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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>利用者・トーク:そ○や</title>
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				<updated>2008-09-26T12:29:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.236.20.244: 無意味な強調はしないほうがいい&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== 警告 ==&lt;br /&gt;
警告にもかかわらず無意味な差し戻しをしましたね。君のあざとさがよくわかりました。荒らし報告いたします。---[[利用者:Ded|Ded]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.236.20.244</name></author>	</entry>

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		<title>ベーグル</title>
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				<updated>2008-09-26T12:28:32Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.236.20.244: そ○や (会話) の編集 ( 39200 版 ) を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ベーグル'''（[[英語]] '''Bagel'''、[[イディッシュ語]] ''beygl, beygel'' ）は、[[発酵]]させた[[小麦粉]]の生地を輪の形にし、茹でた後に焼いて作られる[[食品|食べ物]]である。このような製造法により、柔らかくて詰まった内部と、焼き上げられてカリッとした外部という歯触りになる。乾燥を防げば品質は数日間保たれる。また、水分量が少ないので、冷凍保存なら家庭用の冷蔵庫でも1ヶ月程度は充分に保存できる。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.236.20.244</name></author>	</entry>

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		<title>桧山進次郎</title>
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				<updated>2008-09-26T12:28:30Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.236.20.244: そ○や (会話) の編集 ( 39199 版 ) を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''桧山 進次郎'''（ひやま しんじろう、[[1969年]][[7月1日]] - ）は、[[阪神タイガース]]に所属する[[プロ野球選手]]（[[外野手]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[在日コリアン]]であることを明かしており、本名は'''黄進煥'''（ファン･ジンファン）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
愛称は「ひーやん」、「ひー」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==来歴・人物==&lt;br /&gt;
東洋大学野球部時代に、第20回[[日米大学野球選手権大会|日米大学野球選手権]]日本代表に選出された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入団後3年間はあまり出番に恵まれなかったが、[[1995年]]後半戦ごろより不調だった[[亀山努]]に代わり[[外野手]]として出場、そのまま[[シーズン]]終盤まで6番・[[右翼手|ライト]]で出場を続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌[[1996年]]には5番・[[左翼手|レフト]]に定着、[[中日ドラゴンズ|中日]]の[[野口茂樹]]（現[[読売ジャイアンツ|巨人]]）から2試合にわたり、4打席連続[[ホームラン|本塁打]]を記録するなど22本塁打。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1997年]]は4番・ライト。[[打点]]も82を記録。[[打率]]が低いことと[[三振]]の多さが欠点であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[野村克也]]監督（現[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]監督）が就任した[[1999年]]には7番に、[[2000年]]には[[代打]]要員となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]]、4番に復帰して球団記録（史上7位）となる28試合連続安打を記録、自身初の3割をクリア。