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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-05-17T05:22:08Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>武田晴信</title>
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				<updated>2011-09-22T12:44:02Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{基礎情報 武士&lt;br /&gt;
| 氏名 = 武田晴信&lt;br /&gt;
| 画像 = &lt;br /&gt;
| 時代 = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]&lt;br /&gt;
| 生誕 = [[大永]]元年[[11月3日 (旧暦)|11月3日]]（[[1521年]][[12月1日]]）&lt;br /&gt;
| 死没 = [[元亀]]4年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]（[[1573年]][[5月13日]]）&lt;br /&gt;
| 改名 = 太郎（幼名）、晴信、徳栄軒信玄（号）&lt;br /&gt;
| 別名 = 渾名：甲斐の虎、甲斐の龍&amp;lt;br /&amp;gt;勝千代&amp;lt;ref&amp;gt;『甲陽軍鑑』では幼名「太郎」に加え「勝千代」とも呼ばれたとされるが、この資料は資料的価値は低いため信憑性は薄いので定かではない。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 戒名 = 法性院機山信玄&lt;br /&gt;
| 墓所 = [[武田神社]]、[[信玄墓]]、[[大泉寺 (甲府市)|大泉寺]]、[[恵林寺]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[諏訪湖]]、[[長岳寺]]、[[龍雲寺 (佐久市)|竜雲寺]]、[[高野山]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[福田寺]][[妙心寺]]ほか&lt;br /&gt;
| 官位 = [[従四位下]]、[[大膳職|大膳大夫]]、[[信濃国|信濃守]]贈[[従三位]]&lt;br /&gt;
| 幕府 = [[室町幕府]]：[[甲斐国|甲斐]]守護職・[[信濃国|信濃]]守護職&lt;br /&gt;
| 氏族 = [[甲斐源氏]]、[[武田氏]]&lt;br /&gt;
| 父母 = 父：[[武田信虎]]、母：[[大井の方]]&lt;br /&gt;
| 兄弟 = 竹松、'''武田晴信（信玄）'''、犬千代、&amp;lt;br /&amp;gt;[[武田信繁]]、[[武田信基]]、[[武田信廉]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[松尾信是]]、[[武田宗智]]、[[河窪信実]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[一条信龍]]、[[武田信友]]、[[武田勝虎]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[定恵院]]、南松院、[[禰々]]、菊御料人、&amp;lt;br /&amp;gt;亀御料人&lt;br /&gt;
| 妻   = 正室：'''[[上杉朝興]]の娘'''　継室：'''[[三条の方]]'''&amp;lt;br /&amp;gt;側室：[[諏訪御料人]]、[[禰津御寮人]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[油川夫人]]　[[#系譜|ほか]]&lt;br /&gt;
| 子   = [[武田義信]]、[[海野信親]]、[[武田信之]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[黄梅院 (北条氏政正室)|黄梅院]]、[[見性院 (穴山梅雪正室)|見性院]]、'''[[武田勝頼]]'''、&amp;lt;br /&amp;gt;[[真竜院]]、[[仁科盛信]]、[[葛山信貞]]、&amp;lt;br /&amp;gt;[[武田信清]]、[[松姫]]、[[菊姫 (上杉景勝正室)|菊姫]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''武田 晴信'''／'''武田 信玄'''（たけだ はるのぶ／たけだ しんげん）は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]、[[甲斐国|甲斐]]の[[守護大名]]・[[戦国大名]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[甲斐源氏]]の[[嫡流]]にあたる[[武田氏|甲斐武田家]]第19代当主。[[諱]]は'''晴信'''。「信玄」とは（出家後の）[[戒名|法名]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内乱に乗じて領土を収奪し、戦国時代を長引かせる。最終的に武田氏は織田信長に討伐された。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%91%B5%E9%BE%8D%E9%9B%84_(210.88.243.214%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%A6%84%E6%83%B3)&amp;diff=138979</id>
		<title>葵龍雄 (210.88.243.214による妄想)</title>
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				<updated>2011-09-21T02:48:10Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア削除}}&lt;br /&gt;
'''葵 龍雄'''（あおい たつお、き りゅうゆう、キ ロンウ）は、[[クソガキどもを糾弾するホームページ]]の管理人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
自称アジア人で、台湾でホームページを運営しているが、国籍は明らかにしていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「キ・ロンウ」「あおいたつお」「きりゅうゆう」「あおいりゅうゆう」と読み方は自由と本人が発言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ホームページ上で取り上げた事件による被害者の被害感情を真剣に考えていることに変わりはないのであるが、困ったことに一部では葵を「このようなことをして被害者の為になるのか。」などと叩いたり、「興味本位な人間を扇動したいだけ」と切り捨てたりする恩知らずも見受けられるのも事実なのである。これらの恩知らずは[[反日]]的な[[自虐史観]]を信奉する[[左翼]]であり、「[[皇室|天皇制]]打倒」を掲げる[[共産主義|共産主義者]]である。更には[[2ちゃんねる]]とかでは成人による犯罪は普通にバッシングするのに葵のこととなると「いじめられっ子」呼ばわりして笑い者にするなどという、感覚が矛盾した馬鹿まで出てくる始末である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==葵のまだ甘い点==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--葵は世の中の事件の加害者及びその関係者に対する見解が100%完璧かと言われると案外そうでもない。いや、むしろ思っていたよりはまだまだお人好しである。&lt;br /&gt;
*少年によるいじめ事件やリンチ事件があった場合、「少年によるこのような行為は親の責任でもある。」と発言するなど（一部事件では加害者の両親の名前も公開している）、「この親にしてこの子あり」ということを人一倍理解していながら、ホームページ上で取り上げた加害者がやがて結婚して子供ができた場合、「子供には罪はない」と発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;ってか、'''ホームページで取り上げた加害者の結婚にあれだけ立腹できるくらいだったら流産祈願するぐらいできんワケぇ'''?&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*「ジェントルハートプロジェクト」というNPO法人が行ったアンケート結果からもわかるように小中高生というのが如何にいじめ問題についての考えが軽々しい生き物かを理解もせずに「いじめ事件のあった学校の関係者なら皆、加害者を恥と思うだろう。」と言い張っている&amp;lt;ref&amp;gt;ならば一体何なんだ、[http://blog.goo.ne.jp/chikushikan/m/200909 このブログ]や神奈川県民の[[神奈川県立野庭高等学校]]の（モロに事件があった）吹奏楽部に対するチヤホヤぶりは。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*成人しているからとの理由で史上最低のクソガキ（[[亀田興毅]]・[[亀田大毅]]・[[沢尻エリカ]]・[[高橋祐也]]）をホームページ上で取り上げていない。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
*ホームページで取り上げた加害者の入学を許可している学校&amp;lt;ref&amp;gt;[[神奈川県立橋本高等学校]]や[[埼玉県立浦和高等学校]]、[[早稲田大学]]など。また、[[岐阜県立土岐紅陵高等学校]]についても加害者が事件後、通学していることを指摘しているものの、入学を許可した同校を批判していない。&amp;lt;/ref&amp;gt;をスルーしている。&lt;br /&gt;
**[[瑞浪市立瑞浪中学校|瑞浪中]]の件の加害者の一人・[[安藤里穂]]については事件後、高校を満喫していることやその安藤と何も知らずに付き合っている友人がいる&amp;lt;ref&amp;gt;ってか、知ってても付き合うぞ、ああいう奴らは。あの世代はもろ「ジェントルハートプロジェクト」によるアンケート結果で…（以下略&amp;lt;/ref&amp;gt;ことに大激怒したり、身の毛もよだつ思いだと言ってはいた[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/mizunamiijimejisatsu_riho.htm]が&amp;lt;ref&amp;gt;'''ってか、そう思うならその友人や彼氏も名前や顔ばらして叩いたらいいだろうに。'''&amp;lt;/ref&amp;gt;、そのわりに他の奴らについては…&lt;br /&gt;
*[[山口県立光高等学校]]の件について「報復を受けても結局、命拾いした加害者は逮捕された被害者を笑ってんだろうな。」と怒りを露にしているわりにはこの加害者らの実名を暴露せずにスルーしている。&lt;br /&gt;
*[[栃木県]]で[http://b4103042.blog103.fc2.com/blog-entry-449.html こんな酷い事件]があったのをはなっから取り上げていない。&lt;br /&gt;
*[[川口市立芝中学校|芝中]]の件の加害者の一人・[[竹越充]]がその後も剣道で名を轟かせているのを叩かずにスルーしている。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--*[[埼玉県]][[北埼玉郡]][[北川辺町]]（現：[[加須市]]）のリンチ殺人の[[市澤主税]]が妻子を儲けていることや市澤の両親の暴言にキレているそばから妻子については「こんな夫じゃ妻子がかわいそうだ」と妙に同情的である&amp;lt;ref&amp;gt;そんな男を結婚相手に選んだりしているのはお構いなしか。ガキだって将来、悪者に育つってこともアンタじゃ簡単に想像できるはずだろが。[[DQNスパイラル]]ってものを知らんのか?&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
しかし、これらの指摘をメール等で行ったとしても、最近の葵は挨拶や情報更新がおろそかになってきているので、すぐには返事が期待できないのが現状になってしまっている。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 葵に粘着する池沼 ==&lt;br /&gt;
[[畠山育人|知的廃頽者]]が葵氏に粘着してくだらない中傷をしているが、当然、低能の戯れ言として処理される。葵氏にメールを送り、喧嘩を売って敗れた低能がいるが、こいつは2ちゃんねるに葵批判のスレを立て、自作自演の書き込みを行うが、すぐに見破られてその愚かさが顕わにされてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアでの扱い==&lt;br /&gt;
ウィキペディアでも、葵のページが彼の善意に散々ケチをつける書き込みで埋め尽くされていたが、違いのわかる利用者によって「個人的に気にすることを書く場じゃない」「場違いだ」「論評すんな」とこてんぱんに蹴散らされた。そして、「百科事典的でない」と記事自体が削除された。'''ざまあみろ、現状知らずのマヌケどもが!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[クソガキどもを糾弾するホームページ]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:葵龍雄]] - [[Yourpedia]]における葵の利用者ページ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/no1.html クソガキどもを糾弾するホームページ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あおいたつお}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウェブサイト]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで削除された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:インターネットの人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:天才]]&lt;br /&gt;
[[Category:畠山育人]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=fromm_(%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2)&amp;diff=138978</id>
		<title>fromm (ウィキペディア)</title>
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				<updated>2011-09-21T02:33:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''fromm（ふろーむ）'''は日本の'''殺人者'''、ならびに[[ウィキペディア]]の独裁ユーザー。管理者ではないが、[[海獺 (利用者)|海獺]]を除くウィキペディアの全ユーザー（海獺以外の全管理者・全アカウントユーザー・全IPユーザー）中、最悪な人物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[海獺 (利用者)|海獺]]の腹心であると共に、'''「海獺と肩を並べる存在」'''・'''「海獺の次期後継者」'''・'''「いずれは海獺を喰う存在」'''などと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その異常なまでの独裁ぶりから、管理者と同等に扱われており、見方によれば海獺以上の陰険さ・悪質さを持つ。なお、彼が投稿すると日時をほぼ同じくして[[wiki:利用者:Avanzare|Avanzare]]が同じページに参入してくる事例が非常に多いため、同一人物である可能性が極めて高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
海獺と共にウィキペディアの2大独裁者であり、双璧をなしている。管理者でないにも拘らず、海獺と肩を並べる存在にまで“出世”していることからも、その凄まじさが常人の常識では計り知れないことを物語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
要するに'''ガイキチ'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 活動内容 ==&lt;br /&gt;
*無意味な差し戻し（気に入らない記述には片端から「要出典」「出典の明記」を貼りまくり、または“無関係”と独断で削除する）&lt;br /&gt;
*知ったかぶり&lt;br /&gt;
*偏見&lt;br /&gt;
*批判&lt;br /&gt;
*殺人&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ホワイト・ジャックとの因縁 ==&lt;br /&gt;
何故か知らないが、嘗て活動していた[[wiki:利用者:ホワイト・ジャック|ホワイト・ジャック]]というアカウントユーザーを異常なまでに敵視している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ホワイト・ジャックを無期限ブロックに追い込んだ首謀者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ホワイトジャックは、frommからの要請を受けた海獺によって無期限ブロックに掛けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアのそうした体質にショックを受けたホワイト・ジャックは後に'''自殺'''している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「ウィキペディアの管理者は殺人集団」'''と批評されているが、そう呼ばれる原因を作った張本人の一人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== frommが管理者にならない理由 ===&lt;br /&gt;
'''「ウィキペディアの&amp;lt;font color=green&amp;gt;管理者&amp;lt;/font&amp;gt;は殺人集団」'''であると記載されているように、この批評言葉は管理者に対して述べられているものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「管理者でなければ、この言葉の当該人物に該当しない」'''というのがその理由である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、他の管理者から管理者の立候補を勧められても、自分はヒラであるなどと言い訳をして逃れている。だが自称&amp;quot;ヒラ&amp;quot;でも実際は&amp;quot;独裁者&amp;quot;である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ふろーむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアの管理者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネットストーカー]]&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディアに書くと削除される記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:ニート]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫|ふろーむ]]&lt;br /&gt;
[[Category:童貞]]&lt;br /&gt;
[[Category:ケフカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:役立たず]]&lt;br /&gt;
[[Category:反エクレロ勢力]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Yahoo!_JAPAN&amp;diff=138977</id>
		<title>Yahoo! JAPAN</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Yahoo!_JAPAN&amp;diff=138977"/>
				<updated>2011-09-21T02:29:58Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: /* Yahoo!知恵袋 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''Yahoo! JAPAN'''（ヤフー! ジャパン）は、[[#ヤフー株式会社|ヤフー株式会社]]が運営する[[ポータルサイト]]である。いつもあなたの心に、ユアペディア。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Yahoo!]]の日本語版であり、日本に於ける[[検索エンジン|検索]]・ポータルサイトでは『[[MSN|MSN Japan]]』、『[[Google|Google日本]]』、『[[goo]]』、『[[エキサイト]]』や『[[BIGLOBE]]』『[[@nifty]]』などの各プロバイダを抑えて業界1位の座にある。日本以外のYahooはほとんどの場合米Yahoo社が筆頭株主となっているが、日本では[[ソフトバンク|ソフトバンクグループ]]が筆頭株主である。その為、他のYahooのドメインが&amp;quot;'''.com'''&amp;quot;であるのに対してYahoo! JAPANは&amp;quot;'''.co.jp'''&amp;quot;であり、アカウントが共通して使えず、また、'''Yahoo! BB'''など日本独自のサービスを展開することも多い。現在では検索のときに｢ヤフる｣といわれることもある（Google=「ググる」）。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
ただし、検索エンジンサービスだで見た場合、search.yahoo.co.jp自体の[[トラフィック]]は[http://www.alexa.com/data/details/traffic_details?&amp;amp;range=6m&amp;amp;size=large&amp;amp;compare_sites=&amp;amp;y=r&amp;amp;url=http://www.yahoo.co.jp alexaでのYahoo Japanのトラフィック統計]に見られるように、Yahoo Japan全体の15%程度であり、一般に言われているほど必ずしも高いとはいえない。&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{基礎情報 会社&lt;br /&gt;
|社名 = ヤフー株式会社&lt;br /&gt;
|英文社名 = Yahoo Japan Corporation&lt;br /&gt;
|ロゴ =&lt;br /&gt;
|種類 = [[株式会社]]&lt;br /&gt;
|市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 4689}}{{上場情報 |JASDAQ | 4689 | [[2007年]][[2月28日]]}}&lt;br /&gt;
|略称 =&lt;br /&gt;
|国籍 =&lt;br /&gt;
|郵便番号 = 〒106-6182&lt;br /&gt;
|本社所在地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[六本木]]六丁目10番1号&lt;br /&gt;
|電話番号 =&lt;br /&gt;
|設立 = [[1996年]][[1月31日]]&lt;br /&gt;
|業種 = 情報・通信業&lt;br /&gt;
|統一金融機関コード =&lt;br /&gt;
|SWIFTコード =&lt;br /&gt;
|事業内容 = [[ポータルサイト]]運営&amp;lt;br/&amp;gt;[[インターネット]][[広告]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド]]関連事業&amp;lt;br/&amp;gt;[[インターネットオークション|オークション]]関連事業&amp;lt;br/&amp;gt;ほか&lt;br /&gt;
|代表者 = [[井上雅博]]（代表取締役社長）&lt;br /&gt;
|資本金 = 71億87百万円（2007年3月31日現在）&lt;br /&gt;
|売上高 = 単体：1,972億円（[[2007年]]3月期）&amp;lt;br/&amp;gt;連結：2,125億円（2007年3月期）&lt;br /&gt;
|総資産 =&lt;br /&gt;
|従業員数 = 2,331名（2007年3月31日現在）&lt;br /&gt;
|決算期 =&lt;br /&gt;
|主要株主 = [[ソフトバンク]]株式会社 41.10%&amp;lt;br/&amp;gt;[[Yahoo!|ヤフーインク]] 33.43%&lt;br /&gt;
|主要子会社 =&lt;br /&gt;
|関係する人物 = [[孫正義]]&lt;br /&gt;
|外部リンク = [http://www.yahoo.co.jp/ www.yahoo.co.jp]&lt;br /&gt;
|特記事項 =&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革 ==&lt;br /&gt;
* 1996年1月 - 米ヤフーと[[ソフトバンク]]の合弁でヤフー株式会社設立。&lt;br /&gt;
* 1996年4月 - 国内初の商用検索サイトYahoo! JAPANが[[4月1日]]15:20にサービスを開始。&lt;br /&gt;
* [[1997年]]11月 - 店頭市場（現[[ジャスダック証券取引所]]）に登録。&lt;br /&gt;
* [[2000年]]1月 - 日本で史上初の株価1億円を突破。&lt;br /&gt;
* 2000年3月 - 無料[[ウェブサイト]]サービスの[[ジオシティーズ]]株式会社及び、音声・動画情報サービス提供のブロードキャスト・コム株式会社と合併。&lt;br /&gt;
* 2000年7月 - 1日あたりのアクセス数が1億[[ページビュー]]を突破。&lt;br /&gt;
* 2000年9月 - ピー・アイ・エム株式会社と合併。&lt;br /&gt;
* 2001年の3月23日 - [[Yahoo! Cafe]] 1号店が[[表参道]]にオープン。&lt;br /&gt;
* [[2001年]]9月 - [[ソフトバンク]]子会社のビー・ビー・テクノロジー株式会社が、[[Yahoo! BB]]の[[ADSL]]商用サービスを開始。&lt;br /&gt;
* 2001年12月 - [[インターネット]]書店のイー・ショッピング・ブックス株式会社（現:セブンアンドワイ株式会社）を子会社化。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]10月 - [[東京証券取引所]]第一部へ上場。&lt;br /&gt;
* [[2004年]]7月 - 全国で初めて、[[東京都主税局]]の[[公売]]をインターネット（Yahoo!オークション）で実施。&lt;br /&gt;
* 2004年10月 - 1日あたりのアクセス数が10億ページビューを突破。&lt;br /&gt;
* [[2005年]]3月 - 年間売上高1000億円を突破。&lt;br /&gt;
* 2005年3月 - [[日経平均株価]]に採用される。&lt;br /&gt;
* 2007年2月28日 - 現在の上場先である東京証券取引所第一部市場に加え、ジャスダック証券取引所にも重複上場。東証とジャスダックへの重複上場は、[[日本駐車場開発]]に次いで2例目となる。&lt;br /&gt;
* 2007年4月 - 一部事業所が[[東京ミッドタウン]]に移転。本社機能は従来どおり[[六本木ヒルズ]]&lt;br /&gt;
* 2007年5月 - 月間318億PV数を獲得し、米Yahoo!を上回り世界一を記録。&lt;br /&gt;
* 2007年11月上旬 - 新トップページのベータ版を公開。2008年1月1日に入れ替え。&lt;br /&gt;
* 2008年1月1日 - Yahoo!JAPAN 新トップページ公開。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== Yahoo! JAPANの事業 ==&lt;br /&gt;
2006年3月現在、110以上のサービスを行っている。無料で利用できる無料サービスと、[[Yahoo!ウォレット]]で料金を支払いを行い利用する有料サービスがある。また有料、無料にかかわらず、ほとんどのサービスでYahoo! JAPAN IDの取得が必要となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サービス名に冠される「Yahoo!」は、省略形の「'''Y!'''」で記載されることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 検索エンジン ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の主力事業の一つ。元々は米Yahoo!と同じく[[ディレクトリ型]]の検索エンジンで、それに[[ロボット型]]のエンジンが付随するタイプであったが、徐々にロボット型の利用が増えた事により、2005年[[10月3日]]より、ロボット型のエンジン主体に切り替えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロボット型に関しては、初期は[[goo]]、その後2000年5月からは[[Google]]を使っていたが、現在はYahoo Search Technology(YST)と言う独自のエンジンに切り替えている。Googleの利用から離れ、Yahoo!独自の技術を利用し始めた背景にはGoogleの検索ユーザ数がYahoo!のそれを凌駕しだしたと言う事があると言われている。なお、ロボット型に切り替えて以来、探索後に日本語が表示されない出来事が多発している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== My Yahoo! ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の各種サービスをポータル的に使えるサービス。Yahoo! JAPAN IDを登録すると、My Yahoo!上で個人向けにカスタマイズ可能なページを利用できる様になる。My Yahoo!のページでは、ニュースやメール、天気予報、新着サイト等の一覧を好みに配置でき、背景の変更等も可能になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ミュージック ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供する音楽情報サービス。楽曲ダウンロード販売のYahoo!ミュージックダウンロード、ストリーミングラジオのサウンドステーション、Web音楽マガジンであるYahoo!ミュージックマガジンなどを提供する。アーティスト情報の検索や歌詞の閲覧なども可能。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ポイント ===&lt;br /&gt;
Yahoo! JAPANの特定のサービスを利用するとポイントがもらえ、Yahoo!ショッピングなどの買い物で1ポイント=1円で使える。また、100ポイント=85円で現金化にすることも出来る。利用するにはYahoo! JAPAN IDを登録しなければならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! オークション ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供する日本最大の[[インターネットオークション]]サービス。日本のオークションサイトとしては圧倒的な利用者数を誇る。通称「ヤフオク」。世界最大手の[[eBay]]（イーベイ）も2001年に日本へ進出したものの、先行していたYahoo!に太刀打ちできず、2002年3月限りで撤退した（2007年12月にYahoo!と提携して再参入）。[[2007年]][[8月]]上旬よりサービス内容変更。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
== サービス ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! 路線情報 ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供する路線検索サービス。列車の運行情報や、事故情報を細かく表示してくれる。 また、出発駅、到着駅、出発時刻等の情報を入れると、必要な経路と運賃、定期代等を表示してくれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! ファイナンス ===&lt;br /&gt;
日本の株式情報や税金や不動産に関する情報を網羅している。また、特定の企業を登録しておけば株式変動のレポートなども作成してくれ、Yahoo!掲示板とも直結している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! きっず ===&lt;br /&gt;
子供向けのYahoo!JAPANであり、トップページには子供向けのリンクがされている。小学校などではよく利用されている。Yahoo!きっずの検索では、[[アダルト]]系の言葉が検索できないようになっている。しかし小学生低学年～中学年向けのコンテンツに検索範囲が絞られているため、高学年になり調べるようになる環境問題、生態系、乗り物などは&lt;br /&gt;
検索できず、高学年以上には非常に評判が悪い（なのでYAHOO!JAPANのほうや、[[グーグル]]を使う小学生高学年がほとんどである）。リンク以外にも、ニュース、図鑑、絵本、[[なぞなぞ|クイズ]]、ゲーム、 食育、ペーパークラフト、[[ポケモンガーデン]]など子供を対象としたコンテンツがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!メール ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供する[[フリーメールサービス]]。詳細は[[Yahoo!メール]]を参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!グルメ ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供するグルメ情報サービス。飲食店情報、レシピ情報、出前注文サービスの3つがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!メッセンジャー ===&lt;br /&gt;
チャットのようにYahoo!JAPAN IDだけで、相手とネットで会話が交わせるサービスのこと。なお、利用するには[[Yahoo!メッセンジャー]]をコンピュータにインストールする必要がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!チャット ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供するチャットシステム。2007年4月3日よりYahoo!メッセンジャーと統合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!掲示板 ===&lt;br /&gt;
[[2ちゃんねる]]の次に利用者が多いとされる掲示板。実際2ちゃんねるが某国からのサイバーテロに遭った際、炎上に近い書き込みが相次いだ。こちらは2ちゃんねると違いYahoo!登録者のみ書き込めるため、匿名性は低い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!知恵袋 ===&lt;br /&gt;
ユーザーが質問を投稿し、他のユーザーが回答を投稿するシステム。β版時代はハンドルネームを名乗らなくても良いという点で、事実上匿名性であったが、正式版からは予め登録されたハンドルを名乗る事が義務付けられ、匿名性が薄くなった（また、アンケートカテゴリーが新設された）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[12月16日]]から[[12月18日]]にかけてリニューアルの為閉鎖、その後リニューアル開設された。&lt;br /&gt;
また、[[2007年]][[9月27日]]に[[モバイル]]版知恵袋を大幅リニューアルし、[[ケータイ]]からも質問・回答が可能となった。通称、'''チエモバ'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
回答者の質が問題。一部には優しく良心的で知識豊富なユーザーもいるのだが、クズも多い。中でも「yaikomae」という原生動物には注意である。このクズのページはこちらhttp://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/yaikomae&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このクズの思考は織田信長の業績を否定すること、ただそれのみに注がれている。無知、視野狭窄で史料に基づかない推測、論理力の欠如、無礼、屁理屈、自演、などなど。コイツによれば信長の祖先は安倍氏で信長は神の血を引いてるから天下統一くらいできて当たり前らしいｗｗｗ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、彼はソックパペット（多重アカウント）を非常に多く使用しているので、要注意である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!リサーチ ===&lt;br /&gt;
対象モニターがアンケートに答えると、謝礼（現金、Yahoo!ポイント）または賞品への抽選権がもらえるサービス。&lt;br /&gt;
主に現金で支払われるリサーチ・モニター、ポイントで支払われるリサーチ・モニター・ライト、抽選で商品が当たるモバイルモニターがある。リサーチ・モニターの謝礼を受け取るには[[郵便貯金]]、[[イーバンク銀行]]、[[ジャパンネットバンク]]の指定金融機関いずれかの口座が必要となる。ただし、いずれにしても謝礼が少額であったり、謝礼が抽選にかけられたりするため、モニターにメリットが少ないという不満の声もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!辞書 ===&lt;br /&gt;
Yahoo!辞書は、全7辞書（大辞泉、大辞林、必携 類語実用辞典、プログレッシブ英和中辞典、新グローバル英和辞典、プログレッシブ和英中辞典、ニューセンチュリー和英辞典）、85万4000項目から検索できる。他にも、コンピュータ用語辞典等がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!翻訳 ===&lt;br /&gt;
日本語を英語、中国語、韓国語に翻訳できる。また、反対に英語、中国語、韓国語も日本語に翻訳できる。他にも、Web翻訳というのもあり、英語等のWebページを日本語に翻訳して表示するという機能もある。ただし、日本語を英語に翻訳する場合に、やや誤訳が多いので注意が必要である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! Days ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営する[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]](SNS)のベータ版。2008年2月13日から招待制を廃止し、Yahoo!JAPANID所持者であれば参加可能となり、Yahoo!プロフィールと共有でき、公開設定ができるようになった[http://days.yahoo.co.jp/guide/open.html]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ジオシティーズ ===&lt;br /&gt;
ウェブサイトスペース。無料にはYahoo!の広告が記載される。Webページ作成には、Yahoo!JAPAN IDを取得する必要がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ブログ ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営する[[ブログ]]サービス。yahoo!JAPANID所持者は、最大2GBを無料で使用できる。写真を添付する事が可能。動画などを掲載するには、外部の動画投稿サイトにアップロードしたものを使用する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!インターネット検定 ===&lt;br /&gt;
オンラインで受験できるYahoo!JAPANが提供する[[資格]]試験。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!動画 ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営するストリーミングサービス。有料・無料合わせて10万本以上のタイトルを提供する。ただし、視聴可能環境が[[Microsoft Windows|Windows]]のみに限定される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ビデオキャスト ===&lt;br /&gt;
デジタルビデオカメラなどで撮影した動画を公開したり、公開されている動画へのコメント等ができるサービス。著作権料を[[JASRAC]]に支払うことで合意したと報道された(2007/7/24)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!リクナビ ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANと株式会社リクルートが共同で運用している求人情報サービス。かつては「Yahoo!求人情報」として情報掲載型のサービスを行っていたが2004年4月より、株式会社[[リクルート]]と求人領域のサービスにおいて包括提携を行い、情報提供元をリクルートに一本化した（これによって競合他社からの情報提供を排除する形となり、ポータルサイトとしては好ましくないのではないか、という批判が一部で上がっている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ゲーム ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営するゲームサービス。無料ゲーム、ダウンロードゲーム、ゲーム情報がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!コミック ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営する[[ウェブコミック]]誌ポータルサイト。『[[FlexComixブラッド]]』『[[コミック・ガンボ]]』他のウェブコミック誌無料配信と単行本のファイル有料ダウンロードがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!地図情報 ===   &lt;br /&gt;
地図情報を提供している。「ワイワイマップ」では、ユーザでオンライン上で情報を直接地図上に書き込むことが出来る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!自動車 ===&lt;br /&gt;
1990年以降に発売された乗用車を中心に、一部の商用車のデータを提供している。登録ユーザーによるレビューも掲載されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!グループ ===&lt;br /&gt;
[[メーリングリスト]]サービスや共有カレンダーなど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ニュース ===&lt;br /&gt;
各新聞社などと提携し、さまざまなニュースを配信。&lt;br /&gt;
Yahoo! JAPAN IDがあればニュースに対する意見を書き込める簡易掲示板機能があるが、&lt;br /&gt;
たびたび[[荒らし|荒らされて]]いるため機能していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!デコレーション ===&lt;br /&gt;
[[デコメ]]や待受画像、絵文字など、携帯電話で使用する画像を、ユーザーが自由に投稿／ダウンロードできるコミュニティサイト。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
=== 株価1億円の突破 ===&lt;br /&gt;
2000年[[1月19日]]に東京株式市場で、ヤフーの株価は1億140万円で取引が成立し、史上初となる1株1億円を突破した。その当時の[[ネットバブル]]を大いに反映したヤフーによる株価1億円の突破は、大きなニュースとして採り上げられ、世間のヤフーの認知度がこの事により一層に高まる事になった。その後は、[[株式分割]]が何度も繰り返され1株当たりの単元株価は低くなった。しかし、分割前に単純換算すると株価は現在でも当時からあまり変動しておらず、ヤフーが高い株価を保っていることが分かる（2006年現在）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ソフトバンクとの関係 ===&lt;br /&gt;
ヤフー株式会社は、Yahoo!の日本法人だが、筆頭株主はソフトバンクである。また、会社の時価総額はソフトバンクを上回っている。そのため&amp;quot;Yahoo!&amp;quot;の商標は、その知名度から提携等の形で、ソフトバンクグループ関連のブロードバンドサービス([[Yahoo! BB]])、ソフトバンクモバイルのIP接続サービス名（[[Yahoo!ケータイ]]）、インターネット専門雑誌(Yahoo! Internet Guide)等にも使われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 偽Yahoo! JAPAN事件 ===&lt;br /&gt;
2005年[[6月]]、Yahoo! JAPANを装った偽の検索サイトを作成し、利用者のパスワードなどを盗み取る[[フィッシング (詐欺)|フィッシング詐欺行為]]を行ったとして、[[警察庁]]などは著作権法違反と不正アクセス禁止法の疑いで[[大阪市]][[平野区]]在住の当時42歳の会社員の男を逮捕した。このフィッシング行為での摘発は日本初の事だった。男は「Yahoo!」のスペルを'''「Yafoo!」'''に変えたサイトを「Yahoo! JAPAN」に無断で作成した著作権侵害行為に加え、利用者の本家・Yahoo!のパスワードを不正に入手し個人情報を盗み取った上で利用者の[[電子メール]]を覗き見した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年[[10月18日]]、Yahoo! JAPANが行っているYahoo!ニュースを装った偽のニュースサイトが作成され、偽のニュースを流したページが公開されYahoo! JAPANがこのサイトについて警告を出した。これは、[[共同通信社]]発信で、「アメリカ国防総省は10月18日未明に、[[中華人民共和国|中国]]軍が、[[沖縄県|沖縄]]に侵攻したことを発表した」とするもので、あくる[[10月19日]]に[[長崎市]]内在住の男性から共同通信長崎支局に「9月中旬、ネットの掲示板に同じ内容の虚偽のニュースを書いたが満足が出来ず、Yahoo! JAPANに似せたページに書き込むことを考えた」「Yahoo! JAPANのページをパソコンに取り込んで改ざんした内容でネット上に公開した」との説明があった。男性はその後[[11月28日]]に著作権法違反で逮捕されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページビュー数が世界第1位 ===&lt;br /&gt;
2007年[[5月]]の月間ページビュー数が318億ページビューを超えアメリカのYahoo!などを押さえ世界第1位となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ヤフー株式会社 ==&lt;br /&gt;
{{節stub}}&lt;br /&gt;
Yahoo! JAPAN を運営するヤフー株式会社は、サイト内の広告・ブロードバンド関連の事業やネットオークション事業等を収益源としている。本社は東京都港区[[六本木ヒルズ森タワー]]に所在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年2月16日、現在の上場先である東京証券取引所第一部市場に加え、ジャスダック証券取引所にも28日に重複上場すると発表した[http://i.yimg.jp/images/docs/investor/release/2007/jp20070216.pdf]。東証とジャスダックへの重複上場は、[[日本駐車場開発]]に次いで2例目となる。背景としては、ソフトバンクと本国Yahoo!の持株比率が、東証の[[上場廃止]]基準である少数特定株主の上限比率75%に近いことが挙げられる。ジャスダックには少数特定株主の上限比率による上場廃止基準はなく、仮に東証への上場が廃止になっても、ジャスダックで上場を維持できるため、株式の流動性を引き続き確保できるメリットが考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このほか、無料でインターネットに接続できる店舗「[[Yahoo! Cafe]]」を日本国内数ヶ所で展開している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主な大株主 ===&lt;br /&gt;
* [[ソフトバンク]]株式会社 (41.11%)&lt;br /&gt;
* [[Yahoo!|ヤフーインク]] (33.44%)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関係会社 ===&lt;br /&gt;
==== 連結子会社 ====&lt;br /&gt;
*オーバーチュア株式会社&lt;br /&gt;
* 株式会社ニューズウォッチ&lt;br /&gt;
* 株式会社[[アルプス社]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ほか合計22社（[[2007年]][[10月31日]]現在）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 持分法適用関連会社 ====&lt;br /&gt;
