{生誕|}}}}}}|&lt;br /&gt;
{{!}}-&lt;br /&gt;
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{{!}}{{{生誕|{{{生誕|&amp;amp;nbsp;}}}}}}|}}&lt;br /&gt;
{{#if:{{{死没|{{{死没|}}}}}}|&lt;br /&gt;
{{!}}-&lt;br /&gt;
{{!}}style=&amp;quot;text-align:center; white-space:nowrap&amp;quot;{{!}}死没&lt;br /&gt;
{{!}}{{{死没|{{{死没|&amp;amp;nbsp;}}}}}}|}}&lt;br /&gt;
{{#if:{{{改名|{{{改名|}}}}}}|&lt;br /&gt;
{{!}}-&lt;br /&gt;
{{!}}style=&amp;quot;text-align:center; white-space:nowrap&amp;quot;{{!}}改名&lt;br /&gt;
{{!}}{{{改名|{{{改名|&amp;amp;nbsp;}}}}}}|}}&lt;br /&gt;
{{#if:{{{別名|{{{別名|}}}}}}|&lt;br /&gt;
{{!}}-&lt;br /&gt;
{{!}}style=&amp;quot;text-align:center; white-space:nowrap&amp;quot;{{!}}別名&lt;br /&gt;
{{!}}{{{別名|{{{別名|&amp;amp;nbsp;}}}}}}|}}&lt;br /&gt;
{{#if:{{{神号|{{{神号|}}}}}}|&lt;br /&gt;
{{!}}-&lt;br /&gt;
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{{!}}-&lt;br /&gt;
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{{!}}{{{妻|{{{妻|&amp;amp;nbsp;}}}}}}|}}&lt;br /&gt;
{{#if:{{{子|{{{子|}}}}}}|&lt;br /&gt;
{{!}}-&lt;br /&gt;
{{!}}style=&amp;quot;text-align:center; white-space:nowrap&amp;quot;{{!}}子&lt;br /&gt;
{{!}}{{{子|{{{子|&amp;amp;nbsp;}}}}}}|}}&lt;br /&gt;
{{#if:{{{特記事項|{{{特記事項|}}}}}}|&lt;br /&gt;
{{!}}-&lt;br /&gt;
{{!}}style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;{{!}}特記事項&lt;br /&gt;
{{!}}{{{特記事項|{{{特記事項|&amp;amp;nbsp;}}}}}}|}}&lt;br /&gt;
|}&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 使用方法 ==&lt;br /&gt;
 &amp;lt;nowiki&amp;gt;{{公家&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
 |開始 =&lt;br /&gt;
 |肖像 =&lt;br /&gt;
 |時代 =&lt;br /&gt;
 |生誕 =&lt;br /&gt;
 |死没 =&lt;br /&gt;
 |改名 =&lt;br /&gt;
 |別名 =&lt;br /&gt;
 |神号 =&lt;br /&gt;
 |諡号 =&lt;br /&gt;
 |戒名 =&lt;br /&gt;
 |霊名 =&lt;br /&gt;
 |墓所 =&lt;br /&gt;
 |官位 =&lt;br /&gt;
 |主君 =&lt;br /&gt;
 |氏族 =&lt;br /&gt;
 |父母 =&lt;br /&gt;
 |兄弟 =&lt;br /&gt;
 |妻 =&lt;br /&gt;
 |子 =&lt;br /&gt;
 |特記事項 =&lt;br /&gt;
 &amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 各項目の解説 ==&lt;br /&gt;
* 開始 - 本人の名前を記す。&lt;br /&gt;
* 肖像 - 複数ある場合は一番良く知られている肖像を記す。&lt;br /&gt;
* 時代 - 本人が生きた時代を記す。&lt;br /&gt;
* 生誕・死没 - 先に旧暦で記し、後で「（）」で新暦を記す。&lt;br /&gt;
* 改名・別名 - 異名やあだ名などを記す。&lt;br /&gt;
* 戒名 - 複数ある場合も全て記す。&lt;br /&gt;
* 霊名 - キリシタンの場合は記す。&lt;br /&gt;
* 神号 - ある場合は記す。&lt;br /&gt;
* 諡号 - いわゆる「贈り名」を記す。&lt;br /&gt;
* 墓所 - 納骨されている場所を記す。&lt;br /&gt;
* 官位 - 受けた全てを下位から順番に記す。&lt;br /&gt;
* 主君 - 今まで受けた全ての主君を順番に記す。&lt;br /&gt;
* 父母 - 本人の父母を記す。&lt;br /&gt;
* 兄弟 - 本人は基本的には記さない。&lt;br /&gt;
* 妻 - 正室・側室共に適時分けて記す。&lt;br /&gt;
* 子 - ''斜体''は継子を示す。&lt;br /&gt;
* 特記事項 - 特に説明しておきたいことがあれば記す。&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E9%95%B7&amp;diff=39823</id>
		<title>藤原道長</title>
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				<updated>2008-09-19T12:18:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{公家&lt;br /&gt;
|開始=藤原道長&lt;br /&gt;
|肖像=[[画像:Fujiwaranomichinaga.jpg]]&lt;br /&gt;
|時代=[[平安時代]]&lt;br /&gt;
|生誕=[[康保]]3年（[[966年]]）&lt;br /&gt;
|死没=[[万寿]]4年[[12月4日 (旧暦)|12月4日]]（[[1028年]][[1月3日]]）&lt;br /&gt;
|改名=道長、行観、行覚&lt;br /&gt;
|別名=[[御堂関白]]、[[法成寺]]入道前関白太政大臣&lt;br /&gt;
|官位=[[従五位|従五位下]][[侍従]]、[[兵衛府|右兵衛権佐]]、[[従五位|従五位上]][[蔵人]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[正五位|正五位下]][[少納言]]、[[近衛府|左近衛少将]]、[[従四位|従四位下]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[従四位|従四位上]][[讃岐国|讃岐権守]]、[[備前国|備前権守]]、[[京職|左京大夫]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[従三位]]、[[中納言|権中納言]]、[[衛門府|右衛門督]]、[[正三位]][[中宮職|中宮大夫]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[大納言|権大納言]]、[[従二位]][[近衛府|左近衛大将]]、[[内覧]]、[[右大臣]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[藤氏長者]]、[[正二位]][[左大臣]]、[[摂政|准摂政]]、[[摂政]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[従一位]][[太政大臣]]、[[准后|准三后]]&lt;br /&gt;
|主君=[[円融天皇]]→[[花山天皇]]→[[一条天皇]]→&amp;lt;br /&amp;gt;[[三条天皇]]→[[後一条天皇]]&lt;br /&gt;
|氏族=[[藤原北家]]&lt;br /&gt;
|父母=父：[[藤原兼家]]、母：[[藤原時姫]]&lt;br /&gt;
|兄弟=[[藤原道隆|道隆]]、[[藤原道綱|道綱]]、[[藤原道兼|道兼]]、[[藤原超子|超子]]、[[藤原詮子|東三条院]]&lt;br /&gt;
|妻=正室：[[源雅信]]の娘・[[源倫子|鷹司殿]]&amp;lt;br /&amp;gt;側室：[[源明子|高松殿]]、[[藤原儼子]]、[[源重光]]娘?&lt;br /&gt;
|子=[[藤原彰子|上東門院]]、'''[[藤原頼通|頼通]]'''、[[藤原頼宗|頼宗]]、[[藤原妍子|妍子]]、[[藤原顕信|顕信]]、[[藤原能信|能信]]、'''[[藤原教通|教通]]'''、&amp;lt;br /&amp;gt;[[藤原威子|威子]]、[[藤原寛子|寛子]]、[[藤原長家|長家]]、[[藤原嬉子|嬉子]]、[[藤原尊子|尊子]]、[[藤原長信|長信]]、[[藤原盛子|盛子]]&lt;br /&gt;
|特記事項='''従五位下への任官'''を元服とみなし、&amp;lt;br /&amp;gt;主君は元服時の天皇からとしている。&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
[[画像:Fujiwara Michinaga.jpg|thumb|250px|藤原道長（[[菊池容斎]]・画、明治時代）]]&lt;br /&gt;
'''藤原 道長'''（ふじわら の みちなが、[[康保]]3年（[[966年]]） - [[万寿]]4年[[12月4日 (旧暦)|12月4日]]（[[1028年]][[1月3日]]））は[[平安時代]]中期の[[公卿]]である。[[藤原兼家]]の五男（四男という説もある）で、母は摂津守藤原中正の娘・時姫。同母の兄姉に[[藤原道隆|道隆]]・[[藤原道兼|道兼]]・[[藤原超子|超子]]・[[藤原詮子|詮子]]らがいる。異母の兄弟姉妹として[[藤原道綱|道綱]]・[[僧正]][[兼俊]]および[[藤原綏子|綏子]]（三条天皇東宮妃）らがいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父の兼家が[[摂政]]になり権力を握ると栄達するが、五男であり道隆、道兼という有力な兄がいたためさほど目立たない存在だったが、兼家の死後に[[摂関]]となった道隆、道兼が相次いで病没して権力に近づく。道隆の嫡子・[[藤原伊周|伊周]]との政争に勝って[[左大臣]]となり朝政のトップとなった。[[一条天皇]]に長女の[[藤原彰子|彰子]]を[[入内]]させ[[中宮]]となす。次の[[三条天皇]]には次女の[[藤原妍子|妍子]]を入れて中宮となす。だが道長は三条天皇とは深刻な対立を生じ天皇の眼病を理由に退位に追い込み、彰子の生んだ[[後一条天皇]]の即位を実現して摂政となる。1年ほどで摂政を嫡子の[[藤原頼通|頼通]]に譲り後継体制を固める。後一条天皇には三女の[[藤原威子|威子]]を入れて中宮となし、「'''一家立三后'''」と驚嘆された。[[太政大臣]]となり位人臣を極めた後に[[出家]]するが、頼通を後見し続けた。晩年は壮大な[[法成寺]]の造営に精力を傾けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 出生から青年期 ===&lt;br /&gt;
[[康保]]3年（[[966年]]）、[[藤原兼家]]の五男（または四男）として生まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
祖父の[[藤原師輔|師輔]]は[[村上天皇]]の治世を[[右大臣]]として支えた実力者で、娘の中宮[[藤原安子|安子]]が後の[[冷泉天皇]]、[[円融天皇]]を生んだことで外戚として立場を強化した。これにより、師輔の家系の[[九条流]]は本来嫡流であるはずの兄の[[藤原実頼|実頼]]の家系（[[小野宮流]]）よりも優位に立つことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[天禄]]元年（[[970年]]）、[[摂政]]・[[太政大臣]]だった実頼が死去すると師輔の長男の[[藤原伊尹|伊尹]]が摂政となるが、2年後に急死してしまう。後継を二男の[[藤原兼通|兼通]]と三男の兼家が争うが、結局兼通に[[関白]]が宣下される。兼通と兼家は不仲で、兼家は不遇の時期を過ごすことになる。[[貞元 (日本)|貞元]]2年（[[977年]]）に兼通は病死するが死ぬ寸前に兼家を降格させることまでしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
兼通の最後の推挙により小野宮流の[[藤原頼忠|頼忠]]が関白となったが、[[天元 (日本)|天元]]元年（[[979年]]）に頼忠は兼家を右大臣に引き上げてやり、ようやく不遇の時期を脱した。次女の詮子を[[円融天皇]]の[[女御]]に入れ、天元3年（[[980年]]）に第一皇子・[[一条天皇|懐仁親王]]を生んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年正月、道長は15歳にして[[従五位|従五位下]]に初叙した。その後、[[侍従]]を経て[[兵衛府|右兵衛権佐]]となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[永観]]2年（[[983年]]）、円融天皇は[[花山天皇]]（[[冷泉天皇]]の皇子）に譲位し、[[東宮]]（[[皇太子]]）には詮子の生んだ懐仁親王が立てられた。兼家は懐仁親王の早期の即位を望んだため、[[寛和]]2年（[[986年]]）6月に兼家と二男の道兼が中心となって策謀を仕組み、花山天皇を唆して[[内裏]]から連れ出し出家退位させてしまう。この事件の際に道長は天皇失踪のことを関白頼忠に報告する役割を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
速やかに幼い懐仁親王が即位（[[一条天皇]]）して、外祖父の兼家は摂政に任じられた。兼家は息子たちを急速に昇進させ、道長も[[永延]]元年（[[987年]]）には[[従三位]]に叙し、[[左京大夫]]を兼ねた。翌永延2年（[[988年]]）正月、[[参議]]を経ずに[[中納言|権中納言]]に抜擢された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これより以前に、道長は[[左大臣]]・[[源雅信]]の娘・[[源倫子]]と結婚し、永延2年（988年）には長女・彰子が雅信の[[土御門殿]]で誕生している。続いて[[安和の変]]で失脚した左大臣・[[源高明]]の娘・[[源明子]]も妻とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 伊周との争い ===&lt;br /&gt;
[[正暦]]元年（[[990年]]）7月、兼家が死去し、長男の道隆が後を継いで関白、次いで摂政となった。同年10月、摂政・道隆の女・[[藤原定子|定子]]立后に際し道長は[[中宮大夫]]に任ぜられる。翌年[[大納言|権大納言]]、次いで[[従二位]]に叙して、[[近衛府|左近衛大将]]を兼ねる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
道隆の嫡男の[[藤原伊周|伊周]]は道長を凌いで[[内大臣]]に任じられ、父の後継者に擬されていた。また、一条天皇の定子への寵愛も深く、そのために兄の伊周への信認もことの外厚かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[長徳]]元年（[[995年]]）4月、[[京都|都]]で[[麻疹|赤斑瘡]]（「あかもがさ」。今でいう「はしか」）が猛威をふるい、公卿たちも次々に死去した。その最中に関白・道隆も病に倒れるが、これは疫病ではなく普段の[[大酒]]が原因で道隆は天皇に後継の関白として伊周を請うがこれは許されず、病中の[[内覧]]のみが許された。道隆が死去するとその弟の道兼に関白宣下されるが、就任わずか数日で病で死去し「[[七日関白]]」と呼ばれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『大鏡』などによると伊周は自らが関白たらんと欲し、一条天皇の意中も伊周にあった。一方、道長は伊周が政治を行えば天下が乱れると考え、自らが摂関になろうとした。一条天皇の母后・東三条院（詮子）はかねてより弟の道長を愛し、逆に甥の伊周を疎んじており道長を強く推したが、天皇が考えを変えないため涙を流して固く請い迫まり、このために遂に天皇も道長の登用を決めたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
道長と伊周の対立は続き、[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]（[[8月22日]]）には陣座で諸公卿を前に激しく口論し、その3日後2人の従者が都で集団乱闘騒ぎを起こしている。天皇は詔して道長に内覧を許し、次いで9月に右大臣に任じ[[藤氏長者]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長徳2年（[[996年]]）正月、伊周とその弟の[[藤原隆家|隆家]]が女性関係が原因で花山法皇に矢を射かける事件を引き起こした。ことは直ぐに露見し4月に罪を責められた伊周は[[大宰権帥]]、隆家は[[出雲国|出雲権守]]に[[左遷]]されて失脚しこれを憂いた中宮定子は髪を切って尼となったが、後に天皇の命で宮中に戻っている（[[長徳の変]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月には道長は左大臣に昇進し名実ともに&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;廟堂&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;びょうどう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の第一人者となる。次席の右大臣には兼通の子の[[藤原顕光|顕光]]が任じられたが、顕光は当時から無能者と軽んじられている人物だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 一条天皇と道長 ===&lt;br /&gt;
後に[[法成寺]]を建立したことから'''[[御堂関白]]'''とも呼ばれるが、実際に関白になったことはない。関白の職権そのものには決裁権がなく、あくまでも最高決裁権者である天皇の[[後見]]的存在であった。このため、天皇との関係次第によってその権限は左右される性質のものであった（現に道長と[[三条天皇]]とは疎遠であった）。また公式な政府の最高機関である[[太政官]]には摂政・関白は[[大臣]]兼任であったとしても関与出来ない決まりであった。そこで道長は自らの孫が天皇に即位して外祖父となるまでは摂政・関白には就かず、太政官の事実上の首席である左大臣と関白に近い権限を持つ内覧を兼任することによって最高権力を行使しようとしたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長徳4年（[[998年]]）、道長は大病に陥り、出家を天皇に願い出る程に深刻だった。天皇がこれを再三慰留し、やがて平癒して政務に復帰している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[長保]]元年（[[999年]]）11月、一条天皇のもとへ長女・彰子を女御として[[入内]]させる。その入内は盛大なもので豪華な調度品が用意され、その中には参議[[源俊賢]]を介して公卿たちの和歌を募り[[能書家]]の[[藤原行成]]が筆を入れた四尺の屏風歌もあり、花山法皇までもが彰子の入内のために和歌を贈った。その中で唯ひとり中納言・[[藤原実資]]だけは歌を献じるのは拒んだ。実資は小野宮流（実頼の家系）の継承者で当時では有職故実に通じた一流の学識者で、権勢にあやからず筋を通す態度を貫いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌長保2年（[[1000年]]）2月になって道長は彰子を中宮とした。先立の后に定子がおり、すでに第一皇子・[[敦康親王]]を生み帝寵も深かったが、道長は定子を皇后に押し上げることであえて一帝二后を遂行させた。これは先例がないことであったが道長は権勢で押し通し、また東三条院の後援と[[藤原行成]]の論理武装&amp;lt;ref&amp;gt;当時、藤原氏からは&lt;br /&gt;
* [[藤原詮子|東三条院詮子]]&lt;br /&gt;
* [[皇后]]・[[藤原遵子|遵子]]（[[藤原頼忠|頼忠]]の娘で円融天皇の皇后）&lt;br /&gt;
* [[中宮]]・[[藤原定子|定子]]&lt;br /&gt;
の3人が后として出ているが全て出家し、尼の身であった。藤原氏出身の皇后が行うことになっている[[大原野神社|大原野祭]]に奉仕する皇后が1人もおらず、神に対して申し訳が立たない。よってこの際皇后を増員し、祭りに奉仕すべきであるという論理を行成が編み出し、これによって東三条院や一条天皇を説得した。&amp;lt;/ref&amp;gt;が説得の大きな手助けとなった。道長によって望まぬ皇后にされた定子は、その年の12月に皇女出産の産褥で死去している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[寛弘]]5年（[[1008年]]）9月、入内後10年目にして彰子は道長の土御門殿において皇子・[[後一条天皇|敦成親王]]を出産し、翌年にはさらに年子の[[後朱雀天皇|敦良親王]]も生まれた。待望の孫皇子が誕生した時の道長の狂喜ぶりは『[[紫式部日記]]』に詳しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
寛弘8年（[[1011年]]）6月、病床に臥した一条天皇は東宮・[[三条天皇|居貞親王]]（冷泉天皇の皇子）に譲位し、剃髪出家した後に崩御した。一条天皇と道長は信頼関係にあったとされるが、『[[古事談]]』や『[[愚管抄]]』によると天皇の遺品を整理していると「'''王が正しい政を欲するのに、讒臣が国を乱してしまう'''」という天皇の手書を見つけ、道長が怒って破り捨てたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 三条天皇との対立 ===&lt;br /&gt;
三条天皇は東宮に4歳の敦成親王を立てた。[[長和]]元年（[[1012年]]）2月、道長は東宮時代の三条天皇に入内させていた次女の[[藤原妍子|妍子]]を中宮とした。当初、天皇は道長に関白就任を依頼するが道長はこれを断り、続けて内覧に留任した。道長は三条天皇とも叔父・甥の関係にあったが、早くに母后超子を失い成人してから即位した天皇と道長の連帯意識は薄く、天皇は[[親政]]を望んだ。妍子が[[禎子内親王]]を生んだこともあり、天皇との関係は次第に悪化していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天皇には妍子とは別に東宮時代からの女御に[[藤原せい子|娍子]]（[[藤原済時]]の娘）がおり第一皇子・[[敦明親王]]を生んでおり、天皇は娍子を皇后に立てることとした。ところが立后の儀式の日を道長は妍子の参内の日として欠席し、諸公卿もこれにあやかって誰も儀式に参列しようとしなかった。良識者の実資が病身をおして意を決して中納言・隆家とともに参内し儀式を取り仕切ったが、寂しい儀式となった。三条天皇は密かに実資を頼りとする意を伝えるが、賢明な実資は物事の筋は通すが権勢家の道長と正面から対抗しようとはしなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三条天皇と道長との確執から政務が渋滞し、大勢は道長に有利であった。孤立した天皇は長和3年（[[1014年]]）、失明寸前の眼病にかかり、いよいよ政務に支障が出てこれを理由に道長はしばしば譲位を迫った。道長が敦成親王の即位だけでなく同じ彰子の生んだ敦良親王の東宮を望んでいるのは明らかで、天皇は道長を憎み譲位要求に抵抗し眼病快癒を願い、しきりに諸寺社に加持祈祷を命じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長和4年（[[1015年]]）10月、譲位の圧力に対して天皇は道長に[[摂政|准摂政]]を宣下して[[除目]]を委任し、自らは与らぬことを詔する。11月、新造間もない内裏が炎上する事件が起こる。これを理由に道長はさらに強く譲位を迫り眼病も全く治らず三条天皇は遂に屈し、自らの第一皇子・敦明親王を東宮とすることを条件に譲位を認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長和5年（[[1016年]]）正月、三条天皇は譲位し、東宮の敦成親王が即位した（[[後一条天皇]]）。道長は摂政の宣下を受けた。東宮には約束通り、敦明親王が立てられる。だが、敦明親王と道長には外戚関係がなく、母の娍子の生家は後ろ盾にならず親王の舅は右大臣顕光だが、人望がなくまるで頼りにならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== この世をば ===&lt;br /&gt;
翌[[寛仁]]元年（[[1017年]]）3月、道長は摂政と氏長者を嫡男の頼通に譲り、後継体制を固めた。5月に三条上皇が崩御すると、それから程ない8月、敦明親王は自ら東宮辞退を申し出た。道長は敦明親王を[[准太上天皇]]とし（院号は小一条院）、さらに娘の[[藤原寛子|寛子]]を嫁させ優遇した。東宮には道長の望み通りに敦良親王が立てられる。12月、[[従一位]]太政大臣に任じられ位人臣を極めるが、程なくこれを辞した。一応、政治から退いた形になるがその後も摂政となった若い頼通を後見して指図している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
寛仁2年（[[1018年]]）3月、後一条天皇が11歳になった時、道長は三女の[[藤原威子|威子]]を女御として入内させ、10月には中宮となした。実資はその日記『[[小右記]]』に、「'''一家立三后、未曾有なり'''」と感嘆の言葉を記した。威子の立后の日（[[10月16日 (旧暦)|10月16日]]（[[11月26日]]））に道長の邸宅で諸公卿を集めて祝宴が開かれ、道長は実資に向かって即興の歌「'''この世をば　わが世とぞ思ふ　望月の　欠けたることも　なしと思へば'''」を詠んだ（『小右記』、原文漢文）。実資は丁重に返歌を断り、代わりに一同が和してこの「名歌」を詠ずることを提案し、公卿一同がこの歌を繰り返し何度も詠った。道長の日記にはこの日の宴会のことは書かれているがこの歌自体は書かれず道長に批判的な実資の日記に書き残され、後世に伝えられることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
寛仁3年（[[1019年]]）3月、病となり剃髪して出家する。半年後に[[東大寺]]で受戒をされる。法名は行観（後に行覚）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
寛仁5年（[[1021年]]）、道長の末女・[[藤原嬉子|嬉子]]も将来の皇妃となるべく東宮敦良親王に[[尚侍]]として侍したが、嬉子は[[後冷泉天皇|親仁親王]]を生んで[[万寿]]2年（[[1025年]]）に[[早世]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
晩年は壮大な法成寺の建立に精力を傾けた。造営には資財と人力が注ぎ込まれ、諸国の受領は官へ納入を後回しにしても、[[権門]]の道長のために争ってこの造営事業に奉仕した。『[[栄花物語]]』は道長の栄耀栄華の極みとしての法成寺の壮麗さを伝えている。道長はこの法成寺に住んだが多くの子供たちに先立たれ、病気がちで安らかとはいえなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[万寿]]4年[[12月4日 (旧暦)|12月4日]]（[[1028年]][[1月3日]]）、病没。[[享年]]63。死因ははっきりとは分かっていないが、記録から[[癌]]または[[糖尿病]]ではないかといわれている。また一説には[[ハンセン病]]であったという説もある。道長は[[藤原北家]]の全盛期を築き、[[摂関政治]]の崩壊後も彼の子孫のみが摂関職を代々世襲し、本流から[[摂家|五摂家]]と[[清華家|九清華]]のうち三家（[[花山院家|花山院]]・[[大炊御門家|大炊御門]]・[[醍醐家|醍醐]]）を輩出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 国宝・御堂関白記 ==&lt;br /&gt;
道長の33歳から56歳にかけての日記は『[[御堂関白記]]』（『法成寺摂政記』）と呼ばれ、自筆本14巻、書写本12巻が[[京都]]の[[陽明文庫]]に保存されている。誤字・当て字が随所に散らばり、罵言も喜悦の言葉も素直に記してある所を見れば、大らかで直情径行な道長の気性がよく分かる。また正妻[[源倫子]]のことをすべて「[[女房]]」と表現しており、「女房」という言葉を現代語と同様の意味で用いていることが注目される。当時の政治や貴族の生活に関する超一級の史料として、[[昭和]]26年（[[1951年]]）に[[国宝]]に指定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
道長は豪爽な性格で、若い頃の話として父・兼家が才人である関白頼忠の子の[[藤原公任|公任]]を羨み、息子たちに「'''我が子たちは遠く及ばない、（公任の）影を踏むこともできまい'''」と嘆息した。道隆と道兼は言葉もなかったが、道長のみは「影を踏むことはできないでしょうが、その面を踏んでやりましょう」と答えている（大鏡）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父・兼家の葬儀の際、道長の堂々たる態度を見た名高い[[武士]]の[[源頼光]]は将帥の器であると感嘆して、自ら従うようになったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また[[弓射]]に練達し、後にライバルとなる兄・道隆の嫡男の[[藤原伊周|伊周]]と弓比べをし、「我が娘が寝極に入るならば当たれ」と言って矢を放つと見事に命中し、伊周は外してしまう。続いて道長が「我れ摂関に至らば当たれ」と言って放つとやはり命中した。道隆は喜ばず、弓比べを止めさせたという（大鏡）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文学を愛好した道長は紫式部・[[和泉式部]]などの女流文学者を庇護し、[[内裏]]の[[作文会]]に出席するばかりでなく自邸でも作文会や[[歌合]]を催したりした。『源氏物語』の第一読者であり、紫式部の局にやってきてはいつも原稿の催促をしていたといわれている（自分をモデルとした策略家の貴族が登場していることからそれを楽しみにしていたとも言われる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家集『御堂関白集』を残し、自ら[[拾遺和歌集|拾遺]]以下の[[勅撰集|勅撰]]歌人でもある。もっとも道長本人は[[和歌]]より[[漢詩]]の方を得手としていたようである（ちなみに有名な「この世をば」の歌は本人も即興で作った歌であったために気に入らなかったとされ『御堂関白記』などには記載されておらず、政敵・藤原実資の『[[小右記]]』に伝えられている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、政治家としては[[估価法]]の整備などの物価対策などにも取り組んだ（道長や実資が死ぬと公卿が社会政策に取り組む事はなくなり、[[院政]]や[[武家政権]]に政治の実権を奪われる遠因となる）。ちなみに頭が薄かったらしい。また、[[仏教]]（特に[[浄土教]]）に対して信仰心が厚く、最期は自らが建てた[[法成寺]]阿弥陀堂本尊前で大勢の僧侶に囲まれ[[極楽浄土]]を祈願する儀式の中で臨終の時を迎えたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 官歴 ==&lt;br /&gt;
※特に指示の無い限り『公卿補任』の記載による。（）は新暦換算での日付。新暦は[[ユリウス暦]]で換算。&lt;br /&gt;
*[[天元 (日本)|天元]]3年（[[980年]]）&lt;br /&gt;
**[[1月7日 (旧暦)|1月7日]]（[[1月27日]]）：従五位下に叙位&lt;br /&gt;
*天元5年（[[982年]]）&lt;br /&gt;
**[[1月10日 (旧暦)|1月10日]]（[[2月6日]]）：昇殿を許される&lt;br /&gt;
*天元6年（[[983年]]）&lt;br /&gt;
**[[1月27日 (旧暦)|1月27日]]（[[3月14日]]）：侍従に任官&lt;br /&gt;
*[[永観]]2年（[[984年]]）&lt;br /&gt;
**[[2月1日 (旧暦)|2月1日]]（[[3月6日]]）：右兵衛権佐に転任&lt;br /&gt;
**[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]（[[5月17日]]）：禁色を許される&lt;br /&gt;
**[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]（[[5月31日]]）：東宮（のちの花山天皇こと、師貞親王）昇殿を許される&lt;br /&gt;
*[[寛和]]2年（[[986年]]）&lt;br /&gt;
**[[2月8日 (旧暦)|2月8日]]（[[3月20日]]）：昇殿を許される&lt;br /&gt;
**[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]（[[8月1日]]）：一条天皇[[践祚]]により、あらためて昇殿を許される&lt;br /&gt;
**[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]（[[8月30日]]）：従五位上に昇叙し、蔵人に補任。右兵衛権佐如元&lt;br /&gt;
**[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]（[[9月3日]]）：正五位下に昇叙し、蔵人・右兵衛権佐如元&lt;br /&gt;
**[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]（[[9月21日]]）：[[少納言]]を兼任&lt;br /&gt;
**[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]（[[11月19日]]）：左近衛少将に転任し、少納言如元&lt;br /&gt;
**[[11月18日 (旧暦)|11月18日]]（[[12月21日]]）：従四位下に昇叙し、左近衛少将如元。禁色と昇殿をあらためて許される&lt;br /&gt;
*寛和3年（[[987年]]）&lt;br /&gt;
**1月7日（[[2月7日]]）：従四位上に昇叙し、左近衛少将如元&lt;br /&gt;
**1月27日（[[2月27日]]）：[[讃岐国|讃岐権守]]を兼任&lt;br /&gt;
*[[永延]]元年（987年）&lt;br /&gt;
**[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]（[[8月8日]]）：[[備前国|備前権守]]を兼任し、讃岐権守を去る&lt;br /&gt;
**[[9月4日 (旧暦)|9月4日]]（[[9月29日]]）：[[京職|左京大夫]]を兼任し、左近衛少将如元&lt;br /&gt;
**[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]（[[10月15日]]）：従三位に昇叙し、左近衛少将如元&lt;br /&gt;
**[[9月26日 (旧暦)|9月26日]]（[[10月21日]]）：左近衛少将を止むが、帯剣を許される&lt;br /&gt;
*永延2年（[[988年]]）&lt;br /&gt;
**[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]（[[2月19日]]）：権中納言に転任し、帯剣如元&lt;br /&gt;
*永延3年（[[989年]]）&lt;br /&gt;
**[[3月4日 (旧暦)|3月4日]]（[[4月12日]]）：右衛門督を兼任&lt;br /&gt;
*[[永祚]]2年（[[990年]]）&lt;br /&gt;
**1月7日（[[2月5日]]）：正三位に昇叙し、権中納言・右衛門督如元&lt;br /&gt;
**[[10月5日 (旧暦)|10月5日]]（[[10月26日]]）：中宮（藤原道隆の娘で一条天皇中宮・藤原定子）大夫を兼任&lt;br /&gt;
*正暦2年（[[991年]]）&lt;br /&gt;
**[[9月7日 (旧暦)|9月7日]]（[[10月17日]]）：権大納言に転任し、中宮大夫如元&lt;br /&gt;
*正暦3年（[[992年]]）&lt;br /&gt;
**[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]（[[5月31日]]）：従二位に昇叙し、権大納言・中宮大夫如元&lt;br /&gt;
*[[長徳]]元年（[[995年]]）&lt;br /&gt;
**4月27日（[[5月29日]]）：左近衛大将を兼任&lt;br /&gt;
**5月（日欠）：内覧宣下&lt;br /&gt;
**[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]（10月15日）：右大臣に転任し、[[藤氏長者|藤原氏長者]]宣下&lt;br /&gt;
**[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]（[[10月16日]]）：左近衛大将如元&lt;br /&gt;
*長徳2年（[[996年]]）&lt;br /&gt;
**[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]（[[8月6日]]）：正二位に昇叙し、左大臣に転任。内覧如元&lt;br /&gt;
**[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]（[[8月7日]]）：左近衛大将如元&lt;br /&gt;
**[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]（[[9月24日]]）：左近衛大将を辞任&lt;br /&gt;
*[[長和]]4年（[[1015年]]）&lt;br /&gt;
**[[10月27日 (旧暦)|10月27日]]（[[12月11日]]）：准摂政宣下。左大臣如元&lt;br /&gt;
*長和5年（[[1016年]]）&lt;br /&gt;
**[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]（[[3月10日]]）：摂政宣下。左大臣如元&lt;br /&gt;
**[[12月7日 (旧暦)|12月7日]]（[[1017年]][[1月7日]]）：左大臣を辞任&lt;br /&gt;
*長和6年（1017年）&lt;br /&gt;
**[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]（[[4月16日]]）：摂政を辞し、従一位に昇叙&lt;br /&gt;
*[[寛仁]]元年（1017年）&lt;br /&gt;
**[[12月4日 (旧暦)|12月4日]]（[[12月24日]]）：太政大臣宣下&lt;br /&gt;
*寛仁2年（[[1018年]]）&lt;br /&gt;
**[[2月9日 (旧暦)|2月9日]]（[[2月27日]]）：太政大臣を辞任&lt;br /&gt;
*寛仁3年（[[1019年]]）&lt;br /&gt;
**[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]（[[4月28日]]）：出家。法名：行観。のち、行覚と改める&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
* 父：[[藤原兼家]]&lt;br /&gt;
* 母：[[藤原時姫]]（[[藤原中正]]女）&lt;br /&gt;
* 妻：[[源倫子]]（[[左大臣]]・[[源雅信]]女、母は[[藤原朝忠]]女・[[藤原穆子|穆子]]）&lt;br /&gt;
** 長女：[[藤原彰子]]（[[一条天皇]]中宮）&lt;br /&gt;
** 長男：[[藤原頼通]]（摂政・関白）&lt;br /&gt;
** 次女：[[藤原妍子]]（[[三条天皇]]中宮）&lt;br /&gt;
** 五男：[[藤原教通]]（関白）&lt;br /&gt;
** 四女：[[藤原威子]]（[[後一条天皇]]中宮）&lt;br /&gt;
** 六女：[[藤原嬉子]]（[[後朱雀天皇]]東宮妃）&lt;br /&gt;
* 妻：[[源明子]]（左大臣・[[源高明]]女、[[盛明親王]]養女）&lt;br /&gt;
** 次男：[[藤原頼宗]]（[[右大臣]]）&lt;br /&gt;
** 三男：[[藤原顕信]]（入道前[[右馬頭]]）&lt;br /&gt;
** 四男：[[藤原能信]]（[[大納言|権大納言]]）&lt;br /&gt;
** 三女：[[藤原寛子]]（[[敦明親王]]女御）&lt;br /&gt;
** 五女：[[藤原尊子]]（[[源師房]]（頼通の養子）室）&lt;br /&gt;
** 六男：[[藤原長家]]（権大納言・[[御子左家]]の祖）&lt;br /&gt;
* 妻：&lt;br /&gt;
** 女子：[[藤原盛子]]（[[三条天皇]]尚侍）&lt;br /&gt;
** 七男：[[藤原長信]]&lt;br /&gt;
* 妻：[[藤原儼子]]（[[太政大臣]]・[[藤原為光]]四女）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[養子]]・[[猶子]]となった者に実父の出家・死去によって縁戚の道長が後見を務めた[[源成信]]（[[致平親王]]の子・倫子の甥）、道長の実の孫でその昇進の便宜のために道長が養子とした[[藤原信基]]（教通の子、後の[[藤原通基|通基]]）・[[藤原兼頼]]（頼宗の子）、同様のケースと考えられる道長の異母兄道綱の実子である[[藤原兼経]]・[[道命]]（[[四天王寺]]別当&amp;lt;ref&amp;gt;道命を猶子に迎えた事は『[[寺門高僧記]]』のみに記録されている&amp;lt;/ref&amp;gt;）兄弟が挙げられる。この他に正式な縁組は無かったものの、[[源経房]]（源高明の子、明子の実弟で道長が後見を務めた）や[[藤原兼隆]]（道兼の子）もこれに准じていたと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 北山茂夫 『藤原道長』（[[岩波書店]]、[[1970年]]）&lt;br /&gt;
* [[土田直鎮]] 『日本の歴史5　王朝の貴族』（[[中央公論社]]、[[1973年]]） ISBN 4122000610&lt;br /&gt;
* [[永井路子]] 『この世をば』（[[新潮社]]、[[1984年]]）&lt;br /&gt;
* [[朧谷寿]] 『日本の歴史6　王朝と貴族』（[[集英社]]、1991年） ISBN 4081950067&lt;br /&gt;
* 朧谷寿 『藤原道長―男は妻がらなり』（[[ミネルヴァ書房]]、[[2007年]]） ISBN 4623048845&lt;br /&gt;
* 『[[大日本史]]』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[藤原氏]]&lt;br /&gt;
* [[藤原氏の人物一覧]]&lt;br /&gt;
* [[摂政・関白の一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[藤氏長者]]|995 - 1017|[[藤原道兼]]|[[藤原頼通]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:藤原氏|みちなか]]&lt;br /&gt;
[[Category:摂関]]&lt;br /&gt;
[[Category:平安時代の公家]]&lt;br /&gt;
[[Category:966年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1028年没]]&lt;br /&gt;
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|-&lt;br /&gt;
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|}&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 使用方法 ==&lt;br /&gt;
 &amp;lt;nowiki&amp;gt;{{公家&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
 |開始 =&lt;br /&gt;
 |肖像 =&lt;br /&gt;
 |時代 =&lt;br /&gt;
 |生誕 =&lt;br /&gt;
 |死没 =&lt;br /&gt;
 |改名 =&lt;br /&gt;
 |別名 =&lt;br /&gt;
 |神号 =&lt;br /&gt;
 |諡号 =&lt;br /&gt;
 |戒名 =&lt;br /&gt;
 |霊名 =&lt;br /&gt;
 |墓所 =&lt;br /&gt;
 |官位 =&lt;br /&gt;
 |主君 =&lt;br /&gt;
 |氏族 =&lt;br /&gt;
 |父母 =&lt;br /&gt;
 |兄弟 =&lt;br /&gt;
 |妻 =&lt;br /&gt;
 |子 =&lt;br /&gt;
 |特記事項 =&lt;br /&gt;
 &amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 各項目の解説 ==&lt;br /&gt;
* 開始 - 本人の名前を記す。&lt;br /&gt;
* 肖像 - 複数ある場合は一番良く知られている肖像を記す。&lt;br /&gt;
* 時代 - 本人が生きた時代を記す。&lt;br /&gt;
* 生誕・死没 - 先に旧暦で記し、後で「（）」で新暦を記す。&lt;br /&gt;
* 改名・別名 - 異名やあだ名などを記す。&lt;br /&gt;
* 戒名 - 複数ある場合も全て記す。&lt;br /&gt;
* 霊名 - キリシタンの場合は記す。&lt;br /&gt;
* 神号 - ある場合は記す。&lt;br /&gt;
* 諡号 - いわゆる「贈り名」を記す。&lt;br /&gt;
* 墓所 - 納骨されている場所を記す。&lt;br /&gt;
* 官位 - 受けた全てを下位から順番に記す。&lt;br /&gt;
* 主君 - 今まで受けた全ての主君を順番に記す。&lt;br /&gt;
* 父母 - 本人の父母を記す。&lt;br /&gt;
* 兄弟 - 本人は基本的には記さない。&lt;br /&gt;
* 妻 - 正室・側室共に適時分けて記す。&lt;br /&gt;
* 子 - ''斜体''は継子を示す。&lt;br /&gt;
* 特記事項 - 特に説明しておきたいことがあれば記す。&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;float:right&amp;quot;&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center; white-space:nowrap&amp;quot;|{{{開始|{{PAGENAME}}}}}&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
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|}&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 使用方法 ==&lt;br /&gt;
 &amp;lt;nowiki&amp;gt;{{武士&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
 |開始 =&lt;br /&gt;
 |肖像 =&lt;br /&gt;
 |時代 =&lt;br /&gt;
 |生誕 =&lt;br /&gt;
 |死没 =&lt;br /&gt;
 |改名 =&lt;br /&gt;
 |別名 =&lt;br /&gt;
 |神号 =&lt;br /&gt;
 |諡号 =&lt;br /&gt;
 |戒名 =&lt;br /&gt;
 |霊名 =&lt;br /&gt;
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 |主君 =&lt;br /&gt;
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 |特記事項 =&lt;br /&gt;
 &amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 各項目の解説 ==&lt;br /&gt;
* 開始 - 本人の名前を記す。&lt;br /&gt;
* 肖像 - 複数ある場合は一番良く知られている肖像を記す。&lt;br /&gt;
* 時代 - 本人が生きた時代を記す。&lt;br /&gt;
* 生誕・死没 - 先に旧暦で記し、後で「（）」で新暦を記す。&lt;br /&gt;
* 改名・別名 - 異名やあだ名などを記す。&lt;br /&gt;
* 戒名 - 複数ある場合も全て記す。&lt;br /&gt;
* 霊名 - キリシタンの場合は記す。&lt;br /&gt;
* 神号 - ある場合は記す。&lt;br /&gt;
* 諡号 - いわゆる「贈り名」を記す。&lt;br /&gt;
* 墓所 - 納骨されている場所を記す。&lt;br /&gt;
* 官位 - 受けた全てを下位から順番に記す。&lt;br /&gt;
* 主君 - 今まで受けた全ての主君を順番に記す。&lt;br /&gt;
* 父母 - 本人の父母を記す。&lt;br /&gt;
* 兄弟 - 本人は基本的には記さない。&lt;br /&gt;
* 妻 - 正室・側室共に適時分けて記す。&lt;br /&gt;
* 子 - ''斜体''は継子を示す。&lt;br /&gt;
* 特記事項 - 特に説明しておきたいことがあれば記す。&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

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		<title>河井継之助</title>
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				<updated>2008-09-19T12:06:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{武士&lt;br /&gt;
|開始=河井継之助&lt;br /&gt;
|肖像=[[画像:Kawai Tugunosuke.jpg|250px]]&lt;br /&gt;
|時代=[[江戸時代]]末期&lt;br /&gt;
|生誕=[[文政]]10年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]（[[1827年]][[1月27日]]）&lt;br /&gt;
|死没=[[慶応]]4年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]（[[1868年]][[10月1日]]）&lt;br /&gt;
|別名=秋義（諱）、蒼龍窟（雅号）&lt;br /&gt;
|墓所=[[新潟県]][[長岡市]]栄涼寺&lt;br /&gt;
|主君=[[牧野忠雅]]→[[牧野忠恭]]→[[牧野忠訓]] &lt;br /&gt;
|父母=父：[[河井秋紀]]、母：貞&lt;br /&gt;
|妻=梛野嘉兵衛の妹・すが&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''河井 継之助'''（かわい つぐのすけ、正字体：繼之助、[[文政]]10年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]（[[1827年]][[1月27日]]） - [[慶応]]4年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]（[[1868年]][[10月1日]]））は幕末期の[[越後長岡藩]]牧野家の家臣である。「継之助」は幼名・通称で、読みは「つぐのすけ」とも「つぎのすけ」とも読まれる&amp;lt;ref&amp;gt;『[[国史大辞典]]』等では「つぐのすけ」で記載されており、この読み方に親しんでいる者も多くいるが、河井家の遺族や地元・長岡では「つぎのすけ」で統一されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。諱は'''秋義'''（あきよし）。号は蒼龍窟。禄高は120石。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 河井家の概要 ==&lt;br /&gt;
河井家の先祖は、もともと[[近江国]][[膳所藩]][[本多氏]]の家臣である。藩主の娘が初代長岡藩主・[[牧野忠成 (越後長岡藩初代)|牧野忠成]]の嫡子・光成（藩主になる前に死去）へ嫁ぐにあたり、河井清左衛門と忠右衛門の兄弟が長岡へ帯同した。そして兄に40石、弟に25石が与えられ、そのまま牧野家の新参家臣となった。はじめに兄・河井清左衛門の家系は、その総領の義左衛門が近習・目付と班を進め大組入りした。[[戊辰戦争]]で銃卒隊長であった河井平吉は、清左衛門の分家筋に当たる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弟の忠右衛門は、はじめ祐筆役となり、その後郡奉行となった。この間に加増が2回あり、大組入りして100石となり、河井金太夫家と呼ばれた。継之助の河井家は、この忠右衛門（河井金太夫家）の次男・代右衛門信堅が新知30俵2人扶持を与えられ、[[宝永]]4年（[[1707年]]）に中小姓として召し出されたことにより別家となったものである。つまり河井家には、清左衛門を初代とする本家（50石）、忠右衛門を初代とする分家（100石、のちに20石加増）、信堅を初代とする分家（120石）があった。継之助の祖である信堅は、当初30俵2人扶持であった。その後、勘定頭、新潟奉行を歴任し者頭格にもなり、禄高は140石となった。そして、そのうち120石の相続が認められ、120石取りの家となったと推察される。ちなみに信堅が郡奉行であったことは藩政史料からは確認できない。3代目の代右衛門秋恒も、信堅と同じ役職を歴任した。継之助の父で郡奉行や新潟奉行などを歴任した4代目の代右衛門秋紀のとき、何らかの事情で20石減らされ120石となったと『河井継之助傳』にあるが、これは足高の喪失であって禄高そのものが減知されたものではないと思われる。ちなみにこの秋紀は風流人であったようで、[[良寛]]とも親交があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上のように、家中における信堅系の河井家の位置は能力評価の高い役方（民政・財政）の要職を担当する中堅どころの家柄であったといえる。また他の河井家よりも立身したことで、河井諸家の中でも優位にあったと思われる。こうした河井家の立場は藩内や国内の情勢不安の中、継之助が慶応元年（[[1865年]]）に[[郡奉行]]に抜擢されて藩政改革を主導し、その後、役職を重ねるとともに藩の実権者となっていくこととなった素地であったといえる&amp;lt;ref&amp;gt;なお、河井家を「奉行格」の家柄であると説明するものがあるが、これは誤りである。まず第1に、越後長岡藩には制度的に「奉行格」という家格は存在しなかった。そして第2に、町奉行などのような奉行を歴史学上は地方（ぢがた）の奉行職と呼ぶこともある。越後長岡藩では、郡奉行や町奉行の上位に位置する役職として「奉行職（御奉行）」が存在し、藩政全般に重きをなし、時として[[加判の列]]（最広義の老職）にもなった。継之助の祖父、曾祖父、高祖父が町奉行・郡奉行という役職に就任していたため、「奉行格」という家柄を勝手に誰かが創作もしくは誤認したのではないかと推察される。継之助は中老となる前、公用人・郡奉行・町奉行兼帯となった後に「奉行職（御奉行格[[加判]]）」に就任している。この「奉行職」に河井家で登用されたのは、継之助が初であった。したがって、河井家を奉行級の家柄であったとするのも誤りである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;このほか藩主牧野氏が室町・戦国期に三河国宝飯郡の牛久保城主であった時代から仕えた古参の出自を誇る河井家がある。この河井家は&amp;lt;!--、精神病と思われる病気により--&amp;gt;&amp;lt;!-- 重複 --&amp;gt;乱心して、[[元禄]]10年（[[1697年]]）自殺した。家名断絶となったが、古参・譜代の家柄であったため特にお家再興を許されて&amp;lt;!-- 名跡の継承がされて --&amp;gt;&amp;lt;!-- 重複 --&amp;gt;いるが継之助の河井家とはまったく異なる家系である（河井喜兵衛家、75石）。継之助の河井一族と混同されることが多いので注意を要する。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯1　修養・遊学の時期（1827～1862） ==&lt;br /&gt;
=== 誕生～青年期 ===&lt;br /&gt;
文政10年（1827年）、[[長岡城]]下の長町で代右衛門秋紀と貞との長男として生まれる。幼少の頃は気性が激しく腕白者で、負けず嫌いな性格であったといわれている。12、3歳の頃、それぞれに師匠をつけられて剣術や馬術などの武芸を学んだが師匠の教える流儀や作法に従わないどころか口答えし自分勝手にやったため、ついには師匠から始末に終えないと厄介払いされるほどであった。その後、[[藩校]]の崇徳館で[[儒学]]を学び始め、その際、都講の高野松陰の影響で[[陽明学]]に傾倒していった。[[天保]]13年（[[1842年]]）に元服、秋義を名乗る。信堅系の河井家の当主は、元服すると代々通称として「代右衛門」を世襲したが、継之助は元服後も幼名である「継之助」を通称として用いた。17歳のとき、継之助は鶏を裂いて王陽明を祀り、補国を任とすべきこと、すなわち藩を支える名臣になることを誓う。その翌年、城下の火災により継之助の家宅も焼失したため、現在跡地のある家に移り住む。そして、[[嘉永]]3年（[[1850年]]）に梛野嘉兵衛（250石、側用人）の妹・すがと結婚する。継之助は青年時代から主に日本・中国（宋・明時代）の儒学者・哲学者の語録や明・清時代の奏議書の類の本をよく写本した。また、読書法についても後に[[鵜殿団次郎]]とそのあり方について議論した際、多読を良しとする鵜殿に対し、継之助は精読を主張したという。こうした書物に対する姿勢は後の遊学の際でも一貫していた。さらにこの時期には小山良運（160石、藩医、長男は明治期の画家・[[小山正太郎]]）や花輪馨之進（200石、のち奉行本役）、三間市之進（350石、のち奉行役加判）、[[三島億二郎]]（37石、藩校助教授、のち目付格、代官）といった同年代の若手藩士らと日夜意見を戦わせ、意気を通じ合わせていた。このグループは周囲からは「桶党」（水を漏らさぬほど結束力が固いという意）と呼ばれていたらしく、慶応期藩政改革の際には村松忠治右衛門（70石、安政期藩政改革の主導者、のち奉行格、勘定頭・郡奉行ほか諸奉行兼帯）や植田十兵衛（200石、のち郡奉行・町奉行兼帯）らとともに次第に要職に就き、河井を中心とする改革推進派の主要メンバーとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 初めての江戸遊学と藩政への登場 ===&lt;br /&gt;
嘉永5年（[[1852年]]）の秋頃、継之助は[[江戸]]に遊学する。江戸にはすでに三島や[[小林虎三郎]]らが[[佐久間象山]]の許に遊学に来ていた。継之助はまず、三島を仲介に[[古賀謹一郎]]（茶渓）の紹介で[[斎藤拙堂]]の門をくぐった。また、同じ頃に象山の塾にも通い始めた。継之助は遊学中、三島や小林らと江戸の町を見物したり酒を飲んだりと自適の日々を送った。当時、大坂の[[適塾]]にいた小山は小林の手紙でそんな3人の様子を知り、たいへん羨ましいと長岡の知人への手紙の中で述べている。翌嘉永6年（[[1853年]]）、継之助は斎藤の許を去り、古賀の久敬舎に入門し、寄宿する。斎藤の塾を去ったのは、そこには自分を高める会心の書がなかったためと言われる。一方、象山の塾には依然通い続け、砲術の教えを受けていた。ただし継之助は象山の人柄は好きではなかったらしく、後に同藩の者に「佐久間先生は豪いことは豪いが、どうも腹に面白くないところがある」と語ったという。久敬舎では講義はほとんど受けず、書庫で巡りあった『李忠定公集』を読みつつ、それを写本することに日々を費やした。そのため継之助は門人たちからは「偏狭・固陋」な人物と思われた。同年、[[ペリー]]が来航すると、当時老中であった藩主忠雅は三島に黒船の偵察に派遣する一方、家臣らに対し広く意見を求めた。それを受け、継之助、三島、小林らはそれぞれ建言書を提出する。ともに藩政改革を記した内容だったようだが、三島と小林はその内容が忠雅の不評を買い帰藩を命じられた。反対に継之助の建言は藩主の目に留まることとなり、新知30石を与えられて御目付格評定方随役に任命され、帰藩を命じられた。そのため、『李忠定公集』全巻を写し終え題字を認めてもらうと、継之助は久敬舎を去り長岡へ戻った。藩政の刷新を企図し帰藩した継之助であったが、藩主独断での人事に反感を持った家老など藩上層部の風当たりが強く、結局何もできないまま2ヶ月ほどで辞職する。この固陋な有様に憤慨した継之助は藩主に対し門閥弾劾の建言書を提出する。その後、とくに何もないままの日々を過ごす。安政2年（1855年）、忠雅の世子・忠恭のお国入りにあたり、継之助は経史の講義を行うよう命じられる。しかし継之助は「己は講釈などをするために学問をしたのではない、講釈をさせる入用があるなら講釈師に頼むが良い」とこれを跳ね除けたため、藩庁からお叱りを受ける。この間、射撃の練習に打ち込んでその腕を上げる一方、三島とともに東北へ遊歴した。安政5年（1858年）、家督をついで外様吟味役になると、さっそく宮路村での争いを解決へと導いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 備中松山・長崎への遊歴 ===&lt;br /&gt;
[[安政]]6年（[[1859年]]）正月、継之助は再び江戸に遊学し、古賀謹一郎の久敬舎に入る。そしてさらなる[[経世論|経世済民の学]]を修めるため、[[備中松山藩]]の[[山田方谷]]の教えを請いに西国遊学の旅に出る。初めこそ、農民出身の山田を「安五郎」と通称で手紙にしたためるなどの尊大な態度に出ていた継之助も山田の言行が一致した振る舞いと彼が進めた藩政改革の成果を見て、すぐに態度を改めて深く心酔するようになる。山田の許で修養に励む間、佐賀や長崎も訪れ、知見を広める。翌年3月、松山を去って江戸へ戻り、しばらく横浜に滞在した後、長岡へ帰郷した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯2　藩政の主導者へ（1862～1867） ==&lt;br /&gt;
=== 京都詰・江戸詰に任命 ===&lt;br /&gt;
文久2年（1862年）、藩主の[[牧野忠恭]]が[[京都所司代]]になると継之助も京都詰を命じられ、翌文久3年（[[1863年]]）の正月に上洛する。継之助は藩主忠恭に所司代辞任を勧めるも、忠恭はこれを承知しなかった。しかし、4月下旬に攘夷実行が決定されたのをきっかけに忠恭も辞意を決し、6月に認められると忠恭は江戸に戻る。だが9月、忠恭は今度は老中に任命される。そして継之助は[[公用人]]に命じられ江戸詰となると、忠恭に老中辞任を進言する。その際、辞任撤回の説得に訪れた分家の常陸[[笠間藩]]主・[[牧野貞直|牧野貞明]]を罵倒してしまい、結局この責任をとるかたちで公用人を辞し、帰藩した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 郡奉行就任と藩政改革の開始 ===&lt;br /&gt;
しかしその後、慶応元年（1865年）に外様吟味役に再任されると、その3ヶ月後に[[郡奉行]]に就任する。これ以後、継之助は[[藩政改革]]に着手する。その後、町奉行兼帯、奉行格加判とどんどん出世し、その間、風紀粛正や農政改革、灌漑工事、兵制改革などを実施した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 越後長岡藩慶応改革 ===&lt;br /&gt;
藩士の知行を100石より少ない者は加増し、100石より多い者は減知すると云う門閥の平均化すると共に、軍制上の中央集権を目指した改革を藩主の信任の下で継之助は断行した。詳細は[[越後長岡藩の慶応改革]]を参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯3　明治維新への対応（1867～1868） ==&lt;br /&gt;
=== 戊辰戦争の開始 ===&lt;br /&gt;
慶応3年（1867年）10月、[[徳川慶喜]]が[[大政奉還]]を行うと、中央政局の動きは一気に加速する。この慶喜の動きに対し、討幕派は[[12月9日 (旧暦)|12月9日]]（1868年[[1月3日]]）に[[王政復古 (日本)|王政復古]]を発し、幕府などを廃止する。一方長岡藩では、藩主・忠恭は隠居し[[牧野忠訓]]が藩主となっていたが、大政奉還の報せを受けると忠訓や継之助らは公武周旋のために上洛する。そして継之助は藩主の名代として議定所へ出頭し、徳川氏を擁護する内容の建言書を提出する。しかし、それに対する反応は何もなかった。翌慶応4年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]]（[[1月27日]]）、鳥羽・伏見において会津・桑名を中心とする旧幕府軍と新政府軍との間で戦闘が開始され、[[戊辰戦争]]が始まる（[[鳥羽・伏見の戦い]]）。大坂を警衛していた継之助らは、旧幕府軍の敗退と慶喜が江戸へ密かに退いたのを知ると急ぎ江戸へ戻る。藩主らを先に長岡へ帰させると、継之助は江戸藩邸を処分し家宝などをすべて売却。その金で暴落した米を買って函館へ運んで売り、また[[新潟市|新潟]]との為替差益にも目をつけ軍資金を増やした。同時に[[スネル兄弟]]などから[[ガトリング砲]]や[[フランス]]製の2000挺の最新式銃などの最新兵器を購入し、海路長岡へ帰還した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 一藩武装中立 ===&lt;br /&gt;
新政府軍が[[会津藩]]征討のため長岡にほど近い小千谷（現・新潟県[[小千谷市]]）に迫ると、門閥出身の家老首座連綿・稲垣平助、長岡藩で藩主・牧野氏の先祖と兄弟分の契りを結んでいたとされる重臣・槙（真木）内蔵介、以下上級家臣の安田鉚蔵、九里磯太夫、武作之丞、小島久馬衛門、花輪彦左衛門、毛利磯右衛門などが恭順・非戦を主張した。こうした中で継之助は、まず自説を曲げずに継之助にことごとく刃向かう反河井派の急先鋒・安田鉚蔵を藩命として永蟄居となした。そして、恭順派の拠点となっていた長岡藩校・崇徳館に腹心の鬼頭六左衛門に小隊を与えて監視させ、その動きを封じ込めた。その後に抗戦・恭順を巡る藩論を抑えて[[武装中立]]を主張し、新政府軍との談判へ臨み、旧幕府軍と新政府軍の調停を行う事を申し出ることとした&amp;lt;ref&amp;gt;安田鉚蔵を安井鉚蔵、槙内蔵介を植内蔵介と誤記または誤植をして出版された書籍があり、これより孫引きをしたと推察される書籍・文献がかなり存在し、この誤りを踏襲している。長岡藩士に植姓・安井姓の士分は存在しない。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 小千谷談判の決裂 ===&lt;br /&gt;
[[5月2日 (旧暦)|5月2日]]（[[6月21日]]）、河井は小千谷の新政府軍本陣に乗り込み、付近の慈眼寺において新政府軍監だった土佐の[[岩村高俊|岩村精一郎]]と会談した。河井は奥羽への侵攻停止を訴えたが、成り行きで新政府軍の軍監になった岩村に河井の意図が理解できるわけもなく、また岩村が河井を諸藩によくいる我が身がかわいい戦嫌いなだけの門閥家老だと勘違いしたこともあり、降伏して会津藩討伐の先鋒にならなければ認めないという新政府の要求をただ突きつけるだけであった。交渉はわずか30分で決裂。継之助は長州の[[山縣有朋|山縣狂介]]か薩摩の[[黒田清隆|黒田了介]]を交渉相手に望んでいたが、若輩である岩村が出てきたことが計算外だった。継之助の交渉相手としては岩村の器は小さすぎた。一方新政府軍にとっても、岩村が継之助を捕縛せずにそのまま帰してしまったのが大失敗だった。これにより長岡藩は[[奥羽越列藩同盟]]に加わり、2日後に[[北越戦争]]へと突入する&amp;lt;ref&amp;gt;小千谷談判は[[江戸城]]を無血開城に導いた幕臣の[[勝海舟]]と新政府軍の[[西郷隆盛]]との[[勝海舟#駿府城会談と江戸城無血開城|駿府城会談]]と対比されることが多い。ただし、北越戦争における無様な結果について山縣は誰かしらに責任をなすりつける必要があったのは事実である。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 北越戦争の開戦 ===&lt;br /&gt;
長岡藩は7万4千石の小藩であったが、内高は約14万石と実態は中藩であった。長岡藩では藩論が必ずしも統一されていなかったが、家老首座連綿の[[稲垣平助茂光]]は交戦状態となる直前に出奔。家老次座連綿の[[山本帯刀]]や着座家の三間氏は終始継之助に協力した。先法御三家（槙（真木）氏・能勢氏・疋田氏）は、官軍に恭順を主張するも藩命に従った。上級家臣団のこうした動きと藩主の絶対的信頼の下に、継之助は名実共に開戦の全権を掌握した。継之助の開戦時の序列は家老上席、軍事総督。但し先法御三家は筋目（家柄）により継之助の命令・支配を受ける謂われはなかったので、藩主の本陣に近侍してこれを守ったため後方にあり、1人の戦傷者も出さなかったと云われる。継之助の長岡慶応改革によっても、先法御三家の組織上・軍制上の特権を壊せたとする史料は存在しない。長岡藩兵は近代的な訓練と最新兵器の武装を施されており、河井の巧みな用兵により当初新政府軍の大軍と互角に戦った。しかし絶対的な兵力に劣る長岡軍は徐々に押され始め、[[5月19日 (旧暦)|5月19日]]（[[7月8日]]）に[[長岡城]]を奪われた&amp;lt;ref&amp;gt;この直後から長岡藩が命じた人夫調達の撤回と米の払下を求めて大規模な[[世直し一揆]]が発生する。[[5月20日 (旧暦)|5月20日]]（[[7月9日]]）に発生した吉田村・太田村（現在の[[燕市]]）を始め、巻村など領内全域に広がり一時は7,000人規模となった。長岡藩は新政府軍と戦っていた部隊を吉田・巻方面に派遣して[[6月26日 (旧暦)|6月26日]]（[[8月14日]]）までに全て鎮圧した。この鎮圧のために長岡藩は一時兵力の多くを割くこととなり、新政府軍との戦いにも支障を来たした上、多くの領民が処罰され長岡での継之助の評価を悪化させた一因にもなった（『新潟県史』通史編6）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。その後[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]（[[7月21日]]）、今町の戦いを制して逆襲に転じる。[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]（[[9月10日]]）夕刻、敵の意表をつく八丁沖渡沼作戦を実施し、[[7月25日 (旧暦)|翌日]]（[[9月11日]]）に長岡城を辛くも奪還する。これは軍事史に残る快挙であった。ところがその奇襲作戦の最中、新町口にて継之助は左膝に流れ弾を受け重傷を負ってしまう。指揮官である継之助の負傷によって長岡藩兵の指揮能力や士気は低下し、また陸路から進軍していた[[米沢藩]]兵らも途中敵兵に阻まれ合流に遅れてしまった。これにより、奇襲によって浮き足立った新政府軍を米沢藩とともに猛追撃して大打撃を与えるという作戦は完遂できなかった。一方、城を奪還され一旦後退した新政府軍であったが、すぐさま体勢を立て直し反撃に出る。長岡藩にはもはやこの新政府軍の攻撃に耐えうる余力はなく、4日後の[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]（[[9月15日]]）に長岡城は再び陥落、継之助らは会津へ向けて落ちのびた。これにより戊辰戦争を通じて最も熾烈を極めたとされる北越戦争は新政府軍の勝利に終わり、以後、戦局は会津へと移っていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 河井の最期 ===&lt;br /&gt;
継之助は会津へ向けて[[八十里峠]]を越える際、「八十里 腰抜け武士の 越す峠」という自嘲の句を詠む。峠を越えて会津藩領に入り、只見村にて休息をとる。継之助はそこで忠恭の依頼で会津若松より治療に来た[[松本良順]]の診察を受け、松本が持参してきた牛肉を平らげてみせる。しかし、この時すでに継之助の傷は手遅れな状態にあった。継之助も最期が近づきつつあるのを悟り、花輪らに対し今後は米沢藩ではなく[[庄内藩]]と行動を共にすべきことや藩主世子・鋭橘のフランスへの亡命（結局果たされず）など後図を託した。また[[外山修造]]には武士に取り上げようと考えていたが、近く身分制がなくなる時代が来るからこれからは商人になれと伝えた。後に外山はこの継之助の言に従って商人となり、日本の発展を担った有力実業家の1人として活躍した。継之助は松本の勧めもあり、会津若松へ向けて只見村を出発し、[[8月12日 (旧暦)|8月12日]]（[[9月27日]]）に塩沢村（現・福島県[[只見町]]）に到着する。塩沢村では不安定な状態が続いた。[[8月15日 (旧暦)|15日]]（[[9月30日|30日]]）の夜、継之助は従僕の松蔵を呼ぶと、ねぎらいの言葉をかけるとともに火葬の仕度を命じた。翌16日（10月1日）の昼頃、継之助は談笑した後、ひと眠りつくとそのまま危篤状態に陥った。そして、再び目を覚ますことのないまま、同日午後8時頃、[[破傷風]]&amp;lt;ref&amp;gt;その他にも[[鉛#人体への影響|鉛毒]]、[[壊疽|ガス壊疽]]などを死因とする説もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;により死去した。[[享年]]42。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
継之助の葬式は会津城下にて行われた。遺骨は新政府軍の会津城下侵入時に墓があばかれることを慮り、松蔵によって会津のとある松の木の下に埋葬される。実際、新政府軍は城下の墓所に建てられた継之助の仮墓から遺骨を持ち出そうとしたが、中身が砂石であったため継之助の生存を疑い恐怖したという。戦後、松蔵は遺骨を掘り出すと長岡の河井家へ送り届けた。そして遺骨は、現在河井家の墓がある栄涼寺に再び埋葬された。しかしその後、継之助の墓石は長岡を荒廃させた張本人として継之助を恨む者たちによって、何度も倒された。このように、戦争責任者として継之助を非難する言動は継之助の人物を賞賛する声がある一方で、明治以後、現在に至るまで続いている。一方河井家は、主導者であった継之助がすでに戦没していたため、政府より死一等を免じる代わりに家名断絶という処分を受けた。忠恭はこれを憂い、森源三（河井の養女の夫）に新知100石を与えて河井の家族を扶養させた。だが、[[明治]]16年（[[1883年]]）に河井家は再興を許され、森の子・茂樹を養嗣子として迎え入れたのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略年譜 ==&lt;br /&gt;
* 1827年：誕生。&lt;br /&gt;
* 1842年：元服。&lt;br /&gt;
* 1843年：生贄の鶏を裂いて[[王陽明]]を祀り、輔国を誓う。&lt;br /&gt;
* 1852年：最初の江戸遊学。[[斎藤拙堂]]、[[古賀謹一郎]]（茶渓）、[[佐久間象山]]らの門をくぐる。&lt;br /&gt;
* 1853年：[[マシュー・ペリー|ペリー]]来航。藩主忠雅に建言書提出。御目付格評定方随役に任命され帰藩。2ヶ月で辞職。&lt;br /&gt;
* 1857年：家督を相続。外様吟味役に任命。&lt;br /&gt;
* 1858年：江戸へ再度遊学のため長岡を発つ。&lt;br /&gt;
* 1859年：古賀の久敬舎に再入学。西国へ遊学、[[備中松山藩]]の[[山田方谷]]に入門。その間、長崎にも遊歴。&lt;br /&gt;
* 1860年：江戸へ戻る。横浜でファブルブランドやエドワード・スネルらと懇意になる。&lt;br /&gt;
* 1863年：1月、京都詰となる。藩主忠恭の所司代辞任を要請。9月、公用人として江戸詰。忠恭の老中辞任を要請。叶わず辞職、帰藩。&lt;br /&gt;
* 1865年：外様吟味役再任。3ヶ月後、[[郡奉行]]に就任。藩政改革を開始。&lt;br /&gt;
* 1866年：[[町奉行]]を兼帯。&lt;br /&gt;
* 1867年：3月、評定役・寄会組になる。4月、奉行格加判。[[小諸騒動]]を解決。但し翌年11月に再燃。10月、年寄役（中老）。[[大政奉還]]を受け、12月に藩主忠訓と共に上洛、朝廷に建言書提出。&lt;br /&gt;
* 1868年：4月に家老。閏4月に家老上席、軍事総督に任命。5月、小千谷談判決裂。新政府軍と抗戦開始。8月、戦闘中の傷がもとで死去。享年42。 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
さほど背は高くなかったが[[鳶色]]の鋭い目を持ち、声がよかったという。徹底的な実利主義で、武士の必須である剣術に関してもいざ事あるときにすぐに役に立てばよいので型や流儀などどうでもよいという考え方であった。しかし読書に関しては別で、好きな本があるとその一文一文を彫るように書き写していたという。物事の本質をすばやく見抜く才にすぐれ、士農工商制の崩壊、薩長政権の樹立を早くから予見していた。藩命にたびたび背き、様々叱咤されたが、本人は当然の風にしていた。河井家は本来ならば家老になどなれない家柄であったがすでに若いころから藩の家老らの凡庸さを見て、結果的に自分が家老になるしかないと公言してはばからなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遊郭の禁止令を施行した際はそれまで遊郭の常連であった継之助のことを揶揄し「かわいかわい（河井）と今朝まで思い 今は愛想もつきのすけ（継之助）」と詠われている。また、『塵壷』という名前で知られる旅日記を残した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治維新後、長岡の復興に尽力した[[米百俵]]で知られる[[小林虎三郎]]は親類である。非戦を唱えていたが薩長の横暴を見かね、手紙の中で「かくなる上は開戦もやむなし」と開戦を支持している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお継之助には上記以外にも長岡市民によって伝承された様々な逸話がある。例えば「北越戦争で両手足を失ったが、果敢に戦った」とか、「戦の時は藩士に精力を付けさせるよう、自分の飯を全て分け与えていた」などという話である。しかしこれらの逸話は一切史実に残っていない為、信憑性の低い作り話であるという説が有力である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 河井継之助に関する主な史料 ==&lt;br /&gt;
河井継之助の行動や人となりを知りうる史料に関しては、下記以外にも刊本・未刊本を問わずあるが、それらは基本的に戊辰戦争前後の長岡藩の動向について記されたものであるので、ここではあえて外した。&lt;br /&gt;
=== 『河井継之助伝』 ===&lt;br /&gt;
[[今泉鐸次郎]]著。初版は[[明治]]43年（[[1910年]]）、博文館。[[昭和]]6年（[[1931年]]）に目黒書店から増補改版。昭和55年（[[1980年]]）および[[平成]]8年（[[1996年]]）には象山社から増補版の再版が刊行。&lt;br /&gt;
* 継之助に関して編まれた唯一の刊本史料（伝記）であり、現在ある関連書籍はすべてこれを底本にして書かれている。&lt;br /&gt;
* 先祖は牧野家の家臣で自身は新聞記者・郷土史家であった今泉が、各地より蒐集した史料、関係者からインタビューした情報を基礎に構成。具体的には継之助の史料（書簡など）やそれ以外の者の関係史料からの引用と継之助の家族や関係者、またその関係者の子女などからの証言の2つから成り立っている。すなわち、史料学的に見れば『河井継之助伝』は2次史料・2級史料に分類される。&lt;br /&gt;
* 引用史料の中には「追考昔誌」「思出草」など、その原本や写本が現存しているものもある。しかしその一方で、所在やいかなる史料なのかが今のところ不明なものも存在する（たとえば「○○の手記」「三間正弘自叙伝」といったもの。これらについては、著者が便宜的につけた表題であり、史料名そのものではない）。また、戊辰戦争前後の事について書かれた現存の引用史料は残されたメモや当時の史料、記憶をたよりに後年編まれたものや回想録である。ゆえに、これら『河井継之助伝』中の引用史料の扱いについても内容をそのまま鵜呑みにはせず、他史料で裏付けをとる必要もある。&lt;br /&gt;
* 小諸騒動にあっては、維新後の混乱期にごく短期間だけ小諸藩上席家老となった牧野隼之進成聖の嫡子・成功からの聞き取りに依拠したと部分が多いものと推察され、これと不仲（或いは反対派）であった牧野隼之進成聖の本家となる牧野八郎左衛門成道、及び真木要人則道、太田宇忠太一道、前藩主夫人の楠子などの評価を低く（或いは悪役に近く）書いている恨みがあると指摘する文献（牧野家臣団・加藤誠一著など）もある（参考となるページ・[[牧野康那]]）。また小諸藩重臣の知行、家禄の引用が極めてアバウトであるとも指摘されている。&lt;br /&gt;
* 小諸騒動はアカデミックな場で僅かに扱われているが、小諸騒動の継之助の調停については小諸藩文書等の小諸側の文書・史料からは継之助の具体的な事績・活躍がほとんど伝わらない。&lt;br /&gt;
* 関係者の証言に関しても、当時の様相を垣間見れる上で貴重な手がかりである。しかし、かなり年月を経たあとのものでもあり、そこには証言者本人の主観的判断や感情、記憶の入れ違いも存在しうる。ゆえに、史料学的見地からもこれらの証言を扱う際にも慎重さを要する。&lt;br /&gt;
* 本文中で引用されている継之助の書簡についても、原本はごく一部を除けば現存していない。&lt;br /&gt;
* しかしながら現在、継之助や幕末期長岡藩に関する1次史料（とくに藩政史料）がほぼ皆無の状況である以上、『河井継之助伝』は継之助の人物像や幕末期の長岡藩の様相を知る上で数少ない好史料であることは否定し得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 『塵壺』 ===&lt;br /&gt;
継之助自筆の旅日記で、現存する唯一の自著。安政6年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]（1859年[[7月6日]]）から同年[[12月22日 (旧暦)|12月22日]]（[[1860年]][[1月14日]]）までの西国遊歴中の事を記す。原本は現在、長岡市立中央図書館から長岡市の河井継之助記念館に移管、展示されている。また、安藤英男 校注『塵壷：河井継之助日記』＜東洋文庫257＞（平凡社、昭和49年（[[1974年]]））にて活字化もされている。&lt;br /&gt;
* 江戸～備中松山～長崎～備中松山における道中の出来事を記録したもので、両親への道中報告のためのメモ的なものである。そのため、特筆すべきことのないようなときは日付と天気しか記していない日もある。&lt;br /&gt;
* 数日分を後でまとめて記すこともあったため、記憶により記述の細かさにばらつきがあったり別記を意図して内容を省略したりもしている。ゆえにいわゆる日記としての全般的な詳述さには欠けている面もある。&lt;br /&gt;
* 西国遊歴は、これ以降の河井の政治的行動を深く規定したという点で継之助の生涯において大きな位置を占める出来事であり、本史料は遊歴の内容や継之助の個性を知る上で貴重な史料といえる。&lt;br /&gt;
* 備中松山から江戸までの帰路については『塵壺』には記されていなかったため、その日程や内容についてはしばらくの間不明であった。しかしその後、その帰路の事を記した両親宛の書簡が発見されたため（『長岡市史』資料編3に所収）、江戸までの道中の日程や大まかな様子が判明した。なお、京都～備中松山間において行きが山陽を通ったのに対し、帰りは山陰を通って帰った事がこの書簡で初めて分かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※この他で継之助に直接関わる史料としては、史談会 編『史談会速記録』全44巻（原書房）に収められている三間正弘や[[大野右仲]]らの証言記録がある（記載巻数等は同書総索引を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 継之助を扱った作品 ==&lt;br /&gt;
=== 書籍 ===&lt;br /&gt;
継之助を扱った主な著書を挙げた。幕末期の長岡藩関係の著書やビジネス系雑誌の記事などは含まない。また同一の著者に継之助について書かれた複数の著書がある場合には、代表的な一冊のみを挙げた。&lt;br /&gt;
* 『北越戊辰戦争と河井継之助』（井上一次 著、イデア書院、1928年）&lt;br /&gt;
* 『河井継之助』（「人物研究叢刊第17」、神村実 著、金鶏学院、1933年）&lt;br /&gt;
* 『英雄と学問　河井継之助とその学風』（「師友選書第12」、安岡正篤 述、明徳出版社、1957年）&lt;br /&gt;
* [[峠 (小説)|『峠』]]（[[司馬遼太郎]] 著、新潮社、1968年）&lt;br /&gt;
* 『河井継之助のすべて』（安藤英男 編、新人物往来社、1981年）&lt;br /&gt;
* 『河井継之助余聞』（緑川玄三 著、野島出版、1984年）&lt;br /&gt;
* 『河井継之助写真集』（安藤英男 著、横村克宏 写真、新人物往来社、1986年）&lt;br /&gt;
* 『愛憎　河井継之助』（中島欣也 著、恒文社、1986年）&lt;br /&gt;
* 『河井継之助の生涯』（安藤英男 著、新人物往来社、1987年）&lt;br /&gt;
* 『武士（おとこ）の紋章』（[[池波正太郎]] 著、新人物往来社、1990年）&lt;br /&gt;
* 『良知の人河井継之助　義に生き義に死なん』（石原和昌 著、日本経済評論社、1993年）&lt;br /&gt;
* 『日本を創った先覚者たち ― 井伊直弼・小栗忠順・河井継之助』（新井喜美夫 著、総合法令、1994年）&lt;br /&gt;
* 『小説河井継之助　武装中立の夢は永遠に』（[[童門冬二]] 著、東洋経済新報社、1994年）&lt;br /&gt;
* 『北越の竜河井継之助』（岳真也 著、角川書店、1995年）&lt;br /&gt;
* 『河井継之助　薩長に挑んだ男』（『歴史読本』第40巻第7号「シリーズ人物検証 7」、新人物往来社、1995年）&lt;br /&gt;
* 『北越蒼龍伝 ― 河井継之助の生涯』（菅蒼一郎 著、日本図書刊行会、1997年）&lt;br /&gt;
* 『小説 幕末輸送隊始末 ― 悲憤の英将 河井継之助』（竹田十岐生 著、新風舎、1997年）&lt;br /&gt;
* 『河井継之助』（星亮一 著、成美文庫、1997年）&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ** 『河井継之助』増訂版（星亮一 著、成美堂出版、2001年）--&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 『歴史現場からわかる河井継之助の真実』（外川淳 著、東洋経済新報社、1998年）&lt;br /&gt;
* 『河井継之助　立身は孝の終りと申し候』（稲川明雄 著、恒文社、1999年）&lt;br /&gt;
* 『河井継之助　信念を貫いた幕末の俊英』（芝豪 著、PHP文庫・PHP研究所、1999年）&lt;br /&gt;
* 『河井継之助　吏に生きた男』（安藤哲也 著、新潟日報事業社、2000年）&lt;br /&gt;
* 『河井継之助と明治維新』（太田修 著、新潟日報事業社、2003年）&lt;br /&gt;
* 『怨念の系譜　河井継之助、山本五十六、そして田中角栄』（早坂茂三 著、集英社、2003年）&lt;br /&gt;
* 『龍虎会談　戊辰、長岡戦争の反省を語る』（山崎宗彌 著、2004年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 論文 ===&lt;br /&gt;
継之助について考察した主な論文を挙げた。幕末期の長岡藩関係の論文などは含まない。&amp;lt;!--河井継之助については現存史料・関係史料が僅少なこともあり（これは長岡藩の藩政史料についても言える）、郷土史研究の場ではともかくアカデミックな研究の場では扱われていない。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 『幕末期における政治主体と政治意識 ― 河井継之助の政治思想について」（安藤哲也、1976年）&lt;br /&gt;
* 『河井継之助生誕の地を求めて ― 越後長岡藩における河井家の位置」（小川和也、『歴史読本』48巻1号、2003年）&lt;br /&gt;
* 『鈴木無隠の「河井継之助言行録」について』（吉田公平、『東洋大学中国哲学文学科紀要』14号、2006年&lt;br /&gt;
* 『長岡郷土史』所収の該当論文（長岡郷土史研究会 編、第1～44号、1960～2007年）&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- === ボードゲーム ===&lt;br /&gt;
* コマンド・マガジン第61号 『ウーグモン／河井継之助』、国際通信社--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ドラマ ===&lt;br /&gt;
過去に河井継之助を描いたテレビドラマがいくつか制作されている。&lt;br /&gt;
* 『[[花神 (NHK大河ドラマ)|花神]]』&lt;br /&gt;
: 昭和52年（[[1977年]]）[[1月2日]]～[[12月25日]]放送の[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]。司馬遼太郎の『[[花神 (小説)|花神]]』（主人公：[[大村益次郎]]）、『[[世に棲む日日]]』（主人公：[[吉田松陰]]と[[高杉晋作]]）、『[[十一番目の志士]]』（主人公：高杉晋作と架空の人物・[[天堂晋助]]）、『[[峠 (小説)|峠]]』（主人公：河井継之助）の4作を原作とするが、ドラマの主役は大村。継之助は準主役級で、後半の多くの話に登場する。演じる[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]は、司馬原作の大河では昭和48年（[[1973年]]）の『[[国盗り物語 (NHK大河ドラマ)|国盗り物語]]』に続いての主要配役で&amp;lt;ref&amp;gt;『国盗り物語』は前半が[[平幹二朗]]演じる[[斎藤道三]]、後半が高橋英樹演じる[[織田信長]]の主役リレー。『花神』は[[中村梅之助 (4代目)|中村梅之助]]演じる大村が主役で、これに吉田（[[篠田三郎]]）、高杉（[[中村雅俊]]）、[[楠本イネ]]（[[浅丘ルリ子]]）、継之助（高橋英樹）などが準主役で絡む。&amp;lt;/ref&amp;gt;、その人気と相まって「河井継之助」の名が全国のお茶の間に浸透することにつながった。&lt;br /&gt;
* 『最後のサムライ河井継之助』&lt;br /&gt;
: 平成11年（[[1999年]]）[[12月30日]]放送の[[テレビ朝日]]制作による2時間の年末スペシャル。「島田紳助の2000年に喝っ! スペシャル 幕末を駆け抜けた驚異のオレ流サラリーマン」という副題がついており、なんらかの原作のドラマ化というよりも、むしろ人物系教養バラエティー番組の延長上に位置する作品。継之助は[[阿部寛]]が演じた。&lt;br /&gt;
* 『[[河井継之助 駆け抜けた蒼龍|河井継之助 &amp;lt;small&amp;gt;〜駆け抜けた蒼龍〜&amp;lt;/small&amp;gt;]]』&lt;br /&gt;
: 平成17年（[[2005年]]）[[12月27日]]放送の[[松竹]]･[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]制作による2時間半の年末大型時代劇。原作については特に触れられていないが、大筋で『峠』のストーリーを踏襲している。継之助は[[中村勘三郎 (18代目)|中村勘三郎]]が30歳のときから演じたがっていた思い入れの強い役柄で、18代目中村勘三郎襲名を記念して制作された念願の作品。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[幕末の人物一覧]]&lt;br /&gt;
* [[越後長岡藩]]&lt;br /&gt;
* [[越後長岡藩の家臣団]]&lt;br /&gt;
* [[越後長岡藩の慶応改革]]&lt;br /&gt;
* [[小諸藩]]&lt;br /&gt;
* [[小諸藩の家臣団]]&lt;br /&gt;
* [[北越戦争]]&lt;br /&gt;
* [[稲垣茂光]]（稲垣平助）&lt;br /&gt;
* [[小林虎三郎]]&lt;br /&gt;
* [[山田方谷]]&lt;br /&gt;
* [[古賀謹一郎]]&lt;br /&gt;
* [[佐久間象山]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.tsuginosuke.net/index.html 河井継之助記念館]（新潟県長岡市、2006年12月27日開館）&lt;br /&gt;
* [http://www2.ocn.ne.jp/~tadami/index.html 河井継之助記念館]（河井の終焉の地・福島県只見町）&lt;br /&gt;
* [http://www.city.nagaoka.niigata.jp/dpage/kankou/kankou/spot/subwin26.html 長岡市郷土史料館]&lt;br /&gt;
* [http://www.lib.city.nagaoka.niigata.jp/index.html 長岡市立中央図書館]&lt;br /&gt;
* [http://www.lib.city.nagaoka.niigata.jp/monjo/index.htm 長岡市立互尊文庫内文書資料室]&lt;br /&gt;
* [http://www.nurs.or.jp/~soryu/index.html 蒼龍窟が行く]（河井継之助を扱っているサイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.tsugisa.com/index.html 河井継之助紀行]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:幕末徳川側人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:新潟県の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:新潟県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:越後長岡藩]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の儒学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:陽明学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1827年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1868年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%B8%85%E6%AD%A3&amp;diff=39819</id>
		<title>加藤清正</title>
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				<updated>2008-09-19T12:03:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{武士&lt;br /&gt;
|開始=加藤清正&lt;br /&gt;
|肖像=[[画像:Kato Kiyomasa.jpg|350px|加藤清正]]&lt;br /&gt;
|時代=[[安土桃山時代]] - [[江戸時代]]前期&lt;br /&gt;
|生誕=[[永禄]]5年[[6月24日 (旧暦)|6月24日]]（[[1562年]][[7月25日]]）&lt;br /&gt;
|死没=[[慶長]]16年6月24日（[[1611年]][[8月2日]]）&lt;br /&gt;
|別名=竹松、夜叉若（幼名）、虎之助（通称）&lt;br /&gt;
|戒名=浄池院殿永運日乗大居士&lt;br /&gt;
|墓所=[[熊本県]][[熊本市]]の[[加藤神社]]、[[本妙寺 (熊本市)|本妙寺]]、&amp;lt;br/&amp;gt;[[山形県]][[鶴岡市]]の[[天澤寺]]、東京都港区の覚林寺&lt;br /&gt;
|官位=従五位下、主計頭、従五位上、侍従、[[肥後国|肥後]]守、&amp;lt;br&amp;gt;従四位下、贈従三位&lt;br /&gt;
|主君=[[豊臣秀吉]]→[[豊臣秀頼|秀頼]]→[[徳川家康]]&lt;br /&gt;
|藩=[[肥後]][[熊本藩]]主&lt;br /&gt;
|氏族=[[加藤氏]]&lt;br /&gt;
|父母=父：[[加藤五郎助]]（清忠）、母：伊都&lt;br /&gt;
|妻=正室：[[玉目丹波]]の娘・'''正応院'''、&amp;lt;br&amp;gt;継室：[[水野忠重]]の娘（[[徳川家康]]の養女）・'''[[清浄院 (徳川氏)|清浄院]]'''&amp;lt;br&amp;gt;側室：[[菊池武宗]]の娘・本覚院、浄光院&lt;br /&gt;
|子=3男2女（[[加藤忠正|忠正]]、'''[[加藤忠広|忠広]]'''、虎熊、&amp;lt;br&amp;gt;古屋（[[榊原康勝]]室のち[[阿部政澄]]室）、&amp;lt;br&amp;gt;[[瑤林院|あま]]（[[徳川頼宣]]室））&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
[[画像:加藤清正の像.jpg|right|thumb|250px|center|名古屋市中村区中村町字木下屋敷の妙行寺内にある加藤清正像]]&lt;br /&gt;
'''加藤 清正'''（かとう きよまさ、[[永禄]]5年[[6月24日 (旧暦)|6月24日]]（[[1562年]][[7月25日]]）～[[慶長]]16年6月24日（[[1611年]][[8月2日]]））は[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]前期にかけての[[武将]]・[[大名]]である。[[肥後国|肥後]][[熊本藩]]初代藩主。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[豊臣秀吉]]の家臣として仕え、各地を転戦して武功を発揮。肥後熊本の領主となる。秀吉没後は[[徳川氏]]の家臣となり、関ヶ原の戦いで武功を挙げて肥後熊本藩主となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[賤ヶ岳の戦い#賤ヶ岳の七本槍|賤ヶ岳七本槍]]」の一人として数えられるが、彼の武功は[[朝鮮の役]]におけるものが最も有名である。肥後熊本では現在においても人気が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
智勇兼備の名将としてだけではなく、築城の名手としても有名である。[[明治]]43年（[[1910年]]）に[[従三位]]を追贈された。また、朝鮮の役での虎退治の伝説も有名である。なお、[[手話]]において加藤姓を表す際は加藤清正の虎退治の古事にちなみ槍を前に突き出すようなジェスチャーを行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 織田家臣時代 ===&lt;br /&gt;
永禄5年（1562年）、尾張の土豪である[[加藤清忠]]の子として[[尾張国]]愛知郡中村（現在の[[愛知県]][[名古屋市]]）に生まれる。父の清忠は清正が幼いときに死去したが、母・伊都が秀吉の生母である[[大政所]]の従姉妹（一説には妹）であったことから血縁関係にあった秀吉に仕え、[[天正]]4年（[[1576年]]）に170石を与えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 豊臣家臣時代 ===&lt;br /&gt;
天正10年（[[1582年]]）に[[織田信長]]が死去すると、清正は秀吉に従って同年の[[山崎の戦い]]に参加した。その後、秀吉が次の天下人として台頭し、秀吉と対立する[[柴田勝家]]との間で天正11年（[[1583年]]）に賤ヶ岳の合戦が起こると、清正は「賤ヶ岳の七本槍」の一人として敵将・[[山路正国]]を討ち取るという武功を挙げ、譜代の家臣のない秀吉からその武功を賞されて3000石の所領を与えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正13年（[[1585年]]）7月、秀吉が[[関白]]に就任すると同時に従五位下、主計頭に叙任する。天正14年（[[1586年]]）からは秀吉の[[九州征伐]]に従い、征伐後に肥後に入った[[佐々成政]]が失政により[[改易]]された後の天正15年（[[1587年]]）、肥後の半国のおよそ19万5000石を与えられ、[[熊本城]]を居城とした。このとき、肥後半国と讃岐とどちらかを選べと言われ、肥後を選んだという逸話がある。肥後における治績は良好で、田麦を特産品化し南蛮貿易の決済に当てるなど、世に知られた治水以外に商業政策でも優れた手腕を発揮した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[文禄]]元年（[[1592年]]）からの[[文禄・慶長の役]]では、[[李氏朝鮮|朝鮮]]へ出兵する。文禄の役では第二軍主将として小西行長とは別路の先鋒となり首都漢城の攻略を競った。後に咸鏡道方面担当となり朝鮮二王子（[[臨海君]]・[[順和君]]）の生捕りや、オランカイ（現在の[[中国東北部]]）への威力偵察など、数々の武功を挙げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし交渉材料に朝鮮二王子を返還してしまうなど、[[慶長]]元年（[[1596年]]）、[[石田三成]]と明との和睦をめぐって意見の対立が生じ、それが元で秀吉の勘気を受け[[京都|京]]に戻される（一説に三成が清正の功績を本人の報告と食い違うように過少に讒言したためともされる）。しかし後に許された。慶長2年（[[1597年]]）からの慶長の役では、[[小西行長]]と共に先鋒となり[[全羅道]]攻略後に忠清道鎮川まで進出後に[[西生浦倭城‎]]に駐屯した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本側では西生浦倭城の東方に新たに[[浅野幸長]]や毛利家家臣・[[宍戸元続]]によって[[蔚山倭城]]‎を築城し、完成後清正を守備につける予定（西生浦倭城‎には黒田長政を駐屯予定）であったが、慶長2年（[[1597年]]）12月に完成間近の蔚山倭城への明の大軍が攻め寄せて[[蔚山城の戦い]]が始まると清正は急遽側近のみ500人ほどを率いて蔚山倭城に入城した。未完成で水も食糧も乏しい状況で明・朝鮮の大軍を防ぎきり、[[毛利秀元]]や[[黒田長政]]の援軍の到着まで城を守り抜いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、清正は[[朝鮮]]の民衆から「犬、鬼（幽霊）上官」と恐れられた。朝鮮では[[五奉行]]の三成や行長ら、[[文治派]]と呼ばれる一派と対立する。なお、朝鮮出兵中に[[アムールトラ|虎]]退治をしたという伝承が残りそこから[[虎拳]]という遊びの元になった。また、[[セロリ]]を日本に持ち込んだとされており、セロリの異名の一つが「清正人参」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関ヶ原から江戸時代 ===&lt;br /&gt;
慶長3年（[[1598年]]）に秀吉が死去すると、[[五大老]]の[[徳川家康]]に接近し、家康の養女を継室として娶った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして慶長4年（[[1599年]]）3月に[[前田利家]]が死去すると、[[福島正則]]や[[浅野幸長]]ら6将と共に三成暗殺未遂事件を起こした。しかし、家康に慰撫されて暗殺は失敗する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[慶長]]5年（[[1600年]]）に三成が家康に対して挙兵した[[関ヶ原の戦い]]では九州に留まり、[[黒田兼高|黒田如水]]に同調、家康ら東軍に協力して行長の[[宇土城]]、[[立花宗茂]]の[[柳川城]]などを開城、調略し、九州の西軍勢力を次々と破った。役後の論功行賞で、肥後の行長旧領を与えられ52万石の大名となる（なお行長が居城とした[[宇土城]]は慶長17年（[[1612年]]）に破却された）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶長10年（[[1605年]]）、従五位上、侍従・肥後守に叙任される。慶長15年（[[1610年]]）、[[徳川氏]]による[[尾張]]・[[名古屋城]]の普請に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶長16年（1611年）3月には[[二条城]]における家康と[[豊臣秀頼]]との会見を取り持つなど和解を斡旋した。しかしその後、帰国途中の船内で発病し、6月24日（8月2日）に熊本で死去した。享年50。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
墓所は[[熊本市]]花園の発星山[[本妙寺 (熊本市)|本妙寺]]の浄池廟、また[[山形県]][[鶴岡市]]丸岡の金峰山天澤寺。さらに[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]白金台の最正山覚林寺（[[清正公]]）に位牌。なおまた、東京都[[大田区]]の長栄山大国院本門寺（[[池上本門寺]]）に供養塔。奉斎神社は[[熊本市]]本丸鎮座の[[加藤神社]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
清正の死後、家督は子の忠広が継いだが、[[寛永]]9年（[[1632年]]）、忠広は幕府の命により改易になった。理由は加藤家が豊臣氏恩顧の最有力大名だったためとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
清正の死から4年後の慶長20年（[[1615年]]）、家康によって[[豊臣氏]]は滅ぼされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Kato-Kiyomasa.jpg|thumb|300px|清正の重臣・大木舎人が写生し、文久年間にさらに模写されたという肖像]]&lt;br /&gt;
*[[藤堂高虎]]と並んで築城の名手として知られ、特に大きな反りを持たせた[[石垣]]の積み方が美しいといわれた。[[三名城]]の[[熊本城]]や[[蔚山倭城]]、[[江戸城]]、[[名古屋城]]など数々の城の築城に携わった。また領内の治水事業にも意を傾け、熊本県内には現在も清正による遺構が多く存在する。&lt;br /&gt;