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]、[[星野仙一]]監督のもとで5番・ライト。オフには[[フリーエージェント|FA]]宣言するが、どこの球団も獲得に名乗りあげなかった為、残留。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.236.20.244</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%81%9D%E2%97%8B%E3%82%84&amp;diff=40283</id>
		<title>利用者:そ○や</title>
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				<updated>2008-09-26T12:28:09Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.236.20.244: そ○や (会話) の編集 ( 39428 版 ) を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#REDIRECT [[利用者:長野のそうじろうのソックパペット]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.236.20.244</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E2%94%97%EF%BC%88%5Eo%5E)%E2%94%93%E4%B8%89&amp;diff=40281</id>
		<title>利用者・トーク:┗（^o^)┓三</title>
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				<updated>2008-09-26T12:28:02Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.236.20.244: そ○や (会話) の編集 ( 39982 版 ) を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Sockpuppet|七星|evidence=[[七星]]}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.236.20.244</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=PC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3&amp;diff=40280</id>
		<title>PCエンジン</title>
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				<updated>2008-09-26T12:26:25Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.236.20.244: そ○や (会話) の編集 ( 40167 版 ) を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox コンシューマーゲーム機&lt;br /&gt;
|名称 = PCエンジン/TurboGrafx-16&lt;br /&gt;
|ロゴ = &lt;br /&gt;
|画像 = [[画像:PC Engine.jpg|200px|PCエンジン（初代機）]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[画像:TurboGrafx-16.jpg|200px|TurboGrafx-16]]&lt;br /&gt;
|メーカー = [[日本電気ホームエレクトロニクス|NECホームエレクトロニクス]]&lt;br /&gt;
|種別 = [[ゲーム機|据置型ゲーム機]]&lt;br /&gt;
|世代 = [[ゲーム機|第4世代]]&lt;br /&gt;
|発売日 = {{Flagicon|JPN}} [[1987年]][[10月30日]]&amp;lt;br /&amp;gt;{{Flagicon|USA}} [[1989年]][[8月29日]]&amp;lt;br /&amp;gt;{{Flagicon|EU}} [[1990年]]&lt;br /&gt;
|CPU = [[MOS 6502|MOS 65C02]]&lt;br /&gt;
|GPU = [[HuC62]]&lt;br /&gt;
|メディア = [[HuCARD]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[アーケードカード]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[CD-ROM&amp;amp;sup2;]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;]]&lt;br /&gt;
|ストレージ = [[バッテリーバックアップ]]&lt;br /&gt;
