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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-05-17T08:30:15Z</updated>
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		<title>宮崎知子</title>
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				<updated>2013-08-18T22:49:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:宮崎知子1.jpg|600px|thumb|死刑囚・宮崎　知子]]&lt;br /&gt;
[[Image:宮崎知子2.jpg|400px|thumb|死刑囚・宮崎　知子]]&lt;br /&gt;
''' 宮崎 知子 '''（みやざき ともこ、[[1946年]][[2月14日]] - ）とは、[[1980年]]2月に[[富山県]]で[[JK画像3|女子高生]]の長岡陽子さん(享年18歳)を殺害し、次いで3月に[[長野県]]で[[長野信用金庫]]職員・寺沢由美子さん(享年20歳)を殺害した[[死刑囚]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[警察庁広域重要指定事件|警察庁広域重要指定111号事件]]に指定された。犯行現場で赤い[[日産・フェアレディZ|フェアレディZ]]が目撃されていたことから「赤いフェアレディ事件」とも呼ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件 ==&lt;br /&gt;
=== 富山県・長岡陽子さん殺害 ===&lt;br /&gt;
1980年[[2月23日]]、富山県[[八尾町]]の[[県立八尾高校]]3年・長岡陽子さん（18歳）が行方不明となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ギフト店『北陸企画』経営者の宮崎からアルバイトの話を持ちかけられ、宮崎が運転する[[日産自動車|日産]]の[[スポーツカー]]・フェアレディZに乗せられ[[誘拐]]された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長岡さんは2月23日、父の車で今春入学予定の金沢市の調理専門学校を、女友達と一緒に訪ね、父はそのまま車で帰った。長岡さんは女友達と19:00に富山駅で別れ、それっきりになっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2月24日、25日に富山市内の贈答品卸業者の事務所にアルバイトに誘われ泊まった、と長岡さんは自宅に電話を入れていたが、2月27日朝には富山市太郎丸の喫茶店に来るように見知らぬ女から長岡さんの自宅に電話が入っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
知らない女の声で「娘さんを預かっている。そのことで相談したい」という電話があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
26日、陽子さんの母親は警官と一緒に陽子さんが電話でが話していた富山市内のギフト会社『北陸企画』を訪ねたが、そこにいた女は「そんな子は知らない」と否定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この日、[[岐阜県]]のラーメン店で、宮崎、宮崎の愛人・北野宏、陽子さんの3人が目撃されている。ラーメン店を出てから数時間後、陽子さんは宮崎に車内で[[睡眠薬]]を飲まされて[[昏睡]]状態のところを絞殺され、雑木林に遺棄された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1980(昭和55)年3月6日朝、岐阜･[[吉城郡]][[古川町戸市]]の[[数河峠]]近くの山林で女性の絞殺体が見つかり、2月23日夜から行方不明となっていた富山･[[婦負郡]][[八尾町]]の、[[八尾高校]]家政科3年の長岡陽子さん(18)と判明した。首には花結びにされた紐が巻き付いていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 長野県・寺沢由美子さん殺害 ===&lt;br /&gt;
[[3月5日]]、長野信用金庫職員・寺沢由美子（20歳）が仕事から帰宅する途中、こつぜんと姿を消した。宮崎に言葉巧みに誘われフェアレディZに乗せられて誘拐された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌日6日の早朝、由美子さんは絞殺されて[[町道]]の脇に遺棄される。その後、宮崎が家族に電話。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
夕方、由美子さんの自宅に女の声で「お嬢さんを預かっている。明日10時までに3000万円を姉に持たせて長野駅まで持ってくるように」という電話が入り、家族が家に10万円ほどしかないことを伝えると電話は切れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌日7日の朝に[[長野県警察|長野県警]]は特別捜査本部を設置し、捜査を開始。10時、長野駅の構内放送で家族が呼び出され、宮崎からの電話を受ける。家族が10万円しか用意できなかったことを話すと、宮崎は怒って、昼まで待つと言って自宅で電話連絡を待つよう指示。昼過ぎに宮崎から電話。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「2時に2000万円を持って長野駅に来て、4時38分発の列車に乗って[[高崎駅]]で降りて待て」'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
受け渡し場所は高崎駅前の喫茶店だったが、宮崎は現れず、電話は途絶えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月27日]]、由美子さんが行方不明のまま、警察は公開捜査に踏み切る。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この富山、長野の両県警は2つの事件の手口が似ていることから、同一犯による犯行と断定。さらに2つの事件の犯行現場では、ともに眼鏡をかけた女と赤いフェアレディZが目撃されてた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
3月30日、富山市のギフト会社経営・宮崎知子（当時34歳）と、その愛人の北野宏（当時28歳）が逮捕された。宮崎と北野宏は由美子さんいなくなった前後に長野市内のホテルに3泊していたことや、フェアレディに乗っていた女に酷似したことからマークされていた。そして声紋鑑定の結果、宮崎の声と身代金要求電話の声が一致。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査によって由美子さんが車に乗せられる数時間前から、宮崎が若い女性に「お茶を飲みませんか」と声をかけていたことが判明。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月2日午後、長野県小県郡青木村の林道わきに女性の遺体があるのをを通りかかった男性が見つけた。遺体は由美子さんのもので、失踪当日のままの服装で頭を谷に向けて倒れていた。首には紐が巻きついており、やはり花結びにされていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 犯行の動機 ==&lt;br /&gt;
宮崎は富山県生まれ。[[生活保護]]受給家庭で育ったが、成績はトップクラスだった。[[短期大学|短大]]に進学希望するも、家庭の事情で断念、[[保険会社]]や[[化粧品]][[販売]]会社に勤める。やがて上京して[[結婚]]、[[埼玉県]]で暮らし、男児が誕生するも、やがて[[離婚]]。子供を連れて富山県に戻るが、父親が死亡。[[結婚相談所]]で再婚相手を探しながら、朝も夜も働き、一家を支えた。やがて夜の仕事仲間を介して北野宏と知り合う。北野宏にはすでに[[妻]]がいたが、同棲生活を始める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮崎は北野宏とギフト店の経営を始めるも、すぐに経営難に陥り、[[消費者金融|サラ金]]に手を出して数千万円の借金を負ってしまう。そこでMはかつて勤務した保険会社で得た知識を悪用し、結婚相談所に紹介された男性を保険金殺人のターゲットにして、海岸に誘い出し[[麻酔薬]]をかがせたが[[未遂]]に終わる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがて返すあてのない借金をしてフェアレディZを購入。このころから誘拐で大金を得ることを考え始め、とうとう実行するに至る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の[[テレビドラマ|ドラマ]]『実録犯罪史シリーズ』では、宮崎を[[室井滋]]が演じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
宮崎は1946年2月、富山市で生まれた。2人の兄と姉1人がいたが、宮崎だけ父親は違った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
未亡人となった母親が出産したもので、父親から認知されたのは中学に入ってからだった。両親は自転車業を始めたが、[[生活保護]]を受けていた。宮崎は中学ぐらいまで成績もトップクラスだったが、どちらかと言えば目立たない生徒だったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月30日、殺害された女子高校生が「アルバイト先」と口にしていた『北陸企画』の共同経営者、宮崎知子と北野宏が逮捕される。さらに4月21日にOL誘拐殺人容疑で両名が再逮捕。マスコミは、真っ赤な高級車をのりまわし、流行のファッションに身を包んだ派手な知子に注目し、連日報道した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮崎知子は、[[1946年]][[2月14日]]に[[上新川郡]][[月岡村]](現在は[[富山市]]に編入)で生まれた。母親は前夫に先立たれたのち、所帯持ちの男と通じて知子を産んでいる。父が彼女を実子と認知したのは13歳のときで、それまでは庶子扱いであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし認知するしないに関わらず、父親は知子を溺愛した。反対に、母親は兄2人のみに愛情を注ぎ彼女には見向きもしなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
知子は幼い頃からヒステリー性で、[[癲癇]]の発作をたまに起こし、口から泡を吹いて失神することがあった。性格は内向的で親しい友人もなかったが、成績はつねにトップクラスであったという。また虚言癖はこのころから表れはじめている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
富山県立富山女子高等学校（現・[http://www.izumi-h.tym.ed.jp/ 富山県立富山いずみ高等学校]）を卒業後、宮崎は県外にある女子短大に進学を希望したが、学費の工面がつかず断念し、市内の保険会社に就職した。しかし、2、3ヶ月ほどで辞め、化粧品店のチャームガールを務めるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1965年]]、宮崎は東京に憧れ家出。そこで4歳上の自動車セールスマンと知り合い、23歳で彼と結婚して埼玉に住み始めた。やがて長男が誕生するが、1972年に[[卵巣嚢腫]]になり卵巣摘出手術を受ける。その闘病中に夫が浮気し、さらに彼が会社の金を使い込んでいたことが発覚したため、離婚せざるを得なくなった。一家は夜逃げ同様に姿を消したり、夫の転職に伴い、夫婦仲は冷め、結局、夫妻は離婚し、1973年富山市に戻って両親と息子の4人で暮らし始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
失意のうちに故郷へかえった知子は重ねて[[腹壁ヘルニア]]にかかり、再手術を受けることになる。その上、退院してすぐの[[1975年]]に父が死去。知子はたてつづけに起こる不幸に、ほとんど茫然自失となった。宮崎は一家の生活費を稼がなければならなかった。[[結婚相談所]]で金のある男を探す傍ら、[[コールガール]]の仕事をするようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]]9月、コールガール仲間から北野宏という男を紹介された。北野宏は宮崎より6歳下でハンサムな男だった。2人の仲は急速に縮まったが、大きな問題点として彼には妻がいた。しかし、2人は同棲を始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
知子は31歳。北野は25歳で、まだ新婚8ヶ月目であった。馴染みの売春婦から紹介され、知子を一目見た北野は、彼女の頭の回転の速さと都会的なセンスにまず惹きつけられた。彼は知子の&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「父親が大地主の息子で、放蕩はしたけれど、かなりの資産を残してくれた。だからお金には困ったことがないわ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
という嘘を信じこみ、且つその知性に全幅の信頼を寄せてしまう。確かに知子は知能が高かった。知能指数はのちの調べによると138。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1978年]]、宮崎は北野宏と共同で「北陸企画」という店を経営するようになった。商売をしていたら、北野宏と一緒にいても不倫とは気づかれにくいから、というのがその理由だった。業務内容は100円ライターやマッチなどのギフト品の販売で、どちらかと言えば北野宏より宮崎の方が積極的に営業して回った。収入はさほどでもなく、知子は「こんな小商いじゃしょうがないけど、頭を使えば大金が入るわ」　というのが口癖だった。「北陸企画」はすぐに行き詰まり、借金返済に苦しむようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1979年]]春頃、知子は結婚相談所で紹介された男性に9,000万円の保険金をかけ、殺害計画をたてる。共犯は顔見知りの喫茶店経営の女性を引きずりこんだ。男に「強精剤よ」と偽ってクロロホルムを嗅がせ、眠らせてから溺死させる腹づもりであったが、彼がいつまでたっても眠らず「頭が痛い」と訴えるだけだったので、仕方なくこの計画は中止になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それから半年、知子は新たに結婚相談所で知り合った男から金を借りたり、北野の印鑑証明でサラ金から融資を受けたりなどして食いつないだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1979年8月、&lt;br /&gt;
しかしそのかたわら、当時の最高級車であるフェアレディＺを無理に購入もしている。そのときの知子の台詞は「私のようなエレガントな女には、このくらいのグレードの車でなくては」というものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1980年]]に入ると、2人はもう商売をなげており、朝からぶらぶらと遊んで暮らすようになった。赤いフェアレディ280Zを車好きな北野宏と宮崎は店舗のショーケースなどを取っ払って車を入れ、よく磨いていたという。しかし、実際には宮崎は経済的にかなり追い詰められていた。「誘拐」を考え始めたのもその頃だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2つの事件 ===&lt;br /&gt;
2月23日、富山駅で陽子さんに「ギフト会社を経営している。アルバイトしない？」と声をかけた。陽子さんは宮崎の話を信用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
のちの供述によると、25日の深夜に彼女は絞め殺されている。知子は少女の家に身代金要求の電話をするが、2度かけて2度とも両親ではなく祖父が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その様子があまりに頼りなさそうだったので、「これは、受け渡しはうまくいかないかもしれない」と判断し、以後の連絡をやめてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮崎は陽子さんを「北陸企画」に連れこみ、そこに泊めていた。脅迫電話をかけた後、陽子さんは「帰る」と言い出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「このまま帰せば警察にバレてしまう」と思った宮崎は、25日午後に陽子さんをドライブに連れだし、睡眠薬で眠らせてから絞殺。遺体を岐阜県古川町に捨てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新たなターゲットを探すべく、知子は富山を離れることにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月3日、宮崎は北野に「東京の前夫から貰うお金がある。立ち会って欲しい」と告げ、フェアレディで富山を出た。2人は長野市のホテルに泊まり、3月5日は北野をそこに置いて、宮崎1人で出かけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月5日17:20、長野市北石堂の長野信用金庫石堂支店で友人と2人で職員の寺沢由美子さん(20)が退社、隣の喫茶店でコーヒーを飲み、18:30に200メートル離れた千石前バス停にいるのを目撃されたのを最後に行方不明となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午後6時半頃、長野市末広町の千石前バス停で、宮崎は仕事を終えて帰宅中の由美子さんを長野市内のバス停で、「このへんに店を出す予定なので、若い女の子の意見が聞きたい」と声をかける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お茶に誘い、近くの喫茶店でしばらく話した。さらに長野駅近くに停めてあったフェアレディで郊外のレストランに食事に行き、電話番号を聞いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2人はこのあと3時間ほど松本方面へドライブ、明科町から上田方面に入る山道に入り、睡眠薬を飲ませ、眠っていた由美子さんの首を浴衣の帯で絞め殺害。被害者の財布から金を抜き取ると、死体を遺棄した。近くでこの帯は前日に宿泊した長野市内のホテルから持ち出してきた物。遺体を崖下へ突き落とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その間、腎臓病で具合のよくなかった北野はホテルで待機していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
来た道を引き返し、北野が宿泊している長野市の「ホテル日興」に戻った。ホテルに戻った知子は、北野に&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「これで美味しいものでも食べなさい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と、その中から5千円渡している。何も知らぬ北野は言われるがままにその金で肉を食べたが、のちに警察で金の出所を知らされ、ショックを受けたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌日の午後には2人で軽井沢方面へドライブに行き、その途中で由美子さんの父親の勤め先や自宅に身代金3000万円を要求する電話をかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月6日夕方に、見知らぬ女の声で、寺沢さんの父(54)の会社に、18:30までに寺沢さんの父に帰宅するようにと電話が入り、自宅に｢寺沢さんを誘拐したので、明日の10:00までに姉に3,000万円を持たせて長野駅の新しい待合室に出向くように｣と指示する電話が入った。 &lt;br /&gt;
　 &lt;br /&gt;
3月7日10:00、寺沢さんの姉は10万円を用意、長野駅の構内放送で電話口に呼び出されたが、10万円しか持ってきていないと知ると、宮崎は｢はした金では応じられぬ｣と電話を切った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、4回目の交渉で2,000万円で決着、寺沢さんの姉は宮崎の指示通りに2,000万円を持って長野発、16:38の上野行き、｢あさま16号｣の6号車グリーン車前方に乗り込んだ。切符は上野まで買わされたが、高崎駅で18:40に下車、待合室に案内所に電話がかかっているとの呼び出しがあり、寺沢さんの姉が出向くと、喫茶店｢ポンテ｣に行くように犯人に言われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし１時間30分後、寺沢さんの姉を取り巻いていた捜査員の存在に気づかれ、真向かいのレストラン｢ナポリ｣へ移動するように犯人は要求、22:00には｢明日の正午にまた来い｣と犯人から電話が入り、切れた。その後、犯人からの連絡は途絶えたが、3月27日発売の『週刊新潮』がこの事件を報道する事となり、この日、公開捜査となった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察は富山･長野両県にまたがる連続誘拐･殺人事件として｢広域重要111号｣に指定し大掛かりな捜査を展開。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがて、誘拐された付近の目撃者の証言で｢フェアレディに乗った大きなサングラス(トンボメガネ)の綺麗な女性｣がクローズアップされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査本部が近県の｢フェアレディＺ｣を所有している女性を調査した結果、富山･富山市で贈答品販売店を営む宮崎知子(34)と共同出資者の北野宏(28)を犯人と断定し3月30日21:00に逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
｢フェアレディ｣を乗り回す美人女性と年下の男が仕組んだ誘拐･殺人事件として報道もエスカレートしていった。当時の警察やマスコミは主犯を北野、宮崎が従犯という構図を描いた。取調べでも警察は北野に対して｢男のけじめをつけて全て白状しろ｣と強要。女に(宮崎)に全ての責任をなすりつけるのは男らしくないと詰め寄った。警察は「女ひとりにできる犯行ではない。主犯は男だ」と判断し、北野を苛烈に尋問。知子もその尻馬に乗るようにして「年下の恋人（北野）に捨てられたくない一心で、言いなりになった」と供述したため、北野は追いつめられ、自白調書に判を押させられるはめになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしその後の弁護士の助言により、公判開始後は自白は強制されたものだとして容疑を否定。北野はのちの供述で「彼女を女神のように崇拝していた時期もありました」　と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北野は｢犯行に関しては一切感知していなかった。宮崎に言われて運転しただけ｣と供述を繰り返した。一方、宮崎は真犯人は別人として容疑を一切否認した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
[[1986年]]、知子は3たび病に倒れ、子宮筋腫で刑務所内で手術を受けた。[[1988年]]2月、富山地裁は知子に死刑を宣告。対する北野を無罪とし釈放した。知子は控訴するが、[[1998年]]、最高裁で死刑が確定となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
知子が『死刑執行停止連絡協議会』の総会に寄せた文章。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「本来、刑罰は、悪いことをした人を、二度と罪を犯さないように矯正するのが目的のものです。死刑という刑罰は、この基本に反します。“矯正の余地のない者のみ死刑”と決められていますが、余地がないと何故判断できますか。矯正の機会を与えないで、何故判りますか。死刑を廃止し、被告を矯正できる事、矯正の余地のない人間なんていない事を、どうか真剣に考えて下さい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第一審 ===&lt;br /&gt;
逮捕前後の2人の[[供述]]などを[[証拠]]として、[[検察]]は2人を[[身代金目的誘拐罪]]と[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]などで[[起訴]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1980年5月13日 [[富山地方裁判所|富山地裁]]で初[[公判]]。検察側は冒頭陳述で「富山・長野の両事件とも、両被告が身代金目的の誘拐を事前共謀し、誘拐を宮崎、殺害は北野宏、死体遺棄は両被告が実行した」とし、「北野宏が犯行を主導し宮崎が従った」と主張した。[[罪状認否]]で宮崎は誘拐を否認。北野宏は「宮崎から[[政治資金]]絡みで金が入ると聞かされていただけ。誘拐殺人などは全く知らない」として[[無罪]]を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年3月6日 約5年間の審理によって、富山事件の発生時に北野宏が自宅にいたこと、長野事件の殺害の実行の際は[[ホテル]]で待機しており、[[アリバイ]]が存在したこと――が判明したことから、検察側は冒頭陳述の内容を18か所にわたって変更。「両被告は事前共謀をしたが、誘拐、殺害、死体遺棄、身代金要求の実行行為はすべて宮崎が行った」としてこれまでの主張の構図を一転させ、「主導者は宮崎で北野宏は[[共謀共同正犯]]」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1987年4月30日 検察は[[論告]]で宮崎に[[死刑]]、北野宏に[[無期懲役]]を[[求刑]]。宮崎は「富山事件は北野宏の単独犯行。長野事件では誘拐、死体遺棄、身代金要求は行ったが、殺害は北野宏が1人でやった」と北野宏主導説を主張。一方、北野宏は「宮崎は7年間嘘をつき通し、私に罪をなすりつけてきた。私が無期懲役を求刑されたのも全て宮崎の嘘が原因」と宮崎単独犯説を述べ、これまでどおり自身の無罪を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1988年2月9日 [[判決]]公判。宮崎は'''死刑'''。一方、北野宏については、富山事件で誘拐、殺害の前後に両被告が頻繁に電話連絡したり、長野事件で身代金受け渡し現場に両被告が一緒にやって来たことについて「宮崎から嘘のもうけ話を聞かされて事件を全く気づかなかった」とする北野宏の証言を真実性が高いと判断。実行行為も共謀も行っていないとして、北野宏に'''無罪'''を言い渡す。検察は北野宏について[[控訴]]。宮崎は自身について控訴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第二審 ===&lt;br /&gt;
1992年3月31日 [[名古屋高等裁判所|名古屋高裁]]金沢支部が検察と宮崎の控訴を[[棄却]]。宮崎は[[上告]]。検察は上告せず、北野宏の無罪確定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1998年9月4日 [[最高裁判所 (日本)|最高裁]]で上告棄却。宮崎の死刑確定。宮崎は[[女性死刑囚]]としては[[連合赤軍事件]]の[[永田洋子]]以来で、戦後7人目。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 再審請求 ===&lt;br /&gt;
2007年3月23日 富山地裁が宮崎の[[再審]]請求を棄却。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年現在、宮崎は[[名古屋拘置所]]に収容されている。一時期獄中結婚で苗字が変わっていたが、再び元の苗字に戻っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 連続誘拐殺人、宮崎死刑囚の再審請求を棄却(2013年3月) ==&lt;br /&gt;
富山、長野両県で1980年、女性2人が相次いで誘拐・殺害された「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」で、身代金目的誘拐や殺人などの罪で死刑が確定した元贈答品販売会社経営、宮崎知子死刑囚(67)の2回目の再審請求について、[[富山地裁]]([[田中聖浩]]裁判長)が棄却した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
棄却は[[2月25日]]付。同地裁は「新規性が無く、理由がない」などとした。弁護側は[[3月1日]]に[[名古屋高裁]]金沢支部に即時抗告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮崎死刑囚は「物証が乏しく、客観性がない」などとして2003年に富山地裁に再審を請求したが、2007年3月に同地裁が棄却、2011年7月に最高裁が特別抗告を棄却した。弁護側は同8月15日、富山地裁に2回目の再審請求をしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 名誉毀損訴訟 ==&lt;br /&gt;
宮崎は裁判中から、事件[[報道]]をした[[報道機関|マスコミ]]各社に[[名誉毀損]]を理由に[[損害賠償請求]][[訴訟]]を起こしては[[和解]]を繰り返していたが、唯一、彼女と和解の道を選択しなかったのは、[[作家]]の[[佐木隆三]]と[[出版社]]の[[徳間書店]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1991年に発行された『女高生・OL連続誘拐殺人事件』で、大衆の低俗な興味を満足させる記述により、社会的評価を著しく低下させられ、名誉や人格を傷つけられたとして、宮崎は著者の佐木隆三と出版した徳間書店に[[慰謝料]]500万円を請求する訴訟を起こす。[[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]は名誉感情の侵害を認め、佐木や徳間書店に慰謝料支払いを命じる判決を出したが、双方がすぐに控訴。2000年に、佐木と徳間書店に75万円の慰謝料の支払いが命じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐木との裁判が決着した後、宮崎は[[東京拘置所]]に収容されている[[死刑囚]]を相手に訴訟中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連書籍 ==&lt;br /&gt;
* 佐木隆三『女高生・OL連続誘拐殺人事件』 徳間書店、1991年9月。ISBN 4195993806&lt;br /&gt;
* [[清水一行]]『迷路』 徳間書店 1998年4月。ISBN 4198908729&lt;br /&gt;
* [[イーストプレス]]　「日本凶悪犯罪大全」　[[犯罪事件研究倶楽部]]&lt;br /&gt;
* [[旺文社]]　「ドキュメント女たちの殺意」　[[丸川賀世子]]&lt;br /&gt;
* [[学習研究社]]　「歴史群像シリーズ81　戦後事件史　あの時何が起きたのか」&lt;br /&gt;
* [[笠倉出版社]]　「江戸・明治・大正・昭和・平成　日本の女殺人犯101」　[[日高恒太朗]]　&lt;br /&gt;
* [[警察文化協会]]　「戦後事件史　警察時事年間特集号」　&lt;br /&gt;
* [[コアマガジン]]　「実録戦後タブー犯罪史　弱者を餌食にした卑劣な殺人鬼たち」&lt;br /&gt;
* [[社会思想社]]　「20世紀にっぽん殺人事典」　[[福田洋]]　&lt;br /&gt;
* [[社会批評社]]　「怪物弁護士・遠藤誠の事件簿　人権を守る弁護氏の仕事」　[[遠藤誠]]&lt;br /&gt;
* [[新人物往来社]]　「別冊歴史読本　殺人百科データファイル」&lt;br /&gt;
* [[新潮社]]　「新潮45　06年10月号」&lt;br /&gt;
* [[青春出版社]]　「人が人を裁くということ　罪と人間のはざまにある”心”の記録を追って」　[[佐木隆三]]　&lt;br /&gt;
* [[自由国民社]]　「死刑に処す　現代死刑囚ファイル」　[[佐久間哲]]&lt;br /&gt;
* [[宝島社]]　「別冊宝島　死刑囚　最後の1時間」&lt;br /&gt;
* [[宝島社]]　「別冊宝島　猟奇事件ファイル　【悪魔と呼ばれた人間たちの犯罪履歴書】」　&lt;br /&gt;
* [[同朋舎出版]]　「TRUE　CRIME　JAPAN　誘拐殺人事件」　[[斎藤充功]]　&lt;br /&gt;
* [[日本文芸社]]　「元刑務官が明かす　女子刑務所のすべて」　[[坂本敏夫]]&lt;br /&gt;
* [[日本文芸社]]　「『命』の値段　自殺から殺人、事故死、過労死まで―――死の経済学」　[[内藤満]]・監修&lt;br /&gt;
* [[ぶんか社]]　「警察庁広域重要指定事件完全ファイル」&lt;br /&gt;
* [[鹿砦社]]　「女性死刑囚　十三人の黒い履歴書」　[[深笛義也]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[誘拐]]&lt;br /&gt;
* [[警察庁広域重要指定事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:みやさき ともこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の誘拐事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代の殺人事件 (戦後)]]&lt;br /&gt;
[[Category:警察庁広域重要指定事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:連続殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:1980年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:富山県の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:長野県の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:富山県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9C%A8%E5%B6%8B%E4%BD%B3%E8%8B%97&amp;diff=199412</id>
		<title>木嶋佳苗</title>
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				<updated>2013-08-16T01:07:15Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:木嶋佳苗4.jpg|300px|thumb|木嶋　佳苗]]&lt;br /&gt;
'''木嶋 佳苗'''（きじま かなえ、[[1974年]]&amp;lt;昭和49年&amp;gt;[[11月27日]] - ）は、[[日本]]の殺人犯、インターネット詐欺師である。血液型A型。あだ名は、きじかな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[北海道]]中標津町生まれ、別海町育ち。祖父は司法書士兼町議会議員(通算10期)、父親は行政書士。[http://www.bekkai.hokkaido-c.ed.jp/ 北海道別海高等学校]卒業、[[東洋大学]]二部除籍。ケンタッキーフライドチキンに就職し退職する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高校生のときに窃盗罪で保護観察処分。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]3月、ネットオークションにパソコンを売ると書き込み、東京都内の男性から１０万円をだまし取ったなどとして、警視庁に詐欺容疑で逮捕され、懲役2年6月、執行猶予5年の有罪が確定していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ピアノ講師や、訪問ヘルパーにつく。インターネット詐欺での被逮捕暦がある。月額23万円の高級マンションに住んでいた。ワインカラーのベンツの高級車も運転していた。『かなえキッチン』なるブログも更新していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]9月25日に、結婚詐欺で埼玉県警察に逮捕される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年10月21日に、詐欺の容疑で起訴される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼女の知人で、不審死を遂げた人が6人いて、連続殺人事件の可能性を視野に入れて、関連について警察が慎重に捜査している。推定無罪の原則を貫かざるを得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
週刊新潮、週刊朝日、日刊ゲンダイでは、実名が掲載されている。また、多くの一般市民は、彼女による連続殺人事件がおきたと、とらえている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]]4月13日、さいたま地方裁判所から死刑判決。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
* 1993年3月 北海道別海高等学校卒業&lt;br /&gt;
* 1996年4月 東洋大学経営学部第2部経営学科入学（後に学費未納で除籍）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[婚活連続殺人事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://news.google.co.jp/news?hl=ja&amp;amp;q=%22%E6%9C%A8%E5%B6%8B%E4%BD%B3%E8%8B%97%22&amp;amp;lr=&amp;amp;um=1&amp;amp;ie=UTF-8&amp;amp;ei=WZ7qSsjlCaTs6gPnzrnsCw&amp;amp;sa=X&amp;amp;oi=news_group&amp;amp;ct=title&amp;amp;resnum=1&amp;amp;ved=0CA0QsQQwAA 木嶋佳苗－Google.ニュース]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きしま かなえ}}&lt;br /&gt;
[[Category:1974年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:北海道出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%8A%E7%94%B0%E7%BE%8E%E7%94%B1%E7%B4%80&amp;diff=199409</id>
		<title>上田美由紀</title>
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				<updated>2013-08-16T00:55:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:上田美由紀1.jpg|300px|thumb|上田　美由紀]]&lt;br /&gt;
[[Image:上田美由紀2.jpg|300px|thumb|上田　美由紀]]&lt;br /&gt;
[[Image:上田美由紀3.jpg|300px|thumb|上田　美由紀]]&lt;br /&gt;
'''上田 美由紀'''（うえだ みゆき）は、鳥取連続不審死事件の犯人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[鳥取県]][[鳥取市]]を中心におこった連続不審死事件である。[[2009年]]に発覚した（事件は[[2004年]]から2009年にかけて、計6件）。元スナックホステス・上田美由紀（2009年当時、35歳）の周辺で6人の不審死が起こり、注目された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[Image:鳥取連続不審死.jpg|500px|thumb|鳥取連続不審死事件]]&lt;br /&gt;
2009年11月に上田美由紀が別件の詐欺罪で逮捕された後に一連の不審死に関する捜査が行われた。[[2010年]]1月に上田美由紀は強盗殺人罪で逮捕され、最終的に2人の殺害した罪で起訴された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 一連の不審死事件 ===&lt;br /&gt;
; 42歳男性不審死事件&lt;br /&gt;
: [[2004年]]（[[平成]]16年）5月13日、上田美由紀の交際相手で、読売新聞鳥取支局に勤めていた男性記者（42歳）が段ボールに詰められた状態で鳥取市内で列車に轢かれ死亡した。段ボールには「出会って幸せだった」などのようなことが書かれており、鳥取県警は文面の様子などから遺書と判断し、男性記者の死因を「自殺」と処理して司法解剖などは行わなかった。男性記者は女との金銭トラブルがあり、同僚などから重々借金をしていた。&lt;br /&gt;
; 27歳男性不審死事件&lt;br /&gt;
: [[2007年]]（平成19年）8月18日、上田美由紀の家族と共に貝を採りに鳥取砂丘近くの海岸に出かけた会社員の男性（27歳）が海で溺れて病院に搬送、約10日後に死亡した。男性は泳げなかった。上田美由紀とは2001年頃にスナックで知り合い、2005年頃から同居するようになった。男性は上田美由紀から日常的に熱湯をかけられるなどの暴行を受けていた。&lt;br /&gt;
; 41歳男性不審死事件&lt;br /&gt;
: [[2008年]]（平成20年）2月、鳥取市郊外の山中で鳥取県警所属の男性警察官（41歳）が首つり死しているのが発見。男性は上田美由紀が働いていたスナックの常連客であり、2人の間で金銭トラブルがあったという。&lt;br /&gt;
; 矢部和実さん(当時47歳)不審死事件（起訴事案）&lt;br /&gt;
: [[2009年]]（平成21年）4月11日早朝、[[北栄町]]沖の日本海でトラック運転手の矢部和実さん(当時47歳)の水死体を発見。遺体からは睡眠導入剤、肺からは水死の場合入るはずのない砂が検出された。&lt;br /&gt;
; 58歳男性不審死事件&lt;br /&gt;
: 同年9月、上田美由紀と同じアパートに住んでいた無職の58歳男性が女の車を使って運転していたら鳥取駅前で乗用車と衝突。上田美由紀は「相手と示談する」といい、男性から8万円もらったが、その後、ことは進展せず、男性が示談相手ともめることになった。そして、1ヶ月後に男性が突如体調が悪くなり、10月27日に死亡。前日にはこん睡状態に陥っていた。男性は上田美由紀のスナックの常連客で、自宅の鍵を上田美由紀に預けていたという。&lt;br /&gt;
; 円山秀樹さん(57歳)不審死事件（起訴事案）&lt;br /&gt;
: 同年10月6日、自営業の円山秀樹さん(57歳)が「集金に行く」といい、車でどこかへ出発、翌日の午後2時、自宅から約4km離れている鳥取市内の[[摩尼川]]でうつ伏せの状態で死亡しているのが発見された。しかし、川は溺れるはずのない水深約20cmで顔を押し付けた可能性があり、遺体から睡眠導入剤が検出された。円山秀樹さんは上田美由紀とその同居人に140万円ほどの未収金があり、前日の発言はこのことだと思われる。現場から約10m離れたあたりに円山秀樹さんの車が発見され、カーナビの走行記録をみたところ、自宅を出発してから事務所そこから約7km離れた上田美由紀の自宅へ行き、数度、上田美由紀の自宅敷地を出入りし発見現場に到着。その後は移動していない模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 電気工事業の円山さんとは4年前から知り合い ===&lt;br /&gt;
鳥取県警が強盗殺人容疑で逮捕した元スナック従業員上田美由紀と、被害者の電気工事業円山（まるやま）秀樹さんは少なくとも4年前から知り合いだった。上田は円山さんに家電製品の修理を頼んでおり、2人の間で商品がやりとりされたのは今回が初めてだったという。県警は、円山さんが未払い代金の支払いを再三求めたことが、殺害のきっかけになった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上田に電気業者の紹介を頼まれた鳥取市に住む男性が、リフォーム関係の仕事で知り合いだった円山さんを紹介。上田は2005年後半以降、円山さんに家電製品の出張修理を何度か依頼しており、その際は代金未払いはなかったという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、2009年8～9月、上田は、同居する元自動車セールスマンの男(46)＝詐欺罪などで起訴＝と一緒に、初めて円山さんから代金後払いでテレビやDVDレコーダーなど12点、約123万円相当の商品を入手。しかし、代金を支払わず、新品のままリサイクル店などに転売し、現金化した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
円山さんは最後の商品を渡した2009年9月2日以降、上田や男に督促。行方不明になる前日の2009年10月5日には、円山さんから上田と男が使う携帯電話に計4回電話をかけていた。円山さんの姿はたびたび、上田らが住むアパートでも目撃されており、円山さんは知人に、代金回収のために訴訟を起こすとも話していた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
円山さんの再三の支払い要求に対し、「現金書留で代金を送った」「親が払う」などと言うものの、上田と男は代金を払わなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警が今回、上田を殺人容疑ではなく、強盗殺人容疑で逮捕したのは、上田が円山さんを殺すことで、未払い代金の支払いを免れ、財産上、不法な利益を得たとみているためだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警の調べに対し、上田と男は、円山さんが行方不明になった2009年10月6日午前、円山さんと一緒に、円山さんの遺体が発見された摩尼（まに）川まで行っていたことを認める供述をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2件目強盗殺人罪で上田起訴(2010年3月) ==&lt;br /&gt;
鳥取県沖の日本海で2009年4月に水死体で見つかった同県若桜町のトラック運転手矢部和実さん(47)を借金返済を免れるために殺害したとして、鳥取地検は3月24日、鳥取市の元スナック従業員上田（うえた）美由紀を強盗殺人罪で起訴し、発表した。上田は同市の電気工事業円山（まるやま）秀樹さん(57)に対する強盗殺人罪でも起訴されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地検は、上田が起訴内容を認めているかどうかについて明らかにしていないが、捜査関係者によると、上田容疑者は取り調べに対し、円山さんの事件も含めて黙秘を続けているという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上田は2009年4月4日午前7時半～同10時40分ごろ、矢部さんから借りた270万円の返済を免れるため、睡眠導入剤などを飲ませて意識がもうろうとした矢部さんを同県北栄町の海岸に誘い、おぼれさせて殺害した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地検は、上田がひとりで矢部さんを殺害したとみている。上田が矢部さんに睡眠導入剤を飲ませた場所については特定できていないが、どのように飲ませたかについては、「公判で明らかにする」としている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、鳥取県警は、上田の隣人で、2009年10月に死亡し、円山さんや矢部さんと同じく体内から睡眠導入剤が検出された無職田口和美さん(58)についても、事件に巻き込まれた可能性があるとみて捜査を続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 上田に新たな詐欺容疑。8回目逮捕(2010年4月) ==&lt;br /&gt;
鳥取県警鳥取署は4月12日、鳥取県の連続不審死をめぐって2件の強盗殺人罪などで起訴された鳥取市福部町の元スナック従業員上田（うえた）美由紀と、別の詐欺罪などで起訴された元自動車セールスマンの男(46)を新たな詐欺容疑で再逮捕した。上田の逮捕は通算8回目で、詐欺容疑について否認している。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2人は2009年8～9月、鳥取市内の中古車販売店で軽乗用車4台(計約130万円相当)、農機具販売店で発電機など8点(計83万3千円相当)を転売目的で詐取した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 鳥取不審死、捜査本部を解散。無職男性死亡は立件せず(2010年5月) ==&lt;br /&gt;
鳥取県で死亡した男性3人の体内から相次いで睡眠導入剤が検出された連続不審死事件を捜査している鳥取県警は5月10日、捜査本部を解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
男性2人の死については強盗殺人容疑で元スナック従業員上田美由紀が逮捕、起訴された。しかし、3人目の男性について、県警は病死と判断した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
起訴状によると、上田は2009年4月、借金返済を免れる目的で同県若桜町のトラック運転手矢部和実さん(当時47)を同県北栄町の海岸で殺害、同10月には家電製品代金の代金支払いを免れるために鳥取市の電気工事業円山（まるやま）秀樹さん(57)を同市の川で殺害した、とされている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警は、上田被告の隣人で、2009年10月に自宅で倒れ、死亡が確認された無職田口和美さん(58)についても死亡した状況に不審な点があるとして捜査してきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== “西の毒婦”上田美由紀のおぞましき“籠絡セックス” ==&lt;br /&gt;
男たちから金を巻き上げ、次々と殺害したといわれる“毒婦”[[婚活連続殺人事件|木島佳苗]](37)。その木島と同じく、多くの男性の不審死事件で逮捕され、“西の毒婦”と恐れられた上田美由紀(38)の初公判が、[[2012年]][[9月25日]]に鳥取地裁で開かれた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
ところが、その法廷で明かされたおぞましき籠絡セックスの手口が、司法関係者らを驚愕させているのだ。司法記者がこう話す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「この裁判は、2009年に不審死した2人の男性(＝当時57歳と47歳)の殺人容疑が争点。上田が関与したとみられる事件は計6件あるが、どれも証拠が乏しく、鳥取市内で上田と同居していた男(48＝詐欺罪で服役、後に出所)が関与し、その供述で公判維持できそうな2件を当面起訴したというわけです。ところが、その冒頭陳述で、妻子持ちだった男を同居に引きずり込んだ、卑劣な手練手管が明かされたのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時自動車販売員だった男性は、2007年に上田が働いていた鳥取市内のスナックに来店。男女仲となり、「避妊薬を飲んでいる」と話す上田と中出しセックスに励んでいた。だが、それが原因で、思わぬ脅迫を受けることとなったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ある日、上田の妹のアケミと名乗る女から電話があり、『姉に子供ができた』『避妊薬を飲み忘れた』などとわめき立てたという。女はさらに『家族に捨てられる！』『親戚から妊娠を責められ、姉が自殺する』などと脅迫し、男に妻子を捨てて同居させたというのです」(同)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、恐ろしいのはその先だ。冒頭陳述にある同居男性の供述によれば、実は上田には妹はおらず、電話したのは後に本人と判明。要は、セックスと血縁者を装った脅迫でがんじがらめにしていたというのだ。社会部記者がこう話す。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
「上田は同居後も、濃厚なセックスと脅迫で男を共犯に仕立てたと検察側は主張しているが、被害者たちは軒並みこのアメとムチでたらしこまれ、金銭を搾取された揚げ句、殺害された模様。そのため、今後は被害者たちとの赤裸々な性が浮き彫りになると見られているのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もっとも、上田被告の弁護団は「同居男性の供述は全くの嘘」と全面対決の姿勢。判決は12月4日だが、今後の展開から目が離せない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 上田美由紀に死刑求刑(2012年11月) ==&lt;br /&gt;
債務を免れるため、男性2人に睡眠導入剤を飲ませ溺死させたとして強盗殺人罪などに問われた鳥取市の元スナックホステス上田美由紀(38)の裁判員裁判の論告求刑公判が[[2012年]][[11月5日]]、[[鳥取地裁]]（[[野口卓志]]裁判長）で行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は「人命を軽視した身勝手極まりない犯行で、情状酌量の余地はない。被害者2人は恐怖と苦悶の中で絶命しており、（被告）自らの命をもって償わせる以外にない」と述べ、死刑を求刑した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
論告などによると、上田は2009年4月、トラック運転手・矢部和実さん(当時47歳)に睡眠導入剤を飲ませ、鳥取県北栄(ほくえい)町の海岸で水死させて借金270万円の返済を免れたほか、同年10月にも、電気工事業・円山秀樹さん(同57歳)を同様の手口で、鳥取市の摩尼(まに)川で水死させ、家電製品代123万円の支払いを逃れたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上田は強盗殺人罪について無罪を訴え、弁護側は元同居人の男性元会社員(49)＝詐欺罪などで服役し、出所＝による犯行と主張している。6日には弁護側の最終弁論があり、上田被告の最終意見陳述が行われる。判決は12月4日。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 一審死刑判決(2012年12月) ==&lt;br /&gt;
鳥取県内で知人男性2人を殺害したなどとして、強盗殺人罪などに問われた鳥取市の元スナックホステス上田美由紀(38)の裁判員裁判の判決が[[2012年]][[12月4日]]、[[鳥取地裁]]であり、[[野口卓志]]裁判長は、求刑通り死刑を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
判決によると、上田は2009年4月、トラック運転手・矢部和実さん(当時47歳)に睡眠導入剤などを飲ませ、同県北栄町の海岸で水死させて借金270万円の返済を免れ、同年10月には、鳥取市の摩尼川で電気工事業・円山秀樹さん(同57歳)を同様の手口で水死させ、家電製品代約53万円の支払いを逃れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
野口裁判長は、被害者2人から検出された睡眠導入剤などについて、上田が両事件の直前に知り合いの男性から譲り受けるなどしたものと指摘するなどし、上田による連続強盗殺人事件と断定した。　これまでの公判で、上田は「私はやっていません」と否認し、被告人質問では黙秘。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護側は「同居していた男性元会社員(49)＝詐欺罪などで服役し、出所＝と警察が協力してうそをつき、被告を犯人に仕立てた」と反論した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判は、裁判員選任から判決までの期間が過去2番目の長さの75日に及んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 報道 ==&lt;br /&gt;
