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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>安倍晋三</title>
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				<updated>2022-01-27T00:38:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:Abe Bush Heiligendamm G8 2007 002 (cropped).jpg|200px|thumb|2007年]]&lt;br /&gt;
[[Image:安倍 晋三と西田昌司.jpg|350px|thumb|安倍晋三と[[西田昌司]]([[JK画像3|JK]]とともに2012年12月)]]&lt;br /&gt;
'''安倍 晋三'''（あべ しんぞう、[[1954年]]（[[昭和]]29年）[[9月21日]] - ）は、[[日本]]の政党専従活動家。[[衆議院|衆議院議員]]（7期）、[[内閣総理大臣]]（[[第1次安倍内閣|第90代]]、[[第2次安倍内閣|第96代]]）、[[自由民主党総裁]]（第21代、第25代）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[自由民主党幹事長]]（第37代）、[[内閣官房長官]]（[[第3次小泉改造内閣|第72代]]）、[[内閣官房副長官]]などを歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
親族に政治家が多く、父方の[[おじいさん|祖父]]の[[安倍寛]]（元衆議院議員）、母方の祖父の[[岸信介]]こと佐藤信介（第56・57代内閣総理大臣）、大叔父の[[佐藤栄作]]（第61 - 63代内閣総理大臣）、父の[[安倍晋太郎]]（元[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]）、弟の[[岸信夫]]（[[国会議員|参議院議員]]）などがいる。妻は[[森永製菓]]社長令嬢の[[安倍昭恵]]。&lt;br /&gt;
[[岸要蔵]]の[[インブリート]](4×4)を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学卒業後、[[神戸製鋼所]]社員、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]（当時は実父・晋太郎）[[秘書官]]を経て衆議院議員となる。[[内閣官房副長官]]、自由民主党幹事長、同幹事長代理、内閣官房長官等を歴任。2006年に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任。2007年9月26日に内閣総理大臣を退任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 出生 ===&lt;br /&gt;
[[1954年]][[9月21日]]、当時[[毎日新聞]]の[[記者]]だった[[安倍晋太郎]]とその[[妻]]、洋子の次男として[[東京]]で生まれる（[[本籍|本籍地]]及び現住所は山口県[[長門市]]（旧・大津郡油谷町）。 父方の祖父は衆議院議員の[[安倍寛]]（この時既に故人）、母方の祖父は後の首相・[[岸信介]]で、大[[おじ|叔父]]にはやはり後の[[首相]]・[[佐藤栄作]]がいる、[[政治家]]一族であった。安倍は「幼い頃から私には身近に[[政治]]がありました」と回想している。幼い頃は、[[野球選手]]や[[刑事]]になることに憧れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===学生時代===&lt;br /&gt;
[[成蹊学園]]を卒業。なお小学校から大学まで無試験のエスカレータ進学。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[小学校|小学]]4年生から5年生にかけての[[1964年]]から2年間[[平沢勝栄]]（後の衆議院議員、[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]で助言したと言われる）が[[家庭教師]]についていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[高等学校|高校]]で[[クラブ活動|クラブ]]は[[地理]]研究部に所属。高校卒業後、成蹊大学に進み[[行政学]]を学ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学では[[アーチェリー]]部に所属し、準レギュラーだった。大学生の頃は人付き合いが良く、親に買って貰ったアルファ・ロメオで通学をしていた。[[1977年]]春に渡米し、[[カリフォルニア州]][[ヘイワード (カリフォルニア州)|ヘイワード]]の英語学校に通うが、勉強に障害があると判断して通学を止め、その後[[イタリア系アメリカ人]]の家に下宿しながら[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の語学学校に通った。秋に[[南カリフォルニア大学]]への入学許可が出され[[1978年]]に入学。[[政治学]]を専攻するが、[[1979年]]に[[退学|中退]]していた事実が後に発覚する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===サラリーマン時代===&lt;br /&gt;
[[1979年]]4月に帰国し、[[神戸製鋼所|神戸製鋼]]に縁故で入社する。[[ニューヨーク]]事務所、[[神戸製鋼所加古川製鉄所|加古川製鉄所]]、東京本社で勤務した。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点」、あるいは「私の原点」だったと回顧している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===政界へ===&lt;br /&gt;
神戸製鋼での3年間勤務の後、[[1982年]]から当時[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]に就任していた父・晋太郎の下で[[秘書官]]等を務め、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての政治家修行を行う。[[1987年]]に松崎昭雄・[[森永製菓]]社長の娘で[[電通]]社員の[[安倍昭恵|昭恵]]と[[結婚]]する。その際の[[仲人|媒酌人]]を務めたのが、[[福田赳夫]]元[[内閣総理大臣|総理]]だった。[[1991年]]に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===衆議院議員===&lt;br /&gt;
[[1993年]]に亡父の地盤を引き継ぎ、[[第40回衆議院議員総選挙]]に山口1区（当時）より出馬し、初当選。父が[[自民党の派閥|派閥]]会長を務めていた[[清和政策研究会|清和会]]（当時[[三塚博|三塚]]派、後の森派→町村派）に属す。[[1997年]][[自民党青年局長]]就任し同次長には同い年で親友で同じ派閥の[[下村博文]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Robert Zoellick meets Shinzo Abe 2006-01-23.jpg|200px|thumb|[[2006年]][[1月]]、アメリカ合衆国国務副長官[[ロバート・ゼーリック]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
派閥領袖の[[森喜朗]]首相が組閣した[[2000年]]の[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編前)|第2次森改造内閣]]で、[[小泉純一郎]]に推薦され、[[内閣官房副長官]]に就任。森政権の後を受け、[[2001年]]に成立した[[第1次小泉内閣]]でも引き続き内閣官房副長官を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]、小泉首相の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問に随行し、小泉首相と[[金正日]][[総書記]]との[[首脳会談]]では「安易な妥協をするべきではない」と強硬論を繰り返し主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]は日本側の納得する形では決着せずに難航した。内閣[[参与]]の[[中山恭子]]と共に北朝鮮に対する[[経済制裁]]という強硬路線を主張した。拉致被害者の北朝鮮帰国方針にも中山と共に頑強に反対した&amp;lt;ref name=&amp;quot;naz2&amp;quot;/&amp;gt;。対話路線などの慎重論を唱える議員が多かった中で、安倍の姿勢は多くの支持を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]9月、小泉首相によって[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]に抜擢された。自民党は総幹分離の原則が長く続いており、総裁派閥幹事長は1979年の[[大平正芳]]総裁時代の[[斎藤邦吉]]幹事長以来24年ぶりであった。[[国務大臣|大臣]]経験もない若手議員が第一与党幹事長に就任するのは極めて異例のことであるが、苦戦が予想される同年11月の[[第43回衆議院議員総選挙|総選挙]]のために安倍の「人気」が必要とされたためと見られた。11月の総選挙で与党は[[安定多数|絶対安定多数]]の確保に成功したが自身と93年初当選同期で同じ清和研属す[[高市早苗]]や[[中村力]]は小選挙区敗北し[[比例復活]]すらならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」（[[派閥]]の長が配下の者に配る活動資金）の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。[[2004年]]4月[[埼玉8区]][[補欠選挙]]で自民党史上初の全国的な候補者公募実施し合格した新人[[柴山昌彦]]が当選（同公募には[[佐藤ゆかり]]も最終選考に残った）、同年夏の[[第20回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞職を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・[[武部勤]]の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任。幹事長経験者が幹事長代理に格下げになるということも大変異例なことだった。その幹事長代理として迎えた[[第44回衆議院議員総選挙|05年衆院選]]では[[保守]]派[[弁護士]]の[[稲田朋美]]を「[[小泉劇場#刺客|刺客]]」（「[[郵政民営化関連法案]]に反対した元自民党候補」に対する対抗馬、[[福井県第1区|福井1区]]の[[松宮勲]]への対抗馬）にスカウトした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ポスト小泉 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe Sep06.jpg|thumb|200px|[[2006年]][[9月24日]]、[[両国国技館]]にて[[大相撲]][[本場所|九月場所]]表彰式に出席]]&lt;br /&gt;
小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補の一人と言われ、[[2005年]][[10月31日]]付で発足した[[第3次小泉改造内閣]]では[[内閣官房長官]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。[[憲法改正]]や[[教育改革]]、[[財政]]健全化に取り組む方針を示す。また、[[2006年自由民主党総裁選挙|総裁選]]に当選し次第、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[9月20日]]、小泉の任期満了にともなう総裁選で[[麻生太郎]]、[[谷垣禎一]]を大差で破って自由民主党総裁に選出、[[9月26日]]の[[臨時会|臨時国会]]に於いて内閣総理大臣に指名される。[[戦後]]最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===内閣総理大臣===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 安倍内閣 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe 2006-Nov-18.jpg|200px|left|thumb|2006年のAPECでの安倍晋三]]&lt;br /&gt;
就任表明では「美しい国」というテーマのもとに「[[戦後体制|戦後レジーム]]からの脱却」「[[教育バウチャー]]制度の導入」「[[ホワイトカラーエグゼンプション]]」などといったカタカナ語を連発し、議員からは「わかりにくい」と揶揄された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は小泉前首相の[[靖国神社問題|靖国参拝問題]]のために途絶えていた[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]への訪問を表明。[[2006年]][[10月]]に中国・[[北京市|北京]]で[[胡錦濤]][[国家主席]]と会談、翌日には、[[盧武鉉]][[大統領 (大韓民国)|大統領]]と会談すべく韓国・[[ソウル特別市|ソウル]]に入り、小泉政権下で冷え切った日中・日韓関係を改善を目指した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北朝鮮が[[北朝鮮の核実験 (2006年)|核実験]]を実施したことに対しては「日本の[[安全保障]]に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、[[国際連合|国連]]の[[国際連合安全保障理事会決議1718|制裁決議]]とは別に、より厳しい[[北朝鮮の核実験 (2006年)#各国などの対応|経済制裁措置]]を実施した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[9月]]から[[11月]]にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える、[[郵政造反組復党問題]]が政治問題化する。[[12月]]には、懸案だった[[教育基本法]]改正と[[防衛省|防衛庁]]の[[省]]昇格を実現した。一方で、同月、安倍が肝いりで任命した[[本間正明]][[政府税制調査会|税制会長]]が[[公務員宿舎]]への入居と愛人問題で、[[佐田玄一郎]][[内閣府特命担当大臣|行改担当大臣]]が、架空事務所費計上問題で辞任、この後、閣内でスキャンダルが相次いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:33rdG8Leaders.jpg|200px|thumb|[[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダム・サミット]]で各国首脳らと]]&lt;br /&gt;
[[Image:Bush Abe, Camp David.jpg|200px|thumb|[[2007年]][[4月27日]]、記者会見時に[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月]]の安倍の慰安婦発言が「二枚舌」と欧米のマスコミから非難されたが、[[4月]]下旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続いて[[日米関係史|日米関係]]が強固なものであることをアピールした。[[5月28日]]、以前から様々な疑惑のあった[[松岡利勝]][[農林水産大臣|農水大臣]]が[[議員宿舎]]内で、首を吊って[[自殺]]。官邸で訃報に接した安倍は涙を流し「慙愧に耐えない」と会見し、その晩は公邸で妻の昭恵に「松岡さんにはかわいそうなことをした」と語っている。また[[年金記録問題]]が大きく浮上した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で、[[6月]]当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアに大きく報じられた。同月6日～8日には首相就任後初の[[主要国首脳会議|サミット]]である[[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダム・サミット]]に参加、[[地球温暖化]]への対策を諸外国に示した。また、議長総括に[[北朝鮮による日本人拉致問題]]の解決を盛り込ませた。[[7月3日]]には[[久間章生]][[防衛大臣]]の[[久間章生#「原爆投下はしょうがない」発言|原爆投下をめぐる「しょうがない」発言]]が問題化。安倍は当初続投を支持していたが、批判の高まりにより、久間に厳重注意を行なった（久間は翌日辞任）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 参議院議員選挙、内閣改造 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[7月29日]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である[[赤城徳彦]]農林水産大臣にもいくつかの[[赤城徳彦#不祥事|事務所費問題]]が発覚。安倍はこういった閣僚の諸問題への対応が遅いと非難された。選挙中に発生した[[新潟県中越沖地震]]では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。2007年の[[第21回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」と楽観視していたが、結果は37議席と連立を組む[[公明党]]の9議席を合わせても過半数を大きく下回る歴史的大敗を喫した。これまで自民党が強固に議席を守ってきた、[[東北地方]]や[[四国地方]]で自民党が全滅、勝敗を左右する[[参議院一人区]]も、軒並み民主党候補や野党系[[無所属]]に議席を奪われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明したが、これについては、応援演説において「私か[[小沢一郎|小沢さん]]か、どちらが首相にふさわしいか」と[[有権者]]に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する厳しい批判が出た。また、参院選直後の[[7月31日]]の[[自由民主党総務会|自民党総務会]]においても、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た（[[安倍おろし]]）。同日、アメリカ下院では[[アメリカ合衆国下院121号決議|慰安婦非難決議]]が議決されていた。翌[[8月1日]]には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と批判された。この頃から安倍は食欲の衰えなど体調不良を訴え始め、[[8月19日]]から[[8月25日]]の[[インドネシア]]、[[インド]]、[[マレーシア]]3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 安倍改造内閣 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe Sept. 8, 2007 full.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[9月8日]]、[[アジア太平洋経済協力]]首脳会議にて、[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
選挙結果や批判を受け、[[8月27日]]に内閣改造、党役員人事に着手した（[[安倍改造内閣]]）。ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。9月9日、[[オーストラリア]]・[[シドニー]]で開催された[[アジア太平洋経済協力|APEC]]（アジア太平洋経済協力会議）首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し[[9月10日]]からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続が出来なくなった場合は、[[内閣総辞職]]することを[[マニフェスト|公約]]した。この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良によりAPECの諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]][[9月10日]]に[[第168回国会|第168回臨時国会]]が開催され、安倍首相は[[所信表明演説]]を行った。その中で安倍首相は「職責を全うする」などという趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「[[美しい国]]」という言葉は結びに一度使ったのみであった。午後には「（改正案を通すのは）厳しいでしょうか」と辞任を示唆する発言を[[麻生太郎|麻生幹事長]]に漏らしていたが、麻生から「テロ特措法があがった後でよろしいのではないですか。絶対今じゃないです。」と慰留された。[[9月11日]]には妻の昭恵に対し「もうこれ以上、続けられないかもしれない」と語ったが、辞任の具体的な日程までは一切明かさなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 辞意表明 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[9月12日]]午後2時（[[日本標準時|JST]]）、「[[内閣総理大臣]]及び[[自由民主党総裁]]を辞する」と退陣を表明する記者会見を行った。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は辞任の理由として「[[テロ対策特別措置法|テロ特措法]]の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」「私が総理であることが障害になっている」などとした（小沢代表は記者会見を開き「打診を受けたことは1回もない」と否定。なお、小沢は党首会談について報じられてからも「意見を変える気はない」と明言している）。一方で、自身の健康に不安があるという理由も[[与謝野馨]][[内閣官房長官]]が同日中会見で述べている。24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もともと胃腸に持病を抱えているといわれており、辞意表明当日の[[読売新聞]]・特別号外でもそのことについて触れられていた。また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答している。なお、辞任に追い込まれた実質的原因については、本人が記者会見をこなしていることもあり、健康問題ではないとする見方をする論者も、立花隆を初めとして存在する。ちなみに、自身の健康問題で辞任した首相は過去に、[[石橋湛山]]や[[小渕恵三]]などがいるが、彼らは[[脳梗塞]]など重い病に侵されたためであり、記者会見が可能だった安倍とは比べものにならないほどの病状だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 突然の辞意表明に対する批判 =====&lt;br /&gt;
[[臨時会|臨時国会]]が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明は、各界各方面から批判を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
野党側は安倍の辞意表明について「無責任の極み」であるとして次のような批判をおこなった。　　&lt;br /&gt;
*「40年近くの政治生活でも、過半数を失って辞めず、改造し、所信表明をし、そして代表質問の前に辞職と言う例は初めてで、本当にどうなっているのか、総理の心境・思考方法については良く分かりません」（民主党・[[小沢一郎]]代表)&lt;br /&gt;
*「参院選の後に辞めていればよかった。こういう形の辞任は国民に失礼」（民主党・[[鳩山由紀夫]]幹事長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「所信表明直後の辞任は前代未聞」（共産党・[[志位和夫]]委員長）&lt;br /&gt;
*「タイミングがあまりにひどい、無責任です。『ぼくちゃんの投げ出し内閣』だ。小沢代表との会談が断られただけで辞任するのは子供っぽい理由」（社民党・[[福島瑞穂]]党首）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
与党側でも[[古賀誠]]元自民党幹事長などから退陣に至る経緯・理由が不透明であるという批判や、その他議員からも「なぜ今日なのか、無責任だ」という批判が出た。[[塩川正十郎]]元財相も「非常に無責任な辞め方。熱意と努力で乗り切ってもらいたくて支えてきた。支えてきた者から見たらこんな辞め方は無い」と批判した。また、公明党の[[北側一雄]]幹事長からも「なぜこの時期に辞意表明なのか、非常に理解しがたい」と批判された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[麻生太郎]][[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]は同日の会見において、記者からの「総理はいつ辞任を決断していたのか」との問いに対し、「2日くらい前といえばそうだし、昨日と言えばそうだし…、この3日間意向は全くかわらなかった」などと述べ、安倍の辞任を2日前（安倍晋三が臨時国会でテロ特措法の延長ができなければ内閣総辞職すると述べた日と同日）にはすでに知っていたことを明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月13日]]に[[朝日新聞社]]が行なった緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 国外の反応 =====&lt;br /&gt;
日本国外のメディアもトップニュースで「日本の安倍首相がサプライズ辞職」、「プレッシャーに耐えきれなかった」（アメリカ[[CNN]]）などと報じた。欧米諸国の報道では批判的な意見も多かったが、安倍内閣の下で関係が良好だった[[中華人民共和国]]、[[大韓民国|韓国]]、[[台湾]]のマスコミは同情的な意見が目立った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 入院・内閣総辞職 ====&lt;br /&gt;
退陣表明の翌日（9月13日）、[[慶應義塾大学病院]]に入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると[[医師]]団が発表した。これについても海外メディアで報道され、イギリス[[英国放送協会|BBC]]は「昨日官邸をチェックアウトした安倍首相は、今日は病院にチェックインした」「日本は1週間以上も、精神的に衰弱しきった総理大臣を抱えることになる」と報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[遠藤武彦]]農相に不正な補助金疑惑が発覚した際、遠藤の辞任の流れを[[与謝野馨]][[内閣官房長官]]と麻生幹事長の2人だけで決めて安倍を排除したことから、安倍が「麻生さんに騙された」と発言したと言われる。 この内容について[[9月14日]]の[[報道ステーション]]が麻生にインタビューで問い質したところ、麻生は「（9月14日に安倍氏の見舞いに行った時）『そんなこと言われて与謝野とふたりで困っている』と安倍総理に言ったら、『そんなこと言ってない』と笑っておられました。どなたかが意図的に流した[[噂#デマ|デマ]]でしょう」と反論をしている。同日の[[NEWS ZERO]]は、番組終盤に安倍の「麻生さんに騙された」という発言を速報という形で伝え、麻生と安倍との間に不穏な空気が流れていたとする報道を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、自民党の若手による「麻生-与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、[[9月18日]]の閣議後の会見において明確に否定した。さらに麻生幹事長は[[9月19日]]に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「[[中川秀直|中川（秀直）]]さんは11日（辞任表明の前日）に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[安倍内閣メールマガジン]]は[[9月20日]]配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージのもと、これをもって最終号を迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、病院側は、安倍首相の容体は回復軌道には入っているものの退院できる状態ではないとした。病室内では新聞は読まずテレビも基本的には視聴せず、外部の情報をシャットアウトした環境下で治療を行った。9月21日は安倍首相53歳の誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった。このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と[[内閣総理大臣臨時代理]]は置く予定はないという方針をとっていた。20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入院中、妻の昭恵から政治家引退を勧められたが、安倍は「いや、それは違う」と答え、議員辞職は拒否した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月23日]]に行われた自民党総裁選には欠席して前日に不在者投票を行い、前総裁のあいさつは[[谷川秀善]]両院議員総会長が代読した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月24日]]17時、[[慶應義塾大学病院]]にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「[[所信表明演説]]後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。また、自民党若手による「麻生クーデター説」については本人の口から改めて否定された。さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず[[内閣総理大臣臨時代理|臨時代理]]を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては政府内でも批判の声があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月25日]]、安倍内閣最後の閣議に出席し、国会へ登院して衆議院本会議での[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]に出席する意思を明らかにした。[[9月25日]]の安倍内閣最後の閣議で閣僚全員の辞職願を取り纏めて[[内閣総辞職]]した。安倍前首相は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。26日には[[皇居]]で行われた[[福田康夫]]首相の親任式に出席した後、再び病院へと戻った。なお、安倍内閣の在職日数は1年あまりとなる366日であり、[[日本国憲法]]下では歴代7位の短期政権となった。改造内閣はわずか31日の短命に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 内閣総理大臣退任後 ===&lt;br /&gt;
==== 健康の回復 ====&lt;br /&gt;
その後、入院していた慶應義塾大学病院から「一時帰宅」し、東京・富ヶ谷の私邸で自宅療養に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11月13日]]に[[テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法|新テロ特措法案]]の採決を行なう[[衆議院]][[本会議]]には「はってでも出たい」と出席し、白票（賛成票）を投じた。後の記者会見において安倍前首相は「回復しました」と元気な様子を見せた。また、同採決を地方出張のため棄権した民主党代表小沢一郎に対して、「無責任じゃないですか。本当は（小沢は）賛成だったんじゃないかという人もいますがね」と強く批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年1月、『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』に手記を寄稿。2007年9月の退陣に関し、体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが「このままでは首相の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった。決定的な要因のひとつだった」と告白するなど、辞任の主な理由は健康問題だったとしている。しかし現在は韓国料理屋で焼肉屋キムチやマッコリを食すなど、あまりに脅威的な回復であるため、辞任直前に問題となった脱税疑惑のカモフラージュではないかという疑念を持たれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年には[[第169回国会]]会期中に妻の昭恵と[[スキー]][[旅行]]や[[選抜高等学校野球大会]]の観戦に出かけるなどしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 政治活動の再開 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe and James Zumwalt 20090620.jpg|thumb|200px|[[2009年]][[6月20日]]、[[東京都]]にて[[臨時代理大使|日本駐箚アメリカ合衆国臨時代理大使]][[ジェームス・ズムワルト]]（右から1人目）と安倍（右から2人目）]]&lt;br /&gt;
2007年末、産経新聞のインタビューにて、「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」と述べ、2008年からは活動を本格的に再開し「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていく」と答えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年以降は政治活動を徐々に本格化させ、中華人民共和国国務委員の[[唐家セン|唐家璇]]と会談するなど外交への取り組みも再開した。同年1月、参院選時の公約への根強い批判に反論し、年金記録の照合作業を2008年3月までに終わらせると公約したが国民一人一人への支払いを保証したわけではない、と主張した。また、本来は国民各自が責任を持って年金記録を管理すべきと指摘し、政府に頼る風潮に疑問を呈した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年[[3月5日]]、安倍は勉強会「クールアース50懇話会」を立ち上げ、塩崎恭久や[[世耕弘成]]らが入会した。設立総会において、安倍は「[[第34回主要国首脳会議|北海道洞爺湖サミット]]を成功させるのは私の責任」と語り、同懇話会の座長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月6日]]、清和政策研究会（町村派）の総会に出席し、「首相として1年間、美しい国づくりに全力を傾注してきたが、残念ながら力が及ばなかった。私の辞任に伴い、みなさんに風当たりも強かったのではないか。心からおわびを申し上げたい」と述べて所属議員に謝罪した。この総会にて安倍の派閥への復帰が承認され、清和政策研究会相談役に就任した。[[4月28日]]に「主権回復五十六周年記念国民集会」でスピーチ、[[4月30日]]には「中国の人権状況を考えるシンポジウム」に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]][[8月15日]]朝、首相在任中に果たせなかった[[終戦の日|終戦記念日]]の[[靖国神社]]参拝をおこなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 2度目の総裁就任 ====&lt;br /&gt;
[[2012年]][[9月12日]]、谷垣総裁の任期満了に伴って行われる[[2012年自由民主党総裁選挙]]への出馬を表明。自らが所属する[[清和会]]の会長である[[町村信孝]]の出馬が既に取り沙汰されていたこともあり、前会長の森からは出馬について慎重な対応を求められていたものの、これを押し切る形での出馬となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初は、清和会が分裂選挙を余儀なくされた事や5年前の首相辞任の経緯に対するマイナスイメージから党員人気が高かった[[石破茂]]、党内重鎮からの支援を受けての出馬となった[[石原伸晃]]の後塵を拝していると見られていた。しかし、[[麻生派]]、[[高村派]]が早々と安倍支持を表明した事などが追い風となり、[[9月26日]]に行われた総裁選挙の1回目の投票で2位に食い込むと、決戦投票では、1回目の投票で1位となっていた石破を逆転。石破の89票に対し108票を得て、総裁に選出された。一度辞任した総裁が間を挟んで再選されるのは自民党史上初、決選投票での逆転は[[1956年12月自由民主党総裁選挙]]以来となった。なお、安倍はこの時、自身の体調に関して前回の総理大臣辞任後に発売された特効薬によりほぼ寛解したと説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 内閣総理大臣に再就任 ===&lt;br /&gt;
[[2012年]][[12月16日]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]で自民党が294議席を獲得して圧勝、政権与党に復帰。同年12月26日に第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が発足。1度辞任した内閣総理大臣の再就任は、戦後では[[吉田茂]]以来2人目である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 第2次安倍内閣 ====&lt;br /&gt;
===== TPP問題 =====&lt;br /&gt;
2012年11月14日の[[野田佳彦]]首相の解散表明により選挙の争点として浮上した[[環太平洋戦略的経済連携協定]](TPP)について、自民党はASEANでのTPP参加表明に反対し、「聖域なき関税撤廃」を前提とした交渉参加には反対するとしていた。一方、安倍は日本商工会議所会頭の岡村正との会談では交渉に含みをもたせ、「TPP推進に対して強い交渉力を発揮して頂けるという強い意気込みは感じたので心強く思う」と評価された。この岡村とのやりとりについて、経団連会長の[[米倉弘昌]]も「いいことだ」と歓迎している。しかし、その後の記者会見では「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」と否定し、その結果として衆院選では160人超の候補者が、TPP交渉参加反対を訴える農協（JA）系の政治団体から推薦を受け当選した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣では農水大臣に農政になじみの薄い[[林芳正]]を起用し、[[甘利明]]、麻生太郎など経済関係の主要閣僚にもTPP賛成派を配置。さらに外交政策に関して助言を行う[[内閣官房参与]]には「（東日本大震災に対して）日本がんばれと言っているのではないかと思う。こうした声援に応えるためにも、日本は積極的にTPPに参加すべきである。」(2011年12月）「（TPPは）日本が飛び乗るべきバス」(2010年12月）との発言をしている[[谷内正太郎]]を起用した。また、TPP賛成派の[[岡素之]]や[[大田弘子]]をそれぞれ内閣府[[規制改革会議]]議長及び議長代理とし、さらに新設の[[日本経済再生本部]]に設置された[[産業競争力会議]]のメンバーにも[[日本維新の会]]と関係の深いTPP賛成派の[[竹中平蔵]]や、TPP早期実現要請を行なっていた[[三木谷浩史]]を加えた。経済全般のマクロ政策を決める経済財政諮問会議の民間議員も全員TPP賛成派で、[[高橋進 (経済学者)|高橋進]]は構造改革派の論客として野田佳彦民主党政権の方針を力強く後押ししていた人物。[[伊藤元重]]にいたっては「TPPに参加できないなら、農村部にある多くの工場は閉鎖を余儀なくされる」というのが持論で、野田佳彦民主党政権の「社会保障制度改革国民会議」のメンバーでもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年2月23日、日米首脳会談後に共同声明を出した。それまでの関税に関する見解（カークUSTR代表と玄葉外務大臣との会談）は「物品関税の最終的な扱いについてはTPP交渉プロセスのなかで決まっていくもの」であったが、今回の共同声明は「一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する」との表現になった。この会談の結果、主要全メディアにおいてTPP賛成が増加し、共同通信63%、FNN53%、テレビ朝日51%、日本経済新聞47%などとなった一方、ニコニコ動画では46.5%が反対と回答した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年3月8日、日本政府が[[野田佳彦]]内閣当時の昨年3月の段階から『TPP交渉参加後発組に出された3条件』を把握していたにもかかわらず、国民に条件を告知することなく交渉参加を推進していたことが判明した。安倍はこの問題に関して衆院予算委員会で答弁を拒否し、質問した日本維新の会の[[松野頼久]]国会議員団幹事長が「政府が交渉参加のルールを探って議会に説明するのは当然の責任だ」と批判した。また岸田文雄外相は「少なくともわが国には、そうした条件の提示は全くない。引き続き情報収集に全力を挙げる」と答弁していたが、9日になって安倍は「ルールを作っていく上で、最初に入った人たちが後から入った人に議論を覆されたら困るというのは、それはそうだろうと思う」と述べた。安倍政権はこの3条件を政権移行直後に把握したが公表はしていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年3月14日、自民党のTPP対策委員会が「重要5品目等や国民皆保険制度などの聖域の確保を最優先」し、それが確保できないと判断した場合は「脱退も辞さない」とする決議をまとめた。ただ自民党執行部はこの決議に関して「彼らも地元に帰って反対してきたと言えるだろう」と慎重派のガス抜きであることを認めており、政府高官は今後の政府の交渉を縛らないと明言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」との発言からちょうど120日目にあたる2013年3月15日、TPP交渉参加という形で決着が図られることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年4月12日に決着したTPP交渉参加に向けた日米事前協議は大手各紙上でも『高い「入場料」』という言葉が飛び交い、米側に譲りに譲ったものとなった。日本政府のTPP交渉担当者が「なんとしても7月中には交渉に加わりたいのだが……」とあせりの色を隠せない中での事前協議であり、交渉に入る前から通商条件で大幅な譲歩を迫られる可能性があったが、現実のものとなった。焦点の自動車・保険分野では双方とも大幅譲歩であり、自動車分野では自動車関税について当面は乗用車・トラックの関税を維持した上、撤廃時期はTPPが認める範囲で最大限遅らせることで決着、保険分野ではかんぽ生命のがん保険など新商品の申請を事実上凍結したため、投資家に訴える新規事業への参入が不可欠な2015年秋までの株式上場は計画の見直しが不可避となり、政府が復興財源として期待していた日本郵政株式の売却収入4兆円が見通せなくなってしまった。のみならず、非関税措置について9つの分野で日米間で継続協議とされたため、1990年代に経験した日米構造協議、包括経済協議と同様に2国間の枠組みを使って日本に市場開放の圧力をかける構図が繰り返されることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 労働市場の構造改革（日本版「ワッセナー合意」）=====&lt;br /&gt;
企業が賃上げを促進し、政府は賃上げ企業への優遇や失業者対策を進め、労働者は労働市場流動化に同意し失業増を受け入れるという日本版「ワッセナー合意」が構想されていることが明らかになった。ただし、オランダで起こった[[ワッセナー合意]]は「労組は賃金の抑制」「政府は企業の社会保障負担を低減し労働者のための減税を実施」「経営者は仕事を分かち合い雇用を確保」という内容的には逆とも言えるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本版「ワッセナー合意」は、むしろ[[第1次安倍内閣]]で提唱された[[労働ビッグバン|日本版オランダ革命]]に近いものであり、[[日本維新の会]]のブレーンで[[聖域なき構造改革|小泉構造改革]]の中心人物であった[[産業競争力会議]]メンバー[[竹中平蔵]]の主張である「再就職支援金の支払いを条件に従業員の解雇を認めるといった解雇ルール」や「正規と非正規の中間的な雇用形態の導入」などが盛り込まれている。これについては、失業増を受け入れる労働組合はもちろん経済界も難色を示しているとされる。[[竹中平蔵]]は[[第1次安倍内閣]]の際には、著書の中で「[[既得権益]]を失う[[労働組合]]や、保険や年金の負担増を嫌う[[財界]]の反対で頓挫した」と述べていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 日台漁業交渉問題 =====&lt;br /&gt;
2013年4月に台湾との間で尖閣諸島沖の漁業範囲に関する取り決めを行った。この協定は官邸の独断で成立が決定されたため、水産庁や外務省などと事前協議を行っていた地元の漁協は強く反発し、「いずれこの漁業範囲から日本船が締め出され中国船や台湾船しかいなくなる」、と強い懸念を出している。実際に台湾漁船は当協定の成立が決定すると、協定の発行前から認められる予定の漁業範囲さえ超えた範囲で操業を開始した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 参議院議員選挙での圧勝 ====&lt;br /&gt;
''詳しくは「[[第23回参議院議員通常選挙]]」を参照。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年（平成25年）[[7月21日]]、[[7月28日|同月28日]]の任期満了に伴う第23回参議院議員通常選挙が行われた。自由民主党が政権を奪還し、第2次安倍内閣になってから初めての大型国政選挙となった。第1次安倍政権時に大敗を喫した第21回参議院議員通常選挙（[[#参議院議員選挙での敗北|前述]]）以降、[[参議院]]では政権[[与党]]が過半数を下回る[[ねじれ国会]]が続いており（2009年の[[第45回衆議院議員総選挙]]から2010年の[[第22回参議院議員通常選挙]]までの期間を除く）、非改選議員と合わせて与党が過半数を確保できるかが最大の焦点とされていたが、結果、前年12月の衆院選で大勝し政権与党に返り咲いた自民・公明両党が合わせて過半数を超える議席を獲得して大勝をおさめ、「ねじれ」を解消させることに成功。ここに安倍自身にとってもかつての雪辱を果たすことが叶った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 以降 ====&lt;br /&gt;
それなりに長く政権を維持しているが何やってんだかよくわかんない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
* [[1954年]]9月21日:[[東京都]]に生まれる。本籍地は[[山口県]][[大津郡]][[油谷町]]（現・[[長門市]]）。&lt;br /&gt;
* [[1977年]][[3月]]:[[成蹊大学]][[法学部]]政治学科卒業&lt;br /&gt;
* [[1977年]][[4月]]:[[アメリカ合衆国|米国]][[カリフォルニア州]][[ヘイワード (カリフォルニア州)|ヘイワード]]の英語学校に入学。その後、[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の語学学校に転校した。&lt;br /&gt;
* [[1978年]]4月:[[南カリフォルニア大学]]に入学。[[政治学]]を専攻し春・夏・秋学期を履修し、[[1979年]]に[[退学|中退]]。&lt;br /&gt;
* [[1979年]]4月:株式会社[[神戸製鋼所]]入社&lt;br /&gt;
* [[1982年]]11月:神戸製鋼所退社、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]（[[安倍晋太郎]]）秘書官に就任&lt;br /&gt;
* [[1993年]]7月:衆議院議員初当選（旧・山口1区）&lt;br /&gt;
* [[1993年]]7月:衆議院議員初当選&lt;br /&gt;
* [[1999年]]10月:衆議院厚生委員会理事&lt;br /&gt;
* [[2000年]]7月:[[第2次森改造内閣]]で[[内閣官房副長官]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2001年]]4月：引き続き[[第1次小泉内閣]]で内閣官房副長官に就任&lt;br /&gt;
* [[2003年]]9月:[[自由民主党幹事長]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2004年]]9月:自由民主党幹事長代理に就任 党改革推進本部長に就任&lt;br /&gt;
* [[2005年]]10月:[[第3次小泉改造内閣]]で[[内閣官房長官]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2006年]]9月:[[自由民主党総裁]]に選出、第90代[[内閣総理大臣]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2007年]]9月:[[自由民主党総裁]]及び[[内閣総理大臣]]を辞職&lt;br /&gt;
* [[2007年]]9月:[[安倍改造内閣|安倍内閣]]総辞職&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な所属議員連盟 ==&lt;br /&gt;
*[[日韓議員連盟]]&lt;br /&gt;
*[[日本会議]]国会議員懇談会&lt;br /&gt;
*[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]&lt;br /&gt;
* [[公共放送のあり方について考える議員の会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政見・政策 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 国家像 ===&lt;br /&gt;
; [[美しい国]]&lt;br /&gt;
: 総裁戦直前の[[2006年]][[7月19日]]に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行する[[ベストセラー]]になった。政権[[スローガン]]も「'''美しい国日本'''を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「'''[[戦後レジーム]]'''（体制）」からの新たな船出”と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、[[安全保障]]などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。&lt;br /&gt;
: これまでの日本の歴史認識を自虐的な[[東京裁判史観]]とする[[保守]]層からは好意的に迎えられる一方、[[左派]]からは内閣発足当初から[[集団的自衛権]]を容認しアメリカに追従する[[軍国主義]]的な体制を作ろうとするものではないかという懸念が示されている。また「美しい国」という理念について、何が・また何をもって“美しい”とするのかはっきりせず、抽象的であるとする批評もある。さらには任期中においては「美しい国作り」と言う'''目標として掲げたもの'''であったが、当時の社会問題などのニュースなどの締めに「これが美しい国の正体」などと'''現在進行形の問題'''を持ってくる報道も少なからず存在していた。&lt;br /&gt;
