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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-05-17T17:48:15Z</updated>
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		<title>中山成彬</title>
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				<updated>2008-11-19T10:17:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;210.250.115.166: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''中山 成彬'''（なかやま なりあき、[[1943年]][[6月7日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[衆議院議員]]。[[国土交通大臣]]（第10代）元[[文部科学大臣]]（[[第2次小泉改造内閣|第5代]]・[[第3次小泉内閣|第6代]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[安倍内閣|安倍晋三内閣]]に[[内閣総理大臣補佐官]]（[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による拉致問題]]担当）を務めた[[中山恭子]]は大蔵省時代の同期であり、[[妻]]。一人息子も国家公務員である公務員一家。統一協会勝共連合や、つくる会と密接な関係を持つ、右翼政治家である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
[[東京大学]][[法学部]][[卒業]]後、[[大蔵省]]に入省。大蔵省大臣官房企画官などを経て[[1982年]]に退官し、政治家の道に入る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]8月、私設[[秘書]]の給与（[[1996年]]12月から[[1998年]]2月までの計300万円）が[[大阪市]]の電子機器メーカーにより肩代わりされていたことが発覚した。[[2004年]]年の[[第2次小泉改造内閣]]にて[[文部科学大臣]]として初入閣し、様々な教育改革を提案した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]][[1月]]の[[宮崎県知事]]選挙においては、自民・[[公明党|公明]]両党の推薦する[[持永哲志]]ではなく[[民主党_(1996-)|民主]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社民]]両党の推薦する[[川村秀三郎]]を応援し、保守分裂と[[東国原英夫|東国原]]知事当選の一因を作った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[清和政策研究会|町村派]]事務総長、かつて慰安婦問題で調査を行い、[[南京大虐殺]]は存在しないというレポートを出した[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]会長を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 年譜 ==&lt;br /&gt;
*[[1943年]][[6月7日]] - [[宮崎県]][[小林市]]に生まれる&lt;br /&gt;
*[[1959年]] - 宮崎県立小林中学校卒業 &lt;br /&gt;
*[[1962年]] - [[ラ・サール中学校・高等学校|鹿児島ラ・サール高校]]卒業 &lt;br /&gt;
*[[1966年]] - [[東京大学]]法学部卒業、[[大蔵省]]入省。同期に、夫人の中山恭子、[[武藤敏郎]]、浅見敏彦（関税局長）など &lt;br /&gt;
*[[1971年]] - 東京都荏原税務署長 &lt;br /&gt;
*[[1975年]] - [[世界銀行]]（[[ワシントン]]）へ出向 &lt;br /&gt;
*[[1978年]] - 大蔵省主計局主査（防衛担当） &lt;br /&gt;
*[[1980年]] - 大蔵省東海財務局理財部長（[[名古屋]]）&lt;br /&gt;
*[[1982年]] -  大蔵省大臣官房企画官　大蔵省を退官、政治活動に入る &lt;br /&gt;
*[[1983年]][[12月]] - 第37回衆議院選挙に衆議院選旧宮崎2区より初出馬（551票差で落選）&lt;br /&gt;
*[[1986年]][[7月]] - 第38回衆議院選挙に初当選&lt;br /&gt;
*[[1990年]][[12月]] - 文部政務次官に就任(-[[1991年]][[11月5日]])&lt;br /&gt;
*[[1993年]][[7月]] - 第40回衆議院選挙で落選&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[10月]] - 第41回衆議院選挙で当選し返り咲く&lt;br /&gt;
*[[2000年]][[12月]] - 通商産業総括政務次官に就任(-[[2001年]][[1月5日]])&lt;br /&gt;
*[[2001年]][[1月]] - 経済産業[[副大臣]]に就任(-同年[[4月26日]])&lt;br /&gt;
*[[2003年]]9月 - 自民党副幹事長に就任&lt;br /&gt;
