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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>少年チャンピオン・コミックス</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;153.179.211.183: /* 過去の主なヒット作 */ *[http://yaplog.jp/u-sugu/archive/368 世の中って不公平だな]&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{漫画}}&lt;br /&gt;
'''少年チャンピオン・コミックス'''（しょうねんチャンピオンコミックス）は、日本の[[出版社]]である[[秋田書店]]が発行する[[漫画]]レーベルの一つ。主に、『[[週刊少年チャンピオン]]』や『[[月刊少年チャンピオン]]』に掲載された作品が収録されている。背表紙のデザインが昔からほとんど変更されていないのが特徴である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 他社コミックスとの違い ==&lt;br /&gt;
[[ジャンプ・コミックス]]では短期打ち切りになった作品でも必ず完結するまでの[[単行本]]が発売される（不人気ではなく不祥事などで打ち切りになった作品は除く）が、少年チャンピオン・コミックスの場合は、不人気により打ち切りになった作品が単行本を出せる量のページ数が溜まっていても、採算が取れないと判断されると単行本は発売されない。また、発売されても部数は極端に少ない。作品が全2巻分以上の長さで完結しても1巻が売れなければ2巻以降が発売されないという事もある。そのため、秋田書店で単行本化されなかった作品は、後に他社から発売されることもある（代表的な例が、少年チャンピオン・コミックスから発売されず、後に[[宙出版]]から単行本が発売された『[[スナッチャー窃]]』）。[[集英社]]と秋田書店の単行本に対する考えの違いが大きく出ている所である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新人、若手作家の作品に限らず、初版発行部数が極端に少ない場合が多く、入手困難になることがよくある。ごく最近の例では『[[マイティハート]]』1巻巻末の作者によるコメントで、「2巻以降の発売は1巻の売れ行き次第」であることが明言された（その後、2巻以降も刊行され、完結した）。このように連載だけではなく単行本にも打ち切りシステムがあるのが大きな特徴である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 現在連載中の主な作品 ==&lt;br /&gt;
* [[グラップラー刃牙|SON OF OGRE 範馬刃牙]]&lt;br /&gt;
* [[ドカベン スーパースターズ編]]&lt;br /&gt;
* [[元祖!浦安鉄筋家族]]&lt;br /&gt;
* [[WORST (漫画)|WORST]]&lt;br /&gt;
* [[ドロップ (小説)|ドロップ]]&lt;br /&gt;
* [[クローズZERO]]&lt;br /&gt;
* [[クローバー (平川哲弘)|クローバー]]&lt;br /&gt;
* [[聖闘士星矢 冥王神話|聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]&lt;br /&gt;
* [[聖闘士星矢 冥王神話|聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話]]（少年チャンピオン・コミックス・エクストラ）&lt;br /&gt;
* [[みつどもえ]]&lt;br /&gt;
* [[明日のよいち!]]&lt;br /&gt;
* [[エグザムライ戦国]]&lt;br /&gt;
* [[侵略!イカ娘]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 過去の主なヒット作 ==&lt;br /&gt;
* [[ブラック・ジャック]]&lt;br /&gt;
* [[ドカベン]]シリーズ&lt;br /&gt;
** ドカベン&lt;br /&gt;
** [[大甲子園]]&lt;br /&gt;
** [[ドカベン プロ野球編]]&lt;br /&gt;
* [[あばしり一家]]&lt;br /&gt;
* [[キューティーハニー]]&lt;br /&gt;
* [[恐怖新聞]]&lt;br /&gt;
* [[魔太郎がくる!!]]&lt;br /&gt;
* [[バビル2世]]&lt;br /&gt;
* [[原始少年リュウ]]&lt;br /&gt;
* [[がきデカ]]&lt;br /&gt;
* [[マカロニほうれん荘]]&lt;br /&gt;
* [[750ライダー]]&lt;br /&gt;
* [[すくらっぷ・ブック]]&lt;br /&gt;
* [[プラレス3四郎]]&lt;br /&gt;
* [[本気!]]&lt;br /&gt;
* [[クローズ]] &lt;br /&gt;
* [[グラップラー刃牙]]&lt;br /&gt;
** バキ&lt;br /&gt;
* [[浦安鉄筋家族]]&lt;br /&gt;
* [[らんぽう]]&lt;br /&gt;
* [[花右京メイド隊]]&lt;br /&gt;
* [[オヤマ!菊之助]]&lt;br /&gt;
**[http://yaplog.jp/u-sugu/archive/368 世の中って不公平だな]&lt;br /&gt;
* [[鉄鍋のジャン!]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[漫画レーベル一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しようねんちやんひおんこみつくす}}&lt;br /&gt;
[[Category:漫画レーベル]]&lt;br /&gt;
[[Category:秋田書店]]&lt;br /&gt;
[[Category:週刊少年チャンピオン|*Cしようねんちやんひおんこみつくす]]&lt;br /&gt;
[[Category:月刊少年チャンピオン|*Cしようねんちやんひおんこみつくす]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>153.179.211.183</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%80%B1%E5%88%8A%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%B3&amp;diff=328005</id>
		<title>週刊少年チャンピオン</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;153.179.211.183: /* 外部リンク */ *[http://yaplog.jp/u-sugu/archive/368 世の中って不公平だな]&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:週刊少年チャンピオン1.jpg|300px|thumb|週刊少年チャンピオン]]&lt;br /&gt;
『'''週刊少年チャンピオン'''』（しゅうかんしょうねんチャンピオン）は、[[秋田書店]]が発行する[[日本]]の[[逐次刊行物#週刊|週刊]][[少年漫画|少年]][[日本の漫画雑誌|漫画雑誌]]。[[1969年]][[7月15日]]創刊。毎週木曜日発売。略称は 「チャンピオン」・「週チャン」など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
発行日及び発売日は毎週[[木曜日]](北海道、九州など一部地域は金曜日。2010年1月以降、発行日と発売日が基本的に一致するようになった（「○月○日号」の部分は旧来の発行日表記のまま）)。現在、編集長は[[沢考史]]が務めている。定価は[[2009年]][[6月]]に通常定価が250[[円 (通貨)|円]]に改定され現在に至るが、特別定価として260 - 270円で売られることも多い。マスコットキャラクターは、ツートンカラーの大きなシルクハットを被った、ヒゲが特徴的なアイドルマークであり、正式名称は「'''少チャン'''」である（『[[月刊少年チャンピオン]]』も共通して使用している）。誌名ロゴはかつては毎年変更されていたが、1991年度以降現行のものになっている（1995年以降、若干のマイナーチェンジが加えられている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の週刊少年漫画誌と比較して自由な作風でかつアクの強い漫画が多く掲載されているのが、この雑誌の特色である。ヤンキー物などの「熱い・男らしい」作品を最も得意としているが、その他のジャンルの作品もその一つ一つの自由な作風と相まって強烈なインパクトを残す作品も少なくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、時々連載作品が、その強烈なインパクトによって一部で話題となることもあるが、チャンピオン読者そのものの絶対数が他の週刊少年漫画誌に劣ることから、話題がそのまま売上に反映されづらいのが現状である。書店での単行本の入荷量も他の雑誌の作品に比べて少なく、『[[ドカベン スーパースターズ編]]』、『[[グラップラー刃牙|範馬刃牙]]』、『[[元祖!浦安鉄筋家族]]』の3作品が突出している期間が長かったが、2007年以後、『[[クローバー (平川哲弘) |クローバー]]』や『[[みつどもえ]]』など、単行本の売り上げが伸びている作品も出てきている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不人気による[[打ち切り]]も多いが、『[[週刊少年ジャンプ]]』と異なり話をまとめずに突然終了したり、単行本の売上不振により打ち切られることもある。また、打ち切られた作品は[[秋田書店]]の単行本が発刊されなかったり、最終巻まで発刊されない時もある。その他、読切や短期集中連載が多いのも特徴であり、読者から好評であれば比較的早い段階で毎号連載が始まる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実績の無い作家の単行本の第1巻の発行部数は、多くの場合非常に少なく抑えられているのも特徴。その売れ行き如何により連載時の待遇が上下する事が多い。例えば『みつどもえ』や『侵略!イカ娘』などでは初版が発売直後に品薄となり、しばらくの間入手が困難となった。また、重版する場合も始めは増刷1回あたりの部数は少なく抑えられている場合が多いので、発売より数ヶ月経過してようやく出回る場合がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 創刊期 ===&lt;br /&gt;
月刊少年誌『[[冒険王]]』『[[まんが王]]』を手がけていた秋田書店が週刊少年誌の時代に対応すべく、1969年7月に「フレッシュな少年週刊誌」の謳い文句で『少年チャンピオン』の誌名で月二回刊誌として創刊。[[1970年]][[6月24日]]発売号からの週刊化に伴い『週刊少年チャンピオン』に誌名が改められた。創刊の経済的基盤を支えたのは、大手出版社が本腰を入れていなかった新書判のマンガ単行本「[[サンデーコミックス]]」のヒットによるものと言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1970年代 ===&lt;br /&gt;
1972年4月に[[壁村耐三]]が編集長に就任して黄金期を築く。壁村は実売で24万部と立ち遅れていた同誌において、全編を読み切り形式に変更する改革を断行。[[劇画]]路線で青年誌化が進んでいた『[[週刊少年マガジン]]』『[[週刊少年サンデー]]』に対して王道的な少年誌路線で躍進。『[[ブラック・ジャック]]』『[[ドカベン]]』『[[がきデカ]]』『[[月とスッポン (漫画)|月とスッポン]]』『[[マカロニほうれん荘]]』『[[750ライダー]]』などの大人気作品が連載され、[[スポ根]]、シリアス、ストーリー、[[ギャグ漫画|ギャグ]]と全ジャンルを網羅し、『[[週刊少年ジャンプ]]』と競い合う形で、[[1978年]]には200万部を突破してトップに立った。だが壁村が病魔に倒れ、いったん編集長職を辞職。[[1980年代]]に入ると人気連載作品からの引継ぎがうまくいかず、部数競争からは脱落していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1980年代 ===&lt;br /&gt;
1980年代初頭には、『るんるんカンパニー』（[[とり・みき]]）、『[[すくらっぷ・ブック]]』（[[小山田いく]]）、『[[プラレス3四郎]]』（[[牛次郎]]・[[神矢みのる]]）といった、新人まんが賞出身の若手作家による作品がヒットしたが、それ以降は『[[大甲子園]]』、『4P田中くん』などが人気を博す程度で、目立ったヒット作が少なくなっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、この頃は『熱笑!花沢高校』（どおくまん）や『Let'sダチ公』（積木爆・木村知夫）、『ドッ硬連』（松田一輝）などといった番長もの・不良ものの漫画が大幅に増え、『チャンピオン』の「熱さ・男らしさ」が形成されていった。1986年に開始された極道漫画『本気!』（立原あゆみ）は、続編を含めて10年以上続く長期連載となり、『チャンピオン』の看板的作品になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時期の代表作は他に『怪人ヒイロ』（どおくまん）、『魔界都市ハンター』（菊地秀行・細馬信一）、『原宿こぶし組』（服部かずみ）、『風のフィールド』（みやたけし）、『1と2』（吉田窓）、『激闘!!荒鷲高校ゴルフ部』（沼よしのぶ）などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1990年代 ===&lt;br /&gt;
1991年、誌名ロゴが現在とほぼ同じものとなった。また、この頃『[[浦安鉄筋家族]]』（[[浜岡賢次]]）、『三四郎&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;』（[[きくち正太]]）、『男旗』（[[石山東吉]]）、『[[シャカリキ!]]』（[[曽田正人]]）、『[[ウダウダやってるヒマはねェ!]]』（[[米原秀幸]]）、『[[覚悟のススメ]]』（[[山口貴由]]）など、それまでの不良漫画主体だった誌面から一線を画す、若手作家による個性的な人気作が台頭するようになる。また、1991年に連載開始した『[[グラップラー刃牙]]』（[[板垣恵介]]）は続編を含めて現在まで続く『チャンピオン』の看板作品となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]]には誌名ロゴが現在のものと同一になり、『[[優駿の門]]』（[[やまさき拓味]]）、『[[グルームパーティー]]』（[[川島よしお]]）、『[[学校怪談 (高橋葉介)|学校怪談]]』（[[高橋葉介]]）、『[[鉄鍋のジャン!]]』（[[西条真二]]）、『[[ドカベン プロ野球編]]』（水島新司）、『[[京四郎]]』（[[樋田和彦]]）、『[[特攻天女]]』（[[みさき速]]）といった、多種多様なジャンルの人気長期連載が次々と開始、また読者コーナーも1995年1号に開始した『チャンピオンカップ（C2）』が長期間続き、以後2000年頃までは非常に安定した誌面となった。特に『ドカベン プロ野球編』は連載開始時にテレビ番組など各種メディアでも大きく取り上げられ、話題を呼んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後も、冒険ファンタジー『[[フルアヘッド!ココ]]』（米原秀幸）・『[[悟空道]]』（山口貴由）、お色気学園もの『[[オヤマ! 菊之助]]』（[[瀬口たかひろ]]）、コメディー『[[おまかせ!ピース電器店]]』（[[能田達規]]）・『[[ゲッチューまごころ便]]』（[[緋采俊樹]]）、ショートギャグ『おやつ』（[[おおひなたごう]]）・『[[がんばれ酢めし疑獄!!]]』（[[施川ユウキ]]）、不良もの『[[フジケン]]』（[[小沢としお]]）、スポーツ『満天の星』（[[楠本哲]]）など、各ジャンルにおいてヒット作が続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年代前半 ===&lt;br /&gt;
しかし、2000年から2001年にかけて1990年代のチャンピオンを支えてきた長期連載が軒並み終了し、それに代わる人気作も少なかったため、誌面が不安定な状態となり部数も大きく落ち込んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2000年代初頭には『[[ななか6/17]]』（[[八神健]]）、『[[エイケン (漫画)|エイケン]]』（[[松山せいじ]]）といったアニメ化もされた萌え系漫画が開始し、それと前後して誌面における萌え系漫画やメディアミックス系コミカライズ作品（『[[カオシックルーン]]』（[[山本賢治]]）&amp;lt;ref&amp;gt;ただしメディアミックス計画（カードゲーム化）は連載途中で白紙となった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、『[[舞-HiME]]』（[[矢立肇]]・[[木村暢|キムラノボル]]・[[佐藤健悦]]）など）が増加するようになり、その影響もあって1995年以降7年間続いていた読者投稿ページ『チャンピオンカップ』も『[[でじこのチャンピオンカップ]]』に改称された（これらの傾向を推し進めたチャンピオン副編集長（当時）伊藤純などの異動により、現在ではコミカライズ作品や萌え系作品がほぼ全て『[[チャンピオンRED]]』に移動している）。また、コメディー漫画では『[[無敵看板娘]]』（[[佐渡川準]]）がヒットし、アニメ化もされた。コメディー漫画はかつて毎回15-16ページが業界の標準であったが、同誌では以後、8ページ以下のショートコメディーの連載本数が増えてくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方ストーリー漫画は不作であり、長期連載となったのは『[[ショー☆バン]]』（[[コージィ城倉|森高夕次]]・[[松島幸太朗]]）ぐらいであり、ストーリー漫画、スポーツ漫画共に短命に終わる作品が乱発され『[[アクメツ]]』（[[田畑由秋]]・[[余湖裕輝]]）・『いっぽん!』（[[佐藤タカヒロ]]）など2&amp;amp;#12316;3年の連載が続くのが良い方という状態に陥った。また、2003年から2005年までは萌え系漫画が減少し再び不良漫画が増加したが、『[[番長連合]]』（[[阿部秀司 (漫画家)|阿部秀司]]）や『[[ナンバMG5]]』（小沢としお）以外は軒並み低調に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前述の読者投稿ページ『でじこのチャンピオンカップ』は1年で終了し、その後も長続きせず『チャンピオンロード』『黒チャンピオン党』と1&amp;amp;#12316;2年足らずのスパンで変更され低迷する。2005年1月に現在まで続く[[西口プロレス]]とタイアップした『[[西口プロレス認定 チャンピオン投稿コロシアム|チャンピオン投稿コロシアム（CTC）]]』が開始。ゲーム紹介欄は、2004年にそれまで掲載されていた『電気頭脳園』に代わり、[[神楽つな]]を起用した『電遊日記』が開始し、2009年まで続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年代後半〜2010年代 ===&lt;br /&gt;