この事件は、2009年11月2日に詐欺容疑で上田美由紀が逮捕された際、[[鳥取県警察|鳥取県警]]は実名を公表し、県警記者クラブに加盟する報道各社に発表資料を配布した。しかし、不審死事件が発覚した5日以降は匿名にきりかわった。これは、殺人容疑で立件されれば[[裁判員制度|裁判員裁判]]の対象となるため、世間に予断をあたえないための配慮とされている。しかし、ほとんどの週刊誌は実名や顔写真を掲載し、センセーショナルな見出しで女の生い立ちや生活実態を報道した。『[[週刊新潮]]』は、『社会的な関心がおおきく、「[[知る権利]]」にこたえるため』、『[[週刊文春]]』は「事案の重大性をかんがみて」という理由で実名報道を選択した理由を説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一連の報道についてマスコミ研究者の[[桂敬一]]は、「実名報道は捜査当局の判断をまってからでもおそくない。興味本位の報道ではよくなく、インターネット上でも情報が氾濫しており、フィクションの世界で犯罪ができあがるような錯覚すらおぼえる」と指摘している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年1月28日に女が強盗殺人罪で逮捕されたのを機に、テレビや大手新聞でも実名報道に切り替えとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[結婚詐欺・連続不審死事件]] - 同時期に発覚した関東地方にまたがる事件。「首都圏連続不審死事件」とも呼ばれる。&lt;br /&gt;
* [[実名報道]]&lt;br /&gt;
* [[変死体]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:うえた みゆき}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2009年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:鳥取市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:シリアルキラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:鳥取県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%8B%A4&amp;diff=199404</id>
		<title>宮崎勤</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%8B%A4&amp;diff=199404"/>
				<updated>2013-08-16T00:47:25Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: /* 著作 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:宮崎勤1.jpg|350px|thumb|宮崎　勤]]&lt;br /&gt;
[[Image:宮崎勤2.jpg|350px|thumb|宮崎　勤]]&lt;br /&gt;
[[Image:宮崎勤3.jpg|350px|thumb|宮崎　勤]]&lt;br /&gt;
'''宮崎 勤'''（みやざき つとむ、[[1962年]][[8月21日]] - [[2008年]][[6月17日]]）は[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]（[[警察庁広域重要指定事件|警察庁広域重要指定]]第117号事件）の[[容疑者]]として[[逮捕]]、[[起訴]]され、[[死刑]]判決が確定し、刑死した人物である。身長166cm.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]参照&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件発生 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;DIV align=center&amp;gt;&lt;br /&gt;
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      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;誘拐＆殺害日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;被害者&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;被害者の住所&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;遺体発見日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
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      &amp;lt;TD rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1988年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （昭和63年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      8月22日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;今野真理ちゃん&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （4歳/幼稚園児）&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;埼玉県入間市&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1989年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （平成元年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      2月6日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
      size=2&amp;gt;今野宅の玄関前に段ボール箱が置かれているのを発見。中には細かく砕かれ焼かれた人骨片やピンク色ショートパンツなどを写したインスタント写真、5つの文字をコピーした紙が入っていた（殺害から約6ヶ月後）。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
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      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1989年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （平成元年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      9月13日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;東京都五日市町の山林で手足の骨を発見（殺害から約1年1ヶ月後）。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;/TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
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      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;２&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1988年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （昭和63年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      10月3日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;吉沢正美ちゃん&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （7歳/小学1年生）&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;埼玉県飯能市&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1989年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （平成元年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      9月6日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
      size=2&amp;gt;宮﨑が自供した翌日、東京都五日市町の山林で白骨死体となった遺体と衣類を発見（殺害から約11ヶ月後）。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;/TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;３&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1988年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （昭和63年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      12月9日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;難波絵梨香ちゃん&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （4歳/幼稚園児）&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;埼玉県川越市&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1988年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （昭和63年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      12月15日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
      size=2&amp;gt;埼玉県名栗村の横瀬川河川敷で衣類や靴などを発見したあと、名栗村の山林で遺体を発見（殺害から6日後）。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;/TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;４&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1989年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （平成元年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      6月6日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;野本綾子ちゃん&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （5歳/保育園児）&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;東京都江東区&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1989年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （平成元年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      6月11日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
      size=2&amp;gt;埼玉県飯能市の宮沢湖霊園で頭部の一部と両手足が切断された胴体部分を発見（殺害から5日後）。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;/TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1989年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （平成元年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      8月10日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
    size=2&amp;gt;宮﨑が自供した翌日、東京都奥多摩町の山林で残りの頭部の一部を発見（殺害から約2ヶ月後）。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;/TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
  &amp;lt;/TBODY&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/TABLE&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/CENTER&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/DIV&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 今野真理ちゃん(4歳) ===&lt;br /&gt;
[[1988年]](昭和63年)[[8月22日]]午後3時過ぎ、[[東京都]][[五日市町]]（現・[[あきる野市]]/以下同）小和田、印刷業手伝いの宮﨑勤(当時26歳)は、[[埼玉県]][[入間市]]内の歩道橋を歩いていた入間市の設備設計会社社長（当時47歳）の次女で幼稚園児の今野真理ちゃん(4歳)に、「涼しいところに行かないかい？」と声をかけ、日産・ラングレーに乗せて東京都八王子市内の山林に連れ込み、午後6時半ころ、山林内で真理ちゃんが泣き出したので、押し倒して絞殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月23日]]、東京都杉並区高円寺南のレンタルビデオ店でビデオカメラなどを借り、殺害現場に行き、遺体の陰部などに指を入れるなどしてビデオ撮影した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 吉沢正美ちゃん(7歳) ===&lt;br /&gt;
[[10月3日]]午後3時ころ、宮﨑は埼玉県[[飯能市]]の原市場小学校の傍らで遊んでいた飯能市の運転手(当時40歳)の次女で小学1年の吉沢正美ちゃん(7歳)に「道を教えてくれるかい？」と近づき、ラングレーに乗せて八王子市の新多摩変電所まで走り、さらに、歩いて日向峰の山林内に連れ込んで、午後5時ころ、絞殺した。全裸にして性器などに指を入れるなどしたが、死んだはずの体が動くので怖くなって逃げ帰った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 難波絵梨香ちゃん(4歳) ===&lt;br /&gt;
[[12月9日]]午後4時半ころ、宮﨑は埼玉県[[川越市]]の自宅の団地の傍らで遊んでいた川越市の会社員(当時35歳)の長女で幼稚園児の難波絵梨香ちゃん(4歳)に、「温かいところに行こう」と声をかけてラングレーに誘い入れたが、途中でシクシク泣き出したので、[[入間郡]][[名栗村]]の県立少年自然の家の駐車場に車を止めた。ヒーターで車の中が暑くなったので、「お風呂に入ろう」と言うと、絵梨香ちゃんが服を脱いだので、ストロボを使って写真を撮ったが、またシクシク泣き出したので、午後7時過ぎ、車の中で馬乗りになって絞殺した。午後8時ころ、名栗村新田の山林内に死体を遺棄した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被害者宅へ暗号を郵送 ===&lt;br /&gt;
[[12月15日]]、難波絵梨香ちゃんの衣類や靴などに続いて遺体が発見される。同日、宮﨑は新聞から拾った文字を自宅工場のコピー機で拡大コピーして切り取り、＜魔がいるわ＞と文字を並べて、これをさらに拡大コピーして貼り付けた葉書を今野真理ちゃん宅宛てに郵送で送り届けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑はのちにこれは「入間川」をもじったものと供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月20日]]、宮﨑は自宅にあった新聞と本の中から＜絵梨香＞＜かぜ＞＜せき＞＜のど＞＜楽＞＜死＞の6文字を拾い出し、工場のコピー機で拡大コピーし、この文字を白紙に貼り付け、さらにコピーして貼り付けた葉書を難波絵梨香ちゃんの父親宛てに郵送で送り届けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜絵梨香＞＜かぜ＞＜せき＞＜のど＞＜楽＞＜死＞の6文字については、国内の[[アナグラム]]マニアの協力を仰いで解明が試みられた。文字をローマ字に置き換えて並べ替えると、「Ｕ」が1文字足りないが、「ＩＫＩＫＡＥＳＡＳＥＲＡＲＥＺ　ＫＩＮＯＤＯＫＵ」――「生き返させられず　気の毒」と読めることが判明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌[[1989年]](平成元年)1月中旬ころ、今野真理ちゃんの殺害現場から頭蓋骨などの骨を持ち帰り、自宅前の畑でゴミや家具と一緒に燃やした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月6日]]午前0時ころ、宮﨑は今野真理ちゃん宅の玄関前に段ボール箱を置いた。中には黒っぽい灰や泥、焼かれて炭化した木片、細かく砕かれ焼かれた人骨片やインスタントカメラで撮影したピンク色半ズボン、パンツ、サンダルのカラー写真、自宅にあった辞書の中から拾い出した＜真理＞＜遺骨＞＜焼＞＜証明＞＜鑑定＞の5文字を工場のコピー機で拡大コピーしたB5判の紙が入れてあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京歯科大]]が人骨片のうち計10本の歯を鑑定した結果、一度は真理ちゃんのものでないと発表したが、[[3月1日]]、真理ちゃんのものと断定して発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜真理＞＜遺骨＞＜焼＞＜証明＞＜鑑定＞の5文字&amp;lt;/FONT&amp;gt;の文字についても同様に、アナグラムマニアの協力を仰いで解明が試みられ、それぞれの文字を「ＭＡＲＩ」「ＩＫＯＴＳＵ」「ＹＡＫＵ」「ＳＨＯＵＭＥＩ」「ＫＡＮＴＥＩ」とローマ字に置き換えて並べ替え、「Ｔ・ＭＩＹＡＳＡＫＩ　ＨＡＫＯＴＳＵＭＥ　ＩＥＮＩ　ＯＫＵＲＵ」――「Ｔ・宮﨑　箱詰め　家に送る」と読める。宮﨑は「みやざき」と読むが、「みやさき」とも読めることから、「Ｓ」を使って完成させている。また、＜焼＞を「ＹＡＫＩ」とすると、「ＭＩＹＡＳＡＫＩＴＳＵＴＯＭＵ　ＨＡＫＯＮＩ　ＩＲＥ　ＫＩＥ」――「宮﨑勤　箱に入れ　消え」と読める。さらに、「ＭＩＹＡＳＡＫＩ　ＴＳＵＴＯＭＵ　ＫＩＲＥＩＮＩ　ＨＡＫＯＥ」――「宮﨑勤　綺麗に　箱へ」とも読める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
専門家によると、27文字の[[ローマ字]]を並べ替えて、宮﨑勤のフルネームが出てくる確率は1兆分の1以下だそうで、意図的に作られたということが判明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月10日]]、インスタントカメラで撮影した今野真理ちゃんの顔写真を添付し、「犯行声明」というタイトルをつけたB4判のコピー用紙3枚を入れ、差出人を「所沢市　今田勇子」として、[[東京都]][[中央区]][[築地]]の[[朝日新聞]]東京本社宛てに郵送した封書が届く。[[2月11日]]、朝日新聞社に送ったものと同じ封書が今野真理ちゃんの母親宛てに届く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
犯行声明文（縦書き/誤字や読点などは原文のまま）&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
今野まりちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です。この、真理ちゃん一件に関しては、最初から最後まで私一人がしたことです。&lt;br /&gt;
私が、ここに、こうして真実を述べるのには、理由があるからです。まずあの段ボール箱に入った骨は、明らかに真理ちゃんの骨です。その証かしを立てます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず、どうやって連れ去ったかを述べましょう。&lt;br /&gt;
去る8月22日、私は、私には、どうしても手をのばしても届くことのない子供を、今日一日は自分のものにしたい思いにかられ、入間ビレッジの8号棟裏に車を止め、&lt;br /&gt;
あのプールでは、親に送り向かえをされない、一人で行き帰りする子供達の多いことを、知っている私は、その出口付近に一人で立っていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すると、真理ちゃんと、兄弟の男の子と二人で出て来て、ポストの所で別々になり真理ちゃんは、一人で家に帰る様子でした。&lt;br /&gt;
水着で歩いて行くので、家が近い筈だとみらみ、つけ回す距離も短くてすむと思ったのです。&lt;br /&gt;
まず真理ちゃんが家に入って、今日一日、出て来なくてもかまわなかったのです。&lt;br /&gt;
いつか宅から出て来る母親の顔さえ覚えておいて、その人が、真理ちゃんのそばに居ないときに、真理ちゃんを誘えば良いのだと思ったので、ちっともあわてずに、尾行しました。&lt;br /&gt;
つまり、母親が、自分の子供と一緒に居る時が一番危ないのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
思った通り、真理ちゃんは家へ入りました。母親も中に居たよウです。&lt;br /&gt;
さて、私は母親の顔を見てから立ち去ろうと思い、7号棟入口付近に立っていましたが何と真理ちゃんが、すぐに出て来たのです。&lt;br /&gt;
予想こそはずれましたが、家の中に母親が居るということは、今、真理ちゃんの周囲には誰も居ないこととなり、願ってもないチャンスにめぐりあえました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勿論、家の前で声をかけては、母親に相談するためにもどられてしまいます。&lt;br /&gt;
母親の位置から遠のかせる意味も含めて、真理ちゃんを自由に歩かせ、距離を遠のかせ、後をつけます。&lt;br /&gt;
そして、真理ちゃんが歩道橋を渡ると私は確信したので、私は、通りを走って歩道橋の向こう側から走ってのぼり、上で真理ちゃんを待ち伏せ、言葉をかけて、真理ちゃんをつかまえます。&lt;br /&gt;
うまくいったというより、女同志でしたので真理ちゃんは怪しまなかったと説明した方が適切でしょう。&lt;br /&gt;
話しが思ったより思い通りにまとまり、「私が、車のクーラーを先に行って、かけているから少したったら来てね。」と言って、先に車へ行き、乗って待った所、すぐに真理ちゃんは一人で来ました。&lt;br /&gt;
つまり、真理ちゃんが、私の車に乗り込むまで、誰一人、私を見ていないのです。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
接続詞や連体詞、読点を多用して、読む人を説得させようとしている意図が感じられる文章になっている。「今田勇子」という名前については、取調官に対し供述しているが、「宮﨑の異常性を却って強調してしまうおそれがある」という理由からその調書は法廷には提出されなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「今田勇子」は少女マンガの『毒をくらわばサラミまで』に登場する女刑事の名前を借用しただけと供述したり、「イマダユウコ」で「今だから言う」とか「コンダユウコ」と読ませて「今度は言う」の意味で、「勇子」という字から「マ」を取れば「男子」となり、男女を曖昧にするために都合がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、「今田勇子」という文字を完全に分解し、組み立て直せば、野の字が少し変だが、「今野マリ」という文字になるとも供述している。だが、精神鑑定での問診では読み方を問われ、「いまだいさこ」とか「親が変てこりんなら『いさむこ』と読ませる」とはぐらかすように答えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月6日]]、今野真理ちゃんの両親が「葬儀・告別式を[[3月11日]]正午から行なう」と発表。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月11日]]、「告白文」というタイトルをつけたB4判のコピー用紙3枚を差出人を「今田勇子」として朝日新聞東京本社社会部と今野真理ちゃん宅宛てに郵送した封書が届く。その告白文の書き出しは＜御葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました＞となっており、被害者遺族の神経を逆撫でするような内容になっている。また、この「告白文」の中には次のような文章がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
私は、引っ越して来た家の床下に埋めた子供の隣りに、真理ちゃんの骨を埋め、これで、やっと、ほっとしました。&lt;br /&gt;
これで全てが終わったのです。それが、しかしです。やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。&lt;br /&gt;
やはり、骨だけだったので、鑑定をしても、それが誰のものかはわからなかった。&lt;br /&gt;
しかし、「県内で他に不明の子がいない」という理由で、「その骨を明子ちゃんのものとしてもよい。」という発表があった。&lt;br /&gt;
私のように、後になって骨を運んだ人がいたのかもしれない。去年、捜索しても何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。&lt;br /&gt;
そして、発表の後、明子ちゃんの両親は御葬式をだした。やはり、明子ちゃんだと限らなくても、両親という物は、そういうものなのです。&lt;br /&gt;
自分の子に対する本心の涙で、はっきりしない葬式をあげてしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は、この事で、ある決心をし、計画をたてたのです。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここで宮﨑が書いている「明子」は「朋子」の間違いで、[[群馬県]][[尾島町]]亀岡、小学2年生の大沢朋子ちゃん(8歳)のことである。朋子ちゃんは[[1987年]](昭和62年)[[9月15日]]午前11時ころ、子猫を抱いて自宅近くの尾島公園に出かけたまま行方不明になっていた。宮﨑による幼女連続殺人事件が起きる約1年前の出来事である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1988年]](昭和63年)[[11月27日]]、尾島町前小屋の利根川河川敷で釣り人が散乱した子どもの骨を発見した。骨は頭蓋骨を中心に2～3メートルの範囲内に散乱していたが、両腕のひじから先と両足のひざから先の骨が見つからなかった。死後1年以上経過していた。警察はこの白骨死体を大沢朋子ちゃんである可能性が高いとしたが、その理由は、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（１）最後の目撃現場から人骨発見場所が1キロという近い距離であること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）朋子ちゃんが行方不明になった時期と死亡推定時期が一致すること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（３）他に行方不明の者がいないこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（４）その後の白骨死体の血液型が朋子ちゃんと同じB型と判明したことであった。&lt;br /&gt;
宮﨑は「告白文」の中にわざわざ明子（朋子）ちゃんの名前を出し、他人の犯行であるようには書いている。朋子ちゃんの事件と宮﨑による一連の事件の共通するところをあげると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（１）朋子ちゃんの発見された骨には「ひじから先とひざから先の骨がない」ということから今野真理ちゃんの事件やのちに殺害されることになる野本綾子ちゃんの事件で遺体が発見されたときの状況を連想させられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）群馬県は北関東で首都圏からはずれるが、埼玉県とは隣接しており、朋子ちゃんの白骨死体が発見された場所は群馬県と埼玉県にまたがって建設中の新上武大橋から下流800メートルの地点である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（３）朋子ちゃんの遺体の発見場所も利根川岸で、宮﨑による殺人事件も[[入間川]]（上流は[[名栗川]]）沿いであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（４）朋子ちゃんは当時8歳で、宮﨑が殺害した幼女の年齢は4歳が2人、5歳が1人、7歳が1人となっている。このように、確かに共通する部分は多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑が4人の幼女を殺害したことを自供した頃に発売された1989年9月19日号の『[[週刊女性]]』（主婦と生活社）には、＜天国の朋子ちゃん/とうとう犯人が見つかったよ・・・＞というタイトルがあり、その上の方には＜幼女殺人鬼　宮崎勤/5人目も白状/大沢朋子ちゃん(8歳)も殺して捨てた!?＞というキャッチコピーがついている記事が掲載された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この記事の内容の真偽はともかくとして、宮﨑は朋子ちゃんの事件に関わっていたかどうかが不明のまま、結局、宮﨑は「朋子ちゃん事件」で逮捕されることはなかった。[[2002年]](平成14年)[[9月15日]]、事件発生から15年が経ったこの日、[[公訴時効]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、朋子ちゃんが行方不明になった日の前日の1987年(昭和62年)[[9月14日]]には、同じく[[群馬県]][[高崎市]]に住む高崎中央消防署員の長男の荻原功明(よしあき/5歳)ちゃんが誘拐され、2000万円の身代金を要求されるという事件が起きている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2日後の16日、4回目の強迫電話では要求額が1000万円に下がったことや翌日の9月15日が「敬老の日」で当時の金融機関が休みだったことなどを知らなかったフシがあったことなどから、本当に身代金目的であったのかが疑問であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同日、功明ちゃんの全裸死体が自宅から6キロ離れた[[寺沢川]]にかかる入の谷津橋下の川底から発見された。高さ13メートルの橋から生きたまま投げ落とされたと見られている。功明の衣類は殺害現場から2キロほど離れた地点で見つかっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]](平成14年)[[9月14日]]、事件発生から15年が経ったこの日、公訴時効となった。この「功明ちゃん誘拐殺人事件」は戦後に発生した身代金目的の誘拐事件では唯一の未解決事件ということになっているが、[[1963年]](昭和38年)5月に起きた[[狭山事件]]は形の上では身代金目的の誘拐事件であり、被疑者を逮捕・起訴し、その後の裁判で有罪判決になった、という意味では解決した事件とも言えるのだが、この事件は冤罪事件と見られており、そういう意味では、狭山事件も未解決事件とも言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死刑になる殺人などの公訴時効は[[2005年]](平成17年)[[1月1日]]施行の改正刑事訴訟法により「15年」から「25年」に改正。さらに、[[2010年]](平成22年)[[4月27日]]施行の改正刑事訴訟法により殺人、強盗殺人は公訴時効が廃止されたため、公訴時効が完成することがなくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 野本綾子ちゃん(5歳) ===&lt;br /&gt;
[[6月6日]]午後6時過ぎ、宮﨑は[[東京都]][[江東区]]の公園で遊んでいた会社員(当時37歳)の長女で保育園児の野本綾子ちゃん(5歳)に「写真を撮ってあげる」と言ってラングレーに誘い入れ、約800メートル離れたプレハブ倉庫前路上で車を止め、チューイングガムを与えると、手の障害のことでからかわれたので、車の中で絞殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
帰る途中、[[杉並区]][[高円寺]]南のレンタルビデオ店でカメラなどを借り、午後9時ころ帰宅。午後11時ころ、綾子ちゃんの遺体を車のトランクから自室に運び込み、電気こたつの上に乗せ、全裸にして体を拭いたあと、陰部に指を入れるなどしてビデオや写真を撮影した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月8日]]、綾子ちゃんの遺体の悪臭がひどくなってきたので、遺体の頭部、両手足を切断、髪の毛や歯を抜き、胴体部分を埼玉県飯能市の宮沢湖霊園の公衆トイレ脇に、頭部は自宅近くの御獄山に棄てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月11日]]、飯能市の宮沢湖霊園の公衆トイレ脇からバラバラ死体の胴体部分が発見された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月12日]]、前日に発見された遺体は胃の内容物などから野本綾子ちゃんと断定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月13日]]、[[新潟県]][[柏崎市]]の[[佐藤宣行]]（当時26歳）が柏崎市で下校中の小学4年生(当時9歳)の女児に乱暴しようとして逮捕され、[[9月19日]]、[[新潟地裁]]長岡支部で懲役1年・執行猶予3年の有罪判決を受けた。この頃には、宮﨑が幼女4人を誘拐して殺害したとして日本中が騒然としていた時期であった。それにもかかわらず、警察は佐藤宣行を前歴者リストに登録せずに放置していた。この事件から1年と5ヶ月後の[[1990年]](平成2年)[[11月13日]]、28歳になった佐藤宣行は今度は[[三条市]]で当時小学4年生(当時9歳)の女児を車で連れ去り、自宅2階の自室に9年2ヶ月に渡り監禁した。佐藤宣行の名前が前歴者リストに登録されていたら、この女児が行方不明になった時点で、佐藤宣行が最重要人物として浮上していたはずである。[[2000年]](平成12年)[[1月28日]]、19歳になっていた少女は柏崎市保健所職員により発見、保護された。[[2003年]](平成15年)[[7月10日]]、[[最高裁]]で佐藤宣行に懲役14年が下り、確定した。ちなみに佐藤宣行と宮﨑は同じ[[1962年]](昭和37年)生まれ(佐藤宣行は[[7月15日]]生まれ、宮﨑は[[8月21日]]生まれ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月27日]]ころ、[[御獄山]]へ行って綾子ちゃんの頭蓋骨を拾い、自宅の印刷工場の流し台で頭髪をむしって水洗いし、そのあと一部を東京都[[奥多摩町]]梅沢の山林に、一部を奥多摩町河内の山林に棄てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==　宮崎逮捕 ==&lt;br /&gt;
[[7月23日]]午後4時半過ぎ、宮﨑は小学1年生の女の子(当時6歳)に、「写真を撮らせてくれない？」と近づき、その場で数枚を撮影した後、自分の車に乗せ、八王子郊外の山林に連れ込み、全裸にしてビデオを撮ろうとしていたところを、尾行してきた女の子の父親に見つかって、通報で駆けつけた八王子署員に強制わいせつで逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月7日]]、[[東京地検]]八王子支部は宮﨑をこの件で猥褻誘拐、強制猥褻罪で起訴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月9日]]、野本綾子ちゃん殺害を自供。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月10日]]、自供通り、東京都奥多摩町の山林で野本綾子ちゃんの頭部が発見される。同日、マスコミが宮﨑の自宅に押しかけ、宮﨑の父親が宮﨑の自室を公開した。約6000本のビデオと多数のマンガが部屋中を埋め尽くし、窓までつぶしてしまった異様な光景は人々に衝撃を与えたが、以後、宮﨑は「オタク」と呼ばれるようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
のちに宮﨑が逮捕され、部屋から計5,793本のビデオテープが押収されることになるが、捜査員は「とにかく何が映っているか」を確認するため、74人の捜査員と50台のビデオデッキを投入したにもかかわらず、2週間もかかってしまった。宮﨑自身が撮影したり、録画した事件関連のものが計88本あったが、残りは次の5つに大別されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;P align=left&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
    size=3&amp;gt;○[[スプラッター]]作品を含む[[ホラー]]もの作品――『[[血肉の華]]』『[[ピーターの悪魔の女医さん]]』『[[ギニーピック]]』・・・&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;P align=left&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
    size=3&amp;gt;○[[アニメ]]作品――『[[宇宙戦艦ヤマト]]』『[[タイガーマスク]]』『[[いなかっぺ大将]]』『[[ゲゲゲの鬼太郎]]』『[[魔法使いサリー]]』・・・&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;P align=left&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
    size=3&amp;gt;○[[特撮]]モノ作品――『[[ウルトラマン]]』『[[仮面ライダー]]』『[[秘密戦隊ゴレンジャー]]』・・・&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;P align=left&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
    size=3&amp;gt;○テレビドラマ作品――『[[太陽にほえろ！]]』『[[隠密剣士]]』『[[コメットさん]]』『[[女王陛下の００７]]』・・・&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;P align=left&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
size=3&amp;gt;○アイドルもの作品――『[[松田聖子]]』『[[ピンクレディのすべて]]』『[[後藤久美子]]』・・・&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;P align=left&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
    size=3&amp;gt;この他にも数は少ないが、『ＣＦ』とタイトルをつけたコマーシャルもの、プロレスやテニスなどのスポーツ中継、アフリカの自然に生きるライオンやキリンなどのテレビドキュメンタリー番組まであり、捜査員も首をひねるような「マニアックな作品」も少なくなかった。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月11日]]、[[警視庁]]の「野本綾子ちゃん誘拐・殺人・死体遺棄事件捜査本部」は宮﨑を再逮捕し、身柄を八王子署から深川署へ移した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8月13・14日、今野真理ちゃんと難波絵梨香ちゃんの殺害を認める上申書を深川署長宛てに提出。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月21日]]、宮﨑が27歳になる。宮﨑の自宅から押収された約6000本のビデオテープの中から今野真理ちゃんの遺体を撮影したビデオテープが発見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月23日]]、野本綾子ちゃんを撮影したビデオテープが発見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月24日]]、宮﨑は[[東京地検]]の総務部診察室において、嘱託医の[[徳井達司]]医師から「簡易精神鑑定」を受けた。これは被疑者に精神障害の疑いが生じたときに、鑑定留置が必要か否かを決めるためである。ちなみに、徳井達司精神科医は[[1980年]](昭和55年)11月に起きた「[[予備校生金属バット殺人事件]]」の被告人だった[[一柳展也]]の精神鑑定を[[福島章]][[上智大]]教授ととも1年余りに渡って行った医師でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 簡易精神鑑定 ==&lt;br /&gt;
診断の結果、精神分裂病の可能性はまったく否定はできないが、現在の段階では、人格障害の範囲と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（１）表情とぼしく、応答寡言で遅滞するが、話題によっては比較的円滑に応答し、自ら説明するときは雄弁になるところもある。この点は質問によっては反撃するとか考えながら応答する。また、同一内容の質問に対して、応答内容が変化することなどから、きわめて防衛的であるとともに、攻撃性がいちじるしいためと解される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）問診の過程で、当初、異性に対する性的な興味はまったくないとし、犯行後の被害者に対する性器の悪戯も女性性器に関する知識を得るためと、一見異質と思われる理由を述べたが、再質問では成人女性の性器に興味があること、正常な性行為を欲求する気持ちのあることを述べ、思考伝播体験（自分が考えつくと同時に他人に感知されたと思い込む妄想）については、再質問では否定した。また、注察関係妄想（他人から観察されていると思い込む妄想）に相当する体験は、小学校当時から変わらないと述べ、分裂病では通常その年代では起こりがたいこと、結果的には上肢の運動障害に起因する精神的外傷・劣等感に帰着すると、合理的に納得できることなどから、仮にその体験が真実であったとしても、分裂病をただちに診定するのは相当ではないと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（３）そうしてみると、犯行はやはり性的欲動が中心にあると思われるが、幼児を対象としていること、行為の冷酷非常さが問題となる。その成因については、以下の点が考えられる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（ア）被疑者は生後、両上肢に運動障害が認められ、幼児期より深刻な精神的苦痛をともない、精神的外傷となっている。また、そのため交友、生活態度にも影響を与え、非社交的・自閉的傾向をもつ人格を形成するとともに、深い劣等感・対人不信から、攻撃性も醸成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（イ）これらは発達上、制的成熟にも重大な影響を与え、女性との通常の異性関係を断念して、映像や雑誌に関心を集中させているが、成長するにおよび次第に実際の女体に触れることを求め、本件の動因を形成したと考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（ウ）幼児を対象としているが、本質的な性倒錯は認められず、幼児・老人・動物その他の性対象を否定し、露出・サディズムなどの性目標の倒錯も否定している。したがって、幼児を対象としたことは、代替であること、現在の性的処理は集約され、自己愛的であることが言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（エ）このような性的関心の中で相手にされやすい幼児を自らの欲動を達成するために殺していると思われ、その後の行為もきわめて非情なものとなった。この点は（イ）にあげた成育史上の発達障害として、惰性のいちじるしい未熟があげられる。被疑者は、小動物に残酷と思われる行為が年少時から指摘されており、本件についても簡単にそれらの行為を重ね、深刻な悔悟・内省もみられない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上により、敏感関係妄想（他人の表情や態度、周囲の出来事を敏感に自己に結びつけて固執する妄想）様の態様は否定しえず、分裂病を最終的に否定することもできないが、現在認めうる所見からは、人格障害の域にあるものと思料される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逮捕後の経過 ==&lt;br /&gt;
[[9月1日]]、警察庁が一連の幼女殺害事件を広域重要「117号事件」に指定した。犯人逮捕後の指定は異例である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月2日]]、東京地検が「野本綾子ちゃん事件」で宮﨑を起訴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月5日]]、吉沢正美ちゃんの殺害を自供。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月6日]]、自供通り、東京都五日市町の山林で吉沢正美ちゃんの白骨死体が発見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月8日]]、埼玉県警が今野真理ちゃん殺害事件で宮﨑を再逮捕し狭山署へ護送。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月13日]]、東京都五日市町の山林で今野真理ちゃんの手足の骨などが発見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月22日]]、東京地裁が国選弁護人として、[[第2東京弁護士会]]所属の[[鈴木淳ニ]]弁護士、[[岩倉哲ニ]]弁護士を選任した。鈴木淳ニ弁護士は[[1968年]](昭和43年)の連続射殺事件で4人を殺害した元死刑囚の[[永山則夫]]の弁護人でもあった。宮﨑は国選弁護士を私選弁護人に切り替えて欲しいと父親に頼んでいたが、父親は被害者の遺族の心情を察し、「それでは被害者に申し訳ない」とあえて息子の要望を断った。だが、当初、大したことがない事件だと聞かされていた父親が息子にお灸を据えるという意味と、親の顔に泥を塗ったことへの怒りから、息子のために弁護士なんか雇わなくていい、と思ったというのが実情らしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月29日]]、埼玉県警が「吉沢正美ちゃん事件」「難波絵梨香ちゃん事件」で宮﨑を逮捕。同日、東京地検が「今野真理ちゃん事件」で宮﨑を起訴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月19日]]、東京地検が「吉沢正美ちゃん事件」「難波絵梨香ちゃん事件」で宮﨑を起訴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 宮崎の生い立ち ==&lt;br /&gt;
[[1962年]](昭和37年)[[8月21日]]、宮﨑勤は東京都[[青梅市]]の公立総合病院で体重2,165グラムの[[未熟児]]として生まれた。祖父が体の弱かった息子（宮﨑の父親）のようにならず、もっと力強い子に育ってほしいと願って、わざわざ「力」という文字の入った「勤」という字を名前にした。ちなみに、「みやざき」は「宮崎」ではなく「宮﨑」と書くらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑が生まれたとき、家には祖父母と両親、結婚前の叔母3人が住んでおり、同じ町内には数軒の親戚がいた。のちに3歳と8歳違いの2人の妹ができる。宮﨑は神経が過敏で世話の焼ける赤ん坊だった。寝つきが悪く、ちょっとした物音ですぐ目を覚まし、手足を震わせ、よく泣いた。そんなときにあやすのは祖父と、勤が生まれて数ヵ月後に住み込みで子守り役となった「茂兄ぃ」（仮名）だった。茂兄ぃはこのとき30歳くらいだったが、子どものとき、[[脳性麻痺]]を患って、両脚の不自由さに加えて、読み書きや計算ができない、という程度の精神障害があったが、「子どもと同じ気持ちになって遊べる人」と評判は良かった。祖父は宮﨑の手を引いて畑や川、山に連れて行った。飼っていた犬の「ペス」が一緒のこともあった。飼い犬はその後、何度か代わっているが、どれも「ペス」と呼ばれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
曾祖父が村会議員、祖父は町会議員、父親も[[PTA]]会長や地元消防団副団長の任に就くなど、宮﨑家は地元の名士であり、経済的にもかなり裕福であった。また、自宅は敷地が1000平方メートルと広い上、周囲をさらに広々とした畑地に囲まれ、前方には緑あふれる丘陵、裏手には秋川の清流という自然に恵まれた場所にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
祖父は旧五日市町で絹織物業を興して成功していたが、工業高校を卒業した父親はその先細りを見越して廃業し、[[1954年]](昭和29年)9月、印刷会社「新五日市社」を設立し、新聞の折り込みのチラシ広告を印刷していたが、[[1957年]](昭和32年)1月には、五日市町を中心に周辺市町村をエリアとする週刊のミニコミ紙『秋川新聞』を創刊した。[[タブロイド判]]16ページで紙面の約7割は周辺の企業などに呼びかけて集めた広告だったが、月600円の定価で約3500部を発行した。週1回の発行を守り、黒字経営であったが、宮﨑が野本綾子ちゃん事件で再逮捕される直前に出した[[1989年]](平成元年)[[8月6日]]付の第1727号が最後となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑が生まれてから3年後、両親は宮﨑が両手の掌を上に向けて、「頂戴」の仕草ができないという先天性の障害があることに気付いた。病院で診察を受けさせた結果、「両側先天性橈尺骨癒合症（とうしゃくこつゆごうしょう）と診断された。この障害は詳しい病態や原因が明らかになっておらず、日本では過去に150例しか報告されていないという極めて希な病気であった。その際、両親は医師から「手術しても100人に1人くらいしか成功しない。日常生活に支障がないのなら、手術するにしても、もっと大きくなってからのほうがいいだろう」と言われ、それ以上の治療を受けさせず、結果的にそのまま放置してしまったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1967年]](昭和42年)4月、宮﨑は4歳半で、バスで1時間もかかる隣町の私立秋川幼稚園に通うことになった。この幼稚園で、宮﨑はおやつをもらうとき、頂戴という掌の格好ができないのでひったくるようにしてもらった。お遊戯では「お手（てて）つないで」も「ぎんぎんぎらぎら」もできず、地獄の時間だったと供述している。先生も掌のことに気付いているのに放っていたし、他の子からも「あれ、変だ」とよく言われ、そのことで一人で悩み、掌を壁に叩きつけたりしたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、茶碗を持つのに指が充分に回らないため、側面を挟んで支えるような格好でしか持てなかったし、手首が返らないことからチリ紙がうまく使えず、用便の度に苦労したという。買い物に行っても釣り銭をうまく受け取ることができず、ボロボロと下にこぼした。そのため、お使いを嫌がったし、一人で買い物するときはお釣りが出ないように、1円単位まで小銭を用意していた。計算違いなどでお釣りが出たときはわざと相手の手を払って、地面に落ちた釣り銭をわしづかみにして走って逃げたという。宮﨑は掌のことについて両親に訊いたことがあったが、具体的な説明をしてくれなかった。それ以来、こんな掌になったのは両親のせいだと思うようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1969年]](昭和44年)4月、宮﨑は五日市町立[[五日市小学校]]に入学したが、掌の障害を一人で悩み、内向的な性格で協調性がなかったため、なかなか友達ができずにいた。放課後も一人で過ごすことを好み、自室にこもってマンガ本を読み耽ったり、一人でゲームを楽しんでいた。この辺りで小学生のころから自分の部屋を持ち、専用のテレビを持っていたのは宮﨑だけで、近所の主婦も宮﨑が外で友達と騒いでいる姿を一度も見たことがないという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
学校では怪獣に詳しく、「怪獣博士」と呼ばれていたが、決して“クラスの人気者”ではなかった。学業成績は全児童約150人のうち30番前後で、欠席日数は2年生のときに風邪などで12日間あったほかは1～7日間と多くない。&lt;br /&gt;
小学4年のとき、宮﨑は「うちのことを作文に書きなさい」と先生に言われ、次のような文章を書いている。印刷の工程は詳しすぎるほど書かれているが、家族の姿がまったく登場しない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜うちの工場で、秋川新聞を作っている。タイプでうったのを紙にはって、薬をぬって、コールタみたいなものをきかいのローラーにぬって紙をはる。そして、土曜日にくばりに行く・・・・・・＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1975年]](昭和50年)4月、宮﨑は町立[[五日市中学校]]に進学したが、相変わらず独りぼっちだった。宮﨑の父親は宮﨑が中学に入学してすぐの頃、宮﨑を呼んで、火傷で手の自由を失いながら、偉業を達成した人物の野口英世の話を始めた。「お前は内向的な性格だし、将来は[[野口英世]]みたいになるべきじゃないか」と。第2次精神鑑定を担当した内沼鑑定人（帝京大学文学部教授）から手の治療を怠ったことを指摘されて、父親は「ともかく、大したことではないと思っていた。日常生活に支障はない、と言われたのが決定的で・・・・・・。当時、[[サリドマイド児]]の問題が出ていたので、同じように思われるのが嫌だったが、すぐに忘れた」と供述している。内沼鑑定人は対処すべきときに何もせず、それを後から持ち出す父親の姿勢にこそ問題があると見ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学の友人や同級生の男性は当時の宮﨑について次のように供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「1、2年のとき、陸上競技、3年のとき、将棋クラブに入っていた。将棋は強かったがたまに負けると、顔を歪めるようにして、物凄く悔しがった。書店で将棋の本をどっさりと買い込み、腕を磨いてから必ず、再挑戦するほど負けず嫌いだった。おとなしい性格だが、1年のとき、通信教育で空手をマスターしたといってみんなの前で技を披露したことがあった。今思えば、あれは我々に対する威圧だったのかもしれない。そんな奴だから、後に同窓会があっても、宮﨑が出席すると言うと、それなら行かないという者が結構いた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「宮﨑も入れて数人でボウリングをしに行ったとき、宮﨑が突然、好きなテレビマンガ『[[科学忍者隊ガッチャマン]]』が最終回なので、一旦帰るわ、と言って、途中で帰ってしまったことがあった。宮﨑は発売されてすぐの二十数万円もするビデオデッキを買ってもらっていたが、番組の途中に挿入されるＣＭを入れないで録画しないと気がすまないらしく、わざわざ自宅に帰って録画した。番組が終わると戻ってきて何食わぬ顔でボウリングを続けた。自分勝手だけど、それ以上に要領のよさを感じた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「中学時代は男の子同士で女の子のことを、あの子は可愛い、俺の好みだ、と言ったりするでしょう、でも、宮﨑とはそういう話をしたことがなかった。少々、エッチな話をしても全く乗ってこなかった。無口でおとなしいので目立たないし、気持ちを表面に表さないから、何を考えているかが全く分からない」&lt;br /&gt;