; アジア・ゲートウェイ構想&lt;br /&gt;
: 第165回国会の所信表明演説にて「日本がアジアと世界の架け橋となる『アジア・ゲートウェイ構想』を推進します」と述べ、内閣官房に「アジア・ゲートウェイ戦略会議」を設置した。第166国会の[[施政方針演説]]では、2007年5月までに「アジア・ゲートウェイ構想」を取りまとめると明言したが、この構想の議論が本格化すると、閣内で対立が尖鋭化する。2007年5月、内閣官房長官[[塩崎恭久]]、[[内閣府特命担当大臣]]（経済財政政策担当）[[大田弘子]]、特命担当大臣（規制改革担当）[[渡辺喜美]]、[[内閣総理大臣補佐官]]（経済財政担当）[[根本匠]]の四者がこの構想について協議した際には、意見の相違から渡辺が根本に掴み掛かるなど混乱し、塩崎が仲裁する事態に発展した。&lt;br /&gt;
; 地方自治&lt;br /&gt;
: [[道州制]]の導入を検討。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 憲法 ===&lt;br /&gt;
総裁選では施行60周年を迎えた[[日本国憲法]]を改正すると宣言し、総理就任後の国会で、「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、60年近くを経て現実にそぐわないものとなっているので、[[21世紀]]にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べた&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20061003&amp;quot;&amp;gt;衆議院　本会議　平成18年（2006年）10月3日）「在任中に憲法を改正をしたい」との考えを述べた。（平成18年12月19日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。また“私は、国会議員になった当初から改憲論者だが、3つの点で憲法を改正すべきだと主張してきた。第一の理由だが、現行憲法は占領軍の手によって、憲法の専門家ではない人たちによって2週間そこそこで書き上げられた、と言われており、やはり国の基本法である限り、制定過程にもこだわらざるを得ない”と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改憲のための[[国民投票法案]]（[[日本国憲法の改正手続に関する法律]]）の整備をおこなうが、選挙に向けて野党の反対を押し切り成立させたためメディアでは法案の不備について批判が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 安全保障 ===&lt;br /&gt;
日本版「[[国家安全保障会議]]」（NSC）構想を推進した。総理就任以前は[[憲法改正]]に関しては[[集団的自衛権]]の容認を打ち出して来た。総理就任後は、防衛庁を[[防衛省]]へ格上げした。これは「戦後レジーム（体制）から脱却し、新たな国造りを行うための第一歩」と意義付けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年11月14日、安倍内閣は閣議で、核保有についての[[鈴木宗男]]の[[質問主意書]]に対して、「政府としては、[[非核三原則]]の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「[[核兵器]]であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との[[答弁書]]を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe with KSG Students.jpg|thumb|200px|[[総理大臣官邸]]を訪れた[[ハーバード大学]]学生らと[[内閣官房長官]][[塩崎恭久]]と安倍晋三]]&lt;br /&gt;
2006年12月に[[教育基本法]]を改正し、教育の目標の一つとして[[愛国心]]という言葉を盛り込んだ他、[[義務教育]]9年の規定や[[男女共学]]の項を削除した。[[内閣府]]直属の「[[教育再生会議]]」を立ち上げ、2007年6月には[[教員免許更新制]]を導入した。その他、[[学校週五日制]]の見直しや[[大学]]進学の条件として社会[[奉仕]]活動の義務化を提唱した。その他の政策としては、[[教育バウチャー]]制度の導入を検討、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長を務め、自民党の[[山谷えり子]]らと共に[[ジェンダーフリー]]教育に対する批判等を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改正後の教育基本法については、「一見、立派なことが書いてあるが、家族・郷土・歴史・伝統・文化・国など、私たちが大切にしなければいけないものが抜け落ちている。日本人として生まれたことに誇りを持つためには、そうしたことを子どもたちに教えていくことが大切ではないか」「“世界から尊敬されている”ということも、誇りが持てるということにとって大切だ。世界に貢献していく際に“日本はこういう理想を持っており、こういう世界を実現していきたい”と述べていく必要がある」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公務員改革 ===&lt;br /&gt;
[[内閣府特命担当大臣]]（規制改革担当）に[[渡辺喜美]]を置き、官僚主導の政治体制、公務員の給料制度、[[天下り]]、業界の談合体質など官僚にまつわる諸悪を摘出し、政官業の関係を健全化しようと国家公務員法改正を打ち出した。同改正法に基づいて（1）官民人材交流センター（人材バンク）の制度設計（2）キャリア制度の見直し、という２つの作業が開始され、それぞれについて有識者懇談会が設けられた。安倍も[[成田空港]]社長に官僚OBがなることを却下したり、[[東京証券取引所]]への天下り人事にも横槍を入れるなどの行動を見せていたが、官僚や自民党内から激しい抵抗が起るようになる。渡辺喜美行政改革担当相が、自民党行政改革推進本部の会合に出席し、各省庁による天下り支援を禁止する案を説明すると、党側に『各省にあっせん機能を残すべきだ』と猛反発されたり、天下り規制の懇談会にて天下りをしている元事務次官7人のヒヤリング調査をしようとしたところ、担当官僚が元事務次官に懇談会出席の要請すらしない等の抵抗が見られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この公務員改革で安倍は、特に社会保険庁改革（社保庁民営化）に力を入れていた。その理由としては年金行政への信頼回復とともに、社保庁の民営化によって公務員削減の突破口にしたいとの狙いがあった。しかしここでも激しい抵抗にあった。[[田原総一郎]]によれば、安倍が社保庁民営化を目指していたことで、社保庁がクーデターを起こし、社保庁の年金が酷い状態であるということを社保庁自らが民主党やマスコミに選挙前に広め、「いかに安倍が危機管理ができないか」と国民に思わせて退陣を狙う「自爆テロ」を行い、そしてマスコミもそれに乗った、と指摘された。しかし、第二次安倍政権では安倍の肝いり人事でまたもや日本年金機構の情報流出事件が起こり、安倍自身の年金問題に関しての危機管理が甘さが問題となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 労働政策 ===&lt;br /&gt;
;再チャレンジ政策&lt;br /&gt;
:小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定[[雇用]]の増加やいわゆる[[格差社会]]の是正を掲げ、[[再チャレンジ]]政策の一環として[[フリーター]]を[[正社員]]として採用するよう企業に要請したが、2006年8月の [[日本経済団体連合会|経団連]]が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果であり、期待通りの成果は出なかった。「[[ワーキングプア]]と言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も[[非正規雇用]]者が[[正規雇用|正規社員]]へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、[[偽装請負]]等に関しても、「[[法令]]、[[労働基準法]]に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510130014003c.html|title=第165回国会 参議院 予算委員会 第3号|date=2006-10-13|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[ホワイトカラーエグゼンプション]]（事務職残業手当適用除外制度）&lt;br /&gt;
:「[[日米投資イニシアチブ報告書]]」に基づき、この制度を導入する予定であったが、 [[マスメディア|メディア]]で「[[時間外労働|残業]]代ゼロ法案」と批判的に報じられ、反対世論が強まったため、[[2007年]]1月17日、「現段階では国民の理解を得られない」として、国会提出を断念した。&lt;br /&gt;
;「[[最低賃金]]」&lt;br /&gt;
:最低賃金の抜本的引き上げは、「[[中小企業]]を中心に労働コスト増で、かえって雇用が失われ非現実的だ。」とした&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070130&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070130004.htm|title=第166回 衆議院本会議 4号|date=2007-01-30|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年3月の参議院の[[予算委員会]]では、「最低賃金制度を[[生活保護]]以上にしていくという改正を行ない、成長力底上げ戦略を進めていく中で、中小企業と労働者の生産性を上げることによって、最低賃金も上げるという二段構えの仕組みを検討している」考えを示した&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070319&amp;quot;&amp;gt;第166回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成19年（2007年）3月19日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;格差問題&lt;br /&gt;
:「[[格差社会|格差]]はいつの時代もあるわけであって、格差を全くなくすことはこれは不可能であろう」、「努力した人が報われる社会をつくっていく、汗を流した人、頑張った人が、知恵を出した人が報われる社会をつくっていかなければいけない」、「結果平等の社会をつくろうとは全く思っていない」、「格差においては、これは不公平、不公正な競争の結果であってはならないし、また、社会的にこれはやはり容認できないという格差であってはならない」、「格差が固定化されてはならない」と述べている&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070301&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070301017.htm|title=第166回国会 衆議院 予算委員会 17号|date=2007-03-01|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 治安政策 ===&lt;br /&gt;
[[組織犯罪処罰法]]（いわゆる「共謀罪法案」）について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「[[国際組織犯罪防止法条約]]」を」批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の[[通常国会]]で成立を図るよう指示したが、反対する世論や自民党内からの反発も強いため、継続審議となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 党運営 ===&lt;br /&gt;
[[郵政民営化]]時の造反[[議員]]を復党させた（[[郵政造反組復党問題]]）。これに対しては国民から強い反発が出たため、支持率はその後低下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会保障 ===&lt;br /&gt;
; 中国残留孤児&lt;br /&gt;
: [[中国残留孤児]]問題における訴訟では請求を取り下げられた[[原告]]団に面会し、新たな支援を検討していくことを確認した。&lt;br /&gt;
; [[慈恵病院]]の「こうのとりのゆりかご」&lt;br /&gt;
: 2007年[[2月23日]]に、[[熊本市]]の[[慈恵病院]]が[[赤ちゃんポスト]]の設置を計画していることについて、「[[ポスト]]」という名前や匿名で子供を置いていけるものだということに大変抵抗を感じると反対の意向を示した。&lt;br /&gt;
; 年金問題&lt;br /&gt;
: [[年金記録問題]]では民主党の[[小沢一郎]]との[[党首討論]]で「[[宙に浮いた年金記録|消えた年金]]はどうするのか」という野党からの追及に対し「年金は消えたわけではない」として年金時効撤廃特例法案など具体的な救済案を提示した。該当者不明の年金記録5000万件の照合作業については「三千万人の方々とこの二千八百八十万件を一年間のうちに突合いたします」「一年間で私たちはすべて突合を行うということをお約束をする」と断言、当初2年程度を想定していた調査期間を前倒しすると表明し、自民党の公式HPでも宣伝した。第21回参議院議員通常選挙の際は、安倍自身が「最後の一人まですべての記録をチェックし、まじめに保険料を払ってきた人の受給を保障する」と各地で演説した。&lt;br /&gt;
: メディアや専門家からは、その公約の実現性に対して当初から懐疑的な意見が出されていた。[[社会保険庁]]は年金記録の照合作業を進めたものの、[[2008年]][[3月]]末までに持ち主が判明するのは1000万人程度に留まり、名寄せ困難な記録が1975万件に達すると発表された（人数や件数は[[2007年]][[12月]]時点での推計値）。安倍の公約実現は絶望的となり、後任の首相である福田康夫が謝罪する事態となった。福田は「（当時の）安倍総理は割合ときちんと言っているんじゃないかと思います」と安倍を擁護したが、内閣官房長官の[[町村信孝]]は「亡くなった方もいる。『最後の一人まで』ということはありえない。もとより無理」と述べ、安倍の公約の問題点を指摘した。&lt;br /&gt;
: 2008年1月、安倍はマスコミとの懇談の席上、「年金ってある程度、自分で責任を持って自分で状況を把握しないといけない。何でも政府、政府でもないだろ」と指摘した。公約違反との批判に対しては「今になって（参院選の）選挙演説の『最後の一人までチェックして支払います』が公約違反と言われるけど、俺は一言も三月までに支払うとは言ってないんだぜ」と反論している。&lt;br /&gt;
: 2008年3月、社会保険庁の照合結果が公表され、1172万件分の持ち主が特定できたが、名寄せ困難な未解明記録は2025万件に達したことが明らかになった。&lt;br /&gt;
: なお、国民皆年金制度は祖父・[[岸信介]]が首相時代に策定したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交 ===&lt;br /&gt;
[[Image:APEC2006 Roh Bush Abe (2).jpg|thumb|200px|[[2006年]]の[[アジア太平洋経済協力|APEC]]にて、[[大韓民国大統領]][[盧武鉉]]、[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と、安倍晋三]]&lt;br /&gt;
[[Image:DickCheney visits ShinzoAbe in Tokyo, 2007Feb21.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[2月21日]]、[[総理大臣官邸]]にて[[アメリカ合衆国副大統領]][[ディック・チェイニー]]と会談する安倍晋三]]&lt;br /&gt;
''下記の[[安倍晋三#歴史認識|歴史認識]]も参照''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日中・[[日韓問題|日韓関係]]を改善し、[[東アジア共同体]]の構想に強い意欲を示す。[[新自由主義]]政策・[[グローバル資本主義]]を推進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[大韓民国]]&lt;br /&gt;
:韓国の[[親米保守]]勢力（現在は[[ハンナラ党]]）とは韓国が[[朴正煕]][[軍事独裁]]政権だった頃から[[国際勝共連合]]などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての[[親韓派]]だった安倍も首相になってから「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っております。」と[[親韓]]的な発言をしている。&lt;br /&gt;
;[[中華人民共和国]]&lt;br /&gt;
:2006年の[[自民党総裁選]]では、ありのままの日本を知ってもらう為に多くの[[中華人民共和国|中国人]][[留学生]]を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した日中関係の改善に意欲を見せた。首相就任後、真っ先に訪中して[[胡錦濤]][[中華人民共和国主席|国家主席]]と会談する。この訪中は中国側から「氷を砕く旅（破氷之旅）」と呼ばれて[[評価]]された。&lt;br /&gt;
;[[朝鮮民主主義人民共和国]]&lt;br /&gt;
:2007年[[2月12日]]に来日した[[ディック・チェイニー|チェイニー]]米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対する[[テロ支援国家]]指定の解除をしないように要請した。3月1日、[[六者会合|6者協議]]の[[日朝国交正常化]]に関する作業部会への対応について「拉致問題の完全解決、前進を目指して全力を尽くすように」と指示し、エネルギー支援の参加についても「我々が判断をして決めていきたい。北朝鮮が決めることではない。我々が（拉致問題で）納得できなければ前進とは認めない」と強調し、拉致問題を安倍政権の最重要課題とする従来の姿勢を確認した。&lt;br /&gt;
;[[アメリカ合衆国]]&lt;br /&gt;
:小泉政権により強化された[[日米安全保障条約]]をさらに充実させるため[[在日米軍]]と[[自衛隊]]の一体化を目指しており、[[集団的自衛権]]行使のための[[憲法改正]]も視野に入れている。&lt;br /&gt;
;[[オーストラリア]]&lt;br /&gt;
:オーストラリアとは「基本的価値観を共有する国家として連帯強化を目指している。[[日豪FTA]]の交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年[[3月13日]]には[[安全保障協力に関する日豪共同宣言]]に[[ジョン・ハワード]]首相と共に署名した。この宣言には[[国際連合平和維持活動|PKO]]などの海外活動や対[[テロリズム|テロ]]対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた。「豪との共同宣言が中国狙ったものでない」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史認識==&lt;br /&gt;
===戦争責任・村山談話===&lt;br /&gt;
総裁選を目前に控えた2006年9月7日、「[[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話|村山首相談話]]」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」とした。その一方で、2006年10月6日、衆議院[[予算委員会]]で、[[A級戦犯]]について、「[[戦争犯罪]]人である」と明言した小泉前総理の答弁を修正し、「国内法的には犯罪者ではない」との見解を示し、[[戦争責任]]については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816520061006003.htm|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 第3号|date=2006-10-06|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2006年10月5日、衆院予算委員会で、[[東条内閣]]の[[商工大臣]]だった岸信介が対米英開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」とも述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816520061005002.htm|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 2号|date=2006-10月-05|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===慰安婦問題・河野談話===&lt;br /&gt;
日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「[[新しい歴史教科書をつくる会]]」を支援して来た自民党内部の[[議員連盟]]「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会|日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会]]」（1997年2月27日結成）の元事務局長。現在[[中川昭一]]と共に顧問を務める。同会は特に「侵略戦争」や「[[慰安婦]]」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の[[強制連行]]を認めた「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]」を発表した[[河野洋平]]を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]の証言が虚偽であることが判明したため、「河野談話」および教科書への「慰安婦」の記述を載せることは問題であると指摘している&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/140/0414/14005270414002c.html|title=第140回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第2号|date=1997-05-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている&amp;lt;ref&amp;gt;『[[中央日報]]』　2005年4月2日付2面。&amp;lt;/ref&amp;gt;。総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言。[[2007年]]3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語った。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「決議案は客観的事実に基づいていない。」「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社民党の[[辻元清美]]の慰安婦問題に関する[[質問主意書]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm|title=安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書|date=2007-03-08|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に対して、政府は2007年3月16日の閣議で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm|title=衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書|date=2007-03-16|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「慰安婦」問題については存在しないとする立場を従来からとってきたことと、自民党有志でつくる「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]」による[[河野談話]]見直し発言&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「軍の慰安婦強制連行なかった…自民有志が見解表明要求 | work=読売新聞 | url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070301ia01.htm | accessdate=3月1日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;が一部マスコミの反発を招いた。2007年3月4日テレビ朝日の番組に出演した[[世耕弘成]]首相補佐官は、「河野談話を継承する」と発言&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「河野談話は継承＝世耕補佐官 | work=時事通信 | url = http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;k=2007030400072 | accessdate=3月4日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;し鎮静化を図ったが、近隣アジア諸国を中心に非難が巻き起こった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/02/AR2007030200235.html|title=Growing Chorus Slams War-Brothel Remarks|work=ワシントン・ポスト AP通信社|language=英語|date=2007-03-2|accessdate=3月2日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。安倍はその後、慰安婦について日本の責任を認める発言を繰り返し&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「安倍首相：従軍慰安婦で日本の責任認める　米メディアに | work=毎日新聞 | url = http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070421k0000e010063000c.html | accessdate=4月21日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、2007年4月27日には海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う」（I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.） 　「私たちは、戦時下の環境において、そうした苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている」（We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under　the circumstances at the time.）とお詫びを表明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6598289.stm|title=Abe explains sex slave comments|work=BBC News|language=英語|date=2007-04-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。同日の日米首脳会談で、ブッシュ大統領との会談で「人間として、首相として、心から同情している。申し訳ない思いだ」と謝罪&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「日米首脳会談 安倍首相、慰安婦謝罪具体的表現なし」 | work=中央日報 | url = http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=86960&amp;amp;servcode=200&amp;amp;sectcode=200 | accessdate=4月28日 | accessyear = 2007年 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;した。しかし、欧米のマスコミからは「二枚舌」(Double Talk)と非難された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/23/AR2007032301640.html ワシントンポスト2007年3月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[第21回参議院議員通常選挙]]敗北直後の2007年7月31日、アメリカ下院で[[アメリカ合衆国下院121号決議|慰安婦非難決議]]が採択された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 靖国神社参拝 ===&lt;br /&gt;
首相の[[靖国神社]]参拝について「国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だ。お参りすべきだと思う」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[歴史認識]]を巡って[[反日]]騒動が起こった[[中華人民共和国|中国]]と[[大韓民国|韓国]]の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは[[内政干渉]]だという見解を持っている。官房長官時代の2006年8月4日の記者会見で、同年4月15日朝に、密かに靖国神社を参拝していた（「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉ぐし料を収めた）ことについて質問された際には「参拝したかしないかについては申し上げるつもりはない」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首相就任後も参拝を続ける意向を示し、2007年1月17日の自民党大会で決定された運動方針でも「靖国参拝を受け継ぐ」ことが明記されたが、外交問題や政治問題になるのを避けるため自身の参拝については明言しない考えを改めて示した。首相在任中は参拝を行わなかったが、安倍はこれについて首相退任後に「『主張する外交』を展開する中で、日本のための将来の布石を打つため大きな決断をした」と説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 問題の指摘 ==&lt;br /&gt;
=== 団体や人物との関係 ===&lt;br /&gt;
; [[統一協会]]・[[国際勝共連合]]&lt;br /&gt;
: 母方の祖父[[岸信介]]と父[[安倍晋太郎]]が統一教会及びその関連団体である[[国際勝共連合]]と関わりが深いと言われていた（''詳細は[[岸信介#勝共連合・統一教会との関係|岸信介の当該記事]]や[[安倍晋太郎#関係する人物や団体|安倍晋太郎の当該記事]]を参照''）こともあり、晋三が次期総理候補として取り沙汰されるようになって以降、統一教会との関係を指摘をする雑誌等の記事が散見される。&lt;br /&gt;
: 官房長官当時の[[2006年]]、統一教会系列の団体である「[[天宙平和連合]]」 (UPF) の集会（[[合同結婚式]]も行われたとも言われたが統一教会は否定&amp;lt;ref&amp;gt;統一教会系列の韓国の『[[世界日報 (韓国)|世界日報（セゲイルボ）]]』はこの大会は、「韓日男女二千五百組の合同結婚が併せて行われた」と報じ、日本の統一教会の機関誌『中和新聞』（2006年6月1日付）も（合同結婚式の主要[[儀式]]である）「『聖水式』と『聖婚問答』が行われました」と報じたが、『セゲイルボ』は同月28日付で、合同結婚が行なわれたとしたのは誤報だったとして訂正文を掲載した。[http://www.uc-japan.org/hodo.aspx?id=364&amp;amp;pg=0 「『週刊現代』9月30日号記事に対する抗議及び謝罪・訂正要求」]&amp;lt;/ref&amp;gt;）のイベントに[[祝電]]を寄せた（[[保岡興治]]やその他の自民党議員も）ことが新聞、雑誌等で伝えられ&amp;lt;ref&amp;gt;この祝電の件について、『[[週刊現代]]』、『[[週刊ポスト]]』、『[[週刊文春]]』、『[[週刊新潮]]』などは取り上げなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、社会的に問題の多い団体と関係することへの批判を呼んだ。映像は[[インターネット]]上の[[動画]][[ウェブサイト|サイト]][[youtube]]にアップロードされ、ネット上で広く話題になった。このイベントで司会者が晋三を「岸信介元総理大臣のお孫さんでらっしゃり」と、岸信介時代からの親密振りをアピールして紹介していた。この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、後に「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。統一教会に批判的な[[ジャーナリスト]][[有田芳生]]によれば、安倍は統一教会は拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援しており、[[霊感商法]]などの問題で日本の公安当局の監視対象である団体であることから、面会を求められても会わないようにしているという方針を取っていると語っており&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://s03.megalodon.jp/2008-0602-2353-32/saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2006/09/post_92eb.html|title=安倍晋三と統一教会（1）&amp;lt;魚拓&amp;gt;|date=2006-09-12|author=[[有田芳生]]|work=有田芳生の酔醒漫録|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、また「目的のためなら平気で祝電を捏造するような組織ですから、勝手に名前を使うのもありうる話です」と解説している&amp;lt;ref&amp;gt;週刊朝日 2006年6月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: [[霊感商法]]被害対策に取り組んで来た「[[全国霊感商法被害者対策弁護士連絡会]]」が安倍と保岡に対し、真意や今後の姿勢を問う「公開質問状」を送ったが、二人とも回答をしていない&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/siryou/shitumon/060619.htm|author=全国霊感商法対策弁護士連絡会|title=公開質問状|date=2006-06-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[生長の家]]&lt;br /&gt;
:第2代生長の家[[総裁]]の[[谷口清超]]の著書の第1部は「美しい国」から始まる。また、政治[[評論家]]の[[有馬晴海]]は、「生長の家の政策部門の別働隊に[[日本政策研究センター]]がある。ここの[[伊藤哲夫]]所長こそ安倍首相の[[ブレーン]]です。安倍首相の考え方はほぼすべて伊藤所長の考えと同じと考えていい。首相は生長の家の信者ではないと思いますが、その教えには心酔していると思います」述べている。&lt;br /&gt;
; [[公明党]]・[[創価学会]]&lt;br /&gt;
: 父、晋太郎と祖父の岸信介は創価学会・公明党と関係が深かったと言われ、晋太郎は1985年、[[大石寺]]の[[正本堂 (大石寺)|正本堂]]完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、[[池田大作]]と何度も面会したという&amp;lt;ref&amp;gt;創価学会機関紙『[[聖教新聞]]』（2001年3月）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、小選挙区制度が導入され、二大政党制に近づけば、創価学会は自分から離れてゆくとの判断から、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「[[四月会]]」（代表幹事:[[俵孝太郎]]）&amp;lt;ref&amp;gt;「四月会」は自民党が野党に転落した1994年に、自民党を支持する宗教団体（「[[立正佼成会]]」、「[[霊友会]]」、「[[仏所護念会]]」などを中心に結成され、創価学会と公明党の関係を「政教一致だ」と批判してきたが、一部の教団が公明党と連立を組んだ自民党との関係修復に乗り出したことで2001年3月に解散した。&amp;lt;/ref&amp;gt;の集会などに参加したこともあった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sgkaibou&amp;quot;&amp;gt;[[朝日新聞]][[AERA|アエラ]]編集部 『創価学会解剖』（[[朝日新聞社]] 2000年1月1日） ISBN 978-4022612861 &amp;lt;/ref&amp;gt;。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという&amp;lt;ref name=&amp;quot;sgkaibou&amp;quot;/&amp;gt;。1989年に死去した池田大作の次男&amp;lt;!-- 著名活動をしていないと思われるので本名を記載しないで下さい。 --&amp;gt;は成蹊高校時代の同期生である&amp;lt;ref name=&amp;quot;faki&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.forum21.jp/2006/11/post_33.htm|work=FORUM21|title=特集/安倍・小泉新旧首相の池田大作詣で|date=2006-11-01|author=乙骨正生|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 首相就任直前の[[2006年]]9月22日に安倍晋三は、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、[[池田大作]]創価学会名誉会長と会談を持ったと主要新聞&amp;lt;ref&amp;gt;『[[日経新聞]]』・『[[毎日新聞]]』・『[[朝日新聞]]』・『[[読売新聞]]』や『[[週刊文春]]』などが報じた。毎日は20日と報道。&amp;lt;/ref&amp;gt;「『[[産経新聞]]』を除く」を初め各種[[マスメディア|メディア]]が伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の[[戸田城聖]]が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った&amp;lt;ref&amp;gt;『[[毎日新聞]]』 2006年10月8日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: その後、国会で池田と面会した事実があったかという[[野党]]の質問に対して安倍は「そういうことはございません。」という答弁を繰り返した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510110014001c.html|title=第165回国会 参議院 予算委員会 1号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年2月13日の衆議院[[予算委員会]]でも同様に否定した&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070213&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070213007.htm|title=第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号|accessdate=2008-05-14}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;kmovie20070213&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=33410&amp;amp;media_type=wn&amp;amp;lang=j&amp;amp;spkid=901&amp;amp;time=07:17:50.0|title= 「インターネット審議中継」[[亀井静香]]の安倍晋三への質疑（第166回国会 衆議院 予算委員会 7号|author=衆議院|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 安晋会&lt;br /&gt;
: {{See also|安晋会}}&lt;br /&gt;
: 国会で、 [[小嶋進]] [[ヒューザー]]社長（当時）が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の[[国会議員政策担当秘書|政策秘書]]を紹介してもらい、「[[構造計算書偽造問題|耐震偽装問題]]」に関して[[国土交通省]]への対応を働きかけてもらったことを[[証人喚問]]で認めた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009916320060117014.htm|title=第163回国会 国土交通委員会 第14号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ことでその存在が知られることになった。この私設後援会の代表はかつては[[バブル景気]]の際に自己[[破産]]した[[デベロッパー (開発業者)|デベロッパー]]会社会長であり、建設・不動産業者を中心とした「[[UDI経営者連合会]]」という政治団体の理事長の[[杉山敏隆]]（[[ヒューザー]]の[[ウェブサイト]]を運営していた&amp;lt;ref&amp;gt; {{cite web|url=http://web.archive.org/web/20050302234744/http://www.goalnet.co.jp/company/company.html|title=ゴールネット株式会社の公式サイト|accessdate=2008-05-14}} [[ウェブアーカイブ]]に保存されたもの&amp;lt;/ref&amp;gt;ゴールネット株式会社会長（息子の杉山剛太が社長））で、副会長は [[APAホテル]]会長の[[元谷外志雄]]（[[イーホームズ]]の[[藤田東吾]]社長がAPAホテルの耐震偽装の告発した直訴状を安倍晋三に直接手渡そうとしたが追い返された後にその偽装が発覚した）である。また、 耐震偽装事件とも関連があるとの説もあり、[[ライブドア事件]]の最中に不審死を遂げた[[エイチ・エス証券]]副社長であった野口英昭が[[理事]]（経理）になっていた&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊ポスト]]』（2006年2月10日号）&amp;lt;/ref&amp;gt;ことが判明したことなどから、「安晋会」は安倍の秘密後援会であり、安倍は耐震偽装問題に関して、業者の利益のために[[国土交通省]]に働きかけたのではないかなどの疑惑が出た。安倍は記者会見や国会で小嶋社長またヒューザー社とは一切関係がなく、国交省に対する働きかけは一切していないと明言し、国会では小嶋社長の証言の多くに嘘があると述べた。そして「『安晋会』は後援会とか政治団体ではなく、自分や自分の事務所が管理をしている団体ではない」、「慶應義塾大学の同窓生たちの親睦会で、自分が招待された際に自分の名前をとって『安晋会』と命名した」と説明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816420060126002.htm#p_honbun|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 2号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.netlaputa.ne.jp/~ken2net/sub100.htm|title=第165回国会 参議院 本会議 5号|accessdate=2007-10-04}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[アサリ]]輸入業者&lt;br /&gt;
: 現在輸入が禁止されている北朝鮮産のアサリを不正に輸出していた業者が、安倍との関係で摘発を逃れていたとする[[怪文書]]が2007年にマスコミで騒がれていた。実際、過去に父の安倍晋太郎と件のアサリ業者との癒着はあったが、安倍晋三との関係は無かったとされる&amp;lt;ref&amp;gt;「北」産? アサリ輸入業者と安倍一族の関係]」[[読売ウイークリー]] 2007年4月1日号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[コムスン]]&lt;br /&gt;
:[[グッドウィル・グループ]]のグループ会社で福祉介護ビジネスを行う株式会社[[コムスン]]（数々の不正を起こし、厚労省により全業務停止の処分をされている）と親密であったことが知られている。安倍晋三が[[内閣官房副長官]]時代には[[折口雅博]]会長と対談しており&amp;lt;ref&amp;gt;[http://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.comsn.co.jp%2Fcomsnpress%2Ftsushin%2Fct-10%2Fp-n10-6-11.html&amp;amp;date=20070609194523 折口雅博と安倍晋三との対談 - The Comsn Times（現在、コムスン側に該当ページを削除されたためウェブ魚拓のリンク）]&amp;lt;/ref&amp;gt;、安倍晋三は「コムスンは一生懸命やっておられる。」とコムスンを賛美している。対談では2人が笑顔で固い握手を交わす写真も掲載されている。&lt;br /&gt;
; [[在日本朝鮮人総聯合会]]&lt;br /&gt;
: 2008年1月26日、首相当時の番記者を集めた地元山口での[[オフレコ]]懇親会において、「朝鮮総連の山口の幹部とも俺は仲がいいんだよ。やっぱり幹部は金持ちだしね。いろいろと子弟の就職の世話とかを頼まれるんだよ」&amp;lt;ref name=bunshun20080221/&amp;gt;と述べている。&lt;br /&gt;
;[[在日韓国人]]系[[パチンコ]]業者&lt;br /&gt;
:韓国の[[親米保守]]勢力（現在は[[ハンナラ党]]）とは韓国が[[朴正煕]][[軍事独裁]]政権だった頃から[[国際勝共連合]]などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての[[親韓派]]だった。その繋がりのため、安倍の[[下関]]事務所は、日本で[[パチンコ]]事業を展開する[[在日韓国人]]系の[[七洋物産]]（東洋エンタープライズ）関連のビルを借りている。&amp;lt;ref&amp;gt;http://s01.megalodon.jp/2008-1001-0529-46/www.chosunonline.com/article/20060921000027&amp;lt;/ref&amp;gt;また下関の2000坪の実家は七洋物産から提供を受けており、地元下関（大規模なコリアンタウンがある）ではパチンコ御殿と呼ばれている。&lt;br /&gt;
;[[慧光塾]]&lt;br /&gt;
: [[光永仁義]]（[[1947年]][[11月3日]]-[[2005年]][[7月13日]]）が[[1993年]]に設立した[[経営コンサルタント]]会社。社長の光永は安倍の祖父の岸信介、父の晋太郎とも関係していたと言われ、安倍は父、晋太郎の秘書官時代に光永の設立した「光カメラ販売」（[[1991年]]倒産）では取締役に、「光国際通信」では「安晋会」代表の杉山敏隆と共に役員に就任していた&amp;lt;ref&amp;gt;「{{cite web|url=http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/07/post.html |title=『慧光塾』“教祖”と安倍晋三代議士との只ならぬ関係を物語る決定的証拠|work=情報紙「[[ストレイ・ドッグ]]」（山岡俊介取材メモ）|author=[[山岡俊介]]|date=2005-07-08|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[日興コーディアルグループ]]&lt;br /&gt;
: [[2006年]]、[[金融庁]]・[[証券取引等監視委員会]]の調査により日興コーディアルグループの不正[[会計]]処理が発覚した。同様の不祥事が起きた[[クラシエホールディングス|カネボウ]]は[[上場廃止]]となっており、日興も上場廃止基準に抵触すると見られたが、[[東京証券取引所]]は日興に上場廃止処分を下さず、[[監理ポスト]]に割り当てた。東京証券取引所は、[[赤字]]を[[黒字]]にしたのではないこと、組織的、意図的でないこと、を理由として挙げている。日興については、『[[サンデープロジェクト]]』に出演した[[山田厚史]]が「日興には安倍事務所に強い[[常務]]がいる」&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-02-21|url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200802210279.html|title=中国新聞ニュース|publisher=[[中国新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[2月21日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘している。&lt;br /&gt;
: なお、山田の発言に関しては、上場維持に安倍が関与したと誤解される表現だと主張し、安倍の[[公設秘書]]が山田と朝日新聞社を[[東京地方裁判所]]に訴え3400万円の[[損害賠償]]と[[謝罪]][[広告]]の掲載を要求した。2008年2月、山田が「テレビでの発言で、原告らが誤解するような表現があったとすれば遺憾」と表明し、公設秘書は損害賠償請求や謝罪広告の掲載を放棄する、とした[[和解]]が成立した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-02-21|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080221/trl0802212157008-n1.htm|title=安倍前首相秘書と朝日元編集委員が和解 - MSN産経ニュース|publisher=産経デジタル|language=日本語|accessdate=[[2月21日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 問題を指摘された行動 ===&lt;br /&gt;
==== NHKへの圧力疑惑 ====&lt;br /&gt;
{{Main|NHK番組改変問題|女性国際戦犯法廷#外国からの政治的影響を指摘する批判}}&lt;br /&gt;
イギリスの新聞紙「Times」がNHKの内部文書を暴露した。Timesが暴露した文章によると、NHKは安倍政権から南京大虐殺や慰安婦問題などへの言及を禁止されていたとのこと。安倍政権側はNHKに強く日本の保守的な民族主義と政府の立場を反映するように命令し、NHKもそれに従っていたと報じられた。&lt;br /&gt;
