<?xml version="1.0"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xml:lang="ja">
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/api.php?action=feedcontributions&amp;feedformat=atom&amp;user=180.52.130.86</id>
		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
		<link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://18.236.240.21/mediawiki/api.php?action=feedcontributions&amp;feedformat=atom&amp;user=180.52.130.86"/>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/180.52.130.86"/>
		<updated>2026-05-17T22:29:48Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
		<generator>MediaWiki 1.25.1</generator>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E6%9C%AC%E5%9D%87&amp;diff=396277</id>
		<title>新本均</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E6%9C%AC%E5%9D%87&amp;diff=396277"/>
				<updated>2022-01-07T13:46:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;180.52.130.86: /* 妻 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
''' 新 本 均 ''' (しんもと ひ と し、[[1950年]] [[2月1日]]-)は、[[広島]]のあらゆることの研究&lt;br /&gt;
家。また広島では[[ボランティア]]活動家でもある。それは自分の事はさておき、困った人がい&lt;br /&gt;
れば、親身になって、手伝う。つまり少し、悪く言えば、人のお世話を焼き過ぎる、お人よしでも&lt;br /&gt;
ある。国政選挙などにも出馬したこともある。 [[広島県]] [[広島市]]出身。身長170[[㎝]]、体&lt;br /&gt;
重72㎏、血液型はB型。右利き。中国総合調査事務所所属。[[広島県立広島皆実高等学校]]&lt;br /&gt;
卒業、[[学校法人]] [[東海大学]] [[原子力工学科]]卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出生==&lt;br /&gt;
1950年2月1日に[[広島市]]南区比治山本町、現在は安芸幼稚園正門前で産湯に浸かる。父&lt;br /&gt;
親が、「均」と名付けた。この謂われは、皆さんと、「ひとし」くなってほしい。また陸軍少将に、[[今村　均]]という軍人の鏡になる人物が居られ、尊敬していたので、それにちなんで、命名したとい&lt;br /&gt;
う。 [[戸籍]]の字「均」は読みにくいので、[[通称名]]は「ひとし」にしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生い立ち==&lt;br /&gt;
広島県立広島皆実高等学校を下位の成績で卒業した。&lt;br /&gt;
現役にて、学校法人　東海大学工学部応用理学科原子力専攻に入学し卒業した。&lt;br /&gt;
なぜ東海大学工学部原子力であるかは、広島に落とされた原子爆弾 、核の威力について詳&lt;br /&gt;
細に知りたかったこともあるという。&lt;br /&gt;
しかし、本音の部分としては、哲学的に、人間と、物質との境界線を研究したかったのであると&lt;br /&gt;
も語る。&lt;br /&gt;
これは、現在も解かれていない課題であるという。&lt;br /&gt;
「ひとし」が大学二年の時、アインシュタインの本を読むと、終わりに、彼は自分がこの原子力&lt;br /&gt;
を研究するのは、「神」が彼(アインシュタイン)の背を推し進めるからこの道に入ったと、述べ&lt;br /&gt;
ていたと「ひとし」は語っている。&lt;br /&gt;
「ひとし」は、彼（アインシュタイン）の締めくくりの記事を知って、これを機に、当時、東京都町田&lt;br /&gt;
市に住んでいたので、毎日、町田天満宮を参拝したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==子ども==&lt;br /&gt;
五人いる。男の子が四人女の子一人。今頃は一人か二人くらいしか産まない。それは面倒をみるのも大変であるし、家計費も圧迫する。また教育費もかかる。よく五人も育てたと感心する。子の性格は皆それぞれであり、これを対処してあげるのも大変だ。であるから、色んな立場を勘案しなくてはならない。放っておく事は無責任であると思う。世間では「親はなくとも子は育つ」と言うが、そんな生易しいものではないと思う。まずはその子の立場を尊重し、お互いに生きるのみだ。ここに至っては、「ひとし」の妻があたふたして大変だった推測される。まずは普通に育っているので、よいのではないかと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==起業==&lt;br /&gt;
父親がトラック運送から、1952年に[[タクシー]]の[[認可]]を取って同事業に参入した。「比治山&lt;br /&gt;
タクシー」の[[商号]]で経営するタクシー会社。一時は16台のタクシーを保有するまでになり順&lt;br /&gt;
調であったが、父親は人が良く、騙されやすく、利用されやすい人であったため、悪質な従業&lt;br /&gt;
員に因って、経営不振になり、16台の営業車両を売却せざるを得なかった。その後、譲渡益が&lt;br /&gt;
少しあったので広島駅前に[[喫茶店]]を開いた。のちに「ひとし」が大学を卒業したので、社長&lt;br /&gt;
として引き継いだ。その間、店員の娘らと仲良くしていたが、その後、店で働いていた娘から相&lt;br /&gt;
談を受け、市内で店舗 物件を紹介したのがきっかけで、宅建免許を取り、80年に不動産業を&lt;br /&gt;
始めた。事業用地を主体とする[[売買]]の仲介業が主力であったが、のちのバブル[[全盛期]]&lt;br /&gt;
には[[不動産]]を買い取って、転売する[[事業]]に注力した。[[バブル期]]には物件を買えば売&lt;br /&gt;
れる。買った人も売れば儲かる。また次の買主も、儲かる。いくらでも限りがなかった。&lt;br /&gt;
業者間のキャッチボールでもどんどん売れた。[[中間省略登記]]で売買がされていたので、&lt;br /&gt;
[[決済]]するまでの間、次の買主や売主が何人いたかは分からなかった。当時、法律問題に&lt;br /&gt;
は発展しなかった。&lt;br /&gt;
[[バブル景気]]が下火になった頃。売れなくなった不動産を抱えてしまい、１０数億の借金だけ&lt;br /&gt;
が残ってしまった。そののちに[[国家権力]]に負けて、売れない物件や、自宅と一緒になってい&lt;br /&gt;
た賃収ビルなど、全部、[[競売]]に掛けられて、すってんてんになって、路頭に迷う事になってし&lt;br /&gt;
まった。&lt;br /&gt;
現在の住まいは一軒家を借りているが、みなさんは何をしているのか、よく知らない。関心がな&lt;br /&gt;
いので、みんな詮索もしない。色々な事情があるのだろうと皆思っている。知らぬが仏である。&lt;br /&gt;
また寺の[[住職]]になるという、意気込みもあった。未だ願望もある。みんなを幸せにするとい&lt;br /&gt;
う義務的なものの持ち合わせがある。&lt;br /&gt;
みんなは付き会うとお金に関係するから、避けているというのが正しいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==両親==&lt;br /&gt;
父親は、平成16年3月に永眠。母親は平成22年8月に永眠。父親は、やさしい人であったが、&lt;br /&gt;
母親は厳しい人であった。&lt;br /&gt;
景気がよいころ、「ひとし」を[[関東]]の大学へ行かせたが、大学3年の時、会社は経営 不振で&lt;br /&gt;
倒産。 &lt;br /&gt;
父親は、30代の頃には、腰が痛い症状がつづき、どの医者にかかってもダメだったが、広島&lt;br /&gt;
市中区立町の漢方薬局の店主から優れた漢方医を紹介され、体調の回復となった。これによ&lt;br /&gt;
り、比治山タクシーは、漢方医の紹介で、巷では名のしられたタクシー会社となった。　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==前歴==&lt;br /&gt;
仕事関係のつまずきで、いざこざが起き、はめられて、警察沙汰になった、という事件があっ&lt;br /&gt;
た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==商工会議所議員==&lt;br /&gt;
[[広島商工会議所]]の議員は、3期努めた。商工会議所議員の会議は、しゃんしゃんで終わる&lt;br /&gt;
会議であったという。&lt;br /&gt;
「ひとし」は、必ず意見を言う、物申すの議員であったので巷の議員のなかでは、毛嫌いする者&lt;br /&gt;
もいたが、良く言ってくれたと賞賛してくれた議員もいた。&lt;br /&gt;
現在は、30年先には広島市からの発信で、電気は無料で使用できるプロジェクトに着手したの&lt;br /&gt;
で、これに全力投球するため議員を辞職した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==今後の展望==&lt;br /&gt;
これは、水力発電、火力発電、風力発電、地熱発電、太陽光発電、そして原発が必要のない&lt;br /&gt;
新しい方法での発電の普及。ニコラ・テスラが、100年前、制作したフリーエネルギーからの発&lt;br /&gt;
電方法の研究。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ボランティア==&lt;br /&gt;
その活動は、色々なことに興味を持ち、みんなを喜ばせている。つまり[[ドン・キホーテ]]とも言&lt;br /&gt;
えるであろうか、数限りなく、様々な[[ボランティア]]活動を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==広島新四国八十八ヶ所霊場巡り==&lt;br /&gt;
[[広島新四国八十八ヶ所霊場]]は、広島市を中心として大正７年に安芸地区に開創となった。&lt;br /&gt;
のちに原爆の投下により断絶していたが、 [[弘法大師]]御誕生１２００年を記念して昭和４８年&lt;br /&gt;
に[[復興]]された。&lt;br /&gt;
今では、広島市・呉市・大竹市・廿日市市・東広島市・三原市・安芸郡に、[[真言宗]]６６ヶ寺・&lt;br /&gt;
[[浄土宗]]３ヶ寺・[[曹洞宗]]１１ヶ寺・[[臨済宗]]７ヶ寺・[[浄土真宗]]１ヶ寺による８８ヶ所霊場が&lt;br /&gt;
ある。「ひとし」は、何か流れを変えるため、広島新四国八十八ヶ所を10回（合計880ヶ寺）も巡&lt;br /&gt;
り、目標のとおり、達成した。最後には、無理をしたため、足腰に相当なダメージを受け、しば&lt;br /&gt;
らく休息を余儀なくされた。今は、霊場会の先達を賜っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==食事==&lt;br /&gt;
食べ物の偏りがある。骨が形成されるタンパク質の多い魚や肉類は好んでは食べない。 何を&lt;br /&gt;
好むかと言うと、根本的に菜食主義なので、炭水化物が多い、うどん、そば、豆腐、こんにゃく、納豆、米、野菜 などの精&lt;br /&gt;
進料理が主。本人如くは仏教に帰すると自然に精進料理になるという。しかし、全く食べないと&lt;br /&gt;
いう訳ではない。肉類が混ざっていること等があっても拒否はしない。またアルコ ールやタバコ&lt;br /&gt;
は体質的に合わないので受け付けない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==姉弟==&lt;br /&gt;
一見するが、面倒みのいい（それは人の見方に因り定めはない）既婚者の姉が二人いるが、それぞれ、良いモノを持っている。&lt;br /&gt;
長女は話が好きで話上手な所があり、個性が強い。旦那の実家は先祖代々は紀州藩の家老や武士であった、由緒ある旧家であると「ひとし」はいう。&lt;br /&gt;
次女は控え目なところが気になるが、若かりし頃は男性に良くもてた、美人で上品な女性だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ひとし」や「妻」ともわだかまりはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==妻==&lt;br /&gt;
[[広島県立女子大学]]を卒業した美人で働き者の才女を嫁にした。見合い結婚であった。「ひ&lt;br /&gt;
とし」に、どんな事があっても、一切[[苦情]]も言わず、耐えてきた。だから喧嘩にもならなかっ&lt;br /&gt;
た。なかなかこんな女性はいなかったであろう。だが、「ひとし」の我がままで、家庭を顧みず、&lt;br /&gt;
（「ひとし」があることを行っていることで、長男がイジメに遭っていたにもかかわらず無視して、&lt;br /&gt;
続け・・・）子供たちの将来の事について、妻の忠告をも一切聞かなかった。そのため、妻は、&lt;br /&gt;
致し方なく身を引いて現在別居している。そのうち子どもが結婚して、巣立てば「ひとし」は離婚&lt;br /&gt;
を宣告される事は、もう覚悟しているという。勝手に言うな自分で決めるな、この馬鹿野郎。卑怯だ「ひとし」はさらし首だ。&lt;br /&gt;
妻は、口数の少ない女性で、五年前の市会議員選挙前に、妻から、通告をうけたという。「今&lt;br /&gt;
度選挙に出ることになれば離婚です」と、選挙に出馬したので、妻は、「ひとし」から離れた。&lt;br /&gt;
「あなたは、子供の将来を考えていない人ですね」と。&lt;br /&gt;
「ひとし」は自己中で強情、人の意見も忠告をも一切聞かず突っ走り、止めようがない。&lt;br /&gt;
よって家庭は顧みず、広島市民、県民、国民の将来について、200年先を見渡せば、いず&lt;br /&gt;
れ、人類は破滅というロードマップに乗る事になるのが、見えてくるので家庭を犠牲にしても、&lt;br /&gt;
今、「ひとし」がなすべきことを始めようと、この大馬鹿者は勝手に精進しているという。奥さんの人生を返せ、&lt;br /&gt;
この人でなし&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
周りの者は、いい迷惑であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
