<?xml version="1.0"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xml:lang="ja">
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/api.php?action=feedcontributions&amp;feedformat=atom&amp;user=185.195.71.2</id>
		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
		<link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://18.236.240.21/mediawiki/api.php?action=feedcontributions&amp;feedformat=atom&amp;user=185.195.71.2"/>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/185.195.71.2"/>
		<updated>2026-05-17T14:19:52Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
		<generator>MediaWiki 1.25.1</generator>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E4%BF%8A%E4%B9%8B&amp;diff=397837</id>
		<title>大西俊之</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E4%BF%8A%E4%B9%8B&amp;diff=397837"/>
				<updated>2022-04-24T23:03:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;185.195.71.2: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:img 390015 6924934 0.jpeg|thumb|400px|自称ダンディー（笑）近影。頭が薄くなっている。]]&lt;br /&gt;
'''大西 俊之'''（おおにし としゆき、[[1958年]][[12月25日]] - ）は自称写真家、自称ウェブデザイナー、自称右翼、自称狭山事件研究家。癌患者。自称'''ダンディー大西'''、略称'''ダン大西'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2ちゃんねるでは「盛況新聞 ◆cQ5CwQT2.c」「盛況 ◆cQ5CwQT2.c」のコテハンを名乗っていた。一人称は「小生」。東京都三鷹市在住。妻と死別して以来独身。六白金星、戌年、山羊座、AB型。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==経歴==&lt;br /&gt;
東京都中野区出身。母は元芸者。1982年頃に父が自殺。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
理科系の大学を経て写真家に弟子入りし、プロとなり、服飾関係の写真家としてパリに2年滞在した、戦場で活動したこともある、などと自称。しかし「大西俊之 写真家」「大西俊之 カメラマン」などで検索してもそれらしき仕事の痕跡は見つけることができない。30代には、いい歳をして右翼活動で警察に逮捕されたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殿岡駿星著『犯人 狭山事件より』（晩聲社、1990年）を読んでから狭山事件の調査を開始。2000年頃、仕事上の必要から半年間パソコンの学校に通い、ウェブデザインを習う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年12月頃から、2ちゃんねる創価・公明板で「盛況新聞 ◆cQ5CwQT2.c」というコテハンとして活動。次いで2003年1月頃から2ちゃんねるオカルト板の狭山事件スレッドで「盛況 ◆cQ5CwQT2.c」というコテハンとして活動。2003年7月20日、Yahoo!ジオシティーズでウェブサイト「狭山事件を推理する」を開設。のちFC2ブログに内容を移し、「狭山事件を検証する」に改題。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2004年には、狭山事件をめぐり、路上で暴行傷害事件を起こしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 それでふと、昨年のことを思い出した。&lt;br /&gt;
 ある仕事の関連で、昔の友人に久しぶりに会った時の事、「最近は狭山事件の事を調べている。現地調査にも何度か出掛けた。&lt;br /&gt;
 集会にも行った事がある。どうみても狭山事件は冤罪で（犯人とされている）石川さんは無実だ」と言った処、&lt;br /&gt;
 「あれ？超保守の筈の貴兄がなんでまた左翼になったんですか？転向したのかな？」と言われた。（略）&lt;br /&gt;
 で、この無礼者がそう言った約七分三〇秒後に、目からは水を流し鼻から赤い体液を流しながら&lt;br /&gt;