学業成績は在校生約230人中の20番前後と優秀で、中学1年のとき、英語と数学の学習塾に通わせたり、英数2科目の家庭教師を付けたこともあって、英数の成績は良かったが、社会と国語の成績は悪かった。欠席日数は3年生のとき、[[インフルエンザ]]で7日間休んだだけで、1、2年はゼロだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1978年]](昭和53年)4月、宮﨑は東京都[[中野区]]の[[明治大学付属中野高等学校]]に入学し、高校のある[[東中野駅]]まで片道2時間かけて通学した。宮﨑は明大中野高校を志望した理由を、家族を含め周囲の人には明大文学部に進学して英語の教師になるのが夢だと説明し、遠い高校を選んだことについては、掌の障害を気にして女生徒がいない男子校にしたのだという。ちなみに、[[1968年]](昭和43年)の連続射殺事件で4人を殺害した元死刑囚の[[永山則夫]]も明治大学付属中野高校出身（ただし永山は定時制中退）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の宮﨑について同級生の話をまとめると次のようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「銀縁メガネをかけた薄気味の悪い奴で、休み時間でも机にかじりつき、盛んにノートにシャーペンを走らせて、何かコソコソやっている。最初は勉強家かなと思っていたが、成績は中の下と大したことはないし、通学の電車内でも一人外れて、級友たちの話をじっと聞いているだけ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「授業中に先生に指名されると、緊張で声がワナワナと震え、オドオドして口篭もったりしていた。いつも落ち着かない眼差しでキョロキョロと周囲を見たり、先生に叱られたときなどはビクッとしてブルブル震えていた。何しろ暗い奴で、休み時間に他の奴らが騒いでいても一人で居眠りしているかノートにマンガを描いていた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「怒りっぽくて、滅多に笑顔なんか見せない奴だった。それがあるとき、教室に飛び込んできた虫を宮﨑のほうに押しやり、踏んでみろとからかったら、躊躇なく踏み潰し、ニヤッと笑ったんでゾーッとした覚えがある」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑は掌の障害のことで精神的に疲れ、さらに長距離通学による肉体的疲労が重なって帰宅するとカバンを放り投げて、大の字になって寝るようになった。自宅ではほとんど勉強せず、自室にこもってビデオ録画したり、マンガ本を読み耽った。さらに、一時、[[パズル]]や[[ルービックキューブ]]に熱中して、家族ともほとんど口をきかなくなり、やがて自分の表情を出さず、意思表示もしなくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3年のときの成績は56人のクラスで40番前後だった。中学と同じく、英語と数学は成績が良かったが、社会科は苦手であった。のちの[[慶応大学]]出身の6人の学者グループによる宮﨑の精神鑑定で、心理的傾向性を探るテスト中に[[原子爆弾]]の話になり、「日本のどこに落ちた？」という問いに、宮﨑は「歴史は興味ねえ」「社会科、興味ねえ」などと答え、ヒントを与えても結局、「広島」「長崎」とは答えることができなかったほどであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑は明大への推薦入学を希望していたが、どの学部も推薦入学は不可能であった。欠席日数は3年間で計25日とさほど多くなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1981年]](昭和56年)4月、宮﨑は中野区内にある前身が東京写真大学の[[東京工芸大学]]短期大学部の画像技術科に推薦入学した。家業を継いで「新五日市社」の仕事をするという条件で、現像焼き付けや校正、デザインなどを学べる大学に入学することになったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、宮﨑はここでも地味で目立たない存在だった。教室の隅で一人でパズルを解いたりしていた。『[[Hot・Dog・PRESS]]』([[講談社]])や『[[POPEYE]]』([[マガジンハウス]]/当時の社名は「平凡出版」、1983年に社名変更)などの雑誌に掲載されるパズルやクイズの常連投稿者になり、そのパズルやクイズの正解者として名前が載ったときは自慢することもあった。1981～1984年(昭和56～59年）の間に、『Hot・Dog・PRESS』に計13回、当選者リストに宮﨑の名前が載った。いずれも正解者多数の場合は抽選で当選者が決まるので宮﨑の応募回数はリストに載った13回より多かったに違いない。当選のたびに宮﨑はＴシャツやスポーツバッグ、映画試写会のチケットなどの商品をもらっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑はパズルのページについて、「問題のここがおかしいんじゃないか」「問題文の意味がわかりにくい」など、連日のように、担当編集者に電話をかけたりした。1年後、宮﨑は編集部でパズル解答葉書の採点と整理の[[アルバイト]]を募集したときに、そこで10日間働いた。その少しあと、『Hot・Dog・PRESS』が読者から創作パズルを募集したことがあったが、宮﨑は30通ほどの自作パズルを送ったり、じかに持ち込んだりした。だが、採用され雑誌に掲載されたのはひとつだけだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1982年]](昭和57年)4月、2年生になった宮﨑はグラフィック・アートクラスに進んだ。宮﨑は短大の友人と[[テニス]]の試合を観に行くうちに、若い女性の[[パンチラ]]姿に興味を抱き、そうした写真を撮るようになった。その友人と一緒に[[武蔵野市]][[吉祥寺]]に遊びに行ったとき、2人連れの高校生と知り合い、4人でデパート内の喫茶店でチョコレートパフェを食べるなど楽しいひとときを過ごした。2回目は[[井之頭公園]]に行き、記念写真を撮ったりした。だが、3回目のデートに女子高生たちは来なかった。若い頃にはよくあることで、フラレてしまったのだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのとき、宮﨑は井之頭公園で偶然、「リカちゃん」という小学3年生の女児と会い、仲良くなった。「リカちゃん」は「抱っこして」とか「おんぶ」と甘えたので宮﨑も楽しそうで、すっかり友達になったのである。夕方、井之頭公園で別れるとき、「リカちゃん」はしきりに宮﨑の方を振り返っては何度も一生懸命に手を振っていたし、宮﨑も寂しそうであった。その様子を間近で見ていた友人は「宮﨑は小さい子とは波長が合うんだな」と感じた、と後に語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月1日]]に放映された[[NHK教育テレビ]]の若者向け番組『YOU』(司会・[[糸井重里]])のスタジオ収録に、宮﨑は友人と出かけ、画面にチラっと姿を見せている。カメラマンの[[篠山紀信]]をゲストに迎え、カメラマンの卵たちと「いまカメラマンを目指す君たちに」をテーマに話し合う討論番組だったが、宮﨑はマイクを持ったアナウンサーが近づくと、他の出演者の後ろに隠れ、結局、ひと言も発しなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1983年]](昭和58年)3月、短大を卒業。同じ大学の短大部画像技術科を卒業した同級生の中に、タレントの[[川﨑麻世]]がいるが、川﨑は事件当時、マスコミの取材に対し、「僕は記憶力がいい方だし、クラスは全部で80人ほどだったから、忘れるはずはないんだが、そんな奴いたかって感じなんだ。同級生に聞いてみたけど、誰も覚えていなかった」と答えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月、宮﨑は父親の懇願を受けた叔父（父親の弟）の紹介で東京都[[小平市]]の印刷会社に就職した。宮﨑は印刷機のオペレーターとして色調整や紙の補充、印刷物の梱包などを担当した。これらの作業は決して複雑でも難しくもなかったが、宮﨑の勤務態度は無気力で怠慢であり、宮﨑に対する同僚らの評判は散々なものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1985年]](昭和60年)、宮﨑家で大がかりな改築を行った。茶の間が近代的なダイニングキッチンに変わり、そこには新しいテーブルが置かれたが、そのテーブルにはイスが４つしかなかった。祖父母を含め7人の家族が一緒に食事することを最初から考慮に入れていなかったことになる。内沼鑑定人は宮﨑について「多重人格（解離性同一性障害）」という鑑定結果を出したが、イスが4つしかないテーブルは家族がバラバラである宮﨑家を象徴しているとして、「解離性家族」と表現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1986年]](昭和61年)1月、宮﨑が23歳のとき、原因不明の左顔変形の神経マヒにかかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月、宮﨑は依願退職させられ、3年間のサラリーマン生活は終わった。その後、宮﨑は自室にこもって出てこなくなった。父親が工場の仕事を手伝わせようとしても、働く意欲は全くなく、短大や印刷会社で充分に技術を習得せずに終わったため、ほとんど何もできなかったというのが実情だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月、運転免許証を習得する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9月、宮﨑は家業を手伝うようになったが、その仕事内容はチラシ広告の原稿取りや刷り上ったチラシ広告を新聞配達店に届けることくらいで、後に『秋川新聞』の配達もするようになったが、午前中に仕事が終わり、午後は暇だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑はこの頃、アニメの同人誌を約500部作るなど漫画の世界にも興味を示したが、ここでも仲間から嫌われ、同人誌は1号だけで終わっている。父親は宮﨑に勤労意欲を高めてもらうために、隣りの[[秋川市]]に支店を出し、任せるつもりでいた。さらに、結婚もさせるつもりで、4月から11月にかけて4回、見合いをさせている。その相手は同業者の娘が多く、父親は渋る宮﨑を同業者同士の義理もあるからと説得して何とか出席させたが、宮﨑は最初に、「どうも」と言ったきり下を向いてほとんど相手と話をしなかったため、全て相手から断られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12月末、母親が宮﨑に外回りの仕事用に使う目的で現金で約180万円を払ってダーク・グレーの[[日産ラングレー]]を買い与えた。仕事内容からすれば50ccのバイクで充分であったが、車を買ったのは家業を継ぐ決心をしてくれた宮﨑への感謝の気持ちだった。宮﨑は当時、既に使用が禁止されていたモス・グリーンのフィルムを車の窓ガラスに貼り、外から中が見えないようにした。この当時の宮﨑について友人は次のように供述した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「彼は相手の都合など考えず、いきなり車で訪ねてきてドライブに誘った。だが、こっちが誘ったときには、忙しいからと、一度も応じたことがなかった。ドライブといっても景色のいいところを走るわけでもなく、運転が荒かった。車の中で話す話題もなく、ラジオやカセットを聴くだけだった。それも[[稲川淳二]]などの話す心霊現象特集の録音だったりした。消してくれ、と言ったら降りろと言われた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑は西多摩地区から都心や埼玉県へと走行範囲を次第に広げていった。車に乗ってから2年半余りでその走行距離は約4万2000キロにも上った。やがて、ビデオショップに頻繁に出入りし、数多くのビデオサークルの会員になった。サラリーマン生活を送った3年間の貯金は300万円以上になっていたが、そのほとんどを惜しげもなく、ビデオテープの収集につぎ込んでいった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ビデオサークルの会員になると、会員同士が自分の居住地域では放映されないテレビ番組の録画を代行し合うことができるメリットがあった。だが、宮﨑はここでも自分勝手な性格が災いして仲間外れになっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1988年]](昭和63年)[[5月11日]]、祖父がイヌを連れて散歩中に脳溢血で倒れ、5日後の16日に死亡した。88歳だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月21日]]、[[形見分け]]の席で親戚に暴言を吐く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月3日]]、[[四十九日の法要]]で家族と言い争って窓ガラスを割る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月から11月にかけて、五日市町内のビデオショップでテープ45本を万引きしていることが確認されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月21日]]、宮﨑が26歳になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月22日]]、今野真理ちゃんを殺害。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月3日]]、吉沢正美ちゃんを殺害。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月9日]]、難波絵梨香ちゃんを殺害。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月18日]]、宮﨑は父親に「集金した金が見当たらないが？」と問われ、激高して「バカ野郎！」と叫んで暴れ出し、父親の毛髪をつかんで激しく車のドアに頭部を叩きつけた。のちにこのことが原因で父親は入院し、頭部切開の手術を受けている。その見舞いの途中で、母親にも注意されたことに怒った宮﨑が「何だと！」とわめいてラングレーの車の中で母親に暴力をふるった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1989年]](平成元年)2月、宮﨑は埼玉県川越市のディスカウントショップでビデオテープ5巻を万引きした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月、東京都[[中央区]][[晴海]]の国際見本市会場で、全国約8900の漫画サークルが参加して開かれた[[同人誌]]の展示即売会「[[コミックマーケット35]]」に宮﨑は「Ｅ・Ｔ・Ｃ大腕」というサークル名で自作の漫画本『マンモスコング、月光仮面』を出展した。会場には約10万人の若者が訪れ、総売上は数億円に及んだが、宮﨑の作品は誰にも相手にされなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月6日]]、野本綾子ちゃんを殺害。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判詳細 ==&lt;br /&gt;
[[1990年]](平成2年)[[3月30日]]、東京地裁刑事第2部([[中山善房]]裁判長)で第1回公判が開かれた。傍聴希望者は1,591人に達したが、[[司法記者クラブ]]36席と被害者の家族など10席が優先されて一般傍聴席は50席であったため抽選となった。開廷宣言に続いて中山裁判長が人定質問を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「名前は？」「宮﨑勤」「生年月日は？」「1962年8月21日」「満で何歳になりますか？」「マンって、意味が解らない」「つまり、27歳だね。」「はい」「職業は？」「会社員」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両手をぶらりと下げて立ち、ぶっきらぼうな口ぶりだった。検察官が「起訴状」を朗読し終え、中山裁判長が「起訴状に書かれていることに、間違いないかね？」と宮﨑に訊いた。この罪状認否についてはたいていの被告人が多少ニュアンスの違いがあっても「間違いありません」と答えるところを、事前に「起訴状」を読み込んでいた宮﨑は「（綾子ちゃんの）両手と両足を投棄したというのは間違い。両手は自分で食べた。両足は家に出入りするキツネかネコに食べられたと思う」と衝撃的な発言をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[4月25日]]、第2回公判が開かれたが、この回から[[4月1日]]の異動により両陪席裁判官が代わった。そこで、中山裁判長が冒頭で「裁判所の構成が変わりました。被告人に意見があれば言いなさい」と告げると、宮﨑はすぐに立ち上がり、抑揚のない声で、「私の車とビデオを返してほしい。運転免許証も気になるので返してほしい」と訴えた。さらに、「車も油をくれないと乗れなくなるので、油をくれてほしい」と言い、中山裁判長が「あとは？」と訊くと、宮﨑は「あとは、今のところ、ない」とぶっきらぼうに答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月31日]]、裁判所が[[立川簡易裁判所]]へ出張して宮﨑の両親に尋問。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11月28日]]、第9回公判が開かれた。この公判で検察側の立証が終わり、弁護側が請求した被告人の精神鑑定を裁判所が採用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月20日]]から468日かけて宮﨑に対する精神鑑定を行うこととなった。この鑑定にあたったのが慶応大学出身の6人の学者で、医学部卒5人、文学部1人である。複数の鑑定人による精神鑑定は珍しくないが、この場合は個別に鑑定し、それぞれ鑑定書を作成する。今回の場合のように、6人の専門家による「共同鑑定」は日本では初めてであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6人の鑑定人は次の通り。&lt;br /&gt;
* [[保崎秀夫]]（慶応大学医学部教授＝精神神経医学）&lt;br /&gt;
* [[浅井昌弘]]（慶応大学医学部助教授＝精神病理学）&lt;br /&gt;
* [[仲村禎夫]]（慶応大学医学部講師＝精神神経医学）&lt;br /&gt;
* [[馬場禮子]]（東京都立大学人文学部助教授＝社会心理学）&lt;br /&gt;
* [[皆川邦直]]（東京都精神医学総合研究所副参事＝思春期精神医学）&lt;br /&gt;
* [[作田勉]]（慶応大学医学部助手＝社会精神医学）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1992年]](平成4年)[[4月27日]]、第10回公判が開かれた。法廷内に用意された大型テレビに証拠物として採用された鑑定資料のビデオテープが部分的に映された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
法廷で映し出されたビデオテープは次の通り。&lt;br /&gt;
*「チャレンジごっこ」・・・宮﨑と友人が両腕をクルクル回してスピードを競うゲームをしているところ。&lt;br /&gt;
*「美少女ＳＦアニメ」・・・アニメで中学生らしき男女のセックス、さらに殺人へと展開するシーン。&lt;br /&gt;
*「残虐シーン」・・・20歳前後の女を黒ずくめの男3人が襲って殴ったり蹴ったりしたあと、爪をはぐシーン。&lt;br /&gt;
*「タイムマシーン――悪魔の家」・・・悪魔の家に科学者が引っ越して残虐シーンに。&lt;br /&gt;
*「日曜洋画劇場」・・・テレビ朝日の映画番組から残酷なシーンを集めたもの。&lt;br /&gt;
*「午後のワイドショー」・・・「綾子ちゃん事件」を話題にしたもの。&lt;br /&gt;
*「黒の戒律」・・・アフリカ大陸の黒人が黒豹の首を切り落とすシーンがある。&lt;br /&gt;
*「真夏の夜」・・・テレビ映画番組中のホラー映画の予告編で人間の体を切断するシーンがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、弁護人が作成した宮﨑の同級生による「供述調書」が証拠として採用され、その要旨が告知された。その後、「宮﨑勤精神鑑定書」が検察官によって告げられた。弁護人が申請した鑑定を検察官によって告げられることになったのは、「刑事責任能力あり」という結果から検察側が有利になったからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第1次精神鑑定書の鑑定主文 ===&lt;br /&gt;
一、被告人は、もともと知的には問題がなく、性格は極端な分裂気質ないし分裂病質にあたり、非社交性、自己中心性、空想性、顕示性、未熟、過敏性、易怒生、情性欠如の傾向が目立っていた。さらに両手の先天的な橈尺骨癒合症（とうしゃくこつゆごうしょう）への劣等感が強く、被害的になりやすく、そのために成人女性への関心はあるものの、交際することをあきらめていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二、犯行当時は、「一」の状態にくわえて、性的興味が幼女に向けられ、収集癖とあいまって犯行におよんだものと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三、右（上）「ニ」の状態は、極端な性格の偏り（人格障害）によるもので、精神分裂病を含む精神病様状態にはなかった。したがって、犯行当時に、物事の善し悪しを判断し、その判断にしたがって行動する能力は、保たれていたと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
四、現在の精神状態は、右（上）「一」の状態にくわえて、拘禁の影響が強くあらわれており、無表情、無愛想で、簡単なこともわからず、退行したように見える面と、事態をかなり把握しているように見える面とが、混在している。家族のことや、犯行の動機・態様について、独自で奇妙な説明をおこなっているが、これらの供述は、逮捕後になされたものである。これらは、精神分裂病も疑うものであるが、総合的にみれば、拘禁反応によるものと考えるのが妥当であり、現時点では、精神分裂病（現・「統合失調症」と名称変更/以下同じ）は否定されよう。したがって、被告人の現在の精神状態は、物事の善し悪しを判断し、その判断にしたがって、行動する能力に、多少の問題はあるとしても、いちじるしく障害されている程度には至っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主任の鈴木淳二弁護人はこの「鑑定書」について次のような批判的な「意見書」を朗読した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「なぜ異常かつ残虐な犯罪が起き、被告人に罪悪感がまったくないのか、これまでの犯罪の枠を超える特異な行動を、なぜ被告人がなしたのか」について考察されていない。鑑定では、人格障害や性的興味、収集癖があいまって犯行におよんだと説明するが、死体のビデオや写真を撮り、さらに、解剖的な行為までして、衆人環視ともいえる状況下で幼女を誘い出し、殺害後も死体を隠すこともなく放置し、祖父復活の儀式を行い、骨を拾って焼いた後、被害者宅へ送りつけ、自己の犯罪報道を執拗に録画するなどして「犯行声明」を郵送するという不可解な行動を鑑定書の説明だけでは了解することができない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ということで、鑑定人を代表して出廷した保崎秀夫証人へ検察官が主尋問を行った（その一部）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　性的なことについては？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「関係ないと言って答えたがらない。『女には興味がなく、マスターベーションなどしない』と。女性の性器には興味がありながら、成人をあきらめて幼女を代替物としたようで、小児性愛や死体性愛などの傾向は見られません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　犯行そのものについては？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「被告人は、『やったというより起こった』『覚えがない、他人事だ』と言う。被害者との遭遇は否定しないが、犯行直前になると『〝ネズミ人間〟が現れ、怖くて何もわからなくなり、気がついたらマネキンのようなもの（遺体のこと）が落ちていた。落ちているものならなんでもいいから、おじいさんへの捧げ物に用いた』と」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　〝ネズミ人間〟については、捜査段階ではまったく供述していませんが？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「拘禁生活が続くうちに、反応性の妄想にもとづき、いろんなものが出たのかもしれません。『〝ネズミ人間〟が現れると、大変恐ろしい状態になる』と言う。本人は鑑定時に、机を叩いて怒鳴ったりして、涙をうかべたことがあり、やはり拘禁の影響があるようです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　精神分裂病の場合も幻覚や幻視があるのでは？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「分裂病の場合は外からハッキリ悪口が聞こえるとか、愉快ではない幻聴がある。本人をひどく悩ませるもので、いつ出てくるか分からずに不規則です。このように精神病者の妄想はいつも怖がらせる。しかし、被告人の場合は空想で〝ネズミ人間〟も犯行の直前に現れます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　犯行時に4回とも〝ネズミ人間〟が現れたというのは？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「これは分裂病の妄想とは違います。被告人の場合は精神鑑定になってから〝ネズミ人間〟が出てきた。問診のときに、〝ネズミ人間〟の絵を描いて見せています。犯行の時点にかぎって〝ネズミ人間〟が現れるのだから精神病者の妄想とは違うのではないか。・・・・・・」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　祖父が死亡したことへの影響は？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「会話のとぼしい家庭に育って自分で自分をかばってきた被告人は祖父だけが唯一の頼れる存在だったようです。その祖父が犯行の前後に現れたと言い、小動物も幼女の死体（これらを本人は〝肉物体〟と呼ぶ）も『おじいちゃんに捧げた』と言う。『虫でもカエルでも祖父にならって拾って食べた』と」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　血を飲んだり肉を食べたりするには？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「面接の当初から虫やカエルなどを拾って食べる癖があったと話してます。『幼女の指を食べたのでは？』と訊くと、『現在はおじいちゃんのために食べる』と。味覚について尋ねると、『とにかく食べたことは間違いないんだから、匂いや味などについてあれこれ訊かないでくれ。食べることに意義がある。おじいちゃんに捧げるために食べた』と具体的なことは言わずにあいまいです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　そうした行為は本当にあったのでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「一般論として、遺骨を食べるようなことはときたまあります。被告人の｣場合、『おじいちゃんの遺骨を火葬場から出したとき、隙を見て持ち帰って食べた』と言ったりしていますが、説明がはっきりしない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第12回公判 ===&lt;br /&gt;
[[6月22日]]、第12回公判が開かれた。このときの公判で保崎鑑定人は[[4月25日]]付で[[東京拘置所]]が提出した「宮﨑勤に差し入れられた図書の一覧表」に基づいて証言した。それによると、2年4ヶ月の間に、コミック130～140冊、雑誌と書籍70冊だという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
差し入れられた書籍の中には次のような事件に関連したものもあった。&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『定本 犯罪紳士録』（小沢信男/筑摩書房）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『蜃気楼』（佐川一政/河出書房新社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『犯罪の昭和史 1』（作品社編集部編/作品社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『犯罪の昭和史 2』（作品社編集部編/作品社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『犯罪の昭和史 3』(作品社編集部/作品社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『Ｍの世代　ぼくらとミヤザキ君』（太田出版編/太田出版）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『佐川君からの手紙　舞踏会の手帖』（唐十郎/河出書房新社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『犯罪者と家族のあいだ』（山崎哲/未来社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『君は宮崎勤をどう見るか』（宮川俊彦/中野書店）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『〝有害〟コミック問題を考える』（創出版編/創出版社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『報道被害　１１人の告白』（創出版編/創出版社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『浮遊する殺意　消費社会の家族と犯罪』（岸田秀×山崎哲対談/晩聲社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『無意識と精神分析』（ジャン・ポール・シャリエ・岸田秀訳/せりか書房）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『美少女伝説　叙情画のルーツから新感覚派の誕生まで』（やなせたかし監修/サンリオ）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『宮﨑勤裁判・上巻』（佐木隆三/朝日新聞社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『倒錯　幼女連続殺人事件と妄想の時代』（伊丹十三×岸田秀×福島章座談会/ネスコ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件当事者が「事件に関係のある本」を読むのは防衛権の行使として当然とも言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第15回～17回公判 ===&lt;br /&gt;
[[11月11日]]、第15回公判が開かれた。このときの公判で弁護側の証人として、コミックやアニメーションの雑誌を編集し、メディア評論家でもある[[大塚英志]](当時34歳)が出廷し証言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大塚は第1回公判から傍聴を続け、拘置所で宮﨑本人と面会して、父親に4回、母親に1回会っている。宮﨑の自宅から押収された5793本のビデオや所蔵していたコミックやアニメーション雑誌のリストから傾向を分析して「意見書」で論じている。大塚は次のような証言をした（その一部）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ビデオの収集はマニア的なものではなくそのコレクションはただ数を集めることにある。プロレス、アニメーション、ＣＭ、刑事ドラマなどが、1本のテープに入っており、コレクターとして杜撰すぎる」「拘置所から両親宛てに差し入れを求める手紙を送るとき、文面らしいものがなく、欲しいもののリストを並べている。コミュニケーションが存在せず、意見や解釈がない」「6000本近いビデオで、性的なものや残酷なものはわずか1％でしかない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11月30日]]、第16回公判が開かれた。このときの公判で弁護側の証人として、家族、女性、子どもをテーマにした著書が多い評論家の[[芹沢俊介]](当時50歳)が出廷し証言した。証言にあたり、参考にした資料は事件の冒頭陳述書、被告人、両親、関係者の供述調書、精神鑑定書で、芹沢は次のような証言をした（その一部）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「人は自分の声を自分で受け止め、その上で他者に伝える。しかし、被告人には＜自分＞がいないのではないか。後ろから見ていて体が動かない」「小さい頃からテレビに親しみ、ビデオを観ている被告人はテレビをおしゃぶりのようにしてきた。自分と対話する＜もう一人の自分＞がテレビではないのか。映像が客観視できないことが現実に起こりうる」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月18日]]、第17回公判が開かれた。この公判で裁判所は弁護人の請求に基づき、被告人の再度の精神鑑定を決定した。この第2次精神鑑定は東大グループの3人が行うことが決定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1993年]](平成5年)[[1月22日]]から678日かけて宮﨑の精神鑑定を行った。3人の鑑定人は次の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[内沼幸雄]]（[[帝京大学]]文学部教授＝精神神経科学/東大医学部卒）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[関根義夫]]（東大医学部助教授＝精神神経科学）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[中安信夫]]（東大医学部助教授＝精神神経科学）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月1日]]、第18回公判が開かれた。この公判から右陪席裁判官が代わったので更新手続きが行われ、中山裁判長が「裁判所の構成が変わりました。被告人として何か言いたいことは？」と訊くと、宮﨑は「今のところ、ない」とぶっきらぼうに答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]](平成6年)[[11月21日]]午前5時50分ころ、宮﨑の父親(65歳)が東京都青梅市内を東西に流れる多摩川へ、神代橋の上から飛び降り自殺した。遺書3通が発見されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11月24日]]、宮﨑は主任の鈴木弁護人から父親の自殺を知らされ、胸を張って「スーッとした。私を貰ったか、拾ったかして、勝手に育てたのだから、バチが当たったんだと思った」と言った。宮﨑は警察の取り調べに対して、父親と母親を呼び捨てにしていた。公判が始まり、精神鑑定が行われたときも続いている。ときには「父の人」とか「母の人」と呼ぶこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]](平成7年)[[2月2日]]、第20回公判が開かれた。この公判から田尾健二郎裁判長に代わる。前回公判から1年11ヶ月ぶりの再開である。前年の暮れに東大グループによる第2次精神鑑定の結果が刑事第2部に提出されたが、診断が2対1に分かれることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第2次精神鑑定書の鑑定主文ほか ===&lt;br /&gt;
==== 内沼幸雄・関根義夫の意見 ====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一、鑑定主文&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（１）犯行時、手の奇形をめぐる人格発達の重篤な障害のもとに敏感関係妄想に続く人格反応性の妄想発展を背景にし、祖父の死亡をきっかけに、離人症およびヒステリー性解離症状（多重人格）を主体とする反応性精神病を呈していたと解される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）鑑定時、引き続き右記（上記）の状態にあるものと診断される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二、刑事責任能力についての意見&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告人が示した多重人格に関して責任能力をどうとらえるべきなのか、日本では初めての鑑定事例となるため、慎重な姿勢が求められる。犯罪の重大さを考えれば、ヒステリー性の解離状態（一時的に意識の統合性が失われる状態）は、責任能力の減免を認める事由にはいっさいならないというのが、鑑定人の見解である。とはいえ、病歴、病像および日常行動を総合的に検討すれば、被告人は犯行時、善悪是非の弁識能力も、その弁識にしたがって行動する能力もともに若干減弱していたと考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 中安信夫の意見 ====&lt;br /&gt;
一、鑑定主文&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の精神状態は、（１）犯行時からの精神分裂病（破瓜型）、（２）収集癖、（３）犯行時に生じた拘禁反応の三者によって構成されたものである。&lt;br /&gt;
（１）の精神分裂病（破瓜型）は高校時代ないし印刷会社を退職する以前に、きわめて潜勢的に発病した。その後、集中力・意欲の低下、情性欠如という形での感情鈍麻が進行し、注察念慮（他人から観察されると思い込む妄想）、関係・被害念慮（周囲が自分の悪口を言っていると思い込む妄想）、被注察感が断続的に出没していた。祖父の突然の死はいささかの心理的動揺を与え、易怒性・攻撃性の亢進が強まった。しかし、分裂病が明確に増悪したのは前鑑定の終了後から本鑑定の開始前の間である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）の収集癖は祖父が死亡する数年前に発し、その死亡後に亢進したものであるが、それは祖父や父と同じように、生まれつきの性癖と考えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（３）の拘禁反応は簡易鑑定の終了後から前鑑定の初期の間にあらわれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上のうち、収集癖はいまも持続しており、精神分裂病（破瓜型）と拘禁反応はなお、増悪・進展しつつある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二、刑事責任能力についての意見&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行時において、是非善悪をする能力はほとんど完全に保たれていたが、行為に対する制御能力の一半に欠けるところがあった。司法精神的にいえば、これは広く心神耗弱に相当するものであるが、免責される部分は少ないと考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2度の精神鑑定結果 ===&lt;br /&gt;
結局、第1次と2次精神鑑定で「人格障害」「多重人格」「精神分裂病（破瓜型）」と3つの異なる結果が出たことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内沼鑑定人の法廷証言によると、宮﨑には、（１）宮﨑自身で、非常に幼稚な半面、哲学者みたいな人格が混在する人物（２）子どもで衝動的な殺人者（３）冷静な人物（４）今田勇子として、犯行声明文と告白文を書いた人物（５）第１次鑑定の鑑定人に＜私はあなたを断る＞と書いた人物――の5つの人格が出ているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、「多重人格（解離性同一性障害）説」については当時、日本の精神医学界では認められていないものであった。さらに、内沼、関根の両鑑定人は多重人格の専門家ではなく、多重人格説が認められている米国で行われているＤＥＳ（解離体験尺度）のテストを行っていなかったこと、解離性同一性障害を正確に見極めるには平均で7年間かかると言われ、時間的に足りなかったことなど、鑑定そのものに問題があったともいえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノンフィクションライターの[[吉岡忍]]は宮﨑の事件を取材し、『[[Ｍ/世界の、憂鬱な先端]]』([[文藝春秋]]/2000)というタイトルで単行本として刊行したが、次のような宮﨑の精神鑑定書についての記述がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜私は公判のあいだ、簡易鑑定書をふくめると四種類の「宮﨑勤精神鑑定書」を通読し、さらに何度も読み返した。全部で1300ページもある。読むたびに、何度もくらくらし、ため息が出た。量が多かったからではない。いささか批判がましい言い方をすれば、そのあまりの不統一、手抜き、いい加減さ、強引さに、正直言って驚いたからだった。・・・（中略）・・・精神鑑定が精神医学にふくまれるとすれば、これもひとつの医学であり、科学の一分野だと、私はなんとなく信じてきた。しかし、これだけまとまりがないとすれば、いったいこれは科学と言えるだろうか。これでは鑑定結果の根拠がどこにあるのか、結論の相違はどこから、なにゆえに生じたのか、議論のしようがない。くらくらし、ため息が出たのはそのせいだった。ただ、ひとつ、私にもわかったことがある。これだけなにもかもちがえば、鑑定結果がちがってくるのも当たり前だ、ということだった。（以下、省略）＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鑑定書がいかに「不完全」であるかを、全部で4ページ余り（同タイトルの文庫本で）に渡って、例を挙げて具体的に説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第38回公判　判決 ===&lt;br /&gt;
[[1997年]](平成9年)[[4月14日]]、東京地裁で第38回公判が開かれた。この日は判決が言い渡される日である。58枚の一般傍聴席を求めて842人が並び、第1回の1591人に次ぐ人数だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死刑判決を言い渡す場合は、先に「主文」を言い渡すと、被告人が動揺してきちんと「理由」を聞かないために後回しにする慣例がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
田尾裁判長は「開廷します。今日は判決を言い渡すので・・・・・・」と言い、ひと呼吸おいて「主文」と言った。だから、一瞬、死刑判決ではないのか、と思った人もいたはずだが、そのあと「被告人を死刑に処する」と続けた。そのあと被告人を着席させ「理由」を読み聞かせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
田尾裁判長は犯行当時の宮﨑の精神状態について「性格の極端な偏り（人格障害）以外に精神病的な状態にあったとは思われない」とした保崎秀夫慶応大名誉教授らの鑑定を採用し、責任能力を全面的に認めた。その上で「動機は性的欲求などであり、あさましいというほかない。人の尊厳を踏みにじる犯行には目を覆うものがあり、極刑を選択するしかない」と判決理由を述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内沼鑑定について「公判での供述をそのまま犯行時の体験と理解した基本的姿勢には疑問がある。同様の犯行が4度も繰り返されたことにも照らすと、人格変換をうかがわせる形跡は見当たらない」として、退けた。中安鑑定についても「手の障害に起因する被害感や劣等感を分裂病の症状とみるには疑問がある」などとして、採用できないとした。また、宮﨑被告の不可解な法廷での発言については「拘禁の影響による妄想的説明」とし、こうした異常性の発現時期を逮捕、拘置後と判断した。犯行の動機については「捜査段階の自白調書は自ら遺体遺棄現場を明らかにするなど、信用性が高い」として、性的欲求に加え、幼女をビデオ撮影して収集したいとの気持ちを指摘した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 東京地裁での死刑判決の判決要旨 ====&lt;br /&gt;
一、被告人の捜査段階における供述と公判段階における供述の信用性&lt;br /&gt;
（１）被告人の本件一連の犯行は、直接には幼女らを対象にしたものではあるが、被告人の女性性器自体に対する興味、幼女らを含む女性に対する強い性的関心、男女の性交に対する興味等の総体に根ざす性的欲求の充足を動機・目的とした犯行であり、女性性器等をビデオ撮影するなどして収集したいとの気持ちに動機付けられた面もあったこと&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）本件各犯行は、周囲から見とがめられないように配慮しつつ、カメラマンを装うなどしたりして幼女らに近付き、言葉巧みに話し掛けて同女らの警戒心を解いた上、巧みに車内に誘い込み、あやすなどしながら人目に付かない山中等まで連れ去るなど冷静で巧妙な手口の犯行であること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（３）今野真理事件については、わいせつ目的で幼女らを探しているうちに今野真理を見付け、周囲に人目がなかったことから誘拐の犯意を抱くに至ったもの、吉澤正美事件、難波絵梨香事件及び野本綾子事件については、わいせつ目的で幼女らを誘拐しようとの意図で幼女らを探しているうちに、吉澤正美、難波絵梨香及び野本綾子らを見付け、周囲に人目のない機会をとらえて誘拐等の犯行に及んだものと推認されるのであり、右各犯行には計画的な面があること&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（４）被告人は、本件一連の犯行についてテレビ報道等を注視して捜査情報等の入手に努める一方、報道内容に対応して、なぞ掛けを交えたり物語を創作したりして犯行を遺族や更には報道機関に告知して自己を顕示するとともに捜査のかく乱を企図し、野本綾子の死体を切断。胴体部を埼玉県内の発見されやすい場所にこれ見よがしに捨てて捜査のかく乱を図るとともに自己を顕示し、頭部を人に発見されにくい山中に捨てて犯跡の隠ぺいを図るなどしたものとみることができ、被告人の冷静かつ冷酷で、自己顕示的かつ大胆な態度をうかがわせるものであること、以上を認めることができる。そして被告人の捜査官に対する供述は、整合性に一部欠けるところはあるが、犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定しようとの態度をうかがわせるにとどまり、全体としては整合性が保たれており、信用性も高い。被告人の捜査官に対する供述によって、被害者の各遺棄現場や殺害現場などが判明するに至ったものであって、被告人の捜査官に対する供述は、捜査官がは握していなかった右のような極めて重要な事実につき自ら真実を語ったものである。被告人の供述には、体験した者でなければ語り難いと思われる内容が多く含まれている。また各犯行の自供の経緯は自然で、被告人が捜査官の意向に合わせるままに供述したのではなく、自らの判断で供述したことをうかがい知ることができる。取調官が被告人に暴行を加えるなど、被告人の意思を制圧して一方的に供述を押し付けるなどした疑いがあるとは認められず、自ら体験し記憶している事実を基にし、その中で犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定して自己の刑事責任の軽減を図ろうとの意図をも交えつつ、自らの判断で述べたものと認められ、基本的に、その信用性は極めて高いものと認められる。これに対し、被告人の公判延での供述は、客観的事実とのかい離が著しく、本件各犯行の動機・目的、態様、計画性、自己顕示と捜査かく乱の意図等との整合性にも欠ける上、弁護人と検察官からの質問に対する供述とで重要な事項につき一貫性に欠ける部分がみられ、かつ、検察官からの質問に対し殊更的を外した応答が見られるなど供述態度に率直さが欠けており、そのまま信用することは到底できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一、被告人の本件各犯行時における精神状態と刑事責任能力&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本件一連の犯行における被告人の行動は、極めて冷酷かつ非情なものであって、その意味では異常なものであるが、それなりに了解可能なものであり、被告人は、女児を連れ歩いた事件で現行犯人として逮捕されるまでの間、自己が犯人であることに直接結び付くような証拠を残すことなく、一年足らずのうちに、四回もの誘拐・殺人等の犯行を反復するとともに、大胆にも今野真理らの遺族に犯行を告知する行為を繰り返し、かつ、この間、家族等周囲の者らにも、自己の犯行に気付かれることがなく、捜査の網をかいくぐって立ち回ってきたものであって、被告人が本件各犯行当時病的な精神状態にあったことをうかがわせるような事情は見受けられない。本件各犯行当時ころに至るまでの間及び本件各犯行当時ころの被告人の生活状況等からは、被告人の、他者との協調性の欠如、自己中心的な態度、易怒性等を認めることができるが、それ以上に、被告人が病的な精神状態にあったことをうかがわせるような事情は見受けられない。慶応義塾大学教授保崎秀夫ら六名の共同鑑定意見によれば、被告人は、少なくとも、逮捕前は、奇妙な説明はしておらず、逮捕後にされた犯行に関する説明は、了解できるものであって、記憶はほぼ保たれていたと思われ、犯行時には、性格の極端な偏り（人格障害）以外に特に精神病的な状態にあったとは思われないとして、被告人は完全責任能力を有していたと判断し、鑑定時には、簡単なことも分からないと言ったり、年齢よりも子供っぽく感ぜられたり、矛盾することを述べて追求されると分からないと言ったり、一見すると退行しているように見えても、結構周囲の状況はは握しているようであり、合目的的な内容が多いことから、拘禁の影響が強く現れている状態（拘禁反応）であって、精神病状態にはないとしている。右保崎ら鑑定には疑問とすべき点はなく、簡易鑑定とも一致し、十分納得できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対し、帝京大学教授内沼幸雄及び東京大学助教授関根義夫の共同鑑定意見によれば、被告人は、犯行時、手の奇形をめぐる人格発達の重篤な障害のもとに敏感関係妄想に続く人格反応性の妄想発展を背景にし、祖父死亡を契機に離人症及びヒステリー性解離症状を主体とする反応性精神病を呈しており、心神耗弱の精神状態にあったと判断し、鑑定時も同様の状態にあるとしている。しかし、同鑑定は、被告人の公判段階における供述をそのまま犯行時の体験として理解したことによる所見であるが、被告人の公判段階の供述は拘禁の影響による妄想的説明であって、これらの症状は、真実犯行時の体験として存在したものでなく、被告人が述べる精神的諸症状も犯行時に存在したものではないから、同鑑定の所見はその基本的立場に疑問がある。同鑑定は、祖父死亡を契機として被告人が多彩な解離症状を示しているというが、祖父死亡後の被告人の日常生活を見ても、祖父に対する愛着を示す行動は若干あったものの、病的に異常な言動は認められないし、被告人が祖父の死亡によって影響を受けたことは否定し難いが、反応性の精神病を呈するほどの精神的衝撃を受けたとは思われない。また、同鑑定が指摘する人格変換（多重人格）についても、被告人の公判段階における供述が真実の体験供述ではなく、本件各犯行は、いずれも性的欲求の充足という目的に沿った性犯罪であって、被告人のかねてからの性的関心に照らして矛盾はなく、被告人に人格変換をうかがわせる形跡は見当たらないのであり、同様の犯行が四度も繰り返されていることにも照らすと、各犯行時に人格変換が生じていたとは思われないし、祖父死亡後被告人の日常生活において、周囲が被告人につき別人格の出現に気付いてこれを指摘したり、奇異に思ったりしたような形跡は見られず、本件捜査及び公判段階においても、被告人に別人格が現れたような形跡はない。したがって、内沼・関根鑑定は採用できない。次に、東京大学助教授中安信夫の鑑定意見によれば、被告人は、犯行時、精神分裂病（破瓜型）にり患しており、分裂病症状の易怒性ないし攻撃性のこう進が動因のごく一部として、情性欠如が抑止力の低下として関与したとして、心神耗弱（ただし、免責される部分は少ない）状態にあったと判断している。しかし、同鑑定は、被告人の高校時代からの関係・被害念慮、注察念慮はそのころ発病した分裂病の軽微な陽性症状で、保崎ら鑑定後に発現した家族や不明の他者への被害妄想は分裂病の明らかな陽性症状というが、高校時代に存在したという関係・被害念慮、注察念慮に関しては、被告人は、高校時代以降も破たんせずそれなりの日常生活を送っており、これらを手の障害に起因する被害感や劣等感と明確に区別して、分裂病の陽性症状とみてしまうには疑問がある。家族への被害妄想についても、両手の障害に起因する両親への強い敵意の延長上とみることができ、他者への被害妄想も拘禁状態下で被害的な心情を拡大したことによると考えられる。その他同鑑定が分裂病の陽性症状と指摘するのも、拘禁反応と区別して分裂病性の症状とみるには疑問がある。同鑑定が保崎ら鑑定の後分裂病が増悪したとする点も、保崎ら鑑定以後に被告人に周りから見て明らかな精神症状の悪化があったとはいえず、被告人の拘置所での日常の言動にも異状な変化はなく、結局、こうした症状は保崎ら鑑定の段階で既に現れていた拘禁反応による精神状態の延長として理解できる。また、中安鑑定のいう集中力、意欲の低下、感情鈍麻等の分裂病の陰性症状の進展についても、高校時代から大学卒業後竹内印刷勤務を経て家業を手伝っていたころの日常の生活、友人関係、家族への態度等をみると、同鑑定のようには評価できない。本件一連の犯行における行動は、それなりに了解可能であり、一年足らずのうちに、家族始め周囲の者に誰一人として不審を抱かれず四件の同種犯行を反復してきている上、拘禁されると、捜査段階では概ね犯行を認めたものの、公判段階で、夢のようだ、覚えていないなどと次第に犯行を否定していき、拘禁状態が続くうち妄想的な説明を漸次付加、発展させており、精神分裂病者が凶悪な犯行を犯した状態とは考え難い。さらに、中安鑑定が、犯行時分裂病による思考障害はほとんどなかったとする一方で、感情障害が著しかったとする点も、関根鑑定人の意見及び保崎鑑定人の意見に照らし首肯し難く、中安鑑定も採用できない。単純型分裂病にり患していたとの弁護人の主張も採り得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上のとおり、被告人は、本件各犯行当時、性格の極端な偏り（人格障害）以外に反応性精神病、精神分裂病等を含む精神病様状態にはなく、事物の理非善悪を弁別する能力及びその弁別に従って行動する能力を有していたと認められるのであり、完全責任能力を認めるのが相当である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一、量刑の理由&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本件一連の犯行の動機・目的は、主として、強い性的欲求に基づいており、これに遺体陵辱の場面等を撮影した他人が持っていない珍しいビデオ等を所持したいという収集欲が伴ったもので、浅ましいというほかなく、同情の余地は全くない。成人女性の代わりに、無邪気で人を疑うことを知らず抵抗する力のない幼女らを自己の欲望充足の対象にした被告人の心底はまことに卑劣である。誘拐の手口は巧妙、大胆で、殺害の方法も残忍であり、死体損壊の態様を含め、冷酷非情極まりない。殺害の態様も、まことに無慈悲かつ残忍といわなければならない。殺害前には欲望をむき出しにした姿を見せている。遺体をひもで縛ったまま山中に遺棄したり、遺体をバラバラに切断して遺棄するなど、人としての尊厳を踏みにじる態度には目を覆うものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子供を失った遺族の悲嘆、衝撃がいかに甚大であったかは言うに及ばず、その精神的苦痛は到底いやされようもない。被告人に対し極刑を希求しているのも当然である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告人は、自己の犯行に関する報道に対応して、これを遊びの題材にしつつ、子供の安否を気遣う遺族の元に遺骨を焼いて届けたり、犯行声明文や告白文等を郵送してあと一五年は捕まりたくないなどとうそぶき、遺体を切断してその一部をこれ見よがしに遺棄したりして、遺族や社会をちょう笑するなどしており、こうした被告人の反社会的な人格態度、遺族の心情を思いやることのない非情さも、決して看過することができない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、被告人は、捜査段階では一応事実を認めていたものの、公判段階では夢の中のようなことだと思うと言って自己の刑事責任を逃れようとする態度に終始するに至り、現在拘禁の影響が強く現れ、被告人の口から被害者及び遺族らに対する一片の謝罪の言葉も聞くことができない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告人は両手に生来の障害があり、両親の適切でない対応もあって幼少時から一人で悩みを抱え込み、祖父母や両親の不和など情緒的に恵まれず、長男として甘やかされ適切なしつけを受けずに成長したため、人格のゆがみを形成するに至った。これが本件犯行の背景にあると認められるとともに、同情を覚える面があることは否定できないこと、残忍さや性的興味を売りものにした映像や出版物が巷間にあふれ、幾ばくか影響を与えた面もあること、母親が被害者の氏名を紙に書いて日々祈り謝罪しながらめい福を祈っていること、被告人宅の敷地を引き当てにするなどして合計800万円を工面し、遺族らに対する慰謝の措置の一部として各200万円ずつ送金し受領されていること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世間から厳しい非難の目を向けられ、父親がその重圧に耐えかねて自ら命を絶つに至り、今は母親と妹二人がひっそりと身を寄せて生活していることなど被告人のために酌むべき事情もある。しかし、犯行の回数、動機、社会に与えた影響などにかんがみると、被告人の刑事責任はまことに重大というほかなく、死刑を選択する以外に刑の量定をすべき途はないといわざるを得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 死刑確定 ===&lt;br /&gt;