2005年10月には編集長が沢考史に交代し、大幅な誌面改革を断行する。それまでの連載の大部分を2006年度中に入れ替え、通常連載では休載を出来る限り行わせない骨太の方針に変更した。2006年20号から2009年1号まで表紙に「'''これ楽しい!これ面白い!!'''」というキャッチコピーを用い、車田正美による『[[聖闘士星矢]]』の続編『[[聖闘士星矢 冥王神話|聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話]]』とその外伝的作品の連載『[[聖闘士星矢 冥王神話|聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』（作画・[[手代木史織]]）を立ち上げた。その他、ギャグでは『[[みつどもえ]]』（[[桜井のりお]]）や『[[侵略!イカ娘]]』（[[安部真弘]]）、不良漫画では『[[クローバー (平川哲弘)|クローバー]]』（[[平川哲弘]]）や『[[シュガーレス (漫画)|シュガーレス]]』（[[細川雅巳]]）、[[スポーツ漫画]]では『[[ANGEL VOICE (漫画)|ANGEL VOICE]]』（[[古谷野孝雄]]）・『[[弱虫ペダル]]』（[[渡辺航 (漫画家)|渡辺航]]）・『[[バチバチ]]』（佐藤タカヒロ）など、各ジャンルにおいて話題作を輩出する。長らく『ドカベン』・『浦安』・『範馬刃牙』に強く依存していた週刊少年チャンピオンにおける[[少年チャンピオン・コミックス]]の売上も、上記の連載作の登場によってその度合が弱まり、全体が底上げされた。このため基本的にグラビアが多くを占めた表紙も、再び漫画作品を前面に出したものが増加するようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、前述の『チャンピオン投稿コロシアム（CTC）』が好評を博し、長年3ページで固定されていた読者ページ枠を4ページに拡大させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年には、創刊40周年記念企画として過去の人気連載の新作読切作品を多数発表した。また、その企画の一環として新しいキャッチフレーズを公募し、その結果「'''何でもありの無差別級まんが雑誌!'''」が選ばれ（同年40号発表）、以後、2010年52号まで表紙に用いられた。40周年記念企画スタート号となった2009年17号の誌名ロゴは1977年頃のものが使用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 連載作品 ==&lt;br /&gt;
連載開始順。&lt;br /&gt;
=== 通常連載作品 ===&lt;br /&gt;
* [[元祖!浦安鉄筋家族]]（[[浜岡賢次]]）2002年17号 -&lt;br /&gt;
* [[ドカベン スーパースターズ編]]（[[水島新司]]）2004年6号 -&lt;br /&gt;
* [[グラップラー刃牙|範馬刃牙]]（[[板垣恵介]]）2006年1号 -&lt;br /&gt;
* [[みつどもえ]]（[[桜井のりお]]）2006年15号 -&lt;br /&gt;
* [[聖闘士星矢 冥王神話|聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]（[[車田正美]]・[[手代木史織]]）2006年39号 -&lt;br /&gt;
* [[ギャンブルフィッシュ]]（[[青山広美]]・[[山根和俊]]）2007年10号 -&lt;br /&gt;
* [[クローバー (平川哲弘)|クローバー]]（[[平川哲弘]]）2007年19号 -&lt;br /&gt;
* [[エンジェルボイス (漫画)|ANGEL VOICE]]（[[古谷野孝雄]]）2007年21号 -&lt;br /&gt;
* [[侵略!イカ娘]]（[[安部真弘]]）2007年35号 -&lt;br /&gt;
* [[弱虫ペダル]]（[[渡辺航 (漫画家)|渡辺航]]）2008年12号 -&lt;br /&gt;
* [[釣り屋ナガレ]]（[[竹下けんじろう]]）2008年35号 -&lt;br /&gt;
* [[風が如く]]（[[米原秀幸]]）2008年47号 -&lt;br /&gt;
* [[ナンバデッドエンド]]（[[小沢としお]]）2008年48号 -&lt;br /&gt;
* [[クローズZERO]]（[[高橋ヒロシ]]・[[武藤将吾]]・[[内藤ケンイチロウ]]）2008年50号 -&lt;br /&gt;
* [[ツギハギ生徒会]]（[[伊藤正臣]]）2009年1号 -&lt;br /&gt;
* [[木曜日のフルット]]（[[石黒正数]]）2009年6号 -&lt;br /&gt;
* [[バチバチ]]（[[佐藤タカヒロ]]）2009年24号 -&lt;br /&gt;
* [[AL (漫画)|AL]]（[[所十三]]）2010年2・3合併号 -&lt;br /&gt;
* [[ケルベロス (漫画)|ケルベロス]]（[[フクイタクミ]]）2010年6号 -&lt;br /&gt;
* [[ハンザスカイ]]（[[佐渡川準]]）2010年7号 -&lt;br /&gt;
* [[シュガーレス (漫画)|シュガーレス]]（[[細川雅巳]]）2010年8号 -&lt;br /&gt;
* [[はみどる!]]（[[まりお金田]]）2010年12号 -&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 不定期連載・休載中・短期連載作品 ===&lt;br /&gt;
* [[グラップラー刃牙#バキ外伝 疵面-スカーフェイス-|バキ外伝 疵面-スカーフェイス-]]（[[板垣恵介]]・[[山内雪奈生]]）2005年3月号 - 2007年12月号（[[チャンピオンRED]]）、2009年7号 -、休載中&lt;br /&gt;
* [[聖闘士星矢 冥王神話|聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話]]（車田正美）不定期連載、2006年36・37合併号 -&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 過去の連載作一覧 ==&lt;br /&gt;
このリストには、『[[月刊少年チャンピオン]]』に掲載された作品も含んでいる。読切や連続掲載などは、原則的に正式連載に昇格したものを除き含まない。&lt;br /&gt;
=== あ行 ===&lt;br /&gt;
* [[アイアンジョーカーズ]]（[[ほそのゆうじ]]・[[有賀ヒトシ]]）2004年20号 - 38号 &lt;br /&gt;
* [[アイホシモドキ]]（[[森繁拓真]]）2007年1号 - 34号&lt;br /&gt;
* [[I'mダチ公]]（[[立原あゆみ|積木爆]]・[[木村知生]]）1994年17号 - 25号&lt;br /&gt;
* [[青い空を白い雲がかけてった|青い空を、白い雲がかけてった]]（[[あすなひろし]]）不定期連載、1976年36号 - 1981年4・5合併号&lt;br /&gt;
* [[悪徒-ACT-]]（[[猪原賽]]・[[横島一]]）2008年14号 - 45号&lt;br /&gt;
* [[アクメツ]]（[[田畑由秋]]/[[余湖裕輝]]）2002年43号 - 2006年17号&lt;br /&gt;
* [[Athlete (漫画)|Athlete]]（[[二宮清純]]・[[井上正治]]）不定期連載、2004年14号 - 2005年17号&lt;br /&gt;
* [[熱くんの微熱]]（[[立原あゆみ]]）1983年49号 - 1984年46号&lt;br /&gt;
* [[アノアノとんがらし]]（[[えんどコイチ]]）1981年44号 - 1982年33号&lt;br /&gt;
* [[あばしり一家]]（[[永井豪]]）1969年1号 - 1973年16号&lt;br /&gt;
* [[あばれ天童]]（[[横山光輝]]）1974年18号 - 1975年39号&lt;br /&gt;
* [[呼火走 -アヒル-]]（[[吉田窓]]）1994年30号 - 1995年4・5合併号&lt;br /&gt;
* [[Am a Boy]]（立原あゆみ）2003年41号 - 2004年11号&lt;br /&gt;
* [[アラバスター (漫画)|アラバスター]]（[[手塚治虫]]）1970年35号 - 1971年27号&lt;br /&gt;
* [[あらぶれ力人!]]（[[倉丘銀四郎]]・[[幸野武]]）1989年53号 - 1990年32号&lt;br /&gt;
* [[アリサ!]]（[[平野仁]]）1979年15号 - 52号&lt;br /&gt;
* [[アルマジロ (アイ・ジー・エス)|アルマジロ]]（[[木崎浩]]）&lt;br /&gt;
* [[あんどろトリオ]]（[[内山亜紀]]）1982年1・2合併号 - 46号&lt;br /&gt;
* [[いざ!!海高剣道部]]（[[元木誠]]）2007年40号 - 2008年9号&lt;br /&gt;
* [[1と2]]（吉田窓）1988年42号 - 1991年32号&lt;br /&gt;
* [[一丸伝記]]（[[岩塚卓|岩塚佳和]]）2002年26号 - 39号&lt;br /&gt;
* [[いっぽん!]]（[[佐藤タカヒロ]]）2004年17号 - 2006年46号&lt;br /&gt;
* [[イレギュラー (岩塚卓)|イレギュラー]]（[[岩塚卓]]）1997年1・2合併号 - 17号&lt;br /&gt;
* [[いろはにほう作]]（[[小林よしのり]]）1984年36号 - 1986年24号&lt;br /&gt;
* [[ウダウダやってるヒマはねェ!]]（米原秀幸）1992年46号 - 1996年41号&lt;br /&gt;
* [[ウッド・ノート]]（[[小山田いく]]）1984年39号 - 1986年9号&lt;br /&gt;
* [[浦安鉄筋家族]]（[[浜岡賢次]]）1993年10号 - 2002年13号&lt;br /&gt;
* [[Woll|ウル]]（[[石川球太]]）1976年38号 - 1977年38号&lt;br /&gt;
* [[エイケン (漫画)|エイケン]]（[[松山せいじ]]）2001年22・23合併号 - 2004年36・37合併号&lt;br /&gt;
* [[A.-D.O.G.S.]]（原案：[[北嶋博明]]・作画：[[鈴木ダイ]]）2001年52号 - 2002年29号	&lt;br /&gt;
* [[エコエコアザラク]]（[[古賀新一]]）1975年36号 - 1979年15号&lt;br /&gt;
* [[エレル]]（[[藤澤勇希]]）2005年6号 - 21号&lt;br /&gt;
* [[王様のオーパーツ]]（[[西川淳 (漫画家)|西川淳]]）2007年2・3合併号 - 27号&lt;br /&gt;
* [[おかしなブン]]（原作：牛次郎・作画：南ヒロユキ）1985年49号 - 1986年15号&lt;br /&gt;
* [[オバコブラ]]（園田ともひろ）2000年15号 - 47号&lt;br /&gt;
* [[O-HA-YO]]（[[川島よしお]]）1999年32号 - 2001年51号&lt;br /&gt;
* [[おはようKジロー]]（水島新司）1989年38号 - 1995年10号&lt;br /&gt;
* [[おまかせ! ピース電器店]]（[[能田達規]]）1996年48号 - 2001年21号&lt;br /&gt;
* [[おもかげ幻舞]]（[[こやま基夫]]）1996年40号 - 1997年37・38合併号&lt;br /&gt;
* [[おやつ (漫画)|おやつ]]（[[おおひなたごう]]）1997年8号 - 2001年53号&lt;br /&gt;
* [[オヤマ! 菊之助]]（[[瀬口たかひろ]]）1996年20号 - 2001年30号&lt;br /&gt;
* [[ORANGE (漫画)|ORANGE]]（能田達規）2001年41号 - 2004年6号&lt;br /&gt;
* [[オレは力だ!]]（立原あゆみ・吉田窓）1991年44号 - 1993年44号&lt;br /&gt;
* [[おれはピカ一]]（[[武田正敏]]・[[石田まさよし]]）1986年15号 - 1987年38号&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== か行 ===&lt;br /&gt;
* [[かいとう蘭麻]]（[[織三幸]]）&lt;br /&gt;
* [[怪力ボンゴ]]（[[ジョージ秋山]]）1971年37号 - 1972年13号&lt;br /&gt;
* [[カオシックルーン]]（[[山本賢治]]）2003年11号 - 2004年35号&lt;br /&gt;
* [[がきデカ]]（[[山上たつひこ]]）1974年44号 - 1980年52号&lt;br /&gt;
* [[ガキ警察]]（[[藤井良樹]]・[[旭凛太郎]]）2005年14号 - 2006年16号&lt;br /&gt;
* [[覚悟のススメ]]（[[山口貴由]]）1994年13号 - 1996年18号 &lt;br /&gt;
* [[格闘士ローマの星]]（[[梶原一騎]]、[[ふくしま政美]]）1976年50号 - 1977年32号 &lt;br /&gt;
* [[格闘新世紀GOBOUT!]]（[[松本レオ]]）2004年07号 - 2004年34号 &lt;br /&gt;
* [[風のフィールド]]（[[みやたけし]]）1986年45号 - 1989年48号 &lt;br /&gt;
* [[家族のオキテ]]（[[沖田龍児]]）2001年25号 - 2001年50号 &lt;br /&gt;
* [[がちんこ翔平]]（[[しもさか保]]）1987年1・2合併号 - 1987年18号 &lt;br /&gt;
* [[学校怪談 (高橋葉介)|学校怪談]]（[[高橋葉介]]）1995年6・7合併号 - 2000年26号&lt;br /&gt;
* [[勝手にシロー]]（[[服部かずみ]]）1990年53号 - 1991年40号&lt;br /&gt;
* [[がっぷ力丸]]（[[森村たつお]]）1979年8号 - 1980年47号&lt;br /&gt;
* [[仮面の忍者 赤影]]（横山光輝）1987年41号 - 1988年19号&lt;br /&gt;
* [[からじしぼたん]]（[[石山東吉]]）&lt;br /&gt;
* [[ガリガリ!!]]（[[元木誠|元木まこと]]）2009年47号 - 2010年2・3合併号&lt;br /&gt;
* [[カリュウド]]（[[望月あきら]]）&lt;br /&gt;
* [[かりんと。]]（[[氷幻高人]]・[[THE SEIJI]]）&lt;br /&gt;
* [[かるた_(漫画)|かるた]]（[[竹下けんじろう]]）&lt;br /&gt;
* [[ガン×ソード]]（[[兵藤一歩]]・[[ひのき一志]]）&lt;br /&gt;
* [[がんばれ酢めし疑獄!!]]（[[施川ユウキ]]）&lt;br /&gt;
* [[功夫伝奇アグニ]]（[[木村浩]]） &lt;br /&gt;
* [[牙人(きばんど)|牙人（きばんど）]]（手塚治虫）&lt;br /&gt;
* [[気分はグルービー]]（[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 漫画家/日本の漫画家 さ行#佐藤宏之|佐藤宏之]]）&lt;br /&gt;
* [[キリエ (漫画)|キリエ]]（[[杉村麦太]]）&lt;br /&gt;
* [[キャラメルリンゴ]]（[[内海甲介]]）2002年22・23合併号 - 2003年16号&lt;br /&gt;
* [[キャン フライ]]（[[山下勲]]）&lt;br /&gt;
* [[キューティーハニー]]（永井豪）1973年41号 - 1974年15号&lt;br /&gt;
* [[究極世界征服者 おーつき]]（[[武内香菜]]）&lt;br /&gt;
* [[京四郎]]（樋田和彦）1995年20号 - 2000年14号&lt;br /&gt;
* [[恐怖新聞]]（[[つのだじろう]]）1973年37号 - 1975年34号&lt;br /&gt;
* [[恐竜くん]]（[[やまさき拓味]]）&lt;br /&gt;
* [[キレルくん]]（[[五島慶彰]]）&lt;br /&gt;
* [[クイキン]]（[[うづき秋彦]]）&lt;br /&gt;
* [[くたばれ!とうちゃん]]（[[とりいかずよし]]）&lt;br /&gt;
* [[唇にパンク]]（[[笠原倫]]）&lt;br /&gt;
* [[暗くなって魔女]]（[[千之ナイフ]]）&lt;br /&gt;
* [[クラップヘッズ]]（[[山下裕]]）&lt;br /&gt;
* [[グラップラー刃牙]]（板垣恵介）&lt;br /&gt;
* [[グルームパーティー]]（川島よしお）&lt;br /&gt;
* [[クルクルくりん]]（[[とり・みき]]）&lt;br /&gt;
* [[愚零斗鏖・グレートみなごろし]]（[[やまだ浩一]]）&lt;br /&gt;
* [[KUROKO〜黒衣〜]]（高橋葉介）&lt;br /&gt;
* [[クンクンカムカ]]（[[沼田純]]）&lt;br /&gt;
* [[警視庁少年課]]（原案：山田順子・作画：[[石ノ森章太郎]]）&lt;br /&gt;
* [[激闘!荒鷲高校ゴルフ部]]（[[沼よしのぶ]]）&lt;br /&gt;
* [[ゲッチューまごころ便]]（[[緋采俊樹]]）1998年36号 - 2001年49号&lt;br /&gt;
* [[GET!フジ丸]]（[[能田達規]]） &lt;br /&gt;
* [[ケンカJUDO]]（[[松田一輝 (漫画家)|松田一輝]]）&lt;br /&gt;
* [[幻仔譚じゃのめ]]（[[梅田阿比]]）2008年49号 - 2010年12号&lt;br /&gt;
* [[剣聖ツバメ]]（[[高橋功一郎]]）&lt;br /&gt;
* [[現代怪奇絵巻]]（[[根本尚]]）&lt;br /&gt;
* [[拳魂]]（けんだま）（[[今谷鉄柱]]）&lt;br /&gt;
* [[号外!!新選組カズエ]]（[[吉川聡史]]）2009年18号 - 2010年1号&lt;br /&gt;
* [[高校忠臣蔵]]（[[白銀章]]）&lt;br /&gt;
* [[吼!サムライ]]（[[山本コーシロー]]）&lt;br /&gt;
* [[悟空道]]（山口貴由）&lt;br /&gt;
* [[極楽バタフライ]]（[[楠本哲]]）&lt;br /&gt;
* [[コトノハ学園]]（[[佐藤将]]） 2007年44号 - 2008年1号&lt;br /&gt;
* [[子供学級]]（[[桜井のりお]]）2003年44号 - 2005年15号&lt;br /&gt;
* [[ゴブリン公爵]]（手塚治虫）&lt;br /&gt;
* [[ゴミムシくん]]（[[ジョージ秋山]]）&lt;br /&gt;
* [[GONTA!]]（[[七三太朗]]・[[森田克俊]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== さ行 ===&lt;br /&gt;
* [[サイカチ 真夏の昆虫格闘記]]（[[藤見泰高]]・[[カミムラ晋作]]）&lt;br /&gt;
* [[曲芸家族]]（サーカスファミリー）（[[みさき速]]）&lt;br /&gt;
* [[朔風の挽歌]]（[[本庄敬]]）&lt;br /&gt;
* [[SAKURA斬く!]]（[[岡本尚 (漫画家)|岡本尚]]）1995年33号 - 1996年3号&lt;br /&gt;
* [[ザ・クレーター]]（手塚治虫）&lt;br /&gt;
* [[殺戮姫]]（みさき速）&lt;br /&gt;
* [[サナギさん]]（[[施川ユウキ]]）&lt;br /&gt;
* [[THE フンドシ守護霊]]（[[細川雅巳]]）2007年35号 - 2008年12号&lt;br /&gt;
* [[サムライジ]]（[[倉田英之]]・[[山田秋太郎]]）&lt;br /&gt;
* [[SAMURAIMAN]]（[[芹沢直樹]]）&lt;br /&gt;
* [[さよなら!!岸壁先生]]（[[小池一夫]]・[[石綿周一]]）&lt;br /&gt;
* [[サルの子ペペ]]（[[尾玉なみえ]]）&lt;br /&gt;
* [[サンガース]]（笠原倫）&lt;br /&gt;
* [[さんごくし]]（やまさき拓味）&lt;br /&gt;