http://www.geocities.jp/hiroshima_kokusai/　新本 ひとし / 公式サイト&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>180.52.130.86</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E6%9C%AC%E5%9D%87&amp;diff=396267</id>
		<title>新本均</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E6%9C%AC%E5%9D%87&amp;diff=396267"/>
				<updated>2022-01-06T18:01:43Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;180.52.130.86: /* 妻 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
''' 新 本 均 ''' (しんもと ひ と し、[[1950年]] [[2月1日]]-)は、[[広島]]のあらゆることの研究&lt;br /&gt;
家。また広島では[[ボランティア]]活動家でもある。それは自分の事はさておき、困った人がい&lt;br /&gt;
れば、親身になって、手伝う。つまり少し、悪く言えば、人のお世話を焼き過ぎる、お人よしでも&lt;br /&gt;
ある。国政選挙などにも出馬したこともある。 [[広島県]] [[広島市]]出身。身長170[[㎝]]、体&lt;br /&gt;
重72㎏、血液型はB型。右利き。中国総合調査事務所所属。[[広島県立広島皆実高等学校]]&lt;br /&gt;
卒業、[[学校法人]] [[東海大学]] [[原子力工学科]]卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出生==&lt;br /&gt;
1950年2月1日に[[広島市]]南区比治山本町、現在は安芸幼稚園正門前で産湯に浸かる。父&lt;br /&gt;
親が、「均」と名付けた。この謂われは、皆さんと、「ひとし」くなってほしい。また陸軍少将に、[[今村　均]]という軍人の鏡になる人物が居られ、尊敬していたので、それにちなんで、命名したとい&lt;br /&gt;
う。 [[戸籍]]の字「均」は読みにくいので、[[通称名]]は「ひとし」にしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生い立ち==&lt;br /&gt;
広島県立広島皆実高等学校を下位の成績で卒業した。&lt;br /&gt;
現役にて、学校法人　東海大学工学部応用理学科原子力専攻に入学し卒業した。&lt;br /&gt;
なぜ東海大学工学部原子力であるかは、広島に落とされた原子爆弾 、核の威力について詳&lt;br /&gt;
細に知りたかったこともあるという。&lt;br /&gt;
しかし、本音の部分としては、哲学的に、人間と、物質との境界線を研究したかったのであると&lt;br /&gt;
も語る。&lt;br /&gt;
これは、現在も解かれていない課題であるという。&lt;br /&gt;
「ひとし」が大学二年の時、アインシュタインの本を読むと、終わりに、彼は自分がこの原子力&lt;br /&gt;
を研究するのは、「神」が彼(アインシュタイン)の背を推し進めるからこの道に入ったと、述べ&lt;br /&gt;
ていたと「ひとし」は語っている。&lt;br /&gt;
「ひとし」は、彼（アインシュタイン）の締めくくりの記事を知って、これを機に、当時、東京都町田&lt;br /&gt;
市に住んでいたので、毎日、町田天満宮を参拝したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==子ども==&lt;br /&gt;
五人いる。男の子が四人女の子一人。今頃は一人か二人くらいしか産まない。それは面倒をみるのも大変であるし、家計費も圧迫する。また教育費もかかる。よく五人も育てたと感心する。子の性格は皆それぞれであり、これを対処してあげるのも大変だ。であるから、色んな立場を勘案しなくてはならない。放っておく事は無責任であると思う。世間では「親はなくとも子は育つ」と言うが、そんな生易しいものではないと思う。まずはその子の立場を尊重し、お互いに生きるのみだ。ここに至っては、「ひとし」の妻があたふたして大変だった推測される。まずは普通に育っているので、よいのではないかと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==起業==&lt;br /&gt;
父親がトラック運送から、1952年に[[タクシー]]の[[認可]]を取って同事業に参入した。「比治山&lt;br /&gt;
タクシー」の[[商号]]で経営するタクシー会社。一時は16台のタクシーを保有するまでになり順&lt;br /&gt;
調であったが、父親は人が良く、騙されやすく、利用されやすい人であったため、悪質な従業&lt;br /&gt;
員に因って、経営不振になり、16台の営業車両を売却せざるを得なかった。その後、譲渡益が&lt;br /&gt;
少しあったので広島駅前に[[喫茶店]]を開いた。のちに「ひとし」が大学を卒業したので、社長&lt;br /&gt;
として引き継いだ。その間、店員の娘らと仲良くしていたが、その後、店で働いていた娘から相&lt;br /&gt;
談を受け、市内で店舗 物件を紹介したのがきっかけで、宅建免許を取り、80年に不動産業を&lt;br /&gt;
始めた。事業用地を主体とする[[売買]]の仲介業が主力であったが、のちのバブル[[全盛期]]&lt;br /&gt;
には[[不動産]]を買い取って、転売する[[事業]]に注力した。[[バブル期]]には物件を買えば売&lt;br /&gt;
れる。買った人も売れば儲かる。また次の買主も、儲かる。いくらでも限りがなかった。&lt;br /&gt;
業者間のキャッチボールでもどんどん売れた。[[中間省略登記]]で売買がされていたので、&lt;br /&gt;
[[決済]]するまでの間、次の買主や売主が何人いたかは分からなかった。当時、法律問題に&lt;br /&gt;
は発展しなかった。&lt;br /&gt;
[[バブル景気]]が下火になった頃。売れなくなった不動産を抱えてしまい、１０数億の借金だけ&lt;br /&gt;
が残ってしまった。そののちに[[国家権力]]に負けて、売れない物件や、自宅と一緒になってい&lt;br /&gt;
た賃収ビルなど、全部、[[競売]]に掛けられて、すってんてんになって、路頭に迷う事になってし&lt;br /&gt;
まった。&lt;br /&gt;
現在の住まいは一軒家を借りているが、みなさんは何をしているのか、よく知らない。関心がな&lt;br /&gt;
いので、みんな詮索もしない。色々な事情があるのだろうと皆思っている。知らぬが仏である。&lt;br /&gt;
また寺の[[住職]]になるという、意気込みもあった。未だ願望もある。みんなを幸せにするとい&lt;br /&gt;
う義務的なものの持ち合わせがある。&lt;br /&gt;
みんなは付き会うとお金に関係するから、避けているというのが正しいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==両親==&lt;br /&gt;
父親は、平成16年3月に永眠。母親は平成22年8月に永眠。父親は、やさしい人であったが、&lt;br /&gt;
母親は厳しい人であった。&lt;br /&gt;
景気がよいころ、「ひとし」を[[関東]]の大学へ行かせたが、大学3年の時、会社は経営 不振で&lt;br /&gt;
倒産。 &lt;br /&gt;
父親は、30代の頃には、腰が痛い症状がつづき、どの医者にかかってもダメだったが、広島&lt;br /&gt;
市中区立町の漢方薬局の店主から優れた漢方医を紹介され、体調の回復となった。これによ&lt;br /&gt;
り、比治山タクシーは、漢方医の紹介で、巷では名のしられたタクシー会社となった。　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==前歴==&lt;br /&gt;
仕事関係のつまずきで、いざこざが起き、はめられて、警察沙汰になった、という事件があっ&lt;br /&gt;
た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==商工会議所議員==&lt;br /&gt;
[[広島商工会議所]]の議員は、3期努めた。商工会議所議員の会議は、しゃんしゃんで終わる&lt;br /&gt;
会議であったという。&lt;br /&gt;
「ひとし」は、必ず意見を言う、物申すの議員であったので巷の議員のなかでは、毛嫌いする者&lt;br /&gt;
もいたが、良く言ってくれたと賞賛してくれた議員もいた。&lt;br /&gt;
現在は、30年先には広島市からの発信で、電気は無料で使用できるプロジェクトに着手したの&lt;br /&gt;
で、これに全力投球するため議員を辞職した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==今後の展望==&lt;br /&gt;
これは、水力発電、火力発電、風力発電、地熱発電、太陽光発電、そして原発が必要のない&lt;br /&gt;
新しい方法での発電の普及。ニコラ・テスラが、100年前、制作したフリーエネルギーからの発&lt;br /&gt;
電方法の研究。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ボランティア==&lt;br /&gt;
その活動は、色々なことに興味を持ち、みんなを喜ばせている。つまり[[ドン・キホーテ]]とも言&lt;br /&gt;
えるであろうか、数限りなく、様々な[[ボランティア]]活動を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==広島新四国八十八ヶ所霊場巡り==&lt;br /&gt;
[[広島新四国八十八ヶ所霊場]]は、広島市を中心として大正７年に安芸地区に開創となった。&lt;br /&gt;
のちに原爆の投下により断絶していたが、 [[弘法大師]]御誕生１２００年を記念して昭和４８年&lt;br /&gt;
に[[復興]]された。&lt;br /&gt;
今では、広島市・呉市・大竹市・廿日市市・東広島市・三原市・安芸郡に、[[真言宗]]６６ヶ寺・&lt;br /&gt;
[[浄土宗]]３ヶ寺・[[曹洞宗]]１１ヶ寺・[[臨済宗]]７ヶ寺・[[浄土真宗]]１ヶ寺による８８ヶ所霊場が&lt;br /&gt;
ある。「ひとし」は、何か流れを変えるため、広島新四国八十八ヶ所を10回（合計880ヶ寺）も巡&lt;br /&gt;
り、目標のとおり、達成した。最後には、無理をしたため、足腰に相当なダメージを受け、しば&lt;br /&gt;
らく休息を余儀なくされた。今は、霊場会の先達を賜っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==食事==&lt;br /&gt;
食べ物の偏りがある。骨が形成されるタンパク質の多い魚や肉類は好んでは食べない。 何を&lt;br /&gt;
好むかと言うと、根本的に菜食主義なので、炭水化物が多い、うどん、そば、豆腐、こんにゃく、納豆、米、野菜 などの精&lt;br /&gt;
進料理が主。本人如くは仏教に帰すると自然に精進料理になるという。しかし、全く食べないと&lt;br /&gt;
いう訳ではない。肉類が混ざっていること等があっても拒否はしない。またアルコ ールやタバコ&lt;br /&gt;
は体質的に合わないので受け付けない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==姉弟==&lt;br /&gt;
一見するが、面倒みのいい（それは人の見方に因り定めはない）既婚者の姉が二人いるが、それぞれ、良いモノを持っている。&lt;br /&gt;
長女は話が好きで話上手な所があり、個性が強い。旦那の実家は先祖代々は紀州藩の家老や武士であった、由緒ある旧家であると「ひとし」はいう。&lt;br /&gt;
次女は控え目なところが気になるが、若かりし頃は男性に良くもてた、美人で上品な女性だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ひとし」や「妻」ともわだかまりはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==妻==&lt;br /&gt;
[[広島県立女子大学]]を卒業した美人で働き者の才女を嫁にした。見合い結婚であった。「ひ&lt;br /&gt;
とし」に、どんな事があっても、一切[[苦情]]も言わず、耐えてきた。だから喧嘩にもならなかっ&lt;br /&gt;
た。なかなかこんな女性はいなかったであろう。だが、「ひとし」の我がままで、家庭を顧みず、&lt;br /&gt;
（「ひとし」があることを行っていることで、長男がイジメに遭っていたにもかかわらず無視して、&lt;br /&gt;
続け・・・）子供たちの将来の事について、妻の忠告をも一切聞かなかった。そのため、妻は、&lt;br /&gt;
致し方なく身を引いて現在別居している。そのうち子どもが結婚して、巣立てば「ひとし」は離婚&lt;br /&gt;
を宣告される事は、もう覚悟しているという。勝手に言うな自分で決めるな、この馬鹿野郎。卑怯だ「ひとし」はさらし首だ。&lt;br /&gt;
妻は、口数の少ない女性で、五年前の市会議員選挙前に、妻から、通告をうけたという。「今&lt;br /&gt;
度選挙に出ることになれば離婚です」と、選挙に出馬したので、妻は、「ひとし」から離れた。&lt;br /&gt;
「あなたは、子供の将来を考えていない人ですね」と。&lt;br /&gt;
「ひとし」は自己中で強情、人の意見も忠告をも一切聞かず突っ走り、止めようがない。&lt;br /&gt;
よって家庭は顧みず、広島市民、県民、国民の将来について、200年先を見渡せば、いず&lt;br /&gt;
れ、人類は破滅というロードマップに乗る事になるのが、見えてくるので家庭を犠牲にしても、&lt;br /&gt;
今、「ひとし」がなすべきことを始めようと、この大馬鹿者は勝手に精進しているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
周りの者は、いい迷惑であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
http://www.geocities.jp/hiroshima_kokusai/　新本 ひとし / 公式サイト&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>180.52.130.86</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E6%9C%AC%E5%9D%87&amp;diff=396266</id>
		<title>新本均</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E6%9C%AC%E5%9D%87&amp;diff=396266"/>
				<updated>2022-01-06T17:46:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;180.52.130.86: /* 妻 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
''' 新 本 均 ''' (しんもと ひ と し、[[1950年]] [[2月1日]]-)は、[[広島]]のあらゆることの研究&lt;br /&gt;
