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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>岸信介</title>
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				<updated>2017-01-13T03:04:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: /* 関連人物 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{日本の内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|[[第1次岸内閣|56]]・[[第2次岸内閣|57]]&lt;br /&gt;
|岸 信介&amp;lt;br/&amp;gt;（きし のぶすけ）&amp;lt;br/&amp;gt;[[画像:Nobusuke Kishi 1956.jpg|200px]]&lt;br /&gt;
|[[1896年]][[11月13日]]&lt;br /&gt;
|[[山口県]]吉敷郡山口町&amp;lt;br/&amp;gt;（現在の[[山口市]]）&lt;br /&gt;
|[[東京大学|東京帝国大学]]&lt;br /&gt;
|[[正二位]][[大勲位]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[法学士]]&lt;br /&gt;
|[[衆議院議員]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[自由民主党幹事長]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[外務大臣]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
|[[#家族・親族|家族・親族]]参照&lt;br /&gt;
|[[1957年]][[2月25日]]|[[1960年]][[7月19日]]&lt;br /&gt;
|旧山口2区&lt;br /&gt;
|衆10回&lt;br /&gt;
|[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]&lt;br /&gt;
|[[1987年]][[8月7日]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岸 信介'''（きし のぶすけ、[[1896年]][[11月13日]] - [[1987年]][[8月7日]]）は、[[日本]]の[[農商務省 (日本)|農商務]][[官僚]]、[[政治家]]。第56、57代[[内閣総理大臣]]。[[位階|正二位]][[大勲位]]。旧姓・佐藤。第61、62、63代内閣総理大臣[[佐藤栄作]]の実兄。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 青年期まで ===&lt;br /&gt;
[[山口県]][[吉敷郡]]山口町八軒家（現在の[[山口市]]）に、山口県庁[[官吏]]であった佐藤秀助と茂世（もよ）夫妻の第5子（次男）として生まれる（[[本籍地]]は[[熊毛郡 (山口県)|熊毛郡]][[田布施町]]）。信介が生まれた時、曽祖父の[[佐藤信寛]]もちょうど山口に来ており、早速“名付親になる”といって自分の名前の一字を取って｢信介｣という名が付けられた。数え年3歳になった頃、一家は田布施に帰郷し、[[造り酒屋]]を営む。佐藤家には酒造の権利が昔からあった。その権利は他家に貸していたものだったが母茂世（もよ）が分家するに当たって酒造の権利を取り戻して茂世（もよ）に与えられていた。秀助、茂世（もよ）夫妻は、本家のある田縫のすぐそばの岸田で酒造りに従事した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学3年の時、婿養子だった父の実家・岸家の養子となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡山県立岡山朝日高等学校|旧制岡山中学]]に学んだが、2年生になったばかりの頃、叔父の松介が[[肺炎]]に依り急逝したため山口に戻り、旧制山口中学（戦後の[[山口県立山口高等学校]]）に転校。岡山中学では10番前後だったが山口中学では首席だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1914年]]、山口中学を卒業。間もなく上京して、高等学校受験準備のため[[予備校]]に通ったが、勉強より遊び癖の方がつきやすく、受験勉強そっちのけでしばしば映画や芝居を見に行ったりした。このため[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]の入学試験の成績は最下位から2、3番目だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高等学校から大学にかけての秀才ぶりは様々に語り継がれ、同窓で親友であった[[我妻栄]]、[[三輪寿壮]]とは常に成績を争った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1917年]]、[[東京大学|東京帝国大学]]に入学。大学の入学試験は[[ドイツ語]]の筆記試験だけで、難なく合格した。大学時代は精力を[[法律]]の勉強に集中し、ノートと参考書のほか一般の読書は雑誌や小説を読む程度で、一高時代のように旺盛な多読濫読主義ではなく、遊びまわることもほとんどなかった。他の高校からやってきた者たちは俊英ぶりに驚かされたという。このころ岸を魅了していたのは[[北一輝]]の存在であった。中込に北を訪ねている。のちに岸は北について「大学時代に私に最も深い印象を与えた一人」と認め、「おそらくは、のちに輩出した[[右翼]]の連中とはその人物識見においてとうてい同日に論じることはできない」と語っている。[[1920年]]7月に[[東京大学|東京帝国大学]][[法学部]]法律学科（[[ドイツ|独]]法）を卒業。憲法学の[[上杉慎吉]]から大学に残ることを強く求められ、我妻もそれを勧めるが岸は[[農商務省 (日本)|農商務省]]に入省した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 農商務省時代〜満州国時代 ===&lt;br /&gt;
農商務省へ入ると、当時商務局商事課長だった同郷の先輩、[[伊藤文吉 (官僚)|伊藤文吉]]（元首相[[伊藤博文]]の養子）から「外国貿易に関する調査の事務を嘱託し月手当45円を給す」という辞令をもらった。同期には[[平岡梓]]（作家・[[三島由紀夫]]の父）、[[三浦一雄]]、[[吉田清二]]などがいたが、入って間もなく、岸は同期生およそ20名のリーダー格となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1925年]]に農商務省が[[商工省]]と[[農林省]]に分割されると商工省に配属され、[[1933年]]2月に商工大臣官房文書課長、[[1935年]]4月には商工省工務局長に就任。[[1936年]]10月に[[満州国国務院]]実業部総務司長に就任して渡満。[[1937年]]7月には産業部次長、[[1939年]]3月には[[総務庁 (満州国)| 総務庁]]次長に就任。この間に[[計画経済]]・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した[[星野直樹]]らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、[[関東軍]]参謀長であった[[東條英機]]や、[[日産コンツェルン]]の総帥[[鮎川義介]]、里見機関の[[里見甫]]の他、[[椎名悦三郎]]、[[大平正芳]]、[[伊東正義]]、[[十河信二]]らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「[[弐キ参スケ]]」の1人に数えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東條内閣の閣僚時代 ===&lt;br /&gt;
[[Image:cabinet of Hideki Tojo.jpg|right|thumb|250px|東條内閣の閣僚の中の岸信介（中央の東條英機の左後ろの人物）]]&lt;br /&gt;
[[伍堂卓雄]][[商工大臣]]が当時の商工次官だった[[村瀬直養]]の反対を押し切って岸の次官起用を決定し、[[1939年]]10月に帰国して商工次官に就任する。その後、商工大臣に座った[[小林一三]]と対立、直後に発生した[[企画院事件]]の責任を取り辞任する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1941年]]10月に発足した[[東條内閣]]に[[商工大臣]]として入閣。[[太平洋戦争]]中の物資動員の全てを扱った。[[1942年]]の[[第21回衆議院議員総選挙]]で当選し、[[政治家]]としての一歩を踏み出した。[[1943年]]、戦局悪化への対応として[[商工省]]が廃止され[[軍需省]]へと改組。軍需大臣は東條首相の兼務となり、岸は軍需[[次官]]（無任所[[国務大臣|国務相]]兼務）に就任。半ば降格に近い処遇により、東條との関係に溝が生じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1944年]][[7月22日]]には[[サイパン島]]が陥落し、日本軍の敗色が濃厚となった。宮中の重臣間では、[[木戸幸一]]内大臣を中心に早期和平を望む声が上がり、木戸と[[岡田啓介]]予備役海軍大将、[[米内光政]]海軍大将らを中心に、東條内閣の[[倒閣]]工作が密かに進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月13日]]には、難局打開のため内閣改造の意向を示した東條に対し木戸は、東條自身の[[陸軍大臣]]と[[参謀本部 (日本)|参謀総長]]の兼任を解くこと、[[嶋田繁太郎]]海軍大臣の更迭と重臣の入閣を求めた。東條は木戸の要求を受け入れ、内閣改造に着手しようとしたが、すでに岡田と気脈を通じていた岸が、閣僚辞任を拒否し内閣総辞職を要求する。東條側近の[[四方諒二]]（しかた りょうじ）東京憲兵隊長が岸宅に押しかけ恫喝するも、「黙れ、兵隊」と逆に四方を一喝して追い返した。この動きと並行して木戸と申し合わせていた重臣らも入閣要請を拒否。東條は内閣改造を断念し、7月18日に[[内閣総辞職]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1945}}年[[3月11日]]、岸は[[翼賛政治会]]から衣替えした親東條の[[大日本政治会]]には加わらず、反東條の[[護国同志会]]を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦犯容疑者から復権まで ===&lt;br /&gt;
[[Image:Kishi and Sato.jpg|thumb|175px|巣鴨プリズンから釈放直後&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&amp;lt;small&amp;gt;官房長官だった実弟の佐藤榮作と共に、長官官邸にて（1948年12月24日）&amp;lt;/small&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
[[1945年]][[8月15日]]に[[太平洋戦争]]が終結した後、故郷の山口市に帰郷していた所を[[A級戦犯]][[容疑者]]として逮捕された。[[東京都|東京]]の[[巣鴨拘置所]]に収監されたが、[[冷戦]]の激化に伴い[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の対日政策が大きく転換（[[逆コース]]）。日本を「[[共産主義]]に対する防波堤」と位置づけ、旧体制側の人物を復権させたため、戦犯不起訴となる。東條ら7名の処刑の翌日の[[1948年]]12月24日に釈放、[[公職追放]]となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1952年]]公職追放解除となり、4月に「自主憲法制定」、「自主軍備確立」、「自主外交展開」を[[スローガン]]に掲げ、[[日本再建連盟]]を設立、会長に就任した。[[1953年]]、日本再建連盟の選挙大敗により[[日本社会党]]に入党しようと[[三輪寿壮]]に働きかけるも党内の反対が激しく入党はできず、[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]に入党、公認候補として衆議院選挙に当選したが、{{和暦|1954}}に[[吉田茂]]首相の「軽武装、対米協調」路線に反発したため自由党を除名された。11月に[[鳩山一郎]]と共に[[日本民主党]]を結成し幹事長に就任。かねて[[二大政党制]]を標榜していた岸は、鳩山一郎や[[三木武吉]]らと共に、自由党と民主党の[[保守合同]]を主導、{{和暦|1955}}に新たに結成された[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の初代[[自由民主党幹事長|幹事長]]に就任した。同年には左右両派に分裂していた[[日本社会党]]が再び合同し「[[55年体制]]」が始まる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岸内閣誕生 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Kisi.cv56.jpg|right|thumb|250px|石橋退陣を受け、1957年2月25日に成立した第一次岸内閣。国会会期中であったため、[[石井光次郎]]（前列左）を[[副総理]]に加えた他は全閣僚が留任した]]&lt;br /&gt;
[[1956年]]12月14日、自民党総裁に立候補するが7票差で[[石橋湛山]]に敗れた（岸251票、石橋258票）が、[[外務大臣]]として[[石橋内閣]]に入閣した。2か月後に石橋が[[脳軟化症]]に倒れ、[[内閣総理大臣臨時代理|首相臨時代理]]を務めた。巣鴨プリズンに一緒にいた[[児玉誉士夫]]の金と影響力を背景に石橋により後継首班に指名された。国会の首班指名時において自民党総裁以外の自民党議員が指名された形となった（首相就任の1ヵ月後の3月21日に自民党総裁に就任）。石橋内閣を引き継ぐ形で、前内閣の全閣僚を留任、外相兼任のまま第56代[[内閣総理大臣]]に就任した。就任記者会見では「[[汚職]]、[[貧乏]]、[[暴力]]の三悪を追放したい。」と抱負を述べ、三悪追放が流行語にまでなった。また石橋内閣が提唱していた1千億減税も就任直後に実施している。{{和暦|1958}}[[4月25日]]に[[衆議院解散|衆議院を解散]]。5月22日の[[第28回衆議院議員総選挙|総選挙]]で勝利し（自民党は[[絶対安定多数]]となる287議席を獲得）、[[6月12日]]に第57代内閣総理大臣に就任し、[[第2次岸内閣]]が発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1958年に日米安全保障条約改定にあたり、米側は『[[在日米軍裁判権放棄密約事件]]』で露見した裁判権放棄を公的に表明するよう要求したが、岸は国内の反発を恐れ認めなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の岸内閣は、[[警察官職務執行法]]（警職法）の改正案を出したが、「デートもできない警職法」と揶揄され、[[日本社会党|社会党]]や[[総評]]を初めとして反対運動が高まり、撤回に追い込まれた。また、[[日本教職員組合]]（日教組）との政治闘争においては、封じ込め策として教職員への[[勤務評定]]の導入を強行した（これに反発する教職員により「勤評闘争」が起こった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この他、[[最低賃金]]制や[[国民年金]]制度など[[社会保障制度]]を導入し、後の[[高度経済成長]]の礎を構築した。また、鳩山とともに[[復古的改憲論]]を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 六十年安保騒動 ===&lt;br /&gt;
[[Image:岸信介3.jpg|300px|thumb|岸 信介]]&lt;br /&gt;
岸の総理大臣在任中の最大の事項は、[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安全保障条約・新条約]]の調印・批准と、それを巡る[[安保闘争]]である。{{和暦|1960}}1月に全権団を率いて訪米した岸は、[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]と会談し、新安保条約の調印と同大統領の訪日で合意した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新条約の承認をめぐる国会審議は、安保廃棄を掲げる社会党の抵抗により紛糾。5月19日には[[日本社会党]]議員を国会会議場に入れないようにして新条約案を強行採決するが、国会外での安保闘争も次第に激化の一途をたどった。警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、[[児玉誉士夫]]を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の[[橋本登美三郎]]を使者に立て、暗黒街の親分衆（＝[[暴力団]]組長）の会合に派遣。[[錦政会]]会長[[稲川角二]]、[[住吉会]]会長[[磧上義光]]や[[的屋|テキヤ]]大連合のリーダーで[[関東尾津組]]組長・[[尾津喜之助]]ら全員が手を貸すことに合意。さらに3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請。ひとつは岸自身が1958年に組織した[[木村篤太郎]]率いる[[新日本協議会]]、[[右翼]]の連合体である[[全日本愛国者団体会議]]、戦時中の超[[国家主義]]者もいる[[日本郷友会]]である。「[[博徒]]、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8千人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。彼らは政府提供の[[ヘリコプター]]、[[セスナ]]機、[[貨物自動車|トラック]]、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円（約230万ドル）の『活動資金』が支給されていた」（『ファーイースタン・エコノミック・レビュー』）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
連日デモ隊に包囲され、[[6月10日]]には大統領来日の準備をするために来日した特使、[[ジェイムズ・ハガティ]]新聞係秘書（[[ホワイトハウス報道官]]）が羽田で群衆に包囲されてヘリコプターで救出され避難する騒ぎになった。[[6月15日]]には、ヤクザと右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの重傷者を出し、国会構内では警官隊との衝突により、デモに参加していた[[東京大学]]学生[[樺美智子]]の死亡事件が発生した。こうした政府の強硬な姿勢を受けて、反安保闘争は次第に反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。岸は、「国会周辺は騒がしいが、[[銀座]]や[[後楽園球場]]はいつも通りである。''私には“声なき声”が聞こえる''」（[[サイレント・マジョリティ]]発言）と沈静化を図るが、[[東久邇宮稔彦王|東久邇]]・[[片山哲|片山]]・石橋の3人の元首相が岸に退陣勧告をするに及んで事態は更に深刻化し、遂にはアイゼンハワーの訪日を中止せざるを得ない状況となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月15日]]と18日には、岸から[[自衛隊]]の[[治安出動]]を打診された[[防衛庁長官]]・[[赤城宗徳]]が拒否。安保反対のデモが続く中、一時は[[首相官邸]]で実弟の[[佐藤栄作]]と死を覚悟する所まで追いつめられたが、6月18日深夜、条約の自然成立。6月21日には[[批准]]、[[昭和天皇]]が調印した。「私のやったことは歴史が判断してくれる」の一言を残し、新安保条約の批准書交換の日の[[6月23日]]、混乱の責任を取る形で岸内閣は総辞職した。その言葉通り岸の成し遂げた功績は現代では高く評価する声が多い（安保闘争を起こした全学連世代の学生のほとんどが日米安保の内容すら知らずに暴動を起こしており、安保改正の内容自体は紛れもなく日本側にとって完全に有利なものであった）。文芸評論家の[[福田和也]]などが「本物の責任感と国家戦略を持った戦後唯一の総理」として高く評価している。辞任直前には暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日韓国交回復 ===&lt;br /&gt;
岸は首相退陣後も政界に強い影響力を保持し、日韓国交回復にも強く関与した。時の韓国大統領[[朴正煕]]もまた[[満州国軍]]将校として満州国と関わりを持ったことがあり、岸信介・[[椎名悦三郎]]・[[瀬島龍三]]・[[笹川良一]]・[[児玉誉士夫]]らとは満州人脈が形成される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日韓国交回復後、岸・椎名・瀬島らと[[日韓協力委員会]]を組織する。また日韓の[[反共主義|反共]]政策を推進する過程で「[[世界基督教統一神霊協会|統一協会]]」とも{{和暦|1973}}より親交を持ち「[[国際勝共連合]]」結成に協力、[[1984年]]に関連団体「世界言論人会議」開催の議長を務めた際、米国で脱税容疑により投獄されていた教祖[[文鮮明]]の釈放を求める意見書を[[ロナルド・レーガン|レーガン]]大統領（当時）を連名で送るなど、同教団が政界へ影響力を広げるにあたって重要な役割を果たしたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中華民国・蒋介石との関係 ===&lt;br /&gt;
岸は[[中華民国]]の[[蒋介石]]総統とは勝共連合の設立（1954年）を通じて親密であり、1957年首相就任3ヵ月後には台湾を訪問、蒋介石と会談し日華協力委員会を作った。また日本で活動する反蒋介石・[[台湾独立運動|台湾独立運動家]]の強制送還も、胸三寸で決められるほどの影響力を行使した。その蒋介石死後も岸は「[[蒋介石総統遺徳顕彰会]]」の中心として日本各地に蒋介石を讃える石碑を建立する活動を行った。[[古沢襄]]は、岸の名刺を示すだけで蒋介石や息子の[[蒋経国]]に面会できたと語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 晩年 ===&lt;br /&gt;
政財界に幅広い人脈を持ち、愛弟子の[[福田赳夫]]と[[田中角栄]]による自民党内の主導権争い（[[角福戦争]]）が勃発した際も、福田の後見人として存在感を示した。[[1969年]]の[[第32回衆議院議員総選挙]]では、側近の1人[[今松治郎]]の秘書だった[[森喜朗]]が自民党の公認得られず無所属新人として[[石川県第1区_(中選挙区)|旧石川1区]]で出馬する際、岸の秘書[[中村長芳]]に岸の応援を懇願してきた森の要望を快諾し、岸の応援で陣営に勢いがつき初当選果たした森は生涯恩義を忘れていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年]]7月、[[第3次佐藤内閣改造内閣]]が倒れた後、憲法改正を目指し密かに政権復帰を狙った。自民党総裁選挙で福田赳夫が田中角栄に完敗したことで、大変落胆した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1979年]][[10月7日]]の[[衆議院解散]]を機に、派閥を福田に、地盤を[[吹田あきら]]に譲り、政界引退。[[国際連合]]から「国連の人口活動の理想を深く理解し、推進のためにたゆまぬ努力をされた」と評価された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
晩年は[[御殿場市|御殿場]]の別邸で悠々自適の生活を送る一方、保守論壇の大立者として、[[自主憲法論|自主憲法]]制定などに関し積極的な発言を続けた。これは[[女婿]][[安倍晋太郎]]、[[外孫]][[安倍晋三]]など後世に大きな影響を与え、自民党[[清和政策研究会]]の基本政策となって現在まで受け継がれている。{{和暦|1976}}10月には“民主主義・自由主義体制を尊重しつつ、政党・派閥を超えて、国家的課題を検討・推進する”[[政治団体]]「時代を刷新する会」を設立。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死ぬまで自民党内で影響力は衰えを見せず、事実上の安倍派（福田派）の[[元老]]であり、[[フィクサー]]、[[黒幕]]とも呼ばれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略年譜 ==&lt;br /&gt;
*1896年]]11月13日、[[山口県]][[吉敷郡]]山口町八軒家（現在の[[山口市]]）に生まれる。&lt;br /&gt;
**[[本籍地]]は山口県[[熊毛郡 (山口県)|熊毛郡]][[田布施町]]。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1919}}11月、岸良子と[[結婚]]する&lt;br /&gt;
*{{和暦|1920}}7月、[[東京大学|東京帝国大学]][[法学部]]法律学科（独法）を卒業。外国貿易に関する事項の調査を嘱託。9月、外国貿易に関する事項の調査嘱託を解かれ任[[農商務省 (日本)|農商務]]属、商務局勤務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1921}}5月 - 任農商務事務官、叙高等官七等商務局勤務、監理課勤務、叙従七位。11月、長男[[岸信和|信和]]誕生&lt;br /&gt;
**{{和暦|1922}}7月、兼任農商務参事官、叙高等官七等、農商務事務官として山林局勤務、大臣官房文書課勤務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1923}}5月、鉱山局勤務、陞叙高等官六等。10月、叙正七位&lt;br /&gt;
*{{和暦|1924}}12月、水産局勤務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1925}}3月、大臣官房文書課兼務を免ぜらる、農林事務官。4月、任特許局事務官兼商工書記官、叙高等官六等、大臣官房文書課勤務（兼）。7月、叙高等官五等。8月、叙従六位&lt;br /&gt;
*{{和暦|1926t}}2月、商務局兼務。4月、[[欧米]]各国へ出張。5月、[[アメリカ合衆国|米国]]に於ける製鉄事業の企業、組織及[[インド|印度]]に於ける製鉄事業の情況並[[イギリス|英]]本国との斯業関係調査を嘱託&lt;br /&gt;
*{{和暦|1927}}4月、帰朝。7月、陞叙高等官四等。9月、叙正六位&lt;br /&gt;
*{{和暦|1928}}6月、長女洋子生る。11月、昭和三年勅令第百八十八号旨に依り大礼記念章を授与さる&lt;br /&gt;
*{{和暦|1929}}4月、木戸大臣官房文書課長海外出張中代理、商工審議会幹事被仰付。8月、陞叙高等官三等。9月、叙従五位。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1930}}5月、工務局兼務、欧州各国へ出張。6月、任臨時産業合理局事務官兼特許局事務官兼商工書記官、叙高等官三等、臨時産業合理局第一部勤務。12月、臨時産業合理局第二部兼務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1932}}1月、任商工書記官兼臨時産業合理局事務官叙高等官三等、工務局工政課長、臨時産業合理局第一部勤務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1933}}2月、兼任外務書記官（〜1934年3月）、通商局勤務。12月、大臣官房文書課長、工務局工政課長兼務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1934}}1月、大臣官房統計課長兼務、統計主任、工務局工務課長兼務。4月、叙勲五等授瑞宝章、従軍記章を授与さる。9月、叙正五位&lt;br /&gt;
*{{和暦|1935}}1月、[[対満事務局]]事務官被仰付。3月、第六十七回帝国議会商工省所管事務政府委員被仰付。4月、商工省工務局長心得、臨時産業合理局第二部長、叙高等官二等、臨時産業合理局第二部長、任臨時産業合理局事務官兼商工省工務局長&lt;br /&gt;
*{{和暦|1936}}4月、任商工省工務局長兼臨時産業合理局事務官、臨時産業合理局第二部長。10月、満州重工実業部次長として渡満&lt;br /&gt;
*{{和暦|1937}}7月、産業部次長　満州開発五ヶ年計画の立案など経済政策に辣腕&lt;br /&gt;
*{{和暦|1939}}10月、商工省へ復帰、任商工次官、叙高等官二等&lt;br /&gt;
*{{和暦|1941}}10月、東条内閣で商工大臣&lt;br /&gt;
*{{和暦|1942}}4月、衆議院議員（〜1943年10月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1943}}10月、任国務大臣、商工次官兼任、叙高等官一等。11月、国務相、軍需次官（〜1944年7月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1945}}9月、戦犯容疑者として[[巣鴨拘置所]]入所（〜1948年12月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1950}}3月、東洋パルプ会長（〜1953年1月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1953}}3月、[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]入党 4月 - 衆議院議員（〜1979年9月） 12月　-　憲法調査会会長&lt;br /&gt;
*{{和暦|1954}}11月、自由党を除名、[[日本民主党]]幹事長&lt;br /&gt;
*{{和暦|1955}}11月、自由民主党幹事長&lt;br /&gt;
*{{和暦|1956}}12月、石橋内閣で外務大臣（〜1957年2月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1957}}2月、内閣総理大臣（〜1960年7月）。3月、自由民主党大会開催、総裁に当選&lt;br /&gt;
*{{和暦|1979}}10月、政界引退、日本人初の[[国連平和賞]]受賞。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1987}}8月7日、死去、{{没年齢|1896|11|13|1987|8|7}}。&lt;br /&gt;
:[[墓]]は[[山口県]][[田布施町]]及び[[静岡県]][[御殿場市]]の[[冨士霊園]]にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== メモ ==&lt;br /&gt;
*岸は自伝の中で「佐藤家は貧乏でこそあれ[[家柄]]としては断然飛び離れた[[長州藩|旧藩]]時代からの[[士族]]で、ことに曽祖父・[[佐藤信寛|信寛]]の威光がまだ輝いていた。また、叔父、叔母、兄、姉など、いずれも中学校や女学校などに入学し、いわゆる学問をするほとんど唯一の家柄だったのである。」、「佐藤の子供だというので、自然に一目も二目も置いて付き合われたので、好い気になって威張っていた傾きもあった」と述べている。子供たちの教育はすべて母・茂世の手で行われ、[[スパルタ]]式の教育で信介ら兄弟が泣いたりして家へ帰ろうものなら叱りつけて家の中に入れなかったという。また、佐藤家の家運が傾き貧乏になった時も「ウチは[[県令]]と[[士族]]の[[家柄]]ですからね!」と頑として挫けず、対外的な意地を張り通したという（武士は食わねど高楊枝）。&lt;br /&gt;
*[[東京都]][[渋谷区]]南平台（地区は[[松涛]]）の岸邸隣に[[世界基督教統一神霊協会]]（統一教会）があり、岸も、統一教会本部やその関連団体「[[国際勝共連合]]」本部に足を運んだ。日本での「国際勝共連合」の設立の際に[[児玉誉士夫]]、[[笹川良一]]と共に協力した。&lt;br /&gt;
*[[1974年]]（昭和49年）5月7日、東京の[[帝国ホテル]]で開かれた、統一教会の教祖[[文鮮明]]の講演会「希望の日晩餐会」の名誉実行委員長となった。&lt;br /&gt;
*戦後政治史上において[[吉田茂]]とは鋭く対立したが、安保改定に当たっては、同条約締結時首相の任にあった吉田に敬意を表し、[[神奈川県]]の[[大磯町]]の別荘に隠棲していた吉田の元に度々足を運び、吉田もその都度丁重な礼状をしたため、家人をもって岸邸に届けさせたという。&lt;br /&gt;
*旧[[満州国]]官僚時代、軍・財界の実力者[[東條英機]]、[[星野直樹]]、[[鮎川義介]]、[[松岡洋右]]らと共に、満州の「[[弐キ参スケ]]」、長州出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。晩年も政財界に隠然たる影響力を有した事から、「昭和の妖怪」（元々は[[西園寺公望]]の綽名）などと称された。&lt;br /&gt;
*『[[週刊文春]]』2007年10月4日号に、岸が[[中央情報局]]（CIA）から資金提供を受けていたという記事が掲載された。筆者は[[ニューヨーク・タイムス]]記者のティム・ワイナー。文春では『LEGACY of ASHES The History of the CIA』の紹介がなされている。翌年に文藝春秋で邦訳『CIA秘録』が出版された。&lt;br /&gt;
*岸は[[内閣総理大臣]]として3度、通常国会で[[施政方針演説]]を行ったが、{{和暦|1957}}の[[石橋湛山内閣]]時に[[内閣総理大臣臨時代理]]として石橋総理大臣の代役で施政方針演説を行っている。日本政治史上、内閣総理大臣以外の人物が施政方針演説を行った唯一の例である。&lt;br /&gt;
*晩年は福田派のプリンスとなっていた娘婿の安倍晋太郎を総理にすることに執念を燃やし、「岸の安倍狂い」と言われた。&lt;br /&gt;
*血液型O。&lt;br /&gt;
*首相在任中は[[自虐史観]]に否定的だったが、政界引退後の最晩年のインタビューでは「まあ[[大東亜戦争]]は侵略か進出かといえば結果的には[[侵略]]でしょうな」と述べた事がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 栄典 ==&lt;br /&gt;
*[[1967年]]4月29日：[[勲一等旭日桐花大綬章]]&lt;br /&gt;
*[[1987年]]8月7日：[[大勲位菊花大綬章]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
; 実家（佐藤家）&lt;br /&gt;
*曾祖父 [[佐藤信寛|信寛]]（[[長州藩]][[武士|士]]、島根県令）- 佐藤家第10代当主&amp;lt;ref&amp;gt;吉本重義著『岸信介傳』21頁に｢この曽祖父は、佐藤家の歴史においては最も傑出した人であった。もっとも、その[[叔父]]の[[坪井九右衛門|九右衛門]]は坪井家に養われて[[長井雅楽]]の一味として当時、藩政の要路にあり、非常な傑物だったといわれる。佐藤家に伝わる政治家的な性格は、この[[坪井九右衛門]]や、曾祖父の[[佐藤信寛|信寛]]によって最も顕著にあらわれた。｣とある。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*祖父 信彦（漢学者、県会議員）&lt;br /&gt;
*祖母 みね（[[徳山藩]]士・国広治左衛門娘）&lt;br /&gt;
*実父 秀助（山口県庁官吏、酒造業:田布施・岸要蔵三男）&lt;br /&gt;
*実母 モヨ（佐藤信彦長女）&lt;br /&gt;
*兄 [[佐藤市郎|市郎]]（軍人・海軍中将）&lt;br /&gt;
*弟 [[佐藤栄作|栄作]]（政治家・首相）&lt;br /&gt;
; 養家（岸家）&lt;br /&gt;
*養父・伯父・岳父 信政（山口県[[士族]]）&lt;br /&gt;
*従妹・妻 良子&lt;br /&gt;
; 自家&lt;br /&gt;
*従妹・妻:良子&lt;br /&gt;
*長男 [[岸信和|信和]]（妻・仲子は山口県議会議長を務めた[[田辺護]]の二女。田辺は[[日産コンツェルン]]創始者[[鮎川義介]]の[[従兄]]に当たる）&lt;br /&gt;
*長女 洋子（山口県、政治家[[安倍晋太郎]]に嫁する）&amp;lt;ref&amp;gt;歌手[[岸洋子]]の方は芸名であり[[同姓同名]]の別人である。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
; 他家&lt;br /&gt;
*外孫 [[安倍晋三]]（政治家・首相）、[[岸信夫]]（政治家:長男・信和の養子となって岸家を継いでいる）など&lt;br /&gt;
*その他の親戚：[[吉田茂]]（外交官､政治家・首相）、[[松岡洋右]]（[[満州鉄道]][[総裁]]・[[外務大臣]]）など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
; 岸家&lt;br /&gt;
: [[毛利元就]]が[[陶晴賢]]と[[厳島]]沖で戦って大勝を収めた際､寝返って毛利方についた船の調達人が“ガン”と称する[[帰化人]]であったという。毛利はその功績によって“ガン”を[[田布施町|田布施]]周辺の[[代官]]に召し立てた。この“ガン”を岸家の先祖とする説がある&amp;lt;ref&amp;gt;『忍魁･佐藤栄作研究』 58-59頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 佐藤家（[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sato_sin.html 佐藤氏系譜（武家家伝）]）&lt;br /&gt;
: 佐藤家の祖先について、確証はないが、遠祖は[[源義経]]の家臣[[佐藤忠信]]であるという口伝がある。確認できる佐藤家の初代は市郎右衛門信久といい、寛文2年（[[1662年]]）頃から[[萩藩]]の[[武士|士]]となり、扶持方2人・米2石4斗を受けた。下級[[武士]]であり、この待遇はその後もあまり変わらない。役によって4石5斗あるいは6石に加増されたこともある。代々、市郎右衛門あるいは源右衛門を名乗った。歴代佐藤家の当主の中で世に出たのは、まず4代目の源右衛門信早である。その功を認められて禄高を6石に加増されている。熊毛郡下田布施村の「宝暦検地絵図」などの文書も残した。7代目の佐藤嘉津馬は安永8年（[[1779年]]）12歳で病死する。佐藤家はこの7代まで現在の[[山口市]]南部にあたる大内町御堀の周辺に住んだ。7代目の嘉津馬夭折の後、佐藤家は[[萩]]に住む一族吉田八兵衛の3男菊三郎に別の親戚福田某の娘を嫁に迎え、夫婦養子とする。8代目市郎右衛門信孝であり、この信孝の時代から、佐藤家は田布施に移った。&lt;br /&gt;
: 曽祖父・[[佐藤信寛|寛作信寛]]は[[長州藩]]士として御蔵元本締役、大検使役等を歴任、長沼流兵学を修め、[[幕末]]期の思想家[[吉田松陰]]に兵要録を授けた。[[明治]]になると、[[島根県]]県令、浜田県権知事等の要職に就いた。&lt;br /&gt;
: 祖父・信彦は山口県議会議員を2期務め、優れた漢学者でもあった。父・秀助は山口県庁に奉職し、勤めを辞めてからは酒造業を始めた。佐藤家の家紋は“源氏車”である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏昭和天皇━━━━━━━━━今上天皇&lt;br /&gt;
　　　　明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┏彬子女王 &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　麻生太賀吉　　┃　　　　　┗瑶子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┏信子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┗麻生太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏和子　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田茂━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗桜子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田祥朔　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━吉田寛&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏さわ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┏寛子（栄作夫人）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤松介━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┗正子&lt;br /&gt;
佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃（池上）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤作造　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗茂世　　　　　安倍晋太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━┳佐藤市郎　　┣━━安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　┃　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（佐藤）┃　┃（岸）　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助　┣佐藤信介━━洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　岸要蔵━━┫　　　　┗佐藤栄作━┳佐藤龍太郎━━佐藤栄治&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┗佐藤信二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━━良子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（信介夫人）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　吉田茂━━桜子　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　（元首相）　　　┃　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　吉田祥朔　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┣━━━吉田寛&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┏さわ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┣佐藤寛造&lt;br /&gt;
佐藤信寛━━佐藤信彦━┫　　　　　（栄作夫人）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┣佐藤松介━━寛子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┗茂世　┏佐藤市郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　┃　　　　　　┏岸信和&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┣━━╋岸信介━━━┫　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　┃（元首相①）┗洋子　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　┃　　　　　　　　┃　　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　┏岸秀助　┗佐藤栄作　　　　┃　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　岸要蔵━━┫　　　　　　（元首相）　　┣━━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　┗岸信政━良子　　　　　　　┃　　　┃（前首相）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　安倍寛━━安倍晋太郎　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（岸信和養子）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　┏井上馨&lt;br /&gt;
　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　┗つね　　鮎川弥八━━鮎川義介&lt;br /&gt;
　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　┃　　　┏なか&lt;br /&gt;
　　　　　　小沢正路━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗辰&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　田辺誠民━━田辺譲━━━仲子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┏岸信政━━良子　　　　　┣……岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　岸要蔵━━┫　　　　　　┣━━━┳岸信和　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┃　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　┗岸秀助━━岸信介　　┗洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　①&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 資料館・旧宅 ==&lt;br /&gt;
;岸信介・佐藤栄作兄弟宰相の遺品展示室（田布施町郷土館）&lt;br /&gt;
:岸信介、佐藤栄作兄弟の出身地、[[田布施町]]郷土館内に設置。[[国連平和賞]]、[[ノーベル平和賞]]などの遺品や関連文書を展示し、両元首相を顕彰している。&lt;br /&gt;
:*所在地：〒742-1511　山口県熊毛郡[[田布施町]]大字下田布施875番地6&lt;br /&gt;
:*電話：0820（52）2620&lt;br /&gt;
:*FAX：0820（52）4904（田布施町教育委員会）&lt;br /&gt;
:*[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;WIT_oid=icityv2::Contents::1603 田布施町郷土館ホームページ]&lt;br /&gt;
;御殿場の旧岸信介邸&lt;br /&gt;
:所在地：静岡県[[御殿場市]]東山1082-1&lt;br /&gt;
:岸が晩年の17年間を過ごした[[静岡県]]の邸宅は、[[2003年]]（平成15年）に長女によって地元[[御殿場市]]へ建物が寄贈され、土地は御殿場市の[[特別地方公共団体#財産区|財産区]]が購入した。現在同市では、2年後の公開を目標に文化施設「[[御殿場東山ミュージアムパーク]]（仮称）」として整備を進めている。なお、御殿場市の市制50周年を記念して、[[2005年]]（平成17年）10月5日から10月10日まで一般公開された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連人物 ==&lt;br /&gt;
*[[美濃部洋次]]（満州国時代の同僚）&lt;br /&gt;
*[[甘粕正彦]]（満州国時代の同僚）&lt;br /&gt;
*[[中安閑一]]（山口中学時代からの親友）&lt;br /&gt;
*[[笹川良一]]（戦後、協力関係があった）&lt;br /&gt;
*[[北一輝]]（岸に思想的影響を与えたとされている）&lt;br /&gt;
*[[町村金五]]&lt;br /&gt;
*[[児玉誉士夫]]&lt;br /&gt;
*[[平岡梓]]（農商務省の同期官僚）&lt;br /&gt;
*[[我妻栄]]（東京帝国大学の同期）&lt;br /&gt;
*[[土井正治]]（東京帝国大学の同期）&lt;br /&gt;
*[[田路舜哉]]（東京帝国大学の同期）&lt;br /&gt;
*[[三好英之]]（政治家仲間）&lt;br /&gt;
*[[東條英機]]（東条内閣で岸は商工大臣を務めた）&lt;br /&gt;
*[[小林一三]]（経済政策で対立した実業家・商工大臣）&lt;br /&gt;
*[[石橋湛山]]（自民党総裁選でのライバル候補。石橋内閣で岸は副総理）&lt;br /&gt;
*[[椎名悦三郎]]（岸内閣での内閣官房長官）&lt;br /&gt;
*[[吹田あきら]]（地盤継承者）&lt;br /&gt;
*[[前原誠司]]（安倍晋三と93年衆院初当選同期で親しく、岸が使っていた議員会館の部屋の現住人）&lt;br /&gt;
*[[安倍晋三]]（孫）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[士族]]&lt;br /&gt;
*[[佐藤氏]]&lt;br /&gt;
*[[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
*[[第1次岸内閣]]&lt;br /&gt;
*[[第1次岸内閣改造内閣]]&lt;br /&gt;
*[[第2次岸内閣]]&lt;br /&gt;
*[[第2次岸内閣改造内閣]]&lt;br /&gt;
*[[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
*[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約]]（新・安保条約）&lt;br /&gt;
*[[伊藤忠商事]]&lt;br /&gt;
*[[護国同志会]]&lt;br /&gt;
*[[弐キ参スケ]]&lt;br /&gt;
*[[満州人脈]]・[[朴正煕]]・[[児玉誉士夫]]&lt;br /&gt;
*[[世界基督教統一神霊協会]]・[[国際勝共連合]]・[[文鮮明]]&lt;br /&gt;
*[[TSK・CCCターミナルビル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
=== 著書 ===&lt;br /&gt;
*『現代法学全集(23) 保険業法・取引所法・税法・担保附社債信託法』（[[南正樹]]・[[星野直樹]]・[[栗栖赳夫]]共著、[[日本評論社]]、1928年）&lt;br /&gt;
*『日本戦時経済の進む途』（研進社、1942年）&lt;br /&gt;
*『岸信介の回想』（[[矢次一夫]]、[[伊藤隆 (歴史学者)|伊藤隆]]との鼎談、[[文藝春秋]]、1981年）&lt;br /&gt;
*『二十世紀のリーダーたち』（サンケイ出版、1982年）&lt;br /&gt;
*『岸信介回顧録――保守合同と安保改定』（廣済堂出版、1983年、ISBN 433150171X）&lt;br /&gt;
*『我が青春――生い立ちの記・思い出の記』（廣済堂出版、1983年、ISBN 4331501728）&lt;br /&gt;
**岸信介の後援会誌『風声』に昭和28年第2号から昭和31年第11号にわたって連載された「我が生い立ちの記」の全文から成るもの。&lt;br /&gt;
*『耐雪―岸信介幽窗の詩歌集』（[[山口県]]）[[田布施町]]郷土館 研究紀要別冊 2001年  &lt;br /&gt;
*『岸信介証言録』（[[原彬久]]編、毎日新聞社、2003年、ISBN 4620316229）&lt;br /&gt;
*『青年に望む』&lt;br /&gt;
*『日本の進路と安保条約』　自民党発行のブックレット&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 伝記研究 ===&lt;br /&gt;
*吉本重義 『岸信介傳』 東洋書館、[[1957年]]&lt;br /&gt;
*[[伊藤整]]「岸信介氏における人間の研究」『[[中央公論]]』1960年8月号 &lt;br /&gt;
*荒井荒雄『原理運動の謀略と自民党―岸信介原罪論』（青村出版社、1976年）&lt;br /&gt;
*[[岩川隆]] 『巨魁 岸信介研究』徳間文庫 1982年、[[ちくま文庫]] 2006年&lt;br /&gt;
*[[原彬久]] 『岸信介』 [[岩波新書]]、1995年&lt;br /&gt;
*[[塩田潮]] 『岸信介』 [[講談社]] 1996年、ワックブックス 2006年 &lt;br /&gt;
*[[岩見隆夫]]『昭和の妖怪 岸信介』（[[朝日ソノラマ]]、1994年／学陽書房・人物文庫、1999年）&lt;br /&gt;
*[[安倍洋子]]「父岸信介の素顔」『[[中央公論]]』1987年10月号、のち『わたしの安倍晋太郎 岸信介の娘として』 文春ネスコ 1992年&lt;br /&gt;
*[[中村長芳]]「岸信介に仕えた35年」『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』1987年10月号&lt;br /&gt;
*[[細川隆一郎]]『岸信介 日本宰相列伝.20』（[[時事通信社]]、1986年）&lt;br /&gt;
*岸信介伝記編纂委員会編 『人間岸信介 波瀾の九十年』（岸信介遺徳顕彰会、1989年）&lt;br /&gt;
*高橋正則 『昭和の巨魁 岸信介と日米関係通史』（[[三笠書房]]、2000年）     &lt;br /&gt;
*[[渡辺昭夫]]編『戦後日本の宰相たち』（[[中央公論社]]、1995年／[[中公文庫]]、2001年）ISBN 9784120024955&lt;br /&gt;
*[[坂元一哉]]『日米同盟の絆―安保条約と相互性の模索』（[[有斐閣]]、2000年）&lt;br /&gt;
*[[秦郁彦]]『日本近現代人物履歴事典』（東京大学出版会、2002年 180-181頁）&lt;br /&gt;
*神一行 『閨閥 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』 （[[角川書店]] 2002年 61-75頁）&lt;br /&gt;
*[[中村隆英]]・[[宮崎正康]]編『岸信介政権と高度経済成長』（[[東洋経済新報社]]、2003年）&lt;br /&gt;
*池田慎太郎『日米同盟の政治史―アリソン大使と「1955年体制」の成立』（国際書院、2004年）&lt;br /&gt;
*城下賢一「岸信介と保守合同（1・2）」『法学論叢』157巻3・5号（2005年）&lt;br /&gt;
*[[小林英夫 (経済学者)|小林英夫]] 『「昭和」をつくった男 石原莞爾、北一輝、そして岸信介』 ビジネス社 2006年 &lt;br /&gt;
*[[太田尚樹]] 『満州裏史－[[甘粕正彦]]と岸信介が背負ったもの』（講談社、2005年）&lt;br /&gt;
*[[春名幹男]] 『秘密のファイル―[[CIA]]の対日工作』（上下）（[[共同通信社]]、2000年／新潮文庫、2003年）&lt;br /&gt;
*ティム・ワイナー 『CIA秘録』（文藝春秋、上下 2008年）&lt;br /&gt;
*[[福田和也]] 『悪と徳と―岸信介と未完の日本』、『[[正論]]』2003年2月号より断続連載中&lt;br /&gt;
*[[マイケル・シャラー]] “America's Favorite War Criminal: Kishi Nobusuke and the Transformation of U.S.-Japan Relations”（[[日本政策研究所]]）、『「日米関係」とは何だったのか 占領期から冷戦終結後まで』（市川洋一訳、[[草思社]]、2004年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20061101A/ 「安倍首相の祖父・岸信介とは？」]（[[All About]]）&lt;br /&gt;
*[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;Cc=7d43160f3b3a10b 岸信介先生の生い立ちと主な功績] （[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;WIT_oid=icityv2::Contents::1758 西田布施公民館のホームページ]）&lt;br /&gt;
*[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;Cc=7d430b10031e351 岸信介・佐藤栄作両宰相　略年譜] （[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;WIT_oid=icityv2::Contents::1603 田布施町郷土館のホームページ]）&lt;br /&gt;
*[http://www.jmca.net/booky/watanabe/027.html ｢岸信介」]（[http://www.jmca.net/booky/watanabe/100top.html 渡部昇一の「百人の指導者たち」]）&lt;br /&gt;
*[http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/kensei/kishinobusuke.html 岸信介関係文書（寄託） | 国立国会図書館]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 上を2行あける--&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[石橋湛山]]&lt;br /&gt;
| years  = 第56・57代：1957年 - 1960年&lt;br /&gt;
| after  = [[池田勇人]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[内閣総理大臣臨時代理]]&lt;br /&gt;
| before = ー&lt;br /&gt;
| years  = 1957年&lt;br /&gt;
| after  = [[伊東正義]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[外務大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[重光葵]]&lt;br /&gt;
| years  = 第86・87代：1956年 - 1957年&lt;br /&gt;
| after  = [[藤山愛一郎]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[商工大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[左近司政三]]&lt;br /&gt;
| years  = 第24代：1941年 - 1943年&lt;br /&gt;
| after  = [[東條英機]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
| before = [[石橋湛山]]&lt;br /&gt;
| years  = 第3代 : 1957年 - 1960年&lt;br /&gt;
| after  = [[池田勇人]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1955年 - 1956年&lt;br /&gt;
| after  = [[三木武夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本国歴代内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|当代=[[第1次岸内閣|56]]･[[第2次岸内閣|57]]&lt;br /&gt;
|在任期間=1957年 - 1960年&lt;br /&gt;
|前代=55&lt;br /&gt;
|前首相名=石橋湛山&lt;br /&gt;
|次代=58&lt;br /&gt;
|次首相名=池田勇人}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{外務大臣}}&lt;br /&gt;
{{自民幹事長}}&lt;br /&gt;
{{自由民主党 (日本)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きし のふすけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の官僚 (農商務省・商工省)]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員 (帝国議会)]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:官僚出身の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:ファシズム]]&lt;br /&gt;
[[Category:太平洋戦争の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:満州国の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:A級戦犯容疑者]]&lt;br /&gt;
[[Category:冷戦に関わった人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:田布施町]]&lt;br /&gt;
[[Category:1896年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1987年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B&amp;diff=332205</id>
		<title>岸信介</title>
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				<updated>2017-01-13T03:03:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{日本の内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|[[第1次岸内閣|56]]・[[第2次岸内閣|57]]&lt;br /&gt;
|岸 信介&amp;lt;br/&amp;gt;（きし のぶすけ）&amp;lt;br/&amp;gt;[[画像:Nobusuke Kishi 1956.jpg|200px]]&lt;br /&gt;
|[[1896年]][[11月13日]]&lt;br /&gt;
|[[山口県]]吉敷郡山口町&amp;lt;br/&amp;gt;（現在の[[山口市]]）&lt;br /&gt;
|[[東京大学|東京帝国大学]]&lt;br /&gt;
|[[正二位]][[大勲位]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[法学士]]&lt;br /&gt;
|[[衆議院議員]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[自由民主党幹事長]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[外務大臣]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
|[[#家族・親族|家族・親族]]参照&lt;br /&gt;
|[[1957年]][[2月25日]]|[[1960年]][[7月19日]]&lt;br /&gt;
|旧山口2区&lt;br /&gt;
|衆10回&lt;br /&gt;
|[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]&lt;br /&gt;
|[[1987年]][[8月7日]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''岸 信介'''（きし のぶすけ、[[1896年]][[11月13日]] - [[1987年]][[8月7日]]）は、[[日本]]の[[農商務省 (日本)|農商務]][[官僚]]、[[政治家]]。第56、57代[[内閣総理大臣]]。[[位階|正二位]][[大勲位]]。旧姓・佐藤。第61、62、63代内閣総理大臣[[佐藤栄作]]の実兄。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 青年期まで ===&lt;br /&gt;
[[山口県]][[吉敷郡]]山口町八軒家（現在の[[山口市]]）に、山口県庁[[官吏]]であった佐藤秀助と茂世（もよ）夫妻の第5子（次男）として生まれる（[[本籍地]]は[[熊毛郡 (山口県)|熊毛郡]][[田布施町]]）。信介が生まれた時、曽祖父の[[佐藤信寛]]もちょうど山口に来ており、早速“名付親になる”といって自分の名前の一字を取って｢信介｣という名が付けられた。数え年3歳になった頃、一家は田布施に帰郷し、[[造り酒屋]]を営む。佐藤家には酒造の権利が昔からあった。その権利は他家に貸していたものだったが母茂世（もよ）が分家するに当たって酒造の権利を取り戻して茂世（もよ）に与えられていた。秀助、茂世（もよ）夫妻は、本家のある田縫のすぐそばの岸田で酒造りに従事した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学3年の時、婿養子だった父の実家・岸家の養子となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡山県立岡山朝日高等学校|旧制岡山中学]]に学んだが、2年生になったばかりの頃、叔父の松介が[[肺炎]]に依り急逝したため山口に戻り、旧制山口中学（戦後の[[山口県立山口高等学校]]）に転校。岡山中学では10番前後だったが山口中学では首席だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1914年]]、山口中学を卒業。間もなく上京して、高等学校受験準備のため[[予備校]]に通ったが、勉強より遊び癖の方がつきやすく、受験勉強そっちのけでしばしば映画や芝居を見に行ったりした。このため[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]の入学試験の成績は最下位から2、3番目だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高等学校から大学にかけての秀才ぶりは様々に語り継がれ、同窓で親友であった[[我妻栄]]、[[三輪寿壮]]とは常に成績を争った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1917年]]、[[東京大学|東京帝国大学]]に入学。大学の入学試験は[[ドイツ語]]の筆記試験だけで、難なく合格した。大学時代は精力を[[法律]]の勉強に集中し、ノートと参考書のほか一般の読書は雑誌や小説を読む程度で、一高時代のように旺盛な多読濫読主義ではなく、遊びまわることもほとんどなかった。他の高校からやってきた者たちは俊英ぶりに驚かされたという。このころ岸を魅了していたのは[[北一輝]]の存在であった。中込に北を訪ねている。のちに岸は北について「大学時代に私に最も深い印象を与えた一人」と認め、「おそらくは、のちに輩出した[[右翼]]の連中とはその人物識見においてとうてい同日に論じることはできない」と語っている。[[1920年]]7月に[[東京大学|東京帝国大学]][[法学部]]法律学科（[[ドイツ|独]]法）を卒業。憲法学の[[上杉慎吉]]から大学に残ることを強く求められ、我妻もそれを勧めるが岸は[[農商務省 (日本)|農商務省]]に入省した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 農商務省時代〜満州国時代 ===&lt;br /&gt;
農商務省へ入ると、当時商務局商事課長だった同郷の先輩、[[伊藤文吉 (官僚)|伊藤文吉]]（元首相[[伊藤博文]]の養子）から「外国貿易に関する調査の事務を嘱託し月手当45円を給す」という辞令をもらった。同期には[[平岡梓]]（作家・[[三島由紀夫]]の父）、[[三浦一雄]]、[[吉田清二]]などがいたが、入って間もなく、岸は同期生およそ20名のリーダー格となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1925年]]に農商務省が[[商工省]]と[[農林省]]に分割されると商工省に配属され、[[1933年]]2月に商工大臣官房文書課長、[[1935年]]4月には商工省工務局長に就任。[[1936年]]10月に[[満州国国務院]]実業部総務司長に就任して渡満。[[1937年]]7月には産業部次長、[[1939年]]3月には[[総務庁 (満州国)| 総務庁]]次長に就任。この間に[[計画経済]]・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した[[星野直樹]]らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、[[関東軍]]参謀長であった[[東條英機]]や、[[日産コンツェルン]]の総帥[[鮎川義介]]、里見機関の[[里見甫]]の他、[[椎名悦三郎]]、[[大平正芳]]、[[伊東正義]]、[[十河信二]]らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「[[弐キ参スケ]]」の1人に数えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東條内閣の閣僚時代 ===&lt;br /&gt;
[[Image:cabinet of Hideki Tojo.jpg|right|thumb|250px|東條内閣の閣僚の中の岸信介（中央の東條英機の左後ろの人物）]]&lt;br /&gt;
[[伍堂卓雄]][[商工大臣]]が当時の商工次官だった[[村瀬直養]]の反対を押し切って岸の次官起用を決定し、[[1939年]]10月に帰国して商工次官に就任する。その後、商工大臣に座った[[小林一三]]と対立、直後に発生した[[企画院事件]]の責任を取り辞任する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1941年]]10月に発足した[[東條内閣]]に[[商工大臣]]として入閣。[[太平洋戦争]]中の物資動員の全てを扱った。[[1942年]]の[[第21回衆議院議員総選挙]]で当選し、[[政治家]]としての一歩を踏み出した。[[1943年]]、戦局悪化への対応として[[商工省]]が廃止され[[軍需省]]へと改組。軍需大臣は東條首相の兼務となり、岸は軍需[[次官]]（無任所[[国務大臣|国務相]]兼務）に就任。半ば降格に近い処遇により、東條との関係に溝が生じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1944年]][[7月22日]]には[[サイパン島]]が陥落し、日本軍の敗色が濃厚となった。宮中の重臣間では、[[木戸幸一]]内大臣を中心に早期和平を望む声が上がり、木戸と[[岡田啓介]]予備役海軍大将、[[米内光政]]海軍大将らを中心に、東條内閣の[[倒閣]]工作が密かに進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月13日]]には、難局打開のため内閣改造の意向を示した東條に対し木戸は、東條自身の[[陸軍大臣]]と[[参謀本部 (日本)|参謀総長]]の兼任を解くこと、[[嶋田繁太郎]]海軍大臣の更迭と重臣の入閣を求めた。東條は木戸の要求を受け入れ、内閣改造に着手しようとしたが、すでに岡田と気脈を通じていた岸が、閣僚辞任を拒否し内閣総辞職を要求する。東條側近の[[四方諒二]]（しかた りょうじ）東京憲兵隊長が岸宅に押しかけ恫喝するも、「黙れ、兵隊」と逆に四方を一喝して追い返した。この動きと並行して木戸と申し合わせていた重臣らも入閣要請を拒否。東條は内閣改造を断念し、7月18日に[[内閣総辞職]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1945}}年[[3月11日]]、岸は[[翼賛政治会]]から衣替えした親東條の[[大日本政治会]]には加わらず、反東條の[[護国同志会]]を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦犯容疑者から復権まで ===&lt;br /&gt;
[[Image:Kishi and Sato.jpg|thumb|175px|巣鴨プリズンから釈放直後&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&amp;lt;small&amp;gt;官房長官だった実弟の佐藤榮作と共に、長官官邸にて（1948年12月24日）&amp;lt;/small&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
[[1945年]][[8月15日]]に[[太平洋戦争]]が終結した後、故郷の山口市に帰郷していた所を[[A級戦犯]][[容疑者]]として逮捕された。[[東京都|東京]]の[[巣鴨拘置所]]に収監されたが、[[冷戦]]の激化に伴い[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の対日政策が大きく転換（[[逆コース]]）。日本を「[[共産主義]]に対する防波堤」と位置づけ、旧体制側の人物を復権させたため、戦犯不起訴となる。東條ら7名の処刑の翌日の[[1948年]]12月24日に釈放、[[公職追放]]となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1952年]]公職追放解除となり、4月に「自主憲法制定」、「自主軍備確立」、「自主外交展開」を[[スローガン]]に掲げ、[[日本再建連盟]]を設立、会長に就任した。[[1953年]]、日本再建連盟の選挙大敗により[[日本社会党]]に入党しようと[[三輪寿壮]]に働きかけるも党内の反対が激しく入党はできず、[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]に入党、公認候補として衆議院選挙に当選したが、{{和暦|1954}}に[[吉田茂]]首相の「軽武装、対米協調」路線に反発したため自由党を除名された。11月に[[鳩山一郎]]と共に[[日本民主党]]を結成し幹事長に就任。かねて[[二大政党制]]を標榜していた岸は、鳩山一郎や[[三木武吉]]らと共に、自由党と民主党の[[保守合同]]を主導、{{和暦|1955}}に新たに結成された[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の初代[[自由民主党幹事長|幹事長]]に就任した。同年には左右両派に分裂していた[[日本社会党]]が再び合同し「[[55年体制]]」が始まる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岸内閣誕生 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Kisi.cv56.jpg|right|thumb|250px|石橋退陣を受け、1957年2月25日に成立した第一次岸内閣。国会会期中であったため、[[石井光次郎]]（前列左）を[[副総理]]に加えた他は全閣僚が留任した]]&lt;br /&gt;
[[1956年]]12月14日、自民党総裁に立候補するが7票差で[[石橋湛山]]に敗れた（岸251票、石橋258票）が、[[外務大臣]]として[[石橋内閣]]に入閣した。2か月後に石橋が[[脳軟化症]]に倒れ、[[内閣総理大臣臨時代理|首相臨時代理]]を務めた。巣鴨プリズンに一緒にいた[[児玉誉士夫]]の金と影響力を背景に石橋により後継首班に指名された。国会の首班指名時において自民党総裁以外の自民党議員が指名された形となった（首相就任の1ヵ月後の3月21日に自民党総裁に就任）。石橋内閣を引き継ぐ形で、前内閣の全閣僚を留任、外相兼任のまま第56代[[内閣総理大臣]]に就任した。就任記者会見では「[[汚職]]、[[貧乏]]、[[暴力]]の三悪を追放したい。」と抱負を述べ、三悪追放が流行語にまでなった。また石橋内閣が提唱していた1千億減税も就任直後に実施している。{{和暦|1958}}[[4月25日]]に[[衆議院解散|衆議院を解散]]。5月22日の[[第28回衆議院議員総選挙|総選挙]]で勝利し（自民党は[[絶対安定多数]]となる287議席を獲得）、[[6月12日]]に第57代内閣総理大臣に就任し、[[第2次岸内閣]]が発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1958年に日米安全保障条約改定にあたり、米側は『[[在日米軍裁判権放棄密約事件]]』で露見した裁判権放棄を公的に表明するよう要求したが、岸は国内の反発を恐れ認めなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の岸内閣は、[[警察官職務執行法]]（警職法）の改正案を出したが、「デートもできない警職法」と揶揄され、[[日本社会党|社会党]]や[[総評]]を初めとして反対運動が高まり、撤回に追い込まれた。また、[[日本教職員組合]]（日教組）との政治闘争においては、封じ込め策として教職員への[[勤務評定]]の導入を強行した（これに反発する教職員により「勤評闘争」が起こった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この他、[[最低賃金]]制や[[国民年金]]制度など[[社会保障制度]]を導入し、後の[[高度経済成長]]の礎を構築した。また、鳩山とともに[[復古的改憲論]]を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 六十年安保騒動 ===&lt;br /&gt;
[[Image:岸信介3.jpg|300px|thumb|岸 信介]]&lt;br /&gt;
岸の総理大臣在任中の最大の事項は、[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安全保障条約・新条約]]の調印・批准と、それを巡る[[安保闘争]]である。{{和暦|1960}}1月に全権団を率いて訪米した岸は、[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]と会談し、新安保条約の調印と同大統領の訪日で合意した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新条約の承認をめぐる国会審議は、安保廃棄を掲げる社会党の抵抗により紛糾。5月19日には[[日本社会党]]議員を国会会議場に入れないようにして新条約案を強行採決するが、国会外での安保闘争も次第に激化の一途をたどった。警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、[[児玉誉士夫]]を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の[[橋本登美三郎]]を使者に立て、暗黒街の親分衆（＝[[暴力団]]組長）の会合に派遣。[[錦政会]]会長[[稲川角二]]、[[住吉会]]会長[[磧上義光]]や[[的屋|テキヤ]]大連合のリーダーで[[関東尾津組]]組長・[[尾津喜之助]]ら全員が手を貸すことに合意。さらに3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請。ひとつは岸自身が1958年に組織した[[木村篤太郎]]率いる[[新日本協議会]]、[[右翼]]の連合体である[[全日本愛国者団体会議]]、戦時中の超[[国家主義]]者もいる[[日本郷友会]]である。「[[博徒]]、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8千人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。彼らは政府提供の[[ヘリコプター]]、[[セスナ]]機、[[貨物自動車|トラック]]、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円（約230万ドル）の『活動資金』が支給されていた」（『ファーイースタン・エコノミック・レビュー』）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
連日デモ隊に包囲され、[[6月10日]]には大統領来日の準備をするために来日した特使、[[ジェイムズ・ハガティ]]新聞係秘書（[[ホワイトハウス報道官]]）が羽田で群衆に包囲されてヘリコプターで救出され避難する騒ぎになった。[[6月15日]]には、ヤクザと右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの重傷者を出し、国会構内では警官隊との衝突により、デモに参加していた[[東京大学]]学生[[樺美智子]]の死亡事件が発生した。こうした政府の強硬な姿勢を受けて、反安保闘争は次第に反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。岸は、「国会周辺は騒がしいが、[[銀座]]や[[後楽園球場]]はいつも通りである。''私には“声なき声”が聞こえる''」（[[サイレント・マジョリティ]]発言）と沈静化を図るが、[[東久邇宮稔彦王|東久邇]]・[[片山哲|片山]]・石橋の3人の元首相が岸に退陣勧告をするに及んで事態は更に深刻化し、遂にはアイゼンハワーの訪日を中止せざるを得ない状況となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月15日]]と18日には、岸から[[自衛隊]]の[[治安出動]]を打診された[[防衛庁長官]]・[[赤城宗徳]]が拒否。安保反対のデモが続く中、一時は[[首相官邸]]で実弟の[[佐藤栄作]]と死を覚悟する所まで追いつめられたが、6月18日深夜、条約の自然成立。6月21日には[[批准]]、[[昭和天皇]]が調印した。「私のやったことは歴史が判断してくれる」の一言を残し、新安保条約の批准書交換の日の[[6月23日]]、混乱の責任を取る形で岸内閣は総辞職した。その言葉通り岸の成し遂げた功績は現代では高く評価する声が多い（安保闘争を起こした全学連世代の学生のほとんどが日米安保の内容すら知らずに暴動を起こしており、安保改正の内容自体は紛れもなく日本側にとって完全に有利なものであった）。文芸評論家の[[福田和也]]などが「本物の責任感と国家戦略を持った戦後唯一の総理」として高く評価している。辞任直前には暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日韓国交回復 ===&lt;br /&gt;
岸は首相退陣後も政界に強い影響力を保持し、日韓国交回復にも強く関与した。時の韓国大統領[[朴正煕]]もまた[[満州国軍]]将校として満州国と関わりを持ったことがあり、岸信介・[[椎名悦三郎]]・[[瀬島龍三]]・[[笹川良一]]・[[児玉誉士夫]]らとは満州人脈が形成される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日韓国交回復後、岸・椎名・瀬島らと[[日韓協力委員会]]を組織する。また日韓の[[反共主義|反共]]政策を推進する過程で「[[世界基督教統一神霊協会|統一協会]]」とも{{和暦|1973}}より親交を持ち「[[国際勝共連合]]」結成に協力、[[1984年]]に関連団体「世界言論人会議」開催の議長を務めた際、米国で脱税容疑により投獄されていた教祖[[文鮮明]]の釈放を求める意見書を[[ロナルド・レーガン|レーガン]]大統領（当時）を連名で送るなど、同教団が政界へ影響力を広げるにあたって重要な役割を果たしたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中華民国・蒋介石との関係 ===&lt;br /&gt;
岸は[[中華民国]]の[[蒋介石]]総統とは勝共連合の設立（1954年）を通じて親密であり、1957年首相就任3ヵ月後には台湾を訪問、蒋介石と会談し日華協力委員会を作った。また日本で活動する反蒋介石・[[台湾独立運動|台湾独立運動家]]の強制送還も、胸三寸で決められるほどの影響力を行使した。その蒋介石死後も岸は「[[蒋介石総統遺徳顕彰会]]」の中心として日本各地に蒋介石を讃える石碑を建立する活動を行った。[[古沢襄]]は、岸の名刺を示すだけで蒋介石や息子の[[蒋経国]]に面会できたと語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 晩年 ===&lt;br /&gt;
政財界に幅広い人脈を持ち、愛弟子の[[福田赳夫]]と[[田中角栄]]による自民党内の主導権争い（[[角福戦争]]）が勃発した際も、福田の後見人として存在感を示した。[[1969年]]の[[第32回衆議院議員総選挙]]では、側近の1人[[今松治郎]]の秘書だった[[森喜朗]]が自民党の公認得られず無所属新人として[[石川県第1区_(中選挙区)|旧石川1区]]で出馬する際、岸の秘書[[中村長芳]]に岸の応援を懇願してきた森の要望を快諾し、岸の応援で陣営に勢いがつき初当選果たした森は生涯恩義を忘れていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年]]7月、[[第3次佐藤内閣改造内閣]]が倒れた後、憲法改正を目指し密かに政権復帰を狙った。自民党総裁選挙で福田赳夫が田中角栄に完敗したことで、大変落胆した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1979年]][[10月7日]]の[[衆議院解散]]を機に、派閥を福田に、地盤を[[吹田あきら]]に譲り、政界引退。[[国際連合]]から「国連の人口活動の理想を深く理解し、推進のためにたゆまぬ努力をされた」と評価された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
晩年は[[御殿場市|御殿場]]の別邸で悠々自適の生活を送る一方、保守論壇の大立者として、[[自主憲法論|自主憲法]]制定などに関し積極的な発言を続けた。これは[[女婿]][[安倍晋太郎]]、[[外孫]][[安倍晋三]]など後世に大きな影響を与え、自民党[[清和政策研究会]]の基本政策となって現在まで受け継がれている。{{和暦|1976}}10月には“民主主義・自由主義体制を尊重しつつ、政党・派閥を超えて、国家的課題を検討・推進する”[[政治団体]]「時代を刷新する会」を設立。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死ぬまで自民党内で影響力は衰えを見せず、事実上の安倍派（福田派）の[[元老]]であり、[[フィクサー]]、[[黒幕]]とも呼ばれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略年譜 ==&lt;br /&gt;
*1896年]]11月13日、[[山口県]][[吉敷郡]]山口町八軒家（現在の[[山口市]]）に生まれる。&lt;br /&gt;
**[[本籍地]]は山口県[[熊毛郡 (山口県)|熊毛郡]][[田布施町]]。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1919}}11月、岸良子と[[結婚]]する&lt;br /&gt;
*{{和暦|1920}}7月、[[東京大学|東京帝国大学]][[法学部]]法律学科（独法）を卒業。外国貿易に関する事項の調査を嘱託。9月、外国貿易に関する事項の調査嘱託を解かれ任[[農商務省 (日本)|農商務]]属、商務局勤務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1921}}5月 - 任農商務事務官、叙高等官七等商務局勤務、監理課勤務、叙従七位。11月、長男[[岸信和|信和]]誕生&lt;br /&gt;
**{{和暦|1922}}7月、兼任農商務参事官、叙高等官七等、農商務事務官として山林局勤務、大臣官房文書課勤務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1923}}5月、鉱山局勤務、陞叙高等官六等。10月、叙正七位&lt;br /&gt;
*{{和暦|1924}}12月、水産局勤務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1925}}3月、大臣官房文書課兼務を免ぜらる、農林事務官。4月、任特許局事務官兼商工書記官、叙高等官六等、大臣官房文書課勤務（兼）。7月、叙高等官五等。8月、叙従六位&lt;br /&gt;
*{{和暦|1926t}}2月、商務局兼務。4月、[[欧米]]各国へ出張。5月、[[アメリカ合衆国|米国]]に於ける製鉄事業の企業、組織及[[インド|印度]]に於ける製鉄事業の情況並[[イギリス|英]]本国との斯業関係調査を嘱託&lt;br /&gt;
*{{和暦|1927}}4月、帰朝。7月、陞叙高等官四等。9月、叙正六位&lt;br /&gt;
*{{和暦|1928}}6月、長女洋子生る。11月、昭和三年勅令第百八十八号旨に依り大礼記念章を授与さる&lt;br /&gt;
*{{和暦|1929}}4月、木戸大臣官房文書課長海外出張中代理、商工審議会幹事被仰付。8月、陞叙高等官三等。9月、叙従五位。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1930}}5月、工務局兼務、欧州各国へ出張。6月、任臨時産業合理局事務官兼特許局事務官兼商工書記官、叙高等官三等、臨時産業合理局第一部勤務。12月、臨時産業合理局第二部兼務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1932}}1月、任商工書記官兼臨時産業合理局事務官叙高等官三等、工務局工政課長、臨時産業合理局第一部勤務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1933}}2月、兼任外務書記官（〜1934年3月）、通商局勤務。12月、大臣官房文書課長、工務局工政課長兼務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1934}}1月、大臣官房統計課長兼務、統計主任、工務局工務課長兼務。4月、叙勲五等授瑞宝章、従軍記章を授与さる。9月、叙正五位&lt;br /&gt;
*{{和暦|1935}}1月、[[対満事務局]]事務官被仰付。3月、第六十七回帝国議会商工省所管事務政府委員被仰付。4月、商工省工務局長心得、臨時産業合理局第二部長、叙高等官二等、臨時産業合理局第二部長、任臨時産業合理局事務官兼商工省工務局長&lt;br /&gt;
*{{和暦|1936}}4月、任商工省工務局長兼臨時産業合理局事務官、臨時産業合理局第二部長。10月、満州重工実業部次長として渡満&lt;br /&gt;
*{{和暦|1937}}7月、産業部次長　満州開発五ヶ年計画の立案など経済政策に辣腕&lt;br /&gt;
*{{和暦|1939}}10月、商工省へ復帰、任商工次官、叙高等官二等&lt;br /&gt;
*{{和暦|1941}}10月、東条内閣で商工大臣&lt;br /&gt;
*{{和暦|1942}}4月、衆議院議員（〜1943年10月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1943}}10月、任国務大臣、商工次官兼任、叙高等官一等。11月、国務相、軍需次官（〜1944年7月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1945}}9月、戦犯容疑者として[[巣鴨拘置所]]入所（〜1948年12月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1950}}3月、東洋パルプ会長（〜1953年1月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1953}}3月、[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]入党 4月 - 衆議院議員（〜1979年9月） 12月　-　憲法調査会会長&lt;br /&gt;
*{{和暦|1954}}11月、自由党を除名、[[日本民主党]]幹事長&lt;br /&gt;
*{{和暦|1955}}11月、自由民主党幹事長&lt;br /&gt;
*{{和暦|1956}}12月、石橋内閣で外務大臣（〜1957年2月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1957}}2月、内閣総理大臣（〜1960年7月）。3月、自由民主党大会開催、総裁に当選&lt;br /&gt;
*{{和暦|1979}}10月、政界引退、日本人初の[[国連平和賞]]受賞。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1987}}8月7日、死去、{{没年齢|1896|11|13|1987|8|7}}。&lt;br /&gt;
:[[墓]]は[[山口県]][[田布施町]]及び[[静岡県]][[御殿場市]]の[[冨士霊園]]にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== メモ ==&lt;br /&gt;
*岸は自伝の中で「佐藤家は貧乏でこそあれ[[家柄]]としては断然飛び離れた[[長州藩|旧藩]]時代からの[[士族]]で、ことに曽祖父・[[佐藤信寛|信寛]]の威光がまだ輝いていた。また、叔父、叔母、兄、姉など、いずれも中学校や女学校などに入学し、いわゆる学問をするほとんど唯一の家柄だったのである。」、「佐藤の子供だというので、自然に一目も二目も置いて付き合われたので、好い気になって威張っていた傾きもあった」と述べている。子供たちの教育はすべて母・茂世の手で行われ、[[スパルタ]]式の教育で信介ら兄弟が泣いたりして家へ帰ろうものなら叱りつけて家の中に入れなかったという。また、佐藤家の家運が傾き貧乏になった時も「ウチは[[県令]]と[[士族]]の[[家柄]]ですからね!」と頑として挫けず、対外的な意地を張り通したという（武士は食わねど高楊枝）。&lt;br /&gt;
*[[東京都]][[渋谷区]]南平台（地区は[[松涛]]）の岸邸隣に[[世界基督教統一神霊協会]]（統一教会）があり、岸も、統一教会本部やその関連団体「[[国際勝共連合]]」本部に足を運んだ。日本での「国際勝共連合」の設立の際に[[児玉誉士夫]]、[[笹川良一]]と共に協力した。&lt;br /&gt;
*[[1974年]]（昭和49年）5月7日、東京の[[帝国ホテル]]で開かれた、統一教会の教祖[[文鮮明]]の講演会「希望の日晩餐会」の名誉実行委員長となった。&lt;br /&gt;
*戦後政治史上において[[吉田茂]]とは鋭く対立したが、安保改定に当たっては、同条約締結時首相の任にあった吉田に敬意を表し、[[神奈川県]]の[[大磯町]]の別荘に隠棲していた吉田の元に度々足を運び、吉田もその都度丁重な礼状をしたため、家人をもって岸邸に届けさせたという。&lt;br /&gt;
*旧[[満州国]]官僚時代、軍・財界の実力者[[東條英機]]、[[星野直樹]]、[[鮎川義介]]、[[松岡洋右]]らと共に、満州の「[[弐キ参スケ]]」、長州出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。晩年も政財界に隠然たる影響力を有した事から、「昭和の妖怪」（元々は[[西園寺公望]]の綽名）などと称された。&lt;br /&gt;
*『[[週刊文春]]』2007年10月4日号に、岸が[[中央情報局]]（CIA）から資金提供を受けていたという記事が掲載された。筆者は[[ニューヨーク・タイムス]]記者のティム・ワイナー。文春では『LEGACY of ASHES The History of the CIA』の紹介がなされている。翌年に文藝春秋で邦訳『CIA秘録』が出版された。&lt;br /&gt;
*岸は[[内閣総理大臣]]として3度、通常国会で[[施政方針演説]]を行ったが、{{和暦|1957}}の[[石橋湛山内閣]]時に[[内閣総理大臣臨時代理]]として石橋総理大臣の代役で施政方針演説を行っている。日本政治史上、内閣総理大臣以外の人物が施政方針演説を行った唯一の例である。&lt;br /&gt;
*晩年は福田派のプリンスとなっていた娘婿の安倍晋太郎を総理にすることに執念を燃やし、「岸の安倍狂い」と言われた。&lt;br /&gt;
*血液型O。&lt;br /&gt;
*首相在任中は[[自虐史観]]に否定的だったが、政界引退後の最晩年のインタビューでは「まあ[[大東亜戦争]]は侵略か進出かといえば結果的には[[侵略]]でしょうな」と述べた事がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 栄典 ==&lt;br /&gt;
*[[1967年]]4月29日：[[勲一等旭日桐花大綬章]]&lt;br /&gt;
*[[1987年]]8月7日：[[大勲位菊花大綬章]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
; 実家（佐藤家）&lt;br /&gt;
*曾祖父 [[佐藤信寛|信寛]]（[[長州藩]][[武士|士]]、島根県令）- 佐藤家第10代当主&amp;lt;ref&amp;gt;吉本重義著『岸信介傳』21頁に｢この曽祖父は、佐藤家の歴史においては最も傑出した人であった。もっとも、その[[叔父]]の[[坪井九右衛門|九右衛門]]は坪井家に養われて[[長井雅楽]]の一味として当時、藩政の要路にあり、非常な傑物だったといわれる。佐藤家に伝わる政治家的な性格は、この[[坪井九右衛門]]や、曾祖父の[[佐藤信寛|信寛]]によって最も顕著にあらわれた。｣とある。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*祖父 信彦（漢学者、県会議員）&lt;br /&gt;
*祖母 みね（[[徳山藩]]士・国広治左衛門娘）&lt;br /&gt;
*実父 秀助（山口県庁官吏、酒造業:田布施・岸要蔵三男）&lt;br /&gt;
*実母 モヨ（佐藤信彦長女）&lt;br /&gt;
*兄 [[佐藤市郎|市郎]]（軍人・海軍中将）&lt;br /&gt;
*弟 [[佐藤栄作|栄作]]（政治家・首相）&lt;br /&gt;
; 養家（岸家）&lt;br /&gt;
*養父・伯父・岳父 信政（山口県[[士族]]）&lt;br /&gt;
*従妹・妻 良子&lt;br /&gt;
; 自家&lt;br /&gt;
*従妹・妻:良子&lt;br /&gt;
*長男 [[岸信和|信和]]（妻・仲子は山口県議会議長を務めた[[田辺護]]の二女。田辺は[[日産コンツェルン]]創始者[[鮎川義介]]の[[従兄]]に当たる）&lt;br /&gt;
*長女 洋子（山口県、政治家[[安倍晋太郎]]に嫁する）&amp;lt;ref&amp;gt;歌手[[岸洋子]]の方は芸名であり[[同姓同名]]の別人である。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
; 他家&lt;br /&gt;
*外孫 [[安倍晋三]]（政治家・首相）、[[岸信夫]]（政治家:長男・信和の養子となって岸家を継いでいる）など&lt;br /&gt;
*その他の親戚：[[吉田茂]]（外交官､政治家・首相）、[[松岡洋右]]（[[満州鉄道]][[総裁]]・[[外務大臣]]）など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
; 岸家&lt;br /&gt;
: [[毛利元就]]が[[陶晴賢]]と[[厳島]]沖で戦って大勝を収めた際､寝返って毛利方についた船の調達人が“ガン”と称する[[帰化人]]であったという。毛利はその功績によって“ガン”を[[田布施町|田布施]]周辺の[[代官]]に召し立てた。この“ガン”を岸家の先祖とする説がある&amp;lt;ref&amp;gt;『忍魁･佐藤栄作研究』 58-59頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 佐藤家（[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sato_sin.html 佐藤氏系譜（武家家伝）]）&lt;br /&gt;
: 佐藤家の祖先について、確証はないが、遠祖は[[源義経]]の家臣[[佐藤忠信]]であるという口伝がある。確認できる佐藤家の初代は市郎右衛門信久といい、寛文2年（[[1662年]]）頃から[[萩藩]]の[[武士|士]]となり、扶持方2人・米2石4斗を受けた。下級[[武士]]であり、この待遇はその後もあまり変わらない。役によって4石5斗あるいは6石に加増されたこともある。代々、市郎右衛門あるいは源右衛門を名乗った。歴代佐藤家の当主の中で世に出たのは、まず4代目の源右衛門信早である。その功を認められて禄高を6石に加増されている。熊毛郡下田布施村の「宝暦検地絵図」などの文書も残した。7代目の佐藤嘉津馬は安永8年（[[1779年]]）12歳で病死する。佐藤家はこの7代まで現在の[[山口市]]南部にあたる大内町御堀の周辺に住んだ。7代目の嘉津馬夭折の後、佐藤家は[[萩]]に住む一族吉田八兵衛の3男菊三郎に別の親戚福田某の娘を嫁に迎え、夫婦養子とする。8代目市郎右衛門信孝であり、この信孝の時代から、佐藤家は田布施に移った。&lt;br /&gt;
: 曽祖父・[[佐藤信寛|寛作信寛]]は[[長州藩]]士として御蔵元本締役、大検使役等を歴任、長沼流兵学を修め、[[幕末]]期の思想家[[吉田松陰]]に兵要録を授けた。[[明治]]になると、[[島根県]]県令、浜田県権知事等の要職に就いた。&lt;br /&gt;
: 祖父・信彦は山口県議会議員を2期務め、優れた漢学者でもあった。父・秀助は山口県庁に奉職し、勤めを辞めてからは酒造業を始めた。佐藤家の家紋は“源氏車”である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏昭和天皇━━━━━━━━━今上天皇&lt;br /&gt;
　　　　明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┏彬子女王 &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　麻生太賀吉　　┃　　　　　┗瑶子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┏信子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┗麻生太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏和子　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田茂━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗桜子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田祥朔　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━吉田寛&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏さわ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┏寛子（栄作夫人）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤松介━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┗正子&lt;br /&gt;
佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃（池上）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤作造　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗茂世　　　　　安倍晋太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━┳佐藤市郎　　┣━━安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　┃　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（佐藤）┃　┃（岸）　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助　┣佐藤信介━━洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　岸要蔵━━┫　　　　┗佐藤栄作━┳佐藤龍太郎━━佐藤栄治&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┗佐藤信二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━━良子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（信介夫人）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　吉田茂━━桜子　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　（元首相）　　　┃　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　吉田祥朔　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┣━━━吉田寛&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┏さわ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┣佐藤寛造&lt;br /&gt;
佐藤信寛━━佐藤信彦━┫　　　　　（栄作夫人）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┣佐藤松介━━寛子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┗茂世　┏佐藤市郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　┃　　　　　　┏岸信和&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┣━━╋岸信介━━━┫　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　┃（元首相①）┗洋子　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　┃　　　　　　　　┃　　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　┏岸秀助　┗佐藤栄作　　　　┃　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　岸要蔵━━┫　　　　　　（元首相）　　┣━━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　┗岸信政━良子　　　　　　　┃　　　┃（前首相）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　安倍寛━━安倍晋太郎　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（岸信和養子）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　┏井上馨&lt;br /&gt;
　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　┗つね　　鮎川弥八━━鮎川義介&lt;br /&gt;
　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　┃　　　┏なか&lt;br /&gt;
　　　　　　小沢正路━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗辰&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　田辺誠民━━田辺譲━━━仲子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┏岸信政━━良子　　　　　┣……岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　岸要蔵━━┫　　　　　　┣━━━┳岸信和　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┃　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　┗岸秀助━━岸信介　　┗洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　①&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 資料館・旧宅 ==&lt;br /&gt;
;岸信介・佐藤栄作兄弟宰相の遺品展示室（田布施町郷土館）&lt;br /&gt;
:岸信介、佐藤栄作兄弟の出身地、[[田布施町]]郷土館内に設置。[[国連平和賞]]、[[ノーベル平和賞]]などの遺品や関連文書を展示し、両元首相を顕彰している。&lt;br /&gt;
:*所在地：〒742-1511　山口県熊毛郡[[田布施町]]大字下田布施875番地6&lt;br /&gt;
:*電話：0820（52）2620&lt;br /&gt;
:*FAX：0820（52）4904（田布施町教育委員会）&lt;br /&gt;
:*[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;WIT_oid=icityv2::Contents::1603 田布施町郷土館ホームページ]&lt;br /&gt;
;御殿場の旧岸信介邸&lt;br /&gt;
:所在地：静岡県[[御殿場市]]東山1082-1&lt;br /&gt;
:岸が晩年の17年間を過ごした[[静岡県]]の邸宅は、[[2003年]]（平成15年）に長女によって地元[[御殿場市]]へ建物が寄贈され、土地は御殿場市の[[特別地方公共団体#財産区|財産区]]が購入した。現在同市では、2年後の公開を目標に文化施設「[[御殿場東山ミュージアムパーク]]（仮称）」として整備を進めている。なお、御殿場市の市制50周年を記念して、[[2005年]]（平成17年）10月5日から10月10日まで一般公開された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連人物 ==&lt;br /&gt;
*[[美濃部洋次]]（満州国時代の同僚）&lt;br /&gt;
*[[甘粕正彦]]（満州国時代の同僚）&lt;br /&gt;
*[[中安閑一]]（山口中学時代からの親友）&lt;br /&gt;
*[[笹川良一]]（戦後、協力関係があった）&lt;br /&gt;
*[[北一輝]]（岸に思想的影響を与えたとされている）&lt;br /&gt;
*[[町村金五]]&lt;br /&gt;
*[[児玉誉士夫]]&lt;br /&gt;
*[[平岡梓]]（農商務省の同期官僚）&lt;br /&gt;
*[[我妻栄]]（東京帝国大学の同期）&lt;br /&gt;
*[[土井正治]]（東京帝国大学の同期）&lt;br /&gt;
*[[田路舜哉]]（東京帝国大学の同期）&lt;br /&gt;
*[[三好英之]]（政治家仲間）&lt;br /&gt;
*[[東條英機]]（東条内閣で岸は商工大臣を務めた）&lt;br /&gt;
*[[小林一三]]（経済政策で対立した実業家・商工大臣）&lt;br /&gt;
*[[石橋湛山]]（自民党総裁選でのライバル候補。石橋内閣で岸は副総理）&lt;br /&gt;
*[[椎名悦三郎]]（岸内閣での内閣官房長官）&lt;br /&gt;
*[[吹田あきら]]（地盤継承者）&lt;br /&gt;
*[[前原誠司]]（安倍晋三と93年衆院初当選同期で親しく、岸が使っていた議員会館の部屋の現住人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[士族]]&lt;br /&gt;
*[[佐藤氏]]&lt;br /&gt;
*[[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
*[[第1次岸内閣]]&lt;br /&gt;
*[[第1次岸内閣改造内閣]]&lt;br /&gt;
*[[第2次岸内閣]]&lt;br /&gt;
*[[第2次岸内閣改造内閣]]&lt;br /&gt;
*[[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
*[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約]]（新・安保条約）&lt;br /&gt;
*[[伊藤忠商事]]&lt;br /&gt;
*[[護国同志会]]&lt;br /&gt;
*[[弐キ参スケ]]&lt;br /&gt;
*[[満州人脈]]・[[朴正煕]]・[[児玉誉士夫]]&lt;br /&gt;
*[[世界基督教統一神霊協会]]・[[国際勝共連合]]・[[文鮮明]]&lt;br /&gt;
*[[TSK・CCCターミナルビル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
=== 著書 ===&lt;br /&gt;
*『現代法学全集(23) 保険業法・取引所法・税法・担保附社債信託法』（[[南正樹]]・[[星野直樹]]・[[栗栖赳夫]]共著、[[日本評論社]]、1928年）&lt;br /&gt;
*『日本戦時経済の進む途』（研進社、1942年）&lt;br /&gt;
*『岸信介の回想』（[[矢次一夫]]、[[伊藤隆 (歴史学者)|伊藤隆]]との鼎談、[[文藝春秋]]、1981年）&lt;br /&gt;
*『二十世紀のリーダーたち』（サンケイ出版、1982年）&lt;br /&gt;
*『岸信介回顧録――保守合同と安保改定』（廣済堂出版、1983年、ISBN 433150171X）&lt;br /&gt;
*『我が青春――生い立ちの記・思い出の記』（廣済堂出版、1983年、ISBN 4331501728）&lt;br /&gt;
**岸信介の後援会誌『風声』に昭和28年第2号から昭和31年第11号にわたって連載された「我が生い立ちの記」の全文から成るもの。&lt;br /&gt;
*『耐雪―岸信介幽窗の詩歌集』（[[山口県]]）[[田布施町]]郷土館 研究紀要別冊 2001年  &lt;br /&gt;
*『岸信介証言録』（[[原彬久]]編、毎日新聞社、2003年、ISBN 4620316229）&lt;br /&gt;
*『青年に望む』&lt;br /&gt;
*『日本の進路と安保条約』　自民党発行のブックレット&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 伝記研究 ===&lt;br /&gt;
*吉本重義 『岸信介傳』 東洋書館、[[1957年]]&lt;br /&gt;
*[[伊藤整]]「岸信介氏における人間の研究」『[[中央公論]]』1960年8月号 &lt;br /&gt;
*荒井荒雄『原理運動の謀略と自民党―岸信介原罪論』（青村出版社、1976年）&lt;br /&gt;
*[[岩川隆]] 『巨魁 岸信介研究』徳間文庫 1982年、[[ちくま文庫]] 2006年&lt;br /&gt;
*[[原彬久]] 『岸信介』 [[岩波新書]]、1995年&lt;br /&gt;
*[[塩田潮]] 『岸信介』 [[講談社]] 1996年、ワックブックス 2006年 &lt;br /&gt;
*[[岩見隆夫]]『昭和の妖怪 岸信介』（[[朝日ソノラマ]]、1994年／学陽書房・人物文庫、1999年）&lt;br /&gt;
*[[安倍洋子]]「父岸信介の素顔」『[[中央公論]]』1987年10月号、のち『わたしの安倍晋太郎 岸信介の娘として』 文春ネスコ 1992年&lt;br /&gt;
*[[中村長芳]]「岸信介に仕えた35年」『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』1987年10月号&lt;br /&gt;
*[[細川隆一郎]]『岸信介 日本宰相列伝.20』（[[時事通信社]]、1986年）&lt;br /&gt;
*岸信介伝記編纂委員会編 『人間岸信介 波瀾の九十年』（岸信介遺徳顕彰会、1989年）&lt;br /&gt;
*高橋正則 『昭和の巨魁 岸信介と日米関係通史』（[[三笠書房]]、2000年）     &lt;br /&gt;
*[[渡辺昭夫]]編『戦後日本の宰相たち』（[[中央公論社]]、1995年／[[中公文庫]]、2001年）ISBN 9784120024955&lt;br /&gt;
*[[坂元一哉]]『日米同盟の絆―安保条約と相互性の模索』（[[有斐閣]]、2000年）&lt;br /&gt;
*[[秦郁彦]]『日本近現代人物履歴事典』（東京大学出版会、2002年 180-181頁）&lt;br /&gt;
*神一行 『閨閥 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』 （[[角川書店]] 2002年 61-75頁）&lt;br /&gt;
*[[中村隆英]]・[[宮崎正康]]編『岸信介政権と高度経済成長』（[[東洋経済新報社]]、2003年）&lt;br /&gt;
*池田慎太郎『日米同盟の政治史―アリソン大使と「1955年体制」の成立』（国際書院、2004年）&lt;br /&gt;
*城下賢一「岸信介と保守合同（1・2）」『法学論叢』157巻3・5号（2005年）&lt;br /&gt;
*[[小林英夫 (経済学者)|小林英夫]] 『「昭和」をつくった男 石原莞爾、北一輝、そして岸信介』 ビジネス社 2006年 &lt;br /&gt;
*[[太田尚樹]] 『満州裏史－[[甘粕正彦]]と岸信介が背負ったもの』（講談社、2005年）&lt;br /&gt;
*[[春名幹男]] 『秘密のファイル―[[CIA]]の対日工作』（上下）（[[共同通信社]]、2000年／新潮文庫、2003年）&lt;br /&gt;
*ティム・ワイナー 『CIA秘録』（文藝春秋、上下 2008年）&lt;br /&gt;
*[[福田和也]] 『悪と徳と―岸信介と未完の日本』、『[[正論]]』2003年2月号より断続連載中&lt;br /&gt;
*[[マイケル・シャラー]] “America's Favorite War Criminal: Kishi Nobusuke and the Transformation of U.S.-Japan Relations”（[[日本政策研究所]]）、『「日米関係」とは何だったのか 占領期から冷戦終結後まで』（市川洋一訳、[[草思社]]、2004年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20061101A/ 「安倍首相の祖父・岸信介とは？」]（[[All About]]）&lt;br /&gt;
*[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;Cc=7d43160f3b3a10b 岸信介先生の生い立ちと主な功績] （[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;WIT_oid=icityv2::Contents::1758 西田布施公民館のホームページ]）&lt;br /&gt;
*[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;Cc=7d430b10031e351 岸信介・佐藤栄作両宰相　略年譜] （[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;WIT_oid=icityv2::Contents::1603 田布施町郷土館のホームページ]）&lt;br /&gt;
*[http://www.jmca.net/booky/watanabe/027.html ｢岸信介」]（[http://www.jmca.net/booky/watanabe/100top.html 渡部昇一の「百人の指導者たち」]）&lt;br /&gt;
*[http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/kensei/kishinobusuke.html 岸信介関係文書（寄託） | 国立国会図書館]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 上を2行あける--&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[石橋湛山]]&lt;br /&gt;
| years  = 第56・57代：1957年 - 1960年&lt;br /&gt;
| after  = [[池田勇人]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[内閣総理大臣臨時代理]]&lt;br /&gt;
| before = ー&lt;br /&gt;
| years  = 1957年&lt;br /&gt;
| after  = [[伊東正義]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[外務大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[重光葵]]&lt;br /&gt;
| years  = 第86・87代：1956年 - 1957年&lt;br /&gt;
| after  = [[藤山愛一郎]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[商工大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[左近司政三]]&lt;br /&gt;
| years  = 第24代：1941年 - 1943年&lt;br /&gt;
| after  = [[東條英機]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
| before = [[石橋湛山]]&lt;br /&gt;
| years  = 第3代 : 1957年 - 1960年&lt;br /&gt;
| after  = [[池田勇人]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1955年 - 1956年&lt;br /&gt;
| after  = [[三木武夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本国歴代内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|当代=[[第1次岸内閣|56]]･[[第2次岸内閣|57]]&lt;br /&gt;
|在任期間=1957年 - 1960年&lt;br /&gt;
|前代=55&lt;br /&gt;
|前首相名=石橋湛山&lt;br /&gt;
|次代=58&lt;br /&gt;
|次首相名=池田勇人}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{外務大臣}}&lt;br /&gt;
{{自民幹事長}}&lt;br /&gt;
{{自由民主党 (日本)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きし のふすけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の官僚 (農商務省・商工省)]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員 (帝国議会)]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:官僚出身の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:ファシズム]]&lt;br /&gt;
[[Category:太平洋戦争の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:満州国の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:A級戦犯容疑者]]&lt;br /&gt;
[[Category:冷戦に関わった人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:田布施町]]&lt;br /&gt;
[[Category:1896年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1987年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89&amp;diff=332204</id>
		<title>安倍晋三</title>
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				<updated>2017-01-13T03:02:15Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:Abe Bush Heiligendamm G8 2007 002 (cropped).jpg|200px|thumb|安倍 晋三]]&lt;br /&gt;
[[Image:安倍 晋三と西田昌司.jpg|350px|thumb|安倍晋三と[[西田昌司]]([[JK画像3|JK]]とともに2012年12月)]]&lt;br /&gt;
'''安倍 晋三'''（あべ しんぞう、[[1954年]]（[[昭和]]29年）[[9月21日]] - ）は、[[日本]]の政党専従活動家。[[衆議院|衆議院議員]]（7期）、[[内閣総理大臣]]（[[第1次安倍内閣|第90代]]、[[第2次安倍内閣|第96代]]）、[[自由民主党総裁]]（第21代、第25代）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[自由民主党幹事長]]（第37代）、[[内閣官房長官]]（[[第3次小泉改造内閣|第72代]]）、[[内閣官房副長官]]などを歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
親族に政治家が多く、父方の[[おじいさん|祖父]]の[[安倍寛]]（元衆議院議員）、母方の祖父の[[岸信介]]こと佐藤信介（第56・57代内閣総理大臣）、大叔父の[[佐藤栄作]]（第61 - 63代内閣総理大臣）、父の[[安倍晋太郎]]（元[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]）、弟の[[岸信夫]]（[[国会議員|参議院議員]]）などがいる。妻は[[森永製菓]]社長令嬢の[[安倍昭恵]]。&lt;br /&gt;
[[岸要蔵]]の[[インブリート]](4×4)を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学卒業後、[[神戸製鋼所]]社員、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]（当時は実父・晋太郎）[[秘書官]]を経て衆議院議員となる。[[内閣官房副長官]]、自由民主党幹事長、同幹事長代理、内閣官房長官等を歴任。2006年に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任。2007年9月26日に内閣総理大臣を退任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 出生 ===&lt;br /&gt;
[[1954年]][[9月21日]]、当時[[毎日新聞]]の[[記者]]だった[[安倍晋太郎]]とその[[妻]]、洋子の次男として[[東京]]で生まれる（[[本籍|本籍地]]は山口県大津郡油谷町（現・[[長門市]]）。 父方の祖父は衆議院議員の[[安倍寛]]（この時既に故人）、母方の祖父は後の首相・[[岸信介]]で、大[[おじ|叔父]]にはやはり後の[[首相]]・[[佐藤栄作]]がいる、[[政治家]]一族であった。安倍は「幼い頃から私には身近に[[政治]]がありました」と回想している。幼い頃は、[[野球選手]]や[[刑事]]になることに憧れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===学生時代===&lt;br /&gt;
[[成蹊学園]]を卒業。なお小学校から大学まで無試験のエスカレータ進学。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[小学校|小学]]4年生から5年生にかけての[[1964年]]から2年間[[平沢勝栄]]（後の衆議院議員、[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]で助言したと言われる）が[[家庭教師]]についていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[高等学校|高校]]で[[クラブ活動|クラブ]]は[[地理]]研究部に所属。高校卒業後、成蹊大学に進み[[行政学]]を学ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学では[[アーチェリー]]部に所属し、準レギュラーだった。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという。[[1977年]]春に渡米し、[[カリフォルニア州]][[ヘイワード (カリフォルニア州)|ヘイワード]]の英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後[[イタリア系アメリカ人]]の家に下宿しながら[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の語学学校に通った。秋に[[南カリフォルニア大学]]への入学許可が出され[[1978年]]に入学。[[政治学]]を専攻し春・夏・秋学期を履修した後、[[1979年]]に[[退学|中退]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===サラリーマン時代===&lt;br /&gt;
[[1979年]]4月に帰国し、[[神戸製鋼所|神戸製鋼]]に入社した。[[ニューヨーク]]事務所、[[神戸製鋼所加古川製鉄所|加古川製鉄所]]、東京本社で勤務した。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点」、あるいは「私の原点」だったと回顧している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===政界へ===&lt;br /&gt;