*[[2004年]][[9月]] - [[文部科学大臣]]に就任([[第2次小泉改造内閣]])&lt;br /&gt;
*[[2006年]][[10月]] - [[自由民主党政務調査会|自民党政務調査会]]副会長に就任&lt;br /&gt;
*[[2008年]][[9月25日]] - [[国土交通大臣]]に就任([[麻生内閣]])&lt;br /&gt;
*[[2008年]][[9月30日]] - [[国土交通大臣]]辞任&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物像・その他==&lt;br /&gt;
*[[北京オリンピックを支援する議員の会]]所属。&lt;br /&gt;
*2008年2月に結成された、九州と韓国を繋ぐトンネルの建設を目指す[[日韓海底トンネル推進議連]]の立ち上げに参加。&lt;br /&gt;
* 南京事件否定論者でもある。慰安婦問題に対しても連行過程や慰安所内での慰安婦に対する人権侵害、およびそれに対する日本軍・日本政府の責任を認めない立場である。&lt;br /&gt;
* [[米下院121号決議]]の可決後に[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]主催の記者会見で米下院への反論を行うと明言した。&lt;br /&gt;
*後述「[[#発言]]」に見られるように、[[教職員組合]]の存在と活動に否定的。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==政策==&lt;br /&gt;
===国土交通相として===&lt;br /&gt;
*「必要な[[道路]]は造っていかないといけない」「都会にも改良すべき道路はたくさんある」と述べ、地方の道路整備を進めると同時に首都圏でも道路の再整備を続ける方針を示している。&amp;lt;ref&amp;gt;日経新聞9月25日&amp;lt;/ref&amp;gt; &lt;br /&gt;
*「[[公共事業]]の削減はもう限界。[[財政再建]]は必要だが、削減一辺倒という考えはやめてほしい」として公共事業への積極投資を示唆している。&amp;lt;ref&amp;gt;2008/09/25時事通信&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==発言==&lt;br /&gt;
[[2008年]][[9月25日]]、[[成田空港]]拡張工事への反対派に対して、「戦後教育が悪かったと思うが、公のためにはある程度自分を犠牲にしてでもというのがなくて、自分さえよければという風潮の中で、なかなか空港拡張もできなかったのは大変残念だった。」 と述べた。また教育問題について、「（贈収賄事件のあった）大分県の教育委員会のていたらくなんて[[日教組]]ですよ。」「日教組の子供なんて成績が悪くても先生になる。」「（日教組が強いから）大分県の学力は低い」と、日教組を批判した。この発言に対し日教組の岡本泰良書記長から抗議文書が送られる事態に至る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、（文科相時代に）全国学力調査を提唱した理由も、自説を証明するためであり、証明が完了した以上調査の役割は終わったとも述べた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/politics/update/0926/TKY200809260309.html 中山国交相の発言内容要旨]朝日新聞2008年9月26日&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、学力に関しては日教組が強く学力も高い地域、日教組が弱く学力が高い地域、日教組が弱く学力が低い地域、日教組が強く学力が低い地域（中川の発言に沿った地域）などさまざまであり、朝日新聞は、全体的な相関関係はうかがえないとしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/politics/update/0927/TKY200809260383.html 「日教組強いと学力低い」中山説、調べてみれば相関なし]朝日新聞2008年9月27日&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、海外からの[[外国人]][[観光客]]の誘致策を問われた際、「日本はずいぶん内向きな、単一民族といいますか、世界とのあれがないものだから内向きになりがち。まず国を開くというか、日本人が心を開かなければならない。」と述べた。しかし同日晩にはこれらの発言について、誤解を招く表現だったとして撤回し、陳謝した。また「日本は単一民族といいますか」と発言したことについては「アイヌの人々が独自の宗教、文化を持った民族であることは認識している」と語った。&amp;lt;ref&amp;gt;毎日新聞2008年9月25日。読売新聞2008年9月26日。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、日教組に対する批判については「'''撤回はしない'''。わたしは'''日本の教育のガンは日教組だと思っている'''。ぶっ壊すために火の玉になる」「何とか（日教組を）解体しなければならない。」と述べ&amp;lt;ref&amp;gt;朝日新聞2008年9月27日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008092701000409.html 中山氏「がんの日教組ぶっ壊す」  再び批判発言]共同通信2008年9月27日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www3.nhk.or.jp/news/t10014381181000.html 中山国交相“日教組解体を”]NHKニュース&amp;lt;/ref&amp;gt;、千葉県知事・ウタリ協会代表からの抗議申し入れは直接応対したものの日教組に対しては拒否。