弁護側は判決を不服として即日控訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]](平成13年)[[6月28日]]、[[東京高裁]]は1審の死刑判決を支持して、弁護側の控訴を棄却する判決を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[河辺義正]]裁判長は、最大の争点だった刑事責任能力を認め、「まれに見る凶悪非道な連続犯行。極刑はやむを得ない」と指摘した。1審段階で行われた3通りの精神鑑定を検討し、「責任能力は不完全」とした2つの鑑定について「信用出来ない被告の法廷供述を基にしている」「被害妄想は逮捕後の拘禁反応と考えられる」などと疑問視する判断を示した。その上で「極端な性格の偏り（人格障害）はあったが、精神病状態ではなかった」とする鑑定を「客観事実と整合し、疑問とすべき点はない」と述べて採用し、完全責任能力があったと判断した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月10日]]、弁護側は1審に続いて、死刑を言い渡した東京高裁判決を不服として上告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]](平成18年)[[1月17日]]、[[最高裁]]第3小法廷（[[藤田宙靖]](ときやす)裁判長）は、被告側の上告を棄却する判決を言い渡した。判決文はA4判でわずか3ページで、「被告に責任能力があるとした1、2審の判決は正当として是認できる。自己の性的欲求を満たすための犯行で、動機は自己中心的で非道。酌量の余地はない」と宮﨑を断罪した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午後3時過ぎ、[[東海女子大]]教授(心理療法)の[[長谷川博一]]が東京拘置所で宮﨑に面会した。宮﨑は長谷川から最高裁の結論を聞き、即座に「何かの間違い」と切り返した。前年の夏から宮﨑と手紙を交わしてきた長谷川教授によると、宮﨑はほおがこけ、顔はしわだらけで髪の毛も少なくなり、事件当時の面影はないという。約15分の面会の間、宮﨑は左手でほおづえをつき、決して目を合わせようとしなかった。さらに、「どこが間違いか」と聞くと、「残忍だと思われたんじゃないか」と言い、今後については「何もしない」「そのうち無罪になる」と答えたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1月26日]]、宮﨑の弁護人が最高裁に判決を訂正するよう申し立てた。規定では、弁護人らは最高裁判決に誤りを発見した場合、判決の翌日から10日以内に訂正を申し立てられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月1日]]、最高裁は判決訂正申し立てを棄却する決定をした。これで死刑が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月6日]]、宮﨑が月刊『創』（創出版）編集部に手紙を寄せ、「死刑は絞首刑をやめて薬を使用すべきだ。法律も残虐な刑罰を禁じている」などと主張していることが分かった。7日発売の『創』7月号に掲載された。月刊『創』によると、手紙は[[5月2日]]付と16日付で、母親を通じて編集部に届いた。死刑判決を受けた他の事件の被告名を挙げ「絞首刑を執行される時は恐怖とたたかわねばならず、反省のことなど考えなくなる。薬を使用すれば反省や謝罪の言葉を述べる確率もだんぜん高い」などと述べている。約10年にわたって文通を続けている月刊『創』の篠田博之編集長は「死刑について書かれた手紙は初めて。判決が確定し、死刑を意識するようになっているのではないか」と話している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]](平成20年)[[6月17日]]、東京拘置所で死刑が執行された。45歳だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同日、弁護人の[[田鎖麻衣子]]弁護士は、「数ヶ月前から再審請求の準備を進めていた。こうした事情を知りながら、死刑を執行したことに強く抗議する」とのコメントを発表した。5月末には[[鳩山邦夫]]法相に書面で刑を執行しないよう要請していたという。宮﨑は東京拘置所で精神科の治療を受けていたといい、専門家に意見書の執筆も依頼していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑勤の著書に『夢のなか　連続幼女殺害事件被告の告白』（創出版/1998）がある。第1章は宮﨑と月刊『創』の編集者の間で交わされた書簡をまとめたもの。第2章は宮﨑のところに寄せられた手紙をまとめたもの。宮﨑はこの部分をメインにした本を出したいと考えていたようだが。第3章は、第1審公判における宮﨑の供述要旨。第4章は「解説」で、[[大塚英志]]と[[香山リカ]]による文章の他、[[芹沢俊介]]と[[山崎哲]]による対談が収録されている。&lt;br /&gt;
さらに、『夢のなか、いまも』（創出版/2006）を上梓。こちらは控訴審から最高裁死刑判決の翌日頃までの宮﨑の告白を収録。判決をめぐる識者の論評や宮﨑の未公開の幼少時の写真やイラストも多数掲載されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 幼少期に宮崎勤死刑囚と遭遇した話 ==&lt;br /&gt;
幼少時、私は宮崎勤死刑囚に遭遇している。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでこのことについて他人に話したことはほとんどなかったけれど、死刑執行された今後、もう話題に上ることもないだろうと思うとふいに記憶が惜しくなった。 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
21年前、小学２年生の時だ。幼なじみと近くの林で遊んでいた。道路のすぐ横が斜面になっていて、そこの土は他と違って粘土質で土遊びにもってこいだったため、私たちの格好の遊び場だった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
斜面は道路を隔てて中学校と住宅に面していた。とはいえ繁華街からは遠く離れており、人通りは多くない。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
住民以外は滅多に見かけない土地柄だった。当然、知らない人にはついて行かないようにと教えられていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
見知らぬお兄さんが、道に迷ったといって私たちに声をかけてきた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
小さな白い車に乗ってきたらしく、地図を広げて「○○公園って知ってる？」と聞いてきたのだった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お兄さんが探している公園は私たちの通う小学校に隣接していて、この住宅地の中では一番大きな公園だった。家からは子供の足で20分はかかる。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
よく知っている公園なので、私たちはすぐにお兄さんに道を教えることができた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「やっぱりよくわからないから、車で一緒に乗って行ってくれない？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「でも知らない人の車に乗っちゃ行けないって言われてるから」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちは断り、もう一度道を説明した。だがお兄さんはその場から離れようとはしなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「まだ時間があるから、一緒に遊ぼうよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「何時まで？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「４時に仕事があるから、それまで」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私も幼なじみも時計を持っておらず、5時に消防署のサイレンが鳴ったら帰ってきなさいと言いつけられていた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
知らないお兄さんと遊ぶのに警戒心がなかったわけではないはずだが、4時までと時間を区切られたことに安心したのだと思う。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「じゃあいいよ、一緒に遊ぼう」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちは彼を受け入れた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しばらく3人でしゃがみ込んで土をいじっていたが、お兄さんが「この崖の奥はどうなってるの？」と立ち上がった。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
粘土質の斜面を上がると木が生い茂り、ちょっとした探検気分が味わえる林になっていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ちょっと見てみたいから、一緒に行こうよ」誘われて、林の中に入っていった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大人の足は、子供の踏み入れたことのない場所まで分け入ってしまう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「この先は行ったことがないから怖いよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「今何時？　公園に行かなくていいの？」という私に、彼は &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「大丈夫だよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と気にせずどんどん林の深くに進んでいく。私は不安だった。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
大人の目の届くところで遊ぶつもりが、知らないところで知らない人と遊んでは母の言いつけを破ることになる。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
知らない人と遊ぶことがどうしていけないのかきちんと考えもせず、ただ言いつけにそむく後ろめたさが不安の理由だった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがて少し開けたところに出、花か草かを摘むためだったか、私たちはまたしゃがんで遊び始めた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
３人で車座になり、そこで私たちはお兄さんに名前を聞いた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
お兄さんと私と幼馴染の苗字には共通点があった。３人とも「宮」の字がつくのだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「一緒だね」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「おそろいだね」 そう言い合った。それで私は彼に親近感を覚え、不安は薄れた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お兄さんは特に何をするでもなく私たちが遊ぶのを見ていた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
そのうち私は、妙にお尻がくすぐったくなってきた。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
木の枝でも当たっているのかと見てみても、それらしきものはない。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
変だな、変だな、と何度か思ううち、それがお兄さんの手のせいだと気づいた。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
スカートの下に手をもぐらせて、ブルマーの上からおしりを撫でているのだった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子どものおしりを触る大人というものが私には不可解だった。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
大人の男の人は大人の女の人のおしりを触るもので、それがエッチなことであると知ってはいた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
そのはずが、なぜ子どもを触るのか、お兄さんの行為が不思議だった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は触られるのがいやだと思った。変な触り方をするからだ。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
くすぐるようにこそこそと撫でるのでむずがゆかった。 &amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
だが抗議をするのに少しためらった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大人の女の人は大人の男の人におしりを触られたら怒るものだ。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
クラスの男子にスカートめくりをされたら、女子は怒るのが当然だ。だが、大人が子どもに触るのも同じように怒っていいのだろうか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このあたりの葛藤は今でもよく覚えている。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
このころはまだ、ペドフィリアというものの存在が今ほど広く認知されていなかったせいだろう。 &amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
子どもにいたずらする大人はいるにはいたし、母親たちもそれを警戒していただろうが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たち子どもには「知らない大人についていかないのは誘拐されて身代金を要求する悪い人がいるから」だと教えていた。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
幼児に性欲を向ける大人の存在は子どもたちには隠されていた。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
その存在が大きく世間を騒がせるのは宮崎勤事件以降のことだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ついに私は勇気を出して声を上げた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「おしり触ったでしょー」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「触ってないよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「触った！」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「いいじゃない、ブルマはいてるんだから」 驚いたことに、幼なじみも彼のこの言葉に賛同した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「そうだよ、ブルマはいてるんだから」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幼なじみは私よりもさらに世知に疎く、幼かった。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
彼女には年の離れたいとこがたくさんいたから、お兄さんに遊んでもらうのに警戒がなかったのだろう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今ならそんな言葉に言いくるめられるわけがないが、幼なじみの援護もあって当時の私は納得した。これ以上抗議するのも大人ぶっているようで恥ずかしかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何度目かの私の「今何時？」攻撃にお兄さんは重い腰を上げ、３人は林を戻り始めた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
私たちは元の斜面に出たところでさよならのつもりだったが、お兄さんは &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「まだ遊べるよ」と言う。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「お仕事でしょ？　いいの？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「なくなったんだ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
携帯電話の普及していない時代だ。彼の言い分は不自然だった。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
父の姿から、大人にとって仕事は何より大事なものだと思っていた私に、また彼への不信感が芽生えた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ここじゃなくてもっと広いところに行こうよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「どうして？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ボールがあるから、それで遊ぼう」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼はゴムのボールを持っていた。野球ボールくらいのサイズだったと思う。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「○○公園は？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼は最初に尋ねた公園を挙げた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「そこは遠いよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「車に乗っていけばいい」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「知らない人の車に乗っちゃいけないって言われてるから」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「もう知らない人じゃないでしょ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「でも……５時になったら帰ってきなさいって言われてるから」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の抵抗に比して、幼なじみはあっさりしたものだった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「××公園なら近いから、そこに行く？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と彼に提案し、私もその案に妥協した。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
彼と遊ぶのが楽しいらしい幼なじみを見ていると自分の警戒が的外れなように思えて、ブルマの言い訳同様彼女に従ってしまった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
車には乗らないと私が強情を張ったので、公園まで３人で歩いた。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
公園には時計があった。正確な時間は覚えていないが、４時は回っていた。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
しばらくキャッチボールをして遊んでいると、大きなサイレンが鳴った。消防署のサイレンだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「５時になったから帰らなきゃ。Mちゃんも帰ろうよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は幼なじみに促した。それなのにお兄さんは、 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「まだ明るいから平気だよ。それよりもっと広いところに行こう。やっぱり○○公園に行かない？」 と誘ってくる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は刻々と時計の針が５時を過ぎることに落ち着かず、とにかく帰る、と繰り返した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「Mちゃん、帰ろう」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Mちゃんが誘拐されたらどうしよう、となんとか一緒に帰るよう幼なじみを口説いた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
幼なじみは迷っているようだった。同じく門限は５時だったが、お兄さんの誘いも魅力的だったのだろう。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
私はこれ以上、母の言いつけを破るのはいやだった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私、帰る！」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
帰ろうとしない幼なじみを置いて、私は走って公園を出た。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
早く帰らなきゃ、と思う頭の片隅で、幼なじみを置いてきたことが気がかりだった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家に帰ると、母が夕食を作っていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「おかえりー。だれと遊んできたの？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「Ｍちゃんと」知らないお兄さんのことは言わなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何日か後、部屋で遊んでいる私のもとに深刻な顔をして母が入ってきた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あんた宮崎さんって知ってる？　こんな手紙が入ってたんだけど……」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母の手には、折りたたんだルーズリーフが握られていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あっ！　この間、Ｍちゃんと一緒に遊んだ人だよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私はばつの悪い思いをしながら、母に説明した。母は眉を曇らせながら聞いていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「最近見かけない車がこの辺をうろうろしてたけど、その人だったのかもね。あんた宛にこんな手紙がポストに入ってるから、何があったのかと思った。そういうことはちゃんと言いなさい」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ごめんなさい、車に乗らなかったし、５時に帰ってきたから大丈夫だと思って」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「それはえらかったね。それにしてもＭちゃんも無事でよかった」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そう言って、母は幼なじみの家に電話をかけた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
あのあと幼なじみも私の直ぐ後に帰り、同じような手紙が入っていたらしい。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大人たちは真剣な面持ちで何度か話し合いをしていた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
家を突き止められた以上また会いに来るかもしれないが、今度こそ大人を呼ぶようにと言い含められ、手紙は母の管理化に置かれた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ことが大人の手に渡れば、子どもが心配するようなことはないと思った。私はそれきりそのことを忘れた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
２年後、私は４年生になっていた。テレビから連日、幼女誘拐殺人事件の報が流れていたある日のことだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お風呂上りにテレビを見るともなしに眺めていた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
相変わらず、宮崎勤容疑者が映っていた。画面の中から、彼の青白い顔がこちらを向いた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その瞬間、経験したことのない感覚がぞーっと駆け巡った。冷や水を浴びせられたような、とはあのような感覚を言うのだろう。あのときはそんな言葉もしらず、混乱して呆然と突っ立っていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あのときの人だ！」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮崎勤の顔を見たのはこれが初めてではなく、何度もテレビで目にしていたのに、なぜ今まで気づかなかったのか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
受けた衝撃は言葉にならず、私は黙って自分の部屋へ引っ込んだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１人で２年前のお兄さんの顔を思い出そうとしてみるが、はっきりと思い描けない。色の白い、穏やかそうな印象しか覚えていない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ似ているだけの人だろうか。だが私はさっきの戦慄で確信していた。あれは宮崎勤だったのだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それから、母に一度、幼なじみに一度、話したことがある。人に言っても信じてもらえないだろうと思っていたから、打ち明けるのに慎重を要した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「２年生のときに会ったお兄さんを覚えてる？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母は、「あのときの手紙、どこかにまだあるはずだけど。あれが宮崎勤だとしたら、殺されてたのはあんただったかもしれない」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と言って恐怖を分かち合ってくれた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幼なじみは、「そうだった？　あのお兄さん、山口さんって言ってなかった？」 と反論した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いずれも、２度は話題にしなかった。 私の勘違いならそれでかまわないのだ。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
小さかった私に起こった奇妙な出来事と、例の凶悪犯と、接点がないならそれに越したことはない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普段は忘れているが、ふとした折、４年生の私の体を襲った心底からのショックを思い出す。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
あれはなんだったんだろうかと。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
あのお兄さんが宮崎勤でないなら、私が受けた感覚はなんだったんだろうかと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
* 1975年3月 五日市町立五日市小学校卒業&lt;br /&gt;
* 1978年3月 五日市町立五日市中学校卒業&lt;br /&gt;
* 1981年3月 明治大学付属中野高等学校卒業&lt;br /&gt;
* 1983年3月 東京工芸大学短期大学部画像技術科卒業&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
雑誌『創』編集部との往復書簡を掲載したものが出版されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 夢のなか - 連続幼女殺害事件被告の告白 -1998年12月 創出版 ISBN 9784924718302&lt;br /&gt;
* 夢のなか、いまも - 連続幼女殺害事件元被告の告白 - 2006年2月 創出版 ISBN 9784924718722&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[群馬小2女児殺害事件]] - 新聞社などに送った告白文で、当事件についても触れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:みやさき つとむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:おたく]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:シリアルキラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:刑死した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:食人者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:統合失調症の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1962年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2008年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロリコン]]&lt;br /&gt;
[[category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%98%9F%E5%B3%B6%E8%B2%B4%E5%BE%B3&amp;diff=199401</id>
		<title>星島貴徳</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%98%9F%E5%B3%B6%E8%B2%B4%E5%BE%B3&amp;diff=199401"/>
				<updated>2013-08-16T00:44:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''星島 貴徳'''（ほしじま たかのり）は、変質者兼殺人犯である。[http://www.konan.okayama-c.ed.jp/ 岡山県立玉野光南高等学校]卒業。身長168cm.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
*[[岡山県]][[岡山市]]出身。&lt;br /&gt;
*[[2008年]][[4月18日]]、当時住んでいた[[東京都]][[江東区]]のマンションで同じマンションの別の部屋に住む女性を殺害。&lt;br /&gt;
**その後、平然とインタビューに答えていた。&lt;br /&gt;
*同年[[5月25日]]に逮捕される。現在は無期懲役囚。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[江東マンション神隠し殺人事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ほししま たかのり}}&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:岡山県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%8B%A4&amp;diff=199398</id>
		<title>宮崎勤</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%8B%A4&amp;diff=199398"/>
				<updated>2013-08-16T00:37:32Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:宮崎勤1.jpg|350px|thumb|宮崎　勤]]&lt;br /&gt;
[[Image:宮崎勤2.jpg|350px|thumb|宮崎　勤]]&lt;br /&gt;
[[Image:宮崎勤3.jpg|350px|thumb|宮崎　勤]]&lt;br /&gt;
'''宮崎 勤'''（みやざき つとむ、[[1962年]][[8月21日]] - [[2008年]][[6月17日]]）は[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]（[[警察庁広域重要指定事件|警察庁広域重要指定]]第117号事件）の[[容疑者]]として[[逮捕]]、[[起訴]]され、[[死刑]]判決が確定し、刑死した人物である。身長166cm.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]参照&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件発生 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;DIV align=center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;CENTER&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;TABLE borderColor=&amp;quot;#808080&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; borderColorDark=&amp;quot;#ffffff&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot; width=&amp;quot;80%&amp;quot; border=&amp;quot;1&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
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    &amp;lt;TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;　&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;誘拐＆殺害日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;被害者&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;被害者の住所&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;遺体発見日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;遺体発見場所&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;/TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;１&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1988年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （昭和63年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      8月22日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;今野真理ちゃん&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （4歳/幼稚園児）&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;埼玉県入間市&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1989年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （平成元年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      2月6日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
      size=2&amp;gt;今野宅の玄関前に段ボール箱が置かれているのを発見。中には細かく砕かれ焼かれた人骨片やピンク色ショートパンツなどを写したインスタント写真、5つの文字をコピーした紙が入っていた（殺害から約6ヶ月後）。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;/TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1989年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （平成元年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      9月13日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;東京都五日市町の山林で手足の骨を発見（殺害から約1年1ヶ月後）。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;/TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;２&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1988年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （昭和63年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      10月3日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;吉沢正美ちゃん&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （7歳/小学1年生）&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;埼玉県飯能市&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1989年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （平成元年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      9月6日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
      size=2&amp;gt;宮﨑が自供した翌日、東京都五日市町の山林で白骨死体となった遺体と衣類を発見（殺害から約11ヶ月後）。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;/TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;３&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1988年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （昭和63年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      12月9日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;難波絵梨香ちゃん&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （4歳/幼稚園児）&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;埼玉県川越市&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1988年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （昭和63年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      12月15日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
      size=2&amp;gt;埼玉県名栗村の横瀬川河川敷で衣類や靴などを発見したあと、名栗村の山林で遺体を発見（殺害から6日後）。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;/TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD noWrap align=middle rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;４&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1989年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （平成元年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      6月6日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;野本綾子ちゃん&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （5歳/保育園児）&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD rowSpan=2&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;東京都江東区&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1989年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （平成元年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      6月11日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
      size=2&amp;gt;埼玉県飯能市の宮沢湖霊園で頭部の一部と両手足が切断された胴体部分を発見（殺害から5日後）。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;/TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD&amp;gt;&amp;lt;FONT size=2&amp;gt;1989年&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      （平成元年）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      8月10日&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;TD width=&amp;quot;30%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
    size=2&amp;gt;宮﨑が自供した翌日、東京都奥多摩町の山林で残りの頭部の一部を発見（殺害から約2ヶ月後）。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
    &amp;lt;/TR&amp;gt;&lt;br /&gt;
  &amp;lt;/TBODY&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/TABLE&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/CENTER&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/DIV&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 今野真理ちゃん(4歳) ===&lt;br /&gt;
[[1988年]](昭和63年)[[8月22日]]午後3時過ぎ、[[東京都]][[五日市町]]（現・[[あきる野市]]/以下同）小和田、印刷業手伝いの宮﨑勤(当時26歳)は、[[埼玉県]][[入間市]]内の歩道橋を歩いていた入間市の設備設計会社社長（当時47歳）の次女で幼稚園児の今野真理ちゃん(4歳)に、「涼しいところに行かないかい？」と声をかけ、日産・ラングレーに乗せて東京都八王子市内の山林に連れ込み、午後6時半ころ、山林内で真理ちゃんが泣き出したので、押し倒して絞殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月23日]]、東京都杉並区高円寺南のレンタルビデオ店でビデオカメラなどを借り、殺害現場に行き、遺体の陰部などに指を入れるなどしてビデオ撮影した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 吉沢正美ちゃん(7歳) ===&lt;br /&gt;
[[10月3日]]午後3時ころ、宮﨑は埼玉県[[飯能市]]の原市場小学校の傍らで遊んでいた飯能市の運転手(当時40歳)の次女で小学1年の吉沢正美ちゃん(7歳)に「道を教えてくれるかい？」と近づき、ラングレーに乗せて八王子市の新多摩変電所まで走り、さらに、歩いて日向峰の山林内に連れ込んで、午後5時ころ、絞殺した。全裸にして性器などに指を入れるなどしたが、死んだはずの体が動くので怖くなって逃げ帰った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 難波絵梨香ちゃん(4歳) ===&lt;br /&gt;
[[12月9日]]午後4時半ころ、宮﨑は埼玉県[[川越市]]の自宅の団地の傍らで遊んでいた川越市の会社員(当時35歳)の長女で幼稚園児の難波絵梨香ちゃん(4歳)に、「温かいところに行こう」と声をかけてラングレーに誘い入れたが、途中でシクシク泣き出したので、[[入間郡]][[名栗村]]の県立少年自然の家の駐車場に車を止めた。ヒーターで車の中が暑くなったので、「お風呂に入ろう」と言うと、絵梨香ちゃんが服を脱いだので、ストロボを使って写真を撮ったが、またシクシク泣き出したので、午後7時過ぎ、車の中で馬乗りになって絞殺した。午後8時ころ、名栗村新田の山林内に死体を遺棄した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被害者宅へ暗号を郵送 ===&lt;br /&gt;
[[12月15日]]、難波絵梨香ちゃんの衣類や靴などに続いて遺体が発見される。同日、宮﨑は新聞から拾った文字を自宅工場のコピー機で拡大コピーして切り取り、＜魔がいるわ＞と文字を並べて、これをさらに拡大コピーして貼り付けた葉書を今野真理ちゃん宅宛てに郵送で送り届けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑はのちにこれは「入間川」をもじったものと供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月20日]]、宮﨑は自宅にあった新聞と本の中から＜絵梨香＞＜かぜ＞＜せき＞＜のど＞＜楽＞＜死＞の6文字を拾い出し、工場のコピー機で拡大コピーし、この文字を白紙に貼り付け、さらにコピーして貼り付けた葉書を難波絵梨香ちゃんの父親宛てに郵送で送り届けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜絵梨香＞＜かぜ＞＜せき＞＜のど＞＜楽＞＜死＞の6文字については、国内の[[アナグラム]]マニアの協力を仰いで解明が試みられた。文字をローマ字に置き換えて並べ替えると、「Ｕ」が1文字足りないが、「ＩＫＩＫＡＥＳＡＳＥＲＡＲＥＺ　ＫＩＮＯＤＯＫＵ」――「生き返させられず　気の毒」と読めることが判明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌[[1989年]](平成元年)1月中旬ころ、今野真理ちゃんの殺害現場から頭蓋骨などの骨を持ち帰り、自宅前の畑でゴミや家具と一緒に燃やした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月6日]]午前0時ころ、宮﨑は今野真理ちゃん宅の玄関前に段ボール箱を置いた。中には黒っぽい灰や泥、焼かれて炭化した木片、細かく砕かれ焼かれた人骨片やインスタントカメラで撮影したピンク色半ズボン、パンツ、サンダルのカラー写真、自宅にあった辞書の中から拾い出した＜真理＞＜遺骨＞＜焼＞＜証明＞＜鑑定＞の5文字を工場のコピー機で拡大コピーしたB5判の紙が入れてあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京歯科大]]が人骨片のうち計10本の歯を鑑定した結果、一度は真理ちゃんのものでないと発表したが、[[3月1日]]、真理ちゃんのものと断定して発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜真理＞＜遺骨＞＜焼＞＜証明＞＜鑑定＞の5文字&amp;lt;/FONT&amp;gt;の文字についても同様に、アナグラムマニアの協力を仰いで解明が試みられ、それぞれの文字を「ＭＡＲＩ」「ＩＫＯＴＳＵ」「ＹＡＫＵ」「ＳＨＯＵＭＥＩ」「ＫＡＮＴＥＩ」とローマ字に置き換えて並べ替え、「Ｔ・ＭＩＹＡＳＡＫＩ　ＨＡＫＯＴＳＵＭＥ　ＩＥＮＩ　ＯＫＵＲＵ」――「Ｔ・宮﨑　箱詰め　家に送る」と読める。宮﨑は「みやざき」と読むが、「みやさき」とも読めることから、「Ｓ」を使って完成させている。また、＜焼＞を「ＹＡＫＩ」とすると、「ＭＩＹＡＳＡＫＩＴＳＵＴＯＭＵ　ＨＡＫＯＮＩ　ＩＲＥ　ＫＩＥ」――「宮﨑勤　箱に入れ　消え」と読める。さらに、「ＭＩＹＡＳＡＫＩ　ＴＳＵＴＯＭＵ　ＫＩＲＥＩＮＩ　ＨＡＫＯＥ」――「宮﨑勤　綺麗に　箱へ」とも読める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
専門家によると、27文字の[[ローマ字]]を並べ替えて、宮﨑勤のフルネームが出てくる確率は1兆分の1以下だそうで、意図的に作られたということが判明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月10日]]、インスタントカメラで撮影した今野真理ちゃんの顔写真を添付し、「犯行声明」というタイトルをつけたB4判のコピー用紙3枚を入れ、差出人を「所沢市　今田勇子」として、[[東京都]][[中央区]][[築地]]の[[朝日新聞]]東京本社宛てに郵送した封書が届く。[[2月11日]]、朝日新聞社に送ったものと同じ封書が今野真理ちゃんの母親宛てに届く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
犯行声明文（縦書き/誤字や読点などは原文のまま）&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
今野まりちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です。この、真理ちゃん一件に関しては、最初から最後まで私一人がしたことです。&lt;br /&gt;
私が、ここに、こうして真実を述べるのには、理由があるからです。まずあの段ボール箱に入った骨は、明らかに真理ちゃんの骨です。その証かしを立てます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず、どうやって連れ去ったかを述べましょう。&lt;br /&gt;
去る8月22日、私は、私には、どうしても手をのばしても届くことのない子供を、今日一日は自分のものにしたい思いにかられ、入間ビレッジの8号棟裏に車を止め、&lt;br /&gt;
あのプールでは、親に送り向かえをされない、一人で行き帰りする子供達の多いことを、知っている私は、その出口付近に一人で立っていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すると、真理ちゃんと、兄弟の男の子と二人で出て来て、ポストの所で別々になり真理ちゃんは、一人で家に帰る様子でした。&lt;br /&gt;
水着で歩いて行くので、家が近い筈だとみらみ、つけ回す距離も短くてすむと思ったのです。&lt;br /&gt;
まず真理ちゃんが家に入って、今日一日、出て来なくてもかまわなかったのです。&lt;br /&gt;
