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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>加藤智大</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 著書 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:加藤智大　1.jpg|400px|thumb|加藤 智大]]&lt;br /&gt;
'''加藤 智大'''（かとう ともひろ、[[1982年]][[9月28日]] - ）は日本の偉大なる[[革命家]]。[[小泉毅]]、[[金川真大]]、[[引寺利明]]らとともに「'''ネ申'''」と呼ばれている。[[派遣社員]]や[[期間従業員]]を資本家や経営者から解放するために、[[秋葉原通り魔事件]]を起こして、[[資本主義]]に対して反旗を翻した。身長167cm.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
*[[青森県]]五所川原市生まれ、[[青森市]]育ち。&lt;br /&gt;
*事件当時は仕事の関係で[[静岡県]]裾野市在住だった。&lt;br /&gt;
*[http://www.aomoricity.ed.jp/tsukudachu/ 青森市立佃中学校]在学中は成績優秀だったが、当時からすぐキレる性格やナイフを持ち歩く癖などで周囲を困らせていた。&lt;br /&gt;
*[http://www.tosei-e.asn.ed.jp/~h/ 青森県立青森高等学校]では成績順位が一気にガタ落ち。&lt;br /&gt;
*[[2003年]]3月、[http://www.nakanihon.ac.jp/index.html 中日本自動車短期大学]自動車工学科卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただの池沼の犯罪者&lt;br /&gt;
それ以下でもそれ以上でもない&lt;br /&gt;
在日朝鮮人の可能性が濃厚というのが２ちゃんでの通説である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アンサイクロペディアでの扱い ==&lt;br /&gt;
[[アンサイクロペディア]]ではこの仕事を神格化しており、この偉大なる仕事人を揶揄する垢は問答無用でリネームされたうえ追放されてしまう。&lt;br /&gt;
なぜか[[市橋達也]]教授は削除されずに残っていることから、何者かによる隠蔽工作活動と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
*1998年3月、青森市立佃中学校卒業&lt;br /&gt;
*1998年4月、青森県立青森高等学校入学&lt;br /&gt;
*2001年2月、青森県立青森高等学校卒業&lt;br /&gt;
*2001年4月、中日本自動車短期大学自動車工学科入学&lt;br /&gt;
*2003年3月、中日本自動車短期大学自動車工学科卒業&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『解』（批評社、2012年7月）&lt;br /&gt;
*『解+ 秋葉原無差別殺傷事件の意味とそこから見えてくる真の事件対策』（批評社、2013年4月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
*『RIVER』（2012年3月）&lt;br /&gt;
*『ぼっちゃん』（2013年3月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
*[[秋葉原通り魔事件]]&lt;br /&gt;
*[[学歴厨]]&lt;br /&gt;
*[[童貞]]&lt;br /&gt;
*[[上部康明]] - [[1999年]]に[[山口県]][[下関市]]で類似事件を起こしていたが、レンタカーを使う等、やり方が加藤とかぶりまくっていた。&lt;br /&gt;
*[[菅野昭一]] - 加藤にモノの見事に影響された間抜けオヤジ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かとうともひろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:青森県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

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		<title>加藤智大</title>
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				<updated>2013-09-23T08:37:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 映画 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:加藤智大　1.jpg|400px|thumb|加藤 智大]]&lt;br /&gt;
'''加藤 智大'''（かとう ともひろ、[[1982年]][[9月28日]] - ）は日本の偉大なる[[革命家]]。[[小泉毅]]、[[金川真大]]、[[引寺利明]]らとともに「'''ネ申'''」と呼ばれている。[[派遣社員]]や[[期間従業員]]を資本家や経営者から解放するために、[[秋葉原通り魔事件]]を起こして、[[資本主義]]に対して反旗を翻した。身長167cm.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
*[[青森県]]五所川原市生まれ、[[青森市]]育ち。&lt;br /&gt;
*事件当時は仕事の関係で[[静岡県]]裾野市在住だった。&lt;br /&gt;
*[http://www.aomoricity.ed.jp/tsukudachu/ 青森市立佃中学校]在学中は成績優秀だったが、当時からすぐキレる性格やナイフを持ち歩く癖などで周囲を困らせていた。&lt;br /&gt;
*[http://www.tosei-e.asn.ed.jp/~h/ 青森県立青森高等学校]では成績順位が一気にガタ落ち。&lt;br /&gt;
*[[2003年]]3月、[http://www.nakanihon.ac.jp/index.html 中日本自動車短期大学]自動車工学科卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただの池沼の犯罪者&lt;br /&gt;
それ以下でもそれ以上でもない&lt;br /&gt;
在日朝鮮人の可能性が濃厚というのが２ちゃんでの通説である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アンサイクロペディアでの扱い ==&lt;br /&gt;
[[アンサイクロペディア]]ではこの仕事を神格化しており、この偉大なる仕事人を揶揄する垢は問答無用でリネームされたうえ追放されてしまう。&lt;br /&gt;
なぜか[[市橋達也]]教授は削除されずに残っていることから、何者かによる隠蔽工作活動と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
*1998年3月、青森市立佃中学校卒業&lt;br /&gt;
*1998年4月、青森県立青森高等学校入学&lt;br /&gt;
*2001年2月、青森県立青森高等学校卒業&lt;br /&gt;
*2001年4月、中日本自動車短期大学自動車工学科入学&lt;br /&gt;
*2003年3月、中日本自動車短期大学自動車工学科卒業&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『解』（批評社、2012年7月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
*『RIVER』（2012年3月）&lt;br /&gt;
*『ぼっちゃん』（2013年3月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
*[[秋葉原通り魔事件]]&lt;br /&gt;
*[[学歴厨]]&lt;br /&gt;
*[[童貞]]&lt;br /&gt;
*[[上部康明]] - [[1999年]]に[[山口県]][[下関市]]で類似事件を起こしていたが、レンタカーを使う等、やり方が加藤とかぶりまくっていた。&lt;br /&gt;
*[[菅野昭一]] - 加藤にモノの見事に影響された間抜けオヤジ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かとうともひろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:青森県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;/div&gt;</summary>
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	<entry>
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		<title>市橋達也</title>
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				<updated>2013-09-23T08:23:41Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 映画 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア白紙保護}}&lt;br /&gt;
'''死ね橋アホ也'''（しねはしあほや、[[1979年]][[1月5日]] - ）は、不細工だったが整形してイケメン顔を手に入れた。身長180cm、体重60kg。*足のサイズ27cm。[[空手]]で[[黒帯]]を持っていると言う虚実をばら撒いている。血液型O型。[[岐阜県|G県]][[羽島市|H市]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 実態 ==&lt;br /&gt;
だが、イケメンなのはあくまで顔だけである。それでも最初は市橋をイケメンだという人物は殆ど現れず、むしろ「危険な顔」とか言われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この男は[[2007年]]に当時住んでいた[[千葉県]][[市川市]]のマンションで女性英会話講師を殺害して、現場に駆けつけた'''間抜けな貧弱ポリス'''を倒して逃亡（このとき間抜けポリスの「警察呼んで！」は全国で笑いものになった）、[[2009年]]に[[大阪府]][[大阪市]][[住之江区]]で逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが逮捕後、その市橋に日本の女らはファンクラブ的な動きを起こし、「'''市橋ガールズ'''」たる団体が出てきた。'''流石は犯罪者美化・被害者侮辱大国の日本だけのことはあるぜ!'''だが、この実態についてもやはり[[I.T.Revolution|このアホ]]はわかってくれない…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父親は医師、母親は歯科医師という、裕福な家庭に育ち、活発で人気者の少年時代を送っていた。&lt;br /&gt;
だが、キレやすくなる一面もあった。だから･･･、こいつなんて'''死ね'''ばいいんだ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
平成6年3月 [http://www.hashima-gifu.ed.jp/~takehanaj/ 羽島市立竹鼻中学校]卒業&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平成9年3月 [http://school.gifu-net.ed.jp/hasikita-hs/ 岐阜県立羽島北高等学校]卒業 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浪人を経て進んだ[[横浜国立大学]]の二部を1年ほどで中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平成13年4月（22歳）に[[千葉大学]]園芸学部緑地環境学科に再入学したが、平成17年3月（26歳）に大学卒業後も就職せずに祖父母名義のマンションに一人で住む。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無期懲役囚として刑務所入所。現在に至る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』（幻冬舎、2011年1月、ISBN 978-4-344-01941-6 ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
*『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』（2013年11月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
*[[大橋竜也]]&lt;br /&gt;
*[[水嶋ヒロ]]&lt;br /&gt;
*[[整形]]&lt;br /&gt;
*[[マイケル・ジャクソン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://wiki.chakuriki.net/index.php/Category:%E7%95%A0%E5%B1%B1%E8%82%B2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%82%BD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%91%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E5%BC%B7%E3%81%8F%E7%96%91%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC チャクウィキ市橋関連アカウント]（全て封鎖済）&lt;br /&gt;
*[[wiki:利用者:市橋達也|ウィキペディアの市橋達也氏]]（不適切の利用者名として無期限ブロック）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{オウム真理教}} &lt;br /&gt;
{{野田憲太郎}} &lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いちはしたつや}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで白紙保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:1979年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:性犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%8B%98%E5%9D%82%E5%BA%B7%E5%BC%98&amp;diff=203686</id>
		<title>勘坂康弘</title>
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				<updated>2013-09-05T04:09:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:勘坂康弘　1.png|400px|thumb|[[焼肉酒家えびす]]社長　勘坂康弘]]　&lt;br /&gt;
'''勘坂 康弘'''（かんざか やすひろ、[[1968年]][[8月18日]] - ）は、[[フーズフォーラス|株式会社フーズフォーラス]]([[焼肉酒家えびす]])[[代表取締役]][[社長]]。&lt;br /&gt;
住所は、〒920-0363 石川県金沢市古府町南1018 LIVEIN古府D棟&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
[[Image:勘坂康弘　4.jpg|400px|thumb|土下座する勘坂康弘社長]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『日本一の伝説となるレストランチェーンを実現』を理念としている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.gaisyoku.biz/pages/entre/lecture/foodsforus_01.cfm 外食.com 新春特別講義 強力なチームづくりが、幸せな人生を実現する ～｢えびすストーリー｣]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
焼き肉チェーン店「[[焼肉酒家えびす]]」で4人が死亡したユッケ集団食中毒で、富山、福井両県警の合同捜査本部は[[2011年]][[5月6日]]午後、[[業務上過失致死]]容疑で、チェーンを運営する「フーズ・フォーラス」（石川）の本社や富山、福井県の店舗、東京都内の食肉卸業者などを家宅捜索する。同社の勘坂康弘社長（43）は2014年度までの[[東証マザーズ]]上場を目指してビジネスを拡大。有名ホテルを手本にした経営理念を掲げたものの、急成長に肝心の安全管理がまったく追いついていなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユッケ用の生肉は、東京都板橋区の食肉卸業者がチェーン店側に販売した。合同捜査本部は卸業者らから詳しく事情を聴くとともに、肉の流通経路などを調べ、集団食中毒の全容解明を進める。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでに富山県砺波市の砺波店や福井渕店（福井市）でユッケなどを食べた男児ら4人が亡くなったほか、神奈川、富山両県で34人が入院。うち21人が重症となって &lt;br /&gt;
いる。神奈川県警も5日、業務上過失致死容疑で捜査本部を設置した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「本当に申し訳ございませんでした」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5日、同社の勘坂社長は報道陣の前で路上に土下座し、こう声を震わせた。「生食用として市場に流通している牛肉はありません！」などと声を荒らげて弁明した2日の &lt;br /&gt;
会見以降、まるで豹変したかのように神妙な態度を貫いている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勘坂社長は[[1968年]]、富山県高岡市生まれ。金沢経済大（現・金沢星稜大）在学中のアルバイトはディスコの黒服。卒業後、高岡市内の商社に入るも2年で退社した。関係者は「そこから独立に向け、派遣社員の給料で月30万円ずつ3年弱の間に1,000万円ためた。当時の貯金術を『とても簡単。使わなければいい』と語って &lt;br /&gt;
いた」と証言していた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1998年]]に同社を設立。社名は「FOOD FOR US」に由来し、「幸せの実現」を企業理念に掲げた。石川など北陸3県で足場固めをした後、昨年、横浜への出店で首都圏進出。[[2010年]]末までに北陸で16店、首都圏で4店を展開。業界関係者によると、勘坂社長は[[2014年]]度までの東証マザーズ上場を目指していたという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「店では名門ホテルの[[ザ・リッツ・カールトン]]が掲げる経営理念を参考にした礼儀作法の『6大行動規範』などを徹底。自らの性格については『石橋を3回たたいて&lt;br /&gt;
渡るほど慎重』と評していた。夢は『日本一の伝説に残るレストランチェーン』を築くこと。2020年ごろまでに全国300店が目標だっただけに、当面の課題である上場を焦るあまり、安全面の管理がおろそかになったのではないか」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同社の急成長ぶりは注目を集め、バラエティー番組「[[人生が変わる1分間の深イイ話]]」（日本テレビ系）でも取り上げられた。4月18日の放送では、低価格を維持する経営方針などを出演者のタレント・[[島田紳助]]らが絶賛。死亡した男児は同17日に福井渕店でユッケを食べていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「日本一の伝説に残るレストランチェーン」が目標だった同社。食中毒で4人の死者を出し、日本一注目されてしまったのはあまりに皮肉である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==経歴==&lt;br /&gt;
*1968年8月　[[富山県]][[高岡市]]生まれ&lt;br /&gt;
*1992年3月　金沢経済大学（現・[[金沢星稜大学]]）経済学部 卒業&lt;br /&gt;
**経済 経済 48 (偏差値)&amp;lt;br/&amp;gt;経済 経営 47 (偏差値)&amp;lt;br/&amp;gt;人間科 スポーツ 45 (偏差値)&amp;lt;br/&amp;gt;人間科 こども 49 (偏差値)&lt;br /&gt;
*1997年5月　「[[焼肉酒家えびす]]」を高岡市に開店&lt;br /&gt;
*1998年9月　有限会社フーズフォーラス設立&lt;br /&gt;
*2000年12月 [[フーズフォーラス|株式会社フーズフォーラス]]設立&lt;br /&gt;
*2010年末　 北陸3県と[[神奈川県]]に「焼肉酒家えびす」20店舗展開&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「焼肉酒家えびす」殺人ユッケ社長。金沢市でバイトしながら家賃9万円マンションで生活、妻子とは別れた(2013年) ==&lt;br /&gt;
2011年春、焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」でユッケを食べた客から、死者5人を含む181人もの被害者が出た食中毒事件。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初、「生食用として市場に流通している牛肉はありません！」などと逆ギレしていた勘坂康弘元社長（44才）だが、 死者が出ると「必ず償います」と土下座した。あれから2年が経つが、被害者に対する補償は今もまったく進んでいない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件で次男（享年14）を亡くし、自らも被害にあった富山県内の男性A氏（50才）が憤る。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「勘坂は事件から1か月後に一度謝りに来ただけで、補償は支払われていません」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
補償が進まないのはなぜか。同店を運営するフーズ・フォーラス社は、被害者への損害賠償額も含めて17億円にのぼる負債を抱える一方で、手元に残っている資金はわずかしかない。そこで、昨年8月には、“殺人ユッケ”の仕入れ先である食肉卸業者・大和屋商店に約3億1000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたが、この訴訟は異例なものだった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「フーズ社が被害者にも原告団に加わるよう求めたんです。裁判に勝てば、その賠償金は参加した被害者に分配されます。でも、加害企業と手を組むことになるわけですから、被害者や遺族にとっては複雑です。そのうえ訴訟にかかる費用、数十万円を負担しなければならないわけですから…」（A氏） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局、ほとんどの被害者がフーズ社の提案を拒否した。しかも、訴訟自体かなり難航しそうだ。倒産したフーズ社の清算手続きを行っている行政書士・大村安孝氏の話。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「大和屋商店は、警察の調べで食中毒の原因が断定されていないことを理由に、“食中毒の原因はそもそもユッケなのか”という事実関係から争う姿勢。裁判が長引いているので、被害者側が仮に勝訴しても、補償金の分配はかなり先のことになりそうです」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当の勘坂元社長はといえば、被害者への対応は清算人に任せきりで、金沢市内の家賃9万円の賃貸マンションで暮らしている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「妻子とは別れ、知人の飲食店でアルバイトしながら生活しているようです」（地元紙記者)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.ebisu-net.com/ 焼肉酒家えびす]&lt;br /&gt;
*[http://www.gaisyoku.biz/pages/entre/lecture/foodsforus_01.cfm 外食.biz 起業のすすめ - 勘坂康弘のインタビュー]&lt;br /&gt;
*[http://www.youtube.com/watch?v=SDvba8REjic 食中毒事件の釈明会見の映像]&lt;br /&gt;
*[http://www.youtube.com/watch?v=MklcvPvQVik インタビューでの謝罪映像]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かんさかやすひろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:1968年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:悪徳経営者]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

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		<title>長沼勇也</title>
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				<updated>2013-08-28T02:39:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''長沼 勇也'''（ながぬま ゆうや）とは、複数の交際女性の顔をライターの火であぶり、殺害した女性遺体とともに約2カ月間、逃避行を続けていた異常犯である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
交際していた女性の遺体を京都府八幡市内のスーパー駐車場に止めた軽乗用車の助手席に放置、遺棄した男が[[2011年]]夏、京都府警に死体遺棄容疑で逮捕された。&lt;br /&gt;
その後、傷害致死容疑で再逮捕されたが、男は車内で日増しに損傷が激しくなっていく遺体とともに約2カ月間、逃避行を続けていたことが明らかになり、猟奇的な事件として世間の耳目を集めた。さらに別の複数の交際女性の顔をライターの火であぶるなど、加虐的な犯行も昨年末にかけて次々と立件されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 変わり果てた遺体 ==&lt;br /&gt;
「駐車場に止まった車から異臭がする」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2011年]][[8月20日]]午後、[[京都府]][[八幡市]]内のスーパー「ラ・ムー八幡店」の店長からの通報を受けた府警八幡署員たちがスーパー駐車場に駆けつけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
軽乗用車に近づき、無施錠の助手席のドアを開けると、激しい腐臭が鼻をついた。コートなど上着が何重にもかけられ、盛り上がった助手席のシート。署員が上着をはぎ取ると、変わり果てた遺体が姿を現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バッテリーがあがり、ガソリンも尽きかけた真夏の車内。遺体はほぼ白骨と化していた。車内にはペットボトルや雑誌などのごみも散乱していたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時、しばらくスーパー駐車場に止められていた車の中で寝泊まりする20～30代の男が複数の店員らに目撃されており、男は遺体が発見される直前にこつぜんと姿を消していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[DNA鑑定]]で遺体は軽乗用車の所有者だった[[岐阜県]][[瑞浪市]]の無職、日比野茜さん＝当時(34)＝と判明。遺体の損傷が激しく、正確な死因は不明ながらも、死亡時期は6～7月ごろと推定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
府警はその後の捜査で、男が日比野さんと交際していた住所不定の無職、長沼勇也被告(23)＝死体遺棄、傷害致死などの罪で起訴、公判前整理手続き中＝と断定、死体遺棄容疑で指名手配した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8月24日夕方、駐車場から約4キロ離れた路上で捜査員が長沼被告を発見。職務質問に対し、当初は落ち着いた様子で偽名を名乗り、「彼女に会いに行くところです」などと嘘をついたが、任意同行で車両に乗せられると観念した様子で本人だと認めたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
府警によると、長沼被告は死体遺棄容疑で逮捕された当時、「逮捕されてほっとした」などと供述。しかし、駐車場で目撃された長髪に無精ひげ、作業着という姿に対し、逮捕時は黒色のＴシャツにサンダル姿、髪形も変えてひげもきれいにそるなど風貌が激変していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査関係者は「嘘を言って捜査員をだまそうとし、外見の印象もがらっと変えた。うまく逃げようとしていたのではないか」と指摘する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族を捨てて… ==&lt;br /&gt;
日比野さんと長沼被告が出会ったのは平成22年秋。日比野さんは離婚後、両親や幼い長女と暮らしており、アルバイトとして働いていた瑞浪市内のパチンコ店に長沼被告が勤め始めたのがきっかけだった。急速に仲を深め、同12月、日比野さんは長女を市内の保育園に預け、自分の軽乗用車で長沼被告と姿を消した。両親には何も告げなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
所持金はわずかで、持ち物は数日分の着替えのみ。2人は、長沼被告が過去に遊びに行ったことがあるという大阪を目指していたとみられる。行く先々のパチンコ店に立ち寄り、長沼被告が稼いだ金でホテルに泊まり、現金が尽きると車内泊を繰り返した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
手と手を取り合って飛び出してはみたものの、希望が全く見いだせない現実に直面し、2人の関係は次第に険悪になっていったのだろうか。駆け落ちから半年後。遺体発見の約2カ月前となる2011年6月ごろには、大阪府豊中市内で口論する姿が目撃されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 遺体とともに2カ月 ==&lt;br /&gt;
逮捕後、長沼被告は「大阪府枚方市内のホテルで日比野さんと別れ話などで口論になり、突き倒した」と供述した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、府警はホテルで突き倒した日時を6月29日～7月1日とほぼ特定。この後に日比野さんの体調が悪化したとみられることから、ホテルでの暴行が頭部打撲による頭蓋内出血を招いたと判断し、9月に傷害致死容疑で再逮捕した。10月、京都地検は死体遺棄と傷害致死の罪で起訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、長沼被告の弁護側は京都地裁で開かれた勾留理由開示手続きで、別れ話で口論になった日比野さんが走行中の車の助手席から飛び降り、頭部打撲による頭蓋内出血で死亡した－と主張、傷害致死容疑を否認した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日比野さんの遺体は車内で動かされた形跡がなかった。つまり傷害致死罪の成否は今後の公判に委ねられるとしても、長沼被告が約2カ月間にわたって車内で遺体と過ごしていたことはほぼ間違いない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なぜ、そんな異常な事態が続いたのか－。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時、長沼被告は「警察に行こうと思ったが、躊躇して行けないまま時間がたってしまった」と話したという。しかし、ある捜査関係者は「遺体が腐敗すれば暴行の跡も消える。遺棄して早期に発見され、死因が特定されることを恐れたのではないか」と指摘する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 加虐的な性癖 ==&lt;br /&gt;
わずか1カ月ほどの短期間の交際にもかかわらず、日比野さんに生まれ育った故郷と両親、そして長女を捨てさせた長沼被告とはどんな男なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
身長は170センチほどでスマートな体形。ゆるくウエーブがかかった長めの髪に穏やかそうな目。一見すると、流行の“草食系男子”のような風貌だ。少年時代は地元の野球クラブに所属し、白球を追って汗を流す一面もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で交際する女性に加虐的に暴行を繰り返す“裏の顔”を併せ持っていた。逮捕後の府警の調べで、長沼被告が、日比野さん以前に交際していた20歳代と30歳代の2人の女性＝いずれも岐阜県在住＝に対し、ライターの火であごをあぶったり、カミソリで腕を切りつけたりといった暴行を加えていたことが発覚。府警は2011年10、12月にそれぞれ傷害容疑で逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査関係者によると、長沼被告は「家族をめちゃくちゃにしてやるぞ」と脅すこともあった。暴行を加えた後、決まって女性に甘い言葉をささやき、人が変わったように手厚く扱ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査関係者は「目をつけた女性に積極的に言い寄って交際を始め、徐々に暴行をエスカレートさせて女性がおびえる様子を楽しんでいたようだ。女性を洗脳して支配するため、アメとムチを使い分けていたのか」と語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
暴行を受けたとされる2人の女性は被害届を出した際、捜査関係者にこんな悲痛な思いを訴えたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自分が訴追することで、1年でも長く刑務所に入れたい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家族を捨てた駆け落ちの末、命を落とした日比野さん。そして、ゆがんだ支配欲に心身ともに傷つけられたとされる2人の女性。長沼被告が彼女たちに残した傷跡はあまりにも深い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:なかぬま ゆうや}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:京都府の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:2011年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%9D%82%E6%9D%B1%E5%BF%97%E9%83%8E&amp;diff=202535</id>
		<title>坂東志郎</title>
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				<updated>2013-08-28T02:36:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''坂東 志郎'''（ばんどう しろう）とは、20年を超える不倫の末、51歳の妻を殺害した元・銀行員である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
[[東京都]][[江東区]]木場4の[[大横川]]で[[2011年]][[9月14日]]に女性の変死体が見つかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[警視庁]][[深川署]]捜査本部は9月18日、女性の身元を江東区東陽3、坂東宏美さん(51)と確認し、宏美さんの遺体を川に捨てたとして、同居する夫で自称会社員、坂東志郎(63)を死体遺棄容疑で逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
調べに対し「川に捨てたのは間違いない。詳しいことは後で話す」と容疑を認め、殺害についても関与をほのめかしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査本部によると、坂東容疑者は宏美さんと2人暮らし。遺体の所持品や聞き込みから宏美さんの身元が浮上し、18日、自宅にいた坂東容疑者に事情を聴いたところ、遺棄容疑を認めた。捜索願は出ていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宏美さんの首には絞められたような痕があり、軟骨の一部が損傷していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遺体には鉄アレイ(重さ約1キロ)2個を結んだビニールひも(2メートル)が絡まっており、捜査本部は、坂東容疑者が首を絞めた後、鉄アレイを重りにして川に投げ込んだとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕容疑は14日未明、大横川に宏美さんの遺体を遺棄したとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 坂東志郎を送検(2011年9月) ==&lt;br /&gt;
自称・会社員の坂東志郎(63）は、妻の宏美さん（51）の遺体を川に捨てた疑いで9月19日朝、送検された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
川の中からは車椅子が見つかっている。宏美さんの遺体が発見される数時間前、自宅マンションの防犯カメラに志郎とみられる男が車椅子を押す姿が映っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
坂東は、「金融の専門家」として、雑誌に寄稿したり、講演を行ったりしていたが、逮捕されたあとの調べで、「妻を殺して自分も死ぬつもりだったが、講演会などの仕事があり、穴を空けられないと思った」と供述していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
坂東は、その後の調べに対しては多くを語らないということで、警視庁は動機を追及している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京都江東区のマンションに住む坂東宏美さん(51)が殺害され、遺体が近くの大横川で見つかった事件で、東京地検は19日、殺人と死体遺棄の罪で、夫の坂東志郎(63)を起訴した。起訴内容を認め「借金苦だった。　自分も死のうと思った」と供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
坂東志郎は2011年9月10日ごろ、自宅で宏美さんの首を電気コードのようなもので絞め、殺害。遺体を大横川に遺棄した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 不倫「20年愛」の末…　遺体に鉄アレイくくり川に遺棄。元銀行マンの“多重債務地獄” ==&lt;br /&gt;
犯行現場となったのは、20年を超える不倫の末に築いた“2人の城”だった－。妻を自宅で絞殺し、遺体に鉄アレイをくくりつけ川に捨てたとして、殺人と死体遺棄の罪に問われた坂東志郎の裁判員裁判。「嘘」と「多重債務」に彩られた愛の軌跡が、法廷で明らかになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
起訴状と検察側の冒頭陳述によると、被告は平成23年9月、東京都江東区の自宅マンションで妻・宏美さん＝当時(51)＝の首を電気コードで絞め殺害。数日後、遺体を車いすに乗せて運び、鉄アレイをつけたひもをくくりつけて川に遺棄したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]][[5月22日]]の初公判で坂東志郎は起訴内容を認め、犯行の動機が争点となった。弁護側は被告が消費者金融などの借金に苦しんでおり「自殺しを考えたが、宏美さんを1人で残せないと決意した」として、心中目的の犯行だったと主張。検察側は「真の動機は分からない」と述べた上で、犯行前後に妻の口座から現金を引き出し借金返済にあてていたことや、逮捕まで自殺を図った形跡がないことを指摘。「『心中』は罪を軽くするための嘘」と訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
傍聴席はほぼ満席。21日に制度施行3年を迎え、裁判員裁判への関心が高まっている様子がうかがえる。約50人の傍聴人が見守る中、弁護側の被告人質問では坂東志郎が被害者と歩んだ25年が明らかにされていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2人の出会いは[[昭和61年]]にさかのぼる。坂東志郎が当時勤務していた大手銀行に、27歳の宏美さんが就職。同じ部署で働きはじめると間もなく、交際が始まった。弁護側の被告人質問で、被告は当時について問われ「2人が出会った部署への発令日が彼女の誕生日で、交際後に『赤い糸で結ばれていると感じた』と言われた」というエピソードを紹介した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、12歳年上の被告は当時すでに、別の女性と結婚し3人の子供がいた。翌[[昭和62年]]には宏美さんが坂東志郎の子供を身ごもり中絶する苦難もあったが、関係は続いたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
坂東志郎は[[平成10年]]に銀行を早期退職、民間企業に再就職したのを機に家族と別居、宏美さんとの“愛の巣”となるマンションを購入した。さらに10年以上が経過した[[平成21年]]、ようやく離婚が成立し、2人は出会いから20年以上を経て入籍を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
坂東志郎は法廷で、ここ数年糖尿病を患い入退院を繰り返したことを明かし、宏美さんの存在について「食事、運動を常にサポートしてくれる看護師、栄養士でもあり、『命の恩人』だった」と説明。昔と変わらない円満な関係を強調した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、証拠調べや検察側の被告人質問では、被告が仲睦まじいパートナーにも、借金の存在をひた隠しにしてきた実態があらわになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「生活費に加え、宏美さんとの交際費に充てるためサラ金に手を出した」（捜査段階の供述）と、銀行員時代から消費者金融などで借金を重ねた被告。銀行を辞めた際の退職金でいったんは完済したものの、その後再び借り入れがふくれ上がり、犯行当時は住宅ローンを含め借金が4千万円超に。毎月50万円以上の収入があったにも関わらず、返済額が上回っていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
20年越しの“新婚生活”の陰で、「火の車」状態の坂東志郎はなりふり構わず金策に走る。元妻が暮らすマンションを無断で借金の担保にあて、別の消費者金融の借り入れの際には弟の保険証を偽造。宏美さんの貯蓄500万円も、無断で使い切った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、坂東志郎が被害者のクレジットカードを不正使用した記録が自宅に届いた際には、契約していた警備会社職員の住居侵入を匂わせ、ごまかしたこともあったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害前後の坂東志郎の言動からも、「カネ」と「嘘」ばかりが浮かび上がる。犯行当日にも外出中の宏美さんの銀行カードを使いキャッシングを試みるなど、複数回にわたり銀行口座から無断で現金を引き出し、借金返済にあてた。殺害後は宏美さん宛てにメールや電話を残すなど隠蔽工作を疑わせる行為に及んでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は被告人質問で、坂東志郎が警察から事情聴取を受けた当初、「妻が行方不明になり、電話をかけても連絡がつかない」などと説明していた点を追及。坂東志郎は「子供じみた嘘をついた」と言葉を濁した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
審理を通し、借金苦の状況は明らかになっていく。しかし、そもそもいったんは債務を完済した被告が、再び借金地獄に陥るきっかけは何だったのか。再就職の数年後、突如給与が半減したことを理由に挙げる被告に対し、検察官が質問する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:検察官「再就職後の給料が60万円で、半分になっても30万円。会社とは別のコンサルタント業を含めれば50万円の手取りがあったんですよね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:坂東志郎「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:検察官「なぜ借金が必要になるんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:坂東志郎「返済するだけで毎月100万円近くなり、収入の倍になっていました。バクチも一切やっていません。生活費の充当と借金返済だけでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
借金生活が始まった理由についての答えにはなっていないが、検察官は追及しないまま質問を打ち切る。また、借金を被害者に打ち明けることもなく殺害した理由についても、坂東志郎は不可解な弁解に終始する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:坂東志郎「借金を打ち明ければマンションを手放すことになり、『2人でマンションに住む』という彼女の夢を壊すことになる。マンションを残すには自分が死ぬしかないが、借金を残したまま死ねば、風評被害で彼女もマンションを追われるかもしれない。2人で死ぬしかないと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:検察官「元銀行員なんだから、自己破産についても当然知っているわけですよね。なぜ利用しなかったんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:坂東志郎「マンションから出ていかなければならなくなるので。当時は彼女の夢をつぶしてはいけない、としか考えていませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宏美さんの「夢」、という言葉を繰り返す坂東志郎。犯行の数日後、室内で腐乱した遺体にかぶせていたシーツなどを勤務先で捨てていた点を問われると、さらに住居の意義を繰り返す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:坂東志郎「マンションは彼女が作り上げた『城』。城の中に置いておくのはよくないと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:検察官「じゃあ、『城』の中で殺しはやってもいいの？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:坂東志郎「身勝手で、申し訳ありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員も疑問が尽きない様子で、積極的に質問を重ねていく。女性裁判員は夫婦関係について尋ねる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:裁判員「一貫してよく分からないんですが。非常に長く不倫をしていて、本当にトラブルがなかったんですか？　私なら諦めますけど」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:坂東志郎「子供を中絶した時の一度きりでした。私からも彼女からも、問題になることはありませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
坂東志郎は、老人ホームに暮らす実母のお見舞いから帰宅した直後の被害者を絞殺していた。男性裁判員は犯行の計画性について尋ねる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:裁判員「お母さんのお見舞いから帰ってきたところを殺した、というのは計画していたんですか。衝動でしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:坂東志郎「前もって考えていません。夕方に彼女が帰ってきて、衝動的でした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:裁判員「本当に理解できないんですが。母親のお見舞いから帰ってきたばかりの奥さんを、突然に？　しかもたまたま手元に電気コードがあったんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:坂東志郎「はい、衝動的です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員らは終始険しい表情で、発言する被告を見つめていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は[[5月25日]]の論告で、犯行動機として&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（１）宏美さんの財産を奪う目的だった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（２）借金や被害者名義のカードの不正使用が発覚し、口論になった－&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などの可能性を挙げ、「被告が嘘をついているのは明らか」と主張。懲役17年を求刑した。弁護側は最終弁論で「仲の良い夫婦だった。借金を苦に心中を図り、死ねなかったのが真相」として犯行の悪質性を否定、懲役8年が相当とし、結審した。判決は[[5月29日]]に言い渡される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家庭を犠牲にし、20年以上を共に歩んだパートナーを失ってなお、坂東志郎が守ろうとしたものは何だったのだろうか。元銀行マンらしい丁寧な言葉遣いと淡々とした表情から、読み取ることはできなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[日野OL不倫放火殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[平垣巨幹]]&lt;br /&gt;
* [[薄化粧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:はんとう しろう}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:江東区の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:2011年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:転落人生]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%85%92%E9%AC%BC%E8%96%94%E8%96%87%E8%81%96%E6%96%97&amp;diff=202534</id>
		<title>酒鬼薔薇聖斗</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%85%92%E9%AC%BC%E8%96%94%E8%96%87%E8%81%96%E6%96%97&amp;diff=202534"/>
				<updated>2013-08-28T02:31:50Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:酒鬼薔薇聖斗1.jpg|400px|thumb|酒鬼薔薇聖斗こと東 真一郎]]&lt;br /&gt;
[[Image:酒鬼薔薇聖斗2.jpg|400px|thumb|酒鬼薔薇聖斗の声明文]]&lt;br /&gt;
[[Image:酒鬼薔薇聖斗3.jpg|400px|thumb|酒鬼薔薇聖斗の声明文]]&lt;br /&gt;
'''酒鬼薔薇聖斗'''（さかきばらせいと）は、[[神戸連続児童殺傷事件]]の犯人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1997年]]（[[平成]]9年）に[[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]で発生した当時14歳の[[中学生]][[東真一郎]]（以下「[[少年]]」と称す）による連続殺傷事件。別名『'''酒鬼薔薇事件'''』『'''酒鬼薔薇聖斗事件'''』とも呼ばれる。この事件で、2名が死亡し、3名が重軽傷を負った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
数ヶ月にわたり、複数の[[小学生]]が殺傷された事件である。[[通り魔]]的犯行や[[遺体]]の損壊が伴なった点、特に被害者の頭部が「声明文」とともに中学校の正門前に置かれた点、地元新聞社に「挑戦状」が郵送された点など、強い暴力性が伴なう特異な事件であった。また、犯人がいわゆる「普通の中学生」であった点も社会に衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察は聞き込み捜査の結果、少年が動物への虐待行為をたびたびおこなっていたという情報や、被害者男児と顔見知りである点などから、比較的早期から彼に対する嫌疑を深めていたが、対象が中学生であるため、極めて慎重に捜査は進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、中学生には到底不可能な犯行とされること、警察が少年に虚偽の説明をして調書を作成したとされることなどで冤罪の可能性を指摘する者もあるが犯人が否定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の経緯 ==&lt;br /&gt;
=== 第一の事件 ===&lt;br /&gt;
1997年（平成9年）[[2月10日]]午後4時ごろ、神戸市須磨区の路上で小学生の女児2人がゴムの[[槌|ショックレス・ハンマー]]で殴られ、1人が重傷を負った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯人が[[ブレザー]]着用、学生鞄を所持していたと聞いた女児の父親は、近隣の中学校に対し犯人がわかるかもしれないので生徒の写真をみせてほしいと要望する。しかし、学校側は警察を通して欲しいとして拒否したため、父親は警察に[[被害届]]を出して生徒写真の閲覧を再度要求したものの、結局、開示されることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事実により、犯人逮捕後、学校側に対し、「この時点で何らかの対応をしていれば第二・第三の事件は防げたのではないか」、「結果的に犯人をかばっていたことになる」との批判が起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この事件に関しては被害者の家族の要望もあり、非公開とされていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第二の事件 ===&lt;br /&gt;
[[3月16日]]午後0時25分、神戸市須磨区竜が台の公園で、付近にいた小学4年生の女児に手を洗える場所はないかとたずね、学校に案内させた後、「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」（少年の日記より）といい、振り返った女児を八角げんのう（[[槌|金槌]]の一種）で殴りつけ逃走した。女児は病院に運ばれたが、3月23日に[[脳挫傷]]で死亡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、午後0時35分ごろ、別の小学生3年生の女児の腹部を刃渡り13センチの小刀で刺して2週間の怪我を負わせた。ナイフの刃先は胃を貫通して、背中の静脈の一歩手前で止まっていた。仮に静脈まで達していたら、救命は不可能だったという。また、手術の時に、1.8リットルの輸血を要した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第三の事件 ===&lt;br /&gt;
==== 5月24日 ====&lt;br /&gt;
[[5月24日]]午後、神戸市に住む男児を通称「'''タンク山'''」と呼ばれている近所の高台に誘い出し、殺害。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年は人を殺したいという欲望から、殺すのに適当な人間を探すために、昼過ぎに[[自転車|ママチャリ]]に乗って家を出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
男児は同地区に住む[[放射線科]][[医師]]の次男で、当時11歳であった。男児は[[祖父]]の家に行くといって午後1時40分ごろ、自宅を出ていた。少年が男児を知った時期ははっきりとは覚えてはいないものの、多井畑小学校の5年生ころで同じ小学校のなかに、[[身体障害者]]のための「なかよし学級」があり、そのなかに男児がいることを知った。その後、男児が少年の家に遊びに来るようになった。これは少年が直接知り合ったわけではなく、少年の一番下の弟が同級であったからである。その際に少年の家で飼っていた[[カメ]]に男児が興味を示したことからカメが好きなことを知る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
咄嗟に「○君なら、僕より小さいので殺せる」と思い、男児の方へ近づいた。少年は男児に対し「向うの山にカメがいたよ。一緒に見に行こう」とタンク山に誘い出し、その場で絞殺して遺体を隠した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害は[[絞殺]]であったが、当初は腕で締めていたものの、なかなか死なないため腕が疲れ、さまざまな体位で試み、[[ナイフ]]で殺そうと考えるが、ナイフを忘れたことに気付く。そこで埋まっていた石があったため、[[撲殺]]を思いつき石を持とうとするが土中深く埋まっていたため、動かなかった。このため、今度は自らの運動靴の紐で絞殺をしようと考え、左足の運動靴の紐を少しずつ解いていき、それを輪にして首にかけうつ伏せになった男児の腰付近に馬乗りになり、力一杯両手で持ち上げる。殺そうとするが死なない男児に対し、少年は腹を立て、男児の顔や頭を踵で蹴ったり顔を殴ったりしている。最後は、仰向けになった男児の腹部に馬乗りになり靴紐を力一杯引く。この時、少年の手には首の肉にギュッと食い込む手応えがあり、しばらく締め続けたところで呼吸音が止まった。さらに、死んだかどうか分からなかったため、靴紐の端を施設のフェンスか桟に結びつけ、さらに締め続けた。ようやく死んだと思い、その後、男児の左胸に右耳を当て心音を確認し、心音が聞こえなかったので、完全に死んだと確認した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
男児をそのままにして少年は登ってきた道順と同じ道順でタンク山を降り、ママチャリに乗り、5分ほど走らせて、コープリビングセンター北須磨店へ向かった。そこで、糸ノコギリと[[南京錠]]を万引きした。そして、山へ引き返し、アンテナ施設を取り囲んでいるフェンスの入り口に掛けられている古い南京錠のUの字部分を金鋸で切り、死体を施設の中に運び入れた。金鋸をフェンスに沿った溝側にたまっている落ち葉の下に隠し、入り口に新しい南京錠を掛け替えて山を下りた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
友人と4時にビデオショップ「ビブロス」の前で待ち合わせしていたため急いで向かい、4時30分ごろに着いた。その後家に帰ると、少年の母が「○君がおらんようになったみたいよ」と言うと、少年は「ふうーん」と返事をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午後8時50分に被害男児の家族より須磨警察署に捜索願が提出された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 5月25日 ====&lt;br /&gt;
少年は10時から12時にかけて起床し、自分で[[パン]]を焼いて食べ、午後1時から3時の間に、男児の首を切るために自宅を出た。少年は男児の頭部を入れるため、黒色のビニール袋2枚を準備する。ケーブルアンテナ施設の枯葉に隠していた金鋸を運び出すために、学校で使用している補助カバンも持って出る。さらに、「龍馬のナイフ」と呼んでいる鞘付きのくり小刀を一本、[[ジーパン]]のポケットか腹に差して持って出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検事調書では、「ママチャリに乗って、直接「タンク山」へと向かいました」と言っているが、少年の父親によれば正午前後にコープ北須磨の自転車置き場で出会っており、ビブロスの方向に走って行ったという。タンク山はビブロスと反対方向にあるが、ビブロス方向に走って行ったことに関して、父親は「よく思い出せません」とも話している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
黒いビニール袋の上に置いた男児の遺体を、糸ノコギリの両端を持ち、一気に左右に2回切ると、ノコの歯が細かったためか、スムーズに切れ、切り口が見えた。人間の肉が切れることを確認した少年は左手で男児の額のあたりを押さえながら、右手で首を切っていく。この時、少年は「現実に人間首を切っているんだなあと思うと、エキサイティングな気持ちになった」と供述している。首を切っていく内に、段々と頭の安定が悪くなったため、男児の首の皮が1枚になった時に左手で髪をつかんで上に引っ張り上げ、首の皮を伸ばして一気に首の皮を切った。その後、しばらく地面に置き、正面から鑑賞しながら、「この不可思議な映像は僕が作ったのだ」という満足感に浸った。首を切断して射精した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、しばらくすると、男児の目は開いたままで、眠そうにみえ、どこか遠くを眺めているように少年には見えた。さらに、男児は少年の声を借りて、少年に対して、「'''よくも殺しやがって 苦しかったじゃないか'''」という文句をいった、と供述している。それで、少年は男児に対し、「君があの時間にあそこにいたから悪いんじゃないか」といい返した。すると、男児の首はさらに文句をいった。少年は、これは[[死体]]にまだ[[霊魂|魂]]が残っているためだと考え、魂を取り出すため、また、眠たそうな男児の目が気に入らなかったため、「龍馬のナイフ」で男児の両目を突き刺し、さらに、2、3回ずつ両方の瞼を切り裂き、口の方からそれぞれ両耳に向け、切り裂いた。その後は文句を言わなくなったという。さらに、「'''殺人をしている時の興奮をあとで思い出すための記念品'''」として持ち帰ろうと考え、舌を切り取ろうとしたが、[[死後硬直]]でかなわなかった。さらに、ビニール袋に溜まった男児の血を飲むが、[[金属]]をなめているような味がしたと述べている。少年は血を飲んだ理由として、「僕の血は汚れているので、純粋な子供の血を飲めば、その汚れた血が清められると思ったからです。幼い子供の命を奪って、気持ち良いと感じている自分自身に対する自己嫌悪感の現れなのです」と供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年は、人目につかない場所でもう一度じっくりと鑑賞しようと思い、タンク山を下りて、。入角ノ池の水辺の木の根元でビニール袋をひらいて頭部を眺めた。思ったより感動はなかったため、2、3分ほど眺めたあと、再びビニール袋にもどし、木の根元に隠した。首の切断に使った金鋸は、友が丘西公園のとなりにある向畑ノ池に投げ捨てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 5月26日 ====&lt;br /&gt;
男児の行方不明事件として午前11時40分に須磨警察署が公開捜査を開始。警察、PTA、消防団合わせて150名が捜索にあたった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年は昼過ぎに「首をじっくり鑑賞したい」と池へ向かったが、興味を失ったため、男児の頭部を家に持ち帰る。そして、土や木の葉で汚れた頭部を風呂場で15分ほどかけて洗って、自分の部屋の天井裏に隠した。少年は首を洗った理由を「理由は二つ。一つは、殺害場所を特定されないように、頭部に付着している土とか葉っぱ等を洗い流すためでした。あと一つの理由は、警察の目を誤魔化すための道具になってもらう訳ですから、血で汚れていたので『せいぜい警察の目から僕を遠ざけてくれ。君の初舞台だよ』という意味で、顔を綺麗にしてやろうと思ったのです」と供述している。少年は首を洗った時も興奮して勃起し、髪の毛にクシを入れながら射精した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年は「警察は自分の学校に首を置くはずはないと思い、捜査の対象から逸れると考えた」と、[[神戸市立友が丘中学校|友が丘中学校]]の正門前に男児の首を置くことを決めた。また、ただ首を置くだけでは捜査が攪乱できるかどうかわからないと考え、「偽りの犯人像」を表現する手紙を咥えさせようと考えた。漫画「[[瑪羅門の家族]]」第3巻の目次から引用したり、別の本で覚えていた言葉を組み合わせて、手紙を書き上げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Quotation|さあゲームの始まりです&amp;lt;br/&amp;gt;愚鈍な警察諸君&amp;lt;br/&amp;gt;ボクを止めてみたまえ&amp;lt;br/&amp;gt;ボクは殺しが愉快でたまらない&amp;lt;br/&amp;gt;人の死が見たくて見たくてしょうがない&amp;lt;br/&amp;gt;汚い野菜共には死の制裁を&amp;lt;br/&amp;gt;積年の大怨に流血の裁きを&amp;lt;br/&amp;gt;&amp;lt;br/&amp;gt;SHOOLL}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 5月27日 ===&lt;br /&gt;
5月27日未明、頭部が入ったカバンを自転車の前カゴに入れて、中学校の校門前に遺棄した。正門前に頭部を置いて、手紙を口に咥えさせ、その光景を5、6分見ていた。少年は初め、正門右側塀の上に首を置こうとしたが、据わりが悪く、地面に落ちたため「正門の前だと一番目につくところだし、地面なら据わりもいいだとろうと思い、正門の鉄扉の中央付近に顔を道路側に向けて置きました。手紙を取り出し&amp;quot;酒鬼薔薇聖斗&amp;quot;の文字が見えるように縦に『酒』いう文字の方を口にくわえさせたのです」と供述しており、その時の光景を「学校の正門前に首が生えているというような『ちょっと不思議な映像だな』と思って見ていたのです」と供述している。また、この時少年は「性的興奮は最高潮に達し、性器に何の刺激も与えてないのに、何回もイッてました」という。少年はのちにその時の光景を「作品」と呼んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察は記者会見で「酒鬼薔薇聖斗」を「さけ、おに、ばら…」と文字ごとに分割して読み、何を意味するか不明と発表、報道機関も発表と同じ表現をした。テレビ朝日の特別報道番組でジャーナリストの[[黒田清]]が「サカキバラセイトという人名ではないか」と発言。これ以降、マスコミや世間でも「さかきばら・せいと＝人名」という解釈が広がった。犯人が未成年で本名が公開されなかったことから、事件解決後の今でも、この事件の犯人を「酒鬼薔薇」または「酒鬼薔薇聖斗」と呼ぶ人もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 5月28日以降 ===&lt;br /&gt;
[[6月4日]]、[[神戸新聞社]]宛てに赤インクで書かれた第二の声明文が届く。内容はこれまでの報道において「さかきばら」を「おにばら」と誤って読んだ事に強く抗議し、再び間違えた場合は報復する、としたものだった。「鬼薔薇」と聞いたのは、5月27日に[[児童相談所]]でニュースを見ていた時である。また自身を「透明なボク」と表現、自分の存在を世間にアピールする為に殺人を犯した、と記載している。この二通目の声明文には校門前で発見された男児に添えられていた犯行声明文と同じ文書が同封されていた。最初の犯行声明文は一部文面を修正した形で報道されていたが、神戸新聞社に届いた声明文に同封されていた犯行声明文の一通目には、修正前と同じ文章で同封されていた。具体的には、遺体と共に発見された文面の5行目は「人の死が見たくて見たくてしょうがない」だが、「人の死が見たくてしょうがない」と変更して報道された。神戸新聞社に届いた文面には、事件に関わった人物しか知ることができない「人の死が見たくて見たくてしょうがない」と書かれていたため、この声明文はいたずらではなく犯人によるものだと確定された。いわゆる[[秘密の暴露]]である。声明文を書くにあたって、少年は次のような犯人像をイメージして書いたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Quote|高校時代に野球部に所属したことがある三十歳代の男。父親はおらず、母親からは厳しいスパルタ教育を受けながら、学校では相手にされず孤立している。学校関係の職場で働いていたが解雇され、今は病身の母親と二人暮らし。学校時代にいじめにあったので、自分を「透明な存在」と思うようになり、そんな自分を作り出した義務教育を怨んでいる。被害妄想と自己顕示欲が人一倍強く、社会を憎み、密かに復讐を考えている。}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、少年は「はっきり言って、調子づいてしまった」と供述しており、「新たに手紙を書けば、僕の筆跡が警察に分かってしまうと思ったが、僕自身、警察の筆跡鑑定を甘く見ていた。『あれで捕まるんやないか、失敗したなぁ』と思ったが、どうしようもなかった」と逮捕後供述している。捜査関係者によると「もともと、数多く著作からの寄せ集めだから、原本は簡単に割り出せなかったが、Aが浮上して彼の作文などを調べたら、すぐに同一人物の筆致だと分かったよ。特に『懲役13年』という作文は大いに参考になった」という。また、用紙の余白に「9」という数字を書いたことについて少年は「僕が1番好きな数字が9であり、切のいい数字が10だと思っているので、その一つ前がいいからだ」と供述しているが、少年が浮上した段階で間接証拠の一つとして使われていたという。なお、少年の作文と二つの犯行声明文の筆跡鑑定を行ったが、鑑定結果は「類似した筆跡が比較的多く含まれているが、同一人の筆跡か否か判断することは困難である」というものであり、そのために少年の逮捕状を請求出来なかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Quotation|&amp;lt;center&amp;gt;神戸新聞社へ&amp;lt;/center&amp;gt;&amp;lt;br/&amp;gt;この前ボクが出ている時にたまたま、テレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」（オニバラ）と言っているのを聞いた&amp;lt;br/&amp;gt;人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号でも、謎かけでも当て字でもない。嘘偽りないボクの本名である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない&amp;lt;br/&amp;gt;だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない&amp;lt;br/&amp;gt;そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」&amp;lt;br/&amp;gt;その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。&amp;lt;br/&amp;gt;しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;性&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;さが&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。&amp;lt;center&amp;gt;最後に一言&amp;lt;/center&amp;gt;この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。&amp;lt;br/&amp;gt;&amp;lt;br/&amp;gt;&amp;lt;center&amp;gt;———— ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている ————&amp;lt;/center&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月28日]]、現場近くに住む少年に朝から任意同行を求め、事情を聞いていたところで犯行を自供。少年は当初犯行を否認していたが、取調官が第一の犯行声明文のカラーコピーを取り出して、「これが君の書いたものであるということは、はっきりしている。筆跡が一致したんや」と突きつけると、声を上げて泣き出し、自供を始めた（前述のように実際には少年の筆跡が一致したという証拠はなかった）。午後7時5分、[[殺人]]及び[[死体遺棄]]の容疑で少年逮捕。同時に、通り魔事件に関しても犯行を認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 少年逮捕以降の動き ==&lt;br /&gt;
*[[6月28日]]、少年逮捕。&lt;br /&gt;
*[[6月29日]]、兵庫県警捜査本部は、少年を男児殺害・[[死体遺棄]]容疑で[[神戸地方検察庁|神戸地検]]に[[送検]]。10日間の[[拘置]]が認められる。&lt;br /&gt;
*[[6月30日]]、頭部を一時、自宅に持ち帰ったなどの供述が報道される。&lt;br /&gt;
*[[7月1日]]、頭部切断は[[儀式]]とする供述が報道される。&lt;br /&gt;
*[[7月2日]]、少年の顔写真が掲載された『[[フォーカス]]』が発売される。犯行の経緯について「カメを見せる」と誘ったなど供述が報道される。&lt;br /&gt;
*[[7月6日]]、兵庫県警が向畑ノ池の捜索を開始。&lt;br /&gt;
*[[7月8日]]、拘置期限が切れたこの朝、地検は拘置延長を請求。神戸地裁は10日間の拘置延長を認める。池から金槌が発見される。&lt;br /&gt;
*[[7月9日]]、別の金槌2本と細刃のナイフが向畑ノ池で発見される。3月の通り魔事件と2月の殴打事件に使われた凶器と特定。&lt;br /&gt;
*[[7月11日]]、少年をバスに乗せ、タンク山とその周辺を実況見分。&lt;br /&gt;
*[[7月15日]]、2月と3月の通り魔事件で少年を再逮捕。&lt;br /&gt;
*[[7月16日]]、午前に捜査本部は通り魔事件で少年を送検、10日間の拘置請求が地検で認められる。&lt;br /&gt;
*[[7月19日]]、少年宅から押収された'''犯行メモ'''の内容が報道される。&lt;br /&gt;
*[[7月21日]]、警官2名が、少年の二人の弟に対し、少年が再逮捕された通り魔事件について、少年の学校での行動、言動などを聞く。特に少年の母方の祖母の死の前後の様子を執拗に尋ねる。&lt;br /&gt;
*[[7月24日]]、警官が少年の両親に対して、被害者側に対し電話なり、詫びをすることを促す。この際、警官は「[[誤認逮捕]]はありえない。もし、誤認逮捕であれば、兵庫県警は今後存続しないでしょう」と話す。切断された男児の首を校門の塀の上に置けなかったことに関し「作品を完成できずに悔しい」と供述した旨の報道がされる。午後、少年を伴い通り魔事件の実況見分。&lt;br /&gt;
*[[7月25日]]、神戸地検が、男児殺害、通り魔事件で神戸家裁に一括送致。午後には少年は神戸家裁から[[神戸少年鑑別所]]に移送。午後、須磨署捜査本部が解散。&lt;br /&gt;
*[[8月1日]]、神戸家裁により少年の審判開始が決定される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 精神鑑定結果と犯行の動機 ==&lt;br /&gt;
成人の[[刑事裁判]]と異なり、[[少年審判]]は非公開であり、審判の内容は公開されず、審判の結果も公開されないか報道されない事例が大部分であり、多くの人々に注目された事件の審判の結果（[[初等少年院]]、[[中等少年院]]、[[医療少年院]]への送致など）が公開され報道される程度であるが、この事件は人々からの注目度が著しく高かったので、[[家庭裁判所]]は例外的に[[精神鑑定]]の結果を公開した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
精神鑑定結果として下記に示す少年の特徴が解明された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[脳]]の[[X線]]検査、[[脳波]]検査、[[コンピュータ断層撮影|CT]]や[[核磁気共鳴画像法|MRI]]による脳の断層検査、[[染色体]]の検査、[[ホルモン]]検査に異常は無い。&lt;br /&gt;
*非行時・鑑定時とも[[精神疾患]]ではなく、意識は清明であり、年齢相応の知的能力がある。&lt;br /&gt;
*非行時・鑑定時とも離人症状と解離傾性（意識と行為が一致しない状態）があるが、犯行時も鑑定時も[[解離性同一性障害]]ではなく、解離された人格による犯行ではない。&lt;br /&gt;
*未分化な性衝動と攻撃性の結合により、持続的で強固な[[サディズム]]がこの事件の重要な原因である。&lt;br /&gt;
*[[直観像素質]]（瞬間的に見た映像をいつまでも明瞭に記憶できる）者であり、その素質はこの事件の原因の一つである。&lt;br /&gt;
*自己の価値を肯定する感情が低く、他者に対する共感能力が乏しく、その合理化・知性化としての虚無観や独善的な考え方がこの事件の原因の一つである。&lt;br /&gt;
*この事件は長期的に継続された多様で漸増的に重症化する非行の最終的到達点である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年は小学校5年の時から動物に対する殺害を始め、最初は[[ナメクジ|なめくじ]]や[[カエル|かえる]]が対象だったが、その後は[[ネコ|猫]]が対象になった。少年自身が友人に、全部で20匹ぐらいの猫を殺したと語っている。標準的な人は性的な発育が始まる以前の段階で、性欲や性的関心と暴力的衝動は分離されるが、少年は性的な発育が始まった時点で性欲や性的関心と暴力的衝動が分離されず（鑑定医はその状態を未分化な性衝動と攻撃性の結合と表現した）、動物に対する暴力による殺害と遺体の損壊が性的興奮と結合していた。性的な発育過程にある標準的な感覚の男子は、自分の周囲の同年代の女子や少し年上の女性を、性欲を発散する対象として想像しながら[[オナニー]]をして（または生身の女性と現実の性交をして）性欲を発散し、性的な経験を積み重ねながら肉体的・精神的な成長をして行くのだが、少年は動物を殺害して遺体を損壊することに性的な興奮を感じるようになり、猫を殺して遺体を損壊する時に性的な興奮や快楽を感じて性器が勃起し射精した。少年はその性的な興奮や快楽の感覚や要求が、人を殺害して遺体を損壊することによって、猫の殺害と遺体損壊よりも大きな性的な興奮や快楽を得たいとの欲求へとエスカレートし、それが自分の運命と思い込むようになり、この事件を行ったのであり、殺人の動機の類型としては[[快楽殺人]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年は鑑定医から被害者を殺害したことについて問われると、自分以外は人間ではなく野菜と同じだから切断や破砕をしてもいい、誰も悲しまないと思うと供述した。被害者の遺族の悲しみについて問われると、あの時あの場所を通りかかった被害者が悪い、運が悪かったのだと供述した。女性に対する関心はあるかと問われて、全く無いと答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
精神鑑定結果は、少年に完全な[[責任能力]]はあるが、成人の[[パーソナリティ障害]]に相当する[[行為障害]]（18歳未満の場合は人格形成途上なので行為障害と表現する）があり、鑑定医の意見としては、行為障害の原因を除去して、少年の性格を矯正し、Aが更生するためには、長期間の医療的処置が必要（医療少年院への送致が最も適切な処遇）との提案がされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その後の少年の処遇 ==&lt;br /&gt;
* 1997年（平成9年）[[10月13日]]、神戸[[家庭裁判所]]は少年を[[少年院|医療少年院]]送致が相当と判断、[[関東医療少年院]]に移される。&lt;br /&gt;
* [[1999年]]（平成11年）、第二の事件で死亡した女児の遺族と少年側で約8,000万円の慰謝料を支払うことで示談成立。&lt;br /&gt;
* [[2001年]]（平成13年）[[11月27日]]、治療が順調であるとの判断から、[[東北中等少年院]]に移る。&lt;br /&gt;
* [[2002年]]（平成14年）7月、神戸家庭裁判所は、治療は順調としながらも、なお綿密な教育が必要として、収容継続を決定。&lt;br /&gt;
* 2004年（平成16年）3月10日、成人した少年は少年院を仮退院。この情報は[[法務省]]を通じ、被害者の家族に連絡された。&lt;br /&gt;
* [[2005年]]（平成17年）[[1月1日]]、少年の本退院が認可される。&lt;br /&gt;
* [[2005年]]（平成17年）[[5月24日]]、被害者少年の八周忌。少年が弁護士を通じて、遺族に献花を申し出ていた事が明らかになる。遺族は申し出を断った。&lt;br /&gt;
* [[2007年]]（平成19年）[[3月]]、第二の事件で死亡した女児へ、医療少年院退院後、初めて謝罪の手紙が届けられた。しかし遺族は「必死に生きようとする姿が見えてこない」と賠償についても疑問を投げかけた。現在遺族への慰謝料は、少年の両親が出版した本の印税の他、1ヶ月に少年から4,000円と両親から8,000円支払われていると報道された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 少年の更生 ==&lt;br /&gt;
[[法務省]]は従来の矯正教育計画を見直し、収容期間を2年以上に延長した新課程「G3」を新設し、[[関東医療少年院]]は、精神科医や法務省教官など専門家で作るプロジェクトチームを編成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
精神鑑定で家庭における親密体験の乏しさを指摘されたのに対し、関東医療少年院は男性の主治医を父親役、女性の副主治医を母親役に配するなど「疑似家族」を作り上げるという'''前例のない治療体制'''が組まれた。更生は一定の効果を見せたように思えたが、少年が入院して1年ほど経った頃、少年院の工作の実科（授業）で、新聞広告のチラシを切り抜いて画用紙に貼り付け、[[コラージュ]]を制作した時に、少年は乳児の写真を目や耳、手足など部位別に一つ一つハサミで細かく切り刻んで、それを画用紙にわざとバラバラに貼った作品を作って、「精神と肉体の融合」の題を付けて発表した。また、少年が「理想の母親のような」人と慕う女性精神科医について、院生の一人が「色っぽい白ブタ」と発言し、その途端、少年は物凄い形相で激昂して、近くにあったボールペンを逆手に持って、院生の目を突き刺そうとした。少年院関係者は「この言葉によって、少年の殺意の引き金がひかれてしまい、それまでやっと積んできた矯正教育の成果がパーになってしまったわけだ」と語っている。また、少年自身が少年院仲間に「いくら遺族の手記を読んでも、薬を飲んでも、治らないんだよ。僕は性格が異常なんだから……」「闘争と破壊こそ真の世界の姿だが、少年院では''いい子''にしていなければ出られないから気をつけなくちゃ……」と発言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]]11月、[[東北少年院|東北中等少年院]]に移送された後に、院生から[[いじめ]]を受け、さらに院生の一人がたまたま教官の持っていた書類を盗み見たところ、少年が偽名であることが発覚。「お前、まさかあの酒鬼薔薇なのか」と問いかけると、少年がニヤッと笑って頷いたという噂がひろまり、少年の正体が一部の収容者にばれたという。その後、いじめが過激になり、[[2002年]]初夏に突然、半裸状態で意味不明の奇声を発し、職業訓練で使うカッターナイフを振り回し、周りを威嚇し始めたという。教官らが駆けつけ、ほかの院生を連れ出し、少年を取り囲んで説得を始めたが、カッターナイフで自分の性器を切り付けたという。少年は直ちに個室に軟禁されて、事情聴取を受けたが、なかなか興奮が冷めず危険なうえ、動揺が激しく、何を言っているのか分からなかったため、最終的に「奇行」と断定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この騒動の後、神戸家裁が「少年の犯罪的傾向はまだ矯正されているとは言えない」と判断を下し、2004年末まで少年院収容継続を決定した。しかし、関東医療少年院は2003年3月に少年の仮退院を申請している。被害者からは「神戸家裁の判断から半年余という短い期間で突然、少年が変身したとでも言うのか」という批判や疑問の声が上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 少年の現在 ==&lt;br /&gt;
[[一橋文哉]]が、2004年秋に[[法務省]]幹部に取材を行ったところ、「ある団地の一室で法務省関係者と同居し、一緒に炊事や買い物を行うなど社会勉強中です。少年院で取得した溶接の資格を生かし、仮退院の数日後から毎朝8時、[[フィランソロピー|篤志家]]の一人が経営する工場に歩いて出勤し、仕事ぶりは極めて真面目。夕方5時に退社後は、保護司宅で面談を受ける日々です。ほかに毎週1回、精神科医のカウンセリングを受け、10日に1回程度は、母親とも会っているようです」と語っている。また、法曹関係者は「別の身元引受人と養子縁組して名前を変えたほか、出生地や学歴など偽のプロフィールを用意し、同僚や付近住民も正体を分かっていません。年齢も22歳になり、少年院で毎日、5階までの階段ダッシュを15往復、腕立てと腹筋を各100回こなし、身長170センチ、体重70キロと心身ともに逞しくなった。事件当時の写真を見た人でもまず、今の彼は分からないでしょう」「[[犯罪者予防更生法]]で1週間以上の旅行は許可が必要など、ある程度の制約は受けていますが、酒は飲めるし、好きなテレビゲームに嵌まるなど基本的に自由な生活を送っています。しかも04年末までの保護観察期間が過ぎれば、同居者も姿を消し完全フリーになるんです」と語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年の居住地や勤務先について、法務省は「彼の更生には世間の温かい理解と協力が重要だ。公表は支障をきたす」とノーコメントを通し、マスコミや市民団体に、意図的に偽情報を流しているフシがあるという。全国各地で「酒鬼薔薇が都内の保護司宅で新しい生活を始めた」「埼玉県に住む身元保証人と養子縁組し、全くの別人に生まれ変わった」などの情報が乱れ飛んだ。少年が住んでいた[[神戸市]]でも、地元住民が「少年が家族とともに舞い戻るのではないか」と疑心暗鬼に陥っているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一橋の取材によると、少年の更生プログラムの病理診断の欄に「現時点にあっても、少年の病理は『[[治癒|寛解]]』段階に過ぎない」とあり、「現時点」は「退院しても問題ない」とされる「総括期」を指しており、少年の性的サディズムは治癒しておらず、退院直前でも再発する可能性が十分あることを、法務省が認めていたことになっている。また、前述のように退院間近の少年が少年院で問題を起こして、誰もが「性障害が完治していなかった」と医療少年院に戻されると思っていたが、「何しろ、この段階で少年を送り帰そうものなら、仮退院はパー、国家の威信をかけた更生プログラムを組んだ法務省の面子は丸潰れになる。そこで院内には厳重な箝口令が敷かれ、何と少年の奇行はウヤムヤになり、社会復帰のための最終的な研修は予定通り終了したことになってしまった。上層部は保身に走り、現場の少年院も『やるべきことはすべてやった。こうなれば一刻も早く、少年を手放したい』という''腫れ物に触るような弱腰姿勢''が見え見えだった。もっとも更生したかどうかの決定的な証拠など、何もないからね」と法務省幹部が語っており、一橋は「冗談ではない。人間の一生や人々の安全というものは、役人の面子や保身で決める話ではあるまい」と批判している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 女医を襲った！「少年Ａ」 ==&lt;br /&gt;
[[2005年]][[１月１日]]、神戸児童連続殺傷事件の「少年Ａ」こと東真一郎(22)が、ついに[[関東医療少年院]]を正式に退院した。はたして病気は完治したのか。事件は[[2004年]]12月下旬に起こった。東真一郎が、カウンセラーの精神科の女医を暴行しようとした。本来ならば、即刻、仮退院は取り消しのはず。だが、その事実は密かに闇に葬られ、東真一郎は社会に放たれた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]][[12月24日]]、法務省は「少年Ａの保護観察が31日で終了し、年明けに完全に社会復帰する」との見通しを発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
はたして東真一郎の病気は完治したのだろうか。被害者のみならず、一般の関心がその点に向かうのは当然である。しかし、法務省は、「被害者への贖罪の気持ちを持ち続けている。定職に就き、更生に向けた努力を重ね、精神的にも安定した生活を送っている」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と、そっけない説明を加えただけだ。加害者の人権に配慮するあまり、具体的な居住地や仕事の内容、生活ぶりなどには一切触れていない。事件の被害者にも納得できる説明はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「昨年12月中旬頃、神戸の保護観察所で、法務省の方から最終報告という形で少年の現状について一通りの説明を受けました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と話すのは、東真一郎にナイフで刺されて重傷を負った少女(当時9歳)の父親の堀川耕一郎さんである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「精神的な面でも何ら問題がなく更生していると聞きました。ただし、法務省の人たちは絶対に具体的な話をしてくれないのです。我々が突っ込んだ質問をしても、それについてはお答えできませんと繰り返すばかりです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
堀川さんは半信半疑で聞くしかなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「法務省の説明では、関東医療少年院からずっと彼を担当している精神科のドクターが、定期的にカウンセリングを行ってきた。そのドクターが、今後、一切、薬物の投与も必要ない、本人がそういった形で更生しているので、再犯の恐れはない、とお墨付きを与えたということでした。我々としては法務省の言うことですから、100％信用せざるをえない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、それで被害者の不安が払拭されたわけではなく、不信感が残っただけだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「法務省の方とは、昨年8月にも一度お会いして話を聞きました。その8月時点と12月では、相も変わらず同じ話を繰り返しているだけなんです。本人は更生しています、12月いっぱいで我々の手を離れます、と。こう言っては何ですが、野放し状態になるわけですよ。ですから我々は、8月のときにも、可能であれば、年が明けてからも監視のようなものを幾分でも継続できないかとお願いしてみたのです。が、それに関しては一切できない、と。代わりにボランティアの人たちがどういう状況で生活しているのかということを定期的に我々の方に報告いただけるということでした。本当にお役人というか、そうしたことを淡々と言うものですから、決められたことは仕方がないんだな、と感じただけでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年犯罪としては異例の7年余にわたる入院期間だった。東真一郎は、平成9年10月に東京都府中市にある関東医療少年院に収容された。平成13年11月から1年間、宮城県の東北少年院で職業訓練を受けた後、再び関東医療少年院に戻り、昨年3月にいよいよ社会復帰に向けて仮退院。法務省は、年明けの退院までの手続きを、滞りなく進めることだけに腐心していたかのような印象を受けるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件はその最中に起こっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東真一郎が心を開いた相手 ===&lt;br /&gt;