家。また広島では[[ボランティア]]活動家でもある。それは自分の事はさておき、困った人がい&lt;br /&gt;
れば、親身になって、手伝う。つまり少し、悪く言えば、人のお世話を焼き過ぎる、お人よしでも&lt;br /&gt;
ある。国政選挙などにも出馬したこともある。 [[広島県]] [[広島市]]出身。身長170[[㎝]]、体&lt;br /&gt;
重72㎏、血液型はB型。右利き。中国総合調査事務所所属。[[広島県立広島皆実高等学校]]&lt;br /&gt;
卒業、[[学校法人]] [[東海大学]] [[原子力工学科]]卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出生==&lt;br /&gt;
1950年2月1日に[[広島市]]南区比治山本町、現在は安芸幼稚園正門前で産湯に浸かる。父&lt;br /&gt;
親が、「均」と名付けた。この謂われは、皆さんと、「ひとし」くなってほしい。また陸軍少将に、[[今村　均]]という軍人の鏡になる人物が居られ、尊敬していたので、それにちなんで、命名したとい&lt;br /&gt;
う。 [[戸籍]]の字「均」は読みにくいので、[[通称名]]は「ひとし」にしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生い立ち==&lt;br /&gt;
広島県立広島皆実高等学校を下位の成績で卒業した。&lt;br /&gt;
現役にて、学校法人　東海大学工学部応用理学科原子力専攻に入学し卒業した。&lt;br /&gt;
なぜ東海大学工学部原子力であるかは、広島に落とされた原子爆弾 、核の威力について詳&lt;br /&gt;
細に知りたかったこともあるという。&lt;br /&gt;
しかし、本音の部分としては、哲学的に、人間と、物質との境界線を研究したかったのであると&lt;br /&gt;
も語る。&lt;br /&gt;
これは、現在も解かれていない課題であるという。&lt;br /&gt;
「ひとし」が大学二年の時、アインシュタインの本を読むと、終わりに、彼は自分がこの原子力&lt;br /&gt;
を研究するのは、「神」が彼(アインシュタイン)の背を推し進めるからこの道に入ったと、述べ&lt;br /&gt;
ていたと「ひとし」は語っている。&lt;br /&gt;
「ひとし」は、彼（アインシュタイン）の締めくくりの記事を知って、これを機に、当時、東京都町田&lt;br /&gt;
市に住んでいたので、毎日、町田天満宮を参拝したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==子ども==&lt;br /&gt;
五人いる。男の子が四人女の子一人。今頃は一人か二人くらいしか産まない。それは面倒をみるのも大変であるし、家計費も圧迫する。また教育費もかかる。よく五人も育てたと感心する。子の性格は皆それぞれであり、これを対処してあげるのも大変だ。であるから、色んな立場を勘案しなくてはならない。放っておく事は無責任であると思う。世間では「親はなくとも子は育つ」と言うが、そんな生易しいものではないと思う。まずはその子の立場を尊重し、お互いに生きるのみだ。ここに至っては、「ひとし」の妻があたふたして大変だった推測される。まずは普通に育っているので、よいのではないかと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==起業==&lt;br /&gt;
父親がトラック運送から、1952年に[[タクシー]]の[[認可]]を取って同事業に参入した。「比治山&lt;br /&gt;
タクシー」の[[商号]]で経営するタクシー会社。一時は16台のタクシーを保有するまでになり順&lt;br /&gt;
調であったが、父親は人が良く、騙されやすく、利用されやすい人であったため、悪質な従業&lt;br /&gt;
員に因って、経営不振になり、16台の営業車両を売却せざるを得なかった。その後、譲渡益が&lt;br /&gt;
少しあったので広島駅前に[[喫茶店]]を開いた。のちに「ひとし」が大学を卒業したので、社長&lt;br /&gt;
として引き継いだ。その間、店員の娘らと仲良くしていたが、その後、店で働いていた娘から相&lt;br /&gt;
談を受け、市内で店舗 物件を紹介したのがきっかけで、宅建免許を取り、80年に不動産業を&lt;br /&gt;
始めた。事業用地を主体とする[[売買]]の仲介業が主力であったが、のちのバブル[[全盛期]]&lt;br /&gt;
には[[不動産]]を買い取って、転売する[[事業]]に注力した。[[バブル期]]には物件を買えば売&lt;br /&gt;
れる。買った人も売れば儲かる。また次の買主も、儲かる。いくらでも限りがなかった。&lt;br /&gt;
業者間のキャッチボールでもどんどん売れた。[[中間省略登記]]で売買がされていたので、&lt;br /&gt;
[[決済]]するまでの間、次の買主や売主が何人いたかは分からなかった。当時、法律問題に&lt;br /&gt;
は発展しなかった。&lt;br /&gt;
[[バブル景気]]が下火になった頃。売れなくなった不動産を抱えてしまい、１０数億の借金だけ&lt;br /&gt;
が残ってしまった。そののちに[[国家権力]]に負けて、売れない物件や、自宅と一緒になってい&lt;br /&gt;
た賃収ビルなど、全部、[[競売]]に掛けられて、すってんてんになって、路頭に迷う事になってし&lt;br /&gt;
まった。&lt;br /&gt;
現在の住まいは一軒家を借りているが、みなさんは何をしているのか、よく知らない。関心がな&lt;br /&gt;
いので、みんな詮索もしない。色々な事情があるのだろうと皆思っている。知らぬが仏である。&lt;br /&gt;
また寺の[[住職]]になるという、意気込みもあった。未だ願望もある。みんなを幸せにするとい&lt;br /&gt;
う義務的なものの持ち合わせがある。&lt;br /&gt;
みんなは付き会うとお金に関係するから、避けているというのが正しいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==両親==&lt;br /&gt;
父親は、平成16年3月に永眠。母親は平成22年8月に永眠。父親は、やさしい人であったが、&lt;br /&gt;
母親は厳しい人であった。&lt;br /&gt;
景気がよいころ、「ひとし」を[[関東]]の大学へ行かせたが、大学3年の時、会社は経営 不振で&lt;br /&gt;
倒産。 &lt;br /&gt;
父親は、30代の頃には、腰が痛い症状がつづき、どの医者にかかってもダメだったが、広島&lt;br /&gt;
市中区立町の漢方薬局の店主から優れた漢方医を紹介され、体調の回復となった。これによ&lt;br /&gt;
り、比治山タクシーは、漢方医の紹介で、巷では名のしられたタクシー会社となった。　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==前歴==&lt;br /&gt;
仕事関係のつまずきで、いざこざが起き、はめられて、警察沙汰になった、という事件があっ&lt;br /&gt;
た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==商工会議所議員==&lt;br /&gt;
[[広島商工会議所]]の議員は、3期努めた。商工会議所議員の会議は、しゃんしゃんで終わる&lt;br /&gt;
会議であったという。&lt;br /&gt;
「ひとし」は、必ず意見を言う、物申すの議員であったので巷の議員のなかでは、毛嫌いする者&lt;br /&gt;
もいたが、良く言ってくれたと賞賛してくれた議員もいた。&lt;br /&gt;
現在は、30年先には広島市からの発信で、電気は無料で使用できるプロジェクトに着手したの&lt;br /&gt;
で、これに全力投球するため議員を辞職した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==今後の展望==&lt;br /&gt;
これは、水力発電、火力発電、風力発電、地熱発電、太陽光発電、そして原発が必要のない&lt;br /&gt;
新しい方法での発電の普及。ニコラ・テスラが、100年前、制作したフリーエネルギーからの発&lt;br /&gt;
電方法の研究。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ボランティア==&lt;br /&gt;
その活動は、色々なことに興味を持ち、みんなを喜ばせている。つまり[[ドン・キホーテ]]とも言&lt;br /&gt;
えるであろうか、数限りなく、様々な[[ボランティア]]活動を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==広島新四国八十八ヶ所霊場巡り==&lt;br /&gt;
[[広島新四国八十八ヶ所霊場]]は、広島市を中心として大正７年に安芸地区に開創となった。&lt;br /&gt;
のちに原爆の投下により断絶していたが、 [[弘法大師]]御誕生１２００年を記念して昭和４８年&lt;br /&gt;
に[[復興]]された。&lt;br /&gt;
今では、広島市・呉市・大竹市・廿日市市・東広島市・三原市・安芸郡に、[[真言宗]]６６ヶ寺・&lt;br /&gt;
[[浄土宗]]３ヶ寺・[[曹洞宗]]１１ヶ寺・[[臨済宗]]７ヶ寺・[[浄土真宗]]１ヶ寺による８８ヶ所霊場が&lt;br /&gt;
ある。「ひとし」は、何か流れを変えるため、広島新四国八十八ヶ所を10回（合計880ヶ寺）も巡&lt;br /&gt;
り、目標のとおり、達成した。最後には、無理をしたため、足腰に相当なダメージを受け、しば&lt;br /&gt;
らく休息を余儀なくされた。今は、霊場会の先達を賜っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==食事==&lt;br /&gt;
食べ物の偏りがある。骨が形成されるタンパク質の多い魚や肉類は好んでは食べない。 何を&lt;br /&gt;
好むかと言うと、根本的に菜食主義なので、炭水化物が多い、うどん、そば、豆腐、こんにゃく、納豆、米、野菜 などの精&lt;br /&gt;
進料理が主。本人如くは仏教に帰すると自然に精進料理になるという。しかし、全く食べないと&lt;br /&gt;
いう訳ではない。肉類が混ざっていること等があっても拒否はしない。またアルコ ールやタバコ&lt;br /&gt;
は体質的に合わないので受け付けない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==姉弟==&lt;br /&gt;
一見するが、面倒みのいい（それは人の見方に因り定めはない）既婚者の姉が二人いるが、それぞれ、良いモノを持っている。&lt;br /&gt;
長女は話が好きで話上手な所があり、個性が強い。旦那の実家は先祖代々は紀州藩の家老や武士であった、由緒ある旧家であると「ひとし」はいう。&lt;br /&gt;
次女は控え目なところが気になるが、若かりし頃は男性に良くもてた、美人で上品な女性だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ひとし」や「妻」ともわだかまりはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==妻==&lt;br /&gt;
[[広島県立女子大学]]を卒業した美人で働き者の才女を嫁にした。見合い結婚であった。「ひ&lt;br /&gt;
とし」に、どんな事があっても、一切[[苦情]]も言わず、耐えてきた。だから喧嘩にもならなかっ&lt;br /&gt;
た。なかなかこんな女性はいなかったであろう。だが、「ひとし」の我がままで、家庭を顧みず、&lt;br /&gt;
（「ひとし」があることを行っていることで、長男がイジメに遭っていたにもかかわらず無視して、&lt;br /&gt;
続け・・・）子供たちの将来の事について、妻の忠告をも一切聞かなかった。そのため、妻は、&lt;br /&gt;
致し方なく身を引いて現在別居している。そのうち子どもが結婚して、巣立てば「ひとし」は離婚&lt;br /&gt;
を宣告される事は、もう覚悟しているという。&lt;br /&gt;
妻は、口数の少ない女性で、五年前の市会議員選挙前に、妻から、通告をうけたという。「今&lt;br /&gt;
度選挙に出ることになれば離婚です」と、選挙に出馬したので、妻は、「ひとし」から離れた。&lt;br /&gt;
「あなたは、子供の将来を考えていない人ですね」と。&lt;br /&gt;
「ひとし」は自己中で強情、人の意見も忠告をも一切聞かず突っ走り、止めようがない。&lt;br /&gt;
よって家庭は顧みず、広島市民、県民、国民の将来について、200年先を見渡せば、いず&lt;br /&gt;
れ、人類は破滅というロードマップに乗る事になるのが、見えてくるので家庭を犠牲にしても、&lt;br /&gt;
今、「ひとし」がなすべきことを始めようと、この大馬鹿者は勝手に精進しているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
周りの者は、いい迷惑であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
http://www.geocities.jp/hiroshima_kokusai/　新本 ひとし / 公式サイト&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>180.52.130.86</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%AD%9D%E5%A4%AA%E9%83%8E&amp;diff=395934</id>
		<title>中山孝太郎</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%AD%9D%E5%A4%AA%E9%83%8E&amp;diff=395934"/>
				<updated>2021-12-27T08:10:11Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;180.52.130.86: /* 来歴 */ 文章を校正しました&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ActorActress&lt;br /&gt;
| 芸名 = 中山 孝太郎&lt;br /&gt;
| ふりがな = なかやま こうたろう&lt;br /&gt;
| 画像ファイル = &lt;br /&gt;
| 画像サイズ = &lt;br /&gt;
| 画像コメント = &lt;br /&gt;
| 本名 = 上野誠治&lt;br /&gt;
| 別名 = 中山孝太郎&lt;br /&gt;
| 出生地 = 広島'''在住'''&lt;br /&gt;
| 死没地 = &lt;br /&gt;
| 国籍 = 日本&lt;br /&gt;
| 民族 = -&lt;br /&gt;
| 血液型 =&lt;br /&gt;
| 生年 = 1949&lt;br /&gt;
| 生月 = &lt;br /&gt;
| 生日 = &lt;br /&gt;
| 没年 = &lt;br /&gt;
| 没月 = &lt;br /&gt;
| 没日 = &lt;br /&gt;
| 職業 = [[小説家]]、フリーライター&lt;br /&gt;
| ジャンル = 純文学&lt;br /&gt;
| 活動期間 =  [[1985年]]&lt;br /&gt;
| 活動内容 =  &lt;br /&gt;
| 配偶者 = &lt;br /&gt;
| 家族 = &lt;br /&gt;
| 公式サイト = &lt;br /&gt;
| 主な作品 = &amp;lt;!--皆が認める代表作品を入力--&amp;gt;『争点』&lt;br /&gt;