神戸製鋼での3年間勤務の後、[[1982年]]から当時[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]に就任していた父・晋太郎の下で[[秘書官]]等を務め、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての政治家修行を行う。[[1987年]]に松崎昭雄・[[森永製菓]]社長の娘で[[電通]]社員の[[安倍昭恵|昭恵]]と[[結婚]]する。その際の[[仲人|媒酌人]]を務めたのが、[[福田赳夫]]元[[内閣総理大臣|総理]]だった。[[1991年]]に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===衆議院議員===&lt;br /&gt;
[[1993年]]に亡父の地盤を引き継ぎ、[[第40回衆議院議員総選挙]]に山口1区（当時）より出馬し、初当選。父が[[自民党の派閥|派閥]]会長を務めていた[[清和政策研究会|清和会]]（当時[[三塚博|三塚]]派、後の森派→町村派）に属す。[[1997年]][[自民党青年局長]]就任し同次長には同い年で親友で同じ派閥の[[下村博文]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Robert Zoellick meets Shinzo Abe 2006-01-23.jpg|200px|thumb|[[2006年]][[1月]]、アメリカ合衆国国務副長官[[ロバート・ゼーリック]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
派閥領袖の[[森喜朗]]首相が組閣した[[2000年]]の[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編前)|第2次森改造内閣]]で、[[小泉純一郎]]に推薦され、[[内閣官房副長官]]に就任。森政権の後を受け、[[2001年]]に成立した[[第1次小泉内閣]]でも引き続き内閣官房副長官を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]、小泉首相の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問に随行し、小泉首相と[[金正日]][[総書記]]との[[首脳会談]]では「安易な妥協をするべきではない」と強硬論を繰り返し主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]は日本側の納得する形では決着せずに難航した。内閣[[参与]]の[[中山恭子]]と共に北朝鮮に対する[[経済制裁]]という強硬路線を主張した。拉致被害者の北朝鮮帰国方針にも中山と共に頑強に反対した&amp;lt;ref name=&amp;quot;naz2&amp;quot;/&amp;gt;。対話路線などの慎重論を唱える議員が多かった中で、安倍の姿勢は多くの支持を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]9月、小泉首相によって[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]に抜擢された。自民党は総幹分離の原則が長く続いており、総裁派閥幹事長は1979年の[[大平正芳]]総裁時代の[[斎藤邦吉]]幹事長以来24年ぶりであった。[[国務大臣|大臣]]経験もない若手議員が第一与党幹事長に就任するのは極めて異例のことであるが、苦戦が予想される同年11月の[[第43回衆議院議員総選挙|総選挙]]のために安倍の「人気」が必要とされたためと見られた。11月の総選挙で与党は[[安定多数|絶対安定多数]]の確保に成功したが自身と93年初当選同期で同じ清和研属す[[高市早苗]]や[[中村力]]は小選挙区敗北し[[比例復活]]すらならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」（[[派閥]]の長が配下の者に配る活動資金）の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。[[2004年]]4月[[埼玉8区]][[補欠選挙]]で自民党史上初の全国的な候補者公募実施し合格した新人[[柴山昌彦]]が当選（同公募には[[佐藤ゆかり]]も最終選考に残った）、同年夏の[[第20回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞職を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・[[武部勤]]の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任。幹事長経験者が幹事長代理に格下げになるということも大変異例なことだった。その幹事長代理として迎えた[[第44回衆議院議員総選挙|05年衆院選]]では[[保守]]派[[弁護士]]の[[稲田朋美]]を「[[小泉劇場#刺客|刺客]]」（「[[郵政民営化関連法案]]に反対した元自民党候補」に対する対抗馬、[[福井県第1区|福井1区]]の[[松宮勲]]への対抗馬）にスカウトした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ポスト小泉 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe Sep06.jpg|thumb|200px|[[2006年]][[9月24日]]、[[両国国技館]]にて[[大相撲]][[本場所|九月場所]]表彰式に出席]]&lt;br /&gt;
小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補の一人と言われ、[[2005年]][[10月31日]]付で発足した[[第3次小泉改造内閣]]では[[内閣官房長官]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。[[憲法改正]]や[[教育改革]]、[[財政]]健全化に取り組む方針を示す。また、[[2006年自由民主党総裁選挙|総裁選]]に当選し次第、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[9月20日]]、小泉の任期満了にともなう総裁選で[[麻生太郎]]、[[谷垣禎一]]を大差で破って自由民主党総裁に選出、[[9月26日]]の[[臨時会|臨時国会]]に於いて内閣総理大臣に指名される。[[戦後]]最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===内閣総理大臣===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 安倍内閣 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe 2006-Nov-18.jpg|200px|left|thumb|2006年のAPECでの安倍晋三]]&lt;br /&gt;
就任表明では「美しい国」というテーマのもとに「[[戦後体制|戦後レジーム]]からの脱却」「[[教育バウチャー]]制度の導入」「[[ホワイトカラーエグゼンプション]]」などといったカタカナ語を連発し、議員からは「わかりにくい」と揶揄された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は小泉前首相の[[靖国神社問題|靖国参拝問題]]のために途絶えていた[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]への訪問を表明。[[2006年]][[10月]]に中国・[[北京市|北京]]で[[胡錦濤]][[国家主席]]と会談、翌日には、[[盧武鉉]][[大統領 (大韓民国)|大統領]]と会談すべく韓国・[[ソウル特別市|ソウル]]に入り、小泉政権下で冷え切った日中・日韓関係を改善を目指した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北朝鮮が[[北朝鮮の核実験 (2006年)|核実験]]を実施したことに対しては「日本の[[安全保障]]に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、[[国際連合|国連]]の[[国際連合安全保障理事会決議1718|制裁決議]]とは別に、より厳しい[[北朝鮮の核実験 (2006年)#各国などの対応|経済制裁措置]]を実施した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[9月]]から[[11月]]にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える、[[郵政造反組復党問題]]が政治問題化する。[[12月]]には、懸案だった[[教育基本法]]改正と[[防衛省|防衛庁]]の[[省]]昇格を実現した。一方で、同月、安倍が肝いりで任命した[[本間正明]][[政府税制調査会|税制会長]]が[[公務員宿舎]]への入居と愛人問題で、[[佐田玄一郎]][[内閣府特命担当大臣|行改担当大臣]]が、架空事務所費計上問題で辞任、この後、閣内でスキャンダルが相次いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:33rdG8Leaders.jpg|200px|thumb|[[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダム・サミット]]で各国首脳らと]]&lt;br /&gt;
[[Image:Bush Abe, Camp David.jpg|200px|thumb|[[2007年]][[4月27日]]、記者会見時に[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月]]の安倍の慰安婦発言が「二枚舌」と欧米のマスコミから非難されたが、[[4月]]下旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続いて[[日米関係史|日米関係]]が強固なものであることをアピールした。[[5月28日]]、以前から様々な疑惑のあった[[松岡利勝]][[農林水産大臣|農水大臣]]が[[議員宿舎]]内で、首を吊って[[自殺]]。官邸で訃報に接した安倍は涙を流し「慙愧に耐えない」と会見し、その晩は公邸で妻の昭恵に「松岡さんにはかわいそうなことをした」と語っている。また[[年金記録問題]]が大きく浮上した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で、[[6月]]当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアに大きく報じられた。同月6日～8日には首相就任後初の[[主要国首脳会議|サミット]]である[[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダム・サミット]]に参加、[[地球温暖化]]への対策を諸外国に示した。また、議長総括に[[北朝鮮による日本人拉致問題]]の解決を盛り込ませた。[[7月3日]]には[[久間章生]][[防衛大臣]]の[[久間章生#「原爆投下はしょうがない」発言|原爆投下をめぐる「しょうがない」発言]]が問題化。安倍は当初続投を支持していたが、批判の高まりにより、久間に厳重注意を行なった（久間は翌日辞任）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 参議院議員選挙、内閣改造 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[7月29日]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である[[赤城徳彦]]農林水産大臣にもいくつかの[[赤城徳彦#不祥事|事務所費問題]]が発覚。安倍はこういった閣僚の諸問題への対応が遅いと非難された。選挙中に発生した[[新潟県中越沖地震]]では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。2007年の[[第21回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」と楽観視していたが、結果は37議席と連立を組む[[公明党]]の9議席を合わせても過半数を大きく下回る歴史的大敗を喫した。これまで自民党が強固に議席を守ってきた、[[東北地方]]や[[四国地方]]で自民党が全滅、勝敗を左右する[[参議院一人区]]も、軒並み民主党候補や野党系[[無所属]]に議席を奪われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明したが、これについては、応援演説において「私か[[小沢一郎|小沢さん]]か、どちらが首相にふさわしいか」と[[有権者]]に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する厳しい批判が出た。また、参院選直後の[[7月31日]]の[[自由民主党総務会|自民党総務会]]においても、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た（[[安倍おろし]]）。同日、アメリカ下院では[[アメリカ合衆国下院121号決議|慰安婦非難決議]]が議決されていた。翌[[8月1日]]には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と批判された。この頃から安倍は食欲の衰えなど体調不良を訴え始め、[[8月19日]]から[[8月25日]]の[[インドネシア]]、[[インド]]、[[マレーシア]]3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 安倍改造内閣 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe Sept. 8, 2007 full.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[9月8日]]、[[アジア太平洋経済協力]]首脳会議にて、[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
選挙結果や批判を受け、[[8月27日]]に内閣改造、党役員人事に着手した（[[安倍改造内閣]]）。ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。9月9日、[[オーストラリア]]・[[シドニー]]で開催された[[アジア太平洋経済協力|APEC]]（アジア太平洋経済協力会議）首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し[[9月10日]]からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続が出来なくなった場合は、[[内閣総辞職]]することを[[マニフェスト|公約]]した。この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良によりAPECの諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]][[9月10日]]に[[第168回国会|第168回臨時国会]]が開催され、安倍首相は[[所信表明演説]]を行った。その中で安倍首相は「職責を全うする」などという趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「[[美しい国]]」という言葉は結びに一度使ったのみであった。午後には「（改正案を通すのは）厳しいでしょうか」と辞任を示唆する発言を[[麻生太郎|麻生幹事長]]に漏らしていたが、麻生から「テロ特措法があがった後でよろしいのではないですか。絶対今じゃないです。」と慰留された。[[9月11日]]には妻の昭恵に対し「もうこれ以上、続けられないかもしれない」と語ったが、辞任の具体的な日程までは一切明かさなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 辞意表明 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[9月12日]]午後2時（[[日本標準時|JST]]）、「[[内閣総理大臣]]及び[[自由民主党総裁]]を辞する」と退陣を表明する記者会見を行った。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は辞任の理由として「[[テロ対策特別措置法|テロ特措法]]の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」「私が総理であることが障害になっている」などとした（小沢代表は記者会見を開き「打診を受けたことは1回もない」と否定。なお、小沢は党首会談について報じられてからも「意見を変える気はない」と明言している）。一方で、自身の健康に不安があるという理由も[[与謝野馨]][[内閣官房長官]]が同日中会見で述べている。24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もともと胃腸に持病を抱えているといわれており、辞意表明当日の[[読売新聞]]・特別号外でもそのことについて触れられていた。また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答している。なお、辞任に追い込まれた実質的原因については、本人が記者会見をこなしていることもあり、健康問題ではないとする見方をする論者も、立花隆を初めとして存在する。ちなみに、自身の健康問題で辞任した首相は過去に、[[石橋湛山]]や[[小渕恵三]]などがいるが、彼らは[[脳梗塞]]など重い病に侵されたためであり、記者会見が可能だった安倍とは比べものにならないほどの病状だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 突然の辞意表明に対する批判 =====&lt;br /&gt;
[[臨時会|臨時国会]]が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明は、各界各方面から批判を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
野党側は安倍の辞意表明について「無責任の極み」であるとして次のような批判をおこなった。　　&lt;br /&gt;
*「40年近くの政治生活でも、過半数を失って辞めず、改造し、所信表明をし、そして代表質問の前に辞職と言う例は初めてで、本当にどうなっているのか、総理の心境・思考方法については良く分かりません」（民主党・[[小沢一郎]]代表)&lt;br /&gt;
*「参院選の後に辞めていればよかった。こういう形の辞任は国民に失礼」（民主党・[[鳩山由紀夫]]幹事長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「所信表明直後の辞任は前代未聞」（共産党・[[志位和夫]]委員長）&lt;br /&gt;
*「タイミングがあまりにひどい、無責任です。『ぼくちゃんの投げ出し内閣』だ。小沢代表との会談が断られただけで辞任するのは子供っぽい理由」（社民党・[[福島瑞穂]]党首）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
与党側でも[[古賀誠]]元自民党幹事長などから退陣に至る経緯・理由が不透明であるという批判や、その他議員からも「なぜ今日なのか、無責任だ」という批判が出た。[[塩川正十郎]]元財相も「非常に無責任な辞め方。熱意と努力で乗り切ってもらいたくて支えてきた。支えてきた者から見たらこんな辞め方は無い」と批判した。また、公明党の[[北側一雄]]幹事長からも「なぜこの時期に辞意表明なのか、非常に理解しがたい」と批判された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[麻生太郎]][[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]は同日の会見において、記者からの「総理はいつ辞任を決断していたのか」との問いに対し、「2日くらい前といえばそうだし、昨日と言えばそうだし…、この3日間意向は全くかわらなかった」などと述べ、安倍の辞任を2日前（安倍晋三が臨時国会でテロ特措法の延長ができなければ内閣総辞職すると述べた日と同日）にはすでに知っていたことを明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月13日]]に[[朝日新聞社]]が行なった緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 国外の反応 =====&lt;br /&gt;
日本国外のメディアもトップニュースで「日本の安倍首相がサプライズ辞職」、「プレッシャーに耐えきれなかった」（アメリカ[[CNN]]）などと報じた。欧米諸国の報道では批判的な意見も多かったが、安倍内閣の下で関係が良好だった[[中華人民共和国]]、[[大韓民国|韓国]]、[[台湾]]のマスコミは同情的な意見が目立った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 入院・内閣総辞職 ====&lt;br /&gt;
退陣表明の翌日（9月13日）、[[慶應義塾大学病院]]に入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると[[医師]]団が発表した。これについても海外メディアで報道され、イギリス[[英国放送協会|BBC]]は「昨日官邸をチェックアウトした安倍首相は、今日は病院にチェックインした」「日本は1週間以上も、精神的に衰弱しきった総理大臣を抱えることになる」と報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[遠藤武彦]]農相に不正な補助金疑惑が発覚した際、遠藤の辞任の流れを[[与謝野馨]][[内閣官房長官]]と麻生幹事長の2人だけで決めて安倍を排除したことから、安倍が「麻生さんに騙された」と発言したと言われる。 この内容について[[9月14日]]の[[報道ステーション]]が麻生にインタビューで問い質したところ、麻生は「（9月14日に安倍氏の見舞いに行った時）『そんなこと言われて与謝野とふたりで困っている』と安倍総理に言ったら、『そんなこと言ってない』と笑っておられました。どなたかが意図的に流した[[噂#デマ|デマ]]でしょう」と反論をしている。同日の[[NEWS ZERO]]は、番組終盤に安倍の「麻生さんに騙された」という発言を速報という形で伝え、麻生と安倍との間に不穏な空気が流れていたとする報道を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、自民党の若手による「麻生-与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、[[9月18日]]の閣議後の会見において明確に否定した。さらに麻生幹事長は[[9月19日]]に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「[[中川秀直|中川（秀直）]]さんは11日（辞任表明の前日）に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[安倍内閣メールマガジン]]は[[9月20日]]配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージのもと、これをもって最終号を迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、病院側は、安倍首相の容体は回復軌道には入っているものの退院できる状態ではないとした。病室内では新聞は読まずテレビも基本的には視聴せず、外部の情報をシャットアウトした環境下で治療を行った。9月21日は安倍首相53歳の誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった。このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と[[内閣総理大臣臨時代理]]は置く予定はないという方針をとっていた。20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入院中、妻の昭恵から政治家引退を勧められたが、安倍は「いや、それは違う」と答え、議員辞職は拒否した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月23日]]に行われた自民党総裁選には欠席して前日に不在者投票を行い、前総裁のあいさつは[[谷川秀善]]両院議員総会長が代読した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月24日]]17時、[[慶應義塾大学病院]]にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「[[所信表明演説]]後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。また、自民党若手による「麻生クーデター説」については本人の口から改めて否定された。さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず[[内閣総理大臣臨時代理|臨時代理]]を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては政府内でも批判の声があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月25日]]、安倍内閣最後の閣議に出席し、国会へ登院して衆議院本会議での[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]に出席する意思を明らかにした。[[9月25日]]の安倍内閣最後の閣議で閣僚全員の辞職願を取り纏めて[[内閣総辞職]]した。安倍前首相は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。26日には[[皇居]]で行われた[[福田康夫]]首相の親任式に出席した後、再び病院へと戻った。なお、安倍内閣の在職日数は1年あまりとなる366日であり、[[日本国憲法]]下では歴代7位の短期政権となった。改造内閣はわずか31日の短命に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 内閣総理大臣退任後 ===&lt;br /&gt;
==== 健康の回復 ====&lt;br /&gt;
その後、入院していた慶應義塾大学病院から「一時帰宅」し、東京・富ヶ谷の私邸で自宅療養に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11月13日]]に[[テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法|新テロ特措法案]]の採決を行なう[[衆議院]][[本会議]]には「はってでも出たい」と出席し、白票（賛成票）を投じた。後の記者会見において安倍前首相は「回復しました」と元気な様子を見せた。また、同採決を地方出張のため棄権した民主党代表小沢一郎に対して、「無責任じゃないですか。本当は（小沢は）賛成だったんじゃないかという人もいますがね」と強く批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年1月、『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』に手記を寄稿。2007年9月の退陣に関し、体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが「このままでは首相の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった。決定的な要因のひとつだった」と告白するなど、辞任の主な理由は健康問題だったとしている。しかし現在は韓国料理屋で焼肉屋キムチやマッコリを食すなど、あまりに脅威的な回復であるため、辞任直前に問題となった脱税疑惑のカモフラージュではないかという疑念を持たれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年には[[第169回国会]]会期中に妻の昭恵と[[スキー]][[旅行]]や[[選抜高等学校野球大会]]の観戦に出かけるなどしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 政治活動の再開 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe and James Zumwalt 20090620.jpg|thumb|200px|[[2009年]][[6月20日]]、[[東京都]]にて[[臨時代理大使|日本駐箚アメリカ合衆国臨時代理大使]][[ジェームス・ズムワルト]]（右から1人目）と安倍（右から2人目）]]&lt;br /&gt;
2007年末、産経新聞のインタビューにて、「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」と述べ、2008年からは活動を本格的に再開し「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていく」と答えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年以降は政治活動を徐々に本格化させ、中華人民共和国国務委員の[[唐家セン|唐家璇]]と会談するなど外交への取り組みも再開した。同年1月、参院選時の公約への根強い批判に反論し、年金記録の照合作業を2008年3月までに終わらせると公約したが国民一人一人への支払いを保証したわけではない、と主張した。また、本来は国民各自が責任を持って年金記録を管理すべきと指摘し、政府に頼る風潮に疑問を呈した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年[[3月5日]]、安倍は勉強会「クールアース50懇話会」を立ち上げ、塩崎恭久や[[世耕弘成]]らが入会した。設立総会において、安倍は「[[第34回主要国首脳会議|北海道洞爺湖サミット]]を成功させるのは私の責任」と語り、同懇話会の座長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月6日]]、清和政策研究会（町村派）の総会に出席し、「首相として1年間、美しい国づくりに全力を傾注してきたが、残念ながら力が及ばなかった。私の辞任に伴い、みなさんに風当たりも強かったのではないか。心からおわびを申し上げたい」と述べて所属議員に謝罪した。この総会にて安倍の派閥への復帰が承認され、清和政策研究会相談役に就任した。[[4月28日]]に「主権回復五十六周年記念国民集会」でスピーチ、[[4月30日]]には「中国の人権状況を考えるシンポジウム」に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]][[8月15日]]朝、首相在任中に果たせなかった[[終戦の日|終戦記念日]]の[[靖国神社]]参拝をおこなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 2度目の総裁就任 ====&lt;br /&gt;
[[2012年]][[9月12日]]、谷垣総裁の任期満了に伴って行われる[[2012年自由民主党総裁選挙]]への出馬を表明。自らが所属する[[清和会]]の会長である[[町村信孝]]の出馬が既に取り沙汰されていたこともあり、前会長の森からは出馬について慎重な対応を求められていたものの、これを押し切る形での出馬となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初は、清和会が分裂選挙を余儀なくされた事や5年前の首相辞任の経緯に対するマイナスイメージから党員人気が高かった[[石破茂]]、党内重鎮からの支援を受けての出馬となった[[石原伸晃]]の後塵を拝していると見られていた。しかし、[[麻生派]]、[[高村派]]が早々と安倍支持を表明した事などが追い風となり、[[9月26日]]に行われた総裁選挙の1回目の投票で2位に食い込むと、決戦投票では、1回目の投票で1位となっていた石破を逆転。石破の89票に対し108票を得て、総裁に選出された。一度辞任した総裁が間を挟んで再選されるのは自民党史上初、決選投票での逆転は[[1956年12月自由民主党総裁選挙]]以来となった。なお、安倍はこの時、自身の体調に関して前回の総理大臣辞任後に発売された特効薬によりほぼ寛解したと説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 内閣総理大臣に再就任 ===&lt;br /&gt;
[[2012年]][[12月16日]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]で自民党が294議席を獲得して圧勝、政権与党に復帰。同年12月26日に第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が発足。1度辞任した内閣総理大臣の再就任は、戦後では[[吉田茂]]以来2人目である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 第2次安倍内閣 ====&lt;br /&gt;
===== TPP問題 =====&lt;br /&gt;
2012年11月14日の[[野田佳彦]]首相の解散表明により選挙の争点として浮上した[[環太平洋戦略的経済連携協定]](TPP)について、自民党はASEANでのTPP参加表明に反対し、「聖域なき関税撤廃」を前提とした交渉参加には反対するとしていた。一方、安倍は日本商工会議所会頭の岡村正との会談では交渉に含みをもたせ、「TPP推進に対して強い交渉力を発揮して頂けるという強い意気込みは感じたので心強く思う」と評価された。この岡村とのやりとりについて、経団連会長の[[米倉弘昌]]も「いいことだ」と歓迎している。しかし、その後の記者会見では「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」と否定し、その結果として衆院選では160人超の候補者が、TPP交渉参加反対を訴える農協（JA）系の政治団体から推薦を受け当選した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣では農水大臣に農政になじみの薄い[[林芳正]]を起用し、[[甘利明]]、麻生太郎など経済関係の主要閣僚にもTPP賛成派を配置。さらに外交政策に関して助言を行う[[内閣官房参与]]には「（東日本大震災に対して）日本がんばれと言っているのではないかと思う。こうした声援に応えるためにも、日本は積極的にTPPに参加すべきである。」(2011年12月）「（TPPは）日本が飛び乗るべきバス」(2010年12月）との発言をしている[[谷内正太郎]]を起用した。また、TPP賛成派の[[岡素之]]や[[大田弘子]]をそれぞれ内閣府[[規制改革会議]]議長及び議長代理とし、さらに新設の[[日本経済再生本部]]に設置された[[産業競争力会議]]のメンバーにも[[日本維新の会]]と関係の深いTPP賛成派の[[竹中平蔵]]や、TPP早期実現要請を行なっていた[[三木谷浩史]]を加えた。経済全般のマクロ政策を決める経済財政諮問会議の民間議員も全員TPP賛成派で、[[高橋進 (経済学者)|高橋進]]は構造改革派の論客として野田佳彦民主党政権の方針を力強く後押ししていた人物。[[伊藤元重]]にいたっては「TPPに参加できないなら、農村部にある多くの工場は閉鎖を余儀なくされる」というのが持論で、野田佳彦民主党政権の「社会保障制度改革国民会議」のメンバーでもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年2月23日、日米首脳会談後に共同声明を出した。それまでの関税に関する見解（カークUSTR代表と玄葉外務大臣との会談）は「物品関税の最終的な扱いについてはTPP交渉プロセスのなかで決まっていくもの」であったが、今回の共同声明は「一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する」との表現になった。この会談の結果、主要全メディアにおいてTPP賛成が増加し、共同通信63%、FNN53%、テレビ朝日51%、日本経済新聞47%などとなった一方、ニコニコ動画では46.5%が反対と回答した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年3月8日、日本政府が[[野田佳彦]]内閣当時の昨年3月の段階から『TPP交渉参加後発組に出された3条件』を把握していたにもかかわらず、国民に条件を告知することなく交渉参加を推進していたことが判明した。安倍はこの問題に関して衆院予算委員会で答弁を拒否し、質問した日本維新の会の[[松野頼久]]国会議員団幹事長が「政府が交渉参加のルールを探って議会に説明するのは当然の責任だ」と批判した。また岸田文雄外相は「少なくともわが国には、そうした条件の提示は全くない。引き続き情報収集に全力を挙げる」と答弁していたが、9日になって安倍は「ルールを作っていく上で、最初に入った人たちが後から入った人に議論を覆されたら困るというのは、それはそうだろうと思う」と述べた。安倍政権はこの3条件を政権移行直後に把握したが公表はしていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年3月14日、自民党のTPP対策委員会が「重要5品目等や国民皆保険制度などの聖域の確保を最優先」し、それが確保できないと判断した場合は「脱退も辞さない」とする決議をまとめた。ただ自民党執行部はこの決議に関して「彼らも地元に帰って反対してきたと言えるだろう」と慎重派のガス抜きであることを認めており、政府高官は今後の政府の交渉を縛らないと明言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」との発言からちょうど120日目にあたる2013年3月15日、TPP交渉参加という形で決着が図られることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年4月12日に決着したTPP交渉参加に向けた日米事前協議は大手各紙上でも『高い「入場料」』という言葉が飛び交い、米側に譲りに譲ったものとなった。日本政府のTPP交渉担当者が「なんとしても7月中には交渉に加わりたいのだが……」とあせりの色を隠せない中での事前協議であり、交渉に入る前から通商条件で大幅な譲歩を迫られる可能性があったが、現実のものとなった。焦点の自動車・保険分野では双方とも大幅譲歩であり、自動車分野では自動車関税について当面は乗用車・トラックの関税を維持した上、撤廃時期はTPPが認める範囲で最大限遅らせることで決着、保険分野ではかんぽ生命のがん保険など新商品の申請を事実上凍結したため、投資家に訴える新規事業への参入が不可欠な2015年秋までの株式上場は計画の見直しが不可避となり、政府が復興財源として期待していた日本郵政株式の売却収入4兆円が見通せなくなってしまった。のみならず、非関税措置について9つの分野で日米間で継続協議とされたため、1990年代に経験した日米構造協議、包括経済協議と同様に2国間の枠組みを使って日本に市場開放の圧力をかける構図が繰り返されることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 労働市場の構造改革（日本版「ワッセナー合意」）=====&lt;br /&gt;
企業が賃上げを促進し、政府は賃上げ企業への優遇や失業者対策を進め、労働者は労働市場流動化に同意し失業増を受け入れるという日本版「ワッセナー合意」が構想されていることが明らかになった。ただし、オランダで起こった[[ワッセナー合意]]は「労組は賃金の抑制」「政府は企業の社会保障負担を低減し労働者のための減税を実施」「経営者は仕事を分かち合い雇用を確保」という内容的には逆とも言えるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本版「ワッセナー合意」は、むしろ[[第1次安倍内閣]]で提唱された[[労働ビッグバン|日本版オランダ革命]]に近いものであり、[[日本維新の会]]のブレーンで[[聖域なき構造改革|小泉構造改革]]の中心人物であった[[産業競争力会議]]メンバー[[竹中平蔵]]の主張である「再就職支援金の支払いを条件に従業員の解雇を認めるといった解雇ルール」や「正規と非正規の中間的な雇用形態の導入」などが盛り込まれている。これについては、失業増を受け入れる労働組合はもちろん経済界も難色を示しているとされる。[[竹中平蔵]]は[[第1次安倍内閣]]の際には、著書の中で「[[既得権益]]を失う[[労働組合]]や、保険や年金の負担増を嫌う[[財界]]の反対で頓挫した」と述べていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 日台漁業交渉問題 =====&lt;br /&gt;
2013年4月に台湾との間で尖閣諸島沖の漁業範囲に関する取り決めを行った。この協定は官邸の独断で成立が決定されたため、水産庁や外務省などと事前協議を行っていた地元の漁協は強く反発し、「いずれこの漁業範囲から日本船が締め出され中国船や台湾船しかいなくなる」、と強い懸念を出している。実際に台湾漁船は当協定の成立が決定すると、協定の発行前から認められる予定の漁業範囲さえ超えた範囲で操業を開始した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 参議院議員選挙での圧勝 ====&lt;br /&gt;
''詳しくは「[[第23回参議院議員通常選挙]]」を参照。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年（平成25年）[[7月21日]]、[[7月28日|同月28日]]の任期満了に伴う第23回参議院議員通常選挙が行われた。自由民主党が政権を奪還し、第2次安倍内閣になってから初めての大型国政選挙となった。第1次安倍政権時に大敗を喫した第21回参議院議員通常選挙（[[#参議院議員選挙での敗北|前述]]）以降、[[参議院]]では政権[[与党]]が過半数を下回る[[ねじれ国会]]が続いており（2009年の[[第45回衆議院議員総選挙]]から2010年の[[第22回参議院議員通常選挙]]までの期間を除く）、非改選議員と合わせて与党が過半数を確保できるかが最大の焦点とされていたが、結果、前年12月の衆院選で大勝し政権与党に返り咲いた自民・公明両党が合わせて過半数を超える議席を獲得して大勝をおさめ、「ねじれ」を解消させることに成功。ここに安倍自身にとってもかつての雪辱を果たすことが叶った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
* [[1954年]]9月21日:[[東京都]]に生まれる。本籍地は[[山口県]][[大津郡]][[油谷町]]（現・[[長門市]]）。&lt;br /&gt;
* [[1977年]][[3月]]:[[成蹊大学]][[法学部]]政治学科卒業&lt;br /&gt;
* [[1977年]][[4月]]:[[アメリカ合衆国|米国]][[カリフォルニア州]][[ヘイワード (カリフォルニア州)|ヘイワード]]の英語学校に入学。その後、[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の語学学校に転校した。&lt;br /&gt;
* [[1978年]]4月:[[南カリフォルニア大学]]に入学。[[政治学]]を専攻し春・夏・秋学期を履修し、[[1979年]]に[[退学|中退]]。&lt;br /&gt;
* [[1979年]]4月:株式会社[[神戸製鋼所]]入社&lt;br /&gt;
* [[1982年]]11月:神戸製鋼所退社、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]（[[安倍晋太郎]]）秘書官に就任&lt;br /&gt;
* [[1993年]]7月:衆議院議員初当選（旧・山口1区）&lt;br /&gt;
* [[1993年]]7月:衆議院議員初当選&lt;br /&gt;
* [[1999年]]10月:衆議院厚生委員会理事&lt;br /&gt;
* [[2000年]]7月:[[第2次森改造内閣]]で[[内閣官房副長官]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2001年]]4月：引き続き[[第1次小泉内閣]]で内閣官房副長官に就任&lt;br /&gt;
* [[2003年]]9月:[[自由民主党幹事長]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2004年]]9月:自由民主党幹事長代理に就任 党改革推進本部長に就任&lt;br /&gt;
* [[2005年]]10月:[[第3次小泉改造内閣]]で[[内閣官房長官]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2006年]]9月:[[自由民主党総裁]]に選出、第90代[[内閣総理大臣]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2007年]]9月:[[自由民主党総裁]]及び[[内閣総理大臣]]を辞職&lt;br /&gt;
* [[2007年]]9月:[[安倍改造内閣|安倍内閣]]総辞職&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な所属議員連盟 ==&lt;br /&gt;
*[[日韓議員連盟]]&lt;br /&gt;
*[[日本会議]]国会議員懇談会&lt;br /&gt;
*[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]&lt;br /&gt;
* [[公共放送のあり方について考える議員の会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政見・政策 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 国家像 ===&lt;br /&gt;
; [[美しい国]]&lt;br /&gt;
: 総裁戦直前の[[2006年]][[7月19日]]に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行する[[ベストセラー]]になった。政権[[スローガン]]も「'''美しい国日本'''を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「'''[[戦後レジーム]]'''（体制）」からの新たな船出”と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、[[安全保障]]などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。&lt;br /&gt;
: これまでの日本の歴史認識を自虐的な[[東京裁判史観]]とする[[保守]]層からは好意的に迎えられる一方、[[左派]]からは内閣発足当初から[[集団的自衛権]]を容認しアメリカに追従する[[軍国主義]]的な体制を作ろうとするものではないかという懸念が示されている。また「美しい国」という理念について、何が・また何をもって“美しい”とするのかはっきりせず、抽象的であるとする批評もある。さらには任期中においては「美しい国作り」と言う'''目標として掲げたもの'''であったが、当時の社会問題などのニュースなどの締めに「これが美しい国の正体」などと'''現在進行形の問題'''を持ってくる報道も少なからず存在していた。&lt;br /&gt;
; アジア・ゲートウェイ構想&lt;br /&gt;
: 第165回国会の所信表明演説にて「日本がアジアと世界の架け橋となる『アジア・ゲートウェイ構想』を推進します」と述べ、内閣官房に「アジア・ゲートウェイ戦略会議」を設置した。第166国会の[[施政方針演説]]では、2007年5月までに「アジア・ゲートウェイ構想」を取りまとめると明言したが、この構想の議論が本格化すると、閣内で対立が尖鋭化する。2007年5月、内閣官房長官[[塩崎恭久]]、[[内閣府特命担当大臣]]（経済財政政策担当）[[大田弘子]]、特命担当大臣（規制改革担当）[[渡辺喜美]]、[[内閣総理大臣補佐官]]（経済財政担当）[[根本匠]]の四者がこの構想について協議した際には、意見の相違から渡辺が根本に掴み掛かるなど混乱し、塩崎が仲裁する事態に発展した。&lt;br /&gt;
; 地方自治&lt;br /&gt;
: [[道州制]]の導入を検討。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 憲法 ===&lt;br /&gt;
総裁選では施行60周年を迎えた[[日本国憲法]]を改正すると宣言し、総理就任後の国会で、「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、60年近くを経て現実にそぐわないものとなっているので、[[21世紀]]にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べた&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20061003&amp;quot;&amp;gt;衆議院　本会議　平成18年（2006年）10月3日）「在任中に憲法を改正をしたい」との考えを述べた。（平成18年12月19日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。また“私は、国会議員になった当初から改憲論者だが、3つの点で憲法を改正すべきだと主張してきた。第一の理由だが、現行憲法は占領軍の手によって、憲法の専門家ではない人たちによって2週間そこそこで書き上げられた、と言われており、やはり国の基本法である限り、制定過程にもこだわらざるを得ない”と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改憲のための[[国民投票法案]]（[[日本国憲法の改正手続に関する法律]]）の整備をおこなうが、選挙に向けて野党の反対を押し切り成立させたためメディアでは法案の不備について批判が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 安全保障 ===&lt;br /&gt;
日本版「[[国家安全保障会議]]」（NSC）構想を推進した。総理就任以前は[[憲法改正]]に関しては[[集団的自衛権]]の容認を打ち出して来た。総理就任後は、防衛庁を[[防衛省]]へ格上げした。これは「戦後レジーム（体制）から脱却し、新たな国造りを行うための第一歩」と意義付けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年11月14日、安倍内閣は閣議で、核保有についての[[鈴木宗男]]の[[質問主意書]]に対して、「政府としては、[[非核三原則]]の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「[[核兵器]]であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との[[答弁書]]を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe with KSG Students.jpg|thumb|200px|[[総理大臣官邸]]を訪れた[[ハーバード大学]]学生らと[[内閣官房長官]][[塩崎恭久]]と安倍晋三]]&lt;br /&gt;
2006年12月に[[教育基本法]]を改正し、教育の目標の一つとして[[愛国心]]という言葉を盛り込んだ他、[[義務教育]]9年の規定や[[男女共学]]の項を削除した。[[内閣府]]直属の「[[教育再生会議]]」を立ち上げ、2007年6月には[[教員免許更新制]]を導入した。その他、[[学校週五日制]]の見直しや[[大学]]進学の条件として社会[[奉仕]]活動の義務化を提唱した。その他の政策としては、[[教育バウチャー]]制度の導入を検討、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長を務め、自民党の[[山谷えり子]]らと共に[[ジェンダーフリー]]教育に対する批判等を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改正後の教育基本法については、「一見、立派なことが書いてあるが、家族・郷土・歴史・伝統・文化・国など、私たちが大切にしなければいけないものが抜け落ちている。日本人として生まれたことに誇りを持つためには、そうしたことを子どもたちに教えていくことが大切ではないか」「“世界から尊敬されている”ということも、誇りが持てるということにとって大切だ。世界に貢献していく際に“日本はこういう理想を持っており、こういう世界を実現していきたい”と述べていく必要がある」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公務員改革 ===&lt;br /&gt;
[[内閣府特命担当大臣]]（規制改革担当）に[[渡辺喜美]]を置き、官僚主導の政治体制、公務員の給料制度、[[天下り]]、業界の談合体質など官僚にまつわる諸悪を摘出し、政官業の関係を健全化しようと国家公務員法改正を打ち出した。同改正法に基づいて（1）官民人材交流センター（人材バンク）の制度設計（2）キャリア制度の見直し、という２つの作業が開始され、それぞれについて有識者懇談会が設けられた。安倍も[[成田空港]]社長に官僚OBがなることを却下したり、[[東京証券取引所]]への天下り人事にも横槍を入れるなどの行動を見せていたが、官僚や自民党内から激しい抵抗が起るようになる。渡辺喜美行政改革担当相が、自民党行政改革推進本部の会合に出席し、各省庁による天下り支援を禁止する案を説明すると、党側に『各省にあっせん機能を残すべきだ』と猛反発されたり、天下り規制の懇談会にて天下りをしている元事務次官7人のヒヤリング調査をしようとしたところ、担当官僚が元事務次官に懇談会出席の要請すらしない等の抵抗が見られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この公務員改革で安倍は、特に社会保険庁改革（社保庁民営化）に力を入れていた。その理由としては年金行政への信頼回復とともに、社保庁の民営化によって公務員削減の突破口にしたいとの狙いがあった。しかしここでも激しい抵抗にあった。[[田原総一郎]]によれば、安倍が社保庁民営化を目指していたことで、社保庁がクーデターを起こし、社保庁の年金が酷い状態であるということを社保庁自らが民主党やマスコミに選挙前に広め、「いかに安倍が危機管理ができないか」と国民に思わせて退陣を狙う「自爆テロ」を行い、そしてマスコミもそれに乗った、と指摘された。しかし、第二次安倍政権では安倍の肝いり人事でまたもや日本年金機構の情報流出事件が起こり、安倍自身の年金問題に関しての危機管理が甘さが問題となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 労働政策 ===&lt;br /&gt;
;再チャレンジ政策&lt;br /&gt;
:小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定[[雇用]]の増加やいわゆる[[格差社会]]の是正を掲げ、[[再チャレンジ]]政策の一環として[[フリーター]]を[[正社員]]として採用するよう企業に要請したが、2006年8月の [[日本経済団体連合会|経団連]]が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果であり、期待通りの成果は出なかった。「[[ワーキングプア]]と言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も[[非正規雇用]]者が[[正規雇用|正規社員]]へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、[[偽装請負]]等に関しても、「[[法令]]、[[労働基準法]]に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510130014003c.html|title=第165回国会 参議院 予算委員会 第3号|date=2006-10-13|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[ホワイトカラーエグゼンプション]]（事務職残業手当適用除外制度）&lt;br /&gt;
:「[[日米投資イニシアチブ報告書]]」に基づき、この制度を導入する予定であったが、 [[マスメディア|メディア]]で「[[時間外労働|残業]]代ゼロ法案」と批判的に報じられ、反対世論が強まったため、[[2007年]]1月17日、「現段階では国民の理解を得られない」として、国会提出を断念した。&lt;br /&gt;
;「[[最低賃金]]」&lt;br /&gt;
:最低賃金の抜本的引き上げは、「[[中小企業]]を中心に労働コスト増で、かえって雇用が失われ非現実的だ。」とした&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070130&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070130004.htm|title=第166回 衆議院本会議 4号|date=2007-01-30|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年3月の参議院の[[予算委員会]]では、「最低賃金制度を[[生活保護]]以上にしていくという改正を行ない、成長力底上げ戦略を進めていく中で、中小企業と労働者の生産性を上げることによって、最低賃金も上げるという二段構えの仕組みを検討している」考えを示した&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070319&amp;quot;&amp;gt;第166回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成19年（2007年）3月19日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;格差問題&lt;br /&gt;
:「[[格差社会|格差]]はいつの時代もあるわけであって、格差を全くなくすことはこれは不可能であろう」、「努力した人が報われる社会をつくっていく、汗を流した人、頑張った人が、知恵を出した人が報われる社会をつくっていかなければいけない」、「結果平等の社会をつくろうとは全く思っていない」、「格差においては、これは不公平、不公正な競争の結果であってはならないし、また、社会的にこれはやはり容認できないという格差であってはならない」、「格差が固定化されてはならない」と述べている&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070301&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070301017.htm|title=第166回国会 衆議院 予算委員会 17号|date=2007-03-01|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 治安政策 ===&lt;br /&gt;
[[組織犯罪処罰法]]（いわゆる「共謀罪法案」）について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「[[国際組織犯罪防止法条約]]」を」批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の[[通常国会]]で成立を図るよう指示したが、反対する世論や自民党内からの反発も強いため、継続審議となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 党運営 ===&lt;br /&gt;
[[郵政民営化]]時の造反[[議員]]を復党させた（[[郵政造反組復党問題]]）。これに対しては国民から強い反発が出たため、支持率はその後低下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会保障 ===&lt;br /&gt;
; 中国残留孤児&lt;br /&gt;
: [[中国残留孤児]]問題における訴訟では請求を取り下げられた[[原告]]団に面会し、新たな支援を検討していくことを確認した。&lt;br /&gt;
; [[慈恵病院]]の「こうのとりのゆりかご」&lt;br /&gt;
: 2007年[[2月23日]]に、[[熊本市]]の[[慈恵病院]]が[[赤ちゃんポスト]]の設置を計画していることについて、「[[ポスト]]」という名前や匿名で子供を置いていけるものだということに大変抵抗を感じると反対の意向を示した。&lt;br /&gt;
; 年金問題&lt;br /&gt;
: [[年金記録問題]]では民主党の[[小沢一郎]]との[[党首討論]]で「[[宙に浮いた年金記録|消えた年金]]はどうするのか」という野党からの追及に対し「年金は消えたわけではない」として年金時効撤廃特例法案など具体的な救済案を提示した。該当者不明の年金記録5000万件の照合作業については「三千万人の方々とこの二千八百八十万件を一年間のうちに突合いたします」「一年間で私たちはすべて突合を行うということをお約束をする」と断言、当初2年程度を想定していた調査期間を前倒しすると表明し、自民党の公式HPでも宣伝した。第21回参議院議員通常選挙の際は、安倍自身が「最後の一人まですべての記録をチェックし、まじめに保険料を払ってきた人の受給を保障する」と各地で演説した。&lt;br /&gt;
: メディアや専門家からは、その公約の実現性に対して当初から懐疑的な意見が出されていた。[[社会保険庁]]は年金記録の照合作業を進めたものの、[[2008年]][[3月]]末までに持ち主が判明するのは1000万人程度に留まり、名寄せ困難な記録が1975万件に達すると発表された（人数や件数は[[2007年]][[12月]]時点での推計値）。安倍の公約実現は絶望的となり、後任の首相である福田康夫が謝罪する事態となった。福田は「（当時の）安倍総理は割合ときちんと言っているんじゃないかと思います」と安倍を擁護したが、内閣官房長官の[[町村信孝]]は「亡くなった方もいる。『最後の一人まで』ということはありえない。もとより無理」と述べ、安倍の公約の問題点を指摘した。&lt;br /&gt;
: 2008年1月、安倍はマスコミとの懇談の席上、「年金ってある程度、自分で責任を持って自分で状況を把握しないといけない。何でも政府、政府でもないだろ」と指摘した。公約違反との批判に対しては「今になって（参院選の）選挙演説の『最後の一人までチェックして支払います』が公約違反と言われるけど、俺は一言も三月までに支払うとは言ってないんだぜ」と反論している。&lt;br /&gt;
: 2008年3月、社会保険庁の照合結果が公表され、1172万件分の持ち主が特定できたが、名寄せ困難な未解明記録は2025万件に達したことが明らかになった。&lt;br /&gt;
: なお、国民皆年金制度は祖父・[[岸信介]]が首相時代に策定したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交 ===&lt;br /&gt;
[[Image:APEC2006 Roh Bush Abe (2).jpg|thumb|200px|[[2006年]]の[[アジア太平洋経済協力|APEC]]にて、[[大韓民国大統領]][[盧武鉉]]、[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と、安倍晋三]]&lt;br /&gt;
[[Image:DickCheney visits ShinzoAbe in Tokyo, 2007Feb21.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[2月21日]]、[[総理大臣官邸]]にて[[アメリカ合衆国副大統領]][[ディック・チェイニー]]と会談する安倍晋三]]&lt;br /&gt;
''下記の[[安倍晋三#歴史認識|歴史認識]]も参照''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日中・[[日韓問題|日韓関係]]を改善し、[[東アジア共同体]]の構想に強い意欲を示す。[[新自由主義]]政策・[[グローバル資本主義]]を推進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[大韓民国]]&lt;br /&gt;
:韓国の[[親米保守]]勢力（現在は[[ハンナラ党]]）とは韓国が[[朴正煕]][[軍事独裁]]政権だった頃から[[国際勝共連合]]などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての[[親韓派]]だった安倍も首相になってから「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っております。」と[[親韓]]的な発言をしている。&lt;br /&gt;
;[[中華人民共和国]]&lt;br /&gt;
:2006年の[[自民党総裁選]]では、ありのままの日本を知ってもらう為に多くの[[中華人民共和国|中国人]][[留学生]]を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した日中関係の改善に意欲を見せた。首相就任後、真っ先に訪中して[[胡錦濤]][[中華人民共和国主席|国家主席]]と会談する。この訪中は中国側から「氷を砕く旅（破氷之旅）」と呼ばれて[[評価]]された。&lt;br /&gt;
;[[朝鮮民主主義人民共和国]]&lt;br /&gt;
:2007年[[2月12日]]に来日した[[ディック・チェイニー|チェイニー]]米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対する[[テロ支援国家]]指定の解除をしないように要請した。3月1日、[[六者会合|6者協議]]の[[日朝国交正常化]]に関する作業部会への対応について「拉致問題の完全解決、前進を目指して全力を尽くすように」と指示し、エネルギー支援の参加についても「我々が判断をして決めていきたい。北朝鮮が決めることではない。我々が（拉致問題で）納得できなければ前進とは認めない」と強調し、拉致問題を安倍政権の最重要課題とする従来の姿勢を確認した。&lt;br /&gt;
;[[アメリカ合衆国]]&lt;br /&gt;
:小泉政権により強化された[[日米安全保障条約]]をさらに充実させるため[[在日米軍]]と[[自衛隊]]の一体化を目指しており、[[集団的自衛権]]行使のための[[憲法改正]]も視野に入れている。&lt;br /&gt;
;[[オーストラリア]]&lt;br /&gt;
:オーストラリアとは「基本的価値観を共有する国家として連帯強化を目指している。[[日豪FTA]]の交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年[[3月13日]]には[[安全保障協力に関する日豪共同宣言]]に[[ジョン・ハワード]]首相と共に署名した。この宣言には[[国際連合平和維持活動|PKO]]などの海外活動や対[[テロリズム|テロ]]対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた。「豪との共同宣言が中国狙ったものでない」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史認識==&lt;br /&gt;
===戦争責任・村山談話===&lt;br /&gt;
総裁選を目前に控えた2006年9月7日、「[[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話|村山首相談話]]」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」とした。その一方で、2006年10月6日、衆議院[[予算委員会]]で、[[A級戦犯]]について、「[[戦争犯罪]]人である」と明言した小泉前総理の答弁を修正し、「国内法的には犯罪者ではない」との見解を示し、[[戦争責任]]については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816520061006003.htm|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 第3号|date=2006-10-06|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2006年10月5日、衆院予算委員会で、[[東条内閣]]の[[商工大臣]]だった岸信介が対米英開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」とも述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816520061005002.htm|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 2号|date=2006-10月-05|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===慰安婦問題・河野談話===&lt;br /&gt;
日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「[[新しい歴史教科書をつくる会]]」を支援して来た自民党内部の[[議員連盟]]「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会|日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会]]」（1997年2月27日結成）の元事務局長。現在[[中川昭一]]と共に顧問を務める。同会は特に「侵略戦争」や「[[慰安婦]]」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の[[強制連行]]を認めた「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]」を発表した[[河野洋平]]を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]の証言が虚偽であることが判明したため、「河野談話」および教科書への「慰安婦」の記述を載せることは問題であると指摘している&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/140/0414/14005270414002c.html|title=第140回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第2号|date=1997-05-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている&amp;lt;ref&amp;gt;『[[中央日報]]』　2005年4月2日付2面。&amp;lt;/ref&amp;gt;。総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言。[[2007年]]3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語った。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「決議案は客観的事実に基づいていない。」「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社民党の[[辻元清美]]の慰安婦問題に関する[[質問主意書]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm|title=安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書|date=2007-03-08|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に対して、政府は2007年3月16日の閣議で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm|title=衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書|date=2007-03-16|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「慰安婦」問題については存在しないとする立場を従来からとってきたことと、自民党有志でつくる「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]」による[[河野談話]]見直し発言&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「軍の慰安婦強制連行なかった…自民有志が見解表明要求 | work=読売新聞 | url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070301ia01.htm | accessdate=3月1日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;が一部マスコミの反発を招いた。2007年3月4日テレビ朝日の番組に出演した[[世耕弘成]]首相補佐官は、「河野談話を継承する」と発言&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「河野談話は継承＝世耕補佐官 | work=時事通信 | url = http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;k=2007030400072 | accessdate=3月4日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;し鎮静化を図ったが、近隣アジア諸国を中心に非難が巻き起こった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/02/AR2007030200235.html|title=Growing Chorus Slams War-Brothel Remarks|work=ワシントン・ポスト AP通信社|language=英語|date=2007-03-2|accessdate=3月2日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。安倍はその後、慰安婦について日本の責任を認める発言を繰り返し&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「安倍首相：従軍慰安婦で日本の責任認める　米メディアに | work=毎日新聞 | url = http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070421k0000e010063000c.html | accessdate=4月21日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、2007年4月27日には海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う」（I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.） 　「私たちは、戦時下の環境において、そうした苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている」（We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under　the circumstances at the time.）とお詫びを表明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6598289.stm|title=Abe explains sex slave comments|work=BBC News|language=英語|date=2007-04-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。同日の日米首脳会談で、ブッシュ大統領との会談で「人間として、首相として、心から同情している。申し訳ない思いだ」と謝罪&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「日米首脳会談 安倍首相、慰安婦謝罪具体的表現なし」 | work=中央日報 | url = http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=86960&amp;amp;servcode=200&amp;amp;sectcode=200 | accessdate=4月28日 | accessyear = 2007年 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;した。しかし、欧米のマスコミからは「二枚舌」(Double Talk)と非難された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/23/AR2007032301640.html ワシントンポスト2007年3月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[第21回参議院議員通常選挙]]敗北直後の2007年7月31日、アメリカ下院で[[アメリカ合衆国下院121号決議|慰安婦非難決議]]が採択された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 靖国神社参拝 ===&lt;br /&gt;
首相の[[靖国神社]]参拝について「国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だ。お参りすべきだと思う」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[歴史認識]]を巡って[[反日]]騒動が起こった[[中華人民共和国|中国]]と[[大韓民国|韓国]]の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは[[内政干渉]]だという見解を持っている。官房長官時代の2006年8月4日の記者会見で、同年4月15日朝に、密かに靖国神社を参拝していた（「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉ぐし料を収めた）ことについて質問された際には「参拝したかしないかについては申し上げるつもりはない」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首相就任後も参拝を続ける意向を示し、2007年1月17日の自民党大会で決定された運動方針でも「靖国参拝を受け継ぐ」ことが明記されたが、外交問題や政治問題になるのを避けるため自身の参拝については明言しない考えを改めて示した。首相在任中は参拝を行わなかったが、安倍はこれについて首相退任後に「『主張する外交』を展開する中で、日本のための将来の布石を打つため大きな決断をした」と説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 問題の指摘 ==&lt;br /&gt;
=== 団体や人物との関係 ===&lt;br /&gt;
; [[統一協会]]・[[国際勝共連合]]&lt;br /&gt;
: 母方の祖父[[岸信介]]と父[[安倍晋太郎]]が統一教会及びその関連団体である[[国際勝共連合]]と関わりが深いと言われていた（''詳細は[[岸信介#勝共連合・統一教会との関係|岸信介の当該記事]]や[[安倍晋太郎#関係する人物や団体|安倍晋太郎の当該記事]]を参照''）こともあり、晋三が次期総理候補として取り沙汰されるようになって以降、統一教会との関係を指摘をする雑誌等の記事が散見される。&lt;br /&gt;
: 官房長官当時の[[2006年]]、統一教会系列の団体である「[[天宙平和連合]]」 (UPF) の集会（[[合同結婚式]]も行われたとも言われたが統一教会は否定&amp;lt;ref&amp;gt;統一教会系列の韓国の『[[世界日報 (韓国)|世界日報（セゲイルボ）]]』はこの大会は、「韓日男女二千五百組の合同結婚が併せて行われた」と報じ、日本の統一教会の機関誌『中和新聞』（2006年6月1日付）も（合同結婚式の主要[[儀式]]である）「『聖水式』と『聖婚問答』が行われました」と報じたが、『セゲイルボ』は同月28日付で、合同結婚が行なわれたとしたのは誤報だったとして訂正文を掲載した。[http://www.uc-japan.org/hodo.aspx?id=364&amp;amp;pg=0 「『週刊現代』9月30日号記事に対する抗議及び謝罪・訂正要求」]&amp;lt;/ref&amp;gt;）のイベントに[[祝電]]を寄せた（[[保岡興治]]やその他の自民党議員も）ことが新聞、雑誌等で伝えられ&amp;lt;ref&amp;gt;この祝電の件について、『[[週刊現代]]』、『[[週刊ポスト]]』、『[[週刊文春]]』、『[[週刊新潮]]』などは取り上げなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、社会的に問題の多い団体と関係することへの批判を呼んだ。映像は[[インターネット]]上の[[動画]][[ウェブサイト|サイト]][[youtube]]にアップロードされ、ネット上で広く話題になった。このイベントで司会者が晋三を「岸信介元総理大臣のお孫さんでらっしゃり」と、岸信介時代からの親密振りをアピールして紹介していた。この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、後に「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。統一教会に批判的な[[ジャーナリスト]][[有田芳生]]によれば、安倍は統一教会は拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援しており、[[霊感商法]]などの問題で日本の公安当局の監視対象である団体であることから、面会を求められても会わないようにしているという方針を取っていると語っており&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://s03.megalodon.jp/2008-0602-2353-32/saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2006/09/post_92eb.html|title=安倍晋三と統一教会（1）&amp;lt;魚拓&amp;gt;|date=2006-09-12|author=[[有田芳生]]|work=有田芳生の酔醒漫録|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、また「目的のためなら平気で祝電を捏造するような組織ですから、勝手に名前を使うのもありうる話です」と解説している&amp;lt;ref&amp;gt;週刊朝日 2006年6月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: [[霊感商法]]被害対策に取り組んで来た「[[全国霊感商法被害者対策弁護士連絡会]]」が安倍と保岡に対し、真意や今後の姿勢を問う「公開質問状」を送ったが、二人とも回答をしていない&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/siryou/shitumon/060619.htm|author=全国霊感商法対策弁護士連絡会|title=公開質問状|date=2006-06-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[生長の家]]&lt;br /&gt;
:第2代生長の家[[総裁]]の[[谷口清超]]の著書の第1部は「美しい国」から始まる。また、政治[[評論家]]の[[有馬晴海]]は、「生長の家の政策部門の別働隊に[[日本政策研究センター]]がある。ここの[[伊藤哲夫]]所長こそ安倍首相の[[ブレーン]]です。安倍首相の考え方はほぼすべて伊藤所長の考えと同じと考えていい。首相は生長の家の信者ではないと思いますが、その教えには心酔していると思います」述べている。&lt;br /&gt;
; [[公明党]]・[[創価学会]]&lt;br /&gt;
: 父、晋太郎と祖父の岸信介は創価学会・公明党と関係が深かったと言われ、晋太郎は1985年、[[大石寺]]の[[正本堂 (大石寺)|正本堂]]完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、[[池田大作]]と何度も面会したという&amp;lt;ref&amp;gt;創価学会機関紙『[[聖教新聞]]』（2001年3月）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、小選挙区制度が導入され、二大政党制に近づけば、創価学会は自分から離れてゆくとの判断から、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「[[四月会]]」（代表幹事:[[俵孝太郎]]）&amp;lt;ref&amp;gt;「四月会」は自民党が野党に転落した1994年に、自民党を支持する宗教団体（「[[立正佼成会]]」、「[[霊友会]]」、「[[仏所護念会]]」などを中心に結成され、創価学会と公明党の関係を「政教一致だ」と批判してきたが、一部の教団が公明党と連立を組んだ自民党との関係修復に乗り出したことで2001年3月に解散した。&amp;lt;/ref&amp;gt;の集会などに参加したこともあった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sgkaibou&amp;quot;&amp;gt;[[朝日新聞]][[AERA|アエラ]]編集部 『創価学会解剖』（[[朝日新聞社]] 2000年1月1日） ISBN 978-4022612861 &amp;lt;/ref&amp;gt;。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという&amp;lt;ref name=&amp;quot;sgkaibou&amp;quot;/&amp;gt;。1989年に死去した池田大作の次男&amp;lt;!-- 著名活動をしていないと思われるので本名を記載しないで下さい。 --&amp;gt;は成蹊高校時代の同期生である&amp;lt;ref name=&amp;quot;faki&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.forum21.jp/2006/11/post_33.htm|work=FORUM21|title=特集/安倍・小泉新旧首相の池田大作詣で|date=2006-11-01|author=乙骨正生|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 首相就任直前の[[2006年]]9月22日に安倍晋三は、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、[[池田大作]]創価学会名誉会長と会談を持ったと主要新聞&amp;lt;ref&amp;gt;『[[日経新聞]]』・『[[毎日新聞]]』・『[[朝日新聞]]』・『[[読売新聞]]』や『[[週刊文春]]』などが報じた。毎日は20日と報道。&amp;lt;/ref&amp;gt;「『[[産経新聞]]』を除く」を初め各種[[マスメディア|メディア]]が伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の[[戸田城聖]]が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った&amp;lt;ref&amp;gt;『[[毎日新聞]]』 2006年10月8日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: その後、国会で池田と面会した事実があったかという[[野党]]の質問に対して安倍は「そういうことはございません。」という答弁を繰り返した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510110014001c.html|title=第165回国会 参議院 予算委員会 1号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年2月13日の衆議院[[予算委員会]]でも同様に否定した&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070213&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070213007.htm|title=第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号|accessdate=2008-05-14}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;kmovie20070213&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=33410&amp;amp;media_type=wn&amp;amp;lang=j&amp;amp;spkid=901&amp;amp;time=07:17:50.0|title= 「インターネット審議中継」[[亀井静香]]の安倍晋三への質疑（第166回国会 衆議院 予算委員会 7号|author=衆議院|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 安晋会&lt;br /&gt;
: {{See also|安晋会}}&lt;br /&gt;
: 国会で、 [[小嶋進]] [[ヒューザー]]社長（当時）が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の[[国会議員政策担当秘書|政策秘書]]を紹介してもらい、「[[構造計算書偽造問題|耐震偽装問題]]」に関して[[国土交通省]]への対応を働きかけてもらったことを[[証人喚問]]で認めた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009916320060117014.htm|title=第163回国会 国土交通委員会 第14号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ことでその存在が知られることになった。この私設後援会の代表はかつては[[バブル景気]]の際に自己[[破産]]した[[デベロッパー (開発業者)|デベロッパー]]会社会長であり、建設・不動産業者を中心とした「[[UDI経営者連合会]]」という政治団体の理事長の[[杉山敏隆]]（[[ヒューザー]]の[[ウェブサイト]]を運営していた&amp;lt;ref&amp;gt; {{cite web|url=http://web.archive.org/web/20050302234744/http://www.goalnet.co.jp/company/company.html|title=ゴールネット株式会社の公式サイト|accessdate=2008-05-14}} [[ウェブアーカイブ]]に保存されたもの&amp;lt;/ref&amp;gt;ゴールネット株式会社会長（息子の杉山剛太が社長））で、副会長は [[APAホテル]]会長の[[元谷外志雄]]（[[イーホームズ]]の[[藤田東吾]]社長がAPAホテルの耐震偽装の告発した直訴状を安倍晋三に直接手渡そうとしたが追い返された後にその偽装が発覚した）である。また、 耐震偽装事件とも関連があるとの説もあり、[[ライブドア事件]]の最中に不審死を遂げた[[エイチ・エス証券]]副社長であった野口英昭が[[理事]]（経理）になっていた&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊ポスト]]』（2006年2月10日号）&amp;lt;/ref&amp;gt;ことが判明したことなどから、「安晋会」は安倍の秘密後援会であり、安倍は耐震偽装問題に関して、業者の利益のために[[国土交通省]]に働きかけたのではないかなどの疑惑が出た。安倍は記者会見や国会で小嶋社長またヒューザー社とは一切関係がなく、国交省に対する働きかけは一切していないと明言し、国会では小嶋社長の証言の多くに嘘があると述べた。そして「『安晋会』は後援会とか政治団体ではなく、自分や自分の事務所が管理をしている団体ではない」、「慶應義塾大学の同窓生たちの親睦会で、自分が招待された際に自分の名前をとって『安晋会』と命名した」と説明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816420060126002.htm#p_honbun|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 2号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.netlaputa.ne.jp/~ken2net/sub100.htm|title=第165回国会 参議院 本会議 5号|accessdate=2007-10-04}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[アサリ]]輸入業者&lt;br /&gt;
: 現在輸入が禁止されている北朝鮮産のアサリを不正に輸出していた業者が、安倍との関係で摘発を逃れていたとする[[怪文書]]が2007年にマスコミで騒がれていた。実際、過去に父の安倍晋太郎と件のアサリ業者との癒着はあったが、安倍晋三との関係は無かったとされる&amp;lt;ref&amp;gt;「北」産? アサリ輸入業者と安倍一族の関係]」[[読売ウイークリー]] 2007年4月1日号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[コムスン]]&lt;br /&gt;
:[[グッドウィル・グループ]]のグループ会社で福祉介護ビジネスを行う株式会社[[コムスン]]（数々の不正を起こし、厚労省により全業務停止の処分をされている）と親密であったことが知られている。安倍晋三が[[内閣官房副長官]]時代には[[折口雅博]]会長と対談しており&amp;lt;ref&amp;gt;[http://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.comsn.co.jp%2Fcomsnpress%2Ftsushin%2Fct-10%2Fp-n10-6-11.html&amp;amp;date=20070609194523 折口雅博と安倍晋三との対談 - The Comsn Times（現在、コムスン側に該当ページを削除されたためウェブ魚拓のリンク）]&amp;lt;/ref&amp;gt;、安倍晋三は「コムスンは一生懸命やっておられる。」とコムスンを賛美している。対談では2人が笑顔で固い握手を交わす写真も掲載されている。&lt;br /&gt;
; [[在日本朝鮮人総聯合会]]&lt;br /&gt;
: 2008年1月26日、首相当時の番記者を集めた地元山口での[[オフレコ]]懇親会において、「朝鮮総連の山口の幹部とも俺は仲がいいんだよ。やっぱり幹部は金持ちだしね。いろいろと子弟の就職の世話とかを頼まれるんだよ」&amp;lt;ref name=bunshun20080221/&amp;gt;と述べている。&lt;br /&gt;
;[[在日韓国人]]系[[パチンコ]]業者&lt;br /&gt;
:韓国の[[親米保守]]勢力（現在は[[ハンナラ党]]）とは韓国が[[朴正煕]][[軍事独裁]]政権だった頃から[[国際勝共連合]]などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての[[親韓派]]だった。その繋がりのため、安倍の[[下関]]事務所は、日本で[[パチンコ]]事業を展開する[[在日韓国人]]系の[[七洋物産]]（東洋エンタープライズ）関連のビルを借りている。&amp;lt;ref&amp;gt;http://s01.megalodon.jp/2008-1001-0529-46/www.chosunonline.com/article/20060921000027&amp;lt;/ref&amp;gt;また下関の2000坪の実家は七洋物産から提供を受けており、地元下関（大規模なコリアンタウンがある）ではパチンコ御殿と呼ばれている。&lt;br /&gt;
;[[慧光塾]]&lt;br /&gt;
: [[光永仁義]]（[[1947年]][[11月3日]]-[[2005年]][[7月13日]]）が[[1993年]]に設立した[[経営コンサルタント]]会社。社長の光永は安倍の祖父の岸信介、父の晋太郎とも関係していたと言われ、安倍は父、晋太郎の秘書官時代に光永の設立した「光カメラ販売」（[[1991年]]倒産）では取締役に、「光国際通信」では「安晋会」代表の杉山敏隆と共に役員に就任していた&amp;lt;ref&amp;gt;「{{cite web|url=http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/07/post.html |title=『慧光塾』“教祖”と安倍晋三代議士との只ならぬ関係を物語る決定的証拠|work=情報紙「[[ストレイ・ドッグ]]」（山岡俊介取材メモ）|author=[[山岡俊介]]|date=2005-07-08|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[日興コーディアルグループ]]&lt;br /&gt;
: [[2006年]]、[[金融庁]]・[[証券取引等監視委員会]]の調査により日興コーディアルグループの不正[[会計]]処理が発覚した。同様の不祥事が起きた[[クラシエホールディングス|カネボウ]]は[[上場廃止]]となっており、日興も上場廃止基準に抵触すると見られたが、[[東京証券取引所]]は日興に上場廃止処分を下さず、[[監理ポスト]]に割り当てた。東京証券取引所は、[[赤字]]を[[黒字]]にしたのではないこと、組織的、意図的でないこと、を理由として挙げている。日興については、『[[サンデープロジェクト]]』に出演した[[山田厚史]]が「日興には安倍事務所に強い[[常務]]がいる」&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-02-21|url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200802210279.html|title=中国新聞ニュース|publisher=[[中国新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[2月21日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘している。&lt;br /&gt;
: なお、山田の発言に関しては、上場維持に安倍が関与したと誤解される表現だと主張し、安倍の[[公設秘書]]が山田と朝日新聞社を[[東京地方裁判所]]に訴え3400万円の[[損害賠償]]と[[謝罪]][[広告]]の掲載を要求した。2008年2月、山田が「テレビでの発言で、原告らが誤解するような表現があったとすれば遺憾」と表明し、公設秘書は損害賠償請求や謝罪広告の掲載を放棄する、とした[[和解]]が成立した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-02-21|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080221/trl0802212157008-n1.htm|title=安倍前首相秘書と朝日元編集委員が和解 - MSN産経ニュース|publisher=産経デジタル|language=日本語|accessdate=[[2月21日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 問題を指摘された行動 ===&lt;br /&gt;
==== NHKへの圧力疑惑 ====&lt;br /&gt;
{{Main|NHK番組改変問題|女性国際戦犯法廷#外国からの政治的影響を指摘する批判}}&lt;br /&gt;
イギリスの新聞紙「Times」がNHKの内部文書を暴露した。Timesが暴露した文章によると、NHKは安倍政権から南京大虐殺や慰安婦問題などへの言及を禁止されていたとのこと。安倍政権側はNHKに強く日本の保守的な民族主義と政府の立場を反映するように命令し、NHKもそれに従っていたと報じられた。&lt;br /&gt;
Timesは「イギリスでは話題になっている情報も取り上げられない」と述べ、安倍政権とNHKが癒着していることの問題性を指摘した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.thetimes.co.uk/tto/news/world/asia/article4239769.ece}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 脱税疑惑 ====&lt;br /&gt;
[[週刊現代]]は2007年9月29日号（9月15日発売）において、安倍が[[相続税]]を[[脱税]]していたとの記事を掲載した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
週刊現代は安倍の辞意表明当日に、以前から脱税疑惑についての取材を安倍に申し入れていたことを明らかにした&amp;lt;ref&amp;gt;「『脱税疑惑』全くの誤り＝週刊誌取材に安倍首相事務所」時事通信 2007年9月13日&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方で安倍の事務所は「事実無根である」と反論し、週刊現代を発行する[[講談社]]に対して、該当記事を掲載しないよう「警告文書」を送った。事務所の関係者によると、父である晋太郎が個人資産を政治団体に寄付し、相続税の支払いを免れたのではないか、との質問が週刊現代からあったという。同事務所は、「収支報告書には、あくまでも第三者からの寄付を晋太郎氏名義で記載しているにすぎない」として、全面的に否定している。総理大臣辞任に関して、健康問題は子の脱税問題をカモフラージュするためであるとの指摘もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本件は[[刑事事件]]としては既に時効が成立しているが、週刊現代は財務省相続税担当官の話として「これが事実なら明らかに脱税」、「自主的に納めていただきたい」などと掲載した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 危機管理 ====&lt;br /&gt;
; [[えひめ丸事件]]&lt;br /&gt;
: [[2001年]][[2月10日]]、アメリカ合衆国[[ハワイ州]]沖にて、[[愛媛県立宇和島水産高等学校]]所属練習船「[[えひめ丸]]」が[[アメリカ海軍]]所属[[原子力潜水艦]]「[[グリーンヴィル]]」に衝突され沈没する事件が発生した。[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編後)|森政権]]では、緊急事態発生時には内閣総理大臣、危機管理担当大臣、[[内閣官房長官]]、[[内閣官房副長官]]のいずれかが休日であっても30分以内に総理大臣官邸に参集し即応する危機管理体制を取っていた。えひめ丸事件発生時には、内閣総理大臣[[森喜朗]]、[[防災担当大臣]]（危機管理担当兼務）[[伊吹文明]]と内閣官房長官[[福田康夫]]は東京を離れており、緊急事態発生時の官邸参集は内閣官房副長官の安倍が担当だった。しかし、都内の自宅にいた安倍は事件発生後30分以上経っても官邸に出向かず、ゴルフ場にいた[[森喜朗]]に対し官邸側からその場を離れないように指示するなど対応が混乱し、後に大きな批判を浴びることになった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001815120010216007.htm 第151回国会 予算委員会 第7号（平成13年2月16日（金曜日））]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[イラク日本人人質事件]]&lt;br /&gt;
: 2004年4月8日、イラクで日本人3名が武装勢力によって誘拐され、犯行声明が出された際、小泉首相は読売新聞編集委員の橋本五郎、毎日新聞特別顧問の岩見隆夫など、複数の大手新聞社の幹部と懇談していた。そこに同席した安倍には、逐一、携帯電話で状況が報告されたが、会食が終わるまで小泉首相には報告しなかった。&lt;br /&gt;
; 能登半島地震&lt;br /&gt;
: 2007年[[3月25日]]、[[石川県]][[輪島市]]沖の日本海で[[マグニチュード]]6.9の[[能登半島地震]]（最大[[震度]]6強）が発生した。地震発生から数分後には総理大臣官邸の危機管理センターに対策室が設置された。しかし、安倍は週末や休日は公邸ではなく私邸で過ごすことが多く、地震発生の日も私邸に滞在していたため、発生から2時間後に官邸に到着した。衆議院議員の[[江田憲司]]は「東京直下型地震やテロが発生したら、道路事情等で迅速に官邸入りできない可能性もある」&amp;lt;ref name=shukanasahi20070511&amp;gt;関百合子・喜多克尚「勤務は『9時〜9時』夜は自宅でDVD首相就任200日、アベちゃんの『平凡なる総理ライフ』徹底分析」『[[週刊朝日]]』112巻22号、[[朝日新聞社]]、[[2007年]][[5月11日]]、34頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘し「危機管理の最高責任者である総理が、官邸のオペレーションルームに寄せられる生の情報をもとに瞬時に判断を下せないと意味がない。首相としての自覚があるなら、私邸に泊まるのは控えるべき」&amp;lt;ref name=shukanasahi20070511/&amp;gt;と批判した。なお、安倍内閣発足から204日間のうち、安倍が公邸に引っ越してから週末・休日に就寝した場所の内訳は公邸34%、私邸49%となる&amp;lt;ref&amp;gt;関百合子・喜多克尚「勤務は『9時〜9時』夜は自宅でDVD首相就任200日、アベちゃんの『平凡なる総理ライフ』徹底分析」『[[週刊朝日]]』112巻22号、[[朝日新聞社]]、[[2007年]][[5月11日]]、33-35頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 平成19年台風第4号&lt;br /&gt;
: 2007年[[7月14日]]、[[平成19年台風第4号]]（[[サファ・シンプソン・ハリケーン・スケール|SSHS]]カテゴリー4）が[[鹿児島県]]に上陸した。この[[台風]]は、[[沖縄県]]接近時に[[那覇市]]で最大瞬間風速56.3[[メートル]]（日本国内の7月の観測史上最大）を記録し、本土上陸時中心気圧は945[[ヘクト]][[パスカル]]（7月に日本に接近した台風としては観測史上初）を記録したことから、極めて大きな被害が予想された。同日、官邸で開かれた災害対策関係省庁局長会議にて安倍は「人命救助を最優先してほしい」と指示した。しかし、内閣府特命担当大臣（防災担当）の[[溝手顕正]]は自身の[[第21回参議院議員通常選挙|選挙]]運動のため帰郷したまま東京に戻らず、安倍も溝手に対し帰京する指示を出さなかったことから、防災対策の最高責任者が不在のままとなり論議を呼んだ。なお、この台風により全国各地で大規模な被害が発生したため、[[激甚災害法]]に基づき[[激甚災害]]（いわゆる「本激」）に指定された。&lt;br /&gt;
; 新潟県中越沖地震&lt;br /&gt;
: 2007年[[7月16日]]、[[新潟県]]沖の日本海でマグニチュード6.8の[[新潟県中越沖地震]]（最大震度6強）が発生した。[[第21回参議院議員通常選挙]]の遊説中に地震発生を知らされた安倍は、いったん官邸に戻ってから、地震発生当日にもかかわらず震度6強を記録した柏崎市を訪問した。余震の発生が懸念される中で首相自らが震源地に程近い現地を訪問したことは、危機管理の観点から議論を呼んだ。&lt;br /&gt;
: 元[[経済企画庁長官]]の[[堺屋太一]]は「現場に行ったときに果たして正確な情報が得られるのか。総理大臣は通信情報の拠点におられた方が良かった」&amp;lt;ref name=jiji20070722&amp;gt;{{Cite web|date=2007-07-22|url=http://www.tbs.co.jp/jijihoudan/last/070722.html|title=時事放談|publisher=[[東京放送]]|language=日本語|accessdate=[[7月22日]]|accessyear=[[2007年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘し、衆議院議員の[[加藤紘一]]は「担当大臣を派遣するっていうのが本来の第一歩だと思います。総理大臣は大将ですから、一番官邸にいて指示を出すっていうのがいい対応」&amp;lt;ref name=jiji20070722/&amp;gt;と指摘した。さらに、安倍の行動については「首相が発生直後に行けば、現場が首相への対応に人手を割かなければいけなくなり、行っても混乱するだけだ」&amp;lt;ref&amp;gt;「首相『危機管理』に懸命――政権発足後、初の大地震」『[[讀賣新聞]]』47518号、[[読売新聞東京本社]]、[[2008年]][[6月15日]]、4面。&amp;lt;/ref&amp;gt;との指摘もなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 問題を指摘された発言 ===&lt;br /&gt;
; 原子爆弾の保有・使用&lt;br /&gt;
: [[2002年]][[2月]]、[[早稲田大学]]での講演会（非公開）における[[田原総一朗]]との質疑応答で、「小型であれば[[原子爆弾]]の保有や使用も問題ない」、と発言したと『[[サンデー毎日]]』 （2002年6月2日号）が報じて物議を醸したが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と報道の間違いを指摘し、政府の“政策”としては[[非核三原則]]により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した[[第2次岸内閣|岸内閣]]の歴史的答弁（1959年、1960年）を学生たちに紹介したのであると説明した。&lt;br /&gt;
; 民主党を「中国の拡声器」&lt;br /&gt;
: 2002年5月19日中国・[[瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件]]に関して、テレビ番組において民主党を「中国の拡声器」と呼んで中傷した。安倍は、2日後の5月21日、参議院[[外交防衛委員会]]において、民主党の激しい反発にあい、発言を[[撤回]]した。&lt;br /&gt;
; 土井たか子と菅直人に対し「マヌケ」&lt;br /&gt;
: 2002年10月19日[[広島市]]・[[岡山市]]の講演において「[[1985年]]に韓国入国を図り逮捕された[[辛光洙]]（シン グァンス）容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、[[盧泰愚]]政権に要望書を出した人たちがいる。それが[[土井たか子]]、あるいは[[菅直人]]だ」「この2人は、[[スパイ]]で原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。この発言は両議員から抗議を受け、同月21日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられ、社民党の日森文尋衆院議員が抗議した。また、土井党首も記者団に「人格とか品格の問題にかかわる」と不快感を示した。結局、安倍が自らの発言を「不適切」と認めたことで、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会にて決着した。大野功統委員長が安倍に「適切さを欠く表現があったと思われるので注意して欲しい」と伝え、 安倍は「官房副長官という立場を考えると、不適切な発言だったので、今後十分注意する」と述べたという。 その後、大野委員長が、このやりとりを理事会で報告し、民主、社民両党も了承した&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』 2002年10月26日付{{cite web|url=http://www.asahi.com/politics/update/1025/005.html|title=安倍副長官、「間抜け」発言を不適切と認める|accessdate=2002-10-25}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; カタカナ語&lt;br /&gt;
: [[所信表明演説]]や[[施政方針演説]]において「[[外来語|カタカナ語]]」を使い過ぎているとの指摘を受けた&amp;lt;ref&amp;gt;「ゲートウェイ」、「グランドデザイン」、「[[リバースモーゲッジ|リバースモーゲージ]]」、「ホワイトカラー・エグゼンプション」、「新健康フロンティア戦略」、「[[イノベーション]]」、「セーフティーネット」、「パートナーシップ」、「[[バイオマス]]」、「[[同一性|アイデンティティー]]」など所信表明演説では109語、施政方針演説では90語の「カタカナ語」を使った。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』（2007年1月22日付夕刊） コラム「窓」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 漢字一文字で「責任」&lt;br /&gt;
: 2006年末に記者から「今年を漢字一文字で表すと？」と質問された際に、「それは…『責任』ですかね」と、二文字の漢字を回答した。&lt;br /&gt;
; ときわ台駅での警察官の殉職&lt;br /&gt;
: [[東武東上線]][[ときわ台駅 (東京都)|ときわ台駅]]で[[自殺]]しようとした女性を救おうとして[[殉職]]した、[[警視庁]]板橋署の[[巡査部長]]を[[2007年]][[2月12日]]夜に弔問した際、故人の勇気ある行為を讃えるコメントで、名前を2度にわたって間違えた。首相公邸連絡調整官（妻・[[安倍昭恵|昭恵]]の補佐員）と混同したのでは、と言う声が上がっている。これについて、作家の[[吉川潮]]は産経新聞のコラムで「『名前ぐらい、ちゃんと覚えて行け!』と叱りたくもなる」「総理の人間性にも問題があるのではないかと思ってしまう」と批判をしている。&lt;br /&gt;
; 長崎市長射殺事件&lt;br /&gt;
: 2007年[[4月17日]]、[[長崎市長射殺事件]]が発生し[[長崎市]][[市長]][[伊藤一長]]が射殺されると、安倍は「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」との短い総理談話を発表した。[[国際連合事務総長]]や与野党の党首・幹事長らが[[民主主義]]に対する[[テロ]]や[[暴力]]を強く非難する声明を発表するなか、安倍の談話が簡単なコメントに留まったことから、与野党から総理談話が不十分ではないかと疑問視する意見が出された。この指摘に対し、安倍は「こういうことで互いを非難するのはやめた方がいい」などと応えたため、批判の声が殺到した。&lt;br /&gt;
{{See also|長崎市長射殺事件}}&lt;br /&gt;
; 石川遼&lt;br /&gt;
: 2007年[[5月23日]]、「安倍首相自身が『会ってみたい』と対面を希望し」ていた[[杉並学院高等学校]]の[[石川遼]]との会談が実現し、安倍は[[総理大臣官邸]]にて揮毫を手渡した。しかし、石川は[[5月25日]]から中間テストを受ける予定であり、大事な時期に総理大臣官邸に呼びつけた安倍に対し批判がなされた。さらに、[[第21回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]に向けた話題づくりとして、[[投票権]]すらない高校生を利用してよいのかといった指摘がなされた。この問題に対し、[[直木三十五賞]]を受賞した[[作家]]の[[重松清]]は「『[[教育]]』を[[政策]]の柱に掲げる首相が、[[平日]]に高校生を官邸に呼びつけるというのは、やはりスジが通らない」と批判し、安倍が「真実一路」と記された[[色紙]]を石川に渡したことについて「この[[言葉]]を真に渡すべき相手、他にいるんじゃないですか?」と評した。ちなみに、「真実一路」とは、安倍内閣の[[農林水産大臣]]でさまざまな不祥事が指摘された[[松岡利勝]]の座右の銘でもある。&lt;br /&gt;
; 松岡利勝の自殺&lt;br /&gt;
: [[松岡利勝]][[農水相]]自殺に関して、「慚愧に堪えない」（恥ずかしくて仕方がない）とコメントした。首相周辺は「こういう結果に至ったことへの自らの責任を、この言葉に込めた」と解説しているが、メディアなどで不適切なコメントだと批判され、「慚愧」の意味を取り違えていたのではないかと推測されている。また、同時に「捜査当局から『松岡大臣や関係者の取り調べを行っていたという事実もないし、これから取り調べを行うという予定もない』と発言があったと聞いている」などとコメントし、捜査当局から首相官邸に連絡があったかのようなコメントであるとして話題になった。&lt;br /&gt;
; 2007年の参議院選挙&lt;br /&gt;
: 2007年参院選期間中の講演等で「（今回の選挙で）私と小沢さん、どちらが首相にふさわしいかを国民に問いたい」といった発言を繰り返した。選挙の結果、自民党は惨敗したが首相続投を表明し、自民党内からも批判の声が相次いだ。&lt;br /&gt;
; 2008年の衆議院補欠選挙&lt;br /&gt;
: 2008年4月、[[山口県第2区]]の衆議院議員補欠選挙にて、[[岩国市]]で[[山本繁太郎]]を支援する演説を行った際に、[[光市母子殺害事件]]の被害者家族について「[[光市]]の街頭演説には本村さんがいらっしゃいました。本村さんは私に『頑張ってください、山本さん（自民党公認候補）を応援しています』とおっしゃった。本村さんは山本繁太郎さんに賭けたのです!」と発言した。さらに、犯罪被害者支援問題について「お嬢さんを無惨に殺された本村さん。そのお嬢さんの[[遺影]]を持って私の所にやってきて『どうか安倍さん、この法律を通してください』と涙ながらに訴えたのです!」と発言した。&lt;br /&gt;
: しかし、本村洋は「演説で名前を出されて本当にビックリしました。（山本候補を応援した事実は）まったくありません」と否定しており、犯罪被害者支援問題についても「陳情したのは私ではない。遺影とかは出していませんが、[[小泉純一郎|小泉]][[内閣総理大臣|総理]]にお願いに行ったことはあります。安倍さんには光市での演説のときに初めて（聴衆の一人として）お会いしました」と説明したうえで、安倍の演説について「私がいないところでそういう発言をされたことはどうかと思います」と語っている。&lt;br /&gt;
: 安倍晋三事務所では「『お嬢さんを殺されたお母さん』と明確に述べたのであって、本村氏のことを述べたものではありません」と反論しており、本村との面識については「光市における街頭演説後、安倍が会場の多くの聴衆とマスコミの中で本村氏と挨拶をし、安倍が本村氏と会話をした」と主張している。そのうえで、この問題を報道した[[文藝春秋]]に対し抗議文を送付した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
;身体&lt;br /&gt;
:[[血液型]][[ABO式血液型|B型]]、[[身長]]175cm、[[体重]]70kg&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kantei.go.jp/jp/abeprofile/index.html|title=安倍総理プロフィール|author=首相官邸|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;座右の銘&lt;br /&gt;
: [[吉田松陰]]の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;&amp;gt;「自民党総裁選：3候補、20日投票へ火花 703票の争奪戦-2006総裁選」『朝日新聞』2006年9月9日&amp;lt;/ref&amp;gt;。「初心忘るべからず」&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍 晋三氏 自民総裁選 特集」『読売新聞』2006年9月8日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;愛読書&lt;br /&gt;
:[[古川薫]]の『留魂録の世界』（留魂録は吉田松陰の著作である）&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;尊敬する人物やファンである人物&lt;br /&gt;
: [[幕末]]期の思想家[[吉田松陰]]を尊敬する。彼の地元・山口県には松陰の[[松下村塾]]があり、そこの門下生だった[[高杉晋作]]から「晋三」の名が付けられた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061102.html |title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第4回「教育再生」|author=内閣府大臣官房政府広報室&lt;br /&gt;
|work=[[政府広報]]オンライン|date=2006-11-02|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:現在では非常に親しい間柄である（後述）[[アグネス・チャン]]は、2、30代のころファンだった&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;好物&lt;br /&gt;
: 安倍の好物は[[焼き肉]]、[[ラーメン]]、[[アイスクリーム]]、[[スイカ]]&amp;lt;ref name=&amp;quot;jp06921&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|work=人民網日文版|date=2006-09-21|url=http://j.peopledaily.com.cn/2006/09/21/jp20060921_63241.html|title=安倍総裁の素顔は? まめな兄貴、妻は元DJ|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;/&amp;gt;子供の頃から変わらない好みらしい&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061116.html |title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第6回「みんなで毎日朝ごはん」|author=内閣府大臣官房政府広報室|work=[[政府広報]]オンライン|date=2006-11-16|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。甘党として知られ、フジテレビ系の深夜番組「[[百識〜百で知るひとつの知識〜]]」によれば、[[ナポリアイスクリーム]]のPUPUと、東京の[[両国 (墨田区)|両国]]の洋菓子店MARRY'Sの[[マンゴープリン]]が好物だという（MARRY'Sの[[パティシエ]]は安倍の同級生）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.venture-ac.ne.jp/seminar/detail/20070115155330.html|title=月例セミナー「伝統を生かした商品開発」|author=[[日本ベンチャー学会]]|date=2007-01|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:2007年4月下旬の昼に総理官邸の大会議室に番記者を招き昼食を食べながら懇談したが、食事は政治家の昼食会合の定番のカレーライスだったが、安倍だけは[[ハヤシライス]]であった。政界では安倍のハヤシライス好きは有名であり、また、カレーのような辛いものは下痢になりやすい体質なので苦手であることを記者団に語った&amp;lt;ref&amp;gt;「ハヤシライスが大好きな安倍首相の健康問題」”FACTA” 2007年6月号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[ファッション]]&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe &amp;amp; George W Bush, 2007Apr27.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[4月27日]]、カジュアルな装いで[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]（右）と]]&lt;br /&gt;
: 寒がりである&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061207.html|title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第8回「ウォームビズから始めます」|work=政府広報オンライン|author=内閣府大臣官房政府広報室&lt;br /&gt;
|date=2006-12-07|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ため、[[小池百合子]][[環境大臣]]の音頭でスタートした[[クール・ビズ]]の一環である「国会内は[[ワイシャツ]]・ノー[[ネクタイ]]」が導入された当初は背広で通していた。&amp;lt;ref&amp;gt;「美しい国、日本」をファッションで表現 安倍晋三・新総理を勝手にスタイリング「美しい泣きっ面」に似合う服はコレだ!」『WWDジャパン』10月2号&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、東京新聞の政治ネットモニター調査では、クールビズが似合う政治家第二位となった&amp;lt;ref&amp;gt;「夏服の着こなしは 小泉首相、貫録勝ち?」『東京新聞』2006年7月30日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。2002年、清潔感を大切にしたファッションを心がけていることが評価され、政治経済部門で[[ベストドレッサー賞]]を受賞。「いつも私の服をチェックしてくれる妻が受賞したようなもの」とコメントした&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.mfu.or.jp/bestdresser2002.html|title=第31回 ベストドレッサー賞（2002年）|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。一族では大叔父の[[佐藤栄作]]が1973年、兄嫁の父である[[牛尾治朗]]が1981年に受賞している。&lt;br /&gt;
;[[アーチェリー]]&lt;br /&gt;
: 大学時代アーチェリーをしていた安倍は、2005年に[[全日本アーチェリー連盟]]の第6代会長に就任している（前任は同じく首相経験者の[[海部俊樹]]、父の安倍晋太郎も第4代会長である）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.archery.or.jp/ajaf/enkaku.html|title=沿革|author=社団法人全日本アーチェリー連盟|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年[[3月25日]]に連盟は総会で再び会長に推薦することを決定し&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-tp0-20070325-175016.html|title=アーチェリー連盟、安倍首相を会長に推薦|work=ニッカンスポーツ|date=2007-03-25|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、これを受託したため、14日の理事会で2期目を務めることとなった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-tp0-20070414-184516.html|title=安倍首相アーチェリー連盟会長2期目へ|work=ニッカンスポーツ|date=2007-04-14|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。首相であるため、職務は副会長が代行することになっている&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍会長を再任＝アーチェリー連盟」時事通信、2007年4月14日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 2006年[[4月28日]]の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のバラエティ番組では、[[明石家さんま]]とアーチェリーで対決、その腕前をテレビで初めて披露した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://newtop.s-abe.or.jp/janews/5fc5898b-4ee38b7058eb306e30a230fc30c130a730ea30fc59ff521d516c958b|title=必見! 代議士のアーチェリー姿初公開|work=安倍晋三公式サイト|date=2006-04-27|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[アグネス・チャン]]&lt;br /&gt;
:アグネス・チャンとは20年も親交がある友人で&amp;lt;ref name=&amp;quot;aakt&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.daily.co.jp/gossip/2007/03/19/0000275610.shtml|title=安倍総理がアグネスに歌詞提供|work=[[デイリースポーツ]]|date=2007-03-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;agsd&amp;quot;&amp;gt;「安倍首相が作詞家デビュー」[[スポーツ報知]] 2007年3月19日付&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://akie-abe.jp/index.php?ID=18|title=クリスマス|work=安倍昭恵のスマイルトーク|date=2007-02-05|author=安倍昭恵|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、よく食事を共にする&amp;lt;ref name=&amp;quot;sb2031009&amp;quot;&amp;gt;『週刊文春』（2003年10月9日号）161ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。2、30代の頃、彼女の熱心なファンであったが&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://news.livedoor.com/article/detail/3040505/|title=紀香に政界入りの噂、影には安倍首相の後ろ盾?|author=新華通信社|work=新華社NEWS|date=2007-02-21|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、外交官秘書時代にテレビ番組で知り合った&amp;lt;ref name=&amp;quot;gendainet07022420&amp;quot;&amp;gt;「恐るべしアグネス・チャン?!」 ゲンダイネット（2007年3月23日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。アグネスは安倍の結婚式に出席して祝辞を述べ&amp;lt;ref name=&amp;quot;sb2031009&amp;quot;/&amp;gt;、「草原の輝き」を歌った&amp;lt;ref name=&amp;quot;gendainet07022420&amp;quot;/&amp;gt;。安倍も彼女の結婚式に出席したが、彼女の結婚にがっかりしたという&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。&amp;lt;!--アグネスの政界入りの噂にも、背後に安倍との関係があったとされる&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。---&amp;gt;また、2007年にはアグネスのデビュー35周年を記念する[[アルバム]]のために、安倍は「平和」をテーマにした[[歌詞]]を[[作詞]]した&amp;lt;ref name=&amp;quot;aakt&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;agsd&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族 親族 ==&lt;br /&gt;