* [[ざんこくベビー]]（ジョージ秋山）&lt;br /&gt;
* [[三四郎2]]（さんしろうのじじょう）（[[きくち正太]]）1990年21号 - 1994年5・6合併号&lt;br /&gt;
* [[G・ボーイ]]（[[M.A.T]]・[[谷上俊夫]]）&lt;br /&gt;
* [[七人のナナ]]（[[今川泰宏]]・[[国広あづさ]]）&lt;br /&gt;
* [[柴又酔拳伝 ゲロ☆ゲーロ]]（[[羽鳥剛]]）&lt;br /&gt;
* [[しまっていこうぜ!]]（[[吉森みき男]]）&lt;br /&gt;
* [[ジャージマン (漫画)|ジャージマン]]（[[大熊良]]）&lt;br /&gt;
* [[ジャイアンツ (柴田芳樹)|ジャイアンツ]] （[[柴田芳樹]]）&lt;br /&gt;
* [[しゃがら]]（[[原口清志]]）&lt;br /&gt;
* [[シャカリキ!]]（[[曽田正人]]）&lt;br /&gt;
* [[邪神戦線リストラ・ボーイ]]（[[菊地秀行]]・[[細馬信一]]）&lt;br /&gt;
* [[ジャンジャンバリバリ]]（石山東吉）&lt;br /&gt;
* [[獣王バイオ]]（きくち正太）&lt;br /&gt;
* [[週刊スペシャル小僧!]]（[[赤塚不二夫]]）&lt;br /&gt;
* [[Shuji-修二-]]（みやたけし）&lt;br /&gt;
* [[蹴人-シュート-]]（[[山根和俊]]）&lt;br /&gt;
* [[JUDOしてっ!]]（山上たつひこ）&lt;br /&gt;
* [[柔道放物線]]（[[今井智文]]）2002年8号 - 2005年2・3合併号&lt;br /&gt;
* [[しゅーまっは]]（[[伯林 (漫画家)|伯林]]）&lt;br /&gt;
* [[樹海少年ZOO1]]（[[ピエール瀧]]・[[漫☆画太郎|漫$画太郎]]）&lt;br /&gt;
* [[出陣!!武将頭高校排球軍]]（[[栗元健太郎]]）2009年49号 - 2010年6号&lt;br /&gt;
* [[ショウup]]（[[いとう杏六]]）&lt;br /&gt;
* [[ショー☆バン]]（[[コージィ城倉|森高夕次]]・[[松島幸太朗]]）&lt;br /&gt;
* [[正平記]]（[[柳沢きみお]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョギリ屋ジョーがやって来る]]（[[フクイタクミ]]）&lt;br /&gt;
* [[私立味狩り学園]]（[[あかねこか]]・谷上俊夫）&lt;br /&gt;
* [[私立創聖学園]]（[[にくぼし]]）&lt;br /&gt;
* [[白い弾丸]]（沼よしのぶ）&lt;br /&gt;
* [[JINJIN]]（[[小堀洋]]･[[神矢みのる]]）&lt;br /&gt;
* [[スイートレガシー]]（瀬口たかひろ）&lt;br /&gt;
* [[Switch (米原秀幸)|Switch]]（[[米原秀幸]]）&lt;br /&gt;
* [[スーパー巨人]]（[[森村たつお]]）&lt;br /&gt;
* [[超バージン!]]（[[うちだ藤丸]]）&lt;br /&gt;
* [[ズームアップ]]（望月あきら）&lt;br /&gt;
* [[スカルポイント]]（山本賢治）&lt;br /&gt;
* [[スクライド (漫画)|スクライド]]（[[黒田洋介]]・[[戸田泰成]]）&lt;br /&gt;
* [[すくらっぷ・ブック]]（小山田いく）&lt;br /&gt;
* [[スクランブルズ4]]（[[鏡丈二]]・[[制野秀一]]）&lt;br /&gt;
* [[スケ番ケロ子]]（赤塚不二夫）&lt;br /&gt;
* [[ストライプブルー]]（森高夕次・松島幸太朗）2007年20号 - 2009年20号&lt;br /&gt;
* [[スナッチャー窃]]（[[高木章次]]）&lt;br /&gt;
* [[スプリングマン (漫画)|スプリングマン]]（内海甲介）1999年31号 - 2000年16号&lt;br /&gt;
* [[スペクトルマン]]（[[一峰大二]]）&lt;br /&gt;
* [[セーラー服で一晩中]]（[[白倉由美]]）&lt;br /&gt;
* [[絶対解決まぐれ君]]（ミッチェル田中）2005年21号 - 2005年29号&lt;br /&gt;
* [[銭っ子]]（[[花登筺]]・水島新司）&lt;br /&gt;
* [[セパハン (漫画)|セパハン]]（服部かずみ）&lt;br /&gt;
* [[SEWING (漫画)|SEWING]]（[[柳沢きみお]]）&lt;br /&gt;
* [[ゾクセイ]]（松山せいじ）&lt;br /&gt;
* [[その気にさせてよmyマイ舞]]（[[山口譲司]]）&lt;br /&gt;
* [[バビル2世|その名は101]]（横山光輝）&lt;br /&gt;
* [[そばっかす!]]（きくち正太）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== た行 ===&lt;br /&gt;
* [[大甲子園]]（[[水島新司]]）&lt;br /&gt;
* [[大介ゴール!]]（[[馬場民雄]]）&lt;br /&gt;
* [[代打教師秋葉!真剣です。]]（[[M.A.T]]・[[早坂よしゆき]]）&lt;br /&gt;
* [[ダイナマ舞]]（[[真木富士人]]） &lt;br /&gt;
* [[対マンマン]]（吉田窓）&lt;br /&gt;
* [[Dämons]]（手塚治虫・米原秀幸）2006年10号 - 2008年29号&lt;br /&gt;
* [[畳の上のミクロ]]（[[吉木まさかず]]）2009年26号 - 45号&lt;br /&gt;
* [[だちっ子]]（[[吉森みき男]]）&lt;br /&gt;
* [[玉鹿市役所 ええじゃない課]]（山上たつひこ）&lt;br /&gt;
* [[男旗]]（石山東吉）1990年15号 - 1993年19号&lt;br /&gt;
* [[ダンコン]]（[[小沢としお|小沢利雄]]）2002年40号 - 2003年44号 &lt;br /&gt;
* [[探偵ボーズ21休さん]]（[[三浦とりの]]）&lt;br /&gt;
* [[ダントツ]]（水島新司）&lt;br /&gt;
* [[チェリー (小沢としお)|チェリー]]（小沢利雄）2004年19号 - 2004年46号&lt;br /&gt;
* [[CHICKEN CLUBII-覇王の森-]]（石山東吉）&lt;br /&gt;
* [[チック・タク]]（[[石井いさみ]]）&lt;br /&gt;
* [[忠牛ばっふぁ郎]]（小林よしのり）&lt;br /&gt;
* [[チュンチュンアレイ]]（[[鴨川つばめ]]）1988年7+8合併号 - 20号&lt;br /&gt;
* [[超香少年サトル]]（[[上田悦]]） &lt;br /&gt;
* [[超人S氏の奮戦]]（[[どおくまん]]）&lt;br /&gt;
* [[超人コンプレックス]]（[[内崎まさとし]]）&lt;br /&gt;
* [[超人竜巻バレー部]]（[[岡村茂]]）&lt;br /&gt;
* [[チョッキン]]（[[吾妻ひでお]]）&lt;br /&gt;
* [[TWO突風!]]（[[藤井良樹]]・旭凛太郎]）&lt;br /&gt;
* [[2×2]]（[[うういずみ]]） &lt;br /&gt;
* [[月とスッポン (漫画)|月とスッポン]]（[[柳沢きみお]]）1976年24号 - 1982年9号&lt;br /&gt;
* [[椿ナイトクラブ]]（[[哲弘]]）&lt;br /&gt;
* [[デカポリス]]（岩塚卓）&lt;br /&gt;
* [[テスト・ラン]]（[[松田慎太郎]]）&lt;br /&gt;
* [[鉄鍋のジャン!]]（[[西条真二]]）&lt;br /&gt;
** 鉄鍋のジャン!R頂上作戦（西条真二）&lt;br /&gt;
* [[手っちゃん]]（[[古谷三敏]]）&lt;br /&gt;
* [[天下泰平(とりいかずよし)|天下泰平]]（とりいかずよし）&lt;br /&gt;
* [[伝鬼活人剣]]（[[鳴海丈]]・[[井荻寿一]]）&lt;br /&gt;
* [[臀撃おしおき娘 ゴータマン]]（山口譲司）&lt;br /&gt;
* [[転生ANIMA]]（[[うういずみ]]）&lt;br /&gt;
* [[電遊日記]]（[[神楽つな]]）&lt;br /&gt;
* [[東京星にいこう]]（白倉由美）&lt;br /&gt;
* [[どうぎんぐ]]（[[戸田邦和]]）&lt;br /&gt;
* [[闘神サイト]]（石山東吉）&lt;br /&gt;
* [[刀真]]（[[石渡洋司|石渡洋二]]）&lt;br /&gt;
* [[東洋妖人伝 用神坊]]（いとう杏六）&lt;br /&gt;
* [[ドールガン]]（[[出口竜正]]）2004年40号 - 2006年20号&lt;br /&gt;
* [[ドカベン]]（水島新司）&lt;br /&gt;
** [[ドカベン プロ野球編]]（水島新司）&lt;br /&gt;
* [[TOKIOとカケル]]（赤塚不二夫）&lt;br /&gt;
* [[恐怖博士]]（ドクター・フォービア）（高橋葉介）&lt;br /&gt;
* [[どくだみ先生]]（古谷三敏）&lt;br /&gt;
* [[ど根性カノジョ]]（[[くろだ美里]]）&lt;br /&gt;
* [[どっこい大作]]&lt;br /&gt;
* [[特攻天女]]（みさき速）1995年32号 - 2001年51号&lt;br /&gt;
* [[ドッ硬連]]（松田一輝）&lt;br /&gt;
* [[とってもアイドル]]（[[しろまどか]]・山下裕）&lt;br /&gt;
* [[トップスピード]]（[[滝井寿紀]]）&lt;br /&gt;
* [[となりの格闘王]]（西条真二・[[緒田太一]]）&lt;br /&gt;
* [[富山ねじ]]（佐藤将）&lt;br /&gt;
* [[DRAGON BLADE]]（[[室鉄也]]）&lt;br /&gt;
* [[トリガートリガーハッピー]]（[[安田祥憲]]）&lt;br /&gt;
* [[トリック・リップ]]（[[三村尚]]・やまさき拓味）&lt;br /&gt;
* [[ドリル園児]]（おおひなたごう）&lt;br /&gt;
* [[ドンキー (岩塚卓)|ドンキー]]（岩塚卓）&lt;br /&gt;
* [[ドン・ドラキュラ]]（手塚治虫）&lt;br /&gt;
* [[トンボー (漫画)|トンボー]]（[[沼田純]]）2008年38号 - 2009年35号&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== な行 ===&lt;br /&gt;
* [[ななか6/17]]（[[八神健]]）&lt;br /&gt;
* [[750ライダー]]（石井いさみ）&lt;br /&gt;
* [[七色いんこ]]（手塚治虫）&lt;br /&gt;
* [[ナックルボンバー学園]]（川島よしお）&lt;br /&gt;
* [[ナンバMG5]]（小沢としお）&lt;br /&gt;
* [[虹色ラーメン]]（[[馬場民雄]]）&lt;br /&gt;
* [[24のひとみ]]（[[倉島圭]]）&lt;br /&gt;
* [[虹を呼ぶ男]]（水島新司）&lt;br /&gt;
* [[日本沈没]]（[[小松左京]]・[[さいとう・たかを]]）&lt;br /&gt;
* [[ニャンですかァ?]]（[[瀬里果]]）&lt;br /&gt;
* [[人形師いろは]]（[[梅田阿比]]）&lt;br /&gt;
* [[忍犬ずびまろ]]（山口譲司）&lt;br /&gt;
* [[NUDE -少女鮮明-]]（うちだ藤丸）&lt;br /&gt;
* [[熱笑!!花沢高校]]（どおくまん）&lt;br /&gt;
* [[涅槃姫みどろ]]（[[大西祥平 (ライター)|大西祥平]]・[[中西宣]]）&lt;br /&gt;
* [[NO-ボーイ]]（松田慎太郎）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== は行 ===&lt;br /&gt;
* [[バージンロケット'88]]（[[わたべ淳]]）&lt;br /&gt;
* [[パーフェクティーチャー]]（大熊良）1998年53号 - 1999年15号&lt;br /&gt;
* [[Pound for Pound]]（所十三）&lt;br /&gt;
* [[南風!BunBun]]（米原秀幸）&lt;br /&gt;
* [[グラップラー刃牙|バキ]]（板垣恵介）&lt;br /&gt;
* [[白亜紀恐竜奇譚 竜の国のユタ]]（[[所十三]]）&lt;br /&gt;
** [[白亜紀恐竜奇譚 竜の国のユタ|D-ZOIC]]（[[所十三]]）2008年19号 - 2009年26号&lt;br /&gt;
* [[BA-KU]]（あかねこか・谷上俊夫）&lt;br /&gt;
* [[はぐヤン!とんじる]]（園田ともひろ）&lt;br /&gt;
* [[パクリコン]]（こやま基夫）&lt;br /&gt;
* [[バス・ハンター渡]]（[[吉田幸二]]・[[金井たつお]]）&lt;br /&gt;
* [[ぱっぱらサユリちゃん]]（内崎まさとし）&lt;br /&gt;
* [[発明軍人 イッシン]]（[[阿部秀司 (漫画家)|阿部秀司]]）&lt;br /&gt;
* [[覇道]]（[[木村シュウジ]]）&lt;br /&gt;
* [[バトルナイト剣]]（[[辻真先]]・[[岡崎沙実]]）&lt;br /&gt;
* [[バトル・ハート]]（やまさき拓味）&lt;br /&gt;
* [[花のよたろう]]（ジョージ秋山）1974年34号 - 1979年1号&lt;br /&gt;
* [[PUNISHER]]（[[佐渡川準]]）2008年10号 - 2009年21・22合併号&lt;br /&gt;
* [[バビル2世]]（横山光輝）&lt;br /&gt;
* [[原宿こぶし組]]（服部かずみ）&lt;br /&gt;
* [[バラの進さま]]（とり・みき）&lt;br /&gt;
* [[パラレル亜美]]（[[乾はるか]]）&lt;br /&gt;
* [[バロン・ゴング・バトル]]（[[田口雅之]]）&lt;br /&gt;
* [[ハングリーハート WILD STRIKER]]（[[高橋陽一]]）&lt;br /&gt;
* [[番長エース]]（石井いさみ）&lt;br /&gt;
* [[番長連合]]（[[阿部秀司 (漫画家)|阿部秀司]]）&lt;br /&gt;
* [[番長惑星]]（[[石ノ森章太郎]]）&lt;br /&gt;
* [[BM ネクタール]]（藤澤勇希）&lt;br /&gt;
* [[ピクル]]（板垣恵介）&lt;br /&gt;
* [[肥前屋十兵衛]]（[[富沢ひとし]]）&lt;br /&gt;
* [[必殺卓球人]]（いとう杏六）&lt;br /&gt;
* [[ひもろぎ守護神|ひもろぎ守護神（ガーディアン）]]（[[緋采俊樹]]）2002年34号 - 2003年36＋37号&lt;br /&gt;
* [[百億の昼と千億の夜]]（[[光瀬龍]]・[[萩尾望都]]）&lt;br /&gt;
* [[ピンギーマヤー]]（[[山本邦一]]・[[さいとうかずと]]）&lt;br /&gt;
* [[PingPong Panic Paradise 水原先輩がゆく!!]]（[[本田真吾 (漫画家)|本田真吾]]）&lt;br /&gt;
* [[ファントム零]]（[[小宮さなえ]]・[[野々村秀樹]]）&lt;br /&gt;
* [[不安の種]]（[[中山昌亮]]）&lt;br /&gt;
** [[不安の種+]]（中山昌亮）&lt;br /&gt;
* [[風雲プロレス30年 ―力道山からタイガー・マスクまで]]（[[真樹日佐夫]]・森村たつお）&lt;br /&gt;
* [[フェイスガード虜]]（おおひなたごう）&lt;br /&gt;
* [[フォーナが走る]]（小山田いく）1990年32号 - 1991年18号&lt;br /&gt;
* [[ぶかつどう]]（伊藤清順）&lt;br /&gt;
* [[フジケン]]（小沢としお）1998年27号 - 2002年31号&lt;br /&gt;
* [[ブタの王国]]（[[古川ハジメ]]）&lt;br /&gt;
* [[ふたりと5人]]（[[吾妻ひでお]]）&lt;br /&gt;
* [[武闘占術伝 ヒイロとナナシ]]（[[永久保貴一]]・[[とうじたつや]]）2009年23号 - 30号&lt;br /&gt;
* [[ブッキラによろしく!]]（手塚治虫）&lt;br /&gt;
* [[フットブルース]]（能田達規）&lt;br /&gt;
* [[武頼漢]]（鳴海丈・木村知夫）&lt;br /&gt;
* [[ブラック・ジャック]]（手塚治虫）&lt;br /&gt;
* [[ブラック・ジャック|ブラック・ジャック〜黒い医師〜]]（手塚治虫・山本賢治）&lt;br /&gt;
* [[ブラック商会変奇郎]]（[[藤子不二雄A|藤子不二雄&amp;lt;span class=&amp;quot;Unicode&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#9398;&amp;lt;/span&amp;gt;]]）&lt;br /&gt;
* [[プライム・ローズ]]（手塚治虫）&lt;br /&gt;
* [[プラレス3四郎]]（[[牛次郎]]・神矢みのる）1982年34号 - 1985年21号&lt;br /&gt;
* [[ふられ竜の介]]（[[織三幸]]&lt;br /&gt;
* [[プリーズMr.ジョックマン]]（佐藤宏之）&lt;br /&gt;
* [[フリオチ]]（[[谷口雅人|堀雅人]]・[[三三]]）&lt;br /&gt;
* [[ぶるうピーター]]（小山田いく）&lt;br /&gt;
* [[フルアヘッド!ココ]]（米原秀幸）&lt;br /&gt;
* [[フルセット!]]（梅田阿比）&lt;br /&gt;
* [[魔剣士ZANN]]（[[大舞キリコ]]）&lt;br /&gt;
* [[ぷろぶれむちゃいるど]]（[[中村慶吾|高柳ヒデツ]]）&lt;br /&gt;
* [[べにまろ]]（[[木村和昭]]）&lt;br /&gt;
* [[ベリースペシャル]]（[[森田森魚]]）&lt;br /&gt;
* [[ペンギン娘]]（[[高橋てつや]]）&lt;br /&gt;
* [[冒険ピータン]]（山上たつひこ）&lt;br /&gt;
* [[房総暴走族ブラック金魚]]（立原あゆみ・吉田窓）&lt;br /&gt;
* [[暴力大将]]（どおくまん）&lt;br /&gt;
* [[ぼくはウィリー]]（立原あゆみ）&lt;br /&gt;
* [[星のブンガ]]（細川雅巳）&lt;br /&gt;
* [[ほんきでFU-FU]]（[[尾津神がしき]]）1989年16号 - 1989年37号&lt;br /&gt;
* [[ボンバー弾]]（神矢みのる）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ま行 ===&lt;br /&gt;
* [[麻雀鬼ウキョウ]]（[[橋本俊二]]）&lt;br /&gt;
* [[マーズ (漫画)|マーズ]]（横山光輝）&lt;br /&gt;
* [[マイティハート|マイティ&amp;amp;#9825;ハート]]（[[マツリセイシロウ]]）&lt;br /&gt;
* [[舞-HiME]]（[[キムラノボル]]・[[佐藤健悦]]） &lt;br /&gt;
* [[舞-乙HiME (漫画)|舞-乙HiME]]（[[吉野弘幸 (脚本家)|吉野弘幸]]+樋口達人・佐藤健悦） &lt;br /&gt;
* [[舞-乙HiME (漫画)|舞-乙HiME嵐]]（吉野弘幸+樋口達人・佐藤健悦）&lt;br /&gt;
* [[魔界学園]]（菊地秀行・細馬信一）&lt;br /&gt;
* [[魔界都市ハンター]]（菊地秀行・細馬信一）1985年53号 - 1989年12号&lt;br /&gt;
* [[マカロニほうれん荘]]（鴨川つばめ）&lt;br /&gt;
* [[マカロニ2]]（鴨川つばめ）&lt;br /&gt;