仮退院中の東真一郎の居住地について、法務省は　「近畿地方以外」としか発表していないが、彼は、首都圏近郊で生活している。法務省関係者はいう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「彼は、ひきこもりや不登校の子供たちを支援し、就労などの世話をする民間の団体の関係先にいます。その団体には協力企業が何社かある。その団体の自立支援プログラムに沿って、彼はそのうちの1社で働いています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東真一郎には、保護観察官が24時間体制で張り付いていた。また、関東医療少年院で担当だった精神科の女医のカウンセリングを、1週間に1度の割合で受けていた。退院に向けて、順調に回復しているように見えたのだろう。だが、それは彼を更生させたいという当局の希望的観測に過ぎなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨年12月のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「実は、東真一郎が、カウンセリングの最中に、その女医を押し倒して暴行を働こうとしたのです」と、先の法務省関係者は打ち明けるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「それで大騒ぎになり、東真一郎本人も精神的に非常に不安定になったので、急遽、精神病院に入院させた。とてもじゃないが、社会復帰させられる状態ではなかった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東真一郎は、居住地に比較的近い国立の精神病院にひとまず入院させられた。ところが、そこでまた問題が生じたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「東真一郎を入院させた直後にわかったのですが、昨年秋に、その病院の井戸からヒ素が検出されて問題になり、新聞沙汰になったことがあった。ヒ素の件でまたマスコミが取材に来たら、東真一郎が入院していることも漏れてしまうんじゃないか、という恐れがあり、法務省や警察庁の担当部局は転院先を探すので、一時、てんやわんやの騒ぎになった。結局、その病院は出て、別の病院に転院したのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東真一郎は、どうしてその女医を襲ったのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「彼は、その女医に心を開いており、医者と患者を超えた信頼関係があった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と話すのは、関東医療少年院の関係者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「東真一郎の性的サディズムなどの異常な性格は、母親との関係が大きく影響していた。彼は母親を憎んでおり、心を閉ざした彼を治療するためには、職員が擬似家族的な関係を作ってカウンセリングに当たる必要があったのです。そのために彼女がスタッフとして加わった。東真一郎の母親より３歳年下ですが、細身で髪の長い面長の女性で、年齢よりずっと若く見える。松本零士のマンガに出てくる女性のような美人です。彼女が親身になって接したおかげで、彼は心を開くようになった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別の関係者もこう話す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「彼は最初は女医を母親のように思っていたが、やがて恋心に変わっていったようだ。院生の話によれば、その女医に『キスしてください』と頼んだことがあったし、院生の1人が東真一郎の前で女医の悪口を言ったら、東真一郎は本当に怒って、ボールペンでその院生を刺そうとしたこともあったのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東真一郎の性的関心が、残虐行為からようやく異性に向けられるようになった。彼にとっては、閉ざされた医療少年院の生活の中で、深い触れ合いを持った唯一の女性だったのである。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 攻撃性に性衝動が結びついた ===&lt;br /&gt;
だが、そうした性衝動は、必ずしも東真一郎の病気が完治したことにはならない。[[帝塚山学院大]]教授の[[小田晋]]教授は語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「カウンセリングの過程で、感情転移ということが起こる。精神分析的な療法をやる際に、心の絆を作るために母親のような愛憎を与えようとすると、相手は本当に好きになってしまうんですね。しかしその感情に母親役の女医は当然応えられなくなってしまう。東真一郎にしてみれば、裏切られたという気持ちになって、そうした行動に出たのだと思う。彼は、東北少年院で、他の院生から、からかわれて、自分の性器を切断しようとした一件があった。これは衝動性に、性的なことが絡んでいる傾向が切れていないということです。攻撃性に性衝動が結びついている。女医に手を掛けたということは、まだ性と結びついた衝動性が治っていないということなのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
精神科医の町澤静夫氏もいう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「女医を襲ったという行為は、東真一郎が性的な感情のコントロールを十分にできていないととらえることができる。仮に性的サディズムが克服されていても、それでは、私たちは安心することはできない。また、性的サディズムがある一方で、普通の性愛もあるということは非常によくあるケース。現在の状態は、性的サディズムが心の奥に隠れて表に出なくなっただけということも十分ありえます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 少年に関するエピソード ==&lt;br /&gt;
少年が在籍していた友が丘中学校の当時の校長である[[岩田信義]]は、少年には問題行動、正確にいえば、風変わりな行動が多かったと証言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の生徒の靴を隠して燃やす、ラケットで何もしていない生徒の頭を叩く、カッターナイフで他の生徒の自転車のタイヤを切るといった行為があったといわれ、少年が在籍していた小学校からは「刃物を一杯突き刺した不気味な粘土細工を制作していた」という報告を受けたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
担任の話によると、少年の表情は総じて動きに乏しく、注意しても教員の顔を直視することがなく、心が別のところにあり、意識がずれ、言葉が届かない感じを受けたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、これら少年の行動は[[思春期]]前期の子供にままみられるパターンであり、非行と奇行のはざまにある行動だと岩田は指摘している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学校では入学早々から繰り返される少年の問題行動に手を焼いていた。少年の保護者も精神科医に診察を受けさせていたが、精神科医は学校の中で指導する方がいいという判断を下し、児童相談所には通所させなかった。それを受けて、学校は重点的に少年を指導し、事実、1年生の2学期になると問題行動は減ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでも、教員の一部にはうちの学校で事件をやったとするならば少年ではないかという認識が煙のように漂っていたという。岩田はそういう話を聞くたびに「軽々しく口にすべきではない」と静止したが、岩田も「ひょっとしたら」と思っていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1996年]]（平成8年）[[5月11日]]、当時、中学2年生の少年は母の日のプレゼントに母の花嫁姿の絵を描いて渡す。前日に「母さん、何がほしい?」と聞く少年Aに、母は「気持ちさえこもっていたら、別に何でもええよ。無理せんで」と答える。すると、少年は両親の[[結婚式]]の写真を[[押入れ]]から出すと、「母さん、この女の人、誰や？」と問うので、「母さんなんやけど」と答えると「へー」といって、少年はその写真を見た後、マンガ用の画用紙の裏に一気にその絵を描き上げ、母に手渡すと、スーッと2階へ上がっていった。少年が母にプレゼントをしたのはこれが初めてであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年は、第3の事件の犯行の9日前の[[5月15日]]から、友が丘中学校には登校せず、母親とともに神戸の[[児童相談所]]に通い始めていた。これは、[[5月13日]]に同級生を公園に呼び出し、自分の拳に時計を巻き付けて殴り、歯を折るなどの怪我を負わせたため、[[5月14日]]に学校から父親が呼び出しを受け、その後、両親が相談の上、学校を休ませ、児童相談所を紹介してもらったためである。暴行の原因は「竜が台の通り魔事件の犯人にまちがいない」と被害者の同級生がいいふらしていたためと少年の仲間は答えているが、少年は「犯行ノート」に「アングリ（聖なる儀式）」を遂行する第一弾として学校を休むことにした」と書いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加害者である少年の父親はその後[[文藝春秋]]より『「少年A」この子を生んで…』を刊行している。事件後、父親は親戚の元へ身を寄せ、また離婚して苗字を改名した。他にも弟二人がいたが、追及を避けるため、別の土地で暮らす手段が採られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ある時、被害者への謝罪に関し、警官は少年の父に対しこう質問した。「お父さん、[[2月10日]]、[[3月16日]]の被害者の名前はご存知ですか?」－これに対し、少年の父は答えられなかった。警官は、父親に、加害者家族の苦痛を斟酌した上で、それ以上に被害者の家族が苦しみながら生きていることを諭した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== マスコミ報道の様子 ==&lt;br /&gt;
被害少年の首が学校の校門に晒されるという猟奇的な事件であった点から、マスコミはこの事件の報道を連日行った。この事件は海外においても報道の対象になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 犯人像 ===&lt;br /&gt;
[[読売新聞]][[読売新聞大阪本社|大阪本社版]]の朝刊では「劇画やアニメの影響を受けた無口な犯人」と報道した。言語学者からは、挑戦状に出てくる難しい熟語は劇画では頻繁に登場し、長文ながら口語調がほとんどない点について、犯人が日頃会話が少ないことの表れと分析している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[朝日新聞]]には多数の意見が寄せられ、「高い教育程度」「孤独な30代」「複数の可能性」などの犯人像が報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Quote|犯行声明文の文章の組み立ても論理的なことから高い教育を受けている。|弁護士}}&lt;br /&gt;
{{Quote|年齢は30歳代と思う。10代や20代の若者では、声明文にあった「銜える」などの漢字を使おうという発想を持たないだろうし、逆にあえてこの漢字を使ったところに若さが抜けない30代ならではの背伸びを感じる。|作家}}&lt;br /&gt;
{{Quote|単独犯人説が強いが、私はあえて知的レベルの高い複数犯と考える。|作家}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 南京錠 ===&lt;br /&gt;
[[5月30日]]付の朝日新聞[[朝日新聞大阪本社|大阪本社版]]の朝刊で「金物店に同型の南京錠求める不審な男性」が浮上と報道した。男性は30代半ばで身長165センチ、ベージュの作業着に紺色のズボンと報道。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
読売新聞でも、アンテナ基地の南京錠と同じメーカーの錠を求めて5月初め、垂水区内の金物店を訪れた男は30-40歳と報道。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、[[6月23日]]付の[[産経新聞]]で、捜査本部が南京錠を購入するための金物店を訪れた二人の男性は無関係と報道した。したがって、「南京錠を探していた男」の線は無くなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== スクーター ===&lt;br /&gt;
[[6月2日]]付の朝日新聞で「不審なスクーター目撃、『タンク山』へ向かう」という見出しが掲載された。記事によると、タンク山の入り口付近で遺体が発見された前日の[[5月26日]]夕方、[[スクーター]]で山に向かう不審な男性が目撃されているという。運転していた男性は40代で身長170センチ、眼鏡はかけておらず、白色のジャンバー姿だったという。しかし、スクーターの男性が名乗り出たため、事件とは無関係と判明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、[[6月7日]]付の[[毎日新聞]]で、再びスクーターの男が浮上。頭部が遺棄された時間帯に目撃された不審なスクーターがあるという情報が寄せられた。当日は晴れていたにもかかわらず、紺色の雨合羽上下を着用し、つばのある黒いヘルメットをかぶっていた。この男が、前かごから黒いポリ袋を落として走り去ったという。その後の報道で、この男は黒いポリ袋をさげて歩いていた男と同一人物ではないかとされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一旦は車説が浮上したためスクーター説がなくなったが、再浮上。[[6月23日]]付の朝日新聞で、「二輪車タイヤ痕採取」と報道。頭部が置かれる直前の[[5月27日]]早朝、正門付近を猛スピードで走るスクーターが目撃されているころが判明。黒のブルーバードに加えてスクーターについても事件に関連している疑いがあるとみて特定を急いでいる、と報道された。しかし、この後にスクーターに関する新たな目撃談は取り上げられなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 車 ===&lt;br /&gt;
犯行に使用された車として多くの目撃情報が寄せられたのが「黒の[[セダン]]」と「白い車」であった。不審車の目撃情報を追ったのは、被害者と犯人が路上で一緒にいるところを見たものがいないこと、被害者がいつも愛用している自転車を使わなかったこと、などがら犯人が車を使って拉致したと考えたからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず、浮かび上がったのは「黒のセダン」で、新聞各社が、被害者の頭部が遺棄された[[5月27日]]午前5時過ぎ、友が丘中学校正門前で不審な旧式の黒い乗用車が目撃されている、と報じられた。さらに、被害者が行方不明になった[[5月24日]]の昼過ぎにも、自宅マンション近くに黒っぽい不審な乗用車が停止しているのを近くの住民が目撃していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、胴体部が発見された「タンク山」でものふもと付近の市道でも、事件前の5月22、23日の夜間に二日続けて黒い黒い乗用車が停止しているのを近くの主婦が目撃したと報道。この「黒のセダン」が犯行に使われた可能性が高いとして一気にクローズアップされた。タンク山のふもと付近では、不審な中高年の目撃証言もあり、毎日新聞によれば、男は35-40歳、身長160-170センチで短髪のがっちり形で、目がぱっちりしているのが特徴だという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、[[6月12日]]付の朝日新聞大阪本社版で、被害者の自宅周辺などで相次いで目撃された不審な黒い乗用車について、捜査本部は、角張った車体の特徴などから、車種を[[日産自動車|日産]]の旧型[[日産・ブルーバード|ブルーバード]]と特定した、と報道した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方で、注目されたのが「白い車」だった。頭部が発見された[[5月27日]]早朝、友が丘中学校付近で白い[[ステーションワゴン|ワゴン車]]が目撃されているという。[[6月9日]]付の産経新聞では、最も重要視しているのは白っぽい車を使った身長170センチ前後、20-40歳の男と報道。「黒のセダン」と「白のワゴン」の2台の不審車両の割り出しが犯人逮捕につながると各社は取材につとめた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 黒い袋の男 ===&lt;br /&gt;
マスコミは逮捕直前まで、「黒い袋の男」を追いかけていた。5月28日付の産経新聞夕刊で、30歳くらいの不審者が頭部が発見された発見された中学校正門前で目撃されたという情報が報じられた。目撃された男は30歳代くらいで身長170-180センチで白っぽい上着を着用。普段歩かない車道を歩いていたため不審に思ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月31日付の読売新聞朝刊では、中学通用口にゴミ袋を持ってかがみ込んでいる不審な30歳代の男について報道。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6月3日付の朝日新聞夕刊で「中学校校門近くに黒い袋持つ男」の目撃証言を掲載。男は40歳前後、身長170センチぐらい。続けて6月9日付の朝刊に「黒い袋の男、3度目撃」と報じた。目撃された日はゴミ収集日ではないこと、男の行動は極めて不自然として捜査本部も強い関心を寄せているとし、犯人である可能性が高いことを匂わせたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6月24日付の朝日新聞で、「『黒い袋の男』最重要視」と報道。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯人像として浮かび上がったのは「30-40歳、身長170センチ前後」と各社ともだいたい同じだったが、最も具体的なのは読売新聞だった。6月13日付朝刊で、「目撃証言のゴミ袋男はスポーツ刈り 後ろ姿の絵作成へ」とゴミ袋の男が[[スポーツ刈り]]だったと報じられた。新聞によれば、捜査本部は数回に及ぶ事情聴取の結果、スポーツ刈りで、がっちりした体格の男との証言を得たという。2日後には、行方不明になる前後にタンク山にいた不審な男の目撃証言も取り上げた。この男の特徴も角刈り風の短髪、がっちりした体つきで目付きが鋭く、ゴミ袋の男と酷似している、と報じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
産経新聞でも、ゴミ袋の男は身長170センチ前後の筋肉質で横わけできないほどの短髪であると報道。さらに、新たな目撃証言では、がっしりした体格でホームベース形の角張った顔、短髪という具体的な犯人像が浮かび上がった。「ホームベース形の角張った顔」「横わけできないほどの短髪」という目撃情報が加わることにより、犯人像がどんどんひとり歩きした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6月24日付読売新聞では、兵庫県警捜査本部は犯人像を「二十代から四十代前半までの身長一メートル七〇前後、スポーツ刈りの男」との見方を強め、不審者を約40人に絞りこんだ模様、と報じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
テレビ、週刊誌も新聞同様に「黒のブルーバード」「白いワゴン」「30-40歳の短髪男性」などをキーワードに犯人像の特定に励んだという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6月中旬、あるスポーツ紙が「本誌が全身像を作成」と独自に犯人のイラストを掲載。「不審な30-40歳の男」は自社取材で肉付きがよく引き締まった顔、きつい目、首と腕が太い、などの特徴があることがわかったとし、それらのデータを元に全身像を作成した、という。夕刊紙にも、スポーツ紙と似た「（本紙が）目撃情報をもとに独自に作製した『酒鬼薔薇聖斗』の似顔絵」をカラーで掲載。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、民放の[[ワイドショー]]番組でも似顔絵を数種類作製し、不審人物を目撃したという市民に見せて回るという犯人捜しが行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 右利きと左利き ===&lt;br /&gt;
5月29日付の産経新聞では「犯人は左利きか」という記事を掲載。3月の連続通り魔事件では、重傷を負った女児のけがの特徴から犯人が左利きである可能性も指摘されているとし、犯人が残した挑戦状は、この特徴を隠すために定規を使ったのではないかと推測している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方で、6月17日付の朝日新聞大阪本社版では「犯人は右利きか 遺体の舌の骨折れず」と報じた。両手で首を絞めた場合、強い力が加わり舌骨が折れることが多いが、被害者の首には右手の指の跡しか残っておらず、捜査本部は、犯人の利き腕が右手であると見ている、と報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、少年は右利きである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
==== 中国語 ====&lt;br /&gt;
[[台北市|台北]]発として産経新聞は「挑戦状の一部が中国語と符合」と報じた。記事によれば、犯人が被害者に残した挑戦状に[[中国語]]と類似する表現が含まれていることが、犯罪問題に詳しい台湾筋などで指摘されているという。被害者の口に残されたメモには「酒鬼薔薇聖斗」など、日常の日本語とはかけはなれた感じの表記が多く見られるという。台湾筋の指摘によると、「酒鬼」は「大酒飲み」を意味する標準中国語（[[北京語]]）の口語表現、「学校殺死」として登場する「殺死」も、「殺害する」という意味の動詞であり、中日大辞典は「殺死」の項目で「首を切り落として殺すことをいうことが多い」と説明している。しかし、挑戦状の新しい解釈として興味をひかれたものの、犯人との結びつきについては言及していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ニュースでの光景 ====&lt;br /&gt;
少年が逮捕された数時間後、須磨警察署からのニュース報道が行われたが、茶髪の少年が後ろでピースサインをしたり携帯電話で電話しているという姿が映し出された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この光景に対して、神戸小学生殺人事件を考える会が行った調査では、半数以上が「馬鹿・恥知らず」という回答だった。「馬鹿の見本市のようだった」「あの時間に須磨にいるのだから、全員が地元の子だろう。地元にいて、なぜあんなことができるのか。考える頭がないのでは？」「ことの重大さがわかっていない。親の顔が見たい」という意見があった。また、「恥ずかしい・情けない」と答えた10代の回答者も多くいた。「ピースサインはまだしも、携帯をかけていたのにはびっくりした。友達に『俺、映ってる？』と言ったのだろうが、見ているこっちが恥ずかしくなった」「最近の若者は馬鹿、と言われても仕方がないと思った」「酒鬼薔薇と同じように、あの少年たちの顔もモザイクでもかけてやったほうがいい。あんなにばっちり顔が映っては、将来に傷がつく」などの意見があった。その一方で、「あれが普通の少年」という回答もあった。「子供を殺しているよりは罪がない」「いつでもどこでもああいう子供たちはいる。無邪気で健全といえないこともない」といった意見も見受けられた。また、他には「友が丘中学、タンク山近辺は他府県ナンバーの車が観光にやってきている。中学の校門前で、記念撮影している大人もいた。[[阪神・淡路大震災|震災]]直後に崩壊した建物の前で記念撮影をしていた人たちを思い出した」といった意見もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アメリカでの報道 ===&lt;br /&gt;
事件当初、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では大した規模での報道は行われていなかった。しかし、犯人が14歳の中学生と分かった翌日の6月29日に各紙で取り上げられた。日本社会に大きな影響を与えた事件として、事件の全容を概括している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Quotation|1ヵ月前に発生した猟奇的殺害事件は、比較的凶悪犯罪の少ない日本全体を震撼させる大事件であり、橋本総理も解決に全力を傾けるよう、警察当局に指示を与えていた。犯人は警察や新聞に「殺人が楽しくてたまらない」など挑戦状を送り付け、次の犯行予告まで行い、犯罪心理学者らはその犯人像を20-40歳と推測していた。&amp;lt;br/&amp;gt;警察当局は500人の警官を投入して遂に被疑者逮捕にこぎ着けたが、発表によると被疑者は同地区に居住する14歳の中学生ということであった。この地域は最近、猫が殺されるなど残虐行為の痕跡があり、これをつめることが逮捕に至ったようだ。&amp;lt;br/&amp;gt;容疑者逮捕は一応、人々の心を落ち着かせたようだが、容疑者が14歳であるという事実が再度、国中に衝撃を与えているようだ。社会の風潮、インターネットなど、今度はかかる若年者を殺人者に仕立てていく日本の内部構造の解明が新たな要望として浮上してくる。|[[ワシントン・ポスト]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Quotation|日本をゆるがした小学生殺人・遺棄事件で、日本社会全体をはじめ警察をも犯人を凶悪な大人と想定して調査を続けてきたが、28日、この事件は14歳の中学三年生が容疑者として連行され、事情聴取の末、自白に追い込むという結末を迎えた。日本では19歳以下を少年法対象として保護するが、本件犯人も少年で刑事被告の対象とならない。最終的には20歳までの保護処分といったことになろう。&amp;lt;br/&amp;gt;日本はこの事件のショックに動揺し、改めて家庭、社会、教育に関する議論が活発となる。10代の倫理道徳に関する議論も盛んとなっている。だが、日本の犯罪は統計的に見れば欧米のそれよりも遥かに低い。|[[ニューヨーク・タイムズ]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Quotation|日本中を騒がせた猟奇殺人事件で14歳の中学生が容疑者として逮捕された。&amp;lt;br/&amp;gt;少年は被害者の知己であり、地域社会の普通の中学生である。この犯人は書状を新聞社などに送り付け、捜査を混乱させるとともに、世間には変質的な大人の犯行を思わせてきた。&amp;lt;br/&amp;gt;近隣の住民は犯人逮捕に安堵したと同時に、それが地域内の少年であった事実にショックを隠せない。警察は当初から大人数の捜査官を投入していたが、鳩や小動物を殺していた学生を犯人として追い込んだ手順に関してはその説明を拒否している。|[[ワシントン・タイムズ]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 少年の情報漏洩騒動 ==&lt;br /&gt;
[[少年法]]61条に、「家庭裁判所の審判に付された少年犯の氏名、年齢、住所、容貌などが明らかとなる記事や写真を、新聞および出版物に掲載してはならない」と制定されている。だが「審判に付される前」を狙って、[[新潮社]]が少年の顔写真を掲載した雑誌を出版した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
写真週刊誌『[[FOCUS]]（フォーカス）』（1997年7月9日号）に少年の顔写真と実名が掲載されることが判明すると、直ちに大半の大手業者は販売を自粛決定したが、新潮社は回収せず販売を強行、一部の書店で販売された（即刻完売）。さらに翌日、『[[週刊新潮]]』が少年の顔写真を目隠し入りで掲載して販売。翌日、[[法務省]]が『FOCUS』および『週刊新潮』に回収勧告するが、双方は拒否。『FOCUS』発売直後、[[ウェブサイト]]で犯人の顔写真が数多く流布された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、審判終了後、『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』（1998年3月号）に、検事供述調書が掲載される事が判明。一部で販売自粛、各地の公立図書館で閲覧停止措置となる。後の[[法務省]]の調査で、供述調書は[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]が神戸市の病院に侵入してコピーしてフロッピーディスクに保存していたことが判明し、[[塩田明男]]が逮捕された（[[神戸事件をめぐる革マル派事件]]）。[[立花隆]]は、これを雑誌に掲載するか否かについて当時の編集長平尾隆弘から緊急に相談を受け、2時間で7枚に及ぶ調書を精読、「どんなことがあっても掲載すべき」との判断を下す。少年法61条に抵触するか否かについては、この法令が報道することを禁じているのは、'''あくまで、本人のアイデンティティを推知できるような要素であって、それ以上ではない'''-従って、この調書を載せること自体は少年法61条に抵触することは全くないと判断。掲載を推薦し「文藝春秋」（1998年3月特別号）に掲載された。立花隆自身バッシングが起こることは確実と予想してのことであった。 立花は『[[FOCUS]]（フォーカス）』に少年の顔写真と実名が掲載されたことについては、別の理由から反対している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後も『FOCUS』には、少年の犯行記録ノートや神戸市教育委員会の指導要録など、本来なら外部に流出するはずのない資料が次々と掲載された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、ワイドショーで少年の家を映した際、表札が見えたという証言がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 被害者側の人権==&lt;br /&gt;
特に、この事件をきっかけにして、大きくクローズアップされだしたのが、被害者側の人権問題であった。これまでも、この種の少年犯罪による事件では、犯罪者側の人権は十分に保護されるにもかかわらず、被害者側は個人の[[プライバシー]]まで暴き出され、マスコミからもさまざまな迷惑や圧力を蒙ることが問題視されてきたが、特に世間が大きく注目したこの事件がきっかけとなり、その後、多少の変化の兆しが見られるようになった。また、被害者側の働きかけにより、この事件の審判の過程においても異例の措置がとられるなど、司法側にも幾分の配慮が見られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 少年法の壁===&lt;br /&gt;
いわゆる少年事件では加害者の住所氏名すら被害者に伝えられず、審判は非公開でどんな事実認定がなされたかすら知るよしもない。それは、わが子を失った親が、「子供はどれほど苦しんだのか。何か言葉を残したのか。そして、目は閉じていたのか」（土師守『淳 それから』）すら知りえるすべがないということである。加害者が嘘をついたり、被害者に対し中傷したとしても、被害者側は反論や否定すら出来ない上、処分が出てもその内容すら知りえない。被害者側は完全に蚊帳の外に置かれる。第三の事件の被害者の父とその弁護人である井関勇司が取り組んだのは、まず「'''少年審判への関与と情報開示の要求'''」であった。そのため、まず担当判事である井垣康弘に要求したのは「'''加害者の法律記録および社会記録（鑑別結果、調査票など）を見せてほしい'''」ということであった。これらは、加害者側の弁護人には閲覧や謄写が認められているが、被害者側の弁護人には認められていない。従って、この要求に対して井垣判事は拒否した。また、「'''遺族に審判廷で意見を述べさせてほしい'''」との要求も行ったが、これも否認された。これに対して「'''それならば、少年は退廷させてからでいいから、審判廷で意見を述べさせたい'''」との要求を行ったが、これも却下された。しかし、その後の粘り強い井関弁護士の交渉が実を結び、最終的には、公式の審判では無理だが、'''判事室で判事が被害者遺族に会って話を聞く'''ということになった。これは、画期的な異例の事態であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この「異例の意見聴取」は、第4回審判が開かれたのと同じ[[10月13日]]、約30分間にわたって行われた。17日には神戸家庭裁判所での最終審判で、少年Aの医療少年院送致宇の保護処分が決定したが、家裁は「正確な報道のための資料提供の観点から」という理由で「処分決定の要旨」をマスコミに公表した。これはあくまでもマスコミに向けたものであって、被害者へはあくまでもマスコミを通して知らされた。言うまでもなく、それまでも事件に関する情報は、被害者側が知るルートはすべてマスコミであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== マスコミによる暴力===&lt;br /&gt;
上記のごとく、被害者側が知りえる事件の情報はすべてマスコミを通じたものであったが、同時に被害者はマスコミから24時間監視され、多大な苦痛を味わっている。特に猟奇的な犯行であった第三の事件では、犯人が逮捕されるまでは、被害者宅に数多くのマスコミが張り付き、周囲の道路は違法駐車の車で交通渋滞ができ、被害者宅ではカーテンすら開けられない状況が続いた。かつ、犯人は両親ではないかとの憶測すら乱れ飛んだ。土師守はこれを「'''マスコミによる暴力'''」と表現した。また、[[1998年]]（平成10年）[[2月10日]]には、文藝春秋社から、犯人の供述調書（[[検察官面前調書|検事調書]]）7枚分が掲載され「'''少年Aの全貌'''」という見出しの『文藝春秋』3月号が発売された。事前に警察からこの情報を聞かされていた土師守は勤めている病院の売店で買い求めるが、最初の解説の部分を少し読んだだけで、その後の記事は読んでいない。奇しくもこの日は、被害男児の誕生日でもあった。弁護士の井関勇司は「遺族の心情を考慮すると問題だ、興味本位で読まれるのはつらい」と土師にかわってコメントを発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 民事訴訟==&lt;br /&gt;
[[1998年]]（平成10年）[[8月26日]]、第三の事件の被害者の両親は、少年およびその両親に対して総額1億4000万円の支払いを求める[[民事訴訟]]を起こす。訴訟に先駆け、弁護人である井関勇司らによって、少年の両親の資産状況が調査されたが、すんでいた家屋も借家で、支払能力なし、との判断であり、また訴訟に対して犯人の両親は事実関係をすべて認めるとの意思を示していたため、争点にならず、開示も期待できない状況であったが、「'''裁判所という公式なものの中で、きちんと犯人の両親の責任を認めてほしい'''」という2人の強い意志により、訴訟は起こされた。途中、和解勧告が出されたものの、成立せず、[[1999年]]（平成11年）[[3月11日]]に全額の支払いを命ずる判決が出た。両親は、「現在の法律では、少年犯罪の場合、その責任の所在と償いということがうやむやになっている場合が多いが、その意味においても、この判決は意義のあるものだと思います」とのコメントを出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このしばらく後に、少年の両親が手記を出版することになった（『「少年A」この子を生んで…父と母悔恨の手記』 [[文藝春秋]]）。被害者の両親の疑問に答えること、賠償金支払いの目的などがあったとされるが、被害者側は不快に感じ、出版の中止を望んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 世間の反応 ==&lt;br /&gt;
14歳の中学生が起こした事件として、世間は大きく騒がれた。以下の調査は神戸小学生殺人事件を考える会によるもの。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 犯人が14歳の中学生 ===&lt;br /&gt;
犯人が14歳の中学生であったことに関して、半数以上が「驚いた」という意見だった。その次に多かったのが「信じられなかった」という意見である。その一方で、少数ではあるが「やはり、と思った」という意見もあった。しかし、その中でも「10代だとは思っていた。しかし14歳とは……」という意見が多数だった。逆に、「14歳だからかえってあんな事ができたのか」という人も少数ながらいた。また、「恐ろしい」という意見もあった。「14歳でこんなことをしてしまう酒鬼薔薇が怖い」「こんなことが中学生にできてしまうという現実が恐ろしい」などがあったが、何を恐ろしいとするかは人それぞれだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 少年法 ===&lt;br /&gt;
犯人が少年法に守られていることに関して、「許せない」「納得できない」といった意見が7割を占めた。その一方で、「仕方ない」といった意見も多く、「そうなっているなら仕方ない」「仮に少年法が改正されても、酒鬼薔薇には適用されない。ここまで放置してきてしまったのだから、もう遅い」「おかしいとは思うけど、法治国家とはこういうものでは？」「酒鬼薔薇だけ特例にしたら、秩序がなくなる」などの意見があった。30歳以上の中には「14歳では責任能力がない。成年と同じ処罰を与えるのは無理」と、「守られて当然」という意見もあった。しかし、10代はほぼ全員「許せない」「納得できない」という意見だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== フォーカス ===&lt;br /&gt;
犯人である少年の顔写真が掲載されたフォーカスを手に入れた人は1割にも満たなかった。しかし、コピーを含めると約4割が見たことがあるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
顔写真を見た印象としては、「普通の子と変わらない」という意見が最も多かった。次に多かった順に、「恐い」「陰湿な印象」といった意見だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フォーカスに顔写真を載せたことに関しては、6割以上が賛成といった意見だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 新聞 ===&lt;br /&gt;
犯人逮捕後、新聞での報道は日が経つにつれ、教育問題などを背景とする記事を取り上げることが多くなったが、これに対しては「偽善的」といった意見が多かった。「悪いのは社会、というように酒鬼薔薇を擁護するような書き方が多い」「罪を憎んで人を憎まず、という姿勢がかえって不気味」という意見があった。また、「人権侵害ということにびびりまくっている感じ」「少年法に守られている容疑者だから、言いたいようことの半分も言えないのだろう」と「歯切れが悪い・つっこみが甘い」といった意見も多かった。一方、年配者には「新聞は興味本位で書き立てるべきではないし、事実のみを伝えるもの」と「これが妥当」といった意見も多かった。逮捕後は識者のコメントや分析が目立つようになったが、10代の中には「心理学者だの小説家がわかったふうなことを書いているのには腹がたった。勝手に酒鬼薔薇の気持ちを推理して決めつけていたが、こんな人たちにわかるはずがないのに、と思った」「最近の若者という枠で、酒鬼薔薇のことを語らないで欲しい。あんなヤツと一緒にされたくない」という意見が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ホラービデオなどの規制 ===&lt;br /&gt;
犯行声明にバイオレンスコミックが引用されていたり、部屋にホラームービーが何本もあったことから規制の声があがった。実際、規制すべきといった意見が多かった。「小学生が読むマンガでも、暴力シーンが多い。あまりにも簡単に人が死ぬので、子供に『死』というものを軽くとらえられている気がする」「ガイドラインを作って、一斉に規制するのは検閲のようでよくない。作者や発売元の良心に任せる程度の規制が望ましい」「いちばん影響が大きいのはテレビゲームだと思う。大抵のゲームが、相手を倒して自分が生き残る、強くなるものばかり。幼稚園の子供が『死ね、死ね』と叫びながらコントローラーを持っている姿は怖い」という意見があった。しかし、規制は必要ないといった意見も多く、「ホラービデオ愛好家がみんな殺人を犯すわけではない」「[[表現の自由]]の侵害。ビデオを見なくても、人ぐらい殺せる」「規制しても意味がないと思う。いまだって未成年でも酒もたばこも買えるし、アダルトビデオも見られる」「マンガを規制するくらいで犯罪が減るなら、この世に犯罪者はいない。『[[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)|水戸黄門]]』ファンの殺人犯だっているはずだ」「国が法律で規制するのではなく、親がチェックすべき問題だと思う」といった意見があった。また、他には「規制しろ、ともっともらしいことをいうテレビ番組で『これが犯行声明に引用されたマンガです』と何度も紹介していた。宣伝してどうする？」「[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件|宮崎事件]]のときはオタクはみな危ないといい、今度はマンガやホラー。なぜすぐにわかりやすい原因をみつけたがるのか？」という疑問の声も上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の影響 ==&lt;br /&gt;
この事件を教訓に、[[こども110番の家]]が設置されるようになった。事件の残虐性に加え、逮捕されたのが14歳の少年であった点も、社会に強い衝撃を与えた。結果、この事件を境に、[[少年事件]]やそれに関連する法整備、少年事件における「マスコミの対応」などが大きく注目されるようになった。さらにこの事件を皮切りに当時の内閣が少年法改正に動く事にまで影響が及んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、テレビ番組が少年に与えた影響が取りざたされたため、猟奇シーンの含まれる番組（『[[銀狼怪奇ファイル]]』、『[[エコエコアザラク]]』など）の放送や新シリーズ制作が中止になったり、特撮番組においてヒーローが切断技で怪獣の首をはねたり胴体を真っ二つに切断し倒す演出が自粛されるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また当時、大人気であった[[ミニ四駆]]の全国大会「ジャパンカップ」関西大会の地区予選が、社会情勢を考慮するとの理由で中止になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==少年は冤罪か==&lt;br /&gt;
逮捕された少年が犯行を認め、関連する犯罪についても述べているものの、冤罪を指摘する声もある。 その多くは被害少年の首を切断した際の警察の報告書に対する疑問点や、捜査の手法、判決を批判したものである。また、物的証拠に不足、不自然な点があるとも指摘される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
多くの冤罪事件を手がけてきた弁護士の[[後藤昌次郎]]や、『神戸事件を読む―酒鬼薔薇は本当に少年Aなのか?』（鹿砦社）の著者の熊谷英彦、少年が在籍していた中学校の校長（当時）の岩田信義らが冤罪であると主張しており、特に、熊谷の著作は冤罪主張派にとって重要視されている。冤罪説の指摘のうち主なものを以下に記す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 第二の事件で殺害された女児の頭の傷は八角げんのうを左手に持って殴りつけてできたと考えられ、右利きの少年がやったとは考えにくい（「[[#右利きと左利き]]」も参照）。&lt;br /&gt;
* 第三の事件で殺害された男児の首は遺体を冷凍して切断した可能性が考えられる。岩田は若いころ、来客に料理をふるまうためにニワトリを屠殺した経験があり、ニワトリの首は簡単に切れなかったと述べている。岩田は糸ノコギリで人間の首は切断できないのではないかと疑問を呈している。&lt;br /&gt;
* 筆跡鑑定の結果は声明文が少年によって書かれたものだと断定はできないというものであった。のちに、鑑定結果を弁護士から知らされた少年は「騙された、悔しい」といって泣いたといわれている。ただし、赤インクの太字と定規を使用したと見られる直線で描かれたもので、筆跡をごまかしているため、鑑定の結果自体は冤罪の根拠とはならないという意見もある。ただし、少年の中学での国語の成績は入学以来常に5段階評価の「2」で、事件直前の授業の作文と比較して犯行声明のような高度な文法や複雑な読みまわしの漢字を書く能力があったかどうかには疑問が残っている。&lt;br /&gt;
* 取り調べにおいて警察は声明文の筆跡鑑定が確定的であるかの様に説明し、それを受けて少年は自白を始めた。これは違法行為であるため、家裁審判においてこの自白調書は証拠として採用されなかったが、少年の弁護士は非行事実について争おうとはしなかった。&lt;br /&gt;
* 少年の素行についての証言が逮捕直後から多数報道されていたが、調査してみると多くは伝聞情報ばかりで直接の目撃証言が確認できない。&lt;br /&gt;
* 判決文による非行事実は荒唐無稽で実行不可能な部分が多い。&lt;br /&gt;
* 14歳少年に実行可能な犯罪とは到底考えられない。犯行声明文は14歳少年が作成したものとは思えないほど高度である。岩田は、この犯行声明文は全体的に難解な論理を特異な比喩を使いながら展開しているにもかかわらず論旨は明快で、成績の悪い少年Aに到底書けるとは思えなかったと述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年の母が2002年5月に少年と面会し、「お母さん、あんたの口からハッキリと聞いておきたいことがある。○君を殺したの？ ○君を殺したんは、本当にお前なんか？ あの事件は冤罪ということはあり得へんの？」と冤罪の可能性について尋ねた際、彼は「あり得へん。間違いなくそうです。自分がやりました」と語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典・脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[少年犯罪]]&lt;br /&gt;
* [[少年法]]&lt;br /&gt;
* [[家庭裁判所]]&lt;br /&gt;
* [[少年院]]&lt;br /&gt;
* [[郊外型犯罪]]&lt;br /&gt;
* [[猟奇殺人]]&lt;br /&gt;
* [[快楽殺人]]&lt;br /&gt;
* [[厳罰化]]&lt;br /&gt;
* [[職場体験]]・[[トライやる・ウィーク]]（この事件を機に始まった）&lt;br /&gt;
* [[不謹慎ゲーム]]&lt;br /&gt;
* 『凶悪犯罪ファイル』（神戸連続児童殺傷事件編）&lt;br /&gt;
* [[キレる17歳]]&lt;br /&gt;
* [[注意欠陥・多動性障害]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://kobe.kazamidori.net/suma-jiken/ 酒鬼薔薇聖斗事件・点と線]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さかきはら せいと}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1892年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:連続殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:1997年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:神戸市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:須磨区]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%AE%9A&amp;diff=202532</id>
		<title>阿部定</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%AE%9A&amp;diff=202532"/>
				<updated>2013-08-28T02:30:50Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:Sada Abe portrait.JPG|350px|thumb|事件前の阿部定]]&lt;br /&gt;
'''阿部 定'''（あべ さだ、[[1905年]](明治38年)[[5月28日]] - ?）は、[[日本]]の[[芸妓]]。[[阿部定事件]]の犯人として知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 出生・少女期 ===&lt;br /&gt;
定は江戸時代から続く裕福な畳店「相模屋」の阿部重吉・カツ夫妻の末娘として[[東京市]][[神田区]]新銀町（現[[東京都]][[千代田区]][[神田多町]]）に生まれる。生まれた時は仮死状態であった。カツの乳の出が悪かったため、1歳になるまで近所の家で育てられた。定は4歳になるまで家族とも会話ができなかった。後に癇癪持ちになり、裁判時に[[ヒステリー]]と診断されているが、幼児期のこうした体験が関連があるのではとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8人兄弟だが長女、次男、三男は幼くして亡くなり、四男は養子に出され、定が神田尋常小学校（現在の[[千代田小学校]]）に通う頃には20歳以上年が離れた長男・新太郎、17歳年上の次女・とく、6歳年上の三女・千代の4人兄弟であった。定は母親の勧めで進学する前から[[三味線]]や[[常磐津]]を習い、相模屋のお定ちゃん（おさぁちゃん）と近所でも評判の美少女だった。孫のように年が離れた末娘に母は稽古事の際には毎回新しい着物を着せ、大人のように髪を結わせて通わせた。また定もこれが似合う美少女であったので定を猫かわいがりしていた父母は鼻が高かった。定の見栄っ張りで少々高慢な性格はこの頃から見受けられるようになる。父母は日常の学校生活よりも歌や踊りや三味線の稽古を優先して育て、尋常小学校の教師からも注意を受けている。そのような環境のためか、10歳になる頃には男女の[[性交]]の意味を知っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高等小学校に進学するも15歳の時に自主退学している。当時は親分肌の性格だったと隣人が証言している。15歳（数えのため満14歳）の頃、大学生と二人でふざけているうちに[[強姦]]されてしまった。これが彼女の初体験である。定は出血が2日も止まらず恐ろしくなり、定の母親がその学生と話をしようと自宅まで行くが、本人とは会えず、泣き寝入りする形になる。定は16歳の終わり頃に[[初潮]]をむかえた。初潮前に強姦された定はその後不良少女になっていくが、本人の弁によれば「もう自分は処女でないと思うと、このようなことを隠してお嫁に行くのはいやだし、これを話してお嫁に行くにはなおいやだし、もうお嫁にいけないのだ、どうしようかしらと思いつめ、ヤケクソになってしまいました」。母は定をなだめようと優しい言葉をかけたり、物を買い与えたが、逆にそれが癪に障った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
丁度その頃、阿部家は長男と次女の男女問題や家業継承問題でもめており、母は家庭内の揉め事を年頃の定に見せないように小遣いを渡して外に出すようになり、やがて定は現代の金額に換算すると10万円から60万円もの大金を家からを持ち出して、[[浅草]]界隈を仲間を引き連れて遊びまわる不良娘となっていた。父・重吉は時折厳しく定を叱り付け、家から閉め出したり折檻をしている。後に[[浅草]]の女極道「小桜のお蝶」とも張り合うようになり地元神田にまで定の名は轟く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃の定の暮らしは、昼近くに目を覚まし朝昼兼用の食事を女中に運ばせ、風呂を済ますと外出し、10人以上の不良少年に取り巻かれ、[[凌雲閣]]で映画を見て、映画が終わると居酒屋へ繰り出し、夜遅く帰宅する。他の男性と交際していたが、不良仲間とは肉体関係は持っていなかった。このような生活は1年ほど続いたが、定が16歳の時に、三女・千代の縁談が決まると、体面を保つのと家を追い出される形で女中奉公に出たが、屋敷の娘の着物や指輪を盗んだため警察の世話になり、1か月後に家に送り返された。父・重吉は非常に怒り、それから約1年間、定を自宅で監禁同様に過ごさせている。長男・新太郎が両親の金をありったけ持って蒸発すると、畳屋を店じまいすることになり、阿部家はその頃[[埼玉県]][[入間郡]]坂戸町（現:[[坂戸市]]）に転居した。しかし、阿部家は都内に貸家を何件か持っていたため、生活に困ることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 芸妓から娼妓へ ===&lt;br /&gt;
その後の定は男と交際を繰り返し続け、見かねた父と兄は定が17歳の時に「そんなに男が好きなら芸妓になってしまえ」と長男・新太郎の前妻・ムメの妹の夫・秋葉正義という[[女衒]]に売ってしまう。定は秋葉に夜這いをかけられ、秋葉は4年ほど定のヒモとなっている。[[神奈川県]][[横浜市]]住吉町（現:横浜市[[中区 (横浜市)|中区]]住吉町）の芸妓屋「春新美濃（はじみの）」に前借金300円で契約。源氏名「みやこ」として[[芸者]]の世界に脚を入れる。1年ほど春新美濃に在籍し、その後も横浜や長野で芸者として働いていたが、三味線が弾けるとはいえ特筆した座敷芸がない定は、座敷に出ると客に性交を強いられることが多いのが嫌であったという。身売りの金は定の小遣いとなった。[[関東大震災]]([[1923年]](大正12年))の時、定はちょうど秋葉の家に遊びに来ていたが、秋葉の家は全焼。定は秋葉の家を助けるため、[[富山県]][[富山市]]清水町の「平安楼」という芸妓屋に1000円以上の前借金をして店変えをし、前の店に返済した残りの金から300円ほどを秋葉に渡し、秋葉一家の生活の面倒を見るようになった。当時1000円という金額は、立派な家が一軒建つほどの金額である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
20歳になると定は秋葉に騙されていたことを知り縁を切ろうとするが、「平安楼」の契約書が秋葉との連判であったため、その借金を返すべく[[1925年]](大正14年)7月、[[長野県]][[飯田市]]の「三河屋」に移転するが、自分で売り込むわけにもいかず、ここでも仕方なく秋葉との連判で契約をしている。静香という売れっ子芸者になったが、定は[[性病]]にかかってしまう。父・重吉はどうせ男に懲りて家に戻ってくるだろうと追い出したのだが、「検黴&amp;lt;ref&amp;gt;けんばい 性病検査 当時、娼妓には毎月一回の性病検査が義務付けられていたが、芸者は任意であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;を受けてまで不見転&amp;lt;ref&amp;gt;みずてん 客に体を売る芸者の意&amp;lt;/ref&amp;gt;芸者をするなら、いっそのこと」と自ら進んで[[遊女]]に身を落とした。この時、母・カツに秋葉との一部始終を暴露し、別の仲介業者を得て移籍手続きをし、秋葉から連判の契約書を返してもらっている。&lt;br /&gt;
[[File:TAISHO-ROU 大正楼、阿部定が最後に勤めた遊郭、P9200158.JPG|thumb|240px|right|阿部定が最後に勤めた遊郭、大正楼（[[篠山市]]）]]&lt;br /&gt;
[[1927年]](昭和2年)、[[大阪府]][[大阪市]][[西成区]]にある[[飛田遊廓|飛田新地]]の高級遊郭「御園楼」に前借金2800円で契約、連判者は父・重吉であった。ここでは園丸と名乗り、売れっ子娼妓となる。1年ほどすると常連客の会社員から身請けの話が出たが、その男性の部下も定の常連であり、身請け話は立ち消えになる。その後は逃走と失敗、トラブルを起こしては店を変え、大阪・兵庫・名古屋の娼館を転々とし、どんどん客層の悪い店に落ちていった。[[1932年]](昭和7年)、6カ月ほど在籍した丹波篠山の下等遊郭「[[大正楼]]」から逃げ出し、娼妓生活を終了させる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神戸で2カ月ほどカフェの女給をしてから名古屋に渡り、高級娼婦や妾や仲居をして過ごす。この頃、男性と毎日肉体関係を持たないと気がおかしくなりそうだと病院に相談しているが、医者は「難しい精神鍛錬の本や思想の本を読んだり、結婚をすればいいだろう」と答えた記録がある。一度は坂戸の実家に戻るが、大正楼からの追っ手が来たため大阪に逃亡。[[1933年]](昭和8年)、大阪で母・カツが死亡したという電報を受け取る。翌[[1934年]](昭和9年)正月、日本橋の袋物商の妾をしていた定の元に、父が重病だという知らせが届く。10日間つきっきりで看護するが、父・重吉は病死。重吉の最期の言葉は「まさかお前の世話になるとは思わなかった…」だそうである。その後も妾を続けていたが、知人から秋葉の娘が死んだと聞き、横浜へ墓参に行くと秋葉は金に困っており、定は指輪を質入し150円を秋葉に用立てる。この頃から定と秋葉の関係が復活する。定は愛人を何度か変えると、ある愛人から婚約不履行で訴えられ、[[名古屋市|名古屋]]に逃れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1935年]](昭和10年)4月に[[名古屋市]][[東区 (名古屋市)|東区]][[千種区|千種町]]（現:名古屋市[[千種区]]）の料亭「寿」で、名古屋市議会議員にして有名商業学校校長の大宮五郎と知り合い交際していた。紳士的な大宮は定にとっては今まで会ったことがない男性だった。大宮は娼婦や妾をしていた定を人間の道に外れたことだと叱り、更生するように定を諭した。この頃、本籍を名古屋市東区千種町に変更している。大宮から、まじめな職業に就くようにと諭され、新宿の口入屋を介して紹介されたのが奇しくも石田吉蔵の経営する東京・中野の料亭・吉田屋であった。後々は定に店を持たせようと考えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
田中加代の偽名を使い吉田屋で働き始めた定と石田は知り合ってまもなく不倫関係になり、石田の妻もこの関係を知るようになると二人は出奔。定は嘘をつき大宮五郎に逃亡資金を何度か無心している。大宮は後に重要参考人として身柄を拘束され、取調べを受け不問となるが、学校の卒業生に合わせる顔がないとその後は隠居生活を送っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 裁判・服役 ===&lt;br /&gt;
[[File:Sada Abe.jpg|thumb|250px|逮捕直後に[[撮影]]された新聞写真（[[1936年]](昭和11年)[[5月20日]]、高輪警察署にて）]]&lt;br /&gt;
[[1936年]](昭和11年)5月18日に[[阿部定事件]]において愛人の石田吉蔵を殺害した殺人罪で逮捕された。当時横浜で畳店を経営していた兄・新太郎は「自殺でもしてくれればいい」と新聞にコメントしている（新太郎は定が受刑中に病死）。姉・トクは秋葉と共に何度も面会に来ている。定は事件後、吉蔵が事件当時に身につけていた[[褌]]を腰に巻き、シャツにステテコと吉蔵の血で汚れた腰巻を身につけて逃亡していた&amp;lt;ref&amp;gt;これらの証拠物は1947年(昭和22年)、警察の犯罪防止キャンペーンの防犯博覧会で、ホルマリン漬けの吉蔵のペニスと共に一般展示されたことがある&amp;lt;/ref&amp;gt;。吉蔵の下着類はいくら探しても見つからないので警察も不思議に思っていたのだが、それらは拘置所（[[市ヶ谷刑務所]]）に入った定が身につけていた。拘置所で汚いので差し出すように言われた際は「これはあたしと吉さんのにおいが染み付いているの、だから絶対渡さない」と大騒ぎをしている。留置から裁判でのやり取りは、定を担当した弁護士によってマスコミに話が流れ、当時の社会に衝撃を与える。その後当時の弁護士を解任し、新たに[[竹内金太郎]]弁護士がついている（私選か公選かは不明）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
精神鑑定の結果では残忍性淫乱症（[[サディズム]]）と節片淫乱症（[[フェチズム]]）と結果が出た。裁判の結果、事件は痴情の末と判定され、定は懲役6年（[[未決勾留]]120日を含む）の判決を受ける。通常は汽車で刑務所に移送されるが、有名人になっていた定は車で[[栃木刑務所]]に送られている。受刑生活では[[ラジオ体操]]の存在も知らず、最初は精神的に苦痛を受けるが、刑務所での作業は人の2倍はこなす模範囚となった。しかし、石田の一周忌を迎えると癇癪を起こすようになり、泣き喚いたり呼ばれても横になったまま、看守の頭にバケツの水をひっくりかえすなどの奇行を繰り返した。教誨師の説得により定に平常な心が戻る。この頃、さまざまな思想本を読み、[[日蓮宗]]に帰依。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1941年]](昭和16年)に「[[皇紀]][[紀元2600年]]」を理由に[[恩赦]]を受け出所。[[阿部定事件]]の猟奇性により世間の好奇心を呼び注目を引くこととなり、定は「世間から変態、変態と言われるのが辛い」と逮捕直後からもらしている。出所後数日は姉・トクの家に世話になり、その後は元愛人で女衒であった秋葉正義夫妻の家に下宿（その頃秋葉は保険業に転職）、秋葉夫妻は実質的な定の保護者となっており、定は秋葉夫妻を「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 偽名・名誉毀損裁判 ===&lt;br /&gt;
その後7年ほどは刑事から与えられた吉井昌子という偽名を使い生活、勤務先の赤坂の料亭で知り合ったサラリーマン男性と結婚（入籍はしていない[[事実婚]]）し谷中のアパートで暮らしていたが、[[東京大空襲]]で被災すると[[茨城県]][[結城郡]]宗道村（現:[[下妻市]]）に疎開する。ここでは農業の手伝いをし、吉井昌子の名で配給を受けている。終戦後は[[埼玉県]][[川口市]]に居住。しかし、戦後のエログロナンセンスブームで[[1947年]](昭和22年)は『'''お定本'''』と呼ばれる[[カストリ本]]が続々と出版されている。3月に『愛欲に泣きぬれる女』、6月に『お定色ざんげ』、8月に『阿部定行状記』が出版。中でも『お定色ざんげ』（石神書店発行）の作者・木村一郎と石神出版の社長を石田と定の名誉毀損に当たるとし、9月4日に定は秋葉と連名で東京地裁に訴訟を起こす&amp;lt;ref&amp;gt;名誉毀損問題に当たる箇所は39箇所であった&amp;lt;/ref&amp;gt;。訴訟から数週間後に『お定色ざんげ』は発禁本となっている。夫はその頃、自分の妻があの阿部定であったことを知り失踪している。その後彼女は本名の阿部定として、阿部定事件を背負いながら生きることとなる。この年には[[織田作之助]]が阿部定事件を基にした小説『妖婦』を出版。作家の[[坂口安吾]]は文藝春秋社発行の雑誌『座談』12月号で定と対談している。安吾や織田作之助ら、無頼派の作家にとって、定は[[ファム・ファタール]]的存在だった。[[1948年]](昭和23年)3月には手記『阿部定手記』（新橋書房）を出版。これにより名誉毀損訴訟も収まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
定は秋葉夫妻の元に下宿し、[[1949年]](昭和24年)、秋葉の援助を受け、劇作家の[[長田幹彦]]が主催する劇団を旗揚げし、自らが主人公となり阿部定事件劇『昭和一代女』を演じた。6カ月ほど地方を巡業し、東京でも浅草の観音寺裏にあった百万弗劇場で上演されている。その後は京都で芸者をし、大阪の「バー・ヒノデ」のホステスや伊豆の旅館の仲居として働いていたが、[[1954年]](昭和29年)夏、実業家の島田国一の紹介で、星菊水社長・丸山忠男は定を客寄せパンダにしようと10万円の前金を出しスカウトする（現在の金額で300万円ほどである）。月給も他の仲居は3000円だったのを、定は1万5000円をもらっていた。当時の都電にはこんなチラシが登場する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「'''お定さんの夢の大広間で、お定さんのお酌で一パイ 庭に面したテレビのある小室十六室完備 夢の酒場・夢の割烹『星菊水』'''」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
星菊水では料理の他に、宴会の終盤に「お定でございます」と定が宴席に登場し、客をもてなすサービスがセットになっていた。働きぶりは真面目で、[[1958年]](昭和33年)には東京料飲食同志組合から優良従業員として表彰されている。この頃は店のマネージャー兼女中頭であった。その後、上野の[[東京都道462号蔵前三ノ輪線|国際通り]]に小さなバー「クィーン」を開店。しかし従業員に店の金を持ち逃げされて半年で店じまいする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 晩年 ===&lt;br /&gt;
[[1967年]](昭和42年)、定が62歳の頃、秋葉の家を離れ、[[台東区]][[竜泉 (台東区)|竜泉]]に清水社長から出資してもらい「若竹」というおにぎり屋を経営した。店の裏の6畳間は定の住居であった。おにぎりを買いに来る客はほとんどおらず、店には定と三味線を弾き料理をする女性がおり、カウンターで酒を飲ませる店であった。若竹には[[浅香光代]]や有名力士や相撲部屋親方、国会議員、阿部定事件を担当した法曹界の人間もたびたび訪れており、事件当初より定に心酔した舞踏家の[[土方巽]]は常連客であった。[[1956年]](昭和31年)、親代わりであった秋葉が既に死亡しているが、[[1968年]](昭和43年)2月には秋葉の妻・ハナが死去。この頃から定は死に憧れるようになり、客にぽつりと「あのバス事故&amp;lt;ref&amp;gt;1968年(昭和43年)[[8月18日]]に起きた[[飛騨川バス転落事故]]&amp;lt;/ref&amp;gt;のように誰だか身元がわからないまま死にたいわ」などと話すようになる。[[1969年]](昭和44年)、常連客であった土方巽は「僕に定さんの清らかな魂を写してくれ!」と懇願し、二人で写真を撮影している（外部リンク参照）。1969年(昭和44年)に製作された映画『[[明治大正昭和 猟奇女犯罪史|明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史]]』（[[石井輝男]]監督）に63歳の定本人が出演しており、「'''そうね、人間一生に一人じゃないかしら、好きになるのは。ちょっと浮気とか、ちょっといいなあと思うのはあるでしょうね、いっぱい。それは人間ですからね。けどね、好きだからというのは一人…（以下略）'''」と言葉を残している。世間から事件を好奇心の目で見させない真実を伝える映画にするということを約束した上での出演であったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、「星菊水」「若竹」共に店の客からの評判は「江戸っ子らしく気風のいい優しい人」と評判が良かったが、事件には一切触れることはせず、仕事仲間にも当時のことを語ることはほとんどなかった。一方で、事件の当時を知っている警察関係者や司法関係者が店にやってきて、金をせびったり、身体を要求することもあり、定は用心深くなっていった。[[1970年]](昭和45年)3月、若竹から忽然と姿を消す。若竹を手伝っていた女性が病気になり、定が一人で店を切り盛りしていたが体を壊し、世話をしてくれた年下の[[バイセクシャル]]の恋人に店の金を持ち逃げされ、店を閉じて借金をある程度清算したが、どうしても残りの金を工面できず、関西に行き自殺を考えていたが、様子がおかしいと気づいた芸者から諭され、東京に戻ってきたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 失踪 ===&lt;br /&gt;
[[1971年]](昭和46年)1月頃、星菊水にスカウトした[[島田国一]]と偶然浅草の仲見世で出会い、[[千葉県]][[市原市]]の「勝山ホテル（現在は廃業）」で働くことになる。「あたし、[[新派]]の芝居『日本橋』に出てくる、こう役が好きだから『こう』と呼んで頂戴」と島田の妻に話している。ここでは65歳という高齢にも関わらず若い男に金品を貢いでは気を引いていたそうであるが（島田の妻は男性関係は一切なかったと証言している）、6月頃に「[[リウマチ]]を治療し、7月8月が過ぎたら戻る」という置手紙を残し、浴衣一枚だけを持って失踪した。その後、[[1974年]](昭和49年)前後の3か月間、浅草にある知人の旅館で匿まわれていたという証言を最後に消息不明となった。「とある[[老人ホーム]]に入っている」、「[[京都]]の[[尼寺]]で亡くなった」、「琵琶湖畔で老衰のため亡くなった」など諸説流れているが生死は不明のままである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
吉蔵の命日には[[久遠寺]](山梨県身延町)に必ず定からと思われる花束が届いていた（[[1955年]](昭和30年)に定は寺へ吉蔵の永代供養の手続きをしている）が、[[1987年]](昭和62年)頃を境に供えられることがなくなったため、その頃に死亡したのではないかとする説もある。だが、現在も「若竹」の未納税金があるために、「以下余白」とされる[[戸籍]]が残っている。これは生存が分かれば復活でき、死亡が分かれば死亡と書き換えられる行方不明者の戸籍記載である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
定ゆかりの場は現在ではほとんどが他の建物に変わっているが、[[遊女]]人生の最後を過ごした丹波篠山の遊郭「大正楼」の建物は現存している。大正楼では「おかる」「育代」と名乗った。定の証言によると玉の井の淫売以下のひどく悪い客層で、真冬も外に出て客引きをしなければならず、定の7年間の遊女時代で一番辛い職場だったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 阿部定を演じた女優 ==&lt;br /&gt;
* [[賀川ゆき絵|賀川雪絵]] 『[[明治大正昭和 猟奇女犯罪史]]』&lt;br /&gt;
* [[宮下順子]] 『[[実録・阿部定]]』&lt;br /&gt;
* [[松田英子]] 『[[愛のコリーダ]]』&lt;br /&gt;
* [[川島なお美]] 『[[失楽園 (渡辺淳一)|失楽園]]』（[[劇中劇]]?）&lt;br /&gt;
* [[黒木瞳]] 『[[SADA〜戯作・阿部定の生涯]]』&lt;br /&gt;
* [[杉本彩]] 『[[JONEN 定の愛]]』&lt;br /&gt;
*[[麻美ゆま　]]『阿部定　最後の七日間』&lt;br /&gt;
* [[紫乃原実加]] 『[[津山三十人殺し 幻視行]]』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
* [[1936年]](昭和11年)11月24日に行われた定の初公判は傍聴希望者が深夜から殺到し、傍聴券抽選時間は繰り上げられた。抽選に外れた者は同日行われていた[[帝人事件]]の公判を傍聴したが、面白くないと中座するものがほとんどであった。&lt;br /&gt;
* [[栃木刑務所]]に服役していた際、定宛のファンレターや結婚の申し込みの手紙がおよそ1万通寄せられた。&lt;br /&gt;
* [[浅香光代]]の父母は神田新銀町に住んでおり、定は夫妻を「兄さん」「姉さん」と呼ぶほど仲が良かったが、不良少女時代に金を盗みに入っている。一部始終を近所の人に見られており定は謝罪するが、当時裕福であった夫妻は「出世払いでいい」と不問にし、詫び状を一筆書かせたエピソードがある。&lt;br /&gt;
* 定と終始かかわりがあった秋葉正義は、女衒時代には彫り物家の肩書きもあり、かつては彫刻家の[[高村光雲]]の弟子であった。&lt;br /&gt;
* 予備調書は門外不出であったが、何者かの手によって外に出され、戻ってきた時は手垢まみれであった。&lt;br /&gt;
* 石田の死後、料亭・吉田屋は石田の妻が切り盛りしていたが、戦中に酒を扱う商売の営業時間を短縮する辞令が出た影響で廃業。板前見習いであった石田の長男もその後すぐに戦死してしまう。石田の墓は、[[港区 (東京都)|港区]][[南麻布]]・仙台坂下の[[専光寺]]にあり、無縁塔に[[無縁仏]]として祀られている。&lt;br /&gt;
* 出所後の定を知る多くの人物が「読書好き」だったと語っている。本が好きだったわけではなく、外出先で後ろ指を差されることを嫌ったためである。雑誌は[[婦人公論]]を好んだ。&lt;br /&gt;
* 「星菊水」にスカウトした島田国一社長は、阿部定事件の日、偶然にも待合茶屋「満佐喜」の隣の部屋に宿泊していた。島田の妻もまた偶然にも、戦争で家族を亡くし姉の嫁ぎ先の川口市にいた頃、定によく遊んでもらっていた。&lt;br /&gt;
* 事件以後は吉蔵が好んでいた、卵とタバコは一切口にしなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[織田作之助]] - 阿部定事件をモチーフにした小説『妖婦』（1947年）を書いている。&lt;br /&gt;
* [[坂口安吾]] - 阿部定と対談している。&lt;br /&gt;
* [[阿部サダヲ]] - 芸名の由来は阿部定の名前から。&lt;br /&gt;
* [[浦添乳房切り取り殺人事件]] - 沖縄版阿部定事件と話題になった。&lt;br /&gt;
* [[実録　阿部定]] - 阿部定事件をモデルにした映画作品。[[宮下順子]]・主演。&lt;br /&gt;
* [[愛のコリーダ]] - 阿部定事件をモデルにした映画作品。&lt;br /&gt;
* [[失楽園 (渡辺淳一)|失楽園]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考書籍 ==&lt;br /&gt;
* 阿部定正伝 情報センター出版局 1998年 堀ノ内雅一・著 ISBN 4795826722&lt;br /&gt;
* 阿部定事件 -愛と性の果てに- 新風社文庫 2005年 伊佐千尋・著 ISBN 4797495316&lt;br /&gt;
*なつかしく思います―阿部定に愛された男　1996年　現代書館 森珪・著　ISBN10: 4768466796&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references/&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/tsumuji13/abesada.html 阿部定写真 事件現場の写真 土方巽との写真]（石田吉蔵の遺体写真があるため注意）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あへ さた}}&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:消息不明となった人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1905年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:没年不明]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%9B%B8%E6%B2%A2%E4%B8%89%E9%83%8E&amp;diff=202530</id>
		<title>相沢三郎</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%9B%B8%E6%B2%A2%E4%B8%89%E9%83%8E&amp;diff=202530"/>
				<updated>2013-08-28T02:30:02Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{基礎情報 軍人&lt;br /&gt;
| 氏名       = 相沢 三郎&lt;br /&gt;
| 各国語表記 = &lt;br /&gt;
| 生年月日   = [[1889年]][[9月6日]]&lt;br /&gt;
| 没年月日   = {{死亡年月日と没年齢|1889|9|6|1936|7|3}}&lt;br /&gt;
| 画像       = Saburo Aizawa.JPG&lt;br /&gt;
| 画像サイズ = 200px&lt;br /&gt;
| 画像説明   = &lt;br /&gt;
| 渾名       = &lt;br /&gt;
| 生誕地     = [[福島県]] [[白河町]]&lt;br /&gt;
| 死没地     = [[東京府]] [[代々木]]&lt;br /&gt;
| 所属政体   = {{JPN1947}}&lt;br /&gt;
| 所属組織   = {{IJARMY}}&lt;br /&gt;
| 軍歴       = 1910 - 1936&lt;br /&gt;
| 最終階級   = 陸軍[[中佐]]&lt;br /&gt;
| 指揮       = &lt;br /&gt;
| 部隊       = &lt;br /&gt;
| 戦闘       = &lt;br /&gt;
| 戦功       = &lt;br /&gt;
| 賞罰       = [[死刑]]（[[相沢事件]]）&lt;br /&gt;
| 除隊後     = &lt;br /&gt;
| 廟         = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''相沢 三郎'''（あいざわ さぶろう、[[1889年]]（[[明治]]22年）[[9月6日]] - [[1936年]]（[[昭和]]11年）[[7月3日]]）は、日本の[[陸軍軍人]]。歩兵将校として階級は[[陸軍中佐]]に昇るが、[[相沢事件]]と呼ばれる[[永田鉄山]]軍務局長斬殺事件を起こす。[[北一輝]]の思想的影響を受けていたものとみられる。妻の米子との間の娘は[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]44期の[[志村陸城]][[中尉]]に嫁ぐ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
旧[[仙台藩]][[武士|士]]で[[裁判所]][[書記]]・[[公証人]]となる相沢兵之助とまき子の長男として[[福島県]][[白河町]]（現[[白河市]]）に生まれた三郎は、一関中学（現[[岩手県立一関第一高等学校]]）、[[仙台陸軍幼年学校]]・[[陸軍中央幼年学校]]を経て陸軍士官学校に入り、明治43年（1910年）5月28日に卒業する。卒業期は第22期で、同期には[[第2航空軍 (日本軍)|第2航空軍]][[司令官]]の[[鈴木率道]][[中将]]や、[[第3軍 (日本軍)|第3軍]]司令官の[[村上啓作]]中将のほか、[[原田熊吉]]中将・[[寺倉正三]]中将・[[北野憲造]]中将等各軍司令官や[[企画院]][[総裁]]となる[[鈴木貞一]]中将がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年12月26日陸軍[[歩兵]][[少尉]]に任官され、[[歩兵第4連隊]]付を命ぜられる。大正2年（1913年）12月中尉に進み、大正7年（1918年）6月台湾歩兵第1連隊付に移る。大正9年（1920年）8月[[大尉]]に進級し、同9月[[陸軍戸山学校]][[教官]]に就任する。大正14年（1925年）5月陸軍士官学校付に移り、大正15年（1926年）8月[[歩兵第13連隊]][[中隊]]長を命ぜられる。昭和2年（1927年）7月[[少佐]]進級と共に[[歩兵第1連隊]]付に移る。この時の任務は所謂｢[[配属将校]]｣で、日本体育会体操学校（後の[[日本体育大学]]）に配属され[[学校教練]]を担当した。昭和6年（1931年）8月[[歩兵第5連隊]]大隊長に移り、昭和7年（1932年）8月から[[歩兵第17連隊]]付となる。昭和8年（1933年）8月、陸軍[[中佐]]、[[歩兵第41連隊]]付。昭和10年（1935年）8月1日[[台湾歩兵第1連隊]]付で[[台北高等商業学校]]配属将校となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年8月12日永田軍務局長を刺殺する。同23日待命となり、同年10月11日[[役種|予備役]]編入となる。翌1936年5月7日[[第1師団 (日本軍)|第1師団]][[軍法会議]]に於いて[[死刑]]判決が下される。上告するも同6月30日棄却され、同年7月3日、代々木衛戍刑務所内で[[銃殺刑]]に処される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[相沢事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/aa/saburo.html 相沢三郎 略歴]&lt;br /&gt;
*[http://www.c20.jp/p/asaburo.html 相沢 三郎　／ クリック 20世紀]&lt;br /&gt;
*[http://www.c20.jp/1936/07aizaw.html 相沢三郎刑死　／ クリック 20世紀]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{226}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あいさわ さふろう}}&lt;br /&gt;
[[Category:昭和維新]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の陸軍軍人]]&lt;br /&gt;
[[Category:福島県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:宮城県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1889年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1936年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E8%8C%82%E4%B9%85&amp;diff=202529</id>
		<title>本山茂久</title>
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				<updated>2013-08-28T02:28:09Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''本山 茂久'''（もとやま しげひさ、[[1928年]]4月3日 - [[1971年]]）とは、[[1960年]][[5月16日]]、[[東京都]][[世田谷区]]で起きた尾関雅樹ちゃん[[誘拐]][[殺人事件]]の犯人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事件の発端==&lt;br /&gt;
1960年5月16日、世田谷区のカバン製造会社、銀座の天地堂カバン店社長・尾関進さんの長男で[[慶応義塾幼稚舎]]の2年生であった尾関雅樹ちゃん（当時6歳）が幼稚舎に登園しようと、いつものように自宅近くのバス停から移動したが、その直後の午前11時過ぎ、家に男が電話を入れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「メモを用意してください。お宅の息子さんを預かってます。女中さんに200万円を包んだ風呂敷包みだけを持たせて、（午後）3時ごろ[[信濃町駅]]に来させて、[[神宮外苑]]を一周し、[[千駄ヶ谷駅]]に出て、[[タクシー]]で[[池袋]]に出て、そこから[[西武池袋線|西武電車（池袋線）]]で[[大泉学園駅]]を降り、都民農場行きのバスに乗って、終点で降りて、バス通りを[[西武国分寺線|川越鉄道（西武国分寺線）]]まで出てから、都民農場まで後戻りさせなさい。警察に届けないこと。約束さえ守れば1時間以内に子供（雅樹）を返します。200万円は新札ではダメです」という内容であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母は幼稚舎に行っているものだと思っていたが、この誘拐をほのめかす電話を受け取ったことで慌てる。幼稚舎に問い合わせたが、雅樹は登園していないことが分かる。そして午後0時半過ぎ、雅樹の父親と幼稚舎がそれぞれに被害届を提出して秘密裏に捜査が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==2回目の脅迫電話==&lt;br /&gt;
その2時間後、本山茂久から「お金は用意できましたか?お子さんは大丈夫ですよ。何もひどいことはしてないし、女がそばにいるから大丈夫です。子供さんは眠っています。睡眠薬を飲ませたので」と2回目の電話が掛かる。そして捜査員の張り込む緊張した雰囲気で雅樹家のお手伝いの女性は1回目の脅迫電話の指示どおり、現金に見せた新聞紙を風呂敷に包んで信濃町駅→都民農場へと向かうものの、本山茂久は現れないばかりか、それ以後の連絡もなく行方をくらますこととなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脅迫電報==&lt;br /&gt;
この翌朝・17日、幼稚舎の栄養士から「[[目黒駅]]付近のバス停で、雅樹が1人の男に連れられて、学校とは反対方向に歩く姿を見た」という目撃情報を証言する。普段は目黒駅までバスで移動し、そこから[[東京地下鉄|営団地下鉄]]で[[広尾駅]]に降りるが、この乗り換えのところで本山茂久に連れ去られたという証言であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、午前11時半、本山茂久から「300万円を持って1時より[[新宿区|新宿]]地球座（映画館）で連絡を待て。約束を守らないと取引を打ち切る」という内容の[[電報]]が届く。これを基に新宿電報局を調べると、新宿区柏木に住む「太田芳男」なる名義で午前9時57分ごろ送信されたことが判明。お手伝いの女性はその電報の指示に従って地球座に行くが、またも本山茂久は姿をくらます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==3・4回目の電話==&lt;br /&gt;
そのほぼ半日後、本山茂久から「約束を破った。警察官が付いていた。今度は約束を守ってください。（午後）8時半に大泉学園からバスで大泉風致地区で降り、左に折れて突き当たったら戻ってください。そこで取引をする」との第3回目の脅迫電話が掛かり、お手伝いの女性は三度この指示に従って移動。警察も張り込むが、またも犯人は現れず。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、その3時間後の午後11時20分ごろ、「尾行させていた。今度金を取引する場所、時間は後で連絡する」という4回目の連絡が入るが、これ以後の連絡、そして雅樹の消息は依然として不明の状態が続く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==雅樹ちゃんの無残な発見==&lt;br /&gt;
事件から3日目の18日朝、[[杉並区]]の女性が派出所に向い&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「5月16日の（午後）3時半ごろ、近所の住宅に伺ったところ、玄関のドアがあけっぱなしになっているので無用心と思い、裏手の家主さんの奥さんに連絡して2人でその家に入ったら、玄関に児童用レインコートや白襟の付いた上着や紺色のフェルト帽子が放りっぱなしになっており、奥の四畳半に7つぐらいの男の子が寝ていたので『どうしたの?』と尋ねると『病院のおじさんと目黒から来た』と言っていました。今日の朝刊を見ると、児童が誘拐されたという記事が出ており、ひょっとすると誘拐されたのはその男の子ではないか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
という重要な目撃情報が証言された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査員はこれを受けてこの住宅を訪ねると、その家の前に本山茂久が乗っていたとされる[[ルノー]]が発見された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、家を離れていた本山茂久らしい男が戻ったかに思えたが、そのルノーは猛スピードで急発進し、捜査員が乗用車で追跡するも、またも見失った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その翌日、杉並区上高井戸にある路上でそのルノーが放置されているのを主婦が見つけ、後部座席に米俵のようなものが置かれ、死体らしいものが包まれていたように見えた。主婦は早速その遺体を届け出て、高井戸警察署に遺体が保管された。お手伝いの女性がその遺体の身元を確認したところ、その遺体は雅樹のものであることが分かり、事件は無残な「誘拐殺人」という展開へと向かうこととなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その後の逃亡劇==&lt;br /&gt;
本山茂久は全国に[[指名手配]]されたが、7月13日、[[布施市]]（現[[東大阪市]]）の工員の男性から「同居する男が指名手配犯に似ている」として交番に連絡をする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この男は[[ハンドバッグ]]の口金製造業に勤める「山田正五」なる人物と顔がそっくりであるという。本山茂久は[[盲腸]]の手術痕があるので、警察は「山田」と名乗る人物にもそれがあるのかを確認してほしいと依頼する。明くる14日、工員の男性は「山田」と[[公衆浴場]]に誘うが、この手術痕らしいものは確認できず。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更にその3日後の17日、工員は「山田」の所持品を探ってみる。その「山田」のジャンパーのポケットにある手帳を見ると「誘拐事件に荷担（かたん）した」というメモが書かれてあり、「山田」と名乗った元歯科医の男（当時32歳）がその日の夕方警察に誘拐殺人の罪で逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事件を起こそうとしたきっかけ==&lt;br /&gt;
本山茂久は、[[1960年]][[4月]]、[[フランス]]で起きた[[自動車]]王の[[プジョー]]の孫・エリック誘拐事件（エリックは無傷であった）の記事を見て、金に困っていたことから身代金を目当てにした誘拐事件をしようと企てる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「狙うなら金を払いそうな金持ちの家の子供がいい」と思い付き、慶応幼稚舎の園児を狙うこと、さらに多くの児童が乗り換える[[日本国有鉄道|国鉄]]（現[[JR東日本]]）[[目黒駅]]周辺で連れ去るということも計画に挙げていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして事件当日、本山茂久は雅樹に対し目黒駅で「お母さんに頼まれたので病院に行こう」と声を掛けて誘拐を図る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
雅樹は睡眠薬で眠らせたと言い、雅樹宅にお手伝いの女性に対し場所を指定してあるので、そこに行くように指示を出した。都民農園付近は事件を起こす前日までに入念な下見を行い、逃げやすそうな場所に車を停め、お手伝いの女性がバスでやってくると、逆の方向からバスから女性と犯人を追尾する警官を見つけたため、この日の受け取りを取りやめる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件2日目、指定した場所で女性を待ち合わせていると、本山茂久は足を滑らせて肥溜めに落ちてしまい、ズボンとサンダルには[[糞]]が付いてしまったため家路に着く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして3日目、本山茂久を特定しようと事件の詳細に至るまで加熱した報道を繰り返したメディアによって精神的に追い詰められた本山茂久は麻酔薬で衰弱状態となっていた雅樹を殺害しようと決断。雅樹の口に[[ゴム]][[ホース]]を使って[[ガス]]を入れ、その上で首を絞めて雅樹を殺害、自宅を監視されていることを知って、あわてた本山茂久は死体となった雅樹を乗せて逃走するが、パトカーとすれ違い、杉並区内で車を乗り捨てると、[[横浜市]]から[[大阪市]]へと逃亡。最後は[[布施市]]で住み込み工員として仕事をしていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件は誘拐事件において加熱した報道を繰り返したメディアに深い反省を与え、[[報道協定]]が制度化するきっかけにもなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
本山茂久は、[[1928年]][[4月3日]]に[[新潟県]][[大島村]]で生まれた。実家は広大な土地を所有する[[地主]]であり、祖父は村長までつとめたことがある。彼はそんな家の長男として生まれ、下へも置かぬ扱いをされて育った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小さい頃から無口でおとなしく、成績も優秀だった。小・中学校は地元新潟の学校に通ったが、[[陸軍兵器学校]]に合格して[[神奈川県]]へ移住。敗戦を機に帰郷し、ふたたび地元の学校に入るが、敗戦後の[[農地改革]]は彼の実家に大きな打撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[東京歯科大学]]予科入学。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上京し、大学生活をはじめる。とくに親しい友人はなく、どこか秘密主義のところがあったという。人付き合いが悪いわけではなく、仲間に誘われれば飲みにもついて行くし、スキーもやる。だがそんな生活のかたわら、彼は学友の誰にも内緒でダンス教室の助教師と深い仲になっていた。彼女はじきに妊娠し、本山は責任をとらざるを得なくなった。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
実家の父と祖父は、大学卒業を目前に跡取り息子がダンサーと結婚すると聞き、激怒した。そうこうしているうちに子供が生まれてしまい、結局結婚を認めるよりほかなくなったのだが、正式に婚姻届が出されたのは卒業から4年以上も経った[[1958年]][[12月26日]]だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1954年]]4月から、本山はインターンとして[[台東区]]の歯科医院に勤務をはじめる。同年5月、歯科医師試験に合格。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが同年7月には、彼は前の勤務先には無断で、台東区の歯科医院に勤め先を移る。そしてさらに8ヶ月後には、[[杉並区]]の歯科医院へ雇われ院長の待遇で移動するのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本山はなかなか腕も良く、ビジネスライクに患者の回転を優先させたので見る間に繁盛した。本山は妻子を引き連れ、医院に近いところへ一軒家を借りた。翌年には次男が生まれ、順風満帆といった態であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1956年]]11月、本山は妻の実家から資金を借り、開業を決意する。場所はいまの勤務先である医院の、目と鼻の先を選んだ。いままでの患者がそっくり自分の医院についてくるであろうことを計算してである。このやり口は雇い主を激怒させたが、本山は平気な顔で開業を果たしてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし本山歯科医院はそんな背景に関係なく繁盛した。1日の患者数は60人を下らなかったというから、なかなかのものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし家庭の幸福は長くつづかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本山は[[料亭]]の女中と関係し、アパートを借りてやって入りびたった。それを知った妻は実家へ帰り、本山は妻の両親に難詰され、ガス自殺まではかる有様だった。開業の際借りた金の返済もほとんどせず、愛人に貢ぐばかりの本山に激昂し、妻は離婚を求める。しかし本山はそれを拒否。2人が家裁でごたごたしているうちに、愛人は本山の子を産んでしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
愛人との生活で借金がかさみ、妻からは離婚と慰謝料を請求される。いままで金に困ったことのない本山にとってそれは初めての経験だった。実家は素封家とはいえ、農地改革でもはや頼れるほどの財産はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1960年]][[5月16日]]、本山は[[目黒駅]]に立っていた。[[慶応幼稚舎]]のバスが目の前に止まり、慶応舎のマークをランドセルに箔押しした児童たちが、わらわらと降りてくる。本山はそのうちの１人の子に近づき、「きみを迎えに行ってくれと、おかあさんに頼まれたんだよ」と言って車に乗せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子供の名は雅樹ちゃんといい、[[銀座天地堂]]の社長令息であった。歳はまだ7つ。本山は雅樹ちゃんを自宅に連れ帰り、家の情報を引き出せるだけ引き出すと、睡眠薬を与えて眠らせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして雅樹ちゃん宅へ電話をかけ、「200万円を指定の場所に持って来い、警察に知らせたら子供の命はない」と言った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし警察への連絡は早々になされ、現場には札束の大きさに切り揃えられた新聞紙が持ち込まれただけだった。翌日、今度は電報で&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ゴゴ１ジ　３００モッテ　シンジュクデレンラクヲマテ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と打つ。しかしこのときも、本山は身代金の受け取りに失敗。さらに指定場所を変えて連絡するが、結果は同じであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
むしゃくしゃして自宅に帰った本山は、まだ眠っていた雅樹ちゃんを殺すことを決心。部屋を密閉し、ガス栓をひねると、一酸化炭素中毒で殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死体は米俵に詰め込み、石を重しにして沈めるつもりで車を出したものの、すでに警察の手が迫っていることを知り、死体を後部座席に放置したまま車を捨てて逃げ出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