[[Image:PM and Mrs Abe arrive at WH 26 April 2007 cropped 1.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[4月26日]]、[[ホワイトハウス]]にて妻[[安倍昭恵]]（右から2人目）を伴い[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]夫妻と]]&lt;br /&gt;
*先祖に[[安倍宗任]]、[[平知貞]]、[[佐藤忠信]]ら。[[佐藤信寛]]（政治家）、[[本堂恒次郎]]（軍医）、[[大島義昌]]（軍人・[[陸軍大将]]、[[子爵]]）等がいる&lt;br /&gt;
* 祖父 [[安倍寛]]（政治家）、[[岸信介]]（官僚、政治家・首相）&lt;br /&gt;
* 大叔父 [[佐藤栄作]]（官僚、政治家・首相）&lt;br /&gt;
* 父 [[安倍晋太郎|晋太郎]]（新聞記者、政治家）&lt;br /&gt;
* 母 洋子（[[岸信介]]長女）&lt;br /&gt;
* 兄 寛信（三菱商事執行役員、妻は[[ウシオ電機]]会長[[牛尾治朗]]の娘）&lt;br /&gt;
* 弟 [[岸信夫|信夫]]（岸家へ養子、政治家）&lt;br /&gt;
* 妻 [[安倍昭恵|昭恵]]（[[森永製菓]]創業家の出身。創業者・[[森永太一郎]]から数えて6代目）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 家庭&lt;br /&gt;
: 昭恵夫人は[[韓流]]スターや[[韓国ドラマ]]が大好きで[[朝鮮語|韓国語]]までも習得したほどである。[[ファーストレディ]]の親韓的な姿勢は、小泉政権時代に悪化した[[日韓問題|日韓関係]]の改善につながるものと期待された。安倍の首相就任後の訪韓の際にも同行し、その流暢な韓国語で好意的に迎えられた。&lt;br /&gt;
: 昭恵夫人との間に子供はいないが、[[ダックスフント|ミニチュアダックスフント]]の愛[[イヌ|犬]]・ロイがいる。ロイは安倍が[[首相官邸]]に引っ越す際に、安倍夫妻の環境の変化への不安を理由に、私邸で留守番をすることになった（現在も留守番中）&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍首相夫妻、公邸へ 昭恵さん、内装リフォーム-知りたい!」[[毎日新聞]] 2006年11月25日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。ロイはこのことが非常に辛いようである&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://akie-abe.jp/index.php?ID=28|title=「週末」|author=安倍昭恵|work=安倍昭恵のスマイルトーク|date=2007-02-05|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}} ロイの写真あり&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 岸信夫&lt;br /&gt;
: 実弟の[[岸信夫]]が[[第20回参議院議員通常選挙]]に立候補した際、安倍は秘書に対して岸の出馬に反対する発言をしたと報道された&amp;lt;ref&amp;gt;松田賢弥「安倍晋三『空虚なプリンス』の血脈」『[[週刊現代]]』[[講談社]]、[[2006年]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。当時の秘書は「虚偽の事実を書かれ、地元での声望は地に落ちた」&amp;lt;ref name=asahi20080327&amp;gt;{{Cite web|date=2008-03-27|url=http://www.asahi.com/national/update/0327/SEB200803270010.html|title=asahi.com：安倍前首相の元秘書の請求棄却　週刊現代名誉毀損訴訟 - 社会|publisher=[[朝日新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[3月27日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;として筆者であるジャーナリストの[[松田賢弥]]を訴えたが、[[山口地方裁判所]]下関支部は「原告の発言内容がおおむねその通りに掲載されている」&amp;lt;ref name=asahi20080327/&amp;gt;として秘書の訴えを棄却した。&lt;br /&gt;
; 系譜&lt;br /&gt;
: 安倍家は、山口県大津郡日置村（後に油谷町に分割→現[[長門市]]）の大[[地主]]であり[[酒]]や[[醤油]]の[[醸造]]を営んでいた。祖父の[[安倍寛]]が日置村村長、山口県議会議員などを経て、1937年、衆議院議員に当選し政治一家となった&amp;lt;ref&amp;gt;『閨閥 改訂新版 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』 216-217頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 「[[共同通信社]]」出身のジャーナリスト[[古沢襄]]によると、安倍晋太郎は自分たち安倍家の[[ルーツ]]は岩手県（[[安倍氏 (奥州)]]）であり、[[安倍宗任]]の末裔だと言っていたという。安倍宗任は[[1051年]]の[[前九年の役]]にて[[源頼義]]、[[源義家]]率いる[[源氏]]に破れ、[[大宰府]]に配流された奥州（[[陸奥国]]）の[[豪族]]である。『閨閥 改訂新版 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』216-217頁に｢家系図をひもとくと安倍家は、[[鎌倉時代]]以前の奥州征伐などで名高い[[阿倍比羅夫]]、[[前九年の役]]の[[安倍貞任]]にまで繋がる歴史ある[[名門]]である｣とある。安倍家の元[[家政婦]]は東北地方に飛び、安倍一族の関係地と言われた地域の市町村役場などを丹念に回りながら、各地に古くから伝わる[[家系図]]を調べ歩いた。その結果、[[油谷町]]に住み着いた一族が[[安倍宗任|宗任]]の流れをくむ者たちであること､[[青森県]][[五所川原]]の石搭山･荒覇吐(あらはがき)神社に始祖である宗任が眠っているらしいことを調べ上げた。元家政婦からの報告を聞いた晋太郎は[[昭和]]62年（[[1987年]]）7月末､出馬表明した総裁選の全国遊説の折､妻洋子と[[安倍晋三|晋三]]夫妻を伴い同神社に出向き、先祖供養を果たした。なお案内役を兼ねて晋太郎たちに同行したのが画家の[[岡本太郎]]であり、岡本もまた安倍一族の流れをくむ一人として、自らのルーツに関心を持って調べたことがあったという&amp;lt;ref&amp;gt;『気骨　&amp;lt;small&amp;gt;安倍晋三のDNA&amp;lt;/small&amp;gt;』　41-44頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[平成]]元年（1989年）に発刊された『安倍一族』(盛岡タイムス社編纂)という一冊に晋太郎は『わが祖は「[[安倍宗任|宗任]]」』と題する､次の序文を寄せている。“[[安倍宗任|宗任]]より四十一代末裔の一人として自分の志した道を今一度省みながら華咲かしてゆく精進を続けられたら､と願うことしきりです”&amp;lt;ref&amp;gt;『気骨　&amp;lt;small&amp;gt;安倍晋三のDNA&amp;lt;/small&amp;gt;』　44頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。但し、安倍晋三にとり女系の祖先にあたり、父系は[[平氏]]であり平知貞の系譜をひく。平家滅亡により子孫の迫害を恐れ女系の安倍姓を称したという。また、母方の祖父　岸信介、[[佐藤栄作]]兄弟は源義経の郎党　[[佐藤忠信]]の末裔とされる&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kajika.net/furusawa/20060709-2.htm|title=安倍宗任と安倍晋三|author=古沢襄|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}} &amp;lt;/ref&amp;gt;。[[家紋]]は「丸に立梶の葉」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏昭和天皇━━━━━━━━━今上天皇&lt;br /&gt;
　　　　明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┏彬子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　麻生太賀吉　　┃　　　　　┗瑶子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┏信子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┗麻生太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏和子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田茂━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗桜子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田祥朔　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━吉田寛&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏さわ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┏寛子（栄作夫人）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤松介━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┗正子&lt;br /&gt;
佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃（池上）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤作造&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗茂世　　　　　安倍晋太郎　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━┳佐藤市郎　　┣━━━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　┃　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（佐藤）┃　┃（岸）　　　┃　　　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助　┣佐藤信介━━洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　岸要蔵━━┫　　　　┗佐藤栄作━┳佐藤龍太郎━━佐藤栄治&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┗佐藤信二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━━良子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（信介夫人）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt; &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助━━岸信介━━━┳岸信和&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　┗洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　岸要蔵━┫　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━良子　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　大島義昌━秀子　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　本堂恒次郎━静子　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━━━━━━安倍晋太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　安倍慎太郎……安倍彪助━安倍寛&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『吾が心は世界の架け橋－安倍[[外交]]の全記録』 ([[安倍晋太郎]]外交対象, [[新外交研究会]], [[1992年]]4月)&lt;br /&gt;
* 『この国を守る決意』（[[岡崎久彦]]との共著 [[2004年]]1月 [[扶桑社]] ISBN 4-594-04331-3&lt;br /&gt;
* 『安倍晋三対論集 [[日本]]を語る』 （[[PHP研究所]] [[2006年]]4月 ISBN 4569643639）&lt;br /&gt;
* 『美しい国へ』（[[文藝春秋]] [[2006年]]7月 ISBN 4166605240）&lt;br /&gt;
* 『日中対話 言論ブログ・ブックレット 私ならこう考える -- [[有識者]]の主張』 （[[言論NPO]] [[2006年]]12月 ISBN 9784903743011）&lt;br /&gt;
====テレビ====&lt;br /&gt;
良いとも。(2014年3月21日。フジテレビ)&lt;br /&gt;
この模様は超報道でも放送された&lt;br /&gt;
2014年4月19日のワイドショー及び。みやね。USJイベント放送&lt;br /&gt;
成功の遺伝子(2013年12月30日。日本テレビ)2015年2月15日に再放送放送された&lt;br /&gt;
成功の遺伝子2(2015年2月16日。日本テレビ)&lt;br /&gt;
みんなの報道。（2015年8月14日。フジテレビ。）&lt;br /&gt;
みやね。（2015年9月4日。読売テレビ。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*[[佐藤朝泰]]『豪閥　地方豪族のネットワーク』（[[学研ホールディングス|立風書房]]、2001年、75頁）&lt;br /&gt;
*[[神一行]]『閨閥　改訂新版　&amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』（[[角川書店]]、2002年、62、212-228頁）&lt;br /&gt;
*[[野上忠興]]『気骨　安倍晋三のDNA』（[[講談社]]、2004年）　&lt;br /&gt;
*[[山際澄夫]]『安倍晋三と「宰相の資格」』（[[小学館]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[大下英治]]『安倍家三代』（[[徳間書店]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[水島愛一朗]]『安倍晋三の人脈』（[[グラフ社]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[俵義文]]・[[魚住昭]]・[[横田一]]・[[利用者:佐高信|佐高信]]・『[[週刊金曜日]]』取材班『安倍晋三の本性』（株式会社[[金曜日]]、2006年、ISBN 4906605206）&lt;br /&gt;
*[[上杉隆]]『官邸崩壊』（[[新潮社]]、2007年 ISBN 4103054719）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[自由民主党]]&lt;br /&gt;
*[[n:安倍改造内閣が発足|安倍改造内閣が発足]]&lt;br /&gt;
*[[n:退陣論ある中、続投への決意 - 10日、安倍首相・所信表明|退陣論ある中、続投への決意 - 10日、安倍首相・所信表明]]&lt;br /&gt;
*[[n:安倍首相、辞任の意向を表明 - 所信表明直後|安倍首相、辞任の意向を表明 - 所信表明直後]]&lt;br /&gt;
* [[安倍内閣]]&lt;br /&gt;
* [[安倍改造内閣]]&lt;br /&gt;
* [[美しい国]]&lt;br /&gt;
* [[再チャレンジ]]&lt;br /&gt;
* [[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]&lt;br /&gt;
* [[安晋会]]&lt;br /&gt;
* [[真の人権擁護を考える懇談会]]&lt;br /&gt;
* [[重光昭夫]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://tokyo.s-abe.or.jp/ あべ晋三]公式サイト&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/abesouri/index.html 歴代内閣情報（HP開設以降）：安倍総理] - 首相官邸&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/koizumidaijin/010426/19abe.html 安倍晋三略歴]（内閣官房長官時代のもの） - 首相官邸&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/90.html 歴代総理の写真と経歴] - 首相官邸&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あへしんそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の反共主義者]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:長門市]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89&amp;diff=332203</id>
		<title>安倍晋三</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89&amp;diff=332203"/>
				<updated>2017-01-13T02:59:50Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:Abe Bush Heiligendamm G8 2007 002 (cropped).jpg|400px|thumb|安倍 晋三]]&lt;br /&gt;
[[Image:安倍 晋三と西田昌司.jpg|350px|thumb|安倍晋三と[[西田昌司]]([[JK画像3|JK]]とともに2012年12月)]]&lt;br /&gt;
'''安倍 晋三'''（あべ しんぞう、[[1954年]]（[[昭和]]29年）[[9月21日]] - ）は、[[日本]]の政党専従活動家。[[衆議院|衆議院議員]]（7期）、[[内閣総理大臣]]（[[第1次安倍内閣|第90代]]、[[第2次安倍内閣|第96代]]）、[[自由民主党総裁]]（第21代、第25代）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[自由民主党幹事長]]（第37代）、[[内閣官房長官]]（[[第3次小泉改造内閣|第72代]]）、[[内閣官房副長官]]などを歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
親族に政治家が多く、父方の[[おじいさん|祖父]]の[[安倍寛]]（元衆議院議員）、母方の祖父の[[岸信介]]（第56・57代内閣総理大臣）、大叔父の[[佐藤栄作]]（第61 - 63代内閣総理大臣）、父の[[安倍晋太郎]]（元[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]）、弟の[[岸信夫]]（[[国会議員|参議院議員]]）などがいる。妻は[[森永製菓]]社長令嬢の[[安倍昭恵]]。&lt;br /&gt;
[[岸要蔵]]の[[インブリート]](4×4)を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学卒業後、[[神戸製鋼所]]社員、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]][[秘書官]]を経て衆議院議員となる。[[内閣官房副長官]]、自由民主党幹事長、同幹事長代理、内閣官房長官等を歴任。2006年に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任。2007年9月26日に内閣総理大臣を退任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 出生 ===&lt;br /&gt;
[[1954年]][[9月21日]]、当時[[毎日新聞]]の[[記者]]だった[[安倍晋太郎]]とその[[妻]]、洋子の次男として[[東京]]で生まれる（[[本籍|本籍地]]は山口県大津郡油谷町（現・[[長門市]]）。 父方の祖父は衆議院議員の[[安倍寛]]（この時既に故人）、母方の祖父は後の首相・[[岸信介]]で、大[[おじ|叔父]]にはやはり後の[[首相]]・[[佐藤栄作]]がいる、[[政治家]]一族であった。安倍は「幼い頃から私には身近に[[政治]]がありました」と回想している。幼い頃は、[[野球選手]]や[[刑事]]になることに憧れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===学生時代===&lt;br /&gt;
[[成蹊学園]]を卒業。なお小学校から大学まで無試験のエスカレータ進学。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[小学校|小学]]4年生から5年生にかけての[[1964年]]から2年間[[平沢勝栄]]（後の衆議院議員、[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]で助言したと言われる）が[[家庭教師]]についていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[高等学校|高校]]で[[クラブ活動|クラブ]]は[[地理]]研究部に所属。高校卒業後、成蹊大学に進み[[行政学]]を学ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学では[[アーチェリー]]部に所属し、準レギュラーだった。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという。[[1977年]]春に渡米し、[[カリフォルニア州]][[ヘイワード (カリフォルニア州)|ヘイワード]]の英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後[[イタリア系アメリカ人]]の家に下宿しながら[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の語学学校に通った。秋に[[南カリフォルニア大学]]への入学許可が出され[[1978年]]に入学。[[政治学]]を専攻し春・夏・秋学期を履修した後、[[1979年]]に[[退学|中退]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===サラリーマン時代===&lt;br /&gt;
[[1979年]]4月に帰国し、[[神戸製鋼所|神戸製鋼]]に入社した。[[ニューヨーク]]事務所、[[神戸製鋼所加古川製鉄所|加古川製鉄所]]、東京本社で勤務した。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点」、あるいは「私の原点」だったと回顧している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===政界へ===&lt;br /&gt;
神戸製鋼での3年間勤務の後、[[1982年]]から当時[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]に就任していた父・晋太郎の下で[[秘書官]]等を務め、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての政治家修行を行う。[[1987年]]に松崎昭雄・[[森永製菓]]社長の娘で[[電通]]社員の[[安倍昭恵|昭恵]]と[[結婚]]する。その際の[[仲人|媒酌人]]を務めたのが、[[福田赳夫]]元[[内閣総理大臣|総理]]だった。[[1991年]]に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===衆議院議員===&lt;br /&gt;
[[1993年]]に亡父の地盤を引き継ぎ、[[第40回衆議院議員総選挙]]に山口1区（当時）より出馬し、初当選。父が[[自民党の派閥|派閥]]会長を務めていた[[清和政策研究会|清和会]]（当時[[三塚博|三塚]]派、後の森派→町村派）に属す。[[1997年]][[自民党青年局長]]就任し同次長には同い年で親友で同じ派閥の[[下村博文]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Robert Zoellick meets Shinzo Abe 2006-01-23.jpg|200px|thumb|[[2006年]][[1月]]、アメリカ合衆国国務副長官[[ロバート・ゼーリック]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
派閥領袖の[[森喜朗]]首相が組閣した[[2000年]]の[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編前)|第2次森改造内閣]]で、[[小泉純一郎]]に推薦され、[[内閣官房副長官]]に就任。森政権の後を受け、[[2001年]]に成立した[[第1次小泉内閣]]でも引き続き内閣官房副長官を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]、小泉首相の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問に随行し、小泉首相と[[金正日]][[総書記]]との[[首脳会談]]では「安易な妥協をするべきではない」と強硬論を繰り返し主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]は日本側の納得する形では決着せずに難航した。内閣[[参与]]の[[中山恭子]]と共に北朝鮮に対する[[経済制裁]]という強硬路線を主張した。拉致被害者の北朝鮮帰国方針にも中山と共に頑強に反対した&amp;lt;ref name=&amp;quot;naz2&amp;quot;/&amp;gt;。対話路線などの慎重論を唱える議員が多かった中で、安倍の姿勢は多くの支持を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]9月、小泉首相によって[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]に抜擢された。自民党は総幹分離の原則が長く続いており、総裁派閥幹事長は1979年の[[大平正芳]]総裁時代の[[斎藤邦吉]]幹事長以来24年ぶりであった。[[国務大臣|大臣]]経験もない若手議員が第一与党幹事長に就任するのは極めて異例のことであるが、苦戦が予想される同年11月の[[第43回衆議院議員総選挙|総選挙]]のために安倍の「人気」が必要とされたためと見られた。11月の総選挙で与党は[[安定多数|絶対安定多数]]の確保に成功したが自身と93年初当選同期で同じ清和研属す[[高市早苗]]や[[中村力]]は小選挙区敗北し[[比例復活]]すらならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」（[[派閥]]の長が配下の者に配る活動資金）の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。[[2004年]]4月[[埼玉8区]][[補欠選挙]]で自民党史上初の全国的な候補者公募実施し合格した新人[[柴山昌彦]]が当選（同公募には[[佐藤ゆかり]]も最終選考に残った）、同年夏の[[第20回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞職を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・[[武部勤]]の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任。幹事長経験者が幹事長代理に格下げになるということも大変異例なことだった。その幹事長代理として迎えた[[第44回衆議院議員総選挙|05年衆院選]]では[[保守]]派[[弁護士]]の[[稲田朋美]]を「[[小泉劇場#刺客|刺客]]」（「[[郵政民営化関連法案]]に反対した元自民党候補」に対する対抗馬、[[福井県第1区|福井1区]]の[[松宮勲]]への対抗馬）にスカウトした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ポスト小泉 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe Sep06.jpg|thumb|200px|[[2006年]][[9月24日]]、[[両国国技館]]にて[[大相撲]][[本場所|九月場所]]表彰式に出席]]&lt;br /&gt;
小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補の一人と言われ、[[2005年]][[10月31日]]付で発足した[[第3次小泉改造内閣]]では[[内閣官房長官]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。[[憲法改正]]や[[教育改革]]、[[財政]]健全化に取り組む方針を示す。また、[[2006年自由民主党総裁選挙|総裁選]]に当選し次第、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[9月20日]]、小泉の任期満了にともなう総裁選で[[麻生太郎]]、[[谷垣禎一]]を大差で破って自由民主党総裁に選出、[[9月26日]]の[[臨時会|臨時国会]]に於いて内閣総理大臣に指名される。[[戦後]]最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===内閣総理大臣===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 安倍内閣 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe 2006-Nov-18.jpg|200px|left|thumb|2006年のAPECでの安倍晋三]]&lt;br /&gt;
就任表明では「美しい国」というテーマのもとに「[[戦後体制|戦後レジーム]]からの脱却」「[[教育バウチャー]]制度の導入」「[[ホワイトカラーエグゼンプション]]」などといったカタカナ語を連発し、議員からは「わかりにくい」と揶揄された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は小泉前首相の[[靖国神社問題|靖国参拝問題]]のために途絶えていた[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]への訪問を表明。[[2006年]][[10月]]に中国・[[北京市|北京]]で[[胡錦濤]][[国家主席]]と会談、翌日には、[[盧武鉉]][[大統領 (大韓民国)|大統領]]と会談すべく韓国・[[ソウル特別市|ソウル]]に入り、小泉政権下で冷え切った日中・日韓関係を改善を目指した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北朝鮮が[[北朝鮮の核実験 (2006年)|核実験]]を実施したことに対しては「日本の[[安全保障]]に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、[[国際連合|国連]]の[[国際連合安全保障理事会決議1718|制裁決議]]とは別に、より厳しい[[北朝鮮の核実験 (2006年)#各国などの対応|経済制裁措置]]を実施した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[9月]]から[[11月]]にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える、[[郵政造反組復党問題]]が政治問題化する。[[12月]]には、懸案だった[[教育基本法]]改正と[[防衛省|防衛庁]]の[[省]]昇格を実現した。一方で、同月、安倍が肝いりで任命した[[本間正明]][[政府税制調査会|税制会長]]が[[公務員宿舎]]への入居と愛人問題で、[[佐田玄一郎]][[内閣府特命担当大臣|行改担当大臣]]が、架空事務所費計上問題で辞任、この後、閣内でスキャンダルが相次いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:33rdG8Leaders.jpg|200px|thumb|[[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダム・サミット]]で各国首脳らと]]&lt;br /&gt;
[[Image:Bush Abe, Camp David.jpg|200px|thumb|[[2007年]][[4月27日]]、記者会見時に[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月]]の安倍の慰安婦発言が「二枚舌」と欧米のマスコミから非難されたが、[[4月]]下旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続いて[[日米関係史|日米関係]]が強固なものであることをアピールした。[[5月28日]]、以前から様々な疑惑のあった[[松岡利勝]][[農林水産大臣|農水大臣]]が[[議員宿舎]]内で、首を吊って[[自殺]]。官邸で訃報に接した安倍は涙を流し「慙愧に耐えない」と会見し、その晩は公邸で妻の昭恵に「松岡さんにはかわいそうなことをした」と語っている。また[[年金記録問題]]が大きく浮上した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で、[[6月]]当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアに大きく報じられた。同月6日～8日には首相就任後初の[[主要国首脳会議|サミット]]である[[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダム・サミット]]に参加、[[地球温暖化]]への対策を諸外国に示した。また、議長総括に[[北朝鮮による日本人拉致問題]]の解決を盛り込ませた。[[7月3日]]には[[久間章生]][[防衛大臣]]の[[久間章生#「原爆投下はしょうがない」発言|原爆投下をめぐる「しょうがない」発言]]が問題化。安倍は当初続投を支持していたが、批判の高まりにより、久間に厳重注意を行なった（久間は翌日辞任）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 参議院議員選挙、内閣改造 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[7月29日]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である[[赤城徳彦]]農林水産大臣にもいくつかの[[赤城徳彦#不祥事|事務所費問題]]が発覚。安倍はこういった閣僚の諸問題への対応が遅いと非難された。選挙中に発生した[[新潟県中越沖地震]]では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。2007年の[[第21回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」と楽観視していたが、結果は37議席と連立を組む[[公明党]]の9議席を合わせても過半数を大きく下回る歴史的大敗を喫した。これまで自民党が強固に議席を守ってきた、[[東北地方]]や[[四国地方]]で自民党が全滅、勝敗を左右する[[参議院一人区]]も、軒並み民主党候補や野党系[[無所属]]に議席を奪われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明したが、これについては、応援演説において「私か[[小沢一郎|小沢さん]]か、どちらが首相にふさわしいか」と[[有権者]]に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する厳しい批判が出た。また、参院選直後の[[7月31日]]の[[自由民主党総務会|自民党総務会]]においても、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た（[[安倍おろし]]）。同日、アメリカ下院では[[アメリカ合衆国下院121号決議|慰安婦非難決議]]が議決されていた。翌[[8月1日]]には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と批判された。この頃から安倍は食欲の衰えなど体調不良を訴え始め、[[8月19日]]から[[8月25日]]の[[インドネシア]]、[[インド]]、[[マレーシア]]3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 安倍改造内閣 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe Sept. 8, 2007 full.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[9月8日]]、[[アジア太平洋経済協力]]首脳会議にて、[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
選挙結果や批判を受け、[[8月27日]]に内閣改造、党役員人事に着手した（[[安倍改造内閣]]）。ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。9月9日、[[オーストラリア]]・[[シドニー]]で開催された[[アジア太平洋経済協力|APEC]]（アジア太平洋経済協力会議）首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し[[9月10日]]からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続が出来なくなった場合は、[[内閣総辞職]]することを[[マニフェスト|公約]]した。この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良によりAPECの諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]][[9月10日]]に[[第168回国会|第168回臨時国会]]が開催され、安倍首相は[[所信表明演説]]を行った。その中で安倍首相は「職責を全うする」などという趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「[[美しい国]]」という言葉は結びに一度使ったのみであった。午後には「（改正案を通すのは）厳しいでしょうか」と辞任を示唆する発言を[[麻生太郎|麻生幹事長]]に漏らしていたが、麻生から「テロ特措法があがった後でよろしいのではないですか。絶対今じゃないです。」と慰留された。[[9月11日]]には妻の昭恵に対し「もうこれ以上、続けられないかもしれない」と語ったが、辞任の具体的な日程までは一切明かさなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 辞意表明 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[9月12日]]午後2時（[[日本標準時|JST]]）、「[[内閣総理大臣]]及び[[自由民主党総裁]]を辞する」と退陣を表明する記者会見を行った。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は辞任の理由として「[[テロ対策特別措置法|テロ特措法]]の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」「私が総理であることが障害になっている」などとした（小沢代表は記者会見を開き「打診を受けたことは1回もない」と否定。なお、小沢は党首会談について報じられてからも「意見を変える気はない」と明言している）。一方で、自身の健康に不安があるという理由も[[与謝野馨]][[内閣官房長官]]が同日中会見で述べている。24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もともと胃腸に持病を抱えているといわれており、辞意表明当日の[[読売新聞]]・特別号外でもそのことについて触れられていた。また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答している。なお、辞任に追い込まれた実質的原因については、本人が記者会見をこなしていることもあり、健康問題ではないとする見方をする論者も、立花隆を初めとして存在する。ちなみに、自身の健康問題で辞任した首相は過去に、[[石橋湛山]]や[[小渕恵三]]などがいるが、彼らは[[脳梗塞]]など重い病に侵されたためであり、記者会見が可能だった安倍とは比べものにならないほどの病状だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 突然の辞意表明に対する批判 =====&lt;br /&gt;
[[臨時会|臨時国会]]が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明は、各界各方面から批判を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
野党側は安倍の辞意表明について「無責任の極み」であるとして次のような批判をおこなった。　　&lt;br /&gt;
*「40年近くの政治生活でも、過半数を失って辞めず、改造し、所信表明をし、そして代表質問の前に辞職と言う例は初めてで、本当にどうなっているのか、総理の心境・思考方法については良く分かりません」（民主党・[[小沢一郎]]代表)&lt;br /&gt;
*「参院選の後に辞めていればよかった。こういう形の辞任は国民に失礼」（民主党・[[鳩山由紀夫]]幹事長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「所信表明直後の辞任は前代未聞」（共産党・[[志位和夫]]委員長）&lt;br /&gt;
*「タイミングがあまりにひどい、無責任です。『ぼくちゃんの投げ出し内閣』だ。小沢代表との会談が断られただけで辞任するのは子供っぽい理由」（社民党・[[福島瑞穂]]党首）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
与党側でも[[古賀誠]]元自民党幹事長などから退陣に至る経緯・理由が不透明であるという批判や、その他議員からも「なぜ今日なのか、無責任だ」という批判が出た。[[塩川正十郎]]元財相も「非常に無責任な辞め方。熱意と努力で乗り切ってもらいたくて支えてきた。支えてきた者から見たらこんな辞め方は無い」と批判した。また、公明党の[[北側一雄]]幹事長からも「なぜこの時期に辞意表明なのか、非常に理解しがたい」と批判された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[麻生太郎]][[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]は同日の会見において、記者からの「総理はいつ辞任を決断していたのか」との問いに対し、「2日くらい前といえばそうだし、昨日と言えばそうだし…、この3日間意向は全くかわらなかった」などと述べ、安倍の辞任を2日前（安倍晋三が臨時国会でテロ特措法の延長ができなければ内閣総辞職すると述べた日と同日）にはすでに知っていたことを明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月13日]]に[[朝日新聞社]]が行なった緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 国外の反応 =====&lt;br /&gt;
日本国外のメディアもトップニュースで「日本の安倍首相がサプライズ辞職」、「プレッシャーに耐えきれなかった」（アメリカ[[CNN]]）などと報じた。欧米諸国の報道では批判的な意見も多かったが、安倍内閣の下で関係が良好だった[[中華人民共和国]]、[[大韓民国|韓国]]、[[台湾]]のマスコミは同情的な意見が目立った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 入院・内閣総辞職 ====&lt;br /&gt;
退陣表明の翌日（9月13日）、[[慶應義塾大学病院]]に入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると[[医師]]団が発表した。これについても海外メディアで報道され、イギリス[[英国放送協会|BBC]]は「昨日官邸をチェックアウトした安倍首相は、今日は病院にチェックインした」「日本は1週間以上も、精神的に衰弱しきった総理大臣を抱えることになる」と報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[遠藤武彦]]農相に不正な補助金疑惑が発覚した際、遠藤の辞任の流れを[[与謝野馨]][[内閣官房長官]]と麻生幹事長の2人だけで決めて安倍を排除したことから、安倍が「麻生さんに騙された」と発言したと言われる。 この内容について[[9月14日]]の[[報道ステーション]]が麻生にインタビューで問い質したところ、麻生は「（9月14日に安倍氏の見舞いに行った時）『そんなこと言われて与謝野とふたりで困っている』と安倍総理に言ったら、『そんなこと言ってない』と笑っておられました。どなたかが意図的に流した[[噂#デマ|デマ]]でしょう」と反論をしている。同日の[[NEWS ZERO]]は、番組終盤に安倍の「麻生さんに騙された」という発言を速報という形で伝え、麻生と安倍との間に不穏な空気が流れていたとする報道を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、自民党の若手による「麻生-与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、[[9月18日]]の閣議後の会見において明確に否定した。さらに麻生幹事長は[[9月19日]]に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「[[中川秀直|中川（秀直）]]さんは11日（辞任表明の前日）に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[安倍内閣メールマガジン]]は[[9月20日]]配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージのもと、これをもって最終号を迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、病院側は、安倍首相の容体は回復軌道には入っているものの退院できる状態ではないとした。病室内では新聞は読まずテレビも基本的には視聴せず、外部の情報をシャットアウトした環境下で治療を行った。9月21日は安倍首相53歳の誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった。このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と[[内閣総理大臣臨時代理]]は置く予定はないという方針をとっていた。20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入院中、妻の昭恵から政治家引退を勧められたが、安倍は「いや、それは違う」と答え、議員辞職は拒否した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月23日]]に行われた自民党総裁選には欠席して前日に不在者投票を行い、前総裁のあいさつは[[谷川秀善]]両院議員総会長が代読した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月24日]]17時、[[慶應義塾大学病院]]にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「[[所信表明演説]]後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。また、自民党若手による「麻生クーデター説」については本人の口から改めて否定された。さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず[[内閣総理大臣臨時代理|臨時代理]]を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては政府内でも批判の声があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月25日]]、安倍内閣最後の閣議に出席し、国会へ登院して衆議院本会議での[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]に出席する意思を明らかにした。[[9月25日]]の安倍内閣最後の閣議で閣僚全員の辞職願を取り纏めて[[内閣総辞職]]した。安倍前首相は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。26日には[[皇居]]で行われた[[福田康夫]]首相の親任式に出席した後、再び病院へと戻った。なお、安倍内閣の在職日数は1年あまりとなる366日であり、[[日本国憲法]]下では歴代7位の短期政権となった。改造内閣はわずか31日の短命に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 内閣総理大臣退任後 ===&lt;br /&gt;
==== 健康の回復 ====&lt;br /&gt;
その後、入院していた慶應義塾大学病院から「一時帰宅」し、東京・富ヶ谷の私邸で自宅療養に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11月13日]]に[[テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法|新テロ特措法案]]の採決を行なう[[衆議院]][[本会議]]には「はってでも出たい」と出席し、白票（賛成票）を投じた。後の記者会見において安倍前首相は「回復しました」と元気な様子を見せた。また、同採決を地方出張のため棄権した民主党代表小沢一郎に対して、「無責任じゃないですか。本当は（小沢は）賛成だったんじゃないかという人もいますがね」と強く批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年1月、『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』に手記を寄稿。2007年9月の退陣に関し、体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが「このままでは首相の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった。決定的な要因のひとつだった」と告白するなど、辞任の主な理由は健康問題だったとしている。しかし現在は韓国料理屋で焼肉屋キムチやマッコリを食すなど、あまりに脅威的な回復であるため、辞任直前に問題となった脱税疑惑のカモフラージュではないかという疑念を持たれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年には[[第169回国会]]会期中に妻の昭恵と[[スキー]][[旅行]]や[[選抜高等学校野球大会]]の観戦に出かけるなどしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 政治活動の再開 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe and James Zumwalt 20090620.jpg|thumb|200px|[[2009年]][[6月20日]]、[[東京都]]にて[[臨時代理大使|日本駐箚アメリカ合衆国臨時代理大使]][[ジェームス・ズムワルト]]（右から1人目）と安倍（右から2人目）]]&lt;br /&gt;
2007年末、産経新聞のインタビューにて、「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」と述べ、2008年からは活動を本格的に再開し「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていく」と答えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年以降は政治活動を徐々に本格化させ、中華人民共和国国務委員の[[唐家セン|唐家璇]]と会談するなど外交への取り組みも再開した。同年1月、参院選時の公約への根強い批判に反論し、年金記録の照合作業を2008年3月までに終わらせると公約したが国民一人一人への支払いを保証したわけではない、と主張した。また、本来は国民各自が責任を持って年金記録を管理すべきと指摘し、政府に頼る風潮に疑問を呈した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年[[3月5日]]、安倍は勉強会「クールアース50懇話会」を立ち上げ、塩崎恭久や[[世耕弘成]]らが入会した。設立総会において、安倍は「[[第34回主要国首脳会議|北海道洞爺湖サミット]]を成功させるのは私の責任」と語り、同懇話会の座長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月6日]]、清和政策研究会（町村派）の総会に出席し、「首相として1年間、美しい国づくりに全力を傾注してきたが、残念ながら力が及ばなかった。私の辞任に伴い、みなさんに風当たりも強かったのではないか。心からおわびを申し上げたい」と述べて所属議員に謝罪した。この総会にて安倍の派閥への復帰が承認され、清和政策研究会相談役に就任した。[[4月28日]]に「主権回復五十六周年記念国民集会」でスピーチ、[[4月30日]]には「中国の人権状況を考えるシンポジウム」に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]][[8月15日]]朝、首相在任中に果たせなかった[[終戦の日|終戦記念日]]の[[靖国神社]]参拝をおこなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 2度目の総裁就任 ====&lt;br /&gt;
[[2012年]][[9月12日]]、谷垣総裁の任期満了に伴って行われる[[2012年自由民主党総裁選挙]]への出馬を表明。自らが所属する[[清和会]]の会長である[[町村信孝]]の出馬が既に取り沙汰されていたこともあり、前会長の森からは出馬について慎重な対応を求められていたものの、これを押し切る形での出馬となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初は、清和会が分裂選挙を余儀なくされた事や5年前の首相辞任の経緯に対するマイナスイメージから党員人気が高かった[[石破茂]]、党内重鎮からの支援を受けての出馬となった[[石原伸晃]]の後塵を拝していると見られていた。しかし、[[麻生派]]、[[高村派]]が早々と安倍支持を表明した事などが追い風となり、[[9月26日]]に行われた総裁選挙の1回目の投票で2位に食い込むと、決戦投票では、1回目の投票で1位となっていた石破を逆転。石破の89票に対し108票を得て、総裁に選出された。一度辞任した総裁が間を挟んで再選されるのは自民党史上初、決選投票での逆転は[[1956年12月自由民主党総裁選挙]]以来となった。なお、安倍はこの時、自身の体調に関して前回の総理大臣辞任後に発売された特効薬によりほぼ寛解したと説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 内閣総理大臣に再就任 ===&lt;br /&gt;
[[2012年]][[12月16日]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]で自民党が294議席を獲得して圧勝、政権与党に復帰。同年12月26日に第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が発足。1度辞任した内閣総理大臣の再就任は、戦後では[[吉田茂]]以来2人目である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 第2次安倍内閣 ====&lt;br /&gt;
===== TPP問題 =====&lt;br /&gt;
2012年11月14日の[[野田佳彦]]首相の解散表明により選挙の争点として浮上した[[環太平洋戦略的経済連携協定]](TPP)について、自民党はASEANでのTPP参加表明に反対し、「聖域なき関税撤廃」を前提とした交渉参加には反対するとしていた。一方、安倍は日本商工会議所会頭の岡村正との会談では交渉に含みをもたせ、「TPP推進に対して強い交渉力を発揮して頂けるという強い意気込みは感じたので心強く思う」と評価された。この岡村とのやりとりについて、経団連会長の[[米倉弘昌]]も「いいことだ」と歓迎している。しかし、その後の記者会見では「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」と否定し、その結果として衆院選では160人超の候補者が、TPP交渉参加反対を訴える農協（JA）系の政治団体から推薦を受け当選した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣では農水大臣に農政になじみの薄い[[林芳正]]を起用し、[[甘利明]]、麻生太郎など経済関係の主要閣僚にもTPP賛成派を配置。さらに外交政策に関して助言を行う[[内閣官房参与]]には「（東日本大震災に対して）日本がんばれと言っているのではないかと思う。こうした声援に応えるためにも、日本は積極的にTPPに参加すべきである。」(2011年12月）「（TPPは）日本が飛び乗るべきバス」(2010年12月）との発言をしている[[谷内正太郎]]を起用した。また、TPP賛成派の[[岡素之]]や[[大田弘子]]をそれぞれ内閣府[[規制改革会議]]議長及び議長代理とし、さらに新設の[[日本経済再生本部]]に設置された[[産業競争力会議]]のメンバーにも[[日本維新の会]]と関係の深いTPP賛成派の[[竹中平蔵]]や、TPP早期実現要請を行なっていた[[三木谷浩史]]を加えた。経済全般のマクロ政策を決める経済財政諮問会議の民間議員も全員TPP賛成派で、[[高橋進 (経済学者)|高橋進]]は構造改革派の論客として野田佳彦民主党政権の方針を力強く後押ししていた人物。[[伊藤元重]]にいたっては「TPPに参加できないなら、農村部にある多くの工場は閉鎖を余儀なくされる」というのが持論で、野田佳彦民主党政権の「社会保障制度改革国民会議」のメンバーでもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年2月23日、日米首脳会談後に共同声明を出した。それまでの関税に関する見解（カークUSTR代表と玄葉外務大臣との会談）は「物品関税の最終的な扱いについてはTPP交渉プロセスのなかで決まっていくもの」であったが、今回の共同声明は「一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する」との表現になった。この会談の結果、主要全メディアにおいてTPP賛成が増加し、共同通信63%、FNN53%、テレビ朝日51%、日本経済新聞47%などとなった一方、ニコニコ動画では46.5%が反対と回答した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年3月8日、日本政府が[[野田佳彦]]内閣当時の昨年3月の段階から『TPP交渉参加後発組に出された3条件』を把握していたにもかかわらず、国民に条件を告知することなく交渉参加を推進していたことが判明した。安倍はこの問題に関して衆院予算委員会で答弁を拒否し、質問した日本維新の会の[[松野頼久]]国会議員団幹事長が「政府が交渉参加のルールを探って議会に説明するのは当然の責任だ」と批判した。また岸田文雄外相は「少なくともわが国には、そうした条件の提示は全くない。引き続き情報収集に全力を挙げる」と答弁していたが、9日になって安倍は「ルールを作っていく上で、最初に入った人たちが後から入った人に議論を覆されたら困るというのは、それはそうだろうと思う」と述べた。安倍政権はこの3条件を政権移行直後に把握したが公表はしていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年3月14日、自民党のTPP対策委員会が「重要5品目等や国民皆保険制度などの聖域の確保を最優先」し、それが確保できないと判断した場合は「脱退も辞さない」とする決議をまとめた。ただ自民党執行部はこの決議に関して「彼らも地元に帰って反対してきたと言えるだろう」と慎重派のガス抜きであることを認めており、政府高官は今後の政府の交渉を縛らないと明言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」との発言からちょうど120日目にあたる2013年3月15日、TPP交渉参加という形で決着が図られることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年4月12日に決着したTPP交渉参加に向けた日米事前協議は大手各紙上でも『高い「入場料」』という言葉が飛び交い、米側に譲りに譲ったものとなった。日本政府のTPP交渉担当者が「なんとしても7月中には交渉に加わりたいのだが……」とあせりの色を隠せない中での事前協議であり、交渉に入る前から通商条件で大幅な譲歩を迫られる可能性があったが、現実のものとなった。焦点の自動車・保険分野では双方とも大幅譲歩であり、自動車分野では自動車関税について当面は乗用車・トラックの関税を維持した上、撤廃時期はTPPが認める範囲で最大限遅らせることで決着、保険分野ではかんぽ生命のがん保険など新商品の申請を事実上凍結したため、投資家に訴える新規事業への参入が不可欠な2015年秋までの株式上場は計画の見直しが不可避となり、政府が復興財源として期待していた日本郵政株式の売却収入4兆円が見通せなくなってしまった。のみならず、非関税措置について9つの分野で日米間で継続協議とされたため、1990年代に経験した日米構造協議、包括経済協議と同様に2国間の枠組みを使って日本に市場開放の圧力をかける構図が繰り返されることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 労働市場の構造改革（日本版「ワッセナー合意」）=====&lt;br /&gt;
企業が賃上げを促進し、政府は賃上げ企業への優遇や失業者対策を進め、労働者は労働市場流動化に同意し失業増を受け入れるという日本版「ワッセナー合意」が構想されていることが明らかになった。ただし、オランダで起こった[[ワッセナー合意]]は「労組は賃金の抑制」「政府は企業の社会保障負担を低減し労働者のための減税を実施」「経営者は仕事を分かち合い雇用を確保」という内容的には逆とも言えるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本版「ワッセナー合意」は、むしろ[[第1次安倍内閣]]で提唱された[[労働ビッグバン|日本版オランダ革命]]に近いものであり、[[日本維新の会]]のブレーンで[[聖域なき構造改革|小泉構造改革]]の中心人物であった[[産業競争力会議]]メンバー[[竹中平蔵]]の主張である「再就職支援金の支払いを条件に従業員の解雇を認めるといった解雇ルール」や「正規と非正規の中間的な雇用形態の導入」などが盛り込まれている。これについては、失業増を受け入れる労働組合はもちろん経済界も難色を示しているとされる。[[竹中平蔵]]は[[第1次安倍内閣]]の際には、著書の中で「[[既得権益]]を失う[[労働組合]]や、保険や年金の負担増を嫌う[[財界]]の反対で頓挫した」と述べていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 日台漁業交渉問題 =====&lt;br /&gt;
2013年4月に台湾との間で尖閣諸島沖の漁業範囲に関する取り決めを行った。この協定は官邸の独断で成立が決定されたため、水産庁や外務省などと事前協議を行っていた地元の漁協は強く反発し、「いずれこの漁業範囲から日本船が締め出され中国船や台湾船しかいなくなる」、と強い懸念を出している。実際に台湾漁船は当協定の成立が決定すると、協定の発行前から認められる予定の漁業範囲さえ超えた範囲で操業を開始した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 参議院議員選挙での圧勝 ====&lt;br /&gt;
''詳しくは「[[第23回参議院議員通常選挙]]」を参照。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年（平成25年）[[7月21日]]、[[7月28日|同月28日]]の任期満了に伴う第23回参議院議員通常選挙が行われた。自由民主党が政権を奪還し、第2次安倍内閣になってから初めての大型国政選挙となった。第1次安倍政権時に大敗を喫した第21回参議院議員通常選挙（[[#参議院議員選挙での敗北|前述]]）以降、[[参議院]]では政権[[与党]]が過半数を下回る[[ねじれ国会]]が続いており（2009年の[[第45回衆議院議員総選挙]]から2010年の[[第22回参議院議員通常選挙]]までの期間を除く）、非改選議員と合わせて与党が過半数を確保できるかが最大の焦点とされていたが、結果、前年12月の衆院選で大勝し政権与党に返り咲いた自民・公明両党が合わせて過半数を超える議席を獲得して大勝をおさめ、「ねじれ」を解消させることに成功。ここに安倍自身にとってもかつての雪辱を果たすことが叶った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
* [[1954年]]9月21日:[[東京都]]に生まれる。本籍地は[[山口県]][[大津郡]][[油谷町]]（現・[[長門市]]）。&lt;br /&gt;
* [[1977年]][[3月]]:[[成蹊大学]][[法学部]]政治学科卒業&lt;br /&gt;
* [[1977年]][[4月]]:[[アメリカ合衆国|米国]][[カリフォルニア州]][[ヘイワード (カリフォルニア州)|ヘイワード]]の英語学校に入学。その後、[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の語学学校に転校した。&lt;br /&gt;
* [[1978年]]4月:[[南カリフォルニア大学]]に入学。[[政治学]]を専攻し春・夏・秋学期を履修し、[[1979年]]に[[退学|中退]]。&lt;br /&gt;
* [[1979年]]4月:株式会社[[神戸製鋼所]]入社&lt;br /&gt;
* [[1982年]]11月:神戸製鋼所退社、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]（[[安倍晋太郎]]）秘書官に就任&lt;br /&gt;
* [[1993年]]7月:衆議院議員初当選（旧・山口1区）&lt;br /&gt;
* [[1993年]]7月:衆議院議員初当選&lt;br /&gt;
* [[1999年]]10月:衆議院厚生委員会理事&lt;br /&gt;
* [[2000年]]7月:[[第2次森改造内閣]]で[[内閣官房副長官]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2001年]]4月：引き続き[[第1次小泉内閣]]で内閣官房副長官に就任&lt;br /&gt;
* [[2003年]]9月:[[自由民主党幹事長]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2004年]]9月:自由民主党幹事長代理に就任 党改革推進本部長に就任&lt;br /&gt;
* [[2005年]]10月:[[第3次小泉改造内閣]]で[[内閣官房長官]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2006年]]9月:[[自由民主党総裁]]に選出、第90代[[内閣総理大臣]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2007年]]9月:[[自由民主党総裁]]及び[[内閣総理大臣]]を辞職&lt;br /&gt;
* [[2007年]]9月:[[安倍改造内閣|安倍内閣]]総辞職&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な所属議員連盟 ==&lt;br /&gt;
*[[日韓議員連盟]]&lt;br /&gt;
*[[日本会議]]国会議員懇談会&lt;br /&gt;
*[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]&lt;br /&gt;
* [[公共放送のあり方について考える議員の会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政見・政策 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 国家像 ===&lt;br /&gt;
; [[美しい国]]&lt;br /&gt;
: 総裁戦直前の[[2006年]][[7月19日]]に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行する[[ベストセラー]]になった。政権[[スローガン]]も「'''美しい国日本'''を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「'''[[戦後レジーム]]'''（体制）」からの新たな船出”と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、[[安全保障]]などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。&lt;br /&gt;
: これまでの日本の歴史認識を自虐的な[[東京裁判史観]]とする[[保守]]層からは好意的に迎えられる一方、[[左派]]からは内閣発足当初から[[集団的自衛権]]を容認しアメリカに追従する[[軍国主義]]的な体制を作ろうとするものではないかという懸念が示されている。また「美しい国」という理念について、何が・また何をもって“美しい”とするのかはっきりせず、抽象的であるとする批評もある。さらには任期中においては「美しい国作り」と言う'''目標として掲げたもの'''であったが、当時の社会問題などのニュースなどの締めに「これが美しい国の正体」などと'''現在進行形の問題'''を持ってくる報道も少なからず存在していた。&lt;br /&gt;
; アジア・ゲートウェイ構想&lt;br /&gt;
: 第165回国会の所信表明演説にて「日本がアジアと世界の架け橋となる『アジア・ゲートウェイ構想』を推進します」と述べ、内閣官房に「アジア・ゲートウェイ戦略会議」を設置した。第166国会の[[施政方針演説]]では、2007年5月までに「アジア・ゲートウェイ構想」を取りまとめると明言したが、この構想の議論が本格化すると、閣内で対立が尖鋭化する。2007年5月、内閣官房長官[[塩崎恭久]]、[[内閣府特命担当大臣]]（経済財政政策担当）[[大田弘子]]、特命担当大臣（規制改革担当）[[渡辺喜美]]、[[内閣総理大臣補佐官]]（経済財政担当）[[根本匠]]の四者がこの構想について協議した際には、意見の相違から渡辺が根本に掴み掛かるなど混乱し、塩崎が仲裁する事態に発展した。&lt;br /&gt;
; 地方自治&lt;br /&gt;
: [[道州制]]の導入を検討。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 憲法 ===&lt;br /&gt;
総裁選では施行60周年を迎えた[[日本国憲法]]を改正すると宣言し、総理就任後の国会で、「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、60年近くを経て現実にそぐわないものとなっているので、[[21世紀]]にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べた&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20061003&amp;quot;&amp;gt;衆議院　本会議　平成18年（2006年）10月3日）「在任中に憲法を改正をしたい」との考えを述べた。（平成18年12月19日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。また“私は、国会議員になった当初から改憲論者だが、3つの点で憲法を改正すべきだと主張してきた。第一の理由だが、現行憲法は占領軍の手によって、憲法の専門家ではない人たちによって2週間そこそこで書き上げられた、と言われており、やはり国の基本法である限り、制定過程にもこだわらざるを得ない”と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改憲のための[[国民投票法案]]（[[日本国憲法の改正手続に関する法律]]）の整備をおこなうが、選挙に向けて野党の反対を押し切り成立させたためメディアでは法案の不備について批判が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 安全保障 ===&lt;br /&gt;
日本版「[[国家安全保障会議]]」（NSC）構想を推進した。総理就任以前は[[憲法改正]]に関しては[[集団的自衛権]]の容認を打ち出して来た。総理就任後は、防衛庁を[[防衛省]]へ格上げした。これは「戦後レジーム（体制）から脱却し、新たな国造りを行うための第一歩」と意義付けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年11月14日、安倍内閣は閣議で、核保有についての[[鈴木宗男]]の[[質問主意書]]に対して、「政府としては、[[非核三原則]]の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「[[核兵器]]であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との[[答弁書]]を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe with KSG Students.jpg|thumb|200px|[[総理大臣官邸]]を訪れた[[ハーバード大学]]学生らと[[内閣官房長官]][[塩崎恭久]]と安倍晋三]]&lt;br /&gt;
2006年12月に[[教育基本法]]を改正し、教育の目標の一つとして[[愛国心]]という言葉を盛り込んだ他、[[義務教育]]9年の規定や[[男女共学]]の項を削除した。[[内閣府]]直属の「[[教育再生会議]]」を立ち上げ、2007年6月には[[教員免許更新制]]を導入した。その他、[[学校週五日制]]の見直しや[[大学]]進学の条件として社会[[奉仕]]活動の義務化を提唱した。その他の政策としては、[[教育バウチャー]]制度の導入を検討、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長を務め、自民党の[[山谷えり子]]らと共に[[ジェンダーフリー]]教育に対する批判等を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改正後の教育基本法については、「一見、立派なことが書いてあるが、家族・郷土・歴史・伝統・文化・国など、私たちが大切にしなければいけないものが抜け落ちている。日本人として生まれたことに誇りを持つためには、そうしたことを子どもたちに教えていくことが大切ではないか」「“世界から尊敬されている”ということも、誇りが持てるということにとって大切だ。世界に貢献していく際に“日本はこういう理想を持っており、こういう世界を実現していきたい”と述べていく必要がある」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公務員改革 ===&lt;br /&gt;
[[内閣府特命担当大臣]]（規制改革担当）に[[渡辺喜美]]を置き、官僚主導の政治体制、公務員の給料制度、[[天下り]]、業界の談合体質など官僚にまつわる諸悪を摘出し、政官業の関係を健全化しようと国家公務員法改正を打ち出した。同改正法に基づいて（1）官民人材交流センター（人材バンク）の制度設計（2）キャリア制度の見直し、という２つの作業が開始され、それぞれについて有識者懇談会が設けられた。安倍も[[成田空港]]社長に官僚OBがなることを却下したり、[[東京証券取引所]]への天下り人事にも横槍を入れるなどの行動を見せていたが、官僚や自民党内から激しい抵抗が起るようになる。渡辺喜美行政改革担当相が、自民党行政改革推進本部の会合に出席し、各省庁による天下り支援を禁止する案を説明すると、党側に『各省にあっせん機能を残すべきだ』と猛反発されたり、天下り規制の懇談会にて天下りをしている元事務次官7人のヒヤリング調査をしようとしたところ、担当官僚が元事務次官に懇談会出席の要請すらしない等の抵抗が見られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この公務員改革で安倍は、特に社会保険庁改革（社保庁民営化）に力を入れていた。その理由としては年金行政への信頼回復とともに、社保庁の民営化によって公務員削減の突破口にしたいとの狙いがあった。しかしここでも激しい抵抗にあった。[[田原総一郎]]によれば、安倍が社保庁民営化を目指していたことで、社保庁がクーデターを起こし、社保庁の年金が酷い状態であるということを社保庁自らが民主党やマスコミに選挙前に広め、「いかに安倍が危機管理ができないか」と国民に思わせて退陣を狙う「自爆テロ」を行い、そしてマスコミもそれに乗った、と指摘された。しかし、第二次安倍政権では安倍の肝いり人事でまたもや日本年金機構の情報流出事件が起こり、安倍自身の年金問題に関しての危機管理が甘さが問題となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 労働政策 ===&lt;br /&gt;
;再チャレンジ政策&lt;br /&gt;
:小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定[[雇用]]の増加やいわゆる[[格差社会]]の是正を掲げ、[[再チャレンジ]]政策の一環として[[フリーター]]を[[正社員]]として採用するよう企業に要請したが、2006年8月の [[日本経済団体連合会|経団連]]が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果であり、期待通りの成果は出なかった。「[[ワーキングプア]]と言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も[[非正規雇用]]者が[[正規雇用|正規社員]]へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、[[偽装請負]]等に関しても、「[[法令]]、[[労働基準法]]に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510130014003c.html|title=第165回国会 参議院 予算委員会 第3号|date=2006-10-13|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[ホワイトカラーエグゼンプション]]（事務職残業手当適用除外制度）&lt;br /&gt;
:「[[日米投資イニシアチブ報告書]]」に基づき、この制度を導入する予定であったが、 [[マスメディア|メディア]]で「[[時間外労働|残業]]代ゼロ法案」と批判的に報じられ、反対世論が強まったため、[[2007年]]1月17日、「現段階では国民の理解を得られない」として、国会提出を断念した。&lt;br /&gt;
;「[[最低賃金]]」&lt;br /&gt;
:最低賃金の抜本的引き上げは、「[[中小企業]]を中心に労働コスト増で、かえって雇用が失われ非現実的だ。」とした&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070130&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070130004.htm|title=第166回 衆議院本会議 4号|date=2007-01-30|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年3月の参議院の[[予算委員会]]では、「最低賃金制度を[[生活保護]]以上にしていくという改正を行ない、成長力底上げ戦略を進めていく中で、中小企業と労働者の生産性を上げることによって、最低賃金も上げるという二段構えの仕組みを検討している」考えを示した&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070319&amp;quot;&amp;gt;第166回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成19年（2007年）3月19日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;格差問題&lt;br /&gt;
:「[[格差社会|格差]]はいつの時代もあるわけであって、格差を全くなくすことはこれは不可能であろう」、「努力した人が報われる社会をつくっていく、汗を流した人、頑張った人が、知恵を出した人が報われる社会をつくっていかなければいけない」、「結果平等の社会をつくろうとは全く思っていない」、「格差においては、これは不公平、不公正な競争の結果であってはならないし、また、社会的にこれはやはり容認できないという格差であってはならない」、「格差が固定化されてはならない」と述べている&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070301&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070301017.htm|title=第166回国会 衆議院 予算委員会 17号|date=2007-03-01|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 治安政策 ===&lt;br /&gt;
[[組織犯罪処罰法]]（いわゆる「共謀罪法案」）について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「[[国際組織犯罪防止法条約]]」を」批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の[[通常国会]]で成立を図るよう指示したが、反対する世論や自民党内からの反発も強いため、継続審議となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 党運営 ===&lt;br /&gt;
[[郵政民営化]]時の造反[[議員]]を復党させた（[[郵政造反組復党問題]]）。これに対しては国民から強い反発が出たため、支持率はその後低下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会保障 ===&lt;br /&gt;
; 中国残留孤児&lt;br /&gt;
: [[中国残留孤児]]問題における訴訟では請求を取り下げられた[[原告]]団に面会し、新たな支援を検討していくことを確認した。&lt;br /&gt;
; [[慈恵病院]]の「こうのとりのゆりかご」&lt;br /&gt;
: 2007年[[2月23日]]に、[[熊本市]]の[[慈恵病院]]が[[赤ちゃんポスト]]の設置を計画していることについて、「[[ポスト]]」という名前や匿名で子供を置いていけるものだということに大変抵抗を感じると反対の意向を示した。&lt;br /&gt;
; 年金問題&lt;br /&gt;
: [[年金記録問題]]では民主党の[[小沢一郎]]との[[党首討論]]で「[[宙に浮いた年金記録|消えた年金]]はどうするのか」という野党からの追及に対し「年金は消えたわけではない」として年金時効撤廃特例法案など具体的な救済案を提示した。該当者不明の年金記録5000万件の照合作業については「三千万人の方々とこの二千八百八十万件を一年間のうちに突合いたします」「一年間で私たちはすべて突合を行うということをお約束をする」と断言、当初2年程度を想定していた調査期間を前倒しすると表明し、自民党の公式HPでも宣伝した。第21回参議院議員通常選挙の際は、安倍自身が「最後の一人まですべての記録をチェックし、まじめに保険料を払ってきた人の受給を保障する」と各地で演説した。&lt;br /&gt;
: メディアや専門家からは、その公約の実現性に対して当初から懐疑的な意見が出されていた。[[社会保険庁]]は年金記録の照合作業を進めたものの、[[2008年]][[3月]]末までに持ち主が判明するのは1000万人程度に留まり、名寄せ困難な記録が1975万件に達すると発表された（人数や件数は[[2007年]][[12月]]時点での推計値）。安倍の公約実現は絶望的となり、後任の首相である福田康夫が謝罪する事態となった。福田は「（当時の）安倍総理は割合ときちんと言っているんじゃないかと思います」と安倍を擁護したが、内閣官房長官の[[町村信孝]]は「亡くなった方もいる。『最後の一人まで』ということはありえない。もとより無理」と述べ、安倍の公約の問題点を指摘した。&lt;br /&gt;
: 2008年1月、安倍はマスコミとの懇談の席上、「年金ってある程度、自分で責任を持って自分で状況を把握しないといけない。何でも政府、政府でもないだろ」と指摘した。公約違反との批判に対しては「今になって（参院選の）選挙演説の『最後の一人までチェックして支払います』が公約違反と言われるけど、俺は一言も三月までに支払うとは言ってないんだぜ」と反論している。&lt;br /&gt;
: 2008年3月、社会保険庁の照合結果が公表され、1172万件分の持ち主が特定できたが、名寄せ困難な未解明記録は2025万件に達したことが明らかになった。&lt;br /&gt;
: なお、国民皆年金制度は祖父・[[岸信介]]が首相時代に策定したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交 ===&lt;br /&gt;
[[Image:APEC2006 Roh Bush Abe (2).jpg|thumb|200px|[[2006年]]の[[アジア太平洋経済協力|APEC]]にて、[[大韓民国大統領]][[盧武鉉]]、[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と、安倍晋三]]&lt;br /&gt;
[[Image:DickCheney visits ShinzoAbe in Tokyo, 2007Feb21.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[2月21日]]、[[総理大臣官邸]]にて[[アメリカ合衆国副大統領]][[ディック・チェイニー]]と会談する安倍晋三]]&lt;br /&gt;
''下記の[[安倍晋三#歴史認識|歴史認識]]も参照''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日中・[[日韓問題|日韓関係]]を改善し、[[東アジア共同体]]の構想に強い意欲を示す。[[新自由主義]]政策・[[グローバル資本主義]]を推進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[大韓民国]]&lt;br /&gt;
:韓国の[[親米保守]]勢力（現在は[[ハンナラ党]]）とは韓国が[[朴正煕]][[軍事独裁]]政権だった頃から[[国際勝共連合]]などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての[[親韓派]]だった安倍も首相になってから「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っております。」と[[親韓]]的な発言をしている。&lt;br /&gt;
;[[中華人民共和国]]&lt;br /&gt;
:2006年の[[自民党総裁選]]では、ありのままの日本を知ってもらう為に多くの[[中華人民共和国|中国人]][[留学生]]を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した日中関係の改善に意欲を見せた。首相就任後、真っ先に訪中して[[胡錦濤]][[中華人民共和国主席|国家主席]]と会談する。この訪中は中国側から「氷を砕く旅（破氷之旅）」と呼ばれて[[評価]]された。&lt;br /&gt;
;[[朝鮮民主主義人民共和国]]&lt;br /&gt;
:2007年[[2月12日]]に来日した[[ディック・チェイニー|チェイニー]]米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対する[[テロ支援国家]]指定の解除をしないように要請した。3月1日、[[六者会合|6者協議]]の[[日朝国交正常化]]に関する作業部会への対応について「拉致問題の完全解決、前進を目指して全力を尽くすように」と指示し、エネルギー支援の参加についても「我々が判断をして決めていきたい。北朝鮮が決めることではない。我々が（拉致問題で）納得できなければ前進とは認めない」と強調し、拉致問題を安倍政権の最重要課題とする従来の姿勢を確認した。&lt;br /&gt;
;[[アメリカ合衆国]]&lt;br /&gt;
:小泉政権により強化された[[日米安全保障条約]]をさらに充実させるため[[在日米軍]]と[[自衛隊]]の一体化を目指しており、[[集団的自衛権]]行使のための[[憲法改正]]も視野に入れている。&lt;br /&gt;
;[[オーストラリア]]&lt;br /&gt;
:オーストラリアとは「基本的価値観を共有する国家として連帯強化を目指している。[[日豪FTA]]の交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年[[3月13日]]には[[安全保障協力に関する日豪共同宣言]]に[[ジョン・ハワード]]首相と共に署名した。この宣言には[[国際連合平和維持活動|PKO]]などの海外活動や対[[テロリズム|テロ]]対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた。「豪との共同宣言が中国狙ったものでない」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史認識==&lt;br /&gt;
===戦争責任・村山談話===&lt;br /&gt;
総裁選を目前に控えた2006年9月7日、「[[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話|村山首相談話]]」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」とした。その一方で、2006年10月6日、衆議院[[予算委員会]]で、[[A級戦犯]]について、「[[戦争犯罪]]人である」と明言した小泉前総理の答弁を修正し、「国内法的には犯罪者ではない」との見解を示し、[[戦争責任]]については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816520061006003.htm|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 第3号|date=2006-10-06|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2006年10月5日、衆院予算委員会で、[[東条内閣]]の[[商工大臣]]だった岸信介が対米英開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」とも述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816520061005002.htm|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 2号|date=2006-10月-05|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===慰安婦問題・河野談話===&lt;br /&gt;
日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「[[新しい歴史教科書をつくる会]]」を支援して来た自民党内部の[[議員連盟]]「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会|日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会]]」（1997年2月27日結成）の元事務局長。現在[[中川昭一]]と共に顧問を務める。同会は特に「侵略戦争」や「[[慰安婦]]」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の[[強制連行]]を認めた「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]」を発表した[[河野洋平]]を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]の証言が虚偽であることが判明したため、「河野談話」および教科書への「慰安婦」の記述を載せることは問題であると指摘している&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/140/0414/14005270414002c.html|title=第140回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第2号|date=1997-05-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている&amp;lt;ref&amp;gt;『[[中央日報]]』　2005年4月2日付2面。&amp;lt;/ref&amp;gt;。総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言。[[2007年]]3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語った。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「決議案は客観的事実に基づいていない。」「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社民党の[[辻元清美]]の慰安婦問題に関する[[質問主意書]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm|title=安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書|date=2007-03-08|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に対して、政府は2007年3月16日の閣議で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm|title=衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書|date=2007-03-16|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「慰安婦」問題については存在しないとする立場を従来からとってきたことと、自民党有志でつくる「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]」による[[河野談話]]見直し発言&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「軍の慰安婦強制連行なかった…自民有志が見解表明要求 | work=読売新聞 | url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070301ia01.htm | accessdate=3月1日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;が一部マスコミの反発を招いた。2007年3月4日テレビ朝日の番組に出演した[[世耕弘成]]首相補佐官は、「河野談話を継承する」と発言&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「河野談話は継承＝世耕補佐官 | work=時事通信 | url = http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;k=2007030400072 | accessdate=3月4日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;し鎮静化を図ったが、近隣アジア諸国を中心に非難が巻き起こった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/02/AR2007030200235.html|title=Growing Chorus Slams War-Brothel Remarks|work=ワシントン・ポスト AP通信社|language=英語|date=2007-03-2|accessdate=3月2日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。安倍はその後、慰安婦について日本の責任を認める発言を繰り返し&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「安倍首相：従軍慰安婦で日本の責任認める　米メディアに | work=毎日新聞 | url = http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070421k0000e010063000c.html | accessdate=4月21日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、2007年4月27日には海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う」（I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.） 　「私たちは、戦時下の環境において、そうした苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている」（We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under　the circumstances at the time.）とお詫びを表明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6598289.stm|title=Abe explains sex slave comments|work=BBC News|language=英語|date=2007-04-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。同日の日米首脳会談で、ブッシュ大統領との会談で「人間として、首相として、心から同情している。申し訳ない思いだ」と謝罪&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「日米首脳会談 安倍首相、慰安婦謝罪具体的表現なし」 | work=中央日報 | url = http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=86960&amp;amp;servcode=200&amp;amp;sectcode=200 | accessdate=4月28日 | accessyear = 2007年 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;した。しかし、欧米のマスコミからは「二枚舌」(Double Talk)と非難された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/23/AR2007032301640.html ワシントンポスト2007年3月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[第21回参議院議員通常選挙]]敗北直後の2007年7月31日、アメリカ下院で[[アメリカ合衆国下院121号決議|慰安婦非難決議]]が採択された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 靖国神社参拝 ===&lt;br /&gt;
首相の[[靖国神社]]参拝について「国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だ。お参りすべきだと思う」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[歴史認識]]を巡って[[反日]]騒動が起こった[[中華人民共和国|中国]]と[[大韓民国|韓国]]の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは[[内政干渉]]だという見解を持っている。官房長官時代の2006年8月4日の記者会見で、同年4月15日朝に、密かに靖国神社を参拝していた（「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉ぐし料を収めた）ことについて質問された際には「参拝したかしないかについては申し上げるつもりはない」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首相就任後も参拝を続ける意向を示し、2007年1月17日の自民党大会で決定された運動方針でも「靖国参拝を受け継ぐ」ことが明記されたが、外交問題や政治問題になるのを避けるため自身の参拝については明言しない考えを改めて示した。首相在任中は参拝を行わなかったが、安倍はこれについて首相退任後に「『主張する外交』を展開する中で、日本のための将来の布石を打つため大きな決断をした」と説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 問題の指摘 ==&lt;br /&gt;
=== 団体や人物との関係 ===&lt;br /&gt;
; [[統一協会]]・[[国際勝共連合]]&lt;br /&gt;
: 母方の祖父[[岸信介]]と父[[安倍晋太郎]]が統一教会及びその関連団体である[[国際勝共連合]]と関わりが深いと言われていた（''詳細は[[岸信介#勝共連合・統一教会との関係|岸信介の当該記事]]や[[安倍晋太郎#関係する人物や団体|安倍晋太郎の当該記事]]を参照''）こともあり、晋三が次期総理候補として取り沙汰されるようになって以降、統一教会との関係を指摘をする雑誌等の記事が散見される。&lt;br /&gt;
: 官房長官当時の[[2006年]]、統一教会系列の団体である「[[天宙平和連合]]」 (UPF) の集会（[[合同結婚式]]も行われたとも言われたが統一教会は否定&amp;lt;ref&amp;gt;統一教会系列の韓国の『[[世界日報 (韓国)|世界日報（セゲイルボ）]]』はこの大会は、「韓日男女二千五百組の合同結婚が併せて行われた」と報じ、日本の統一教会の機関誌『中和新聞』（2006年6月1日付）も（合同結婚式の主要[[儀式]]である）「『聖水式』と『聖婚問答』が行われました」と報じたが、『セゲイルボ』は同月28日付で、合同結婚が行なわれたとしたのは誤報だったとして訂正文を掲載した。[http://www.uc-japan.org/hodo.aspx?id=364&amp;amp;pg=0 「『週刊現代』9月30日号記事に対する抗議及び謝罪・訂正要求」]&amp;lt;/ref&amp;gt;）のイベントに[[祝電]]を寄せた（[[保岡興治]]やその他の自民党議員も）ことが新聞、雑誌等で伝えられ&amp;lt;ref&amp;gt;この祝電の件について、『[[週刊現代]]』、『[[週刊ポスト]]』、『[[週刊文春]]』、『[[週刊新潮]]』などは取り上げなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、社会的に問題の多い団体と関係することへの批判を呼んだ。映像は[[インターネット]]上の[[動画]][[ウェブサイト|サイト]][[youtube]]にアップロードされ、ネット上で広く話題になった。このイベントで司会者が晋三を「岸信介元総理大臣のお孫さんでらっしゃり」と、岸信介時代からの親密振りをアピールして紹介していた。この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、後に「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。統一教会に批判的な[[ジャーナリスト]][[有田芳生]]によれば、安倍は統一教会は拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援しており、[[霊感商法]]などの問題で日本の公安当局の監視対象である団体であることから、面会を求められても会わないようにしているという方針を取っていると語っており&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://s03.megalodon.jp/2008-0602-2353-32/saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2006/09/post_92eb.html|title=安倍晋三と統一教会（1）&amp;lt;魚拓&amp;gt;|date=2006-09-12|author=[[有田芳生]]|work=有田芳生の酔醒漫録|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、また「目的のためなら平気で祝電を捏造するような組織ですから、勝手に名前を使うのもありうる話です」と解説している&amp;lt;ref&amp;gt;週刊朝日 2006年6月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: [[霊感商法]]被害対策に取り組んで来た「[[全国霊感商法被害者対策弁護士連絡会]]」が安倍と保岡に対し、真意や今後の姿勢を問う「公開質問状」を送ったが、二人とも回答をしていない&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/siryou/shitumon/060619.htm|author=全国霊感商法対策弁護士連絡会|title=公開質問状|date=2006-06-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[生長の家]]&lt;br /&gt;
:第2代生長の家[[総裁]]の[[谷口清超]]の著書の第1部は「美しい国」から始まる。また、政治[[評論家]]の[[有馬晴海]]は、「生長の家の政策部門の別働隊に[[日本政策研究センター]]がある。ここの[[伊藤哲夫]]所長こそ安倍首相の[[ブレーン]]です。安倍首相の考え方はほぼすべて伊藤所長の考えと同じと考えていい。首相は生長の家の信者ではないと思いますが、その教えには心酔していると思います」述べている。&lt;br /&gt;
; [[公明党]]・[[創価学会]]&lt;br /&gt;
: 父、晋太郎と祖父の岸信介は創価学会・公明党と関係が深かったと言われ、晋太郎は1985年、[[大石寺]]の[[正本堂 (大石寺)|正本堂]]完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、[[池田大作]]と何度も面会したという&amp;lt;ref&amp;gt;創価学会機関紙『[[聖教新聞]]』（2001年3月）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、小選挙区制度が導入され、二大政党制に近づけば、創価学会は自分から離れてゆくとの判断から、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「[[四月会]]」（代表幹事:[[俵孝太郎]]）&amp;lt;ref&amp;gt;「四月会」は自民党が野党に転落した1994年に、自民党を支持する宗教団体（「[[立正佼成会]]」、「[[霊友会]]」、「[[仏所護念会]]」などを中心に結成され、創価学会と公明党の関係を「政教一致だ」と批判してきたが、一部の教団が公明党と連立を組んだ自民党との関係修復に乗り出したことで2001年3月に解散した。&amp;lt;/ref&amp;gt;の集会などに参加したこともあった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sgkaibou&amp;quot;&amp;gt;[[朝日新聞]][[AERA|アエラ]]編集部 『創価学会解剖』（[[朝日新聞社]] 2000年1月1日） ISBN 978-4022612861 &amp;lt;/ref&amp;gt;。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという&amp;lt;ref name=&amp;quot;sgkaibou&amp;quot;/&amp;gt;。1989年に死去した池田大作の次男&amp;lt;!-- 著名活動をしていないと思われるので本名を記載しないで下さい。 --&amp;gt;は成蹊高校時代の同期生である&amp;lt;ref name=&amp;quot;faki&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.forum21.jp/2006/11/post_33.htm|work=FORUM21|title=特集/安倍・小泉新旧首相の池田大作詣で|date=2006-11-01|author=乙骨正生|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 首相就任直前の[[2006年]]9月22日に安倍晋三は、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、[[池田大作]]創価学会名誉会長と会談を持ったと主要新聞&amp;lt;ref&amp;gt;『[[日経新聞]]』・『[[毎日新聞]]』・『[[朝日新聞]]』・『[[読売新聞]]』や『[[週刊文春]]』などが報じた。毎日は20日と報道。&amp;lt;/ref&amp;gt;「『[[産経新聞]]』を除く」を初め各種[[マスメディア|メディア]]が伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の[[戸田城聖]]が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った&amp;lt;ref&amp;gt;『[[毎日新聞]]』 2006年10月8日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: その後、国会で池田と面会した事実があったかという[[野党]]の質問に対して安倍は「そういうことはございません。」という答弁を繰り返した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510110014001c.html|title=第165回国会 参議院 予算委員会 1号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年2月13日の衆議院[[予算委員会]]でも同様に否定した&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070213&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070213007.htm|title=第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号|accessdate=2008-05-14}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;kmovie20070213&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=33410&amp;amp;media_type=wn&amp;amp;lang=j&amp;amp;spkid=901&amp;amp;time=07:17:50.0|title= 「インターネット審議中継」[[亀井静香]]の安倍晋三への質疑（第166回国会 衆議院 予算委員会 7号|author=衆議院|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 安晋会&lt;br /&gt;
: {{See also|安晋会}}&lt;br /&gt;
: 国会で、 [[小嶋進]] [[ヒューザー]]社長（当時）が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の[[国会議員政策担当秘書|政策秘書]]を紹介してもらい、「[[構造計算書偽造問題|耐震偽装問題]]」に関して[[国土交通省]]への対応を働きかけてもらったことを[[証人喚問]]で認めた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009916320060117014.htm|title=第163回国会 国土交通委員会 第14号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ことでその存在が知られることになった。この私設後援会の代表はかつては[[バブル景気]]の際に自己[[破産]]した[[デベロッパー (開発業者)|デベロッパー]]会社会長であり、建設・不動産業者を中心とした「[[UDI経営者連合会]]」という政治団体の理事長の[[杉山敏隆]]（[[ヒューザー]]の[[ウェブサイト]]を運営していた&amp;lt;ref&amp;gt; {{cite web|url=http://web.archive.org/web/20050302234744/http://www.goalnet.co.jp/company/company.html|title=ゴールネット株式会社の公式サイト|accessdate=2008-05-14}} [[ウェブアーカイブ]]に保存されたもの&amp;lt;/ref&amp;gt;ゴールネット株式会社会長（息子の杉山剛太が社長））で、副会長は [[APAホテル]]会長の[[元谷外志雄]]（[[イーホームズ]]の[[藤田東吾]]社長がAPAホテルの耐震偽装の告発した直訴状を安倍晋三に直接手渡そうとしたが追い返された後にその偽装が発覚した）である。また、 耐震偽装事件とも関連があるとの説もあり、[[ライブドア事件]]の最中に不審死を遂げた[[エイチ・エス証券]]副社長であった野口英昭が[[理事]]（経理）になっていた&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊ポスト]]』（2006年2月10日号）&amp;lt;/ref&amp;gt;ことが判明したことなどから、「安晋会」は安倍の秘密後援会であり、安倍は耐震偽装問題に関して、業者の利益のために[[国土交通省]]に働きかけたのではないかなどの疑惑が出た。安倍は記者会見や国会で小嶋社長またヒューザー社とは一切関係がなく、国交省に対する働きかけは一切していないと明言し、国会では小嶋社長の証言の多くに嘘があると述べた。そして「『安晋会』は後援会とか政治団体ではなく、自分や自分の事務所が管理をしている団体ではない」、「慶應義塾大学の同窓生たちの親睦会で、自分が招待された際に自分の名前をとって『安晋会』と命名した」と説明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816420060126002.htm#p_honbun|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 2号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.netlaputa.ne.jp/~ken2net/sub100.htm|title=第165回国会 参議院 本会議 5号|accessdate=2007-10-04}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[アサリ]]輸入業者&lt;br /&gt;
: 現在輸入が禁止されている北朝鮮産のアサリを不正に輸出していた業者が、安倍との関係で摘発を逃れていたとする[[怪文書]]が2007年にマスコミで騒がれていた。実際、過去に父の安倍晋太郎と件のアサリ業者との癒着はあったが、安倍晋三との関係は無かったとされる&amp;lt;ref&amp;gt;「北」産? アサリ輸入業者と安倍一族の関係]」[[読売ウイークリー]] 2007年4月1日号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[コムスン]]&lt;br /&gt;
:[[グッドウィル・グループ]]のグループ会社で福祉介護ビジネスを行う株式会社[[コムスン]]（数々の不正を起こし、厚労省により全業務停止の処分をされている）と親密であったことが知られている。安倍晋三が[[内閣官房副長官]]時代には[[折口雅博]]会長と対談しており&amp;lt;ref&amp;gt;[http://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.comsn.co.jp%2Fcomsnpress%2Ftsushin%2Fct-10%2Fp-n10-6-11.html&amp;amp;date=20070609194523 折口雅博と安倍晋三との対談 - The Comsn Times（現在、コムスン側に該当ページを削除されたためウェブ魚拓のリンク）]&amp;lt;/ref&amp;gt;、安倍晋三は「コムスンは一生懸命やっておられる。」とコムスンを賛美している。対談では2人が笑顔で固い握手を交わす写真も掲載されている。&lt;br /&gt;
; [[在日本朝鮮人総聯合会]]&lt;br /&gt;
: 2008年1月26日、首相当時の番記者を集めた地元山口での[[オフレコ]]懇親会において、「朝鮮総連の山口の幹部とも俺は仲がいいんだよ。やっぱり幹部は金持ちだしね。いろいろと子弟の就職の世話とかを頼まれるんだよ」&amp;lt;ref name=bunshun20080221/&amp;gt;と述べている。&lt;br /&gt;
;[[在日韓国人]]系[[パチンコ]]業者&lt;br /&gt;
:韓国の[[親米保守]]勢力（現在は[[ハンナラ党]]）とは韓国が[[朴正煕]][[軍事独裁]]政権だった頃から[[国際勝共連合]]などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての[[親韓派]]だった。その繋がりのため、安倍の[[下関]]事務所は、日本で[[パチンコ]]事業を展開する[[在日韓国人]]系の[[七洋物産]]（東洋エンタープライズ）関連のビルを借りている。&amp;lt;ref&amp;gt;http://s01.megalodon.jp/2008-1001-0529-46/www.chosunonline.com/article/20060921000027&amp;lt;/ref&amp;gt;また下関の2000坪の実家は七洋物産から提供を受けており、地元下関（大規模なコリアンタウンがある）ではパチンコ御殿と呼ばれている。&lt;br /&gt;
;[[慧光塾]]&lt;br /&gt;
: [[光永仁義]]（[[1947年]][[11月3日]]-[[2005年]][[7月13日]]）が[[1993年]]に設立した[[経営コンサルタント]]会社。社長の光永は安倍の祖父の岸信介、父の晋太郎とも関係していたと言われ、安倍は父、晋太郎の秘書官時代に光永の設立した「光カメラ販売」（[[1991年]]倒産）では取締役に、「光国際通信」では「安晋会」代表の杉山敏隆と共に役員に就任していた&amp;lt;ref&amp;gt;「{{cite web|url=http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/07/post.html |title=『慧光塾』“教祖”と安倍晋三代議士との只ならぬ関係を物語る決定的証拠|work=情報紙「[[ストレイ・ドッグ]]」（山岡俊介取材メモ）|author=[[山岡俊介]]|date=2005-07-08|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[日興コーディアルグループ]]&lt;br /&gt;
: [[2006年]]、[[金融庁]]・[[証券取引等監視委員会]]の調査により日興コーディアルグループの不正[[会計]]処理が発覚した。同様の不祥事が起きた[[クラシエホールディングス|カネボウ]]は[[上場廃止]]となっており、日興も上場廃止基準に抵触すると見られたが、[[東京証券取引所]]は日興に上場廃止処分を下さず、[[監理ポスト]]に割り当てた。東京証券取引所は、[[赤字]]を[[黒字]]にしたのではないこと、組織的、意図的でないこと、を理由として挙げている。日興については、『[[サンデープロジェクト]]』に出演した[[山田厚史]]が「日興には安倍事務所に強い[[常務]]がいる」&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-02-21|url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200802210279.html|title=中国新聞ニュース|publisher=[[中国新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[2月21日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘している。&lt;br /&gt;
: なお、山田の発言に関しては、上場維持に安倍が関与したと誤解される表現だと主張し、安倍の[[公設秘書]]が山田と朝日新聞社を[[東京地方裁判所]]に訴え3400万円の[[損害賠償]]と[[謝罪]][[広告]]の掲載を要求した。2008年2月、山田が「テレビでの発言で、原告らが誤解するような表現があったとすれば遺憾」と表明し、公設秘書は損害賠償請求や謝罪広告の掲載を放棄する、とした[[和解]]が成立した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-02-21|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080221/trl0802212157008-n1.htm|title=安倍前首相秘書と朝日元編集委員が和解 - MSN産経ニュース|publisher=産経デジタル|language=日本語|accessdate=[[2月21日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 問題を指摘された行動 ===&lt;br /&gt;
==== NHKへの圧力疑惑 ====&lt;br /&gt;
{{Main|NHK番組改変問題|女性国際戦犯法廷#外国からの政治的影響を指摘する批判}}&lt;br /&gt;
イギリスの新聞紙「Times」がNHKの内部文書を暴露した。Timesが暴露した文章によると、NHKは安倍政権から南京大虐殺や慰安婦問題などへの言及を禁止されていたとのこと。安倍政権側はNHKに強く日本の保守的な民族主義と政府の立場を反映するように命令し、NHKもそれに従っていたと報じられた。&lt;br /&gt;
Timesは「イギリスでは話題になっている情報も取り上げられない」と述べ、安倍政権とNHKが癒着していることの問題性を指摘した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.thetimes.co.uk/tto/news/world/asia/article4239769.ece}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 脱税疑惑 ====&lt;br /&gt;
[[週刊現代]]は2007年9月29日号（9月15日発売）において、安倍が[[相続税]]を[[脱税]]していたとの記事を掲載した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
週刊現代は安倍の辞意表明当日に、以前から脱税疑惑についての取材を安倍に申し入れていたことを明らかにした&amp;lt;ref&amp;gt;「『脱税疑惑』全くの誤り＝週刊誌取材に安倍首相事務所」時事通信 2007年9月13日&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方で安倍の事務所は「事実無根である」と反論し、週刊現代を発行する[[講談社]]に対して、該当記事を掲載しないよう「警告文書」を送った。事務所の関係者によると、父である晋太郎が個人資産を政治団体に寄付し、相続税の支払いを免れたのではないか、との質問が週刊現代からあったという。同事務所は、「収支報告書には、あくまでも第三者からの寄付を晋太郎氏名義で記載しているにすぎない」として、全面的に否定している。総理大臣辞任に関して、健康問題は子の脱税問題をカモフラージュするためであるとの指摘もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本件は[[刑事事件]]としては既に時効が成立しているが、週刊現代は財務省相続税担当官の話として「これが事実なら明らかに脱税」、「自主的に納めていただきたい」などと掲載した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 危機管理 ====&lt;br /&gt;
; [[えひめ丸事件]]&lt;br /&gt;
: [[2001年]][[2月10日]]、アメリカ合衆国[[ハワイ州]]沖にて、[[愛媛県立宇和島水産高等学校]]所属練習船「[[えひめ丸]]」が[[アメリカ海軍]]所属[[原子力潜水艦]]「[[グリーンヴィル]]」に衝突され沈没する事件が発生した。[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編後)|森政権]]では、緊急事態発生時には内閣総理大臣、危機管理担当大臣、[[内閣官房長官]]、[[内閣官房副長官]]のいずれかが休日であっても30分以内に総理大臣官邸に参集し即応する危機管理体制を取っていた。えひめ丸事件発生時には、内閣総理大臣[[森喜朗]]、[[防災担当大臣]]（危機管理担当兼務）[[伊吹文明]]と内閣官房長官[[福田康夫]]は東京を離れており、緊急事態発生時の官邸参集は内閣官房副長官の安倍が担当だった。しかし、都内の自宅にいた安倍は事件発生後30分以上経っても官邸に出向かず、ゴルフ場にいた[[森喜朗]]に対し官邸側からその場を離れないように指示するなど対応が混乱し、後に大きな批判を浴びることになった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001815120010216007.htm 第151回国会 予算委員会 第7号（平成13年2月16日（金曜日））]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[イラク日本人人質事件]]&lt;br /&gt;
: 2004年4月8日、イラクで日本人3名が武装勢力によって誘拐され、犯行声明が出された際、小泉首相は読売新聞編集委員の橋本五郎、毎日新聞特別顧問の岩見隆夫など、複数の大手新聞社の幹部と懇談していた。そこに同席した安倍には、逐一、携帯電話で状況が報告されたが、会食が終わるまで小泉首相には報告しなかった。&lt;br /&gt;
; 能登半島地震&lt;br /&gt;
: 2007年[[3月25日]]、[[石川県]][[輪島市]]沖の日本海で[[マグニチュード]]6.9の[[能登半島地震]]（最大[[震度]]6強）が発生した。地震発生から数分後には総理大臣官邸の危機管理センターに対策室が設置された。しかし、安倍は週末や休日は公邸ではなく私邸で過ごすことが多く、地震発生の日も私邸に滞在していたため、発生から2時間後に官邸に到着した。衆議院議員の[[江田憲司]]は「東京直下型地震やテロが発生したら、道路事情等で迅速に官邸入りできない可能性もある」&amp;lt;ref name=shukanasahi20070511&amp;gt;関百合子・喜多克尚「勤務は『9時〜9時』夜は自宅でDVD首相就任200日、アベちゃんの『平凡なる総理ライフ』徹底分析」『[[週刊朝日]]』112巻22号、[[朝日新聞社]]、[[2007年]][[5月11日]]、34頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘し「危機管理の最高責任者である総理が、官邸のオペレーションルームに寄せられる生の情報をもとに瞬時に判断を下せないと意味がない。首相としての自覚があるなら、私邸に泊まるのは控えるべき」&amp;lt;ref name=shukanasahi20070511/&amp;gt;と批判した。なお、安倍内閣発足から204日間のうち、安倍が公邸に引っ越してから週末・休日に就寝した場所の内訳は公邸34%、私邸49%となる&amp;lt;ref&amp;gt;関百合子・喜多克尚「勤務は『9時〜9時』夜は自宅でDVD首相就任200日、アベちゃんの『平凡なる総理ライフ』徹底分析」『[[週刊朝日]]』112巻22号、[[朝日新聞社]]、[[2007年]][[5月11日]]、33-35頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 平成19年台風第4号&lt;br /&gt;