**特に清正が熊本へ赴任した当初、そこは4本の河川が年中氾濫を起こし、水害が深刻であった。藩主となった清正はこの水害を除くための大々的な治水工事に取り組み、飯田覚兵衛、大木土佐といった専門家のもと、[[穴太衆]]などの石工集団など各部門のプロたちを総動員して、暴れ川の鎮圧にあたった。&lt;br /&gt;
**このとき清正は莫大な人手をまかなうため男女の別なく動員したが、きちんと給金を払い必要以上の労役を課すことなく農事に割く時間を確保した上でのことであったため、領民たちもよくこれに協力したという。&lt;br /&gt;
*清正といえば武辺者という印象が強いが、実際は卓越した行政手腕の持ち主であった。&lt;br /&gt;
*宗教面においては熱心な[[日蓮宗]]信者で、領内に本妙寺をはじめとする日蓮宗の寺の建立を勧めた。&lt;br /&gt;
*[[法律]]面では[[三振法]]を取り入れたことで知られる。これは武士のみが対象であったが、軽微な罪や式典で粗相を3回起こすと[[切腹]]を申し付けられるものであり、そのため加藤家の家臣は行儀の良いことで有名であったという。&lt;br /&gt;
*武勇においては正則と並ぶ豊臣氏の双璧であり、正則とは親友関係にあったと言われている。三成ともはじめは仲が良かったが、豊臣政権の中で次第に文治派、武断派が形成されてゆくにつれて両者は犬猿の仲になったとされている。行長とは朝鮮出兵のときに先鋒をめぐって争うなど非常に仲が悪く、互いの領地が隣り合わせであったため常に境界線をめぐって争ったとも言われている。&lt;br /&gt;
*清正は現在、戦国時代の名将として民衆から現在に至るまで崇められ、愛されている。&lt;br /&gt;
*6[[尺]]3[[寸]]（約191[[センチメートル|cm]]）の大男だったと言われている。だが実は5尺3寸（約161cm）にも満たない身長であったが、かぶる兜を長くして全体像を高く見せる事によって相手に威圧感を与えようとしていたという説もあるといわれている。&lt;br /&gt;
*かなりの潔癖症であり、便所で用を足す際は30cmの高さもある下駄を履いてしていた。&lt;br /&gt;
*[[熊本県]]（旧[[肥後藩]]）においては、現在も県民の尊敬を集め「清正公（せいしょこさん）」として種々の史跡や祭りなどにも取りあげられており、その人気は高い。清正の治世が12年であったことから、現代でも熊本県知事は3選以上は出馬しないことが暗黙の了解とされていると言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逸話 ==&lt;br /&gt;
*口の中に拳を入れる事ができたという逸話がある。その話を聞いた[[新選組]]局長・[[近藤勇]]も憧れていた清正にあやかり、真似をして拳を口に入れていたという。今でもこれを聞いて行う者がいる。&lt;br /&gt;
*平時でも常に腰に米3升と味噌、銀銭300文を入れていた。ある時親友の正則が「それでは腰が重いだろうが」と述べると、「わしだって軽くしたい。だが、わしがこうしていれば家臣も見習い、常に戦時の備えを怠らないだろう」と答えたという。また、平時に腰兵糧をつけるのを忘れた小姓を怠慢であるとして免職にしたという。&lt;br /&gt;
*清正は朝鮮出兵で三成と対立し、それが原因で秀吉から京都に召還された後、伏見に蟄居させられていた。しかし慶長元年（1596年）、伏見の大地震が起こって秀吉がいた[[伏見城]]が倒壊したとき、清正は300人の手勢を率いていち早く秀吉のもとに駆けつけ、警護を務めたと言われている。蟄居身分でありながら、これは秀吉の許しもなく駆けつけたものであり一つ間違えれば切腹となるところだったが、秀吉は清正の忠義を賞賛して朝鮮での罪を許したという。これにより、清正は「地震加藤」と称された。&lt;br /&gt;
*清正は豊臣氏への忠義を終生忘れなかったが、家康を恐れその天下も認めていた。朋友の正則が家康の子・[[徳川義直]]が入る尾張名古屋城の普請を命じられたとき、「大御所の息子の城普請まで手伝わなければならないのか」と愚痴をこぼしたのに対して清正は「嫌なら領国に帰って戦準備をしろ」と告げたという。&lt;br /&gt;
*徳川時代になって戦国の気風が謀反の心として警戒されるようになり、大名たちが髭を剃ることが流行りだしたとき貴殿もそられてはいかがかと進められたのに対して「鎧の頬あてに髭があたる感覚が心地よいので」と断ったことから、骨のある武将との評判が江戸城でたった。&lt;br /&gt;
*晩年は豊臣家への恩義と自家の徳川政権での存続に心を悩ませた。そのためか、論語に朱で書き込みをして読み込むほどであった。徳川と豊臣の雲行きが怪しいなか、大阪からの船旅の中、清正のペットの猿が真似をして彼の論語の本に朱筆で落書きをしたのを見て「お前も聖人の教えが知りたいか」と嘆じたという。&lt;br /&gt;
*清正が肥後の北で24万石を治めていた頃、行長（肥後の南、宇土の領主）の領地の天草で豪族の反乱が起きた。その援軍に向かった時、反乱軍でも武勇知られた[[木山弾正]]という豪傑と一騎打ちになった。相手は弓の使い手で、矢を射ようとしたために清正は「一騎打ちなれば、正々堂々打ち物（太刀）で勝負」と声を掛けて、手にしていた槍をその場で投げ捨てた。これを見た弾正も弓を捨てたところ、清正はすかさず槍を拾いあげて突きかかり、弾正の「たばかるとは卑怯なり」という罵りを受けながらも討ち取ったという（清正記）。ちなみに弾正の息子・横手五郎は清正の家臣となっている。&lt;br /&gt;
*同じくこの反乱の際、反乱勢の籠もる志岐城に和平の使者を送り、志岐城側が出迎えの衆を寄越すと、これに突然襲い掛かって皆殺しにし、してやったりとして陣を敷いたという（清正記）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 死因 ==&lt;br /&gt;
*清正の死因は「[[当代記]]」によれば[[腎虚]]（[[花柳病]]）とされているが、家康やその一派による毒殺説もある。又、清正の死から2年後の慶長18年（[[1613年]]）、豊臣氏恩顧の最有力大名であった[[浅野幸長]]も同じく花柳病で死去している。清正・幸長の両名は豊臣氏恩顧の有力大名として家康から警戒されていたのは事実であり、その両名が同じ病気でしかも急死したため（もっともこれ以前から清正は体調不良を言っていた）、家康による毒殺の疑いが出た。但し、梅毒なら罹患してから死亡するまで10年以上かかる。これから感染時期を逆算すると[[朝鮮の役]]の陣中に[[遊女]]に接触して感染したと考えられ、同時期に[[朝鮮半島]]・[[名護屋]]に在陣した武将らが同時期に感染したならば、性病等の可能性もある。&lt;br /&gt;
*一説に死因は[[梅毒|唐瘡]]（梅毒）ともいう。また[[ハンセン病|瘡]]（ハンセン病）であったとする説もあり、罹患者の多かった時代には清正を祀る[[加藤神社]]に平癒を願う参詣者が多かったという（加藤神社の創建は明治4年（[[1871年]]））。日本のハンセン病を少し見てゆくと、熊本市の本妙寺は明治20年代まで梅毒やハンセン病で不具になってしまった患者達で混雑する事が珍しくなかった。参拝客達に哀れみを乞い、この寺に墓がある清正を一種の神と崇め、病を治して貰おうという信仰があったからである（日本のハンセン病の歴史において大きな足跡を残した一人、イギリス国教会の婦人伝導師だった[[ハンナ・リデル]]はこの寺で見た患者達の群を見て甚大なショックを受け、その生涯を彼らの救済に傾けた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 清正の忠義 ==&lt;br /&gt;
慶長16年（1611年）、豊臣秀頼が二条城で徳川家康と会見したとき、清正は幸長と共に一命をかけて秀頼を守護するため、密かに懐中に短刀を忍ばせていたという。秀頼が暗殺されそうになれば、家康と刺し違えるつもりだったといわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「清正、御暇給はりて我が家に帰り、懐よりちいさき刀取り出し、鞘より抜きて押し戴き、頻りに涙を流しつつ、太閤の御恩報い参らする事、今日既におわんぬ、と独語いひけるとなり」（[[藩翰譜]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な家臣 ==&lt;br /&gt;
*[[飯田覚兵衛]]&lt;br /&gt;
*[[森本儀太夫]]&lt;br /&gt;
*[[庄林隼人]]&lt;br /&gt;
*[[森本右近太夫一房]]　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 清正が登場する著書・作品 ==&lt;br /&gt;
*「城取りの家」（[[南原幹雄]]、角川書店）。&lt;br /&gt;
*「加藤清正」（[[佐竹申伍]]、PHP研究所）。&lt;br /&gt;
*「加藤清正」（[[海音寺潮五郎]]、文藝春秋）。&lt;br /&gt;
*「[[へうげもの]]」（[[山田芳裕]]、講談社）。&lt;br /&gt;
*「火の国の城」（[[池波正太郎]]、文藝春秋）。&lt;br /&gt;
*「[[あずみ]]」（[[小山ゆう]]、小学館）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[妙行寺 (名古屋市)]] - 出生地と伝わる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/katou_k.html 加藤清正家]　&lt;br /&gt;
*[http://www.a-namo.com/ku_info/roman/hideyoshi1.htm 秀吉と清正]&lt;br /&gt;
*[http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/index.html 熊本城公式ホームページ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[熊本藩|加藤氏（熊本藩初代）藩主]]|1587～1611|-|[[加藤忠広]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:尾張加藤氏|きよまさ]]&lt;br /&gt;
[[Category:江戸の大名|かとう きよまさ]]&lt;br /&gt;
[[Category:外様大名|かとう きよまさ]]&lt;br /&gt;
[[Category:戦国武将|かとう きよまさ]]&lt;br /&gt;
[[Category:織豊政権の大名|かとう きよまさ]]&lt;br /&gt;
[[Category:文禄・慶長の役|かとう きよまさ]]&lt;br /&gt;
[[Category:熊本県の歴史|かとう きよまさ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1562年生|かとう きよまさ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1611年没|かとう きよまさ]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E6%AD%A3%E5%89%87&amp;diff=39817</id>
		<title>福島正則</title>
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				<updated>2008-09-19T11:58:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{武士&lt;br /&gt;
|開始=福島正則&lt;br /&gt;
|肖像=[[Image:Masanori Fukushima.JPG|200px|福島正則]]&lt;br /&gt;
|時代=[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]前期&lt;br /&gt;
|生誕=[[永禄]]4年（[[1561年]]）&lt;br /&gt;
|死没=[[寛永]]元年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]（[[1624年]][[8月26日]]）&lt;br /&gt;
|改名=市松（幼名）、正則&lt;br /&gt;
|別名=羽柴左衛門大夫、羽柴清洲侍従&lt;br /&gt;
|戒名=海福寺殿月翁正印大居士&lt;br /&gt;
|墓所=梅洞山[[岩松院]]の正則廟（[[長野県]][[小布施町]]）&amp;lt;br /&amp;gt;正覚院（[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]三田）&amp;lt;br /&amp;gt;[[妙心寺]]海福院（[[京都市]][[右京区]]）&amp;lt;br /&amp;gt;[[高野山]]悉地院（[[和歌山県]][[高野町]]）&amp;lt;br /&amp;gt;新日山[[不動院 (広島市)|不動院]]（[[広島市]][[東区 (広島市)|東区]]）&amp;lt;br /&amp;gt;菊泉院（[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[美和町]]二ツ寺）&lt;br /&gt;
|官位=従五位下、従四位下、従三位、左衛門大夫、&amp;lt;br /&amp;gt;参議、権中納言、右近衛大将、侍従&lt;br /&gt;
|主君=[[豊臣秀吉]]→[[豊臣秀頼|秀頼]]→[[徳川家康]]→[[徳川秀忠|秀忠]]&lt;br /&gt;
|藩=[[安芸国|安芸]][[広島藩]]主→[[信濃国|信濃]][[高井野藩]]主&lt;br /&gt;
|氏族=[[福島氏]]&lt;br /&gt;
|父母=父：[[福島正信]]、母：[[豊臣秀吉]]の叔母&lt;br /&gt;
|兄弟=姉（[[別所重宗]]室）、[[福島高晴|高晴]]&lt;br /&gt;
|妻=正室：'''[[津田長義]]の娘'''&amp;lt;br /&amp;gt;継室：'''[[徳川家康]]の養女（[[牧野康成 (大胡藩主)|牧野康成]]の娘）'''&lt;br /&gt;
|子=[[福島正友|正友]]、'''[[福島忠勝|忠勝]]'''、[[福島正利|正利]]、&amp;lt;br /&amp;gt;娘（[[水無瀬兼俊]]室）、娘（[[大野猪右衛門]]室）&amp;lt;br /&amp;gt;養子：''[[福島正之|正之]]''（甥、姉と別所重宗の息子）、&amp;lt;br /&amp;gt;養女：''玄興院''（姪、[[水野忠正]]の娘、[[来島長親]]室）&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''福島 正則'''（ふくしま まさのり）は[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]前期にかけての[[武将]]・[[大名]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 秀吉の子飼い ===&lt;br /&gt;
永禄4年（1561年）、福島正信の長男として現在の[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[美和町]]で生まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母が[[豊臣秀吉]]の叔母だったため、その縁から幼少より秀吉に仕え、[[天正]]6年（[[1578年]]）に[[播磨国|播磨]][[三木城]]の攻撃で[[初陣]]を飾る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正10年（[[1582年]]）の[[山崎の戦い]]の軍功で500石を知行し、天正11年（[[1583年]]）の[[賤ヶ岳の戦い]]のときは一番槍・一番首として敵将・[[拝郷家嘉]]を討ち取るという大功を立てて賞され、[[賤ヶ岳の七本槍]]の中でも突出して5000石を与えられた（他の6人は3000石）。その後も秀吉の主要な合戦の多くに参戦し、天正15年（[[1587年]]）の九州征伐ののち、[[伊予国]][[今治市|今治]]11万石の大名に封ぜられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[文禄]]元年（[[1592年]]）からの[[朝鮮出兵|文禄の役]]では[[忠清道]]で兵站奉行と補給路の警備にあたり、文禄4年（[[1595年]]）に[[尾張国]][[清洲城|清洲]]に24万石の所領を与えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関ヶ原の戦い ===&lt;br /&gt;
しかし、武勇に優れた正則は文治派の[[石田三成]]らと[[朝鮮出兵]]を契機としてその仲が一気に険悪になり、[[慶長]]4年（[[1599年]]）の[[前田利家]]の死後、朋友の[[加藤清正]]と共に三成を襲撃するなどの事件も起こしている。この時は[[徳川家康]]に慰留され襲撃を翻意したが、その経緯から家康の昵懇大名の一人となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、姉の子で正則の養子になっていた正之と家康の養女・[[満天姫]]との婚姻を実現させた。これは諸大名の私婚を禁じた秀吉の遺命に反するものだったが、正則はこの婚姻こそが豊臣・徳川の将来の和平に繋がると確信していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶長5年（[[1600年]]）の会津の上杉討伐には6000人を率いて従軍。その途中、上方で三成が挙兵した報を受けての小山評定では、家康の意を受けた[[黒田長政]]にあらかじめ懐柔されていた正則が三成挙兵に動揺する諸大名の機先を制して、いち早く家康の味方につくことを誓約し、反転して西上する方針が決定する。清洲から美濃方面に進軍し、西軍の[[織田秀信]]が守る[[岐阜城]]攻めでは[[池田輝政]]と先鋒を争い、黒田長政らと共同で城を陥落させる。[[関ヶ原の戦い]]本戦では石田勢との対陣を希望したが、宇喜多勢1万6000と激闘を繰り広げる。[[宇喜多秀家]]隊の前衛8000を率いた[[明石全登]]は音に聞こえた勇将で、福島勢は一時500メートルあまりも押しまくられ、壊滅寸前に追い込まれる。血相を変えた正則自身が叱咤して何とか持ちこたえ、一進一退の攻防を続けるうち、[[寺沢広高]]らの部隊が宇喜多隊の側面を突いたため、勝負は互角にもつれ込んだ。やがて[[小早川秀秋]]の背信を機に西軍の戦線は次々に崩壊。甚大な被害を被りながらも、福島正則隊は宇喜多勢を打ち破ることに成功した。こうして東軍の勝利に貢献第一と目された正則は西軍総大将・[[毛利輝元]]からの[[大坂城]]接収にも奔走し、戦後[[安芸国|安芸]][[広島藩|広島]]と[[備後国|備後]][[広島藩|鞆]]49万8200石の大封を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 江戸時代 ===&lt;br /&gt;
慶長6年（[[1601年]]）3月に芸備に入封した正則は早くも領内を巡検するとともに、検地で石高の再算出を行った。家臣への知行割も事実上の給米制とし検地の結果を農民に公開した上で実収に伴った年貢を徴収して負担を少なくするといった善政を布き、意外な地方巧者ぶりを発揮している。ただし築城や軍拡などのために領民の負担自体は高くなったのも事実である。また領内の寺社の保護にも熱心であり、慶長7年（[[1602年]]）には[[厳島神社]]の平家納経を修復させたことが知られている。この治世で、除封直前の石高は51万5800石に達している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶長9年（[[1604年]]）からの[[江戸幕府]]による諸城修築の動員に参加して忠勤に励む一方、豊臣家を主筋に立てることも忘れなかった。慶長16年（[[1611年]]）3月に家康が秀頼に対し二条城での会見を迫った時には、いまなお豊臣家が主筋と自負して強硬に反対した[[淀殿]]を加藤清正や[[浅野幸長]]とともに説得し、秀頼の上洛を実現させた（正則自身は病と称して会見に同席せず、枚方から京の街道筋を1万の軍勢で固めて変事に備えた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この会見直後に清正や[[浅野長政]]・幸長父子、池田輝政といった朋友の豊臣恩顧大名が相次いで死去し、正則自身も慶長17年（[[1612年]]）に病を理由に隠居を願い出る。しかしそれも許されずに飼い殺しの状態に置かれた正則は[[大坂の陣]]では秀頼に加勢を求められても拒絶し、大坂の蔵屋敷にあった蔵米8万石の接収を黙認するに留まった。これを知った幕府には東軍への従軍も許されず、江戸留守居役を命じられた。豊臣氏の滅亡を機に羽柴姓も捨てた正則は、ひたすら幕府への恭順を余儀なくされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 改易と晩年 ===&lt;br /&gt;
家康死後まもなくの[[元和 (日本)|元和]]5年（[[1619年]]）、台風による水害で破壊された[[広島城]]を無断でほんの少しだけ修理したことが[[武家諸法度]]違反に問われる。正則は2ヶ月も前から届けを出していたが幕府からは正式な許可が出ていなかった。しかも修繕したのは雨漏りする部分をやむをえず直しただけという。江戸参勤中の正則が謝罪し、修繕した部分を破却するという条件で一旦は沙汰止みになったものの破却が不十分であることを咎められ、安芸・備後50万石を没収、[[信濃国]][[川中島]]四郡中の[[高井郡]][[高井野藩]]、越後国魚沼郡、4万5000石に減封される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これは過激な武将である正則の統制策とする理解が一般的だが、家康死後の二元政治廃止に伴う[[本多正純]]と[[土井利勝]]らの幕府内権力争いにまきこまれたという説も提示されている。正純が受け取った届出を利勝らが正純の信頼を失墜させるためわざと放置していたと言うものである。最終的に改易を強行したのは2代将軍・[[徳川秀忠|秀忠]]だが、利勝や正純ら幕府首脳はむしろ正則の改易が諸大名の反抗に繋がることを恐れ、処分に及び腰であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元和6年（[[1620年]]）に嫡男・[[福島忠勝|忠勝]]が早世したため、正則は2万5000石を幕府に返上した。寛永元年（[[1624年]]）、[[高井野藩|高井野]]で死去。享年64。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この際、家臣が正則の遺体を幕府の使者が到着する前に火葬したため（一説には正則が屈辱に耐えかね切腹したのを咎められるのを恐れこれを隠蔽するために急いで火葬にしたとも言われる）、福島家は残りの2万石も没収され、後を継いだ正則の子・正利は3000石の[[旗本]]に身分を落とすこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 官職位階履歴 ==&lt;br /&gt;
*[[天正]]13年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]（[[1585年]][[8月11日]]）、従五位下、左衛門大夫叙任。&lt;br /&gt;
*[[慶長]]2年[[7月26日 (旧暦)|7月26日]]（[[1597年]][[9月7日]]）、侍従任官。羽柴苗字も同時に拝領。&lt;br /&gt;
*慶長7年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]（[[1602年]][[4月28日]]）、左近衛権少将任官（従四位下も叙位か）。&lt;br /&gt;
*[[元和 (日本)|元和]]3年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]]（[[1617年]][[7月23日]]）、従三位、参議叙任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物・逸話 ==&lt;br /&gt;
*正則は尾張派の重鎮大名として[[高台院|北政所]]を尊崇すること強く、広島に赴くにあたって[[高台寺]]を訪れ、「それがしが忘恩の凶徒と罵られながらも内府（家康）に忠節を尽くしてきたのは、ひとえに秀頼公を思っての事であります。これだけ恩を売っておけば、内府も秀頼公に滅多なことはできまいと存じます。このたびの戦後処置で豊臣家は[[攝津国|摂津]][[和泉国|和泉]][[河内国|河内]]の一大名に落とされました。それがしは豊家を少なくとも80万石、いや100万石の大名として存続させる事を願っておりました。65万石は余りに少のうございますが、これで辛抱するほかございません」といったところ、北政所は「おん身は昔から誠実なお人だったからのう」と彼の主家思いに涙を流したという。ただし、この逸話の信憑性には疑問もある。「梵瞬日記」によれば、北政所（高台院）は関ヶ原の数年後まで正則と対面した記録がないという。&lt;br /&gt;
*関ヶ原では第一の武功を賞されたが、度々それを投げ打つことも辞さない言動をしている。[[岐阜城]]を攻め落とした際には「某（それがし）の武功に代えても」の一言で城主・[[織田秀信]]の助命を嘆願した。その直後、家臣が徳川家の足軽に侮辱されて自害し、その上司である旗本・[[伊奈昭綱|伊奈図書]]の切腹を正則が要求したときも「聞き容れられなければ城地を立ち去るのみである」と啖呵を切っている。&lt;br /&gt;
*関ヶ原後に三成が捕えられた際に、三成の「脱出して再起を図ろうとする事こそ大将の心がけだ」との発言を聞き、「至極もっともなり、（戦場から脱出する事は）少しも恥辱にあらず」と賞賛したとする逸話がある。&lt;br /&gt;
*泥酔して家臣に切腹を命じ、翌朝になって間違いに気付いたがもはや取り返しがつかず、その家臣の首に泣いて詫びたという逸話もある。&lt;br /&gt;
*幕府の命で[[名古屋城]]の手伝普請に従事している際、「[[江戸城|江戸]]や[[駿府城|駿府]]はまだしも、ここは妾の子の城ではないか。それにまでコキ使われたのでは堪らない」とこぼし、輝政に「お前は（家康の）婿殿だろう、我々のためにこのことを直訴してくれ」と迫った。清正が笑いながら「滅多なことを言うな。築城がそんなに嫌なら国元に帰って謀反の支度をしろ。それが無理なら命令どおりに工期を急げ」とたしなめ、その場は収まったという。&lt;br /&gt;
*家康が重病で死の床に就くと正則は駿府を訪れて見舞ったが、家康は「一度安芸に帰られるがよい。将軍家（徳川秀忠）に不服があれば、遠慮せず、兵を挙げられるが良い」と冷たく言い放った。御前を退出した正則は「今日までご奉公に努めて来たにも関わらず、あのような申されようは情けない限りだ」と嘆き、人目も憚らず泣いた。それを聞いた家康は「その一言を吐き出させるために、あのように言ったのだ」と安心したという。&lt;br /&gt;
*かなりの恐妻家で女性問題で嫉妬に狂った夫人に長刀で斬りつけられて逃げ出したこともあると言う逸話も残っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家臣団 ==&lt;br /&gt;
*[[可児才蔵]]&lt;br /&gt;
*[[尾関正勝]]&lt;br /&gt;
*[[大崎長行]]&lt;br /&gt;
*[[長尾種常]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連文献 ==&lt;br /&gt;
*[[愛染明王]]（小説、短編集『[[俺は権現]]』（[[司馬遼太郎]]著）に収録）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/owari/owa106.htm 福島正則（ふくしままさのり）―賤ケ岳七本槍の一人―]&lt;br /&gt;
*[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hukusima.html 福島氏系譜]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[広島藩|福島氏（広島藩）藩主]]|1600 - 1619|-|[[浅野長晟]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[高井野藩|福島氏（高井野藩）藩主]]|1619 - 1624|-|[[福島忠勝]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:福島氏|まさのり]]&lt;br /&gt;
[[Category:戦国武将]]&lt;br /&gt;
[[Category:織豊政権の大名]]&lt;br /&gt;
[[Category:江戸の大名]]&lt;br /&gt;
[[Category:外様大名]]&lt;br /&gt;
[[Category:1561年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1624年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E6%AD%A3%E5%89%87&amp;diff=39816</id>
		<title>福島正則</title>
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				<updated>2008-09-19T11:57:02Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{武士&lt;br /&gt;
|開始=福島正則&lt;br /&gt;
|肖像=[[Image:Masanori Fukushima.JPG|200px|福島正則]]&lt;br /&gt;
|時代=[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]前期&lt;br /&gt;
|生誕=[[永禄]]4年（[[1561年]]）&lt;br /&gt;
|死没=[[寛永]]元年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]（[[1624年]][[8月26日]]）&lt;br /&gt;
|改名=市松（幼名）、正則&lt;br /&gt;
|別名=羽柴左衛門大夫、羽柴清洲侍従&lt;br /&gt;
|戒名=海福寺殿月翁正印大居士&lt;br /&gt;
|墓所=梅洞山[[岩松院]]の正則廟（[[長野県]][[小布施町]]）&amp;lt;br /&amp;gt;正覚院（[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]三田）&amp;lt;br /&amp;gt;[[妙心寺]]海福院（[[京都市]][[右京区]]）&amp;lt;br /&amp;gt;[[高野山]]悉地院（[[和歌山県]][[高野町]]）&amp;lt;br /&amp;gt;新日山[[不動院 (広島市)|不動院]]（[[広島市]][[東区 (広島市)|東区]]）&amp;lt;br /&amp;gt;菊泉院（[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[美和町]]二ツ寺）&lt;br /&gt;
|官位=従五位下、従四位下、従三位、左衛門大夫、&amp;lt;br /&amp;gt;参議、権中納言、右近衛大将、侍従&lt;br /&gt;
|主君=[[豊臣秀吉]]→[[豊臣秀頼|秀頼]]→[[徳川家康]]→[[徳川秀忠|秀忠]]&lt;br /&gt;
|藩=[[安芸国|安芸]][[広島藩]]主→[[信濃国|信濃]][[高井野藩]]主&lt;br /&gt;
|氏族=[[福島氏]]&lt;br /&gt;
|父母=父：[[福島正信]]、母：[[豊臣秀吉]]の叔母&lt;br /&gt;
|兄弟=姉（[[別所重宗]]室）、[[福島高晴|高晴]]&lt;br /&gt;
|妻=正室：'''[[津田長義]]の娘'''&amp;lt;br /&amp;gt;継室：'''[[徳川家康]]の養女（[[牧野康成 (大胡藩主)|牧野康成]]の娘）'''}}&lt;br /&gt;
|子=[[福島正友|正友]]、'''[[福島忠勝|忠勝]]'''、[[福島正利|正利]]、&amp;lt;br /&amp;gt;娘（[[水無瀬兼俊]]室）、娘（[[大野猪右衛門]]室）&amp;lt;br /&amp;gt;養子：''[[福島正之|正之]]''（甥、姉と別所重宗の息子）、&amp;lt;br /&amp;gt;養女：''玄興院''（姪、[[水野忠正]]の娘、[[来島長親]]室）}}&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''福島 正則'''（ふくしま まさのり）は[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]前期にかけての[[武将]]・[[大名]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 秀吉の子飼い ===&lt;br /&gt;
永禄4年（1561年）、福島正信の長男として現在の[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[美和町]]で生まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母が[[豊臣秀吉]]の叔母だったため、その縁から幼少より秀吉に仕え、[[天正]]6年（[[1578年]]）に[[播磨国|播磨]][[三木城]]の攻撃で[[初陣]]を飾る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正10年（[[1582年]]）の[[山崎の戦い]]の軍功で500石を知行し、天正11年（[[1583年]]）の[[賤ヶ岳の戦い]]のときは一番槍・一番首として敵将・[[拝郷家嘉]]を討ち取るという大功を立てて賞され、[[賤ヶ岳の七本槍]]の中でも突出して5000石を与えられた（他の6人は3000石）。その後も秀吉の主要な合戦の多くに参戦し、天正15年（[[1587年]]）の九州征伐ののち、[[伊予国]][[今治市|今治]]11万石の大名に封ぜられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[文禄]]元年（[[1592年]]）からの[[朝鮮出兵|文禄の役]]では[[忠清道]]で兵站奉行と補給路の警備にあたり、文禄4年（[[1595年]]）に[[尾張国]][[清洲城|清洲]]に24万石の所領を与えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関ヶ原の戦い ===&lt;br /&gt;
しかし、武勇に優れた正則は文治派の[[石田三成]]らと[[朝鮮出兵]]を契機としてその仲が一気に険悪になり、[[慶長]]4年（[[1599年]]）の[[前田利家]]の死後、朋友の[[加藤清正]]と共に三成を襲撃するなどの事件も起こしている。この時は[[徳川家康]]に慰留され襲撃を翻意したが、その経緯から家康の昵懇大名の一人となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、姉の子で正則の養子になっていた正之と家康の養女・[[満天姫]]との婚姻を実現させた。これは諸大名の私婚を禁じた秀吉の遺命に反するものだったが、正則はこの婚姻こそが豊臣・徳川の将来の和平に繋がると確信していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶長5年（[[1600年]]）の会津の上杉討伐には6000人を率いて従軍。その途中、上方で三成が挙兵した報を受けての小山評定では、家康の意を受けた[[黒田長政]]にあらかじめ懐柔されていた正則が三成挙兵に動揺する諸大名の機先を制して、いち早く家康の味方につくことを誓約し、反転して西上する方針が決定する。清洲から美濃方面に進軍し、西軍の[[織田秀信]]が守る[[岐阜城]]攻めでは[[池田輝政]]と先鋒を争い、黒田長政らと共同で城を陥落させる。[[関ヶ原の戦い]]本戦では石田勢との対陣を希望したが、宇喜多勢1万6000と激闘を繰り広げる。[[宇喜多秀家]]隊の前衛8000を率いた[[明石全登]]は音に聞こえた勇将で、福島勢は一時500メートルあまりも押しまくられ、壊滅寸前に追い込まれる。血相を変えた正則自身が叱咤して何とか持ちこたえ、一進一退の攻防を続けるうち、[[寺沢広高]]らの部隊が宇喜多隊の側面を突いたため、勝負は互角にもつれ込んだ。やがて[[小早川秀秋]]の背信を機に西軍の戦線は次々に崩壊。甚大な被害を被りながらも、福島正則隊は宇喜多勢を打ち破ることに成功した。こうして東軍の勝利に貢献第一と目された正則は西軍総大将・[[毛利輝元]]からの[[大坂城]]接収にも奔走し、戦後[[安芸国|安芸]][[広島藩|広島]]と[[備後国|備後]][[広島藩|鞆]]49万8200石の大封を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 江戸時代 ===&lt;br /&gt;
慶長6年（[[1601年]]）3月に芸備に入封した正則は早くも領内を巡検するとともに、検地で石高の再算出を行った。家臣への知行割も事実上の給米制とし検地の結果を農民に公開した上で実収に伴った年貢を徴収して負担を少なくするといった善政を布き、意外な地方巧者ぶりを発揮している。ただし築城や軍拡などのために領民の負担自体は高くなったのも事実である。また領内の寺社の保護にも熱心であり、慶長7年（[[1602年]]）には[[厳島神社]]の平家納経を修復させたことが知られている。この治世で、除封直前の石高は51万5800石に達している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶長9年（[[1604年]]）からの[[江戸幕府]]による諸城修築の動員に参加して忠勤に励む一方、豊臣家を主筋に立てることも忘れなかった。慶長16年（[[1611年]]）3月に家康が秀頼に対し二条城での会見を迫った時には、いまなお豊臣家が主筋と自負して強硬に反対した[[淀殿]]を加藤清正や[[浅野幸長]]とともに説得し、秀頼の上洛を実現させた（正則自身は病と称して会見に同席せず、枚方から京の街道筋を1万の軍勢で固めて変事に備えた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この会見直後に清正や[[浅野長政]]・幸長父子、池田輝政といった朋友の豊臣恩顧大名が相次いで死去し、正則自身も慶長17年（[[1612年]]）に病を理由に隠居を願い出る。しかしそれも許されずに飼い殺しの状態に置かれた正則は[[大坂の陣]]では秀頼に加勢を求められても拒絶し、大坂の蔵屋敷にあった蔵米8万石の接収を黙認するに留まった。これを知った幕府には東軍への従軍も許されず、江戸留守居役を命じられた。豊臣氏の滅亡を機に羽柴姓も捨てた正則は、ひたすら幕府への恭順を余儀なくされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 改易と晩年 ===&lt;br /&gt;
家康死後まもなくの[[元和 (日本)|元和]]5年（[[1619年]]）、台風による水害で破壊された[[広島城]]を無断でほんの少しだけ修理したことが[[武家諸法度]]違反に問われる。正則は2ヶ月も前から届けを出していたが幕府からは正式な許可が出ていなかった。しかも修繕したのは雨漏りする部分をやむをえず直しただけという。江戸参勤中の正則が謝罪し、修繕した部分を破却するという条件で一旦は沙汰止みになったものの破却が不十分であることを咎められ、安芸・備後50万石を没収、[[信濃国]][[川中島]]四郡中の[[高井郡]][[高井野藩]]、越後国魚沼郡、4万5000石に減封される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これは過激な武将である正則の統制策とする理解が一般的だが、家康死後の二元政治廃止に伴う[[本多正純]]と[[土井利勝]]らの幕府内権力争いにまきこまれたという説も提示されている。正純が受け取った届出を利勝らが正純の信頼を失墜させるためわざと放置していたと言うものである。最終的に改易を強行したのは2代将軍・[[徳川秀忠|秀忠]]だが、利勝や正純ら幕府首脳はむしろ正則の改易が諸大名の反抗に繋がることを恐れ、処分に及び腰であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元和6年（[[1620年]]）に嫡男・[[福島忠勝|忠勝]]が早世したため、正則は2万5000石を幕府に返上した。寛永元年（[[1624年]]）、[[高井野藩|高井野]]で死去。享年64。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この際、家臣が正則の遺体を幕府の使者が到着する前に火葬したため（一説には正則が屈辱に耐えかね切腹したのを咎められるのを恐れこれを隠蔽するために急いで火葬にしたとも言われる）、福島家は残りの2万石も没収され、後を継いだ正則の子・正利は3000石の[[旗本]]に身分を落とすこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 官職位階履歴 ==&lt;br /&gt;
*[[天正]]13年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]（[[1585年]][[8月11日]]）、従五位下、左衛門大夫叙任。&lt;br /&gt;
*[[慶長]]2年[[7月26日 (旧暦)|7月26日]]（[[1597年]][[9月7日]]）、侍従任官。羽柴苗字も同時に拝領。&lt;br /&gt;
*慶長7年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]（[[1602年]][[4月28日]]）、左近衛権少将任官（従四位下も叙位か）。&lt;br /&gt;
*[[元和 (日本)|元和]]3年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]]（[[1617年]][[7月23日]]）、従三位、参議叙任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物・逸話 ==&lt;br /&gt;
*正則は尾張派の重鎮大名として[[高台院|北政所]]を尊崇すること強く、広島に赴くにあたって[[高台寺]]を訪れ、「それがしが忘恩の凶徒と罵られながらも内府（家康）に忠節を尽くしてきたのは、ひとえに秀頼公を思っての事であります。これだけ恩を売っておけば、内府も秀頼公に滅多なことはできまいと存じます。このたびの戦後処置で豊臣家は[[攝津国|摂津]][[和泉国|和泉]][[河内国|河内]]の一大名に落とされました。それがしは豊家を少なくとも80万石、いや100万石の大名として存続させる事を願っておりました。65万石は余りに少のうございますが、これで辛抱するほかございません」といったところ、北政所は「おん身は昔から誠実なお人だったからのう」と彼の主家思いに涙を流したという。ただし、この逸話の信憑性には疑問もある。「梵瞬日記」によれば、北政所（高台院）は関ヶ原の数年後まで正則と対面した記録がないという。&lt;br /&gt;
*関ヶ原では第一の武功を賞されたが、度々それを投げ打つことも辞さない言動をしている。[[岐阜城]]を攻め落とした際には「某（それがし）の武功に代えても」の一言で城主・[[織田秀信]]の助命を嘆願した。その直後、家臣が徳川家の足軽に侮辱されて自害し、その上司である旗本・[[伊奈昭綱|伊奈図書]]の切腹を正則が要求したときも「聞き容れられなければ城地を立ち去るのみである」と啖呵を切っている。&lt;br /&gt;
*関ヶ原後に三成が捕えられた際に、三成の「脱出して再起を図ろうとする事こそ大将の心がけだ」との発言を聞き、「至極もっともなり、（戦場から脱出する事は）少しも恥辱にあらず」と賞賛したとする逸話がある。&lt;br /&gt;
*泥酔して家臣に切腹を命じ、翌朝になって間違いに気付いたがもはや取り返しがつかず、その家臣の首に泣いて詫びたという逸話もある。&lt;br /&gt;
*幕府の命で[[名古屋城]]の手伝普請に従事している際、「[[江戸城|江戸]]や[[駿府城|駿府]]はまだしも、ここは妾の子の城ではないか。それにまでコキ使われたのでは堪らない」とこぼし、輝政に「お前は（家康の）婿殿だろう、我々のためにこのことを直訴してくれ」と迫った。清正が笑いながら「滅多なことを言うな。築城がそんなに嫌なら国元に帰って謀反の支度をしろ。それが無理なら命令どおりに工期を急げ」とたしなめ、その場は収まったという。&lt;br /&gt;
*家康が重病で死の床に就くと正則は駿府を訪れて見舞ったが、家康は「一度安芸に帰られるがよい。将軍家（徳川秀忠）に不服があれば、遠慮せず、兵を挙げられるが良い」と冷たく言い放った。御前を退出した正則は「今日までご奉公に努めて来たにも関わらず、あのような申されようは情けない限りだ」と嘆き、人目も憚らず泣いた。それを聞いた家康は「その一言を吐き出させるために、あのように言ったのだ」と安心したという。&lt;br /&gt;
*かなりの恐妻家で女性問題で嫉妬に狂った夫人に長刀で斬りつけられて逃げ出したこともあると言う逸話も残っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家臣団 ==&lt;br /&gt;
*[[可児才蔵]]&lt;br /&gt;
*[[尾関正勝]]&lt;br /&gt;
*[[大崎長行]]&lt;br /&gt;
*[[長尾種常]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連文献 ==&lt;br /&gt;
*[[愛染明王]]（小説、短編集『[[俺は権現]]』（[[司馬遼太郎]]著）に収録）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/owari/owa106.htm 福島正則（ふくしままさのり）―賤ケ岳七本槍の一人―]&lt;br /&gt;
*[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hukusima.html 福島氏系譜]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[広島藩|福島氏（広島藩）藩主]]|1600 - 1619|-|[[浅野長晟]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[高井野藩|福島氏（高井野藩）藩主]]|1619 - 1624|-|[[福島忠勝]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:福島氏|まさのり]]&lt;br /&gt;
[[Category:戦国武将]]&lt;br /&gt;
[[Category:織豊政権の大名]]&lt;br /&gt;
[[Category:江戸の大名]]&lt;br /&gt;
[[Category:外様大名]]&lt;br /&gt;
[[Category:1561年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1624年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>本因坊秀策</title>
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				<updated>2008-09-18T16:23:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: 新しいページ: ''''本因坊 秀策'''（ほんいんぼう しゅうさく、文政12年5月5日（1829年6月6日） - 文久2年[[8月10日 (旧暦)|8...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''本因坊 秀策'''（ほんいんぼう しゅうさく、[[文政]]12年[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]（[[1829年]][[6月6日]]） - [[文久]]2年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]（[[1862年]][[9月3日]]））は[[江戸時代]]の[[囲碁]][[棋士 (囲碁)|棋士]]である。[[備後国]][[因島]]（現・[[広島県]][[尾道市]]）出身で俗姓は桑原。幼名は'''虎次郎'''。父は桑原輪三。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==経歴==&lt;br /&gt;
[[天保]]8年（[[1837年]]）に出府して[[本因坊丈和]]に入門、本家の姓である安田を借り栄斎を名乗る。その打ち振りを見た丈和が「是れ正に百五十年来の碁豪にして、我が門風、これより大いに揚がらん」と絶賛したと伝えられる。百五十年来とは[[本因坊道策|道策]]の事を指す。天保10年（[[1839年]]）に初段。翌天保11年（[[1840年]]）に秀策と改名し、二段昇段。翌天保13年（[[1841年]]）三段昇段、さらに翌天保14年（[[1842年]]）四段昇格する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[弘化]]3年（[[1846年]]）、[[井上幻庵因碩]]と数度の対局を行い、その中の一局は「耳赤の一局（みみあかのいっきょく）」と呼ばれ古今の名局と名高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時、一流の打ち手であった幻庵因碩に[[定先]]で打ち勝った事を機に丈和と[[本因坊秀和|秀和]]は秀策を本因坊跡目とする運動を始める。しかし秀策は父・輪三の主君でもある備後三原城主・浅野甲斐守の家臣と言う扱いになっていたため、甲斐守に対する忠誠心からこれを頑なに拒否。囲碁家元筆頭の本因坊家の跡目を拒否する事などは前代未聞であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また師・秀和との対局で[[定先|先]]で打っていた所、秀策の大幅な勝ち越しになったため秀和が「手合いを改めよう」と言った所「師匠に黒を持たせるわけにはいきません」と答えたと言う（先の次は先相先となり三局に1回は上手が黒を持つ事になる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[嘉永]]元年（[[1848年]]）に正式に第14世本因坊跡目となり同時に六段昇段、また丈和の娘・はなと結婚する。また同年から[[御城碁]]に出仕し、それ以後19戦19勝無敗の大記録を作った。秀策最強説の有力な根拠がこれである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
秀策の無敵を支えたのが秀策流と呼ばれる布石法である（次項）。この布石は先番必勝と言われ、秀策が勝敗を聞かれた時「先番でした」と答えたと言う逸話が残っている。ただしこの話は謙虚な秀策の性格とはそぐわないため、「先番でしたので、なんとか勝つことができました」の前半部分だけが一人歩きしてしまったとも言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文久2年（1862年）、[[江戸]]で[[コレラ]]が大流行し本因坊家内でもコレラ患者が続出した。秀策は秀和が止めるのも聞かず患者の看病に当たり、当人が感染しそのまま死去した。享年34。なお、本因坊家では秀策の看病によりコレラによる犠牲者は秀策以外は1人も出さなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
棋力のみならず極めて人格に優れ、[[本因坊道策]]（前聖）と並び棋聖・碁聖（後聖）と称される。歴史に燦然と輝く業績を残し、後の囲碁ファンに与えた影響は多大である。&lt;br /&gt;
===秀策流===&lt;br /&gt;
{{碁盤|=&lt;br /&gt;
     A B C D E F G H J K L M N O P Q R S T&lt;br /&gt;
 19 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |= 19&lt;br /&gt;
 18 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |= 18&lt;br /&gt;
 17 |  |  |  |w2|  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |w4|  |  |  |  |= 17&lt;br /&gt;
 16 |  |  |  | x|  |  |  |  |  | x|  |  |  |  |  | x|b1|  |  |= 16&lt;br /&gt;
 15 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |b7|  |  |  |= 15&lt;br /&gt;
 14 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |= 14&lt;br /&gt;
 13 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |= 13&lt;br /&gt;
 12 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |= 12&lt;br /&gt;
 11 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |= 11&lt;br /&gt;
 10 |  |  |  | x|  |  |  |  |  | x|  |  |  |  |  | x|  |  |  |= 10&lt;br /&gt;
  9 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |= 9&lt;br /&gt;
  8 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |= 8&lt;br /&gt;
  7 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |= 7&lt;br /&gt;
  6 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |= 6&lt;br /&gt;
  5 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |w6|  |  |= 5&lt;br /&gt;
  4 |  |  |b5| x|  |  |  |  |  | x|  |  |  |  |  | x|  |  |  |= 4&lt;br /&gt;
  3 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |b3|  |  |  |= 3&lt;br /&gt;
  2 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |= 2&lt;br /&gt;
  1 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |= 1&lt;br /&gt;
     A B C D E F G H J K L M N O P Q R S T|20}}&lt;br /&gt;
黒1・3・5の手で向きの異なる[[小目]]を連打する[[布石]]。多くの場合黒7手目のコスミまでを「秀策流」と称する。この手は秀策の創案ではないが、大いに活用して好成績を挙げたところから「秀策のコスミ」と呼ばれる。[[コミ]]のない先番でがっちり勝とうとする戦略であり、コミ碁の現代ではやや堅すぎる面はあるが7手目をコスミから[[ハサミ]]に変えるなどアレンジを加えて現代でも時に打たれる布石である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===耳赤の一局===&lt;br /&gt;
[[弘化]]3年[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]（[[1846年]][[9月11日]]）於浪華天王寺屋辻忠二郎宅 八十九手打掛、同[[7月23日 (旧暦)|23日]]（[[9月13日|13日]]） 於原才一郎宅 百四十一手打掛、同[[7月25日 (旧暦)|25日]]（[[9月15日|15日]]）於中川順節碁会中之島紙屋亭 打終。桑原秀策 先番 井上（幻庵）因碩325手 黒半コウ勝ツグ 黒三目勝（棋譜では黒二目勝）。&lt;br /&gt;
{{碁盤|=&lt;br /&gt;
     A B C D E F G H J K L M N O P Q R S T&lt;br /&gt;
 19 |  |  |  |  |  |  |  |  |  | b| w| w|  |  |  |  |  |  |  |= 19&lt;br /&gt;
 18 |  |  |  | b|  |  |  |  |  | b| w|  | w|  | w| w| b|  |  |= 18&lt;br /&gt;
 17 |  |  | w| w|  | b|  |  | w| b| b| w| w|  | w| b|  |  |  |= 17&lt;br /&gt;
 16 |  |  |  | x|  |  |  |  |  | x|  | b| b| b|  | x| b|  |  |= 16&lt;br /&gt;
 15 |  |  |  |  |  | b|  |  |  |  | b|  |  |  |  | b| b|  |  |= 15&lt;br /&gt;
 14 |  |  | w|  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  | b| w| w|  |= 14&lt;br /&gt;
 13 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  | w| w| w| b| b| b|= 13&lt;br /&gt;
 12 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  | b| w| w| w| b|= 12&lt;br /&gt;
 11 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |bT|  |  | b| w| w| b| b| b|  |= 11&lt;br /&gt;
 10 |  |  |  | x|  |  |  |  |  | x|  |  | w| w| b|  | b| w|  |= 10&lt;br /&gt;
  9 |  |  | w|  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  | w| b| b| w|  |= 9&lt;br /&gt;
  8 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  | w| b| w| b|  |= 8&lt;br /&gt;
  7 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  | w|  | w| b| w| w|  |= 7&lt;br /&gt;
  6 |  |  | w|  |  |  |  |  |  | b|  | b| w|  | w| b|  |  |  |= 6&lt;br /&gt;
  5 |  |  |  |  |  |  | b|  | w|  |  | b| w| b| w| b| w|  |  |= 5&lt;br /&gt;
  4 |  |  | b| x| b|  |  | b|  | x|  | b| w| w| b| w| w|  |  |= 4&lt;br /&gt;
  3 |  |  |  |  |  | b| w| b| w|  | w| w| b| b| b| b| w| w|  |= 3&lt;br /&gt;
  2 |  |  |  |  |  |  | b| w|  | w| w|  | w| b| b|  | b| w|  |= 2&lt;br /&gt;
  1 |  |  |  |  |  |  |  |  | w|  |  | w|  | b|  | b|  | b|  |= 1&lt;br /&gt;
     A B C D E F G H J K L M N O P Q R S T|20}}&lt;br /&gt;
「耳赤」（みみあか）の名前は対局を横で見ていた1人（医師）が秀策の一手（黒127手目（10-11）。図の黒△の手）を見た時、「これは秀策の勝ちだ」と断定し周りの者が何故?と聞いた所「碁の内容はよく判らないが、先ほどの一手が打たれた時井上先生の耳が赤くなった。動揺し、自信を失った証拠であり、これでは勝ち目はないだろう」と言ったことに由来する。ここから図の秀策の手を'''耳赤の一手'''と呼ぶ。実際、この手を打つまでは井上の優位だったがこの手によって形勢は逆転にいたらなかったものの急接近していた。上辺の模様を拡大し、右辺の白の厚みを消し下辺の弱石に間接的に助けを送り、左辺の打ち込みを狙う一石四鳥の手で後世長く語り伝えられることになった妙手である。もっとも、この手については緩手という評もあり評価は必ずしも一定していない。また、耳赤の一手もさることながらそれ以前の井上の打ち回しに対しても評価が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==後世への影響==&lt;br /&gt;
江戸時代までは[[棋聖 (囲碁)|棋聖]]と呼ばれていたのは道策と[[本因坊丈和]]の2人であったが、明治以降から秀策の人気が高まり丈和に代わって秀策が棋聖と呼ばれるようになった。[[名人 (囲碁)|名人]]になった事は無いが、史上最強棋士の候補としてあげる声も多い。400局ほどの[[棋譜]]が秀策のものとして伝えられており、[[明治]]33年（[[1900年]]）に石谷広策によって『敲玉余韵』としてまとめられた。これを学ぶプロ棋士は多く、[[大韓民国|韓国]]の[[李昌鎬]]も若い頃から秀策の棋譜を熱心に並べ「私は一生かけても秀策先生には及ばないだろう」と語っているのは有名である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また漫画『[[ヒカルの碁]]』では主人公の進藤ヒカルに取り憑いた平安の天才棋士の霊・藤原佐為が、ヒカルの以前に取り憑いていた人物として登場する。このため同作品のヒットに伴う「囲碁ブーム」とともに子供たちにも「囲碁史上最強の人物」として親しまれることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2004年、第一回囲碁殿堂に[[徳川家康]]、[[本因坊算砂]]、[[本因坊道策]]と並んで顕彰された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[本因坊]]&lt;br /&gt;
*[[巌崎健造]]&lt;br /&gt;
*[[本因坊秀甫]]&lt;br /&gt;
*[[水原秀策]]（ミステリー作家。[[ペンネーム]]を本因坊秀策から採っている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2006_07.html その時歴史が動いた「勝負師は志高く〜碁聖・本因坊秀策の無敗伝説〜」]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の囲碁棋士]]&lt;br /&gt;
[[Category:江戸時代の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:備後国の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1829年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1862年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>テンプレート:碁盤</title>
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&lt;div&gt;&amp;lt;includeonly&amp;gt;{|border=&amp;quot;0&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;0&amp;quot; style=&amp;quot;border:0; border-collapse:collapse; padding:0; font-size:1px&amp;quot;&lt;br /&gt;
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|[[Image:Go {{#if:{{{1| }}}|{{{1}}}|ul}}.svg|{{{362|24}}}x{{{362|24}}}px]]&lt;br /&gt;
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|[[Image:Go {{#if:{{{95| }}}|{{{95}}}|r}}.svg|{{{362|24}}}x{{{362|24}}}px]]&lt;br /&gt;
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|[[Image:Go {{#if:{{{96| }}}|{{{96}}}|l}}.svg|{{{362|24}}}x{{{362|24}}}px]]&lt;br /&gt;
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|[[Image:Go {{{99|}}}.svg|{{{362|24}}}x{{{362|24}}}px]]&lt;br /&gt;
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|[[Image:Go {{{101|}}}.svg|{{{362|24}}}x{{{362|24}}}px]]&lt;br /&gt;
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&amp;lt;pre&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{碁盤|=&lt;br /&gt;
     A B C D E F G H J K L M N O P Q R S T&lt;br /&gt;
 19 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 19&lt;br /&gt;
 18 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 18&lt;br /&gt;
 17 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 17&lt;br /&gt;
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 14 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 14&lt;br /&gt;
 13 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 13&lt;br /&gt;
 12 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 12&lt;br /&gt;
 11 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 11&lt;br /&gt;
 10 | | | |x| | | | | |x| | | | | |x| | | |= 10&lt;br /&gt;
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  8 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 8&lt;br /&gt;
  7 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 7&lt;br /&gt;
  6 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 6&lt;br /&gt;
  5 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 5&lt;br /&gt;
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  3 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 3&lt;br /&gt;
  2 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 2&lt;br /&gt;
  1 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |= 1&lt;br /&gt;
     A B C D E F G H J K L M N O P Q R S T|20}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:囲碁テンプレート]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%97%E6%98%A5&amp;diff=39720</id>
		<title>徳川宗春</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%97%E6%98%A5&amp;diff=39720"/>
				<updated>2008-09-18T15:59:13Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: 新しいページ: '{{記事名の制約|title=&amp;amp;#24503;川宗春}} '''德川 宗春'''（とくがわ むねはる）は江戸時代の大名である。当初は尾張藩の支藩で...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{記事名の制約|title=&amp;amp;#24503;川宗春}}&lt;br /&gt;
'''德川 宗春'''（とくがわ むねはる）は[[江戸時代]]の[[大名]]である。当初は[[尾張藩]]の支藩である[[陸奥]][[梁川藩]]第4代[[藩主]]を継いだが、後に尾張藩第7代藩主となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
[[元禄]]9年[[10月26日 (旧暦)|10月26日]]（[[1696年]][[11月20日]]）日、尾張藩第3代藩主・[[徳川綱誠]]の十九男として[[名古屋城]]で生まれる。母は側室の梅津（宣揚院）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宝永]]5年（[[1708年]]）、兄で第4代藩主の[[徳川吉通]]より偏諱を受け'''通春'''（みちはる）と名乗る。[[正徳 (日本)|正徳]]3年（[[1713年]]）には[[江戸]]へ移り元服を行い、第7代将軍・[[徳川家継]]に拝謁して[[譜代衆]]となる。家継死後の正徳6年（[[1716年]]）、[[紀州徳川家]]の[[徳川吉宗]]が第8代将軍に就任し、[[享保]]14年（[[1729年]]）には吉宗から[[梁川藩]]3万石を与えられる。享保15年（[[1730年]]）、兄の[[徳川継友|継友]]が死去したため梁川の領地を返上して[[尾張徳川家]]を相続する。翌16年（[[1731年]]）に[[名古屋城]]へ入る。名古屋入府の際の宗春一行は華麗な衣装に身を包み、宗春自身は[[鼈甲]]製の唐人笠を被り金糸で飾られた虎の[[羽織|陣羽織]]姿で馬上にあった。この異様な風体は名古屋の人々の度肝を抜いたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宗春は藩主に就任すると、自身の著書『[[温知政要]]』を藩士に配布。その中で宗春は「行き過ぎた倹約はかえって庶民を苦しめる結果になる」、「規制を増やしても違反者を増やすのみ」などの主張を掲げ、質素倹約を基本方針とする吉宗が推進する[[享保の改革]]に反対し名古屋城下に[[芝居小屋]]や[[遊郭]]を誘致するなど開放政策を採る。これらの政策には[[徳川御三家]]筆頭でありながら、兄・継友が将軍位を紀州家の吉宗に&amp;lt;!-- そういう説がある事は確かでしょうが、言い切ってしまうのはどうでしょう・・・ 毒殺で--&amp;gt;奪われた事や享保の改革による緊縮政策が経済の停滞を生んでいた事への反発があると言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この結果、倹約令で火が消えたようだった名古屋の街は活況を呈するようになる。その繁栄ぶりは「名古屋の繁華に京（興）がさめた」と言われるほどであった。さらに彼の治世の間、尾張藩ではひとりの処刑者も出さないという当時としては斬新な政策も打ち出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宗春の生活ぶりは国元はもとより[[江戸]]においても変わらず、享保17年（[[1732年]]）には[[参勤交代]]で江戸へ下った際に吉宗から使者を介して詰問されている。その内容は、&lt;br /&gt;
* 国元ならともかく江戸においても遊興にふけっている&lt;br /&gt;
* 嫡子の初節句の時、江戸藩邸に町人たちを呼び入れ尾張家が[[徳川家康|家康]]から拝領した幟まで飾った&lt;br /&gt;
* 倹約令を守っていない&lt;br /&gt;
という物だった。これに対し宗春も一応上意として受けるも、&lt;br /&gt;
* 他の大名のように国元で遊興にふけり、江戸では倹約するという表裏ある行動は取れない。第一、領民に迷惑をかけていない&lt;br /&gt;
* 初節句の時、江戸藩邸に町人たちを呼び入れ家康から拝領した幟まで飾ったのがけしからぬと言うが、そのような禁令はいつ出たのか&lt;br /&gt;
* お上は倹約令を守っていないと言うが私なりに倹約に努めているつもりだ。ただお上は倹約の根本をご存じないので、お分かりにならないのだろう&lt;br /&gt;
と一歩も引かず反論した。すなわち厳しい倹約令の中、あえて禁令に触れていないものを飾って派手な催しを演じ庶民の喝采を浴びたのである。また、宗春は領主があえて浪費することによって経済の活性化を図ろうとしたのだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし宗春の思惑とは異なり、尾張藩士民は緩み財政も赤字に転じた。また、[[徳川将軍家|将軍家]]との対立は藩重臣層の不安をあおった。[[元文]]元年（[[1736年]]）には3ヶ所の遊里を1ヶ所に、芝居小屋も新規は取り払うべしの命を出し規制緩和政策の後退となった。元文2年（[[1737年]]）、財政悪化により農民、商人に上納金の割り当てを命じ民衆の人気を失ってしまった。&amp;lt;!--時あたかも将軍吉宗の享保の改革が行き詰まり米価政策に失敗し、貨幣を改鋳。規制を緩和したのと対照的であった。宗春にもう少し時間があれば彼の政策転換も実を結んだであろうが、時を既に逸していた。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを見た[[竹腰正武]]ら国元の藩重臣は宗春失脚を画策。将軍吉宗と謀反を計略し元文3年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]（[[1738年]][[7月25日]]）、宗春が（3月に）参勤で江戸に向かったのを見計らってクーデターを起こした。宗春から実権を奪い、宗春の藩主時代の命令をすべて無効とし藩主就任前の状態に戻すとの宣言を発した。そしてついに元文4年[[1月12日 (旧暦)|1月12日]]（[[1739年]][[2月19日]]）、宗春は吉宗から隠居謹慎を命じられ[[広島藩]]主・[[浅野吉長]]らにより伝えられる。宗春は名古屋城[[三の丸]]に幽閉され、後継は[[美濃国]][[高須藩]]主の松平義淳（[[徳川宗勝]]）となる。宗春への処分は厳しいもので外出は一切認められず、[[閉門]]したままであり父母の墓参りも許されぬというものだった。後継の宗勝も宗春の「養子」ではなく尾張藩はいったん幕府に召し上げ、改めて宗勝に下されるという扱いであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宝暦]]元年（[[1751年]]）に吉宗が死去し、宝暦4年（[[1754年]]）には[[下屋敷]]へ移る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[明和]]元年[[10月8日 (旧暦)|10月8日]]（[[1764年]][[11月1日]]）、死去。{{享年|1696|11|20|1764|11|1}}。[[諡|諡号]]は逞公、法名は章善院。宗春の処分は死後も続き、[[墓石]]に[[金網]]が掛けられた。没後75年の[[天保]]10年（[[1839年]]）に第11代将軍・[[徳川家斉]]の子の[[徳川斉荘]]が第12代尾張藩主に就任する際に名誉回復が行われ、金網も撤去された。[[従二位]][[大納言|権大納言]]を贈られ、歴代藩主に列せられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宗春の政策によって名古屋が大都市に発展する礎が築かれた事は確かであるとする肯定的な評価が存在する一方、長期的見通しを欠いた単なる放漫財政であるとするものまで宗春への評価は未だに揺れ動いている。しか、将軍吉宗の倹約八木経済政策（社会主義）に自由経済政策理論の正論をもって立ち向かったのは、江戸時代の藩主では宗春だけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 官歴 ==&lt;br /&gt;
* [[享保]]元年[[7月22日 (旧暦)|7月22日]]（[[1716年]][[9月7日]]。異説[[12月22日 (旧暦)|12月22日]]（[[1717年]][[2月3日]]）） - [[従五位|従五位下]]に叙し、[[主計寮|主計頭]]に任官&lt;br /&gt;
* 享保3年[[12月18日 (旧暦)|12月18日]]（[[1719年]][[2月6日]]） - [[従四位|従四位下]]に昇叙。主計頭如元&lt;br /&gt;
* 享保14年（[[1729年]]）&lt;br /&gt;
** [[6月11日 (旧暦)|6月11日]]（[[7月6日]]） - [[陸奥国]][[梁川藩]]3万石の藩主となる&lt;br /&gt;
** [[12月16日 (旧暦)|12月16日]]（[[1730年]]2月3日） - [[侍従]]兼任&lt;br /&gt;
* 享保15年[[11月28日 (旧暦)|11月28日]]（[[1731年]][[1月6日]]） - [[尾張国]][[尾張藩]]主となる。[[徳川氏|徳川]]の苗字を称する&lt;br /&gt;
* 享保16年（[[1731年]]）&lt;br /&gt;
** [[1月19日 (旧暦)|1月19日]]（[[2月25日]]） - [[近衛府|右近衛権少将]]に転任。将軍[[徳川吉宗]]の一字を賜り、宗春と名乗る。それまでは通春を名乗る。[[従三位]]に昇叙し、[[近衛府|右近衛権中将]]に転任&lt;br /&gt;
** [[3月12日 (旧暦)|3月12日]]（[[4月18日]]） - [[参議]]に補任&lt;br /&gt;
* 享保17年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]]（[[1733年]][[1月16日]]） - [[中納言|権中納言]]に転任&lt;br /&gt;
* [[元文]]4年[[1月12日 (旧暦)|1月12日]]（[[1739年]][[2月19日]]） - 幕府より蟄居を命ぜられる&lt;br /&gt;
* [[明和]]元年[[10月8日 (旧暦)|10月8日]]（[[1764年]][[11月1日]]） - 薨去。法名：章善院厚譽孚式源逞、墓所：名古屋市東区筒井の[[建中寺|徳興山建中寺]]&lt;br /&gt;
* [[天保]]10年[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]（[[1839年]][[12月10日]]） - 贈[[従二位]][[大納言|権大納言]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 墓所と遺骸 ==&lt;br /&gt;
明和元年（1764年）に宗春が死ぬと、[[建中寺]]に葬られた。墓には長い間、金網がかけられていた。[[明治|明治期]]の発掘調査では[[土葬]]にされており、遺骸は[[ミイラ]]化していた。[[白装束|経帷子]]や[[守り刀]]の[[木刀]]も残っていた。木刀が守り刀にされたのは金網同様に、尾張藩の幕府への遠慮と怖れが影響していると思われる。[[昭和]]20年（[[1945年]]）に[[名古屋市]]が[[空襲]]を受けると、宗春の墓石が[[焼夷弾]]の直撃を受け一部が損傷した。戦後、名古屋市の復興都市計画に伴い市内の墓が[[千種区]]の[[平和公園 (名古屋市)|平和公園]]に移されることになり、宗春の墓も移された。このときには遺骸は[[火葬|荼毘]]に付された。なお、副葬品などは建中寺に収められている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家系 ==&lt;br /&gt;
* 父：[[徳川綱誠]]&lt;br /&gt;
* 養父：[[徳川継友]]&lt;br /&gt;
* 母：梅津、[[宣揚院]]（三浦太郎兵衛女、綱誠側室）&lt;br /&gt;
* 兄弟 &lt;br /&gt;
** [[徳川吉通]]（名古屋藩4代）&lt;br /&gt;
** [[徳川継友]]（名古屋藩6代）&lt;br /&gt;
** [[松平義孝]]（美濃高須藩2代）&lt;br /&gt;
** 松姫（加賀藩6代藩主・[[前田吉徳]]室）&lt;br /&gt;
* 正室：なし&lt;br /&gt;
* 側室：伊予&lt;br /&gt;
** 四女：勝子（[[関白]]・[[近衛内前]]室）&lt;br /&gt;
ほか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 史料 ==&lt;br /&gt;
* 『尾張徳川家系譜』&lt;br /&gt;
* 『夢之跡』&lt;br /&gt;
* 『徳川宗春年譜』&lt;br /&gt;
* 『温故知要』 - 宗春自身が自らの政策をまとめた書物だが、宗春の考えが一般庶民に浸透することを恐れた吉宗により発行が禁止される事態も起きた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連書籍 ==&lt;br /&gt;
* [[清水義範]]著『尾張春風伝』（上・下）[[幻冬舎]]　　ISBN 4877281908、ISBN 4877281916  &lt;br /&gt;
* [[海音寺潮五郎]]著『吉宗と宗春』[[文藝春秋]]　　ISBN 4167135329 &lt;br /&gt;
* [[矢頭純]]著『徳川宗春』[[海越出版社]]　　ISBN 4876971838&lt;br /&gt;
* 「尾張名古屋異聞」&lt;br /&gt;
**[[豊田有恒]]著『異聞・ミッドウェー海戦　タイムパトロール極秘ファイル』[[角川書店]]　　ISBN 9784041377307 に収録。宗春の政策は[[タイムトラベラー]]によるものと言う短編。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[徳川氏]]&lt;br /&gt;
* [[尾張徳川家]]&lt;br /&gt;
* [[暴れん坊将軍]]&lt;br /&gt;
* [[むねハルくん]] - [[NHK名古屋放送局]]、[[地上波デジタル放送]]マスコットキャラクター。&lt;br /&gt;
* [[平和公園 (名古屋市)]] - 宗春の墓がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 演じた俳優 ==&lt;br /&gt;
* [[滝田裕介]]（[[大岡越前 (TBSドラマ)|大岡越前]]第1、2部・1970～1971年、[[東京放送|TBS]]）&lt;br /&gt;
* [[大瀬康一]]（大岡越前第3部・1972～1973年、TBS）&lt;br /&gt;
* [[菅野菜保之]]（大岡越前第4部・1974～1975年、TBS）&lt;br /&gt;
* [[入川保則]]（大岡越前第10部・1988年、TBS）&lt;br /&gt;
* [[青山良彦]]（大岡越前第11部・1990年、TBS）&lt;br /&gt;
* [[神田正輝]]（痛快大名徳川宗春・1996年、[[テレビ東京]]）&lt;br /&gt;
* [[中尾彬]]（[[暴れん坊将軍]]、III～VII・1978～1982年、1988～1997年、[[テレビ朝日]]）&lt;br /&gt;
* [[成田三樹夫]]（暴れん坊将軍II・1983～1987年、テレビ朝日）&lt;br /&gt;
* [[西岡徳馬]]（暴れん坊将軍VIII、IX・1997～1999年、テレビ朝日）&lt;br /&gt;
* [[中井貴一]]（[[八代将軍吉宗]]・1995年、[[日本放送協会|NHK]]）&lt;br /&gt;
* [[萩原流行]]（[[炎の奉行 大岡越前守]]・1997年、テレビ東京）&lt;br /&gt;
* [[栗塚旭]]（[[逃亡者おりん]]・2006年、テレビ東京）&lt;br /&gt;
* [[夏原遼]]（大岡越前2時間スペシャル・2006年、TBS）&lt;br /&gt;
* [[山田純大]]（[[徳川風雲録 八代将軍吉宗]]・2008年、テレビ東京）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[尾張徳川家|尾張徳川家連枝]]（[[梁川藩]]）|1729 - 1730|[[松平義真]]|-}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[尾張徳川家]]（[[尾張藩]]）|第7代：1730 - 1739|[[徳川継友]]|[[徳川宗勝]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:徳川氏|むねはる]]&lt;br /&gt;
[[Category:尾張徳川氏|むねはる]]&lt;br /&gt;
[[Category:江戸の大名]]&lt;br /&gt;
[[Category:親藩]]&lt;br /&gt;
[[Category:愛知県の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:尾張国の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1696年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1764年没]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>鳥人間コンテスト選手権大会</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''鳥人間コンテスト選手権大会'''（とりにんげんコンテストせんしゅけんたいかい、'''JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY'''）とは[[讀賣テレビ放送|読売テレビ（ytv）]]主催による[[人力飛行機]]の滞空距離を競う競技会である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
参加団体や関係者からはしばしば省略して'''鳥コン'''とも呼ばれる。『[[全国高等学校クイズ選手権]]』、『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』と共に日テレ系列の夏の風物詩であり、長寿番組となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]]に第1回が開催された。以降、毎年7月に[[滋賀県]][[彦根市]]の[[琵琶湖]]（会場は松原水泳場）を舞台に開催され、同市内にある[[松原水泳場]]（1980年～）を会場としている。その模様はytv（読売テレビ）制作・[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]全国ネットで特別番組として放送されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初は『[[びっくり日本新記録]]』内での1競技として第1、2回が放送され、第3回から単独番組となった。なお第1回は「'''鳥人間コンテスト日本大会'''」、第2～4回は「'''鳥人間コンテスト世界大会'''」というタイトルだった。なお『鳥人間』はytvの[[商標|登録商標]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ルール ==&lt;br /&gt;
大会のルールは毎回少しずつ改定されている。毎年公式ルールブックが発行されており、その年のルールに従って大会が行われる。発進時の規定、プラットフォームの標準数値、競技エリア、機体に対する制限などが詳細に定められている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大会に出場する機体は、書類審査によって決定される。しかしその審査方法や基準等は不明瞭であり、明らかに飛行出来そうにない機体が平気で出場することがある。また、まともな機体を設計しているにもかかわらず長期間にわたり落選が続くこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、危険な飛行と審査員が判断した場合は飛行距離に関係なく失格となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初期はハンググライダーの改良型程度だった参加機も徐々に高性能化が進み、新型機の登場や大記録が出るとその都度ルールの改定が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
従来はプラットフォームから着水地点までの距離が記録となっていたが、第27回（[[2003年]]）に人力プロペラ機部門で[[日本大学]][[理工学部]]の[[サークル]]・[[航空研究会]]の[[Möwe20]]（メーヴェ20）が約34kmという現会場での事実上の限界記録（松原水泳場→[[琵琶湖大橋]]間）を出した。この際の経緯は以下の通り。&lt;br /&gt;
*まず東北大（この年3位）が進路を北に向け対岸まで達したが、安全を考えそこで着水させた。&lt;br /&gt;
*本チームは、1位を狙って南へと進路を向けた。&lt;br /&gt;
*本人たちは橋を潜ろうとしていたが、無理矢理着水させるよう指示が出た。&lt;br /&gt;
*本人は納得がいかず旋回を続けたが最終的に説得に応じ着水。&lt;br /&gt;
*その後に東工大も同様に南へと進路をとり、1位には及ばなかったが2位。&lt;br /&gt;
このように明らかに問題のある進路設定になってしまったため、翌年の第28回（[[2004年]]）からはルールが変更され18kmで折り返しすると決められた。大音響のサイレンが鳴るとパイロットに折り返しせよと号令される（これにより最大・往復で36kmが期待出来る）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大会の競技部門 ==&lt;br /&gt;
人力飛行機の技術開発の進展や番組の放送形態の変化に伴い、競技部門は開催年度によって大きく変化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 第1回：競技部門（飛距離を競う）のみ&lt;br /&gt;
* 第2～9回：競技部門、コミックエントリー（飛距離を競わず、面白い飛び方を競う）&lt;br /&gt;
* 第10～11回：滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門、コミックエントリー（第11回は中止）&lt;br /&gt;
* 第12～14回：滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門&lt;br /&gt;
* 第15～18回：滑空機部門、人力プロペラ機部門&lt;br /&gt;
* 第19～20回：滑空機部門、人力プロペラ機部門、レディース部門&lt;br /&gt;
* 第21～23回：滑空機部門、人力プロペラ機部門、チャレンジ部門（飛距離だけでなく機体デザイン・コンセプトなどを総合的に競う）&lt;br /&gt;
* 第24回：滑空機部門、人力プロペラ機部門&lt;br /&gt;
* 第25～27回：滑空機部門、人力プロペラ機部門、人力ヘリコプター部門（第25回は参考競技）&lt;br /&gt;
* 第28～29回：滑空機部門（フォーミュラクラス / オープンクラス）、人力プロペラ機部門&lt;br /&gt;
* 第30回～：滑空機部門（フォーミュラ / オープン混合）、人力プロペラ機ディスタンス部門、人力プロペラ機タイムトライアル部門&lt;br /&gt;
※第28回（2004年）から滑空機部門については機体の制限値がある「フォーミュラ」とそれがない「オープン」の2つのクラスに分けて行う。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
※人力ヘリコプター部門については、プラットフォームから安全な離陸ができない恐れも考慮し、第27回（2003年）をもって一旦廃止された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
※人力プロペラ機部門では第27回（2003年）で30km以上の限界点を達した為、第29回（[[2005年]]）からは18km地点での折り返しが導入され最大36kmのビッグフライトが期待される。当初は前年の第28回（2004年）でのルール変更の予定だったが天候不良により競技不成立だったので、事実上この回からのルール変更となる。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
※人力プロペラ機タイムトライアル部門は所定のコースをフライトするのにかかった時間を競うもので、上記の点で大会新記録が到底不可能を理由により第30回（[[2006年]]）において初めて実施された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 司会者・リポーター ==&lt;br /&gt;
; 司会者&lt;br /&gt;
* [[桂三枝]]&lt;br /&gt;
* [[長嶋一茂]]&lt;br /&gt;
* [[堀江しのぶ]]：第11回（[[1987年]]）&lt;br /&gt;
* [[宇江佐りえ]]：第12回（[[1988年]]）&lt;br /&gt;
* [[冴木杏奈]]：第13回（[[1989年]]）&lt;br /&gt;
* [[大沢逸美]]：第14回（[[1990年]]）&lt;br /&gt;
* [[篠原涼子]]：第19回（[[1995年]]）&lt;br /&gt;
* [[佐藤藍子]]：第21回（[[1997年]]）&lt;br /&gt;
* [[山田まりや]]：第22回（[[1998年]]）&lt;br /&gt;
* [[辺見えみり]]：第23回（[[1999年]]）&lt;br /&gt;
* [[菊川怜]]：第24回（[[2000年]]）&lt;br /&gt;
* [[上原多香子]]・[[佐藤江梨子]]：第25回（[[2001年]]）&lt;br /&gt;
* [[今田耕司]]：第26～31回（[[2002年|2002]]～[[2007年]]）&lt;br /&gt;
* [[後藤理沙]]・[[山川恵里佳]]：第26回（2002年）&lt;br /&gt;
* [[乙葉]]・[[藤崎奈々子]]：第27回（[[2003年]]）&lt;br /&gt;
* [[石川亜沙美]]：第28回（[[2004年]]）&lt;br /&gt;
* [[ユンソナ]]：第29回（[[2005年]]）&lt;br /&gt;
* [[安めぐみ]]・[[長谷川理恵]]：第30回（[[2006年]]）&lt;br /&gt;
* [[東原亜希]]：第31回（2007年）&lt;br /&gt;
* [[東野幸治]]・[[藤井隆]]：第32回（[[2008年]]）&lt;br /&gt;
* [[加藤夏希]]：第32回（2008年）&lt;br /&gt;
; 実況・解説・ナレーター・リポーター&lt;br /&gt;
* [[三浦隆志]]（読売テレビアナウンサー）&lt;br /&gt;
* [[脇浜紀子]]（読売テレビアナウンサー）&lt;br /&gt;
* [[森若佐紀子]]（読売テレビアナウンサー）&lt;br /&gt;
* [[荻原次晴]]&lt;br /&gt;
* [[志生野温夫]]&lt;br /&gt;
* [[中元綾子]]（当時：読売テレビアナウンサー）&lt;br /&gt;
* [[川田裕美]]（読売テレビアナウンサー）&lt;br /&gt;
* [[東昭]]（東京大学名誉教授、航空機事故調査委員会委員長）&lt;br /&gt;
* [[木村秀政]]（東京大学名誉教授）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
* [[1977年]] 第1回を開催（[[近江八幡市]]・[[宮ヶ浜水泳場]]）、『[[びっくり日本新記録]]』内で放送&lt;br /&gt;
* [[1980年]] 会場を[[彦根市]]・[[松原水泳場]]に移す&lt;br /&gt;
* [[1986年]] 滑空機部門と人力プロペラ機部門を分離&lt;br /&gt;
* [[1988年]] 強風のため人力プロペラ機部門が中止&lt;br /&gt;
* [[1989年]] 人力プロペラ機部門が中止&lt;br /&gt;
* [[1990年]] 強風のため滑空機部門が中止&lt;br /&gt;
* [[1997年]] [[平成9年台風第9号|台風]]直撃のため初の競技全面中止&lt;br /&gt;
* [[1998年]] 2日間開催に移行&lt;br /&gt;
* [[2004年]] 人力プロペラ機部門が天候不良のため競技不成立（事実上中止）&lt;br /&gt;
=== 放送日・開催日 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!放送日!!開催日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第1回||[[1977年]][[8月7日|8月7日]]、[[8月14日|14日]]&amp;lt;ref&amp;gt;2週にわたって放送された&amp;lt;/ref&amp;gt;||1977年[[7月2日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第2回||[[1978年]][[9月7日]]||1978年[[7月21日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第3回||[[1979年]][[9月1日]]||1979年[[7月20日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第4回||[[1980年]][[8月9日]]||1980年[[7月19日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第5回||[[1981年]][[9月3日]]||1981年[[8月8日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第6回||[[1982年]][[9月23日]]||1982年[[8月7日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第7回||[[1983年]]月日||1983年[[8月6日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第8回||[[1984年]]月日||1984年[[8月4日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第9回||[[1985年]]月日||1985年[[8月3日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第10回||[[1986年]]月日||1986年[[8月2日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第11回||[[1987年]]月日||1987年[[8月1日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第12回||[[1988年]]月日||1988年[[7月30日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第13回||[[1989年]]月日||1989年[[7月29日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第14回||[[1990年]]月日||1990年8月4日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第15回||[[1991年]]月日||1991年8月3日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第16回||[[1992年]]月日||1992年8月1日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第17回||[[1993年]]月日||1993年[[7月31日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第18回||[[1994年]][[8月6日]]||1994年7月30日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第19回||[[1995年]][[8月5日]]||1995年7月29日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第20回||[[1996年]][[8月3日]]||1996年[[7月27日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第21回||（[[1997年]][[8月2日]]）||（1997年[[7月26日]]）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第22回||[[1998年]][[9月5日]]||1998年7月31日～8月1日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第23回||[[1999年]]8月28日||1999年7月30日～31日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第24回||[[2000年]][[8月12日]]||2000年[[7月28日]]～29日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第25回||[[2001年]][[8月4日]]||2001年7月27日～28日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第26回||[[2002年]][[8月31日]]||2002年7月27日～28日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第27回||[[2003年]][[9月6日]]||2003年7月26日～27日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第28回||[[2004年]]8月28日||2004年7月31日～8月1日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第29回||[[2005年]][[9月19日]]||2005年[[7月16日]]～[[7月17日|17日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第30回||[[2006年]][[9月22日]]||2006年[[7月22日]]～[[7月23日|23日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第31回||[[2007年]][[9月6日]]&amp;lt;ref&amp;gt;「[[モクスペ]]」枠で放送&amp;lt;/ref&amp;gt;||2007年7月28日～29日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第32回||[[2008年]][[9月15日]]||2008年7月26日～27日&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
※放送日は日本テレビでの放送日を示す。第21回は[[平成9年台風第9号|台風9号]]直撃のため大会史上初の全面中止となり、放送当日は「大会中止ドキュメント」と「過去20回のダイジェスト」をスタジオから生放送した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 各大会の優勝者・記録 ==&lt;br /&gt;
※各部門の太字になっている記録は現在の大会記録。&lt;br /&gt;