* [[オールアバウト|株式会社オールアバウト]] （[[ジャスダック証券取引所]]）&lt;br /&gt;
* [[夢の街創造委員会|夢の街創造委員会株式会社]] （[[大阪証券取引所]][[ヘラクレス (有価証券市場)|ヘラクレス]]）&lt;br /&gt;
* 株式会社クレオ （ジャスダック証券取引所）&lt;br /&gt;
* [[バリューコマース|バリューコマース株式会社]] （[[東京証券取引所]][[マザーズ]]）&lt;br /&gt;
* [[JWord|JWord株式会社]]&lt;br /&gt;
* [[セブンアンドワイ|セブンアンドワイ株式会社]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ほか合計10社（同上）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[Yahoo!モバイル]]&lt;br /&gt;
* [[Yahoo! BB]]&lt;br /&gt;
* [[ソフトバンクBB]]&lt;br /&gt;
* [[ソフトバンクモバイル]]（[[携帯電話]]。旧・ボーダフォン日本法人）&lt;br /&gt;
: 旧ボーダフォン日本法人時代に展開していた「Vodafone live!」（ボーダフォン・ライブ）を「[[Yahoo!ケータイ]]」に変更し、Yahoo! JAPANの携帯電話ポータルサイトにリニューアルした。&lt;br /&gt;
* [[オークション]]&lt;br /&gt;
* [[神戸総合運動公園野球場]]（2004年度までヤフーBBスタジアムの[[命名権]]を所有）&lt;br /&gt;
* [[福岡ドーム]]（2005年度から命名権を取得、新名称は福岡Yahoo!JAPANドーム）&lt;br /&gt;
* [[福岡ソフトバンクホークス]]（2005年度よりソフトバンクが経営）&lt;br /&gt;
* [[ジャパンネット銀行]]&lt;br /&gt;
* [[株式分割バブル]]&lt;br /&gt;
* [[Web of the Year]]&lt;br /&gt;
* [[BBソフト]]&lt;br /&gt;
* [[Yahoo!動画の野球中継]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.yahoo.co.jp/ Yahoo! JAPAN]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ポータルサイト}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:やふうしやはん}}&lt;br /&gt;
{{Company-stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:Yahoo! JAPAN|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ポータルサイト]]&lt;br /&gt;
[[Category:検索エンジン]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の情報・通信業]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都の企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:東証一部上場企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:ジャスダック上場企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソフトバンク]]&lt;br /&gt;
[[Category:日経平均株価]]&lt;br /&gt;
[[Category:有害サイト]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yahoo! Japan]]&lt;br /&gt;
[[fr:Yahoo! Japan]]&lt;br /&gt;
[[ko:야후! 재팬]]&lt;br /&gt;
[[zh:雅虎日本]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Yahoo!_JAPAN&amp;diff=138951</id>
		<title>Yahoo! JAPAN</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Yahoo!_JAPAN&amp;diff=138951"/>
				<updated>2011-09-20T10:08:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: /* Yahoo!知恵袋 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''Yahoo! JAPAN'''（ヤフー! ジャパン）は、[[#ヤフー株式会社|ヤフー株式会社]]が運営する[[ポータルサイト]]である。いつもあなたの心に、ユアペディア。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Yahoo!]]の日本語版であり、日本に於ける[[検索エンジン|検索]]・ポータルサイトでは『[[MSN|MSN Japan]]』、『[[Google|Google日本]]』、『[[goo]]』、『[[エキサイト]]』や『[[BIGLOBE]]』『[[@nifty]]』などの各プロバイダを抑えて業界1位の座にある。日本以外のYahooはほとんどの場合米Yahoo社が筆頭株主となっているが、日本では[[ソフトバンク|ソフトバンクグループ]]が筆頭株主である。その為、他のYahooのドメインが&amp;quot;'''.com'''&amp;quot;であるのに対してYahoo! JAPANは&amp;quot;'''.co.jp'''&amp;quot;であり、アカウントが共通して使えず、また、'''Yahoo! BB'''など日本独自のサービスを展開することも多い。現在では検索のときに｢ヤフる｣といわれることもある（Google=「ググる」）。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
ただし、検索エンジンサービスだで見た場合、search.yahoo.co.jp自体の[[トラフィック]]は[http://www.alexa.com/data/details/traffic_details?&amp;amp;range=6m&amp;amp;size=large&amp;amp;compare_sites=&amp;amp;y=r&amp;amp;url=http://www.yahoo.co.jp alexaでのYahoo Japanのトラフィック統計]に見られるように、Yahoo Japan全体の15%程度であり、一般に言われているほど必ずしも高いとはいえない。&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{基礎情報 会社&lt;br /&gt;
|社名 = ヤフー株式会社&lt;br /&gt;
|英文社名 = Yahoo Japan Corporation&lt;br /&gt;
|ロゴ =&lt;br /&gt;
|種類 = [[株式会社]]&lt;br /&gt;
|市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 4689}}{{上場情報 |JASDAQ | 4689 | [[2007年]][[2月28日]]}}&lt;br /&gt;
|略称 =&lt;br /&gt;
|国籍 =&lt;br /&gt;
|郵便番号 = 〒106-6182&lt;br /&gt;
|本社所在地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[六本木]]六丁目10番1号&lt;br /&gt;
|電話番号 =&lt;br /&gt;
|設立 = [[1996年]][[1月31日]]&lt;br /&gt;
|業種 = 情報・通信業&lt;br /&gt;
|統一金融機関コード =&lt;br /&gt;
|SWIFTコード =&lt;br /&gt;
|事業内容 = [[ポータルサイト]]運営&amp;lt;br/&amp;gt;[[インターネット]][[広告]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド]]関連事業&amp;lt;br/&amp;gt;[[インターネットオークション|オークション]]関連事業&amp;lt;br/&amp;gt;ほか&lt;br /&gt;
|代表者 = [[井上雅博]]（代表取締役社長）&lt;br /&gt;
|資本金 = 71億87百万円（2007年3月31日現在）&lt;br /&gt;
|売上高 = 単体：1,972億円（[[2007年]]3月期）&amp;lt;br/&amp;gt;連結：2,125億円（2007年3月期）&lt;br /&gt;
|総資産 =&lt;br /&gt;
|従業員数 = 2,331名（2007年3月31日現在）&lt;br /&gt;
|決算期 =&lt;br /&gt;
|主要株主 = [[ソフトバンク]]株式会社 41.10%&amp;lt;br/&amp;gt;[[Yahoo!|ヤフーインク]] 33.43%&lt;br /&gt;
|主要子会社 =&lt;br /&gt;
|関係する人物 = [[孫正義]]&lt;br /&gt;
|外部リンク = [http://www.yahoo.co.jp/ www.yahoo.co.jp]&lt;br /&gt;
|特記事項 =&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革 ==&lt;br /&gt;
* 1996年1月 - 米ヤフーと[[ソフトバンク]]の合弁でヤフー株式会社設立。&lt;br /&gt;
* 1996年4月 - 国内初の商用検索サイトYahoo! JAPANが[[4月1日]]15:20にサービスを開始。&lt;br /&gt;
* [[1997年]]11月 - 店頭市場（現[[ジャスダック証券取引所]]）に登録。&lt;br /&gt;
* [[2000年]]1月 - 日本で史上初の株価1億円を突破。&lt;br /&gt;
* 2000年3月 - 無料[[ウェブサイト]]サービスの[[ジオシティーズ]]株式会社及び、音声・動画情報サービス提供のブロードキャスト・コム株式会社と合併。&lt;br /&gt;
* 2000年7月 - 1日あたりのアクセス数が1億[[ページビュー]]を突破。&lt;br /&gt;
* 2000年9月 - ピー・アイ・エム株式会社と合併。&lt;br /&gt;
* 2001年の3月23日 - [[Yahoo! Cafe]] 1号店が[[表参道]]にオープン。&lt;br /&gt;
* [[2001年]]9月 - [[ソフトバンク]]子会社のビー・ビー・テクノロジー株式会社が、[[Yahoo! BB]]の[[ADSL]]商用サービスを開始。&lt;br /&gt;
* 2001年12月 - [[インターネット]]書店のイー・ショッピング・ブックス株式会社（現:セブンアンドワイ株式会社）を子会社化。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]10月 - [[東京証券取引所]]第一部へ上場。&lt;br /&gt;
* [[2004年]]7月 - 全国で初めて、[[東京都主税局]]の[[公売]]をインターネット（Yahoo!オークション）で実施。&lt;br /&gt;
* 2004年10月 - 1日あたりのアクセス数が10億ページビューを突破。&lt;br /&gt;
* [[2005年]]3月 - 年間売上高1000億円を突破。&lt;br /&gt;
* 2005年3月 - [[日経平均株価]]に採用される。&lt;br /&gt;
* 2007年2月28日 - 現在の上場先である東京証券取引所第一部市場に加え、ジャスダック証券取引所にも重複上場。東証とジャスダックへの重複上場は、[[日本駐車場開発]]に次いで2例目となる。&lt;br /&gt;
* 2007年4月 - 一部事業所が[[東京ミッドタウン]]に移転。本社機能は従来どおり[[六本木ヒルズ]]&lt;br /&gt;
* 2007年5月 - 月間318億PV数を獲得し、米Yahoo!を上回り世界一を記録。&lt;br /&gt;
* 2007年11月上旬 - 新トップページのベータ版を公開。2008年1月1日に入れ替え。&lt;br /&gt;
* 2008年1月1日 - Yahoo!JAPAN 新トップページ公開。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== Yahoo! JAPANの事業 ==&lt;br /&gt;
2006年3月現在、110以上のサービスを行っている。無料で利用できる無料サービスと、[[Yahoo!ウォレット]]で料金を支払いを行い利用する有料サービスがある。また有料、無料にかかわらず、ほとんどのサービスでYahoo! JAPAN IDの取得が必要となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サービス名に冠される「Yahoo!」は、省略形の「'''Y!'''」で記載されることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 検索エンジン ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の主力事業の一つ。元々は米Yahoo!と同じく[[ディレクトリ型]]の検索エンジンで、それに[[ロボット型]]のエンジンが付随するタイプであったが、徐々にロボット型の利用が増えた事により、2005年[[10月3日]]より、ロボット型のエンジン主体に切り替えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロボット型に関しては、初期は[[goo]]、その後2000年5月からは[[Google]]を使っていたが、現在はYahoo Search Technology(YST)と言う独自のエンジンに切り替えている。Googleの利用から離れ、Yahoo!独自の技術を利用し始めた背景にはGoogleの検索ユーザ数がYahoo!のそれを凌駕しだしたと言う事があると言われている。なお、ロボット型に切り替えて以来、探索後に日本語が表示されない出来事が多発している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== My Yahoo! ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の各種サービスをポータル的に使えるサービス。Yahoo! JAPAN IDを登録すると、My Yahoo!上で個人向けにカスタマイズ可能なページを利用できる様になる。My Yahoo!のページでは、ニュースやメール、天気予報、新着サイト等の一覧を好みに配置でき、背景の変更等も可能になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ミュージック ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供する音楽情報サービス。楽曲ダウンロード販売のYahoo!ミュージックダウンロード、ストリーミングラジオのサウンドステーション、Web音楽マガジンであるYahoo!ミュージックマガジンなどを提供する。アーティスト情報の検索や歌詞の閲覧なども可能。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ポイント ===&lt;br /&gt;
Yahoo! JAPANの特定のサービスを利用するとポイントがもらえ、Yahoo!ショッピングなどの買い物で1ポイント=1円で使える。また、100ポイント=85円で現金化にすることも出来る。利用するにはYahoo! JAPAN IDを登録しなければならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! オークション ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供する日本最大の[[インターネットオークション]]サービス。日本のオークションサイトとしては圧倒的な利用者数を誇る。通称「ヤフオク」。世界最大手の[[eBay]]（イーベイ）も2001年に日本へ進出したものの、先行していたYahoo!に太刀打ちできず、2002年3月限りで撤退した（2007年12月にYahoo!と提携して再参入）。[[2007年]][[8月]]上旬よりサービス内容変更。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
== サービス ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! 路線情報 ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供する路線検索サービス。列車の運行情報や、事故情報を細かく表示してくれる。 また、出発駅、到着駅、出発時刻等の情報を入れると、必要な経路と運賃、定期代等を表示してくれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! ファイナンス ===&lt;br /&gt;
日本の株式情報や税金や不動産に関する情報を網羅している。また、特定の企業を登録しておけば株式変動のレポートなども作成してくれ、Yahoo!掲示板とも直結している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! きっず ===&lt;br /&gt;
子供向けのYahoo!JAPANであり、トップページには子供向けのリンクがされている。小学校などではよく利用されている。Yahoo!きっずの検索では、[[アダルト]]系の言葉が検索できないようになっている。しかし小学生低学年～中学年向けのコンテンツに検索範囲が絞られているため、高学年になり調べるようになる環境問題、生態系、乗り物などは&lt;br /&gt;
検索できず、高学年以上には非常に評判が悪い（なのでYAHOO!JAPANのほうや、[[グーグル]]を使う小学生高学年がほとんどである）。リンク以外にも、ニュース、図鑑、絵本、[[なぞなぞ|クイズ]]、ゲーム、 食育、ペーパークラフト、[[ポケモンガーデン]]など子供を対象としたコンテンツがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!メール ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供する[[フリーメールサービス]]。詳細は[[Yahoo!メール]]を参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!グルメ ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供するグルメ情報サービス。飲食店情報、レシピ情報、出前注文サービスの3つがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!メッセンジャー ===&lt;br /&gt;
チャットのようにYahoo!JAPAN IDだけで、相手とネットで会話が交わせるサービスのこと。なお、利用するには[[Yahoo!メッセンジャー]]をコンピュータにインストールする必要がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!チャット ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供するチャットシステム。2007年4月3日よりYahoo!メッセンジャーと統合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!掲示板 ===&lt;br /&gt;
[[2ちゃんねる]]の次に利用者が多いとされる掲示板。実際2ちゃんねるが某国からのサイバーテロに遭った際、炎上に近い書き込みが相次いだ。こちらは2ちゃんねると違いYahoo!登録者のみ書き込めるため、匿名性は低い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!知恵袋 ===&lt;br /&gt;
ユーザーが質問を投稿し、他のユーザーが回答を投稿するシステム。β版時代はハンドルネームを名乗らなくても良いという点で、事実上匿名性であったが、正式版からは予め登録されたハンドルを名乗る事が義務付けられ、匿名性が薄くなった（また、アンケートカテゴリーが新設された）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[12月16日]]から[[12月18日]]にかけてリニューアルの為閉鎖、その後リニューアル開設された。&lt;br /&gt;
また、[[2007年]][[9月27日]]に[[モバイル]]版知恵袋を大幅リニューアルし、[[ケータイ]]からも質問・回答が可能となった。通称、'''チエモバ'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
回答者の質が問題。一部には優しく良心的で知識豊富なユーザーもいるのだが、クズも多い。中でも「yaikomae」という原生動物には注意である。このクズのページはこちらhttp://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/yaikomae&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このクズの思考は織田信長の業績を否定すること、ただそれのみに注がれている。無知、視野狭窄で史料に基づかない推測、論理力の欠如、無礼、屁理屈、自演、などなど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、彼はソックパペット（多重アカウント）を非常に多く使用しているので、要注意である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!リサーチ ===&lt;br /&gt;
対象モニターがアンケートに答えると、謝礼（現金、Yahoo!ポイント）または賞品への抽選権がもらえるサービス。&lt;br /&gt;
主に現金で支払われるリサーチ・モニター、ポイントで支払われるリサーチ・モニター・ライト、抽選で商品が当たるモバイルモニターがある。リサーチ・モニターの謝礼を受け取るには[[郵便貯金]]、[[イーバンク銀行]]、[[ジャパンネットバンク]]の指定金融機関いずれかの口座が必要となる。ただし、いずれにしても謝礼が少額であったり、謝礼が抽選にかけられたりするため、モニターにメリットが少ないという不満の声もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!辞書 ===&lt;br /&gt;
Yahoo!辞書は、全7辞書（大辞泉、大辞林、必携 類語実用辞典、プログレッシブ英和中辞典、新グローバル英和辞典、プログレッシブ和英中辞典、ニューセンチュリー和英辞典）、85万4000項目から検索できる。他にも、コンピュータ用語辞典等がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!翻訳 ===&lt;br /&gt;
日本語を英語、中国語、韓国語に翻訳できる。また、反対に英語、中国語、韓国語も日本語に翻訳できる。他にも、Web翻訳というのもあり、英語等のWebページを日本語に翻訳して表示するという機能もある。ただし、日本語を英語に翻訳する場合に、やや誤訳が多いので注意が必要である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! Days ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営する[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]](SNS)のベータ版。2008年2月13日から招待制を廃止し、Yahoo!JAPANID所持者であれば参加可能となり、Yahoo!プロフィールと共有でき、公開設定ができるようになった[http://days.yahoo.co.jp/guide/open.html]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ジオシティーズ ===&lt;br /&gt;
ウェブサイトスペース。無料にはYahoo!の広告が記載される。Webページ作成には、Yahoo!JAPAN IDを取得する必要がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ブログ ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営する[[ブログ]]サービス。yahoo!JAPANID所持者は、最大2GBを無料で使用できる。写真を添付する事が可能。動画などを掲載するには、外部の動画投稿サイトにアップロードしたものを使用する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!インターネット検定 ===&lt;br /&gt;
オンラインで受験できるYahoo!JAPANが提供する[[資格]]試験。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!動画 ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営するストリーミングサービス。有料・無料合わせて10万本以上のタイトルを提供する。ただし、視聴可能環境が[[Microsoft Windows|Windows]]のみに限定される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ビデオキャスト ===&lt;br /&gt;
デジタルビデオカメラなどで撮影した動画を公開したり、公開されている動画へのコメント等ができるサービス。著作権料を[[JASRAC]]に支払うことで合意したと報道された(2007/7/24)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!リクナビ ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANと株式会社リクルートが共同で運用している求人情報サービス。かつては「Yahoo!求人情報」として情報掲載型のサービスを行っていたが2004年4月より、株式会社[[リクルート]]と求人領域のサービスにおいて包括提携を行い、情報提供元をリクルートに一本化した（これによって競合他社からの情報提供を排除する形となり、ポータルサイトとしては好ましくないのではないか、という批判が一部で上がっている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ゲーム ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営するゲームサービス。無料ゲーム、ダウンロードゲーム、ゲーム情報がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!コミック ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営する[[ウェブコミック]]誌ポータルサイト。『[[FlexComixブラッド]]』『[[コミック・ガンボ]]』他のウェブコミック誌無料配信と単行本のファイル有料ダウンロードがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!地図情報 ===   &lt;br /&gt;
地図情報を提供している。「ワイワイマップ」では、ユーザでオンライン上で情報を直接地図上に書き込むことが出来る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!自動車 ===&lt;br /&gt;
1990年以降に発売された乗用車を中心に、一部の商用車のデータを提供している。登録ユーザーによるレビューも掲載されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!グループ ===&lt;br /&gt;
[[メーリングリスト]]サービスや共有カレンダーなど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ニュース ===&lt;br /&gt;
各新聞社などと提携し、さまざまなニュースを配信。&lt;br /&gt;
Yahoo! JAPAN IDがあればニュースに対する意見を書き込める簡易掲示板機能があるが、&lt;br /&gt;
たびたび[[荒らし|荒らされて]]いるため機能していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!デコレーション ===&lt;br /&gt;
[[デコメ]]や待受画像、絵文字など、携帯電話で使用する画像を、ユーザーが自由に投稿／ダウンロードできるコミュニティサイト。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
=== 株価1億円の突破 ===&lt;br /&gt;
2000年[[1月19日]]に東京株式市場で、ヤフーの株価は1億140万円で取引が成立し、史上初となる1株1億円を突破した。その当時の[[ネットバブル]]を大いに反映したヤフーによる株価1億円の突破は、大きなニュースとして採り上げられ、世間のヤフーの認知度がこの事により一層に高まる事になった。その後は、[[株式分割]]が何度も繰り返され1株当たりの単元株価は低くなった。しかし、分割前に単純換算すると株価は現在でも当時からあまり変動しておらず、ヤフーが高い株価を保っていることが分かる（2006年現在）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ソフトバンクとの関係 ===&lt;br /&gt;
ヤフー株式会社は、Yahoo!の日本法人だが、筆頭株主はソフトバンクである。また、会社の時価総額はソフトバンクを上回っている。そのため&amp;quot;Yahoo!&amp;quot;の商標は、その知名度から提携等の形で、ソフトバンクグループ関連のブロードバンドサービス([[Yahoo! BB]])、ソフトバンクモバイルのIP接続サービス名（[[Yahoo!ケータイ]]）、インターネット専門雑誌(Yahoo! Internet Guide)等にも使われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 偽Yahoo! JAPAN事件 ===&lt;br /&gt;
2005年[[6月]]、Yahoo! JAPANを装った偽の検索サイトを作成し、利用者のパスワードなどを盗み取る[[フィッシング (詐欺)|フィッシング詐欺行為]]を行ったとして、[[警察庁]]などは著作権法違反と不正アクセス禁止法の疑いで[[大阪市]][[平野区]]在住の当時42歳の会社員の男を逮捕した。このフィッシング行為での摘発は日本初の事だった。男は「Yahoo!」のスペルを'''「Yafoo!」'''に変えたサイトを「Yahoo! JAPAN」に無断で作成した著作権侵害行為に加え、利用者の本家・Yahoo!のパスワードを不正に入手し個人情報を盗み取った上で利用者の[[電子メール]]を覗き見した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年[[10月18日]]、Yahoo! JAPANが行っているYahoo!ニュースを装った偽のニュースサイトが作成され、偽のニュースを流したページが公開されYahoo! JAPANがこのサイトについて警告を出した。これは、[[共同通信社]]発信で、「アメリカ国防総省は10月18日未明に、[[中華人民共和国|中国]]軍が、[[沖縄県|沖縄]]に侵攻したことを発表した」とするもので、あくる[[10月19日]]に[[長崎市]]内在住の男性から共同通信長崎支局に「9月中旬、ネットの掲示板に同じ内容の虚偽のニュースを書いたが満足が出来ず、Yahoo! JAPANに似せたページに書き込むことを考えた」「Yahoo! JAPANのページをパソコンに取り込んで改ざんした内容でネット上に公開した」との説明があった。男性はその後[[11月28日]]に著作権法違反で逮捕されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページビュー数が世界第1位 ===&lt;br /&gt;
2007年[[5月]]の月間ページビュー数が318億ページビューを超えアメリカのYahoo!などを押さえ世界第1位となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ヤフー株式会社 ==&lt;br /&gt;
{{節stub}}&lt;br /&gt;
Yahoo! JAPAN を運営するヤフー株式会社は、サイト内の広告・ブロードバンド関連の事業やネットオークション事業等を収益源としている。本社は東京都港区[[六本木ヒルズ森タワー]]に所在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年2月16日、現在の上場先である東京証券取引所第一部市場に加え、ジャスダック証券取引所にも28日に重複上場すると発表した[http://i.yimg.jp/images/docs/investor/release/2007/jp20070216.pdf]。東証とジャスダックへの重複上場は、[[日本駐車場開発]]に次いで2例目となる。背景としては、ソフトバンクと本国Yahoo!の持株比率が、東証の[[上場廃止]]基準である少数特定株主の上限比率75%に近いことが挙げられる。ジャスダックには少数特定株主の上限比率による上場廃止基準はなく、仮に東証への上場が廃止になっても、ジャスダックで上場を維持できるため、株式の流動性を引き続き確保できるメリットが考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このほか、無料でインターネットに接続できる店舗「[[Yahoo! Cafe]]」を日本国内数ヶ所で展開している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主な大株主 ===&lt;br /&gt;
* [[ソフトバンク]]株式会社 (41.11%)&lt;br /&gt;
* [[Yahoo!|ヤフーインク]] (33.44%)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関係会社 ===&lt;br /&gt;
==== 連結子会社 ====&lt;br /&gt;
*オーバーチュア株式会社&lt;br /&gt;
* 株式会社ニューズウォッチ&lt;br /&gt;
* 株式会社[[アルプス社]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ほか合計22社（[[2007年]][[10月31日]]現在）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 持分法適用関連会社 ====&lt;br /&gt;
* [[オールアバウト|株式会社オールアバウト]] （[[ジャスダック証券取引所]]）&lt;br /&gt;
* [[夢の街創造委員会|夢の街創造委員会株式会社]] （[[大阪証券取引所]][[ヘラクレス (有価証券市場)|ヘラクレス]]）&lt;br /&gt;
* 株式会社クレオ （ジャスダック証券取引所）&lt;br /&gt;
* [[バリューコマース|バリューコマース株式会社]] （[[東京証券取引所]][[マザーズ]]）&lt;br /&gt;
* [[JWord|JWord株式会社]]&lt;br /&gt;
* [[セブンアンドワイ|セブンアンドワイ株式会社]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ほか合計10社（同上）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[Yahoo!モバイル]]&lt;br /&gt;
* [[Yahoo! BB]]&lt;br /&gt;
* [[ソフトバンクBB]]&lt;br /&gt;
* [[ソフトバンクモバイル]]（[[携帯電話]]。旧・ボーダフォン日本法人）&lt;br /&gt;
: 旧ボーダフォン日本法人時代に展開していた「Vodafone live!」（ボーダフォン・ライブ）を「[[Yahoo!ケータイ]]」に変更し、Yahoo! JAPANの携帯電話ポータルサイトにリニューアルした。&lt;br /&gt;
* [[オークション]]&lt;br /&gt;
* [[神戸総合運動公園野球場]]（2004年度までヤフーBBスタジアムの[[命名権]]を所有）&lt;br /&gt;
* [[福岡ドーム]]（2005年度から命名権を取得、新名称は福岡Yahoo!JAPANドーム）&lt;br /&gt;
* [[福岡ソフトバンクホークス]]（2005年度よりソフトバンクが経営）&lt;br /&gt;
* [[ジャパンネット銀行]]&lt;br /&gt;
* [[株式分割バブル]]&lt;br /&gt;
* [[Web of the Year]]&lt;br /&gt;
* [[BBソフト]]&lt;br /&gt;
* [[Yahoo!動画の野球中継]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.yahoo.co.jp/ Yahoo! JAPAN]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ポータルサイト}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:やふうしやはん}}&lt;br /&gt;
{{Company-stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:Yahoo! JAPAN|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ポータルサイト]]&lt;br /&gt;
[[Category:検索エンジン]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の情報・通信業]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都の企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:東証一部上場企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:ジャスダック上場企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソフトバンク]]&lt;br /&gt;
[[Category:日経平均株価]]&lt;br /&gt;
[[Category:有害サイト]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yahoo! Japan]]&lt;br /&gt;
[[fr:Yahoo! Japan]]&lt;br /&gt;
[[ko:야후! 재팬]]&lt;br /&gt;
[[zh:雅虎日本]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Yahoo!_JAPAN&amp;diff=138950</id>
		<title>Yahoo! JAPAN</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=Yahoo!_JAPAN&amp;diff=138950"/>
				<updated>2011-09-20T09:59:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: /* Yahoo!知恵袋 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''Yahoo! JAPAN'''（ヤフー! ジャパン）は、[[#ヤフー株式会社|ヤフー株式会社]]が運営する[[ポータルサイト]]である。いつもあなたの心に、ユアペディア。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Yahoo!]]の日本語版であり、日本に於ける[[検索エンジン|検索]]・ポータルサイトでは『[[MSN|MSN Japan]]』、『[[Google|Google日本]]』、『[[goo]]』、『[[エキサイト]]』や『[[BIGLOBE]]』『[[@nifty]]』などの各プロバイダを抑えて業界1位の座にある。日本以外のYahooはほとんどの場合米Yahoo社が筆頭株主となっているが、日本では[[ソフトバンク|ソフトバンクグループ]]が筆頭株主である。その為、他のYahooのドメインが&amp;quot;'''.com'''&amp;quot;であるのに対してYahoo! JAPANは&amp;quot;'''.co.jp'''&amp;quot;であり、アカウントが共通して使えず、また、'''Yahoo! BB'''など日本独自のサービスを展開することも多い。現在では検索のときに｢ヤフる｣といわれることもある（Google=「ググる」）。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
ただし、検索エンジンサービスだで見た場合、search.yahoo.co.jp自体の[[トラフィック]]は[http://www.alexa.com/data/details/traffic_details?&amp;amp;range=6m&amp;amp;size=large&amp;amp;compare_sites=&amp;amp;y=r&amp;amp;url=http://www.yahoo.co.jp alexaでのYahoo Japanのトラフィック統計]に見られるように、Yahoo Japan全体の15%程度であり、一般に言われているほど必ずしも高いとはいえない。&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{基礎情報 会社&lt;br /&gt;
|社名 = ヤフー株式会社&lt;br /&gt;
|英文社名 = Yahoo Japan Corporation&lt;br /&gt;
|ロゴ =&lt;br /&gt;
|種類 = [[株式会社]]&lt;br /&gt;
|市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 4689}}{{上場情報 |JASDAQ | 4689 | [[2007年]][[2月28日]]}}&lt;br /&gt;
|略称 =&lt;br /&gt;
|国籍 =&lt;br /&gt;
|郵便番号 = 〒106-6182&lt;br /&gt;
|本社所在地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[六本木]]六丁目10番1号&lt;br /&gt;
|電話番号 =&lt;br /&gt;
|設立 = [[1996年]][[1月31日]]&lt;br /&gt;
|業種 = 情報・通信業&lt;br /&gt;
|統一金融機関コード =&lt;br /&gt;
|SWIFTコード =&lt;br /&gt;
|事業内容 = [[ポータルサイト]]運営&amp;lt;br/&amp;gt;[[インターネット]][[広告]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド]]関連事業&amp;lt;br/&amp;gt;[[インターネットオークション|オークション]]関連事業&amp;lt;br/&amp;gt;ほか&lt;br /&gt;
|代表者 = [[井上雅博]]（代表取締役社長）&lt;br /&gt;
|資本金 = 71億87百万円（2007年3月31日現在）&lt;br /&gt;
|売上高 = 単体：1,972億円（[[2007年]]3月期）&amp;lt;br/&amp;gt;連結：2,125億円（2007年3月期）&lt;br /&gt;
|総資産 =&lt;br /&gt;
|従業員数 = 2,331名（2007年3月31日現在）&lt;br /&gt;
|決算期 =&lt;br /&gt;
|主要株主 = [[ソフトバンク]]株式会社 41.10%&amp;lt;br/&amp;gt;[[Yahoo!|ヤフーインク]] 33.43%&lt;br /&gt;
|主要子会社 =&lt;br /&gt;
|関係する人物 = [[孫正義]]&lt;br /&gt;
|外部リンク = [http://www.yahoo.co.jp/ www.yahoo.co.jp]&lt;br /&gt;
|特記事項 =&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革 ==&lt;br /&gt;
* 1996年1月 - 米ヤフーと[[ソフトバンク]]の合弁でヤフー株式会社設立。&lt;br /&gt;
* 1996年4月 - 国内初の商用検索サイトYahoo! JAPANが[[4月1日]]15:20にサービスを開始。&lt;br /&gt;
* [[1997年]]11月 - 店頭市場（現[[ジャスダック証券取引所]]）に登録。&lt;br /&gt;
* [[2000年]]1月 - 日本で史上初の株価1億円を突破。&lt;br /&gt;
* 2000年3月 - 無料[[ウェブサイト]]サービスの[[ジオシティーズ]]株式会社及び、音声・動画情報サービス提供のブロードキャスト・コム株式会社と合併。&lt;br /&gt;
* 2000年7月 - 1日あたりのアクセス数が1億[[ページビュー]]を突破。&lt;br /&gt;
* 2000年9月 - ピー・アイ・エム株式会社と合併。&lt;br /&gt;
* 2001年の3月23日 - [[Yahoo! Cafe]] 1号店が[[表参道]]にオープン。&lt;br /&gt;
* [[2001年]]9月 - [[ソフトバンク]]子会社のビー・ビー・テクノロジー株式会社が、[[Yahoo! BB]]の[[ADSL]]商用サービスを開始。&lt;br /&gt;
* 2001年12月 - [[インターネット]]書店のイー・ショッピング・ブックス株式会社（現:セブンアンドワイ株式会社）を子会社化。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]10月 - [[東京証券取引所]]第一部へ上場。&lt;br /&gt;
* [[2004年]]7月 - 全国で初めて、[[東京都主税局]]の[[公売]]をインターネット（Yahoo!オークション）で実施。&lt;br /&gt;
* 2004年10月 - 1日あたりのアクセス数が10億ページビューを突破。&lt;br /&gt;
* [[2005年]]3月 - 年間売上高1000億円を突破。&lt;br /&gt;
* 2005年3月 - [[日経平均株価]]に採用される。&lt;br /&gt;
* 2007年2月28日 - 現在の上場先である東京証券取引所第一部市場に加え、ジャスダック証券取引所にも重複上場。東証とジャスダックへの重複上場は、[[日本駐車場開発]]に次いで2例目となる。&lt;br /&gt;
* 2007年4月 - 一部事業所が[[東京ミッドタウン]]に移転。本社機能は従来どおり[[六本木ヒルズ]]&lt;br /&gt;
* 2007年5月 - 月間318億PV数を獲得し、米Yahoo!を上回り世界一を記録。&lt;br /&gt;
* 2007年11月上旬 - 新トップページのベータ版を公開。2008年1月1日に入れ替え。&lt;br /&gt;
* 2008年1月1日 - Yahoo!JAPAN 新トップページ公開。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== Yahoo! JAPANの事業 ==&lt;br /&gt;
2006年3月現在、110以上のサービスを行っている。無料で利用できる無料サービスと、[[Yahoo!ウォレット]]で料金を支払いを行い利用する有料サービスがある。また有料、無料にかかわらず、ほとんどのサービスでYahoo! JAPAN IDの取得が必要となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サービス名に冠される「Yahoo!」は、省略形の「'''Y!'''」で記載されることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 検索エンジン ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の主力事業の一つ。元々は米Yahoo!と同じく[[ディレクトリ型]]の検索エンジンで、それに[[ロボット型]]のエンジンが付随するタイプであったが、徐々にロボット型の利用が増えた事により、2005年[[10月3日]]より、ロボット型のエンジン主体に切り替えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロボット型に関しては、初期は[[goo]]、その後2000年5月からは[[Google]]を使っていたが、現在はYahoo Search Technology(YST)と言う独自のエンジンに切り替えている。Googleの利用から離れ、Yahoo!独自の技術を利用し始めた背景にはGoogleの検索ユーザ数がYahoo!のそれを凌駕しだしたと言う事があると言われている。なお、ロボット型に切り替えて以来、探索後に日本語が表示されない出来事が多発している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== My Yahoo! ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の各種サービスをポータル的に使えるサービス。Yahoo! JAPAN IDを登録すると、My Yahoo!上で個人向けにカスタマイズ可能なページを利用できる様になる。My Yahoo!のページでは、ニュースやメール、天気予報、新着サイト等の一覧を好みに配置でき、背景の変更等も可能になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ミュージック ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供する音楽情報サービス。楽曲ダウンロード販売のYahoo!ミュージックダウンロード、ストリーミングラジオのサウンドステーション、Web音楽マガジンであるYahoo!ミュージックマガジンなどを提供する。アーティスト情報の検索や歌詞の閲覧なども可能。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ポイント ===&lt;br /&gt;
Yahoo! JAPANの特定のサービスを利用するとポイントがもらえ、Yahoo!ショッピングなどの買い物で1ポイント=1円で使える。また、100ポイント=85円で現金化にすることも出来る。利用するにはYahoo! JAPAN IDを登録しなければならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! オークション ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供する日本最大の[[インターネットオークション]]サービス。日本のオークションサイトとしては圧倒的な利用者数を誇る。通称「ヤフオク」。世界最大手の[[eBay]]（イーベイ）も2001年に日本へ進出したものの、先行していたYahoo!に太刀打ちできず、2002年3月限りで撤退した（2007年12月にYahoo!と提携して再参入）。[[2007年]][[8月]]上旬よりサービス内容変更。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