『藪を這う』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『気になる紐と首』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
| アカデミー賞 = &lt;br /&gt;
| AFI賞 = &lt;br /&gt;
| 英国アカデミー賞 = &lt;br /&gt;
| セザール賞 = &lt;br /&gt;
| エミー賞 = &lt;br /&gt;
| ジェミニ賞 = &lt;br /&gt;
| ゴールデングローブ賞 = &lt;br /&gt;
| ゴールデンラズベリー賞 = &lt;br /&gt;
| ゴヤ賞 = &lt;br /&gt;
| グラミー賞 = &lt;br /&gt;
| ブルーリボン賞 = &lt;br /&gt;
| ローレンス・オリヴィエ賞 = &lt;br /&gt;
| 全米映画俳優組合賞 = &lt;br /&gt;
| トニー賞 = &lt;br /&gt;
| 日本アカデミー賞 = &lt;br /&gt;
| その他の賞 = コスモス文学新人賞&lt;br /&gt;
| 備考 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''中山 孝太郎'''（なかやま こうたろう、本名：上野誠治、[[1949年]] - ）は、[[日本]]の[[小説家]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==来歴==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
広島在住。広島県立広島国泰寺高等学校。[https://www.hosei.ac.jp/bungaku/?auth=9abbb458a78210eb174f4bdd385bcf54　法政大学文学部]卒。文学士。[https://www.sanno.ac.jp/　産業能率大学長上野一郎]の下、[https://www.sanno.ac.jp/admin/founder/　能率学]修める。[http://www.j.u-tokyo.ac.jp/　東京大学大学院法学政治学研究科] [https://www.town.shibata.miyagi.jp/reiki_int/reiki_honbun/1000100004150411h.html　地方自治法]など単位修得。[http://tokyo-ichokai.com/　東京銀杏会]会員。[https://hoseinet.or.jp/　法政大学校友会]会員。[http://www.bungeika.or.jp/links.htm 日本文藝家協会]会員。[http://bungeikan.jp/domestic/search/author/?author=nagyou 日本ペンクラブ]会員。&lt;br /&gt;
1980年、[http://www.hca.cc/06member-f/f-01.html　安藝文學]同人、1958年/昭和33年5月設立。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.hca.cc/06member-f/f-01.html]安芸文学設立。1958年（昭和33年5月に設立&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「広島西飛行場&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.youtube.com/watch?v=KDWq_AoOEBo]旧広島西飛行場の姿&amp;lt;/ref&amp;gt;存続の危機脱出変遷史」&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.hplibra.pref.hiroshima.jp/hp/page000000400/hpg000000370.htm]『広島の交通』展示資料リスト&amp;lt;/ref&amp;gt;96年12月16日東洋図書出版発行。広島市教育委員会から教育用として採用され、県と市や市内の各図書館へ納品。一部書店では売り上が上位になった。&lt;br /&gt;
1998年「第68回コスモス文学新人賞」（長崎市のコスモス文学の会主催)小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞。&lt;br /&gt;
1998年「第68回コスモス文学新人賞」ノンフイクション部門に「揺れる灯」が佳作に選ばれ、受賞。&lt;br /&gt;
2001年1月31日に「脳裏を刳る映像（2）」が愛知県土地家屋調査士会の「地図読み人」に採用され、全文が掲載された。&lt;br /&gt;
1998年9月彩図社&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.saiz.co.jp/]彩図社のぶんりき賞&amp;lt;/ref&amp;gt;のぶんりき賞で小説「魚うお」が雑誌に全文が掲載された。&lt;br /&gt;
2000年4月同文書院&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dobun.co.jp/]同文書院のまとりた賞&amp;lt;/ref&amp;gt;のまとりた賞で小説「現れた情景」が雑誌に全文が掲載された。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本名「上野誠治」ﾍﾟﾝﾈｰﾑ「中山孝太郎」&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%AD%9D%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%80%80&amp;amp;tbm=isch&amp;amp;ved=2ahUKEwi8j7qn4ojvAhUYzIsBHU8BCVgQ2-cCegQIABAA&amp;amp;oq=%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%AD%9D%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%80%80&amp;amp;gs_lcp=CgNpbWcQDDIECCMQJzICCABQsydYsydgl0BoAHAAeACAAVGIAVGSAQExmAEAoAEBqgELZ3dzLXdpei1pbWfAAQE&amp;amp;sclient=img&amp;amp;ei=0Iw5YLznNpiYr7wPz4KkwAU&amp;amp;bih=754&amp;amp;biw=1519&amp;amp;hl=ja]中山孝太郎の画像など&amp;lt;/ref&amp;gt;の名前の由来は下記の複合的要因による。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長崎の「'''上野彦馬'''」は日本における「'''最初期'''の'''写真家'''」であり、「日本写真の'''開祖'''」として知られる。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0306/]上野彦馬ってどんな人!?その人物像と功績に迫る&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ph.nagasaki-u.ac.jp/history/research/cp2/chapter2-2.html]薬学 上野彦馬の開眼&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/260429]で撮影の鶏卵写真&amp;lt;/ref&amp;gt; &lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.japanserve.com/bakumatsu/spt-nag-001-ueno.html]上野彦馬宅跡&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.google.co.jp/search?sa=N&amp;amp;sxsrf=ALeKk02PDRlj_VoC78RiSNV8quzrBF_rwA:1614161168625&amp;amp;source=univ&amp;amp;tbm=isch&amp;amp;q=%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%BD%A6%E9%A6%AC&amp;amp;ved=2ahUKEwiglMP4ooLvAhVXfXAKHVV0BaI4ChCMmQR6BAgDEAE&amp;amp;biw=1536&amp;amp;bih=754]上野彦馬などの画像　&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%BD%A6%E9%A6%AC-33935]上野彦馬　ブリタニカ国際大百科事典　コトバンク&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://boken.nagasaki.jp/spot/boken351.html]日本の写真家の始祖「上野彦馬」、ゆかりの地&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://tabi-bito.net/ueno-hikomas-birth-place-and-photography-station-mark-nagasaki-city/]上野彦馬生誕地と撮影局跡（長崎市）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://shae-bear.com/archives/5203]上野彦馬【写真家】の子孫と作品、写真館を紹介！日本最初の戦場カメラマン&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://photolala.net/2010/11/000304.php]日本写真界の開祖として&lt;br /&gt;
上野彦馬は、1838年長崎市銀屋町で生まれます。彦馬の父、俊之丞が出島のオランダ商品を通して写真機を初めて輸入したのが1843年&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/2010/08/03/9117/]古写真に見る西南戦争の記録－「彦馬が見た西南戦争」&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000651.html]上野（彦馬）家墓地　市指定史跡 指定年月日　平成18年1月10日　所在地　長崎市伊良林3丁目4番&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
産能短期大学創始者「'''上野陽一'''」&amp;lt;ref&amp;gt;[https://shashinshi.biz/archives/9331]写真師・上野彦馬の弟の長男、産業能率短期大学創始者・上野陽一&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.sanno.ac.jp/admin/founder/history.html]上野陽一の日本における産業能率研究の歴史です&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.sanno.ac.jp/admin/founder/ ]日本にマネジメントを「導入した父」産業能率大学創始者・上野陽一&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://g.co/kgs/YHt5D9 ]上野陽一&amp;lt;/ref&amp;gt;の伯父に当たる。 &lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
陽一が最初に手掛けた能率指導は1921年（大正10年）化粧品最大手「'''中山太陽堂'''」であった。創業者は 「'''中山太一'''」である。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://heisei-shokasonjuku.jp/senjindb/nakayamataichi/]東洋の化粧王　中山 太一なかやま たいち　明治・大正・昭和時代の実業家　1881(明治14)年〜1956(昭和31)年&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.clubcosmetics.co.jp/history/%E5%89%B5%E6%A5%AD%E8%80%85-%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%A4%AA%E4%B8%80/]創業者中山太一　化粧品業界の巨星と呼ばれた中山太一は、明治14年（1881年）山口県豊浦郡滝部村に生まれた。明治36年4月3日（1903年）、神戸市花隈町において化粧品の卸商｢中山太陽堂｣を創業。創業から3年後、製造業に転身をはかる。外国人技師を招聘して開発にあたらせ、化学研究所や近代的化粧品工場を設立して独自の美身剤の開発や作業の能率化を図った。その一方では、中山文化研究所を設立し、幅広いメセナ活動を実施した&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.justice.co.jp/kigyoka/tablelist.php?name=%92%86%8ER%20%91%BE%88%EA ]中山太一の年表&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who4-6725]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース　中山太一 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報) &amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.opmia.or.jp/wp-content/uploads/2016/07/%E5%95%86%E5%B7%A5%E6%8C%AF%E8%88%887%E6%9C%88%E5%8F%B7_%E5%81%89%E4%BA%BA%E4%BC%9D.pdf]時代の先を行く感性で文明開化の日本を彩った「東洋の化粧品王」中山 太一 （1881～1956年）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