いつか宅から出て来る母親の顔さえ覚えておいて、その人が、真理ちゃんのそばに居ないときに、真理ちゃんを誘えば良いのだと思ったので、ちっともあわてずに、尾行しました。&lt;br /&gt;
つまり、母親が、自分の子供と一緒に居る時が一番危ないのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
思った通り、真理ちゃんは家へ入りました。母親も中に居たよウです。&lt;br /&gt;
さて、私は母親の顔を見てから立ち去ろうと思い、7号棟入口付近に立っていましたが何と真理ちゃんが、すぐに出て来たのです。&lt;br /&gt;
予想こそはずれましたが、家の中に母親が居るということは、今、真理ちゃんの周囲には誰も居ないこととなり、願ってもないチャンスにめぐりあえました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勿論、家の前で声をかけては、母親に相談するためにもどられてしまいます。&lt;br /&gt;
母親の位置から遠のかせる意味も含めて、真理ちゃんを自由に歩かせ、距離を遠のかせ、後をつけます。&lt;br /&gt;
そして、真理ちゃんが歩道橋を渡ると私は確信したので、私は、通りを走って歩道橋の向こう側から走ってのぼり、上で真理ちゃんを待ち伏せ、言葉をかけて、真理ちゃんをつかまえます。&lt;br /&gt;
うまくいったというより、女同志でしたので真理ちゃんは怪しまなかったと説明した方が適切でしょう。&lt;br /&gt;
話しが思ったより思い通りにまとまり、「私が、車のクーラーを先に行って、かけているから少したったら来てね。」と言って、先に車へ行き、乗って待った所、すぐに真理ちゃんは一人で来ました。&lt;br /&gt;
つまり、真理ちゃんが、私の車に乗り込むまで、誰一人、私を見ていないのです。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
接続詞や連体詞、読点を多用して、読む人を説得させようとしている意図が感じられる文章になっている。「今田勇子」という名前については、取調官に対し供述しているが、「宮﨑の異常性を却って強調してしまうおそれがある」という理由からその調書は法廷には提出されなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「今田勇子」は少女マンガの『毒をくらわばサラミまで』に登場する女刑事の名前を借用しただけと供述したり、「イマダユウコ」で「今だから言う」とか「コンダユウコ」と読ませて「今度は言う」の意味で、「勇子」という字から「マ」を取れば「男子」となり、男女を曖昧にするために都合がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、「今田勇子」という文字を完全に分解し、組み立て直せば、野の字が少し変だが、「今野マリ」という文字になるとも供述している。だが、精神鑑定での問診では読み方を問われ、「いまだいさこ」とか「親が変てこりんなら『いさむこ』と読ませる」とはぐらかすように答えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月6日]]、今野真理ちゃんの両親が「葬儀・告別式を[[3月11日]]正午から行なう」と発表。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月11日]]、「告白文」というタイトルをつけたB4判のコピー用紙3枚を差出人を「今田勇子」として朝日新聞東京本社社会部と今野真理ちゃん宅宛てに郵送した封書が届く。その告白文の書き出しは＜御葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました＞となっており、被害者遺族の神経を逆撫でするような内容になっている。また、この「告白文」の中には次のような文章がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
私は、引っ越して来た家の床下に埋めた子供の隣りに、真理ちゃんの骨を埋め、これで、やっと、ほっとしました。&lt;br /&gt;
これで全てが終わったのです。それが、しかしです。やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。&lt;br /&gt;
やはり、骨だけだったので、鑑定をしても、それが誰のものかはわからなかった。&lt;br /&gt;
しかし、「県内で他に不明の子がいない」という理由で、「その骨を明子ちゃんのものとしてもよい。」という発表があった。&lt;br /&gt;
私のように、後になって骨を運んだ人がいたのかもしれない。去年、捜索しても何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。&lt;br /&gt;
そして、発表の後、明子ちゃんの両親は御葬式をだした。やはり、明子ちゃんだと限らなくても、両親という物は、そういうものなのです。&lt;br /&gt;
自分の子に対する本心の涙で、はっきりしない葬式をあげてしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は、この事で、ある決心をし、計画をたてたのです。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここで宮﨑が書いている「明子」は「朋子」の間違いで、[[群馬県]][[尾島町]]亀岡、小学2年生の大沢朋子ちゃん(8歳)のことである。朋子ちゃんは[[1987年]](昭和62年)[[9月15日]]午前11時ころ、子猫を抱いて自宅近くの尾島公園に出かけたまま行方不明になっていた。宮﨑による幼女連続殺人事件が起きる約1年前の出来事である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1988年]](昭和63年)[[11月27日]]、尾島町前小屋の利根川河川敷で釣り人が散乱した子どもの骨を発見した。骨は頭蓋骨を中心に2～3メートルの範囲内に散乱していたが、両腕のひじから先と両足のひざから先の骨が見つからなかった。死後1年以上経過していた。警察はこの白骨死体を大沢朋子ちゃんである可能性が高いとしたが、その理由は、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（１）最後の目撃現場から人骨発見場所が1キロという近い距離であること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）朋子ちゃんが行方不明になった時期と死亡推定時期が一致すること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（３）他に行方不明の者がいないこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（４）その後の白骨死体の血液型が朋子ちゃんと同じB型と判明したことであった。&lt;br /&gt;
宮﨑は「告白文」の中にわざわざ明子（朋子）ちゃんの名前を出し、他人の犯行であるようには書いている。朋子ちゃんの事件と宮﨑による一連の事件の共通するところをあげると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（１）朋子ちゃんの発見された骨には「ひじから先とひざから先の骨がない」ということから今野真理ちゃんの事件やのちに殺害されることになる野本綾子ちゃんの事件で遺体が発見されたときの状況を連想させられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）群馬県は北関東で首都圏からはずれるが、埼玉県とは隣接しており、朋子ちゃんの白骨死体が発見された場所は群馬県と埼玉県にまたがって建設中の新上武大橋から下流800メートルの地点である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（３）朋子ちゃんの遺体の発見場所も利根川岸で、宮﨑による殺人事件も[[入間川]]（上流は[[名栗川]]）沿いであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（４）朋子ちゃんは当時8歳で、宮﨑が殺害した幼女の年齢は4歳が2人、5歳が1人、7歳が1人となっている。このように、確かに共通する部分は多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑が4人の幼女を殺害したことを自供した頃に発売された1989年9月19日号の『[[週刊女性]]』（主婦と生活社）には、＜天国の朋子ちゃん/とうとう犯人が見つかったよ・・・＞というタイトルがあり、その上の方には＜幼女殺人鬼　宮崎勤/5人目も白状/大沢朋子ちゃん(8歳)も殺して捨てた!?＞というキャッチコピーがついている記事が掲載された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この記事の内容の真偽はともかくとして、宮﨑は朋子ちゃんの事件に関わっていたかどうかが不明のまま、結局、宮﨑は「朋子ちゃん事件」で逮捕されることはなかった。[[2002年]](平成14年)[[9月15日]]、事件発生から15年が経ったこの日、[[公訴時効]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、朋子ちゃんが行方不明になった日の前日の1987年(昭和62年)[[9月14日]]には、同じく[[群馬県]][[高崎市]]に住む高崎中央消防署員の長男の荻原功明(よしあき/5歳)ちゃんが誘拐され、2000万円の身代金を要求されるという事件が起きている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2日後の16日、4回目の強迫電話では要求額が1000万円に下がったことや翌日の9月15日が「敬老の日」で当時の金融機関が休みだったことなどを知らなかったフシがあったことなどから、本当に身代金目的であったのかが疑問であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同日、功明ちゃんの全裸死体が自宅から6キロ離れた[[寺沢川]]にかかる入の谷津橋下の川底から発見された。高さ13メートルの橋から生きたまま投げ落とされたと見られている。功明の衣類は殺害現場から2キロほど離れた地点で見つかっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]](平成14年)[[9月14日]]、事件発生から15年が経ったこの日、公訴時効となった。この「功明ちゃん誘拐殺人事件」は戦後に発生した身代金目的の誘拐事件では唯一の未解決事件ということになっているが、[[1963年]](昭和38年)5月に起きた[[狭山事件]]は形の上では身代金目的の誘拐事件であり、被疑者を逮捕・起訴し、その後の裁判で有罪判決になった、という意味では解決した事件とも言えるのだが、この事件は冤罪事件と見られており、そういう意味では、狭山事件も未解決事件とも言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死刑になる殺人などの公訴時効は[[2005年]](平成17年)[[1月1日]]施行の改正刑事訴訟法により「15年」から「25年」に改正。さらに、[[2010年]](平成22年)[[4月27日]]施行の改正刑事訴訟法により殺人、強盗殺人は公訴時効が廃止されたため、公訴時効が完成することがなくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 野本綾子ちゃん(5歳) ===&lt;br /&gt;
[[6月6日]]午後6時過ぎ、宮﨑は[[東京都]][[江東区]]の公園で遊んでいた会社員(当時37歳)の長女で保育園児の野本綾子ちゃん(5歳)に「写真を撮ってあげる」と言ってラングレーに誘い入れ、約800メートル離れたプレハブ倉庫前路上で車を止め、チューイングガムを与えると、手の障害のことでからかわれたので、車の中で絞殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
帰る途中、[[杉並区]][[高円寺]]南のレンタルビデオ店でカメラなどを借り、午後9時ころ帰宅。午後11時ころ、綾子ちゃんの遺体を車のトランクから自室に運び込み、電気こたつの上に乗せ、全裸にして体を拭いたあと、陰部に指を入れるなどしてビデオや写真を撮影した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月8日]]、綾子ちゃんの遺体の悪臭がひどくなってきたので、遺体の頭部、両手足を切断、髪の毛や歯を抜き、胴体部分を埼玉県飯能市の宮沢湖霊園の公衆トイレ脇に、頭部は自宅近くの御獄山に棄てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月11日]]、飯能市の宮沢湖霊園の公衆トイレ脇からバラバラ死体の胴体部分が発見された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月12日]]、前日に発見された遺体は胃の内容物などから野本綾子ちゃんと断定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月13日]]、[[新潟県]][[柏崎市]]の[[佐藤宣行]]（当時26歳）が柏崎市で下校中の小学4年生(当時9歳)の女児に乱暴しようとして逮捕され、[[9月19日]]、[[新潟地裁]]長岡支部で懲役1年・執行猶予3年の有罪判決を受けた。この頃には、宮﨑が幼女4人を誘拐して殺害したとして日本中が騒然としていた時期であった。それにもかかわらず、警察は佐藤宣行を前歴者リストに登録せずに放置していた。この事件から1年と5ヶ月後の[[1990年]](平成2年)[[11月13日]]、28歳になった佐藤宣行は今度は[[三条市]]で当時小学4年生(当時9歳)の女児を車で連れ去り、自宅2階の自室に9年2ヶ月に渡り監禁した。佐藤宣行の名前が前歴者リストに登録されていたら、この女児が行方不明になった時点で、佐藤宣行が最重要人物として浮上していたはずである。[[2000年]](平成12年)[[1月28日]]、19歳になっていた少女は柏崎市保健所職員により発見、保護された。[[2003年]](平成15年)[[7月10日]]、[[最高裁]]で佐藤宣行に懲役14年が下り、確定した。ちなみに佐藤宣行と宮﨑は同じ[[1962年]](昭和37年)生まれ(佐藤宣行は[[7月15日]]生まれ、宮﨑は[[8月21日]]生まれ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月27日]]ころ、[[御獄山]]へ行って綾子ちゃんの頭蓋骨を拾い、自宅の印刷工場の流し台で頭髪をむしって水洗いし、そのあと一部を東京都[[奥多摩町]]梅沢の山林に、一部を奥多摩町河内の山林に棄てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==　宮崎逮捕 ==&lt;br /&gt;
[[7月23日]]午後4時半過ぎ、宮﨑は小学1年生の女の子(当時6歳)に、「写真を撮らせてくれない？」と近づき、その場で数枚を撮影した後、自分の車に乗せ、八王子郊外の山林に連れ込み、全裸にしてビデオを撮ろうとしていたところを、尾行してきた女の子の父親に見つかって、通報で駆けつけた八王子署員に強制わいせつで逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月7日]]、[[東京地検]]八王子支部は宮﨑をこの件で猥褻誘拐、強制猥褻罪で起訴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月9日]]、野本綾子ちゃん殺害を自供。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月10日]]、自供通り、東京都奥多摩町の山林で野本綾子ちゃんの頭部が発見される。同日、マスコミが宮﨑の自宅に押しかけ、宮﨑の父親が宮﨑の自室を公開した。約6000本のビデオと多数のマンガが部屋中を埋め尽くし、窓までつぶしてしまった異様な光景は人々に衝撃を与えたが、以後、宮﨑は「オタク」と呼ばれるようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
のちに宮﨑が逮捕され、部屋から計5,793本のビデオテープが押収されることになるが、捜査員は「とにかく何が映っているか」を確認するため、74人の捜査員と50台のビデオデッキを投入したにもかかわらず、2週間もかかってしまった。宮﨑自身が撮影したり、録画した事件関連のものが計88本あったが、残りは次の5つに大別されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;P align=left&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
    size=3&amp;gt;○[[スプラッター]]作品を含む[[ホラー]]もの作品――『[[血肉の華]]』『[[ピーターの悪魔の女医さん]]』『[[ギニーピック]]』・・・&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;P align=left&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
    size=3&amp;gt;○[[アニメ]]作品――『[[宇宙戦艦ヤマト]]』『[[タイガーマスク]]』『[[いなかっぺ大将]]』『[[ゲゲゲの鬼太郎]]』『[[魔法使いサリー]]』・・・&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;P align=left&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
    size=3&amp;gt;○[[特撮]]モノ作品――『[[ウルトラマン]]』『[[仮面ライダー]]』『[[秘密戦隊ゴレンジャー]]』・・・&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;P align=left&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
    size=3&amp;gt;○テレビドラマ作品――『[[太陽にほえろ！]]』『[[隠密剣士]]』『[[コメットさん]]』『[[女王陛下の００７]]』・・・&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;P align=left&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
size=3&amp;gt;○アイドルもの作品――『[[松田聖子]]』『[[ピンクレディのすべて]]』『[[後藤久美子]]』・・・&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;P align=left&amp;gt;&amp;lt;FONT &lt;br /&gt;
    size=3&amp;gt;この他にも数は少ないが、『ＣＦ』とタイトルをつけたコマーシャルもの、プロレスやテニスなどのスポーツ中継、アフリカの自然に生きるライオンやキリンなどのテレビドキュメンタリー番組まであり、捜査員も首をひねるような「マニアックな作品」も少なくなかった。&amp;lt;/FONT&amp;gt;&amp;lt;/P&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月11日]]、[[警視庁]]の「野本綾子ちゃん誘拐・殺人・死体遺棄事件捜査本部」は宮﨑を再逮捕し、身柄を八王子署から深川署へ移した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8月13・14日、今野真理ちゃんと難波絵梨香ちゃんの殺害を認める上申書を深川署長宛てに提出。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月21日]]、宮﨑が27歳になる。宮﨑の自宅から押収された約6000本のビデオテープの中から今野真理ちゃんの遺体を撮影したビデオテープが発見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月23日]]、野本綾子ちゃんを撮影したビデオテープが発見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月24日]]、宮﨑は[[東京地検]]の総務部診察室において、嘱託医の[[徳井達司]]医師から「簡易精神鑑定」を受けた。これは被疑者に精神障害の疑いが生じたときに、鑑定留置が必要か否かを決めるためである。ちなみに、徳井達司精神科医は[[1980年]](昭和55年)11月に起きた「[[予備校生金属バット殺人事件]]」の被告人だった[[一柳展也]]の精神鑑定を[[福島章]][[上智大]]教授ととも1年余りに渡って行った医師でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 簡易精神鑑定 ==&lt;br /&gt;
診断の結果、精神分裂病の可能性はまったく否定はできないが、現在の段階では、人格障害の範囲と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（１）表情とぼしく、応答寡言で遅滞するが、話題によっては比較的円滑に応答し、自ら説明するときは雄弁になるところもある。この点は質問によっては反撃するとか考えながら応答する。また、同一内容の質問に対して、応答内容が変化することなどから、きわめて防衛的であるとともに、攻撃性がいちじるしいためと解される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）問診の過程で、当初、異性に対する性的な興味はまったくないとし、犯行後の被害者に対する性器の悪戯も女性性器に関する知識を得るためと、一見異質と思われる理由を述べたが、再質問では成人女性の性器に興味があること、正常な性行為を欲求する気持ちのあることを述べ、思考伝播体験（自分が考えつくと同時に他人に感知されたと思い込む妄想）については、再質問では否定した。また、注察関係妄想（他人から観察されていると思い込む妄想）に相当する体験は、小学校当時から変わらないと述べ、分裂病では通常その年代では起こりがたいこと、結果的には上肢の運動障害に起因する精神的外傷・劣等感に帰着すると、合理的に納得できることなどから、仮にその体験が真実であったとしても、分裂病をただちに診定するのは相当ではないと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（３）そうしてみると、犯行はやはり性的欲動が中心にあると思われるが、幼児を対象としていること、行為の冷酷非常さが問題となる。その成因については、以下の点が考えられる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（ア）被疑者は生後、両上肢に運動障害が認められ、幼児期より深刻な精神的苦痛をともない、精神的外傷となっている。また、そのため交友、生活態度にも影響を与え、非社交的・自閉的傾向をもつ人格を形成するとともに、深い劣等感・対人不信から、攻撃性も醸成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（イ）これらは発達上、制的成熟にも重大な影響を与え、女性との通常の異性関係を断念して、映像や雑誌に関心を集中させているが、成長するにおよび次第に実際の女体に触れることを求め、本件の動因を形成したと考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（ウ）幼児を対象としているが、本質的な性倒錯は認められず、幼児・老人・動物その他の性対象を否定し、露出・サディズムなどの性目標の倒錯も否定している。したがって、幼児を対象としたことは、代替であること、現在の性的処理は集約され、自己愛的であることが言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（エ）このような性的関心の中で相手にされやすい幼児を自らの欲動を達成するために殺していると思われ、その後の行為もきわめて非情なものとなった。この点は（イ）にあげた成育史上の発達障害として、惰性のいちじるしい未熟があげられる。被疑者は、小動物に残酷と思われる行為が年少時から指摘されており、本件についても簡単にそれらの行為を重ね、深刻な悔悟・内省もみられない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上により、敏感関係妄想（他人の表情や態度、周囲の出来事を敏感に自己に結びつけて固執する妄想）様の態様は否定しえず、分裂病を最終的に否定することもできないが、現在認めうる所見からは、人格障害の域にあるものと思料される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逮捕後の経過 ==&lt;br /&gt;
[[9月1日]]、警察庁が一連の幼女殺害事件を広域重要「117号事件」に指定した。犯人逮捕後の指定は異例である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月2日]]、東京地検が「野本綾子ちゃん事件」で宮﨑を起訴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月5日]]、吉沢正美ちゃんの殺害を自供。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月6日]]、自供通り、東京都五日市町の山林で吉沢正美ちゃんの白骨死体が発見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月8日]]、埼玉県警が今野真理ちゃん殺害事件で宮﨑を再逮捕し狭山署へ護送。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月13日]]、東京都五日市町の山林で今野真理ちゃんの手足の骨などが発見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月22日]]、東京地裁が国選弁護人として、[[第2東京弁護士会]]所属の[[鈴木淳ニ]]弁護士、[[岩倉哲ニ]]弁護士を選任した。鈴木淳ニ弁護士は[[1968年]](昭和43年)の連続射殺事件で4人を殺害した元死刑囚の[[永山則夫]]の弁護人でもあった。宮﨑は国選弁護士を私選弁護人に切り替えて欲しいと父親に頼んでいたが、父親は被害者の遺族の心情を察し、「それでは被害者に申し訳ない」とあえて息子の要望を断った。だが、当初、大したことがない事件だと聞かされていた父親が息子にお灸を据えるという意味と、親の顔に泥を塗ったことへの怒りから、息子のために弁護士なんか雇わなくていい、と思ったというのが実情らしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月29日]]、埼玉県警が「吉沢正美ちゃん事件」「難波絵梨香ちゃん事件」で宮﨑を逮捕。同日、東京地検が「今野真理ちゃん事件」で宮﨑を起訴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月19日]]、東京地検が「吉沢正美ちゃん事件」「難波絵梨香ちゃん事件」で宮﨑を起訴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 宮崎の生い立ち ==&lt;br /&gt;
[[1962年]](昭和37年)[[8月21日]]、宮﨑勤は東京都[[青梅市]]の公立総合病院で体重2,165グラムの[[未熟児]]として生まれた。祖父が体の弱かった息子（宮﨑の父親）のようにならず、もっと力強い子に育ってほしいと願って、わざわざ「力」という文字の入った「勤」という字を名前にした。ちなみに、「みやざき」は「宮崎」ではなく「宮﨑」と書くらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑が生まれたとき、家には祖父母と両親、結婚前の叔母3人が住んでおり、同じ町内には数軒の親戚がいた。のちに3歳と8歳違いの2人の妹ができる。宮﨑は神経が過敏で世話の焼ける赤ん坊だった。寝つきが悪く、ちょっとした物音ですぐ目を覚まし、手足を震わせ、よく泣いた。そんなときにあやすのは祖父と、勤が生まれて数ヵ月後に住み込みで子守り役となった「茂兄ぃ」（仮名）だった。茂兄ぃはこのとき30歳くらいだったが、子どものとき、[[脳性麻痺]]を患って、両脚の不自由さに加えて、読み書きや計算ができない、という程度の精神障害があったが、「子どもと同じ気持ちになって遊べる人」と評判は良かった。祖父は宮﨑の手を引いて畑や川、山に連れて行った。飼っていた犬の「ペス」が一緒のこともあった。飼い犬はその後、何度か代わっているが、どれも「ペス」と呼ばれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
曾祖父が村会議員、祖父は町会議員、父親も[[PTA]]会長や地元消防団副団長の任に就くなど、宮﨑家は地元の名士であり、経済的にもかなり裕福であった。また、自宅は敷地が1000平方メートルと広い上、周囲をさらに広々とした畑地に囲まれ、前方には緑あふれる丘陵、裏手には秋川の清流という自然に恵まれた場所にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
祖父は旧五日市町で絹織物業を興して成功していたが、工業高校を卒業した父親はその先細りを見越して廃業し、[[1954年]](昭和29年)9月、印刷会社「新五日市社」を設立し、新聞の折り込みのチラシ広告を印刷していたが、[[1957年]](昭和32年)1月には、五日市町を中心に周辺市町村をエリアとする週刊のミニコミ紙『秋川新聞』を創刊した。[[タブロイド判]]16ページで紙面の約7割は周辺の企業などに呼びかけて集めた広告だったが、月600円の定価で約3500部を発行した。週1回の発行を守り、黒字経営であったが、宮﨑が野本綾子ちゃん事件で再逮捕される直前に出した[[1989年]](平成元年)[[8月6日]]付の第1727号が最後となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑が生まれてから3年後、両親は宮﨑が両手の掌を上に向けて、「頂戴」の仕草ができないという先天性の障害があることに気付いた。病院で診察を受けさせた結果、「両側先天性橈尺骨癒合症（とうしゃくこつゆごうしょう）と診断された。この障害は詳しい病態や原因が明らかになっておらず、日本では過去に150例しか報告されていないという極めて希な病気であった。その際、両親は医師から「手術しても100人に1人くらいしか成功しない。日常生活に支障がないのなら、手術するにしても、もっと大きくなってからのほうがいいだろう」と言われ、それ以上の治療を受けさせず、結果的にそのまま放置してしまったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1967年]](昭和42年)4月、宮﨑は4歳半で、バスで1時間もかかる隣町の私立秋川幼稚園に通うことになった。この幼稚園で、宮﨑はおやつをもらうとき、頂戴という掌の格好ができないのでひったくるようにしてもらった。お遊戯では「お手（てて）つないで」も「ぎんぎんぎらぎら」もできず、地獄の時間だったと供述している。先生も掌のことに気付いているのに放っていたし、他の子からも「あれ、変だ」とよく言われ、そのことで一人で悩み、掌を壁に叩きつけたりしたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、茶碗を持つのに指が充分に回らないため、側面を挟んで支えるような格好でしか持てなかったし、手首が返らないことからチリ紙がうまく使えず、用便の度に苦労したという。買い物に行っても釣り銭をうまく受け取ることができず、ボロボロと下にこぼした。そのため、お使いを嫌がったし、一人で買い物するときはお釣りが出ないように、1円単位まで小銭を用意していた。計算違いなどでお釣りが出たときはわざと相手の手を払って、地面に落ちた釣り銭をわしづかみにして走って逃げたという。宮﨑は掌のことについて両親に訊いたことがあったが、具体的な説明をしてくれなかった。それ以来、こんな掌になったのは両親のせいだと思うようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1969年]](昭和44年)4月、宮﨑は五日市町立[[五日市小学校]]に入学したが、掌の障害を一人で悩み、内向的な性格で協調性がなかったため、なかなか友達ができずにいた。放課後も一人で過ごすことを好み、自室にこもってマンガ本を読み耽ったり、一人でゲームを楽しんでいた。この辺りで小学生のころから自分の部屋を持ち、専用のテレビを持っていたのは宮﨑だけで、近所の主婦も宮﨑が外で友達と騒いでいる姿を一度も見たことがないという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
学校では怪獣に詳しく、「怪獣博士」と呼ばれていたが、決して“クラスの人気者”ではなかった。学業成績は全児童約150人のうち30番前後で、欠席日数は2年生のときに風邪などで12日間あったほかは1～7日間と多くない。&lt;br /&gt;
小学4年のとき、宮﨑は「うちのことを作文に書きなさい」と先生に言われ、次のような文章を書いている。印刷の工程は詳しすぎるほど書かれているが、家族の姿がまったく登場しない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜うちの工場で、秋川新聞を作っている。タイプでうったのを紙にはって、薬をぬって、コールタみたいなものをきかいのローラーにぬって紙をはる。そして、土曜日にくばりに行く・・・・・・＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1975年]](昭和50年)4月、宮﨑は町立[[五日市中学校]]に進学したが、相変わらず独りぼっちだった。宮﨑の父親は宮﨑が中学に入学してすぐの頃、宮﨑を呼んで、火傷で手の自由を失いながら、偉業を達成した人物の野口英世の話を始めた。「お前は内向的な性格だし、将来は[[野口英世]]みたいになるべきじゃないか」と。第2次精神鑑定を担当した内沼鑑定人（帝京大学文学部教授）から手の治療を怠ったことを指摘されて、父親は「ともかく、大したことではないと思っていた。日常生活に支障はない、と言われたのが決定的で・・・・・・。当時、[[サリドマイド児]]の問題が出ていたので、同じように思われるのが嫌だったが、すぐに忘れた」と供述している。内沼鑑定人は対処すべきときに何もせず、それを後から持ち出す父親の姿勢にこそ問題があると見ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学の友人や同級生の男性は当時の宮﨑について次のように供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「1、2年のとき、陸上競技、3年のとき、将棋クラブに入っていた。将棋は強かったがたまに負けると、顔を歪めるようにして、物凄く悔しがった。書店で将棋の本をどっさりと買い込み、腕を磨いてから必ず、再挑戦するほど負けず嫌いだった。おとなしい性格だが、1年のとき、通信教育で空手をマスターしたといってみんなの前で技を披露したことがあった。今思えば、あれは我々に対する威圧だったのかもしれない。そんな奴だから、後に同窓会があっても、宮﨑が出席すると言うと、それなら行かないという者が結構いた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「宮﨑も入れて数人でボウリングをしに行ったとき、宮﨑が突然、好きなテレビマンガ『[[科学忍者隊ガッチャマン]]』が最終回なので、一旦帰るわ、と言って、途中で帰ってしまったことがあった。宮﨑は発売されてすぐの二十数万円もするビデオデッキを買ってもらっていたが、番組の途中に挿入されるＣＭを入れないで録画しないと気がすまないらしく、わざわざ自宅に帰って録画した。番組が終わると戻ってきて何食わぬ顔でボウリングを続けた。自分勝手だけど、それ以上に要領のよさを感じた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「中学時代は男の子同士で女の子のことを、あの子は可愛い、俺の好みだ、と言ったりするでしょう、でも、宮﨑とはそういう話をしたことがなかった。少々、エッチな話をしても全く乗ってこなかった。無口でおとなしいので目立たないし、気持ちを表面に表さないから、何を考えているかが全く分からない」&lt;br /&gt;
学業成績は在校生約230人中の20番前後と優秀で、中学1年のとき、英語と数学の学習塾に通わせたり、英数2科目の家庭教師を付けたこともあって、英数の成績は良かったが、社会と国語の成績は悪かった。欠席日数は3年生のとき、[[インフルエンザ]]で7日間休んだだけで、1、2年はゼロだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1978年]](昭和53年)4月、宮﨑は東京都[[中野区]]の[[明治大学付属中野高等学校]]に入学し、高校のある[[東中野駅]]まで片道2時間かけて通学した。宮﨑は明大中野高校を志望した理由を、家族を含め周囲の人には明大文学部に進学して英語の教師になるのが夢だと説明し、遠い高校を選んだことについては、掌の障害を気にして女生徒がいない男子校にしたのだという。ちなみに、[[1968年]](昭和43年)の連続射殺事件で4人を殺害した元死刑囚の[[永山則夫]]も明治大学付属中野高校出身（ただし永山は定時制中退）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の宮﨑について同級生の話をまとめると次のようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「銀縁メガネをかけた薄気味の悪い奴で、休み時間でも机にかじりつき、盛んにノートにシャーペンを走らせて、何かコソコソやっている。最初は勉強家かなと思っていたが、成績は中の下と大したことはないし、通学の電車内でも一人外れて、級友たちの話をじっと聞いているだけ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「授業中に先生に指名されると、緊張で声がワナワナと震え、オドオドして口篭もったりしていた。いつも落ち着かない眼差しでキョロキョロと周囲を見たり、先生に叱られたときなどはビクッとしてブルブル震えていた。何しろ暗い奴で、休み時間に他の奴らが騒いでいても一人で居眠りしているかノートにマンガを描いていた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「怒りっぽくて、滅多に笑顔なんか見せない奴だった。それがあるとき、教室に飛び込んできた虫を宮﨑のほうに押しやり、踏んでみろとからかったら、躊躇なく踏み潰し、ニヤッと笑ったんでゾーッとした覚えがある」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑は掌の障害のことで精神的に疲れ、さらに長距離通学による肉体的疲労が重なって帰宅するとカバンを放り投げて、大の字になって寝るようになった。自宅ではほとんど勉強せず、自室にこもってビデオ録画したり、マンガ本を読み耽った。さらに、一時、[[パズル]]や[[ルービックキューブ]]に熱中して、家族ともほとんど口をきかなくなり、やがて自分の表情を出さず、意思表示もしなくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3年のときの成績は56人のクラスで40番前後だった。中学と同じく、英語と数学は成績が良かったが、社会科は苦手であった。のちの[[慶応大学]]出身の6人の学者グループによる宮﨑の精神鑑定で、心理的傾向性を探るテスト中に[[原子爆弾]]の話になり、「日本のどこに落ちた？」という問いに、宮﨑は「歴史は興味ねえ」「社会科、興味ねえ」などと答え、ヒントを与えても結局、「広島」「長崎」とは答えることができなかったほどであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑は明大への推薦入学を希望していたが、どの学部も推薦入学は不可能であった。欠席日数は3年間で計25日とさほど多くなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1981年]](昭和56年)4月、宮﨑は中野区内にある前身が東京写真大学の[[東京工芸大学]]短期大学部の画像技術科に推薦入学した。家業を継いで「新五日市社」の仕事をするという条件で、現像焼き付けや校正、デザインなどを学べる大学に入学することになったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、宮﨑はここでも地味で目立たない存在だった。教室の隅で一人でパズルを解いたりしていた。『[[Hot・Dog・PRESS]]』([[講談社]])や『[[POPEYE]]』([[マガジンハウス]]/当時の社名は「平凡出版」、1983年に社名変更)などの雑誌に掲載されるパズルやクイズの常連投稿者になり、そのパズルやクイズの正解者として名前が載ったときは自慢することもあった。1981～1984年(昭和56～59年）の間に、『Hot・Dog・PRESS』に計13回、当選者リストに宮﨑の名前が載った。いずれも正解者多数の場合は抽選で当選者が決まるので宮﨑の応募回数はリストに載った13回より多かったに違いない。当選のたびに宮﨑はＴシャツやスポーツバッグ、映画試写会のチケットなどの商品をもらっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑はパズルのページについて、「問題のここがおかしいんじゃないか」「問題文の意味がわかりにくい」など、連日のように、担当編集者に電話をかけたりした。1年後、宮﨑は編集部でパズル解答葉書の採点と整理の[[アルバイト]]を募集したときに、そこで10日間働いた。その少しあと、『Hot・Dog・PRESS』が読者から創作パズルを募集したことがあったが、宮﨑は30通ほどの自作パズルを送ったり、じかに持ち込んだりした。だが、採用され雑誌に掲載されたのはひとつだけだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1982年]](昭和57年)4月、2年生になった宮﨑はグラフィック・アートクラスに進んだ。宮﨑は短大の友人と[[テニス]]の試合を観に行くうちに、若い女性の[[パンチラ]]姿に興味を抱き、そうした写真を撮るようになった。その友人と一緒に[[武蔵野市]][[吉祥寺]]に遊びに行ったとき、2人連れの高校生と知り合い、4人でデパート内の喫茶店でチョコレートパフェを食べるなど楽しいひとときを過ごした。2回目は[[井之頭公園]]に行き、記念写真を撮ったりした。だが、3回目のデートに女子高生たちは来なかった。若い頃にはよくあることで、フラレてしまったのだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのとき、宮﨑は井之頭公園で偶然、「リカちゃん」という小学3年生の女児と会い、仲良くなった。「リカちゃん」は「抱っこして」とか「おんぶ」と甘えたので宮﨑も楽しそうで、すっかり友達になったのである。夕方、井之頭公園で別れるとき、「リカちゃん」はしきりに宮﨑の方を振り返っては何度も一生懸命に手を振っていたし、宮﨑も寂しそうであった。その様子を間近で見ていた友人は「宮﨑は小さい子とは波長が合うんだな」と感じた、と後に語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月1日]]に放映された[[NHK教育テレビ]]の若者向け番組『YOU』(司会・[[糸井重里]])のスタジオ収録に、宮﨑は友人と出かけ、画面にチラっと姿を見せている。カメラマンの[[篠山紀信]]をゲストに迎え、カメラマンの卵たちと「いまカメラマンを目指す君たちに」をテーマに話し合う討論番組だったが、宮﨑はマイクを持ったアナウンサーが近づくと、他の出演者の後ろに隠れ、結局、ひと言も発しなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1983年]](昭和58年)3月、短大を卒業。同じ大学の短大部画像技術科を卒業した同級生の中に、タレントの[[川﨑麻世]]がいるが、川﨑は事件当時、マスコミの取材に対し、「僕は記憶力がいい方だし、クラスは全部で80人ほどだったから、忘れるはずはないんだが、そんな奴いたかって感じなんだ。同級生に聞いてみたけど、誰も覚えていなかった」と答えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月、宮﨑は父親の懇願を受けた叔父（父親の弟）の紹介で東京都[[小平市]]の印刷会社に就職した。宮﨑は印刷機のオペレーターとして色調整や紙の補充、印刷物の梱包などを担当した。これらの作業は決して複雑でも難しくもなかったが、宮﨑の勤務態度は無気力で怠慢であり、宮﨑に対する同僚らの評判は散々なものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1985年]](昭和60年)、宮﨑家で大がかりな改築を行った。茶の間が近代的なダイニングキッチンに変わり、そこには新しいテーブルが置かれたが、そのテーブルにはイスが４つしかなかった。祖父母を含め7人の家族が一緒に食事することを最初から考慮に入れていなかったことになる。内沼鑑定人は宮﨑について「多重人格（解離性同一性障害）」という鑑定結果を出したが、イスが4つしかないテーブルは家族がバラバラである宮﨑家を象徴しているとして、「解離性家族」と表現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1986年]](昭和61年)1月、宮﨑が23歳のとき、原因不明の左顔変形の神経マヒにかかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月、宮﨑は依願退職させられ、3年間のサラリーマン生活は終わった。その後、宮﨑は自室にこもって出てこなくなった。父親が工場の仕事を手伝わせようとしても、働く意欲は全くなく、短大や印刷会社で充分に技術を習得せずに終わったため、ほとんど何もできなかったというのが実情だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月、運転免許証を習得する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9月、宮﨑は家業を手伝うようになったが、その仕事内容はチラシ広告の原稿取りや刷り上ったチラシ広告を新聞配達店に届けることくらいで、後に『秋川新聞』の配達もするようになったが、午前中に仕事が終わり、午後は暇だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑はこの頃、アニメの同人誌を約500部作るなど漫画の世界にも興味を示したが、ここでも仲間から嫌われ、同人誌は1号だけで終わっている。父親は宮﨑に勤労意欲を高めてもらうために、隣りの[[秋川市]]に支店を出し、任せるつもりでいた。さらに、結婚もさせるつもりで、4月から11月にかけて4回、見合いをさせている。その相手は同業者の娘が多く、父親は渋る宮﨑を同業者同士の義理もあるからと説得して何とか出席させたが、宮﨑は最初に、「どうも」と言ったきり下を向いてほとんど相手と話をしなかったため、全て相手から断られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12月末、母親が宮﨑に外回りの仕事用に使う目的で現金で約180万円を払ってダーク・グレーの[[日産ラングレー]]を買い与えた。仕事内容からすれば50ccのバイクで充分であったが、車を買ったのは家業を継ぐ決心をしてくれた宮﨑への感謝の気持ちだった。宮﨑は当時、既に使用が禁止されていたモス・グリーンのフィルムを車の窓ガラスに貼り、外から中が見えないようにした。この当時の宮﨑について友人は次のように供述した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「彼は相手の都合など考えず、いきなり車で訪ねてきてドライブに誘った。だが、こっちが誘ったときには、忙しいからと、一度も応じたことがなかった。ドライブといっても景色のいいところを走るわけでもなく、運転が荒かった。車の中で話す話題もなく、ラジオやカセットを聴くだけだった。それも[[稲川淳二]]などの話す心霊現象特集の録音だったりした。消してくれ、と言ったら降りろと言われた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑は西多摩地区から都心や埼玉県へと走行範囲を次第に広げていった。車に乗ってから2年半余りでその走行距離は約4万2000キロにも上った。やがて、ビデオショップに頻繁に出入りし、数多くのビデオサークルの会員になった。サラリーマン生活を送った3年間の貯金は300万円以上になっていたが、そのほとんどを惜しげもなく、ビデオテープの収集につぎ込んでいった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ビデオサークルの会員になると、会員同士が自分の居住地域では放映されないテレビ番組の録画を代行し合うことができるメリットがあった。だが、宮﨑はここでも自分勝手な性格が災いして仲間外れになっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1988年]](昭和63年)[[5月11日]]、祖父がイヌを連れて散歩中に脳溢血で倒れ、5日後の16日に死亡した。88歳だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月21日]]、[[形見分け]]の席で親戚に暴言を吐く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月3日]]、[[四十九日の法要]]で家族と言い争って窓ガラスを割る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月から11月にかけて、五日市町内のビデオショップでテープ45本を万引きしていることが確認されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月21日]]、宮﨑が26歳になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月22日]]、今野真理ちゃんを殺害。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月3日]]、吉沢正美ちゃんを殺害。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月9日]]、難波絵梨香ちゃんを殺害。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月18日]]、宮﨑は父親に「集金した金が見当たらないが？」と問われ、激高して「バカ野郎！」と叫んで暴れ出し、父親の毛髪をつかんで激しく車のドアに頭部を叩きつけた。のちにこのことが原因で父親は入院し、頭部切開の手術を受けている。その見舞いの途中で、母親にも注意されたことに怒った宮﨑が「何だと！」とわめいてラングレーの車の中で母親に暴力をふるった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1989年]](平成元年)2月、宮﨑は埼玉県川越市のディスカウントショップでビデオテープ5巻を万引きした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月、東京都[[中央区]][[晴海]]の国際見本市会場で、全国約8900の漫画サークルが参加して開かれた[[同人誌]]の展示即売会「[[コミックマーケット35]]」に宮﨑は「Ｅ・Ｔ・Ｃ大腕」というサークル名で自作の漫画本『マンモスコング、月光仮面』を出展した。会場には約10万人の若者が訪れ、総売上は数億円に及んだが、宮﨑の作品は誰にも相手にされなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月6日]]、野本綾子ちゃんを殺害。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判詳細 ==&lt;br /&gt;
[[1990年]](平成2年)[[3月30日]]、東京地裁刑事第2部([[中山善房]]裁判長)で第1回公判が開かれた。傍聴希望者は1,591人に達したが、[[司法記者クラブ]]36席と被害者の家族など10席が優先されて一般傍聴席は50席であったため抽選となった。開廷宣言に続いて中山裁判長が人定質問を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「名前は？」「宮﨑勤」「生年月日は？」「1962年8月21日」「満で何歳になりますか？」「マンって、意味が解らない」「つまり、27歳だね。」「はい」「職業は？」「会社員」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両手をぶらりと下げて立ち、ぶっきらぼうな口ぶりだった。検察官が「起訴状」を朗読し終え、中山裁判長が「起訴状に書かれていることに、間違いないかね？」と宮﨑に訊いた。この罪状認否についてはたいていの被告人が多少ニュアンスの違いがあっても「間違いありません」と答えるところを、事前に「起訴状」を読み込んでいた宮﨑は「（綾子ちゃんの）両手と両足を投棄したというのは間違い。両手は自分で食べた。両足は家に出入りするキツネかネコに食べられたと思う」と衝撃的な発言をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[4月25日]]、第2回公判が開かれたが、この回から[[4月1日]]の異動により両陪席裁判官が代わった。そこで、中山裁判長が冒頭で「裁判所の構成が変わりました。被告人に意見があれば言いなさい」と告げると、宮﨑はすぐに立ち上がり、抑揚のない声で、「私の車とビデオを返してほしい。運転免許証も気になるので返してほしい」と訴えた。さらに、「車も油をくれないと乗れなくなるので、油をくれてほしい」と言い、中山裁判長が「あとは？」と訊くと、宮﨑は「あとは、今のところ、ない」とぶっきらぼうに答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月31日]]、裁判所が[[立川簡易裁判所]]へ出張して宮﨑の両親に尋問。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11月28日]]、第9回公判が開かれた。この公判で検察側の立証が終わり、弁護側が請求した被告人の精神鑑定を裁判所が採用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月20日]]から468日かけて宮﨑に対する精神鑑定を行うこととなった。この鑑定にあたったのが慶応大学出身の6人の学者で、医学部卒5人、文学部1人である。複数の鑑定人による精神鑑定は珍しくないが、この場合は個別に鑑定し、それぞれ鑑定書を作成する。今回の場合のように、6人の専門家による「共同鑑定」は日本では初めてであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6人の鑑定人は次の通り。&lt;br /&gt;
* [[保崎秀夫]]（慶応大学医学部教授＝精神神経医学）&lt;br /&gt;
* [[浅井昌弘]]（慶応大学医学部助教授＝精神病理学）&lt;br /&gt;
* [[仲村禎夫]]（慶応大学医学部講師＝精神神経医学）&lt;br /&gt;
* [[馬場禮子]]（東京都立大学人文学部助教授＝社会心理学）&lt;br /&gt;
* [[皆川邦直]]（東京都精神医学総合研究所副参事＝思春期精神医学）&lt;br /&gt;
* [[作田勉]]（慶応大学医学部助手＝社会精神医学）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1992年]](平成4年)[[4月27日]]、第10回公判が開かれた。法廷内に用意された大型テレビに証拠物として採用された鑑定資料のビデオテープが部分的に映された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
法廷で映し出されたビデオテープは次の通り。&lt;br /&gt;
*「チャレンジごっこ」・・・宮﨑と友人が両腕をクルクル回してスピードを競うゲームをしているところ。&lt;br /&gt;
*「美少女ＳＦアニメ」・・・アニメで中学生らしき男女のセックス、さらに殺人へと展開するシーン。&lt;br /&gt;
*「残虐シーン」・・・20歳前後の女を黒ずくめの男3人が襲って殴ったり蹴ったりしたあと、爪をはぐシーン。&lt;br /&gt;
*「タイムマシーン――悪魔の家」・・・悪魔の家に科学者が引っ越して残虐シーンに。&lt;br /&gt;
*「日曜洋画劇場」・・・テレビ朝日の映画番組から残酷なシーンを集めたもの。&lt;br /&gt;
*「午後のワイドショー」・・・「綾子ちゃん事件」を話題にしたもの。&lt;br /&gt;
*「黒の戒律」・・・アフリカ大陸の黒人が黒豹の首を切り落とすシーンがある。&lt;br /&gt;
*「真夏の夜」・・・テレビ映画番組中のホラー映画の予告編で人間の体を切断するシーンがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、弁護人が作成した宮﨑の同級生による「供述調書」が証拠として採用され、その要旨が告知された。その後、「宮﨑勤精神鑑定書」が検察官によって告げられた。弁護人が申請した鑑定を検察官によって告げられることになったのは、「刑事責任能力あり」という結果から検察側が有利になったからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第1次精神鑑定書の鑑定主文 ===&lt;br /&gt;
一、被告人は、もともと知的には問題がなく、性格は極端な分裂気質ないし分裂病質にあたり、非社交性、自己中心性、空想性、顕示性、未熟、過敏性、易怒生、情性欠如の傾向が目立っていた。さらに両手の先天的な橈尺骨癒合症（とうしゃくこつゆごうしょう）への劣等感が強く、被害的になりやすく、そのために成人女性への関心はあるものの、交際することをあきらめていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二、犯行当時は、「一」の状態にくわえて、性的興味が幼女に向けられ、収集癖とあいまって犯行におよんだものと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三、右（上）「ニ」の状態は、極端な性格の偏り（人格障害）によるもので、精神分裂病を含む精神病様状態にはなかった。したがって、犯行当時に、物事の善し悪しを判断し、その判断にしたがって行動する能力は、保たれていたと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