|コントローラ = ケーブル&lt;br /&gt;
|外部接続端子 = &lt;br /&gt;
|オンラインサービス = [[#通信装置|通信Booster]]&lt;br /&gt;
|売上台数 = &lt;br /&gt;
|最高売上ソフト = [[PC原人]]&amp;lt;br /&amp;gt;（HuCARD）&amp;lt;br /&amp;gt;[[天外魔境II]]&amp;lt;br /&amp;gt;（SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;）&lt;br /&gt;
|互換ハード = &lt;br /&gt;
|前世代ハード = &lt;br /&gt;
|次世代ハード = [[PC-FX]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''PCエンジン'''（ピーシーエンジン、'''PC Engine'''）とは、[[1987年]][[10月30日]]に[[日本電気ホームエレクトロニクス]]（NECホームエレクトロニクス）から発売されたHE-SYSTEM規格に基づく[[コンシューマーゲーム|コンシューマ]]用[[ゲーム機|ビデオゲーム機]]である。当時の[[メーカー]][[希望小売価格]]は24,800円。広義ではHE-SYSTEM対応マシンの総称、狭義では初代機、通称「白エンジン」を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[北米]]市場では'''[[w:TurboGrafx-16|TurboGrafx-16]]'''（ターボグラフィックス16）の商品名で発売された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、PCエンジンという商標名は[[ハドソン]]及び[[BIGLOBE|NECビックローブ]]の[[登録商標]]となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
=== ハードウェア ===&lt;br /&gt;
当時市場で圧倒的シェアを得ていた[[任天堂]]の[[ファミリーコンピュータ]]の[[次世代機]]を狙い登場した[[ゲーム機]]のひとつ。&amp;lt;s&amp;gt;同時期において、任天堂に対抗できた数少ない成功したと言う妄想は置いといて&amp;lt;/s&amp;gt;ミリオンヒットをすべて[[スーパーファミコン]]に取られたヲタク専用の[[ゲーム機]]の一つである。[[ハードウェア]]は、実質ハドソンが開発したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[CPU]]は[[6502]]カスタムを使用し、強力な[[グラフィック]]、[[スプライト]]機能を持った「[[HuC62]]」[[チップセット]]を採用している。CPUは8ビットだが、グラフィック周りなど一部の処理は実際に16ビットである。メモリは[[Dynamic Random Access Memory|DRAM]]ではなく、[[CPU]]の[[キャッシュメモリ]]などに使用される高速で非常に高価な[[Static Random Access Memory|SRAM]]が搭載されていた。8ビット機ながら高速な[[プロセッサ]]、高速メモリアクセスなど洗練された設計思想により、後発の16ビット機と比べても遜色のない高速処理を実現している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[シューティングゲーム]]や[[アクションゲーム]]などの二次元処理のゲームではバックグラウンド枚数の制約上苦手であった二重スクロール等の表現を、[[ラスタースクロール]]+スプライトや[[Direct Memory Access|DMA]]によるキャラクタ書き換え等のプログラムの工夫により、擬似的ながらも見事再現していたゲームもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
NECホームエレクトロニクスは、元々[[ハードウェア]]製造メーカーであるため、同業他社である任天堂や[[セガ]]のようにハード・ソフト両方を自社開発することができない。この為、初期ソフトのラインナップを充実させるため、ハドソンがその役目を果たした。初代[[プレイステーション]]も似たようなシチュエーションではあったが、[[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]は同[[グループ]]系列にある音楽・映画部門の[[手続き的知識|ノウハウ]]を生かし、割と早期に問題を解決する。一方のNECホームエレクトロニクスにはそのようなグループが無かった為、PCエンジン発売の同年に[[ゲームソフト]]開発・音楽ソフト開発会社である[[NECアベニュー]]を設立させた。自社グループによるソフト開発・発売はハード発売から約1年の時間を要した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ソフトウェア === &lt;br /&gt;