陽一の子ども「'''上野一郎'''」&amp;lt;ref&amp;gt;[https://ja.unionpedia.org/i/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E4%B8%80%E9%83%8E] 上野一郎&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://bakumatsu.org/posterities/view/170] 上野一郎の上野彦馬&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.sanno.ac.jp/admin/bokin/vbnear00000009bh-att/zadankai.pdf ]上野陽一先生の事上野一郎座談会&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%8A%E9%87%8E%E9%99%BD%E4%B8%80%E3%81%A8%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%A4%AA%E4%B8%80%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82&amp;amp;tbm=isch&amp;amp;chips=q:%E4%B8%8A%E9%87%8E+%E9%99%BD%E4%B8%80+%E3%81%A8+%E4%B8%AD%E5%B1%B1+%E5%A4%AA%E4%B8%80+%E3%81%AE+%E9%96%A2%E4%BF%82,online_chips:%E7%94%A3%E6%A5%AD%E8%83%BD%E7%8E%87%E5%A4%A7%E5%AD%A6&amp;amp;hl=ja&amp;amp;sa=X&amp;amp;ved=2ahUKEwiAla-a_4TvAhUbMN4KHaH6CJcQ4lYoBXoECAEQHw&amp;amp;biw=1519&amp;amp;bih=754]上野一郎などの画像&amp;lt;/ref&amp;gt;は産能大学長で、上野誠治の師匠である。この様な経緯をとらえると、上野誠治のペンネーム命名は、陽一先生が能率指導した、企業の化粧品最大手「中山太陽堂」創業者「中山太一」の名前に授かる方針で「中山太一」で決まりであったが、あまりにも偉大で、彼、上野誠治が気が引けたということで、変更案として中山太一の「中山太」と上野一郎の「一」ではなく「郎」でミックスし、ペンネームを「中山太郎」とするであったが、また上野誠治が、語呂を良くするため、頭に「孝」を加えて「'''中山孝太郎'''」として命名しているというエピソードがある。&lt;br /&gt;
また、彼自身はカメラ愛好家の写真家でもあり、ウエノスタジオのカメラマンでもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後に中山孝太郎が長崎市のコスモス文学の会主催（平成10年/1998年）第68回小説部門に「憔悴した点」でコスモス文学新人賞を受賞した。長崎の「上野彦馬」との見えない紅線があったのであろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作風 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
往時&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幾多の困難があった。そんな中、短編、中篇の純文学小説を書き続け、数多くの作品がたまるが、中々日の目を見なかったが、1998年、人間の煩悩や心の葛藤を描きぬいた僅か「１センチ４ミリ」を争う世界の作品が、やっと芽生えた。98年、第68回コスモス文学新人賞（長崎市のコスモス文学の会主催）の小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://prizesworld.com/naoki/ichiran/sen_ichiran121-140.htm#list137]1998年、第68回コスモス文学新人賞、小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞している&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近作 &lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでになかったモノ、バーチャルの世界と現世とが融合しており、他人とは違う世界が見えている小説が主。現実と妄想の境界が入り乱れ、引き込まれる。因って読み手の頭が混乱するであろう。この作者は、ここまでも書くのかというクレイジーな感じで「藪を這う」なんかはまるで映画を観ているようで、少し気が違う面には動揺するが、中々変わっていて、近頃は珍しい。「藪を這う」と「争点」は、ここに掲載されている代表作品。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文体&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初期の小説は一つひとつの文字を書く筆にいきおいを感じながら、それなりのモチベーションで書きあげ、同人会で発表するが中々馴染めない面があった。この時期にある程度の量を書き上げていたが、自暴自棄になっていた。因ってかなりのブランクが発生し、まだ初期の段階で、もう筆を折ろうかと思っていたという。しかし、周りの連中から、これからが良くなると言われ、思いとどまった。自称の作家が言った。「お前の小説を読んだが、吐き気がした。小説の体（てい）を知らないのだろう。俺は国立大学の同人会に所属していた。もう息子は小説家になった。勿体ないが、俺が書いた100数十作の小説は、1作あたり全部100枚以上はあるが、そのうちどれか1作だけを参考に見せてやる」理不尽で失礼千万だ。小説の体を言う前に手前はどうか、支離滅裂な説教でうんざりとしたという。こいつは小説の書き方が一つしか無いのだと確信していた様だという。小説の中にも絵や図などが入っているのもある。文章間に詳しい説明の文章が入っているのも沢山あるようだ。こいつは本を読んでいないのだろうかとも思ったという。1人称（私小説）や3人称の書き方もあれば、まだ書き方は沢山ある。箇条書きもある。ひらがなやカタカナだけのものもある。また横書きもある。つまり何でも良いという。主題やテーマがハッキリとしていて、それに沿って書き上げていれば問題はないようだ。水の如くいっきに流れるように書いてあるのもある。途中でいきなり回想しているのもある。彼は誹謗中傷侮辱された。しかし、批判は批判として真摯（しんし）に受けとめる。こういう意見もあるのだと感じたという。彼はいろんな作家の小説を読んでいて、どの小説のテーマもまちまちで、出現の仕方も違うという。もちろん文体も違うだろう。かなり自由に書いていて、これらはすべて「小説の体」を成しているという点では共通しているのであろう。もちろんテーマがあってストーリーがあって描写があるのだ。支離滅裂になってはもちろん良くない。質はもちろん大事で、数を書いて会得していくことも大事なのであろう。書き続けることで、なんだ、こんなことで悩んでいたのかはままある。因って小説の体をなしていないとは、そもそも文章自体に乱れ、稚拙で支離滅裂などで破綻（はたん）していることであるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==賞歴==&lt;br /&gt;
など&lt;br /&gt;
*1996年12月に「広島西飛行場存続の危機脱出変遷史」&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.youtube.com/watch?v=KDWq_AoOEBo]旧広島西飛行場の映像&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/mokuroku/200407osafune.pdf]広島市 長船 おさふね 友則 と も の り&lt;br /&gt;
氏収集資料仮目録 ]&amp;lt;/ref&amp;gt;を発行。&lt;br /&gt;
*広島市教育委員会から教育用として採用され、県と市へ納品した。&lt;br /&gt;
*1998年、「第68回コスモス文学新人賞」（長崎市のコスモス文学の会主催)小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞。&lt;br /&gt;
*1998年、「第68回コスモス文学新人賞ノンフイクション部門」に「揺れる灯」が佳作に決定し、受賞。&lt;br /&gt;
*1999年9月文藝春秋の雑誌に「第2回草枕文学賞」の中間発表があり、名前が載った。主催は熊本県『草枕文学賞』実行委員会。後援は文藝春秋。全国各地及び海外から総数769編の応募があり、80編が予選を通過した。文学賞の最終選考には残ったが、賞は貰えなかった。草枕文学賞を受賞すると、その作品は文学界の雑誌に掲載され、そして必然的に芥川賞にノミネートされるのだが残念だった。その小説は「藪を這う」。後に改稿後関西文學に掲載された。さらに改稿後安藝文學にも掲載された。その小説は「日本ペンクラブ電子文藝館」に所蔵されている。&lt;br /&gt;
*1999年4月号の小説現代に「第67回小説現代新人賞」の予選発表があった。応募総数1615編で予選通過者数は114名。これに名前が載った。その作品は改稿後「争点」で安藝文學に掲載された。後に「日本ペンクラブ電子文藝館」に所蔵されている。&lt;br /&gt;
*2001年1月31日に「脳裏を刳る映像（2）」が愛知県土地家屋調査士会の「地図読み人」に採用され、全文が掲載された。&lt;br /&gt;
*2001年「第18回織田作之助賞」に「気になる紐と首」が応募総数503篇で第1次予選を通過し、さらに第2次予選も通過した。50篇が第2次予選を通過。&lt;br /&gt;
*2002年に改稿後「第3回関西文學新人賞」で第1次予選を通過し、さらに第2次予選も通過した。応募総数190篇で第2次予選通過作は23作。2012年7月さらに改稿後安藝文學に小説「気になる紐と首」が掲載された。現在は「国立国会図書館」に所蔵されている。&lt;br /&gt;
*1998年9月彩図社のぶんりき賞で小説「魚うお」が雑誌に全文が掲載された。&lt;br /&gt;
*2000年4月同文書院のまとりた賞で小説「現れた情景」が雑誌に全文が掲載された。&lt;br /&gt;
*2003年6月新風舎出版賞第20回、小説で出版奨励賞受賞。&lt;br /&gt;
その他諸々予選は通過しているが、中期はブランクがあってあまり応募はしていない。後期、最近は体調を悪くし、あまり書いていないが、作がかなりたまってきている。が、推敲校正が必要だという。しかし、近いうちに発表予定でもあるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コラムなど&lt;br /&gt;
*「予算消化工事税金無駄遣い」93.2.25中国新聞&lt;br /&gt;
*「選挙の資金は国民が出資を」93.3.4 中国新聞&lt;br /&gt;
*「証人喚問制度もっと厳正に」93.3.16中国新聞&lt;br /&gt;
*「広島らしさを物産館に望む」96.10.6中国新聞&lt;br /&gt;
*「専門学校設け広大跡地活用」96.10.20中国新聞&lt;br /&gt;
*「小企業の支援に商工会議所充実を」96.11.16中国新聞&lt;br /&gt;
*「運転中の通話について」96.12.19中国新聞&lt;br /&gt;
*「政治や経済の勉強」97.1.30朝日新聞&lt;br /&gt;
*「『毛利元就』もっと方言を望む」97.2.13読売新聞&lt;br /&gt;
*「真の『上得意様』へのサービス」97.2.14毎日新聞&lt;br /&gt;
*「W杯招致運動もうやめよう」97.2.18中国新聞&lt;br /&gt;
*「『一人くらい』を返上し投票を」97.3.25中国新聞&lt;br /&gt;
*「トンネル内の照明を整備せよ」97.12.18産経新聞 &lt;br /&gt;
*「納得できない可部線の廃止」98.4.19中国新聞&lt;br /&gt;
*「南道路県と市協調を」04.6.19中国新聞&lt;br /&gt;
*随筆など&lt;br /&gt;
*「私の健康法」97.1.27中建日報&lt;br /&gt;
*「地球は生命体」97.3.27川柳ひろしま&lt;br /&gt;
*「さばを読む」97.4.5川柳ひろしま&lt;br /&gt;
*川柳など&lt;br /&gt;
*「ガラス細工」00.4.1葉文館出版&lt;br /&gt;
*ノンフイクションなど&lt;br /&gt;
*「広島西飛行場存続の変遷史」96.12.16東洋図書出版　著書&lt;br /&gt;
*「広島のデルタを歩くリベラリスト」99.9.9タニシ企画印刷　著書&lt;br /&gt;
*小説など&lt;br /&gt;
*「脳裏を刳る映像（1）」00.1.1ウエノ書房　著書&lt;br /&gt;
*「三角関係」97.11.1ビジネスセミナー&lt;br /&gt;
*「魚（うお）」98.9.1採図社&lt;br /&gt;
*「藪を這う」00.2.1関西文學&lt;br /&gt;
*「現れた情景」00.4.1同文書院&lt;br /&gt;
*「脳裏を刳る映像（2）」01.1.31地図読み人&lt;br /&gt;
*「気に為る紐と首」12.7.10安藝文學&lt;br /&gt;
*「争点」15.8.10安藝文學&lt;br /&gt;
その他寝かせている小説などがあるが推敲校正が必要で未発表作品。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 代表==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「争点」&lt;br /&gt;
　　　 日本ペンクラブ電子文藝館 &lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「藪を這う」&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
日本ペンクラブ &lt;br /&gt;
電子文藝館&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所属 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.bungeika.or.jp/links.htm 日本文藝家協会]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://bungeikan.jp/domestic/search/author/?author=nagyou 日本ペンクラブ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.a-net.shimin.city.hiroshima.jp/anet/dantai/archives/p-1019814058058.html 安芸文学]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部 ==&lt;br /&gt;
* [http://www.nakayama-koutarou.com/ 中山孝太郎公式サイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.nakayama-koutarou.com/prf.htm 中山孝太郎公式サイト]&lt;br /&gt;
* [http://bungeikan.jp/domestic/search/author/?author=nagyou 日本ペンクラブ電子文藝館]&lt;br /&gt;
* [http://www.bungeika.or.jp/links.htm　日本文藝家協会]&lt;br /&gt;
* [http://www.a-net.shimin.city.hiroshima.jp/anet/dantai/archives/p-1019814058058.html　安芸文学同人会]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>180.52.130.86</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E6%9C%AC%E5%9D%87&amp;diff=395469</id>
		<title>新本均</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E6%9C%AC%E5%9D%87&amp;diff=395469"/>