四、現在の精神状態は、右（上）「一」の状態にくわえて、拘禁の影響が強くあらわれており、無表情、無愛想で、簡単なこともわからず、退行したように見える面と、事態をかなり把握しているように見える面とが、混在している。家族のことや、犯行の動機・態様について、独自で奇妙な説明をおこなっているが、これらの供述は、逮捕後になされたものである。これらは、精神分裂病も疑うものであるが、総合的にみれば、拘禁反応によるものと考えるのが妥当であり、現時点では、精神分裂病（現・「統合失調症」と名称変更/以下同じ）は否定されよう。したがって、被告人の現在の精神状態は、物事の善し悪しを判断し、その判断にしたがって、行動する能力に、多少の問題はあるとしても、いちじるしく障害されている程度には至っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主任の鈴木淳二弁護人はこの「鑑定書」について次のような批判的な「意見書」を朗読した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「なぜ異常かつ残虐な犯罪が起き、被告人に罪悪感がまったくないのか、これまでの犯罪の枠を超える特異な行動を、なぜ被告人がなしたのか」について考察されていない。鑑定では、人格障害や性的興味、収集癖があいまって犯行におよんだと説明するが、死体のビデオや写真を撮り、さらに、解剖的な行為までして、衆人環視ともいえる状況下で幼女を誘い出し、殺害後も死体を隠すこともなく放置し、祖父復活の儀式を行い、骨を拾って焼いた後、被害者宅へ送りつけ、自己の犯罪報道を執拗に録画するなどして「犯行声明」を郵送するという不可解な行動を鑑定書の説明だけでは了解することができない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ということで、鑑定人を代表して出廷した保崎秀夫証人へ検察官が主尋問を行った（その一部）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　性的なことについては？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「関係ないと言って答えたがらない。『女には興味がなく、マスターベーションなどしない』と。女性の性器には興味がありながら、成人をあきらめて幼女を代替物としたようで、小児性愛や死体性愛などの傾向は見られません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　犯行そのものについては？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「被告人は、『やったというより起こった』『覚えがない、他人事だ』と言う。被害者との遭遇は否定しないが、犯行直前になると『〝ネズミ人間〟が現れ、怖くて何もわからなくなり、気がついたらマネキンのようなもの（遺体のこと）が落ちていた。落ちているものならなんでもいいから、おじいさんへの捧げ物に用いた』と」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　〝ネズミ人間〟については、捜査段階ではまったく供述していませんが？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「拘禁生活が続くうちに、反応性の妄想にもとづき、いろんなものが出たのかもしれません。『〝ネズミ人間〟が現れると、大変恐ろしい状態になる』と言う。本人は鑑定時に、机を叩いて怒鳴ったりして、涙をうかべたことがあり、やはり拘禁の影響があるようです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　精神分裂病の場合も幻覚や幻視があるのでは？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「分裂病の場合は外からハッキリ悪口が聞こえるとか、愉快ではない幻聴がある。本人をひどく悩ませるもので、いつ出てくるか分からずに不規則です。このように精神病者の妄想はいつも怖がらせる。しかし、被告人の場合は空想で〝ネズミ人間〟も犯行の直前に現れます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　犯行時に4回とも〝ネズミ人間〟が現れたというのは？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「これは分裂病の妄想とは違います。被告人の場合は精神鑑定になってから〝ネズミ人間〟が出てきた。問診のときに、〝ネズミ人間〟の絵を描いて見せています。犯行の時点にかぎって〝ネズミ人間〟が現れるのだから精神病者の妄想とは違うのではないか。・・・・・・」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　祖父が死亡したことへの影響は？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「会話のとぼしい家庭に育って自分で自分をかばってきた被告人は祖父だけが唯一の頼れる存在だったようです。その祖父が犯行の前後に現れたと言い、小動物も幼女の死体（これらを本人は〝肉物体〟と呼ぶ）も『おじいちゃんに捧げた』と言う。『虫でもカエルでも祖父にならって拾って食べた』と」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　血を飲んだり肉を食べたりするには？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「面接の当初から虫やカエルなどを拾って食べる癖があったと話してます。『幼女の指を食べたのでは？』と訊くと、『現在はおじいちゃんのために食べる』と。味覚について尋ねると、『とにかく食べたことは間違いないんだから、匂いや味などについてあれこれ訊かないでくれ。食べることに意義がある。おじいちゃんに捧げるために食べた』と具体的なことは言わずにあいまいです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――　そうした行為は本当にあったのでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「一般論として、遺骨を食べるようなことはときたまあります。被告人の｣場合、『おじいちゃんの遺骨を火葬場から出したとき、隙を見て持ち帰って食べた』と言ったりしていますが、説明がはっきりしない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第12回公判 ===&lt;br /&gt;
[[6月22日]]、第12回公判が開かれた。このときの公判で保崎鑑定人は[[4月25日]]付で[[東京拘置所]]が提出した「宮﨑勤に差し入れられた図書の一覧表」に基づいて証言した。それによると、2年4ヶ月の間に、コミック130～140冊、雑誌と書籍70冊だという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
差し入れられた書籍の中には次のような事件に関連したものもあった。&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      &amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『定本 犯罪紳士録』（小沢信男/筑摩書房）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『蜃気楼』（佐川一政/河出書房新社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『犯罪の昭和史 1』（作品社編集部編/作品社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『犯罪の昭和史 2』（作品社編集部編/作品社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『犯罪の昭和史 3』(作品社編集部/作品社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『Ｍの世代　ぼくらとミヤザキ君』（太田出版編/太田出版）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『佐川君からの手紙　舞踏会の手帖』（唐十郎/河出書房新社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『犯罪者と家族のあいだ』（山崎哲/未来社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『君は宮崎勤をどう見るか』（宮川俊彦/中野書店）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『〝有害〟コミック問題を考える』（創出版編/創出版社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『報道被害　１１人の告白』（創出版編/創出版社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『浮遊する殺意　消費社会の家族と犯罪』（岸田秀×山崎哲対談/晩聲社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『無意識と精神分析』（ジャン・ポール・シャリエ・岸田秀訳/せりか書房）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『美少女伝説　叙情画のルーツから新感覚派の誕生まで』（やなせたかし監修/サンリオ）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『宮﨑勤裁判・上巻』（佐木隆三/朝日新聞社）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
      『倒錯　幼女連続殺人事件と妄想の時代』（伊丹十三×岸田秀×福島章座談会/ネスコ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件当事者が「事件に関係のある本」を読むのは防衛権の行使として当然とも言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第15回～17回公判 ===&lt;br /&gt;
[[11月11日]]、第15回公判が開かれた。このときの公判で弁護側の証人として、コミックやアニメーションの雑誌を編集し、メディア評論家でもある[[大塚英志]](当時34歳)が出廷し証言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大塚は第1回公判から傍聴を続け、拘置所で宮﨑本人と面会して、父親に4回、母親に1回会っている。宮﨑の自宅から押収された5793本のビデオや所蔵していたコミックやアニメーション雑誌のリストから傾向を分析して「意見書」で論じている。大塚は次のような証言をした（その一部）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ビデオの収集はマニア的なものではなくそのコレクションはただ数を集めることにある。プロレス、アニメーション、ＣＭ、刑事ドラマなどが、1本のテープに入っており、コレクターとして杜撰すぎる」「拘置所から両親宛てに差し入れを求める手紙を送るとき、文面らしいものがなく、欲しいもののリストを並べている。コミュニケーションが存在せず、意見や解釈がない」「6000本近いビデオで、性的なものや残酷なものはわずか1％でしかない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11月30日]]、第16回公判が開かれた。このときの公判で弁護側の証人として、家族、女性、子どもをテーマにした著書が多い評論家の[[芹沢俊介]](当時50歳)が出廷し証言した。証言にあたり、参考にした資料は事件の冒頭陳述書、被告人、両親、関係者の供述調書、精神鑑定書で、芹沢は次のような証言をした（その一部）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「人は自分の声を自分で受け止め、その上で他者に伝える。しかし、被告人には＜自分＞がいないのではないか。後ろから見ていて体が動かない」「小さい頃からテレビに親しみ、ビデオを観ている被告人はテレビをおしゃぶりのようにしてきた。自分と対話する＜もう一人の自分＞がテレビではないのか。映像が客観視できないことが現実に起こりうる」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月18日]]、第17回公判が開かれた。この公判で裁判所は弁護人の請求に基づき、被告人の再度の精神鑑定を決定した。この第2次精神鑑定は東大グループの3人が行うことが決定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1993年]](平成5年)[[1月22日]]から678日かけて宮﨑の精神鑑定を行った。3人の鑑定人は次の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[内沼幸雄]]（[[帝京大学]]文学部教授＝精神神経科学/東大医学部卒）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[関根義夫]]（東大医学部助教授＝精神神経科学）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[中安信夫]]（東大医学部助教授＝精神神経科学）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月1日]]、第18回公判が開かれた。この公判から右陪席裁判官が代わったので更新手続きが行われ、中山裁判長が「裁判所の構成が変わりました。被告人として何か言いたいことは？」と訊くと、宮﨑は「今のところ、ない」とぶっきらぼうに答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]](平成6年)[[11月21日]]午前5時50分ころ、宮﨑の父親(65歳)が東京都青梅市内を東西に流れる多摩川へ、神代橋の上から飛び降り自殺した。遺書3通が発見されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11月24日]]、宮﨑は主任の鈴木弁護人から父親の自殺を知らされ、胸を張って「スーッとした。私を貰ったか、拾ったかして、勝手に育てたのだから、バチが当たったんだと思った」と言った。宮﨑は警察の取り調べに対して、父親と母親を呼び捨てにしていた。公判が始まり、精神鑑定が行われたときも続いている。ときには「父の人」とか「母の人」と呼ぶこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]](平成7年)[[2月2日]]、第20回公判が開かれた。この公判から田尾健二郎裁判長に代わる。前回公判から1年11ヶ月ぶりの再開である。前年の暮れに東大グループによる第2次精神鑑定の結果が刑事第2部に提出されたが、診断が2対1に分かれることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第2次精神鑑定書の鑑定主文ほか ===&lt;br /&gt;
==== 内沼幸雄・関根義夫の意見 ====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一、鑑定主文&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（１）犯行時、手の奇形をめぐる人格発達の重篤な障害のもとに敏感関係妄想に続く人格反応性の妄想発展を背景にし、祖父の死亡をきっかけに、離人症およびヒステリー性解離症状（多重人格）を主体とする反応性精神病を呈していたと解される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）鑑定時、引き続き右記（上記）の状態にあるものと診断される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二、刑事責任能力についての意見&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告人が示した多重人格に関して責任能力をどうとらえるべきなのか、日本では初めての鑑定事例となるため、慎重な姿勢が求められる。犯罪の重大さを考えれば、ヒステリー性の解離状態（一時的に意識の統合性が失われる状態）は、責任能力の減免を認める事由にはいっさいならないというのが、鑑定人の見解である。とはいえ、病歴、病像および日常行動を総合的に検討すれば、被告人は犯行時、善悪是非の弁識能力も、その弁識にしたがって行動する能力もともに若干減弱していたと考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 中安信夫の意見 ====&lt;br /&gt;
一、鑑定主文&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の精神状態は、（１）犯行時からの精神分裂病（破瓜型）、（２）収集癖、（３）犯行時に生じた拘禁反応の三者によって構成されたものである。&lt;br /&gt;
（１）の精神分裂病（破瓜型）は高校時代ないし印刷会社を退職する以前に、きわめて潜勢的に発病した。その後、集中力・意欲の低下、情性欠如という形での感情鈍麻が進行し、注察念慮（他人から観察されると思い込む妄想）、関係・被害念慮（周囲が自分の悪口を言っていると思い込む妄想）、被注察感が断続的に出没していた。祖父の突然の死はいささかの心理的動揺を与え、易怒性・攻撃性の亢進が強まった。しかし、分裂病が明確に増悪したのは前鑑定の終了後から本鑑定の開始前の間である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）の収集癖は祖父が死亡する数年前に発し、その死亡後に亢進したものであるが、それは祖父や父と同じように、生まれつきの性癖と考えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（３）の拘禁反応は簡易鑑定の終了後から前鑑定の初期の間にあらわれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上のうち、収集癖はいまも持続しており、精神分裂病（破瓜型）と拘禁反応はなお、増悪・進展しつつある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二、刑事責任能力についての意見&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行時において、是非善悪をする能力はほとんど完全に保たれていたが、行為に対する制御能力の一半に欠けるところがあった。司法精神的にいえば、これは広く心神耗弱に相当するものであるが、免責される部分は少ないと考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2度の精神鑑定結果 ===&lt;br /&gt;
結局、第1次と2次精神鑑定で「人格障害」「多重人格」「精神分裂病（破瓜型）」と3つの異なる結果が出たことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内沼鑑定人の法廷証言によると、宮﨑には、（１）宮﨑自身で、非常に幼稚な半面、哲学者みたいな人格が混在する人物（２）子どもで衝動的な殺人者（３）冷静な人物（４）今田勇子として、犯行声明文と告白文を書いた人物（５）第１次鑑定の鑑定人に＜私はあなたを断る＞と書いた人物――の5つの人格が出ているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、「多重人格（解離性同一性障害）説」については当時、日本の精神医学界では認められていないものであった。さらに、内沼、関根の両鑑定人は多重人格の専門家ではなく、多重人格説が認められている米国で行われているＤＥＳ（解離体験尺度）のテストを行っていなかったこと、解離性同一性障害を正確に見極めるには平均で7年間かかると言われ、時間的に足りなかったことなど、鑑定そのものに問題があったともいえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノンフィクションライターの[[吉岡忍]]は宮﨑の事件を取材し、『[[Ｍ/世界の、憂鬱な先端]]』([[文藝春秋]]/2000)というタイトルで単行本として刊行したが、次のような宮﨑の精神鑑定書についての記述がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜私は公判のあいだ、簡易鑑定書をふくめると四種類の「宮﨑勤精神鑑定書」を通読し、さらに何度も読み返した。全部で1300ページもある。読むたびに、何度もくらくらし、ため息が出た。量が多かったからではない。いささか批判がましい言い方をすれば、そのあまりの不統一、手抜き、いい加減さ、強引さに、正直言って驚いたからだった。・・・（中略）・・・精神鑑定が精神医学にふくまれるとすれば、これもひとつの医学であり、科学の一分野だと、私はなんとなく信じてきた。しかし、これだけまとまりがないとすれば、いったいこれは科学と言えるだろうか。これでは鑑定結果の根拠がどこにあるのか、結論の相違はどこから、なにゆえに生じたのか、議論のしようがない。くらくらし、ため息が出たのはそのせいだった。ただ、ひとつ、私にもわかったことがある。これだけなにもかもちがえば、鑑定結果がちがってくるのも当たり前だ、ということだった。（以下、省略）＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鑑定書がいかに「不完全」であるかを、全部で4ページ余り（同タイトルの文庫本で）に渡って、例を挙げて具体的に説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第38回公判　判決 ===&lt;br /&gt;
[[1997年]](平成9年)[[4月14日]]、東京地裁で第38回公判が開かれた。この日は判決が言い渡される日である。58枚の一般傍聴席を求めて842人が並び、第1回の1591人に次ぐ人数だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死刑判決を言い渡す場合は、先に「主文」を言い渡すと、被告人が動揺してきちんと「理由」を聞かないために後回しにする慣例がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
田尾裁判長は「開廷します。今日は判決を言い渡すので・・・・・・」と言い、ひと呼吸おいて「主文」と言った。だから、一瞬、死刑判決ではないのか、と思った人もいたはずだが、そのあと「被告人を死刑に処する」と続けた。そのあと被告人を着席させ「理由」を読み聞かせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
田尾裁判長は犯行当時の宮﨑の精神状態について「性格の極端な偏り（人格障害）以外に精神病的な状態にあったとは思われない」とした保崎秀夫慶応大名誉教授らの鑑定を採用し、責任能力を全面的に認めた。その上で「動機は性的欲求などであり、あさましいというほかない。人の尊厳を踏みにじる犯行には目を覆うものがあり、極刑を選択するしかない」と判決理由を述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内沼鑑定について「公判での供述をそのまま犯行時の体験と理解した基本的姿勢には疑問がある。同様の犯行が4度も繰り返されたことにも照らすと、人格変換をうかがわせる形跡は見当たらない」として、退けた。中安鑑定についても「手の障害に起因する被害感や劣等感を分裂病の症状とみるには疑問がある」などとして、採用できないとした。また、宮﨑被告の不可解な法廷での発言については「拘禁の影響による妄想的説明」とし、こうした異常性の発現時期を逮捕、拘置後と判断した。犯行の動機については「捜査段階の自白調書は自ら遺体遺棄現場を明らかにするなど、信用性が高い」として、性的欲求に加え、幼女をビデオ撮影して収集したいとの気持ちを指摘した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 東京地裁での死刑判決の判決要旨 ====&lt;br /&gt;
一、被告人の捜査段階における供述と公判段階における供述の信用性&lt;br /&gt;
（１）被告人の本件一連の犯行は、直接には幼女らを対象にしたものではあるが、被告人の女性性器自体に対する興味、幼女らを含む女性に対する強い性的関心、男女の性交に対する興味等の総体に根ざす性的欲求の充足を動機・目的とした犯行であり、女性性器等をビデオ撮影するなどして収集したいとの気持ちに動機付けられた面もあったこと&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）本件各犯行は、周囲から見とがめられないように配慮しつつ、カメラマンを装うなどしたりして幼女らに近付き、言葉巧みに話し掛けて同女らの警戒心を解いた上、巧みに車内に誘い込み、あやすなどしながら人目に付かない山中等まで連れ去るなど冷静で巧妙な手口の犯行であること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（３）今野真理事件については、わいせつ目的で幼女らを探しているうちに今野真理を見付け、周囲に人目がなかったことから誘拐の犯意を抱くに至ったもの、吉澤正美事件、難波絵梨香事件及び野本綾子事件については、わいせつ目的で幼女らを誘拐しようとの意図で幼女らを探しているうちに、吉澤正美、難波絵梨香及び野本綾子らを見付け、周囲に人目のない機会をとらえて誘拐等の犯行に及んだものと推認されるのであり、右各犯行には計画的な面があること&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（４）被告人は、本件一連の犯行についてテレビ報道等を注視して捜査情報等の入手に努める一方、報道内容に対応して、なぞ掛けを交えたり物語を創作したりして犯行を遺族や更には報道機関に告知して自己を顕示するとともに捜査のかく乱を企図し、野本綾子の死体を切断。胴体部を埼玉県内の発見されやすい場所にこれ見よがしに捨てて捜査のかく乱を図るとともに自己を顕示し、頭部を人に発見されにくい山中に捨てて犯跡の隠ぺいを図るなどしたものとみることができ、被告人の冷静かつ冷酷で、自己顕示的かつ大胆な態度をうかがわせるものであること、以上を認めることができる。そして被告人の捜査官に対する供述は、整合性に一部欠けるところはあるが、犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定しようとの態度をうかがわせるにとどまり、全体としては整合性が保たれており、信用性も高い。被告人の捜査官に対する供述によって、被害者の各遺棄現場や殺害現場などが判明するに至ったものであって、被告人の捜査官に対する供述は、捜査官がは握していなかった右のような極めて重要な事実につき自ら真実を語ったものである。被告人の供述には、体験した者でなければ語り難いと思われる内容が多く含まれている。また各犯行の自供の経緯は自然で、被告人が捜査官の意向に合わせるままに供述したのではなく、自らの判断で供述したことをうかがい知ることができる。取調官が被告人に暴行を加えるなど、被告人の意思を制圧して一方的に供述を押し付けるなどした疑いがあるとは認められず、自ら体験し記憶している事実を基にし、その中で犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定して自己の刑事責任の軽減を図ろうとの意図をも交えつつ、自らの判断で述べたものと認められ、基本的に、その信用性は極めて高いものと認められる。これに対し、被告人の公判延での供述は、客観的事実とのかい離が著しく、本件各犯行の動機・目的、態様、計画性、自己顕示と捜査かく乱の意図等との整合性にも欠ける上、弁護人と検察官からの質問に対する供述とで重要な事項につき一貫性に欠ける部分がみられ、かつ、検察官からの質問に対し殊更的を外した応答が見られるなど供述態度に率直さが欠けており、そのまま信用することは到底できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一、被告人の本件各犯行時における精神状態と刑事責任能力&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本件一連の犯行における被告人の行動は、極めて冷酷かつ非情なものであって、その意味では異常なものであるが、それなりに了解可能なものであり、被告人は、女児を連れ歩いた事件で現行犯人として逮捕されるまでの間、自己が犯人であることに直接結び付くような証拠を残すことなく、一年足らずのうちに、四回もの誘拐・殺人等の犯行を反復するとともに、大胆にも今野真理らの遺族に犯行を告知する行為を繰り返し、かつ、この間、家族等周囲の者らにも、自己の犯行に気付かれることがなく、捜査の網をかいくぐって立ち回ってきたものであって、被告人が本件各犯行当時病的な精神状態にあったことをうかがわせるような事情は見受けられない。本件各犯行当時ころに至るまでの間及び本件各犯行当時ころの被告人の生活状況等からは、被告人の、他者との協調性の欠如、自己中心的な態度、易怒性等を認めることができるが、それ以上に、被告人が病的な精神状態にあったことをうかがわせるような事情は見受けられない。慶応義塾大学教授保崎秀夫ら六名の共同鑑定意見によれば、被告人は、少なくとも、逮捕前は、奇妙な説明はしておらず、逮捕後にされた犯行に関する説明は、了解できるものであって、記憶はほぼ保たれていたと思われ、犯行時には、性格の極端な偏り（人格障害）以外に特に精神病的な状態にあったとは思われないとして、被告人は完全責任能力を有していたと判断し、鑑定時には、簡単なことも分からないと言ったり、年齢よりも子供っぽく感ぜられたり、矛盾することを述べて追求されると分からないと言ったり、一見すると退行しているように見えても、結構周囲の状況はは握しているようであり、合目的的な内容が多いことから、拘禁の影響が強く現れている状態（拘禁反応）であって、精神病状態にはないとしている。右保崎ら鑑定には疑問とすべき点はなく、簡易鑑定とも一致し、十分納得できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対し、帝京大学教授内沼幸雄及び東京大学助教授関根義夫の共同鑑定意見によれば、被告人は、犯行時、手の奇形をめぐる人格発達の重篤な障害のもとに敏感関係妄想に続く人格反応性の妄想発展を背景にし、祖父死亡を契機に離人症及びヒステリー性解離症状を主体とする反応性精神病を呈しており、心神耗弱の精神状態にあったと判断し、鑑定時も同様の状態にあるとしている。しかし、同鑑定は、被告人の公判段階における供述をそのまま犯行時の体験として理解したことによる所見であるが、被告人の公判段階の供述は拘禁の影響による妄想的説明であって、これらの症状は、真実犯行時の体験として存在したものでなく、被告人が述べる精神的諸症状も犯行時に存在したものではないから、同鑑定の所見はその基本的立場に疑問がある。同鑑定は、祖父死亡を契機として被告人が多彩な解離症状を示しているというが、祖父死亡後の被告人の日常生活を見ても、祖父に対する愛着を示す行動は若干あったものの、病的に異常な言動は認められないし、被告人が祖父の死亡によって影響を受けたことは否定し難いが、反応性の精神病を呈するほどの精神的衝撃を受けたとは思われない。また、同鑑定が指摘する人格変換（多重人格）についても、被告人の公判段階における供述が真実の体験供述ではなく、本件各犯行は、いずれも性的欲求の充足という目的に沿った性犯罪であって、被告人のかねてからの性的関心に照らして矛盾はなく、被告人に人格変換をうかがわせる形跡は見当たらないのであり、同様の犯行が四度も繰り返されていることにも照らすと、各犯行時に人格変換が生じていたとは思われないし、祖父死亡後被告人の日常生活において、周囲が被告人につき別人格の出現に気付いてこれを指摘したり、奇異に思ったりしたような形跡は見られず、本件捜査及び公判段階においても、被告人に別人格が現れたような形跡はない。したがって、内沼・関根鑑定は採用できない。次に、東京大学助教授中安信夫の鑑定意見によれば、被告人は、犯行時、精神分裂病（破瓜型）にり患しており、分裂病症状の易怒性ないし攻撃性のこう進が動因のごく一部として、情性欠如が抑止力の低下として関与したとして、心神耗弱（ただし、免責される部分は少ない）状態にあったと判断している。しかし、同鑑定は、被告人の高校時代からの関係・被害念慮、注察念慮はそのころ発病した分裂病の軽微な陽性症状で、保崎ら鑑定後に発現した家族や不明の他者への被害妄想は分裂病の明らかな陽性症状というが、高校時代に存在したという関係・被害念慮、注察念慮に関しては、被告人は、高校時代以降も破たんせずそれなりの日常生活を送っており、これらを手の障害に起因する被害感や劣等感と明確に区別して、分裂病の陽性症状とみてしまうには疑問がある。家族への被害妄想についても、両手の障害に起因する両親への強い敵意の延長上とみることができ、他者への被害妄想も拘禁状態下で被害的な心情を拡大したことによると考えられる。その他同鑑定が分裂病の陽性症状と指摘するのも、拘禁反応と区別して分裂病性の症状とみるには疑問がある。同鑑定が保崎ら鑑定の後分裂病が増悪したとする点も、保崎ら鑑定以後に被告人に周りから見て明らかな精神症状の悪化があったとはいえず、被告人の拘置所での日常の言動にも異状な変化はなく、結局、こうした症状は保崎ら鑑定の段階で既に現れていた拘禁反応による精神状態の延長として理解できる。また、中安鑑定のいう集中力、意欲の低下、感情鈍麻等の分裂病の陰性症状の進展についても、高校時代から大学卒業後竹内印刷勤務を経て家業を手伝っていたころの日常の生活、友人関係、家族への態度等をみると、同鑑定のようには評価できない。本件一連の犯行における行動は、それなりに了解可能であり、一年足らずのうちに、家族始め周囲の者に誰一人として不審を抱かれず四件の同種犯行を反復してきている上、拘禁されると、捜査段階では概ね犯行を認めたものの、公判段階で、夢のようだ、覚えていないなどと次第に犯行を否定していき、拘禁状態が続くうち妄想的な説明を漸次付加、発展させており、精神分裂病者が凶悪な犯行を犯した状態とは考え難い。さらに、中安鑑定が、犯行時分裂病による思考障害はほとんどなかったとする一方で、感情障害が著しかったとする点も、関根鑑定人の意見及び保崎鑑定人の意見に照らし首肯し難く、中安鑑定も採用できない。単純型分裂病にり患していたとの弁護人の主張も採り得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上のとおり、被告人は、本件各犯行当時、性格の極端な偏り（人格障害）以外に反応性精神病、精神分裂病等を含む精神病様状態にはなく、事物の理非善悪を弁別する能力及びその弁別に従って行動する能力を有していたと認められるのであり、完全責任能力を認めるのが相当である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一、量刑の理由&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本件一連の犯行の動機・目的は、主として、強い性的欲求に基づいており、これに遺体陵辱の場面等を撮影した他人が持っていない珍しいビデオ等を所持したいという収集欲が伴ったもので、浅ましいというほかなく、同情の余地は全くない。成人女性の代わりに、無邪気で人を疑うことを知らず抵抗する力のない幼女らを自己の欲望充足の対象にした被告人の心底はまことに卑劣である。誘拐の手口は巧妙、大胆で、殺害の方法も残忍であり、死体損壊の態様を含め、冷酷非情極まりない。殺害の態様も、まことに無慈悲かつ残忍といわなければならない。殺害前には欲望をむき出しにした姿を見せている。遺体をひもで縛ったまま山中に遺棄したり、遺体をバラバラに切断して遺棄するなど、人としての尊厳を踏みにじる態度には目を覆うものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子供を失った遺族の悲嘆、衝撃がいかに甚大であったかは言うに及ばず、その精神的苦痛は到底いやされようもない。被告人に対し極刑を希求しているのも当然である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告人は、自己の犯行に関する報道に対応して、これを遊びの題材にしつつ、子供の安否を気遣う遺族の元に遺骨を焼いて届けたり、犯行声明文や告白文等を郵送してあと一五年は捕まりたくないなどとうそぶき、遺体を切断してその一部をこれ見よがしに遺棄したりして、遺族や社会をちょう笑するなどしており、こうした被告人の反社会的な人格態度、遺族の心情を思いやることのない非情さも、決して看過することができない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、被告人は、捜査段階では一応事実を認めていたものの、公判段階では夢の中のようなことだと思うと言って自己の刑事責任を逃れようとする態度に終始するに至り、現在拘禁の影響が強く現れ、被告人の口から被害者及び遺族らに対する一片の謝罪の言葉も聞くことができない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告人は両手に生来の障害があり、両親の適切でない対応もあって幼少時から一人で悩みを抱え込み、祖父母や両親の不和など情緒的に恵まれず、長男として甘やかされ適切なしつけを受けずに成長したため、人格のゆがみを形成するに至った。これが本件犯行の背景にあると認められるとともに、同情を覚える面があることは否定できないこと、残忍さや性的興味を売りものにした映像や出版物が巷間にあふれ、幾ばくか影響を与えた面もあること、母親が被害者の氏名を紙に書いて日々祈り謝罪しながらめい福を祈っていること、被告人宅の敷地を引き当てにするなどして合計800万円を工面し、遺族らに対する慰謝の措置の一部として各200万円ずつ送金し受領されていること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世間から厳しい非難の目を向けられ、父親がその重圧に耐えかねて自ら命を絶つに至り、今は母親と妹二人がひっそりと身を寄せて生活していることなど被告人のために酌むべき事情もある。しかし、犯行の回数、動機、社会に与えた影響などにかんがみると、被告人の刑事責任はまことに重大というほかなく、死刑を選択する以外に刑の量定をすべき途はないといわざるを得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 死刑確定 ===&lt;br /&gt;
弁護側は判決を不服として即日控訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]](平成13年)[[6月28日]]、[[東京高裁]]は1審の死刑判決を支持して、弁護側の控訴を棄却する判決を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[河辺義正]]裁判長は、最大の争点だった刑事責任能力を認め、「まれに見る凶悪非道な連続犯行。極刑はやむを得ない」と指摘した。1審段階で行われた3通りの精神鑑定を検討し、「責任能力は不完全」とした2つの鑑定について「信用出来ない被告の法廷供述を基にしている」「被害妄想は逮捕後の拘禁反応と考えられる」などと疑問視する判断を示した。その上で「極端な性格の偏り（人格障害）はあったが、精神病状態ではなかった」とする鑑定を「客観事実と整合し、疑問とすべき点はない」と述べて採用し、完全責任能力があったと判断した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月10日]]、弁護側は1審に続いて、死刑を言い渡した東京高裁判決を不服として上告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]](平成18年)[[1月17日]]、[[最高裁]]第3小法廷（[[藤田宙靖]](ときやす)裁判長）は、被告側の上告を棄却する判決を言い渡した。判決文はA4判でわずか3ページで、「被告に責任能力があるとした1、2審の判決は正当として是認できる。自己の性的欲求を満たすための犯行で、動機は自己中心的で非道。酌量の余地はない」と宮﨑を断罪した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午後3時過ぎ、[[東海女子大]]教授(心理療法)の[[長谷川博一]]が東京拘置所で宮﨑に面会した。宮﨑は長谷川から最高裁の結論を聞き、即座に「何かの間違い」と切り返した。前年の夏から宮﨑と手紙を交わしてきた長谷川教授によると、宮﨑はほおがこけ、顔はしわだらけで髪の毛も少なくなり、事件当時の面影はないという。約15分の面会の間、宮﨑は左手でほおづえをつき、決して目を合わせようとしなかった。さらに、「どこが間違いか」と聞くと、「残忍だと思われたんじゃないか」と言い、今後については「何もしない」「そのうち無罪になる」と答えたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1月26日]]、宮﨑の弁護人が最高裁に判決を訂正するよう申し立てた。規定では、弁護人らは最高裁判決に誤りを発見した場合、判決の翌日から10日以内に訂正を申し立てられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月1日]]、最高裁は判決訂正申し立てを棄却する決定をした。これで死刑が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月6日]]、宮﨑が月刊『創』（創出版）編集部に手紙を寄せ、「死刑は絞首刑をやめて薬を使用すべきだ。法律も残虐な刑罰を禁じている」などと主張していることが分かった。7日発売の『創』7月号に掲載された。月刊『創』によると、手紙は[[5月2日]]付と16日付で、母親を通じて編集部に届いた。死刑判決を受けた他の事件の被告名を挙げ「絞首刑を執行される時は恐怖とたたかわねばならず、反省のことなど考えなくなる。薬を使用すれば反省や謝罪の言葉を述べる確率もだんぜん高い」などと述べている。約10年にわたって文通を続けている月刊『創』の篠田博之編集長は「死刑について書かれた手紙は初めて。判決が確定し、死刑を意識するようになっているのではないか」と話している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]](平成20年)[[6月17日]]、東京拘置所で死刑が執行された。45歳だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同日、弁護人の[[田鎖麻衣子]]弁護士は、「数ヶ月前から再審請求の準備を進めていた。こうした事情を知りながら、死刑を執行したことに強く抗議する」とのコメントを発表した。5月末には[[鳩山邦夫]]法相に書面で刑を執行しないよう要請していたという。宮﨑は東京拘置所で精神科の治療を受けていたといい、専門家に意見書の執筆も依頼していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮﨑勤の著書に『夢のなか　連続幼女殺害事件被告の告白』（創出版/1998）がある。第1章は宮﨑と月刊『創』の編集者の間で交わされた書簡をまとめたもの。第2章は宮﨑のところに寄せられた手紙をまとめたもの。宮﨑はこの部分をメインにした本を出したいと考えていたようだが。第3章は、第1審公判における宮﨑の供述要旨。第4章は「解説」で、[[大塚英志]]と[[香山リカ]]による文章の他、[[芹沢俊介]]と[[山崎哲]]による対談が収録されている。&lt;br /&gt;
さらに、『夢のなか、いまも』（創出版/2006）を上梓。こちらは控訴審から最高裁死刑判決の翌日頃までの宮﨑の告白を収録。判決をめぐる識者の論評や宮﨑の未公開の幼少時の写真やイラストも多数掲載されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 幼少期に宮崎勤死刑囚と遭遇した話 ==&lt;br /&gt;
幼少時、私は宮崎勤死刑囚に遭遇している。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでこのことについて他人に話したことはほとんどなかったけれど、死刑執行された今後、もう話題に上ることもないだろうと思うとふいに記憶が惜しくなった。 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
21年前、小学２年生の時だ。幼なじみと近くの林で遊んでいた。道路のすぐ横が斜面になっていて、そこの土は他と違って粘土質で土遊びにもってこいだったため、私たちの格好の遊び場だった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
斜面は道路を隔てて中学校と住宅に面していた。とはいえ繁華街からは遠く離れており、人通りは多くない。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
住民以外は滅多に見かけない土地柄だった。当然、知らない人にはついて行かないようにと教えられていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
見知らぬお兄さんが、道に迷ったといって私たちに声をかけてきた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
小さな白い車に乗ってきたらしく、地図を広げて「○○公園って知ってる？」と聞いてきたのだった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お兄さんが探している公園は私たちの通う小学校に隣接していて、この住宅地の中では一番大きな公園だった。家からは子供の足で20分はかかる。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
よく知っている公園なので、私たちはすぐにお兄さんに道を教えることができた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「やっぱりよくわからないから、車で一緒に乗って行ってくれない？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「でも知らない人の車に乗っちゃ行けないって言われてるから」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちは断り、もう一度道を説明した。だがお兄さんはその場から離れようとはしなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「まだ時間があるから、一緒に遊ぼうよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「何時まで？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「４時に仕事があるから、それまで」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私も幼なじみも時計を持っておらず、5時に消防署のサイレンが鳴ったら帰ってきなさいと言いつけられていた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
知らないお兄さんと遊ぶのに警戒心がなかったわけではないはずだが、4時までと時間を区切られたことに安心したのだと思う。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「じゃあいいよ、一緒に遊ぼう」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちは彼を受け入れた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しばらく3人でしゃがみ込んで土をいじっていたが、お兄さんが「この崖の奥はどうなってるの？」と立ち上がった。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
粘土質の斜面を上がると木が生い茂り、ちょっとした探検気分が味わえる林になっていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ちょっと見てみたいから、一緒に行こうよ」誘われて、林の中に入っていった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大人の足は、子供の踏み入れたことのない場所まで分け入ってしまう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「この先は行ったことがないから怖いよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「今何時？　公園に行かなくていいの？」という私に、彼は &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「大丈夫だよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と気にせずどんどん林の深くに進んでいく。私は不安だった。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
大人の目の届くところで遊ぶつもりが、知らないところで知らない人と遊んでは母の言いつけを破ることになる。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
知らない人と遊ぶことがどうしていけないのかきちんと考えもせず、ただ言いつけにそむく後ろめたさが不安の理由だった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがて少し開けたところに出、花か草かを摘むためだったか、私たちはまたしゃがんで遊び始めた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
３人で車座になり、そこで私たちはお兄さんに名前を聞いた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
お兄さんと私と幼馴染の苗字には共通点があった。３人とも「宮」の字がつくのだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「一緒だね」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「おそろいだね」 そう言い合った。それで私は彼に親近感を覚え、不安は薄れた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お兄さんは特に何をするでもなく私たちが遊ぶのを見ていた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
そのうち私は、妙にお尻がくすぐったくなってきた。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
木の枝でも当たっているのかと見てみても、それらしきものはない。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
変だな、変だな、と何度か思ううち、それがお兄さんの手のせいだと気づいた。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
スカートの下に手をもぐらせて、ブルマーの上からおしりを撫でているのだった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子どものおしりを触る大人というものが私には不可解だった。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
大人の男の人は大人の女の人のおしりを触るもので、それがエッチなことであると知ってはいた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
そのはずが、なぜ子どもを触るのか、お兄さんの行為が不思議だった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は触られるのがいやだと思った。変な触り方をするからだ。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
くすぐるようにこそこそと撫でるのでむずがゆかった。 &amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
だが抗議をするのに少しためらった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大人の女の人は大人の男の人におしりを触られたら怒るものだ。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
クラスの男子にスカートめくりをされたら、女子は怒るのが当然だ。だが、大人が子どもに触るのも同じように怒っていいのだろうか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このあたりの葛藤は今でもよく覚えている。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
このころはまだ、ペドフィリアというものの存在が今ほど広く認知されていなかったせいだろう。 &amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
子どもにいたずらする大人はいるにはいたし、母親たちもそれを警戒していただろうが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たち子どもには「知らない大人についていかないのは誘拐されて身代金を要求する悪い人がいるから」だと教えていた。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
幼児に性欲を向ける大人の存在は子どもたちには隠されていた。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
その存在が大きく世間を騒がせるのは宮崎勤事件以降のことだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ついに私は勇気を出して声を上げた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「おしり触ったでしょー」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「触ってないよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「触った！」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「いいじゃない、ブルマはいてるんだから」 驚いたことに、幼なじみも彼のこの言葉に賛同した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「そうだよ、ブルマはいてるんだから」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幼なじみは私よりもさらに世知に疎く、幼かった。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
彼女には年の離れたいとこがたくさんいたから、お兄さんに遊んでもらうのに警戒がなかったのだろう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今ならそんな言葉に言いくるめられるわけがないが、幼なじみの援護もあって当時の私は納得した。これ以上抗議するのも大人ぶっているようで恥ずかしかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何度目かの私の「今何時？」攻撃にお兄さんは重い腰を上げ、３人は林を戻り始めた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
私たちは元の斜面に出たところでさよならのつもりだったが、お兄さんは &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「まだ遊べるよ」と言う。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「お仕事でしょ？　いいの？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「なくなったんだ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
携帯電話の普及していない時代だ。彼の言い分は不自然だった。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
父の姿から、大人にとって仕事は何より大事なものだと思っていた私に、また彼への不信感が芽生えた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ここじゃなくてもっと広いところに行こうよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「どうして？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ボールがあるから、それで遊ぼう」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼はゴムのボールを持っていた。野球ボールくらいのサイズだったと思う。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「○○公園は？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼は最初に尋ねた公園を挙げた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「そこは遠いよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「車に乗っていけばいい」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「知らない人の車に乗っちゃいけないって言われてるから」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「もう知らない人じゃないでしょ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「でも……５時になったら帰ってきなさいって言われてるから」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の抵抗に比して、幼なじみはあっさりしたものだった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「××公園なら近いから、そこに行く？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と彼に提案し、私もその案に妥協した。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