じつは本山が身代金の受け渡しに頭を絞っている間、鍵のあいた本山宅にあがりこんだ近所の主婦が、「見たことのない子供」が布団に寝かされているのを目撃していたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それから2ヶ月間にわたって本山は逃走の旅をつづけるが、大阪で偽名を名乗り、加工業職に就いているところを発見され、逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判には妻と愛人の双方が出廷したが、妻は「こんな男は厳罰に処すべきです」と証言し、愛人は「私の愛で彼を見守りたい」と証言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==判決==&lt;br /&gt;
逮捕された本山茂久は[[1961年]][[3月31日]]、[[東京地方裁判所]]で[[死刑]]判決を受ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本山茂久は死刑を逃れようと精神異常者のふりをし、精神鑑定でも「犯行時は心神耗弱」という結果が出たため、一度公判が中断されるが、5年後の[[1966年]][[8月26日]]、[[東京高等裁判所]]が[[控訴]]を棄却。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌[[1967年]][[5月25日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]も第一審（原審）を支持して本山茂久の死刑判決が確定。[[1971年]]、死刑が執行された。享年43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出典==&lt;br /&gt;
*[http://yabusaka.moo.jp/masaki.htm 雅樹ちゃん誘拐殺人事件]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:もとやま しけひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代の殺人事件 (戦後)]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の誘拐事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:世田谷区の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:1928年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1971年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:1960年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:転落人生]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%A9%8B%E8%A9%B0%E9%9B%84%E4%BB%8B&amp;diff=202527</id>
		<title>橋詰雄介</title>
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				<updated>2013-08-28T02:23:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image: 田島由美さん1.png|350px|thumb|強姦殺害された田島由美さん(享年24)]]&lt;br /&gt;
[[Image: 田島由美さん2.png|350px|thumb|強姦殺害された田島由美さん(享年24)]]&lt;br /&gt;
'''橋詰 雄介'''（はしづめ ゆうすけ）とは、、[[1997年]]5月に[[千葉県]][[流山市]]鰭ヶ崎で、田島由美さん(享年24)を強姦強盗殺害した17歳である。関連した誤認逮捕事件が起きる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]]1月に、本事件について逮捕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
1997年[[5月19日]]午後2時半ごろ、流山市鰭ヶ崎のマンションの3階で、背中を刺された田島由美さん(24)の死体が発見された。田島由美さんの自宅にての惨劇である。後に、事件直後に田島由美さんのキャッシュカードで男が現金20万円を引き出していることが、防犯カメラにて判明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 誤認逮捕 ==&lt;br /&gt;
田島由美さんがパジャマ姿で争った形跡が見られないことより、顔見知りの犯行が疑われ、田島さんの祖母（当時80歳）および姉夫婦（当時28歳歯科衛生士の姉と当時27歳義兄）が任意捜査を受けた後、同年6月に逮捕されることとなる。田島さんの祖母に対して熾烈な取調べがなされたことが、後にマスコミに明らかになる。祖母から「自供が得られた」とされている表現が散見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ATMで田島さんの口座から現金を引き出していた男は義兄と身長が異なっていたが（警察は「3人以外の共犯者」と考えていた）、物的証拠がなく、容疑を認めていた祖母が起訴直前に否認に転じた。[[千葉地方検察庁]]は処分保留で逮捕された3人を7月に釈放し、翌年[[1998年]]1月に、「嫌疑不十分」の不起訴処分としている。なお、[[2012年]][[2月8日]]付けで、3人に対しては、「嫌疑なし」の不起訴処分に訂正した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地検の不起訴処分について、三人の弁護人は「三人に会った瞬間から無実を確信していた。犯行を裏付ける客観的な証拠や供述があるとは思えなかった。不起訴処分は当然で、遅いぐらいだ」と話しており、警察の不手際が明るみになった事件でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年1月18日、[[千葉県警察]]は、誤認逮捕であったことを認め、存命の姉夫婦に謝罪する。高齢である祖母は、2010年に死亡していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2週間信用されず「じゃ逮捕して」そして犯人に ===&lt;br /&gt;
「だんだん犯人にさせられていった」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1997年に千葉県流山市で女性会社員・田島由美さん(当時24歳)が刺殺された事件で、誤認逮捕された田島由美さんの義兄(42)は当時の状況を語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
義兄によると、家族は早期解決のため捜査に協力。田島さんと同居していた当時80歳の祖母は足が悪かったが、県警は「面倒みますよ」と連れて行き、事情聴取を重ねたという。そこで「自白」が生まれ、「私たちへの取り調べが厳しくなった」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
深夜に及ぶ任意聴取が約2週間続き、祖母が自白したと捜査員に言われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「狭い部屋で『やったんだろう』と言われ続けると、本当にやった気になってくる。『やった』と言ったほうが楽になれるとさえ思った」。信用されず、「じゃ逮捕してくれ」と投げやりに言ったら、犯行を認めたと受け取られて捜査員が慌ただしく動き、その日のうちに殺人容疑で逮捕されたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕後の聴取で、知らないことは説明できず、怒る捜査員に「現場に行ってないのだから説明のしようがない」と正直に言うと、「じゃあ、何で『やった』と言ったんだ」とどなられた。その後、弁護士がついて祖母は否認に転じ、3人は釈放され、不起訴となった。「真実がやっとわかったという安堵もあるが、警察への不信は今もある」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
田島さんの母(66)も「いつか汚名はそそがれると信じて生きてきた。ストーリーをでっちあげ、家族を誤認逮捕した警察は許せない」。祖母はすでに他界したが、生前「私はやってない」と繰り返していたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 特別捜査班の捜査及び橋詰雄介の逮捕 ==&lt;br /&gt;
[[2011年]]、千葉県警察で、この事件に対して、専従捜査班が組織される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
防犯設備の不足した油断の多いビルの最上階の部屋を狙って強盗してカードを奪うという点で類似の強盗事件で服役していた橋詰雄介の存在が浮上。流山事件における現場の遺留物のDNAが橋詰雄介の物と一致していたことが判明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 15年前の殺害容疑で逮捕へ。当時17歳、犯行ほのめかす。服役中の男とDNA一致 ===&lt;br /&gt;
流山市で15年前、パート職員、田島由美さん＝当時(24)＝が殺害された事件で、現場に残された遺留物のDNA型が、宮城県内の刑務所に服役中の橋詰雄介(32)のものと一致したことが[[2012年]][[1月11日]]、捜査関係者への取材で分かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警の事情聴取に対し、橋詰は田島さん殺害への関与をほのめかしているといい、県警は近く殺人容疑などで逮捕する方針。橋詰は当時17歳。1999年に柏市内で起こした強盗致傷事件で実刑判決を受けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
類似の強盗事件は1999年における[[柏市]]で起きた強盗殺人未遂・放火事件であり、橋詰雄介はこの事件で懲役15年で[[宮城刑務所]]に服役していた。この事件で橋詰雄介は被害者に対して包丁を突きつけながら「動くな。俺は1人殺しているから、殺すことは何とも思っていない」と脅していたが、捜査では流山女性殺人事件と結び付けられることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]][[1月16日]]より、[[千葉刑務所]]に移送となる。2012年1月18日に、この流山女性殺害事件の被疑者として橋詰雄介（当時32歳）が逮捕される。橋詰雄介は流山の殺人事件当時は17歳だったため[[少年法]]により多くの報道機関で匿名報道となっているが、一部の報道機関では20歳時の1999年の事件で実名報道されていたことから流山殺人事件でも実名報道となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年2月8日付けで、千葉地方検察庁は橋詰雄介を起訴する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年11月より千葉地裁で裁判員裁判が開かれた。橋詰雄介は事件を大筋で認めつつも殺意を認めず殺人罪について否認した。検察は懲役15年を求刑した。2001年4月1日以降に施行された改正少年法では18歳未満でも強盗殺人罪を無期懲役判決を出すことができるが、1997年の事件のため少年法の規定により18歳未満の強盗殺人罪の刑の上限は懲役15年までとなっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 流山の女性強殺に懲役15年…否認の殺人認定 ===&lt;br /&gt;
千葉県流山市で1997年5月、会社員田島由美さん(当時24歳)が殺害され、遺族が誤認逮捕された事件で、強盗殺人、強盗強姦などの罪に問われた当時17歳の橋詰雄介(33)の裁判員裁判の判決が[[2012年]][[11月21日]]、[[千葉地裁]]であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[斉藤啓昭]]裁判長は「強固な殺意に基づく残忍な犯行」として、求刑通り懲役15年を言い渡した。判決は、当時の少年法の有期懲役刑の上限。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
判決によると、男は同年5月18日、同市鰭ヶ崎の田島さん方のマンションに侵入、田島さんを脅してキャッシュカードを奪って強姦した後、刃物で背中を1度突き刺し、首にタオルを巻いて締め付け殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
橋詰雄介は公判で、「一度田島さんの家を出て、戻ったらすでに殺されていた」と殺人について否認した。斉藤裁判長は「捜査段階で殺害を認めた理由などが合理的に説明でき、供述調書は信用できる。遺体の状況などから田島さんは乱暴された直後に殺害された可能性が高く、殺害した犯人と認めるに十分」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 殺人者・橋詰雄介 ==&lt;br /&gt;
当時、千葉県に、「欲しいモノは盗めばいい、盗みをジャマするヤツは殺せばいい」と思い込み一切躊躇わない17歳少年、橋詰雄介がいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1997年5月19日も、帽子をかぶり、サングラスの強盗グッズを用意し、金のありそうな家、逃げやすく防犯設備の不足した油断の多いビルの最上階を狙い、流山市を徘徊していた。そして、狙いを定め、誰もいないと思って千葉県流山市鰭ケ崎の雑居ビル3階に、玄関で靴を脱ぎ、そっと入り込んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すると、そこには不運にも、そこに住む田島さん(当時24歳)が居間にいた。橋詰が、空き巣から強盗に替わるのに時間はかからなかった。偶然、その部屋にあった包丁を手にすると、「オトナシク金を出せ!」と、田島さんに迫った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その状況にびっくりしていた田島さんは、言われるままに財布からキャッシュカードを渡し、暗証番号も教えた。ところが、展開は田島さんの予想をはるかに超えた最悪なものになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
橋詰は田島さんを強姦し、「顔を見られた。捕まる!」と思いたち、後ろからいきなり刺したのである。その一刺しが、田島さんの心臓を捉えた。声も出せず、抵抗もできず、その場に田島さんは崩れ落ちてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
意気揚々とすぐ近くのATMに行き、それでも防犯カメラに鮮明に映らないように工夫しながら、橋詰は現金を引き出した。それでも、その後は、しばらく「人を殺したんだから、捕まったら、どうしよう?」としばらくは、オトナシクなっていたに違いない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし事件は橋詰にとって、予想外な展開となる。自分に捜査の手が及んでこないばかりか、自分の代わりに田島さんの家族が逮捕されたのである。おかげで、橋詰はホッとしただけでなく、自信満々の一人前の強姦強盗殺人魔となり、それ以来、逮捕されるまでの2年間に余罪を犯していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 千葉柏市マンション強盗傷害・放火事件 ===&lt;br /&gt;
橋詰は、強盗を学び、パチンコやゲームセンターで友人を介して知り合った仲間を持っていた。そして、いつのものように手慣れた段取りで、空き巣に入るターゲット宅を物色していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1999年]][[8月27日]]午後7時ごろから8時35分ごろまでの間、千葉県柏市東の8階建てマンションの最上階マンション8階の会社員(当時33歳)宅に、目をつけた。まず、同じく留守だった隣室の玄関横の格子窓を壊して侵入し、指輪などを盗んだ。それから、ベランダ伝いに目的の部屋に侵入。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現金などを盗もうとしていたところ、帰宅した会社員妻(当時27歳)に見つかるも、逆に彼女の手足などを麻ヒモで縛ったうえ、タオルで目隠し。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、「大人しくしろ。俺は1人殺しているから、殺すことなんて何とも思っていないんだからな」と包丁で脅し、暗証番号を聞き出しながら、現金48,000円とキャッシュカード2枚を強奪。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、妻の目隠しが取れ2人とも顔を見られたため、橋詰が彼女の首を絞めたうえ、台所にあったサラダ油をまいて火をつけ、そのまま逃走。彼女は自力でベランダまで逃げ、助けを求めたため、約30平方ｍを焼いただけで間もなく火は消し止められ、クビなどに約2週間のケガをしたものの無事。そして、その目撃情報が橋詰たちの逮捕に直結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 橋詰逮捕 ===&lt;br /&gt;
1999年9月9日、千葉県警柏署は、住所不定・無職の橋詰雄介(当時20歳)を強盗傷害、現住建造物等放火、殺人未遂などで、[[松戸市]]常盤平陣屋前に住む、無職の西沢大(21歳)を強盗傷害、窃盗などで逮捕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし警察は、マンション最上層階に押し入りキャッシュカードを奪うなど手口に共通点があったにもかかわらず、逮捕時に橋詰が「すでに1人殺している」と言ったことを把握し起訴状にまで記載されたのに、「千葉流山女性強盗殺人事件」への関与を疑うことなく、捜査を終了していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少なくとも、ここで橋詰DNA鑑定をし紹介さえしておけば、「千葉流山女性強盗殺人事件」で捏造逮捕され無念のままに祖母が他界してしまうことにはならなかった。橋詰は、強盗殺人未遂などの罪で懲役15年の判決が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:はしつめ ゆうすけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:1997年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:千葉県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:流山市]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E4%BD%90%E5%B7%9D_%E4%B8%80%E6%94%BF&amp;diff=202526</id>
		<title>佐川 一政</title>
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				<updated>2013-08-28T02:20:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''佐川 一政'''（さがわ いっせい、[[1949年]][[6月11日]] - ）は、[[パリ人肉事件]]の元[[被疑者]]の日本人[[小説家]]。[[神戸市]]出身。[[和光大学]]人文学部文学科卒業、1976年[[関西学院大学]]大学院英文学専攻修士課程修了、1980年[[パリ大学|パリ第3大学]]大学院修士課程修了。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
祖父は[[朝日新聞]]論説委員、父は[[伊藤忠商事]]から出向の[[栗田工業]]元社長、[[佐川明]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
生まれた時は父親の手のひらに乗るほどの[[未熟児]]だった。出生1年後には腸炎を患い、[[カリウム]]と[[カルシウム]]の静脈注射で命を長らえるような状態であり、両親は果たして何歳まで生きられるかと心配したが、虚弱体質だったものの順調に成長していった。内向的な性格ということもあり、文学では『[[嵐が丘]]』『[[戦争と平和]]』などのほか、[[シェークスピア]]に興味を示し、音楽では[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーベン]]や[[ヘンデル]]を愛した芸術少年だった。すでに小学生の頃、幼い子供を誘拐しては鍋で煮込んで食べる魔法使いの話を叔父から何度も聞かされ、人肉を食することに興味を抱いていたといわれ、高校時代にはある精神科医にたびたび相談したが、取り合ってもらえなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした佐川の、一般常識から見れば異常な性癖はやがて表に表れることになる。和光大学在学時代には中年の[[ドイツ人]]女性宅に無断に入り、逮捕されたが、父親が支払った示談金により、告訴はされなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]]に[[フランス]]に留学、パリ第3大学に在籍していたが、その最中の[[1981年]][[6月11日]]、佐川は同大学の女性留学生（当時25歳）を銃で殺害し、彼女の遺体と性交渉後、その[[肉]]を貪った（[[パリ人肉事件]]）。佐川は犯行を自供したが、[[精神鑑定]]の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、不[[起訴]]処分となった。その後、アンリ・コラン[[精神病院]]に[[措置入院]]されたが、この最中にこの人肉事件の映画化の話が持ち上がる。佐川は劇作家の[[唐十郎]]に依頼するも、唐は佐川が望んでいなかった小説版「佐川君からの手紙」（『文藝』1982年11月号）で第88回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を受賞する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1984年]]に帰国。[[東京都立松沢病院]]に入院。松沢病院側の診断結果では、佐川は人肉食の性癖は持っておらず、フランス警察に対する欺瞞であったという結論であった。金子副院長は、佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないかとコメントしている（Tokyo Journal[[1992年]]9月号）。日本警察も全く同様の考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針であったが、フランス警察が不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡す事はできないとして拒否した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
15ヶ月後で退院し、マスコミに有名人として扱われ、小説家になったが、上記の通り日本の病院と警察がそろって刑事責任を追求すべきという方針であったのに、フランス警察の方針によりそれが不可能になった事から、社会的制裁を受けるべきだという世論が起きた（週刊マーダーケースブック2号）。両親もこの事件の結果、父親は会社を退職することなり、母親は神経症の病気を患ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[修士号]]を持っており&amp;lt;ref&amp;gt;多くの大学では内規で、犯罪行為など大学の名誉を汚す行為をおこなった者に対しては、学位を取り消す規定が設けられている。しかしながらかれは[[不起訴]]処分を受けており、現在彼が学位を保持し続けているかは不明である。&amp;lt;/ref&amp;gt;、修士論文のテーマは「[[川端康成]]と[[ヨーロッパ]][[20世紀]][[前衛芸術]]運動の比較研究」であったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==エピソード==&lt;br /&gt;
*[[ローリングストーンズ]]が佐川のパリ事件を歌にしている。1983年の[[マキシシングル|12インチシングル]]「Too Much Blood」がそれである（12インチシングルとしては日本では未発売）。事件発覚時に[[ミック・ジャガー]]はパリに滞在しており、ニュースの全容を知り、ショックを受け、本作を書き下ろしたのだった。ジャケットはミック・ジャガーの驚愕の表情で、あたかもホラー映画の一場面のように恐ろしい映像である。通常バージョンは同年発売されたLP『[[アンダーカバー]]』B面1曲目にも収録されている（のちにCD化）。発売はいずれも[[ローリング・ストーンズ・レコード]]から。&lt;br /&gt;
*松沢病院退院後、ある[[落語]]会にゲストとして出席した。[[大喜利]]に出演するためである。楽屋は佐川が一歩足を踏み入れてから、重苦しい雰囲気に包まれた。あたかも楽屋全員が声を潜めて佐川の行動を監視するようである。テーブルに置かれた差し入れのお菓子を前にして、佐川が「これ、私も食べてもいいですか?」と言葉を発すれば全員がビクリと反応した。佐川が「この肉、固すぎてあまりうまくないですねえ」と感想を述べたらまたビクリと反応した。異常にピリピリした空気となっていた。&amp;lt;br&amp;gt;この会の出演者の一人で、奇行で知られる落語家の[[川柳川柳]]（六代目[[圓生]]の二番弟子）が楽屋に到着した。そのようないやな雰囲気を知らない川柳は、初対面の佐川を見るなり、肩を叩いて明るく声をかけた。「'''よぉ! [[食道楽]]'''（くいどうらく）!!」&lt;br /&gt;
*特殊漫画家の[[根本敬]]が、結婚後、東京圏西部の新興住宅地のマンションに引越ししたところ、すぐ近所に佐川が住んでおり、以後、親交を結んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『霧の中』話の特集、1984（彩流社、2002年5月）、ISBN 4882027461&lt;br /&gt;
*『生きていてすみません－僕が本を書く理由』北宋社 1990&lt;br /&gt;
*サンテ 角川書店, 1990&lt;br /&gt;
*カニバリズム幻想 北宋社, 1991&lt;br /&gt;
*蜃気楼 河出書房新社, 1991&lt;br /&gt;
*喰べられたい 確信犯の肖像 ミリオン出版, 1993 &lt;br /&gt;
*華のパリ愛のパリ 佐川君のパリ・ガイド アイピーシー, 1994&lt;br /&gt;
*少年A ポケットブック社, 1997&lt;br /&gt;
*殺したい奴ら 多重人格者からのメッセージ データハウス, 1997&lt;br /&gt;
*まんがサガワさん オークラ出版, 2000&lt;br /&gt;
*霧の中の真実 鹿砦社, 2002&lt;br /&gt;
*業火 作品社, 2006&lt;br /&gt;
*極私的美女幻想 ごま書房, 2008&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
共著&lt;br /&gt;
*狂気にあらず!? 「パリ人肉事件」佐川一政の精神鑑定 [[コリン・ウィルソン]],[[天野哲夫]] 第三書館, 1995 &lt;br /&gt;
*饗 カニバル コリン・ウィルソン [[柳下毅一郎]]翻訳・構成 竹書房, 1996&lt;br /&gt;
*『パリ人肉事件　無法松の一政』[[根本敬]] 河出書房新社, 1998&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出演作品&lt;br /&gt;
*『実録SEX犯罪ファイル』（1998-05-12・宇宙企画）&lt;br /&gt;
*『エロのから騒ぎ　～Much Ado About Eros～　第２期生』（2003-08-24・V&amp;amp;R）　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[カニバリズム]]&lt;br /&gt;
* [[パリ人肉事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さかわ いつせい}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:食人者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1949年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:兵庫県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の小説家]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%A2%B6%E5%B1%B1%E5%BC%A5%E7%94%9F&amp;diff=202525</id>
		<title>梶山弥生</title>
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				<updated>2013-08-28T02:18:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''梶山 弥生'''（かじやま やよい）とは、[[2012年]]、出産した男児を刺し殺し駅のトイレに捨てた[[風俗店]]店員である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 23歳鬼畜女、生まれたての赤ちゃんを刃物でメッタ刺しにして駅トイレに捨てる ==&lt;br /&gt;
自宅で出産、殺人容疑も視野に捜査。焼津駅の男児遺体遺棄事件&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年8月、[[JR焼津駅]]南口の女子トイレで生後数日とみられる男児の遺体が見つかった事件で、死体遺棄の疑いで逮捕された[[藤枝市]]五十海(いかるみ)の風俗店バイト、梶山弥生(23)が自宅で男児を出産していたことが2013年8月5日、捜査関係者への取材で分かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
梶山には[[産婦人科]]などで出産した記録がなく、同居する家族も出産に気づかなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
男児の死因は失血死で、遺体の胸部などには鋭利な刃物による複数の刺し傷があり、一部は背中にまで達していた。捜査本部では殺人容疑も視野に入れて捜査を進めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[DQN]]&lt;br /&gt;
* [[ネグレクト]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かしやま やよい}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:2012年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:静岡県の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:藤枝市]]&lt;br /&gt;
[[Category:DQN]]&lt;br /&gt;
[[Category:底辺]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>高間美花</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%AB%98%E9%96%93%E7%BE%8E%E8%8A%B1&amp;diff=202524"/>
				<updated>2013-08-28T02:17:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:福田益美と高間美花.jpg|400px|thumb|殺害された福田益美さん。殺人者の高間美花]]&lt;br /&gt;
'''高間 美花'''（たかま みか）とは、2011年7月に他店[[ホステス]]・福田益美さん(27)を殺害したホステスである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
[[2011年]][[7月21日]]午後10時過ぎ、[[京都府]][[木津川市]]のアパートの一室で福田益美さん(27)の遺体が発見された。遺体を発見したのは、連絡の取れないことを不審に思った交際相手の25歳の男性だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その4日後の25日に、高間美花(27)が殺人容疑で逮捕された。高間が交際していた妻子持ちの男が通うクラブで、福田さんが指名されていたことによる嫉妬心からの犯行であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経緯 ==&lt;br /&gt;
「女性はTシャツ短パン姿で血だまりのなか、居間でうつぶせに倒れていた。洗面所や風呂場などにも点々と血痕が付着し、室内には争った形跡があった。胸や腕に数ヵ所の刺し傷があり、その一部は骨に達するほど深く刺されていた。でも、直接の死因は、首にバスタオルが巻きつけられたことによる窒息死でした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害されたの福田益美さん(27)は奈良市内の高級クラブ『Ｍ』の人気ホステスだった。その一方で、週1、2回、[[パチンコ店]]でも働いていたという。ずいぶん働き者だという印象が残る。福田益美さんは、名張おとめというキャンペンガールも務めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査関係者は、高間との接点を打ち明ける。「事前に2人に面識はなかったと見られている。尾行するくらいだから、当然、高間は福田さんの自宅アパートの場所も知らなかったに違いない。　だがある一人の男を巡って、2人には接点があったのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その男とは奈良県内で建設会社を経営する37歳の若手社長。但し、建設会社とはいっても、売上金約2億円、従業員はわずか4名の零細企業だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高間美花はこの社長とかつて交際していた。彼女はそこで刃傷沙汰を起こしていた。「一昨年の10月のことでした。別れ話のもつれから、彼女がその交際相手を包丁で切りつけたのです。その男の血でアパートの玄関が真っ赤に染まり、大騒ぎになりました」（近所の住民）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現行犯逮捕された高間は、その後、執行猶予付きの有罪判決を受けたという。罪名は殺人未遂。だが田舎で、この事件は表沙汰にすることはなかった。最終判決は、懲役3年、執行猶予4年の判決を受けた。2009年、高間は懲役にならず、娑婆に出た。高間の親族は社長に付き合いをやめるよう要請。男性もいったん同意したが、その後、再び交際するようになったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「でも事件から2ヶ月後には、いまのアパートで生活をはじめるようになっていた。しかも、あんな事件を起こしたのに、切られた男の出入りは相変わらず。ポルシェ・カイエンやアルファードなどの高級車をアパート前に乗りつけていた。そういえば、2週間前にも、来ていましたよ。彼女の部屋は1階なので、寝転がってテレビを見ている男の姿が窓から見えました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この建設会社の社長には妻と幼い子供がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「その社長は高間の店の客でしたが、福田さんが勤めていた『Ｍ』の常連客でもあった。福田さんは社長と食事をし、店に同伴出勤していました。高間は店の外からその様子をジッと窺っていたのでしょうね。福田さんと社長は男女の関係ではなかった。でも社長との関係がうまくいかなくなった高間が、福田さんのせいだと一方的に憎悪を募らせ、犯行に及んだ可能性が高い。福田さんの携帯番号を入手したのは、社長の携帯を盗み見たのかもしれません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「部屋の玄関や窓は施錠され、財布は手つかずで残されていた。警察は金品目的ではなく、福田さんに強い恨みを持つ者の犯行とみて、捜査を開始しました。ただ、犯人は当初からほぼ女だと絞り込んでいた。なぜなら、室内に残されていた犯人の靴跡のサイズが24～25センチで、男性としては小さかったからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
福田さんがクラブ『Ｍ』を後にした21日の午前0時半過ぎ。赤い自家用車で出勤していた彼女は運転代行業者を利用し自宅アパートに向かった。その代行業者の車を高間美花はつけていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別の府警担当記者によれば「シルバーの軽自動車が帰宅する彼女を尾行していたのです。周辺のコンビニなどの防犯カメラにもそのクルマは映っていて、ナンバーからレンタカーであることが判明。簡単に、借主は割り出されました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「逮捕の決め手となったのはレンタカーで尾行したことに加え、福田さんの携帯電話に彼女からの着信の記録が残っていたことです。福田さんは運転代行業者のクルマに乗りながら、午前1時ごろ、彼氏に電話をかけた。彼氏は電話に出なかったのですが、その直後、高間からの着信があり、会話をした形跡が残されていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の逮捕のキーとなったのは、「室内にのこされていた足跡」「防犯カメラに映っていた車のナンバー」「携帯の着信記録」の3点になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 殺された福田益美さん ==&lt;br /&gt;
福田益美さんは[[三重県]][[名張市]]出身で、中学、高校と[[新体操]]で活躍し、[[インターハイ]]に出場したこともあった。誰からも好かれる女性だったという。高校卒業後、[[国交省]]の事務局で非常勤職員として働きながら、名張おとめというキャンギャルを2004年7月から2年間務めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名張市・商工観光室の福井眞佐也氏に聞くと「面接を受けた10数名のうち、彼女を含めた5名が”名張りおとめ”に選ばれました。明るい性格で仕事も積極的にこなしていた。印象的だったのは、”新体操をしていたんです”と言って、面接のときに側転を披露したことです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
福田さんは”名張りおとめ”引退と同時に木津川上流河川事務所も退職。その後、派遣会社に登録し、パチンコ店で働くようになった。そしてパチンコ店で知り合った25歳の男性と交際を始め、近々、結婚する予定だったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 殺人者・高間美花 ==&lt;br /&gt;
一方、加害者の高間は壮絶な半生を送っていた。彼女の実家は、奈良県磯城郡の田畑に囲まれた住宅街にある。彼女の同級生がこう振り返る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「美花ちゃんの父親は塗装業を営んでいるのですが、3回結婚して3回離婚している。最初の結婚のときの子どもが美花ちゃんだった。でも、彼女が生まれて5カ月で母親は出て行ってしまった。父親の暴力が原因だと聞いています。その後、彼女は祖父母のもとで育てられた。小、中学生のころの彼女はおとなしく、ヤンチャをするタイプではありませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、「高校2年のころ、彼女は女の子を出産したのです。相手は数歳年上の男性でした。籍は入れたものの、すぐに離婚。美花ちゃんは娘が4歳くらいになるまで、祖父母と一緒に暮らしていました。でも、突然、彼女と娘は出て行ってしまった。今回、警察に捕まったとき、彼女は独り暮らしだったようですし、娘はどこかに預けているんでしょうかね」子どもは、別れた夫が養育しているようだという情報もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、高間の知人がこう言う。「彼女は、身長165センチくらいあってスラッとした細身。普段、サングラスをかけることが多かった。ホステスだからでしょうけど、ブランド好き。性格は自分勝手なうえに負けん気が強かった。車を駐車場に停めるときだって枠なんてお構いなし。そんな彼女ですから、福田さんへの対抗心が抑えきれなかったのかもしれません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高間は昨年12月にも福田さんに男性との関係を問い質したことがあった。この時、福田さんは「別につきあっている人がいる。男性とは仕事上の関係」と否定した。高間も納得したはずだった。それから7か月の後、当事件が起きてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[松山ホステス殺害事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:たかま みか}}&lt;br /&gt;
[[Category:2011年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:京都府の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%99%BD%E9%B3%A5%E7%94%B1%E6%A0%84&amp;diff=202523</id>
		<title>白鳥由栄</title>
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				<updated>2013-08-28T02:12:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''白鳥 由栄'''（しらとり よしえ、[[1907年]][[7月31日]] - [[1979年]][[2月24日]]）は、元受刑者。収容先の[[刑務所]]で次々と[[脱獄]]事件を起こし｢昭和の脱獄王｣と呼ばれた。看守に怪我をさせたり、人質を取るという強行突破は1度としてなく、当時の看守の間で「一世を風靡した男」と評されたほどの伝説の受刑者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
26年間の服役中4回の脱獄を果たし、累計逃亡年数は3年にも及ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[青森県]]出身。幼いころに豆腐屋の養子となる。[[1933年]]に仲間数人と[[強盗殺人]]を犯し、その2年後に自首し投獄。収容された先の刑務所の待遇が劣悪だったことから抗議したところ懲罰を受けることとなり、次々と脱獄と収監を繰り返すこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
網走刑務所脱獄時には、放浪先で傷害致死事件を犯し収監の期間はさらに延長。網走の脱獄の際、特製の手錠と監視口に味噌汁を吹きかけ続け、味噌汁に含まれる塩分で鉄を錆びさせて脱獄するという、時間任せの伝説的な話が残る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後終戦まで身を潜め、終戦後に畑泥棒と間違えた農家に袋だたきにされ身を守るため殺害、[[正当防衛]]を主張するも[[札幌地裁]]から[[死刑]]判決が出たために脱獄を決意、看守6人1組で厳重に監視されるなか、白鳥は脱獄に成功する。最後に捕まった際は警官に煙草(当時の煙草は今とは違い、貴重品だった)を与えられたことがキッカケとなり、あっさり自分が脱獄囚だと明かし自首。移送された刑務所で不良囚として扱われ、およそ人間的な対応をされなかった白鳥は、煙草をくれるという親切な扱いをされたことで心が動いたと話している。[[札幌高裁]]で審議が再開し白鳥の主張がようやく認められ懲役20年となり、さらに府中刑務所では白鳥を一般の受刑者と同じ対応をしたため、白鳥は模範囚として刑に服した。[[1961年]]に仮出所。出所後は建設作業員として就労。[[1979年]]、[[心筋梗塞]]で世を去った。白鳥は無縁仏として供養されそうになるが、白鳥が仮出所した際に仲良くしていた当時近所の子供だった女性が引き取り、埋葬された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
刑に服しているとき、当時の看守は彼の脱獄を防止するため厳重に厳重を重ね、あらゆる手立てを行ったがいずれも振り切られた。このことから、当時の看守の間では「脱獄するなら、自分が当直以外のときであって欲しい。」と口にされるほど恐れられた(当時、看守側も脱獄者を出すと重い処罰が課せられたため)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==能力==&lt;br /&gt;
超人的な体力と腕力を持っていたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1日に120kmもの距離を走ることができ、網走刑務所では、手錠の鎖を引きちぎるという怪力ぶりも見せている(結果、重さ20kgもの特製の手錠を後ろ手に掛けられることとなった)。&lt;br /&gt;
地中深く突き立てられた煙突の支柱を素手で引き抜き、40歳を過ぎてもなお、米俵を両手に持って手を水平にすることができるなど、その怪力ぶりは常識をはるかに上回る。&lt;br /&gt;
また、白鳥は身体の関節を比較的容易にはずすことができる特殊な体質を持っていたとされ、頭が入るスペースさえあれば、全身の関節を脱臼させて、容易に抜け出すことが出来たという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脱獄歴==&lt;br /&gt;
*[[1936年]] [[青森刑務所]]（[[針金]]で手製の合鍵を作り、開錠して脱獄）&lt;br /&gt;
*[[1942年]] [[秋田刑務所]]（[[ブリキ]]板と[[釘]]で作った即席[[金ノコ]]で[[鉄格子]]を切断し脱獄）&lt;br /&gt;
*[[1944年]] [[網走刑務所]]（味噌汁で手錠と視察孔を錆びさせ外し、[[関節]]を[[脱臼]]させ、監視口をくぐり抜けて脱獄）&lt;br /&gt;
*[[1947年]] [[札幌刑務所]]（床下から[[トンネル]]を掘り脱獄）&lt;br /&gt;
*[[1948年]] [[府中刑務所]]に服役。以後模範囚として過ごし、[[1961年]]仮出所。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==モデル==&lt;br /&gt;
*破獄： 後に[[テレビドラマ]]化された、[[吉村昭]]による[[小説]]。吉村も前書きで、「矯正行政に長く関わった、とある人物」から聞いた話と述べている。&lt;br /&gt;
*[[博物館網走監獄]]： 網走刑務所からの脱獄風景を[[マネキン]]により再現している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[西川寅吉]]（明治時代から大正時代にかけて名を馳せた脱獄者）&lt;br /&gt;
==テレビドラマ==&lt;br /&gt;
*「破獄」（昭和60年放映）、NHK総合、主演：[[緒形拳]]　出演：[[津川雅彦]]、[[佐野浅夫]]、[[中井貴恵]]、[[なべおさみ]]、[[織本順吉]]、[[玉川良一]]、[[小瀬格]]、[[趙方豪]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.h3.dion.ne.jp/~oyama/boukenn-folder/bouken-siratori.htm 白鳥由栄脱獄囚]&lt;br /&gt;
*[http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/shiratori.htm MONSTERS-shiratori-]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しらとり よしえ}}&lt;br /&gt;
[[Category:1907年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1979年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:刑務所]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:青森県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E5%8D%9A&amp;diff=202522</id>
		<title>小川博</title>
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				<updated>2013-08-28T02:12:01Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 関連書籍 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:小川博1.jpg|350px|thumb|ロッテ・小川　博]]&lt;br /&gt;
[[Image:小川博2.png|350px|thumb|ロッテ・小川　博]]&lt;br /&gt;
[[Image:小川博3.jpg|350px|thumb|1985年の小川　博。隣は[[稲尾和久]]監督]]&lt;br /&gt;
'''小川 博'''（おがわ ひろし、 [[1962年]][[4月2日]] - ）は、[[栃木県]][[足利市]]出身、[[群馬県]]育ちの元[[プロ野球選手]]（[[投手]]）。2004年の強盗殺人により、現在は[[受刑者]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴・人物 ==&lt;br /&gt;
出生は栃木県だが、1歳時に子供に恵まれなかった群馬県在住の[[大工]]・清掃作業員夫婦の[[養子]]となり、以後養父母の元で育つ。[[群馬県立前橋工業高等学校|前橋工高]]では3回[[全国高校野球選手権大会|甲子園]]に出場。甘いマスクと豪腕で人気を集め'''「群玉（群馬の玉三郎）」'''とよばれ、甲子園のアイドルとなる。卒業後、[[青山学院大学]]へ進学、当時[[東都大学野球連盟]]で弱小だった青学大野球部の躍進に貢献した。同大学は現在の様に運動に力を入れる前の段階にあって同大学出身のプロ野球選手は非常に珍しく、小川自身の甘いマスクと相俟って同大学の後の野球部躍進のきっかけをつくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
卒業後の[[1984年]]に[[プロ野球ドラフト会議|ドラフト]]2位で[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]に入団。[[サイドスロー]]から繰り出す速球と変化球・[[シンカー (球種)|シンカー]]を武器に活躍し、元祖ドクターKとも呼ばれたが、現役生活全体を通して勝ち運に恵まれず、バックの援護が届かず1点差で負けてしまうゲームが多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1988年]]には[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター]]に出場し、5者連続三振を記録。伝説の[[10.19]]では第1試合のロッテの先発投手として近鉄の前に立ち塞がった。この年は両リーグ最多の204奪三振を記録し、[[最多奪三振]]のタイトル創設のきっかけを作った。なお、シーズン最多奪三振投手で投球回数を上回る[[奪三振]]を記録した最初の右投手である（左投手ではそれ以前に[[金田正一]]、[[江夏豊]]が記録している）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし[[1989年]]に肩を痛めてからは低迷し、[[千葉マリンスタジアム]]にフランチャイズ移転後の初年度[[1992年]]に引退した。引退後もロッテに残り[[1999年]]までコーチ、[[2000年]]から[[2002年]]まで編成担当の球団職員を務めた。ロッテ退団の際には台湾球界からコーチ就任のオファーを受けたが、金額面で折り合いがつかず断っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以降は球界を離れ、[[産業廃棄物]]処理会社に就職。[[2004年]]、勤務先で[[強盗殺人]]を起こし逮捕された。その際、小川が現役途中から[[多重債務]]を抱えていたことも発覚した。2006年2月23日、東京高裁で[[懲役#無期懲役|無期懲役]]判決が確定し、現在服役中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件 ==&lt;br /&gt;
[[2004年]]11月に発生した強盗殺人事件。元[[プロ野球選手]]が強盗殺人を犯した前代未聞の事件として注目された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 名投手からの暗転 ===&lt;br /&gt;
野球選手の[[小川博]]は高校時代に投手として3回[[全国高校野球選手権大会|甲子園]]に出場し、'''「群玉（群馬の[[板東玉三郎|玉三郎]]）」'''と呼ばれ、甲子園のアイドルとなる。高校卒業後、[[青山学院大学]]へ進学して、青学大野球部の躍進に貢献。大学4年時にドラフト2位で[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]に入団。[[1988年]]には[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター]]に出場し、5者連続三振を奪い、伝説の[[10.19]]の第1試合ではロッテの先発投手を務めた。この年は自身初の2ケタ勝利を挙げ、両リーグ最多の204奪三振を記録し、[[最多奪三振]]のタイトル創設のきっかけを作るなどの実績があったため、給与が一気に跳ね上がったという。プロに入団して以降は数千万円の年俸を稼ぐようになったが、当時から浪費が激しく、貯蓄をあまり考えなかった。しかし、[[1989年]]に肩を痛めてから低迷し、[[1992年]]に引退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1999年]]までコーチ、[[2000年]]から[[2002年]]まで編成担当の球団職員を務めた。しかし、かつて大金を稼いでいた頃の浪費癖が忘れられずに借金を重ね、金融機関だけでなく、かなりの数の知人に金を借りたため、小川自身の信用を貶めた。また、小川は離婚していたため、養育費や慰謝料、住宅ローンなども抱え込み、さらに経済的に追い詰められるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年に借金催促が会社にも及んだことが理由で解雇され、球界を離れる。球界関係者は「前妻との離婚の際に多額の慰謝料を払うために借金をした。ロッテ時代も選手やスタッフに借金を重ね、02年に退団したのも金銭トラブルだった」などと話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年1月に、新聞広告を見て[[埼玉県]]の[[産業廃棄物]]処理会社に就職。その後に多重債務のため[[自己破産]]宣告をしたが、それでも小川の浪費癖は改善されなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 強盗殺人 ===&lt;br /&gt;
[[2004年]][[11月18日]]午後6時30分、小川は当日中に返済が必要な3万円の金策のために勤務先の産廃処理会社の会長宅を尋ねた。会長は留守であったため、住み込みで働いていた女性社員西内和子さん(67)が応対。小川は西内さんに金の無心をする。しかし、同年8月に会長宅で室内が荒らされる窃盗未遂事件や同年11月に社員寮で50万円が盗まれる事件が発生しており、どちらも状況から社内の人間の犯行が疑われ、借金のある小川も疑いを受けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西内和子さんは小川の依頼を断ろうとしたが、小川は西内さんに土下座をして3万円を借りようとした。それでも西内さんが断ったことに逆上した小川は西内さんを突き飛ばして気絶させた。小川は2階にあった会社が請け負った仕事の代金である現金入りの封筒を奪い、更にその発覚を恐れて、気を失った西内さんを車に乗せ、約4km先の旧[[荒川 (関東)|荒川]]に投げ込もうとする。その中、小川はまだ西内さんに息があることを知りながら、川に投げ込んで水死させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、奪った数十万の現金で借金の一部返済に奔走した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 逮捕・裁判 ===&lt;br /&gt;
2日後の[[11月20日]]に川で釣りをしていた男性が西内和子さんの水死体を発見。警察は遺体の状況から殺人事件として捜査をする。女性水死体の身元の判明と「事件現場で女性を車で運ぶ大柄な男」の目撃証言から、小川が最重要容疑者としてマークされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
約1か月後の[[12月21日]]に[[埼玉県警察|埼玉県警]][[上尾警察署]]に[[強盗殺人]]容疑で逮捕された。逮捕時から、小川は一貫して容疑を認めていた。なお産廃処理会社は逮捕前日に[[解雇]]されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]][[9月29日]]、[[さいたま地方裁判所|さいたま地裁]]（福崎伸一郎裁判長）は求刑通り[[無期懲役]]の判決を下した。この地裁判決の争点は、どの時点で殺意を持ったと裁判所が判断するかであった。検察側は借金を断られた時点で殺して金を奪おうと考えたと主張した。しかし、裁判所は「借金を断られたからと言って、直ちに殺して金を奪おうと考えたというのはあまりに飛躍がある」として検察の主張を退け、突き飛ばした時点で[[凶器]]等を使わなかった事から「女性をよそに運び出そうとした時点で殺害する決意があった」と計画性の薄い事後的強盗殺人として認定した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小川は「無期懲役は重過ぎる」と[[量刑不当]]を理由に、[[東京高等裁判所]]へ[[控訴]]していたが、[[2006年]][[2月23日]]、東京高裁（仙波厚裁判長）は一審のさいたま地裁判決を支持し小川側の控訴を棄却、二審でも無期懲役の判決を受けた。同裁判長は、判決の中で「引退後も浪費を重ねて金銭的困窮に陥ったのが原因で、動機に酌量の余地はない」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[阪神]]優勝決定の日に、元ロッテ・小川博に無期懲役の判決が下った。本拠地の[[甲子園]]で宿敵・[[巨人]]を破っての優勝決定であった。甲子園で歓喜の輪にいた阪神コーチ、[[和田豊]]と[[正田耕三]]は小川と同じ1984年のドラフトでプロ入りしている。同じスタートを切った者が、一方は美酒を味わい、一方はどん底にいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
* 長い日本プロ野球の歴史においては[[交通事故]]、[[交通違反]]（[[飲酒運転]]や[[速度超過]]など）、[[傷害]]、[[恐喝]]、[[八百長]]、闇[[賭博]]、[[脱税]]、[[詐欺]]、[[強制わいせつ]]、[[婦女暴行]]、[[薬物乱用|薬物使用]]といった不祥事が発覚し、選手や元選手が検挙された事例はあったが、殺人事件は前代未聞であり、各方面から批判が相次いだ。&lt;br /&gt;
* 現役時代のロッテ監督であった[[有藤道世]]は、『[[サンデーモーニング]]』のインタビューで「目の前にいたら『死ね』って言ってやりたい」と語った。このように厳しい批判をした有藤だが、逮捕直後はそのことが信じられなかったという。「そんな大それたことをする奴じゃないはず。同じ野球人として寂しい」「三万円?その程度だったら貸してやったのに。相談してもらいたかった」とも語っていた。&lt;br /&gt;
* 小川は養母に度重なる金の催促をしていたため愛想を尽かされていた。逮捕後には元妻や子供らは小川との関係を完全に拒絶したため、小川は養母しか手紙を出す相手がいなくなった。養母への手紙には、見栄を張るために堕落していった自分の人生を振り返る文章が書かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 詳細情報 ==&lt;br /&gt;
=== 年度別投手成績 ===&lt;br /&gt;
{| {{投手成績|リーグ=日本プロ野球}}&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1985}}&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;6&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center; white-space: nowrap;&amp;quot;|[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]&lt;br /&gt;
|21||2||0||0||0||2||3||4||--||.400||273||61.2||52||6||39||3||5||47||3||0||38||32||4.67||1.48&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1986}}&lt;br /&gt;
|6||0||0||0||0||0||0||0||--||----||27||6.1||7||2||1||0||0||6||0||0||5||5||7.11||1.26&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1987}}&lt;br /&gt;
|40||8||3||0||0||3||5||0||--||.375||399||98.2||67||11||39||1||4||79||2||0||39||36||3.28||1.07&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1988}}&lt;br /&gt;
|31||25||10||1||0||10||9||0||--||.526||838||203.2||144||21||'''91'''||8||5||'''204'''||3||0||79||77||3.40||1.15&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1989}}&lt;br /&gt;
|14||13||2||1||0||3||8||0||--||.273||383||86.2||81||24||46||1||6||69||2||0||63||53||5.50||1.47&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1990}}&lt;br /&gt;
|20||8||0||0||0||3||1||1||--||.750||340||78.1||77||14||31||1||1||55||3||0||44||42||4.83||1.38&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|通算：6年&lt;br /&gt;
|132||56||15||2||0||21||26||5||--||.447||2260||535.1||428||78||247||14||21||460||13||0||268||245||4.12||1.26&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== タイトル ===&lt;br /&gt;
* [[最多奪三振]]（当時連盟表彰なし）：1回 （1988年）  ※パシフィック・リーグでは、1989年より表彰&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 記録 ===&lt;br /&gt;
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場：1回 （1988年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 背番号 ===&lt;br /&gt;
*'''26''' （1985年 - 1992年）&lt;br /&gt;
*'''91''' （1993年 - 1994年）&lt;br /&gt;
*'''88''' （1995年 - 1999年）&lt;br /&gt;
26は現在[[マリーンズファン]]に割り当てられ現役選手は着けない準[[野球界の永久欠番|永久欠番]]の扱い（公式には[[出場選手登録]]25人に次ぐ“26人目”の意）だが、小川事件の翌年に永久欠番となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[栃木県出身の人物一覧]]&lt;br /&gt;
* [[青山学院大学の人物一覧]]&lt;br /&gt;
* [[千葉ロッテマリーンズの選手一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連書籍 ==&lt;br /&gt;
* 『地獄に堕ちた有名人』（[[宙出版]] ISBN 978-4776721666）&lt;br /&gt;
* [[新潮45]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{パシフィック・リーグ最多奪三振}}&lt;br /&gt;
{{ロッテオリオンズ1984年ドラフト指名選手}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おかわ ひろし}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の野球選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:青山学院大学硬式野球部の選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:最多奪三振 (NPB)]]&lt;br /&gt;
[[Category:野球指導者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:栃木県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1962年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:転落人生]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の強盗事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2004年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E4%BC%8A%E8%83%BD%E5%92%8C%E5%A4%AB&amp;diff=202521</id>
		<title>伊能和夫</title>
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				<updated>2013-08-28T02:11:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:伊能和夫1.jpg|450px|thumb|伊能　和夫]]&lt;br /&gt;
'''伊能 和夫'''（いのう かずお）とは、[[2009年]]に発生した「南青山マンション男性殺害事件」の犯人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1988年]]に、妻（当時36）が浮気をしていると疑って詰問、口論となり、包丁で刺殺した。その後、妻を殺したことで将来を悲観、子供と心中しようと、長男（当時8）と二女（当時3）の口に都市ガスのゴムホースを押しつけるなどした上、室内に灯油をまいて放火。二女を焼死させ、自分は自宅ベランダから約15ｍ下の芝生に飛び降り1か月の重傷を負った。長男はベランダから近くの人に助けられ無事だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これにより20年間服役したが、出所後わずか半年での殺人であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 南青山マンション男性殺害事件 ==&lt;br /&gt;
=== 事件概要 ===&lt;br /&gt;
[[Image:伊能和夫2.jpg|450px|thumb|伊能　和夫]]&lt;br /&gt;
住所不定無職・伊能和夫は[[2009年]][[11月15日]]午後3時ごろ、[[東京都]][[港区]]の[[マンション]]で金品を強奪するために飲食店経営の五十嵐信次さん（当時74）方に侵入。部屋にいた五十嵐さんの首を刃物で突き刺すなどして殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊能は事件後に地下鉄で台東区内に移動し、同16日夜に上野公園前で酒に酔って暴れているのを上野署員に保護された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌17日に上野署を出たが、同署前の掲示板に投石し、器物損壊容疑で現行犯逮捕された。その後、伊能の靴底に男性のものとみられる微量の血痕が付着しており、マンションの手すりには伊能の指紋があり、付近の防犯カメラに伊能と酷似した男が写っていたことから、伊能を強盗殺人容疑で2010年1月20日に再逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊能は2009年5月に出所し、埼玉県内の生活保護受給者用施設で寝泊まりしたり、建設現場で働いたりしていたが、事件当時は仕事をしていなかった。  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 一審(2011年3月15日　東京地裁　吉村典晃裁判長　死刑判決) ===&lt;br /&gt;
裁判焦点 　裁判員裁判。伊能和夫被告は逮捕当初から黙秘している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2011年]][[2月24日]]の初公判で、伊能は罪状認否で、名前からすべてについて証言台の前で直立したまま無言を貫いた。このため、吉村裁判長が検察官に、「法廷にいる者と被告の同一性を明らかにしてください」と指示。検察官が、器物損壊容疑で逮捕された際に撮影した伊能被告の写真を提示し、「被告本人です」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は冒頭陳述で、伊能が事件当日に包丁を購入し、男性の自宅マンション前をうろついていたと主張。玄関と窓を開けたまま昼寝をしていた男性の部屋へ侵入し、包丁で首を刺して殺害した後、室内を物色して逃走したと述べた。そして現場から被告の指紋などが見つかった、被告の靴底に男性の血液が付着していた、マンション付近の防犯カメラに被告が写っていたことから「被告が犯人である」と主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護側は「事件当日、現場には行っておらず、殺害もしていない」と無罪を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3日の被告人質問では弁護側が「質問はございません」と述べ、検察側質問に移った。伊能被告は裁判長の「椅子に座って」との呼びかけに無言で応じたが、検察官が「声が聞こえているか」「質問されていると分かるか」と呼びかけても、目をつぶり下を向いて黙り続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4日の論告で検察側は、現場室内から被告の掌紋が見つかったことや、被告の靴底に付着していた血液が男性のDNA型と一致したこと、犯行時刻前後に近隣の防犯カメラで撮影された被告とみられる男の映像などから「間接証拠を総合すると被告が犯人なのは明らか」と指摘。その上で「身勝手極まりない動機から何ら落ち度のない男性を殺害した。犯罪傾向は極めて深刻で改悛の情はみじんもなく、死刑選択はやむを得ない」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同日の最終弁論で弁護側は、「被害者宅は玄関が無施錠だった。被告は被害者が何者かに殺害された後に空き巣目的で入った可能性がある」などと反論。「黙秘は憲法で保障された権利で、不利に考慮してはならない」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
判決で吉村裁判長は、現場から被告の掌紋が検出され、被告の靴底に被害者の血痕が付着していたことなどから「状況証拠を総合すると被告が犯人と認められる」と有罪を認定した。そして「出所して半年で冷酷非情な犯行に及んだ。自分の利益だけを考え、人の命という最も重要な価値を軽く見た冷酷非情な犯行。2人殺害の前科は特に重視すべきで、生命をもって罪を償わせるほかない」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年7月17日の控訴審初公判で、弁護側は「被告と犯行を結びつける直接証拠はない。被告は犯人でない」として無罪を主張。仮に犯人だとしても、「被害者が1人であることなどを考えると、死刑を選択すべき事案ではない」と訴えた。検察側は控訴棄却を主張した。  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 黙秘の被告に死刑判決。 裁判員4例目「前科を重視」(2011年3月) ====&lt;br /&gt;
妻子に対する殺人や自宅放火などの罪で服役を終えた後、見ず知らずの男性を殺害したとして強盗殺人と住居侵入の罪に問われた無職伊能和夫(60)の[[裁判員裁判]]判決で、東京地裁は[[2011年]][[3月15日]]、求刑通り死刑を言い渡した。裁判員裁判の死刑判決は4例目。被告は一貫して黙秘していた。裁判員は男女3人ずつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[吉村典晃]]裁判長は「出所して半年で冷酷非情な犯行に及んだ。刑を決める上で前科を特に重視すべきだ」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護側は男性方が無施錠だったとして「被告以外の誰かによる犯行」と無罪を主張していた。即日控訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
判決は、現場から被告の指紋が見つかったことや、被告の靴底に男性の血液が付着していたことなどから、被告による男性方への侵入を認定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、被告が事件直前に購入した包丁の形状と男性が刺された傷の跡は矛盾しないとして「限られた時間帯に被告以外の者が殺害した可能性は極めて低く、被告が強盗殺人の犯人と認められる」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 裁判員の死刑破棄。完全黙秘の男、二審は無期―東京高裁(2012年6月) ===&lt;br /&gt;
2009年に東京都港区のマンションで男性を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われ、一審東京地裁の裁判員裁判で死刑とされた無職伊能和夫(62)の控訴審判決が20日、[[東京高裁]]であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[村瀬均裁]]判長は一審判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。控訴審が裁判員裁判の死刑判決を覆したのは初めてとみられる。弁護側が控訴していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊能は捜査、一審を通じて完全黙秘し、控訴審にも出廷しなかった。弁護側は無罪を主張していた&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一審判決は、現場から採取された伊能被告の掌紋や、靴底に付着した被害者の血液などから犯人と認定。その上で、伊能が過去に妻子を殺害し、20年間服役したにもかかわらず、出所後半年で犯行に及んだことから、死刑はやむを得ないと判断した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いのう かすお}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の放火事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:港区]]&lt;br /&gt;
[[Category:2009年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:殺人の前科のある人物による殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E8%8A%B3%E5%AF%9B&amp;diff=202520</id>
		<title>山口芳寛</title>
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				<updated>2013-08-28T02:08:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:山口芳寛1.jpg|300px|thumb|熊本3歳女児殺人犯・山口　芳寛]]&lt;br /&gt;
[[Image:山口芳寛2.jpg|300px|thumb|熊本3歳女児殺人犯・山口　芳寛]]&lt;br /&gt;
'''山口 芳寛'''（やまぐち よしひろ）とは、[[2011年]]3月、[[熊本市]]内のスーパーのトイレで3歳の女の子・清水心（ここ）ちゃんを猥褻行為後に殺害し、リュックサックに入れた、[https://www.kumagaku.ac.jp/ 熊本学園大学]福祉環境学科の学生（当時）である。[http://www.kumamoto-kmm.ed.jp/school/j/ryunan/index.html 熊本市立竜南中学校]→[http://www.buntoku-h.ed.jp/top.html 文徳高等学校]→1浪→[http://www.s.kumagaku.ac.jp/ 熊本学園大学社会福祉学部]福祉環境学科中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 == &lt;br /&gt;
2011年3月3日夜、熊本市内のスーパーで家族で買い物に来ていた3歳女児・清水心（ここ）ちゃんが1人でトイレに行った後、行方不明になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しばらくたっても心ちゃんが戻らなかったため、両親が心ちゃんを探しにトイレに行ったが心ちゃんはいなかった。家族はスーパー中を探し回ったが心ちゃんは見つからず警察に通報。警察が店の防犯カメラの画像を調べると以下の映像が映っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年3月3日の19時半頃、心ちゃんが一人でトイレに入っていき、心ちゃんの後を追うように中が空のような大型のリュックを持った山口がトイレに入って行った。19時45分ごろ、山口は大きく膨らんだリュックを背負って出てきた。山口は、午後4時ごろ店に入り、午後7時半ごろまでのおよそ3時間半にわたって、スーパーのトイレの近くを何度も行き来していた事も防犯カメラで確認されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熊本県警は防犯カメラの映像などから山口芳寛を特定。山口は「スーパーのトイレ個室内で殺害し、リュックサックに入れて運び出した遺体は川に捨てた」と供述。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山口の供述通り、同市内を流れる坪井川近くの排水路で心ちゃんの遺体を発見。4日午後、熊本県警は熊本学園大2年の20歳・山口を死体遺棄容疑で逮捕。同22日、殺人容疑で再逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熊本地検は、熊本簡裁に鑑定留置を請求し、4月6日、簡裁は請求を認めた。期間は3ヶ月間。熊本地検は、熊本簡裁に鑑定留置延長を請求し、6月27日、簡裁は請求を認めた。期間は8月8日まで。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8月13日、熊本地検は山口を殺人、強制わいせつ致死、死体遺棄罪で熊本地裁へ起訴した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件経過 ===&lt;br /&gt;
'''2011年'''&lt;br /&gt;
* 3月3日19時半頃 - スーパーで家族で買い物中、清水心ちゃんがトイレに行く &lt;br /&gt;
* 19時31分 - 心ちゃんがトイレに入った後、若い男がトイレに入る  &lt;br /&gt;
* 19時45分 - 男だけがトイレから出る &lt;br /&gt;
* 女児が家族の所に戻らず、20時頃、母親が110番通報 &lt;br /&gt;
* 20時10分頃、男は坪井川に女児の遺体を遺棄 &lt;br /&gt;
* 3月4日 - 熊本県警は防犯カメラの映像などから容疑者を特定。自宅で男に任意同行を求める。「女児を殺害して川に捨てた」と供述。男の供述通り市内の川で女児の遺体を発見。熊本県警は、熊本市兎谷の20歳大学生を死体遺棄容疑で逮捕 &lt;br /&gt;
* 22時20分頃 - 熊本県警は容疑者の自宅を家宅捜索。自転車などを押収。容疑者は「口を片手でふさぎ、片方の手で首を絞めたら女の子が亡くなった。遺体の処理に困って川に捨てた」と供述。&lt;br /&gt;
* 3月5日 - 司法解剖の結果、女児の死因は窒息死。目立った外傷は無かった &lt;br /&gt;
* 3月6日 - 県警は、死体遺棄容疑で大学2年生の20歳容疑者を熊本地検へ送検 &lt;br /&gt;
* 3月9日 - 午前、県警は遺体遺棄現場で遺留品などを捜索 &lt;br /&gt;
* 3月22日 - 熊本県警捜査1課などは、殺人容疑で20歳容疑者を再逮捕 &lt;br /&gt;
* 4月6日 - 熊本地検は、熊本簡裁に鑑定留置を請求し、簡裁は請求を認める。期間は3ヶ月間 &lt;br /&gt;
* 6月27日 - 熊本地検は、熊本簡裁に鑑定留置延長を請求し、簡裁は請求を認める。期間は8月8日まで &lt;br /&gt;
* 8月13日 - 熊本地検は、20歳の男を殺人と強制わいせつ致死、死体遺棄の罪で起訴 &lt;br /&gt;
* 2012年10月17日 - 第一審　初公判 &lt;br /&gt;
* 10月23日 - 第一審　論告求刑公判　検察側は被告に対して無期懲役を求刑 &lt;br /&gt;
* 10月29日 - 第一審　判決公判　熊本地裁（松尾嘉倫裁判長）は求刑通り無期懲役を言い渡し &lt;br /&gt;
* 11月9日 - 21歳被告は、判決を不服として福岡高裁に控訴&lt;br /&gt;
* 2013年3月13日 - [[福岡高裁]]にて2審も無期懲役。熊本地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 犯行の計画性 == &lt;br /&gt;
犯行の計画性&lt;br /&gt;
:別の店でも女児狙う？防犯カメラに容疑者。男は3時間余りにわたってトイレ周辺などをうろついていた &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行態様&lt;br /&gt;
:身障者トイレの中で女児の口を片手でふさぎ、片方の手で首を絞めて窒息死させた  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行の動機&lt;br /&gt;
:わいせつ目的。容疑者の自宅の家宅捜索で、少女への強い興味がうかがわれる証拠品を押収 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行後の情状&lt;br /&gt;
:死亡した女児をリュックに入れて自転車で運び、遺体を近くの川に遺棄 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行後の反省&lt;br /&gt;
:容疑者は取り調べで、事件について「申し訳ありませんでした」と供述 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遺族の心情&lt;br /&gt;
:「犯人は絶対に許せません」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
山口は事件現場から約1kｍしか離れていない自宅に両親と弟の4人暮らし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近所の人の話では、 ｢道で会うと必ずあいさつし、町内会の空き缶回収も一緒にやっていた｣という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また母親の 勤務先の話では｢(母親の仕事が)夜遅くなると自転車でよく迎えに来ていた｣と、母親思いの イメージが浮かぶが、山口が卒業した地元中学校の同級生の話では違った面もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
｢キレたら怖かった。何を取り出してくるかわからなかった｣ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年に熊本学園大学福祉環境学科に入学するが、同級生は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
｢会話が全くない。ずっと下を 向いている感じだった。ひと言でいえばネクラ｣&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
｢新人歓迎会で好きなタイプの女性の話になった時、『小学生ぐらいの女の子』とかが返ってきた｣と話す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのためかどうか、月に1度の保育園の実習には 参加していたというが、その年の秋には学校に来なくなっていた。家宅捜索では少女の裸などを描いたポルノ漫画が多数押収された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 3歳女児遺棄直後、友人とゲーム ===&lt;br /&gt;
山口芳寛(20)は、遺体を遺棄したとみられる時間のおよそ40分後には携帯電話のメールで友人をオンラインゲームに誘い、普段どおりに遊んでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「最初、一緒にゲームをやろうと約束がきて、急に家でトラブルがあったらしく、大丈夫？と聞いたら『大丈夫さ、いつものことだから慣れた』っていうメールですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（Ｑ．いつもこういう風にゲームを？）そうですね、誘いがきたらやっています。犯行直後にメールがくると思うと怖いですね」（メールを受け取った友人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、警察が山口の自宅から押収したものの中には、幼い子どもがモデルとなっている、わいせつな漫画などがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7日正午からは、清水心ちゃんの葬儀が営まれ、多くの参列者が悲しみに包まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「葬儀で心ちゃんの父親は『ビールを両手で注いでくれたことが忘れられない』と話していた。何とも言葉にできないですね、悲しくて・・・」（参列者）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察は今後、動機などを含め慎重に取り調べを行い、殺人の容疑で再逮捕する。調べに対し、山口は「殺すつもりはなかった」、「自分がやったことがばれたら重い罪に問われると思い、怖くなって遺棄した」と供述。また、水路に遺体を遺棄したことについては「小学生の頃、友人と遊んだ場所」と話している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「悔やみきれない」自分攻め続ける両親・兄弟―熊本・女児連れ去り殺害で証言(2012年10月) ==&lt;br /&gt;
=== 殺意あったはず ===&lt;br /&gt;
「あの時、なぜ飛び込まなかったか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父親は今も自責の念に駆られる。熊本市内のスーパーのトイレで3歳の清水心ちゃんを殺害したとして殺人などに問われている元大学生の山口芳寛被告（21）に対する裁判員裁判の第4回公判が、きのう22日（2012年10月）、熊本地裁で開かれ、両親が事件直後の状況について語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あの時、トイレのドアを蹴飛ばして入っていれば救えたのではないか」&lt;br /&gt;
  &lt;br /&gt;
事件の起きた昨年（2011年）3月3日、家族と買い物に来ていた心ちゃんは、トイレに行きたいと1人でトイレに向かい行方がわからなくなった。父親の誠一郎さん（41）と母親の真夕さん（39）は手分けして店内を探し回った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
誠一郎さんは多目的トイレの前で「心ちゃん、心ちゃん」と何度も叫んだ。その時、中から「使用しています」という声が返ってきた。それが犯行時の山口の声だったのだ。「あの時、ドアを蹴飛ばして入っていれば命だけは救えたのではないかと思いました」と語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真夕さんはその直後の山口とすれ違っていた。トイレからリュックを背負った若い男が出てきたのだ。「もしかしてと思ったのですが、（リュックが）人が入るほどの大きさではなかったので、目線を移してトイレの中を確認しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
男はうつむいて足早に去った。すぐ後を追ったが見失った。そのリュックの中に心ちゃんがいたと知り、「腰が抜けるほどびっくりした。なぜ捕まえなかったのか。自分を責めました」。両親にとっては、悔やみきれない痛恨事だったに違いない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
誠一郎さんは証言台で「娘は3年半という短い人生。たった42か月のために妻のお腹の中で必死に生きてきた。娘を虫けらのように殺し、その遺体にわいせつな行為をした被告は許さない。死刑でも足りない」と訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2人の兄「警察官になって悪い人捕まえる」「ぼくが身代わりになっていれば…」 ===&lt;br /&gt;
山口は先週の第3回公判で犯行の動機について、「日頃から女の子の体に触りたいという欲求があり、それを実行に移した」といっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判の焦点は殺意の有無だ。キャスターのテリー伊藤は「山口の最終的な目的は殺していたずらをすること。最初から殺害を考えていたと思う」という。山口は声を出さいないように口をふさいでいた手が首の方にずれて死亡に至ったとして一貫して殺意を否定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
リポーターの阿部祐二によると、心ちゃんの兄の1人は「ぼくは警察官になって悪い人を捕まえる」といい、もう1人は「ぼくが身代わりになっていれば…」と話しているという。精神科医の香山リカは「犯罪や事故で生き残った者が自分を責める心理がときどき起きる。お兄ちゃんたちがそれを乗り越えて、妹の分まで生きていくための支えが必要かも知れない」と語る。判決は10月29日。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 熊本女児殺害遺族「ひな祭りは心の命日」控訴審で陳述(2013年3月) ==&lt;br /&gt;
熊本市のスーパーで清水心ちゃんが殺害された事件から3日で丸2年になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自分がしたことの重さを考えて責任をとってほしい」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺人や強制わいせつ致死の罪に問われ、一審で無期懲役の判決を受けた山口芳寛(22)の控訴審第1回公判が1日、福岡高裁（陶山博生裁判長）であり、遺族が法廷で今の心境を語った。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「もうすぐひな祭り。心の命日です。ひな人形を見ると、耐えがたく悲しくなります」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父の誠一郎さん(41)は意見陳述で語った。事件は、ひな祭りの夜に起きた。自宅には今も、事件の数時間前に心ちゃんが保育園で作ったひな人形が飾ってあるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
=== 元大学生に無期懲役判決(2012年10月) === &lt;br /&gt;
山口芳寛(21)の裁判員裁判で、熊本地裁は29日、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[松尾嘉倫]]裁判長は判決理由で「無差別で身勝手極まりない犯行。遺族の悲しみは大きい」と述べた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
争点は殺意の有無で、検察側は「わいせつ行為をして殺害する目的で被害者をトイレに連れ込み、4～5分にわたって首を絞めた。再犯の危険性がある」と主張。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護側は「首付近にはっきりした内出血などの痕はみられず、外見上の変化がないのは不合理だ。反省を深めており、再犯の可能性は高くない」と反論していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 熊本女児殺害、二審も無期。福岡高裁判決(2013年3月) ===&lt;br /&gt;
殺人や強制わいせつ致死の罪に問われた山口芳寛(22)の控訴審で、福岡高裁（[[陶山博生]]裁判長）は13日、裁判員裁判で無期懲役とした一審・熊本地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
控訴審で弁護側は、山口が一審段階で精神鑑定により小児性愛と診断されたことについて、責任能力への影響を考慮すべきだと主張していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:やまくち よしひろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2011年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:熊本市]]&lt;br /&gt;
[[Category:熊本学園大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロリコン]]&lt;br /&gt;
[[Category:熊本県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

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		<title>大平正芳</title>