				<updated>2021-12-07T13:17:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;180.52.130.86: /* 妻 */ 文章校正&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
''' 新 本 均 ''' (しんもと ひ と し、[[1950年]] [[2月1日]]-)は、[[広島]]のあらゆることの研究&lt;br /&gt;
家。また広島では[[ボランティア]]活動家でもある。それは自分の事はさておき、困った人がい&lt;br /&gt;
れば、親身になって、手伝う。つまり少し、悪く言えば、人のお世話を焼き過ぎる、お人よしでも&lt;br /&gt;
ある。国政選挙などにも出馬したこともある。 [[広島県]] [[広島市]]出身。身長170[[㎝]]、体&lt;br /&gt;
重72㎏、血液型はB型。右利き。中国総合調査事務所所属。[[広島県立広島皆実高等学校]]&lt;br /&gt;
卒業、[[学校法人]] [[東海大学]] [[原子力工学科]]卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出生==&lt;br /&gt;
1950年2月1日に[[広島市]]南区比治山本町、現在は安芸幼稚園正門前で産湯に浸かる。父&lt;br /&gt;
親が、「均」と名付けた。この謂われは、皆さんと、「ひとし」くなってほしい。また陸軍少将に、[[今村　均]]という軍人の鏡になる人物が居られ、尊敬していたので、それにちなんで、命名したとい&lt;br /&gt;
う。 [[戸籍]]の字「均」は読みにくいので、[[通称名]]は「ひとし」にしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生い立ち==&lt;br /&gt;
広島県立広島皆実高等学校を下位の成績で卒業した。&lt;br /&gt;
現役にて、学校法人　東海大学工学部応用理学科原子力専攻に入学し卒業した。&lt;br /&gt;
なぜ東海大学工学部原子力であるかは、広島に落とされた原子爆弾 、核の威力について詳&lt;br /&gt;
細に知りたかったこともあるという。&lt;br /&gt;
しかし、本音の部分としては、哲学的に、人間と、物質との境界線を研究したかったのであると&lt;br /&gt;
も語る。&lt;br /&gt;
これは、現在も解かれていない課題であるという。&lt;br /&gt;
「ひとし」が大学二年の時、アインシュタインの本を読むと、終わりに、彼は自分がこの原子力&lt;br /&gt;
を研究するのは、「神」が彼(アインシュタイン)の背を推し進めるからこの道に入ったと、述べ&lt;br /&gt;
ていたと「ひとし」は語っている。&lt;br /&gt;
「ひとし」は、彼（アインシュタイン）の締めくくりの記事を知って、これを機に、当時、東京都町田&lt;br /&gt;
市に住んでいたので、毎日、町田天満宮を参拝したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==子ども==&lt;br /&gt;
五人いる。男の子が四人女の子一人。今頃は一人か二人くらいしか産まない。それは面倒をみるのも大変であるし、家計費も圧迫する。また教育費もかかる。よく五人も育てたと感心する。子の性格は皆それぞれであり、これを対処してあげるのも大変だ。であるから、色んな立場を勘案しなくてはならない。放っておく事は無責任であると思う。世間では「親はなくとも子は育つ」と言うが、そんな生易しいものではないと思う。まずはその子の立場を尊重し、お互いに生きるのみだ。ここに至っては、「ひとし」の妻があたふたして大変だった推測される。まずは普通に育っているので、よいのではないかと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==起業==&lt;br /&gt;
父親がトラック運送から、1952年に[[タクシー]]の[[認可]]を取って同事業に参入した。「比治山&lt;br /&gt;
タクシー」の[[商号]]で経営するタクシー会社。一時は16台のタクシーを保有するまでになり順&lt;br /&gt;
調であったが、父親は人が良く、騙されやすく、利用されやすい人であったため、悪質な従業&lt;br /&gt;
員に因って、経営不振になり、16台の営業車両を売却せざるを得なかった。その後、譲渡益が&lt;br /&gt;
少しあったので広島駅前に[[喫茶店]]を開いた。のちに「ひとし」が大学を卒業したので、社長&lt;br /&gt;
として引き継いだ。その間、店員の娘らと仲良くしていたが、その後、店で働いていた娘から相&lt;br /&gt;
談を受け、市内で店舗 物件を紹介したのがきっかけで、宅建免許を取り、80年に不動産業を&lt;br /&gt;
始めた。事業用地を主体とする[[売買]]の仲介業が主力であったが、のちのバブル[[全盛期]]&lt;br /&gt;
には[[不動産]]を買い取って、転売する[[事業]]に注力した。[[バブル期]]には物件を買えば売&lt;br /&gt;
れる。買った人も売れば儲かる。また次の買主も、儲かる。いくらでも限りがなかった。&lt;br /&gt;
業者間のキャッチボールでもどんどん売れた。[[中間省略登記]]で売買がされていたので、&lt;br /&gt;
[[決済]]するまでの間、次の買主や売主が何人いたかは分からなかった。当時、法律問題に&lt;br /&gt;
は発展しなかった。&lt;br /&gt;
[[バブル景気]]が下火になった頃。売れなくなった不動産を抱えてしまい、１０数億の借金だけ&lt;br /&gt;
が残ってしまった。そののちに[[国家権力]]に負けて、売れない物件や、自宅と一緒になってい&lt;br /&gt;
た賃収ビルなど、全部、[[競売]]に掛けられて、すってんてんになって、路頭に迷う事になってし&lt;br /&gt;
まった。&lt;br /&gt;
現在の住まいは一軒家を借りているが、みなさんは何をしているのか、よく知らない。関心がな&lt;br /&gt;
いので、みんな詮索もしない。色々な事情があるのだろうと皆思っている。知らぬが仏である。&lt;br /&gt;
また寺の[[住職]]になるという、意気込みもあった。未だ願望もある。みんなを幸せにするとい&lt;br /&gt;
う義務的なものの持ち合わせがある。&lt;br /&gt;
みんなは付き会うとお金に関係するから、避けているというのが正しいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==両親==&lt;br /&gt;
父親は、平成16年3月に永眠。母親は平成22年8月に永眠。父親は、やさしい人であったが、&lt;br /&gt;
母親は厳しい人であった。&lt;br /&gt;
景気がよいころ、「ひとし」を[[関東]]の大学へ行かせたが、大学3年の時、会社は経営 不振で&lt;br /&gt;
倒産。 &lt;br /&gt;
父親は、30代の頃には、腰が痛い症状がつづき、どの医者にかかってもダメだったが、広島&lt;br /&gt;
市中区立町の漢方薬局の店主から優れた漢方医を紹介され、体調の回復となった。これによ&lt;br /&gt;
り、比治山タクシーは、漢方医の紹介で、巷では名のしられたタクシー会社となった。　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==前歴==&lt;br /&gt;
仕事関係のつまずきで、いざこざが起き、はめられて、警察沙汰になった、という事件があっ&lt;br /&gt;
た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==商工会議所議員==&lt;br /&gt;
[[広島商工会議所]]の議員は、3期努めた。商工会議所議員の会議は、しゃんしゃんで終わる&lt;br /&gt;
会議であったという。&lt;br /&gt;
「ひとし」は、必ず意見を言う、物申すの議員であったので巷の議員のなかでは、毛嫌いする者&lt;br /&gt;
もいたが、良く言ってくれたと賞賛してくれた議員もいた。&lt;br /&gt;
現在は、30年先には広島市からの発信で、電気は無料で使用できるプロジェクトに着手したの&lt;br /&gt;
で、これに全力投球するため議員を辞職した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==今後の展望==&lt;br /&gt;
これは、水力発電、火力発電、風力発電、地熱発電、太陽光発電、そして原発が必要のない&lt;br /&gt;
新しい方法での発電の普及。ニコラ・テスラが、100年前、制作したフリーエネルギーからの発&lt;br /&gt;
電方法の研究。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ボランティア==&lt;br /&gt;
その活動は、色々なことに興味を持ち、みんなを喜ばせている。つまり[[ドン・キホーテ]]とも言&lt;br /&gt;
えるであろうか、数限りなく、様々な[[ボランティア]]活動を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==広島新四国八十八ヶ所霊場巡り==&lt;br /&gt;
[[広島新四国八十八ヶ所霊場]]は、広島市を中心として大正７年に安芸地区に開創となった。&lt;br /&gt;
のちに原爆の投下により断絶していたが、 [[弘法大師]]御誕生１２００年を記念して昭和４８年&lt;br /&gt;
に[[復興]]された。&lt;br /&gt;
今では、広島市・呉市・大竹市・廿日市市・東広島市・三原市・安芸郡に、[[真言宗]]６６ヶ寺・&lt;br /&gt;
[[浄土宗]]３ヶ寺・[[曹洞宗]]１１ヶ寺・[[臨済宗]]７ヶ寺・[[浄土真宗]]１ヶ寺による８８ヶ所霊場が&lt;br /&gt;
ある。「ひとし」は、何か流れを変えるため、広島新四国八十八ヶ所を10回（合計880ヶ寺）も巡&lt;br /&gt;
り、目標のとおり、達成した。最後には、無理をしたため、足腰に相当なダメージを受け、しば&lt;br /&gt;
らく休息を余儀なくされた。今は、霊場会の先達を賜っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==食事==&lt;br /&gt;
食べ物の偏りがある。骨が形成されるタンパク質の多い魚や肉類は好んでは食べない。 何を&lt;br /&gt;
好むかと言うと、根本的に菜食主義なので、炭水化物が多い、うどん、そば、豆腐、こんにゃく、納豆、米、野菜 などの精&lt;br /&gt;
進料理が主。本人如くは仏教に帰すると自然に精進料理になるという。しかし、全く食べないと&lt;br /&gt;
いう訳ではない。肉類が混ざっていること等があっても拒否はしない。またアルコ ールやタバコ&lt;br /&gt;
は体質的に合わないので受け付けない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==姉弟==&lt;br /&gt;
一見するが、面倒みのいい（それは人の見方に因り定めはない）既婚者の姉が二人いるが、それぞれ、良いモノを持っている。&lt;br /&gt;
長女は話が好きで話上手な所があり、個性が強い。旦那の実家は先祖代々は紀州藩の家老や武士であった、由緒ある旧家であると「ひとし」はいう。&lt;br /&gt;
次女は控え目なところが気になるが、若かりし頃は男性に良くもてた、美人で上品な女性だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ひとし」や「妻」ともわだかまりはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==妻==&lt;br /&gt;
[[広島県立女子大学]]を卒業した美人で働き者の才女を嫁にした。見合い結婚であった。「ひ&lt;br /&gt;
とし」に、どんな事があっても、一切[[苦情]]も言わず、耐えてきた。だから喧嘩にもならなかっ&lt;br /&gt;
た。なかなかこんな女性はいなかったであろう。だが、「ひとし」の我がままで、家庭を顧みず、&lt;br /&gt;
（「ひとし」があることを行っていることで、長男がイジメに遭っていたにもかかわらず無視して、&lt;br /&gt;
続け・・・）子供たちの将来の事について、妻の忠告をも一切聞かなかった。そのため、妻は、&lt;br /&gt;
致し方なく身を引いて現在別居している。そのうち子どもが結婚して、巣立てば「ひとし」は離婚&lt;br /&gt;
を宣告される事は、もう覚悟しているという。&lt;br /&gt;
妻は、口数の少ない女性で、五年前の市会議員選挙前に、妻から、通告をうけたという。「今&lt;br /&gt;
度選挙に出ることになれば離婚です」と、選挙に出馬したので、妻は、「ひとし」から離れた。&lt;br /&gt;
「あなたは、子供の将来を考えていない人ですね」と。&lt;br /&gt;
「ひとし」は自己中で強情、人の意見も忠告をも一切聞かず突っ走り、止めようがない。&lt;br /&gt;
よって家庭は顧みず、広島市民、県民、国民の将来について、200年先を見渡せば、いず&lt;br /&gt;
れ、人類は破滅というロードマップに乗る事になるのが、見えてくるので家庭を犠牲にしても、&lt;br /&gt;
今、「ひとし」がなすべきことを始めようと、この馬鹿者は勝手に精進しているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
周りの者は、いい迷惑であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
http://www.geocities.jp/hiroshima_kokusai/　新本 ひとし / 公式サイト&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>180.52.130.86</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%AD%9D%E5%A4%AA%E9%83%8E&amp;diff=395463</id>
		<title>中山孝太郎</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%AD%9D%E5%A4%AA%E9%83%8E&amp;diff=395463"/>
				<updated>2021-12-07T12:10:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;180.52.130.86: /* 来歴 */文章校正&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ActorActress&lt;br /&gt;
| 芸名 = 中山 孝太郎&lt;br /&gt;
| ふりがな = なかやま こうたろう&lt;br /&gt;
| 画像ファイル = &lt;br /&gt;
| 画像サイズ = &lt;br /&gt;
| 画像コメント = &lt;br /&gt;
| 本名 = 上野誠治&lt;br /&gt;
| 別名 = -&lt;br /&gt;
| 出生地 = 広島'''在住'''&lt;br /&gt;
| 死没地 = &lt;br /&gt;
| 国籍 = &lt;br /&gt;
| 民族 = -&lt;br /&gt;
| 血液型 =&lt;br /&gt;
| 生年 = 1949&lt;br /&gt;
| 生月 = 12&lt;br /&gt;
| 生日 = 16&lt;br /&gt;
| 没年 = &lt;br /&gt;
| 没月 = &lt;br /&gt;
| 没日 = &lt;br /&gt;
| 職業 = [[小説家]]、フリーライター&lt;br /&gt;