 公道で土下座していたことは当然だ。何の行動も伴わぬくせに甘く見てはすっぱな口をきく者は、必ずこうなる。&amp;lt;ref&amp;gt;log.sayama-case.org/date/blog-entry-25.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがて狭山事件スレッドにいられなくなり、コテハン活動を停止。もともと自分も匿名で活動していたにもかかわらず、匿名による発言者に反発し、2ちゃんねるを激しく敵視するようになる。匿名での発言者を卑怯者呼ばわりしているが、そういう大西自身も住所は公開しておらず、「大西俊之」なる氏名も実名である証拠はどこにもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年1月23日には日本語版ウィキペディアに登場し、みずからが運営する狭山事件ウェブサイトの宣伝リンクを修正している&amp;lt;ref&amp;gt;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/T.Onishi&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかしその後、ウィキペディアの記事「狭山事件」から自分のウェブサイトへのリンクを外されると逆恨みし、ウィキペディアそのものを激しく敵視するようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2ちゃんねる狭山事件スレッドのコテハン仲間だった伊吹隼人に対して脅迫事件を起こし、警察に逮捕されそうになると慌てふためいて平謝りし、2010年秋頃に伊吹と絶交している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ピアノ教師への恋情==&lt;br /&gt;
2007年9月からピアノを習い、趣味で下手クソなピアノを弾き、その演奏の録音をネット上に公開している。しかし小心で臆病で卑怯な性格から、その動画への評価は無効に設定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ピアノに関するブログの2012年3月13日のエントリでは、若い女性ピアノ教師（2007年8月当時に音大4年生）に対する老いらくの恋情を切々と綴っている&amp;lt;ref&amp;gt;http://noubelles-etudes.blogspot.jp/2012/03/chopin-polonaise-n6.html&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 昨日先生が、拙宅にお見舞いにきてくださりました。発表会で英雄Polonaise（６番）を弾いたとのお話しであったので、僕の雨垂れやエリイゼ、あるいはヘタクソな革命エチゥドを前座として披露したあと、弾いてくださりました。&lt;br /&gt;
 あとドビッシーのLumière de la lune&amp;lt;ref&amp;gt;Clair de Lune（月の光）のつもりらしい。&amp;lt;/ref&amp;gt;。僕がどれほど喜んだかはご想像にお任せします。きっと、近所中で、評判となるにチガイありません（うちは防音をしてないからと言うこと）。&lt;br /&gt;
 先生は……ご迷惑でなければ、と言って、いろいろのことをしてくれようと仰るほどに良くしてくださいます。それが今の僕に、どれだけ有難いことか……病気になって、解ったことのひとつは、それ以前のひとづきあいの質ですね。&lt;br /&gt;
 おざなりのつきあいの人は、自然と離れて行きました。人間は、いざと言う時に本性を発揮します。そして、今僕の最大の関心事は、貴女を、悲しませたくないと言うことです。ただ、そうするために、どうするのが良いのか、僕には解りません。&lt;br /&gt;
 ちかぢか、また来てくれること、今具合の悪い僕のためにご飯を作って来てくれること、また、つぎは夜会の約束をしたこと、を記し、参考までに（せんせいのじゃないけど）曲を貼っておきます。この演奏は先生のに似ていました。&lt;br /&gt;
 先生以上の存在。&lt;br /&gt;
 貴女が僕に会いたいですと言ってくださるのはなぜだろう&lt;br /&gt;
 貴女はそんなにも優しくしてくれるのはなぜだろう&lt;br /&gt;
 貴女にとって僕はどんな存在なのだろう&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre style=&amp;quot;font-family:'IPAMonaPGothic','IPA モナー Pゴシック','Monapo','Mona','MS Pgothic','ＭＳ Ｐゴシック';font-size:16px;line-height:18px;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　ぅぉぇっぷ &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　 〃⌒ ヽフ &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　/　 　rノ　　　　　　　 ∧＿∧ 　ぅﾞぉぇぇぇ　　　　　　　　ぉぇぇぇ &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　Ο Ο＿）;:ﾟ｡ｏ;:,.　　〃,（||i´┌｀）　　　　　　　　　　　　　　　　　∧∧　　○ &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　/ ,つ　ｨ;,ﾟ;:δﾟ,,.　　ﾋﾞﾁｮﾋﾞﾁｮ　　　　　⊂（´Д`⊂⌒｀つ &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　⊂こ＿）_）',;:ﾟ｡ｏ;:,..,ﾟ.,｡　　　　　　　　　　⊂;:.,.｡ｏ,;⊃ &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　,,;:;;。.:;;ﾟ'｡ｏ.,　　　　　　　　　　　　⊂;;ﾟ'｡⊃&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://web.archive.org/web/*/http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/6601/index.html 狭山事件を推理する]&lt;br /&gt;