Timesは「イギリスでは話題になっている情報も取り上げられない」と述べ、安倍政権とNHKが癒着していることの問題性を指摘した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.thetimes.co.uk/tto/news/world/asia/article4239769.ece}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 脱税疑惑 ====&lt;br /&gt;
[[週刊現代]]は2007年9月29日号（9月15日発売）において、安倍が[[相続税]]を[[脱税]]していたとの記事を掲載した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
週刊現代は安倍の辞意表明当日に、以前から脱税疑惑についての取材を安倍に申し入れていたことを明らかにした&amp;lt;ref&amp;gt;「『脱税疑惑』全くの誤り＝週刊誌取材に安倍首相事務所」時事通信 2007年9月13日&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方で安倍の事務所は「事実無根である」と反論し、週刊現代を発行する[[講談社]]に対して、該当記事を掲載しないよう「警告文書」を送った。事務所の関係者によると、父である晋太郎が個人資産を政治団体に寄付し、相続税の支払いを免れたのではないか、との質問が週刊現代からあったという。同事務所は、「収支報告書には、あくまでも第三者からの寄付を晋太郎氏名義で記載しているにすぎない」として、全面的に否定している。総理大臣辞任に関して、健康問題は子の脱税問題をカモフラージュするためであるとの指摘もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本件は[[刑事事件]]としては既に時効が成立しているが、週刊現代は財務省相続税担当官の話として「これが事実なら明らかに脱税」、「自主的に納めていただきたい」などと掲載した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 危機管理 ====&lt;br /&gt;
; [[えひめ丸事件]]&lt;br /&gt;
: [[2001年]][[2月10日]]、アメリカ合衆国[[ハワイ州]]沖にて、[[愛媛県立宇和島水産高等学校]]所属練習船「[[えひめ丸]]」が[[アメリカ海軍]]所属[[原子力潜水艦]]「[[グリーンヴィル]]」に衝突され沈没する事件が発生した。[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編後)|森政権]]では、緊急事態発生時には内閣総理大臣、危機管理担当大臣、[[内閣官房長官]]、[[内閣官房副長官]]のいずれかが休日であっても30分以内に総理大臣官邸に参集し即応する危機管理体制を取っていた。えひめ丸事件発生時には、内閣総理大臣[[森喜朗]]、[[防災担当大臣]]（危機管理担当兼務）[[伊吹文明]]と内閣官房長官[[福田康夫]]は東京を離れており、緊急事態発生時の官邸参集は内閣官房副長官の安倍が担当だった。しかし、都内の自宅にいた安倍は事件発生後30分以上経っても官邸に出向かず、ゴルフ場にいた[[森喜朗]]に対し官邸側からその場を離れないように指示するなど対応が混乱し、後に大きな批判を浴びることになった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001815120010216007.htm 第151回国会 予算委員会 第7号（平成13年2月16日（金曜日））]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[イラク日本人人質事件]]&lt;br /&gt;
: 2004年4月8日、イラクで日本人3名が武装勢力によって誘拐され、犯行声明が出された際、小泉首相は読売新聞編集委員の橋本五郎、毎日新聞特別顧問の岩見隆夫など、複数の大手新聞社の幹部と懇談していた。そこに同席した安倍には、逐一、携帯電話で状況が報告されたが、会食が終わるまで小泉首相には報告しなかった。&lt;br /&gt;
; 能登半島地震&lt;br /&gt;
: 2007年[[3月25日]]、[[石川県]][[輪島市]]沖の日本海で[[マグニチュード]]6.9の[[能登半島地震]]（最大[[震度]]6強）が発生した。地震発生から数分後には総理大臣官邸の危機管理センターに対策室が設置された。しかし、安倍は週末や休日は公邸ではなく私邸で過ごすことが多く、地震発生の日も私邸に滞在していたため、発生から2時間後に官邸に到着した。衆議院議員の[[江田憲司]]は「東京直下型地震やテロが発生したら、道路事情等で迅速に官邸入りできない可能性もある」&amp;lt;ref name=shukanasahi20070511&amp;gt;関百合子・喜多克尚「勤務は『9時〜9時』夜は自宅でDVD首相就任200日、アベちゃんの『平凡なる総理ライフ』徹底分析」『[[週刊朝日]]』112巻22号、[[朝日新聞社]]、[[2007年]][[5月11日]]、34頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘し「危機管理の最高責任者である総理が、官邸のオペレーションルームに寄せられる生の情報をもとに瞬時に判断を下せないと意味がない。首相としての自覚があるなら、私邸に泊まるのは控えるべき」&amp;lt;ref name=shukanasahi20070511/&amp;gt;と批判した。なお、安倍内閣発足から204日間のうち、安倍が公邸に引っ越してから週末・休日に就寝した場所の内訳は公邸34%、私邸49%となる&amp;lt;ref&amp;gt;関百合子・喜多克尚「勤務は『9時〜9時』夜は自宅でDVD首相就任200日、アベちゃんの『平凡なる総理ライフ』徹底分析」『[[週刊朝日]]』112巻22号、[[朝日新聞社]]、[[2007年]][[5月11日]]、33-35頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 平成19年台風第4号&lt;br /&gt;
: 2007年[[7月14日]]、[[平成19年台風第4号]]（[[サファ・シンプソン・ハリケーン・スケール|SSHS]]カテゴリー4）が[[鹿児島県]]に上陸した。この[[台風]]は、[[沖縄県]]接近時に[[那覇市]]で最大瞬間風速56.3[[メートル]]（日本国内の7月の観測史上最大）を記録し、本土上陸時中心気圧は945[[ヘクト]][[パスカル]]（7月に日本に接近した台風としては観測史上初）を記録したことから、極めて大きな被害が予想された。同日、官邸で開かれた災害対策関係省庁局長会議にて安倍は「人命救助を最優先してほしい」と指示した。しかし、内閣府特命担当大臣（防災担当）の[[溝手顕正]]は自身の[[第21回参議院議員通常選挙|選挙]]運動のため帰郷したまま東京に戻らず、安倍も溝手に対し帰京する指示を出さなかったことから、防災対策の最高責任者が不在のままとなり論議を呼んだ。なお、この台風により全国各地で大規模な被害が発生したため、[[激甚災害法]]に基づき[[激甚災害]]（いわゆる「本激」）に指定された。&lt;br /&gt;
; 新潟県中越沖地震&lt;br /&gt;
: 2007年[[7月16日]]、[[新潟県]]沖の日本海でマグニチュード6.8の[[新潟県中越沖地震]]（最大震度6強）が発生した。[[第21回参議院議員通常選挙]]の遊説中に地震発生を知らされた安倍は、いったん官邸に戻ってから、地震発生当日にもかかわらず震度6強を記録した柏崎市を訪問した。余震の発生が懸念される中で首相自らが震源地に程近い現地を訪問したことは、危機管理の観点から議論を呼んだ。&lt;br /&gt;
: 元[[経済企画庁長官]]の[[堺屋太一]]は「現場に行ったときに果たして正確な情報が得られるのか。総理大臣は通信情報の拠点におられた方が良かった」&amp;lt;ref name=jiji20070722&amp;gt;{{Cite web|date=2007-07-22|url=http://www.tbs.co.jp/jijihoudan/last/070722.html|title=時事放談|publisher=[[東京放送]]|language=日本語|accessdate=[[7月22日]]|accessyear=[[2007年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘し、衆議院議員の[[加藤紘一]]は「担当大臣を派遣するっていうのが本来の第一歩だと思います。総理大臣は大将ですから、一番官邸にいて指示を出すっていうのがいい対応」&amp;lt;ref name=jiji20070722/&amp;gt;と指摘した。さらに、安倍の行動については「首相が発生直後に行けば、現場が首相への対応に人手を割かなければいけなくなり、行っても混乱するだけだ」&amp;lt;ref&amp;gt;「首相『危機管理』に懸命――政権発足後、初の大地震」『[[讀賣新聞]]』47518号、[[読売新聞東京本社]]、[[2008年]][[6月15日]]、4面。&amp;lt;/ref&amp;gt;との指摘もなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 問題を指摘された発言 ===&lt;br /&gt;
; 原子爆弾の保有・使用&lt;br /&gt;
: [[2002年]][[2月]]、[[早稲田大学]]での講演会（非公開）における[[田原総一朗]]との質疑応答で、「小型であれば[[原子爆弾]]の保有や使用も問題ない」、と発言したと『[[サンデー毎日]]』 （2002年6月2日号）が報じて物議を醸したが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と報道の間違いを指摘し、政府の“政策”としては[[非核三原則]]により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した[[第2次岸内閣|岸内閣]]の歴史的答弁（1959年、1960年）を学生たちに紹介したのであると説明した。&lt;br /&gt;
; 民主党を「中国の拡声器」&lt;br /&gt;
: 2002年5月19日中国・[[瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件]]に関して、テレビ番組において民主党を「中国の拡声器」と呼んで中傷した。安倍は、2日後の5月21日、参議院[[外交防衛委員会]]において、民主党の激しい反発にあい、発言を[[撤回]]した。&lt;br /&gt;
; 土井たか子と菅直人に対し「マヌケ」&lt;br /&gt;
: 2002年10月19日[[広島市]]・[[岡山市]]の講演において「[[1985年]]に韓国入国を図り逮捕された[[辛光洙]]（シン グァンス）容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、[[盧泰愚]]政権に要望書を出した人たちがいる。それが[[土井たか子]]、あるいは[[菅直人]]だ」「この2人は、[[スパイ]]で原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。この発言は両議員から抗議を受け、同月21日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられ、社民党の日森文尋衆院議員が抗議した。また、土井党首も記者団に「人格とか品格の問題にかかわる」と不快感を示した。結局、安倍が自らの発言を「不適切」と認めたことで、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会にて決着した。大野功統委員長が安倍に「適切さを欠く表現があったと思われるので注意して欲しい」と伝え、 安倍は「官房副長官という立場を考えると、不適切な発言だったので、今後十分注意する」と述べたという。 その後、大野委員長が、このやりとりを理事会で報告し、民主、社民両党も了承した&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』 2002年10月26日付{{cite web|url=http://www.asahi.com/politics/update/1025/005.html|title=安倍副長官、「間抜け」発言を不適切と認める|accessdate=2002-10-25}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; カタカナ語&lt;br /&gt;
: [[所信表明演説]]や[[施政方針演説]]において「[[外来語|カタカナ語]]」を使い過ぎているとの指摘を受けた&amp;lt;ref&amp;gt;「ゲートウェイ」、「グランドデザイン」、「[[リバースモーゲッジ|リバースモーゲージ]]」、「ホワイトカラー・エグゼンプション」、「新健康フロンティア戦略」、「[[イノベーション]]」、「セーフティーネット」、「パートナーシップ」、「[[バイオマス]]」、「[[同一性|アイデンティティー]]」など所信表明演説では109語、施政方針演説では90語の「カタカナ語」を使った。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』（2007年1月22日付夕刊） コラム「窓」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 漢字一文字で「責任」&lt;br /&gt;
: 2006年末に記者から「今年を漢字一文字で表すと？」と質問された際に、「それは…『責任』ですかね」と、二文字の漢字を回答した。&lt;br /&gt;
; ときわ台駅での警察官の殉職&lt;br /&gt;
: [[東武東上線]][[ときわ台駅 (東京都)|ときわ台駅]]で[[自殺]]しようとした女性を救おうとして[[殉職]]した、[[警視庁]]板橋署の[[巡査部長]]を[[2007年]][[2月12日]]夜に弔問した際、故人の勇気ある行為を讃えるコメントで、名前を2度にわたって間違えた。首相公邸連絡調整官（妻・[[安倍昭恵|昭恵]]の補佐員）と混同したのでは、と言う声が上がっている。これについて、作家の[[吉川潮]]は産経新聞のコラムで「『名前ぐらい、ちゃんと覚えて行け!』と叱りたくもなる」「総理の人間性にも問題があるのではないかと思ってしまう」と批判をしている。&lt;br /&gt;
; 長崎市長射殺事件&lt;br /&gt;
: 2007年[[4月17日]]、[[長崎市長射殺事件]]が発生し[[長崎市]][[市長]][[伊藤一長]]が射殺されると、安倍は「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」との短い総理談話を発表した。[[国際連合事務総長]]や与野党の党首・幹事長らが[[民主主義]]に対する[[テロ]]や[[暴力]]を強く非難する声明を発表するなか、安倍の談話が簡単なコメントに留まったことから、与野党から総理談話が不十分ではないかと疑問視する意見が出された。この指摘に対し、安倍は「こういうことで互いを非難するのはやめた方がいい」などと応えたため、批判の声が殺到した。&lt;br /&gt;
{{See also|長崎市長射殺事件}}&lt;br /&gt;
; 石川遼&lt;br /&gt;
: 2007年[[5月23日]]、「安倍首相自身が『会ってみたい』と対面を希望し」ていた[[杉並学院高等学校]]の[[石川遼]]との会談が実現し、安倍は[[総理大臣官邸]]にて揮毫を手渡した。しかし、石川は[[5月25日]]から中間テストを受ける予定であり、大事な時期に総理大臣官邸に呼びつけた安倍に対し批判がなされた。さらに、[[第21回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]に向けた話題づくりとして、[[投票権]]すらない高校生を利用してよいのかといった指摘がなされた。この問題に対し、[[直木三十五賞]]を受賞した[[作家]]の[[重松清]]は「『[[教育]]』を[[政策]]の柱に掲げる首相が、[[平日]]に高校生を官邸に呼びつけるというのは、やはりスジが通らない」と批判し、安倍が「真実一路」と記された[[色紙]]を石川に渡したことについて「この[[言葉]]を真に渡すべき相手、他にいるんじゃないですか?」と評した。ちなみに、「真実一路」とは、安倍内閣の[[農林水産大臣]]でさまざまな不祥事が指摘された[[松岡利勝]]の座右の銘でもある。&lt;br /&gt;
; 松岡利勝の自殺&lt;br /&gt;
: [[松岡利勝]][[農水相]]自殺に関して、「慚愧に堪えない」（恥ずかしくて仕方がない）とコメントした。首相周辺は「こういう結果に至ったことへの自らの責任を、この言葉に込めた」と解説しているが、メディアなどで不適切なコメントだと批判され、「慚愧」の意味を取り違えていたのではないかと推測されている。また、同時に「捜査当局から『松岡大臣や関係者の取り調べを行っていたという事実もないし、これから取り調べを行うという予定もない』と発言があったと聞いている」などとコメントし、捜査当局から首相官邸に連絡があったかのようなコメントであるとして話題になった。&lt;br /&gt;
; 2007年の参議院選挙&lt;br /&gt;
: 2007年参院選期間中の講演等で「（今回の選挙で）私と小沢さん、どちらが首相にふさわしいかを国民に問いたい」といった発言を繰り返した。選挙の結果、自民党は惨敗したが首相続投を表明し、自民党内からも批判の声が相次いだ。&lt;br /&gt;
; 2008年の衆議院補欠選挙&lt;br /&gt;
: 2008年4月、[[山口県第2区]]の衆議院議員補欠選挙にて、[[岩国市]]で[[山本繁太郎]]を支援する演説を行った際に、[[光市母子殺害事件]]の被害者家族について「[[光市]]の街頭演説には本村さんがいらっしゃいました。本村さんは私に『頑張ってください、山本さん（自民党公認候補）を応援しています』とおっしゃった。本村さんは山本繁太郎さんに賭けたのです!」と発言した。さらに、犯罪被害者支援問題について「お嬢さんを無惨に殺された本村さん。そのお嬢さんの[[遺影]]を持って私の所にやってきて『どうか安倍さん、この法律を通してください』と涙ながらに訴えたのです!」と発言した。&lt;br /&gt;
: しかし、本村洋は「演説で名前を出されて本当にビックリしました。（山本候補を応援した事実は）まったくありません」と否定しており、犯罪被害者支援問題についても「陳情したのは私ではない。遺影とかは出していませんが、[[小泉純一郎|小泉]][[内閣総理大臣|総理]]にお願いに行ったことはあります。安倍さんには光市での演説のときに初めて（聴衆の一人として）お会いしました」と説明したうえで、安倍の演説について「私がいないところでそういう発言をされたことはどうかと思います」と語っている。&lt;br /&gt;
: 安倍晋三事務所では「『お嬢さんを殺されたお母さん』と明確に述べたのであって、本村氏のことを述べたものではありません」と反論しており、本村との面識については「光市における街頭演説後、安倍が会場の多くの聴衆とマスコミの中で本村氏と挨拶をし、安倍が本村氏と会話をした」と主張している。そのうえで、この問題を報道した[[文藝春秋]]に対し抗議文を送付した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
;身体&lt;br /&gt;
:[[血液型]][[ABO式血液型|B型]]、[[身長]]175cm、[[体重]]70kg&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kantei.go.jp/jp/abeprofile/index.html|title=安倍総理プロフィール|author=首相官邸|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;座右の銘&lt;br /&gt;
: [[吉田松陰]]の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;&amp;gt;「自民党総裁選：3候補、20日投票へ火花 703票の争奪戦-2006総裁選」『朝日新聞』2006年9月9日&amp;lt;/ref&amp;gt;。「初心忘るべからず」&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍 晋三氏 自民総裁選 特集」『読売新聞』2006年9月8日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;愛読書&lt;br /&gt;
:[[古川薫]]の『留魂録の世界』（留魂録は吉田松陰の著作である）&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;尊敬する人物やファンである人物&lt;br /&gt;
: [[幕末]]期の思想家[[吉田松陰]]を尊敬する。彼の地元・山口県には松陰の[[松下村塾]]があり、そこの門下生だった[[高杉晋作]]から「晋三」の名が付けられた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061102.html |title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第4回「教育再生」|author=内閣府大臣官房政府広報室&lt;br /&gt;
|work=[[政府広報]]オンライン|date=2006-11-02|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:現在では非常に親しい間柄である（後述）[[アグネス・チャン]]は、2、30代のころファンだった&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;好物&lt;br /&gt;
: 安倍の好物は[[焼き肉]]、[[ラーメン]]、[[アイスクリーム]]、[[スイカ]]&amp;lt;ref name=&amp;quot;jp06921&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|work=人民網日文版|date=2006-09-21|url=http://j.peopledaily.com.cn/2006/09/21/jp20060921_63241.html|title=安倍総裁の素顔は? まめな兄貴、妻は元DJ|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;/&amp;gt;子供の頃から変わらない好みらしい&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061116.html |title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第6回「みんなで毎日朝ごはん」|author=内閣府大臣官房政府広報室|work=[[政府広報]]オンライン|date=2006-11-16|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。甘党として知られ、フジテレビ系の深夜番組「[[百識〜百で知るひとつの知識〜]]」によれば、[[ナポリアイスクリーム]]のPUPUと、東京の[[両国 (墨田区)|両国]]の洋菓子店MARRY'Sの[[マンゴープリン]]が好物だという（MARRY'Sの[[パティシエ]]は安倍の同級生）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.venture-ac.ne.jp/seminar/detail/20070115155330.html|title=月例セミナー「伝統を生かした商品開発」|author=[[日本ベンチャー学会]]|date=2007-01|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:2007年4月下旬の昼に総理官邸の大会議室に番記者を招き昼食を食べながら懇談したが、食事は政治家の昼食会合の定番のカレーライスだったが、安倍だけは[[ハヤシライス]]であった。政界では安倍のハヤシライス好きは有名であり、また、カレーのような辛いものは下痢になりやすい体質なので苦手であることを記者団に語った&amp;lt;ref&amp;gt;「ハヤシライスが大好きな安倍首相の健康問題」”FACTA” 2007年6月号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[ファッション]]&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe &amp;amp; George W Bush, 2007Apr27.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[4月27日]]、カジュアルな装いで[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]（右）と]]&lt;br /&gt;
: 寒がりである&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061207.html|title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第8回「ウォームビズから始めます」|work=政府広報オンライン|author=内閣府大臣官房政府広報室&lt;br /&gt;
|date=2006-12-07|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ため、[[小池百合子]][[環境大臣]]の音頭でスタートした[[クール・ビズ]]の一環である「国会内は[[ワイシャツ]]・ノー[[ネクタイ]]」が導入された当初は背広で通していた。&amp;lt;ref&amp;gt;「美しい国、日本」をファッションで表現 安倍晋三・新総理を勝手にスタイリング「美しい泣きっ面」に似合う服はコレだ!」『WWDジャパン』10月2号&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、東京新聞の政治ネットモニター調査では、クールビズが似合う政治家第二位となった&amp;lt;ref&amp;gt;「夏服の着こなしは 小泉首相、貫録勝ち?」『東京新聞』2006年7月30日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。2002年、清潔感を大切にしたファッションを心がけていることが評価され、政治経済部門で[[ベストドレッサー賞]]を受賞。「いつも私の服をチェックしてくれる妻が受賞したようなもの」とコメントした&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.mfu.or.jp/bestdresser2002.html|title=第31回 ベストドレッサー賞（2002年）|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。一族では大叔父の[[佐藤栄作]]が1973年、兄嫁の父である[[牛尾治朗]]が1981年に受賞している。&lt;br /&gt;
;[[アーチェリー]]&lt;br /&gt;
: 大学時代アーチェリーをしていた安倍は、2005年に[[全日本アーチェリー連盟]]の第6代会長に就任している（前任は同じく首相経験者の[[海部俊樹]]、父の安倍晋太郎も第4代会長である）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.archery.or.jp/ajaf/enkaku.html|title=沿革|author=社団法人全日本アーチェリー連盟|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年[[3月25日]]に連盟は総会で再び会長に推薦することを決定し&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-tp0-20070325-175016.html|title=アーチェリー連盟、安倍首相を会長に推薦|work=ニッカンスポーツ|date=2007-03-25|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、これを受託したため、14日の理事会で2期目を務めることとなった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-tp0-20070414-184516.html|title=安倍首相アーチェリー連盟会長2期目へ|work=ニッカンスポーツ|date=2007-04-14|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。首相であるため、職務は副会長が代行することになっている&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍会長を再任＝アーチェリー連盟」時事通信、2007年4月14日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 2006年[[4月28日]]の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のバラエティ番組では、[[明石家さんま]]とアーチェリーで対決、その腕前をテレビで初めて披露した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://newtop.s-abe.or.jp/janews/5fc5898b-4ee38b7058eb306e30a230fc30c130a730ea30fc59ff521d516c958b|title=必見! 代議士のアーチェリー姿初公開|work=安倍晋三公式サイト|date=2006-04-27|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[アグネス・チャン]]&lt;br /&gt;
:アグネス・チャンとは20年も親交がある友人で&amp;lt;ref name=&amp;quot;aakt&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.daily.co.jp/gossip/2007/03/19/0000275610.shtml|title=安倍総理がアグネスに歌詞提供|work=[[デイリースポーツ]]|date=2007-03-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;agsd&amp;quot;&amp;gt;「安倍首相が作詞家デビュー」[[スポーツ報知]] 2007年3月19日付&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://akie-abe.jp/index.php?ID=18|title=クリスマス|work=安倍昭恵のスマイルトーク|date=2007-02-05|author=安倍昭恵|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、よく食事を共にする&amp;lt;ref name=&amp;quot;sb2031009&amp;quot;&amp;gt;『週刊文春』（2003年10月9日号）161ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。2、30代の頃、彼女の熱心なファンであったが&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://news.livedoor.com/article/detail/3040505/|title=紀香に政界入りの噂、影には安倍首相の後ろ盾?|author=新華通信社|work=新華社NEWS|date=2007-02-21|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、外交官秘書時代にテレビ番組で知り合った&amp;lt;ref name=&amp;quot;gendainet07022420&amp;quot;&amp;gt;「恐るべしアグネス・チャン?!」 ゲンダイネット（2007年3月23日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。アグネスは安倍の結婚式に出席して祝辞を述べ&amp;lt;ref name=&amp;quot;sb2031009&amp;quot;/&amp;gt;、「草原の輝き」を歌った&amp;lt;ref name=&amp;quot;gendainet07022420&amp;quot;/&amp;gt;。安倍も彼女の結婚式に出席したが、彼女の結婚にがっかりしたという&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。&amp;lt;!--アグネスの政界入りの噂にも、背後に安倍との関係があったとされる&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。---&amp;gt;また、2007年にはアグネスのデビュー35周年を記念する[[アルバム]]のために、安倍は「平和」をテーマにした[[歌詞]]を[[作詞]]した&amp;lt;ref name=&amp;quot;aakt&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;agsd&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族 親族 ==&lt;br /&gt;
[[Image:PM and Mrs Abe arrive at WH 26 April 2007 cropped 1.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[4月26日]]、[[ホワイトハウス]]にて妻[[安倍昭恵]]（右から2人目）を伴い[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]夫妻と]]&lt;br /&gt;
*先祖に[[安倍宗任]]、[[平知貞]]、[[佐藤忠信]]ら。[[佐藤信寛]]（政治家）、[[本堂恒次郎]]（軍医）、[[大島義昌]]（軍人・[[陸軍大将]]、[[子爵]]）等がいる&lt;br /&gt;
* 祖父 [[安倍寛]]（政治家）、[[岸信介]]（官僚、政治家・首相）&lt;br /&gt;
* 大叔父 [[佐藤栄作]]（官僚、政治家・首相）&lt;br /&gt;
* 父 [[安倍晋太郎|晋太郎]]（新聞記者、政治家）&lt;br /&gt;
* 母 洋子（[[岸信介]]長女）&lt;br /&gt;
* 兄 寛信（三菱商事執行役員、妻は[[ウシオ電機]]会長[[牛尾治朗]]の娘）&lt;br /&gt;
* 弟 [[岸信夫|信夫]]（岸家へ養子、政治家）&lt;br /&gt;
* 妻 [[安倍昭恵|昭恵]]（[[森永製菓]]創業家の出身。創業者・[[森永太一郎]]から数えて6代目）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 家庭&lt;br /&gt;
: 昭恵夫人は[[韓流]]スターや[[韓国ドラマ]]が大好きで[[朝鮮語|韓国語]]までも習得したほどである。[[ファーストレディ]]の親韓的な姿勢は、小泉政権時代に悪化した[[日韓問題|日韓関係]]の改善につながるものと期待された。安倍の首相就任後の訪韓の際にも同行し、その流暢な韓国語で好意的に迎えられた。&lt;br /&gt;
: 昭恵夫人との間に子供はいないが、[[ダックスフント|ミニチュアダックスフント]]の愛[[イヌ|犬]]・ロイがいる。ロイは安倍が[[首相官邸]]に引っ越す際に、安倍夫妻の環境の変化への不安を理由に、私邸で留守番をすることになった（現在も留守番中）&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍首相夫妻、公邸へ 昭恵さん、内装リフォーム-知りたい!」[[毎日新聞]] 2006年11月25日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。ロイはこのことが非常に辛いようである&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://akie-abe.jp/index.php?ID=28|title=「週末」|author=安倍昭恵|work=安倍昭恵のスマイルトーク|date=2007-02-05|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}} ロイの写真あり&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 岸信夫&lt;br /&gt;
: 実弟の[[岸信夫]]が[[第20回参議院議員通常選挙]]に立候補した際、安倍は秘書に対して岸の出馬に反対する発言をしたと報道された&amp;lt;ref&amp;gt;松田賢弥「安倍晋三『空虚なプリンス』の血脈」『[[週刊現代]]』[[講談社]]、[[2006年]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。当時の秘書は「虚偽の事実を書かれ、地元での声望は地に落ちた」&amp;lt;ref name=asahi20080327&amp;gt;{{Cite web|date=2008-03-27|url=http://www.asahi.com/national/update/0327/SEB200803270010.html|title=asahi.com：安倍前首相の元秘書の請求棄却　週刊現代名誉毀損訴訟 - 社会|publisher=[[朝日新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[3月27日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;として筆者であるジャーナリストの[[松田賢弥]]を訴えたが、[[山口地方裁判所]]下関支部は「原告の発言内容がおおむねその通りに掲載されている」&amp;lt;ref name=asahi20080327/&amp;gt;として秘書の訴えを棄却した。&lt;br /&gt;
; 系譜&lt;br /&gt;
: 安倍家は、山口県大津郡日置村（後に油谷町に分割→現[[長門市]]）の大[[地主]]であり[[酒]]や[[醤油]]の[[醸造]]を営んでいた。祖父の[[安倍寛]]が日置村村長、山口県議会議員などを経て、1937年、衆議院議員に当選し政治一家となった&amp;lt;ref&amp;gt;『閨閥 改訂新版 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』 216-217頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 「[[共同通信社]]」出身のジャーナリスト[[古沢襄]]によると、安倍晋太郎は自分たち安倍家の[[ルーツ]]は岩手県（[[安倍氏 (奥州)]]）であり、[[安倍宗任]]の末裔だと言っていたという。安倍宗任は[[1051年]]の[[前九年の役]]にて[[源頼義]]、[[源義家]]率いる[[源氏]]に破れ、[[大宰府]]に配流された奥州（[[陸奥国]]）の[[豪族]]である。『閨閥 改訂新版 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』216-217頁に｢家系図をひもとくと安倍家は、[[鎌倉時代]]以前の奥州征伐などで名高い[[阿倍比羅夫]]、[[前九年の役]]の[[安倍貞任]]にまで繋がる歴史ある[[名門]]である｣とある。安倍家の元[[家政婦]]は東北地方に飛び、安倍一族の関係地と言われた地域の市町村役場などを丹念に回りながら、各地に古くから伝わる[[家系図]]を調べ歩いた。その結果、[[油谷町]]に住み着いた一族が[[安倍宗任|宗任]]の流れをくむ者たちであること､[[青森県]][[五所川原]]の石搭山･荒覇吐(あらはがき)神社に始祖である宗任が眠っているらしいことを調べ上げた。元家政婦からの報告を聞いた晋太郎は[[昭和]]62年（[[1987年]]）7月末､出馬表明した総裁選の全国遊説の折､妻洋子と[[安倍晋三|晋三]]夫妻を伴い同神社に出向き、先祖供養を果たした。なお案内役を兼ねて晋太郎たちに同行したのが画家の[[岡本太郎]]であり、岡本もまた安倍一族の流れをくむ一人として、自らのルーツに関心を持って調べたことがあったという&amp;lt;ref&amp;gt;『気骨　&amp;lt;small&amp;gt;安倍晋三のDNA&amp;lt;/small&amp;gt;』　41-44頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[平成]]元年（1989年）に発刊された『安倍一族』(盛岡タイムス社編纂)という一冊に晋太郎は『わが祖は「[[安倍宗任|宗任]]」』と題する､次の序文を寄せている。“[[安倍宗任|宗任]]より四十一代末裔の一人として自分の志した道を今一度省みながら華咲かしてゆく精進を続けられたら､と願うことしきりです”&amp;lt;ref&amp;gt;『気骨　&amp;lt;small&amp;gt;安倍晋三のDNA&amp;lt;/small&amp;gt;』　44頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。但し、安倍晋三にとり女系の祖先にあたり、父系は[[平氏]]であり平知貞の系譜をひく。平家滅亡により子孫の迫害を恐れ女系の安倍姓を称したという。また、母方の祖父　岸信介、[[佐藤栄作]]兄弟は源義経の郎党　[[佐藤忠信]]の末裔とされる&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kajika.net/furusawa/20060709-2.htm|title=安倍宗任と安倍晋三|author=古沢襄|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}} &amp;lt;/ref&amp;gt;。[[家紋]]は「丸に立梶の葉」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏昭和天皇━━━━━━━━━今上天皇&lt;br /&gt;
　　　　明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┏彬子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　麻生太賀吉　　┃　　　　　┗瑶子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┏信子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┗麻生太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏和子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田茂━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗桜子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田祥朔　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━吉田寛&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏さわ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┏寛子（栄作夫人）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤松介━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┗正子&lt;br /&gt;
佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃（池上）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤作造&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗茂世　　　　　安倍晋太郎　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━┳佐藤市郎　　┣━━━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　┃　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（佐藤）┃　┃（岸）　　　┃　　　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助　┣佐藤信介━━洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　岸要蔵━━┫　　　　┗佐藤栄作━┳佐藤龍太郎━━佐藤栄治&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┗佐藤信二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━━良子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（信介夫人）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt; &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助━━岸信介━━━┳岸信和&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　┗洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　岸要蔵━┫　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━良子　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　大島義昌━秀子　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　本堂恒次郎━静子　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━━━━━━安倍晋太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　安倍慎太郎……安倍彪助━安倍寛&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『吾が心は世界の架け橋－安倍[[外交]]の全記録』 ([[安倍晋太郎]]外交対象, [[新外交研究会]], [[1992年]]4月)&lt;br /&gt;
* 『この国を守る決意』（[[岡崎久彦]]との共著 [[2004年]]1月 [[扶桑社]] ISBN 4-594-04331-3&lt;br /&gt;
* 『安倍晋三対論集 [[日本]]を語る』 （[[PHP研究所]] [[2006年]]4月 ISBN 4569643639）&lt;br /&gt;
* 『美しい国へ』（[[文藝春秋]] [[2006年]]7月 ISBN 4166605240）&lt;br /&gt;
* 『日中対話 言論ブログ・ブックレット 私ならこう考える -- [[有識者]]の主張』 （[[言論NPO]] [[2006年]]12月 ISBN 9784903743011）&lt;br /&gt;
====テレビ====&lt;br /&gt;
良いとも。(2014年3月21日。フジテレビ)&lt;br /&gt;
この模様は超報道でも放送された&lt;br /&gt;
2014年4月19日のワイドショー及び。みやね。USJイベント放送&lt;br /&gt;
成功の遺伝子(2013年12月30日。日本テレビ)2015年2月15日に再放送放送された&lt;br /&gt;
成功の遺伝子2(2015年2月16日。日本テレビ)&lt;br /&gt;
みんなの報道。（2015年8月14日。フジテレビ。）&lt;br /&gt;
みやね。（2015年9月4日。読売テレビ。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*[[佐藤朝泰]]『豪閥　地方豪族のネットワーク』（[[学研ホールディングス|立風書房]]、2001年、75頁）&lt;br /&gt;
*[[神一行]]『閨閥　改訂新版　&amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』（[[角川書店]]、2002年、62、212-228頁）&lt;br /&gt;
*[[野上忠興]]『気骨　安倍晋三のDNA』（[[講談社]]、2004年）　&lt;br /&gt;
*[[山際澄夫]]『安倍晋三と「宰相の資格」』（[[小学館]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[大下英治]]『安倍家三代』（[[徳間書店]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[水島愛一朗]]『安倍晋三の人脈』（[[グラフ社]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[俵義文]]・[[魚住昭]]・[[横田一]]・[[利用者:佐高信|佐高信]]・『[[週刊金曜日]]』取材班『安倍晋三の本性』（株式会社[[金曜日]]、2006年、ISBN 4906605206）&lt;br /&gt;
*[[上杉隆]]『官邸崩壊』（[[新潮社]]、2007年 ISBN 4103054719）&lt;br /&gt;
*[[小川榮太郎]]『約束の日　―安倍晋三試論―』（幻冬社、2012年）&lt;br /&gt;
*同上『国家の命運 安倍政権奇跡のドキュメント』（幻冬舎、2013年、ISBN 9784344024014）&lt;br /&gt;
*同上『最後の勝機（チャンス） 救国政権の下で、日本国民は何を考え、どう戦うべきか』（PHP研究所、2014年、ISBN 9784569812786）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[自由民主党]]&lt;br /&gt;
*[[n:安倍改造内閣が発足|安倍改造内閣が発足]]&lt;br /&gt;
*[[n:退陣論ある中、続投への決意 - 10日、安倍首相・所信表明|退陣論ある中、続投への決意 - 10日、安倍首相・所信表明]]&lt;br /&gt;
*[[学歴詐称]]&lt;br /&gt;
* [[安倍内閣]]&lt;br /&gt;
* [[安倍改造内閣]]&lt;br /&gt;
* [[美しい国]]&lt;br /&gt;
* [[再チャレンジ]]&lt;br /&gt;
* [[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]&lt;br /&gt;
* [[安晋会]]&lt;br /&gt;
* [[真の人権擁護を考える懇談会]]&lt;br /&gt;
* [[重光昭夫]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://tokyo.s-abe.or.jp/ あべ晋三]公式サイト&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/abesouri/index.html 歴代内閣情報（HP開設以降）：安倍総理] - 首相官邸&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/koizumidaijin/010426/19abe.html 安倍晋三略歴]（内閣官房長官時代のもの） - 首相官邸&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/90.html 歴代総理の写真と経歴] - 首相官邸&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あへしんそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の反共主義者]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都区部出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:長門市]]&lt;br /&gt;
[[Category:☁]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.207.207</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%8F%85%E7%BE%A9%E5%81%89&amp;diff=396648</id>
		<title>菅義偉</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%8F%85%E7%BE%A9%E5%81%89&amp;diff=396648"/>