| ジャンル = 純文学&lt;br /&gt;
| 活動期間 =  [[1985年]]&lt;br /&gt;
| 活動内容 =  &lt;br /&gt;
| 配偶者 = &lt;br /&gt;
| 家族 = &lt;br /&gt;
| 公式サイト = &lt;br /&gt;
| 主な作品 = &amp;lt;!--皆が認める代表作品を入力--&amp;gt;『争点』&lt;br /&gt;
『藪を這う』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『気になる紐と首』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
| アカデミー賞 = &lt;br /&gt;
| AFI賞 = &lt;br /&gt;
| 英国アカデミー賞 = &lt;br /&gt;
| セザール賞 = &lt;br /&gt;
| エミー賞 = &lt;br /&gt;
| ジェミニ賞 = &lt;br /&gt;
| ゴールデングローブ賞 = &lt;br /&gt;
| ゴールデンラズベリー賞 = &lt;br /&gt;
| ゴヤ賞 = &lt;br /&gt;
| グラミー賞 = &lt;br /&gt;
| ブルーリボン賞 = &lt;br /&gt;
| ローレンス・オリヴィエ賞 = &lt;br /&gt;
| 全米映画俳優組合賞 = &lt;br /&gt;
| トニー賞 = &lt;br /&gt;
| 日本アカデミー賞 = &lt;br /&gt;
| その他の賞 = コスモス文学新人賞&lt;br /&gt;
| 備考 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''中山 孝太郎'''（なかやま こうたろう、本名：上野誠治、[[1949年]] - ）は、[[日本]]の[[小説家]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==来歴==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
広島在住。広島県立広島国泰寺高等学校。[https://www.hosei.ac.jp/bungaku/?auth=9abbb458a78210eb174f4bdd385bcf54　法政大学文学部]卒。文学士。[https://www.sanno.ac.jp/　産業能率大学長上野一郎]の下、[https://www.sanno.ac.jp/admin/founder/　能率学]修める。[http://www.j.u-tokyo.ac.jp/　東京大学大学院法学政治学研究科] [https://www.town.shibata.miyagi.jp/reiki_int/reiki_honbun/1000100004150411h.html　地方自治法]など単位修得。[http://tokyo-ichokai.com/　東京銀杏会]会員。[https://hoseinet.or.jp/　法政大学校友会]会員。[http://www.bungeika.or.jp/links.htm 日本文藝家協会]会員。[http://bungeikan.jp/domestic/search/author/?author=nagyou 日本ペンクラブ]会員。&lt;br /&gt;
1980年、[http://www.hca.cc/06member-f/f-01.html　安藝文學]同人、1958年/昭和33年5月設立。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.hca.cc/06member-f/f-01.html]安芸文学設立。1958年（昭和33年5月に設立&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「広島西飛行場&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.youtube.com/watch?v=KDWq_AoOEBo]旧広島西飛行場の姿&amp;lt;/ref&amp;gt;存続の危機脱出変遷史」&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.hplibra.pref.hiroshima.jp/hp/page000000400/hpg000000370.htm]『広島の交通』展示資料リスト&amp;lt;/ref&amp;gt;96年12月16日東洋図書出版発行。広島市教育委員会から教育用として採用され、県と市や市内の各図書館へ納品。一部書店では売り上が上位になった。&lt;br /&gt;
1998年「第68回コスモス文学新人賞」（長崎市のコスモス文学の会主催)小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞。&lt;br /&gt;
1998年「第68回コスモス文学新人賞」ノンフイクション部門に「揺れる灯」が佳作に選ばれ、受賞。&lt;br /&gt;
2001年1月31日に「脳裏を刳る映像（2）」が愛知県土地家屋調査士会の「地図読み人」に採用され、全文が掲載された。&lt;br /&gt;
1998年9月彩図社&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.saiz.co.jp/]彩図社のぶんりき賞&amp;lt;/ref&amp;gt;のぶんりき賞で小説「魚うお」が雑誌に全文が掲載された。&lt;br /&gt;
2000年4月同文書院&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dobun.co.jp/]同文書院のまとりた賞&amp;lt;/ref&amp;gt;のまとりた賞で小説「現れた情景」が雑誌に全文が掲載された。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本名「上野誠治」ﾍﾟﾝﾈｰﾑ「中山孝太郎」&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%AD%9D%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%80%80&amp;amp;tbm=isch&amp;amp;ved=2ahUKEwi8j7qn4ojvAhUYzIsBHU8BCVgQ2-cCegQIABAA&amp;amp;oq=%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%AD%9D%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%80%80&amp;amp;gs_lcp=CgNpbWcQDDIECCMQJzICCABQsydYsydgl0BoAHAAeACAAVGIAVGSAQExmAEAoAEBqgELZ3dzLXdpei1pbWfAAQE&amp;amp;sclient=img&amp;amp;ei=0Iw5YLznNpiYr7wPz4KkwAU&amp;amp;bih=754&amp;amp;biw=1519&amp;amp;hl=ja]中山孝太郎の画像など&amp;lt;/ref&amp;gt;の名前の由来は下記の複合的要因による。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長崎の「'''上野彦馬'''」は日本における「'''最初期'''の'''写真家'''」であり、「日本写真の'''開祖'''」として知られる。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0306/]上野彦馬ってどんな人!?その人物像と功績に迫る&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ph.nagasaki-u.ac.jp/history/research/cp2/chapter2-2.html]薬学 上野彦馬の開眼&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/260429]で撮影の鶏卵写真&amp;lt;/ref&amp;gt; &lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.japanserve.com/bakumatsu/spt-nag-001-ueno.html]上野彦馬宅跡&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.google.co.jp/search?sa=N&amp;amp;sxsrf=ALeKk02PDRlj_VoC78RiSNV8quzrBF_rwA:1614161168625&amp;amp;source=univ&amp;amp;tbm=isch&amp;amp;q=%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%BD%A6%E9%A6%AC&amp;amp;ved=2ahUKEwiglMP4ooLvAhVXfXAKHVV0BaI4ChCMmQR6BAgDEAE&amp;amp;biw=1536&amp;amp;bih=754]上野彦馬などの画像　&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%BD%A6%E9%A6%AC-33935]上野彦馬　ブリタニカ国際大百科事典　コトバンク&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://boken.nagasaki.jp/spot/boken351.html]日本の写真家の始祖「上野彦馬」、ゆかりの地&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://tabi-bito.net/ueno-hikomas-birth-place-and-photography-station-mark-nagasaki-city/]上野彦馬生誕地と撮影局跡（長崎市）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://shae-bear.com/archives/5203]上野彦馬【写真家】の子孫と作品、写真館を紹介！日本最初の戦場カメラマン&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://photolala.net/2010/11/000304.php]日本写真界の開祖として&lt;br /&gt;
上野彦馬は、1838年長崎市銀屋町で生まれます。彦馬の父、俊之丞が出島のオランダ商品を通して写真機を初めて輸入したのが1843年&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/2010/08/03/9117/]古写真に見る西南戦争の記録－「彦馬が見た西南戦争」&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000651.html]上野（彦馬）家墓地　市指定史跡 指定年月日　平成18年1月10日　所在地　長崎市伊良林3丁目4番&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
産能短期大学創始者「'''上野陽一'''」&amp;lt;ref&amp;gt;[https://shashinshi.biz/archives/9331]写真師・上野彦馬の弟の長男、産業能率短期大学創始者・上野陽一&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.sanno.ac.jp/admin/founder/history.html]上野陽一の日本における産業能率研究の歴史です&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.sanno.ac.jp/admin/founder/ ]日本にマネジメントを「導入した父」産業能率大学創始者・上野陽一&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://g.co/kgs/YHt5D9 ]上野陽一&amp;lt;/ref&amp;gt;の伯父に当たる。 &lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
陽一が最初に手掛けた能率指導は1921年（大正10年）化粧品最大手「'''中山太陽堂'''」であった。創業者は 「'''中山太一'''」である。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://heisei-shokasonjuku.jp/senjindb/nakayamataichi/]東洋の化粧王　中山 太一なかやま たいち　明治・大正・昭和時代の実業家　1881(明治14)年〜1956(昭和31)年&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.clubcosmetics.co.jp/history/%E5%89%B5%E6%A5%AD%E8%80%85-%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%A4%AA%E4%B8%80/]創業者中山太一　化粧品業界の巨星と呼ばれた中山太一は、明治14年（1881年）山口県豊浦郡滝部村に生まれた。明治36年4月3日（1903年）、神戸市花隈町において化粧品の卸商｢中山太陽堂｣を創業。創業から3年後、製造業に転身をはかる。外国人技師を招聘して開発にあたらせ、化学研究所や近代的化粧品工場を設立して独自の美身剤の開発や作業の能率化を図った。その一方では、中山文化研究所を設立し、幅広いメセナ活動を実施した&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.justice.co.jp/kigyoka/tablelist.php?name=%92%86%8ER%20%91%BE%88%EA ]中山太一の年表&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who4-6725]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース　中山太一 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報) &amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.opmia.or.jp/wp-content/uploads/2016/07/%E5%95%86%E5%B7%A5%E6%8C%AF%E8%88%887%E6%9C%88%E5%8F%B7_%E5%81%89%E4%BA%BA%E4%BC%9D.pdf]時代の先を行く感性で文明開化の日本を彩った「東洋の化粧品王」中山 太一 （1881～1956年）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