*sayamacase.web.fc2.com/ - 狭山事件を検証する&lt;br /&gt;
*tanaka2009.web.fc2.com/ - 田中精三郎の世界・二重成形技法の陶芸&lt;br /&gt;
*world21.vis.ne.jp/ - The World 21&lt;br /&gt;
*html-memorandum.blogspot.jp/ - HTML Mémorandum&lt;br /&gt;
*noubelles-etudes.blogspot.jp/ - Les Études de Chopin&lt;br /&gt;
*cherie-marguerite.blogspot.jp/ - Ma Cherie Site de Photographie&lt;br /&gt;
*[http://www.youtube.com/user/DanONISHI DanONISHI さんのチャンネル - YouTube]&lt;br /&gt;
*[https://twitter.com/D_T_O157 ツイッター]&lt;br /&gt;
*[http://www.facebook.com/sayamacaseverification.onishi フェイスブック]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おおにし としゆき}} &lt;br /&gt;
[[Category:インターネットの人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:勘違い野郎]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のピアニスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:バカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:スケベ]]&lt;br /&gt;
[[Category:変態]]&lt;br /&gt;
[[Category:人格破綻者]]&lt;br /&gt;
[[Category:自己顕示欲の強い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1958年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>185.195.71.2</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=397836</id>
		<title>狭山事件</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=397836"/>
				<updated>2022-04-24T23:02:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;185.195.71.2: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''狭山事件'''（さやまじけん）とは、[[1963年]][[5月1日]]に[[埼玉県]][[狭山市]]で発生した、高校1年生の少女を被害者とする誘拐殺人事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 解説 ==&lt;br /&gt;
この事件の容疑者として、1963年[[5月23日]]に[[被差別部落]]出身の石川一雄&amp;lt;!--[[石川一雄]]は本項へのリダイレクト--&amp;gt;（当時24歳）が逮捕・起訴され、刑事裁判に掛けられたが、一審の[[死刑]]判決後に[[冤罪]]を主張。その後、[[無期懲役]]刑が確定して容疑者の石川は服役した（1994年に[[仮釈放]]されている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、捜査の過程におけるいくつかの問題点がさまざまな立場から提起されており、石川とその弁護団及び支援団体が、冤罪を主張して[[再審]]請求をしている。また、容疑者が被差別部落の出身であったことから、この事件は[[部落問題|部落差別]]との関係を問われ、大々的に取り扱われることとなった。なお、差別による冤罪を主張する立場からは、この事件に関する裁判を'''狭山差別裁判'''と呼ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の展開 ==&lt;br /&gt;
; 1963年5月1日&lt;br /&gt;
: 狭山市堀兼の[[農家]]の四女で、[[埼玉県立川越高等学校|川越高校]]入間川分校別科1年生の少女（当時16歳）が、午後6時を過ぎても帰宅せず行方不明になった。&lt;br /&gt;