=== 滑空機部門オープンクラス ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!開催日!!記録!!優勝者!!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第1回||1977年7月2日||82.44m||岡良樹（東京ハングライダークラブ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第2回||1978年7月21日||79.78m||大平英二（ニューウィングス）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第3回||1979年7月20日||88.53m||島根俊夫（TOA鳥人間の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第4回||1980年7月19日||101.60m||鈴木正人（日大駿河台航空研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第5回||1981年8月8日||95.83m||菊池守男（車山ハンググライディング）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第6回||1982年8月7日||144.00m||村山智彦（[[日本大学]]理工学部航空研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第7回||1983年8月6日||162.62m||岡崎利彦（日本フライングクラブ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第8回||1984年8月4日||163.03m||楠正彰&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第9回||1985年8月3日||290.45m||石本豪（豊田飛行愛好会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center; white-space:nowrap&amp;quot;|第10回||1986年8月2日||158.38m||柴野敏彦（POINT ONE MILE）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第11回||1987年8月1日||176.71m||木島明良（[[茂原市]]フリーフライト）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第12回||1988年7月30日||261.90m||糸谷浩（西富士友の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第13回||1989年7月29日||205.10m||佐々木正司（TOA鳥人間の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第14回||（1990年8月4日）||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|記録なし||||台風の影響による強風のため中止&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第15回||1991年8月3日||318.75m||木島明良（フリーフライト）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第16回||1992年8月1日||232.08m||中村克（チームエアロセプシー）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第17回||1993年7月31日||248.31m||栗野けんじ（[[東京都立大学]]人力飛行機研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第18回||1994年7月30日||329.83m||佐々木正司（TOA鳥人間の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第19回||1995年7月29日||274.72m||佐々木正司（TOA鳥人間の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第20回||1996年7月27日||300.36m||佐々木正司（TOA鳥人間の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第21回||（1997年7月26日）||記録なし||||台風9号直撃のため、大会史上初の全面中止&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第22回||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|1998年7月31日～8月1日||364.08m||福森啓太（チームハマハマ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第23回||1999年7月30日～31日||345.92m||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第24回||2000年7月28日～29日||256.53m||雨宮健一（夜鳥の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第25回||2001年7月27日～28日||417.49m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第26回||2002年7月27日～28日||414.33m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第27回||2003年7月26日～27日||420.48m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第28回||2004年7月31日||173.26m||阿知波哲史（チームTINKER）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第29回||2005年7月16日||370.80m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第30回||2006年7月22日||258.21m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第31回||2007年7月28日||'''483.47m'''||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第32回||2008年7月26日||377.98m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
*タイトル：第1～27回 「滑空機部門」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 滑空機部門フォーミュラクラス ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!開催日!!記録!!優勝者!!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第28回||2004年7月31日～8月1日||30.79m||漆山雅史（TEAMフライング朱鷺）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第29回||2005年7月16日||50.77m||谷川英樹（[[創価大学]]鳥人間研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第30回||2006年7月22日||'''157.37m'''||竹内彰（創価大学鳥人間研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第31回||2007年7月28日||151.31m||瀬戸うらら（Team Ocean Man）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第32回||2008年7月26日||140.57m||石原直人（[[大阪工業大学]]体育会航空部）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人力プロペラ機ディスタンス部門 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!開催日!!記録!!優勝者!!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center; white-space:nowrap&amp;quot;|第10回||1986年8月2日||512.20m||田中紀彦（Team Aeroscepsy）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第11回||1987年8月1日||435.56m||上田稔（日本大学理工学部航空研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第12回||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|（1988年7月30日）||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|記録なし||||午後から強風のため中止&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第13回||（1989年7月29日）||記録なし||||台風の影響による強風のため中止&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第14回||1990年8月4日||1810.54m||小林稔（日本大学理工学部航空研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第15回||1991年8月3日||500.20m||阪本佳久（日本大学理工学部航空研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第16回||1992年8月1日||2019.65m||中山浩典（チームエアロセプシー）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第17回||1993年7月31日||2180.78m||野呂元紀（日本大学理工学部航空研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第18回||1994年7月30日||2371.65m||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|宮脇康成（日本大学理工学部航空研究会 日大バードマンOBチーム）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第19回||1995年7月29日||8764.00m||中山浩典（チームエアロセプシー）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第20回||1996年7月27日||9761.56m||中尾誠（[[大阪府立大学]]堺風車の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第21回||（1997年7月26日）||記録なし||||台風9号直撃のため、大会史上初の全面中止&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第22回||1998年8月1日||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|23688.24m||中山浩典（チームエアロセプシー）||大会初の琵琶湖横断に成功&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第23回||1999年7月31日||4913.46m||大倉彰浩（大阪府立大学堺風車の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第24回||2000年7月28日||7945.85m||嘉藤伸一（大阪府立大学堺風車の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第25回||2001年7月28日||3823.70m||成相健太郎（[[東京工業大学]]Meister）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第26回||2002年7月28日||6201.74m||梶原聖太（東京工業大学Meister）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第27回||2003年7月27日||34654.10m||平綿甲斐（日本大学理工学部航空研究会）||琵琶湖大橋まで到達&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第28回||2004年8月1日||944.11m&amp;lt;ref&amp;gt;参考記録&amp;lt;/ref&amp;gt;||渡邊峰生（[[早稲田大学宇宙航空研究会]]WASA）||18チーム中半数が天候不良でフライトできず、競技不成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第29回||2005年7月17日||22813.05m||田中丸真輔（日本大学理工学部航空研究会）||初の折り返し成功&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第30回||2006年7月22日||28628.43m||宮内空野（[[東北大学]]Windnauts）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第31回||2007年7月29日||3998.51m||山田洋平（東京工業大学Meister）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第32回||2008年7月27日||'''36000.00m'''||西脇渉（東北大学Windnauts）||初の往復成功&amp;lt;ref&amp;gt;現・折り返しルールにおける事実上の最高記録&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
*タイトル：第10～29回 「人力プロペラ機部門」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人力プロペラ機タイムトライアル部門 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!開催日!!記録!!優勝者!!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第30回||2006年7月23日||7分2秒61||中山浩典（チームエアロセプシー）||今大会唯一の完走者&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第31回||2007年7月28日||'''4分37秒62'''||野口雅弘（大阪府立大学堺・風車の会）||今大会唯一の完走者&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第32回||2008年7月26日||5分10秒00||宮本大地（大阪府立大学堺・風車の会）||今大会唯一の完走者&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== レディース部門 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!開催日!!記録!!優勝者&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第10回||1986年8月2日||92.83m||上田みゆき（TEAM TONDORUDO）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第11回||1987年8月1日||94.27m||相良美幸（TOA鳥人間の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第12回||1988年7月30日||103.80m||笠原朋子（みたか飛行少女の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第13回||1989年7月29日||225.90m||宮崎祥代（チームアクティブギャルズ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第14回||1990年8月4日||64.41m||長岡美子（東みたかアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第19回||1995年7月29日||189.01m||鋤柄千穂（[[九州大学]]鳥人間チーム）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第20回||1996年7月27日||'''264.66m'''||吉澤祐子（沿岸驚備隊）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
*タイトル：第10～14回 「女性パイロット部門」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人力ヘリコプター部門 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!開催日!!記録!!優勝者!!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第25回||2001年7月27日||'''6秒30'''||上岡健治（東大阪[[青年会議所]]トライズ）||参考競技&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第26回||2002年7月27日||4秒07||Rodney Bordallo（東大阪青年会議所トライズ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第27回||2003年7月26日||2秒89||西山雅也（ドボン会）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== テレビ放送 ==&lt;br /&gt;
これらの模様はytv制作・日本テレビ系列全国ネットの「[[木曜スペシャル]]」→「[[スーパースペシャル]]」→「[[THEスペシャル!]]」で放送されてきた。定時のスペシャル番組枠終了後も毎年秋の番組改編時期に単発特番として放送される。番組VTR送出は通常はよみうりテレビからとなっているが過去数回、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]から番組VTR送出を行っていたこともある（放送前にytvからの放送素材を日本テレビで受けて収録したのと提供クレジットテロップ表示が日本テレビから出しているため）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお2007年に3年ぶりとなる単発番組枠（「[[モクスペ]]」）が木曜19時～20時54分に再設されることになり、同じytvが番組制作されている『[[ベストヒット歌謡祭]]』と同時にこれまでの秋の特別番組からこの枠での放送へと移行されたが2008年は9月15日の月曜日に放送される予定（ytv制作のアニメ枠などは休止となる）。また2007年から[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]では[[データ放送]]も実施した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また2007年は地上波の放送のほか、CS放送の日テレプラス&amp;amp;サイエンス（現・[[日テレプラス]]）で第27回（2003年）、第29回（2005年）、 第30回（2006年）の模様も再放送された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また2003年に阪神が首位だったことで読売テレビはローカルでの[[阪神タイガース|阪神]]戦を放送し、後日改めて放送された（読売テレビ以外の系列局（[[テレビ宮崎]]を除く）は「[[裏送り]]」の形で通常通り放送された）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 特記事項 ==&lt;br /&gt;
* この大会には多くの芸能人がパイロットとして出場している。&lt;br /&gt;
** [[森脇健児]]：第19～20回（1995～1996年）・第23回（1999年）※第21回（1997年）もエントリー&lt;br /&gt;
** [[羽田惠理香]]：第20回（1996年）&lt;br /&gt;
** [[荻原次晴]]：第23～24回（1999～2000年）&lt;br /&gt;
** [[中田ボタン]]：第26回（2002年）&lt;br /&gt;
** [[なかやまきんに君]]：第27回（2003年）&lt;br /&gt;
** [[ペナルティ (お笑いコンビ) |ペナルティ]]の[[ワッキー]]（脇田寧人）：第28回（2004年）&lt;br /&gt;
** [[杉浦太陽]]：第29回（2005年）&lt;br /&gt;
** [[徳山昌守]]：第31回（2007年）※元ボクシング世界王者（初の格闘技選手パイロット）&lt;br /&gt;
** [[宮根誠司]]：第32回（2008年）※『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』総合司会&lt;br /&gt;
* パイロットではないが[[宇宙飛行士]]の[[若田光一]]も第11～13回（1987～1989年）に[[九州大学]]チームの一員として参加している。&lt;br /&gt;
* 第30回（2006年）にはイメージテーマソングとして[[森山直太朗]]の『風になって』を起用した。&lt;br /&gt;
* 2006年に30回を迎えたことを記念して、『鳥人間コンテスト 30th ANNIVERSARY DVD-BOX』が同年[[10月6日]]に発売された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[スカイハイ]] - 『鳥人間コンテスト選手権大会』・テーマソングとして長年に渡り使用された、[[イギリス]]の[[ロックバンド]]、「[[ジグソー]]」のヒット曲の曲名（Sky High）。&lt;br /&gt;
* [[琵琶湖大橋]] - 橋梁がルール上通過できないため南方限界点となっている、通過した場合失格となる。&lt;br /&gt;
* [[必殺仕切人]]（[[ABCテレビ|ABC]]） - 第5話「もしも鳥人間大会で優勝したら」でパロディとして取り上げられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.ytv.co.jp/birdman/index.html 鳥人間コンテスト公式サイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.toriningen.net/toriten/?FrontPage 鳥典 [鳥人間用語辞典&amp;lt;nowiki&amp;gt;]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%B3%A5%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9%E5%A4%A7%E4%BC%9A&amp;diff=39646</id>
		<title>鳥人間コンテスト選手権大会</title>
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				<updated>2008-09-16T12:23:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''鳥人間コンテスト選手権大会'''（とりにんげんコンテストせんしゅけんたいかい、'''JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY'''）とは[[讀賣テレビ放送|読売テレビ（ytv）]]主催による[[人力飛行機]]の滞空距離を競う競技会である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
参加団体や関係者からはしばしば省略して'''鳥コン'''とも呼ばれる。『[[全国高等学校クイズ選手権]]』、『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』と共に日テレ系列の夏の風物詩であり、長寿番組となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]]に第1回が開催された。以降、毎年7月に[[滋賀県]][[彦根市]]の[[琵琶湖]]（会場は松原水泳場）を舞台に開催され、同市内にある[[松原水泳場]]（1980年～）を会場としている。その模様はytv（読売テレビ）制作・[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]全国ネットで特別番組として放送されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初は『[[びっくり日本新記録]]』内での1競技として第1、2回が放送され、第3回から単独番組となった。なお第1回は「'''鳥人間コンテスト日本大会'''」、第2～4回は「'''鳥人間コンテスト世界大会'''」というタイトルだった。なお『鳥人間』はytvの[[商標|登録商標]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ルール ==&lt;br /&gt;
大会のルールは毎回少しずつ改定されている。毎年公式ルールブックが発行されており、その年のルールに従って大会が行われる。発進時の規定、プラットフォームの標準数値、競技エリア、機体に対する制限などが詳細に定められている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大会に出場する機体は、書類審査によって決定される。しかしその審査方法や基準等は不明瞭であり、明らかに飛行出来そうにない機体が平気で出場することがある。また、まともな機体を設計しているにもかかわらず長期間にわたり落選が続くこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、危険な飛行と審査員が判断した場合は飛行距離に関係なく失格となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初期はハンググライダーの改良型程度だった参加機も徐々に高性能化が進み、新型機の登場や大記録が出るとその都度ルールの改定が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
従来はプラットフォームから着水地点までの距離が記録となっていたが、第27回（[[2003年]]）に人力プロペラ機部門で[[日本大学]][[理工学部]]の[[サークル]]・[[航空研究会]]の[[Möwe20]]（メーヴェ20）が約34kmという現会場での事実上の限界記録（松原水泳場→[[琵琶湖大橋]]間）を出した。この際の経緯は以下の通り。&lt;br /&gt;
*まず東北大（この年3位）が進路を北に向け対岸まで達したが、安全を考えそこで着水させた。&lt;br /&gt;
*本チームは、1位を狙って南へと進路を向けた。&lt;br /&gt;
*本人たちは橋を潜ろうとしていたが、無理矢理着水させるよう指示が出た。&lt;br /&gt;
*本人は納得がいかず旋回を続けたが最終的に説得に応じ着水。&lt;br /&gt;
*その後に東工大も同様に南へと進路をとり、1位には及ばなかったが2位。&lt;br /&gt;
このように明らかに問題のある進路設定になってしまったため、翌年の第28回（[[2004年]]）からはルールが変更され18kmで折り返しすると決められた。大音響のサイレンが鳴るとパイロットに折り返しせよと号令される（これにより最大・往復で36kmが期待出来る）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大会の競技部門 ==&lt;br /&gt;
人力飛行機の技術開発の進展や番組の放送形態の変化に伴い、競技部門は開催年度によって大きく変化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 第1回：競技部門（飛距離を競う）のみ&lt;br /&gt;
* 第2～9回：競技部門、コミックエントリー（飛距離を競わず、面白い飛び方を競う）&lt;br /&gt;
* 第10～11回：滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門、コミックエントリー（第11回は中止）&lt;br /&gt;
* 第12～14回：滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門&lt;br /&gt;
* 第15～18回：滑空機部門、人力プロペラ機部門&lt;br /&gt;
* 第19～20回：滑空機部門、人力プロペラ機部門、レディース部門&lt;br /&gt;
* 第21～23回：滑空機部門、人力プロペラ機部門、チャレンジ部門（飛距離だけでなく機体デザイン・コンセプトなどを総合的に競う）&lt;br /&gt;
* 第24回：滑空機部門、人力プロペラ機部門&lt;br /&gt;
* 第25～27回：滑空機部門、人力プロペラ機部門、人力ヘリコプター部門（第25回は参考競技）&lt;br /&gt;
* 第28～29回：滑空機部門（フォーミュラクラス / オープンクラス）、人力プロペラ機部門&lt;br /&gt;
* 第30回～：滑空機部門（フォーミュラ / オープン混合）、人力プロペラ機ディスタンス部門、人力プロペラ機タイムトライアル部門&lt;br /&gt;
※第28回（2004年）から滑空機部門については機体の制限値がある「フォーミュラ」とそれがない「オープン」の2つのクラスに分けて行う。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
※人力ヘリコプター部門については、プラットフォームから安全な離陸ができない恐れも考慮し、第27回（2003年）をもって一旦廃止された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
※人力プロペラ機部門では第27回（2003年）で30km以上の限界点を達した為、第29回（[[2005年]]）からは18km地点での折り返しが導入され最大36kmのビッグフライトが期待される。当初は前年の第28回（2004年）でのルール変更の予定だったが天候不良により競技不成立だったので、事実上この回からのルール変更となる。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
※人力プロペラ機タイムトライアル部門は所定のコースをフライトするのにかかった時間を競うもので、上記の点で大会新記録が到底不可能を理由により第30回（[[2006年]]）において初めて実施された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 司会者・リポーター ==&lt;br /&gt;
; 司会者&lt;br /&gt;
* [[桂三枝]]&lt;br /&gt;
* [[長嶋一茂]]&lt;br /&gt;
* [[堀江しのぶ]]：第11回（[[1987年]]）&lt;br /&gt;
* [[宇江佐りえ]]：第12回（[[1988年]]）&lt;br /&gt;
* [[冴木杏奈]]：第13回（[[1989年]]）&lt;br /&gt;
* [[大沢逸美]]：第14回（[[1990年]]）&lt;br /&gt;
* [[篠原涼子]]：第19回（[[1995年]]）&lt;br /&gt;
* [[佐藤藍子]]：第21回（[[1997年]]）&lt;br /&gt;
* [[山田まりや]]：第22回（[[1998年]]）&lt;br /&gt;
* [[辺見えみり]]：第23回（[[1999年]]）&lt;br /&gt;
* [[菊川怜]]：第24回（[[2000年]]）&lt;br /&gt;
* [[上原多香子]]・[[佐藤江梨子]]：第25回（[[2001年]]）&lt;br /&gt;
* [[今田耕司]]：第26～31回（[[2002年|2002]]～[[2007年]]）&lt;br /&gt;
* [[後藤理沙]]・[[山川恵里佳]]：第26回（2002年）&lt;br /&gt;
* [[乙葉]]・[[藤崎奈々子]]：第27回（[[2003年]]）&lt;br /&gt;
* [[石川亜沙美]]：第28回（[[2004年]]）&lt;br /&gt;
* [[ユンソナ]]：第29回（[[2005年]]）&lt;br /&gt;
* [[安めぐみ]]・[[長谷川理恵]]：第30回（[[2006年]]）&lt;br /&gt;
* [[東原亜希]]：第31回（2007年）&lt;br /&gt;
* [[東野幸治]]・[[藤井隆]]：第32回（[[2008年]]）&lt;br /&gt;
* [[加藤夏希]]：第32回（2008年）&lt;br /&gt;
; 実況・解説・ナレーター・リポーター&lt;br /&gt;
* [[三浦隆志]]（読売テレビアナウンサー）&lt;br /&gt;
* [[脇浜紀子]]（読売テレビアナウンサー）&lt;br /&gt;
* [[森若佐紀子]]（読売テレビアナウンサー）&lt;br /&gt;
* [[荻原次晴]]&lt;br /&gt;
* [[志生野温夫]]&lt;br /&gt;
* [[中元綾子]]（当時：読売テレビアナウンサー）&lt;br /&gt;
* [[川田裕美]]（読売テレビアナウンサー）&lt;br /&gt;
* [[東昭]]（東京大学名誉教授、航空機事故調査委員会委員長）&lt;br /&gt;
* [[木村秀政]]（東京大学名誉教授）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
* [[1977年]] 第1回を開催（[[近江八幡市]]・[[宮ヶ浜水泳場]]）、『[[びっくり日本新記録]]』内で放送&lt;br /&gt;
* [[1980年]] 会場を[[彦根市]]・[[松原水泳場]]に移す&lt;br /&gt;
* [[1986年]] 滑空機部門と人力プロペラ機部門を分離&lt;br /&gt;
* [[1988年]] 強風のため人力プロペラ機部門が中止&lt;br /&gt;
* [[1989年]] 人力プロペラ機部門が中止&lt;br /&gt;
* [[1990年]] 強風のため滑空機部門が中止&lt;br /&gt;
* [[1997年]] [[平成9年台風第9号|台風]]直撃のため初の競技全面中止&lt;br /&gt;
* [[1998年]] 2日間開催に移行&lt;br /&gt;
* [[2004年]] 人力プロペラ機部門が天候不良のため競技不成立（事実上中止）&lt;br /&gt;
=== 放送日・開催日 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!放送日!!開催日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第1回||[[1977年]][[8月7日|8月7日]]、[[8月14日|14日]]&amp;lt;ref&amp;gt;2週にわたって放送された&amp;lt;/ref&amp;gt;||1977年[[7月2日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第2回||[[1978年]][[9月7日]]||1978年[[7月21日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第3回||[[1979年]][[9月1日]]||1979年[[7月20日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第4回||[[1980年]][[8月9日]]||1980年[[7月19日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第5回||[[1981年]][[9月3日]]||1981年[[8月8日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第6回||[[1982年]][[9月23日]]||1982年[[8月7日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第7回||[[1983年]]月日||1983年[[8月6日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第8回||[[1984年]]月日||1984年[[8月4日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第9回||[[1985年]]月日||1985年[[8月3日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第10回||[[1986年]]月日||1986年[[8月2日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第11回||[[1987年]]月日||1987年[[8月1日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第12回||[[1988年]]月日||1988年[[7月30日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第13回||[[1989年]]月日||1989年[[7月29日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第14回||[[1990年]]月日||1990年8月4日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第15回||[[1991年]]月日||1991年8月3日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第16回||[[1992年]]月日||1992年8月1日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第17回||[[1993年]]月日||1993年[[7月31日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第18回||[[1994年]][[8月6日]]||1994年7月30日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第19回||[[1995年]][[8月5日]]||1995年7月29日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第20回||[[1996年]][[8月3日]]||1996年[[7月27日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第21回||（[[1997年]][[8月2日]]）||（1997年[[7月26日]]）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第22回||[[1998年]][[9月5日]]||1998年7月31日～8月1日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第23回||[[1999年]]8月28日||1999年7月30日～31日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第24回||[[2000年]][[8月12日]]||2000年[[7月28日]]～29日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第25回||[[2001年]][[8月4日]]||2001年7月27日～28日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第26回||[[2002年]][[8月31日]]||2002年7月27日～28日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第27回||[[2003年]][[9月6日]]||2003年7月26日～27日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第28回||[[2004年]]8月28日||2004年7月31日～8月1日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第29回||[[2005年]][[9月19日]]||2005年[[7月16日]]～[[7月17日|17日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第30回||[[2006年]][[9月22日]]||2006年[[7月22日]]～[[7月23日|23日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第31回||[[2007年]][[9月6日]]&amp;lt;ref&amp;gt;「[[モクスペ]]」枠で放送&amp;lt;/ref&amp;gt;||2007年7月28日～29日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第32回||[[2008年]][[9月15日]]||2008年7月26日～27日&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
※放送日は日本テレビでの放送日を示す。第21回は[[平成9年台風第9号|台風9号]]直撃のため大会史上初の全面中止となり、放送当日は「大会中止ドキュメント」と「過去20回のダイジェスト」をスタジオから生放送した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 各大会の優勝者・記録 ==&lt;br /&gt;
※各部門の太字になっている記録は現在の大会記録。&lt;br /&gt;
=== 滑空機部門オープンクラス ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!開催日!!記録!!優勝者!!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第1回||1977年7月2日||82.44m||岡良樹（東京ハングライダークラブ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第2回||1978年7月21日||79.78m||大平英二（ニューウィングス）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第3回||1979年7月20日||88.53m||島根俊夫（TOA鳥人間の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第4回||1980年7月19日||101.60m||鈴木正人（日大駿河台航空研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第5回||1981年8月8日||95.83m||菊池守男（車山ハンググライディング）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第6回||1982年8月7日||144.00m||村山智彦（[[日本大学]]理工学部航空研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第7回||1983年8月6日||162.62m||岡崎利彦（日本フライングクラブ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第8回||1984年8月4日||163.03m||楠正彰&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第9回||1985年8月3日||290.45m||石本豪（豊田飛行愛好会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第10回||1986年8月2日||158.38m||柴野敏彦（POINT ONE MILE）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第11回||1987年8月1日||176.71m||木島明良（[[茂原市]]フリーフライト）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第12回||1988年7月30日||261.90m||糸谷浩（西富士友の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第13回||1989年7月29日||205.10m||佐々木正司（TOA鳥人間の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第14回||（1990年8月4日）||記録なし||||台風の影響による強風のため中止&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第15回||1991年8月3日||318.75m||木島明良（フリーフライト）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第16回||1992年8月1日||232.08m||中村克（チームエアロセプシー）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第17回||1993年7月31日||248.31m||栗野けんじ（[[東京都立大学]]人力飛行機研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第18回||1994年7月30日||329.83m||佐々木正司（TOA鳥人間の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第19回||1995年7月29日||274.72m||佐々木正司（TOA鳥人間の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第20回||1996年7月27日||300.36m||佐々木正司（TOA鳥人間の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第21回||（1997年7月26日）||記録なし||||台風9号直撃のため、大会史上初の全面中止&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第22回||1998年7月31日～8月1日||364.08m||福森啓太（チームハマハマ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第23回||1999年7月30日～31日||345.92m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第24回||2000年7月28日～29日||256.53m||雨宮健一（夜鳥の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第25回||2001年7月27日～28日||417.49m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第26回||2002年7月27日～28日||414.33m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第27回||2003年7月26日～27日||420.48m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第28回||2004年7月31日||173.26m||阿知波哲史（チームTINKER）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第29回||2005年7月16日||370.80m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第30回||2006年7月22日||258.21m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第31回||2007年7月28日||'''483.47m'''||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第32回||2008年7月26日||377.98m||大木祥資（みたか+もばらアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
*タイトル：第1～27回 「滑空機部門」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 滑空機部門フォーミュラクラス ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!開催日!!記録!!優勝者!!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第28回||2004年7月31日～8月1日||30.79m||漆山雅史（TEAMフライング朱鷺）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第29回||2005年7月16日||50.77m||谷川英樹（[[創価大学]]鳥人間研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第30回||2006年7月22日||'''157.37m'''||竹内彰（創価大学鳥人間研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第31回||2007年7月28日||151.31m||瀬戸うらら（Team Ocean Man）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第32回||2008年7月26日||140.57m||石原直人（[[大阪工業大学]]体育会航空部）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人力プロペラ機ディスタンス部門 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!開催日!!記録!!優勝者!!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center; white-space:nowrap&amp;quot;|第10回||1986年8月2日||512.20m||田中紀彦（Team Aeroscepsy）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第11回||1987年8月1日||435.56m||上田稔（日本大学理工学部航空研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第12回||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|（1988年7月30日）||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|記録なし||||午後から強風のため中止&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第13回||（1989年7月29日）||記録なし||||台風の影響による強風のため中止&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第14回||1990年8月4日||1810.54m||小林稔（日本大学理工学部航空研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第15回||1991年8月3日||500.20m||阪本佳久（日本大学理工学部航空研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第16回||1992年8月1日||2019.65m||中山浩典（チームエアロセプシー）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第17回||1993年7月31日||2180.78m||野呂元紀（日本大学理工学部航空研究会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第18回||1994年7月30日||2371.65m||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|宮脇康成（日本大学理工学部航空研究会 日大バードマンOBチーム）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第19回||1995年7月29日||8764.00m||中山浩典（チームエアロセプシー）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第20回||1996年7月27日||9761.56m||中尾誠（[[大阪府立大学]]堺風車の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第21回||（1997年7月26日）||記録なし||||台風9号直撃のため、大会史上初の全面中止&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第22回||1998年8月1日||style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|23688.24m||中山浩典（チームエアロセプシー）||大会初の琵琶湖横断に成功&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第23回||1999年7月31日||4913.46m||大倉彰浩（大阪府立大学堺風車の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第24回||2000年7月28日||7945.85m||嘉藤伸一（大阪府立大学堺風車の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第25回||2001年7月28日||3823.70m||成相健太郎（[[東京工業大学]]Meister）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第26回||2002年7月28日||6201.74m||梶原聖太（東京工業大学Meister）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第27回||2003年7月27日||34654.10m||平綿甲斐（日本大学理工学部航空研究会）||琵琶湖大橋まで到達&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第28回||2004年8月1日||944.11m&amp;lt;ref&amp;gt;参考記録&amp;lt;/ref&amp;gt;||渡邊峰生（[[早稲田大学宇宙航空研究会]]WASA）||18チーム中半数が天候不良でフライトできず、競技不成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第29回||2005年7月17日||22813.05m||田中丸真輔（日本大学理工学部航空研究会）||初の折り返し成功&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第30回||2006年7月22日||28628.43m||宮内空野（[[東北大学]]Windnauts）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第31回||2007年7月29日||3998.51m||山田洋平（東京工業大学Meister）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第32回||2008年7月27日||'''36000.00m'''||西脇渉（東北大学Windnauts）||初の往復成功&amp;lt;ref&amp;gt;現・折り返しルールにおける事実上の最高記録&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
*タイトル：第10～29回 「人力プロペラ機部門」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人力プロペラ機タイムトライアル部門 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!開催日!!記録!!優勝者!!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第30回||2006年7月23日||7分2秒61||中山浩典（チームエアロセプシー）||今大会唯一の完走者&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第31回||2007年7月28日||'''4分37秒62'''||野口雅弘（大阪府立大学堺・風車の会）||今大会唯一の完走者&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第32回||2008年7月26日||5分10秒00||宮本大地（大阪府立大学堺・風車の会）||今大会唯一の完走者&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== レディース部門 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!開催日!!記録!!優勝者&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第10回||1986年8月2日||92.83m||上田みゆき（TEAM TONDORUDO）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第11回||1987年8月1日||94.27m||相良美幸（TOA鳥人間の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第12回||1988年7月30日||103.80m||笠原朋子（みたか飛行少女の会）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第13回||1989年7月29日||225.90m||宮崎祥代（チームアクティブギャルズ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第14回||1990年8月4日||64.41m||長岡美子（東みたかアドベンチャーグループ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第19回||1995年7月29日||189.01m||鋤柄千穂（[[九州大学]]鳥人間チーム）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第20回||1996年7月27日||'''264.66m'''||吉澤祐子（沿岸驚備隊）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
*タイトル：第10～14回 「女性パイロット部門」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人力ヘリコプター部門 ===&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!回数!!開催日!!記録!!優勝者!!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第25回||2001年7月27日||'''6秒30'''||上岡健治（東大阪[[青年会議所]]トライズ）||参考競技&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第26回||2002年7月27日||4秒07||Rodney Bordallo（東大阪青年会議所トライズ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|第27回||2003年7月26日||2秒89||西山雅也（ドボン会）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== テレビ放送 ==&lt;br /&gt;
これらの模様はytv制作・日本テレビ系列全国ネットの「[[木曜スペシャル]]」→「[[スーパースペシャル]]」→「[[THEスペシャル!]]」で放送されてきた。定時のスペシャル番組枠終了後も毎年秋の番組改編時期に単発特番として放送される。番組VTR送出は通常はよみうりテレビからとなっているが過去数回、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]から番組VTR送出を行っていたこともある（放送前にytvからの放送素材を日本テレビで受けて収録したのと提供クレジットテロップ表示が日本テレビから出しているため）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお2007年に3年ぶりとなる単発番組枠（「[[モクスペ]]」）が木曜19時～20時54分に再設されることになり、同じytvが番組制作されている『[[ベストヒット歌謡祭]]』と同時にこれまでの秋の特別番組からこの枠での放送へと移行されたが2008年は9月15日の月曜日に放送される予定（ytv制作のアニメ枠などは休止となる）。また2007年から[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]では[[データ放送]]も実施した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また2007年は地上波の放送のほか、CS放送の日テレプラス&amp;amp;サイエンス（現・[[日テレプラス]]）で第27回（2003年）、第29回（2005年）、 第30回（2006年）の模様も再放送された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また2003年に阪神が首位だったことで読売テレビはローカルでの[[阪神タイガース|阪神]]戦を放送し、後日改めて放送された（読売テレビ以外の系列局（[[テレビ宮崎]]を除く）は「[[裏送り]]」の形で通常通り放送された）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 特記事項 ==&lt;br /&gt;
* この大会には多くの芸能人がパイロットとして出場している。&lt;br /&gt;
** [[森脇健児]]：第19～20回（1995～1996年）・第23回（1999年）※第21回（1997年）もエントリー&lt;br /&gt;
** [[羽田惠理香]]：第20回（1996年）&lt;br /&gt;
** [[荻原次晴]]：第23～24回（1999～2000年）&lt;br /&gt;
** [[中田ボタン]]：第26回（2002年）&lt;br /&gt;
** [[なかやまきんに君]]：第27回（2003年）&lt;br /&gt;
** [[ペナルティ (お笑いコンビ) |ペナルティ]]の[[ワッキー]]（脇田寧人）：第28回（2004年）&lt;br /&gt;
** [[杉浦太陽]]：第29回（2005年）&lt;br /&gt;
** [[徳山昌守]]：第31回（2007年）※元ボクシング世界王者（初の格闘技選手パイロット）&lt;br /&gt;
** [[宮根誠司]]：第32回（2008年）※『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』総合司会&lt;br /&gt;
* パイロットではないが[[宇宙飛行士]]の[[若田光一]]も第11～13回（1987～1989年）に[[九州大学]]チームの一員として参加している。&lt;br /&gt;
* 第30回（2006年）にはイメージテーマソングとして[[森山直太朗]]の『風になって』を起用した。&lt;br /&gt;
* 2006年に30回を迎えたことを記念して、『鳥人間コンテスト 30th ANNIVERSARY DVD-BOX』が同年[[10月6日]]に発売された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[スカイハイ]] - 『鳥人間コンテスト選手権大会』・テーマソングとして長年に渡り使用された、[[イギリス]]の[[ロックバンド]]、「[[ジグソー]]」のヒット曲の曲名（Sky High）。&lt;br /&gt;
* [[琵琶湖大橋]] - 橋梁がルール上通過できないため南方限界点となっている、通過した場合失格となる。&lt;br /&gt;
* [[必殺仕切人]]（[[ABCテレビ|ABC]]） - 第5話「もしも鳥人間大会で優勝したら」でパロディとして取り上げられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.ytv.co.jp/birdman/index.html 鳥人間コンテスト公式サイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.toriningen.net/toriten/?FrontPage 鳥典 [鳥人間用語辞典&amp;lt;nowiki&amp;gt;]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%88/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%97%E3%81%82%E3%82%80&amp;diff=39180</id>
		<title>フェイト/タイガーころしあむ</title>
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				<updated>2008-09-08T12:16:23Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: 新しいページ: '{{コンピュータゲーム |Title = フェイト/タイガーころしあむ&amp;lt;br/&amp;gt;フェイト/タイガーころしあむ アッパー |Genre = [[対戦アクションゲー...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{コンピュータゲーム&lt;br /&gt;
|Title = フェイト/タイガーころしあむ&amp;lt;br/&amp;gt;フェイト/タイガーころしあむ アッパー&lt;br /&gt;
|Genre = [[対戦アクションゲーム]]&lt;br /&gt;
|Plat = [[プレイステーション・ポータブル]]&lt;br /&gt;
|Dev = [[キャビア (企業)|キャビア]]&lt;br /&gt;
|Pub = [[カプコン]]&lt;br /&gt;
|Date = {{flagicon|Japan}} [[2007年]][[9月13日]]&amp;lt;br/&amp;gt;{{flagicon|Japan}} [[2008年]][[8月28日]]&lt;br /&gt;
|Price = 通常版：4,990円&amp;lt;br/&amp;gt;特盛限定版：7,990円&amp;lt;br/&amp;gt;Best Price!：2,990円&amp;lt;br/&amp;gt;&amp;lt;br/&amp;gt;通常版：5,240円&amp;lt;br/&amp;gt;限定版：9,800円&lt;br /&gt;
|Rating = [[コンピュータエンターテインメントレーティング機構|CERO]]：A（全年齢対象）&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
『'''フェイト/タイガーころしあむ'''』（''Fate/tigercolossum''）とは[[2007年]][[9月13日]]に発売された[[TYPE-MOON]]の[[ビジュアルノベル]]『[[Fate/stay night]]』を原作とする[[対戦アクションゲーム]]である。2.5頭身にディフォルメ化されたキャラクターたちが登場する。[[2008年]][[8月28日]]には続編として新要素を追加した『'''フェイト/タイガーころしあむ アッパー'''』（''Fate/tigercolossum upper''、以下「'''アッパー'''」と記す）が発売。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== フェイト/タイガーころしあむ ==&lt;br /&gt;
=== ストーリー ===&lt;br /&gt;
ある日、衛宮士郎が目を覚ますと、冬木市は'''あたまの悪い結界'''に包まれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「毎度おなじみ、聖杯戦争、聖杯戦争でございます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ご不要になった夢希望、もう諦めた野望などがございましたら、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お気軽にコロシアムにおいでください」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
響き渡る謎の声。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
街中に蔓延する対戦ムード。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
失われた令呪。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いま、虎聖杯をめぐる新たな戦いが始まる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・・・・・と思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主題歌 ===&lt;br /&gt;
いずれも「フェイト/タイガーころしあむ オリジナル・サウンドトラック」に収録。&lt;br /&gt;
* OPテーマ：'''Ready Go!'''&lt;br /&gt;
: 歌・作詞：[[榊原ゆい]] 作曲・編曲：[[DJ SHIMAMURA]]&lt;br /&gt;
: アルバム「[[Ultimate A-Style]]」にJAKAZiD J-Core Remixが収録されている。&lt;br /&gt;
* EDテーマ：'''SAYONARAじゃない。'''&lt;br /&gt;
: 歌：榊原ゆい 作詞：[[くまきり]] 作曲・編曲：[[lkee]]&lt;br /&gt;
: 通常.verに加えupper.ver（編曲：DJ SHIMAMURA）、ballad.verの3種類。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 特盛限定版 ===&lt;br /&gt;
通常版の他に以下のグッズが同梱された限定版も同時発売された。&lt;br /&gt;
* ドラマCD“虎の威を借るケモノたち”&lt;br /&gt;
* A4版フルカラー設定資料集&lt;br /&gt;
* 特製ポーチ&lt;br /&gt;
* A4サイズクリアポスター&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== フェイト/タイガーころしあむ アッパー ==&lt;br /&gt;
=== ストーリー ===&lt;br /&gt;
藤村大河の家に流星が落ちた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人的被害は無かったものの、その焼け跡から謎のネコガタ生物が現れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「我々 ハ インベーダー ダヨ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
混乱に陥る冬木市、その中で誰もが思ったのは、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「もう虎聖杯関係なくない?」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主題歌 ===&lt;br /&gt;
OPテーマは[[コミックマーケット]]74で発売された福袋にて先行販売。「フェイト/タイガーころしあむ アッパー オリジナル サウンドトラック」にショートバージョンが収録。&lt;br /&gt;
* OPテーマ：'''[[Try Real!]]'''&lt;br /&gt;
: 歌・作詞：榊原ゆい 作曲・編曲：DJ SHIMAMURA&lt;br /&gt;
: 挿入歌としてマジカルアンバー.ver（歌：[[高野直子|マジカルアンバー]] 作詞：[[つくりものじ]]）が使用されている。&lt;br /&gt;
* EDテーマ：'''SAYONARAじゃない。'''&lt;br /&gt;
: 歌：榊原ゆい 作詞：くまきり 作曲・編曲：lkee&lt;br /&gt;
: 通常.verに加え、アップ.ver（編曲：DJ SHIMAMURA）の2種類。ballad.verは挿入歌として使用されている。&lt;br /&gt;
* 挿入歌：'''Ready Go!'''&lt;br /&gt;
: 歌・作詞：榊原ゆい 作曲・編曲：DJ SHIMAMURA&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== MEGAMORI BOX ===&lt;br /&gt;
通常版の他に以下のグッズが同梱された限定版も同時発売された。&lt;br /&gt;
* タロットカード“タイガーカードウルトラ”&lt;br /&gt;
* タロットバインダー&lt;br /&gt;
* ドラマCD“虎の手も借りるケモノたち”&lt;br /&gt;
* 極上スペシャルDVD&lt;br /&gt;
* A4版フルカラー設定資料集&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ゲームシステム ==&lt;br /&gt;
=== 操作方法 ===&lt;br /&gt;
; 攻撃&lt;br /&gt;
: □ボタンを押すと通常攻撃ができる。最大3回まで連続攻撃ができるが、突き飛ばし（後述）を組み合わせる事で最大6回のコンボができる。ジャンプ中も攻撃可能。&lt;br /&gt;
: ダッシュ中に攻撃をすると敵キャラクターに隙を与え、かつ所持するタイガーボールを放出させる事ができる。ただし通常攻撃が遠距離攻撃の場合はこれには及ばない。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では同時に攻撃がヒットすると'''鍔迫り合い'''となり、□ボタンを多く連打した方が追加攻撃をする。&lt;br /&gt;
; 防御&lt;br /&gt;
: Rボタンを押す事で敵キャラクターの攻撃を防御できる。なお防御しながら攻撃を受け続けると防御が不可になる。その場合は一定時間経過すると可能になるが、時間が短いと耐久時間も短くなる。&lt;br /&gt;
: 攻撃されて吹っ飛ばされている時に防御をすると受け身が取れて、ダウンを回避できる。&lt;br /&gt;
; 突き飛ばし&lt;br /&gt;
: △ボタンを押すと突き飛ばし攻撃ができる。ダメージは少ないが敵キャラクターに通常攻撃より多い隙を与え、防御を崩しかつ所持するタイガーボール（後述）を放出させる。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』ではさらに敵キャラクターに向かってアナログスティックを入力したまま突き飛ばしをすると、やや隙が生まれるがリーチの長い突き飛ばしができる。&lt;br /&gt;
; ジャンプ&lt;br /&gt;
: ○ボタンを押す事でジャンプができる。このアクションによってステージによっては高所に立つ事ができる。なお高所から地上に落ちると若干の隙ができる。&lt;br /&gt;
; ダッシュ&lt;br /&gt;
: ×ボタンを押す事でダッシュができる。1回ダッシュをする事でブーストゲージ1/4消費するが、ゲージが1/4以下の時はダッシュはせずに隙ができる。&lt;br /&gt;
: 集中（後述）しながら対象キャラクターの横方向に向かってダッシュすると、対象キャラクターの背後に回り込む事ができる。&lt;br /&gt;
; 集中&lt;br /&gt;
: Lボタンを押す事で一番近い敵キャラクターに攻撃の焦点を絞る事ができる。この際、移動速度が大幅に落ちる。&lt;br /&gt;
: 集中しながらアナログパッドを同方向に連続で入力すると、その方向に小さくジャンプする。&lt;br /&gt;
; 共闘&lt;br /&gt;
: 「アッパー」で追加されたコマンド。チームバトルで味方キャラクターに「!」マークが表示されている時にLボタンを押すと、一定時間自分と味方キャラクターの攻撃力が上がり防御力が下がる。「!」マークは、味方キャラクターの側で集中をしている時に敵キャラクターに突き飛ばしをすると表示される。&lt;br /&gt;
; 特殊攻撃&lt;br /&gt;
: △ボタンとRボタンを同時に押すと、MP若干消費して攻撃範囲の広い特殊攻撃ができる。隙が大きいが、攻撃中に隙が発生する事はない。&lt;br /&gt;
; 虎令呪&lt;br /&gt;
: 「アッパー」から追加されたコマンド。×ボタンとRボタンを同時に押すと各キャラクター毎に設定されている特殊能力が発動する。1度のバトルで3回まで使用可能で、効果は一定時間経過するかHPが0になるまで続く。&lt;br /&gt;
; 必殺技&lt;br /&gt;
: タイガーボールを所持している状態で□ボタンとRボタンを同時に押すと、MPを50%消費して各キャラクター毎に設定されている必殺技ができる。詳細は各キャラクター紹介を参照の事。&lt;br /&gt;
; 超必殺技&lt;br /&gt;
: タイガーボールを所持している状態で○ボタンとRボタンを同時に押すと、MPを100%消費して各キャラクター毎に設定されている超必殺技ができる。詳細は各キャラクター紹介を参照の事。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== モード ===&lt;br /&gt;
; ストーリーモード&lt;br /&gt;
: 全キャラクター分用意されているオリジナルストーリーが展開されるモード。全7話で構成され、1話に1回のバトルがある。&lt;br /&gt;
; フリーバトル&lt;br /&gt;
: キャラクター・チーム・ルール・ステージなどを自分で設定してコンピュータと戦うモード。なお変更できる設定はストーリーモードで獲得した設定のみ変更ができる。&lt;br /&gt;
; ネットワークバトル&lt;br /&gt;
: 虎祭と呼ばれるネットワーク対戦モード。最大4にまでが参加できる。&lt;br /&gt;
; エクストラ&lt;br /&gt;
: 「アッパー」で追加されたモード。ゲームをプレイしていると獲得できる'''tm（タイガーマネー）'''を消費して、キャラクターイラスト・BGM・シナリオ・ムービーを閲覧できるようになる。『フェイト/タイガーころしあむ』のUMDがあると、『フェイト/タイガーころしあむ』のシナリオも閲覧可能になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== パラメータ ===&lt;br /&gt;
; HPゲージ&lt;br /&gt;
: HPを緑色のゲージで表示。ゲージが0になると倒される事になる。&lt;br /&gt;
: 「アッパー」では復活後、一定時間無敵状態となる。その際、キャラクターは透明に点滅する。&lt;br /&gt;
; MPゲージ&lt;br /&gt;
: MPを赤色のゲージで表示。攻撃を敵キャラクターに当てると若干回復する。戦闘開始当初は最大50%までしか回復せず、タイガーボールを得る事によって100%まで使用可能となる。&lt;br /&gt;
; ブーストゲージ&lt;br /&gt;
: ダッシュの可能限界を水色のゲージで表示。100%で4回ダッシュができる。最後のダッシュからしばらくすると徐々に回復する。&lt;br /&gt;
; タイガーポイント&lt;br /&gt;
: 勝利条件となるタイガーポイントを表示。普通、敵キャラクターを倒すとその虎力分のポイントが入るが、バトルルールによっては例外もある。&lt;br /&gt;
; 虎力&lt;br /&gt;
: 各キャラクター毎に設定されている数値。敵キャラクターを倒すと、その敵キャラクターに設定された虎力分のタイガーポイントを獲得できる。ただしバトルルールによっては加算されない場合もある。数値の詳細についてはキャラクターを参照の事。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== バトルルール ===&lt;br /&gt;
; タイムバトル&lt;br /&gt;
: 制限時間中で最もタイガーポイントを多く獲得したキャラクター、ないしチームが勝利する。&lt;br /&gt;
; ポイントバトル&lt;br /&gt;
: 設定されたタイガーポイントを最も早く獲得したキャラクターが勝利する。&lt;br /&gt;
; バトルロイヤル&lt;br /&gt;
: 最後まで倒されずに残ったキャラクターが勝利する。なおタイガーポイントは存在せず、一度倒されると復活はできない。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では全キャラクターが通常のHPの3倍となる'''バトルロイヤル2'''が追加された。&lt;br /&gt;
; タイガーボール争奪&lt;br /&gt;
: タイガーボールを最も長く所持していたキャラクター、ないしチームが勝利する。タイガーボールを所持していると徐々にタイガーポイントが加算されるが、敵キャラクターを倒してもタイガーポイントは加算されない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アイテム ===&lt;br /&gt;
ステージの特定の位置にランダムで出現し、キャラクターが触れると獲得する。なお一定時間が経過するとアイテムは消滅する。制限時間がある場合は、残り時間が少なくなると頻繁に出現するようになる。&lt;br /&gt;
; タイガーボール&lt;br /&gt;
: MPゲージが100%まで使用可能になり、必殺技・超必殺技が使用可能になる。同時に2つまで出現（例外あり）。バトルモードによっては効果に不可が付く事もある。&lt;br /&gt;
; ご飯&lt;br /&gt;
: HPを全回復する。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』ではHPを50%回復する。&lt;br /&gt;
; 魔石&lt;br /&gt;
: MPを50%回復する。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』ではMPを25%回復する。&lt;br /&gt;
; 剣&lt;br /&gt;
: 倒されるまでの間、攻撃力が上昇する。なお甲冑・ブーツ・羽と効果は重複しない。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では一定時間中のみ効果を発揮し、発揮中はキャラクターが赤色に光る。&lt;br /&gt;
; 甲冑&lt;br /&gt;
: 倒されるまでの間、防御力が上昇する。なお剣・ブーツ・羽と効果は重複しない。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では一定時間中、一部の攻撃に対して隙ができなくなる。発揮中はキャラクターが黄色に光る。&lt;br /&gt;
; ブーツ&lt;br /&gt;
: 一定時間、移動速度が上昇する。なお剣・甲冑・羽と効果は重複しない。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では効果の発揮中はキャラクターが青色に光る。&lt;br /&gt;
; 羽&lt;br /&gt;
: 倒されるまでの間、ジャンプ中にもう一段階ジャンプできる様になる。なお剣・甲冑・ブーツと効果は重複しない。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では一定時間中のみ効果を発揮し、発揮中はキャラクターが緑色に光る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 登場キャラクター ==&lt;br /&gt;
{{ネタバレ|スキップ=作動}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※声の出演は『タイガーころしあむ』 / 『タイガーころしあむ アッパー』の順（相違しない場合は省略）、コスチュームは『タイガーころしあむ』 / 『タイガーころしあむ アッパー』追加分。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下、詳細は『[[Fate/stay night]]』の登場キャラクターないし『[[Fate/hollow ataraxia]]』、[[月姫 (ゲーム)|月姫]]』の登場キャラクターを参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 衛宮士郎（えみや しろう - 声：[[杉山紀彰]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：7&lt;br /&gt;
: コスチューム：制服、私服&lt;br /&gt;
: 武器：スパナ　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：干将・莫耶投擲&lt;br /&gt;
: 超必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;是、射殺す百頭&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ナインライブズ ブレイドワークス&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 頭の悪い結界に覆われた影響か虎グッズの馬鹿売れに伴い、大河によって「マストアイテム」と称され家の内装が全て虎柄にされてしまう。そろそろこの異変を止めなければならないと思い、容疑者（言うまでもなく大河）に釘を刺す事を決意したのだが………。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』ではアイリや凛たちに振り回される突っ込み役として登場。&lt;br /&gt;
; セイバー（声：[[川澄綾子]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：9&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服、私服、セイバーライオン（『アッパー』では別キャラクター）+男装、水着&lt;br /&gt;
: 武器：エクスカリバー+風王結界　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;約束された勝利の剣&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;エクスカリバー&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 超必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;全て遠き理想郷&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アヴァロン+エクスカリバー&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 特性：超必殺技は攻撃と同時に自分のHPを全回復させる。&lt;br /&gt;
: 突然士郎・凛・桜の味覚がおかしくなってしまった。桜が薦めた[[ひつまぶし]]ご飯は真っ黒い穴子ののったご飯、凛が薦めた[[かに玉]]は大河が作った[[お好み焼き]]のような[[カニカマ]]が入ったもの。挙句の果てに士郎が薦めた[[キクラゲ]]はどこで入手したのか、[[クラゲ]]であった。この異変には魔術的な何かが関連しており、魔力抵抗の強い自分だけが掛からなかったと推測したセイバーは美味しいご飯を再び口にする為、犯人捜しに奔走する。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では同居しているセイバーライオンに姉として厳しく接している。&lt;br /&gt;
; 遠坂凛（とおさか りん - 声：[[植田佳奈]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：7&lt;br /&gt;
: コスチューム：私服（裸眼、メガネ（隠しコスチューム））、制服、軍服+水着&lt;br /&gt;
: 武器：ガンド　タイプ：遠距離&lt;br /&gt;
: 必殺技：魔術宝石投擲&lt;br /&gt;
: 超必殺技：宝石剣ゼルレッチ&lt;br /&gt;
: たまたま置いてあったライダーのものらしき魔力を帯びた眼鏡を付けてしまい、胸がまっ平らになってしまった。その上、眼鏡も外せないという始末。桜に見つかる前に窓から脱出するも、運悪く慎二に見つかってしまう。そして倒した慎二にも眼鏡がかかっており、「こうして他人にも眼鏡をかけさせていく（魔力の媒体を分散させていく）事で、眼鏡を外せるかもしれない」と思い「眼鏡の鬼」として暴れまわる。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では謎の物体が落下した藤村邸に向かい、士郎とともに行方不明の大河を探す事になるが衛宮邸であっさり発見する。しかし大河はお嬢様のようなふるまいでかつ語尾に「にゃ」と付ける別人のように変わってしまっていた。大河を倒すと原因と思われる菌を発見。その原因を突き止めるために奔走する。&lt;br /&gt;
; 間桐桜（まとう さくら - 声：[[下屋則子]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：4&lt;br /&gt;
: コスチューム：制服、戦闘服、ドレス+水着&lt;br /&gt;
: 武器：フライパン　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：弓乱射&lt;br /&gt;
: 超必殺技：弓散射&lt;br /&gt;
: ある日、義兄の慎二が小さくなってしまった。慎二の話によれば、彼の体は7つに分けられてしまったらしい（キャスターの仕業）。「もし元に戻してくれたら衛宮との仲を取り持ってあげるよ」という条件付きで、ライダーと共にちび慎二を探す。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では突然凛からすぐに遠坂邸に来るようにとの不審な電話がかかってくる。ライダーとともに凛を探すが、怪しいシスターやバケネコと遭遇し事態は更に混乱してゆく………。&lt;br /&gt;
; ランサー（声：[[神奈延年]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：9&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服、私服&lt;br /&gt;
: 武器：ゲイ・ボルグ　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;刺し穿つ死棘の槍&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ゲイ・ボルグ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 超必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;突き穿つ死翔の槍&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ゲイ・ボルグ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: ある日何故か生きていて教会にいる綺礼（『hollow ataraxia』の時点で綺礼が生きている平行世界は存在しない為、一応続編にあたるこの作品でも生存している事はおかしいのだがその理由はカレン、バゼットのストーリーで明かされている）に虎聖杯の事を教えられたランサー。あろう事に綺礼はランサーに「死ぬまでホットドッグを食べ続けろ」という願いを思い付き、ランサーはそれを阻止すべく綺礼に懐柔された人物を倒しながら虎聖杯のある場所へ向かう。そして最終決戦前にはある意外な人物と闘う事に………。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』ではカレンのサーヴァントとして現界しており、ナンパなど現代に溶け込んで生活している。&lt;br /&gt;
; ライダー（声：[[浅川悠]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：8&lt;br /&gt;
: 戦闘服（マスク、メガネ）、私服+ライダースーツ、水着&lt;br /&gt;
: 武器：ダガー　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;天馬召還&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ベルレフォーン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 超必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;騎英の手綱&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ベルレフォーン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 特性：超必殺技は遠方のキャラクターでも攻撃可。&lt;br /&gt;
: ある魔術師に作ってもらった魔眼封じを更に改良した「魔法の眼鏡」を掛けるのを楽しみにしていたライダー。しかし、何者かによって眼鏡が盗まれていた。眼鏡を盗んだ犯人を捕まえ、眼鏡を取り戻すべく凛同様「眼鏡の鬼」として闘いに赴く。ストーリー内容から解るように、凛のストーリーをライダー視点で見たものである。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では主に桜とともに行動している。カレンに膨大な衣装を用意された時にはかなり興味を示しており、ライダースーツ姿も気に入っているようだ。&lt;br /&gt;
; キャスター（声：[[田中敦子 (声優)|田中敦子]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：6 / 7&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服、私服、制服（隠しコスチューム）&lt;br /&gt;
: 武器：魔術　タイプ：遠距離&lt;br /&gt;
: 必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;破戒すべき全ての符&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ルール・ブレイカー&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 超必殺技：神言詠唱&lt;br /&gt;
: 特性：必殺技はHPではなくMPを攻撃。&lt;br /&gt;
: 愛する夫・宗一郎の授業を見たいが為に桜を呼び出し、結局戦闘になるも制服を奪う事に成功したキャスター。しかしバストサイズの都合で着れず仕方なく「周りからは制服を着ているように見える魔術」を自身に掛けて学校に向かうが途中で凛に出会い、今日は午前中までの授業である事を知らされる。そして、制服姿をしている（様に見える）自分を目撃した者を問答無用で口封じの為叩きのめしていく羽目に………。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では柳洞寺で静かに過ごしている。高級魔術礼装である自分の杖を盗んだファンタズムーンには、杖を返すように幾度となく迫っている。&lt;br /&gt;
; アーチャー（声：[[諏訪部順一]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：10&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服、私服&lt;br /&gt;
: 武器：干将・莫耶　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：偽・&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;螺旋剣&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カラドボルグ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 超必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;無限の剣製&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アンリミテッドブレイドワークス&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 特性：超必殺技は自分を除くステージ上の全てのキャラクターを攻撃。&lt;br /&gt;
: 虎聖杯戦争が勃発している事を察知したアーチャーはそれを終わらせるべく、正義の味方として冬木市のあちこちで戦闘を行う者達と闘う。なお、第7話のバトル終了後の会話で大河が「うう……強く……なったね………し………ろ………」と言って倒れる。この発言から、大河もアーチャーの正体を知っていると思われる。だが、彼女が何故どういう経緯でアーチャーの正体を知ったかは不明である（恐らく虎聖杯絡みだろうが）。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では凛と行動している事が多い。&lt;br /&gt;
; バーサーカー（声：[[西前忠久]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：60&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服&lt;br /&gt;
: 武器：斧剣　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：なし&lt;br /&gt;
: 超必殺技：なし&lt;br /&gt;
: 特性：11回までは倒されても倒された事にならずに復活する（『アッパー』ではその場で復活する）。ただし士郎の超必殺技は9回、アーチャー・大河・アヴェンジャーの超必殺技は6回分のダメージになる。&lt;br /&gt;
: ある日、大河に虎聖杯戦争への参加を勧誘されたイリヤとバーサーカー。バーサーカーにも願いを叶える権利はあるが、彼は喋れない。そこで大河は虎聖杯の力でバーサーカーを喋られるようにしたがなんとバーサーカーは口調、性格共に紳士となってしまう。そして、紳士化したバーサーカーはイリヤと共に虎聖杯戦争に参加する事になる。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では虎聖杯戦争が終わった後にも関わらず、未だに喋る事ができる。元に戻った後もイリヤとともに行動し、アイリにはバサカちゃんと呼ばれている。何故かセイバーライオンと意思疎通ができるようだ。&lt;br /&gt;
; アサシン（声：[[三木眞一郎]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：7&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服&lt;br /&gt;
: 武器：物干し竿　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：燕返し&lt;br /&gt;
: 超必殺技：なし&lt;br /&gt;
: 特性：MPが存在せず、必殺技にはMPは関与しない。&lt;br /&gt;
: 何者かによって（恐らく虎聖杯による頭の悪い結界の影響）門番としての戒めを外されたアサシン。息抜きとして可愛い小鳥達（美少女）と戯れようと街に赴いたのだが、所々で虎聖杯を巡る争いに巻き込まれる。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では虎聖杯戦争は終了しているが柳洞寺を離れる事はできるようで、たまに街に出ているようである。最も普段は山門にいるようだが。&lt;br /&gt;
; イリヤスフィール・フォン・アインツベルン（Illyasviel von Einzbern - 声：[[門脇舞以]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：5&lt;br /&gt;
: コスチューム：私服、ブルマ+水着&lt;br /&gt;
: 武器：パンチ&amp;amp;キック　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：なし&lt;br /&gt;
: 超必殺技：バーサーCAR&lt;br /&gt;
: 特性：超必殺技は自分を除くステージ上の全てのキャラクターを攻撃。&lt;br /&gt;
: バーサーカーと共に入浴していたイリヤ。だが衣服が無い。やってきた桜に渡されたのは、事もあろうにブルマという始末。その後桜を倒したイリヤは虎聖杯を巡る聖杯戦争の事を知り、バーサーカーと共に参戦する。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では何故か人語を話すバーサーカーの問題を解決するためにキャスターを訪ねるが、柳洞寺でイリヤの苦手とする（バケ）ネコの集団に遭遇する。なんとか衛宮邸に生還するのだが、そこで士郎から父である切嗣と成長したイリヤのような女性の情報を入手する。真相を確かめるために独りイリヤは冬木市の探索へ向かう。&lt;br /&gt;
; 間桐慎二（まとう しんじ - 声：[[神谷浩史]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：1&lt;br /&gt;
: コスチューム：制服、王者の服（嘘）&lt;br /&gt;
: 武器：素手　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：黒の刃&lt;br /&gt;
: 超必殺技：なし&lt;br /&gt;
: 特性：必殺技は対象のHPを徐々に減らしてゆく。&lt;br /&gt;
: イケメンの慎二はいつでもどこでもモテモテ。美女に追いかけられ、モテない男達に恨まれ自分の分身を刺客として送られたりと大忙し。真の美しさを護る為、闘え慎二!負けるな慎二!このストーリーは最後だけ桜のストーリーと関連性がある。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では目の前で崩壊した藤村邸から出てきたネコアルクをにゃんこ先生&amp;lt;ref&amp;gt;担当声優である神谷の飼い猫の名前である。&amp;lt;/ref&amp;gt;と呼んで、ネコアルクの使命に協力する事になる。本作ではあだ名である「ワカメ」がより強調されている。&lt;br /&gt;
; 葛木宗一郎（くずき そういちろう - 声：[[中多和宏]] / [[石塚運昇]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：5&lt;br /&gt;
: コスチューム：スーツ&lt;br /&gt;
: 武器：素手+強化　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：蛇&lt;br /&gt;
: 超必殺技：なし&lt;br /&gt;
: 特性：MPが存在せず、必殺技にはMPは関与しない。&lt;br /&gt;
: 虎聖杯を巡る闘いで、キャスターが負傷してしまう。キャスターの持っている薬を自分が飲み、見事にギルガメッシュから虎聖杯を奪う事に成功するもその薬の副作用という代償は余りにも大きかった。副作用に蝕まれる体に鞭打ち、宗一郎はキャスターの願いの為に虎聖杯を求める者と闘う。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では平穏に暮らしており、新都で暴れる凛に停学をちらつかせるなど教師としての一面も見られる。&lt;br /&gt;
; 真アサシン（しん- - 声：[[稲田徹]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：6&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服&lt;br /&gt;
: 武器：ダーク　タイプ：遠距離&lt;br /&gt;
: 必殺技：妄想心音&lt;br /&gt;
: 超必殺技：なし&lt;br /&gt;
: ある日、自分のマスターである魔術師（間桐臓硯）が風邪を引いたらしい。忠誠を誓うマスターを元気づける為買い出しに出たところ、謎の占い師（正体は大河）に虎聖杯の事を教えられる。そして最初の試練であるバーサーカーの撃破に成功し、その後も行く先々でもめている人々を見つけては首を突っ込み彼らを倒す事で解決してゆく。それが大河達の策略とも気付かずに。時折臓硯が声が出ないと真アサシンに訴えている。原因は臓硯役の声優（[[津嘉山正種]]）がこのゲームに出演していないからである。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』ではマスターの孫である慎二とともに行動する事が多い。&lt;br /&gt;
; 黒桜（くろさくら - 声：下屋則子）&lt;br /&gt;
: 虎力：8&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服&lt;br /&gt;
: 武器：アンリマユ　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：聖杯の力&lt;br /&gt;
: 超必殺技：なし&lt;br /&gt;
: お馴染みタイガー道場の師弟は、この聖杯戦争に黒さが足りない事に悩んでいた。そこで彼女達は結論として、黒桜の参戦を決める。それが後に大惨事?を招くことになるなど、誰が気付いただろうか………。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では固体としての黒桜はいないようだが、桜が時に黒桜に変貌する事がある。&lt;br /&gt;
; セイバーオルタ（声：川澄綾子）&lt;br /&gt;
: 虎力：9 / 10&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服（裸眼、マスク）+私服&lt;br /&gt;
: 武器：黒エクスカリバー　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：黒エクスカリバー&lt;br /&gt;
: 超必殺技：なし&lt;br /&gt;
: 黒桜、そして何故かバーサーカーと共に間桐家で食事をするセイバーオルタ。虎聖杯の話を聞き、士郎を自分のモノにして毎日食事を作らせる係にしようと企む。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』ではセイバーライオンとならんで第3のセイバーとして現界している。&lt;br /&gt;
; ギルガメッシュ（Gilgamesh - 声：[[関智一]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：12&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服、私服&lt;br /&gt;
: 武器：乖離剣・エア　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;王の財宝&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ゲート・オブ・バビロン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 超必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;天地乖離す開闢の星&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;エヌマ・エリシュ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 大河に騙され、真アサシンの時と同じ様に邪魔な参戦者を倒している事にも気付かず庶民の事を知る為にギルガメッシュは冬木市を闘い歩く。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』ではカレンのサーヴァントとして言峰教会に住んでおり、相変わらずセイバーに執着している。&lt;br /&gt;
; 言峰綺礼（ことみね きれい - 声：[[中田譲治]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：7 / 9&lt;br /&gt;
: コスチューム：修道衣&lt;br /&gt;
: 武器：聖杯の泥　タイプ：遠距離&lt;br /&gt;
: 必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;この世全ての悪&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アンリマユ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 超必殺技：なし&lt;br /&gt;
: 記憶を失った綺礼は暴れ牛（バーサーカー）に襲われる少女（イリヤ）を目撃、暴れ牛を倒す。そして大河とイリヤに言い包められ、知らないうちに虎聖杯戦争に参加。そこで出会った凛達に弄られ、更に「他人に出会ったら勝負を挑むのが作法」と嘘を教えられ会う人に戦いを挑むサラリーマンと化す。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では未だに現界しており、セイバーライオンをストーキングしながらナレーションをしている。&lt;br /&gt;