== サービス ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! 路線情報 ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供する路線検索サービス。列車の運行情報や、事故情報を細かく表示してくれる。 また、出発駅、到着駅、出発時刻等の情報を入れると、必要な経路と運賃、定期代等を表示してくれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! ファイナンス ===&lt;br /&gt;
日本の株式情報や税金や不動産に関する情報を網羅している。また、特定の企業を登録しておけば株式変動のレポートなども作成してくれ、Yahoo!掲示板とも直結している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! きっず ===&lt;br /&gt;
子供向けのYahoo!JAPANであり、トップページには子供向けのリンクがされている。小学校などではよく利用されている。Yahoo!きっずの検索では、[[アダルト]]系の言葉が検索できないようになっている。しかし小学生低学年～中学年向けのコンテンツに検索範囲が絞られているため、高学年になり調べるようになる環境問題、生態系、乗り物などは&lt;br /&gt;
検索できず、高学年以上には非常に評判が悪い（なのでYAHOO!JAPANのほうや、[[グーグル]]を使う小学生高学年がほとんどである）。リンク以外にも、ニュース、図鑑、絵本、[[なぞなぞ|クイズ]]、ゲーム、 食育、ペーパークラフト、[[ポケモンガーデン]]など子供を対象としたコンテンツがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!メール ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供する[[フリーメールサービス]]。詳細は[[Yahoo!メール]]を参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!グルメ ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供するグルメ情報サービス。飲食店情報、レシピ情報、出前注文サービスの3つがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!メッセンジャー ===&lt;br /&gt;
チャットのようにYahoo!JAPAN IDだけで、相手とネットで会話が交わせるサービスのこと。なお、利用するには[[Yahoo!メッセンジャー]]をコンピュータにインストールする必要がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!チャット ===&lt;br /&gt;
Yahoo!の提供するチャットシステム。2007年4月3日よりYahoo!メッセンジャーと統合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!掲示板 ===&lt;br /&gt;
[[2ちゃんねる]]の次に利用者が多いとされる掲示板。実際2ちゃんねるが某国からのサイバーテロに遭った際、炎上に近い書き込みが相次いだ。こちらは2ちゃんねると違いYahoo!登録者のみ書き込めるため、匿名性は低い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!知恵袋 ===&lt;br /&gt;
ユーザーが質問を投稿し、他のユーザーが回答を投稿するシステム。β版時代はハンドルネームを名乗らなくても良いという点で、事実上匿名性であったが、正式版からは予め登録されたハンドルを名乗る事が義務付けられ、匿名性が薄くなった（また、アンケートカテゴリーが新設された）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[12月16日]]から[[12月18日]]にかけてリニューアルの為閉鎖、その後リニューアル開設された。&lt;br /&gt;
また、[[2007年]][[9月27日]]に[[モバイル]]版知恵袋を大幅リニューアルし、[[ケータイ]]からも質問・回答が可能となった。通称、'''チエモバ'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
回答者の質が問題。一部には優しく良心的で知識豊富なユーザーもいるのだが、クズも多い。中でも「yaikomae」という原生動物には注意である。彼の思考は織田信長の業績を否定すること、ただそれのみに注がれている。無知、視野狭窄で史料に基づかない推測、論理力の欠如、無礼、屁理屈、自演、などなど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、彼はソックパペット（多重アカウント）を非常に多く使用しているので、要注意である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!リサーチ ===&lt;br /&gt;
対象モニターがアンケートに答えると、謝礼（現金、Yahoo!ポイント）または賞品への抽選権がもらえるサービス。&lt;br /&gt;
主に現金で支払われるリサーチ・モニター、ポイントで支払われるリサーチ・モニター・ライト、抽選で商品が当たるモバイルモニターがある。リサーチ・モニターの謝礼を受け取るには[[郵便貯金]]、[[イーバンク銀行]]、[[ジャパンネットバンク]]の指定金融機関いずれかの口座が必要となる。ただし、いずれにしても謝礼が少額であったり、謝礼が抽選にかけられたりするため、モニターにメリットが少ないという不満の声もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!辞書 ===&lt;br /&gt;
Yahoo!辞書は、全7辞書（大辞泉、大辞林、必携 類語実用辞典、プログレッシブ英和中辞典、新グローバル英和辞典、プログレッシブ和英中辞典、ニューセンチュリー和英辞典）、85万4000項目から検索できる。他にも、コンピュータ用語辞典等がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!翻訳 ===&lt;br /&gt;
日本語を英語、中国語、韓国語に翻訳できる。また、反対に英語、中国語、韓国語も日本語に翻訳できる。他にも、Web翻訳というのもあり、英語等のWebページを日本語に翻訳して表示するという機能もある。ただし、日本語を英語に翻訳する場合に、やや誤訳が多いので注意が必要である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo! Days ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営する[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]](SNS)のベータ版。2008年2月13日から招待制を廃止し、Yahoo!JAPANID所持者であれば参加可能となり、Yahoo!プロフィールと共有でき、公開設定ができるようになった[http://days.yahoo.co.jp/guide/open.html]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ジオシティーズ ===&lt;br /&gt;
ウェブサイトスペース。無料にはYahoo!の広告が記載される。Webページ作成には、Yahoo!JAPAN IDを取得する必要がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ブログ ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営する[[ブログ]]サービス。yahoo!JAPANID所持者は、最大2GBを無料で使用できる。写真を添付する事が可能。動画などを掲載するには、外部の動画投稿サイトにアップロードしたものを使用する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!インターネット検定 ===&lt;br /&gt;
オンラインで受験できるYahoo!JAPANが提供する[[資格]]試験。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!動画 ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営するストリーミングサービス。有料・無料合わせて10万本以上のタイトルを提供する。ただし、視聴可能環境が[[Microsoft Windows|Windows]]のみに限定される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ビデオキャスト ===&lt;br /&gt;
デジタルビデオカメラなどで撮影した動画を公開したり、公開されている動画へのコメント等ができるサービス。著作権料を[[JASRAC]]に支払うことで合意したと報道された(2007/7/24)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!リクナビ ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANと株式会社リクルートが共同で運用している求人情報サービス。かつては「Yahoo!求人情報」として情報掲載型のサービスを行っていたが2004年4月より、株式会社[[リクルート]]と求人領域のサービスにおいて包括提携を行い、情報提供元をリクルートに一本化した（これによって競合他社からの情報提供を排除する形となり、ポータルサイトとしては好ましくないのではないか、という批判が一部で上がっている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ゲーム ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営するゲームサービス。無料ゲーム、ダウンロードゲーム、ゲーム情報がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!コミック ===&lt;br /&gt;
Yahoo!JAPANが運営する[[ウェブコミック]]誌ポータルサイト。『[[FlexComixブラッド]]』『[[コミック・ガンボ]]』他のウェブコミック誌無料配信と単行本のファイル有料ダウンロードがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!地図情報 ===   &lt;br /&gt;
地図情報を提供している。「ワイワイマップ」では、ユーザでオンライン上で情報を直接地図上に書き込むことが出来る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!自動車 ===&lt;br /&gt;
1990年以降に発売された乗用車を中心に、一部の商用車のデータを提供している。登録ユーザーによるレビューも掲載されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!グループ ===&lt;br /&gt;
[[メーリングリスト]]サービスや共有カレンダーなど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!ニュース ===&lt;br /&gt;
各新聞社などと提携し、さまざまなニュースを配信。&lt;br /&gt;
Yahoo! JAPAN IDがあればニュースに対する意見を書き込める簡易掲示板機能があるが、&lt;br /&gt;
たびたび[[荒らし|荒らされて]]いるため機能していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Yahoo!デコレーション ===&lt;br /&gt;
[[デコメ]]や待受画像、絵文字など、携帯電話で使用する画像を、ユーザーが自由に投稿／ダウンロードできるコミュニティサイト。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
=== 株価1億円の突破 ===&lt;br /&gt;
2000年[[1月19日]]に東京株式市場で、ヤフーの株価は1億140万円で取引が成立し、史上初となる1株1億円を突破した。その当時の[[ネットバブル]]を大いに反映したヤフーによる株価1億円の突破は、大きなニュースとして採り上げられ、世間のヤフーの認知度がこの事により一層に高まる事になった。その後は、[[株式分割]]が何度も繰り返され1株当たりの単元株価は低くなった。しかし、分割前に単純換算すると株価は現在でも当時からあまり変動しておらず、ヤフーが高い株価を保っていることが分かる（2006年現在）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ソフトバンクとの関係 ===&lt;br /&gt;
ヤフー株式会社は、Yahoo!の日本法人だが、筆頭株主はソフトバンクである。また、会社の時価総額はソフトバンクを上回っている。そのため&amp;quot;Yahoo!&amp;quot;の商標は、その知名度から提携等の形で、ソフトバンクグループ関連のブロードバンドサービス([[Yahoo! BB]])、ソフトバンクモバイルのIP接続サービス名（[[Yahoo!ケータイ]]）、インターネット専門雑誌(Yahoo! Internet Guide)等にも使われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 偽Yahoo! JAPAN事件 ===&lt;br /&gt;
2005年[[6月]]、Yahoo! JAPANを装った偽の検索サイトを作成し、利用者のパスワードなどを盗み取る[[フィッシング (詐欺)|フィッシング詐欺行為]]を行ったとして、[[警察庁]]などは著作権法違反と不正アクセス禁止法の疑いで[[大阪市]][[平野区]]在住の当時42歳の会社員の男を逮捕した。このフィッシング行為での摘発は日本初の事だった。男は「Yahoo!」のスペルを'''「Yafoo!」'''に変えたサイトを「Yahoo! JAPAN」に無断で作成した著作権侵害行為に加え、利用者の本家・Yahoo!のパスワードを不正に入手し個人情報を盗み取った上で利用者の[[電子メール]]を覗き見した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年[[10月18日]]、Yahoo! JAPANが行っているYahoo!ニュースを装った偽のニュースサイトが作成され、偽のニュースを流したページが公開されYahoo! JAPANがこのサイトについて警告を出した。これは、[[共同通信社]]発信で、「アメリカ国防総省は10月18日未明に、[[中華人民共和国|中国]]軍が、[[沖縄県|沖縄]]に侵攻したことを発表した」とするもので、あくる[[10月19日]]に[[長崎市]]内在住の男性から共同通信長崎支局に「9月中旬、ネットの掲示板に同じ内容の虚偽のニュースを書いたが満足が出来ず、Yahoo! JAPANに似せたページに書き込むことを考えた」「Yahoo! JAPANのページをパソコンに取り込んで改ざんした内容でネット上に公開した」との説明があった。男性はその後[[11月28日]]に著作権法違反で逮捕されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページビュー数が世界第1位 ===&lt;br /&gt;
2007年[[5月]]の月間ページビュー数が318億ページビューを超えアメリカのYahoo!などを押さえ世界第1位となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ヤフー株式会社 ==&lt;br /&gt;
{{節stub}}&lt;br /&gt;
Yahoo! JAPAN を運営するヤフー株式会社は、サイト内の広告・ブロードバンド関連の事業やネットオークション事業等を収益源としている。本社は東京都港区[[六本木ヒルズ森タワー]]に所在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年2月16日、現在の上場先である東京証券取引所第一部市場に加え、ジャスダック証券取引所にも28日に重複上場すると発表した[http://i.yimg.jp/images/docs/investor/release/2007/jp20070216.pdf]。東証とジャスダックへの重複上場は、[[日本駐車場開発]]に次いで2例目となる。背景としては、ソフトバンクと本国Yahoo!の持株比率が、東証の[[上場廃止]]基準である少数特定株主の上限比率75%に近いことが挙げられる。ジャスダックには少数特定株主の上限比率による上場廃止基準はなく、仮に東証への上場が廃止になっても、ジャスダックで上場を維持できるため、株式の流動性を引き続き確保できるメリットが考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このほか、無料でインターネットに接続できる店舗「[[Yahoo! Cafe]]」を日本国内数ヶ所で展開している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主な大株主 ===&lt;br /&gt;
* [[ソフトバンク]]株式会社 (41.11%)&lt;br /&gt;
* [[Yahoo!|ヤフーインク]] (33.44%)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関係会社 ===&lt;br /&gt;
==== 連結子会社 ====&lt;br /&gt;
*オーバーチュア株式会社&lt;br /&gt;
* 株式会社ニューズウォッチ&lt;br /&gt;
* 株式会社[[アルプス社]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ほか合計22社（[[2007年]][[10月31日]]現在）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 持分法適用関連会社 ====&lt;br /&gt;
* [[オールアバウト|株式会社オールアバウト]] （[[ジャスダック証券取引所]]）&lt;br /&gt;
* [[夢の街創造委員会|夢の街創造委員会株式会社]] （[[大阪証券取引所]][[ヘラクレス (有価証券市場)|ヘラクレス]]）&lt;br /&gt;
* 株式会社クレオ （ジャスダック証券取引所）&lt;br /&gt;
* [[バリューコマース|バリューコマース株式会社]] （[[東京証券取引所]][[マザーズ]]）&lt;br /&gt;
* [[JWord|JWord株式会社]]&lt;br /&gt;
* [[セブンアンドワイ|セブンアンドワイ株式会社]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ほか合計10社（同上）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[Yahoo!モバイル]]&lt;br /&gt;
* [[Yahoo! BB]]&lt;br /&gt;
* [[ソフトバンクBB]]&lt;br /&gt;
* [[ソフトバンクモバイル]]（[[携帯電話]]。旧・ボーダフォン日本法人）&lt;br /&gt;
: 旧ボーダフォン日本法人時代に展開していた「Vodafone live!」（ボーダフォン・ライブ）を「[[Yahoo!ケータイ]]」に変更し、Yahoo! JAPANの携帯電話ポータルサイトにリニューアルした。&lt;br /&gt;
* [[オークション]]&lt;br /&gt;
* [[神戸総合運動公園野球場]]（2004年度までヤフーBBスタジアムの[[命名権]]を所有）&lt;br /&gt;
* [[福岡ドーム]]（2005年度から命名権を取得、新名称は福岡Yahoo!JAPANドーム）&lt;br /&gt;
* [[福岡ソフトバンクホークス]]（2005年度よりソフトバンクが経営）&lt;br /&gt;
* [[ジャパンネット銀行]]&lt;br /&gt;
* [[株式分割バブル]]&lt;br /&gt;
* [[Web of the Year]]&lt;br /&gt;
* [[BBソフト]]&lt;br /&gt;
* [[Yahoo!動画の野球中継]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.yahoo.co.jp/ Yahoo! JAPAN]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ポータルサイト}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:やふうしやはん}}&lt;br /&gt;
{{Company-stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:Yahoo! JAPAN|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ポータルサイト]]&lt;br /&gt;
[[Category:検索エンジン]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の情報・通信業]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都の企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:東証一部上場企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:ジャスダック上場企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソフトバンク]]&lt;br /&gt;
[[Category:日経平均株価]]&lt;br /&gt;
[[Category:有害サイト]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yahoo! Japan]]&lt;br /&gt;
[[fr:Yahoo! Japan]]&lt;br /&gt;
[[ko:야후! 재팬]]&lt;br /&gt;
[[zh:雅虎日本]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=138949</id>
		<title>織田信長</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=138949"/>
				<updated>2011-09-20T09:51:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: /* 人生 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''織田 信長'''（おだ のぶなが）は、[[日本]]の[[戦国時代]]の人物。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
平安時代、朝廷の軍事力の著しい低下によって日本全国の治安が非常に悪化したため、庶民は武装して身を守った。このために延々と内乱が続き、国は乱れに乱れていた。この戦乱を終わらせる終わらせる事業の大変を行ったのが織田信長である。彼は日本全国を統治する前に死んでしまったものの、実質的には彼が戦乱を終わらせたと言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==信長の計画==&lt;br /&gt;
まずは地盤を固める&lt;br /&gt;
↓&lt;br /&gt;
幕府あるいは朝廷という既存の権威を利用し、また隠れ蓑にもしつつ改革を行う&lt;br /&gt;
↓&lt;br /&gt;
自身の権威がそれらを越え次第、自身を神格化し、名実ともに日本の頂点に立つ&lt;br /&gt;
↓&lt;br /&gt;
余剰の軍事力は海外に向ける&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人生==&lt;br /&gt;
天文3(1534)年5月11日（12日説もあり）勝幡城にて誕生。天正10年(1582) 6月2日、織田信秀の次男(三男説もある)、母は正室土田氏。幼名は吉法師。&lt;br /&gt;
尾張国・古渡城主・織田信秀の嫡男として生まれ、幼少時に那古屋城主となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞天文22年(1551)、父・信秀の死により家督を相続。その葬儀の際、うつけ姿で現れ、位牌に焼香を投げつけ、多くの家臣の批判を受ける。&lt;br /&gt;
＞以後、弟・信勝(信行)や一族との戦いに勝利し、永禄2年(1559)、尾張を平定。&lt;br /&gt;
天文20年（1551年）、急死した父の後を受けて家督を継ぐも、同母弟・織田信行（信勝）と家督争いが発生する。これに勝利すると、その後は敵対勢力を次々と下していき、尾張国を統一した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞永禄3年(1560)、尾張へ侵攻して来た駿河の今川義元の大軍4万5千(2万5千など諸説あり)をわずか2千余りの兵で迎え撃ち、尾張・田楽狭間で討ち破る。&lt;br /&gt;
永禄3年（1560年）、兵力的に圧倒的優位にあった今川義元を桶狭間の戦いで破り、新興勢力として台頭した。永禄10年（1567年）には美濃国の斎藤氏を滅ぼし美濃を併合し、翌年には足利義昭を奉じて上洛を果たし、将軍職に就任した義昭を擁立し、義昭の権威のもと諸大名との外交・紛争を調停する天下の主催者としての役割を代行した。将軍義昭とは次第に関係が悪化し義昭の迎合した反信長勢力との抗争に至るが包囲網を撃破し、元亀4年（1573年）には将軍義昭を追放するが天下の主催者としての役割を引き継いでいる。以後も天下人として統一事業（天下布武）を推し進め、領国内においては楽市楽座や検地など政策を用いた（織田政権）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞永禄10年(1567)に隣国・美濃を平定すると翌年永禄11年(1568)9月、足利義昭を奉じて上洛。&lt;br /&gt;
信長の統一事業は家臣明智光秀の謀反（本能寺の変）により頓挫し織田政権も解体されるが、信長死後には織田家臣の羽柴秀吉が天下人としての地位を継承して天下統一を完成して豊臣政権を樹立し、さらに天下人としての地位は徳川家康により継承された。戦国時代の終結に最大の影響を与えた人物の一人であり、日本史における近世移行期の創始者的存在と位置づけられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生涯 [編集]※日付は和暦による旧暦。西暦表記の部分はユリウス暦とする。 &lt;br /&gt;
少年期 [編集]天文3年（1534年）5月12日、尾張国の戦国大名・織田信秀の次男として、那古野城[6]（勝幡城説もある[7]）で生誕。幼名は吉法師。なお、信長の生まれた「織田弾正忠家」は、尾張国の守護大名・斯波氏の被官、下四郡（海東郡・海西郡・愛知郡・知多郡）の守護代に補任された織田大和守家、即ち清洲織田家の家臣にして分家でもあった清洲三奉行・古渡城主の織田家という家柄であった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母・土田御前が信秀の正室であった為嫡男となり、2歳にして那古野城主となる。幼少から青年時にかけて奇矯な行動が多く、周囲から尾張の大うつけと称されていた。日本へ伝わった種子島銃に関心を持った挿話などが知られる。また、身分にこだわらず、民と同じように町の若者とも戯れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まだ世子であった頃、表面的に家臣としての立場を守り潜在的な緊張関係を保ってきた主筋の「織田大和守家」の支配する清洲城下に数騎で火を放つなど、父・信秀も寝耳に水の行動をとり、豪胆さを早くから見せた。また、今川氏へ人質として護送される途中で松平氏家中の戸田康光の裏切りにより織田氏に護送されてきた松平竹千代（後の徳川家康）と幼少期を共に過ごし、後に両者は固い盟約関係を結ぶこととなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天文15年（1546年）、古渡城にて元服し、織田上総介信長[8]と称する。天文17年（1548年）、父・信秀と敵対していた美濃国の戦国大名・斎藤道三との和睦が成立すると、道三の娘・濃姫と政略結婚した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天文18年（1549年）（異説では天文22年（1553年））に信長は正徳寺で道三と会見し、その際に道三はうつけ者と呼ばれていた信長の器量、度量を見抜いたとの逸話がある。また同じく天文18年には、近江の国友村に火縄銃500丁を注文したという[9]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天文20年（1551年）、父・信秀が没した為、家督を継ぐ[10]。天文22年（1553年）、信長の教育係であった平手政秀が自害。これは、奇行が目立つ信長を諌めるための死であったとも、息子・五郎右衛門と信長の確執のためともされる。信長は嘆き悲しみ、沢彦和尚を開山として政秀寺を建立し、政秀の霊を弔った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家督争いから尾張統一 [編集]当時、尾張国は守護大名の斯波氏の力が衰え、尾張下四郡を支配した守護代であった「織田大和守家」当主で清洲城主の織田信友が実権を掌握していた。しかし、信長の父・信秀はその信友に仕える三奉行の一人に過ぎなかったにも関わらず、その智勇をもって尾張中西部に支配権を拡大していった。信秀の死後、信長が跡を継ぐと、信友は信長の弟織田信行（信勝）の家督相続を支持して信長と敵対し、信長謀殺計画を企てた。しかし、信友により傀儡にされていた尾張守護・斯波義統が、その計画を事前に信長に密告した。斯波義統の嫡子斯波義銀が斯波家の手勢を率いて川狩に出た隙に、これに激怒した織田信友は斯波義統を殺害する。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このため、斯波義銀が信長を頼って落ち延びてくると、信長は叔父の守山城主・織田信光と協力し、信友を織田家の主君斯波義統を殺した謀反人として殺害する。こうして守護代「織田大和守家」は滅び、信長は那古野城から清洲城へ本拠を移し、尾張国の守護所を手中に収めた。尾張守護代織田氏の庶家の生まれであった織田信長が名実共に尾張守護代織田氏の頭領となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
叔父の信光も死亡しているが、死因は不明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弘治2年（1556年）4月、義父斎藤道三が子の斎藤義龍との戦いに敗れて戦死（長良川の戦い）。信長も道三救援のため、木曽川を越え美濃の大浦まで出陣するも、義龍は父道三を討ち取り、勢いに乗った義龍軍に苦戦、道三敗死の知らせにより退却した。(斎藤利治より道三から託された美濃国譲り状を信長に渡した）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中、信長の当主としての器量を疑問視した重臣の林秀貞（通勝）・林通具・柴田勝家らは、信長を廃して聡明で知られた弟・信勝（=信行）を擁立しようとした。これに対して信長には森可成・佐久間盛重・佐久間信盛らが味方し、両派は対立する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
道三の死去を好機と見た信勝派は、同年8月24日に挙兵して信長と戦うも敗北（稲生の戦い）。その後、信長は末盛城に籠もった信勝を包囲するが、生母・土田御前の仲介により、信勝・勝家らを赦免した。更に同年中に庶兄の信広も斎藤義龍と結んで清洲城の簒奪を企てる事件も起きたが、これは事前に情報を掴んだ為に未遂に終わり、信広は程なくして降伏、信長はこれも赦免している。しかし、弘治3年（1557年）に信勝は再び謀反を企てる。この時、稲生の戦いの後より信長に通じていた柴田勝家の密告があり、事態を悟った信長は病と称して信勝を清洲城に誘い出し殺害した。直接手を下したのは河尻秀隆とされている[11]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに信長は、同族の犬山城主織田信清と協力し、旧主「織田大和守家」の宿敵で織田一門の宗家であった尾張上四郡（丹羽郡・葉栗郡・中島郡・春日井郡）の守護代「織田伊勢守家」（岩倉織田家）の岩倉城主・織田信賢を破って（浮野の戦い）これを追放。新たに尾張守護として擁立した斯波義銀が、斯波一族の石橋氏と、同じく足利氏一門にあたる吉良氏と通じて信長の追放を画策していることが発覚すると、信長は尾張守護家で主人の斯波義銀を尾張から追放した。こうして信長は、永禄2年（1559年）までには尾張国の支配権を確立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一度目の上洛 [編集]永禄2年（1559年）2月2日、織田信長は尾張から100名ほどの軍勢を引き連れて室町幕府のある京都へ上洛し、13代将軍足利義輝に謁見した。当時、将軍足利義輝は尾張守護斯波家（武衛家）の邸宅を改修して住しており、信長はそこへ出仕した。 &lt;br /&gt;
桶狭間の戦いから清洲同盟へ [編集] &lt;br /&gt;
桶狭間古戦場、伝説の地&lt;br /&gt;
（愛知県豊明市） &lt;br /&gt;
織田信長 銅像&lt;br /&gt;
（愛知県清須市、清洲公園）尾張国統一を果たした翌・永禄3年（1560年）5月、今川義元が尾張国へ侵攻。駿河国・遠江国・三河国を支配する義元の軍勢は、2万人とも4万人とも号する大軍であった。織田軍はこれに対して防戦したが総兵力は5,000人。今川軍は、三河国の松平元康（後の徳川家康）率いる三河勢を先鋒として、織田軍の城砦を次々と陥落させていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信長は静寂を保っていたが、永禄3年（1560年）5月19日午後一時、幸若舞『敦盛』を舞った後[12]、昆布と勝ち栗を前に立ったまま、湯漬け（出陣前に、米飯に熱めの湯をかけて食べるのが武士の慣わし）を食べ、装具を身に着け馬に乗り出陣し、先ず熱田神宮に参拝。その後、善照寺砦で4,000人の軍勢を整えて出撃。今川軍の陣中に強襲をかけ義元を討ち取った。総大将を失った今川軍は、本国駿河国に潰走した（桶狭間の戦い）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
桶狭間の戦いの後、今川氏はその勢力を急激に衰退させる。これを機に、今川氏の支配から独立した三河国の徳川家康（この頃、松平元康より改名）と手を結ぶことになる。それまで織田家と松平家は敵対関係にあり、幾度も戦っていたが、信長は美濃国の斎藤氏攻略のため、家康も駿河国の今川氏真らに対抗する必要があった為、こちらの利害関係を優先させたものと思われる。両者は永禄5年（1562年）、同盟を結んで互いに背後を固めた（清洲同盟）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
美濃攻略 [編集]斎藤道三亡き後、信長と斎藤氏との関係は険悪なものとなっていた。桶狭間の戦いと前後して両者の攻防は一進一退の様相を呈していた。しかし、永禄4年（1561年）に斎藤義龍が急死し、嫡男・斎藤龍興が後を継ぐと、斎藤氏は家中で分裂が始まる。対斎藤戦で優位に立った信長は、永禄7年（1564年）には北近江の浅井長政と同盟を結び、斎藤氏への牽制を強化している。その際、信長は妹・お市を輿入れさせた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
永禄9年（1566年）には美濃国の要所である加治田城(佐藤忠能）や加治田衆を味方にし(後に信長の近親、斎藤利治を忠能の養子とした）、中濃攻略（鵜沼城、猿啄城、堂洞城、関城）の諸城を戦いと調略によって手に入れ、さらに西美濃三人衆（稲葉良通、氏家直元、安藤守就）などを味方につけた信長は、ついに永禄10年（1567年）、斎藤龍興を伊勢長島に敗走させ、美濃国を手に入れた（稲葉山城の戦い）。こうして尾張・美濃の2ヶ国を領する大名になったとき、信長は33歳であった。このとき、井ノ口を岐阜と改称している[13]。また、この頃から本格的に天下統一を目指すようになったという説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、信長は永禄8年（1565年）より滝川一益の援軍依頼により伊勢方面にも進出し、神戸具盛など当地の諸氏とも戦っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二度目の上洛 [編集] &lt;br /&gt;
織田信長軍 永楽銭（永楽通宝）の旗印中央では、永禄8年（1565年）、かねて京を中心に畿内で権勢を誇っていた三好氏の有力者三好三人衆（三好長逸・三好政康・岩成友通）と松永久秀が、室町幕府権力の復活を目指して三好氏と対立を深めていた第13代将軍足利義輝を暗殺し、第14代将軍として義輝の従弟足利義栄を傀儡として擁立する（永禄の変）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
久秀らはさらに義輝の弟で僧籍にあった一乗院覚慶(足利義昭)の暗殺も謀ったが、義昭は一色藤長・和田惟政ら幕臣の支援を受けて京から脱出し、越前国の朝倉義景のもとに身を寄せていた。しかし、義景が三好氏追討の動きを見せなかったため、永禄11年（1568年）7月には美濃国の信長へ接近を図ってきた。信長は義昭の三好氏追討要請を応諾した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、美濃国において領国を接する甲斐の武田信玄とは永禄年間から外交関係が見られるが[14]、武田氏とは信玄の四男諏訪勝頼（武田勝頼）に養女（遠山夫人）を娶らせることで同盟を結んだが、遠山夫人は永禄10年（1567年）11月武田信勝を出産した直後に早世したため、同年末には嫡男信忠と信玄の六女松姫との婚姻を模索し友好的関係を持続させるなど、周囲の勢力と同盟を結んで国内外を固めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして9月、信長は天下布武への大義名分として第15代将軍に足利義昭を奉戴し、上洛を開始した。これに対して抵抗した南近江の六角義賢・義治父子は織田軍の猛攻を受け観音寺城が落城する（観音寺城の戦い）。六角父子は甲賀郡に後退、以降はゲリラ戦を展開した[15]。信長が上洛すると、三好長慶死後の内輪揉めにより崩壊しつつあった三好義継・松永久秀らは信長の実力を悟って臣従し、三好三人衆に属した他の勢力の多くは阿波国へ逃亡する。唯一抵抗していた池田勝正も信長に降伏した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管領・副将軍の地位を拒否 [編集]こうして足利義昭を第15代将軍として擁立した信長は、和泉一国の恩賞だけを賜り尾張へ帰国（この時、信長は義昭から管領斯波家家督継承もしくは管領代・副将軍の地位等を勧められたが、桐紋と斯波家並の礼遇だけを賜り遠慮したとされる）。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
永禄12年（1569年）1月、信長率いる織田軍主力が美濃国に帰還した隙を突いて、三好三人衆と斎藤龍興ら浪人衆が共謀し、足利義昭の御所である六条本圀寺を攻撃した（六条合戦）。しかし、信長は豪雪の中をわずか2日で援軍に駆けつけるという機動力を見せたといわれている[16]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もっとも、浅井長政や池田勝正の援軍と明智光秀の奮戦により、三好・斎藤軍は信長の到着を待たず敗退していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1月10日には三好軍と共同して決起した高槻城の入江春景を攻めた。春景は降伏したが、信長は再度の離反を許さず、処刑し、和田惟政を高槻に入城させ、摂津国を守護池田勝正を筆頭とし伊丹氏と惟政の3人に統治させた（摂津三守護）。同日、信長は堺に2万貫の矢銭と服属を要求する。これに対して堺の会合衆は三好三人衆を頼りに抵抗するが、三人衆が織田軍に敗退すると支払いを余儀なくされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊勢攻略 [編集]伊勢国への侵攻も大詰めを迎える。伊勢は南朝以来の国司である北畠具教が最大勢力を誇っていたが、まず永禄11年（1568年）北伊勢の神戸具盛と講和し、三男の織田信孝を神戸氏の養子として送り込んだ。更に具教の次男・長野具藤を内応により追放し、弟・織田信包を長野家当主とした。そして翌・永禄12年（1569年）8月20日、滝川一益の調略によって具教の実弟・木造具政が信長側に転じると、信長はその日の内に岐阜を出陣し南伊勢に進攻、北畠家の大河内城を大軍を率いて包囲、篭城戦の末10月3日に和睦し、次男・織田信雄を北畠氏の養子として送り込んだ。後に北畠具教は幽閉され、天正4年（1576年）信雄により殺害される。こうして信長は、養子戦略により北伊勢攻略を終える。 &lt;br /&gt;
第一次信長包囲網 [編集]詳細は「信長包囲網#第一次包囲網」を参照 &lt;br /&gt;
1570年（元亀1年）の戦国大名勢力図永禄12年（1569年）、信長は足利義昭の将軍としての権力を制限するため、『殿中御掟』9ヶ条の掟書、のちには追加7ヶ条を発令し、これを義昭に認めさせた。しかし、これによって義昭と信長の対立は決定的なものになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元亀元年（1570年）4月、信長は度重なる上洛命令を無視する越前国の朝倉義景を討伐するため、浅井氏との盟約を反故にし、盟友の徳川家康の軍勢とともに越前国へ進軍を開始する。織田・徳川連合軍は朝倉氏の諸城を次々と攻略していくが、金ヶ崎へ進軍したところで北近江の盟友であった浅井氏に背後を突かれる形となった。挟撃される形となり窮地に追い込まれた織田・徳川連合軍であったが、殿を務めた池田勝正・明智光秀・木下秀吉・徳川家康らの働きもあり、なんとか京に逃れた（金ヶ崎の戦い）。信長が京に帰還したとき、従う者は僅か10名ほどであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを機に、将軍・足利義昭と信長の対立は先鋭化した。義昭は打倒信長に向けて御内書を諸国に発し、朝倉義景、浅井長政、武田信玄、毛利輝元、三好三人衆、さらに比叡山延暦寺、石山本願寺などの寺社勢力に呼びかけて「信長包囲網」を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対して信長は浅井を討つべく、元亀元年（1570年）6月、近江国姉川河原で徳川軍とともに浅井・朝倉連合軍と対峙する。浅井軍の先鋒・磯野員昌に15段の備えの内13段まで破られるなど[17]苦戦しつつも、織田・徳川連合軍は勝利した（姉川の戦い）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元亀元年（1570年）8月、信長は摂津国で挙兵した三好三人衆を討つべく出陣するが、石山本願寺の援軍などもあって苦戦する（野田城・福島城の戦い）。しかも、織田軍本隊が摂津国に対陣している間に軍勢を立て直した浅井・朝倉・延暦寺などの連合軍3万が近江国・坂本に侵攻する。織田軍は劣勢の中、重臣・森可成と信長の実弟・織田信治を喪った。対して信長は、9月23日未明に急ぎ本隊を率いて摂津国から近江国へと帰還。慌てた浅井・朝倉連合軍は比叡山に立て籠もって抵抗した。信長はこれを受け、近江国・宇佐山城において浅井・朝倉連合軍と対峙する（志賀の陣）。しかし、その間に石山本願寺の法主・顕如の命を受けた伊勢長島一向一揆衆が叛旗を翻し、信長の実弟・織田信興を戦死に追い込んだ。いよいよ進退に窮した信長は正親町天皇に奏聞して勅命を仰ぎ、12月13日、勅命をもって浅井氏・朝倉氏との和睦に成功した。大久保忠教の記した『三河物語』によれば、このとき信長は義景に対して「天下は朝倉殿が持ち給え。我は二度と望み無し」とまで言ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『織田信長 図像』&lt;br /&gt;
兵庫県氷上町 所蔵元亀2年（1571年）9月、信長は何度か退避・中立勧告を出した後、なおも抵抗し続けた比叡山延暦寺を焼き討ちにした（比叡山焼き討ち）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元亀3年（1572年）7月、信長は嫡男・奇妙丸（後の織田信忠）を初陣させた。この頃、織田軍は浅井・朝倉連合軍と小競り合いを繰り返していた。しかし戦況は織田軍有利に展開し、8月には朝倉義景に不満を抱いていた朝倉軍の武将・前波吉継と富田長繁、戸田与次らが信長に寝返った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
甲斐の武田信玄は駿河今川氏の領国を併合すると三河の家康や相模の後北条氏、越後の上杉氏と敵対していたが、元亀2年末に北条氏との甲相同盟を回復させると徳川領への侵攻を開始する。元亀3年10月に信玄は浅井長政・朝倉義景ら反信長勢力と連携しつつ11月22日に三方原合戦において家康を撃破している。この頃、信長は将軍義昭の命で武田と上杉間の調停を行っており、信長と武田の関係は良好であったが、信長の同盟相手である徳川領への侵攻は事前通告なしで行われており、信長は家康に対して援軍を派遣している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年11月、東美濃の国衆遠山氏は織田・武田の両属関係にあったが、遠山氏の岩村城が攻められるなか[18]、当主遠山景任・直廉兄弟が病死する。家督を巡って信長が軍事介入すると遠山氏は武田方に帰属し、武田・織田間の対立が顕在化する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、徳川領においては徳川軍が一言坂の戦いで武田軍に大敗し、さらに遠江国の要である二俣城が開城・降伏により不利な戦況となる（二俣城の戦い）。これに対して信長は、家康に佐久間信盛・平手汎秀ら3,000人の援軍を送ったが、12月の三方ヶ原の戦いで織田・徳川連合軍は武田軍に大敗。汎秀らは討死した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元亀4年（1573年）に入ると、武田軍は遠江国から三河国に侵攻し、2月には野田城を攻略する（野田城の戦い）。しかも信玄の上洛に呼応する形で、足利義昭が三好義継・松永久秀らと共謀して挙兵。3月25日に信長は三河国にいる武田軍を無視して岐阜から京都に向かって進軍した。信長が京都に着陣すると幕臣であった細川藤孝や荒木村重らは義昭を見限り信長についた。信長は上京を焼打ちして義昭に脅しをかけたが、4月5日、正親町天皇から勅命を賜ることによって義昭と和睦した。4月12日、武田信玄が急死し、武田軍は甲斐国へ帰国した[19]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
包囲網打破と「天下」の継承 [編集]武田氏の西上作戦停止によって信長は態勢を立て直し、同年7月には再び抵抗の意思を示した足利義昭は室町幕府（二条城）や山城守護所（槇島城）に立て籠もったが信長は義昭を破り、追放とし、これをもって室町幕府の勢力は京都から消滅した[20]。加えて7月28日には元号を元亀から天正へと改めることを朝廷に奏上し、これを実現させた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正元年（1573年）8月、細川藤孝に命じて、淀城に立て籠もる三好三人衆の一人・岩成友通を討伐した（第二次淀古城の戦い）。信長は同月、3万人の軍勢を率いて越前国に侵攻。刀根坂の戦いで朝倉軍を破り、朝倉義景は自刃した。9月、小谷城を攻略して浅井氏に勝利し、浅井久政・長政父子は自害し、長政の母・小野殿（阿古御料人）の指を一日一本ずつ切り落とした上で殺害した（執行を担当したのは秀吉であり、処刑方法が信長本人の意向か秀吉のものであるかは不明である）。なお、長政に嫁いでいた妹・お市らは落城前に落ち延びて信長が引き取った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9月24日、信長は尾張国・美濃国・伊勢国の軍勢を中心とした3万人の軍勢を率いて、伊勢長島に行軍した。織田軍は滝川一益らの活躍で半月ほどの間に長島周辺の敵城を次々と落としたが、一向一揆による抵抗も激しく、長期戦を嫌った信長は10月25日に撤退を開始する。ところが撤退途中に一揆軍による追撃が始まると織田軍は苦戦し、林通政が討死した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
11月、河内国の三好義継が足利義昭に同調して反乱を起こした。信長は佐久間信盛を総大将とした軍勢を河内国に送り込む。しかし、信長の実力を怖れた義継の家老・若江三人衆らによる裏切りで義継は11月16日に自害し、三好氏もここに滅亡した。12月26日、大和国の松永久秀も多聞山城を明け渡し、信長に降伏した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長島一向一揆 [編集]詳細は「長島一向一揆」を参照 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正2年（1574年）1月、朝倉氏を攻略して織田領となっていた越前国で、地侍や本願寺門徒による反乱が起こり、守護代の前波吉継（桂田長俊）は一乗谷で殺された。それに呼応する形で、甲斐国の武田勝頼が東美濃に侵攻してくる。信長はこれを信忠とともに迎撃しようとしたが、信長の援軍が到着する前に東美濃の明知城が落城し、信長は武田軍との衝突を避けて岐阜に撤退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月、信長は上洛して従三位参議に叙任された[21]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月、信長は3万人の大軍と、織田信雄、滝川一益、九鬼嘉隆の伊勢・志摩水軍を率いて、伊勢長島を水陸から完全に包囲し、兵糧攻めに追い込んだ。一揆軍も地侍や旧北畠家臣なども含んでおり、戦に関して全くの素人という訳では無く抵抗は激しいものであった。しかし、8月に入ると兵糧不足に陥り、さらに織田軍の猛攻により大鳥居城が落城して一揆勢1,000人余が討ち取られるなど、次第に戦況は織田軍有利に傾く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9月29日、兵糧に欠乏した長島城の門徒は降伏し、船で大坂方面に退去しようとした。しかし信長は許さず、一斉射撃を浴びせ掛けた。だが一揆側の一部が織田軍に反撃し、信長の庶兄・織田信広、信長の弟・織田秀成など多くの織田一族の将が討ち取られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを受けて信長は中江城、屋長島城に立て籠もった長島門徒2万人に対しては、城の周囲から柵で包囲し、焼き討ちで全滅させた。この戦によって信長は長島を占領することに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌天正3年（1575年）3月荒木村重が大和田城を占領したのをきっかけに、織田信長は石山本願寺、高屋城周辺に10万兵の大軍で出軍した（高屋城の戦い）。高屋城、石山本願寺周辺を焼き討ちにし、両城の補給基地となっていた新堀城が落城すると、三好康長は降伏を申し出これを受け入れ、高屋城を含む河内国の城は破城となる。その後、松井友閑と三好康長の仲介のもと石山本願寺と一時的な和睦が成立する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長篠の戦いから越前侵攻 [編集]詳細は「長篠の戦い」を参照 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信長包囲網の打破後、信長や徳川家康は甲斐の武田氏に対しても反攻を強ており、武田方は織田・徳川領への再侵攻を繰り返していた。天正3年（1575年）4月、勝頼は武田氏より離反し徳川氏の家臣となった奥平貞昌を討つため、1万5,000人の軍勢を率いて貞昌の居城・長篠城に攻め寄せた。しかし奥平勢の善戦により武田軍は長篠城攻略に手間取る。その間の5月12日に信長は3万人の大軍を率いて岐阜から出陣し、5月17日に三河国の野田で徳川軍8,000人と合流する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3万8,000人に増大した織田・徳川連合軍は5月18日、設楽原に陣を敷いた。そして5月21日、織田・徳川連合軍と武田軍の戦いが始まる。この長篠の戦いで、信長は設楽原決戦においては5人の奉行に1,000丁余りの火縄銃を用いた一斉射撃（『信長公記』による）を行わせるなどし[22]、武田軍に圧勝する[23]この戦いで武田氏の大軍から長篠城を防衛した奥平貞昌は、信長より偏諱を賜り信昌と改名している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、前年に信長から越前国を任されていた守護代・桂田長俊を殺害して越前国を奪った本願寺門徒では、内部分裂が起こっていた。門徒達は天正3年（1575年）1月、桂田長俊殺害に協力した富田長繁ら地侍も罰し、越前国を一揆の持ちたる国とした。そして顕如の命令で守護代として下間頼照が派遣されたが、この下間頼照が前の領主である桂田長俊以上の悪政を敷いたために、一揆の内部分裂が進んでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを好機と見た信長は長篠の戦いが終わった直後の8月、越前国に行軍した。これに対して既に内部分裂していた一揆衆は協力して迎撃することができず、下間頼照や朝倉景健らを始め、12,250人を数える越前国・加賀国の門徒が織田軍によって討伐されたと言われている[24][25]。こうして越前国は再び織田領となり、信長は越前八郡を柴田勝家に与えた。このとき、信長は勝家に対して北国経営の掟を与えたと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次信長包囲網 [編集] &lt;br /&gt;