				<updated>2022-01-27T00:38:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''菅 義偉'''（すが よしひで、[[1948年]][[12月6日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[衆議院|衆議院議員]]（9期）。自由民主党神奈川県連会長。[[内閣官房長官]]（[[第2次安倍内閣|第81代]]）。[[内閣総理大臣]]（第99代）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由民主党幹事長代行、[[総務大臣]]（[[第1次安倍内閣|第7代]]）、[[特命担当大臣|内閣府特命担当大臣]]（[[内閣府特命担当大臣（地方分権改革担当）|地方分権改革]]）、[[郵政民営化|郵政民営化担当大臣]]、自由民主党選挙対策副委員長、[[横浜市|横浜市会]]議員（2期）等を歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴・人物 ==&lt;br /&gt;
[[秋田県]][[雄勝郡]][[雄勝町 (秋田県)|雄勝町]]（現[[湯沢市]]）生まれ。雄勝町立秋ノ宮中学校(現湯沢市立雄勝中学校)卒業後、[[秋田県立湯沢高等学校]]に進学し卒業後、[[集団就職]]で上京する。ダンボール工場で働きながら、[[法政大学]][[法学部]]法律学科を卒業。大学卒業後はいったん就職するも仕事を辞め、[[小此木彦三郎]][[衆議院議員]]の秘書を11年にわたって務めた。[[1984年]]、小此木の[[通商産業大臣]]就任に伴い、秘書官を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1987年]]、[[横浜市|横浜市会]]議員選挙・[[西区 (横浜市)|西区]]選挙区から出馬し、初当選を果たした。市議は2期務める。[[1996年]]の[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[神奈川県第2区]]から自民党公認で出馬し、[[新進党]]公認・[[公明党|公明]]推薦の[[上田晃弘]]、[[民主党_(日本 1996-1998)|旧民主党]]公認の新人[[大出彰]]らを破り、初当選した。当時の[[橋本龍太郎]]首相の出身派閥である[[平成研究会]]に入会（当選同期に[[平沢勝栄]]・[[渡辺喜美]]・[[大村秀章]]・[[河本三郎]]・[[桜田義孝]]・[[下村博文]]・[[滝実]]・[[棚橋泰文]]・[[谷畑孝]]・[[田村憲久]]・[[戸井田徹]]など）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1998年]]の[[自由民主党総裁選挙]]では所属していた平成研究会の[[小渕恵三]]会長ではなく[[梶山静六]]を支持し、小渕派を退会。その後[[宏池会]]に入会した。[[2000年]]の[[第2次森内閣]][[不信任決議]]をめぐる「[[加藤の乱]]」では、[[加藤紘一]]らに同調して不信任案の採決では欠席したが、その後の加藤派分裂では親加藤派の[[小里派]]（[[小里貞利]]会長）ではなく、反加藤グループの[[堀内派]]（[[堀内光雄]]会長）に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年横浜市長選挙]]で、自民党横浜市連会長を務めていた菅は4選をめざした[[高秀秀信]]市長の支援を決定するが、高秀は[[中田宏]]に敗れ、落選。選挙後、神奈川県選出でありながら高秀を無視し、中田を首相官邸に呼んで激励した[[小泉純一郎]]首相を批判している（ただし自身も[[2011年愛知県知事選挙]]で自民党を[[除名]]された当選同期の大村秀章を支援している）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]、[[再チャレンジ支援議員連盟]]の立ち上げに参加。この議連は実質、ポスト小泉を選出する[[2006年自由民主党総裁選挙]]に、[[安倍晋三]]を擁立する原動力になった。結果、総裁選で安倍は圧勝する。同年9月に発足した[[第1次安倍内閣]]では[[総務大臣]]（[[郵政民営化|郵政民営化担当相]]を兼務）に任命され、初入閣を果たす。同年12月、[[内閣府特命担当大臣]]（[[地方分権]]改革）の補職辞令を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]、[[第21回参議院議員通常選挙]]敗北を受けた内閣改造では、安倍は菅の[[内閣官房長官]]（次善案として[[内閣官房副長官]]）起用を模索したが、直前に菅に事務所費問題が発覚し実現せず、自民党選挙対策総局長に就任した。菅は自民党選挙対策総局長への就任早々「私の仕事は首を切ること」と発言し、候補者の大幅な調整を示唆した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年9月、安倍首相の退陣に伴い行われた[[2007年自由民主党総裁選挙]]では[[福田康夫]]を支持する[[古賀派]]の方針に反して[[麻生太郎]]を支持し、推薦人にも名前を連ねた。福田政権の下で、選対総局長を格上げした[[自由民主党選挙対策委員長]]に[[古賀誠]]が就任すると、古賀に手腕を買われ、同副委員長として引続き衆院選対策にあたることになった。古賀の配慮で選対総局長時代の部屋を選対副委員長室として引き続き使用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻生内閣発足後は麻生の側近として低支持率にあえぐ政権を支え、[[中川秀直]]や[[塩崎恭久]]ら党内の反麻生派を硬軟取り混ぜた様々な手段で抑えた。また、積極的な政策提言をおこない、[[政府紙幣]]や無利子国債発行、世襲制限を唱えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年7月、古賀が[[2009年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]敗北の責任を取る形で辞任。麻生首相の解散予告後だったこともあり、選対委員長代理として総選挙を取り仕切ることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]の[[第45回衆議院議員総選挙]]では、[[神奈川県第2区]]で[[民主党_(日本 1998-)|民主党]]の[[三村和也]]の猛追を受けるも548票の僅差で三村を破り、5選。[[2009年自由民主党総裁選挙]]において、96年当選同期の大村や[[新藤義孝]]・[[松本純]]と共に[[河野太郎]]の推薦人になるとともに、所属する古賀派を退会した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年、自由民主党国会対策副委員長及び広報本部本部長代理に就任。2011年、自由民主党組織運動本部長に就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]]9月、盟友関係にある安倍晋三の[[自由民主党総裁]]就任に伴い、[[自由民主党幹事長|自由民主党幹事長代行]]に起用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年12月26日に組閣された[[第2次安倍内閣]]において[[官房長官]]に起用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 総務大臣として ===&lt;br /&gt;
菅は2006年10月、[[NHKワールド・ラジオ日本|NHK短波ラジオ国際放送]]への放送命令に定義されている放送事項に、「[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致問題]]」という具体的な内容を加える方針を示し論議を呼んだ。日本の[[放送法]]33条には『国際放送等の実施の命令等』という項目があり、そこには「総務大臣は、協会に対し、放送区域、放送事項その他必要な事項を指定して国際放送を行うべきことを命ずることができる」とある（2007年12月の放送法改正で「命令」から「要請」に変更された）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
菅は「北朝鮮国内で厳しい生活環境で救出を待ちわびている多くの拉致被害者に対し、日本政府も国民も見捨てていないことが生きる希望になる」と強調し、11月10日に放送事項に「北朝鮮による日本人拉致問題に特に留意すること」を追加する命令をNHKに出した。一方で菅は「報道の自由は守らなければならない。番組内容や放送回数を指示する訳ではない」とNHKに対して編集権の配慮も示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
放送法44条には「編集権」に関して『放送番組の編集等』という項目があり、そこでは「NHKは、国際放送の放送番組の編集に当たっては、海外同胞に適切な慰安を与えるようにしなければならない」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年1月6日、[[宮崎県]][[知事]]選挙期間中の宮崎県を訪れ、「総務大臣を囲む新春懇談会」を開催した。その際、地方自治体の予算配分に強い影響力を持つ[[総務大臣]]であるにもかかわらず、市町村の[[首長]]たちに自民党推薦の[[持永哲志]]への支援を呼びかけたため、マスコミからの批判を招いた。また、懇談会に参加していた市町村の首長たちは[[川村秀三郎]]を支援していたため、結果的に地元の反発をも招く結果となった。なお、この知事選では[[東国原英夫]]が当選した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年1月16日、菅総務大臣が「NHKの改革と（受信料の支払い）義務化によって生じた分を国民に還元していくのは基本」と述べ、さらに「経営合理化とともに、徴収率を現在の70%前後から85%に引き上げることで受信料2割前後の値下げが可能」と指摘したことから、NHK受信料義務化と受信料値下げがセットで議論され始めた。総務省もNHK受信料の支払いを義務づける放送法改正案を第166回国会（2007年1月25日から6月23日）に提出し、2008年度から義務化する方針としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを受けて、日本民間放送連盟の[[広瀬道貞]]会長（[[テレビ朝日]]会長）は「NHK自身が視聴者に利益還元するというメッセージを出すべき」と語り（1月18日）、値下げ案を支持した。ただ、菅が求める「2008年度から2割値下げ」という具体案については「契約数が何割を超えたらこれぐらい値下げしますというぐらいがいい」と述べ、NHKに広く裁量権を認めるべきとの見解を示した。一方、当事者であるNHKは、受信料義務化には賛成するものの、受信料値下げには慎重な姿勢に終始している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[3月23日]]、[[朝日ニュースター]]の番組にて、当時の自由民主党[[参議院]][[幹事長]]かつ党の通信・放送産業高度化小委員長であった[[片山虎之助]]（現在は[[日本維新の会]]所属）は、日本放送協会を担当する総務省放送政策課課長を菅が交代させたことに対し、「総務大臣（＝菅）が駄目だ。（総務省放送政策課）課長はNHK寄りだとかいうが、『自分のいうことを聞かないから代える』ということでは大臣を辞めた方がいい」と指摘し、菅の放送行政運営を批判している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
菅は[[日本郵政公社]][[総裁]][[生田正治]]と会談後、生田から総裁辞任の申し出があったことを発表した。その後、後任の日本郵政公社総裁には、[[日本郵政]][[社長]][[西川善文]]が就任することが発表された。なお、生田自身が政府に辞任を申し入れたことはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
* 「安倍が最も信頼する側近の1人」とされ、第1次安倍内閣が閣僚の問題発言などで混乱する中、存在感を増していった。地方分権改革推進法など19本の法案を成立させるとともに、[[ふるさと納税]]の提唱や、年金記録問題における省内委員会の設置などをおこなうなど、閣僚のスキャンダルが続出した第1次安倍内閣にあって安定した存在感を発揮した。2012年の[[2012年自由民主党総裁選挙|自由民主党総裁選挙]]に際して早くから安倍擁立に動き、第2次安倍内閣では念願だった官房長官に抜擢された。&lt;br /&gt;
* 他方で[[日本放送協会|NHK]]命令放送、受信料引き下げ問題や[[郵政公社]]総裁解任などを巡って、強権的と評された。自民党内でも選挙対策責任者として、[[コスタリカ方式]]の選挙区解消に努めたため、候補選定で一部から反感を買った。&lt;br /&gt;
* 安倍・麻生両首相の信頼を得て急速に発言力を増した人物だが、そのスピード出世には周囲の反感も多い。派閥の長である古賀も自らの意に反する行動を続ける菅の台頭に複雑な思いを持っているとされる。また、所属派閥を何度も変えていることから、「信用できない」（[[森喜朗]]など）との評価や、側近として活動した第1次安倍内閣、麻生内閣が短命だったことから、「菅さんがやったことは、ほとんど失敗している」との評価もある。&lt;br /&gt;
* [[梶山静六]]を政治の師匠と仰ぐ。第2次安倍内閣で官房長官に就任した際、梶山の墓前にも就任を報告した。&lt;br /&gt;
* [[中宏池会構想]]に関してはかつて古賀に対し「反対しないが、次の総裁選で麻生が立候補をすれば麻生を支持する」と明言していた。&lt;br /&gt;
* 選択的[[夫婦別姓]]制度の導入に賛成。&lt;br /&gt;
* 「私は農家の長男だが地方では農業が衰退しており集約化が必要だ。都市農業は相続税など税制で支援すべき。日本は資源のない島国。雇用をつくるのが政治家の仕事だ」として[[環太平洋連携協定|TPP]]の参加に賛成。&lt;br /&gt;
* 2009年の総選挙で自民党が下野した頃から[[ダイエット]]を敢行。4ヶ月で14キロの減量に成功し、メディアでも盛んに取り上げられたが、あまりに急に痩せたため、関係者の間では健康不安説が飛び交ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所属団体・議員連盟 ==&lt;br /&gt;
* [[創生「日本」]]（副会長）&lt;br /&gt;
* [[日本会議]]国会議員懇談会（副会長）&lt;br /&gt;
* [[再チャレンジ支援議員連盟]]（幹事長）&lt;br /&gt;
* [[日韓議員連盟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『政治家の覚悟 &amp;lt;small&amp;gt;官僚を動かせ&amp;lt;/small&amp;gt;』（[[文藝春秋]]企画出版部、2012年3月12日、ISBN 978-4160087422）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 論文 ==&lt;br /&gt;
* [http://ci.nii.ac.jp/author?q=%E8%8F%85%E7%BE%A9%E5%81%89&amp;amp;count=100&amp;amp;sortorder=3 CiNii収録論文] [[国立情報学研究所]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.sugayoshihide.gr.jp/ すが義偉HP]&lt;br /&gt;
*[http://gree.jp/suga_yoshihide/ 菅義偉 公式ブログ]&lt;br /&gt;
*{{Facebook|yoshihide.suga|菅 義偉}}&lt;br /&gt;
*[http://www.choujintairiku.com/culshock/suga.html 菅義偉氏動画メッセージ(キャッシュ)]（*[http://www.choujintairiku.com/ 超人大陸]）&lt;br /&gt;
*[http://www.geocities.com/diet1114/ 2002/11/14衆議院決算委員会議事録]（[[NHKスペシャル]]「[[奇跡の詩人]]」が[[放送法]]違反なのではないかという、菅義偉代議士による[[板谷駿一]]NHK専務理事への質問）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:すか よしひて}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の副大臣経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の大臣政務官経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:神奈川県選出の衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:神奈川県の地方議会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:秋田県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の保守政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の反共主義者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1948年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:☁]]&lt;br /&gt;
[[Category:回]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.207.207</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%89%E6%9C%AC%E7%A5%90%E5%A4%AA&amp;diff=396647</id>
		<title>杉本祐太</title>
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				<updated>2022-01-27T00:32:50Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:杉本祐太1.jpg|300px|thumb|杉本 祐太]]&lt;br /&gt;
[[Image:杉本祐太2.jpg|300px|thumb|杉本 祐太]]&lt;br /&gt;
'''杉本 裕太'''（すぎもと ゆうた、[[1993年]] - ）は、川崎市多摩区宿河原の無職。無職だが、結婚しており子供もいる。タイトル「杉本祐太」になっているけど正しくは「'''杉本裕太'''」。川崎市立稲田小学校卒業、川崎市立稲田中学校卒業、神奈川県立川崎北高等学校中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
20歳にて[[強姦]]、[[強盗]]犯であり、脱走犯である。[[レイシストをしばき隊]]の[[山口祐二郎]]の友人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
杉本裕太は2014年[[1月2日]]の午前0時ころ、[[川崎市]]麻生区の路上で21歳の女性会社員を拳で殴るなどして、[[レンタカー]]の中に連れ込み車内で仲間と[[輪姦]]し、その後、女性を[[コンビニ]]に連れて行きATMから現金15万円を引き出させて奪い、1月6日に逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、翌7日、[[川崎市]][[川崎区]]の[[横浜地検]]川崎支部で取り調べ中に脱走。仲間の協力を得て2日間逃走したが、[[1月9日]]に[[横浜市泉区]]で発見、身柄を確保された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
[[Image:杉本祐太3.jpg|300px|thumb|杉本 祐太]]&lt;br /&gt;
* 10代の頃サッカー部で活躍するも、神奈川県立川崎北高等学校中退。[[少年院]]「駿府学園」に入院&lt;br /&gt;
* 2013年6月 - [[神奈川県]][[川崎市]]内に妻子と暮らしていたが、杉本の[[家庭内暴力]]が原因で別居を始める&lt;br /&gt;
* 2013年12月 - 嫁と入籍&lt;br /&gt;
* 2014年1月1日 - 嫁と子供と初詣&lt;br /&gt;
* 2014年1月2日 - 川崎市麻生区内の路上で[[OL|女性会社員]](21)に殴るなどの暴行を加え、車の中に連れ込み車内で強姦後、[[コンビニ]]に連れて行き15万円を引き出させて強奪&lt;br /&gt;
* 2014年1月6日 - 東京都[[町田市]]内にいたところを、パトロールしていた[[警視庁]]の自動車警ら隊に発見され、緊急逮捕。[[神奈川県警]]宮前警察署に留置、一夜を過ごす。 &lt;br /&gt;
* 2014年1月7日 - 午前、横浜地検川崎支部に送検&lt;br /&gt;
:13:44頃、弁護士と接見開始&lt;br /&gt;
:14:04頃、杉本裕太容疑者の要求で４階のトイレへ行く&lt;br /&gt;
:14:10頃、弁護士との接見を再開&lt;br /&gt;
:14:15頃、検察事務官が部屋を出る&lt;br /&gt;
:14:16頃、鍵の開いていたドアから杉本裕太が逃走&lt;br /&gt;
:14:19頃、立ち会っていた巡査部長が110番通報&lt;br /&gt;
:15:40頃、警察が杉本裕太の逃走を公表&lt;br /&gt;
:16:00頃、警察が緊急会見&lt;br /&gt;
:16:00過ぎ、杉本裕太の顔写真を公表&lt;br /&gt;
:18:00頃、警察が逃亡現場近くの民家の敷地内で白いトレーナーを回収&lt;br /&gt;
:19:00過ぎ、杉本裕太を全国に[[指名手配]]&lt;br /&gt;
* 1月9日 - 横浜市泉区にて確保&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 杉本の人物評 ==&lt;br /&gt;
杉本裕太の知人らによると、同容疑者は川崎市多摩区で育った。中学校の同級生の男子学生(20)らによると、「サッカーがうまく、足も速くて運動会の徒競走ではいつも上位。明るい性格で常に友人に囲まれていた」という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、杉本の自宅近くに住む主婦は、「中学生のころには髪の色を染めていた。家の窓ガラスを割られ、注意すると怒鳴られた。この辺りでは有名な不良だった」と振り返る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
川崎市立稲田中学校卒業後は、神奈川県立川崎北高等学校に進学したが、ほとんど学校に行かず退学。1年ほど前には娘が生まれ、その時期と前後して妻と結婚したが、その後は杉本の家庭内暴力が原因で別居していたとみられる。「妊娠が分かったころから手を上げるようになった」。妻は周囲に、こう漏らしていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
職を転々とし、1年半ほど前まで地元の[[パチンコ]]店に勤務。近くの別のパチンコ店には不定期で客として訪れていた。同店の関係者は「羽振りがよく、自分の金で後輩を遊ばせていた。最初の逮捕前も店の前で歩いていたのを見たが、まさかこんなことをする男だったとは…」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逃走劇 ==&lt;br /&gt;
=== 川崎の強姦犯者逃走。スクーターを用意した仲間の女を任意同行 ===&lt;br /&gt;
7日、神奈川・川崎市の横浜地検川崎支部から、20歳の容疑者の男が逃走した事件で、男が逃げ出てから、およそ27時間がたとうとしているが、いまだ足取りはわかっておらず、周辺住民にも不安が広がっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査関係者の話によると、無職・杉本裕太(20)は、横浜地検川崎支部から走って逃げたあと、神奈川・川崎市内で、仲間が用意したとみられる大型の白い[[スクーター]]に乗り、そのまま逃走した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでに目撃情報は、30件以上あるということだが、スクーターについては、7日午後2時すぎごろから午後3時までの間で、川崎市川崎区の路上で、「色はよく覚えていないが、20歳くらいの男が2人、ビッグスクーターに乗ったのが通っていった」と、近くに住む男性から情報があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察は、周辺の防犯カメラの映像解析を進めるほか、スクーターを用意したとみられる仲間の女を、任意同行して事情を聴いているほか、杉本の友人ら、およそ20人から話を聴くなど、依然、警察官4,000人態勢で行方を追っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「凶悪じゃないから大丈夫」逃走中の”強姦・強盗”杉本容疑者の友人ら、ツイート ===&lt;br /&gt;
[[Image:杉本祐太の友人.jpg|350px|thumb|杉本祐太の友人のツイッター]]&lt;br /&gt;
集団強姦や強盗容疑で送検され、横浜地検川崎支部から逃走した無職の杉本裕太(20)。神奈川県警はパトカーなどの警察車両約900台のほか、ヘリコプター2機や船舶4隻も投入し、約4000人態勢で行方を追っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
杉本は取調室で弁護士と接見中に自分で腰縄を外し、走って逃げ出した。川崎市内で仲間が用意した大型の白いスクーターに乗り、逃走を続けているとみられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逃亡犯を手助けする仲間の“友情”にはア然だが、やはり杉本の友人とみられるその他の面々もある意味“粒揃い”。ツイッターなどに杉本情報をわれ先とばかりに書き込んでプライバシーをさらす一方、＜いい奴だから大丈夫＞などと擁護一色。ネットで物議をかもしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜ぶっちゃけそんな凶悪じゃなくない?人殺したわけでもなく、ただ逃げられた川崎警察が恥ずかしいだけだろ＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜すげーように報道してるけど別に内容はよくあるようなことだし＞ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
といった具合だ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜Ｙａｈｏｏ！検索キーワード現時点1位「杉本裕太」とかやばいでしょ！＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜テレビはまるで特番！！笑＞ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜さすがあいつはやることが違う！笑＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜タメＮｏ．１で逆に誇りに思う＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なんてツイートや、刑務所破りを描いた米人気ドラマ「[[プリズンブレイク]]」になぞらえ、＜頑張れ杉本スコフィールド！検討（ママ）を祈る！！！！笑＞とエールを送るつぶやきまである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの無法ツイートに対し、ネット上では＜強姦は凶悪じゃないらしい…＞＜犯人もその周りもほんとに頭おかしい＞といった書き込みが相次いでいる。まさに類は友を…、だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 川崎で逃走の男、横浜市内で身柄確保 ===&lt;br /&gt;
川崎市川崎区の横浜地検川崎支部で同市多摩区宿河原の無職、杉本裕太(20)＝強盗や集団強姦などの容疑で逮捕＝が逃走した事件で、[[神奈川県警]]は9日、杉本を横浜市泉区で発見して身柄を確保した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警は杉本の逃走に知人が協力した可能性が高いとみて、交友関係を調べるとともに、[[防犯カメラ]]の解析を進めるなどして、詳しい逃走経路の解明を目指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警ではこれまで、友人20数人からの聴取を継続するなど交友関係を中心に捜査を進め、約4000人態勢で大規模な捜索を続けてきたが、確保までに2日近くを要した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
杉本は6日に逮捕され、7日午後に送検後、地検支部6階の取調室で[[弁護士]]と接見。途中でトイレに行き、腰縄を再び締めた後の午後2時15分ごろ、「腰縄が緩くなった」と訴え、50代の男性[[巡査部長]]が背後に回った瞬間、腰縄を下ろして未施錠のドアから階段を駆け降りて逃げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逃走直前に検察事務官が所用のため取調室を出たため、取調室には当時、杉本のほかには、男性巡査部長と弁護士の2人しかいなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警は8日、杉本を全国に指名手配。約4000人態勢で川崎市の自宅周辺や都県境を中心に足取りを捜査。[[漫画喫茶]]や[[インターネットカフェ]]、空き家をはじめ、杉本が立ち入る可能性がある場所を捜索するとともに、友人ら約20人からも事情聴取。警視庁も都県境の幹線道路に警察官を配置するなどして杉本の行方を追っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 杉本嫁のブログ ==&lt;br /&gt;
[[Image:杉本祐太の嫁ブログ1.jpg|300px]][[Image:杉本祐太の嫁ブログ2.jpg|300px]][[Image:杉本祐太の嫁ブログ3.png|300px]][[Image:杉本祐太の嫁ブログ4.png|300px]][[Image:杉本祐太の嫁ブログ5.jpg|300px]][[Image:杉本祐太の嫁ブログ6.png|300px]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:すきもと ゆうた}}&lt;br /&gt;
[[Category:2014年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:川崎市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:DQN]]&lt;br /&gt;
[[Category:底辺]]&lt;br /&gt;
[[Category:1993年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.207.207</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%A5%E8%A6%8B%E4%BD%B3%E5%85%B8&amp;diff=396646</id>
		<title>来見佳典</title>
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				<updated>2022-01-26T22:46:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:来見佳典1.png|300px|thumb|殺人僧侶・来見 佳典]]&lt;br /&gt;
'''来見 佳典'''（くるみ よしのり、[[1985年]] - ）とは、37歳女性を殺害した29歳の[[僧侶]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 松山の37歳女性殺害、29歳僧侶を逮捕(2015年6月) ==&lt;br /&gt;
[[Image:黒田美貴1.png|300px|thumb|殺害された黒田 美貴さん]]&lt;br /&gt;
[[松山市]]の集合住宅で[[2014年]]12月、住人の黒田美貴さん(37)が殺害された事件で、愛媛県警は[[2015年]][[6月4日]]、[[徳島市]]八万町千鳥、僧侶・来見 佳典(29)を殺人で逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
来見は「黒田さんを殺したことは間違いない」と容疑を認めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
来見は[[2014年]][[12月16日]]午後4時25分から同8時25分頃までの間、[[松山市]]千舟町にある集合住宅3階の黒田さん宅で、黒田さんの首を刃物で突き刺すなどして失血死させた。黒田さんは保険勧誘や美容、接客の仕事をしており、これらを通じて来見と知り合った。来見は「事件当日、車で松山に行き、犯行後、徳島へ戻った」と供述している。黒田さんの[[携帯電話]]がなくなっていたことなどから県警は交友関係を中心に捜査し、防犯カメラの映像などから来見が浮上した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
黒田さんの父親は県警を通じ、「逮捕を仏前に報告した。今は娘の冥福を祈るだけです」などとするコメントを出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ３０歳元僧侶に懲役１６年　３７歳女性刺殺で(2015年12月) ==&lt;br /&gt;
昨年１２月に松山市のアパートで住人の黒田美貴さん＝当時（３７）＝を&lt;br /&gt;
刺殺したとして、殺人と銃刀法違反などの罪に問われた徳島市の元僧侶、&lt;br /&gt;
来見佳典被告（３０）の裁判員裁判で、松山地裁は１日、懲役１６年&lt;br /&gt;
（求刑懲役１８年）の判決を言い渡した。&lt;br /&gt;
日野浩一郎裁判長は判決理由で「黒田さんへの恋愛感情を断ち切れず、&lt;br /&gt;
金銭を渡したのに会ってもらえないことによる恨みなどの感情にとらわれた&lt;br /&gt;
犯行で、動機はあまりに未熟だ」と指摘。&lt;br /&gt;
さらに「防犯カメラを避ける経路をあらかじめ調査するなど計画性も高い」&lt;br /&gt;
とする一方、被害者側にも合計約３４０万円を受け取りながら被告との約束を&lt;br /&gt;
破るなどの不誠実な態度がみられたと言及した。&lt;br /&gt;
判決によると、来見被告は昨年１２月１６日、松山市内の黒田さん方に&lt;br /&gt;
宅配業者を装い侵入。黒田さんの顔を殴るなどした上、サバイバルナイフで&lt;br /&gt;
首を刺し殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:くるみ よしのり}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2014年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:松山市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:2014年12月]]&lt;br /&gt;
[[Category:岡山大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:徳島県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1985年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.207.207</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%B5%A4%E7%9F%B3%E5%BC%A5&amp;diff=396645</id>
		<title>赤石弥</title>
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				<updated>2022-01-26T22:29:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:赤石弥1.jpg|300px|thumb|殺人犯・赤石 弥]]&lt;br /&gt;
'''赤石 弥'''（あかいし わたる）とは、[[熊本県]][[人吉市]]の[[県立球磨工業高校]]3年の荒川真侑子さん(当時17歳)を[[強姦]]目的で殺害した、[[静岡県]][[浜松市]]の47歳無職である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 熊本県人吉市殺人事件の経緯 ==&lt;br /&gt;
[[Image:荒川真侑子.jpg|300px|thumb|殺害された[[県立球磨工業高校]]3年の荒川 真侑子さん(当時17歳)]]&lt;br /&gt;
[[熊本県警]]は[[2014年]][[6月7日]]、同県[[人吉市]]内の山中で変死体が発見されたと発表した。性別や年齢などは不詳。遺体はうつぶせの状態で倒れており、遺体は体が隠れる程度の大きさのビニールシートで覆われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[熊本県]][[人吉市]]に住む[[県立球磨工業高校]]3年・荒川真侑子さん(17)が、[[2014年]][[5月4日]]から行方不明になっている。[[熊本県警]]は、別の事件で逮捕された[[静岡県]]の赤石 弥の供述に基づき7日夕方、[[人吉市]]の山中で身元不明の遺体が発見されたと発表した。警察は、行方不明になっている女子高校生の可能性が高いとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[熊本県]][[人吉市]]下原田町493の[[コンビニエンスストア]]「[[セブンイレブン]]・人吉下原田町店」([[国道219号]]沿い)の倉庫裏側にて、[[女子高生]]の[[自転車]]が発見された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女子生徒殺害をほのめかした無職・赤石 弥（47）＝別の女性に対する[[強制わいせつ]]で逮捕＝が、[[インターネット]]を通じて荒川さんと知り合ったことが8日、県警への取材で分かった。警察は司法解剖の結果、遺体は、10〜20代の女性で、死因と身元については、わからなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
30歳離れた2人は、荒川さんが行方不明になった[[5月4日]]の朝、電話でやりとりをし、行動を共にしていたことが新たにわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[熊本県]][[人吉市]]の山中で見つかった遺体について、県警人吉署捜査本部は10日、5月から行方不明になっていた県立球磨工業高校3年の荒川真侑子さん（17）＝同市下原田町＝と確認した。一部白骨化していた事から、死因は不明だったが、[[DNA鑑定]]などで、行方不明の女子高校生・荒川 真侑子さん(17)と確認された。前日の[[5月3日]]、サッカー部の顧問に「あすは法事で休む」と伝えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熊本県人吉市の山中で見つかった遺体が県立高校3年荒川真侑子さん（17）と確認された10日午後、地元には改めて悲しみが広がった。高校は「いちるの望みを持っていたが、事実を受け入れなければならない。ご冥福を心からお祈りします」などとするコメントを出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤石は荒川さんとインターネットのコミュニティーサイトで知り合って進路相談などに応じ、遅くとも3月ごろにはメールや電話などでやりとりしていたとみられる。調べに対して「人吉市には荒川さんに会うために来て、[[5月4日]]に[[レンタカー]]に乗せて高塚山に行った。荒川さんと口論となり、カッとなって殺した」などと供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 弱みつけ込み肉体要求 女子高生を待ち受ける ===&lt;br /&gt;
[[Image:赤石弥2.jpg|300px|thumb|殺人犯・赤石 弥の自宅]]&lt;br /&gt;
[[熊本県]][[人吉市]]で、女子高生の荒川真侑子さん(17)の遺体が発見された事件。荒川さんを殺害したと供述した赤石弥(47)が、[[2014年]]1月に別の少女と「自殺サイト」を通じて出会っていたことが明らかになった。赤石は1月下旬に[[愛知県]]内で[[沖縄県]]の18歳未満の少女にみだらな行為をしたとして、青少年保護育成条例違反で逮捕されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「赤石は荒川さんともネットを通じて知り合い、少女とは[[自殺サイト]]を介してエロ行為に及んでいる。少女の自殺願望を利用したとみられています」(捜査事情通)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 熊本・高3遺体。レンタカー途中返却。不明当日に ===&lt;br /&gt;
熊本県人吉市の山中から同市の県立高校3年、荒川真侑子(まゆこ)さん(17)の遺体が見つかった事件で、殺害したという趣旨の供述をした浜松市浜北区、無職、赤石弥(わたる)(47)＝別の強制わいせつで逮捕＝が予定を1日早め、荒川さんが不明となった[[5月4日]]に[[レンタカー]]を返していたことが捜査関係者などへの取材で分かった。県警人吉署捜査本部は、同日午前に殺害し急いで市内を出た可能性があるとみて調べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤石は2～4日に市内のホテルに滞在。2日昼ごろ市内のレンタカー会社で5日までの予定で乗用車を借り、4日午前中に返却してJR[[人吉駅]]に向かった。4日には荒川さんと[[携帯電話]]で通話していた。捜査本部は赤石が荒川さんとレンタカーで市内を移動していたとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、県警が遺体発見現場付近から荒川さんの携帯電話を見つけていたことも、捜査関係者への取材で分かった。赤石は荒川さんとインターネットで知り合って携帯電話でやり取りをしており、県警は通信内容などの解析を進める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
荒川さんの遺体が見つかった同市の高塚山の山中で遺留品を捜索したところ、荒川さんの携帯電話などの所持品が見つかった。携帯電話は4日から電源が切れた状態だった。県警はメールの通信内容やネットへの接続状況などを調べ、赤石とのやり取りを裏付ける方針。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 熊本・高3事件：赤石、シートを事前購入 ===&lt;br /&gt;
[[Image:赤石弥3.jpg|400px|thumb|赤石 弥の新聞記事]]&lt;br /&gt;
荒川さんを殺害したという趣旨の供述をした浜松市浜北区、無職、赤石弥＝別の女性への強制わいせつで逮捕＝が、遺体を覆っていたビニールシートを事前に購入していた。県警人吉署捜査本部は、購入の目的などを調べる方針。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ビニールシートは荒川さんが行方不明になった[[5月4日]]より前に赤石が購入していた。赤石は2～4日に人吉市のホテルに滞在し、2日に借りたレンタカーを予定より1日早い4日午前中に返却して、JR[[人吉駅]]に向かっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遺体は同市の高塚山の山中で見つかり、ビニールシートで覆われていた。赤石は「荒川さんを殺害して現場に放置した」という趣旨の供述をしており、捜査本部は4日午前中に荒川さんを殺害し、発覚を恐れて所持していたビニールシートで遺体を隠し、急いで市外へ逃げたとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 荒川真侑子さんと関わりがあった人の声 ==&lt;br /&gt;
近所の主婦（60）は「大事に育てていたお父さんのことを思うと、かわいそうでならない」と絶句。「違う人であってくれればと思っていた。今でも信じられない」と声を詰まらせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
荒川さんとよくあいさつを交わしたという別の女性（58）は「本当にかわいそう。こんな事件がもう起きないようにとしか言えない」と声を落とし、「今はインターネットがあるから、田舎も都会も変わらない。本当にひどい事件だ」と憤った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 殺人犯・赤石 弥 ==&lt;br /&gt;
赤石 弥は高校を中退後に一人暮らしを始め[[調理師]]をやったり自動車部品の工場などで働くなどしていたが、数年前に体調を崩してからは働いていなかった。家族が赤石 弥について語ったところによると、非常に疲れやすく、ちょっとした軽作業でも 5 分、10 分ごとに休憩を取らないと仕事にならない程だった。20 代の頃に結婚を考えている女性がいると家族に紹介したが破談となったという。破談となった理由はわかっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここ数年は[[生活保護]]費を受給していた。その金で愛知や熊本まで出かけて事件を起こした疑い。赤石は47歳で関係者の話によればここ何年かは仕事はしておらず無職だった。赤石については「心身の具合が悪かった」と話す人もいて仕事ができないとして居住している行政から支給される生活保護費を受給していたことが新たにわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近所の人が一部マスコミのインタビューに対し、「 不良じみたような人ではないです。真面目な方で、とても素直な方 」と語っており、また、近所の清掃活動にも積極的に参加していたという証言もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月上旬頃に「電話のかかる音が気になる」や「精神的につらい。気分転換に旅に出る」というメールを家族に送っている事が分かった。また、4月下旬には「5月の4、5日には戻る」というメールを送っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月16日に逮捕された容疑の様に、淫行や強制わいせつなどで逮捕されている事から、性犯罪の常習者である可能性は極めて高いと思われる。1 月から自宅へ殆ど帰宅していなかったという報道もあり、他にも淫行やわいせつ事件などの余罪がある可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1 月にネットで知り合いみだらな行為に及んだ少女とは「 自殺サイト 」知り合ったとされる。連絡を取るうちに愛知県で会う事になり、少女を車に乗せて浜松市へ移動したが少女が通報し保護されたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 熊本・高3遺体容疑者宅を捜索。別の女性事件で ===&lt;br /&gt;
浜松市浜北区西美薗、無職、赤石弥の自宅を別の女性への強制わいせつで家宅捜索した。捜査本部は赤石が荒川さんを殺害して遺体を遺棄したとみており、容疑が固まり次第、殺人と死体遺棄容疑で再逮捕する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査員6人が同日午前9時50分ごろから赤石容疑者宅に入って捜索を始め、午後0時10分ごろに終えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤石の逮捕容疑は[[5月3日]]午後6時ごろ、人吉市内のホテルでマッサージの50代女性にわいせつな行為をしたとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 別の少女連れ込み未遂も。浜松の自宅寄り付かず ===&lt;br /&gt;
赤石 弥は、[[浜松市]]浜北区の一軒家で1人暮らしだった。[[2014年]]1月下旬に別の[[女子高生]]を自宅に連れ込もうとしてから[[5月16日]]に逮捕されるまで、自宅に寄り付いていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤石は1月下旬、[[インターネット]]で知り合った[[沖縄県]]内の[[女子高生]]と[[愛知県]]内のホテルで会った後、[[浜松市]]の自宅に連れ込もうとした際にけんかとなり、[[女子高生]]が警察に通報した。[[女子高生]]から事情を聴いた[[静岡県警]]が、[[愛知県]]青少年保護育成条例違反事件として捜査を始めると行方をくらまし、約3カ月後に捜査員が自宅近くの[[ファミリーレストラン]]にいるところを見つけ、逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
JR[[浜松駅]]から北約12キロの住宅地にある自宅は、築約30年の木造平屋建て。大家の女性は「二十数年前から1人で住んでいた。家賃は4万円ぐらい。親が払っているのか、滞納することもなかった」と話す。最近は働いている様子はなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大家の女性によると、物音を立てることもなく、周囲とのトラブルもなかった。地域で行う草刈りや側溝の掃除にも参加していた。近くに住む80代の女性は「会うとあいさつをしてくれたし、愛想がいい。いい人だと思っていた」、70代の女性も「真面目な感じの人。こんなことになるとは信じられない」と驚きを隠さなかった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
=== 女子高生殺害、初公判。48歳男、ロープで首絞める(2015年6月) ===&lt;br /&gt;
[[熊本県]][[人吉市]]で[[2014年]]、県立高校3年の女子生徒＝当時17歳＝を殺害したとして、殺人などの罪に問われた住所不定、無職、赤石 弥被告(48)の[[裁判員裁判]]が[[2015年]][[6月4日]]、[[熊本地裁]]([[溝国禎久]][[裁判長]])で開かれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告は起訴内容を大筋で認める方針で、量刑が争点となる見通し。起訴状によると、[[2014年]][[5月4日]]午後0時15分ごろ、[[人吉市]]の高塚山山中で、女子生徒の首を背後からロープで絞めて窒息死させたとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査関係者によると、赤石被告は以前、[[静岡県]]に住んでいた。趣味や関心を共有する人たちが[[インターネット]]上で質問や意見などを書き込んで交流する「コミュニティーサイト」で女子生徒と知り合い、連絡を取っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判は8日に結審し、12日に判決言い渡しの予定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 女子高校生殺害事件、被告が拘置所で自殺(2015年8月) ==&lt;br /&gt;
2014年5月、[[熊本県]][[人吉市]]の山林で高校3年の女子生徒を殺害した罪などに問われている49歳の被告が、[[熊本市]]内の[[拘置所]]で自殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[熊本刑務所]]によると、[[8月18日]]の夜、[[熊本市]]中央区にある[[熊本刑務所]]の京町拘置支所で、男の被告が勾留されていた独居房で首に下着を巻きつけて扉にもたれかかっているのを巡回していた職員が見つけ、病院に搬送されたが、20日、死亡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死亡したのは、赤石 弥被告(49)。2015年6月の1審の判決で懲役18年を言い渡され、[[福岡高等裁判所]]に控訴していた。遺書などは見つかっていないが、警察は現場の状況から自殺したとみて調べている。[[熊本刑務所]]の明石雅美所長は「被告や受刑者の行動、心情の把握を徹底し、再発防止に努めたい」とコメントしている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あかいし わたる}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2014年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:人吉市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:2014年5月]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:2015年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.207.207</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%AD%A7%E5%8D%83%E4%BD%90%E5%AD%90&amp;diff=396644</id>