: 午後6時50分頃、心配した長男（当時25歳）が車で学校に行き所在を尋ねたが確認できず、午後7時30分ごろ帰宅したが少女はまだ戻っていなかった。&lt;br /&gt;
: 午後7時40分ごろ、長男が玄関のガラス戸に挟んであった白い封筒を発見した。それは[[脅迫]]状であり、以下のように書かれていた（最初に原文を、次に口語訳を示す）。&lt;br /&gt;
:*「子供の命がほ知かたら、五月2日の夜12時に、金二十万円女の人がもッてさのヤの門のところにいろ。（子どもの命が欲しかったら、2日夜12時、佐野屋の門前に現金20万円。女性に持たせて待て）」&lt;br /&gt;
:*「刑札には名知たら小供は死。（警察に話したら子供は殺す）」&lt;br /&gt;
:*「くりか江す 刑札にはなすな。気んじょの人にもはなすな 子供死出死まう。（繰り返す、警察に話すな、近所の人にも話すな。子供は死んでしまう）」&lt;br /&gt;
: 午後7時50分ごろ、長男は堀兼[[駐在所]]に届け出、その後、駐在所から狭山警察署に連絡された。[[警察]]は[[誘拐]]事件と断定し、緊急捜査体制が取られた。&lt;br /&gt;
; 5月2日&lt;br /&gt;
: 夜、次女（当時23歳）は身代金受け渡し場所として指定された佐野屋酒店の前で、20万円に見せかけた偽造紙幣を持って犯人を待った。&lt;br /&gt;
: 次女は犯人と二言三言会話したが、犯人は張り込みに気づいて逃げてしまった。このとき、警察官は40人で張り込んでいたが、車通りにしか配置を行っておらず、現れた犯人を取り逃がしてしまった。&lt;br /&gt;
: 上田明埼玉県警本部長は「犯人は必ず土地の者だという確信をもった。近いうちにも事件を解決できるかもしれない」と発言、中勲捜査本部長も「犯人は土地勘があることは今までの捜査でハッキリしている。近日中にも事件を解決したい」と発言した。&lt;br /&gt;
; 5月3日&lt;br /&gt;
: 早朝よりの捜査によって、犯人の足跡らしきものが佐野屋の東南方向の畑で見つかった。捜査官は、足跡の臭いを警察犬に追わせたが小川の近くで追跡が困難になった。&lt;br /&gt;
: その足跡や匂いが消えた場所から程遠くないところに[[養豚]]場があった。その養豚場の経営者や家族、それに従業員は、狭山市内の被差別部落の出身者であった。&lt;br /&gt;
; 5月4日&lt;br /&gt;
: 午前10時半、殺害された少女の遺体が、雑木林から麦畑に出たところの農道に埋められていたのが発見された。&lt;br /&gt;
: 夜、埼玉県警に依頼された五十嵐勝爾鑑定医が、少女宅で司法解剖を行った。&lt;br /&gt;
:*死因は首を絞めたことによる窒息死であったが、手で首を絞めた場合に残る指の跡は残っていなかった（扼殺ではない）。&lt;br /&gt;
:*少女は生前に[[姦淫]]されていた。抵抗傷などは見られなかった。精液の血液型はB型だった。&lt;br /&gt;
:*胃の中には[[粥]]状の食物が250ml残っていた。[[法医学]]ではこれは最後に食事したときから2時間、長くても3時間以内に死亡したと推定される（それ以上経過すると胃の中の食物はほとんど腸に移動してしまう）。&lt;br /&gt;
:*胃の中には[[トマト]]も残っていた。後に同級生が法廷で証言したところによると、被害者が当日12時頃、昼食として摂った調理実習の[[カレーライス]]（ならびにその付け合わせ）には、トマトは入っていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 青年の逮捕と「自供」 ==&lt;br /&gt;
1963年3月31日には戦後最大の[[誘拐]]事件といわれた「[[吉展ちゃん誘拐殺人事件|吉展ちゃん誘拐事件]]」で犯人を取り逃がしていた警察は、次いで起きた狭山での誘拐犯人取り逃がしについて強い批判を受けた。死体が発見された4日には柏村信雄[[警察庁長官]]が辞表を提出し、引責辞任した（10日）。埼玉県警は165名からなる特別捜査本部を発足させるも捜査は難航。遺体が発見されて2日後の[[5月6日]]、被害者宅で以前に作男をしていたこともある運送会社の従業員（B型）が原因不明の自殺を遂げた。同日、特捜本部は、養豚場の経営者からのスコップ紛失届を入手したが、これは石川被告が養豚業者から借り受けたものを警察当局がこのような形で、石川被告身柄確保を行使するために取った手続きだとされる。警察は養豚場に出入りしていた被差別部落出身者に的を絞り、特命捜査班を組織して被差別部落民に対する捜査を開始した。当時[[国家公安委員長]]であった[[篠田弘作]]は「こんな悪質な犯人は、なんとしても必ず生きたまま捕らえる」と発表した。（[[埼玉新聞]][[5月7日]]）。11日午後5時ごろ、狭山市入間川東里の小麦畑で盗まれたスコップが発見された。そこでスコップに付いていた土を調べたところ、遺体を埋めた地点の土と同じものという鑑定結果が出たことから、遺体を埋めたときに使ったスコップと認定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同月23日、遺体遺棄現場近くの被差別部落に住む石川一雄（当時24歳：血液型はB型）が喧嘩や上衣の窃盗などの容疑で[[別件逮捕]]された。その部落には養豚場関係者が多く住んでいて、青年は事件の3ヶ月ほど前まで養豚場に勤めていた。[[共同通信社]]は、逮捕前から有力[[容疑者]]が石川であるという情報を入手しており、逮捕前日の22日、工事現場で働いていた石川を撮影している。また警察は、報道陣に対して逮捕当日から「[[筆跡]]などで青年が犯人であることに確信がある」と発表した。一方「彼が犯人だという確信はあるか?」との記者の質問には、竹内武雄副本部長（狭山警察署長）は「これが白くなったら、もうあとにロクな手持ちはない」と答えたという（『ドキュメント狭山事件』・[[日本経済新聞]]）。警察は20日以上にわたって取り調べを行ったが石川は自白をせず、別件で起訴された後、弁護士の&amp;lt;!-- [[仮釈放]] http://www.tcn.ne.jp/~masah/symjknp.htm--&amp;gt;[[保釈]]の申請が認められて[[6月17日]]に釈放されることになったが、釈放直後に警察は本件（[[強盗]]、[[強姦]]、[[殺人]]、[[死体遺棄]]容疑）で再逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