* [[まさみの気持ち]]（[[矢野健太郎 (漫画家)|矢野健太郎]]）&lt;br /&gt;
* [[本気!]]（立原あゆみ）&lt;br /&gt;
** [[本気!番外編1「風」]]（立原あゆみ）&lt;br /&gt;
** [[本気!番外編2「命」]]（立原あゆみ）1997年40号 - 1997年47号&lt;br /&gt;
** [[本気!番外編3「SOS」]]（立原あゆみ）1998年33号 - 1998年42号&lt;br /&gt;
** [[本気!|本気! II]]（立原あゆみ）&lt;br /&gt;
* [[魔獣戦士タイガー]]（[[村形順子]]・木村知生） &lt;br /&gt;
* [[魔人タクシー]]（柴田芳樹）&lt;br /&gt;
* [[MASTER GUN MASTER]]（[[鈴木ダイ]]）&lt;br /&gt;
* [[魔太郎がくる!!]]（藤子不二雄&amp;lt;span class=&amp;quot;Unicode&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#9398;&amp;lt;/span&amp;gt;）&lt;br /&gt;
* [[マッドドッグ拳]]（[[田中誠一]]・金井たつお）&lt;br /&gt;
* [[MAP（マッピィ）]]（石山東吉）&lt;br /&gt;
* [[魔宝DEサドンデス]]（山口譲司）&lt;br /&gt;
* [[迷い家ステーション]]（小山田いく）&lt;br /&gt;
* [[マリオネット師]]（小山田いく）&lt;br /&gt;
* [[満天の星 (漫画)|満天の星]]（楠本哲）1998年13号 - 2001年53号&lt;br /&gt;
* [[右向け右!]]（沼よしのぶ）&lt;br /&gt;
* [[ミクロイドS]]（手塚治虫）&lt;br /&gt;
* [[ミス愛子]]（鴨川つばめ）&lt;br /&gt;
* [[道はコンチェルト]]（[[たがみよしひさ]]）&lt;br /&gt;
* [[ミッドシップ隼]]（[[池沢さとし]]）&lt;br /&gt;
* [[ミッドナイト (漫画)|ミッドナイト]]（手塚治虫）&lt;br /&gt;
* [[ミニぱと (漫画)|ミニぱと]]（柳沢きみお）&lt;br /&gt;
* [[箕輪道伝説]]（米原秀幸）&lt;br /&gt;
* [[未来警察ウラシマン]]（[[明石のぼる]]→[[乾はるか]]）&lt;br /&gt;
* [[怪人(ミラクル)ヒイロ]]（どおくまん）&lt;br /&gt;
* [[MILKボーイ]]（[[熊澤ひろし]]）&lt;br /&gt;
* [[むじな注意報!]]（小山田いく）1996年36・37合併号 - 1997年34号&lt;br /&gt;
* [[無敵看板娘]]（佐渡川準）&lt;br /&gt;
** [[無敵看板娘|無敵看板娘N（ナパーム）]]（佐渡川準）&lt;br /&gt;
* [[ムラマサ (漫画)|ムラマサ]]（[[哲弘]]）2008年51号 - 2009年46号&lt;br /&gt;
* [[めざせ一等賞]]（みやたけし）&lt;br /&gt;
* [[女郎 (漫画)|女郎]]（笠原倫）&lt;br /&gt;
* [[面!と向かって]]（[[松下ケンイチ]]）&lt;br /&gt;
* [[メンマ!!]]（[[桃の木舞]]）&lt;br /&gt;
* [[迷探偵司郎シリーズ]]（芹沢直樹）&lt;br /&gt;
* [[麺屋台ロード ナルトヤ!]]（馬場民雄）&lt;br /&gt;
* [[黙示録戦士]]（菊地秀行・細馬信一）&lt;br /&gt;
* [[もののけトゥモロウ]]（小山田いく）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== や行 ===&lt;br /&gt;
* [[やけっぱちのマリア]]（手塚治虫）&lt;br /&gt;
* [[野球しようぜ!]]（いわさわ正泰）&lt;br /&gt;
* [[やどりぎくん]]（吾妻ひでお）&lt;br /&gt;
* [[闇の密霊師]]（[[芝田英行]]）&lt;br /&gt;
* [[ヤワラーマン]]（[[ニッシー西]]）&lt;br /&gt;
* [[ヤンキーフィギュア]]（[[ミッチェル田中]]）&lt;br /&gt;
* [[優駿の門]]（やまさき拓味）&lt;br /&gt;
** [[優駿の門|優駿の門[特別編]ディープインパクト]]（やまさき拓味）&lt;br /&gt;
* [[UKキングダム]]（藤澤勇希） &lt;br /&gt;
* [[ゆうひが丘の総理大臣]]（望月あきら）&lt;br /&gt;
* [[ゆび (漫画)|ゆび]]（[[柴田よしき]]・[[吉村一八]]・近藤豪志） &lt;br /&gt;
* [[YUMiKO]]（たがみよしひさ）&lt;br /&gt;
* [[妖変ニーベルングの指環]]（[[佐木飛朗斗]]・[[東直輝]]）2009年46号 - 2010年1号 &lt;br /&gt;
* [[予想屋 勝!]]（[[梢つぐみ]]）&lt;br /&gt;
* [[黄泉の影郎]]（[[堀口哲也]]）&lt;br /&gt;
* [[4P田中くん]]（七三太朗・[[川三番地]]&lt;br /&gt;
* [[4年1組起立!]]（浜岡賢次）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ら行 ===&lt;br /&gt;
* [[ラフ&amp;amp;ラフ]]（[[立松昻治]]）&lt;br /&gt;
* [[らんぽう]]（内崎まさとし）1978年26号 - 1987年22号&lt;br /&gt;
* [[乱丸XXX]]（[[乾はるか]]）&lt;br /&gt;
* [[輪道 -RINDO-]]（[[井ノ内貴之]]）2003年20号 - 2005年20号&lt;br /&gt;
* [[LOOK UP!]]（[[水穂しゅうし]]）&lt;br /&gt;
* [[るんるんカンパニー]]（とり・みき）&lt;br /&gt;
* [[霊能バトル]]（小山田いく）&lt;br /&gt;
* [[レース鳩0777]]（[[飯森広一]]）&lt;br /&gt;
* [[レッツ剛]]（望月あきら）&lt;br /&gt;
* [[Let'sダチ公]]（積木爆・木村知生）1985年19号 - 1988年42号&lt;br /&gt;
* [[レボルシオン]]&lt;br /&gt;
* [[恋愛出世絵巻 えん×むす]]（瀬口たかひろ） &lt;br /&gt;
* [[ローティーンブルース]]（望月あきら）&lt;br /&gt;
* [[60億のシラミ]]（飯森広一）&lt;br /&gt;
* [[ロボこみ]]（[[やぎさわ景一]]） &lt;br /&gt;
* [[ろまんちっく牛之介]]（小林よしのり）&lt;br /&gt;
* [[ロン先生の虫眼鏡]]（[[光瀬龍]]・[[加藤唯史]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== わ行 ===&lt;br /&gt;
* [[わがまま空イブ]]（みやたけし）1986年22号 - 1986年33号&lt;br /&gt;
* [[私は加護女]]（高橋葉介・近藤豪志）&lt;br /&gt;
* [[ワルワルワールド]]（赤塚不二夫）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 読者投稿ページ ==&lt;br /&gt;
* [[チャンピオンパック]]（1970年代）&lt;br /&gt;
* [[シルクハットハウス]]（1980年代後半まで）&lt;br /&gt;
* [[スクランブルニュース]]（1980年代後半 - 1990年代初頭）&lt;br /&gt;
* [[チャンピオンベストステージ]]（1990年代初頭 - 1994年）&lt;br /&gt;
* 寄席ばいいのに!（1994年）&lt;br /&gt;
* [[チャンピオンカップ]]（C2）（1995年1号 - 2001年18号）&lt;br /&gt;
* [[でじこのチャンピオンカップ]]（2001年19号 - 2002年36号）&lt;br /&gt;
* チャンピオンロード（2002年37+38号 - 2003年29号）&lt;br /&gt;
* 黒チャンピオン党（2003年30号 - 2005年6号）&lt;br /&gt;
* [[西口プロレス認定 チャンピオン投稿コロシアム]]（CTC）（2005年7号 - ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 連載記事 ==&lt;br /&gt;
=== ゲーム紹介 ===&lt;br /&gt;
* [[電気頭脳園]]（イラスト：[[村瀬範行]]）?年 - 2004年30号&lt;br /&gt;
* [[電遊日記|エリス&amp;amp;モリソン&amp;amp;パチの電遊日記]]（イラスト：[[神楽つな]]）2004年31号 - 2010年4・5合併号&lt;br /&gt;
* [[ギャル番ゲーマー・マリー]]（イラスト：[[結路いさと]]）2010年6号 -&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 総合情報コーナー ===&lt;br /&gt;
* チャンピオンレーダー（1970年代 - 1980年）&lt;br /&gt;
* 情報チャンネルあいどる組&lt;br /&gt;
* マイ・ワールド&lt;br /&gt;
* [[情報エクスプレス]]（アーティストインタビューやイベント情報、プレゼント情報のページ）&lt;br /&gt;
** チャンピオンCINEMAプレビュー（映画紹介記事。かつては独立したページを持った記事であったが、2006年に情報エキスプレスの一記事に格下げされた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴代編集長 ==&lt;br /&gt;
* 成田清美&lt;br /&gt;
* 壁村耐三（1972年4月 - 1981年、1985年 - 1990年）&lt;br /&gt;
* 阿久津邦彦（1981年 - 1982年、1985年）&lt;br /&gt;
* 神永悦也（1983年 - 1984年）&lt;br /&gt;
* 岡本三司&lt;br /&gt;
* 大塚公平（ - 2002年4・5合併号）&lt;br /&gt;
* 樋口茂（2002年6号 - 2005年47号（10月））&lt;br /&gt;
* 沢考史（2005年48号（10月） - ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主催新人漫画賞 ==&lt;br /&gt;
* [[週刊少年チャンピオン新人まんが賞]]（原則3月締切と9月締切の年2回募集）&lt;br /&gt;
* 月例フレッシュまんが賞（原則月末締切の月例賞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発行部数 ==&lt;br /&gt;
*1969年7月15日創刊号 21万部&lt;br /&gt;
*1972年7月3日号 39万部&lt;br /&gt;
*1973年8月20日号 50万部&lt;br /&gt;
*1974年9月9日号 100万部&lt;br /&gt;
*1978年9月11日号 205万部&lt;br /&gt;
*1979年1月22・29合併号 250万部&lt;br /&gt;
*2001年 130万部&lt;br /&gt;
*2002年 115万部&lt;br /&gt;
*2003年 80万部&lt;br /&gt;
*2005年 50万部&lt;br /&gt;
*2006年 50万部&lt;br /&gt;
*2007年 50万部&lt;br /&gt;
*2008年 50万部&lt;br /&gt;
*2009年 55万部&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 増刊号 ==&lt;br /&gt;
かつては新人作家の読切を主とした増刊号も刊行されており、1980年代前半には青年誌として『週刊少年チャンピオン増刊 ヤングチャンピオン』が不定期に刊行されていた時期もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在は定期的に刊行される増刊号は存在しないが、『[[グラップラー刃牙|範馬刃牙]]』の総集編や、[[元祖!浦安鉄筋家族]]の新作と傑作選、新人ギャグ作家の読切を掲載した『元祖!浦安鉄筋家族 増刊』などが不定期に刊行される場合がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考資料 ==&lt;br /&gt;
* 斎藤精一『雑誌大研究 出版戦国時代を探る』（[[1979年]]、[[日本工業新聞社]]）&lt;br /&gt;
* [[朝日新聞社]]学芸部編著『出版界の現実 出版界の内幕を徹底取材』（[[1979年]]、日本ジャーナリスト専門学院出版部）&lt;br /&gt;
* 西村繁男『さらばわが青春の「少年ジャンプ」』（[[1994年]]、[[飛鳥新社]]）&lt;br /&gt;
* [[岡田斗司夫]]『オタク学入門』（[[太田出版]]、[[1996年]]） - 少年マンガ国盗物語。&lt;br /&gt;
* 『別冊宝島70年代マンガ大百科』（[[宝島社]]、[[1996年]]） - 壁村耐三インタビュー。&lt;br /&gt;
* 西村繁男『まんが編集術』（[[白夜書房]]、[[1999年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[月刊少年チャンピオン]]&lt;br /&gt;
* [[チャンピオンRED]]&lt;br /&gt;
** [[チャンピオンRED いちご]]&lt;br /&gt;
* [[少年チャンピオンコミックス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.akitashoten.co.jp/index2.html AKITA Web Station]&lt;br /&gt;
*[http://yaplog.jp/u-sugu/archive/368 世の中って不公平だな]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しゆうかんしようねんちやんひおん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の漫画雑誌]]&lt;br /&gt;
[[Category:秋田書店の漫画雑誌]]&lt;br /&gt;
[[Category:週刊漫画雑誌|しようねんちやんひおん]]&lt;br /&gt;
[[Category:少年漫画雑誌]]&lt;br /&gt;
[[Category:週刊少年チャンピオン|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:1969年創刊の雑誌]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>153.179.211.183</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%85%83%E7%A6%84%E8%B5%A4%E7%A9%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=328004</id>
		<title>元禄赤穂事件</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%85%83%E7%A6%84%E8%B5%A4%E7%A9%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=328004"/>
				<updated>2016-08-19T10:09:52Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;153.179.211.183: /* 外部リンク */ *[http://yaplog.jp/u-sugu/archive/368 世の中って不公平だな]&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''元禄赤穂事件'''（'''げんろくあこうじけん'''）とは[[江戸時代]]中期の[[元禄]]15年[[12月14日 (旧暦)|12月14日]]（[[1703年]][[1月30日]]）に発生した主君仇討ち事件である。[[江戸城]]中で[[赤穂藩]]藩主の[[浅野長矩|浅野内匠頭長矩]]が[[高家]][[旗本]]の[[吉良義央|吉良上野介義央]]に対して遺恨有りとして殿中刃傷に及ぶも討ち漏らして[[切腹]]処分となり、その後、浅野の遺臣である[[大石良雄|大石内蔵助良雄]]以下[[赤穂浪士]]47士が吉良屋敷に討ち入り、主君に代わって吉良上野介を討ち果たし、その首を[[泉岳寺]]の主君の墓前に捧げたのち、幕命により切腹したという一連の事件を指す。一般には'''[[忠臣蔵]]'''の名称で特に知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつては[[曾我兄弟の仇討ち]]、[[鍵屋の辻の決闘|伊賀越えの仇討ち]]と並んで“日本三大[[仇討ち]]”と称されていたが、最近はこの事件の知名度だけが群を抜いていることもあって、その語はあまり使用されなくなった。また「忠臣蔵」の名称は本来この事件を基に脚色した物語ものの総称をいう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 松之大廊下の刃傷 ==&lt;br /&gt;
[[Image:MatsuNoORoka.jpg|thumb|right|江戸城本丸跡（東京）]]&lt;br /&gt;
[[画像:Sakurada.JPG|thumb|right|江戸城外観]]&lt;br /&gt;