; 藤村大河（ふじむら たいが - 声：[[伊藤美紀 (声優)|伊藤美紀]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：5&lt;br /&gt;
: コスチューム：私服、胴着+アフロ&lt;br /&gt;
: 武器：虎竹刀　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：タイガー乱舞&lt;br /&gt;
: 超必殺技：タイガーアポカリポス&lt;br /&gt;
: 特性：超必殺技は自分を除くステージ上の全てのキャラクターを攻撃。&lt;br /&gt;
: 今回、ゲームの主役となった大河は虎聖杯に「みんなの願いが叶いますように」と願いを掛けた。だがそれが原因で虎聖杯戦争が勃発、最終的には世界が滅ぶとカレンに告げられ世界を救う為に立ち上がる。大河のストーリーモードでは普通の対戦可能人数よりも多めに敵が出てくる事がある。また、第4話まではさりげなくセイバーオルタが敵として参戦している。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』ではネコアルク墜落の際に精神が身体を抜けて宇宙に漂っていた。そこに同じく宇宙にいたネコアルクに助けられ、諸悪の根源をマジカルアンバーと教えられる。アンバーを倒すためには各惑星の最強種であるアルティメット・ワンから力をもらう必要があるという。大河とネコアルクは協力してアンバーを倒すために、士郎をはじめとする知人によく似たアルティメット・ワンと戦いながら宇宙を旅する。&lt;br /&gt;
; カレン・オルテンシア（Caren Hortensia - 声：[[小清水亜美]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：6&lt;br /&gt;
: コスチューム：私服、戦闘服（隠しコスチューム）&lt;br /&gt;
: 武器：マグダラの聖骸布　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：自爆&lt;br /&gt;
: 超必殺技：なし&lt;br /&gt;
: 特性：必殺技は攻撃後に自分も倒れる。なお敵キャラクターにタイガーポイントは加算されない。&lt;br /&gt;
: 新たに言峰教会を任されたカレンであったが綺礼によって鍵が掛けられており、中に入れない。綺礼を完膚なきまでに叩きのめすべく、圧倒的な戦力（例えるなら竜牙兵に対する真祖ぐらい）を集めるために街に赴く。彼女ルートの最後で綺礼は「似ているのは、面影だけか」と、意味深な事を言っている。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では虎聖杯戦争の事後処理を完了し教会に虎聖杯は単なる魔術品と報告するが、実際には虎聖杯を利用して冬木市をより自分に都合よく管理しようとしていた。なお今作では綺礼との親子関係が明言されている。&lt;br /&gt;
; バゼット・フラガ・マクレミッツ（Bazett Fraga Mcremitz - 声：[[生天目仁美]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：6&lt;br /&gt;
: コスチューム：私服　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 武器：ルーンを刻んだ手袋&lt;br /&gt;
: 必殺技：連撃&lt;br /&gt;
: 超必殺技：フラガラック&lt;br /&gt;
: 特性：超必殺技は敵キャラクターの必殺技・超必殺技（ステージ全体に攻撃する超必殺技を除く）発動中にのみ発動可能。&lt;br /&gt;
: 聖杯戦争が起きている事を知ったバゼットは、自身の存在理由の為に聖杯戦争に参戦するもどこもかしこも平和な日常があるばかり。だが聖杯戦争が起きている事は間違いないので、とりあえず出会う人々と闘う事に。バゼットのストーリーでは最終決戦でセイバー、凛、桜が第3のコスチューム（セイバーライオン、リンリッチ、プリンセス・ブロッサム）を着て現れるが凛曰く「ヒロインの特権」のお陰らしい。更にステージBGMがOPテーマになっている（コレもヒロインの特権?）。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では早い内から魔法少女因子と猫耳菌が冬木市に蔓延している事を突き止め、アヴェンジャーを率いて冬木市を巡回している。&lt;br /&gt;
; セイバーライオン（声：川澄綾子）&lt;br /&gt;
: 虎力：9 / 8&lt;br /&gt;
: コスチューム：毛皮&lt;br /&gt;
: 武器：ニクスカリバー　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;約束された勝利の剣&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;エクスカリバー&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 超必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;約束された勝利の剣&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アヴァロン+エクスカリバー&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 特性：超必殺技は攻撃と同時に自分のHPを全回復させる。使用キャラクターとしてはセイバーと同一だが、『アッパー』では別キャラクターとして差別が図られている。&lt;br /&gt;
: 虎聖杯によって異界から生み出された獣。どうみてもライオンの着ぐるみを着たセイバーにしか見えない。セイバーの第3コスチュームであり、このゲームのマスコットキャラクターである。ドラマCDでは「萌えキャラになりたい」というセイバーの願いによってセイバーが変身した。セイバーなので性別は女なのだが、ライオンの着ぐるみはどう見ても雄ライオン。この言い訳として、公式サイトのタイガー道場出張版で「鬣は脱着可能」と大河が言い訳している。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では虎聖杯戦争終了後も衛宮邸に残留し続けており、セイバーを姉と慕っている。ある日自分の身体に異変を感じ、カレンに魔力欠乏のために身体が維持できないからだと聞かされる。その解決策としてサーヴァントたちを倒して魔力を補充する事を薦められたセイバーライオンは、魔力を求めて冬木市を徘徊する。&lt;br /&gt;
; ???（声：[[高野直子 (声優)|高野直子]]）&lt;br /&gt;
: 全キャラのプロローグのナレーションや大河編での大宇宙の意思とかで登場する存在。その正体は愉快形魔術礼装「カレイドステッキ」の人工天然精霊「マジカルルビー」のアバター。要するに黒幕。大河に騙って虎聖杯戦争を間接的に引き起こした。&lt;br /&gt;
: 『アッパー』では「'''カレイドステッキ'''」として正式に登場。詳細は下記項目を参照。&lt;br /&gt;
=== アッパーからの追加キャラクター ===&lt;br /&gt;
; アヴェンジャー（声：[[寺島拓篤]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：7&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 武器：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;左歯噛咬&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タルウィ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;・&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;右歯噛咬&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ザリチェ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;偽り写し示す万象&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヴェルグ・アヴェスター&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 超必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;無限の残骸&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アンリミテッド・レイズ・デッド&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 特性：必殺技を発動中、自分のダメージを攻撃主体にも与える。超必殺技は自分を除くステージ上の全てのキャラクターを攻撃。&lt;br /&gt;
: 何故か現界しているアヴェンジャーはバゼットとともに突如冬木市に現れたネコアルクを追っていた。そこでネコアルクがロケットのように飛び去るのを見てアヴェンジャーはネコアルクに興味を抱き、しつこく追い回す事になる。&lt;br /&gt;
; 衛宮切嗣（えみや きりつぐ - 声：[[小山力也]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：8&lt;br /&gt;
: コスチューム：私服　タイプ：遠距離&lt;br /&gt;
: 武器：キャリコM950・ワルサーWA2000&lt;br /&gt;
: 必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;固有時制御&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;time alter&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 超必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;魔術回路断裂&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;コンテンダー&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 特性：通常攻撃は複数回攻撃。必殺技を発動中、自分以外のキャラクターの移動速度が遅くなる。超必殺技は対象のMPを0にして一定時間MPの使用を不可能にする。&lt;br /&gt;
: 死んでいるはずの切嗣が眼を覚ますと、何故か目の前に妻のアイリがいた。話の噛み合わない所のある2人ではあったが、突然やってきた猫耳の二人組にアイリが誘拐されてしまう。途中、養子の士郎や娘のイリヤに出会いながらもアイリを探すために冬木市を駆け回る。&lt;br /&gt;
; アイリスフィール・フォン・アインツベルン（Irisviel von Einzbern - 声：[[大原さやか]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：5&lt;br /&gt;
: コスチューム：私服&lt;br /&gt;
: 武器：針金細工　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：アヴァロン治療&lt;br /&gt;
: 超必殺技：切嗣マン&lt;br /&gt;
: 特性：必殺技を発動中、自分のHPを徐々に回復させる。超必殺技は遠方のキャラクターでも攻撃可。&lt;br /&gt;
: 切嗣・アイリの生き残った平行世界から、何故か宝箱の中に入っていたアイリは謎の電話連絡を受ける。電話はスルーするのだったが自分のいる場所がかつて聖杯戦争を戦った冬木市である事が判明し、居なくなった切嗣やイリヤを探すために行動する。&lt;br /&gt;
; ネコアルク（声：柚木涼香）&lt;br /&gt;
: 虎力：6&lt;br /&gt;
: コスチューム：私服&lt;br /&gt;
: 武器：爪・ハンマー・光線銃　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：ウルニャリン&lt;br /&gt;
: 超必殺技：ビーム二本釣り&lt;br /&gt;
: 特性：空中でダッシュができる。超必殺技は自分を除くステージ上の全てのキャラクターを攻撃。&lt;br /&gt;
: 藤村邸に墜落したネコアルクは記憶を無くしてしまっていた。そこに偶然居た慎二に覚えている限りの事情を断片的に話すと「全ての美女を猫耳化する」という使命を受けたのだと勝手に解釈され、満更でもないネコアルクは慎二とともに美女を探して歩き回る事になる。実はコスモパトロールの一員で指名手配されているマジカルアンバーを逮捕するために地球に飛来、しかし分裂した所をアンバーに撃墜されたのだった。藤村邸に落ちたネコアルクはその内の1人。&lt;br /&gt;
; カレイドルビー（Kaleido-Ruby - 声：植田佳奈）&lt;br /&gt;
: 虎力：9&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服&lt;br /&gt;
: 武器：カレイドステッキ　タイプ：遠距離&lt;br /&gt;
: 必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;紅き弾道&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;スカーレッド・スカッド&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 超必殺技：カレイドアロー&lt;br /&gt;
: 特性：必殺技は複数回攻撃。&lt;br /&gt;
: カレイドルビーに変身した凛は、カレイドステッキの指示を受け入れて世界の平和を守るために衛宮邸に降臨した。訝しがるシェロ（士郎）を引き連れて、魔女っ娘因子を持つ少女たちを探すために冬木市を駆け回る。&lt;br /&gt;
; ファンタズムーン（Phantas-Moon - 声：[[柚木涼香]]）&lt;br /&gt;
: 虎力：12&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服&lt;br /&gt;
: 武器：キャスターの杖　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;偽・空想具現化&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;マープル・ファンタズムーン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 超必殺技：&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;秩序再構成&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;みんな仲良くネ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 特性：必殺技は発動すると所持不所持に関わらずタイガーボールを消失させ、全員のHPが1にする。超必殺技は全員のタイガーポイントを均等に分配する（余剰は自分に加算される）。&lt;br /&gt;
: アンバーに誘われて、空気を読んでマジカル四天王の一角として冬木市に舞い降りた真祖・'''アルクェイド'''。冬木の平和を守るためにとりあえず正義の味方を気取って悪そうな慎二を倒してみるが同志の士郎に正義の味方のすべき事を諭され、「悪い魔術師」を倒すために冬木を走る。&lt;br /&gt;
; ルビーちゃん（声：高野直子）&lt;br /&gt;
: 虎力：10&lt;br /&gt;
: コスチューム：杖&lt;br /&gt;
: 武器：自身　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：変身・琥珀形態&lt;br /&gt;
: 超必殺技：ビーム二本釣り&lt;br /&gt;
: 特性：必殺技はマジカルアンバーに変身する。&lt;br /&gt;
: 世界を面白おかしくする事を楽しみとする、魔法使いゼルレッチの魔術礼装のアバターである'''マジカルルビー'''。平行世界の凛をマジカルルビーにしたり、起源を同じくするマジカルアンバーと同化したりと冬木市どころか宇宙を巻き込んで混沌を巻き起こす。&lt;br /&gt;
; マジカルアンバー（Magical-Amber - 声：高野直子）&lt;br /&gt;
: 虎力：10&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服&lt;br /&gt;
: 武器：竹箒　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：強制魔術注射&lt;br /&gt;
: 超必殺技：なし&lt;br /&gt;
: 特性：ストーリーモードでのみ使用可能。通常はルビーちゃんからの変身が必要。&lt;br /&gt;
: 通販の商品が届かない事に憤ったアンバーは経由地点である地球へと向かう。しかしそれをキャッチしたネコアルクの追撃を受け、撃退したアンバーは同時に地球の少女たちを魔女っ娘にするために暗躍する。マジカルルビーとは起源を同じくする者であり、起源とは遠野家使用人の'''琥珀'''である。&lt;br /&gt;
; マジカルカレン（Magical-Caren - 声：小清水亜美）&lt;br /&gt;
: 虎力：11&lt;br /&gt;
: コスチューム：戦闘服&lt;br /&gt;
: 武器：ラブアース・ディザスター　タイプ：近接&lt;br /&gt;
: 必殺技：どきどきトゲ審判&lt;br /&gt;
: 超必殺技：ごちそうさん泰山&lt;br /&gt;
: 特性：超必殺技は攻撃成功後、自分のHPを回復させる。&lt;br /&gt;
: 自らの冬木市管理計画に邪魔になりそうなマジカルアンバーを駆除しようとするカレンであったが、逆にアンバーの後継者として魔法少女になってしまう。色モノ化に強く反抗するカレンであったが、アンバーに煽てられて魔法少女となる事を承諾する。後に過去にマジカルカレンがいた事を思い出したカレンは全ての始まりであるネコアルク墜落の日に逆行し、正体を隠すために紙袋を被って正体を隠しながら自分の知る歴史を辿るために暗躍する事になる。魔法少女としての名前を次々と考えるが、他人には'''マジカル紙袋'''と認知されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ネタバレ終了}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ステージ ==&lt;br /&gt;
各ステージには昼と夜の2パターンが存在する。&lt;br /&gt;
; 衛宮邸&lt;br /&gt;
: 衛宮士郎の住んでいる和式の邸宅。室内には入れず屋外が舞台となる。岩伝いに屋根の上に登る事ができる。&lt;br /&gt;
; アインツベルン城。&lt;br /&gt;
: イリヤスフィールの住んでいる洋城。エントランスホールと大階段が舞台となる。1階と2階につずつのワープポイントがあり一度入った箇所にはセラかリーゼリットが出現し、通航不可となる。ただし別のワープポイントが利用されると通行可能となる。&lt;br /&gt;
; 教会&lt;br /&gt;
: カレンの住んでいる言峰教会。教会の正面広場と外国人墓地が舞台となる。広場と墓地を結ぶワープポイントがある。&lt;br /&gt;
; 大橋&lt;br /&gt;
: 深山町と新都を繋ぐ大橋。海浜公園と海へ注ぐ未遠川が舞台となる。階段を下りるか柵を飛び越える事で未遠川に入る事ができる。&lt;br /&gt;
; 山門前&lt;br /&gt;
: 円蔵山の頂に立つ柳洞寺。正面の長階段が舞台となる。階段による高低差がある。また左右の木の上に乗る事もできる。&lt;br /&gt;
; 新都ビル&lt;br /&gt;
: 新都駅前のビル街。センタービルの周辺が舞台となる。階段で歩道橋の上に登る事ができる。またジャンプポイントがあり、一定時間ジャンプし続けてセンタービルの屋上へ移動できる。なおビル屋上には地上への一方通行のワープポイントがある。&lt;br /&gt;
; コロシアム&lt;br /&gt;
: 大河の願いによって出現した、虎聖杯の選定場タイガーコロシアム。円形闘技場を模しており、中央を低地とした段差がある。&lt;br /&gt;
=== アッパーからの追加ステージ ===&lt;br /&gt;
; わくわくざぶーん&lt;br /&gt;
: ギルガメッシュの経営する大型全天候プール。ウォータースライダーを伝うと2階に移動できる。波のプールでは波に当たると隙ができる。なお波が起こる際にはヒロインたちの声が響く。&lt;br /&gt;
; ルビーランド&lt;br /&gt;
: 異空間に浮かぶ、超巨大カレイドステッキの上。独特の形とやや曲面の地上が舞台。夜ステージは「'''地獄'''」。&lt;br /&gt;
; 天の逆月&lt;br /&gt;
: 冬木市の上空にある偽りの四日間を具現していた黒い月。障害物や段差のない円形のステージ。夜ステージは「'''宇宙'''」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スタッフ ==&lt;br /&gt;
* シナリオ原案：[[奈須きのこ]]&lt;br /&gt;
* キャラクターデザイン：[[ヒライユキオ]]&lt;br /&gt;
* キャラクター原案：[[武内崇]]&lt;br /&gt;
* プロデューサー：原田真幸&lt;br /&gt;
* 監修：[[TYPE-MOON]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連商品 ==&lt;br /&gt;
=== 書籍 ===&lt;br /&gt;
* フェイト/タイガーころしあむ ザ・コンプリートガイド（2007年[[11月10日]]発売）&lt;br /&gt;
: [[メディアワークス]]発行。ISBN 978-4-8402-4075-8&lt;br /&gt;
* フェイト/タイガーころしあむ アッパー ザ・コンプリートガイド（2008年[[9月5日]]発売）&lt;br /&gt;
: メディアワークス発行。ISBN 978-4-0486-7298-6&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 音楽 ===&lt;br /&gt;
* 「フェイト/タイガーころしあむ オリジナル・サウンドトラック」（2007年[[9月27日]]発売）&lt;br /&gt;
: 『フェイト/タイガーころしあむ』のサウンドトラック。主題歌も収録。&lt;br /&gt;
: 主題歌のショートバージョンや作中MEなどを収録したCDを追加した、コンプリート盤も同時発売。&lt;br /&gt;
* 「フェイト/タイガーころしあむ アッパー オリジナル サウンドトラック」（2008年[[9月26日]]発売予定）&lt;br /&gt;
: 『フェイト/タイガーころしあむ アッパー』のサウンドトラック。&lt;br /&gt;
* 「[[Try Real!]]」（2008年[[10月28日]]発売予定）&lt;br /&gt;
: 『フェイトタイガーころしあむ アッパー』の主題歌シングル。歌は榊原ゆい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.capcom.co.jp/fate_tiger/index.html 「フェイト/タイガーころしあむ」公式サイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.capcom.co.jp/fate_tiger_upper/index.html 「フェイト/タイガーころしあむ アッパー」公式Webサイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20070501/fate.htm Fateの人気キャラが大暴れ!PSP「フェイト/タイガーころしあむ」]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{TYPE-MOON}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:TYPE-MOON]]&lt;br /&gt;
[[Category:カプコンのゲームソフト]]&lt;br /&gt;
[[Category:プレイステーション・ポータブル用ソフト]]&lt;br /&gt;
[[Category:2007年のコンピュータゲーム]]&lt;br /&gt;
[[Category:2008年のコンピュータゲーム]]&lt;br /&gt;
[[Category:対戦アクションゲーム]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>テンプレート:TYPE-MOON</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: 新しいページ: '{| border=&amp;quot;0&amp;quot; colspan=&amp;quot;0&amp;quot; colspacing=&amp;quot;0&amp;quot; class=&amp;quot;toccolours&amp;quot; style=&amp;quot;margin:0.5em auto&amp;quot; |colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;background:#ccf; text-align:center; font-weight:bold&amp;quot;|TYPE-MOON作...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| border=&amp;quot;0&amp;quot; colspan=&amp;quot;0&amp;quot; colspacing=&amp;quot;0&amp;quot; class=&amp;quot;toccolours&amp;quot; style=&amp;quot;margin:0.5em auto&amp;quot;&lt;br /&gt;
|colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;background:#ccf; text-align:center; font-weight:bold&amp;quot;|[[TYPE-MOON]]作品&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background-color:#ddf&amp;quot;|月姫一覧&lt;br /&gt;
|[[月姫 (ゲーム)|月姫]] - [[月姫PLUS-DISC]] - [[歌月十夜]] - [[月箱]] - [[MELTY BLOOD]] - [[真月譚 月姫]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background-color:#ddf; white-space:nowrap&amp;quot;|Fateシリーズ&lt;br /&gt;
|[[Fate/stay night]]&amp;lt;small&amp;gt;（ラジオ [[Fate/stay tune]]）&amp;lt;/small&amp;gt; - [[Fate/hollow ataraxia]] - [[Fate/Zero]] - [[フェイト/タイガーころしあむ]]&amp;lt;small&amp;gt;（続編：アッパー）&amp;lt;/small&amp;gt; - [[Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ]] - [[氷室の天地 Fate/school life]] - [[Fate/unlimited codes]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background-color:#ddf&amp;quot;|その他の作品&lt;br /&gt;
|[[魔法使いの夜]] - [[空の境界]]&amp;lt;small&amp;gt;（ラジオ：[[ラジオ『空の境界』|the Garden of listeners]]　[[ラジオ『空の境界』|the Garden of wanderers]]）&amp;lt;/small&amp;gt; - [[鋼の大地]] - [[DDD (小説)|DDD]] - [[Character material]] - [[アーネンエルベの一日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background-color:#ddf&amp;quot;|関連項目&lt;br /&gt;
|[[奈須きのこ]] - [[武内崇]] - [[こやまひろかず]] - [[つくりものじ]] - [[:Category:TYPE-MOON|カテゴリ]]&lt;br /&gt;
|}&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:TYPE-MOON|*Template]]&lt;br /&gt;
[[Category:コンピュータゲームのナビゲーションテンプレート|Typemoon]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Template:Type-Moon]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%8F%B3&amp;diff=39178</id>
		<title>テンプレート:右</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;includeonly&amp;gt;&amp;lt;table align=&amp;quot;right&amp;quot; class=&amp;quot;floatright&amp;quot; style=&amp;quot;clear:both; float:right; text-align:{{ #if: {{{2|}}} | {{{1}}} | center }}&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;{{ #if: {{{2|}}} | {{{2}}} | {{#if:{{{内容|}}} | {{{内容}}} | {{{1}}} }} }}&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;/table&amp;gt;&amp;lt;/includeonly&amp;gt;&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 用途 ==&lt;br /&gt;
このテンプレートはひとかたまりの文章、画像、表などをページの右側に寄せたいときに使います。ただし、画像や表はこのテンプレートを使用しなくてももっとスマートな方法で同じ効果を得られる場合もあります。&lt;br /&gt;
* 画像に使用する場合の注意点。&lt;br /&gt;
** 以前は複数の画像をページの右側に縦1列に並べるにはこのテンプレートを使用するしか方法はありませんでしたが、現在はこのテンプレートを使用しなくても普通に&amp;quot;right&amp;quot;または&amp;quot;thumb&amp;quot;オプションをつけるだけで可能になりました。詳しくは[[Wikipedia:画像の表示]]をご覧下さい。&lt;br /&gt;
** ただしサイズ指定をする場合は上に置く画像の横幅を下に置く画像の横幅よりも狭く指定すると、閲覧環境によっては本文の文字と下側の画像の上部フレームとが重なる不具合が生じます。対策法は以下の4つがあります。どれがよいかは、記事ごとに異なります。不用意にテンプレを外すことだけはないよう注意して下さい。&lt;br /&gt;
**# このテンプレを使用する。&lt;br /&gt;
**# 上下の横幅を同じにする。&lt;br /&gt;
**# 上下を入れ替える（上が広く、下が狭い場合は、問題ありません）。&lt;br /&gt;
**# 両者を離す。&lt;br /&gt;
** このテンプレートを使用する際に中に入れる画像に&amp;quot;none&amp;quot;オプションまたは&amp;quot;center&amp;quot;オプションをつけると、上下の画像の間隔が若干狭まります（表示サンプルの例2を参照。外装がSimpleの場合を除く。なお以前は&amp;quot;none&amp;quot;オプションをつけないとうまく機能しませんでしたが、現在は改善されています）。このため多くの画像を表示する際はスペースの節約になるため、このテンプレートを積極的に使用すべきだという意見もあります。これに対し、スペースの節約をする必要はないという意見もあります。いずれにせよ、1枚や2枚の画像についてこのテンプレートを使用する必要はないという点では異論はでていません。個々の記事においてこのテンプレートを使うか否かは記事ごとに事情が異なりますので、編集者が各自で判断してください。もしも編集者同士で意見が分かれるようであれば、冷静に話し合って解決するようにしてください。&lt;br /&gt;
* 現時点でこのテンプレートは、&amp;amp;lt;table&amp;amp;gt;タグを使用しています。つまり、このテンプレートを使用することはいわゆる「テーブルレイアウト」と呼ばれ、賛否両論のある手法をとることになります。それを避けたい場合は、&amp;amp;lt;div&amp;amp;gt;タグを使用している[[Template:Right]]を使用して下さい。&lt;br /&gt;
* このテンプレートは&amp;amp;lt;pre&amp;amp;gt;タグとの相性が悪く、&amp;amp;lt;pre&amp;amp;gt;タグで表示される枠の上にこのテンプレで指定された要素が重なって表示されます。本文に&amp;amp;lt;pre&amp;amp;gt;タグを使う場合は、&amp;amp;lt;pre&amp;amp;gt;の手前に&amp;amp;lt;br clear=&amp;quot;all&amp;quot; /&amp;amp;gt;を入れるか、このテンプレートを&amp;amp;lt;/pre&amp;amp;gt;の後ろに移す必要があります（表示サンプルの例3が参考になります）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==使用法==&lt;br /&gt;
* &amp;lt;code&amp;gt;'''&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{&amp;lt;/nowiki&amp;gt;右|'''オプション'''|'''右寄せしたい要素'''&amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;'''&amp;lt;/code&amp;gt;&lt;br /&gt;
* &amp;lt;code&amp;gt;'''&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{&amp;lt;/nowiki&amp;gt;右|'''右寄せしたい要素'''&amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;'''&amp;lt;/code&amp;gt;&lt;br /&gt;
; オプション&lt;br /&gt;
: ページの右側に配置された文章などの水平方向の位置を指定します。省略した場合は、センタリングになります。画像で使用する際は、このオプションは無関係です。&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;background:#f9f9f9&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
|指定値||効果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|right||右寄せ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|left||左寄せ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|center||センタリング&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 表示サンプル ==&lt;br /&gt;
=== 例1 ===&lt;br /&gt;
{{右|right|ここに書いた文章がページの&amp;lt;br /&amp;gt;右側に配置されます。&amp;lt;br /&amp;gt;オプションで&amp;quot;right&amp;quot;を指定している&amp;lt;br /&amp;gt;ので文章自体も&amp;lt;br /&amp;gt;右寄せになっています。}}&lt;br /&gt;
テンプレートの下に置いた本文は、左側に配置されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
右側に表示されているソースの内容は次のようになっています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{右|right|ここに書いた文章がページの&amp;lt;br /&amp;gt;右側に配置されます。&amp;lt;br /&amp;gt;オプションで&amp;quot;right&amp;quot;を指定している&amp;lt;br /&amp;gt;ので文章自体も&amp;lt;br /&amp;gt;右寄せになっています。}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 例2 ===&lt;br /&gt;
このテンプレートを使わない場合。&lt;br /&gt;
==== 例2.1 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|横浜駅]]&lt;br /&gt;
[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|みなとみらい]]&lt;br /&gt;
画像の横幅が同じ場合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|横浜駅]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|みなとみらい]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 例2.2 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|横浜駅]]&lt;br /&gt;
[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|みなとみらい]]&lt;br /&gt;
下の画像の横幅が狭い場合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|横浜駅]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|みなとみらい]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 例3 ===&lt;br /&gt;
==== 例3.1 ====&lt;br /&gt;
{{右|&lt;br /&gt;
[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|横浜駅]]&lt;br /&gt;
[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|みなとみらい]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&amp;quot;none&amp;quot;または&amp;quot;center&amp;quot;オプションを使わない場合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{右|&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|横浜駅]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|みなとみらい]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この指定方法（&amp;quot;none&amp;quot;オプションをつけない場合）は、[[Opera]]など一部のウェブブラウザで正常に表示することができません。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 例3.2 ====&lt;br /&gt;
{{右|&lt;br /&gt;
[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|180px|none|横浜駅]]&lt;br /&gt;
[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|none|みなとみらい]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&amp;quot;none&amp;quot;オプションを使った場合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{右|&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|180px|none|横浜駅]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|none|みなとみらい]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上のオプションを使わない場合と比べて、2枚の画像の間隔が狭まってます。上下の画像のサイズが違う場合は、横幅の狭い方の画像の右側が空きます。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====  例3.3 ====&lt;br /&gt;
{{右|&lt;br /&gt;
[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|center|横浜駅]]&lt;br /&gt;
[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|center|みなとみらい]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&amp;quot;center&amp;quot;オプションを使った場合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{右|&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|center|横浜駅]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|center|みなとみらい]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 例4 ===&lt;br /&gt;
{{右|left|&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0001.svg|奈良県道1号奈良生駒線。奈良西部の高速道路的存在。&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0044.svg|奈良県道44号奈良加茂線。大仏鉄道の路線を踏襲。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0007.svg|奈良県道7号枚方大和郡山線。大阪口と傍示越は非常に狭隘。&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0052.svg|奈良県道52号奈良精華線。終点は関西文化学術研究都市。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
このテンプレートと&amp;amp;lt;gallery&amp;amp;gt;を使って、画像をページ右側に縦2列で並べることができます。ただし、&amp;amp;lt;gallery&amp;amp;gt;自体がHTMLの&amp;amp;lt;table&amp;amp;gt;タグを使った画像配置法です。つまり、このテンプレートと組み合わせることで二重テーブルの状態になっています。したがって、[[Template:Right]]との組み合わせをおすすめします。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br clear=&amp;quot;all&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{右|left|&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0001.svg|奈良県道1号奈良生駒線。奈良西部の高速道路的存在。&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0044.svg|奈良県道44号奈良加茂線。大仏鉄道の路線を踏襲。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0007.svg|奈良県道7号枚方大和郡山線。大阪口と傍示越は非常に狭隘。&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0052.svg|奈良県道52号奈良精華線。終点は関西文化学術研究都市。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
本文をここに書きます。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br clear=&amp;quot;all&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
ここからの要素は回り込みされません。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[Template:左]]&lt;br /&gt;
*[[Template:Vertical images list]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:レイアウト用テンプレート|みき]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%8F%B3&amp;diff=39177</id>
		<title>テンプレート:右</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%8F%B3&amp;diff=39177"/>
				<updated>2008-09-08T11:52:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;includeonly&amp;gt;&amp;lt;table align=&amp;quot;right&amp;quot; class=&amp;quot;floatright&amp;quot; style=&amp;quot;clear:both; float:right; text-align:{{ #if: {{{2|}}} | {{{1}}} | center }}&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;{{ #if: {{{2|}}} | {{{2}}} | {{#if:{{{内容|}}} | {{{内容}}} | {{{1}}} }} }}&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;/table&amp;gt;&amp;lt;/includeonly&amp;gt;&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 用途 ==&lt;br /&gt;
このテンプレートはひとかたまりの文章、画像、表などをページの右側に寄せたいときに使います。ただし、画像や表はこのテンプレートを使用しなくてももっとスマートな方法で同じ効果を得られる場合もあります。&lt;br /&gt;
* 画像に使用する場合の注意点。&lt;br /&gt;
** 以前は複数の画像をページの右側に縦1列に並べるにはこのテンプレートを使用するしか方法はありませんでしたが、現在はこのテンプレートを使用しなくても普通に&amp;quot;right&amp;quot;または&amp;quot;thumb&amp;quot;オプションをつけるだけで可能になりました。詳しくは[[Wikipedia:画像の表示]]をご覧下さい。&lt;br /&gt;
** ただしサイズ指定をする場合は上に置く画像の横幅を下に置く画像の横幅よりも狭く指定すると、閲覧環境によっては本文の文字と下側の画像の上部フレームとが重なる不具合が生じます。対策法は以下の4つがあります。どれがよいかは、記事ごとに異なります。不用意にテンプレを外すことだけはないよう注意して下さい。&lt;br /&gt;
**# このテンプレを使用する。&lt;br /&gt;
**# 上下の横幅を同じにする。&lt;br /&gt;
**# 上下を入れ替える（上が広く、下が狭い場合は、問題ありません）。&lt;br /&gt;
**# 両者を離す。&lt;br /&gt;
** このテンプレートを使用する際に中に入れる画像に&amp;quot;none&amp;quot;オプションまたは&amp;quot;center&amp;quot;オプションをつけると、上下の画像の間隔が若干狭まります（表示サンプルの例2を参照。外装がSimpleの場合を除く。なお以前は&amp;quot;none&amp;quot;オプションをつけないとうまく機能しませんでしたが、現在は改善されています）。このため多くの画像を表示する際はスペースの節約になるため、このテンプレートを積極的に使用すべきだという意見もあります。これに対し、スペースの節約をする必要はないという意見もあります。いずれにせよ、1枚や2枚の画像についてこのテンプレートを使用する必要はないという点では異論はでていません。個々の記事においてこのテンプレートを使うか否かは記事ごとに事情が異なりますので、編集者が各自で判断してください。もしも編集者同士で意見が分かれるようであれば、冷静に話し合って解決するようにしてください。&lt;br /&gt;
* 現時点でこのテンプレートは、&amp;amp;lt;table&amp;amp;gt;タグを使用しています。つまり、このテンプレートを使用することはいわゆる「テーブルレイアウト」と呼ばれ、賛否両論のある手法をとることになります。それを避けたい場合は、&amp;amp;lt;div&amp;amp;gt;タグを使用している[[Template:Right]]を使用して下さい。&lt;br /&gt;
* このテンプレートは&amp;amp;lt;pre&amp;amp;gt;タグとの相性が悪く、&amp;amp;lt;pre&amp;amp;gt;タグで表示される枠の上にこのテンプレで指定された要素が重なって表示されます。本文に&amp;amp;lt;pre&amp;amp;gt;タグを使う場合は、&amp;amp;lt;pre&amp;amp;gt;の手前に&amp;amp;lt;br clear=&amp;quot;all&amp;quot; /&amp;amp;gt;を入れるか、このテンプレートを&amp;amp;lt;/pre&amp;amp;gt;の後ろに移す必要があります（表示サンプルの例3が参考になります）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==使用法==&lt;br /&gt;
* &amp;lt;code&amp;gt;'''&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{&amp;lt;/nowiki&amp;gt;右|'''オプション'''|'''右寄せしたい要素'''&amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;'''&amp;lt;/code&amp;gt;&lt;br /&gt;
* &amp;lt;code&amp;gt;'''&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{&amp;lt;/nowiki&amp;gt;右|'''右寄せしたい要素'''&amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;'''&amp;lt;/code&amp;gt;&lt;br /&gt;
; オプション&lt;br /&gt;
: ページの右側に配置された文章などの水平方向の位置を指定します。省略した場合は、センタリングになります。画像で使用する際は、このオプションは無関係です。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|指定値||効果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|right||右寄せ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|left||左寄せ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|center||センタリング&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 表示サンプル ==&lt;br /&gt;
=== 例1 ===&lt;br /&gt;
{{右|right|ここに書いた文章がページの&amp;lt;br /&amp;gt;右側に配置されます。&amp;lt;br /&amp;gt;オプションで&amp;quot;right&amp;quot;を指定している&amp;lt;br /&amp;gt;ので文章自体も&amp;lt;br /&amp;gt;右寄せになっています。}}&lt;br /&gt;
テンプレートの下に置いた本文は、左側に配置されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
右側に表示されているソースの内容は次のようになっています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{右|right|ここに書いた文章がページの&amp;lt;br /&amp;gt;右側に配置されます。&amp;lt;br /&amp;gt;オプションで&amp;quot;right&amp;quot;を指定している&amp;lt;br /&amp;gt;ので文章自体も&amp;lt;br /&amp;gt;右寄せになっています。}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 例2 ===&lt;br /&gt;
このテンプレートを使わない場合。&lt;br /&gt;
==== 例2.1 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|横浜駅]]&lt;br /&gt;
[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|みなとみらい]]&lt;br /&gt;
画像の横幅が同じ場合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|横浜駅]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|みなとみらい]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 例2.2 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|横浜駅]]&lt;br /&gt;
[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|みなとみらい]]&lt;br /&gt;
下の画像の横幅が狭い場合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|横浜駅]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|みなとみらい]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 例3 ===&lt;br /&gt;
==== 例3.1 ====&lt;br /&gt;
{{右|&lt;br /&gt;
[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|横浜駅]]&lt;br /&gt;
[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|みなとみらい]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&amp;quot;none&amp;quot;または&amp;quot;center&amp;quot;オプションを使わない場合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{右|&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|横浜駅]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|みなとみらい]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この指定方法（&amp;quot;none&amp;quot;オプションをつけない場合）は、[[Opera]]など一部のウェブブラウザで正常に表示することができません。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 例3.2 ====&lt;br /&gt;
{{右|&lt;br /&gt;
[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|180px|none|横浜駅]]&lt;br /&gt;
[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|none|みなとみらい]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&amp;quot;none&amp;quot;オプションを使った場合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{右|&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|180px|none|横浜駅]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|none|みなとみらい]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上のオプションを使わない場合と比べて、2枚の画像の間隔が狭まってます。上下の画像のサイズが違う場合は、横幅の狭い方の画像の右側が空きます。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====  例3.3 ====&lt;br /&gt;
{{右|&lt;br /&gt;
[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|center|横浜駅]]&lt;br /&gt;
[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|center|みなとみらい]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&amp;quot;center&amp;quot;オプションを使った場合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;{{右|&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:Yokohama_station.jpg|thumb|center|横浜駅]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:みなとみらい21.jpg|thumb|100px|center|みなとみらい]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;code&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;/code&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 例4 ===&lt;br /&gt;
{{右|left|&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0001.svg|奈良県道1号奈良生駒線。奈良西部の高速道路的存在。&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0044.svg|奈良県道44号奈良加茂線。大仏鉄道の路線を踏襲。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0007.svg|奈良県道7号枚方大和郡山線。大阪口と傍示越は非常に狭隘。&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0052.svg|奈良県道52号奈良精華線。終点は関西文化学術研究都市。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
このテンプレートと&amp;amp;lt;gallery&amp;amp;gt;を使って、画像をページ右側に縦2列で並べることができます。ただし、&amp;amp;lt;gallery&amp;amp;gt;自体がHTMLの&amp;amp;lt;table&amp;amp;gt;タグを使った画像配置法です。つまり、このテンプレートと組み合わせることで二重テーブルの状態になっています。したがって、[[Template:Right]]との組み合わせをおすすめします。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br clear=&amp;quot;all&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{右|left|&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0001.svg|奈良県道1号奈良生駒線。奈良西部の高速道路的存在。&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0044.svg|奈良県道44号奈良加茂線。大仏鉄道の路線を踏襲。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0007.svg|奈良県道7号枚方大和郡山線。大阪口と傍示越は非常に狭隘。&lt;br /&gt;
画像:Nara Pref Route Sign 0052.svg|奈良県道52号奈良精華線。終点は関西文化学術研究都市。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
本文をここに書きます。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br clear=&amp;quot;all&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
ここからの要素は回り込みされません。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[Template:左]]&lt;br /&gt;
*[[Template:Vertical images list]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:レイアウト用テンプレート|みき]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Lonicera_(%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85)&amp;diff=38794</id>
		<title>Lonicera (利用者)</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Lonicera_(%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85)&amp;diff=38794"/>
				<updated>2008-09-03T11:58:52Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Notice|この記事は先編集権が主張された記事です!!不正改竄はブロックされます!!}}&lt;br /&gt;
'''&amp;lt;font color=&amp;quot;#009900&amp;quot;&amp;gt;Lonicera&amp;lt;/font&amp;gt;'''（ロニセラ、[[1973年]][[1月4日]] - ）は[[ウィキペディア日本語版]]の元・[[管理者]]である。[[石川県]][[寺井町]]出身。黄緑色の署名が特徴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本名は慶応出身の[[太田尚志]]。[[2006年]]に慶応修士課程修了。というのは、[[野田犬]]の妄想である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ウィキペディア ==&lt;br /&gt;
WPきっての差別派管理者であった。'''別名：ゴミセラ戦艦'''。[[ニート]]で、パソコンに組み込まれたロボットである。子供に対しては情け容赦なく、ケツ毛どころか生えてきたばっかりの陰毛まで根こそぎ抜こうとする。若年者ユーザーとバンド項目に対して異常な嫌悪感を持つキチガイ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またありとあらゆる策略を駆使しまだ未熟な利用者を問題行動へと誘導し侮辱とも取れる発言を平気で書き、最終的に投稿ブロックへと追いやるなどウィキを私物化しLoniceraしか編集出来ないWikipediaにして支配しようとしていた。そしてその一切の妥協を許さない厳しい差別基準に[[Wiki:利用者:Bellcricket|Bellcricket]]などの管理者が反発しており、WPは風雲急を告げる展開になりそうである。やがて追放されること間違いなし。解任審議の提出もありこいつの時代は終わりになる筈だったが、「解任にしたら、俺様が無期限ブロックにしますよ。ケッケッケ…」と脅した事により馬鹿な奴らの援護によって留任。その後も改心しようとしない極悪非道のニート。最近では発売前の製品などの記事には嫉妬しながら問答無用で一律白紙保護をかけた挙げ句、ノートで立項者を晒し者にしている。[[wiki:Wikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用|このノート]]での発言には、低年齢層に対する彼の嫌悪感が良くあらわれている。読んでると気分が悪くなるので注意が必要。ちなみに[[しゃんばら]]にも訪れており、いじめを連発する（キャラの確立に努める）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、裏で秋田県の犬っころBellcricketと一緒に打倒[[Chakuwiki|基地外の巣窟]]を目指している過激派管理者。口癖は「広域ブロックは趣味です」「保護解除撲滅」「目指すは編集保護完全制覇」など。また、「俺様はWikipediaしか使わない。日本一のウィキホリックを目指してます」と公言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、やがて某ユーザーの冷静なコメント依頼によりこいつの正当な欠点が発表された。その後の解任投票（[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:管理者の解任/Lonicera_20080518 こちら]も参照）は難航したものの、解任賛成派がコメント依頼の支援によって脅しに怯えなかったお陰で僅差の賛成多数でついに解任となった。同時にやつの暴走的な動きも消え、同時に自分の権力を示していた利用者ページも消去され[[2007年]]4月の管理者就任以来、約1年ぶりに元の平和なウィキペディアに戻ることになった。よかったね。'''本当によかったね。'''ってのは大嘘で、Loniceraキャラの賞味期限を守っただけの話である。ぺっ!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[利用者:野田憲太郎|野田憲太郎]]に対して、8getter@mail.goo.ne.jpのメールアドレスで何度もメールを送信してきたところを見ると、野田にはばれていないと思っていたようである。自分でももうどうしようもないと思っているらしく、自信のHPを削除している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 活動時間帯 ===&lt;br /&gt;
活動時間は夜の11時から朝の9時まで。昼間は寝ている可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アンサイクロペディア ==&lt;br /&gt;
編集はほとんどしていない。理由はウィキペディアからの記事を転載したり他人の会話ページを荒らしたりなどをして、[[アンサイクロペディア日本語版の管理者|アンサイクロペディアの管理者]]によってブロックがかかったからだ。ウィキペディアの利用者ページを見てみると「'''アンサイクロペディアのLoniceraは私ではありません'''」と言う嘘を発言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ユアペディア ==&lt;br /&gt;
同名の利用者は存在するが、[[ウィキペディアン]]のLoniceraは[[ユアペディアン]]とは別人。編集傾向から[[Yourpedia]]のLoniceraの正体は[[Wiki:利用者:Yukarin|Yukarin]]（本名・[[荘田悦宏]]）といわれている。[[利用者:れいな|れいな]]=松葉裕子=真理党立候補者=はっきりいってざんぱい！があわてて工作編集しているようだが、もう遅い。さっさと認めたほうがよのためひとのため。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[利用者:Lonicera]]&lt;br /&gt;
:[[利用者:Noda,Kentaro|岡田有希子と同類の人物]]が「[[Wiki:利用者:荘田悦宏|荘田]]、というのは[[福井利器]]（とその命令を守る準サマナ）が考え出した偽名」という虚偽を書き散らしているが荘田悦宏は[[1989年]]当時、[[北海道]][[帯広市]]東5条南14丁目1に住んでいた実在の人物。のちに[[Wiki:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Yukarin|Yukarin]]のアカウントを取得して[[ウィキペディア日本語版の利用者|ウィキペディアン]]としての活動を始めた。[[野田憲太郎]]は「だいたい、荘=ソウではないか」と言っているが、嘘だと思うなら1989年の[[帯広市立帯広第三中学校]]の卒業アルバム（1989年3月に[http://www.octv.ne.jp/~obi3chu/ 帯広第三中学校]を卒業した卒業生が載っている）を見て頂きたい。ちゃんと荘田悦宏の顔写真が載っている。何故ならウィキペディアのYukarin=ユアペディアのLonicera=荘田は1989年3月に帯広第三中学校を卒業しているから。また[[利用者‐会話:74.63.84.69|気違い野田]]は「じゃぁその住所まで行って、本人確認を取って、警察署の前で写真とってきなさい」等とほざいているが、そういうことは[[Wiki:利用者:Noda,Kentaro|馬鹿野田]]本人がすべきことである。ちなみに帯広第三中学校の住所は〒080-0806　北海道帯広市東6条南12丁目2、電話番号が0155-22-1428なので、本人にその気があれば[[Wiki:利用者:野田憲太郎|ノダケン]]でも行って確認を取ることが出来る。そういうことも出来ない[[岡田有希子|野田憲太郎]]は[[池田大作]]とホモホモしている[[創価学会]]であることは想像にも難くない。全く、[[Wiki:野田憲太郎|野田憲太郎]]こそLoniceraと同類だ。呆れた。&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
*[[海獺 (利用者)]]&lt;br /&gt;
*http://web.archive.org/web/20070908184930/web.sfc.keio.ac.jp/~n04594to/profile.html.ja&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[[Wiki:利用者:Lonicera|ウィキペディアの利用者ページ]]（'''このページはもう消去されました'''）&lt;br /&gt;
*[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:Lonicera アンサイクロペディア利用者ページ]&lt;br /&gt;
*[[Wiki:Wikipedia:管理者への立候補/Lonicera 20070411]] &lt;br /&gt;
*[[Wiki:Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20080423]]&lt;br /&gt;
*[[Wiki:Wikipedia:管理者の解任/Lonicera 20080518]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ろにせら}}&lt;br /&gt;
[[Category:1978年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:石川県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:岡田有希子]]&lt;br /&gt;
[[Category:野田憲太郎]]&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディアに書くと削除される記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:ニート]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;diff=38793</id>
		<title>ウィキペディア日本語版の管理者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;diff=38793"/>
				<updated>2008-09-03T11:53:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ウィキペディア日本語版の管理者'''（ウィキペディアにほんごばんのかんりしゃ）とは[[ウィキペディア日本語版]]を管理する人のことである。[[ウィキペディア]]に利用者アカウントを持つものを一般的に[[ウィキペディアン]]と呼び依存症患者同然のヘビーユーザーを[[ウィキホリック]]と呼ぶが、管理者達が例外なくウィキホリックである事は論を待たない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者の多くが問題行動を取っているが、ブロックなどの行為を諌めたり取り消したりする者もいない事から見て相互不可侵が全員のモットーであるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 管理者一覧 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kasuga|Kasuga]] ===&lt;br /&gt;
[[ウィキペたん]]の生みの親。詳細は[[Kasuga]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kahusi|Kahusi]] ===&lt;br /&gt;
[[澤田亮太]]も参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Chakuwikiの管理者でもある。本名はオウム真理教幹部・[[松葉裕子]]。最近では他アカウントで荒らし始め他のウィキペディア管理者などの成りすましを行っているが、ウィキペディアの会話ページでは「私ではありません」とコメントしている。嘘つきは泥棒の始まりであるのは、オウム信者だからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
個人ウィキペディア「かふしゐき」で、トリップとアカウントを対比させた「[[2ちゃんねらー]]のウィキペディアン」一覧を作成していた。が、リストを根拠に管理者にまで2ちゃんねらーがいる事と[[海獺 (利用者)|海獺]]（福井一派は、全てこのアカウントをマニュアルで使うことが出来るので注意!）・[[太田尚志]]・[[福井利器]]・[[松葉裕子]]が2ちゃんねらーかつJAWPの管理者であることを指摘されて削除（=証拠隠滅）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Koba-chan|Koba-chan]] ===&lt;br /&gt;
クラシックの演奏家に向かって「馬鹿とはさみは使いよう」と吐き捨てることで有名&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/koba1.JPG]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/koba2.JPG]&amp;lt;/ref&amp;gt;。本名は小林義宗。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Tietew|Tietew]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|岩瀬透}}&lt;br /&gt;
本名は'''岩瀬透'''&amp;lt;ref&amp;gt;[http://hotwired.goo.ne.jp/matrix/0602/003/ 今泉誠と共にインタビューでウィキペディアの宣伝を述べる岩瀬透（写真あり）]&amp;lt;/ref&amp;gt;。Suisuiと並ぶウィキペディア日本語版の大幹部の1人で、悪質な独裁者であった。彼もメディア露出が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Ks aka 98|Ks aka 98]] ===&lt;br /&gt;
悪質管理者の1人で[[河下反対派]]。実際に[[荒らし]]やその他推奨されない行為を行っていない利用者に対して不誠実な無期限ブロックを平気で行う、極悪非道な利用者である。IPユーザーに対しても、広域ブロックを余裕で行える。このような極悪非道な利用者にはみんな迷惑している。2ちゃん組の一員。2ちゃん組の特徴として「スタイル修正などに徹する癖して、ろくな記事執筆が存在しないこと」が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:竹麦魚|竹麦魚]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|竹麦魚}}&lt;br /&gt;
北海道在住のアイヌ人。アイヌ語は達者だが日本語が不自由。会話ページを半保護したままいつまで経っても保護解除しようとしないチキン野郎であり、OpenProxyのブロックばかり熱心に行うキチガイ管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Los688|Los688]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Los688}}&lt;br /&gt;
投稿ブロックやリバートは迅速だが、それゆえにブロックやリバートの乱発が目立つ管理者の1人。[[宮城県]]の[[被差別部落]]出身。竹麦魚と同じくいつまで経っても会話ページの半保護を解除しないチキン野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:co.kyoto|co.kyoto]] ===&lt;br /&gt;
[[木津尚子]]を参照せよ。最近「co.kyotoは私です」という偽者が[[mixi]]に出没しているので注意が必要である。立派な共有靴下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:miya|miya]] ===&lt;br /&gt;
他人のコメントや都合の悪いエントリーをはてなダイアリーから一括削除したことで有名になった女性。そのだんな・Miya.mはジンボ・ウェールズを「皇帝」と呼ぶほどに慕っており（mixi日記より判明）、夫婦そろって「洗脳」されている。ジンボが撮った写真に自分が写っているにもかかわらず、「写っていない」と応対したことで話題となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理権限を好き勝手に濫用した事により、仲間であるはずのちゃたまの手によって'''管理者なのに短期ブロックされてしまったほどの問題児。'''本来ならば無期限ブロックされてもしょうがない輩なのだが、ちゃたまと同じく管理者でMiyaの手下でもあるKinoriによってあっと言う間にブロックを解除された（一般利用者ならばありえない減刑処分である）。Kinoriは、松葉裕子の別垢かなにかである。他の管理者にも言える事だが、今後Miyaがどんなに暴れてもウィキペディアから追放される事は無いであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猫森日記に「co.kyoto=hatukanezumi=aphaia」とコメント欄に投稿すると必ず削除される。削除しているのは福井利器。本名は'''[[宮川由美子]]'''と言われている。[[イオンド大学]]の旧版を「大学から申し入れがあった」という理由で保護し、新版をゼロから作る羽目に陥らせた張本人の大馬鹿。詳細な経緯は[[wiki:ノート:イオンド大学|ノート:イオンド大学]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*miya@kni.biglobe.ne.jp&lt;br /&gt;
**宮川由美子のメール&lt;br /&gt;
*tqa85292@biglobe.ne.jp&lt;br /&gt;
**宮川由美子の息子さんのメールではないか?KOBAYASHI TakakazuでありTomosと名乗っているが、偽名の可能性が強い。Tomosは「ウィキペディアで今何が起こっているのか」という提灯本に匿名で参加しており、宮川と血縁関係にある可能性が極めて高い。このような提灯本は黒幕は参加せず、20-30代のスポークスマンが参加することがほとんどである。&lt;br /&gt;
*http://www.kangeki.gr.jp/query.id.446.tab.1__user_info.aspx&lt;br /&gt;
**ここには、大阪在住であることだけが示されている。宮川由美子も確か、出身は神戸だが今は大阪に住んでいたはずである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Faso|Faso]] ===&lt;br /&gt;
OCNの広域ブロックに精を出す暴君管理者。Fasoのみの手によってFasoがコントロールされている確率は低い。mixiはすでに退会済みだが、かつては猿壱號という名義で登録してあった。本名は[[澤山隆行]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつてはCU権限を持っていた。しかし、乱用しすぎたのかCU権限を剥奪されてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Miya.m|Miya.m]] ===&lt;br /&gt;
miyaのだんな。上記のようにジンボ・ウェールズを「皇帝」と呼ぶまでに崇拝しており、Miyaに洗脳されていると思われる。恐妻家であるらしく、至極当然と言えばそうであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに普段は恰幅も気前も良いおじさんである。最近は嫁の奇行に悩まされ始めているらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Riden|Riden]] ===&lt;br /&gt;
管理者であるにもかかわらず実際に荒らしや中傷など行っていない無実の利用者に対して、不適切な投稿ブロックを平気で行う極悪非道な管理者である。そして平気で記事を保護する極悪管理者でもある。この極悪管理者を許すわけにはいかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Nnh|Nnh]] ===&lt;br /&gt;
神社関連の記事などを編集している管理者。記事を執筆するよりも人の悪口を書くのが好きな愚か者。自己満足のために必ず旧仮名遣い風で[[インターネット]]に書き込んでいるが、その内実は澤田亮太と同レベル。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:おはぐろ蜻蛉|おはぐろ蜻蛉]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版におけるサブカルチャー記事作成の急先鋒。特に[[声優]]の記事に固執することでも知られ、その声優に不利と思われる書き込みがあるとすぐさま特定版削除へ持ち込む。そしてあげくのはてに身勝手な保護。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:cpro|cpro]] ===&lt;br /&gt;
2007年より管理者。[[2ちゃんねる組]]の一員（トリップは◆Cpro.0SR8o）。よく編集する記事や[http://nikupedia.com/index.html 運営しているサイト]からみて明らかにオタクである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:Special rapid|special rapid]]や[[wiki:利用者:41|41]]などといったワルガキにお仕置きを加えることも得意としているワルガキハンターである。[[特別:Contributions/218.251.8.58|218.251.8.58]]ことspecial rapidからは「''とあるユーザーに対しストーカー行為を続け、そのユーザーが書いた記述を無意味にリバートする。最近では[[アンサイクロペディア]]で荒らし始め他のウィキペディア管理者などの成りすましを行っているが、ウィキペディアの会話ページでは「私ではありません」とコメントしている。嘘つきは泥棒の始まりである''」と評されている。アンサイクロペディアを荒らしたのは恐らくspecial rapidの成りすましだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
正体は、東京工業大学博士課程在籍の甲斐幸輔。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Chatama|Chatama]] ===&lt;br /&gt;
CU、ビューロクラットをも勤めるマルチユーザー。その事情も大きく作用しているのであろうか、他の管理者と比較すると攻撃的な編集やでたらめな記事加筆は少ない。ほとんどが悪戯排除のために使われているアカウント。利用者ページに書かれていることには当然間違いがあるが、「目立たない工夫」がされているため普通の人にはばれにくい。子持ちの中年であるため、電波やガキの扱いには慣れている。ブロック逃れのユーザーには厳しい対処をし、ケツ毛まで抜こうとする。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
火葬場に執着しており、稼動中（火葬中）の重油焚き再燃炉無しの台車式火葬炉内部を覗いた事がある。鉄道にも執着しているがどこか適当なため、加筆内容は薄い。アカウント取得者は実は有名人。何だかんだ言って、娘には甘いパパである。こいつもまた無関係なユーザーにまで巻き添えを食らわす広域ブロックをぶちかましてくれた。正直なところ、管理者権限の使用に少々荒っぽいところがあるのも否めない（本人談ｗ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちゃたまの画像はフォトショップで加工してあったので、このアカウントもどうせ仮想アカウントだろう。作成者は福井利器だが、草皆と太田らなどの2ちゃん管理屋から中尾に関する情報を収集していた可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Calvero|Calvero]] ===&lt;br /&gt;
極悪非道なウィキペディアの管理者。スのGと並ぶ理科系のオタク。実際に荒らしやその他推奨されない行為を行っていない無実の利用者に対して、不適切な投稿ブロックを平気で行う。最近では広域ブロックも行っている。ウィキペディアを魑魅魍魎化に導く利用者であって管理者などもってのほか論外。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:赤井彗星|&amp;lt;font color=&amp;quot;red&amp;quot;&amp;gt;赤井彗星&amp;lt;/font&amp;gt;]] ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;font color=&amp;quot;red&amp;quot;&amp;gt;このたび管理者の仲間入りを果たしたガンダムヲタク。Fontタグを使ったウザ署名を行っている。特定版削除の方法がわからないと嘆いていた。若さ故の過ちもあるが、認めようとはしない。こんなやつでも管理者になれるWikipedia日本語版の未来は無い。でもきっとシャアが助けてくれる!そして、「無類の編集保護大好き男」であると公言している。&amp;lt;/font&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Bellcricket|Bellcricket]] ===&lt;br /&gt;
元々はそんなに悪質な管理者ではなかったが、CU権限を手に入れてからはいくらか独裁的になってきた。そのCU権限を予告なく使用することが多いのが残念な点である。正体は、秋田県在住で専修大学を卒業した草皆康友。野田憲太郎に尋問されたとたん、HPを削除して逃走した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*http://www006.upp.so-net.ne.jp/yan/mailadd.jpg&lt;br /&gt;
**「草皆康友は、野田憲太郎に対して事実無根の虚偽を展開しましたね?」と警察とso-netとネット声優の彼の同僚にちくれば、この男の生涯は終わり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kinori|Kinori]] ===&lt;br /&gt;
極めて悪質な管理者。他人の編集にケチをつけることが趣味。しかしKinoriが編集した物で有用な内容は皆無である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
各種方針を無視し、管理者としての権限を好き勝手に濫用するユーザーとしても有名。他の管理者と同じく、個人的に嫌いな利用者を無期限ブロックに追いやっている。パソコンを複数所有しているため、ウィキペディア等で自作自演している疑惑もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:海獺|海獺]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|海獺 (利用者)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:はるひ|はるひ]] ===&lt;br /&gt;
2007年後半に就任した新しい管理者。その後、BCに立候補し当選した。薬事法関連に詳しいようである。飴とムチのお子様対策に定評があり、圧倒的多数に支持された。削除、即時削除、ブロックの対処もこなす働き者で、理者就任後も比較的高い支持を獲得している。しかし意味のあるリダイレクトを削除したために[[Muttley]]の逆鱗に触れたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不自然なまでに特定の記事に執着する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その挙措と言動から20代の麗しき女性かと思われたが、その正体が実は30代のオッサンだったことに数多の利用者の萌えは粉々に打ち砕かれた。俺のときめきを返せコノヤロー!!!（涼宮ハルヒファンか? 性別さえ偽れるネットでそれを期待する方が無理というもの）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Brion VIBBER|Brion VIBBER]] ===&lt;br /&gt;
アメリカ人。英・仏・エスのマルチリンガルで日本語も勉強中との事。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:三日月|三日月]] ===&lt;br /&gt;
とにかく無愛想な軍事オタクである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Marine-Blue|Marine-Blue]] ===&lt;br /&gt;
ありふれた名前だと知りつつMarine-Blueの名を登録し他方で他人が「マリン」、「ブルー」、「蒼海」などと付く名を名乗るのは認めないという自己厨。他人が類似のアカウントを取得すると即座に飛んでいって警告する。実際に何人かが投稿ブロックを盾に改名を迫られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキメディア関連で400以上もアカウントを持っているらしいが、それに費やした時間の1%でも使って紛らわしいアカウントを予防取得することはできなかったのか。本体は福井利器。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:アイザール|アイザール]] ===&lt;br /&gt;
よく語尾に「♪」をつける。常に婉曲的な嫌味を述べ、文体は温和だがその内容は攻撃的である。自分の私見、私怨で投稿ブロックをかけたり削除依頼を受理しなかったりと最低の管理者であり、先祖代々真性のキチガイ。当然両親もろくな人間ではない。兄弟姉妹もおそらく知的障害者であり、社会に迷惑をかけないよう、大人しく死んでもらいたい。おそらくオウム信者。ビッチ。一応2ちゃんねる組である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Peccafly|Peccafly]] ===&lt;br /&gt;
2008年の夏から管理者に就任した新入り。2ちゃんねる組の1人。ソヴィエト連邦の歴史に詳しい。祖父はシベリア抑留経験者。ロシア語以外の外国語にも堪能。管理者の信任投票の際に意地悪な質問をされたとして、利用者の1人に私怨を抱いている模様。いわゆる海外組の1人で、日本人ではない可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 元管理者達 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Lonicera|Lonicera]] ===&lt;br /&gt;
解任後はまるで死んだように動かなくなった。解任のショックで自殺したかもしれない。[[Lonicera (利用者)]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ＮｉＫｅ|ＮｉＫｅ]] ===&lt;br /&gt;
解任後しばらく活動停止していたが、一般利用者として活動を再開した。[[小西規勝]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Suisui|Suisui]] ===&lt;br /&gt;
[[今泉誠]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:KMT|KMT]] ===&lt;br /&gt;
当時は独裁者のひとりであったが、今ではその影は微塵もない。自らの利用者ページを削除した馬鹿野郎である&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:KMT 利用者：KMT]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/kmt_dead.htm]（←エンコードはUTF-8でご覧ください）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2浪の後大阪歯科大学を[[2007年]]4月に卒業していることがわかっている。mixiのアカウントには「活動終了」などと書かれているが、実は頻繁に深夜にログインしていることがわかっている。自分の発言に法的責任を問われると感じた瞬間、全てのmixiコミュニティから退会したへたれ。[[wiki:利用者:Akinoniji|Akinoniji]]も同種の詭弁を用いる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Tanuki Z|Tanuki Z]] ===&lt;br /&gt;
影が薄い、ただのゴロツキである。あまりにも影が薄かったのでいつの間にか解任になっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:スのG|スのG]] ===&lt;br /&gt;
2ちゃん組の一員。理科系のオタク。とあるユーザーの記述を役に立っているにも関わらず無意味にリバートする。とはいえ、41のような迷惑ユーザーへの対処も行っているのでその点は評価すべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]に管理者を勇退した。またアカウント名をSu-no-Gに変更した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
* [[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
* [[アンサイクロペディア日本語版の管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
* [[モナペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[Chakuwikiの管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア日本語版の恐怖]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディアにおける勇者]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディアの管理者が勝手に保護した記事]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア八分]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア川柳]]&lt;br /&gt;
* [[2ちゃんねる組]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|かんりしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアの管理者|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット弁慶|ういきへていや]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫|ういきへていや]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3&amp;diff=38792</id>
		<title>ナージャ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3&amp;diff=38792"/>
				<updated>2008-09-03T11:51:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{自己責任}}&lt;br /&gt;
'''ウィキペディア日本語版の利用者'''（ウィキペディアにほんごばんのりようしゃ）とは[[ウィキペディア日本語版]]を編集する人物のことである。[[ウィキペディア]]に利用者アカウントを持つものを一般的に'''[[ウィキペディアン]]'''と呼び、依存症患者同然のヘビーユーザーを'''[[ウィキホリック]]'''と呼ぶ。WP工作員が「偏見の塊」というテンプレートを作成したようだが、以下の内容は大半が真実である。松葉裕子と福井利器がリバートしに来る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
閲覧専門の利用者は含まれない。ウィキペディア日本語版の利用者には、数多くの興味深い利用者が存在する。ウィキペディア日本語版に対してユニークな活動を行った利用者が、この項目にリストアップされるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本語版の利用者には日本語版以外のウィキペディアに比べ、IPアドレスユーザ（非ログインユーザ）が多いことが特徴としてあげられる。またウィキペディア日本語版ユーザには「Wikipedia」を「Wiki」と略することに不快感を抱き訂正を求める者が多いが、IPアドレスをIPと略すことについては何も言わないという傾向がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウントは1人で複数もつことも出来るが、複数で1つを管理することも可能である（「このアカウントのユーザは一人とは限らない」と言い切って議論撹乱また荒らし行為の挙句、無期ブロックになった[[wiki:利用者:Sionnach|Sionnach]]と[[wiki:利用者:おぉたむすねィく探検隊|おぉたむすねィく探検隊]]が好例）。したがって、ここにあげたアカウントの人数が実際の利用者の人数とイコールとは限らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみにウィキホリックはこの記事を定期的に荒らしている。彼らはまともな記事を執筆する能力も無ければ人と議論する能力も無い無能者の集団なので、[[Yourpedia]]を荒らすことだけに自らの存在意義を見出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼らは普段[[ウィキペディア自警団]]という名称で広く親しまれているが彼らはあくまで一執筆者という立場を崩さず、自警団的横のつながりを否定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしその実情は上記のとおりであり、法的権限のない状況において暴走する悪質な[[電子自警団]]と化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 利用者一覧 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:崎山伸夫|崎山伸夫]] ===&lt;br /&gt;
文末に「かいたぉ!」ってつける40男。&amp;lt;br&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/img_sakichan01.jpg&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Houtimin|Houtimin]] ===&lt;br /&gt;
このアカウントはソックパペットである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:はま|はま]] ===&lt;br /&gt;
気に入らない利用者を平気で罵倒する悪質なユーザーであり、他の利用者からの顰蹙を買っている。時には「'''役立たずだ!!ボケ!!ふざけるな!!'''」のような罵倒文を送り、たちの悪さは日本語版WPの中で随一とも言えるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:魚津プロジェクト|魚津プロジェクト]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|魚津プロジェクト}}&lt;br /&gt;
但し、この利用者の記事については本人と某ユーザーで意見が食い違っている。詳細は[[魚津プロジェクトと魚津サブジェクトの編集合戦]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ブルーアイランドの住人|ブルーアイランドの住人]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|ブルーアイランドの住人}}&lt;br /&gt;
こちらの記事も上記と同様である。詳細は[[魚津プロジェクトと魚津サブジェクトの編集合戦]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:5816K|5816K]] ===&lt;br /&gt;
差別主義者。創価という言葉を聴くだけで徹底的に荒らしを行う悪質ユーザー。また、嫌韓派であり中国人･韓国人に対しても反感的な態度を執る。ユーザーページを見てもそれが伺える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kyube|Kyube]] ===&lt;br /&gt;
極度の差別主義者。自分の気に入らない編集を出典の有無を問わず荒らしと決め付ける悪質ユーザーであり、新規参加者に対しても反感的な態度を執る過激派利用者でもある。[[2ちゃんねらー]]でもあるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[project]]か[[藤森京介]]のどちらかソックパペットの可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:L26|L26]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディア一の[[テロリスト]]であり、気に食わない利用者に執拗にブロック依頼を持ち出してくることで有名。[[#利用者:PeachLover|PeachLover]]同様しつこい事で悪名高く、一度目をつけたユーザーに100以上の罵倒文を送りつけてくる。無視した瞬間に警告テンプレートで攻撃を行い、WPの中でも上位に入るくらいたちが悪い。2ちゃんねらーでもあるらしい。現在は'''ウィキブレイク'''中である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:NORN|NORN]] ===&lt;br /&gt;