再逮捕された石川被告は、[[6月20日]]に「3人で被害者を姦淫・殺害したという自白」を行った。さらに、[[6月21日]]には「青年が描いた少女のカバンを捨てた場所の地図」に基づいてカバンが発見された。[[6月24日]]には青年が単独犯行を自白した。[[6月26日]]には青年の「[[自供]]」に基づいて自宅から万年筆が「発見」された。さらに、[[7月2日]]、石川の「自供」に基づいて腕時計を捨てたとされる場所の付近から、時計が発見された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: カバン、万年筆、腕時計が「青年の自供により発見」されたことは「犯人しか知り得ない物証」として各判決の決め手となった。そのため'''三大物証'''と呼ばれているが、&lt;br /&gt;
:* 腕時計については当初捜索のために発表された品名はシチズン・コニーとなっていたものが、実際に発見されたのはシチズン・ペットだった、&lt;br /&gt;
:* 発見された万年筆は中に入っていたインクがブルーブラックで、被害者が当日学校で英作文を書くのに使っていたとされるライトブルーとは違うインクであった。&lt;br /&gt;
:* 石川被告の自宅は「自供」以前に何度も捜索されていたにも関わらず、人目につきやすい勝手口の鴨居から万年筆が突然「発見」されたのは青年の「自供」後であった。&lt;br /&gt;
:* 警察側が証拠とする脅迫状の筆跡鑑定は、まったく石川被告の筆跡と異なるものであることは明確であり、かつ、当時の石川被告には文字を書く能力が無いに等しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: などが、冤罪説の根拠とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 刑事裁判の経過 ==&lt;br /&gt;
同年[[7月9日]]、当時の[[浦和市|浦和]][[地方裁判所]]（現：さいたま地方裁判所）に「強盗強姦死体遺棄」で[[起訴]]された石川被告は、一審で犯行を終始認め、判決の言い渡しまで、石川被告は否認をしなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1964年]][[3月11日]]に浦和地裁は石川被告に対し、[[死刑]]の[[判決]]を言い渡した。翌[[3月12日]]青年は控訴した。[[9月10日]]に東京高裁で開かれた控訴審の第1回公判で、青年は執拗な取り調べや虚偽の[[司法取引]]などにより自白を強要されたことを主張し、一審で認めた犯行を全面否認した。しかし、[[1974年]][[10月31日]]東京[[高等裁判所]]は、弁護団の主張を斥けて「無期[[懲役]]」の判決を下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二審判決後、弁護団は新[[証拠]]をあげて[[上告]]したが、[[1976年]][[8月16日]][[最高裁]]は上告を棄却した。その結果元青年の無期懲役が確定し、[[9月8日]]千葉刑務所に入所した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 再審請求 ==&lt;br /&gt;
弁護団はその後も異議申立て、[[再審請求]]を提出するが棄却・却下されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]][[12月21日]]石川被告が31年7ヶ月ぶりに[[仮出獄]]した。関東地方更生保護委員会が元青年の仮出所を公表したが、出所したことを一般に公表するのは極めて異例である。他に公表したケースは、[[神戸連続児童殺傷事件]]の加害者、元少年A（犯行当時14歳）の関東医療少年院を仮退院した事例のみである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]][[3月16日]]、最高裁第一小法廷は第二次再審請求の[[特別抗告]]を棄却した。この直前の2月13日、[[テレビ朝日]]の「ザ・スクープ　スペシャル」という番組で、「見えない手錠をはずして！　狭山事件42年ぶりの真実」と題した特集が組まれ、石川被告のロングインタビューなどが放送された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[5月23日]]、支援者と石川が東京高等裁判所に第三次の再審を請求した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年12月、石川被告が第18回[[多田謡子反権力人権賞]]を受賞した。元青年は、現在も支援者の支援のもとに無罪を主張しつづけている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 支援活動 ==&lt;br /&gt;