		<title>筧千佐子</title>
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				<updated>2022-01-26T22:27:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:筧千佐子1.jpg|350px|thumb|筧 千佐子]]&lt;br /&gt;
'''筧 千佐子'''（かけい ちさこ、[[1946年]][[11月28日]] - ）とは、遺産と保険金目当てに結婚と殺害を繰り返す殺人鬼である。青酸化合物を服用させ6人を殺害した。[[長崎県]][[長崎市]]生まれ、[[福岡県]][[八幡市]]育ち。[[福岡県立東筑高等学校]]卒業。子供2人いる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
類似事件として[[婚活連続殺人事件]]がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件発覚 ==&lt;br /&gt;
=== 夫を毒殺、67歳女を逮捕。周辺では他にも男性5人が相次ぎ死亡 ===&lt;br /&gt;
[[Image:筧千佐子2.jpg|350px|thumb|筧 千佐子周辺の死亡者]]&lt;br /&gt;
[[京都府]][[向日市]]で2013年12月、無職・筧勇夫さん＝当時（75）＝が死亡し遺体から毒物の青酸化合物が検出される事件があり、[[京都府警]]は2014年11月19日、筧さんに毒物を飲ませ殺害した疑いが強まったとして、殺人容疑で、事件直前に結婚した妻の千佐子(67)を逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件発覚以降、府警は遺産や保険金目当ての事件とみて捜査していた。府警によると、容疑を否認している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同容疑者の周辺では他にも、大阪、兵庫、奈良3府県で結婚・交際相手の男性5人が相次ぎ死亡。うち1人から同様に青酸化合物が検出され、大阪府警が調べを進めている。捜査関係者によると、千佐子容疑者は13年12月28日夜、向日市鶏冠井町大極殿の自宅で、筧さんに青酸化合物を飲ませ、殺害した疑いが持たれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筧さんは[[インターネット]]で株取引をしている最中に容体が急変し、搬送先の病院で死亡。司法解剖の結果、血中から青酸化合物が検出された。当時一緒にいて119番した同容疑者から任意で事情を聴いたところ、「2階に見に行くと冷たくなっていた。毒物は知らない」などと説明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2人は結婚相談所を通じて知り合い、同年11月1日に婚姻届を出した。京都府警が同容疑者の婚姻歴などを調べたところ、最初の夫と死別後の[[2006年]]以降、相談所を介して知り合った元夫2人と交際相手3人が死亡していたことが判明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私は絶対に殺していません」と容疑を否認している。府警は保険金や遺産目当ての可能性もあるとみて追及する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子をめぐっては2012年、交際していた[[大阪府]][[貝塚市]]の男性(当時71歳)がバイクで転倒した後に死亡し、血液から青酸化合物が検出されており、大阪府警も捜査を進めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筧さんらは2013年11月に結婚したばかりだった。京都府警は千佐子が筧さんと結婚する前に大阪や兵庫で3人の男性と結婚を繰り返し、相手がいずれも死亡していることを確認しており、経緯を詳しく調べる。ほかにも接点のあった男性数人の死亡情報がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子容疑者は2013年12月28日、自宅にいた筧さんに青酸化合物を飲ませ、急性中毒死させた。府警は千佐子容疑者が筧さんに青酸化合物を飲ませた詳しい経緯は不明としており、捜査本部を設置して青酸化合物の入手ルートや動機などを追及する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件当日の夜、千佐子容疑者は「夫の意識がなく体が冷たくなっている」と119番通報。自宅２階の居間であおむけに倒れていた筧さんは京都市内の病院に運ばれ、死亡が確認された。遺体に目立った外傷はなかったが、解剖の結果、胃の内容物と血液から青酸化合物の成分が検出された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子容疑者は任意の事情聴取に「心当たりがない」と関与を否定したが、府警は青酸化合物を入手した可能性が高いことを突き止めた。一方で、筧さんに生命保険が掛けられていたことや、千佐子容疑者に多額の借金があったことも判明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
府警は慎重に捜査を続けてきたが、最近になり、千佐子容疑者が周辺に「死にたい」などと自殺をほのめかし、所在が一時不明になったことから、逮捕状を取って行方を追っていた。19日早朝、大阪府熊取町内で千佐子容疑者を見つけ、任意同行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 妻の関係先から青酸化合物。逮捕の決め手に ===&lt;br /&gt;
京都、大阪府内で死亡した高齢男性の体内から相次いで青酸化合物が検出された連続変死事件で、京都府向日市の無職、筧(かけひ)勇夫さん(当時75歳)を殺害した容疑で逮捕された妻千佐子(ちさこ)(67)の関係先から青酸化合物が見つかり、京都府警に押収されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、筧さんの体内から、青酸化合物以外に睡眠を促す薬物も検出されていたことも判明。府警は、千佐子が筧さんの意識が薄れている間に青酸化合物を飲ませた可能性もあるとみて、入手ルートの解明を進める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子の関係先で捨てられた物品から少量の青酸化合物が検出された。府警は管理が厳しい青酸化合物が身辺から見つかったことが逮捕の決め手になると判断した模様だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、事件前、千佐子に似た小柄な女性が1人で薬局を訪れ、店員に「ミンザイ(睡眠導入剤)ちょうだい」と声をかけていた。店員が「処方箋がないと売れない」と言うと、女性は処方箋が不要な催眠鎮静剤を購入して帰ったという。自宅からはこの薬のレシートが見つかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子がこれまで結婚したり交際したりした高齢男性から相続した不動産や保険金などは計数億円分に上ることも分かった。結婚の度に公正証書を作るなど、多額の遺産を相続していた。ただ、不動産などすぐには処分できない財産も多く、知人などから1000万円以上の借金があったという。借りては別の人に返す自転車操業で、府警が千佐子の多数の口座を確認したところ、多額の現金が残っているものはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害されたとされる筧さんにも土地を含めて数千万円相当の遺産があり、千佐子容疑者は死亡直後に遺産相続の手続きを開始。一部は相続したが、今夏、支払いを拒否した地元金融機関を相手取り、相続分の預託金425万円の支払いを求めて京都地裁に提訴し、係争中となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 京都男性変死:持病なく散歩趣味　死亡の筧さん ===&lt;br /&gt;
親族らによると、死亡した筧勇夫さん(当時75歳)は京都市内の大手電機会社を定年退職。千佐子とは2013年6月、[[結婚相談所]]を通じて出会い、同年11月に結婚した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筧さんは自宅パソコンでの株価チェックが日課で、家庭菜園や早朝散歩が趣味だったという。小中高の同級生の男性(76)によると、筧さんは海外旅行やゴルフに行き、生活に余裕がある様子で、気さくで快活だったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筧さんの親族の女性は、これまでの毎日新聞の取材に「(筧さんは)持病もなく、毎日1時間ほどウオーキングし、『体を大事にしなければいけない』といつも話していた」と突然の死をいぶかり「死後、千佐子は遺産の処分を進めようと再三連絡をよこしてきた」と話していた。逮捕の情報には「真相がわからずじまいだったので、警察に感謝したい」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子について近所の女性(60)は「筧さんが亡くなった時、香典を渡したら『遺体から毒物が出て自分が犯人扱いされて困っている』と急に言い出したので、変だなと思っていた」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「根こそぎ調べてよ」千佐子容疑者 ===&lt;br /&gt;
千佐子容疑者はこれまで毎日新聞の取材に複数回応じ、事件への関与を否定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−筧勇夫さんが亡くなった時の状況は。&lt;br /&gt;
:自宅2階でパソコンで株取引をしていた。午後9時過ぎになっても下りてこないので行くと倒れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−その日は何を食べたのか。&lt;br /&gt;
:朝から家で夫と餅つきをして餅を食べた。夕食では前日の水炊きの残り物を食べ、特別な物は食べていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−警察に説明は。&lt;br /&gt;
:2人暮らしの家で毒を入れたとしたら、私が疑われるのは小学生でも分かる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−毒物に心当たりはないのか。&lt;br /&gt;
:ない。根こそぎ調べてよ。逆に手に入れる方法を教えて。夫を殺しても1円の得にもならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−結婚する際に資産を考慮したか。&lt;br /&gt;
:老後のことを考えて借金だらけの人とは結婚しない。魅力は子供がいなかったこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−交際相手の大阪府貝塚市の男性の血液からも毒物が出たが。&lt;br /&gt;
:誰かが私をおとしめたいのだろう。私は知らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−あなたの周辺では他にも数人が亡くなっている。&lt;br /&gt;
:真実は一つしかない。私は人生を楽しく生きたい。人を殺して子供に迷惑かけるほどぼけていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 高齢孤独男性たちを“籠絡”する手口 ==&lt;br /&gt;
逮捕された妻の千佐子(67)は京都府警向日町署捜査本部の調べに「(筧さんは)性格がさわやかで最高の人だった」と供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、筧さんの生前から複数の男性とも同時交際するなど、複雑な男女関係を築いていた形跡もうかがえる。千佐子は、どうやって交際範囲を広げたのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子は、大阪市や堺市内など何カ所もの結婚相談所に登録。相手探しの拠点にしていた。条件は主に「資産がある」と「子供がいないか、疎遠」の2つ。資産のある孤独な高齢者がターゲットだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子は狙いを定めた男性たちと食事の機会を設け、一気に親密な関係を築いた。その中から「持病」のある人を選び、本格的な交際に発展させていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
携帯電話にはたくさんの男性の電話番号が登録されていた。が、例えば「勇夫」が「勇美」になるように、女性のような名前に変更していた。昨年11月に筧さんと入籍した後も、結婚を隠して別の男性と繰り返し接触。偽名の登録は、交際男性にのぞき見られたときの“偽装工作”だったのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子から相手の男性にあてられたメールには、直接的な求愛メッセージが並ぶ。筧さんには「愛する勇夫さん」「あなたに会えて幸せ」といったメッセージが送られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2人は昨年6月に出会い、11月に結婚。事件は入籍2カ月後の12月末に起きたが、千佐子はその間“通い妻”として、当時の自宅と向日市の筧さん宅を行き来していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査関係者は「付かず離れずの距離でやきもきさせたかったのでは」とみる。「自分のペースに巻き込んでいく感じ。筧さんのメールの文面からも気持ちがどんどん動いていく様子がうかがえた」と分析した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査本部の調べには淡々と応じ、冗舌に語ってもいるというが、容疑については「殺してはいない」と一貫して否認を続けている。一方、留置場の布団が「ふかふかだった」と無邪気に喜ぶこともあったといい、留置場の待遇には不満はなさそうだという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
取調官は筧さんと知り合った経緯や2人の関係などを一つ一つ、本人の口から説明させている。捜査幹部は「供述と証拠を丁寧に積み上げることが大事だ」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== とぼけ続ける容疑者 ==&lt;br /&gt;
=== 夫の死因「薬を誤飲したのかも」容疑者供述 ===&lt;br /&gt;
京都府向日(むこう)市の筧(かけひ)勇夫さん(当時75歳)への殺人容疑で逮捕された妻千佐子(ちさこ)(67)が京都府警の調べに対し、筧さんの死亡原因について「薬を誤飲したのではないか」という趣旨の供述をしていることが、捜査関係者への取材で分かった。千佐子容疑者は逮捕当初から容疑を否認しているが、死亡原因への言及が判明したのは初めて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子は2013年12月28日午後9時ごろ、自宅で筧さんを青酸中毒で殺害したとして11月19日に逮捕された。取り調べに対し、筧さんが普段から健康に気を使っていたとした上で、「(何らかの)薬を飲んだらそういうの(青酸化合物)が含まれていたのではないか」との供述をしているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、千佐子は筧さんの死について「分からない」とし、「自殺、事故、病気の可能性がないから当時、2人でいた私が疑われるのだろう」とも述べているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
京都府警は11月20日と21日、筧さん方を家宅捜索。漢方薬や胃腸薬、鎮痛剤など複数の医薬品を押収したが、青酸化合物の成分を含むものは発見されていない。事件当夜、筧さん宅に不審者が侵入した形跡も見当たらないため、府警は千佐子が青酸化合物を飲ませた以外の可能性はないとみて、引き続き詳しい事情を聴く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 容疑の妻、戸籍からバツ消す。京都・青酸殺害、再婚歴隠しか ===&lt;br /&gt;
[[京都府]][[向日市]]鶏冠井町の筧勇夫さん＝当時75歳＝が青酸化合物で殺害されたとされる事件で、[[京都府警]]捜査本部(向日町署)に殺人容疑で逮捕された妻の千佐子(67)が、戸籍簿上、再婚した経歴を消した上で、筧さんと結婚していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでに死別した夫や交際した男性の名前を女性名に変えて[[携帯電話]]に登録していたことも判明。捜査本部は、千佐子が過去の結婚や交際を隠すために工作していた可能性が高いとみて調べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子は筧さんとの結婚前に3人の男性と結婚し、いずれも死別。通常、妻が夫と死別や離婚をした場合は、妻の戸籍簿には夫の名前に「×」の印が付けられ、死別や離婚の理由が記載される。一方、2013年11月に筧さんと入籍した際、千佐子の戸籍簿では過去に2回再婚した男性の名前は記載されておらず、最初に結婚した[[大阪府]]の男性の姓に戻っていた。3度目の結婚の際にも、同様に戸籍簿には直前に再婚した男性名はなく、大阪府の男性の姓だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
行政関係者によると、本籍地を別の場所に移す転籍の手続きなどをすれば、制度上、新たな戸籍簿に再婚した夫の名前などは記載されず、[[弁護士]]や[[司法書士]]が[[除籍簿]]などをたどらない限り再婚の履歴は確認できないという。捜査本部は千佐子が再婚歴を隠して筧さんに近づいた可能性があるとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子の携帯電話を調べた際、過去に結婚したり交際したりした男性の名前の漢字一字を変えた女性名で登録され、筧さんも女性の偽名で登録されていた。女性の知人らは実名のままだったといい、捜査本部は男性だけ名前を変えていた目的についても調べる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 取得した遺産1億円、使途不明　京都・夫殺害容疑の妻 ===&lt;br /&gt;
千佐子が、筧さんと知り合う前に結婚していた3人の亡夫らから得た遺産について、1億円近い使途不明金があることが分かった。過去に相続した遺産を[[マルチ商法]]にも費やしていたことも新たに判明。捜査本部は、殺人容疑の動機につながる可能性もあるとみて、千佐子が手にした遺産の使途を調べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子は、筧さんとの結婚前に死別した3人の夫や交際中に亡くなった男性らから計数億円の遺産を手に入れ、[[先物取引]]や投資目的でマンションを購入するなどしていた。マルチ商法にも手を出し、知人らを勧誘していたという。多くは金融商品への投資で多額の損失を出した。少なくとも1千万円の借金を抱えており、筧さんの資産の一部も借金返済に充てたとみて解明を急いでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、捜査本部が千佐子が管理する十数の口座など過去の支出を調べる中で、千佐子が資産として手に入れた金額と、投資やマルチ商法、光熱費などに使った金額との差が1億円近くあることが分かったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子は逮捕前の取材に対し、死別した夫らからの遺産について「親族と分けたり税金で払ったりしたので、何千万円とかはもらっていない。昔の商売の借金が2000万円ぐらいあった。長いことかかって返済した」と話していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
府警によると、千佐子は「絶対に殺していません」と容疑を否認しているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 毒物を使った主な殺人・変死事件 ==&lt;br /&gt;
* [[帝銀事件]](1948年) – [[1948年]]1月、東京の帝国銀行支店に東京都職員を装った男が現れ、行員らに青酸化合物を飲ませ12人を殺害&lt;br /&gt;
* [[名張毒ぶどう酒事件]](1961年) – [[1961年]]3月、三重県名張市の住民懇親会で、農薬が混入したぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が中毒症状&lt;br /&gt;
* [[青酸コーラ事件]](1977年) – [[1977年]]1月、東京都内の電話ボックスで青酸化合物入りのコーラを飲んだ男子高校生(当時16歳)と無職男性(当時46歳)が死亡&lt;br /&gt;
* [[和歌山・毒物カレー事件]](1998年) – [[1998年]]7月、和歌山市内の夏祭りで、カレーライスを食べた住民67人が急性ヒ素中毒を発症、うち4人が死亡&lt;br /&gt;
* [[長野・青酸茶事件]](1998年) - 長野県内のスーパーで[[1998年]]8月、缶入りウーロン茶を飲んだ男性(当時58歳)が青酸中毒で死亡&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[婚活連続殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[結婚詐欺]]&lt;br /&gt;
* [[和歌山カレー事件]]&lt;br /&gt;
* [[完全犯罪]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かけい ちさこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の詐欺事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2014年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:結婚]]&lt;br /&gt;
[[Category:シリアルキラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:長崎県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:福岡県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1946年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.207.207</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%AB%B9%E4%BA%95%E8%81%96%E5%AF%BF&amp;diff=396643</id>
		<title>竹井聖寿</title>
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				<updated>2022-01-26T22:23:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image: 竹井聖寿1.jpg|300px|thumb|竹井 聖寿]]&lt;br /&gt;
'''竹井 聖寿'''（たけい せいじゅ、[[1989年]] - ）とは、[[千葉県]][[柏市]]の[[通り魔]]殺人犯である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
[[Image: 竹井聖寿2.jpg|300px|thumb|竹井 聖寿]]&lt;br /&gt;
[[2014年]][[3月3日]]午後11時半すぎ、竹井は千葉県柏市あけぼの5の路上で、会社員・池間博也さん(31)の首などを複数回刺して殺害し、現金などが入ったバッグを奪った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一連の事件は約10分間にわたり、約50メートルの範囲で発生。自転車に乗っていた男性(25)が竹井に呼び止められ、刃物を払いのけた際に左手を切られ軽傷を負った。その直後に池間さんが刺された。続いて、近くに停車中のワゴン車に乗っていた男性(44)が「金を出せ。もう人を殺している」と脅され、財布を奪われた。さらに、別の車を運転していた男性(47)が倒れていた池間さんを発見し、降りた隙に車を奪われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
車は現場から約1.5キロ離れた市内の[[コンビニ]]の駐車場で見つかり、防犯カメラには、4日午前0時ごろ、竹井が徒歩で立ち去る様子が映っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「金奪おうと思った」 == &lt;br /&gt;
池間さんと同じマンションに住む自称無職、竹井聖寿(24)を強盗殺人で逮捕した。マンションは現場から約20メートルの至近距離にある。竹井は「金を奪おうと思った」と供述し、一連の襲撃事件すべてについて関与を認めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
池間さんらとは面識がないといい、詳しい動機や経緯を調べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現場周辺の聞き込みや、防犯カメラの映像で容疑者を特定。5日夕、竹井を立ち会わせて自宅を家宅捜索し、供述通りに凶器とみられる刃物を見つけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 任意同行求められ、容疑者「チェックメイト」 ==&lt;br /&gt;
柏署捜査本部は、竹井聖寿が、男性4人が襲われた事件のうち池間さん殺害に関与した疑いが強いとみて、任意で事情を聞いていた。竹井は4日夜、報道陣の取材に応じ、「犯行現場を見た」などと話していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警の捜査員は5日朝、竹井が住むアパートに向かった。「分からないことがあるので、警察署に来てほしい」。捜査員が任意同行を求めると、竹井容疑者は「チェックメイト」と答えて素直に応じたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 笑い声、馬乗り、牛刀…竹井容疑者、報道陣に「犯行見た」と“一部始終”説明 ==&lt;br /&gt;
[[Image: 竹井聖寿4.jpg|400px|thumb|竹井聖寿ニコ動プロフィール]]&lt;br /&gt;
「感情が高ぶった」「金を取る目的で刺した」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
竹井は素直に容疑を認めているというが、事件の翌日には、報道陣に「犯行を見た」と冗舌に証言していた。自宅マンションの家宅捜索では、会社員の池間博也さんを殺害した凶器とみられる刃物なども見つかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「チェックメイト」。逮捕された竹井聖寿は、5日朝に捜査員から任意同行を求められ、チェスで「詰み」を意味するこの言葉をつぶやいたという。自宅は、事件現場から20メートルほどの場所にあるマンションの4階。1階には殺害された池間博也さんも住んでいた。近所付き合いは少なかったとみられ「(容疑者と)面識がない」というマンション住民が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
竹井は千葉県警の家宅捜索にも立ち会ったが、捜索終了後はマンション前で見守る報道陣や近隣住民らをにらみつけ、自らマスクを外し、意味の分からない言葉で怒鳴るなど、興奮した様子を見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、事件翌日の4日夜には現場で取材をしていた産経新聞など報道陣に「犯行を見た」と話していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
竹井は「3日午後11時半ごろ、『おいこら』という怒鳴り声が聞こえたので、玄関から外をみると、(池間さんと犯人が)もみ合っていた」と説明。取り囲んだ報道陣に臆する様子もなく証言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに「犯人は手に30センチほどの長さの刃物を持っており、暗闇でもギラギラ光っていた」「犯人は『ハハハ』と笑い声を上げたり、奇声を上げたりしながら、牛刀のようなもので倒れた男性に馬乗りになり、背中を何度も刺していた」と状況を細かく話した。池間さんについて問われると「面識はない。同じマンションの住人が刺されているなんて分からなかった」。犯人は「身長約175センチで黒ずくめ」などと答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不可解な部分もあった。犯人が車を奪った状況について、竹井は「(犯人は)たまたま通りかかった車の前に立って止め、運転していた男性を引きずり出した」と証言。しかし県警によると、犯人は人が倒れているのを不審に思った男性が、車を止めて降りたときの隙を見て、男性の車に乗り込んだという。事件の目撃者は容疑者以外にも複数いたが、「犯人が笑っていた」と証言したのは竹井1人だけだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「(事件を)撮影した6分くらいの動画もある」とも主張。報道陣から動画の提供を求められると、「事件の解決に一役買いたいが、警察に『外にもらすな』といわれた」などと釈明し、提供しようとはしなかった。さらに「もし、犯人が同じマンションに住んでいたら怖い」として、テレビカメラに対しては「顔を写さないでね」「音声も変えてほしい」などと、繰り返し要望していた。捜査幹部は「容疑者からのビデオの提供はない」と話しており、竹井の作り話だった可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯罪心理に詳しい[[臨床心理士]]の[[長谷川博一]]氏は竹井の行動について「アリバイ工作的に虚偽証言をするケースは考えられるが、自ら語ることは通常は考えられない。犯行直後の興奮状態の中、冷静な判断を欠き、『だれかに話したい』という心理が働いたのではないか」としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逮捕1週間。ネット知人に60万円借金。生活に困り犯行か ==&lt;br /&gt;
竹井聖寿が、[[インターネット]]上で知り合った知人から事件前に約60万円の借金をしていた。県警柏署捜査本部は竹井が金銭に困っていたことを裏付けるものとみて調べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同日で逮捕から1週間。竹井は7日に事件について黙秘に転じたが、雑談には応じ、かつて受けた[[いじめ]]の体験などについて話している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「人と面と向かって話すのは疲れる」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5日夜の逮捕後、連日続く取り調べでこう話しているという竹井。職に就かず1人暮らしで、普段は近くのコンビニに行く以外はあまり外出せず、捜査関係者は「ひきこもり」に近い状態だったとみている。だが、ネットの[[チャット]]サイトなどは頻繁に利用し、事件数週間前にはネット上の知人に対し、「何か大きいことをしてやる」と話していたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「金を取る目的で刺した」と当初話していた竹井は現在、事件についての供述は拒んでいるが、小中学校時代にいじめられた経験や家庭環境の悩みなどを口にしているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕直後には「普段考えていること」を問われ、「[[ハイジャック]]をして[[東京スカイツリー]]に突っ込んで、社会に報復したい」と答えるなど、犯行の背景には社会への不満があったともみられる。しかし、ある捜査関係者は「結局は金目的で短絡的な犯行ではないか」との見方を示す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
竹井は以前は親の援助を受けて生活し、ネット上のプロフィルでは「セレブニート」を自称。だが、捜査関係者によると、最近は援助を絶たれ、生活保護を受けていた。約60万円の借金も生活費のため借りたとみられ、返済に困っていた様子があるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕前後には不可解な言動が目立ったが、取り調べに整然と受け答えをしていることなどから、捜査本部は刑事責任能力に問題はないとの見方を示しており、引き続きネット上での知人らから話を聞く方針。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 孤独生活もネットでは冗舌「社会に報復」竹井容疑者の人物像 ==&lt;br /&gt;
[[Image: 竹井聖寿3.jpg|300px|thumb|竹井 聖寿]]&lt;br /&gt;
竹井聖寿は1人暮らしで職にも就いておらず、周囲との交流がほとんど確認されていない。対照的にインターネット上では“冗舌”ぶりを発揮し、動画投稿サイトやチャット(文字での会話)サイトを頻繁に利用していた。逮捕前には報道陣に自ら「事件を目撃した」として犯行の内容を明かすなど不可解な行動もあり、通り魔事件を起こした容疑者像の謎は深まる一方だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「社会に報復したかった」。竹井は逮捕後、動機についてこう話す一方で、涙を見せながら「後悔している」と供述することもある。取り調べに素直に応じる一方で、突然発言が少なくなったり、話の流れと全く関係のない言葉を話すなど、特異な言動も散見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4日夜には大勢の報道陣を前に、自身が目撃したとする一連の事件の経緯を雄弁に説明した竹井。翌5日朝に捜査員に任意同行を求められた際には、チェスでいう「詰み」に当たる「チェックメイト」という言葉をつぶやいた。同日夕の家宅捜索では、自宅に集まった報道陣に向かって指を立てる挑発的なポーズをとったり、「バンザイ」と奇声をあげたりして捜査員に制止された。捜査幹部は「感情の起伏が大きいという印象」と話す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インターネット上には、竹井のものとみられる、動画投稿サイトの利用者プロフィルが残されている。そのプロフィルでは「除悪(じょあく)」と名乗り、長文の自己紹介を掲載。内容には竹井と一致する点が複数あるほか、「過去に少年院に2回入っていた」「尊敬する人は([[神戸児童殺傷事件]]を起こした)サカキバラ」などとつづっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別の動画投稿サイトでは竹井らしき人物が奇声をあげておもちゃの剣を振り回している動画などが複数投稿されている。チャットサイトやインターネット電話サービスなども頻繁に利用していたとみられ、ネットを通じた交流関係を築いていた一面が見受けられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査本部も竹井のものとみられるこうしたネット上の行動について把握しており、確認を進めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普段の生活での竹井はどんな人物だったのか。事件現場のすぐそばの自宅マンションには、1年ほど前から1人で住み始めた。親からの金銭的な援助を受けて生活していたとみられる。竹井は「生活保護を受けていた」とも話しているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近くの[[コンビニエンスストア]]などでは買い物をする竹井の姿が目撃されていたが、同じマンションの男性会社員(31)は、「逮捕で初めてそんな人が住んでいることを知った」と話し、近隣住民は写真を見ても「見覚えがない」と首をかしげる人も多く、周囲との接点は皆無に近かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、捜査本部によると、事件に関して5日朝の時点で市民から53件の情報が寄せられていた、その中には竹井を挙げる情報もあった。この情報が、5日朝の任意同行につながった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
竹井は「まずバスジャックをして、人質を取って、そして空港に乗りつけて、ハイジャックをして、東京スカイツリーに突っ込んで、社会に報復してやる」と供述しているという。その過激な言葉は、ネットの中でも見られた。竹井がネット上に書き込んだとみられる文章には、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私は現在、24才のセレブニートであります。悪を持って悪を制する信念と正義を持っております」と記されていた。これは、「除悪」という名でネット上に投稿された、竹井による書き込みの一部分。さらに、「子どものころは、爆弾を作ったり、うさぎをナイフで刺して、サカキバラを尊敬し、まね事で首と腹を刺したこともあります」と投稿されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1997年]]に起きた神戸連続児童殺傷事件で、「[[酒鬼薔薇聖斗]]」と名乗った犯人を尊敬するという書き込みもあった。竹井がネット上に書き込んだとみられる文章には、「最後まで生き残った者が強者であり、死んだ者、謝罪した者は弱者となるのです。下には下がおり、上には上がいる。その狭間の繰り返しが人生であり、本当の最強の人間の強さとは何かを研究するべく、私はこれからも人生、戦っていく覚悟でございます」とあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5日朝、自宅を訪れた捜査員に、任意同行を求められた際に発した言葉は、「チェックメイト」だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不可解な言動を繰り返している竹井。2013年10月には、バイク店でトラブルを起こしていた。竹井が訪れたバイク店の店長は、「一番最初に来たときに、『キャンセル料払いますんで、バイク買いたいです』と。いや、まずその時点からおかしいんで、『いや、キャンセルするんだったら(バイク)買わないでください』と」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局、その場で購入を約束し、一度は申込書にサインをした竹井だが、その後、キャンセルした。店側は、竹井に店への出入り禁止を告げたが、3カ月後、「バイクが欲しい」と、再び店を訪れたという。竹井が訪れたバイク店の店長は「『いや、ちょっとお客様、1回うちとトラブルがあったんで、出入り禁止ですよね』、『だから、ちょっと帰ってくれないですか』というふうな話したら、きのう(5日)の警察に連れて行かれる時みたいに奇声を上げて。『なんでだー』っていうような形で。(いきなり大声を出した?)そうですね」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、以前住んでいた千葉・[[流山市]]では、ある事件を起こしていた。2年前、流山市のアパートに住んでいた竹井容疑者は、親子げんかを近所の人に注意された際、その男性に対し、包丁を突きつけ、「刺すぞ」と脅したという。さらに、小学校のころの竹井を知る人は「スタンガン持ってたりとか、そのころからナイフ持ってたりとか」と話した。竹井は、すでに、おかしな行動を取っていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
竹井の小中学校の同級生は「いきなり竹井が家に上がって、ちょっとしたと思ったら、スタンガン持ってきたみたいな。それで、『こいつスタンガン持ってる。やべぇ、逃げろ』みたいな感じで、わーって、みんな逃げたみたいな」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
竹井は、取り調べで、収入については「親の援助や生活保護で収入を得ていた」と言い、強盗の動機については、「金が欲しかった」と供述している。一方で、質問とは関係のないことを話すなど、不可解な言動もあるとして、警察は、刑事責任能力の有無についても、慎重に調べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 少年院時代の呼び名は「レッドマン」 ==&lt;br /&gt;
「仲間うちでは竹井のことを“レッドマン”と呼んでいた。普段は色白だけど、キレるといつも顔を真っ赤にして怒っていたから」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
刃物を持った男に4人が突如襲われ、うち1人が死亡、1人が軽傷を負った千葉県柏市の連続通り魔事件。逮捕された竹井聖寿（せいじゅ）容疑者（24）の数々の奇行が連日報じられているが、その異常行動は、かつて少年院にいた頃も周囲を震え上がらせていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
冒頭の証言を寄せたのは5年前に関東地方の少年院で竹井容疑者と同室だったというAさんだ。竹井容疑者本人が書いたとされている動画投稿サイトのプロフィールによれば、「過去に少年院に2回入っていた」とあり、確かにAさんが少年院に入所していた時期と一致する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自分は18歳から19歳の終わりぐらいまで2年近く[[少年院]]にいましたが、自分が入った半年くらい後に、同い年だという竹井が入ってきました。ふだんはおとなしくて、どちらかといえばイジメられるタイプ。でも、キレると何をしでかすかわからないので、みんなから厄介者扱いされていた」（Aさん）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最大7人が共同生活を送る部屋で竹井容疑者と1年ほど一緒に過ごしたが、この男の行動はまったく予測できないものだったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「足を踏まれてからかわれてもおとなしくしているのに、何かの拍子でいきなりキレると所構わず大暴れする。寮父室という学校の職員室みたいな部屋に呼び出された際に、机の上にあったセロハンテープやら備品やらを全部弾き飛ばして怒鳴り散らしていたこともありました。食器を洗う当番の時にも、急に食器をひっくり返したり……。そういうことが度々あったので、竹井は単独室という独房の常連だった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 通り魔犯人はニコ生主だった ==&lt;br /&gt;
「スマホで事件の様子を撮影した」と嘘をつき、金銭を要求していた。また、男は以前からニコニコ生放送やYouTubeなどに動画を投稿し、ナイフなどを自慢していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
=== 法廷で突然「ハハハ」不規則言動で開廷遅れる。千葉地裁公判(2015年6月) ===&lt;br /&gt;
[[千葉県]][[柏市]]の路上で[[2014年]]3月、会社員の池間博也さん(31)が刺殺されるなどした連続通り魔事件で、強盗殺人などの罪に問われた住居不定、無職、竹井聖寿被告(25)の[[裁判員裁判]]の第4回公判が[[2015年]][[6月2日]]、[[千葉地裁]]([[小森田恵樹]][[裁判長]])で開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
竹井被告は開廷前、突然話したり笑ったりといった言動を繰り返したため法廷から出され、開廷が約1時間遅れる事態となった。竹井被告はこの日、前回公判までのスーツ姿とは打って変わり、[[タンクトップ]]姿で入廷。腕のタトゥーがあらわになっており、傍聴人を驚かせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開廷前に「裁判長に申し上げる」といった発言を繰り返し、[[弁護士]]の制止も無視。以後も意味不明な発言をしたり、突然「ハハハ」と笑い始めたりしたため、竹井被告は法廷から一時出された。この日はかつて[[インターネット]]で交流していた仲間などが証人として出廷する予定だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 類似事件 ==&lt;br /&gt;
* [[マツダ本社工場連続殺傷事件]]&lt;br /&gt;
* [[秋葉原通り魔事件]]&lt;br /&gt;
* [[土浦連続殺傷事件]]&lt;br /&gt;
* [[池袋通り魔殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[大野木亮太]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:たけい せいしゆ}}&lt;br /&gt;
[[Category:無差別殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2014年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:柏市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:DQN]]&lt;br /&gt;
[[Category:底辺]]&lt;br /&gt;
[[Category:千葉県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1989年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.207.207</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%97%A4%E5%B6%8B%E7%B4%80%E4%B9%8B&amp;diff=396642</id>
		<title>藤嶋紀之</title>
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				<updated>2022-01-26T22:21:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox baseball player&lt;br /&gt;
|選手名             = 藤嶋　紀之&lt;br /&gt;
|英語表記           = &lt;br /&gt;
|所属球団           = 香川オリーブガイナーズ&lt;br /&gt;
|背番号             = 24&lt;br /&gt;
|選手写真ファイル名 = &lt;br /&gt;
|写真サイズ         = &lt;br /&gt;
|写真のコメント     = &lt;br /&gt;
|国籍               = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|出身地             = [[香川県]]&lt;br /&gt;
|生年月日           = {{生年月日と年齢|1988|6|9}}&lt;br /&gt;
|没年月日           = &lt;br /&gt;
|身長               = 179&lt;br /&gt;
|体重               = 80&lt;br /&gt;
|利き腕             = 右&lt;br /&gt;
|打席               = 左&lt;br /&gt;
|守備位置           = [[捕手]]&lt;br /&gt;
|プロ入り年度       = &lt;br /&gt;
|ドラフト順位       = &lt;br /&gt;
|初出場             = &lt;br /&gt;
|最終出場           = &lt;br /&gt;
|経歴               = &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[香川県立坂出商業高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[名古屋商科大学]]（中退）&lt;br /&gt;
*[[高知ファイティングドッグス]]（2008 - 2009）&lt;br /&gt;
*[[香川オリーブガイナーズ]]（2010 - ）&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''藤嶋 紀之'''（ふじしま のりゆき、[[1988年]][[6月9日]] - ）は、[[四国・九州アイランドリーグ]]の[[香川オリーブガイナーズ]]に所属する[[プロ野球選手]]（[[捕手]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
[[2005年]]、[[香川県立坂出商業高等学校|坂出商高]]2年生時の秋季香川県大会で4位。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]、[[名古屋商科大学]]を中退して[[高知ファイティングドッグス]]に入団。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]、[[香川オリーブガイナーズ]]に移籍。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 成績 ==&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:right; font-size:small&amp;quot; &lt;br /&gt;
![[年度|年&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;度]]!![[チーム|チ&amp;lt;br /&amp;gt;｜&amp;lt;br /&amp;gt;ム]]!![[野球の背番号|背&amp;lt;br /&amp;gt;番&amp;lt;br /&amp;gt;号]]!![[試合|試&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;合]]!![[打数|打&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;数]]!![[安打|安&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;打]]!![[本塁打|本&amp;lt;br /&amp;gt;塁&amp;lt;br /&amp;gt;打]]!![[打点|打&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;点]]!![[盗塁|盗&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;塁]]!![[三振|三&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;振]]!![[四死球|四&amp;lt;br /&amp;gt;死&amp;lt;br /&amp;gt;球]]!![[打率|打&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;率]]!![[出塁率|出&amp;lt;br /&amp;gt;塁&amp;lt;br /&amp;gt;率]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[2008年|2008]]||rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|[[高知ファイティングドッグス|高&amp;lt;br /&amp;gt;知]]||rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|24||31|| || ||0||3||1||||||.163|| &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[2009年|2009]]||50|| || ||0||10||1||||||.211|| &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[2010年|2010]]||[[香川オリーブガイナーズ|香川]]||54||114||33||0||6||0||13||8||.289|| &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;3&amp;quot;|通算成績&lt;br /&gt;