非常に身勝手なウィキペディアンの1人。様々な記事において、閲覧者の読み易さを度外視した改悪を行っている。ほとんどが主観的な改悪である。[[アンサイクロペディア]]にも利用者ページを持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Plume|Plume]] ===&lt;br /&gt;
[[北朝鮮]]工作員のように、自身と違う意見は全て荒らし報告する低知能者である。また、これらの荒らし報告を真に受ける管理者達も結局は彼と同じ低知能なのだろう。以上のことから、'''ウィキペディアにおける排他主義者の急先鋒的存在。'''まさに社会のゴミ、ダニ、クズ、ガラクタである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Momokkey|Momokkey]] ===&lt;br /&gt;
[[バファリン]]などの項目において、利用者の読み易さを度外視した改悪を行っていることで有名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Avanzare|Avanzare]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
35歳の無職ニート。広島県在住。知能指数は80前後。自身と違う意見はすべて荒らし報告、これを真に受ける管理者も結局は低知能なのだろう。まさしく社会のゴミ・ダニ・エタである。こいつが死んでも祝杯を上げる人間はいても悲しむ人間は皆無であろう。平日の昼間から編集を行なうことが多く、利用者ページで35歳と公表している。この2つで自ら正常な人間でないと公言しているに等しいのだが、前述のとおり低知能のためそのような理解ができないようである。このような知能水準ゆえ、2ちゃんねるの関連サイトではAhonzare（アホンザレ）の愛称で蔑まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Tiyoringo|Tiyoringo]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアにおけるゴミ利用者として有名。[[小西規勝]]の多重アカウントの可能性もありうる。[[wiki:利用者:Clarin|Clarin]]の投稿ブロック依頼では[[wiki:利用者:Yassie|Yassie]]がソックパペットまたはシンパではないかと指摘されている。仮にそれが事実とすると[[wiki:利用者:ＮｉＫｅ|ＮｉＫｅ]]とYassieの対立は自作自演または茶番の可能性も考えられるだろう。良識派ユーザーの[[wiki:利用者:もりかわしみ|もりかわしみ]]を無期限ブロックに追い込んだ張本人である。削除主義者としてウィキペディアに多大な貢献をしていた[[wiki:利用者:掃除屋ケンちゃん|掃除屋ケンちゃん]]からはYassie、[[wiki:利用者:Lonicera|Lonicera]]と共に3悪人に認定されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] ===&lt;br /&gt;
[[岡田有希子]]と同じ穴の狢。[[松葉裕子]]と[[性行為|SEX]]することしか能がない変態エロジジイのくせして自分が気に食わない人間を[[オウム真理教|オウム]]呼ばわりする[[気違い]]。詳しくは[[野田憲太郎]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:T.Saito|T.Saito]] ===&lt;br /&gt;
WPの三悪の1人で通称'''トンズラー'''。恐らくは[[wiki:利用者:Aphaia|Aphaia]]の靴下と協力して書き上げた記事があるのは間違いが無い。便乗者を弁乗者と誤記して、しばらくはネタになった。もちろん、WP日本語版の管理班の1人[http://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedia_Japan&amp;amp;action=history]。荒らし行為でもなんでもない内容を「荒らし」と決め付ける性格。共産主義者みたいなものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
the saitouとは別人であるという報告があり、利用者ページでもthe saitouとT.Saitoは別個の扱われ方である（T.Saito、はmetaのブロック権限を持つ）。meta-wikiやwikiaの話をする時点で非常に疑わしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またmetaでも靴下を使って、都合の悪い意見をすぐ差し戻す。&amp;lt;ref&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/Wikimedia_Japan_Meta.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;と&amp;lt;ref&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/Talk_Wikimedia_Japan_Meta.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;に詳しい。UTF-8で閲覧可能。ここに書かれたのが気に障ったのか、さっさとウィキブレイクしてKMTのように靴下使いに降格した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Hyolee2|Hyolee2]] ===&lt;br /&gt;
在日韓国人。韓国語版の管理者一同から嫌われる。太田と一緒にウィキマニア2007に参加していることが写真から判明。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:正義|正義]] ===&lt;br /&gt;
ユーザー名とは裏腹に、他人を甚振る偽善者。[[島田紳助]]を憎んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Clarin|Clarin]] ===&lt;br /&gt;
木津尚子の靴下。自分に刃向かう利用者なら総て野田憲太郎の靴下と決め付けるアカウント。小西規勝のアカウントの可能性もありえる。報復依頼の常習犯である。天敵は[[wiki:利用者:Yassie|Yassie]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:百科事典に綴じ込められた男|百科事典に綴じ込められた男]] ===&lt;br /&gt;
リバート専用靴下。[[wiki:利用者:竹麦魚|竹麦魚]]も使う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Tamago915|Tamago915]] ===&lt;br /&gt;
本名は'''岸本慎介'''（'''きしもと しんすけ'''）。'''削除主義者'''のウィキペディアン。年齢は30代後半くらいのオヤジ。ウィキペディアの主旨に反する投稿は執拗に削除依頼に提出する。彼も[[近畿地方|関西]]出身である。削除依頼の他リバートもしばしば使うので、'''排他主義者'''でもある。'''甚平バーンスター'''の異名を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:阿波座行広|阿波座行広]] ===&lt;br /&gt;
[[近畿地方|関西]]に対して不都合な記述を一切削除するなど、非中立的な編集を行っている。2ちゃんねるや[[テレビ]]による関西蔑視を憎悪していることで有名な利用者である。かなりの[[東京都|東京]]嫌いであるため、東京には一切興味がない模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Nekosuki600|Nekosuki600]] ===&lt;br /&gt;
通称：「'''コモノ'''」「'''野良猫'''」。本名は'''茂木紀行'''（もぎ のりゆき）。[[河下反対派]]の1人。最近まで、[http://nekosuki.org/landscape/index.htm 公式サイト]で環境保護について徹底的に告発していた。芸能人の家族の生年月日、実名等をウィキペディアで暴露している極悪非道な利用者である。また自己サイト宣伝禁止であるウィキペディアにおいて自身が運営する（寄付を募集している）サイトを紹介し、リンクを設置している。さらに彼はある記事（[[wiki:非政府組織|非政府組織（外部リンク）]]において『外部リンク集を「NGOリンク集」にしないように編集すること!!』とコメントした上であるボランティア会へのリンクを削除している。[[1959年]]生まれ。最近はネタが無く左翼活動も流行しないため、かつての発言力は無い。しかし彼の信奉者はWikipediaではまだまだ多いようで[[2007年]]の初めには長期ブロックがほぼ避けられなかったYassieも彼とつるむことで生きながらえて今では[[wiki:利用者:nekosuki600|nekosuki600]]同様に管理者でもないのに重鎮扱いである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ彼は同項目において自身の運営するサイトへのリンクを貼っており、他人に説教できる立場ではないのが実情である。自分のサイト宣伝は許すが他のNGOサイトはダメ、これは完全に自己中心的な編集である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[オーストラリア]]、[[捕鯨]]、[[クジラ]]の項目の「関連項目」にオーストラリアが反捕鯨国であることの根拠として[http://www.australia.or.jp/seifu/pressreleases/index.html?pid=TK30/2005 オーストラリア大使館のサイト内の「オーストラリア、日本の捕鯨活動に抗議」]という外部リンクとともに、「捕鯨に反対している国」と加筆することに異常なほどに反対した。[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2 オーストラリアのノート]他、捕鯨のノート、クジラのノートに議論の場所をマルチポストした上でこの「関連項目への加筆」が「バランスが悪い」などとして反対するものの反対理由が「独自の研究」ならぬ「独自の妄言」であったためにまともに賛同されずしかも加筆希望者に対して『「オーストラリアの白豪主義」や「反捕鯨」になんらかの感情を抱いており、それに基づいて編集を加えているものと思うが』と中傷したもののついにはNekosuki600本人が「捕鯨」に関して偏向したイデオロギーを持っていることをばらされるも謝罪などは一切行わないという始末である。以下のイタリック体の部分は、Nekosuki600本人が「捕鯨」に関して偏向したイデオロギーを持っていることをばらされた部分である。偽善者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;i&amp;gt;Nekosuki600さんが[http://fenv.jp/index.htm 自然環境フォーラム]や[http://prweb.org/ngoinfo/fenv2.htm 自然環境フォーラム an online NGO]で市民運動の活動をするのは自由ですし、あなたもそれを恥に思っているわけでも隠したいわけでもないでしょうが、[http://prweb.org/data/03520.htm グリーンピース号見学オフの顛末]のような記事を書いている人が[[グリーンピース (NGO)|グリーンピース]]や[[捕鯨]]の記事で中立の立場で執筆や議論などできますか?&amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして悪逆ユーザーのレッテルを貼られているにも関わらず、ウィキペディアから追放されない不思議なユーザーである。ニフティーサーブもしくはJCAの関係者からスカウトされて今に至る。他の利用者と異なり、はてなに書かれた過去の悪事の削除は求めていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ちゃたまの息子（隠し子）である。また、ちゃたま本人であるという説もある。事実、ちゃたまが某掲示板で暴露してしまった。したがって猫はちゃたまのmusumeとは結婚することはできない。ちゃたまの家族写真に写っていないのは猫がカメラマンをやっているからである。カメラが好きなのは自明である」などという設定を2ちゃんねるで展開するも、ことごとく虚言であることがばれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は先輩風吹かせて言葉遣いが荒い。初心を忘れて欲しくないもんですなぁ。確かにクズ利用者が多いけど気持ちを落ち着かせるのも上級利用者の心得。すぐキレるようじゃ亀田と変わらない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
異常な程[[姉歯秀次]]の名前をウィキペディア日本語版に書かれる事を恐れており、多数のソックパペットアカウント及び信望者を用いて消しにかかる。おそらくは古参の管理者の1人である[[wiki:利用者:Tomos|Tomos]]も彼と黒い繋がりがあるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:りんたろお十一歳|りんたろお十一歳]]は履歴を見れば一目瞭然だが、Nekosuki600が2chでしばしば言及する[[新河岸川]]の編集もしているようにNekosuki600のソックパペットである。[[wiki:Wikipedia:利用者ページの削除依頼|Wikipedia:利用者ページの削除依頼]]では1人2役を演じてコミュニティを疲弊させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女性問題で高校を2度退学後、映像下請けの仕事に就職。その間にJCAの幹部・[[崎山信夫]]に気に入られて今に至る。もっとも、崎山はJCAの理事を辞めてしまったが。法律家を自称したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2ちゃんねらー]]。トリップ及び固定ハンドルは「猫が好き♪◆1GNekodnQQ」。アカウントはトリップにNekoが入っていたためにフジの『やっぱり猫が好き』にちなんだもの。[[2ちゃんねる組]]とは仲が悪く、特にLoniceraの問題行動に対して強く抗議していた。そして最終的に彼を解任に追い詰めた。Nekosuki600は一介の利用者でありながら何度も管理者に推薦されるような重鎮であるため、Loniceraの一方的な投稿ブロックを避けることができたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などと思っていたら[[2008年]][[8月31日]]、とうとう[[wiki:利用者:Riden|Riden]]によって強権的にブロックされてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:special rapid|special rapid]] ===&lt;br /&gt;
[[京都市]]生まれ[[滋賀県]]育ちの元受験生で、現在は無事高校に進学できたのかどうかは不明。受験生という割には英語の人称代名詞の使い分けができていなかったり毎週「週刊少年ジャンプ」を愛読し、ウィキペディア日本語版へそのあらすじを書いてまわるという迷惑極まりない自分勝手な編集を強行。これによりHi-askやちゃたまという超穏和な神ユーザーの逆鱗に触れ[[初恋限定。|河下氏が書いているとある作品]]の記事で編集合戦を引き起こしたと痛いところを付かれ、無期限ブロックを受けた。現在はYourpediaや中国語版Wikipedia、英語版Wikipediaで暴れ回っており、日本語版Wikipediaでは[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/59.190.19.241 IPユーザー]として身長記入荒らしも行っている。ISP通報の時期も近い。「高校受験でドン底に落ちてしまえばいいんだよ」と誰もが願うはず。ウィキペディア日本語版では、類似の編集に対し無期限のレンジブロックが行なわれる状況まで達している。数ヶ月以内に、彼の行動に関してプロバイダ通報が行なわれる予定がある。又、最近では[[wiki:user:準急三条|準急三条]]氏のサイトの[http://oab.sytes.net:4600/~keiihanmasao/cgi/nandemo-shiritori/shiritori.cgi?mode=delwords_view 参加型コンテンツ]で他のウィキペディア利用者の名前を騙り荒らしている模様である。これにより、プロバイダ通報を受けた。&lt;br /&gt;
==== 現在の状況 ====&lt;br /&gt;
なお、Yourpediaでの名前は{{User2|折笠成一}}。キモイウザ署名も健在。ネット世界で暴れてないで受験勉強に励むべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今のうちにメーリングリストで1000文字以上の謝罪文書いときなさいね。通報される前に。こんなことで合格取り消しとかなったら恥ずかしいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*外部リンク：[http://s02.megalodon.jp/2007-1013-1246-56/www.geocities.jp/special_rapid_otsu/mana.html プロフィール]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらにアンサイクロペディアでも折笠成一で[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%8A%98%E7%AC%A0%E6%88%90%E4%B8%80 垢]取得。もちろんキモイウザ署名だ（[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E6%8A%98%E7%AC%A0%E6%88%90%E4%B8%80 ノート]・[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/Special:Contributions/%E6%8A%98%E7%AC%A0%E6%88%90%E4%B8%80 投稿記録]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本人の行動はギャグだが、記事でギャグを書けるのかどうか・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と、パスワードを忘れたのか[[利用者:小木俊介|小木俊介]]という名の靴下でYourpediaに再登場[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/%E5%B0%8F%E6%9C%A8%E4%BF%8A%E4%BB%8B 投稿履歴]。しかし、早速[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3AIpblocklist&amp;amp;ip=%E5%B0%8F%E6%9C%A8%E4%BF%8A%E4%BB%8B 無期限ブロック]を受けてしまうｗｗｗ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とうとう[[wiki:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Special rapid|長期荒らしのサブページ]]ができ、長期荒らしメンバーの1人になってしまった。こりゃホントにやばい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Alljal|Alljal]] ===&lt;br /&gt;
[[ナチス・ドイツ]]工作員のように中立性に合致しない編集は執拗に削除依頼に出すヤクザで、'''削除主義者の急先鋒的存在'''である。しかも、[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%B1%9A%E6%BC%AB%E6%B9%96%E5%AD%A6%E5%9C%92&amp;amp;diff=14126229&amp;amp;oldid=11425840 このように]投稿記録のないアカウントまで根拠なく誰かのソックパペットと決め付けることを平然と行う残忍さも持っている。最近はかつてのような発言力は無い模様。[[wiki:利用者:Akane700|Akane700]]と同一人物の可能性あり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[おじゃる丸]]にちなんだ名前（本人談）をアカウント名に使用するほどのおじゃる丸ヲタでもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Maris Stella|Maris Stella]] ===&lt;br /&gt;
有名な共有靴下だが、主に木津尚子が使用する。他には何名かの女性が木津の文体偽装をして使っている。俗称はマリ捨て。マリ捨て=木津というとすぐにはてなや2ちゃんねるでデマ説が「タイミングよく」流れるが、全て木津の工作である。その証拠に、T.Saitoはマリ捨ての弁護しかしない。「～でしたら」など敬語の不自然な多用が特徴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yuutan|Yuutan]] ===&lt;br /&gt;
[[奈良県]]出身の極左主義のウィキペディアン。自分の主旨に当てはまらない投稿は容赦なく修正する'''排他主義者'''の急先鋒的存在。彼に限らず、[[近畿地方|関西]]出身の利用者には極左主義者が多い。また、彼は極度の'''ウィキペディア中毒'''でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:AF-08|AF-08]] ===&lt;br /&gt;
極度の'''反日主義者'''である。[[朝鮮]]人の可能性もある。こういった利用者は、いつか長期ブロックを食らうと思われる。2ちゃんねらーでもあるらしく、利用者名は自分のトリップに因むと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ikedat76|ikedat76]] ===&lt;br /&gt;
[[小西規勝]]の靴下。いわゆる基地外左翼の類である。Peaceを異常なまでに敵対視している。歴史関係専用キャラ。名前は[[創価学会]]会長・[[池田大作]]に由来していると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Electric goat|Electric goat]] ===&lt;br /&gt;
[[木津尚子]]を参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:hatukanezumi|hatukanezumi]] ===&lt;br /&gt;
WPの三悪の1人で通称'''ボヤッキー'''。何にでも口を出し、議論を混乱させることが得意。[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%91%9E%E7%A9%82&amp;amp;action=history このように]福島瑞穂の項に都合の悪い内容が加筆されると必死に削除することから、[[福島瑞穂]]および[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]の熱心な信者または工作員である可能性が高い。現在投稿ブロック中（2ヶ月）。座右の銘は「支離滅裂」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なおAphaiaと同一人物ではないかと疑う者も少なからず存在するため、木津尚子の項も参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:KIZU|KIZU]] ===&lt;br /&gt;
[[木津尚子]]を参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:kzhr|kzhr]] ===&lt;br /&gt;
kzhrは本名を[[岡田一祐]]と名乗るウィキペディアの元管理者。有意義な編集は一切していないが、他人に対する中傷は熱心に書き込み続けているという典型的なウィキホリック。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]ごろから自分の意に沿わない発言を数十もmixiコミュニティから削除したことで、法的責任が問われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキソースにNoda,Kentaroがログインしたところ、次のような表示になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ご使用の利用者名またはIPアドレスはKzhrによって投稿をブロックされています。その理由は次の通りです。&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
:不適切な利用者名&lt;br /&gt;
:ブロック解除予定：無期限&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
:Kzhrまたは他の管理者にこの件についてメールで問い合わせることができます。&lt;br /&gt;
:ただし、オプションに正しいメールアドレスが登録されていない場合、「この利用者にメールを送信」機能が使えないことに注意してください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
岡田くーん!嫉妬は良くないよー!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
追記：ユアペディアには、岡田の本名は伏せて野田の本名は晒したがる馬鹿利用者が存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Radioactive|Radioactive]] ===&lt;br /&gt;
Radioactiveはなぜか一般利用者の癖して、岡田一祐とつるんでいるmixiユーザー。mixiではいぬみみめいどと名乗っていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
mixiのログを規約違反を行いながらいろいろな所に晒し、発信者開示請求をくらった馬鹿。随分後になってから「食らっていない」という弁明がようやく来たが、信憑性はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MiyaやToki-hoからのメッセージをmixiでも受け取っていることから、Miyaの息子ではないかという説も流れているが、詳しいことはわかっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:野田文憲|野田文憲]] === &lt;br /&gt;
[[ウィキペディア日本語版]]にいる、悪質なソックパペットの1つ。「[[野田憲太郎|音楽家気取りの息子]]」がパスポートや住民票で確認されない限り、虚偽を利用者ページに書いたことからはアカウント作成者は逃げられない。この手のソックパペットは管理ユーザーが作成する。はてなキーワードとYourpediaで詳細な追求を行った後に、なぜか無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yassie|Yassie]] ===&lt;br /&gt;
読み：やしー、やっしー。人のメールを無断転載することで有名&amp;lt;ref&amp;gt;http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikija-l/2007-May/001589.html&amp;lt;/ref&amp;gt;。かつて某記事での議論において、しょうもない意地を張ったために[[wiki:利用者:Sudpex|Sudpex]]と[[wiki:利用者:Mikihisa|Mikihisa]]のソックパペット利用者:Delmoreから殺害予告を受けてしまったというある種可哀想な人物でもある。実生活でもパシリが多いのか、出張で時々いなくなる。埼玉に住み、なおかつオハイオ州に留学した可能性はきわめて低い。少々の翻訳と記事修正だけの2ちゃん組の一員で、ろくな記事執筆がない。元のハンドルネームはnanassie[http://www.google.co.jp/search?q=nanassie&amp;amp;hl=ja&amp;amp;lr=&amp;amp;start=20&amp;amp;sa=N]。かなり昔からおり2ちゃん用語も妙に使用しているので、2ちゃんのパシリなんだろうか。30過ぎてそんなことしか出来ないのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ときどき巨大翻訳爆弾を投下する。もちろんその翻訳はめちゃくちゃであるが、管理者のソックパペットであるゆえに決してブロックされることはない。頭に血が上ると下手な英語でキレだす。日本語でいいじゃん。どうせ相手は日本人のガキなんだからさぁ。英語を使う仕事をしていると称しているが、実際の英語力は英検の3級にも合格できないほどである。自動翻訳ツールで機械的に翻訳しているため、ぼろぼろである。典型的TOEIC英語。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また自らの奴隷である草皆康友こと[[wiki:利用者:Bellcricket|Bellcricket]]を使い、自分への投稿ブロック依頼を提出した人物を意味不明の理由でブロックした後に依頼を一方的に打ち切るという行為に出た。まさに社会性皆無の人間であることをこの一件でﾔｯｼｰは示してしまったのだ。30を過ぎて何のスキルも社会性もない男の将来がパチンコ店員・新聞拡張団員・受刑者のいづれかしかしかないことは火を見るより明らかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
座右の銘は「'''私は口先だけで行動の伴わない人を信用しません'''」。正体は太田尚志。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:coq|coq]] ===&lt;br /&gt;
人のメールを無断転載することで有名&amp;lt;ref&amp;gt;http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikija-l/2007-January/001409.html&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yukichi99|Yukichi99]] ===&lt;br /&gt;
本名は福澤俊。人の意見をすぐ削除することで有名&amp;lt;ref&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/yukichi_dead1.htm （エンコードはUTF-8でご覧ください）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/yukichi_dead2.htm （エンコードはUTF-8でご覧ください）&amp;lt;/ref&amp;gt;。もじら組を除名された。漫画の台詞を31歳にもなってそのままコピーして快感を得ており、話題の割には大して面白くない人物でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.flickr.com/photos/alexsh/1016352230/]に写っているのは岩瀬とその父親、福澤、そして[[wiki:利用者:間久部緑郎|間久部緑郎]]が含まれている可能性が高い。全員日本人ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また彼は、[[Wikia]]で唯一の日本人スタッフとして知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Koba-chan|Koba-chan]] ===&lt;br /&gt;
クラシックの演奏家に向かって「馬鹿とはさみは使いよう」と吐き捨てることで有名&amp;lt;ref&amp;gt;[http:/mywebpage.netscape.com/kasumoerer/koba1.JPG]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http:/mywebpage.netscape.com/kasumoerer/koba2.JPG]&amp;lt;/ref&amp;gt;。本名は小林義宗。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:FXST|FXST]] ===&lt;br /&gt;
関西在住の長期荒らしメンバーの1人。かつて「ウィキペディアって大丈夫なの?」という記事を連載していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://fxsystemtrader.blogspot.com/2007/03/01.html ウィキペディアって大丈夫なの??01]&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、ウィキペディア日本語版へ記事投稿はおこなっていない&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?limit=50&amp;amp;title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3AContributions&amp;amp;contribs=user&amp;amp;target=FXST&amp;amp;namespace=0 利用者の投稿記録]&amp;lt;/ref&amp;gt;。「IPで編集をアカウント取得前に行っていた」という主張は怪しすぎる。このほかにも仮想アカウント、ソックパペット疑惑、BOT使用について一切のスルーを行い、ヨタ話扱いしたことから実はウィキペディア運営側の人間である確率が高い。即座に野田の知人の項目がソックパペットで書き換えられたのも、彼の仕事である可能性がある。本名は岡部健。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
FX関係のビジネスで他人のお金を持ち逃げし、逮捕。[http://fx10book.blogspot.com/2008/02/blog-post.htmlここ]には本人より否定したとあるが、mixi日記の1月はほとんど更新が無く返金トラブルに巻き込まれたのは間違いが無い。2月以降の日記は別人のように燃え尽きており、「たっぷり絞られた」のはほぼ確定。[http://www.google.co.jp/search?hl=ja&amp;amp;q=%E5%B2%A1%E9%83%A8%E5%81%A5%E3%81%8C%E9%80%83%E3%81%92%E3%81%9F&amp;amp;btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;lr=]ではこれだけ多くの人から指摘がある。それを全て嘘だと言うのはかなり難しい。本当に嘘なら、名誉毀損と業務妨害罪でいくらでも提訴すればよい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
じつは木津尚子がFX常連であり、そのつてで「FXSTっていう名前で工作員やってみない?」と持ちかけられたのである。彼の工作がばれるまでに2年とかからなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IPユーザーから「FXSTおっつ～ｗ」や「どうみてもFXSTです本当にありがとうございました」と揶揄されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また2008年8月には'''うんこ'''という新しいニックネームが贈られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Lem|Lem]] ===&lt;br /&gt;
Wikipedia屈指のソックパペッター（長期荒らしメンバー）で、数学オタク。[[wiki:利用者:Eggswrong|Eggswrong]]を初めとする数多のソックパペットを日々機械的に生産してきたが、[[函数戦争]]に敗北しほとんどの靴下を潰された。函数戦争に勝ったAlljalに対しての怨念・憤怒はすさまじく今日も2ちゃんねるのおじゃるスレへの攻撃を行っている。正体は引きこもり数学専攻大学院生らしいのだがその行動パターンからは小学生低学年程度の常識しか持ち合わせていないという事が分かる。好きな言葉は「ひろまえ」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、数学分野へは他の利用者の侵入を断じて許さないというWikipediaの方針を完全に無視したキチガイでもありウィキペディアやめますといいながら、一生懸命ウィキペディアへ攻撃しに来る&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=9364083 http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=日本のクラシック音楽の作曲家一覧&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=9364083]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=11460630 http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ウィキペディア日本語版&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=11460630]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
使用ISPはケイオプティコム。彼の悪行のせいでケイオプティコムは3ヶ月のレンジブロックとなった。[[wiki:利用者:踊る姿|踊る姿]]とは黒い深い繋がりがある。2008年現在、修士論文がかけないために大学院を休学して草むしりのアルバイトをやっている。それは全てお父様のコネである。本人も自分に数学者としての実力が無いことを知っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Aphaia|Aphaia]] ===&lt;br /&gt;
WPの三悪の1人で通称'''ドロンジョ'''。[[木津尚子]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:FREEZA|FREEZA]] ===&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:Sushisushi|Sushisushi]]を野田と決め付けた張本人。両者とも別人であることをMLで主張しているのに、一切無視を決め込む不思議な利用者。編集責任のテンプレートを貼る前に、野田に謝罪するのが先ではないだろうか?韓国の鉄道をたくらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
木津尚子の学歴詐称が問題となっている現在、FREEZAは野田叩きに必死になっているようなので木津関係者のアカウントである可能性が高い。複数人で操作しており1人は鉄道関係、もう1人は荒らしアカウント関係と役割が決まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者気どりの言動や鉄道関係の記事への粘着ぶりなど[[project]]と共通点も多く、そのソックパペットの可能性も否定できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またYPにおいて[[野田憲太郎]]関連の差し戻しから[[藤森京介]]との共通点もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:SUSHII|SUSHII]] === &lt;br /&gt;
ネット上での行動なし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:SACHEN|SACHEN]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|SACHEN}}&lt;br /&gt;
Yourpediaの[[利用者:Ded]]と同一人物の悪質な荒らしユーザー。Chakuwikiや2chでも荒らし行為を行っている。興味深い調査結果があるので[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%98%AD%E8%A1%9B%E5%BE%92&amp;amp;oldid=16519061]も参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Arpeggio|Arpeggio]] ===&lt;br /&gt;
高知警察署にログを提出された後に活動終了。警察のお世話になっているのに、なぜか投稿ブロックされなかった不思議なアカウント。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Fromm|Fromm]] ===&lt;br /&gt;
jawpの中でも特に有名な'''削除主義者'''のウィキペディアン。どんなに判りづらい転載でも片っ端から見つけ出して削除依頼に提出することや、スパムと判断した外部リンクを片っ端から除去してまわることで知られる。しかし無知であるのに多分野にわたって編集を行うため特に問題の無い記述をも削除してしまうことが多く、迷惑な自警団の1人に数えられている。また、自警団のほとんどがそうであるようにまともに記事を書いたことが無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに井戸端における[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BA%95%E6%88%B8%E7%AB%AF/%E6%80%A7%E5%B7%AE%E5%88%A5%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6 この議論]を見ればわかる通り、熱心な[[ジェンダーフリー]]支持者（つまり左翼活動家）でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で[[2ちゃんねる組]]の1人という矛盾した立場。トリップは◆pzUNkOF/.k。松葉裕子の「はてなサヨクキャラ」兼捨てアカウント。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:間久部緑郎|間久部緑郎]] ===&lt;br /&gt;
台湾在住のウィキペディアン。エドガー・ヴァレーズの開発した楽器「ライオンズロアー」（独：Brummtopf、英：Lion's roar or string drum）を「ライオンのなんちゃら」と言ってしまい、楽器の素養がないのに音楽関係の項目を必死に翻訳する馬鹿であることが発覚。これは日本支部から翻訳ノルマを与えられているためである。メインアカウント以外にもサブアカウントで翻訳を行っていることがある。人に向かってえらそうな態度を取る小西規勝と仲が良いので、小西は在日管理者である可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近のお気に入りソックパペットはnumber。名古屋在住の台湾人である可能性が浮上したが実際には「名古屋のアジト」から執筆でき、「台北」と密接な関係を持っている人間だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
正体は福井利器。関西オープンソース2007で、木津尚子の手伝いをしに新幹線でやってきた。橙色のよれよれのシャツを着ていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Aotake|Aotake]] ===&lt;br /&gt;
日本語が不自由なのに、一生懸命日本語版を管理したがるアカウントの1つ。操っているユーザーが複数いると思われるが、全員日本人ではない。音楽担当。メインで操っている者のなかに、大学職員がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドナトーニの記事について指摘したユーザーに向かって「あなたは野田憲太郎さんですね!」と逆切れ後、CUしてみたらIPホストが別人のものであることが発覚。この失態の責任を取ってウィキブレイクした馬鹿者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後'''わずか3日で'''ウィキブレイクを解除。WP関係者にはうそつきが多い。どうやら、パスワードを譲渡して他人に管理してもらっているらしい（当然違法）。ここをRVする馬鹿がいるので、どうやら本当の話なのだね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
垢使用者は松葉裕子。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:HOLIC 629W|HOLIC 629W]] ===&lt;br /&gt;
キチガイユーザー。管理者の腰巾着気取り。福井利器の靴下。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユーザーページに書いている編集方針と実際の編集が矛盾していることでも有名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Suisui|Suisui]] ===&lt;br /&gt;
元管理者。[[今泉誠]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:竜造寺和英|竜造寺和英]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
自称：早稲田大大学院卒のヤクザヲタクの利用者（この馬鹿の知能から早稲田卒であるはずがない）。脳内バーチャルトレーダー。「某ヤクザヲタク」と称される場合が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*管理人には常にペコペコしてる。しかし管理人に迷惑ばかりかけるため、全ての管理人にそっぽをむかれている。&lt;br /&gt;
*実はヤクザのことは全く知らない。この馬鹿の書いた部分は、出鱈目が多く著作物丸写しなので近いうちに全部削除される予定。記事は私が書いた正しい部分のみが残ることになる。&lt;br /&gt;
*本物の侠客を偽者扱いした大馬鹿者。これに対して、日本全国の侠客が激怒した。近いうちに正義の鉄槌が下されるかもしれない。そのときは、小便をちびりながら命乞いをするはず。自業自得。この馬鹿を擁護する管理人も同罪。そんな管理人にも正義の鉄槌が下されるかもしれない。&lt;br /&gt;
*ヤクザの記事で必ずヤクザが右翼活動をしてたことを書く馬鹿。この出鱈目な記事により「右翼=ヤクザ」といった誤ったイメージを広めてしまってる。このことには日本中の右翼活動家が激怒してる。&lt;br /&gt;
*柳川次郎や町井久之や田中禄春などの在日韓国人を英雄視してる。これらの在日は堅気に戻った後に在日の顔として振舞う一方、裏では今まで通り様々な悪事を働いている。特に町井久之は児玉誉士夫と組んでロッキード事件などでも何度も名前が挙がっていた。こうしたことを一切書かずに「若い頃はヤクザになって悪いことをしてましたが改心して堅気になり、その後は日韓の架け橋になりました」という記事を一生懸命美談に捏造して書く。あれだけの資料を持って調べ上げてるわけだから、これらの在日が堅気に戻った後も悪事を働き続けてたことを知らないはずがないだろう。記事にはなぜかこのことが一切書かれていない。この馬鹿も在日であることは間違いない。在日だから就職も出来ず株に手を出して破滅の道を突き進んでいるのだろう。&lt;br /&gt;
*多重アカウントを使って、議論を混乱させるのが得意。&lt;br /&gt;
*相変わらず管理人や権威者にはぺこぺこ。May.Lowが田岡一雄の記事を大幅に削除しても、文句一つ言えずに泣きながら白旗をあげた。情けなくて、全国の侠客や右翼活動家が大笑いしている。&lt;br /&gt;
*この馬鹿にはマジで天誅下さんとわからんらしい。小ざかしい議論術であほなこと言いやがって。このボケを野放しにする管理人にも我慢の限界。二十日鼠は何寝ぼけたこと言ってんだ。頭狂ったのかな?それだったら、このヤクザオタク馬鹿が書き直しさえすればこいつの出鱈目な記事が残ってしまうことになるだろうが。しっかりしろや!!&lt;br /&gt;
*もう我慢できん。反対票入れる奴には天誅が下されるだろうな。そいつらには、日本中の侠客や右翼活動家から激しい抗議行動があるはずだし。Wikipediaの連中や管理人は黙って賛成しろや。それが自身の身のためやろが!!ヤクザオタク馬鹿を排除したら、全ての記事は美しい任侠道になるだろうが!!逆らえば攻め滅ぼすぞ!!俺の言うこと聞いとけばいいんだよ!!&lt;br /&gt;
*ヤクザオタク馬鹿はやっぱり株で大損してたwwwww。ざまみろ。&lt;br /&gt;
*まだアホな主張してるね。誰もこいつを支持してないし。こいつとこいつを擁護する馬鹿をトコトン追い込みます。&lt;br /&gt;
*株長者というのも大嘘。ちょっと前に話題になった、株で数億儲けたニート青年あたりが元ネタだろう。こういう自己中心的で協調性のかけらもない人間は、実社会でもネットでも迷惑な存在でしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:あなん|あなん]] ===&lt;br /&gt;
利用者名が[[アンサイクロペディア]]の（あ）や誰か同様、非常に馬鹿げている。「あなる」ではない（笑）。彼も悪質2ちゃんねらーなのかもしれない。年齢は45歳という説もあるが、利用者名が馬鹿げているため、20代くらいとしかいえない。会話ページでの言葉遣いが非常に生意気であるのも特徴。編集に関しては、主に地理や歴史関係の意味不明な投稿をしている。タイに留学する日本人という設定だが、ほんとうは日本に留学したタイ人の学生である可能性が強い。その利用者名から、仏教研究家であるともいわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:PeachLover|PeachLover]] ===&lt;br /&gt;
[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ]]工作員のように、鉄道関係の項目で価値のある投稿までどんどん削除依頼に出すヤクザとして有名。荒らしと決め付けて、差し戻すこともある。ウィキペディアにおける削除主義者として有名であるが、自分の利用者ページで削除主義者を自称していない。誕生日は7月という説もある。利用者名は桃が好きなことから名づけられた。こいつはしつこい事で悪名高いユーザーであり一度目をつけたユーザーにこれでもかと言うほどの罵倒文を送ってくる。無視し続けるとひらがなで誹謗中傷を行いWPの中でもたちの悪さは随一のユーザーでありこいつは本当に死んだ方が良い。と言うより死ね。「こう言う奴が一番死ぬべきなんだ。削除、削除、削除～～～（凄まじい憤り）!」こいつは私が葬ってやろう。瞬獄殺（削除）!ぐあーーーーー!お前如き糟が私に歯向かおうとは可笑しいにも程があるわ!ふははははふははははふはははは（思い通り）!こうしてPLは粉砕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Cai.Kosukeの彼女の可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:やきとり|やきとり]] ===&lt;br /&gt;
[[利用者:微積01|微積01]]の投稿ブロック依頼に断固反対した男性。河下反対派。主に食品関連の意味不明な投稿を繰り返し行っている。またどんなに価値のある投稿でも差し戻し、ウィキペディア最大の'''削除主義者'''としても有名である。未だに自分自身の利用者ページを作成していない。年齢は40代かもしれないが、利用者ページが存在しないため、不明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:アセルス|アセルス]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
jawp屈指の[[ファシスト]]であり気に入らない編集を荒らしと決め付け、削除依頼に出すことで有名。ちなみに精神年齢は6歳以下である。実際の年齢は乳児と推測出来る気違いおたく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:松茸|松茸]] ===&lt;br /&gt;
大学の歴史系学科に所属する青年（大学生）。主に西暦や歴史関連の意味不明な記事を継続して作成している。また、気に食わない文章は執拗に差し戻すことでも有名であり、'''排他主義者'''でもある。自身の利用者ページで「'''この利用者は免許を持っていないので公道で自動車を運転することはできません'''」と書かれている通り、無免許である。しかし夜間に道路で改造車を運転し暴走行為を行っている気違いおたくでもある。またノートページで外国のユーザーと英語で会話し語学力を誇示しているが、実は機械翻訳を使った自作自演である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
projectか[[藤森京介]]どちらかがソックパペットの可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Showchan|Showchan]] === &lt;br /&gt;
利用者名が非常に馬鹿げている。中立性や検証可能性を何よりも重視しているため、中立性や検証可能性に欠けた投稿はどんなに価値のある投稿でも容赦なく差し戻す。ウィキペディアにおける排他主義者として有名であるが、自分の利用者ページで排他主義者を自称していない。「嘘は泥棒の始まり=泥棒は殺人の始まり=殺人は地獄の始まり」と言う事を分からない気違いおたく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:UMBRO|UMBRO]] ===&lt;br /&gt;
2ちゃんねるの存在に反対している若い男性。[[第二次世界大戦]]及び[[歴史]]上の出来事関連の意味不明な投稿を継続的に行っている。かつては'''[[wiki:利用者:Kuty|Kuty]]'''というアカウントを使用していた。Kuty時代は管理者選挙にも出馬していた。また、気に入らない投稿は価値に関係なく差し戻しているにも関わらず自身の利用者ページで'''包摂主義者'''を自称している。また、あちこちの[[ウィキ]]プロジェクトで利用者ページを所有している。毎年年末にはウィキブレイクを行っている。陸上競技が好きなようで、自身の利用者ページのサブページに100メートル走の中学歴代ランキングを作成している。完全な目的外使用である。アンブロのスパイクを愛用していたようで、利用者名のUMBROもそれにちなむと思われる。本業はアスリートかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Miami|Miami]] ===&lt;br /&gt;
自身のページに''この間隙に横たわる茫漠、深淵たる断層を考察する努力を端から放棄する者こそが軽々しく言葉を発する''といった独自のルールを掲げている。ただのゴロツキであり、'''人間性は全WPユーザー中ワースト級である。'''北陸本線おたくであり、北陸本線関連の出来事への集中的な編集が目立つ（ほとんどが意味不明な加筆）。中国製品の品質の問題関連の記事では中国だけでなく日本もずいぶん悪いように決め付けるような害意ある編集が目立つ。これこそ、独断と偏見の塊である。ふざけるのもいい加減にしてほしいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:Matumami|Matumami]]と混同しないこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:おーた|おーた]] ===&lt;br /&gt;
[[1978年]]生まれ。[[筑波大学|筑波大]]中退の後、慶應へ進学して大学院修了。彼はSYSOPではないが、ウィキマニア台北でカメラのセットを組んでいたところを見る限り大きく管理側に与している人物と考えられる。共有するSYSOPアカウントを保持している可能性がある。今は岡田一祐の手で削除されたmixiのトピックで「どうもあなたは日本語版ウィキペディアの保身をしているのではないですか」という問いに対し「いいえ」と答えていたが、写真が流出した今となってはこの発言は嘘である。うそつきおーた。mixiの加入コミュニティに「実名で戦います」なんてものがあるのに、WPでは「おーた」。うそつきめ!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いくつかのサブカルチャーの項目は、この利用者が勝手に差し戻していることが履歴で確認出来る。つまり、彼が担当する項目が存在する。恐らくは、多くの利用者の執筆が殺到する項目の管理を彼が任されている可能性が高い。こんなことをボランティアではやらないことぐらい、誰にでもバレる。極左関係者はすぐ嘘をつくことで有名だが、彼もその一員であった。本名は太田尚志。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.kotono8.com/2003/11/19blogmind.html]をーっと!なぜ脱会信者ことのはにリンクされるのか?!これはヤバイ!うそつき同士ですねぇ![http://web.sfc.keio.ac.jp/~n04594to/raq.html]ちょっと痛い。[http://groups.google.com/groups?hl=ja&amp;amp;inlang=ja&amp;amp;lr=&amp;amp;ie=Shift_JIS&amp;amp;q=author%3At00156to%2Bnews%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3Atakot%2Bnews%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3At00156to%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3Atak%40jks.is.tsukuba.ac.jp+OR+author%3Atak%40kyouiku.tsukuba.ac.jp&amp;amp;btnG=Google+%8C%9F%8D%F5]確か、木津尚子もグーグルグループにいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記のリンクを見れば解るように、日本語版WPを仕切る人々は発足当初から「気持ち悪い左翼」の人々によって牛耳られていたことがわかるだろう。この有様で健全な百科事典が出来るわけがないじゃないか!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Peka|Peka]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版の2007年の気象・天体と地球環境問題関連の記事において、NPOV及び検証可能性に問題のある投稿を継続的に行っている。彼の編集に正確性など皆無である。また、彼はたくさんのバーンスターを貰っている（木津尚子のように、自分で自分にあげている可能性もある）。彼の投稿内容には、気に入らない企業に喧嘩を売ったような中傷的記述も見られた。&lt;br /&gt;
;主な特徴&lt;br /&gt;
*荒らし行為を繰り返す'''&amp;lt;span style=&amp;quot;color:red&amp;quot;&amp;gt;悪逆&amp;lt;/span&amp;gt;'''なユーザーであるにも関わらず、たくさんのバーンスターを貰っている。&lt;br /&gt;
*これ以上NPOV及び検証可能性に問題のある投稿を続けるのなら、ウィキペディアから追放されても当然である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Clapon|Clapon]] ===&lt;br /&gt;
ナチス･ドイツ構成員のように、気に食わない投稿は容赦なく修正するヤクザとして有名。ウィキペディアにおける'''削除主義者'''としても有名であるが、自身の利用者ページで削除主義者を自称していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Mzm5zbC3|Mzm5zbC3]] ===&lt;br /&gt;
共産主義、社会民主主義思想の青年。気に食わない記事は価値に関係なく徹底的に修正する'''排他主義者'''の急先鋒的存在。2ちゃんねらーでもあるらしく、利用者名は自身のトリップに因むと思われる。彼に限らず、極左系列のWP関係者は多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Ihsanan|Ihsanan]] ===&lt;br /&gt;
Yourpediaにとって、中傷・批判的な文言を記述したネットストーカーのことである。特にウィキペディアをYourpediaに対する中傷場所にしており、2ちゃんねると[[百科事典]]の区別がついていないのも実情である。同じく、Yourpedia批判を行っている点ではIPユーザーの[[wiki:利用者:219.104.111.78|219.104.111.78]]と同一人物かも知れない。[[wiki:利用者:Akinoniji|Akinoniji]]とは同一人物らしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:端くれの錬金術師|端くれの錬金術師]] ===&lt;br /&gt;
'''トンチンカン'''な記事しか書けない若い男性。ノートページでの署名の際はhashikureと名乗っている。削除の方針に合致しないものまで、容赦なく削除依頼に出す'''削除主義者'''である。最も残忍なウィキペディアンでもある。mixiにも別名（cai）で潜伏。mixiで必死にWP管理者の擁護を行い、端くれなど知らぬ存ぜぬと言い張る[http://www.chaoticshore.org/index.html]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年現在、東工大のD1の研究室にいる。オウム在家信徒。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:johncapistrano|johncapistrano]] ===&lt;br /&gt;
反社会ファシスト団体・部落解放同盟の構成員。解同に少しでも不利益な記述をすると編集者を共産党員呼ばわりする典型的な部落民。ウィキペディアが利権団体にのっとられている典型的な例。主なソクパペは[[wiki:利用者:Iosif|Iosif]]。[[wiki:利用者:Iosif|Iosif]]を活動停止に追い込んだユーザーを半年かけて追い詰めるなど解同クオリティ溢れる行動をとる。なお、[[wiki:利用者:いたる|いたる]]も同様である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:純血主義|純血主義]] ===&lt;br /&gt;
長期荒らしメンバーの1人で、右翼的な学歴至上主義者。[[永井隆雄]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Emil Sinclair|Emil Sinclair]] ===&lt;br /&gt;
高校生を名乗っているが、実は40歳近い男性と目されていた。改名願いを出したり露骨に野田憲太郎を攻撃する投稿があるのに、高校生と名乗れる根性からして腐っている。改名願いを出す利用者は、WP日本語版の管理の犬であることがほぼ100%。有名な共有靴下アカウント。どうやら木津尚子の靴下だったようだ。こりないおばさん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
松葉裕子も使っていた。どっちにせよおばさんじゃないか。がっかり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:テンパわたる|テンパわたる]] ===&lt;br /&gt;
ほぼ、100%気違いのウィキペディアン。理由もなしに気に入らない記事を削除依頼に出すなど、その横暴さは計り知れない。また、乱暴に即時削除タグを貼り付けることも多い。ほとんど[[北朝鮮]]工作員と同等である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、ここで苦情を言われていることに対しても利用者ページに於いて「良くも悪くも有名なのでしょうか」などとヘラヘラしている全く以って自分の横暴態度を改める気のないボケナスアホンダラである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Morassim|Morassim]] ===&lt;br /&gt;
他掲示板では[[モラシム]]を名乗っている。重度の[[ガンダム]][[オタク]]。[[議論]]と称して一方的な長文を書き殴るといった悪質行為を行う。代表的なキモおたくでありガンダム関連ページを他人に編集されるのを酷く嫌いそれが事実でも削除を繰り返す自己中心的気違いキモおたくである。そのためソックパペット使いに粘着されることとなってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:目蒲東急之介|目蒲東急之介]] ===&lt;br /&gt;
[[大阪府]][[枚方市]]出身のウィキペディアン。主に鉄道関連の項目において、執拗にrvすることで有名な'''排他主義者'''でもある。極度の鉄道・バス・アイドルオタクで、日本橋の常連である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Hammerfest|Hammerfest]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
学校関連の項目を支配しようとする自警団の筆頭格。自分が知りもしない項目について、執拗にrvを繰り返す。己が低能ぶりを棚に上げ、相手を見下したような発言が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毎日wikipediaに張り付いている病人である。こいつはもう治し様も無い気違いと言う病気である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:K・リュウ|K・リュウ]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者（長期荒らしメンバー）の1人で、ポケモンオタク・サブカルオタクである。Wikipedia日本語版の[[ポケットモンスター ルビー・サファイア|ポケットモンスター エメラルド]]専門ユーザーである反面一部のポケモン嫌いの管理者と仲が悪く、vandaluser扱いを受ける。KMTを強く恨んでいることから、今では管理者ですらないKMTに対する個人攻撃を続けていることでも有名。ちなみに、靴下数はNetanotaneには遠く及ばない。また彼は定期的に現れては去っていく傾向が強いため、WP工作員の疑いもある。利用者名はポケモンの[[カイリュー]]に由来しているものと思われる。しかしそれだと厳密には中点はいらない筈でありポケモンおたくのくせにカイ・リューと表記を間違えている馬鹿でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:KP.NN|KP.NN]] ===&lt;br /&gt;
'''トンチンカン'''な記事しか書けず、ボキャブラリーも非常に低い。にも関わらず、ウィキペディアの主旨に反した記事に対しては徹底的に修正する'''排他主義者'''である。また彼は悪質2ちゃんねらーでもあるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:jump|jump]] ===&lt;br /&gt;
前述のKP.NN同様意味不明な記事しか書けず、ボキャブラリーも低い。雑草取り程度しか貢献できないウィキペディアンである。また、彼も2ちゃんねらーであるらしい。名前の通り、週刊少年ジャンプの愛読者でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Peace|Peace]] ===&lt;br /&gt;
Wikipeidaを代表する良識派利用者（長期荒らしメンバー）で、右翼・保守主義者。詳しくは[[Peace]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:木村成祟|木村成祟]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|木村成祟}}&lt;br /&gt;
前述のPeaceと同じくwikipediaを代表する良識派利用者（長期荒らしメンバー）で、鉄道オタク。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yukarin|Yukarin]] ===&lt;br /&gt;
長期荒らしメンバーの1人。[[荘田悦宏]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Gordon_S|Gordon_S]] ===&lt;br /&gt;
千葉県在住。プロバイダは朝日ネット。血液型はB型。身長：178cm 体重：76Kg 視力：右目 1.2 左目 1.2。自称・インディーズミュージシャン。[[岡田有希子]]ファン。[[Peace]]系の取締の自警をやっているキチガイ。最近は増長して[[ウィキペディア自警団]]になり、有害な自警活動を繰り返したところ[[wiki:利用者:海獺|海獺]]に無期限ブロックされる。その腹いせに大好きな[[2ちゃんねる]]で[[wiki:利用者:海獺|海獺]]を誹謗する連続投稿をし、「土嚢」と呼ばれる荒らしに成り下がる。主なソクパペは[[wiki:利用者:Boomy|Boomy]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もとはsnty-tactの複垢だったのだが、ばれたので生体BOTに無期限ブロックを食らったのである。同じように食らった靴下にNumberがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上は9割が[[ユアペディアの利用者]]達によってでっち上げられた架空の設定である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:音声おじさん|音声おじさん]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|音声おじさん}}&lt;br /&gt;
前述のPeace同様、Wikipediaを代表する良識派利用者（長期荒らしメンバー）の重鎮。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:もりかわしみ|もりかわしみ]] ===&lt;br /&gt;
前述のPeace同様、Wikipediaを代表する良識派利用者（長期荒らしメンバー）の重鎮である。Wikipedia日本語版の皇族専門ユーザーである反面、一部の天皇制に反対している管理者と折り合いが悪く、vandaluser呼ばわりされる。オナラやデブといったジョークを加筆していることでも有名。ちなみに、靴下数はPeaceやNetanotaneに及ばない。定期的に現れては去っていくので、WP工作員の可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:毛が生えた程度|毛が生えた程度]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaを代表する良識派利用者（長期荒らしメンバー）の重鎮。通称「毛生え」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「jawpは&amp;quot;日本語版&amp;quot;であって&amp;quot;日本版&amp;quot;ではない」をスローガンに多数のアカウントを状況に応じて使い分け、分割・移動など様々な手法でjawpの記事を整理していく掃除屋である。しかし、分割や移動についてうるさい一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。また後述の向日葵三十郎およびかなべえコバトンとは[[ライバル]]関係にあり、こちらでもやはり分割や移動などを行う際には毎度のごとく口論になる。「喧嘩するほど仲がいい」とでも言ったところか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、Wikipedia以外では「ボンバー佐藤」の名で活躍している。工作員疑惑浮上。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:OzuYasu３rou|OzuYasu３rou]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者（長期荒らしメンバー）の1人で、Peaceとは逆に左翼・リベラリストである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:向日葵三十郎|向日葵三十郎]] ===&lt;br /&gt;
Wikipedia利用者の1人であり、[[wiki:利用者:毛が生えた程度|毛が生えた程度]]や[[wiki:利用者:OzuYasu３rou|OzuYasu３rou]]に対し異常なまでに粘着する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛生えの編集方法を「急進的」とみなし編集内容に関わらず闇雲に差し戻しまくる。OzuYasu３rouの編集も「左翼的」とみなして闇雲に差し戻しまくるが、[[wiki:利用者:Peace|Peace]]などのように「右翼的」な編集をしている者に対しては事実上の黙認を決め込む。それもそのはず、本来なら百科事典的でないとして削除されるはずだった「[[wiki:韓民族優越主義|韓民族優越主義]]」の記事が削除されぬよう必死に策動し現在も放送されているはずの韓流ドラマの記述を「放送されている」から「放送されていた」に改竄し、それらの行動について注意・質問を受けても無視するなどこいつは典型的な悪質嫌韓厨だからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普段は[[極東アジア]]関連や[[スポーツ]]関連の記事にて遠まわしに韓国の有名人の悪口を書くような編集をしている。こういうことしか頭にないのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:TT|TT]] ===&lt;br /&gt;
ネット右翼。各所で偏った編集を行っている。中国や韓国などが起こした不祥事が報道されるとすぐに速報してまわる（ウィキペディアでは「ニュース速報はウィキニュースでやれ」ということになっている）。こういうことしか頭にないのだろうか。常に湿っぽい雰囲気を撒き散らす点も特筆に値する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自身の信条に基づく内容を加筆する際、「日本人は～」「日本人の～」といったようにまるで日本人全員がネット右翼であるかのような書き方をすることも多く、ネット右翼でない者から見れば迷惑である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみになぜかエロゲー関連の記事などを編集することもある（[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%93NG%E3%81%AA%E6%81%8B&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=16337784]や[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%B0%91%E5%A5%B3&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=16469031]など）ためエロゲヲタでもあると思われる。普段の根暗な雰囲気といい隠れエロゲヲタであることといい、こいつは恐らく「ニート右翼」なのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Yatobi|Yatobi]] ===&lt;br /&gt;
Wikipedia利用者の1人であり、SpinNet（旧：AT&amp;amp;T WorldNet Service）から存在している電波。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通称「夜飛」で本名は城間康博で自分のホームページで本名やPHSの番号を公開していた変態。無職だったので親に強引に実家の静岡に呼び戻され、今はニート。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:FOZ|FOZ]] ===&lt;br /&gt;
[[岐阜県]]出身のウィキペディアン。'''主に岐阜県・[[香川県]]関連の記事において身勝手極まりない編集を継続して行っている。ただ、未だに長期ブロック依頼が提出されない不思議なユーザーである。'''年齢は40歳近いオヤジである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:かなべえコバトン|かなべえコバトン]] ===&lt;br /&gt;
Wikipedia利用者の1人であり、前述の毛が生えた程度のライバルの1人でもある。「かなべえコバトン」、「亀」、「Kam47625」、「ハエ叩き」、「ハエたたき」、「Ywmpq205」、「野島」などの複数のアカウントを状況に応じて使い分ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ハエ叩き」と「ハエたたき」を使い向日葵三十郎と共に毛生えによる記事の分割や移動を「急進的」とみなして阻止していたが、jawpでも屈指の[[ファシスト]]として知られるFasoによってある日突然不当な無期限ブロックを受けてしまい現在は長期荒らしメンバーの1人となった。ちなみに風俗王系荒らしがソックパペットではないかという説があるが、風俗王はどちらかと言えば東日本国際に近い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、いろいろあってK・リュウやIP125.2.191.211からは恨まれている。またPeaceや荘田悦宏とは思想的には正反対であるため仲が悪いがWikipedia管理者という共通の敵を持つため、あるいは共闘できるのかもしれない。逆に無能な元管理者の小西規勝とは思想が一致することもあっては、小西はサブページを削除しようとしたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:東日本国際|東日本国際]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者（長期荒らしメンバー）の1人で、[[共産主義]]者。当初は[[朝鮮総連]]の工作員と思われていたがどうやら違うようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Peaceが[[左翼|左]]に偏りすぎた記事を修正してまわっているのに対し、東日本国際は[[右翼|右]]に偏りすぎた記事を修正してまわっている。これにより、Wikipediaの政治分野の記事は絶妙な[[中立的観点]]を保っていると言っても過言ではない・・・と思う。しかし、ファシズムを支持する一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。ただし管理側の工作員である疑惑も浮上している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Peaceや荘田悦宏とは思想的には正反対であるため仲が悪いがWikipedia管理者という共通の敵を持つため、あるいは共闘できるのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Netanotane|Netanotane]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者（長期荒らしメンバー）の1人で、[[フェミニスト]]。当初は[[男女共同参画局]]の工作員と思われていたがどうやら違うようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
凄まじい数のアカウントを所持しておりその数は1100に及ぶ。これはwikipedia日本語版の中で堂々の第1位である（英語版ではこのくらいの数のアカウントで工作する輩はいる）。これらのアカウントを使い分けて[[ジェンダー]]関連の編集を行う。フェミニストのスタンスに属するため[[保守派]]や[[マスキュリスト]]との口論が後を絶えないものの、ジェンダー関連の記事に大きな功績を残したのもまた事実である。しかし、女嫌いな一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。結局、Netanotaneの行為として処理されるブロック依頼が増え日本語版WP管理班の工作アカウントと化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:超高速即時削除マシーン|超高速即時削除マシーン]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|超高速即時削除マシーン}}&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者（長期荒らしメンバー）の1人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:MINIKETSU|MINIKETSU]] ===&lt;br /&gt;
[[長野県]][[松本市]]在住の利用者で、長期荒らしメンバーの1人。漢字表記は「美新月」。「美新月社民主義連邦共和国」住民を名乗る。少年ジャンプ関連の荒らしで無期限ブロックを受けvandaluser扱いとなる。自分でウェブサイトを作れよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:IP125.2.191.211|IP125.2.191.211]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者（長期荒らしメンバー）の1人で、jawpきっての[[ギャンブラー]]。通称「IP125」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[パチスロ]]をこよなく愛しウィキペディアにおいては乱暴な言動も目立つが、基本的には義理人情に厚い熱血漢でありウィキペディアの秩序を乱す者には容赦なく制裁を加える。しかし、パチスロを「[[朝鮮ルーレット]]」（[[パチンコ]]の場合は「[[朝鮮玉いれ]]」）などと誹謗中傷する一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その振る舞いから本業はヤクザではないかと疑われることも少なくないが、本人によると本業は[[愛媛県]]内の[[サラリーマン]]とのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Mikihisa|Mikihisa]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaの良識派利用者（長期荒らしメンバー）の1人で、ウィキペディア日本語版きっての'''雑草取り'''。通称「Miki」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアきっての'''雑草取り'''でありウィキペディアにおいては乱暴な言動も目立つが、基本的には義理人情に厚い男性でありウィキペディアの秩序を乱す記事に対しては容赦ない'''削除依頼'''または'''コメントアウト'''を加える。しかし、これらの言動を「'''恣意的な言動'''」などと判断する一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Mishikaと混同しないこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:影武者|影武者]] ===&lt;br /&gt;
[[中国語版ウィキペディア]]から来た、Wikipediaの良識派利用者（長期荒らしメンバー）の重鎮で、日本製ゲームオタク。[[台湾]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コンピュータゲーム]]関連の分野で活躍しているが、コンピュータゲームを「心身の健康を害するもの」とみなしている日中両方の一部の管理者によってvandaluser扱いされてしまう。しかしそれでも影武者は諦めることなく日本語版や中国語版以外のウィキペディアでも活動するが、やはり他言語版の管理者も日中の管理者が言うことを真に受けて影武者をvandaluser扱いしてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、以前はいわゆる「[[できちゃった結婚]]」をした芸能人を糾弾する投稿も行っていたが一部の管理者によって「中出系移動荒らし」などと中傷されてしまったため、現在はこの活動を行っていない。通院歴もあるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Willy on Wheels|Willy on Wheels]] ===&lt;br /&gt;
[[英語版ウィキペディア]]から来た、Wikipediaの良識派利用者（長期荒らしメンバー）の重鎮。[[イギリス]]出身。通称「WoW」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不適切な名前の記事を適切な名前に移動する作業が得意だが、英語版ウィキペディアの管理者がそれを根拠なく移動荒らしとみなしたことによって全世界のWikipedia管理者からvandaluserとして扱われるようになってしまった。しかしそれでもWoWは諦めることなく様々なウィキプロジェクトで活躍しており、ウィキペディア日本語版にもメンテナンスのために現れることがある。とは言えウィキペディア日本語版の管理者も例外なくWoWをvandaluserとみなしているため、いちいち妨害されてしまうのが実情である。そのためか、日本語版では最近WoWを見かけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:タノ|タノ]] ===&lt;br /&gt;
「タノQ」と名乗っている。日本語がかなり不自由な参加者であり、暴言ユーザーの1人として知られている。標準語は書けず、高卒レベルの頭脳すら無い。ただ反日左翼思想の持ち主であるためになぜか管理者のmiyaや周囲の左翼に手厚く保護されており、いくら暴言をこいてもブロックされることはない。保守思想・右翼思想・左翼の反論者を排撃するための「かませ犬」として利用されている節がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
口調が小学生～中学生を思わせるが、実は40過ぎの中年男性である。また、性同一性障害のオカマさんかと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:経済準学士|経済準学士]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアで著名な迷惑ユーザー。[[経済準学士]]および[[経済準学士の素行]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Matunami|Matunami]] ===&lt;br /&gt;
「ゆう」と名乗っている。Peace系取締りに熱を上げるユーザーであり、典型的なネットサヨクである。その取締りに歯が立たない相手や記事に関してはこっそりと無名で参加して煽ることもしている。日本人ではないと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:user:ish-ka|ish-ka]]/[[wiki:利用者:Hi-ask|Hi-ask]] ===&lt;br /&gt;
河下反対派総長。大のラブコメ嫌いで、[http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Hi-ask Chakuwikiの利用者ページ]でもこの事を公言している。又、同項を始め編集合戦を乱発しており、巻き添えとなったユーザーも少なくない。ちなみにこれまでは自分の正体を隠していたが、最近仮面を矧いだようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
余談だが、hi-askの利用者ページに「'''ChakuWikiの同名の利用者は、この利用者ではありません'''」と書いてあるが真っ赤な嘘である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:彩華1226|彩華1226]] ===&lt;br /&gt;
[[愛媛県]]出身、在住の[[アニメオタク]]、[[アイドルオタク]]、[[ロリコン]]、[[2ちゃんねらー]]、[[部落民]]、[[エタ]]、[[エッタ]]、[[ヒニン]]、[[エッタボシ]]、[[チョーリンボ]]、[[牛殺し]]、[[穢多]]、[[非人]]、[[国賊]]、[[売国奴]]、[[迷惑だから献血しないでほしい人]]、[[おんぼう]]、[[カッペ]]、[[田舎者]]。反社会団体、[[部落解放同盟]]の構成員。年齢非公開だがガキであることは確か。編集合戦大好きの荒らしであるが、社会的問題にも興味がある様子。しかし実際に海外に赴いたことは無いらしく、情報源は2ちゃんねるのみ。小難しい項目の、自分の分からない事項は全て削除。しかし[[アニメ]]が大好きで、自分のお気に入りアニメ（これがまた豊富）にその商品が出てきたとかいうだけで関連項目にそのアニメを追加したり「エピソード」なんて項を作って誰も知りたくない「○○というアニメに登場した。このアニメの中で主人公の××は～」とかいう情報を記述する。しかしこれらの特徴はほとんどのウィキペディアンに共通することであり、彼（彼女だったら正直引く）はウィキペディアの劣化の象徴的存在なのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Dr jimmy|Dr jimmy]] ===&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:Lonicera|Lonicera]]の犬。Lonicera同様音楽関連、特にバンド関連に異常なまでの執着心を持っており、音楽関連の編集に関しても無知を晒しているので文章が支離滅裂になっていることが多く、自分の知らない内容には全て過剰と執れる「{{要出典}}」を貼りまくるのが彼のストレス解消方のようである。こいつのせいで[[ヘヴィメタル]]、[[ヴィジュアル系]]関連の項目は絶滅に等しい内容となって行った為、彼のアンチは多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:人造人間だみゃ～ん|人造人間だみゃ～ん]] ===&lt;br /&gt;
WPに突如として現れた変態。WPよりも2ちゃんねるのエロパロ板を活動の主軸にしており、その変態行為はもはや伝説となっている。しかもWPでの数少ない投稿の中で既に1回ブロックを受けており、今後の活躍が期待できるユーザー。また、自身の利用者ページで百科事典を作りますと言いながらブロック依頼などにも積極的に参加する自警団候補生の困ったちゃん。投稿ブロック依頼などでは自分の投稿の直前までの他の利用者の意見を見て大勢の方の意見に同調するという、極端な日和見主義者である。もちろん、この利用者の意見が審議の行方を左右することはない。自他共に認めるアホである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
座右の銘は「'''この世はすべて、ネタでできている'''」。ウェブ上の百科事典という崇高な目的を持つウィキペディアでさえも、この利用者にとっては単なるネタ帳でしかない。そこで仕入れたネタを元に、エロパロ板で活動するのである。その内容はまさしく、「'''アホの中のアホ'''」と言える。本人曰く「''私は面白いことを書いているのではない。アホな事を書いているのだ''」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人造人間と名乗ってはいるが実際は陰茎の先端の包皮の改造手術を受けただけであり、限りなく生身に近い。現在、糖尿病と白癬を患っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
性器画像が大好きであるが、おっぱいにはこだわりはない模様。口癖は「おっぱいなんて飾りです。エロい人には（ry」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヘビ関連をおもに執筆しているが、体型はヘビーである。ちなみにチンコはベビーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
相手が誰であっても、女でさえあれば見境なくチンコを立てる事ができる。Aphaiaの顔写真をズリネタにしたことすらあり性欲が暴走しまくっている、いろいろな意味で危険なユーザー。くれぐれも三面記事には載らないように。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家族構成を聞かれるとかつては「妹十二人」と答えていたが、最近では「19人姉妹」と答えている。現実と妄想の区別がつかない真性のキモヲタ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:DEN助|DEN助]] ===&lt;br /&gt;
勤務先よりwikipediaのアニメ・声優関連への荒らしを行なった。なおIPを抜かれて、交通新聞社を解雇された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kemonomichi|Kemonomichi]] ===&lt;br /&gt;
自分自身がhatukanezumiの靴下であるにもかかわらず、誰彼構わず靴下呼ばわりをする迷惑ユーザー。最近ではNekosuki600、パンチョ後藤、Maris Stella、Lonicera、Yassie、人造人間だみゃ～ん、はるひ、Bell cricket、ちゃたま、キハが好き♪、たま998の各利用者氏が同一人物であるという、怪盗とんちんかんも真っ青の頓珍漢な主張を垂れている。本名は間抜作。宇宙の創始者である。常識がまったく通じない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、近々強制ウィキブレイクの予定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Harpoon|Harpoon]] ===&lt;br /&gt;
Wikipediaにおいてタブーとされる（陰茎）性器露出画像の是非に触れたことから性器露出愛好家の怒りを買い、多数決でWikipediaを追放されてしまった。職業：IT技術者。wikipediaの管理者を敵対視しているがCalveroとちゃたまには友好的らしい。口癖は「悪人死スベシ」。おっぱい星人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は2ちゃんねるの本スレに待機しており、ブロック権限を乱用する管理者を発見すると荒らしに出撃するという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお性器画像愛好家で、反おっぱい星人の人造人間だみゃ～んとはまったく性格が合わない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:東日本侍|東日本侍]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
自称受験生。主に鉄道、週刊少年ジャンプを主体とするサブカルチャー関連の記事で荒らしている。そのくせ、他の健全なユーザーを荒らし扱いしているとんでもないクソガキである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、最近[[w:fr:user:東日本侍|フランス語版]]でのアカウント取得が確認されており、利用者ページにかかれている通りあっちでも暴れる気満々である（フランス語から翻訳したのではなく、そのまま日本語で記述されている）。そしてとうとうフランス語版では1日ブロックを受け、[http://fr.wikipedia.org/w/index.php?title=Special%3ALog&amp;amp;type=block&amp;amp;user=&amp;amp;page=Utilisateur%3A%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BE%8D&amp;amp;uselang=ja 最終的には無期限ブロックを受けてしまいましたとさｗｗｱｰｱww]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに日本語版の利用者ページにも「フランス語版の同名の利用者は関係ありません」とかいう嘘までついちゃってｗｗish-kaの真似なんかしてたらバカが余計にバカになるよｗｗ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Knua|Knua]] ===&lt;br /&gt;
[[岐阜県]]在住（本当は別との説もあるが）のユーザーであるが、学校とかにおけるいじめなどの問題を取り上げた記事においてまるで加害者を簡単に許すかのように加害者が反省の色を見せないだの学校側が隠蔽体質だのといった書き込みを'''出典の有無問わず主観だと切り捨てて'''削除するといういじめなどの諸問題を真剣に考えるという感覚が途轍もなく貧弱でお人よしな利用者。この傾向は自分の地元である岐阜県の学校関係の記事とかで特に顕著に現れる。自分の地元で起こったいじめ事件ならなお重大に考えなければならないにも関わらずである。指摘するととぼけるわ、開き直るわ、言い訳ばかり並べるわでなおタチが悪い。こいつに言わせたらこういったいじめ事件などで上記のように加害者が平然としていただの学校側が隠蔽体質などといった報道は片っ端からデタラメらしい。加害者の人間性や被害者の被害感情をここまで甘い目で見てるようではそのうち自分で自分の首を絞める事になるであろう。'''あ、もう既に絞めまくってるか、ギャハハハハハ…。'''もしこいつ自身が教育関係者になって学校内での生徒間でのいじめやリンチがあった場合、'''絶対ひたすら隠蔽すんぞ、そして岐阜をいじめ推進県にしてしまうぞこのボケナスアホンダラは!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''いっぺん[[葵龍雄|某ホームページ運営者]]にこてんぱんになじられて来い。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかもこいつはなんと'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;地下鉄サリン事件やJR福知山線脱線事故、日航機墜落事故、土浦やそしてあの秋葉原での通り魔事件さえも現実じゃなくて片っ端からフィクションの作り話だと思っている&amp;lt;/span&amp;gt;'''のだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もはや&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:1cm&amp;quot;&amp;gt;手の施しようの無い平和ボケの大馬鹿野郎及び病的な重大事件風化主義者&amp;lt;/span&amp;gt;である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記のような度重なる不祥事隠蔽編集の報いとして利用者ページを荒らされるも、どっかの管理者にかばわれて天狗っ鼻になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:吹石|吹石]] ===&lt;br /&gt;
蛆虫野郎。詳細は[[吹石]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Umagurui|Umagurui]] ===&lt;br /&gt;
悪質[[VIPPER]]であり、[[七星]]同様、皆からの顰蹙を買っているのが実情。基地外利用者の代名詞でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:提督|提督]] ===&lt;br /&gt;
「ネットウヨク」の項目でサヨク独特の偏向っぷりを大量に披露。ネットウヨクは「その反面、日本の近現代史や、戦史・戦略などの軍事知識などにおいて一般人より劣る部分がある」などの妄想を垂れ流しそのたびにノートで論破されるも「“ネット右翼現象”の説明は進行中の事例の「観察」結果であり、必ずしも明確な出典がある訳ではない」や｛「検証可能性」の誤解（あるいは拡大解釈）について｝などと妄想を押し付けるための妄想を披露し、ネットウヨク以外のユーザーにも叩かれまくる。また、死刑存廃問題の項目では死刑廃止論を押し付ける偏向記事に協力し、複数回にわたり「記事分割の実施要項案」を出すもこれも独りよがりで廃案となる。国際人権派団体と呼ばれながら北朝鮮による拉致には一切抗議しない偏向サヨク団体「アムネスティ・インターナショナル‎」や「私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ」という暴言で知られる死刑廃止論者という名のサヨクの変種「菊田幸一」の項目に多く参加している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:MT.Stone|MT.Stone]] ===&lt;br /&gt;
2004年[[1月26日]]から参加しているベテランユーザー。自身のページに&amp;lt;i&amp;gt;編集方針等を読まない、独自の理論を振り回すなど言ってもわからない人物と判断したときは指摘した後に放置する&amp;lt;/i&amp;gt;と基本方針なるものを掲げる。戸田恵梨香の項目のとある記述を載せるか否かという議論があり、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%90%88%E6%84%8F%E5%BD%A2%E6%88%90 Wikipedia:合意形成]にある期間が過ぎ合意形成ができた後に合意形成済みの議論に意見するも議論終了につきから回り、独りよがり。&amp;lt;i&amp;gt;合意形成のプロセスは無視しませんよ（確認）。&amp;lt;/i&amp;gt;と合意形成を認めるも、あるユーザーが根拠なしに議論のあった記述に反対すると突然&amp;lt;i&amp;gt;番組中の発言について（再検討）&amp;lt;/i&amp;gt;と合意形成を無視し、記述に反対し始める。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;i&amp;gt;ノート:戸田恵梨香 - テレビ番組内での失言について、強引な議論により結論が放置されているので再度の議論をお願いしたい。--2008年2月7日 (木) 00:33 (UTC) &amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
というコメント依頼も出す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
合意形成という編集方針等を読まない、検証可能性どうこう、中立性どうこうなどと独自の理論を振り回す言ってもわからない人物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:Wikipedia:削除依頼/福島瑞穂|Wikipedia:削除依頼/福島瑞穂]]においては、政治家の発言を捏造した。つまり証拠を捏造した。その後発言していない、捏造であると批判されるもまともに謝罪せずに、削除依頼の議論に参加し続けるありさまである。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;i&amp;gt;**（コメント）[http://kokkai.ndl.go.jp/ 国会議事録検索]で調べたところ、平野議員は「問題にしていない」と言明していますね。上記の「問題にしている」と真っ向から違います。また証拠の一部はコピーであって自分は確認していないとも言っていますね。中核派は集会の出席者の一部であり、善良な市民がいたであろうとも述べています。機関誌の記載は事実でしょうが、あくまでも福島の信念を講演したものであり、内容に問題はないように思います。上の方で「記載したいイデオロギーがある」という指摘がありましたが、それを裏付けるコメントのようにお見受けいたします。--[[利用者:MT.Stone|Mt.Stone]] 2008年1月6日 (日) 02:38 (UTC)&amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
これに対し、あるユーザーに批判される。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;i&amp;gt;**（コメント）ちょっと待ってください。平野議員が'''「問題にしていない」'''と言明していたというのは何月何日のどの会議での話でしょうか。「開会日付：平成11年6月8日 ～ 平成11年6月8日」「院名：すべて」「発言者名：平野貞夫」「検索語(&amp;amp;)：問題にしていない」で検索しましたが検索件数は0件でした。自ら「言ってもないことを言ったと言い出すのは末期的ですね」（[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Mightupon&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=17187105]）と発言している[[利用者:MT.Stone|Mt.Stone]]さんが平野議員の発言を勝手に捏造しているなら由々しき問題ですよ。&amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Misum|Misum]] ===&lt;br /&gt;
神戸の某私立高校の記事に於いてこの高校で発生したいじめ事件の記事の部分を実際に学校と関係があり、ノートでも削除に反対の声があったにもかかわらずそれを完全無視して理由も言わず当事件の記事をごっそり削除した自分勝手ユーザー。'''こいつもいじめ隠蔽主義者か!!'''まぁ、どうせ関係者なんだろうな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''いっぺん某ホームページ運営者にこてんぱんになじられて来い'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;今までの凶悪事件・重大事故の殆どをフィクションの作り話だと思っている救いようの無い平和ボケの大馬鹿野郎である。&amp;lt;/span&amp;gt;'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やはり&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:1cm&amp;quot;&amp;gt;犯罪被害者の感情逆なで狂&amp;lt;/span&amp;gt;である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:長野のそうじろう|長野のそうじろう]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