元禄14年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]（[[1701年]][[3月3日]]）、江戸下向が予定されていた[[東山天皇]]の[[勅使]][[柳原資廉]]（前・[[権大納言]]）・[[高野保春]]（前・[[権中納言]]）ならびに[[霊元天皇|霊元上皇]]の[[院使]][[清閑寺熈定]]（前・権大納言）を接待するために[[江戸幕府|幕府]]は勅使[[饗応役]]として[[播磨国|播磨]][[赤穂藩]]主・[[浅野内匠頭]]、院使[[饗応役]]として[[伊予国|伊予]][[宇和島藩#伊予吉田藩|吉田藩]]主・[[伊達村豊|伊達左京亮]]をそれぞれ任じた。両名の指南役は[[高家]]の筆頭格である高家肝煎[[吉良義央|吉良上野介義央]]であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勅使・院使は[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]（同年[[4月18日]]）に[[江戸]]に到着し、幕府の伝奏屋敷に入った。浅野内匠頭もこの前日には伝奏屋敷入りしており、以降数日間にわたり吉良の指南を受けながら勅使の饗応にあたるはずであった。勅使たちは翌12日（[[4月19日]]）には江戸城へ登城の上、[[征夷大将軍|将軍]][[徳川綱吉]]に[[勅宣]]・[[院宣]]を伝奏。また[[3月13日 (旧暦)|13日]]（[[4月20日|20日]]）には猿楽[[能]]を観賞している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして[[3月14日 (旧暦)|14日]]（[[4月21日|21日]]）、この日は勅使・院使が[[江戸城]]に登城して将軍綱吉が先の勅宣と院宣に対して返事を奏上するという奉答の儀式が執り行われる予定になっていた。しかし同日巳の刻（午前10時）、[[江戸城]]本丸御殿[[松之大廊下]]において吉良上野介と旗本[[梶川頼照|梶川与惣兵衛頼照]]が儀式の打合せをしていたところへ、突然、浅野内匠頭が吉良上野介に対して脇差でもって殿中刃傷に及んだ。吉良上野介は額と背中を斬られるが、側にいた旗本・[[梶川頼照|梶川与惣兵衛]]がすぐさま浅野内匠頭を取り押さえ、また居合わせた[[品川伊氏|品川豊前守伊氏]]、[[畠山義寧|畠山下総守義寧]]ら他の高家衆が吉良を蘇鉄の間に運んだため、刃傷は失敗に終わった。梶川がのちに記したところによると浅野はこの際に「この間の遺恨おぼえたるか」という叫びとともに斬りかかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捕らえられた浅野は幕府[[目付]]の[[多門重共|多門伝八郎重共]]と[[近藤重興|近藤平八郎重興]]の取調べを受けたが、多門の記すところによれば浅野内匠頭は「幕府に対する恨みは全くない。ただ吉良には私的な遺恨がある。だから己の宿意をもって前後を忘れて吉良を討ち果たそうとした」と答えた。一方、吉良上野介は外科の第一人者・[[栗崎道有]]によって傷口を数針縫いあわせ、軽傷ですんだ。その後目付の[[大久保忠鎮|大久保権左衛門忠鎮]]・[[久留正清|久留十左衛門正清]]らから尋問を受けたが、「拙者は恨みを受ける覚えは無い。内匠頭の乱心であろう。またこの老体であるから、何を恨んだかなどいちいち覚えてはいない」と主張した。いずれにしても尊皇心厚き将軍[[徳川綱吉]]は朝廷との儀式を台無しにされたことに激怒し、浅野内匠頭を即日に[[切腹]]、[[浅野氏|赤穂浅野家]]の断絶を命じた。対して吉良上野介は殿中をはばかり、手向かいしなかったことは殊勝であるとして何の咎めもなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大名が即日切腹というのはきわめて異例なことであった。目付[[多門重共|多門伝八郎]]も遺恨の内容などについてもっと慎重な取調べが必要だと訴えたが、側用人・[[柳沢吉保|柳沢出羽守保明]]に退けられたという。ここまで綱吉が切腹を急いだのは、長矩の処分を断行することで勅使・院使たちに対して自らの天皇への忠誠心をアピールして、母・[[桂昌院]]最大の念願である従一位叙任がお流れにならないようにしたかったためのようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、浅野内匠頭は芝愛宕下の[[田村建顕|田村右京太夫建顕]]（[[陸奥国]][[一関藩]]主）屋敷にお預けとなり、[[庄田安利|庄田下総守安利]]（[[大目付]]）、[[多門重共|多門伝八郎]]（目付）・[[大久保忠鎮|大久保権左衛門]]（目付）らの立会いの下、酉の刻（午後5時頃）に屋敷の庭先にて[[切腹]]させられた。多門の証言によれば浅野内匠頭の近習・[[片岡高房|片岡源五右衛門高房]]が最期に一目、主君浅野内匠頭に目通りできたという。&lt;br /&gt;
=== 刃傷事件の原因 ===&lt;br /&gt;
はたして本当に浅野内匠頭が「この間の遺恨覚えたか」と叫んだかどうかは分からないが、『梶川筆記』にも『多門筆記』にも『内匠頭お預かり一件』にもその後、内匠頭が「遺恨あり」と証言していることが記されている、とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしながら奇怪なことにいずれの書物も内匠頭が遺恨を主張していることについては触れていながら、遺恨の細かい内容については記していない。詳しく聞かなかったとは考えられないので幕府を憚って削除されたのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ともかく詳しい内容を資料から知りえない以上、推理するしかないのが現状である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[忠臣蔵]]』などの[[芝居]]に由来する通説では、院使饗応役の伊達左京亮が黄金100枚、[[狩野探幽]]の絵などを吉良上野介へ進物をしたのに対して、潔癖な浅野内匠頭は[[鰹節]]2本しか贈らなかったために賄賂好きな吉良上野介の不興を買い、饗応役に不慣れな浅野内匠頭に対して勅使への音信、[[増上寺]]の畳替え、殿中礼服の違いなど事あるごとに苛めたことが原因としているものが多い。しかし内匠頭は17年前の[[天和 (元号)|天和]]3年（[[1683年]]）にも同じ勅使饗応役に就任している。浅野内匠頭やその家臣団が役目に不慣れであるはずもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また進物・賄賂についても現代社会と当時の社会ではだいぶ感覚が異なっていたことも考慮せねばならない。何もかも[[公費]]の[[予算]]から支出される現代の[[公務員]]と異なり、高家や勅使饗応役の大名は必要経費を自弁しなければならなかった。広大な領地と莫大な石高を持つ大名ならこれも何とかなるであろうが、一方の高家は家格は高いとはいえど所詮旗本に過ぎないので、わずかな領地・石高しか持っていない（吉良家は高家の最名門の家柄であるが、それでも石高で言えば4,200石。5万石の浅野内匠頭の収入に及ぶべくもない）。したがって高家が饗応役を命じられた大名から進物をもらうことは、賄賂というよりも授業料・必要経費の性格が強く、当時は別に卑しまれている類のものではなかった。ゆえに「賄賂説」は可能性が低い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浅野内匠頭と吉良上野介のそれぞれの領地で産出する[[塩]]の製法と販路の問題で対立があったという説が有力に主張されているが、これは吉良出身の作家の[[尾崎士郎]]が自らの随筆の中で唱えていたものである。しかし実際には吉良上野の領地に塩田は当時無かったといわれている。また、当時の塩の製法はほとんど地形と気象条件に依存し、技術的な要素はさほどなかった。ゆえに、この「塩田説」も可能性が低い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またもう一つ有力に主張されているのが饗応費説である。勅使への饗応費をできるだけ節約しようとする浅野内匠頭と勅使への饗応費はもっと沢山必要だと主張する吉良上野介が対立していたという説である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ほかは両者の性格に原因を求める説がある。浅野内匠頭については痞（つかえ）という精神的な持病をもっていたという逸話が残っていることから、生来短気な人物だったのではないかと言われている。史実だけを見ると浅野内匠頭は、47士の1人・[[千馬三郎兵衛]]を閉門処分にしており、重臣・[[近藤正憲]]も組頭から解任している。また47士の1人・[[不破数右衛門]]も藩から追放されている。このうち千馬は直言癖があって、不破は人を斬って、それぞれ内匠頭を激怒させたといわれている。内匠頭が短気であった可能性は高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方吉良上野介は[[亀井茲親|亀井隠岐守茲親]]を苛めたという逸話が津和野に残っているため、常習的な「苛めっこ」ではないかと言われる。大河ドラマ『[[元禄繚乱]]』などもこの説にたっており、吉良が田舎大名が困るのを面白がるような描き方をしており、サディスト的な性格を持っていたことを強調している。また史実を見るなら吉良上野介は、息子が当主となっている米沢藩上杉家に対して吉良家の大量の買い掛け金や自邸の普請費用を押し付けて、上杉家勘定方を困らせている。どこか図々しいところがあったことは間違いなさそうである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして浅野の短気と吉良の図々しさが交わって起きた悲劇ではないかという説である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また変わったものでは[[陰謀史観]]的であるので学術的にはほとんど取り上げられていないものの、本来は吉良上野介の側を陥れるはずだった陰謀に浅野内匠頭が利用されたとの説、桂昌院の従一位叙任を阻止しようとした[[鷹司信子]]の陰謀説、幕府の役人と結びついた塩商人が赤穂の塩を狙い、赤穂藩を潰して天領にし儲けを得ようとしたという説も存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無論、いずれの説も単なる空想でしかない。刃傷事件の真相は今もって謎に包まれている。しかし刃傷事件の原因がはっきり分からなかったからこそ、この事件はいかようにも解釈できるわけであり、これが忠臣蔵作品の人気が衰えない秘密の一つではなかろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが実際は本職の精神科医の著作によれば信用のおける史料の記述から判断する限り、浅野は[[統合失調症]]（[[精神分裂病]]）の可能性が高いと考えられている。最近では信頼のおける史料では浅野が「この間の遺恨覚えたか」などと叫んだ事実はなく、ただわめきながらいきなり斬り付けたとしか記されていない、とされる。そもそも刃傷の理由云々以前に、脇差で相手を殺傷しようとする場合、斬り付けるのではなく突き刺すのが常識である（「初手は突き二度目はなどか斬ら（吉良）ざらむ石見がえぐる穴を見ながら」）。上記著作によると、浅野の殿中刃傷事件は、理由など無い、無論吉良への遺恨など全く有り得ない、精神異常による突発的衝動的な犯行であった可能性もあるとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 幕府の処分決定 ==&lt;br /&gt;
幕府は翌[[3月15日 (旧暦)|15日]]（[[4月22日|22日]]）、浅野内匠頭の弟で養子に入っていた[[浅野長広|浅野大学長広]]を[[閉門]]処分とした。また浅野内匠頭の従兄弟にあたる[[美濃国]][[大垣藩]]主[[戸田氏定|戸田采女正氏定]]・[[大垣新田藩]]主[[戸田氏成|戸田弾正忠氏]]・[[武蔵国]][[岡部藩]]主[[安部信峯|安部丹波守信峯]]・旗本[[安部信方|安部小十郎信方]]・[[浅野長恒|浅野美濃守長恒]]・[[浅野長武|浅野左兵衛長武]]らを遠慮（江戸城登城禁止処分）とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また[[播磨国]][[竜野藩]]主[[脇坂安照|脇坂淡路守安照]]と[[備中国]][[足守藩]]主[[木下公定|木下肥後守公定]]の両名には赤穂城収城使を命じ、また収城目付に旗本[[荒木政羽|荒木十郎左衛門政羽]]と[[榊原政殊|榊原采女政殊]]を任じた(当初は[[日下部博貞|日下部三十郎博貞]]の予定だったが、日下部は浅野家の遠縁にあたるので榊原に変更された)。さらに[[3月18日 (旧暦)|18日]]（[[4月25日|25日]]）にはしばらく天領となる赤穂の統治のために幕府代官[[石原正氏|石原新左衛門正氏]]・[[岡田俊陳|岡田庄大夫俊陳]]の赤穂派遣が決定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 赤穂藩に報が伝わる ==&lt;br /&gt;
[[画像:兵庫県赤穂市県内位置図.svg|thumb|right|現代の[[赤穂市]]の位置。赤穂藩域は他に[[相生市]]、[[上郡町]]に及んでいた]]&lt;br /&gt;
一方赤穂藩では電話もない時代であるから、そんなことになっているとは露も知らず、いつもと変わらぬ平和の日々にあった。この平和が壊されたのは[[3月19日 (旧暦)|19日]]（[[4月26日|26日]]）卯の刻（午前6時頃）であった。江戸からの第一の急使[[早水満尭|早水藤左衛門満尭]]と[[萱野重実|萱野三平重実]]が[[赤穂城]]内にある筆頭[[家老]][[大石良雄|大石内蔵助良雄]]の屋敷に到着し、浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだという浅野大学からの書状がもたらしたのである。内蔵助はすぐさま赤穂にいる200名ほどの藩士全員に登城命令を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家中がそろったところで急報を城代家老[[大野知房|大野九郎兵衛知房]]が藩士達に読んで聞かせた。しかし大学の書状には吉良の存命について何も書かれていなかったため、どうやら藩士たちは内匠頭が吉良を討ち取ったと思い込んでいたようだ。[[大石良雄|内蔵助]]は、これだけでは詳細が何も分からないということで午後1時頃、萩原文左衛門（100石）と荒井安右衛門（15石5人扶持）を江戸へ派遣。酉の刻（午後7時頃）、[[足軽]][[飛脚]]による第二の急使が赤穂に到着。しかしやはり刃傷事件の発生以外は何も書いていなかった。さらに戌の刻（午後11時頃）、[[原元辰|原惣右衛門元辰]]と[[大石信清|大石瀬左衛門信清]]による第三の急使が到着した。ここでようやく内匠頭切腹の情報が出てきたが、吉良の生死・赤穂藩の改易については相変わらず何も書かれていなかった。しかし殿中刃傷を起こした家がどうなるかは大体予想がつくので、大石は藩札の処理を札座奉行[[岡島常樹|岡島八十右衛門常樹]]に命じ、早くも翌[[3月20日 (旧暦)|20日]]（[[4月27日|27日]]）には領内数箇所に藩札交換所が設けて六分率で交換させ、赤穂経済の混乱の回避に努めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月22日 (旧暦)|22日]]（[[4月29日|29日]]）には町飛脚の第四報が到着し、[[浅野長広|浅野大学長広]]お預かりの情報が伝えられた。続く[[3月25日 (旧暦)|25日]]（[[5月2日]]）には町飛脚の第五報が到着、これには江戸の浅野家上下屋敷が召し上げられたことが書かれていた。しかしいずれの報にも吉良の生死の情報は無く、いよいよ吉良の死を疑いだした内蔵助は藩士の田中権右衛門（藩大目付150石）を吉良の生死を確かめるべく江戸へ派遣した。またこの日[[広島藩]]士太田七郎右衛門正友が赤穂に到着しており、翌[[3月26日 (旧暦)|26日]]（[[5月3日|3日]]）にも大石内蔵助の叔父にあたる[[広島藩]]士[[小山良速|小山孫六良速]]が赤穂入りしてくる。いずれも穏便に開城をという広島藩の圧力であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、当時の赤穂藩は厳しい経済統制、重い年貢などで領民は長矩を憎悪することはなはだしかった。彼が切腹したことが伝わると、領民たちが赤飯を炊いて祝ったと伝えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 開城か篭城か ==&lt;br /&gt;
大石はいよいよ開城か篭城か決めねばならなくなった。家中の意見を統一するために[[3月27日 (旧暦)|27日]]（[[5月4日|4日]]）から3日間にわたって城内広間において大会議を開催した。この会議では篭城を主張する抗戦派と、開城して御家再興を嘆願すべきとする恭順派に意見が分かれて対立した。抗戦派の中心は[[原元辰|原惣右衛門]]と[[岡島常樹|岡島八十右衛門]]の兄弟であり、一方恭順派は城代家老・[[大野知房|大野九郎兵衛]]が中心となっていた。この会議中の28日（5日）に第6の急使が到着し、赤穂城の収城目付が[[荒木政羽]]と[[榊原政殊]]、赤穂代官が[[石原正氏]]と[[岡田俊陳]]になった旨が告げられたが、これは篭城抗戦派をより刺激し、開城派大野の孤立が深まっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
論争はよほど激化したと見え、大石内蔵助は[[3月29日 (旧暦)|29日]]（[[5月6日|6日]]）に収城目付[[荒木政羽]]と[[榊原政殊]]に対して「赤穂家臣は武骨な者ばかりにて、ただ主君一人を思い、赤穂を離れようとはしません。吉良上野介様への仕置きを求めるわけではありませんが、家中が納得できる筋道をお立てください」という嘆願書を提出しようと[[多川九左衛門]]と[[月岡治右衛門]]を江戸に派遣している（ただしこの両名は荒木と榊原に行き違いになり、「目付に直接手渡すように」という内蔵助の命令に背いて江戸家老[[安井彦右衛門]]に報告してしまい、安井の報告を受けた[[大垣藩]]主・[[戸田氏定|戸田采女正氏定]]の「穏便に開城するように」という書状を持って帰ってくるだけに終わる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、親族の大名家からは連日のように穏便に開城をという使者が押し寄せてくる（[[3月28日 (旧暦)|28日]]（[[5月5日|5日]]）には[[大垣藩]]主・戸田氏定家臣の戸田源五左衛門・植村七郎左衛門、29日（6日）には[[広島藩]]主・[[浅野綱長|浅野安芸守綱長]]家臣太田七郎左衛門正友、[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]（[[5月8日|8日]]）には[[広島藩#三次藩|三次藩]]主・[[浅野長澄|浅野土佐守長澄]]家臣の内田孫右衛門、[[4月6日 (旧暦)|6日]]（[[5月13日|13日]]）には戸田家家臣の戸田権左衛門、杉村十太夫・里見孫太夫、[[4月8日 (旧暦)|8日]]（[[5月15日|15日]]）には戸田家家臣の大橋伝内、[[4月9日 (旧暦)|9日]]（[[5月16日|16日]]）には広島浅野家家臣、井上団右衛門・丹羽源兵衛・西川文右衛門、[[4月11日 (旧暦)|11日]]（[[5月18日|18日]]）には戸田家の高屋利左衛門・村岡勘助、広島浅野家の内藤伝左衛門・梅野金七郎・八木野右衛門・長束平内・野村清右衛門・末田定右衛門、[[4月12日 (旧暦)|12日]]（[[5月19日|19日]]）には戸田家の正木笹兵衛・荒渡平右衛門、三次浅野家の永沢八郎兵衛・築山新八）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で大野と原兄弟の対立はますます激化し、ついに12日（19日）に[[大野九郎兵衛]]は赤穂から逃亡して去っていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
肝心の[[大石良雄|大石内蔵助]]自身はどうかというと、内心では開城してお家再興派であったのだが、これを主張すればとても収まりがつかないことはわかりきっていた。そこで最初は篭城を主張して原惣右衛門ら篭城派の支持を獲得して、次いで藩士一同の[[殉死]]を主張して、最後には吉良への仇討ちを前提とした開城へと原たちを誘導していくというやり方をとった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このやり方が功を奏して赤穂家中は開城に意見がまとまったのであった。なお大石内蔵助は切腹に同調した藩士80人～60人（内蔵助へ神文血判を提出した人数は文献によって異なる）から誓紙血判を受けて義盟を結ぶのだが、ドラマなどでは赤穂城でおこなったもののように描かれているが、実際には赤穂城退去後に各自彼らに提出させたものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 赤穂城開城 ==&lt;br /&gt;
[[画像:赤穂城本丸門.jpg|thumb|赤穂城本丸門]]&lt;br /&gt;