|135||　||　||0||19||2||　||　|| || &lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[香川県出身の人物一覧]]&lt;br /&gt;
* [[高知ファイティングドッグスの選手一覧]]&lt;br /&gt;
* [[香川オリーブガイナーズの選手一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{香川オリーブガイナーズ}}&lt;br /&gt;
{{baseball-biography-stub}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ふししま　のりゆき}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の野球選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:高知ファイティングドッグスの選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:香川オリーブガイナーズの選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋商科大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:香川県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1988年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.207.207</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%81%96%E5%AD%A6%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6&amp;diff=396641</id>
		<title>聖学院大学</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%81%96%E5%AD%A6%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6&amp;diff=396641"/>
				<updated>2022-01-26T22:19:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: /* 出身者 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{大学&lt;br /&gt;
| 国 = 日本&lt;br /&gt;
| 大学名 = 聖学院大学&lt;br /&gt;
| ふりがな = せいがくいんだいがく&lt;br /&gt;
| 英称 = Seigakuin University&lt;br /&gt;
| 公用語表記 = {{Lang|ja|聖学院大学}}&lt;br /&gt;
| 大学の略称 = 聖学大&lt;br /&gt;
| 画像 = Seigakuin University 01.jpg&lt;br /&gt;
| 画像説明 = 聖学院大学東側&lt;br /&gt;
| 大学設置年 = 1988年&lt;br /&gt;
| 創立年 = 1903年&lt;br /&gt;
| 学校種別= 私立&lt;br /&gt;
| 設置者 = [[学校法人聖学院]]&lt;br /&gt;
| 本部所在地 = [[埼玉県]][[上尾市]]戸崎1-1&lt;br /&gt;
| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 56 | 緯度秒 = 16.6 | N(北緯)及びS(南緯) = N &lt;br /&gt;
| 経度度 = 139 |経度分 = 35 | 経度秒 = 46.3 | E(東経)及びW(西経) = E&lt;br /&gt;
| 地図国コード = JP&lt;br /&gt;
| キャンパス = 上尾（埼玉県上尾市）&lt;br /&gt;
| 学部 = 政治経済学部&amp;lt;br/&amp;gt;人文学部&amp;lt;br/&amp;gt;人間福祉学部&lt;br /&gt;
| 研究科 = アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科&amp;lt;br/&amp;gt;総合政策学研究科&amp;lt;br/&amp;gt;人間福祉学研究科&lt;br /&gt;
| ウェブサイト=http://www.seigakuin-univ.ac.jp/&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;span style=&amp;quot;display:none&amp;quot;&amp;gt;{{ウィキ座標2段度分秒|35|56|16.6|N|139|35|46.3|E|region:JP}}&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[学校法人聖学院]]本部は[[東京都]][[北区 (東京都)|北区]][[駒込]]に所在。理事長は[[阿久戸光晴]]。学長は[[清水正之]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[プロテスタント]][[キリスト教]][[基督教会|ディサイプルス派]]の流れをくむ[[ミッションスクール]]。[[1898年]]にアメリカから[[ハーヴェイ・ガイ|ハーヴェイ・H・ガイ]] (Harvey H. Guy) が来日し、[[石川角次郎]]、[[宮崎八百吉]]らの協力を得て東京・駒込に聖学院の前身である聖学院[[神学校]]を設立。もともとは[[神学]]教育、[[伝道師]]養成のための学校だった。現在は[[幼稚園]]から[[大学院]]までの一貫教育体制を完成。3学部6学科3大学院研究科を擁し、総合研究所、出版会などが付置されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ、[[大韓民国|韓国]]、[[イギリス]]、[[オーストラリア]]などの5つの大学と[[姉妹校]]提携を結んでいる。その他にも単位認定制度のある大学、研究機関が海外にあり、学生の[[交換留学]]や短期海外研修などを実施。地域への協力も活発に行っており、前身の短大時代から継続されている[[公開講座]]や、大学関係の[[NPO]]による地域[[ボランティア]]活動もある。[[情報]]公開や[[環境]]保護についての[[自治体]][[行政]]への協力として、教職員を各施設に派遣している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
学部に関係なく横断的な講座を持つことが出来る、[[ハーバード大学]]に倣った「全学教授」という地位がある&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.seig.ac.jp/news/topics/index-121126.htm 姜尚中氏、聖学院大学全学教授に就任] 聖学院大学公式プレスリリース&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
構内には[[基督教会]]系の「聖学院教会」がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 学院標語 ===&lt;br /&gt;
* Love God and Serve His People（神を仰ぎ 人に仕う）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大学標語 ===&lt;br /&gt;
* Pietas et Scientia（ピエタス　エト　スキエンティア、敬虔と学問）&lt;br /&gt;
* η αληθεια ελευθερωσει υμασ （ヘー　アレーセイア　エレウセローサイ　ユマース、真理はあなた方を自由にする　ヨハネによる福音書第8章第17節より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 理念 ===&lt;br /&gt;
* 「大学の理念十ヶ条」を設定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革 ==&lt;br /&gt;
* [[1903年]] 聖学院[[神学校]]を設立（後、[[青山学院]][[神学部]]と合同）&lt;br /&gt;
* [[1905年]] 女子聖学院[[神学部]]を設立&lt;br /&gt;
* [[1908年]] 女子聖学院普通部を設立&lt;br /&gt;
* [[1913年]] 女子聖学院[[家政学部]]を設立&lt;br /&gt;
* [[1920年]] [[財団法人]]聖学院を組織&lt;br /&gt;
* [[1926年]] 女子聖学院普通部を本科、[[神学部]]を神学科、[[家政学部]]を高等家政科と改称&lt;br /&gt;
* [[1936年]] 女子聖学院、[[財団法人]]女子聖学院を組織&lt;br /&gt;
* [[1938年]] 女子聖学院本科を高等女学科に改称&lt;br /&gt;
* [[1951年]] 2つの財団法人を統合、[[学校法人]]聖学院に改組&lt;br /&gt;
* [[1967年]] [[女子聖学院短期大学]]を設立&lt;br /&gt;
* [[1988年]] 聖学院大学を設立（政治経済学部政治経済学科）。聖学院大学総合[[研究所]]を設立&lt;br /&gt;
* [[1990年]] 聖学院[[アトランタ]]国際学校（幼稚部・小学部）を設立&lt;br /&gt;
* [[1992年]] [[人文学部]]（欧米文化学科、児童学科）を設置（これに伴い短大[[児童教育学科]]を廃止）&lt;br /&gt;
* [[1996年]] 大学院を設立（政治政策学研究科、[[修士課程]]）&lt;br /&gt;
* [[1998年]] 人文学部に日本文化学科、人間福祉学科を設置（これに伴い短大[[国文科]]、[[英文科]]を廃止）&lt;br /&gt;
* [[1999年]] 大学院にアメリカ・ヨーロッパ文化学研究科（[[博士前期課程]]）を設置&lt;br /&gt;
* [[2000年]] 政治経済学部にコミュニティ政策学科を設置&lt;br /&gt;
* [[2001年]] 大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科に博士後期課程を設置。女子聖学院短期大学を廃止。&lt;br /&gt;
* [[2004年]] [[人間福祉学部]]を設置。児童学科、人間福祉学科を人文学部より移設&lt;br /&gt;
* [[2006年]] 大学院に人間福祉学研究科、[[修士課程]]を設置。&lt;br /&gt;
* [[2012年]] 人間福祉学部にこども心理学科を設置&lt;br /&gt;
* [[2014年]] コミュニティ政策学科を政治経済学科と統合&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学部 ==&lt;br /&gt;
* [[政治経済学部]]&lt;br /&gt;
** [[政治経済学科]]&lt;br /&gt;
* [[人文学部]]&lt;br /&gt;
** [[日本文化学科]]&lt;br /&gt;
** [[欧米文化学科]]&lt;br /&gt;
* [[人間福祉学部]]&lt;br /&gt;
** [[児童学科]]&lt;br /&gt;
** [[こども心理学科]]&lt;br /&gt;
** [[人間福祉学科]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 課程 ==&lt;br /&gt;
* 図書館情報学課程&lt;br /&gt;
* 教職課程&lt;br /&gt;
* 社会教育主事課程&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大学院 ==&lt;br /&gt;
* [[政治政策学研究科]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科]]&lt;br /&gt;
* [[人間福祉学研究科]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著名人 ==&lt;br /&gt;
=== 教職員 ===&lt;br /&gt;
* [[速水優]] - [[日本銀行]]元総裁。学校法人聖学院名誉理事長。元全学教授。[[キリスト教文化功労者]]。&lt;br /&gt;
* [[大木雅夫]] - [[法学者]]。大学院政治政策学研究科教授&lt;br /&gt;
* [[有賀貞]] - [[国際政治学]]者。大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科教授。&lt;br /&gt;
* [[山形和美]] - [[英文学]]者。筑波大学名誉教授。大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科教授。&lt;br /&gt;
* [[小林良彰]] - [[政治学]]者。総合研究所客員教授。&lt;br /&gt;
* [[佐々木信夫 (行政学者)|佐々木信夫]] - 法学者。総合研究所客員教授。&lt;br /&gt;
* [[作田明]] - [[心理学]]者。人間福祉学部人間福祉学科客員講師。&lt;br /&gt;
* [[平修久]] - [[まちづくり学]]。政治経済学部コミュニティ政策学科学科長。まるホタルクラブ（現在は活動休止）顧問。&lt;br /&gt;
* [[石部公男]] - [[経済学]]。政治経済学部コミュニティ政策学科。&lt;br /&gt;
*[[松原望]]-[[統計学]]者。大学院政治政策学研究科教授。&lt;br /&gt;
* [[姜尚中]] - [[政治学]]。東京大学名誉教授。全学教授&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/area/saitama/news/20130402ddlk11100198000c.html 聖学院大:新年度、スタート　教授就任の姜尚中氏、新入生に祝辞　／埼玉] 毎日新聞 2013年4月2日&amp;lt;/ref&amp;gt;。2014年4月より学長&amp;lt;ref&amp;gt;[http://news.mynavi.jp/news/2013/07/25/186/ 姜尚中さん、聖学院大学の学長に] 朝日新聞デジタル 2013年7月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.seig.ac.jp/news/topics/index-130725.html 聖学院大学　次期学長選任のお知らせ] 聖学院大学 2013年7月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 出身者 ===&lt;br /&gt;
* [[原田龍二]] - [[俳優]]（中退）&lt;br /&gt;
* [[丸山タケシ]] - [[コラムニスト]]&lt;br /&gt;
* [[スネオヘアー]] - [[ミュージシャン]]&lt;br /&gt;
* [[澤宗紀]] - [[プロレスラー]]&lt;br /&gt;
* [[HEY!たくちゃん]] - [[ものまねタレント]]&lt;br /&gt;
* [[佐藤貴史 (宗教学者)|佐藤貴史]] - [[宗教学者]]。[[北海学園大学]][[教授]]&lt;br /&gt;
* [[相沢沙呼]] - [[小説家]]（中退）&lt;br /&gt;
* [[西川太一郎]] - [[政治家]]&lt;br /&gt;
* [[桜井賢二郎]] - [[AV男優]]&lt;br /&gt;
* [[徐海培]] - 殺人犯&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系列校 ==&lt;br /&gt;
学校法人聖学院では、設置している教育機関を全て同格に扱っており、大学を頂点とする附属校としていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[聖学院中学校・高等学校]]&lt;br /&gt;
* [[女子聖学院中学校・高等学校]]&lt;br /&gt;
* 聖学院小学校&lt;br /&gt;
* 聖学院幼稚園&lt;br /&gt;
* 聖学院みどり幼稚園&lt;br /&gt;
* [[聖学院アトランタ国際学校]] （アメリカ合衆国）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.seigakuin.jp/ 聖学院大学]&lt;br /&gt;
* [http://www.seig.ac.jp/ 学校法人聖学院]&lt;br /&gt;
* [http://www.seigakuin-univ.ac.jp/prs/ 聖学院大学出版会]&lt;br /&gt;
* [http://www.seigakuin-univ.ac.jp/souken/ 聖学院大学総合研究所]&lt;br /&gt;
* [http://www.seig-dousou.com/ 聖学院大学同窓会]&lt;br /&gt;
{{univ-stub}}&lt;br /&gt;
{{学校法人聖学院}}&lt;br /&gt;
{{日本基督教団}}&lt;br /&gt;
{{キリスト教系大学}}&lt;br /&gt;
{{アジア・キリスト教大学協会}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:せいかくいんたいかく}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の私立大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:埼玉県の大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のプロテスタント系大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:第49回BCS賞]]&amp;lt;!--礼拝堂--&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:学校記事]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.207.207</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%BE%90%E6%B5%B7%E5%9F%B9&amp;diff=396640</id>
		<title>徐海培</title>
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				<updated>2022-01-26T22:18:56Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: /* 事件概要 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''徐 海培'''とは、[[婚活サイト]]で知り合った[[女子大生]]一家を殺害しようとした、[[中国人]][[留学生]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
出会って1カ月足らずなのに「別れるくらいなら彼女を殺して、自分も死のうと思った」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京・[[品川区]]南大井の[[マンション]]で、女子大生と両親ら4人が死傷した事件。殺人未遂で[[警視庁]]に逮捕された中国人留学生、徐 海培(25＝[[さいたま市]]西区)は、なぜそこまで思い詰めたのか。徐は大学での人間関係にも問題があったようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
徐は[[埼玉県]]内の[[聖学院大学]]4年で、環境政策を学んでいた。今月上旬、「[[婚活サイト]]」で都内の私立大4年のA子さん(21)と知り合ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2人は事件(23日)の10日ぐらい前から、家賃5万円ほどの徐の自宅[[アパート]]で同棲を始めたというが、事件前夜、別れ話をめぐって大ゲンカに。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「夜７時か８時ごろ、テレビを見ていても気づくほど大きな物音と怒鳴り声が、徐さんの部屋から聞こえてきた。挨拶しても無視する暗い印象の人だったので、驚きましたね」（アパート住民）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
A子さんはそのまま夜中に家を飛び出したというが、徐は調べに対し、「朝起きたら彼女がいなかったので腹が立った。自宅の[[包丁]]をリュックに入れて持って行った」と供述。A子さんの実家に押しかけ、止めに入った父親(47)を十数カ所も刺して殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「徐が通う聖学院大学には全学生の1割弱、200人近い中国人留学生がいます。学生数を増やすため積極的に受け入れていたようですが、徐は“中国人コミュニティー”に馴染めず、仲間の間で浮いていたらしい。人間関係で鬱屈しているところにA子さんと出会い、余計思い詰めたのかもしれません」(捜査事情通)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
A子さんが首などの軽傷で済んだのは不幸中の幸いだが、心に負った傷はあまりに深い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[福岡一家4人殺害事件]]&lt;br /&gt;
* [[情弱]]&lt;br /&gt;
* [[婚活]]&lt;br /&gt;
* [[移民]]&lt;br /&gt;
* [[外国人参政権]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しよ かい}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:一家殺傷事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の強盗事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2015年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の外国人犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:中国人の国外犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都品川区の歴史]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.207.207</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%AD%A6%E8%97%A4%E5%8B%87%E8%B2%B4&amp;diff=396621</id>
		<title>武藤勇貴</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%AD%A6%E8%97%A4%E5%8B%87%E8%B2%B4&amp;diff=396621"/>
				<updated>2022-01-24T08:34:27Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:渋谷・妹バラバラ殺人事件.jpg|400px|thumb|渋谷・妹バラバラ殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Image:武藤勇貴1.jpg|350px|thumb|「お兄ちゃんには夢がない」の一言にキレて、妹をバラバラにした武藤　勇貴]]&lt;br /&gt;
[[Image:武藤亜澄1.jpg|350px|thumb|兄にバラバラにされた武藤　亜澄さん(享年20)]]&lt;br /&gt;
[[Image:武藤亜澄2.jpg|350px|thumb|兄にバラバラにされた武藤　亜澄さん(享年20)]]&lt;br /&gt;
'''武藤 勇貴'''（むとう ゆうき、[[1985年]][[4月22日]] - ）とは、[[2007年]]（[[平成]]19年）[[1月3日]]に妹の武藤亜澄さん(20)をバラバラにした殺人犯である。[[日本大学豊山高等学校]]卒業。身長164cm.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の概要 ==&lt;br /&gt;
[[2006年]]12月30日午後、歯科医師の両親と大学生の長男が帰省中となり東京都渋谷区の自宅の中で予備校生の次男・武藤勇貴（当時21歳）と短大生の長女・武藤亜澄さん（当時20歳）が二人きりとなっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二人は家族や生活態度などについて1時間に渡り話し続けたが、亜澄さんの「兄さんには夢がないね」という言葉で逆上し、加害者は[[木刀]]で亜澄さんの頭を殴りつけた後に[[タオル]]で首を絞め殺害。さらに[[鋸|のこぎり]]で亜澄さんの体を首や腕、脚の各関節部分を中心に15カ所でバラバラに[[切断]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌日12月31日に武藤勇貴は予備校合宿に参加していたが、出発前に帰省していた父親に「友人からもらった観賞魚の[[サメ]]が死んだので、においがしても部屋を開けないで」と話すなど事件の隠蔽工作をしていた。2007年1月3日午後9時ごろ、母親が自宅3階の部屋で袋詰めの亜澄さんの遺体を発見。午後10時半ごろ、父親が警視庁代々木署に届け出た。[[1月4日]]になり、次男が[[死体遺棄|死体損壊]]の容疑で[[逮捕]]された。[[1月15日]]に[[殺人罪 (日本)|殺人]]の容疑で再逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害された亜澄さんは家出経験があるなど自由奔放な面やはばからないところのある性格だったが、女優として舞台や[[オリジナルビデオ|Vシネマ]]に出演するなど努力家でもあった。兄は妹のことを家族に迷惑をかけ、ヒステリックで恩知らずな人間と述べているが、妹の血を止めてあげる夢を見たなどの事も述べている。後に両親が武藤勇貴をかばい亜澄さんを批判したとも取れる手記を発表し物議を醸した。両親は裁判でも弁護側証人として出廷している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年5月12日、[[東京地方裁判所]]で行われた公判で、検察側は「完全責任能力があった」として、懲役17年を求刑した。同年5月27日に行われた公判では弁護側が主張した武藤勇貴が[[多重人格]]で死体損壊時は別人格であったということを認め、殺人に関しては有罪と認め、懲役7年、死体損壊に関しては無罪の判決が下された。しかし、2009年4月28日、[[東京高等裁判所]]で行われた2審判決では1審判決を破棄、さらには武藤勇貴の多重人格を否定し死体損壊の責任能力を認め、懲役12年を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年5月9日、2審判決を不服として、弁護側が[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に上告、2009年9月16日、最高裁判所で2審判決を支持、上告を棄却、懲役12年が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==  &amp;quot;妹の胸・下腹部を切りとる&amp;quot;&amp;quot;妹の下着を合宿所に&amp;quot;&amp;quot;内臓を箱に&amp;quot; ==&lt;br /&gt;
東京都渋谷区の歯科医、武藤衛さん(62)方で長女の短大生、亜澄(あずみ)さん(20)の切断遺体が見つかった事件で、亜澄さんの遺体から頭髪と胸部、下腹部が切り取られていたことが分かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死体損壊容疑で逮捕された次兄の予備校生、勇貴(21)は胸部などについて「流し台のディスポーザー（生ごみ処理機）で処分した」と供述している。性別などの判別を困難にする工作と取れる半面、激しい恨みを示す行為ともみられ、警視庁捜査1課は理由を追及している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
亜澄さんの遺体は十数個に切断され、四つのポリ袋に入れられて勇貴容疑者の自室のクローゼットなどに隠されていた。ほとんどが関節部分で切断されていたが、胸部と下腹部が切り取られていた。また、頭髪は短く切られていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、殺害状況については「頭を殴ったが、気絶した後で起き上がったので首を絞めた」と供述している。遺体には水死の形跡もあり、捜査1課は、激しく暴行した後で亜澄さんを浴室に運び、水を張った浴槽に頭を沈めた可能性があるとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
妹の亜澄さん(20)を殺害したあと、31日から1月4日未明まで予備校の冬季合宿に参加していたことがわかっているが、取り調べの中で勇貴容疑者は、「犯行後に、妹の下着を合宿所に持っていった」と供述していたことが新たにわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、勇貴容疑者は、遺体の内臓部分だけをプラスチックのボックスに入れ、部屋の水槽の下の収納箱に入れていたことも新たにわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 武藤勇貴 ==&lt;br /&gt;
鑑定医は「被告は生来の[[アスペルガー症候群]]、人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分が爆発して犯行に及んだ」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 報道 ==&lt;br /&gt;
[[タブロイド紙]]や[[週刊誌]]はその猟奇性をこぞって取り上げ、武藤勇貴の異常性を強調するような報道を行っている。また、被害者は兄と義理の妹との「禁断の愛」をテーマにした[[オリジナルビデオ|Vシネマ]]に出演していたため、週刊誌などでは[[近親相姦]]の話が出回ったが、この話について[[宮崎哲弥]]はそれはないだろうと個人的見解ながら否定するコメントを残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家庭内で父や兄に[[ドメスティックバイオレンス]]を受けたという一部報道もあったが、いずれも肝腎とされる出典はあやふやであるため、臆測の域を出ない情報が多く、情報は錯綜していた。さらに直後に起こった[[新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件]]と比較する報道も確認されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの問題について警察は[[2月5日]]に起訴を行った際、週刊誌などで報道されたような性的趣味や死体趣味は一切ないと言う発表を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 警察による不祥事 ==&lt;br /&gt;
警視庁は2月9日、凶器として押収された[[木刀]]、[[鋸|のこぎり]]と家族が着ていた衣類2点の重要証拠品4点を紛失したと発表した。1月6日に捜査一課の捜査員がゴミと間違えて処分してしまい、翌日紛失に気づいたという。しかし裁判では代替品を用いることにするとして、多少の損失はあるが大きな問題はないとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
=== 武藤勇貴殺人罪で懲役7年判決…死体損壊は無罪 ===&lt;br /&gt;
東京地裁判決公判&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京都渋谷区の短大生、武藤亜澄さん(20)自宅で殺害、切断された事件で、殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の元歯科予備校生、勇貴(23)の判決公判が[[2008年]][[9月27日]]、[[東京地裁]]で開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[秋葉康弘]]裁判長は殺人については有罪を認め、懲役7年(求刑懲役17年)を言い渡した。損壊については無罪とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年7月に始まった裁判で最大の争点となったのは勇貴の責任能力。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護側が「犯行時は心神喪失か心神耗弱だった」と主張し精神鑑定を申請、秋葉裁判長が実施を決めた。鑑定のため、2007年9月5日の第3回公判後、約半年間にわたり中断した。2008年3月24日の第4回公判で鑑定結果が報告された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鑑定医の[[牛島定信]]・[[東京女子大]]教授(精神医学)は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「勇貴は生来の[[アスペルガー障害]]、中学時代に発症した[[強迫性障害]]に加え、犯行時には[[解離性同一性障害]](多重人格)を発症していた」と指摘。「被害者の挑発的な態度で人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分が爆発して犯行に及んだ」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのうえで「殺害時の責任能力は著しく限られており、遺体損壊時には解離性同一性障害を引き起こしていて責任能力はなかった」と結論づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勇貴は公判の中で、殺害時の心情を「ドライな感じ」と表現。犯行時の記憶について「ほとんど覚えていない」などと供述していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 裁判長に深々頭下げ ====&lt;br /&gt;
「懲役7年に処す。死体損壊については無罪」。秋葉裁判長が主文を告げると、勇貴は深々と一礼した。「失礼します」ともう一度お辞儀をして被告席に座ると、握りしめた拳をひざの上に置きじっと判決理由に聴き入った。表情を変えることはほとんどなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後に秋葉裁判長が「謝罪の気持ちを持ち続けながら前向きに生きてほしい。それが妹の死に報いることだと思います」と言葉をかけると、無言でうなずいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
閉廷後、[[宮川泰彦]]・主任弁護人は「（死体損壊を無罪とした点は）率直に評価したい。控訴するかどうかは、本人と家族とも相談して決めたい」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 判決要旨 ====&lt;br /&gt;
主文&lt;br /&gt;
:被告人を懲役7年に処する。未決勾留日数中250日をその刑に算入する。公訴事実のうち、死体損壊の点については無罪。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
理由&lt;br /&gt;
:犯罪事実&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、平成18年12月30日、東京都渋谷区幡ケ谷の自宅で、武藤亜澄さん(当時20歳)に対し、殺意をもって、その首にタオルのようなものを巻いて絞めつけた。さらに浴槽内の水中にその顔を沈める状態にし、その時、その場で、亜澄さんを窒息により死亡させて殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
責任能力に関する判断&lt;br /&gt;
:結論&lt;br /&gt;
::殺害時には勇貴被告に完全責任能力があったものの、死体損壊時には心神喪失の状態にあった可能性が否定できないと判断した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:牛島鑑定の信用性&lt;br /&gt;
::牛島医師は精神科医としての経歴、専門分野、臨床経験などに照らし、鑑定事項に関する勇貴被告の精神鑑定に適任の専門家であったと認められる。その鑑定の手法や判断方法にも不合理なところは認められないから、牛島鑑定は十分に信頼できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::検察官は、牛島鑑定が「信用性の高い捜査段階の勇貴被告の供述を判断資料から除外し、その内容とかけ離れた独自の問診結果を資料としており、前提条件が誤っていて、このことが責任能力の判断にも重大な影響を及ぼす」などと主張する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::検察官が指摘する「捜査段階の供述内容とかけ離れた問診結果」というのは、その主な内容は勇貴被告の公判供述と一致するものと思われる。しかし、犯行に関する勇貴被告の公判供述は、１枚の写真のようなかなり断片的な記憶しかないにもかかわらず、物語性のある連続した記憶があるかのような供述を捜査段階でした経緯を具体的に供述している点も含め、全体として整合性のある一貫した内容であり、作り話とは到底思われない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::しかも、勇貴被告のアスペルガー障害については、各犯行に関する勇貴被告の供述内容とは関係なく、多数回にわたる勇貴被告との面接場面で得られた所見、勇貴被告の両親との面談で得られた情報および心理テストの結果を総合して診断したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::この診断については、検察官の言う「捜査段階の供述内容とかけ離れた問診結果」を前提とした判断ではない。このような診断をした上での牛島医師の指摘を踏まえて、勇貴被告の公判供述を見てみると、その信用性は高いと評価できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::他方で、勇貴被告がアスペルガー障害に罹患（りかん）していることを前提に、勇貴被告の検察官調書を検討すると、殺害の動機に関する供述内容が不自然であるばかりか、犯行における主要な行為に関する内心の動きについては、供述されていなかったり、平板な内容であったりして、犯行の動機に関する供述と比べて不自然な濃淡がある。また、その一貫性にも不自然さがあることから、犯行状況に関する供述部分は信用できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::そうすると、牛島医師が勇貴被告の捜査段階の供述内容を前提とせず、問診結果を踏まえて鑑定を行ったことには何ら問題がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行時の勇貴被告の精神疾患とその病態&lt;br /&gt;
:この点について、牛島鑑定によれば、次の事実が認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、生まれながらにアスペルガー障害にかかった。中学生のころからは強迫性障害が加わった。さらに事件の1カ月以上前からアスペルガー障害を基盤とする解離性障害になっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::勇貴被告は自身のアスペルガー障害によって、他人との情緒的なかかわりあいの面で支障をきたすなどはあったが、高校を卒業するまでは一般的な社会生活で著しく問題になることはなかった。社会性の面では軽度の発達障害というべき病態である。&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、自身が犯したような行為をしてはならないという認識を十分に持っていた。アスペルガー障害の程度は責任能力に影響を及ぼすものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::アスペルガー障害を基盤にした勇貴被告の人格構造は、激しい攻撃性を秘めながらそれを徹底して意識しないという特有のものだった。怒りの感情を徹底的に意識から排除しようとし、激しい怒りが突出しても、それを感じたと認識する過程を持っていない。&lt;br /&gt;
::勇貴被告はアスペルガー障害によって、このような攻撃性などの衝動を制御する機能が弱い状態にあったが、アスペルガー障害を基盤とする解離性障害が加わり、外界の刺激が薄れることによって、この機能がさらに弱体化していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勇貴被告の精神状態が犯行に与えた影響&lt;br /&gt;
:この点について、牛島医師は鑑定の最終的な結論として、次のような判断を示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、殺害時もことの善しあしを見分ける能力は十分にあったが、亜澄さんから挑発的な言動を受けたことにより、怒りの感情を抱いた。しかし、怒りの感情を抑制する機能が弱体化していたため、内奥にある激しい攻撃性が突出し、亜澄さんを殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::このようにして殺害に及んだことが衝撃となって解離性同一性障害による解離状態が生じ、死体損壊時には、本来の人格とは異なる獰猛（どうもう）な人格状態になっていた可能性が非常に高い。&lt;br /&gt;
このような判断をした理由について、牛島医師は、当時、勇貴被告が解離性障害にかかっていたと判断したことのほか、以下のような点を挙げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::(1)死体損壊行為は、亜澄さんの遺体を左右対称に１５にも解体するなどしたという手の込んだものだった。その意図と作業過程は、隠しやすくしたり、運びやすくしたりするためということでは説明ができず、別の人格を仮定しないと説明がつかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::(2)怒り狂った行為態様である殺害行為と、非常に冷静で整然とした行為態様である死体損壊行為とは、意識状態が変わったとみるべきであること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::(3)勇貴被告には、犯行時の記憶がほとんどなく、犯行前後の記憶もない。解離性健忘が生じた場合、その前後の記憶がなくなるという逆行性健忘や前向きの健忘を伴うことがよくある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::このうち(1)(2)の指摘については、証拠から認められる事実に照らしてもうなずけるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::現在、アスペルガー障害を基盤にして解離性障害を発症した症例に関する研究は十分になされていない。この段階での判断では、死体損壊時において、勇貴被告は解離性同一性障害により本来の人格とは別の猪猛な人格状態にあった可能性が非常に高いという判断にも合理性があると言える。この可能性を前提に、勇貴被告の責任能力を判断すべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死体損壊時の責任能力&lt;br /&gt;
:亜澄さんの遺体を損壊したとき、勇貴被告は解離性同一性障害によって本来の人格とは別の人格状態にあった可能性があり、本来の人格はこの別の人格状態とは関係ない。このことからも、勇貴被告は遺体損壊時、本来の人格とは別の人格状態に支配されて自分の行為を制御する能力を欠いており、心神喪失の状態にあった可能性も否定できない。よって、遺体損壊時は心神喪失の状態にあったものと認定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害時の責任能力&lt;br /&gt;
:牛島医師は、亜澄さんの殺害時、勇貴被告に是非弁識能力は十分あったが、衝動を抑制する力が弱体化していたことから、自分を制御する力は「著しく減退していた」との見解を述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、勇貴被告は生まれながらにアスペルガー障害に罹患してはいたが、高校卒業までは一般的な社会生活が著しく障害されることはなく、社会性の面では軽度の発達障害というべき病態であった。亜澄さん殺害時も是非弁織能力は十分あり、解離性障害を発症する以前は自分を制御する力も十分あった。それは、次の事実から認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この事件が起きる3日前、亜澄さんから聞いた話を誤解した母親が亜澄さんを夕食に呼ばず、腹を立てた亜澄さんが母親に文句を言って自分の部屋に戻ってしまったことがあった。その様子を目の当たりにした勇貴被告は、亜澄さんの言動に腹を立てて亜澄さんを批判する話を兄としたが、それ以上の行動には出なかった。&lt;br /&gt;
:このように、解離性障害が発症した後も、勇貴被告はこの事件が起きるまでの１カ月以上にわたり、大学受験を控えた浪人生として家族などと日常生活を送っていたが、トラブルを起こしたことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この事件が起きた翌日、勇貴被告は自分が亜澄さんを殺害したことを明確に認識していながら、父親から亜澄さん在宅の有無を聞かれた際には知らない振りをした。また、亜澄さんの遺体が置いてある自分の部屋に入らないように父親に言うなど、犯行が発覚することを恐れ、発覚を防ぐための適切な言動を取っていた。&lt;br /&gt;
勇貴被告は犯行後も、家族に対して普段と変わらない対応をとっていた。さらに、犯行後に３日間にわたって予備校の冬期合宿に参加しているが、予備校関係者との日常生活も問題なく送っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これらのことは、事件が起きた当日前後でも、勇貴被告がその時々の状況に応じて、自分の行為を適切に制御する能力を全体としてかなりよく維持していたことを示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さん殺害時、勇貴被告は衝動を抑制する力が弱っており、自分を制御する能力がかなり減退していたことは否定できない。しかし、その程度は、責任能力が限定されるほど著しいものとまでは言えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
量刑の理由&lt;br /&gt;
:人一人の命を奪った結果はあまりに重い。亜澄さんは20歳という若さで突然その前途を閉ざされたものであり、まだまだこの世で生きていたかったであろうと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さんは、長年にわたって兄妹として勇貴被告と一緒に育てられた。人生に悩んだときなどは、ありのままの自分を受け入れてほしいと勇貴被告を頼りにこそすれ、まさか兄である勇貴被告に殺されるとは思ってもみなかったであろう。また、息子に殺害された上に解体までされた娘の姿を目の当たりにした両親の衝撃、戸惑い、悲痛は想像を絶する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかも、その犯行の様子から考えると、亜澄さん殺害は強固な殺意に基づいて行われたものであり、勇貴被告の責任は極めて重大である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一方で、勇貴被告は、生まれながらにアスペルガー障害を患っていた。勇貴被告は両親からもその障害に気づかれずに成長し、この障害を基盤とする解離性障害に罹患するまでに至った。そのため、責任能力にこそ影響はしないものの、是非善悪を判断して行動する能力がかなり減弱した状態だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さん殺害は、そのような精神状態にあった勇貴被告による衝動的な犯行である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さんは、周囲の者の対応が難しい反抗挑戦性障害であった。家出をしたり、家族に対して攻撃的な態度を取ったりして、家庭に不和をもたらすこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さんは、勇貴被告が亜澄さんを殺害するという衝動に駆り立てられるほど挑発的な言動に及んでいた。そのことが、この事件のきっかけになったという側面は否定できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一方で、勇貴被告は自ら亜澄さんを殺害したことを認めている。公判でも「妹に本当にかわいそうなことをしてしまった。もっと理解してあげなかったことについても謝罪したい。両親にもおわびをしなければいけない」などと述べ、罪を償っていく決意を示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、証人として法廷に立った両親と兄が寛大な処分を求めており、家族で勇貴被告の更生に助力する決意も述べている。この事件が起きた当時２１歳と若年であったことなど、勇貴被告にとって酌むべき事情も認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:以上の事情を考慮した結果、勇貴被告を主文の刑に処するのが相当であると判断した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 死体損壊無罪の1審不服で東京地検が控訴 ===&lt;br /&gt;
東京地検は[[2008年]][[6月4日]]、死体損壊について無罪とし、殺人罪で懲役7年(求刑・懲役17年)とした1審・東京地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 弁護側も控訴 ===&lt;br /&gt;
弁護側は[[2008年]][[6月6日]]、東京高裁に控訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 控訴審(2009年4月) ===&lt;br /&gt;
渋谷妹バラバラ殺人控訴審。1審を破棄、懲役12年判決&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の元予備校生、勇貴被告(24)の控訴審判決公判が28日、東京高裁で開かれた。[[阿部文洋]]裁判長は、死体損壊罪を心神喪失で無罪とし、殺人罪については完全責任能力を認め懲役7年を言い渡した1審東京地裁判決を破棄、死体損壊罪についても責任能力を認め、懲役12年を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1、2審を通じた争点は勇貴被告に犯行時、責任能力があったか否かだった。1審では鑑定医が精神鑑定で「解離性同一性障害などにより殺害時は心神耗弱、遺体損壊時は心神喪失状態」との見解を示した。検察側は「証拠隠滅工作をするなど死体損壊時にも完全責任能力があった」と主張。弁護側は「殺害時も責任能力はない」と全面無罪を訴えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年5月の1審判決は死体損壊時を「本来の人格とは別の獰猛な人格状態にあった可能性が高い」として、刑事責任が問えない心神喪失状態とした。一方で殺害時は、「精神障害の影響で怒りを抑える力が弱まっていた」としながらも、直前まではトラブルもなく日常生活を送っていたことから「責任能力に影響するほどではなかった」とし、完全責任能力があったと結論付けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被告側の上告棄却(2009年9月) ===&lt;br /&gt;