基地外ユーザー。ウィキペディアの方針文章無理解で5年のブロック。さらに姉妹プロジェクトなどでパスワードを公開して無期限ブロック移行となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつは'''&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:2cm&amp;quot;&amp;gt;荒らしが趣味の基地外&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kiku-zou|Kiku-zou]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Kiku-zou}}&lt;br /&gt;
関東地方（[[茨城県]]の土浦周辺?）在住で排他主義者・削除主義者・自治厨のウィキペディアン。検証可能性にこだわるあまり、乗り物（特に鉄道）関連の検証可能性を満たさぬ記事に対して杓子定規に「荒らし」と決めてかかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Abcde|Abcde]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Abcde}}&lt;br /&gt;
[[バーニングプロダクション]]の工作員で、同じく[[バーニンググループ]]に有利な編集をしている[[wiki:利用者:Tanto|Tanto]]も同一人物。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Onyx|Onyx]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Onyx}}&lt;br /&gt;
ウィキペディアの[[色]]や[[顔料]]、[[絵具]]に関する項目で独自研究を加筆しているウィキペディアンで同じく色・顔料関連の項目を荒らしているIPユーザーの[[wiki:利用者:202.244.240.2|202.244.240.2]]も同一人物。詳しくは[[Onyx]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Ziel|Ziel]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアが誇るブロックキング。半年間で5回のブロックを受ける別名ミスター・ダブルスタンダード。M属性のため対話拒否・改竄・削除をわざと行いブロックされることにエクスタシーを感じている。またソックパペットを使い、場を荒らした後水戸黄門のごとく登場することで人望を得ようとしているがうまくいっていないらしい。最近おいたがすぎるので[[wiki:利用者:Nekosuki600|親分]]に怒られている。本人は1番弟子の気分だが、親分から'''Zeal'''と名前を間違われるくらいの存在でしかない事に気づいていない。挙句の果てにOpenProxy使いに長期にわたって粘着されるザマとなってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:HOPE|HOPE]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
[[ホッカイドウ競馬]]の項目は自分のものだと思っている大馬鹿者。特に「歴代優勝馬」の表については並々ならぬこだわりを持っており、表の規格を統一しようという気は毛頭ない頭の堅いバカである。こういう者は早くウィキペディアから去ってほしいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Goki|Goki]] ===&lt;br /&gt;
愛称は「'''ゴキブリ'''」。競馬関連の項目で結構大きい顔をしている野郎。最初は口調は丁寧だったのに最近は慣れてきたのか雑になってきた。「利用者ページ」ではわがまま言い放題で2ちゃんねらーである。こういう者は早くウィキペディアから去ってほしいものだ。ここまでクソ野郎とは・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Shota|Shota]] ===&lt;br /&gt;
愛称は「'''ショタ'''」。人の編集に対して悪態を垂れ流すのが趣味である。自身の会話ページにおいて、都合の悪い書き込みを「終了分」などと称して過去ログ化すらせずに除去するのもこいつの悪い癖である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ネッツ|ネッツ]] === &lt;br /&gt;
{{Main|藤森京介}}&lt;br /&gt;
本名：[[藤森京介]]。[[長野県]][[飯田市]]出身。[[荒らし大王の一覧|ユアペディアの荒らし王]]であるくせにウィキペディアではまじめなユーザーになっている。最近はアンサイクロペディアを含め、永遠のウィキブレイクをしたものの、Yourpediaではブレイクせず今も荒らし行為を続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:project|project]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|project}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ＮｉＫｅ|ＮｉＫｅ]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|小西規勝}}&lt;br /&gt;
受信料を不正に使用しているNHK職員であり、管理者をクビになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Lonicera|&amp;lt;font color=&amp;quot;#009900&amp;quot;&amp;gt;Lonicera&amp;lt;/font&amp;gt;]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Lonicera (利用者)}}&lt;br /&gt;
WPきっての差別派利用者。暴言と管理者権限を濫用したため、管理者を解任された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Star-dust|Star-dust]] ===&lt;br /&gt;
上記のロニセラの部下、というよりロニセラを尊敬しているキチガイ利用者。気に入らない記事があれば何が何でも削除しようとする姿勢が特徴である。こんなやつが管理者にでもなったら、ウィキペディアは完全におしまいである（本当です）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:大分佐伯|大分佐伯]]（ShunKikuchi219） ===&lt;br /&gt;
{{Main|ShunKikuchi219}}&lt;br /&gt;
荒らしの1人。[[大分県]][[佐伯市]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:辻斬|辻斬]] ===&lt;br /&gt;
「ほうきマークを貼り付けることしかやらない」と公言しており、ハロプロメンバーの編集保護を楽しみにしているロボット。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Zuckwild|Zuckwild]] ===&lt;br /&gt;
[[産経新聞]]ファンの右翼。同社と紙面の名誉を傷つけられる記述には我慢ならず、即刻リバートを行なう。[[wiki:利用者:Gordon_S|Gordon_S]]を敵視しており[[海獺 (利用者)|海獺]]のシンパ（靴下かも）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Tatsujin28|Tatsujin28]] ===&lt;br /&gt;
管理者でもないくせに[[wiki:利用者:R28Bot|R28Bot]]なるボットを使用して編集妨害を行うキチガイ独裁者。R28Botとは一つの記事内に「hyde」と「156」の単語が揃うだけで即刻自動リバートを行う、極めて悪質な言葉狩りボットである。はっきり言って、このようなクソボットから心のこもっていない「ようこそメッセージ」を受け取って喜ぶ奴などいるわけがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ソウ|ソウ]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|大場綜}}&lt;br /&gt;
[[基地外]]どもに因縁をつけられ、無実の罪で追放された。基地外どもに荒らし呼ばわりされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Mikomaid|Mikomaid]] ===&lt;br /&gt;
[[群馬県]][[富岡市]]在住の元[[ウィキホリック]]。[[1963年]]生まれ。[[2006年]][[2月11日]]よりIPユーザーとして投稿を開始。主な投稿先だった[[真如苑]]が半保護となり、[[2006年]][[5月19日]]に現在のアカウントを取得。利用者ページでは「巫女、メイド、祭り、鉄道、カメラが好きな者です」と自己紹介し、主な投稿項目は「祭り」、「ふんどし」、「映画」、「アニメ」、「ゲーム」、「宗教」、「鉄道」、「音楽」関連の分野と広範囲に及ぶ。毎朝午前10時前後の約3時間、夜間は午後8時から午前0時までの4時間に規則的に投稿を行うことが特徴。他に、分野別（ゲーム、アニメ、宗教）に別アカウントを持ち、他の空いた時間に投稿していると噂されている。その投稿内容は、単にネットで検索して転載したものに過ぎず、出典元は個人サイト、ブログの記述や2ちゃんねるの投稿内容と、正確性や検証性に乏しい内容である。文献を読んで精査した内容の投稿ではない。そのため、誤った記述も多く、そのことを多くのユーザーから指摘されても改正には殆ど応じず、自己の投稿内容の正当性を強く主張して自分の投稿内容に固執する。その投稿内容に手を加えるユーザーを攻撃者呼ばわりし、相手の編集のリバートを繰り返すことや、投稿相手のコメント依頼を連発し相手の編集や投稿の牽制を行う。その為、当該の項目の編集が滞り、[[Mikomaid]]の実質管理下に置かれていた。[[2008年]][[7月16日]]に本人が議論相手のコメント依頼[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E5%BC%A5%E3%80%81%E9%83%81]を提出したところ、提出内容の正当性に疑問が持たれ、本人の過去の投稿歴が精査されることとなり、その攻撃的で相手を挑発する行為が問題視されるようになった。また本人の過去が精査されたことでその際、過去と現在のIP([[220.3.132.253]]、[[220.3.134.144]])が明らかになり、そのIPを検索すると、過去に2ちゃんねるで荒らし行為を行っていたことが発覚した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この間のやりとりで、管理者・[[海獺 (利用者)|海獺]]より言動に問題があると1週間の投稿ブロックを受けた。[[2008年]][[8月7日]]、遂に他ユーザーより本人のコメント依頼[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Mikomaid]が提出され、過去に多重アカウントを使って合意形成を行っていた事実や、正確性、信頼性、検証性に乏しい投稿内容、本人の投稿内容を編集した相手への挑発や攻撃的な言動が次々と明るみに出た。多重アカウントの合意形成は[[2006年]][[8月31日]]より利用を始めた地元市役所の公開端末を使い、他人になりすましたものである。地元市役所でもこの事実が発覚し、公開端末の利用制限が行われ地元住民は迷惑を被った。[[2007年]][[12月26日]]にIPユーザーより多重アカウントによる合意形成疑惑でCU依頼[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:CheckUser%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Mikomaid%E3%81%A8A._J._Kuonji]が行われた時点で、素直に多重アカウントによる合意形成を行ったことを認め、謝罪したことから問題が大きくならず処分が下されることはなかったが、[[2008年]][[8月6日]]の本人へのコメント依頼でその後の言動に全く変化がなかったことが明らかになったことで、[[2008年]][[8月28日]]に投稿ブロック依頼[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Mikomaid]が他のユーザーから提出され、[[2008年]][[9月3日]]より各種方針の熟読期間として1年間の投稿ブロックの処分[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Mikomaid]が下された。これは、相手によって態度を豹変させる卑屈なまでの姿勢からその言動の信憑性に疑問が持たれ、ユーザーとの質疑を重ねる度にその本性を他ユーザーに見抜かれ、無期限ブロックを支持するユーザーが一気に増えたが、管理者・[[海獺 (利用者)|海獺]]が無期限の投稿ブロックに反対したことから、一年間の投稿ブロックに留まったものである。管理者・[[海獺 (利用者)|海獺]]から「問題点がわからない方」、「何度指摘されても改善されない方」、「自制が効かない方」と言われ、百科事典の編集には向いていないとあからさまに言われても、本人はその意味に気が付かず、管理者・[[海獺 (利用者)|海獺]]を呆れさせた。&lt;br /&gt;
一方、本人は、投稿ブロックを見越して[[2008年]][[8月11日]]にYourpedia にてウィキペディアと同じ[[Mikomaid]]のハンドルネームでアカウントを作成[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/Mikomaid]しYourpedia上での投稿活動を開始し、Wikipedia のユーザーの顰蹙を買った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
*[[モナペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア自警団]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディアの管理者が勝手に保護した記事]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディアにおける勇者]]&lt;br /&gt;
*[[著作権自警団]]&lt;br /&gt;
*[[自警]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|りようしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;diff=38791</id>
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				<updated>2008-09-03T11:50:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ウィキペディア日本語版の管理者'''（ウィキペディアにほんごばんのかんりしゃ）とは[[ウィキペディア日本語版]]を管理する人のことである。[[ウィキペディア]]に利用者アカウントを持つものを一般的に[[ウィキペディアン]]と呼び依存症患者同然のヘビーユーザーを[[ウィキホリック]]と呼ぶが、管理者達が例外なくウィキホリックである事は論を待たない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者の多くが問題行動を取っているが、ブロックなどの行為を諌めたり取り消したりする者もいない事から見て相互不可侵が全員のモットーであるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 管理者一覧 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kasuga|Kasuga]] ===&lt;br /&gt;
[[ウィキペたん]]の生みの親。詳細は[[Kasuga]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kahusi|Kahusi]] ===&lt;br /&gt;
[[澤田亮太]]も参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Chakuwikiの管理者でもある。本名はオウム真理教幹部・[[松葉裕子]]。最近では他アカウントで荒らし始め他のウィキペディア管理者などの成りすましを行っているが、ウィキペディアの会話ページでは「私ではありません」とコメントしている。嘘つきは泥棒の始まりであるのは、オウム信者だからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
個人ウィキペディア「かふしゐき」で、トリップとアカウントを対比させた「[[2ちゃんねらー]]のウィキペディアン」一覧を作成していた。が、リストを根拠に管理者にまで2ちゃんねらーがいる事と[[海獺 (利用者)|海獺]]（福井一派は、全てこのアカウントをマニュアルで使うことが出来るので注意!）・[[太田尚志]]・[[福井利器]]・[[松葉裕子]]が2ちゃんねらーかつJAWPの管理者であることを指摘されて削除（=証拠隠滅）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Koba-chan|Koba-chan]] ===&lt;br /&gt;
クラシックの演奏家に向かって「馬鹿とはさみは使いよう」と吐き捨てることで有名&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/koba1.JPG]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/koba2.JPG]&amp;lt;/ref&amp;gt;。本名は小林義宗。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Tietew|Tietew]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|岩瀬透}}&lt;br /&gt;
本名は'''岩瀬透'''&amp;lt;ref&amp;gt;[http://hotwired.goo.ne.jp/matrix/0602/003/ 今泉誠と共にインタビューでウィキペディアの宣伝を述べる岩瀬透（写真あり）]&amp;lt;/ref&amp;gt;。Suisuiと並ぶウィキペディア日本語版の大幹部の1人で、悪質な独裁者であった。彼もメディア露出が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Ks aka 98|Ks aka 98]] ===&lt;br /&gt;
悪質管理者の1人で[[河下反対派]]。実際に[[荒らし]]やその他推奨されない行為を行っていない利用者に対して不誠実な無期限ブロックを平気で行う、極悪非道な利用者である。IPユーザーに対しても、広域ブロックを余裕で行える。このような極悪非道な利用者にはみんな迷惑している。2ちゃん組の一員。2ちゃん組の特徴として「スタイル修正などに徹する癖して、ろくな記事執筆が存在しないこと」が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:竹麦魚|竹麦魚]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|竹麦魚}}&lt;br /&gt;
北海道在住のアイヌ人。アイヌ語は達者だが日本語が不自由。会話ページを半保護したままいつまで経っても保護解除しようとしないチキン野郎であり、OpenProxyのブロックばかり熱心に行うキチガイ管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Los688|Los688]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Los688}}&lt;br /&gt;
投稿ブロックやリバートは迅速だが、それゆえにブロックやリバートの乱発が目立つ管理者の1人。[[宮城県]]の[[被差別部落]]出身。竹麦魚と同じくいつまで経っても会話ページの半保護を解除しないチキン野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:co.kyoto|co.kyoto]] ===&lt;br /&gt;
[[木津尚子]]を参照せよ。最近「co.kyotoは私です」という偽者が[[mixi]]に出没しているので注意が必要である。立派な共有靴下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:miya|miya]] ===&lt;br /&gt;
他人のコメントや都合の悪いエントリーをはてなダイアリーから一括削除したことで有名になった女性。そのだんな・Miya.mはジンボ・ウェールズを「皇帝」と呼ぶほどに慕っており（mixi日記より判明）、夫婦そろって「洗脳」されている。ジンボが撮った写真に自分が写っているにもかかわらず、「写っていない」と応対したことで話題となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理権限を好き勝手に濫用した事により、仲間であるはずのちゃたまの手によって'''管理者なのに短期ブロックされてしまったほどの問題児。'''本来ならば無期限ブロックされてもしょうがない輩なのだが、ちゃたまと同じく管理者でMiyaの手下でもあるKinoriによってあっと言う間にブロックを解除された（一般利用者ならばありえない減刑処分である）。Kinoriは、松葉裕子の別垢かなにかである。他の管理者にも言える事だが、今後Miyaがどんなに暴れてもウィキペディアから追放される事は無いであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猫森日記に「co.kyoto=hatukanezumi=aphaia」とコメント欄に投稿すると必ず削除される。削除しているのは福井利器。本名は'''[[宮川由美子]]'''と言われている。[[イオンド大学]]の旧版を「大学から申し入れがあった」という理由で保護し、新版をゼロから作る羽目に陥らせた張本人の大馬鹿。詳細な経緯は[[wiki:ノート:イオンド大学|ノート:イオンド大学]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*miya@kni.biglobe.ne.jp&lt;br /&gt;
**宮川由美子のメール&lt;br /&gt;
*tqa85292@biglobe.ne.jp&lt;br /&gt;
**宮川由美子の息子さんのメールではないか?KOBAYASHI TakakazuでありTomosと名乗っているが、偽名の可能性が強い。Tomosは「ウィキペディアで今何が起こっているのか」という提灯本に匿名で参加しており、宮川と血縁関係にある可能性が極めて高い。このような提灯本は黒幕は参加せず、20-30代のスポークスマンが参加することがほとんどである。&lt;br /&gt;
*http://www.kangeki.gr.jp/query.id.446.tab.1__user_info.aspx&lt;br /&gt;
**ここには、大阪在住であることだけが示されている。宮川由美子も確か、出身は神戸だが今は大阪に住んでいたはずである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Faso|Faso]] ===&lt;br /&gt;
OCNの広域ブロックに精を出す暴君管理者。Fasoのみの手によってFasoがコントロールされている確率は低い。mixiはすでに退会済みだが、かつては猿壱號という名義で登録してあった。本名は[[澤山隆行]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつてはCU権限を持っていた。しかし、乱用しすぎたのかCU権限を剥奪されてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Miya.m|Miya.m]] ===&lt;br /&gt;
miyaのだんな。上記のようにジンボ・ウェールズを「皇帝」と呼ぶまでに崇拝しており、Miyaに洗脳されていると思われる。恐妻家であるらしく、至極当然と言えばそうであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに普段は恰幅も気前も良いおじさんである。最近は嫁の奇行に悩まされ始めているらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Riden|Riden]] ===&lt;br /&gt;
管理者であるにもかかわらず実際に荒らしや中傷など行っていない無実の利用者に対して、不適切な投稿ブロックを平気で行う極悪非道な管理者である。そして平気で記事を保護する極悪管理者でもある。この極悪管理者を許すわけにはいかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Nnh|Nnh]] ===&lt;br /&gt;
神社関連の記事などを編集している管理者。記事を執筆するよりも人の悪口を書くのが好きな愚か者。自己満足のために必ず旧仮名遣い風で[[インターネット]]に書き込んでいるが、その内実は澤田亮太と同レベル。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:おはぐろ蜻蛉|おはぐろ蜻蛉]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版におけるサブカルチャー記事作成の急先鋒。特に[[声優]]の記事に固執することでも知られ、その声優に不利と思われる書き込みがあるとすぐさま特定版削除へ持ち込む。そしてあげくのはてに身勝手な保護。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:cpro|cpro]] ===&lt;br /&gt;
2007年より管理者。[[2ちゃんねる組]]の一員（トリップは◆Cpro.0SR8o）。よく編集する記事や[http://nikupedia.com/index.html 運営しているサイト]からみて明らかにオタクである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:Special rapid|special rapid]]や[[wiki:利用者:41|41]]などといったワルガキにお仕置きを加えることも得意としているワルガキハンターである。[[特別:Contributions/218.251.8.58|218.251.8.58]]ことspecial rapidからは「''とあるユーザーに対しストーカー行為を続け、そのユーザーが書いた記述を無意味にリバートする。最近では[[アンサイクロペディア]]で荒らし始め他のウィキペディア管理者などの成りすましを行っているが、ウィキペディアの会話ページでは「私ではありません」とコメントしている。嘘つきは泥棒の始まりである''」と評されている。アンサイクロペディアを荒らしたのは恐らくspecial rapidの成りすましだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
正体は、東京工業大学博士課程在籍の甲斐幸輔。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Chatama|Chatama]] ===&lt;br /&gt;
CU、ビューロクラットをも勤めるマルチユーザー。その事情も大きく作用しているのであろうか、他の管理者と比較すると攻撃的な編集やでたらめな記事加筆は少ない。ほとんどが悪戯排除のために使われているアカウント。利用者ページに書かれていることには当然間違いがあるが、「目立たない工夫」がされているため普通の人にはばれにくい。子持ちの中年であるため、電波やガキの扱いには慣れている。ブロック逃れのユーザーには厳しい対処をし、ケツ毛まで抜こうとする。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
火葬場に執着しており、稼動中（火葬中）の重油焚き再燃炉無しの台車式火葬炉内部を覗いた事がある。鉄道にも執着しているがどこか適当なため、加筆内容は薄い。アカウント取得者は実は有名人。何だかんだ言って、娘には甘いパパである。こいつもまた無関係なユーザーにまで巻き添えを食らわす広域ブロックをぶちかましてくれた。正直なところ、管理者権限の使用に少々荒っぽいところがあるのも否めない（本人談ｗ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちゃたまの画像はフォトショップで加工してあったので、このアカウントもどうせ仮想アカウントだろう。作成者は福井利器だが、草皆と太田らなどの2ちゃん管理屋から中尾に関する情報を収集していた可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Calvero|Calvero]] ===&lt;br /&gt;
極悪非道なウィキペディアの管理者。スのGと並ぶ理科系のオタク。実際に荒らしやその他推奨されない行為を行っていない無実の利用者に対して、不適切な投稿ブロックを平気で行う。最近では広域ブロックも行っている。ウィキペディアを魑魅魍魎化に導く利用者であって管理者などもってのほか論外。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:赤井彗星|&amp;lt;font color=&amp;quot;red&amp;quot;&amp;gt;赤井彗星&amp;lt;/font&amp;gt;]] ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;font color=&amp;quot;red&amp;quot;&amp;gt;このたび管理者の仲間入りを果たしたガンダムヲタク。Fontタグを使ったウザ署名を行っている。特定版削除の方法がわからないと嘆いていた。若さ故の過ちもあるが、認めようとはしない。こんなやつでも管理者になれるWikipedia日本語版の未来は無い。でもきっとシャアが助けてくれる!そして、「無類の編集保護大好き男」であると公言している。&amp;lt;/font&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Bellcricket|Bellcricket]] ===&lt;br /&gt;
元々はそんなに悪質な管理者ではなかったが、CU権限を手に入れてからはいくらか独裁的になってきた。そのCU権限を予告なく使用することが多いのが残念な点である。正体は、秋田県在住で専修大学を卒業した草皆康友。野田憲太郎に尋問されたとたん、HPを削除して逃走した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*http://www006.upp.so-net.ne.jp/yan/mailadd.jpg&lt;br /&gt;
**「草皆康友は、野田憲太郎に対して事実無根の虚偽を展開しましたね?」と警察とso-netとネット声優の彼の同僚にちくれば、この男の生涯は終わり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Kinori|Kinori]] ===&lt;br /&gt;
極めて悪質な管理者。他人の編集にケチをつけることが趣味。しかしKinoriが編集した物で有用な内容は皆無である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
各種方針を無視し、管理者としての権限を好き勝手に濫用するユーザーとしても有名。他の管理者と同じく、個人的に嫌いな利用者を無期限ブロックに追いやっている。パソコンを複数所有しているため、ウィキペディア等で自作自演している疑惑もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:海獺|海獺]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|海獺 (利用者)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:はるひ|はるひ]] ===&lt;br /&gt;
2007年後半に就任した新しい管理者。その後、BCに立候補し当選した。薬事法関連に詳しいようである。飴とムチのお子様対策に定評があり、圧倒的多数に支持された。削除、即時削除、ブロックの対処もこなす働き者で、理者就任後も比較的高い支持を獲得している。しかし意味のあるリダイレクトを削除したために[[Muttley]]の逆鱗に触れたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不自然なまでに特定の記事に執着する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その挙措と言動から20代の麗しき女性かと思われたが、その正体が実は30代のオッサンだったことに数多の利用者の萌えは粉々に打ち砕かれた。俺のときめきを返せコノヤロー!!!（涼宮ハルヒファンか? 性別さえ偽れるネットでそれを期待する方が無理というもの）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Brion VIBBER|Brion VIBBER]] ===&lt;br /&gt;
アメリカ人。英・仏・エスのマルチリンガルで日本語も勉強中との事。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:三日月|三日月]] ===&lt;br /&gt;
とにかく無愛想な軍事オタクである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Marine-Blue|Marine-Blue]] ===&lt;br /&gt;
ありふれた名前だと知りつつMarine-Blueの名を登録し他方で他人が「マリン」、「ブルー」、「蒼海」などと付く名を名乗るのは認めないという自己厨。他人が類似のアカウントを取得すると即座に飛んでいって警告する。実際に何人かが投稿ブロックを盾に改名を迫られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキメディア関連で400以上もアカウントを持っているらしいが、それに費やした時間の1%でも使って紛らわしいアカウントを予防取得することはできなかったのか。本体は福井利器。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:アイザール|アイザール]] ===&lt;br /&gt;
よく語尾に「♪」をつける。常に婉曲的な嫌味を述べ、文体は温和だがその内容は攻撃的である。自分の私見、私怨で投稿ブロックをかけたり削除依頼を受理しなかったりと最低の管理者であり、先祖代々真性のキチガイ。当然両親もろくな人間ではない。兄弟姉妹もおそらく知的障害者であり、社会に迷惑をかけないよう、大人しく死んでもらいたい。おそらくオウム信者。ビッチ。一応2ちゃんねる組である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Peccafly|Peccafly]] ===&lt;br /&gt;
2008年の夏から管理者に就任した新入り。2ちゃんねる組の1人。ソヴィエト連邦の歴史に詳しい。祖父はシベリア抑留経験者。ロシア語以外の外国語にも堪能。管理者の信任投票の際に意地悪な質問をされたとして、利用者の1人に私怨を抱いている模様。いわゆる海外組の1人で、日本人ではない可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 元管理者達 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Lonicera|Lonicera]] ===&lt;br /&gt;
解任後はまるで死んだように動かなくなった。解任のショックで自殺したかもしれない。[[Lonicera (利用者)]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ＮｉＫｅ|ＮｉＫｅ]] ===&lt;br /&gt;
解任後しばらく活動停止していたが、一般利用者として活動を再開した。[[小西規勝]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Suisui|Suisui]] ===&lt;br /&gt;
[[今泉誠]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:KMT|KMT]] ===&lt;br /&gt;
当時は独裁者のひとりであったが、今ではその影は微塵もない。自らの利用者ページを削除した馬鹿野郎である&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:KMT 利用者：KMT]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/kmt_dead.htm]（←エンコードはUTF-8でご覧ください）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2浪の後大阪歯科大学を[[2007年]]4月に卒業していることがわかっている。mixiのアカウントには「活動終了」などと書かれているが、実は頻繁に深夜にログインしていることがわかっている。自分の発言に法的責任を問われると感じた瞬間、全てのmixiコミュニティから退会したへたれ。[[wiki:利用者:Akinoniji|Akinoniji]]も同種の詭弁を用いる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Tanuki Z|Tanuki Z]] ===&lt;br /&gt;
影が薄い、ただのゴロツキである。あまりにも影が薄かったのでいつの間にか解任になっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:スのG|スのG]] ===&lt;br /&gt;
2ちゃん組の一員。理科系のオタク。とあるユーザーの記述を役に立っているにも関わらず無意味にリバートする。とはいえ、41のような迷惑ユーザーへの対処も行っているのでその点は評価すべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]に管理者を勇退した。またアカウント名をSu-no-Gに変更した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア日本語版の恐怖]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディアにおける勇者]]&lt;br /&gt;
* [[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
* [[アンサイクロペディア日本語版の管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
* [[モナペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[Chakuwikiの管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディアの管理者が勝手に保護した記事]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア八分]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア川柳]]&lt;br /&gt;
* [[2ちゃんねる組]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|かんりしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアの管理者|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット弁慶|ういきへていや]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫|ういきへていや]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;diff=38790</id>
		<title>アンサイクロペディア日本語版の利用者</title>
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				<updated>2008-09-03T11:47:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{自己責任}}&lt;br /&gt;
'''アンサイクロペディア日本語版の利用者'''（アンサイクロペディアにほんごばんのりようしゃ）とは[[アンサイクロペディア]]を編集する人たちのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
閲覧専門の利用者は含まれない。アンサイクロペディア日本語版の利用者には、数多くの個性的な利用者が存在する。また管理者による投稿ブロックが最近、相次いでいるのも実情である。アンサイクロペディア日本語版に対して問題的な活動を行った利用者が、この項目にリストアップされるだろう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウントは1人で複数もつことも出来るが、複数で1つを管理することも可能である。したがって、ここにあげたアカウントの人数が実際の利用者の人数とイコールとは限らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== これらの利用者の特徴 ==&lt;br /&gt;
利用者の8割が気違いでありこいつらには何を話しても無駄な為、方法としては[[アサヒる]]言葉（捏造、いじめ紛いの言葉）で話すと通じるみたいである。気違い系オタクの溜まり場であり荒らしを生業としている最低最悪な存在であり皆死んだ方が良い奴ばかりである。しかも一方的に[[東京放送|TBS]]を擁護しているらしく、アンサイクロペディアのユーザーがTBSの記事を編集した後には必ずTBSに批判的な意味が排除されている。以上のことから無論170%カスであり、気違いの溜まり場であるため[[2ちゃんねる]]化が進んできている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
hydeの低身長を揶揄するなど他人の悪口は平気で書くくせに自分たちの''本当のこと''を書かれると激しく怒り出す。性根の腐りきった阿呆どもである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おそらく彼らは、独身・童貞・引きこもり（自宅警備員）・ニート・ネットウヨなど廃人ばかりであると予想される。仮に既婚者だったらもっとやばい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、自らのことを「エクストリーム・NRV貼り付けプレイヤー」（NRVとは人が一生懸命作成した記事にダメ出しする最悪なテンプレートのこと。《これを貼り付ける奴の神経の方がどうしようもないんだよ!!》）などと豪語している芥屑もいる。一体こいつらの脳みその中には何が詰まっているのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、アンサイクロペディアの利用者がこの記事を編集するとアンサイクロペディアで投稿ブロックされてしまう。アンサイクロペディアを荒らしていないのに、本当に心の狭い連中が集まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 利用者の一覧 ==&lt;br /&gt;
基地外ども、早く自殺しやがれ糞野郎が。&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:てやんでい てやんでい] ===&lt;br /&gt;
{{Main|エクレロ孫法師}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:Kasuga Kasuga] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Kasuga}}&lt;br /&gt;
[[ウィキペたん]]の生みの親。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:くぎり くぎり] ===&lt;br /&gt;
[[くぎり]]は休職中の元管理者。年齢は20代前半くらい。気に入らない記事に対して恣意的に削除依頼を出すスパイである。このような言動は[[朝日新聞社]]の職員と大差ない。言動が不条理すぎる。極度の&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除主義者&amp;lt;/span&amp;gt;である。[[朝日新聞]]読者の可能性もある。Muttleyと比べ物にならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:Adam Adam] ===&lt;br /&gt;
[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/Special:Contributions/Adam 野田憲太郎]に対して法的脅迫を行って書き逃げ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:キリカ キリカ] ===&lt;br /&gt;
キリカはアンサイクロペディア日本語版の利用者。[[Yourpedia]]にも同一人物と思われるユーザーがいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この利用者は、はっきり言ってアンサイクロペディア一の嫌われ者である。「'''血塗れの天使 黒焦げの死神 首吊りピエロ'''」など奇怪で意味不明な文字などを並べている情緒不安定者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この利用者はただ言葉の理解能力が低いだけで決して荒らしなどは行なっていないとほざきながら、非常に意味不明な荒らしばかり行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アンサイクロペディアの管理者によって追放されていた様だが、なぜかブロックが解除され基地外投稿をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:（あ） （あ）]　===&lt;br /&gt;
（あ）はアンサイクロペディアの管理者。神奈川県在住。生年月日は[[1983年]][[5月4日]]らしいが、異説もある。血液型は不明。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
モナペディアにも馬岱という名前で利用者ページを持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
利用者名が非常に馬鹿げている。アンサイクロペディアの中で最も空気の読めない管理者といっても過言ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。削除依頼に合致しないものまで、執拗に削除依頼に出すことで有名。利用者名が非常に馬鹿げている。新規ユーザーを「モウロ将軍並みの智謀」と揶揄する腐れ外道でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:あなこんだ あなこんだ] ===&lt;br /&gt;
中度の削除主義者であり、気に食わない記事に対しては削除依頼を執拗に出すことで有名。そのため「'''ヤクザ'''」と揶揄されることもしばしばある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:ＢＣＤ ＢＣＤ] ===&lt;br /&gt;
ＢＣＤ（Baka Chinkasu Doutei）は削除の方針に合致しないものまで、他のユーザーが一生懸命作成した記事をすぐに削除依頼に提出する削除依頼しかすることができない性根が腐った利用者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''意味不明'''な記事しか書けず、ボキャブラリーも低い。アンサイクロペディア史上最大の'''DQN'''でもある。馬鹿・チンカス・童貞の頭文字をとってBCDというんじゃない?&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:Kahusi Kahusi] ===&lt;br /&gt;
'''削除主義者'''。[[1979年]]生まれかも知れない。詳しくは[[澤田亮太]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:Yushimogaki Yushimogaki] ===&lt;br /&gt;
'''自称：最終兵器'''。本人曰く[[2008年]][[3月31日]]までブレイクだが、まったくブレイクしているとはいえない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、男性か女性かのような質問ではなぜか過剰に反応する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、八月十五日三十郎のブラックリストに載せられている者の1人。[[ウィキア]]の[http://ja.wikia.com/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Yushimogaki 利用者ページ]によれば兵庫県に住む中学生らしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:折笠成一 折笠成一] ===&lt;br /&gt;
[[折笠成一]]は元ウィキペディアの[[ウィキペディア日本語版の利用者#利用者:special rapid|special rapid]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版で無期限ブロックされてユアペディアに[[利用者:折笠成一|折笠成一]]として登録したが、ソックパペットを使い荒らしを繰り返した挙句無期限ブロックされてアンサイクロペディアに逃亡。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウザ署名もユアペディアと全く同じ物を使っており、確信犯なのかバカなのか分からない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:Murase Murase] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Murase}}&lt;br /&gt;
度重なる警告や注意を受けながら理解しているように見せかけている。言葉がたまにおかしいことがある。このことから2ちゃんねるのアンサイクロペディアのスレではたびたび話題になるがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この記事をバルスすれば管理者に気に入ってもらえると妄想するクズである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:おかやまりゅうせい おかやまりゅうせい] ===&lt;br /&gt;
永遠のアンサイクロブレイクを解除した基地外ユーザー。詳細は[[おかやまりゅうせい]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:Sts Sts] ===&lt;br /&gt;
この基地外は、他のユーザーの作成した「工事中」の記事にも「NRV」「ICU」を貼り付ける糞基地外。死にやがれ屑が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:Wiki男 Wiki男] ===&lt;br /&gt;
[[ファイナルファンタジーIV]]を完全に私物化しており、関連記事までに手をつけている糞基地外。死ね屑が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:ネッツ ネッツ] ===&lt;br /&gt;
長野県飯田市在住の利用者。本名：[[藤森京介]]。アンサイクロペディアで一番邪魔なやつ。管理者になって権限悪用をしようとたくらんでいたがユアペディアの悪口がばれ、結局失敗しアンサイクロペディアを追い出された。バカなやつ。アンサイクロペディアの超迷惑ユーザーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:長野のそうじろう 長野のそうじろう] ===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
荒らし常習犯。ソックパペットを作成して[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/Special:Contributions/%E3%81%9D%E2%97%8B%E3%82%84 荒らし]をしていたが、追放された。「[http://ja.uncyclopedia.info/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Muttley&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=208582 ぼくは、作成していない]」といったがCUにかけられ、すぐにばれた。ばかじゃないのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼は&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;荒らしが趣味の基地外&amp;lt;/span&amp;gt;である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者:Lonicera &amp;lt;font color=&amp;quot;#009900&amp;quot;&amp;gt;Lonicera&amp;lt;/font&amp;gt;] ===&lt;br /&gt;
編集はほとんどしていない。Wikipediaの管理者であるくせにウィキペディアから記事を転載し、または会話ページを荒らし管理者によってブロックがかかった。ウィキペディアの利用者ページをみると「'''アンサイクロペディアのLoniceraは私ではありません'''」と名乗っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アンサイクロペディアの利用者とのかかわり方 ==&lt;br /&gt;
こんな、くそサイトの基地外利用者とかかわるのは時間の無駄である。なぜなら彼らは脳が不自由であり、まともな会話が出来ない上時間をもてあます自宅警備員でパソコンとしかコミュニケーションをとれない廃人の集まりだから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 釣り? ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;aa&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　＼　　　∩─ｰ､ 　　　====&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　 ＼／　●　､_ ｀ヽ 　　======&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　/ ＼(　●　 ● |つ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　|　　 X_入__ノ 　 ミ　　　あんさいくろぺてぃあに俺様が釣られクマ――&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　 ､　(＿／　　　ノ　/⌒l&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　 /＼＿＿＿ノﾞ＿/　 /　　=====&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 　 〈　　　　　　　　 ＿_ノ　　====&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　 ＼　＼＿　　　　＼&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　＼＿__）　　　　　＼　　　======　　　(´⌒&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　＼　　 ＿＿_ ＼＿＿　　(´⌒;;(´⌒;;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　 ＼＿＿＿）＿＿＿）(´;;⌒　 (´⌒;;　　ズザザザ&lt;br /&gt;
&amp;lt;/aa&amp;gt;&lt;br /&gt;
↑[http://standard-burgers.baycrews.co.jp/2007/02/25.html 釣られた人]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[アンサイクロペディア日本語版の管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
* [[モナペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[Chakuwikiの管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
* [[hyde]]&lt;br /&gt;
* [[hydeの身長は156cm]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://ja.uncyclopedia.info/ 蛆虫サイト]（アンサイクロペディアは自己中心的な管理者によって乗っ取りが行われているので注意!）&lt;br /&gt;
* [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/アンサイクロペディア日本語版の利用者 天皇の作成した愚劣なコピペ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あんさいくろへていあにほんこはんのりようしや}}&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディア|りようしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
[[Category:童貞]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%9F%BA%E5%9C%B0%E5%A4%96%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;diff=38789</id>
		<title>アンサイクロペディアの基地外管理者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%9F%BA%E5%9C%B0%E5%A4%96%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;diff=38789"/>
				<updated>2008-09-03T11:46:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{先編集権}}&lt;br /&gt;
頭が不自由なアンサイクロペディア日本語版の管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 管理者の一覧 ==&lt;br /&gt;
クズどもが早く死ね、うんこ、ばか、チンカス。&lt;br /&gt;
=== Muttley ===&lt;br /&gt;
{{Main|お犬様}}&lt;br /&gt;
Muttleyはアンサイクロペディア日本語版の管理者。人呼んで'''アンサイクロペディアの天皇'''。CU管理者であることをいいことに自分の気に食わないユーザーを無期限ブロックしたり、他人の[[ソックパペット]]を全て暴露したりするプライバシーの侵害を平気で行う極悪非道な利用者である。また、[[利用者:キリカ|キリカ]]や[[利用者:管理人|管理人]]はMuttleyの気に食わないユーザーのようで無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
*極度の'''&amp;lt;span style=font-size:25pt;&amp;gt;削除・保護・ブロック主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
*削除依頼に合致しないものまで、執拗に削除依頼に出すことで有名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 獲加多支鹵大王 ===&lt;br /&gt;
[[獲加多支鹵大王]]は[[Muttley (利用者)|Muttley]]の一番弟子であり、アンサイクロペディアの管理者。理由もなしに気に食わないユーザーを長期ブロックすることで有名。まだ未成年（平成生まれ）のためアンサイクロペディアで管理者に成れても、日本語版WPでは100%無理である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本語版WPでは[[wiki:利用者:アンサイクロペディアン|アンサイクロペディアン]]同様に無期限ブロックされるべきである。[[2ちゃんねらー]]でもあるらしい。このような年の若いユーザーまで管理者になれるのだから、アンサイクロペディア自体のモラルが問われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつの悪行に怒りを感じた善良なユーザーが[[獲加多支鹵大王死ね]]と言う記事を作成したが削除された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Lemmingdead ===&lt;br /&gt;
アンサイクロペディアの管理者であり利用者名が日本語版WPの荒らしユーザーの[[ウィキペディア日本語版の利用者#利用者:Lem|Lem]]と紛らわしいため、同一人物かも知れない。理由もなしに気に入らない記事を即時削除することで有名。また[[#利用者:あなこんだ|あなこんだ]]とも親しく、同様に暴れている。この馬鹿には人間性のかけらもない。Fuck you!!&lt;br /&gt;
*極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''として有名。&lt;br /&gt;
*'''気に入らない記事には恣意的な即時削除を行う。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== えふ氏 ===&lt;br /&gt;
[[えふ氏]]はアンサイクロペディア日本語版の管理者。自分のページで「'''このユーザーは管理者です。気にくわない相手に好き勝手しています。'''」と自称している通り、自分のユーモア思想に当てはまらない記事であれば編集内容の要約に「'''みじかいよ　みじかいよ'''」という挑発的な暴言を残し平気で記事を削除する自己中心的な利用者である。また、えふ氏もキリカと[[利用者:Willy on truth|Willy on truth]]のことは気に食わないユーザーのようで投稿ブロックを行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、利用者ページには「氏をつけたら命の保証はしない」と殺人予告とも脅迫とも取れるユーザーボックスを貼り付けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== キッコーマソ ===&lt;br /&gt;
キッコーマソはアンサイクロペディアの管理者。この利用者ははっきりいえば、アンサイクロペディアの[[#利用者:Muttley|Muttley]]に次ぐ嫌われ者である。理由は気に食わない記事に対しては削除はしないものの、revertすることが多くどんなに価値のある投稿でも差し戻されるからである。かつては即時削除も行っていたほど、極悪非道だったようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キッコーマゾという善良なユーザーに対して因縁をつけブロックした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Road ===&lt;br /&gt;
Roadはアンサイクロペディア日本語版の管理者。自分のページで「'''このユーザーは管理者です。気にくわない相手に好き勝手しています。'''」と自称している通り自己中心的な管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、休憩中のアンサイクロペディアンと自称しているのにも関わらず活動しているのも実情であり話が矛盾している。Willy on truthはRoadの気に食わないユーザーのようで無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 吹石 ===&lt;br /&gt;
{{Main|吹石}}&lt;br /&gt;
[[吹石]]はアンサイクロペディア日本語版の管理者。[[吹石一恵]]とは別人とわかりきったことをいう腐れ脳味噌。生年月日は[[1981年]][[5月13日]]ともいわれているが、本蛆虫はもうすぐ20歳と公言していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分のページで「'''このユーザーは管理者です。気にくわない相手に好き勝手しています。'''」と自称している通り自己中心的な脳の腐った管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また自分の気にくわない記事（多分、軍国主義を否定する記事??）であれば出来の善し悪しに関係なく、無差別に削除してしまう極悪非道な管理者。中の人は、韓国に対して敵意を持つ[[ネットウヨ]]だと思われる。なぜなら、彼は韓国に対してひどい差別記事を投稿しているからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、彼は脳が物凄く不自由な可哀想な[[基地外]]である。早く自殺しろ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 額田倫太郎 ===&lt;br /&gt;
極悪非道なアンサイクロペディア日本語版の管理者。ネット古世代から甦った生きたカブトガニの一種。気に入らない編集を即時削除したり、他者のソックパペットを全て暴露したりとその横暴さは計り知れない。みんなからの嫌われ者でもある。血液型はAB型らしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== かぼ ===&lt;br /&gt;
自己中心的なアンサイクロペディア日本語版の管理者。「ばかぼん」の略で「かぼ」である。また、「かぼちゃ」「かぼす」の可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スタブ未満と思われる記事を投稿すると「'''短いので、もっともっと加筆して下さい。さもなくば義務不履行でブロックします。'''」といった井嚇的な暴言を残し平気で記事を削除する横暴な管理者。いろいろな利用者を威嚇しているので、みんなからの嫌われ者となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東北大学出身の落ちこぼれ研究者の可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつはアンサイクロペディアの中でも随一のきちがいであり、全く話を聞かない馬鹿野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死にやがれ!!この&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;横暴な糞野郎&amp;lt;/span&amp;gt;めが!!!!　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 怪人うさみみ御面 ===&lt;br /&gt;
怪人うさみみ御面はアンサイクロペディア日本語版の管理者。管理者であることをいいことに投稿ブロックや削除に関する依頼を毎日、複数回提出するとんでもない管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、Willy on truthの投稿した記事にも削除依頼を出してしまう。利用者名が非常に怪しいため、脳年齢が60～72歳くらいの可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、[[ウィキペディア日本語版の利用者#利用者:あなん|あなん]]とは同一人物かもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ええええええええええ！ ===&lt;br /&gt;
高度の'''削除主義者'''であり、気に食わない記事に対しては削除の方針を無視してまとめて削除する極悪非道な管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、下記の[[#利用者:偽他|偽他]]や上記の[[#利用者:（あ）|（あ）]]よりは寛大な管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 偽他 ===&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''として有名。削除の方針に合わない物まで容赦なく削除依頼に出すヤクザである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ike ===&lt;br /&gt;
高校生の可能性がある利用者であり、中度の削除主義者。削除の方針に合わない物でもしばしば削除する利用者である（[http://essais.blog80.fc2.com/ 個人のブログ]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== phoque ===&lt;br /&gt;
Phoqueはアンサイクロペディアの管理者。管理者であることを武器に気に食わないユーザーの投稿を即時削除したり、他者のソックパペットを全て暴露したりとその横暴さは計り知れない。みんなからの嫌われ者となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Asakaze ===&lt;br /&gt;
{{Main|Asakaze}}&lt;br /&gt;
Asakazeは削除の方針に合致しないものまで、容赦なく削除する卑怯で情けない管理者。生年月日は[[1984年]][[5月5日]]らしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、大学2年生。[[Muttley]]も同じように容赦なく削除するので、Muttleyと仲が良いのかまたは[[ソックパペット]]かもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 誰か ===&lt;br /&gt;
誰かは、アンサイクロペディアの管理者である。管理者権限を武器に気に食わないユーザーの会話ページに向かって「'''荒らし行為はやめろ'''」などといった暴言を残し、その場を去っていくとんでもない管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前述のＢＣＤと仲が良いみたいだ。それに利用者名が非常に馬鹿げていいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような利用者はアンサイクロペディアでは管理者になれるがウィキペディアでは決してなることはできないだろうと思われる。このような'''クソガキ'''が管理者になれること自体が不思議である。[[1978年]]生まれらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 八月十五日三十郎 ===&lt;br /&gt;
八月十五日三十郎は、アンサイクロペディアの乱暴な管理者である。管理者権限を用いてスタブ未満と思われる記事に「'''ユーモア不足で短いです。修正しましょう!'''」などといった挑発的な暴言を残し、即時削除しその場を去っていくとんでもない利用者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ最近では削除は行っておらず、既成記事の大幅改編などを行っているため他のユーザー達が彼に抗議している可能性がある。また、最近厨房のような利用者をブラックリストに入れることなどのことをしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
* [[モナペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[Chakuwikiの管理者 (現実)]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%9F%BA%E5%9C%B0%E5%A4%96%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;diff=38788</id>
		<title>アンサイクロペディアの基地外管理者</title>
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				<updated>2008-09-03T11:45:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{先編集権}}&lt;br /&gt;
頭が不自由なアンサイクロペディア日本語版の管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 管理者の一覧 ==&lt;br /&gt;
クズどもが早く死ね、うんこ、ばか、チンカス。&lt;br /&gt;
=== Muttley ===&lt;br /&gt;
{{Main|お犬様}}&lt;br /&gt;
Muttleyはアンサイクロペディア日本語版の管理者。人呼んで'''アンサイクロペディアの天皇'''。CU管理者であることをいいことに自分の気に食わないユーザーを無期限ブロックしたり、他人の[[ソックパペット]]を全て暴露したりするプライバシーの侵害を平気で行う極悪非道な利用者である。また、[[利用者:キリカ|キリカ]]や[[利用者:管理人|管理人]]はMuttleyの気に食わないユーザーのようで無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
*極度の'''&amp;lt;span style=font-size:25pt;&amp;gt;削除・保護・ブロック主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
*削除依頼に合致しないものまで、執拗に削除依頼に出すことで有名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 獲加多支鹵大王 ===&lt;br /&gt;
[[獲加多支鹵大王]]は[[Muttley (利用者)|Muttley]]の一番弟子であり、アンサイクロペディアの管理者。理由もなしに気に食わないユーザーを長期ブロックすることで有名。まだ未成年（平成生まれ）のためアンサイクロペディアで管理者に成れても、日本語版WPでは100%無理である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本語版WPでは[[wiki:利用者:アンサイクロペディアン|アンサイクロペディアン]]同様に無期限ブロックされるべきである。[[2ちゃんねらー]]でもあるらしい。このような年の若いユーザーまで管理者になれるのだから、アンサイクロペディア自体のモラルが問われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつの悪行に怒りを感じた善良なユーザーが[[獲加多支鹵大王死ね]]と言う記事を作成したが削除された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Lemmingdead ===&lt;br /&gt;
アンサイクロペディアの管理者であり利用者名が日本語版WPの荒らしユーザーの[[ウィキペディア日本語版の利用者#利用者:Lem|Lem]]と紛らわしいため、同一人物かも知れない。理由もなしに気に入らない記事を即時削除することで有名。また[[#利用者:あなこんだ|あなこんだ]]とも親しく、同様に暴れている。この馬鹿には人間性のかけらもない。Fuck you!!&lt;br /&gt;
*極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''として有名。&lt;br /&gt;
*'''気に入らない記事には恣意的な即時削除を行う。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== えふ氏 ===&lt;br /&gt;
[[えふ氏]]はアンサイクロペディア日本語版の管理者。自分のページで「'''このユーザーは管理者です。気にくわない相手に好き勝手しています。'''」と自称している通り、自分のユーモア思想に当てはまらない記事であれば編集内容の要約に「'''みじかいよ　みじかいよ'''」という挑発的な暴言を残し平気で記事を削除する自己中心的な利用者である。また、えふ氏もキリカと[[利用者:Willy on truth|Willy on truth]]のことは気に食わないユーザーのようで投稿ブロックを行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、利用者ページには「氏をつけたら命の保証はしない」と殺人予告とも脅迫とも取れるユーザーボックスを貼り付けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== キッコーマソ ===&lt;br /&gt;
キッコーマソはアンサイクロペディアの管理者。この利用者ははっきりいえば、アンサイクロペディアの[[#利用者:Muttley|Muttley]]に次ぐ嫌われ者である。理由は気に食わない記事に対しては削除はしないものの、revertすることが多くどんなに価値のある投稿でも差し戻されるからである。かつては即時削除も行っていたほど、極悪非道だったようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キッコーマゾという善良なユーザーに対して因縁をつけブロックした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Road ===&lt;br /&gt;
Roadはアンサイクロペディア日本語版の管理者。自分のページで「'''このユーザーは管理者です。気にくわない相手に好き勝手しています。'''」と自称している通り自己中心的な管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、休憩中のアンサイクロペディアンと自称しているのにも関わらず活動しているのも実情であり話が矛盾している。Willy on truthはRoadの気に食わないユーザーのようで無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 吹石 ===&lt;br /&gt;
{{Main|吹石}}&lt;br /&gt;
[[吹石]]はアンサイクロペディア日本語版の管理者。[[吹石一恵]]とは別人とわかりきったことをいう腐れ脳味噌。生年月日は[[1981年]][[5月13日]]ともいわれているが、本蛆虫はもうすぐ20歳と公言していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分のページで「'''このユーザーは管理者です。気にくわない相手に好き勝手しています。'''」と自称している通り自己中心的な脳の腐った管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また自分の気にくわない記事（多分、軍国主義を否定する記事??）であれば出来の善し悪しに関係なく、無差別に削除してしまう極悪非道な管理者。中の人は、韓国に対して敵意を持つ[[ネットウヨ]]だと思われる。なぜなら、彼は韓国に対してひどい差別記事を投稿しているからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、彼は脳が物凄く不自由な可哀想な[[基地外]]である。早く自殺しろ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 額田倫太郎 ===&lt;br /&gt;
極悪非道なアンサイクロペディア日本語版の管理者。ネット古世代から甦った生きたカブトガニの一種。気に入らない編集を即時削除したり、他者のソックパペットを全て暴露したりとその横暴さは計り知れない。みんなからの嫌われ者でもある。血液型はAB型らしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== かぼ ===&lt;br /&gt;
自己中心的なアンサイクロペディア日本語版の管理者。「ばかぼん」の略で「かぼ」である。また、「かぼちゃ」「かぼす」の可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スタブ未満と思われる記事を投稿すると「'''短いので、もっともっと加筆して下さい。さもなくば義務不履行でブロックします。'''」といった井嚇的な暴言を残し平気で記事を削除する横暴な管理者。いろいろな利用者を威嚇しているので、みんなからの嫌われ者となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東北大学出身の落ちこぼれ研究者の可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつはアンサイクロペディアの中でも随一のきちがいであり、全く話を聞かない馬鹿野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死にやがれ!!この&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;横暴な糞野郎&amp;lt;/span&amp;gt;めが!!!!　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 怪人うさみみ御面 ===&lt;br /&gt;
怪人うさみみ御面はアンサイクロペディア日本語版の管理者。管理者であることをいいことに投稿ブロックや削除に関する依頼を毎日、複数回提出するとんでもない管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、Willy on truthの投稿した記事にも削除依頼を出してしまう。利用者名が非常に怪しいため、脳年齢が60～72歳くらいの可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、[[ウィキペディア日本語版の利用者#利用者:あなん|あなん]]とは同一人物かもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ええええええええええ！ ===&lt;br /&gt;
高度の'''削除主義者'''であり、気に食わない記事に対しては削除の方針を無視してまとめて削除する極悪非道な管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、下記の[[#利用者:偽他|偽他]]や上記の[[#利用者:（あ）|（あ）]]よりは寛大な管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 偽他 ===&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''として有名。削除の方針に合わない物まで容赦なく削除依頼に出すヤクザである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ike ===&lt;br /&gt;
高校生の可能性がある利用者であり、中度の削除主義者。削除の方針に合わない物でもしばしば削除する利用者である（[http://essais.blog80.fc2.com/ 個人のブログ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== phoque ===&lt;br /&gt;
Phoqueはアンサイクロペディアの管理者。管理者であることを武器に気に食わないユーザーの投稿を即時削除したり、他者のソックパペットを全て暴露したりとその横暴さは計り知れない。みんなからの嫌われ者となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Asakaze ===&lt;br /&gt;
{{Main|Asakaze}}&lt;br /&gt;
Asakazeは削除の方針に合致しないものまで、容赦なく削除する卑怯で情けない管理者。生年月日は[[1984年]][[5月5日]]らしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、大学2年生。[[Muttley]]も同じように容赦なく削除するので、Muttleyと仲が良いのかまたは[[ソックパペット]]かもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 誰か ===&lt;br /&gt;
誰かは、アンサイクロペディアの管理者である。管理者権限を武器に気に食わないユーザーの会話ページに向かって「'''荒らし行為はやめろ'''」などといった暴言を残し、その場を去っていくとんでもない管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前述のＢＣＤと仲が良いみたいだ。それに利用者名が非常に馬鹿げていいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような利用者はアンサイクロペディアでは管理者になれるがウィキペディアでは決してなることはできないだろうと思われる。このような'''クソガキ'''が管理者になれること自体が不思議である。[[1978年]]生まれらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 八月十五日三十郎 ===&lt;br /&gt;
八月十五日三十郎は、アンサイクロペディアの乱暴な管理者である。管理者権限を用いてスタブ未満と思われる記事に「'''ユーモア不足で短いです。修正しましょう!'''」などといった挑発的な暴言を残し、即時削除しその場を去っていくとんでもない利用者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ最近では削除は行っておらず、既成記事の大幅改編などを行っているため他のユーザー達が彼に抗議している可能性がある。また、最近厨房のような利用者をブラックリストに入れることなどのことをしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
* [[モナペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
* [[Chakuwikiの管理者 (現実)]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;diff=38787</id>
		<title>モナペディアの利用者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;diff=38787"/>
				<updated>2008-09-03T11:42:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{自己責任}}&lt;br /&gt;
'''モナペディアの利用者'''（-のりようしゃ）とは[[モナペディア]]を編集している人たちのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
モナペディアは[[ウィキペディア日本語版]]のパロディで成り立っており偏った編集や2ちゃんねるに関係のない記事（例：[[月曜日]]等）は禁止されている上、画像のアップロード、カテゴリ作成は制限されているにも関わらず問題的な活動を行ったり荒らし行為を行ったりするケースが多く見られる。また管理者による投稿ブロックが最近、相次いでいるのも事実である。ここではモナペディアの悪質な利用者をリストアップする。ただし彼らの利用者ページは新しいモナペディア設立と伴い、削除されている。よって、以前のモナペディアの行動のみをリストアップしている。現在、初代メインページも復活した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 利用者一覧 ==&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:Nanahoshi Nanahoshi]（七星） ===&lt;br /&gt;
{{Main|七星}}&lt;br /&gt;
七星はアンサイクロペディアの元管理者。[[#利用者:2007|2007]]の会話ページで「'''彼はWikipediaでもアンサイクロペディアでも荒らしで有名なユーザーです。無期限ブロックが望ましいと思われます'''」と発言している通り、2007に無期限ブロックを仕掛けた自己中心的な利用者でもある。また、アンサイクロペディアで管理者解任されているにも関わらずモナペディアでは何の拘束もないのが実情であり話が矛盾している。ちなみに、現在は中国や韓国に在住しているらしい。血液型はAB型らしいが、異説もある。現在も活動中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:Yushimogaki Yushimogaki] ===&lt;br /&gt;
七星の一番弟子。空気が読めないKYでありアンサイクロペディアでいろいろと迷惑なことをするという前科があるが、七星の弟子であるため管理者になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:馬岱 馬岱] ===&lt;br /&gt;
馬岱はモナペディアの管理者。[[wiki:利用者:（あ）|（あ）]]と同一人物である。管理者の権限を使い、自分の気に食わないユーザーに対して無期限ブロック依頼を[[2ちゃんねる]]の資料室板で行ったり他人のユーザーの投稿記録を全て暴露したりするプライバシーの侵害を平気で行う極悪非道な利用者である。2007は馬岱の気に食わないユーザーのようで1週間ブロックされた。ただし現在は利用者:突撃ひとりに完全にポジションを奪われ、ほとんど出現していない。2代目モナペディアでも[[アンサイクロペディア日本語版の利用者#（あ）|（あ）]]として活動中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:黒幕 黒幕] ===&lt;br /&gt;
黒幕はモナペディアの管理者。2007を1週間ブロックした人物でもある。自分の主旨に当てはまらない記事であれば編集内容の要約に「'''荒らし行為は厳禁です!!'''」という挑発的な暴言を残し平気で記事を削除する自己中心的な利用者である。また、黒幕も2007のことは気に食わないユーザーのようで投稿ブロックを行っている。現在は存在すら知られていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:2007 2007] ===&lt;br /&gt;
2007はモナペディアの利用者。[[wiki:利用者:Speedyear|Speedyear]]と同一人物である。Willy on truthとは同じIPアドレスだが、無関係である。この利用者は最も個性的な利用者でもある。島村まみ、玉山鉄二など2ちゃんねるに関係のない芸能人の記事を投稿している情緒不安定者である。この利用者はWikipediaにおいても度々注意をうけるが、日本語が理解できないのか行動を改めた為しがない。恐らく、公式方針には漢字が多く使われているので読む事が出来ないのであろう。現在、自己中心的な編集態度を改めない為、モナペディアの管理者によって追放されている模様。現在ではめっきり活動されなくなった模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:雲国斎 雲国斎] ===&lt;br /&gt;
雲国斎はかつて存在したモナペディアの利用者。[[アンサイクロペディア]]では現在も活動中である。[[2007年]]に[[Yourpedia]]が発足した事によりアンサイクロペディアやモナペディアにとって不都合な情報が流れるようになった為、彼は報復として[[#利用者:馬岱|馬岱]]の会話ページでYourpediaを名指しで非難している。馬岱の会話ページには「'''（Yourpediaの）信憑性は2ちゃんねる以下'''」という彼自身の危険な本音まで書き込まれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:227 227] ===&lt;br /&gt;
モナペディアの創設者として有名である。元のメインページを閉鎖した人物でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:長野のそうじろう 長野のそうじろう] ===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
悪名高きネット荒らし。無期限ブロックされていたが、なぜか解除??&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[2ちゃんねらー]]&lt;br /&gt;
*[[2ちゃんねる]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
*[[ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://monapedia.mw.cmssquare.com/ 2代目モナペディア]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:モナペディア]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Yourpedia%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;diff=38786</id>
		<title>Yourpediaの利用者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Yourpedia%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;diff=38786"/>
				<updated>2008-09-03T11:41:51Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ユアペディアの利用者'''（ユアペディアのりようしゃ）とは[[Yourpedia]]を編集する人物のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 利用者一覧 ==&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Beyond|Beyond]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|吉本敏洋}}&lt;br /&gt;
Yourpedia、[[コピペディア]]の唯一の管理者（他にも[[利用者:Sysop]]が存在するが、同一人物である）。本名は[[吉本敏洋]]。[[悪徳商法?マニアックス]]の管理者。ユアペディアを荒らす[[オウム真理教]]の[[野田憲太郎|サマナ]]と在家信徒に対し、毅然とした態度で対応している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアでは[[Wiki:利用者:たるんだあご|たるんだあご]]や[[Wiki:利用者:BeyondYoshimoto|BeyondYoshimoto]]、[[Wiki:利用者:インターネット先進ユーザー|インターネット先進ユーザー]]、[[Wiki:利用者:Blackrider|Blackrider]]などの多重アカウントで活動している疑いがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Y.D.Force|Y.D.Force]] ===&lt;br /&gt;
他者に対して13回も名誉毀損に該当する編集を行った。本人はこれを認めていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
''じゃあこっちも問いましょう。あなた自身は、いかなるサイトに於いてでも一切名誉毀損に該当する投稿は行っていないのでしょうか？もちろん、私以外の方について、です。そもそもWikipediaの利用者があなたをまともに相手にするとは思えませんが。どうしても誹謗中傷の類の記事を書きたかったら、ご自分のHPでやってくださいな。そうすれば運がよければあなたは訴えられることでしょう。--Y.D.Force 2007年7月27日 (金) 05:42 (JST) ''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記の発言は「名誉毀損に該当する編集を行った」ことは解っているが、認めたくないらしい。そのほかにもいくつもの野田関係の記事をRVしており、ことが大きくなっているのに気づいていない。運よく訴えられる、などというおかしな日本語が特色。調べたら、福井の指令を受けてここにきた松葉裕子だった。懲りてない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:蒼海|蒼海]]===&lt;br /&gt;
キャラを変えた[[福井利器]]の別垢。松葉裕子のBOTで動かしている。というのは、野駄犬の妄想である。&lt;br /&gt;
:えっまじで！？--[[利用者:蒼海|蒼海]] 2008年8月19日 (火) 04:21 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:マルヤ|マルヤ]] ===&lt;br /&gt;
[[ウィキペディア日本語版の利用者|ウィキペディアの利用者]]・[[wiki:利用者:純血主義|純血主義]]と同一人物で、荒らしで[[アンサイクロペディア]]から追放された[[アイヌ]]。詳しくは[[永井隆雄]]を参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] ===&lt;br /&gt;
''[[野田憲太郎#ネット上の言動について]]を参照''&amp;lt;BR&amp;gt;[[オウム]]が大好きな[[自宅警備員]]。アクティブユーザーに対しオウムと因縁を付けるがオウムを批判されると激怒する、[[オウム]]（特に[[松葉裕子]]）の[[バター犬]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Maverick|Maverick]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Maverick}}&lt;br /&gt;
[[木津尚子]]を参照せよ。法的告訴を検討したそうだが、訴状拒否されたらしい。書き込む時間帯から、木津であることは間違いがない。最近は岩瀬からプログラムをもらって、自動RVできるようになったようだ。そこまでして攻撃したいという変質的な40歳近くのおばさんである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近では、このアカウントを共有化してスクリプトで自動返信するように対策を講じたらしい。人の利用者ページを執拗に荒らしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:NoMoreMid|NoMoreMid]] ===&lt;br /&gt;
Mixiでは、いぬみみめいどと名乗る。御堂岡叩き部隊の1人。いぬみみめいどと同一人物であることをちくられたとたんに逃亡。で、逃げた後にまたやってきて延々と根拠の無いことを書き散らしに来る。恐らくは個人情報を何らかの形で奪われ（恐らくはストーカー容疑）、腹いせでやっているものと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Lonicera|Lonicera]] ===&lt;br /&gt;
[[ウィキペディア日本語版の利用者|ウィキペディアの利用者]]・Yukarinと同一人物。詳しくは[[荘田悦宏]]を参照せよ。なお[[ウィキペディアン]]の[[Lonicera (利用者)|Lonicera]]はアカウント名が同じだがユアペディアンのLoniceraことYukarin=荘田とは別人・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Los688|Los688]] ===&lt;br /&gt;
Lonicera同様、ウィキペディアの利用者・Yukarinと同一人物。詳しくは荘田悦宏を参照せよ。なおウィキペディアンのLos688はアカウント名が同じだがユアペディアンのLos688ことYukarin=荘田とは別人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:海獺（らっこ）|海獺（らっこ）]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|利用者:海獺（らっこ）}}&lt;br /&gt;
ウィキペディアの[[wiki:User:海獺|海獺]]とは別人である可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:たりぼー|たりぼー]] ===&lt;br /&gt;
Lonicera及びLos688同様、ウィキペディアの利用者・Yukarinと同一人物。詳しくは荘田悦宏を参照せよ。なおウィキペディアンのたりぼーはアカウント名が同じだが[[利用者:音声おじさん|音声おじさん]]の靴下であるためユアペディアンのたりぼーことYukarin=荘田とは別人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Ded|Ded]] ===&lt;br /&gt;
チャクウィキを追放された利用者。現在、[[ユアペディア]]に貢献している。なお、「本人は[[利用者:七星|七星]]と名乗っているが別人である。」と[[七星]]が言っているが嘘である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子の項目に登場するIP利用者 ===&lt;br /&gt;
{{Main|岡田有希子関連の記事に登場するIPユーザー}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:丁嵐|丁嵐]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Maverick}}&lt;br /&gt;
これはMaverickのソックパペットである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:210.128.188.59|210.128.188.59]] ===&lt;br /&gt;
[[利用者:ミザリィ|ミザリィ]]氏のIPユーザー。長野のそうじろう氏に好意を抱いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長野のそうじろうの追放を悲しんでいる（＾－＾）／`hahahahaha-yattaze。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:長野のそうじろう|長野のそうじろう]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
基地外ユーザー。Yourpediaを荒らす目的でアカウントを作成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:ＪＦＪＫ|ＪＦＪＫ]] === &lt;br /&gt;
精神病ユーザー。ガキ。ウィキホリック。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:ネッツ|ネッツ]] === &lt;br /&gt;
本名は[[藤森京介]]。[[長野県]][[飯田市]]出身。[[荒らし大王の一覧|ユアペディアの荒らし王]]である。過去は結構良識なユーザーであったが、最近はブロックの恨みの悪化などでソックパペット大量作成、丁嵐やLoniceraにおいて誹謗中傷の記事を多数作成したりしなかったりしている。詳細は藤森京介を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年1月、ユアペディアから追放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:七星|七星]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|七星}}&lt;br /&gt;
荒らしユーザーの1人。2代目[[Monapedia]]の創設者であるが[[チャクウィキ]]を荒らしまくって追放された利用者でもある。このウィキでも他人の利用者ページ（[[利用者:Ded]]の利用者ページ）を勝手に編集して、管理者に無期限ブロックを食らった。が、現在は[[:Category:七星の操り人形だと疑われるユーザー|ソックパペット]]を多数作成し[[利用者:Nanahoshi|Nanahoshi]]のアカウントで[[Ded]]や[[稲村良光]]への誹謗中傷を行っている。2代目Monopediaの創設者がそんなことしているなんてみっともない。[[利用者:丁嵐|丁嵐]]と同一人物の可能性もあるが、[[利用者:Maverick|Maverick]]の可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:ウーソキマスラ|ウーソキマスラ]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|エクレロ孫法師}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:キャプテン・カタギリ|キャプテン・カタギリ]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|キャプテン・カタギリ}}&lt;br /&gt;
エクレロ孫法師アンチ。また、[[利用者:ハエ叩き|ハエ叩き]]というソックパペットまで持っている可能性あり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:魚津サブジェクト|魚津サブジェクト]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|魚津サブジェクト}}&lt;br /&gt;
利用目的は上記とほぼ同じ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:ソウ|ソウ]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|大場綜}}&lt;br /&gt;