陽一の子ども「'''上野一郎'''」&amp;lt;ref&amp;gt;[https://ja.unionpedia.org/i/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E4%B8%80%E9%83%8E] 上野一郎&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://bakumatsu.org/posterities/view/170] 上野一郎の上野彦馬&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.sanno.ac.jp/admin/bokin/vbnear00000009bh-att/zadankai.pdf ]上野陽一先生の事上野一郎座談会&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%8A%E9%87%8E%E9%99%BD%E4%B8%80%E3%81%A8%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%A4%AA%E4%B8%80%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82&amp;amp;tbm=isch&amp;amp;chips=q:%E4%B8%8A%E9%87%8E+%E9%99%BD%E4%B8%80+%E3%81%A8+%E4%B8%AD%E5%B1%B1+%E5%A4%AA%E4%B8%80+%E3%81%AE+%E9%96%A2%E4%BF%82,online_chips:%E7%94%A3%E6%A5%AD%E8%83%BD%E7%8E%87%E5%A4%A7%E5%AD%A6&amp;amp;hl=ja&amp;amp;sa=X&amp;amp;ved=2ahUKEwiAla-a_4TvAhUbMN4KHaH6CJcQ4lYoBXoECAEQHw&amp;amp;biw=1519&amp;amp;bih=754]上野一郎などの画像&amp;lt;/ref&amp;gt;は産能大学長で、上野誠治の師匠である。この様な経緯をとらえると、上野誠治のペンネーム命名は、陽一先生が能率指導した、企業の化粧品最大手「中山太陽堂」創業者「中山太一」の名前に授かる方針で「中山太一」で決まりであったが、あまりにも偉大で、彼、上野誠治が気が引けたということで、変更案として中山太一の「中山太」と上野一郎の「一」ではなく「郎」でミックスし、ペンネームを「中山太郎」とするであったが、また上野誠治が、語呂を良くするため、頭に「孝」を加えて「'''中山孝太郎'''」として命名しているというエピソードがある。&lt;br /&gt;
また、彼自身はカメラ愛好家の写真家でもあり、ウエノスタジオのカメラマンでもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後に中山孝太郎が長崎市のコスモス文学の会主催（平成10年/1998年）第68回小説部門に「憔悴した点」でコスモス文学新人賞を受賞した。長崎の「上野彦馬」との見えない紅線があったのであろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作風 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
往時&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幾多の困難があった。そんな中、短編、中篇の純文学小説を書き続け、数多くの作品がたまるが、中々日の目を見なかったが、1998年、人間の煩悩や心の葛藤を描きぬいた僅か「１センチ４ミリ」を争う世界の作品が、やっと芽生えた。98年、第68回コスモス文学新人賞（長崎市のコスモス文学の会主催）の小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://prizesworld.com/naoki/ichiran/sen_ichiran121-140.htm#list137]1998年、第68回コスモス文学新人賞、小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞している&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近作 &lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでになかったモノ、バーチャルの世界と現世とが融合しており、他人とは違う世界が見えている小説が主。現実と妄想の境界が入り乱れ、引き込まれる。因って読み手の頭が混乱するであろう。この作者は、ここまでも書くのかというクレイジーな感じで「藪を這う」なんかはまるで映画を観ているようで、少し気が違う面には動揺するが、中々変わっていて、近頃は珍しい。「藪を這う」と「争点」は、ここに掲載されている代表作品。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文体&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初期の小説は一つひとつの文字を書く筆にいきおいを感じながら、それなりのモチベーションで書きあげ、同人会で発表するが中々馴染めない面があった。この時期にある程度の量を書き上げていたが、自暴自棄になっていた。因ってかなりのブランクが発生し、まだ初期の段階で、もう筆を折ろうかと思っていたという。しかし、周りの連中から、これからが良くなると言われ、思いとどまった。自称の作家が言った。「お前の小説を読んだが、吐き気がした。小説の体（てい）を知らないのだろう。俺は国立大学の同人会に所属していた。もう息子は小説家になった。勿体ないが、俺が書いた100数十作の小説は、1作あたり全部100枚以上はあるが、そのうちどれか1作だけを参考に見せてやる」理不尽で失礼千万だ。小説の体を言う前に手前はどうか、支離滅裂な説教でうんざりとしたという。こいつは小説の書き方が一つしか無いのだと確信していた様だという。小説の中にも絵や図などが入っているのもある。文章間に詳しい説明の文章が入っているのも沢山あるようだ。こいつは本を読んでいないのだろうかとも思ったという。1人称（私小説）や3人称の書き方もあれば、まだ書き方は沢山ある。箇条書きもある。ひらがなやカタカナだけのものもある。また横書きもある。つまり何でも良いという。主題やテーマがハッキリとしていて、それに沿って書き上げていれば問題はないようだ。水の如くいっきに流れるように書いてあるのもある。途中でいきなり回想しているのもある。彼は誹謗中傷侮辱された。しかし、批判は批判として真摯（しんし）に受けとめる。こういう意見もあるのだと感じたという。彼はいろんな作家の小説を読んでいて、どの小説のテーマもまちまちで、出現の仕方も違うという。もちろん文体も違うだろう。かなり自由に書いていて、これらはすべて「小説の体」を成しているという点では共通しているのであろう。もちろんテーマがあってストーリーがあって描写があるのだ。支離滅裂になってはもちろん良くない。質はもちろん大事で、数を書いて会得していくことも大事なのであろう。書き続けることで、なんだ、こんなことで悩んでいたのかはままある。因って小説の体をなしていないとは、そもそも文章自体に乱れ、稚拙で支離滅裂などで破綻（はたん）していることであるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==賞歴==&lt;br /&gt;
など&lt;br /&gt;
*1996年12月に「広島西飛行場存続の危機脱出変遷史」&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.youtube.com/watch?v=KDWq_AoOEBo]旧広島西飛行場の映像&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/mokuroku/200407osafune.pdf]広島市 長船 おさふね 友則 と も の り&lt;br /&gt;
氏収集資料仮目録 ]&amp;lt;/ref&amp;gt;を発行。&lt;br /&gt;
*広島市教育委員会から教育用として採用され、県と市へ納品した。&lt;br /&gt;
*1998年、「第68回コスモス文学新人賞」（長崎市のコスモス文学の会主催)小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞。&lt;br /&gt;
*1998年、「第68回コスモス文学新人賞ノンフイクション部門」に「揺れる灯」が佳作に決定し、受賞。&lt;br /&gt;
*1999年9月文藝春秋の雑誌に「第2回草枕文学賞」の中間発表があり、名前が載った。主催は熊本県『草枕文学賞』実行委員会。後援は文藝春秋。全国各地及び海外から総数769編の応募があり、80編が予選を通過した。文学賞の最終選考には残ったが、賞は貰えなかった。草枕文学賞を受賞すると、その作品は文学界の雑誌に掲載され、そして必然的に芥川賞にノミネートされるのだが残念だった。その小説は「藪を這う」。後に改稿後関西文學に掲載された。さらに改稿後安藝文學にも掲載された。その小説は「日本ペンクラブ電子文藝館」に所蔵されている。&lt;br /&gt;
*1999年4月号の小説現代に「第67回小説現代新人賞」の予選発表があった。応募総数1615編で予選通過者数は114名。これに名前が載った。その作品は改稿後「争点」で安藝文學に掲載された。後に「日本ペンクラブ電子文藝館」に所蔵されている。&lt;br /&gt;
*2001年1月31日に「脳裏を刳る映像（2）」が愛知県土地家屋調査士会の「地図読み人」に採用され、全文が掲載された。&lt;br /&gt;
*2001年「第18回織田作之助賞」に「気になる紐と首」が応募総数503篇で第1次予選を通過し、さらに第2次予選も通過した。50篇が第2次予選を通過。&lt;br /&gt;
*2002年に改稿後「第3回関西文學新人賞」で第1次予選を通過し、さらに第2次予選も通過した。応募総数190篇で第2次予選通過作は23作。2012年7月さらに改稿後安藝文學に小説「気になる紐と首」が掲載された。現在は「国立国会図書館」に所蔵されている。&lt;br /&gt;
*1998年9月彩図社のぶんりき賞で小説「魚うお」が雑誌に全文が掲載された。&lt;br /&gt;
*2000年4月同文書院のまとりた賞で小説「現れた情景」が雑誌に全文が掲載された。&lt;br /&gt;
*2003年6月新風舎出版賞第20回、小説で出版奨励賞受賞。&lt;br /&gt;
その他諸々予選は通過しているが、中期はブランクがあってあまり応募はしていない。後期、最近は体調を悪くし、あまり書いていないが、作がかなりたまってきている。が、推敲校正が必要だという。しかし、近いうちに発表予定でもあるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コラムなど&lt;br /&gt;
*「予算消化工事税金無駄遣い」93.2.25中国新聞&lt;br /&gt;
*「選挙の資金は国民が出資を」93.3.4 中国新聞&lt;br /&gt;
*「証人喚問制度もっと厳正に」93.3.16中国新聞&lt;br /&gt;
*「広島らしさを物産館に望む」96.10.6中国新聞&lt;br /&gt;
*「専門学校設け広大跡地活用」96.10.20中国新聞&lt;br /&gt;
*「小企業の支援に商工会議所充実を」96.11.16中国新聞&lt;br /&gt;
*「運転中の通話について」96.12.19中国新聞&lt;br /&gt;
*「政治や経済の勉強」97.1.30朝日新聞&lt;br /&gt;
*「『毛利元就』もっと方言を望む」97.2.13読売新聞&lt;br /&gt;
*「真の『上得意様』へのサービス」97.2.14毎日新聞&lt;br /&gt;
*「W杯招致運動もうやめよう」97.2.18中国新聞&lt;br /&gt;
*「『一人くらい』を返上し投票を」97.3.25中国新聞&lt;br /&gt;
*「トンネル内の照明を整備せよ」97.12.18産経新聞 &lt;br /&gt;
*「納得できない可部線の廃止」98.4.19中国新聞&lt;br /&gt;
*「南道路県と市協調を」04.6.19中国新聞&lt;br /&gt;
*随筆など&lt;br /&gt;
*「私の健康法」97.1.27中建日報&lt;br /&gt;
*「地球は生命体」97.3.27川柳ひろしま&lt;br /&gt;
*「さばを読む」97.4.5川柳ひろしま&lt;br /&gt;
*川柳など&lt;br /&gt;
*「ガラス細工」00.4.1葉文館出版&lt;br /&gt;
*ノンフイクションなど&lt;br /&gt;
*「広島西飛行場存続の変遷史」96.12.16東洋図書出版　著書&lt;br /&gt;
*「広島のデルタを歩くリベラリスト」99.9.9タニシ企画印刷　著書&lt;br /&gt;
*小説など&lt;br /&gt;
*「脳裏を刳る映像（1）」00.1.1ウエノ書房　著書&lt;br /&gt;
*「三角関係」97.11.1ビジネスセミナー&lt;br /&gt;
*「魚（うお）」98.9.1採図社&lt;br /&gt;
*「藪を這う」00.2.1関西文學&lt;br /&gt;
*「現れた情景」00.4.1同文書院&lt;br /&gt;
*「脳裏を刳る映像（2）」01.1.31地図読み人&lt;br /&gt;
*「気に為る紐と首」12.7.10安藝文學&lt;br /&gt;
*「争点」15.8.10安藝文學&lt;br /&gt;
その他寝かせている小説などがあるが推敲校正が必要で未発表作品。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 代表==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「争点」&lt;br /&gt;
　　　 日本ペンクラブ電子文藝館 &lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「藪を這う」&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
日本ペンクラブ &lt;br /&gt;
電子文藝館&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所属 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.bungeika.or.jp/links.htm 日本文藝家協会]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://bungeikan.jp/domestic/search/author/?author=nagyou 日本ペンクラブ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.a-net.shimin.city.hiroshima.jp/anet/dantai/archives/p-1019814058058.html 安芸文学]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部 ==&lt;br /&gt;
* [http://www.nakayama-koutarou.com/ 中山孝太郎公式サイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.nakayama-koutarou.com/prf.htm 中山孝太郎公式サイト]&lt;br /&gt;
* [http://bungeikan.jp/domestic/search/author/?author=nagyou 日本ペンクラブ電子文藝館]&lt;br /&gt;
* [http://www.bungeika.or.jp/links.htm　日本文藝家協会]&lt;br /&gt;
* [http://www.a-net.shimin.city.hiroshima.jp/anet/dantai/archives/p-1019814058058.html　安芸文学同人会]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>180.52.130.86</name></author>	</entry>

	</feed>