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				<updated>2013-07-22T07:44:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{日本の内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|[[第1次大平内閣|68]]・[[第2次大平内閣|69]]&lt;br /&gt;
|大平 正芳&amp;lt;br/&amp;gt;（おおひら まさよし）&amp;lt;br/&amp;gt;[[Image:Masayoshi_Ohira_at_Andrews_AFB_1_Jan_1980_walking_cropped_2.jpg|1980年米国訪問時の大平正芳|200px]]&lt;br /&gt;
|[[1910年]][[3月12日]]&lt;br /&gt;
|[[香川県]][[三豊郡]][[和田村 (香川県)|和田村]]&amp;lt;br&amp;gt;（現[[観音寺市]]）&lt;br /&gt;
|東京商科大学&amp;lt;br&amp;gt;（現[[一橋大学]]）&lt;br /&gt;
|[[正二位]][[大勲位]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[学士]]&lt;br /&gt;
|[[衆議院議員]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[大蔵大臣]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[自由民主党幹事長]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
|世襲ではない&lt;br /&gt;
|[[1978年]][[12月7日]]|[[1980年]][[6月12日]]&lt;br /&gt;
|香川全県区&lt;br /&gt;
|衆11回&lt;br /&gt;
|自由民主党&lt;br /&gt;
|[[1980年]][[6月12日]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
[[画像:Ohira-Masayoshi_statue_Kan-on-ji.jpg|thumbnail|240px|銅像（香川県観音寺市）]]&lt;br /&gt;
'''大平 正芳'''（おおひら まさよし、[[1910年]][[3月12日]] - [[1980年]][[6月12日]]）は[[日本]]の[[大蔵省|大蔵]][[官僚]]､[[政治家]]。第68・69代[[内閣総理大臣]]。[[正二位]][[大勲位]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
演説や答弁の際に「あー」、「うー」と前置きをする事から「'''アーウー宰相'''」の異名を取る&amp;lt;ref&amp;gt;この「あー」、「うー」は当時流行語にもなり、アニメ『[[タイムパトロール隊オタスケマン]]』主題歌の歌詞に引用されたり、物まねしたりする子供も多かった。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;「あーうー」のイメージから、話すスピードが遅い印象を受けたが、実際のところ、1分間に話す文字数（速度）は、歴代の首相の中でも早い方であった。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、その風貌から「'''讃岐の鈍牛'''」とも呼ばれた&amp;lt;ref&amp;gt;しかし、実際はユーモアのセンスがあり、頭の回転も早かった。訪米の折、当時日米間の懸案となっていた[[捕鯨問題]]に関して記者から質問された際、「鯨は大きすぎて、私の手には負えません」と答え、記者たちを大笑いさせ、その質問は立ち消えとなったり、国会での野党の質問に答える際、「私はあーうーですから」といってその場を和ませてから答弁をするなど、その場の雰囲気を掴んで和らげる手腕に長けていた&amp;lt;/ref&amp;gt;。大平正芳曰く「讃岐の貧農の倅」だが、父親の大平利吉は元和田村議会議員であり、政治と無縁ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==経歴==&lt;br /&gt;
===生い立ち===&lt;br /&gt;
[[香川県]][[三豊郡]][[和田村 (香川県)|和田村]]（現[[観音寺市]]）の農家大平利吉・サクの三男として生まれる。兄2人、姉3人、弟妹がそれぞれ1人ずつの6人兄弟であったが、正芳が生まれた時長女は満1歳で、兄の1人も2歳半で既に亡くなっていた。&amp;lt;ref&amp;gt;福永文夫『大平正芳』（中央公論新社,2001年）15頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。父利吉は学歴こそ無かったものの村会議員や水利組合の総代を務めていた。また利吉は書をたしなみ，和漢の古典にもよく通じた読書家で正芳の読書好き漢籍への造詣は父の影響を強く受けていた。大平は「讃岐の貧農の倅」と称したが生家は中流に属していた。それでも子供6人を抱えた大平家の生活は苦しいもので、正芳も幼い頃から内職を手伝うなどして家計を支えていた&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 16-17頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
和田村立大正尋常高等小学校（現観音寺市立豊浜小学校）、旧制三豊中学校（現[[香川県立観音寺第一高等学校]]）に進んだ。当時、中学校に進学する者は学級で2、3人程度で、次男・三男には分けてやるものはないからせめて学業くらいは修めさせてやろうという利吉の気遣いからであった。兄の[[大平数光]]は高等小学校を卒業して家業を継ぎ、後に豊浜町長となって大平の地元での選挙活動を支援した。中学時代の大平は温厚で目立たない少年で、級友たちは後に政治家になった大平には当惑したという&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 19-20頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1926年]]、三豊中4年の時大平は[[腸チフス]]に罹り4ヶ月間生死の境をさまよった。家計に負担をかけないため[[海軍兵学校 (日本)|海軍兵学校]]を受験したが、受験前に急性中耳炎を患い身体検査で不合格となった。[[1927年]]夏、父利吉が急死する。翌[[1928年]]4月、経済的に恵まれなかったものの親戚からの援助や奨学金を得て[[高松高等商業学校]]（現[[香川大学]]経済学部）に進学。&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 24頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。高商に入学した春、元[[東北大学|東北帝国大学]]教授で宗教家の[[佐藤定吉]]が講演に訪れた際キリスト教に出会った。自身の病や父の死を立て続けに経験した大平はキリスト教に傾倒し、[[1929年]]暮れに観音寺教会で洗礼を受けた&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 25-26頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。卒業後の進路について大平は大学への進学を希望したものの経済的に厳しく断念せざるを得なかった。母は四国水力（現[[四国電力]]）への就職を望んでいたようであるが[[昭和恐慌]]の煽りを受け採用自体が無かったため進学も就職も決まらない状態にあったところ、桃谷勘三郎の食客となり[[桃谷順天館]]で化粧品業に携わった。大平は信仰の師である佐藤の発明した薬品を商品化するとのことで桃谷の誘いを受け大阪に出てきたものの、一向に商品化される様子はなく自身の生き方について葛藤する日々を過ごした&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 27-28頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1933年]]、再び学業に戻ることを決意した大平は[[坂出市]]の鎌田共済会と香川県育英会の2つの奨学金を得て[[東京商科大学]]（現[[一橋大学]]）に進学した&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 27頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。大平23歳の時のことである。[[文京区]][[千駄木]]に居を構える。在学中大平は経済哲学の[[杉村広蔵]]助教授、法律思想史の[[牧野英一]]教授らの講義を手当たり次第に履修した&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 28頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。なかでも経済思想史に強い関心をもった大平は2年に進級すると[[上田辰之助]][[ゼミナール]]に参加した。恩師上田について大平は「経済学者というよりも、むしろ社会学者であり、社会学者である前に実のところ言語学者であられた」と評している&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 29頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。卒業論文は「職分社会と同業組合」&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 30頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、大平は「わたしの思想というものが仮にあるとすれば（杉村先生の思想が）それをつくるものの考え方の素材となっている」と述べ&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 29頁、『在素知贅・大平正芳発言集』（大平正芳記念財団,1996年）&amp;lt;/ref&amp;gt;、杉村の著書『経済倫理の構造』（[[岩波書店]],[[1938年]]）は亡くなる直前まで大平の傍らに置かれていた。&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 29頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;大学在学中も引き続きキリスト教の活動にも精力的に参加し、[[キリスト教青年会|YMCA]]活動に従事した&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 28頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大蔵省時代===&lt;br /&gt;
[[1935年]]（昭和10年）、[[高等文官試験|高等試験]]行政科試験合格。当時大蔵次官だった同郷の[[津島壽一]]の勧めで[[1936年]]に[[大蔵省]]に入省した。文官試験はまわりに流されて受験したに過ぎず大平自身は出身地の隣県[[愛媛県]]を拠点とする[[住友財閥|住友]]系の企業への就職を望んでいたが、津島は「ここで採用してやる」という型破りな方法で採用したという&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 32頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。入省後大平は主に税務畑を歩んだ。大平は以下の役職を歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1937年]]（昭和12年） - 横浜税務署長&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 34頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1939年]]（昭和14年） - [[興亜院]]にて大陸経営にかかわり、しばしば現地にも出張&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 38-42頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*[[1942年]]（昭和17年） - 本省主計局主査。なお、この時の仕事として幾分誇らしげに挙げていたのが[[国民酒場]]の創設である。戦時下の耐乏生活による国民の疲れを癒すことが目的だった&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 43-45頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。文部省担当主査として大日本育英会（後の日本育英会、現独立行政法人[[日本学生支援機構]]）の設立に尽力した&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 43-44頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*[[1945年]]（昭和20年） - 津島壽一大蔵大臣の秘書官&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 45頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1946年]]（昭和21年） - 初代給与局第三課長&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 54頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1948年]]（昭和23年） - [[経済安定本部]]建設局公共事業課長&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 55頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1951年]]（昭和26年） - [[池田勇人]]大蔵大臣の秘書官&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 56頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。秘書官時代、大平は[[安岡正篤]]に歴史上一番偉い秘書官は誰かと質問したところ、安岡は[[織田信長]]の草履取りで信長の欠点を知り尽くした[[豊臣秀吉]]であると答えた。大平は「貧乏人は麦を食え」に代表される欠点だらけの池田に仕えることで政治家になるための経験を積んだという&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 59-60頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==政治家としての活動==&lt;br /&gt;
===池田側近として===&lt;br /&gt;
[[1952年]]（昭和27年）、大蔵省時代の上司だった池田勇人の誘いを受け、大蔵省を退官し[[自由党]]公認で[[衆議院議員]]に立候補し当選&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 62-65頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。以後、連続当選11回。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宮澤喜一]]や[[黒金泰美]]らと池田勇人側近の秘書官グループと呼ばれる&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 79頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1960年]]（昭和35年）に第1次池田内閣で[[官房長官]]に就任&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 89頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。「低姿勢」をアピールする同内閣の名官房長官と評された&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 93頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。続く第2次池田改造内閣で[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 100頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。外相時代は韓国との国交正常化交渉を巡って、[[金鍾泌]]中央情報部長との間で最大の懸案であった請求権問題で合意（いわゆる「金・大平メモ」62年11月12日）、日韓交渉で最も大きな役割を果たした政治家である&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 110-112頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宏池会会長===&lt;br /&gt;
次の[[佐藤栄作|佐藤]]政権では[[政調会長]]を務めた後&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 134頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、第2次佐藤内閣の2度目の改造内閣で[[通商産業大臣]]&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 138頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、第1次・第2次田中内閣で再び外務大臣&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 166頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、第2次田中改造内閣・三木内閣で[[大蔵大臣]]を務めるなど&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 186・192頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、内政外政にかかわる要職を歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1971年]]（昭和46年）、「大平クーデター」で[[前尾繁三郎]]にかわって[[宏池会]]会長に就任&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 148-153頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、名実ともにポスト佐藤時代のリーダー候補として名乗りをあげた。以後[[1980年]]の死去まで[[派閥]]の領袖の座にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[三角大福|三角大福]]の争い」となった[[1972年]]（昭和47年）総裁選では3位につけ&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 163-165頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、その後も田中角栄と盟友関係を続ける&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 186頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。田中内閣で外務大臣だったときに[[中華人民共和国|中国]]を訪問、それまでの[[中華民国|台湾]]との[[日華平和条約]]を廃し、新たに[[日中国交正常化|日中の国交正常化]]を実現させた&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 166-173頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[1974年]]（昭和49年）12月の[[田中金脈政変]]で田中が総理を辞任すると、蔵相であった大平はポスト田中の最有力候補となり田中派の後押しを背景に総裁公選での決着を主張。しかし、[[椎名裁定]]により総理総裁は[[三木武夫]]に転がり込んだ&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 188-191頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。三木内閣では引き続き蔵相を務めるが&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 192頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、このときに10年ぶりの[[赤字国債]]発行に踏み切り、以後、日本財政の赤字体質が強まったことが後年の消費税導入による財政健全化への強い思いへとつながっていく&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 214-215頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1976年]]（昭和51年）の[[三木おろし]]では再び総裁を狙うも、最終的に[[福田赳夫]]と「2年で大平へ政権を禅譲する」としたいわゆる「[[大福密約]]」の元で大福連合を樹立&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 207-210頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。福田内閣樹立に協力し、[[自民党幹事長]]ポストを得る&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 211頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;ただし、福田は著書『[[私の履歴書]]』で「大福密約」は存在しなかったとしている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[伯仲国会|保革伯仲国会]]では大平幹事長は「部分連合（パーシャルれんごう）」を唱えて野党に協調的対応を求め、国会運営を円滑化に努める&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 216-217頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===総理大臣就任===&lt;br /&gt;
[[1978年]]（昭和53年）の自民党総裁選挙に福田は「大福密約」を反故にして再選出馬を表明、大平は福田に挑戦する形で総裁選に出馬する&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 221-223頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。事前の世論調査では福田が有利だったが&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 226頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、田中派の全面支援の下、総裁予備選挙で福田を上回る票&amp;lt;ref&amp;gt;福田47万2499票に対し大平55万0889票。&amp;lt;/ref&amp;gt;を獲得&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 226-227頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この直後の記者会見で、「一瞬が意味のある時もあるが、十年が何の意味も持たないことがある。歴史とは誠に奇妙なものだ」と発言し&amp;lt;ref name=&amp;quot;oohira&amp;quot;&amp;gt;『大平正芳』 229頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、「大福密約」の無意味さについて触れている。この結果を受けて福田は本選を辞退、大平総裁が誕生し&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 227頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、1978年[[12月7日]]に第68代内閣総理大臣に就任した&amp;lt;ref name=&amp;quot;oohira&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===総理在任中の政策===&lt;br /&gt;
[[image:大平中国訪問.jpg|thumb||300px|1979年12月9日、陝西省博物館を見学する大平正芳首相一行]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大平は直属の民間人有識者による長期政策に関する研究会を9つ設置し、内政については[[田園都市構想]]、外交においては[[環太平洋連帯構想]]や[[総合安全保障|総合安全保障構想]]などを提唱した&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 233-239頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大平政権期の世界は、1978年に発生したイラン革命と[[オイルショック|第二次石油危機]]の余波、[[1979年]]のソ連の[[ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻|アフガニスタン侵攻]]などといった事件によって、「新冷戦時代」と呼ばれる環境にあった。このような情勢への対応として、大平は日米の安全保障関係を日本側から公の場では初めて「同盟国」という言葉で表現し&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 243頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://avatoli.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19790502.S1J.html ホワイト・ハウスにおける歓迎式の際の大平内閣総理大臣答辞]&amp;lt;/ref&amp;gt;、米国の要望する防衛予算増額を閣議決定した。また「西側陣営の一員」として1980年の[[モスクワオリンピック]]出場ボイコットを決定するなど、後の[[中曽根康弘]]政権へと継承される対米協力路線を鮮明にした政権であった&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 258・261頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[[五百旗頭真]]編『戦後日本外交史』。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、環[[太平洋]]構想によってアジア太平洋地域の経済的な地域協力を模索したり&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 258-260頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、総合安保構想によって地域経済やエネルギー供給などを含む包括的かつ地球規模での秩序の安定化を図る安全保障戦略を模索したりするなど&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 236頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、「国際社会の一員」としての日本の役割を意識した政策を打ち出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===四十日抗争と衆参同日選挙===&lt;br /&gt;
政権基盤が強固ではなく[[田中角栄]]の影響が強かったことから、大平内閣は「'''角影内閣'''」と呼ばれた。大平を支える[[田中派]]など自民党主流派と福田を支持する[[三木派]]らの反主流派との軋轢は大平の総理就任後も続いた。[[第35回衆議院議員総選挙|1979年衆院選]]では大平の増税発言も響いて自民党が過半数を割り込む&amp;lt;ref&amp;gt;ただし、獲得議席としては前回獲得議席を1議席しか下回らなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;結果を招くと&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 247-249頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、大平の選挙責任を問う反主流派は大平退陣を要求、ここに[[四十日抗争]]と呼ばれる党内抗争が発生し&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 251頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、自民党は分裂状態になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[特別国会|選挙後国会]]の[[首班指名選挙]]では反主流派が福田に投票した結果、過半数を得る者がなく、決選投票では、[[大平派]]・[[田中派]]・中曽根派渡辺系・新自由クラブの推す大平と、[[福田派]]・[[三木派]]・[[中曽根派]]・中川グループが推す福田の一騎打ちとなった結果、138票対121票&amp;lt;ref&amp;gt;新自由クラブを除く野党（社会党、公明党、共産党、民社党など）は欠席した。&amp;lt;/ref&amp;gt;で大平が福田を下して&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 254-255頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;この138票というのが首班に指名された者が獲得した最も少ない票の記録となっている。&amp;lt;/ref&amp;gt;、第2次大平内閣が発足した&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 256頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、これによって自民党内にはかつてない「怨念」が残り、事実上の分裂状態が続いた結果、[[第2次大平内閣]]は事実上の少数与党内閣の様相を呈した。翌[[1980年]]（昭和55年）[[5月16日]]、[[日本社会党|社会党]]が[[内閣不信任決議案]]を提出すると、反主流派はその採決に公然と欠席してこれを可決に追い込んだ。不信任決議案の提出は野党のパフォーマンスの意味合いが強かったため、可決には当の野党も驚き、[[民社党]]の[[春日一幸]]委員長は[[不信任決議案]]が可決された後、「切れない鋸を自分の腹に当てやがって」と野党の未熟ぶりを嘆いたという。大平は不信任決議案の可決を受けて衆議院を解散（[[ハプニング解散]]）、総選挙を参議院選挙の日に合せて行うという秘策・[[衆参同日選挙]]で政局を乗り切ろうとした&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 263-264頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===急死===&lt;br /&gt;
総選挙が公示された[[5月30日]]、大平は第一声を挙げた[[新宿]]での街頭演説の直後から気分が悪くなり、翌日[[過労]]と[[不整脈]]で[[虎の門病院]]に入院した。大平は年明け以降、休日が3月22日と翌23日の私邸での休養だけという激務、70歳という高齢、心臓に不安があり、以前にも[[ニトログリセリン]]を服用することがあるなど肉体は限界に来ていた&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 265頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、ニトログリセリンの服用は公表されていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大平入院により、反主流派の[[中川一郎]]は健康問題をかかえた大平では[[第6回先進国首脳会議|ベネチアサミット]]出席が難しいことを理由に進退を決すべきと発言し、[[河本敏夫]]は大平の全快を祈ると前置きしつつも国際信義上サミットの出席は早めに決すべきと記者会見で語り、暗に大平退陣を要求するなど反主流派の一部から大平退陣の声があがった&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 266頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[6月9日]]には大平派の[[鈴木善幸]]が大平の後は話合いによる暫定政権が好ましいと記者団に語るなど大平派からも大平退陣について発言する動きがあがった。この鈴木発言を新聞でみた大平は「浅薄な腹黒者、不謹慎極まりない」と激怒したと言われている。大平本人は近日中に退院しサミットに出席する心づもりだったとされ、官僚時代からの盟友であり[[官房長官]]の[[伊東正義]]等にも話している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一時は記者団の代表3人と数分間の会見を行えるほどに回復したものの、[[6月12日]]午前5時過ぎ容態が急変し、志げ子夫人以下家族たち、伊東正義、[[田中六助]]自民党副幹事長に看取られながら5時54分死去&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 266-267頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。70歳3ヵ月、突然の死だった。死因は[[心筋梗塞]]による[[心不全]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死去前夜、7時半頃[[桜内義雄]]幹事長が選挙情勢について報告に訪れ、その後伊東官房長官とも30分程話し、そして午後9時ごろ娘婿で秘書官の[[森田一]]がベネチアサミットの準備に当らせるため佐藤秘書官をベネチアに派遣することを報告した際に返した「そうか、わかった」が最期の言葉となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大平の死によって権限は、首相権限は[[伊東正義]]官房長官が[[首相臨時代理]]として、自民党総裁権限は[[西村英一]]自民党副総裁が総裁代行として、ベネチアサミットには[[大来佐武郎]]外務大臣が代理出席し、3人に分かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
48年ぶりの現職総理の死去&amp;lt;ref&amp;gt;1932年5月15日に[[犬養毅]]が官邸で青年将校に暗殺されて以来（[[五・一五事件]]）、また、病死としては[[1926年]]1月22日に[[加藤高明]]が心臓麻痺で急死して以来。&amp;lt;/ref&amp;gt;という想定外の事態は状況を一変させた。自民党の主流派と反主流派は「弔い合戦」を大義名分に挙党態勢に向かい、有権者の多くも同情票&amp;lt;ref&amp;gt;「香典票」と呼ばれた。&amp;lt;/ref&amp;gt;を自民党候補に投じた結果、自民党は衆参両院で[[安定多数]]を大きく上回る議席を得て大勝した&amp;lt;ref&amp;gt;『大平正芳』 267-268頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。大平の選挙区であった香川2区も娘婿の森田一が[[補充立候補]]で急遽出馬し、当選を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
大蔵省の出身であり、蔵相時代の赤字国債発行や[[消費税#日本の消費税|一般消費税]]への強いこだわりなど、財政家としての側面は広く知られているが、池田内閣時代の日韓交渉や、田中内閣時代の日中国交正常化交渉といった重要な外交交渉で大きな役割を果たし、戦後日本を代表する外政家といえる。大平内閣においては「環太平洋連帯構想」が著名であり、今日の[[アジア太平洋経済協力|APEC]]を始めとするアジア太平洋における様々な地域協力へと受け継がれている。なお、専任の外務大臣としての在職日数は戦後最長である(総理大臣との兼任を含めると吉田茂が1位)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
朴訥な印象の一方で、「戦後政界指折りの知性派」&amp;lt;ref&amp;gt;[[北岡伸一]]『自民党』[[中公文庫]]ほか&amp;lt;/ref&amp;gt;との評が示すとおり、政治の場にあっても言葉を大切にし、知性を重んじる政治家であった。その政治思想や経済観、国際政治観などの先見性は今日顧みられることが少なくない。&lt;br /&gt;
==人物エピソード==&lt;br /&gt;
*読書家として知られ、郷里の記念館には1万数千に及ぶ蔵書が収められている。また、文章を能くし、『財政つれづれ草』、『春風秋雨』、『旦暮芥考』、『風塵雑租』などといった政治経済論と随想を合わせた本を折に触れて出版した。なお、大平の著作のすべてと、研究者・政界関係者による大平についての論稿『大平正芳  人と思想』、『大平正芳  政治的遺産』、『在素知贅  大平正芳発言集』、『去華就實 　聞き書き大平正芳』などが大平正芳記念財団でまとめられたが、下記外部リンクの大平財団ホームページにてPDFファイルの形で読むことができる。&lt;br /&gt;
*盟友田中角栄は「オヤジ」と呼ばれたが大平は「おとうちゃん」と呼ばれていた。&lt;br /&gt;
*敬虔な[[クリスチャン]]（[[聖公会]]）で、しばしば[[聖書]]を好んで引用した。葬儀も[[立教学院]]諸聖徒礼拝堂で行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発言 ==&lt;br /&gt;
*「東京の[[人間]]は[[郵便番号]]も書かない○○だ」や「東京に三代住むと[[白痴]]になる」などと発言し物議を醸した。&lt;br /&gt;
*長女に対して口癖のように「女子（おなご）は勉強せんでいい。可愛い女になれ。そして早くお嫁に行きなさい」と語っていたとされ、こうした言動が『婦人公論』誌で長女により明かされたところ、国会で[[市川房枝]]により女性蔑視として厳しく追及された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=28475&amp;amp;SAVED_RID=1&amp;amp;PAGE=0&amp;amp;POS=0&amp;amp;TOTAL=0&amp;amp;SRV_ID=5&amp;amp;DOC_ID=7163&amp;amp;DPAGE=1&amp;amp;DTOTAL=7&amp;amp;DPOS=5&amp;amp;SORT_DIR=1&amp;amp;SORT_TYPE=0&amp;amp;MODE=1&amp;amp;DMY=28865 市川房枝君質疑] 昭和54年1月31日第87通常国会参議院本会議&amp;lt;/ref&amp;gt;。政治とは直接関係のない話題での追及に大平は顔をくしゃくしゃにしながら苦笑しつつユーモアたっぷりに答弁し、議場は大爆笑に包まれた。&lt;br /&gt;
*[[靖国神社]]には[[A級戦犯]]が合祀される前に参拝したことがある。靖国神社参拝に関して野党から国会で質問されると「[[大東亜戦争]]に関する審判は、歴史が下すであろうと考えています」と答弁した。&lt;br /&gt;
*「政治とは?」との問いに対して「明日枯れる花にも水をやることだ」と答えたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 栄典 ==&lt;br /&gt;
*[[1980年]]6月12日 - 贈[[大勲位菊花大綬章]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 親族 ==&lt;br /&gt;
*大平には自身の後継者として長男正樹を考えており、秘書として大平を補佐する準備として見聞を広めるために世界旅行に行かせていた。しかし、長男はアフリカ旅行をした時に風土病である[[ベーチェット病]]に罹り、1964年に他界した。大平は長男について『[[私の履歴書]]』で「私にとっては全部に近い存在であった」と語っており、長男の死はその後の大平の政治姿勢に影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[カズコ・ホーキ]](姪、ミュージシャン)&lt;br /&gt;
*[[大平浩二]]（明治学院大学教授）&lt;br /&gt;
*[[大平明]]（次男・[[大正製薬]]代表取締役副社長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==大平を師と仰ぐ政治家==&lt;br /&gt;
*[[加藤紘一]]&lt;br /&gt;
*[[衛藤征士郎]]&lt;br /&gt;
*[[白川勝彦]]&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{reflist|scroll}}&lt;br /&gt;
===参照文献===&lt;br /&gt;
*{{Cite book|和書&lt;br /&gt;
|author=福永文夫&lt;br /&gt;
|authorlink=福永文夫&lt;br /&gt;
|title=大平正芳　&amp;lt;small&amp;gt;「戦後保守」とは何か&amp;lt;/small&amp;gt; &lt;br /&gt;
|origdate=&lt;br /&gt;
|accessdate=&lt;br /&gt;
|edition=2008年12月初版&lt;br /&gt;
|publisher=[[中央公論新社]]&lt;br /&gt;
|series=[[中公新書]]&lt;br /&gt;
|isbn=9784121019769&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
*[[五百旗頭真]]編 『戦後日本外交史』　[[有斐閣]]　新版2006年3月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==大平個人・大平政権に関連する文献==&lt;br /&gt;
:;大平個人・大平政権に集中した一部を掲載する&lt;br /&gt;
*[[森田一]]、新井俊三『文人宰相　大平正芳』（[[春秋社]]、1982年）&lt;br /&gt;
*[[田中六助]]『大平正芳の人と政治』（[[朝日ソノラマ]]、1981年）&lt;br /&gt;
*田中六助『再び大平正芳の人と政治』（朝日ソノラマ、1981年）&lt;br /&gt;
*[[栗原祐幸]]　『大平元総理と私』（[[廣済堂]]出版、1990年） &lt;br /&gt;
:※以上は大平側近（大平派幹部）の政治家たちによる回想・人物評。&lt;br /&gt;
*国正武重　『権力の病室―大平総理最期の14日間』（[[文藝春秋]]、2007年） －大平政権時の官邸記者クラブ付[[朝日新聞]]記者による病床の大平についてのドキュメント。&lt;br /&gt;
*杉田望　『総理殉職―四十日抗争で急逝した大平正芳』（[[大和書房]]、2008年）－新取材による書下ろし&lt;br /&gt;
*[[伊藤昌哉]]　『自民党戦国史』（朝日ソノラマ、1982年／朝日文庫全3巻、1985年／[[ちくま文庫]]全2巻、2009年） －大平の側近による当時の政局の回想とドキュメント。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*奥島貞雄　『自民党幹事長室の30年』（[[中央公論新社]]、2002年／中公文庫、2005年）　&lt;br /&gt;
:※「自民党幹事長室の30年(3)　寡黙な哲学者 大平正芳」－初出は＜『[[中央公論]]』2001年9月号＞、自民党幹事長室長による回想の一章。&lt;br /&gt;
:*続編　『自民党抗争史』　（中央公論新社、2006年／中公文庫、2009年）がある。&lt;br /&gt;
*[[さいとうたかを]]劇画　『大平正芳の決断　歴史劇画大宰相第8巻』（[[講談社]]＋α文庫、1999年）&lt;br /&gt;
**『劇画自民党総裁　暗闘・大平正芳』（[[コンビニコミック]]版、[[リイド社]]、2003年）でも再刊。初版は[[読売新聞社]]、1991年&lt;br /&gt;
:　※原作は[[戸川猪佐武]]『[[小説吉田学校]]　[[四十日戦争]]』　（新版は人物文庫：[[学陽書房]]）&lt;br /&gt;
*川内一誠『大平政権・554日　自らの生命を賭けて保守政治を守った』（行政問題研究所、1982年） &lt;br /&gt;
:大平派の番記者による大平政権の公的な概説。&lt;br /&gt;
*[[渡辺昭夫]]編　『戦後日本の宰相たち』（中央公論社、1995年／[[中公文庫]]、2001年）&lt;br /&gt;
:※[[村松岐夫]]　「第14章.大平正芳―歳入歳出政治の問題提起者」がある。　&lt;br /&gt;
*吉田雅信　『大平正芳の政治的人格』（[[学校法人東海大学出版会|東海大学出版会]]、1986年）&lt;br /&gt;
*『大平正芳回想録』　同刊行会編　（[[鹿島出版会]]、1983年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:;以下は研究論文　&lt;br /&gt;
*[[内田健三]]「第一次大平内閣」「第二次大平内閣」[[林茂]]・[[辻清明 (政治学者)|辻清明]]編『日本内閣史録6』（第一法規、1981年）&lt;br /&gt;
*金斗昇「大平正芳と日韓会談―請求権問題合意の論理を中心に」『法学政治学論究』44号（2000年3月）&lt;br /&gt;
*倪志敏「大平正芳内閣と中日関係（その1）－中日緊密化へのプロセス－」『龍谷大学経済学論集』第49巻第2号　2009年10月&lt;br /&gt;
*倪志敏「大平正芳と阿片問題」『龍谷大学経済学論集』第49巻第1号　2009年9月&lt;br /&gt;
*倪志敏「田中内閣における中日国交正常化と大平正芳（その1・その2・その3・その4）」『龍谷大学経済学論集』第45巻第5号／第46巻第5号／第47巻第3号／第48巻第3・4号（2006年3月・2007年3月・2007年12月・2009年3月）&lt;br /&gt;
*倪志敏「池田内閣における中日関係と大平正芳（その1・その2・その3）」『龍谷大学経済学論集』 第44巻第5号／第45巻第2号・第45巻第3号（2005年3-12月）&lt;br /&gt;
*倪志敏「大平正芳と日韓交渉――「大平・金メモ」の議論を中心に」『龍谷大学経済学論集』第43巻第5号（2004年3月）&lt;br /&gt;
*倪志敏「大平内閣における第一次対中政府借款」『龍谷大学経済学論集』 第42巻第5号（2003年3月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
*[[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
*[[内閣官房長官]]&lt;br /&gt;
*[[日本の総理大臣一覧]]&lt;br /&gt;
*[[第1次大平内閣]]&lt;br /&gt;
*[[第2次大平内閣]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- *[[ハプニング解散]]&lt;br /&gt;
*[[衆参同日選挙]] --&amp;gt;&amp;lt;!-- 本文中にリンク --&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[省エネルック]]&lt;br /&gt;
*[[東京サミット]]&lt;br /&gt;
*[[中央学院大学]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--*[[キリスト教]]&lt;br /&gt;
*[[聖公会]]&lt;br /&gt;
*[[日本聖公会]] --&amp;gt;&amp;lt;!-- 本文中にリンク --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.ohira.or.jp/index.htm 財団法人　大平正芳記念財団]&lt;br /&gt;
*[http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/oohira_m.html 大平正芳の墓]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 上を2行あける--&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[福田赳夫]]&lt;br /&gt;
| years  = 第68・69代：1978年 - 1980年&lt;br /&gt;
| after  = [[鈴木善幸]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[大蔵大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[福田赳夫]]&lt;br /&gt;
| years  = 第76代：1974年 - 1976年&lt;br /&gt;
| after  = [[坊秀男]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[外務大臣 (日本)|外務大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[小坂善太郎]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[福田赳夫]]&lt;br /&gt;
| years  = 第92・93代：1962年 - 1964年&amp;lt;br/&amp;gt;第100・101代：1972年 - 1974年&lt;br /&gt;
| after  = [[椎名悦三郎]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[木村俊夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[通商産業大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[椎名悦三郎]]&lt;br /&gt;
| years  =  第31代：1968年 - 1970年&lt;br /&gt;
| after  = [[宮澤喜一]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[内閣官房長官]]&lt;br /&gt;
| before = [[椎名悦三郎]]&lt;br /&gt;
| years  =  第22代：1960年 - 1962年&lt;br /&gt;
| after  = [[黒金泰美]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[文部大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[内藤誉三郎]]&lt;br /&gt;
| years  =  第124代：1979年（兼任）&lt;br /&gt;
| after  = [[谷垣專一]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
| before = [[福田赳夫]]&lt;br /&gt;
| years  = 第9代 : 1978年 - 1980年&lt;br /&gt;
| after  = [[鈴木善幸]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[内田常雄]]&lt;br /&gt;
| years  = 第17代：1976年 - 1978年&lt;br /&gt;
| after  = [[斎藤邦吉]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党政務調査会|自由民主党政務調査会長]]&lt;br /&gt;
| before = [[西村直己]]&lt;br /&gt;
| years  = 第16代：1967年 - 1968年&lt;br /&gt;
| after  = [[根本龍太郎]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[宏池会|宏池会会長]]&lt;br /&gt;
| before = [[前尾繁三郎]]&lt;br /&gt;
| years  = 第3代：1970年 - 1980年&lt;br /&gt;
| after  = [[鈴木善幸]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本国歴代内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|当代=[[第1次大平内閣|68]]・[[第2次大平内閣|69]]&lt;br /&gt;
|在任期間=1978年 - 1980年&lt;br /&gt;
|前代=67&lt;br /&gt;
|前首相名=福田赳夫&lt;br /&gt;
|次代=70&lt;br /&gt;
|次首相名=鈴木善幸}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{財務大臣}}&lt;br /&gt;
{{内閣官房長官}}&lt;br /&gt;
{{外務大臣}}&lt;br /&gt;
{{経済産業大臣}}&lt;br /&gt;
{{文部科学大臣}}&lt;br /&gt;
{{自民幹事長}}&lt;br /&gt;
{{自民政調会長}}&lt;br /&gt;
{{自由民主党 (日本)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おおひら まさよし}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の財務官僚]]&lt;br /&gt;
[[Category:冷戦に関わった人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:官僚出身の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:香川県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:学校法人の理事長]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のプロテスタントの人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1910年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1980年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>加藤智大</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%99%BA%E5%A4%A7&amp;diff=192965"/>
				<updated>2013-07-22T07:25:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 著書 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:加藤智大　1.jpg|400px|thumb|加藤 智大]]&lt;br /&gt;
'''加藤 智大'''（かとう ともひろ、[[1982年]][[9月28日]] - ）は日本の偉大なる[[革命家]]。[[小泉毅]]、[[金川真大]]、[[引寺利明]]らとともに「'''ネ申'''」と呼ばれている。[[派遣社員]]や[[期間従業員]]を資本家や経営者から解放するために、[[秋葉原通り魔事件]]を起こして、[[資本主義]]に対して反旗を翻した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
*[[青森県]]五所川原市生まれ、[[青森市]]育ち。&lt;br /&gt;
*事件当時は仕事の関係で[[静岡県]]裾野市在住だった。&lt;br /&gt;
*[http://www.aomoricity.ed.jp/tsukudachu/ 青森市立佃中学校]在学中は成績優秀だったが、当時からすぐキレる性格やナイフを持ち歩く癖などで周囲を困らせていた。&lt;br /&gt;
*[http://www.tosei-e.asn.ed.jp/~h/ 青森県立青森高等学校]では成績順位が一気にガタ落ち。&lt;br /&gt;
*[[2003年]]3月、[http://www.nakanihon.ac.jp/index.html 中日本自動車短期大学]自動車工学科卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただの池沼の犯罪者&lt;br /&gt;
それ以下でもそれ以上でもない&lt;br /&gt;
在日朝鮮人の可能性が濃厚というのが２ちゃんでの通説である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アンサイクロペディアでの扱い ==&lt;br /&gt;
[[アンサイクロペディア]]ではこの仕事を神格化しており、この偉大なる仕事人を揶揄する垢は問答無用でリネームされたうえ追放されてしまう。&lt;br /&gt;
なぜか[[市橋達也]]教授は削除されずに残っていることから、何者かによる隠蔽工作活動と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
*1998年3月、青森市立佃中学校卒業&lt;br /&gt;
*1998年4月、青森県立青森高等学校入学&lt;br /&gt;
*2001年2月、青森県立青森高等学校卒業&lt;br /&gt;
*2001年4月、中日本自動車短期大学自動車工学科入学&lt;br /&gt;
*2003年3月、中日本自動車短期大学自動車工学科卒業&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『解』（批評社、2012年7月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
*『ぼっちゃん』（2013年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
*[[秋葉原通り魔事件]]&lt;br /&gt;
*[[学歴厨]]&lt;br /&gt;
*[[童貞]]&lt;br /&gt;
*[[上部康明]] - [[1999年]]に[[山口県]][[下関市]]で類似事件を起こしていたが、レンタカーを使う等、やり方が加藤とかぶりまくっていた。&lt;br /&gt;
*[[菅野昭一]] - 加藤にモノの見事に影響された間抜けオヤジ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かとうともひろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:青森県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%89%E4%BD%8F%E7%B4%B3%E4%B8%80%E9%83%8E&amp;diff=192647</id>
		<title>安住紳一郎</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%89%E4%BD%8F%E7%B4%B3%E4%B8%80%E9%83%8E&amp;diff=192647"/>
				<updated>2013-07-19T07:54:58Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''[[:wiki:ja:安住紳一郎|安住紳一郎]]'''（読み：あずみ しんいちろう）は[[東京放送]]の男性アナウンサー。同局の[[:wiki:ja:娯楽番組|娯楽番組]]や[[:wiki:ja:情報番組|情報番組]]に出演する。浪人して[[明治大学]]止まり（[[早稲田大学]]落ち）なのに、TBSアナウンサーの地位までのぼりつめた努力家である。&lt;br /&gt;
[[Category:TBS|あすみしんいちろう]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%AB%9C%E5%A4%AA&amp;diff=192645</id>
		<title>山本竜太</title>
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				<updated>2013-07-19T07:13:15Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 学歴 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''山本 竜太'''（やまもと りゅうた、[[1981年]] - ）は、[[中央大学教授刺殺事件]]の犯人である。[[東京都]]出身。[[2004年]]3月、[[中央大学]]理工学部卒業。一人っ子。中央大学理工学部の高窪統教授を刺殺して懲役18年の刑に服している。[[山本竜太の公判]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
*1999/03:[http://www.fuchu-h.metro.tokyo.jp/Fuchu_HP/index.htm 東京都立府中高等学校]卒業&lt;br /&gt;
*1999/04:中央大学理工学部入学&lt;br /&gt;
*2004/03:中央大学理工学部卒業（1年留年した）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:やまもと りゆうた}}&lt;br /&gt;
[[Category:1981年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%88%B8%E5%A1%9A%E5%AE%8F&amp;diff=192612</id>
		<title>戸塚宏</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%88%B8%E5%A1%9A%E5%AE%8F&amp;diff=192612"/>
				<updated>2013-07-18T06:09:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''この人物は虐待やいじめを支持する日本の恥です！'''&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
'''戸塚 宏'''（とつか ひろし、[[1940年]][[9月6日]] - ）は、日本の[[各種学校]]経営者。[[戸塚ヨットスクール]]校長・ヨットマン。元受刑者。[[愛知県]]出身だが、出生は[[朝鮮]][[咸鏡北道]][[清津市]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もう今年で71歳のはずだ。　たのむ！早く死んでくれ！！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--要出典：[[朝鮮]]の[[清津]]生まれ。--&amp;gt;[http://www.kikuzato-h.nagoya-c.ed.jp/ 名古屋市立菊里高等学校]、[[名古屋大学]]工学部機械工学科卒業。在学中に[[ヨット]]に出会う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
* [[1975年]] - [[沖縄国際海洋博覧会]]記念[[太平洋]]横断レースで突出した記録を残し、注目を浴びた。シングルハンド（一人乗りヨット）による太平洋横断の最短世界記録を達成した（41日）&lt;br /&gt;
* [[1976年]] - [[株式会社]][[戸塚ヨットスクール]]開校。当初はオリンピックでメダルを獲れるようなセイラーを育成するためのスクールとして発足したが、翌年の秋頃[[不登校]]などの[[情緒障害児]]の更生に効果があると評判になり、マスコミで紹介されてからは、もっぱら情緒障害児の[[治療]]を目的とした活動へとシフトしていった。同スクールの合宿に参加した[[上之郷利昭]]が著した「[[スパルタの海]]」では、同スクールの活動が生々しく報告されている。コーチ陣の過度の訓練・体罰が近因となり死者5名（2名は傷害致死、1名は病死、2名は行方不明のまま[[みなし死亡]]）を出す。&lt;br /&gt;
* [[1983年]][[6月13日]] - コーチと共に監禁・傷害致死の容疑で[[逮捕]]。   &lt;br /&gt;
* [[1986年]]7月 - [[保釈]]される。[[早稲田祭]]で人物研究会の招きにより講演。以後も[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]「[[EXテレビ]]」など各種メディアに登場、[[脳幹]]を鍛えれば癌やアトピー、うつ病、登校拒否などあらゆる病状を克服できる趣旨の「脳幹論」を肝とした持論を展開する（[[脳科学]]の知識は何も無い）。&lt;br /&gt;
* [[1995年]] - 右派の政治政党[[維新政党・新風]]に、賛同者の一人として名を連ねる。&lt;br /&gt;
* [[1999年]] - 「[[電磁界等を考えるシンポジウム京都会議]]」に、発起人の一人として名を連ねる。&lt;br /&gt;
* [[2002年]][[2月15日]] - [[最高裁判所]]は[[上告]]を[[棄却]]。&lt;br /&gt;
* 2002年[[3月11日]] - 無罪を主張するが退けられ[[懲役]]6年の刑が確定。「[[教育]]か、[[暴力]]か」が争点となったが、教育と認定された一審から一転、[[控訴|控訴審]]・[[上告審]]では暴行と認定された。現在も体罰との因果関係は一切無かったとして無罪を主張している。&lt;br /&gt;
* 2002年[[3月29日]] - [[名古屋]][[検察庁|高等検察庁]]へ出頭。[[静岡刑務所]]に収監される。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[4月29日]] - 静岡刑務所を満期出所。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
収監前の記者会見では「出所後は[[私立小学校]]を開設したい」と抱負を述べていたが、出所後に静岡駅で支援者とともに会見した時には、ヨットスクールを続けていきたいと語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
反戸塚ヨットスクールキャンペーンの先頭に立った『[[サンデー毎日]]』の[[毎日新聞社]]を猛烈に憎んでおり（逮捕を報じた号では[[手錠]]をかけられて護送される写真が表紙を飾ったこともあった）、同社の取材には一切応じない、との説もあったが、[[毎日新聞]]は出所直後の静岡市内での記者会見の内容（「体罰は教育だ」などの発言）をいち早く報じている（支援する会のウェブサイトには以前、取材拒否する旨の記載があった）。[[義家弘介]]と激しく対立する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* [[1976年]] - 『太平洋一直線』[[オーシャンライフ]] オーシャンブックス&lt;br /&gt;
* [[1983年]] - 『私が直す！』[[飛鳥新社]]&lt;br /&gt;
* [[1983年]]1月 - 『孤独の挑戦』[[ズーム社]] Zoom Books ISBN 480330758X&lt;br /&gt;
* [[1983年]]1月 - 『私はこの子たちを救いたい - &amp;quot;殴らない父&amp;quot;と&amp;quot;愛しすぎる母&amp;quot;へ』[[光文社]] カッパビジネス ISBN 4334011500&lt;br /&gt;
* [[1985年]]11月 - 『私が直す！』[[角川書店]] [[角川文庫]] ISBN 4041620015（飛鳥新社版改版）&lt;br /&gt;
* [[1985年]]11月 - 『獄中記』飛鳥新社 ISBN 4870310201&lt;br /&gt;
* [[1988年]]6月 - 『敵は脳幹にあり』[[アポロ出版]] ISBN 4874547028&lt;br /&gt;
* [[1992年]]7月 - 『こんな輩が子供をダメにする - 偽善を排す異論・暴論63』[[太陽企画出版]] ISBN 4884662059&lt;br /&gt;
* [[1992年]]8月 - 『熱論戸塚宏 - 反平等主義論』[[フローラル出版]] ISBN 4930831040&lt;br /&gt;
* [[2003年]]4月 - 『教育再生 - これで子供は救われる』[[大洋図書]] ISBN 4813010741&lt;br /&gt;
* [[2006年]]11月 - 『静岡刑務所の三悪人』[[飛鳥新社]] ISBN 487031763X&lt;br /&gt;
* [[2007年]]4月 - 新潮新書212『本能の力』[[新潮社]] ISBN 4106102127&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[石原慎太郎]]（筆頭支援者）&lt;br /&gt;
* [[伊東四朗]]（支援者）&lt;br /&gt;
* [[カルト]]&lt;br /&gt;
* [[擬似科学]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:とつかひろし}}&lt;br /&gt;
[[Category:1940年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:愛知県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヨット]]&lt;br /&gt;
[[Category:教育問題]]&lt;br /&gt;
[[Category:疑似科学]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:シロアリ]]&lt;br /&gt;
[[Category:小泉毅の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%BA%83%E7%95%91%E6%99%BA%E8%A6%8F&amp;diff=192611</id>
		<title>広畑智規</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%BA%83%E7%95%91%E6%99%BA%E8%A6%8F&amp;diff=192611"/>
				<updated>2013-07-18T06:04:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''廣畑 智規'''（ひろはた とものり）は、東大阪大学生集団リンチ殺人事件の犯行グループの準主犯である。[[岡山県]]出身。[http://www.ednet.tamano.okayama.jp/jhs-hibi/ 玉野市立日比中学校]→[http://www.asahi.okayama-c.ed.jp/asahi.htm 岡山県立岡山朝日高等学校]→[[大阪府立大学]]中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ショベルカーで穴を掘り、２人を生き埋めにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無期懲役刑に服している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ひろはた とものり}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:岡山県出身の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%AB%9C%E5%8F%B8&amp;diff=192610</id>
		<title>小林竜司</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%AB%9C%E5%8F%B8&amp;diff=192610"/>
				<updated>2013-07-18T06:02:26Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''小林 竜司'''（こばやし りゅうじ、[[1985年]] - ）は、東大阪大学生集団リンチ殺人事件の犯行グループの主犯である。[[岡山県]]出身。[http://www.ednet.tamano.okayama.jp/jhs-hibi/ 玉野市立日比中学校]→定時制高校中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ショベルカーで穴を掘り、２人を生き埋めにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
*一　審 　2007年5月22日　大阪地裁　和田真裁判長　死刑判決  &lt;br /&gt;
*控訴審 　2008年5月20日　大阪高裁　若原正樹裁判長　控訴棄却　死刑判決支持  &lt;br /&gt;
*上告審 　2011年3月25日　最高裁第二小法廷　千葉勝美裁判長　上告棄却　死刑確定&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こはやし りゆうし}}&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:岡山県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1985年生]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%A6%8B%E6%B2%A2%E7%9F%A5%E5%BB%89&amp;diff=192609</id>
		<title>見沢知廉</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%A6%8B%E6%B2%A2%E7%9F%A5%E5%BB%89&amp;diff=192609"/>
				<updated>2013-07-18T05:59:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 経歴 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{文学}}&lt;br /&gt;
'''見沢 知廉'''（'''みさわ ちれん'''、男性、[[1959年]][[8月23日]] - [[2005年]][[9月7日]]）は[[日本]]の[[新右翼]]活動家、[[作家]]。 本名は'''高橋 哲夫'''（のち服役中、非公式に哲央と改名）。 [[東京都]][[文京区]]生まれ。友人に[[雨宮処凛]]、鈴木邦男、木村三浩、島田雅彦がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==経歴==&lt;br /&gt;
[http://www.waseda-h.ed.jp/ 早稲田高等学校]時代、試験中に[[アジテーション|アジ]]演説をぶって[[退学]]処分となり、定時制高校を経て[[中央大学]]法学部2部除籍中退。 [[2004年]]当時、[[慶應義塾大学]]文学部（[[大学通信教育|通信教育]]課程）在籍中だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
進学塾に通って[http://www.waseda-h.ed.jp/ 早稲田中学校]に進むが、中学時代から[[暴走族]]に入る。 [[新左翼]]の[[ブント]]の高校生組織に入るが、[[三嶋事件]]を機に転向。 ただし[[連合赤軍]]には共鳴していたという。[[1980年]]、[[右翼]]学生団体・[[日本学生同盟]]に加入。 [[1982年]]、新右翼の[[一水会]]、[[統一戦線義勇軍]]に行き、同軍の書記長に就任。 [[IBM|日本IBM]]、[[イギリス|英国]]大使館等への火炎ゲリラ活動を行う。 その頃の組織名は「清水浩司」。 同年秋、「スパイ」リンチ殺人事件を起こし、逮捕される。 懲役12年の判決を受け、[[川越少年刑務所]]と[[千葉刑務所]]と[[八王子医療刑務所]]で[[1994年]]12月まで服役。&lt;br /&gt;
釈放後に獄中で執筆した『天皇ごっこ』（1994年）で第25回[[新日本文学賞]]の佳作に選ばれる。『調律の帝国』で[[三島由紀夫賞]]候補となる。『天皇ごっこ』ともども、獄中手記『囚人狂時代』が大ヒットしてからは、売れっ子作家として精力的に活動していた。続編に当たる『母と子の囚人狂時代』もヒットした。自らでの獄中体験を明るいトーンで書き記す作風は話題を集めた。『調律の帝国』が三島由紀夫賞に落選した後は講演会等を中心に活動していたが、[[PTSD]]や[[骨粗鬆症]]、[[線維筋痛症]]など3000日間の懲罰房拘禁の後遺症に悩まされ、治療費がかさみ経済的にも窮屈していたと思われる。2005年9月7日、横浜市戸塚区の自宅マンション8階から転落死した（享年46）。当時罹患していた夏[[インフルエンザ]]の治療の過程で服用していた[[タミフル]]の副作用によるものなのか、自ら[[飛び降り]]たものと見られる。&lt;br /&gt;
[[三島由紀夫]]を深く尊敬していた。見沢という筆名も、書店（[[新潮文庫]]）で三島の隣に並びたいからという理由による。&lt;br /&gt;
また[[サブカルチャー]]に精通しており、端正な甘いマスクもあってか若い女性にも人気があった。晩年は政治運動からの決別を宣言していたがそれでも当局にマークされ続け仕事でオウム真理教幹部と対談した際にも貴様とどういう関係なんだと問いつめられる事があったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.cam.hi-ho.ne.jp/misawa/ Web Chiren]（公式サイト）&lt;br /&gt;
*[http://chiren.sejp.net/ 白血球]（見沢知廉ファンサイト）&lt;br /&gt;
*[http://engeki.ne.jp/saisei/ 劇団再生]（追悼公演サイト）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==著書==&lt;br /&gt;
*愛情省 ISBN 4861820847&lt;br /&gt;
*極悪シリーズ ISBN 4947737263 &lt;br /&gt;
*囚人狂時代 ISBN 4101473218&lt;br /&gt;
*蒼白の馬上 ISBN 4792603404&lt;br /&gt;
*ライト・イズ・ライト―Dreaming 80’s ISBN 4861820103&lt;br /&gt;
*知的C級生活のすすめ（共著） ISBN 407306584X&lt;br /&gt;
*知的D級生活のすすめ（共著）ISBN 4840213216&lt;br /&gt;
*調律の帝国 ISBN 4101473242&lt;br /&gt;
*テロならできるぜ銭湯は怖いよの子供達 ISBN 4810427137&lt;br /&gt;
*天皇ごっこ ISBN 4807495291&lt;br /&gt;
*七号病室 ISBN 4861820650&lt;br /&gt;
*日本を撃て ISBN 4840215588&lt;br /&gt;
*母と息子の囚人狂時代 ISBN 4101473234&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連事項==&lt;br /&gt;
===人物===&lt;br /&gt;
*[[安部譲二]]&lt;br /&gt;
*[[雨宮処凛]]&lt;br /&gt;
*[[荒木経惟]]&lt;br /&gt;
*[[切通理作]]&lt;br /&gt;
*[[深笛義也]]&lt;br /&gt;
*[[鈴木邦男]]&lt;br /&gt;
*[[塩見孝也]]&lt;br /&gt;
*[[高木尋士]]&lt;br /&gt;
*[[田中義三]]&lt;br /&gt;
*[[野村秋介]]&lt;br /&gt;
*[[PANTA]]&lt;br /&gt;
*[[福田和也]]&lt;br /&gt;
*[[町田康]]&lt;br /&gt;
*[[宮台真司]]&lt;br /&gt;
*[[安土茂]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===出版社===&lt;br /&gt;
*[[角川書店]]&lt;br /&gt;
*[[コアマガジン]]&lt;br /&gt;
*[[ザ・マサダ]]&lt;br /&gt;
*[[新潮社]]&lt;br /&gt;
*[[ガロ (雑誌)|青林堂]]&lt;br /&gt;
*[[第三書館]]&lt;br /&gt;
*[[メディアワークス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:みさわ ちれん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政治運動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の小説家]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の右翼活動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1959年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2005年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%99%BA%E5%A4%A7&amp;diff=192608</id>
		<title>加藤智大</title>
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				<updated>2013-07-18T05:56:09Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 人物 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:加藤智大　1.jpg|400px|thumb|加藤 智大]]&lt;br /&gt;
'''加藤 智大'''（かとう ともひろ、[[1982年]][[9月28日]] - ）は日本の偉大なる[[革命家]]。[[小泉毅]]、[[金川真大]]、[[引寺利明]]らとともに「'''ネ申'''」と呼ばれている。[[派遣社員]]や[[期間従業員]]を資本家や経営者から解放するために、[[秋葉原通り魔事件]]を起こして、[[資本主義]]に対して反旗を翻した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
*[[青森県]]五所川原市生まれ、[[青森市]]育ち。&lt;br /&gt;
*事件当時は仕事の関係で[[静岡県]]裾野市在住だった。&lt;br /&gt;
*[http://www.aomoricity.ed.jp/tsukudachu/ 青森市立佃中学校]在学中は成績優秀だったが、当時からすぐキレる性格やナイフを持ち歩く癖などで周囲を困らせていた。&lt;br /&gt;
*[http://www.tosei-e.asn.ed.jp/~h/ 青森県立青森高等学校]では成績順位が一気にガタ落ち。&lt;br /&gt;
*[[2003年]]3月、[http://www.nakanihon.ac.jp/index.html 中日本自動車短期大学]自動車工学科卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただの池沼の犯罪者&lt;br /&gt;
それ以下でもそれ以上でもない&lt;br /&gt;
在日朝鮮人の可能性が濃厚というのが２ちゃんでの通説である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アンサイクロペディアでの扱い ==&lt;br /&gt;
[[アンサイクロペディア]]ではこの仕事を神格化しており、この偉大なる仕事人を揶揄する垢は問答無用でリネームされたうえ追放されてしまう。&lt;br /&gt;
なぜか[[市橋達也]]教授は削除されずに残っていることから、何者かによる隠蔽工作活動と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
*1998年3月、青森市立佃中学校卒業&lt;br /&gt;
*1998年4月、青森県立青森高等学校入学&lt;br /&gt;
*2001年2月、青森県立青森高等学校卒業&lt;br /&gt;
*2001年4月、中日本自動車短期大学自動車工学科入学&lt;br /&gt;
*2003年3月、中日本自動車短期大学自動車工学科卒業&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『解』（批評社、2012年7月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
*[[秋葉原通り魔事件]]&lt;br /&gt;
*[[学歴厨]]&lt;br /&gt;
*[[童貞]]&lt;br /&gt;
*[[上部康明]] - [[1999年]]に[[山口県]][[下関市]]で類似事件を起こしていたが、レンタカーを使う等、やり方が加藤とかぶりまくっていた。&lt;br /&gt;
*[[菅野昭一]] - 加藤にモノの見事に影響された間抜けオヤジ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かとうともひろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:青森県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%8A%E9%83%A8%E5%BA%B7%E6%98%8E&amp;diff=192607</id>
		<title>上部康明</title>
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				<updated>2013-07-18T05:51:22Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 人物 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''上部 康明'''（うわべ やすあき、[[1964年]][[3月6日]] - [[2012年]][[3月29日]]）は、[[下関通り魔殺人事件]]の犯人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
*[[山口県]]豊浦郡豊浦町（現：[[下関市]]）出身。&lt;br /&gt;
*[http://www.toyora-h.ysn21.jp/ 山口県立豊浦高等学校]から浪人を経て[[九州大学]]工学部建築学科卒業後、一級建築士の資格を取得。頭は良かったらしい。&lt;br /&gt;
*設計事務所を運営していたが、運営に行き詰まり廃業。&lt;br /&gt;
*軽トラックを購入して運送業を始めたが、台風18号で軽トラックが冠水し使用不能になり「何をやってもうまくいかない」と思うようになる。&lt;br /&gt;
*その責任が両親と社会にあると考えるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==凶行==&lt;br /&gt;
[[1999年]][[9月29日]]午後4時25分頃、レンタカーでJR[[下関駅]]東口の歩道を車ごと横断し、ガラスのドアを突き破って駅構内の自由通路に侵入、そのまま売店や多数の利用客などの存在する駅構内を約60m暴走して7人をはねた。その後は車から降り、包丁を振り回しながら改札を通過し、2階のプラットホームへと続く階段を上る途中で1人を切りつけ、プラットホームに上がってからさらに7人を無差別に切りつけた。この結果、5人が死亡、10人が重軽傷を負った。上部は駅員に取り押さえられ現行犯逮捕された。  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==裁判== &lt;br /&gt;
*[[2002年]][[9月20日]]、[[山口地方裁判所]]下関支部で[[死刑]]判決。 &lt;br /&gt;
*[[2005年]][[6月28日]]、[[広島高等裁判所]]で控訴棄却。&lt;br /&gt;
*[[2008年]][[7月11日]]、[[最高裁判所]]第2小法廷で上告棄却。これにより、上部の死刑が確定することとなった。&lt;br /&gt;
*[[2012年]][[3月29日]]、死刑執行。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[下関通り魔殺人事件]]&lt;br /&gt;
*[[秋葉原通り魔事件]] - [[2008年]]に[[東京都|東京]]・[[秋葉原]]で発生した類似事件だが、やり方が上部とかぶりまくっていた。&lt;br /&gt;
*[[加藤智大]] - ↑の事件の犯人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:うわへやすあき}}&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:小泉毅の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[category:山口県出身の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E6%B3%89%E6%AF%85&amp;diff=192606</id>
		<title>小泉毅</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E6%B3%89%E6%AF%85&amp;diff=192606"/>
				<updated>2013-07-18T05:49:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア白紙保護}}&lt;br /&gt;
{{ウィキペディア|アクメツ}}&lt;br /&gt;
'''小泉 毅'''（こいずみ たけし、[[1962年]][[1月]] - ）は、[[日本]]の自称[[革命家]]兼動物[[愛誤]]者。[[山口県]][[柳井市]]出身。クリスチャン。[[引寺利明]]とともに一部のアホからは「'''ネ申'''」と呼ばれている。[http://www.yanai-h.ysn21.jp/ 山口県立柳井高等学校]卒業、[http://www.se.saga-u.ac.jp/ 佐賀大学理工学部]を留年ののち中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;margin: 1em 0 1em .5em; text-indent: -.5em;&amp;quot;&amp;gt;「小泉毅、痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;span style=&amp;quot;margin-left:1em;&amp;quot;&amp;gt;~ '''{{PAGENAME}} について、[[小泉純一郎]]'''&amp;lt;/span&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==革命実行==&lt;br /&gt;
[[2008年]][[11月18日]]、元厚生事務次官の[[山口剛彦]]とその妻・美知子を[[さいたま市]]内の自宅で刺殺、さらには[[中野区]]では同じく元厚生事務次官の[[吉原健二]]の妻・靖子にも宅配業者を装い重傷を負わせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[11月23日]]、[[TBS]]の掲示板に殺害をほのめかす内容を投稿し、堂々と[[警視庁]]に出頭、銃刀法違反容疑で逮捕された。同年[[12月4日]]には殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害の理由は、「34年前（[[1974年]]）に、犬を処分されたあだ討ちで、昔は厚生大臣を殺そうとしたが、佐賀大学時代に高級官僚が悪だと分かった」だと供述。真の革命家は動物を愛する優しい心を持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件を切っ掛けにして[[自民党]]政権は崩壊した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
動物を愛する気持ちはわかるが、人を殺すのは絶対に間違っている。そこをかばうことはできない。ただ、小泉さんが家族同然にかわいがっていた愛犬が間違って殺処分されたのことも事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ペットの権利、ペットを失った人の悲しみ、それも考えていかなければならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 小泉と同類 ==&lt;br /&gt;
*[[加藤智大]]朝鮮人&lt;br /&gt;
*[[小泉純一郎]]&lt;br /&gt;
*[[宅間守]]朝鮮人&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 小泉さんに与えられた恥ずかしい称号 ==&lt;br /&gt;
*[[平成の必殺仕事人]]&lt;br /&gt;
*[[リアルアクメツ]]&lt;br /&gt;
*[[シロアリハンター]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注意 ==&lt;br /&gt;
[[ウィキペディア]]などで、この自称革命家の記事を作成したり、垢を作成すると、無期限ブロックされるので注意。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://2ch.まとめ.gaasuu.com/word/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E6%AF%85 小泉毅まとめサイト]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こいすみたけし}}&lt;br /&gt;
[[category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[category:ウィキペディアで白紙保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[category:クズ]]&lt;br /&gt;
[[category:チョン]]&lt;br /&gt;
[[category:愛誤]]&lt;br /&gt;
[[category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[category:山口県出身の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9C%A8%E5%B6%8B%E4%BD%B3%E8%8B%97&amp;diff=192605</id>
		<title>木嶋佳苗</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9C%A8%E5%B6%8B%E4%BD%B3%E8%8B%97&amp;diff=192605"/>
				<updated>2013-07-18T05:46:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 概要 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:木嶋佳苗4.jpg|300px|thumb|木嶋　佳苗]]&lt;br /&gt;