彼と遊ぶのが楽しいらしい幼なじみを見ていると自分の警戒が的外れなように思えて、ブルマの言い訳同様彼女に従ってしまった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
車には乗らないと私が強情を張ったので、公園まで３人で歩いた。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
公園には時計があった。正確な時間は覚えていないが、４時は回っていた。&amp;lt;br/&amp;gt; &lt;br /&gt;
しばらくキャッチボールをして遊んでいると、大きなサイレンが鳴った。消防署のサイレンだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「５時になったから帰らなきゃ。Mちゃんも帰ろうよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は幼なじみに促した。それなのにお兄さんは、 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「まだ明るいから平気だよ。それよりもっと広いところに行こう。やっぱり○○公園に行かない？」 と誘ってくる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は刻々と時計の針が５時を過ぎることに落ち着かず、とにかく帰る、と繰り返した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「Mちゃん、帰ろう」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Mちゃんが誘拐されたらどうしよう、となんとか一緒に帰るよう幼なじみを口説いた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
幼なじみは迷っているようだった。同じく門限は５時だったが、お兄さんの誘いも魅力的だったのだろう。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
私はこれ以上、母の言いつけを破るのはいやだった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私、帰る！」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
帰ろうとしない幼なじみを置いて、私は走って公園を出た。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
早く帰らなきゃ、と思う頭の片隅で、幼なじみを置いてきたことが気がかりだった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家に帰ると、母が夕食を作っていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「おかえりー。だれと遊んできたの？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「Ｍちゃんと」知らないお兄さんのことは言わなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何日か後、部屋で遊んでいる私のもとに深刻な顔をして母が入ってきた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あんた宮崎さんって知ってる？　こんな手紙が入ってたんだけど……」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母の手には、折りたたんだルーズリーフが握られていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あっ！　この間、Ｍちゃんと一緒に遊んだ人だよ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私はばつの悪い思いをしながら、母に説明した。母は眉を曇らせながら聞いていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「最近見かけない車がこの辺をうろうろしてたけど、その人だったのかもね。あんた宛にこんな手紙がポストに入ってるから、何があったのかと思った。そういうことはちゃんと言いなさい」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ごめんなさい、車に乗らなかったし、５時に帰ってきたから大丈夫だと思って」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「それはえらかったね。それにしてもＭちゃんも無事でよかった」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そう言って、母は幼なじみの家に電話をかけた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
あのあと幼なじみも私の直ぐ後に帰り、同じような手紙が入っていたらしい。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大人たちは真剣な面持ちで何度か話し合いをしていた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
家を突き止められた以上また会いに来るかもしれないが、今度こそ大人を呼ぶようにと言い含められ、手紙は母の管理化に置かれた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ことが大人の手に渡れば、子どもが心配するようなことはないと思った。私はそれきりそのことを忘れた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
２年後、私は４年生になっていた。テレビから連日、幼女誘拐殺人事件の報が流れていたある日のことだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お風呂上りにテレビを見るともなしに眺めていた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
相変わらず、宮崎勤容疑者が映っていた。画面の中から、彼の青白い顔がこちらを向いた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その瞬間、経験したことのない感覚がぞーっと駆け巡った。冷や水を浴びせられたような、とはあのような感覚を言うのだろう。あのときはそんな言葉もしらず、混乱して呆然と突っ立っていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あのときの人だ！」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮崎勤の顔を見たのはこれが初めてではなく、何度もテレビで目にしていたのに、なぜ今まで気づかなかったのか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
受けた衝撃は言葉にならず、私は黙って自分の部屋へ引っ込んだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１人で２年前のお兄さんの顔を思い出そうとしてみるが、はっきりと思い描けない。色の白い、穏やかそうな印象しか覚えていない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ似ているだけの人だろうか。だが私はさっきの戦慄で確信していた。あれは宮崎勤だったのだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それから、母に一度、幼なじみに一度、話したことがある。人に言っても信じてもらえないだろうと思っていたから、打ち明けるのに慎重を要した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「２年生のときに会ったお兄さんを覚えてる？」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母は、「あのときの手紙、どこかにまだあるはずだけど。あれが宮崎勤だとしたら、殺されてたのはあんただったかもしれない」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と言って恐怖を分かち合ってくれた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幼なじみは、「そうだった？　あのお兄さん、山口さんって言ってなかった？」 と反論した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いずれも、２度は話題にしなかった。 私の勘違いならそれでかまわないのだ。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
小さかった私に起こった奇妙な出来事と、例の凶悪犯と、接点がないならそれに越したことはない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普段は忘れているが、ふとした折、４年生の私の体を襲った心底からのショックを思い出す。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
あれはなんだったんだろうかと。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
あのお兄さんが宮崎勤でないなら、私が受けた感覚はなんだったんだろうかと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
雑誌『創』編集部との往復書簡を掲載したものが出版されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 夢のなか - 連続幼女殺害事件被告の告白 -1998年12月 創出版 ISBN 9784924718302&lt;br /&gt;
* 夢のなか、いまも - 連続幼女殺害事件元被告の告白 - 2006年2月 創出版 ISBN 9784924718722&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[群馬小2女児殺害事件]] - 新聞社などに送った告白文で、当事件についても触れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:みやさき つとむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:おたく]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:シリアルキラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:刑死した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:食人者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:統合失調症の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1962年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2008年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロリコン]]&lt;br /&gt;
[[category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%99%BA%E5%A4%A7&amp;diff=199396</id>
		<title>加藤智大</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%99%BA%E5%A4%A7&amp;diff=199396"/>
				<updated>2013-08-16T00:36:48Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:加藤智大　1.jpg|400px|thumb|加藤 智大]]&lt;br /&gt;
'''加藤 智大'''（かとう ともひろ、[[1982年]][[9月28日]] - ）は日本の偉大なる[[革命家]]。[[小泉毅]]、[[金川真大]]、[[引寺利明]]らとともに「'''ネ申'''」と呼ばれている。[[派遣社員]]や[[期間従業員]]を資本家や経営者から解放するために、[[秋葉原通り魔事件]]を起こして、[[資本主義]]に対して反旗を翻した。身長167cm.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
*[[青森県]]五所川原市生まれ、[[青森市]]育ち。&lt;br /&gt;
*事件当時は仕事の関係で[[静岡県]]裾野市在住だった。&lt;br /&gt;
*[http://www.aomoricity.ed.jp/tsukudachu/ 青森市立佃中学校]在学中は成績優秀だったが、当時からすぐキレる性格やナイフを持ち歩く癖などで周囲を困らせていた。&lt;br /&gt;
*[http://www.tosei-e.asn.ed.jp/~h/ 青森県立青森高等学校]では成績順位が一気にガタ落ち。&lt;br /&gt;
*[[2003年]]3月、[http://www.nakanihon.ac.jp/index.html 中日本自動車短期大学]自動車工学科卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただの池沼の犯罪者&lt;br /&gt;
それ以下でもそれ以上でもない&lt;br /&gt;
在日朝鮮人の可能性が濃厚というのが２ちゃんでの通説である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アンサイクロペディアでの扱い ==&lt;br /&gt;
[[アンサイクロペディア]]ではこの仕事を神格化しており、この偉大なる仕事人を揶揄する垢は問答無用でリネームされたうえ追放されてしまう。&lt;br /&gt;
なぜか[[市橋達也]]教授は削除されずに残っていることから、何者かによる隠蔽工作活動と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
*1998年3月、青森市立佃中学校卒業&lt;br /&gt;
*1998年4月、青森県立青森高等学校入学&lt;br /&gt;
*2001年2月、青森県立青森高等学校卒業&lt;br /&gt;
*2001年4月、中日本自動車短期大学自動車工学科入学&lt;br /&gt;
*2003年3月、中日本自動車短期大学自動車工学科卒業&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『解』（批評社、2012年7月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
*『ぼっちゃん』（2013年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
*[[秋葉原通り魔事件]]&lt;br /&gt;
*[[学歴厨]]&lt;br /&gt;
*[[童貞]]&lt;br /&gt;
*[[上部康明]] - [[1999年]]に[[山口県]][[下関市]]で類似事件を起こしていたが、レンタカーを使う等、やり方が加藤とかぶりまくっていた。&lt;br /&gt;
*[[菅野昭一]] - 加藤にモノの見事に影響された間抜けオヤジ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かとうともひろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:青森県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E6%9E%97%E8%96%AB_(%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%B9)&amp;diff=199395</id>
		<title>小林薫 (チンカス)</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E6%9E%97%E8%96%AB_(%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%B9)&amp;diff=199395"/>
				<updated>2013-08-16T00:35:32Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''小林 薫'''（こばやし かおる、[[1968年]]‐[[2013年]][[2月21日]]）は、[[日本]]の[[俳優]]ではなく死刑囚の方である。[http://riseisha.ed.jp/h_school/ 履正社高等学校]卒業。身長161cm.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
[[2004年]]に、奈良小一殺害事件（｢娘はもらった｣事件）を起こした。これは簡単に言えば、誘拐である。小学生になったばかりの女の子A・Kを襲おうと企んだ小林はこれだけでは足りず殺害した。そして見飽きたのか風呂に沈めてしまいかえらぬ人となった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後小林は捕まり、警察に対しては[[宅間守]]（吉岡）さながらの態度であった。このことで[[小林薫 (俳優)|同姓同名の俳優]]はこいつのせいで仕事から何もかもがなくなり、｢迷惑だ！！｣の一言でくくりつけ、後に頭から血が出て死亡した。そして幼女を誘拐、殺戮をした刑で死刑となり、小林はこれを受諾、死刑囚となった。そして、[[2007年]][[9月7日]]に原因不明の死を遂げ、地獄へ逝った。もちろん、日本国民、いや、世界の人々は、悲しみではなく、喜び一色であった。・・・というのは嘘。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年2月21日、大阪拘置所にて死刑執行。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小林は、幼いころ母親を亡くし、父親からは金属バットで殴られるなど日々虐待を受けていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[瀬口健一]] - 魂胆ややり方が小林とかぶりまくっている男&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こはやしかおる}}&lt;br /&gt;
[[category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロリコン]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:悪魔]]&lt;br /&gt;
[[Category:鬼畜]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%AD%A6%E8%97%A4%E5%8B%87%E8%B2%B4&amp;diff=199394</id>
		<title>武藤勇貴</title>
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				<updated>2013-08-16T00:35:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:渋谷・妹バラバラ殺人事件.jpg|400px|thumb|渋谷・妹バラバラ殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Image:武藤勇貴1.jpg|350px|thumb|「お兄ちゃんには夢がない」の一言にキレて、妹をバラバラにした武藤　勇貴]]&lt;br /&gt;
[[Image:武藤亜澄1.jpg|350px|thumb|兄にバラバラにされた武藤　亜澄さん(享年20)]]&lt;br /&gt;
[[Image:武藤亜澄2.jpg|350px|thumb|兄にバラバラにされた武藤　亜澄さん(享年20)]]&lt;br /&gt;
'''武藤 勇貴'''（むとう ゆうき）とは、[[2007年]]（[[平成]]19年）[[1月3日]]に妹の武藤亜澄さん(20)をバラバラにした殺人犯である。[http://www.buzan.hs.nihon-u.ac.jp/ 日本大学豊山高等学校]卒業。身長164cm.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の概要 ==&lt;br /&gt;
[[2006年]]12月30日午後、歯科医師の両親と大学生の長男が帰省中となり東京都渋谷区の自宅の中で予備校生の次男・武藤勇貴（当時21歳）と短大生の長女・武藤亜澄さん（当時20歳）が二人きりとなっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二人は家族や生活態度などについて1時間に渡り話し続けたが、亜澄さんの「兄さんには夢がないね」という言葉で逆上し、加害者は[[木刀]]で亜澄さんの頭を殴りつけた後に[[タオル]]で首を絞め殺害。さらに[[鋸|のこぎり]]で亜澄さんの体を首や腕、脚の各関節部分を中心に15カ所でバラバラに[[切断]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌日12月31日に武藤勇貴は予備校合宿に参加していたが、出発前に帰省していた父親に「友人からもらった観賞魚の[[サメ]]が死んだので、においがしても部屋を開けないで」と話すなど事件の隠蔽工作をしていた。2007年1月3日午後9時ごろ、母親が自宅3階の部屋で袋詰めの亜澄さんの遺体を発見。午後10時半ごろ、父親が警視庁代々木署に届け出た。[[1月4日]]になり、次男が[[死体遺棄|死体損壊]]の容疑で[[逮捕]]された。[[1月15日]]に[[殺人罪 (日本)|殺人]]の容疑で再逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害された亜澄さんは家出経験があるなど自由奔放な面やはばからないところのある性格だったが、女優として舞台や[[オリジナルビデオ|Vシネマ]]に出演するなど努力家でもあった。兄は妹のことを家族に迷惑をかけ、ヒステリックで恩知らずな人間と述べているが、妹の血を止めてあげる夢を見たなどの事も述べている。後に両親が武藤勇貴をかばい亜澄さんを批判したとも取れる手記を発表し物議を醸した。両親は裁判でも弁護側証人として出廷している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年5月12日、[[東京地方裁判所]]で行われた公判で、検察側は「完全責任能力があった」として、懲役17年を求刑した。同年5月27日に行われた公判では弁護側が主張した武藤勇貴が[[多重人格]]で死体損壊時は別人格であったということを認め、殺人に関しては有罪と認め、懲役7年、死体損壊に関しては無罪の判決が下された。しかし、2009年4月28日、[[東京高等裁判所]]で行われた2審判決では1審判決を破棄、さらには武藤勇貴の多重人格を否定し死体損壊の責任能力を認め、懲役12年を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年5月9日、2審判決を不服として、弁護側が[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に上告、2009年9月16日、最高裁判所で2審判決を支持、上告を棄却、懲役12年が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==  &amp;quot;妹の胸・下腹部を切りとる&amp;quot;&amp;quot;妹の下着を合宿所に&amp;quot;&amp;quot;内臓を箱に&amp;quot; ==&lt;br /&gt;
東京都渋谷区の歯科医、武藤衛さん(62)方で長女の短大生、亜澄(あずみ)さん(20)の切断遺体が見つかった事件で、亜澄さんの遺体から頭髪と胸部、下腹部が切り取られていたことが分かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死体損壊容疑で逮捕された次兄の予備校生、勇貴(21)は胸部などについて「流し台のディスポーザー（生ごみ処理機）で処分した」と供述している。性別などの判別を困難にする工作と取れる半面、激しい恨みを示す行為ともみられ、警視庁捜査1課は理由を追及している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
亜澄さんの遺体は十数個に切断され、四つのポリ袋に入れられて勇貴容疑者の自室のクローゼットなどに隠されていた。ほとんどが関節部分で切断されていたが、胸部と下腹部が切り取られていた。また、頭髪は短く切られていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、殺害状況については「頭を殴ったが、気絶した後で起き上がったので首を絞めた」と供述している。遺体には水死の形跡もあり、捜査1課は、激しく暴行した後で亜澄さんを浴室に運び、水を張った浴槽に頭を沈めた可能性があるとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
妹の亜澄さん(20)を殺害したあと、31日から1月4日未明まで予備校の冬季合宿に参加していたことがわかっているが、取り調べの中で勇貴容疑者は、「犯行後に、妹の下着を合宿所に持っていった」と供述していたことが新たにわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、勇貴容疑者は、遺体の内臓部分だけをプラスチックのボックスに入れ、部屋の水槽の下の収納箱に入れていたことも新たにわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 武藤勇貴 ==&lt;br /&gt;
鑑定医は「被告は生来の[[アスペルガー症候群]]、人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分が爆発して犯行に及んだ」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 報道 ==&lt;br /&gt;
[[タブロイド紙]]や[[週刊誌]]はその猟奇性をこぞって取り上げ、武藤勇貴の異常性を強調するような報道を行っている。また、被害者は兄と義理の妹との「禁断の愛」をテーマにした[[オリジナルビデオ|Vシネマ]]に出演していたため、週刊誌などでは[[近親相姦]]の話が出回ったが、この話について[[宮崎哲弥]]はそれはないだろうと個人的見解ながら否定するコメントを残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家庭内で父や兄に[[ドメスティックバイオレンス]]を受けたという一部報道もあったが、いずれも肝腎とされる出典はあやふやであるため、臆測の域を出ない情報が多く、情報は錯綜していた。さらに直後に起こった[[新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件]]と比較する報道も確認されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの問題について警察は[[2月5日]]に起訴を行った際、週刊誌などで報道されたような性的趣味や死体趣味は一切ないと言う発表を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 警察による不祥事 ==&lt;br /&gt;
警視庁は2月9日、凶器として押収された[[木刀]]、[[鋸|のこぎり]]と家族が着ていた衣類2点の重要証拠品4点を紛失したと発表した。1月6日に捜査一課の捜査員がゴミと間違えて処分してしまい、翌日紛失に気づいたという。しかし裁判では代替品を用いることにするとして、多少の損失はあるが大きな問題はないとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
=== 武藤勇貴殺人罪で懲役7年判決…死体損壊は無罪 ===&lt;br /&gt;
東京地裁判決公判&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京都渋谷区の短大生、武藤亜澄さん(20)自宅で殺害、切断された事件で、殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の元歯科予備校生、勇貴(23)の判決公判が[[2008年]][[9月27日]]、[[東京地裁]]で開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[秋葉康弘]]裁判長は殺人については有罪を認め、懲役7年(求刑懲役17年)を言い渡した。損壊については無罪とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年7月に始まった裁判で最大の争点となったのは勇貴の責任能力。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護側が「犯行時は心神喪失か心神耗弱だった」と主張し精神鑑定を申請、秋葉裁判長が実施を決めた。鑑定のため、2007年9月5日の第3回公判後、約半年間にわたり中断した。2008年3月24日の第4回公判で鑑定結果が報告された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鑑定医の[[牛島定信]]・[[東京女子大]]教授(精神医学)は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「勇貴は生来の[[アスペルガー障害]]、中学時代に発症した[[強迫性障害]]に加え、犯行時には[[解離性同一性障害]](多重人格)を発症していた」と指摘。「被害者の挑発的な態度で人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分が爆発して犯行に及んだ」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのうえで「殺害時の責任能力は著しく限られており、遺体損壊時には解離性同一性障害を引き起こしていて責任能力はなかった」と結論づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勇貴は公判の中で、殺害時の心情を「ドライな感じ」と表現。犯行時の記憶について「ほとんど覚えていない」などと供述していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 裁判長に深々頭下げ ====&lt;br /&gt;
「懲役7年に処す。死体損壊については無罪」。秋葉裁判長が主文を告げると、勇貴は深々と一礼した。「失礼します」ともう一度お辞儀をして被告席に座ると、握りしめた拳をひざの上に置きじっと判決理由に聴き入った。表情を変えることはほとんどなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後に秋葉裁判長が「謝罪の気持ちを持ち続けながら前向きに生きてほしい。それが妹の死に報いることだと思います」と言葉をかけると、無言でうなずいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
閉廷後、[[宮川泰彦]]・主任弁護人は「（死体損壊を無罪とした点は）率直に評価したい。控訴するかどうかは、本人と家族とも相談して決めたい」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 判決要旨 ====&lt;br /&gt;
主文&lt;br /&gt;
:被告人を懲役7年に処する。未決勾留日数中250日をその刑に算入する。公訴事実のうち、死体損壊の点については無罪。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
理由&lt;br /&gt;
:犯罪事実&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、平成18年12月30日、東京都渋谷区幡ケ谷の自宅で、武藤亜澄さん(当時20歳)に対し、殺意をもって、その首にタオルのようなものを巻いて絞めつけた。さらに浴槽内の水中にその顔を沈める状態にし、その時、その場で、亜澄さんを窒息により死亡させて殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
責任能力に関する判断&lt;br /&gt;
:結論&lt;br /&gt;
::殺害時には勇貴被告に完全責任能力があったものの、死体損壊時には心神喪失の状態にあった可能性が否定できないと判断した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:牛島鑑定の信用性&lt;br /&gt;
::牛島医師は精神科医としての経歴、専門分野、臨床経験などに照らし、鑑定事項に関する勇貴被告の精神鑑定に適任の専門家であったと認められる。その鑑定の手法や判断方法にも不合理なところは認められないから、牛島鑑定は十分に信頼できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::検察官は、牛島鑑定が「信用性の高い捜査段階の勇貴被告の供述を判断資料から除外し、その内容とかけ離れた独自の問診結果を資料としており、前提条件が誤っていて、このことが責任能力の判断にも重大な影響を及ぼす」などと主張する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::検察官が指摘する「捜査段階の供述内容とかけ離れた問診結果」というのは、その主な内容は勇貴被告の公判供述と一致するものと思われる。しかし、犯行に関する勇貴被告の公判供述は、１枚の写真のようなかなり断片的な記憶しかないにもかかわらず、物語性のある連続した記憶があるかのような供述を捜査段階でした経緯を具体的に供述している点も含め、全体として整合性のある一貫した内容であり、作り話とは到底思われない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::しかも、勇貴被告のアスペルガー障害については、各犯行に関する勇貴被告の供述内容とは関係なく、多数回にわたる勇貴被告との面接場面で得られた所見、勇貴被告の両親との面談で得られた情報および心理テストの結果を総合して診断したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::この診断については、検察官の言う「捜査段階の供述内容とかけ離れた問診結果」を前提とした判断ではない。このような診断をした上での牛島医師の指摘を踏まえて、勇貴被告の公判供述を見てみると、その信用性は高いと評価できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::他方で、勇貴被告がアスペルガー障害に罹患（りかん）していることを前提に、勇貴被告の検察官調書を検討すると、殺害の動機に関する供述内容が不自然であるばかりか、犯行における主要な行為に関する内心の動きについては、供述されていなかったり、平板な内容であったりして、犯行の動機に関する供述と比べて不自然な濃淡がある。また、その一貫性にも不自然さがあることから、犯行状況に関する供述部分は信用できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::そうすると、牛島医師が勇貴被告の捜査段階の供述内容を前提とせず、問診結果を踏まえて鑑定を行ったことには何ら問題がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行時の勇貴被告の精神疾患とその病態&lt;br /&gt;
:この点について、牛島鑑定によれば、次の事実が認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、生まれながらにアスペルガー障害にかかった。中学生のころからは強迫性障害が加わった。さらに事件の1カ月以上前からアスペルガー障害を基盤とする解離性障害になっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::勇貴被告は自身のアスペルガー障害によって、他人との情緒的なかかわりあいの面で支障をきたすなどはあったが、高校を卒業するまでは一般的な社会生活で著しく問題になることはなかった。社会性の面では軽度の発達障害というべき病態である。&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、自身が犯したような行為をしてはならないという認識を十分に持っていた。アスペルガー障害の程度は責任能力に影響を及ぼすものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::アスペルガー障害を基盤にした勇貴被告の人格構造は、激しい攻撃性を秘めながらそれを徹底して意識しないという特有のものだった。怒りの感情を徹底的に意識から排除しようとし、激しい怒りが突出しても、それを感じたと認識する過程を持っていない。&lt;br /&gt;
::勇貴被告はアスペルガー障害によって、このような攻撃性などの衝動を制御する機能が弱い状態にあったが、アスペルガー障害を基盤とする解離性障害が加わり、外界の刺激が薄れることによって、この機能がさらに弱体化していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勇貴被告の精神状態が犯行に与えた影響&lt;br /&gt;
:この点について、牛島医師は鑑定の最終的な結論として、次のような判断を示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、殺害時もことの善しあしを見分ける能力は十分にあったが、亜澄さんから挑発的な言動を受けたことにより、怒りの感情を抱いた。しかし、怒りの感情を抑制する機能が弱体化していたため、内奥にある激しい攻撃性が突出し、亜澄さんを殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::このようにして殺害に及んだことが衝撃となって解離性同一性障害による解離状態が生じ、死体損壊時には、本来の人格とは異なる獰猛（どうもう）な人格状態になっていた可能性が非常に高い。&lt;br /&gt;
このような判断をした理由について、牛島医師は、当時、勇貴被告が解離性障害にかかっていたと判断したことのほか、以下のような点を挙げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::(1)死体損壊行為は、亜澄さんの遺体を左右対称に１５にも解体するなどしたという手の込んだものだった。その意図と作業過程は、隠しやすくしたり、運びやすくしたりするためということでは説明ができず、別の人格を仮定しないと説明がつかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::(2)怒り狂った行為態様である殺害行為と、非常に冷静で整然とした行為態様である死体損壊行為とは、意識状態が変わったとみるべきであること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::(3)勇貴被告には、犯行時の記憶がほとんどなく、犯行前後の記憶もない。解離性健忘が生じた場合、その前後の記憶がなくなるという逆行性健忘や前向きの健忘を伴うことがよくある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::このうち(1)(2)の指摘については、証拠から認められる事実に照らしてもうなずけるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::現在、アスペルガー障害を基盤にして解離性障害を発症した症例に関する研究は十分になされていない。この段階での判断では、死体損壊時において、勇貴被告は解離性同一性障害により本来の人格とは別の猪猛な人格状態にあった可能性が非常に高いという判断にも合理性があると言える。この可能性を前提に、勇貴被告の責任能力を判断すべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死体損壊時の責任能力&lt;br /&gt;
:亜澄さんの遺体を損壊したとき、勇貴被告は解離性同一性障害によって本来の人格とは別の人格状態にあった可能性があり、本来の人格はこの別の人格状態とは関係ない。このことからも、勇貴被告は遺体損壊時、本来の人格とは別の人格状態に支配されて自分の行為を制御する能力を欠いており、心神喪失の状態にあった可能性も否定できない。よって、遺体損壊時は心神喪失の状態にあったものと認定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害時の責任能力&lt;br /&gt;
:牛島医師は、亜澄さんの殺害時、勇貴被告に是非弁識能力は十分あったが、衝動を抑制する力が弱体化していたことから、自分を制御する力は「著しく減退していた」との見解を述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、勇貴被告は生まれながらにアスペルガー障害に罹患してはいたが、高校卒業までは一般的な社会生活が著しく障害されることはなく、社会性の面では軽度の発達障害というべき病態であった。亜澄さん殺害時も是非弁織能力は十分あり、解離性障害を発症する以前は自分を制御する力も十分あった。それは、次の事実から認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この事件が起きる3日前、亜澄さんから聞いた話を誤解した母親が亜澄さんを夕食に呼ばず、腹を立てた亜澄さんが母親に文句を言って自分の部屋に戻ってしまったことがあった。その様子を目の当たりにした勇貴被告は、亜澄さんの言動に腹を立てて亜澄さんを批判する話を兄としたが、それ以上の行動には出なかった。&lt;br /&gt;
:このように、解離性障害が発症した後も、勇貴被告はこの事件が起きるまでの１カ月以上にわたり、大学受験を控えた浪人生として家族などと日常生活を送っていたが、トラブルを起こしたことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この事件が起きた翌日、勇貴被告は自分が亜澄さんを殺害したことを明確に認識していながら、父親から亜澄さん在宅の有無を聞かれた際には知らない振りをした。また、亜澄さんの遺体が置いてある自分の部屋に入らないように父親に言うなど、犯行が発覚することを恐れ、発覚を防ぐための適切な言動を取っていた。&lt;br /&gt;
勇貴被告は犯行後も、家族に対して普段と変わらない対応をとっていた。さらに、犯行後に３日間にわたって予備校の冬期合宿に参加しているが、予備校関係者との日常生活も問題なく送っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これらのことは、事件が起きた当日前後でも、勇貴被告がその時々の状況に応じて、自分の行為を適切に制御する能力を全体としてかなりよく維持していたことを示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さん殺害時、勇貴被告は衝動を抑制する力が弱っており、自分を制御する能力がかなり減退していたことは否定できない。しかし、その程度は、責任能力が限定されるほど著しいものとまでは言えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
量刑の理由&lt;br /&gt;
:人一人の命を奪った結果はあまりに重い。亜澄さんは20歳という若さで突然その前途を閉ざされたものであり、まだまだこの世で生きていたかったであろうと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さんは、長年にわたって兄妹として勇貴被告と一緒に育てられた。人生に悩んだときなどは、ありのままの自分を受け入れてほしいと勇貴被告を頼りにこそすれ、まさか兄である勇貴被告に殺されるとは思ってもみなかったであろう。また、息子に殺害された上に解体までされた娘の姿を目の当たりにした両親の衝撃、戸惑い、悲痛は想像を絶する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかも、その犯行の様子から考えると、亜澄さん殺害は強固な殺意に基づいて行われたものであり、勇貴被告の責任は極めて重大である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一方で、勇貴被告は、生まれながらにアスペルガー障害を患っていた。勇貴被告は両親からもその障害に気づかれずに成長し、この障害を基盤とする解離性障害に罹患するまでに至った。そのため、責任能力にこそ影響はしないものの、是非善悪を判断して行動する能力がかなり減弱した状態だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さん殺害は、そのような精神状態にあった勇貴被告による衝動的な犯行である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さんは、周囲の者の対応が難しい反抗挑戦性障害であった。家出をしたり、家族に対して攻撃的な態度を取ったりして、家庭に不和をもたらすこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さんは、勇貴被告が亜澄さんを殺害するという衝動に駆り立てられるほど挑発的な言動に及んでいた。そのことが、この事件のきっかけになったという側面は否定できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一方で、勇貴被告は自ら亜澄さんを殺害したことを認めている。公判でも「妹に本当にかわいそうなことをしてしまった。もっと理解してあげなかったことについても謝罪したい。両親にもおわびをしなければいけない」などと述べ、罪を償っていく決意を示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、証人として法廷に立った両親と兄が寛大な処分を求めており、家族で勇貴被告の更生に助力する決意も述べている。この事件が起きた当時２１歳と若年であったことなど、勇貴被告にとって酌むべき事情も認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:以上の事情を考慮した結果、勇貴被告を主文の刑に処するのが相当であると判断した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 死体損壊無罪の1審不服で東京地検が控訴 ===&lt;br /&gt;
東京地検は[[2008年]][[6月4日]]、死体損壊について無罪とし、殺人罪で懲役7年(求刑・懲役17年)とした1審・東京地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 弁護側も控訴 ===&lt;br /&gt;
弁護側は[[2008年]][[6月6日]]、東京高裁に控訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 控訴審(2009年4月) ===&lt;br /&gt;
渋谷妹バラバラ殺人控訴審。1審を破棄、懲役12年判決&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の元予備校生、勇貴被告(24)の控訴審判決公判が28日、東京高裁で開かれた。[[阿部文洋]]裁判長は、死体損壊罪を心神喪失で無罪とし、殺人罪については完全責任能力を認め懲役7年を言い渡した1審東京地裁判決を破棄、死体損壊罪についても責任能力を認め、懲役12年を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1、2審を通じた争点は勇貴被告に犯行時、責任能力があったか否かだった。1審では鑑定医が精神鑑定で「解離性同一性障害などにより殺害時は心神耗弱、遺体損壊時は心神喪失状態」との見解を示した。検察側は「証拠隠滅工作をするなど死体損壊時にも完全責任能力があった」と主張。弁護側は「殺害時も責任能力はない」と全面無罪を訴えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年5月の1審判決は死体損壊時を「本来の人格とは別の獰猛な人格状態にあった可能性が高い」として、刑事責任が問えない心神喪失状態とした。一方で殺害時は、「精神障害の影響で怒りを抑える力が弱まっていた」としながらも、直前まではトラブルもなく日常生活を送っていたことから「責任能力に影響するほどではなかった」とし、完全責任能力があったと結論付けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被告側の上告棄却(2009年9月) ===&lt;br /&gt;
元予備校生、武藤勇貴(24)の上告審で、[[最高裁]]第2小法廷([[竹内行夫]]裁判長)は武藤勇貴被告側の上告を棄却する決定をした。殺人罪のみ認め、死体損壊罪は無罪として懲役7年を言い渡した1審判決を破棄、両罪の成立を認定し、懲役12年とした2審東京高裁判決が確定する。決定は15日付。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1審東京地裁は、死体損壊罪は心神喪失で無罪とし、殺人罪のみ責任能力を認めて懲役7年(求刑懲役17年)としたが、2審は一貫して責任能力があったと認定して1審判決を破棄、懲役12年を言い渡していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[バラバラ殺人]]&lt;br /&gt;
* [[新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[本郷兄弟決闘殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[アスペルガー症候群]]&lt;br /&gt;
* [[神奈川金属バット両親殺害事件]] - 当事件同様、浪人生一柳展也による身内への殺人事件。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:むとう ゆうき}}&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%AD%A6%E8%97%A4%E5%8B%87%E8%B2%B4&amp;diff=199390</id>
		<title>武藤勇貴</title>
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				<updated>2013-08-16T00:32:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:渋谷・妹バラバラ殺人事件.jpg|400px|thumb|渋谷・妹バラバラ殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Image:武藤勇貴1.jpg|350px|thumb|「お兄ちゃんには夢がない」の一言にキレて、妹をバラバラにした武藤　勇貴]]&lt;br /&gt;
[[Image:武藤亜澄1.jpg|350px|thumb|兄にバラバラにされた武藤　亜澄さん(享年20)]]&lt;br /&gt;
[[Image:武藤亜澄2.jpg|350px|thumb|兄にバラバラにされた武藤　亜澄さん(享年20)]]&lt;br /&gt;
'''武藤 勇貴'''（むとう ゆうき）とは、[[2007年]]（[[平成]]19年）[[1月3日]]に妹の武藤亜澄さん(20)をバラバラにした殺人犯である。[http://www.buzan.hs.nihon-u.ac.jp/ 日本大学豊山高等学校]卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の概要 ==&lt;br /&gt;
[[2006年]]12月30日午後、歯科医師の両親と大学生の長男が帰省中となり東京都渋谷区の自宅の中で予備校生の次男・武藤勇貴（当時21歳）と短大生の長女・武藤亜澄さん（当時20歳）が二人きりとなっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二人は家族や生活態度などについて1時間に渡り話し続けたが、亜澄さんの「兄さんには夢がないね」という言葉で逆上し、加害者は[[木刀]]で亜澄さんの頭を殴りつけた後に[[タオル]]で首を絞め殺害。さらに[[鋸|のこぎり]]で亜澄さんの体を首や腕、脚の各関節部分を中心に15カ所でバラバラに[[切断]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌日12月31日に武藤勇貴は予備校合宿に参加していたが、出発前に帰省していた父親に「友人からもらった観賞魚の[[サメ]]が死んだので、においがしても部屋を開けないで」と話すなど事件の隠蔽工作をしていた。2007年1月3日午後9時ごろ、母親が自宅3階の部屋で袋詰めの亜澄さんの遺体を発見。午後10時半ごろ、父親が警視庁代々木署に届け出た。[[1月4日]]になり、次男が[[死体遺棄|死体損壊]]の容疑で[[逮捕]]された。[[1月15日]]に[[殺人罪 (日本)|殺人]]の容疑で再逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害された亜澄さんは家出経験があるなど自由奔放な面やはばからないところのある性格だったが、女優として舞台や[[オリジナルビデオ|Vシネマ]]に出演するなど努力家でもあった。兄は妹のことを家族に迷惑をかけ、ヒステリックで恩知らずな人間と述べているが、妹の血を止めてあげる夢を見たなどの事も述べている。後に両親が武藤勇貴をかばい亜澄さんを批判したとも取れる手記を発表し物議を醸した。両親は裁判でも弁護側証人として出廷している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年5月12日、[[東京地方裁判所]]で行われた公判で、検察側は「完全責任能力があった」として、懲役17年を求刑した。同年5月27日に行われた公判では弁護側が主張した武藤勇貴が[[多重人格]]で死体損壊時は別人格であったということを認め、殺人に関しては有罪と認め、懲役7年、死体損壊に関しては無罪の判決が下された。しかし、2009年4月28日、[[東京高等裁判所]]で行われた2審判決では1審判決を破棄、さらには武藤勇貴の多重人格を否定し死体損壊の責任能力を認め、懲役12年を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年5月9日、2審判決を不服として、弁護側が[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に上告、2009年9月16日、最高裁判所で2審判決を支持、上告を棄却、懲役12年が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==  &amp;quot;妹の胸・下腹部を切りとる&amp;quot;&amp;quot;妹の下着を合宿所に&amp;quot;&amp;quot;内臓を箱に&amp;quot; ==&lt;br /&gt;
東京都渋谷区の歯科医、武藤衛さん(62)方で長女の短大生、亜澄(あずみ)さん(20)の切断遺体が見つかった事件で、亜澄さんの遺体から頭髪と胸部、下腹部が切り取られていたことが分かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死体損壊容疑で逮捕された次兄の予備校生、勇貴(21)は胸部などについて「流し台のディスポーザー（生ごみ処理機）で処分した」と供述している。性別などの判別を困難にする工作と取れる半面、激しい恨みを示す行為ともみられ、警視庁捜査1課は理由を追及している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
亜澄さんの遺体は十数個に切断され、四つのポリ袋に入れられて勇貴容疑者の自室のクローゼットなどに隠されていた。ほとんどが関節部分で切断されていたが、胸部と下腹部が切り取られていた。また、頭髪は短く切られていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、殺害状況については「頭を殴ったが、気絶した後で起き上がったので首を絞めた」と供述している。遺体には水死の形跡もあり、捜査1課は、激しく暴行した後で亜澄さんを浴室に運び、水を張った浴槽に頭を沈めた可能性があるとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
妹の亜澄さん(20)を殺害したあと、31日から1月4日未明まで予備校の冬季合宿に参加していたことがわかっているが、取り調べの中で勇貴容疑者は、「犯行後に、妹の下着を合宿所に持っていった」と供述していたことが新たにわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、勇貴容疑者は、遺体の内臓部分だけをプラスチックのボックスに入れ、部屋の水槽の下の収納箱に入れていたことも新たにわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 武藤勇貴 ==&lt;br /&gt;
鑑定医は「被告は生来の[[アスペルガー症候群]]、人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分が爆発して犯行に及んだ」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 報道 ==&lt;br /&gt;