: 2007年[[7月14日]]、[[平成19年台風第4号]]（[[サファ・シンプソン・ハリケーン・スケール|SSHS]]カテゴリー4）が[[鹿児島県]]に上陸した。この[[台風]]は、[[沖縄県]]接近時に[[那覇市]]で最大瞬間風速56.3[[メートル]]（日本国内の7月の観測史上最大）を記録し、本土上陸時中心気圧は945[[ヘクト]][[パスカル]]（7月に日本に接近した台風としては観測史上初）を記録したことから、極めて大きな被害が予想された。同日、官邸で開かれた災害対策関係省庁局長会議にて安倍は「人命救助を最優先してほしい」と指示した。しかし、内閣府特命担当大臣（防災担当）の[[溝手顕正]]は自身の[[第21回参議院議員通常選挙|選挙]]運動のため帰郷したまま東京に戻らず、安倍も溝手に対し帰京する指示を出さなかったことから、防災対策の最高責任者が不在のままとなり論議を呼んだ。なお、この台風により全国各地で大規模な被害が発生したため、[[激甚災害法]]に基づき[[激甚災害]]（いわゆる「本激」）に指定された。&lt;br /&gt;
; 新潟県中越沖地震&lt;br /&gt;
: 2007年[[7月16日]]、[[新潟県]]沖の日本海でマグニチュード6.8の[[新潟県中越沖地震]]（最大震度6強）が発生した。[[第21回参議院議員通常選挙]]の遊説中に地震発生を知らされた安倍は、いったん官邸に戻ってから、地震発生当日にもかかわらず震度6強を記録した柏崎市を訪問した。余震の発生が懸念される中で首相自らが震源地に程近い現地を訪問したことは、危機管理の観点から議論を呼んだ。&lt;br /&gt;
: 元[[経済企画庁長官]]の[[堺屋太一]]は「現場に行ったときに果たして正確な情報が得られるのか。総理大臣は通信情報の拠点におられた方が良かった」&amp;lt;ref name=jiji20070722&amp;gt;{{Cite web|date=2007-07-22|url=http://www.tbs.co.jp/jijihoudan/last/070722.html|title=時事放談|publisher=[[東京放送]]|language=日本語|accessdate=[[7月22日]]|accessyear=[[2007年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘し、衆議院議員の[[加藤紘一]]は「担当大臣を派遣するっていうのが本来の第一歩だと思います。総理大臣は大将ですから、一番官邸にいて指示を出すっていうのがいい対応」&amp;lt;ref name=jiji20070722/&amp;gt;と指摘した。さらに、安倍の行動については「首相が発生直後に行けば、現場が首相への対応に人手を割かなければいけなくなり、行っても混乱するだけだ」&amp;lt;ref&amp;gt;「首相『危機管理』に懸命――政権発足後、初の大地震」『[[讀賣新聞]]』47518号、[[読売新聞東京本社]]、[[2008年]][[6月15日]]、4面。&amp;lt;/ref&amp;gt;との指摘もなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 問題を指摘された発言 ===&lt;br /&gt;
; 原子爆弾の保有・使用&lt;br /&gt;
: [[2002年]][[2月]]、[[早稲田大学]]での講演会（非公開）における[[田原総一朗]]との質疑応答で、「小型であれば[[原子爆弾]]の保有や使用も問題ない」、と発言したと『[[サンデー毎日]]』 （2002年6月2日号）が報じて物議を醸したが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と報道の間違いを指摘し、政府の“政策”としては[[非核三原則]]により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した[[第2次岸内閣|岸内閣]]の歴史的答弁（1959年、1960年）を学生たちに紹介したのであると説明した。&lt;br /&gt;
; 民主党を「中国の拡声器」&lt;br /&gt;
: 2002年5月19日中国・[[瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件]]に関して、テレビ番組において民主党を「中国の拡声器」と呼んで中傷した。安倍は、2日後の5月21日、参議院[[外交防衛委員会]]において、民主党の激しい反発にあい、発言を[[撤回]]した。&lt;br /&gt;
; 土井たか子と菅直人に対し「マヌケ」&lt;br /&gt;
: 2002年10月19日[[広島市]]・[[岡山市]]の講演において「[[1985年]]に韓国入国を図り逮捕された[[辛光洙]]（シン グァンス）容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、[[盧泰愚]]政権に要望書を出した人たちがいる。それが[[土井たか子]]、あるいは[[菅直人]]だ」「この2人は、[[スパイ]]で原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。この発言は両議員から抗議を受け、同月21日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられ、社民党の日森文尋衆院議員が抗議した。また、土井党首も記者団に「人格とか品格の問題にかかわる」と不快感を示した。結局、安倍が自らの発言を「不適切」と認めたことで、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会にて決着した。大野功統委員長が安倍に「適切さを欠く表現があったと思われるので注意して欲しい」と伝え、 安倍は「官房副長官という立場を考えると、不適切な発言だったので、今後十分注意する」と述べたという。 その後、大野委員長が、このやりとりを理事会で報告し、民主、社民両党も了承した&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』 2002年10月26日付{{cite web|url=http://www.asahi.com/politics/update/1025/005.html|title=安倍副長官、「間抜け」発言を不適切と認める|accessdate=2002-10-25}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; カタカナ語&lt;br /&gt;
: [[所信表明演説]]や[[施政方針演説]]において「[[外来語|カタカナ語]]」を使い過ぎているとの指摘を受けた&amp;lt;ref&amp;gt;「ゲートウェイ」、「グランドデザイン」、「[[リバースモーゲッジ|リバースモーゲージ]]」、「ホワイトカラー・エグゼンプション」、「新健康フロンティア戦略」、「[[イノベーション]]」、「セーフティーネット」、「パートナーシップ」、「[[バイオマス]]」、「[[同一性|アイデンティティー]]」など所信表明演説では109語、施政方針演説では90語の「カタカナ語」を使った。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』（2007年1月22日付夕刊） コラム「窓」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 漢字一文字で「責任」&lt;br /&gt;
: 2006年末に記者から「今年を漢字一文字で表すと？」と質問された際に、「それは…『責任』ですかね」と、二文字の漢字を回答した。&lt;br /&gt;
; ときわ台駅での警察官の殉職&lt;br /&gt;
: [[東武東上線]][[ときわ台駅 (東京都)|ときわ台駅]]で[[自殺]]しようとした女性を救おうとして[[殉職]]した、[[警視庁]]板橋署の[[巡査部長]]を[[2007年]][[2月12日]]夜に弔問した際、故人の勇気ある行為を讃えるコメントで、名前を2度にわたって間違えた。首相公邸連絡調整官（妻・[[安倍昭恵|昭恵]]の補佐員）と混同したのでは、と言う声が上がっている。これについて、作家の[[吉川潮]]は産経新聞のコラムで「『名前ぐらい、ちゃんと覚えて行け!』と叱りたくもなる」「総理の人間性にも問題があるのではないかと思ってしまう」と批判をしている。&lt;br /&gt;
; 長崎市長射殺事件&lt;br /&gt;
: 2007年[[4月17日]]、[[長崎市長射殺事件]]が発生し[[長崎市]][[市長]][[伊藤一長]]が射殺されると、安倍は「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」との短い総理談話を発表した。[[国際連合事務総長]]や与野党の党首・幹事長らが[[民主主義]]に対する[[テロ]]や[[暴力]]を強く非難する声明を発表するなか、安倍の談話が簡単なコメントに留まったことから、与野党から総理談話が不十分ではないかと疑問視する意見が出された。この指摘に対し、安倍は「こういうことで互いを非難するのはやめた方がいい」などと応えたため、批判の声が殺到した。&lt;br /&gt;
{{See also|長崎市長射殺事件}}&lt;br /&gt;
; 石川遼&lt;br /&gt;
: 2007年[[5月23日]]、「安倍首相自身が『会ってみたい』と対面を希望し」ていた[[杉並学院高等学校]]の[[石川遼]]との会談が実現し、安倍は[[総理大臣官邸]]にて揮毫を手渡した。しかし、石川は[[5月25日]]から中間テストを受ける予定であり、大事な時期に総理大臣官邸に呼びつけた安倍に対し批判がなされた。さらに、[[第21回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]に向けた話題づくりとして、[[投票権]]すらない高校生を利用してよいのかといった指摘がなされた。この問題に対し、[[直木三十五賞]]を受賞した[[作家]]の[[重松清]]は「『[[教育]]』を[[政策]]の柱に掲げる首相が、[[平日]]に高校生を官邸に呼びつけるというのは、やはりスジが通らない」と批判し、安倍が「真実一路」と記された[[色紙]]を石川に渡したことについて「この[[言葉]]を真に渡すべき相手、他にいるんじゃないですか?」と評した。ちなみに、「真実一路」とは、安倍内閣の[[農林水産大臣]]でさまざまな不祥事が指摘された[[松岡利勝]]の座右の銘でもある。&lt;br /&gt;
; 松岡利勝の自殺&lt;br /&gt;
: [[松岡利勝]][[農水相]]自殺に関して、「慚愧に堪えない」（恥ずかしくて仕方がない）とコメントした。首相周辺は「こういう結果に至ったことへの自らの責任を、この言葉に込めた」と解説しているが、メディアなどで不適切なコメントだと批判され、「慚愧」の意味を取り違えていたのではないかと推測されている。また、同時に「捜査当局から『松岡大臣や関係者の取り調べを行っていたという事実もないし、これから取り調べを行うという予定もない』と発言があったと聞いている」などとコメントし、捜査当局から首相官邸に連絡があったかのようなコメントであるとして話題になった。&lt;br /&gt;
; 2007年の参議院選挙&lt;br /&gt;
: 2007年参院選期間中の講演等で「（今回の選挙で）私と小沢さん、どちらが首相にふさわしいかを国民に問いたい」といった発言を繰り返した。選挙の結果、自民党は惨敗したが首相続投を表明し、自民党内からも批判の声が相次いだ。&lt;br /&gt;
; 2008年の衆議院補欠選挙&lt;br /&gt;
: 2008年4月、[[山口県第2区]]の衆議院議員補欠選挙にて、[[岩国市]]で[[山本繁太郎]]を支援する演説を行った際に、[[光市母子殺害事件]]の被害者家族について「[[光市]]の街頭演説には本村さんがいらっしゃいました。本村さんは私に『頑張ってください、山本さん（自民党公認候補）を応援しています』とおっしゃった。本村さんは山本繁太郎さんに賭けたのです!」と発言した。さらに、犯罪被害者支援問題について「お嬢さんを無惨に殺された本村さん。そのお嬢さんの[[遺影]]を持って私の所にやってきて『どうか安倍さん、この法律を通してください』と涙ながらに訴えたのです!」と発言した。&lt;br /&gt;
: しかし、本村洋は「演説で名前を出されて本当にビックリしました。（山本候補を応援した事実は）まったくありません」と否定しており、犯罪被害者支援問題についても「陳情したのは私ではない。遺影とかは出していませんが、[[小泉純一郎|小泉]][[内閣総理大臣|総理]]にお願いに行ったことはあります。安倍さんには光市での演説のときに初めて（聴衆の一人として）お会いしました」と説明したうえで、安倍の演説について「私がいないところでそういう発言をされたことはどうかと思います」と語っている。&lt;br /&gt;
: 安倍晋三事務所では「『お嬢さんを殺されたお母さん』と明確に述べたのであって、本村氏のことを述べたものではありません」と反論しており、本村との面識については「光市における街頭演説後、安倍が会場の多くの聴衆とマスコミの中で本村氏と挨拶をし、安倍が本村氏と会話をした」と主張している。そのうえで、この問題を報道した[[文藝春秋]]に対し抗議文を送付した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
;身体&lt;br /&gt;
:[[血液型]][[ABO式血液型|B型]]、[[身長]]175cm、[[体重]]70kg&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kantei.go.jp/jp/abeprofile/index.html|title=安倍総理プロフィール|author=首相官邸|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;座右の銘&lt;br /&gt;
: [[吉田松陰]]の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;&amp;gt;「自民党総裁選：3候補、20日投票へ火花 703票の争奪戦-2006総裁選」『朝日新聞』2006年9月9日&amp;lt;/ref&amp;gt;。「初心忘るべからず」&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍 晋三氏 自民総裁選 特集」『読売新聞』2006年9月8日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;愛読書&lt;br /&gt;
:[[古川薫]]の『留魂録の世界』（留魂録は吉田松陰の著作である）&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;尊敬する人物やファンである人物&lt;br /&gt;
: [[幕末]]期の思想家[[吉田松陰]]を尊敬する。彼の地元・山口県には松陰の[[松下村塾]]があり、そこの門下生だった[[高杉晋作]]から「晋三」の名が付けられた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061102.html |title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第4回「教育再生」|author=内閣府大臣官房政府広報室&lt;br /&gt;
|work=[[政府広報]]オンライン|date=2006-11-02|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:現在では非常に親しい間柄である（後述）[[アグネス・チャン]]は、2、30代のころファンだった&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;好物&lt;br /&gt;
: 安倍の好物は[[焼き肉]]、[[ラーメン]]、[[アイスクリーム]]、[[スイカ]]&amp;lt;ref name=&amp;quot;jp06921&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|work=人民網日文版|date=2006-09-21|url=http://j.peopledaily.com.cn/2006/09/21/jp20060921_63241.html|title=安倍総裁の素顔は? まめな兄貴、妻は元DJ|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;/&amp;gt;子供の頃から変わらない好みらしい&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061116.html |title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第6回「みんなで毎日朝ごはん」|author=内閣府大臣官房政府広報室|work=[[政府広報]]オンライン|date=2006-11-16|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。甘党として知られ、フジテレビ系の深夜番組「[[百識〜百で知るひとつの知識〜]]」によれば、[[ナポリアイスクリーム]]のPUPUと、東京の[[両国 (墨田区)|両国]]の洋菓子店MARRY'Sの[[マンゴープリン]]が好物だという（MARRY'Sの[[パティシエ]]は安倍の同級生）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.venture-ac.ne.jp/seminar/detail/20070115155330.html|title=月例セミナー「伝統を生かした商品開発」|author=[[日本ベンチャー学会]]|date=2007-01|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:2007年4月下旬の昼に総理官邸の大会議室に番記者を招き昼食を食べながら懇談したが、食事は政治家の昼食会合の定番のカレーライスだったが、安倍だけは[[ハヤシライス]]であった。政界では安倍のハヤシライス好きは有名であり、また、カレーのような辛いものは下痢になりやすい体質なので苦手であることを記者団に語った&amp;lt;ref&amp;gt;「ハヤシライスが大好きな安倍首相の健康問題」”FACTA” 2007年6月号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[ファッション]]&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe &amp;amp; George W Bush, 2007Apr27.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[4月27日]]、カジュアルな装いで[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]（右）と]]&lt;br /&gt;
: 寒がりである&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061207.html|title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第8回「ウォームビズから始めます」|work=政府広報オンライン|author=内閣府大臣官房政府広報室&lt;br /&gt;
|date=2006-12-07|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ため、[[小池百合子]][[環境大臣]]の音頭でスタートした[[クール・ビズ]]の一環である「国会内は[[ワイシャツ]]・ノー[[ネクタイ]]」が導入された当初は背広で通していた。&amp;lt;ref&amp;gt;「美しい国、日本」をファッションで表現 安倍晋三・新総理を勝手にスタイリング「美しい泣きっ面」に似合う服はコレだ!」『WWDジャパン』10月2号&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、東京新聞の政治ネットモニター調査では、クールビズが似合う政治家第二位となった&amp;lt;ref&amp;gt;「夏服の着こなしは 小泉首相、貫録勝ち?」『東京新聞』2006年7月30日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。2002年、清潔感を大切にしたファッションを心がけていることが評価され、政治経済部門で[[ベストドレッサー賞]]を受賞。「いつも私の服をチェックしてくれる妻が受賞したようなもの」とコメントした&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.mfu.or.jp/bestdresser2002.html|title=第31回 ベストドレッサー賞（2002年）|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。一族では大叔父の[[佐藤栄作]]が1973年、兄嫁の父である[[牛尾治朗]]が1981年に受賞している。&lt;br /&gt;
;[[アーチェリー]]&lt;br /&gt;
: 大学時代アーチェリーをしていた安倍は、2005年に[[全日本アーチェリー連盟]]の第6代会長に就任している（前任は同じく首相経験者の[[海部俊樹]]、父の安倍晋太郎も第4代会長である）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.archery.or.jp/ajaf/enkaku.html|title=沿革|author=社団法人全日本アーチェリー連盟|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年[[3月25日]]に連盟は総会で再び会長に推薦することを決定し&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-tp0-20070325-175016.html|title=アーチェリー連盟、安倍首相を会長に推薦|work=ニッカンスポーツ|date=2007-03-25|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、これを受託したため、14日の理事会で2期目を務めることとなった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-tp0-20070414-184516.html|title=安倍首相アーチェリー連盟会長2期目へ|work=ニッカンスポーツ|date=2007-04-14|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。首相であるため、職務は副会長が代行することになっている&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍会長を再任＝アーチェリー連盟」時事通信、2007年4月14日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 2006年[[4月28日]]の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のバラエティ番組では、[[明石家さんま]]とアーチェリーで対決、その腕前をテレビで初めて披露した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://newtop.s-abe.or.jp/janews/5fc5898b-4ee38b7058eb306e30a230fc30c130a730ea30fc59ff521d516c958b|title=必見! 代議士のアーチェリー姿初公開|work=安倍晋三公式サイト|date=2006-04-27|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[アグネス・チャン]]&lt;br /&gt;
:アグネス・チャンとは20年も親交がある友人で&amp;lt;ref name=&amp;quot;aakt&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.daily.co.jp/gossip/2007/03/19/0000275610.shtml|title=安倍総理がアグネスに歌詞提供|work=[[デイリースポーツ]]|date=2007-03-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;agsd&amp;quot;&amp;gt;「安倍首相が作詞家デビュー」[[スポーツ報知]] 2007年3月19日付&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://akie-abe.jp/index.php?ID=18|title=クリスマス|work=安倍昭恵のスマイルトーク|date=2007-02-05|author=安倍昭恵|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、よく食事を共にする&amp;lt;ref name=&amp;quot;sb2031009&amp;quot;&amp;gt;『週刊文春』（2003年10月9日号）161ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。2、30代の頃、彼女の熱心なファンであったが&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://news.livedoor.com/article/detail/3040505/|title=紀香に政界入りの噂、影には安倍首相の後ろ盾?|author=新華通信社|work=新華社NEWS|date=2007-02-21|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、外交官秘書時代にテレビ番組で知り合った&amp;lt;ref name=&amp;quot;gendainet07022420&amp;quot;&amp;gt;「恐るべしアグネス・チャン?!」 ゲンダイネット（2007年3月23日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。アグネスは安倍の結婚式に出席して祝辞を述べ&amp;lt;ref name=&amp;quot;sb2031009&amp;quot;/&amp;gt;、「草原の輝き」を歌った&amp;lt;ref name=&amp;quot;gendainet07022420&amp;quot;/&amp;gt;。安倍も彼女の結婚式に出席したが、彼女の結婚にがっかりしたという&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。&amp;lt;!--アグネスの政界入りの噂にも、背後に安倍との関係があったとされる&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。---&amp;gt;また、2007年にはアグネスのデビュー35周年を記念する[[アルバム]]のために、安倍は「平和」をテーマにした[[歌詞]]を[[作詞]]した&amp;lt;ref name=&amp;quot;aakt&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;agsd&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族 親族 ==&lt;br /&gt;
[[Image:PM and Mrs Abe arrive at WH 26 April 2007 cropped 1.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[4月26日]]、[[ホワイトハウス]]にて妻[[安倍昭恵]]（右から2人目）を伴い[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]夫妻と]]&lt;br /&gt;
*先祖に[[安倍宗任]]、[[平知貞]]、[[佐藤忠信]]ら。[[佐藤信寛]]（政治家）、[[本堂恒次郎]]（軍医）、[[大島義昌]]（軍人・[[陸軍大将]]、[[子爵]]）等がいる&lt;br /&gt;
* 祖父 [[安倍寛]]（政治家）、[[岸信介]]（官僚、政治家・首相）&lt;br /&gt;
* 大叔父 [[佐藤栄作]]（官僚、政治家・首相）&lt;br /&gt;
* 父 [[安倍晋太郎|晋太郎]]（新聞記者、政治家）&lt;br /&gt;
* 母 洋子（[[岸信介]]長女）&lt;br /&gt;
* 兄 寛信（三菱商事執行役員、妻は[[ウシオ電機]]会長[[牛尾治朗]]の娘）&lt;br /&gt;
* 弟 [[岸信夫|信夫]]（岸家へ養子、政治家）&lt;br /&gt;
* 妻 [[安倍昭恵|昭恵]]（[[森永製菓]]創業家の出身。創業者・[[森永太一郎]]から数えて6代目）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 家庭&lt;br /&gt;
: 昭恵夫人は[[韓流]]スターや[[韓国ドラマ]]が大好きで[[朝鮮語|韓国語]]までも習得したほどである。[[ファーストレディ]]の親韓的な姿勢は、小泉政権時代に悪化した[[日韓問題|日韓関係]]の改善につながるものと期待された。安倍の首相就任後の訪韓の際にも同行し、その流暢な韓国語で好意的に迎えられた。&lt;br /&gt;
: 昭恵夫人との間に子供はいないが、[[ダックスフント|ミニチュアダックスフント]]の愛[[イヌ|犬]]・ロイがいる。ロイは安倍が[[首相官邸]]に引っ越す際に、安倍夫妻の環境の変化への不安を理由に、私邸で留守番をすることになった（現在も留守番中）&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍首相夫妻、公邸へ 昭恵さん、内装リフォーム-知りたい!」[[毎日新聞]] 2006年11月25日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。ロイはこのことが非常に辛いようである&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://akie-abe.jp/index.php?ID=28|title=「週末」|author=安倍昭恵|work=安倍昭恵のスマイルトーク|date=2007-02-05|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}} ロイの写真あり&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 岸信夫&lt;br /&gt;
: 実弟の[[岸信夫]]が[[第20回参議院議員通常選挙]]に立候補した際、安倍は秘書に対して岸の出馬に反対する発言をしたと報道された&amp;lt;ref&amp;gt;松田賢弥「安倍晋三『空虚なプリンス』の血脈」『[[週刊現代]]』[[講談社]]、[[2006年]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。当時の秘書は「虚偽の事実を書かれ、地元での声望は地に落ちた」&amp;lt;ref name=asahi20080327&amp;gt;{{Cite web|date=2008-03-27|url=http://www.asahi.com/national/update/0327/SEB200803270010.html|title=asahi.com：安倍前首相の元秘書の請求棄却　週刊現代名誉毀損訴訟 - 社会|publisher=[[朝日新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[3月27日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;として筆者であるジャーナリストの[[松田賢弥]]を訴えたが、[[山口地方裁判所]]下関支部は「原告の発言内容がおおむねその通りに掲載されている」&amp;lt;ref name=asahi20080327/&amp;gt;として秘書の訴えを棄却した。&lt;br /&gt;
; 系譜&lt;br /&gt;
: 安倍家は、山口県大津郡日置村（後に油谷町に分割→現[[長門市]]）の大[[地主]]であり[[酒]]や[[醤油]]の[[醸造]]を営んでいた。祖父の[[安倍寛]]が日置村村長、山口県議会議員などを経て、1937年、衆議院議員に当選し政治一家となった&amp;lt;ref&amp;gt;『閨閥 改訂新版 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』 216-217頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 「[[共同通信社]]」出身のジャーナリスト[[古沢襄]]によると、安倍晋太郎は自分たち安倍家の[[ルーツ]]は岩手県（[[安倍氏 (奥州)]]）であり、[[安倍宗任]]の末裔だと言っていたという。安倍宗任は[[1051年]]の[[前九年の役]]にて[[源頼義]]、[[源義家]]率いる[[源氏]]に破れ、[[大宰府]]に配流された奥州（[[陸奥国]]）の[[豪族]]である。『閨閥 改訂新版 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』216-217頁に｢家系図をひもとくと安倍家は、[[鎌倉時代]]以前の奥州征伐などで名高い[[阿倍比羅夫]]、[[前九年の役]]の[[安倍貞任]]にまで繋がる歴史ある[[名門]]である｣とある。安倍家の元[[家政婦]]は東北地方に飛び、安倍一族の関係地と言われた地域の市町村役場などを丹念に回りながら、各地に古くから伝わる[[家系図]]を調べ歩いた。その結果、[[油谷町]]に住み着いた一族が[[安倍宗任|宗任]]の流れをくむ者たちであること､[[青森県]][[五所川原]]の石搭山･荒覇吐(あらはがき)神社に始祖である宗任が眠っているらしいことを調べ上げた。元家政婦からの報告を聞いた晋太郎は[[昭和]]62年（[[1987年]]）7月末､出馬表明した総裁選の全国遊説の折､妻洋子と[[安倍晋三|晋三]]夫妻を伴い同神社に出向き、先祖供養を果たした。なお案内役を兼ねて晋太郎たちに同行したのが画家の[[岡本太郎]]であり、岡本もまた安倍一族の流れをくむ一人として、自らのルーツに関心を持って調べたことがあったという&amp;lt;ref&amp;gt;『気骨　&amp;lt;small&amp;gt;安倍晋三のDNA&amp;lt;/small&amp;gt;』　41-44頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[平成]]元年（1989年）に発刊された『安倍一族』(盛岡タイムス社編纂)という一冊に晋太郎は『わが祖は「[[安倍宗任|宗任]]」』と題する､次の序文を寄せている。“[[安倍宗任|宗任]]より四十一代末裔の一人として自分の志した道を今一度省みながら華咲かしてゆく精進を続けられたら､と願うことしきりです”&amp;lt;ref&amp;gt;『気骨　&amp;lt;small&amp;gt;安倍晋三のDNA&amp;lt;/small&amp;gt;』　44頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。但し、安倍晋三にとり女系の祖先にあたり、父系は[[平氏]]であり平知貞の系譜をひく。平家滅亡により子孫の迫害を恐れ女系の安倍姓を称したという。また、母方の祖父　岸信介、[[佐藤栄作]]兄弟は源義経の郎党　[[佐藤忠信]]の末裔とされる&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kajika.net/furusawa/20060709-2.htm|title=安倍宗任と安倍晋三|author=古沢襄|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}} &amp;lt;/ref&amp;gt;。[[家紋]]は「丸に立梶の葉」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏昭和天皇━━━━━━━━━今上天皇&lt;br /&gt;
　　　　明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┏彬子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　麻生太賀吉　　┃　　　　　┗瑶子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┏信子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┗麻生太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏和子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田茂━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗桜子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田祥朔　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━吉田寛&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏さわ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┏寛子（栄作夫人）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤松介━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┗正子&lt;br /&gt;
佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃（池上）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤作造&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗茂世　　　　　安倍晋太郎　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━┳佐藤市郎　　┣━━━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　┃　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（佐藤）┃　┃（岸）　　　┃　　　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助　┣佐藤信介━━洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　岸要蔵━━┫　　　　┗佐藤栄作━┳佐藤龍太郎━━佐藤栄治&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┗佐藤信二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━━良子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（信介夫人）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt; &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助━━岸信介━━━┳岸信和&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　┗洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　岸要蔵━┫　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━良子　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　大島義昌━秀子　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　本堂恒次郎━静子　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━━━━━━安倍晋太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　安倍慎太郎……安倍彪助━安倍寛&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『吾が心は世界の架け橋－安倍[[外交]]の全記録』 ([[安倍晋太郎]]外交対象, [[新外交研究会]], [[1992年]]4月)&lt;br /&gt;
* 『この国を守る決意』（[[岡崎久彦]]との共著 [[2004年]]1月 [[扶桑社]] ISBN 4-594-04331-3&lt;br /&gt;
* 『安倍晋三対論集 [[日本]]を語る』 （[[PHP研究所]] [[2006年]]4月 ISBN 4569643639）&lt;br /&gt;
* 『美しい国へ』（[[文藝春秋]] [[2006年]]7月 ISBN 4166605240）&lt;br /&gt;
* 『日中対話 言論ブログ・ブックレット 私ならこう考える -- [[有識者]]の主張』 （[[言論NPO]] [[2006年]]12月 ISBN 9784903743011）&lt;br /&gt;
====テレビ====&lt;br /&gt;
良いとも。(2014年3月21日。フジテレビ)&lt;br /&gt;
この模様は超報道でも放送された&lt;br /&gt;
2014年4月19日のワイドショー及び。みやね。USJイベント放送&lt;br /&gt;
成功の遺伝子(2013年12月30日。日本テレビ)2015年2月15日に再放送放送された&lt;br /&gt;
成功の遺伝子2(2015年2月16日。日本テレビ)&lt;br /&gt;
みんなの報道。（2015年8月14日。フジテレビ。）&lt;br /&gt;
みやね。（2015年9月4日。読売テレビ。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*[[佐藤朝泰]]『豪閥　地方豪族のネットワーク』（[[学研ホールディングス|立風書房]]、2001年、75頁）&lt;br /&gt;
*[[神一行]]『閨閥　改訂新版　&amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』（[[角川書店]]、2002年、62、212-228頁）&lt;br /&gt;
*[[野上忠興]]『気骨　安倍晋三のDNA』（[[講談社]]、2004年）　&lt;br /&gt;
*[[山際澄夫]]『安倍晋三と「宰相の資格」』（[[小学館]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[大下英治]]『安倍家三代』（[[徳間書店]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[水島愛一朗]]『安倍晋三の人脈』（[[グラフ社]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[俵義文]]・[[魚住昭]]・[[横田一]]・[[利用者:佐高信|佐高信]]・『[[週刊金曜日]]』取材班『安倍晋三の本性』（株式会社[[金曜日]]、2006年、ISBN 4906605206）&lt;br /&gt;
*[[上杉隆]]『官邸崩壊』（[[新潮社]]、2007年 ISBN 4103054719）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[自由民主党]]&lt;br /&gt;
*[[n:安倍改造内閣が発足|安倍改造内閣が発足]]&lt;br /&gt;
*[[n:退陣論ある中、続投への決意 - 10日、安倍首相・所信表明|退陣論ある中、続投への決意 - 10日、安倍首相・所信表明]]&lt;br /&gt;
*[[n:安倍首相、辞任の意向を表明 - 所信表明直後|安倍首相、辞任の意向を表明 - 所信表明直後]]&lt;br /&gt;
* [[安倍内閣]]&lt;br /&gt;
* [[安倍改造内閣]]&lt;br /&gt;
* [[美しい国]]&lt;br /&gt;
* [[再チャレンジ]]&lt;br /&gt;
* [[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]&lt;br /&gt;
* [[安晋会]]&lt;br /&gt;
* [[真の人権擁護を考える懇談会]]&lt;br /&gt;
* [[重光昭夫]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://tokyo.s-abe.or.jp/ あべ晋三]公式サイト&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/abesouri/index.html 歴代内閣情報（HP開設以降）：安倍総理] - 首相官邸&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/koizumidaijin/010426/19abe.html 安倍晋三略歴]（内閣官房長官時代のもの） - 首相官邸&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/90.html 歴代総理の写真と経歴] - 首相官邸&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あへしんそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の反共主義者]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:長門市]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89&amp;diff=332202</id>
		<title>安倍晋三</title>
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				<updated>2017-01-13T02:58:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:Abe Bush Heiligendamm G8 2007 002 (cropped).jpg|400px|thumb|安倍 晋三]]&lt;br /&gt;
[[Image:安倍 晋三と西田昌司.jpg|350px|thumb|安倍晋三と[[西田昌司]]([[JK画像3|JK]]とともに2012年12月)]]&lt;br /&gt;
'''安倍 晋三'''（あべ しんぞう、[[1954年]]（[[昭和]]29年）[[9月21日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[衆議院|衆議院議員]]（7期）、[[内閣総理大臣]]（[[第1次安倍内閣|第90代]]、[[第2次安倍内閣|第96代]]）、[[自由民主党総裁]]（第21代、第25代）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[自由民主党幹事長]]（第37代）、[[内閣官房長官]]（[[第3次小泉改造内閣|第72代]]）、[[内閣官房副長官]]などを歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
親族に政治家が多く、父方の[[おじいさん|祖父]]の[[安倍寛]]（元衆議院議員）、母方の祖父の[[岸信介]]（第56・57代内閣総理大臣）、大叔父の[[佐藤栄作]]（第61 - 63代内閣総理大臣）、父の[[安倍晋太郎]]（元[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]）、弟の[[岸信夫]]（[[国会議員|参議院議員]]）などがいる。妻は[[森永製菓]]社長令嬢の[[安倍昭恵]]。&lt;br /&gt;
[[岸要蔵]]の[[インブリート]](4×4)を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学卒業後、[[神戸製鋼所]]社員、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]][[秘書官]]を経て衆議院議員となる。[[内閣官房副長官]]、自由民主党幹事長、同幹事長代理、内閣官房長官等を歴任。2006年に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任。2007年9月26日に内閣総理大臣を退任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 出生 ===&lt;br /&gt;
[[1954年]][[9月21日]]、当時[[毎日新聞]]の[[記者]]だった[[安倍晋太郎]]とその[[妻]]、洋子の次男として[[東京]]で生まれる（[[本籍|本籍地]]は山口県大津郡油谷町（現・[[長門市]]）。 父方の祖父は衆議院議員の[[安倍寛]]（この時既に故人）、母方の祖父は後の首相・[[岸信介]]で、大[[おじ|叔父]]にはやはり後の[[首相]]・[[佐藤栄作]]がいる、[[政治家]]一族であった。安倍は「幼い頃から私には身近に[[政治]]がありました」と回想している。幼い頃は、[[野球選手]]や[[刑事]]になることに憧れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===学生時代===&lt;br /&gt;
[[成蹊学園]]を卒業。なお小学校から大学まで無試験のエスカレータ進学。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[小学校|小学]]4年生から5年生にかけての[[1964年]]から2年間[[平沢勝栄]]（後の衆議院議員、[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]で助言したと言われる）が[[家庭教師]]についていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[高等学校|高校]]で[[クラブ活動|クラブ]]は[[地理]]研究部に所属。高校卒業後、成蹊大学に進み[[行政学]]を学ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学では[[アーチェリー]]部に所属し、準レギュラーだった。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという。[[1977年]]春に渡米し、[[カリフォルニア州]][[ヘイワード (カリフォルニア州)|ヘイワード]]の英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後[[イタリア系アメリカ人]]の家に下宿しながら[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の語学学校に通った。秋に[[南カリフォルニア大学]]への入学許可が出され[[1978年]]に入学。[[政治学]]を専攻し春・夏・秋学期を履修した後、[[1979年]]に[[退学|中退]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===サラリーマン時代===&lt;br /&gt;
[[1979年]]4月に帰国し、[[神戸製鋼所|神戸製鋼]]に入社した。[[ニューヨーク]]事務所、[[神戸製鋼所加古川製鉄所|加古川製鉄所]]、東京本社で勤務した。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点」、あるいは「私の原点」だったと回顧している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===政界へ===&lt;br /&gt;
神戸製鋼での3年間勤務の後、[[1982年]]から当時[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]に就任していた父・晋太郎の下で[[秘書官]]等を務め、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての政治家修行を行う。[[1987年]]に松崎昭雄・[[森永製菓]]社長の娘で[[電通]]社員の[[安倍昭恵|昭恵]]と[[結婚]]する。その際の[[仲人|媒酌人]]を務めたのが、[[福田赳夫]]元[[内閣総理大臣|総理]]だった。[[1991年]]に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===衆議院議員===&lt;br /&gt;
[[1993年]]に亡父の地盤を引き継ぎ、[[第40回衆議院議員総選挙]]に山口1区（当時）より出馬し、初当選。父が[[自民党の派閥|派閥]]会長を務めていた[[清和政策研究会|清和会]]（当時[[三塚博|三塚]]派、後の森派→町村派）に属す。[[1997年]][[自民党青年局長]]就任し同次長には同い年で親友で同じ派閥の[[下村博文]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Robert Zoellick meets Shinzo Abe 2006-01-23.jpg|200px|thumb|[[2006年]][[1月]]、アメリカ合衆国国務副長官[[ロバート・ゼーリック]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
派閥領袖の[[森喜朗]]首相が組閣した[[2000年]]の[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編前)|第2次森改造内閣]]で、[[小泉純一郎]]に推薦され、[[内閣官房副長官]]に就任。森政権の後を受け、[[2001年]]に成立した[[第1次小泉内閣]]でも引き続き内閣官房副長官を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]、小泉首相の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問に随行し、小泉首相と[[金正日]][[総書記]]との[[首脳会談]]では「安易な妥協をするべきではない」と強硬論を繰り返し主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]は日本側の納得する形では決着せずに難航した。内閣[[参与]]の[[中山恭子]]と共に北朝鮮に対する[[経済制裁]]という強硬路線を主張した。拉致被害者の北朝鮮帰国方針にも中山と共に頑強に反対した&amp;lt;ref name=&amp;quot;naz2&amp;quot;/&amp;gt;。対話路線などの慎重論を唱える議員が多かった中で、安倍の姿勢は多くの支持を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]9月、小泉首相によって[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]に抜擢された。自民党は総幹分離の原則が長く続いており、総裁派閥幹事長は1979年の[[大平正芳]]総裁時代の[[斎藤邦吉]]幹事長以来24年ぶりであった。[[国務大臣|大臣]]経験もない若手議員が第一与党幹事長に就任するのは極めて異例のことであるが、苦戦が予想される同年11月の[[第43回衆議院議員総選挙|総選挙]]のために安倍の「人気」が必要とされたためと見られた。11月の総選挙で与党は[[安定多数|絶対安定多数]]の確保に成功したが自身と93年初当選同期で同じ清和研属す[[高市早苗]]や[[中村力]]は小選挙区敗北し[[比例復活]]すらならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」（[[派閥]]の長が配下の者に配る活動資金）の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。[[2004年]]4月[[埼玉8区]][[補欠選挙]]で自民党史上初の全国的な候補者公募実施し合格した新人[[柴山昌彦]]が当選（同公募には[[佐藤ゆかり]]も最終選考に残った）、同年夏の[[第20回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞職を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・[[武部勤]]の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任。幹事長経験者が幹事長代理に格下げになるということも大変異例なことだった。その幹事長代理として迎えた[[第44回衆議院議員総選挙|05年衆院選]]では[[保守]]派[[弁護士]]の[[稲田朋美]]を「[[小泉劇場#刺客|刺客]]」（「[[郵政民営化関連法案]]に反対した元自民党候補」に対する対抗馬、[[福井県第1区|福井1区]]の[[松宮勲]]への対抗馬）にスカウトした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ポスト小泉 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe Sep06.jpg|thumb|200px|[[2006年]][[9月24日]]、[[両国国技館]]にて[[大相撲]][[本場所|九月場所]]表彰式に出席]]&lt;br /&gt;
小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補の一人と言われ、[[2005年]][[10月31日]]付で発足した[[第3次小泉改造内閣]]では[[内閣官房長官]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。[[憲法改正]]や[[教育改革]]、[[財政]]健全化に取り組む方針を示す。また、[[2006年自由民主党総裁選挙|総裁選]]に当選し次第、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[9月20日]]、小泉の任期満了にともなう総裁選で[[麻生太郎]]、[[谷垣禎一]]を大差で破って自由民主党総裁に選出、[[9月26日]]の[[臨時会|臨時国会]]に於いて内閣総理大臣に指名される。[[戦後]]最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===内閣総理大臣===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 安倍内閣 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe 2006-Nov-18.jpg|200px|left|thumb|2006年のAPECでの安倍晋三]]&lt;br /&gt;
就任表明では「美しい国」というテーマのもとに「[[戦後体制|戦後レジーム]]からの脱却」「[[教育バウチャー]]制度の導入」「[[ホワイトカラーエグゼンプション]]」などといったカタカナ語を連発し、議員からは「わかりにくい」と揶揄された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は小泉前首相の[[靖国神社問題|靖国参拝問題]]のために途絶えていた[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]への訪問を表明。[[2006年]][[10月]]に中国・[[北京市|北京]]で[[胡錦濤]][[国家主席]]と会談、翌日には、[[盧武鉉]][[大統領 (大韓民国)|大統領]]と会談すべく韓国・[[ソウル特別市|ソウル]]に入り、小泉政権下で冷え切った日中・日韓関係を改善を目指した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北朝鮮が[[北朝鮮の核実験 (2006年)|核実験]]を実施したことに対しては「日本の[[安全保障]]に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、[[国際連合|国連]]の[[国際連合安全保障理事会決議1718|制裁決議]]とは別に、より厳しい[[北朝鮮の核実験 (2006年)#各国などの対応|経済制裁措置]]を実施した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[9月]]から[[11月]]にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える、[[郵政造反組復党問題]]が政治問題化する。[[12月]]には、懸案だった[[教育基本法]]改正と[[防衛省|防衛庁]]の[[省]]昇格を実現した。一方で、同月、安倍が肝いりで任命した[[本間正明]][[政府税制調査会|税制会長]]が[[公務員宿舎]]への入居と愛人問題で、[[佐田玄一郎]][[内閣府特命担当大臣|行改担当大臣]]が、架空事務所費計上問題で辞任、この後、閣内でスキャンダルが相次いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:33rdG8Leaders.jpg|200px|thumb|[[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダム・サミット]]で各国首脳らと]]&lt;br /&gt;
[[Image:Bush Abe, Camp David.jpg|200px|thumb|[[2007年]][[4月27日]]、記者会見時に[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月]]の安倍の慰安婦発言が「二枚舌」と欧米のマスコミから非難されたが、[[4月]]下旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続いて[[日米関係史|日米関係]]が強固なものであることをアピールした。[[5月28日]]、以前から様々な疑惑のあった[[松岡利勝]][[農林水産大臣|農水大臣]]が[[議員宿舎]]内で、首を吊って[[自殺]]。官邸で訃報に接した安倍は涙を流し「慙愧に耐えない」と会見し、その晩は公邸で妻の昭恵に「松岡さんにはかわいそうなことをした」と語っている。また[[年金記録問題]]が大きく浮上した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で、[[6月]]当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアに大きく報じられた。同月6日～8日には首相就任後初の[[主要国首脳会議|サミット]]である[[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダム・サミット]]に参加、[[地球温暖化]]への対策を諸外国に示した。また、議長総括に[[北朝鮮による日本人拉致問題]]の解決を盛り込ませた。[[7月3日]]には[[久間章生]][[防衛大臣]]の[[久間章生#「原爆投下はしょうがない」発言|原爆投下をめぐる「しょうがない」発言]]が問題化。安倍は当初続投を支持していたが、批判の高まりにより、久間に厳重注意を行なった（久間は翌日辞任）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 参議院議員選挙、内閣改造 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[7月29日]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である[[赤城徳彦]]農林水産大臣にもいくつかの[[赤城徳彦#不祥事|事務所費問題]]が発覚。安倍はこういった閣僚の諸問題への対応が遅いと非難された。選挙中に発生した[[新潟県中越沖地震]]では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。2007年の[[第21回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」と楽観視していたが、結果は37議席と連立を組む[[公明党]]の9議席を合わせても過半数を大きく下回る歴史的大敗を喫した。これまで自民党が強固に議席を守ってきた、[[東北地方]]や[[四国地方]]で自民党が全滅、勝敗を左右する[[参議院一人区]]も、軒並み民主党候補や野党系[[無所属]]に議席を奪われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明したが、これについては、応援演説において「私か[[小沢一郎|小沢さん]]か、どちらが首相にふさわしいか」と[[有権者]]に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する厳しい批判が出た。また、参院選直後の[[7月31日]]の[[自由民主党総務会|自民党総務会]]においても、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た（[[安倍おろし]]）。同日、アメリカ下院では[[アメリカ合衆国下院121号決議|慰安婦非難決議]]が議決されていた。翌[[8月1日]]には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と批判された。この頃から安倍は食欲の衰えなど体調不良を訴え始め、[[8月19日]]から[[8月25日]]の[[インドネシア]]、[[インド]]、[[マレーシア]]3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 安倍改造内閣 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe Sept. 8, 2007 full.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[9月8日]]、[[アジア太平洋経済協力]]首脳会議にて、[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
選挙結果や批判を受け、[[8月27日]]に内閣改造、党役員人事に着手した（[[安倍改造内閣]]）。ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。9月9日、[[オーストラリア]]・[[シドニー]]で開催された[[アジア太平洋経済協力|APEC]]（アジア太平洋経済協力会議）首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し[[9月10日]]からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続が出来なくなった場合は、[[内閣総辞職]]することを[[マニフェスト|公約]]した。この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良によりAPECの諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]][[9月10日]]に[[第168回国会|第168回臨時国会]]が開催され、安倍首相は[[所信表明演説]]を行った。その中で安倍首相は「職責を全うする」などという趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「[[美しい国]]」という言葉は結びに一度使ったのみであった。午後には「（改正案を通すのは）厳しいでしょうか」と辞任を示唆する発言を[[麻生太郎|麻生幹事長]]に漏らしていたが、麻生から「テロ特措法があがった後でよろしいのではないですか。絶対今じゃないです。」と慰留された。[[9月11日]]には妻の昭恵に対し「もうこれ以上、続けられないかもしれない」と語ったが、辞任の具体的な日程までは一切明かさなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 辞意表明 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[9月12日]]午後2時（[[日本標準時|JST]]）、「[[内閣総理大臣]]及び[[自由民主党総裁]]を辞する」と退陣を表明する記者会見を行った。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は辞任の理由として「[[テロ対策特別措置法|テロ特措法]]の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」「私が総理であることが障害になっている」などとした（小沢代表は記者会見を開き「打診を受けたことは1回もない」と否定。なお、小沢は党首会談について報じられてからも「意見を変える気はない」と明言している）。一方で、自身の健康に不安があるという理由も[[与謝野馨]][[内閣官房長官]]が同日中会見で述べている。24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もともと胃腸に持病を抱えているといわれており、辞意表明当日の[[読売新聞]]・特別号外でもそのことについて触れられていた。また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答している。なお、辞任に追い込まれた実質的原因については、本人が記者会見をこなしていることもあり、健康問題ではないとする見方をする論者も、立花隆を初めとして存在する。ちなみに、自身の健康問題で辞任した首相は過去に、[[石橋湛山]]や[[小渕恵三]]などがいるが、彼らは[[脳梗塞]]など重い病に侵されたためであり、記者会見が可能だった安倍とは比べものにならないほどの病状だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 突然の辞意表明に対する批判 =====&lt;br /&gt;
[[臨時会|臨時国会]]が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明は、各界各方面から批判を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
野党側は安倍の辞意表明について「無責任の極み」であるとして次のような批判をおこなった。　　&lt;br /&gt;
*「40年近くの政治生活でも、過半数を失って辞めず、改造し、所信表明をし、そして代表質問の前に辞職と言う例は初めてで、本当にどうなっているのか、総理の心境・思考方法については良く分かりません」（民主党・[[小沢一郎]]代表)&lt;br /&gt;
*「参院選の後に辞めていればよかった。こういう形の辞任は国民に失礼」（民主党・[[鳩山由紀夫]]幹事長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「所信表明直後の辞任は前代未聞」（共産党・[[志位和夫]]委員長）&lt;br /&gt;
*「タイミングがあまりにひどい、無責任です。『ぼくちゃんの投げ出し内閣』だ。小沢代表との会談が断られただけで辞任するのは子供っぽい理由」（社民党・[[福島瑞穂]]党首）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
与党側でも[[古賀誠]]元自民党幹事長などから退陣に至る経緯・理由が不透明であるという批判や、その他議員からも「なぜ今日なのか、無責任だ」という批判が出た。[[塩川正十郎]]元財相も「非常に無責任な辞め方。熱意と努力で乗り切ってもらいたくて支えてきた。支えてきた者から見たらこんな辞め方は無い」と批判した。また、公明党の[[北側一雄]]幹事長からも「なぜこの時期に辞意表明なのか、非常に理解しがたい」と批判された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[麻生太郎]][[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]は同日の会見において、記者からの「総理はいつ辞任を決断していたのか」との問いに対し、「2日くらい前といえばそうだし、昨日と言えばそうだし…、この3日間意向は全くかわらなかった」などと述べ、安倍の辞任を2日前（安倍晋三が臨時国会でテロ特措法の延長ができなければ内閣総辞職すると述べた日と同日）にはすでに知っていたことを明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月13日]]に[[朝日新聞社]]が行なった緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 国外の反応 =====&lt;br /&gt;
日本国外のメディアもトップニュースで「日本の安倍首相がサプライズ辞職」、「プレッシャーに耐えきれなかった」（アメリカ[[CNN]]）などと報じた。欧米諸国の報道では批判的な意見も多かったが、安倍内閣の下で関係が良好だった[[中華人民共和国]]、[[大韓民国|韓国]]、[[台湾]]のマスコミは同情的な意見が目立った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 入院・内閣総辞職 ====&lt;br /&gt;
退陣表明の翌日（9月13日）、[[慶應義塾大学病院]]に入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると[[医師]]団が発表した。これについても海外メディアで報道され、イギリス[[英国放送協会|BBC]]は「昨日官邸をチェックアウトした安倍首相は、今日は病院にチェックインした」「日本は1週間以上も、精神的に衰弱しきった総理大臣を抱えることになる」と報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[遠藤武彦]]農相に不正な補助金疑惑が発覚した際、遠藤の辞任の流れを[[与謝野馨]][[内閣官房長官]]と麻生幹事長の2人だけで決めて安倍を排除したことから、安倍が「麻生さんに騙された」と発言したと言われる。 この内容について[[9月14日]]の[[報道ステーション]]が麻生にインタビューで問い質したところ、麻生は「（9月14日に安倍氏の見舞いに行った時）『そんなこと言われて与謝野とふたりで困っている』と安倍総理に言ったら、『そんなこと言ってない』と笑っておられました。どなたかが意図的に流した[[噂#デマ|デマ]]でしょう」と反論をしている。同日の[[NEWS ZERO]]は、番組終盤に安倍の「麻生さんに騙された」という発言を速報という形で伝え、麻生と安倍との間に不穏な空気が流れていたとする報道を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、自民党の若手による「麻生-与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、[[9月18日]]の閣議後の会見において明確に否定した。さらに麻生幹事長は[[9月19日]]に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「[[中川秀直|中川（秀直）]]さんは11日（辞任表明の前日）に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[安倍内閣メールマガジン]]は[[9月20日]]配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージのもと、これをもって最終号を迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、病院側は、安倍首相の容体は回復軌道には入っているものの退院できる状態ではないとした。病室内では新聞は読まずテレビも基本的には視聴せず、外部の情報をシャットアウトした環境下で治療を行った。9月21日は安倍首相53歳の誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった。このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と[[内閣総理大臣臨時代理]]は置く予定はないという方針をとっていた。20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入院中、妻の昭恵から政治家引退を勧められたが、安倍は「いや、それは違う」と答え、議員辞職は拒否した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月23日]]に行われた自民党総裁選には欠席して前日に不在者投票を行い、前総裁のあいさつは[[谷川秀善]]両院議員総会長が代読した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月24日]]17時、[[慶應義塾大学病院]]にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「[[所信表明演説]]後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。また、自民党若手による「麻生クーデター説」については本人の口から改めて否定された。さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず[[内閣総理大臣臨時代理|臨時代理]]を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては政府内でも批判の声があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月25日]]、安倍内閣最後の閣議に出席し、国会へ登院して衆議院本会議での[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]に出席する意思を明らかにした。[[9月25日]]の安倍内閣最後の閣議で閣僚全員の辞職願を取り纏めて[[内閣総辞職]]した。安倍前首相は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。26日には[[皇居]]で行われた[[福田康夫]]首相の親任式に出席した後、再び病院へと戻った。なお、安倍内閣の在職日数は1年あまりとなる366日であり、[[日本国憲法]]下では歴代7位の短期政権となった。改造内閣はわずか31日の短命に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 内閣総理大臣退任後 ===&lt;br /&gt;
==== 健康の回復 ====&lt;br /&gt;
その後、入院していた慶應義塾大学病院から「一時帰宅」し、東京・富ヶ谷の私邸で自宅療養に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11月13日]]に[[テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法|新テロ特措法案]]の採決を行なう[[衆議院]][[本会議]]には「はってでも出たい」と出席し、白票（賛成票）を投じた。後の記者会見において安倍前首相は「回復しました」と元気な様子を見せた。また、同採決を地方出張のため棄権した民主党代表小沢一郎に対して、「無責任じゃないですか。本当は（小沢は）賛成だったんじゃないかという人もいますがね」と強く批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年1月、『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』に手記を寄稿。2007年9月の退陣に関し、体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが「このままでは首相の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった。決定的な要因のひとつだった」と告白するなど、辞任の主な理由は健康問題だったとしている。しかし現在は韓国料理屋で焼肉屋キムチやマッコリを食すなど、あまりに脅威的な回復であるため、辞任直前に問題となった脱税疑惑のカモフラージュではないかという疑念を持たれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年には[[第169回国会]]会期中に妻の昭恵と[[スキー]][[旅行]]や[[選抜高等学校野球大会]]の観戦に出かけるなどしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 政治活動の再開 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe and James Zumwalt 20090620.jpg|thumb|200px|[[2009年]][[6月20日]]、[[東京都]]にて[[臨時代理大使|日本駐箚アメリカ合衆国臨時代理大使]][[ジェームス・ズムワルト]]（右から1人目）と安倍（右から2人目）]]&lt;br /&gt;
2007年末、産経新聞のインタビューにて、「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」と述べ、2008年からは活動を本格的に再開し「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていく」と答えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年以降は政治活動を徐々に本格化させ、中華人民共和国国務委員の[[唐家セン|唐家璇]]と会談するなど外交への取り組みも再開した。同年1月、参院選時の公約への根強い批判に反論し、年金記録の照合作業を2008年3月までに終わらせると公約したが国民一人一人への支払いを保証したわけではない、と主張した。また、本来は国民各自が責任を持って年金記録を管理すべきと指摘し、政府に頼る風潮に疑問を呈した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年[[3月5日]]、安倍は勉強会「クールアース50懇話会」を立ち上げ、塩崎恭久や[[世耕弘成]]らが入会した。設立総会において、安倍は「[[第34回主要国首脳会議|北海道洞爺湖サミット]]を成功させるのは私の責任」と語り、同懇話会の座長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月6日]]、清和政策研究会（町村派）の総会に出席し、「首相として1年間、美しい国づくりに全力を傾注してきたが、残念ながら力が及ばなかった。私の辞任に伴い、みなさんに風当たりも強かったのではないか。心からおわびを申し上げたい」と述べて所属議員に謝罪した。この総会にて安倍の派閥への復帰が承認され、清和政策研究会相談役に就任した。[[4月28日]]に「主権回復五十六周年記念国民集会」でスピーチ、[[4月30日]]には「中国の人権状況を考えるシンポジウム」に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]][[8月15日]]朝、首相在任中に果たせなかった[[終戦の日|終戦記念日]]の[[靖国神社]]参拝をおこなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 2度目の総裁就任 ====&lt;br /&gt;
[[2012年]][[9月12日]]、谷垣総裁の任期満了に伴って行われる[[2012年自由民主党総裁選挙]]への出馬を表明。自らが所属する[[清和会]]の会長である[[町村信孝]]の出馬が既に取り沙汰されていたこともあり、前会長の森からは出馬について慎重な対応を求められていたものの、これを押し切る形での出馬となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初は、清和会が分裂選挙を余儀なくされた事や5年前の首相辞任の経緯に対するマイナスイメージから党員人気が高かった[[石破茂]]、党内重鎮からの支援を受けての出馬となった[[石原伸晃]]の後塵を拝していると見られていた。しかし、[[麻生派]]、[[高村派]]が早々と安倍支持を表明した事などが追い風となり、[[9月26日]]に行われた総裁選挙の1回目の投票で2位に食い込むと、決戦投票では、1回目の投票で1位となっていた石破を逆転。石破の89票に対し108票を得て、総裁に選出された。一度辞任した総裁が間を挟んで再選されるのは自民党史上初、決選投票での逆転は[[1956年12月自由民主党総裁選挙]]以来となった。なお、安倍はこの時、自身の体調に関して前回の総理大臣辞任後に発売された特効薬によりほぼ寛解したと説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 内閣総理大臣に再就任 ===&lt;br /&gt;
[[2012年]][[12月16日]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]で自民党が294議席を獲得して圧勝、政権与党に復帰。同年12月26日に第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が発足。1度辞任した内閣総理大臣の再就任は、戦後では[[吉田茂]]以来2人目である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 第2次安倍内閣 ====&lt;br /&gt;
===== TPP問題 =====&lt;br /&gt;
2012年11月14日の[[野田佳彦]]首相の解散表明により選挙の争点として浮上した[[環太平洋戦略的経済連携協定]](TPP)について、自民党はASEANでのTPP参加表明に反対し、「聖域なき関税撤廃」を前提とした交渉参加には反対するとしていた。一方、安倍は日本商工会議所会頭の岡村正との会談では交渉に含みをもたせ、「TPP推進に対して強い交渉力を発揮して頂けるという強い意気込みは感じたので心強く思う」と評価された。この岡村とのやりとりについて、経団連会長の[[米倉弘昌]]も「いいことだ」と歓迎している。しかし、その後の記者会見では「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」と否定し、その結果として衆院選では160人超の候補者が、TPP交渉参加反対を訴える農協（JA）系の政治団体から推薦を受け当選した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣では農水大臣に農政になじみの薄い[[林芳正]]を起用し、[[甘利明]]、麻生太郎など経済関係の主要閣僚にもTPP賛成派を配置。さらに外交政策に関して助言を行う[[内閣官房参与]]には「（東日本大震災に対して）日本がんばれと言っているのではないかと思う。こうした声援に応えるためにも、日本は積極的にTPPに参加すべきである。」(2011年12月）「（TPPは）日本が飛び乗るべきバス」(2010年12月）との発言をしている[[谷内正太郎]]を起用した。また、TPP賛成派の[[岡素之]]や[[大田弘子]]をそれぞれ内閣府[[規制改革会議]]議長及び議長代理とし、さらに新設の[[日本経済再生本部]]に設置された[[産業競争力会議]]のメンバーにも[[日本維新の会]]と関係の深いTPP賛成派の[[竹中平蔵]]や、TPP早期実現要請を行なっていた[[三木谷浩史]]を加えた。経済全般のマクロ政策を決める経済財政諮問会議の民間議員も全員TPP賛成派で、[[高橋進 (経済学者)|高橋進]]は構造改革派の論客として野田佳彦民主党政権の方針を力強く後押ししていた人物。[[伊藤元重]]にいたっては「TPPに参加できないなら、農村部にある多くの工場は閉鎖を余儀なくされる」というのが持論で、野田佳彦民主党政権の「社会保障制度改革国民会議」のメンバーでもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年2月23日、日米首脳会談後に共同声明を出した。それまでの関税に関する見解（カークUSTR代表と玄葉外務大臣との会談）は「物品関税の最終的な扱いについてはTPP交渉プロセスのなかで決まっていくもの」であったが、今回の共同声明は「一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する」との表現になった。この会談の結果、主要全メディアにおいてTPP賛成が増加し、共同通信63%、FNN53%、テレビ朝日51%、日本経済新聞47%などとなった一方、ニコニコ動画では46.5%が反対と回答した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年3月8日、日本政府が[[野田佳彦]]内閣当時の昨年3月の段階から『TPP交渉参加後発組に出された3条件』を把握していたにもかかわらず、国民に条件を告知することなく交渉参加を推進していたことが判明した。安倍はこの問題に関して衆院予算委員会で答弁を拒否し、質問した日本維新の会の[[松野頼久]]国会議員団幹事長が「政府が交渉参加のルールを探って議会に説明するのは当然の責任だ」と批判した。また岸田文雄外相は「少なくともわが国には、そうした条件の提示は全くない。引き続き情報収集に全力を挙げる」と答弁していたが、9日になって安倍は「ルールを作っていく上で、最初に入った人たちが後から入った人に議論を覆されたら困るというのは、それはそうだろうと思う」と述べた。安倍政権はこの3条件を政権移行直後に把握したが公表はしていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年3月14日、自民党のTPP対策委員会が「重要5品目等や国民皆保険制度などの聖域の確保を最優先」し、それが確保できないと判断した場合は「脱退も辞さない」とする決議をまとめた。ただ自民党執行部はこの決議に関して「彼らも地元に帰って反対してきたと言えるだろう」と慎重派のガス抜きであることを認めており、政府高官は今後の政府の交渉を縛らないと明言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」との発言からちょうど120日目にあたる2013年3月15日、TPP交渉参加という形で決着が図られることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年4月12日に決着したTPP交渉参加に向けた日米事前協議は大手各紙上でも『高い「入場料」』という言葉が飛び交い、米側に譲りに譲ったものとなった。日本政府のTPP交渉担当者が「なんとしても7月中には交渉に加わりたいのだが……」とあせりの色を隠せない中での事前協議であり、交渉に入る前から通商条件で大幅な譲歩を迫られる可能性があったが、現実のものとなった。焦点の自動車・保険分野では双方とも大幅譲歩であり、自動車分野では自動車関税について当面は乗用車・トラックの関税を維持した上、撤廃時期はTPPが認める範囲で最大限遅らせることで決着、保険分野ではかんぽ生命のがん保険など新商品の申請を事実上凍結したため、投資家に訴える新規事業への参入が不可欠な2015年秋までの株式上場は計画の見直しが不可避となり、政府が復興財源として期待していた日本郵政株式の売却収入4兆円が見通せなくなってしまった。のみならず、非関税措置について9つの分野で日米間で継続協議とされたため、1990年代に経験した日米構造協議、包括経済協議と同様に2国間の枠組みを使って日本に市場開放の圧力をかける構図が繰り返されることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 労働市場の構造改革（日本版「ワッセナー合意」）=====&lt;br /&gt;
企業が賃上げを促進し、政府は賃上げ企業への優遇や失業者対策を進め、労働者は労働市場流動化に同意し失業増を受け入れるという日本版「ワッセナー合意」が構想されていることが明らかになった。ただし、オランダで起こった[[ワッセナー合意]]は「労組は賃金の抑制」「政府は企業の社会保障負担を低減し労働者のための減税を実施」「経営者は仕事を分かち合い雇用を確保」という内容的には逆とも言えるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本版「ワッセナー合意」は、むしろ[[第1次安倍内閣]]で提唱された[[労働ビッグバン|日本版オランダ革命]]に近いものであり、[[日本維新の会]]のブレーンで[[聖域なき構造改革|小泉構造改革]]の中心人物であった[[産業競争力会議]]メンバー[[竹中平蔵]]の主張である「再就職支援金の支払いを条件に従業員の解雇を認めるといった解雇ルール」や「正規と非正規の中間的な雇用形態の導入」などが盛り込まれている。これについては、失業増を受け入れる労働組合はもちろん経済界も難色を示しているとされる。[[竹中平蔵]]は[[第1次安倍内閣]]の際には、著書の中で「[[既得権益]]を失う[[労働組合]]や、保険や年金の負担増を嫌う[[財界]]の反対で頓挫した」と述べていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 日台漁業交渉問題 =====&lt;br /&gt;
2013年4月に台湾との間で尖閣諸島沖の漁業範囲に関する取り決めを行った。この協定は官邸の独断で成立が決定されたため、水産庁や外務省などと事前協議を行っていた地元の漁協は強く反発し、「いずれこの漁業範囲から日本船が締め出され中国船や台湾船しかいなくなる」、と強い懸念を出している。実際に台湾漁船は当協定の成立が決定すると、協定の発行前から認められる予定の漁業範囲さえ超えた範囲で操業を開始した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 参議院議員選挙での圧勝 ====&lt;br /&gt;
''詳しくは「[[第23回参議院議員通常選挙]]」を参照。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年（平成25年）[[7月21日]]、[[7月28日|同月28日]]の任期満了に伴う第23回参議院議員通常選挙が行われた。自由民主党が政権を奪還し、第2次安倍内閣になってから初めての大型国政選挙となった。第1次安倍政権時に大敗を喫した第21回参議院議員通常選挙（[[#参議院議員選挙での敗北|前述]]）以降、[[参議院]]では政権[[与党]]が過半数を下回る[[ねじれ国会]]が続いており（2009年の[[第45回衆議院議員総選挙]]から2010年の[[第22回参議院議員通常選挙]]までの期間を除く）、非改選議員と合わせて与党が過半数を確保できるかが最大の焦点とされていたが、結果、前年12月の衆院選で大勝し政権与党に返り咲いた自民・公明両党が合わせて過半数を超える議席を獲得して大勝をおさめ、「ねじれ」を解消させることに成功。ここに安倍自身にとってもかつての雪辱を果たすことが叶った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
* [[1954年]]9月21日:[[東京都]]に生まれる。本籍地は[[山口県]][[大津郡]][[油谷町]]（現・[[長門市]]）。&lt;br /&gt;
* [[1977年]][[3月]]:[[成蹊大学]][[法学部]]政治学科卒業&lt;br /&gt;
* [[1977年]][[4月]]:[[アメリカ合衆国|米国]][[カリフォルニア州]][[ヘイワード (カリフォルニア州)|ヘイワード]]の英語学校に入学。その後、[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の語学学校に転校した。&lt;br /&gt;
* [[1978年]]4月:[[南カリフォルニア大学]]に入学。[[政治学]]を専攻し春・夏・秋学期を履修し、[[1979年]]に[[退学|中退]]。&lt;br /&gt;
* [[1979年]]4月:株式会社[[神戸製鋼所]]入社&lt;br /&gt;
* [[1982年]]11月:神戸製鋼所退社、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]（[[安倍晋太郎]]）秘書官に就任&lt;br /&gt;
* [[1993年]]7月:衆議院議員初当選（旧・山口1区）&lt;br /&gt;
* [[1993年]]7月:衆議院議員初当選&lt;br /&gt;
* [[1999年]]10月:衆議院厚生委員会理事&lt;br /&gt;
* [[2000年]]7月:[[第2次森改造内閣]]で[[内閣官房副長官]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2001年]]4月：引き続き[[第1次小泉内閣]]で内閣官房副長官に就任&lt;br /&gt;
* [[2003年]]9月:[[自由民主党幹事長]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2004年]]9月:自由民主党幹事長代理に就任 党改革推進本部長に就任&lt;br /&gt;
* [[2005年]]10月:[[第3次小泉改造内閣]]で[[内閣官房長官]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2006年]]9月:[[自由民主党総裁]]に選出、第90代[[内閣総理大臣]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2007年]]9月:[[自由民主党総裁]]及び[[内閣総理大臣]]を辞職&lt;br /&gt;
* [[2007年]]9月:[[安倍改造内閣|安倍内閣]]総辞職&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な所属議員連盟 ==&lt;br /&gt;
*[[日韓議員連盟]]&lt;br /&gt;
*[[日本会議]]国会議員懇談会&lt;br /&gt;
*[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]&lt;br /&gt;
* [[公共放送のあり方について考える議員の会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政見・政策 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 国家像 ===&lt;br /&gt;
; [[美しい国]]&lt;br /&gt;
: 総裁戦直前の[[2006年]][[7月19日]]に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行する[[ベストセラー]]になった。政権[[スローガン]]も「'''美しい国日本'''を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「'''[[戦後レジーム]]'''（体制）」からの新たな船出”と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、[[安全保障]]などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。&lt;br /&gt;
: これまでの日本の歴史認識を自虐的な[[東京裁判史観]]とする[[保守]]層からは好意的に迎えられる一方、[[左派]]からは内閣発足当初から[[集団的自衛権]]を容認しアメリカに追従する[[軍国主義]]的な体制を作ろうとするものではないかという懸念が示されている。また「美しい国」という理念について、何が・また何をもって“美しい”とするのかはっきりせず、抽象的であるとする批評もある。さらには任期中においては「美しい国作り」と言う'''目標として掲げたもの'''であったが、当時の社会問題などのニュースなどの締めに「これが美しい国の正体」などと'''現在進行形の問題'''を持ってくる報道も少なからず存在していた。&lt;br /&gt;
; アジア・ゲートウェイ構想&lt;br /&gt;
: 第165回国会の所信表明演説にて「日本がアジアと世界の架け橋となる『アジア・ゲートウェイ構想』を推進します」と述べ、内閣官房に「アジア・ゲートウェイ戦略会議」を設置した。第166国会の[[施政方針演説]]では、2007年5月までに「アジア・ゲートウェイ構想」を取りまとめると明言したが、この構想の議論が本格化すると、閣内で対立が尖鋭化する。2007年5月、内閣官房長官[[塩崎恭久]]、[[内閣府特命担当大臣]]（経済財政政策担当）[[大田弘子]]、特命担当大臣（規制改革担当）[[渡辺喜美]]、[[内閣総理大臣補佐官]]（経済財政担当）[[根本匠]]の四者がこの構想について協議した際には、意見の相違から渡辺が根本に掴み掛かるなど混乱し、塩崎が仲裁する事態に発展した。&lt;br /&gt;
; 地方自治&lt;br /&gt;
: [[道州制]]の導入を検討。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 憲法 ===&lt;br /&gt;
総裁選では施行60周年を迎えた[[日本国憲法]]を改正すると宣言し、総理就任後の国会で、「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、60年近くを経て現実にそぐわないものとなっているので、[[21世紀]]にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べた&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20061003&amp;quot;&amp;gt;衆議院　本会議　平成18年（2006年）10月3日）「在任中に憲法を改正をしたい」との考えを述べた。（平成18年12月19日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。また“私は、国会議員になった当初から改憲論者だが、3つの点で憲法を改正すべきだと主張してきた。第一の理由だが、現行憲法は占領軍の手によって、憲法の専門家ではない人たちによって2週間そこそこで書き上げられた、と言われており、やはり国の基本法である限り、制定過程にもこだわらざるを得ない”と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改憲のための[[国民投票法案]]（[[日本国憲法の改正手続に関する法律]]）の整備をおこなうが、選挙に向けて野党の反対を押し切り成立させたためメディアでは法案の不備について批判が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 安全保障 ===&lt;br /&gt;
日本版「[[国家安全保障会議]]」（NSC）構想を推進した。総理就任以前は[[憲法改正]]に関しては[[集団的自衛権]]の容認を打ち出して来た。総理就任後は、防衛庁を[[防衛省]]へ格上げした。これは「戦後レジーム（体制）から脱却し、新たな国造りを行うための第一歩」と意義付けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年11月14日、安倍内閣は閣議で、核保有についての[[鈴木宗男]]の[[質問主意書]]に対して、「政府としては、[[非核三原則]]の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「[[核兵器]]であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との[[答弁書]]を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe with KSG Students.jpg|thumb|200px|[[総理大臣官邸]]を訪れた[[ハーバード大学]]学生らと[[内閣官房長官]][[塩崎恭久]]と安倍晋三]]&lt;br /&gt;
2006年12月に[[教育基本法]]を改正し、教育の目標の一つとして[[愛国心]]という言葉を盛り込んだ他、[[義務教育]]9年の規定や[[男女共学]]の項を削除した。[[内閣府]]直属の「[[教育再生会議]]」を立ち上げ、2007年6月には[[教員免許更新制]]を導入した。その他、[[学校週五日制]]の見直しや[[大学]]進学の条件として社会[[奉仕]]活動の義務化を提唱した。その他の政策としては、[[教育バウチャー]]制度の導入を検討、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長を務め、自民党の[[山谷えり子]]らと共に[[ジェンダーフリー]]教育に対する批判等を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改正後の教育基本法については、「一見、立派なことが書いてあるが、家族・郷土・歴史・伝統・文化・国など、私たちが大切にしなければいけないものが抜け落ちている。日本人として生まれたことに誇りを持つためには、そうしたことを子どもたちに教えていくことが大切ではないか」「“世界から尊敬されている”ということも、誇りが持てるということにとって大切だ。世界に貢献していく際に“日本はこういう理想を持っており、こういう世界を実現していきたい”と述べていく必要がある」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公務員改革 ===&lt;br /&gt;
[[内閣府特命担当大臣]]（規制改革担当）に[[渡辺喜美]]を置き、官僚主導の政治体制、公務員の給料制度、[[天下り]]、業界の談合体質など官僚にまつわる諸悪を摘出し、政官業の関係を健全化しようと国家公務員法改正を打ち出した。同改正法に基づいて（1）官民人材交流センター（人材バンク）の制度設計（2）キャリア制度の見直し、という２つの作業が開始され、それぞれについて有識者懇談会が設けられた。安倍も[[成田空港]]社長に官僚OBがなることを却下したり、[[東京証券取引所]]への天下り人事にも横槍を入れるなどの行動を見せていたが、官僚や自民党内から激しい抵抗が起るようになる。渡辺喜美行政改革担当相が、自民党行政改革推進本部の会合に出席し、各省庁による天下り支援を禁止する案を説明すると、党側に『各省にあっせん機能を残すべきだ』と猛反発されたり、天下り規制の懇談会にて天下りをしている元事務次官7人のヒヤリング調査をしようとしたところ、担当官僚が元事務次官に懇談会出席の要請すらしない等の抵抗が見られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この公務員改革で安倍は、特に社会保険庁改革（社保庁民営化）に力を入れていた。その理由としては年金行政への信頼回復とともに、社保庁の民営化によって公務員削減の突破口にしたいとの狙いがあった。しかしここでも激しい抵抗にあった。[[田原総一郎]]によれば、安倍が社保庁民営化を目指していたことで、社保庁がクーデターを起こし、社保庁の年金が酷い状態であるということを社保庁自らが民主党やマスコミに選挙前に広め、「いかに安倍が危機管理ができないか」と国民に思わせて退陣を狙う「自爆テロ」を行い、そしてマスコミもそれに乗った、と指摘された。しかし、第二次安倍政権では安倍の肝いり人事でまたもや日本年金機構の情報流出事件が起こり、安倍自身の年金問題に関しての危機管理が甘さが問題となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 労働政策 ===&lt;br /&gt;
;再チャレンジ政策&lt;br /&gt;
:小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定[[雇用]]の増加やいわゆる[[格差社会]]の是正を掲げ、[[再チャレンジ]]政策の一環として[[フリーター]]を[[正社員]]として採用するよう企業に要請したが、2006年8月の [[日本経済団体連合会|経団連]]が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果であり、期待通りの成果は出なかった。「[[ワーキングプア]]と言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も[[非正規雇用]]者が[[正規雇用|正規社員]]へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、[[偽装請負]]等に関しても、「[[法令]]、[[労働基準法]]に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510130014003c.html|title=第165回国会 参議院 予算委員会 第3号|date=2006-10-13|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[ホワイトカラーエグゼンプション]]（事務職残業手当適用除外制度）&lt;br /&gt;
:「[[日米投資イニシアチブ報告書]]」に基づき、この制度を導入する予定であったが、 [[マスメディア|メディア]]で「[[時間外労働|残業]]代ゼロ法案」と批判的に報じられ、反対世論が強まったため、[[2007年]]1月17日、「現段階では国民の理解を得られない」として、国会提出を断念した。&lt;br /&gt;
;「[[最低賃金]]」&lt;br /&gt;
:最低賃金の抜本的引き上げは、「[[中小企業]]を中心に労働コスト増で、かえって雇用が失われ非現実的だ。」とした&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070130&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070130004.htm|title=第166回 衆議院本会議 4号|date=2007-01-30|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年3月の参議院の[[予算委員会]]では、「最低賃金制度を[[生活保護]]以上にしていくという改正を行ない、成長力底上げ戦略を進めていく中で、中小企業と労働者の生産性を上げることによって、最低賃金も上げるという二段構えの仕組みを検討している」考えを示した&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070319&amp;quot;&amp;gt;第166回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成19年（2007年）3月19日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;格差問題&lt;br /&gt;
:「[[格差社会|格差]]はいつの時代もあるわけであって、格差を全くなくすことはこれは不可能であろう」、「努力した人が報われる社会をつくっていく、汗を流した人、頑張った人が、知恵を出した人が報われる社会をつくっていかなければいけない」、「結果平等の社会をつくろうとは全く思っていない」、「格差においては、これは不公平、不公正な競争の結果であってはならないし、また、社会的にこれはやはり容認できないという格差であってはならない」、「格差が固定化されてはならない」と述べている&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070301&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070301017.htm|title=第166回国会 衆議院 予算委員会 17号|date=2007-03-01|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 治安政策 ===&lt;br /&gt;
[[組織犯罪処罰法]]（いわゆる「共謀罪法案」）について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「[[国際組織犯罪防止法条約]]」を」批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の[[通常国会]]で成立を図るよう指示したが、反対する世論や自民党内からの反発も強いため、継続審議となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 党運営 ===&lt;br /&gt;
[[郵政民営化]]時の造反[[議員]]を復党させた（[[郵政造反組復党問題]]）。これに対しては国民から強い反発が出たため、支持率はその後低下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会保障 ===&lt;br /&gt;
; 中国残留孤児&lt;br /&gt;
: [[中国残留孤児]]問題における訴訟では請求を取り下げられた[[原告]]団に面会し、新たな支援を検討していくことを確認した。&lt;br /&gt;
; [[慈恵病院]]の「こうのとりのゆりかご」&lt;br /&gt;
: 2007年[[2月23日]]に、[[熊本市]]の[[慈恵病院]]が[[赤ちゃんポスト]]の設置を計画していることについて、「[[ポスト]]」という名前や匿名で子供を置いていけるものだということに大変抵抗を感じると反対の意向を示した。&lt;br /&gt;
; 年金問題&lt;br /&gt;
: [[年金記録問題]]では民主党の[[小沢一郎]]との[[党首討論]]で「[[宙に浮いた年金記録|消えた年金]]はどうするのか」という野党からの追及に対し「年金は消えたわけではない」として年金時効撤廃特例法案など具体的な救済案を提示した。該当者不明の年金記録5000万件の照合作業については「三千万人の方々とこの二千八百八十万件を一年間のうちに突合いたします」「一年間で私たちはすべて突合を行うということをお約束をする」と断言、当初2年程度を想定していた調査期間を前倒しすると表明し、自民党の公式HPでも宣伝した。第21回参議院議員通常選挙の際は、安倍自身が「最後の一人まですべての記録をチェックし、まじめに保険料を払ってきた人の受給を保障する」と各地で演説した。&lt;br /&gt;
: メディアや専門家からは、その公約の実現性に対して当初から懐疑的な意見が出されていた。[[社会保険庁]]は年金記録の照合作業を進めたものの、[[2008年]][[3月]]末までに持ち主が判明するのは1000万人程度に留まり、名寄せ困難な記録が1975万件に達すると発表された（人数や件数は[[2007年]][[12月]]時点での推計値）。安倍の公約実現は絶望的となり、後任の首相である福田康夫が謝罪する事態となった。福田は「（当時の）安倍総理は割合ときちんと言っているんじゃないかと思います」と安倍を擁護したが、内閣官房長官の[[町村信孝]]は「亡くなった方もいる。『最後の一人まで』ということはありえない。もとより無理」と述べ、安倍の公約の問題点を指摘した。&lt;br /&gt;
: 2008年1月、安倍はマスコミとの懇談の席上、「年金ってある程度、自分で責任を持って自分で状況を把握しないといけない。何でも政府、政府でもないだろ」と指摘した。公約違反との批判に対しては「今になって（参院選の）選挙演説の『最後の一人までチェックして支払います』が公約違反と言われるけど、俺は一言も三月までに支払うとは言ってないんだぜ」と反論している。&lt;br /&gt;
: 2008年3月、社会保険庁の照合結果が公表され、1172万件分の持ち主が特定できたが、名寄せ困難な未解明記録は2025万件に達したことが明らかになった。&lt;br /&gt;
: なお、国民皆年金制度は祖父・[[岸信介]]が首相時代に策定したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交 ===&lt;br /&gt;
[[Image:APEC2006 Roh Bush Abe (2).jpg|thumb|200px|[[2006年]]の[[アジア太平洋経済協力|APEC]]にて、[[大韓民国大統領]][[盧武鉉]]、[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と、安倍晋三]]&lt;br /&gt;
[[Image:DickCheney visits ShinzoAbe in Tokyo, 2007Feb21.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[2月21日]]、[[総理大臣官邸]]にて[[アメリカ合衆国副大統領]][[ディック・チェイニー]]と会談する安倍晋三]]&lt;br /&gt;
''下記の[[安倍晋三#歴史認識|歴史認識]]も参照''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日中・[[日韓問題|日韓関係]]を改善し、[[東アジア共同体]]の構想に強い意欲を示す。[[新自由主義]]政策・[[グローバル資本主義]]を推進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[大韓民国]]&lt;br /&gt;
:韓国の[[親米保守]]勢力（現在は[[ハンナラ党]]）とは韓国が[[朴正煕]][[軍事独裁]]政権だった頃から[[国際勝共連合]]などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての[[親韓派]]だった安倍も首相になってから「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っております。」と[[親韓]]的な発言をしている。&lt;br /&gt;
;[[中華人民共和国]]&lt;br /&gt;
:2006年の[[自民党総裁選]]では、ありのままの日本を知ってもらう為に多くの[[中華人民共和国|中国人]][[留学生]]を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した日中関係の改善に意欲を見せた。首相就任後、真っ先に訪中して[[胡錦濤]][[中華人民共和国主席|国家主席]]と会談する。この訪中は中国側から「氷を砕く旅（破氷之旅）」と呼ばれて[[評価]]された。&lt;br /&gt;
;[[朝鮮民主主義人民共和国]]&lt;br /&gt;
:2007年[[2月12日]]に来日した[[ディック・チェイニー|チェイニー]]米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対する[[テロ支援国家]]指定の解除をしないように要請した。3月1日、[[六者会合|6者協議]]の[[日朝国交正常化]]に関する作業部会への対応について「拉致問題の完全解決、前進を目指して全力を尽くすように」と指示し、エネルギー支援の参加についても「我々が判断をして決めていきたい。北朝鮮が決めることではない。我々が（拉致問題で）納得できなければ前進とは認めない」と強調し、拉致問題を安倍政権の最重要課題とする従来の姿勢を確認した。&lt;br /&gt;
;[[アメリカ合衆国]]&lt;br /&gt;
:小泉政権により強化された[[日米安全保障条約]]をさらに充実させるため[[在日米軍]]と[[自衛隊]]の一体化を目指しており、[[集団的自衛権]]行使のための[[憲法改正]]も視野に入れている。&lt;br /&gt;
;[[オーストラリア]]&lt;br /&gt;
:オーストラリアとは「基本的価値観を共有する国家として連帯強化を目指している。[[日豪FTA]]の交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年[[3月13日]]には[[安全保障協力に関する日豪共同宣言]]に[[ジョン・ハワード]]首相と共に署名した。この宣言には[[国際連合平和維持活動|PKO]]などの海外活動や対[[テロリズム|テロ]]対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた。「豪との共同宣言が中国狙ったものでない」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史認識==&lt;br /&gt;
===戦争責任・村山談話===&lt;br /&gt;
総裁選を目前に控えた2006年9月7日、「[[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話|村山首相談話]]」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」とした。その一方で、2006年10月6日、衆議院[[予算委員会]]で、[[A級戦犯]]について、「[[戦争犯罪]]人である」と明言した小泉前総理の答弁を修正し、「国内法的には犯罪者ではない」との見解を示し、[[戦争責任]]については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816520061006003.htm|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 第3号|date=2006-10-06|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2006年10月5日、衆院予算委員会で、[[東条内閣]]の[[商工大臣]]だった岸信介が対米英開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」とも述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816520061005002.htm|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 2号|date=2006-10月-05|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===慰安婦問題・河野談話===&lt;br /&gt;
日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「[[新しい歴史教科書をつくる会]]」を支援して来た自民党内部の[[議員連盟]]「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会|日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会]]」（1997年2月27日結成）の元事務局長。現在[[中川昭一]]と共に顧問を務める。同会は特に「侵略戦争」や「[[慰安婦]]」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の[[強制連行]]を認めた「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]」を発表した[[河野洋平]]を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]の証言が虚偽であることが判明したため、「河野談話」および教科書への「慰安婦」の記述を載せることは問題であると指摘している&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/140/0414/14005270414002c.html|title=第140回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第2号|date=1997-05-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている&amp;lt;ref&amp;gt;『[[中央日報]]』　2005年4月2日付2面。&amp;lt;/ref&amp;gt;。総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言。[[2007年]]3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語った。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「決議案は客観的事実に基づいていない。」「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社民党の[[辻元清美]]の慰安婦問題に関する[[質問主意書]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm|title=安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書|date=2007-03-08|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に対して、政府は2007年3月16日の閣議で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm|title=衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書|date=2007-03-16|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「慰安婦」問題については存在しないとする立場を従来からとってきたことと、自民党有志でつくる「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]」による[[河野談話]]見直し発言&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「軍の慰安婦強制連行なかった…自民有志が見解表明要求 | work=読売新聞 | url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070301ia01.htm | accessdate=3月1日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;が一部マスコミの反発を招いた。2007年3月4日テレビ朝日の番組に出演した[[世耕弘成]]首相補佐官は、「河野談話を継承する」と発言&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「河野談話は継承＝世耕補佐官 | work=時事通信 | url = http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;k=2007030400072 | accessdate=3月4日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;し鎮静化を図ったが、近隣アジア諸国を中心に非難が巻き起こった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/02/AR2007030200235.html|title=Growing Chorus Slams War-Brothel Remarks|work=ワシントン・ポスト AP通信社|language=英語|date=2007-03-2|accessdate=3月2日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。安倍はその後、慰安婦について日本の責任を認める発言を繰り返し&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「安倍首相：従軍慰安婦で日本の責任認める　米メディアに | work=毎日新聞 | url = http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070421k0000e010063000c.html | accessdate=4月21日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、2007年4月27日には海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う」（I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.） 　「私たちは、戦時下の環境において、そうした苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている」（We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under　the circumstances at the time.）とお詫びを表明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6598289.stm|title=Abe explains sex slave comments|work=BBC News|language=英語|date=2007-04-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。同日の日米首脳会談で、ブッシュ大統領との会談で「人間として、首相として、心から同情している。申し訳ない思いだ」と謝罪&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「日米首脳会談 安倍首相、慰安婦謝罪具体的表現なし」 | work=中央日報 | url = http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=86960&amp;amp;servcode=200&amp;amp;sectcode=200 | accessdate=4月28日 | accessyear = 2007年 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;した。しかし、欧米のマスコミからは「二枚舌」(Double Talk)と非難された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/23/AR2007032301640.html ワシントンポスト2007年3月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[第21回参議院議員通常選挙]]敗北直後の2007年7月31日、アメリカ下院で[[アメリカ合衆国下院121号決議|慰安婦非難決議]]が採択された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 靖国神社参拝 ===&lt;br /&gt;
首相の[[靖国神社]]参拝について「国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だ。お参りすべきだと思う」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[歴史認識]]を巡って[[反日]]騒動が起こった[[中華人民共和国|中国]]と[[大韓民国|韓国]]の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは[[内政干渉]]だという見解を持っている。官房長官時代の2006年8月4日の記者会見で、同年4月15日朝に、密かに靖国神社を参拝していた（「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉ぐし料を収めた）ことについて質問された際には「参拝したかしないかについては申し上げるつもりはない」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首相就任後も参拝を続ける意向を示し、2007年1月17日の自民党大会で決定された運動方針でも「靖国参拝を受け継ぐ」ことが明記されたが、外交問題や政治問題になるのを避けるため自身の参拝については明言しない考えを改めて示した。首相在任中は参拝を行わなかったが、安倍はこれについて首相退任後に「『主張する外交』を展開する中で、日本のための将来の布石を打つため大きな決断をした」と説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 問題の指摘 ==&lt;br /&gt;
=== 団体や人物との関係 ===&lt;br /&gt;
; [[統一協会]]・[[国際勝共連合]]&lt;br /&gt;
: 母方の祖父[[岸信介]]と父[[安倍晋太郎]]が統一教会及びその関連団体である[[国際勝共連合]]と関わりが深いと言われていた（''詳細は[[岸信介#勝共連合・統一教会との関係|岸信介の当該記事]]や[[安倍晋太郎#関係する人物や団体|安倍晋太郎の当該記事]]を参照''）こともあり、晋三が次期総理候補として取り沙汰されるようになって以降、統一教会との関係を指摘をする雑誌等の記事が散見される。&lt;br /&gt;