'''木嶋 佳苗'''（きじま かなえ、[[1974年]]&amp;lt;昭和49年&amp;gt;[[11月27日]] - ）は、[[日本]]の殺人犯、インターネット詐欺師である。血液型A型。あだ名は、きじかな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[北海道]]中標津町生まれ、別海町育ち。祖父は司法書士兼町議会議員(通算10期)、父親は行政書士。[http://www.bekkai.hokkaido-c.ed.jp/ 北海道別海高等学校]卒業、[[東洋大学]]二部中退。ケンタッキーフライドチキンに就職し退職する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高校生のときに窃盗罪で保護観察処分。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]3月、ネットオークションにパソコンを売ると書き込み、東京都内の男性から１０万円をだまし取ったなどとして、警視庁に詐欺容疑で逮捕され、懲役2年6月、執行猶予5年の有罪が確定していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ピアノ講師や、訪問ヘルパーにつく。インターネット詐欺での被逮捕暦がある。月額23万円の高級マンションに住んでいた。ワインカラーのベンツの高級車も運転していた。『かなえキッチン』なるブログも更新していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]9月25日に、結婚詐欺で埼玉県警察に逮捕される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年10月21日に、詐欺の容疑で起訴される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼女の知人で、不審死を遂げた人が6人いて、連続殺人事件の可能性を視野に入れて、関連について警察が慎重に捜査している。推定無罪の原則を貫かざるを得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
週刊新潮、週刊朝日、日刊ゲンダイでは、実名が掲載されている。また、多くの一般市民は、彼女による連続殺人事件がおきたと、とらえている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]]4月13日、さいたま地方裁判所から死刑判決。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[婚活連続殺人事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://news.google.co.jp/news?hl=ja&amp;amp;q=%22%E6%9C%A8%E5%B6%8B%E4%BD%B3%E8%8B%97%22&amp;amp;lr=&amp;amp;um=1&amp;amp;ie=UTF-8&amp;amp;ei=WZ7qSsjlCaTs6gPnzrnsCw&amp;amp;sa=X&amp;amp;oi=news_group&amp;amp;ct=title&amp;amp;resnum=1&amp;amp;ved=0CA0QsQQwAA 木嶋佳苗－Google.ニュース]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きしま かなえ}}&lt;br /&gt;
[[Category:1974年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:北海道出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E8%8A%B3%E5%AF%9B&amp;diff=192571</id>
		<title>山口芳寛</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E8%8A%B3%E5%AF%9B&amp;diff=192571"/>
				<updated>2013-07-17T08:27:11Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''山口 芳寛'''（やまぐち よしひろ）は、熊本3歳女児殺害事件の犯人である。[[熊本県]]熊本市出身。[http://www.kumamoto-kmm.ed.jp/school/j/ryunan/index.html 熊本市立竜南中学校]→[http://www.buntoku-h.ed.jp/top.html 文徳高等学校]→1浪→[http://www.s.kumagaku.ac.jp/ 熊本学園大学社会福祉学部]福祉環境学科中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 凶行 ==&lt;br /&gt;
[[2011年]]3月、熊本市のスーパーで当時3歳の女の子にわいせつな行為をし、殺害したとして、殺人などの罪に問われ、無期懲役刑に服している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:やまくち よしひろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:熊本県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロリコン]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%AF%8D%E8%A6%AA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=192569</id>
		<title>山口母親殺害事件</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%AF%8D%E8%A6%AA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=192569"/>
				<updated>2013-07-17T07:10:18Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''山口母親殺害事件'''（やまぐちははおやさつがいじけん）とは後に[[大阪姉妹殺害事件]]を起こす事になる当時16歳の犯人・[[山地悠紀夫]]が[[2000年]][[7月29日]]、[[山口県]][[山口市]]で当時50歳の母親の頭を[[金属バット]]で殴り殺害した事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の経緯 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件の[[犯人]]となった[[少年]]（山地悠紀夫）の[[父親]]は様々な職を渡り歩いていたが、酒癖が悪くしばしば[[妻]]や少年に対し[[暴力]]を振るっていた。[[1995年]]1月に父親は[[肝硬変]]で死亡したが、その後は少年は母親と2人暮らしであった。少年は学校では目立たない存在で、友人も少なかった。小学生時代は、家庭科の教材費を支払うことが出来ず、それを理由に教師からは調理実習で作った料理を食べる資格がないと決め付けられ、作った料理をゴミ箱に捨てさせられたこともあった。中学校時代は少年は「悪魔」と呼ばれたこともあった。中学2年の頃から[[不登校]]気味となり、中学3年には3分の2近くを[[欠席]]し、[[修学旅行]]などの行事にも参加しなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
卒業後は高校へは進学せず、しばらく就職先が見つからなかったが、知人の紹介で新聞販売店で働き始めた。だが母親には[[借金]]があり、取り立てに迫られたり、[[家賃]]や水道料金を滞納していた。[[生活保護]]も申し込んだが認可されなかった。6月になって少年は借金のことを知ったが、そのときには既にもうどうしようもないところまで来ていた。事件直前の[[7月27日]]と[[7月28日]]には仕事を初めて無断欠勤している。その際は同僚が迎えに行き28日の途中から出勤したが、夕方には「母親が借金している」と悩みながら同僚に話しかけていた。また母親には[[再婚]]話があり、同僚に対し「僕は邪魔者だから家を出る」とも話していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな中、[[2000年]][[7月29日]]午後9時ごろ、少年と母親は口論となる。きっかけは少年が交際したいと考えていた女性の[[携帯電話]]に、母親が無言電話をかけたためであった。そのことを母親に少年は問いただしたが認めず、母親が少年に対し「出て行け」などと言ったことに腹を立て、借金の事も絡んで口論となり暴行を加えた。そして、頭に血が上った少年は[[金属バット]]で母親を殴り倒し母親を滅多打ちにし殺害した。大阪姉妹殺害事件では検事に対し母親殺害の際に射精した事を述べたが、これは「返り血を流すためシャワーを浴びたら、射精していたことに気づいた」ということであった。また、この事は母親殺害の際は調べに対し述べていない。[[7月31日]]午前1時頃、少年は「母親を殺した」と110番通報をする。山口署員は少年を[[殺人]]容疑で緊急[[逮捕]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年は自暴自棄で投げやりな態度が目立っていた。当初、少年は[[弁護士]]の選任を行うことを拒否していた。[[8月2日]]に県弁護士会から派遣された弁護士と接見した際にも「（弁護士は）必要ない。自分はどうなってもいい」という話をして接見室から出て行った。少年は8月21日に山口地検に「刑事処分相当」の意見書を付けられ山口家庭裁判所に送致され、山口少年鑑別所で調査を受けた。[[9月14日]]、山口家庭裁判所は「動機に酌量の余地があり、計画的な非行ではなく、家庭環境に大きく起因していることなどを考慮すべきだ」とし、「長期間の矯正教育を受けさせるのが適当であり、年齢的に見ても矯正は充分可能」として、中等少年院送致とした。少年は9月14日の審判で「客観的に見て許されないことをしてしまった。母が抱えていたものをもっと説明してくれていれば、違う展開になったかもしれない」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2000年当時は[[西鉄バスジャック事件]]や[[大分一家6人殺傷事件]]など凶悪な[[少年事件]]が話題になっており、その一環のなかで騒がれた。また、加害者・被害者の顔写真が流出し[[コミックマーケット]]でもばら撒かれた。だが、他の事件に比べ理由が「母親の借金で口論になった」というものであったため、当時はそれほど凶悪犯罪扱いはされなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出所後==&lt;br /&gt;
出所後の[[2005年]][[11月17日]]に成長した少年（山地悠紀夫）は今度は[[大阪姉妹殺害事件]]を起こした。大阪姉妹殺害事件で逮捕された際には成年だったため[[実名報道]]され、少年時代の山口母親殺害事件も取り上げられ、快楽殺人者の始まりの事件とみなされるようになる。被告人は「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった」と大阪府警の調べに対し述べていた。なお、母親殺害事件の際には[[広汎性発達障害]]が疑われたのだが、大阪姉妹殺害事件の精神鑑定では[[人格障害]]（非社会性人格障害、統合失調症質人格障害、性的サディズム）であるとされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]][[5月31日]]、山地悠紀夫に死刑が確定した。[[2009年]][[7月28日]]、死刑執行された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[大阪姉妹殺害事件]]&lt;br /&gt;
*[[金属バット]]&lt;br /&gt;
*[[少年犯罪]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:やまくちははおやさつかいしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2000年の日本]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口市]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%A6%8B%E6%B2%A2%E7%9F%A5%E5%BB%89&amp;diff=192568</id>
		<title>見沢知廉</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%A6%8B%E6%B2%A2%E7%9F%A5%E5%BB%89&amp;diff=192568"/>
				<updated>2013-07-17T07:01:43Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 出版社 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{文学}}&lt;br /&gt;
'''見沢 知廉'''（'''みさわ ちれん'''、男性、[[1959年]][[8月23日]] - [[2005年]][[9月7日]]）は[[日本]]の[[新右翼]]活動家、[[作家]]。 本名は'''高橋 哲夫'''（のち服役中、非公式に哲央と改名）。 [[東京都]][[文京区]]生まれ。友人に[[雨宮処凛]]、鈴木邦男、木村三浩、島田雅彦がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==経歴==&lt;br /&gt;
[[早稲田中学校・高等学校|早稲田高校]]時代、試験中に[[アジテーション|アジ]]演説をぶって[[退学]]処分となり、定時制高校を経て[[中央大学]]法学部2部除籍中退。 [[2004年]]当時、[[慶應義塾大学]]文学部（[[大学通信教育|通信教育]]課程）在籍中だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
進学塾に通って早稲田中学に進むが、中学時代から[[暴走族]]に入る。 [[新左翼]]の[[ブント]]の高校生組織に入るが、[[三嶋事件]]を機に転向。 ただし[[連合赤軍]]には共鳴していたという。[[1980年]]、[[右翼]]学生団体・[[日本学生同盟]]に加入。 [[1982年]]、新右翼の[[一水会]]、[[統一戦線義勇軍]]に行き、同軍の書記長に就任。 [[IBM|日本IBM]]、[[イギリス|英国]]大使館等への火炎ゲリラ活動を行う。 その頃の組織名は「清水浩司」。 同年秋、「スパイ」リンチ殺人事件を起こし、逮捕される。 懲役12年の判決を受け、[[川越少年刑務所]]と[[千葉刑務所]]と[[八王子医療刑務所]]で[[1994年]]12月まで服役。&lt;br /&gt;
釈放後に獄中で執筆した『天皇ごっこ』（1994年）で第25回[[新日本文学賞]]の佳作に選ばれる。『調律の帝国』で[[三島由紀夫賞]]候補となる。『天皇ごっこ』ともども、獄中手記『囚人狂時代』が大ヒットしてからは、売れっ子作家として精力的に活動していた。続編に当たる『母と子の囚人狂時代』もヒットした。自らでの獄中体験を明るいトーンで書き記す作風は話題を集めた。『調律の帝国』が三島由紀夫賞に落選した後は講演会等を中心に活動していたが、[[PTSD]]や[[骨粗鬆症]]、[[線維筋痛症]]など3000日間の懲罰房拘禁の後遺症に悩まされ、治療費がかさみ経済的にも窮屈していたと思われる。2005年9月7日、横浜市戸塚区の自宅マンション8階から転落死した（享年46）。当時罹患していた夏[[インフルエンザ]]の治療の過程で服用していた[[タミフル]]の副作用によるものなのか、自ら[[飛び降り]]たものと見られる。&lt;br /&gt;
[[三島由紀夫]]を深く尊敬していた。見沢という筆名も、書店（[[新潮文庫]]）で三島の隣に並びたいからという理由による。&lt;br /&gt;
また[[サブカルチャー]]に精通しており、端正な甘いマスクもあってか若い女性にも人気があった。晩年は政治運動からの決別を宣言していたがそれでも当局にマークされ続け仕事でオウム真理教幹部と対談した際にも貴様とどういう関係なんだと問いつめられる事があったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.cam.hi-ho.ne.jp/misawa/ Web Chiren]（公式サイト）&lt;br /&gt;
*[http://chiren.sejp.net/ 白血球]（見沢知廉ファンサイト）&lt;br /&gt;
*[http://engeki.ne.jp/saisei/ 劇団再生]（追悼公演サイト）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==著書==&lt;br /&gt;
*愛情省 ISBN 4861820847&lt;br /&gt;
*極悪シリーズ ISBN 4947737263 &lt;br /&gt;
*囚人狂時代 ISBN 4101473218&lt;br /&gt;
*蒼白の馬上 ISBN 4792603404&lt;br /&gt;
*ライト・イズ・ライト―Dreaming 80’s ISBN 4861820103&lt;br /&gt;
*知的C級生活のすすめ（共著） ISBN 407306584X&lt;br /&gt;
*知的D級生活のすすめ（共著）ISBN 4840213216&lt;br /&gt;
*調律の帝国 ISBN 4101473242&lt;br /&gt;
*テロならできるぜ銭湯は怖いよの子供達 ISBN 4810427137&lt;br /&gt;
*天皇ごっこ ISBN 4807495291&lt;br /&gt;
*七号病室 ISBN 4861820650&lt;br /&gt;
*日本を撃て ISBN 4840215588&lt;br /&gt;
*母と息子の囚人狂時代 ISBN 4101473234&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連事項==&lt;br /&gt;
===人物===&lt;br /&gt;
*[[安部譲二]]&lt;br /&gt;
*[[雨宮処凛]]&lt;br /&gt;
*[[荒木経惟]]&lt;br /&gt;
*[[切通理作]]&lt;br /&gt;
*[[深笛義也]]&lt;br /&gt;
*[[鈴木邦男]]&lt;br /&gt;
*[[塩見孝也]]&lt;br /&gt;
*[[高木尋士]]&lt;br /&gt;
*[[田中義三]]&lt;br /&gt;
*[[野村秋介]]&lt;br /&gt;
*[[PANTA]]&lt;br /&gt;
*[[福田和也]]&lt;br /&gt;
*[[町田康]]&lt;br /&gt;
*[[宮台真司]]&lt;br /&gt;
*[[安土茂]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===出版社===&lt;br /&gt;
*[[角川書店]]&lt;br /&gt;
*[[コアマガジン]]&lt;br /&gt;
*[[ザ・マサダ]]&lt;br /&gt;
*[[新潮社]]&lt;br /&gt;
*[[ガロ (雑誌)|青林堂]]&lt;br /&gt;
*[[第三書館]]&lt;br /&gt;
*[[メディアワークス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:みさわ ちれん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政治運動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の小説家]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の右翼活動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1959年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2005年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%99%BA%E6%B4%A5%E5%A4%AB&amp;diff=192567</id>
		<title>松本智津夫</title>
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				<updated>2013-07-17T06:58:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松本 智津夫'''（まつもと ちづお、別名：'''[[麻原彰晃|麻原 彰晃]]'''（あさはら しょうこう）、[[1955年]][[3月2日]] - ）とは、[[宗教団体]][[オウム真理教]]（現[[アレフ (宗教団体)|Aleph]]）の元代表で[[教祖]]である。[[1996年]][[6月19日]]以降は、教団内部での地位は[[開祖]]。同団体は宗教団体「アレフ」に一旦改組され「アーレフ」にすぐに再度改称するも、さらに「Aleph」に改称。Alephにおいての公式呼称は「旧団体代表」とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
著書では「真理の御魂 最聖 麻原彰晃尊師」名義を用いていた。宗教団体オウム真理教の信者からは'''尊師'''、もしくは本来[[ヒンドゥー教]]の導師を指す'''[[グル]]'''と呼ばれ、[[信仰|崇拝]]の対象となっていた（宗教団体Alephでは、尊師・グルの呼称の使用及び、写真・イラスト・その他その肖像を表わしたものを団体施設の祭壇及び個人所有の祭壇に備え付けることを禁じた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
教団は[[日本シャンバラ化計画|日本支配を画策]]しており、その[[真理国基本律|憲法草案]]の中では'''神聖法皇'''と呼称されていた。また、神や死者の声が聞こえる[[霊能者]]であるとも自称していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 成年前 ===&lt;br /&gt;
麻原こと松本智津夫は、1955年3月2日[[熊本県]][[八代市]]高植本町（旧・[[八代郡]][[金剛村]]）の[[畳]]職人の家庭に、9人兄弟の第7子（4男）として生まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[週刊文春]]』2000年新年合併号によれば、「松本の祖父は熊本県出身の警官で、戦前に[[朝鮮半島]]に渡り、その地で警察署長を務めた後、終戦後、熊本に引き揚げた」という。[[週刊現代]]1995年5月27日号「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」記事中で「父親は、[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]である」と[[栗本慎一郎]]が主張しているが、オウム真理教大辞典（東京キララ社）の『麻原彰晃』の項によれば「本人による『在日』発言があるという『噂』があったため、『在日説』が浮上したが、これはデマである」と『在日説』を否定している。また、[[高山文彦 (作家)|高山文彦]]は『麻原彰晃の誕生』で、「松本家は朝鮮半島の出自ではなく、[[朝鮮]]から引き揚げてきた日本人」との親族の言葉を紹介しており、松本の父は現在の[[大韓民国]][[全羅北道]]益山郡春浦面の生まれであるとしている。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
1961年4月に、[[八代市立金剛小学校]]に入学するも、[[視覚障害者]]（[[隻眼]]）であるために同年秋（6歳）より当時[[熊本市]]出水町今（現在の熊本市[[水前寺]]）に所在した[[熊本県立盲学校]]に転校、寄宿舎に移住（智津夫の長兄の証言によると、この視覚障害は[[水俣病]]による被害の結果だったという&amp;lt;ref&amp;gt;[[藤原新也]]『黄泉の犬』[[文藝春秋]]、[[2006年]]、pp.71-80&amp;lt;/ref&amp;gt;。ただし智津夫は水俣病患者と しての公的認定を受けていない）。部活動は[[柔道]]に打ち込む一方で、小学部5年時に児童会長、中学部在籍時と高等部在籍時に生徒会長に立候補するが、3度とも落選している。その後、成績は中程度であったにもかかわらず、[[熊本大学]][[医学部]]を志望するようになり、高等部3年の3月に同医学部を受験するが失敗。高等部[[専攻科#特別支援教育諸学校の専攻科|専攻科]]に進学する。1975年1月12日には、盲学校の生徒としては異例の柔道二段（[[講道館]]）を取得（一連のオウム事件後に講道館より剥奪）。[[鍼灸]]免許も取得した松本は、この頃より「東大法学部卒の政治家となりゆくゆくは総理大臣の座に就くこと」を志すようになる。1975年3月（20歳）、熊本県立盲学校を卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 成人後 ===&lt;br /&gt;
[[東京大学]][[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|文科1類]]受験を目指すため、1975年3月末に[[東京都]][[江東区]][[大島 (江東区)|大島]]、8月に[[品川区]][[戸越]]に移住するが、9月には八代市の実家に戻る。1976年1月熊本市春日に移住し長兄の漢方薬店の助手を務める。3月、受験勉強をするために学生街のある熊本市[[黒髪 (熊本市)|黒髪町]]に下宿するが、5月にはまた実家に戻り、長兄の店を手伝う。[[1976年]][[7月20日]]、長兄の店の元従業員が兄を侮辱したため頭部を殴打、[[9月6日]]、[[傷害罪]]で1万5千円の[[罰金]]刑を受ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]][[4月]]（22歳）に再上京し、[[代々木ゼミナール]]渋谷校（現在はない）に入学したが、東大受験に失敗する。同年頃から[[仙人|仙道]]や[[ヨーガ]]の修行を始める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1978年]][[1月7日]]、代々木ゼミナール渋谷校で知り合った妻、[[松本知子]]（旧姓石井）と[[結婚]]し、[[千葉県]][[船橋市]][[湊町 (船橋市)|湊町]]に新居を構え、そこに鍼灸院「松本鍼灸院」を開院。同年[[9月15日]]「松本鍼灸院」を廃し、同市[[本町 (船橋市)|本町]]に診察室兼[[漢方医学|漢方]][[薬局]]の「亜細亜堂」を開業したが、[[1980年]]7月に保険料の不正請求が発覚し、670万円の返還を要求される。同年[[8月25日]]（25歳）、[[新宗教|新興宗教]]団体[[阿含宗]]に入信し、以後3年ほど在籍する。同年12月、船橋市[[新高根]]に新居を購入し移住。[[1981年]]2月、船橋市[[高根台]]に健康薬品販売店「BMA薬局」を開局したものの、[[1982年]]に無許可の[[医薬品]]を製造販売したため同年[[6月22日]]に[[薬事法]]違反で[[逮捕]]され、20万円の[[罰金|罰金刑]]を受ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オウム真理教 ===&lt;br /&gt;
1983年夏（28歳）、東京都[[渋谷区]][[桜丘町 (渋谷区)|桜丘]]に、仙道・ヨーガ・[[伝統中国医学|東洋医学]]などを統合した（超）能力開発の指導を行う学習塾「鳳凰慶林館」を開設、松本は「麻原彰晃」と名乗り始める。[[1984年]]2月、学習塾「鳳凰慶林館」をヨガ道場「オウムの会」に変更し、[[5月28日]]には[[株式会社]]オウムを設立。[[1986年]]4月、ヨガ道場「オウムの会」を宗教団体「オウム神仙の会」と改称。同年7月、[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]で最終[[解脱]]と称す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1987年]]7月（32歳）には「オウム神仙の会」を「[[オウム真理教]]」に改称し、[[空中浮揚]]などのショー的なアピールで徐々に信者を獲得していった。[[1990年]]2月の[[第39回衆議院議員総選挙|衆議院議員選挙]]では、[[真理党]]代表として[[東京都第4区 (中選挙区)|東京4区]]（5人区）から出馬したが、13位で落選。その数日後に弟子対し「この世はもはや救えない、これからは武力で行く」と述べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 逮捕・裁判 ===&lt;br /&gt;
[[1995年]][[5月16日]]（40歳）に[[山梨県]][[西八代郡]][[上九一色村]]（現・[[南都留郡]][[富士河口湖町]]）のオウム真理教の教団施設で[[地下鉄サリン事件]]の首謀者として逮捕された。麻原は現金960万円の札束と[[シュラフザック|寝袋]]を抱えて、第6[[サティアン]]の南側入り口1階から2階への階段天井部分に造られた隠し部屋に隠れており、逮捕された際は[[失禁]]していたと伝えられている。逮捕後[[警視庁]]への護送は、迅速かつ安全を考え当初警視庁が当時保有していた[[V-107|大型ヘリコプター]]で護送させる予定だったが、当日は悪天候の為で飛べず、[[護送車|警察車両]]での護送に切り替えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最終的には13事件で27人殺人（裁判では殺人26人と監禁致死1人）の首謀者として起訴される。[[1996年]][[4月24日]]に[[東京地方裁判所]]で初公判が行われたが、僅か48席の一般傍聴席に対して、'''12,292人という、日本の[[裁判|刑事裁判]]史上最も多い傍聴希望者'''が東京地裁前に殺到した。弁護側は「事件は[[村井秀夫|村井元幹部]]を中心とした、弟子たちの暴走によるもので、松本自身は一切指示をしていない」と[[無罪]]を主張したが、[[2004年]][[2月27日]]、東京地裁は「救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で一連の事件を起こした」と認定し、[[死刑]]判決を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[9月15日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]は[[抗告|特別抗告]]を棄却し、1審通り松本への死刑判決が確定した。死刑が執行されていないのは、共犯者の裁判が終了していないことと逃亡者が存在するためと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逮捕後の経過 ==&lt;br /&gt;
=== 第一審 ===&lt;br /&gt;
1審の初公判は当初は1995年10月26日に設定されたものの、麻原は初公判前日の10月25日に私選弁護人の[[横山昭二]]を解任。裁判所は期日を取り消し、国選弁護団の選任に踏み切ったが、初公判は延期を余儀なくされた。[[1996年]][[4月24日]]、1審の初公判（[[阿部文洋]]裁判長）が開かれた。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]はこの時点から、「麻原-」から「松本-」と本名で報道するようになった。その後、[[民間放送|民放]]全局・[[産経新聞]]・[[中日新聞]]（[[東京新聞]]）などを除くほとんどの[[新聞|新聞社]]も本名で報道するようになった。[[日本放送協会|NHK]]は結審までは松本を[[芸能人]]として扱い、「麻原-」を使用していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判では初公判で阿部裁判長は「全世界がこの事件に注目している。判決は5年以内に出したい」と述べたが、弁護側が引き延ばし戦術を展開したために[[長期裁判]]の様相を見せ、一時は1審に30年はかかると言われた。事件ごとの並行審理を提案したが、弁護団側が拒否したため、一事件ずつの審理となった。月4回の開廷ペースに反発し、審理をボイコットする騒ぎもあった。また、弁護側は検察側が申請した被害調書や共犯者の供述調書などの1万5687点の証拠に対し1万5472点と98%に不同意。そのために171人の検察側の証人を直接出廷させて証言させることになったが、検察側の尋問時間が計206時間であったのに対し、弁護側の尋問時間は1053時間 （検察側の5倍） に及んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は長期裁判を避けるため、1997年12月に松本・地下鉄両サリン事件の重軽症者を約4000人から18人に減らす訴因変更を行い、2000年10月に被害者がいない薬物密造など4事件の起訴を2000年10月に取下げて案件を13事件に絞り込むなど、裁判の迅速化を余儀なくされた。被告人の麻原は公判では突如[[英語]]を話したり、居眠りをするなどの異常行動が目立ち、しばしば裁判長から注意や退廷命令を受けた。当初は[[起訴]]案件の[[罪状認否]]に関しては留保したが、[[1997年]][[4月]]に保留していた罪状認否について、起訴された17事件のうち16事件で無罪を主張した（[[駐車場経営者VX襲撃事件]]のみ留保）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]][[4月]]、1審の検察の論告で「'''わが国の犯罪史上最も凶悪な犯罪者'''」と指弾して死刑を求刑。同年[[10月31日]]、弁護側が「一連の事件は弟子たちの暴走であり被告は無罪」旨の最終弁論を行い結審。地裁の公判回数は254回となり第1審の判決まで8年を要した。[[2004年]][[2月27日]]、一連の事件を首謀したと認定して[[東京地方裁判所]]（[[小川正持]]裁判長）は求刑通り死刑の判決を言渡した。これに対し弁護側は[[東京高等裁判所]]に即日[[控訴]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 控訴審 ===&lt;br /&gt;
1審を担当した国選弁護団は終了後に全員が辞任。12人の国選弁護人に支払われた弁護士報酬は計4億5200万円になった。後を引き継いだ私選弁護団は1審判決後、松本が弁護団の問いかけに一切反応せず意思疎通が不可能であることや、弁護側が依頼した6人の[[精神医学|精神科医]]が彼には裁判を受ける能力がないと意見していることなどを挙げ、裁判の停止を求め、控訴審の開始のために必要な控訴趣意書の提出を拒み続けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
控訴審の開始手続きに関連して、裁判所側が依頼した[[医師]]による[[精神鑑定]]も行われ、12月10日には東京高裁の須田賢裁判長を含めた裁判官3人が弁護人抜きで東京拘置所で松本被告に面会する異例の事態となる。医師の鑑定で松本には裁判を受ける能力があるとされたことを受け、東京高裁は提出されなかった控訴趣意書の提出期限を再度指定し、[[2005年]][[1月11日]]までに提出するよう弁護側に通達した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
控訴趣意書の提出期限が近づいても、弁護側が控訴趣意書が出されなかったが、[[2005年]][[1月6日]]、東京高裁は1月11日に設定されていた控訴趣意書の提出期限を弁護団の要請に応じる形で、[[2005年]][[8月31日]]まで延長することを決めた。提出期限の[[2005年]][[8月31日]]、弁護側は控訴趣意書を持参したが、被告の精神鑑定方法に関する要望が受け入れられなかったことを理由に提出を拒んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[3月27日]]に東京高等裁判所は弁護側の控訴棄却を決定。この'''控訴棄却の[[決定 (裁判)|決定]]'''は、控訴審の審理が結審した後に下される'''控訴棄却の[[判決]]'''とは異なり、控訴趣意書が正当な理由なく期限までに提出されなかったため、[[刑事訴訟法]]の規定に従って、控訴審を開始せずに裁判を打ち切るという決定である。弁護団はこの決定に対し、同年[[3月30日]]に東京高等裁判所へ異議申立てを行ったが棄却された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 特別抗告 ===&lt;br /&gt;
弁護側は[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]へ[[抗告|特別抗告]]を行った。最高裁では死刑判決の是非ではなく、被告人の訴訟能力の有無、弁護側の控訴趣意書の提出遅れが「やむを得ない事情」に該当するかの有無、提出遅れという弁護活動の不備による不利益を被告に負わせることの可否の3点が争われた。同年[[9月15日]]に最高裁は特別抗告を棄却し、松本への'''死刑判決が確定'''した。27人殺人（司法の認定としては26人殺人と1人監禁致死）は死刑囚としては戦後最悪の数字である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また東京高裁は2006年[[9月25日]]に控訴趣意書の提出遅延に関して、[[日本弁護士連合会|日弁連]]に対し「審理の進行を妨げた」として、[[刑事訴訟法]]に基づく処置請求を行い、担当した弁護士2人の処分を求めた。2008年9月に弁護士1人に戒告の懲戒処分が、2009年7月27日に弁護士1人に業務停止1カ月の懲戒処分が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 再審請求 ===&lt;br /&gt;
* [[2008年]]11月に[[遠藤誠一]]の供述を元に再審請求を行ったが、2009年3月に東京地裁が棄却、同年7月に東京高裁が抗告を棄却&lt;br /&gt;
* [[2010年]][[9月13日]]に最高裁が特別抗告を棄却し、再審は認められなかった。現在、死刑執行はされていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 起訴された罪状 ==&lt;br /&gt;
=== 最後まで起訴されていた罪状 ===&lt;br /&gt;
* [[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]（[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]）&lt;br /&gt;
* [[坂本堤弁護士一家殺害事件]]（殺人罪）&lt;br /&gt;
* [[サリンプラント建設事件]]（殺人予備罪）&lt;br /&gt;
* [[薬剤師リンチ殺人事件]]（殺人罪・[[死体遺棄|死体損壊罪]]）&lt;br /&gt;
* [[滝本弁護士サリン襲撃事件]]（殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
* [[自動小銃密造事件]]（[[武器等製造法]]違反）&lt;br /&gt;
* [[松本サリン事件]]（殺人罪・殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
* [[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件|男性現役信者リンチ殺人事件]]（殺人罪・死体損壊罪）&lt;br /&gt;
* [[駐車場経営者VX襲撃事件]]（殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
* [[会社員VX殺害事件]]（殺人罪）&lt;br /&gt;
* [[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件|被害者の会会長VX襲撃事件]]（殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
* [[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]（[[逮捕・監禁罪|逮捕監禁致死罪]]）&lt;br /&gt;
* [[地下鉄サリン事件]]（殺人罪・殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 途中で取り下げた罪状 ===&lt;br /&gt;
* チオペンタール密造事件（[[薬事法]]違反）&lt;br /&gt;
* LSD密造事件（[[麻薬及び向精神薬取締法]]違反）&lt;br /&gt;
* 覚醒剤密造事件（[[覚せい剤取締法]]違反）&lt;br /&gt;
* メスカリン密造事件（麻薬及び向精神薬取締法違反）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 子供 ==&lt;br /&gt;
; 長女&lt;br /&gt;
: 1978年生まれ。省庁制の際には流通監視省大臣であった。&lt;br /&gt;
; 次女&lt;br /&gt;
: 1981年生まれ。2000年1月に長男を連れ去ろうとした事件&amp;lt;!--この事件は教祖と扱われていた長男をめぐって教団での内部争いが行われている可能性として注目された事件--&amp;gt;で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。&lt;br /&gt;
; 三女&lt;br /&gt;
: 1983年生まれ。家庭教師は[[石川公一]]。省庁制の際には法皇官房長官であった。2000年1月に長男を連れ去ろうとした事件&amp;lt;!--この事件は教祖と扱われていた長男をめぐって教団での内部争いが行われている可能性として注目された事件--&amp;gt;で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。2004年3月に合格した[[和光大学]]から入学拒否されたとして提訴し、[[東京地方裁判所|東京地裁]]は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に30万円の[[損害賠償|慰謝料]]支払を命じた。&lt;br /&gt;
; 四女&lt;br /&gt;
: 1989年生まれ。2003年に教団との関係を保つ家族のあり方に疑問を抱き、後見人となった[[江川紹子]]の元に身を寄せる（後に江川は後見人を辞任している）。2010年、ペンネーム「松本聡香」名義で著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』（徳間書店）を刊行。&lt;br /&gt;
; 長男&lt;br /&gt;
: 1992年生まれ。[[日本シャンバラ化計画]]に於いて[[皇子]]の称号を与えられた。1996年6月に教団の教祖となる。&lt;br /&gt;
; 次男&lt;br /&gt;
: 1994年生まれ。日本シャンバラ化計画に於いて皇子の称号を与えられた。1996年6月に教団の教祖となる。2006年に[[春日部共栄中学高等学校|春日部共栄中学校]]に合格したものの、麻原の息子だという理由で入学を拒否された。次男らは、憲法で禁止された不当な差別によって精神的苦痛を受けたとして、共栄中学校に損害賠償を求める訴えを起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書籍 ==&lt;br /&gt;
1990年代前半に多くの著書を出し、[[ベストセラー]]になった。中でも『キリスト宣言』は[[1991年]]11月の全国月間ベストセラーランキングで3位を記録した。『麻原彰晃の世界パート13・これが尊師!』は[[1992年]]2月の全国月間ベストセラーランキングで4位を記録し、以後5月までベストセラーのトップテンにランクインし続けた（ランキングは[[日経産業新聞]]に掲載されていた[[トーハン]]・[[日本出版販売|日販]]調べによるもの）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
=== 「修行」 ===&lt;br /&gt;
* [[空中浮揚]]で40cm飛んだことがあると自称していた。3秒間の滞空時間があったともされるが、[[自由落下]]する限りは11m跳ね上がる必要がある。&lt;br /&gt;
* 「水中クンバカ」の修行で5分近く水中に潜った信者に対して、麻原は「何を怖がっているんだよ」と発言したが、その割に自身の記録はたったの約15秒だった（最高記録は約11分）。&lt;br /&gt;
* 「麻原の[[前世]]が[[エジプト]]の王であった」ということから、エジプトツアーを行ったことがあった。&lt;br /&gt;
* [[インド]]では、[[釈迦]]が[[悟り]]を開く[[瞑想]]に入った最高の[[聖地]]である[[ブッダガヤ]]の「金剛宝座」に座り、地元住民に引き摺り下ろされた。また高級ホテルのスイート・ルームに宿泊したが、連れて行った信者をみなその部屋に雑魚寝させたことで、現地関係者の失笑を買った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== マスメディア関連 ===&lt;br /&gt;
* [[衆議院議員総選挙|衆院選]]出馬していた時、女性記者から「もしも、麻原さんが[[内閣総理大臣|総理大臣]]になった場合、日本の国民の全員がオウム真理教に入信しなければならないのか」と尋ねられ、麻原は苦笑いをしていた。&lt;br /&gt;
* 日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』内のコーナー「[[とんねるずの生でダラダラいかせて!!#名物コーナー|麻原彰晃の青春人生相談]]」で、女性視聴者からの「尊師は髪を洗う時に[[リンス]]は使っているんですか?」という質問に対して「リンスは使っていません。[[シャンプー]]はベビーシャンプーを使っています」と笑顔で返答した。&lt;br /&gt;
* 『[[おはよう!ナイスデイ]]』（フジテレビ）に出演した際、被害者の会と口論となり、「'''あなた方がやっている事は[[宗教的迫害|宗教弾圧]]じゃないですか! 完全に!'''」と激怒。被害者の会の一人の「あなたがたは[[ヤクザ]]ですか?」との反論に対して「あなたたちがこの[[マスメディア]]を使って宗教弾圧をしていることはまちがいないでしょう?」と答えた。&lt;br /&gt;
* [[タイム (雑誌)|タイム誌]]の[[1995年]]4月3日号において、日本人としては[[1971年]]10月4日号の[[昭和天皇]]以来、23年半振りのカバーパーソンとなった（ただし犯罪容疑者として）。&lt;br /&gt;
* [[TBSテレビ|TBS]]で放送された[[オウム真理教]]のドキュメンタリーで、関係のないシーンで30分の1秒という知覚できない速度で急に麻原の顔写真や[[キリスト教]]の[[裏切り]]者をあらわす[[イスカリオテのユダ]]の[[サブリミナル効果|サブリミナル]]カットが何度も放映された。&lt;br /&gt;
* [[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]、[[サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ]]が製作したアニメ『[[シティーハンター (アニメ)#シティーハンター3|シティーハンター3]]』第11話（[[1989年]][[12月24日]]放送）の中で麻原の画像のカットが使用され、後年問題になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女性関係 ===&lt;br /&gt;
* 結婚した[[松本知子]]のほかにも、[[石井久子]]、タントラギーター、スメーダー、イシュタ・ヴァジリニー、マハームドラー・ダーキニーの愛人がいた。目が見えないと語っていた割には美人を見つけ、出家させて[[ダーキニー (オウム真理教)|ダーキニー]]にしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 嗜好 ===&lt;br /&gt;
* 裕福な家庭というわけではなかったが、父が旧[[金剛村]]で最初にテレビを購入しており、子供のころ、そのテレビで『[[あんみつ姫]]』や『[[8マン]]』をよく観ていたという。[[ハルマゲドン]]思想は『[[幻魔大戦]]』『[[宇宙戦艦ヤマト]]』から影響を受けたとされる。&lt;br /&gt;
* 盲学校中学部・高等部時代に、他の寄宿生らを集め[[西城秀樹]]や[[尾崎紀世彦]]の歌を歌う「松本智津夫ショー」を何度も開催していた。空き缶をマイクの代わりにして西城秀樹の当時のヒット曲「[[傷だらけのローラ]]」を歌ったこともある。&lt;br /&gt;
* 専攻科時代、運動会の応援団長を務めることになった松本は、運動会当日[[モヒカン刈り|モヒカン頭]]の出立ちで現れ周囲を驚かせた。&lt;br /&gt;
* 信者たちとナイター中継を観賞しながら「私の前世は巨人軍のピッチャーだった!」と語った。好きな球団は[[読売ジャイアンツ]]という説があるが、真相は不明。拘置所の運動場では、「[[全国高等学校野球選手権大会|甲子園]]の優勝投手だ。[[魔球|大リーグボール]]3号だ」と発言した。&lt;br /&gt;
* 逮捕前、[[メロン]]と[[排骨|パーコー麺]]と[[ステーキ]]を好んで食べていたという。しかし、本人は「私が好きなのは[[バナナ]]なのに」と主任弁護人に伝えていた。留置所では、家族から[[弁当]]の差し入れを毎日もらっていたが「今日の弁当は鮭が小さかった」と残念がる時もあった。&lt;br /&gt;
* [[フラッグキャリア]]の[[日本航空インターナショナル|日本航空]]に搭乗を拒否されたため、海外移動の際には[[全日本空輸|全日空]]や[[アエロフロート・ロシア航空|アエロフロート]]へ搭乗していた。なお、全日空に搭乗する際は[[ファーストクラス]]を貸し切りにすることが多かった&amp;lt;ref&amp;gt;『[[噂の眞相|噂の真相]]』1998年2月号&amp;lt;/ref&amp;gt;が、専用の椅子を持ち込もうとして拒否されたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 視力 ===&lt;br /&gt;
* 「[[視力]]がない」と自称していたが、他のオウム関連の裁判に証人として出廷した際、宣誓書を弁護士の言う通りに比較的短時間で書き上げた。裁判長も一瞬で麻原の書いた宣誓書を判読できたため、視力障害者特有の文字の重なりなどはなかったと思われる。また、「目が見えない」のに宮沢りえの[[ヌード]]写真集を持っていたとの報道もあり、視力に関しては非常に疑わしいと言える&amp;lt;ref&amp;gt;青沼陽一郎『オウム裁判傍笑記』[[新潮社]]、2004年2月&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 取調べの際も目が見えないことを強調していたが、その一方で「刑事さんは[[竜雷太]]みたいでカッコイイですね」や「刑事さん、[[太陽にほえろ!|太陽にほえろ]]のボスみたいですね」と語ったり、的確に障害物を避けるなどをしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
* 顔が料理人の[[坂井宏行]]、[[投資ジャーナル事件]]の[[中江滋樹]]、『[[オレたちひょうきん族]]』の懺悔コーナーに出ていた[[ブッチー武者]]、[[たけし軍団]]の[[グレート義太夫]]に似ていると言われている。特にグレート義太夫は一時期、麻原の弟ではないかと[[都市伝説]]になったこともある。&lt;br /&gt;
* 若いころ[[極真会館]]に入門したが、すぐ辞めてしまった。&lt;br /&gt;
* [[代々木ゼミナール]]にいた頃、「麻原彰晃を称える会」があった。&lt;br /&gt;
* 「思ったことを自由に言ってみなさい」と言ったにもかかわらず、信者がありのままに言うと「'''馬鹿野郎! そんなことは聞いていない!'''」と言った。&lt;br /&gt;
* 「裁判中に英語を話した」という記事がある。英文法的には間違いが目立っていたが、単語は難易度の高いものを使っていた。さらに基本的な単語をど忘れした時、弁護人が教える場面も見られた。&lt;br /&gt;
* 1審の初公判で裁判長に「（本名は）松本智津夫ではないのですか」と尋ねられたとき「松本智津夫という名前は捨てました。（今の名前は）麻原彰晃です」と言った。&lt;br /&gt;
* [[東京拘置所]]そばの建造物（高速道路の柱）から超望遠レンズを付けたカメラにより、[[車椅子]]に乗った麻原の姿が撮影されている（当時、東京拘置所の塀の一部が工事のため内部が見えていた。これに気づいた[[宮嶋茂樹]]は同僚と協力し撮影に成功した。週刊誌に掲載後、工事されていた塀はさらに嵩上げされ、撮影場所の建築物付近の警戒が厳しくなっており、近づいたら警察が駆けつけるようになっている）。&lt;br /&gt;
* 1審で死刑判決を受けたとき「'''何故なんだ! ちくしょう!'''」と叫んだ。[[精神鑑定]]で正常と判断された根拠の1つに、腕をひねって「'''痛い!'''」と言ったことが挙げられる。&lt;br /&gt;
* 麻原が出廷した裁判を傍聴した映画監督の[[森達也]]は、[[朝日新聞]]に寄せたコラムに「麻原は[[統合失調症]]であるように見えた」と書いた。その後[[テレビ朝日]]の『[[朝まで生テレビ!]]』に出演した際にも同様の発言をしている。&lt;br /&gt;
* 現在、[[おむつ]]を使用していると報じられている。風呂に自力で入れないので看守等に洗われる訳であるが、体に付着した[[糞]]のせいで風呂場はとんでもないことになる。掃除の際は飛び散った糞を靴で踏んで細かくして流し、[[クレンザー]]で[[殺菌]]するらしい&amp;lt;ref&amp;gt;『獄中で見た麻原彰晃』麻原控訴審弁護人/編 インパクト出版会&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 控訴審の弁護人である松井武によると、麻原は東京拘置所における松井との接見の最中に服の上から股間を擦り、さらに[[陰茎]]を露出させて[[オナニー|自慰行為]]をおこない、[[射精]]に至ったという&amp;lt;ref&amp;gt;麻原控訴審弁護人編『獄中で見た麻原彰晃』p.101（インパクト出版会、2006年）&amp;lt;/ref&amp;gt;。自分の娘たちとの接見でも自慰行為を行ったことがあるという&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊新潮]]』2008年2月7日号「独占手記『麻原彰晃四女』獄中の父が『詐病』と悟った瞬間」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 麻原彰晃の画像 ==&lt;br /&gt;
[[ファイル:麻原彰晃 1.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 2.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 3.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 4.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 5.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 6.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 7.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 8.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 9.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 10.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 11.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 12.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 13.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 14.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 15.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 16.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 17.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 18.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 19.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 20.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 21.jpg|300px]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[高山文彦 (作家)|高山文彦]] 『麻原彰晃の誕生』[[文藝春秋]]、2006年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[オウム真理教]]&lt;br /&gt;
* [[尊師マーチ]]&lt;br /&gt;
* [[泡沫候補]]&lt;br /&gt;
* [[個人崇拝]]&lt;br /&gt;
* [[とんねるずの生でダラダラいかせて!!]]&lt;br /&gt;
* [[中沢新一]]&lt;br /&gt;
* [[島田裕巳]]&lt;br /&gt;
* [[下村満子]]&lt;br /&gt;
* [[横山昭二]]&lt;br /&gt;
* [[渡辺脩]]&lt;br /&gt;
* [[安田好弘]]&lt;br /&gt;
* [[報道におけるタブー]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつもとちつお}}&lt;br /&gt;
[[Category:オウム真理教の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政治運動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:国政選挙立候補経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の宗教家]]&lt;br /&gt;
[[Category:阿含宗]]&lt;br /&gt;
[[Category:視覚障害を持つ人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:テロリスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:熊本県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1955年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:新宗教の開祖]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のシンガーソングライター]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の著作家]]&lt;br /&gt;
[[Category:画像が非常に多い記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83&amp;diff=192566</id>
		<title>麻原彰晃</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83&amp;diff=192566"/>
				<updated>2013-07-17T06:58:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''麻原 彰晃'''（あさはら しょうこう、本名：'''[[松本智津夫|松本 智津夫]]'''（まつもと ちづお）、[[1955年]][[3月2日]] - ）とは、[[宗教団体]][[オウム真理教]]（現[[アレフ (宗教団体)|Aleph]]）の元代表で[[教祖]]である。[[1996年]][[6月19日]]以降は、教団内部での地位は[[開祖]]。同団体は宗教団体「アレフ」に一旦改組され「アーレフ」にすぐに再度改称するも、さらに「Aleph」に改称。Alephにおいての公式呼称は「旧団体代表」とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
著書では「真理の御魂 最聖 麻原彰晃尊師」名義を用いていた。宗教団体オウム真理教の信者からは'''尊師'''、もしくは本来[[ヒンドゥー教]]の導師を指す'''[[グル]]'''と呼ばれ、[[信仰|崇拝]]の対象となっていた（宗教団体Alephでは、尊師・グルの呼称の使用及び、写真・イラスト・その他その肖像を表わしたものを団体施設の祭壇及び個人所有の祭壇に備え付けることを禁じた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
教団は[[日本シャンバラ化計画|日本支配を画策]]しており、その[[真理国基本律|憲法草案]]の中では'''神聖法皇'''と呼称されていた。また、神や死者の声が聞こえる[[霊能者]]であるとも自称していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 成年前 ===&lt;br /&gt;
麻原こと松本智津夫は、1955年3月2日[[熊本県]][[八代市]]高植本町（旧・[[八代郡]][[金剛村]]）の[[畳]]職人の家庭に、9人兄弟の第7子（4男）として生まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[週刊文春]]』2000年新年合併号によれば、「松本の祖父は熊本県出身の警官で、戦前に[[朝鮮半島]]に渡り、その地で警察署長を務めた後、終戦後、熊本に引き揚げた」という。[[週刊現代]]1995年5月27日号「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」記事中で「父親は、[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]である」と[[栗本慎一郎]]が主張しているが、オウム真理教大辞典（東京キララ社）の『麻原彰晃』の項によれば「本人による『在日』発言があるという『噂』があったため、『在日説』が浮上したが、これはデマである」と『在日説』を否定している。また、[[高山文彦 (作家)|高山文彦]]は『麻原彰晃の誕生』で、「松本家は朝鮮半島の出自ではなく、[[朝鮮]]から引き揚げてきた日本人」との親族の言葉を紹介しており、松本の父は現在の[[大韓民国]][[全羅北道]]益山郡春浦面の生まれであるとしている。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
1961年4月に、[[八代市立金剛小学校]]に入学するも、[[視覚障害者]]（[[隻眼]]）であるために同年秋（6歳）より当時[[熊本市]]出水町今（現在の熊本市[[水前寺]]）に所在した[[熊本県立盲学校]]に転校、寄宿舎に移住（智津夫の長兄の証言によると、この視覚障害は[[水俣病]]による被害の結果だったという&amp;lt;ref&amp;gt;[[藤原新也]]『黄泉の犬』[[文藝春秋]]、[[2006年]]、pp.71-80&amp;lt;/ref&amp;gt;。ただし智津夫は水俣病患者と しての公的認定を受けていない）。部活動は[[柔道]]に打ち込む一方で、小学部5年時に児童会長、中学部在籍時と高等部在籍時に生徒会長に立候補するが、3度とも落選している。その後、成績は中程度であったにもかかわらず、[[熊本大学]][[医学部]]を志望するようになり、高等部3年の3月に同医学部を受験するが失敗。高等部[[専攻科#特別支援教育諸学校の専攻科|専攻科]]に進学する。1975年1月12日には、盲学校の生徒としては異例の柔道二段（[[講道館]]）を取得（一連のオウム事件後に講道館より剥奪）。[[鍼灸]]免許も取得した松本は、この頃より「東大法学部卒の政治家となりゆくゆくは総理大臣の座に就くこと」を志すようになる。1975年3月（20歳）、熊本県立盲学校を卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 成人後 ===&lt;br /&gt;
[[東京大学]][[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|文科1類]]受験を目指すため、1975年3月末に[[東京都]][[江東区]][[大島 (江東区)|大島]]、8月に[[品川区]][[戸越]]に移住するが、9月には八代市の実家に戻る。1976年1月熊本市春日に移住し長兄の漢方薬店の助手を務める。3月、受験勉強をするために学生街のある熊本市[[黒髪 (熊本市)|黒髪町]]に下宿するが、5月にはまた実家に戻り、長兄の店を手伝う。[[1976年]][[7月20日]]、長兄の店の元従業員が兄を侮辱したため頭部を殴打、[[9月6日]]、[[傷害罪]]で1万5千円の[[罰金]]刑を受ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]][[4月]]（22歳）に再上京し、[[代々木ゼミナール]]渋谷校（現在はない）に入学したが、東大受験に失敗する。同年頃から[[仙人|仙道]]や[[ヨーガ]]の修行を始める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1978年]][[1月7日]]、代々木ゼミナール渋谷校で知り合った妻、[[松本知子]]（旧姓石井）と[[結婚]]し、[[千葉県]][[船橋市]][[湊町 (船橋市)|湊町]]に新居を構え、そこに鍼灸院「松本鍼灸院」を開院。同年[[9月15日]]「松本鍼灸院」を廃し、同市[[本町 (船橋市)|本町]]に診察室兼[[漢方医学|漢方]][[薬局]]の「亜細亜堂」を開業したが、[[1980年]]7月に保険料の不正請求が発覚し、670万円の返還を要求される。同年[[8月25日]]（25歳）、[[新宗教|新興宗教]]団体[[阿含宗]]に入信し、以後3年ほど在籍する。同年12月、船橋市[[新高根]]に新居を購入し移住。[[1981年]]2月、船橋市[[高根台]]に健康薬品販売店「BMA薬局」を開局したものの、[[1982年]]に無許可の[[医薬品]]を製造販売したため同年[[6月22日]]に[[薬事法]]違反で[[逮捕]]され、20万円の[[罰金|罰金刑]]を受ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オウム真理教 ===&lt;br /&gt;
1983年夏（28歳）、東京都[[渋谷区]][[桜丘町 (渋谷区)|桜丘]]に、仙道・ヨーガ・[[伝統中国医学|東洋医学]]などを統合した（超）能力開発の指導を行う学習塾「鳳凰慶林館」を開設、松本は「麻原彰晃」と名乗り始める。[[1984年]]2月、学習塾「鳳凰慶林館」をヨガ道場「オウムの会」に変更し、[[5月28日]]には[[株式会社]]オウムを設立。[[1986年]]4月、ヨガ道場「オウムの会」を宗教団体「オウム神仙の会」と改称。同年7月、[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]で最終[[解脱]]と称す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1987年]]7月（32歳）には「オウム神仙の会」を「[[オウム真理教]]」に改称し、[[空中浮揚]]などのショー的なアピールで徐々に信者を獲得していった。[[1990年]]2月の[[第39回衆議院議員総選挙|衆議院議員選挙]]では、[[真理党]]代表として[[東京都第4区 (中選挙区)|東京4区]]（5人区）から出馬したが、13位で落選。その数日後に弟子対し「この世はもはや救えない、これからは武力で行く」と述べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 逮捕・裁判 ===&lt;br /&gt;
[[1995年]][[5月16日]]（40歳）に[[山梨県]][[西八代郡]][[上九一色村]]（現・[[南都留郡]][[富士河口湖町]]）のオウム真理教の教団施設で[[地下鉄サリン事件]]の首謀者として逮捕された。麻原は現金960万円の札束と[[シュラフザック|寝袋]]を抱えて、第6[[サティアン]]の南側入り口1階から2階への階段天井部分に造られた隠し部屋に隠れており、逮捕された際は[[失禁]]していたと伝えられている。逮捕後[[警視庁]]への護送は、迅速かつ安全を考え当初警視庁が当時保有していた[[V-107|大型ヘリコプター]]で護送させる予定だったが、当日は悪天候の為で飛べず、[[護送車|警察車両]]での護送に切り替えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最終的には13事件で27人殺人（裁判では殺人26人と監禁致死1人）の首謀者として起訴される。[[1996年]][[4月24日]]に[[東京地方裁判所]]で初公判が行われたが、僅か48席の一般傍聴席に対して、'''12,292人という、日本の[[裁判|刑事裁判]]史上最も多い傍聴希望者'''が東京地裁前に殺到した。弁護側は「事件は[[村井秀夫|村井元幹部]]を中心とした、弟子たちの暴走によるもので、松本自身は一切指示をしていない」と[[無罪]]を主張したが、[[2004年]][[2月27日]]、東京地裁は「救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で一連の事件を起こした」と認定し、[[死刑]]判決を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[9月15日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]は[[抗告|特別抗告]]を棄却し、1審通り松本への死刑判決が確定した。死刑が執行されていないのは、共犯者の裁判が終了していないことと逃亡者が存在するためと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逮捕後の経過 ==&lt;br /&gt;
=== 第一審 ===&lt;br /&gt;
1審の初公判は当初は1995年10月26日に設定されたものの、麻原は初公判前日の10月25日に私選弁護人の[[横山昭二]]を解任。裁判所は期日を取り消し、国選弁護団の選任に踏み切ったが、初公判は延期を余儀なくされた。[[1996年]][[4月24日]]、1審の初公判（[[阿部文洋]]裁判長）が開かれた。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]はこの時点から、「麻原-」から「松本-」と本名で報道するようになった。その後、[[民間放送|民放]]全局・[[産経新聞]]・[[中日新聞]]（[[東京新聞]]）などを除くほとんどの[[新聞|新聞社]]も本名で報道するようになった。[[日本放送協会|NHK]]は結審までは松本を[[芸能人]]として扱い、「麻原-」を使用していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判では初公判で阿部裁判長は「全世界がこの事件に注目している。判決は5年以内に出したい」と述べたが、弁護側が引き延ばし戦術を展開したために[[長期裁判]]の様相を見せ、一時は1審に30年はかかると言われた。事件ごとの並行審理を提案したが、弁護団側が拒否したため、一事件ずつの審理となった。月4回の開廷ペースに反発し、審理をボイコットする騒ぎもあった。また、弁護側は検察側が申請した被害調書や共犯者の供述調書などの1万5687点の証拠に対し1万5472点と98%に不同意。そのために171人の検察側の証人を直接出廷させて証言させることになったが、検察側の尋問時間が計206時間であったのに対し、弁護側の尋問時間は1053時間 （検察側の5倍） に及んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は長期裁判を避けるため、1997年12月に松本・地下鉄両サリン事件の重軽症者を約4000人から18人に減らす訴因変更を行い、2000年10月に被害者がいない薬物密造など4事件の起訴を2000年10月に取下げて案件を13事件に絞り込むなど、裁判の迅速化を余儀なくされた。被告人の麻原は公判では突如[[英語]]を話したり、居眠りをするなどの異常行動が目立ち、しばしば裁判長から注意や退廷命令を受けた。当初は[[起訴]]案件の[[罪状認否]]に関しては留保したが、[[1997年]][[4月]]に保留していた罪状認否について、起訴された17事件のうち16事件で無罪を主張した（[[駐車場経営者VX襲撃事件]]のみ留保）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]][[4月]]、1審の検察の論告で「'''わが国の犯罪史上最も凶悪な犯罪者'''」と指弾して死刑を求刑。同年[[10月31日]]、弁護側が「一連の事件は弟子たちの暴走であり被告は無罪」旨の最終弁論を行い結審。地裁の公判回数は254回となり第1審の判決まで8年を要した。[[2004年]][[2月27日]]、一連の事件を首謀したと認定して[[東京地方裁判所]]（[[小川正持]]裁判長）は求刑通り死刑の判決を言渡した。これに対し弁護側は[[東京高等裁判所]]に即日[[控訴]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 控訴審 ===&lt;br /&gt;
1審を担当した国選弁護団は終了後に全員が辞任。12人の国選弁護人に支払われた弁護士報酬は計4億5200万円になった。後を引き継いだ私選弁護団は1審判決後、松本が弁護団の問いかけに一切反応せず意思疎通が不可能であることや、弁護側が依頼した6人の[[精神医学|精神科医]]が彼には裁判を受ける能力がないと意見していることなどを挙げ、裁判の停止を求め、控訴審の開始のために必要な控訴趣意書の提出を拒み続けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
控訴審の開始手続きに関連して、裁判所側が依頼した[[医師]]による[[精神鑑定]]も行われ、12月10日には東京高裁の須田賢裁判長を含めた裁判官3人が弁護人抜きで東京拘置所で松本被告に面会する異例の事態となる。医師の鑑定で松本には裁判を受ける能力があるとされたことを受け、東京高裁は提出されなかった控訴趣意書の提出期限を再度指定し、[[2005年]][[1月11日]]までに提出するよう弁護側に通達した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
控訴趣意書の提出期限が近づいても、弁護側が控訴趣意書が出されなかったが、[[2005年]][[1月6日]]、東京高裁は1月11日に設定されていた控訴趣意書の提出期限を弁護団の要請に応じる形で、[[2005年]][[8月31日]]まで延長することを決めた。提出期限の[[2005年]][[8月31日]]、弁護側は控訴趣意書を持参したが、被告の精神鑑定方法に関する要望が受け入れられなかったことを理由に提出を拒んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[3月27日]]に東京高等裁判所は弁護側の控訴棄却を決定。この'''控訴棄却の[[決定 (裁判)|決定]]'''は、控訴審の審理が結審した後に下される'''控訴棄却の[[判決]]'''とは異なり、控訴趣意書が正当な理由なく期限までに提出されなかったため、[[刑事訴訟法]]の規定に従って、控訴審を開始せずに裁判を打ち切るという決定である。弁護団はこの決定に対し、同年[[3月30日]]に東京高等裁判所へ異議申立てを行ったが棄却された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 特別抗告 ===&lt;br /&gt;
弁護側は[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]へ[[抗告|特別抗告]]を行った。最高裁では死刑判決の是非ではなく、被告人の訴訟能力の有無、弁護側の控訴趣意書の提出遅れが「やむを得ない事情」に該当するかの有無、提出遅れという弁護活動の不備による不利益を被告に負わせることの可否の3点が争われた。同年[[9月15日]]に最高裁は特別抗告を棄却し、松本への'''死刑判決が確定'''した。27人殺人（司法の認定としては26人殺人と1人監禁致死）は死刑囚としては戦後最悪の数字である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また東京高裁は2006年[[9月25日]]に控訴趣意書の提出遅延に関して、[[日本弁護士連合会|日弁連]]に対し「審理の進行を妨げた」として、[[刑事訴訟法]]に基づく処置請求を行い、担当した弁護士2人の処分を求めた。2008年9月に弁護士1人に戒告の懲戒処分が、2009年7月27日に弁護士1人に業務停止1カ月の懲戒処分が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 再審請求 ===&lt;br /&gt;
* [[2008年]]11月に[[遠藤誠一]]の供述を元に再審請求を行ったが、2009年3月に東京地裁が棄却、同年7月に東京高裁が抗告を棄却&lt;br /&gt;
* [[2010年]][[9月13日]]に最高裁が特別抗告を棄却し、再審は認められなかった。現在、死刑執行はされていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 起訴された罪状 ==&lt;br /&gt;
=== 最後まで起訴されていた罪状 ===&lt;br /&gt;
* [[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]（[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]）&lt;br /&gt;
* [[坂本堤弁護士一家殺害事件]]（殺人罪）&lt;br /&gt;
* [[サリンプラント建設事件]]（殺人予備罪）&lt;br /&gt;
* [[薬剤師リンチ殺人事件]]（殺人罪・[[死体遺棄|死体損壊罪]]）&lt;br /&gt;
* [[滝本弁護士サリン襲撃事件]]（殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
* [[自動小銃密造事件]]（[[武器等製造法]]違反）&lt;br /&gt;
* [[松本サリン事件]]（殺人罪・殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
* [[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件|男性現役信者リンチ殺人事件]]（殺人罪・死体損壊罪）&lt;br /&gt;
* [[駐車場経営者VX襲撃事件]]（殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
* [[会社員VX殺害事件]]（殺人罪）&lt;br /&gt;
* [[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件|被害者の会会長VX襲撃事件]]（殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
* [[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]（[[逮捕・監禁罪|逮捕監禁致死罪]]）&lt;br /&gt;
* [[地下鉄サリン事件]]（殺人罪・殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 途中で取り下げた罪状 ===&lt;br /&gt;
* チオペンタール密造事件（[[薬事法]]違反）&lt;br /&gt;
* LSD密造事件（[[麻薬及び向精神薬取締法]]違反）&lt;br /&gt;
* 覚醒剤密造事件（[[覚せい剤取締法]]違反）&lt;br /&gt;
* メスカリン密造事件（麻薬及び向精神薬取締法違反）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 子供 ==&lt;br /&gt;
; 長女&lt;br /&gt;
: 1978年生まれ。省庁制の際には流通監視省大臣であった。&lt;br /&gt;
; 次女&lt;br /&gt;
: 1981年生まれ。2000年1月に長男を連れ去ろうとした事件&amp;lt;!--この事件は教祖と扱われていた長男をめぐって教団での内部争いが行われている可能性として注目された事件--&amp;gt;で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。&lt;br /&gt;
; 三女&lt;br /&gt;
: 1983年生まれ。家庭教師は[[石川公一]]。省庁制の際には法皇官房長官であった。2000年1月に長男を連れ去ろうとした事件&amp;lt;!--この事件は教祖と扱われていた長男をめぐって教団での内部争いが行われている可能性として注目された事件--&amp;gt;で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。2004年3月に合格した[[和光大学]]から入学拒否されたとして提訴し、[[東京地方裁判所|東京地裁]]は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に30万円の[[損害賠償|慰謝料]]支払を命じた。&lt;br /&gt;
; 四女&lt;br /&gt;
: 1989年生まれ。2003年に教団との関係を保つ家族のあり方に疑問を抱き、後見人となった[[江川紹子]]の元に身を寄せる（後に江川は後見人を辞任している）。2010年、ペンネーム「松本聡香」名義で著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』（徳間書店）を刊行。&lt;br /&gt;
; 長男&lt;br /&gt;
: 1992年生まれ。[[日本シャンバラ化計画]]に於いて[[皇子]]の称号を与えられた。1996年6月に教団の教祖となる。&lt;br /&gt;
; 次男&lt;br /&gt;
: 1994年生まれ。日本シャンバラ化計画に於いて皇子の称号を与えられた。1996年6月に教団の教祖となる。2006年に[[春日部共栄中学高等学校|春日部共栄中学校]]に合格したものの、麻原の息子だという理由で入学を拒否された。次男らは、憲法で禁止された不当な差別によって精神的苦痛を受けたとして、共栄中学校に損害賠償を求める訴えを起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書籍 ==&lt;br /&gt;
1990年代前半に多くの著書を出し、[[ベストセラー]]になった。中でも『キリスト宣言』は[[1991年]]11月の全国月間ベストセラーランキングで3位を記録した。『麻原彰晃の世界パート13・これが尊師!』は[[1992年]]2月の全国月間ベストセラーランキングで4位を記録し、以後5月までベストセラーのトップテンにランクインし続けた（ランキングは[[日経産業新聞]]に掲載されていた[[トーハン]]・[[日本出版販売|日販]]調べによるもの）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
=== 「修行」 ===&lt;br /&gt;
* [[空中浮揚]]で40cm飛んだことがあると自称していた。3秒間の滞空時間があったともされるが、[[自由落下]]する限りは11m跳ね上がる必要がある。&lt;br /&gt;
* 「水中クンバカ」の修行で5分近く水中に潜った信者に対して、麻原は「何を怖がっているんだよ」と発言したが、その割に自身の記録はたったの約15秒だった（最高記録は約11分）。&lt;br /&gt;
* 「麻原の[[前世]]が[[エジプト]]の王であった」ということから、エジプトツアーを行ったことがあった。&lt;br /&gt;
* [[インド]]では、[[釈迦]]が[[悟り]]を開く[[瞑想]]に入った最高の[[聖地]]である[[ブッダガヤ]]の「金剛宝座」に座り、地元住民に引き摺り下ろされた。また高級ホテルのスイート・ルームに宿泊したが、連れて行った信者をみなその部屋に雑魚寝させたことで、現地関係者の失笑を買った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== マスメディア関連 ===&lt;br /&gt;
* [[衆議院議員総選挙|衆院選]]出馬していた時、女性記者から「もしも、麻原さんが[[内閣総理大臣|総理大臣]]になった場合、日本の国民の全員がオウム真理教に入信しなければならないのか」と尋ねられ、麻原は苦笑いをしていた。&lt;br /&gt;
* 日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』内のコーナー「[[とんねるずの生でダラダラいかせて!!#名物コーナー|麻原彰晃の青春人生相談]]」で、女性視聴者からの「尊師は髪を洗う時に[[リンス]]は使っているんですか?」という質問に対して「リンスは使っていません。[[シャンプー]]はベビーシャンプーを使っています」と笑顔で返答した。&lt;br /&gt;
* 『[[おはよう!ナイスデイ]]』（フジテレビ）に出演した際、被害者の会と口論となり、「'''あなた方がやっている事は[[宗教的迫害|宗教弾圧]]じゃないですか! 完全に!'''」と激怒。被害者の会の一人の「あなたがたは[[ヤクザ]]ですか?」との反論に対して「あなたたちがこの[[マスメディア]]を使って宗教弾圧をしていることはまちがいないでしょう?」と答えた。&lt;br /&gt;
* [[タイム (雑誌)|タイム誌]]の[[1995年]]4月3日号において、日本人としては[[1971年]]10月4日号の[[昭和天皇]]以来、23年半振りのカバーパーソンとなった（ただし犯罪容疑者として）。&lt;br /&gt;
* [[TBSテレビ|TBS]]で放送された[[オウム真理教]]のドキュメンタリーで、関係のないシーンで30分の1秒という知覚できない速度で急に麻原の顔写真や[[キリスト教]]の[[裏切り]]者をあらわす[[イスカリオテのユダ]]の[[サブリミナル効果|サブリミナル]]カットが何度も放映された。&lt;br /&gt;
* [[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]、[[サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ]]が製作したアニメ『[[シティーハンター (アニメ)#シティーハンター3|シティーハンター3]]』第11話（[[1989年]][[12月24日]]放送）の中で麻原の画像のカットが使用され、後年問題になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女性関係 ===&lt;br /&gt;
* 結婚した[[松本知子]]のほかにも、[[石井久子]]、タントラギーター、スメーダー、イシュタ・ヴァジリニー、マハームドラー・ダーキニーの愛人がいた。目が見えないと語っていた割には美人を見つけ、出家させて[[ダーキニー (オウム真理教)|ダーキニー]]にしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 嗜好 ===&lt;br /&gt;
* 裕福な家庭というわけではなかったが、父が旧[[金剛村]]で最初にテレビを購入しており、子供のころ、そのテレビで『[[あんみつ姫]]』や『[[8マン]]』をよく観ていたという。[[ハルマゲドン]]思想は『[[幻魔大戦]]』『[[宇宙戦艦ヤマト]]』から影響を受けたとされる。&lt;br /&gt;
* 盲学校中学部・高等部時代に、他の寄宿生らを集め[[西城秀樹]]や[[尾崎紀世彦]]の歌を歌う「松本智津夫ショー」を何度も開催していた。空き缶をマイクの代わりにして西城秀樹の当時のヒット曲「[[傷だらけのローラ]]」を歌ったこともある。&lt;br /&gt;
* 専攻科時代、運動会の応援団長を務めることになった松本は、運動会当日[[モヒカン刈り|モヒカン頭]]の出立ちで現れ周囲を驚かせた。&lt;br /&gt;
* 信者たちとナイター中継を観賞しながら「私の前世は巨人軍のピッチャーだった!」と語った。好きな球団は[[読売ジャイアンツ]]という説があるが、真相は不明。拘置所の運動場では、「[[全国高等学校野球選手権大会|甲子園]]の優勝投手だ。[[魔球|大リーグボール]]3号だ」と発言した。&lt;br /&gt;
* 逮捕前、[[メロン]]と[[排骨|パーコー麺]]と[[ステーキ]]を好んで食べていたという。しかし、本人は「私が好きなのは[[バナナ]]なのに」と主任弁護人に伝えていた。留置所では、家族から[[弁当]]の差し入れを毎日もらっていたが「今日の弁当は鮭が小さかった」と残念がる時もあった。&lt;br /&gt;
* [[フラッグキャリア]]の[[日本航空インターナショナル|日本航空]]に搭乗を拒否されたため、海外移動の際には[[全日本空輸|全日空]]や[[アエロフロート・ロシア航空|アエロフロート]]へ搭乗していた。なお、全日空に搭乗する際は[[ファーストクラス]]を貸し切りにすることが多かった&amp;lt;ref&amp;gt;『[[噂の眞相|噂の真相]]』1998年2月号&amp;lt;/ref&amp;gt;が、専用の椅子を持ち込もうとして拒否されたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 視力 ===&lt;br /&gt;
* 「[[視力]]がない」と自称していたが、他のオウム関連の裁判に証人として出廷した際、宣誓書を弁護士の言う通りに比較的短時間で書き上げた。裁判長も一瞬で麻原の書いた宣誓書を判読できたため、視力障害者特有の文字の重なりなどはなかったと思われる。また、「目が見えない」のに宮沢りえの[[ヌード]]写真集を持っていたとの報道もあり、視力に関しては非常に疑わしいと言える&amp;lt;ref&amp;gt;青沼陽一郎『オウム裁判傍笑記』[[新潮社]]、2004年2月&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 取調べの際も目が見えないことを強調していたが、その一方で「刑事さんは[[竜雷太]]みたいでカッコイイですね」や「刑事さん、[[太陽にほえろ!|太陽にほえろ]]のボスみたいですね」と語ったり、的確に障害物を避けるなどをしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
* 顔が料理人の[[坂井宏行]]、[[投資ジャーナル事件]]の[[中江滋樹]]、『[[オレたちひょうきん族]]』の懺悔コーナーに出ていた[[ブッチー武者]]、[[たけし軍団]]の[[グレート義太夫]]に似ていると言われている。特にグレート義太夫は一時期、麻原の弟ではないかと[[都市伝説]]になったこともある。&lt;br /&gt;
* 若いころ[[極真会館]]に入門したが、すぐ辞めてしまった。&lt;br /&gt;
* [[代々木ゼミナール]]にいた頃、「麻原彰晃を称える会」があった。&lt;br /&gt;
* 「思ったことを自由に言ってみなさい」と言ったにもかかわらず、信者がありのままに言うと「'''馬鹿野郎! そんなことは聞いていない!'''」と言った。&lt;br /&gt;
* 「裁判中に英語を話した」という記事がある。英文法的には間違いが目立っていたが、単語は難易度の高いものを使っていた。さらに基本的な単語をど忘れした時、弁護人が教える場面も見られた。&lt;br /&gt;
* 1審の初公判で裁判長に「（本名は）松本智津夫ではないのですか」と尋ねられたとき「松本智津夫という名前は捨てました。（今の名前は）麻原彰晃です」と言った。&lt;br /&gt;
* [[東京拘置所]]そばの建造物（高速道路の柱）から超望遠レンズを付けたカメラにより、[[車椅子]]に乗った麻原の姿が撮影されている（当時、東京拘置所の塀の一部が工事のため内部が見えていた。これに気づいた[[宮嶋茂樹]]は同僚と協力し撮影に成功した。週刊誌に掲載後、工事されていた塀はさらに嵩上げされ、撮影場所の建築物付近の警戒が厳しくなっており、近づいたら警察が駆けつけるようになっている）。&lt;br /&gt;
* 1審で死刑判決を受けたとき「'''何故なんだ! ちくしょう!'''」と叫んだ。[[精神鑑定]]で正常と判断された根拠の1つに、腕をひねって「'''痛い!'''」と言ったことが挙げられる。&lt;br /&gt;
* 麻原が出廷した裁判を傍聴した映画監督の[[森達也]]は、[[朝日新聞]]に寄せたコラムに「麻原は[[統合失調症]]であるように見えた」と書いた。その後[[テレビ朝日]]の『[[朝まで生テレビ!]]』に出演した際にも同様の発言をしている。&lt;br /&gt;
* 現在、[[おむつ]]を使用していると報じられている。風呂に自力で入れないので看守等に洗われる訳であるが、体に付着した[[糞]]のせいで風呂場はとんでもないことになる。掃除の際は飛び散った糞を靴で踏んで細かくして流し、[[クレンザー]]で[[殺菌]]するらしい&amp;lt;ref&amp;gt;『獄中で見た麻原彰晃』麻原控訴審弁護人/編 インパクト出版会&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 控訴審の弁護人である松井武によると、麻原は東京拘置所における松井との接見の最中に服の上から股間を擦り、さらに[[陰茎]]を露出させて[[オナニー|自慰行為]]をおこない、[[射精]]に至ったという&amp;lt;ref&amp;gt;麻原控訴審弁護人編『獄中で見た麻原彰晃』p.101（インパクト出版会、2006年）&amp;lt;/ref&amp;gt;。自分の娘たちとの接見でも自慰行為を行ったことがあるという&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊新潮]]』2008年2月7日号「独占手記『麻原彰晃四女』獄中の父が『詐病』と悟った瞬間」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== オウム麻原の四女が暴露「父には100人の愛人がいた」 ==&lt;br /&gt;
教祖だった麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚（57＝以下、麻原）のまわりには、複数の女性信者がいた。色白に長い黒髪――メディアに登場したオウムの女性信者の外見には共通点があった。 &lt;br /&gt;
何とも分かりやすい話だが、これが麻原の好みだった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻原には、教団幹部を務めた妻との間に後継者と目された三女アーチャリーなど2男4女がいる一方、多くの愛人もいた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻原の四女は、自著『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』（[[徳間書店]]）でこう記している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈父の子供は15人いると聞きました〉〈父は4人の女性に自分の子どもを産ませたそうです〉 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
愛人の筆頭格は、教団ナンバー2のマハー・ケイマ（ホーリーネーム、以下同）。「大蔵大臣」を務め、「女帝」とも呼ばれていた。麻原との間に3人の子どもをもうけ、麻原が地方へ行くときなど、 &lt;br /&gt;
妻に代わって同行していたという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は[[徳川家光]]の生まれ変わり――そう吹聴していた麻原は、家光同様に「大奥」制度を敷いたという。四女によると、〈延べ100人の愛人がいたと思われます〉 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまで報じられただけでも、[[上祐史浩]]・[[ひかりの輪]]代表（49）の元恋人とされるウッパラヴァンナーや、教団から一時&amp;quot;脱走&amp;quot;してAVに出演したバドラーなど枚挙にいとまがない。そのほかにも「ダーキニー」と呼ばれる愛人部隊がいた。信者の中から、幹部らが麻原好みの女性を探し出し、面接していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 麻原彰晃の画像 ==&lt;br /&gt;
[[ファイル:麻原彰晃 1.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 2.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 3.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 4.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 5.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 6.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 7.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 8.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 9.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 10.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 11.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 12.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 13.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 14.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 15.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 16.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 17.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 18.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 19.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 20.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 21.jpg|300px]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[高山文彦 (作家)|高山文彦]] 『麻原彰晃の誕生』[[文藝春秋]]、2006年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[オウム真理教]]&lt;br /&gt;