元予備校生、武藤勇貴(24)の上告審で、[[最高裁]]第2小法廷([[竹内行夫]]裁判長)は武藤勇貴被告側の上告を棄却する決定をした。殺人罪のみ認め、死体損壊罪は無罪として懲役7年を言い渡した1審判決を破棄、両罪の成立を認定し、懲役12年とした2審東京高裁判決が確定する。決定は15日付。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1審東京地裁は、死体損壊罪は心神喪失で無罪とし、殺人罪のみ責任能力を認めて懲役7年(求刑懲役17年)としたが、2審は一貫して責任能力があったと認定して1審判決を破棄、懲役12年を言い渡していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[渋谷・妹バラバラ殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[バラバラ殺人]]&lt;br /&gt;
* [[新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[本郷兄弟決闘殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[アスペルガー症候群]]&lt;br /&gt;
* [[神奈川金属バット両親殺害事件]] - 当事件同様、浪人生一柳展也による身内への殺人事件。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:むとう ゆうき}}&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都区部出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1985年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.207.207</name></author>	</entry>

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		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:渋谷・妹バラバラ殺人事件.jpg|400px|thumb|渋谷・妹バラバラ殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Image:武藤勇貴1.jpg|350px|thumb|「お兄ちゃんには夢がない」の一言にキレて、妹をバラバラにした武藤　勇貴]]&lt;br /&gt;
[[Image:武藤亜澄1.jpg|350px|thumb|兄にバラバラにされた武藤　亜澄さん(享年20)]]&lt;br /&gt;
[[Image:武藤亜澄2.jpg|350px|thumb|兄にバラバラにされた武藤　亜澄さん(享年20)]]&lt;br /&gt;
'''渋谷・妹バラバラ殺人事件'''とは、[[2007年]]（[[平成]]19年）[[1月3日]]に[[東京都]][[渋谷区]]で発覚した、予備校生・[[武藤勇貴]](21)による妹・武藤亜澄さん(20)の[[殺人]]・[[死体損壊]][[事件]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の概要 ==&lt;br /&gt;
2006年12月30日午後、歯科医師の両親と大学生の長男が帰省中となり東京都渋谷区の自宅の中で予備校生の次男・武藤勇貴（当時21歳）と短大生の長女・武藤亜澄さん（当時20歳）が二人きりとなっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二人は家族や生活態度などについて1時間に渡り話し続けたが、亜澄さんの「兄さんには夢がないね」という言葉で逆上し、加害者は[[木刀]]で亜澄さんの頭を殴りつけた後に[[タオル]]で首を絞め殺害。さらに[[鋸|のこぎり]]で亜澄さんの体を首や腕、脚の各関節部分を中心に15カ所でバラバラに[[切断]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌日12月31日に武藤勇貴は予備校合宿に参加していたが、出発前に帰省していた父親に「友人からもらった観賞魚の[[サメ]]が死んだので、においがしても部屋を開けないで」と話すなど事件の隠蔽工作をしていた。2007年1月3日午後9時ごろ、母親が自宅3階の部屋で袋詰めの亜澄さんの遺体を発見。午後10時半ごろ、父親が警視庁代々木署に届け出た。[[1月4日]]になり、次男が[[死体遺棄|死体損壊]]の容疑で[[逮捕]]された。[[1月15日]]に[[殺人罪 (日本)|殺人]]の容疑で再逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害された亜澄さんは家出経験があるなど自由奔放な面やはばからないところのある性格だったが、女優として舞台や[[オリジナルビデオ|Vシネマ]]に出演するなど努力家でもあった。兄は妹のことを家族に迷惑をかけ、ヒステリックで恩知らずな人間と述べているが、妹の血を止めてあげる夢を見たなどの事も述べている。後に両親が武藤勇貴をかばい亜澄さんを批判したとも取れる手記を発表し物議を醸した。両親は裁判でも弁護側証人として出廷している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年5月12日、[[東京地方裁判所]]で行われた公判で、検察側は「完全責任能力があった」として、懲役17年を求刑した。同年5月27日に行われた公判では弁護側が主張した武藤勇貴が[[多重人格]]で死体損壊時は別人格であったということを認め、殺人に関しては有罪と認め、懲役7年、死体損壊に関しては無罪の判決が下された。しかし、2009年4月28日、[[東京高等裁判所]]で行われた2審判決では1審判決を破棄、さらには武藤勇貴の多重人格を否定し死体損壊の責任能力を認め、懲役12年を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年5月9日、2審判決を不服として、弁護側が[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に上告、2009年9月16日、最高裁判所で2審判決を支持、上告を棄却、懲役12年が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==  &amp;quot;妹の胸・下腹部を切りとる&amp;quot;&amp;quot;妹の下着を合宿所に&amp;quot;&amp;quot;内臓を箱に&amp;quot; ==&lt;br /&gt;
東京都渋谷区の歯科医、武藤衛さん(62)方で長女の短大生、亜澄(あずみ)さん(20)の切断遺体が見つかった事件で、亜澄さんの遺体から頭髪と胸部、下腹部が切り取られていたことが分かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死体損壊容疑で逮捕された次兄の予備校生、勇貴(21)は胸部などについて「流し台のディスポーザー（生ごみ処理機）で処分した」と供述している。性別などの判別を困難にする工作と取れる半面、激しい恨みを示す行為ともみられ、警視庁捜査1課は理由を追及している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
亜澄さんの遺体は十数個に切断され、四つのポリ袋に入れられて勇貴容疑者の自室のクローゼットなどに隠されていた。ほとんどが関節部分で切断されていたが、胸部と下腹部が切り取られていた。また、頭髪は短く切られていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、殺害状況については「頭を殴ったが、気絶した後で起き上がったので首を絞めた」と供述している。遺体には水死の形跡もあり、捜査1課は、激しく暴行した後で亜澄さんを浴室に運び、水を張った浴槽に頭を沈めた可能性があるとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
妹の亜澄さん(20)を殺害したあと、31日から1月4日未明まで予備校の冬季合宿に参加していたことがわかっているが、取り調べの中で勇貴容疑者は、「犯行後に、妹の下着を合宿所に持っていった」と供述していたことが新たにわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、勇貴容疑者は、遺体の内臓部分だけをプラスチックのボックスに入れ、部屋の水槽の下の収納箱に入れていたことも新たにわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 武藤勇貴 ==&lt;br /&gt;
鑑定医は「被告は生来の[[アスペルガー症候群]]、人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分が爆発して犯行に及んだ」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 報道 ==&lt;br /&gt;
[[タブロイド紙]]や[[週刊誌]]はその猟奇性をこぞって取り上げ、武藤勇貴の異常性を強調するような報道を行っている。また、被害者は兄と義理の妹との「禁断の愛」をテーマにした[[オリジナルビデオ|Vシネマ]]に出演していたため、週刊誌などでは[[近親相姦]]の話が出回ったが、この話について[[宮崎哲弥]]はそれはないだろうと個人的見解ながら否定するコメントを残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家庭内で父や兄に[[ドメスティックバイオレンス]]を受けたという一部報道もあったが、いずれも肝腎とされる出典はあやふやであるため、臆測の域を出ない情報が多く、情報は錯綜していた。さらに直後に起こった[[新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件]]と比較する報道も確認されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの問題について警察は[[2月5日]]に起訴を行った際、週刊誌などで報道されたような性的趣味や死体趣味は一切ないと言う発表を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 警察による不祥事 ==&lt;br /&gt;
警視庁は2月9日、凶器として押収された[[木刀]]、[[鋸|のこぎり]]と家族が着ていた衣類2点の重要証拠品4点を紛失したと発表した。1月6日に捜査一課の捜査員がゴミと間違えて処分してしまい、翌日紛失に気づいたという。しかし裁判では代替品を用いることにするとして、多少の損失はあるが大きな問題はないとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
=== 武藤勇貴殺人罪で懲役7年判決…死体損壊は無罪 ===&lt;br /&gt;
東京地裁判決公判&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京都渋谷区の短大生、武藤亜澄さん(20)自宅で殺害、切断された事件で、殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の元歯科予備校生、勇貴(23)の判決公判が[[2008年]][[9月27日]]、[[東京地裁]]で開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[秋葉康弘]]裁判長は殺人については有罪を認め、懲役7年(求刑懲役17年)を言い渡した。損壊については無罪とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年7月に始まった裁判で最大の争点となったのは勇貴の責任能力。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護側が「犯行時は心神喪失か心神耗弱だった」と主張し精神鑑定を申請、秋葉裁判長が実施を決めた。鑑定のため、2007年9月5日の第3回公判後、約半年間にわたり中断した。2008年3月24日の第4回公判で鑑定結果が報告された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鑑定医の[[牛島定信]]・[[東京女子大]]教授(精神医学)は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「勇貴は生来の[[アスペルガー障害]]、中学時代に発症した[[強迫性障害]]に加え、犯行時には[[解離性同一性障害]](多重人格)を発症していた」と指摘。「被害者の挑発的な態度で人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分が爆発して犯行に及んだ」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのうえで「殺害時の責任能力は著しく限られており、遺体損壊時には解離性同一性障害を引き起こしていて責任能力はなかった」と結論づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勇貴は公判の中で、殺害時の心情を「ドライな感じ」と表現。犯行時の記憶について「ほとんど覚えていない」などと供述していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 裁判長に深々頭下げ ====&lt;br /&gt;
「懲役7年に処す。死体損壊については無罪」。秋葉裁判長が主文を告げると、勇貴は深々と一礼した。「失礼します」ともう一度お辞儀をして被告席に座ると、握りしめた拳をひざの上に置きじっと判決理由に聴き入った。表情を変えることはほとんどなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後に秋葉裁判長が「謝罪の気持ちを持ち続けながら前向きに生きてほしい。それが妹の死に報いることだと思います」と言葉をかけると、無言でうなずいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
閉廷後、[[宮川泰彦]]・主任弁護人は「（死体損壊を無罪とした点は）率直に評価したい。控訴するかどうかは、本人と家族とも相談して決めたい」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 判決要旨 ====&lt;br /&gt;
主文&lt;br /&gt;
:被告人を懲役7年に処する。未決勾留日数中250日をその刑に算入する。公訴事実のうち、死体損壊の点については無罪。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
理由&lt;br /&gt;
:犯罪事実&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、平成18年12月30日、東京都渋谷区幡ケ谷の自宅で、武藤亜澄さん(当時20歳)に対し、殺意をもって、その首にタオルのようなものを巻いて絞めつけた。さらに浴槽内の水中にその顔を沈める状態にし、その時、その場で、亜澄さんを窒息により死亡させて殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
責任能力に関する判断&lt;br /&gt;
:結論&lt;br /&gt;
::殺害時には勇貴被告に完全責任能力があったものの、死体損壊時には心神喪失の状態にあった可能性が否定できないと判断した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:牛島鑑定の信用性&lt;br /&gt;
::牛島医師は精神科医としての経歴、専門分野、臨床経験などに照らし、鑑定事項に関する勇貴被告の精神鑑定に適任の専門家であったと認められる。その鑑定の手法や判断方法にも不合理なところは認められないから、牛島鑑定は十分に信頼できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::検察官は、牛島鑑定が「信用性の高い捜査段階の勇貴被告の供述を判断資料から除外し、その内容とかけ離れた独自の問診結果を資料としており、前提条件が誤っていて、このことが責任能力の判断にも重大な影響を及ぼす」などと主張する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::検察官が指摘する「捜査段階の供述内容とかけ離れた問診結果」というのは、その主な内容は勇貴被告の公判供述と一致するものと思われる。しかし、犯行に関する勇貴被告の公判供述は、１枚の写真のようなかなり断片的な記憶しかないにもかかわらず、物語性のある連続した記憶があるかのような供述を捜査段階でした経緯を具体的に供述している点も含め、全体として整合性のある一貫した内容であり、作り話とは到底思われない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::しかも、勇貴被告のアスペルガー障害については、各犯行に関する勇貴被告の供述内容とは関係なく、多数回にわたる勇貴被告との面接場面で得られた所見、勇貴被告の両親との面談で得られた情報および心理テストの結果を総合して診断したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::この診断については、検察官の言う「捜査段階の供述内容とかけ離れた問診結果」を前提とした判断ではない。このような診断をした上での牛島医師の指摘を踏まえて、勇貴被告の公判供述を見てみると、その信用性は高いと評価できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::他方で、勇貴被告がアスペルガー障害に罹患（りかん）していることを前提に、勇貴被告の検察官調書を検討すると、殺害の動機に関する供述内容が不自然であるばかりか、犯行における主要な行為に関する内心の動きについては、供述されていなかったり、平板な内容であったりして、犯行の動機に関する供述と比べて不自然な濃淡がある。また、その一貫性にも不自然さがあることから、犯行状況に関する供述部分は信用できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::そうすると、牛島医師が勇貴被告の捜査段階の供述内容を前提とせず、問診結果を踏まえて鑑定を行ったことには何ら問題がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行時の勇貴被告の精神疾患とその病態&lt;br /&gt;
:この点について、牛島鑑定によれば、次の事実が認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、生まれながらにアスペルガー障害にかかった。中学生のころからは強迫性障害が加わった。さらに事件の1カ月以上前からアスペルガー障害を基盤とする解離性障害になっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::勇貴被告は自身のアスペルガー障害によって、他人との情緒的なかかわりあいの面で支障をきたすなどはあったが、高校を卒業するまでは一般的な社会生活で著しく問題になることはなかった。社会性の面では軽度の発達障害というべき病態である。&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、自身が犯したような行為をしてはならないという認識を十分に持っていた。アスペルガー障害の程度は責任能力に影響を及ぼすものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::アスペルガー障害を基盤にした勇貴被告の人格構造は、激しい攻撃性を秘めながらそれを徹底して意識しないという特有のものだった。怒りの感情を徹底的に意識から排除しようとし、激しい怒りが突出しても、それを感じたと認識する過程を持っていない。&lt;br /&gt;
::勇貴被告はアスペルガー障害によって、このような攻撃性などの衝動を制御する機能が弱い状態にあったが、アスペルガー障害を基盤とする解離性障害が加わり、外界の刺激が薄れることによって、この機能がさらに弱体化していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勇貴被告の精神状態が犯行に与えた影響&lt;br /&gt;
:この点について、牛島医師は鑑定の最終的な結論として、次のような判断を示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::勇貴被告は、殺害時もことの善しあしを見分ける能力は十分にあったが、亜澄さんから挑発的な言動を受けたことにより、怒りの感情を抱いた。しかし、怒りの感情を抑制する機能が弱体化していたため、内奥にある激しい攻撃性が突出し、亜澄さんを殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::このようにして殺害に及んだことが衝撃となって解離性同一性障害による解離状態が生じ、死体損壊時には、本来の人格とは異なる獰猛（どうもう）な人格状態になっていた可能性が非常に高い。&lt;br /&gt;
このような判断をした理由について、牛島医師は、当時、勇貴被告が解離性障害にかかっていたと判断したことのほか、以下のような点を挙げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::(1)死体損壊行為は、亜澄さんの遺体を左右対称に１５にも解体するなどしたという手の込んだものだった。その意図と作業過程は、隠しやすくしたり、運びやすくしたりするためということでは説明ができず、別の人格を仮定しないと説明がつかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::(2)怒り狂った行為態様である殺害行為と、非常に冷静で整然とした行為態様である死体損壊行為とは、意識状態が変わったとみるべきであること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::(3)勇貴被告には、犯行時の記憶がほとんどなく、犯行前後の記憶もない。解離性健忘が生じた場合、その前後の記憶がなくなるという逆行性健忘や前向きの健忘を伴うことがよくある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::このうち(1)(2)の指摘については、証拠から認められる事実に照らしてもうなずけるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::現在、アスペルガー障害を基盤にして解離性障害を発症した症例に関する研究は十分になされていない。この段階での判断では、死体損壊時において、勇貴被告は解離性同一性障害により本来の人格とは別の猪猛な人格状態にあった可能性が非常に高いという判断にも合理性があると言える。この可能性を前提に、勇貴被告の責任能力を判断すべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死体損壊時の責任能力&lt;br /&gt;
:亜澄さんの遺体を損壊したとき、勇貴被告は解離性同一性障害によって本来の人格とは別の人格状態にあった可能性があり、本来の人格はこの別の人格状態とは関係ない。このことからも、勇貴被告は遺体損壊時、本来の人格とは別の人格状態に支配されて自分の行為を制御する能力を欠いており、心神喪失の状態にあった可能性も否定できない。よって、遺体損壊時は心神喪失の状態にあったものと認定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害時の責任能力&lt;br /&gt;
:牛島医師は、亜澄さんの殺害時、勇貴被告に是非弁識能力は十分あったが、衝動を抑制する力が弱体化していたことから、自分を制御する力は「著しく減退していた」との見解を述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、勇貴被告は生まれながらにアスペルガー障害に罹患してはいたが、高校卒業までは一般的な社会生活が著しく障害されることはなく、社会性の面では軽度の発達障害というべき病態であった。亜澄さん殺害時も是非弁織能力は十分あり、解離性障害を発症する以前は自分を制御する力も十分あった。それは、次の事実から認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この事件が起きる3日前、亜澄さんから聞いた話を誤解した母親が亜澄さんを夕食に呼ばず、腹を立てた亜澄さんが母親に文句を言って自分の部屋に戻ってしまったことがあった。その様子を目の当たりにした勇貴被告は、亜澄さんの言動に腹を立てて亜澄さんを批判する話を兄としたが、それ以上の行動には出なかった。&lt;br /&gt;
:このように、解離性障害が発症した後も、勇貴被告はこの事件が起きるまでの１カ月以上にわたり、大学受験を控えた浪人生として家族などと日常生活を送っていたが、トラブルを起こしたことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この事件が起きた翌日、勇貴被告は自分が亜澄さんを殺害したことを明確に認識していながら、父親から亜澄さん在宅の有無を聞かれた際には知らない振りをした。また、亜澄さんの遺体が置いてある自分の部屋に入らないように父親に言うなど、犯行が発覚することを恐れ、発覚を防ぐための適切な言動を取っていた。&lt;br /&gt;
勇貴被告は犯行後も、家族に対して普段と変わらない対応をとっていた。さらに、犯行後に３日間にわたって予備校の冬期合宿に参加しているが、予備校関係者との日常生活も問題なく送っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これらのことは、事件が起きた当日前後でも、勇貴被告がその時々の状況に応じて、自分の行為を適切に制御する能力を全体としてかなりよく維持していたことを示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さん殺害時、勇貴被告は衝動を抑制する力が弱っており、自分を制御する能力がかなり減退していたことは否定できない。しかし、その程度は、責任能力が限定されるほど著しいものとまでは言えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
量刑の理由&lt;br /&gt;
:人一人の命を奪った結果はあまりに重い。亜澄さんは20歳という若さで突然その前途を閉ざされたものであり、まだまだこの世で生きていたかったであろうと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さんは、長年にわたって兄妹として勇貴被告と一緒に育てられた。人生に悩んだときなどは、ありのままの自分を受け入れてほしいと勇貴被告を頼りにこそすれ、まさか兄である勇貴被告に殺されるとは思ってもみなかったであろう。また、息子に殺害された上に解体までされた娘の姿を目の当たりにした両親の衝撃、戸惑い、悲痛は想像を絶する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかも、その犯行の様子から考えると、亜澄さん殺害は強固な殺意に基づいて行われたものであり、勇貴被告の責任は極めて重大である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一方で、勇貴被告は、生まれながらにアスペルガー障害を患っていた。勇貴被告は両親からもその障害に気づかれずに成長し、この障害を基盤とする解離性障害に罹患するまでに至った。そのため、責任能力にこそ影響はしないものの、是非善悪を判断して行動する能力がかなり減弱した状態だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さん殺害は、そのような精神状態にあった勇貴被告による衝動的な犯行である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さんは、周囲の者の対応が難しい反抗挑戦性障害であった。家出をしたり、家族に対して攻撃的な態度を取ったりして、家庭に不和をもたらすこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:亜澄さんは、勇貴被告が亜澄さんを殺害するという衝動に駆り立てられるほど挑発的な言動に及んでいた。そのことが、この事件のきっかけになったという側面は否定できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一方で、勇貴被告は自ら亜澄さんを殺害したことを認めている。公判でも「妹に本当にかわいそうなことをしてしまった。もっと理解してあげなかったことについても謝罪したい。両親にもおわびをしなければいけない」などと述べ、罪を償っていく決意を示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、証人として法廷に立った両親と兄が寛大な処分を求めており、家族で勇貴被告の更生に助力する決意も述べている。この事件が起きた当時２１歳と若年であったことなど、勇貴被告にとって酌むべき事情も認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:以上の事情を考慮した結果、勇貴被告を主文の刑に処するのが相当であると判断した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 死体損壊無罪の1審不服で東京地検が控訴 ===&lt;br /&gt;
東京地検は[[2008年]][[6月4日]]、死体損壊について無罪とし、殺人罪で懲役7年(求刑・懲役17年)とした1審・東京地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 弁護側も控訴 ===&lt;br /&gt;
弁護側は[[2008年]][[6月6日]]、東京高裁に控訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 控訴審(2009年4月) ===&lt;br /&gt;
渋谷妹バラバラ殺人控訴審。1審を破棄、懲役12年判決&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の元予備校生、勇貴被告(24)の控訴審判決公判が28日、東京高裁で開かれた。[[阿部文洋]]裁判長は、死体損壊罪を心神喪失で無罪とし、殺人罪については完全責任能力を認め懲役7年を言い渡した1審東京地裁判決を破棄、死体損壊罪についても責任能力を認め、懲役12年を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1、2審を通じた争点は勇貴被告に犯行時、責任能力があったか否かだった。1審では鑑定医が精神鑑定で「解離性同一性障害などにより殺害時は心神耗弱、遺体損壊時は心神喪失状態」との見解を示した。検察側は「証拠隠滅工作をするなど死体損壊時にも完全責任能力があった」と主張。弁護側は「殺害時も責任能力はない」と全面無罪を訴えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年5月の1審判決は死体損壊時を「本来の人格とは別の獰猛な人格状態にあった可能性が高い」として、刑事責任が問えない心神喪失状態とした。一方で殺害時は、「精神障害の影響で怒りを抑える力が弱まっていた」としながらも、直前まではトラブルもなく日常生活を送っていたことから「責任能力に影響するほどではなかった」とし、完全責任能力があったと結論付けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被告側の上告棄却(2009年9月) ===&lt;br /&gt;
元予備校生、武藤勇貴(24)の上告審で、[[最高裁]]第2小法廷([[竹内行夫]]裁判長)は武藤勇貴被告側の上告を棄却する決定をした。殺人罪のみ認め、死体損壊罪は無罪として懲役7年を言い渡した1審判決を破棄、両罪の成立を認定し、懲役12年とした2審東京高裁判決が確定する。決定は15日付。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1審東京地裁は、死体損壊罪は心神喪失で無罪とし、殺人罪のみ責任能力を認めて懲役7年(求刑懲役17年)としたが、2審は一貫して責任能力があったと認定して1審判決を破棄、懲役12年を言い渡していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[バラバラ殺人]]&lt;br /&gt;
* [[新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[本郷兄弟決闘殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[アスペルガー症候群]]&lt;br /&gt;
* [[神奈川金属バット両親殺害事件]] - 当事件同様、浪人生による身内への殺人事件。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しふやいもうとはらはらさつしんしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:2007年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:渋谷区の歴史]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.207.207</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%90%89%E9%87%8E%E6%95%AC%E4%BB%8B&amp;diff=396619</id>
		<title>吉野敬介</title>
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				<updated>2022-01-24T08:32:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''𠮷野 敬介'''（よしの けいすけ、[[1966年]][[6月25日]] - ）は、日本の予備校講師（古文）。東進ハイスクール・東進衛星予備校古文科講師（2008年 - ）。元代々木ゼミナール講師（1991年 - 2007年1月）。日本大学文理学部教授（2009年4月 - 2010年3月）。&lt;br /&gt;
文学博士（國學院大学）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==目次==&lt;br /&gt;
*1	人物&lt;br /&gt;
*2	著作物&lt;br /&gt;
*2.1	受験勉強について&lt;br /&gt;
*2.2	大学について&lt;br /&gt;
*2.3	代々木ゼミナールでの経歴について&lt;br /&gt;
*2.4	窃盗について&lt;br /&gt;
*2.5	高校時代以前のエピソードについて&lt;br /&gt;
*2.6	『パクった』騒動&lt;br /&gt;
*2.7	その他&lt;br /&gt;
*3	著書一覧 （太字は本件記事の脚注内での略語）&lt;br /&gt;
*3.1	単著&lt;br /&gt;
*3.1.1	学習参考書&lt;br /&gt;
*3.1.2	一般書&lt;br /&gt;
*3.2	共著&lt;br /&gt;
*3.2.1	一般書&lt;br /&gt;
*4	出演&lt;br /&gt;
*4.1	コマーシャル&lt;br /&gt;
*4.2	テレビ&lt;br /&gt;
*4.3	講演&lt;br /&gt;
*5	脚注&lt;br /&gt;
*6	外部リンク&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
[[神奈川県]][[鎌倉市]]出身。逗子開成高等学校、國學院大學文学部日本文学科を卒業、國學院大学大学院文学研究科日本文学専攻博士前期課程修了、國學院大学大学院文学研究科日本文学専攻博士後期課程単位取得。文学博士（國學院大学）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代々木ゼミナール講師となる。授業では、雑談の時間を必ず取り[2]（ただし、ビートたけしの著書に登場するエピソードもある）、言葉の繰り返しが多いという特徴がある[3]。&lt;br /&gt;
90年代は多くのバラエティ番組[4]に下記の経歴を伴って出演して全国的に有名となる。同時に、自伝風の著書が売れ、Vシネマ化されるほどであった。2002年、授業中に生徒を殴り傷害容疑で書類送検された[5]。2006年、杉村太蔵のブログが自著の内容に酷似していたとして「杉村さんは確信犯じゃないか」と怒ったことが話題となったり[6]、差別発言が問題視されたりした[7]。&lt;br /&gt;
2007年1月末に代々木ゼミナール退職。その際参議院選挙への出馬の可能性を報道され、本人も「今の教育の荒廃には目をつぶっていられない」と意欲を見せていた[8]が、出馬しなかった[9]。同年、個別指導の吉野塾を設立。自身のノウハウを伝えたアルバイト学生に指導させる方針であったため、自身は講師業から退く形となったが、翌年には東進ハイスクールで講師として復活し、芸能プロダクションとも業務提携を結んだ[10]（現在は解消）。当初は港区の月40万円のマンションに校舎を構え[11]、塾の方針を伝える著書も出版した。しかし、2010年10月に校舎を代々木上原に移転した後はHPに「準備中」と表記され、開講不明の状態が続き、2013年3月に募集の中止を発表した[12]。その後、まもなくHP自体が削除された。 2014年に起きた佐村河内守のゴーストライター問題で、佐村河内が創作した経歴と吉野の経歴との類似点がジャーナリストの角田裕育によって指摘されている[13]。&lt;br /&gt;
講師業以外にも、自己啓発本・教育論も執筆するほか、教育評論家として教育機関での講演活動も行っており、地方公共団体主催の講演においても下記の経歴で紹介され[14]、道徳の授業でも題材として採り上げる中学校もあるほどである[15]。現在も、タレントマネジメント会社に所属している[16]。個人ブログも開設しており、公開授業ではほぼ毎回同じような内容になっているが、これらは大筋の内容を先に書いているためと述べている[17]。&lt;br /&gt;
ネット上での自己に関する書き込みに対しては、「匿名で一方的に文句をたれるというのは、卑怯者のすることだ。（中略）一方的に文句をたれているだけのようなヤツは、相手にするつもりはない」[18]「そんなヤツらをまともに相手にしたら、自分がそいつらと同レベルに落ちてしまうだけだ」[19]との立場を貫いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==著作物==&lt;br /&gt;
自身の経験（ただし、矢沢永吉の著書に登場するエピソードもある）を引き合いにした自己啓発本が多い。そこではおおむね暴走族の特攻隊長であった高校時代を経て、卒業後に中古車販売店で働くも20歳の9月に失恋を機に大学受験を決意し、9月から12月で国語の偏差値を25から86に上げて大学に合格し、代々木ゼミナール採用試験に史上最年少・最高得点で合格したという経歴が示され[20]、2017年現在も同様のプロフィールで活動している[21]。しかし、以下で示すように、経歴の内容が著書や授業中の発言ごとに変化しており、喫煙姿の写真や使った教科書・参考書などの写真は載せてあるものの、暴走族姿（特攻服姿）の写真や模試の成績表など経歴を裏付ける資料は載せていない。&lt;br /&gt;
上記の角田は、「吉野氏の経歴の偽りには僕も失望している」[22]として、「報われないのが、『吉野先生を見習って第一志望の明治に合格したけど国学院に入学した』とか『自分も国語の教師になろうと思った』という人々。失望感とか絶望感とかどうにもならないのではないか」と述べている[22]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==受験勉強につい==て&lt;br /&gt;
20歳の9月20日（1986年9月20日）に受験を決意したという肩書きであるが、1998年の著書には、1986年1月1日（高校卒業10か月後、大学合格の1年以上前）の日付がついた写真でこたつで勉強している姿が載っているものがある[23]。同著は、1991年の著書を加筆訂正したものである[24]ところ、1991年の著書での当該写真はズームしており日付部分は切られていたが、1998年の著書では写真全体が載っており日付部分が現れた。&lt;br /&gt;
ほとんどの著書では当初の偏差値を25と称しているが[20]、中には当初の偏差値を28と称している著作もある[25]。&lt;br /&gt;
現代文の勉強法として、「朝の2時間。俺は朝日新聞の社説をノートに書き写していった。（中略）4カ月間、毎日必死にそれを続けたんだ。（中略）その時のノートをいまだに捨てずに取ってあるよ」[26]と述べて、当該ノートの見開き写真を載せている著書が複数あるが、ノート左上に書いてある日付が1991年の著書[27]では昭和58年4月15日、1998年の著書[28]では昭和58年4月30日であり、いずれも吉野が高校2年生のときの日付である（いずれも日付は不鮮明だが、書き写されている内容がその日の朝日新聞の社説と一致。その後も2007年著書と2011年著書で「朝日新聞の社説を毎日写したノート」としてノートの見開き写真を載せている[29]が、写真のピクセル処理が粗く判読不能）[30]。&lt;br /&gt;
受験勉強を始めたきっかけについて、当初は概ね、“8月、給料が30万円を超えたので別れた彼女に久々に電話したが、大学くらい行ってくれないとと言われてとりあえず大学受験を決意　→　元家庭教師に私塾を紹介してもらい通うが授業が分からない　→　一度は大学を諦める　→　「忘れもしない9月20日」[31]に再度電話するも彼女の態度は変わらず、専修大学に通っている現在の彼氏の話をされる　→　9月21日、彼女とその彼氏が車に同乗しているところを目撃して受験を決意”[32]　というものであったが、別の機会では、“9月19日、10カ月ぶりに別れた彼女に電話して給料が上がったことを告げるとやり直そうかと言われた→　彼女曰く専修大学の彼氏とは別れたが今日は女友達と泊まるかもしれないので今からは会えないということで翌日会うことに　→　9月20日、待ち合わせ時間の直前に彼女と大学生の彼氏が車に同乗しているところを目撃して受験を決意　→　同20日、元家庭教師に電話して私塾を紹介される”[33]と発言しており、日付や時系列が変化している。&lt;br /&gt;
複数の著書で、9月23日の模試では国語の偏差値が25で12月17日の全国総合模試（代ゼミの模試と述べている[33]）は86で全国3位と述べられている[34]が、模試の成績表は示されておらず、その年の代々木ゼミナールの全国総合模試は12月21日に開催されており、そもそも1986年12月17日は平日（水曜日）であり、代ゼミで模試は開催されていない[35]。&lt;br /&gt;
上記以外の模試では、旺文社の模試で92、駿台の模試で87～88を取った[33]とも発言しているが、吉野が受験生だった年の旺文社と駿台の私大型全国模試は11月9日と11月16日に終了している[36]。他方、当初の著書では「11月の模試では、国語が65」[37]と述べていた。&lt;br /&gt;
1日の勉強時間について、90年代、「22時間」[38]および「20時間は勉強」[39]と表現していたが、2006年の著書では「一日20時間勉強した日も少なくない」となり[40]、2008年の著書では「一日20時間近い日もあった」という表現になっている[41]。また、連続で寝なかった時間についても、86時間[38]と書かれているものと70時間[42][43]と書かれているものがある。&lt;br /&gt;
当初の著書では、大学受験を決意したときには小学校で扱う内容のことも知らなかったことが書かれている（例「『ミナモトノヨリトモ？誰ですか、それ』『1192年？何かあったんですか』。ふざけているわけじゃなく、ほんとうに知らないのだ」[44]）が、2008年の著書では「小学校のときは天才と言われていた」[45]、2009年の著書でも「小学校までオレはものすごく成績が良かった。クラスのいちばんっていえば、オレか、もしくはその藤田って、まあそういう関係だった」として小学時代には成績が良く中学受験（栄光学園と述べている[46]）をしたエピソードが書かれている[47]。&lt;br /&gt;
12月の最終模試が終わっても学力が伸びることを述べる際、自身の学力について「12月の時点で、日本史の偏差値は55。（中略）最後の模試といったって、それで終わりじゃない。そこからが勝負だ。今から思えば、もし2月に模試を受けていたら、日本史も偏差値75は超えていたはずだ」[48]と仮定に基づいて推測していたが、別の機会では「日本史なんか、最後75までいった」[49]「日本史もね75,6はいったんだよね、最後」[33]と発言するなど既成事実になっている。なお、「日本史は、安土桃山時代はあまり出ないから教科書くらいしかやらなかった」とも述べている[50]。&lt;br /&gt;
上記の12月17日の模試で国語が全国3位だったと書かれている[51]が、最近の著書では「生まれて初めて書いた小論文が全国で3番だった」[52]とも書かれている。&lt;br /&gt;
1月15日の成人式のパーティに参加せず勉強したというエピソードに関して、90年代の著書では「アキノブの家に行って、パーティのことを忘れるように、ただ勉強に打ち込んだ」[53]「15日には、オレはパーティのことを忘れるために、塾で友だちになった伊藤章伸のところで勉強することにした」[54]と友人宅で過ごしていた内容であったが、2008年の著書では「おれは成人式に行くのをやめた。（中略）近くの図書館に向かった。（中略）夜の8時まで図書館にいて家に帰った」[55]と図書館で過ごしていた内容に変化している。&lt;br /&gt;
上記エピソードの中にあるパーティに行かなくて済むようにスーツを破ったことに関して、そのスーツの値段を30万円としているもの[38]と20万円としているもの[53][54]がある。&lt;br /&gt;
上記のエピソードについて、90年代の著書では「1月14日、前日になってふと考え込んでしまった。（中略）オレは20数万円のスーツをビリビリに破いて燃やしてしまった」[56]「1月14日、20万円の新調のスーツをズタズタに引き裂く」[57]と、1月14日にスーツを破ったことになっていたが、2007年の著書では「1月15日に、おやじとおふくろにダーバンのスーツを買ってもらった。（中略）気がつくと、オレはおやじとおふくろが買ってくれたスーツをハサミでズタズタに切っていた」[58]と書かれ、1月14日時点でそのスーツは持っていなかったことになっている。さらに、その2年後の著書では「スーツも2O万円ほどするような高級品を数カ月前から新調していた」[59]と再び変化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==大学について==&lt;br /&gt;
1991年著書（1998年改訂）では、「オレは8校受けたが、全部文学部だった」[60]として、1993年著書では「オレは結局、すべての大学に受かっていたのだ」[61]と書いている。しかし、2006年以降の著書では3校に合格したことになり[62]、2009年に出版された1993年著書の改訂版では、上記の記述が「オレは結局、ほとんどの大学に受かっていたのだ」という記述に変わっている[63]また、2008年著書では、専修大学の受験に失敗した記述もある[64]。&lt;br /&gt;
国学院大学に関して、上記の通り8校全部文学部を受験した記述と、「国学院の試験を受け終わった直後、オレは血を吐いて倒れた。（中略）まだ早稲田の入試が残っている」との記述がある[65]ところ、吉野が受験した年の入試日は国学院（文・一部）、早稲田（一文）、早稲田（二文）、国学院（文）の順序である[66]ため、国学院（文・一部）が前提とされている。ほか、「各大学の入試がすべて終わった2月、とうとう第一志望の国学院大学の合格発表の日がやってきた。（中略）俺の受験番号がある」[67]とその年の2月26日[66]に合格発表がある国学院（文・一部）に合格したことが前提となっている。しかし、吉野が卒業したのは一部であり、吉野が受験した年は出願締切が2月28日、入試が3月9日、合格発表が3月14日である[68]。&lt;br /&gt;
ほか、「うちから大学まで1時間以上（中略）9時から朝1限始まるんで7時半には出ないと苦しい（中略）7時に目覚ましかけとく」と発言し[69]、また、緊張して学校を早退したという話では「今日の夜の10時、俺の一生が決まるんだと思うと、学校にいられなくなっちゃう。そわそわしちゃって。で、かーえろとか思って。速攻で家に帰るんだ。と、昼間の2時くらいに家に着いちゃうんだよ」[69] と発言していたが、彼が卒業したのは一部であり、授業は夕方開始である。また、彼の著作をVシネマ化した作品は「ノンフィクションドラマ」と銘打たれているところ[70]、その中で合格発表の際に映る受験票には一部にマルがついているが、彼が卒業したのは二部である。&lt;br /&gt;
また、著書で、「国学院や明治の場合、合格最低ラインは190点から高くても200点くらいだと思うが（中略）日本史で90点以上は取れると思っていたし、国語では絶対に95点以上いくと思っていた。そうすると、2科目で190点くらいにはなるので、英語でほんの少し加えれば大丈夫という計算ができた」[71]と書かれているが、吉野が受験した年の国学院（日本文学科）の合格最低点は125点であり[72]、そこまでの得点は必要ではない。&lt;br /&gt;
國學院以外の合格大学名について、「立教・明治・法政ババババーっと合格の嵐だ」[73]「立教の文B（小論文の試験）を受かった」[74]「実際、学習院、明治、法政（すべて文学部の日文や国文）など、国学院よりも偏差値が高く、有名な大学にも受かった」[75]との記述があり、ほか具体的な大学名として、中央大学[76]と日本大学[49]にも合格した旨を公言している。しかし、上記の通り2006年以降の著書では合格した大学数は3校となっており、2009年3月著書で、受験のきっかけとなった元交際相手を呼んで「『これ明治大学の合格通知なんだよね』と俺は言って、びりっと破った。立教の合格通知も同じように破ってやった」と述べている[77]。&lt;br /&gt;
早稲田大学について、1993年の著書では、「国学院の試験を受け終わった直後、オレは血を吐いて倒れた。そのまま病院に運ばれ、即入院した。（中略）まだ早稲田の入試が残っているが、もうこの状態じゃちょっとムリかもしれない。（中略）オレは結局、すべての大学に受かっていたのだ」[78]と、早稲田の受験を断念したか又は合格したかのような記述があるが、2006年以降の著書では「早稲田の一文には落ちた」[79]「おれは受験のときに早稲田に落ちた」[80]「俺だって受験時代、早稲田に落ちた」[81]「英語がまったくできなかったオレは、むかし早稲田を受験して落ちた」[82]と書かれ、1993年著書の改訂版でも「心にいつまでも残っているのは早稲田に落ちたことのほうが大きかったりする」[83]との記述を追加している。&lt;br /&gt;
学習院大学に関して、上記の通り国学院（文・一部）と学習院（文）の両方に合格したことになっているが、そもそも1987年の国学院（文・一部）と学習院（文）（二部は存在せず）の入試日はともに2月17日であるため[66]両方を受験することは不可能である。さらに、吉野が大学に入学した1987年の逗子開成高校も、学習院大学の合格者が0人であると発表している[84]。&lt;br /&gt;
第一志望に関して、90年代の著書では「第一志望だった、この国学院大学」[85]「オレは、何がなんでも国学院と思っていたから、もし国学院がダメだったら、絶対に来年も受験しようと考えていた」[86]「早稲田や東大には行けなかったけど、行けなくてよかった」[87]など、国学院に対して強いこだわりを見せる記述が随所にあったが[88]、最近の著書では、「オレは大学生活が終わったとき、なんか悔しかったね。それはやはり、国学院よりもいい大学に行きたかったからだ」[89]「本当は早稲田に行きたかった。でも行けなかったから國學院に行った」[90]「本命である早稲田の一文」[91]と書かれている。&lt;br /&gt;
大学時代、成績が1番で特待生だったと述べており[92]、授業料を免除されているにもかかわらず親から授業料として70万円預かってそれで豪遊した[93]旨を述べているが、國學院大學学報に記載されている昭和62年度から平成2年度の各年度における特待生の欄[94]に吉野敬介の名前は存在しない。また、父兄会が表彰する成績優秀者の欄にも名前が存在しない[95]。&lt;br /&gt;
大学時代に古文を特に勉強したことに関して「大学にはいっても、テニスだスキーだコンパだと、青春を謳歌するといえば聞こえがいいが、いまさらそんなバカをやる気はなかった」[96]と述べていたが、別の機会では、4人のグループ交際でテニスに行ったという話[97]や、クラスで中の良い男女5人ずつ計10人で毎週のように飲んだり長期休暇には毎回のように軽井沢やスキーに行ったりした話[93]をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==代々木ゼミナールでの経歴について==&lt;br /&gt;
1991年の著書では「ふつう、代ゼミ講師になるのにテストはない。（いまは簡単なテストがある。ただしみんな落ちているが）」[98]「代ゼミはふつう、新卒の採用はしない。採用するとき、テストをすることもない」[99]とされ、「あとから聞いた話だが、代ゼミの竹村副理事長も、元暴走族のオレを採用するにあたり、不安があったらしい。テストを受ければ落ちるかもしれないから、それで不採用を納得してもらおうと思っておられたそうだ」[100]という経緯が書かれているが、2年後の著書では他に受験生がいる描写となり[101]、その後も「オレが代ゼミの採用試験を受けたときも、300人くらい受けて受かったのは俺1人」[102]「古文の試験で300人」[103]と述べるなど、現在に至るまで代ゼミ史上最年少・過去最高得点で合格した肩書き[104]となっている。&lt;br /&gt;