安土城天主信長の館（安土城復元天主） 滋賀県近江八幡市安土町詳細は「信長包囲網#第二次包囲網」を参照&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正3年（1575年）11月4日、信長は権大納言、11月7日に右近衛大将に叙任する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
11月28日、信長は1週間前に東美濃の要・岩村城を陥落させた嫡男・信忠に織田氏の家督ならびに美濃国・尾張国などの領地を譲って建前上隠居した。しかし、引き続き信長は織田氏の政治・軍事を執行する立場にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正4年（1576年）1月、信長自身の指揮のもと琵琶湖湖岸に安土城の築城を開始する[26]。安土城は天正7年（1579年）に五層七重の豪華絢爛な城として完成した。天守内部は吹き抜けとなっていたと言われている。イエズス会の宣教師は「その構造と堅固さ、財宝と華麗さにおいて、それら（城内の邸宅も含めている）はヨーロッパの最も壮大な城に比肩しうるものである」と母国に驚嘆の手紙を送っている。信長は岐阜城を信忠に譲り、完成した安土城に移り住んだ。信長はここを拠点に天下統一に邁進することとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正4年（1576年）1月、信長に誼を通じていた丹波国の波多野秀治が叛旗を翻した。さらに石山本願寺も再挙兵するなど、再び反信長の動きが強まり始める。これに対し信長は4月、明智光秀、荒木村重、塙直政を大将とした3万人の軍勢を大坂に派遣したが伏兵の襲撃に遭って大敗を喫し、直政を始め1,000人以上が戦死した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
光秀はじめとする大坂の織田軍は勢いづく本願寺軍の攻勢に窮して天王寺砦に立て籠もるが、本願寺軍はこれを包囲し、天王寺で織田軍は窮地に陥った。信長は5月5日に若江城に入り動員令を出したが、集まったのは3,000人ほどであった。しかし信長は5月7日早朝、その3,000人の軍勢を率いて自ら先頭に立ち、天王寺砦を包囲する本願寺軍1万5,000人に攻め入った。信長自身も銃撃され負傷する激戦となったが、信長自らの出陣で士気が高揚した織田軍は、光秀率いる天王寺砦の軍勢7,000人との連携に成功。本願寺軍を挟撃し、これを撃破した（天王寺砦の戦い）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、織田軍は石山本願寺を水陸から包囲し兵糧攻めにした。ところが7月13日、石山本願寺の援軍に現れた毛利水軍800隻の前に、織田水軍は敗れ、毛利軍により石山本願寺に兵糧弾薬が運び込まれた（第一次木津川口の戦い）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、越後守護で関東管領の上杉輝虎（上杉謙信）と信長との関係は悪化し[27]、謙信は天正4年（1576年）に石山本願寺と和睦し、信長との対立を明らかにした。謙信を盟主として、毛利輝元、石山本願寺、波多野秀治、紀州雑賀衆などが反信長に同調し結託した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天下への足がかり [編集]これに対し信長は、天正5年（1577年）2月、紀州雑賀衆を討伐するために大軍を率いて出陣（紀州攻め）するが、毛利水軍による背後援助や上杉軍の能登国侵攻などもあったため、3月に入ると雑賀衆の頭領・雑賀孫一らを降伏させた（本願寺攻めに協力する誓紙を出させたが、人質の提供は無かった）。こうして形式的な和睦を行ない、紀伊国から撤兵した。この頃、北陸戦線では織田軍の柴田勝家が、加賀国の手取川を越えて焼き討ちを行っている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大和国の松永久秀がまたも信長を裏切り挙兵すると、信長は織田信忠を総大将とした大軍を信貴山城に派遣し、10月に松永を討ち取った（信貴山城の戦い）。松永を討った10月、信長に抵抗していた丹波亀山城の内藤定政（丹波守護代）が病死する。織田軍はこの機を逃さず、亀山城、籾井城、笹山城などの丹波国の諸城を攻略する。同年、姉妹のお犬の方を丹波守護で管領を世襲する細川京兆家当主細川昭元の正室とすることに成功し丹波を掌握した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
11月、能登、加賀北部を攻略した上杉軍が加賀南部へ侵攻、織田軍は手取川において1000人余が討死し渡河の際にも多数の行方不明者を出した（手取川の戦い）。その結果、加賀南部は上杉家の領国に組み込まれる。これによって北陸では一時的に上杉側が優位に立ったが、天正6年（1578年）3月13日に上杉謙信が急死。謙信には実子がなく、後継者を定めることなく急死したため、養子の上杉景勝と上杉景虎が後継ぎ争いを始めた（御館の乱）。この好機を活かし織田軍は上杉領の能登国、加賀国を攻略する。かくして謙信の死を契機に、またも信長包囲網は崩壊した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
織田方面軍団 [編集]対武田方面・織田信忠・滝川一益軍団（天正元年結成） &lt;br /&gt;
対本願寺方面・佐久間信盛軍団（天正4年結成 - 天正8年消滅） &lt;br /&gt;
北陸方面・柴田勝家軍団（天正4年昇格） &lt;br /&gt;
近畿方面・明智光秀軍団（天正8年昇格） &lt;br /&gt;
山陰・山陽方面・羽柴秀吉軍団（天正8年昇格） &lt;br /&gt;
関東方面・滝川一益軍団（天正10年結成） &lt;br /&gt;
四国方面・織田信孝・丹羽長秀・蜂屋頼隆軍団（天正10年結成） &lt;br /&gt;
東海道の抑え・徳川家康 &lt;br /&gt;
伊賀方面の抑え・織田信雄 &lt;br /&gt;
（紀伊方面の抑え・織田信張） &lt;br /&gt;
天正期に入ると、同時多方面に勢力を伸ばせるだけの兵力と財力が織田氏に具わっていた。信長は部下の武将に大名級の所領を与え、自由度の高い統治をさせ、周辺の攻略に当たらせた[28]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上杉謙信の死後、お家騒動を経て上杉氏の家督を継いだ上杉景勝に対しては柴田勝家、前田利家、佐々成政らを、武田勝頼に対しては嫡男・信忠、河尻秀隆、森長可らを、波多野秀治に対しては明智光秀、細川藤孝らを（黒井城の戦い）、毛利輝元に対しては羽柴秀吉を、石山本願寺に対しては佐久間信盛を配備した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
織田軍は謙信の死後、上杉氏との戦いを優位に進め、能登国・加賀国を奪い、越中国にも侵攻する勢いを見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正6年（1578年）3月、播磨国の別所長治の謀反（三木合戦）が起こる、また毛利軍が、同年7月、上月城を攻略し、信長の命により放置された山中幸盛ら尼子氏再興軍は処刑される（上月城の戦い）。10月には摂津国の荒木村重が有岡城に籠って信長から離反し（有岡城の戦い）、本願寺と手を結んで信長に抵抗する。一方、荒木の与力の一人であり東摂津に所領を持つ中川清秀、高山右近は信長に寝返る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年11月6日、信長は九鬼嘉隆の考案した鉄甲船を採用、6隻を建造し毛利水軍を撃破（第二次木津川口の戦い）。これにより石山本願寺と荒木は毛利軍の援助を受けられず孤立し、この頃から織田軍は優位に立つ。天正7年（1579年）夏までに波多野秀治を降伏させ、処刑。同年9月、荒木が妻子を置き去りにして逃亡すると有岡城は落城し、荒木一族は処刑された。次いで10月、それまで毛利方であった備前国の宇喜多直家が信長に服属すると、織田軍と毛利軍の優劣は完全に逆転する。天正8年（1580年）1月、別所長治が切腹し、三木城が開城。同年4月には正親町天皇の勅命のもと本願寺軍も織田軍に有利な条件を呑んで和睦し、大坂から退去した。同年には播磨国、但馬国をも攻略。天正9年（1581年）には鳥取城を兵糧攻めで落とし因幡国を攻略、さらには岩屋城を落として淡路国を攻略した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正7年（1579年）、伊勢国の出城構築を伊賀国の国人に妨害されて立腹した織田信雄は、独断で伊賀国に侵攻し大敗を喫した。信長は信雄を厳しく叱責するとともに、伊賀国人への敵意をも募らせた（第一次天正伊賀の乱）。そして天正9年（1581年）、信雄を総大将とする4万人の軍勢で伊賀国を攻略。伊賀国は織田氏の領地となった（第二次天正伊賀の乱）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正7年（1579年）、信長は徳川家康の嫡男・松平信康に対し切腹を命じた。表向きの理由は信康の12か条の乱行、築山殿の武田氏への内通などである。徳川家臣団は信長恭順派と反信長派に分かれて激しい議論を繰り広げたが、最終的に家康は築山殿を殺害し、信康に切腹させた。これに関しては異説もあり、家康・信康父子の対立が真因で、信長は娘婿信康の処断について家康から了承を求められただけだという説もある（詳細は松平信康#信康自刃事件を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正8年（1580年）8月、信長は譜代の老臣・佐久間信盛とその嫡男・佐久間正勝に対して折檻状を送り付け、本願寺との戦に係る不手際などを理由に、高野山への追放か討ち死に覚悟で働くかを迫った。佐久間親子は高野山行きを選んだ。さらに、古参の林秀貞と安藤守就も、かつてあった謀反の企てや一族が敵と内通したことなどを蒸し返して、これを理由に追放した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正7年（1579年）11月、信長は織田家の二条の京屋敷（本邸）に皇太子である誠仁親王を住まわせることを思いつき、直ちに実行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
武田征伐 [編集]詳細は「武田征伐」を参照 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正9年（1581年）、信長は絶頂期にあった。2月28日には京都の内裏東の馬場にて大々的なデモンストレーションを行なっている。いわゆる京都御馬揃えであるが、これには信長はじめ織田一門のほか、丹羽長秀ら織田軍団の武威を示すものであった[29]。このときの馬揃えには正親町天皇を招待している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年5月に越中国を守っていた上杉氏の武将・河田長親が急死した隙を突いて織田軍は越中に侵攻、同国の過半を支配下に置いた。3月23日には高天神城を奪回し、武田氏を追い詰めた。紀州では雑賀党が内部分裂し、信長支持派の鈴木孫一が反信長派の土橋平次らと争うなどして勢力を減退させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年に荒木村重の残党を匿ったり、足利義昭と通じるなど、高野山が信長と敵対する動きを見せる。『信長公記』では信長は使者十数人を差し向けたが、高野山が使者を全て殺害したという主張が記録されている。一方、高野春秋では荒木村重探索の松井友閑の兵32名が高野山の領民に乱暴狼藉を働いたために高野山側がこれを殺害したと記している。いずれにしても、この行動に激怒した信長は、織田領における高野聖数百人を捕らえると共に、河内国や大和国の諸大名に命じて高野山を包囲させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長篠合戦の敗退後、武田勝頼は越後上杉氏との甲越同盟の締結や新府城築城など領国再建や、人質であった織田信房を返還し信長との和睦（甲江和与）を模索していたが良好に進まず、新府城築城のための普請増大などで却って国人衆には不満が増大していた。天正10年（1582年）2月1日、武田信玄の娘婿であった木曾義昌が信長に寝返る。同年2月3日に信長は武田領国へのに本格的侵攻を行うための大動員令を信忠に発令した。そして、駿河国から徳川家康、相模国から北条氏直、飛騨国から金森長近、木曽から信忠が、それぞれ武田領への攻略を開始した。信忠軍は、軍監・滝川一益と、信忠の譜代衆となる河尻秀隆・森長可・毛利長秀等で構成され、この連合軍の兵数は10万人余に上ったと言われている。これに対して武田軍は、伊那城の城兵が城将・下条信氏を追い出して織田軍に降伏。さらに信濃国の松尾城主・小笠原信嶺、江尻城主・穴山信君らも先を争うように連合軍に降伏し、武田軍は組織的な抵抗が出来ず済し崩し的に敗北する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
滝川一益が猛烈な勢いで武田領に侵攻し武田側の城を次々に占領していき、信長が武田征伐に出陣したのは3月8日であるが、その日に信忠は武田領国の本拠である甲府を占領し、3月11日には甲斐都留郡の田野において滝川一益が武田勝頼・信勝父子を討ち取り、ここに武田氏は滅亡した。武田氏滅亡後に信長は、「武田に属していた者はたとえ恭順の意思を示そうとも容赦無く一族まとめて根絶やしにせよ」[要出典]とする、いわゆる「武田狩り」を命じた[30][31][32]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
武田氏滅亡後、信長は駿河国を徳川家康に、上野国を滝川一益に与え旧武田領の監督を命じ、甲斐国を河尻秀隆、北信濃を森長可、南信濃を毛利長秀に与え一益の与力に付けて、北条氏直への抑えとしつつも同盟関係を保った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本能寺の変 [編集] &lt;br /&gt;
『本能寺焼討之図』 楊斎延一（ようさい のぶかず）画（明治時代作成の武者絵。名古屋市所蔵）詳細は「本能寺の変」を参照&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正10年（1582年）夏、信長は四国の長宗我部元親攻略に、三男・神戸信孝、重臣・丹羽長秀、蜂屋頼隆、津田信澄の軍団を派遣する準備を進めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月11日、北陸方面では柴田勝家が富山城、魚津城を攻撃（魚津城の戦い）。上杉家は、北の新発田重家の乱に加え、北信濃方面から森長可、上野方面から滝川一益の進攻を受け、東西南北の全方面で守勢に立たされていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月15日、駿河国加増の礼と武田征伐の戦勝祝いのため、徳川家康が安土城を訪れた。そこで信長は明智光秀に接待役を命じる。光秀は15日から17日にわたって家康を手厚くもてなした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家康接待が続く中、信長は備中高松城攻めを行なっている羽柴秀吉の使者より援軍の依頼を受けた。「毛利氏が大軍を率い、高松城への救援に向かう動きがある」とのことであった。信長は光秀の接待役の任を解き、秀吉への援軍に向かうよう命じた。のち『明智軍記』などによって江戸時代以降流布される俗説では、この時、光秀の接待内容に不満を覚えた信長は小姓の森成利（蘭丸）に命じて光秀の頭をはたかせた、としている[33]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信長は5月29日、中国遠征の出兵準備のために上洛し、その後は京の本能寺に逗留していた。ところが、秀吉への援軍を命じていたはずの明智軍が突然京都に進軍し、6月2日に本能寺を襲撃する。この際に光秀は部下の信長に寄せる忠誠の篤きを考慮し、現に光秀への忠誠を誓う者が少なかったため、侵攻にあたっては標的が信長であることを伏せていたと言われる。100人ほどの手勢しか率いていなかった信長であったが、初めは自ら槍を手に奮闘したとされている。しかし圧倒的多数の明智軍には敵わず、居間に戻った信長は自ら火を放ち、燃え盛る炎の中で自害したと伝えられている。享年49（満48歳没）（本能寺の変）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
光秀の娘婿・明智秀満が信長の遺体を探したが見つからなかった。当時の本能寺は織田勢の補給基地的に使われていたため、火薬が備蓄されており、信長の遺体が爆散してしまったためと考えられる。しかしながら、密かに脱出し別の場所で自害したという別説がある。また信長を慕う僧侶と配下によって人知れず埋葬されたという説もある。なお、最後まで信長に付き従っていた者の中に黒人の家来・弥助がいた。弥助は、光秀に捕らえられたものの後に放免となっている。それ以降、弥助の動向については不明となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平成19年（2007年）に行われた本能寺跡の発掘調査では、本能寺の変と同時期にあったとされる堀跡や大量の焼け瓦が発見された。これにより、城塞としての機能や謀反に備えていた可能性が指摘されており、現在も調査が続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
「怒りっぽかった」という記録ははっきり言ってアテにならない。中世の記録はたいがいこうやって脚色してあるものだからである。考えてもみたまえ。庶民が法を犯すたびに怒る統治者など存在するわけがない。まあ短気ではあっただろう。即断即決でなければ生きていけない世の中だったのだから。しかし判断が早いというのと、感情が動き易いということとは全く違う。&lt;/div&gt;</summary>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''あかさ行から始まる[[ウィキペディアの利用者]]一覧'''（うぃきぺでぃあのりようしゃいちらん）は記事名のままです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あ行 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:アセルス|アセルス]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
{{警}}jawp屈指の[[ファシスト]]であり気に入らない編集を荒らしと決め付け、削除依頼に出すことで有名。ちなみに精神年齢は6歳以下である。実際の年齢は乳児と推測出来る気違いおたく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:あなん|あなん]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch}}利用者名が[[アンサイクロペディア]]の（あ）や誰か同様、非常に馬鹿げている。「あなる」ではない（笑）。彼も悪質2ちゃんねらーなのかもしれない。年齢は45歳という説もあるが利用者名が馬鹿げているため、20代くらいとしかいえない。会話ページでの言葉遣いが非常に生意気であるのも特徴。編集に関しては、主に地理や歴史関係の意味不明な投稿をしている。[[タイ王国]]に留学する日本人という設定だが、ほんとうは在日のタイ人留学生である可能性が強い。その利用者名から、仏教研究家であるともいわれる。タイの情勢と国王を批判される事（タイに不敬罪が存在する旨記述をされるなど）には我慢ならず、即刻逆切れリバートをする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:あら金|あら金]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}自称「さすらいの薬剤師」らしいが、むしろ「井戸端のゴロツキ」と呼んだほうが相応しいかもしれない。余計な一言が多く、周囲から白眼視されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:アルトクール|アルトクール]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}削除、コメント、ブロック依頼にばかり出てくるため記事執筆にはまったく関心がなく運営にしか興味がないと思われる。[[wiki:利用者:アルトゥール|アルトゥール]]という混同しやすい名前の良く似た利用者がいるが、おそらくソックパペットだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikinewsでも精力的に活動し、管理者に就任した。それは同時にWikinewsを牛耳っているAphaiaやIwaimの下僕になったことを意味しAphaiaやIwaimと水と油の関係にあるYassie、Peccaflyら所謂2ちゃんねる組からは不倶戴天の敵と看做されたことになる。事実、Yassieに対してはDeepimpactとかいう御爺さんが管理者に立候補した際の言動について苦言を呈しておりAphaia一派に組み込まれた可能性が濃厚である。そのため、早晩ウィキペディア日本語版から追い出されるかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:あるふぁるふぁ|あるふぁるふぁ]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}学校関連の記事の編集が中心だが、一つの記事だと自身の会話ページの編集が多い。サブ垢として「Arufarufa」「あふぉふぁるふぁ」「Alfarufa」「Arufalfa」「自由の達人」「憲法の番人」「人権の防人」などを利用しているという説がある。2ちゃんねる組かどうかは不明だが、あるふぁるふぁに恨みを持ってるとされるユーザーのネタになっている。あるふぁるふぁに恨みを持つユーザーとは幸福の科学信者など複数の説がある。ちなみに、永久ウィキブレイク野郎のBadboyや理由も言わぬ削除主義かつ意見黙殺主義者の[[Gakupon]]などを庇った[ttp://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E4%BC%9D%E8%A8%80%E6%9D%BF/%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=31621606]ボケナス野郎でもある。ウィキペディアでの唯一の貢献はBakkaiを追い出したことだが、もはや用済みとして消される運命にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:うし花子|うし花子]] ===&lt;br /&gt;
{{無}}[[wiki:利用者:海獺|らっこ]]にねんちゃくしている。せいしんねんれいがかなりおさない。なんどもなんどもブロックされているのにむきげんブロックになかなかならなかったけど、いけないことをしすぎてとうとうむきげんブロックされたふしぎなユーザーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:おーた|おーた]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}[[1978年]]生まれ。[[筑波大学|筑波大]]中退の後、慶應へ進学して大学院修了。彼はSYSOPではないが、ウィキマニア台北でカメラのセットを組んでいたところを見る限り大きく管理側に与している人物と考えられる。共有するSYSOPアカウントを保持している可能性がある。今は岡田一祐の手で削除されたmixiのトピックで「どうもあなたは日本語版ウィキペディアの保身をしているのではないですか」という問いに対し「いいえ」と答えていたが、写真が流出した今となってはこの発言は嘘である。うそつきおーた。mixiの加入コミュニティに「実名で戦います」なんてものがあるのに、WPでは「おーた」。うそつきめ!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いくつかのサブカルチャーの項目は、この利用者が勝手に差し戻していることが履歴で確認出来る。つまり、彼が担当する項目が存在する。恐らくは、多くの利用者の執筆が殺到する項目の管理を彼が任されている可能性が高い。こんなことをボランティアではやらないことぐらい、誰にでもバレる。極左関係者はすぐ嘘をつくことで有名だが、彼もその一員であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[ttp://www.kotono8.com/2003/11/19blogmind.html]をーっと!なぜ脱会信者ことのはにリンクされるのか?!これはヤバイ!うそつき同士ですねぇ![ttp://web.sfc.keio.ac.jp/~n04594to/raq.html]ちょっと痛い[ttp://groups.google.com/groups?hl=ja&amp;amp;inlang=ja&amp;amp;lr=&amp;amp;ie=Shift_JIS&amp;amp;q=author%3At00156to%2Bnews%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3Atakot%2Bnews%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3At00156to%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3Atak%40jks.is.tsukuba.ac.jp+OR+author%3Atak%40kyouiku.tsukuba.ac.jp&amp;amp;btnG=Google+%8C%9F%8D%F5]。確か、木津尚子もグーグルグループにいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記のリンクを見れば解るように、日本語版WPを仕切る人々は発足当初から「気持ち悪い左翼」の人々によって牛耳られていたことがわかるだろう。この有様で健全な百科事典が出来るわけがないじゃないか!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:青木高校生|青木高校生]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|青木高校生}}&lt;br /&gt;
{{警}}[[2ちゃんねる組]]。トリップは「篠田陽司◆Ohgi77yVbA」。永遠の17歳である。ウィキペディアの救世主の↓と比べ物にならないほどの悪戯をした。現在は[[wiki:利用者:Ohgi|Ohgi]]に改名している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:蒼海牧菜|蒼海牧菜]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアのアイドル。政治分野において素晴らしい編集を行い、2ちゃんねるではスレが立つほどの大人気者。2ちゃんねるで批判が出ると即座に擁護と賛美が入るという人気ぶり。クッキングアイドルまいんちゃんの大ファンであることはよく知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:彩華1226|彩華1226]] ===&lt;br /&gt;
{{2ch}}[[愛媛県]]出身及び在住の[[アニメオタク]]、[[アイドルオタク]]、[[プロ野球オタク]]、[[ロリコン]]、[[2ちゃんねらー]]、[[部落民]]、[[エタ]]、[[エッタ]]、[[ヒニン]]、[[エッタボシ]]、[[チョーリンボ]]、[[牛殺し]]、[[穢多]]、[[非人]]、[[国賊]]、[[売国奴]]、[[迷惑だから献血しないでほしい人]]、[[おんぼう]]、[[カッペ]]、[[田舎者]]。反社会団体、[[部落解放同盟]]の構成員。Wikipediaを、百科事典ではなくただの辞典に改造しようと目論んでいる削除主義者。他人の書いた記事を徹底的に消すことが楽しみ。年齢非公開だがガキであることは確か。編集合戦大好きの荒らしであるが、社会的問題にも興味がある様子。しかし実際に海外に赴いたことは無いらしく、情報源は2ちゃんねるのみ。小難しい項目の、自分の分からない事項は全て削除。しかし[[アニメ]]が大好きで、自分のお気に入りアニメ（これがまた豊富）にその商品が出てきたとかいうだけで関連項目にそのアニメを追加したり「エピソード」なんて項を作って誰も知りたくない「○○というアニメに登場した。このアニメの中で主人公の××は～」とかいう情報を記述する。しかしこれらの特徴はほとんどのウィキペディアンに共通することであり、彼（彼女だったら正直引く）はウィキペディアの劣化の象徴的存在なのかもしれない。編集合戦で何度もブロックされているが、何度か出された依頼では一度もブロックされていないという不思議なユーザーである。現在では[[Los688]]の舎弟と化して謀略、削除行為を行っている。「[[wiki:野球界の永久欠番|野球界の永久欠番]]」を自分の主張に反する編集がされるのが気に入らず、書き換えると即戻す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウントは「美少女クラブ31」の森田彩華から（名前と誕生日の組み合わせ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:阿波座行広|阿波座行広]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}[[近畿地方|関西]]に対して不都合な記述を一切削除するなど、非中立的な編集を行っている。2ちゃんねるや[[テレビ]]による関西蔑視を憎悪していることで有名な利用者である。かなりの[[東京都|東京]]嫌いであるため、東京には一切興味がない模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:りんたろお十一歳|りんたろお十一歳]]は履歴を見れば一目瞭然だが、Nekosuki600が2chでしばしば言及する[[新河岸川]]の編集もしているようにNekosuki600のソックパペットである。[[wiki:Wikipedia:利用者ページの削除依頼|Wikipedia:利用者ページの削除依頼]]では1人2役を演じてコミュニティを疲弊させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女性問題で高校を2度退学後、映像下請けの仕事に就職。その間にJCAの幹部・[[崎山信夫]]に気に入られて今に至る。もっとも、崎山はJCAの理事を辞めてしまったが。法律家を自称したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:岩見浩造|岩見浩造]] ===&lt;br /&gt;
[[2ちゃんねる組]]。トリップは◆Pazz3kzZyM。突如現れた[[ネット右翼]]の一人で仮想戦記おたく。「岩見耕造」を本名と称するが保障はない（岩見隆夫・毎日新聞編集委員の名をもじったと思われる）。「のと」、「十四号型巡洋艦」なる変名で外部のサイトを荒らしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:魚津プロジェクト|魚津プロジェクト]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|魚津プロジェクト}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:江口磐世☆|江口磐世☆]] ===&lt;br /&gt;
旧アカウント・「'''工口いわよ'''」のそもそもの読み方は「こうぐちいわよ」。「工事」等の「工」と「口移し」等の「口」を連ねたアカウントで投票等の場における他者への配慮から、署名には元々「江口磐世☆」の表記を用いていた。投稿数上位ながら成熟したキメ細かい編集を坦々と続けてきた古参の良編集者で周囲から何らかの指摘を受ける事があれば、迅速で的確な状況判断を以て後顧の憂いなく対応してきた。しかし「工口」は「えろ」の片仮名表記「エロ」に見間違われ易く、[[wiki:利用者:Konec|Konec]]が「下品かつ卑猥で混乱を招き、故意に注意を引く挑発的な名前」との激しい偏見を暴走させて投稿ブロック依頼を提出。その少し前から江口の会話ページには数度の茶々が入ったり、ブロック依頼の直後には江口の状況を案じた利用者によって善意に基づくコメント依頼も出されたりした経緯がある。コミュニティは当然ながらKonecを支持しなかったが約2か月後に江口は自ら「江口磐世☆」（えぐちいわよ）への利用者名変更依頼を提出し全く別の一身上の都合により約半年間のウィキブレイクに入り、利用者名は2009年[[12月26日]]付で変更に至った。ちなみにKonecは江口を女性と決め込んでいたフシもあるが、江口自身が女性を名乗ったことは一度たりともないが口調は完全に女性である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:オラン・ペンデク|オラン・ペンデク]] ===&lt;br /&gt;
粘着、懐古厨。常に相手を見下した態度を取り、口汚い言葉の語彙が豊富。スーパーロボットなどという全く共通見解のない記事を勝手に創作し、異なる意見を述べる者はソックパペットを用いての多数決で排除する。1度目を付けた相手は徹底的にストーキングし、関係ない記事であっても「そんな事は信じられない」などという目を疑うような理由で因縁をつけてくる。しかしここまでしても、彼の編集した記事がそのままだったことはほとんどなく、その知識の浅さがうかがえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== か行 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:かげろん|かげろん]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}{{削}}[[2ちゃんねる組]]（トリップは◆kZ0evMM7lE）。'''魔女狩り'''中心。自分が目を付けた相手を徹底的に根掘り葉掘りして吊し上げる。尚、管理者就任の打診を受けたものの、辞退してる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ガム|ガム]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}{{削}}アニゲオタク。何でもかんでも独自研究（笑）で削除しなければ気が済まない。削除以外の編集ができない盲目者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[wiki:利用者:けいちゃ|けいちゃ]]===&lt;br /&gt;
東京ヤクルトスワローズ及び元監督・高田繁オタク。高田が2010年5月に成績不振で中途辞任した事実を受け入れられず、「辞任」を「休養」に何度でも差し戻している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:けんぞう|けんぞう]] ===&lt;br /&gt;
福岡県那珂川町在住の独善主義者。福岡県・佐賀県・熊本県関係と地理関係の編集が中心。自分が良いと思った編集は3rrも辞さない。過去にも祭のリストを議論を経ないで地方別→時期別に改変したり、[[wiki:県境|県境]]で編集合戦を起こし一時的に全保護に追い込んだ。[[wiki:マミーズ|マミーズ]]（九州北部のチェーンストア。那珂川町にも有り）では佐賀県の店舗が佐賀市にしかないのに「佐賀市」の標記を「佐賀県東部」に改変し、編集合戦を起こした。自分の会話ページを肥大化した訳でもないのに白紙化する、といった暴挙も起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ごろんぼ医者|ごろんぼ医者]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|ごろんぼ医者 (利用者)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:郁|郁]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}{{削}}'''かおる'''と読む。その悪質さは[[#Fromm]]と並ぶ。'''魔女狩り'''を行う場合も多く、相手の前向きな発言さえ悪意に解釈する（[[wiki:WP:AGF|WP:AGF]]に反する）。出勤前・昼休み・帰宅後就寝までの活動が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:影虎|影虎]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}高校生。主にテレビ・芸能関係の項目を執筆する。[[wiki:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/有名人項目荒らし|いせちか系]]と接触することもしばしば。アンサイクロペディアでは先にアカウントが取得されてしまったために白虎のアカウントで活動している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:黒田んぼ|黒田んぼ]] ===&lt;br /&gt;
{{無}}「''玉金と言っている時点で陰嚢です。フェラチオに詳しくないのでしたら手を出さないで頂きたい。''」の名言を残したが[ttp://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=31444481&amp;amp;oldid=31444401]、[[2010年]][[4月9日]]に無期限ブロックされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:経済準学士|経済準学士]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版で著名な迷惑ユーザー。[[経済準学士]]および[[経済準学士の素行]]を参照。「Hideokun」に外部の事件サイトからの無断引用を指摘・追及され出したとたんに（2011年1月）ノートの会話内容を過去ログにぶち込み、以後音沙汰なし。余程都合が悪かったのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== さ行 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:しいたけ|しいたけ]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}公共交通、地理、メディア関連の記事に登場している。依頼系で依頼が通る率は驚異的に低い。管理者もしいたけが依頼者というだけでスルーしている。[[wiki:利用者:あるふぁるふぁ|あるふぁるふぁ]]と各地で対立しているが、ほとんど論破している。2チャンネルにも同名のユーザーがいるが本人ではなく、名無しで書いているとのこと。もちろんそのことでネタにされている。その影響か、名前を[[wiki:利用者:Si-take.|Si-take.]]に変更している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:しっち|しっち]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|しっち}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:しまあじ|しまあじ]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}要出典のタグを張ることしかしない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:崎山伸夫|崎山伸夫]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}文末に「かいたぉ!」とつける40男[ttp://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/img_sakichan01.jpg]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:寂華|寂華]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|寂華}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:視聴率研究部|視聴率研究部]] ===&lt;br /&gt;
視聴率20％を切ると低迷と決め込み、テレビ番組の物事を判断していたキチガイユーザー。最近では名前の割に鉄道関連の編集が激増している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:浄三入道|浄三入道]] ===&lt;br /&gt;
{{無}}Game-M,Zielなど、粗悪な編集やコミュニティを疲弊させる迷惑行為をするユーザーばかりを狙って粘着するマルチアカウンター。靴下にグリング、グローギなどがある。海獺のCUによってお縄に衝くまでは不正投票、多数派工作とやりたい放題やっていた。本体がブロックされた後もオープンプロキシを駆使して粘着、嫌がらせを繰り返している。薩摩入道、呆庵入道と共にウィキペディアの三入道と呼ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:人造人間だみゃ～ん|人造人間だみゃ～ん]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch}}WPに突如として現れた変態。WPよりも2ちゃんねるのエロパロ板を活動の主軸にしており、その変態行為はもはや伝説となっている。しかもWPでの数少ない投稿の中で既に1回ブロックを受けており、今後の活躍が期待できるユーザー。また、自身の利用者ページで百科事典を作りますと言いながらブロック依頼などにも積極的に参加する自警団候補生の困ったちゃん。投稿ブロック依頼などでは自分の投稿の直前までの他の利用者の意見を見て大勢の方の意見に同調するという、極端な日和見主義者である。もちろん、この利用者の意見が審議の行方を左右することはない。自他共に認めるアホである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
座右の銘は「'''この世はすべて、ネタでできている'''」。ウェブ上の百科事典という崇高な目的を持つウィキペディアでさえも、この利用者にとっては単なるネタ帳でしかない。そこで仕入れたネタを元に、エロパロ板で活動するのである。その内容はまさしく、「'''アホの中のアホ'''」と言える。本人曰く「''私は面白いことを書いているのではない。アホな事を書いているのだ''」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人造人間と名乗ってはいるが実際は陰茎の先端の包皮の改造手術を受けただけであり、限りなく生身に近い。現在、糖尿病と白癬を患っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
性器画像が大好きであるが、おっぱいにはこだわりはない模様。口癖は「おっぱいなんて飾りです。エロい人には（ry」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヘビ関連をおもに執筆しているが、体型はヘビーである。ちなみにチンコはベビーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
相手が誰であっても、女でさえあれば見境なくチンコを立てる事ができる。Aphaiaの顔写真をズリネタにしたことすらあり性欲が暴走しまくっている、いろいろな意味で危険なユーザー。くれぐれも三面記事には載らないように。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家族構成を聞かれるとかつては「妹十二人」と答えていたが、最近では「19人姉妹」と答えている。現実と妄想の区別がつかない真性のキモヲタ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:森藍亭|森藍亭]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}[ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/%E6%A3%AE%E8%97%8D%E4%BA%AD 投稿記録]を見れば一目瞭然だが活動内容の殆どがリバートと他者への（的外れな）警告、投稿ブロック依頼への投票という典型的な自警。何しにウィキペディアに来ているのか分からない目的外利用者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:鈴木卓也|鈴木卓也]] ===&lt;br /&gt;
マジコンのノートでトンデモ議論を放つ。会話ページでも、署名すら出来ない[[情報弱者]]でもある。ネット初心者か、アジア人説が濃厚とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そりゃあ、マジコンを作った国ですもの・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:正義|正義]] ===&lt;br /&gt;
ユーザー名とは裏腹に、他人を甚振る偽善者。[[島田紳助]]を憎んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[数字とアルファベットから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]] &lt;br /&gt;
*[[まやらわ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%82%E3%81%8B%E3%81%95%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=138944</id>
		<title>あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%82%E3%81%8B%E3%81%95%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=138944"/>
				<updated>2011-09-20T09:36:43Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''あかさ行から始まる[[ウィキペディアの利用者]]一覧'''（うぃきぺでぃあのりようしゃいちらん）は記事名のままです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あ行 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:アセルス|アセルス]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
{{警}}jawp屈指の[[ファシスト]]であり気に入らない編集を荒らしと決め付け、削除依頼に出すことで有名。ちなみに精神年齢は6歳以下である。実際の年齢は乳児と推測出来る気違いおたく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:あなん|あなん]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch}}利用者名が[[アンサイクロペディア]]の（あ）や誰か同様、非常に馬鹿げている。「あなる」ではない（笑）。彼も悪質2ちゃんねらーなのかもしれない。年齢は45歳という説もあるが利用者名が馬鹿げているため、20代くらいとしかいえない。会話ページでの言葉遣いが非常に生意気であるのも特徴。編集に関しては、主に地理や歴史関係の意味不明な投稿をしている。[[タイ王国]]に留学する日本人という設定だが、ほんとうは在日のタイ人留学生である可能性が強い。その利用者名から、仏教研究家であるともいわれる。タイの情勢と国王を批判される事（タイに不敬罪が存在する旨記述をされるなど）には我慢ならず、即刻逆切れリバートをする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:あら金|あら金]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}自称「さすらいの薬剤師」らしいが、むしろ「井戸端のゴロツキ」と呼んだほうが相応しいかもしれない。余計な一言が多く、周囲から白眼視されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:アルトクール|アルトクール]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}削除、コメント、ブロック依頼にばかり出てくるため記事執筆にはまったく関心がなく運営にしか興味がないと思われる。[[wiki:利用者:アルトゥール|アルトゥール]]という混同しやすい名前の良く似た利用者がいるが、おそらくソックパペットだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikinewsでも精力的に活動し、管理者に就任した。それは同時にWikinewsを牛耳っているAphaiaやIwaimの下僕になったことを意味しAphaiaやIwaimと水と油の関係にあるYassie、Peccaflyら所謂2ちゃんねる組からは不倶戴天の敵と看做されたことになる。事実、Yassieに対してはDeepimpactとかいう御爺さんが管理者に立候補した際の言動について苦言を呈しておりAphaia一派に組み込まれた可能性が濃厚である。そのため、早晩ウィキペディア日本語版から追い出されるかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:あるふぁるふぁ|あるふぁるふぁ]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}学校関連の記事の編集が中心だが、一つの記事だと自身の会話ページの編集が多い。サブ垢として「Arufarufa」「あふぉふぁるふぁ」「Alfarufa」「Arufalfa」「自由の達人」「憲法の番人」「人権の防人」などを利用しているという説がある。2ちゃんねる組かどうかは不明だが、あるふぁるふぁに恨みを持ってるとされるユーザーのネタになっている。あるふぁるふぁに恨みを持つユーザーとは幸福の科学信者など複数の説がある。ちなみに、永久ウィキブレイク野郎のBadboyや理由も言わぬ削除主義かつ意見黙殺主義者の[[Gakupon]]などを庇った[ttp://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E4%BC%9D%E8%A8%80%E6%9D%BF/%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=31621606]ボケナス野郎でもある。ウィキペディアでの唯一の貢献はBakkaiを追い出したことだが、もはや用済みとして消される運命にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:うし花子|うし花子]] ===&lt;br /&gt;