[[赤穂城]]は開城されることとなり、内蔵助らは[[4月15日 (旧暦)|15日]]（[[5月22日|22日]]）に到着した収城目付・[[荒木政羽]]と[[榊原政殊]]を迎えた。内蔵助はさっそくこの2人と会見し、[[大野知房|大野九郎兵衛]]にかわって組頭・[[奥野定良|奥野将監定良]]を家老代理にすることの許可をもらった。[[4月17日 (旧暦)|17日]]（[[5月22日|24日]]）には代官の[[石原正氏]]と[[岡田俊陳]]も赤穂に到着。[[4月18日 (旧暦)|18日]]（[[5月25日|25日]]）にはこの4人による[[赤穂城]]検分が行なわれたが、この際に内蔵助は3回にわたって浅野内匠頭の弟・[[浅野長広|浅野大学長広]]をもっての浅野家再興の取り成しを嘆願した。3回目の嘆願でようやく[[荒木政羽]]が浅野家再興を[[老中]]に取り次ぐ事を約束する。同日、収城使[[脇坂安照|脇坂淡路守安照]]率いる4,500余りの[[竜野藩]]兵が赤穂に到着。翌[[4月17日 (旧暦)|19日（[[5月26日|26日]]）に内蔵助は[[赤穂城]]を無血開城した。城明渡しに際して、内蔵助の対応は実に見事なものであったといわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[赤穂城]]開城後、内蔵助をはじめとする藩士たちは遠林寺に入って、[[5月21日 (旧暦)|5月21日]]（[[6月26日]]）まで藩政残務処理に追われた。またこのあとも内蔵助は腕に出来た腫れ物の療養のためにしばらく赤穂に滞在している。しかしこの間もお家再興運動は積極的におこない、[[原元辰|原惣右衛門]]らを大坂へ派遣して[[広島藩]]浅野家の家老・戸島保左衛門と会見させたり、遠林寺の住職・[[祐海]]を江戸に遣わして将軍・[[徳川綱吉]]やその生母・[[桂昌院]]に影響力が大きい[[隆光]]・大僧正らに会見させるなどした。また先に浅野家再興の嘆願を取りなして欲しいと依頼した[[荒木政羽]]も江戸帰国後に[[老中]]・[[若年寄]]に取り成しを行ってくれた。荒木は[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]（[[7月14日]]）に赤穂浅野家分家筋の旗本[[浅野長恒]]の屋敷を訪れて、「浅野家再興の見込みあり」の旨を内蔵助に伝えて欲しいと伝言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月12日 (旧暦)|12日]]（[[7月17日|17日]]）、腫れ物がおさまった内蔵助はついに生まれ故郷の赤穂を後にすることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 江戸詰めの藩士の動き ==&lt;br /&gt;
一方、刃傷後の江戸詰めの赤穂藩士達はどうであったか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月14日（4月21日）午前10時の殿中[[刃傷事件]]で赤穂浅野家の鉄砲洲上屋敷は大慌てとなったのは言うまでもない。[[浅野内匠頭]]の弟・長広は即刻伝奏屋敷から上屋敷に駆けつけたが、浅野内匠頭の正室・[[阿久里]]（のちの瑤泉院）から「上野介の生死はどうなのですか?」と問われても答えられないほどに狼狽していたと言われる。午後2時頃、浅野長広は書状を国家老[[大石内蔵助]]にしたためて、[[早水藤左衛門]]と[[萱野三平]]を第一の急使として赤穂へ派遣した。また午後5時頃には一関藩田村家より浅野内匠頭の遺体を引き渡したいから家臣を送るようにという使者が浅野長広に伝えられた。これを受けて[[片岡源五右衛門]]・[[礒貝十郎左衛門]]・[[田中貞四郎]]・中村清右衛門・糟谷勘左衛門・建部喜六らが田村邸へ入り、内匠頭の遺体を引き取った。彼らはそのまま[[泉岳寺]]へ向かい、同寺で内匠頭の葬儀を執り行ったが、大名のものとは思えぬ淋しいものであった。この後、片岡源五右衛門・礒貝十郎左衛門らは、浅野内匠頭の墓前で髻を切って[[吉良上野介]]の首級をあげることを泉下の主君に誓うのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またこの日の晩、無法な町人40人から50人程度が浅野家の鉄砲洲上屋敷裏口に乱入する。改易を聞きつけた火事場泥棒である。この連中は[[堀部武庸|堀部安兵衛武庸]]らが刀を持って追い払ったが、もはや上屋敷は危険な状態なので浅野家親族の大名・戸田采女正氏定（大垣藩主10万石）と[[浅野綱長|浅野安芸守綱長]]（広島藩主42万石）に警備の兵を依頼。15日（22日）明朝には広島浅野家から士分15人足軽100人、戸田家から足軽100人が送られてきたのでようやく上屋敷は治安を取り戻した。[[3月16日 (旧暦)|16日]]（[[4月23日|23日]]）中に赤穂藩士全員上屋敷から引き払ったので、17日には同屋敷は戸田氏定から新しい主となった[[出羽国]][[新庄藩]]主・[[戸沢正誠|戸沢上総介正誠]]に引き渡された（さらに22日（27日）には[[小浜藩]]主・[[酒井忠囿|酒井靭負佐忠囿]]の屋敷となった）。なお内匠頭正室の[[阿久里]]が暮らす[[南部坂]]下屋敷のほうは、14日（21日）夜に[[阿久里]]が実家である[[広島藩#三次藩|三次藩]]主[[浅野長澄|浅野式部少輔長澄]]に引き取られ、18（25日）日には藤井又左衛門・富森助右衛門らが同屋敷を[[人吉藩]]主[[相良長在|相良遠江守長在]]に引き渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、江戸詰めの藩士たちは[[安井彦右衛門]]や[[藤井宗茂|藤井又左衛門]]など真っ先に赤穂藩から逃亡した輩を除いて、多くが[[吉良上野介]]を主君に代わって討つべしと主張するようになった。特に剣豪として江戸で名を馳せていた[[堀部安兵衛]]、[[高田又兵衛]]の子孫であり槍の達人の[[高田郡兵衛]]、堀部の剣の同門である[[奥田孫太夫]]など腕自慢の藩士たちが強硬に吉良上野介の首級をあげるべきことを主張する。また[[片岡源五右衛門]]・[[礒貝十郎左衛門]]・[[田中貞四郎]]ら浅野内匠頭の寵愛を受けた側近達も強硬に仇討ちを主張した。しかしこの両グループはうまくいかなかった。前者は自分の腕前を天下に披露したいという武芸者であり、後者は自分を寵愛してくれていた主君へ恩返しがしたい寵臣であり、それぞれ思惑が微妙に異なったからであろう。結局、片岡らは江戸を飛び出して、[[3月27日 (旧暦)|27日]]（[[5月4日]]）に赤穂へ入り、そこで同志を募ろうとしたが、この頃、[[赤穂城]]では[[大石内蔵助]]のもと殉死切腹が主流であったため、片岡らの吉良を討つという主張は受け入れられなかった。結局、赤穂も飛び出して江戸へ戻り、以降は独自に吉良上野介の首を狙った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、赤穂城開城直前の[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]（[[5月21日|21日]]）に堀部安兵衛・高田郡兵衛・奥田孫太夫たちも赤穂へ入った。ただちに内蔵助はじめ重臣達に会見を申し込んで[[吉良上野介]]への仇討ちを主張したが、大石らからは「上野介へ仇討ちはするが、まず大学様のお家再興をしなければならない。時期を見よ。」と諭された。一応納得して、5月に江戸へ帰っていった。しかし江戸へ帰った後も堀部達は吉良への仇討ち計画をどんどん進め、内蔵助に江戸下向を迫り続ける。こうしたお家再興よりも吉良家への仇討ちを優先する勢力は、江戸詰めの藩士たちに多かったため、彼らを江戸急進派と呼んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こののち大石内蔵助と江戸急進派の軋轢は徐々に深まっていくこととなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 御家再興運動から円山会議 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Oishikuranosuke.jpg|thumb|内蔵助像]]&lt;br /&gt;
赤穂を離れた後の7月、内蔵助は[[山城国]][[山科区|山科]]に隠棲した。山科は摂関近衛家の家領であり、内蔵助親戚の同志[[進藤俊式|進藤源四郎俊式]]の一族である[[進藤長之|進藤刑部大輔長之]]（近衛家諸大夫）が管理している領地だった。この関係で近衛家に顔が利く進藤源四郎が山科に居を定めるよう内蔵助に勧めたものと見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山科に居を移した直後の内蔵助は、吉良家への仇討ちより浅野家お家再興を優先した。[[小野寺秀和|小野寺十内秀和]]とともに[[美濃国]][[大垣城]]へ赴いて[[戸田氏定]]に拝謁して浅野家再興を嘆願。また江戸で浅野家再興運動中の遠林寺住職[[祐海]]とも書状で連絡を取り合った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし江戸では吉良が本所松坂に屋敷代えとなり、[[12月12日 (旧暦)|12月12日]]（[[1702年]][[1月9日]]）に家督を養子[[吉良義周|左兵衛義周]]に譲って隠居していた。吉良上野介が実子の[[米沢藩]]主・[[上杉綱憲]]の国許に移るという噂もあり、堀部安兵衛ら江戸急進派は一刻も早い仇討ちの実行を主張した。大石内蔵助は江戸急進派鎮撫のため、9月下旬に[[原惣右衛門]]（300石足軽頭）・[[潮田又之丞]]（200石絵図奉行）・[[中村勘助]]（100石祐筆）らを江戸へ派遣、続いて[[進藤源四郎]]（400石足軽頭）と[[大高源五]]（20石5人扶持腰物方）も江戸に派遣した。しかし彼らは逆に[[堀部安兵衛]]に論破されて急進派になってしまったため、10月に大石内蔵助が自身で江戸へ下向した（第一次大石東下り）。江戸三田前川忠大夫宅で堀部と会談し、浅野内匠頭の一周忌になる明年3月に決行を約束した。またこの際にかつて赤穂藩を追われた[[不破数右衛門]]が一党に加えてほしいと参じたため、大石は内匠頭の眠る泉岳寺へ参詣した際に主君の墓前にて不破の浅野家への帰参と同志へ加えることの許可を得た。この江戸下向で[[荒木政羽]]や内匠頭正室の[[瑤泉院]]とも会見している。江戸で一通りやるべきことを終えた大石は、12月には京都へ戻っていった。しかし帰京後から大石内蔵助の伏見撞木町などでの放蕩が激しくなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また年末からは脱盟者も出始めた。同志の1人[[萱野三平]]は父・萱野七郎左衛門と浅野家への忠孝の間で苦悩して自害。[[橋本平左衛門]]も[[遊女]]はつと恋仲となり、忠義を捨てて彼女と心中してしまった。また江戸急進派の中心人物[[高田郡兵衛]]も[[内田元知|内田三郎右衛門]]との養子縁組騒動を機に脱盟。これは江戸急進派の顔を失わせる結果となり、その発言力を弱めさせた。内蔵助はこれを好機として[[元禄]]15年（[[1702年]]）2月の山科と円山での会議において「大学様の処分が決まるまで決起しない」ことを決定。[[吉田忠左衛門]]（200石加東郡郡代）と[[近松勘六]]（馬廻250石）を江戸に派遣して江戸急進派にこれを伝えた。しかし江戸急進派は納得せず、内蔵助をはずして独自に決起することを模索しつつ、ついに6月には江戸急進派頭目[[堀部安兵衛]]が自ら京都へ乗り込んでくる。「もはや大石は不要」として内蔵助を斬り捨てるつもりだったとも言われる。しかしちょうどこの頃、遠林寺の祐海などを通じて内蔵助もお家再興が難しい情勢を知った。また[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]（[[8月11日]]）、幕府は浅野大学長広にたいして[[広島藩]]お預かりを言い渡した。ここにお家再興は絶望的となり、吉良家への仇討ち以外の道は消え去ったわけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月28日 (旧暦)|28日]]（[[8月21日|21日]]）、内蔵助は堀部安兵衛も招いて[[京都]]円山で同志との会議を開き、本所吉良屋敷への討ち入りを決定した（円山会議）。その後、堀部安兵衛はこれを伝えるべく江戸へ戻り、また大石内蔵助はお家再興だけを目当てに盟約を参加していた者がいるであろうことを鑑みて、[[大高源五]]と[[貝賀弥左衛門]]に同志を訪ねさせて義盟への誓紙を一度返却させ、命が惜しい者に盟約から抜けるチャンスを与えた。すると、[[奥野定良|奥野将監]]など高禄だった者や[[進藤源四郎]]や[[小山源五左衛門]]など内蔵助親族だったものが次々と脱盟した。源五たちは誓紙の返還を拒んだ者にのみ仇討ちの真意を伝えた（神文返し）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月7日 (旧暦)|10月7日]]（[[11月25日]]）、内蔵助は江戸へ出立する。&lt;br /&gt;
=== 内蔵助の放蕩 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Yasaka Jinja.jpg|thumb|京 [[八坂神社|祇園社]]]]&lt;br /&gt;
忠臣蔵では内蔵助は[[祇園]]で連日放蕩三昧に興じるが、それは仇討ちの真意を隠し、吉良側を欺くためだったとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際には内蔵助は赤穂時代から遊び好きで妾を囲い、遊興の浪費が絶えなかった。山科に移ってからも伏見の遊女のもとに通いつめ、島原、大阪新町でも遊んでいる。若い妾まで囲い、妻の[[大石りく|りく]]は家計の窮状を[[豊岡市|豊岡]]の実家に訴えている。実家側の強い訴えでりくを離別して幼い子どもたちと豊岡へ帰している。こんな放蕩三昧の内蔵助が、本気で仇討ちを考えているとは人々は思いもしなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 討ち入り ==&lt;br /&gt;
[[Image:Kuniyoshi Utagawa, The Chushingura.jpg|thumb|300px|忠臣蔵十一段目夜討之図、[[歌川国芳]]作]]&lt;br /&gt;
[[画像:Sengakuji2.jpg|thumb|right|泉岳寺本堂（東京都港区）]]&lt;br /&gt;
[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]（[[12月23日]]）、内蔵助の一行は江戸に到着。内蔵助は本所吉良屋敷を同志に探らせ、吉良邸討ち入りの日取りや装束、合言葉などを定めた。12月14日（1703年1月30日）に茶会があることを源五が聞き出し、討ち入りは14日（30日）の夜と決まる。最終的に同志は47名となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
14日（30日）夜（雪が降っていたというのは『[[仮名手本忠臣蔵]]』での脚色で、実際は冷え込みが厳しかったがほぼ満月の快晴だったといわれている）、47人の赤穂浪士は江戸市中3ヶ所に集合して、[[本所 (墨田区)|本所]][[本所松坂町公園|吉良屋敷]]へと向かった。なお、実際に襲撃したのは現在の感覚で言えば翌[[12月15日 (旧暦)|15日]]（[[1月31日|31日]]）に入っての未明午前4時頃であったが、江戸時代の慣習では翌日の日の出までを1日の区切りとしたため、当時の感覚としては「14日の斬り込み」となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
寅の刻（午前4時）、表門からは大石内蔵助以下23名が用意の梯子で邸内に侵入して内側から門を開け、「浅野内匠家来口上」を玄関前に打ち立てて乱入し、裏門からは大石内蔵助の嫡男・[[大石主税|主税]]以下24名が門を叩き壊して侵入。赤穂浪士は、寝込みを襲われ半睡状態に近い吉良家の家臣を次々と斬り伏せた。吉良家にも幾人か勇士がいたが、鎖帷子を着込み完全武装の赤穂浪士には敵わなかった。当主・吉良左兵衛も薙刀を持って戦うが斬られて重傷を負う。赤穂浪士たちは大声を上げながらあたかも百人以上の大勢が討ち入ったかによそおい、また用意していた鎹（かすがい）を吉良家家臣の住む長屋の戸に打ち付けて閉じてしまった。このため、吉良家家臣の多くが外に出られなくなってしまったとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裏門隊が寝所に至るが吉良上野介の姿はなかった。赤穂浪士は障子を蹴破りながら屋敷中を吉良の行方を追い、1時間あまり、屋敷内をくまなく探すが吉良上野介は見つからなかった。夜も明け始め、上杉家から援軍の到着の心配もあった。全員自決をも覚悟するが内蔵助はなおも諦めず、吉良を探すことを命じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
卯の刻（午前6時）ごろ、吉田忠左衛門や間十次郎らが台所横の炭小屋からヒソヒソ声がするのを聞いたため、早水藤左衛門が矢を射掛けると中から皿鉢や炭などが投げつけられ、さらに2人の吉良家臣たちが中から斬りかかってきた。この2人を切り伏せたあと、尚奥で動くものがあったためまず[[間十次郎]]が初槍をつけた。これが義央だった。義央は「もはやこれまで」と玉砕覚悟で脇差で斬りかかったが、あっさりと[[武林唯七]]に斬り捨てられて絶命した（但し、吉良の最期については最後まで奮戦した後に力尽きて斬られたとする説もある）。合図の笛が鳴らされ、内蔵助たちが駆けつける。死体を見分すると額と背中に浅野内匠頭が松之大廊下の刃傷でつけた傷跡があった。吉良に相違ない。このとき赤穂浪士たちが男泣きする声を隣家・[[土屋主税]]邸が聞いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一番槍である十次郎が吉良の首をはね、その首は潮田又之丞の持つ槍の先に掲げられた。邸内の火の始末をしたあと吉良邸を出て、辰の刻（午前8時）浅野内匠頭の墓がある[[泉岳寺]]に着き、墓前に吉良上野の首級を供え、仇討ちを報告した（この際に足軽・[[寺坂吉右衛門]]が立ち退いており、赤穂浪士は46人となっていた）。&lt;br /&gt;
=== 山鹿流陣太鼓と装束 ===&lt;br /&gt;
[[山鹿素行]]が赤穂に配流になった縁で藩主が山鹿素行に師事し、赤穂藩は[[山鹿流]]兵法を採用していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
雪の降りしきる夜、赤穂浪士は袖先に山形模様のそろいの羽織を着込み、内蔵助が「一打三流」の山鹿流陣太鼓を打ち鳴らす。吉良家の剣客・[[清水一学]]がその太鼓の音を聞いて「あれぞまさしく山鹿流」と赤穂浪士の討ち入りに気づくのが映画やテレビドラマ、演劇の定番である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際には赤穂浪士は合図の笛と鐘は用意したが、太鼓は持っていなかった。門を叩き壊す（破っている）時の音が『仮名手本忠臣蔵』で陣太鼓を打ち鳴らす音に変わったのではないかといわれている。また山形模様は『仮名手本忠臣蔵』の衣装に採用されて広く認知されるようになった（先行作でも使用が確認されている&amp;lt;ref&amp;gt;忠臣蔵とは何か 丸谷才一&amp;lt;/ref&amp;gt;）。実際には赤穂浪士は討ち入りの際は火事装束に似せた黒装束でまとめ、頭巾に兜、黒小袖の下は鎖帷子を着込んだ完全武装だった。羽織などの着用もばらばらだったといわれている。山形模様ではないが、袖先には小袖と羽織をまとめるため、さらしを縫い付けている者もいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 吉良家臣の奮戦 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Honjomatsuzakacho park.jpg|thumb|right|[[本所松坂町公園|吉良屋敷]]跡]]&lt;br /&gt;
吉良家の剣客と言えば[[小林平八郎]]と[[清水一学]]が有名である。吉良上野介の身代わりとなって奮戦する小林平八郎。泉水にかけられた橋の上で二刀を構えた清水一学が赤穂浪士を大いに苦しめ、赤穂浪士第一の剣客堀部安兵衛と大立ち回りを演じる場面が忠臣蔵ものではよく描かれている。しかし上杉家家臣が編纂した「大河内文書」によると、小林平八郎は逃げようとしたところを赤穂浪士につかまり、「上野介はどこか?」「身分が低い家臣なので知りません」「身分の低い家臣がなぜ絹の寝巻きなど着ている?」という問答の末に首をはねられたとされている。また清水一学の方も台所で数合斬りあって討たれたとされており、特に活躍したとはされていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大河内文書が最も目覚しい働きがあったとしている家臣は[[新貝弥七郎]]と[[山吉新八郎]]である。新貝は玄関口で奮戦して討死し、山吉はより奮戦して[[近松勘六]]を斬り捨てて庭の池に叩き落したという。山吉は重傷を負ったものの、一命をとりとめ、吉良家断絶後も[[吉良義周]]にしたがって配流先の[[信濃国]][[諏訪藩]]へお供した。彼らはいずれも上杉家から吉良義周にしたがって吉良家へ移ってきた元上杉家家臣である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時18歳の吉良家当主の[[吉良義周|吉良左兵衛義周]]は[[薙刀術|薙刀]]を持って、赤穂浪士の剣客のひとりである[[武林唯七]]（一説に[[堀部安兵衛]]）と果敢に渡り合ったが、斬られて目に血が入り、気を失ったという。事件後に来た幕府の検分役に重傷の身で気丈に応対して、検分役を感心させている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