* [[尊師マーチ]]&lt;br /&gt;
* [[泡沫候補]]&lt;br /&gt;
* [[個人崇拝]]&lt;br /&gt;
* [[とんねるずの生でダラダラいかせて!!]]&lt;br /&gt;
* [[中沢新一]]&lt;br /&gt;
* [[島田裕巳]]&lt;br /&gt;
* [[下村満子]]&lt;br /&gt;
* [[横山昭二]]&lt;br /&gt;
* [[渡辺脩]]&lt;br /&gt;
* [[安田好弘]]&lt;br /&gt;
* [[報道におけるタブー]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{オウム真理教}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あさはら しようこう}}&lt;br /&gt;
[[Category:オウム真理教の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政治運動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:国政選挙立候補経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の宗教家]]&lt;br /&gt;
[[Category:阿含宗]]&lt;br /&gt;
[[Category:視覚障害を持つ人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:テロリスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:熊本県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1955年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:新宗教の開祖]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のシンガーソングライター]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の著作家]]&lt;br /&gt;
[[Category:画像が多い記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>福田孝行</title>
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				<updated>2013-07-17T06:56:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア白紙保護}}&lt;br /&gt;
{{ウィキペディア|光市母子殺害事件}}&lt;br /&gt;
'''福田 孝行'''（ふくだ たかゆき、[[1981年]][[3月15日]] - ）は、[[光母子殺害事件]]を起こした、基地外レイプ殺人鬼である。[http://www.seiko-h.ed.jp/ 聖光高等学校]卒業。現在の名前は、'''大月 孝行'''（おおつき たかゆき）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==容貌==&lt;br /&gt;
*容貌は[[葵龍雄]]の[[クソガキどもを糾弾するホームページ]]で知る事が出来るが、'''見るからにアホなキモい顔で彼が現われると世界中の女性が気持ち悪さのあまり倒れてしまう'''というほどである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==福田のふざけた言動==&lt;br /&gt;
*ある日犬がかわいい犬と出会ってやっちゃったこれって罪でしょうか???（罪だよばーか&lt;br /&gt;
*被害者さんでしょ、ありゃぁ調子づいとると思いますわぁ。（てめー泣かすぞ&lt;br /&gt;
*無期懲役なら7年後にこっそり出て来れる。（てめぇは10000000000年だ！！&lt;br /&gt;
*[[ドラえもんが何とかしてくれると思った]]。&lt;br /&gt;
*ちょうちょ結びをしてあげた。（氏ね&lt;br /&gt;
*警察と検察の捏造。&lt;br /&gt;
*抱きついたら首が締まった。&lt;br /&gt;
*来世でAさんと夫婦になる。&lt;br /&gt;
*死体に精子を注入すれば生き返る。&lt;br /&gt;
*AさんとBちゃんは、Cさんが死刑推進運動をしてるのを見て、あの世で怒っている。&lt;br /&gt;
*ぼくをナメないでいただきたい。（殺してぇ・・・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 福田のふざけた獄中書簡 ==&lt;br /&gt;
　『誰が許し、誰が私を裁くのか・・・。そんな人物はこの世にはいないのだ。神に成り代わりし、法廷の守護者達・・・裁判官、サツ、弁護士、検事達・・・。私を裁ける物は、この世にはおらず・・・。二人は帰ってこないのだから・・・。法廷に出てきてほしいものだ・・・何が神だろう・・・サタン！ミカエル！ベリアル！ガブリエル！ただの馬鹿の集まりよ！』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『選ばれし人間は人類のため社会道徳を踏み外し、悪さをする権利がある』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ドストエフスキー『罪と罰』からの引用&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『勝ったと言うべきか負けたと言うべきか？何か心に残るこのモヤ付き・・・。イヤね、つい相手のことを考えてしまってね・・・昔から傷をつけては逃げ勝っている・・・。まあ兎に角だ。二週間後に検事のほうが控訴しなければ終わるよ。長かったな・・・友と別れ、また出会い、またわかれ・・・（中略）心はブルー、外見はハッピー、しかも今はロン毛もハゲチャビン！マジよ！』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
（死刑判決を免れ無期懲役判決が下ったとき）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『ま、しゃーないですね今更。被害者さんのことですやろ？知ってます。ありゃー調子付いてると僕もね、思うとりました。・・・でも記事にして、ちーとでも、気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし』&amp;lt;br&amp;gt;（本村氏に対して）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿（ジャンキー）は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君』 &amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『オイラは、一人の弁ちゃんで、最後まで罪が重くて「死」が近くても「信じる」心をもって、行く。そして、勝って修行、出て頭を下げる。そして晴れて「人間」さ。オレの野望は小説家。へへ』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのまま「やっちゃった」、・・・これは罪でしょうか』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『五年＋仮で８年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（面会に来た友人に対して、カミュの『異邦人』の主人公・ムルソーの事を）＜BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
『もろ俺ジャン！』とうれしげに語った。&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
（註：カミュの小説「異邦人」の主人公・ムルソーは殺人犯ですが、殺人の動機について尋問され、「太陽がまぶしかったからです」と不思議な答えをします。小説の中で死刑になります）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ふざけた弁護士たち一覧 ==&lt;br /&gt;
鬼畜に劣る[[チンカス]]ども、みんなでこいつらに抗議をしよう。&lt;br /&gt;
*[[安田好弘]]　第二東京 港合同法律事務所&lt;br /&gt;
*[[足立修一]]　広島 足立修一法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[村上満宏]]　愛知県 名古屋法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[新谷桂]]　第二東京 リベルテ法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[今枝仁]]　広島 まこと法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[新川登茂宣]]　広島 新川法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[山崎吉男]]　福岡県 大濠総合法律事務所天神オフィス&lt;br /&gt;
*[[大河内秀明]]　横浜 横浜シルク法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[小林修]]　愛知県 小林修法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[河井匡秀]]　東京 河井匡秀法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[本田兆司]]　広島 桂・本田法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[松井武]]　第二東京 港合同法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[山田延廣]]　広島 &lt;br /&gt;
*[[井上明彦]]　広島 広島法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[北潟谷仁]]　札幌 北潟谷法律事務所（[[北潟谷綜]]の父親） &lt;br /&gt;
*[[湯山孝弘]]　第一東京 湯山法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[舟木友比古]]　仙台 舟木法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[岩井信]]　第二東京 優理総合法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[中道武美]]　大阪 中道法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[岡田基志]]　福岡県 岡田基志法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[田上剛]]　広島 たのうえ法律事務所&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/yamaguchishikan.htm 山口屍姦] クソガキどもを糾弾するホームページ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ふくた たかゆき}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで白紙保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:DQN]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:性犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:殺人鬼]]&lt;br /&gt;
[[Category:少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%A5%9E%E4%BD%9C%E8%AD%B2&amp;diff=192493</id>
		<title>神作譲</title>
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				<updated>2013-07-16T07:02:30Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 来歴 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''神作譲'''（かみさくじょう、[[1971年]][[5月11日]] - ）は、[[女子高生コンクリ詰め事件]]を起こした[[性犯罪者の一覧|性犯罪者]]。本事件当時の「少年B」本人であり、元の名前は小倉譲。少年グループ中、正式に本名が公開された唯一の人物。宮野とは中学時代からの先輩・後輩の間柄。年上の宮野の体格を上回る身長約180cmの体格と眉毛まで剃り落とした細いつり目の凶悪な顔つきが特徴であり、まじめに学校生活を送っていた頃の面影は皆無である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
かつてはまじめに学校生活を送っていた過去があり、高校在学中に部を掛け持ちしていた。試合中の事故で怪我をしたのを機に退部。後に不良化して校内暴力を起こし、退学処分となる。[http://www.adachi.ed.jp/adhika/ 足立区立東加平小学校]卒業&amp;amp;[http://www.adachi.ed.jp/adahia-j/ 足立区立東綾瀬中学校]卒業、[http://www.shutoku.ac.jp/ 修徳高等学校]中退&amp;amp;東京都立港工業高等学校（現・[http://www.rokugokoka-h.metro.tokyo.jp/cms/html/top/main/index.html 東京都立六郷工科高等学校]）定時制中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高校中退後にアルバイトを転々とした後に宮野・湊・渡邉（それぞれ少年A・C・D）とともにヤクザの使い走りとなる。下部組織「極青会」の副会長（名目上の役職）だが前述の三人同様に大した扱われ方はされておらず、事務所やトイレの掃除・洗車・買い出し・構成員の手伝いなどといった格下扱いだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本事件での逮捕当時、出所したら少しでも（遺族に）償いたいと泣きながら言っていたが、これは彼の周囲の同情を買うための演技であり、実際は出所してもあまり償っておらず（しかも遺族に慰謝料を払ったのはとても愛娘を殺された遺族に対する慰謝料とは思えないくらいの少ない額であり慰謝料として払うはずのお金をなんと高級住宅やセルシオ（トヨタの高級車）の購入に使っていた）、セルシオを乗り回してドラ息子のような生活を送っていた。また、かつての不良仲間も口を揃えて「あいつ、刑務所行っても、全然懲りてねえぞ。」と呆れ返っていた。後に知人を監禁、さらに暴行を加えた容疑でまたも逮捕される（この逮捕後に彼がコンクリ事件当時の少年B本人である事があきらかになった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コンピューター会社に勤めていた当時の勤務態度は非常に悪く、少年時代と素行の悪さは変わっていなかったため、彼をよく知っているヤクザからかなり怖がられていたようである。また、コンクリ事件を通報した（と思っていた）相手に逆恨みを抱いていた事から事件に対する反省のなさが窺える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1999年]][[8月]]、[[奈良少年刑務所]]を出所&lt;br /&gt;
**中国人と結婚して、[[中華人民共和国|中国]]に行こうとするも離婚。&lt;br /&gt;
**更正保護司の神作久子と養子縁組。（実態のない養子縁組は違法：刑法157条公正証書原本不実記載となる）&lt;br /&gt;
*[[2002年]]、コンピューター関係の会社に勤めるも退職。&lt;br /&gt;
**暴力団事務所に出入りをし出す。&lt;br /&gt;
*[[2004年]][[6月]]、[[埼玉県]][[八潮市]]で逮捕監禁致傷により逮捕。（供述時にかつての「少年B」本人である事が明らかとなる）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 神作語録 ==&lt;br /&gt;
「オレは人を殺したことがあるんだぞ、本当に殺すぞ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「オレは10年間懲役を受けてきて、そこで警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出て来られる。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「アレはマジで楽しかったなあ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「サブリーダーとか言ってるが、オレこそ本当の主犯なんだよ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勤務したコンピュータ会社とは…Japan Media System（末広町）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 準主犯格・神作譲（33）ほか “鬼畜”加害少年たちは今…(2004年) ==&lt;br /&gt;
「かみさくじょうです」。名前を尋ねた裁判官に、180センチあまりの長身の男は答えた。7月28日に開かれた、逮捕監禁致傷事件の被告・神作譲（33）の初公判。被害者男性に東京・足立区内で暴行を加え、車に乗せて母親の経営する埼玉県三郷市内のスナックに監禁。「俺の女を取っただろ」 とさらに殴る蹴るの暴行に及んだという事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は神作被告が、『俺は人を殺したことがあるんだぞ。本当に殺すぞ』、『俺は10年懲役に行ってきた。警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出てこられる』などと脅迫したと主張したが、被告はこれを否認。「これだけで逮捕監禁とは、なんとも言えないんですけど」と述べるなど、その姿に反省の色はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 再犯経緯 ===&lt;br /&gt;
「深夜2時ごろ、家の前に車が止まっていた。あいさつするといきなり『テメエ、この野郎』と殴りかかってきた」。復讐を恐れ、法廷に用意された異例の衝立の中で証言するのは被害者、円山勝男(27)＝仮名、以下同＝の同居人、大木勇三。2004年5月19日、かねてから円山に「女を取った」と濡れ衣を着せていた神作は、計画的に円山を襲撃したのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「右手をグーにして5、6発殴り、路上に血が落ちた。車のトランクを開け、金属バットを円山君の顔の高さぐらいまで上げて『これで殴って殺すぞ』と脅した。それで円山君はトランクに入り、連れ去られた」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌朝6時、大木の携帯に「迎えに来い」と神作から電話がかかる。神作は三郷市内にある母が経営するスナック内で朝まで円山を監禁し、リンチをしていたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、神作は「今回はこんなもんで済んだが、これからもっとエスカレートしていく」と2人に捨てゼリフを吐いて解放する。「今度は殺されると思い、2人で警察に届けを出した」（大木）。神作は逮捕監禁致傷容疑で再び警察の厄介になったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「殺される」と2人が思ったのはワケがある。神作はコンクリ殺人の前科を「実はオレが主犯だった」などと、あたかも輝かしい経歴として笑いながら自慢。そして「平然と『捕まっても警察をだますのは簡単だ』『簡単に刑務所から出れる。精神鑑定にひっかかるフリをすればいい』といっていた」（同）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神作が豪語した巧みな法廷戦術。早くも公判で「人を殺したとは言っていない」と検察側の調べを一部否定してみせた。また、法廷に入る都度、裁判長と弁護士にキチンと頭を下げ「いい子ちゃん」ぶりをみせる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「証人は行方不明です」－。心苦しそうに語るのは検察官。神作を追い詰めようと検察側が法廷で証言させる予定だった被害者、円山は「（復讐を）怖がっていた。ノイローゼ気味になり、8月なかばにいなくなった」（大木）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害者の蒸発という異例の展開。希代の犯罪者は、また何をしでかすかわからない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女子高生コンクリート詰め殺人事件 ===&lt;br /&gt;
神作被告がかつて起こした事件。それが15年前の、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」である。’88年11月25日、三郷市の高校3年生古田順子さん（当時17）はバイト先から自転車で帰宅途中に姿を消した。発見されたのは’89年3月30日。コンクリートを詰められたドラム缶の中の腐敗した遺体という変わり果てた姿だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮野（当時18）、小倉（神作被告・同17）、湊（同16）、渡邉（17）の4人らは、順子さんを猥褻目的で誘拐して足立区綾瀬の湊の自宅2階に監禁し、41日間にわたってレイプや暴行を繰り返し殺したのだった。事件ではこの4人が起訴、ほか少年3人が少年院送致などされたが、その凄惨極まる暴力の内容は例えばこうだ。小泉今日子の『なんてったってアイドル』の曲に合わせて、「イエイ」と歌うたびに殴る。武田鉄矢の曲で「頑張れ」のフレーズに合わせてリンチを加え、女子高生は呟くようにしてその歌を歌っていた。50数キロあった体重は30キロ台に…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、監禁現場の目撃証言によれば、「女のコが全裸で柱に縛りつけられ、部屋の中にはシンナーや酒がごろごろあって、もうひどかった」という状況。まさに鬼畜の所業である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
’91年7月、東京高裁は宮野に懲役20年、神作被告に懲役5年以上10年以下、湊に懲役5年以上9年以下、渡邉に懲役5年以上7年以下を言い渡した。主犯格の宮野以外はすでに出所している。彼らの「今」を追った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 少年B＝神作被告の出所後 ===&lt;br /&gt;
神作被告は’99年8月に出所。4年前に中国人女性と結婚、昨年離婚していた。「神作は日本では働けないと思い、中国で生活するために結婚したようだ。だが、離婚でそれは実現しなかった」とは、さるジャーナリストの話だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出所後、一時コンピュータ関連の会社に就職したが、’02年ごろからは仕事に就かず、暴力団に出入りするようになった。同級生はこう語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「今回の事件報道を見て、仲間と連絡を取り合いました。みんな 『やっぱりあいつはダメだったなぁ。懲りないやつだよ』 と話していましたよ」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親と暮らしていたのは、埼玉県八潮市の木造2階家の2階。1階に入っている設備関連会社の関係者が言う。「お母さんは髪が長くてちょっとハデめ。気さくでいい人だったんじゃないの。せがれは昼間からラフなジャージー着てて遊び人なんだなと思ったね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
向かいの商店主はこんな印象を語る。「息子さんは髪を金色に染めていました。『黄色くなっちゃったね』と言ったら笑ってましたよ。道の向こう側を歩いていても会釈するし、あの人が昔、人間とは思えないひどい事件を起こしていたなんて信じられませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親のスナックで、ホステスを務める女性は今回の事件後、コンクリート殺人事件を知ったという。「7月5日にテレビを見てたら、『元コンクリート事件の小倉』 だって出てて初めて知ったんです。ママからは、『ばれちゃったね。今までずっとひた隠しにしてて、ただただ無理して明るく振る舞って生きてきたけど、もうどうしていいかわからない』っていうメールがきました」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神作被告にも前の事件の“後遺症”は出ていたようだ。ホステスが続ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「昼間でも『ギャー』とか、『ウー』とか叫び出すことがあったって。きっと感情を抑えられなくなるのよね。譲君は、『おふくろ、俺の前にいないでくれ。いるとおふくろを殴ってしまう』って言ってたらしい。譲君もママもずっと生き地獄なんだと思う。死刑になったほうがよかったのかもしれない…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、母親は店にも顔を出さず、自宅にもいない。「たぶん、車の中で寝泊まりしているんだと思います。最近、ママと会うといつも靴が同じなんです。お店に来る前にお風呂に入り、お店が終わってからもう一度入るような人ですから、靴が同じなんて考えられないんです」（ホステス）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月29日に母親に会った際、母親は神作被告から手渡された手紙を見せたという。「『これからは警察の世話になるようなことは二度としないから、おふくろも心配しないでくれ。しばらくの辛抱だからしのいでくれ』って書いてありました。『そんなふうに言われると信じちゃうのよね』ってママは涙を浮かべていました」（ホステス）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、事件後離婚し、別の家庭を持つ父親は本誌の直撃に、「帰ってください」と繰り返し、玄関のドアを閉めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 神作譲被告控訴を取り下げ、懲役4年の実刑が確定(2005年5月) ===&lt;br /&gt;
東京地裁で懲役4年の実刑判決が下り、判決を不服とし東京高裁に控訴していた神作　譲被告が控訴を取り下げた。これにより、懲役4年の実刑判決が確定となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕から判決確定まで拘置所等で過ごした未決勾留日数なども勘案すると、神作受刑者は早ければ2008年後半にも出所する可能性がある。また89年のコンクリート事件で懲役20年の判決を受け、現在服役中の主犯格の宮の受刑者もあと数年で出所するとみられ、凶悪犯人が次々と社会に戻る不安が大きい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主犯宮野と監禁現場宅の湊は… ===&lt;br /&gt;
宮野は現在も服役中だが、2008年ごろ出所する予定だという。以下は法曹関係者の話。「宮野は関西地方の保護司と養子縁組して、まったく別の戸籍に入る手続きが取られました。妹もいるし、家庭のことを鑑みてのことでしょう」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
監禁場所だった湊の自宅は事件後取り壊され、今は別の住居が建っている。近所の住民が言う。「もう15年もたつのねぇ。仕事から帰ってきたらロープが張られていて、事件を聞いたときはもうびっくりでしたよ。湊君の両親は事件後しばらくして引越していったし、その後どうしているか…」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両親が移ったのは埼玉県内である。父親が4～5年前まで勤めていた生花店社長はこんな話をする。「私生活のことはいっさい話さなかったから、事件のことは知らなかったよ。酒ばかり飲んでいたという印象だね」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、両親が住む家を訪ねると、父親とおぼしき男性がインタホン越しに、「お話しすることはありません。お帰りください」と語るのみだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湊は出所後、一時両親のもとに身を寄せていたようだが、その後埼玉県内の1Kの木造アパートで暮らしていた。が、そこも1年ほど前に引き払っている。「仕事は運送業だったと思います。独身でした。4万数千円の家賃を毎月きちんと持ってきていましたし、普通でしたよ。アパートを出るときは、仕事を辞めていたようです」（アパート大家）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の神作被告の事件を湊は知っていたようだが、さる友人には、「何も答えたくない」と語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
渡邉の母親が語った。渡邉は清掃の仕事をする母親と暮らしている。「あの事件のことは、どうして防げなかったのか今でもずっと考えています。息子は出所してから仕事はしていません。目が見えなくなる病気にかかっていて、すぐ入院しないといけないのですが、お金がなくて家でずっと寝ています。夕方になると近くの商店街に晩ご飯を買いに行き、自分の部屋に持って帰って食べています」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
姉家族だけには心を開いているようだが、母親と渡邉が顔を合わせることはほとんどないという。もっとも、最近は“日曜大工”をすることも。「エアコンを取り付けてくれたり、100円ショップでカーペットを買ってきて敷いてくれたりしています」（母親）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件後は（犯人の）親たちの間でこんなことがあったとも。「しばらくはお盆に親御さんが集まって、事件の家に花を捧げに行っていました。でも、最近はもう連絡を取っていません。皆さんも連絡を取りたくないでしょう」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親は、「買い物に行った息子に会うといけないので」と、いつもと違う道を隠れるように歩きながら語った。その姿からは、死ぬまで息子の面倒を見るしかないという諦めが伝わってきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
順子さんが遺棄されていた、江東区若洲の現場には物流センターの建物が建ち、空き地だった当時とはすっかり様変わりしていた。「当時は寂しい所だった。あんなところに捨てられて、可哀相だったね。本当に悲惨な事件だったよ」（現場近くのセメント会社の運転手）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かみさくしよう}}&lt;br /&gt;
[[Category:1971年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:悪魔]]&lt;br /&gt;
[[Category:鬼畜]]&lt;br /&gt;
[[Category:DQN]]&lt;br /&gt;
[[Category:犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:殺人鬼]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:ケフカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:クソガキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:女子高生コンクリート詰め殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:三崎和雄に半殺しにされるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

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		<title>湊伸治</title>
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				<updated>2013-07-16T07:01:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 来歴 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア削除}}&lt;br /&gt;
'''湊 伸治'''（みなと しんじ、[[1972年]][[12月16日]] - ）は、[[女子高生コンクリート詰め事件]]（通称コンクリ事件）の実行犯の一人。事件当時の少年C本人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
兄と違って出来が悪く、父親から度重なる厳しい躾を受けた過去がある。父親の悪い部分を引き継いでしまったのか、弱々しい容姿とは裏腹にかなりキレやすい性格であり、（中学時代こそ普通にしていたが）高校入学当時から校内暴力を起こして1学期で退学処分にされる。その後、中学時代の知り合いである宮野・小倉（神作）・渡邉（それぞれ少年A（後に横山に改姓）・B（後に神作に改姓）・D）と共に暴力団の下部組織「極青会」を結成する。極青会での役職は書記であるが名目上の役職でしかなく、先述の三人同様、単なるパシリぐらいにしか扱われていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼の家（[[足立区]]綾瀬）は不良や暴走族メンバーの溜り場と化しており、被害者はここで地獄の生活を強いられた。かなりの格闘フェチであり、被害者を暴行・虐殺した部屋にはキックボクシング器具があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本事件後、単車の窃盗容疑および別の婦女暴行罪で逮捕されて少年院に収監されていたが、収監中に共犯者の供述でコンクリ事件の犯行に加わっていた事が発覚したため、再逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
*[http://www.adachi.ed.jp/adhika/ 足立区立東加平小学校]卒業&lt;br /&gt;
*[http://www.adachi.ed.jp/adahia-j/ 足立区立東綾瀬中学校]卒業&lt;br /&gt;
*東京都立化学工業高等学校（現・[http://www.st-h.metro.tokyo.jp/ 東京都立科学技術高等学校]）中退（1年の1学期）&lt;br /&gt;
*[[千葉県]][[市川市]]に引越し&lt;br /&gt;
*[[京都市]][[伏見区]]に引越し&lt;br /&gt;
*[[ルーマニア]]人又は[[リヒテンシュタイン]]人と結婚&lt;br /&gt;
*[[大阪府]]に引越し&lt;br /&gt;
*[[福島県|会津]]に引越していたが現在家族もろとも行方不明&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 湊の家族 ==&lt;br /&gt;
湊の家族も女子高生監禁に積極的に協力したので同罪&lt;br /&gt;
*父・靖人－共産党系の病院の事務長をしていたが事件後退職。&lt;br /&gt;
*母・ます子－靖人と同じ病院の看護師をしていたが靖人と同様退職。&lt;br /&gt;
↑この二匹は懲戒免職ではなく自主退職。[[日本共産党]]の党員であったが、除名でなく自主的に離党。&lt;br /&gt;
*兄・恒治－1972年1月21日生。[[神作譲]]（旧姓小倉）の同級生。&lt;br /&gt;
この[[気違い|基地外]]一家は被害者は[[創価学会]]だから死んで当然という態度をとっていた（湊一家が自分を正当化するための'''真っ赤な嘘'''、もちろん本当に創価だとしてもそれで許されると思ってる湊一家の精神はかなりおかしい）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 湊の反吐が出る外道っぷり ==&lt;br /&gt;
*出所後はムエタイ選手としてデビューし、綾瀬のタイ料理屋で試合していた。当然の事ながら味方は少なく、入場するたびに彼を快く思わない観客からブーイングを浴びせられていた。選手としてはそこそこの実力だったが、大した戦績も上げられないまま引退した。ちなみに観客に「コンクリ」というあだ名で呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://web.archive.org/web/20040731031947/www.geocities.co.jp/Athlete-Athlete/5313/Light.html 湊の写真]&lt;br /&gt;
*[http://web.archive.org/web/20040731031947/www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/5313/Light.htm 湊の写真]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://web.archive.org/web/20040731031947/www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/5313/Light.htm &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:みなとしんし}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで削除された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:1972年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:DQN]]&lt;br /&gt;
[[Category:犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:殺人鬼]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:女子高生コンクリート詰め殺人事件]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%A5%9E%E4%BD%9C%E8%AD%B2&amp;diff=192489</id>
		<title>神作譲</title>
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				<updated>2013-07-16T06:55:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: /* 来歴 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''神作譲'''（かみさくじょう、[[1971年]][[5月11日]] - ）は、[[女子高生コンクリ詰め事件]]を起こした[[性犯罪者の一覧|性犯罪者]]。本事件当時の「少年B」本人であり、元の名前は小倉譲。少年グループ中、正式に本名が公開された唯一の人物。宮野とは中学時代からの先輩・後輩の間柄。年上の宮野の体格を上回る身長約180cmの体格と眉毛まで剃り落とした細いつり目の凶悪な顔つきが特徴であり、まじめに学校生活を送っていた頃の面影は皆無である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
かつてはまじめに学校生活を送っていた過去があり、高校在学中に部を掛け持ちしていた。試合中の事故で怪我をしたのを機に退部。後に不良化して校内暴力を起こし、退学処分となる。[http://www.adachi.ed.jp/adhika/ 足立区立東加平小学校]&amp;amp;[http://www.adachi.ed.jp/adahia-j/ 足立区立東綾瀬中学校]卒業、[http://www.shutoku.ac.jp/ 修徳高等学校]中退&amp;amp;東京都立港工業高等学校（現・[http://www.rokugokoka-h.metro.tokyo.jp/cms/html/top/main/index.html 東京都立六郷工科高等学校]）定時制中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高校中退後にアルバイトを転々とした後に宮野・湊・渡邉（それぞれ少年A・C・D）とともにヤクザの使い走りとなる。下部組織「極青会」の副会長（名目上の役職）だが前述の三人同様に大した扱われ方はされておらず、事務所やトイレの掃除・洗車・買い出し・構成員の手伝いなどといった格下扱いだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本事件での逮捕当時、出所したら少しでも（遺族に）償いたいと泣きながら言っていたが、これは彼の周囲の同情を買うための演技であり、実際は出所してもあまり償っておらず（しかも遺族に慰謝料を払ったのはとても愛娘を殺された遺族に対する慰謝料とは思えないくらいの少ない額であり慰謝料として払うはずのお金をなんと高級住宅やセルシオ（トヨタの高級車）の購入に使っていた）、セルシオを乗り回してドラ息子のような生活を送っていた。また、かつての不良仲間も口を揃えて「あいつ、刑務所行っても、全然懲りてねえぞ。」と呆れ返っていた。後に知人を監禁、さらに暴行を加えた容疑でまたも逮捕される（この逮捕後に彼がコンクリ事件当時の少年B本人である事があきらかになった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コンピューター会社に勤めていた当時の勤務態度は非常に悪く、少年時代と素行の悪さは変わっていなかったため、彼をよく知っているヤクザからかなり怖がられていたようである。また、コンクリ事件を通報した（と思っていた）相手に逆恨みを抱いていた事から事件に対する反省のなさが窺える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1999年]][[8月]]、[[奈良少年刑務所]]を出所&lt;br /&gt;
**中国人と結婚して、[[中華人民共和国|中国]]に行こうとするも離婚。&lt;br /&gt;
**更正保護司の神作久子と養子縁組。（実態のない養子縁組は違法：刑法157条公正証書原本不実記載となる）&lt;br /&gt;
*[[2002年]]、コンピューター関係の会社に勤めるも退職。&lt;br /&gt;
**暴力団事務所に出入りをし出す。&lt;br /&gt;
*[[2004年]][[6月]]、[[埼玉県]][[八潮市]]で逮捕監禁致傷により逮捕。（供述時にかつての「少年B」本人である事が明らかとなる）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 神作語録 ==&lt;br /&gt;
「オレは人を殺したことがあるんだぞ、本当に殺すぞ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「オレは10年間懲役を受けてきて、そこで警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出て来られる。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「アレはマジで楽しかったなあ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「サブリーダーとか言ってるが、オレこそ本当の主犯なんだよ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勤務したコンピュータ会社とは…Japan Media System（末広町）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 準主犯格・神作譲（33）ほか “鬼畜”加害少年たちは今…(2004年) ==&lt;br /&gt;
「かみさくじょうです」。名前を尋ねた裁判官に、180センチあまりの長身の男は答えた。7月28日に開かれた、逮捕監禁致傷事件の被告・神作譲（33）の初公判。被害者男性に東京・足立区内で暴行を加え、車に乗せて母親の経営する埼玉県三郷市内のスナックに監禁。「俺の女を取っただろ」 とさらに殴る蹴るの暴行に及んだという事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は神作被告が、『俺は人を殺したことがあるんだぞ。本当に殺すぞ』、『俺は10年懲役に行ってきた。警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出てこられる』などと脅迫したと主張したが、被告はこれを否認。「これだけで逮捕監禁とは、なんとも言えないんですけど」と述べるなど、その姿に反省の色はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 再犯経緯 ===&lt;br /&gt;
「深夜2時ごろ、家の前に車が止まっていた。あいさつするといきなり『テメエ、この野郎』と殴りかかってきた」。復讐を恐れ、法廷に用意された異例の衝立の中で証言するのは被害者、円山勝男(27)＝仮名、以下同＝の同居人、大木勇三。2004年5月19日、かねてから円山に「女を取った」と濡れ衣を着せていた神作は、計画的に円山を襲撃したのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「右手をグーにして5、6発殴り、路上に血が落ちた。車のトランクを開け、金属バットを円山君の顔の高さぐらいまで上げて『これで殴って殺すぞ』と脅した。それで円山君はトランクに入り、連れ去られた」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌朝6時、大木の携帯に「迎えに来い」と神作から電話がかかる。神作は三郷市内にある母が経営するスナック内で朝まで円山を監禁し、リンチをしていたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、神作は「今回はこんなもんで済んだが、これからもっとエスカレートしていく」と2人に捨てゼリフを吐いて解放する。「今度は殺されると思い、2人で警察に届けを出した」（大木）。神作は逮捕監禁致傷容疑で再び警察の厄介になったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「殺される」と2人が思ったのはワケがある。神作はコンクリ殺人の前科を「実はオレが主犯だった」などと、あたかも輝かしい経歴として笑いながら自慢。そして「平然と『捕まっても警察をだますのは簡単だ』『簡単に刑務所から出れる。精神鑑定にひっかかるフリをすればいい』といっていた」（同）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神作が豪語した巧みな法廷戦術。早くも公判で「人を殺したとは言っていない」と検察側の調べを一部否定してみせた。また、法廷に入る都度、裁判長と弁護士にキチンと頭を下げ「いい子ちゃん」ぶりをみせる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「証人は行方不明です」－。心苦しそうに語るのは検察官。神作を追い詰めようと検察側が法廷で証言させる予定だった被害者、円山は「（復讐を）怖がっていた。ノイローゼ気味になり、8月なかばにいなくなった」（大木）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害者の蒸発という異例の展開。希代の犯罪者は、また何をしでかすかわからない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女子高生コンクリート詰め殺人事件 ===&lt;br /&gt;
神作被告がかつて起こした事件。それが15年前の、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」である。’88年11月25日、三郷市の高校3年生古田順子さん（当時17）はバイト先から自転車で帰宅途中に姿を消した。発見されたのは’89年3月30日。コンクリートを詰められたドラム缶の中の腐敗した遺体という変わり果てた姿だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮野（当時18）、小倉（神作被告・同17）、湊（同16）、渡邉（17）の4人らは、順子さんを猥褻目的で誘拐して足立区綾瀬の湊の自宅2階に監禁し、41日間にわたってレイプや暴行を繰り返し殺したのだった。事件ではこの4人が起訴、ほか少年3人が少年院送致などされたが、その凄惨極まる暴力の内容は例えばこうだ。小泉今日子の『なんてったってアイドル』の曲に合わせて、「イエイ」と歌うたびに殴る。武田鉄矢の曲で「頑張れ」のフレーズに合わせてリンチを加え、女子高生は呟くようにしてその歌を歌っていた。50数キロあった体重は30キロ台に…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、監禁現場の目撃証言によれば、「女のコが全裸で柱に縛りつけられ、部屋の中にはシンナーや酒がごろごろあって、もうひどかった」という状況。まさに鬼畜の所業である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
’91年7月、東京高裁は宮野に懲役20年、神作被告に懲役5年以上10年以下、湊に懲役5年以上9年以下、渡邉に懲役5年以上7年以下を言い渡した。主犯格の宮野以外はすでに出所している。彼らの「今」を追った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 少年B＝神作被告の出所後 ===&lt;br /&gt;
神作被告は’99年8月に出所。4年前に中国人女性と結婚、昨年離婚していた。「神作は日本では働けないと思い、中国で生活するために結婚したようだ。だが、離婚でそれは実現しなかった」とは、さるジャーナリストの話だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出所後、一時コンピュータ関連の会社に就職したが、’02年ごろからは仕事に就かず、暴力団に出入りするようになった。同級生はこう語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「今回の事件報道を見て、仲間と連絡を取り合いました。みんな 『やっぱりあいつはダメだったなぁ。懲りないやつだよ』 と話していましたよ」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親と暮らしていたのは、埼玉県八潮市の木造2階家の2階。1階に入っている設備関連会社の関係者が言う。「お母さんは髪が長くてちょっとハデめ。気さくでいい人だったんじゃないの。せがれは昼間からラフなジャージー着てて遊び人なんだなと思ったね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
向かいの商店主はこんな印象を語る。「息子さんは髪を金色に染めていました。『黄色くなっちゃったね』と言ったら笑ってましたよ。道の向こう側を歩いていても会釈するし、あの人が昔、人間とは思えないひどい事件を起こしていたなんて信じられませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親のスナックで、ホステスを務める女性は今回の事件後、コンクリート殺人事件を知ったという。「7月5日にテレビを見てたら、『元コンクリート事件の小倉』 だって出てて初めて知ったんです。ママからは、『ばれちゃったね。今までずっとひた隠しにしてて、ただただ無理して明るく振る舞って生きてきたけど、もうどうしていいかわからない』っていうメールがきました」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神作被告にも前の事件の“後遺症”は出ていたようだ。ホステスが続ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「昼間でも『ギャー』とか、『ウー』とか叫び出すことがあったって。きっと感情を抑えられなくなるのよね。譲君は、『おふくろ、俺の前にいないでくれ。いるとおふくろを殴ってしまう』って言ってたらしい。譲君もママもずっと生き地獄なんだと思う。死刑になったほうがよかったのかもしれない…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、母親は店にも顔を出さず、自宅にもいない。「たぶん、車の中で寝泊まりしているんだと思います。最近、ママと会うといつも靴が同じなんです。お店に来る前にお風呂に入り、お店が終わってからもう一度入るような人ですから、靴が同じなんて考えられないんです」（ホステス）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月29日に母親に会った際、母親は神作被告から手渡された手紙を見せたという。「『これからは警察の世話になるようなことは二度としないから、おふくろも心配しないでくれ。しばらくの辛抱だからしのいでくれ』って書いてありました。『そんなふうに言われると信じちゃうのよね』ってママは涙を浮かべていました」（ホステス）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、事件後離婚し、別の家庭を持つ父親は本誌の直撃に、「帰ってください」と繰り返し、玄関のドアを閉めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 神作譲被告控訴を取り下げ、懲役4年の実刑が確定(2005年5月) ===&lt;br /&gt;
東京地裁で懲役4年の実刑判決が下り、判決を不服とし東京高裁に控訴していた神作　譲被告が控訴を取り下げた。これにより、懲役4年の実刑判決が確定となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕から判決確定まで拘置所等で過ごした未決勾留日数なども勘案すると、神作受刑者は早ければ2008年後半にも出所する可能性がある。また89年のコンクリート事件で懲役20年の判決を受け、現在服役中の主犯格の宮の受刑者もあと数年で出所するとみられ、凶悪犯人が次々と社会に戻る不安が大きい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主犯宮野と監禁現場宅の湊は… ===&lt;br /&gt;
宮野は現在も服役中だが、2008年ごろ出所する予定だという。以下は法曹関係者の話。「宮野は関西地方の保護司と養子縁組して、まったく別の戸籍に入る手続きが取られました。妹もいるし、家庭のことを鑑みてのことでしょう」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
監禁場所だった湊の自宅は事件後取り壊され、今は別の住居が建っている。近所の住民が言う。「もう15年もたつのねぇ。仕事から帰ってきたらロープが張られていて、事件を聞いたときはもうびっくりでしたよ。湊君の両親は事件後しばらくして引越していったし、その後どうしているか…」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両親が移ったのは埼玉県内である。父親が4～5年前まで勤めていた生花店社長はこんな話をする。「私生活のことはいっさい話さなかったから、事件のことは知らなかったよ。酒ばかり飲んでいたという印象だね」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、両親が住む家を訪ねると、父親とおぼしき男性がインタホン越しに、「お話しすることはありません。お帰りください」と語るのみだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湊は出所後、一時両親のもとに身を寄せていたようだが、その後埼玉県内の1Kの木造アパートで暮らしていた。が、そこも1年ほど前に引き払っている。「仕事は運送業だったと思います。独身でした。4万数千円の家賃を毎月きちんと持ってきていましたし、普通でしたよ。アパートを出るときは、仕事を辞めていたようです」（アパート大家）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の神作被告の事件を湊は知っていたようだが、さる友人には、「何も答えたくない」と語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
渡邉の母親が語った。渡邉は清掃の仕事をする母親と暮らしている。「あの事件のことは、どうして防げなかったのか今でもずっと考えています。息子は出所してから仕事はしていません。目が見えなくなる病気にかかっていて、すぐ入院しないといけないのですが、お金がなくて家でずっと寝ています。夕方になると近くの商店街に晩ご飯を買いに行き、自分の部屋に持って帰って食べています」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
姉家族だけには心を開いているようだが、母親と渡邉が顔を合わせることはほとんどないという。もっとも、最近は“日曜大工”をすることも。「エアコンを取り付けてくれたり、100円ショップでカーペットを買ってきて敷いてくれたりしています」（母親）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件後は（犯人の）親たちの間でこんなことがあったとも。「しばらくはお盆に親御さんが集まって、事件の家に花を捧げに行っていました。でも、最近はもう連絡を取っていません。皆さんも連絡を取りたくないでしょう」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親は、「買い物に行った息子に会うといけないので」と、いつもと違う道を隠れるように歩きながら語った。その姿からは、死ぬまで息子の面倒を見るしかないという諦めが伝わってきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
順子さんが遺棄されていた、江東区若洲の現場には物流センターの建物が建ち、空き地だった当時とはすっかり様変わりしていた。「当時は寂しい所だった。あんなところに捨てられて、可哀相だったね。本当に悲惨な事件だったよ」（現場近くのセメント会社の運転手）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かみさくしよう}}&lt;br /&gt;
[[Category:1971年生]]&lt;br /&gt;
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[[Category:女子高生コンクリート詰め殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:三崎和雄に半殺しにされるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%AB%9C%E5%A4%AA%E3%81%AE%E5%85%AC%E5%88%A4&amp;diff=192487</id>
		<title>山本竜太の公判</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%AB%9C%E5%A4%AA%E3%81%AE%E5%85%AC%E5%88%A4&amp;diff=192487"/>
				<updated>2013-07-16T06:46:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[中央大学教授刺殺事件]]の犯人・[[山本竜太]]の公判記録である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 初公判(2010年11月24日) ==&lt;br /&gt;
山本被告が初公判で起訴内容認める&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中央大理工学部教授の高窪統さんを刺殺したとして、殺人罪に問われた卒業生で元家庭用品販売店従業員、山本竜太被告の裁判員裁判初公判が24日、東京地裁（今崎幸彦裁判長）で開かれた。起訴状の間違いの有無を問われた山本被告は「なかったです」と起訴内容を認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護側は「犯行当時、心神耗弱状態だった」と主張。検察側も心神耗弱については争わず、争点となる刑の重さについて裁判員がどう判断するか注目される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同日午前に選任された6人の裁判員の内訳は男女３人ずつで、補充裁判員2人はいずれも女性。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うつむきがちに入廷した山本被告は、白いセーターにグレーのズボン姿。今崎裁判長が名前を尋ねると「山本竜太と申します」と、か細い声で答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「起訴内容は分かりましたか」との問いには「はい」と短く応じたが、顔色は青白く、セーターのすそを手でいじりながら、落ち着きなく瞬きを繰り返した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公判は計5回開かれ、非公開の評議を経て、12月2日に判決が言い渡される。被告人質問は、26、29の両日に予定されている。山本被告の精神鑑定を行った医師の証人尋問も行われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は精神鑑定の結果などから、「刑事責任能力は問える」として、昨年10月に山本被告を殺人罪で起訴。一方、弁護側は公判前整理手続きで、「山本被告は犯行当時、妄想にとらわれる障害があり、責任能力は限定的で心神耗弱状態だった」と主張していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
心神耗弱とは、物事の善悪を判断したり、それに従って行動する能力が著しく損なわれた状態を指し、刑法はこの場合に刑を軽減すると定めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
起訴状によると、山本被告は昨年1月14日、東京都文京区の中央大キャンパスのトイレで、刃物で高窪さんの背中や胸を多数回突き刺して殺害したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 妄想にとりつかれた被告の心…　裁判員にまたも難題 ===&lt;br /&gt;
中央大理工学部教授の高窪統を刺殺したとして、殺人罪に問われた卒業生で元家庭用品販売店従業員、山本竜太被告の裁判員裁判初公判が24日、東京地裁（今崎幸彦裁判長）で開かれた。山本被告は「（間違いは）なかったです」と起訴内容を認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員の内訳は男女３人ずつで、補充裁判員2人はいずれも女性。検察側と弁護側には犯行当時、妄想性障害による心神耗弱状態だったという点に争いはなく、刑の重さを裁判員がどう判断するか注目される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は冒頭陳述で、山本被告が平成11年に大学入学後、人間関係で孤立したことなどから自傷行為を繰り返すようになったと指摘。15年の忘年会では、高窪さんが他の学生と話しているのを見て「疎外されている」と感じ、さらに食中毒になったことで「陥れられた」と研究室全体への不信感を募らせた。20年5月には「周囲に不審な出来事が続くのは教授のせいだ」と殺害を決意したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は、現場の下見を繰り返していたことなどから「周到に準備しており、妄想の影響を考慮しても、一方的な思い込みに基づく動機は、強い非難に値する」と主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対し、弁護側は「高窪さんらに組織的・継続的に監視され、いずれ殺されるという妄想を深めた末の犯行。当時の被告にとって、殺害はやむを得ない選択肢だった」と訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「教授を中心とした団体が自分に危害を加えようとしている」 ===&lt;br /&gt;
恩師を刺殺したとして殺人罪に問われた山本竜太被告について検察側、弁護側はともに妄想性障害に罹患した「心神耗弱」と判断した。妄想にとりつかれた被告の心の中を裁判員らがどう読み取り、刑の重さに反映させるか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
心神耗弱とは物事の善悪を判断したり、それに従って行動する能力が著しく損なわれた状態を指し、刑法はこの場合に刑を軽減すると定めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は精神鑑定の結果、もともと山本被告が持っていたうたぐり深い性格が発展した結果、「教授を殺害すれば不審な出来事がやむかもしれない」などと思うようになったと主張。心神耗弱状態にはあったが、深刻な精神障害はないと結論づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
争点は精神障害が犯行にどの程度影響を及ぼしたか。「プロの裁判官でも意見が分かれる」（刑事裁判に詳しい弁護士）という難しい課題で、鑑定医の結論を裁判員がどの程度理解できるか、制度開始前から不安視されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今年3月、自宅に放火したとして、現住建造物等放火罪に問われた被告の裁判員裁判で、弁護側は「被告は心神喪失か少なくとも心神耗弱だった」として刑を軽くするよう求めた。東京地裁は判決で弁護側の主張を退け責任能力を認めたが、裁判員からは「鑑定医の説明は資料を読んでも分からなかった」との声も漏れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
刑事事件で精神鑑定に携わった経験もある精神科医の日（ひ）向（が）野（の）春（はる）総（ふさ）さんは「心神耗弱がどういった状態にあたるのか一般の人が判断するのは難しい。医学用語を裁判員に詳しく説明する機会を設けるなど、精神鑑定の絡む公判の進め方はもっと慎重に検討されるべきだ」と話している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
妄想性障害…誤った思い込みが長期間持続する精神障害で、統合失調症と近い関係にあると分類される。主な症例として（１）誰かに見張られたり、嫌がらせをされたりしている（２）配偶者や恋人が浮気をしている（３）自分に偉大な才能がある－などと思い込む。厚生労働省が平成20年のサンプリング調査を基に推計した、医療施設で診断された患者数は約１万８千人。元厚生次官ら連続殺傷事件の１審で弁護側が「妄想性障害のため心神喪失か心神耗弱だった疑いがある」と主張し退けられたケースがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 第2回公判(2010年11月26日) ==&lt;br /&gt;
中央大学理工学部教授の高窪統を刺殺したとして殺人罪に問われた卒業生で元家庭用品販売店従業員、山本竜太被告の裁判員裁判員第2回公判が26日午前、東京地裁で始まった。午後には被告人質問が行われる予定で、どのように犯行を思い立ち、計画・実行に移していったか、山本被告本人の口から語られることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「自分を奮い立たせるためにリストカット」…授業についていけず追いつめられた被告 ===&lt;br /&gt;
検察官「それでは朗読します。出生地は神奈川県平塚市だと思います。前科前歴はありません。私には兄弟がおらず、独身です。交際している女性もいません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 検察官は、中央大電気電子工学科に入学し、平成16年3月に卒業、埼玉県狭山市の食品加工会社に就職した後の経歴についての山本被告の供述調書を読み上げていく 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「狭山市の会社の寮に住み、工場に出勤する生活を送りました。やりたい仕事ではなかったですが、内定はここしかなく、とりあえず就職しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 だが、山本被告は1カ月ほどで会社を辞め、その後は図書館やホームセンター、パソコン店のアルバイトやパートを転々とする 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「『能力不足』と判断され、退職を促されました。仕事の能力が備わっていなかったと解雇されました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親しい友人は思い付きません。資産はなく、預金は60万円ぐらいです。趣味はヒーリングミュージックを聴くことです。健康に特におかしいところはありません。血液型はAB型で、右利きです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高校当時の成績はまあまあで、推薦枠で11年4月に中央大に入学しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「1年生の後期には内容が難しく、授業についていけなくなりました。やりたかったことは、人間関係学でしたが、推薦枠で入ったため、転部はできないと言われました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「大学を受け直すしかないけど、やめると、自分の高校の推薦枠が取り消され、先輩や後輩に迷惑をかけることになると思いましたが、人間関係学が勉強できる文教大学をこっそり受験しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 だが、「受験勉強も中途半端だった」ため、あっさり落ちてしまう。それからは「ここで死にもの狂いで勉強するしかない」と、日曜日に終日図書館にこもったりと猛勉強を始めたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「でも逃げ出したいときもありました。電気は僕には無理なんだという気持ちになったとき、自分を奮い立たせるためにリストカットをしました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は1年間、留年した末、ようやく研究室に入れる単位に達し、高窪教授の研究室を選んだ。理由は「2、3年生のとき講義を受けて教え方が丁寧で、生徒に配慮する態度が安心できた」からだという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「しかし、高窪教授は『こいつどういう奴なんだろう』という目で見てきました。リストカットの跡があることを聞いているんだろう。それで、いかがわしい奴と判断してほしくありませんでした」「面と向かっては言いにくく、事務課の人に『リストカットの跡があっても変な目で見ないでください』と伝えてもらいました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 それから１週間後、高窪教授が「ナーバスですね」と話すのを耳にする。山本被告に向かって言ったのではなかったが、教授が山本被告の告げ口で大学側から責められたから当てこすりで言っているのだと感じたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「『いじめじゃない』『ありえない』と電車内で話す人がいました。高窪教授は私をいじめていないという意味だと思いました。なんで突然、私の知らない人がウワサをするのかと思い、このときは、聞き間違いと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 別の教授が「なぜ、しゃべらない。異常だぞ」と別の学生に言っているのも自分のことだと思いはじめていったという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「母と旅行に行った後、誰にも話していないのに同期の学生が『山本さんが旅行に行ったとき…』と話していました。盗聴されているのじゃないかと思いました」「あがってしまい、うまく研究発表できず、高窪教授に相談したことがありました。高窪教授からは『私も緊張する。ビクビクして講義しているんだ。このことは誰にも言わないで』と告げられました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「やらなかったらやられる」「精神的方法で人生を壊そうと」 ===&lt;br /&gt;
殺害決意の理由に法廷は重苦しく &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山本被告は大学5年で、高窪さんの研究室に所属。発表などの際に緊張してしまうことを高窪さんに相談したところ、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自分も講義の時は緊張している」と打ち明けられ、「このことは誰にも言わないで」とも頼まれたという。しかし、山本被告は知人の帝京大学教授にこの話をしてしまう。その後、研究室へ行くと「裏切った」と話している声が聞こえてきたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「なぜみんなが、私が帝京大の教授に高窪教授のことを話したことを知っているのか、と思いました。研究室の人たちに盗聴されているのかと思いました。これまでも、歩いているときに人から『ありえない』といわれたことがありましたが、あれもやっぱり幻聴なんかじゃなかったんだと思いました」「お別れ会では、有名企業に決まった人たちが仕事などについて話していて、高窪教授も加わっていました。私も内定はもらっていましたが、大学の専門と関係のない食品会社で、私だけ仲間はずれにされた感じがしました。高窪教授はほとんど話しかけてくれず、寂しかったです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時、近くのテーブルにいた中年の男性が「高窪教授の足元にも及ばない」と、山本被告に向かって話しかける声が聞こえたという。さらに、お別れ会の翌日、山本被告は食中毒による激しい下痢と吐き気に襲われた。この日は卒業アルバムに載せる研究室の記念写真を撮影する予定だったが、参加を断念。その翌日には研究室へ行ったが、高窪教授に体調について何も聞かれず、不自然に感じたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「この一件で、研究室全体に対する不信感が高まりました。研究室全体が私を陥れて、食中毒にさせたんじゃないかと思いました。高窪教授が裏で糸を引いているかは分からないが、無関係ではあり得ないと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 この後、大学構内を歩いているときや電車内で、周囲の人が「教授がいじめるなんてあり得ない」「教授が勝ち」と言っている声を聞くようになったという。山本被告はこうした出来事が続いたため、「高窪教授が嫌がらせをしているんじゃないか」と考えるようになっていった 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は平成16年3月に大学を卒業した後、同年4月に大手食品メーカーに入社。ここでも、不思議な出来事があったという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「研修のボウリング大会で、スコアボードに自分の名前をもじって『リュウチャン』と書きました。その後、（埼玉県）狭山（市）の寮に入りましたが、近所の5、6歳の男の子に突然、『リュウチャン』と言われました。また、隣の部屋から『何で間違っている』と怒っているような声が聞こえることが、何度もありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 結局、山本被告は「気持ち悪いことが多く、こんな会社にはいられない」と考え、入社からわずか1カ月程度で食品メーカーを退社する。同年5月には、退社の報告をするために高窪教授を研究室に訪ねたが、希望通りの対応をしてもらえず、落胆したという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「何かアドバイスをくれるかと思っていましたが、高窪教授は『そうですか、やめたんですか。仕事が難しかったんですか』というくらいしか言ってくれませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 17年1月には、電子機器関連の会社に入社。しかし、ここは3カ月の試用期間で解雇されてしまう。能力不足などが理由だったという。「大学で習う知識だけでは、会社で通用しない」と考えた山本被告は、同年夏、再び高窪さんを訪ねる 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「それとなく高窪教授に、大学院へ行きたいという気持ちを伝えたかったのですが、『大学院には行かせられない』というようなことを言われました。また、このときにちょうど政治家が自殺したニュースをやっていて『こういう人でも死ぬんですか』と話しかけると、高窪教授は『難しいですね』と言った後、『怖い』と続けました。この話題をした私が怖い、という意味だと感じました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 また、山本被告は実家周辺でも“異変”を感じていたという。この当時、山本被告は実家で家族と同居していたが、向かいの建物の２階シャッターが何日も閉まったままになっているなど不自然さを感じた、と調書の中で説明している。そして、これらの出来事から山本被告が連想したのは、大学時代の研究室だった 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「何で自分だけがこんな目に遭わなければならないのかと、苦しくて苦しくてしょうがなかった、どうやったらここから抜け出せるのかと考えると、いつも思い浮かぶのは高窪研究室でした。中でも高窪教授のことは、切っても切り離せませんでした。やっぱり、高窪教授が私に危害を加えようとしているとしか思えませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここで女性検察官は、取り調べ担当の検事と山本被告のやり取りを、会話形式で紹介した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検事「高窪教授を殺害すれば、どうなると思ったのか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山本被告「自分の周りで起きているおかしなことが終わるかもしれないと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検事「それはどうして？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山本被告「殺せば、高窪教授が本当に裏で糸を引いていたか分かると思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検事「それはどういう意味？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山本被告「高窪教授を殺して、おかしなことがやめば、高窪教授が裏で糸を引いているということが分かると思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検事「人を殺すことは悪いことだと知っていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山本被告「何もしていない人を殺すのは、当然悪いことだと分かっていました。ただ、相手がこちらの人生を奪ったり、殺そうとしているなら、むしろ殺さなければいけないと思いました。やらなければやられるんです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「高窪教授が私を殺そうとしているとは思っていませんでした。物理的な方法ではなく、精神的な方法で私の人生を壊そうとしていると思いました。殺すのは仕方ないと思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「最終的に殺そうと決意したのは、(20年)5月ごろです。具体的に何かあったわけではありません。アルバイトをしていたところから正社員にならないかと声をかけられましたが、このままでは自分の周りに起きている出来事に耐えられず、会社に迷惑をかけてしまうと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「いつまでもこんな生活をしていちゃいけない、と思いました。そのためには、今のままでいるわけにはいかない。高窪教授を殺すことで、自分自身で解決するしかないって思ったんです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「神風特攻隊の心境」「ついにきた」…犯行直前に高揚する被告 ===&lt;br /&gt;
検察官「犯行を平成20年5月ぐらいに決意してから、計画を練る時間がほしいと考えるようになったため、掛け持ちしていた2つのアルバイトのうち、パン屋のバイトを6月末でやめたいと申し出ました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「計画を練り始めた当初から、殺す場所は大学の校内と決めていました。だって、高窪教授の自宅は知らないし、確実に会えるのは大学だと考えていたからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 犯行を決意して約1カ月後の20年6月10日、山本被告は犯行の下見のために大学を訪れる。このときに校内の掲示板で高窪教授が火曜日と水曜日に授業のため出勤してくることや、試験期間の開始日を確認した 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「試験期間が（半年後の）1月15日に始まると知り、それまでに実行しようと決めました。試験期間が始まると、高窪教授がいつ出勤してくるか分からなくなるからです」「この日は、高窪教授のところには行こうとは考えませんでした。殺すと決めた人に会いに行く気にはならなかったからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 具体的な殺害方法や、場所についてどのように考えていたかに話が移る 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「殺す方法は刺し殺そうと決めていました。刺すというのは一番やりやすいからです。高窪教授の個人的なことは全然知らないけど、もしかしたら、武道をやっているかもしれない。一発で殺すためには刺すのが一番です。これについては迷いませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「最初は包丁で刺すことも考えましたが、奪い取られたら逆にこっちが危ない。次に、オノのようなものを考えましたが、オノは重く、体力に自信がないのでやめました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「その結果、ヤリなんかがいいなと考えるようになりました。ですが、売っているところを知りませんでした。でも、ホームセンターで枝きりばさみをみて、分解したらヤリみたいになると思いつきました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高窪教授は、自分が殺そうとしていることを知っているはずだと考えていました。取り上げられたときにもう１本いると考え、用意しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「用を足しているときは無防備で殺せるのではないかと考えました。あるいは、トイレの時間は分からないので歩いているときに襲うことも考えました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 11月下旬から、山本被告は下見を繰り返し、校内の写真を撮影するなどして殺害のイメージトレーニングを重ねた。高窪教授の行動も監視し、待ち伏せする場所などの計画を練り始める。下見の結果、出勤のときは毎回、東門から入ってきていることに気付いた。また、トイレで待機して高窪教授がいつ利用するのかを確認した 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「トイレのドアのすき間に顔を近づけ、じっと外の様子をうかがっていました。ですが、12月中には高窪教授はやってきませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「1月6日の下見のときに、4階のトイレに隠れて10～20分たったころ、高窪教授が入ってきました。格好や背丈から高窪教授だと思いました。本当に来てくれた。待ったかいがあったとうれしくなりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「トイレでの犯行はあきらめていたので、一気に期待感が高まりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 高窪教授の姿をトイレで確認したことで、山本被告は殺害の場所をトイレに絞った。日程も、15日には試験期間に入るため、高窪教授が出勤してくるのは13、14日しかなくなっていた。山本被告は、撮影した写真をもとに殺害のイメージトレーニングを重ねたという。そして、山本被告は殺害前日の13日に最後の下見を行う 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「この日、凶器をもって実行しようと考えていたが、なんとなく本番前の最後の予行演習になると考えていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「サンダルの音がして気持ちを集中させました。高窪教授が入ってきましたが、この日は決心がつきませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「中途半端なことをやっては私がやられてしまう。絶対に殺さなくてはならない。まさに神風特攻隊の気持ちでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「14日はついにこの日が来たと思いました。前日の夜は時々目が覚めました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「何としても今日中に殺さなくてはいけない。命懸けで刃向かってくるだろう。逆に殺されるかも－などと考えていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は下見の通り、午前6時半ごろに校内に入り、4階の空き教室で凶器の準備に入る。そして午前10時ごろに高窪教授の姿を確認した 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「ついにきたと思いました。緊張で顔がこわばっているのが自分でも分かり、神風特攻隊が敵を見つけて飛び立つ心境でした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 殺害の瞬間「心臓がバッグンバッグンものすごい音」…教授は振り向き「あーっ」と叫んだ ===&lt;br /&gt;
男性検察官は、山本被告が東京・後楽園キャンパスのトイレに隠れ、高窪さんを殺害するために待っていた際の心情について説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「廊下からパタパタという足音が聞こえ、いよいよこのときが来たと心臓がドッグンドッグンとしていました。だんだんこっちに近づいてきて、とうとう高窪教授が来たと思い、心臓がさっきよりドッグンドッグンとしているのが分かりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「心臓がバッグンバッグンとものすごい音がしていることが分かりました。昨日何回もシミュレーションしたのを思いだしました。音を立てないようにいったん左側の洗面所に移動して高窪教授に気づかれないよう後ろに立って心臓を突き刺すということをシミュレーションしたので、うまくいくと思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高窪教授は私にさんざん嫌がらせをしてきたから殺されるのは当然ですが、かわいそうだなと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「躊躇したらやられると思い、体ごとぶつかっていこうと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は首にまくネックウォーマーで顔を隠すようにして、コートの中の刃物を握りしめ、トイレの個室から外に出た。3つあるトイレの真ん中に高窪さんがいることを確認した 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「すごく怖かったです。心臓がバクバクバクバクして本当に怖かったです。神風特攻隊が敵の船めがけて突っ込んでいくような気持ちでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「オーバー（コート）から刃物を取り出して先っぽを教授に向けて立ちました。心臓を後ろから突き刺して殺すつもりでした。何度も練習を繰り返しました。刃物の先を高窪教授に向けて刺しましたが、狙いがはずれて右側に刺さっちゃいました。スッていう感じでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高窪教授はびっくりしたみたいで振り向いて『あーっ』と叫びました。痛そうなうめき声というよりも私と気づいて怒っているような感じでした。叫び声を上げるということは想定していなかったので焦りました。死にそうな感じがしなかったのでもう1回か2回突き刺しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高窪教授は必死な顔をして刃物をつかんでいました。私の体を押してきたりもしました。あごを押されたので、口に指が入ってきました。今でも何となくその感触が残っています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 抵抗する高窪さんを何度も刺した山本被告。高窪さんは足を床に投げだし、寝そべった格好で、足をばたつかせたりするが、次第に動かなくなった 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「体の方は床にぺったり付いていましたが、右手が動いていました。これだけ刺してもまだ死なないので焦りました。早く殺して逃げなきゃと焦りました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 倒れた高窪さんの背中を5、6回刺した山本被告。刃物の先が床に当たるほど強く刺していたという。高窪さんはまったく動かなくなり、背中のシャツが血で真っ赤になっていた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「これで死んだと思いました。何で抵抗してこなかったのか不思議に思いました。高窪教授は私に狙われていることに気づいていたはずなのにまったく反撃してこなかったので、こういう展開になるなんてまったく想定していませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「不思議な気持ちでした。天の声とか『殺せ』という声が聞こえたというのはまったくありません。私の意志で殺そうと思って殺したのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 高窪さんを殺害する一連の状況について説明した山本被告の供述調書の読み上げが終わった。続いて、女性検察官が、山本被告が犯行後の行動について説明した供述調書の読み上げを始めた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「一刻も早くここから逃げだそうと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高窪教授を踏まないように横を通り抜けました。ドアが閉まる前にもう一度見ましたが、まったく動かず、間違いなく死んでいると思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告が廊下に出ると、男性が向かっていることに気づく。山本被告は中央階段で3階まで移動し、非常階段で1階まで下りた。手のひらに血が付いていることに気づいたが、怪しまれると思いそのままにしたという。6号館の4階の教室に立ち寄って荷物を取る 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「事件前は、高窪教授にやられるか、すぐに捕まるだろうと思ったので、逃げるルートはまったく考えていませんでした。運良く逃げることができました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 キャンパスを後にし、途中の公衆トイレで手を洗ったり、寺の集会場で凶器の刃物を持ってきていた野球のバットケースにしまい、飯田橋駅まで徒歩で向かった。駅の防犯カメラに写っていた山本被告の画像がモニターに映し出される。山本被告は電車で（神奈川県の）平塚駅まで移動。自宅に帰る途中で平塚八幡宮に寄る 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「無事、帰れるなんて思っていなかったので、ぐるぐる考えていて気持ちが落ち着きませんでした。神社で無心で手を合わせ、絵馬を買いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 絵馬に「終生新旅」と書き込んだ山本被告。その意味はあの世でいい旅ができることを願って書いたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は帰宅してからも、高窪さんの仲間が襲いに来るのではないかと不安を抱えていたが、何も起こらず、犯行翌日は普段通り出勤した。半月後にはトレーナー以外の犯行時に着ていた服を捨て、その2週間後に刃物を捨てた。このときの心情を『捕まりたくなかった。自首する気もなかった』と供述。刑事が来ることを想定し、逮捕されないためのアリバイなどを考えた想定問答集も作っていた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「想定問答は考えていましたが、逮捕されるまで呼び出しもなく、いきなり刑事が家に来たので、もう証拠もあるんだろうなと思ったので、すぐに認めました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テロまで計画、「爆弾の作り方調べた」…犯行後は「刑事さんがきたときほっとした」 ===&lt;br /&gt;