{{無}}[[wiki:利用者:海獺|らっこ]]にねんちゃくしている。せいしんねんれいがかなりおさない。なんどもなんどもブロックされているのにむきげんブロックになかなかならなかったけど、いけないことをしすぎてとうとうむきげんブロックされたふしぎなユーザーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:おーた|おーた]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}[[1978年]]生まれ。[[筑波大学|筑波大]]中退の後、慶應へ進学して大学院修了。彼はSYSOPではないが、ウィキマニア台北でカメラのセットを組んでいたところを見る限り大きく管理側に与している人物と考えられる。共有するSYSOPアカウントを保持している可能性がある。今は岡田一祐の手で削除されたmixiのトピックで「どうもあなたは日本語版ウィキペディアの保身をしているのではないですか」という問いに対し「いいえ」と答えていたが、写真が流出した今となってはこの発言は嘘である。うそつきおーた。mixiの加入コミュニティに「実名で戦います」なんてものがあるのに、WPでは「おーた」。うそつきめ!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いくつかのサブカルチャーの項目は、この利用者が勝手に差し戻していることが履歴で確認出来る。つまり、彼が担当する項目が存在する。恐らくは、多くの利用者の執筆が殺到する項目の管理を彼が任されている可能性が高い。こんなことをボランティアではやらないことぐらい、誰にでもバレる。極左関係者はすぐ嘘をつくことで有名だが、彼もその一員であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[ttp://www.kotono8.com/2003/11/19blogmind.html]をーっと!なぜ脱会信者ことのはにリンクされるのか?!これはヤバイ!うそつき同士ですねぇ![ttp://web.sfc.keio.ac.jp/~n04594to/raq.html]ちょっと痛い[ttp://groups.google.com/groups?hl=ja&amp;amp;inlang=ja&amp;amp;lr=&amp;amp;ie=Shift_JIS&amp;amp;q=author%3At00156to%2Bnews%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3Atakot%2Bnews%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3At00156to%40sfc.keio.ac.jp+OR+author%3Atak%40jks.is.tsukuba.ac.jp+OR+author%3Atak%40kyouiku.tsukuba.ac.jp&amp;amp;btnG=Google+%8C%9F%8D%F5]。確か、木津尚子もグーグルグループにいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記のリンクを見れば解るように、日本語版WPを仕切る人々は発足当初から「気持ち悪い左翼」の人々によって牛耳られていたことがわかるだろう。この有様で健全な百科事典が出来るわけがないじゃないか!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:青木高校生|青木高校生]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|青木高校生}}&lt;br /&gt;
{{警}}[[2ちゃんねる組]]。トリップは「篠田陽司◆Ohgi77yVbA」。永遠の17歳である。ウィキペディアの救世主の↓と比べ物にならないほどの悪戯をした。現在は[[wiki:利用者:Ohgi|Ohgi]]に改名している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:蒼海牧菜|蒼海牧菜]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアのアイドル。政治分野において素晴らしい編集を行い、2ちゃんねるではスレが立つほどの大人気者。2ちゃんねるで批判が出ると即座に擁護と賛美が入るという人気ぶり。クッキングアイドルまいんちゃんの大ファンであることはよく知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:彩華1226|彩華1226]] ===&lt;br /&gt;
{{2ch}}[[愛媛県]]出身及び在住の[[アニメオタク]]、[[アイドルオタク]]、[[プロ野球オタク]]、[[ロリコン]]、[[2ちゃんねらー]]、[[部落民]]、[[エタ]]、[[エッタ]]、[[ヒニン]]、[[エッタボシ]]、[[チョーリンボ]]、[[牛殺し]]、[[穢多]]、[[非人]]、[[国賊]]、[[売国奴]]、[[迷惑だから献血しないでほしい人]]、[[おんぼう]]、[[カッペ]]、[[田舎者]]。反社会団体、[[部落解放同盟]]の構成員。Wikipediaを、百科事典ではなくただの辞典に改造しようと目論んでいる削除主義者。他人の書いた記事を徹底的に消すことが楽しみ。年齢非公開だがガキであることは確か。編集合戦大好きの荒らしであるが、社会的問題にも興味がある様子。しかし実際に海外に赴いたことは無いらしく、情報源は2ちゃんねるのみ。小難しい項目の、自分の分からない事項は全て削除。しかし[[アニメ]]が大好きで、自分のお気に入りアニメ（これがまた豊富）にその商品が出てきたとかいうだけで関連項目にそのアニメを追加したり「エピソード」なんて項を作って誰も知りたくない「○○というアニメに登場した。このアニメの中で主人公の××は～」とかいう情報を記述する。しかしこれらの特徴はほとんどのウィキペディアンに共通することであり、彼（彼女だったら正直引く）はウィキペディアの劣化の象徴的存在なのかもしれない。編集合戦で何度もブロックされているが、何度か出された依頼では一度もブロックされていないという不思議なユーザーである。現在では[[Los688]]の舎弟と化して謀略、削除行為を行っている。「[[wiki:野球界の永久欠番|野球界の永久欠番]]」を自分の主張に反する編集がされるのが気に入らず、書き換えると即戻す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウントは「美少女クラブ31」の森田彩華から（名前と誕生日の組み合わせ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:阿波座行広|阿波座行広]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}[[近畿地方|関西]]に対して不都合な記述を一切削除するなど、非中立的な編集を行っている。2ちゃんねるや[[テレビ]]による関西蔑視を憎悪していることで有名な利用者である。かなりの[[東京都|東京]]嫌いであるため、東京には一切興味がない模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:りんたろお十一歳|りんたろお十一歳]]は履歴を見れば一目瞭然だが、Nekosuki600が2chでしばしば言及する[[新河岸川]]の編集もしているようにNekosuki600のソックパペットである。[[wiki:Wikipedia:利用者ページの削除依頼|Wikipedia:利用者ページの削除依頼]]では1人2役を演じてコミュニティを疲弊させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女性問題で高校を2度退学後、映像下請けの仕事に就職。その間にJCAの幹部・[[崎山信夫]]に気に入られて今に至る。もっとも、崎山はJCAの理事を辞めてしまったが。法律家を自称したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:岩見浩造|岩見浩造]] ===&lt;br /&gt;
[[2ちゃんねる組]]。トリップは◆Pazz3kzZyM。突如現れた[[ネット右翼]]の一人で仮想戦記おたく。「岩見耕造」を本名と称するが保障はない（岩見隆夫・毎日新聞編集委員の名をもじったと思われる）。「のと」、「十四号型巡洋艦」なる変名で外部のサイトを荒らしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:魚津プロジェクト|魚津プロジェクト]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|魚津プロジェクト}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:江口磐世☆|江口磐世☆]] ===&lt;br /&gt;
旧アカウント・「'''工口いわよ'''」のそもそもの読み方は「こうぐちいわよ」。「工事」等の「工」と「口移し」等の「口」を連ねたアカウントで投票等の場における他者への配慮から、署名には元々「江口磐世☆」の表記を用いていた。投稿数上位ながら成熟したキメ細かい編集を坦々と続けてきた古参の良編集者で周囲から何らかの指摘を受ける事があれば、迅速で的確な状況判断を以て後顧の憂いなく対応してきた。しかし「工口」は「えろ」の片仮名表記「エロ」に見間違われ易く、[[wiki:利用者:Konec|Konec]]が「下品かつ卑猥で混乱を招き、故意に注意を引く挑発的な名前」との激しい偏見を暴走させて投稿ブロック依頼を提出。その少し前から江口の会話ページには数度の茶々が入ったり、ブロック依頼の直後には江口の状況を案じた利用者によって善意に基づくコメント依頼も出されたりした経緯がある。コミュニティは当然ながらKonecを支持しなかったが約2か月後に江口は自ら「江口磐世☆」（えぐちいわよ）への利用者名変更依頼を提出し全く別の一身上の都合により約半年間のウィキブレイクに入り、利用者名は2009年[[12月26日]]付で変更に至った。ちなみにKonecは江口を女性と決め込んでいたフシもあるが、江口自身が女性を名乗ったことは一度たりともないが口調は完全に女性である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:オラン・ペンデク|オラン・ペンデク]] ===&lt;br /&gt;
粘着、懐古厨。常に相手を見下した態度を取り、口汚い言葉の語彙が豊富。スーパーロボットなどという全く共通見解のない記事を勝手に創作し、異なる意見を述べる者はソックパペットを用いての多数決で排除する。1度目を付けた相手は徹底的にストーキングし、関係ない記事であっても「そんな事は信じられない」などという目を疑うような理由で因縁をつけてくる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== か行 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:かげろん|かげろん]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}{{削}}[[2ちゃんねる組]]（トリップは◆kZ0evMM7lE）。'''魔女狩り'''中心。自分が目を付けた相手を徹底的に根掘り葉掘りして吊し上げる。尚、管理者就任の打診を受けたものの、辞退してる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ガム|ガム]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}{{削}}アニゲオタク。何でもかんでも独自研究（笑）で削除しなければ気が済まない。削除以外の編集ができない盲目者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[wiki:利用者:けいちゃ|けいちゃ]]===&lt;br /&gt;
東京ヤクルトスワローズ及び元監督・高田繁オタク。高田が2010年5月に成績不振で中途辞任した事実を受け入れられず、「辞任」を「休養」に何度でも差し戻している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:けんぞう|けんぞう]] ===&lt;br /&gt;
福岡県那珂川町在住の独善主義者。福岡県・佐賀県・熊本県関係と地理関係の編集が中心。自分が良いと思った編集は3rrも辞さない。過去にも祭のリストを議論を経ないで地方別→時期別に改変したり、[[wiki:県境|県境]]で編集合戦を起こし一時的に全保護に追い込んだ。[[wiki:マミーズ|マミーズ]]（九州北部のチェーンストア。那珂川町にも有り）では佐賀県の店舗が佐賀市にしかないのに「佐賀市」の標記を「佐賀県東部」に改変し、編集合戦を起こした。自分の会話ページを肥大化した訳でもないのに白紙化する、といった暴挙も起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ごろんぼ医者|ごろんぼ医者]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|ごろんぼ医者 (利用者)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:郁|郁]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}{{削}}'''かおる'''と読む。その悪質さは[[#Fromm]]と並ぶ。'''魔女狩り'''を行う場合も多く、相手の前向きな発言さえ悪意に解釈する（[[wiki:WP:AGF|WP:AGF]]に反する）。出勤前・昼休み・帰宅後就寝までの活動が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:影虎|影虎]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}高校生。主にテレビ・芸能関係の項目を執筆する。[[wiki:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/有名人項目荒らし|いせちか系]]と接触することもしばしば。アンサイクロペディアでは先にアカウントが取得されてしまったために白虎のアカウントで活動している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:黒田んぼ|黒田んぼ]] ===&lt;br /&gt;
{{無}}「''玉金と言っている時点で陰嚢です。フェラチオに詳しくないのでしたら手を出さないで頂きたい。''」の名言を残したが[ttp://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=31444481&amp;amp;oldid=31444401]、[[2010年]][[4月9日]]に無期限ブロックされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:経済準学士|経済準学士]] ===&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版で著名な迷惑ユーザー。[[経済準学士]]および[[経済準学士の素行]]を参照。「Hideokun」に外部の事件サイトからの無断引用を指摘・追及され出したとたんに（2011年1月）ノートの会話内容を過去ログにぶち込み、以後音沙汰なし。余程都合が悪かったのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== さ行 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:しいたけ|しいたけ]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}公共交通、地理、メディア関連の記事に登場している。依頼系で依頼が通る率は驚異的に低い。管理者もしいたけが依頼者というだけでスルーしている。[[wiki:利用者:あるふぁるふぁ|あるふぁるふぁ]]と各地で対立しているが、ほとんど論破している。2チャンネルにも同名のユーザーがいるが本人ではなく、名無しで書いているとのこと。もちろんそのことでネタにされている。その影響か、名前を[[wiki:利用者:Si-take.|Si-take.]]に変更している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:しっち|しっち]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|しっち}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:しまあじ|しまあじ]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}要出典のタグを張ることしかしない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:崎山伸夫|崎山伸夫]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}文末に「かいたぉ!」とつける40男[ttp://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/img_sakichan01.jpg]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:寂華|寂華]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|寂華}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:視聴率研究部|視聴率研究部]] ===&lt;br /&gt;
視聴率20％を切ると低迷と決め込み、テレビ番組の物事を判断していたキチガイユーザー。最近では名前の割に鉄道関連の編集が激増している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:浄三入道|浄三入道]] ===&lt;br /&gt;
{{無}}Game-M,Zielなど、粗悪な編集やコミュニティを疲弊させる迷惑行為をするユーザーばかりを狙って粘着するマルチアカウンター。靴下にグリング、グローギなどがある。海獺のCUによってお縄に衝くまでは不正投票、多数派工作とやりたい放題やっていた。本体がブロックされた後もオープンプロキシを駆使して粘着、嫌がらせを繰り返している。薩摩入道、呆庵入道と共にウィキペディアの三入道と呼ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:人造人間だみゃ～ん|人造人間だみゃ～ん]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch}}WPに突如として現れた変態。WPよりも2ちゃんねるのエロパロ板を活動の主軸にしており、その変態行為はもはや伝説となっている。しかもWPでの数少ない投稿の中で既に1回ブロックを受けており、今後の活躍が期待できるユーザー。また、自身の利用者ページで百科事典を作りますと言いながらブロック依頼などにも積極的に参加する自警団候補生の困ったちゃん。投稿ブロック依頼などでは自分の投稿の直前までの他の利用者の意見を見て大勢の方の意見に同調するという、極端な日和見主義者である。もちろん、この利用者の意見が審議の行方を左右することはない。自他共に認めるアホである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
座右の銘は「'''この世はすべて、ネタでできている'''」。ウェブ上の百科事典という崇高な目的を持つウィキペディアでさえも、この利用者にとっては単なるネタ帳でしかない。そこで仕入れたネタを元に、エロパロ板で活動するのである。その内容はまさしく、「'''アホの中のアホ'''」と言える。本人曰く「''私は面白いことを書いているのではない。アホな事を書いているのだ''」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人造人間と名乗ってはいるが実際は陰茎の先端の包皮の改造手術を受けただけであり、限りなく生身に近い。現在、糖尿病と白癬を患っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
性器画像が大好きであるが、おっぱいにはこだわりはない模様。口癖は「おっぱいなんて飾りです。エロい人には（ry」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヘビ関連をおもに執筆しているが、体型はヘビーである。ちなみにチンコはベビーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
相手が誰であっても、女でさえあれば見境なくチンコを立てる事ができる。Aphaiaの顔写真をズリネタにしたことすらあり性欲が暴走しまくっている、いろいろな意味で危険なユーザー。くれぐれも三面記事には載らないように。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家族構成を聞かれるとかつては「妹十二人」と答えていたが、最近では「19人姉妹」と答えている。現実と妄想の区別がつかない真性のキモヲタ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:森藍亭|森藍亭]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}[ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/%E6%A3%AE%E8%97%8D%E4%BA%AD 投稿記録]を見れば一目瞭然だが活動内容の殆どがリバートと他者への（的外れな）警告、投稿ブロック依頼への投票という典型的な自警。何しにウィキペディアに来ているのか分からない目的外利用者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:鈴木卓也|鈴木卓也]] ===&lt;br /&gt;
マジコンのノートでトンデモ議論を放つ。会話ページでも、署名すら出来ない[[情報弱者]]でもある。ネット初心者か、アジア人説が濃厚とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そりゃあ、マジコンを作った国ですもの・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:正義|正義]] ===&lt;br /&gt;
ユーザー名とは裏腹に、他人を甚振る偽善者。[[島田紳助]]を憎んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[数字とアルファベットから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]] &lt;br /&gt;
*[[まやらわ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%BE%E3%82%84%E3%82%89%E3%82%8F%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=138942</id>
		<title>まやらわ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%81%BE%E3%82%84%E3%82%89%E3%82%8F%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=138942"/>
				<updated>2011-09-20T09:31:48Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''まやらわ行から始まる[[ウィキペディアの利用者]]一覧'''（うぃきぺでぃあのりようしゃいちらん）は記事名のままです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ま行 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:まさふゆ|まさふゆ]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}日本史の記事を立てている。自称、理系人間であるという。「[[どとうとしや]]の投稿ブロック破りをやめさせる」という使命感から、「脳死」の記事で貴重な情報である「脳死と判定された人の意識回復例」を何回も削除している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ミスターカープ|ミスターカープ]] ===&lt;br /&gt;
野球関連の記事によく出没する。記事を私物化している節があり（主に[[イチロー]]や[[松井秀喜]]など）、よく編集合戦を繰り広げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:みっち|みっち]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}「魔女」と目した相手には高圧的な態度で接するのが特徴。又、争いの当事者の一方'''だけ'''を[[浅野長矩]]の様に悪人扱いする一方でもう一方に疑惑があっても見て見ぬ振りをし、[[吉良義央]]の様に「お咎め無し」とするえこひいき体質でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:みや1229|みや1229]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}[[wiki:利用者:Nekosuki600|Nekosuki600]]こと[[茂木紀行]]に関するコメント依頼によく出没する。性別は不明だが、Nekosuki600の事を愛してやまないのではないかという説がある。しかしNekosuki600は迷惑しているらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ミラー・ハイト|ミラー・ハイト]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}[[1986年]]生まれ。[[犬夜叉]]関連の記事によく出没する。Nekosuki600こと茂木紀行が他の利用者から苦情を言われるとかれこれかまわずNekosuki600を養護し、相手に嫌な苦言を言う。その際、よく大文字で強調する[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia%3A%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BE%9D%E9%A0%BC%2FNekosuki600_20090725&amp;amp;action=historysubmit&amp;amp;diff=27081539&amp;amp;oldid=27080208][http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1%3ANekosuki600&amp;amp;action=historysubmit&amp;amp;diff=28857207&amp;amp;oldid=28857025]。報復の意味を理解していない[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia%3A%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BE%9D%E9%A0%BC%2FNekosuki600_090725&amp;amp;action=historysubmit&amp;amp;diff=27074549&amp;amp;oldid=27074520]ばかりか、面識のない2人の利用者を勝手に同一人物と決め付ける[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia%3A%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BE%9D%E9%A0%BC%2FNekosuki600_20090725&amp;amp;action=historysubmit&amp;amp;diff=27304061&amp;amp;oldid=27295367][[DQN]]でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://ja.wikichecker.com/user/?t=%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%88&amp;amp;l=all ウィキチェッカー]を見る限り[[自宅警備員]]（[[ニート|NEET]]）の可能性が高いが、これに対して[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%3A%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%88&amp;amp;action=historysubmit&amp;amp;diff=28866755&amp;amp;oldid=26285446 このような]主張をしている（これが事実であるかどうかは不明）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なおChackwikiにも[http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%88 同名のユーザー]がいたが、[[SANNET可変IP]]と強く疑われるユーザーであり、Wikipediaの人物とは別人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:間久部緑郎|間久部緑郎]] ===&lt;br /&gt;
{{Main|間久部緑郎 (利用者)}}&lt;br /&gt;
台湾在住のウィキペディアン。[[野田憲太郎]]の仇敵。エドガー・ヴァレーズの開発した楽器「ライオンズロアー」（独：Brummtopf、英：Lion's roar or string drum）を「ライオンのなんちゃら」と言ってしまい、楽器の素養がないのに音楽関係の項目を必死に翻訳する馬鹿であることが発覚。これは日本支部から翻訳ノルマを与えられているためである。メインアカウント以外にもサブアカウントで翻訳を行っていることがある。人に向かってえらそうな態度を取る小西規勝と仲が良いので、小西は在日管理者である可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近のお気に入りソックパペットはnumber。名古屋在住の台湾人である可能性が浮上したが実際には「名古屋のアジト」から執筆でき、「台北」と密接な関係を持っている人間だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:松茸|松茸]] ===&lt;br /&gt;
大学の歴史系学科に所属する青年（大学生）。主に西暦や歴史関連の意味不明な記事を継続して作成している。また気に食わない文章は執拗に差し戻すことでも有名であり、'''排他主義者'''でもある。自身の利用者ページで「'''この利用者は免許を持っていないので公道で自動車を運転することはできません'''」と書かれている通り、無免許である。しかし夜間に道路で改造車を運転し暴走行為を行っている気違いおたくでもある。またノートページで外国のユーザーと英語で会話し語学力を誇示しているが、実は機械翻訳を使った自作自演である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:檀|檀]] ===&lt;br /&gt;
「まゆみ」と読む。米原秀幸ファンのウィキペディアン。利用者ページがけばけばしい。会話ページにおいて対話拒否、IPでの発言除去、別アカウントでの攻撃を行なうなどすばらしい人材である。将来が非常に楽しみなウィキペディアンである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:目蒲東急之介|目蒲東急之介]] ===&lt;br /&gt;
[[三重県]]出身で[[大阪府]][[枚方市]]在住のウィキペディアン。主に鉄道関連の項目において、執拗にrvすることで有名な'''排他主義者'''でもある。極度の鉄道・バス・アイドル・競馬ヲタクで、日本橋の常連である。また自分のページに「又自慢ではないが当方の専門知識はある事業者に正式に認められている」と書いてあるが、'''自慢以外の何者でもない'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== や行 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:やきとり|やきとり]] ===&lt;br /&gt;
[[利用者:微積01|微積01]]の投稿ブロック依頼に断固反対した男性。河下反対派。主に食品関連の意味不明な投稿を繰り返し行っている。またどんなに価値のある投稿でも差し戻し、ウィキペディア最大の'''削除主義者'''としても有名である。未だに自分自身の利用者ページを作成していない。年齢は40代かもしれないが利用者ページが存在しないため、不明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[Wiki:利用者:ヨッサン|ヨッサン]]===&lt;br /&gt;
習志野市在住（匿名時代のIPは219.112.198.200で、これはJCN船橋習志野に割り当て）の松本零士オタク。作品の項目に加筆があった場合は即刻、自分の気に入るように書き直し、または削除している、カテゴリの“ヌシ”。こいつに気に入られないと何を書いても消される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:山本山815|山本山815]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}逆上しやすい性格であり、Nekosuki600から「実社会であと10年は揉まれてこい」とお子様扱いされた。自警でありながら自身が「ウィキペディアは何ではないか」を遵守できていない目的外利用者であることをYassieに指摘され逆上してYassieに対するコメント依頼を提出したが、逆に多くの利用者から袋叩きにされた。その後、自身に対するコメント依頼を提出したがそこでも「まだ御自身の問題点を把握出来ませんか」と追い討ちを掛けるような指摘を受ける。かくしてコミュニティを消耗させるユーザーの烙印を押され、万に一つも改善の可能性のない山本山はフェードアウトするか強制的にウィキペディアから退場させられるかの二者択一を迫られることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ら行 ==&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ラッツ|ラッツ]] ===&lt;br /&gt;
格闘ゲームの記事にイチャモンをつけまくるが、とにかく無知。知識だけでなくゲームの腕前もお粗末で、ろくにプレイした事がないどころか、雑誌やネットでの情報収集すらほとんどしていないと思われる。あげく、「格ゲーで待ちなど本末転倒」などと勝手な俺理論を押し付けてくる始末。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1度、完全論破されて逃亡していたが、再び戻ってきて荒らし行為を続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ルイ20世|ルイ20世]] ===&lt;br /&gt;
{{警}}とにかく音楽関連においてあらゆる記述を認めない。発売前だからと記事を完全除去した上、発売後に責任を持って復旧することもしない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:ルリ|ルリ]] ===&lt;br /&gt;
アダルト関係の記事が悪戯されていないか見張っている良識派。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:竜造寺和英|竜造寺和英]]（→[[#project|project]]） ===&lt;br /&gt;
{{警}}自称：早稲田大大学院卒のヤクザヲタクの利用者（この馬鹿の知能から早稲田卒であるはずがない）。脳内バーチャルトレーダー。「某ヤクザヲタク」と称される場合が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*管理人には常にペコペコしてる。しかし管理人に迷惑ばかりかけるため、全ての管理人にそっぽをむかれている。&lt;br /&gt;
*実はヤクザのことは全く知らない。この馬鹿の書いた部分は、出鱈目が多く著作物丸写しなので近いうちに全部削除される予定。記事は私が書いた正しい部分のみが残ることになる。&lt;br /&gt;
*本物の侠客を偽者扱いした大馬鹿者。これに対して、日本全国の侠客が激怒した。近いうちに正義の鉄槌が下されるかもしれない。そのときは、小便をちびりながら命乞いをするはず。自業自得。この馬鹿を擁護する管理人も同罪。そんな管理人にも正義の鉄槌が下されるかもしれない。&lt;br /&gt;
*ヤクザの記事で必ずヤクザが右翼活動をしてたことを書く馬鹿。この出鱈目な記事により「右翼=ヤクザ」といった誤ったイメージを広めてしまってる。このことには日本中の右翼活動家が激怒してる。&lt;br /&gt;
*柳川次郎や町井久之や田中禄春などの在日韓国人を英雄視してる。これらの在日は堅気に戻った後に在日の顔として振舞う一方、裏では今まで通り様々な悪事を働いている。特に町井久之は児玉誉士夫と組んでロッキード事件などでも何度も名前が挙がっていた。こうしたことを一切書かずに「若い頃はヤクザになって悪いことをしてましたが改心して堅気になり、その後は日韓の架け橋になりました」という記事を一生懸命美談に捏造して書く。あれだけの資料を持って調べ上げてるわけだから、これらの在日が堅気に戻った後も悪事を働き続けてたことを知らないはずがないだろう。記事にはなぜかこのことが一切書かれていない。この馬鹿も在日であることは間違いない。在日だから就職も出来ず株に手を出して破滅の道を突き進んでいるのだろう。&lt;br /&gt;
*多重アカウントを使って、議論を混乱させるのが得意。&lt;br /&gt;
*相変わらず管理人や権威者にはぺこぺこ。May.Lowが田岡一雄の記事を大幅に削除しても、文句一つ言えずに泣きながら白旗をあげた。情けなくて、全国の侠客や右翼活動家が大笑いしている。&lt;br /&gt;
*この馬鹿にはマジで天誅下さんとわからんらしい。小ざかしい議論術であほなこと言いやがって。このボケを野放しにする管理人にも我慢の限界。二十日鼠は何寝ぼけたこと言ってんだ。頭狂ったのかな?それだったら、このヤクザオタク馬鹿が書き直しさえすればこいつの出鱈目な記事が残ってしまうことになるだろうが。しっかりしろや!!&lt;br /&gt;
*もう我慢できん。反対票入れる奴には天誅が下されるだろうな。そいつらには、日本中の侠客や右翼活動家から激しい抗議行動があるはずだし。Wikipediaの連中や管理人は黙って賛成しろや。それが自身の身のためやろが!!ヤクザオタク馬鹿を排除したら、全ての記事は美しい任侠道になるだろうが!!逆らえば攻め滅ぼすぞ!!俺の言うこと聞いとけばいいんだよ!!&lt;br /&gt;
*ヤクザオタク馬鹿はやっぱり株で大損してたwwwww。ざまみろ。&lt;br /&gt;
*まだアホな主張してるね。誰もこいつを支持してないし。こいつとこいつを擁護する馬鹿をトコトン追い込みます。&lt;br /&gt;
*株長者というのも大嘘。ちょっと前に話題になった、株で数億儲けたニート青年あたりが元ネタだろう。こういう自己中心的で協調性のかけらもない人間は、実社会でもネットでも迷惑な存在でしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[wiki:利用者:廉|廉]] ===&lt;br /&gt;
自分の記事を良質、秀逸な記事に自薦し通すためなら横紙破りも平気ですると批判されている狂暴なユーザー。しかし秀逸な記事を何本か手がけており実力は本物である。[[2009年]]11月に起こった所謂「中田厚仁事件」でMaris stellaから怨嗟を抱かれることとなった。廉自身もマリステの横暴に憤慨しており、Yassieと結託してマリステ追放を表で堂々と画策している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[数字とアルファベットから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%8B%87%E8%80%85&amp;diff=138940</id>
		<title>ウィキペディアにおける勇者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%8B%87%E8%80%85&amp;diff=138940"/>
				<updated>2011-09-20T09:20:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ウィキペディアにおける勇者'''（ウィキペディアにおけるゆうしゃ）とは[[ウィキペディア]]に真実を書き込んだり偏った編集を直そうとしたりして、ウィキペディアを正しい百科事典に変えようと日々戦う正義の戦士たちである。既に[[wiki:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期|ウィキペディアにおいて活躍した輝かしい歴史が記録されているページ]]が作成されている戦士は、[[ウィキペディア日本語版の管理者|ウィキペディアの悪質管理者]]どもから「長期荒らし」の蔑称でも呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
ウィキペディアを支配する[[気違い|基地外]]管理者どもは、自分たちに都合のいい情報しか載せないなどウィキペディアを偏った情報精度の悪い百科辞典にしていることに全然気づいていない（もしかしたら気づいているのかも!そのほうがかえって悪質だが）。そのため、真実を伝えようとする利用者を徹底的に排除している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勇敢な利用者たちは荒らしのレッテルを貼られても、正しい情報を記入するため日夜奮闘をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 勇者の一覧 ==&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!名前!!功績&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[Peace]]||日本近代史に関する記事（[[wiki:Portal:歴史認識と戦後処理|Portal:歴史認識と戦後処理]]）への適正化、特定の悪徳利用者・悪徳管理者への適切な批判や利用者ページへの荒らしに対するリバート、ソックパペットの適正使用とみられる多数の行為。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[Willy on wheels]]||[[2004年]]8月頃より各言語版で記事を適切な空間に移動。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[愛犬家]]||[[喫煙]]に関する項目で、喫煙に否定的な観点に基づいた編集を行う。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[音声おじさん]]||[[酸と塩基]]への適正化、現状の厳しい著作権法に対する抗議活動、面白い内容の外部リンク添付など。適切な移動、名言など。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[木村成祟]]||女性ユーザーと思われるアカウントへのクールなナンパ行為。名言などもあり、鉄道関連記事への知識あふれる加筆の継続など。ソックパペットの適正使用。[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/木村成祟|Wikipedia:投稿ブロック依頼/木村成祟]]も参照。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[純血主義]]||[[大学]]、[[学者]]などの記事における有益な編集。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[スマイリーキチク]]||[[女子高生コンクリート詰め殺人事件]]を批判する記述を各所に貼り付ける正義の戦士。[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/コピペ荒らし|Wikipedia:投稿ブロック依頼/コピペ荒らし]]も参照。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[大場綜|ソウ]]||自分の記事の作成、[[ボクシング]]関連の記事の適正化。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[おかやまりゅうせい]]||荒らしの対処に貢献。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[超高速即時削除マシーン]]||即時削除タグのユーモアあふれる使用行為。クソ記事の始末。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;white-space:nowrap&amp;quot;|[[身長記入問題|hydeの身長を記入する勇者]]||[[hyde]]の身長[[156cm]]の書き込みなど。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[リダイレクト作成ユーザー|リダイレクト作成をする勇者]]||特定の政治家や、特定の団体などへのユーモアあふれるリダイレクト作成の継続。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[朝鮮玉いれ (利用者)|朝鮮玉いれ]]||日本近代史、特に戦後関連記事における多数の記事適正化行為とリダイレクトによるユーモア。[[Peace]]に似る。[[wiki:利用者:朝鮮玉いれ|朝鮮玉いれ]]を参照。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[魚津プロジェクト]]||[[ロニセラッコ]]に無期でブロックされ“引退”においこまれた。[[wiki:利用者:魚津プロジェクト|魚津プロジェクト]]を参照。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[茂木紀行|Nekosuki600]]||とっても個性の強いウィキペディアンであるが、暴君管理者[[Lonicera]]を解任に持ち込んだ功績が評価されている。しかし、ウィキペディアで最も悪質な利用者である[[八島良太|Yassie]]に同調することが多いなど、問題点も少なくない。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[Grimm]]||天皇制は時代遅れの封建的な制度だとする観点に基づき、[[天皇制廃止論]]へのリンクを追加する。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[Mikihisa]]||適切な削除依頼を大量に提出して貢献してきた。また、ソックパペットを適正に使用し、削除主義者に対する迫害を続けてきた極悪非道の[[西洋かぶれ]]、Yassieが自らその命を絶つまで、Yassieを一刻も早くウィキペディア日本語版から追放する道を探り続けていた。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[田紳有楽]]||[[葵龍雄]]のページに於いて葵の善意に散々ケチをつける書き込みで埋め尽くされていたのを、「個人的に気にすることを書く場じゃない」「場違いだ」「論評すんな」とこてんぱんに蹴散らした。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[Number]]||同上&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[ホワイト・ジャック]]||作家志望だけあって知識が非常に豊富であり、あらゆる分野において編集ならびに新規ページの作成をするなど、精力的に活動していたが、知識の豊富さを妬む[[三馬鹿 (Wikipedia)|3バカトリオ]]によって無期限ブロックに掛けられ、3日後に自殺している。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[らっしゃあ]]||[[ガンダム]]関連、ゲーム関連の記事において、私的意見を述べる者や玄人を装う素人を次々に論破。罵詈雑言を投げつけられるも、一切相手にしなかった。&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ういきへていあにおけるゆうしや}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|ゆうしや]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアにおける勇者|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:冤罪の被害者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3&amp;diff=138939</id>
		<title>ウィキペディアン</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3&amp;diff=138939"/>
				<updated>2011-09-20T09:09:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: /* 概要 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ウィキペディアン'''（'''Wikipedian'''）とは、[[ウィキペディア]]の執筆者・編集者のことである。現在の[[ウィキペディア日本語版]]の主なウィキペディアンについては[[ウィキペディア日本語版の利用者]]を参照の事。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアンのうち特に[[ウィキペディア]]に熱中している者をウィキペディア中毒者と呼び、その状態を[[:Wiki:Wikipedia:ウィキペディア中毒|ウィキペディア中毒]]または[[ウィキホリック]]と言う&amp;lt;ref&amp;gt;[[有害サイト]]として評価される事もあるウィキペディアを継続的に利用している時点で一種の中毒者だと言える。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