: 官房長官当時の[[2006年]]、統一教会系列の団体である「[[天宙平和連合]]」 (UPF) の集会（[[合同結婚式]]も行われたとも言われたが統一教会は否定&amp;lt;ref&amp;gt;統一教会系列の韓国の『[[世界日報 (韓国)|世界日報（セゲイルボ）]]』はこの大会は、「韓日男女二千五百組の合同結婚が併せて行われた」と報じ、日本の統一教会の機関誌『中和新聞』（2006年6月1日付）も（合同結婚式の主要[[儀式]]である）「『聖水式』と『聖婚問答』が行われました」と報じたが、『セゲイルボ』は同月28日付で、合同結婚が行なわれたとしたのは誤報だったとして訂正文を掲載した。[http://www.uc-japan.org/hodo.aspx?id=364&amp;amp;pg=0 「『週刊現代』9月30日号記事に対する抗議及び謝罪・訂正要求」]&amp;lt;/ref&amp;gt;）のイベントに[[祝電]]を寄せた（[[保岡興治]]やその他の自民党議員も）ことが新聞、雑誌等で伝えられ&amp;lt;ref&amp;gt;この祝電の件について、『[[週刊現代]]』、『[[週刊ポスト]]』、『[[週刊文春]]』、『[[週刊新潮]]』などは取り上げなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、社会的に問題の多い団体と関係することへの批判を呼んだ。映像は[[インターネット]]上の[[動画]][[ウェブサイト|サイト]][[youtube]]にアップロードされ、ネット上で広く話題になった。このイベントで司会者が晋三を「岸信介元総理大臣のお孫さんでらっしゃり」と、岸信介時代からの親密振りをアピールして紹介していた。この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、後に「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。統一教会に批判的な[[ジャーナリスト]][[有田芳生]]によれば、安倍は統一教会は拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援しており、[[霊感商法]]などの問題で日本の公安当局の監視対象である団体であることから、面会を求められても会わないようにしているという方針を取っていると語っており&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://s03.megalodon.jp/2008-0602-2353-32/saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2006/09/post_92eb.html|title=安倍晋三と統一教会（1）&amp;lt;魚拓&amp;gt;|date=2006-09-12|author=[[有田芳生]]|work=有田芳生の酔醒漫録|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、また「目的のためなら平気で祝電を捏造するような組織ですから、勝手に名前を使うのもありうる話です」と解説している&amp;lt;ref&amp;gt;週刊朝日 2006年6月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: [[霊感商法]]被害対策に取り組んで来た「[[全国霊感商法被害者対策弁護士連絡会]]」が安倍と保岡に対し、真意や今後の姿勢を問う「公開質問状」を送ったが、二人とも回答をしていない&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/siryou/shitumon/060619.htm|author=全国霊感商法対策弁護士連絡会|title=公開質問状|date=2006-06-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[生長の家]]&lt;br /&gt;
:第2代生長の家[[総裁]]の[[谷口清超]]の著書の第1部は「美しい国」から始まる。また、政治[[評論家]]の[[有馬晴海]]は、「生長の家の政策部門の別働隊に[[日本政策研究センター]]がある。ここの[[伊藤哲夫]]所長こそ安倍首相の[[ブレーン]]です。安倍首相の考え方はほぼすべて伊藤所長の考えと同じと考えていい。首相は生長の家の信者ではないと思いますが、その教えには心酔していると思います」述べている。&lt;br /&gt;
; [[公明党]]・[[創価学会]]&lt;br /&gt;
: 父、晋太郎と祖父の岸信介は創価学会・公明党と関係が深かったと言われ、晋太郎は1985年、[[大石寺]]の[[正本堂 (大石寺)|正本堂]]完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、[[池田大作]]と何度も面会したという&amp;lt;ref&amp;gt;創価学会機関紙『[[聖教新聞]]』（2001年3月）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、小選挙区制度が導入され、二大政党制に近づけば、創価学会は自分から離れてゆくとの判断から、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「[[四月会]]」（代表幹事:[[俵孝太郎]]）&amp;lt;ref&amp;gt;「四月会」は自民党が野党に転落した1994年に、自民党を支持する宗教団体（「[[立正佼成会]]」、「[[霊友会]]」、「[[仏所護念会]]」などを中心に結成され、創価学会と公明党の関係を「政教一致だ」と批判してきたが、一部の教団が公明党と連立を組んだ自民党との関係修復に乗り出したことで2001年3月に解散した。&amp;lt;/ref&amp;gt;の集会などに参加したこともあった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sgkaibou&amp;quot;&amp;gt;[[朝日新聞]][[AERA|アエラ]]編集部 『創価学会解剖』（[[朝日新聞社]] 2000年1月1日） ISBN 978-4022612861 &amp;lt;/ref&amp;gt;。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという&amp;lt;ref name=&amp;quot;sgkaibou&amp;quot;/&amp;gt;。1989年に死去した池田大作の次男&amp;lt;!-- 著名活動をしていないと思われるので本名を記載しないで下さい。 --&amp;gt;は成蹊高校時代の同期生である&amp;lt;ref name=&amp;quot;faki&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.forum21.jp/2006/11/post_33.htm|work=FORUM21|title=特集/安倍・小泉新旧首相の池田大作詣で|date=2006-11-01|author=乙骨正生|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 首相就任直前の[[2006年]]9月22日に安倍晋三は、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、[[池田大作]]創価学会名誉会長と会談を持ったと主要新聞&amp;lt;ref&amp;gt;『[[日経新聞]]』・『[[毎日新聞]]』・『[[朝日新聞]]』・『[[読売新聞]]』や『[[週刊文春]]』などが報じた。毎日は20日と報道。&amp;lt;/ref&amp;gt;「『[[産経新聞]]』を除く」を初め各種[[マスメディア|メディア]]が伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の[[戸田城聖]]が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った&amp;lt;ref&amp;gt;『[[毎日新聞]]』 2006年10月8日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: その後、国会で池田と面会した事実があったかという[[野党]]の質問に対して安倍は「そういうことはございません。」という答弁を繰り返した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510110014001c.html|title=第165回国会 参議院 予算委員会 1号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年2月13日の衆議院[[予算委員会]]でも同様に否定した&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070213&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070213007.htm|title=第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号|accessdate=2008-05-14}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;kmovie20070213&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=33410&amp;amp;media_type=wn&amp;amp;lang=j&amp;amp;spkid=901&amp;amp;time=07:17:50.0|title= 「インターネット審議中継」[[亀井静香]]の安倍晋三への質疑（第166回国会 衆議院 予算委員会 7号|author=衆議院|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 安晋会&lt;br /&gt;
: {{See also|安晋会}}&lt;br /&gt;
: 国会で、 [[小嶋進]] [[ヒューザー]]社長（当時）が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の[[国会議員政策担当秘書|政策秘書]]を紹介してもらい、「[[構造計算書偽造問題|耐震偽装問題]]」に関して[[国土交通省]]への対応を働きかけてもらったことを[[証人喚問]]で認めた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009916320060117014.htm|title=第163回国会 国土交通委員会 第14号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ことでその存在が知られることになった。この私設後援会の代表はかつては[[バブル景気]]の際に自己[[破産]]した[[デベロッパー (開発業者)|デベロッパー]]会社会長であり、建設・不動産業者を中心とした「[[UDI経営者連合会]]」という政治団体の理事長の[[杉山敏隆]]（[[ヒューザー]]の[[ウェブサイト]]を運営していた&amp;lt;ref&amp;gt; {{cite web|url=http://web.archive.org/web/20050302234744/http://www.goalnet.co.jp/company/company.html|title=ゴールネット株式会社の公式サイト|accessdate=2008-05-14}} [[ウェブアーカイブ]]に保存されたもの&amp;lt;/ref&amp;gt;ゴールネット株式会社会長（息子の杉山剛太が社長））で、副会長は [[APAホテル]]会長の[[元谷外志雄]]（[[イーホームズ]]の[[藤田東吾]]社長がAPAホテルの耐震偽装の告発した直訴状を安倍晋三に直接手渡そうとしたが追い返された後にその偽装が発覚した）である。また、 耐震偽装事件とも関連があるとの説もあり、[[ライブドア事件]]の最中に不審死を遂げた[[エイチ・エス証券]]副社長であった野口英昭が[[理事]]（経理）になっていた&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊ポスト]]』（2006年2月10日号）&amp;lt;/ref&amp;gt;ことが判明したことなどから、「安晋会」は安倍の秘密後援会であり、安倍は耐震偽装問題に関して、業者の利益のために[[国土交通省]]に働きかけたのではないかなどの疑惑が出た。安倍は記者会見や国会で小嶋社長またヒューザー社とは一切関係がなく、国交省に対する働きかけは一切していないと明言し、国会では小嶋社長の証言の多くに嘘があると述べた。そして「『安晋会』は後援会とか政治団体ではなく、自分や自分の事務所が管理をしている団体ではない」、「慶應義塾大学の同窓生たちの親睦会で、自分が招待された際に自分の名前をとって『安晋会』と命名した」と説明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816420060126002.htm#p_honbun|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 2号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.netlaputa.ne.jp/~ken2net/sub100.htm|title=第165回国会 参議院 本会議 5号|accessdate=2007-10-04}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[アサリ]]輸入業者&lt;br /&gt;
: 現在輸入が禁止されている北朝鮮産のアサリを不正に輸出していた業者が、安倍との関係で摘発を逃れていたとする[[怪文書]]が2007年にマスコミで騒がれていた。実際、過去に父の安倍晋太郎と件のアサリ業者との癒着はあったが、安倍晋三との関係は無かったとされる&amp;lt;ref&amp;gt;「北」産? アサリ輸入業者と安倍一族の関係]」[[読売ウイークリー]] 2007年4月1日号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[コムスン]]&lt;br /&gt;
:[[グッドウィル・グループ]]のグループ会社で福祉介護ビジネスを行う株式会社[[コムスン]]（数々の不正を起こし、厚労省により全業務停止の処分をされている）と親密であったことが知られている。安倍晋三が[[内閣官房副長官]]時代には[[折口雅博]]会長と対談しており&amp;lt;ref&amp;gt;[http://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.comsn.co.jp%2Fcomsnpress%2Ftsushin%2Fct-10%2Fp-n10-6-11.html&amp;amp;date=20070609194523 折口雅博と安倍晋三との対談 - The Comsn Times（現在、コムスン側に該当ページを削除されたためウェブ魚拓のリンク）]&amp;lt;/ref&amp;gt;、安倍晋三は「コムスンは一生懸命やっておられる。」とコムスンを賛美している。対談では2人が笑顔で固い握手を交わす写真も掲載されている。&lt;br /&gt;
; [[在日本朝鮮人総聯合会]]&lt;br /&gt;
: 2008年1月26日、首相当時の番記者を集めた地元山口での[[オフレコ]]懇親会において、「朝鮮総連の山口の幹部とも俺は仲がいいんだよ。やっぱり幹部は金持ちだしね。いろいろと子弟の就職の世話とかを頼まれるんだよ」&amp;lt;ref name=bunshun20080221/&amp;gt;と述べている。&lt;br /&gt;
;[[在日韓国人]]系[[パチンコ]]業者&lt;br /&gt;
:韓国の[[親米保守]]勢力（現在は[[ハンナラ党]]）とは韓国が[[朴正煕]][[軍事独裁]]政権だった頃から[[国際勝共連合]]などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての[[親韓派]]だった。その繋がりのため、安倍の[[下関]]事務所は、日本で[[パチンコ]]事業を展開する[[在日韓国人]]系の[[七洋物産]]（東洋エンタープライズ）関連のビルを借りている。&amp;lt;ref&amp;gt;http://s01.megalodon.jp/2008-1001-0529-46/www.chosunonline.com/article/20060921000027&amp;lt;/ref&amp;gt;また下関の2000坪の実家は七洋物産から提供を受けており、地元下関（大規模なコリアンタウンがある）ではパチンコ御殿と呼ばれている。&lt;br /&gt;
;[[慧光塾]]&lt;br /&gt;
: [[光永仁義]]（[[1947年]][[11月3日]]-[[2005年]][[7月13日]]）が[[1993年]]に設立した[[経営コンサルタント]]会社。社長の光永は安倍の祖父の岸信介、父の晋太郎とも関係していたと言われ、安倍は父、晋太郎の秘書官時代に光永の設立した「光カメラ販売」（[[1991年]]倒産）では取締役に、「光国際通信」では「安晋会」代表の杉山敏隆と共に役員に就任していた&amp;lt;ref&amp;gt;「{{cite web|url=http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/07/post.html |title=『慧光塾』“教祖”と安倍晋三代議士との只ならぬ関係を物語る決定的証拠|work=情報紙「[[ストレイ・ドッグ]]」（山岡俊介取材メモ）|author=[[山岡俊介]]|date=2005-07-08|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[日興コーディアルグループ]]&lt;br /&gt;
: [[2006年]]、[[金融庁]]・[[証券取引等監視委員会]]の調査により日興コーディアルグループの不正[[会計]]処理が発覚した。同様の不祥事が起きた[[クラシエホールディングス|カネボウ]]は[[上場廃止]]となっており、日興も上場廃止基準に抵触すると見られたが、[[東京証券取引所]]は日興に上場廃止処分を下さず、[[監理ポスト]]に割り当てた。東京証券取引所は、[[赤字]]を[[黒字]]にしたのではないこと、組織的、意図的でないこと、を理由として挙げている。日興については、『[[サンデープロジェクト]]』に出演した[[山田厚史]]が「日興には安倍事務所に強い[[常務]]がいる」&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-02-21|url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200802210279.html|title=中国新聞ニュース|publisher=[[中国新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[2月21日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘している。&lt;br /&gt;
: なお、山田の発言に関しては、上場維持に安倍が関与したと誤解される表現だと主張し、安倍の[[公設秘書]]が山田と朝日新聞社を[[東京地方裁判所]]に訴え3400万円の[[損害賠償]]と[[謝罪]][[広告]]の掲載を要求した。2008年2月、山田が「テレビでの発言で、原告らが誤解するような表現があったとすれば遺憾」と表明し、公設秘書は損害賠償請求や謝罪広告の掲載を放棄する、とした[[和解]]が成立した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-02-21|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080221/trl0802212157008-n1.htm|title=安倍前首相秘書と朝日元編集委員が和解 - MSN産経ニュース|publisher=産経デジタル|language=日本語|accessdate=[[2月21日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 問題を指摘された行動 ===&lt;br /&gt;
==== NHKへの圧力疑惑 ====&lt;br /&gt;
{{Main|NHK番組改変問題|女性国際戦犯法廷#外国からの政治的影響を指摘する批判}}&lt;br /&gt;
イギリスの新聞紙「Times」がNHKの内部文書を暴露した。Timesが暴露した文章によると、NHKは安倍政権から南京大虐殺や慰安婦問題などへの言及を禁止されていたとのこと。安倍政権側はNHKに強く日本の保守的な民族主義と政府の立場を反映するように命令し、NHKもそれに従っていたと報じられた。&lt;br /&gt;
Timesは「イギリスでは話題になっている情報も取り上げられない」と述べ、安倍政権とNHKが癒着していることの問題性を指摘した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.thetimes.co.uk/tto/news/world/asia/article4239769.ece}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 脱税疑惑 ====&lt;br /&gt;
[[週刊現代]]は2007年9月29日号（9月15日発売）において、安倍が[[相続税]]を[[脱税]]していたとの記事を掲載した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
週刊現代は安倍の辞意表明当日に、以前から脱税疑惑についての取材を安倍に申し入れていたことを明らかにした&amp;lt;ref&amp;gt;「『脱税疑惑』全くの誤り＝週刊誌取材に安倍首相事務所」時事通信 2007年9月13日&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方で安倍の事務所は「事実無根である」と反論し、週刊現代を発行する[[講談社]]に対して、該当記事を掲載しないよう「警告文書」を送った。事務所の関係者によると、父である晋太郎が個人資産を政治団体に寄付し、相続税の支払いを免れたのではないか、との質問が週刊現代からあったという。同事務所は、「収支報告書には、あくまでも第三者からの寄付を晋太郎氏名義で記載しているにすぎない」として、全面的に否定している。総理大臣辞任に関して、健康問題は子の脱税問題をカモフラージュするためであるとの指摘もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本件は[[刑事事件]]としては既に時効が成立しているが、週刊現代は財務省相続税担当官の話として「これが事実なら明らかに脱税」、「自主的に納めていただきたい」などと掲載した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 危機管理 ====&lt;br /&gt;
; [[えひめ丸事件]]&lt;br /&gt;
: [[2001年]][[2月10日]]、アメリカ合衆国[[ハワイ州]]沖にて、[[愛媛県立宇和島水産高等学校]]所属練習船「[[えひめ丸]]」が[[アメリカ海軍]]所属[[原子力潜水艦]]「[[グリーンヴィル]]」に衝突され沈没する事件が発生した。[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編後)|森政権]]では、緊急事態発生時には内閣総理大臣、危機管理担当大臣、[[内閣官房長官]]、[[内閣官房副長官]]のいずれかが休日であっても30分以内に総理大臣官邸に参集し即応する危機管理体制を取っていた。えひめ丸事件発生時には、内閣総理大臣[[森喜朗]]、[[防災担当大臣]]（危機管理担当兼務）[[伊吹文明]]と内閣官房長官[[福田康夫]]は東京を離れており、緊急事態発生時の官邸参集は内閣官房副長官の安倍が担当だった。しかし、都内の自宅にいた安倍は事件発生後30分以上経っても官邸に出向かず、ゴルフ場にいた[[森喜朗]]に対し官邸側からその場を離れないように指示するなど対応が混乱し、後に大きな批判を浴びることになった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001815120010216007.htm 第151回国会 予算委員会 第7号（平成13年2月16日（金曜日））]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[イラク日本人人質事件]]&lt;br /&gt;
: 2004年4月8日、イラクで日本人3名が武装勢力によって誘拐され、犯行声明が出された際、小泉首相は読売新聞編集委員の橋本五郎、毎日新聞特別顧問の岩見隆夫など、複数の大手新聞社の幹部と懇談していた。そこに同席した安倍には、逐一、携帯電話で状況が報告されたが、会食が終わるまで小泉首相には報告しなかった。&lt;br /&gt;
; 能登半島地震&lt;br /&gt;
: 2007年[[3月25日]]、[[石川県]][[輪島市]]沖の日本海で[[マグニチュード]]6.9の[[能登半島地震]]（最大[[震度]]6強）が発生した。地震発生から数分後には総理大臣官邸の危機管理センターに対策室が設置された。しかし、安倍は週末や休日は公邸ではなく私邸で過ごすことが多く、地震発生の日も私邸に滞在していたため、発生から2時間後に官邸に到着した。衆議院議員の[[江田憲司]]は「東京直下型地震やテロが発生したら、道路事情等で迅速に官邸入りできない可能性もある」&amp;lt;ref name=shukanasahi20070511&amp;gt;関百合子・喜多克尚「勤務は『9時〜9時』夜は自宅でDVD首相就任200日、アベちゃんの『平凡なる総理ライフ』徹底分析」『[[週刊朝日]]』112巻22号、[[朝日新聞社]]、[[2007年]][[5月11日]]、34頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘し「危機管理の最高責任者である総理が、官邸のオペレーションルームに寄せられる生の情報をもとに瞬時に判断を下せないと意味がない。首相としての自覚があるなら、私邸に泊まるのは控えるべき」&amp;lt;ref name=shukanasahi20070511/&amp;gt;と批判した。なお、安倍内閣発足から204日間のうち、安倍が公邸に引っ越してから週末・休日に就寝した場所の内訳は公邸34%、私邸49%となる&amp;lt;ref&amp;gt;関百合子・喜多克尚「勤務は『9時〜9時』夜は自宅でDVD首相就任200日、アベちゃんの『平凡なる総理ライフ』徹底分析」『[[週刊朝日]]』112巻22号、[[朝日新聞社]]、[[2007年]][[5月11日]]、33-35頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 平成19年台風第4号&lt;br /&gt;
: 2007年[[7月14日]]、[[平成19年台風第4号]]（[[サファ・シンプソン・ハリケーン・スケール|SSHS]]カテゴリー4）が[[鹿児島県]]に上陸した。この[[台風]]は、[[沖縄県]]接近時に[[那覇市]]で最大瞬間風速56.3[[メートル]]（日本国内の7月の観測史上最大）を記録し、本土上陸時中心気圧は945[[ヘクト]][[パスカル]]（7月に日本に接近した台風としては観測史上初）を記録したことから、極めて大きな被害が予想された。同日、官邸で開かれた災害対策関係省庁局長会議にて安倍は「人命救助を最優先してほしい」と指示した。しかし、内閣府特命担当大臣（防災担当）の[[溝手顕正]]は自身の[[第21回参議院議員通常選挙|選挙]]運動のため帰郷したまま東京に戻らず、安倍も溝手に対し帰京する指示を出さなかったことから、防災対策の最高責任者が不在のままとなり論議を呼んだ。なお、この台風により全国各地で大規模な被害が発生したため、[[激甚災害法]]に基づき[[激甚災害]]（いわゆる「本激」）に指定された。&lt;br /&gt;
; 新潟県中越沖地震&lt;br /&gt;
: 2007年[[7月16日]]、[[新潟県]]沖の日本海でマグニチュード6.8の[[新潟県中越沖地震]]（最大震度6強）が発生した。[[第21回参議院議員通常選挙]]の遊説中に地震発生を知らされた安倍は、いったん官邸に戻ってから、地震発生当日にもかかわらず震度6強を記録した柏崎市を訪問した。余震の発生が懸念される中で首相自らが震源地に程近い現地を訪問したことは、危機管理の観点から議論を呼んだ。&lt;br /&gt;
: 元[[経済企画庁長官]]の[[堺屋太一]]は「現場に行ったときに果たして正確な情報が得られるのか。総理大臣は通信情報の拠点におられた方が良かった」&amp;lt;ref name=jiji20070722&amp;gt;{{Cite web|date=2007-07-22|url=http://www.tbs.co.jp/jijihoudan/last/070722.html|title=時事放談|publisher=[[東京放送]]|language=日本語|accessdate=[[7月22日]]|accessyear=[[2007年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘し、衆議院議員の[[加藤紘一]]は「担当大臣を派遣するっていうのが本来の第一歩だと思います。総理大臣は大将ですから、一番官邸にいて指示を出すっていうのがいい対応」&amp;lt;ref name=jiji20070722/&amp;gt;と指摘した。さらに、安倍の行動については「首相が発生直後に行けば、現場が首相への対応に人手を割かなければいけなくなり、行っても混乱するだけだ」&amp;lt;ref&amp;gt;「首相『危機管理』に懸命――政権発足後、初の大地震」『[[讀賣新聞]]』47518号、[[読売新聞東京本社]]、[[2008年]][[6月15日]]、4面。&amp;lt;/ref&amp;gt;との指摘もなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 問題を指摘された発言 ===&lt;br /&gt;
; 原子爆弾の保有・使用&lt;br /&gt;
: [[2002年]][[2月]]、[[早稲田大学]]での講演会（非公開）における[[田原総一朗]]との質疑応答で、「小型であれば[[原子爆弾]]の保有や使用も問題ない」、と発言したと『[[サンデー毎日]]』 （2002年6月2日号）が報じて物議を醸したが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と報道の間違いを指摘し、政府の“政策”としては[[非核三原則]]により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した[[第2次岸内閣|岸内閣]]の歴史的答弁（1959年、1960年）を学生たちに紹介したのであると説明した。&lt;br /&gt;
; 民主党を「中国の拡声器」&lt;br /&gt;
: 2002年5月19日中国・[[瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件]]に関して、テレビ番組において民主党を「中国の拡声器」と呼んで中傷した。安倍は、2日後の5月21日、参議院[[外交防衛委員会]]において、民主党の激しい反発にあい、発言を[[撤回]]した。&lt;br /&gt;
; 土井たか子と菅直人に対し「マヌケ」&lt;br /&gt;
: 2002年10月19日[[広島市]]・[[岡山市]]の講演において「[[1985年]]に韓国入国を図り逮捕された[[辛光洙]]（シン グァンス）容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、[[盧泰愚]]政権に要望書を出した人たちがいる。それが[[土井たか子]]、あるいは[[菅直人]]だ」「この2人は、[[スパイ]]で原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。この発言は両議員から抗議を受け、同月21日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられ、社民党の日森文尋衆院議員が抗議した。また、土井党首も記者団に「人格とか品格の問題にかかわる」と不快感を示した。結局、安倍が自らの発言を「不適切」と認めたことで、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会にて決着した。大野功統委員長が安倍に「適切さを欠く表現があったと思われるので注意して欲しい」と伝え、 安倍は「官房副長官という立場を考えると、不適切な発言だったので、今後十分注意する」と述べたという。 その後、大野委員長が、このやりとりを理事会で報告し、民主、社民両党も了承した&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』 2002年10月26日付{{cite web|url=http://www.asahi.com/politics/update/1025/005.html|title=安倍副長官、「間抜け」発言を不適切と認める|accessdate=2002-10-25}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; カタカナ語&lt;br /&gt;
: [[所信表明演説]]や[[施政方針演説]]において「[[外来語|カタカナ語]]」を使い過ぎているとの指摘を受けた&amp;lt;ref&amp;gt;「ゲートウェイ」、「グランドデザイン」、「[[リバースモーゲッジ|リバースモーゲージ]]」、「ホワイトカラー・エグゼンプション」、「新健康フロンティア戦略」、「[[イノベーション]]」、「セーフティーネット」、「パートナーシップ」、「[[バイオマス]]」、「[[同一性|アイデンティティー]]」など所信表明演説では109語、施政方針演説では90語の「カタカナ語」を使った。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』（2007年1月22日付夕刊） コラム「窓」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 漢字一文字で「責任」&lt;br /&gt;
: 2006年末に記者から「今年を漢字一文字で表すと？」と質問された際に、「それは…『責任』ですかね」と、二文字の漢字を回答した。&lt;br /&gt;
; ときわ台駅での警察官の殉職&lt;br /&gt;
: [[東武東上線]][[ときわ台駅 (東京都)|ときわ台駅]]で[[自殺]]しようとした女性を救おうとして[[殉職]]した、[[警視庁]]板橋署の[[巡査部長]]を[[2007年]][[2月12日]]夜に弔問した際、故人の勇気ある行為を讃えるコメントで、名前を2度にわたって間違えた。首相公邸連絡調整官（妻・[[安倍昭恵|昭恵]]の補佐員）と混同したのでは、と言う声が上がっている。これについて、作家の[[吉川潮]]は産経新聞のコラムで「『名前ぐらい、ちゃんと覚えて行け!』と叱りたくもなる」「総理の人間性にも問題があるのではないかと思ってしまう」と批判をしている。&lt;br /&gt;
; 長崎市長射殺事件&lt;br /&gt;
: 2007年[[4月17日]]、[[長崎市長射殺事件]]が発生し[[長崎市]][[市長]][[伊藤一長]]が射殺されると、安倍は「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」との短い総理談話を発表した。[[国際連合事務総長]]や与野党の党首・幹事長らが[[民主主義]]に対する[[テロ]]や[[暴力]]を強く非難する声明を発表するなか、安倍の談話が簡単なコメントに留まったことから、与野党から総理談話が不十分ではないかと疑問視する意見が出された。この指摘に対し、安倍は「こういうことで互いを非難するのはやめた方がいい」などと応えたため、批判の声が殺到した。&lt;br /&gt;
{{See also|長崎市長射殺事件}}&lt;br /&gt;
; 石川遼&lt;br /&gt;
: 2007年[[5月23日]]、「安倍首相自身が『会ってみたい』と対面を希望し」ていた[[杉並学院高等学校]]の[[石川遼]]との会談が実現し、安倍は[[総理大臣官邸]]にて揮毫を手渡した。しかし、石川は[[5月25日]]から中間テストを受ける予定であり、大事な時期に総理大臣官邸に呼びつけた安倍に対し批判がなされた。さらに、[[第21回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]に向けた話題づくりとして、[[投票権]]すらない高校生を利用してよいのかといった指摘がなされた。この問題に対し、[[直木三十五賞]]を受賞した[[作家]]の[[重松清]]は「『[[教育]]』を[[政策]]の柱に掲げる首相が、[[平日]]に高校生を官邸に呼びつけるというのは、やはりスジが通らない」と批判し、安倍が「真実一路」と記された[[色紙]]を石川に渡したことについて「この[[言葉]]を真に渡すべき相手、他にいるんじゃないですか?」と評した。ちなみに、「真実一路」とは、安倍内閣の[[農林水産大臣]]でさまざまな不祥事が指摘された[[松岡利勝]]の座右の銘でもある。&lt;br /&gt;
; 松岡利勝の自殺&lt;br /&gt;
: [[松岡利勝]][[農水相]]自殺に関して、「慚愧に堪えない」（恥ずかしくて仕方がない）とコメントした。首相周辺は「こういう結果に至ったことへの自らの責任を、この言葉に込めた」と解説しているが、メディアなどで不適切なコメントだと批判され、「慚愧」の意味を取り違えていたのではないかと推測されている。また、同時に「捜査当局から『松岡大臣や関係者の取り調べを行っていたという事実もないし、これから取り調べを行うという予定もない』と発言があったと聞いている」などとコメントし、捜査当局から首相官邸に連絡があったかのようなコメントであるとして話題になった。&lt;br /&gt;
; 2007年の参議院選挙&lt;br /&gt;
: 2007年参院選期間中の講演等で「（今回の選挙で）私と小沢さん、どちらが首相にふさわしいかを国民に問いたい」といった発言を繰り返した。選挙の結果、自民党は惨敗したが首相続投を表明し、自民党内からも批判の声が相次いだ。&lt;br /&gt;
; 2008年の衆議院補欠選挙&lt;br /&gt;
: 2008年4月、[[山口県第2区]]の衆議院議員補欠選挙にて、[[岩国市]]で[[山本繁太郎]]を支援する演説を行った際に、[[光市母子殺害事件]]の被害者家族について「[[光市]]の街頭演説には本村さんがいらっしゃいました。本村さんは私に『頑張ってください、山本さん（自民党公認候補）を応援しています』とおっしゃった。本村さんは山本繁太郎さんに賭けたのです!」と発言した。さらに、犯罪被害者支援問題について「お嬢さんを無惨に殺された本村さん。そのお嬢さんの[[遺影]]を持って私の所にやってきて『どうか安倍さん、この法律を通してください』と涙ながらに訴えたのです!」と発言した。&lt;br /&gt;
: しかし、本村洋は「演説で名前を出されて本当にビックリしました。（山本候補を応援した事実は）まったくありません」と否定しており、犯罪被害者支援問題についても「陳情したのは私ではない。遺影とかは出していませんが、[[小泉純一郎|小泉]][[内閣総理大臣|総理]]にお願いに行ったことはあります。安倍さんには光市での演説のときに初めて（聴衆の一人として）お会いしました」と説明したうえで、安倍の演説について「私がいないところでそういう発言をされたことはどうかと思います」と語っている。&lt;br /&gt;
: 安倍晋三事務所では「『お嬢さんを殺されたお母さん』と明確に述べたのであって、本村氏のことを述べたものではありません」と反論しており、本村との面識については「光市における街頭演説後、安倍が会場の多くの聴衆とマスコミの中で本村氏と挨拶をし、安倍が本村氏と会話をした」と主張している。そのうえで、この問題を報道した[[文藝春秋]]に対し抗議文を送付した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
;身体&lt;br /&gt;
:[[血液型]][[ABO式血液型|B型]]、[[身長]]175cm、[[体重]]70kg&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kantei.go.jp/jp/abeprofile/index.html|title=安倍総理プロフィール|author=首相官邸|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;座右の銘&lt;br /&gt;
: [[吉田松陰]]の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;&amp;gt;「自民党総裁選：3候補、20日投票へ火花 703票の争奪戦-2006総裁選」『朝日新聞』2006年9月9日&amp;lt;/ref&amp;gt;。「初心忘るべからず」&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍 晋三氏 自民総裁選 特集」『読売新聞』2006年9月8日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;愛読書&lt;br /&gt;
:[[古川薫]]の『留魂録の世界』（留魂録は吉田松陰の著作である）&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;尊敬する人物やファンである人物&lt;br /&gt;
: [[幕末]]期の思想家[[吉田松陰]]を尊敬する。彼の地元・山口県には松陰の[[松下村塾]]があり、そこの門下生だった[[高杉晋作]]から「晋三」の名が付けられた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061102.html |title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第4回「教育再生」|author=内閣府大臣官房政府広報室&lt;br /&gt;
|work=[[政府広報]]オンライン|date=2006-11-02|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:現在では非常に親しい間柄である（後述）[[アグネス・チャン]]は、2、30代のころファンだった&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;好物&lt;br /&gt;
: 安倍の好物は[[焼き肉]]、[[ラーメン]]、[[アイスクリーム]]、[[スイカ]]&amp;lt;ref name=&amp;quot;jp06921&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|work=人民網日文版|date=2006-09-21|url=http://j.peopledaily.com.cn/2006/09/21/jp20060921_63241.html|title=安倍総裁の素顔は? まめな兄貴、妻は元DJ|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;/&amp;gt;子供の頃から変わらない好みらしい&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061116.html |title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第6回「みんなで毎日朝ごはん」|author=内閣府大臣官房政府広報室|work=[[政府広報]]オンライン|date=2006-11-16|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。甘党として知られ、フジテレビ系の深夜番組「[[百識〜百で知るひとつの知識〜]]」によれば、[[ナポリアイスクリーム]]のPUPUと、東京の[[両国 (墨田区)|両国]]の洋菓子店MARRY'Sの[[マンゴープリン]]が好物だという（MARRY'Sの[[パティシエ]]は安倍の同級生）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.venture-ac.ne.jp/seminar/detail/20070115155330.html|title=月例セミナー「伝統を生かした商品開発」|author=[[日本ベンチャー学会]]|date=2007-01|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:2007年4月下旬の昼に総理官邸の大会議室に番記者を招き昼食を食べながら懇談したが、食事は政治家の昼食会合の定番のカレーライスだったが、安倍だけは[[ハヤシライス]]であった。政界では安倍のハヤシライス好きは有名であり、また、カレーのような辛いものは下痢になりやすい体質なので苦手であることを記者団に語った&amp;lt;ref&amp;gt;「ハヤシライスが大好きな安倍首相の健康問題」”FACTA” 2007年6月号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[ファッション]]&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe &amp;amp; George W Bush, 2007Apr27.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[4月27日]]、カジュアルな装いで[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]（右）と]]&lt;br /&gt;
: 寒がりである&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061207.html|title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第8回「ウォームビズから始めます」|work=政府広報オンライン|author=内閣府大臣官房政府広報室&lt;br /&gt;
|date=2006-12-07|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ため、[[小池百合子]][[環境大臣]]の音頭でスタートした[[クール・ビズ]]の一環である「国会内は[[ワイシャツ]]・ノー[[ネクタイ]]」が導入された当初は背広で通していた。&amp;lt;ref&amp;gt;「美しい国、日本」をファッションで表現 安倍晋三・新総理を勝手にスタイリング「美しい泣きっ面」に似合う服はコレだ!」『WWDジャパン』10月2号&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、東京新聞の政治ネットモニター調査では、クールビズが似合う政治家第二位となった&amp;lt;ref&amp;gt;「夏服の着こなしは 小泉首相、貫録勝ち?」『東京新聞』2006年7月30日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。2002年、清潔感を大切にしたファッションを心がけていることが評価され、政治経済部門で[[ベストドレッサー賞]]を受賞。「いつも私の服をチェックしてくれる妻が受賞したようなもの」とコメントした&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.mfu.or.jp/bestdresser2002.html|title=第31回 ベストドレッサー賞（2002年）|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。一族では大叔父の[[佐藤栄作]]が1973年、兄嫁の父である[[牛尾治朗]]が1981年に受賞している。&lt;br /&gt;
;[[アーチェリー]]&lt;br /&gt;
: 大学時代アーチェリーをしていた安倍は、2005年に[[全日本アーチェリー連盟]]の第6代会長に就任している（前任は同じく首相経験者の[[海部俊樹]]、父の安倍晋太郎も第4代会長である）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.archery.or.jp/ajaf/enkaku.html|title=沿革|author=社団法人全日本アーチェリー連盟|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年[[3月25日]]に連盟は総会で再び会長に推薦することを決定し&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-tp0-20070325-175016.html|title=アーチェリー連盟、安倍首相を会長に推薦|work=ニッカンスポーツ|date=2007-03-25|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、これを受託したため、14日の理事会で2期目を務めることとなった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-tp0-20070414-184516.html|title=安倍首相アーチェリー連盟会長2期目へ|work=ニッカンスポーツ|date=2007-04-14|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。首相であるため、職務は副会長が代行することになっている&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍会長を再任＝アーチェリー連盟」時事通信、2007年4月14日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 2006年[[4月28日]]の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のバラエティ番組では、[[明石家さんま]]とアーチェリーで対決、その腕前をテレビで初めて披露した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://newtop.s-abe.or.jp/janews/5fc5898b-4ee38b7058eb306e30a230fc30c130a730ea30fc59ff521d516c958b|title=必見! 代議士のアーチェリー姿初公開|work=安倍晋三公式サイト|date=2006-04-27|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[アグネス・チャン]]&lt;br /&gt;
:アグネス・チャンとは20年も親交がある友人で&amp;lt;ref name=&amp;quot;aakt&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.daily.co.jp/gossip/2007/03/19/0000275610.shtml|title=安倍総理がアグネスに歌詞提供|work=[[デイリースポーツ]]|date=2007-03-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;agsd&amp;quot;&amp;gt;「安倍首相が作詞家デビュー」[[スポーツ報知]] 2007年3月19日付&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://akie-abe.jp/index.php?ID=18|title=クリスマス|work=安倍昭恵のスマイルトーク|date=2007-02-05|author=安倍昭恵|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、よく食事を共にする&amp;lt;ref name=&amp;quot;sb2031009&amp;quot;&amp;gt;『週刊文春』（2003年10月9日号）161ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。2、30代の頃、彼女の熱心なファンであったが&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://news.livedoor.com/article/detail/3040505/|title=紀香に政界入りの噂、影には安倍首相の後ろ盾?|author=新華通信社|work=新華社NEWS|date=2007-02-21|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、外交官秘書時代にテレビ番組で知り合った&amp;lt;ref name=&amp;quot;gendainet07022420&amp;quot;&amp;gt;「恐るべしアグネス・チャン?!」 ゲンダイネット（2007年3月23日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。アグネスは安倍の結婚式に出席して祝辞を述べ&amp;lt;ref name=&amp;quot;sb2031009&amp;quot;/&amp;gt;、「草原の輝き」を歌った&amp;lt;ref name=&amp;quot;gendainet07022420&amp;quot;/&amp;gt;。安倍も彼女の結婚式に出席したが、彼女の結婚にがっかりしたという&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。&amp;lt;!--アグネスの政界入りの噂にも、背後に安倍との関係があったとされる&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。---&amp;gt;また、2007年にはアグネスのデビュー35周年を記念する[[アルバム]]のために、安倍は「平和」をテーマにした[[歌詞]]を[[作詞]]した&amp;lt;ref name=&amp;quot;aakt&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;agsd&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族 親族 ==&lt;br /&gt;
[[Image:PM and Mrs Abe arrive at WH 26 April 2007 cropped 1.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[4月26日]]、[[ホワイトハウス]]にて妻[[安倍昭恵]]（右から2人目）を伴い[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]夫妻と]]&lt;br /&gt;
*先祖に[[安倍宗任]]、[[平知貞]]、[[佐藤忠信]]ら。[[佐藤信寛]]（政治家）、[[本堂恒次郎]]（軍医）、[[大島義昌]]（軍人・[[陸軍大将]]、[[子爵]]）等がいる&lt;br /&gt;
* 祖父 [[安倍寛]]（政治家）、[[岸信介]]（官僚、政治家・首相）&lt;br /&gt;
* 大叔父 [[佐藤栄作]]（官僚、政治家・首相）&lt;br /&gt;
* 父 [[安倍晋太郎|晋太郎]]（新聞記者、政治家）&lt;br /&gt;
* 母 洋子（[[岸信介]]長女）&lt;br /&gt;
* 兄 寛信（三菱商事執行役員、妻は[[ウシオ電機]]会長[[牛尾治朗]]の娘）&lt;br /&gt;
* 弟 [[岸信夫|信夫]]（岸家へ養子、政治家）&lt;br /&gt;
* 妻 [[安倍昭恵|昭恵]]（[[森永製菓]]創業家の出身。創業者・[[森永太一郎]]から数えて6代目）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 家庭&lt;br /&gt;
: 昭恵夫人は[[韓流]]スターや[[韓国ドラマ]]が大好きで[[朝鮮語|韓国語]]までも習得したほどである。[[ファーストレディ]]の親韓的な姿勢は、小泉政権時代に悪化した[[日韓問題|日韓関係]]の改善につながるものと期待された。安倍の首相就任後の訪韓の際にも同行し、その流暢な韓国語で好意的に迎えられた。&lt;br /&gt;
: 昭恵夫人との間に子供はいないが、[[ダックスフント|ミニチュアダックスフント]]の愛[[イヌ|犬]]・ロイがいる。ロイは安倍が[[首相官邸]]に引っ越す際に、安倍夫妻の環境の変化への不安を理由に、私邸で留守番をすることになった（現在も留守番中）&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍首相夫妻、公邸へ 昭恵さん、内装リフォーム-知りたい!」[[毎日新聞]] 2006年11月25日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。ロイはこのことが非常に辛いようである&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://akie-abe.jp/index.php?ID=28|title=「週末」|author=安倍昭恵|work=安倍昭恵のスマイルトーク|date=2007-02-05|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}} ロイの写真あり&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 岸信夫&lt;br /&gt;
: 実弟の[[岸信夫]]が[[第20回参議院議員通常選挙]]に立候補した際、安倍は秘書に対して岸の出馬に反対する発言をしたと報道された&amp;lt;ref&amp;gt;松田賢弥「安倍晋三『空虚なプリンス』の血脈」『[[週刊現代]]』[[講談社]]、[[2006年]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。当時の秘書は「虚偽の事実を書かれ、地元での声望は地に落ちた」&amp;lt;ref name=asahi20080327&amp;gt;{{Cite web|date=2008-03-27|url=http://www.asahi.com/national/update/0327/SEB200803270010.html|title=asahi.com：安倍前首相の元秘書の請求棄却　週刊現代名誉毀損訴訟 - 社会|publisher=[[朝日新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[3月27日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;として筆者であるジャーナリストの[[松田賢弥]]を訴えたが、[[山口地方裁判所]]下関支部は「原告の発言内容がおおむねその通りに掲載されている」&amp;lt;ref name=asahi20080327/&amp;gt;として秘書の訴えを棄却した。&lt;br /&gt;
; 系譜&lt;br /&gt;
: 安倍家は、山口県大津郡日置村（後に油谷町に分割→現[[長門市]]）の大[[地主]]であり[[酒]]や[[醤油]]の[[醸造]]を営んでいた。祖父の[[安倍寛]]が日置村村長、山口県議会議員などを経て、1937年、衆議院議員に当選し政治一家となった&amp;lt;ref&amp;gt;『閨閥 改訂新版 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』 216-217頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 「[[共同通信社]]」出身のジャーナリスト[[古沢襄]]によると、安倍晋太郎は自分たち安倍家の[[ルーツ]]は岩手県（[[安倍氏 (奥州)]]）であり、[[安倍宗任]]の末裔だと言っていたという。安倍宗任は[[1051年]]の[[前九年の役]]にて[[源頼義]]、[[源義家]]率いる[[源氏]]に破れ、[[大宰府]]に配流された奥州（[[陸奥国]]）の[[豪族]]である。『閨閥 改訂新版 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』216-217頁に｢家系図をひもとくと安倍家は、[[鎌倉時代]]以前の奥州征伐などで名高い[[阿倍比羅夫]]、[[前九年の役]]の[[安倍貞任]]にまで繋がる歴史ある[[名門]]である｣とある。安倍家の元[[家政婦]]は東北地方に飛び、安倍一族の関係地と言われた地域の市町村役場などを丹念に回りながら、各地に古くから伝わる[[家系図]]を調べ歩いた。その結果、[[油谷町]]に住み着いた一族が[[安倍宗任|宗任]]の流れをくむ者たちであること､[[青森県]][[五所川原]]の石搭山･荒覇吐(あらはがき)神社に始祖である宗任が眠っているらしいことを調べ上げた。元家政婦からの報告を聞いた晋太郎は[[昭和]]62年（[[1987年]]）7月末､出馬表明した総裁選の全国遊説の折､妻洋子と[[安倍晋三|晋三]]夫妻を伴い同神社に出向き、先祖供養を果たした。なお案内役を兼ねて晋太郎たちに同行したのが画家の[[岡本太郎]]であり、岡本もまた安倍一族の流れをくむ一人として、自らのルーツに関心を持って調べたことがあったという&amp;lt;ref&amp;gt;『気骨　&amp;lt;small&amp;gt;安倍晋三のDNA&amp;lt;/small&amp;gt;』　41-44頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[平成]]元年（1989年）に発刊された『安倍一族』(盛岡タイムス社編纂)という一冊に晋太郎は『わが祖は「[[安倍宗任|宗任]]」』と題する､次の序文を寄せている。“[[安倍宗任|宗任]]より四十一代末裔の一人として自分の志した道を今一度省みながら華咲かしてゆく精進を続けられたら､と願うことしきりです”&amp;lt;ref&amp;gt;『気骨　&amp;lt;small&amp;gt;安倍晋三のDNA&amp;lt;/small&amp;gt;』　44頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。但し、安倍晋三にとり女系の祖先にあたり、父系は[[平氏]]であり平知貞の系譜をひく。平家滅亡により子孫の迫害を恐れ女系の安倍姓を称したという。また、母方の祖父　岸信介、[[佐藤栄作]]兄弟は源義経の郎党　[[佐藤忠信]]の末裔とされる&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kajika.net/furusawa/20060709-2.htm|title=安倍宗任と安倍晋三|author=古沢襄|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}} &amp;lt;/ref&amp;gt;。[[家紋]]は「丸に立梶の葉」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏昭和天皇━━━━━━━━━今上天皇&lt;br /&gt;
　　　　明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┏彬子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　麻生太賀吉　　┃　　　　　┗瑶子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┏信子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┗麻生太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏和子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田茂━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗桜子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田祥朔　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━吉田寛&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏さわ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┏寛子（栄作夫人）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤松介━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┗正子&lt;br /&gt;
佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃（池上）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤作造&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗茂世　　　　　安倍晋太郎　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━┳佐藤市郎　　┣━━━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　┃　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（佐藤）┃　┃（岸）　　　┃　　　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助　┣佐藤信介━━洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　岸要蔵━━┫　　　　┗佐藤栄作━┳佐藤龍太郎━━佐藤栄治&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┗佐藤信二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━━良子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（信介夫人）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt; &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助━━岸信介━━━┳岸信和&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　┗洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　岸要蔵━┫　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━良子　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　大島義昌━秀子　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　本堂恒次郎━静子　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━━━━━━安倍晋太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　安倍慎太郎……安倍彪助━安倍寛&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『吾が心は世界の架け橋－安倍[[外交]]の全記録』 ([[安倍晋太郎]]外交対象, [[新外交研究会]], [[1992年]]4月)&lt;br /&gt;
* 『この国を守る決意』（[[岡崎久彦]]との共著 [[2004年]]1月 [[扶桑社]] ISBN 4-594-04331-3&lt;br /&gt;
* 『安倍晋三対論集 [[日本]]を語る』 （[[PHP研究所]] [[2006年]]4月 ISBN 4569643639）&lt;br /&gt;
* 『美しい国へ』（[[文藝春秋]] [[2006年]]7月 ISBN 4166605240）&lt;br /&gt;
* 『日中対話 言論ブログ・ブックレット 私ならこう考える -- [[有識者]]の主張』 （[[言論NPO]] [[2006年]]12月 ISBN 9784903743011）&lt;br /&gt;
====テレビ====&lt;br /&gt;
良いとも。(2014年3月21日。フジテレビ)&lt;br /&gt;
この模様は超報道でも放送された&lt;br /&gt;
2014年4月19日のワイドショー及び。みやね。USJイベント放送&lt;br /&gt;
成功の遺伝子(2013年12月30日。日本テレビ)2015年2月15日に再放送放送された&lt;br /&gt;
成功の遺伝子2(2015年2月16日。日本テレビ)&lt;br /&gt;
みんなの報道。（2015年8月14日。フジテレビ。）&lt;br /&gt;
みやね。（2015年9月4日。読売テレビ。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*[[佐藤朝泰]]『豪閥　地方豪族のネットワーク』（[[学研ホールディングス|立風書房]]、2001年、75頁）&lt;br /&gt;
*[[神一行]]『閨閥　改訂新版　&amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』（[[角川書店]]、2002年、62、212-228頁）&lt;br /&gt;
*[[野上忠興]]『気骨　安倍晋三のDNA』（[[講談社]]、2004年）　&lt;br /&gt;
*[[山際澄夫]]『安倍晋三と「宰相の資格」』（[[小学館]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[大下英治]]『安倍家三代』（[[徳間書店]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[水島愛一朗]]『安倍晋三の人脈』（[[グラフ社]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[俵義文]]・[[魚住昭]]・[[横田一]]・[[利用者:佐高信|佐高信]]・『[[週刊金曜日]]』取材班『安倍晋三の本性』（株式会社[[金曜日]]、2006年、ISBN 4906605206）&lt;br /&gt;
*[[上杉隆]]『官邸崩壊』（[[新潮社]]、2007年 ISBN 4103054719）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[自由民主党]]&lt;br /&gt;
*[[n:安倍改造内閣が発足|安倍改造内閣が発足]]&lt;br /&gt;
*[[n:退陣論ある中、続投への決意 - 10日、安倍首相・所信表明|退陣論ある中、続投への決意 - 10日、安倍首相・所信表明]]&lt;br /&gt;
*[[n:安倍首相、辞任の意向を表明 - 所信表明直後|安倍首相、辞任の意向を表明 - 所信表明直後]]&lt;br /&gt;
* [[安倍内閣]]&lt;br /&gt;
* [[安倍改造内閣]]&lt;br /&gt;
* [[美しい国]]&lt;br /&gt;
* [[再チャレンジ]]&lt;br /&gt;
* [[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]&lt;br /&gt;
* [[安晋会]]&lt;br /&gt;
* [[真の人権擁護を考える懇談会]]&lt;br /&gt;
* [[重光昭夫]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://tokyo.s-abe.or.jp/ あべ晋三]公式サイト&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/abesouri/index.html 歴代内閣情報（HP開設以降）：安倍総理] - 首相官邸&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/koizumidaijin/010426/19abe.html 安倍晋三略歴]（内閣官房長官時代のもの） - 首相官邸&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/90.html 歴代総理の写真と経歴] - 首相官邸&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あへしんそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の反共主義者]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:長門市]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;diff=332199</id>
		<title>ウィキペディア日本語版の管理者</title>
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				<updated>2017-01-13T02:54:43Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: /* 概要 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ウィキペディア日本語版の管理者'''（ウィキペディアにほんごばんのかんりしゃ）とは[[ウィキペディア日本語版]]において、一般利用者には許されていない特種な操作を許された利用者群の一つ。いわゆるシステムオペレータ（SYSOP）のことである。本ページにおいては便宜上、既に辞任した、もしくは解任された元管理者についても同時に解説する。[[管理者互助会]]も参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
当然ながら、全員10年選手のウィキホリックでもある（任期は存在しない。一旦権限を手に入れたらTietewやLoniceraのように失踪したり、自分から降りたりしない限りいつまでも権利を保持し続けられる）。ウィキペディア日本語版を“おたくWiki”化しようと企む、規約原理主義者、要出典マニア、削除依頼マニア、アスペルガー症候群だらけである。また、 ウィキペディア最強馬鹿として有名な「みちまん」を始めとして大馬鹿者も多い。　&amp;lt;!--ウィキペディアには絶対的な「管理人」は存在しない。また管理者も一部些細な所や緊急性が必要で有るところで裁量権はあるものの、「特に偉くは無い」とされており、基本的にはコミュニティの要請や決定に従い、ボタンを押す係と言う事にはなっている&amp;lt;ref&amp;gt;あんな用務員みたいなことやってられっか！俺は執筆に専念するんだ！・・・という人が多数。&amp;lt;/ref&amp;gt;。管理者の主な仕事は記事の削除、問題利用者のブロック（うち主にチェックユーザー係などは、長期荒らしのトレース・監視なども）、編集合戦や荒らしになっている保護などである。その他も管理者にしか作業が行えない細かな仕事があるが、本来管理者の仕事とされていないことについても、例えば新人さんに的確な助言を行ったり、問題利用者に悩まされている善良な利用者を助けたり、やむなく渉外を担当したり、アメリカのメタと連絡を取り合ってみたりといったことも期待される向きがあり、活動は多岐に渡り、それなりの人生およびウィキペディア経験がある方が好ましいだろう。本気で取り組むと、激務である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もっとも特にノルマがあるわけではないので、管理者権限だけ持っておいて執筆に専念していても何ら問題は無い&amp;lt;ref&amp;gt;ウィキペディアのヒラエルキーの最上位は管理者でなく、優良執筆者である。優良執筆者兼管理者が最高と言えようか。ただし発言力の強さで言えば、単にウィキペディア歴の長い古参利用者群である。コミュニティが小さい頃から参加しているので連携が良く、何よりケンカ慣れしているのだ。だが古参管理者はメタとのパイプなどもあるため、ウィキペディアを運営していくに当たって有用な存在である。&amp;lt;/ref&amp;gt;。2016年12月現在、現役の管理者は48人。別途記事の削除のみ行える「削除者」もいるものの、管理者数自体は近年は減少傾向にあり、慢性的な人手不足であるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最も目立つ作業は記事の削除とブロックであるが、裁量での記事での削除は厳格な基準が設けられ、完全なるゴミと言って良いものしか削除してはいけない（即時削除の方針）。その他については、削除依頼の場でコミュニティが協議した結果に基づき、削除が必要と認められたものについては削除を行う。&lt;br /&gt;
ブロックについては問題行為が明らかかつ緊急性を要するものについて、アカウント利用者で最長7日、IP利用者で1ヵ月が裁量権の限界であり（IPレンジブロックは緊急避難などを除き原則不可）、それ以上のブロックについては削除依頼と同様、コミュニティの判断を元に対処を行う。管理者は相互に監視を行っており、他の管理者が裁量により即時削除を行った記事を咎めて復帰させたり、裁量によりかけたブロックを不適切として解除すると言った光景は稀ではない&amp;lt;ref&amp;gt;言い換えれば、管理者もそれなりにミスをしていると言うことであるが、そこは人間であるのでやむを得ない。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、当然ながら一般利用者も異義を唱える事は自由であり、相応の合意が得られれば管理者の裁量で行った行為は取り消される。このように管理者の裁量権は非常に限られたもので、また多くの管理者・利用者に監視されているものである。よって本記事で書かれているほど極悪非道な管理者と言うのは、理論上、極めて少数または解任までの一時的なものである。が、後述するように、諫めても諫めても言う事を聞かない管理者を解任しようとしても、数年がかりとなりかねないのが実情でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在のところ管理者には誰でも立候補でき、7日間の質疑応答、7日間の信任投票が行われ、75%以上かつ10票以上の信任票を得られれば、誰でも管理者になれる。なお、一度管理者となった人物の適性に疑問が生じた時でも、辞任・解任に追い込むのはシステム上非常に困難である&amp;lt;ref&amp;gt;解任動議は誰でも出すことができるのだが、もし解任投票が行われたとしても、管理者は高々過半数の留任票を得られれば、解任はされない事になっている。そもそもの基準が75%であることに比較して、非常に解任されにくい。&amp;lt;/ref&amp;gt;。事実上、数年がかりでロビー活動を行いログを集め、包囲網を構築せねばならない。このため、時期によっては不良管理者がそれなりに幅を利かせていたりするのもある意味事実である。会話ページに他の管理者から苦言が呈されているような管理者は要注意である&amp;lt;ref&amp;gt;特に削除された記事などは、管理者や削除者でないと見る事ができない。このため、一般利用者は苦言を呈そうにも、そもそもどのような問題行為があったのかすら察知不可能な場合も多々ある。&amp;lt;/ref&amp;gt;。逆にルールも知らないでバカな書き込みをして削除された者や、生粋の荒らしに絡まれている管理者などは、むしろしっかり仕事をしているが故の証拠である。管理者はタフすぎて損は無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当然ながら、10年選手の[[ウィキホリック]]も少なからずいる。ウィキペディア日本語版を“おたくWiki”化しようと企む、規約原理主義者、要出典マニアだらけである・・・かもしれない。こればかりは個々人に聞いてみないとわからない。何せ、ろくに仕事をしない管理者も、少なく無いのだから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに正確性は不明ながらある集計によれば、2016年10月時点で歴代135いる管理者のうち、19人が'''複数の'''「良質な記事」の主執筆者となっているという。あまりに数が多くなりすぎるので(良質な記事は1000本以上ある)集計には1本のみの人物は含まれていないため、それを含めた「良質な記事」執筆管理者の実数は不明。やはり優秀な執筆者は、管理者に選出されやすいようだ。ちなみに1位はSumaruの28本、2位がMaximusM4の23本、3位はPeccaflyの14本であるとのこと。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==現在の管理者==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Bellcricket}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Bellcricket}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{2組}}ビューロクラット、CheckUserという2つの権限を持ちMLの管理もしている重鎮の一人。2006年1月に初登場、年末には管理権を獲得したという10年選手の一人。ほぼ全ての管理者が記事の生産性を放棄し、逆に記事の削除行為に躍起になる中で記事の生産性に重きを置くほぼ唯一の誠実な管理者であると言えよう。ただし、悪質なユーザーの策略によって無期限ブロックにかけられて葬られた無実の編集者たちを無期限ブロックから解放せずに放置する点では他の管理者と同様に非道である。しかし2016年に入ってからは削除依頼において削除票を入れた者をブロック、俺の地元だというだけで何も根拠を示さず、出典ゼロのサブスタブ記事に存続票を入れたり、存続票ゼロの案件を独断で存続させたり、削除票にいちいちクレームをつけたりとやらかしの方が目立つようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Bletilla}}===&lt;br /&gt;
かつては、寒波星人名義で活動していた。[[2006年]]に一度立候補したが落選し、それから2年後の[[2008年]]に再度立候補しめでたく就任となった。翻訳を途中で放置したりと挙動不審なところが多く、2度目の立候補で当選となった際にも赤井彗星などから皮肉交じりに挙措の問題を指摘されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]、Carkuniと共にメタのスチュワードに立候補するもAphaiaの手下共の画策によってあえなく落選。しかし、Carkuniの方はそれでも60%以上の信任を得ていたのに対し彼は30%にも満たなかったことからスチュワードには程遠い器という評価が定着していた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Cpro}}===&lt;br /&gt;
{{Main|cpro}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{2組2|トリップは◆Cpro.0SR8o}}[[2007年]]より管理者。よく編集する記事や運営しているサイトからみて明らかにオタであるが絵はうまい。木津尚子残滓を払拭するために奔走する変人の一人だとかなんとか。余談になるが自身の利用者ページにネット右翼が嫌いと書いたユーザーを「目的外利用」という理由でブロックしたことがある。jawpはSNSでないため、「百科事典の編纂」を目的としないアホはこうしてブロックされることが結構ある。ブロックされた誰の事なのかはわからないが、実際目的外利用者が山ほど押し寄せて記事を破壊するのがウィキペディア。荒らしはしっかり迅速にブロックしなければ、後で大変である。管理者はご苦労様なことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Damena}}===&lt;br /&gt;
管理権限を偶にしか振るわない謎の管理者である。その割に2ちゃんねるに出没しては管理者不足を嘆いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Faso}}===&lt;br /&gt;
「OCNの広域ブロックに精を出す管理者」との批判がなされている。mixiはすでに退会済みだが、かつては猿壱號という名義で登録してあった。wikichekerによれば、主に日中に活動している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東大、東工大など一流大学のIPアドレスを全てブロックした{{要出典|date=2016-12}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつてはCU権限を持っていた。しかしウィキメディア財団への本人証明を拒否し、CU権限を剥奪されてしまったらしい{{要出典|date=2016-12}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Halowand}}===&lt;br /&gt;
静岡県在住。19歳のころからウィキペディアに参加し、22歳で管理者となる中毒者。午前1-5時の編集が多く、昼は寝て夜は寝ているという生活をしているのだろうと推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Jkr2255}}===&lt;br /&gt;
アカウント作成が2005年と、かなりの古参組。2011年より管理者・ビューロクラット。何故か署名の'''22'''の部分が色つきである。相当なご年齢であろうから、署名についても落ち着きを持って貰いたいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|JungleCrow}}===&lt;br /&gt;
2014年9月に管理者に就任。アイドルおたく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kamakura}}===&lt;br /&gt;
3年以上も管理者権限を一切行使していないことから、自分が管理者であることを忘却してしまったと思われる。[[2010年]]4月にようやく再発動。しかし何で解任されないんだ?&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kinori}}===&lt;br /&gt;
「各種方針を無視し、管理者としての権限を好き勝手に濫用する人物」という真実をついた発言が、他の利用者から出ている{{要出典|date=2016-12}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kiyok}}===&lt;br /&gt;
おはぐろ蜻蛉に推薦されて管理者に立候補した愛知県人。愛知県関連の記事しか編集しない幽霊管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kkkdc}}===&lt;br /&gt;
活動頻度はそれなりに高いがあまりにも存在感が希薄なので（管理業務には碌に関わっていない）、辞任しても誰も気が付かないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|KMT}}===&lt;br /&gt;
当時は独裁者のひとりであったが、今ではその影は微塵もない。自らの利用者ページを削除したこともある。一度退任したが2009年3月から再び管理者。編集傾向から、職業は医者であると思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
mixiのアカウントには「活動終了」などと書かれているが、実は頻繁に深夜にログインしていることがわかっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今では投稿ブロック厳罰化に反対している模様である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ks_aka_98|Ks aka 98}}===&lt;br /&gt;
{{2組}} '''日下九八'''の名義ももつ。「実際に[[荒らし]]やその他推奨されない行為を行っていない利用者に対して不誠実な無期限ブロックを平気で行っている」という批判がある管理者。根拠なくソックパペット呼ばわりしつつブロックだのIPユーザーに対しても、広域ブロックを平然で行う事から「みんな迷惑している」と言う声も上がっている？2ちゃん組の一員。どぶさらいしている他の管理者に向けて、高い場所から石を投げるのが得意である。だが、その石が命中しているか否かは不明。なお、利用者:Ｋｓ（全角英字）とは別人。もの凄い長文を投下するのが好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分に関する項目の作成を頑として認めない（同じ管理者でも[[#山田晴通（会話/履歴）|山田晴通]]は逆に、自分に関する項目の内容を“客観的・中立的だ”と認めている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Suisuiこと[[今泉誠]]、Tietewこと[[岩瀬透]]亡き現在はウィキペディア日本語版の“顔”となってウィキペディア・タウンなどに手を貸している。毛髪についての言及はタブー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kubou}}===&lt;br /&gt;
2回管理者に立候補し2回目で当選した（1回目の立候補地点での投稿回数は309回だった）。特に悪意もなく管理者に立候補したのだが、投稿回数が少ない等の理由から偉そうな管理者・偉そうだが偉くない自警利用者・管理者ではないが、管理者同然に振舞う者達によっていじめられてしまった。活動頻度は中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kurihaya}}===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Law_soma|Law soma}}===&lt;br /&gt;
身長190cmを越える巨漢の坊主。坊主なので落ち着いているがハゲと呼ぶとキレるためゲハゲハと笑ってやれば良い。（※まともな解説を募集中です）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Los688}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Los688}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
投稿ブロックや差し戻しは迅速だが、それゆえにブロックや差し戻しが目立つ管理者の1人。2004年に初登場、2006年に就任してから{{CURRENTYEAR}}年現在まで活動し続け、一日の編集回数平均24.5回はなかなかの変態。また、K-POPオタクであるらしい。「竹麦魚と同じくいつまで経っても会話ページの半保護を解除しない」との声も上がっているとかいないとか。平気で言論弾圧を行う右翼ファシストと評する勢力もいるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Marine-Blue}}===&lt;br /&gt;
{{2組}}ありふれた名前だと知りつつMarine-Blueの名を登録し他方で他人が「マリン」、「ブルー」、「蒼海」などと付く名を名乗るのは認めないという自己中心的との指摘がある。他人が類似のアカウントを取得すると即座に飛んでいって警告する。これに関連し、アカウントユーザーをいきなり無期限ブロックを行ったらしいがソースは不明。「ウィキメディア関連で400以上もアカウントを持っているらしい」と威張っている。好物は餃子らしい。2010年6月にCUに立候補した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
数少ないCU係でありながら依頼を長期間放置し、ログが見つからないとの理由でブロック該当者を見逃すが、見付からなかったなら仕方ない。また他の管理者からも目をつけられていたユーザーがソックパペットを見抜かれ、チェックで同一人物であることが明白になったにもかかわらずブロックに反対{{要出典|date=2016-12}}。もはや覗き見目的でCU係を続けているとしか言えない状態である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|MaximusM4}}===&lt;br /&gt;
{{Main|MaximusM4}}&lt;br /&gt;
アカウントは自身が使っているPCのMB名にちなむという。2012年9月に信任ラインギリギリで管理者就任。比較的多く記事を長期間（≒無期限）の半保護に掛ける・広域ブロックと称して全く関係のないIPアドレスまで無期限ブロックに巻き込んでいる、模様で？{{要検証|date=2016-12}} 荒らしではない普通の利用者や悪意のないユーザーでも記事を書けなくなるという問題が発生しているらしい。事実とすればある意味[[海獺 (利用者)|海獺]]の後継者、鉄オタ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Miya}}===&lt;br /&gt;
'''2004年に管理者となり、以来{{CURRENTYEAR}}年現在も務める'''。過去に、現役管理者であるにも関わらずChatamaに投稿ブロックされた事がある筋金入りの荒らし&amp;lt;ref&amp;gt;恐ろしい事に、現役管理者がブロックされると言うケースはそれほど珍しいものではないのだ・・・。&amp;lt;/ref&amp;gt;。「他人のコメントや都合の悪いエントリーをはてなダイアリーから一括削除したことで有名になった女性」と言う「武勇伝」が飛び交っている。悪名高きLoniceraの追放に反対した事でも知られるウィキペディア日本語版の酒井法子であり、ブロックした利用者からブラクラを踏まされて嘲笑された事がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いまだに（いつ時点？）たまに改行の仕方がおかしかったりする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猫森日記に「co.kyoto=hatukanezumi=aphaia」とコメント欄に投稿すると必ず削除される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対外インフォメーション係も務めているため(現在はOTRSと言う。info-jaと言っても通じる){{WP2|イオンド大学}}の旧版と{{WP2|平和神軍観察会事件}}を「“大学”から申し入れがあった」という理由で保護し、イオンドについては新版を初めからやり直すことを余儀なくさせた大馬鹿でこれが因で有名人となった。詳細な経緯は{{WP2|ノート:イオンド大学}}を参照。他には引退した元AV女優の項目を独断で削除するなりした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今ではもう剥がしているが、かつては「'''Wikiって略すな'''」という画像を貼っていた{{要出典|date=2016-12}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Wiki:LTA:SANNET|LTA:SANNET]]のことをよく知らず投稿ブロック依頼とある店舗を保護し、長期の荒らしであるにも関わらず安易に荒らしと呼ぶべきではないと注意している。しかもそいつが彼女の会話ページに泣きついてくるので、{{WPuser|Cpro}}によって会話ページを保護される。しかし全く気にしないので、やはり相手にする気はないようである。基本的には素っ気ないタイプのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Mobnoboka}}===&lt;br /&gt;
かつてはじゆにちとか名乗っていたらしい。古風な喋り方をすることから脳味噌が中世でストップしているのかもしれないし、または仏教関係者かもしれない。「モブの馬鹿」と言われると怒る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Muyo}}===&lt;br /&gt;
2008年に就任。九州在住の鉄ヲタ、バスヲタ。Wikipediaの外では「かもめみどり」などの名義を使って活動している。名前は「無用」と読み、自分で自分の事をいらない子と名乗っている卑屈なマゾヒストであることが窺える。ありがとうございます。&lt;br /&gt;
ハンドルネーム（Muyo=無用）のとおりの削除主義者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近なんJにより潰されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本人的には「記事やページを守るため」と思っているのだろうが、実際はただの削除主義者にすぎない。会話ページでは、不適切な裁量による即時削除を、他の管理者に指摘されている姿がまま見られる&amp;lt;ref&amp;gt;一般利用者は削除された記事を見られないため、詳細はわからず、即時削除の妥当性のチェックについては管理者および削除者同士の相互監視に任せるしかない。会話ページから察するに、どうやら「削除したい」が先にあり、そこに無理矢理即時削除の方針を拡大解釈し適用しているようである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Nnh}}===&lt;br /&gt;
神社関連の記事などを編集している古参管理者。「記事を執筆するよりも人の悪口を書くのが好き」との批判がある。自己満足のために必ず旧仮名遣い風で[[インターネット]]に書き込んでいる。最近は経度や緯度の記事作成が主である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ohgi}}===&lt;br /&gt;
{{main|青木高校生}}&lt;br /&gt;
本名：'''篠田陽司'''。6回目の立候補でついに管理者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Panpulha}}===&lt;br /&gt;
めったに権限行使をしない幽霊管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Peccafly}}===&lt;br /&gt;
{{2組2|トリップ：◆DTTXbb.KUY}}&amp;lt;del&amp;gt;ソビエト・ソヴィエト・ソヴェト&amp;lt;/del&amp;gt;サヴィェート連邦の歴史に詳しい。祖父は&amp;lt;del&amp;gt;シベリア・サイビィーリャ&amp;lt;/del&amp;gt;スィビーリ抑留経験者。&amp;lt;del&amp;gt;ロシア&amp;lt;/del&amp;gt;ラスィーイスカヤ語以外の外国語にも堪能。いわゆる海外組の1人で、日本人ではない可能性が高い。自分の自論・珍論が通らないと不満プンプンになって投稿ブロックをかけまくり、改名の議論をすべて遮り押し通すのが大好きな困った巨尻フェチ（；゜∀゜）。包摂主義グループの一味。我儘が過ぎてウィキペディアを去りかけた{{WPuser|Hideokun}}を憐み時々思い出しては2ちゃんねる世界史板・ちくり板等で泣き落しを試みたが、同調する者もなく自演が板についた頃にHideokunは復帰。白人女性を偏愛するなど{{WPuser|Yassie}}（[[八島良太]]）との共通点も多々見られることから、八島のソックパペットである可能性も極めて高い。八島とはちくり板で頻繁に対話しているが、その際は両者ともにわざとらしくトリをつけて現れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Rxy}} ===&lt;br /&gt;
旧名・Hosiryuhosi。{{WPuser|Hosiryuhosi}}も参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者に就任して早々、リバート・ブロック・ボットなどあらゆる権限を機械的に濫用しまくる生体ボットの独裁者。[[エンペディア]]の管理者。管理者への立候補と辞任を繰り返している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年3月に利用者名を短くするためにHosiryuhosiからRxyに変更&amp;lt;ref&amp;gt;Meta-Wiki Steward requests/Username changes[https://meta.wikimedia.org/w/index.php?oldid=8005404]&amp;lt;/ref&amp;gt;。2014年8月に行われた、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%A8%A9%E9%99%90%E7%94%B3%E8%AB%8B/%E5%89%8A%E9%99%A4%E8%80%85/Dr_jimmy/20140804 Dr jimmyの削除者立候補投票]において投票終了5分前に反対票を投じ、投票終了6分後に自ら「有効賛成票 29 票、有効反対票 10 票、無効票 2 票、有効賛成率 74.36% により、Wikipedia:権限申請/削除者#要件 に記された要件を満たさないため、残念ながら今回の審議による削除者権限の付与を見送ることとなります。」と書き込む（あと賛成票が1票多いまたはあと反対票が1票少ないならばjimmyは削除者になっていた）というファインプレーを行った。2015年4月20日、META-WIKIに出没[https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Steward_requests%2FGlobal_permissions&amp;amp;type=revision&amp;amp;diff=11908876&amp;amp;oldid=11908117]し、グローバルロールバック権を得る。2016年2月にはMETA-WIKIのスチュワードに立候補するも失敗。[http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/hobby/1455024207/936 2ちゃんねるの本人の書き込み]によると、「某スチュワードから熱心な立候補の誘いを受け、断ったもののまったく効果はなく、あきらめて立候補することになった」とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Penn_Station|Penn Station}}===&lt;br /&gt;
新着記事投票常駐者。名前が鉄オタを連想させるせいか故・Nekosuki600からはChatamaの手下と思われていたため立候補に強く反対された。削除依頼処理マシーン&amp;lt;ref&amp;gt;2016年12月現在、堂々の歴代一位。&amp;lt;/ref&amp;gt;。間違ってもPenis Station などと呼んではいけない。チェックユーザー・オーバーサイト・ビューロクラットなど、管理者以外にも様々な権限を持つやり手である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Sumaru}}===&lt;br /&gt;
ノストラダムスと世界遺産関連の項目を中心に編集している他、長期荒らしの一人である{{WPuser|Haruno_Akiha|Haruno Akiha}}のお守りを率先して担当する物好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Taisyo}}===&lt;br /&gt;
その名の通り大将である。それ以上でも以下でもない。固定IPらしいのでソックパペッターの可能性は薄いが、他の管理者の走狗である可能性は十二分にある。その場合大将ではなくなり、看板に偽りありということになる。[[Wiki:市営基町高層アパート]]などの良質記事も執筆し、選出後の同記事ではarch-hiroshimaなる外部サイトを数箇所で使用して末尾にも参考サイトとして掲載しているが、このサイトには「このサイトは教科書ではなく、ただの個人サイトです。文章はあくまで主観的であり、勝手に推測した箇所もありますし、必ずしも本質を突いていない箇所もあるでしょう。レポートや論文作成の参考とする際には、当サイトの記載を鵜呑みにせず、必ず一次資料（建築家本人が執筆した文章など）に目を通すようにしてください」との注意書きもなされていることが指摘されたものの、「多用は極端」と論破して事なきを得ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tomos}}===&lt;br /&gt;
[[wiki:wikipedia:井戸端会議ログ6|第6回井戸端会議]]にて選出された、最古参（'''2003年から'''）の管理者の一人。2ヶ月29日に1回程のペースでしか活動しない（3ヶ月以上動かないと管理者を降ろされる）。本人曰く「3ヵ月に一度だけまとまった時間が作れる」って、えーと、言い訳にしてももうちょっと。幽霊管理者の筆頭。他の管理者と比較すると投稿ブロック依頼や保護依頼などの対処を行っていなかったため、氷鷺により[[Wiki:Wikipedia:管理者解任の投票/Tomos 20100217|解任投票]]が提出されたが、賛成者は氷鷺のみだった。利用者IDはなんと10。管理者に限らず、利用者全体から見ても最古参レベル。圧倒的最古参っ・・・！！このため本来はウィキペディアの生き字引としての活躍が期待される所だが、本人にその気はない模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tomo_suzuki|Tomo suzuki}}===&lt;br /&gt;
Tomosと名前が似ているが同一人物ではない模様。Tomosと同じく活動度は低く存在感が薄い。かつてチェックユーザーの権限濫用ネタの時に熱い一面をさらけ出し、活動家的な性格であるのではと推察される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Triglav}}===&lt;br /&gt;
2010年最初に管理者に就任した。下記のように、著作権法違反行為をしており、その際70年代の歌の歌詞を書いていたことから、40歳代以上のおっさんと思われる。トリグラフと読むらしいが、相手の言ったことを忘れて自分の感想ばかり書くため「'''鳥頭（とりあたま）'''」の異名を持つ。管理者でありながら、'''ノートページにおいて執拗な粘着攻撃と挑発行為'''をする問題人物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
基本的に、対話能力の怪しい人間であると見られており、少なく無い場合でその内容は意味不明である。以下実例。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議論をするときは、'''相手が「～という理由でこれはAである」と述べても、「つまりこれはAではないということですね。ではそのように対処させて頂きます」'''という応答をする。このようにいくら相手が説得力のある議論をしても、あえて噛み合わない発言を続けることによって相手に議論する気をなくさせ、最終的に自分の好きなように編集するという作戦を信条としている。また、主体が誰か分からない修飾語や自ら造った独特の言い回しが多いためたいへん文章が読みにくく、それも相手に議論する気を無くさせる戦法の一つであると考えられている。ほか、以下のような問題行動が確認されている。&lt;br /&gt;
*'''基本的に相手の質問に答えない。'''読みにくい文に対して相手が主語は何かを質問をしても、それにすら答えない。&lt;br /&gt;
*'''基本的に相手の主張を読まない。'''こいつと議論する場合、同じことを何度も説明することを覚悟しなければならない。&lt;br /&gt;
*逆に、議論の相手に対しては、オススメの本を1冊挙げてくださいなどと議論と無関係な質問をする。&lt;br /&gt;
*間違った事実・前提に基づいた主張をする。相手がその根拠を示してくれと要求しても完全無視。&lt;br /&gt;
*議論で言い負かされると、「とにかく私の言ったようにすべきです」と主張し始めるなど、'''とにかく'''という表現を用いて今までの議論を無かったことにしようとする。&lt;br /&gt;
*出典が2つあってそれぞれが違うことを書いており客観的にどちらか正確か全く分からないにもかかわらず、「私が正しいと思った方を載せます」と中立性に反した方針を譲らない（正しいと思った根拠を尋ねられても完全無視）。&lt;br /&gt;
*出典によるカギ括弧内の引用部分に対して、'''引用部分の内容が気にくわない'''という意味不明の難癖をつける。&lt;br /&gt;
*IP利用者に対し、執拗にアカウントを取るように迫る。アカウントの利点を尋ねられると、突然{{WPfullurl|n=ノート:吉野敬介|p=diff=47846925&amp;amp;oldid=47846558|s=70年代の歌の歌詞をかき立てるという}}という意味不明の行為をし、勝手に議論と節を打ち切る。このように、&amp;lt;font color=&amp;quot;#ff0000&amp;quot;&amp;gt;'''著作権法の遵法意識のない犯罪者でもある'''&amp;lt;/font&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*さらに&amp;lt;font color=&amp;quot;#ff0000&amp;quot;&amp;gt;'''アカウントを取らないIP利用者に対して勝手に{{WPfullurl|n=ノート:吉野敬介|p=diff=47912224&amp;amp;oldid=47901719|s=あだ名}}をつけ'''&amp;lt;/font&amp;gt;、「数字で呼ぶのも悪いので、とりあえず取るまでこう呼ばせてもらうことにしますね」「名前で呼び合うのが素敵」などと挑発行為を続ける。なお、こいつのあだ名は'''鶏ガラ'''である。&lt;br /&gt;
*ノートでの議論は、上記方針を組み合わせ、'''ツッコミどころ満載の提案をし、それに対するツッコミ・質問に一切答えず（答えられず）、形勢不利と見るや話題を逸らして節を打ち切り新たな節を作って別の提案を強行することを何度も続けたため'''、ついに'''{{WP2|ノート:吉野敬介#管理者・Triglavによる“根拠のない提案をする→提案の前提が独自の見解なのでその根拠について質問を受ける→質問に何も反論できない→相手の質問を無視し、話題を逸らして再度根拠のない提案をする”という荒らし行為について|荒らし認定}}'''された。&lt;br /&gt;
**例）Triglav「～という説明がほしいところですね」「～というように編集すれば記事がスマートになるからそうすべきです」→相手「そう思った根拠は何ですか?これが根拠もなく通用するのならば、記事がスマートになると言えば何でも編集できてしまいます」→（完全無視）Triglav「それでは編集させていただきます。何かご要望はありますか？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なんかもうTrigravが間違っているのかYourpedia編集者の解釈が間違っているのかよくわからない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、荒らし認定に際して真剣に叱られていじけたのか来なくなった。荒らしの自覚があったのだろう。このように、Triglavへの対処方法として、いつまでも噛み合わない議論を許さずに真面目に叱ることをお勧めする。以上から分かるように、管理者としての自覚は皆無である。もはや'''解任は時間の問題'''になっている・・・と長年思われているのだが、現在の所その兆しは見られない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|VZP10224}}===&lt;br /&gt;
{{WP2|Wikipedia:管理者への立候補/VZP10224_20100605|2010年6月9日}}から管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|W.CC}}===&lt;br /&gt;
初投稿からたった7ヶ月、編集回数1,257回という少なさで2010年に管理者権限を獲得。1年後、編集回数を1000回上乗せした上でビューロクラットに就任するなどしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Y-dash}}===&lt;br /&gt;
2度管理者となった。2010年4月の立候補時点での年齢は未成年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|アイザール}}===&lt;br /&gt;
{{Main|アイザール (ウィキペディア)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よく語尾に「♪」をつける。文体は温和だが常に婉曲的な嫌味を述べ、その内容は攻撃的で陰険さバリバリである。自分の私見、私怨で投稿ブロックをかけたり&amp;lt;ref&amp;gt;管理者には一定の裁量ブロックが認められている。ブロックを行った事実はあらゆる利用者からバレバレであり、問題のあるブロックを連発しているなら、とっくに多くの苦情が発生してることであろう。&amp;lt;/ref&amp;gt;削除依頼を受理しなかったりと&amp;lt;ref&amp;gt;不適切な即時削除要請はは当然却下され、不適切な削除依頼も当然却下されるだけのことなのだが。&amp;lt;/ref&amp;gt;最低の管理ぶり。一応[[2ちゃんねる組]]。この人の極悪非道のおかげで死人が出る程である。後述の{{WPuser|須磨寺横行}}と仲が良く、管理者の立場を逆手にとって須磨寺横行の悪行に手を貸している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Yourpediaのアイザールとは別人である。YPのYANCHARIKAと同一人物かもしれない。特に根拠は無いが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|アルトクール}}===&lt;br /&gt;
最も活動的に働いている管理者の一人でありビューロクラット又はCU係への立候補が予想される。2014年8月の管理者就任以来、2015年11月25日から翌年1月14日までの失踪期間を除きほぼ毎日投稿していた。荒らし管理者、山田晴通を管理者解任に追い込んだことで、高く評価されている。2016年後半以降は活動が激減してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|おはぐろ蜻蛉}}===&lt;br /&gt;
{{2組}}ウィキペディア日本語版におけるサブカルチャー記事作成の急先鋒。特に[[声優]]の記事に固執することでも知られ、その声優に不利と思われる書き込みがあるとすぐさま特定版削除へ持ち込む。そしてあげくのはてに保護する&amp;lt;ref&amp;gt;ただし声優記事に加筆されるものは、ろくでもないものが非常に多い。典拠無し・些末な情報がむしろスタンダードであると言っていいくらいである・・・。方針くらいざっと読んでから書き込もう。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また某カービィの漫画を某漫画本に連載していた漫画家の記事の「ガキごときの・・・」部分を消したりしていたので某出版会社の回し者かと某掲示板でうわさされたことがある&amp;lt;ref&amp;gt;どの様な経緯でどのようなものが削除されたのかは、削除された以上謎であるが、著作権を侵害していた案件だとすれば、どの管理者でも間違い無く100%削除する。当然だ。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者が増えて欲しいという一心でマルチポストの絨毯爆撃を行いIsh-kaに苦言を呈された。そして勧誘した人物からは悉く断られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|さかおり}}===&lt;br /&gt;
'''[[チームさかおり]]'''総統。[[またーり]]亡きあと[[山梨県]]関連記事の充実化を図っている優良執筆者、2012年10月より管理人となる。記事の充実化に積極的であり、特に「地方病 (日本住血吸虫症)」の記事に関しては記事の内容もさることながら時間をかけて充実を図り、かつわかりやすい内容から'''プロジェクトXレベル'''と称賛される、jawpで最も著名な記事の一つ。管理人として不慣れな点もあったが無難にこなしており、現時点では数少ない優良管理人の一人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|青子守歌}}===&lt;br /&gt;
日和見主義者。一利用者としても資質に問題ありすぎな人物であったが、どういうわけか事故的に管理者に選出された。実態としては反対者の靴下が足らなかっただけと思われ、世の中こうした事を通じて歯車が狂って行くそれを説明する好例と言える。通称は「青子」であり、評判の悪いiwaimと仲がいい。アホ子などとも呼ばれたり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|霧木諒二}}===&lt;br /&gt;
普通の管理者。普通すぎて特筆性に欠けるため管理者権限がそのうち除去されるかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|健ちゃん}}===&lt;br /&gt;
潔癖症で、管理者としての資質をコミュニティに問うため3度もコメント依頼を提出した。構ってちゃんなのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|重陽}}===&lt;br /&gt;
登録から1年・編集回数805回という少なさにもかかわらず管理者への立候補において'''反対0'''という投票結果が出たことだけで知られている。なお対応は結構ぶっきらぼう傾向。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|多摩に暇人}}===&lt;br /&gt;
{{警}}2016年1月に管理権獲得。要約欄の内容が常に上から目線であることで知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|東京特許許可局}}===&lt;br /&gt;
鉄オタでありChatamaやCassiopeia-sweetとつるんでいることが多いが、時々一匹狼的な行動をすることもある。立候補の際、「現在の管理者の中には明らかに管理者に相応しくない奴がいる」と言い放った気骨のある人物。しかしこんなことを言ったもんだから、就任後はこの発言を言質に取られて少しでも不適切な行動をする度に譴責されている。とあるブロック依頼を切欠にはるひとの関係が悪化し、その後提出されたはるひの解任動議では賛成票を投じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|竹麦魚}}===&lt;br /&gt;
{{Main|竹麦魚}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ハンドルは「ほうぼう」と読む。北海道民。「ご質問はなるべく会話ページでお願いします」などと繰り返す。「会話ページを半保護したままいつまで経っても保護解除しようとしない」との声がある（つまり非難批判は聞きたくないということに他ならない）。OpenProxyのブロックばかり熱心に行う管理者である。&lt;br /&gt;
会話ページをブロックされたユーザーを酷く貶める記載をしている。極めて悪質な管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==元管理者==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Bakkai}}===&lt;br /&gt;
よく画像提供しているが、自分が撮影した画像は意地でもコモンズにアップロードしない、他言語版に非協力的な人。管理者立候補時に「荒らし対策での保護・解除など」を行うと大見得を切ったが、本当は自分のアップロードした画像の削除するためだけに管理者になった。実際、自分の画像削除のためにしか管理者権限を使っていない。ほとんど管理権限を使わないが、たまたま使った管理権限についてあるふぁるふぁ(長期荒らしである「真珠王子」）から指摘を受けてブチ切れる。ほとぼりが冷めるまでしばらく行方を晦ましたが、ほどなく復活した。その後管理者を辞任し2011年1月25日以降編集していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Brion_VIBBER}}===&lt;br /&gt;
'''ウィキペディア日本語版における、最初の管理者である。'''フランス語も使いこなす在日アメリカ人。ただし活動は少なく、計52回の編集に留まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Carkuni}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Carkuni}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
角煮とも。かつてチェックユーザーであったが権限を殆ど行使しない並び大名ともいわれた。[[#欅|欅]]と同棲していた事が発覚し解任。[[Chatama]]とはリアルで親交が深く、愛人説もある。えっ、二股、しかもホモ・・・？ 2016年2月1日を最後に失踪……と思われていたが、4ヵ月後に復活。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Cassiopeia-sweet}}===&lt;br /&gt;
鉄ヲタ。名前は寝台特急カシオペアの最上級寝台にちなむ。バスや風俗系にも精通している。2011年、ハイフン'''なし'''の表記（{{WPuser|Cassiopeia_sweet}}）に改名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Chatama}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Chatama}}&lt;br /&gt;
{{2組2|トリップ：◆5ChatAmAI2}}2ちゃんねるでは「ブラウンボール」（正しくは「ティーボール」）を名乗る、熟女の乗り物。旧利用者名は「ちゃたま」。本名・[[寺崎嘉孝]]（てらさき よしたか）。CU、ビューロクラットをも務めるマルチユーザー。[[昭和]]43年（[[1968年]]）生まれ。[[海獺 (利用者)|海獺]]を盲信して「すばらしい人です」と管理者に一推ししたばかりにおびただしい被害者が生まれる元になった前科持ちの盲人。2015年からは月に一度以下しか動かなくなった。2月末からは完全に活動休止。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
親子でウィキホリックというとんでもない男（娘は[[Tama998]]。この娘が16歳で{{WPuser|つきよのうさぎ}}と結婚）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ciro}}===&lt;br /&gt;
通称“コムーネのおっさん”。イタリアのコムーネ（自治体。日本で言う市区町村相当）の記事のスタブを粗製濫造している。8年間管理者をしていたが、あまり仕事をしていないこともあり、管理者としては存在感に欠けていた。2014年からは年に一度しか動いていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Electric_goat|Electric goat}}===&lt;br /&gt;
{{Main|木津尚子}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Freetrashbox}}===&lt;br /&gt;
CUを兼任していたが、2015年に時間ねーからと退任。割と一匹狼的ポジションにあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Hisagi}}===&lt;br /&gt;
{{2組}}元管理者。というか管理者権限を持っていたのは7ヶ月間のみ。登場当時は「氷鷺」だったが、2015年にローマ字の「Hisagi」に改名した。中二病臭い名前通り素行も子供っぽいという指摘があるが、一方で海獺やV悪などにも堂々と意見するなど気骨のある人物。いる。「鉄に汚染されている」として鉄道分野を敵視し、{{WP2|Wikipedia:秀逸な記事の選考/愛知電気鉄道電7形電車}}では{{WPuser|MaximusM4}}らとの抗争の末に、{{WPuser|HATARA_KEI|HATARA KEI}}を断筆宣言に追い込み、選考通過を阻止した。暴言の常習犯であり、2016年10月に積年の暴言と編集合戦を理由に{{WP2|Wikipedia:投稿ブロック依頼/Hisagi_20161007|1年間の投稿ブロック}}に追い込まれている。元管理者が1年間もブロックされるのは前代未聞のことである。なお本人は無期限ブロックも予想しており、そうなったらブロック破りを行うと公言していた。投稿ブロック依頼をクローズした管理者がKMTでなければ無期限ブロックの線も十分にあり得ただけに、前代未聞の元管理者のLTA化も見てみたかった。なおその後の2ちゃんねるスレでの現行によれば、全く反省していないどころかブロックの理由（積年に渡る「Wikipedia:礼儀を忘れない」違反)を理解しているのかさえ怪しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Hman}}===&lt;br /&gt;
'''2ちゃんねる組'''。いつの間にか管理者に就任した荒らし管理者。出しゃばりの極みであり、任期が短い割には権限行使回数は多かったようだ。このボンクラによって葬られたユーザーは非常に多い。管理者であったのは約1年半でしかなかったが、2016年12月現在の総計では権限行使数総計や削除数は歴代管理者中30位あたり、ブロック数は35位あたりである[https://tools.wmflabs.org/xtools/adminstats/?project=ja.wikipedia.org&amp;amp;begin=2001-01-01&amp;amp;end=]。ちなみに一番順位の高い「ページの保護」についても20位あたり。これを多いとみるか少ないとみるかは人次第だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/kodukuri_hman Yahoo!においてもアカウントを持っている模様]で、そのID名は「'''kodukuri_hman'''」（子づくりエッチマン）。末尾が「'''hman'''」であることと、[http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1289197117 この質問での回答内容]が荒らしユーザーの彩華1226を擁護しているともとれるコメントであることからも'''Hman'''本人である可能性がある。2013年管理者を辞任。本人曰く、この管理者連中と肩を並べたくない、一緒に仕事は出来ない＆某Yを解任しないjawpコミュニティに嫌気が差した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2015年4月14日、[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者‐会話:Hman/過去ログ_-20151010 ウィキペディアからの引退を表明]し（「引退のテンプレートが付いたままですよ」以下の節を参照）、自身の利用者ページ（のちに削除）及び会話ページを白紙化した。にもかかわらず、2016年10月19日に某利用者のブロック依頼への投票のため復帰するなど、「[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E8%BE%9E%E3%82%81%E3%82%8B%E8%BE%9E%E3%82%81%E3%82%8B%E8%A9%90%E6%AC%BA '''引退詐欺''']」と言っても過言ではない行為を繰り返しており、2ちゃんねるのWikipediaスレでは「引退詐欺師」呼ばわりされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近鉄ネットワークのユーザ（{{WPuser|61.86.153.11}}、{{WPuser|61.86.153.13}}）と同一人物であるという疑いがある（同じサブネットマスク下にある上、13の会話記録を11がログ庫に入れている。）。だが近鉄ネットワークユーザーは会話ページで、Hman本人は2ちゃんねるスレにてそれを否定、二人は会話ページで談笑まで行っている&amp;lt;ref&amp;gt;[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1%3A61.86.153.11&amp;amp;type=revision&amp;amp;diff=62476805&amp;amp;oldid=62273528 利用者‐会話:61.86.153.11]&amp;lt;/ref&amp;gt;。そもそもたまにログインを忘れて晒すIPは、別プロバイダのものである。ただし複数のプロバイダと契約しており、リモートホストレベルでは全く別地域のIPが晒されていたりするため、住所不定無職である可能性は否定できない。使用するIPアドレスの一部は[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:Hman 「119.30.241.139」または「119.30.241.247」]で&amp;lt;ref&amp;gt;ユアペディアの当該利用者会話ページを参照。&amp;lt;/ref&amp;gt;、このIPアドレスは京都市に割り当てられているとされているため、基本的には京都府民であると推測される。なお本人は京都出身の皇国臣民を公言しており、京都関係の記事を多数執筆・加筆しており、如意ヶ嶽（大文字山）などは彼女の手による良質な記事の一つである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユアペディアにおいても[[利用者:Hman|同名のアカウント]]を2016年11月25日に取得しており、ウィキペディアのHmanとユアペディアのHmanが同一人物であることは[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Hman&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=62071793 本人も認めている]。ウィキペディア元管理者がこれからユアペディアで何を成そうと目論んでるのかは、現在の所謎に包まれているが、とりあえず同年12月1日には本ページにおいて管理陣を弁護する大量の書き換えを行なっている。本人曰く、肩慣らし＆練習。なお、2ちゃんねるウィキペディアスレまとめwikiなるWikiの創立者でもある（管理人ではない）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kahusi}}===&lt;br /&gt;
{{Main|澤田亮太}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{C管}}最近では他アカウントで荒らし始め他のウィキペディア管理者などの成りすましを行っているが、ウィキペディアの会話ページでは「私ではありません」とコメントしている。嘘つきは泥棒の始まりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
個人ウィキペディア「かふしゐき」で、トリップとアカウントを対比させた「[[2ちゃんねらー]]のウィキペディアン」一覧を作成していた。2015年12月末に一旦失踪、管理権限を剥奪さる。5ヵ月後の16年4月末から狂ったように活動再開。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kanjy}}===&lt;br /&gt;
ビューロクラット・チェックユーザー保持者の中で一番の人格者。だがリアルの仕事が忙しいのか活動頻度は高くなく、廃人共からは役立たず呼ばわりされている。しかしウィキでは珍しいまともな人らしく、管理権限を与えるなり基地外になる他の連中と対比するとずっと安心出来る良管理者と見て良いようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Koba-chan}}===&lt;br /&gt;