[[タブロイド紙]]や[[週刊誌]]はその猟奇性をこぞって取り上げ、武藤勇貴の異常性を強調するような報道を行っている。また、被害者は兄と義理の妹との「禁断の愛」をテーマにした[[オリジナルビデオ|Vシネマ]]に出演していたため、週刊誌などでは[[近親相姦]]の話が出回ったが、この話について[[宮崎哲弥]]はそれはないだろうと個人的見解ながら否定するコメントを残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家庭内で父や兄に[[ドメスティックバイオレンス]]を受けたという一部報道もあったが、いずれも肝腎とされる出典はあやふやであるため、臆測の域を出ない情報が多く、情報は錯綜していた。さらに直後に起こった[[新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件]]と比較する報道も確認されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの問題について警察は[[2月5日]]に起訴を行った際、週刊誌などで報道されたような性的趣味や死体趣味は一切ないと言う発表を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 警察による不祥事 ==&lt;br /&gt;
警視庁は2月9日、凶器として押収された[[木刀]]、[[鋸|のこぎり]]と家族が着ていた衣類2点の重要証拠品4点を紛失したと発表した。1月6日に捜査一課の捜査員がゴミと間違えて処分してしまい、翌日紛失に気づいたという。しかし裁判では代替品を用いることにするとして、多少の損失はあるが大きな問題はないとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
=== 武藤勇貴殺人罪で懲役7年判決…死体損壊は無罪 ===&lt;br /&gt;
東京地裁判決公判&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京都渋谷区の短大生、武藤亜澄さん(20)自宅で殺害、切断された事件で、殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の元歯科予備校生、勇貴(23)の判決公判が[[2008年]][[9月27日]]、[[東京地裁]]で開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[秋葉康弘]]裁判長は殺人については有罪を認め、懲役7年(求刑懲役17年)を言い渡した。損壊については無罪とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年7月に始まった裁判で最大の争点となったのは勇貴の責任能力。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護側が「犯行時は心神喪失か心神耗弱だった」と主張し精神鑑定を申請、秋葉裁判長が実施を決めた。鑑定のため、2007年9月5日の第3回公判後、約半年間にわたり中断した。2008年3月24日の第4回公判で鑑定結果が報告された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鑑定医の[[牛島定信]]・[[東京女子大]]教授(精神医学)は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「勇貴は生来の[[アスペルガー障害]]、中学時代に発症した[[強迫性障害]]に加え、犯行時には[[解離性同一性障害]](多重人格)を発症していた」と指摘。「被害者の挑発的な態度で人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分が爆発して犯行に及んだ」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのうえで「殺害時の責任能力は著しく限られており、遺体損壊時には解離性同一性障害を引き起こしていて責任能力はなかった」と結論づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勇貴は公判の中で、殺害時の心情を「ドライな感じ」と表現。犯行時の記憶について「ほとんど覚えていない」などと供述していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 裁判長に深々頭下げ ====&lt;br /&gt;
「懲役7年に処す。死体損壊については無罪」。秋葉裁判長が主文を告げると、勇貴は深々と一礼した。「失礼します」ともう一度お辞儀をして被告席に座ると、握りしめた拳をひざの上に置きじっと判決理由に聴き入った。表情を変えることはほとんどなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後に秋葉裁判長が「謝罪の気持ちを持ち続けながら前向きに生きてほしい。それが妹の死に報いることだと思います」と言葉をかけると、無言でうなずいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
閉廷後、[[宮川泰彦]]・主任弁護人は「（死体損壊を無罪とした点は）率直に評価したい。控訴するかどうかは、本人と家族とも相談して決めたい」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 判決要旨 ====&lt;br /&gt;
主文&lt;br /&gt;
:被告人を懲役7年に処する。未決勾留日数中250日をその刑に算入する。公訴事実のうち、死体損壊の点については無罪。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
理由&lt;br /&gt;
:犯罪事実&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、平成18年12月30日、東京都渋谷区幡ケ谷の自宅で、武藤亜澄さん(当時20歳)に対し、殺意をもって、その首にタオルのようなものを巻いて絞めつけた。さらに浴槽内の水中にその顔を沈める状態にし、その時、その場で、亜澄さんを窒息により死亡させて殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
責任能力に関する判断&lt;br /&gt;
:結論&lt;br /&gt;
::殺害時には勇貴被告に完全責任能力があったものの、死体損壊時には心神喪失の状態にあった可能性が否定できないと判断した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:牛島鑑定の信用性&lt;br /&gt;
::牛島医師は精神科医としての経歴、専門分野、臨床経験などに照らし、鑑定事項に関する勇貴被告の精神鑑定に適任の専門家であったと認められる。その鑑定の手法や判断方法にも不合理なところは認められないから、牛島鑑定は十分に信頼できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::検察官は、牛島鑑定が「信用性の高い捜査段階の勇貴被告の供述を判断資料から除外し、その内容とかけ離れた独自の問診結果を資料としており、前提条件が誤っていて、このことが責任能力の判断にも重大な影響を及ぼす」などと主張する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::検察官が指摘する「捜査段階の供述内容とかけ離れた問診結果」というのは、その主な内容は勇貴被告の公判供述と一致するものと思われる。しかし、犯行に関する勇貴被告の公判供述は、１枚の写真のようなかなり断片的な記憶しかないにもかかわらず、物語性のある連続した記憶があるかのような供述を捜査段階でした経緯を具体的に供述している点も含め、全体として整合性のある一貫した内容であり、作り話とは到底思われない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::しかも、勇貴被告のアスペルガー障害については、各犯行に関する勇貴被告の供述内容とは関係なく、多数回にわたる勇貴被告との面接場面で得られた所見、勇貴被告の両親との面談で得られた情報および心理テストの結果を総合して診断したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::この診断については、検察官の言う「捜査段階の供述内容とかけ離れた問診結果」を前提とした判断ではない。このような診断をした上での牛島医師の指摘を踏まえて、勇貴被告の公判供述を見てみると、その信用性は高いと評価できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::他方で、勇貴被告がアスペルガー障害に罹患（りかん）していることを前提に、勇貴被告の検察官調書を検討すると、殺害の動機に関する供述内容が不自然であるばかりか、犯行における主要な行為に関する内心の動きについては、供述されていなかったり、平板な内容であったりして、犯行の動機に関する供述と比べて不自然な濃淡がある。また、その一貫性にも不自然さがあることから、犯行状況に関する供述部分は信用できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::そうすると、牛島医師が勇貴被告の捜査段階の供述内容を前提とせず、問診結果を踏まえて鑑定を行ったことには何ら問題がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行時の勇貴被告の精神疾患とその病態&lt;br /&gt;
:この点について、牛島鑑定によれば、次の事実が認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、生まれながらにアスペルガー障害にかかった。中学生のころからは強迫性障害が加わった。さらに事件の1カ月以上前からアスペルガー障害を基盤とする解離性障害になっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::勇貴被告は自身のアスペルガー障害によって、他人との情緒的なかかわりあいの面で支障をきたすなどはあったが、高校を卒業するまでは一般的な社会生活で著しく問題になることはなかった。社会性の面では軽度の発達障害というべき病態である。&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、自身が犯したような行為をしてはならないという認識を十分に持っていた。アスペルガー障害の程度は責任能力に影響を及ぼすものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::アスペルガー障害を基盤にした勇貴被告の人格構造は、激しい攻撃性を秘めながらそれを徹底して意識しないという特有のものだった。怒りの感情を徹底的に意識から排除しようとし、激しい怒りが突出しても、それを感じたと認識する過程を持っていない。&lt;br /&gt;
::勇貴被告はアスペルガー障害によって、このような攻撃性などの衝動を制御する機能が弱い状態にあったが、アスペルガー障害を基盤とする解離性障害が加わり、外界の刺激が薄れることによって、この機能がさらに弱体化していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勇貴被告の精神状態が犯行に与えた影響&lt;br /&gt;
:この点について、牛島医師は鑑定の最終的な結論として、次のような判断を示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、殺害時もことの善しあしを見分ける能力は十分にあったが、亜澄さんから挑発的な言動を受けたことにより、怒りの感情を抱いた。しかし、怒りの感情を抑制する機能が弱体化していたため、内奥にある激しい攻撃性が突出し、亜澄さんを殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::このようにして殺害に及んだことが衝撃となって解離性同一性障害による解離状態が生じ、死体損壊時には、本来の人格とは異なる獰猛（どうもう）な人格状態になっていた可能性が非常に高い。&lt;br /&gt;
このような判断をした理由について、牛島医師は、当時、勇貴被告が解離性障害にかかっていたと判断したことのほか、以下のような点を挙げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::(1)死体損壊行為は、亜澄さんの遺体を左右対称に１５にも解体するなどしたという手の込んだものだった。その意図と作業過程は、隠しやすくしたり、運びやすくしたりするためということでは説明ができず、別の人格を仮定しないと説明がつかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::(2)怒り狂った行為態様である殺害行為と、非常に冷静で整然とした行為態様である死体損壊行為とは、意識状態が変わったとみるべきであること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::(3)勇貴被告には、犯行時の記憶がほとんどなく、犯行前後の記憶もない。解離性健忘が生じた場合、その前後の記憶がなくなるという逆行性健忘や前向きの健忘を伴うことがよくある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::このうち(1)(2)の指摘については、証拠から認められる事実に照らしてもうなずけるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::現在、アスペルガー障害を基盤にして解離性障害を発症した症例に関する研究は十分になされていない。この段階での判断では、死体損壊時において、勇貴被告は解離性同一性障害により本来の人格とは別の猪猛な人格状態にあった可能性が非常に高いという判断にも合理性があると言える。この可能性を前提に、勇貴被告の責任能力を判断すべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死体損壊時の責任能力&lt;br /&gt;
:亜澄さんの遺体を損壊したとき、勇貴被告は解離性同一性障害によって本来の人格とは別の人格状態にあった可能性があり、本来の人格はこの別の人格状態とは関係ない。このことからも、勇貴被告は遺体損壊時、本来の人格とは別の人格状態に支配されて自分の行為を制御する能力を欠いており、心神喪失の状態にあった可能性も否定できない。よって、遺体損壊時は心神喪失の状態にあったものと認定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害時の責任能力&lt;br /&gt;
:牛島医師は、亜澄さんの殺害時、勇貴被告に是非弁識能力は十分あったが、衝動を抑制する力が弱体化していたことから、自分を制御する力は「著しく減退していた」との見解を述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、勇貴被告は生まれながらにアスペルガー障害に罹患してはいたが、高校卒業までは一般的な社会生活が著しく障害されることはなく、社会性の面では軽度の発達障害というべき病態であった。亜澄さん殺害時も是非弁織能力は十分あり、解離性障害を発症する以前は自分を制御する力も十分あった。それは、次の事実から認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この事件が起きる3日前、亜澄さんから聞いた話を誤解した母親が亜澄さんを夕食に呼ばず、腹を立てた亜澄さんが母親に文句を言って自分の部屋に戻ってしまったことがあった。その様子を目の当たりにした勇貴被告は、亜澄さんの言動に腹を立てて亜澄さんを批判する話を兄としたが、それ以上の行動には出なかった。&lt;br /&gt;
:このように、解離性障害が発症した後も、勇貴被告はこの事件が起きるまでの１カ月以上にわたり、大学受験を控えた浪人生として家族などと日常生活を送っていたが、トラブルを起こしたことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この事件が起きた翌日、勇貴被告は自分が亜澄さんを殺害したことを明確に認識していながら、父親から亜澄さん在宅の有無を聞かれた際には知らない振りをした。また、亜澄さんの遺体が置いてある自分の部屋に入らないように父親に言うなど、犯行が発覚することを恐れ、発覚を防ぐための適切な言動を取っていた。&lt;br /&gt;
勇貴被告は犯行後も、家族に対して普段と変わらない対応をとっていた。さらに、犯行後に３日間にわたって予備校の冬期合宿に参加しているが、予備校関係者との日常生活も問題なく送っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これらのことは、事件が起きた当日前後でも、勇貴被告がその時々の状況に応じて、自分の行為を適切に制御する能力を全体としてかなりよく維持していたことを示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さん殺害時、勇貴被告は衝動を抑制する力が弱っており、自分を制御する能力がかなり減退していたことは否定できない。しかし、その程度は、責任能力が限定されるほど著しいものとまでは言えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
量刑の理由&lt;br /&gt;
:人一人の命を奪った結果はあまりに重い。亜澄さんは20歳という若さで突然その前途を閉ざされたものであり、まだまだこの世で生きていたかったであろうと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さんは、長年にわたって兄妹として勇貴被告と一緒に育てられた。人生に悩んだときなどは、ありのままの自分を受け入れてほしいと勇貴被告を頼りにこそすれ、まさか兄である勇貴被告に殺されるとは思ってもみなかったであろう。また、息子に殺害された上に解体までされた娘の姿を目の当たりにした両親の衝撃、戸惑い、悲痛は想像を絶する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかも、その犯行の様子から考えると、亜澄さん殺害は強固な殺意に基づいて行われたものであり、勇貴被告の責任は極めて重大である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一方で、勇貴被告は、生まれながらにアスペルガー障害を患っていた。勇貴被告は両親からもその障害に気づかれずに成長し、この障害を基盤とする解離性障害に罹患するまでに至った。そのため、責任能力にこそ影響はしないものの、是非善悪を判断して行動する能力がかなり減弱した状態だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さん殺害は、そのような精神状態にあった勇貴被告による衝動的な犯行である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さんは、周囲の者の対応が難しい反抗挑戦性障害であった。家出をしたり、家族に対して攻撃的な態度を取ったりして、家庭に不和をもたらすこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さんは、勇貴被告が亜澄さんを殺害するという衝動に駆り立てられるほど挑発的な言動に及んでいた。そのことが、この事件のきっかけになったという側面は否定できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一方で、勇貴被告は自ら亜澄さんを殺害したことを認めている。公判でも「妹に本当にかわいそうなことをしてしまった。もっと理解してあげなかったことについても謝罪したい。両親にもおわびをしなければいけない」などと述べ、罪を償っていく決意を示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、証人として法廷に立った両親と兄が寛大な処分を求めており、家族で勇貴被告の更生に助力する決意も述べている。この事件が起きた当時２１歳と若年であったことなど、勇貴被告にとって酌むべき事情も認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:以上の事情を考慮した結果、勇貴被告を主文の刑に処するのが相当であると判断した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 死体損壊無罪の1審不服で東京地検が控訴 ===&lt;br /&gt;
東京地検は[[2008年]][[6月4日]]、死体損壊について無罪とし、殺人罪で懲役7年(求刑・懲役17年)とした1審・東京地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 弁護側も控訴 ===&lt;br /&gt;
弁護側は[[2008年]][[6月6日]]、東京高裁に控訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 控訴審(2009年4月) ===&lt;br /&gt;
渋谷妹バラバラ殺人控訴審。1審を破棄、懲役12年判決&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の元予備校生、勇貴被告(24)の控訴審判決公判が28日、東京高裁で開かれた。[[阿部文洋]]裁判長は、死体損壊罪を心神喪失で無罪とし、殺人罪については完全責任能力を認め懲役7年を言い渡した1審東京地裁判決を破棄、死体損壊罪についても責任能力を認め、懲役12年を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1、2審を通じた争点は勇貴被告に犯行時、責任能力があったか否かだった。1審では鑑定医が精神鑑定で「解離性同一性障害などにより殺害時は心神耗弱、遺体損壊時は心神喪失状態」との見解を示した。検察側は「証拠隠滅工作をするなど死体損壊時にも完全責任能力があった」と主張。弁護側は「殺害時も責任能力はない」と全面無罪を訴えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年5月の1審判決は死体損壊時を「本来の人格とは別の獰猛な人格状態にあった可能性が高い」として、刑事責任が問えない心神喪失状態とした。一方で殺害時は、「精神障害の影響で怒りを抑える力が弱まっていた」としながらも、直前まではトラブルもなく日常生活を送っていたことから「責任能力に影響するほどではなかった」とし、完全責任能力があったと結論付けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被告側の上告棄却(2009年9月) ===&lt;br /&gt;
元予備校生、武藤勇貴(24)の上告審で、[[最高裁]]第2小法廷([[竹内行夫]]裁判長)は武藤勇貴被告側の上告を棄却する決定をした。殺人罪のみ認め、死体損壊罪は無罪として懲役7年を言い渡した1審判決を破棄、両罪の成立を認定し、懲役12年とした2審東京高裁判決が確定する。決定は15日付。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1審東京地裁は、死体損壊罪は心神喪失で無罪とし、殺人罪のみ責任能力を認めて懲役7年(求刑懲役17年)としたが、2審は一貫して責任能力があったと認定して1審判決を破棄、懲役12年を言い渡していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[バラバラ殺人]]&lt;br /&gt;
* [[新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[本郷兄弟決闘殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[アスペルガー症候群]]&lt;br /&gt;
* [[神奈川金属バット両親殺害事件]] - 当事件同様、浪人生一柳展也による身内への殺人事件。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:むとう ゆうき}}&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%BF%97%E6%B0%B4%E9%9B%84%E5%A4%AA&amp;diff=160931</id>
		<title>志水雄太</title>
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				<updated>2012-06-10T20:37:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''志水 雄太'''（しみず ゆうた、[[1989年]]5月19日 - ）は、[[日本]]の[[アダルトビデオ]][[俳優]]。[[埼玉県]]入間市在住。通名：ブルースカイ志水。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
中学時代、学業成績は常に優秀だったものの、同級生を[[いじめ]]て怪我を負わせて[[不登校]]に追いやった問題児であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熟女好きであり、'''熟女AV界の新星'''として期待されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
*[[2002年]]3月入間市立藤沢小学校卒業&lt;br /&gt;
*[[2005年]]3月入間市立向原中学校卒業&lt;br /&gt;
*[[2008年]]3月慶應義塾志木高等学校卒業&lt;br /&gt;
*2008年4月[[慶應義塾大学]]理工学部機械工学科入学&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[セックス]]&lt;br /&gt;
*[[アナルセックス]]&lt;br /&gt;
*[[異常性欲]]&lt;br /&gt;
*[[レイプ]]&lt;br /&gt;
*[[輪姦]]&lt;br /&gt;
*[[オナニー]]&lt;br /&gt;
*[[顔射]]&lt;br /&gt;
*[[口内射精]]&lt;br /&gt;
*[[アナルフィスト]]&lt;br /&gt;
*[[スカルファック]]&lt;br /&gt;
*[[処女強姦]]&lt;br /&gt;
*[[人妻]]&lt;br /&gt;
*[[フィストファック]]&lt;br /&gt;
*[[拡張プレイ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しみず ゆうた}}&lt;br /&gt;
[[Category:1989年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:おたく]]&lt;br /&gt;
[[Category:小泉毅の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:鬼畜]]&lt;br /&gt;
[[Category:転落人生]]&lt;br /&gt;
[[Category:クソガキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:ガキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:勘違い野郎]]&lt;br /&gt;
[[Category:池沼]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

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		<title>志水雄太</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''志水 雄太'''（しみず ゆうた、[[1989年]]5月19日 - ）は、[[日本]]の[[アダルトビデオ]][[俳優]]。[[埼玉県]]入間市在住。通名：ブルースカイ志水。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
中学時代、学業成績は常に優秀だったものの、同級生を[[いじめ]]て怪我を負わせて[[不登校]]に追いやった問題児であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熟女好きであり、'''熟女AV界の新星'''として期待されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
*[[2002年]]3月入間市立藤沢小学校卒業&lt;br /&gt;
*[[2005年]]3月入間市立向原中学校卒業&lt;br /&gt;
*[[2008年]]3月慶應義塾志木高等学校卒業&lt;br /&gt;
*2008年4月[[慶應義塾大学]]理工学部機械工学科入学&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[セックス]]&lt;br /&gt;
*[[アナルセックス]]&lt;br /&gt;
*[[異常性欲]]&lt;br /&gt;
*[[レイプ]]&lt;br /&gt;
*[[輪姦]]&lt;br /&gt;
*[[オナニー]]&lt;br /&gt;
*[[顔射]]&lt;br /&gt;
*[[口内射精]]&lt;br /&gt;
*[[アナルフィスト]]&lt;br /&gt;
*[[スカルファック]]&lt;br /&gt;
*[[処女強姦]]&lt;br /&gt;
*[[人妻]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しみず ゆうた}}&lt;br /&gt;
[[Category:1989年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:おたく]]&lt;br /&gt;
[[Category:小泉毅の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
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[[Category:転落人生]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E6%8C%AF%E8%88%88%E4%BC%9A&amp;diff=128634</id>
		<title>日本文化振興会</title>
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				<updated>2011-02-20T04:00:58Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''日本文化振興会'''（にほんぶんかしんこうかい）とは、[[日本の文化|日本文化]]の振興推進によって、日本文化普及ならびに国際文化の向上を進め、国際親善と友好を目指す、民間の国際文化交流団体。正式名称は「'''有限会社日本文化振興会'''」&lt;br /&gt;
である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1971年]]、桟勝正によって創立され、初代総裁に[[戦後]]初の[[内閣総理大臣]]になった[[東久邇宮稔彦王]]が就任。以後、歴代総裁に[[旧皇族]]を頂き、現総裁は、[[伏見宮博明王|伏見博明]]（5代目）。&lt;br /&gt;
理事長は、桟勝正。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]11月から[[2005年]]10月までの間、山口組系英組幹部の[[英五郎]]（はなぶさ　ごろう）が名誉最高顧問を務めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総本部所在地: 東京都中央区銀座8-8-15 青柳ビル8階&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[独立行政法人]][[日本芸術文化振興会]]とは無関係である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な業務内容 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 顕彰制度 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[国際アカデミー賞]]&lt;br /&gt;
* [[国際芸術文化賞]]&lt;br /&gt;
* [[社会文化功労賞]]&lt;br /&gt;
の3つの賞があり、それぞれの賞において記章として、菊華勲章を授与している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この顕彰制度は、芸術・美術・宗教・社会福祉・文化・教育の6部門により選考し実施。&lt;br /&gt;
国内的にも国際的にもその専門分野での活動と業績が極めて顕著であると認めた者に対して審査・選考の結果 実施しているが、民間レベルで実施するという趣旨によって、国や政府が置き忘れている人材、それぞれの専門分野で その技術・技能を充分に発揮しながら世の注目を浴びることの無い人材の発掘を目的とし、毎年前期と後期に分けて、審査・選考の結果実施する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[疑似科学]]である[[マイナスイオン]]で有名な[[堀口昇]]や[[精神世界]]の担い手、また[[ディプロマミル]]による学位取得者も受賞している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その他の賞として、世界最高医学栄誉賞や○○○がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 国際芸術新聞 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
芸術並びに文化活動に関わる情報や、[[全国青少年健全育成会]]の情報を発信する。&lt;br /&gt;
[[2007年]]2月頃より、帝国芸術新聞と改名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
株式会社帝国芸術新聞の住所は西宮市剣谷町8-27。これは英五郎の家族が役員をしている有限会社平和宅建と同じ住所であり、また役員にも平和宅建と重複している者が見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「新院展」開催 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新日本美術院(新院展)で、様々な公募を行う。&lt;br /&gt;
総事務局住所は、日本文化振興会と同じ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連組織・団体 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Web他で活動が確認できるもの ===&lt;br /&gt;
* [http://www.hanabusa.jp/ 全英会]&lt;br /&gt;
* [http://www.g8723.net/ 全国平和連合]&lt;br /&gt;
* [http://www.ikuseikai.co.jp/ 全国青少年健全育成会]&lt;br /&gt;
以上の3者は全て同一コンテンツであり同一人物によって運営されていると見られる&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/shininten/ 新院展（新日本美術院）]：会長は石井宝山&lt;br /&gt;
* 帝国芸術新聞社：帝國芸術新聞社とも表記（旧・国際芸術新聞社）&lt;br /&gt;
* 有限会社平和宅建&lt;br /&gt;
* グリーンツダボクシングクラブ後援会：[[亀田興毅]]等、亀田兄弟を応援&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 実体が不明なもの(未確認含) ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[国際学士院]]&lt;br /&gt;
* [[国際学士院大学]]&lt;br /&gt;
* 世界宗教法王庁 世界宗教連合会&lt;br /&gt;
* 世界平和文化連合&lt;br /&gt;
* 世界婦人平和促進財団・・・総裁は石井宝山&lt;br /&gt;
* リンカーン記念平和財団&lt;br /&gt;
* 国際健康文化研究財団&lt;br /&gt;
* 世界学術文化審議会&lt;br /&gt;
* 世界知的財産登録協議会&lt;br /&gt;
* 国際自然医粧研究財団&lt;br /&gt;
* 異業種交流助成協会&lt;br /&gt;
* 世界聖職業者教育認定機構&lt;br /&gt;
* 各国宗教文化芸術団体&lt;br /&gt;
* 世界大学総長会議&lt;br /&gt;
* ロスアンゼルス市立大学&lt;br /&gt;
* アガベー大学&lt;br /&gt;
* インドサスヤベーダ神学院&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[表彰記章]]&lt;br /&gt;
* [[ディプロマミル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://khon.at.infoseek.co.jp/soshiki/koro.html 日本文化振興会] （健康本の世界）&lt;br /&gt;
** [http://khon.at.infoseek.co.jp/soshiki/kokusai.html 国際学士院] （健康本の世界）&lt;br /&gt;
* [http://keiten.net/articles/photograph/091_06.html 日本文化振興会創立35周年記念祝賀会] （[[敬天新聞社]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:Wikipediaで保護された記事|{{PAGENAME}}]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口組|{{PAGENAME}}]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本文化振興会|*]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%90%86%E7%A7%91%E5%A4%A7%E5%AD%A6&amp;diff=128633</id>
		<title>東京理科大学</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%90%86%E7%A7%91%E5%A4%A7%E5%AD%A6&amp;diff=128633"/>
				<updated>2011-02-20T03:59:50Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''東京理科大学'''（とうきょうりかだいがく）とは、日本の私立大学である。もちろん、東京都にある。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B8%82%E6%A9%8B%E9%81%94%E4%B9%9F&amp;diff=128443</id>
		<title>市橋達也</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B8%82%E6%A9%8B%E9%81%94%E4%B9%9F&amp;diff=128443"/>
				<updated>2011-02-15T05:41:00Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア白紙保護}}&lt;br /&gt;
{{ウィキペディア|水嶋ヒロ}}&lt;br /&gt;
{{人殺し}}&lt;br /&gt;
'''死ね橋アホ也'''（しねはしあほや、[[1979年]][[1月5日]] - ）は、不細工だったが整形してイケメン顔を手に入れた。身長180cm、体重60kg。*足のサイズ27cm。[[空手]]で[[黒帯]]を持っていると言う虚実をばら撒いている。血液型O型。[[岐阜県|G県]][[羽島市|H市]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 実態 ==&lt;br /&gt;
だが、イケメンなのはあくまで顔だけである。それでも最初は市橋をイケメンだという人物は殆ど現れず、むしろ「危険な顔」とか言われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この男は[[2007年]]に当時住んでいた[[千葉県]][[市川市]]のマンションで女性英会話講師を殺害して、現場に駆けつけた'''間抜けな貧弱ポリス'''を倒して逃亡（このとき間抜けポリスの「警察呼んで！」は全国で笑いものになった）、[[2009年]]に[[大阪府]][[大阪市]][[住之江区]]で逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが逮捕後、その市橋に日本の女らはファンクラブ的な動きを起こし、「'''市橋ガールズ'''」たる団体が出てきた。'''流石は犯罪者美化・被害者侮辱大国の日本だけのことはあるぜ!'''だが、この実態についてもやはり[[I.T.Revolution|このアホ]]はわかってくれない…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父親は医師、母親は歯科医師という、裕福な家庭に育ち、活発で人気者の少年時代を送っていた。&lt;br /&gt;
だが、キレやすくなる一面もあった。だから･･･、こいつなんて'''死ね'''ばいいんだ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
平成6年　[[羽島市立竹鼻中学校]]卒 &lt;br /&gt;
[http://www.hashima-gifu.ed.jp/~takehanaj/]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平成9年　[[岐阜県立羽島北高校]]卒 &lt;br /&gt;
[http://school.gifu-net.ed.jp/hasikita-hs/index2Frameset-7.htm]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浪人を経て進んだ横浜国立大学の二部を1年ほどで退学。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
22歳で[[千葉大学]]園芸学部に再入学したが卒業後も祖父母名義のマンションに一人で住む。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』（幻冬舎、2011年1月、ISBN 978-4-344-01941-6 ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
*[[水嶋ヒロ]]&lt;br /&gt;
*[[整形]]&lt;br /&gt;
*[[マイケル・ジャクソン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://wiki.chakuriki.net/index.php/Category:%E7%95%A0%E5%B1%B1%E8%82%B2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%82%BD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%91%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E5%BC%B7%E3%81%8F%E7%96%91%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC チャクウィキ市橋関連アカウント]（全て封鎖済）&lt;br /&gt;
*[[wiki:利用者:市橋達也|ウィキペディアの市橋達也氏]]（不適切の利用者名として無期限ブロック）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{オウム真理教}} &lt;br /&gt;
{{野田憲太郎}} &lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しねはしあほや}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで白紙保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:1979年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E6%B3%89%E6%AF%85&amp;diff=128442</id>
		<title>小泉毅</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E6%B3%89%E6%AF%85&amp;diff=128442"/>
				<updated>2011-02-15T05:28:18Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア白紙保護}}&lt;br /&gt;
{{ウィキペディア|アクメツ}}&lt;br /&gt;
'''小泉 毅'''（こいずみ たけし、[[1962年]][[1月]] - ）は、[[日本]]の偉大な[[革命家]]兼[[愛犬家]]。[[山口県]][[柳井市]]出身。クリスチャン。[[引寺利明]]とともに「'''ネ申'''」と呼ばれている。[[佐賀大学]]理工学部を留年のすえ中退（←国立大だぜ。頭いい！）&lt;br /&gt;
{{語録 (小泉純一郎)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==革命実行==&lt;br /&gt;
[[2008年]][[11月18日]]、元厚生事務次官の[[山口剛彦]]とその妻・美知子を[[さいたま市]]内の自宅で刺殺、さらには[[中野区]]では同じく元厚生事務次官の[[吉原健二]]の妻・靖子にも宅配業者を装い重傷を負わせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[11月23日]]、[[TBS]]の掲示板に殺害をほのめかす内容を投稿し、堂々と[[警視庁]]に出頭、銃刀法違反容疑で逮捕された。同年[[12月4日]]には殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害の理由は、「34年前（[[1974年]]）に、犬を処分されたあだ討ちで、昔は厚生大臣を殺そうとしたが、佐賀大学時代に高級官僚が悪だと分かった」だと供述。真の革命家は動物を愛する優しい心を持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件を切っ掛けにして[[自民党]]政権は崩壊した。ざまぁｗｗｗｗ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
動物を愛する気持ちはわかるが、人を殺すのは絶対に間違っている。そこをかばうことはできない。ただ、小泉さんが家族同然にかわいがっていた愛犬が間違って殺処分されたのことも事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 小泉さんの爪の垢を飲ませたいクズども ==&lt;br /&gt;
*[[加藤智大]]の[[キモヲタ]][[童貞]]&lt;br /&gt;
*[[小泉純一郎]]&lt;br /&gt;
*[[宅間守]]&lt;br /&gt;
*[[石原慎太郎]]&lt;br /&gt;
これらのクズどもは、一度小泉さんの爪の垢を煎じて飲め。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 小泉さんに与えられた称号 ==&lt;br /&gt;
*[[平成の必殺仕事人]]&lt;br /&gt;
*[[リアルアクメツ]]&lt;br /&gt;
*[[シロアリハンター]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注意 ==&lt;br /&gt;
[[ウィキペディア]]などで、この偉大な革命家の記事を作成したり、垢を作成すると、無期限ブロックされるので注意。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://2ch.まとめ.gaasuu.com/word/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E6%AF%85 小泉毅まとめサイト]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こいすみたけし}}&lt;br /&gt;
[[category:冤罪の被害者]]&lt;br /&gt;
[[category:人殺し|正義]]&lt;br /&gt;
[[category:ウィキペディアで白紙保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[category:勇者]]&lt;br /&gt;
[[category:カッコ良すぎる漢]]&lt;br /&gt;
[[category:神]]&lt;br /&gt;
[[category:天才]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E6%8C%AF%E8%88%88%E4%BC%9A&amp;diff=128441</id>
		<title>日本文化振興会</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E6%8C%AF%E8%88%88%E4%BC%9A&amp;diff=128441"/>
				<updated>2011-02-15T05:21:15Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;211.9.53.105: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''日本文化振興会'''（にほんぶんかしんこうかい）とは、[[日本の文化|日本文化]]の振興推進によって、日本文化普及ならびに国際文化の向上を進め、国際親善と友好を目指す、民間の国際文化交流団体。正式名称は「有限会社日本文化振興会」&lt;br /&gt;
である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1971年]]、桟勝正によって創立され、初代総裁に[[戦後]]初の[[内閣総理大臣]]になった[[東久邇宮稔彦王]]が就任。以後、歴代総裁に[[旧皇族]]を頂き、現総裁は、[[伏見宮博明王|伏見博明]]（5代目）。&lt;br /&gt;
理事長は、桟勝正。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]11月から[[2005年]]10月までの間、山口組系英組幹部の[[英五郎]]（はなぶさ　ごろう）が名誉最高顧問を務めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総本部所在地: 東京都中央区銀座8-8-15 青柳ビル8階&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[独立行政法人]][[日本芸術文化振興会]]とは無関係である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な業務内容 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 顕彰制度 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[国際アカデミー賞]]&lt;br /&gt;
* [[国際芸術文化賞]]&lt;br /&gt;
* [[社会文化功労賞]]&lt;br /&gt;
の3つの賞があり、それぞれの賞において記章として、菊華勲章を授与している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この顕彰制度は、芸術・美術・宗教・社会福祉・文化・教育の6部門により選考し実施。&lt;br /&gt;
国内的にも国際的にもその専門分野での活動と業績が極めて顕著であると認めた者に対して審査・選考の結果 実施しているが、民間レベルで実施するという趣旨によって、国や政府が置き忘れている人材、それぞれの専門分野で その技術・技能を充分に発揮しながら世の注目を浴びることの無い人材の発掘を目的とし、毎年前期と後期に分けて、審査・選考の結果実施する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[疑似科学]]である[[マイナスイオン]]で有名な[[堀口昇]]や[[精神世界]]の担い手、また[[ディプロマミル]]による学位取得者も受賞している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その他の賞として、世界最高医学栄誉賞や○○○がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 国際芸術新聞 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
芸術並びに文化活動に関わる情報や、[[全国青少年健全育成会]]の情報を発信する。&lt;br /&gt;
[[2007年]]2月頃より、帝国芸術新聞と改名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
株式会社帝国芸術新聞の住所は西宮市剣谷町8-27。これは英五郎の家族が役員をしている有限会社平和宅建と同じ住所であり、また役員にも平和宅建と重複している者が見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「新院展」開催 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新日本美術院(新院展)で、様々な公募を行う。&lt;br /&gt;
総事務局住所は、日本文化振興会と同じ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連組織・団体 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Web他で活動が確認できるもの ===&lt;br /&gt;
* [http://www.hanabusa.jp/ 全英会]&lt;br /&gt;
* [http://www.g8723.net/ 全国平和連合]&lt;br /&gt;
* [http://www.ikuseikai.co.jp/ 全国青少年健全育成会]&lt;br /&gt;
以上の3者は全て同一コンテンツであり同一人物によって運営されていると見られる&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/shininten/ 新院展（新日本美術院）]：会長は石井宝山&lt;br /&gt;
* 帝国芸術新聞社：帝國芸術新聞社とも表記（旧・国際芸術新聞社）&lt;br /&gt;
* 有限会社平和宅建&lt;br /&gt;
* グリーンツダボクシングクラブ後援会：[[亀田興毅]]等、亀田兄弟を応援&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 実体が不明なもの(未確認含) ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[国際学士院]]&lt;br /&gt;
* [[国際学士院大学]]&lt;br /&gt;
* 世界宗教法王庁 世界宗教連合会&lt;br /&gt;
* 世界平和文化連合&lt;br /&gt;
* 世界婦人平和促進財団・・・総裁は石井宝山&lt;br /&gt;
* リンカーン記念平和財団&lt;br /&gt;
* 国際健康文化研究財団&lt;br /&gt;
* 世界学術文化審議会&lt;br /&gt;
* 世界知的財産登録協議会&lt;br /&gt;
* 国際自然医粧研究財団&lt;br /&gt;
* 異業種交流助成協会&lt;br /&gt;
* 世界聖職業者教育認定機構&lt;br /&gt;
* 各国宗教文化芸術団体&lt;br /&gt;
* 世界大学総長会議&lt;br /&gt;
* ロスアンゼルス市立大学&lt;br /&gt;
* アガベー大学&lt;br /&gt;
* インドサスヤベーダ神学院&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[表彰記章]]&lt;br /&gt;
* [[ディプロマミル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://khon.at.infoseek.co.jp/soshiki/koro.html 日本文化振興会] （健康本の世界）&lt;br /&gt;
** [http://khon.at.infoseek.co.jp/soshiki/kokusai.html 国際学士院] （健康本の世界）&lt;br /&gt;
* [http://keiten.net/articles/photograph/091_06.html 日本文化振興会創立35周年記念祝賀会] （[[敬天新聞社]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:Wikipediaで保護された記事|{{PAGENAME}}]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口組|{{PAGENAME}}]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本文化振興会|*]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>211.9.53.105</name></author>	</entry>

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