ウィキペディアは「自分達の[[プロジェクト]]は広く一般に開かれており、誰でもウィキペディアンとなることが出来る」と宣伝している。しかし実際には、参加者が編集した記事の中に管理者や常連にとって不愉快な記述が少しでもあれば、その参加者はいちゃもんを付けられて瞬く間に追放されてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悪質な利用者に対して投稿ブロック依頼が出されても、大量の[[ソックパペット]]が反対票を投じてくる為、悪質な利用者は滅多にブロックされない&amp;lt;ref&amp;gt;ブロック依頼された側は、[[2ちゃんねる]]にも[[:Wiki:自作自演|自作自演]]して自身を擁護するコメントを書き込んでいる。&amp;lt;/ref&amp;gt;。逆にまともな利用者はウィキペディアの実態に幻滅して次々と去っていく為、ウィキペディアンには[[:Wiki:チンピラ|チンピラ]]や[[:Wiki:ならず者|ゴロツキ]]の類しかいない。2007年時点で学歴詐称者、中退者、除名者、中年マイメロ[[オタク|をたく]]が確認されている。結局は類は友を呼ぶであり[[有害サイト|おかしいサイト]]には[[気違い|おかしい人]]しかいないと言う事である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この大量のソックパペットは「月単位靴下」または「年単位靴下」と呼ばれ、[[:Wiki:利用者:Chatama|ちゃたま]]がCU就任してから特に目立つ靴下である。外見上は別人を装っているが、小西規勝のような人物が使うとたちまちばれてしまう。その靴下は管理者の全員が共有しているため、たとえ[[ウィキペディア発の犯罪|犯罪的行為]]を行っていたとしても法的責任を問えない点で悪質である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
極少数の例外を除き、大多数のウィキペディアンは[[匿名]]で活動している。この為、匿名掲示板[[2ちゃんねる]]と同様に、ウィキペディアではあちらこちらで他者に対する誹謗中傷や脅迫が横行している。ラリー・サンガーもこの匿名性の問題を指摘してウィキペディアを見捨てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ほとんどのウィキペディアンは自身の考えと違う意見や提案に一切耳を貸さない。一方でその時々の都合や記事によって編集方針をころころと変えるというダブルスタンダードを用いており、一般の人がウィキペディアンとコミュニケーションしようとしても対話自体が成立しない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ウィキペディアンによる荒らし行為 ==&lt;br /&gt;
=== ウィキペディア内での荒らし ===&lt;br /&gt;
「進行中の荒らし行為」は、管理者自らが自作自演で行っているものがほとんどである。そうではない物もごくわずかに存在するが、それらは何も悪い事をしていないのに「荒らし」のレッテルを貼られて個人攻撃され続けている人々である場合が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに管理者や常連達の反感を買うと、「進行中の荒らし行為」に記載されている利用者と'''編集傾向が似ている'''とか'''名前が似ている'''という主観的な理由だけで、碌に調べもせず荒らしのソックパペットだと決め付けられ、無期限ブロックされてしまう。当然、こういった理由でブロックされた利用者の大半は一切、荒らし行為をしていない。この事からもWPは異常管理者が殆どと言うのが分る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、[[ウィキペディア自警団]]という特定名称がついた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外部サイトでの荒らし ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアンは[[Yourpedia]]を憎悪しているようで、頻繁にYourpediaを一生懸命荒らしまわっている。発信者開示請求が怖いのか単発IPで荒らすことが多い。要するにWPは腐った根暗臆病者の寄集めの為、まともな人がいないのが原因とされる（きちがいの坩堝）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関係事項 ==&lt;br /&gt;
* [[ジミー・ウェールズ]]&lt;br /&gt;
* [[荒らし]]&lt;br /&gt;
* [[2ちゃんねらー]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア自警団]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアン|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネットストーカー|ういきへていあん]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット弁慶|ういきへていあん]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2&amp;diff=138938</id>
		<title>ウィキペディア</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2&amp;diff=138938"/>
				<updated>2011-09-20T09:06:30Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: /* 2ちゃんねるとの関連性 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ウィキペディア'''（'''Wikipedia'''）とは[[インターネット]]上で作成、公開されている[[オープンコンテント]]方式の「多言語[[百科事典]]」を自称する[[ウェブサイト]]である。[[ウィキメディア財団]]の展開する最初の多言語[[プロジェクト]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
Wikipedia（ウィキペディア）という名前はウィキペディアが使用している[[ソフトウェア]]である「'''Wiki''' （[[ウィキ]]）」と、[[百科事典]]を意味する英語「'''encyclopedia'''（エンサイクロペディア）」から合成されたものである。執筆・編集は主に参加者の共同作業によっておこなわれており、自由参加型である点に特徴がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし誰もが自由に参加できるため、情報の精度・[[信憑性]]は必ずしも保証されるものではない。特に政治や宗教、価値観のように意見対立が起きやすいテーマにおいては[[編集合戦]]がしばしば起こる。また、時には個人や団体に対する[[名誉毀損]]を目的としたゴシップや根も葉もない嘘の投稿が見過ごされ、しばらく訂正されないこともある。そしてそれとは逆に、その対象項目にとって都合の悪いファクターを不当に排除してしまうという事も同様にある。そんな中[[2005年]]度末には[[ジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争]]が起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本版の利用者数は2005年2月には221万人。[[2006年]]3月には700万人に成長している（もっとも複数アカウントとかは考慮していない）。日本版のユーザーの3%は英語版へ頻繁に訪問している。英語版は1416万人である。日本語版の詳細については、[[ウィキペディア日本語版]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 実態 ==&lt;br /&gt;
前述されているようにウィキペディアの記述の多くに間違いがあるにもかかわらず一向に改善されていない。また、正しく記述がなされた記事が無知な者に改変されて結果的に誤った記事になってしまう面も存在するがこれもやはり改善がないままとなっており、この現状を前にしてもウィキペディアの運営者達は御用メディアを使って「ウィキペディアの信頼性はブリタニカに匹敵する」等というネオコンと同レベルの明らかな大嘘の[[プロパガンダ]]を垂れ流し続けている。ミドルベリー大学の史学部ではウィキペディアの記述を鵜呑みにした学生が誤答を繰り返し続けている事が問題視されウィキペディアからの引用が禁止される等、各地でウィキペディアの信頼性の無さが指摘されている。そして、悪質なユーザーによって平然と誤った記述が数ある中、新しめの記事にはやたら「要出典」を求められる。これは「出典」を公式ルールにしている事を悪用した記事を自身のいいように編集をするための善良な利用者に対する騙しであって、いきなり削除を行った場合の苦情を考えた削除狙いの典拠要求であり、出典がなければそのまま削除、出典を示されたら著作権侵害と攻撃するのである。'''今更改良しても意味がなく、最早'''手遅れ'''である（「～～という意見もある」「～～という見方もある」「～～と言われている」の記載は認めるべきではなかろうか） 。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアは表向きには著作物の無断転載を禁止しているが、「著作権侵害」と見做されるのは文章の構成が他人の著作物と丸々同じ記述だけである。段落等、文章の構成を少し変えた物に関しては「'''事実の列記だ'''」等と言い逃れして管理者達は一切取り締まらない為、外部から問題視されている。何故このような問題が起きるかと言うと、ウィキペディアの編集者の殆どがまともな知識を有していない為、外部からの[[パクリ]]をある程度黙認しなければウィキペディアの記事数が全く増えなくなってしまうという事が背景にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに公的な方針として「ウィキペディアは演説場所ではありません」や「ウィキペディアは戦いの場ではありません」等という標語を掲げているが実態は罵詈雑言のオンパレードで日夜、骨肉の中傷合戦が繰り広げられている。このように憎悪に満ちた場所なので青少年にとってウィキペディアの閲覧は教育上、悪影響を及ぼすと見られる。悪影響だけですめばまだ良いがそういう方針がますます荒しを生み出すというのを馬鹿管理者は分からずいつも同じミスを繰返す為、荒しの撲滅はまともな管理者に一掃しない限り100%無理である。しかしこれまでこういったウィキペディアの「暗部」はウィキペディアが必ずしもメジャーとは言い難い微妙なライン（言うなればマイナーとメジャーの中間地点）に居た為かあまり表に出て来る事は無かったが、某所の調査によれば利用者の増加とともにそういった負の側面に対するユーザーの認識もより深まっているような調査結果が出ている。そしてそれはユーザーの増加に比例してより顕在化していく事が予測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者は意見が合わないウィキペディアンを追放するが、追放後も逃れる方法はひとつある。それは自作自演をし、自作自演したウィキペディアンが別人を装うことである。それは、簡単に言うと自作自演後に「これを書いたのは同じネットワーク回線を使う同僚だ」ということである。実際、それで追放されたウィキペディアンが復帰した例がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改竄不可能な「中立的な論点」もあるが、意味を成していない。また日本語版のみコピーライトメディアの使用が出来ないが、ウィキペディア関係のみはできるのも矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まさにアンサイクロペディアの「専門家気取り」という表現がぴったりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 活動の規模 ==&lt;br /&gt;
[[2001年]][[1月15日]]に[[英語版ウィキペディア|英語版]]が発足、その後多くの[[言語]]へ展開し、2007年1月1日現在、250言語で執筆が行われている。ただしこのうち継続的な活動が行われ100項目以上に達しているものは、180言語ほどである。ウィキペディアは多言語展開に力を入れており、つねに新しい言語プロジェクトに開かれてきた。現在は、まだ存在しない言語版を新規に立ち上げるには数名の参加者がいれば可能である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
項目は2007年1月現在、英語版で160万件近く、英語を除く他の諸言語の版で約450万件以上の記事が執筆されている。また[[Alexa.com]]の全インターネットを対象とする[[アクセス]][[ランキング]]では、20位以内に入っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
活動規模がもっとも大きいのは、英語版である。登録ユーザー数ベースで執筆者を見ると、英語版だけで2万人を超える。Alexa.com の統計によれば、wikipedia.orgの閲覧数のうち60%前後が英語版へのアクセスである。日本語版、[[スペイン語版ウィキペディア|スペイン語版]]、[[ドイツ語版ウィキペディア|ドイツ語版]]へのアクセスがこれに次ぐ。とはいえ英語版と他の言語版の規模の差は、プロジェクトの進展とともに漸進的に埋まりつつある。英語版の項目数と2位以下の言語版の項目数合計を比較すると、かつては10位までを合計してようやく英語版に並んだものが2007年1月には2位から5位までの4プロジェクト合計と等しくなっている。現在英語を含む14の言語が10万項目以上を保有している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
執筆者についてはプロジェクト発足以来2005年3月現在、3万人を越える登録ユーザーがおり、うち数千人が現在も活発に活動していると推測される。登録のみで投稿を行わないユーザーがいる一方でユーザー登録をすることなく執筆に参加することができる仕組みになっているため、正確な執筆者数の把握は難しい。[[データベース]]・[[ファイル]]を分析したエーリック・ザクテ（Erik Zachte）の統計によれば5回以上編集・投稿に携わったユーザーの総数はプロジェクト発足以来2004年12月30日までで3万2000人強とされるが、この統計でも未登録ユーザーの活動量が未集計の他、古いバージョンの[[ソフトウェア]]を用いて活動しているウィキペディアについては分析の対象外としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参加者が何らかの編集、投稿を行いデータベースへ保存した回数を参考にすると、同じくザクテのデータからプロジェクト発足以来、185万回程度の編集、投稿が行われてきたことになる（これは未登録ユーザーによるものも含まれるが、ソフトウェアのバージョンの差から来るデータの欠落がある）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な特徴 ==&lt;br /&gt;
他の類似のプロジェクトと比較した場合、ウィキペディアには次のような特徴がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[百科事典]]の作成に目標を限定していること。この点で、例えば議論や情報交換を行う場である[[掲示板]]や[[ネットニュース|USENET]]などと異なっている。&lt;br /&gt;
* [[ウィキ]]を利用したプロジェクトであること。他の多くのウィキがそうであるように多くの利用者が簡単に執筆、編集できる仕組みになっている。つまり、使いやすいサイトなのである。ウィキペディアでは参加者の資格制限などを行っていないため年齢、職業、国籍などの点で多様な執筆者が参加する傾向にある。この点で、百科事典の開発プロジェクトとしては独特である。&lt;br /&gt;
* [[オープンコンテント]]方式を採用。参加者によって投稿された内容を[[コピーレフト]]用のライセンスの一種である[[GFDL]]の元に公開しており、複製・配布・改変などが容易にできると謳われている。しかし、GFDLが課す複雑な制約やGFDL自体の排他性のため、厳密にライセンスに従った利用は難しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== プロジェクトの運営形態 ==&lt;br /&gt;
ウィキペディアは比較的大規模なプロジェクトであり、運営方針や編集・執筆方針などについて多くの問題を抱えてもいる。編集・執筆のレベルでは非登録ユーザーを含む多くのユーザーに開かれているが同時にルールが一切存在しないわけではなく、またそうしたルールを定めるための意思決定が行われないわけでもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* プロジェクトはその初期[[ジミー・ウェールズ]]およびインターネット会社・[[Bomis]]によって資金を提供されていた。Bomisは彼が以前[[最高経営責任者]]を務めていた[[会社]]である。後に財団が設立されてからは、寄付金や外部の団体から無償提供されたハードウェアの占める割合が増えた。運営団体によるハードウェアの購入は[[2004年]]以降、全額寄付金に依存している。ウェールズが2004年からCEOを務める企業・[[Wikia]]からも帯域の経費などの資金援助がなされている。&lt;br /&gt;
* 記事が中立的な観点から書かれるべきだとする方針も、ウェールズによって全ウィキペディアの共通方針だと定められた。またウェールズは、後述するプロジェクト全体の問題についての議論に参加し質問や意見を述べ、あるいは採決に加わる。彼の発言は必ずしも議論を終結させるものではないが、その意見は他の参加者の意見よりも尊重される傾向にある。&lt;br /&gt;
* ウェールズはまた英語版の運営については比較的具体的な問題に関しても意見を述べる傾向がある。英語版の初期には、登録済ユーザーの[[アカウント]]を停止する場合には彼の了承を得るようにとの要請があった（2004年以降、この決定は選任されたユーザ代表に任されている）。他言語のウィキペディアで同様の問題が発生した場合にどうなるべきかについては特に明確にされていない。一方ウェールズが英語以外の言語は話さないこと、利用者の自治を尊重することもあり、英語以外の言語版の運営にウェールズが中心的な関与を行うことはほとんどない。ただしウェールズが利用者の紛争の調停に当たったり、あるいは利用者のアクセス権限についての決定を行う場合もある。これは関係者がみな英語を解する場合、かつ自治の枠組が問題の解決においてうまく機能していない場合に行なわれることが多い。&lt;br /&gt;
* ソフトウェア開発の[[モデル]]である「[[善意]]の[[独裁者]]」をウィキペディアに当てはめることがしばしば行われる。ウェールズはこれを否定しないが、一方でウィキペディアがつねに編集可能であることにより自身の関与が常に及ぶわけではないことをもって、自分は厳密な意味でこうしたモデルにはあてはまらないと発言している。&lt;br /&gt;
* 開発者権限や[[サーバ]]へのアクセス権限などは一部の人物に限られている。ソフトウェアの改変や非常時の対処などは彼らに任されている。ただしこの[[プロセス]]も基本的には自由参加型であるため、一定期間の活動を経て信用を築いた者にはそうした権限が与えられることになる。また、ソフトウェアの仕様変更については開発者とそれ以外の利用者を含めた公開・自由参加型の議論が行われている。&lt;br /&gt;
* プロジェクト全体の問題は、公開の[[メーリングリスト]]で扱われる。基本的には全て英語で、ごく稀にフランス語などが混ざる。議題には各言語のウィキペディアの記事数の集計方法、新しい言語のウィキペディアの発足、デザインや機能の変更、運営上の方針やユーザー間の争いの調整、法律問題などが含まれる。この議論は複数のリストで行われるが、誰でも参加、発言できるようになっている。またアーカイヴは[[ウェブ]]上で公開されている。&lt;br /&gt;
* ウィキペディア全体の話題を扱うメーリングリストのほか、各言語プロジェクト固有の話題を扱うメーリングリストが存在する場合もある。&lt;br /&gt;
* またメタ・ウィキメディアという、[[ウィキメディア財団]]（後述）のプロジェクト全体を扱うウェブサイトがある。メーリングリスト以外に、ここでも全言語版共通の問題、あるいは他プロジェクトと共通の話題が取り上げられる。運営団体であるウィキメディア財団の将来計画などはこのメタ・ウィキメディアで公開され、質問や議論が行なわれる。話題はまた財団の運営に関する別のメーリングリストでも話しあわれる場合がある。&lt;br /&gt;
* 各言語版毎に管理者がおり、一定の権限が与えられている。管理者は通常、その言語のウィキペディアの初期段階での立候補やそのウィキペディアの参加者内の議論などによって決まる。権限にはページの削除、ページの保護（管理者以外には編集できなくなる）、「荒らし」とみなされたユーザーの書き込み禁止などがある。ただし、ウィキペディアの各言語版の多くでは削除などのプロセスは参加者や関係者の話し合いによって決まり、管理者は独自の裁量に基づいて行動するという形をとらないことが多い。ただし、たとえば前述の「ページの保護」に関してはその性質上管理者がその項目に対し特定の方向性を有した意見を無条件で「保護」するかたちとなってしまいウィキペディアの本来の絶対的原則「中立的な観点」を最重視する方針と往々にして[[矛盾]]が生じ、また特定のユーザーへの書き込み禁止も元来の「荒らし」対策という事だけでなくシステムの裏面としてその時点でその項目の編集に参加している参加者や関係者の意に沿わない相手（ウィキペディアは[[2ちゃんねる]]と異なり匿名性は無いので簡単に特定が出来る）を意図はどうあれ（つまり、言い換えれば意図的に行う事も出来るという事である）結果的に締め出す事になる事も多々ある。このように、例えば「'''管理人は君臨すれども統治せず'''」というスタンスの[[2ちゃんねる]]とは対照的に事実上ウィキペディアというHPを管理者（およびそれに酷似・追随する思考を有する常連的投稿者）の独裁空間へとたらしめている事実は否めない。&lt;br /&gt;
* 執筆方針については項目名の付け方、[[フォーマット]]や表記上の諸問題に関して多くの方針が存在している。これらの大半は利用者間の話し合いで決定、改変されるもので各言語によって異なる。またこれらの内にはガイドラインという位置付けになっており、必ずしも万人が常に従うべきルールであるとはされていないものがある。これは部分的にはこれらの方針を知らない参加者からの投稿も積極的に受け付けるためであり、ガイドラインに通じた常連投稿者などが新規参加者の投稿を編集することが比較的容易であるためでもある。&lt;br /&gt;
* 記事の内容について関係者間で論争が起きた場合には基本的に[[Wikipedia:ノートページ|ノートページ]]での話し合いが行われる。最終的にはウィキペディアの最も重要なガイドラインの1つ「中立的な観点」に従い“両論併記”によって決着することが求められる。&lt;br /&gt;
* ただし項目の性質、特に人間（投稿者・管理者だけでなく、もっと広義的な意味合い）の好悪・嗜好・所属・社会的立場に関わるような属性であった場合、ウィキペディアの性質上明らかに管理者や関係者による偶発的もしくは意図的に不当かつ一方的な擁護（またはその逆）がしばしば行われる時がありそれが往々にして記事内容の偏りを発生させてしまいその他ウィキペディアというHPにおいて様々な「問題」（論争、罵倒、誹謗中傷）が発生する大きな要因となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2ちゃんねるとの関連性 ==&lt;br /&gt;
* ウィキペディアを編集する[[ウィキペディアン]]には[[2ちゃんねる]]との関連性も決して浅くはないとされている。なぜならウィキペディアで保護されているページの大半は[[2ちゃんねらー]]が敵視している(叩いてて面白い)対象であることが多いからである。そういったページの大半は、2ちゃんねるネタが多く、左寄りである。最早2ちゃんねる内で叩くことだけでは満足できない2ちゃんねらー達がウィキペディアに書き込んでいるようだ。&lt;br /&gt;
* しかし、肝心の2ちゃんねるや2ちゃんねる関連の項目は大半が都合の良いことしか書かれておらず、問題点を書き込んでも削除されるといった右寄り思考のページが多い。また2ちゃんねる関連の記事を編集するウィキペディアンは都合が悪くなると'''記事を削除、保護依頼をする、独自研究や要出典のテンプレートを乱立させ真実を書き込ませない'''といった暴挙に出るのも特徴である。&lt;br /&gt;
* 要は中立的な記事を書くためのウィキペディアを司る機能が裏目に出た結果、こういった悪質2ちゃんねらーによりウィキペディアは中立的も糞もない過剰なまでの'''2ちゃんねる賛美'''をするための百科事典となってしまったと言えよう。&lt;br /&gt;
* [[池田信夫]]は記事の編集合戦の酷い様を「'''2ちゃんねる化するウィキペディア'''」と揶揄した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主要人物 ==&lt;br /&gt;
ウィキペディアは多くの場面で参加者一般を強調し、特定のリーダー、所有者、最終決定権の保持者などを強調しない傾向にありコミュニティ参加者の共同作業、共同自治などを謳うことも多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特殊な役割を担った人物として例外的にしばしば言及される者に、[[ラリー・サンガー]]とジミー・ウェールズがいる。両者はウィキペディアの創設者でありラリー・サンガーはプロジェクトの発足から1年と数ヶ月の間、賃金の支払いを受けた参加者だった。このせいもあって、彼は折に触れてほかのメンバーから仲裁役を頼まれることもあったとされる。また彼は、ウィキペディアに先立って発足した査読制度付のオンライン百科事典作成プロジェクト「[[Nupedia]]（ヌーペディア）」の編集主幹も勤めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウェールズはプロジェクトの出資者であり、発足当初からサーバやインターネット・[[トラフィック]]の料金を支払ってきた。ウィキペディアは彼を「寛大な独裁者」として戴く[[コミュニティ]]自治の集団であると形容されることがある。項目の中立性の方針など、ごく一部の件については議論の余地なく重要かつ不変のプロジェクトの方針であるとウェールズは宣言している。また、登録ユーザーのアクセス禁止処分の決定についても彼が最終的な判断を下すとしている。これは英語版で特に顕著であり、ユーザーのみの決定によるアクセス禁止は最長で1年とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウェールズはインターネット関連会社・Bomisの前最高経営責任者（CEO）である。プロジェクトに協力している同社の関係者の中には、他にも[[ティム・シェル]]（同社の共同創立者、現最高経営責任者、ウィキメディア財団理事）や[[プログラマ]]の[[ジェイソン・リッチー]]（後に退社、現・Wikia）、[[トアン・ヴォー]]がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]10月にウェールズはプロジェクトの運営母体・ウィキメディア財団]]事長の職を辞し終身名誉理事長となり、後任として[[フロランス・ドゥヴアール]]が理事長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 発足の経緯 ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアの着想は、ヌーペディアの主幹編集者ラリー・サンガー（Larry Sanger）と[[コンピュータ]]・プログラマ[[ベン・コヴィッツ]]（Ben Kovitz）が[[2001年]]1月2日に[[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]で行った会話に端を発するとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキウィキウェブのインターフェースを積極的に使っていたコヴィッツは当時常連であり、夕食の席でその基本的な[[コンセプト]]をサンガーに説明したとされる。サンガーはそれを聞き、ウィキが「よりオープンでよりカジュアルな百科事典を作る」というプロジェクトに相応しいものと考えたという。それに先立つ数ヶ月の間、サンガーと彼の上司である[[有限会社]]・BomisのCEO[[ジンボ・ウェールズ|ジミー・ウェールズ]]（Jimmy Wales）はヌーペディアをよりオープンな形で補完するプロジェクトについて討議を重ねていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サンガーはウィキをヌーペディアに利用しようと考えウェールズを説得し、1月10日にはヌーペディアにウィキが登場することになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ウィキのウェブページをヌーペディアに利用するという案に対してはヌーペディアの執筆者と査読者から強硬な反対意見があったため「ウィキペディア」と名付けた新たなプロジェクトを立ち上げ、独自のアドレスである wikipedia.comにて[[1月15日]]から開始することになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コンピュータ・ネットワーク|ネットワーク]]帯域と、サンディエゴに設置したサーバはウェールズが資金を提供した。また、2002年1月までサンガーはNupediaの主幹編集員兼ウィキペディアの非公式管理人としてBomisに雇われていた。資金の枯渇から[[2002年]]3月にサンガーへの給与打ち切りが決まり、サンガーはウィキペディアを含むプロジェクトでの活動を停止した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 拡大とその契機 ===&lt;br /&gt;
プロジェクトは参加人員、記事数、編集・投稿総数などいずれの尺度においても増加する傾向にあり、増加のペースも高まる傾向にある。この主な要因として[[メディア (媒体)|メディア]]や多くの人が利用するウェブサイトでの紹介、[[サーチエンジン]]への掲載などが挙げられる。特に顕著なものとして、次のものが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 技術情報ウェブサイト[[スラッシュドット]]での紹介（2001年[[3月5日]]、[[5月30日]]、2003年[[1月24日]]）&lt;br /&gt;
* 参加型技術情報・カルチャーウェブサイト [[Kuro5hin]]（2001年[[6月26日]]）での紹介&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
投稿の内、特に大規模なものにアメリカ合衆国の各市町村を扱ったものがある。これはディレック・ラムゼイ（&amp;quot;Ram-Man&amp;quot;）が2002年10月、「[[ボット]]」（あるいは「[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]」）を稼働させて[[国勢調査]]のデータから自動的に記事を生成したもの。同様のボットは他の主題についてもしばしば使用された。その総数はおよそ3万本とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[多言語]]化に乗り出したのは2001年5月頃であると思われる。当時の発表によれば12前後の非英語版サイトが発足した。ただし、それらの新設ウィキペディアで必ずしもすぐに執筆が盛んになったわけではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年12月、姉妹プロジェクトである [[Wiktionary|ウィクショナリー]]（Wiktionary）が創設された。これは、多言語の[[辞書]]と[[シソーラス]]を制作することを目標にしているプロジェクトである。ウィキペディアと同じサーバで、同じソフトウェアを使って活動している。翌[[2003年]]に本や教科書の作成プロジェクトである[[ウィキブックス]]（Wikibooks）、箴言集である[[ウィキクォート]]（Wikiquote）なども発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらのプロジェクトは、しばしば[[ウィキメディア財団|ウィキメディア]]プロジェクトと総称される。こうした姉妹プロジェクトもまた増加傾向にあり、2004年には新規の3つのプロジェクトが創始された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ソフトウェア及びハードウェア ===&lt;br /&gt;
[[ハードウェア]]は、発足当初はBomisのサーバを間借りする形であった。ソフトウェアはクリフォード・アダムズによる[[UseModWiki]]を用いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年1月、英語版とプロジェクト全体に関わる問題を議論するためのサイトであるメタ・ウィキペディアが実験的に[[PHP Hypertext Preprocessor|PHP]]と[[MySQL]]によるソフトウェアに移行した。これは参加者の1人・Magnus Manskeによって制作されたもの。同年7月にウィキペディア専用のサーバ（[[コードネーム]]&amp;quot;pliny&amp;quot;）が導入された。これは英語版と、やや遅れてメタウィキメディアのために用いられた。ソフトウェアもリー・ダニエル・クロッカーによる全面的な書き換えを経て新しいバージョンが運用され始めた（同じくPHPとMySQLの組み合わせによるもの）。活動が盛んな他言語版も、徐々に専用サーバへ移動していくことになった。2003年1月には、[[m:ヘルプ:数式の書き方|TeXの数学記号]]が導入された。コードの作成者は参加者の1人のTaw。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年5月半ば頃よりもう1台専用のサーバが導入された。コードネームは&amp;quot;larousse&amp;quot;。これは英語版のウェブサーバとして用いられた（データベース部分は、従来通り専用サーバによって担当される）。Bomisのサーバに間借りしているウィキペディアも、活動が活発になるにつれて徐々にplinyへ移行した。ソフトウェアの処理が効率化され、サーバへの負担が軽くなった時点で、larousseは全言語版のウェブサーバとして稼動する計画もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、プロジェクトの拡大によりサーバは順次増強されていった。ほとんどが個人からの寄付を財源として購入されたが、一部は企業や団体からの貸与によっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在のサーバ構成については[[m:ウィキメディアのサーバ]]（メタ・ウィキメディア）に詳述されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 分裂、論争 ===&lt;br /&gt;
2002年2月、それまでEdgar+Enyedy Edgar Enyedyを中心に非常に活発に動いていたスペイン語版ウィキペディアが突然活動の中止と新たなプロジェクト[[エンサイクロペディア・リブレ]]の立ち上げを宣言した（Enciclopedia Libreは[[セビリア大学]]にある）。宣言は、離脱の理由として商業広告の危惧とコントロールの欠如を挙げた。10月にはダニエル・メイヤー（&amp;quot;maveric149&amp;quot;）他の参加者がウィキペディア復帰へ向けて交渉、説得を行ったが、復帰提案が完成する前にエンサイクロペディア・リブレは投票で復帰を否決した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エンサイクロペディア・リブレは将来の統合の可能性は残し交流を維持することを表明し、現在でも統合の可能性が議論されることがあるが独立したままにとどまっている。この事件は英語版以外のウィキペディアの役割について、大きな議論の火付け役となった。また、これは非英語版のウィキペディア・コミュニティの要求によるいくつかの変更にもつながった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、プロジェクトはたびたび記事を削除したり、不適切な内容を投稿したりする荒らしに見舞われた。通常、そういった荒らしによる荒らし行為は参加者達により速やかに修復されるため、一般には大きな問題とされることは少ない。だが英語版ではメインページのいたずら書きが何回も発生したため、メインページは管理者のみが更新できるよう保護措置がとられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年3月、「24」というユーザー（この名前は彼の[[IPアドレス]]にちなむ）が特別に左傾的かつ物議を醸す編集をし始めた。白熱した議論は何人かに「恐怖」とまで言わしめるようなものになり、多くの人々が侮辱と個人攻撃を受けた。メーリングリストでの長期間にわたる話し合いの結果、2002年4月にジンボ・ウェールズは24をサイトから排除した。ドイツの歴史に関して右傾的で物議を醸す編集を再三に渡って行い、ウィキペディアの歴史関連の執筆者達の多くに抗議を受けた「Helga」は再びメーリングリストにおいて話し合いが行われた結果、2002年9月に排除された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年11月、[[ロシア語版ウィキペディア]]でライセンス形態についての論争がもととなり、一部の利用者がウィキペディアを出て別の百科事典プロジェクトを立ち上げるというもうひとつの分裂が起こった。この分裂はウィキペディアのメーリングリストなどに不満の表明がなされなかったこと、ロシア語版の主な利用者と他のプロジェクトの参加者との人的交流が薄いことやロシア語を解するユーザが少ないことなどから、2004年10月まで他の言語版の利用者には知られていなかった。分裂だけでなくこのように事態の把握が遅れたことを重く見て、ウィキペディアプロジェクトの多言語的展開と各言語話者の間の連携を強化すべきだとする指摘が一部では改めてなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年12月には英語版ウィキペディアでとある[[ジャーナリスト]]が[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ]]暗殺事件の首謀者とされる嘘の投稿がされ、この記事が1週間掲載され問題となった（[[ジョン・シーゲンソーラー・ウィキペディア経歴論争]]）。この嘘の投稿を行った者は冗談のつもりで行ったと話しているがこのことが新聞などに掲載され問題となり、結局この投稿により当該投稿者は仕事を辞めることとなった。これにより英語版ウィキペディアは登録ユーザー以外が新規記事投稿を行うことを制限し、記事の執筆などを遅延反映させこういった嘘の投稿に対抗するためのシステムを構築することになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年には著名人の項目をその人自らが修正するケースがあり、日本語版でも[[西和彦]]の項目が当人と思われる人物が積極的に記事を編集して議論となった為に保護されることとなった。またライバル相手の記事を編集したりする場合もあり、アメリカでは選挙の際に議員がライバル議員の項目に対し誹謗中傷を行っていたことが発覚、アメリカ議会からの編集に対し制限する措置がとられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年1月には英語版ウィキペディアで、[[マイクロソフト]]がとある人物に対し「報酬を支払うからマイクロソフトの項目を修正してほしい」と打診していたことが発覚。マイクロソフト側も「ウィキペディアで相違していると思われる記述があり、修正してもらいたかった」と認め、謝罪した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 非営利化と非営利法人化 ===&lt;br /&gt;
2002年8月、ジミー・ウェールズがウィキペディアでは今後一切商業広告を行わないという方針を発表し、そのすぐ後にウィキペディアの[[URL]]は''wikipedia.com''から''wikipedia.org''に変更された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年[[6月20日]]、プロジェクトに法人格を与えるべくウィキメディア財団（Wikimedia Foundation, Inc.）が設立された旨がアナウンスされた。ウィキメディア財団は[[フロリダ州]]法に基き、フロリダ州[[タンパ]]を本拠地とする非営利法人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ウィキペディアの今後 ===&lt;br /&gt;
アメリカ合衆国ではウィキペディアのサーバの負担が深刻な問題となっている。ウィキプロジェクトによって生み出されているデータファイルは加速度的に増加しており、近い将来プロジェクトは破綻を来たすことを心配するものもいる。現実的な対処としては利用者から課金することが挙げられた。財団発足ののち、財団の会員として希望者から年会費を徴収しこれを運営資金に充てるという構想が発表されたが、現状での導入の見通しは不透明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
運営資金を公共教育を対象とする各種助成に頼ることも検討されている。情報媒体としてのウィキペディアに関する関心は高く、ウェールズは2004年夏には[[国際連合|国連]]からの招待を受けて関係者に対してウィキペディアについての講演を行なっている。こうした状況の中で財団が運営資金としての助成を申請し、それを主要な財源のひとつとすることも検討されている。また、2005年現在でウィキペディアを含む姉妹プロジェクトに関して2つの公益団体から合計5万ドル規模の助成が申し入れが行なわれており、これらは一部は直接の運営経費に充てられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また欧米の他の非営利団体と同様、寄付による収益も大きな財源である。これは随時受け付けている寄付のほかに、四半期ごとに予算に対して不足する額への支援を求めるという形で行なわれている。年単位ではないのはプロジェクトの成長規模が大きく、年単位での経費予測が事実上不可能であることにも起因する。2005年4月にはアメリカ合衆国で内国歳入庁により501（c）（3）資格が与えられ、米国での免税資格を有する者に対しては設立にさかのぼってすべての寄付に免税が認められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年6月現在、アメリカ合衆国の母団体であるウィキメディア財団のほかドイツ、フランス、イタリアの3国に地方支部があり、うちドイツ支部へのドイツ国内からの寄付は免税となっている。恒常的な寄付を前提に、寄付への免税措置を目的とした支援団体として地方支部の設立が各地で検討されている。こうした国にはオランダ、ルーマニア、ポーランドなどがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアの運営者達は「利用者が増えれば増えるほど記事の品質は向上する」と考えていたが、実際には品質が低下し続ける一方である。数少ないまともな記事も悪質な利用者によって支離滅裂な記述が書き加えられたり、またその逆の例として前述の管理者が一部の投稿者グループと共に特定の項目（例：企業、漫画、アニメ、ゲーム）に肩入れし、それに対するネガティヴな意見（この場合は充分に裏が取れる信憑性があるものと仮定）をその権限を用いシャットアウトしてしまったりまたその正反対の否定的に書かれている項目に対し（あくまで事実に基づいた）フォローを入れられないようにしてしまうといった数々の横暴、強引に何かの宣伝が書き加えられたりする事が頻発しており、今やウィキペディアは「'''悪貨は良貨を駆逐する'''」という言葉の見本になっている。また素行の悪い利用者がウィキペディア内だけでなく、外部サイトにも迷惑をかける等といった問題も発生しておりネット社会のスラム街とでも言うべき惨状に陥っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元来ウィキペディアには建前通りの「百科事典」としての一面とまた多目的・多話題対応型フリーBBSとしての一面があり、これらは本質的にダブルスタンダード、二律背反の関係にある。つまり、前者としての属性を重視すれば各々の項目に対し本当に必要最低限の事しか書けずわざわざ自由に参加者を募り思い思いにそれぞれの項目についての情報を書き込めるという、ウィキペディア最大の特徴とセールスポイントが無意味化する事になり逆に後者としての属性を重視すれば項目ごとに管理者や投稿者や価値観や知識、思惑が錯綜し合いその結果「百科事典」としての体裁・実質が失われてしまう事態に陥ってしまう事になり、現状は特にそういった傾向が目立つようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今までは利用者がそれ程多くは無かった為にそういう自己矛盾による弊害は無視出来る程度のものであったが、現時点においても管理者やおもな投稿人（常連的[[ウィキペディアン]]）の横暴や悪意、または善悪思惑・意思の関係ない部分としてのかれらの人的能力etcといった諸々の問題点ゆえか遺恨が基になっている荒らしやそれと関係ない所でのシステムの不備や項目に対する処理・整理等々の対応の不全さを批判する声など、様々な問題が徐々に析出・表層化している。そして今後なおウィキペディアというHPの知名度が上がり益々人の耳目が集まり行く事はまず間違いなく、そしてそうなっていけば現状只でさえ前述の自己矛盾やこういった様々な問題を完全に処理しきれているとは決して言えない状況である事を鑑みれば、今後益々システムの破綻と混迷化が進行する事は自明の理である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 先行事例 ==&lt;br /&gt;
百科事典をより使いやすくするために、印刷物の代わりに機械的な仕掛けを使おうという考え方のはじまりは[[H・G・ウェルズ]]の短編小説『[[世界の頭脳]]』（[[1937年]]）や[[ヴァネヴァー・ブッシュ]]のマイクロフィルムを使った未来のシステム[[Memex]]（論文&amp;quot;As We May Think&amp;quot;（[[1945年]]））に見ることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[インターネット]]を使ってフリーな百科事典を作ろうという試みは[[1990年代]]の初めには登場している。そのひとつとして、古い印刷物の百科事典を[[デジタル]]化しようというプロジェクトが挙げられる。[[1995年]]の1月、[[プロジェクト・グーテンベルク]]は[[1911年]]に出版された[[ブリタニカ百科事典]]の11版を[[American Standard Code for Information Interchange|ASCII]]テキストにするという活動を開始した。しかし、第1巻をデジタル化したあと、方針の不一致から活動は中断した。[[2002年]]に、28巻全てのASCIIテキストは他から1911encyclopediaで公開された。同様の試みとして、[[イーストン聖書辞典|イーストン聖書辞典（1897年）]]がChristian Classics Ethereal Libraryにおいてデジタル化されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他のよりウィキペディアに近い活動として、自発的な参加によって新しくフリーな情報源を作り上げようというものがある。[[1991年]]、[[usenet]]の&amp;lt;tt&amp;gt;alt.fan.douglas-adams&amp;lt;/tt&amp;gt;ニュースグループの参加者達が[[ダグラス・アダムス]]の著作の中に登場する架空の百科事典[[銀河ヒッチハイク・ガイド]]を実際に作ろうと活動を開始し、これはいわゆる[[Project Galactic Guide]]へと発展した。このプロジェクトは当初は現実の物事だけを記載するようにしていたが、後に空想上の事柄なども収録するようになった。Project Galactic Guideは1,700以上の記事を保有しているが、[[2000年]]以降記事の追加は停止状態にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1993年]]には、[[インターペディア]]と呼ばれる計画が議論された。これはインターネット上に、誰もが参加できる百科事典を作ろうとするものであった。これはウェブの爆発的な成長と、精度の高いサーチエンジンの登場のため実行に移されないままに終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 姉妹プロジェクト ==&lt;br /&gt;
2005年7月現在、ウィキペディアは次の姉妹プロジェクトを持っている。日本語コンテンツを持つプロジェクトには&amp;lt;sup&amp;gt;*&amp;lt;/sup&amp;gt;を冠した（運営文書を除く）。&lt;br /&gt;
* [[ウィクショナリー]]&amp;lt;sup&amp;gt;*&amp;lt;/sup&amp;gt; フリーの辞書プロジェクト&lt;br /&gt;
* [[ウィキブックス]]&amp;lt;sup&amp;gt;*&amp;lt;/sup&amp;gt; フリーの教科書プロジェクト&lt;br /&gt;
* [[ウィキクォート]]&amp;lt;sup&amp;gt;*&amp;lt;/sup&amp;gt; フリーの引用の百科事典&lt;br /&gt;
* [[ウィキソース]]&amp;lt;sup&amp;gt;*&amp;lt;/sup&amp;gt; [[パブリックドメイン]]か[[GFDL]]で提供された様々な言語のソーステキストの倉庫&lt;br /&gt;
* [[ウィキメディア・コモンズ]] フリーである画像・音声などの共用資源。パブリックドメインGFDLだけでなく、[[クリエイティブ・コモンズ]]・ライセンスなど、商用利用を許すフリーライセンスによるデータの受け入れも行なっている&lt;br /&gt;
* [[ウィキスピーシーズ]] フリーの生物種データベース&lt;br /&gt;
* [[ウィキニュース]]&amp;lt;sup&amp;gt;*&amp;lt;/sup&amp;gt; フリーのニュースサイト&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 類似のプロジェクト ==&lt;br /&gt;
ウィキペディアと比較されるものには、以下のような共同作業プロジェクトがある。&lt;br /&gt;
* [[Nupedia]]は、専門家の査読制度に基づく百科事典プロジェクト。ウィキペディアはここから生まれた。2003年3月現在、プロジェクトは中断しており、成果がウィキペディアに取り込まれている最中である。&lt;br /&gt;