吉良家は死者16人（[[小林平八郎|小林平八郎央通]]、[[清水一学|清水一学義久]]、[[鳥居利右衛門|鳥居利右衛門正次]]、[[新貝弥七郎|新貝弥七郎安村]]、[[須藤与一右衛門]]、[[斎藤清右衛門]]、[[左右田源八郎]]、[[大須賀次郎右衛門]]、[[小境源次郎]]、[[鈴木元右衛門]]、[[笠原七次郎]]、[[榊原平右衛門]]、[[鈴木松竹]]、[[牧野春斎]]、ほか足軽2名）、負傷者23人であった。対して赤穂浪士は数人の負傷だけだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、討ち入りの時に生き残ってしまったために「途中で逃げ出した」とする悪評を立てられた吉良家家老の[[左右田孫兵衛]]も討ち入り後も配流された吉良義周のために尽くし、その死後は生涯他家への仕官を断った事から、吉良家への忠節を尽くした家臣としてその汚名を雪ぐことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
徒党を組み、不意打ちした集団テロとも言える赤穂浪士たちに対し、不利な形勢を承知で、主君を守るべく奮戦した吉良家の家臣たち（武士ではないのに火鉢を投げつけるなど抵抗した茶坊主も含む）こそ真の忠臣ではないかとの見方もある（当時、徒党を組むことは禁止されていたが、赤穂浪士の討ち入りに関して評定所は「本懐を遂げる為にはやむを得なかった」として罪に問わなかったと言う）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 上杉家と吉良家 ===&lt;br /&gt;
[[米沢藩]]主・[[上杉綱憲]]は吉良上野介の実子である。赤穂浪士の討ち入りを知った綱憲がいきり立って父の援軍に出馬しようとするところを家老[[千坂高房|千坂兵部]]（または[[色部安長|色部又四郎]]）が強く諫言しておしとどめる場面が忠臣蔵の物語では有名である。実際には、千坂兵部は元禄13年（[[1700年]]）に死去しており、色部又四郎は父親の喪中で出仕しておらず、上杉家の縁戚である高家・[[畠山義寧]]が綱憲を止めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
綱憲は江戸では赤穂の浪人が多く危険であることから上野介に米沢へ隠居するよう勧めていた。14日（30日）の吉良屋敷での茶会は江戸での別れの茶会であったとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤穂浪士は討ち入りに際して上杉家からの援軍と、引きあげ時の追撃を警戒していた。上杉家では藩邸に討ち入りの報が入ると、直ちに数人を出して様子を探らせ、赤穂浪士に対抗できるだけの人数を集めていた。そうしているうちに吉良上野介が討ち取られて、赤穂浪士たちは引きあげてしまったという報告が入った。上杉家では行方を追ったが知れなかった（大石内蔵助の上杉の追撃をかわす策が成功した）。映画などでは引き上げの途上で路上で庶民が歓呼を以って義士を迎える場面があるが、これもありえない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがて、幕閣から上杉家へ赤穂浪士の処分は幕府が行うので上杉家は手出ししないよう命じられてしまった。上杉家は幕府の命に従う外なかったが、世間からは腰抜けと冷笑された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 四十六士切腹 ==&lt;br /&gt;
[[Image:!!!!大石良雄等自刃の跡0141.JPG|thumb|right|[[大石良雄]]等自刃の跡]]&lt;br /&gt;
[[Image:SengakujiIncense.jpg|thumb|250px|right|[[赤穂浪士]]の墓]]&lt;br /&gt;
大石内蔵助は[[吉田忠左衛門]]らを[[大目付]]・[[仙石久尚|仙石伯耆守]]のもとに出頭させ口上書を提出し、幕府の裁定に委ねることにした。幕府は46人の赤穂浪士をいったん泉岳寺から仙石伯耆守の屋敷に引き揚げさせて、それから[[細川綱利|細川越中守]]、[[松平定直|松平隠岐守]]、[[毛利綱元|毛利甲斐守]]、[[水野忠之|水野監物]]の4大名家に預けさせた。各大名家は赤穂浪士を義士として手厚く迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤穂浪士の討ち入り行為を義挙として江戸の武士は熱烈に賞賛した。本来、徒党を組んでの討ち入りは死罪に値するものの、忠義を奨励していた将軍綱吉や[[側用人]][[柳沢吉保]]をはじめとする幕閣は死罪か助命かで対応に苦慮した。また、当初は幕閣の中にも「夜中に秘かに吉良を襲撃するは夜盗と変わる事なし（夜盗の場合は[[磔]][[獄門]]となる）」と唱えた者もいたとされている。しかし中でも大目付[[仙石久尚|仙石伯耆守久尚]]・町奉行[[松前嘉広|松前伊豆守嘉広]]・勘定奉行[[荻原重秀|荻原近江守重秀]]などの幕閣は、この類を見ない主君仇討ち事件に大いに感激した。彼らを中心に構成する将軍の諮問機関である幕府評定所は[[12月23日 (旧暦)|12月23日]]（[[2月8日]]）に「一、内匠頭には少々存念があったようなので、その意を家臣が達するためにやむをえずに大勢で示し合わせた場合は徒党とは言いがたい。一、内匠頭家臣達は真の忠義者であるので、このままお預りにしておき、いずれは赦免するべき。一、吉良上野介家臣達で戦わなかった者はサムライとは認められないので斬罪に処すべき。一、上杉綱憲は父親の危機に何もしなかったので領地召し上げ。」という浅野家寄りの意見書を将軍綱吉に提出するほどであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
学界でも議論がかわされ、[[林信篤]]や[[室鳩巣]]は義挙として助命を主張し[[荻生徂徠]]は天下の法を曲げる事はできずとして、武士の体面を重んじた上での切腹を主張する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうしたなかで将軍綱吉は徐々に助命に傾くが、かつての自分の裁断が過ちだったことを認めてしまうことにもなりかねないので、そのときたまたま江戸へ下向中だった皇族[[公弁法親王]]に拝謁してそれとなく法親王から恩赦を出すよう依頼するに至った。皇族からの恩赦なら将軍家の権威に傷が入る事もないからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし法親王は言った。「亡君の意思を継いで主が仇を討とうというのは比類なき忠義のことだとは思う。しかしもしこの者どもを助命して晩年に堕落する者がでたらどうであろうか?おそらく今回の義挙にまで傷が入ることになるであろう。だが、今、死を与えれば、後世までこの話は語り継がれていくことになるだろう。時には死を与える事も情けとなる。」と。もっともなことだと考えた将軍綱吉は赤穂浪士へ切腹を命じることに決意した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元禄16年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]（[[3月20日]]）、4大名家へ切腹の命が伝えられる。また同日、幕府評定所の[[仙石久尚|仙石伯耆守久尚]]は吉良家当主の[[吉良義周]]を呼び出し、吉良家[[改易]]と義周の[[信濃国|信州]][[諏訪藩]]高島への配流の処分を下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
46人の赤穂浪士はその日のうちにお預かりの大名屋敷で切腹。遺骸は主君[[浅野長矩|浅野内匠頭長矩]]と同じ[[泉岳寺]]に埋葬された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤穂浪士の遺子のうち15歳以上の男子は[[流罪]]となった（[[出家]]した者を除く）。[[宝永]]3年[[1月20日 (旧暦)|1月20日]]（[[1706年]][[3月4日]]）、吉良左兵衛が配流地で死去。ここに三河吉良家の宗家は絶えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宝永6年[[1月10日 (旧暦)|1月10日]]（[[1709年]][[2月19日]]）、将軍綱吉が死去し[[徳川家宣|家宣]]が将軍を継ぐと、恩赦が出され赤穂浪士の遺子たちも放免となった。同年8月、浅野大学は赦免され、500石を拝領して再び[[旗本]]となり、[[寄合]]に列せられた。[[正徳 (日本)|正徳]]3年（[[1713年]]）、内蔵助の三男・[[大石大三郎|大三郎]]が[[広島市|広島]]の浅野宗家に1,500石で召抱えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
=== 「不忠臣」のその後 ===&lt;br /&gt;
300人以上の元赤穂藩士のうち九割が討ち入りに参加していない。討ち入りに参加した藩士が義士として称えられれば称えられるほど、その反動として、討ち入りに参加しなかった者とその家族に対しては幕末まで厳しい批判が向けられることになっていった。脱盟者で後に仕官が適った者は[[大石信興]]以外には確認されていない。たとえば[[小山田庄左衛門]]の父・[[小山田一閃]]は息子が同志[[片岡源五右衛門]]から金を奪って逃げだしたことを恥じて自害しており、また[[岡林直之|岡林杢之助]]も兄の旗本・[[松平忠郷]]から義挙への不参加を責められ切腹させられた。旗本内田家の養子に入ったはずの[[高田郡兵衛]]も悪評に耐えかねた養父・[[内田三郎右衛門]]に家を追い出されるなどしている。元赤穂藩士たち、およびその子孫は町人からさえ「義挙に加わらなんだ不忠者」と蔑まれ、味噌、醤油さえ売ってもらえず、出自を隠して変名を名乗る他なかったとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
但し江戸時代、同様の事件で改易、取り潰しにあった大名家の家臣で徒党を組んで正面切って意趣返しをしたのは本事例のみで、その他の浪人に対し討ち入りをしなかったことに対し倫理的な批判が向けられたわけではないことには留意すべきであろう。すなわち、改易、取り潰しを受けた藩の武士が主人の仇を返すことは、当時の規範として確立していた倫理ではなかったと言うことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不忠臣と言われた大多数の赤穂藩士にしてみれば、一部の藩士が討ち入りをしたばかりに自分たちが厳しい批判を受けることになったと言えるのではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 当時の評価 ===&lt;br /&gt;
* 事件当時において、この事件がどの程度知られていたかは諸説ある。「事件直後はあまり知られていなかった」とも「事件直後から有名だった」とも言われる。その当時の市井の状況を事細かに記した尾張藩士の日記『[[鸚鵡籠中記]]』には、刃傷と浅野内匠頭切腹、赤穂城明け渡し、吉良邸討ち入りの3点のみ（浪士切腹は記述なし）が簡潔に記述されているので、少なくとも名古屋城下までは噂になっていたらしいが、それが美談として評価されたとは考えられない。また「かわら版物語」によると、浪士の姓名が書いてある瓦版が江戸に出回ったという話は間違いないようだ。「赤穂分限帳」（あだ討ちに参加した者、変心した者、切腹した者、赤穂を退散した者を区別して書いている）や「赤穂義士後日譚」（義士の肖像・戒名が書かれている）の2枚の瓦版が同書に収められている。また切腹が決まった際には、これに反感を持つものが増え、日本橋に幕府が立てていた高札に悪戯するものが現れた事件が発生している。&lt;br /&gt;
* 現在はあまり言及されないが、実は当時の赤穂浅野家の領地での評判は極めて悪かった。外様の分家5万石に過ぎない身代にも関わらず、祖父の代に赤穂城を幕府に懇願してまで築城したため（「一国一城令」の後の話である）、赤穂藩の財政は逼迫しそれは内匠頭の代にも持ち越され、年貢の取立ては苛烈を極めていた。浅野家断絶を知った領民は餅を搗いて祝ったという記録すらある。&lt;br /&gt;
* 吉良の領地であった愛知県吉良町では図々しさは職務だけの様で、名君と慕われていた。『忠臣蔵』が演じられると肩身の狭い思いを強いられることになった。また、事件のあった彼の屋敷周辺では死を悼むものが多かった。地域住民から羽振り良く物を買ったり、また困った者が居たら家来を通じて金品を与えて生活難を助ける人柄だった。その後の屋敷周辺の落書等の被害は『忠臣蔵』を見る等をして、他地域から来た者の仕業であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 幕府裁定の正当性 ===&lt;br /&gt;
主君である浅野内匠頭だけが切腹となり、吉良上野介に咎めがなかったのは「[[喧嘩|喧嘩両成敗]]」に反すると浅野家の家臣達が憤慨したと言われている。確かに江戸前期の刃傷事件には喧嘩両成敗の“判例”がいくつか存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元禄赤穂事件以前に起こった江戸城内での刃傷沙汰には次のものがある。&lt;br /&gt;
* [[寛永]]4年（[[1627年]]）：小姓組[[猶村孫九郎]]が、西の丸で木造氏、鈴木氏に切りつけた事件。鈴木は死亡。木造は助かった。喧嘩両成敗により猶村は切腹改易、鈴木と木造も改易となった。&lt;br /&gt;
* 寛永5年（[[1628年]]）：[[目付]][[豊島明重|豊島刑部少輔明重]]が、西の丸表御殿で縁談のもつれから[[老中]][[井上正就]]に斬りつけ、正就と制止しようとした[[青木忠精]]を殺害し、その場で自害した'''豊島事件'''。&lt;br /&gt;
* [[貞享]]元年（[[1684年]]）：[[若年寄]][[稲葉正休|稲葉石見守正休]]が、本丸で[[大老]][[堀田正俊|堀田筑前守正俊]]を殺害し、正休もその場で殺害された事件。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
江戸城外でも刃傷事件が発生している。&lt;br /&gt;
* [[慶長]]14年（[[1609年]]）：[[水野忠胤]]の屋敷で、久米左平次（大番士）が[[松平忠頼]]（[[遠江国]][[浜松藩]]主）と服部半八（大番士）に刃傷に及ぶ。久米と松平はその場で斬られて死んだ。喧嘩両成敗により久米家と松平家はともに改易に処され、服部も捕らえられて切腹改易となった。また直接は関係ない水野も切腹となった。原因は囲碁の勝負に松平が口を挟んだためであった。&lt;br /&gt;
* [[延宝]]8年（[[1680年]]）6月26日、四代将軍[[徳川家綱]]葬儀中の増上寺において長矩の母方の叔父にあたる[[内藤忠勝|内藤和泉守忠勝]]が[[永井尚長|永井信濃守尚長]]に対して刃傷に及んだ。内藤は切腹改易。永井は即死した。永井家も改易に処されたが、これは喧嘩両成敗ではなく無嗣のためであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
喧嘩両成敗は幕府前期の刃傷事件にはしばしば使われた法であったことが分かる。しかし、[[徳川家光]]の時代から[[徳川綱吉]]の時代まで長く刃傷事件はなかった。また綱吉時代に久々に起こった殿中刃傷にしても、被害者がその場で討たれたため、そもそも喧嘩か否かという問題にはならず、ただ加害者を切腹させればよいだけだった。つまり、刃傷事件で被害者も加害者もともに生き残った例が長く存在しなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤穂事件によって、幕府の喧嘩両成敗の基準は、家光までの時代と綱吉の時代で変わってしまったようだ。つまり、家光時代までは因果関係も含めて喧嘩と判断していたのが、綱吉は因果関係は問題とはせず事実関係のみを喧嘩の判断としたのである（斬りかかったのは浅野だけ・吉良は刀を抜いていない）。「喧嘩」の定義があいまいなので、その時の権力者が恣意的に解釈するしかないのが「喧嘩両成敗」であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも「喧嘩両成敗」は、秩序が崩壊した[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に誕生した慣習法であり、[[カブキ者]]が好んだ法であった。戦国武将でもある[[徳川家康]]や[[徳川秀忠]]はこれを幕法として採用したが、事件当時はすでに百年近い時を経た元禄の世である。戦国時代の残滓が残っているとはいえ、「武断政治」から「文治政治」への転換が図られて、「喧嘩両成敗」という理非を問わずに双方を処断するというやり方は、無実の人間を残虐な刑罰に晒す危険性があると当時の[[儒学者]]などからの批判もあったという。これも[[儒学]]を好んでいたとされる綱吉の判断にも影響を与えた可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後世にひとつだけ浅野と吉良の事件に似た刃傷事件が発生している。[[徳川吉宗]]の時代の[[享保]]10年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]（[[1726年]][[8月25日]]）に江戸城本丸で発生した事件である。[[水野忠恒 (大名)|水野忠恒]]（[[松本藩]]主7万石）が扇子を取りに部屋に戻ったところ、[[毛利師就]]（長府藩主5万7,000石）が拾ってくれたが、そのとき毛利は「そこもとの扇子ここにござる」と薄く笑ったため、水野は侮辱されたと思い、毛利を討とうと斬りかかった。しかし、水野は周りにいた者に取り押さえられ、水野も毛利も双方が助かってしまった。このとき将軍[[徳川吉宗]]は、水野を秋元喬房に預かりとして改易に処しながらも切腹はさせず、また親族の[[水野忠穀]]に信濃国佐久郡7,000石を与えて水野家を再興させた。そのうえで毛利家は咎めなしとした。その結果、水野家からも毛利家からも不満の声は上がらなかった。同じ事例でも[[徳川吉宗]]と[[徳川綱吉]]の違いがここにあると言われる（ただし、水野家は譜代の名門であり、単に吉宗が水野家をひいきしただけではないかとも言われる。もし立場が逆なら、毛利家を一方的に切腹改易に処していたかもしれない）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、この事件に関してはそもそも「喧嘩両成敗」というのは大きな間違いである。本件に関する幕府の裁定は浅野の殿中抜刀に対する処罰だけで、これは相手の生死や傷害の程度・抜刀の理由に関係なく、無条件に死罪となる。これに対して吉良は抜刀はしていないので理由の如何を問わず無罪である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 創作物 ==&lt;br /&gt;
忠臣蔵については「忠臣蔵」に詳説&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 小説&lt;br /&gt;