[[ソフトウェア]]は、当初「[[HuCARD]]」（ヒューカード）と呼ばれる[[ICカード]]型の[[ロムカセット|ROM]]で提供されていたが、その後[[CD-ROM]]（[[CD-ROM&amp;amp;sup2;]]システム）に提供媒体が移行していった。なお、PCエンジンCD-ROM&amp;amp;sup2;システムは、[[パーソナルコンピュータ]]も含めた[[世界]]で初めてとなるCD-ROMを[[メディア (媒体)|媒体]]として採用した[[コンシューマーゲーム|家庭用ゲーム機]]であり[[コンピュータ]]でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[セーブ (コンピュータ)|セーブデータ]]の[[バックアップ]]方法として外部記憶ユニットを採用し、拡張端子で接続できるようにすることで、ファミコンなどで広く採用されていた[[ロムカセット|カートリッジ]]内蔵式の[[バッテリーバックアップ]]と比べて大きな容量を確保することを可能にし、また複数タイトルのデータを1台のユニットで管理出来るようにしている。ただし、最初期は外部記憶ユニットが発売されなかったため、[[コンピュータRPG|RPG]]を中心に[[パスワード (コンピュータゲーム)|パスワード]]式を採用したタイトルも存在した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 仕様 ==&lt;br /&gt;
* CPU+[[音源]]：[[MOS 6502|6502]]カスタムの「[[HuC62|HuC6280]]」&lt;br /&gt;
** [[クロック]]：1.79[[メガヘルツ|MHz]]/7.16MHz （ソフトウェアで選択可能）&lt;br /&gt;
** [[音源]]：[[波形メモリ音源|波形メモリ]]6音～波形メモリ4音+ノイズ2音&lt;br /&gt;
**: さらにCD-ROM&amp;amp;sup2;のインターフェースユニットを増設すると[[ADPCM]]も追加されるが、本体のみでもCPUパワーを活かし、ソフトウェア処理でサンプリングを実現していたゲームも多い。その場合はもちろん波形メモリの発音数が減る（波形メモリ4音+ノイズ1音+サンプリング1音、など）。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--:::*波形メモリ音源に関する考察&lt;br /&gt;
::::音の特徴は[[ADSR]]のアタックとディケイの部分に集中しているが、波形メモリ音源は明らかにPCM音源を志向しての設計が行われている。波形メモリ音源の各トラックに割り当てられたメモリの量はPCM音源として使用するには余りにも非力であり正直現実的な設計であったとは言いがたい。[[ファミリーコンピューター]]の専用PSGは更に厳しい制約下にありながら割り切った設計を行うことで驚くほど幅の広い音色でプレイヤーを楽しませ、[[スーパーファミコン]]のPCM音源の設計にも問題点は多いが、それでもPCM音源としてはぎりぎりの一線を守っていたこととは対照的である。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
* VDC：[[HuC62|HuC6270]]&lt;br /&gt;
* VCE：[[HuC62|HuC6260]]&lt;br /&gt;
* メイン[[Random Access Memory|RAM]]：8KB&lt;br /&gt;
* [[VRAM]]：64KB&lt;br /&gt;
** 表示[[ピクセル|画素]]数：336 x 224 （最大512 x 224）&amp;lt;!--&amp;lt;ref&amp;gt;シャーロックホームズなど。&amp;lt;/ref&amp;gt;--&amp;gt;　内部は縦240&lt;br /&gt;
**: 横方向の画素数は3種類（256,336,512）から自在に選択して切り替えることができた。このおかげでシューティングゲームでは[[アーケード]]の雰囲気に似せた「縦画面モード」をオプションや裏技で選択できたゲームも多い。&lt;br /&gt;
**:なお、最大画素数の512 x 224はHuCARD専用機種本体内蔵[[VRAM]]のみでは表示できない。後述のCD-ROM&amp;amp;sup2;ではインターフェース部に、SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;ではSUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;側の筐体内に搭載されている追加VRAMを必要とする。それ以外の機種ではこの画素数を表示する上で必要な追加VRAMは標準で搭載されている。&lt;br /&gt;
* 同時発色数：最大512色（BG：8×8ドット内256色中16色　スプライト16×16ドット内256色中16色）&lt;br /&gt;
* [[スプライト]]：最大64個（1つのスプライトの最大は32x64）&lt;br /&gt;
* [[バックグラウンド]]：1面&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