* [[Everything2]]はより広い分野をカバーしているハイパーテクスト型のエッセイ集で、百科事典の構築を目指すものではない。また、Everithing2のコンテンツは[[コピーレフト]]ライセンスを使用していない。&lt;br /&gt;
* [[H2G2]]はDouglas Adams'sの''The Hitchhiker's Guide to the Galaxy''からアイデアを得た、皮肉的な内容の記事で構成された百科事典。&lt;br /&gt;
* [[スカラーペディア]]は2006年にスタートした[[査読]]制度つきのオンライン百科事典プロジェクト。執筆はすべて実名による。現在、[[計算神経科学]]、[[力学系]]、[[コンピュータ知能]]の3つの分野を対象としており、各分野の第一線の研究者が執筆者として参加している。2007年4月現在、記事数は87本。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== データベースのダウンロード ==&lt;br /&gt;
ウィキペディアで公開されている記事を何かの目的でウィキペディア以外の場所で利用したい場合にはどのような目的であれ、GFDLの条件に則っているならいつでも全ての記事を収録した最新版をデータベースからダウンロードすることができる。より詳細な説明は[[Wikipedia:データベースダウンロード]]のページにある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== パロディサイト ==&lt;br /&gt;
* [[アンサイクロペディア]] - [[2005年]]1月に英語版が、「wiki形式によるSPOV（風刺的な観点）を提供」するという非公式な目的のために開始された。ウィキペディアのパロディサイトである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot; style=&amp;quot;-moz-column-count:2; column-count:2;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディアン]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア日本語版]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア (企業)]] - 現在、この項目はウィキペディア（ウェブ事典）で不当な理由で白紙保護されており、ウィキペディアンの陰謀では無いかと言われている。&lt;br /&gt;
* [[ベター・ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
* [[Yourpedia]]&lt;br /&gt;
* [[MediaWiki]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディアにおける勇者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:オンライン百科事典]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2&amp;diff=138937</id>
		<title>ウィキペディア</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2&amp;diff=138937"/>
				<updated>2011-09-20T08:54:13Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: /* 概要 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ウィキペディア'''（'''Wikipedia'''）とは[[インターネット]]上で作成、公開されている[[オープンコンテント]]方式の「多言語[[百科事典]]」を自称する[[ウェブサイト]]である。[[ウィキメディア財団]]の展開する最初の多言語[[プロジェクト]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
Wikipedia（ウィキペディア）という名前はウィキペディアが使用している[[ソフトウェア]]である「'''Wiki''' （[[ウィキ]]）」と、[[百科事典]]を意味する英語「'''encyclopedia'''（エンサイクロペディア）」から合成されたものである。執筆・編集は主に参加者の共同作業によっておこなわれており、自由参加型である点に特徴がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし誰もが自由に参加できるため、情報の精度・[[信憑性]]は必ずしも保証されるものではない。特に政治や宗教、価値観のように意見対立が起きやすいテーマにおいては[[編集合戦]]がしばしば起こる。また、時には個人や団体に対する[[名誉毀損]]を目的としたゴシップや根も葉もない嘘の投稿が見過ごされ、しばらく訂正されないこともある。そしてそれとは逆に、その対象項目にとって都合の悪いファクターを不当に排除してしまうという事も同様にある。そんな中[[2005年]]度末には[[ジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争]]が起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本版の利用者数は2005年2月には221万人。[[2006年]]3月には700万人に成長している（もっとも複数アカウントとかは考慮していない）。日本版のユーザーの3%は英語版へ頻繁に訪問している。英語版は1416万人である。日本語版の詳細については、[[ウィキペディア日本語版]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 実態 ==&lt;br /&gt;
前述されているようにウィキペディアの記述の多くに間違いがあるにもかかわらず一向に改善されていない。また、正しく記述がなされた記事が無知な者に改変されて結果的に誤った記事になってしまう面も存在するがこれもやはり改善がないままとなっており、この現状を前にしてもウィキペディアの運営者達は御用メディアを使って「ウィキペディアの信頼性はブリタニカに匹敵する」等というネオコンと同レベルの明らかな大嘘の[[プロパガンダ]]を垂れ流し続けている。ミドルベリー大学の史学部ではウィキペディアの記述を鵜呑みにした学生が誤答を繰り返し続けている事が問題視されウィキペディアからの引用が禁止される等、各地でウィキペディアの信頼性の無さが指摘されている。そして、悪質なユーザーによって平然と誤った記述が数ある中、新しめの記事にはやたら「要出典」を求められる。これは「出典」を公式ルールにしている事を悪用した記事を自身のいいように編集をするための善良な利用者に対する騙しであって、いきなり削除を行った場合の苦情を考えた削除狙いの典拠要求であり、出典がなければそのまま削除、出典を示されたら著作権侵害と攻撃するのである。'''今更改良しても意味がなく、最早'''手遅れ'''である（「～～という意見もある」「～～という見方もある」「～～と言われている」の記載は認めるべきではなかろうか） 。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアは表向きには著作物の無断転載を禁止しているが、「著作権侵害」と見做されるのは文章の構成が他人の著作物と丸々同じ記述だけである。段落等、文章の構成を少し変えた物に関しては「'''事実の列記だ'''」等と言い逃れして管理者達は一切取り締まらない為、外部から問題視されている。何故このような問題が起きるかと言うと、ウィキペディアの編集者の殆どがまともな知識を有していない為、外部からの[[パクリ]]をある程度黙認しなければウィキペディアの記事数が全く増えなくなってしまうという事が背景にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに公的な方針として「ウィキペディアは演説場所ではありません」や「ウィキペディアは戦いの場ではありません」等という標語を掲げているが実態は罵詈雑言のオンパレードで日夜、骨肉の中傷合戦が繰り広げられている。このように憎悪に満ちた場所なので青少年にとってウィキペディアの閲覧は教育上、悪影響を及ぼすと見られる。悪影響だけですめばまだ良いがそういう方針がますます荒しを生み出すというのを馬鹿管理者は分からずいつも同じミスを繰返す為、荒しの撲滅はまともな管理者に一掃しない限り100%無理である。しかしこれまでこういったウィキペディアの「暗部」はウィキペディアが必ずしもメジャーとは言い難い微妙なライン（言うなればマイナーとメジャーの中間地点）に居た為かあまり表に出て来る事は無かったが、某所の調査によれば利用者の増加とともにそういった負の側面に対するユーザーの認識もより深まっているような調査結果が出ている。そしてそれはユーザーの増加に比例してより顕在化していく事が予測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者は意見が合わないウィキペディアンを追放するが、追放後も逃れる方法はひとつある。それは自作自演をし、自作自演したウィキペディアンが別人を装うことである。それは、簡単に言うと自作自演後に「これを書いたのは同じネットワーク回線を使う同僚だ」ということである。実際、それで追放されたウィキペディアンが復帰した例がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改竄不可能な「中立的な論点」もあるが、意味を成していない。また日本語版のみコピーライトメディアの使用が出来ないが、ウィキペディア関係のみはできるのも矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まさにアンサイクロペディアの「専門家気取り」という表現がぴったりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 活動の規模 ==&lt;br /&gt;
[[2001年]][[1月15日]]に[[英語版ウィキペディア|英語版]]が発足、その後多くの[[言語]]へ展開し、2007年1月1日現在、250言語で執筆が行われている。ただしこのうち継続的な活動が行われ100項目以上に達しているものは、180言語ほどである。ウィキペディアは多言語展開に力を入れており、つねに新しい言語プロジェクトに開かれてきた。現在は、まだ存在しない言語版を新規に立ち上げるには数名の参加者がいれば可能である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
項目は2007年1月現在、英語版で160万件近く、英語を除く他の諸言語の版で約450万件以上の記事が執筆されている。また[[Alexa.com]]の全インターネットを対象とする[[アクセス]][[ランキング]]では、20位以内に入っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
活動規模がもっとも大きいのは、英語版である。登録ユーザー数ベースで執筆者を見ると、英語版だけで2万人を超える。Alexa.com の統計によれば、wikipedia.orgの閲覧数のうち60%前後が英語版へのアクセスである。日本語版、[[スペイン語版ウィキペディア|スペイン語版]]、[[ドイツ語版ウィキペディア|ドイツ語版]]へのアクセスがこれに次ぐ。とはいえ英語版と他の言語版の規模の差は、プロジェクトの進展とともに漸進的に埋まりつつある。英語版の項目数と2位以下の言語版の項目数合計を比較すると、かつては10位までを合計してようやく英語版に並んだものが2007年1月には2位から5位までの4プロジェクト合計と等しくなっている。現在英語を含む14の言語が10万項目以上を保有している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
執筆者についてはプロジェクト発足以来2005年3月現在、3万人を越える登録ユーザーがおり、うち数千人が現在も活発に活動していると推測される。登録のみで投稿を行わないユーザーがいる一方でユーザー登録をすることなく執筆に参加することができる仕組みになっているため、正確な執筆者数の把握は難しい。[[データベース]]・[[ファイル]]を分析したエーリック・ザクテ（Erik Zachte）の統計によれば5回以上編集・投稿に携わったユーザーの総数はプロジェクト発足以来2004年12月30日までで3万2000人強とされるが、この統計でも未登録ユーザーの活動量が未集計の他、古いバージョンの[[ソフトウェア]]を用いて活動しているウィキペディアについては分析の対象外としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参加者が何らかの編集、投稿を行いデータベースへ保存した回数を参考にすると、同じくザクテのデータからプロジェクト発足以来、185万回程度の編集、投稿が行われてきたことになる（これは未登録ユーザーによるものも含まれるが、ソフトウェアのバージョンの差から来るデータの欠落がある）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な特徴 ==&lt;br /&gt;
他の類似のプロジェクトと比較した場合、ウィキペディアには次のような特徴がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[百科事典]]の作成に目標を限定していること。この点で、例えば議論や情報交換を行う場である[[掲示板]]や[[ネットニュース|USENET]]などと異なっている。&lt;br /&gt;
* [[ウィキ]]を利用したプロジェクトであること。他の多くのウィキがそうであるように多くの利用者が簡単に執筆、編集できる仕組みになっている。つまり、使いやすいサイトなのである。ウィキペディアでは参加者の資格制限などを行っていないため年齢、職業、国籍などの点で多様な執筆者が参加する傾向にある。この点で、百科事典の開発プロジェクトとしては独特である。&lt;br /&gt;
* [[オープンコンテント]]方式を採用。参加者によって投稿された内容を[[コピーレフト]]用のライセンスの一種である[[GFDL]]の元に公開しており、複製・配布・改変などが容易にできると謳われている。しかし、GFDLが課す複雑な制約やGFDL自体の排他性のため、厳密にライセンスに従った利用は難しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== プロジェクトの運営形態 ==&lt;br /&gt;
ウィキペディアは比較的大規模なプロジェクトであり、運営方針や編集・執筆方針などについて多くの問題を抱えてもいる。編集・執筆のレベルでは非登録ユーザーを含む多くのユーザーに開かれているが同時にルールが一切存在しないわけではなく、またそうしたルールを定めるための意思決定が行われないわけでもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* プロジェクトはその初期[[ジミー・ウェールズ]]およびインターネット会社・[[Bomis]]によって資金を提供されていた。Bomisは彼が以前[[最高経営責任者]]を務めていた[[会社]]である。後に財団が設立されてからは、寄付金や外部の団体から無償提供されたハードウェアの占める割合が増えた。運営団体によるハードウェアの購入は[[2004年]]以降、全額寄付金に依存している。ウェールズが2004年からCEOを務める企業・[[Wikia]]からも帯域の経費などの資金援助がなされている。&lt;br /&gt;
* 記事が中立的な観点から書かれるべきだとする方針も、ウェールズによって全ウィキペディアの共通方針だと定められた。またウェールズは、後述するプロジェクト全体の問題についての議論に参加し質問や意見を述べ、あるいは採決に加わる。彼の発言は必ずしも議論を終結させるものではないが、その意見は他の参加者の意見よりも尊重される傾向にある。&lt;br /&gt;
* ウェールズはまた英語版の運営については比較的具体的な問題に関しても意見を述べる傾向がある。英語版の初期には、登録済ユーザーの[[アカウント]]を停止する場合には彼の了承を得るようにとの要請があった（2004年以降、この決定は選任されたユーザ代表に任されている）。他言語のウィキペディアで同様の問題が発生した場合にどうなるべきかについては特に明確にされていない。一方ウェールズが英語以外の言語は話さないこと、利用者の自治を尊重することもあり、英語以外の言語版の運営にウェールズが中心的な関与を行うことはほとんどない。ただしウェールズが利用者の紛争の調停に当たったり、あるいは利用者のアクセス権限についての決定を行う場合もある。これは関係者がみな英語を解する場合、かつ自治の枠組が問題の解決においてうまく機能していない場合に行なわれることが多い。&lt;br /&gt;
* ソフトウェア開発の[[モデル]]である「[[善意]]の[[独裁者]]」をウィキペディアに当てはめることがしばしば行われる。ウェールズはこれを否定しないが、一方でウィキペディアがつねに編集可能であることにより自身の関与が常に及ぶわけではないことをもって、自分は厳密な意味でこうしたモデルにはあてはまらないと発言している。&lt;br /&gt;
* 開発者権限や[[サーバ]]へのアクセス権限などは一部の人物に限られている。ソフトウェアの改変や非常時の対処などは彼らに任されている。ただしこの[[プロセス]]も基本的には自由参加型であるため、一定期間の活動を経て信用を築いた者にはそうした権限が与えられることになる。また、ソフトウェアの仕様変更については開発者とそれ以外の利用者を含めた公開・自由参加型の議論が行われている。&lt;br /&gt;
* プロジェクト全体の問題は、公開の[[メーリングリスト]]で扱われる。基本的には全て英語で、ごく稀にフランス語などが混ざる。議題には各言語のウィキペディアの記事数の集計方法、新しい言語のウィキペディアの発足、デザインや機能の変更、運営上の方針やユーザー間の争いの調整、法律問題などが含まれる。この議論は複数のリストで行われるが、誰でも参加、発言できるようになっている。またアーカイヴは[[ウェブ]]上で公開されている。&lt;br /&gt;
* ウィキペディア全体の話題を扱うメーリングリストのほか、各言語プロジェクト固有の話題を扱うメーリングリストが存在する場合もある。&lt;br /&gt;
* またメタ・ウィキメディアという、[[ウィキメディア財団]]（後述）のプロジェクト全体を扱うウェブサイトがある。メーリングリスト以外に、ここでも全言語版共通の問題、あるいは他プロジェクトと共通の話題が取り上げられる。運営団体であるウィキメディア財団の将来計画などはこのメタ・ウィキメディアで公開され、質問や議論が行なわれる。話題はまた財団の運営に関する別のメーリングリストでも話しあわれる場合がある。&lt;br /&gt;
* 各言語版毎に管理者がおり、一定の権限が与えられている。管理者は通常、その言語のウィキペディアの初期段階での立候補やそのウィキペディアの参加者内の議論などによって決まる。権限にはページの削除、ページの保護（管理者以外には編集できなくなる）、「荒らし」とみなされたユーザーの書き込み禁止などがある。ただし、ウィキペディアの各言語版の多くでは削除などのプロセスは参加者や関係者の話し合いによって決まり、管理者は独自の裁量に基づいて行動するという形をとらないことが多い。ただし、たとえば前述の「ページの保護」に関してはその性質上管理者がその項目に対し特定の方向性を有した意見を無条件で「保護」するかたちとなってしまいウィキペディアの本来の絶対的原則「中立的な観点」を最重視する方針と往々にして[[矛盾]]が生じ、また特定のユーザーへの書き込み禁止も元来の「荒らし」対策という事だけでなくシステムの裏面としてその時点でその項目の編集に参加している参加者や関係者の意に沿わない相手（ウィキペディアは[[2ちゃんねる]]と異なり匿名性は無いので簡単に特定が出来る）を意図はどうあれ（つまり、言い換えれば意図的に行う事も出来るという事である）結果的に締め出す事になる事も多々ある。このように、例えば「'''管理人は君臨すれども統治せず'''」というスタンスの[[2ちゃんねる]]とは対照的に事実上ウィキペディアというHPを管理者（およびそれに酷似・追随する思考を有する常連的投稿者）の独裁空間へとたらしめている事実は否めない。&lt;br /&gt;
* 執筆方針については項目名の付け方、[[フォーマット]]や表記上の諸問題に関して多くの方針が存在している。これらの大半は利用者間の話し合いで決定、改変されるもので各言語によって異なる。またこれらの内にはガイドラインという位置付けになっており、必ずしも万人が常に従うべきルールであるとはされていないものがある。これは部分的にはこれらの方針を知らない参加者からの投稿も積極的に受け付けるためであり、ガイドラインに通じた常連投稿者などが新規参加者の投稿を編集することが比較的容易であるためでもある。&lt;br /&gt;
* 記事の内容について関係者間で論争が起きた場合には基本的に[[Wikipedia:ノートページ|ノートページ]]での話し合いが行われる。最終的にはウィキペディアの最も重要なガイドラインの1つ「中立的な観点」に従い“両論併記”によって決着することが求められる。&lt;br /&gt;
* ただし項目の性質、特に人間（投稿者・管理者だけでなく、もっと広義的な意味合い）の好悪・嗜好・所属・社会的立場に関わるような属性であった場合、ウィキペディアの性質上明らかに管理者や関係者による偶発的もしくは意図的に不当かつ一方的な擁護（またはその逆）がしばしば行われる時がありそれが往々にして記事内容の偏りを発生させてしまいその他ウィキペディアというHPにおいて様々な「問題」（論争、罵倒、誹謗中傷）が発生する大きな要因となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2ちゃんねるとの関連性 ==&lt;br /&gt;
* ウィキペディアを編集する[[ウィキペディアン]]には[[2ちゃんねる]]との関連性も決して浅はかでないとされている。実際、ウィキペディアで保護されているページの大半は[[2ちゃんねらー]]が敵視している(叩いてて面白い)対象であることが多い。そういったページの大半は記事が2ちゃんねるネタが多く左寄りであり、最早2ちゃんねる内で叩くことだけでは満足できない住人がウィキペディアに書き込むようだ。&lt;br /&gt;
* しかし、肝心の2ちゃんねるや2ちゃんねる関連の項目は大半が都合の良いことしか書かれておらず、問題点を書き込んでも削除されるといった右寄り思考のページが多い。また2ちゃんねる関連の記事を編集するウィキペディアンは都合が悪くなると'''記事を削除、保護依頼をする、独自研究や要出典のテンプレートを乱立させ真実を書き込ませない'''といった暴挙に出るのも特徴である。&lt;br /&gt;
* 要は中立的な記事を書くためのウィキペディアを司る機能が裏目に出た結果、こういった悪質2ちゃんねらーによりウィキペディアは中立的も糞もない過剰なまでの'''2ちゃんねる賛美'''をするための百科事典となってしまったと言えよう。&lt;br /&gt;
* [[池田信夫]]は記事の編集合戦の酷い様を「'''2ちゃんねる化するウィキペディア'''」と揶揄した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主要人物 ==&lt;br /&gt;
ウィキペディアは多くの場面で参加者一般を強調し、特定のリーダー、所有者、最終決定権の保持者などを強調しない傾向にありコミュニティ参加者の共同作業、共同自治などを謳うことも多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特殊な役割を担った人物として例外的にしばしば言及される者に、[[ラリー・サンガー]]とジミー・ウェールズがいる。両者はウィキペディアの創設者でありラリー・サンガーはプロジェクトの発足から1年と数ヶ月の間、賃金の支払いを受けた参加者だった。このせいもあって、彼は折に触れてほかのメンバーから仲裁役を頼まれることもあったとされる。また彼は、ウィキペディアに先立って発足した査読制度付のオンライン百科事典作成プロジェクト「[[Nupedia]]（ヌーペディア）」の編集主幹も勤めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウェールズはプロジェクトの出資者であり、発足当初からサーバやインターネット・[[トラフィック]]の料金を支払ってきた。ウィキペディアは彼を「寛大な独裁者」として戴く[[コミュニティ]]自治の集団であると形容されることがある。項目の中立性の方針など、ごく一部の件については議論の余地なく重要かつ不変のプロジェクトの方針であるとウェールズは宣言している。また、登録ユーザーのアクセス禁止処分の決定についても彼が最終的な判断を下すとしている。これは英語版で特に顕著であり、ユーザーのみの決定によるアクセス禁止は最長で1年とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウェールズはインターネット関連会社・Bomisの前最高経営責任者（CEO）である。プロジェクトに協力している同社の関係者の中には、他にも[[ティム・シェル]]（同社の共同創立者、現最高経営責任者、ウィキメディア財団理事）や[[プログラマ]]の[[ジェイソン・リッチー]]（後に退社、現・Wikia）、[[トアン・ヴォー]]がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]10月にウェールズはプロジェクトの運営母体・ウィキメディア財団]]事長の職を辞し終身名誉理事長となり、後任として[[フロランス・ドゥヴアール]]が理事長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 発足の経緯 ===&lt;br /&gt;
ウィキペディアの着想は、ヌーペディアの主幹編集者ラリー・サンガー（Larry Sanger）と[[コンピュータ]]・プログラマ[[ベン・コヴィッツ]]（Ben Kovitz）が[[2001年]]1月2日に[[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]で行った会話に端を発するとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキウィキウェブのインターフェースを積極的に使っていたコヴィッツは当時常連であり、夕食の席でその基本的な[[コンセプト]]をサンガーに説明したとされる。サンガーはそれを聞き、ウィキが「よりオープンでよりカジュアルな百科事典を作る」というプロジェクトに相応しいものと考えたという。それに先立つ数ヶ月の間、サンガーと彼の上司である[[有限会社]]・BomisのCEO[[ジンボ・ウェールズ|ジミー・ウェールズ]]（Jimmy Wales）はヌーペディアをよりオープンな形で補完するプロジェクトについて討議を重ねていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サンガーはウィキをヌーペディアに利用しようと考えウェールズを説得し、1月10日にはヌーペディアにウィキが登場することになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ウィキのウェブページをヌーペディアに利用するという案に対してはヌーペディアの執筆者と査読者から強硬な反対意見があったため「ウィキペディア」と名付けた新たなプロジェクトを立ち上げ、独自のアドレスである wikipedia.comにて[[1月15日]]から開始することになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コンピュータ・ネットワーク|ネットワーク]]帯域と、サンディエゴに設置したサーバはウェールズが資金を提供した。また、2002年1月までサンガーはNupediaの主幹編集員兼ウィキペディアの非公式管理人としてBomisに雇われていた。資金の枯渇から[[2002年]]3月にサンガーへの給与打ち切りが決まり、サンガーはウィキペディアを含むプロジェクトでの活動を停止した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 拡大とその契機 ===&lt;br /&gt;
プロジェクトは参加人員、記事数、編集・投稿総数などいずれの尺度においても増加する傾向にあり、増加のペースも高まる傾向にある。この主な要因として[[メディア (媒体)|メディア]]や多くの人が利用するウェブサイトでの紹介、[[サーチエンジン]]への掲載などが挙げられる。特に顕著なものとして、次のものが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 技術情報ウェブサイト[[スラッシュドット]]での紹介（2001年[[3月5日]]、[[5月30日]]、2003年[[1月24日]]）&lt;br /&gt;
* 参加型技術情報・カルチャーウェブサイト [[Kuro5hin]]（2001年[[6月26日]]）での紹介&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
投稿の内、特に大規模なものにアメリカ合衆国の各市町村を扱ったものがある。これはディレック・ラムゼイ（&amp;quot;Ram-Man&amp;quot;）が2002年10月、「[[ボット]]」（あるいは「[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]」）を稼働させて[[国勢調査]]のデータから自動的に記事を生成したもの。同様のボットは他の主題についてもしばしば使用された。その総数はおよそ3万本とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[多言語]]化に乗り出したのは2001年5月頃であると思われる。当時の発表によれば12前後の非英語版サイトが発足した。ただし、それらの新設ウィキペディアで必ずしもすぐに執筆が盛んになったわけではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年12月、姉妹プロジェクトである [[Wiktionary|ウィクショナリー]]（Wiktionary）が創設された。これは、多言語の[[辞書]]と[[シソーラス]]を制作することを目標にしているプロジェクトである。ウィキペディアと同じサーバで、同じソフトウェアを使って活動している。翌[[2003年]]に本や教科書の作成プロジェクトである[[ウィキブックス]]（Wikibooks）、箴言集である[[ウィキクォート]]（Wikiquote）なども発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらのプロジェクトは、しばしば[[ウィキメディア財団|ウィキメディア]]プロジェクトと総称される。こうした姉妹プロジェクトもまた増加傾向にあり、2004年には新規の3つのプロジェクトが創始された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ソフトウェア及びハードウェア ===&lt;br /&gt;
[[ハードウェア]]は、発足当初はBomisのサーバを間借りする形であった。ソフトウェアはクリフォード・アダムズによる[[UseModWiki]]を用いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年1月、英語版とプロジェクト全体に関わる問題を議論するためのサイトであるメタ・ウィキペディアが実験的に[[PHP Hypertext Preprocessor|PHP]]と[[MySQL]]によるソフトウェアに移行した。これは参加者の1人・Magnus Manskeによって制作されたもの。同年7月にウィキペディア専用のサーバ（[[コードネーム]]&amp;quot;pliny&amp;quot;）が導入された。これは英語版と、やや遅れてメタウィキメディアのために用いられた。ソフトウェアもリー・ダニエル・クロッカーによる全面的な書き換えを経て新しいバージョンが運用され始めた（同じくPHPとMySQLの組み合わせによるもの）。活動が盛んな他言語版も、徐々に専用サーバへ移動していくことになった。2003年1月には、[[m:ヘルプ:数式の書き方|TeXの数学記号]]が導入された。コードの作成者は参加者の1人のTaw。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年5月半ば頃よりもう1台専用のサーバが導入された。コードネームは&amp;quot;larousse&amp;quot;。これは英語版のウェブサーバとして用いられた（データベース部分は、従来通り専用サーバによって担当される）。Bomisのサーバに間借りしているウィキペディアも、活動が活発になるにつれて徐々にplinyへ移行した。ソフトウェアの処理が効率化され、サーバへの負担が軽くなった時点で、larousseは全言語版のウェブサーバとして稼動する計画もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、プロジェクトの拡大によりサーバは順次増強されていった。ほとんどが個人からの寄付を財源として購入されたが、一部は企業や団体からの貸与によっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在のサーバ構成については[[m:ウィキメディアのサーバ]]（メタ・ウィキメディア）に詳述されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 分裂、論争 ===&lt;br /&gt;
2002年2月、それまでEdgar+Enyedy Edgar Enyedyを中心に非常に活発に動いていたスペイン語版ウィキペディアが突然活動の中止と新たなプロジェクト[[エンサイクロペディア・リブレ]]の立ち上げを宣言した（Enciclopedia Libreは[[セビリア大学]]にある）。宣言は、離脱の理由として商業広告の危惧とコントロールの欠如を挙げた。10月にはダニエル・メイヤー（&amp;quot;maveric149&amp;quot;）他の参加者がウィキペディア復帰へ向けて交渉、説得を行ったが、復帰提案が完成する前にエンサイクロペディア・リブレは投票で復帰を否決した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エンサイクロペディア・リブレは将来の統合の可能性は残し交流を維持することを表明し、現在でも統合の可能性が議論されることがあるが独立したままにとどまっている。この事件は英語版以外のウィキペディアの役割について、大きな議論の火付け役となった。また、これは非英語版のウィキペディア・コミュニティの要求によるいくつかの変更にもつながった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、プロジェクトはたびたび記事を削除したり、不適切な内容を投稿したりする荒らしに見舞われた。通常、そういった荒らしによる荒らし行為は参加者達により速やかに修復されるため、一般には大きな問題とされることは少ない。だが英語版ではメインページのいたずら書きが何回も発生したため、メインページは管理者のみが更新できるよう保護措置がとられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年3月、「24」というユーザー（この名前は彼の[[IPアドレス]]にちなむ）が特別に左傾的かつ物議を醸す編集をし始めた。白熱した議論は何人かに「恐怖」とまで言わしめるようなものになり、多くの人々が侮辱と個人攻撃を受けた。メーリングリストでの長期間にわたる話し合いの結果、2002年4月にジンボ・ウェールズは24をサイトから排除した。ドイツの歴史に関して右傾的で物議を醸す編集を再三に渡って行い、ウィキペディアの歴史関連の執筆者達の多くに抗議を受けた「Helga」は再びメーリングリストにおいて話し合いが行われた結果、2002年9月に排除された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年11月、[[ロシア語版ウィキペディア]]でライセンス形態についての論争がもととなり、一部の利用者がウィキペディアを出て別の百科事典プロジェクトを立ち上げるというもうひとつの分裂が起こった。この分裂はウィキペディアのメーリングリストなどに不満の表明がなされなかったこと、ロシア語版の主な利用者と他のプロジェクトの参加者との人的交流が薄いことやロシア語を解するユーザが少ないことなどから、2004年10月まで他の言語版の利用者には知られていなかった。分裂だけでなくこのように事態の把握が遅れたことを重く見て、ウィキペディアプロジェクトの多言語的展開と各言語話者の間の連携を強化すべきだとする指摘が一部では改めてなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年12月には英語版ウィキペディアでとある[[ジャーナリスト]]が[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ]]暗殺事件の首謀者とされる嘘の投稿がされ、この記事が1週間掲載され問題となった（[[ジョン・シーゲンソーラー・ウィキペディア経歴論争]]）。この嘘の投稿を行った者は冗談のつもりで行ったと話しているがこのことが新聞などに掲載され問題となり、結局この投稿により当該投稿者は仕事を辞めることとなった。これにより英語版ウィキペディアは登録ユーザー以外が新規記事投稿を行うことを制限し、記事の執筆などを遅延反映させこういった嘘の投稿に対抗するためのシステムを構築することになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年には著名人の項目をその人自らが修正するケースがあり、日本語版でも[[西和彦]]の項目が当人と思われる人物が積極的に記事を編集して議論となった為に保護されることとなった。またライバル相手の記事を編集したりする場合もあり、アメリカでは選挙の際に議員がライバル議員の項目に対し誹謗中傷を行っていたことが発覚、アメリカ議会からの編集に対し制限する措置がとられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年1月には英語版ウィキペディアで、[[マイクロソフト]]がとある人物に対し「報酬を支払うからマイクロソフトの項目を修正してほしい」と打診していたことが発覚。マイクロソフト側も「ウィキペディアで相違していると思われる記述があり、修正してもらいたかった」と認め、謝罪した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 非営利化と非営利法人化 ===&lt;br /&gt;
2002年8月、ジミー・ウェールズがウィキペディアでは今後一切商業広告を行わないという方針を発表し、そのすぐ後にウィキペディアの[[URL]]は''wikipedia.com''から''wikipedia.org''に変更された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年[[6月20日]]、プロジェクトに法人格を与えるべくウィキメディア財団（Wikimedia Foundation, Inc.）が設立された旨がアナウンスされた。ウィキメディア財団は[[フロリダ州]]法に基き、フロリダ州[[タンパ]]を本拠地とする非営利法人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ウィキペディアの今後 ===&lt;br /&gt;
アメリカ合衆国ではウィキペディアのサーバの負担が深刻な問題となっている。ウィキプロジェクトによって生み出されているデータファイルは加速度的に増加しており、近い将来プロジェクトは破綻を来たすことを心配するものもいる。現実的な対処としては利用者から課金することが挙げられた。財団発足ののち、財団の会員として希望者から年会費を徴収しこれを運営資金に充てるという構想が発表されたが、現状での導入の見通しは不透明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
運営資金を公共教育を対象とする各種助成に頼ることも検討されている。情報媒体としてのウィキペディアに関する関心は高く、ウェールズは2004年夏には[[国際連合|国連]]からの招待を受けて関係者に対してウィキペディアについての講演を行なっている。こうした状況の中で財団が運営資金としての助成を申請し、それを主要な財源のひとつとすることも検討されている。また、2005年現在でウィキペディアを含む姉妹プロジェクトに関して2つの公益団体から合計5万ドル規模の助成が申し入れが行なわれており、これらは一部は直接の運営経費に充てられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また欧米の他の非営利団体と同様、寄付による収益も大きな財源である。これは随時受け付けている寄付のほかに、四半期ごとに予算に対して不足する額への支援を求めるという形で行なわれている。年単位ではないのはプロジェクトの成長規模が大きく、年単位での経費予測が事実上不可能であることにも起因する。2005年4月にはアメリカ合衆国で内国歳入庁により501（c）（3）資格が与えられ、米国での免税資格を有する者に対しては設立にさかのぼってすべての寄付に免税が認められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年6月現在、アメリカ合衆国の母団体であるウィキメディア財団のほかドイツ、フランス、イタリアの3国に地方支部があり、うちドイツ支部へのドイツ国内からの寄付は免税となっている。恒常的な寄付を前提に、寄付への免税措置を目的とした支援団体として地方支部の設立が各地で検討されている。こうした国にはオランダ、ルーマニア、ポーランドなどがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディアの運営者達は「利用者が増えれば増えるほど記事の品質は向上する」と考えていたが、実際には品質が低下し続ける一方である。数少ないまともな記事も悪質な利用者によって支離滅裂な記述が書き加えられたり、またその逆の例として前述の管理者が一部の投稿者グループと共に特定の項目（例：企業、漫画、アニメ、ゲーム）に肩入れし、それに対するネガティヴな意見（この場合は充分に裏が取れる信憑性があるものと仮定）をその権限を用いシャットアウトしてしまったりまたその正反対の否定的に書かれている項目に対し（あくまで事実に基づいた）フォローを入れられないようにしてしまうといった数々の横暴、強引に何かの宣伝が書き加えられたりする事が頻発しており、今やウィキペディアは「'''悪貨は良貨を駆逐する'''」という言葉の見本になっている。また素行の悪い利用者がウィキペディア内だけでなく、外部サイトにも迷惑をかける等といった問題も発生しておりネット社会のスラム街とでも言うべき惨状に陥っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元来ウィキペディアには建前通りの「百科事典」としての一面とまた多目的・多話題対応型フリーBBSとしての一面があり、これらは本質的にダブルスタンダード、二律背反の関係にある。つまり、前者としての属性を重視すれば各々の項目に対し本当に必要最低限の事しか書けずわざわざ自由に参加者を募り思い思いにそれぞれの項目についての情報を書き込めるという、ウィキペディア最大の特徴とセールスポイントが無意味化する事になり逆に後者としての属性を重視すれば項目ごとに管理者や投稿者や価値観や知識、思惑が錯綜し合いその結果「百科事典」としての体裁・実質が失われてしまう事態に陥ってしまう事になり、現状は特にそういった傾向が目立つようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今までは利用者がそれ程多くは無かった為にそういう自己矛盾による弊害は無視出来る程度のものであったが、現時点においても管理者やおもな投稿人（常連的[[ウィキペディアン]]）の横暴や悪意、または善悪思惑・意思の関係ない部分としてのかれらの人的能力etcといった諸々の問題点ゆえか遺恨が基になっている荒らしやそれと関係ない所でのシステムの不備や項目に対する処理・整理等々の対応の不全さを批判する声など、様々な問題が徐々に析出・表層化している。そして今後なおウィキペディアというHPの知名度が上がり益々人の耳目が集まり行く事はまず間違いなく、そしてそうなっていけば現状只でさえ前述の自己矛盾やこういった様々な問題を完全に処理しきれているとは決して言えない状況である事を鑑みれば、今後益々システムの破綻と混迷化が進行する事は自明の理である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 先行事例 ==&lt;br /&gt;
百科事典をより使いやすくするために、印刷物の代わりに機械的な仕掛けを使おうという考え方のはじまりは[[H・G・ウェルズ]]の短編小説『[[世界の頭脳]]』（[[1937年]]）や[[ヴァネヴァー・ブッシュ]]のマイクロフィルムを使った未来のシステム[[Memex]]（論文&amp;quot;As We May Think&amp;quot;（[[1945年]]））に見ることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[インターネット]]を使ってフリーな百科事典を作ろうという試みは[[1990年代]]の初めには登場している。そのひとつとして、古い印刷物の百科事典を[[デジタル]]化しようというプロジェクトが挙げられる。[[1995年]]の1月、[[プロジェクト・グーテンベルク]]は[[1911年]]に出版された[[ブリタニカ百科事典]]の11版を[[American Standard Code for Information Interchange|ASCII]]テキストにするという活動を開始した。しかし、第1巻をデジタル化したあと、方針の不一致から活動は中断した。[[2002年]]に、28巻全てのASCIIテキストは他から1911encyclopediaで公開された。同様の試みとして、[[イーストン聖書辞典|イーストン聖書辞典（1897年）]]がChristian Classics Ethereal Libraryにおいてデジタル化されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他のよりウィキペディアに近い活動として、自発的な参加によって新しくフリーな情報源を作り上げようというものがある。[[1991年]]、[[usenet]]の&amp;lt;tt&amp;gt;alt.fan.douglas-adams&amp;lt;/tt&amp;gt;ニュースグループの参加者達が[[ダグラス・アダムス]]の著作の中に登場する架空の百科事典[[銀河ヒッチハイク・ガイド]]を実際に作ろうと活動を開始し、これはいわゆる[[Project Galactic Guide]]へと発展した。このプロジェクトは当初は現実の物事だけを記載するようにしていたが、後に空想上の事柄なども収録するようになった。Project Galactic Guideは1,700以上の記事を保有しているが、[[2000年]]以降記事の追加は停止状態にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1993年]]には、[[インターペディア]]と呼ばれる計画が議論された。これはインターネット上に、誰もが参加できる百科事典を作ろうとするものであった。これはウェブの爆発的な成長と、精度の高いサーチエンジンの登場のため実行に移されないままに終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 姉妹プロジェクト ==&lt;br /&gt;
2005年7月現在、ウィキペディアは次の姉妹プロジェクトを持っている。日本語コンテンツを持つプロジェクトには&amp;lt;sup&amp;gt;*&amp;lt;/sup&amp;gt;を冠した（運営文書を除く）。&lt;br /&gt;
* [[ウィクショナリー]]&amp;lt;sup&amp;gt;*&amp;lt;/sup&amp;gt; フリーの辞書プロジェクト&lt;br /&gt;
* [[ウィキブックス]]&amp;lt;sup&amp;gt;*&amp;lt;/sup&amp;gt; フリーの教科書プロジェクト&lt;br /&gt;
* [[ウィキクォート]]&amp;lt;sup&amp;gt;*&amp;lt;/sup&amp;gt; フリーの引用の百科事典&lt;br /&gt;
* [[ウィキソース]]&amp;lt;sup&amp;gt;*&amp;lt;/sup&amp;gt; [[パブリックドメイン]]か[[GFDL]]で提供された様々な言語のソーステキストの倉庫&lt;br /&gt;
* [[ウィキメディア・コモンズ]] フリーである画像・音声などの共用資源。パブリックドメインGFDLだけでなく、[[クリエイティブ・コモンズ]]・ライセンスなど、商用利用を許すフリーライセンスによるデータの受け入れも行なっている&lt;br /&gt;
* [[ウィキスピーシーズ]] フリーの生物種データベース&lt;br /&gt;
* [[ウィキニュース]]&amp;lt;sup&amp;gt;*&amp;lt;/sup&amp;gt; フリーのニュースサイト&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 類似のプロジェクト ==&lt;br /&gt;
ウィキペディアと比較されるものには、以下のような共同作業プロジェクトがある。&lt;br /&gt;
* [[Nupedia]]は、専門家の査読制度に基づく百科事典プロジェクト。ウィキペディアはここから生まれた。2003年3月現在、プロジェクトは中断しており、成果がウィキペディアに取り込まれている最中である。&lt;br /&gt;
* [[Everything2]]はより広い分野をカバーしているハイパーテクスト型のエッセイ集で、百科事典の構築を目指すものではない。また、Everithing2のコンテンツは[[コピーレフト]]ライセンスを使用していない。&lt;br /&gt;
* [[H2G2]]はDouglas Adams'sの''The Hitchhiker's Guide to the Galaxy''からアイデアを得た、皮肉的な内容の記事で構成された百科事典。&lt;br /&gt;
* [[スカラーペディア]]は2006年にスタートした[[査読]]制度つきのオンライン百科事典プロジェクト。執筆はすべて実名による。現在、[[計算神経科学]]、[[力学系]]、[[コンピュータ知能]]の3つの分野を対象としており、各分野の第一線の研究者が執筆者として参加している。2007年4月現在、記事数は87本。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== データベースのダウンロード ==&lt;br /&gt;
ウィキペディアで公開されている記事を何かの目的でウィキペディア以外の場所で利用したい場合にはどのような目的であれ、GFDLの条件に則っているならいつでも全ての記事を収録した最新版をデータベースからダウンロードすることができる。より詳細な説明は[[Wikipedia:データベースダウンロード]]のページにある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== パロディサイト ==&lt;br /&gt;
* [[アンサイクロペディア]] - [[2005年]]1月に英語版が、「wiki形式によるSPOV（風刺的な観点）を提供」するという非公式な目的のために開始された。ウィキペディアのパロディサイトである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot; style=&amp;quot;-moz-column-count:2; column-count:2;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディアン]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア日本語版]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディア (企業)]] - 現在、この項目はウィキペディア（ウェブ事典）で不当な理由で白紙保護されており、ウィキペディアンの陰謀では無いかと言われている。&lt;br /&gt;