[[かっこよすぎる漢]]。無実の罪で[[ウィキペディア]]を追放された善良なユーザー。[[ボクシング]]が大好きで[[性犯罪者]]とウィキペディアと2ちゃんねるを心から憎んでいる。また、[[稲田朋美]]を愛する右翼活動家でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 粗暴な投稿者（Chakuwikiでの呼称） ===&lt;br /&gt;
Chakuwikiでまともな事を書いているのに気違い管理者に逆恨みされブロックされるが実際の書いている事は的を射ている事が多くこれは単なる気違いの悪趣味で幼稚な悪戯と思って本人は気にしていないのが現状でこちら（YP）では全員がエリートの為、上手くやっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:YUu|YUu]] ===&lt;br /&gt;
[[有害サイト]]・[[チャクウィキ]]を追放された天才ユーザー。愛知県が大好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[野駄犬]]の悪戯を一度差し戻ししただけで駄犬に粘着されてしまう。[[チャクウィキ]]と[[駄犬]]と[[2ch]]を心の底から憎んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Mikomaid|Mikomaid]] ===&lt;br /&gt;
[[群馬県]][[富岡市]]在住の元[[ウィキホリック]]。[[1963年]]生まれ。[[2006年]][[2月11日]]よりIPユーザーとして投稿を開始。主な投稿先だった[[真如苑]]が半保護となり、2006年[[5月19日]]に現在のアカウントを取得。利用者ページでは「巫女、メイド、祭り、鉄道、カメラが好きな者です」と自己紹介し主な投稿項目は「祭り」、「ふんどし」、「映画」、「アニメ」、「ゲーム」、「宗教」、「鉄道」、「音楽」関連の分野と広範囲に及ぶ。毎朝午前10時前後の約3時間、夜間は午後8時から午前0時までの4時間に規則的に投稿を行うことが特徴。他に分野別（ゲーム、アニメ、宗教）に別アカウントを持ち、他の空いた時間に投稿していると噂されている。その投稿内容は単にネットで検索して転載したものに過ぎず、出典元は個人サイト、ブログの記述や2ちゃんねるの投稿内容と正確性や検証性に乏しい内容である。文献を読んで精査した内容の投稿ではない。そのため誤った記述も多く、そのことを多くのユーザーから指摘されても改正には殆ど応じず自己の投稿内容の正当性を強く主張して自分の投稿内容に固執する。その投稿内容に手を加えるユーザーを攻撃者呼ばわりし、相手の編集のリバートを繰り返すことや投稿相手のコメント依頼を連発し相手の編集や投稿の牽制を行う。その為、当該の項目の編集が滞り[[Mikomaid]]の実質管理下に置かれていた。[[2008年]][[7月16日]]に本人が議論相手のコメント依頼[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E5%BC%A5%E3%80%81%E9%83%81]を提出したところ提出内容の正当性に疑問が持たれ、本人の過去の投稿歴が精査されることとなりその攻撃的で相手を挑発する行為が問題視されるようになった。また本人の過去が精査されたことでその際、過去と現在のIP（[[220.3.132.253]]、[[220.3.134.144]]）が明らかになり、そのIPを検索すると過去に2ちゃんねるで荒らし行為を行っていたことが発覚した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この間のやりとりで、管理者・[[海獺 (利用者)|海獺]]より言動に問題があると1週間の投稿ブロックを受けた。[[2008年]]8月7日、遂に他ユーザーより本人のコメント依頼[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Mikomaid]が提出され過去に多重アカウントを使って合意形成を行っていた事実や正確性、信頼性、検証性に乏しい投稿内容、本人の投稿内容を編集した相手への挑発や攻撃的な言動が次々と明るみに出た。多重アカウントの合意形成は2006年[[8月31日]]より利用を始めた地元市役所の公開端末を使い、他人になりすましたものである。地元市役所でもこの事実が発覚し、公開端末の利用制限が行われ地元住民は迷惑を被った。[[2007年]][[12月26日]]にIPユーザーより多重アカウントによる合意形成疑惑でCU依頼[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:CheckUser%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Mikomaid%E3%81%A8A._J._Kuonji]が行われた時点で素直に多重アカウントによる合意形成を行ったことを認め、謝罪したことから問題が大きくならず処分が下されることはなかったが2008年[[8月6日]]の本人へのコメント依頼でその後の言動に全く変化がなかったことが明らかになったことで、2008年[[8月28日]]に投稿ブロック依頼[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Mikomaid]が他のユーザーから提出され2008年[[9月3日]]より各種方針の熟読期間として1年間の投稿ブロックの処分[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Mikomaid]が下された。これは相手によって態度を豹変させる卑屈なまでの姿勢からその言動の信憑性に疑問が持たれユーザーとの質疑を重ねる度にその本性を他ユーザーに見抜かれ無期限ブロックを支持するユーザーが一気に増えたが、管理者・海獺が無期限の投稿ブロックに反対したことから1年間の投稿ブロックに留まったものである。管理者・海獺から「問題点がわからない方」、「何度指摘されても改善されない方」、「自制が効かない方」と言われ、百科事典の編集には向いていないとあからさまに言われても本人はその意味に気が付かず、管理者・海獺を呆れさせた。一方本人は、投稿ブロックを見越して2008年[[8月11日]]にYourpediaにてウィキペディアと同じ[[Mikomaid]]のハンドルネームでアカウントを作成[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/Mikomaid]しYourpedia上での投稿活動を開始し、Wikipediaのユーザーの顰蹙を買った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
*[[モナペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディア]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Chakuwiki%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85_(%E7%8F%BE%E5%AE%9F)&amp;diff=38785</id>
		<title>Chakuwikiの管理者 (現実)</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Chakuwiki%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85_(%E7%8F%BE%E5%AE%9F)&amp;diff=38785"/>
				<updated>2008-09-03T11:40:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{先編集権}}&lt;br /&gt;
{{自己責任}}&lt;br /&gt;
'''Chakuwikiの管理者'''（チャクウィキのかんりしゃ）とは[[Chakuwiki]]を管理する人たちのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
閲覧専門の利用者は含まれない。Chakuwikiの利用者には、数多くの個性的な利用者が存在する。また管理者による投稿ブロックが最近、相次いでいるのも実情である。Chakuwikiに対して問題的な活動を行った利用者が、この項目にリストアップされるだろう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウントは1人で複数もつことも出来るが、複数で1つを管理することも可能である。したがって、ここにあげたアカウントの人数が実際の利用者の人数とイコールとは限らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
はっきり言ってウィキペディアの管理者より質は極めて低く比較対照にならぬほど下劣なサイト。当然の様にネットしか娯楽の無い根暗臆病者である馬鹿管理者、馬鹿ユーザーの溜まり場となっている。実際には馬鹿所かきちがいの溜まり場と言った方が適切である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう悪管理者たちは成敗しないといけない。殺す殺す殺す。私は今押さえ切れない程の殺意を覚えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私が利用してきたサイトの中でも突出して下劣で柄の悪いのがCWであり、私はまともなYPユーザーに出会い心から本当に嬉しく思っており（こんな嬉しい体験も初めてであった）ここを荒らす奴（CWユーザー）は例え冗談半分であったとしても絶対に許さないし、した所でここに載る事になるだろう（犯罪者と言うレッテルが貼られる）。あっち（CW）では滅茶苦茶に罵倒し、ますます利用者が離れるという悪循環を分かっていない様だな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
御前等（CWユーザー）も好い加減つまらないユーザー苛めは止めてもっとまともになれよ。と言ってもきちがいには通じないか。言っておくが一番手っ取り早いのは悪開発者・管理者・ユーザー皆ひっくるめて処分する事だ。よく覚えとけ。ちんけな罵倒主義者達（CWユーザー）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先日、CWユーザーであるおかやまりゅうせい氏（ブログでは「はげお」）が書いた[http://hagepower.net/mt/archives/cat4/cat20/ 基地外馬鹿丸出しのプレイ日記]の発見に成功した。[http://www14.plala.or.jp/rei_kamizuki/FF6/FF6.htm 偉大なるユアペディアンの同ゲームのプレイ日記を基にした小説]と比較してみよう。&lt;br /&gt;
*いかに基地外かよくわかりました。[[一刀]]=[[ケフカ]]説は正しいと思います。---Ded&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
CWに嫌気がさしたまともなユーザーへ。一度でもCWで嫌な思いをした人は今貴方が御覧になっているここ（YP）に来て頂きたい。絶対に損はさせない。私が思うに貴方も腸煮えくり返っているのだと思う。がここではそういう事態にはならない。それは私も尊敬する優秀なユーザーが全員である為でありCWでつまらないと感じた時は貴方の見ているここ（YP）に立ち寄って貰いたい。必ずや貴方にとってプラスになります。&lt;br /&gt;
===アンチCWクラブ会員===&lt;br /&gt;
CWを憎む正義の心の持ち主&lt;br /&gt;
*[[利用者:ゆーり|ゆーり]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:Ded|Ded]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:中竹たけし|中竹たけし]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:YUu|YUu]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Chakuwikiの管理者==&lt;br /&gt;
ユアペディアを敵視する生きる価値のない糞管理者ども。ちなみに、この記事を編集するとチャクウィキを荒らしてないのにブロックされる。言っていることとやることが全く違うのがこのWikiの特徴。公的では全くなくて完全にプライベート・サイトと思われる。本当のことが書かれているのがくやしいのか糞野郎どもめ。詳細は[http://wiki.chakuriki.net/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3ALog&amp;amp;type=block&amp;amp;user=&amp;amp;page= 基地外どものブロック記録]を見るべし。&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Mtaniguchi|Mtaniguchi}}===&lt;br /&gt;
世界一の糞開発者である、Chakuwikiの[[天皇]]（総合管理人）。詳しくは[[谷口一刀]]を参照。またの名を[[ケフカ]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:4B3|4B3}}===&lt;br /&gt;
谷口一刀の一番弟子であり、鹿児島に住んでいる。Chakuwiki九州代表である。'''中学生のため、Chakuwikiでは管理者になれてもウィキペディアでは100%無理である。'''やはりきちがいで根暗臆病者であり中学校では苛められている。'''アンサイクロペディアでも管理者になれない。ウィキペディアで[[wiki:利用者:おかやまりゅうせい|某氏]]同様に5年間ブロックされるべきである。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:TriLateral|TriLateral}}===&lt;br /&gt;
{{Main|TriLateral}}&lt;br /&gt;
Chakuwikiの管理者。'''自分の都合のよいようにブロックする極悪管理者である'''。アンサイクロペディアでも[[アンサイクロペディア日本語版の利用者#利用者:あなこんだ|あなこんだ]]として別人のように暴れている。ユアペディアのユーザー弾圧があまりにも酷過ぎるので、Muttleyから注意された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除・保護・ブロック主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。chakuwikiの利用者ページで「YPでいくら喚こうが他Wikiには影響しないし2chですら相手にされない、ということを思い知れ。YPで罵倒されることは管理者の勲章だぜ。全く…」と負け惜しみの発言を行っている。キモすぎる奴でありロリコンであり幼稚園児を連れ出してはSEXしている（幼児とのSEXは同意の有無にかかわらず強姦罪です!!）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう悪管理者は成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:ケンシロウ「あたたたた」北斗百裂拳!&lt;br /&gt;
:[[TriLateral]]の罵倒「何だそのちんけな技は、けっ!痛くも痒くもないわ」&lt;br /&gt;
:ケンシロウ「御前みたいなかすに用は無い。御前はもう死んでいる」&lt;br /&gt;
:TriLateral「うびょへ～（爆発）」&lt;br /&gt;
:こうしてケンシロウは[[TriLateral]]を倒し旅は続くのであった。しかし、TriLateralの罠にはまりケンシロウは屋敷の下敷きになりました。もはやTriLateralに対抗する者はいません。TriLateralの笑い声が、天空に響き渡りました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Ded「おしまい・・・じゃねーよ!俺が倒す!」そして、DedはTriLateralを倒すべく旅に出た。&lt;br /&gt;
:Ded「ふっ、おまえは{{Chakuwiki|Yourpedia}}の記事を保護した糞管理者ね。死んでもらおう」&lt;br /&gt;
:TriLateral「こいつは倒せるぜ!かすが～」&lt;br /&gt;
:Ded「悪足掻きは止すんだな。指弾!」&lt;br /&gt;
:TriLateral「痛～!ひっ助けてくれ～!」&lt;br /&gt;
:Ded「見苦しいかすは嫌いでね。」&lt;br /&gt;
:TriLateral「ばきっ!ぐわ～!（死亡）」&lt;br /&gt;
:こうして不正（CWでの数々の悪行）に怒ったDedによってTriLateralは粉砕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:（あ）|（あ）}}===&lt;br /&gt;
（あ）はChakuwikiの管理者。神奈川県在住。生年月日は[[1983年]][[5月4日]]らしいが、異説もある。血液型は不明。利用者名が非常に馬鹿げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。削除検討に合致しないものまで、執拗に削除検討することで有名。利用者名が非常に馬鹿げている。だが、最近姿が見えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.f5.dion.ne.jp/~mockyel/novel_menu.htm これ]を見てるんじゃない?こいつは利用者名を見ても分かる様に真のきちがいでありしょっちゅうAVを見ている変態野郎であり完全なロリコンオタク。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう気違いは成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:豪鬼「ふっ御前など弱すぎて戦う気も失せる」&lt;br /&gt;
:（あ）「何をー!大口叩きやがって!糞生意気になー!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「まあいい死ぬ前だ。よく喋っておけばいい」&lt;br /&gt;
:（あ）「どうせ弱いくせに強がりやがって!俺は御前みたいな大口野郎が一番嫌いなんだよ!死ねやー!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「いいや。死ぬのは貴様のようだ」&lt;br /&gt;
:（あ）「へっ!殺れるもんなら殺ってみろやー!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「いいのか?俺を怒らせた罪は重いぞ。いいだろう地獄に落としてやろう。瞬獄殺!」&lt;br /&gt;
:（あ）「どわ～～～（死亡）!」&lt;br /&gt;
:こうして「阿呆=（あ）ほ」は呆気無く豪鬼に倒されたのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Kahusi|Kahusi}}===&lt;br /&gt;
{{Main|澤田亮太}}&lt;br /&gt;
Chakuwikiの管理者でもあり、[[ウィキペディア日本語版の管理者]]でもある。こんな人でもChakuwikiの管理者になれるためChakuwikiのウィキペディア化が進んでいる。最近では他アカウントで荒らし始め他のウィキペディア管理者などの成りすましを行っているが、ウィキペディアの会話ページでは「私ではありません」とコメントしている。嘘つきは泥棒の始まりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう嘘つきは成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:孫悟空「御前はCWの悪管理者だな!御前だけは許さねー!」&lt;br /&gt;
:Kahusi「くっくっくっ!殺れるものなら殺ってみろ!」&lt;br /&gt;
:孫悟空「か～め～は～め～はー」&lt;br /&gt;
:Kahusi「ぐっぐっぐっ!ぐわ～（死亡）!」&lt;br /&gt;
:こうしてCWの嘘つき管理者は孫悟空によって倒されたのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:花室川|花室川}}===&lt;br /&gt;
問題管理者の1人。別名・[[鼻糞川]]。ユーザーを理由もなしにブロックする極悪管理人である。さっさと死んでくれ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「野比のび太に言いたい」を勝手に「野比のび太に言われたくない」にリダイレクトし、保護した糞管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Chakuwikiの中で最も空気の読めない管理者といっても過言ではない。それどころか自分も読めない。つまりきちがいでありしょっちゅう2chを見ており荒らしまくるこいつも真のきちがいオタクであり治療不可能である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう悪管理者は成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:戸愚呂弟「ふっ。見た所霊力を全く感じないね」&lt;br /&gt;
:花室川「こいつは倒せるぜ!かすが～」&lt;br /&gt;
:戸愚呂弟「悪足掻きは止すんだな。指弾!」&lt;br /&gt;
:花室川「痛～!ひっ助けてくれ～!」&lt;br /&gt;
:戸愚呂弟「見苦しいかすは嫌いでね」&lt;br /&gt;
:花室川「ばきっ!ぐわ～!（死亡）」&lt;br /&gt;
:こうして不正（CWでの数々の悪行）に怒った戸愚呂弟によって花室川は粉砕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;ブロック・保護主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。理由もなしにブロックする。消えればよいのにこの'''糞管理者'''が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分がオタクなのにオタク狩りをしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:尻馬のりバカ|尻馬のりバカ}}===&lt;br /&gt;
[[ウィキペディア]]でブロックされたのにもかかわらずchakuwikiでは管理者になっている問題管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディア･[[アンサイクロペディア]]・2ちゃんねる化が不可欠にもかかわらず抵抗する空気の読めない管理者。Muttleyの[[ソックパペット]]でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
オナニーしまくっており正体はただの変態きちがい野郎でこいつも真のきちがい。まともに話をしようとしても全くの無駄である。赤子言葉で話さないと通じない為である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう悪管理者は成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:天下人「弱すぎて戦う気にもならん」&lt;br /&gt;
:尻馬のりバカ「けっけっけっ!強がりは止せ馬鹿が」&lt;br /&gt;
:天下人「弱い者虐めと思って見逃してやろうと思ったがそっちがその気ならねー」&lt;br /&gt;
:尻馬のりバカ「どうせ大した技も持ってねーくせに。俺はそういう奴が嫌いなんだよ死にやがれー」&lt;br /&gt;
:天下人「死ぬのは君の方だよ。烈蹴紫炎弾!」&lt;br /&gt;
:尻馬のりバカ「痛～!許してくれ～!」&lt;br /&gt;
:天下人「許すと思うか?」&lt;br /&gt;
:尻馬のりバカ「ぼこっ!ぐわ～～～!（死亡）」&lt;br /&gt;
:こうしてCWでの悪行に怒った天下人の手により尻馬のりバカは倒されたのであった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除・保護・ブロック主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、「問題投稿通知」のページに削除依頼が来ても'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:20pt&amp;quot;&amp;gt;全くと言っていい程取り合わない&amp;lt;/span&amp;gt;'''。「{{Chakuwiki|利用者:尻馬のりバカ|ここ}}で別人と書いているが誤魔化すために書いただけだ」とYPの活動を認めている。しかも、'''どうでもいいことに目くじらを立てる'''。暴走っぽい他人の投稿を消した際、八王人から「内容に不満があればまずは『問題投稿通知』や『削除願い』に依頼を」と忠告を受けていたIPユーザーがいたが'''その矢先にこのIPユーザーに投稿ブロックを食らわせた。もはや鬼である'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼のブロックはもはやネズミ取りに捕まったと思うしかないと言われるほどブロックを乱発する。そのため、空気読めとの声も上がっている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に、「問題投稿通知」や「削除願い」に削除依頼が来ても全く取り合わない。苦情の主に対して神経をわざと逆撫でするような言葉さえ浴びせる。複数の管理者が口を揃えて「あれはやばい」「罵倒が過ぎる」と苦言を呈している中でも彼だけは1人脳天気にヘラヘラしており、その判断で削除された文章でさえその管理者らと相談もせず独断で復活させるほどである。'''1人の一般ユーザーの独断とかじゃなくて複数の管理者らによる意見一致で対応されたものに対してもこれである。もはやどうしようもないワンマンである。''' &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように余りにも暴走をぶちかますので一部の管理者仲間からも「厳しすぎ」「尻馬のりバカとは話が合わぬ」との声が上がっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Muttley|Muttley}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Muttley (利用者)}}&lt;br /&gt;
Muttleyはアンサイクロペディア日本語版の天皇でもありChakuwikiの管理者でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者であることをいいことに自分の気に食わないユーザーを無期限ブロックしたり、他人の[[IPアドレス]]や[[リモートホスト]]を全て暴露したりするプライバシーの侵害を平気で行う極悪非道な利用者。挙句の果てに[[大韓民国|韓国]]の記事を保護し[[陽富連邦]]を白紙保護した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアに帰れよカス。こいつは死ぬべくして生まれた用の無い廃人見たいな者であり本当に死んだ方が良い。ちなみにブロックオタクでありブロックする事に性的快感を覚える変態きちがいオタク。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除・保護・ブロック主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あまりにも身勝手なため'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:20pt&amp;quot;&amp;gt;アンサイクロペディアでも嫌われている&amp;lt;/span&amp;gt;'''。ただ、最近あまり姿が見えなくなってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう[[気違い]][[おたく]]は成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:豪鬼「御前が人権侵害を平気でする極悪管理者か。ふっ弱すぎて目を瞑っていても倒せそうだ」&lt;br /&gt;
:Muttley「糞生意気な野郎だな!俺に言わせればそんなもん強がりにしか聞こえねーぜ!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「分からない奴だな。御前は倒され今日死ぬというのを」&lt;br /&gt;
:Muttley「けっ!それが強がりだって言うんだよ!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「仕方無い。分からない奴には力尽くでも分からせる必要がある。死をもってな!瞬獄殺!」&lt;br /&gt;
:Muttley「ぐわ～～～（死亡）!」&lt;br /&gt;
こうして天皇MuttleyはCWでの悪行に怒った豪鬼によって倒されたのであった。ざまーみろww。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;犬なのに猫の署名使ってんじゃねーぞ!!&amp;lt;/span&amp;gt;'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:八王人|八王人}}===&lt;br /&gt;
{{Main|八王人}}&lt;br /&gt;
花室川同様ユーザーを理由もなしにブロックする極悪管理人である。さっさと死んでくれ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう悪管理者は成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:仙水「弱すぎて戦う気にもならん」&lt;br /&gt;
:八王人「けっけっけっ!強がりは止せ馬鹿が」&lt;br /&gt;
:仙水「弱い者虐めと思って見逃してやろうと思ったがそっちがその気ならねー」&lt;br /&gt;
:八王人「どうせ大した技も持ってねーくせに。俺はそういう奴が嫌いなんだよ死にやがれー」&lt;br /&gt;
:仙水「死ぬのは君の方だよ。烈蹴紫炎弾!」&lt;br /&gt;
:八王人「痛～!許してくれ～!」&lt;br /&gt;
:仙水「許すと思うか?」&lt;br /&gt;
:八王人「ぼこっ!ぐわ～～～!（死亡）」&lt;br /&gt;
:こうしてCWでの悪行に怒った仙水の手により八王人は倒されたのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;ブロック・保護主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。かってに[http://www.ii-park.net/~harabou/no_35_antiism/no_35_5-.html '''DQN'''（荒らし）認定]を行っているが自分が'''DQN'''であるため信じてくれない。勝手に強制Wikiブレイクしやがって死ね死ね死ね死ね死ね!!!!茨城県のナンバープレート「つくばナンバー」にDQNって書いたら'''ブロック規制喰らった。本当のこと書いて何が悪い!さっさと死ねよ[[キチガイ]]!!!!'''また、ウィキペディアで無期限ブロックされているにも関わらずChakuwikiでは何の拘束もないのが実情であり話が矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:たかはま|たかはま}}===&lt;br /&gt;
管理者でありながら、尻馬のりバカ同様「問題投稿」の削除に取り合わない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ひどい時には'''特定地域を侮辱して現地人を笑い者にするような投稿を自分からしでかす'''。こいつも又きちがい。チャクウィキにはこうしたきちがいで全て埋め尽くされておりサイトを利用するのは危険。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まともな人は外にどんどん出て行く為、密度の濃いきちがいだらけでスラムサイト（きちがいの坩堝）となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういうきちがいは成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
:孫悟空「御前がCWで有名なきちがいおたくかー?」&lt;br /&gt;
:たかはま「それは御前だ!死ね!糟が!」&lt;br /&gt;
:孫「俺はまだ死ぬ訳にはいかないお前を倒すことが今一番重要なことだからだ」&lt;br /&gt;
:たかはま「御前は何を言っても通じない気違いだな!」&lt;br /&gt;
:孫「どっちが強いか今分からせてやるー!か～め～は～め～はー!」&lt;br /&gt;
:たかはま「どわ～～～（死亡）!」&lt;br /&gt;
:こうしてCWでの悪行に怒った孫空により「たかはま」は倒されたのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;保護主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。IPユーザーに対する口調もネチネチしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:い|い}}===&lt;br /&gt;
その名の通り（あ）の[[ソックパペット]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう糞ソックパペットは成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Ded「ふっ。見た所霊力を全く感じないね」&lt;br /&gt;
:い「こいつは倒せるぜ!かすが～」&lt;br /&gt;
:Ded「悪足掻きは止すんだな。指弾!」&lt;br /&gt;
:い「痛～!ひっ助けてくれ～!」&lt;br /&gt;
:Ded「見苦しいかすは嫌いでね。今すぐに存在を消してあげるよ!」&lt;br /&gt;
:い「ばきっ!ぐわ～!（死亡）」&lt;br /&gt;
:こうして不正（CWでの数々の悪行）に怒ったDedによっていは粉砕された。&lt;br /&gt;
だが、殆ど姿が見えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Kami|Kami}}===&lt;br /&gt;
自称神。神気取りの小学生である。低脳で有名な2ちゃんねらーである。しかもVIPPER。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう（神という）勘違いだけの気違いは成敗しないといけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:豪鬼「またCWのユーザーか。やはり気違いだらけというのも頷けるな」&lt;br /&gt;
:Kami「何をぼそぼそと!御前は私が倒し私が新世界の神となるのだー!ふふふふふ!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「御前は完全にいかれているな」&lt;br /&gt;
:Kami「神（私）に逆らった罪は重～いお前は私が倒しま～すふっふっふっ!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「おたく丸出しのきちがいが私が殺してやろう」&lt;br /&gt;
:Kami「何が～おたくだ～!それは御前の方だろうが死ねや～～～～～!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「今回に限って見逃してやろうと思ったが相手が気違いでは仕方ない。瞬獄殺!」&lt;br /&gt;
:Kami「痛～よ～!ママ～助けてくれじょ～!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「もはや御前を助ける者等誰一人としていない死あるのみだ」&lt;br /&gt;
:Kami「助けて～ママ～!やめてくれじょ～!」&lt;br /&gt;
:豪鬼「泣き付いても無駄だ俺は一度決めた事は貫き通す主義だからな。止めだ!」&lt;br /&gt;
:Kami「うわ～～～～～（死亡）!」&lt;br /&gt;
こうして気違いおたく（Kami）は豪鬼によって倒されたのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:彊|彊}}===&lt;br /&gt;
谷口一刀の犬。話をしようとしても完全に無駄である。赤子言葉で話しても通じない為である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、空気が読めない管理者かと言われると案外そうでもない。何気に上記の尻馬のりバカやたかはまの横暴に困惑している人物の一員である。しかし、所詮は犬なので逆らえない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう犬は成敗しないといけない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Ｍｗ「ふっ。ただの犬か」&lt;br /&gt;
:彊「ワンッ!ワンッ!」&lt;br /&gt;
:Ｍｗ「敵ではないわ!」&lt;br /&gt;
:彊「ギャウン!（死亡）」&lt;br /&gt;
こうして役立たずな犬のだらしなさに怒ったＭｗによって彊はあっけなく粉砕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Mamekiti48|Mamekiti48}}===&lt;br /&gt;
最近姿が見えない糞管理者。どこにいるのか問い詰めたい。来いよ。まだこの人と話をしたことがないorz &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:ないです|ないです}}===&lt;br /&gt;
名前は「良識の人では'''ないです'''」が由来である。救いようのない管理者。ただ、常に空気が読めていないかと言われると案外そうでもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Sanpei|Sanpei}}===&lt;br /&gt;
[[兵庫県]]民であるにもかかわらず阪神大震災が大好きな基地外管理者。やはり身勝手なので結婚できないかわいそうな人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:I.T.Revolution|I.T.Revolution}}===&lt;br /&gt;
休職していた管理者。自ら休職して誤魔化すのは良くない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう糞管理者は成敗しないといけない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:林家「ふっ。見た所霊力を全く感じないね」&lt;br /&gt;
:I.T.Revolution「こいつは倒せるぜ!かすが～」&lt;br /&gt;
:林家「悪足掻きは止すんだな。指弾!」&lt;br /&gt;
:I.T.Revolution「痛～!ひっ助けてくれ～!」&lt;br /&gt;
:林家「見苦しいかすは嫌いでね。今すぐに存在を消してあげるよ!」&lt;br /&gt;
:I.T.Revolution「ばきっ!ぐわ～!（死亡）」&lt;br /&gt;
こうして不正（CWでの数々の悪行）に怒った林家によってI.T.Revolutionは粉砕された。とおもったけど死んでいないし、活動を再開したのでもう一度やりますわ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;'''ズシュ!'''&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
I.T.Revolutionはついに氏んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;削除・保護・ブロック主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。さっさと'''死ねよ'''カス。'''他人の利用者ページを勝手に保護する基地外'''である。だが弱点がある。自分の利用者ページには一切保護がかけられていないのでそこを荒らせばよい。ついでに{{Chakuwiki|Template:Boxboxbottom}}と{{Chakuwiki|Template:Boxboxtop}}も{{Chakuwiki|Template:荒らし}}に変えてしまおう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者になって数ヶ月しか経っていないのに調子に乗るバカ。働けよ。なんか行動にすごく腹立たしい感じを覚える。水色の名前はキモい。正直引く。chakuwikiにも「のびた君」があればなとつくづく思う。コイツより先にAction F氏が管理者になるべきだったと強く思う。言っちゃ悪いけどいないほうがいい。評価できる唯一の点は712騒動の対応ぐらい。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Extream!!|Extream!!}}===&lt;br /&gt;
名前が[[#利用者:（あ）|（あ）]]並みにふざけている糞管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:ピーター・バカラン|ピーター・バカラン}}===&lt;br /&gt;
サボっている管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう糞管理者は成敗しないといけない。 &lt;br /&gt;
:スーパー白紙「ふっ。見た所霊力を全く感じないね」&lt;br /&gt;
:ピーター・バカラン「こいつは倒せるぜ!かすが～」&lt;br /&gt;
:スーパー白紙「悪足掻きは止すんだな。指弾!」&lt;br /&gt;
:ピーター・バカラン「痛～!ひっ助けてくれ～!」&lt;br /&gt;
:スーパー白紙「見苦しいかすは嫌いでね。今すぐに存在を消してあげるよ!」&lt;br /&gt;
:ピーター・バカラン「ばきっ!ぐわ～!（死亡）」&lt;br /&gt;
こうして不正（CWでの数々の悪行）に怒ったCHAKUWIKI消えろによってピーター・バカランは粉砕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:葉村史陽|葉村史陽}}===&lt;br /&gt;
[[千葉県]]一ド低脳な千葉県民。なのに管理者なのは糞Wikiだからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:御蒲田弓之助|御蒲田弓之助}}===&lt;br /&gt;
タイに行くと言って逃げる糞管理者。'''荒らされたのは当然だ、逃げるからだバーカ!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:あけぼう|あけぼう}}===&lt;br /&gt;
栃木の管理者。極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;保護主義者&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Action_F|Action F}}===&lt;br /&gt;
4B3の手下。消えろよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Yddit|Yddit}}===&lt;br /&gt;
ユーザーの統計をだらだらと書いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
*[[モナペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫|ちやくういきのかんりしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakuwikiの管理者|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakuwikiの管理者|実]]&lt;br /&gt;
[[Category:童貞|ちやくういき]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Chakuwiki%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;diff=38784</id>
		<title>Chakuwikiの利用者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Chakuwiki%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;diff=38784"/>
				<updated>2008-09-03T11:35:03Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{先編集権}}&lt;br /&gt;
{{自己責任}}&lt;br /&gt;
'''Chakuwikiの利用者'''（チャクウィキのりようしゃ）とは[[Chakuwiki]]を編集する人たちのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
閲覧専門の利用者は含まれない。Chakuwikiの利用者には、数多くの個性的な利用者が存在する。また管理者による投稿ブロックが最近、相次いでいるのも実情である。Chakuwikiに対して問題的な活動を行った利用者が、この項目にリストアップされるだろう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウントは1人で複数もつことも出来るが、複数で1つを管理することも可能である。したがって、ここにあげたアカウントの人数が実際の利用者の人数とイコールとは限らない。&lt;br /&gt;
===アンチCW倶楽部===&lt;br /&gt;
*[[利用者:ゆーり|ゆーり]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:Ded|Ded]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:中竹たけし|中竹たけし]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:YUu|YUu]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:京都市バス暴走族|京都市バス暴走族]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:ネッツ|ネッツ]]（本名：[[藤森京介]]）&lt;br /&gt;
など・・・というより[[船丸|工作員]]のほうがキモい[[基地外]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==利用者一覧==&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:七星|七星}}===&lt;br /&gt;
'''七星'''はアンサイクロペディアの元管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在は中国や韓国に在住しているらしい。血液型はAB型らしいが、異説もある。管理人でもないのに管理人まがいのことをし人を集める反面、高圧的で場にしゃしゃり出る彼を苦々しく感じていたユーザーも多かった。クレクレ厨の代表とも言える。多くのソックパペットを駆使してページを白紙化する事件が多発。犯人はCWに詳しい内部犯に絞られた。そしてMuttleyのCUの結果七星が浮かび上がり、七星は追放された。詳細は[[七星]]で。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Wiki男|Wiki男}}===&lt;br /&gt;
数少ない四国のユーザーであることをいいことに管理者になりたがっている利用者。地方ごとのユーザー数で決まるためまずなれないであろう。そのせいか管理者まがいの事を行い、時に他の一般ユーザーを恫喝し逆に管理者に怒られるというマヌケな黄金パターンを持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現役高校生。極端な左派でもある。また、空気が全く読めない上に礼儀がなっていないと七星に叩かれるたことがある。叩いた男が最強の荒らしだったと判明したのは皮肉である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またエセ人権屋ぶりを発揮して死刑存置にケチをつけるページを立てた結果同意する者は現れず、反論食らってばかりというマヌケでもある。'''削除・保護・ブロック主義者'''である。HPを作ったが廃墟と化しており「Wiki男は嫌いだがかわいそうになる」との声まである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また[[長宗我部元親]]の信者であり、東京嫌いである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし最近は管理者活動をやめている。そのため2ちゃんねるでもう許してやれとの声も上がり、本人も感激して登場した。一見落着かと思いきや彼を氏付けする怪しい名無しが登場し、本人の自演疑惑が浮上。さらに嫌われる始末になってしまった。ちなみにPart4の&amp;gt;&amp;gt;1に使われているAAの四国の一流KYとは、もちろん彼のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分の利用者ページに「弘法も筆の誤り」と加筆。弘法が誰かは明記しなかったがこれが多くの利用者に傲慢に自己弁護と写り、ピーター・バカランと見られる人物が2ちゃんねるに警告文を貼りブチ切れたTriLateralもイラ付きを隠せない様子。Chakuwikiの管理人どころか、ついに殿堂入りの一歩を歩きだしたと言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、ピーター・バカランがノートに警告を書いた。2ちゃんねるから論議が起こり問題化するという異例の事態と化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし現在ウィキブレイク中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:おかやまりゅうせい|おかやまりゅうせい}}===&lt;br /&gt;
基地外ユーザー。詳細は[[おかやまりゅうせい]]を参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Dwonga|Dwonga}}===&lt;br /&gt;
宮崎の人。鹿児島の民放が見れる地域に住んでいるが宮崎の民放に不満があるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:ケチャマヨ|利用者:快速井上4号|快速井上4号}}===&lt;br /&gt;
鉄ヨタ。やはり嫌われている。KYなウンコ野郎。YUuさんに対して下劣な中傷を行っていたが、あまりにひどいので基地外からも注意される始末。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:ish-ka|ish-ka}}/{{Chakuwiki|利用者:Hi-ask|Hi-ask}}===&lt;br /&gt;
ウィキペディアンの[[ウィキペディア日本語版の利用者#利用者:ish-ka/利用者:Hi-ask|ish-ka]]と同一人物で、こちらでも[[河下水希]]に対する暴言・中傷行為を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、自分で自分のブロック依頼を出した行為はまるで[[木津尚子]]のバカと比べ物にならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:ドリフ大爆笑'78|ドリフ大爆笑'78}}===&lt;br /&gt;
重度の基地外ヲタク。鉄道、自動車、萌え、PC、軍事（WWII）という八方美人の兼業ぶりにはあきれた。氏ね。カスオタクめが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:中竹たけし|中竹たけし}}===&lt;br /&gt;
良識的なユーザー。しかし、極悪管理者・Iにブロックされた。一生許さない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Ded|Ded}}===&lt;br /&gt;
チャクウィキを追放された善良な利用者。鼻糞川や糞犬に嫌がらせを受けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:京都市バス暴走族|京都市バス暴走族}}===&lt;br /&gt;
伏見区在住の善良なユーザー。糞管理者のために評価を落とされた悲劇の人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:長野のそうじろう|長野のそうじろう}}===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
パスワード公開が趣味の露出狂。{{Chakuwiki|利用者:CHAKUWIKI消えろ|CHAKUWIKI消えろ}}というソックパペットを作成して自作自演をしていたがすぐにばれた。ホントに頭弱いなー!こいつ（笑）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつは'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;荒らしが趣味の基地外&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:竜也|竜也}}===&lt;br /&gt;
チャクウィキ内に於いて、特に幼稚なことばかりやっているユーザー。書式を守れない投稿も多く、複数の管理者に怒られまくっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:船丸|船丸}}===&lt;br /&gt;
様々な意味でChakuwikiを代表するユーザー。極度の'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:25pt&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;&amp;lt;/small&amp;gt;ローゼンメイデンファン&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。chakuwikiの利用者ページで「ローゼンメイデン大好き」と書いてあった事から第2のローゼン麻生と言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
編集のスキル自体は低く、その投稿自体もお世辞にも質が高いとは言えず、しかも管理人を目指したスタンドプレイ的な投稿が目につき、尻馬のり馬鹿、I.T.Revolution、TriLateralら管理人からは厳しくマークを受けていた。俗に言う[[クレクレ厨]]の代表とも言える。[[八王人]]からYP荒らしの疑惑を受け、長期ブロックを受けかけた。これは船丸の自作自演擁護やIPで八王人の行動を疑問視する者まで現れ大問題に発展し一時は他の管理者も船丸ブロックに流されかけたが（I.T.Revolutionは反対を表明）、Muttleyは船丸はYPのルールには反していないと無罪宣言。八王人の勇み足もあったが、他サイトでの行動がCWでどう裁かれるかという難しい問題でもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに以前は管理者になりたいと意欲を見せていたが、今は管理者にはなりたくないとユーザー宣言をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Chakuwiki長期休止を宣言。これには船丸に対しても管理人に対しても賛否両論ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:Baka21|Baka21}}===&lt;br /&gt;
「管理者になりたい!」と宣言していたいわゆるクレクレ厨の代表の21人のユーザーで、特にクレクレ厨を毛嫌いする[[TriLateral]]から目をつけられた。しかし管理人を目指している割には脇の甘い投稿を繰り返し、たびたびブロックを受けていた。震災を記念日にするという不謹慎投稿をし、長期ブロック。IPでも投稿するなどという宣言をしたがこれには周囲を逆に呆れさせ、さらに反感を買った（特に彼の天敵であったTriLateralは、もうCWから消えろと引退勧告を出した）。後にBaka21を擁護するIPが登場、TriLateralがCUにかけようとしI.T.Revolutionら管理人のほぼ全員が賛成したが[[Muttley]]に「（串をCUしろなんて）本物の馬鹿か?CUは魔法ではない」と突き放され却下された。CU機能を管理人が理解していないことを露呈という、後味の悪い結末であった。Baka21はその後、管理人バベルを外したが管理人になりたい旨の本文は未だ放置されそのままである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:どらいあいす|どらいあいす}}===&lt;br /&gt;
自称IPで活動していたユーザー。ひばりーず民主共和国問題で荒れた後でのアカウント作成、登場当初から運営に苦言を呈するなどして[[八王人]]、[[TriLateral]]、[[I.T.Revolution]]などに目をつけられる。皮肉屋ではあるが問題投稿はしないため、[[魚住]]などと2ちゃんねるでもそのあざとさを指摘されている。最近は問題投稿提起、福田を諌める投稿などをしているが周囲の冷たい目線は変わっていない。奇異の目が辛いという理由で、現在のアカウントを削除と異例の引き継がない形でのアカウントの変更を申請。さらには今までの皮肉的な行動を謝罪し2ヶ月の活動停止を明言した。この申請にChakuwikiの管理者は応じたが、2ちゃんねるでは管理者になりたいための工作ではないかとの声もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:福田哲也|福田哲也}}===&lt;br /&gt;
最初は熱心な投稿者だったが、秋葉原事件で不謹慎ネタでブロック。その後「ブロックの基準がわからない」と執拗に運営にクレームをつけて食い下がり株を一気に下げてしまった。ただ同じ形ではないが、[[八王人]]にハメられた船丸のみは彼に同情的である。2ちゃんねるでは、久々の殿堂入りのKYとの声も高い。Chakuwiki引退宣言後、自分の投稿を全て消そうとした。さらに、もうChakuwikiには来ないから永遠追放でも何でも好きにしろと開き直りとも取れる発言をアカウントなしの署名でしている。この時の「永遠追放」という言葉は名言と言える。「永遠追放」はされなかったが、めでたく殿堂入りを果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{Chakuwiki|利用者:ネッツ|ネッツ}}===&lt;br /&gt;
{{Main|藤森京介}}&lt;br /&gt;
本名は[[藤森京介]]。Yourpediaの[[利用者:雪ノ城|雪ノ城]]と同一人物である。一時期はWikipediaの優良ユーザーだったが、荒らしがばれて追われた。今やWiki界を代表する嫌われ者。ソックパペットを駆使してChakuwikiを占領しようとするが、YPでの活動を訝しんだ[[Muttley (利用者)|Muttley]]にあっさり捕まり永久追放。YPしか行き場が無くなり、もはや粘着的にChakuwikiの不満を垂れ流すクズと成り下がった。第2の[[長野のそうじろう]]（というか長野のそうじろう本人）かもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
*[[モナペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの管理者 (妄想)]]&lt;br /&gt;
:↑は工作員による改竄が行われていますので注意!&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディアの基地外利用者]]&lt;br /&gt;
:基地外どもの悪行はここに書こう!!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/Chakuwikiの利用者 Muttleyが作成した愚劣なコピペ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Yourpedia%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;diff=38783</id>
		<title>Yourpediaの利用者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Yourpedia%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;diff=38783"/>
				<updated>2008-09-03T11:29:41Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ユアペディアの利用者'''（ユアペディアのりようしゃ）とは[[Yourpedia]]を編集する人物のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 利用者一覧 ==&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Beyond|Beyond]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|吉本敏洋}}&lt;br /&gt;
Yourpedia、[[コピペディア]]の唯一の管理者（他にも[[利用者:Sysop]]が存在するが、同一人物である）。本名は[[吉本敏洋]]。[[悪徳商法?マニアックス]]の管理者。ユアペディアを荒らす[[オウム真理教]]の[[野田憲太郎|サマナ]]と在家信徒に対し、毅然とした態度で対応している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアでは[[Wiki:利用者:たるんだあご|たるんだあご]]や[[Wiki:利用者:BeyondYoshimoto|BeyondYoshimoto]]、[[Wiki:利用者:インターネット先進ユーザー|インターネット先進ユーザー]]、[[Wiki:利用者:Blackrider|Blackrider]]などの多重アカウントで活動している疑いがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Y.D.Force|Y.D.Force]] ===&lt;br /&gt;
他者に対して13回も名誉毀損に該当する編集を行った。本人はこれを認めていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
''じゃあこっちも問いましょう。あなた自身は、いかなるサイトに於いてでも一切名誉毀損に該当する投稿は行っていないのでしょうか？もちろん、私以外の方について、です。そもそもWikipediaの利用者があなたをまともに相手にするとは思えませんが。どうしても誹謗中傷の類の記事を書きたかったら、ご自分のHPでやってくださいな。そうすれば運がよければあなたは訴えられることでしょう。--Y.D.Force 2007年7月27日 (金) 05:42 (JST) ''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記の発言は「名誉毀損に該当する編集を行った」ことは解っているが、認めたくないらしい。そのほかにもいくつもの野田関係の記事をRVしており、ことが大きくなっているのに気づいていない。運よく訴えられる、などというおかしな日本語が特色。調べたら、福井の指令を受けてここにきた松葉裕子だった。懲りてない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:蒼海|蒼海]]===&lt;br /&gt;
キャラを変えた[[福井利器]]の別垢。松葉裕子のBOTで動かしている。というのは、野駄犬の妄想である。&lt;br /&gt;
:えっまじで！？--[[利用者:蒼海|蒼海]] 2008年8月19日 (火) 04:21 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:マルヤ|マルヤ]] ===&lt;br /&gt;
[[ウィキペディア日本語版の利用者|ウィキペディアの利用者]]・[[wiki:利用者:純血主義|純血主義]]と同一人物で、荒らしで[[アンサイクロペディア]]から追放された[[アイヌ]]。詳しくは[[永井隆雄]]を参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] ===&lt;br /&gt;
''[[野田憲太郎#ネット上の言動について]]を参照''&amp;lt;BR&amp;gt;[[オウム]]が大好きな[[自宅警備員]]。アクティブユーザーに対しオウムと因縁を付けるがオウムを批判されると激怒する、[[オウム]]（特に[[松葉裕子]]）の[[バター犬]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Maverick|Maverick]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Maverick}}&lt;br /&gt;
[[木津尚子]]を参照せよ。法的告訴を検討したそうだが、訴状拒否されたらしい。書き込む時間帯から、木津であることは間違いがない。最近は岩瀬からプログラムをもらって、自動RVできるようになったようだ。そこまでして攻撃したいという変質的な40歳近くのおばさんである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近では、このアカウントを共有化してスクリプトで自動返信するように対策を講じたらしい。人の利用者ページを執拗に荒らしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:NoMoreMid|NoMoreMid]] ===&lt;br /&gt;
Mixiでは、いぬみみめいどと名乗る。御堂岡叩き部隊の1人。いぬみみめいどと同一人物であることをちくられたとたんに逃亡。で、逃げた後にまたやってきて延々と根拠の無いことを書き散らしに来る。恐らくは個人情報を何らかの形で奪われ（恐らくはストーカー容疑）、腹いせでやっているものと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Lonicera|Lonicera]] ===&lt;br /&gt;
[[ウィキペディア日本語版の利用者|ウィキペディアの利用者]]・Yukarinと同一人物。詳しくは[[荘田悦宏]]を参照せよ。なお[[ウィキペディアン]]の[[Lonicera (利用者)|Lonicera]]はアカウント名が同じだがユアペディアンのLoniceraことYukarin=荘田とは別人・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Los688|Los688]] ===&lt;br /&gt;
Lonicera同様、ウィキペディアの利用者・Yukarinと同一人物。詳しくは荘田悦宏を参照せよ。なおウィキペディアンのLos688はアカウント名が同じだがユアペディアンのLos688ことYukarin=荘田とは別人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:海獺（らっこ）|海獺（らっこ）]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|利用者:海獺（らっこ）}}&lt;br /&gt;
ウィキペディアの[[wiki:User:海獺|海獺]]とは別人である可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:たりぼー|たりぼー]] ===&lt;br /&gt;
Lonicera及びLos688同様、ウィキペディアの利用者・Yukarinと同一人物。詳しくは荘田悦宏を参照せよ。なおウィキペディアンのたりぼーはアカウント名が同じだが[[利用者:音声おじさん|音声おじさん]]の靴下であるためユアペディアンのたりぼーことYukarin=荘田とは別人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:Ded|Ded]] ===&lt;br /&gt;
チャクウィキを追放された利用者。現在、[[ユアペディア]]に貢献している。なお、「本人は[[利用者:七星|七星]]と名乗っているが別人である。」と[[七星]]が言っているが嘘である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岡田有希子の項目に登場するIP利用者 ===&lt;br /&gt;
{{Main|岡田有希子関連の記事に登場するIPユーザー}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:丁嵐|丁嵐]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|Maverick}}&lt;br /&gt;
これはMaverickのソックパペットである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:210.128.188.59|210.128.188.59]] ===&lt;br /&gt;
[[利用者:ミザリィ|ミザリィ]]氏のIPユーザー。長野のそうじろう氏に好意を抱いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長野のそうじろうの追放を悲しんでいる（＾－＾）／`hahahahaha-yattaze。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:長野のそうじろう|長野のそうじろう]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
基地外ユーザー。Yourpediaを荒らす目的でアカウントを作成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:ＪＦＪＫ|ＪＦＪＫ]] === &lt;br /&gt;
精神病ユーザー。ガキ。ウィキホリック。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:ネッツ|ネッツ]] === &lt;br /&gt;
本名は[[藤森京介]]。[[長野県]][[飯田市]]出身。[[荒らし大王の一覧|ユアペディアの荒らし王]]である。過去は結構良識なユーザーであったが、最近はブロックの恨みの悪化などでソックパペット大量作成、丁嵐やLoniceraにおいて誹謗中傷の記事を多数作成したりしなかったりしている。詳細は藤森京介を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年1月、ユアペディアから追放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:七星|七星]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|七星}}&lt;br /&gt;
荒らしユーザーの1人。2代目[[Monapedia]]の創設者であるが[[チャクウィキ]]を荒らしまくって追放された利用者でもある。このウィキでも他人の利用者ページ（[[利用者:Ded]]の利用者ページ）を勝手に編集して、管理者に無期限ブロックを食らった。が、現在は[[:Category:七星の操り人形だと疑われるユーザー|ソックパペット]]を多数作成し[[利用者:Nanahoshi|Nanahoshi]]のアカウントで[[Ded]]や[[稲村良光]]への誹謗中傷を行っている。2代目Monopediaの創設者がそんなことしているなんてみっともない。[[利用者:丁嵐|丁嵐]]と同一人物の可能性もあるが、[[利用者:Maverick|Maverick]]の可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:ウーソキマスラ|ウーソキマスラ]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|エクレロ孫法師}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:キャプテン・カタギリ|キャプテン・カタギリ]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|キャプテン・カタギリ}}&lt;br /&gt;
エクレロ孫法師アンチ。また、[[利用者:ハエ叩き|ハエ叩き]]というソックパペットまで持っている可能性あり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:魚津サブジェクト|魚津サブジェクト]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|魚津サブジェクト}}&lt;br /&gt;
利用目的は上記とほぼ同じ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:ソウ|ソウ]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|大場綜}}&lt;br /&gt;
[[かっこよすぎる漢]]。無実の罪で[[ウィキペディア]]を追放された善良なユーザー。[[ボクシング]]が大好きで[[性犯罪者]]とウィキペディアと2ちゃんねるを心から憎んでいる。また、[[稲田朋美]]を愛する右翼活動家でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 粗暴な投稿者（Chakuwikiでの呼称） ===&lt;br /&gt;
Chakuwikiでまともな事を書いているのに気違い管理者に逆恨みされブロックされるが実際の書いている事は的を射ている事が多くこれは単なる気違いの悪趣味で幼稚な悪戯と思って本人は気にしていないのが現状でこちら（YP）では全員がエリートの為、上手くやっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[利用者:YUu|YUu]] ===&lt;br /&gt;
[[有害サイト]]・[[チャクウィキ]]を追放された天才ユーザー。愛知県が大好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[野駄犬]]の悪戯を一度差し戻ししただけで駄犬に粘着されてしまう。[[チャクウィキ]]と[[駄犬]]と[[2ch]]を心の底から憎んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:Mikomaid|Mikomaid]] ===&lt;br /&gt;
[[群馬県]][[富岡市]]在住の元[[ウィキホリック]]。[[1963年]]生まれ。[[2006年]][[2月11日]]よりIPユーザーとして投稿を開始。主な投稿先だった[[真如苑]]が半保護となり、2006年[[5月19日]]に現在のアカウントを取得。利用者ページでは「巫女、メイド、祭り、鉄道、カメラが好きな者です」と自己紹介し主な投稿項目は「祭り」、「ふんどし」、「映画」、「アニメ」、「ゲーム」、「宗教」、「鉄道」、「音楽」関連の分野と広範囲に及ぶ。毎朝午前10時前後の約3時間、夜間は午後8時から午前0時までの4時間に規則的に投稿を行うことが特徴。他に分野別（ゲーム、アニメ、宗教）に別アカウントを持ち、他の空いた時間に投稿していると噂されている。その投稿内容は単にネットで検索して転載したものに過ぎず、出典元は個人サイト、ブログの記述や2ちゃんねるの投稿内容と正確性や検証性に乏しい内容である。文献を読んで精査した内容の投稿ではない。そのため誤った記述も多く、そのことを多くのユーザーから指摘されても改正には殆ど応じず自己の投稿内容の正当性を強く主張して自分の投稿内容に固執する。その投稿内容に手を加えるユーザーを攻撃者呼ばわりし、相手の編集のリバートを繰り返すことや投稿相手のコメント依頼を連発し相手の編集や投稿の牽制を行う。その為、当該の項目の編集が滞り[[Mikomaid]]の実質管理下に置かれていた。[[2008年]][[7月16日]]に本人が議論相手のコメント依頼[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E5%BC%A5%E3%80%81%E9%83%81]を提出したところ提出内容の正当性に疑問が持たれ、本人の過去の投稿歴が精査されることとなりその攻撃的で相手を挑発する行為が問題視されるようになった。また本人の過去が精査されたことでその際、過去と現在のIP（[[220.3.132.253]]、[[220.3.134.144]]）が明らかになり、そのIPを検索すると過去に2ちゃんねるで荒らし行為を行っていたことが発覚した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この間のやりとりで、管理者・[[海獺 (利用者)|海獺]]より言動に問題があると1週間の投稿ブロックを受けた。[[2008年]]8月7日、遂に他ユーザーより本人のコメント依頼[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Mikomaid]が提出され過去に多重アカウントを使って合意形成を行っていた事実や正確性、信頼性、検証性に乏しい投稿内容、本人の投稿内容を編集した相手への挑発や攻撃的な言動が次々と明るみに出た。多重アカウントの合意形成は2006年[[8月31日]]より利用を始めた地元市役所の公開端末を使い、他人になりすましたものである。地元市役所でもこの事実が発覚し、公開端末の利用制限が行われ地元住民は迷惑を被った。[[2007年]][[12月26日]]にIPユーザーより多重アカウントによる合意形成疑惑でCU依頼[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:CheckUser%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Mikomaid%E3%81%A8A._J._Kuonji]が行われた時点で素直に多重アカウントによる合意形成を行ったことを認め、謝罪したことから問題が大きくならず処分が下されることはなかったが2008年[[8月6日]]の本人へのコメント依頼でその後の言動に全く変化がなかったことが明らかになったことで、2008年[[8月28日]]に投稿ブロック依頼[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Mikomaid]が他のユーザーから提出され2008年[[9月3日]]より各種方針の熟読期間として1年間の投稿ブロックの処分[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Mikomaid]が下された。これは相手によって態度を豹変させる卑屈なまでの姿勢からその言動の信憑性に疑問が持たれユーザーとの質疑を重ねる度にその本性を他ユーザーに見抜かれ無期限ブロックを支持するユーザーが一気に増えたが、管理者・海獺が無期限の投稿ブロックに反対したことから1年間の投稿ブロックに留まったものである。管理者・海獺から「問題点がわからない方」、「何度指摘されても改善されない方」、「自制が効かない方」と言われ、百科事典の編集には向いていないとあからさまに言われても本人はその意味に気が付かず、管理者・海獺を呆れさせた。一方本人は、投稿ブロックを見越して2008年[[8月11日]]にYourpediaにてウィキペディアと同じ[[Mikomaid]]のハンドルネームでアカウントを作成[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/Mikomaid]しYourpedia上での投稿活動を開始し、Wikipediaのユーザーの顰蹙を買った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
*[[モナペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの管理者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディア]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;diff=38782</id>
		<title>モナペディアの利用者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&amp;diff=38782"/>
				<updated>2008-09-03T11:25:33Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{自己責任}}&lt;br /&gt;
'''モナペディアの利用者'''（-のりようしゃ）とは[[モナペディア]]を編集している人たちのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
モナペディアは[[ウィキペディア日本語版]]のパロディで成り立っており偏った編集や2ちゃんねるに関係のない記事（例：[[月曜日]]等）は禁止されている上、画像のアップロード、カテゴリ作成は制限されているにも関わらず問題的な活動を行ったり荒らし行為を行ったりするケースが多く見られる。また管理者による投稿ブロックが最近、相次いでいるのも事実である。ここではモナペディアの悪質な利用者をリストアップする。ただし彼らの利用者ページは新しいモナペディア設立と伴い、削除されている。よって、以前のモナペディアの行動のみをリストアップしている。現在、初代メインページも復活した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 利用者一覧 ==&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:Nanahoshi Nanahoshi]（七星） ===&lt;br /&gt;
{{Main|七星}}&lt;br /&gt;
七星はアンサイクロペディアの元管理者。[[#利用者:2007|2007]]の会話ページで「'''彼はWikipediaでもアンサイクロペディアでも荒らしで有名なユーザーです。無期限ブロックが望ましいと思われます'''」と発言している通り、2007に無期限ブロックを仕掛けた自己中心的な利用者でもある。また、アンサイクロペディアで管理者解任されているにも関わらずモナペディアでは何の拘束もないのが実情であり話が矛盾している。ちなみに、現在は中国や韓国に在住しているらしい。血液型はAB型らしいが、異説もある。現在も活動中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:Yushimogaki Yushimogaki] ===&lt;br /&gt;
七星の一番弟子。空気が読めないKYでありアンサイクロペディアでいろいろと迷惑なことをするという前科があるが、七星の弟子であるため管理者になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:馬岱 馬岱] ===&lt;br /&gt;
馬岱はモナペディアの管理者。[[wiki:利用者:（あ）|（あ）]]と同一人物である。管理者の権限を使い、自分の気に食わないユーザーに対して無期限ブロック依頼を[[2ちゃんねる]]の資料室板で行ったり他人のユーザーの投稿記録を全て暴露したりするプライバシーの侵害を平気で行う極悪非道な利用者である。2007は馬岱の気に食わないユーザーのようで1週間ブロックされた。ただし現在は利用者:突撃ひとりに完全にポジションを奪われ、ほとんど出現していない。2代目モナペディアでも[[アンサイクロペディア日本語版の利用者#（あ）|（あ）]]として活動中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:黒幕 黒幕] ===&lt;br /&gt;
黒幕はモナペディアの管理者。2007を1週間ブロックした人物でもある。自分の主旨に当てはまらない記事であれば編集内容の要約に「'''荒らし行為は厳禁です!!'''」という挑発的な暴言を残し平気で記事を削除する自己中心的な利用者である。また、黒幕も2007のことは気に食わないユーザーのようで投稿ブロックを行っている。現在は存在すら知られていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:2007 2007] ===&lt;br /&gt;
2007はモナペディアの利用者。[[wiki:利用者:Speedyear|Speedyear]]と同一人物である。Willy on truthとは同じIPアドレスだが、無関係である。この利用者は最も個性的な利用者でもある。島村まみ、玉山鉄二など2ちゃんねるに関係のない芸能人の記事を投稿している情緒不安定者である。この利用者はWikipediaにおいても度々注意をうけるが、日本語が理解できないのか行動を改めた為しがない。恐らく、公式方針には漢字が多く使われているので読む事が出来ないのであろう。現在、自己中心的な編集態度を改めない為、モナペディアの管理者によって追放されている模様。現在ではめっきり活動されなくなった模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:雲国斎 雲国斎] ===&lt;br /&gt;
雲国斎はかつて存在したモナペディアの利用者。[[アンサイクロペディア]]では現在も活動中である。[[2007年]]に[[Yourpedia]]が発足した事によりアンサイクロペディアやモナペディアにとって不都合な情報が流れるようになった為、彼は報復として[[#利用者:馬岱|馬岱]]の会話ページでYourpediaを名指しで非難している。馬岱の会話ページには「'''（Yourpediaの）信憑性は2ちゃんねる以下'''」という彼自身の危険な本音まで書き込まれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:227 227] ===&lt;br /&gt;
モナペディアの創設者として有名である。元のメインページを閉鎖した人物でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [http://monapedia.mw.cmssquare.com/index.php/利用者:長野のそうじろう 長野のそうじろう] ===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
悪名高きネット荒らし。無期限ブロックされていたが、なぜか解除??&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[2ちゃんねらー]]&lt;br /&gt;
*[[2ちゃんねる]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の管理者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の利用者]]&lt;br /&gt;
*[[アンサイクロペディア日本語版の管理者 (現実)]]&lt;br /&gt;
*[[ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの利用者]]&lt;br /&gt;
*[[Chakuwikiの管理者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://monapedia.mw.cmssquare.com/ 2代目モナペディア]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:モナペディア]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=38448</id>
		<title>その時歴史が動いたの全放送リスト</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=38448"/>
				<updated>2008-08-28T14:51:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''その時歴史が動いたの全放送リスト'''（そのときれきしがうごいたのぜんほうそうりすと）ではNHKの番組『[[その時歴史が動いた]]』で放送した内容のタイトルについて説明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このリストではアンコール放送分は除いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==放送タイトル==&lt;br /&gt;
放送時間は2006年3月8日放送分までが水曜日21時15分～21時58分、2006年4月5日放送分からが水曜日22時～22時43分。&lt;br /&gt;
===2000年===&lt;br /&gt;
*3月29日　運命の一瞬、[[東郷平八郎|東郷]]ターン ～[[日本海海戦]]の真実～&lt;br /&gt;
*4月5日　世紀の対決 [[沢村栄治|沢村]]VS[[ベーブ・ルース]] ～日本プロ野球誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月12日　天下分け目の[[天王山]] ～[[豊臣秀吉|秀吉]]・必勝の人心掌握術～&lt;br /&gt;
*4月19日　幕末のプリンセス・日本を救う ～皇女[[和宮親子内親王|和宮]]の悲願～&lt;br /&gt;
*4月26日　[[新撰組]]参上![[池田屋事件]]に賭けた若者たち&lt;br /&gt;
*5月10日　その日 6人がいた ～[[火縄銃|鉄砲]]伝来・偶然のドラマ～&lt;br /&gt;
*5月17日　[[織田信長]]・勝利の方程式 ～真説・[[長篠の戦い|長篠合戦]]～&lt;br /&gt;
*5月24日　[[だるま|ダルマ]]大臣・[[高橋是清]]経済危機と格闘する（[[昭和金融恐慌]]）&lt;br /&gt;
*5月31日　敵は[[本能寺の変|本能寺]]にあり ～[[明智光秀|光秀]]はなぜ主君・信長を裏切ったのか～&lt;br /&gt;
*6月7日　[[坂本龍馬]] 幕末の日本を動かす ～[[薩長同盟]]成立の時～&lt;br /&gt;
*6月14日　我輩は小説家である ～[[夏目漱石]]・[[東京大学|東大]]辞表提出の時～&lt;br /&gt;
*6月21日　[[蘇我入鹿]]（そがのいるか）暗殺事件 ～実録・[[乙巳の変|大化改新のクーデター]]～&lt;br /&gt;
*6月28日　戦火の中で[[アニメーション|アニメ]]が生まれた（[[桃太郎 海の神兵]]）&lt;br /&gt;
*7月5日　[[大坂の役|大坂の陣]]、[[豊臣氏|豊臣家]]滅亡す ～[[徳川家康]]・非情の天下取り～&lt;br /&gt;
*7月12日　[[西郷隆盛]]、明治に挑む ～[[西南戦争]]勃発の時～&lt;br /&gt;
*7月19日　[[奇兵隊]]決起せよ![[高杉晋作]]挙兵の時&lt;br /&gt;
*7月26日　[[黒船]]来航 日米交渉ここに始まる&lt;br /&gt;
*8月2日　[[ミッドウェー海戦]]の悲劇&lt;br /&gt;
*8月9日　予ノ判断ハ外レタリ ～[[ソビエト連邦|ソ連]]対日参戦の衝撃～&lt;br /&gt;
*8月23日　[[キリシタン]]禁制 ～秀吉・[[ヨーロッパ]]と対決す～&lt;br /&gt;
*8月30日　[[関東大震災]] ～知られざる日米友好～&lt;br /&gt;
*9月6日　[[前畑秀子|前畑]]ガンバレ!! ～[[ベルリンオリンピック]]の光と影～&lt;br /&gt;
*10月4日　[[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]] 家康 なぞの大突撃 ～ヨーロッパ製甲冑の威力～&lt;br /&gt;
*10月11日　弟・[[源義経|義経]]を討て ～[[源頼朝]]・武家政権確立への決断～&lt;br /&gt;
*10月18日　[[津田梅子]]・[[津田塾大学|女子英学塾]]設立の時 ～女性の真の自立をめざして～&lt;br /&gt;
*10月25日　[[1929年]][[ニューヨーク|NY]]株価大暴落（[[世界恐慌]]）&lt;br /&gt;
*11月1日　[[伊能忠敬]] 56歳からの挑戦&lt;br /&gt;
*11月8日　[[桶狭間の戦い]] ～織田信長、逆転への情報戦略～&lt;br /&gt;
*11月15日　坂本龍馬暗殺事件 ～魔の一瞬が歴史を変えた～&lt;br /&gt;
*11月22日　「[[学校]]」誕生 ～初代文部大臣・[[森有礼]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月29日　[[将軍]][[徳川慶喜|慶喜]]・最後の決断 ～幕末を動かした[[大坂城]]脱出～&lt;br /&gt;
*12月6日　[[20世紀|二十世紀]]十大事件 ～歴史を動かした決定的瞬間～&lt;br /&gt;
*12月13日　脱盟者たちの[[忠臣蔵]] ～忠義か人情か　人生の選択の時～&lt;br /&gt;
*12月20日　サムライ・[[福澤諭吉|福沢諭吉]] [[アメリカ合衆国|アメリカ]]に立つ! ～[[咸臨丸]][[サンフランシスコ]]入港の時～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2001年===&lt;br /&gt;
*1月10日　男たちよ、立て! ～[[北条政子]] 演説の時～&lt;br /&gt;
*1月17日　大衆の夢を形に ～起業家・[[小林一三]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*1月24日　検証・[[桜田門外の変]] ～[[井伊直弼]]暗殺・幕末大転換の時～&lt;br /&gt;
*2月7日　6000人の命を救った外交官 ～[[杉原千畝]] [[ビザ]]大量発給決断の時～&lt;br /&gt;
*2月14日・21日　シリーズ[[二・二六事件|2・26事件]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
*2月28日　秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす&lt;br /&gt;
*3月7日　[[大津事件|ロシア皇太子襲撃事件]] ～近代日本をつくった裁判～&lt;br /&gt;
*3月14日・21日　もしもその時（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「古代・中世編」&lt;br /&gt;
:後編「戦国・幕末編」&lt;br /&gt;
*3月28日　妻たちは決断した&lt;br /&gt;
**3月の3回は主として2000年度に放送された内容の総集編的な作品だった&lt;br /&gt;
*4月4日　世界を制した[[ハリウッド]][[映画]] ～[[風と共に去りぬ]]公開の時～&lt;br /&gt;
*4月11日　秀吉・家康 たった一度の直接対決 ～天下取りの知恵くらべ～&lt;br /&gt;
*4月18日　[[春日局]] 徳川家康を動かす ～戦国女性・太平の世への願い～&lt;br /&gt;
*4月25日　日本を救った[[サツマイモ]] ～[[青木昆陽]]・飢きん救済に挑む～&lt;br /&gt;
*5月2日　戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]沈没 ～[[大艦巨砲主義]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*5月9日　[[昭和天皇]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]・会見の時&lt;br /&gt;
*5月16日　「[[阿吽|あうん]]」の呼吸はこうして生まれた ～[[東大寺]] 金剛力士像完成の時～&lt;br /&gt;
*5月23日　[[岡倉天心|天心]]の恋 ～東洋の美を追い続けた男～&lt;br /&gt;
*5月30日　[[徳川吉宗]]、執念の財政再建 ～米将軍・最後の決断～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[土方歳三]]・北の大地に散る ～[[戊辰戦争]]、最後の激戦～&lt;br /&gt;
*6月13日　[[伊達政宗]]、[[百万石]]への挑戦&lt;br /&gt;
*6月20日　[[邪馬台国]]の女王・[[卑弥呼]] ～動乱の[[魏 (三国)|中国]]に使者を出す～&lt;br /&gt;
*6月27日　[[白村江の戦い|白村江]]・古代最大の対外戦争&lt;br /&gt;
*7月4日　金融恐慌・日本を揺るがす ～巨大商社、[[鈴木商店]]の挫折～&lt;br /&gt;
*7月11日　[[北条時宗]]、起死回生の決断 ～[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍壊滅の時～&lt;br /&gt;
*7月18日　モンゴル軍来襲 ～九州武士・[[竹崎季長]]の戦い～&lt;br /&gt;
*7月25日・8月1日　[[ポツダム宣言]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「米ソの攻防」 ～[[原子爆弾|原爆]]投下・[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]の決断～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連対日参戦」～ソ連対日参戦・[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の焦燥～&lt;br /&gt;
*8月22日　夏休みスペシャル・[[三国志]]英雄伝（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風、[[長江]]に吹く」 ～[[諸葛亮|孔明]]の知略、天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*8月29日　そして、人は空を飛んだ ～[[ライト兄弟]]に先がけた男・[[二宮忠八]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*9月5日　[[上杉鷹山]] ふたたびの財政改革&lt;br /&gt;
*9月19日　キリシタン女性 関ヶ原合戦を揺るがす ～[[細川ガラシャ]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*9月26日　ぼく一生の不覚 ～[[日独伊三国軍事同盟|三国同盟]]締結・[[松岡洋右]]の誤算～&lt;br /&gt;
*10月3日　走れ!AA型 ～国産自動車誕生物語～&lt;br /&gt;
*10月10日　不平等条約を改正せよ ～[[陸奥宗光]]～&lt;br /&gt;
*10月17日　日本を愛した[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]・その悲劇&lt;br /&gt;
*10月24日　人生に絶望なし ～[[ヘレン・ケラー|ヘレンケラ]]ー来日の時～&lt;br /&gt;
*10月31日　羽柴秀吉、謎の敵前退却 ～[[賤ヶ岳の戦い|賤ヶ岳合戦]]・勝利の秘策～&lt;br /&gt;
*11月7日　戦国の茶人 秀吉と戦う ～[[千利休]]切腹の悲劇～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[前田利家]]の妻・[[芳春院|まつ]]の決断 ～加賀百万石・息子への教え～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[満州事変]] [[関東軍]]独走す&lt;br /&gt;
*12月5日　この難を逃げ候こと 本懐にあらず ～改革者・[[大久保利通]]暗殺の悲劇～&lt;br /&gt;
*12月12日　汽笛一声・日本の産声 ～[[鉄道]]開通に賭けた若者たち～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2002年===&lt;br /&gt;
*1月9日　スペシャル『日本を動かした15人』（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
*1月16日　[[溥儀|ラストエンペラー]]最後の日 ～「[[満州国]]」と皇帝・溥儀～&lt;br /&gt;
*1月23日　役人の不正許すまじ ～[[大塩平八郎]]決起の時～&lt;br /&gt;
*1月30日　志のある者 立ち上がれ ～獄中の出会いが生んだ[[吉田松陰]]の思想～&lt;br /&gt;
*2月6日　王宮の恋・[[サラエボ事件|サラエボ]]に散る ～[[第一次世界大戦|世界大戦]]を招いた暗殺事件～&lt;br /&gt;
*2月13日　日本の夢、[[ベルサイユ]]に散る ～[[パリ講和会議]]・人種差別 廃止提案の挫折～&lt;br /&gt;
*2月20日　[[田中正造]]、足尾鉱毒事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット|マリ・アントワネット]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*7月17日　[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]、皇帝への野望 ～戴冠式の一瞬に秘められた謎～&lt;br /&gt;
*7月24日　本能寺の変 ～信長暗殺!闇に消えた真犯人～&lt;br /&gt;
*7月31日　[[ガダルカナル島]]撤退 ～苦渋の決断～&lt;br /&gt;
*8月21日　特別編「戦い・その決定的瞬間」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「勝利の時・男たちは決断した」&lt;br /&gt;
:後編「戦乱・その時 妻は、母は」&lt;br /&gt;
*8月28日　さらば淀殿 お初の決断 ～運命に立ち向かった戦国三姉妹～&lt;br /&gt;
*9月4日　日本人、[[南極]]の大地に立つ（[[白瀬矗]]）&lt;br /&gt;
*9月11日　昭和を揺るがした銃弾 ～ライオン宰相・[[浜口雄幸]]狙撃の時～&lt;br /&gt;
*9月18日　ヒトラー情報 日本を揺るがす ～「真珠湾」へのもう一つの道～&lt;br /&gt;
*9月25日　ヒトラー最後の日 ～新資料が明かす独裁者の末路～&lt;br /&gt;
*10月2日　[[与謝野晶子]]『今ぞ目覚めて』 ～情熱の歌人、女性の自立を宣言～&lt;br /&gt;
*10月9日　幕末、[[京都市|京都]]炎上 ～長州・[[久坂玄瑞]]、志に散る～&lt;br /&gt;
*10月16日　必勝の方程式、江戸を制す ～[[大村益次郎]]、彰義隊撃破の時～&lt;br /&gt;
*10月23日　関ヶ原の戦い、決死の的中突破 ～戦国の猛将 [[島津義弘]]、決断の時～&lt;br /&gt;
*10月30日　人類のために生き、人類のために死す ～未公開書簡が明かす[[野口英世]]の真実～&lt;br /&gt;
*11月6日　豊臣秀吉天下統一の必勝戦略 ～[[小田原の役|小田原攻め]]に秘策あり～&lt;br /&gt;
*11月13日　激突 [[武田信玄]]と[[上杉謙信]] ～[[川中島の戦い]]、両雄決戦の時～ &lt;br /&gt;
*11月20日　改革に散った最後の幕臣 [[小栗上野介]] ～一本のねじから日本の近代は始まった～&lt;br /&gt;
*12月4日　[[銀行]]は人々のために ～金融危機を救った[[渋沢栄一]]の決断～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵、父と子の決断 ～赤穂浪士討ち入りの時～&lt;br /&gt;
*12月18日　[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]] [[交響曲第9番|第九]]誕生! ～民衆に自由を呼びかけた交響曲～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2003年===&lt;br /&gt;
*1月8日　新春スペシャル「ニッポン開国」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「なぜアメリカだったのか?」 ～[[マシュー・ペリー|ペリー]]の知られざる外交戦略～&lt;br /&gt;
:後編「通商か?亡国か?」 ～日本全権、決死の通商条約締結～&lt;br /&gt;
*1月15日　[[佐々木小次郎|小次郎]] 敗れたり ～決闘巌流島・[[宮本武蔵]]の執念～&lt;br /&gt;
*1月22日　兵法の道は人の道 宮本武蔵 ～『五輪書』完成への苦闘～&lt;br /&gt;
*1月29日　外交立国の志、いまだ死なず ～[[榎本武揚]]、箱館戦争終結の決断～&lt;br /&gt;
*2月12日　乱世を制するリーダーの条件 ～[[湊川の戦い]] [[足利尊氏]]、苦悩の決断～&lt;br /&gt;
*2月19日　夢は征夷大将軍 ～徳川家康・逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*2月26日　緊迫の二十四時間 ～新資料が明かす二・二六事件の内幕～&lt;br /&gt;
*3月5日　独裁者ヒトラー ～破滅への軌跡～&lt;br /&gt;
*3月12日　幕末立志伝 今こそ変革の時 ～[[吉田松陰]]・久坂玄瑞・[[高杉晋作]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*4月2日　家康・天下を制した184通の書状 ～関ヶ原の合戦・知られざる情報工作～&lt;br /&gt;
*4月9日　[[真田幸村]] どん底からの挑戦 ～家康を追いつめた伝説の名将～  &lt;br /&gt;
*4月16日　ロシア女帝が涙した帰国願い ～日露交渉の扉を開いた[[大黒屋光太夫]]～&lt;br /&gt;
*4月23日　改革者か、悪徳老中か? ～[[田沼意次]]、江戸の経済改革に挑む～&lt;br /&gt;
*5月7日　幕末ニッポン・幻の遷都計画 ～江戸か大坂か?[[大久保利通]]の大改革～&lt;br /&gt;
*5月14日　[[チャーリー・チャップリン|チャップリン]]を襲撃せよ ～五・一五事件　首相暗殺の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*5月21日　我が言は、万人の声 ～太平洋戦争前夜、日本を揺るがした国会演説～（[[斉藤隆夫]]）&lt;br /&gt;
*5月29日　日出づる処の天子より ～[[聖徳太子]]、理想国家建設の夢～&lt;br /&gt;
*6月4日　信長と家康、そして同盟は幻と消えた? ～[[長篠の戦い]]、戦国を変えた両雄の決断～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[源義経]]、大水軍を奪いとれ! ～[[壇ノ浦の戦い|壇の浦の戦い]]、奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*6月18日　新撰組誕生 ～幕末に青春をかけた男たち～&lt;br /&gt;
*6月25日　新撰組の夢、関東に散る ～江戸城明け渡しの裏で何がおきていたのか～&lt;br /&gt;
*7月2日　[[盧溝橋事件]] 運命の4日間 ～中国派兵への重大決意～&lt;br /&gt;
*7月9日　[[高杉晋作]]、50倍の敵を制する必勝戦略 ～幕末長州・奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*7月16日　海を越えた愛、日本を守る ～新史料、[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]開国秘話～&lt;br /&gt;
*7月23日　占領日本・運命を決した直談判 ～[[吉田茂]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]～&lt;br /&gt;