日教組側は「非常に憤りを感じる」「直接本人に会って、真意を伺うとともに、改めて辞任を求めていきたい」とコメントした&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&amp;amp;k=2008092700401 開いた口ふさがらない＝中山国交相発言に「憤り」－日教組]時事ドットコム&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[成田空港]]問題や民族についてなど、過去の政府見解とは異なる私見を閣僚が発言したことで批判が出た&amp;lt;ref&amp;gt;毎日新聞　2008年9月26日&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[橋下徹]][[大阪府]]知事は、中山の発言について「表現方法は賛否両論あると思うが、本質をついているような発言なんじゃないですか」と語り、また自身の経験と重ねて、「（学力調査の公開には）教員が大騒ぎして大反対している。教員組合が強いかどうかはわからないが、教員が教育の中立性の名の下に府民の声を聞かなかった」などと述べ、中山を擁護した&amp;lt;ref&amp;gt;[[朝日新聞]]2008年9月27日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同月30日、大臣辞任。[[10月4日]]、次回総選挙には出馬せず引退する旨を表明。この記者会見で「アインシュタインの予言」を引いて日本と日本人を持ち上げる発言。8日には[[東国原英夫]]・宮崎県知事を自分の後継に据えようと画策するなど、辞任以後も放言は止まる様子を見せない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==献金==&lt;br /&gt;
;統一教会関連団体&lt;br /&gt;
中山が支部長を務める自民党宮崎1区支部が、2003年11月に[[世界基督教統一神霊協会]](統一教会)の関連団体である世界平和連合から100万円の政治献金を受け取っていたことが報じられた。同支部は「統一教会との関係は知らなかった。問題なら、返却することも検討する」としている。中山は2004年9月、宗教法人を所管する文科相に就任していた。中山の地元事務所によれば、中山の地元の会合に世界平和連合のメンバーも出席したことがあったとされ、献金については「問題だとは思わなかった」としている&amp;lt;ref&amp;gt;共同通信2004年11月17日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;村上ファンド&lt;br /&gt;
[[村上ファンド]]の元代表[[村上世彰]]から150万円の献金を受けていた。中山の事務所は「村上氏が被告になったからといって返還はしない」としている&amp;lt;ref&amp;gt;2006年9月9日　朝日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;消費者金融&lt;br /&gt;
[[消費者金融]]業界の政治団体「[[全国貸金業政治連盟]]」（全政連）から[[パーティー券]]購入などにより資金提供を受けていた&amp;lt;ref&amp;gt;[[しんぶん赤旗]] 2003年9月12日&amp;lt;/ref&amp;gt; 。&lt;br /&gt;
;建設談合&lt;br /&gt;
中山が支部長を務める自民党宮崎県第1選挙区支部が、国交省と旧[[日本道路公団]]が発注した鋼鉄製橋梁工事で談合したとして2005年に[[公正取引委員会]]から排除勧告を受けた2社（[[サノヤス・ヒシノ明昌]]、[[日本車輌製造]]）から、摘発後も計72万円の献金を受けていた&amp;lt;ref&amp;gt;[[讀賣新聞]]2008年9月27日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==参照==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.nakayamanariaki.com/ 公式ホームページ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の副大臣経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:宮崎県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:1943年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:Wikipediaで保護された記事]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:なかやま なりあき}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[de:Nariaki Nakayama]]&lt;br /&gt;
[[en:Nariaki Nakayama]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.250.115.166</name></author>	</entry>

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