*北米の市場に販売された際にはTurboGrafx-16（HES-TGX-01 1989年9月発売）と命名された。日本国内版のCD-ROM&amp;amp;sup2;にあたる[[w:TurboGrafx-CD#TurboGrafx-CD|TurboGrafx-CD]]（HES-CDR-01 TurboGrafx-16と同時発売）やPCエンジンGTと同機能の[[w:TurboExpress|TurboExpress]]（HES-EXP-01 1990年11月発売）、PCエンジンDuoと同機能の[[w:TurboDuo|TurboDuo]]（HES-DUO-01 1992年10月発売）なども発売された。なお、HuCARDのピン配列が日本国内版のPCエンジンより変更されており、HuCARD供給のソフトの互換性はないが、このピン配列の差異を吸収するスロットとコネクタを介すれば動作した。しかし後にコントローラー向けなどに使用されていた入出力ポートの仕様を変更し、一部を[[リージョンコード|リージョン]][[コピーガード|プロテクト]]用として転用することで対抗した。&amp;lt;ref&amp;gt;具体的には予約済み未使用ポートを国内向け本体では未接続に、海外向けではGNDに接続し、ソフトウェア側でその部分をソフトウェアの起動時にチェックして意図した仕様の本体以外ではゲームソフト本体を起動しないという方法。ちなみにこの予約済み未使用ポートは、後に発売する予定であったパワーコンソールにて使用する予定であったとのことである。&amp;lt;/ref&amp;gt;但し、CD-ROMメディアのソフトに関しては技術的問題から上記の手段によるリージョンプロテクトの実装が不可能の為、日本国内向け本体、海外向け本体で相互に使用可能である。この詳しくはTurboGrafx-16の&amp;quot;[[w:TurboGrafx-16#Region_protection|Region protection]]&amp;quot;の章を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*上記TurboGrafx-'''16'''は、当時のライバル機種であった[[メガドライブ]]および[[スーパーファミコン]]が搭載していた16ビットCPUの話題性に対抗するためにこの様なネーミングとなった。また、PCエンジンは画像処理周りなど一部の処理が16ビットで行っていたためでもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[HuC62]]の名前の由来は[[ハドソン]]社長の趣味の[[蒸気機関車]]、通称シロクニと呼ばれた&amp;quot;[[国鉄C62形蒸気機関車|C62]]&amp;quot;による。命名の理由はハドソンの項目参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*発売当時もっとも普及していた家庭用[[ゲーム機]]である[[ファミリーコンピュータ]]を大きく上回る性能を持っていたため、性能的にファミリーコンピュータへの移植が難しかった多くの[[アーケードゲーム]]が発売された。また、当初は[[コア構想]]という独自の拡張思想を持ち、その名が表すように[[パーソナルコンピュータ|PC]]のような役割を持たせようとしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ゲームデータの外部メモリへの保存や、複数の別売のコントローラを接続し、最大5人までの同時プレイを可能としたマルチタップを初めて導入するなど、今日のゲーム機では当たり前となっている機構を世界で初めて採用していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1994年]]、後継機である32ビットゲーム機・[[PC-FX]]が登場したが、PCエンジンとの互換性はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*1996年創刊の雑誌『ユーズド・ゲームズ』（現・『[[GAME SIDE]]』）では、PCエンジンの熱狂的な[[ユーザ]]のことを「PCエンジニア」と呼んでいた。この言葉は同誌2号の[[メガドライブ]]特集記事で誕生したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[PC-8801|PC-88VA]]の[[オペレーティングシステム|OS]]を「PC-Engine」と呼ぶが、PCエンジンとの関係はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== バーチャルコンソールによるプレイ ==&lt;br /&gt;
通常の[[パーソナルコンピュータ]]用[[ゲームエミュレータ]]の他にも、ゲーム機上で動作するエミュレータがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]、[[任天堂]]との提携により[[Wii]]の[[バーチャルコンソール]]向けにPCエンジン用ソフトを供給開始。ハドソンが過去のPCエンジンの[[サードパーティー]]にも声を掛け、以下の会社のゲームソフトも配信されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* T.S.S. （版権を所有する[[ナツメ (ゲーム会社)|NATSUME]]より提供）&lt;br /&gt;
* アイレム （現・[[アピエス]]。ただしゲーム事業はアピエスから譲渡を受けた別会社[[アイレムソフトウェアエンジニアリング]]が行っており、バーチャルコソール配信も同社より提供されている模様）&amp;lt;!--アイレムソフトウェアエンジニアリング公式サイトの製品情報にVC配信タイトルとして掲載されているので--&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[アートディンク]]&lt;br /&gt;
* コナミ （現・[[コナミデジタルエンタテインメント]]）&lt;br /&gt;