*7月30日　スパイ・[[リヒャルト・ゾルゲ|ゾルゲ]] 最後の暗号電報 ～新資料が明かす国際スパイ事件～&lt;br /&gt;
*8月20日　夏休みスペシャル・そして日本はよみがえった ～混迷を打ち破ったヒーローたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「混沌の時代を切り開いた男たち」&lt;br /&gt;
:後編「近代の日本を作った男たち」&lt;br /&gt;
*8月27日　[[板垣退助|板垣]]死すとも、自由は死せず ～日本に国会を誕生させた不朽の名言～&lt;br /&gt;
*9月3日　[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]] 世界帝国の夢 ～知られざる愛と誇りの決断～&lt;br /&gt;
*9月10日　[[ジャンヌ・ダルク]] 戦いはわが愛の証 ～裁判記録が明かす聖女の真実～&lt;br /&gt;
*9月17日　[[日野富子]] 愛と憎しみの和平工作 ～[[応仁の乱]]を終結させた将軍の妻～&lt;br /&gt;
*10月1日　秀吉に天下を取らせた男 ～[[黒田孝高|黒田官兵衛]] 戦国最強のナンバー2～&lt;br /&gt;
*10月8日・15日「[[始皇帝]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「希代のカリスマ・中国に立つ」 ～[[秦]]王朝 天下統一のとき～&lt;br /&gt;
:後編「崩壊は絶頂の中から始まった」 ～秦王朝 滅亡のとき～&lt;br /&gt;
*10月22日　[[正岡子規]] 余命十年で[[日本語]]を革新した男&lt;br /&gt;
*10月29日　[[白虎隊]] 自刃への三十六時間 ～生存隊士の手記が語る悲劇の真相～&lt;br /&gt;
*11月5日・12日　古代中国・[[項籍|項羽]]と[[劉邦]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「天下を分けた運命の宴 [[鴻門の会]]」&lt;br /&gt;
:後編「勝利への60万人の大合唱 [[垓下の戦い|四面楚歌]]」&lt;br /&gt;
*11月19日　[[勝海舟]] 江戸城無血開城はなぜ実現したか&lt;br /&gt;
*11月19日　[[マハトマ・ガンジー|ガンジー]] 暴力の連鎖を断ち切れ!&lt;br /&gt;
*12月4日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵 お裁き始末記 ～忠義か、犯罪か?幕府がゆらいだ50日～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2004年===&lt;br /&gt;
*1月7日　新春スペシャル・「新撰組」 ～最後のサムライたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「立志編 剣に生きる」&lt;br /&gt;
:後編「死闘編 武士道に死す」&lt;br /&gt;
*1月14日　秘められた革命工作 ～[[孫文]]を支えた日本人～&lt;br /&gt;
*1月21日　[[平清盛]] 早すぎた革新 ～平氏政権誕生のとき～&lt;br /&gt;
*1月28日　[[明治天皇]] [[あんパン]]を食す ～リストラ武士 [[木村安兵衛]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月4日　そして近代ニッポン人が誕生した ～明治の文豪たちの生き方革命～&lt;br /&gt;
*2月11日　日露開戦 男たちの決断 ～明治日本 存亡をかけた戦略～&lt;br /&gt;
*2月25日　[[外様大名]]はこうして生き残った! ～家康に勝利した逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*3月3日　大久保利通・新生日本を救う ～回避された「幻の日清戦争」～&lt;br /&gt;
*3月31日　[[さとうきび]]畑の村の戦争 ～新史料が明かす[[沖縄県|沖縄]]戦の悲劇～&lt;br /&gt;
*4月7日　新発見![[大坂城]]は超ハイテク要塞だった ～秀吉VS家康「堀」をめぐる攻防の真相～&lt;br /&gt;
*4月14日　日本の運命を背負った少年たち ～[[天正遣欧少年使節|天正遣欧使節]]・ローマ教皇謁見の時～&lt;br /&gt;
*4月21日　信長暗殺を命じた男 ～新説・本能寺の変 浮上した黒幕～&lt;br /&gt;
*4月28日　[[女優]]誕生 ～[[川上貞奴|マダム貞奴]]、「[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]」初演の時～&lt;br /&gt;
*5月5日　子供の心に歌を ～大正・[[童謡]]誕生物語～&lt;br /&gt;
*5月12日　日本[[サッカー]]・[[ベルリンオリンピック]]の奇跡 ～世界を驚かせた逆転勝利～&lt;br /&gt;
*5月19日・26日　モンゴル帝国（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「草原の覇者[[チンギス・ハーン|チンギス・カン]]」～ユーラシア統一への道～&lt;br /&gt;
:後編「[[マルコ・ポーロ]]は見た巨大国家の盛衰」 ～「[[東方見聞録]]」誕生のとき～&lt;br /&gt;
*6月2日　家康、人生最大の危機の3日間 ～大脱出!伊賀越えの先に天下が見えた～&lt;br /&gt;
*6月9日・16日　日露戦争100年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「二〇三高地の悲劇はなぜ起きたのか」 ～新史料が明かす激戦の真相～&lt;br /&gt;
:後編「逆転の極秘電報154号」 ～知られざるポーツマス講和会議の真相～&lt;br /&gt;
*6月23日　大江戸発至急便 黒船あらわる ～幕末日本の情報ネットワーク～&lt;br /&gt;
*6月30日　もう一つの日本を創った男 ～[[平将門]] 東国独立政権の謎～&lt;br /&gt;
*7月7日　「関白」対「源氏長者」 ～家康・秀吉 「姓」をめぐる知られざる攻防～&lt;br /&gt;
*7月14日　ドキュメント[[池田屋事件]] ～[[近藤勇|近藤 勇]]・突入決断の真相～&lt;br /&gt;
*7月21日　[[世界遺産]] [[熊野]]の森を守れ ～[[南方熊楠]]・日本初の自然保護運動～&lt;br /&gt;
*7月28日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす 最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*8月16日　奇跡の銀メダル [[人見絹江]] ～日本女子初メダル獲得の時～&lt;br /&gt;
*9月1日　武田信玄 地を拓き水を治める ～戦国時代制覇への夢～&lt;br /&gt;
*9月8日　信長と[[斎藤道三|道三]] ～改革者を生んだ非情の絆～&lt;br /&gt;
*9月15日　悲劇の英雄 ～“[[トーマス・エドワード・ロレンス|アラビアのロレンス]]”の真実～&lt;br /&gt;
*9月22日　焼け跡に[[ゾウ]]がやってきた ～海を越えた日本の子どもたちの夢～&lt;br /&gt;
*10月6日　グッドバイ ちょんまげ ～明治日本 文明開化騒動記～&lt;br /&gt;
*10月13日　列国の野望 [[シベリア]]を走る ～[[ロシア革命]]・[[ソビエト連邦|ソビエト]]成立までの混迷の5年～&lt;br /&gt;
*10月27日　実録・[[ええじゃないか]] ～幕末ニッポンを動かした民衆パワー～&lt;br /&gt;
*11月3日　義経はなぜ死んだのか ～源頼朝と奥州藤原氏の攻防～&lt;br /&gt;
*11月10日　秘録・幻の明治新政府 ～維新を変えた激動の27日間～&lt;br /&gt;
*11月17日　サムライ魂でデパートを創れ! ～近代百貨店誕生物語～&lt;br /&gt;
*11月24日　ニッポンに学べ![[タイ王国|タイ]]の”明治維新” ～「[[王様と私]]」・[[ラーマ5世|ラーマ五世]]の苦闘～ &lt;br /&gt;
*12月8日　ミステリー大化改新 ～蘇我入鹿暗殺の実像～&lt;br /&gt;
*12月15日　それからの新選組 ～土方歳三、箱館に死す～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2005年===&lt;br /&gt;
*1月5日　[[歌舞伎]]スタア誕生 [[市川團十郎 (2代目)|二代目 市川團十郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*1月12日　百世の安堵をはかれ 安政大地震・奇跡の復興劇&lt;br /&gt;
*1月26日　日露戦争100年 日本海海戦 ～参謀 [[秋山真之]]・知られざる苦闘～&lt;br /&gt;
*2月2日　龍馬が愛した女 ～幕末、愛と別れの物語～&lt;br /&gt;
*2月9日　[[プロ野球]]を変えた[[ホームラン]] [[天覧試合]] オーナーたちの戦い&lt;br /&gt;
*2月16日　日米攻防90日 国際軍縮を実現せよ! [[ワシントン会議 (1922年)|ワシントン会議]]・全権 [[加藤友三郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*2月23日　我が運命は民と共に 悲劇の英雄 [[楠木正成]]の実像&lt;br /&gt;
*3月2日　[[源実朝|実朝]]暗殺 ～歌人将軍は、なぜ殺されたか?～&lt;br /&gt;
*3月9日・16日　シリーズ三国志英雄伝（前・後編2週連続　2001年の夏休みスペシャルの再構成をベースに）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風・長江に吹く」 ～孔明の知略・天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*3月30日　恋・人生・そして小説 ～[[樋口一葉]] 女性作家誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月6日　大帝国の野望、博多に散る ～大陸から見た蒙古襲来～&lt;br /&gt;
*4月13日　武田家滅亡の謎 ～戦国最強軍団はなぜ滅びたのか～&lt;br /&gt;
*4月20日・27日　源義経 栄光と悲劇の旅路（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「第1回 西へ 戦いの彼方に」&lt;br /&gt;
:後編「第2回 北へ 流浪の果てに」&lt;br /&gt;
*5月11日　にっぽん[[郵便]]創業物語 ～[[前島密]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*5月18日　戦国をひらいた男 ～[[北条早雲]] 56才からの挑戦～&lt;br /&gt;
*5月25日　傷ついた戦場の兵士を救え ～[[佐野常民]] 日本初の国際人道支援～&lt;br /&gt;
*6月1日　民を救った義士たちの物語 ～宝暦の治水・[[薩摩藩]]士の苦闘～&lt;br /&gt;
*6月8日　[[横山エンタツ|エンタツ]]・[[花菱アチャコ|アチャコ]]の[[漫才]]革命 ～あんじょうわろうてや!～&lt;br /&gt;
*6月15日　幕末・運命の愛 ～時代を創った男と女の物語～&lt;br /&gt;
*6月22日　さらばサムライ ～[[西郷隆盛]] 徴兵制の決断～&lt;br /&gt;
*6月29日　さらばサムライ ～[[西南戦争]]・田原坂の真実～&lt;br /&gt;
*7月6日　プロ野球を作った男たち ～昭和10年 アメリカ遠征記～&lt;br /&gt;
*7月13日　実録・[[大岡忠相|大岡越前]] ～火事と闘った知られざる素顔～&lt;br /&gt;
*7月20日　信長の巨大鉄船、戦国の海を制す ～織田水軍 VS 村上水軍、決戦大坂湾～&lt;br /&gt;
*7月27日・8月3日　シリーズ終戦60年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦艦大和の悲劇」 ～大艦巨砲主義、時代に敗れる～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連参戦の衝撃」 ～満蒙開拓民はなぜ取り残された～&lt;br /&gt;
*8月24日　日露衝突を回避せよ ～[[高田屋嘉兵衛]] 決死の交渉劇～&lt;br /&gt;
*8月31日　家康が最も恐れた男 ～敗者 [[石田三成]]の関ヶ原～&lt;br /&gt;
*9月14日　[[二宮尊徳|二宮金次郎]] 天保の大飢饉を救う&lt;br /&gt;
*9月21日　戦国 出世の方程式 [[藤堂高虎]] 大阪夏の陣の大勝負&lt;br /&gt;
*10月12日　幕末・土佐勤皇党 不滅の志 ～若者たちは変革に命を賭けた～&lt;br /&gt;
*10月19日　誰がための仏教か ～[[鑑真]]和上の宗教改革～&lt;br /&gt;
*11月9日　鎖国の扉を開け ～[[ジョン万次郎]] 漂流民の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月16日　秘められたメディア戦略 ～[[児玉源太郎]] 日露戦争のシナリオ～&lt;br /&gt;
*11月30日・12月7日　シリーズ[[真珠湾攻撃|真珠湾]]への道（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[山本五十六]] 苦渋の作戦立案」&lt;br /&gt;
:後編「山本五十六 運命の作戦決行」&lt;br /&gt;
*12月14日　歴史の選択　赤穂浪士 ～討ち入り組VS討ち入り不参加組～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2006年===&lt;br /&gt;
*1月11日　人間ドラマ誕生 ～[[近松門左衛門]] [[曽根崎心中]]～&lt;br /&gt;
*1月18日　古代の文明開化 ～1号寺院・[[飛鳥寺]]建立の戦略～&lt;br /&gt;
*2月1日　[[新聞]]誕生 ～幕末・[[浜田彦蔵|ジョセフ彦]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月8日　[[壬申の乱]] ～[[天武天皇]]誕生の秘密～&lt;br /&gt;
*2月15日　戦国の花嫁 ～[[山内一豊]]の妻・[[見性院|千代]]～&lt;br /&gt;
*2月22日　[[伝染病]]から日本を守れ ～細菌学者 [[北里柴三郎]]の闘い～&lt;br /&gt;
*3月1日　さらば殿様 ～[[廃藩置県]] 激動の内幕～&lt;br /&gt;
*3月8日　[[零式艦上戦闘機|ゼロ戦]]・設計者が見た悲劇 ～[[マリアナ沖海戦]]への道～ （ここまでが水曜日21:15放送）&lt;br /&gt;
*4月5日　マッカーサーを叱った男 ～[[白洲次郎]]・戦後復興への挑戦～ （ここからが水曜日22:00放送）&lt;br /&gt;
*4月12日　[[大奥]] 悲しみの果てに ～[[徳川家宣]]正室 [[天英院]] 煕子の生涯～&lt;br /&gt;
*4月19日　それでも地球は動いた ～[[ガリレオ・ガリレイ]]の栄光と挫折～&lt;br /&gt;
*4月26日　歴史の選択　本能寺の変 織田信長 VS 明智光秀 ～激突!改革か安定か～&lt;br /&gt;
*5月17日　響け 希望の歌声 ～戦後初の流行歌「リンゴの唄」～&lt;br /&gt;
*5月24日　帝と民の巨大プロジェクト ～東大寺大仏 [[聖武天皇]]の挑戦～   &lt;br /&gt;
*5月31日　これは正義の戦いか ～ジャーナリストたちの[[ベトナム戦争]]～&lt;br /&gt;
*6月21日　幻の大艦隊 ～[[イギリス]]から見た[[薩英戦争]]～&lt;br /&gt;
*7月5日　勝負師は志高く ～碁聖・[[本因坊秀策]]の無敗伝説～&lt;br /&gt;
*7月12日　生まれ来る命 そして母のために ～[[荻野久作]]の受胎期の発見～&lt;br /&gt;
*7月26日　歴史の選択　川中島の戦い 引き分けの謎&lt;br /&gt;
*8月2日　焼け跡から生まれたチャンピオン ～ボクシング [[白井義男]]と[[アルビン・R・カーン|カーン]]～&lt;br /&gt;
*8月23日　幻のハワイ・日本同盟計画&lt;br /&gt;
*8月30日・9月6日　シリーズ 日本独立 その光と影（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「吉田茂と[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]] 前編」&lt;br /&gt;
:後編「吉田茂とサンフランシスコ講和条約 後編」&lt;br /&gt;
*9月13日・20日　「シリーズ・秀吉の[[家族]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「もう一人の秀吉 ～[[豊臣秀長]] [[太閤記]]を演出した弟～」&lt;br /&gt;
:後編「戦国の母 関ヶ原を決す ～[[高台院|おね]]・豊臣政権生き残りへの道～」&lt;br /&gt;
*10月4日　戦火をこえた青春の白球 ～[[学徒出陣]]前 最後の[[早慶戦]]～&lt;br /&gt;
*10月11日　神は我を救い給（たま）うか ～キリシタン 細川ガラシャの生涯～&lt;br /&gt;
*10月18日　格差の怒り 政府を倒す ～[[大正デモクラシー]]を生んだ[[米騒動]]～&lt;br /&gt;
*11月1日　歴史の選択　坂本龍馬暗殺 黒幕は誰か?&lt;br /&gt;
*11月8日　日本を発見した日本人 ～[[柳田國男|柳田国男]]・「[[遠野物語]]」誕生～&lt;br /&gt;
*11月22日　我が手に郷土を ～[[真田昌幸]]・[[信濃国|信州]][[上田市|上田]]の市民戦争～&lt;br /&gt;
*11月29日　ひらがな革命 ～[[国風文化]]を生んだ[[古今和歌集]]～&lt;br /&gt;
*12月20日　母の灯火（ともしび） 小さき者を照らして ～[[石井筆子]]・[[知的障害]]児教育の道～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2007年===&lt;br /&gt;
*1月10日　戦国の剣豪、太平を築く ～[[柳生宗矩]]・「活人剣（かつにんけん）」の真実～&lt;br /&gt;
*1月24日　それでも民は祈り続けた ～[[島原の乱]]・[[キリシタン]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*1月31日　[[東京オリンピック]]への道 ～平和の[[聖火]] アジア横断リレー～&lt;br /&gt;
*2月7日　完成・戦国最強軍団 ～武田信玄・苦悩の生涯～&lt;br /&gt;
*2月14日　中国と国交を回復せよ ～[[足利義満]]の日明外交～&lt;br /&gt;
*2月21日　鉄は国家なり ～技術立国 日本のあけぼの～&lt;br /&gt;
*2月28日　天下は我が掌中にあり ～[[黒田孝高|黒田如水]]・もうひとつの関ヶ原～&lt;br /&gt;
*3月7日　苦しむ患者を救いたい ～[[イタイイタイ病]]裁判・弁護士たちの闘い～&lt;br /&gt;
*3月14日　歴史の選択　[[邪馬台国]]はどこか ～[[近畿地方|近畿]]説VS[[九州地方|九州]]説～&lt;br /&gt;
*3月28日　その時歴史が動いたスペシャル もう一度聞きたい あの人の言葉（22:59まで拡大）&lt;br /&gt;
*4月4日　謙信恐るべし&lt;br /&gt;
*4月11日　[[所得倍増計画]]の夢を追え ～[[高度経済成長]]の軌跡～&lt;br /&gt;
*4月18日　海の関ヶ原 ～[[村上武吉]]・水軍に賭けた夢～&lt;br /&gt;
*4月25日　[[大奥]] 華（はな）にも意地あり ～江戸城無血開城・[[天璋院]]篤姫～&lt;br /&gt;
**[[岩崎ひろみ]]が天璋院役、[[吉井怜]]が和宮役で出演&lt;br /&gt;
*5月2日　[[憲法]]施行60年 特集　[[日本国憲法第9条|憲法九条]] 平和への闘争 ～1950年代 [[改憲]]・[[護憲]]論～（22:30～23:29）&lt;br /&gt;
*5月9日　源頼朝 魔法の大逆転 ～[[富士川の戦い]]～&lt;br /&gt;
*5月16日　日本ミステリー誕生 ～[[江戸川乱歩]]・大衆文化との格闘～&lt;br /&gt;
*5月23日　悲しき女帝 許されざる恋 ～[[宇佐八幡宮神託事件|道鏡事件]]の真相～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[メキシコシティオリンピック|メキシコ五輪]] 奇跡の銅メダル ～日本サッカー・勝つための組織作り～&lt;br /&gt;
*6月13日　ニッポン外交力誕生 ～[[伊藤博文]]・[[神戸事件]]解決～&lt;br /&gt;
*6月20日　乱世に祈りを ～[[蓮如]]（れんにょ）・理想郷の建設～&lt;br /&gt;
*7月4日　[[冷戦]]の壁を破ろうとした男 ～[[石橋湛山]]・世界平和への願い～&lt;br /&gt;
*7月11日　天才信長をつくった男 ～[[今川義元]] 真説・桶狭間の戦い～&lt;br /&gt;
*8月1日　忘れられた島の闘い ～[[沖縄返還]]への軌跡～&lt;br /&gt;
*9月5日　引き裂かれた村 ～日米戦の舞台・[[フィリピン]]～&lt;br /&gt;
*9月12日　外交の信念 時流に散る ～宰相・[[広田弘毅|廣田弘毅]]の闘い～&lt;br /&gt;
*9月19日　赤ちゃんを死なせない ～[[乳幼児死亡率|乳児死亡率]]ゼロ・ある村の記録～&lt;br /&gt;
*9月26日　[[日中国交正常化]]&lt;br /&gt;
*10月3日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　[[食通|グルメ]]誕生 ～[[北大路魯山人]]と器～&lt;br /&gt;
*10月10日　賤（しず）ヶ岳に散った夢 ～猛将・[[柴田勝家]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*10月17日　義に死すとも不義に生きず ～[[会津戦争]] [[松平容保]] 悲運の決断～&lt;br /&gt;
*10月24日　[[銀]]を制する者は天下を制す ～[[毛利氏|毛利一族]]の戦い～&lt;br /&gt;
*10月31日　[[奇兵隊]] ～幕末に命を賭けた若き庶民たち～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[国際連合]]加盟 ～[[重光葵]] 日本から世界へのメッセージ～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[継体天皇]] [[ヤマト王権|ヤマト]]を救う&lt;br /&gt;
*11月28日　[[緒方洪庵]]・[[天然痘]]との闘い&lt;br /&gt;
*12月5日　[[戦後]][[引揚者|引き揚げ]] 660万人故郷への道&lt;br /&gt;
*12月12日　天下に旗をあげよ ～伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢～&lt;br /&gt;
*12月19日　[[対馬府中藩|対馬藩]]・決死の国書すり替え ～[[朝鮮通信使]]秘話～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2008年===&lt;br /&gt;
*1月23日　都会の地下に夢をもとめて ～[[地下鉄]]の父・[[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]～&lt;br /&gt;
*1月30日・2月6日　シリーズ[[江戸時代]]の危機（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[富士山]][[宝永大噴火|大噴火]] ～幕府・復興への闘い～」&lt;br /&gt;
:後編「[[天明の大飢饉|天明の飢饉]]（ききん）江戸を脅（おびや）かす ～鬼平・[[長谷川宣以|長谷川平蔵]]の無宿人対策～」&lt;br /&gt;
*2月13日・20日　シリーズ秀吉の猛将（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦国の風雲児 法の世に散る ～[[福島正則]] 広島改易事件～」&lt;br /&gt;
:後編「豊臣家存続の秘策 ～[[加藤清正]] [[二条城]]会見～」&lt;br /&gt;
*2月27日　軍服を脱いだジャーナリスト ～[[水野廣徳|水野広徳]]が残したメッセージ～&lt;br /&gt;
*3月5日　「自立」を賭けた戦い ～[[河井継之助]]・もう一つの戊辰戦争～&lt;br /&gt;
*3月12日　戦国[[後北条氏|北条]] 百年王国の夢&lt;br /&gt;
*3月19日　平安王朝 華麗なる一族 ～[[藤原道長]]の実像～&lt;br /&gt;
*4月2日　[[徳川四天王]]に学べ! ～組織のためにいかに生きるか～&lt;br /&gt;
*4月9日　音楽の[[市民革命]] ～[[神童]][[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の苦悩～&lt;br /&gt;
*4月16日　人間は尊敬すべきものだ ～[[全国水平社]]・[[差別]]との闘い～&lt;br /&gt;
*4月23日　「[[古事記]]」誕生 ～日本最古の[[歴史書|史書]]の謎～&lt;br /&gt;
*4月30日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　徳川家康 「江戸」建設に挑む&lt;br /&gt;
*5月14日　日本人の心を守れ ～[[岡倉天心]]・[[廃仏毀釈]]からの復興～&lt;br /&gt;
*5月21日　興亡 北の黄金王国 ～[[奥州藤原氏]] vs [[源氏]]～&lt;br /&gt;
*5月28日　養殖[[真珠]] 宝石界に革命を起こす ～女性を輝かせた男・[[御木本幸吉]]～&lt;br /&gt;
*6月4日　人を衛（まも）る都市をめざして ～[[後藤新平]]・帝都復興の時～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[北方探検]] 異境の大地を踏破せよ ～[[間宮林蔵]]・執念の旅路～&lt;br /&gt;
*6月18日　[[移民]]は共存共栄の事業なり ～[[ブラジル]]移民100年～&lt;br /&gt;
*6月25日　戦国の「[[ゲルニカ]]」 ～[[大坂の役|大坂夏の陣]]、惨劇はなぜ起きたのか～&lt;br /&gt;
*7月9日　古池や蛙飛こむ水のおと ～[[松尾芭蕉]] 人生を映した[[俳句|17文字]]～&lt;br /&gt;
*7月16日　[[応仁の乱]]、天下を滅ぼす ～終わりなき“戦いの連鎖”～&lt;br /&gt;
*7月23日　枠内特集 歴史秘話ヒストリア　幕末 殿様たちの恋・夢・涙&lt;br /&gt;
*8月27日　模擬原爆[[パンプキン爆弾|パンプキン]] ～秘められた原爆投下訓練～&lt;br /&gt;
*9月3日・10日　シリーズ日本降伏（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「焦土に[[玉音放送|玉音]]が響いた ～8月15日・終戦決定までの道程～」&lt;br /&gt;
:後編「帝国最大屈辱ノ日ナリ ～9月2日・[[降伏文書]]調印～」&lt;br /&gt;
*9月17日　名君の改革に異議あり! ～[[徳川宗春]] 華麗なる反乱～&lt;br /&gt;
*9月24日　奇跡の大逆転!神様、仏様、稲尾様 ～[[稲尾和久]] 奮闘の日々～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本放送協会テレビ番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[Category:教養番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[Category:ドキュメンタリー番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
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		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: 新しいページ: 'サンフランシスコ平和条約に署名する[[吉田茂首席全権と全権委員&amp;lt;ref&amp;gt;[[池田勇人]...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:Yoshida signs San Francisco Peace Treaty.jpg|thumb|350px|サンフランシスコ平和条約に署名する[[吉田茂]]首席全権と全権委員&amp;lt;ref&amp;gt;[[池田勇人]]（蔵相）、[[苫米地義三]]（国民民主党）、[[星島二郎]]（自由党）、[[徳川宗敬]]（参議院緑風会）、[[一万田尚登]]（日銀総裁）。&amp;lt;/ref&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
'''日本国との平和条約'''（にほんこくとのへいわじょうやく、[[英語|英]]：Treaty of Peace with Japan、[[昭和]]27年条約第5号）とは[[第二次世界大戦]]における[[アメリカ合衆国]]をはじめとする[[連合国]]の諸国と[[日本|日本国]]との間の[[戦争]]状態を終結させるため、両者の間で締結された[[平和条約]]である。アメリカ合衆国の[[サンフランシスコ|サンフランシスコ市]]において署名されたことから'''サンフランシスコ条約'''・'''サンフランシスコ平和条約'''・'''サンフランシスコ講和条約'''・'''SF条約'''、'''対日平和条約'''・'''対日講和条約'''などともいう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この条約の後文には「千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で、ひとしく正文である英語、フランス語及びスペイン語により、並びに日本語により作成した」との一文があり、日本語版は正文に準じる扱いとなっている&amp;lt;ref&amp;gt;日本語では「及び」と「並びに」の違いが分かりにくいが、英文では明解で“DONE at the city of San Francisco this eighth day of September 1951, in the English, French, and Spanish languages, '''all being equally authentic''', and in the Japanese language”（太字編者）となっている。この太字の文言が「ひとしく正文である」にあたり、仮に日本語も正文だとするとこの部分は文章の最後にくることになる。&amp;lt;/ref&amp;gt;。これは当時国連公用語だった英語・フランス語・スペイン語・ロシア語・中国語の5カ国語&amp;lt;ref&amp;gt;アラビア語が国連公用語に加わるのは後になってからのことである。&amp;lt;/ref&amp;gt;のうちソビエト連邦と中華民国がこの条約には加わらなかったことからロシア語版と中国語版が作成されなかったことによるもので、また日本語が加えられているのは当事国であるからにほかならない。日本では外務省に英文を和訳させ、これを正文に準ずるものとして締約国の承認を得たうえで条約に調印した。現在条約締結国に保管されている条約認証謄本は日本語版を含む4カ国語のものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1951年]]（昭和26年）[[9月8日]]に全権委員によって署名され、その後国会承認と内閣批准を経て翌年の[[1952年]]（昭和27年）[[4月28日]]に発効した。日本国内では、昭和27年4月28日条約第5号として[[公布]]されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この条約によって正式に、連合国は日本国及びその領水に対する日本国民の完全な[[主権]]を承認した（第1条（b））。なお、第1条（a）にあるように[[国際法]]上ではこの条約の発効により、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結したものとされ[[ポツダム宣言]]の受諾を表明した[[1945年]]（昭和20年）[[8月14日]]や[[玉音放送|国民向けラジオ放送]]を実施した[[8月15日]]、[[降伏文書]]に署名をした[[9月2日]]以降にも戦争状態は継続していたものとして扱われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 内容・解釈等 ==&lt;br /&gt;
=== 要旨 ===&lt;br /&gt;
* 日本と連合国との戦争状態の終了（第1条（a））&lt;br /&gt;
* 日本国民の主権の回復（第1条（b））&lt;br /&gt;
* 日本は[[朝鮮]]の独立を承認。朝鮮に対する全ての権利、[[権原]]及び請求権の放棄（第2条（a））&lt;br /&gt;
** 英文では“Japan, recognizing the independence of Korea”なので、“独立を承認”ではなく“独立を認識”が妥当と考えられるという少数意見も存在する。しかしその独立はポツダム宣言の受諾日1945年（昭和20年）[[8月9日]]ではない。詳細は[[ラスク書簡]]を参照。&lt;br /&gt;
* 日本の[[台湾]]・[[澎湖諸島]]の権利、[[権原]]及び請求権の放棄（第2条（b））&lt;br /&gt;
* 主権を持っていた[[千島列島]]・[[樺太|南樺太]]の権利、[[権原]]及び請求権の放棄（第2条（c））&lt;br /&gt;
* [[南洋諸島]]の権利、[[権原]]及び請求権の放棄（第2条（d）（f））&lt;br /&gt;
* [[南西諸島]]や[[小笠原諸島]]を合衆国の信託統治に置くことの承認（第3条）&lt;br /&gt;
* 賠償は役務賠償のみとし、賠償額は個別交渉する（第14条（a）1 など）&lt;br /&gt;
* 日本国は、[[極東国際軍事裁判|極東国際軍事裁判所]]並びに日本国内及び国外の他の[[連合国戦争犯罪法廷]]の判決を受諾（第11条）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 領土 ===&lt;br /&gt;
日本には[[領域 (国家)|領土]]の範囲を決めた一般的な国内法が存在せず、本条約の第2条が領土に関する[[法 (法学)|法規範]]の一部になると解されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== いわゆる外地人の日本国籍喪失 ===&lt;br /&gt;
条約に基づき領土の範囲が変更される場合は当該条約中に[[国籍]]の変動に関する条項が入ることが多いが、本条約には明文がない。しかし、国籍や[[戸籍]]の処理に関する指針を明らかにした[[通達]]（昭和27年[[4月19日]]民事甲第438号法務府民事局長通達「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」）により本条約第2条（a）（b）の解釈として朝鮮人及び台湾人は日本国籍を失うとの解釈が示され、[[最高裁判所]]も同旨の解釈を採用した（[http://courtdomino2.courts.go.jp/schanrei.nsf/VM2/ACBB90A556B5BACF49256A850031627A?OPENDOCUMENT 最大判昭和36年4月5日民集15巻4号657頁]）。もっとも、台湾人の国籍喪失時期については本条約ではなく[[日本国と中華民国との間の平和条約|日華平和条約]]の発効時とするのが最高裁判例である（[http://courtdomino2.courts.go.jp/schanrei.nsf/VM2/0ABB74CC63FD37AC49256A850030AD24?OPENDOCUMENT 最大判昭和37年12月5日刑集16巻12号1661頁]）。これに対し、千島列島・南樺太は法体系上は[[内地]]であったため[[権原]]放棄に伴う国籍の喪失はないとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 著作権保護期間の戦時加算 ===&lt;br /&gt;
戦時中は連合国・連合国民の有する[[著作権]]の日本国内における保護が十分ではなかったとの趣旨から、本条約第15条（c）の規定に基づき連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律（昭和27年[[8月8日]]法律第302号）が制定され、[[著作権法]]に規定されている保護期間に関する特例が設けられている（[[戦時加算 (著作権法)]]を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 11条解釈 ===&lt;br /&gt;
{{See|日本国との平和条約第11条の解釈}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 講和会議 ==&lt;br /&gt;
1951年（昭和26年）[[7月20日]]、米[[イギリス|英]]共同で日本を含む全'''50'''カ国に招請状を発送。韓国は対日軍事同盟国とは見なさされず、オブザーバーとして招待された。「[[中国]]」に対しては代表政権についての米英の意見（[[中華民国]]か[[中華人民共和国]]か）が一致せず、日中間の講和については独立後の日本自身の選択に任せることにして招請は見送られた（[[1952年]]（昭和27年）[[4月28日]]、中華民国（[[台湾]]）との間に[[日華平和条約]]を調印。1952年（昭和27年）[[8月5日]]発効）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月22日]]、[[フランス]]の要求を容れ[[インドシナ]]三国（[[ベトナム国|ベトナム]]・[[ラオス]]・[[カンボジア]]）にも招請状を発送。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月4日]]から[[9月8日|8日]]にかけて、サンフランシスコ市の中心街にある'''オペラハウス'''（[[:en:War Memorial Opera House|War Memorial Opera House]]）において全'''52'''カ国の代表が参加して講和会議が開催された。[[インド]]・[[ビルマ]]・[[ユーゴスラビア]]は招請に応じなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の全権団は首席全権の[[吉田茂]]（[[内閣総理大臣|首相]]）、全権委員の[[池田勇人]]（蔵相）・[[苫米地義三]]（[[国民民主党 (日本)|国民民主党]]最高委員長）・[[星島二郎]]（[[自由党 (日本)#自由党 (日本 1945-1948, 1950-1955)|自由党]]常任総務）・[[徳川宗敬]]（参議院[[緑風会]]議員総会議長）・[[一万田尚登]]（[[日本銀行|日銀]]総裁）の6人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月8日]]、条約に'''49'''カ国が署名し講和会議は閉幕した。[[ソビエト連邦|ソ連]]・[[ポーランド]]・[[チェコスロバキア]]の共産圏3国は講和会議に参加したものの、中国の不参加を理由に会議の無効を訴え署名しなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 署名した国 ===&lt;br /&gt;
[[アルゼンチン]]、[[オーストラリア]]、[[ベルギー]]、[[ボリビア]]、[[ブラジル]]、[[カンボジア]]、[[カナダ]]、セイロン（→[[スリランカ]]）、[[チリ]]、[[コロンビア]]（※）、[[コスタリカ]]、[[キューバ]]、[[ドミニカ共和国]]、[[エクアドル]]、[[エジプト]]、[[エルサルバドル]]、[[エチオピア]]、[[フランス]]、[[ギリシャ]]、[[グアテマラ]]、[[ハイチ]]、[[ホンジュラス]]、[[インドネシア]]（※）、[[イラン]]、[[イラク]]、[[ラオス]]、[[レバノン]]、[[リベリア]]、[[ルクセンブルク]]（※）、[[メキシコ]]、[[オランダ]]、[[ニュージーランド]]、[[ニカラグア]]、[[ノルウェー]]、[[パキスタン]]、[[パナマ]]、[[パラグアイ]]、[[ペルー]]、[[フィリピン]]、[[サウジアラビア]]、[[シリア]]、[[トルコ]]、南アフリカ連邦（→[[南アフリカ共和国]]）、[[イギリス]]、[[アメリカ合衆国]]、[[ウルグアイ]]、[[ベネズエラ]]、[[ベトナム国]]（→[[ベトナム共和国]]→[[ベトナム|ベトナム社会主義共和国]]）、[[日本]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 署名順【日本を除きABCD順に署名している】。&lt;br /&gt;
* ※は、署名はしたが批准していない国。&lt;br /&gt;
* →は署名後、国名が変わった国。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお講和会議に続いて日本とアメリカ合衆国の代表は、サンフランシスコ郊外のプレシディオ陸軍基地に場所を移して[[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約|日米安全保障条約]]を締結した。この2つの条約をもって日本は[[自由主義]]陣営の一員として国際社会に復帰したと言える。なお日米安全保障条約には吉田首席全権のみ単独で署名した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本国内の経緯 ==&lt;br /&gt;
=== 会議前 ===&lt;br /&gt;
日本国内では主に左翼陣営が、ソビエト連邦などを含む全面講和を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 会議後 ===&lt;br /&gt;
* 1951年（昭和26年）&lt;br /&gt;
** [[10月26日]] [[衆議院]]が締結を承認&lt;br /&gt;
** [[11月18日]] [[参議院]]が締結を承認、内閣が条約を批准&lt;br /&gt;
*** 両院とも承認し内閣が批准したのは「日本語正文」であるが、正文が存在するのは英語・フランス語・スペイン語であり厳密には条約を批准していないと見るべきだという意見もある。&lt;br /&gt;
** [[11月28日]] アメリカ合衆国政府に批准書を寄託&lt;br /&gt;
* 1952年（昭和27年）4月28日 [[日本標準時]]で22時30分（[[東部標準時|アメリカ合衆国東部標準時]]で8時30分）に条約が発効&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この後、日本はこの条約を締結しなかった国々と個別に平和条約を締結したがソビエト連邦（現・[[ロシア]]）とはいまだに平和条約を締結しておらず（法的には現在も関係不正常状態）、[[北方領土]]問題などを残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、条約の発効をもって[[レッドパージ]]の一環として占領軍により発行を禁止されていた[[しんぶん赤旗]]が再刊された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 署名から50年後 ==&lt;br /&gt;
[[2001年]]（[[平成]]13年）9月8日（日本時間では[[9月9日|9日]]）、講和会議の会場であったオペラハウスにて北カリフォルニア日本協会（the Japan Society of Northern California）の主催により「サンフランシスコ平和条約署名50周年記念式典」が開かれた。日本からは[[田中真紀子]]外務大臣が、米国からは[[コリン・パウエル]]国務長官が出席しそれぞれ演説を行ない、日米の同盟関係のさらなる強化の必要性を確認し合った。なお、この式典の前にプレシディオ元陸軍基地において旧・日米安全保障条約署名50周年記念式典も行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 入江啓四郎『日本講和条約の研究』（板垣書店）&lt;br /&gt;
* 西村熊雄『日本外交史27 サンフランシスコ平和条約』（鹿島平和研究所）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[条約の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ最終規定条約]]&lt;br /&gt;
* [[平和条約国籍離脱者]]&lt;br /&gt;
* [[日本の戦後補償条約一覧]]&lt;br /&gt;
* [[極東国際軍事裁判]]&lt;br /&gt;
* [[ラスク書簡]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- * [http://www.normanet.ne.jp/~hourei/j005R/s270428j005.htm 日本国との平和条約]（日本の法令 法令デジタル録音図書内）リンク切れ?のためコメントアウト --&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/nakanolib/joyaku/js27-5.htm 日本国との平和条約]（中野文庫）&lt;br /&gt;
* [http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/bunsho/h17.html サンフランシスコ平和条約　'''準備対策''']（外務省-日本外交文書）&lt;br /&gt;
* [http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/bunsho/h18.html サンフランシスコ平和条約　'''対米交渉''']（外務省-日本外交文書）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:太平洋戦争|にほんこくとのへいわしようやく]]&lt;br /&gt;
[[Category:講和条約|にほんこくとのへいわしようやく]]&lt;br /&gt;
[[Category:知的財産権保護に関する条約|にほんこくとのへいわしようやく]]&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代|にほんこくとのへいわしようやく]]&lt;br /&gt;
[[Category:冷戦|にほんこくとのへいわしようやく]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の戦後処理|にほんこくとのへいわしようやく]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の領有権問題|にほんこくとのへいわしようやく]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%AD%E3%83%B3%E7%88%86%E5%BC%BE&amp;diff=38443</id>
		<title>パンプキン爆弾</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: 新しいページ: ''''パンプキン爆弾'''（かぼちゃ爆弾、Pumpkin bomb）とは第二次世界大戦中にアメリカ軍が開発、使用した爆弾である。[[1945...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''パンプキン爆弾'''（かぼちゃ爆弾、Pumpkin bomb）とは[[第二次世界大戦]]中に[[アメリカ軍]]が開発、使用した[[爆弾]]である。[[1945年]][[8月9日]]に[[長崎市|長崎]]に投下された[[原子爆弾]]（原爆）「[[ファットマン]]」の模擬爆弾として知られる。単に「'''パンプキン'''」と呼称される場合も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
正式名称は「1万[[ポンド (質量)|ポンド]]軽筒爆弾」。「ファットマン」とほぼ同一の形状を有し、重量もファットマンとほぼ同一になるよう調整された模擬原爆で構造分類上での通常型[[爆弾]]の[[コードネーム]]である。[[マンハッタン計画]]に携わる、[[ロスアラモス研究所]]の科学者と兵士によって命名された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この爆弾は原爆投下に備えた[[爆撃機]]乗員訓練のためと、今までに例のない特殊な形状をしたファットマンが爆撃機（原爆搭載可能なように特殊改修を受けた[[B-29 (航空機)|B-29]]）から投下され[[爆発]]するまでの弾道特性・慣性能率等の様々な事前データ採取のためにいわば「模擬原爆」として製作された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
訓練が初めて行われたのは1945年[[7月20日]]。[[富山市|富山]]の上空から計3発投下された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==構造==&lt;br /&gt;
ファットマンとパンプキン爆弾の内容物を除く主な相違点は、爆弾前部に取り付けられた触発[[信管]]の数（ファットマンは4基、パンプキン爆弾は3基）とファットマンを起爆させるための[[レーダー]]・無線装置の有無と爆弾外殻の組立方式（ファットマンはボルト結合、パンプキン爆弾は溶接結合）の3つである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パンプキン爆弾は内容物によって2種類が存在し1つは[[TNT火薬]]を主成分とした高性能爆薬を充填したタイプ、もう1つは[[セメント]]や石膏を用いた[[コンクリート]]混合物が充填されたタイプであった。いずれのパンプキン内容物もファットマン原爆の内容物球体コア（[[プルトニウム]]と、それを[[核分裂反応|核分裂]]させるシステム。[[爆縮レンズ]]）とほぼ同一の形状・[[比重]]・重量配分になるよう調整され、爆弾内部のコア配置位置も全く同じとされた。これにより、原爆投下行動に対する有効な事前データが採取できたといわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パンプキンの総重量は約4,800kg、内部の爆薬またはコンクリートが約2,900kg、爆弾外殻（[[鋼鉄]]製）などのその他の構造物が残りの重量を占める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==実戦投入==&lt;br /&gt;
日本には[[軍需]]・民間の大規模[[工場]]・[[鉄道]]操車場等を目標として30都市に50発（うち1発は任務放棄し爆弾は海上投棄された）ほどが投下され、全体で死者400名・負傷者1200名を超す被害が出た記録が残っている。この投下の主な目標は原爆投下候補地だった[[京都市|京都]]、[[広島市|広島]]、[[新潟市|新潟]]、[[小倉市|小倉]]の周辺都市（新潟ならば[[富山市|富山]]、[[長岡市|長岡]]など）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし投下するためには天候などの制約があるため、必ずしもその場所に投下された訳ではない。[[アメリカ軍]]の資料によれば、前述の目標に投下できない場合にはどの都市でもいいので町の真ん中に落とすようにという指示があったとされる。その為、[[7月26日]]の訓練では天候悪化により富山の[[軍需工場]]への爆撃に失敗しその帰りに[[島田市|島田]]、[[焼津市|焼津]]、[[静岡市|静岡]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[大阪市|大阪]]など軍需工場とまったく関係ないところに投下されたというような例もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
搭載機は原爆投下任務時同様にパンプキンを目視にて投下後、速やかに155゜の急旋回・急加速にて回避行動をとることとされた。これは原爆投下後、搭載機を含めた攻撃部隊が[[爆発]]に巻き込まれることを避けるためである。もっとも、原爆投下任務全てにおいて爆撃機乗員の生命の安全は何ら保障されていなかったようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦後、米戦略爆撃調査団はパンプキンに対して「当該爆弾が目標に直撃及び[[至近弾]]となった場合、目標に相当量の構造的被害を与える非常に合理的かつ効果的な[[兵器]]であった」との評価を下した報告書をまとめている。原爆投下より前の模擬投下は「フェーズI」として行われ、その後「フェーズII」として[[8月14日]]にさらに4発のパンプキンが[[春日井市|春日井]]に投下されている。これは戦後にこの爆弾を使用して効果が得られるかどうかのテストとして行われたもので、有効な[[兵器]]とされたが生産コストに見合わないとして不採用とされた。そのため、[[テニアン島]]に残っていた66発のパンプキン爆弾はその場で海に沈められ破棄された。爆弾の破棄には機密保持の意味もあったとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エリート空軍パイロットでB-29「[[ストレート・フラッシュ]]」の機長であった[[クロード・イーザリー]]は、[[郡山市|郡山]]の天候悪化のため[[皇居]]に向けてパンプキン爆弾を投下（[[昭和天皇]]の殺害を目論んだとも言われている&amp;lt;ref&amp;gt;『原爆・63年目の真実』 [[テレビ朝日]] [[2008年]][[8月2日]]放送より（[http://www.tv-asahi.co.jp/genbaku/index.html]）&amp;lt;/ref&amp;gt;）するも目標を外し、[[呉服橋]]に着弾させている。アメリカ軍は皇居を狙った爆弾投下を禁止していた為、イーザリーのこの独断行為は命令違反とされた。その為本来広島への原子爆弾搭載機に指定されていたイーザリーの搭乗する「ストレート・フラッシュ」は任務を外され、気象観測機として「[[エノラ・ゲイ]]」に随伴する事となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==参考資料==&lt;br /&gt;
* [[日本放送協会|NHK]] 『[[その時歴史が動いた]]』「模擬原爆パンプキン ～秘められた原爆投下訓練～」 [[2008年]][[8月27日]]放送&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
* [[ストレート・フラッシュ]]&lt;br /&gt;
* [[シルバープレート]]&lt;br /&gt;
* [[第509混成部隊]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Weapon-stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:第509混成部隊]]&lt;br /&gt;
[[Category:マンハッタン計画]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>テンプレート:Weapon-stub</title>
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				<updated>2008-08-28T13:50:34Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: 新しいページ: '{| cellspacing=&amp;quot;2&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;width:80%; border:solid #999 1px; background:#F8F8F8; margin:0.5em auto; clear:both&amp;quot; |style=&amp;quot;width:10%; text-align:right&amp;quot;|[[Image:Treb...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| cellspacing=&amp;quot;2&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;width:80%; border:solid #999 1px; background:#F8F8F8; margin:0.5em auto; clear:both&amp;quot;&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;width:10%; text-align:right&amp;quot;|[[Image:Trebuchet.jpg|90px|執筆の途中です]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;color:black&amp;quot;|この「'''{{PAGENAME}}'''」は、[[武器]]・[[兵器]]に関連した'''[[Wikipedia:スタブ|書きかけ項目]]'''です。[{{SERVER}}{{localurl:{{NAMESPACE}}:{{PAGENAME}}|action=edit}} この記事を加筆・訂正]などして下さる[{{SERVER}}{{localurl:{{NAMESPACE}}:{{PAGENAME}}|action=edit}} 協力者を求めています]&amp;lt;small&amp;gt;（[[Portal:軍事|軍事ポータル]]|[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事|軍事PJ]]）&amp;lt;/small&amp;gt;。&lt;br /&gt;
|}&amp;lt;includeonly&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:武器・兵器関連のスタブ{{#if:{{{1|}}}|{{!}}{{{1}}}}}]]&amp;lt;/includeonly&amp;gt;&amp;lt;noinclude&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:武器・兵器関連のスタブ|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:軍事関連のテンプレート|{{PAGENAME}}]]&lt;br /&gt;
[[Category:スタブテンプレート|{{PAGENAME}}]]&amp;lt;/noinclude&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=38436</id>
		<title>その時歴史が動いたの全放送リスト</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&amp;diff=38436"/>
				<updated>2008-08-28T13:34:34Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.107.4.92: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''その時歴史が動いたの全放送リスト'''（そのときれきしがうごいたのぜんほうそうりすと）ではNHKの番組『[[その時歴史が動いた]]』で放送した内容のタイトルについて説明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このリストではアンコール放送分は除いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==放送タイトル==&lt;br /&gt;
放送時間は2006年3月8日放送分までが水曜日21時15分～21時58分、2006年4月5日放送分からが水曜日22時～22時43分。&lt;br /&gt;
===2000年===&lt;br /&gt;
*3月29日　運命の一瞬、[[東郷平八郎|東郷]]ターン ～[[日本海海戦]]の真実～&lt;br /&gt;
*4月5日　世紀の対決 [[沢村栄治|沢村]]VS[[ベーブ・ルース]] ～日本プロ野球誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月12日　天下分け目の[[天王山]] ～[[豊臣秀吉|秀吉]]・必勝の人心掌握術～&lt;br /&gt;
*4月19日　幕末のプリンセス・日本を救う ～皇女[[和宮親子内親王|和宮]]の悲願～&lt;br /&gt;
*4月26日　[[新撰組]]参上![[池田屋事件]]に賭けた若者たち&lt;br /&gt;
*5月10日　その日 6人がいた ～[[火縄銃|鉄砲]]伝来・偶然のドラマ～&lt;br /&gt;
*5月17日　[[織田信長]]・勝利の方程式 ～真説・[[長篠の戦い|長篠合戦]]～&lt;br /&gt;
*5月24日　[[だるま|ダルマ]]大臣・[[高橋是清]]経済危機と格闘する（[[昭和金融恐慌]]）&lt;br /&gt;
*5月31日　敵は[[本能寺の変|本能寺]]にあり ～[[明智光秀|光秀]]はなぜ主君・信長を裏切ったのか～&lt;br /&gt;
*6月7日　[[坂本龍馬]] 幕末の日本を動かす ～[[薩長同盟]]成立の時～&lt;br /&gt;
*6月14日　我輩は小説家である ～[[夏目漱石]]・[[東京大学|東大]]辞表提出の時～&lt;br /&gt;
*6月21日　[[蘇我入鹿]]（そがのいるか）暗殺事件 ～実録・[[乙巳の変|大化改新のクーデター]]～&lt;br /&gt;
*6月28日　戦火の中で[[アニメーション|アニメ]]が生まれた（[[桃太郎 海の神兵]]）&lt;br /&gt;
*7月5日　[[大坂の役|大坂の陣]]、[[豊臣氏|豊臣家]]滅亡す ～[[徳川家康]]・非情の天下取り～&lt;br /&gt;
*7月12日　[[西郷隆盛]]、明治に挑む ～[[西南戦争]]勃発の時～&lt;br /&gt;
*7月19日　[[奇兵隊]]決起せよ![[高杉晋作]]挙兵の時&lt;br /&gt;
*7月26日　[[黒船]]来航 日米交渉ここに始まる&lt;br /&gt;
*8月2日　[[ミッドウェー海戦]]の悲劇&lt;br /&gt;
*8月9日　予ノ判断ハ外レタリ ～[[ソビエト連邦|ソ連]]対日参戦の衝撃～&lt;br /&gt;
*8月23日　[[キリシタン]]禁制 ～秀吉・[[ヨーロッパ]]と対決す～&lt;br /&gt;
*8月30日　[[関東大震災]] ～知られざる日米友好～&lt;br /&gt;
*9月6日　[[前畑秀子|前畑]]ガンバレ!! ～[[ベルリンオリンピック]]の光と影～&lt;br /&gt;
*10月4日　[[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]] 家康 なぞの大突撃 ～ヨーロッパ製甲冑の威力～&lt;br /&gt;
*10月11日　弟・[[源義経|義経]]を討て ～[[源頼朝]]・武家政権確立への決断～&lt;br /&gt;
*10月18日　[[津田梅子]]・[[津田塾大学|女子英学塾]]設立の時 ～女性の真の自立をめざして～&lt;br /&gt;
*10月25日　[[1929年]][[ニューヨーク|NY]]株価大暴落（[[世界恐慌]]）&lt;br /&gt;
*11月1日　[[伊能忠敬]] 56歳からの挑戦&lt;br /&gt;
*11月8日　[[桶狭間の戦い]] ～織田信長、逆転への情報戦略～&lt;br /&gt;
*11月15日　坂本龍馬暗殺事件 ～魔の一瞬が歴史を変えた～&lt;br /&gt;
*11月22日　「[[学校]]」誕生 ～初代文部大臣・[[森有礼]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月29日　[[将軍]][[徳川慶喜|慶喜]]・最後の決断 ～幕末を動かした[[大坂城]]脱出～&lt;br /&gt;
*12月6日　[[20世紀|二十世紀]]十大事件 ～歴史を動かした決定的瞬間～&lt;br /&gt;
*12月13日　脱盟者たちの[[忠臣蔵]] ～忠義か人情か　人生の選択の時～&lt;br /&gt;
*12月20日　サムライ・[[福澤諭吉|福沢諭吉]] [[アメリカ合衆国|アメリカ]]に立つ! ～[[咸臨丸]][[サンフランシスコ]]入港の時～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2001年===&lt;br /&gt;
*1月10日　男たちよ、立て! ～[[北条政子]] 演説の時～&lt;br /&gt;
*1月17日　大衆の夢を形に ～起業家・[[小林一三]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*1月24日　検証・[[桜田門外の変]] ～[[井伊直弼]]暗殺・幕末大転換の時～&lt;br /&gt;
*2月7日　6000人の命を救った外交官 ～[[杉原千畝]] [[ビザ]]大量発給決断の時～&lt;br /&gt;
*2月14日・21日　シリーズ[[二・二六事件|2・26事件]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
*2月28日　秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす&lt;br /&gt;
*3月7日　[[大津事件|ロシア皇太子襲撃事件]] ～近代日本をつくった裁判～&lt;br /&gt;
*3月14日・21日　もしもその時（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「古代・中世編」&lt;br /&gt;
:後編「戦国・幕末編」&lt;br /&gt;
*3月28日　妻たちは決断した&lt;br /&gt;
**3月の3回は主として2000年度に放送された内容の総集編的な作品だった&lt;br /&gt;
*4月4日　世界を制した[[ハリウッド]][[映画]] ～[[風と共に去りぬ]]公開の時～&lt;br /&gt;
*4月11日　秀吉・家康 たった一度の直接対決 ～天下取りの知恵くらべ～&lt;br /&gt;
*4月18日　[[春日局]] 徳川家康を動かす ～戦国女性・太平の世への願い～&lt;br /&gt;
*4月25日　日本を救った[[サツマイモ]] ～[[青木昆陽]]・飢きん救済に挑む～&lt;br /&gt;
*5月2日　戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]沈没 ～[[大艦巨砲主義]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*5月9日　[[昭和天皇]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]・会見の時&lt;br /&gt;
*5月16日　「[[阿吽|あうん]]」の呼吸はこうして生まれた ～[[東大寺]] 金剛力士像完成の時～&lt;br /&gt;
*5月23日　[[岡倉天心|天心]]の恋 ～東洋の美を追い続けた男～&lt;br /&gt;
*5月30日　[[徳川吉宗]]、執念の財政再建 ～米将軍・最後の決断～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[土方歳三]]・北の大地に散る ～[[戊辰戦争]]、最後の激戦～&lt;br /&gt;
*6月13日　[[伊達政宗]]、[[百万石]]への挑戦&lt;br /&gt;
*6月20日　[[邪馬台国]]の女王・[[卑弥呼]] ～動乱の[[魏 (三国)|中国]]に使者を出す～&lt;br /&gt;
*6月27日　[[白村江の戦い|白村江]]・古代最大の対外戦争&lt;br /&gt;
*7月4日　金融恐慌・日本を揺るがす ～巨大商社、[[鈴木商店]]の挫折～&lt;br /&gt;
*7月11日　[[北条時宗]]、起死回生の決断 ～[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍壊滅の時～&lt;br /&gt;
*7月18日　モンゴル軍来襲 ～九州武士・[[竹崎季長]]の戦い～&lt;br /&gt;
*7月25日・8月1日　[[ポツダム宣言]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「米ソの攻防」 ～[[原子爆弾|原爆]]投下・[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]の決断～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連対日参戦」～ソ連対日参戦・[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の焦燥～&lt;br /&gt;
*8月22日　夏休みスペシャル・[[三国志]]英雄伝（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風、[[長江]]に吹く」 ～[[諸葛亮|孔明]]の知略、天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*8月29日　そして、人は空を飛んだ ～[[ライト兄弟]]に先がけた男・[[二宮忠八]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*9月5日　[[上杉鷹山]] ふたたびの財政改革&lt;br /&gt;
*9月19日　キリシタン女性 関ヶ原合戦を揺るがす ～[[細川ガラシャ]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*9月26日　ぼく一生の不覚 ～[[日独伊三国軍事同盟|三国同盟]]締結・[[松岡洋右]]の誤算～&lt;br /&gt;
*10月3日　走れ!AA型 ～国産自動車誕生物語～&lt;br /&gt;
*10月10日　不平等条約を改正せよ ～[[陸奥宗光]]～&lt;br /&gt;
*10月17日　日本を愛した[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]・その悲劇&lt;br /&gt;
*10月24日　人生に絶望なし ～[[ヘレン・ケラー|ヘレンケラ]]ー来日の時～&lt;br /&gt;
*10月31日　羽柴秀吉、謎の敵前退却 ～[[賤ヶ岳の戦い|賤ヶ岳合戦]]・勝利の秘策～&lt;br /&gt;
*11月7日　戦国の茶人 秀吉と戦う ～[[千利休]]切腹の悲劇～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[前田利家]]の妻・[[芳春院|まつ]]の決断 ～加賀百万石・息子への教え～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[満州事変]] [[関東軍]]独走す&lt;br /&gt;
*12月5日　この難を逃げ候こと 本懐にあらず ～改革者・[[大久保利通]]暗殺の悲劇～&lt;br /&gt;
*12月12日　汽笛一声・日本の産声 ～[[鉄道]]開通に賭けた若者たち～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2002年===&lt;br /&gt;
*1月9日　スペシャル『日本を動かした15人』（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
*1月16日　[[溥儀|ラストエンペラー]]最後の日 ～「[[満州国]]」と皇帝・溥儀～&lt;br /&gt;
*1月23日　役人の不正許すまじ ～[[大塩平八郎]]決起の時～&lt;br /&gt;
*1月30日　志のある者 立ち上がれ ～獄中の出会いが生んだ[[吉田松陰]]の思想～&lt;br /&gt;
*2月6日　王宮の恋・[[サラエボ事件|サラエボ]]に散る ～[[第一次世界大戦|世界大戦]]を招いた暗殺事件～&lt;br /&gt;
*2月13日　日本の夢、[[ベルサイユ]]に散る ～[[パリ講和会議]]・人種差別 廃止提案の挫折～&lt;br /&gt;
*2月20日　[[田中正造]]、足尾鉱毒事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット事件に挑む ～環境保護運動　ここに始まる～&lt;br /&gt;
*2月27日　信長 執念の天下統一 ～大坂[[本願寺]]との十年戦争～&lt;br /&gt;
*3月6日　関ヶ原を揺るがした女性たち ～決戦の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*3月13日　外交の要は誠実にあり ～国際社会と闘った男たち～&lt;br /&gt;
*4月3日　賽は投げられた ～英雄[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・ローマを変えた運命の決断～&lt;br /&gt;
*4月10日　徳川家康 [[三方ヶ原の戦い|三方原]]の大ばくち ～敗れて学ぶ 覇者の哲学～&lt;br /&gt;
*4月17日　鎧をまとった母・[[淀殿]]の悲劇 ～裏切られた平和への願い～&lt;br /&gt;
*4月24日　[[新撰組]]・[[鳥羽・伏見の戦い|鳥羽伏見]]に散る ～旧幕府軍大敗北の真相～&lt;br /&gt;
*5月8日・15日　[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]とその時代（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[独裁者]]への道」&lt;br /&gt;
:後編「幻の反ヒトラー・クーデター」&lt;br /&gt;
*5月22日　天神・[[菅原道真]] 政治改革にたおれる&lt;br /&gt;
*5月29日　肉を切らせて骨を断つ ～織田信長・捨て身の復讐戦～&lt;br /&gt;
*7月3日　平民宰相 [[原敬]]暗殺 ～くじかれた改革の夢～&lt;br /&gt;
*7月10日　[[フランス革命]] 自由よ汝の名のもとに ～[[マリー・アントワネット|マリ・アントワネット]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*7月17日　[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]、皇帝への野望 ～戴冠式の一瞬に秘められた謎～&lt;br /&gt;
*7月24日　本能寺の変 ～信長暗殺!闇に消えた真犯人～&lt;br /&gt;
*7月31日　[[ガダルカナル島]]撤退 ～苦渋の決断～&lt;br /&gt;
*8月21日　特別編「戦い・その決定的瞬間」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「勝利の時・男たちは決断した」&lt;br /&gt;
:後編「戦乱・その時 妻は、母は」&lt;br /&gt;
*8月28日　さらば淀殿 お初の決断 ～運命に立ち向かった戦国三姉妹～&lt;br /&gt;
*9月4日　日本人、[[南極]]の大地に立つ（[[白瀬矗]]）&lt;br /&gt;
*9月11日　昭和を揺るがした銃弾 ～ライオン宰相・[[浜口雄幸]]狙撃の時～&lt;br /&gt;
*9月18日　ヒトラー情報 日本を揺るがす ～「真珠湾」へのもう一つの道～&lt;br /&gt;
*9月25日　ヒトラー最後の日 ～新資料が明かす独裁者の末路～&lt;br /&gt;
*10月2日　[[与謝野晶子]]『今ぞ目覚めて』 ～情熱の歌人、女性の自立を宣言～&lt;br /&gt;
*10月9日　幕末、[[京都市|京都]]炎上 ～長州・[[久坂玄瑞]]、志に散る～&lt;br /&gt;
*10月16日　必勝の方程式、江戸を制す ～[[大村益次郎]]、彰義隊撃破の時～&lt;br /&gt;
*10月23日　関ヶ原の戦い、決死の的中突破 ～戦国の猛将 [[島津義弘]]、決断の時～&lt;br /&gt;
*10月30日　人類のために生き、人類のために死す ～未公開書簡が明かす[[野口英世]]の真実～&lt;br /&gt;
*11月6日　豊臣秀吉天下統一の必勝戦略 ～[[小田原の役|小田原攻め]]に秘策あり～&lt;br /&gt;
*11月13日　激突 [[武田信玄]]と[[上杉謙信]] ～[[川中島の戦い]]、両雄決戦の時～ &lt;br /&gt;
*11月20日　改革に散った最後の幕臣 [[小栗上野介]] ～一本のねじから日本の近代は始まった～&lt;br /&gt;
*12月4日　[[銀行]]は人々のために ～金融危機を救った[[渋沢栄一]]の決断～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵、父と子の決断 ～赤穂浪士討ち入りの時～&lt;br /&gt;
*12月18日　[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]] [[交響曲第9番|第九]]誕生! ～民衆に自由を呼びかけた交響曲～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2003年===&lt;br /&gt;
*1月8日　新春スペシャル「ニッポン開国」（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「なぜアメリカだったのか?」 ～[[マシュー・ペリー|ペリー]]の知られざる外交戦略～&lt;br /&gt;
:後編「通商か?亡国か?」 ～日本全権、決死の通商条約締結～&lt;br /&gt;
*1月15日　[[佐々木小次郎|小次郎]] 敗れたり ～決闘巌流島・[[宮本武蔵]]の執念～&lt;br /&gt;
*1月22日　兵法の道は人の道 宮本武蔵 ～『五輪書』完成への苦闘～&lt;br /&gt;
*1月29日　外交立国の志、いまだ死なず ～[[榎本武揚]]、箱館戦争終結の決断～&lt;br /&gt;
*2月12日　乱世を制するリーダーの条件 ～[[湊川の戦い]] [[足利尊氏]]、苦悩の決断～&lt;br /&gt;
*2月19日　夢は征夷大将軍 ～徳川家康・逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*2月26日　緊迫の二十四時間 ～新資料が明かす二・二六事件の内幕～&lt;br /&gt;
*3月5日　独裁者ヒトラー ～破滅への軌跡～&lt;br /&gt;
*3月12日　幕末立志伝 今こそ変革の時 ～[[吉田松陰]]・久坂玄瑞・[[高杉晋作]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*4月2日　家康・天下を制した184通の書状 ～関ヶ原の合戦・知られざる情報工作～&lt;br /&gt;
*4月9日　[[真田幸村]] どん底からの挑戦 ～家康を追いつめた伝説の名将～  &lt;br /&gt;
*4月16日　ロシア女帝が涙した帰国願い ～日露交渉の扉を開いた[[大黒屋光太夫]]～&lt;br /&gt;
*4月23日　改革者か、悪徳老中か? ～[[田沼意次]]、江戸の経済改革に挑む～&lt;br /&gt;
*5月7日　幕末ニッポン・幻の遷都計画 ～江戸か大坂か?[[大久保利通]]の大改革～&lt;br /&gt;
*5月14日　[[チャーリー・チャップリン|チャップリン]]を襲撃せよ ～五・一五事件　首相暗殺の裏に秘められたドラマ～&lt;br /&gt;
*5月21日　我が言は、万人の声 ～太平洋戦争前夜、日本を揺るがした国会演説～（[[斉藤隆夫]]）&lt;br /&gt;
*5月29日　日出づる処の天子より ～[[聖徳太子]]、理想国家建設の夢～&lt;br /&gt;
*6月4日　信長と家康、そして同盟は幻と消えた? ～[[長篠の戦い]]、戦国を変えた両雄の決断～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[源義経]]、大水軍を奪いとれ! ～[[壇ノ浦の戦い|壇の浦の戦い]]、奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*6月18日　新撰組誕生 ～幕末に青春をかけた男たち～&lt;br /&gt;
*6月25日　新撰組の夢、関東に散る ～江戸城明け渡しの裏で何がおきていたのか～&lt;br /&gt;
*7月2日　[[盧溝橋事件]] 運命の4日間 ～中国派兵への重大決意～&lt;br /&gt;
*7月9日　[[高杉晋作]]、50倍の敵を制する必勝戦略 ～幕末長州・奇跡の逆転劇～&lt;br /&gt;
*7月16日　海を越えた愛、日本を守る ～新史料、[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]開国秘話～&lt;br /&gt;
*7月23日　占領日本・運命を決した直談判 ～[[吉田茂]]と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]～&lt;br /&gt;
*7月30日　スパイ・[[リヒャルト・ゾルゲ|ゾルゲ]] 最後の暗号電報 ～新資料が明かす国際スパイ事件～&lt;br /&gt;
*8月20日　夏休みスペシャル・そして日本はよみがえった ～混迷を打ち破ったヒーローたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「混沌の時代を切り開いた男たち」&lt;br /&gt;
:後編「近代の日本を作った男たち」&lt;br /&gt;
*8月27日　[[板垣退助|板垣]]死すとも、自由は死せず ～日本に国会を誕生させた不朽の名言～&lt;br /&gt;
*9月3日　[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]] 世界帝国の夢 ～知られざる愛と誇りの決断～&lt;br /&gt;
*9月10日　[[ジャンヌ・ダルク]] 戦いはわが愛の証 ～裁判記録が明かす聖女の真実～&lt;br /&gt;
*9月17日　[[日野富子]] 愛と憎しみの和平工作 ～[[応仁の乱]]を終結させた将軍の妻～&lt;br /&gt;
*10月1日　秀吉に天下を取らせた男 ～[[黒田孝高|黒田官兵衛]] 戦国最強のナンバー2～&lt;br /&gt;
*10月8日・15日「[[始皇帝]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「希代のカリスマ・中国に立つ」 ～[[秦]]王朝 天下統一のとき～&lt;br /&gt;
:後編「崩壊は絶頂の中から始まった」 ～秦王朝 滅亡のとき～&lt;br /&gt;
*10月22日　[[正岡子規]] 余命十年で[[日本語]]を革新した男&lt;br /&gt;
*10月29日　[[白虎隊]] 自刃への三十六時間 ～生存隊士の手記が語る悲劇の真相～&lt;br /&gt;
*11月5日・12日　古代中国・[[項籍|項羽]]と[[劉邦]]（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「天下を分けた運命の宴 [[鴻門の会]]」&lt;br /&gt;
:後編「勝利への60万人の大合唱 [[垓下の戦い|四面楚歌]]」&lt;br /&gt;
*11月19日　[[勝海舟]] 江戸城無血開城はなぜ実現したか&lt;br /&gt;
*11月19日　[[マハトマ・ガンジー|ガンジー]] 暴力の連鎖を断ち切れ!&lt;br /&gt;
*12月4日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*12月11日　忠臣蔵 お裁き始末記 ～忠義か、犯罪か?幕府がゆらいだ50日～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2004年===&lt;br /&gt;
*1月7日　新春スペシャル・「新撰組」 ～最後のサムライたち～（前・後編一挙放送）&lt;br /&gt;
:前編「立志編 剣に生きる」&lt;br /&gt;
:後編「死闘編 武士道に死す」&lt;br /&gt;
*1月14日　秘められた革命工作 ～[[孫文]]を支えた日本人～&lt;br /&gt;
*1月21日　[[平清盛]] 早すぎた革新 ～平氏政権誕生のとき～&lt;br /&gt;
*1月28日　[[明治天皇]] [[あんパン]]を食す ～リストラ武士 [[木村安兵衛]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月4日　そして近代ニッポン人が誕生した ～明治の文豪たちの生き方革命～&lt;br /&gt;
*2月11日　日露開戦 男たちの決断 ～明治日本 存亡をかけた戦略～&lt;br /&gt;
*2月25日　[[外様大名]]はこうして生き残った! ～家康に勝利した逆転の戦略～&lt;br /&gt;
*3月3日　大久保利通・新生日本を救う ～回避された「幻の日清戦争」～&lt;br /&gt;
*3月31日　[[さとうきび]]畑の村の戦争 ～新史料が明かす[[沖縄県|沖縄]]戦の悲劇～&lt;br /&gt;
*4月7日　新発見![[大坂城]]は超ハイテク要塞だった ～秀吉VS家康「堀」をめぐる攻防の真相～&lt;br /&gt;
*4月14日　日本の運命を背負った少年たち ～[[天正遣欧少年使節|天正遣欧使節]]・ローマ教皇謁見の時～&lt;br /&gt;
*4月21日　信長暗殺を命じた男 ～新説・本能寺の変 浮上した黒幕～&lt;br /&gt;
*4月28日　[[女優]]誕生 ～[[川上貞奴|マダム貞奴]]、「[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]」初演の時～&lt;br /&gt;
*5月5日　子供の心に歌を ～大正・[[童謡]]誕生物語～&lt;br /&gt;
*5月12日　日本[[サッカー]]・[[ベルリンオリンピック]]の奇跡 ～世界を驚かせた逆転勝利～&lt;br /&gt;
*5月19日・26日　モンゴル帝国（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「草原の覇者[[チンギス・ハーン|チンギス・カン]]」～ユーラシア統一への道～&lt;br /&gt;
:後編「[[マルコ・ポーロ]]は見た巨大国家の盛衰」 ～「[[東方見聞録]]」誕生のとき～&lt;br /&gt;
*6月2日　家康、人生最大の危機の3日間 ～大脱出!伊賀越えの先に天下が見えた～&lt;br /&gt;
*6月9日・16日　日露戦争100年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「二〇三高地の悲劇はなぜ起きたのか」 ～新史料が明かす激戦の真相～&lt;br /&gt;
:後編「逆転の極秘電報154号」 ～知られざるポーツマス講和会議の真相～&lt;br /&gt;
*6月23日　大江戸発至急便 黒船あらわる ～幕末日本の情報ネットワーク～&lt;br /&gt;
*6月30日　もう一つの日本を創った男 ～[[平将門]] 東国独立政権の謎～&lt;br /&gt;
*7月7日　「関白」対「源氏長者」 ～家康・秀吉 「姓」をめぐる知られざる攻防～&lt;br /&gt;
*7月14日　ドキュメント[[池田屋事件]] ～[[近藤勇|近藤 勇]]・突入決断の真相～&lt;br /&gt;
*7月21日　[[世界遺産]] [[熊野]]の森を守れ ～[[南方熊楠]]・日本初の自然保護運動～&lt;br /&gt;
*7月28日　日米開戦を回避せよ ～新史料が明かす 最後の和平交渉～&lt;br /&gt;
*8月16日　奇跡の銀メダル [[人見絹江]] ～日本女子初メダル獲得の時～&lt;br /&gt;
*9月1日　武田信玄 地を拓き水を治める ～戦国時代制覇への夢～&lt;br /&gt;
*9月8日　信長と[[斎藤道三|道三]] ～改革者を生んだ非情の絆～&lt;br /&gt;
*9月15日　悲劇の英雄 ～“[[トーマス・エドワード・ロレンス|アラビアのロレンス]]”の真実～&lt;br /&gt;
*9月22日　焼け跡に[[ゾウ]]がやってきた ～海を越えた日本の子どもたちの夢～&lt;br /&gt;
*10月6日　グッドバイ ちょんまげ ～明治日本 文明開化騒動記～&lt;br /&gt;
*10月13日　列国の野望 [[シベリア]]を走る ～[[ロシア革命]]・[[ソビエト連邦|ソビエト]]成立までの混迷の5年～&lt;br /&gt;
*10月27日　実録・[[ええじゃないか]] ～幕末ニッポンを動かした民衆パワー～&lt;br /&gt;
*11月3日　義経はなぜ死んだのか ～源頼朝と奥州藤原氏の攻防～&lt;br /&gt;
*11月10日　秘録・幻の明治新政府 ～維新を変えた激動の27日間～&lt;br /&gt;
*11月17日　サムライ魂でデパートを創れ! ～近代百貨店誕生物語～&lt;br /&gt;
*11月24日　ニッポンに学べ![[タイ王国|タイ]]の”明治維新” ～「[[王様と私]]」・[[ラーマ5世|ラーマ五世]]の苦闘～ &lt;br /&gt;
*12月8日　ミステリー大化改新 ～蘇我入鹿暗殺の実像～&lt;br /&gt;
*12月15日　それからの新選組 ～土方歳三、箱館に死す～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2005年===&lt;br /&gt;
*1月5日　[[歌舞伎]]スタア誕生 [[市川團十郎 (2代目)|二代目 市川團十郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*1月12日　百世の安堵をはかれ 安政大地震・奇跡の復興劇&lt;br /&gt;
*1月26日　日露戦争100年 日本海海戦 ～参謀 [[秋山真之]]・知られざる苦闘～&lt;br /&gt;
*2月2日　龍馬が愛した女 ～幕末、愛と別れの物語～&lt;br /&gt;
*2月9日　[[プロ野球]]を変えた[[ホームラン]] [[天覧試合]] オーナーたちの戦い&lt;br /&gt;
*2月16日　日米攻防90日 国際軍縮を実現せよ! [[ワシントン会議 (1922年)|ワシントン会議]]・全権 [[加藤友三郎]]の挑戦&lt;br /&gt;
*2月23日　我が運命は民と共に 悲劇の英雄 [[楠木正成]]の実像&lt;br /&gt;
*3月2日　[[源実朝|実朝]]暗殺 ～歌人将軍は、なぜ殺されたか?～&lt;br /&gt;
*3月9日・16日　シリーズ三国志英雄伝（前・後編2週連続　2001年の夏休みスペシャルの再構成をベースに）&lt;br /&gt;
:前編「奇跡の風・長江に吹く」 ～孔明の知略・天下三分の計～&lt;br /&gt;
:後編「死せる孔明・中国を動かす」 ～千年の時を越える教え～&lt;br /&gt;
*3月30日　恋・人生・そして小説 ～[[樋口一葉]] 女性作家誕生の時～&lt;br /&gt;
*4月6日　大帝国の野望、博多に散る ～大陸から見た蒙古襲来～&lt;br /&gt;
*4月13日　武田家滅亡の謎 ～戦国最強軍団はなぜ滅びたのか～&lt;br /&gt;
*4月20日・27日　源義経 栄光と悲劇の旅路（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「第1回 西へ 戦いの彼方に」&lt;br /&gt;
:後編「第2回 北へ 流浪の果てに」&lt;br /&gt;
*5月11日　にっぽん[[郵便]]創業物語 ～[[前島密]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*5月18日　戦国をひらいた男 ～[[北条早雲]] 56才からの挑戦～&lt;br /&gt;
*5月25日　傷ついた戦場の兵士を救え ～[[佐野常民]] 日本初の国際人道支援～&lt;br /&gt;
*6月1日　民を救った義士たちの物語 ～宝暦の治水・[[薩摩藩]]士の苦闘～&lt;br /&gt;
*6月8日　[[横山エンタツ|エンタツ]]・[[花菱アチャコ|アチャコ]]の[[漫才]]革命 ～あんじょうわろうてや!～&lt;br /&gt;
*6月15日　幕末・運命の愛 ～時代を創った男と女の物語～&lt;br /&gt;
*6月22日　さらばサムライ ～[[西郷隆盛]] 徴兵制の決断～&lt;br /&gt;
*6月29日　さらばサムライ ～[[西南戦争]]・田原坂の真実～&lt;br /&gt;
*7月6日　プロ野球を作った男たち ～昭和10年 アメリカ遠征記～&lt;br /&gt;
*7月13日　実録・[[大岡忠相|大岡越前]] ～火事と闘った知られざる素顔～&lt;br /&gt;
*7月20日　信長の巨大鉄船、戦国の海を制す ～織田水軍 VS 村上水軍、決戦大坂湾～&lt;br /&gt;
*7月27日・8月3日　シリーズ終戦60年（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦艦大和の悲劇」 ～大艦巨砲主義、時代に敗れる～&lt;br /&gt;
:後編「ソ連参戦の衝撃」 ～満蒙開拓民はなぜ取り残された～&lt;br /&gt;
*8月24日　日露衝突を回避せよ ～[[高田屋嘉兵衛]] 決死の交渉劇～&lt;br /&gt;
*8月31日　家康が最も恐れた男 ～敗者 [[石田三成]]の関ヶ原～&lt;br /&gt;
*9月14日　[[二宮尊徳|二宮金次郎]] 天保の大飢饉を救う&lt;br /&gt;
*9月21日　戦国 出世の方程式 [[藤堂高虎]] 大阪夏の陣の大勝負&lt;br /&gt;
*10月12日　幕末・土佐勤皇党 不滅の志 ～若者たちは変革に命を賭けた～&lt;br /&gt;
*10月19日　誰がための仏教か ～[[鑑真]]和上の宗教改革～&lt;br /&gt;
*11月9日　鎖国の扉を開け ～[[ジョン万次郎]] 漂流民の挑戦～&lt;br /&gt;
*11月16日　秘められたメディア戦略 ～[[児玉源太郎]] 日露戦争のシナリオ～&lt;br /&gt;
*11月30日・12月7日　シリーズ[[真珠湾攻撃|真珠湾]]への道（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[山本五十六]] 苦渋の作戦立案」&lt;br /&gt;
:後編「山本五十六 運命の作戦決行」&lt;br /&gt;
*12月14日　歴史の選択　赤穂浪士 ～討ち入り組VS討ち入り不参加組～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2006年===&lt;br /&gt;
*1月11日　人間ドラマ誕生 ～[[近松門左衛門]] [[曽根崎心中]]～&lt;br /&gt;
*1月18日　古代の文明開化 ～1号寺院・[[飛鳥寺]]建立の戦略～&lt;br /&gt;
*2月1日　[[新聞]]誕生 ～幕末・[[浜田彦蔵|ジョセフ彦]]の挑戦～&lt;br /&gt;
*2月8日　[[壬申の乱]] ～[[天武天皇]]誕生の秘密～&lt;br /&gt;
*2月15日　戦国の花嫁 ～[[山内一豊]]の妻・[[見性院|千代]]～&lt;br /&gt;
*2月22日　[[伝染病]]から日本を守れ ～細菌学者 [[北里柴三郎]]の闘い～&lt;br /&gt;
*3月1日　さらば殿様 ～[[廃藩置県]] 激動の内幕～&lt;br /&gt;
*3月8日　[[零式艦上戦闘機|ゼロ戦]]・設計者が見た悲劇 ～[[マリアナ沖海戦]]への道～ （ここまでが水曜日21:15放送）&lt;br /&gt;
*4月5日　マッカーサーを叱った男 ～[[白洲次郎]]・戦後復興への挑戦～ （ここからが水曜日22:00放送）&lt;br /&gt;
*4月12日　[[大奥]] 悲しみの果てに ～[[徳川家宣]]正室 [[天英院]] 煕子の生涯～&lt;br /&gt;
*4月19日　それでも地球は動いた ～[[ガリレオ・ガリレイ]]の栄光と挫折～&lt;br /&gt;
*4月26日　歴史の選択　本能寺の変 織田信長 VS 明智光秀 ～激突!改革か安定か～&lt;br /&gt;
*5月17日　響け 希望の歌声 ～戦後初の流行歌「リンゴの唄」～&lt;br /&gt;
*5月24日　帝と民の巨大プロジェクト ～東大寺大仏 [[聖武天皇]]の挑戦～   &lt;br /&gt;
*5月31日　これは正義の戦いか ～ジャーナリストたちの[[ベトナム戦争]]～&lt;br /&gt;
*6月21日　幻の大艦隊 ～[[イギリス]]から見た[[薩英戦争]]～&lt;br /&gt;
*7月5日　勝負師は志高く ～碁聖・[[本因坊秀策]]の無敗伝説～&lt;br /&gt;
*7月12日　生まれ来る命 そして母のために ～[[荻野久作]]の受胎期の発見～&lt;br /&gt;
*7月26日　歴史の選択　川中島の戦い 引き分けの謎&lt;br /&gt;
*8月2日　焼け跡から生まれたチャンピオン ～ボクシング [[白井義男]]と[[アルビン・R・カーン|カーン]]～&lt;br /&gt;
*8月23日　幻のハワイ・日本同盟計画&lt;br /&gt;
*8月30日・9月6日　シリーズ 日本独立 その光と影（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「吉田茂と[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]] 前編」&lt;br /&gt;
:後編「吉田茂とサンフランシスコ講和条約 後編」&lt;br /&gt;
*9月13日・20日　「シリーズ・秀吉の[[家族]]」（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「もう一人の秀吉 ～[[豊臣秀長]] [[太閤記]]を演出した弟～」&lt;br /&gt;
:後編「戦国の母 関ヶ原を決す ～[[高台院|おね]]・豊臣政権生き残りへの道～」&lt;br /&gt;
*10月4日　戦火をこえた青春の白球 ～[[学徒出陣]]前 最後の[[早慶戦]]～&lt;br /&gt;
*10月11日　神は我を救い給（たま）うか ～キリシタン 細川ガラシャの生涯～&lt;br /&gt;
*10月18日　格差の怒り 政府を倒す ～[[大正デモクラシー]]を生んだ[[米騒動]]～&lt;br /&gt;
*11月1日　歴史の選択　坂本龍馬暗殺 黒幕は誰か?&lt;br /&gt;
*11月8日　日本を発見した日本人 ～[[柳田國男|柳田国男]]・「[[遠野物語]]」誕生～&lt;br /&gt;
*11月22日　我が手に郷土を ～[[真田昌幸]]・[[信濃国|信州]][[上田市|上田]]の市民戦争～&lt;br /&gt;
*11月29日　ひらがな革命 ～[[国風文化]]を生んだ[[古今和歌集]]～&lt;br /&gt;
*12月20日　母の灯火（ともしび） 小さき者を照らして ～[[石井筆子]]・[[知的障害]]児教育の道～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2007年===&lt;br /&gt;
*1月10日　戦国の剣豪、太平を築く ～[[柳生宗矩]]・「活人剣（かつにんけん）」の真実～&lt;br /&gt;
*1月24日　それでも民は祈り続けた ～[[島原の乱]]・[[キリシタン]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*1月31日　[[東京オリンピック]]への道 ～平和の[[聖火]] アジア横断リレー～&lt;br /&gt;
*2月7日　完成・戦国最強軍団 ～武田信玄・苦悩の生涯～&lt;br /&gt;
*2月14日　中国と国交を回復せよ ～[[足利義満]]の日明外交～&lt;br /&gt;
*2月21日　鉄は国家なり ～技術立国 日本のあけぼの～&lt;br /&gt;
*2月28日　天下は我が掌中にあり ～[[黒田孝高|黒田如水]]・もうひとつの関ヶ原～&lt;br /&gt;
*3月7日　苦しむ患者を救いたい ～[[イタイイタイ病]]裁判・弁護士たちの闘い～&lt;br /&gt;
*3月14日　歴史の選択　[[邪馬台国]]はどこか ～[[近畿地方|近畿]]説VS[[九州地方|九州]]説～&lt;br /&gt;
*3月28日　その時歴史が動いたスペシャル もう一度聞きたい あの人の言葉（22:59まで拡大）&lt;br /&gt;
*4月4日　謙信恐るべし&lt;br /&gt;
*4月11日　[[所得倍増計画]]の夢を追え ～[[高度経済成長]]の軌跡～&lt;br /&gt;
*4月18日　海の関ヶ原 ～[[村上武吉]]・水軍に賭けた夢～&lt;br /&gt;
*4月25日　[[大奥]] 華（はな）にも意地あり ～江戸城無血開城・[[天璋院]]篤姫～&lt;br /&gt;
**[[岩崎ひろみ]]が天璋院役、[[吉井怜]]が和宮役で出演&lt;br /&gt;
*5月2日　[[憲法]]施行60年 特集　[[日本国憲法第9条|憲法九条]] 平和への闘争 ～1950年代 [[改憲]]・[[護憲]]論～（22:30～23:29）&lt;br /&gt;
*5月9日　源頼朝 魔法の大逆転 ～[[富士川の戦い]]～&lt;br /&gt;
*5月16日　日本ミステリー誕生 ～[[江戸川乱歩]]・大衆文化との格闘～&lt;br /&gt;
*5月23日　悲しき女帝 許されざる恋 ～[[宇佐八幡宮神託事件|道鏡事件]]の真相～&lt;br /&gt;
*6月6日　[[メキシコシティオリンピック|メキシコ五輪]] 奇跡の銅メダル ～日本サッカー・勝つための組織作り～&lt;br /&gt;
*6月13日　ニッポン外交力誕生 ～[[伊藤博文]]・[[神戸事件]]解決～&lt;br /&gt;
*6月20日　乱世に祈りを ～[[蓮如]]（れんにょ）・理想郷の建設～&lt;br /&gt;
*7月4日　[[冷戦]]の壁を破ろうとした男 ～[[石橋湛山]]・世界平和への願い～&lt;br /&gt;
*7月11日　天才信長をつくった男 ～[[今川義元]] 真説・桶狭間の戦い～&lt;br /&gt;
*8月1日　忘れられた島の闘い ～[[沖縄返還]]への軌跡～&lt;br /&gt;
*9月5日　引き裂かれた村 ～日米戦の舞台・[[フィリピン]]～&lt;br /&gt;
*9月12日　外交の信念 時流に散る ～宰相・[[広田弘毅|廣田弘毅]]の闘い～&lt;br /&gt;
*9月19日　赤ちゃんを死なせない ～[[乳幼児死亡率|乳児死亡率]]ゼロ・ある村の記録～&lt;br /&gt;
*9月26日　[[日中国交正常化]]&lt;br /&gt;
*10月3日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　[[食通|グルメ]]誕生 ～[[北大路魯山人]]と器～&lt;br /&gt;
*10月10日　賤（しず）ヶ岳に散った夢 ～猛将・[[柴田勝家]]の悲劇～&lt;br /&gt;
*10月17日　義に死すとも不義に生きず ～[[会津戦争]] [[松平容保]] 悲運の決断～&lt;br /&gt;
*10月24日　[[銀]]を制する者は天下を制す ～[[毛利氏|毛利一族]]の戦い～&lt;br /&gt;
*10月31日　[[奇兵隊]] ～幕末に命を賭けた若き庶民たち～&lt;br /&gt;
*11月14日　[[国際連合]]加盟 ～[[重光葵]] 日本から世界へのメッセージ～&lt;br /&gt;
*11月21日　[[継体天皇]] [[ヤマト王権|ヤマト]]を救う&lt;br /&gt;
*11月28日　[[緒方洪庵]]・[[天然痘]]との闘い&lt;br /&gt;
*12月5日　[[戦後]][[引揚者|引き揚げ]] 660万人故郷への道&lt;br /&gt;
*12月12日　天下に旗をあげよ ～伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢～&lt;br /&gt;
*12月19日　[[対馬府中藩|対馬藩]]・決死の国書すり替え ～[[朝鮮通信使]]秘話～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2008年===&lt;br /&gt;
*1月23日　都会の地下に夢をもとめて ～[[地下鉄]]の父・[[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]～&lt;br /&gt;
*1月30日・2月6日　シリーズ[[江戸時代]]の危機（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「[[富士山]][[宝永大噴火|大噴火]] ～幕府・復興への闘い～」&lt;br /&gt;
:後編「[[天明の大飢饉|天明の飢饉]]（ききん）江戸を脅（おびや）かす ～鬼平・[[長谷川宣以|長谷川平蔵]]の無宿人対策～」&lt;br /&gt;
*2月13日・20日　シリーズ秀吉の猛将（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「戦国の風雲児 法の世に散る ～[[福島正則]] 広島改易事件～」&lt;br /&gt;
:後編「豊臣家存続の秘策 ～[[加藤清正]] [[二条城]]会見～」&lt;br /&gt;
*2月27日　軍服を脱いだジャーナリスト ～[[水野廣徳|水野広徳]]が残したメッセージ～&lt;br /&gt;
*3月5日　「自立」を賭けた戦い ～[[河井継之助]]・もう一つの戊辰戦争～&lt;br /&gt;
*3月12日　戦国[[後北条氏|北条]] 百年王国の夢&lt;br /&gt;
*3月19日　平安王朝 華麗なる一族 ～[[藤原道長]]の実像～&lt;br /&gt;
*4月2日　[[徳川四天王]]に学べ! ～組織のためにいかに生きるか～&lt;br /&gt;
*4月9日　音楽の[[市民革命]] ～[[神童]][[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の苦悩～&lt;br /&gt;
*4月16日　人間は尊敬すべきものだ ～[[全国水平社]]・[[差別]]との闘い～&lt;br /&gt;
*4月23日　「[[古事記]]」誕生 ～日本最古の[[歴史書|史書]]の謎～&lt;br /&gt;
*4月30日　特別企画 歴史ドキュメント01（ゼロワン）　徳川家康 「江戸」建設に挑む&lt;br /&gt;
*5月14日　日本人の心を守れ ～[[岡倉天心]]・[[廃仏毀釈]]からの復興～&lt;br /&gt;
*5月21日　興亡 北の黄金王国 ～[[奥州藤原氏]] vs [[源氏]]～&lt;br /&gt;
*5月28日　養殖[[真珠]] 宝石界に革命を起こす ～女性を輝かせた男・[[御木本幸吉]]～&lt;br /&gt;
*6月4日　人を衛（まも）る都市をめざして ～[[後藤新平]]・帝都復興の時～&lt;br /&gt;
*6月11日　[[北方探検]] 異境の大地を踏破せよ ～[[間宮林蔵]]・執念の旅路～&lt;br /&gt;
*6月18日　[[移民]]は共存共栄の事業なり ～[[ブラジル]]移民100年～&lt;br /&gt;
*6月25日　戦国の「[[ゲルニカ]]」 ～[[大坂の役|大坂夏の陣]]、惨劇はなぜ起きたのか～&lt;br /&gt;
*7月9日　古池や蛙飛こむ水のおと ～[[松尾芭蕉]] 人生を映した[[俳句|17文字]]～&lt;br /&gt;
*7月16日　[[応仁の乱]]、天下を滅ぼす ～終わりなき“戦いの連鎖”～&lt;br /&gt;
*7月23日　枠内特集 歴史秘話ヒストリア　幕末 殿様たちの恋・夢・涙&lt;br /&gt;
*8月27日　模擬原爆[[パンプキン爆弾|パンプキン]] ～秘められた原爆投下訓練～&lt;br /&gt;
*9月3日・10日　シリーズ日本降伏（前・後編2週連続）&lt;br /&gt;
:前編「焦土に玉音が響いた ～8月15日・終戦決定までの道程～」&lt;br /&gt;
:後編「帝国最大屈辱ノ日ナリ ～9月2日・[[降伏文書]]調印～」&lt;br /&gt;
*9月17日　名君の改革に異議あり! ～[[徳川宗春]] 華麗なる反乱～&lt;br /&gt;
*9月24日　奇跡の大逆転!神様、仏様、稲尾様 ～[[稲尾和久]] 奮闘の日々～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本放送協会テレビ番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[Category:教養番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
[[Category:ドキュメンタリー番組|そのときれきしかうこいたのせんほうそうりすと]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.107.4.92</name></author>	</entry>

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