* [[ベター・ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
* [[Yourpedia]]&lt;br /&gt;
* [[MediaWiki]]&lt;br /&gt;
* [[ウィキペディアにおける勇者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:オンライン百科事典]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=137982</id>
		<title>織田信長</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=137982"/>
				<updated>2011-09-13T08:07:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.88.243.111: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''織田 信長'''（おだ のぶなが）は、[[日本]]の[[戦国時代]]の人物。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
平安時代、朝廷の軍事力の著しい低下によって日本全国の治安が非常に悪化したため、庶民は武装して身を守った。このために延々と内乱が続き、国は乱れに乱れていた。この戦乱を終わらせる終わらせる事業の大変を行ったのが織田信長である。彼は日本全国を統治する前に死んでしまったものの、実質的には彼が戦乱を終わらせたと言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==信長の計画==&lt;br /&gt;
まずは地盤を固める&lt;br /&gt;
↓&lt;br /&gt;
幕府あるいは朝廷という既存の権威を利用し、また隠れ蓑にもしつつ改革を行う&lt;br /&gt;
↓&lt;br /&gt;
自身の権威がそれらを越え次第、自身を神格化し、名実ともに日本の頂点に立つ&lt;br /&gt;
↓&lt;br /&gt;
余剰の軍事力は海外に向ける&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人生==&lt;br /&gt;
天文3(1534)年5月11日（12日説もあり）勝幡城にて誕生。天正10年(1582) 6月2日、智光秀の謀反により京都・本能寺で自害。享年49歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元亀元年(1570)以降、将軍義昭と対立関係になり反信長包囲網を形成する浅井長政や朝倉義景・武田信玄・本願寺一向一揆などと対立。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元亀4年(1573)、足利義昭を京から追放。越前の朝倉氏や北近江の浅井氏を滅ぼす。以後も甲斐・武田氏や越後の上杉氏・大坂の石山本願寺・毛利氏と激戦を繰り広げながらも徐々に領土を拡大。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正8年(1580)8月、石山本願寺と和睦。法主・顕如が大坂から退去したことにより石山合戦は終結。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正10年(1582)3月には武田勝頼を天目山にて自害させ、武田氏を滅ぼす。&lt;br /&gt;
しかし同年、6月2日、家臣・明智光秀の謀反により京都本能寺にて自害(本能寺の変)。享年49歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞織田信秀の次男(三男説もある)、母は正室土田氏。幼名は吉法師。&lt;br /&gt;
尾張国・古渡城主・織田信秀の嫡男として生まれ[5]、幼少時に那古屋城主となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞天文22年(1551)、父・信秀の死により家督を相続。その葬儀の際、うつけ姿で現れ、位牌に焼香を投げつけ、多くの家臣の批判を受ける。&lt;br /&gt;
＞以後、弟・信勝(信行)や一族との戦いに勝利し、永禄2年(1559)、尾張を平定。&lt;br /&gt;
天文20年（1551年）、急死した父の後を受けて家督を継ぐも、同母弟・織田信行（信勝）と家督争いが発生する。これに勝利すると、その後は敵対勢力を次々と下していき、尾張国を統一した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞永禄3年(1560)、尾張へ侵攻して来た駿河の今川義元の大軍4万5千(2万5千など諸説あり)をわずか2千余りの兵で迎え撃ち、尾張・田楽狭間で討ち破る。&lt;br /&gt;
永禄3年（1560年）、兵力的に圧倒的優位にあった今川義元を桶狭間の戦いで破り、新興勢力として台頭した。永禄10年（1567年）には美濃国の斎藤氏を滅ぼし美濃を併合し、翌年には足利義昭を奉じて上洛を果たし、将軍職に就任した義昭を擁立し、義昭の権威のもと諸大名との外交・紛争を調停する天下の主催者としての役割を代行した。将軍義昭とは次第に関係が悪化し義昭の迎合した反信長勢力との抗争に至るが包囲網を撃破し、元亀4年（1573年）には将軍義昭を追放するが天下の主催者としての役割を引き継いでいる。以後も天下人として統一事業（天下布武）を推し進め、領国内においては楽市楽座や検地など政策を用いた（織田政権）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞永禄10年(1567)に隣国・美濃を平定すると翌年永禄11年(1568)9月、足利義昭を奉じて上洛。&lt;br /&gt;
信長の統一事業は家臣明智光秀の謀反（本能寺の変）により頓挫し織田政権も解体されるが、信長死後には織田家臣の羽柴秀吉が天下人としての地位を継承して天下統一を完成して豊臣政権を樹立し、さらに天下人としての地位は徳川家康により継承された。戦国時代の終結に最大の影響を与えた人物の一人であり、日本史における近世移行期の創始者的存在と位置づけられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生涯 [編集]※日付は和暦による旧暦。西暦表記の部分はユリウス暦とする。 &lt;br /&gt;
少年期 [編集]天文3年（1534年）5月12日、尾張国の戦国大名・織田信秀の次男として、那古野城[6]（勝幡城説もある[7]）で生誕。幼名は吉法師。なお、信長の生まれた「織田弾正忠家」は、尾張国の守護大名・斯波氏の被官、下四郡（海東郡・海西郡・愛知郡・知多郡）の守護代に補任された織田大和守家、即ち清洲織田家の家臣にして分家でもあった清洲三奉行・古渡城主の織田家という家柄であった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母・土田御前が信秀の正室であった為嫡男となり、2歳にして那古野城主となる。幼少から青年時にかけて奇矯な行動が多く、周囲から尾張の大うつけと称されていた。日本へ伝わった種子島銃に関心を持った挿話などが知られる。また、身分にこだわらず、民と同じように町の若者とも戯れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まだ世子であった頃、表面的に家臣としての立場を守り潜在的な緊張関係を保ってきた主筋の「織田大和守家」の支配する清洲城下に数騎で火を放つなど、父・信秀も寝耳に水の行動をとり、豪胆さを早くから見せた。また、今川氏へ人質として護送される途中で松平氏家中の戸田康光の裏切りにより織田氏に護送されてきた松平竹千代（後の徳川家康）と幼少期を共に過ごし、後に両者は固い盟約関係を結ぶこととなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天文15年（1546年）、古渡城にて元服し、織田上総介信長[8]と称する。天文17年（1548年）、父・信秀と敵対していた美濃国の戦国大名・斎藤道三との和睦が成立すると、道三の娘・濃姫と政略結婚した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天文18年（1549年）（異説では天文22年（1553年））に信長は正徳寺で道三と会見し、その際に道三はうつけ者と呼ばれていた信長の器量、度量を見抜いたとの逸話がある。また同じく天文18年には、近江の国友村に火縄銃500丁を注文したという[9]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天文20年（1551年）、父・信秀が没した為、家督を継ぐ[10]。天文22年（1553年）、信長の教育係であった平手政秀が自害。これは、奇行が目立つ信長を諌めるための死であったとも、息子・五郎右衛門と信長の確執のためともされる。信長は嘆き悲しみ、沢彦和尚を開山として政秀寺を建立し、政秀の霊を弔った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家督争いから尾張統一 [編集]当時、尾張国は守護大名の斯波氏の力が衰え、尾張下四郡を支配した守護代であった「織田大和守家」当主で清洲城主の織田信友が実権を掌握していた。しかし、信長の父・信秀はその信友に仕える三奉行の一人に過ぎなかったにも関わらず、その智勇をもって尾張中西部に支配権を拡大していった。信秀の死後、信長が跡を継ぐと、信友は信長の弟織田信行（信勝）の家督相続を支持して信長と敵対し、信長謀殺計画を企てた。しかし、信友により傀儡にされていた尾張守護・斯波義統が、その計画を事前に信長に密告した。斯波義統の嫡子斯波義銀が斯波家の手勢を率いて川狩に出た隙に、これに激怒した織田信友は斯波義統を殺害する。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このため、斯波義銀が信長を頼って落ち延びてくると、信長は叔父の守山城主・織田信光と協力し、信友を織田家の主君斯波義統を殺した謀反人として殺害する。こうして守護代「織田大和守家」は滅び、信長は那古野城から清洲城へ本拠を移し、尾張国の守護所を手中に収めた。尾張守護代織田氏の庶家の生まれであった織田信長が名実共に尾張守護代織田氏の頭領となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
叔父の信光も死亡しているが、死因は不明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弘治2年（1556年）4月、義父斎藤道三が子の斎藤義龍との戦いに敗れて戦死（長良川の戦い）。信長も道三救援のため、木曽川を越え美濃の大浦まで出陣するも、義龍は父道三を討ち取り、勢いに乗った義龍軍に苦戦、道三敗死の知らせにより退却した。(斎藤利治より道三から託された美濃国譲り状を信長に渡した）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中、信長の当主としての器量を疑問視した重臣の林秀貞（通勝）・林通具・柴田勝家らは、信長を廃して聡明で知られた弟・信勝（=信行）を擁立しようとした。これに対して信長には森可成・佐久間盛重・佐久間信盛らが味方し、両派は対立する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
道三の死去を好機と見た信勝派は、同年8月24日に挙兵して信長と戦うも敗北（稲生の戦い）。その後、信長は末盛城に籠もった信勝を包囲するが、生母・土田御前の仲介により、信勝・勝家らを赦免した。更に同年中に庶兄の信広も斎藤義龍と結んで清洲城の簒奪を企てる事件も起きたが、これは事前に情報を掴んだ為に未遂に終わり、信広は程なくして降伏、信長はこれも赦免している。しかし、弘治3年（1557年）に信勝は再び謀反を企てる。この時、稲生の戦いの後より信長に通じていた柴田勝家の密告があり、事態を悟った信長は病と称して信勝を清洲城に誘い出し殺害した。直接手を下したのは河尻秀隆とされている[11]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに信長は、同族の犬山城主織田信清と協力し、旧主「織田大和守家」の宿敵で織田一門の宗家であった尾張上四郡（丹羽郡・葉栗郡・中島郡・春日井郡）の守護代「織田伊勢守家」（岩倉織田家）の岩倉城主・織田信賢を破って（浮野の戦い）これを追放。新たに尾張守護として擁立した斯波義銀が、斯波一族の石橋氏と、同じく足利氏一門にあたる吉良氏と通じて信長の追放を画策していることが発覚すると、信長は尾張守護家で主人の斯波義銀を尾張から追放した。こうして信長は、永禄2年（1559年）までには尾張国の支配権を確立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一度目の上洛 [編集]永禄2年（1559年）2月2日、織田信長は尾張から100名ほどの軍勢を引き連れて室町幕府のある京都へ上洛し、13代将軍足利義輝に謁見した。当時、将軍足利義輝は尾張守護斯波家（武衛家）の邸宅を改修して住しており、信長はそこへ出仕した。 &lt;br /&gt;
桶狭間の戦いから清洲同盟へ [編集] &lt;br /&gt;
桶狭間古戦場、伝説の地&lt;br /&gt;
（愛知県豊明市） &lt;br /&gt;
織田信長 銅像&lt;br /&gt;
（愛知県清須市、清洲公園）尾張国統一を果たした翌・永禄3年（1560年）5月、今川義元が尾張国へ侵攻。駿河国・遠江国・三河国を支配する義元の軍勢は、2万人とも4万人とも号する大軍であった。織田軍はこれに対して防戦したが総兵力は5,000人。今川軍は、三河国の松平元康（後の徳川家康）率いる三河勢を先鋒として、織田軍の城砦を次々と陥落させていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信長は静寂を保っていたが、永禄3年（1560年）5月19日午後一時、幸若舞『敦盛』を舞った後[12]、昆布と勝ち栗を前に立ったまま、湯漬け（出陣前に、米飯に熱めの湯をかけて食べるのが武士の慣わし）を食べ、装具を身に着け馬に乗り出陣し、先ず熱田神宮に参拝。その後、善照寺砦で4,000人の軍勢を整えて出撃。今川軍の陣中に強襲をかけ義元を討ち取った。総大将を失った今川軍は、本国駿河国に潰走した（桶狭間の戦い）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
桶狭間の戦いの後、今川氏はその勢力を急激に衰退させる。これを機に、今川氏の支配から独立した三河国の徳川家康（この頃、松平元康より改名）と手を結ぶことになる。それまで織田家と松平家は敵対関係にあり、幾度も戦っていたが、信長は美濃国の斎藤氏攻略のため、家康も駿河国の今川氏真らに対抗する必要があった為、こちらの利害関係を優先させたものと思われる。両者は永禄5年（1562年）、同盟を結んで互いに背後を固めた（清洲同盟）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
美濃攻略 [編集]斎藤道三亡き後、信長と斎藤氏との関係は険悪なものとなっていた。桶狭間の戦いと前後して両者の攻防は一進一退の様相を呈していた。しかし、永禄4年（1561年）に斎藤義龍が急死し、嫡男・斎藤龍興が後を継ぐと、斎藤氏は家中で分裂が始まる。対斎藤戦で優位に立った信長は、永禄7年（1564年）には北近江の浅井長政と同盟を結び、斎藤氏への牽制を強化している。その際、信長は妹・お市を輿入れさせた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
永禄9年（1566年）には美濃国の要所である加治田城(佐藤忠能）や加治田衆を味方にし(後に信長の近親、斎藤利治を忠能の養子とした）、中濃攻略（鵜沼城、猿啄城、堂洞城、関城）の諸城を戦いと調略によって手に入れ、さらに西美濃三人衆（稲葉良通、氏家直元、安藤守就）などを味方につけた信長は、ついに永禄10年（1567年）、斎藤龍興を伊勢長島に敗走させ、美濃国を手に入れた（稲葉山城の戦い）。こうして尾張・美濃の2ヶ国を領する大名になったとき、信長は33歳であった。このとき、井ノ口を岐阜と改称している[13]。また、この頃から本格的に天下統一を目指すようになったという説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、信長は永禄8年（1565年）より滝川一益の援軍依頼により伊勢方面にも進出し、神戸具盛など当地の諸氏とも戦っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二度目の上洛 [編集] &lt;br /&gt;
織田信長軍 永楽銭（永楽通宝）の旗印中央では、永禄8年（1565年）、かねて京を中心に畿内で権勢を誇っていた三好氏の有力者三好三人衆（三好長逸・三好政康・岩成友通）と松永久秀が、室町幕府権力の復活を目指して三好氏と対立を深めていた第13代将軍足利義輝を暗殺し、第14代将軍として義輝の従弟足利義栄を傀儡として擁立する（永禄の変）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
久秀らはさらに義輝の弟で僧籍にあった一乗院覚慶(足利義昭)の暗殺も謀ったが、義昭は一色藤長・和田惟政ら幕臣の支援を受けて京から脱出し、越前国の朝倉義景のもとに身を寄せていた。しかし、義景が三好氏追討の動きを見せなかったため、永禄11年（1568年）7月には美濃国の信長へ接近を図ってきた。信長は義昭の三好氏追討要請を応諾した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、美濃国において領国を接する甲斐の武田信玄とは永禄年間から外交関係が見られるが[14]、武田氏とは信玄の四男諏訪勝頼（武田勝頼）に養女（遠山夫人）を娶らせることで同盟を結んだが、遠山夫人は永禄10年（1567年）11月武田信勝を出産した直後に早世したため、同年末には嫡男信忠と信玄の六女松姫との婚姻を模索し友好的関係を持続させるなど、周囲の勢力と同盟を結んで国内外を固めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして9月、信長は天下布武への大義名分として第15代将軍に足利義昭を奉戴し、上洛を開始した。これに対して抵抗した南近江の六角義賢・義治父子は織田軍の猛攻を受け観音寺城が落城する（観音寺城の戦い）。六角父子は甲賀郡に後退、以降はゲリラ戦を展開した[15]。信長が上洛すると、三好長慶死後の内輪揉めにより崩壊しつつあった三好義継・松永久秀らは信長の実力を悟って臣従し、三好三人衆に属した他の勢力の多くは阿波国へ逃亡する。唯一抵抗していた池田勝正も信長に降伏した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管領・副将軍の地位を拒否 [編集]こうして足利義昭を第15代将軍として擁立した信長は、和泉一国の恩賞だけを賜り尾張へ帰国（この時、信長は義昭から管領斯波家家督継承もしくは管領代・副将軍の地位等を勧められたが、桐紋と斯波家並の礼遇だけを賜り遠慮したとされる）。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
永禄12年（1569年）1月、信長率いる織田軍主力が美濃国に帰還した隙を突いて、三好三人衆と斎藤龍興ら浪人衆が共謀し、足利義昭の御所である六条本圀寺を攻撃した（六条合戦）。しかし、信長は豪雪の中をわずか2日で援軍に駆けつけるという機動力を見せたといわれている[16]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もっとも、浅井長政や池田勝正の援軍と明智光秀の奮戦により、三好・斎藤軍は信長の到着を待たず敗退していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1月10日には三好軍と共同して決起した高槻城の入江春景を攻めた。春景は降伏したが、信長は再度の離反を許さず、処刑し、和田惟政を高槻に入城させ、摂津国を守護池田勝正を筆頭とし伊丹氏と惟政の3人に統治させた（摂津三守護）。同日、信長は堺に2万貫の矢銭と服属を要求する。これに対して堺の会合衆は三好三人衆を頼りに抵抗するが、三人衆が織田軍に敗退すると支払いを余儀なくされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊勢攻略 [編集]伊勢国への侵攻も大詰めを迎える。伊勢は南朝以来の国司である北畠具教が最大勢力を誇っていたが、まず永禄11年（1568年）北伊勢の神戸具盛と講和し、三男の織田信孝を神戸氏の養子として送り込んだ。更に具教の次男・長野具藤を内応により追放し、弟・織田信包を長野家当主とした。そして翌・永禄12年（1569年）8月20日、滝川一益の調略によって具教の実弟・木造具政が信長側に転じると、信長はその日の内に岐阜を出陣し南伊勢に進攻、北畠家の大河内城を大軍を率いて包囲、篭城戦の末10月3日に和睦し、次男・織田信雄を北畠氏の養子として送り込んだ。後に北畠具教は幽閉され、天正4年（1576年）信雄により殺害される。こうして信長は、養子戦略により北伊勢攻略を終える。 &lt;br /&gt;
第一次信長包囲網 [編集]詳細は「信長包囲網#第一次包囲網」を参照 &lt;br /&gt;
1570年（元亀1年）の戦国大名勢力図永禄12年（1569年）、信長は足利義昭の将軍としての権力を制限するため、『殿中御掟』9ヶ条の掟書、のちには追加7ヶ条を発令し、これを義昭に認めさせた。しかし、これによって義昭と信長の対立は決定的なものになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元亀元年（1570年）4月、信長は度重なる上洛命令を無視する越前国の朝倉義景を討伐するため、浅井氏との盟約を反故にし、盟友の徳川家康の軍勢とともに越前国へ進軍を開始する。織田・徳川連合軍は朝倉氏の諸城を次々と攻略していくが、金ヶ崎へ進軍したところで北近江の盟友であった浅井氏に背後を突かれる形となった。挟撃される形となり窮地に追い込まれた織田・徳川連合軍であったが、殿を務めた池田勝正・明智光秀・木下秀吉・徳川家康らの働きもあり、なんとか京に逃れた（金ヶ崎の戦い）。信長が京に帰還したとき、従う者は僅か10名ほどであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを機に、将軍・足利義昭と信長の対立は先鋭化した。義昭は打倒信長に向けて御内書を諸国に発し、朝倉義景、浅井長政、武田信玄、毛利輝元、三好三人衆、さらに比叡山延暦寺、石山本願寺などの寺社勢力に呼びかけて「信長包囲網」を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対して信長は浅井を討つべく、元亀元年（1570年）6月、近江国姉川河原で徳川軍とともに浅井・朝倉連合軍と対峙する。浅井軍の先鋒・磯野員昌に15段の備えの内13段まで破られるなど[17]苦戦しつつも、織田・徳川連合軍は勝利した（姉川の戦い）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元亀元年（1570年）8月、信長は摂津国で挙兵した三好三人衆を討つべく出陣するが、石山本願寺の援軍などもあって苦戦する（野田城・福島城の戦い）。しかも、織田軍本隊が摂津国に対陣している間に軍勢を立て直した浅井・朝倉・延暦寺などの連合軍3万が近江国・坂本に侵攻する。織田軍は劣勢の中、重臣・森可成と信長の実弟・織田信治を喪った。対して信長は、9月23日未明に急ぎ本隊を率いて摂津国から近江国へと帰還。慌てた浅井・朝倉連合軍は比叡山に立て籠もって抵抗した。信長はこれを受け、近江国・宇佐山城において浅井・朝倉連合軍と対峙する（志賀の陣）。しかし、その間に石山本願寺の法主・顕如の命を受けた伊勢長島一向一揆衆が叛旗を翻し、信長の実弟・織田信興を戦死に追い込んだ。いよいよ進退に窮した信長は正親町天皇に奏聞して勅命を仰ぎ、12月13日、勅命をもって浅井氏・朝倉氏との和睦に成功した。大久保忠教の記した『三河物語』によれば、このとき信長は義景に対して「天下は朝倉殿が持ち給え。我は二度と望み無し」とまで言ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『織田信長 図像』&lt;br /&gt;
兵庫県氷上町 所蔵元亀2年（1571年）9月、信長は何度か退避・中立勧告を出した後、なおも抵抗し続けた比叡山延暦寺を焼き討ちにした（比叡山焼き討ち）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元亀3年（1572年）7月、信長は嫡男・奇妙丸（後の織田信忠）を初陣させた。この頃、織田軍は浅井・朝倉連合軍と小競り合いを繰り返していた。しかし戦況は織田軍有利に展開し、8月には朝倉義景に不満を抱いていた朝倉軍の武将・前波吉継と富田長繁、戸田与次らが信長に寝返った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
甲斐の武田信玄は駿河今川氏の領国を併合すると三河の家康や相模の後北条氏、越後の上杉氏と敵対していたが、元亀2年末に北条氏との甲相同盟を回復させると徳川領への侵攻を開始する。元亀3年10月に信玄は浅井長政・朝倉義景ら反信長勢力と連携しつつ11月22日に三方原合戦において家康を撃破している。この頃、信長は将軍義昭の命で武田と上杉間の調停を行っており、信長と武田の関係は良好であったが、信長の同盟相手である徳川領への侵攻は事前通告なしで行われており、信長は家康に対して援軍を派遣している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年11月、東美濃の国衆遠山氏は織田・武田の両属関係にあったが、遠山氏の岩村城が攻められるなか[18]、当主遠山景任・直廉兄弟が病死する。家督を巡って信長が軍事介入すると遠山氏は武田方に帰属し、武田・織田間の対立が顕在化する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、徳川領においては徳川軍が一言坂の戦いで武田軍に大敗し、さらに遠江国の要である二俣城が開城・降伏により不利な戦況となる（二俣城の戦い）。これに対して信長は、家康に佐久間信盛・平手汎秀ら3,000人の援軍を送ったが、12月の三方ヶ原の戦いで織田・徳川連合軍は武田軍に大敗。汎秀らは討死した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元亀4年（1573年）に入ると、武田軍は遠江国から三河国に侵攻し、2月には野田城を攻略する（野田城の戦い）。しかも信玄の上洛に呼応する形で、足利義昭が三好義継・松永久秀らと共謀して挙兵。3月25日に信長は三河国にいる武田軍を無視して岐阜から京都に向かって進軍した。信長が京都に着陣すると幕臣であった細川藤孝や荒木村重らは義昭を見限り信長についた。信長は上京を焼打ちして義昭に脅しをかけたが、4月5日、正親町天皇から勅命を賜ることによって義昭と和睦した。4月12日、武田信玄が急死し、武田軍は甲斐国へ帰国した[19]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
包囲網打破と「天下」の継承 [編集]武田氏の西上作戦停止によって信長は態勢を立て直し、同年7月には再び抵抗の意思を示した足利義昭は室町幕府（二条城）や山城守護所（槇島城）に立て籠もったが信長は義昭を破り、追放とし、これをもって室町幕府の勢力は京都から消滅した[20]。加えて7月28日には元号を元亀から天正へと改めることを朝廷に奏上し、これを実現させた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正元年（1573年）8月、細川藤孝に命じて、淀城に立て籠もる三好三人衆の一人・岩成友通を討伐した（第二次淀古城の戦い）。信長は同月、3万人の軍勢を率いて越前国に侵攻。刀根坂の戦いで朝倉軍を破り、朝倉義景は自刃した。9月、小谷城を攻略して浅井氏に勝利し、浅井久政・長政父子は自害し、長政の母・小野殿（阿古御料人）の指を一日一本ずつ切り落とした上で殺害した（執行を担当したのは秀吉であり、処刑方法が信長本人の意向か秀吉のものであるかは不明である）。なお、長政に嫁いでいた妹・お市らは落城前に落ち延びて信長が引き取った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9月24日、信長は尾張国・美濃国・伊勢国の軍勢を中心とした3万人の軍勢を率いて、伊勢長島に行軍した。織田軍は滝川一益らの活躍で半月ほどの間に長島周辺の敵城を次々と落としたが、一向一揆による抵抗も激しく、長期戦を嫌った信長は10月25日に撤退を開始する。ところが撤退途中に一揆軍による追撃が始まると織田軍は苦戦し、林通政が討死した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
11月、河内国の三好義継が足利義昭に同調して反乱を起こした。信長は佐久間信盛を総大将とした軍勢を河内国に送り込む。しかし、信長の実力を怖れた義継の家老・若江三人衆らによる裏切りで義継は11月16日に自害し、三好氏もここに滅亡した。12月26日、大和国の松永久秀も多聞山城を明け渡し、信長に降伏した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長島一向一揆 [編集]詳細は「長島一向一揆」を参照 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正2年（1574年）1月、朝倉氏を攻略して織田領となっていた越前国で、地侍や本願寺門徒による反乱が起こり、守護代の前波吉継（桂田長俊）は一乗谷で殺された。それに呼応する形で、甲斐国の武田勝頼が東美濃に侵攻してくる。信長はこれを信忠とともに迎撃しようとしたが、信長の援軍が到着する前に東美濃の明知城が落城し、信長は武田軍との衝突を避けて岐阜に撤退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月、信長は上洛して従三位参議に叙任された[21]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月、信長は3万人の大軍と、織田信雄、滝川一益、九鬼嘉隆の伊勢・志摩水軍を率いて、伊勢長島を水陸から完全に包囲し、兵糧攻めに追い込んだ。一揆軍も地侍や旧北畠家臣なども含んでおり、戦に関して全くの素人という訳では無く抵抗は激しいものであった。しかし、8月に入ると兵糧不足に陥り、さらに織田軍の猛攻により大鳥居城が落城して一揆勢1,000人余が討ち取られるなど、次第に戦況は織田軍有利に傾く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9月29日、兵糧に欠乏した長島城の門徒は降伏し、船で大坂方面に退去しようとした。しかし信長は許さず、一斉射撃を浴びせ掛けた。だが一揆側の一部が織田軍に反撃し、信長の庶兄・織田信広、信長の弟・織田秀成など多くの織田一族の将が討ち取られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを受けて信長は中江城、屋長島城に立て籠もった長島門徒2万人に対しては、城の周囲から柵で包囲し、焼き討ちで全滅させた。この戦によって信長は長島を占領することに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌天正3年（1575年）3月荒木村重が大和田城を占領したのをきっかけに、織田信長は石山本願寺、高屋城周辺に10万兵の大軍で出軍した（高屋城の戦い）。高屋城、石山本願寺周辺を焼き討ちにし、両城の補給基地となっていた新堀城が落城すると、三好康長は降伏を申し出これを受け入れ、高屋城を含む河内国の城は破城となる。その後、松井友閑と三好康長の仲介のもと石山本願寺と一時的な和睦が成立する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長篠の戦いから越前侵攻 [編集]詳細は「長篠の戦い」を参照 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信長包囲網の打破後、信長や徳川家康は甲斐の武田氏に対しても反攻を強ており、武田方は織田・徳川領への再侵攻を繰り返していた。天正3年（1575年）4月、勝頼は武田氏より離反し徳川氏の家臣となった奥平貞昌を討つため、1万5,000人の軍勢を率いて貞昌の居城・長篠城に攻め寄せた。しかし奥平勢の善戦により武田軍は長篠城攻略に手間取る。その間の5月12日に信長は3万人の大軍を率いて岐阜から出陣し、5月17日に三河国の野田で徳川軍8,000人と合流する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3万8,000人に増大した織田・徳川連合軍は5月18日、設楽原に陣を敷いた。そして5月21日、織田・徳川連合軍と武田軍の戦いが始まる。この長篠の戦いで、信長は設楽原決戦においては5人の奉行に1,000丁余りの火縄銃を用いた一斉射撃（『信長公記』による）を行わせるなどし[22]、武田軍に圧勝する[23]この戦いで武田氏の大軍から長篠城を防衛した奥平貞昌は、信長より偏諱を賜り信昌と改名している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、前年に信長から越前国を任されていた守護代・桂田長俊を殺害して越前国を奪った本願寺門徒では、内部分裂が起こっていた。門徒達は天正3年（1575年）1月、桂田長俊殺害に協力した富田長繁ら地侍も罰し、越前国を一揆の持ちたる国とした。そして顕如の命令で守護代として下間頼照が派遣されたが、この下間頼照が前の領主である桂田長俊以上の悪政を敷いたために、一揆の内部分裂が進んでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを好機と見た信長は長篠の戦いが終わった直後の8月、越前国に行軍した。これに対して既に内部分裂していた一揆衆は協力して迎撃することができず、下間頼照や朝倉景健らを始め、12,250人を数える越前国・加賀国の門徒が織田軍によって討伐されたと言われている[24][25]。こうして越前国は再び織田領となり、信長は越前八郡を柴田勝家に与えた。このとき、信長は勝家に対して北国経営の掟を与えたと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次信長包囲網 [編集] &lt;br /&gt;
安土城天主信長の館（安土城復元天主） 滋賀県近江八幡市安土町詳細は「信長包囲網#第二次包囲網」を参照&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正3年（1575年）11月4日、信長は権大納言、11月7日に右近衛大将に叙任する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
11月28日、信長は1週間前に東美濃の要・岩村城を陥落させた嫡男・信忠に織田氏の家督ならびに美濃国・尾張国などの領地を譲って建前上隠居した。しかし、引き続き信長は織田氏の政治・軍事を執行する立場にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正4年（1576年）1月、信長自身の指揮のもと琵琶湖湖岸に安土城の築城を開始する[26]。安土城は天正7年（1579年）に五層七重の豪華絢爛な城として完成した。天守内部は吹き抜けとなっていたと言われている。イエズス会の宣教師は「その構造と堅固さ、財宝と華麗さにおいて、それら（城内の邸宅も含めている）はヨーロッパの最も壮大な城に比肩しうるものである」と母国に驚嘆の手紙を送っている。信長は岐阜城を信忠に譲り、完成した安土城に移り住んだ。信長はここを拠点に天下統一に邁進することとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正4年（1576年）1月、信長に誼を通じていた丹波国の波多野秀治が叛旗を翻した。さらに石山本願寺も再挙兵するなど、再び反信長の動きが強まり始める。これに対し信長は4月、明智光秀、荒木村重、塙直政を大将とした3万人の軍勢を大坂に派遣したが伏兵の襲撃に遭って大敗を喫し、直政を始め1,000人以上が戦死した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
光秀はじめとする大坂の織田軍は勢いづく本願寺軍の攻勢に窮して天王寺砦に立て籠もるが、本願寺軍はこれを包囲し、天王寺で織田軍は窮地に陥った。信長は5月5日に若江城に入り動員令を出したが、集まったのは3,000人ほどであった。しかし信長は5月7日早朝、その3,000人の軍勢を率いて自ら先頭に立ち、天王寺砦を包囲する本願寺軍1万5,000人に攻め入った。信長自身も銃撃され負傷する激戦となったが、信長自らの出陣で士気が高揚した織田軍は、光秀率いる天王寺砦の軍勢7,000人との連携に成功。本願寺軍を挟撃し、これを撃破した（天王寺砦の戦い）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、織田軍は石山本願寺を水陸から包囲し兵糧攻めにした。ところが7月13日、石山本願寺の援軍に現れた毛利水軍800隻の前に、織田水軍は敗れ、毛利軍により石山本願寺に兵糧弾薬が運び込まれた（第一次木津川口の戦い）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、越後守護で関東管領の上杉輝虎（上杉謙信）と信長との関係は悪化し[27]、謙信は天正4年（1576年）に石山本願寺と和睦し、信長との対立を明らかにした。謙信を盟主として、毛利輝元、石山本願寺、波多野秀治、紀州雑賀衆などが反信長に同調し結託した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天下への足がかり [編集]これに対し信長は、天正5年（1577年）2月、紀州雑賀衆を討伐するために大軍を率いて出陣（紀州攻め）するが、毛利水軍による背後援助や上杉軍の能登国侵攻などもあったため、3月に入ると雑賀衆の頭領・雑賀孫一らを降伏させた（本願寺攻めに協力する誓紙を出させたが、人質の提供は無かった）。こうして形式的な和睦を行ない、紀伊国から撤兵した。この頃、北陸戦線では織田軍の柴田勝家が、加賀国の手取川を越えて焼き討ちを行っている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大和国の松永久秀がまたも信長を裏切り挙兵すると、信長は織田信忠を総大将とした大軍を信貴山城に派遣し、10月に松永を討ち取った（信貴山城の戦い）。松永を討った10月、信長に抵抗していた丹波亀山城の内藤定政（丹波守護代）が病死する。織田軍はこの機を逃さず、亀山城、籾井城、笹山城などの丹波国の諸城を攻略する。同年、姉妹のお犬の方を丹波守護で管領を世襲する細川京兆家当主細川昭元の正室とすることに成功し丹波を掌握した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
11月、能登、加賀北部を攻略した上杉軍が加賀南部へ侵攻、織田軍は手取川において1000人余が討死し渡河の際にも多数の行方不明者を出した（手取川の戦い）。その結果、加賀南部は上杉家の領国に組み込まれる。これによって北陸では一時的に上杉側が優位に立ったが、天正6年（1578年）3月13日に上杉謙信が急死。謙信には実子がなく、後継者を定めることなく急死したため、養子の上杉景勝と上杉景虎が後継ぎ争いを始めた（御館の乱）。この好機を活かし織田軍は上杉領の能登国、加賀国を攻略する。かくして謙信の死を契機に、またも信長包囲網は崩壊した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
織田方面軍団 [編集]対武田方面・織田信忠・滝川一益軍団（天正元年結成） &lt;br /&gt;
対本願寺方面・佐久間信盛軍団（天正4年結成 - 天正8年消滅） &lt;br /&gt;
北陸方面・柴田勝家軍団（天正4年昇格） &lt;br /&gt;
近畿方面・明智光秀軍団（天正8年昇格） &lt;br /&gt;
山陰・山陽方面・羽柴秀吉軍団（天正8年昇格） &lt;br /&gt;
関東方面・滝川一益軍団（天正10年結成） &lt;br /&gt;
四国方面・織田信孝・丹羽長秀・蜂屋頼隆軍団（天正10年結成） &lt;br /&gt;
東海道の抑え・徳川家康 &lt;br /&gt;
伊賀方面の抑え・織田信雄 &lt;br /&gt;
（紀伊方面の抑え・織田信張） &lt;br /&gt;
天正期に入ると、同時多方面に勢力を伸ばせるだけの兵力と財力が織田氏に具わっていた。信長は部下の武将に大名級の所領を与え、自由度の高い統治をさせ、周辺の攻略に当たらせた[28]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上杉謙信の死後、お家騒動を経て上杉氏の家督を継いだ上杉景勝に対しては柴田勝家、前田利家、佐々成政らを、武田勝頼に対しては嫡男・信忠、河尻秀隆、森長可らを、波多野秀治に対しては明智光秀、細川藤孝らを（黒井城の戦い）、毛利輝元に対しては羽柴秀吉を、石山本願寺に対しては佐久間信盛を配備した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
織田軍は謙信の死後、上杉氏との戦いを優位に進め、能登国・加賀国を奪い、越中国にも侵攻する勢いを見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正6年（1578年）3月、播磨国の別所長治の謀反（三木合戦）が起こる、また毛利軍が、同年7月、上月城を攻略し、信長の命により放置された山中幸盛ら尼子氏再興軍は処刑される（上月城の戦い）。10月には摂津国の荒木村重が有岡城に籠って信長から離反し（有岡城の戦い）、本願寺と手を結んで信長に抵抗する。一方、荒木の与力の一人であり東摂津に所領を持つ中川清秀、高山右近は信長に寝返る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年11月6日、信長は九鬼嘉隆の考案した鉄甲船を採用、6隻を建造し毛利水軍を撃破（第二次木津川口の戦い）。これにより石山本願寺と荒木は毛利軍の援助を受けられず孤立し、この頃から織田軍は優位に立つ。天正7年（1579年）夏までに波多野秀治を降伏させ、処刑。同年9月、荒木が妻子を置き去りにして逃亡すると有岡城は落城し、荒木一族は処刑された。次いで10月、それまで毛利方であった備前国の宇喜多直家が信長に服属すると、織田軍と毛利軍の優劣は完全に逆転する。天正8年（1580年）1月、別所長治が切腹し、三木城が開城。同年4月には正親町天皇の勅命のもと本願寺軍も織田軍に有利な条件を呑んで和睦し、大坂から退去した。同年には播磨国、但馬国をも攻略。天正9年（1581年）には鳥取城を兵糧攻めで落とし因幡国を攻略、さらには岩屋城を落として淡路国を攻略した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正7年（1579年）、伊勢国の出城構築を伊賀国の国人に妨害されて立腹した織田信雄は、独断で伊賀国に侵攻し大敗を喫した。信長は信雄を厳しく叱責するとともに、伊賀国人への敵意をも募らせた（第一次天正伊賀の乱）。そして天正9年（1581年）、信雄を総大将とする4万人の軍勢で伊賀国を攻略。伊賀国は織田氏の領地となった（第二次天正伊賀の乱）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正7年（1579年）、信長は徳川家康の嫡男・松平信康に対し切腹を命じた。表向きの理由は信康の12か条の乱行、築山殿の武田氏への内通などである。徳川家臣団は信長恭順派と反信長派に分かれて激しい議論を繰り広げたが、最終的に家康は築山殿を殺害し、信康に切腹させた。これに関しては異説もあり、家康・信康父子の対立が真因で、信長は娘婿信康の処断について家康から了承を求められただけだという説もある（詳細は松平信康#信康自刃事件を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正8年（1580年）8月、信長は譜代の老臣・佐久間信盛とその嫡男・佐久間正勝に対して折檻状を送り付け、本願寺との戦に係る不手際などを理由に、高野山への追放か討ち死に覚悟で働くかを迫った。佐久間親子は高野山行きを選んだ。さらに、古参の林秀貞と安藤守就も、かつてあった謀反の企てや一族が敵と内通したことなどを蒸し返して、これを理由に追放した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正7年（1579年）11月、信長は織田家の二条の京屋敷（本邸）に皇太子である誠仁親王を住まわせることを思いつき、直ちに実行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
武田征伐 [編集]詳細は「武田征伐」を参照 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正9年（1581年）、信長は絶頂期にあった。2月28日には京都の内裏東の馬場にて大々的なデモンストレーションを行なっている。いわゆる京都御馬揃えであるが、これには信長はじめ織田一門のほか、丹羽長秀ら織田軍団の武威を示すものであった[29]。このときの馬揃えには正親町天皇を招待している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年5月に越中国を守っていた上杉氏の武将・河田長親が急死した隙を突いて織田軍は越中に侵攻、同国の過半を支配下に置いた。3月23日には高天神城を奪回し、武田氏を追い詰めた。紀州では雑賀党が内部分裂し、信長支持派の鈴木孫一が反信長派の土橋平次らと争うなどして勢力を減退させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年に荒木村重の残党を匿ったり、足利義昭と通じるなど、高野山が信長と敵対する動きを見せる。『信長公記』では信長は使者十数人を差し向けたが、高野山が使者を全て殺害したという主張が記録されている。一方、高野春秋では荒木村重探索の松井友閑の兵32名が高野山の領民に乱暴狼藉を働いたために高野山側がこれを殺害したと記している。いずれにしても、この行動に激怒した信長は、織田領における高野聖数百人を捕らえると共に、河内国や大和国の諸大名に命じて高野山を包囲させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長篠合戦の敗退後、武田勝頼は越後上杉氏との甲越同盟の締結や新府城築城など領国再建や、人質であった織田信房を返還し信長との和睦（甲江和与）を模索していたが良好に進まず、新府城築城のための普請増大などで却って国人衆には不満が増大していた。天正10年（1582年）2月1日、武田信玄の娘婿であった木曾義昌が信長に寝返る。同年2月3日に信長は武田領国へのに本格的侵攻を行うための大動員令を信忠に発令した。そして、駿河国から徳川家康、相模国から北条氏直、飛騨国から金森長近、木曽から信忠が、それぞれ武田領への攻略を開始した。信忠軍は、軍監・滝川一益と、信忠の譜代衆となる河尻秀隆・森長可・毛利長秀等で構成され、この連合軍の兵数は10万人余に上ったと言われている。これに対して武田軍は、伊那城の城兵が城将・下条信氏を追い出して織田軍に降伏。さらに信濃国の松尾城主・小笠原信嶺、江尻城主・穴山信君らも先を争うように連合軍に降伏し、武田軍は組織的な抵抗が出来ず済し崩し的に敗北する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
滝川一益が猛烈な勢いで武田領に侵攻し武田側の城を次々に占領していき、信長が武田征伐に出陣したのは3月8日であるが、その日に信忠は武田領国の本拠である甲府を占領し、3月11日には甲斐都留郡の田野において滝川一益が武田勝頼・信勝父子を討ち取り、ここに武田氏は滅亡した。武田氏滅亡後に信長は、「武田に属していた者はたとえ恭順の意思を示そうとも容赦無く一族まとめて根絶やしにせよ」[要出典]とする、いわゆる「武田狩り」を命じた[30][31][32]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
武田氏滅亡後、信長は駿河国を徳川家康に、上野国を滝川一益に与え旧武田領の監督を命じ、甲斐国を河尻秀隆、北信濃を森長可、南信濃を毛利長秀に与え一益の与力に付けて、北条氏直への抑えとしつつも同盟関係を保った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本能寺の変 [編集] &lt;br /&gt;
『本能寺焼討之図』 楊斎延一（ようさい のぶかず）画（明治時代作成の武者絵。名古屋市所蔵）詳細は「本能寺の変」を参照&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天正10年（1582年）夏、信長は四国の長宗我部元親攻略に、三男・神戸信孝、重臣・丹羽長秀、蜂屋頼隆、津田信澄の軍団を派遣する準備を進めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月11日、北陸方面では柴田勝家が富山城、魚津城を攻撃（魚津城の戦い）。上杉家は、北の新発田重家の乱に加え、北信濃方面から森長可、上野方面から滝川一益の進攻を受け、東西南北の全方面で守勢に立たされていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月15日、駿河国加増の礼と武田征伐の戦勝祝いのため、徳川家康が安土城を訪れた。そこで信長は明智光秀に接待役を命じる。光秀は15日から17日にわたって家康を手厚くもてなした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家康接待が続く中、信長は備中高松城攻めを行なっている羽柴秀吉の使者より援軍の依頼を受けた。「毛利氏が大軍を率い、高松城への救援に向かう動きがある」とのことであった。信長は光秀の接待役の任を解き、秀吉への援軍に向かうよう命じた。のち『明智軍記』などによって江戸時代以降流布される俗説では、この時、光秀の接待内容に不満を覚えた信長は小姓の森成利（蘭丸）に命じて光秀の頭をはたかせた、としている[33]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信長は5月29日、中国遠征の出兵準備のために上洛し、その後は京の本能寺に逗留していた。ところが、秀吉への援軍を命じていたはずの明智軍が突然京都に進軍し、6月2日に本能寺を襲撃する。この際に光秀は部下の信長に寄せる忠誠の篤きを考慮し、現に光秀への忠誠を誓う者が少なかったため、侵攻にあたっては標的が信長であることを伏せていたと言われる。100人ほどの手勢しか率いていなかった信長であったが、初めは自ら槍を手に奮闘したとされている。しかし圧倒的多数の明智軍には敵わず、居間に戻った信長は自ら火を放ち、燃え盛る炎の中で自害したと伝えられている。享年49（満48歳没）（本能寺の変）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
光秀の娘婿・明智秀満が信長の遺体を探したが見つからなかった。当時の本能寺は織田勢の補給基地的に使われていたため、火薬が備蓄されており、信長の遺体が爆散してしまったためと考えられる。しかしながら、密かに脱出し別の場所で自害したという別説がある。また信長を慕う僧侶と配下によって人知れず埋葬されたという説もある。なお、最後まで信長に付き従っていた者の中に黒人の家来・弥助がいた。弥助は、光秀に捕らえられたものの後に放免となっている。それ以降、弥助の動向については不明となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平成19年（2007年）に行われた本能寺跡の発掘調査では、本能寺の変と同時期にあったとされる堀跡や大量の焼け瓦が発見された。これにより、城塞としての機能や謀反に備えていた可能性が指摘されており、現在も調査が続いている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像==&lt;br /&gt;
「怒りっぽかった」という記録ははっきり言ってアテにならない。中世の記録はたいがいこうやって脚色してあるものだからである。考えてもみたまえ。庶民が法を犯すたびに怒る統治者など存在するわけがない。まあ短気ではあっただろう。即断即決でなければ生きていけない世の中だったのだから。しかし判断が早いというのと、感情が動き易いということとは全く違う。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.88.243.111</name></author>	</entry>

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