検察官「（平成20年）5月に高窪教授を殺すと決めてからは、周囲の人に変なことをいわれたりすることは減りました。10月以降はいわれた記憶はありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高窪教授を殺せば、教授が本当に裏で糸を引いていたか分かると思いました。捕まれば死刑になるかもしれないと思い、怖かったです。でもどうしても、私への嫌がらせをやめてほしかったのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「幕末に武士が誰かに嫌がらせを受けたとしたら、武士として（殺害を）やったと思います。武士としてのメンツを守るためというか、人間の誇りを守るためというか…。こんなに嫌がらせを受け、追いつめられたから、何もしないわけにはいきませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「嫌がらせを受けるために生まれてきたんじゃないんです。私がどれだけ嫌な思いをしているか、知ってほしかったんです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 高窪さんを殺害した後も、周囲の“異変”は減ったものの、続いたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「事件前から、月曜日はテレビを見ない（同居している）おじは、事件後も月曜日にテレビを見ないままでした。どうして変なことがなくならないのでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私は事件後、ずっと考えていました。また、事件後はすぐに捕まると思っていました。私の生活は高窪教授に盗聴されていたのですから。なんで私を泳がせているのか分かりませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「首謀者は高窪教授以外にいて、嫌がらせを続けているのかと思いました。場合によっては、その人も殺さねばならないのか、と考えていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 ここで、法廷内の大型モニターに小型ノートが映し出された。山本被告の書いたメモだという。ノートにはきちょうめんな文字で、「目的は何か？　個人か？　複数か？」と書き込まれている。高窪さん殺害後も続く異変に、山本被告がとまどっていた様子が浮かび上がる。さらに、別のページには「今は実行するときではない」という記述もあった。女性検察官が、メモの内容について山本被告が説明した調書を読み上げる 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「実行とは騒ぎを起こすことです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「しかし、司法書士を目指そうとしていたときだったのでやめました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 モニターに別のメモが映し出された。これは、先ほどのメモよりもさらに小さいもののようだ。中には、「Ａするしかないのではないか」という記述が見られる 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「Ａというのは、恥ずかしいですがテロのことです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 テロも、首謀者を探すための手段として山本被告が考えたもののようだ。さらに、驚くべき調書の内容が明らかにされた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「爆弾はインターネットで作り方を調べました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「なぜ私を泳がせているのかと思いました。だから、刑事さんが（自宅に）来たときは本当にほっとしました。今も、なぜ刑事さんが来るのがこんなに遅かったのかと、ひっかかっています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私は真実を知りたいのです。首謀者は本当に高窪教授だったのか。一体誰が何のために（嫌がらせを）したのか分からないと、高窪教授を殺したことが正しかったのか、間違っていたのか分かりません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 調書の末尾は、「刑事さん、検事さんにはぜひ明らかにしてほしい」という言葉で結ばれていた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 ここで、検察側が提出した証拠調べが終了し、弁護側が提出した証拠の説明が始まった。男性弁護人がまず取り上げたのは、山本被告の供述調書だ。事件の約2週間前にあたる21年の正月に母親にあてて書いた手紙の内容について説明したものだという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「お母さんへ。今、どのような気持ちでお読みでしょうか。どうしても耐えられませんでした。ごめんなさい。でもこうするしかないと思ったのです。どうしても嫌がらせが、教育のため、指導のためとは思えなかったのです。なぜ嫌がらせをするのか分からなかったのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「一日も早く、企業で正社員として働きたいと思っていました。嫌がらせをやめてもらえない限り、落ち着いて仕事をすることもできなかったのです。相手（自分）がどれだけ迷惑しているか、傷ついているか分かってもらうためには、行動するしかない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ウサギも追いつめられれば、ライオンにかみつくこともあるといいます。弱者も強者に立ち向かっていかねば、この世の中を生きていかれないのかもしれませんね」&lt;br /&gt;
「死刑になるのは怖いです。でも行動しなければ、何も変わらないと思いました。お母さんには迷惑かけてばかりで何もできなくてごめんなさい。今までありがとうございました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 続いて、高窪さんの研究室に所属していた男性の調書が読み上げられた。男性は山本被告と同じく、11年4月に中央大に入学。1年次は同じクラスだったという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「山本君はまじめな印象で、教室でも一人でいることが多かったです。同級生にも敬語で話しかけ、いいところのお坊ちゃんという感じでした。一度、帰り際に『今日は話せて楽しかったです、ありがとうございました』と言われたのは印象的でした。希望に満ちた、ごくごく普通の大学1年生でした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 しかし、留年し、男性の1年後に高窪さんの研究室に入ってきた山本被告は、印象が大きく変わっていたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「以前と違い、表情が硬く、無口で重苦しい雰囲気でした。高窪研究室で何かを学び取らねばならない、という強い決意を感じました。優秀な学部生というわけではなかったですが、食事も取らずに黙々と研究に打ち込んでいました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高窪教授は山本君のことを気に掛け、『彼はまじめでよい子なんです』と言っていました。高窪教授は『実は、山本君の親御さんともコンタクトを取っているんです』とも言っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「平成15年10月、研究室で高窪教授と話していたとき、教授が『山本君は大丈夫なんですか？　彼は大変ですよね』といいました。そのときちょうど山本君が研究室に入ろうとして、その言葉を聞いて去っていったらしいです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高窪教授はその姿を見てしまって、後で『あのときはしまったと思ったんですよ』と話していました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「確かに私たちも変わり者の山本君を敬遠していたかもしれないし、高窪教授も『完璧主義者すぎる』と言っていましたが、悪口をいったり、バカにしたことはなく、基本的にはみんな応援していました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「教授が家庭の事情を知りすぎている」「盗聴されている」…友人にぶちまけた疑念 ===&lt;br /&gt;
供述調書は山本被告の自傷行為の話に移る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「平成15年夏、山本君が半袖を着ていたときに腕の横に何本も古い傷があったのを見ました。怖くて聞けなかったのですが、追いつめられて自傷行為に走っているんだと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高窪教授も山本君の顔の傷を見て気づいていたようで、私に『本人はひげをそるのに失敗したと言っていたけれど、気になります』と言っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告の自傷行為は研究室内では周知の事実だったようだ 》&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
弁護人「山本君は思い込みが激しく、被害妄想を持っているようでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「平成15年の最初のゼミのとき、山本君の発表の中の専門用語が間違っていたので、高窪教授が『その言葉の使い方は気持ち悪いですね』と言いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「山本君は自分の話し方が気持ち悪いと思いこんだようで、体を大きくのけぞらせて動揺しているようでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「平成16年1月ごろ、山本君が私に『申し上げにくいのですが…』と話しかけてきました。そして『どうして僕は盗聴されたりするんでしょうか』と強い口調で聞いてきたのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「びっくりして何のことかと聞き返したら、『教授が僕の家庭の事情を知りすぎているんです。盗聴されているんだとある人に言われたんです』と言いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は自宅が盗聴されていると疑っていたようだが、高窪さんが山本被告の家庭事情を知っていたことには理由があったようだ 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「私は以前、高窪教授から『よく山本君の親御さんとコンタクトをとっているんです』と聞いていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「山本くんに『誰も盗聴なんてしていないよ』といったら彼は『Ａさん（法廷では実名）ではないんですね、疑ってすいません』と言いました。教授だけでなく研究室全員を疑っているようでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 友人はその話をすぐに高窪さんに伝えたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「高窪教授は『悲しい話ですね。研究室に火でもつけられたらいけないから、彼のことを気にかけてやってくださいね』と言いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私は不器用な彼が将来を模索して苦しんでいる姿を見てきました。許されることではありませんが、今回のことは追いつめられた結果ではないかと、不思議と怒りは感じません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 次に平成15年に行われた研究室の忘年会での話に移った 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「山本君は10メートルくらいある長テーブルの左端に座っていて、一度も席を動きませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高窪教授は真ん中に座っていて、山本君とは4～5メートル離れていたので、2人は話していないと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は事件後、捜査員に対し、「忘年会で先生と話せず疎外されていると感じた」と殺害に至った動機を語っている。この忘年会では集団食中毒が発生したが、山本被告は食中毒についても「自分だけ陥れられた」と研究室全体に不信感を持つようになったという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 ここでもう1人の男性弁護人が中央大の非常勤講師だった男性の供述調書の朗読を始めた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「山本君はおとなしく、繊細で常識的な考え方のできる人物だと思っていたので、殺人事件の犯人だなんて最初は信じられませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「山本君は一番前の席で熱心に授業を受けていました。私はそんな彼が気になって本を貸したりしました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 男性はその後、中央大の非常勤講師を退職するが、平成17年秋、突然山本被告から自宅に手紙が届いたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「手紙には『就職したけれど、人間関係でつまずいた。再度大学に入学して人間関係学を学びたい』と書かれていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私はメールを送り返し、実際に4月に新宿で食事をしました。彼は『資格をとるためにパソコンの学校に通っている』と言っていて、熱意を感じ、彼の未来が開けるように前向きな話をしました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「今回の事件の責任はとてつもなく重い。でもその罪の重さに気づき、人のためになる新たな道を探してほしい。むしろその背中を強く押してあげたいと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 次に山本被告が勤めていた電子機器開発製造会社の男性従業員の供述調書の朗読が始まった 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「平成19年5月の初出社日に、山本の両頬に7～8本のひっかいた跡がありびっくりしました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「疑問に思いましたが研究員の中には変わったやつも多いので理由は聞きませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告の自傷行為の跡を見た男性は初日から不信感を抱いたようだ 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「入社後まもなく、山本は就業時間が始まるまでどこかに消えるということを繰り返していました。6月に初めて他部署の人間から『トイレの個室にこもっている』と聞き、注意しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「そのころには山本は仕事ができないと思い、総務部長に『山本は研究員に向かない』と言いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「山本は仕事ができず、『ものは下から上に落ちる』と計算してきたり、使い物にならないと確信しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「決定的だったのは従業員全員で行ったグアム旅行での出来事です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
調書によると、グアムでの社員旅行で、山本被告がバスの車内で突然大声を上げ始めたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「『どうして私だけ…』と叫び、一呼吸置いて『何で…するんだ』と続けました。さらに一呼吸置いて、『わ…じゃないか』と言っていました。大声でしたが、突然のことだったので、聞こえないところもありました。3回くらい、体を震わせながら叫んでいました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「思い当たることといえば、旅行2日目の昼食後、山本が謝ってきた際、『いい、いい』とろくに返事しなかったことくらいです。この一件で早く解雇しなければ、との思いを強くしました。心の病を抱えていると思ったからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「研究員としてだけでなく、他の部署でも役に立たないだろうと考えました。上司（法廷では実名）に進言したところ、上司もグアム旅行の顛末を知っていたため、今度は解雇が決まりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 試用期間での解雇が決まった後も、勤務中の奇妙な行動は目立ったようだ 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「就業時間中、突然いなくなったことがありました。解雇の方針はすでに決まっており、仕事には影響がありませんでしたが、会社に損害を与えるような行動に出られたら困ると思い、研究員全員で社内を捜しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「山本は屋上に通じる階段で、携帯電話で電話をしていました。内容は聞き取れませんでしたが、母親と話し込んでいるようでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私と上司が山本を会議室に呼び出し、『仕事はできないし、グアムでも問題行動があった』と解雇理由を伝えたところ、『仕事を頑張りたい。ここで解雇されれば、もう再就職ができない』といい、『仕事ができないのは、周りの音が気になって集中できないから。理解してください』と話しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私が『あなたは仕事以外で問題を抱えている。解決してからでないと仕事はできない』と話すと、『一日中、真剣に考え、仕事もしている』と反論してきました」&lt;br /&gt;
「実態とかけ離れた自己弁護にばからしくなり私が失笑すると、『上司がそんなだからダメなんだ』と、私の顔の一点を見据え、声を震わせた。やはり心の病なんだ、と思いました。これが山本の本性なのか、と」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ホームセンターのバイトでかごの置き方にこだわり続けた被告…解雇通告に「音が気になり集中できない」 === &lt;br /&gt;
続いて、殺人容疑で逮捕されるまで勤務を続けていたホームセンターの同僚の供述調書が朗読される。山本被告は約2年間、週4日のペースで商品を売り場に陳列する「早朝品出し」の仕事を行っていた。まじめな勤務態度で問題を起こすようなこともなかったが、一点だけ強いこだわりをみせたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「買い物かごを置く位置には、妙なこだわりがありました。決まった場所に決まった向きで置くのですが、場合によっては邪魔になることもありました。はじめのうちは何度か注意しましたが、山本君は注意を聞かず、しばらくするとかごを元に戻していました。気が済まないんだな、とあきらめ、それからは何も言いませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「かごの位置をめぐり、お客さんとトラブルになったこともあったそうです。山本君に話を聞いたところ、『客にかごをどかせ、と怒られてしまった。でも、僕は悪くない』と話していました。実際のところは分かりませんが、そうしたこだわりが影響したのかもしれません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次に、事件の半年ほど前まで勤務していた製パン工場の工場長の供述調書が読み上げられる。平成19年9月から20年6月まで、午前のホームセンター勤務終了後、午後にパン工場で働いていた山本被告は、まじめな勤務態度で高く評価された。工場長から正社員登用の打診を受けたが、「やりたいことが見つかっていない」と応じなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「山本君を呼び出し、『いつか君も家庭を持つ。いつまでもアルバイトを続けているわけにはいかないだろう』と話したところ、『少し考えさせてください』と言われました。返事は1カ月から1カ月半たった20年4月か5月ごろで、『自分のやりたいことが見つかっていない。もう少しこのままでもいいですか』と断られました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「その直後、20年5月下旬ごろ、『パソコン関係の仕事に就くことになったので、退職したい』と申し出がありました。辞めるまでの約1カ月間、ほかの従業員に『お世話になりました』と律義にあいさつして回っていました。変なことを口走るようなこともまったくなかったし、とても事件を起こしたことが信じられません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 続いて、山本被告の幼いころからの知人である、中央大とは別の大学の准教授の供述調書朗読に移る。准教授は山本被告が高校生のとき、山本被告の自宅を訪問した際の記憶を調書で述べている 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「久しぶりに訪れた山本君の家の壁に、以前にはないこぶし大の穴が3、4カ所空いていました。山本君のお母さんに尋ねると、『竜太がやった。（子供のころから習っていた）バイオリンも壊してしまった。包丁を持ち出したこともある』と話していました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 准教授は15年ごろ、山本被告の母親から「息子が大学のゼミ担当教授からパワハラ被害に遭っている」と相談を受けたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「その教授はゼミのパソコンがウイルス感染したときに『お前がウイルスを作った』などとほかのゼミ生に言うなど、人格攻撃をしたという話で、『竜太は理工学部に進んだことを悩んでいる』と話していました。私は大学の事務方に相談したほうがいいと、アドバイスしましたが、その後の話は聞いていません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「平成16年の2月か3月ごろ、山本君本人から自宅に『卒業が決まった。お会いしたい』と連絡があり、2人で会いました。食品会社（法廷では実名）の埼玉の工場に入ると、うれしそうに話していました。本人の口からパワハラの話は出なかったので、『一からスタートしなさい』とだけ励ましました。訪問のことは中央大の関係者を含め、誰にも話をしていません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 ここで女性弁護人に交代し、幼いころから続けてきたピアノの女性講師の供述調書が読み上げられる。講師は山本被告に対する母親の干渉に懸念を抱いていたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「大学を卒業し、就職したがすぐに辞めた、という話は竜太君の母親から聞いていました。具体的な時期は覚えていませんが、竜太君から今後の進路について相談したい、と電話かメールで連絡があり、家に来ました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「具体的な内容は覚えていませんが、私は『母親の言いなりにならず、自分のやりたいことをやりなさい』『母親から離れて一人で生活したらどうか』とアドバイスしました。母親は厳しい人で、いつも竜ちゃん、竜ちゃんと溺愛している様子だった。小中高で竜太君は友だちのいない様子だったが、母親が家に友だちを呼ばないようにして、シャットアウトしている様子でした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 母親は「同級生と遊ばせないようにした」…友だちもなく家庭は「張りつめた空気」 === &lt;br /&gt;
弁護人「竜太君はいつまでたってもお母さんから離れない印象でした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「竜太君はまじめで素直な印象。とても殺人をするようには思えず、今でも信じられません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告の逮捕後にも母親と電話で話したという女性。事件の前兆はなかったのかと問いただしたが、母親は「分からなかった」と答えたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「私は竜太君のお母さんの過剰な期待の影響だと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私としては竜太君を救ってあげられなかったことに悔しさで一杯です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 続いて、山本被告の母親の供述調書の読み上げが始まった 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「事件は口では言い表せないほどのショックでした。高窪先生には竜太のしでかしたことで取り返しのつかないことをしてしまいました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「結婚2年目で（山本被告が）生まれ、地にしっかりと足をつけ、竜のように天高くのぼっていくようにという意味で竜太と名付けました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「世界で一番幸せになってもらおうと、辛いことや嫌なことは絶対に遭わせないようにしようと考えました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 子供時代はやんちゃだったこと、小学校3年で転校し、いじめにあったことなどが読み上げられていく 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「いじめはしばらく続いていました。当時私は働いていたので、私の知らない間にお行儀の悪い子につき合わせたくないと考えました。小学校の同級生と遊ばせないようにしました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 学校の同級生と遊ばせない一方、山本被告が通っていたバイオリン教室やピアノ教室の子供たちとは遊んでいたという。母親はそのおかげで、おっとりしておとなしいいい子に育ったと振り返る。その後、地元の公立中学校には不良がいたため、私立中学校を受験したが不合格。結局、地元の中学校に通った。中学校でもあまり友人はいなかったようだ。都立高校に進んだ後、指定校推薦で中央大への入学が決まる 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「私は文系のほうがいいのではといったが、竜太は『僕は理系だ』といって自分で決めました。うれしそうにしていたのを覚えています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「入学してしばらくして、『授業が難しくてついて行けない』『辞めたい』とこぼすようになりました。ほかの大学に入り直したら、と勧めても『高校に迷惑がかかるからやめられない』と言い張っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は1年生のとき、親に内証でほかの大学を受験。母親もこれに気づき、本人には明かさないまま、こっそり合格発表を見に行った。だが、結果は不合格だった。そのまま中央大に在籍した山本被告。2年生のときには朝6時に学校に向かい、午後111時に帰ってくる生活だったという。家では毎日張りつめたような空気が広がり、親子の会話は徐々になくなった。さらに山本被告の奇行が目立つようになっていく 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「大学5年生の、ちょうど高窪先生の研究室に入ったころからおかしいと感じるようになりました。突然『絶対に卒業しなくちゃいけない』と話すようになったり、壁をげんこつでたたいたりするようになったんです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ガスのメーターを調べる業者の人が来たときも、竜太は『今の誰？　盗聴器を仕掛けたんじゃないの』と話すようになっていました。勉強のせいでおかしくなったのではないかと考えていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 母親は山本被告を病院に連れて行くことも考えたが、連れて行けば自殺するのではないかと考え、できなかったという。リラックスさせるために、母親と2人で長野に旅行したが、ここでも山本被告は思い悩んだ様子だったという。しかし、平成16年の初めごろのある日、山本被告は突然、卒業と就職のメドが立ったことを母親に告げてきたという。実際に卒業し、食品メーカーに就職を果たした山本被告だったが、結局その仕事もすぐに辞めたいとこぼすようになった 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「それからは、仕事を自分で見つけてきても辞めてしまうことの繰り返しでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「竜太のおかしな行動がエスカレートしたことも事実でした。ほおやひじから手首あたりまで切ったような長い傷があったときもありました。精神的なプレッシャーがあったんだと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「平成17年夏ごろには突然、『盗聴器って知っている？』と聞いてきたり、18年夏ごろには『向かいの住民が僕を避けている』と言いだしました。『そんなことない』といっても、竜太は聞きませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 19年夏には、山本被告は会社のグアム旅行で「どうせやめさせるなら、最初から雇わないでほしい」といって暴れたという。母親が会社におわびの電話を入れたが、その電話で解雇を告げられたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「19年夏に、竜太は独り立ちしたいと言って、神奈川県平塚市の親戚の家で生活すると言ってきました。私は嫌だったのですが、すでにアルバイト先も見つけており、しようがなく認めました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「離れて暮らすと、竜太からも電話がかかるようになって特におかしなことを言わなくなりました。だいぶよくなっているのだなと感じました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 事件が起きた昨年1月の前後も、母親は変わった点には気が付かなかったという。ただ、ひとつ気になることを山本被告は母親に言い残していたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護士「事件後に、竜太からは『大学から連絡があったら教えて』といわれていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 母親は5月に警察から、山本被告が高窪さん殺害の疑いをかけられていることを知らされ、頭が真っ白になり、倒れそうになったという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈 被告人質問 〉&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◆逮捕後、38キロまで激やせ　「からかい、ロッカーに閉じこめ」小中時代からいじめで孤立深め &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「私と君が初めてあったのは昨年の6月9日でした。覚えていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「うろ覚えですが覚えています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「私は君に『私は中央大学法学部を卒業し、弁護士になった』と自己紹介をしました。私が中央大出身と聞いてどんな印象を持ちましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「最初は驚きました。同じ大学なので一方的に解釈されたり、誤解されたりしないか心配でした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「私が、君の恐れている“圧力団体”に関与していると思いませんでしたか。今はどう思っていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「関与していると思いました。今は思っていません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「私が圧力団体に関与していないと判断できたのはいつごろでしょうか。なにがきっかけだったのかな？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「2回目に（当時、勾留されていた）東京拘置所にきてから、警視庁から移ってからです。頼んだ書籍を購入して差し入れていただいたことがきっかけだったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「あのころ君は体調が悪かったね。体重はどれくらいだったかな？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「38キロくらいでした。食欲がなくて食事を取らなかったことが原因だったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「先ほどお母さんの調書の中で君が小学校のときにいじめにあっていたというくだりがあったけれど事実ですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「事実です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「どんなことがあったのか話してみて」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「小学校6年のときに、同じ教室の男の子からときどき砂をかけられたりしていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「小学校では『お坊ちゃん』といわれ、からかわれていたことは記憶にありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「記憶にあります。特定の、2～3人の限られた少数の人から、何回もいわれたことです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「小学校でいじめは終わりましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「中学校でもありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「背中をけられてくつの跡がついたと私に言っていましたが、おぼえていますか。それは1回だけでしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「覚えています。2、3回はあったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告はほかにも教室のロッカーに閉じこめられるなどのいじめがあったと語った 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「中学時代は楽しい時代でしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「うーん…その逆でした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「思いだしたくない？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「君は習い事や塾に行っていたようだけれど、それはやりたいことでしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「決してやりたいことではありませんでしたが、母の勧めがあったので習い事は習っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「いじめをしないような子で友達はできましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「小学校ではできました。中学校ではできませんでした。習い事では…できたと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「中学校のころに泥棒に入られましたね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「1回だけありました。犯人は見つかりませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「犯人はどんな人だと家族と話しましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「もしかしたら同じ中学の誰かじゃないかと話しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「君の方から家族にそういったの？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「たぶんそうだったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 弁護人が大学進学時のことについて質問を始めた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「理系と文系どちらに行きたかったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「希望はありませんでしたが、数学が好きだったので理系向きかなという気持ちはありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「中央大学は偏差値が高かったんじゃないの？　推薦枠でそこに進学することは胸を張れることだよね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「…だと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「大学に進むにあたってどんなことを期待していましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「学歴のある大学に行ってちゃんとした企業に就職したいという気持ちがありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「大学で最初は多摩校舎だったけれど充実していましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「充実はしていませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「どの点が欠けていたと思いますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「多摩校舎だったので…後期には後楽園キャンパスに移るので、多摩校舎にはなじめなかったことが欠けていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「大学のカリキュラム以外に何かやってみたいことはなかったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「管弦楽部に入りたいと思っていました。説明会には参加しましたが、実際は入りませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「その理由の一つは多摩校舎にしか管弦楽部がなかったことと、もう一つは勉強についていけるか、不安だったので入部を見送りにしていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「大学では話をする友人はいましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「2、3人はいたと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「どんな話をしていましたか。悩みとか進路とか深い話をする人はできましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「サークルはどこに入ったとか…深い話をする人はできませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「それは君から避けていたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「…自分の方から話しかけはしませんでした。周りからもそういった話はされませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「大学1年時には6単位くらいしか取れませんでしたね。なぜですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「一番大きな理由は、人間関係学について学びたいという気持ちが大きくて、勉学に励まなかったことだと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 大学の授業には身が入らず、試験結果も「思うようにはいかなかった」と話した山本被告。自分だけ取り残されているという孤立感を深めていったようだ 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「尊敬していた」教授が発した「ナーバスですね」　以後幻聴が聞こえ始め… ===&lt;br /&gt;
弁護人「学部の転部もできず、他大受験もうまくいかない。いずれも道がない、となったときの心境はどうでしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「理工学部の電気電子工学科の勉強に専念しようと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「専攻に興味も持てず、中途退学は考えませんでしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「高校に迷惑がかかると思い、取りやめました。指定校推薦がなくなると考えました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 2年生に進級し、勉学に極端なほど熱中していく状況について質問が続く 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「1年次のとりこぼしと、新たに取得しなければいけない単位で負担が増えました。夜にベッドで寝るのをやめ机につっぷして寝るようになったのはそのころからですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「睡眠時間は1日に何時間くらいでしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「6時間くらいだったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「熟睡はできましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「不思議と熟睡できていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「教室では、最前列の中央で授業を受けていたということでしたね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ほとんどそうだったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「最前列の中央を定席と考えた理由は？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「一つは前の席に座ることで気持ちを奮い立たせよう、と。もう一つは目が悪いので、前でないと黒板が見えませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「ほかの学生が自分をどんな目で見ているか、気になりませんでしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「気になりませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「他人の視線はどうでもいい、ということですか。それとも自分が変だということはあり得ない、ということですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「両方です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「ちょっと目立っている、という気持ちはありましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告はこのころ、勉強への集中力を高めるためにリストカットを始めたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「自分を痛めつける必要があったのか。なぜリストカットを始めたんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「どうしても学びたかった人間関係学のことを考えず、今の電気電子工学科の勉強に専念しなければいけないと自分に言い聞かせるため、腕や顔に傷を付けました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「傷つけるのに使ったのはカッターだけですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「初めは図工の授業で使う彫刻刀を使っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「腕は縦に傷つけるんですか。それとも腕を横切るように、横に傷つけるんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「縦が多かったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「顔についてはなぜ傷つけたんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「理由は特にありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「母親は顔の傷に気付いていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「気付いているようでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「理由を尋ねられませんでしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「母からは特に何も言われませんでした。何か言いたそうにはしていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「2年生の時、高窪先生の講義を受講したきっかけは？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「必修だったからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「先生の授業はどうでしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「丁寧で分かりやすく説明される方だと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「優秀、という印象ですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「（沈黙）…はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「言いよどんだのは、何か別の表現がよいからですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「学生がノートを全部書き終わるまで待つ、学生に配慮する先生という印象です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「尊敬していましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「尊敬していました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は4年生のとき、再び高窪さんの講義を受けることに。圧力、熱、音などの「センサー」に関する授業の内容に関心を持った 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「講義を受け、高窪教授に対する評価は２年生のときと変わりましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「気持ちに変化はありませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「尊敬する気持ちは変わらなかった？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「特に変わりませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「大学4年の秋、10の研究室から高窪先生のゼミを選んだ理由は」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「一つはセンサーの研究がしたいと思ったことです。もう一つは研究室説明会の時、院生が研究内容について丁寧に教えてくれました。まじめな院生、学生がいるところで勉強がしたいと思い、高窪先生の研究室に決めました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「自己分析をして、当時の君はよく話す方でしたか。それとも無口でしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「勉学については院生や教授に…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「いや、そこではなくて。研究室に入る前の段階で」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「無口だったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「大学の同級生の供述調書では当時、1年生のころとずいぶん違い、堅く暗い印象を受けた、とありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「勉学については院生や教授に質問に行くことはありましたが、勉学以外ではクラスメートや研究室の人と話をすることはありませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 一つ先の問答を誤って答えた様子の山本被告。質問に淡々と答えているが、事前練習を繰り返した様子がうかがえる 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「高窪教授が『ナーバスですね』と言うのを、そばで聞いていたんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「なぜ、それが自分のことを指すと思ったんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「突然『ナーバスですね』とおっしゃって、前置きもなかったので。自分のことを言っているんじゃないか、と思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「その前に、高窪教授は君のことを見たんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「おそらく見たと思います。高窪先生が自分の後ろの方にいて、目では確認できませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「それから1週間ほどたったころから、校内や電車内などで『ありえない』『いじめじゃない』などという声が聞こえてきたんですね。君の方を向き、君に向かって声をかけてきたんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「こっちを向く人もいれば、携帯電話を見ながら言葉を発する人もいました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「例えば電車の中であれば、どこから声が聞こえましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「例えば脇のほうから。電車を降りる際に『ありえない』と。車内に伝わるような大きな声ではありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「毎日、朝も晩もですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「1週間に3～4日ぐらいです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「それは、君が高窪教授からいじめを受けている、と考えているときに言われたんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「声をかける人の姿を見ましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「見ました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「明らかに君を向いていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「そう受け止めました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 ここで、今崎幸彦裁判長が割って入り、「ありえない」「いじめじゃない」のイントネーションについて質問する。山本被告は、ともに疑問型ではなく断定の意味だと答える 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「突然、声をかけられることを疑問に感じなかったですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「感じました。例えば高窪教授が私をいじめていることについて、大学側から責められているのかな、とも思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自宅で盗聴器探した被告…教授殺害すれば「自分を監視する団体の首謀者が分かると思った」 ===&lt;br /&gt;
質問は、山本被告が高窪さんに盗聴されていると感じた経緯についてだ。山本被告は、高窪さんが山本被告を監視する団体に所属しているとの思いを募らせていた。&lt;br /&gt;
山本被告によると、授業中に別の教授から「なぜしゃべらないのか、異常だぞ」と言われたことがあったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「その発言は君に向かっていったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「私の方は向いていませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「でも君に向かっていったと受け止めたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「なぜ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「その当時、自宅で話をしていなかったので、そのことを指摘して教授が怒ったんだと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「そのことを教授はどうやって知ったと思いますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「盗聴器を使って調べたんじゃないかと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 疑いを募らせた山本被告は、自宅の壁のコンセントをはずしたり、テレビやパソコンを調べたりしたという。しかし、盗聴器は発見できなかった 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「発見できなくても、盗聴されているのは間違いないと思いましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「間違いないと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「今でも間違いないと思いますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「今でも盗聴されていたと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告が監視されていたと主張する団体に質問が及ぶ 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「監視したり、盗聴している人は高窪先生1人ですか、複数ですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「複数と思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「その中で、高窪先生はどんな立場の人だと思っていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「自分のことを盗聴している人の1人だと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 研究室にもこの団体の人物がいるという不信感を募らせていった山本被告。一つの転機になった平成15年12月の研究室の忘年会に話題が移った。山本被告はこの忘年会に参加後、食中毒になり、翌日の集合写真に参加できなかった。研究室から陥れられたと思いこむようになる 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「忘年会で他の人が食中毒を君に訴えましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「そういうことはなかったです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「食中毒になったことについて研究室の人からは声をかけられましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「声はかけられませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「撮れなかった集合写真について話した人はいましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「いません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「誰かに尋ねましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「誰にも尋ねませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 続いて、食中毒になった後、山本被告が高窪さんを訪ねたときの質問に及んだ 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「訪ねたのは食中毒になったことの報告が主たる目的ですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「いいえ、違います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「どんな目的ですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「食中毒にかかったか、聞きたくて行きました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「それだけですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「盗聴器を仕掛けているか、聞きにいきました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「君の周りに仕掛けたということ？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 ここで、「いま聞いている、訪問とはいつのことか」と今崎幸彦裁判長が確認した。男性弁護人は16年9月だと即答する。このとき、山本被告はすでに大学を卒業しており就職した食品メーカーも退職していた。弁護人は退職の原因について聞いた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「退職に高窪先生が関与していたと思いますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「いいえ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「退職の理由は何ですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「（しばらく考え込んで）会社の寮の隣の部屋から『何で間違っている』という声が聞こえたり、夜中に音楽をかけたりしていたからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「隣の人も君を監視する団体に関係あると思いますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は、この後転職した会社や自宅の前でも不審な人物を目撃し、自分を監視しているように感じていたという。その組織は、高窪さんの指示を受けて山本被告の調査をしているのではないかと思ったという。その中で、山本被告は高窪さんが組織の上位にいると感じるようになった 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 殺害の動機に質問が及ぶ 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「組織の監視から逃れるため３つの方法を考えましたね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「自殺は考えましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「考えました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「なぜやめたんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「自殺しても何も変わらないと考えたからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「いじめ殺されることも待ちましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「それはいやだった？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「3つめが高窪先生を殺害することですね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「殺害の効果についてはどう考えていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「団体の首謀者が分かると思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「殺意が揺らぐことはなかったですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 証拠採用された、山本被告が中央大学の廊下を走る様子を撮影した動画について弁護人が質問した 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「あれはどういう動画だったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「高窪先生が中央階段から研究室に入っていく様子を調べるために撮りました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「廊下で殺害したことも想定していたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「最初から選択肢に入っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は廊下で背後から高窪さんを襲うことも考えていたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「高窪先生が防刃チョッキを着ていたと考えていたんですよね。それなら廊下で背中から襲っても刺さらない可能性がありますが…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「刺さるかどうかは別にして、一度やってみて刺さらなかったら、別のところを攻撃しようと考えてました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 ここで、今崎裁判長が再度、動画の意図について確認する。山本被告は前を向いて「時間や歩き方を調べるために撮りました」と回答した 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「今日はこれで終わります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今崎裁判長は29日に、引き続き被告人質問と、鑑定医の証言を聞く予定であることを告げ、この日の公判は終了した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 第3回公判(11月29日) ==&lt;br /&gt;
〈 被告人質問 〉&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「あの世で教授と新たな出会いができたら」…絵馬に記した「終生新旅」の意味語る被告 ===&lt;br /&gt;
裁判長「それでは、開廷いたします。前回に引き続き、被告人質問を行います。被告、前に出てきてください」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「弁護人お願いします」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「では質問を始めます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「今回は少しネジを巻き戻して話を聞きたいと思います。（事件直前の）昨年の正月、あなたは手紙を書きましたね。誰に向かって書きましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「主に母親です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「（当時、まだ起きていなかった）今回の事件が、あたかも過去形のように書かれていますが、これは意識して書いたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい、意識しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「どんな気持ちで書きましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「（事件後に）逮捕されたり、誰かに殺害されたりする前に、母に気持ちを理解してほしいと思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「逮捕されることと、殺されること、どちらの可能性が高いと思っていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「後者の方です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 ここから、弁護人の質問は、事件前に山本被告が存在すると信じていたとされる「高窪教授が首謀者の圧力団体」に関するものに移っていく 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「高窪教授を要とする圧力団体が存在する確率はパーセントでいうと、どれぐらいでしたか。100%でしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「事件当時は100%でした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「あなたは、事件の動機について、高窪教授を殺せば教授が団体の首謀者かどうか分かる、と話していましたが、これは、高窪教授が首謀者であるという確信を持っていなかった、ということではないんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「確信を持っていたからこそ、高窪教授を殺せば、何か分かると思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 あくまでも高窪教授によって、身の周りの不審な出来事が起きていたと信じていたという山本被告 。弁護人はさらに、高窪教授殺害後の心境や行動の意味について問いかける。高窪教授殺害後、歩いてＪＲ飯田橋駅まで向かい、神奈川県の平塚駅まで電車に乗っていった山本被告。駅到着後は平塚八幡宮へ向かったという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「平塚天満宮（実際には平塚八幡宮のこと）に寄りましたが、いつの時点から（寄ることを）考えていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「駅に着いた時点です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「何をしようとしましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「お参りして気持ちを落ち着かせようと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「どんなことをお参りしようと思いました？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「殺害当時、高窪教授を憎んでいましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「憎しみではなく、怒りだったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「殺害成功後、怒りの気持ちは整理できましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「達成感は？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「感じました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「天満宮（実際には平塚八幡宮）で参拝することは、達成感を持てたことの報告ですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「いえ、違います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「では、何をしようと思ったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「もしかしたら、誰かが自分の命を狙ってくるかもしれないので、もし命を落としたときに、あの世で新たな旅ができるようにと思い、お参りしました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「絵馬を書こうとどの時点で考えましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「お参りの後です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「『終生新旅』の『終生』は、具体的に何をイメージしたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「誰かから命を奪われて死んでしまうかもしれない、あるいは法廷で死刑になるかもしれない。そうなったら、あの世で新たな旅ができるようにと思って書きました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「『終生』とは、あなたの命が終わるということ？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「私と高窪教授です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「『終生新旅』とは、あの世で高窪教授と出会えればいいという意味が入っているのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「あの世では、高窪教授と仲良くできると思ったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「この世ではいい出会いができなかったけど、あの世ではいい出会いができればと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 死後の世界で高窪教授との新たな出会いを願い、絵馬に「終生新旅」と記した山本被告。その後、当時住んでいた叔父の家に帰宅した 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「（事件当日の）夜は何をしていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「（凶器として用意した）枝切りばさみをそばに置き、電気ストーブの脇で体育座りをして、寝ないでいました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「事件後、圧力団体から攻撃は？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「なくなりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「理由は考えましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「考えたけど、うまく考えることができませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 ここで山本被告は、実は高窪教授が首謀者ではないのではないか、と思い始めたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「首謀者じゃないことから、目立った攻撃はしてこないのではと考えたのではないですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「逮捕されたときの気持ちは？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ほっとしました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「何にほっとしましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「圧力団体ではなく、ちゃんとした警察の人が来たことにほっとしました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 圧力団体存在の可能性「今も50%」「大切な人奪い申し訳ない」と遺族に謝罪 ===&lt;br /&gt;
弁護人「高窪教授が圧力団体の首謀者でない可能性はどれくらいだと考えていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「50%程度と考えていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「圧力団体が実在する可能性は？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「50%程度です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「なぜ考えが変わったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は両手をひざの上におき、沈黙する。しきりに瞬きを繰り返し、口を開いた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「逮捕されてから、以前のような『イジメだ』『ありえない』という言葉が聞こえず、普通に生活できたからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「起訴後、ほかの警察署に移送されましたね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「少し状態が悪い方に変化しましたか？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「そうは思っていません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「とても落ち着かない様子に見えましたが、そんな気持ちはありましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「何に落ち着かなかったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「起訴された後、少し気持ちが動揺しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「動揺だけですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「それともう１つ、体調不良がありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「（山本被告は）小さな物音にもびっくりして、警戒するような表情をしていました。何かに警戒していたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「警戒心を持っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「何に警戒をしていたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「もしかしたら、警察の中に圧力団体に属する人がいるのではないかと警戒していました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告はこの時期、他人がぶつぶつ言葉を発する声が聞こえ、自分への何らかの警告ではないかと気にしていたという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「看守の人から私のところに連絡があり、『壁に向かって正座して、小さな言葉を発していて様子が少しおかしい』と言ってきました。覚えていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「記憶に残っています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「壁に向かって何を考えていたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「裁判になったとき、どう回答したらいいのか考えて正座したのだと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「『高窪教授の遺族がどうしているのか確認する方法はないか』と尋ねていたことがありましたが、どうしてですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「遺族がどうしているのか気になりました。例えば、息子さん、娘さんがちゃんと学校に行っているのか考えました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「遺族に対して申し訳ないという気持ちはありましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 弁護人は看守から『山本被告がうつぶせになって大の字になっている』という報告があったことを明らかにして、山本被告に当時の思いを尋ねる。山本被告は「覚えていない」と繰り返した 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は平成21年10月30日、警察署から東京拘置所に移送された。弁護人はこの移送後、山本被告の様子がさらに悪化していったと指摘する 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「私の質問に答えなかったり、答えが遅いことが続きました。答えたくない気持ちがあったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「どういう風に答えたらいいのか分かりませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 その後も状態がよくならない山本被告は22年3月10日、再び拘置所から警視庁の警察署に移送される 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「その後も私の問いに答えないことが続きました。理由は」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「気持ちがめいっていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「どんなことを考えていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「両親がどうしているのか（考えていました）。裁判が近づき、裁判がどうなるのか不安でした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「警視庁の職員に食事や水分を取ることを止めると宣言したことはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「宣言していません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「今は気持ちも落ち着いていると思うが、圧力団体が実在している可能性は何％だと考えていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「50%程度です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「実在しているとして、高窪教授が首謀者の可能性は何％だと考えていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「0%です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「高窪教授が圧力団体に関与している可能性は？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「50%程度です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「圧力団体が存在して、高窪教授が団体に関与しているという前提で、高窪教授を殺害したことについてどんな気持ちを持っていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「殺してしまったこと、命を奪ったことは仕方ないと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「圧力団体が存在せず、高窪教授が団体に関与していない前提では？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「申し訳ないことをしたと思っています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「圧力団体が存在して、高窪教授が団体に関与している前提で、高窪教授の遺族についてはどう思いますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「申し訳ないことをしたと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「何について？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「高窪教授を殺してしまい、遺族にとっては大切な人を奪ったことを申し訳ないと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「圧力団体が存在せず、高窪教授が団体に関与していない前提ではどうですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「同じように申し訳ないと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「もし刑を終えて出所することがあったら、法廷で指摘されているように精神的な病気があると考え、治療を受けようと考えていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「必要であれば、しようと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「私の質問はこれで終わりますが、何か説明したいことはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「特にないです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 続いて、今崎裁判長に促され、男性検察官が質問を始めた》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「護身用に武器を持ったことはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「それはなかったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「果物ナイフを持ったことはありませんか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「中学校のとき、一度だけ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「そのナイフをみんなの前でみせたことは」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「同級生5、6人から暴力を受けたとき、見せたことはありませんか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「どうして同級生に見せたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「身を守るためです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「攻撃のためではなく、見せるだけでしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「その後、イジメはありましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「落ち着きました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 高校では友達ができ、落ち着いた学生生活を送った山本被告。検察官の質問は大学の5年目に、高窪教授の研究室に入ったときのことに移る 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「当初は高窪教授に尊敬の気持ちはありましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「研究室に入った当初は尊敬していました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「5年のときは研究室にちゃんと行っていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「後半は行かない日が多かったです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件悔やむ一方で「殺さなければ伝わらないと思った」 ===&lt;br /&gt;