上記と併せて、1991年の著書では「話はそう都合よく進まず、オレは講師採用のテストを受けなければならなくなった」[105]と書かれていたが、2009年の著書では「じつは試験を受けなくても講師になることはできた。 オレはあくまで採用試験にこだわったのだ」[106]と、試験を受ける必要はないものの採用試験合格という肩書きを得るためにあえて受けたという旨が書かれている[106]。&lt;br /&gt;
大学4年時に代々木ゼミナールでチューターをやっており、開講したチューターガイダンスでは「200人入る教室は満席」[107]と書かれていたが、別の本では「300人の教室が満杯」[108]と変更されている。また、チューターガイダンスの時期も「大学4年の8月の終わりごろ」[108]以降の話だったのが、別の機会では大学3年のときの話としている[109]。また、その開始時刻も「午後1時20分から」[107][108]としていたのが、別の機会では「3時10分から4時40分」としている[109]。さらにチューターを経験した影響として、「正式に代ゼミに採用されるまえから、チューターをやっていたことなどもあり、オレの授業を選んでくれる生徒も多かった」[110]と書かれていたが、2008年の著書では「吉野敬介なんて、誰も聞いたことがない」[111]と、チューターとしての影響が無くなっている。&lt;br /&gt;
さらに初めての授業の描写についても、「1年目の、初めての授業。400人を収容する教室で、おれの目の前にいる生徒はたったの5人だった」[111]となっていたが、別の著書では「第1回目の授業は、15人ほどの小さな教室だった」[112]「第1回目の授業は、教室にわずか15人ほどしかいなかった」[113]と、教室の規模が大幅に縮小し、受講生の人数が10人増えている。&lt;br /&gt;
2008年著書では、「代ゼミ時代の16年間で休講は3回」[114]と述べていたが、11か月後に出した著書では、「休講は2度あるが、一度は病欠、もう一度は親友の結婚式である。この2つの例外を除けば、授業はまったく休んでいない」[115]と休講回数が1回減っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==窃盗について==&lt;br /&gt;
当初の著書では、以下のように窃盗の経験をきわめて頻繁に登場させていた。&lt;br /&gt;
1991年の著書では、「金がなくなると、西友とかニチイみたいなスーパーマーケットに行って、いろいろなものを万引きしてくる。それを友だちや後輩に売って、遊ぶ金を手に入れるのだ。ただ万引きするんじゃ面白くないから、誰がいちばん高いものをかっぱらってくるか競争する」[116]「ゲームセンターでは、（中略）カギを盗んで、タダで何度もやる」[117]「腹がへると、近くの店にパンを盗みに行く」[118]と、窃盗の経験を具体的に記述している。&lt;br /&gt;
1993年の著書でも、以下のように窃盗の記述をしている。&lt;br /&gt;
「ケンカや万引きはしょっちゅう」[119]&lt;br /&gt;
「バイクを盗んで乗り回したり」[120]&lt;br /&gt;
「そのままケンカをやりに行ったり、万引きで誰がいちばん高価なものを盗めるか競争したり」[121]&lt;br /&gt;
「バイク、ケンカ、シンナー、万引き……勉強するヒマなんてない」[122]&lt;br /&gt;
「オレは半端なワルじゃなかった。シンナー、万引き、盗み、暴走族、ヤクザがらみのかけマージャン、鑑別所・・・・・・」[123]&lt;br /&gt;
2001年の著書でも、「バイク、シンナー、ケンカ、万引き・・・・・・、それがオレのすべて」[124]と記述している。&lt;br /&gt;
ほか、大学入学前、金がなくてセブン・イレブンで弁当を窃取したことを公言している[33]。また、温泉旅行に行くために、セブン・イレブンの深夜のアルバイトで弁当を盗んで友人に売ってお金を稼いでいたと述べている[97]。また、代々木ライブラリーのアルバイト中にレジにある飴やホールズがよく無くなっていたところ、心当たりがあるという[125]。&lt;br /&gt;
2013年の著書では、「浮いた交通費などは、『東日本大震災』や『あしながおじさんの交通遺児育英会』に寄付したりしている。逆境に見舞われた子どもたちに、勉強や進学をあきらめないで欲しいから。」と書いている[126]が、他方で、大学時代彼女に高価な誕生日プレゼントを渡すために、セブン・イレブンのアルバイト中に店内の募金箱から金を窃取したことを公言している[69]。&lt;br /&gt;
ところが、2009年の著書では「物を盗むというのは、お店の人の生活に迷惑がかかるから、そういうことは俺はめったにやらなかった」[127]と記述し、その5か月後に出版した1993年著書の改訂版では、以下のように窃盗・万引きに関する記述をすべて削除している。以下、左が改訂前、右が改訂後。&lt;br /&gt;
「ケンカや万引きはしょっちゅう」[128]→「しょっちゅうケンカしていて」[129]&lt;br /&gt;
「バイクを盗んで乗り回したり」[130]→削除&lt;br /&gt;
「そのままケンカをやりに行ったり、万引きで誰がいちばん高価なものを盗めるか競争したり」[131]→「そのままケンカをやりに行ったりしたものだ」[132]&lt;br /&gt;
「バイク、ケンカ、シンナー、万引き……勉強するヒマなんてない」[133]→「バイク、ケンカ、タバコ……勉強するヒマなんてない」[134]&lt;br /&gt;
「オレは半端なワルじゃなかった。シンナー、万引き、盗み、暴走族、ヤクザがらみのかけマージャン、鑑別所・・・・・・」[135]→「オレは半端なワルじゃなかった。シンナー、暴走族、ヤクザがらみのかけマージャン、鑑別所・・・・・」[136]。&lt;br /&gt;
同様に、2001年の著書では「バイク、シンナー、ケンカ、万引き・・・・・・、それがオレのすべて」[137]と書かれていた部分は、2011年にそれを大幅に加筆修正した著書では「バイク、集会、ケンカ、夜遊び・・・・・・」[138]と変更されている。&lt;br /&gt;
なお、ジャーナリストとして長年セブン・イレブンのオーナーへの取材を続けていた角田裕育は、吉野のコンビニでの窃盗話について、「オーナーの苦労など何も知らないのだろう」と述べている[22]。&lt;br /&gt;
高校時代以前のエピソードについて&lt;br /&gt;
2001年の著書では、実家が「貧乏だった」[139]として「オレにとって住まいとしての『家』の原風景は、四畳半一間に一家4人で暮らしていた家だ。もちろん、風呂はナシ」[139]など貧しかったエピソードが紹介されているが、2006年以後の著書では、父親のことは「慶應を出て、ある一部上場企業の部長」[140]、母親のことは「月収150万、ボーナス300万もザラって人だった」[141]と書かれている。&lt;br /&gt;
2001年の著書では「ただし、いじめっていうのはやらなかった。だって、いじめって卑怯だろ」[142]、2007年の著書では「およそ考えられる人間の行為の中で、この『いじめ』ほど、愚かで恥ずかしい行為はない」[143]、2008年の著書では「だけど、イジメなんてものはしたことがなかった」[144]、と書かれている。しかし、別の機会には以下のような経験を述べている。&lt;br /&gt;
1991年の著書で「技術家庭の作品や美術の絵は、パシリ（遣いっぱしりをやるヤツのこと）にやらせて、自分は名まえだけ書いて提出する」と書いていた[145]。&lt;br /&gt;
小学校時代、クラスにいた大嫌いな金持ちの同級生に対して、「授業中も先生が黒板に書いてる隙を狙って、消しゴムちぎって後ろからカーンと投げてやる。飯田に当たったら勝ちなんていうゲームあってな」と述べている[146]。また、その同級生について、「大嫌いなんだけど、1年に1回仲良くするんだ。いつ？飯田の誕生日な。なんで？うめぇもん食えるから」と述べ、その際「飯田の部屋からラジコンはかっぱらう、ドカベン全巻かっぱらう」という話を述べている[146]。&lt;br /&gt;
1991年の著書では、自身が高校で3回停学になったエピソードが随所に登場していた[147]が、2009年の著書では「俺の母校は3回停学をくらうと退学になる、という決まりがあった」として、友人が3回停学になって退学になったエピソードが書かれている[148]。&lt;br /&gt;
停学に至る自身の体験として、1991年の著書では「敵が40人いるにもかかわらず一人で仕返しに行き、オレの友だちをやっつけた奴を“病院送り”にしてしまったのだ」[149]と書かれていたが、同著を文庫化・加筆修正した版では「敵が5人いるにもかかわらず一人で仕返しに行き、オレの友だちをやっつけた奴を“病院送り”にしてしまったのだ」[150]と人数が35人減っている。&lt;br /&gt;
暴走族の特攻隊長として、3000台[151]・6000人[33]のトップであったと当初は述べていたが、数年後には1500台・3000人[152]となり、さらに数年後には、「最大時は1000台以上」[153]との表現になっている。なお、3000台を率いていたときの状況として、高校3年生（1984年）の9月に神奈川県中の暴走族が集まると述べている[154]が、神奈川県の暴走族構成員数はピークの1992年でも4841人である[155]。&lt;br /&gt;
「行ける高校がなくて入ってくる、そんな高校だ」[156]「当時神奈川県でも最低ランクの高校」[157]など、自身の出身高校がいかに落ちこぼれているかを著作で語っているが、1987年の逗子開成高校は、早稲田5人・慶応1人・上智2人・中央7人・明治5人・立教3人・法政9人・青山学院2人・東京理科2人との合格実績がある[158]。ほか、自身の高校時代について「専門学校に行くだけで、『すげえな、おまえ』という世界だった」と述べている[159]が、吉野の卒業年における同校の進路状況も、「進学（各種専修学校含む）80％、就職10％、その他10％」である[160]。&lt;br /&gt;
1991年の著作には『空手を習っていて結構強かった。空手の方では幾つかの強豪大学空手道部から特待生のお呼びが来た。』とある。しかし彼が在籍したのは直接打撃制だが顔面へのパンチは禁止のいわゆるフルコンルールの極真会神奈川支部（渡辺十也支部長）の大船道場。緑帯であった。そして、拓大・国士舘大・日大・駒沢大・大正大・京都産業大など大学空手道部は皆、日本体育協会傘下で文科省認可の公益財団法人・全日本空手道連盟傘下の国体空手道競技も行われている寸止めのポイント制の伝統空手である。特待生で招かれる高校生は皆、公益財団法人・全日本空手道連盟傘下の伝統空手をやる高校生でインターハイや国体などの全国規模の大会で成績を残した選手である。日本体育協会傘下でないルールも柔道とレスリング位に違う極真空手の道場に通う高校生が特待生で大学から招かれる事は有り得ない。&lt;br /&gt;
『パクった』騒動&lt;br /&gt;
2006年、杉村太蔵がブログに掲載した自殺未遂の内容が自著の内容に酷似していたとして、吉野が怒ったことが話題となり[6]、マスコミで「パクった」[161]と報道され、直後の吉野の著書では杉村本人が寄稿文を寄せ釈明している[162]。&lt;br /&gt;
他方で吉野の著書では以下のような点がある。&lt;br /&gt;
金持ちの同級生の後頭部に消しゴムをぶつけたりしたという話[146]は、ビートたけしの著書に登場するエピソードである[163]（その同級生の頭がデカい[146]という部分も重複[164]）。&lt;br /&gt;
金持ちの同級生の誕生日のときだけ美味しいものが出てくるからという理由でその同級生と仲良くなってその同級生の家に行ったという話[146]、アーモンドチョコレートの存在を知らずにアーモンドチョコレートを食べて種が入ってるという話をした人がいた[146]という話も、ビートたけしの著書に登場するエピソードである[165]。&lt;br /&gt;
小学校時代に、最悪の犯罪が学校でウンコをすることだとして、同級生がウンコをしているときや漏らしたときのエピソードは、ビートたけしの著書に登場するエピソードである[166]。&lt;br /&gt;
また、吉野がテキストのまえがきで書いたり、それをアレンジした著書（『オマエだけの言葉で話してみろよ』（2011年）16-17頁）の内容も、ビートたけしの著書に登場するエピソードである[167]。&lt;br /&gt;
「中学のとき、担任からしょっちゅう『お前はうちの学校のゴミだ』って言われてたんだけど、その担任とこの前ばったり街中であったとき、『お前は私のホコリだ』ってほめられちゃった。『ゴミからホコリかよ。まあ、似たようなもんじゃねえの』とか言いそうになった」[168]と述べているが、その話は島田紳助の話と同一である。&lt;br /&gt;
彼女と同棲していた際の、「彼女が『お弁当代ないんじゃないの』と言って金をくれようとしても、『昼飯は会社から出してくれるからいいよ』と断わった」[169]というエピソードは、矢沢永吉の「女房には(中略）『お昼どうするの？』って聞かれると『いいからいいから、会社で給食みたいのが出るんだよ』」[170]というエピソードと同様である。&lt;br /&gt;
大学受験を決意した際の、「勤め先の中古車屋に行った。そして平澤社長に、『オレ、大学受けます。勉強するんでやめさせてください』と言った」[171]というエピソードは、矢沢永吉の「社長に言った。『オレは、実が歌がやりたくてこっちに来た。やめさせてくれ』」[172]というエピソードと同様である。&lt;br /&gt;
上記の通り、矢沢永吉の著書『成りあがり』と同様のエピソードがあるが、吉野自身も「矢沢永吉じゃないが、結構成り上がってきたという思いはある」[173]と、矢沢永吉を引き合いに出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
2008年8月の著書で「俺はインターネットはやらない」と述べている[174]が、2007年2月から個人ブログを開設している。&lt;br /&gt;
大学時代から予備校講師最初の頃まで通算7年半ほどサオリという女性（1浪して1歳年下の同じ学年でミス青学になったという[69]）と付き合ったと述べている[69]が、該当する1987年から1990年まで（その前後も）ミス青学（正確にはミス青山）の中にサオリという名前の女性はいない[175]。&lt;br /&gt;
「株も嫌いだね。だって、誰かがトクをすると、誰かがソンするわけだろ。人を泣かして手にするカネなんて、おれはいらない」[176]と述べていたが、翌年の著書では「オレは昔から株と為替をやっていて、じつは今まで損をしたことがない」[177]と述べている。&lt;br /&gt;
大学時代にやった家庭教師のエピソードに関して、「生徒は常時、5、6人。自分から求めたのではない」[178]と書かれているが、別の機会では、たまプラーザの高級住宅街でハガキに「“家庭教師します。時給応談。去年16人東大行きました”と嘘ばっかり書いて」、その地区に住んでいる同級生に託したという話をしている[179]。また、「家庭教師料は『時価』。（中略）成績に比例して、自分で納得する程度の月謝を払ってくれればいいことにしていた」[178]と書かれているが、別の機会では、駅から遠くボロボロの家で水しか出ず時給を値切られ生徒も宿題をやらない家庭教師先を5回目で辞めたという話をしている[179]。&lt;br /&gt;
自身の経営する塾の授業料（基本料金90分15,000円、医学部・歯学部受験コース90分30,000円）について、「おれはどんなに言われても絶対に授業料をまけない。内容に絶対的な自信があるからだ」[180]と述べていたが、その翌々年には「90分12,000円～」と値下げした[181]。&lt;br /&gt;
当初は「24歳で年収3千万を超えた予備校講師というのはオレ以外いない」と書いていた[182]が、別の著書では講師1年目から（24歳、25歳、26歳時）の年収について「1年目600万、2年目1800万、3年目3600万」と書いている[183]。&lt;br /&gt;
2007年と2011年の著書では、「オレは『10分間睡眠』をとるようにしていた。（中略）何も考えないフワっとした状態で10分間過ごすと、すごくいい気分になる。頭もシャキッと冴えてくる。1時間も寝てしまったら、逆に頭がボ～ッとしてしまう。（中略）これはなかなかオススメだ」と書いていた[184]が、2012年の著書では、時間の有効的な使い方を語る際、電車内での「椅子に座って幸せそうにいびきをかいているオヤジ」について、「新幹線などでまとまった時間休むなら、有意義な休養にもなるだろうけどさ。10分やそこら、電車の中で醜態さらして意味あるのって思うわけだ」と書いている[185]。&lt;br /&gt;
インタビュー記事で、紹介欄に「趣味は競馬」[186]と書かれているが、その2頁後には、人生がギャンブルだからという理由で「賭け事はほとんどやらない」[187]と書かれている。&lt;br /&gt;
以上、カギ括弧内は著作からの引用。ただし算用数字に統一し、中略部分はその旨表示。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==著書一覧 （太字は本件記事の脚注内での略語）==&lt;br /&gt;
===単著===&lt;br /&gt;
学習参考書&lt;br /&gt;
*『吉野のピタリとでる古文単語』（代々木ライブラリー、1996年）ISBN 9784896804294&lt;br /&gt;
*『吉野のパロディ的中爆走古文&amp;quot;パテ古&amp;quot;（Part.1）Yozemi TV-net』（代々木ライブラリー、1998年）ISBN 9784896804980&lt;br /&gt;
*『吉野のパロディ的中爆走古文&amp;quot;パテ古&amp;quot;（Part.2）Yozemi TV-net』（代々木ライブラリー、1998年）ISBN 9784896805352&lt;br /&gt;
*『吉野の古文 スーパー敬語法』（代々木ライブラリー、1999年）ISBN 9784896805710&lt;br /&gt;
*『吉野の古典文法 スーパー暗記帖』（学研、1999年）ISBN 9784053007612&lt;br /&gt;
*『吉野のセンター古文』（学研、2002年）ISBN 9784053014474&lt;br /&gt;
*『吉野の古典文法 スーパー暗記帖 改訂版』（学研、2007年）ISBN 9784053024497&lt;br /&gt;
*『吉野式 スーパー古文敬語 完璧バージョン』（学研、2007年）ISBN 9784053025685&lt;br /&gt;
*『吉野式 爆走古文単語 完璧バージョン』（学研、2007年）ISBN 9784053025678&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===一般書===&lt;br /&gt;
『暴走族から予備校講師になったオレが言うんだ「おまえはバカじゃない」やればかならず合格する』（ごま書房、1991年7月）ISBN 9784341014896&lt;br /&gt;
*『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』（ロングセラーズ、1993年7月）ISBN 4845404044&lt;br /&gt;
*『やっぱりおまえはバカじゃない（小学館文庫）』（小学館、1998年2月）ISBN 9784094161014&lt;br /&gt;
*『さらば、借り物人生― 何も言わない受験生、何も言えない親たちへ』（PHP研究所、2001年3月）ISBN 4569615546&lt;br /&gt;
*『自分で決められないヤツは受験するな!（PHP文庫）』（PHP研究所、2004年7月）ISBN 9784569660264&lt;br /&gt;
*『よく聞け!おまえはバカじゃない（小学館文庫）』（小学館、2006年11月）ISBN 9784094161021&lt;br /&gt;
*『そこのバカ親!あんたの子供じゃ受からない』（小学館、2007年5月）ISBN 9784094161045&lt;br /&gt;
*『今、頑張れないヤツは一生頑張れない。』（世界文化社、2008年6月）ISBN 9784418086009&lt;br /&gt;
*『大好きに生きろ!』（東京書籍、2008年8月）ISBN 9784487802920&lt;br /&gt;
『半日で読む 源氏物語』（世界文化社、2008年10月）ISBN 9784418082261&lt;br /&gt;
*『熱血! 吉野塾勉強法』（ロングセラーズ、2009年3月）ISBN 9784845421442&lt;br /&gt;
*『今、変わらなければいつ変わるんだ、やれ! 』（ロングセラーズ、2009年4月）ISBN 9784845421459&lt;br /&gt;
*『ROOKIES勝利学』（集英社、2009年4月）ISBN 9784797671902&lt;br /&gt;
*『爆走道化師 暴走族特攻隊長からカリスマ講師へ』（東京書籍、2009年5月）ISBN 9784487803828&lt;br /&gt;
*『紫式部にケンカは売るな! 吉野流「古典で学ぶ人生論」講義』（講談社、2009年7月）ISBN 9784062156684&lt;br /&gt;
*『だからおまえは落ちるんだ、やれ! 決定版』（ロングセラーズ、2009年8月）ISBN 9784845408207&lt;br /&gt;
*『学校では教えない古典』（東京書籍、2009年8月）ISBN 9784487803606&lt;br /&gt;
*『１日で読める源氏物語』 (PHP文庫)』（PHP研究所、2010年9月）ISBN 9784569675343&lt;br /&gt;
*『オマエだけの言葉で話してみろよ! 人をその気にさせる、吉野流会話術100』（講談社、2011年1月）ISBN 9784062167109&lt;br /&gt;
*『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版（ロング新書）』（ロングセラーズ、2011年3月）ISBN 9784845408665&lt;br /&gt;
*『砂漠から芽を出せ! (PHP文庫)』（PHP研究所、2011年7月）ISBN 9784569675886&lt;br /&gt;
*『一日で読める平家物語』（東京書籍、2011年12月）ISBN 9784487805303&lt;br /&gt;
*『20代で受けておきたい仕事の授業』（小学館集英社プロダクション、2012年3月）ISBN 9784796871099&lt;br /&gt;
*『一日で読める徒然草』（東京書籍、2012年10月）ISBN 9784487807086&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==共著==&lt;br /&gt;
===一般書===&lt;br /&gt;
*安河内哲也, 吉野敬介『今日から始める「やる気」勉強法』（ロングセラーズ、2007年6月）ISBN 9784845421084&lt;br /&gt;
*安河内哲也, 吉野敬介『驚くほど伸びる!5日間「やる気」改革プログラム』（ロングセラーズ、2008年3月）ISBN 9784845421152&lt;br /&gt;
*安河内哲也, 吉野敬介『何のために勉強するのか (ロング新書) 』（ロングセラーズ、2011年3月）ISBN 9784845408672&lt;br /&gt;
*安河内哲也, 吉野敬介『今やれよ!』（ロングセラーズ、2013年5月）ISBN 9784845422845&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演==&lt;br /&gt;
===コマーシャル===&lt;br /&gt;
*東進ハイスクール・東進衛星予備校（2013年 - ）- 「生徒への檄文」篇&lt;br /&gt;
===テレビ===&lt;br /&gt;
*ありえへん∞世界（テレビ東京系列、2013年5月28日）- VTR紹介&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==講演==&lt;br /&gt;
*早稲田大学企画集団便利舎主催 吉野敬介トークライブ「特講〜未然形からの脱却〜」（早稲田大学大隈大講堂、2008年6月25日）&lt;br /&gt;
*学生団体SMPY主催 第59回 東京大学駒場祭 吉野敬介講演「今、頑張れないヤツは一生頑張れない」（東京大学駒場キャンパス、2008年11月23日）&lt;br /&gt;
*デジタルハリウッド大学キャリアセンター/ビズハーツ主催『今変わらなければいつ変わるんだ！』（デジタルハリウッド大学、2009年2月1日）[188]&lt;br /&gt;
*島根県雲南市教育委員会（2009年[189]、2010年[190]、2011年[191]、2012年[192]）&lt;br /&gt;
*中央大学学術連盟証券研究会主催「今、未来を変えろ!」（中央大学多摩キャンパス8201教室、2011年11月12日）&lt;br /&gt;
*福島県立いわき光洋高等学校主催・吉野敬介講演『今頑張れないヤツは、一生頑張れない』（福島県立いわき光洋高等学校、2012年5月31日）[193]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
[ヘルプ]&lt;br /&gt;
^ 國學院大學学報平成3年3月10日第4面（縮刷版第4巻1839頁）における新卒業生氏名一覧で、「文学部（二部）　文学科」の欄、1組の20番目（当該第4面の最下部の段落、いちばん左の行）に「吉野敬介」（ただし「吉」は「士」の部分が「土」）という記載がある。また、吉野の大学時代の友人として著書『おまえはバカじゃない』195頁に登場するTとY（著書ではフルネームで実名）も、同じ学報において文学部二部の1組と3組にそれぞれ名前の記載がある。&lt;br /&gt;
^ 長いときで30分を超える場合もあった（代ゼミTVネット『吉野のパロディ的中古文（読解編）第12回』）。&lt;br /&gt;
^ 繰り返しの理由について、本人は「特に女子校出身の女の子は、男言葉になれていないものだから一回聞いただけじゃ、何を言ってるのか理解できない。だから二、三回繰り返す」と述べている（『さらば』93頁、『自分で決められない!』95頁、『砂漠』84頁）。&lt;br /&gt;
^ 『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』、『ウンナンの桜吹雪は知っている』、『EXテレビ』など。&lt;br /&gt;
^ 毎日新聞2002年7月10日夕刊第9面&lt;br /&gt;
^ a b http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20060523-35673.html（日刊スポーツ2006年5月23日。リンク切れ）&lt;br /&gt;
^ http://www.bll.gr.jp/siryositu/siryo-syutyo2006/news2006/news20060123-2.html&lt;br /&gt;
^ 2007年2月1日日刊スポーツ&lt;br /&gt;
^ 本人によると、「当時の安倍内閣はいろんな問題が噴出して、おれが代ゼミを辞めたときには支持率はガタガタになっていた。そんな逆風の中、いろいろ検討した結果」であるという（『大好きに』164頁）&lt;br /&gt;
^ 生島企画室。　http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080707-380709.html&lt;br /&gt;
^ 『大好きに』98頁、『吉野塾』81頁&lt;br /&gt;
^ https://archive.fo/20130501231632/http://www.yoshino-juku.jp/index.html&lt;br /&gt;
^ http://blog.livedoor.jp/abudala777/archives/51784499.html&lt;br /&gt;
^ http://www.city.unnan.shimane.jp/kyouiku/iinkai00-00115.html&lt;br /&gt;
^ http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=2320042&amp;amp;type=2&amp;amp;category_id=2664&amp;amp;date=20090901&lt;br /&gt;
^ http://www.zipangu-management.co.jp/culture-2/&lt;br /&gt;
^ 『砂漠』197～198頁&lt;br /&gt;
^ 『ルーキーズ勝利学』133頁&lt;br /&gt;
^ 『頑張れないヤツ。』143頁&lt;br /&gt;
^ a b 各著書のカバー部分の略歴参照。　http://smpy.jp/%E5%90%89%E9%87%8E%E6%95%AC%E4%BB%8B/ にも同様のプロフィールがある。&lt;br /&gt;
^ http://www.zipangu-management.co.jp/culture-2/zc0004/&lt;br /&gt;
^ a b c http://blog.livedoor.jp/abudala777/archives/51798776.html&lt;br /&gt;
^ 『やっぱりおまえは』25頁&lt;br /&gt;
^ 『やっぱりおまえは』223頁&lt;br /&gt;
^ 『よく聞け』54頁&lt;br /&gt;
^ 『吉野塾』77～79頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』51頁&lt;br /&gt;
^ 『やっぱりおまえは』53頁&lt;br /&gt;
^ 『今日から始める』155頁、『何のために』162頁&lt;br /&gt;
^ もっとも、毎日続けた旨の記述はほかの著書でもある（『今日から始める』154頁、『何のために』162頁）一方で、図書館で古い新聞を写したと記述している著書（『おまえはバカじゃない』86頁、『やっぱりおまえは』91頁）もあり、後者であれば古い日付でも矛盾しない&lt;br /&gt;
^ 『やっぱりおまえは』27頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』22～28頁、『やっぱりおまえは』23～28頁、『だからおまえは』31～36頁、『だからおまえは決定版』33～39頁&lt;br /&gt;
^ a b c d e f 代ゼミTVネット『吉野の古文「単語＆敬語」第1回』&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』28・46～47頁、『やっぱりおまえは』29・48頁、『だからおまえは』98頁、『だからおまえは決定版』46頁&lt;br /&gt;
^ 1986年12月に開催された代々木ゼミナールの模試は、12月6日・7日に東大模試、12月14日に共通1次プレテスト、12月21日に第6回全国総合模試、12月31日に南山大模試である（蛍雪時代1986年11月臨時増刊号A197頁の代々木ゼミナールの広告より）。&lt;br /&gt;
^ 1986年の旺文社の模試は、11月9日の「第5回全国模試」と11月30日の「共通1次最終模試」が最後である（蛍雪時代11月号23頁直前の広告より）。また、同年の駿台の全国模試は、11月2日（共通一次型）と11月9日（二次私大型）に「公開全国模試」があり、11月16日に「私大全国模試」があるのが最後で、残りは11月30日に早大模試、12月に東大・京大・東工大・一橋大の各模試があるだけである（蛍雪時代11月号210頁直後の駿台予備校の広告より）。&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』82頁、『やっぱりおまえは』88頁&lt;br /&gt;
^ a b c 微笑（祥伝社）23巻4号（1993年2月2日発売）61頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』32頁、『やっぱりおまえは』34頁&lt;br /&gt;
^ 『よく聞け』123頁&lt;br /&gt;
^ 『頑張れないヤツ。』28頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』41頁、『だからお前は落ちるんだ、やれ!決定版』43頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』43頁、『やっぱりおまえは』44頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』38頁&lt;br /&gt;
^ 『驚くほど』15頁&lt;br /&gt;
^ http://smpy.jp/%e5%90%89%e9%87%8e%e6%95%ac%e4%bb%8b/2/&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは決定版』230頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』44頁、『だからおまえは決定版』47頁&lt;br /&gt;
^ a b 代ゼミTVネット『吉野の古文「単語＆敬語」第10回』&lt;br /&gt;
^ 『吉野塾』137頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』44頁、『大好きに』46頁&lt;br /&gt;
^ 『何のために』163頁&lt;br /&gt;
^ a b 『おまえはバカじゃない』48頁、『やっぱりおまえは』49頁&lt;br /&gt;
^ a b 『だからおまえは』49頁、『だからおまえは決定版』52頁&lt;br /&gt;
^ 『大好きに』70頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』46～47頁、『やっぱりおまえは』48～49頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』47頁、『だからおまえは決定版』50頁&lt;br /&gt;
^ 『今日から始める』74頁&lt;br /&gt;
^ 『いつ変わるんだ』221頁。&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』98頁、『やっぱりおまえは』103頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』136頁&lt;br /&gt;
^ 『よく聞け』54頁、『頑張れないヤツ』28頁、『大好きに』46頁、『いつ変わるんだ』188頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは決定版』154頁&lt;br /&gt;
^ 『大好きに』47頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』136頁、『だからおまえは決定版』154頁&lt;br /&gt;
^ a b c 朝日新聞1986年11月7日中面「'87私立大学案内」&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』29～30頁、『やっぱりおまえは』30頁&lt;br /&gt;
^ 國學院大學学報昭和62年2月10日第3面（縮刷版第4巻1625頁）&lt;br /&gt;
^ a b c d e 代ゼミTVネット『吉野の古文「単語＆敬語」第2回』&lt;br /&gt;
^ ASIN B000RHH5L8, だからおまえは落ちるんだ、やれ! DVD&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』94頁、『やっぱりおまえは』99頁&lt;br /&gt;
^ 國學院大學学報昭和62年5月10日第3面（縮刷版第4巻1641頁）&lt;br /&gt;
^ 『やっぱりおまえは』63頁&lt;br /&gt;
^ 『やっぱりおまえは』99頁&lt;br /&gt;
^ 『やっぱりおまえは』102頁&lt;br /&gt;
^ http://202.255.60.170/Blog/Blog/maruzen05/P/4173.aspx （丸善インタビュー。リンク切れ）&lt;br /&gt;
^ 『吉野塾』86頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』136頁&lt;br /&gt;
^ 『よく聞け』86頁&lt;br /&gt;
^ 『大好きに』39頁&lt;br /&gt;
^ 『ROOKIES』62頁&lt;br /&gt;
^ 『紫式部』35頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは決定版』193頁&lt;br /&gt;
^ 晶文社出版編集部編「高校受験案内首都圏昭和63年度用」（晶文社出版）768～769頁、声の教育者編集部編「高校受験案内昭和63年度用」（声の教育社）330頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』31頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』61頁、『やっぱりおまえは』63頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』62頁、『やっぱりおまえは』65頁&lt;br /&gt;
^ ほか、『おまえはバカじゃない』53頁、『やっぱりおまえは』55頁、『だからおまえは』45頁、『だからおまえは決定版』48頁&lt;br /&gt;
^ 『今日から始める』54～55頁、『何のために』57頁&lt;br /&gt;
^ 『仕事の授業』167頁&lt;br /&gt;
^ 『よく聞け』86頁&lt;br /&gt;
^ 代ゼミTVネット『吉野のパロディ的中古文（読解編）第2回』&lt;br /&gt;
^ a b 代ゼミTVネット『吉野のパロディ的中古文（読解編）第9回』&lt;br /&gt;
^ 國學院大學学報昭和62年6月10日第4面（縮刷版第4巻1648頁）計42名、國學院大學学報昭和63年6月10日第4面（縮刷版第4巻1704頁）計47名、國學院大學学報平成元年6月10日第3面（縮刷版第4巻1753頁）計45名、國學院大學学報平成2年7月10日第2面（縮刷版第4巻1808頁）計42名&lt;br /&gt;
^ 國學院大學学報平成3年3月10日第6面（縮刷版第4巻1842頁）&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』172頁&lt;br /&gt;
^ a b 代ゼミTVネット『吉野のパロディ的中古文（読解編）第5回』&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』49～50頁。カッコ書きの中は、文庫化・加筆修正した『やっぱりおまえは』52頁で付け加えられた記述。&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』167頁、『やっぱりおまえは』175頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』168頁、『やっぱりおまえは』176頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』191頁&lt;br /&gt;
^ 『ROOKIES』145頁&lt;br /&gt;
^ 代ゼミTVネット『吉野のパロディ的中古文（読解編）第6回』&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは決定版』ほか、多数の著書の著者紹介欄&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』166頁、『やっぱりおまえは』174頁&lt;br /&gt;
^ a b 『紫式部』100頁&lt;br /&gt;
^ a b 『おまえはバカじゃない』194頁、『やっぱりおまえは』201頁&lt;br /&gt;
^ a b c 『だからおまえは』52頁、『だからおまえは決定版』55頁&lt;br /&gt;
^ a b 『吉野のパロディ的中古文（読解編）第12回』&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』184頁、『やっぱりおまえは』190頁&lt;br /&gt;
^ a b 『大好きに』178頁&lt;br /&gt;
^ 『さらば』103頁、『自分で決められない!』105頁&lt;br /&gt;
^ 『砂漠』93頁&lt;br /&gt;
^ 『大好きに』54頁&lt;br /&gt;
^ 『紫式部』133頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』113頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』114頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』116頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』13頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』15頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』16頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』21頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』114頁&lt;br /&gt;
^ 『さらば』41頁、『自分で決められない!』43頁&lt;br /&gt;
^ 代ゼミTVネット『吉野の古文「単語＆敬語」第7回』、『吉野のパロディ的中古文（読解編）第12回』&lt;br /&gt;
^ 今やれよ69頁&lt;br /&gt;
^ 『ROOKIES』31頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』13頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは決定版』15頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』15頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』16頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは決定版』18頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』21頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは決定版』23頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』114頁&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは決定版』120頁&lt;br /&gt;
^ 『さらば』41頁、『自分で決められない!』43頁&lt;br /&gt;
^ 『砂漠』26頁&lt;br /&gt;
^ a b 『さらば』162頁&lt;br /&gt;
^ 『よく聞け』26頁&lt;br /&gt;
^ 『驚くほど』160頁&lt;br /&gt;
^ 『さらば』38頁、『自分で決められない!』40頁&lt;br /&gt;
^ 『そこのバカ親』174頁&lt;br /&gt;
^ 『大好きに』195頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』115～116頁、『やっぱりおまえは』123頁&lt;br /&gt;
^ a b c d e f 代ゼミTVネット『吉野の古文「単語＆敬語」第5回』&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』3頁、121頁、151頁、『やっぱりおまえは』3、128頁、159頁&lt;br /&gt;
^ 『ROOKIES』38頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』159頁&lt;br /&gt;
^ 『やっぱりおまえは』159頁&lt;br /&gt;
^ 『だからお前は落ちるんだ、やれ!』74頁&lt;br /&gt;
^ 『さらば』72頁&lt;br /&gt;
^ 『仕事の授業』3頁、『オマエだけの言葉』2頁&lt;br /&gt;
^ 代ゼミTVネット『吉野の古文「単語＆敬語」第12回』&lt;br /&gt;
^ http://digital.asahi.com/articles/ASG7G44VSG7GULOB013.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG7G44VSG7GULOB013&lt;br /&gt;
^ 『だからおまえは』15頁&lt;br /&gt;
^ 『やっぱりおまえは』17頁&lt;br /&gt;
^ 声の教育社『首都圏63年度用高校受験案内』330頁、晶文社『高校受験案内首都圏昭和63年度』768～769頁』&lt;br /&gt;
^ 『今やれよ』18頁&lt;br /&gt;
^ 学力増進会『高校受験案内：東京・神奈川・千葉・埼玉・茨城・栃木・群馬・山梨昭和61年度用』954～955頁&lt;br /&gt;
^ 『よく聞け』211頁&lt;br /&gt;
^ 『よく聞け』211-218頁&lt;br /&gt;
^ 『ビートたけしのみんなゴミだった』（1983年）13-14頁&lt;br /&gt;
^ 『ビートたけしのみんなゴミだった』（1983年）13頁&lt;br /&gt;
^ 『ビートたけしのみんなゴミだった』（1983年）13-14頁&lt;br /&gt;
^ 『ビートたけしのみんなゴミだった』（1983年）16-17頁&lt;br /&gt;
^ そのテキストの一例として、2005年代ゼミ夏期講習会単科ゼミ『SUPER POWER-UP 古文』がある。『ビートたけしのみんなゴミだった』（1983年）212-214頁&lt;br /&gt;
^ 『驚くほど』155頁、『今やれよ!』157頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』19頁&lt;br /&gt;
^ 矢沢永吉『矢沢永吉激論集成りあがり』189頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』28頁&lt;br /&gt;
^ 矢沢永吉『矢沢永吉激論集成りあがり』86頁&lt;br /&gt;
^ 『おまえはバカじゃない』208頁&lt;br /&gt;
^ 『頑張れないヤツ』143頁&lt;br /&gt;
^ 青山学院大学新聞21号1987年11月20日、29号1988年11月15日、38号1989年11月15日、48号1990年号11月15日&lt;br /&gt;
^ 『大好きに』140頁&lt;br /&gt;
^ 『紫式部』140頁&lt;br /&gt;
^ a b 『やっぱりおまえは』187頁&lt;br /&gt;
^ a b 代ゼミTVネット『吉野の古文「単語＆敬語」第7回』&lt;br /&gt;
^ 『大好きに』139頁&lt;br /&gt;
^ http://www.yoshino-juku.jp/faq.html （リンク切れ）&lt;br /&gt;
^ 『今日から始める』20頁&lt;br /&gt;
^ 『大好きに』97頁&lt;br /&gt;
^ 『今日から始める』179頁、『何のために』185～186頁&lt;br /&gt;
^ 『仕事の授業』99頁&lt;br /&gt;
^ DENiM（小学館）1993　3月号127頁&lt;br /&gt;
^ DENiM（小学館）1993　3月号129頁&lt;br /&gt;
^ デジタルハリウッド大学と東京大学駒場祭における講演は、TSUTAYAビジネスカレッジからDVDとして発売された。http://tsutaya-college.jp/blog/2009/04/post-4.html&lt;br /&gt;
^ http://www.city.unnan.shimane.jp/www/contents/1260779793777/html/common/other/510dec51018.pdf#search='%E4%B8%89%E5%88%80%E5%B1%8B+%E5%90%89%E9%87%8E%E6%95%AC%E4%BB%8B'　&lt;br /&gt;
^ http://www.city.unnan.shimane.jp/kyouiku/iinkai00-00115.html&lt;br /&gt;
^ http://www.e-susano.net/blog/mitoya-chu/web/index.php?mode=oshirase_log&amp;amp;id=23&lt;br /&gt;
^ http://www.city.unnan.shimane.jp/www/contents/1346733840031/html/common/other/510e0725004.pdf#search='%E4%B8%89%E5%88%80%E5%B1%8B+%E5%90%89%E9%87%8E%E6%95%AC%E4%BB%8B'　&lt;br /&gt;
^ http://www.iwakikoyo-h.fks.ed.jp/yoshino.html&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*予備校の東進｜実力講師陣を紹介 【吉野 敬介先生】&lt;br /&gt;
*吉野敬介オフィシャルブログ「俺にまかせろ!」 - 公式ブログ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==典拠管理==	&lt;br /&gt;
*WorldCat Identities NDL: 00222674 VIAF: 257497358&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:よしのけいすけ}}&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:予備校講師]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:札幌大学の教員]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:國學院大學出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:神奈川県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:1966年生]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>久間三千年</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.207.207: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''久間 三千年'''（くま みちとし、[[1938年]][[1月9日]] - [[2008年]][[10月28日]]）とは、'''[[1992年]]（平成4年）に2人の小学1年生[[女児]]を強姦して[[殺害]]した犯人'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、1988年にも久間の息子を訪ねてきた友人の姉（当時小学校1年生）が直後に行方不明になる事件があったがこちらは未解決である。往生際が悪く最後まで犯行を否認していたが、数々の証拠が存在していたため、判決は第一審から一貫して有罪・死刑判決となり、[[2008年]]に執行された。判決文を読めば彼が犯人であることは間違いないのだが、一部のマスコミは、'''[https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E9%A3%AF%E5%A1%9A%E4%BA%8B%E4%BB%B6 判決文ですでに検証されている事実（DNA鑑定の信憑性の低さや遺体にあったAB型の血液型やネガに映っているバンド等）をあたかも新事実が判明したかのように報道し、さらに他の証拠（久間車内の尿痕や、久間が性器から出血するという稀有な症状を有しておりそれが遺体の状況と一致すること）には一切触れないなど、誘導的な内容によって冤罪を印象づける報道をしている。]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここまで残酷な事件を起こしておきながら、最後まで往生際を悪くしていれば、判決文すら読まない冤罪派がいまだに「久間三千年さん」と「さん」付けでたくさん味方してくれるという実例を作ったと言えよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''詳しくは、[[飯塚事件]]にて。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:くまみちとし}}&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:刑死した人物]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:1938年生]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:2008年没]]&lt;/div&gt;</summary>
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