事件発生当時、被告に[[自由法曹団]]の弁護士がつき、[[日本国民救援会]]など、[[日本共産党]]の影響下にある団体が支援活動をしていた。[[1969年]]11月、被差別部落出身学生による「狭山差別裁判糾弾」を掲げた「浦和地裁占拠闘争」が始まり、この頃から[[部落解放同盟]]が本格的に狭山裁判に乗り出すことになる。ちなみに、当初の部落解放同盟は石川容疑者が自供していることから、当初は積極的に参加してはいなかったが、1968年10月6日、「狭山事件第1回現地調査」を行なったことを公表した&amp;lt;ref&amp;gt;『解放新聞』1969年3月5日&amp;lt;/ref&amp;gt;ことなどを機に、「差別裁判」を盛んに主張するようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕当時はほとんど文盲といってよい状態だったとされる石川被告は、必死で文字を学び、精力的に支援者への手紙や、短歌をしたためるようになった。1975年、第1回[[部落解放文学賞]]「短歌」部門で特別賞を受賞している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
解放同盟は狭山闘争を重視し、行進や署名運動などが盛んに行われるようになっていった。そして、いわゆる「[[解放教育]]」でも、狭山事件を差別裁判であるとする内容が盛り込まれるようになっていった。[[解放子ども会]]や一部の学校などでは「差別裁判うち砕こう」[http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/sabetsusaiban.html]の歌の授業や、「[[狭山同盟休校]]」などが盛んに行なわれた。こういった形態での「狭山闘争」を、日本共産党などは「狭山妄動」として激しく非難した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、日本共産党は『[[しんぶん赤旗|赤旗]]』[[1977年]][[12月2日]]号と3日号で見解を発表し、「解放同盟が支援活動を混乱させてしまった」と強く非難した（[http://homepage3.nifty.com/na-page/11-5-1.html （1）「公正裁判要求」といっているが、「解同」の「狭山闘争」の破たんと害悪]）。これ以降、共産党系団体は支援活動から離れた。また、一審以来の弁護士も弁護団から離脱した。&amp;lt;ref&amp;gt;「弁護団声明」（[[部落問題研究所]]『部落問題資料第３集』所収）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
解放同盟らによる、狭山事件が「差別裁判」であるとする主張を受け、[[新左翼 (日本)|新左翼]]が支援に乗り出し、[[中核派]]などが解放同盟との共闘を盛んに強めてゆく。このため、狭山闘争の集会では、「[[日共]]差別者糾弾」「反革命[[カクマル]]せん滅」といったアジも盛んに行なわれてゆくようになった。また、[[社青同解放派]]による[[東京高裁長官室乱入事件]]や[[東京高裁判事襲撃事件]]が起きている。「寺尾と刺し違える覚悟」で法廷闘争に臨み、有罪判決を耳にしたときに「そんなことは聞きたくない！」と激怒した石川被告は、[[東京高裁判事襲撃事件]]を知ったとき、感謝感激したという。新左翼と部落解放同盟との共闘は、部落解放同盟と日本共産党との対立を激化させる原因のひとつとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがて[[全国部落解放運動連合会]]は、かつての主張&amp;lt;ref&amp;gt;『解放の道』1975年7月25日所収「狭山事件とは何か」ほか&amp;lt;/ref&amp;gt;を翻し、狭山事件が差別裁判ではないと主張しだした。同時に、いわゆる「解放教育」について、部落解放同盟などが推し進めている「[[狭山同盟休校]]」は[[教育権]]の蹂躙であり、また保育園児にまで「石川兄ちゃんかえせ」「日共粉砕」などと叫ばせているとして、部落解放同盟を激しく非難した。&amp;lt;ref&amp;gt;『解放の道』1984年7月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 冤罪説と真犯人存在説 ==&lt;br /&gt;
本件については、以上のような差別問題のほか、物証（いわゆる三大物証）や取り調べ方法などに数多くの不審点が見られることや、関係者が相次いで自殺(被害者宅の元使用人、被害者の姉と兄、被告の兄、通報者の計5人)、さらに事件を追っていたフリーライターが不審な事故死を遂げていることなどに言及し、支援団体を中心に警察、検察の情報操作による石川被告の冤罪、及び真犯人の存在を主張する声がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Wikinews|狭山事件の再審を求める全国集会行われる―地元で初めて}}&lt;br /&gt;
* [[識字]]&lt;br /&gt;
* [[証拠開示]]&lt;br /&gt;
* [[冤罪]]&lt;br /&gt;
* [[解放教育]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 狭山事件を題材とした作品 ==&lt;br /&gt;
; 映画&lt;br /&gt;
* [[狭山事件]] - 日本共産党系の団体が製作した映画。冤罪を主張しているが、部落解放同盟に「差別映画」と攻撃された。&lt;br /&gt;