本名は小林義宗。元管理者だったが、管理者解任投票で反対票0という結果を受けて辞任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Lonicera}}===&lt;br /&gt;
{{main|Lonicera}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Riden}}===&lt;br /&gt;
Loniceraの解任に反対した程のデタラメぶりを発揮。仮面ライダー等の特撮が好きなオタクであり無職と推定される。ウィキペディアに僅かでも良心が残っているのであればこの人物を解任すべきであろうがそれ以前に真実を消す頻度は、もっとも高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
度々この管理者は「これは最後の警告です」と警告を発するが最初がない。そこを指摘されたばかりかユーザーから事前に用意された対策用ソックパペットを相手にそれをした事から笑われてしまい、その後警告文を訂正するもそれが元でさらに嘲笑された経歴を持っている。尚、本人はこの事を自身の恥辱と見てか二度消しにかかって来てもおり結果としてより大きく嘲笑されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Sergei_1207|Sergei 1207}}===&lt;br /&gt;
本来のアカウント（{{WPuser|sergei_semenovich}}）とは別に管理者専用アカウントを作って立候補し、物議を醸した。性格はキレやすい。典型的ネトウヨ{{WPuser|Truesight}}を何度も論破した。ウィキペディア中毒に陥ることを避けるべきと思ったのか、徐々に投稿回数を減らしていき、2012年5月にウィキペディアから完全に撤退することに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tan90deg}}===&lt;br /&gt;
通称「'''痰苦汁程度'''」。タン師とも。[[Wiki:利用者:123front|123front]]、{{WPuser|Paperones}}、[[Wiki:利用者:Daichikyu|Daichikyu]]、{{WPuser|Revdel}}など一部の善良な利用者を無期限ブロックされた{{WPuser|KHAT}}の[[ソックパペット]]であると根拠なく決め付ける極悪管理者。包摂主義者、というよりはアンチ削除主義者であり削除議論で削除票を投じる利用者を安易に削除主義者扱いし自分が削除主義者と断定したユーザーを駆逐するためなら捏造などの権謀術数を平気で行う。また明らかに著作権に抵触している記述に対して「引用の範囲内」「単なる事実の記載」などと詭弁を振り回していた{{要出典|date=2016-12}}。2年以上前に削除された項目の復帰依頼をそれが初投稿という者で趣旨不明瞭な文章であったにもかかわらず1日も経過する前に独断で復帰措置し、不審がられていた{{要出典|date=2016-12}}。悪評高い{{WPuser|Tiyoringo}}とよくつるんでいる事が多かった。2012年6月11日自動退任、Londonbashiに中心を移す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tantal}}===&lt;br /&gt;
権力争いばかりに夢中な管理者の中で、ウィキペディアの本義である記事の発展、充実に力を注いでいる稀有な人物。執筆能力の高さはかのYassieも認めるほどで、[[2ちゃんねる]]でも評判は良い。一方で本人は「自分に対する根拠無き誹謗中傷が並べ立てられているから」という理由でアンチ2ちゃんねるを標榜していることから、被害妄想癖があると思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tietew}}===&lt;br /&gt;
{{Main|岩瀬透}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本名は'''岩瀬透'''。Suisuiと並ぶウィキペディア日本語版の大幹部の一人でマスコミによく登場していた。自動検知システムを使ったオープンプロキシのブロックが趣味。2010年2月から音沙汰なく、自動解任見込み……と思われていたが、裏でBotを働かせているという異議が出て自動退任ではなく解任審議にすり替えられた悪運の強い奴（差し金を入れたのはやはり管理者の[[#Ks aka 98（会話/履歴）|Ks aka 98]]）。多くの利用者を巻き込んで大騒動となったが、本人はどこ吹く風である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
投稿を停止した後も長らく管理者の地位にあったが、オープンプロキシのブロックすら行わなくなったため2016年4月にとうとう自動退任となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Vigorous_action|Vigorous action}}===&lt;br /&gt;
通称'''V悪'''。元管理者で、'''45歳'''（2013年時点）'''にもなって'''24時間常駐している（アカウントは英語で「精力的な活動」）。'''&amp;lt;font color=&amp;quot;#ff0000&amp;quot;&amp;gt;絶対に管理者に復帰させてはならず、Wikipediaプロジェクトからも追放が急がれる極めて悪質なアカウントである。'''&amp;lt;/font&amp;gt;また、WikisourceとWikibooksの管理者からの解任も大至急必須である。編集傾向（利用者ページ及び会話ページが両方とも青リンクになっている点、利用者ページのユーザーボックスが酷似している点・会話ページの過去ログの名称と置き方・会話ページにおける発言の太字部分などが極似している点などが挙げられる）やVigorous actionとの連係プレーの素早さから多重アカウント「{{WPuser|Youichikun1968}}」を使用していたとの疑惑が浮上している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年5月、管理者就任。徐々に積極的に荒らし対策を行い始める。荒らしをブロックするのは良いのだが、精度が低すぎたと言わざるを得ないだろう。そして暴走は加速し、コミュニティの意図を無視して独断専行を連発する。Lonicera化である。この結果、2012年11月、解任投票により全ての権限は剥奪された&amp;lt;ref&amp;gt;時系列上は解任投票結果確定前の自発的辞任であるが、既に投票結果は明らかであったし、本人もそれを自覚していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかしコミュニティから「失格」の烙印を押された後も、何故か、対外インフォメーション係(OTRS)に居座り続けるのである（2016年12月現在）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、海獺に対して執拗な粘着攻撃を行い、とうとう海獺が多重アカウント保持を隠して管理者に就任していた事実、しかも立候補の際にこれに関する質問を受け虚偽の回答をしていたことを自白させ、海獺を辞任に追い込んだ。結果的にこの一件が、彼がウィキペディアで行った一番の功績となった&amp;lt;ref&amp;gt;いや荒らし対応も功績なんですけどね。独断専行がなければ。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以後音沙汰なしであったが、2013年2月ごろより活動を再開。2013年3月、ウィキペディア日本語版改革を目指す{{WPuser|Blue31-Eleven}}により、「解任された元管理者を削除人へのスカウトする」という傷口に塩を塗りこむような挑発を仕掛けられて発狂し、管理者時代を彷彿とさせる暴れっぷりを見せた。この件が原因で、元管理者にもかかわらず投稿ブロックに追い込まれる。本人は「売られた喧嘩を買っただけだ」などとほざき、ブロック明け後も全く反省の色を見せずに目的外利用を続けているため、今後の発言次第では無期限ブロックの可能性も高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年8月、HmanがVigorous '''a'''ctionの'''a'''を'''A'''と間違えたことを理由にHmanへの粘着を開始&amp;lt;ref&amp;gt;2ちゃんねるでの噂では、もとよりHman攻撃を狙っており、これで大義名分を得たとして攻撃に踏み切ったとの説も。大義名分と言うには、非常に些末なのだが。&amp;lt;/ref&amp;gt;。直後の逆襲の{{WP2|Wikipedia:コメント依頼/Vigorous_action_20140826|コメント依頼}}を受け、「PCが壊れた」と言い残しウィキペディアより失踪、以後音沙汰なしとなる。その後半年をかけてPC環境を再構築し、2015年3月より活動を再開し、現在に至る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|しるふぃ}}===&lt;br /&gt;
{{2組}}ロールバック・削除・ブロックと消極的な活動しか行っていない。度々利用者ページが朝鮮民族へのリダイレクトに置換されていたりPeace系に粘着されていることから、プロ市民である可能性も示唆されている。度々コテハンで2ちゃんねるに出没し、狂気としか思えない妄言を飛ばしてゆく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|欅}}===&lt;br /&gt;
某大学法学部卒。2ちゃんねるの阿呆共は女性だと思い込んでいるようだが、性別は不明。鉄ヲタ。北海道から2011年に上京し署名は黄緑をベースに四季によって4タイプの悪趣味なカラーに変わる。なおかつ解任投票で反対の立場を貫いた事からLoniceraのソックパペットではないかと嫌疑を抱かれているが実際はLoniceraとは大学で先輩後輩の関係にあっただけで別人である。Loniceraの生き別れの妹という説もある。説であると断れば割となんでも書いていい感があるので、Chatamaの前前妻の娘説もこの場で提唱しておく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先輩のLoniceraが降ろされてから4ヵ月後、管理者に立候補して当選、以降はひたすら削除依頼案件を乱暴に処理する生体BOTと化しており「暴言を吐かないLonicera」と呼ばれていた。時間の概念がなく時限をきった約束は守れない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
チェックユーザー係でありながらCarkuniらとの共有IPで利用者を欺く悪質な裏切り行為を行なった。というか同棲して（ガチホモでなければ結婚であった可能性も？）中出しセックスをしていたのでIPが同じだったと言う事情。極めて短い間に二人が同じアカウントに対しCUツールを使用していた事から、この事実が浮かび上がった。ちなみにこれを発見し、問題として騒ぎにしたのは海獺とmiya。管理者同士が仲良しだなんてウソやったんや！結局利用者のプライバシーを扱う重職であるCUが同居していてはまずかろうと言うことで二人揃って管理者・CUの辞任に追い込まれる。片方だけ辞任すりゃ済むのに。その後{{WPfullurl|n=|p=curid=2223163&amp;amp;diff=37418911&amp;amp;oldid=37385878|s=体調不良自称し}}、ほどなく復活。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2015年9月失踪。&lt;br /&gt;
両者の利用者ページから見るに、2016年現在も関東でCarkuniと同居中。欅の性別が確定的ではないので、また法的に結婚したと言う報告もどうやらないため？ｱｯｰ!なのか、ただの中出しなのかは謎に包まれている。ホモならホモでそれはそれで中出しも可能であるが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|白駒}}===&lt;br /&gt;
「ハック」と読む。名前の通りハッキングが趣味で、裏では他者のアカウントを乗っ取ったりと悪行を重ねている。長期荒らしの1人・Lemと同一人物ではないかと疑われていたが、その正体は132人目であるという説も。まーそんなもん疑いだしていたらきりはなく、大抵のアクティブな管理者は無責任な連中や荒らしどもにこんなことを言われるのであるが。2016年5月自動退任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|海獺}}===&lt;br /&gt;
{{Main|海獺 (利用者)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{2組2|トリップは◆RACCOxeST6}}かつてはjawpが「海獺王朝」であるとまで言われた（うそ）名物管理者/CU。放棄したものの2ヶ月間の多重アカウント保持を隠し、かつそれに関連する質問に虚偽の答弁を行っていたことが信任を受けていたことまでが発覚し辞任に追い込まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
角煮・欅の中出しセックスと、狂犬ikedat76の喧嘩用違法アカウントの存在、これらを見破った事が特筆すべき功績。活発に活動していたので、荒らし・靴下対策など、一つ一つは細かいが積み重ねた功績は大きいと言えるだろう。しかし客観的に見て、対話姿勢は粘着質極まりない。職務柄尋問調になるのは致し方ないとはわかるのだが。なおこれも職務遂行上やむを得ない事でもあり、活発に活動していた証左でもあるのだが、独断専行も比較的多かった印象がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
好物はらっこのてんぷら（アカウントを即座に食った）。&lt;br /&gt;
ちなみにもう管理者でもないのに色々なメディアに登場する、露出狂である。2016年もテレビで露出していた。なんだあのマスク。&lt;br /&gt;
オファーする方もわからん。現役管理者にオファーしろよ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|山田晴通}}===&lt;br /&gt;
{{Main|山田晴通}}&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版では珍しい学者（他に明らかになっているのは柴崎力栄や“さえぼー”こと北村紗衣など少数に留まる）。なぜなら学者はウィキペディアの管理者になろうとしたり、掲示板に実名でコメントを書き込んだりはしないからである。本業は東京経済大学教授。しかし、ウィキペディア中毒になってしまったため学者の仕事は、お留守になっている。専門が地理学であるにもかかわらず、音楽や政治など知識のない専門外の分野に介入するのが特徴。独裁的問題行動は、「パンク」の項目に上から下まで大量に「要出典」を大量に貼るなどの、ページ私物化行為があげられる。「ウエストコースト・ロック」や「エレクトロニック・ダンス・ミュージック」（EDM)などの音楽系記事にも、要出典のタグを大量に貼るという犯行が確認できる。ほかの項目についても同様の行為をおこなって、権力欲を露呈している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かねてから山田の問題の多い管理活動（特に独自の理論で展開される即時削除には、管理者らも苦言を呈していた。そして苦言は聞き流す）を嫌っていた、管理者のアルトクール（山田を編集合戦の罪で1日ブロックの刑に処した）や巻き戻し者のぱたごんを中心とする「アンチ山田」らによって、[https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E8%A7%A3%E4%BB%BB%E3%81%AE%E6%8A%95%E7%A5%A8/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%99%B4%E9%80%9A_20161019 解任投票]が提出され、2016年10月28日、管理者の座から引きずり下ろされた。管理者が解任されるのは、2012年末のVigorous actionの解任以来4年ぶりのことである。なお会話ページにおいて「過半数には達しなくてもまとまった解任票が集まれば解任基準に達しなくても辞める」と公言していたが、2016年5月に行われた解任投票では、49%の解任票が集まったが辞めず。それより以前に45%の解任票が集まった解任投票時に、これはまとまった解任票じゃないのか？と会話ページで問い詰められるが、飄々と話をはぐらかすだけであった。近年は信任率はギリギリなのが通常であり、解任はどの道時間の問題であったと見る事もできるだろう。この信任率では、特にアンチ山田などはいないと見た方が良いかもしれない。すなわち、近年ではウィキペディア参加者の半数弱はアンチ山田だったのだから特筆する必要すらないわけだ。単なる嫌われ者である。最後の解任投票ではアンチ率が79%に跳ね上がった点は、特筆すべきか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 管理者もどき ==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Aphaia}}===&lt;br /&gt;
{{Main|木津尚子}}&lt;br /&gt;
かつてはウィキメディア財団の上層部と親しく、財団の後ろ盾を受けて独裁を行っていた。つーか実際に臨時の管理者もやってた。しかしYassieやNekosuki600らに攻撃され、無期限ブロックを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Dr_jimmy|Dr jimmy}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Dr jimmy}}&lt;br /&gt;
IPユーザーや新規ユーザーを攻撃するのが、専門の削除厨、かつ抹消・粛清主義者、出典タグ貼り付け厨。ウィキペディア創世記から現在に至るまで、長期に亘って削除と荒らしを繰り返し続けている引き籠りの無職ニートである。ウィキペディア日本語版投稿数歴代最多（ボット除く）。2007年ごろから悪事を繰り返している、最も古手の荒らしユーザー。手口は削除専門の「削除厨」である。ウィキペディアの悪党の中でも、もっとも悪名をとどろかせており、こいつを排除しないから、ウィキペディアは批判されているのである。「依頼失効につきテンプレート除去」「対処済み・終了案件の除去」といった除去編集は4回/分（＝15秒に1回）という高速の編集のもあるため、ボットを使っている可能性もある。'''一日中ウィキペディアしかしていない'''ので、ずっと同じ姿勢でイスに座り続けることにより脊柱管狭窄症を患っており、長期にわたる[[パソコン]]の使い過ぎで脳が萎縮し、寿命も大幅に縮まっているに違いない。2013年9月27日には、1日に248回もの編集を行っている。平均して6分に1回投稿ボタンをクリックした計算になる（ja.wikichecker.comより）。Dr jimmyのパソコンはウィキペディアの回覧の履歴がいっぱいになり、パソコンの容量などいくらあっても足りないのでディスクのクリーンアップをしたほうがいいだろうが、やはりウィキペディア以外のことに手が回らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
きわめて乱暴であるにもかかわらず、、ウィキペディアのルール上は瑕疵が無いため、未だブロック歴は0である。何故か依頼の除去はコイツに一任されており、進行するべき議論が彼によって滞ることも少なくない&amp;lt;ref&amp;gt;実はコイツが除去してくれないと他の人が除去しなければならない&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尊大な態度から管理者と錯覚しそうだが、ただの'''知ったかぶり'''であり、全く違う。追跡削除を執拗に繰り返す並外れたネットストーカーである。これら追跡削除の履歴を見れば解かるように、彼にとって記事の正確性などはどうでもよく、自分に逆らうユーザーや敵対するユーザーが記事を書くこと自体が気に入らないだけなのである。「'''Wikipediaを出典として使用することはできない'''」などとエラソーな理由を引っ付けて削除しているが、まさしくその通りなのであるから、管理者が手出しはできない。Frommと同じように削除理由を述べずに削除することもしばしば。下手するとFrommのソックパペットの可能性もあるが、チェックユーザー依頼は出されていない。「要出典」タグや「独自研究」タグをほとんど用いようとせず、コメントアウトすら用いず機械的に削除ばかり行う印象があるが、それらのタグで「猶予期間」を設ける事は義務化などされておらず、やはりウィキペディアのルールには反していないのである&amp;lt;ref&amp;gt;基本的で最重要方針の一つ、「検証可能性」には、出典の無い記述は除去されても文句は言えませんと、冒頭で明記されているのである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。{{WP2|特別:投稿記録/Dr_jimmy|此処}}を参照すれば解る通り、加筆らしい加筆はまるで行わず削除を連発している。記事の分割に関しても基準が極めて厳しく、大抵反対票を投じて阻止される事が多い（[[WikipediaにおけるDr jimmyによる分割規制問題]]も参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年8月に行われた、{{WP2|Wikipedia:権限申請/削除者/Dr_jimmy/20140804|削除者立候補投票}}では多くのjawpのトップ利用者たちが投票に参加し注目された。最初は賛成多数だったが、会話ページのコメントの影響などにより反対票が増加。投票終了直前にRxyが反対票を投じ、勝手に投票を終了させたため「29対10」で1票差の敗北という予想外の結果となったのである。やはり乱暴であると言う点が嫌われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Yahoo!知恵袋では、コイツに対する不満をぶつける粘着と思われる勢力からの質問投稿が少なくとも10件は存在する。すべての言い分が正しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつての海獺やVigorous actionと同様、「1年365日、24時間体制」でウィキペディアに貼り付いている「生体bot」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Fromm}}===&lt;br /&gt;
{{Main|fromm (ウィキペディア)}}&lt;br /&gt;
知識が全くなく、人々の書く記事を盲目的に疑い、自分の目よりもどこかのウェブページに書かれているか否かの方を信用し（出典が存在する事と検証可能性が重要だそうな）、とにかく無意味な差し戻しや記事の引きはがし、自分の気に入らない記述の全文削除（独自研究と決め付けて）を執拗に繰り返す並外れたキチガイ編集者。嘗て'''{{WPuser|ホワイト・ジャック}}'''という熱心なユーザーがいたが、彼を無期限ブロックに追い込んだ首謀者の一人であり、ウィキペディアの体質にショックを受けたホワイト・ジャックに自殺までさせた'''&amp;lt;font color=red size=5&amp;gt;人殺し&amp;lt;/font&amp;gt;'''である。ホワイト・ジャックが自殺したという情報は、ホワイト・ジャックの現実社会での友人でもある榊原生徒（ウィキペディアでは主にIPユーザーとして活動）等によって告知されているが、それを耳にしながらも、なお不当な差し戻し行為を未だに行い続けている。なお、究極のバカなのか、数々のIPユーザーを何の根拠も無くホワイト･ジャックと同一人物視している。そもそも、{{WPfullurl|n=特別:ログアウト|p=returnto=大野義夫|s=このようなページ}}が在り、このページによると複数のアカウントを獲得し、遣い別けること自体はウィキペディアにおける規約違反ではないことが解かる。すなわち、ブロック逃れを理由にして相手を葬る行為の方が規約違反に当たる。それを率先して行っているのがfrommである。管理者になりきれない典型的なキチガイである。ユアペディアユーザー・アンサイクロペディアユーザーは是非ともfrommの活動経歴を参照し、彼が如何に異常者であるかを知っておいた方が良い。その異常なまでの独善・独裁ぶりから、「'''{{WPuser|海獺}}と肩を並べる存在'''」「'''海獺の次期後継者'''」「'''いずれは海獺を喰う存在'''」ともいわれる。なお、投稿する記事には時をほぼ同じくして{{WPuser|Avanzare}}も参入してくるため、Avanzareと同一人物である可能性が高い。またリンク先を閲覧すれば解かるように「'''台湾に参加しているウィキペディアン'''」と記載されているほか、漢字の使用頻度が極めて多いため中国人または台湾人の可能性が非常に高い、全世界でも極めて稀有な危険人物である。en-2を自称しているが英語は全く読めないし書けない。管理者は非日本語話者との対話も必要とされるため、このようなバカでは務まらない。法的記事すらも法を学んだ試しもないのに差し戻す力技を披露する。しかし、もちろん他の編集者はこんなの相手にしていない。言えば言うほど墓穴を掘る自爆型の典型。ユアペディアにおいても[[利用者:Fromm|アカウントを持ち]]、「[[ネット左翼]]」を執拗にウヨ寄りに編集し続けていることから、当人も[[ネット右翼]]、もしくはネット右翼のいう「親日」と見られる。なお'''ユアペディアにおけるfrommの詳細は[[fromm (荒らし)]]を参照。'''2014年11月を最後に失踪。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|JapaneseA}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{WPuser|Sutepen_angel_momo|Sutepen angel momo}}という副アカウントを悪用するユーザー。管理者や多くの利用者からアカウントを1つに絞れといわれて「分かりました」と応じたにも関わらず、実際は平気で使い分けを行っている極悪さである。なお多重アカウントは隠していれば多くの場合で即時無期限ブロックになるが、公開している場合は勿論、発覚したとしてもサーセンでしたもう副垢使いませんと言えば、大抵はすぐに解除される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Nekosuki600}}===&lt;br /&gt;
古参の暴力利用者。20112年に死去。詳細は[[茂木紀行]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Uaauaa}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Q～Zから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#Uaauaa（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
元{{WPuser|Uaa}}。パスワードを盗まれたと称して乗り移ったが、それと同時に自身の被ブロック歴も抹消した卑劣漢である。要約欄での暴言多数、編集は軍ヲタ丸出しであり、活動は自警しているか軍事、勲章関連の編集をしているかどっかである。当然ながら軍事関連記事でも自警っぷりを発揮しているのは、ノートページの編集の多さを見ても一目瞭然である。[[産経新聞]]に不利な記述の存在を絶対に許さない[[ネット右翼]]にしてシモネタ好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ぱたごん}}===&lt;br /&gt;
{{Main|たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#ぱたごん（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
執筆から自警までなんでもこなす精力的な利用者だが、熱くなりすぎ3度のブロック経験あり。国会図書館にあしげく通うほどのウィキペディア中毒。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|森藍亭}}===&lt;br /&gt;
{{Main|あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#森藍亭（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
“しんらんてい”と読む。現実の糞同然の人生の憂さを晴らすように、初心者ユーザーを潰したりいじめたりするのが趣味の極めて悪質な人間。典型的なネット弁慶の馬鹿である。事情のよくわからない人は管理者と間違う程、偉そうにしているのが特徴である。一度、目をつけた相手は徹底的に潰すことを目標にする極めて残忍な人間で、その性格を英語で表すと「'''Most Evil wikipedian'''」である。まさに鬼畜の所業である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==管理者に立候補したが落選した主な人物==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Infinite0694}}===&lt;br /&gt;
グローバル巻き戻し者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tiyoringo}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Tiyoringo}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|朝姫}}===&lt;br /&gt;
馬鹿姫。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|あるふぁるふぁ}}===&lt;br /&gt;
{{Main|あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#あるふぁるふぁ（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
Bakkaiと戦争して退任に追い込んだが、その後多重アカウントの不正使用で無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|いすか}}===&lt;br /&gt;
サイコパス。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|目黒の隠居}}===&lt;br /&gt;
2012年から活動中の老害。執筆力はそこそこ。競馬大好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|端くれの錬金術師}}===&lt;br /&gt;
{{Main|たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#端くれの錬金術師（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
立候補時には「厳格な姿勢で権限行使を行う」と明言していた。もしなっていたら独裁者になっていた可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[ネット右翼]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキホリック]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の恐怖]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディアの管理者が勝手に保護した記事の一覧]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア八分]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア川柳]]&lt;br /&gt;
*[[ベター・ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
*[[洗脳戦隊ウィキレンジャー]]&lt;br /&gt;
*[[2ちゃんねる組]]&lt;br /&gt;
*[[管理者互助会]]&lt;br /&gt;
*{{WP2|Wikipedia:管理者}}&lt;br /&gt;
*{{WP2|特別:登録利用者の一覧/sysop}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ういきへていあにほんこはんのかんりしや}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|かんりしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアの管理者|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで隠蔽された真実]]&lt;br /&gt;
[[Category:管理者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット右翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:独裁者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;diff=332198</id>
		<title>ウィキペディア日本語版の管理者</title>
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				<updated>2017-01-13T02:54:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: /* {{WPuser|Uaauaa}} */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ウィキペディア日本語版の管理者'''（ウィキペディアにほんごばんのかんりしゃ）とは[[ウィキペディア日本語版]]において、一般利用者には許されていない特種な操作を許された利用者群の一つ。いわゆるシステムオペレータ（SYSOP）のことである。本ページにおいては便宜上、既に辞任した、もしくは解任された元管理者についても同時に解説する。[[管理者互助会]]も参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
当然ながら、全員10年選手のウィキホリックでもある（任期は存在しない。一旦権限を手に入れたらTietewやLoniceraのように失踪したり、自分から降りたりしない限りいつまでも権利を保持し続けられる）。ウィキペディア日本語版を“おたくWiki”化しようと企む、規約原理主義者、要出典マニア、削除依頼マニア、アスペルガー症候群だらけである。また、 ウィキペディア最強馬鹿として有名な「みちまん」を始めとして大馬鹿者も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--ウィキペディアには絶対的な「管理人」は存在しない。また管理者も一部些細な所や緊急性が必要で有るところで裁量権はあるものの、「特に偉くは無い」とされており、基本的にはコミュニティの要請や決定に従い、ボタンを押す係と言う事にはなっている&amp;lt;ref&amp;gt;あんな用務員みたいなことやってられっか！俺は執筆に専念するんだ！・・・という人が多数。&amp;lt;/ref&amp;gt;。管理者の主な仕事は記事の削除、問題利用者のブロック（うち主にチェックユーザー係などは、長期荒らしのトレース・監視なども）、編集合戦や荒らしになっている保護などである。その他も管理者にしか作業が行えない細かな仕事があるが、本来管理者の仕事とされていないことについても、例えば新人さんに的確な助言を行ったり、問題利用者に悩まされている善良な利用者を助けたり、やむなく渉外を担当したり、アメリカのメタと連絡を取り合ってみたりといったことも期待される向きがあり、活動は多岐に渡り、それなりの人生およびウィキペディア経験がある方が好ましいだろう。本気で取り組むと、激務である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もっとも特にノルマがあるわけではないので、管理者権限だけ持っておいて執筆に専念していても何ら問題は無い&amp;lt;ref&amp;gt;ウィキペディアのヒラエルキーの最上位は管理者でなく、優良執筆者である。優良執筆者兼管理者が最高と言えようか。ただし発言力の強さで言えば、単にウィキペディア歴の長い古参利用者群である。コミュニティが小さい頃から参加しているので連携が良く、何よりケンカ慣れしているのだ。だが古参管理者はメタとのパイプなどもあるため、ウィキペディアを運営していくに当たって有用な存在である。&amp;lt;/ref&amp;gt;。2016年12月現在、現役の管理者は48人。別途記事の削除のみ行える「削除者」もいるものの、管理者数自体は近年は減少傾向にあり、慢性的な人手不足であるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最も目立つ作業は記事の削除とブロックであるが、裁量での記事での削除は厳格な基準が設けられ、完全なるゴミと言って良いものしか削除してはいけない（即時削除の方針）。その他については、削除依頼の場でコミュニティが協議した結果に基づき、削除が必要と認められたものについては削除を行う。&lt;br /&gt;
ブロックについては問題行為が明らかかつ緊急性を要するものについて、アカウント利用者で最長7日、IP利用者で1ヵ月が裁量権の限界であり（IPレンジブロックは緊急避難などを除き原則不可）、それ以上のブロックについては削除依頼と同様、コミュニティの判断を元に対処を行う。管理者は相互に監視を行っており、他の管理者が裁量により即時削除を行った記事を咎めて復帰させたり、裁量によりかけたブロックを不適切として解除すると言った光景は稀ではない&amp;lt;ref&amp;gt;言い換えれば、管理者もそれなりにミスをしていると言うことであるが、そこは人間であるのでやむを得ない。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、当然ながら一般利用者も異義を唱える事は自由であり、相応の合意が得られれば管理者の裁量で行った行為は取り消される。このように管理者の裁量権は非常に限られたもので、また多くの管理者・利用者に監視されているものである。よって本記事で書かれているほど極悪非道な管理者と言うのは、理論上、極めて少数または解任までの一時的なものである。が、後述するように、諫めても諫めても言う事を聞かない管理者を解任しようとしても、数年がかりとなりかねないのが実情でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在のところ管理者には誰でも立候補でき、7日間の質疑応答、7日間の信任投票が行われ、75%以上かつ10票以上の信任票を得られれば、誰でも管理者になれる。なお、一度管理者となった人物の適性に疑問が生じた時でも、辞任・解任に追い込むのはシステム上非常に困難である&amp;lt;ref&amp;gt;解任動議は誰でも出すことができるのだが、もし解任投票が行われたとしても、管理者は高々過半数の留任票を得られれば、解任はされない事になっている。そもそもの基準が75%であることに比較して、非常に解任されにくい。&amp;lt;/ref&amp;gt;。事実上、数年がかりでロビー活動を行いログを集め、包囲網を構築せねばならない。このため、時期によっては不良管理者がそれなりに幅を利かせていたりするのもある意味事実である。会話ページに他の管理者から苦言が呈されているような管理者は要注意である&amp;lt;ref&amp;gt;特に削除された記事などは、管理者や削除者でないと見る事ができない。このため、一般利用者は苦言を呈そうにも、そもそもどのような問題行為があったのかすら察知不可能な場合も多々ある。&amp;lt;/ref&amp;gt;。逆にルールも知らないでバカな書き込みをして削除された者や、生粋の荒らしに絡まれている管理者などは、むしろしっかり仕事をしているが故の証拠である。管理者はタフすぎて損は無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当然ながら、10年選手の[[ウィキホリック]]も少なからずいる。ウィキペディア日本語版を“おたくWiki”化しようと企む、規約原理主義者、要出典マニアだらけである・・・かもしれない。こればかりは個々人に聞いてみないとわからない。何せ、ろくに仕事をしない管理者も、少なく無いのだから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに正確性は不明ながらある集計によれば、2016年10月時点で歴代135いる管理者のうち、19人が'''複数の'''「良質な記事」の主執筆者となっているという。あまりに数が多くなりすぎるので(良質な記事は1000本以上ある)集計には1本のみの人物は含まれていないため、それを含めた「良質な記事」執筆管理者の実数は不明。やはり優秀な執筆者は、管理者に選出されやすいようだ。ちなみに1位はSumaruの28本、2位がMaximusM4の23本、3位はPeccaflyの14本であるとのこと。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==現在の管理者==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Bellcricket}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Bellcricket}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{2組}}ビューロクラット、CheckUserという2つの権限を持ちMLの管理もしている重鎮の一人。2006年1月に初登場、年末には管理権を獲得したという10年選手の一人。ほぼ全ての管理者が記事の生産性を放棄し、逆に記事の削除行為に躍起になる中で記事の生産性に重きを置くほぼ唯一の誠実な管理者であると言えよう。ただし、悪質なユーザーの策略によって無期限ブロックにかけられて葬られた無実の編集者たちを無期限ブロックから解放せずに放置する点では他の管理者と同様に非道である。しかし2016年に入ってからは削除依頼において削除票を入れた者をブロック、俺の地元だというだけで何も根拠を示さず、出典ゼロのサブスタブ記事に存続票を入れたり、存続票ゼロの案件を独断で存続させたり、削除票にいちいちクレームをつけたりとやらかしの方が目立つようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Bletilla}}===&lt;br /&gt;
かつては、寒波星人名義で活動していた。[[2006年]]に一度立候補したが落選し、それから2年後の[[2008年]]に再度立候補しめでたく就任となった。翻訳を途中で放置したりと挙動不審なところが多く、2度目の立候補で当選となった際にも赤井彗星などから皮肉交じりに挙措の問題を指摘されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]、Carkuniと共にメタのスチュワードに立候補するもAphaiaの手下共の画策によってあえなく落選。しかし、Carkuniの方はそれでも60%以上の信任を得ていたのに対し彼は30%にも満たなかったことからスチュワードには程遠い器という評価が定着していた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Cpro}}===&lt;br /&gt;
{{Main|cpro}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{2組2|トリップは◆Cpro.0SR8o}}[[2007年]]より管理者。よく編集する記事や運営しているサイトからみて明らかにオタであるが絵はうまい。木津尚子残滓を払拭するために奔走する変人の一人だとかなんとか。余談になるが自身の利用者ページにネット右翼が嫌いと書いたユーザーを「目的外利用」という理由でブロックしたことがある。jawpはSNSでないため、「百科事典の編纂」を目的としないアホはこうしてブロックされることが結構ある。ブロックされた誰の事なのかはわからないが、実際目的外利用者が山ほど押し寄せて記事を破壊するのがウィキペディア。荒らしはしっかり迅速にブロックしなければ、後で大変である。管理者はご苦労様なことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Damena}}===&lt;br /&gt;
管理権限を偶にしか振るわない謎の管理者である。その割に2ちゃんねるに出没しては管理者不足を嘆いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Faso}}===&lt;br /&gt;
「OCNの広域ブロックに精を出す管理者」との批判がなされている。mixiはすでに退会済みだが、かつては猿壱號という名義で登録してあった。wikichekerによれば、主に日中に活動している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東大、東工大など一流大学のIPアドレスを全てブロックした{{要出典|date=2016-12}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつてはCU権限を持っていた。しかしウィキメディア財団への本人証明を拒否し、CU権限を剥奪されてしまったらしい{{要出典|date=2016-12}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Halowand}}===&lt;br /&gt;
静岡県在住。19歳のころからウィキペディアに参加し、22歳で管理者となる中毒者。午前1-5時の編集が多く、昼は寝て夜は寝ているという生活をしているのだろうと推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Jkr2255}}===&lt;br /&gt;
アカウント作成が2005年と、かなりの古参組。2011年より管理者・ビューロクラット。何故か署名の'''22'''の部分が色つきである。相当なご年齢であろうから、署名についても落ち着きを持って貰いたいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|JungleCrow}}===&lt;br /&gt;
2014年9月に管理者に就任。アイドルおたく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kamakura}}===&lt;br /&gt;
3年以上も管理者権限を一切行使していないことから、自分が管理者であることを忘却してしまったと思われる。[[2010年]]4月にようやく再発動。しかし何で解任されないんだ?&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kinori}}===&lt;br /&gt;
「各種方針を無視し、管理者としての権限を好き勝手に濫用する人物」という真実をついた発言が、他の利用者から出ている{{要出典|date=2016-12}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kiyok}}===&lt;br /&gt;
おはぐろ蜻蛉に推薦されて管理者に立候補した愛知県人。愛知県関連の記事しか編集しない幽霊管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kkkdc}}===&lt;br /&gt;
活動頻度はそれなりに高いがあまりにも存在感が希薄なので（管理業務には碌に関わっていない）、辞任しても誰も気が付かないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|KMT}}===&lt;br /&gt;
当時は独裁者のひとりであったが、今ではその影は微塵もない。自らの利用者ページを削除したこともある。一度退任したが2009年3月から再び管理者。編集傾向から、職業は医者であると思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
mixiのアカウントには「活動終了」などと書かれているが、実は頻繁に深夜にログインしていることがわかっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今では投稿ブロック厳罰化に反対している模様である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ks_aka_98|Ks aka 98}}===&lt;br /&gt;
{{2組}} '''日下九八'''の名義ももつ。「実際に[[荒らし]]やその他推奨されない行為を行っていない利用者に対して不誠実な無期限ブロックを平気で行っている」という批判がある管理者。根拠なくソックパペット呼ばわりしつつブロックだのIPユーザーに対しても、広域ブロックを平然で行う事から「みんな迷惑している」と言う声も上がっている？2ちゃん組の一員。どぶさらいしている他の管理者に向けて、高い場所から石を投げるのが得意である。だが、その石が命中しているか否かは不明。なお、利用者:Ｋｓ（全角英字）とは別人。もの凄い長文を投下するのが好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分に関する項目の作成を頑として認めない（同じ管理者でも[[#山田晴通（会話/履歴）|山田晴通]]は逆に、自分に関する項目の内容を“客観的・中立的だ”と認めている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Suisuiこと[[今泉誠]]、Tietewこと[[岩瀬透]]亡き現在はウィキペディア日本語版の“顔”となってウィキペディア・タウンなどに手を貸している。毛髪についての言及はタブー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kubou}}===&lt;br /&gt;
2回管理者に立候補し2回目で当選した（1回目の立候補地点での投稿回数は309回だった）。特に悪意もなく管理者に立候補したのだが、投稿回数が少ない等の理由から偉そうな管理者・偉そうだが偉くない自警利用者・管理者ではないが、管理者同然に振舞う者達によっていじめられてしまった。活動頻度は中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kurihaya}}===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Law_soma|Law soma}}===&lt;br /&gt;
身長190cmを越える巨漢の坊主。坊主なので落ち着いているがハゲと呼ぶとキレるためゲハゲハと笑ってやれば良い。（※まともな解説を募集中です）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Los688}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Los688}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
投稿ブロックや差し戻しは迅速だが、それゆえにブロックや差し戻しが目立つ管理者の1人。2004年に初登場、2006年に就任してから{{CURRENTYEAR}}年現在まで活動し続け、一日の編集回数平均24.5回はなかなかの変態。また、K-POPオタクであるらしい。「竹麦魚と同じくいつまで経っても会話ページの半保護を解除しない」との声も上がっているとかいないとか。平気で言論弾圧を行う右翼ファシストと評する勢力もいるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Marine-Blue}}===&lt;br /&gt;
{{2組}}ありふれた名前だと知りつつMarine-Blueの名を登録し他方で他人が「マリン」、「ブルー」、「蒼海」などと付く名を名乗るのは認めないという自己中心的との指摘がある。他人が類似のアカウントを取得すると即座に飛んでいって警告する。これに関連し、アカウントユーザーをいきなり無期限ブロックを行ったらしいがソースは不明。「ウィキメディア関連で400以上もアカウントを持っているらしい」と威張っている。好物は餃子らしい。2010年6月にCUに立候補した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
数少ないCU係でありながら依頼を長期間放置し、ログが見つからないとの理由でブロック該当者を見逃すが、見付からなかったなら仕方ない。また他の管理者からも目をつけられていたユーザーがソックパペットを見抜かれ、チェックで同一人物であることが明白になったにもかかわらずブロックに反対{{要出典|date=2016-12}}。もはや覗き見目的でCU係を続けているとしか言えない状態である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|MaximusM4}}===&lt;br /&gt;
{{Main|MaximusM4}}&lt;br /&gt;
アカウントは自身が使っているPCのMB名にちなむという。2012年9月に信任ラインギリギリで管理者就任。比較的多く記事を長期間（≒無期限）の半保護に掛ける・広域ブロックと称して全く関係のないIPアドレスまで無期限ブロックに巻き込んでいる、模様で？{{要検証|date=2016-12}} 荒らしではない普通の利用者や悪意のないユーザーでも記事を書けなくなるという問題が発生しているらしい。事実とすればある意味[[海獺 (利用者)|海獺]]の後継者、鉄オタ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Miya}}===&lt;br /&gt;
'''2004年に管理者となり、以来{{CURRENTYEAR}}年現在も務める'''。過去に、現役管理者であるにも関わらずChatamaに投稿ブロックされた事がある筋金入りの荒らし&amp;lt;ref&amp;gt;恐ろしい事に、現役管理者がブロックされると言うケースはそれほど珍しいものではないのだ・・・。&amp;lt;/ref&amp;gt;。「他人のコメントや都合の悪いエントリーをはてなダイアリーから一括削除したことで有名になった女性」と言う「武勇伝」が飛び交っている。悪名高きLoniceraの追放に反対した事でも知られるウィキペディア日本語版の酒井法子であり、ブロックした利用者からブラクラを踏まされて嘲笑された事がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いまだに（いつ時点？）たまに改行の仕方がおかしかったりする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猫森日記に「co.kyoto=hatukanezumi=aphaia」とコメント欄に投稿すると必ず削除される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対外インフォメーション係も務めているため(現在はOTRSと言う。info-jaと言っても通じる){{WP2|イオンド大学}}の旧版と{{WP2|平和神軍観察会事件}}を「“大学”から申し入れがあった」という理由で保護し、イオンドについては新版を初めからやり直すことを余儀なくさせた大馬鹿でこれが因で有名人となった。詳細な経緯は{{WP2|ノート:イオンド大学}}を参照。他には引退した元AV女優の項目を独断で削除するなりした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今ではもう剥がしているが、かつては「'''Wikiって略すな'''」という画像を貼っていた{{要出典|date=2016-12}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Wiki:LTA:SANNET|LTA:SANNET]]のことをよく知らず投稿ブロック依頼とある店舗を保護し、長期の荒らしであるにも関わらず安易に荒らしと呼ぶべきではないと注意している。しかもそいつが彼女の会話ページに泣きついてくるので、{{WPuser|Cpro}}によって会話ページを保護される。しかし全く気にしないので、やはり相手にする気はないようである。基本的には素っ気ないタイプのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Mobnoboka}}===&lt;br /&gt;
かつてはじゆにちとか名乗っていたらしい。古風な喋り方をすることから脳味噌が中世でストップしているのかもしれないし、または仏教関係者かもしれない。「モブの馬鹿」と言われると怒る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Muyo}}===&lt;br /&gt;
2008年に就任。九州在住の鉄ヲタ、バスヲタ。Wikipediaの外では「かもめみどり」などの名義を使って活動している。名前は「無用」と読み、自分で自分の事をいらない子と名乗っている卑屈なマゾヒストであることが窺える。ありがとうございます。&lt;br /&gt;
ハンドルネーム（Muyo=無用）のとおりの削除主義者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近なんJにより潰されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本人的には「記事やページを守るため」と思っているのだろうが、実際はただの削除主義者にすぎない。会話ページでは、不適切な裁量による即時削除を、他の管理者に指摘されている姿がまま見られる&amp;lt;ref&amp;gt;一般利用者は削除された記事を見られないため、詳細はわからず、即時削除の妥当性のチェックについては管理者および削除者同士の相互監視に任せるしかない。会話ページから察するに、どうやら「削除したい」が先にあり、そこに無理矢理即時削除の方針を拡大解釈し適用しているようである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Nnh}}===&lt;br /&gt;
神社関連の記事などを編集している古参管理者。「記事を執筆するよりも人の悪口を書くのが好き」との批判がある。自己満足のために必ず旧仮名遣い風で[[インターネット]]に書き込んでいる。最近は経度や緯度の記事作成が主である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ohgi}}===&lt;br /&gt;
{{main|青木高校生}}&lt;br /&gt;
本名：'''篠田陽司'''。6回目の立候補でついに管理者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Panpulha}}===&lt;br /&gt;
めったに権限行使をしない幽霊管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Peccafly}}===&lt;br /&gt;
{{2組2|トリップ：◆DTTXbb.KUY}}&amp;lt;del&amp;gt;ソビエト・ソヴィエト・ソヴェト&amp;lt;/del&amp;gt;サヴィェート連邦の歴史に詳しい。祖父は&amp;lt;del&amp;gt;シベリア・サイビィーリャ&amp;lt;/del&amp;gt;スィビーリ抑留経験者。&amp;lt;del&amp;gt;ロシア&amp;lt;/del&amp;gt;ラスィーイスカヤ語以外の外国語にも堪能。いわゆる海外組の1人で、日本人ではない可能性が高い。自分の自論・珍論が通らないと不満プンプンになって投稿ブロックをかけまくり、改名の議論をすべて遮り押し通すのが大好きな困った巨尻フェチ（；゜∀゜）。包摂主義グループの一味。我儘が過ぎてウィキペディアを去りかけた{{WPuser|Hideokun}}を憐み時々思い出しては2ちゃんねる世界史板・ちくり板等で泣き落しを試みたが、同調する者もなく自演が板についた頃にHideokunは復帰。白人女性を偏愛するなど{{WPuser|Yassie}}（[[八島良太]]）との共通点も多々見られることから、八島のソックパペットである可能性も極めて高い。八島とはちくり板で頻繁に対話しているが、その際は両者ともにわざとらしくトリをつけて現れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Rxy}} ===&lt;br /&gt;
旧名・Hosiryuhosi。{{WPuser|Hosiryuhosi}}も参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者に就任して早々、リバート・ブロック・ボットなどあらゆる権限を機械的に濫用しまくる生体ボットの独裁者。[[エンペディア]]の管理者。管理者への立候補と辞任を繰り返している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年3月に利用者名を短くするためにHosiryuhosiからRxyに変更&amp;lt;ref&amp;gt;Meta-Wiki Steward requests/Username changes[https://meta.wikimedia.org/w/index.php?oldid=8005404]&amp;lt;/ref&amp;gt;。2014年8月に行われた、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%A8%A9%E9%99%90%E7%94%B3%E8%AB%8B/%E5%89%8A%E9%99%A4%E8%80%85/Dr_jimmy/20140804 Dr jimmyの削除者立候補投票]において投票終了5分前に反対票を投じ、投票終了6分後に自ら「有効賛成票 29 票、有効反対票 10 票、無効票 2 票、有効賛成率 74.36% により、Wikipedia:権限申請/削除者#要件 に記された要件を満たさないため、残念ながら今回の審議による削除者権限の付与を見送ることとなります。」と書き込む（あと賛成票が1票多いまたはあと反対票が1票少ないならばjimmyは削除者になっていた）というファインプレーを行った。2015年4月20日、META-WIKIに出没[https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Steward_requests%2FGlobal_permissions&amp;amp;type=revision&amp;amp;diff=11908876&amp;amp;oldid=11908117]し、グローバルロールバック権を得る。2016年2月にはMETA-WIKIのスチュワードに立候補するも失敗。[http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/hobby/1455024207/936 2ちゃんねるの本人の書き込み]によると、「某スチュワードから熱心な立候補の誘いを受け、断ったもののまったく効果はなく、あきらめて立候補することになった」とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Penn_Station|Penn Station}}===&lt;br /&gt;
新着記事投票常駐者。名前が鉄オタを連想させるせいか故・Nekosuki600からはChatamaの手下と思われていたため立候補に強く反対された。削除依頼処理マシーン&amp;lt;ref&amp;gt;2016年12月現在、堂々の歴代一位。&amp;lt;/ref&amp;gt;。間違ってもPenis Station などと呼んではいけない。チェックユーザー・オーバーサイト・ビューロクラットなど、管理者以外にも様々な権限を持つやり手である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Sumaru}}===&lt;br /&gt;
ノストラダムスと世界遺産関連の項目を中心に編集している他、長期荒らしの一人である{{WPuser|Haruno_Akiha|Haruno Akiha}}のお守りを率先して担当する物好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Taisyo}}===&lt;br /&gt;
その名の通り大将である。それ以上でも以下でもない。固定IPらしいのでソックパペッターの可能性は薄いが、他の管理者の走狗である可能性は十二分にある。その場合大将ではなくなり、看板に偽りありということになる。[[Wiki:市営基町高層アパート]]などの良質記事も執筆し、選出後の同記事ではarch-hiroshimaなる外部サイトを数箇所で使用して末尾にも参考サイトとして掲載しているが、このサイトには「このサイトは教科書ではなく、ただの個人サイトです。文章はあくまで主観的であり、勝手に推測した箇所もありますし、必ずしも本質を突いていない箇所もあるでしょう。レポートや論文作成の参考とする際には、当サイトの記載を鵜呑みにせず、必ず一次資料（建築家本人が執筆した文章など）に目を通すようにしてください」との注意書きもなされていることが指摘されたものの、「多用は極端」と論破して事なきを得ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tomos}}===&lt;br /&gt;
[[wiki:wikipedia:井戸端会議ログ6|第6回井戸端会議]]にて選出された、最古参（'''2003年から'''）の管理者の一人。2ヶ月29日に1回程のペースでしか活動しない（3ヶ月以上動かないと管理者を降ろされる）。本人曰く「3ヵ月に一度だけまとまった時間が作れる」って、えーと、言い訳にしてももうちょっと。幽霊管理者の筆頭。他の管理者と比較すると投稿ブロック依頼や保護依頼などの対処を行っていなかったため、氷鷺により[[Wiki:Wikipedia:管理者解任の投票/Tomos 20100217|解任投票]]が提出されたが、賛成者は氷鷺のみだった。利用者IDはなんと10。管理者に限らず、利用者全体から見ても最古参レベル。圧倒的最古参っ・・・！！このため本来はウィキペディアの生き字引としての活躍が期待される所だが、本人にその気はない模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tomo_suzuki|Tomo suzuki}}===&lt;br /&gt;
Tomosと名前が似ているが同一人物ではない模様。Tomosと同じく活動度は低く存在感が薄い。かつてチェックユーザーの権限濫用ネタの時に熱い一面をさらけ出し、活動家的な性格であるのではと推察される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Triglav}}===&lt;br /&gt;
2010年最初に管理者に就任した。下記のように、著作権法違反行為をしており、その際70年代の歌の歌詞を書いていたことから、40歳代以上のおっさんと思われる。トリグラフと読むらしいが、相手の言ったことを忘れて自分の感想ばかり書くため「'''鳥頭（とりあたま）'''」の異名を持つ。管理者でありながら、'''ノートページにおいて執拗な粘着攻撃と挑発行為'''をする問題人物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
基本的に、対話能力の怪しい人間であると見られており、少なく無い場合でその内容は意味不明である。以下実例。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議論をするときは、'''相手が「～という理由でこれはAである」と述べても、「つまりこれはAではないということですね。ではそのように対処させて頂きます」'''という応答をする。このようにいくら相手が説得力のある議論をしても、あえて噛み合わない発言を続けることによって相手に議論する気をなくさせ、最終的に自分の好きなように編集するという作戦を信条としている。また、主体が誰か分からない修飾語や自ら造った独特の言い回しが多いためたいへん文章が読みにくく、それも相手に議論する気を無くさせる戦法の一つであると考えられている。ほか、以下のような問題行動が確認されている。&lt;br /&gt;
*'''基本的に相手の質問に答えない。'''読みにくい文に対して相手が主語は何かを質問をしても、それにすら答えない。&lt;br /&gt;
*'''基本的に相手の主張を読まない。'''こいつと議論する場合、同じことを何度も説明することを覚悟しなければならない。&lt;br /&gt;
*逆に、議論の相手に対しては、オススメの本を1冊挙げてくださいなどと議論と無関係な質問をする。&lt;br /&gt;
*間違った事実・前提に基づいた主張をする。相手がその根拠を示してくれと要求しても完全無視。&lt;br /&gt;
*議論で言い負かされると、「とにかく私の言ったようにすべきです」と主張し始めるなど、'''とにかく'''という表現を用いて今までの議論を無かったことにしようとする。&lt;br /&gt;
*出典が2つあってそれぞれが違うことを書いており客観的にどちらか正確か全く分からないにもかかわらず、「私が正しいと思った方を載せます」と中立性に反した方針を譲らない（正しいと思った根拠を尋ねられても完全無視）。&lt;br /&gt;
*出典によるカギ括弧内の引用部分に対して、'''引用部分の内容が気にくわない'''という意味不明の難癖をつける。&lt;br /&gt;
*IP利用者に対し、執拗にアカウントを取るように迫る。アカウントの利点を尋ねられると、突然{{WPfullurl|n=ノート:吉野敬介|p=diff=47846925&amp;amp;oldid=47846558|s=70年代の歌の歌詞をかき立てるという}}という意味不明の行為をし、勝手に議論と節を打ち切る。このように、&amp;lt;font color=&amp;quot;#ff0000&amp;quot;&amp;gt;'''著作権法の遵法意識のない犯罪者でもある'''&amp;lt;/font&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*さらに&amp;lt;font color=&amp;quot;#ff0000&amp;quot;&amp;gt;'''アカウントを取らないIP利用者に対して勝手に{{WPfullurl|n=ノート:吉野敬介|p=diff=47912224&amp;amp;oldid=47901719|s=あだ名}}をつけ'''&amp;lt;/font&amp;gt;、「数字で呼ぶのも悪いので、とりあえず取るまでこう呼ばせてもらうことにしますね」「名前で呼び合うのが素敵」などと挑発行為を続ける。なお、こいつのあだ名は'''鶏ガラ'''である。&lt;br /&gt;
*ノートでの議論は、上記方針を組み合わせ、'''ツッコミどころ満載の提案をし、それに対するツッコミ・質問に一切答えず（答えられず）、形勢不利と見るや話題を逸らして節を打ち切り新たな節を作って別の提案を強行することを何度も続けたため'''、ついに'''{{WP2|ノート:吉野敬介#管理者・Triglavによる“根拠のない提案をする→提案の前提が独自の見解なのでその根拠について質問を受ける→質問に何も反論できない→相手の質問を無視し、話題を逸らして再度根拠のない提案をする”という荒らし行為について|荒らし認定}}'''された。&lt;br /&gt;
**例）Triglav「～という説明がほしいところですね」「～というように編集すれば記事がスマートになるからそうすべきです」→相手「そう思った根拠は何ですか?これが根拠もなく通用するのならば、記事がスマートになると言えば何でも編集できてしまいます」→（完全無視）Triglav「それでは編集させていただきます。何かご要望はありますか？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なんかもうTrigravが間違っているのかYourpedia編集者の解釈が間違っているのかよくわからない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、荒らし認定に際して真剣に叱られていじけたのか来なくなった。荒らしの自覚があったのだろう。このように、Triglavへの対処方法として、いつまでも噛み合わない議論を許さずに真面目に叱ることをお勧めする。以上から分かるように、管理者としての自覚は皆無である。もはや'''解任は時間の問題'''になっている・・・と長年思われているのだが、現在の所その兆しは見られない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|VZP10224}}===&lt;br /&gt;
{{WP2|Wikipedia:管理者への立候補/VZP10224_20100605|2010年6月9日}}から管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|W.CC}}===&lt;br /&gt;
初投稿からたった7ヶ月、編集回数1,257回という少なさで2010年に管理者権限を獲得。1年後、編集回数を1000回上乗せした上でビューロクラットに就任するなどしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Y-dash}}===&lt;br /&gt;
2度管理者となった。2010年4月の立候補時点での年齢は未成年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|アイザール}}===&lt;br /&gt;
{{Main|アイザール (ウィキペディア)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よく語尾に「♪」をつける。文体は温和だが常に婉曲的な嫌味を述べ、その内容は攻撃的で陰険さバリバリである。自分の私見、私怨で投稿ブロックをかけたり&amp;lt;ref&amp;gt;管理者には一定の裁量ブロックが認められている。ブロックを行った事実はあらゆる利用者からバレバレであり、問題のあるブロックを連発しているなら、とっくに多くの苦情が発生してることであろう。&amp;lt;/ref&amp;gt;削除依頼を受理しなかったりと&amp;lt;ref&amp;gt;不適切な即時削除要請はは当然却下され、不適切な削除依頼も当然却下されるだけのことなのだが。&amp;lt;/ref&amp;gt;最低の管理ぶり。一応[[2ちゃんねる組]]。この人の極悪非道のおかげで死人が出る程である。後述の{{WPuser|須磨寺横行}}と仲が良く、管理者の立場を逆手にとって須磨寺横行の悪行に手を貸している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Yourpediaのアイザールとは別人である。YPのYANCHARIKAと同一人物かもしれない。特に根拠は無いが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|アルトクール}}===&lt;br /&gt;
最も活動的に働いている管理者の一人でありビューロクラット又はCU係への立候補が予想される。2014年8月の管理者就任以来、2015年11月25日から翌年1月14日までの失踪期間を除きほぼ毎日投稿していた。荒らし管理者、山田晴通を管理者解任に追い込んだことで、高く評価されている。2016年後半以降は活動が激減してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|おはぐろ蜻蛉}}===&lt;br /&gt;
{{2組}}ウィキペディア日本語版におけるサブカルチャー記事作成の急先鋒。特に[[声優]]の記事に固執することでも知られ、その声優に不利と思われる書き込みがあるとすぐさま特定版削除へ持ち込む。そしてあげくのはてに保護する&amp;lt;ref&amp;gt;ただし声優記事に加筆されるものは、ろくでもないものが非常に多い。典拠無し・些末な情報がむしろスタンダードであると言っていいくらいである・・・。方針くらいざっと読んでから書き込もう。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また某カービィの漫画を某漫画本に連載していた漫画家の記事の「ガキごときの・・・」部分を消したりしていたので某出版会社の回し者かと某掲示板でうわさされたことがある&amp;lt;ref&amp;gt;どの様な経緯でどのようなものが削除されたのかは、削除された以上謎であるが、著作権を侵害していた案件だとすれば、どの管理者でも間違い無く100%削除する。当然だ。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者が増えて欲しいという一心でマルチポストの絨毯爆撃を行いIsh-kaに苦言を呈された。そして勧誘した人物からは悉く断られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|さかおり}}===&lt;br /&gt;
'''[[チームさかおり]]'''総統。[[またーり]]亡きあと[[山梨県]]関連記事の充実化を図っている優良執筆者、2012年10月より管理人となる。記事の充実化に積極的であり、特に「地方病 (日本住血吸虫症)」の記事に関しては記事の内容もさることながら時間をかけて充実を図り、かつわかりやすい内容から'''プロジェクトXレベル'''と称賛される、jawpで最も著名な記事の一つ。管理人として不慣れな点もあったが無難にこなしており、現時点では数少ない優良管理人の一人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|青子守歌}}===&lt;br /&gt;
日和見主義者。一利用者としても資質に問題ありすぎな人物であったが、どういうわけか事故的に管理者に選出された。実態としては反対者の靴下が足らなかっただけと思われ、世の中こうした事を通じて歯車が狂って行くそれを説明する好例と言える。通称は「青子」であり、評判の悪いiwaimと仲がいい。アホ子などとも呼ばれたり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|霧木諒二}}===&lt;br /&gt;
普通の管理者。普通すぎて特筆性に欠けるため管理者権限がそのうち除去されるかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|健ちゃん}}===&lt;br /&gt;
潔癖症で、管理者としての資質をコミュニティに問うため3度もコメント依頼を提出した。構ってちゃんなのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|重陽}}===&lt;br /&gt;
登録から1年・編集回数805回という少なさにもかかわらず管理者への立候補において'''反対0'''という投票結果が出たことだけで知られている。なお対応は結構ぶっきらぼう傾向。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|多摩に暇人}}===&lt;br /&gt;
{{警}}2016年1月に管理権獲得。要約欄の内容が常に上から目線であることで知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|東京特許許可局}}===&lt;br /&gt;
鉄オタでありChatamaやCassiopeia-sweetとつるんでいることが多いが、時々一匹狼的な行動をすることもある。立候補の際、「現在の管理者の中には明らかに管理者に相応しくない奴がいる」と言い放った気骨のある人物。しかしこんなことを言ったもんだから、就任後はこの発言を言質に取られて少しでも不適切な行動をする度に譴責されている。とあるブロック依頼を切欠にはるひとの関係が悪化し、その後提出されたはるひの解任動議では賛成票を投じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|竹麦魚}}===&lt;br /&gt;
{{Main|竹麦魚}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ハンドルは「ほうぼう」と読む。北海道民。「ご質問はなるべく会話ページでお願いします」などと繰り返す。「会話ページを半保護したままいつまで経っても保護解除しようとしない」との声がある（つまり非難批判は聞きたくないということに他ならない）。OpenProxyのブロックばかり熱心に行う管理者である。&lt;br /&gt;
会話ページをブロックされたユーザーを酷く貶める記載をしている。極めて悪質な管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==元管理者==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Bakkai}}===&lt;br /&gt;
よく画像提供しているが、自分が撮影した画像は意地でもコモンズにアップロードしない、他言語版に非協力的な人。管理者立候補時に「荒らし対策での保護・解除など」を行うと大見得を切ったが、本当は自分のアップロードした画像の削除するためだけに管理者になった。実際、自分の画像削除のためにしか管理者権限を使っていない。ほとんど管理権限を使わないが、たまたま使った管理権限についてあるふぁるふぁ(長期荒らしである「真珠王子」）から指摘を受けてブチ切れる。ほとぼりが冷めるまでしばらく行方を晦ましたが、ほどなく復活した。その後管理者を辞任し2011年1月25日以降編集していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Brion_VIBBER}}===&lt;br /&gt;
'''ウィキペディア日本語版における、最初の管理者である。'''フランス語も使いこなす在日アメリカ人。ただし活動は少なく、計52回の編集に留まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Carkuni}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Carkuni}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
角煮とも。かつてチェックユーザーであったが権限を殆ど行使しない並び大名ともいわれた。[[#欅|欅]]と同棲していた事が発覚し解任。[[Chatama]]とはリアルで親交が深く、愛人説もある。えっ、二股、しかもホモ・・・？ 2016年2月1日を最後に失踪……と思われていたが、4ヵ月後に復活。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Cassiopeia-sweet}}===&lt;br /&gt;
鉄ヲタ。名前は寝台特急カシオペアの最上級寝台にちなむ。バスや風俗系にも精通している。2011年、ハイフン'''なし'''の表記（{{WPuser|Cassiopeia_sweet}}）に改名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Chatama}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Chatama}}&lt;br /&gt;
{{2組2|トリップ：◆5ChatAmAI2}}2ちゃんねるでは「ブラウンボール」（正しくは「ティーボール」）を名乗る、熟女の乗り物。旧利用者名は「ちゃたま」。本名・[[寺崎嘉孝]]（てらさき よしたか）。CU、ビューロクラットをも務めるマルチユーザー。[[昭和]]43年（[[1968年]]）生まれ。[[海獺 (利用者)|海獺]]を盲信して「すばらしい人です」と管理者に一推ししたばかりにおびただしい被害者が生まれる元になった前科持ちの盲人。2015年からは月に一度以下しか動かなくなった。2月末からは完全に活動休止。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
親子でウィキホリックというとんでもない男（娘は[[Tama998]]。この娘が16歳で{{WPuser|つきよのうさぎ}}と結婚）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ciro}}===&lt;br /&gt;
通称“コムーネのおっさん”。イタリアのコムーネ（自治体。日本で言う市区町村相当）の記事のスタブを粗製濫造している。8年間管理者をしていたが、あまり仕事をしていないこともあり、管理者としては存在感に欠けていた。2014年からは年に一度しか動いていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Electric_goat|Electric goat}}===&lt;br /&gt;
{{Main|木津尚子}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Freetrashbox}}===&lt;br /&gt;
CUを兼任していたが、2015年に時間ねーからと退任。割と一匹狼的ポジションにあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Hisagi}}===&lt;br /&gt;
{{2組}}元管理者。というか管理者権限を持っていたのは7ヶ月間のみ。登場当時は「氷鷺」だったが、2015年にローマ字の「Hisagi」に改名した。中二病臭い名前通り素行も子供っぽいという指摘があるが、一方で海獺やV悪などにも堂々と意見するなど気骨のある人物。いる。「鉄に汚染されている」として鉄道分野を敵視し、{{WP2|Wikipedia:秀逸な記事の選考/愛知電気鉄道電7形電車}}では{{WPuser|MaximusM4}}らとの抗争の末に、{{WPuser|HATARA_KEI|HATARA KEI}}を断筆宣言に追い込み、選考通過を阻止した。暴言の常習犯であり、2016年10月に積年の暴言と編集合戦を理由に{{WP2|Wikipedia:投稿ブロック依頼/Hisagi_20161007|1年間の投稿ブロック}}に追い込まれている。元管理者が1年間もブロックされるのは前代未聞のことである。なお本人は無期限ブロックも予想しており、そうなったらブロック破りを行うと公言していた。投稿ブロック依頼をクローズした管理者がKMTでなければ無期限ブロックの線も十分にあり得ただけに、前代未聞の元管理者のLTA化も見てみたかった。なおその後の2ちゃんねるスレでの現行によれば、全く反省していないどころかブロックの理由（積年に渡る「Wikipedia:礼儀を忘れない」違反)を理解しているのかさえ怪しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Hman}}===&lt;br /&gt;
'''2ちゃんねる組'''。いつの間にか管理者に就任した荒らし管理者。出しゃばりの極みであり、任期が短い割には権限行使回数は多かったようだ。このボンクラによって葬られたユーザーは非常に多い。管理者であったのは約1年半でしかなかったが、2016年12月現在の総計では権限行使数総計や削除数は歴代管理者中30位あたり、ブロック数は35位あたりである[https://tools.wmflabs.org/xtools/adminstats/?project=ja.wikipedia.org&amp;amp;begin=2001-01-01&amp;amp;end=]。ちなみに一番順位の高い「ページの保護」についても20位あたり。これを多いとみるか少ないとみるかは人次第だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/kodukuri_hman Yahoo!においてもアカウントを持っている模様]で、そのID名は「'''kodukuri_hman'''」（子づくりエッチマン）。末尾が「'''hman'''」であることと、[http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1289197117 この質問での回答内容]が荒らしユーザーの彩華1226を擁護しているともとれるコメントであることからも'''Hman'''本人である可能性がある。2013年管理者を辞任。本人曰く、この管理者連中と肩を並べたくない、一緒に仕事は出来ない＆某Yを解任しないjawpコミュニティに嫌気が差した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2015年4月14日、[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者‐会話:Hman/過去ログ_-20151010 ウィキペディアからの引退を表明]し（「引退のテンプレートが付いたままですよ」以下の節を参照）、自身の利用者ページ（のちに削除）及び会話ページを白紙化した。にもかかわらず、2016年10月19日に某利用者のブロック依頼への投票のため復帰するなど、「[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E8%BE%9E%E3%82%81%E3%82%8B%E8%BE%9E%E3%82%81%E3%82%8B%E8%A9%90%E6%AC%BA '''引退詐欺''']」と言っても過言ではない行為を繰り返しており、2ちゃんねるのWikipediaスレでは「引退詐欺師」呼ばわりされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近鉄ネットワークのユーザ（{{WPuser|61.86.153.11}}、{{WPuser|61.86.153.13}}）と同一人物であるという疑いがある（同じサブネットマスク下にある上、13の会話記録を11がログ庫に入れている。）。だが近鉄ネットワークユーザーは会話ページで、Hman本人は2ちゃんねるスレにてそれを否定、二人は会話ページで談笑まで行っている&amp;lt;ref&amp;gt;[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1%3A61.86.153.11&amp;amp;type=revision&amp;amp;diff=62476805&amp;amp;oldid=62273528 利用者‐会話:61.86.153.11]&amp;lt;/ref&amp;gt;。そもそもたまにログインを忘れて晒すIPは、別プロバイダのものである。ただし複数のプロバイダと契約しており、リモートホストレベルでは全く別地域のIPが晒されていたりするため、住所不定無職である可能性は否定できない。使用するIPアドレスの一部は[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:Hman 「119.30.241.139」または「119.30.241.247」]で&amp;lt;ref&amp;gt;ユアペディアの当該利用者会話ページを参照。&amp;lt;/ref&amp;gt;、このIPアドレスは京都市に割り当てられているとされているため、基本的には京都府民であると推測される。なお本人は京都出身の皇国臣民を公言しており、京都関係の記事を多数執筆・加筆しており、如意ヶ嶽（大文字山）などは彼女の手による良質な記事の一つである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユアペディアにおいても[[利用者:Hman|同名のアカウント]]を2016年11月25日に取得しており、ウィキペディアのHmanとユアペディアのHmanが同一人物であることは[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Hman&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=62071793 本人も認めている]。ウィキペディア元管理者がこれからユアペディアで何を成そうと目論んでるのかは、現在の所謎に包まれているが、とりあえず同年12月1日には本ページにおいて管理陣を弁護する大量の書き換えを行なっている。本人曰く、肩慣らし＆練習。なお、2ちゃんねるウィキペディアスレまとめwikiなるWikiの創立者でもある（管理人ではない）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kahusi}}===&lt;br /&gt;
{{Main|澤田亮太}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{C管}}最近では他アカウントで荒らし始め他のウィキペディア管理者などの成りすましを行っているが、ウィキペディアの会話ページでは「私ではありません」とコメントしている。嘘つきは泥棒の始まりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
個人ウィキペディア「かふしゐき」で、トリップとアカウントを対比させた「[[2ちゃんねらー]]のウィキペディアン」一覧を作成していた。2015年12月末に一旦失踪、管理権限を剥奪さる。5ヵ月後の16年4月末から狂ったように活動再開。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kanjy}}===&lt;br /&gt;
ビューロクラット・チェックユーザー保持者の中で一番の人格者。だがリアルの仕事が忙しいのか活動頻度は高くなく、廃人共からは役立たず呼ばわりされている。しかしウィキでは珍しいまともな人らしく、管理権限を与えるなり基地外になる他の連中と対比するとずっと安心出来る良管理者と見て良いようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Koba-chan}}===&lt;br /&gt;
本名は小林義宗。元管理者だったが、管理者解任投票で反対票0という結果を受けて辞任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Lonicera}}===&lt;br /&gt;
{{main|Lonicera}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Riden}}===&lt;br /&gt;
Loniceraの解任に反対した程のデタラメぶりを発揮。仮面ライダー等の特撮が好きなオタクであり無職と推定される。ウィキペディアに僅かでも良心が残っているのであればこの人物を解任すべきであろうがそれ以前に真実を消す頻度は、もっとも高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
度々この管理者は「これは最後の警告です」と警告を発するが最初がない。そこを指摘されたばかりかユーザーから事前に用意された対策用ソックパペットを相手にそれをした事から笑われてしまい、その後警告文を訂正するもそれが元でさらに嘲笑された経歴を持っている。尚、本人はこの事を自身の恥辱と見てか二度消しにかかって来てもおり結果としてより大きく嘲笑されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Sergei_1207|Sergei 1207}}===&lt;br /&gt;
本来のアカウント（{{WPuser|sergei_semenovich}}）とは別に管理者専用アカウントを作って立候補し、物議を醸した。性格はキレやすい。典型的ネトウヨ{{WPuser|Truesight}}を何度も論破した。ウィキペディア中毒に陥ることを避けるべきと思ったのか、徐々に投稿回数を減らしていき、2012年5月にウィキペディアから完全に撤退することに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tan90deg}}===&lt;br /&gt;
通称「'''痰苦汁程度'''」。タン師とも。[[Wiki:利用者:123front|123front]]、{{WPuser|Paperones}}、[[Wiki:利用者:Daichikyu|Daichikyu]]、{{WPuser|Revdel}}など一部の善良な利用者を無期限ブロックされた{{WPuser|KHAT}}の[[ソックパペット]]であると根拠なく決め付ける極悪管理者。包摂主義者、というよりはアンチ削除主義者であり削除議論で削除票を投じる利用者を安易に削除主義者扱いし自分が削除主義者と断定したユーザーを駆逐するためなら捏造などの権謀術数を平気で行う。また明らかに著作権に抵触している記述に対して「引用の範囲内」「単なる事実の記載」などと詭弁を振り回していた{{要出典|date=2016-12}}。2年以上前に削除された項目の復帰依頼をそれが初投稿という者で趣旨不明瞭な文章であったにもかかわらず1日も経過する前に独断で復帰措置し、不審がられていた{{要出典|date=2016-12}}。悪評高い{{WPuser|Tiyoringo}}とよくつるんでいる事が多かった。2012年6月11日自動退任、Londonbashiに中心を移す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tantal}}===&lt;br /&gt;
権力争いばかりに夢中な管理者の中で、ウィキペディアの本義である記事の発展、充実に力を注いでいる稀有な人物。執筆能力の高さはかのYassieも認めるほどで、[[2ちゃんねる]]でも評判は良い。一方で本人は「自分に対する根拠無き誹謗中傷が並べ立てられているから」という理由でアンチ2ちゃんねるを標榜していることから、被害妄想癖があると思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tietew}}===&lt;br /&gt;
{{Main|岩瀬透}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本名は'''岩瀬透'''。Suisuiと並ぶウィキペディア日本語版の大幹部の一人でマスコミによく登場していた。自動検知システムを使ったオープンプロキシのブロックが趣味。2010年2月から音沙汰なく、自動解任見込み……と思われていたが、裏でBotを働かせているという異議が出て自動退任ではなく解任審議にすり替えられた悪運の強い奴（差し金を入れたのはやはり管理者の[[#Ks aka 98（会話/履歴）|Ks aka 98]]）。多くの利用者を巻き込んで大騒動となったが、本人はどこ吹く風である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
投稿を停止した後も長らく管理者の地位にあったが、オープンプロキシのブロックすら行わなくなったため2016年4月にとうとう自動退任となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Vigorous_action|Vigorous action}}===&lt;br /&gt;
通称'''V悪'''。元管理者で、'''45歳'''（2013年時点）'''にもなって'''24時間常駐している（アカウントは英語で「精力的な活動」）。'''&amp;lt;font color=&amp;quot;#ff0000&amp;quot;&amp;gt;絶対に管理者に復帰させてはならず、Wikipediaプロジェクトからも追放が急がれる極めて悪質なアカウントである。'''&amp;lt;/font&amp;gt;また、WikisourceとWikibooksの管理者からの解任も大至急必須である。編集傾向（利用者ページ及び会話ページが両方とも青リンクになっている点、利用者ページのユーザーボックスが酷似している点・会話ページの過去ログの名称と置き方・会話ページにおける発言の太字部分などが極似している点などが挙げられる）やVigorous actionとの連係プレーの素早さから多重アカウント「{{WPuser|Youichikun1968}}」を使用していたとの疑惑が浮上している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年5月、管理者就任。徐々に積極的に荒らし対策を行い始める。荒らしをブロックするのは良いのだが、精度が低すぎたと言わざるを得ないだろう。そして暴走は加速し、コミュニティの意図を無視して独断専行を連発する。Lonicera化である。この結果、2012年11月、解任投票により全ての権限は剥奪された&amp;lt;ref&amp;gt;時系列上は解任投票結果確定前の自発的辞任であるが、既に投票結果は明らかであったし、本人もそれを自覚していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかしコミュニティから「失格」の烙印を押された後も、何故か、対外インフォメーション係(OTRS)に居座り続けるのである（2016年12月現在）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、海獺に対して執拗な粘着攻撃を行い、とうとう海獺が多重アカウント保持を隠して管理者に就任していた事実、しかも立候補の際にこれに関する質問を受け虚偽の回答をしていたことを自白させ、海獺を辞任に追い込んだ。結果的にこの一件が、彼がウィキペディアで行った一番の功績となった&amp;lt;ref&amp;gt;いや荒らし対応も功績なんですけどね。独断専行がなければ。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以後音沙汰なしであったが、2013年2月ごろより活動を再開。2013年3月、ウィキペディア日本語版改革を目指す{{WPuser|Blue31-Eleven}}により、「解任された元管理者を削除人へのスカウトする」という傷口に塩を塗りこむような挑発を仕掛けられて発狂し、管理者時代を彷彿とさせる暴れっぷりを見せた。この件が原因で、元管理者にもかかわらず投稿ブロックに追い込まれる。本人は「売られた喧嘩を買っただけだ」などとほざき、ブロック明け後も全く反省の色を見せずに目的外利用を続けているため、今後の発言次第では無期限ブロックの可能性も高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年8月、HmanがVigorous '''a'''ctionの'''a'''を'''A'''と間違えたことを理由にHmanへの粘着を開始&amp;lt;ref&amp;gt;2ちゃんねるでの噂では、もとよりHman攻撃を狙っており、これで大義名分を得たとして攻撃に踏み切ったとの説も。大義名分と言うには、非常に些末なのだが。&amp;lt;/ref&amp;gt;。直後の逆襲の{{WP2|Wikipedia:コメント依頼/Vigorous_action_20140826|コメント依頼}}を受け、「PCが壊れた」と言い残しウィキペディアより失踪、以後音沙汰なしとなる。その後半年をかけてPC環境を再構築し、2015年3月より活動を再開し、現在に至る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|しるふぃ}}===&lt;br /&gt;
{{2組}}ロールバック・削除・ブロックと消極的な活動しか行っていない。度々利用者ページが朝鮮民族へのリダイレクトに置換されていたりPeace系に粘着されていることから、プロ市民である可能性も示唆されている。度々コテハンで2ちゃんねるに出没し、狂気としか思えない妄言を飛ばしてゆく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|欅}}===&lt;br /&gt;
某大学法学部卒。2ちゃんねるの阿呆共は女性だと思い込んでいるようだが、性別は不明。鉄ヲタ。北海道から2011年に上京し署名は黄緑をベースに四季によって4タイプの悪趣味なカラーに変わる。なおかつ解任投票で反対の立場を貫いた事からLoniceraのソックパペットではないかと嫌疑を抱かれているが実際はLoniceraとは大学で先輩後輩の関係にあっただけで別人である。Loniceraの生き別れの妹という説もある。説であると断れば割となんでも書いていい感があるので、Chatamaの前前妻の娘説もこの場で提唱しておく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先輩のLoniceraが降ろされてから4ヵ月後、管理者に立候補して当選、以降はひたすら削除依頼案件を乱暴に処理する生体BOTと化しており「暴言を吐かないLonicera」と呼ばれていた。時間の概念がなく時限をきった約束は守れない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
チェックユーザー係でありながらCarkuniらとの共有IPで利用者を欺く悪質な裏切り行為を行なった。というか同棲して（ガチホモでなければ結婚であった可能性も？）中出しセックスをしていたのでIPが同じだったと言う事情。極めて短い間に二人が同じアカウントに対しCUツールを使用していた事から、この事実が浮かび上がった。ちなみにこれを発見し、問題として騒ぎにしたのは海獺とmiya。管理者同士が仲良しだなんてウソやったんや！結局利用者のプライバシーを扱う重職であるCUが同居していてはまずかろうと言うことで二人揃って管理者・CUの辞任に追い込まれる。片方だけ辞任すりゃ済むのに。その後{{WPfullurl|n=|p=curid=2223163&amp;amp;diff=37418911&amp;amp;oldid=37385878|s=体調不良自称し}}、ほどなく復活。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2015年9月失踪。&lt;br /&gt;
両者の利用者ページから見るに、2016年現在も関東でCarkuniと同居中。欅の性別が確定的ではないので、また法的に結婚したと言う報告もどうやらないため？ｱｯｰ!なのか、ただの中出しなのかは謎に包まれている。ホモならホモでそれはそれで中出しも可能であるが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|白駒}}===&lt;br /&gt;
「ハック」と読む。名前の通りハッキングが趣味で、裏では他者のアカウントを乗っ取ったりと悪行を重ねている。長期荒らしの1人・Lemと同一人物ではないかと疑われていたが、その正体は132人目であるという説も。まーそんなもん疑いだしていたらきりはなく、大抵のアクティブな管理者は無責任な連中や荒らしどもにこんなことを言われるのであるが。2016年5月自動退任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|海獺}}===&lt;br /&gt;
{{Main|海獺 (利用者)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{2組2|トリップは◆RACCOxeST6}}かつてはjawpが「海獺王朝」であるとまで言われた（うそ）名物管理者/CU。放棄したものの2ヶ月間の多重アカウント保持を隠し、かつそれに関連する質問に虚偽の答弁を行っていたことが信任を受けていたことまでが発覚し辞任に追い込まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
角煮・欅の中出しセックスと、狂犬ikedat76の喧嘩用違法アカウントの存在、これらを見破った事が特筆すべき功績。活発に活動していたので、荒らし・靴下対策など、一つ一つは細かいが積み重ねた功績は大きいと言えるだろう。しかし客観的に見て、対話姿勢は粘着質極まりない。職務柄尋問調になるのは致し方ないとはわかるのだが。なおこれも職務遂行上やむを得ない事でもあり、活発に活動していた証左でもあるのだが、独断専行も比較的多かった印象がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
好物はらっこのてんぷら（アカウントを即座に食った）。&lt;br /&gt;
ちなみにもう管理者でもないのに色々なメディアに登場する、露出狂である。2016年もテレビで露出していた。なんだあのマスク。&lt;br /&gt;
オファーする方もわからん。現役管理者にオファーしろよ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|山田晴通}}===&lt;br /&gt;
{{Main|山田晴通}}&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版では珍しい学者（他に明らかになっているのは柴崎力栄や“さえぼー”こと北村紗衣など少数に留まる）。なぜなら学者はウィキペディアの管理者になろうとしたり、掲示板に実名でコメントを書き込んだりはしないからである。本業は東京経済大学教授。しかし、ウィキペディア中毒になってしまったため学者の仕事は、お留守になっている。専門が地理学であるにもかかわらず、音楽や政治など知識のない専門外の分野に介入するのが特徴。独裁的問題行動は、「パンク」の項目に上から下まで大量に「要出典」を大量に貼るなどの、ページ私物化行為があげられる。「ウエストコースト・ロック」や「エレクトロニック・ダンス・ミュージック」（EDM)などの音楽系記事にも、要出典のタグを大量に貼るという犯行が確認できる。ほかの項目についても同様の行為をおこなって、権力欲を露呈している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かねてから山田の問題の多い管理活動（特に独自の理論で展開される即時削除には、管理者らも苦言を呈していた。そして苦言は聞き流す）を嫌っていた、管理者のアルトクール（山田を編集合戦の罪で1日ブロックの刑に処した）や巻き戻し者のぱたごんを中心とする「アンチ山田」らによって、[https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E8%A7%A3%E4%BB%BB%E3%81%AE%E6%8A%95%E7%A5%A8/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%99%B4%E9%80%9A_20161019 解任投票]が提出され、2016年10月28日、管理者の座から引きずり下ろされた。管理者が解任されるのは、2012年末のVigorous actionの解任以来4年ぶりのことである。なお会話ページにおいて「過半数には達しなくてもまとまった解任票が集まれば解任基準に達しなくても辞める」と公言していたが、2016年5月に行われた解任投票では、49%の解任票が集まったが辞めず。それより以前に45%の解任票が集まった解任投票時に、これはまとまった解任票じゃないのか？と会話ページで問い詰められるが、飄々と話をはぐらかすだけであった。近年は信任率はギリギリなのが通常であり、解任はどの道時間の問題であったと見る事もできるだろう。この信任率では、特にアンチ山田などはいないと見た方が良いかもしれない。すなわち、近年ではウィキペディア参加者の半数弱はアンチ山田だったのだから特筆する必要すらないわけだ。単なる嫌われ者である。最後の解任投票ではアンチ率が79%に跳ね上がった点は、特筆すべきか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 管理者もどき ==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Aphaia}}===&lt;br /&gt;
{{Main|木津尚子}}&lt;br /&gt;
かつてはウィキメディア財団の上層部と親しく、財団の後ろ盾を受けて独裁を行っていた。つーか実際に臨時の管理者もやってた。しかしYassieやNekosuki600らに攻撃され、無期限ブロックを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Dr_jimmy|Dr jimmy}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Dr jimmy}}&lt;br /&gt;
IPユーザーや新規ユーザーを攻撃するのが、専門の削除厨、かつ抹消・粛清主義者、出典タグ貼り付け厨。ウィキペディア創世記から現在に至るまで、長期に亘って削除と荒らしを繰り返し続けている引き籠りの無職ニートである。ウィキペディア日本語版投稿数歴代最多（ボット除く）。2007年ごろから悪事を繰り返している、最も古手の荒らしユーザー。手口は削除専門の「削除厨」である。ウィキペディアの悪党の中でも、もっとも悪名をとどろかせており、こいつを排除しないから、ウィキペディアは批判されているのである。「依頼失効につきテンプレート除去」「対処済み・終了案件の除去」といった除去編集は4回/分（＝15秒に1回）という高速の編集のもあるため、ボットを使っている可能性もある。'''一日中ウィキペディアしかしていない'''ので、ずっと同じ姿勢でイスに座り続けることにより脊柱管狭窄症を患っており、長期にわたる[[パソコン]]の使い過ぎで脳が萎縮し、寿命も大幅に縮まっているに違いない。2013年9月27日には、1日に248回もの編集を行っている。平均して6分に1回投稿ボタンをクリックした計算になる（ja.wikichecker.comより）。Dr jimmyのパソコンはウィキペディアの回覧の履歴がいっぱいになり、パソコンの容量などいくらあっても足りないのでディスクのクリーンアップをしたほうがいいだろうが、やはりウィキペディア以外のことに手が回らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
きわめて乱暴であるにもかかわらず、、ウィキペディアのルール上は瑕疵が無いため、未だブロック歴は0である。何故か依頼の除去はコイツに一任されており、進行するべき議論が彼によって滞ることも少なくない&amp;lt;ref&amp;gt;実はコイツが除去してくれないと他の人が除去しなければならない&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尊大な態度から管理者と錯覚しそうだが、ただの'''知ったかぶり'''であり、全く違う。追跡削除を執拗に繰り返す並外れたネットストーカーである。これら追跡削除の履歴を見れば解かるように、彼にとって記事の正確性などはどうでもよく、自分に逆らうユーザーや敵対するユーザーが記事を書くこと自体が気に入らないだけなのである。「'''Wikipediaを出典として使用することはできない'''」などとエラソーな理由を引っ付けて削除しているが、まさしくその通りなのであるから、管理者が手出しはできない。Frommと同じように削除理由を述べずに削除することもしばしば。下手するとFrommのソックパペットの可能性もあるが、チェックユーザー依頼は出されていない。「要出典」タグや「独自研究」タグをほとんど用いようとせず、コメントアウトすら用いず機械的に削除ばかり行う印象があるが、それらのタグで「猶予期間」を設ける事は義務化などされておらず、やはりウィキペディアのルールには反していないのである&amp;lt;ref&amp;gt;基本的で最重要方針の一つ、「検証可能性」には、出典の無い記述は除去されても文句は言えませんと、冒頭で明記されているのである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。{{WP2|特別:投稿記録/Dr_jimmy|此処}}を参照すれば解る通り、加筆らしい加筆はまるで行わず削除を連発している。記事の分割に関しても基準が極めて厳しく、大抵反対票を投じて阻止される事が多い（[[WikipediaにおけるDr jimmyによる分割規制問題]]も参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年8月に行われた、{{WP2|Wikipedia:権限申請/削除者/Dr_jimmy/20140804|削除者立候補投票}}では多くのjawpのトップ利用者たちが投票に参加し注目された。最初は賛成多数だったが、会話ページのコメントの影響などにより反対票が増加。投票終了直前にRxyが反対票を投じ、勝手に投票を終了させたため「29対10」で1票差の敗北という予想外の結果となったのである。やはり乱暴であると言う点が嫌われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Yahoo!知恵袋では、コイツに対する不満をぶつける粘着と思われる勢力からの質問投稿が少なくとも10件は存在する。すべての言い分が正しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつての海獺やVigorous actionと同様、「1年365日、24時間体制」でウィキペディアに貼り付いている「生体bot」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Fromm}}===&lt;br /&gt;
{{Main|fromm (ウィキペディア)}}&lt;br /&gt;
知識が全くなく、人々の書く記事を盲目的に疑い、自分の目よりもどこかのウェブページに書かれているか否かの方を信用し（出典が存在する事と検証可能性が重要だそうな）、とにかく無意味な差し戻しや記事の引きはがし、自分の気に入らない記述の全文削除（独自研究と決め付けて）を執拗に繰り返す並外れたキチガイ編集者。嘗て'''{{WPuser|ホワイト・ジャック}}'''という熱心なユーザーがいたが、彼を無期限ブロックに追い込んだ首謀者の一人であり、ウィキペディアの体質にショックを受けたホワイト・ジャックに自殺までさせた'''&amp;lt;font color=red size=5&amp;gt;人殺し&amp;lt;/font&amp;gt;'''である。ホワイト・ジャックが自殺したという情報は、ホワイト・ジャックの現実社会での友人でもある榊原生徒（ウィキペディアでは主にIPユーザーとして活動）等によって告知されているが、それを耳にしながらも、なお不当な差し戻し行為を未だに行い続けている。なお、究極のバカなのか、数々のIPユーザーを何の根拠も無くホワイト･ジャックと同一人物視している。そもそも、{{WPfullurl|n=特別:ログアウト|p=returnto=大野義夫|s=このようなページ}}が在り、このページによると複数のアカウントを獲得し、遣い別けること自体はウィキペディアにおける規約違反ではないことが解かる。すなわち、ブロック逃れを理由にして相手を葬る行為の方が規約違反に当たる。それを率先して行っているのがfrommである。管理者になりきれない典型的なキチガイである。ユアペディアユーザー・アンサイクロペディアユーザーは是非ともfrommの活動経歴を参照し、彼が如何に異常者であるかを知っておいた方が良い。その異常なまでの独善・独裁ぶりから、「'''{{WPuser|海獺}}と肩を並べる存在'''」「'''海獺の次期後継者'''」「'''いずれは海獺を喰う存在'''」ともいわれる。なお、投稿する記事には時をほぼ同じくして{{WPuser|Avanzare}}も参入してくるため、Avanzareと同一人物である可能性が高い。またリンク先を閲覧すれば解かるように「'''台湾に参加しているウィキペディアン'''」と記載されているほか、漢字の使用頻度が極めて多いため中国人または台湾人の可能性が非常に高い、全世界でも極めて稀有な危険人物である。en-2を自称しているが英語は全く読めないし書けない。管理者は非日本語話者との対話も必要とされるため、このようなバカでは務まらない。法的記事すらも法を学んだ試しもないのに差し戻す力技を披露する。しかし、もちろん他の編集者はこんなの相手にしていない。言えば言うほど墓穴を掘る自爆型の典型。ユアペディアにおいても[[利用者:Fromm|アカウントを持ち]]、「[[ネット左翼]]」を執拗にウヨ寄りに編集し続けていることから、当人も[[ネット右翼]]、もしくはネット右翼のいう「親日」と見られる。なお'''ユアペディアにおけるfrommの詳細は[[fromm (荒らし)]]を参照。'''2014年11月を最後に失踪。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|JapaneseA}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{WPuser|Sutepen_angel_momo|Sutepen angel momo}}という副アカウントを悪用するユーザー。管理者や多くの利用者からアカウントを1つに絞れといわれて「分かりました」と応じたにも関わらず、実際は平気で使い分けを行っている極悪さである。なお多重アカウントは隠していれば多くの場合で即時無期限ブロックになるが、公開している場合は勿論、発覚したとしてもサーセンでしたもう副垢使いませんと言えば、大抵はすぐに解除される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Nekosuki600}}===&lt;br /&gt;
古参の暴力利用者。20112年に死去。詳細は[[茂木紀行]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Uaauaa}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Q～Zから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#Uaauaa（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
元{{WPuser|Uaa}}。パスワードを盗まれたと称して乗り移ったが、それと同時に自身の被ブロック歴も抹消した卑劣漢である。要約欄での暴言多数、編集は軍ヲタ丸出しであり、活動は自警しているか軍事、勲章関連の編集をしているかどっかである。当然ながら軍事関連記事でも自警っぷりを発揮しているのは、ノートページの編集の多さを見ても一目瞭然である。[[産経新聞]]に不利な記述の存在を絶対に許さない[[ネット右翼]]にしてシモネタ好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ぱたごん}}===&lt;br /&gt;
{{Main|たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#ぱたごん（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
執筆から自警までなんでもこなす精力的な利用者だが、熱くなりすぎ3度のブロック経験あり。国会図書館にあしげく通うほどのウィキペディア中毒。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|森藍亭}}===&lt;br /&gt;
{{Main|あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#森藍亭（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
“しんらんてい”と読む。現実の糞同然の人生の憂さを晴らすように、初心者ユーザーを潰したりいじめたりするのが趣味の極めて悪質な人間。典型的なネット弁慶の馬鹿である。事情のよくわからない人は管理者と間違う程、偉そうにしているのが特徴である。一度、目をつけた相手は徹底的に潰すことを目標にする極めて残忍な人間で、その性格を英語で表すと「'''Most Evil wikipedian'''」である。まさに鬼畜の所業である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==管理者に立候補したが落選した主な人物==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Infinite0694}}===&lt;br /&gt;
グローバル巻き戻し者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tiyoringo}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Tiyoringo}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|朝姫}}===&lt;br /&gt;
馬鹿姫。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|あるふぁるふぁ}}===&lt;br /&gt;
{{Main|あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#あるふぁるふぁ（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
Bakkaiと戦争して退任に追い込んだが、その後多重アカウントの不正使用で無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|いすか}}===&lt;br /&gt;
サイコパス。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|目黒の隠居}}===&lt;br /&gt;
2012年から活動中の老害。執筆力はそこそこ。競馬大好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|端くれの錬金術師}}===&lt;br /&gt;
{{Main|たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#端くれの錬金術師（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
立候補時には「厳格な姿勢で権限行使を行う」と明言していた。もしなっていたら独裁者になっていた可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[ネット右翼]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキホリック]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の恐怖]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディアの管理者が勝手に保護した記事の一覧]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア八分]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア川柳]]&lt;br /&gt;
*[[ベター・ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
*[[洗脳戦隊ウィキレンジャー]]&lt;br /&gt;
*[[2ちゃんねる組]]&lt;br /&gt;
*[[管理者互助会]]&lt;br /&gt;
*{{WP2|Wikipedia:管理者}}&lt;br /&gt;
*{{WP2|特別:登録利用者の一覧/sysop}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ういきへていあにほんこはんのかんりしや}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|かんりしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアの管理者|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで隠蔽された真実]]&lt;br /&gt;
[[Category:管理者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット右翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:独裁者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;diff=332196</id>
		<title>ウィキペディア日本語版の管理者</title>
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				<updated>2017-01-13T02:47:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: /* 概要 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ウィキペディア日本語版の管理者'''（ウィキペディアにほんごばんのかんりしゃ）とは[[ウィキペディア日本語版]]において、一般利用者には許されていない特種な操作を許された利用者群の一つ。いわゆるシステムオペレータ（SYSOP）のことである。本ページにおいては便宜上、既に辞任した、もしくは解任された元管理者についても同時に解説する。[[管理者互助会]]も参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
当然ながら、全員10年選手のウィキホリックでもある（任期は存在しない。一旦権限を手に入れたらTietewやLoniceraのように失踪したり、自分から降りたりしない限りいつまでも権利を保持し続けられる）。ウィキペディア日本語版を“おたくWiki”化しようと企む、規約原理主義者、要出典マニア、削除依頼マニア、アスペルガー症候群だらけである。また、 ウィキペディア最強馬鹿として有名な「みちまん」を始めとして大馬鹿者も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--ウィキペディアには絶対的な「管理人」は存在しない。また管理者も一部些細な所や緊急性が必要で有るところで裁量権はあるものの、「特に偉くは無い」とされており、基本的にはコミュニティの要請や決定に従い、ボタンを押す係と言う事にはなっている&amp;lt;ref&amp;gt;あんな用務員みたいなことやってられっか！俺は執筆に専念するんだ！・・・という人が多数。&amp;lt;/ref&amp;gt;。管理者の主な仕事は記事の削除、問題利用者のブロック（うち主にチェックユーザー係などは、長期荒らしのトレース・監視なども）、編集合戦や荒らしになっている保護などである。その他も管理者にしか作業が行えない細かな仕事があるが、本来管理者の仕事とされていないことについても、例えば新人さんに的確な助言を行ったり、問題利用者に悩まされている善良な利用者を助けたり、やむなく渉外を担当したり、アメリカのメタと連絡を取り合ってみたりといったことも期待される向きがあり、活動は多岐に渡り、それなりの人生およびウィキペディア経験がある方が好ましいだろう。本気で取り組むと、激務である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もっとも特にノルマがあるわけではないので、管理者権限だけ持っておいて執筆に専念していても何ら問題は無い&amp;lt;ref&amp;gt;ウィキペディアのヒラエルキーの最上位は管理者でなく、優良執筆者である。優良執筆者兼管理者が最高と言えようか。ただし発言力の強さで言えば、単にウィキペディア歴の長い古参利用者群である。コミュニティが小さい頃から参加しているので連携が良く、何よりケンカ慣れしているのだ。だが古参管理者はメタとのパイプなどもあるため、ウィキペディアを運営していくに当たって有用な存在である。&amp;lt;/ref&amp;gt;。2016年12月現在、現役の管理者は48人。別途記事の削除のみ行える「削除者」もいるものの、管理者数自体は近年は減少傾向にあり、慢性的な人手不足であるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最も目立つ作業は記事の削除とブロックであるが、裁量での記事での削除は厳格な基準が設けられ、完全なるゴミと言って良いものしか削除してはいけない（即時削除の方針）。その他については、削除依頼の場でコミュニティが協議した結果に基づき、削除が必要と認められたものについては削除を行う。&lt;br /&gt;