** [[芥川龍之介]]『[[或日の大石内蔵助]]』 （[[1921年]]）ISBN 4000919725&lt;br /&gt;
** [[大佛次郎]]『赤穂浪士』（[[1927年]]）ISBN 4829110228&lt;br /&gt;
** [[池宮彰一郎]]&lt;br /&gt;
*** 四十七人の刺客（[[1992年]]）上巻;ISBN 4043687036,下巻;ISBN 4043687044&lt;br /&gt;
*** その日の吉良上野介（[[1996年]]）ISBN 4043687052&lt;br /&gt;
*** 最後の忠臣蔵 ISBN 4043687109（『四十七人目の浪士』（[[1997年]]）ISBN 4101408130 改題）&lt;br /&gt;
** [[井沢元彦]]『元禄十五年の反逆』（[[1988年]]） ISBN 4106027054,文庫版（[[1992年]]） ISBN 410119212X&lt;br /&gt;
** [[宮部みゆき]] 『震える岩―霊験お初捕物控』&lt;br /&gt;
* 評論&lt;br /&gt;
** [[丸谷才一]] 『忠臣蔵とは何か』（1984年）ISBN 406196013X （忠臣蔵のみならず、事件の本質にも言及）&lt;br /&gt;
* 漫画&lt;br /&gt;
** [[杉浦日向子]]「ゑひもせす」&lt;br /&gt;
* アニメ&lt;br /&gt;
** 「[[タイムパトロール隊オタスケマン]]」 - 第49話「アターシャたち全員クビ!」（[[1981年]][[1月3日]]放送）でネタになっている。討ち入りを阻止するように歴史を改竄しようとする。&lt;br /&gt;
ドラマ&lt;br /&gt;
忠臣蔵。（テレビ朝日。）2015年12月7日から11日に再放送放送された。吉良はハットリ君のお父さんだった。主人公は義経の弁慶だった&lt;br /&gt;
バラエティー&lt;br /&gt;
バカ殿様。（2003年。12月。フジテレビ。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連書籍 ==&lt;br /&gt;
* [[重野安繹]]『赤穂義士実話』（武田文求堂・[[1889年]]）&lt;br /&gt;
* 西山松之助『図説 忠臣蔵』（[[河出書房新社]]ふくろうの本・[[1998年]]10月） ISBN 4309725872&lt;br /&gt;
* 伊東成郎『忠臣蔵101の謎』（[[新人物往来社]]・1998年11月） ISBN 4404026684&lt;br /&gt;
* 勝部真長『忠臣蔵大全―歴史ものしり事典』（[[主婦と生活社]]・1998年12月） ISBN 4391608529&lt;br /&gt;
* 『元禄赤穂事件』（[[学習研究社|学研]]歴史群像シリーズ57・[[1999年]]1月）ISBN 4056020086&lt;br /&gt;
* 『赤穂義士史料』全3巻（[[雄山閣出版]]・1999年1月）ISBN 4639015755&lt;br /&gt;
* [[吉田豊]]・佐藤孔亮『古文書で読み解く忠臣蔵』（[[柏書房]]・[[2001年]]12月） ISBN 4760121722&lt;br /&gt;
* 菊地明『図解雑学 忠臣蔵』（ナツメ社・[[2002年]]10月）ISBN 4816333592&lt;br /&gt;
* [[山本博文]]『忠臣蔵のことが面白いほどわかる本―確かな史料に基づいた、最も事実に近い本当の忠臣蔵!』（[[中経出版]]・[[2003年]]12月） ISBN 4806119237&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[赤穂浪士]] - 赤穂浪士の一覧&lt;br /&gt;
* [[忠臣蔵]]&lt;br /&gt;
* [[歌舞伎]]&lt;br /&gt;
* [[浪人 (武士)]]&lt;br /&gt;
* [[南部坂]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.age.ne.jp/x/satomako/TOP.htm 赤穂義士史料館]&lt;br /&gt;
* [http://www.city.ako.hyogo.jp/samurai/index.html 赤穂義士]&lt;br /&gt;
* [http://homepage1.nifty.com/longivy/note/top.htm#AK 赤穂事件関係]&lt;br /&gt;
* [http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geinohsi8.htm 「かぶき的心情」とは何か] - 赤穂浪士=かぶき者説&lt;br /&gt;
*[http://yaplog.jp/u-sugu/archive/368 世の中って不公平だな]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:元禄赤穂事件|*]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;margin:0.5em 0; background-color:#f6f6f6; border:1px solid #ccc; padding:3px; font-size:80%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
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&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>曽根崎心中</title>
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				<updated>2016-08-19T10:08:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;153.179.211.183: /* 外部リンク */ *[http://yaplog.jp/u-sugu/archive/368 世の中って不公平だな]&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[画像:ohatu_and_tokubei.jpg|thumb|200px|露天神の境内にあるブロンズ像]] &lt;br /&gt;
『'''曽根崎心中'''』（'''曾根崎心中'''、そねざきしんじゅう）とは[[近松門左衛門]]が書いた[[文楽|人形浄瑠璃]]や[[歌舞伎]]の演目として有名な物語である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 物語背景 ==&lt;br /&gt;
『曽根崎心中』は、[[元禄]]16年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]（[[1703年]][[5月22日]]）早朝に[[大阪市|大阪]][[堂島]]新地天満屋の[[遊女|女郎]]・はつ（21歳）と内本町醤油商平野屋の手代である徳兵衛（25歳）が[[梅田]]・[[曾根崎|曽根崎]]の[[露天神社|露天神]]の森で[[心中|情死]]した事件に基づいている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人形浄瑠璃『曽根崎心中』の初演は同年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]（[[6月20日]]）の[[道頓堀]]にある竹本座での公演であったが、そのときの口上によるとそれより早く[[歌舞伎]]の演目として公演されており、人々の話題に上った事件であったことがうかがわれる。[[宝永]]元年（[[1704年]]）に刊行された『心中大鑑』巻三「大坂の部」にも「曾根崎の曙」として同じ事件のことが小説の形で記されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この演目を皮切りとして、「心中もの」ブームが起こった。近松の代表作の1つである『[[心中天網島]]』も[[享保]]5年（[[1720年]]）に発表されている。しかし心中ものに共感した人々の間で心中ブームが起こってしまい、江戸幕府は享保8年（[[1723年]]）に上演を禁止すると共に心中した者の葬儀を禁止するなどの措置をとることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人形浄瑠璃史から見た『曽根崎心中』==&lt;br /&gt;
人形浄瑠璃というのはそれまで[[ヤマトタケル]]伝説や[[源義経|義経]]物語など人々によく知られた伝説や伝承を描くものであったが、近松はここに同時代の心中事件という俗世の物語を持ち込みこれまでの歴史物にたいして'''世話物'''といわれるジャンルを創り上げたといわれる。俗世の事件を脚色するというやり方は当時既に先例があったがこの作品を「最初の世話物」と位置づける本は『外題年鑑』などいくつかあり、それだけの評価を受けたということができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
短い物語ではあるが、俗世間の事件を浄瑠璃で描くという試みや作品としての面白さが受け『曽根崎心中』は当時の人々に大絶賛で迎えられた。『今昔操年代記』にはその結果、竹本屋が借金を返済してしまったとのエピソードが伝えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 現代に復活した『曽根崎心中』 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--演劇界でのアレンジとか海外公演とかも書けないでしょうか?--&amp;gt;[[画像:Ohatu Tokubei.jpg|thumb|記念碑]]&lt;br /&gt;
=== 復活公演 ===&lt;br /&gt;
江戸時代に初演を含め数回で禁止されたが、筋が単純であることもあって長く再演されないままだった。詞章は美しいため、[[荻生徂徠]]が暗誦していたとも言われる（[[大田南畝]]「一話一言」）。戦後の[[昭和]]28年（[[1953年]]）に歌舞伎狂言作者の[[宇野信夫]]が脚色を加え、復活した。人形浄瑠璃では昭和30年（[[1955年]]）1月に復活公演が行われた。&lt;br /&gt;
*'''歌舞伎'''：昭和28年（1953年）、東京の[[新橋演舞場]]での上演で再開。[[中村鴈治郎 (2代目)|中村鴈治郎]] ・中村扇雀（現・[[坂田藤十郎 (4代目)|坂田藤十郎]]）による。原作にない九平次の悪が露見する場面を入れ扇雀のお初の美しさによりヒット、以後何度も宇野版で上演されるようになった。&lt;br /&gt;
*'''人形浄瑠璃'''：昭和30年（1955年）1月、[[四ツ橋]]の[[文楽座]]での上演で復活（脚本脚色・作曲：[[野沢松之助]]）。お初：吉田栄三、徳兵衛：[[吉田玉男]]。原作をテンポなどにより原文からアレンジした。また江戸時代の初演時代には人形は2人で操作していたが、後に3人操作になっていたため足をつけるという演出がほどこされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 他ジャンルでの展開 ===&lt;br /&gt;
*'''映画『曽根崎心中』'''（昭和53年（[[1978年]]）、日本、監督：[[増村保造]]、脚本：増村保造+[[白坂依志夫]]）&lt;br /&gt;
::お初：[[梶芽衣子]]、徳兵衛：[[宇崎竜童]]、九平次：[[橋本功]]&lt;br /&gt;
*'''ROCK+文楽『曽根崎心中 PART2』'''（昭和55年（[[1980年]]））&lt;br /&gt;
::作詞・構成：阿木燿子、作曲：宇崎竜童、演奏：[[ダウン・タウン・ブギウギ・バンド|ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド]]&lt;br /&gt;
::昭和55年（1980年）、東京渋谷の[[ジャンジャン]]にて初公演。のちに大阪、沖縄でも公演が行われた。&lt;br /&gt;
*'''SUPER ROCK BUNRAKU 曽根崎心中'''（[[平成]]14年（[[2002年]]））&lt;br /&gt;
::作詞・構成：阿木燿子、作曲：宇崎竜童、演奏：新☆[[竜童組]]&lt;br /&gt;
::平成14年（2002年）に赤坂[[草月ホール]]で初公演。平成15年（[[2003年]]）に文楽の地元・大阪の[[国立文楽劇場]]、平成17年（[[2005年]]）には東京の[[国立劇場]]で再演。平成18年（[[2006年]]）には第13回読売演劇大賞を受賞した。&lt;br /&gt;
*'''[[フラメンコ]]『FLAMENCO 曽根崎心中』'''&lt;br /&gt;
::プロデュース・作詞：阿木燿子、作曲・音楽監修：宇崎竜童、振付：鍵田真由美・佐藤浩希&lt;br /&gt;
::平成13年（[[2001年]]）に日本で初公演、文化庁芸術祭優秀賞を受賞。のち公演を重ね、平成16年（[[2004年]]）にはフラメンコの聖地ともいえるスペインでのフェスティバル・デ・ヘレスにも参加、高い評価を得た（[http://www.arte-y-solera.com/sonezaki/index.html FLAMENCO 曽根崎心中・公式サイト]）。&lt;br /&gt;
*'''室内オペラ『曽根崎心中』'''（昭和54年（[[1979年]]）、[[入野義朗]]作曲）&lt;br /&gt;
*'''舞台『曽根崎心中～久馬版～』'''（平成18年（[[2006年]]））&lt;br /&gt;
::脚本：久馬歩、演出：鈴木つかさ、出演：[[ザ・プラン9]]、五十嵐サキ、伊賀研二&lt;br /&gt;
::お初：五十嵐サキ、徳兵衛：ヤナギブソン、九平次：鈴木つかさ、お玉：なだぎ武、近松門左衛門：浅越ゴエ&lt;br /&gt;
*'''漫画『曾根崎心中!』'''（平成20年（[[2008年]]）、[[河下水希]]）&lt;br /&gt;
::設定・展開の改変、[[時代考証]]の意図的な無視など、あくまで「原作を元にしたラブコメ作品」として志向されている。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--*'''『曾根崎心中』'''（平成20年（2008年）、初音ミク・鏡音リン）&lt;br /&gt;
::近松の原文に、ネットミュージシャンの「デッドボール」がメロディをつけ、ハードロック調のアレンジに仕立て上げたミク・リンのオリジナル曲。&lt;br /&gt;
::同年[[4月23日]]にニコニコ動画で発表されるや瞬く間に数多くのクリエイターによって支援映像が追加され、さながら「曽根崎心中祭り」の様相を呈している（[http://www.nicovideo.jp/watch/sm3081358 デッドボールによる最初の映像]）。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 慰霊像など ===&lt;br /&gt;
また平成16年（2004年）[[4月7日]]には301年祭として露天神社境内にブロンズの慰霊像が建立され、平成17年（2005年）4月7日には「大阪伝統文化を育む会」の主催により写真展・資料展が開催された。&amp;lt;!--写真展の写真提供は、写真家の出上実氏--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ネタバレ}}&lt;br /&gt;
== あらすじ ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--冒頭の観音巡りのあたりが抜けています--&amp;gt;&lt;br /&gt;
醤油屋の手代・徳兵衛と、遊女のお初は恋し合う仲であった。物語は、徳兵衛とお初が生玉の社で久しぶりに偶然再会したシーンから始まる。便りのないことを責めるお初に、徳兵衛は会えない間に自分は大変な目にあったのだと語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
徳兵衛は、実の叔父の家で[[丁稚]]奉公をしてきた。誠実に働くことから信頼を得、店主の姪と結婚させて店を持たせようという話が出てきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
徳兵衛はお初がいるからと断ったが、叔父のほうは徳兵衛が知らないうちに徳兵衛の継母相手に結納まで済ませてしまう。固辞する徳兵衛に叔父は怒り、とうとう勘当を言い渡す。その中身は商売などさせない、大阪から出て行け、付け払いで買った服の代金を7日以内に返せというものであった。徳兵衛はやっとのことで継母から結納金を取り返すが、どうしても金が要るという友人・九平次に3日限りの約束でその金を貸す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
語り終えたところで、九平次が登場。同時に、お初は喧嘩に巻き込まれるのを恐れた客に連れ去られる。徳兵衛は、九平次に返済を迫る。が、九平次は証文まであるものを「借金など知らぬ」と逆に徳兵衛を公衆の面前で詐欺師呼ばわりしたうえ散々に殴りつけ、面目を失わせる。兄弟と呼べるほど信じていた男の手酷い裏切りであったが、死んで身の証を立てるより他に身の潔白を証明し名誉を回復する手段が徳兵衛にはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
徳兵衛は覚悟を決め、密かにお初のもとを訪れる。お初は、他の人に見つかっては大変と徳兵衛を縁の下に隠す。そこへ九平次が客としてお初のもとを訪れるが、素気無くされ徳兵衛の悪口をいいつつ帰る。徳兵衛は縁の下で怒りにこぶしを震わせつつ、お初に死ぬ覚悟を伝える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真夜中。お初と徳兵衛は手を取り合い、露天神の森へ行く。互いを連理の松の木に縛り覚悟を確かめ合うと徳兵衛は[[脇差]]でお初の命を奪い、自らも命を絶つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、歌舞伎では徳兵衛の叔父が帰らない徳兵衛を探して天満屋を尋ねてくる場面とお初と徳兵衛が天満屋を抜け出した後に油屋の手代が天満屋を訪れ、それによって九平次が徳兵衛の金をだまし取ったことが露見する場面が追加されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
{{Wikiquote|近松門左衛門}} &lt;br /&gt;
*松平進 編『新注絵入曾根崎心中』（平成10年（[[1998年]]）[[和泉書院]]&lt;br /&gt;
*『近松浄瑠璃集上（新日本古典文学大系91）』（平成5年（[[1993年]]））[[岩波書店]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[本音と建前]]&lt;br /&gt;
*[[日本人論]]&lt;br /&gt;
*[[菊と刀]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連史料 ==&lt;br /&gt;
*『日本古典文学大系』&lt;br /&gt;
*藤野義雄『曾根崎心中・解釈と研究』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.ohatendori.com/index.php お初天神通り商店街会]&lt;br /&gt;
*[http://homepage2.nifty.com/hay/index.html 近松門左衛門でござーい!]&lt;br /&gt;
*[http://yaplog.jp/u-sugu/archive/368 世の中って不公平だな]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:浄瑠璃]]&lt;br /&gt;
[[Category:歌舞伎の演目]]&lt;br /&gt;
[[Category:江戸時代の文学]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の文学作品]]&lt;br /&gt;
[[Category:心中]]&lt;br /&gt;
[[Category:ジャンプスクエア]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>153.179.211.183</name></author>	</entry>

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