* [[造花の判決]] - 部落解放同盟が製作した映画。盛んに上映運動が行なわれたが、姦淫の描写があることが問題視された。&lt;br /&gt;
* [[狭山の黒い雨]] - 部落解放同盟が製作した映画。[[淀川長治]]が絶賛した。&lt;br /&gt;
;演劇&lt;br /&gt;
* [[戯曲・狭山差別裁判]] ([[戸高恒彦]])&lt;br /&gt;
* [[闇に漂う顔]]([[土方鉄]])&lt;br /&gt;
;ビデオ&lt;br /&gt;
* 『わたしは無実！』([[部落解放同盟全国連合会]])[http://www.zenkokuren.org/cat24/cat31/]&lt;br /&gt;
;歌曲&lt;br /&gt;
* 『差別裁判うち砕こう』[http://www.utagoekissa.com/utagoe.php?title=sabetsusaiban]&lt;br /&gt;
* 『水平賛歌』 - 部落解放同盟の支部員が作った歌。[[水平社宣言]]の文言と「かえせ石川君」のスローガンとが盛り込まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[[日本映画新社]]・朝日ニュース昭和映像ブログより - 事件発生当時のニュース映画&lt;br /&gt;
**[http://j-footage.vox.com/library/video/6a00d41420c1f0685e00d41430ad313c7f.html またも捜査に手ぬかり（昭和38年5月8日）]&lt;br /&gt;
**[http://j-footage.vox.com/library/video/6a00d41420c1f0685e00d09e647d89be2b.html 長引く犯人の割出し（昭和38年5月15日）]&lt;br /&gt;
**[http://j-footage.vox.com/library/video/6a00d41420c1f0685e00d41430aeb53c7f.html 女高生殺しの容疑者を逮捕（昭和38年5月29日）]&lt;br /&gt;
*冤罪であるとの立場からのもの&lt;br /&gt;
** [http://www.sayama-case.com/index.html 狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会公式HP]&lt;br /&gt;
** [http://www.bll.gr.jp/sayama/index.html 狭山事件]&lt;br /&gt;
** [http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/sayama/index.html 狭山事件（東京都連合会）]&lt;br /&gt;
** [http://www.jomon.ne.jp/~oldpine/sayama/sayama.html 狭山事件をみんなで考えましょう]&lt;br /&gt;
** [http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/special_back/20050213_010.html ザ・スクープ　動画配信　見えない手錠をはずして！狭山事件42年ぶりの真実]&lt;br /&gt;
** [http://sayamacase.web.fc2.com/ 狭山事件を推理する]&lt;br /&gt;
** [http://www.sayama-jiken.com/index.html 冤罪　狭山事件]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連文献 ==&lt;br /&gt;
* 木山茂著『差別が奪った青春』[[解放出版社]]&lt;br /&gt;
*『狭山差別裁判うち砕け』[[前進社]]&lt;br /&gt;
*『知っていますか?狭山事件一問一答』解放出版社&lt;br /&gt;
* [[亀井トム]]著『狭山事件　権力犯人と真犯人』[[三一書房]]&lt;br /&gt;
* 亀井トム編著『狭山事件への告発状』三一書房&lt;br /&gt;
* 亀井トム・[[栗崎ゆたか]]著『狭山事件　無罪の新事実』三一書房&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さやましけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の判例]]&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代の殺人事件 (戦後)]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:部落解放同盟]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の誘拐事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:被差別部落]]&lt;br /&gt;
[[Category:冤罪が指摘されている事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のプロパガンダ]]&lt;br /&gt;
[[Category:狭山市]]&lt;br /&gt;
[[Category:1963年の日本]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>185.195.71.2</name></author>	</entry>

	</feed>