ブロックについては問題行為が明らかかつ緊急性を要するものについて、アカウント利用者で最長7日、IP利用者で1ヵ月が裁量権の限界であり（IPレンジブロックは緊急避難などを除き原則不可）、それ以上のブロックについては削除依頼と同様、コミュニティの判断を元に対処を行う。管理者は相互に監視を行っており、他の管理者が裁量により即時削除を行った記事を咎めて復帰させたり、裁量によりかけたブロックを不適切として解除すると言った光景は稀ではない&amp;lt;ref&amp;gt;言い換えれば、管理者もそれなりにミスをしていると言うことであるが、そこは人間であるのでやむを得ない。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、当然ながら一般利用者も異義を唱える事は自由であり、相応の合意が得られれば管理者の裁量で行った行為は取り消される。このように管理者の裁量権は非常に限られたもので、また多くの管理者・利用者に監視されているものである。よって本記事で書かれているほど極悪非道な管理者と言うのは、理論上、極めて少数または解任までの一時的なものである。が、後述するように、諫めても諫めても言う事を聞かない管理者を解任しようとしても、数年がかりとなりかねないのが実情でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在のところ管理者には誰でも立候補でき、7日間の質疑応答、7日間の信任投票が行われ、75%以上かつ10票以上の信任票を得られれば、誰でも管理者になれる。なお、一度管理者となった人物の適性に疑問が生じた時でも、辞任・解任に追い込むのはシステム上非常に困難である&amp;lt;ref&amp;gt;解任動議は誰でも出すことができるのだが、もし解任投票が行われたとしても、管理者は高々過半数の留任票を得られれば、解任はされない事になっている。そもそもの基準が75%であることに比較して、非常に解任されにくい。&amp;lt;/ref&amp;gt;。事実上、数年がかりでロビー活動を行いログを集め、包囲網を構築せねばならない。このため、時期によっては不良管理者がそれなりに幅を利かせていたりするのもある意味事実である。会話ページに他の管理者から苦言が呈されているような管理者は要注意である&amp;lt;ref&amp;gt;特に削除された記事などは、管理者や削除者でないと見る事ができない。このため、一般利用者は苦言を呈そうにも、そもそもどのような問題行為があったのかすら察知不可能な場合も多々ある。&amp;lt;/ref&amp;gt;。逆にルールも知らないでバカな書き込みをして削除された者や、生粋の荒らしに絡まれている管理者などは、むしろしっかり仕事をしているが故の証拠である。管理者はタフすぎて損は無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当然ながら、10年選手の[[ウィキホリック]]も少なからずいる。ウィキペディア日本語版を“おたくWiki”化しようと企む、規約原理主義者、要出典マニアだらけである・・・かもしれない。こればかりは個々人に聞いてみないとわからない。何せ、ろくに仕事をしない管理者も、少なく無いのだから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに正確性は不明ながらある集計によれば、2016年10月時点で歴代135いる管理者のうち、19人が'''複数の'''「良質な記事」の主執筆者となっているという。あまりに数が多くなりすぎるので(良質な記事は1000本以上ある)集計には1本のみの人物は含まれていないため、それを含めた「良質な記事」執筆管理者の実数は不明。やはり優秀な執筆者は、管理者に選出されやすいようだ。ちなみに1位はSumaruの28本、2位がMaximusM4の23本、3位はPeccaflyの14本であるとのこと。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==現在の管理者==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Bellcricket}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Bellcricket}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{2組}}ビューロクラット、CheckUserという2つの権限を持ちMLの管理もしている重鎮の一人。2006年1月に初登場、年末には管理権を獲得したという10年選手の一人。ほぼ全ての管理者が記事の生産性を放棄し、逆に記事の削除行為に躍起になる中で記事の生産性に重きを置くほぼ唯一の誠実な管理者であると言えよう。ただし、悪質なユーザーの策略によって無期限ブロックにかけられて葬られた無実の編集者たちを無期限ブロックから解放せずに放置する点では他の管理者と同様に非道である。しかし2016年に入ってからは削除依頼において削除票を入れた者をブロック、俺の地元だというだけで何も根拠を示さず、出典ゼロのサブスタブ記事に存続票を入れたり、存続票ゼロの案件を独断で存続させたり、削除票にいちいちクレームをつけたりとやらかしの方が目立つようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Bletilla}}===&lt;br /&gt;
かつては、寒波星人名義で活動していた。[[2006年]]に一度立候補したが落選し、それから2年後の[[2008年]]に再度立候補しめでたく就任となった。翻訳を途中で放置したりと挙動不審なところが多く、2度目の立候補で当選となった際にも赤井彗星などから皮肉交じりに挙措の問題を指摘されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]、Carkuniと共にメタのスチュワードに立候補するもAphaiaの手下共の画策によってあえなく落選。しかし、Carkuniの方はそれでも60%以上の信任を得ていたのに対し彼は30%にも満たなかったことからスチュワードには程遠い器という評価が定着していた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Cpro}}===&lt;br /&gt;
{{Main|cpro}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{2組2|トリップは◆Cpro.0SR8o}}[[2007年]]より管理者。よく編集する記事や運営しているサイトからみて明らかにオタであるが絵はうまい。木津尚子残滓を払拭するために奔走する変人の一人だとかなんとか。余談になるが自身の利用者ページにネット右翼が嫌いと書いたユーザーを「目的外利用」という理由でブロックしたことがある。jawpはSNSでないため、「百科事典の編纂」を目的としないアホはこうしてブロックされることが結構ある。ブロックされた誰の事なのかはわからないが、実際目的外利用者が山ほど押し寄せて記事を破壊するのがウィキペディア。荒らしはしっかり迅速にブロックしなければ、後で大変である。管理者はご苦労様なことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Damena}}===&lt;br /&gt;
管理権限を偶にしか振るわない謎の管理者である。その割に2ちゃんねるに出没しては管理者不足を嘆いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Faso}}===&lt;br /&gt;
「OCNの広域ブロックに精を出す管理者」との批判がなされている。mixiはすでに退会済みだが、かつては猿壱號という名義で登録してあった。wikichekerによれば、主に日中に活動している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東大、東工大など一流大学のIPアドレスを全てブロックした{{要出典|date=2016-12}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつてはCU権限を持っていた。しかしウィキメディア財団への本人証明を拒否し、CU権限を剥奪されてしまったらしい{{要出典|date=2016-12}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Halowand}}===&lt;br /&gt;
静岡県在住。19歳のころからウィキペディアに参加し、22歳で管理者となる中毒者。午前1-5時の編集が多く、昼は寝て夜は寝ているという生活をしているのだろうと推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Jkr2255}}===&lt;br /&gt;
アカウント作成が2005年と、かなりの古参組。2011年より管理者・ビューロクラット。何故か署名の'''22'''の部分が色つきである。相当なご年齢であろうから、署名についても落ち着きを持って貰いたいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|JungleCrow}}===&lt;br /&gt;
2014年9月に管理者に就任。アイドルおたく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kamakura}}===&lt;br /&gt;
3年以上も管理者権限を一切行使していないことから、自分が管理者であることを忘却してしまったと思われる。[[2010年]]4月にようやく再発動。しかし何で解任されないんだ?&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kinori}}===&lt;br /&gt;
「各種方針を無視し、管理者としての権限を好き勝手に濫用する人物」という真実をついた発言が、他の利用者から出ている{{要出典|date=2016-12}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kiyok}}===&lt;br /&gt;
おはぐろ蜻蛉に推薦されて管理者に立候補した愛知県人。愛知県関連の記事しか編集しない幽霊管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kkkdc}}===&lt;br /&gt;
活動頻度はそれなりに高いがあまりにも存在感が希薄なので（管理業務には碌に関わっていない）、辞任しても誰も気が付かないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|KMT}}===&lt;br /&gt;
当時は独裁者のひとりであったが、今ではその影は微塵もない。自らの利用者ページを削除したこともある。一度退任したが2009年3月から再び管理者。編集傾向から、職業は医者であると思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
mixiのアカウントには「活動終了」などと書かれているが、実は頻繁に深夜にログインしていることがわかっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今では投稿ブロック厳罰化に反対している模様である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ks_aka_98|Ks aka 98}}===&lt;br /&gt;
{{2組}} '''日下九八'''の名義ももつ。「実際に[[荒らし]]やその他推奨されない行為を行っていない利用者に対して不誠実な無期限ブロックを平気で行っている」という批判がある管理者。根拠なくソックパペット呼ばわりしつつブロックだのIPユーザーに対しても、広域ブロックを平然で行う事から「みんな迷惑している」と言う声も上がっている？2ちゃん組の一員。どぶさらいしている他の管理者に向けて、高い場所から石を投げるのが得意である。だが、その石が命中しているか否かは不明。なお、利用者:Ｋｓ（全角英字）とは別人。もの凄い長文を投下するのが好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分に関する項目の作成を頑として認めない（同じ管理者でも[[#山田晴通（会話/履歴）|山田晴通]]は逆に、自分に関する項目の内容を“客観的・中立的だ”と認めている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Suisuiこと[[今泉誠]]、Tietewこと[[岩瀬透]]亡き現在はウィキペディア日本語版の“顔”となってウィキペディア・タウンなどに手を貸している。毛髪についての言及はタブー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kubou}}===&lt;br /&gt;
2回管理者に立候補し2回目で当選した（1回目の立候補地点での投稿回数は309回だった）。特に悪意もなく管理者に立候補したのだが、投稿回数が少ない等の理由から偉そうな管理者・偉そうだが偉くない自警利用者・管理者ではないが、管理者同然に振舞う者達によっていじめられてしまった。活動頻度は中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kurihaya}}===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Law_soma|Law soma}}===&lt;br /&gt;
身長190cmを越える巨漢の坊主。坊主なので落ち着いているがハゲと呼ぶとキレるためゲハゲハと笑ってやれば良い。（※まともな解説を募集中です）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Los688}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Los688}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
投稿ブロックや差し戻しは迅速だが、それゆえにブロックや差し戻しが目立つ管理者の1人。2004年に初登場、2006年に就任してから{{CURRENTYEAR}}年現在まで活動し続け、一日の編集回数平均24.5回はなかなかの変態。また、K-POPオタクであるらしい。「竹麦魚と同じくいつまで経っても会話ページの半保護を解除しない」との声も上がっているとかいないとか。平気で言論弾圧を行う右翼ファシストと評する勢力もいるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Marine-Blue}}===&lt;br /&gt;
{{2組}}ありふれた名前だと知りつつMarine-Blueの名を登録し他方で他人が「マリン」、「ブルー」、「蒼海」などと付く名を名乗るのは認めないという自己中心的との指摘がある。他人が類似のアカウントを取得すると即座に飛んでいって警告する。これに関連し、アカウントユーザーをいきなり無期限ブロックを行ったらしいがソースは不明。「ウィキメディア関連で400以上もアカウントを持っているらしい」と威張っている。好物は餃子らしい。2010年6月にCUに立候補した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
数少ないCU係でありながら依頼を長期間放置し、ログが見つからないとの理由でブロック該当者を見逃すが、見付からなかったなら仕方ない。また他の管理者からも目をつけられていたユーザーがソックパペットを見抜かれ、チェックで同一人物であることが明白になったにもかかわらずブロックに反対{{要出典|date=2016-12}}。もはや覗き見目的でCU係を続けているとしか言えない状態である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|MaximusM4}}===&lt;br /&gt;
{{Main|MaximusM4}}&lt;br /&gt;
アカウントは自身が使っているPCのMB名にちなむという。2012年9月に信任ラインギリギリで管理者就任。比較的多く記事を長期間（≒無期限）の半保護に掛ける・広域ブロックと称して全く関係のないIPアドレスまで無期限ブロックに巻き込んでいる、模様で？{{要検証|date=2016-12}} 荒らしではない普通の利用者や悪意のないユーザーでも記事を書けなくなるという問題が発生しているらしい。事実とすればある意味[[海獺 (利用者)|海獺]]の後継者、鉄オタ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Miya}}===&lt;br /&gt;
'''2004年に管理者となり、以来{{CURRENTYEAR}}年現在も務める'''。過去に、現役管理者であるにも関わらずChatamaに投稿ブロックされた事がある筋金入りの荒らし&amp;lt;ref&amp;gt;恐ろしい事に、現役管理者がブロックされると言うケースはそれほど珍しいものではないのだ・・・。&amp;lt;/ref&amp;gt;。「他人のコメントや都合の悪いエントリーをはてなダイアリーから一括削除したことで有名になった女性」と言う「武勇伝」が飛び交っている。悪名高きLoniceraの追放に反対した事でも知られるウィキペディア日本語版の酒井法子であり、ブロックした利用者からブラクラを踏まされて嘲笑された事がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いまだに（いつ時点？）たまに改行の仕方がおかしかったりする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猫森日記に「co.kyoto=hatukanezumi=aphaia」とコメント欄に投稿すると必ず削除される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対外インフォメーション係も務めているため(現在はOTRSと言う。info-jaと言っても通じる){{WP2|イオンド大学}}の旧版と{{WP2|平和神軍観察会事件}}を「“大学”から申し入れがあった」という理由で保護し、イオンドについては新版を初めからやり直すことを余儀なくさせた大馬鹿でこれが因で有名人となった。詳細な経緯は{{WP2|ノート:イオンド大学}}を参照。他には引退した元AV女優の項目を独断で削除するなりした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今ではもう剥がしているが、かつては「'''Wikiって略すな'''」という画像を貼っていた{{要出典|date=2016-12}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Wiki:LTA:SANNET|LTA:SANNET]]のことをよく知らず投稿ブロック依頼とある店舗を保護し、長期の荒らしであるにも関わらず安易に荒らしと呼ぶべきではないと注意している。しかもそいつが彼女の会話ページに泣きついてくるので、{{WPuser|Cpro}}によって会話ページを保護される。しかし全く気にしないので、やはり相手にする気はないようである。基本的には素っ気ないタイプのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Mobnoboka}}===&lt;br /&gt;
かつてはじゆにちとか名乗っていたらしい。古風な喋り方をすることから脳味噌が中世でストップしているのかもしれないし、または仏教関係者かもしれない。「モブの馬鹿」と言われると怒る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Muyo}}===&lt;br /&gt;
2008年に就任。九州在住の鉄ヲタ、バスヲタ。Wikipediaの外では「かもめみどり」などの名義を使って活動している。名前は「無用」と読み、自分で自分の事をいらない子と名乗っている卑屈なマゾヒストであることが窺える。ありがとうございます。&lt;br /&gt;
ハンドルネーム（Muyo=無用）のとおりの削除主義者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近なんJにより潰されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本人的には「記事やページを守るため」と思っているのだろうが、実際はただの削除主義者にすぎない。会話ページでは、不適切な裁量による即時削除を、他の管理者に指摘されている姿がまま見られる&amp;lt;ref&amp;gt;一般利用者は削除された記事を見られないため、詳細はわからず、即時削除の妥当性のチェックについては管理者および削除者同士の相互監視に任せるしかない。会話ページから察するに、どうやら「削除したい」が先にあり、そこに無理矢理即時削除の方針を拡大解釈し適用しているようである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Nnh}}===&lt;br /&gt;
神社関連の記事などを編集している古参管理者。「記事を執筆するよりも人の悪口を書くのが好き」との批判がある。自己満足のために必ず旧仮名遣い風で[[インターネット]]に書き込んでいる。最近は経度や緯度の記事作成が主である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ohgi}}===&lt;br /&gt;
{{main|青木高校生}}&lt;br /&gt;
本名：'''篠田陽司'''。6回目の立候補でついに管理者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Panpulha}}===&lt;br /&gt;
めったに権限行使をしない幽霊管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Peccafly}}===&lt;br /&gt;
{{2組2|トリップ：◆DTTXbb.KUY}}&amp;lt;del&amp;gt;ソビエト・ソヴィエト・ソヴェト&amp;lt;/del&amp;gt;サヴィェート連邦の歴史に詳しい。祖父は&amp;lt;del&amp;gt;シベリア・サイビィーリャ&amp;lt;/del&amp;gt;スィビーリ抑留経験者。&amp;lt;del&amp;gt;ロシア&amp;lt;/del&amp;gt;ラスィーイスカヤ語以外の外国語にも堪能。いわゆる海外組の1人で、日本人ではない可能性が高い。自分の自論・珍論が通らないと不満プンプンになって投稿ブロックをかけまくり、改名の議論をすべて遮り押し通すのが大好きな困った巨尻フェチ（；゜∀゜）。包摂主義グループの一味。我儘が過ぎてウィキペディアを去りかけた{{WPuser|Hideokun}}を憐み時々思い出しては2ちゃんねる世界史板・ちくり板等で泣き落しを試みたが、同調する者もなく自演が板についた頃にHideokunは復帰。白人女性を偏愛するなど{{WPuser|Yassie}}（[[八島良太]]）との共通点も多々見られることから、八島のソックパペットである可能性も極めて高い。八島とはちくり板で頻繁に対話しているが、その際は両者ともにわざとらしくトリをつけて現れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Rxy}} ===&lt;br /&gt;
旧名・Hosiryuhosi。{{WPuser|Hosiryuhosi}}も参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者に就任して早々、リバート・ブロック・ボットなどあらゆる権限を機械的に濫用しまくる生体ボットの独裁者。[[エンペディア]]の管理者。管理者への立候補と辞任を繰り返している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年3月に利用者名を短くするためにHosiryuhosiからRxyに変更&amp;lt;ref&amp;gt;Meta-Wiki Steward requests/Username changes[https://meta.wikimedia.org/w/index.php?oldid=8005404]&amp;lt;/ref&amp;gt;。2014年8月に行われた、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%A8%A9%E9%99%90%E7%94%B3%E8%AB%8B/%E5%89%8A%E9%99%A4%E8%80%85/Dr_jimmy/20140804 Dr jimmyの削除者立候補投票]において投票終了5分前に反対票を投じ、投票終了6分後に自ら「有効賛成票 29 票、有効反対票 10 票、無効票 2 票、有効賛成率 74.36% により、Wikipedia:権限申請/削除者#要件 に記された要件を満たさないため、残念ながら今回の審議による削除者権限の付与を見送ることとなります。」と書き込む（あと賛成票が1票多いまたはあと反対票が1票少ないならばjimmyは削除者になっていた）というファインプレーを行った。2015年4月20日、META-WIKIに出没[https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Steward_requests%2FGlobal_permissions&amp;amp;type=revision&amp;amp;diff=11908876&amp;amp;oldid=11908117]し、グローバルロールバック権を得る。2016年2月にはMETA-WIKIのスチュワードに立候補するも失敗。[http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/hobby/1455024207/936 2ちゃんねるの本人の書き込み]によると、「某スチュワードから熱心な立候補の誘いを受け、断ったもののまったく効果はなく、あきらめて立候補することになった」とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Penn_Station|Penn Station}}===&lt;br /&gt;
新着記事投票常駐者。名前が鉄オタを連想させるせいか故・Nekosuki600からはChatamaの手下と思われていたため立候補に強く反対された。削除依頼処理マシーン&amp;lt;ref&amp;gt;2016年12月現在、堂々の歴代一位。&amp;lt;/ref&amp;gt;。間違ってもPenis Station などと呼んではいけない。チェックユーザー・オーバーサイト・ビューロクラットなど、管理者以外にも様々な権限を持つやり手である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Sumaru}}===&lt;br /&gt;
ノストラダムスと世界遺産関連の項目を中心に編集している他、長期荒らしの一人である{{WPuser|Haruno_Akiha|Haruno Akiha}}のお守りを率先して担当する物好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Taisyo}}===&lt;br /&gt;
その名の通り大将である。それ以上でも以下でもない。固定IPらしいのでソックパペッターの可能性は薄いが、他の管理者の走狗である可能性は十二分にある。その場合大将ではなくなり、看板に偽りありということになる。[[Wiki:市営基町高層アパート]]などの良質記事も執筆し、選出後の同記事ではarch-hiroshimaなる外部サイトを数箇所で使用して末尾にも参考サイトとして掲載しているが、このサイトには「このサイトは教科書ではなく、ただの個人サイトです。文章はあくまで主観的であり、勝手に推測した箇所もありますし、必ずしも本質を突いていない箇所もあるでしょう。レポートや論文作成の参考とする際には、当サイトの記載を鵜呑みにせず、必ず一次資料（建築家本人が執筆した文章など）に目を通すようにしてください」との注意書きもなされていることが指摘されたものの、「多用は極端」と論破して事なきを得ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tomos}}===&lt;br /&gt;
[[wiki:wikipedia:井戸端会議ログ6|第6回井戸端会議]]にて選出された、最古参（'''2003年から'''）の管理者の一人。2ヶ月29日に1回程のペースでしか活動しない（3ヶ月以上動かないと管理者を降ろされる）。本人曰く「3ヵ月に一度だけまとまった時間が作れる」って、えーと、言い訳にしてももうちょっと。幽霊管理者の筆頭。他の管理者と比較すると投稿ブロック依頼や保護依頼などの対処を行っていなかったため、氷鷺により[[Wiki:Wikipedia:管理者解任の投票/Tomos 20100217|解任投票]]が提出されたが、賛成者は氷鷺のみだった。利用者IDはなんと10。管理者に限らず、利用者全体から見ても最古参レベル。圧倒的最古参っ・・・！！このため本来はウィキペディアの生き字引としての活躍が期待される所だが、本人にその気はない模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tomo_suzuki|Tomo suzuki}}===&lt;br /&gt;
Tomosと名前が似ているが同一人物ではない模様。Tomosと同じく活動度は低く存在感が薄い。かつてチェックユーザーの権限濫用ネタの時に熱い一面をさらけ出し、活動家的な性格であるのではと推察される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Triglav}}===&lt;br /&gt;
2010年最初に管理者に就任した。下記のように、著作権法違反行為をしており、その際70年代の歌の歌詞を書いていたことから、40歳代以上のおっさんと思われる。トリグラフと読むらしいが、相手の言ったことを忘れて自分の感想ばかり書くため「'''鳥頭（とりあたま）'''」の異名を持つ。管理者でありながら、'''ノートページにおいて執拗な粘着攻撃と挑発行為'''をする問題人物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
基本的に、対話能力の怪しい人間であると見られており、少なく無い場合でその内容は意味不明である。以下実例。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議論をするときは、'''相手が「～という理由でこれはAである」と述べても、「つまりこれはAではないということですね。ではそのように対処させて頂きます」'''という応答をする。このようにいくら相手が説得力のある議論をしても、あえて噛み合わない発言を続けることによって相手に議論する気をなくさせ、最終的に自分の好きなように編集するという作戦を信条としている。また、主体が誰か分からない修飾語や自ら造った独特の言い回しが多いためたいへん文章が読みにくく、それも相手に議論する気を無くさせる戦法の一つであると考えられている。ほか、以下のような問題行動が確認されている。&lt;br /&gt;
*'''基本的に相手の質問に答えない。'''読みにくい文に対して相手が主語は何かを質問をしても、それにすら答えない。&lt;br /&gt;
*'''基本的に相手の主張を読まない。'''こいつと議論する場合、同じことを何度も説明することを覚悟しなければならない。&lt;br /&gt;
*逆に、議論の相手に対しては、オススメの本を1冊挙げてくださいなどと議論と無関係な質問をする。&lt;br /&gt;
*間違った事実・前提に基づいた主張をする。相手がその根拠を示してくれと要求しても完全無視。&lt;br /&gt;
*議論で言い負かされると、「とにかく私の言ったようにすべきです」と主張し始めるなど、'''とにかく'''という表現を用いて今までの議論を無かったことにしようとする。&lt;br /&gt;
*出典が2つあってそれぞれが違うことを書いており客観的にどちらか正確か全く分からないにもかかわらず、「私が正しいと思った方を載せます」と中立性に反した方針を譲らない（正しいと思った根拠を尋ねられても完全無視）。&lt;br /&gt;
*出典によるカギ括弧内の引用部分に対して、'''引用部分の内容が気にくわない'''という意味不明の難癖をつける。&lt;br /&gt;
*IP利用者に対し、執拗にアカウントを取るように迫る。アカウントの利点を尋ねられると、突然{{WPfullurl|n=ノート:吉野敬介|p=diff=47846925&amp;amp;oldid=47846558|s=70年代の歌の歌詞をかき立てるという}}という意味不明の行為をし、勝手に議論と節を打ち切る。このように、&amp;lt;font color=&amp;quot;#ff0000&amp;quot;&amp;gt;'''著作権法の遵法意識のない犯罪者でもある'''&amp;lt;/font&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*さらに&amp;lt;font color=&amp;quot;#ff0000&amp;quot;&amp;gt;'''アカウントを取らないIP利用者に対して勝手に{{WPfullurl|n=ノート:吉野敬介|p=diff=47912224&amp;amp;oldid=47901719|s=あだ名}}をつけ'''&amp;lt;/font&amp;gt;、「数字で呼ぶのも悪いので、とりあえず取るまでこう呼ばせてもらうことにしますね」「名前で呼び合うのが素敵」などと挑発行為を続ける。なお、こいつのあだ名は'''鶏ガラ'''である。&lt;br /&gt;
*ノートでの議論は、上記方針を組み合わせ、'''ツッコミどころ満載の提案をし、それに対するツッコミ・質問に一切答えず（答えられず）、形勢不利と見るや話題を逸らして節を打ち切り新たな節を作って別の提案を強行することを何度も続けたため'''、ついに'''{{WP2|ノート:吉野敬介#管理者・Triglavによる“根拠のない提案をする→提案の前提が独自の見解なのでその根拠について質問を受ける→質問に何も反論できない→相手の質問を無視し、話題を逸らして再度根拠のない提案をする”という荒らし行為について|荒らし認定}}'''された。&lt;br /&gt;
**例）Triglav「～という説明がほしいところですね」「～というように編集すれば記事がスマートになるからそうすべきです」→相手「そう思った根拠は何ですか?これが根拠もなく通用するのならば、記事がスマートになると言えば何でも編集できてしまいます」→（完全無視）Triglav「それでは編集させていただきます。何かご要望はありますか？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なんかもうTrigravが間違っているのかYourpedia編集者の解釈が間違っているのかよくわからない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、荒らし認定に際して真剣に叱られていじけたのか来なくなった。荒らしの自覚があったのだろう。このように、Triglavへの対処方法として、いつまでも噛み合わない議論を許さずに真面目に叱ることをお勧めする。以上から分かるように、管理者としての自覚は皆無である。もはや'''解任は時間の問題'''になっている・・・と長年思われているのだが、現在の所その兆しは見られない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|VZP10224}}===&lt;br /&gt;
{{WP2|Wikipedia:管理者への立候補/VZP10224_20100605|2010年6月9日}}から管理者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|W.CC}}===&lt;br /&gt;
初投稿からたった7ヶ月、編集回数1,257回という少なさで2010年に管理者権限を獲得。1年後、編集回数を1000回上乗せした上でビューロクラットに就任するなどしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Y-dash}}===&lt;br /&gt;
2度管理者となった。2010年4月の立候補時点での年齢は未成年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|アイザール}}===&lt;br /&gt;
{{Main|アイザール (ウィキペディア)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よく語尾に「♪」をつける。文体は温和だが常に婉曲的な嫌味を述べ、その内容は攻撃的で陰険さバリバリである。自分の私見、私怨で投稿ブロックをかけたり&amp;lt;ref&amp;gt;管理者には一定の裁量ブロックが認められている。ブロックを行った事実はあらゆる利用者からバレバレであり、問題のあるブロックを連発しているなら、とっくに多くの苦情が発生してることであろう。&amp;lt;/ref&amp;gt;削除依頼を受理しなかったりと&amp;lt;ref&amp;gt;不適切な即時削除要請はは当然却下され、不適切な削除依頼も当然却下されるだけのことなのだが。&amp;lt;/ref&amp;gt;最低の管理ぶり。一応[[2ちゃんねる組]]。この人の極悪非道のおかげで死人が出る程である。後述の{{WPuser|須磨寺横行}}と仲が良く、管理者の立場を逆手にとって須磨寺横行の悪行に手を貸している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Yourpediaのアイザールとは別人である。YPのYANCHARIKAと同一人物かもしれない。特に根拠は無いが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|アルトクール}}===&lt;br /&gt;
最も活動的に働いている管理者の一人でありビューロクラット又はCU係への立候補が予想される。2014年8月の管理者就任以来、2015年11月25日から翌年1月14日までの失踪期間を除きほぼ毎日投稿していた。荒らし管理者、山田晴通を管理者解任に追い込んだことで、高く評価されている。2016年後半以降は活動が激減してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|おはぐろ蜻蛉}}===&lt;br /&gt;
{{2組}}ウィキペディア日本語版におけるサブカルチャー記事作成の急先鋒。特に[[声優]]の記事に固執することでも知られ、その声優に不利と思われる書き込みがあるとすぐさま特定版削除へ持ち込む。そしてあげくのはてに保護する&amp;lt;ref&amp;gt;ただし声優記事に加筆されるものは、ろくでもないものが非常に多い。典拠無し・些末な情報がむしろスタンダードであると言っていいくらいである・・・。方針くらいざっと読んでから書き込もう。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また某カービィの漫画を某漫画本に連載していた漫画家の記事の「ガキごときの・・・」部分を消したりしていたので某出版会社の回し者かと某掲示板でうわさされたことがある&amp;lt;ref&amp;gt;どの様な経緯でどのようなものが削除されたのかは、削除された以上謎であるが、著作権を侵害していた案件だとすれば、どの管理者でも間違い無く100%削除する。当然だ。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者が増えて欲しいという一心でマルチポストの絨毯爆撃を行いIsh-kaに苦言を呈された。そして勧誘した人物からは悉く断られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|さかおり}}===&lt;br /&gt;
'''[[チームさかおり]]'''総統。[[またーり]]亡きあと[[山梨県]]関連記事の充実化を図っている優良執筆者、2012年10月より管理人となる。記事の充実化に積極的であり、特に「地方病 (日本住血吸虫症)」の記事に関しては記事の内容もさることながら時間をかけて充実を図り、かつわかりやすい内容から'''プロジェクトXレベル'''と称賛される、jawpで最も著名な記事の一つ。管理人として不慣れな点もあったが無難にこなしており、現時点では数少ない優良管理人の一人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|青子守歌}}===&lt;br /&gt;
日和見主義者。一利用者としても資質に問題ありすぎな人物であったが、どういうわけか事故的に管理者に選出された。実態としては反対者の靴下が足らなかっただけと思われ、世の中こうした事を通じて歯車が狂って行くそれを説明する好例と言える。通称は「青子」であり、評判の悪いiwaimと仲がいい。アホ子などとも呼ばれたり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|霧木諒二}}===&lt;br /&gt;
普通の管理者。普通すぎて特筆性に欠けるため管理者権限がそのうち除去されるかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|健ちゃん}}===&lt;br /&gt;
潔癖症で、管理者としての資質をコミュニティに問うため3度もコメント依頼を提出した。構ってちゃんなのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|重陽}}===&lt;br /&gt;
登録から1年・編集回数805回という少なさにもかかわらず管理者への立候補において'''反対0'''という投票結果が出たことだけで知られている。なお対応は結構ぶっきらぼう傾向。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|多摩に暇人}}===&lt;br /&gt;
{{警}}2016年1月に管理権獲得。要約欄の内容が常に上から目線であることで知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|東京特許許可局}}===&lt;br /&gt;
鉄オタでありChatamaやCassiopeia-sweetとつるんでいることが多いが、時々一匹狼的な行動をすることもある。立候補の際、「現在の管理者の中には明らかに管理者に相応しくない奴がいる」と言い放った気骨のある人物。しかしこんなことを言ったもんだから、就任後はこの発言を言質に取られて少しでも不適切な行動をする度に譴責されている。とあるブロック依頼を切欠にはるひとの関係が悪化し、その後提出されたはるひの解任動議では賛成票を投じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|竹麦魚}}===&lt;br /&gt;
{{Main|竹麦魚}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ハンドルは「ほうぼう」と読む。北海道民。「ご質問はなるべく会話ページでお願いします」などと繰り返す。「会話ページを半保護したままいつまで経っても保護解除しようとしない」との声がある（つまり非難批判は聞きたくないということに他ならない）。OpenProxyのブロックばかり熱心に行う管理者である。&lt;br /&gt;
会話ページをブロックされたユーザーを酷く貶める記載をしている。極めて悪質な管理者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==元管理者==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Bakkai}}===&lt;br /&gt;
よく画像提供しているが、自分が撮影した画像は意地でもコモンズにアップロードしない、他言語版に非協力的な人。管理者立候補時に「荒らし対策での保護・解除など」を行うと大見得を切ったが、本当は自分のアップロードした画像の削除するためだけに管理者になった。実際、自分の画像削除のためにしか管理者権限を使っていない。ほとんど管理権限を使わないが、たまたま使った管理権限についてあるふぁるふぁ(長期荒らしである「真珠王子」）から指摘を受けてブチ切れる。ほとぼりが冷めるまでしばらく行方を晦ましたが、ほどなく復活した。その後管理者を辞任し2011年1月25日以降編集していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Brion_VIBBER}}===&lt;br /&gt;
'''ウィキペディア日本語版における、最初の管理者である。'''フランス語も使いこなす在日アメリカ人。ただし活動は少なく、計52回の編集に留まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Carkuni}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Carkuni}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
角煮とも。かつてチェックユーザーであったが権限を殆ど行使しない並び大名ともいわれた。[[#欅|欅]]と同棲していた事が発覚し解任。[[Chatama]]とはリアルで親交が深く、愛人説もある。えっ、二股、しかもホモ・・・？ 2016年2月1日を最後に失踪……と思われていたが、4ヵ月後に復活。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Cassiopeia-sweet}}===&lt;br /&gt;
鉄ヲタ。名前は寝台特急カシオペアの最上級寝台にちなむ。バスや風俗系にも精通している。2011年、ハイフン'''なし'''の表記（{{WPuser|Cassiopeia_sweet}}）に改名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Chatama}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Chatama}}&lt;br /&gt;
{{2組2|トリップ：◆5ChatAmAI2}}2ちゃんねるでは「ブラウンボール」（正しくは「ティーボール」）を名乗る、熟女の乗り物。旧利用者名は「ちゃたま」。本名・[[寺崎嘉孝]]（てらさき よしたか）。CU、ビューロクラットをも務めるマルチユーザー。[[昭和]]43年（[[1968年]]）生まれ。[[海獺 (利用者)|海獺]]を盲信して「すばらしい人です」と管理者に一推ししたばかりにおびただしい被害者が生まれる元になった前科持ちの盲人。2015年からは月に一度以下しか動かなくなった。2月末からは完全に活動休止。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
親子でウィキホリックというとんでもない男（娘は[[Tama998]]。この娘が16歳で{{WPuser|つきよのうさぎ}}と結婚）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ciro}}===&lt;br /&gt;
通称“コムーネのおっさん”。イタリアのコムーネ（自治体。日本で言う市区町村相当）の記事のスタブを粗製濫造している。8年間管理者をしていたが、あまり仕事をしていないこともあり、管理者としては存在感に欠けていた。2014年からは年に一度しか動いていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Electric_goat|Electric goat}}===&lt;br /&gt;
{{Main|木津尚子}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Freetrashbox}}===&lt;br /&gt;
CUを兼任していたが、2015年に時間ねーからと退任。割と一匹狼的ポジションにあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Hisagi}}===&lt;br /&gt;
{{2組}}元管理者。というか管理者権限を持っていたのは7ヶ月間のみ。登場当時は「氷鷺」だったが、2015年にローマ字の「Hisagi」に改名した。中二病臭い名前通り素行も子供っぽいという指摘があるが、一方で海獺やV悪などにも堂々と意見するなど気骨のある人物。いる。「鉄に汚染されている」として鉄道分野を敵視し、{{WP2|Wikipedia:秀逸な記事の選考/愛知電気鉄道電7形電車}}では{{WPuser|MaximusM4}}らとの抗争の末に、{{WPuser|HATARA_KEI|HATARA KEI}}を断筆宣言に追い込み、選考通過を阻止した。暴言の常習犯であり、2016年10月に積年の暴言と編集合戦を理由に{{WP2|Wikipedia:投稿ブロック依頼/Hisagi_20161007|1年間の投稿ブロック}}に追い込まれている。元管理者が1年間もブロックされるのは前代未聞のことである。なお本人は無期限ブロックも予想しており、そうなったらブロック破りを行うと公言していた。投稿ブロック依頼をクローズした管理者がKMTでなければ無期限ブロックの線も十分にあり得ただけに、前代未聞の元管理者のLTA化も見てみたかった。なおその後の2ちゃんねるスレでの現行によれば、全く反省していないどころかブロックの理由（積年に渡る「Wikipedia:礼儀を忘れない」違反)を理解しているのかさえ怪しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Hman}}===&lt;br /&gt;
'''2ちゃんねる組'''。いつの間にか管理者に就任した荒らし管理者。出しゃばりの極みであり、任期が短い割には権限行使回数は多かったようだ。このボンクラによって葬られたユーザーは非常に多い。管理者であったのは約1年半でしかなかったが、2016年12月現在の総計では権限行使数総計や削除数は歴代管理者中30位あたり、ブロック数は35位あたりである[https://tools.wmflabs.org/xtools/adminstats/?project=ja.wikipedia.org&amp;amp;begin=2001-01-01&amp;amp;end=]。ちなみに一番順位の高い「ページの保護」についても20位あたり。これを多いとみるか少ないとみるかは人次第だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/kodukuri_hman Yahoo!においてもアカウントを持っている模様]で、そのID名は「'''kodukuri_hman'''」（子づくりエッチマン）。末尾が「'''hman'''」であることと、[http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1289197117 この質問での回答内容]が荒らしユーザーの彩華1226を擁護しているともとれるコメントであることからも'''Hman'''本人である可能性がある。2013年管理者を辞任。本人曰く、この管理者連中と肩を並べたくない、一緒に仕事は出来ない＆某Yを解任しないjawpコミュニティに嫌気が差した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2015年4月14日、[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者‐会話:Hman/過去ログ_-20151010 ウィキペディアからの引退を表明]し（「引退のテンプレートが付いたままですよ」以下の節を参照）、自身の利用者ページ（のちに削除）及び会話ページを白紙化した。にもかかわらず、2016年10月19日に某利用者のブロック依頼への投票のため復帰するなど、「[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E8%BE%9E%E3%82%81%E3%82%8B%E8%BE%9E%E3%82%81%E3%82%8B%E8%A9%90%E6%AC%BA '''引退詐欺''']」と言っても過言ではない行為を繰り返しており、2ちゃんねるのWikipediaスレでは「引退詐欺師」呼ばわりされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近鉄ネットワークのユーザ（{{WPuser|61.86.153.11}}、{{WPuser|61.86.153.13}}）と同一人物であるという疑いがある（同じサブネットマスク下にある上、13の会話記録を11がログ庫に入れている。）。だが近鉄ネットワークユーザーは会話ページで、Hman本人は2ちゃんねるスレにてそれを否定、二人は会話ページで談笑まで行っている&amp;lt;ref&amp;gt;[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1%3A61.86.153.11&amp;amp;type=revision&amp;amp;diff=62476805&amp;amp;oldid=62273528 利用者‐会話:61.86.153.11]&amp;lt;/ref&amp;gt;。そもそもたまにログインを忘れて晒すIPは、別プロバイダのものである。ただし複数のプロバイダと契約しており、リモートホストレベルでは全く別地域のIPが晒されていたりするため、住所不定無職である可能性は否定できない。使用するIPアドレスの一部は[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:Hman 「119.30.241.139」または「119.30.241.247」]で&amp;lt;ref&amp;gt;ユアペディアの当該利用者会話ページを参照。&amp;lt;/ref&amp;gt;、このIPアドレスは京都市に割り当てられているとされているため、基本的には京都府民であると推測される。なお本人は京都出身の皇国臣民を公言しており、京都関係の記事を多数執筆・加筆しており、如意ヶ嶽（大文字山）などは彼女の手による良質な記事の一つである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユアペディアにおいても[[利用者:Hman|同名のアカウント]]を2016年11月25日に取得しており、ウィキペディアのHmanとユアペディアのHmanが同一人物であることは[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Hman&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=62071793 本人も認めている]。ウィキペディア元管理者がこれからユアペディアで何を成そうと目論んでるのかは、現在の所謎に包まれているが、とりあえず同年12月1日には本ページにおいて管理陣を弁護する大量の書き換えを行なっている。本人曰く、肩慣らし＆練習。なお、2ちゃんねるウィキペディアスレまとめwikiなるWikiの創立者でもある（管理人ではない）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kahusi}}===&lt;br /&gt;
{{Main|澤田亮太}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{C管}}最近では他アカウントで荒らし始め他のウィキペディア管理者などの成りすましを行っているが、ウィキペディアの会話ページでは「私ではありません」とコメントしている。嘘つきは泥棒の始まりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
個人ウィキペディア「かふしゐき」で、トリップとアカウントを対比させた「[[2ちゃんねらー]]のウィキペディアン」一覧を作成していた。2015年12月末に一旦失踪、管理権限を剥奪さる。5ヵ月後の16年4月末から狂ったように活動再開。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kanjy}}===&lt;br /&gt;
ビューロクラット・チェックユーザー保持者の中で一番の人格者。だがリアルの仕事が忙しいのか活動頻度は高くなく、廃人共からは役立たず呼ばわりされている。しかしウィキでは珍しいまともな人らしく、管理権限を与えるなり基地外になる他の連中と対比するとずっと安心出来る良管理者と見て良いようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Koba-chan}}===&lt;br /&gt;
本名は小林義宗。元管理者だったが、管理者解任投票で反対票0という結果を受けて辞任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Lonicera}}===&lt;br /&gt;
{{main|Lonicera}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Riden}}===&lt;br /&gt;
Loniceraの解任に反対した程のデタラメぶりを発揮。仮面ライダー等の特撮が好きなオタクであり無職と推定される。ウィキペディアに僅かでも良心が残っているのであればこの人物を解任すべきであろうがそれ以前に真実を消す頻度は、もっとも高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
度々この管理者は「これは最後の警告です」と警告を発するが最初がない。そこを指摘されたばかりかユーザーから事前に用意された対策用ソックパペットを相手にそれをした事から笑われてしまい、その後警告文を訂正するもそれが元でさらに嘲笑された経歴を持っている。尚、本人はこの事を自身の恥辱と見てか二度消しにかかって来てもおり結果としてより大きく嘲笑されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Sergei_1207|Sergei 1207}}===&lt;br /&gt;
本来のアカウント（{{WPuser|sergei_semenovich}}）とは別に管理者専用アカウントを作って立候補し、物議を醸した。性格はキレやすい。典型的ネトウヨ{{WPuser|Truesight}}を何度も論破した。ウィキペディア中毒に陥ることを避けるべきと思ったのか、徐々に投稿回数を減らしていき、2012年5月にウィキペディアから完全に撤退することに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tan90deg}}===&lt;br /&gt;
通称「'''痰苦汁程度'''」。タン師とも。[[Wiki:利用者:123front|123front]]、{{WPuser|Paperones}}、[[Wiki:利用者:Daichikyu|Daichikyu]]、{{WPuser|Revdel}}など一部の善良な利用者を無期限ブロックされた{{WPuser|KHAT}}の[[ソックパペット]]であると根拠なく決め付ける極悪管理者。包摂主義者、というよりはアンチ削除主義者であり削除議論で削除票を投じる利用者を安易に削除主義者扱いし自分が削除主義者と断定したユーザーを駆逐するためなら捏造などの権謀術数を平気で行う。また明らかに著作権に抵触している記述に対して「引用の範囲内」「単なる事実の記載」などと詭弁を振り回していた{{要出典|date=2016-12}}。2年以上前に削除された項目の復帰依頼をそれが初投稿という者で趣旨不明瞭な文章であったにもかかわらず1日も経過する前に独断で復帰措置し、不審がられていた{{要出典|date=2016-12}}。悪評高い{{WPuser|Tiyoringo}}とよくつるんでいる事が多かった。2012年6月11日自動退任、Londonbashiに中心を移す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tantal}}===&lt;br /&gt;
権力争いばかりに夢中な管理者の中で、ウィキペディアの本義である記事の発展、充実に力を注いでいる稀有な人物。執筆能力の高さはかのYassieも認めるほどで、[[2ちゃんねる]]でも評判は良い。一方で本人は「自分に対する根拠無き誹謗中傷が並べ立てられているから」という理由でアンチ2ちゃんねるを標榜していることから、被害妄想癖があると思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tietew}}===&lt;br /&gt;
{{Main|岩瀬透}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本名は'''岩瀬透'''。Suisuiと並ぶウィキペディア日本語版の大幹部の一人でマスコミによく登場していた。自動検知システムを使ったオープンプロキシのブロックが趣味。2010年2月から音沙汰なく、自動解任見込み……と思われていたが、裏でBotを働かせているという異議が出て自動退任ではなく解任審議にすり替えられた悪運の強い奴（差し金を入れたのはやはり管理者の[[#Ks aka 98（会話/履歴）|Ks aka 98]]）。多くの利用者を巻き込んで大騒動となったが、本人はどこ吹く風である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
投稿を停止した後も長らく管理者の地位にあったが、オープンプロキシのブロックすら行わなくなったため2016年4月にとうとう自動退任となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Vigorous_action|Vigorous action}}===&lt;br /&gt;
通称'''V悪'''。元管理者で、'''45歳'''（2013年時点）'''にもなって'''24時間常駐している（アカウントは英語で「精力的な活動」）。'''&amp;lt;font color=&amp;quot;#ff0000&amp;quot;&amp;gt;絶対に管理者に復帰させてはならず、Wikipediaプロジェクトからも追放が急がれる極めて悪質なアカウントである。'''&amp;lt;/font&amp;gt;また、WikisourceとWikibooksの管理者からの解任も大至急必須である。編集傾向（利用者ページ及び会話ページが両方とも青リンクになっている点、利用者ページのユーザーボックスが酷似している点・会話ページの過去ログの名称と置き方・会話ページにおける発言の太字部分などが極似している点などが挙げられる）やVigorous actionとの連係プレーの素早さから多重アカウント「{{WPuser|Youichikun1968}}」を使用していたとの疑惑が浮上している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年5月、管理者就任。徐々に積極的に荒らし対策を行い始める。荒らしをブロックするのは良いのだが、精度が低すぎたと言わざるを得ないだろう。そして暴走は加速し、コミュニティの意図を無視して独断専行を連発する。Lonicera化である。この結果、2012年11月、解任投票により全ての権限は剥奪された&amp;lt;ref&amp;gt;時系列上は解任投票結果確定前の自発的辞任であるが、既に投票結果は明らかであったし、本人もそれを自覚していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかしコミュニティから「失格」の烙印を押された後も、何故か、対外インフォメーション係(OTRS)に居座り続けるのである（2016年12月現在）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、海獺に対して執拗な粘着攻撃を行い、とうとう海獺が多重アカウント保持を隠して管理者に就任していた事実、しかも立候補の際にこれに関する質問を受け虚偽の回答をしていたことを自白させ、海獺を辞任に追い込んだ。結果的にこの一件が、彼がウィキペディアで行った一番の功績となった&amp;lt;ref&amp;gt;いや荒らし対応も功績なんですけどね。独断専行がなければ。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以後音沙汰なしであったが、2013年2月ごろより活動を再開。2013年3月、ウィキペディア日本語版改革を目指す{{WPuser|Blue31-Eleven}}により、「解任された元管理者を削除人へのスカウトする」という傷口に塩を塗りこむような挑発を仕掛けられて発狂し、管理者時代を彷彿とさせる暴れっぷりを見せた。この件が原因で、元管理者にもかかわらず投稿ブロックに追い込まれる。本人は「売られた喧嘩を買っただけだ」などとほざき、ブロック明け後も全く反省の色を見せずに目的外利用を続けているため、今後の発言次第では無期限ブロックの可能性も高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年8月、HmanがVigorous '''a'''ctionの'''a'''を'''A'''と間違えたことを理由にHmanへの粘着を開始&amp;lt;ref&amp;gt;2ちゃんねるでの噂では、もとよりHman攻撃を狙っており、これで大義名分を得たとして攻撃に踏み切ったとの説も。大義名分と言うには、非常に些末なのだが。&amp;lt;/ref&amp;gt;。直後の逆襲の{{WP2|Wikipedia:コメント依頼/Vigorous_action_20140826|コメント依頼}}を受け、「PCが壊れた」と言い残しウィキペディアより失踪、以後音沙汰なしとなる。その後半年をかけてPC環境を再構築し、2015年3月より活動を再開し、現在に至る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|しるふぃ}}===&lt;br /&gt;
{{2組}}ロールバック・削除・ブロックと消極的な活動しか行っていない。度々利用者ページが朝鮮民族へのリダイレクトに置換されていたりPeace系に粘着されていることから、プロ市民である可能性も示唆されている。度々コテハンで2ちゃんねるに出没し、狂気としか思えない妄言を飛ばしてゆく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|欅}}===&lt;br /&gt;
某大学法学部卒。2ちゃんねるの阿呆共は女性だと思い込んでいるようだが、性別は不明。鉄ヲタ。北海道から2011年に上京し署名は黄緑をベースに四季によって4タイプの悪趣味なカラーに変わる。なおかつ解任投票で反対の立場を貫いた事からLoniceraのソックパペットではないかと嫌疑を抱かれているが実際はLoniceraとは大学で先輩後輩の関係にあっただけで別人である。Loniceraの生き別れの妹という説もある。説であると断れば割となんでも書いていい感があるので、Chatamaの前前妻の娘説もこの場で提唱しておく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先輩のLoniceraが降ろされてから4ヵ月後、管理者に立候補して当選、以降はひたすら削除依頼案件を乱暴に処理する生体BOTと化しており「暴言を吐かないLonicera」と呼ばれていた。時間の概念がなく時限をきった約束は守れない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
チェックユーザー係でありながらCarkuniらとの共有IPで利用者を欺く悪質な裏切り行為を行なった。というか同棲して（ガチホモでなければ結婚であった可能性も？）中出しセックスをしていたのでIPが同じだったと言う事情。極めて短い間に二人が同じアカウントに対しCUツールを使用していた事から、この事実が浮かび上がった。ちなみにこれを発見し、問題として騒ぎにしたのは海獺とmiya。管理者同士が仲良しだなんてウソやったんや！結局利用者のプライバシーを扱う重職であるCUが同居していてはまずかろうと言うことで二人揃って管理者・CUの辞任に追い込まれる。片方だけ辞任すりゃ済むのに。その後{{WPfullurl|n=|p=curid=2223163&amp;amp;diff=37418911&amp;amp;oldid=37385878|s=体調不良自称し}}、ほどなく復活。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2015年9月失踪。&lt;br /&gt;
両者の利用者ページから見るに、2016年現在も関東でCarkuniと同居中。欅の性別が確定的ではないので、また法的に結婚したと言う報告もどうやらないため？ｱｯｰ!なのか、ただの中出しなのかは謎に包まれている。ホモならホモでそれはそれで中出しも可能であるが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|白駒}}===&lt;br /&gt;
「ハック」と読む。名前の通りハッキングが趣味で、裏では他者のアカウントを乗っ取ったりと悪行を重ねている。長期荒らしの1人・Lemと同一人物ではないかと疑われていたが、その正体は132人目であるという説も。まーそんなもん疑いだしていたらきりはなく、大抵のアクティブな管理者は無責任な連中や荒らしどもにこんなことを言われるのであるが。2016年5月自動退任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|海獺}}===&lt;br /&gt;
{{Main|海獺 (利用者)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{2組2|トリップは◆RACCOxeST6}}かつてはjawpが「海獺王朝」であるとまで言われた（うそ）名物管理者/CU。放棄したものの2ヶ月間の多重アカウント保持を隠し、かつそれに関連する質問に虚偽の答弁を行っていたことが信任を受けていたことまでが発覚し辞任に追い込まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
角煮・欅の中出しセックスと、狂犬ikedat76の喧嘩用違法アカウントの存在、これらを見破った事が特筆すべき功績。活発に活動していたので、荒らし・靴下対策など、一つ一つは細かいが積み重ねた功績は大きいと言えるだろう。しかし客観的に見て、対話姿勢は粘着質極まりない。職務柄尋問調になるのは致し方ないとはわかるのだが。なおこれも職務遂行上やむを得ない事でもあり、活発に活動していた証左でもあるのだが、独断専行も比較的多かった印象がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
好物はらっこのてんぷら（アカウントを即座に食った）。&lt;br /&gt;
ちなみにもう管理者でもないのに色々なメディアに登場する、露出狂である。2016年もテレビで露出していた。なんだあのマスク。&lt;br /&gt;
オファーする方もわからん。現役管理者にオファーしろよ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|山田晴通}}===&lt;br /&gt;
{{Main|山田晴通}}&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版では珍しい学者（他に明らかになっているのは柴崎力栄や“さえぼー”こと北村紗衣など少数に留まる）。なぜなら学者はウィキペディアの管理者になろうとしたり、掲示板に実名でコメントを書き込んだりはしないからである。本業は東京経済大学教授。しかし、ウィキペディア中毒になってしまったため学者の仕事は、お留守になっている。専門が地理学であるにもかかわらず、音楽や政治など知識のない専門外の分野に介入するのが特徴。独裁的問題行動は、「パンク」の項目に上から下まで大量に「要出典」を大量に貼るなどの、ページ私物化行為があげられる。「ウエストコースト・ロック」や「エレクトロニック・ダンス・ミュージック」（EDM)などの音楽系記事にも、要出典のタグを大量に貼るという犯行が確認できる。ほかの項目についても同様の行為をおこなって、権力欲を露呈している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かねてから山田の問題の多い管理活動（特に独自の理論で展開される即時削除には、管理者らも苦言を呈していた。そして苦言は聞き流す）を嫌っていた、管理者のアルトクール（山田を編集合戦の罪で1日ブロックの刑に処した）や巻き戻し者のぱたごんを中心とする「アンチ山田」らによって、[https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E8%A7%A3%E4%BB%BB%E3%81%AE%E6%8A%95%E7%A5%A8/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%99%B4%E9%80%9A_20161019 解任投票]が提出され、2016年10月28日、管理者の座から引きずり下ろされた。管理者が解任されるのは、2012年末のVigorous actionの解任以来4年ぶりのことである。なお会話ページにおいて「過半数には達しなくてもまとまった解任票が集まれば解任基準に達しなくても辞める」と公言していたが、2016年5月に行われた解任投票では、49%の解任票が集まったが辞めず。それより以前に45%の解任票が集まった解任投票時に、これはまとまった解任票じゃないのか？と会話ページで問い詰められるが、飄々と話をはぐらかすだけであった。近年は信任率はギリギリなのが通常であり、解任はどの道時間の問題であったと見る事もできるだろう。この信任率では、特にアンチ山田などはいないと見た方が良いかもしれない。すなわち、近年ではウィキペディア参加者の半数弱はアンチ山田だったのだから特筆する必要すらないわけだ。単なる嫌われ者である。最後の解任投票ではアンチ率が79%に跳ね上がった点は、特筆すべきか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 管理者もどき ==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Aphaia}}===&lt;br /&gt;
{{Main|木津尚子}}&lt;br /&gt;
かつてはウィキメディア財団の上層部と親しく、財団の後ろ盾を受けて独裁を行っていた。つーか実際に臨時の管理者もやってた。しかしYassieやNekosuki600らに攻撃され、無期限ブロックを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Dr_jimmy|Dr jimmy}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Dr jimmy}}&lt;br /&gt;
IPユーザーや新規ユーザーを攻撃するのが、専門の削除厨、かつ抹消・粛清主義者、出典タグ貼り付け厨。ウィキペディア創世記から現在に至るまで、長期に亘って削除と荒らしを繰り返し続けている引き籠りの無職ニートである。ウィキペディア日本語版投稿数歴代最多（ボット除く）。2007年ごろから悪事を繰り返している、最も古手の荒らしユーザー。手口は削除専門の「削除厨」である。ウィキペディアの悪党の中でも、もっとも悪名をとどろかせており、こいつを排除しないから、ウィキペディアは批判されているのである。「依頼失効につきテンプレート除去」「対処済み・終了案件の除去」といった除去編集は4回/分（＝15秒に1回）という高速の編集のもあるため、ボットを使っている可能性もある。'''一日中ウィキペディアしかしていない'''ので、ずっと同じ姿勢でイスに座り続けることにより脊柱管狭窄症を患っており、長期にわたる[[パソコン]]の使い過ぎで脳が萎縮し、寿命も大幅に縮まっているに違いない。2013年9月27日には、1日に248回もの編集を行っている。平均して6分に1回投稿ボタンをクリックした計算になる（ja.wikichecker.comより）。Dr jimmyのパソコンはウィキペディアの回覧の履歴がいっぱいになり、パソコンの容量などいくらあっても足りないのでディスクのクリーンアップをしたほうがいいだろうが、やはりウィキペディア以外のことに手が回らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
きわめて乱暴であるにもかかわらず、、ウィキペディアのルール上は瑕疵が無いため、未だブロック歴は0である。何故か依頼の除去はコイツに一任されており、進行するべき議論が彼によって滞ることも少なくない&amp;lt;ref&amp;gt;実はコイツが除去してくれないと他の人が除去しなければならない&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尊大な態度から管理者と錯覚しそうだが、ただの'''知ったかぶり'''であり、全く違う。追跡削除を執拗に繰り返す並外れたネットストーカーである。これら追跡削除の履歴を見れば解かるように、彼にとって記事の正確性などはどうでもよく、自分に逆らうユーザーや敵対するユーザーが記事を書くこと自体が気に入らないだけなのである。「'''Wikipediaを出典として使用することはできない'''」などとエラソーな理由を引っ付けて削除しているが、まさしくその通りなのであるから、管理者が手出しはできない。Frommと同じように削除理由を述べずに削除することもしばしば。下手するとFrommのソックパペットの可能性もあるが、チェックユーザー依頼は出されていない。「要出典」タグや「独自研究」タグをほとんど用いようとせず、コメントアウトすら用いず機械的に削除ばかり行う印象があるが、それらのタグで「猶予期間」を設ける事は義務化などされておらず、やはりウィキペディアのルールには反していないのである&amp;lt;ref&amp;gt;基本的で最重要方針の一つ、「検証可能性」には、出典の無い記述は除去されても文句は言えませんと、冒頭で明記されているのである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。{{WP2|特別:投稿記録/Dr_jimmy|此処}}を参照すれば解る通り、加筆らしい加筆はまるで行わず削除を連発している。記事の分割に関しても基準が極めて厳しく、大抵反対票を投じて阻止される事が多い（[[WikipediaにおけるDr jimmyによる分割規制問題]]も参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年8月に行われた、{{WP2|Wikipedia:権限申請/削除者/Dr_jimmy/20140804|削除者立候補投票}}では多くのjawpのトップ利用者たちが投票に参加し注目された。最初は賛成多数だったが、会話ページのコメントの影響などにより反対票が増加。投票終了直前にRxyが反対票を投じ、勝手に投票を終了させたため「29対10」で1票差の敗北という予想外の結果となったのである。やはり乱暴であると言う点が嫌われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Yahoo!知恵袋では、コイツに対する不満をぶつける粘着と思われる勢力からの質問投稿が少なくとも10件は存在する。すべての言い分が正しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつての海獺やVigorous actionと同様、「1年365日、24時間体制」でウィキペディアに貼り付いている「生体bot」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Fromm}}===&lt;br /&gt;
{{Main|fromm (ウィキペディア)}}&lt;br /&gt;
知識が全くなく、人々の書く記事を盲目的に疑い、自分の目よりもどこかのウェブページに書かれているか否かの方を信用し（出典が存在する事と検証可能性が重要だそうな）、とにかく無意味な差し戻しや記事の引きはがし、自分の気に入らない記述の全文削除（独自研究と決め付けて）を執拗に繰り返す並外れたキチガイ編集者。嘗て'''{{WPuser|ホワイト・ジャック}}'''という熱心なユーザーがいたが、彼を無期限ブロックに追い込んだ首謀者の一人であり、ウィキペディアの体質にショックを受けたホワイト・ジャックに自殺までさせた'''&amp;lt;font color=red size=5&amp;gt;人殺し&amp;lt;/font&amp;gt;'''である。ホワイト・ジャックが自殺したという情報は、ホワイト・ジャックの現実社会での友人でもある榊原生徒（ウィキペディアでは主にIPユーザーとして活動）等によって告知されているが、それを耳にしながらも、なお不当な差し戻し行為を未だに行い続けている。なお、究極のバカなのか、数々のIPユーザーを何の根拠も無くホワイト･ジャックと同一人物視している。そもそも、{{WPfullurl|n=特別:ログアウト|p=returnto=大野義夫|s=このようなページ}}が在り、このページによると複数のアカウントを獲得し、遣い別けること自体はウィキペディアにおける規約違反ではないことが解かる。すなわち、ブロック逃れを理由にして相手を葬る行為の方が規約違反に当たる。それを率先して行っているのがfrommである。管理者になりきれない典型的なキチガイである。ユアペディアユーザー・アンサイクロペディアユーザーは是非ともfrommの活動経歴を参照し、彼が如何に異常者であるかを知っておいた方が良い。その異常なまでの独善・独裁ぶりから、「'''{{WPuser|海獺}}と肩を並べる存在'''」「'''海獺の次期後継者'''」「'''いずれは海獺を喰う存在'''」ともいわれる。なお、投稿する記事には時をほぼ同じくして{{WPuser|Avanzare}}も参入してくるため、Avanzareと同一人物である可能性が高い。またリンク先を閲覧すれば解かるように「'''台湾に参加しているウィキペディアン'''」と記載されているほか、漢字の使用頻度が極めて多いため中国人または台湾人の可能性が非常に高い、全世界でも極めて稀有な危険人物である。en-2を自称しているが英語は全く読めないし書けない。管理者は非日本語話者との対話も必要とされるため、このようなバカでは務まらない。法的記事すらも法を学んだ試しもないのに差し戻す力技を披露する。しかし、もちろん他の編集者はこんなの相手にしていない。言えば言うほど墓穴を掘る自爆型の典型。ユアペディアにおいても[[利用者:Fromm|アカウントを持ち]]、「[[ネット左翼]]」を執拗にウヨ寄りに編集し続けていることから、当人も[[ネット右翼]]、もしくはネット右翼のいう「親日」と見られる。なお'''ユアペディアにおけるfrommの詳細は[[fromm (荒らし)]]を参照。'''2014年11月を最後に失踪。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|JapaneseA}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{WPuser|Sutepen_angel_momo|Sutepen angel momo}}という副アカウントを悪用するユーザー。管理者や多くの利用者からアカウントを1つに絞れといわれて「分かりました」と応じたにも関わらず、実際は平気で使い分けを行っている極悪さである。なお多重アカウントは隠していれば多くの場合で即時無期限ブロックになるが、公開している場合は勿論、発覚したとしてもサーセンでしたもう副垢使いませんと言えば、大抵はすぐに解除される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Nekosuki600}}===&lt;br /&gt;
古参の暴力利用者。20112年に死去。詳細は[[茂木紀行]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Uaauaa}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Q～Zから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#Uaauaa（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
元{{WPuser|Uaa}}。パスワードを盗まれたと称して乗り移ったが、それと同時に自身のブロック歴も抹消した卑劣漢である。要約欄での暴言多数、編集は軍ヲタ丸出しであり、活動は自警しているか軍事、勲章関連の編集をしているかどっかである。当然ながら軍事関連記事でも自警っぷりを発揮しているのは、ノートページの編集の多さを見ても一目瞭然である。[[産経新聞]]に不利な記述の存在を絶対に許さない[[ネット右翼]]にしてシモネタ好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ぱたごん}}===&lt;br /&gt;
{{Main|たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#ぱたごん（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
執筆から自警までなんでもこなす精力的な利用者だが、熱くなりすぎ3度のブロック経験あり。国会図書館にあしげく通うほどのウィキペディア中毒。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|森藍亭}}===&lt;br /&gt;
{{Main|あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#森藍亭（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
“しんらんてい”と読む。現実の糞同然の人生の憂さを晴らすように、初心者ユーザーを潰したりいじめたりするのが趣味の極めて悪質な人間。典型的なネット弁慶の馬鹿である。事情のよくわからない人は管理者と間違う程、偉そうにしているのが特徴である。一度、目をつけた相手は徹底的に潰すことを目標にする極めて残忍な人間で、その性格を英語で表すと「'''Most Evil wikipedian'''」である。まさに鬼畜の所業である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==管理者に立候補したが落選した主な人物==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Infinite0694}}===&lt;br /&gt;
グローバル巻き戻し者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tiyoringo}}===&lt;br /&gt;
{{Main|Tiyoringo}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|朝姫}}===&lt;br /&gt;
馬鹿姫。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|あるふぁるふぁ}}===&lt;br /&gt;
{{Main|あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#あるふぁるふぁ（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
Bakkaiと戦争して退任に追い込んだが、その後多重アカウントの不正使用で無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|いすか}}===&lt;br /&gt;
サイコパス。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|目黒の隠居}}===&lt;br /&gt;
2012年から活動中の老害。執筆力はそこそこ。競馬大好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|端くれの錬金術師}}===&lt;br /&gt;
{{Main|たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#端くれの錬金術師（会話/履歴）}}&lt;br /&gt;
立候補時には「厳格な姿勢で権限行使を行う」と明言していた。もしなっていたら独裁者になっていた可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[ネット右翼]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキホリック]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア日本語版の恐怖]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディアの管理者が勝手に保護した記事の一覧]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア八分]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア川柳]]&lt;br /&gt;
*[[ベター・ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
*[[洗脳戦隊ウィキレンジャー]]&lt;br /&gt;
*[[2ちゃんねる組]]&lt;br /&gt;
*[[管理者互助会]]&lt;br /&gt;
*{{WP2|Wikipedia:管理者}}&lt;br /&gt;
*{{WP2|特別:登録利用者の一覧/sysop}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ういきへていあにほんこはんのかんりしや}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|かんりしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアの管理者|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで隠蔽された真実]]&lt;br /&gt;
[[Category:管理者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット右翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:独裁者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0&amp;diff=332194</id>
		<title>日本会議</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0&amp;diff=332194"/>
				<updated>2017-01-13T02:37:50Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;「日本会議」は、改憲翼賛・復古主義の日本最大のカルト団体である。「美しい日本の憲法をつくる会」「国家基本問題研究所」「平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム」「「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会」「放送法遵守を求める視聴者の会」などの本体。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
２００２年９月以来、「１０万人ネットワーク」（設立５周年事業リーフレット）を目指して活動を続けている。また、これに協力する「日本会議国会議員懇談会」（現在２４２人、会長・麻生太郎衆議院議員）を持ち、国会と地方議会に強い影響力がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石田和外が立ち上げた「元号法制化実現国民会議」が改組した「日本を守る国民会議」（運営委員長・黛敏郎）と、円覚寺管長・朝比奈宗源が生長の家初代総裁・谷口雅春と語らって結成した「日本を守る会」が１９９７年、組織統合して結成されたもので、機関誌『日本の息吹』を毎月発行してきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１．憲法改正（[[大東亜戦争]]肯定、「太平洋戦争」の呼称否定）　２．教育基本法改正　３．靖国公式参拝の定着　４．夫婦別姓法案反対　５．より良い教科書を子供たちに、の５大スローガンを掲げて活動している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
所在地は目黒区青葉台の「パシフィックマークス青葉台」6階。政治団体「日本協議会」の本部が隣接している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「日本会議」役員'''&lt;br /&gt;
    名誉会長：元最高裁判所長官、政治活動家・三好達&lt;br /&gt;
    会長：杏林大学名誉教授　田久保忠衛&lt;br /&gt;
    副会長：東京大学名誉教授　小堀桂一郎、神社本庁総長  工藤伊豆&lt;br /&gt;
    理事長：明治神宮権宮司 　田中安比呂&lt;br /&gt;
    事務総長：日本協議会会長　椛島有三&lt;br /&gt;
    国会議員懇談会会長：麻生太郎&lt;br /&gt;
    国会議員懇談会会長代行：中川昭一&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「日本会議国会議員懇談会」'''&lt;br /&gt;
    会長：麻生太郎（外務大臣）　&lt;br /&gt;
    会長代行：中川昭一（自由民主党政調会長）　&lt;br /&gt;
    副会長：谷垣禎一（前財務大臣）　&lt;br /&gt;
    副幹事長：小池百合子（内閣総理大臣補佐官（国家安全保障問題担当））&lt;br /&gt;
    副幹事長：安倍晋三（内閣総理大臣、自由民主党総裁）&lt;br /&gt;
    小野清子（参議院議員、元国務大臣）&lt;br /&gt;
    石破茂（元防衛庁長官）&lt;br /&gt;
〔 「日本会議、日本会議国会議員懇談会設立五周年記念大会」大会決議（http://www.nipponkaigi.org/about/5years ）から構成〕&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「民間教育臨調」と「日本会議」'''&lt;br /&gt;
　「日本の教育改革」有識者懇談会（以下「民間教育臨調」）の副会長は５人のうち４人までを「日本会議」の役員が占め、同会に大きな影響力をもつ体制が作られている。「日本会議」の役員７７人のうち、「民間教育臨調」に名を連ねている者は３０人にも達する。名前を加えていない４７人のうち２５人は宗教団体役員であり、４人が「[[軍人恩給連盟]]」「日本遺族会」「日本郷友連盟」「英霊にこたえる会」など旧軍・自衛隊関係団体の役員、そして会長・事務総長の２人である。「日本会議」の四割近い（３９％）役員を「民間教育臨調」に送り込みながら、明らかにそれと分かる会長・事務総長、および３分の１以上を占める宗教団体および旧軍関係者等を表に出さない工夫と努力がなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''宗教団体と「日本会議」'''&lt;br /&gt;
　「日本会議」は、１９９７年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が合体して結成された。「国民会議」は、保守系文化人を中心としつつ旧軍関係者とも共闘する組織であった。「守る会」の方は、&amp;lt;b&amp;gt;神社本庁・生長の家・仏所護念会・[[念法眞教]]・モラロジー&amp;lt;/b&amp;gt;など宗教・修養団体が中心となり、そこに&amp;lt;b&amp;gt;曹洞宗管長・日蓮宗管長&amp;lt;/b&amp;gt;なども名前を連ねる宗教関係者中心の団体であった。&lt;br /&gt;
　「&amp;lt;b&amp;gt;キリストの幕屋&amp;lt;/b&amp;gt;」も「日本会議」の有力な構成団体である。「キリストの幕屋」は毎週、サンケイプラザで日曜集会を行なっている。http://www.makuya.or.jp/hikari/sankei.htm&lt;br /&gt;
　「日本会議大阪」の構成団体をみると、キリストの幕屋のみならず、&amp;lt;b&amp;gt;神道政治連盟（神社本庁）・国柱会・仏所護念会・ＩＩＣ（霊友会）・崇教真光・[[念法眞教]]・神道青年会&amp;lt;/b&amp;gt;などの宗教団体が名を連ねているし、大阪府遺族連合会という&amp;lt;b&amp;gt;日本遺族会&amp;lt;/b&amp;gt;の下部団体も名を連ねている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「夫婦別姓反対」「在日選挙権反対」「首相の靖国公式参拝」と「日本会議」'''&lt;br /&gt;
　 「日本会議」の結成は、文化人中心の「国民会議」が、献身的で巨大な財政力・組織力・動員力を持つ宗教団体連合の「守る会」と合体することにより、国民動員的な巨大組織を目指したものであった。その結果、彼らはこれまで「夫婦別姓反対」や「在日の選挙権反対」などで大きな成果を挙げてきた（いずれの法案も提出されたが棚ざらしになっている）し、「首相の靖国公式参拝」にも力を入れてきた。&lt;br /&gt;
〔以上、出典　http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/0_conb07.htm から構成〕&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''日本会議の支部'''（一部）&lt;br /&gt;
日本会議熊本　http://www1.ocn.ne.jp/~knippon/　 熊本市宮内3-1 （熊本県神社庁内）&lt;br /&gt;
日本会議広島　http://park6.wakwak.com/~nipponkaigi-hiro/&lt;br /&gt;
日本会議大阪　http://homepage2.nifty.com/nippon-kaigi/　大阪市中央区久太郎町４丁目渡辺６号　大阪府神社庁内&lt;br /&gt;
日本会議愛媛県本部　http://nippon-ehime.cool.ne.jp/　松山市勝山町1-7-20　友愛ビル202&lt;br /&gt;
日本会議福岡　http://www3.coara.or.jp/~nippon_f/　北九州支部　〒800-0244　北九州市小倉南区下曽根新町１０－１　(株)北九州地域開発 内　&lt;br /&gt;
日本会議奈良　http://www.naraken.jp/nipponkaigi-nara/&lt;br /&gt;
日本会議宮城県本部　http://nipponkaigi.net/&lt;br /&gt;
日本会議東京本部　http://www.nipponkaigi-tokyo.com/　〒153-0042 東京都目黒区青葉台3-10-1-601&lt;br /&gt;
日本青年協議会　http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5936/　後　援　日本会議大阪／日本会議大阪河内支部　〒153-0042　東京都目黒区青葉台3-10-1-602&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''九七年結成時の「日本会議」「日本会議国会議員懇談会」'''の役員は以下の通り。&lt;br /&gt;
◆　日本会議本部&lt;br /&gt;
会長　[[塚本幸一]]ワコール会長（98年6月死去）&lt;br /&gt;
副会長　小堀桂一郎、[[石井公一郎]]（元ブリヂストンサイクル会長）、岡本健治（神社本庁総長）・[[小田村四郎]]（拓殖大学総長）、[[安西愛子]]・山本卓眞]]（98.9.22から、富士通名誉会長）&lt;br /&gt;
理事長　田中安比呂（明治神宮権宮司98.9.22まで）、戸澤眞（98.9.22から、明治神宮崇敬会理事長。&amp;lt;b&amp;gt;勝共連合&amp;lt;/b&amp;gt;元顧問。）&lt;br /&gt;
事務総長　[[椛島有三]]（[[日本青年協議会]]議長）&lt;br /&gt;
事務局長：松村俊明&lt;br /&gt;
　　結成　：1997年5月30日（旧「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」の組織統一・再編による）&lt;br /&gt;
　　本部　：〒153-0042　東京都目黒区青葉台3-10-1-601&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◆　日本会議国会議員懇談会（日本会議と支援・連帯する国会議員の組織）&lt;br /&gt;
会長　島村宜伸（前農林水産大臣）&lt;br /&gt;
幹事長　平沼赳夫&lt;br /&gt;
事務局長　[[小山孝雄]]&lt;br /&gt;
　　結成：1997年5月29日&lt;br /&gt;
　　事務所：〒102-0093　東京都千代田区平河町2-7-5　砂防会館3F（日本会議第2事務所が同居）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「日本会議」中央役員名簿（2002年5月）'''　（ &amp;lt; 　&amp;gt; が宗教関係団体）&lt;br /&gt;
【顧　問】&lt;br /&gt;
１ [[石川六郎]]　[[日本商工会議所]]名誉会頭、２ [[宇野精一　東京大学名誉教授、３ 加瀬俊一（物故）　鹿島出版会相談役、４ [[北白川道久]]&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;神宮大宮司&amp;lt;/b&amp;gt;&amp;gt;、５ [[久邇邦昭]]&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;神社本庁&amp;lt;/b&amp;gt;統理&amp;gt;、６ 櫻井勝之進　&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;皇学館大学&amp;lt;/b&amp;gt;常任顧問&amp;gt;、７ 白井永二&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;鶴岡八幡宮&amp;lt;/b&amp;gt;名誉宮司&amp;gt;　８ 瀬島龍三　伊藤忠商事(株)特別顧問、９ 戸田義雄&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;国学院大学日本文化研究所&amp;lt;/b&amp;gt;名誉所員&amp;gt;、10 服部貞弘　&amp;lt;岩津天満宮名誉宮司&amp;gt;、11 福島信義&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;明治神宮&amp;lt;/b&amp;gt;名誉宮司&amp;gt;、12 渡辺恵進&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;天台座主&amp;lt;/b&amp;gt;&amp;gt;&lt;br /&gt;
【会　長】　&lt;br /&gt;
13 三好達　前最高裁判所長官&lt;br /&gt;
【副会長】　&lt;br /&gt;
14 安西愛子　声楽家、15 石井公一郎　ブリヂストンサイクル(株)元社長、16 小田村四郎　拓殖大学総長、17 工藤伊豆　&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;神社本庁&amp;lt;/b&amp;gt;総長&amp;gt;、18 小堀桂一郎　東京大学名誉教授、19 山本卓眞　富士通(株)名誉会長&lt;br /&gt;
【代表委員】&lt;br /&gt;
20 石原慎太郎　作家、21 [[井尻千男]]　拓殖大学日本文化研究所所長、22 [[出雲井晶]]　作家・日本画家、23 板垣正　元参議院議員、24 [[伊藤憲一]]　青山学院大学教授、25 稲山霊芳&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;念法眞教&amp;lt;/b&amp;gt;燈主&amp;gt;、26 井上太郎&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;霊友会&amp;lt;/b&amp;gt;総務理事&amp;gt;、27 [[入江隆則]]　明治大学教授、28 宇佐美忠信　(財)富士社会教育センター理事長、29 海老原義彦　&amp;lt;b&amp;gt;軍恩連盟&amp;lt;/b&amp;gt;全国連合会会長、30 [[大石泰彦]]　東京大学名誉教授、31 岡田恵珠&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;崇教真光&amp;lt;/b&amp;gt;教え主&amp;gt;、32 岡野聖法&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;解脱会&amp;lt;/b&amp;gt;法主&amp;gt;、33 小串和夫&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;熱田神宮&amp;lt;/b&amp;gt;宮司&amp;gt;、34 尾辻秀久　日本遺族会副会長、35 小野田寛郎　(財)小野田自然塾理事長、36 加瀬英明　外交評論家、37 [[勝部真長]]　お茶の水女子大学名誉教授（物故）、38 加藤芳郎　漫画家、39 上村和男　(社)国民文化研究会理事長、40 [[城内康光]]　前ギリシャ大使、41 清原恵光&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;比叡山延暦寺&amp;lt;/b&amp;gt;代表役員執行&amp;gt;、42 黒川紀章　建築家、43 黒住宗晴&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;黒住教&amp;lt;/b&amp;gt;教主&amp;gt;、44 慶野義雄　日本教師会会長、45 佐伯彰一　文芸評論家、46 [[境川尚]]　前日本相撲協会理事、47 [[佐藤和男]]　青山学院大学名誉教授、48 志摩淑子　(株)朝日写真ニュース社社長、49 春風亭柳昇（物故）　落語家、50 鈴木俊一　日本倶楽部会長、51 関口徳高&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;仏所護念会&amp;lt;/b&amp;gt;教団会長&amp;gt;、52 [[千玄室]]　茶道裏千家前家元、53 副島廣之&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;明治神宮&amp;lt;/b&amp;gt;常任顧問&amp;gt;、54 園田天光光　各種女性団体連合会長、55 瀧藤尊教　&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;総本山四天王寺&amp;lt;/b&amp;gt;元管長&amp;gt;、56 田久保忠衛　外交評論家、57 武原誠郎　イムカ株式会社代表取締役、58 [[竹本忠雄]]　筑波大学名誉教授、59 坪井栄孝　日本医師会会長、60 寺島泰三　(社)日本郷友連盟会長、61 外山勝志&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;明治神宮&amp;lt;/b&amp;gt;宮司&amp;gt;、62 中野良子　オイスカインターナショナル総裁、63 中村清彦　富士産業(株)代表取締役、64 能村龍太郎　太陽工業(株)代表取締役会長、65 [[長谷川三千子]]　埼玉大学教授、66 廣池幹堂&amp;lt;(財)&amp;lt;b&amp;gt;モラロジー&amp;lt;/b&amp;gt;研究所理事長&amp;gt;、67 藤岡重孝&amp;lt;神宮少宮司&amp;gt;、68 古谷幸三郎　(株)茨城木工所代表取締役社長、69 堀江正夫　&amp;lt;b&amp;gt;英霊にこたえる会&amp;lt;/b&amp;gt;会長、70 丸山敏秋&amp;lt;(社)&amp;lt;b&amp;gt;倫理研究所&amp;lt;/b&amp;gt;理事長&amp;gt;、71 宮崎義敬&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;神道政治連盟&amp;lt;/b&amp;gt;会長&amp;gt;、72 宮西惟道&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;東京都神社庁&amp;lt;/b&amp;gt;庁長・&amp;lt;b&amp;gt;日枝神社&amp;lt;/b&amp;gt;宮司&amp;gt;、73 村尾次郎　[[全国地名保存連盟]]会長、74 [[村松英子]]　女優、75 湯澤貞　&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;靖国神社&amp;lt;/b&amp;gt;宮司&amp;gt;&lt;br /&gt;
【理 事 長】　76 田中安比呂　&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;明治神宮&amp;lt;/b&amp;gt;権宮司&amp;gt;&lt;br /&gt;
【事務総長】　77 椛島有三　日本会議理事&lt;br /&gt;
〔出典　http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/0_conb07.htm〕&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%AF%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=332192</id>
		<title>たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%AF%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=332192"/>
				<updated>2017-01-13T02:30:33Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: /* {{WPuser|吹石}} */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧'''（うぃきぺでぃあのりようしゃいちらん）は、[[ウィキペディアの利用者]]のうち五十音の「た」から「は」までで始まるアカウントの一覧。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==た行==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|たかぼん8160}}===&lt;br /&gt;
{{無}}[[日蓮正宗]]に関係する記事に出没。68代大石寺管長である[[日如]]を日如'''上人'''と呼ぶなど、日蓮正宗の信者であると思われる。'''ウィキペディア内でも勧誘活動'''を行っており、その結果無期限ブロック処分を喰らった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|つきよのうさぎ}}===&lt;br /&gt;
義父は[[Chatama]]（娘の[[Tama998]]と結婚し、義父とも同居している）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|でここ}}===&lt;br /&gt;
[[山梨県]]の歴史関連記事を執筆する「'''[[サイバーストーカー|ネットストーカー]]'''」。とにかく歴史ありきで、歴史の無関係な他の山梨の記事を見つけては無理やり歴史を付加して回っている。しかしその内容はいたって読みにくい（節分けすらしない）うえ文献の丸写し（よく特定版削除されないものだ）であり、要出典タグを貼られると「何がいけないのですか?」とだらだらと持論を展開しては自分ルールを適用するなど開き直った態度をとるため他のユーザーとよく紛争になっている。特に山梨関連記事を執筆していた[[またーり]]に対して執拗に付きまとい、彼の作成した記事のノートに自論を展開。またーりが答えても理解しないどころか「わたしのかんがえたまたーりさん」を展開したためまたーりがブチ切れて「'''ストーカー'''」のレッテルを貼られる。その後またーりの攻撃に遭うも構ってくれるまたーりに恋をしたのかむしろはしゃぎ出し、完全にもて遊んでいた。ちなみにまたーりが最後にでここに吐いた捨て台詞「'''金は出さねど口は出す'''」はある意味迷言となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またーり引退後も山梨県の歴史関連の記事を書いているが、優良執筆者である[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:さかおり さかおり]が現れて以降改めてでここの書いた記事の内容の酷さがよくわかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|タケナカ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}'''極めて悪質。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|タノ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}「タノQ」と名乗っている。日本語がかなり不自由な参加者であり、暴言ユーザーの1人として知られている。ただし反日左翼思想の持ち主であるためになぜか管理者のmiyaや周囲の左翼に手厚く保護されており、いくら暴言をこいてもブロックされることはない。保守思想・右翼思想・左翼の反論者を排撃するための「かませ犬」として利用されている節がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
標準語は書けず、高卒レベルの頭脳すら無いため小学生か中学生を思わせるが、実は40過ぎの中年男性である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ダルメーター}}===&lt;br /&gt;
{{無}}ボクシング関連の記事を執筆している。多くのIPユーザーから感謝を受けるなど、'''新入りには'''評判が良い。[https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:投稿ブロック依頼/ダルメーター_延長 投稿ブロック依頼]の審議中に、[https://ja.wikipedia.org/wiki/フアン・カルロス・サルガド 一度合意の上で改名された記事]を4度も独断で再改名した勇者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|チンドレ・マンドレ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}アカウント名が放送禁止用語であるのを見ればわかるとおり、独裁的で全体主義的な、ウィキペディア1番のガン細胞である。多重アカウントを使って、自作自演を行っている疑いもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|テイジセイ}}===&lt;br /&gt;
議論のページで多重アカウントを使って自作自演を行い、他人を騙すことばかり考えている基地外ユーザー。[https://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:西大寺_(旧市域)#改名提案_(2011年1月) ここ]でついにそれがバレて無期限ブロックされたが、反省する気がないようで別アカで何食わぬ顔して現れている。通常は広島OCN光の可変IPで編集を行い、ページの改名などログインしないと出来ない作業の時だけログインしているようである。[https://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:備後都市圏#「備後・井笠都市圏」への改名について 岡山南西部から尾道～福山へ移り住んでいる]と自称しているためか岡山・広島県関連の編集が多く、またプロレス関連やカメラ関連の編集も多い。自分と同分野の編集をしている他のログインユーザーに対して執拗な粘着行為を繰り返す。現在までに[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:カワツムリ カワツムリ]・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:竜王は生きていた 竜王は生きていた]・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:ネコニャン ネコニャン]・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:テンクウカイカツ テンクウカイカツ]（テイジセイと関連がないなんておかしな言い訳して管理者を騙そうとしているが100%嘘、テンクウカイカツのブロック後にIPで大量に記事作成しており反省する気無し）がブロックされた。それと分かっているだけで[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:ふるさと ふるさと]（アカウント作成日がネコニャンと同じ、テイジセイのブロック後から編集無し）・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:だいまおうゾーマ だいまおうゾーマ]（ふるさとや竜王は生きていたと編集傾向や日時がそっくり）・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:マイホームのミコト マイホームのミコト]（竜王は生きていたが行ったページ強行移動が差し戻された件について傍観者のフリをして質問）・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:ブッケンシニア ブッケンシニア]（竜王は生きていたと同様のページ強行移動）も同一人物である。同様に岡山県関連の編集をしていてブロックされた[[おかやまりゅうせい]]はまだ子供だったから仕方ないと思える所があるが、テイジセイは文章からして子供とは思えないのにやってることはおかやまりゅうせいと同レベルである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|テレポちゃん}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{ネットサヨ}}敬語を学習しておらずおネエ言葉を使用、編集記事は性的なページと削除依頼のみという100%気違いのウィキペディアン。にもかかわらず編集傾向隠蔽に成功しブロックを免れた稀有な存在。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|テンパわたる}}===&lt;br /&gt;
{{警}}ほぼ100%気違いのウィキペディアン。理由もなしに気に入らない記事を削除依頼に出すなど、その横暴さは計り知れない。また、乱暴に即時削除タグを貼り付けることも多い。ほとんど[[北朝鮮]]工作員と同等である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、ここで苦情を言われていることに対しても利用者ページに於いて「良くも悪くも有名なのでしょうか」などとヘラヘラしているなど、全く以って自分の横暴態度を改める気の無いボケナスアホンダラである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それに[[葵龍雄]]（現在記事自体が既に削除）のページで、葵の善意を挙げた書き込みを「雑草」などとボサいて削除をぶちかましたパープリンの一員である。こいつ[[埼玉県]][[加須市]]在住だそうだがその加須近郊の[[北埼玉郡]][[北川辺町]]（とは言っても既に加須に編入されたが）で、[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/saitamakitasaitama.htm こんなヒッデェ事件]があったってぇ事実をどう受け止めてるのか見ものだぜ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年12月上旬から音沙汰なし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ドングリ}}===&lt;br /&gt;
'''自称'''[[2001年]]（[[平成]]13年）生まれ。どう考えても削除に値しない記事について、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2_20150125]のような削除依頼を出している狂気の荒らし利用者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年7月に編集を開始。2015年現在中学生と自称している。しかし、その言葉遣いや普通の中学生が学校に登校する時間帯や深夜でも投稿している点から、中学生などと言うのは'''虚偽'''である可能性が非常に高い。（年少利用者であることを利用して制裁逃れをするためか?）[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Qleed&amp;amp;oldid=58027097 2003年7月26日生まれで小学生と出張しているQleedとか言う利用者]と同じく、年齢偽証をしている疑いがあるが、Qleedよりは年齢偽証をしている可能性は低い。年少利用者の面汚しであり、このような基地外がウィキペディアにのさばることで年少利用者全体のイメージが悪くなり、年少利用者いじめが加速している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
編集は必ずと言っていいほど、他利用者への会話ページへの難癖・揚げ足取りなどの「やらなくてもいい編集」ばかりのようである。削除依頼を出す際に必ずと言っていいほどいつも使っている口癖は「現時点では対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及がなく、特筆性のない記事としてケース○で依頼します。」←（イミフ）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|大東亜人}}===&lt;br /&gt;
[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:Jetbbman Jetbbman]のソックパペット。論破されると黙って逃げるところや、一度も編集や態度が支持されていないところもそっくり。何をしても恥をかくだけの害虫だがなぜか居座っている。真性のマゾかキチガイなのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|田紳有楽}}===&lt;br /&gt;
Wikipediaでの[[葵龍雄]]の記事（Wikipediaでは現在は記事自体が削除）に葵の善意にケチをつける恩知らずな書き込みの数々を「個人的意見を書く場じゃない」「論評すんな」「場違いだ」と蹴散らした、胸のすく利用者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|田中幹生}}===&lt;br /&gt;
福島県相馬市在住。[[1978年]][[2月7日]]生（[[加護亜依]]と一緒）。身長177cm。体重0.1tのピザでも（ry&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おっぱい・灯油・メロディックスピードメタル・ユーロビート・紺野あさ美・携帯電話・パソコン・ウィキペディア・You Tubeが好きでDQN・タバコ・信号待ち・子供が嫌い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
モ娘（狼）板の「雑談と独り言」スレの住人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以前は常磐線各駅や相馬市の画像をアップロードしていたが、携帯で撮影しているために質の悪さから大部分は他者の画像に置き換えられてしまう。また仙台駅の画像で顔がそのまま写った状態でアップロードされ、削除依頼をくらってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]4月、海獺氏にコメントアウトにて暴言を吐いたところ2週間ブロックを食らってしまう。その顛末をNekosuki600氏によって晒される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%81%AB%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%81%A0%E3%81%91%E3%82%92%E4%BD%9C%E6%88%90 Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成]を理解せずにリンクを貼ったところ、IPにダメ出しを食らう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|丹の字}}===&lt;br /&gt;
{{main|丹の字}}&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%9A%84%E7%B5%8C%E6%B8%88%E9%80%A3%E6%90%BA%E5%8D%94%E5%AE%9A TPP]などで、自分が気に食わない投稿はすぐに差し戻すキチガイ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|超}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}ほぼ'''魔女狩り専門'''といって良い。2006年6月5日（月） 12:30にアカウント取得、2006年9月10日（日） 03:04に活動開始。2008年5月18日（日） 08:32以降に活発化。これまでに関わりが無かった相手に目を付ける場合があり目を付けた相手に対しては過剰なまでに問題視・危険視する場合があり、対話拒否の有無・改善努力表明有無・程度・円満解決の可能性を十分鑑みずに初めから「排除ありき」「相手を圧倒」を前提に各種の行動を起こし先入観を持つ事から相手に対して威圧的に接し特に有期ブロックが明けて活動を再開した相手に対しては時には静観しておいて事前の対話・警告・コメント依頼無しにいきなり投稿ブロック依頼する等、ステルス的な'''騙し討ち'''とも言える行動に出る事もある。まるで[[五・一五事件]]で「話せば分かる」という相手に「問答無用」と、いきなり銃口を向ける軍人の様な横暴さである。その一方でミートパペットとおぼしき行為も行う。又、「議論停止の提案」と称して折角活性化された議論を停止させ時には'''話し合いによる解決の可能性を潰し'''折角提示された出典や改定案を闇に葬る場合さえある一方で[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28887188&amp;amp;oldid=28837199 この発言]からも建設的な編集を行わず他人任せで自ら項目を改善しようとしない魔女狩り専門である事が伺える。又、争いの当事者の一方'''だけ'''を[[浅野長矩]]の様に悪人扱いする一方でもう一方に他者の発言の改竄やブロック破り等（違反行為）の疑惑があってもそれに目を瞑り、或は見て見ぬ振りをし[[吉良義央]]の様に「お咎め無し」とするえこひいき体質でもある。[[ブラック企業]]の経営者・幹部・上司と同じ体質、といってよい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|提督}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{ネットサヨ}}「ネットウヨク」の項目でサヨク独特の偏向っぷりを大量に披露。ネットウヨクは「その反面、日本の近現代史や、戦史・戦略などの軍事知識などにおいて一般人より劣る部分がある」などの妄想を垂れ流しそのたびにノートで論破されるも「“ネット右翼現象”の説明は進行中の事例の「観察」結果であり、必ずしも明確な出典がある訳ではない」や｛「検証可能性」の誤解（あるいは拡大解釈）について｝などと妄想を押し付けるための妄想を披露しネットウヨク以外のユーザーにも叩かれまくる。また死刑存廃問題の項目では死刑廃止論を押し付ける偏向記事に協力し、複数回にわたり「記事分割の実施要項案」を出すもこれも独りよがりで廃案となる。国際人権派団体と呼ばれながら北朝鮮による拉致には一切抗議しない偏向サヨク団体「アムネスティ・インターナショナル?」や「私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ」という暴言で知られる死刑廃止論者という名のサヨクの変種「菊田幸一」の項目に多く参加している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|鉄火}}===&lt;br /&gt;
[[電通]]のネット風評対策担当社員と思われる（履歴参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|どうろこうだん}}===&lt;br /&gt;
道路記事で無駄に連続投稿を繰り返したり、大胆な編集を頻繁にする（していた）キチガイ利用者。IP時代[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/125.202.158.203]には、アカウントユーザーのみできる「ページの移動」をやり、{{WPuser|みちまん}}に怒られている[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E3%81%BF%E3%81%A1%E3%81%BE%E3%82%93&amp;amp;oldid=61241062#.E5.8D.97.E7.B4.80.E7.99.BD.E6.B5.9C.EF.BC.A9.EF.BC.A3.E3.81.AE.E4.BB.B6.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6]。完全にwikipediaのルールを無視している野郎である。最近は動きがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|所沢方面快速急行}}===&lt;br /&gt;
{{Main|所沢方面快速急行}}&lt;br /&gt;
中学生の荒らし行為者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==な行==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ナカムーラ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{無}}アイドルヲタクで、利用者名が'''AKB48の誰かの愛称と同じでまぎわらしい'''という理由だけで管理者伝言板に通報しているキチガイ。少し前管理者で後輩のVigorous actionにより{{粛清されました}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ネプチューン}}===&lt;br /&gt;
{{警}}[[谷川浩司|某滝川ルネッサンスジジイ]]が[[加藤智大|アキバ通り魔]]みたいな顔をしているという事実に対して反対はしないという考えの癖に書かせてくれない支離滅裂な利用者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|長野のそうじろう}}===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
{{無}}{{誹}}{{Y無}}{{U無}}{{C無}}基地外ユーザー。ウィキペディアの方針文章無理解で5年のブロック。さらに姉妹プロジェクトなどでパスワードを公開して無期限ブロック移行となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつは'''&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:2cm&amp;quot;&amp;gt;荒らしが趣味の基地外&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|二十時三十分}}===&lt;br /&gt;
記事を一切書かず全角を半角に変える作業、要出典や独自研究タグの貼り付けと管理者の批判しかしない無能なくせに批判だけは一人前という最悪の人物。現実世界でも嫌われ者に違いない。ただソックパペットではないので、さすがの海獺もブロックできる理由が見当たらず対処に難儀している。度が過ぎる行為に対して反感が高まり、遂にブロック依頼が提出された。最早追放と長期荒らしの仲間入りは必至である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|廿粁}}===&lt;br /&gt;
{{ネットウヨ}}。「20キロメートル」と読む。左翼と在日によってウィキペディアは「汚染」されていると妄信し、「中立的な記述」に戻そうとして国粋主義全開の編集をしてゆく迷惑ユーザー。少しでも批判されると安易に個人攻撃扱いするなど、自分が非難する朝鮮民族やプロ市民と同じ事をやらかす典型的な厨房。度が過ぎる迷惑行為と偏頗した編集のため2009年、ブロック依頼が提出されいよいよ年貢の納め時かと思われたがHimetv、Frommなどの[[2ちゃんねる組]]が2chウィキペディアスレのネットウヨに煽動されて反対したためブロックは見送りとなった。しかしその後もはるひの解任動議で私怨から解任賛成に票を投じたり相変わらず姿勢を変えずに摩擦を起こすなどウィキペディアのコミュニティを消耗させており、遠からず追放されるのは自明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|猫じゃーらし}}===&lt;br /&gt;