検察官「なぜ研究室に行かなくなったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「研究室の院生や学生、教授から不審な目で見られると感じたからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 検察側の冒頭陳述などによると、山本被告は大学入学後、人間関係で孤立したことなどから、顔や腕を刃物で傷つける自傷行為を始めるようになる。研究室に入った後も、自傷行為の跡があることを高窪教授らに不審な目で見られているのではないかと感じるようになり、事務室の職員に「不審な目で見ないでほしいと高窪教授に伝えてほしい」と依頼したこともあったという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「不審な目で見られると、どうして研究室に行かなくなるのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 検察官の問いに、山本被告は数秒間沈黙した後、「行きづらかったです」とだけ答えた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「研究室へ行かないことについて、高窪教授に何かいわれたことはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「特になかったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「学生時代、高窪教授から厳しく怒られたことはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「高窪教授は、他の学生を叱責することはありましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありました。発表の際、専門用語の使い方を間違っている場合などに、叱責したことはあると思います。たとえば、『その言葉遣いは間違っていますね』といった感じに」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「あなたの卒業論文のテーマは何でしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「消費電力を低く抑える、低消費電力に関するテーマでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「そのテーマはあなたが一人で考えたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「院生に相談しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「高窪教授からもアドバイスを受けたのではないですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「アドバイスはありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「どのようなアドバイスでしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はっきりとは覚えていません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「あなたは研究室にほとんど顔を出さず、ゼミ合宿にも行かなかったといいます。そういう学生は普通、卒業させてもらえるのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「後半から研究室に行くことは少なくなりましたが、それまで（の出席）を評価してもらえたのと、卒業論文をしっかりと書いたので、そこを評価してもらえたのではないでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「高窪教授があなたの卒業のために骨を折ってくれたという思いはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「卒業論文の提出の1カ月前に自宅に電話があり、『卒業論文はちゃんと出した方がいいよ』といわれました。卒業論文を出さずにもう一年留年しようと思っていましたが、出すことにしました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「留年するつもりだったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 男性検察官が、意外な様子で問い直した 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「留年して、別の研究室に入ろうと思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「なぜその考えを変えたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「高窪教授のアドバイスを受け入れた方がいいと思ったからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「自分が卒業できたのは、高窪教授の力添えがあったから、という意識はありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「持っています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「卒業後も、感謝の気持ちは持っていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「持っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 さらに、検察官は卒業後の高窪教授とのやり取りについても質問した。山本被告は卒業後に2回、研究室に高窪教授を訪ねている 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「前回の被告人質問で、弁護人の質問に、高窪教授に会いに行った理由について『食中毒の件と盗聴器のことを聞きに行こうとした』と話していましたね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「取り調べをした検事には『就職がうまくいかないことについて、相談に行った』と話していませんか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「あ、はい。それと、食中毒の件と盗聴器の件を聞きたかったんです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「このとき、高窪教授を信頼する気持ちと疑う気持ち、両方があったということですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「結局、2回とも食中毒や盗聴のことを聞けなかったのはなぜですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「質問するのが怖かったからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「どういうことですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「質問したら、かえって不審に思われるのではないかと思い、聞けませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「高窪教授が圧力団体の中心人物であるという確信は、このときは持っていなかったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「このとき思い切って聞いておけば、良かったのでは？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「そう思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「このとき疑問が解けていれば、今回の事件は起こらなかったかもしれませんよ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は「はい」と小さく答えた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「１回目に訪ねたときは、高窪教授に履歴書の書き方を教えてもらったんですね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「これはあなたが聞いたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「私から具体的にどういうことを教えてほしい、とはいいませんでしたが、高窪教授が具体的にアドバイスしてくれました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「教授に感謝しましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「感謝しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「２回とも、アポイントメントは取ってから訪ねたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「アポイントメントは取らなかったです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「高窪教授は、嫌な顔をしませんでしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「しませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「学生時代に、高窪教授に迷惑をかけたという気持ちはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「あります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「卒業後も感謝する気持ちはありましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「あります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《「嫌がらせのこと、（犯行よりも）事前に確かめることはできなかったの？」と検察官がたたみかけると、山本被告は「あいさつしたときにちゃんと確かめておけばよかったと思います」と淡々と答えた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「あなたは、いくつかの会社を能力不足という理由で解雇されていますが、その理由には納得していましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「納得していました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「能力不足という以外に原因があると考えたことはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「あります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「どんなこと？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「自分に嫌がらせをする団体が、会社に話をしてやめさせようとしているんじゃないかと思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「どちらが大きいと思っていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「両方とも同じくらい。５０％、５０％ぐらいだったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「周囲の人があなたに向かって『ありえない』といったり、付近の家のシャッターが不審に閉まっていても、あなたの身に何かが起きているわけではないですよね。それなのに、なぜ高窪教授を殺したのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は事件前に、路上や電車内で見知らぬ人から「教授がいじめるなんてありえない」などと話しかけられたり、自宅近くの家のシャッターが長時間閉まっているなど、自分への「嫌がらせ」が続いていたと説明していた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「不審に思っていた出来事が、高窪研究室に入ってから始まったので、高窪教授が何かしていたんじゃないかと思い、高窪教授を殺害する方向に向かっていったんだと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「どうして、殺人という大それたことまでやっちゃったの？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「殺すということまで、命を奪うということまでしなければ、迷惑しているという気持ちが伝わらないんじゃないかと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「でも、死んじゃった相手には気持ちは伝わらないのでは？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「高窪教授以外にも嫌がらせをしている人がいると思っていたので、そういう人たちに『ありえない』といったり、シャッターを閉めたりするのをやめてほしいと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 また、検察官は捜査段階の供述調書の内容についても質問した。山本被告は取り調べの検事に、動機について「幕末に武士が誰かに嫌がらせを受けたとしたら、武士として（殺害を）やったと思います。武士としてのメンツを守るためというか、人間の誇りを守るためというか…。こんなに嫌がらせを受け、追いつめられたから、何もしないわけにはいきませんでした」と話したという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「こういう江戸時代の武士の話には興味があるのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「歴史や日本史が好きで、そういった小説を読むのが好きだったので、そういう気持ちを持っていたのだと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「高窪教授を殺害するにあたって、こういう考え方が背景にあったということですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「高窪教授が団体の首謀者」と思いつつも「どこかで尊敬していた」被告 === &lt;br /&gt;
検察官「事件前、あなたは３つ考えがありましたよね。自殺する、座して死を待つ、高窪教授を殺害する」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「座して死を待つというのは、武士の考えとは真逆のような考えだと思いますが」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「重い意味があるんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「座して死を待つという考えを持っていたんですけど、その考えはなくなって高窪教授を殺すという考えになりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「武士の精神の価値観としては正しい考えだと思っていたんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「今も？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「今もそういう風に考えています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 検察官は、再び山本被告が事件前に存在すると信じていたとされる「高窪教授が首謀者の圧力団体」についての質問に移る 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「高窪教授が団体に関与していたとするなら、殺害は後悔していない？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「武士の精神につながっていると？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「つながっていると思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は、高窪教授が圧力団体の要だと確信するようになったのは、神奈川県平塚市にある叔父の家に引っ越した後の平成20年2月くらいだと説明する 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「きっかけは？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「なぜいじめじゃない、あり得ないと考えているうちにいつの間にかです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「特別なきっかけはない？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「平成20年2月以降は高窪教授を殺してしまって、もし団体と無関係ならどうしようと考えなかった？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「なかったです。100%（高窪教授が）要で間違いないと思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「当時は（団体の）首謀者がはっきりとはしていなかったんでは？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「首謀者が分かっていないから殺すのではなく、首謀者が分かっているから殺すという…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は、逮捕後の取り調べでは、「高窪教授が団体の要だという気持ちは90%」と話していたことから、検察官は現在の説明と異なると指摘。山本被告は「90%です」と答えると、すかさず裁判長が質問した 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「90%くらいで正しいの？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「多分、高窪教授が要であることは間違いないけど、少し疑いもあるという気持ちでいいのかな？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「高窪教授を殺せば首謀者が分かると思っていたということで間違いないのかな？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「間違ってないです。正しいです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「警察官が逮捕しに来たときは、ほっとしたと？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「警察が圧力団体とつながっているとは思わなかった？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「10%くらい思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「事件前に、高窪教授に嫌がらせをされているということについて、警察に助けを求めようという選択肢がないのはなぜ？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「被害妄想や勘違いと思われる可能性があったからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「事件前に大学に下見に行ったり、刃物を入れるケースを買ったり、準備をしましたよね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「高窪教授が自分を盗聴していて、行動が筒抜けと思っていたら準備しても無駄だと思わなかった？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ばれるんじゃないかと思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「準備せずに『えい』っていっちゃえばよかったんじゃない？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「10%ほど、気づいていないと考えて準備していたんだと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 検察官が立ち上がり、山本被告に資料を見せる。山本被告が平成21年の正月ごろに書いた母親にあてた遺書めいた手紙だという。手紙には高窪教授については書かれていないと指摘されるが、山本被告は「書かなくてもすぐに分かるだろうと思っていた」と答える」》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「殺害したとき、50カ所近くの刺し傷がありますが、1つ1つ覚えていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「覚えていません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「うつぶせの高窪教授について記憶の中で絵として浮かんできますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「足をばたつかせて抵抗したりしていたけど、最後はうつぶせになった？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「間違いないです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「背中を突き刺したことも？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 検察官は、殺害後、神社に立ち寄り、絵馬に『終生新旅』と書いたときの心境について尋ねる 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「あの世でまたいい出会いができたらということとのことですが、自分が殺したんですよね。この世での出会いは最悪ですよね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「それがなぜあの世でのいい出会いということになるんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「どこかで高窪教授のことを尊敬している気持ちがあったからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「弁護人の質問には尊敬していないと」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「やはり10%ほど高窪教授を尊敬したり、どこかで敬う気持ちがあったからあの世でお互いいい出会いができるようにという気持ちを込めて書いたんだと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 続いて検察官は、山本被告が取り調べに対し「事件後に自首の気持ちはなく、テロを考え爆弾を作ろうという考えを持っていた」と供述していたことについて言及する 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「なぜ、そういう（爆弾テロ）考えを持った？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「圧力団体が動くんじゃないかと思いました。盗聴すると思っていたのでその前に止めに来ると」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「ああ…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 検察官が質問の答えに一瞬、言葉を詰まらせた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 質問は、山本被告は事件後、司法試験の勉強をしていたことに移った。山本被告によると、その理由は「法律を学べば人を殺すとどうなるか分かると思ったから」だという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「人を殺すって大変なことと思っていた？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「逮捕してから、検事や精神科医などいろいろな人があなたの話を聞きましたよね。きっかけがあれば信頼関係を築くことができるんじゃないんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「誰かに相談して不安を取り除いていれば、高窪教授との間でも疑いが解けてこんなことにならなかったとは思わない？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「今振り返ってみればできたんじゃないんですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「武士道」「特攻隊」犯行時の心境表す言葉の意味…「殺せば味方の団体から攻撃されると思った」 ===&lt;br /&gt;
検察官「精神鑑定の結果、あなたは妄想性障害という心の病だと診断されました。あなたはこの診断について、納得していますか。それとも、よく分からないという気持ちですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「後者です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「自分自身の中で、完全に納得しているわけではないということですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「逆に、鑑定医の先生がそうおっしゃるなら、そうかもしれないと思っているのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「さきほどの弁護人の質問にもありましたが、圧力団体が存在するのかどうかということについては、フィフティフィフティということですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「あなたはさきほど弁護人から、将来社会復帰した場合にカウンセリングや弁護士の援助を受けるつもりがあるか問われ、『必要があれば』と話していました。それは、誰が判断することだと考えていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「鑑定医の方や、それ以外のカウンセリングに携わる方が必要だと判断すれば」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「お母さんに、事件前に悩みを相談したことはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「お母さんに『精神科に行った方がいいかな』と聞いたことはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「あ、あります。大学5年次です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「お母さんは看護婦さんをされているということでしたね。お母さんの答えはどのようなものでしたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「『よく分からないわ』といっていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「ご両親は、あなたに心の病があることを認識していますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「分からないです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「お父さんに相談したことはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「父にはありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「お父さんとお母さん、どっちの方が相談しやすいですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「主に母です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「お母さんは信頼できる存在なのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 ここで山本被告は、「あ、両親どっちともです」と答えた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「お母さんは裁判に来ていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「来ていないと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「なぜですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「分かりません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「事件を起こす前、あなたは高窪教授を殺害することで、高窪教授の家族が苦しむということを分かっていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「考えていませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「思いが至らなかったということですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「遺族に直接謝罪はしていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「してないです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「損害賠償などもできていないですよね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「仮に高窪教授が圧力団体に関与している人間で、（山本被告に）嫌がらせをしていたとしたら、殺害したことは後悔していない、とさきほどいっていましたね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「あなたがしたことは、人を一人殺すという大それた行為です。それでも高窪教授が、自分に嫌がらせをしていたとしたら、殺されてもしようがないということですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 ここで、検察官の質問が終了。男性弁護人が今崎裁判長に補充質問を求めた。裁判長が許可すると、弁護人が再び、質問に立った 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「あなたは卒業後に2回、研究室に高窪教授を訪ねましたが、真相を聞くことはできませんでしたね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「さきほどはその理由について『怖いから』と話していましたが、何が怖かったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「（高窪教授に）また不審に思われるのが嫌だったからです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「仮に高窪教授が（食中毒や盗聴器への関与を）否定していたら、信じることはできましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「半信半疑だったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「高窪教授に不審に思われると、何か悪影響があると思ったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「仮に（高窪教授が）圧力団体に所属していたら、嫌がらせがエスカレートするんじゃないかと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「さきほどの質問で武士道の話が出ましたが、あなたの調書には『神風特攻隊』という言葉が更に多く出てきます。これはあなたが言った言葉ですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 検察側が証拠提出した供述調書によると、山本被告は動機について「幕末に武士が誰かに嫌がらせを受けたとしたら、武士として（殺害を）やったと思います」と説明したという。また、犯行直前の精神状態を「神風特攻隊が敵を見つけて飛び立つ心境だった」と表現したという内容の調書も法廷で読み上げられている 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「これは、どういう心境だったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「高窪教授が盗聴をしていると思ったので、高窪教授を殺せば、高窪教授の味方をする団体から攻撃されると思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「自分の攻撃は自分の死を招くかもしれないということですね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「そうです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「お父さんには、『盗聴されているかも』『尾行されているかも』ということは伝えましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「それに対して、お父さんは何といっていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「『勘違いじゃない』『被害妄想、激しいんじゃない』といわれました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「そういわれて納得できましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「半々くらいでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「あなたは、『警察に相談しても、まともに取り上げてくれないと思った』と説明していますが、それはなぜですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「両親に『分からない』『被害妄想、激しいんじゃない』といわれたのと、小学校のときの担任の先生にも『勘違いじゃないか』といわれ、警察に相談してもそういわれると思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「相談をする相手で、警察以外に考えたところはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「小学校のころの担任の先生や、近所の大学の准教授などです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「弁護士会や人権団体への相談も考えたと、私にいっていましたね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「でも、あきらめたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「（山本被告が留置されていた警視庁）富坂警察署で高窪教授の遺族について、『なんとか謝罪の言葉を伝えられないだろうか』と私に遺族の住所や正確な名前を教えてほしい、と頼んだことを覚えていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はっきり覚えていません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「仮に当時でも今でも、（遺族の）名前や住所を知ったとしたら、遺族に対してやりたいことはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「…できれば口頭で謝罪をしたいと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 裁判所にも「もしかしたら圧力団体が…」裁判長困惑 === &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「今度は裁判所の方から質問します。4番の方」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員「被告人は人間関係学を学びたいと話していましたが、その理由を教えてください」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい。社会に出てから人間関係を築いていく上で、人間関係が重要になっていくので学びたいと思いました。漠然とはしているのですが、心理学科に入学し、人とのコミュニケーションについて学びたいと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員「それはいつごろからですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「高校の3年の時からです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員「はい分かりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「あなたの供述で『（１）自殺する（２）いじめ殺される（３）（高窪教授を）殺す－の3つの選択肢があった』とありますが、2つ目の選択肢、なぜ殺されることになるのかが分かりにくい。どうして殺されることにつながるのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「『いじめじゃない』『ありえない』などと言われたり、レストランなどに行ったときに毒を盛られたり、電車に乗るときにホームから落とされると考えるようになっていったことが主な殺されると思う理由です。（高窪教授に）『怖い』と言われたり、自宅前のシャッターが何度も思い切り閉まったりして精神的にめいってしまい、殺されると思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「実際にレストランで毒を盛られたことは？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありました。平塚に引っ越したとき、レストランに母と月に１回くらい行っていましたが、食事に毒を盛られていると思うことがありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「それは、においや味がおかしかったの？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい、食べてみたときに変な味がしました。もしかしたら毒が盛られているのかと思いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「残したの？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「残しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「母親に『なぜ残すの』と聞かれなかった？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「（母に）『もう食べないの？』と聞かれました。『毒が盛られていると思っているの』とは言われませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「ホームに落とされると思ったことはいつ？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「大学に高窪教授を殺そうと思っていった、成績証明書を取りにいった一番初めのときです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「具体的に突き落とすそぶりの人はいた？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「いなかったですけれど、ホームに行ったときに『もしかしたらされるかも』と思ったことがありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「（高窪教授殺害の）決意が揺らぐことはなかったの？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「具体的にはいつごろ？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「高窪教授を殺そうと思った後も、平成20年…、年代は忘れましたが、平塚に移って（高窪教授を）殺そうと準備していたときに、『人を殺すために大学を卒業したわけではない』という気持ちが何度もわき起こっていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「先日の（被告人質問の）話では『決意は揺らぐことはない』とありましたが、揺らぐことはあったんですね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「圧力団体のことを聞きます。（団体は）あなたの嫌がらせのために作られたと思っていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「高窪教授が要（かなめ）だと思っていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「他のメンバーは誰？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「あとは平塚に一緒に住んでいた叔父も所属しているかもと思っていました。高窪教授と親しくしている企業の人や教授も所属していると思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「研究室の人は？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「（所属していると）思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「弁護人の調書で、（盗聴器の心配をした被告に）『そんなことはないよ』と言う人がいましたが、この人も圧力団体の１人と思っていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「今も（圧力団体があるという）気持ちは残っていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「50%残っています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「いま、裁判を裁判官や弁護士、検察官でやっていますが、この中に圧力団体の人はいますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「あー、うーん…半信半疑という（気持ち）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「もしかしたらいるという思いはあるんですね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 今崎裁判長は困惑した表情で宙を見つめた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「両親は面会に来てくれますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「どんな話をしますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「食事をちゃんととっているか、寒くないかと心配してくれます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「あなたはどんな話をしますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ちゃんと食事をとっていて、寒くないように布団をかぶって寝ていると。事件のことはあまり触れずに話しています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「今後のこと、弁護人の被告人質問では刑務所に行きカウンセリングや治療を受けると話してますが、両親には話しましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「まだ話していないです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「これまで人生でうれしかったこと、心が温かくなった経験は？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「大学受験でちゃんと受かったときが一番うれしかったです。母も父も、特に母が喜んで『大学受かってよかったね』と言われたときが、私にとって最高にうれしい瞬間でした。『勉強頑張るから学費お願いね』といったと思います。そのときが一番うれしく、記憶に残っています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「他には？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「うーん、ほかには、大学を卒業できると分かったとき、卒業したときに両親が喜んでくれたときがうれしかったときだったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「両親が喜んでくれたときがあなたがうれしかったときだったんですね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 さらに男性裁判官は、山本被告の主張する“圧力団体”から実際に何をされたかを質問。山本被告は『信号無視の車が近づいてきたことがあった』と答えた。また、圧力団体ができた経緯について、山本被告は『高窪教授が（自分を）恨んでいる気持ちがあると思っていた』と述べた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「あなたは（高窪教授に）卒業させてもらい感謝している？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「どうしてあなたを憎んでいる人がそういうことをするの？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「１００％の恨みではなく、５０％の恨みと５０％の恨みではない学生としてちゃんと見ていたと思います。必ずしも100%の恨みではないと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「高窪教授は一方であなたにいいことをして、一方で悪いことをした。両方やっていて打ち消しあって『まあいいや』とはならなかったの？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ならなかったですね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「どうして？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「心のどこかに怒りを持っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「いいことしてもらった気持ちは？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ならなかったです。どうしてか自分でもよく分からないです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「怒りの気持ちから殺害を決意したとあるが、憎しみはないの？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「憎しみだと恨みの気持ちが入ってくる。恨みはなく、『どうしてそういう嫌がらせをするの』という怒りの気持ちだった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「悪いことをしかる気持ち？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい、そういう感情です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「教授の出方では許す気持ちだった？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい。どうして（嫌がらせを）するのか理由を説明してくれれば許したと思う。質問したかったけれど、できなかったのでこういうことになってしまった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「聞いてから殺害をしようとは思わなかったの？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「そう考える前に行動してしまいました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員「当時はそう思っていた、嫌がらせをされたから殺しても仕方ないと話していましたが、今の現在は正直どう思っていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「今現在は、殺すべきではなかった、もう少し先のことを考えて、質問してからでも遅くはなかったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員「ありがとうございます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 男性裁判員は険しい表情で質問を終えた。続けて今崎裁判長が高窪教授を執拗（しつよう）に刺した犯行時の心境を質問。山本被告は「感情が高ぶっていたと思う」「（圧力団体が助けにくることを）恐れていたと思う」と述べた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「徹底的に攻撃して殺さないと、高窪教授に反撃したり、生き返ったりすると心配だったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「あ、はい。そういうことを恐れていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「質問に素直に答えてくれていますが、こっちに合わせる必要はありませんよ。そういう（高窪教授が反撃したり、生き返ったりすることを恐れていた）ことがあったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「ありました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「高窪教授を殺す以外で、軽い暴力を講じることを考えたか裁判長から聞かれ、『考えられなかった』と答えていました。私が以前、同じ質問をしたとき、『軽い攻撃だとさらに強い反撃があるかもしれないから、殺すしかなかった』と答えていました。どちらのやり取りが正しいのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「前のやり取りが正しいです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「私とのやり取りが正しいのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「被告の妄想性障害は動機に大きな影響」と鑑定医証言 ===&lt;br /&gt;
証人尋問に先立ち、男性検察官が鑑定内容の説明を始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「難しい用語が出てきますが、鑑定人が後で分かりやすく説明してくれます。鑑定事項は犯行当時の精神障害の有無、犯行にどう影響を与えたのか、などです。結論は被告が妄想性障害を罹患していて、犯行に影響を与えていたということです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 中学校時代のイジメをきっかけに疑り深い性格が形成され、大学入学後は授業についていけないなどの理由で孤立。高窪教授の研究室に入った後は周囲から不審な目で見られていると思いこみ、大学事務室に、不審な目で見ないように教授に伝えるよう依頼していた。その後、高窪教授がほかの学生に『ナーバスですね』というのを聞き、自分への当てこすりではないかと思いこんだという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「忘年会で寂しさ、疎外感を強めました。食中毒になり、（翌日に行われた研究会の集合写真の）撮影に参加できなかったことが最大の決定打になりました」&lt;br /&gt;
「妄想性障害が善悪の判断に与えた影響は限られていました。犯行の準備をしているときに『殺すのは良くない。止めよう』と迷っており、妄想により意志は支配されていなかったとしています。何が良くて何が悪いか理解して、自分の行為が殺人に該当することも理解していました」「被告は自分の判断に沿って行動を制御できる状態でした。自ら生計を立て、社会生活を送っていたことも、このことを示唆しています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「まず精神鑑定について説明します。精神鑑定にはいくつか種類があります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 鑑定医は起訴前の段階では簡易鑑定、本鑑定があり、これらの鑑定結果が起訴か不起訴かを決める上で参考になると説明した。さらに起訴後には裁判所の依頼で公判前鑑定と公判鑑定があり、これらが被告の責任能力の有無を判断する上で参考になると続けた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「私が行ったのは起訴前本鑑定です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 鑑定医は平成２１年６月８日から同年９月２５日まで鑑定を実施し、３時間程度の面接を１８回行ったという。この間に医学検査、両親との面接も行ったといい、鑑定医は「通常の２～３倍の時間、回数で鑑定を実施しました」と説明した 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「被告は事件当時、妄想性障害にかかっていました。妄想性障害とは、妄想が長く続く精神障害のことです。妄想が長く続くものには統合失調症がありますので、その特徴から区別していきます」「統合失調症は妄想の内容がとっぴであり、妄想性障害はとっぴでありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「統合失調症は幻聴などの幻覚症状がありますが、妄想性障害は幻覚症状はありません。あったとしても、妄想に関連したものに限られます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「統合失調症には意欲の低下、引きこもり、感情の表出の喪失などがありますが、妄想性障害にはこれらの異常はありません。統合失調症は日常生活に支障をきたしますが、妄想性障害は妄想に関連したもの以外、生活に支障はありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「（統合失調症の特徴である）妄想のとっぴな内容とは何かを説明します。例えば、『外国の大統領に命を狙われている』『宇宙人に手術されている』などです。（妄想性障害の特徴である）とっぴではない妄想とは『自分が嫌がらせを受けている』『夫に浮気されている』『重い病気にかかっている』など、起こりうる出来事です。その背景に説明できる実際の出来事があります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「被告の場合、実際の出来事から妄想に発展していきました。とっぴな妄想ではありませんでした。幻覚の症状もありません。就職活動を繰り返しており、意欲の低下もありませんでした。総合すると、被告の症状は妄想性障害の特徴と一致しています。知能は正常であり、脳に器質的な異常も認められませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「被告の妄想性障害は動機に大きな影響を与えていました。犯行の動機、行動に影響を与えていたと判断します。被告は妄想を持ちやすいパーソナリティー（人格）がありました。医学的には妄想性パーソナリティー障害と言います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「被告は小学校のころ、学校を転校したり、7つの習い事をしたりしました。髪形をからかわれたりもしましたが、被告は『からかわれても気にならなかった』としました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「中学校になると、自宅が窃盗被害にあったとき、イジメをしている生徒がやったと思うようになりました。2年生のとには護身用にナイフを持つようになりました。自分がピアノ、バイオリンを演奏でき、私立高校を受験することに同級生がねたんでいると考えるようになりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教授への被害妄想「好きな子のちょっとした仕草で不安になるのと同じ」 === &lt;br /&gt;
証人「大学に入ると、勉強が難しく友人もつくる余裕がありませんでした。バイオリンを壊したりしました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 9月以降、山本被告はさらに勉強についていけず、ますます不安を募らせていく。2年次に文系の大学を受験したが不合格となったことから、その後は中央大学で懸命に勉強に取り組もうとした 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「いつも授業時は前の方に座り、帰宅してもベッドに入らず、起きたらすぐ勉強できるように机に伏せて寝ていました。大学の勉強についていけないという不安から、次第に周囲の出来事を被害的にとらえていったことが分かります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 本人の希望通りに高窪さんの研究室に入ったあと、山本被告はほかの学生に対する高窪さんの発言を「自分への当てこすりだ」と感じるようになったり、盗聴されたりしているかもしれないという思いを募らせていく 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「平成15年8月にゼミ旅行に行かず、母親と旅行していたことも、母親が本人（山本被告）にないしょで研究室に伝えていましたが、それを『盗聴されている』と感じるようになりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 そしてこの年の12月、忘年会で食中毒になったことで高窪さんや研究室への不信感が一気に高まった 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「このように、さまざまな出来事を被害的にとらえ、食中毒になったことを契機に被害妄想の矛先が高窪教授と研究室に向いていったと考えられます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「もともと教授というものはえたいが知れないと思っていました。権力や人脈があり、巨大な力を感じていました。就職先に対して、『あの学生は気にくわないから圧力をかけなさい』ということができると思っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「教授というのは雲の上の存在で、尊敬できるし、怖いという思いもありました。高窪先生に対しても恐怖心を持っていたんじゃないかと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「家にいても仕事をしていても、集中できず、一生懸命やっても意味がないと感じるようになっていきました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 鑑定医は就職後の妄想性障害が拡大していった過程について説明した。さまざまな些細なことで「ネットで悪口を広められている」「向かいの住民が自分を避けてシャッターを閉める」など妄想をふくらませていったという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「一連の出来事は、高窪教授を擁護する圧力団体が信用調査会社に依頼して監視しているものと感じ、最終的には命を狙おうとしていると考えるようになっていきました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「さまざまな出来事をつなぎ合わせ、一つの大きな妄想に発展したと言えるでしょう」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 鑑定医はここで山本被告の疑り深い性格を木の幹に例えた。木と、リンゴのような形をした木の実の絵をモニターに映し、説明を始める 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「この木の実は疑いを意味しており、環境によって大きくなったり、小さくなったりします。山本被告の場合、この木の幹に、一つの大きな妄想の木の実を付けたといえるでしょう」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「事件は山本被告の妄想に基づいており、妄想性障害は、事件に非常に大きな影響を与えているでしょう」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「しかし、行動はとっぴではなく、現実の体験から生じた内容であること、犯行前に何度か躊躇していること、犯行後に自分の妄想の確信が下がっていることから、妄想性障害が犯行時の考えや行動すべてに渡って影響しているわけではないといえます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 鑑定医はさらに「すべてに影響していない」とする理由についてこう付け加えた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「山本被告は法的に悪いという認識があり、目的に即した精密な準備や行動をしています。妄想性障害は本人の疑り深い性格から生じており、訂正できないほど大きな精神障害ではないといえます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「鑑定結果は以上です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「それでは続いて検察側から質問をお願いします」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「鑑定はお一人で実施されたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「いいえ、同じ病院の実績を積んでいる先生と一緒に行いました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「通常の2、3倍の時間の手間をかけたんですよね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「なぜ高窪教授だけに妄想が向いたのでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「高窪教授に尊敬やあこがれがあったので、小さな言動で不安になったと考えられます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「分かりやすい例を挙げるとどういうことでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「好きな子のちょっとしたしぐさで過剰に不安になったり、疑り深くなったりすることがあります。同じような状態だったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「殺害は自分の意思で決意」と鑑定医　妄想性障害の解消は「難しい面あるかも…」 ===&lt;br /&gt;
検察官「一般的な精神障害は『あいつを殺せ』という声が聞こえたりするのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「それは幻聴と言って、妄想とはまったく違います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「被告には幻聴はあったのでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「ありませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「被告は高窪教授の殺害を決意した後、何度か逡巡し、自分の意志で思いとどまったこともあるそうです。これは、被告が妄想に完全に支配されていたわけではないことを示しているのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「そうです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「妄想の中では、（決意が）揺らがないものもあるのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「あります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「被告の妄想はそこまで強いものではなかったのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「そこまで強いものではなかったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「先生でしたら、どのように治療されますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「鑑定の中では薬を使わなくても、話を聞く中で、妄想がかなり訂正されていましたので、カウンセリングなどが考えられます。妄想を抑えるために薬を服用する可能性もありますが、彼の場合は、環境を調整するだけで直るかもしれません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「高度な専門施設でないと治療はできないのでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「そんなことはありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「鑑定中に被告に薬を飲んでもらったことはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「ありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「それにもかかわらず、被告の症状が改善したということですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「被告の妄想性障害というのはよくあるものなのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「妄想性障害は一般生活に支障がないので、障害を持ちながらも病気と診断されず、一般生活を送っている人もいるかもしれません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「妄想性障害の人が犯罪を犯しやすいということはあるのでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「ありません。周囲にいる人は迷惑をかけられているかもしれませんが、特に犯罪に結びつくということはありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「被告は平成20年5月に高窪教授の殺害を決意し、８カ月間も入念に準備をしていますが、このときの精神状態はどういうものだったのでしょうか」&lt;br /&gt;
証人「鑑定で彼が言っていたのは、『今すぐ殺される』というよりも、『長い目で見たら殺される。精神的に追い込んで、自殺に追い込もうとしているかもしれない』ということでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「『武士の精神』という言葉は鑑定で聞きましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「武士の精神というのは、障害とは関係ありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「病気とは関係なく、彼のパーソナリティーによるものだと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「彼が犯行前に思いとどまることを期待できたと思いますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「おそらく期待できたと思います。高窪教授に食中毒のことなどについて尋ねていれば、事件にならなかったかもしれないです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「もっとさかのぼれば、彼が『精神科に行った方がいいか』と（母親に）尋ねた時点で、周りが受診させていれば違ったかもしれません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「『人を殺すのは悪いこと』という認識自体に、妄想性障害が影響を与えることはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「それはありません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「殺害は自分で意志決定をしたということですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「それは本人の意志で決定したと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「最後の質問と関連しますが、動機と決意は異なるものととらえていらっしゃるのでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「動機は感情的なもので、決意はもっと行動にかかわるものです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「動機が決意に影響を与えることはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「人によって違います。彼もまったく関連がなかったとは言えません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「これまでの被告人質問をご覧になって、鑑定の時と妄想の程度において何か違いはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「鑑定面接のときは、妄想をほぼ否定していました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「それは鑑定初期からですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「初期ではかなり（妄想の）確信度が高いようでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「妄想に罹患した者が、一般の人から『その妄想は勘違いだ』といわれた場合、修正は可能なのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「彼の場合はパーソナリティーの影響が大きく、なかなか訂正しづらかったところがあると思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《　弁護人は、山本被告の両親の印象についても質問した。女性鑑定医は、両親と3回面談を行い、面談時間は1回あたり4時間程度に及んだという　》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「両親の言動が妄想に影響した可能性はありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「妄想を抱くこと自体に影響はなくても、妄想を抑えるのとは逆の方向に働くことはあったかもしれないと感じました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「被告は妄想について修正できるパーソナリティーにあると判断されていますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「…。修正する行動を取れるだけの認識はあったと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「これから先、適正な対処があれば妄想性障害を小さくしたり消したりすることはできるのでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「彼は妄想性パーソナリティー障害を基盤にしているため、難しい面はあるかもしれません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《「妄想性パーソナリティー障害」とは、妄想を抱きやすい性格傾向のこと。鑑定医は山本被告にはもともと、疑り深い性格があり、これが進行することで「高窪教授が自分の命を狙っている」と考えるようになったという 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護人「さきほど言っていた、環境調整とはどういうことですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「日々の生活で小さな疑問を持ったときに、彼が相談できる人、それも彼が信頼できる人がいるといいと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「被告が社会に出た場合、症状にはどのような影響が考えられますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「社会に出た方が、現実的なストレスがあります。今出ると、過剰なストレスや母親の影響で、引きこもったり、妄想を持ったりするかもしれません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「それは被告の治療面では？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「必ずしもいいとは言えません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「被告は圧力団体の妄想を捨て切れていませんが、治療でこういう妄想が消えることはありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「一つはもともと疑い深い性格なので、100%払拭することは難しいかもしれません。彼は疑いがすべて払拭されていないという状態です。絶対にそれが違うということが証明されないと払拭はされませんが、その証明は難しい。落ち着いた生活を送るうちに、払拭というよりも記憶から薄れていくかもしれません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「後悔する日は来るのか」「再発の可能性は」鑑定医に尋ねる裁判員 === &lt;br /&gt;
検察官「先生は薬による治療とおっしゃいましたが、薬を飲むことで妄想を抑えることができるのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「妄想を抑える薬と、妄想を抱く（元となる）不安を抑える薬の2つがあります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「被告は高窪教授に嫌がらせをされたという妄想を抱いていますが、人を殺すという決意には飛躍している印象があります。精神医学的にはどうなのでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「その点は病気とは関係ないです。武士の精神、やられる前にやるといった考えや、どれほどひどいことをされたので一矢報いるといった彼の性格傾向にあります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官「何回も（高窪教授を）刺した興奮状態は、精神障害によるものですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「精神障害による興奮のケースは、私が聞いている限りではそうではありません。人を殺したことは皆ないですが、不安がある場合は何回も刺すことはあり得ると思います。ほかの事件でも精神障害ではなく、不安などで何回も刺すことはあります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「裁判所からお尋ねしたいことがありますが、少し相談させて頂けないでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 専門的な内容のため、裁判員に考えるための時間を取るようだ。裁判員らは少しほっとした様子で退廷した。約１０分間の休廷の後、午後４時３５分から審理が再開。今崎裁判長の右側の男性裁判官が鑑定医に質問を始めた 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「先ほど、妄想性障害と妄想性パーソナリティー障害の話がありましたが、なぜ、妄想性パーソナリティー障害の枠内に収まらない（妄想性障害）と判断されたのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「厳密にここがこう違うというものはなく、連続体のイメージです。妄想性パーソナリティー障害がなくても、妄想性障害になることはあります。彼の場合は、どちらも発展していったものです。どう説明したらいいか難しいですが、性格傾向にとどまらないところがあります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「妄想の強さや妄想している時間の長さなどから性格傾向によるものではないと理解してもいいですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「そうですね。妄想性パーソナリティー障害は疑問がいくつも出ては消えるけれど、（彼の場合は）疑問が結びついて妄想が修正できなくなり、精神障害の範疇になりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「事件の後の面接の中で、妄想が修正されたところがあるということですが、妄想の強さとしてどう理解すればいいですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「全く修正できない妄想もあります。彼の場合は、ストレスフルな環境だと（妄想に）確信を持ちます。環境が変わると消える揺らぎがあります。環境に影響されやすい彼の特徴があります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「環境があって、妄想が強固になったということでよろしいですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「そういう理解で結構です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「動機と殺害決意について確認したいのですが、団体から危害が加えられるというのは妄想の影響ですね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「団体が自分（山本被告）を傷つけているというのも妄想の影響ですね？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「はい」　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「殺すしかないというのは妄想の影響ですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「パーソナリティーの方が大きいと考えています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「パーソナリティーの性格形成にあたり、両親の影響はありますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「考えられます」　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「（両親の影響は）大きい、小さいですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「比較的大きいと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 続けて男性裁判官は山本被告が聞いたとされる「ありえない」「いじめじゃない」などの言葉が幻聴なのかどうか質問。鑑定医は「言葉を自分に結びつけていて、不安が高まって幻聴のように聞こえることもある」などと説明した 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「統合失調症による幻聴ではないのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「統合失調症では現実とは関係ないことや、自分が考えている言葉が聞こえてくるなどの幻聴があります。彼の症状はあまり典型的なものではないのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「それでは1番の方」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員「被告は自分が行った行動の重大性の認識に欠けているように見えます。『あの事件は仕方なかった行為』と話していましたが、カウンセリングで後悔する日は来るのか、お伺いしたいです。お願いします」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「性格的傾向というか、武士の精神、やられる前にやるなど（の性格）を変えるのは難しい。根気強くやれば、後悔する方向に向かう可能性はあります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員「可能性はあるということは、いつか…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「そう信じています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員「完治した場合、どのくらいの期間がかかるのでしょうか。また、再発の可能性はあるのでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「妄想性障害は治りにくいタイプです。統合失調症と比べ、期間を申し上げにくいです。あとは何ですか？」　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員「再発です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「再発はあり得ると思います。（彼の場合は）環境が不安定でストレスがあると疑いを持って考える。違う妄想を抱く可能性はあると思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判員「ありがとうございました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「被告のパーソナリティーの偏りが犯行に影響を与えたとしていますが、どの段階で決定的なパーソナリティーができましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「（イジメの被害にあった）中学校時代に傾向が表れ、それが表面に出てきたのが大学のころです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「妄想性障害となったのはいつの時期といえますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「忘年会の食中毒による身体的な異常で、（圧力団体から嫌がらせを受けているという）確信を強めました。あれが妄想性障害になった時期と考えられます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「犯行時は最大級に妄想が膨らんだと思いますが、犯行後の面接では妄想の確信度は下がっていましたか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「はい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「症状が改善したのですか。病気自体が改善したのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「病気自体が改善しました。鑑定の後半には鑑定人に冗談を言う場面も見られ、症状が軽減、妄想性障害自体も軽減していました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官「まだ妄想性障害の状態に変わりはないですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「（法廷での）発言を聞いていると、まだ妄想性障害は続いています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「被告は犯行直前、かなり周到な準備とシミュレーションを繰り返していました。これほどの周到な計画、準備は珍しいと思うのですが、これは妄想性障害と関係あるのでしょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「パーソナリティーの問題ではありますが、妄想性障害と直接関係しているとはいえません。性格の冷静な部分が残り、『失敗したくない』と考えました。障害自体に圧倒されず、冷静に用意を周到に考える平静さを保っていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「妄想性パーソナリティー障害ですが、これは性格の偏りという理解でよろしいですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「その通りです。アメリカで考えられた診断基準で訳したときに『障害』となりましたが、病気とは違います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「妄想性パーソナリティー障害は妄想を持ちやすい性格傾向であり、それに外的ストレス、環境が加わり妄想性障害の病気を発症したということですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「そういう理解で結構です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「リストカットについてはどう解釈したらいいのですか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証人「これは、妄想性パーソナリティー障害、妄想性障害とは関係ありません。被告の実直な性格があり、『自分に厳しくしないとだらける』と考え、自分を律したり、気合を入れたりするためにやっていました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次回公判は30日午前10時から始まり、遺族の意見陳述書面の代読後に、検察側の論告求刑と弁護側の最終弁論が行われて結審する予定だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（2010.11.29 産経ニュース）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 判決公判(2010年12月) ==&lt;br /&gt;
裁判長「判決を言い渡します」&lt;br /&gt;
「主文。被告を懲役18年に処する。未決勾留日数中230日をその刑に算入いたします」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「理由の要旨を述べます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「罪となるべき事実」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山本被告は昨年1月14日、東京都文京区の中央大後楽園キャンパスの1号館4階の男子トイレで、刈り込みばさみを分解して片刃にした自作の刃物で高窪さんの背中や胸などを多数回突き刺して殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「被告の責任能力について」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「被告が犯行当時、心神耗弱の状態だったことは当事者間に争いはない。しかし、被告の量刑を決める重要な事情であるので、立ち入って検討する」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今崎裁判長は、法廷での鑑定医の証言を「合理的なものと考える」とし、山本被告が周りの出来事を悪意のあるものと考える「妄想性パーソナリティー障害」があった点を指摘した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「望み通り就職先が決まらないことなどから精神障害である妄想性障害を発症し、『被害者を中心とする圧力団体が自分に対し、精神的な苦痛を与え続け、命を狙っている』と強く信じるようになった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「鑑定医は『精神障害は犯行に至る経緯に大きな影響を与えていたが、犯行当時の考えや行動すべてにわたって強く影響を与えたわけではない』と指摘している。裁判所はこの意見を合理的なものと考えた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今崎裁判長は「嫌がらせの首謀者をはっきりさせたい」「殺すことで嫌がらせが終わるかどうか答えを見つけるしかない」と山本被告が考えていた点を挙げ、「中心的な動機は妄想に基づいていた」と指摘した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「妄想がなければ、決して本件のような犯行を犯さなかったことは明らかである」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ただし、殺害を決意したことに妄想が直接的な影響を及ぼしたと断定するのは早計である。殺害以外にも被害者に直接会って談判する、警察に相談するなどの手段が考えられた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今崎裁判長は、山本被告が法廷で「幕末期の武士であれば、嫌がらせを受ければその相手を直ちに切るという発想になったはずだ」と独特の価値観で説明した点を挙げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「武士を引き合いに出した説明は理解でき、犯行を決意する過程における妄想性障害の影響は限られたものだったという鑑定医の意見は納得できる」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次に被害者の行動を確認したり、現場の下見を繰り返した点を挙げ、「極めて綿密、周到に準備し犯行に及んでいる」と指摘した上でこう続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「被告の一度決めたらやり遂げる性格の表れ、被告が犯行の遂行に向け、計画的かつ冷静に取り組んでいたと理解できる」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「被害者を多数回突き刺すという残忍かつ執拗なものだが、心臓を刺すつもりではずれたことや被害者の反撃が予想外であわてたことを認めている。一見、異様な犯行でも妄想による直接の影響があったとみることは相当ではない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「結論」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今崎裁判長は「以上の検討をへて被告の責任については以下のような結論に至った」とし、動機には妄想性障害の影響が強く認められ、「犯行までの行動を方向付けた」と指摘した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「他方で、殺害を決意してからの行動は、山本被告のもともとの性格や考え方に起因する部分が大きく、妄想の影響は限られたものだった。被告の行動は妄想性障害に基づく妄想の影響以外の心理による判断で犯したといえる部分がある」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「量刑の理由」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
判決の朗読は量刑の理由へと移り、裁判長は認定した事件の概要を改めて説明した上で、検察側、弁護側双方の主張を確認した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「本件は心神耗弱が認められる事案ではあるが、妄想性障害は動機の形成過程に強く影響を与えた半面、その他の場面、特に殺意の形成から犯行に至るまでの過程への影響が限定的であるという点に特徴がある。従って、まず検察官の主張する犯行の客観的な側面から量刑の大枠を設定し、妄想性障害の影響を中心にした被告の主観的側面を考慮しながら、具体的な量刑を絞り込むという手順が合理的と判断した」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護側は、被告を刑務所に収容するのは精神疾患の治療に資するものではないと主張したが、今崎裁判長は妄想性障害の病状やもともとの性格、生活の状況などを考慮すると、刑務所の収容が必ずしも治療にマイナスに働くわけではないと指摘した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「検察官が主張する事実のうち、量刑の大枠を決める事情として重視したのは以下の通りである」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今崎裁判長は、高窪教授に落ち度がないこと、鋭利な刃物で8回も体を貫通するほど執拗に刺していること、現場の下見を繰り返し周到に準備していたことを挙げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「以上に対し、被告が妄想性障害に罹患し、その妄想に大きな影響を受けて犯行に及んだという事実は刑を軽くする事情として考慮されるべきである」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長は、圧力団体が命を狙っているという思い込みは妄想の影響を著しく受けているが、殺害を決意し凶行に及んだ行為は、もともとの性格から導き出されたものだと指摘。妄想性障害は刑の軽減において考慮する必要があるが、その程度は限定されたものにとどまると述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「被告が妄想性パーソナリティー障害を持つに至ったのは、成育歴にも原因があり、妄想性障害を発症して犯行に至ったのは、すべてが被告の責任といえないと考える余地もある。だが、被告より悪い生育環境で育った人はいくらでもおり、量刑上、必ずしも重視すべきではないと判断した」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに裁判長は、量刑を考える上で考慮したこととして、遺族の処罰感情が非常に厳しく、昼の大学構内の犯行で社会への影響が無視できない、被告に前科がなく真面目に生活していた、弁護人は障害の治療のために、努力する意向を示していることを挙げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
続いて裁判長は、量刑を決める上で、これまでの事件の内容と量刑を調べる「量刑検索システム」を活用したことについて述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「本件と同種の態様、結果、つまり殺人1件、刃物使用、被害者に落ち度がないことなどのデータを入力した殺人事件の量刑分布をみたところ、懲役15年または16年を中心として、懲役3年から無期懲役までに及ぶ量刑グラフが得られた。本件は、心神耗弱を考慮しない場合、その量刑分布では重い方に位置づけられる事案であると考えた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「そして、そこから心神耗弱による減軽の程度を検討し、合わせて検察官が懲役20年、弁護側が懲役6年を求めていることも参考にして、主文の結論に至った。被告人はもう一度前へ来てください」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《 山本被告は立ち上がり、証言台の前に立った 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「判決の言い渡しは以上です。懲役18年。ただし、その中に、勾留されていた未決の230日を算入するということです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告「分かりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「あなたはいまだに圧力団体が存在していると思っているようだが、私たちは全くの誤解だと伝えたい。刑務所でも出所後も、自分の障害に向き合い治療に努めてください」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判長「そして、もう一つ、あなたの犯行は多くの人に悲しみを与えました。高窪教授のためにも、遺族のためにも冥福を祈ってください」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山本被告「分かりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[証拠開示]]&lt;br /&gt;
* [[訴訟指揮権]]&lt;br /&gt;
* [[公判前整理手続]]&lt;br /&gt;
* [[期日間整理手続]]&lt;br /&gt;
* [[簡易公判手続]]&lt;br /&gt;
* [[即決裁判手続]]&lt;br /&gt;
* [[証拠調べ]]&lt;br /&gt;
* [[出頭在廷命令]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:やまもと　りゆうた}}&lt;br /&gt;
[[Category:刑事訴訟法]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%AD%E5%8E%9F%E5%93%B2%E4%B9%9F&amp;diff=192486</id>
		<title>中原哲也</title>
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				<updated>2013-07-16T06:44:27Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''中原 哲也'''（なかはら てつや、[[1984年]]12月1日 - ）は、[http://www.hak.hokkyodai.ac.jp/ 北海道教育大学函館校][[いじめ]]報復殺人事件の犯人である。[[岡山県]]出身。血液型B型。[[2007年]]9月、北海道教育大学教育学部函館校卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学時代に同級生の無量林智子らにいじめられて、その報復で中原は２００７年１１月２６日朝、無量林の自宅前で首や胸などを何度もナイフで刺し、出血性ショックで死亡させるなどした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*2009/10/08 函館地裁にて懲役15年判決。&lt;br /&gt;
*2010/04/15 札幌高裁にて懲役15年判決。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:なかはら てつや}}&lt;br /&gt;
[[Category:1984年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:岡山県出身の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

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		<title>前上博</title>
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				<updated>2013-07-16T06:42:03Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;182.171.250.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''前上 博'''（まえうえ ひろし、[[1968年]]8月8日 - [[2009年]]7月28日）は、自殺サイト殺人事件の犯人である。[[大阪府]]堺市出身。[http://www.kanazawa-it.ac.jp/ 金沢工業大学]中退。父親は元警察官。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]3月28日、大阪地裁で、前上は求刑通りの死刑判決を受けた。同年7月5日に自ら控訴を取り下げて死刑確定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]7月28日、死刑執行。40歳没。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まえうえ ひろし}}&lt;br /&gt;
[[Category:1968年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府出身の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>182.171.250.190</name></author>	</entry>

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