シャフトの社員。ステマしか出来ない無能。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|野田文憲}}===&lt;br /&gt;
{{無}}[[ウィキペディア日本語版]]にいる、悪質なソックパペットの1つ。「[[野田憲太郎|音楽家気取りの息子]]」がパスポートや住民票で確認されない限り、虚偽を利用者ページに書いたことからはアカウント作成者は逃げられない。この手のソックパペットは管理ユーザーが作成する。はてなキーワードとYourpediaで詳細な追求を行った後に、なぜか無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==は行==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ぱたごん}}===&lt;br /&gt;
{{警}}2011年にパタゴニアから&amp;lt;del&amp;gt;ばかごん&amp;lt;/del&amp;gt;ぱたごんへ改名。削除依頼に常駐し、記事が作成された人物の成長を全く待つ気などなく削除票を入れる。また自分の気に入らない記述は全て「出典がない」と因縁をつけて削除。3度もの短期ブロック歴があることから、ウィキペディアでも最も悪質なユーザーの部類に入ると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|はぬまん}}===&lt;br /&gt;
''詳細は「'''[[はぬまん]]'''」を参照。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{警}}救いようのないほど非常に頭が悪く、自分に逆らうものや、自分が「悪」だと勝手に思い込んだ気に入らないユーザーを潰すためならどんな手段でも用いて叩き潰す独裁者。その結果荒らしを助けることになっても辞さないという異常さである（頭の悪い彼には理解出来ないことなのかもしれないが）。精神障害を患っている可能性があるため早期入院が待望されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また「'''ネットストーカー'''」・「正直、'''気分が悪いのを通り越して、気持ち悪い。'''&lt;br /&gt;
」とも評されている[http://peace.2ch.net/test/read.cgi/internet/1324219897/207-208]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|はま}}===&lt;br /&gt;
{{警}}気に入らない利用者を平気で罵倒する悪質なユーザーであり、他の利用者からの顰蹙を買っている。一例をあげると「自分に都合の悪い部分は無視して駄々を捏ねるわけですか（呆）。」「幼稚園児の作文の発想ですか?」「まぁ中学生の学級会くらいまでは成り立つかもしれませんが、果たして一般社会の問題で現実的なルールが作成できるのか大いに懐疑的にならざるを得ません」「それはただの子供の駄々と変わりません。」「会議室の隅っこで一人でタイトル付けに勤しんでください。」など自分の態度や行為を棚に上げることが多く、かつその罵倒の仕方は極めて幼稚である。2013年[[6月20日]]にコメント依頼を出され、利用者から非難されると発狂。依頼者が問題点を指摘すると「くだらなすぎて話にならない」と対話拒否の姿勢を示し、他の利用者からウィキペディアの三大原則を理解していない旨を指摘されると「まさにあなたの態度が一方的な視点で他人を貶める姿勢だ」と脊椎反射でキレ、さらに「俺だけを叩くのは不平等だ、依頼者も叩け」とコメント依頼の意味を理解せず、あげく最後には「私はウィキペディアにお友達を作りに来ているのではありませんので」と意味不明なことを言い出す始末である。たちの悪さは日本語版WPの中で随一とも言えるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|はるみエリー}}===&lt;br /&gt;
自民に都合が悪い内容を片っ端から消しまくり、また「要出典」を貼りまくり、[[#ぽてから（会話/履歴）|ぽてから]]を弁護するネトウヨ。2014年末から突如としてアクティビティが跳ね上がった。不利なルールはすべて無視してひたすら逃げまわるか駄々をこねるクソガキ。しかも[[安倍晋三]]の信者だけあって絶対に謝らない。さすがネトウヨ、キチガイの鑑である。利用者ページは何を言いたいのか分からない内容。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|フォット}}===&lt;br /&gt;
{{WPuser|みちまん}}の靴下。2016年7月引退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Darukichi_Fumibayashi}}===&lt;br /&gt;
“ふみばやし・だるきち”と読む。[[L～Pから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#LearningBox（会話/履歴）|LearningBox]]の妻。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|端くれの錬金術師}}===&lt;br /&gt;
{{警}}トンチンカンな記事しか書けない若い男性。ノートページでの署名の際はhashikureと名乗っている。削除の方針に合致しないものまで、容赦なく削除依頼に出す'''削除主義者'''である。最も残忍なウィキペディアンでもある。mixiにも別名（cai）で潜伏。mixiで必死にWP管理者の擁護を行い、端くれなど知らぬ存ぜぬと言い張る[http://www.chaoticshore.org/index.html]。2008年6月を最後に音沙汰なし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|東日本侍}}===&lt;br /&gt;
{{警}}自称受験生。主に鉄道、週刊少年ジャンプを主体とするサブカルチャー関連の記事で荒らしている。そのくせ、他の健全なユーザーを荒らし扱いしているとんでもないクソガキである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、最近[[w:fr:user:東日本侍|フランス語版]]でのアカウント取得が確認されており利用者ページにかかれている通りあっちでも暴れる気満々である（フランス語から翻訳したのではなく、そのまま日本語で記述されている）。そしてとうとうフランス語版では1日ブロックを受け、[http://fr.wikipedia.org/w/index.php?title=Special%3ALog&amp;amp;type=block&amp;amp;user=&amp;amp;page=Utilisateur%3A%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BE%8D&amp;amp;uselang=ja 最終的には無期限ブロックを受けてしまいましたとさwwアーアww]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに日本語版の利用者ページにも「フランス語版の同名の利用者は関係ありません」とかいう嘘までついちゃってwwish-kaの真似なんかしてたらバカが余計にバカになるよww&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|暇編集}}===&lt;br /&gt;
様々な記事（特に政治）での編集合戦を生業としている好戦的な利用者。IPアドレス利用者からはISPテンプレートを貼り付けするストーカーとして知られている。最近では[[村木厚子]]と[[石井一]]で[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:LedLine LedLine]を一方的に攻撃したが、LedLineの反論の前にまともな反論ができずに論破された。その後もLedLineに粘着していたが[[2010年]][[3月31日]]には海獺により多重アカウントの不正利用、自作自演の疑いで暫定で無期限ブロックに至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|向日葵三十郎}}===&lt;br /&gt;
{{警}}Wikipedia利用者の1人であり、[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:毛が生えた程度 毛が生えた程度]や[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:OzuYasu３rou OzuYasu３rou]に対し異常なまでに粘着する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛生えの編集方法を「急進的」とみなし編集内容に関わらず闇雲に差し戻しまくる。OzuYasu３rouの編集も「左翼的」とみなして闇雲に差し戻しまくるが、[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:Peace Peace]などのように「右翼的」な編集をしている者に対しては事実上の黙認を決め込む。それもそのはず、本来なら百科事典的でないとして削除されるはずだった「[https://ja.wikipedia.org/wiki/韓民族優越主義 韓民族優越主義]」の記事が削除されぬよう必死に策動し現在も放送されているはずの韓流ドラマの記述を「放送されている」から「放送されていた」に改竄しそれらの行動について注意・質問を受けても無視するなどこいつは典型的な悪質嫌韓厨だからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普段は[[極東アジア]]関連や[[スポーツ]]関連の記事にて遠まわしに韓国の有名人の悪口を書くような編集をしている。こういうことしか頭にないのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|百科事典に綴じ込められた男}}===&lt;br /&gt;
リバート専用靴下。[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:竹麦魚 竹麦魚]も使う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|昼蔵医務}}===&lt;br /&gt;
読みはひるくらいむか。日本語が不自由であり、方針の理解に難がある。テレビ番組において不祥事を編集をしている。一度IPを不正に使用し無期限ブロックされていたが、言い訳したことによって管理者がだまされて釈放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|吹石}}===&lt;br /&gt;
{{main|吹石}}&lt;br /&gt;
{{U管}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|福原実}}===&lt;br /&gt;
{{警}}実質[https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:サンドボックス サンドボックス]の管理者に等しい。主に地方自治体、国道、都道府県道等の編集をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|フルブル}}===&lt;br /&gt;
{{警}}Wikipedia利用者の一人にすぎないのに、管理者気取りで「要出典タグ」を貼っている悪党である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|編集中}}===&lt;br /&gt;
{{main|編集中}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ポケットモンスター_エニシングゴーズ}}===&lt;br /&gt;
精神年齢消防。IP時代に架空の番組記事を書いて削除された腹いせにその番組名でアカウントを作成、自分の利用者ページに同じ文章を書き、自分のページなら自分の勝手だろと思っていたようだが著作権削除されるというお粗末ぶり。その後の利用者ページには意味不明なことしか書いていない。他の記事への執筆もかなり問題がある。結局5年間の投稿ブロックとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ぽてから}}===&lt;br /&gt;
自己紹介ページに「ポテトと唐揚げは最高」としか書いていない。生長の家本流運動、[[日本会議]]とその関係者、自民党議員に不都合な内容、藤倉善郎（「やや日刊カルト新聞」主宰者）の項目を削除させたがるネットサポーター、ネットウヨ。おそらく「生長の家本流運動」の一派たる「谷口雅春先生を学ぶ会」会員。「日本会議の研究」で世に出た菅野完から“非常に興味深い活動をしている”と評された。[[#はるみエリー（会話/履歴）|はるみエリー]]と[[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#沙馬琉寛土（会話/履歴）|沙馬琉寛土]]は同志（しかもはるみエリーの動いている期間・いない期間、分野が、奇妙なまでにこいつの活発・不活発な期間と一致する）。2016年8月、自身に対するコメント依頼が発されたため2ヶ月にわたって鳴りを潜めていた。5度にわたる有期ブロックの前歴あり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ISPはau新宿区（{{WPuser|106.161.207.109}}他）の疑いがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[A～Gから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[H～Kから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[L～Pから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[Q～Zから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[まやらわ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[数字と特殊文字から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアン|*た]]&lt;br /&gt;
[[Category:利用者の一覧|ういきへていあ た]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%AF%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=332191</id>
		<title>たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%AF%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=332191"/>
				<updated>2017-01-13T02:29:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: /* {{WPuser|編集中}} */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧'''（うぃきぺでぃあのりようしゃいちらん）は、[[ウィキペディアの利用者]]のうち五十音の「た」から「は」までで始まるアカウントの一覧。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==た行==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|たかぼん8160}}===&lt;br /&gt;
{{無}}[[日蓮正宗]]に関係する記事に出没。68代大石寺管長である[[日如]]を日如'''上人'''と呼ぶなど、日蓮正宗の信者であると思われる。'''ウィキペディア内でも勧誘活動'''を行っており、その結果無期限ブロック処分を喰らった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|つきよのうさぎ}}===&lt;br /&gt;
義父は[[Chatama]]（娘の[[Tama998]]と結婚し、義父とも同居している）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|でここ}}===&lt;br /&gt;
[[山梨県]]の歴史関連記事を執筆する「'''[[サイバーストーカー|ネットストーカー]]'''」。とにかく歴史ありきで、歴史の無関係な他の山梨の記事を見つけては無理やり歴史を付加して回っている。しかしその内容はいたって読みにくい（節分けすらしない）うえ文献の丸写し（よく特定版削除されないものだ）であり、要出典タグを貼られると「何がいけないのですか?」とだらだらと持論を展開しては自分ルールを適用するなど開き直った態度をとるため他のユーザーとよく紛争になっている。特に山梨関連記事を執筆していた[[またーり]]に対して執拗に付きまとい、彼の作成した記事のノートに自論を展開。またーりが答えても理解しないどころか「わたしのかんがえたまたーりさん」を展開したためまたーりがブチ切れて「'''ストーカー'''」のレッテルを貼られる。その後またーりの攻撃に遭うも構ってくれるまたーりに恋をしたのかむしろはしゃぎ出し、完全にもて遊んでいた。ちなみにまたーりが最後にでここに吐いた捨て台詞「'''金は出さねど口は出す'''」はある意味迷言となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またーり引退後も山梨県の歴史関連の記事を書いているが、優良執筆者である[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:さかおり さかおり]が現れて以降改めてでここの書いた記事の内容の酷さがよくわかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|タケナカ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}'''極めて悪質。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|タノ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}「タノQ」と名乗っている。日本語がかなり不自由な参加者であり、暴言ユーザーの1人として知られている。ただし反日左翼思想の持ち主であるためになぜか管理者のmiyaや周囲の左翼に手厚く保護されており、いくら暴言をこいてもブロックされることはない。保守思想・右翼思想・左翼の反論者を排撃するための「かませ犬」として利用されている節がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
標準語は書けず、高卒レベルの頭脳すら無いため小学生か中学生を思わせるが、実は40過ぎの中年男性である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ダルメーター}}===&lt;br /&gt;
{{無}}ボクシング関連の記事を執筆している。多くのIPユーザーから感謝を受けるなど、'''新入りには'''評判が良い。[https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:投稿ブロック依頼/ダルメーター_延長 投稿ブロック依頼]の審議中に、[https://ja.wikipedia.org/wiki/フアン・カルロス・サルガド 一度合意の上で改名された記事]を4度も独断で再改名した勇者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|チンドレ・マンドレ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}アカウント名が放送禁止用語であるのを見ればわかるとおり、独裁的で全体主義的な、ウィキペディア1番のガン細胞である。多重アカウントを使って、自作自演を行っている疑いもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|テイジセイ}}===&lt;br /&gt;
議論のページで多重アカウントを使って自作自演を行い、他人を騙すことばかり考えている基地外ユーザー。[https://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:西大寺_(旧市域)#改名提案_(2011年1月) ここ]でついにそれがバレて無期限ブロックされたが、反省する気がないようで別アカで何食わぬ顔して現れている。通常は広島OCN光の可変IPで編集を行い、ページの改名などログインしないと出来ない作業の時だけログインしているようである。[https://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:備後都市圏#「備後・井笠都市圏」への改名について 岡山南西部から尾道～福山へ移り住んでいる]と自称しているためか岡山・広島県関連の編集が多く、またプロレス関連やカメラ関連の編集も多い。自分と同分野の編集をしている他のログインユーザーに対して執拗な粘着行為を繰り返す。現在までに[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:カワツムリ カワツムリ]・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:竜王は生きていた 竜王は生きていた]・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:ネコニャン ネコニャン]・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:テンクウカイカツ テンクウカイカツ]（テイジセイと関連がないなんておかしな言い訳して管理者を騙そうとしているが100%嘘、テンクウカイカツのブロック後にIPで大量に記事作成しており反省する気無し）がブロックされた。それと分かっているだけで[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:ふるさと ふるさと]（アカウント作成日がネコニャンと同じ、テイジセイのブロック後から編集無し）・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:だいまおうゾーマ だいまおうゾーマ]（ふるさとや竜王は生きていたと編集傾向や日時がそっくり）・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:マイホームのミコト マイホームのミコト]（竜王は生きていたが行ったページ強行移動が差し戻された件について傍観者のフリをして質問）・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:ブッケンシニア ブッケンシニア]（竜王は生きていたと同様のページ強行移動）も同一人物である。同様に岡山県関連の編集をしていてブロックされた[[おかやまりゅうせい]]はまだ子供だったから仕方ないと思える所があるが、テイジセイは文章からして子供とは思えないのにやってることはおかやまりゅうせいと同レベルである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|テレポちゃん}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{ネットサヨ}}敬語を学習しておらずおネエ言葉を使用、編集記事は性的なページと削除依頼のみという100%気違いのウィキペディアン。にもかかわらず編集傾向隠蔽に成功しブロックを免れた稀有な存在。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|テンパわたる}}===&lt;br /&gt;
{{警}}ほぼ100%気違いのウィキペディアン。理由もなしに気に入らない記事を削除依頼に出すなど、その横暴さは計り知れない。また、乱暴に即時削除タグを貼り付けることも多い。ほとんど[[北朝鮮]]工作員と同等である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、ここで苦情を言われていることに対しても利用者ページに於いて「良くも悪くも有名なのでしょうか」などとヘラヘラしているなど、全く以って自分の横暴態度を改める気の無いボケナスアホンダラである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それに[[葵龍雄]]（現在記事自体が既に削除）のページで、葵の善意を挙げた書き込みを「雑草」などとボサいて削除をぶちかましたパープリンの一員である。こいつ[[埼玉県]][[加須市]]在住だそうだがその加須近郊の[[北埼玉郡]][[北川辺町]]（とは言っても既に加須に編入されたが）で、[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/saitamakitasaitama.htm こんなヒッデェ事件]があったってぇ事実をどう受け止めてるのか見ものだぜ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年12月上旬から音沙汰なし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ドングリ}}===&lt;br /&gt;
'''自称'''[[2001年]]（[[平成]]13年）生まれ。どう考えても削除に値しない記事について、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2_20150125]のような削除依頼を出している狂気の荒らし利用者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年7月に編集を開始。2015年現在中学生と自称している。しかし、その言葉遣いや普通の中学生が学校に登校する時間帯や深夜でも投稿している点から、中学生などと言うのは'''虚偽'''である可能性が非常に高い。（年少利用者であることを利用して制裁逃れをするためか?）[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Qleed&amp;amp;oldid=58027097 2003年7月26日生まれで小学生と出張しているQleedとか言う利用者]と同じく、年齢偽証をしている疑いがあるが、Qleedよりは年齢偽証をしている可能性は低い。年少利用者の面汚しであり、このような基地外がウィキペディアにのさばることで年少利用者全体のイメージが悪くなり、年少利用者いじめが加速している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
編集は必ずと言っていいほど、他利用者への会話ページへの難癖・揚げ足取りなどの「やらなくてもいい編集」ばかりのようである。削除依頼を出す際に必ずと言っていいほどいつも使っている口癖は「現時点では対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及がなく、特筆性のない記事としてケース○で依頼します。」←（イミフ）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|大東亜人}}===&lt;br /&gt;
[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:Jetbbman Jetbbman]のソックパペット。論破されると黙って逃げるところや、一度も編集や態度が支持されていないところもそっくり。何をしても恥をかくだけの害虫だがなぜか居座っている。真性のマゾかキチガイなのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|田紳有楽}}===&lt;br /&gt;
Wikipediaでの[[葵龍雄]]の記事（Wikipediaでは現在は記事自体が削除）に葵の善意にケチをつける恩知らずな書き込みの数々を「個人的意見を書く場じゃない」「論評すんな」「場違いだ」と蹴散らした、胸のすく利用者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|田中幹生}}===&lt;br /&gt;
福島県相馬市在住。[[1978年]][[2月7日]]生（[[加護亜依]]と一緒）。身長177cm。体重0.1tのピザでも（ry&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おっぱい・灯油・メロディックスピードメタル・ユーロビート・紺野あさ美・携帯電話・パソコン・ウィキペディア・You Tubeが好きでDQN・タバコ・信号待ち・子供が嫌い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
モ娘（狼）板の「雑談と独り言」スレの住人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以前は常磐線各駅や相馬市の画像をアップロードしていたが、携帯で撮影しているために質の悪さから大部分は他者の画像に置き換えられてしまう。また仙台駅の画像で顔がそのまま写った状態でアップロードされ、削除依頼をくらってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]4月、海獺氏にコメントアウトにて暴言を吐いたところ2週間ブロックを食らってしまう。その顛末をNekosuki600氏によって晒される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%81%AB%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%81%A0%E3%81%91%E3%82%92%E4%BD%9C%E6%88%90 Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成]を理解せずにリンクを貼ったところ、IPにダメ出しを食らう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|丹の字}}===&lt;br /&gt;
{{main|丹の字}}&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%9A%84%E7%B5%8C%E6%B8%88%E9%80%A3%E6%90%BA%E5%8D%94%E5%AE%9A TPP]などで、自分が気に食わない投稿はすぐに差し戻すキチガイ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|超}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}ほぼ'''魔女狩り専門'''といって良い。2006年6月5日（月） 12:30にアカウント取得、2006年9月10日（日） 03:04に活動開始。2008年5月18日（日） 08:32以降に活発化。これまでに関わりが無かった相手に目を付ける場合があり目を付けた相手に対しては過剰なまでに問題視・危険視する場合があり、対話拒否の有無・改善努力表明有無・程度・円満解決の可能性を十分鑑みずに初めから「排除ありき」「相手を圧倒」を前提に各種の行動を起こし先入観を持つ事から相手に対して威圧的に接し特に有期ブロックが明けて活動を再開した相手に対しては時には静観しておいて事前の対話・警告・コメント依頼無しにいきなり投稿ブロック依頼する等、ステルス的な'''騙し討ち'''とも言える行動に出る事もある。まるで[[五・一五事件]]で「話せば分かる」という相手に「問答無用」と、いきなり銃口を向ける軍人の様な横暴さである。その一方でミートパペットとおぼしき行為も行う。又、「議論停止の提案」と称して折角活性化された議論を停止させ時には'''話し合いによる解決の可能性を潰し'''折角提示された出典や改定案を闇に葬る場合さえある一方で[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28887188&amp;amp;oldid=28837199 この発言]からも建設的な編集を行わず他人任せで自ら項目を改善しようとしない魔女狩り専門である事が伺える。又、争いの当事者の一方'''だけ'''を[[浅野長矩]]の様に悪人扱いする一方でもう一方に他者の発言の改竄やブロック破り等（違反行為）の疑惑があってもそれに目を瞑り、或は見て見ぬ振りをし[[吉良義央]]の様に「お咎め無し」とするえこひいき体質でもある。[[ブラック企業]]の経営者・幹部・上司と同じ体質、といってよい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|提督}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{ネットサヨ}}「ネットウヨク」の項目でサヨク独特の偏向っぷりを大量に披露。ネットウヨクは「その反面、日本の近現代史や、戦史・戦略などの軍事知識などにおいて一般人より劣る部分がある」などの妄想を垂れ流しそのたびにノートで論破されるも「“ネット右翼現象”の説明は進行中の事例の「観察」結果であり、必ずしも明確な出典がある訳ではない」や｛「検証可能性」の誤解（あるいは拡大解釈）について｝などと妄想を押し付けるための妄想を披露しネットウヨク以外のユーザーにも叩かれまくる。また死刑存廃問題の項目では死刑廃止論を押し付ける偏向記事に協力し、複数回にわたり「記事分割の実施要項案」を出すもこれも独りよがりで廃案となる。国際人権派団体と呼ばれながら北朝鮮による拉致には一切抗議しない偏向サヨク団体「アムネスティ・インターナショナル?」や「私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ」という暴言で知られる死刑廃止論者という名のサヨクの変種「菊田幸一」の項目に多く参加している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|鉄火}}===&lt;br /&gt;
[[電通]]のネット風評対策担当社員と思われる（履歴参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|どうろこうだん}}===&lt;br /&gt;
道路記事で無駄に連続投稿を繰り返したり、大胆な編集を頻繁にする（していた）キチガイ利用者。IP時代[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/125.202.158.203]には、アカウントユーザーのみできる「ページの移動」をやり、{{WPuser|みちまん}}に怒られている[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E3%81%BF%E3%81%A1%E3%81%BE%E3%82%93&amp;amp;oldid=61241062#.E5.8D.97.E7.B4.80.E7.99.BD.E6.B5.9C.EF.BC.A9.EF.BC.A3.E3.81.AE.E4.BB.B6.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6]。完全にwikipediaのルールを無視している野郎である。最近は動きがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|所沢方面快速急行}}===&lt;br /&gt;
{{Main|所沢方面快速急行}}&lt;br /&gt;
中学生の荒らし行為者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==な行==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ナカムーラ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{無}}アイドルヲタクで、利用者名が'''AKB48の誰かの愛称と同じでまぎわらしい'''という理由だけで管理者伝言板に通報しているキチガイ。少し前管理者で後輩のVigorous actionにより{{粛清されました}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ネプチューン}}===&lt;br /&gt;
{{警}}[[谷川浩司|某滝川ルネッサンスジジイ]]が[[加藤智大|アキバ通り魔]]みたいな顔をしているという事実に対して反対はしないという考えの癖に書かせてくれない支離滅裂な利用者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|長野のそうじろう}}===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
{{無}}{{誹}}{{Y無}}{{U無}}{{C無}}基地外ユーザー。ウィキペディアの方針文章無理解で5年のブロック。さらに姉妹プロジェクトなどでパスワードを公開して無期限ブロック移行となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつは'''&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:2cm&amp;quot;&amp;gt;荒らしが趣味の基地外&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|二十時三十分}}===&lt;br /&gt;
記事を一切書かず全角を半角に変える作業、要出典や独自研究タグの貼り付けと管理者の批判しかしない無能なくせに批判だけは一人前という最悪の人物。現実世界でも嫌われ者に違いない。ただソックパペットではないので、さすがの海獺もブロックできる理由が見当たらず対処に難儀している。度が過ぎる行為に対して反感が高まり、遂にブロック依頼が提出された。最早追放と長期荒らしの仲間入りは必至である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|廿粁}}===&lt;br /&gt;
{{ネットウヨ}}。「20キロメートル」と読む。左翼と在日によってウィキペディアは「汚染」されていると妄信し、「中立的な記述」に戻そうとして国粋主義全開の編集をしてゆく迷惑ユーザー。少しでも批判されると安易に個人攻撃扱いするなど、自分が非難する朝鮮民族やプロ市民と同じ事をやらかす典型的な厨房。度が過ぎる迷惑行為と偏頗した編集のため2009年、ブロック依頼が提出されいよいよ年貢の納め時かと思われたがHimetv、Frommなどの[[2ちゃんねる組]]が2chウィキペディアスレのネットウヨに煽動されて反対したためブロックは見送りとなった。しかしその後もはるひの解任動議で私怨から解任賛成に票を投じたり相変わらず姿勢を変えずに摩擦を起こすなどウィキペディアのコミュニティを消耗させており、遠からず追放されるのは自明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|猫じゃーらし}}===&lt;br /&gt;
シャフトの社員。ステマしか出来ない無能。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|野田文憲}}===&lt;br /&gt;
{{無}}[[ウィキペディア日本語版]]にいる、悪質なソックパペットの1つ。「[[野田憲太郎|音楽家気取りの息子]]」がパスポートや住民票で確認されない限り、虚偽を利用者ページに書いたことからはアカウント作成者は逃げられない。この手のソックパペットは管理ユーザーが作成する。はてなキーワードとYourpediaで詳細な追求を行った後に、なぜか無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==は行==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ぱたごん}}===&lt;br /&gt;
{{警}}2011年にパタゴニアから&amp;lt;del&amp;gt;ばかごん&amp;lt;/del&amp;gt;ぱたごんへ改名。削除依頼に常駐し、記事が作成された人物の成長を全く待つ気などなく削除票を入れる。また自分の気に入らない記述は全て「出典がない」と因縁をつけて削除。3度もの短期ブロック歴があることから、ウィキペディアでも最も悪質なユーザーの部類に入ると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|はぬまん}}===&lt;br /&gt;
''詳細は「'''[[はぬまん]]'''」を参照。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{警}}救いようのないほど非常に頭が悪く、自分に逆らうものや、自分が「悪」だと勝手に思い込んだ気に入らないユーザーを潰すためならどんな手段でも用いて叩き潰す独裁者。その結果荒らしを助けることになっても辞さないという異常さである（頭の悪い彼には理解出来ないことなのかもしれないが）。精神障害を患っている可能性があるため早期入院が待望されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また「'''ネットストーカー'''」・「正直、'''気分が悪いのを通り越して、気持ち悪い。'''&lt;br /&gt;
」とも評されている[http://peace.2ch.net/test/read.cgi/internet/1324219897/207-208]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|はま}}===&lt;br /&gt;
{{警}}気に入らない利用者を平気で罵倒する悪質なユーザーであり、他の利用者からの顰蹙を買っている。一例をあげると「自分に都合の悪い部分は無視して駄々を捏ねるわけですか（呆）。」「幼稚園児の作文の発想ですか?」「まぁ中学生の学級会くらいまでは成り立つかもしれませんが、果たして一般社会の問題で現実的なルールが作成できるのか大いに懐疑的にならざるを得ません」「それはただの子供の駄々と変わりません。」「会議室の隅っこで一人でタイトル付けに勤しんでください。」など自分の態度や行為を棚に上げることが多く、かつその罵倒の仕方は極めて幼稚である。2013年[[6月20日]]にコメント依頼を出され、利用者から非難されると発狂。依頼者が問題点を指摘すると「くだらなすぎて話にならない」と対話拒否の姿勢を示し、他の利用者からウィキペディアの三大原則を理解していない旨を指摘されると「まさにあなたの態度が一方的な視点で他人を貶める姿勢だ」と脊椎反射でキレ、さらに「俺だけを叩くのは不平等だ、依頼者も叩け」とコメント依頼の意味を理解せず、あげく最後には「私はウィキペディアにお友達を作りに来ているのではありませんので」と意味不明なことを言い出す始末である。たちの悪さは日本語版WPの中で随一とも言えるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|はるみエリー}}===&lt;br /&gt;
自民に都合が悪い内容を片っ端から消しまくり、また「要出典」を貼りまくり、[[#ぽてから（会話/履歴）|ぽてから]]を弁護するネトウヨ。2014年末から突如としてアクティビティが跳ね上がった。不利なルールはすべて無視してひたすら逃げまわるか駄々をこねるクソガキ。しかも[[安倍晋三]]の信者だけあって絶対に謝らない。さすがネトウヨ、キチガイの鑑である。利用者ページは何を言いたいのか分からない内容。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|フォット}}===&lt;br /&gt;
{{WPuser|みちまん}}の靴下。2016年7月引退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Darukichi_Fumibayashi}}===&lt;br /&gt;
“ふみばやし・だるきち”と読む。[[L～Pから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#LearningBox（会話/履歴）|LearningBox]]の妻。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|端くれの錬金術師}}===&lt;br /&gt;
{{警}}トンチンカンな記事しか書けない若い男性。ノートページでの署名の際はhashikureと名乗っている。削除の方針に合致しないものまで、容赦なく削除依頼に出す'''削除主義者'''である。最も残忍なウィキペディアンでもある。mixiにも別名（cai）で潜伏。mixiで必死にWP管理者の擁護を行い、端くれなど知らぬ存ぜぬと言い張る[http://www.chaoticshore.org/index.html]。2008年6月を最後に音沙汰なし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|東日本侍}}===&lt;br /&gt;
{{警}}自称受験生。主に鉄道、週刊少年ジャンプを主体とするサブカルチャー関連の記事で荒らしている。そのくせ、他の健全なユーザーを荒らし扱いしているとんでもないクソガキである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、最近[[w:fr:user:東日本侍|フランス語版]]でのアカウント取得が確認されており利用者ページにかかれている通りあっちでも暴れる気満々である（フランス語から翻訳したのではなく、そのまま日本語で記述されている）。そしてとうとうフランス語版では1日ブロックを受け、[http://fr.wikipedia.org/w/index.php?title=Special%3ALog&amp;amp;type=block&amp;amp;user=&amp;amp;page=Utilisateur%3A%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BE%8D&amp;amp;uselang=ja 最終的には無期限ブロックを受けてしまいましたとさwwアーアww]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに日本語版の利用者ページにも「フランス語版の同名の利用者は関係ありません」とかいう嘘までついちゃってwwish-kaの真似なんかしてたらバカが余計にバカになるよww&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|暇編集}}===&lt;br /&gt;
様々な記事（特に政治）での編集合戦を生業としている好戦的な利用者。IPアドレス利用者からはISPテンプレートを貼り付けするストーカーとして知られている。最近では[[村木厚子]]と[[石井一]]で[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:LedLine LedLine]を一方的に攻撃したが、LedLineの反論の前にまともな反論ができずに論破された。その後もLedLineに粘着していたが[[2010年]][[3月31日]]には海獺により多重アカウントの不正利用、自作自演の疑いで暫定で無期限ブロックに至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|向日葵三十郎}}===&lt;br /&gt;
{{警}}Wikipedia利用者の1人であり、[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:毛が生えた程度 毛が生えた程度]や[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:OzuYasu３rou OzuYasu３rou]に対し異常なまでに粘着する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛生えの編集方法を「急進的」とみなし編集内容に関わらず闇雲に差し戻しまくる。OzuYasu３rouの編集も「左翼的」とみなして闇雲に差し戻しまくるが、[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:Peace Peace]などのように「右翼的」な編集をしている者に対しては事実上の黙認を決め込む。それもそのはず、本来なら百科事典的でないとして削除されるはずだった「[https://ja.wikipedia.org/wiki/韓民族優越主義 韓民族優越主義]」の記事が削除されぬよう必死に策動し現在も放送されているはずの韓流ドラマの記述を「放送されている」から「放送されていた」に改竄しそれらの行動について注意・質問を受けても無視するなどこいつは典型的な悪質嫌韓厨だからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普段は[[極東アジア]]関連や[[スポーツ]]関連の記事にて遠まわしに韓国の有名人の悪口を書くような編集をしている。こういうことしか頭にないのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|百科事典に綴じ込められた男}}===&lt;br /&gt;
リバート専用靴下。[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:竹麦魚 竹麦魚]も使う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|昼蔵医務}}===&lt;br /&gt;
読みはひるくらいむか。日本語が不自由であり、方針の理解に難がある。テレビ番組において不祥事を編集をしている。一度IPを不正に使用し無期限ブロックされていたが、言い訳したことによって管理者がだまされて釈放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|吹石}}===&lt;br /&gt;
{{U管}}詳細は[[吹石]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|福原実}}===&lt;br /&gt;
{{警}}実質[https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:サンドボックス サンドボックス]の管理者に等しい。主に地方自治体、国道、都道府県道等の編集をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|フルブル}}===&lt;br /&gt;
{{警}}Wikipedia利用者の一人にすぎないのに、管理者気取りで「要出典タグ」を貼っている悪党である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|編集中}}===&lt;br /&gt;
{{main|編集中}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ポケットモンスター_エニシングゴーズ}}===&lt;br /&gt;
精神年齢消防。IP時代に架空の番組記事を書いて削除された腹いせにその番組名でアカウントを作成、自分の利用者ページに同じ文章を書き、自分のページなら自分の勝手だろと思っていたようだが著作権削除されるというお粗末ぶり。その後の利用者ページには意味不明なことしか書いていない。他の記事への執筆もかなり問題がある。結局5年間の投稿ブロックとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ぽてから}}===&lt;br /&gt;
自己紹介ページに「ポテトと唐揚げは最高」としか書いていない。生長の家本流運動、[[日本会議]]とその関係者、自民党議員に不都合な内容、藤倉善郎（「やや日刊カルト新聞」主宰者）の項目を削除させたがるネットサポーター、ネットウヨ。おそらく「生長の家本流運動」の一派たる「谷口雅春先生を学ぶ会」会員。「日本会議の研究」で世に出た菅野完から“非常に興味深い活動をしている”と評された。[[#はるみエリー（会話/履歴）|はるみエリー]]と[[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#沙馬琉寛土（会話/履歴）|沙馬琉寛土]]は同志（しかもはるみエリーの動いている期間・いない期間、分野が、奇妙なまでにこいつの活発・不活発な期間と一致する）。2016年8月、自身に対するコメント依頼が発されたため2ヶ月にわたって鳴りを潜めていた。5度にわたる有期ブロックの前歴あり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ISPはau新宿区（{{WPuser|106.161.207.109}}他）の疑いがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[A～Gから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[H～Kから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[L～Pから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[Q～Zから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[まやらわ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[数字と特殊文字から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアン|*た]]&lt;br /&gt;
[[Category:利用者の一覧|ういきへていあ た]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%AF%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=332189</id>
		<title>たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%AF%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=332189"/>
				<updated>2017-01-13T02:28:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: /* {{WPuser|はるみエリー}} */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧'''（うぃきぺでぃあのりようしゃいちらん）は、[[ウィキペディアの利用者]]のうち五十音の「た」から「は」までで始まるアカウントの一覧。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==た行==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|たかぼん8160}}===&lt;br /&gt;
{{無}}[[日蓮正宗]]に関係する記事に出没。68代大石寺管長である[[日如]]を日如'''上人'''と呼ぶなど、日蓮正宗の信者であると思われる。'''ウィキペディア内でも勧誘活動'''を行っており、その結果無期限ブロック処分を喰らった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|つきよのうさぎ}}===&lt;br /&gt;
義父は[[Chatama]]（娘の[[Tama998]]と結婚し、義父とも同居している）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|でここ}}===&lt;br /&gt;
[[山梨県]]の歴史関連記事を執筆する「'''[[サイバーストーカー|ネットストーカー]]'''」。とにかく歴史ありきで、歴史の無関係な他の山梨の記事を見つけては無理やり歴史を付加して回っている。しかしその内容はいたって読みにくい（節分けすらしない）うえ文献の丸写し（よく特定版削除されないものだ）であり、要出典タグを貼られると「何がいけないのですか?」とだらだらと持論を展開しては自分ルールを適用するなど開き直った態度をとるため他のユーザーとよく紛争になっている。特に山梨関連記事を執筆していた[[またーり]]に対して執拗に付きまとい、彼の作成した記事のノートに自論を展開。またーりが答えても理解しないどころか「わたしのかんがえたまたーりさん」を展開したためまたーりがブチ切れて「'''ストーカー'''」のレッテルを貼られる。その後またーりの攻撃に遭うも構ってくれるまたーりに恋をしたのかむしろはしゃぎ出し、完全にもて遊んでいた。ちなみにまたーりが最後にでここに吐いた捨て台詞「'''金は出さねど口は出す'''」はある意味迷言となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またーり引退後も山梨県の歴史関連の記事を書いているが、優良執筆者である[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:さかおり さかおり]が現れて以降改めてでここの書いた記事の内容の酷さがよくわかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|タケナカ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}'''極めて悪質。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|タノ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}「タノQ」と名乗っている。日本語がかなり不自由な参加者であり、暴言ユーザーの1人として知られている。ただし反日左翼思想の持ち主であるためになぜか管理者のmiyaや周囲の左翼に手厚く保護されており、いくら暴言をこいてもブロックされることはない。保守思想・右翼思想・左翼の反論者を排撃するための「かませ犬」として利用されている節がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
標準語は書けず、高卒レベルの頭脳すら無いため小学生か中学生を思わせるが、実は40過ぎの中年男性である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ダルメーター}}===&lt;br /&gt;
{{無}}ボクシング関連の記事を執筆している。多くのIPユーザーから感謝を受けるなど、'''新入りには'''評判が良い。[https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:投稿ブロック依頼/ダルメーター_延長 投稿ブロック依頼]の審議中に、[https://ja.wikipedia.org/wiki/フアン・カルロス・サルガド 一度合意の上で改名された記事]を4度も独断で再改名した勇者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|チンドレ・マンドレ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}アカウント名が放送禁止用語であるのを見ればわかるとおり、独裁的で全体主義的な、ウィキペディア1番のガン細胞である。多重アカウントを使って、自作自演を行っている疑いもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|テイジセイ}}===&lt;br /&gt;
議論のページで多重アカウントを使って自作自演を行い、他人を騙すことばかり考えている基地外ユーザー。[https://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:西大寺_(旧市域)#改名提案_(2011年1月) ここ]でついにそれがバレて無期限ブロックされたが、反省する気がないようで別アカで何食わぬ顔して現れている。通常は広島OCN光の可変IPで編集を行い、ページの改名などログインしないと出来ない作業の時だけログインしているようである。[https://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:備後都市圏#「備後・井笠都市圏」への改名について 岡山南西部から尾道～福山へ移り住んでいる]と自称しているためか岡山・広島県関連の編集が多く、またプロレス関連やカメラ関連の編集も多い。自分と同分野の編集をしている他のログインユーザーに対して執拗な粘着行為を繰り返す。現在までに[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:カワツムリ カワツムリ]・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:竜王は生きていた 竜王は生きていた]・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:ネコニャン ネコニャン]・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:テンクウカイカツ テンクウカイカツ]（テイジセイと関連がないなんておかしな言い訳して管理者を騙そうとしているが100%嘘、テンクウカイカツのブロック後にIPで大量に記事作成しており反省する気無し）がブロックされた。それと分かっているだけで[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:ふるさと ふるさと]（アカウント作成日がネコニャンと同じ、テイジセイのブロック後から編集無し）・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:だいまおうゾーマ だいまおうゾーマ]（ふるさとや竜王は生きていたと編集傾向や日時がそっくり）・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:マイホームのミコト マイホームのミコト]（竜王は生きていたが行ったページ強行移動が差し戻された件について傍観者のフリをして質問）・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:ブッケンシニア ブッケンシニア]（竜王は生きていたと同様のページ強行移動）も同一人物である。同様に岡山県関連の編集をしていてブロックされた[[おかやまりゅうせい]]はまだ子供だったから仕方ないと思える所があるが、テイジセイは文章からして子供とは思えないのにやってることはおかやまりゅうせいと同レベルである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|テレポちゃん}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{ネットサヨ}}敬語を学習しておらずおネエ言葉を使用、編集記事は性的なページと削除依頼のみという100%気違いのウィキペディアン。にもかかわらず編集傾向隠蔽に成功しブロックを免れた稀有な存在。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|テンパわたる}}===&lt;br /&gt;
{{警}}ほぼ100%気違いのウィキペディアン。理由もなしに気に入らない記事を削除依頼に出すなど、その横暴さは計り知れない。また、乱暴に即時削除タグを貼り付けることも多い。ほとんど[[北朝鮮]]工作員と同等である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、ここで苦情を言われていることに対しても利用者ページに於いて「良くも悪くも有名なのでしょうか」などとヘラヘラしているなど、全く以って自分の横暴態度を改める気の無いボケナスアホンダラである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それに[[葵龍雄]]（現在記事自体が既に削除）のページで、葵の善意を挙げた書き込みを「雑草」などとボサいて削除をぶちかましたパープリンの一員である。こいつ[[埼玉県]][[加須市]]在住だそうだがその加須近郊の[[北埼玉郡]][[北川辺町]]（とは言っても既に加須に編入されたが）で、[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/saitamakitasaitama.htm こんなヒッデェ事件]があったってぇ事実をどう受け止めてるのか見ものだぜ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年12月上旬から音沙汰なし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ドングリ}}===&lt;br /&gt;
'''自称'''[[2001年]]（[[平成]]13年）生まれ。どう考えても削除に値しない記事について、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2_20150125]のような削除依頼を出している狂気の荒らし利用者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年7月に編集を開始。2015年現在中学生と自称している。しかし、その言葉遣いや普通の中学生が学校に登校する時間帯や深夜でも投稿している点から、中学生などと言うのは'''虚偽'''である可能性が非常に高い。（年少利用者であることを利用して制裁逃れをするためか?）[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Qleed&amp;amp;oldid=58027097 2003年7月26日生まれで小学生と出張しているQleedとか言う利用者]と同じく、年齢偽証をしている疑いがあるが、Qleedよりは年齢偽証をしている可能性は低い。年少利用者の面汚しであり、このような基地外がウィキペディアにのさばることで年少利用者全体のイメージが悪くなり、年少利用者いじめが加速している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
編集は必ずと言っていいほど、他利用者への会話ページへの難癖・揚げ足取りなどの「やらなくてもいい編集」ばかりのようである。削除依頼を出す際に必ずと言っていいほどいつも使っている口癖は「現時点では対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及がなく、特筆性のない記事としてケース○で依頼します。」←（イミフ）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|大東亜人}}===&lt;br /&gt;
[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:Jetbbman Jetbbman]のソックパペット。論破されると黙って逃げるところや、一度も編集や態度が支持されていないところもそっくり。何をしても恥をかくだけの害虫だがなぜか居座っている。真性のマゾかキチガイなのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|田紳有楽}}===&lt;br /&gt;
Wikipediaでの[[葵龍雄]]の記事（Wikipediaでは現在は記事自体が削除）に葵の善意にケチをつける恩知らずな書き込みの数々を「個人的意見を書く場じゃない」「論評すんな」「場違いだ」と蹴散らした、胸のすく利用者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|田中幹生}}===&lt;br /&gt;
福島県相馬市在住。[[1978年]][[2月7日]]生（[[加護亜依]]と一緒）。身長177cm。体重0.1tのピザでも（ry&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おっぱい・灯油・メロディックスピードメタル・ユーロビート・紺野あさ美・携帯電話・パソコン・ウィキペディア・You Tubeが好きでDQN・タバコ・信号待ち・子供が嫌い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
モ娘（狼）板の「雑談と独り言」スレの住人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以前は常磐線各駅や相馬市の画像をアップロードしていたが、携帯で撮影しているために質の悪さから大部分は他者の画像に置き換えられてしまう。また仙台駅の画像で顔がそのまま写った状態でアップロードされ、削除依頼をくらってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]4月、海獺氏にコメントアウトにて暴言を吐いたところ2週間ブロックを食らってしまう。その顛末をNekosuki600氏によって晒される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%81%AB%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%81%A0%E3%81%91%E3%82%92%E4%BD%9C%E6%88%90 Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成]を理解せずにリンクを貼ったところ、IPにダメ出しを食らう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|丹の字}}===&lt;br /&gt;
{{main|丹の字}}&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%9A%84%E7%B5%8C%E6%B8%88%E9%80%A3%E6%90%BA%E5%8D%94%E5%AE%9A TPP]などで、自分が気に食わない投稿はすぐに差し戻すキチガイ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|超}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}ほぼ'''魔女狩り専門'''といって良い。2006年6月5日（月） 12:30にアカウント取得、2006年9月10日（日） 03:04に活動開始。2008年5月18日（日） 08:32以降に活発化。これまでに関わりが無かった相手に目を付ける場合があり目を付けた相手に対しては過剰なまでに問題視・危険視する場合があり、対話拒否の有無・改善努力表明有無・程度・円満解決の可能性を十分鑑みずに初めから「排除ありき」「相手を圧倒」を前提に各種の行動を起こし先入観を持つ事から相手に対して威圧的に接し特に有期ブロックが明けて活動を再開した相手に対しては時には静観しておいて事前の対話・警告・コメント依頼無しにいきなり投稿ブロック依頼する等、ステルス的な'''騙し討ち'''とも言える行動に出る事もある。まるで[[五・一五事件]]で「話せば分かる」という相手に「問答無用」と、いきなり銃口を向ける軍人の様な横暴さである。その一方でミートパペットとおぼしき行為も行う。又、「議論停止の提案」と称して折角活性化された議論を停止させ時には'''話し合いによる解決の可能性を潰し'''折角提示された出典や改定案を闇に葬る場合さえある一方で[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28887188&amp;amp;oldid=28837199 この発言]からも建設的な編集を行わず他人任せで自ら項目を改善しようとしない魔女狩り専門である事が伺える。又、争いの当事者の一方'''だけ'''を[[浅野長矩]]の様に悪人扱いする一方でもう一方に他者の発言の改竄やブロック破り等（違反行為）の疑惑があってもそれに目を瞑り、或は見て見ぬ振りをし[[吉良義央]]の様に「お咎め無し」とするえこひいき体質でもある。[[ブラック企業]]の経営者・幹部・上司と同じ体質、といってよい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|提督}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{ネットサヨ}}「ネットウヨク」の項目でサヨク独特の偏向っぷりを大量に披露。ネットウヨクは「その反面、日本の近現代史や、戦史・戦略などの軍事知識などにおいて一般人より劣る部分がある」などの妄想を垂れ流しそのたびにノートで論破されるも「“ネット右翼現象”の説明は進行中の事例の「観察」結果であり、必ずしも明確な出典がある訳ではない」や｛「検証可能性」の誤解（あるいは拡大解釈）について｝などと妄想を押し付けるための妄想を披露しネットウヨク以外のユーザーにも叩かれまくる。また死刑存廃問題の項目では死刑廃止論を押し付ける偏向記事に協力し、複数回にわたり「記事分割の実施要項案」を出すもこれも独りよがりで廃案となる。国際人権派団体と呼ばれながら北朝鮮による拉致には一切抗議しない偏向サヨク団体「アムネスティ・インターナショナル?」や「私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ」という暴言で知られる死刑廃止論者という名のサヨクの変種「菊田幸一」の項目に多く参加している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|鉄火}}===&lt;br /&gt;
[[電通]]のネット風評対策担当社員と思われる（履歴参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|どうろこうだん}}===&lt;br /&gt;
道路記事で無駄に連続投稿を繰り返したり、大胆な編集を頻繁にする（していた）キチガイ利用者。IP時代[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/125.202.158.203]には、アカウントユーザーのみできる「ページの移動」をやり、{{WPuser|みちまん}}に怒られている[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E3%81%BF%E3%81%A1%E3%81%BE%E3%82%93&amp;amp;oldid=61241062#.E5.8D.97.E7.B4.80.E7.99.BD.E6.B5.9C.EF.BC.A9.EF.BC.A3.E3.81.AE.E4.BB.B6.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6]。完全にwikipediaのルールを無視している野郎である。最近は動きがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|所沢方面快速急行}}===&lt;br /&gt;
{{Main|所沢方面快速急行}}&lt;br /&gt;
中学生の荒らし行為者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==な行==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ナカムーラ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{無}}アイドルヲタクで、利用者名が'''AKB48の誰かの愛称と同じでまぎわらしい'''という理由だけで管理者伝言板に通報しているキチガイ。少し前管理者で後輩のVigorous actionにより{{粛清されました}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ネプチューン}}===&lt;br /&gt;
{{警}}[[谷川浩司|某滝川ルネッサンスジジイ]]が[[加藤智大|アキバ通り魔]]みたいな顔をしているという事実に対して反対はしないという考えの癖に書かせてくれない支離滅裂な利用者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|長野のそうじろう}}===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
{{無}}{{誹}}{{Y無}}{{U無}}{{C無}}基地外ユーザー。ウィキペディアの方針文章無理解で5年のブロック。さらに姉妹プロジェクトなどでパスワードを公開して無期限ブロック移行となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつは'''&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:2cm&amp;quot;&amp;gt;荒らしが趣味の基地外&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|二十時三十分}}===&lt;br /&gt;
記事を一切書かず全角を半角に変える作業、要出典や独自研究タグの貼り付けと管理者の批判しかしない無能なくせに批判だけは一人前という最悪の人物。現実世界でも嫌われ者に違いない。ただソックパペットではないので、さすがの海獺もブロックできる理由が見当たらず対処に難儀している。度が過ぎる行為に対して反感が高まり、遂にブロック依頼が提出された。最早追放と長期荒らしの仲間入りは必至である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|廿粁}}===&lt;br /&gt;
{{ネットウヨ}}。「20キロメートル」と読む。左翼と在日によってウィキペディアは「汚染」されていると妄信し、「中立的な記述」に戻そうとして国粋主義全開の編集をしてゆく迷惑ユーザー。少しでも批判されると安易に個人攻撃扱いするなど、自分が非難する朝鮮民族やプロ市民と同じ事をやらかす典型的な厨房。度が過ぎる迷惑行為と偏頗した編集のため2009年、ブロック依頼が提出されいよいよ年貢の納め時かと思われたがHimetv、Frommなどの[[2ちゃんねる組]]が2chウィキペディアスレのネットウヨに煽動されて反対したためブロックは見送りとなった。しかしその後もはるひの解任動議で私怨から解任賛成に票を投じたり相変わらず姿勢を変えずに摩擦を起こすなどウィキペディアのコミュニティを消耗させており、遠からず追放されるのは自明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|猫じゃーらし}}===&lt;br /&gt;
シャフトの社員。ステマしか出来ない無能。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|野田文憲}}===&lt;br /&gt;
{{無}}[[ウィキペディア日本語版]]にいる、悪質なソックパペットの1つ。「[[野田憲太郎|音楽家気取りの息子]]」がパスポートや住民票で確認されない限り、虚偽を利用者ページに書いたことからはアカウント作成者は逃げられない。この手のソックパペットは管理ユーザーが作成する。はてなキーワードとYourpediaで詳細な追求を行った後に、なぜか無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==は行==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ぱたごん}}===&lt;br /&gt;
{{警}}2011年にパタゴニアから&amp;lt;del&amp;gt;ばかごん&amp;lt;/del&amp;gt;ぱたごんへ改名。削除依頼に常駐し、記事が作成された人物の成長を全く待つ気などなく削除票を入れる。また自分の気に入らない記述は全て「出典がない」と因縁をつけて削除。3度もの短期ブロック歴があることから、ウィキペディアでも最も悪質なユーザーの部類に入ると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|はぬまん}}===&lt;br /&gt;
''詳細は「'''[[はぬまん]]'''」を参照。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{警}}救いようのないほど非常に頭が悪く、自分に逆らうものや、自分が「悪」だと勝手に思い込んだ気に入らないユーザーを潰すためならどんな手段でも用いて叩き潰す独裁者。その結果荒らしを助けることになっても辞さないという異常さである（頭の悪い彼には理解出来ないことなのかもしれないが）。精神障害を患っている可能性があるため早期入院が待望されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また「'''ネットストーカー'''」・「正直、'''気分が悪いのを通り越して、気持ち悪い。'''&lt;br /&gt;
」とも評されている[http://peace.2ch.net/test/read.cgi/internet/1324219897/207-208]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|はま}}===&lt;br /&gt;
{{警}}気に入らない利用者を平気で罵倒する悪質なユーザーであり、他の利用者からの顰蹙を買っている。一例をあげると「自分に都合の悪い部分は無視して駄々を捏ねるわけですか（呆）。」「幼稚園児の作文の発想ですか?」「まぁ中学生の学級会くらいまでは成り立つかもしれませんが、果たして一般社会の問題で現実的なルールが作成できるのか大いに懐疑的にならざるを得ません」「それはただの子供の駄々と変わりません。」「会議室の隅っこで一人でタイトル付けに勤しんでください。」など自分の態度や行為を棚に上げることが多く、かつその罵倒の仕方は極めて幼稚である。2013年[[6月20日]]にコメント依頼を出され、利用者から非難されると発狂。依頼者が問題点を指摘すると「くだらなすぎて話にならない」と対話拒否の姿勢を示し、他の利用者からウィキペディアの三大原則を理解していない旨を指摘されると「まさにあなたの態度が一方的な視点で他人を貶める姿勢だ」と脊椎反射でキレ、さらに「俺だけを叩くのは不平等だ、依頼者も叩け」とコメント依頼の意味を理解せず、あげく最後には「私はウィキペディアにお友達を作りに来ているのではありませんので」と意味不明なことを言い出す始末である。たちの悪さは日本語版WPの中で随一とも言えるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|はるみエリー}}===&lt;br /&gt;
自民に都合が悪い内容を片っ端から消しまくり、また「要出典」を貼りまくり、[[#ぽてから（会話/履歴）|ぽてから]]を弁護するネトウヨ。2014年末から突如としてアクティビティが跳ね上がった。不利なルールはすべて無視してひたすら逃げまわるか駄々をこねるクソガキ。しかも[[安倍晋三]]の信者だけあって絶対に謝らない。さすがネトウヨ、キチガイの鑑である。利用者ページは何を言いたいのか分からない内容。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|フォット}}===&lt;br /&gt;
{{WPuser|みちまん}}の靴下。2016年7月引退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Darukichi_Fumibayashi}}===&lt;br /&gt;
“ふみばやし・だるきち”と読む。[[L～Pから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#LearningBox（会話/履歴）|LearningBox]]の妻。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|端くれの錬金術師}}===&lt;br /&gt;
{{警}}トンチンカンな記事しか書けない若い男性。ノートページでの署名の際はhashikureと名乗っている。削除の方針に合致しないものまで、容赦なく削除依頼に出す'''削除主義者'''である。最も残忍なウィキペディアンでもある。mixiにも別名（cai）で潜伏。mixiで必死にWP管理者の擁護を行い、端くれなど知らぬ存ぜぬと言い張る[http://www.chaoticshore.org/index.html]。2008年6月を最後に音沙汰なし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|東日本侍}}===&lt;br /&gt;
{{警}}自称受験生。主に鉄道、週刊少年ジャンプを主体とするサブカルチャー関連の記事で荒らしている。そのくせ、他の健全なユーザーを荒らし扱いしているとんでもないクソガキである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、最近[[w:fr:user:東日本侍|フランス語版]]でのアカウント取得が確認されており利用者ページにかかれている通りあっちでも暴れる気満々である（フランス語から翻訳したのではなく、そのまま日本語で記述されている）。そしてとうとうフランス語版では1日ブロックを受け、[http://fr.wikipedia.org/w/index.php?title=Special%3ALog&amp;amp;type=block&amp;amp;user=&amp;amp;page=Utilisateur%3A%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BE%8D&amp;amp;uselang=ja 最終的には無期限ブロックを受けてしまいましたとさwwアーアww]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに日本語版の利用者ページにも「フランス語版の同名の利用者は関係ありません」とかいう嘘までついちゃってwwish-kaの真似なんかしてたらバカが余計にバカになるよww&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|暇編集}}===&lt;br /&gt;
様々な記事（特に政治）での編集合戦を生業としている好戦的な利用者。IPアドレス利用者からはISPテンプレートを貼り付けするストーカーとして知られている。最近では[[村木厚子]]と[[石井一]]で[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:LedLine LedLine]を一方的に攻撃したが、LedLineの反論の前にまともな反論ができずに論破された。その後もLedLineに粘着していたが[[2010年]][[3月31日]]には海獺により多重アカウントの不正利用、自作自演の疑いで暫定で無期限ブロックに至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|向日葵三十郎}}===&lt;br /&gt;
{{警}}Wikipedia利用者の1人であり、[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:毛が生えた程度 毛が生えた程度]や[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:OzuYasu３rou OzuYasu３rou]に対し異常なまでに粘着する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛生えの編集方法を「急進的」とみなし編集内容に関わらず闇雲に差し戻しまくる。OzuYasu３rouの編集も「左翼的」とみなして闇雲に差し戻しまくるが、[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:Peace Peace]などのように「右翼的」な編集をしている者に対しては事実上の黙認を決め込む。それもそのはず、本来なら百科事典的でないとして削除されるはずだった「[https://ja.wikipedia.org/wiki/韓民族優越主義 韓民族優越主義]」の記事が削除されぬよう必死に策動し現在も放送されているはずの韓流ドラマの記述を「放送されている」から「放送されていた」に改竄しそれらの行動について注意・質問を受けても無視するなどこいつは典型的な悪質嫌韓厨だからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普段は[[極東アジア]]関連や[[スポーツ]]関連の記事にて遠まわしに韓国の有名人の悪口を書くような編集をしている。こういうことしか頭にないのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|百科事典に綴じ込められた男}}===&lt;br /&gt;
リバート専用靴下。[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:竹麦魚 竹麦魚]も使う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|昼蔵医務}}===&lt;br /&gt;
読みはひるくらいむか。日本語が不自由であり、方針の理解に難がある。テレビ番組において不祥事を編集をしている。一度IPを不正に使用し無期限ブロックされていたが、言い訳したことによって管理者がだまされて釈放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|吹石}}===&lt;br /&gt;
{{U管}}詳細は[[吹石]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|福原実}}===&lt;br /&gt;
{{警}}実質[https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:サンドボックス サンドボックス]の管理者に等しい。主に地方自治体、国道、都道府県道等の編集をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|フルブル}}===&lt;br /&gt;
{{警}}Wikipedia利用者の一人にすぎないのに、管理者気取りで「要出典タグ」を貼っている悪党である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|編集中}}===&lt;br /&gt;
詳細は[[編集中]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ポケットモンスター_エニシングゴーズ}}===&lt;br /&gt;
精神年齢消防。IP時代に架空の番組記事を書いて削除された腹いせにその番組名でアカウントを作成、自分の利用者ページに同じ文章を書き、自分のページなら自分の勝手だろと思っていたようだが著作権削除されるというお粗末ぶり。その後の利用者ページには意味不明なことしか書いていない。他の記事への執筆もかなり問題がある。結局5年間の投稿ブロックとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ぽてから}}===&lt;br /&gt;
自己紹介ページに「ポテトと唐揚げは最高」としか書いていない。生長の家本流運動、[[日本会議]]とその関係者、自民党議員に不都合な内容、藤倉善郎（「やや日刊カルト新聞」主宰者）の項目を削除させたがるネットサポーター、ネットウヨ。おそらく「生長の家本流運動」の一派たる「谷口雅春先生を学ぶ会」会員。「日本会議の研究」で世に出た菅野完から“非常に興味深い活動をしている”と評された。[[#はるみエリー（会話/履歴）|はるみエリー]]と[[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#沙馬琉寛土（会話/履歴）|沙馬琉寛土]]は同志（しかもはるみエリーの動いている期間・いない期間、分野が、奇妙なまでにこいつの活発・不活発な期間と一致する）。2016年8月、自身に対するコメント依頼が発されたため2ヶ月にわたって鳴りを潜めていた。5度にわたる有期ブロックの前歴あり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ISPはau新宿区（{{WPuser|106.161.207.109}}他）の疑いがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[A～Gから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[H～Kから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[L～Pから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[Q～Zから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[まやらわ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[数字と特殊文字から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアン|*た]]&lt;br /&gt;
[[Category:利用者の一覧|ういきへていあ た]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%AF%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=332188</id>
		<title>たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%AF%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=332188"/>
				<updated>2017-01-13T02:27:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;220.100.62.242: /* {{WPuser|ぽてから}} */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧'''（うぃきぺでぃあのりようしゃいちらん）は、[[ウィキペディアの利用者]]のうち五十音の「た」から「は」までで始まるアカウントの一覧。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==た行==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|たかぼん8160}}===&lt;br /&gt;
{{無}}[[日蓮正宗]]に関係する記事に出没。68代大石寺管長である[[日如]]を日如'''上人'''と呼ぶなど、日蓮正宗の信者であると思われる。'''ウィキペディア内でも勧誘活動'''を行っており、その結果無期限ブロック処分を喰らった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|つきよのうさぎ}}===&lt;br /&gt;
義父は[[Chatama]]（娘の[[Tama998]]と結婚し、義父とも同居している）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|でここ}}===&lt;br /&gt;
[[山梨県]]の歴史関連記事を執筆する「'''[[サイバーストーカー|ネットストーカー]]'''」。とにかく歴史ありきで、歴史の無関係な他の山梨の記事を見つけては無理やり歴史を付加して回っている。しかしその内容はいたって読みにくい（節分けすらしない）うえ文献の丸写し（よく特定版削除されないものだ）であり、要出典タグを貼られると「何がいけないのですか?」とだらだらと持論を展開しては自分ルールを適用するなど開き直った態度をとるため他のユーザーとよく紛争になっている。特に山梨関連記事を執筆していた[[またーり]]に対して執拗に付きまとい、彼の作成した記事のノートに自論を展開。またーりが答えても理解しないどころか「わたしのかんがえたまたーりさん」を展開したためまたーりがブチ切れて「'''ストーカー'''」のレッテルを貼られる。その後またーりの攻撃に遭うも構ってくれるまたーりに恋をしたのかむしろはしゃぎ出し、完全にもて遊んでいた。ちなみにまたーりが最後にでここに吐いた捨て台詞「'''金は出さねど口は出す'''」はある意味迷言となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またーり引退後も山梨県の歴史関連の記事を書いているが、優良執筆者である[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:さかおり さかおり]が現れて以降改めてでここの書いた記事の内容の酷さがよくわかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|タケナカ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}'''極めて悪質。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|タノ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}「タノQ」と名乗っている。日本語がかなり不自由な参加者であり、暴言ユーザーの1人として知られている。ただし反日左翼思想の持ち主であるためになぜか管理者のmiyaや周囲の左翼に手厚く保護されており、いくら暴言をこいてもブロックされることはない。保守思想・右翼思想・左翼の反論者を排撃するための「かませ犬」として利用されている節がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
標準語は書けず、高卒レベルの頭脳すら無いため小学生か中学生を思わせるが、実は40過ぎの中年男性である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ダルメーター}}===&lt;br /&gt;
{{無}}ボクシング関連の記事を執筆している。多くのIPユーザーから感謝を受けるなど、'''新入りには'''評判が良い。[https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:投稿ブロック依頼/ダルメーター_延長 投稿ブロック依頼]の審議中に、[https://ja.wikipedia.org/wiki/フアン・カルロス・サルガド 一度合意の上で改名された記事]を4度も独断で再改名した勇者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|チンドレ・マンドレ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}アカウント名が放送禁止用語であるのを見ればわかるとおり、独裁的で全体主義的な、ウィキペディア1番のガン細胞である。多重アカウントを使って、自作自演を行っている疑いもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|テイジセイ}}===&lt;br /&gt;
議論のページで多重アカウントを使って自作自演を行い、他人を騙すことばかり考えている基地外ユーザー。[https://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:西大寺_(旧市域)#改名提案_(2011年1月) ここ]でついにそれがバレて無期限ブロックされたが、反省する気がないようで別アカで何食わぬ顔して現れている。通常は広島OCN光の可変IPで編集を行い、ページの改名などログインしないと出来ない作業の時だけログインしているようである。[https://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:備後都市圏#「備後・井笠都市圏」への改名について 岡山南西部から尾道～福山へ移り住んでいる]と自称しているためか岡山・広島県関連の編集が多く、またプロレス関連やカメラ関連の編集も多い。自分と同分野の編集をしている他のログインユーザーに対して執拗な粘着行為を繰り返す。現在までに[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:カワツムリ カワツムリ]・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:竜王は生きていた 竜王は生きていた]・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:ネコニャン ネコニャン]・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:テンクウカイカツ テンクウカイカツ]（テイジセイと関連がないなんておかしな言い訳して管理者を騙そうとしているが100%嘘、テンクウカイカツのブロック後にIPで大量に記事作成しており反省する気無し）がブロックされた。それと分かっているだけで[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:ふるさと ふるさと]（アカウント作成日がネコニャンと同じ、テイジセイのブロック後から編集無し）・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:だいまおうゾーマ だいまおうゾーマ]（ふるさとや竜王は生きていたと編集傾向や日時がそっくり）・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:マイホームのミコト マイホームのミコト]（竜王は生きていたが行ったページ強行移動が差し戻された件について傍観者のフリをして質問）・[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:ブッケンシニア ブッケンシニア]（竜王は生きていたと同様のページ強行移動）も同一人物である。同様に岡山県関連の編集をしていてブロックされた[[おかやまりゅうせい]]はまだ子供だったから仕方ないと思える所があるが、テイジセイは文章からして子供とは思えないのにやってることはおかやまりゅうせいと同レベルである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|テレポちゃん}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{ネットサヨ}}敬語を学習しておらずおネエ言葉を使用、編集記事は性的なページと削除依頼のみという100%気違いのウィキペディアン。にもかかわらず編集傾向隠蔽に成功しブロックを免れた稀有な存在。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|テンパわたる}}===&lt;br /&gt;
{{警}}ほぼ100%気違いのウィキペディアン。理由もなしに気に入らない記事を削除依頼に出すなど、その横暴さは計り知れない。また、乱暴に即時削除タグを貼り付けることも多い。ほとんど[[北朝鮮]]工作員と同等である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、ここで苦情を言われていることに対しても利用者ページに於いて「良くも悪くも有名なのでしょうか」などとヘラヘラしているなど、全く以って自分の横暴態度を改める気の無いボケナスアホンダラである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それに[[葵龍雄]]（現在記事自体が既に削除）のページで、葵の善意を挙げた書き込みを「雑草」などとボサいて削除をぶちかましたパープリンの一員である。こいつ[[埼玉県]][[加須市]]在住だそうだがその加須近郊の[[北埼玉郡]][[北川辺町]]（とは言っても既に加須に編入されたが）で、[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/saitamakitasaitama.htm こんなヒッデェ事件]があったってぇ事実をどう受け止めてるのか見ものだぜ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年12月上旬から音沙汰なし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ドングリ}}===&lt;br /&gt;
'''自称'''[[2001年]]（[[平成]]13年）生まれ。どう考えても削除に値しない記事について、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2_20150125]のような削除依頼を出している狂気の荒らし利用者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年7月に編集を開始。2015年現在中学生と自称している。しかし、その言葉遣いや普通の中学生が学校に登校する時間帯や深夜でも投稿している点から、中学生などと言うのは'''虚偽'''である可能性が非常に高い。（年少利用者であることを利用して制裁逃れをするためか?）[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Qleed&amp;amp;oldid=58027097 2003年7月26日生まれで小学生と出張しているQleedとか言う利用者]と同じく、年齢偽証をしている疑いがあるが、Qleedよりは年齢偽証をしている可能性は低い。年少利用者の面汚しであり、このような基地外がウィキペディアにのさばることで年少利用者全体のイメージが悪くなり、年少利用者いじめが加速している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
編集は必ずと言っていいほど、他利用者への会話ページへの難癖・揚げ足取りなどの「やらなくてもいい編集」ばかりのようである。削除依頼を出す際に必ずと言っていいほどいつも使っている口癖は「現時点では対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及がなく、特筆性のない記事としてケース○で依頼します。」←（イミフ）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|大東亜人}}===&lt;br /&gt;
[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:Jetbbman Jetbbman]のソックパペット。論破されると黙って逃げるところや、一度も編集や態度が支持されていないところもそっくり。何をしても恥をかくだけの害虫だがなぜか居座っている。真性のマゾかキチガイなのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|田紳有楽}}===&lt;br /&gt;
Wikipediaでの[[葵龍雄]]の記事（Wikipediaでは現在は記事自体が削除）に葵の善意にケチをつける恩知らずな書き込みの数々を「個人的意見を書く場じゃない」「論評すんな」「場違いだ」と蹴散らした、胸のすく利用者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|田中幹生}}===&lt;br /&gt;
福島県相馬市在住。[[1978年]][[2月7日]]生（[[加護亜依]]と一緒）。身長177cm。体重0.1tのピザでも（ry&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おっぱい・灯油・メロディックスピードメタル・ユーロビート・紺野あさ美・携帯電話・パソコン・ウィキペディア・You Tubeが好きでDQN・タバコ・信号待ち・子供が嫌い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
モ娘（狼）板の「雑談と独り言」スレの住人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以前は常磐線各駅や相馬市の画像をアップロードしていたが、携帯で撮影しているために質の悪さから大部分は他者の画像に置き換えられてしまう。また仙台駅の画像で顔がそのまま写った状態でアップロードされ、削除依頼をくらってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]4月、海獺氏にコメントアウトにて暴言を吐いたところ2週間ブロックを食らってしまう。その顛末をNekosuki600氏によって晒される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%81%AB%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%81%A0%E3%81%91%E3%82%92%E4%BD%9C%E6%88%90 Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成]を理解せずにリンクを貼ったところ、IPにダメ出しを食らう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|丹の字}}===&lt;br /&gt;
{{main|丹の字}}&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%9A%84%E7%B5%8C%E6%B8%88%E9%80%A3%E6%90%BA%E5%8D%94%E5%AE%9A TPP]などで、自分が気に食わない投稿はすぐに差し戻すキチガイ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|超}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}ほぼ'''魔女狩り専門'''といって良い。2006年6月5日（月） 12:30にアカウント取得、2006年9月10日（日） 03:04に活動開始。2008年5月18日（日） 08:32以降に活発化。これまでに関わりが無かった相手に目を付ける場合があり目を付けた相手に対しては過剰なまでに問題視・危険視する場合があり、対話拒否の有無・改善努力表明有無・程度・円満解決の可能性を十分鑑みずに初めから「排除ありき」「相手を圧倒」を前提に各種の行動を起こし先入観を持つ事から相手に対して威圧的に接し特に有期ブロックが明けて活動を再開した相手に対しては時には静観しておいて事前の対話・警告・コメント依頼無しにいきなり投稿ブロック依頼する等、ステルス的な'''騙し討ち'''とも言える行動に出る事もある。まるで[[五・一五事件]]で「話せば分かる」という相手に「問答無用」と、いきなり銃口を向ける軍人の様な横暴さである。その一方でミートパペットとおぼしき行為も行う。又、「議論停止の提案」と称して折角活性化された議論を停止させ時には'''話し合いによる解決の可能性を潰し'''折角提示された出典や改定案を闇に葬る場合さえある一方で[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28887188&amp;amp;oldid=28837199 この発言]からも建設的な編集を行わず他人任せで自ら項目を改善しようとしない魔女狩り専門である事が伺える。又、争いの当事者の一方'''だけ'''を[[浅野長矩]]の様に悪人扱いする一方でもう一方に他者の発言の改竄やブロック破り等（違反行為）の疑惑があってもそれに目を瞑り、或は見て見ぬ振りをし[[吉良義央]]の様に「お咎め無し」とするえこひいき体質でもある。[[ブラック企業]]の経営者・幹部・上司と同じ体質、といってよい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|提督}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{ネットサヨ}}「ネットウヨク」の項目でサヨク独特の偏向っぷりを大量に披露。ネットウヨクは「その反面、日本の近現代史や、戦史・戦略などの軍事知識などにおいて一般人より劣る部分がある」などの妄想を垂れ流しそのたびにノートで論破されるも「“ネット右翼現象”の説明は進行中の事例の「観察」結果であり、必ずしも明確な出典がある訳ではない」や｛「検証可能性」の誤解（あるいは拡大解釈）について｝などと妄想を押し付けるための妄想を披露しネットウヨク以外のユーザーにも叩かれまくる。また死刑存廃問題の項目では死刑廃止論を押し付ける偏向記事に協力し、複数回にわたり「記事分割の実施要項案」を出すもこれも独りよがりで廃案となる。国際人権派団体と呼ばれながら北朝鮮による拉致には一切抗議しない偏向サヨク団体「アムネスティ・インターナショナル?」や「私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ」という暴言で知られる死刑廃止論者という名のサヨクの変種「菊田幸一」の項目に多く参加している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|鉄火}}===&lt;br /&gt;
[[電通]]のネット風評対策担当社員と思われる（履歴参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|どうろこうだん}}===&lt;br /&gt;
道路記事で無駄に連続投稿を繰り返したり、大胆な編集を頻繁にする（していた）キチガイ利用者。IP時代[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/125.202.158.203]には、アカウントユーザーのみできる「ページの移動」をやり、{{WPuser|みちまん}}に怒られている[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E3%81%BF%E3%81%A1%E3%81%BE%E3%82%93&amp;amp;oldid=61241062#.E5.8D.97.E7.B4.80.E7.99.BD.E6.B5.9C.EF.BC.A9.EF.BC.A3.E3.81.AE.E4.BB.B6.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6]。完全にwikipediaのルールを無視している野郎である。最近は動きがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|所沢方面快速急行}}===&lt;br /&gt;
{{Main|所沢方面快速急行}}&lt;br /&gt;
中学生の荒らし行為者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==な行==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ナカムーラ}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{無}}アイドルヲタクで、利用者名が'''AKB48の誰かの愛称と同じでまぎわらしい'''という理由だけで管理者伝言板に通報しているキチガイ。少し前管理者で後輩のVigorous actionにより{{粛清されました}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ネプチューン}}===&lt;br /&gt;
{{警}}[[谷川浩司|某滝川ルネッサンスジジイ]]が[[加藤智大|アキバ通り魔]]みたいな顔をしているという事実に対して反対はしないという考えの癖に書かせてくれない支離滅裂な利用者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|長野のそうじろう}}===&lt;br /&gt;
{{Main|長野のそうじろう}}&lt;br /&gt;
{{無}}{{誹}}{{Y無}}{{U無}}{{C無}}基地外ユーザー。ウィキペディアの方針文章無理解で5年のブロック。さらに姉妹プロジェクトなどでパスワードを公開して無期限ブロック移行となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつは'''&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:2cm&amp;quot;&amp;gt;荒らしが趣味の基地外&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|二十時三十分}}===&lt;br /&gt;
記事を一切書かず全角を半角に変える作業、要出典や独自研究タグの貼り付けと管理者の批判しかしない無能なくせに批判だけは一人前という最悪の人物。現実世界でも嫌われ者に違いない。ただソックパペットではないので、さすがの海獺もブロックできる理由が見当たらず対処に難儀している。度が過ぎる行為に対して反感が高まり、遂にブロック依頼が提出された。最早追放と長期荒らしの仲間入りは必至である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|廿粁}}===&lt;br /&gt;
{{ネットウヨ}}。「20キロメートル」と読む。左翼と在日によってウィキペディアは「汚染」されていると妄信し、「中立的な記述」に戻そうとして国粋主義全開の編集をしてゆく迷惑ユーザー。少しでも批判されると安易に個人攻撃扱いするなど、自分が非難する朝鮮民族やプロ市民と同じ事をやらかす典型的な厨房。度が過ぎる迷惑行為と偏頗した編集のため2009年、ブロック依頼が提出されいよいよ年貢の納め時かと思われたがHimetv、Frommなどの[[2ちゃんねる組]]が2chウィキペディアスレのネットウヨに煽動されて反対したためブロックは見送りとなった。しかしその後もはるひの解任動議で私怨から解任賛成に票を投じたり相変わらず姿勢を変えずに摩擦を起こすなどウィキペディアのコミュニティを消耗させており、遠からず追放されるのは自明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|猫じゃーらし}}===&lt;br /&gt;
シャフトの社員。ステマしか出来ない無能。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|野田文憲}}===&lt;br /&gt;
{{無}}[[ウィキペディア日本語版]]にいる、悪質なソックパペットの1つ。「[[野田憲太郎|音楽家気取りの息子]]」がパスポートや住民票で確認されない限り、虚偽を利用者ページに書いたことからはアカウント作成者は逃げられない。この手のソックパペットは管理ユーザーが作成する。はてなキーワードとYourpediaで詳細な追求を行った後に、なぜか無期限ブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==は行==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ぱたごん}}===&lt;br /&gt;
{{警}}2011年にパタゴニアから&amp;lt;del&amp;gt;ばかごん&amp;lt;/del&amp;gt;ぱたごんへ改名。削除依頼に常駐し、記事が作成された人物の成長を全く待つ気などなく削除票を入れる。また自分の気に入らない記述は全て「出典がない」と因縁をつけて削除。3度もの短期ブロック歴があることから、ウィキペディアでも最も悪質なユーザーの部類に入ると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|はぬまん}}===&lt;br /&gt;
''詳細は「'''[[はぬまん]]'''」を参照。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{警}}救いようのないほど非常に頭が悪く、自分に逆らうものや、自分が「悪」だと勝手に思い込んだ気に入らないユーザーを潰すためならどんな手段でも用いて叩き潰す独裁者。その結果荒らしを助けることになっても辞さないという異常さである（頭の悪い彼には理解出来ないことなのかもしれないが）。精神障害を患っている可能性があるため早期入院が待望されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また「'''ネットストーカー'''」・「正直、'''気分が悪いのを通り越して、気持ち悪い。'''&lt;br /&gt;
」とも評されている[http://peace.2ch.net/test/read.cgi/internet/1324219897/207-208]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|はま}}===&lt;br /&gt;
{{警}}気に入らない利用者を平気で罵倒する悪質なユーザーであり、他の利用者からの顰蹙を買っている。一例をあげると「自分に都合の悪い部分は無視して駄々を捏ねるわけですか（呆）。」「幼稚園児の作文の発想ですか?」「まぁ中学生の学級会くらいまでは成り立つかもしれませんが、果たして一般社会の問題で現実的なルールが作成できるのか大いに懐疑的にならざるを得ません」「それはただの子供の駄々と変わりません。」「会議室の隅っこで一人でタイトル付けに勤しんでください。」など自分の態度や行為を棚に上げることが多く、かつその罵倒の仕方は極めて幼稚である。2013年[[6月20日]]にコメント依頼を出され、利用者から非難されると発狂。依頼者が問題点を指摘すると「くだらなすぎて話にならない」と対話拒否の姿勢を示し、他の利用者からウィキペディアの三大原則を理解していない旨を指摘されると「まさにあなたの態度が一方的な視点で他人を貶める姿勢だ」と脊椎反射でキレ、さらに「俺だけを叩くのは不平等だ、依頼者も叩け」とコメント依頼の意味を理解せず、あげく最後には「私はウィキペディアにお友達を作りに来ているのではありませんので」と意味不明なことを言い出す始末である。たちの悪さは日本語版WPの中で随一とも言えるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|はるみエリー}}===&lt;br /&gt;
自民に都合が悪い内容を片っ端から消しまくり、また「要出典」を貼りまくり、[[#ぽてから（会話/履歴）|ぽてから]]を弁護するネトウヨ。2014年末から突如としてアクティビティが跳ね上がった。不利なルールはすべて無視してひたすら逃げまわるか駄々をこねるクソガキ。しかも[[安倍晋三]]の信者だけあって絶対に謝らない。さすがネトウヨ、キチガイの鑑である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|フォット}}===&lt;br /&gt;
{{WPuser|みちまん}}の靴下。2016年7月引退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Darukichi_Fumibayashi}}===&lt;br /&gt;
“ふみばやし・だるきち”と読む。[[L～Pから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#LearningBox（会話/履歴）|LearningBox]]の妻。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|端くれの錬金術師}}===&lt;br /&gt;
{{警}}トンチンカンな記事しか書けない若い男性。ノートページでの署名の際はhashikureと名乗っている。削除の方針に合致しないものまで、容赦なく削除依頼に出す'''削除主義者'''である。最も残忍なウィキペディアンでもある。mixiにも別名（cai）で潜伏。mixiで必死にWP管理者の擁護を行い、端くれなど知らぬ存ぜぬと言い張る[http://www.chaoticshore.org/index.html]。2008年6月を最後に音沙汰なし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|東日本侍}}===&lt;br /&gt;
{{警}}自称受験生。主に鉄道、週刊少年ジャンプを主体とするサブカルチャー関連の記事で荒らしている。そのくせ、他の健全なユーザーを荒らし扱いしているとんでもないクソガキである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、最近[[w:fr:user:東日本侍|フランス語版]]でのアカウント取得が確認されており利用者ページにかかれている通りあっちでも暴れる気満々である（フランス語から翻訳したのではなく、そのまま日本語で記述されている）。そしてとうとうフランス語版では1日ブロックを受け、[http://fr.wikipedia.org/w/index.php?title=Special%3ALog&amp;amp;type=block&amp;amp;user=&amp;amp;page=Utilisateur%3A%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BE%8D&amp;amp;uselang=ja 最終的には無期限ブロックを受けてしまいましたとさwwアーアww]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに日本語版の利用者ページにも「フランス語版の同名の利用者は関係ありません」とかいう嘘までついちゃってwwish-kaの真似なんかしてたらバカが余計にバカになるよww&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|暇編集}}===&lt;br /&gt;
様々な記事（特に政治）での編集合戦を生業としている好戦的な利用者。IPアドレス利用者からはISPテンプレートを貼り付けするストーカーとして知られている。最近では[[村木厚子]]と[[石井一]]で[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:LedLine LedLine]を一方的に攻撃したが、LedLineの反論の前にまともな反論ができずに論破された。その後もLedLineに粘着していたが[[2010年]][[3月31日]]には海獺により多重アカウントの不正利用、自作自演の疑いで暫定で無期限ブロックに至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|向日葵三十郎}}===&lt;br /&gt;
{{警}}Wikipedia利用者の1人であり、[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:毛が生えた程度 毛が生えた程度]や[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:OzuYasu３rou OzuYasu３rou]に対し異常なまでに粘着する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛生えの編集方法を「急進的」とみなし編集内容に関わらず闇雲に差し戻しまくる。OzuYasu３rouの編集も「左翼的」とみなして闇雲に差し戻しまくるが、[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:Peace Peace]などのように「右翼的」な編集をしている者に対しては事実上の黙認を決め込む。それもそのはず、本来なら百科事典的でないとして削除されるはずだった「[https://ja.wikipedia.org/wiki/韓民族優越主義 韓民族優越主義]」の記事が削除されぬよう必死に策動し現在も放送されているはずの韓流ドラマの記述を「放送されている」から「放送されていた」に改竄しそれらの行動について注意・質問を受けても無視するなどこいつは典型的な悪質嫌韓厨だからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普段は[[極東アジア]]関連や[[スポーツ]]関連の記事にて遠まわしに韓国の有名人の悪口を書くような編集をしている。こういうことしか頭にないのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|百科事典に綴じ込められた男}}===&lt;br /&gt;
リバート専用靴下。[https://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:竹麦魚 竹麦魚]も使う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|昼蔵医務}}===&lt;br /&gt;
読みはひるくらいむか。日本語が不自由であり、方針の理解に難がある。テレビ番組において不祥事を編集をしている。一度IPを不正に使用し無期限ブロックされていたが、言い訳したことによって管理者がだまされて釈放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|吹石}}===&lt;br /&gt;
{{U管}}詳細は[[吹石]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|福原実}}===&lt;br /&gt;
{{警}}実質[https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:サンドボックス サンドボックス]の管理者に等しい。主に地方自治体、国道、都道府県道等の編集をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|フルブル}}===&lt;br /&gt;
{{警}}Wikipedia利用者の一人にすぎないのに、管理者気取りで「要出典タグ」を貼っている悪党である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|編集中}}===&lt;br /&gt;
詳細は[[編集中]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ポケットモンスター_エニシングゴーズ}}===&lt;br /&gt;
精神年齢消防。IP時代に架空の番組記事を書いて削除された腹いせにその番組名でアカウントを作成、自分の利用者ページに同じ文章を書き、自分のページなら自分の勝手だろと思っていたようだが著作権削除されるというお粗末ぶり。その後の利用者ページには意味不明なことしか書いていない。他の記事への執筆もかなり問題がある。結局5年間の投稿ブロックとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ぽてから}}===&lt;br /&gt;
自己紹介ページに「ポテトと唐揚げは最高」としか書いていない。生長の家本流運動、[[日本会議]]とその関係者、自民党議員に不都合な内容、藤倉善郎（「やや日刊カルト新聞」主宰者）の項目を削除させたがるネットサポーター、ネットウヨ。おそらく「生長の家本流運動」の一派たる「谷口雅春先生を学ぶ会」会員。「日本会議の研究」で世に出た菅野完から“非常に興味深い活動をしている”と評された。[[#はるみエリー（会話/履歴）|はるみエリー]]と[[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#沙馬琉寛土（会話/履歴）|沙馬琉寛土]]は同志（しかもはるみエリーの動いている期間・いない期間、分野が、奇妙なまでにこいつの活発・不活発な期間と一致する）。2016年8月、自身に対するコメント依頼が発されたため2ヶ月にわたって鳴りを潜めていた。5度にわたる有期ブロックの前歴あり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ISPはau新宿区（{{WPuser|106.161.207.109}}他）の疑いがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[A～Gから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[H～Kから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[L～Pから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[Q～Zから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
*[[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[まやらわ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[数字と特殊文字から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアン|*た]]&lt;br /&gt;
[[Category:利用者の一覧|ういきへていあ た]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>220.100.62.242</name></author>	</entry>

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