* [[サン電子|サン電子（サンソフト）]]&lt;br /&gt;
* [[タイトー]]&lt;br /&gt;
* [[データイースト]] （現存しない会社だが、版権を引き継いだ[[ジー・モード|Gモード]]より提供）&lt;br /&gt;
* ナグザット （現・[[加賀クリエイト]]）&lt;br /&gt;
* ナムコ （現・[[バンダイナムコゲームス]]）&lt;br /&gt;
* [[日本コンピュータシステム|日本コンピュータシステム（メサイヤ）]] （版権の移転先である[[クロスノーツ]]と代理店契約を締結している[[エクストリーム (ソフトメーカー)|エクストリーム]]より提供。ただしバーチャルコンソールにおいてはハドソン名義となっており、エクストリームからハドソンに委託して配信しているものと思われる）&amp;lt;!--エクストリーム公式サイト内にVC配信タイトルとして掲載されている--&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[日本ファルコム]]&lt;br /&gt;
* [[パック・イン・ビデオ]] （吸収合併先である[[マーベラスエンターテイメント]]より提供）&lt;br /&gt;
* [[ヒューマン (ゲーム会社)|ヒューマン]]　（現存しない会社だが、[[版権]]を引き継いだ[[スパイク (ゲーム会社)|スパイク]]より提供）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 本体（発売順） ==&lt;br /&gt;
; PCエンジン (PI-TG001) 1987年10月発売 メーカー希望小売価格 24,800円&lt;br /&gt;
: 通称白エンジン&lt;br /&gt;
; [[PC-KD863G]] メーカー希望小売価格 138,000円&lt;br /&gt;
: HE-SYSTEMを[[ブラウン管|CRT]][[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]に内蔵させたもの。&lt;br /&gt;
; [[X1#X1シリーズの系譜|X1 twin]] (CZ-830C 発売元は[[シャープ]]) メーカー希望小売価格 99,800円&lt;br /&gt;
: HE-SYSTEMをシャープが開発していた[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]、[[X1]]に内蔵させたもの。&lt;br /&gt;
; [[PCエンジンシャトル]] (PI-TG5) 1989年11月発売 メーカー希望小売価格 18,800円&lt;br /&gt;
: 拡張バス等一部機構を省く事により低価格化がはかられたもの。低年齢層を狙い宇宙船を模したデザインである。テレビとの接続方式はAV出力とされた。&lt;br /&gt;
; [[PCエンジンコアグラフィックス]] (PI-TG3) 1989年12月発売 メーカー希望小売価格 24,800円&lt;br /&gt;
: 初代からのマイナーチェンジ版。デザインが一部改良され、カラーリングを暗灰色に変更しただけでなく、テレビとの接続方式を従来の[[RF出力]]からAV出力に変更、付属コントローラに自動連射機構が内蔵された。&lt;br /&gt;
; [[PCエンジンスーパーグラフィックス]] (PI-TG4) 1989年12月発売 メーカー希望小売価格 39,800円&lt;br /&gt;
: グラフィックチップを2つ搭載して、表示能力を2倍にした上位機種。専用ソフトはほとんど発売されず、ほどなく市場から姿を消した。&lt;br /&gt;
; [[PCエンジンGT]] (PI-TG6) 1990年12月発売 メーカー希望小売価格 44,800円&lt;br /&gt;
: [[ゲームボーイ]]似のポータブル機。ゲームボーイとは異なり、PCエンジン用のソフトをそのままプレイ出来る。COMケーブル（PI-AN4 1990年12月発売 メーカー希望小売価格 1,800円）と呼ばれる通信ケーブルをPCエンジンGT同志接続することでの対戦機能も準備されていたが、対応ソフトは少なかった。専用テレビチューナー（PI-AD11 1990年12月発売 メーカー希望小売価格14,800円）を接続することでテレビの視聴が可能。なお、PCエンジンGTは世界で初めて[[コンシューマーゲーム|据え置き型ゲーム機]]との[[互換性]]が図られた[[携帯型ゲーム|携帯型ゲーム機]]でもある。&lt;br /&gt;
; [[PCエンジンコアグラフィックス|PCエンジンコアグラフィックスII]] (PI-TG7) 1991年6月発売 メーカー希望小売価格 19,800円&lt;br /&gt;
: コアグラフィックスからのマイナーチェンジ版であり、デザイン・カラーリングが再度変更された。基本的な仕様は全く同じである。低価格化され、これによりシャトルは消滅。二本立てのラインナップは再度一本化された。&lt;br /&gt;
; [[PCエンジンDuo]] (PI-TG8) 1991年9月発売 メーカー希望小売価格 59,800円&lt;br /&gt;
: SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;との一体型。シャトル以外の機種に搭載されていた拡張バスが廃止され、これによりコア構想は終焉を迎えた。通産省選定グッドデザイン商品。第7回デザイン・オブ・ザ・イヤー受賞。&lt;br /&gt;
; [[PCエンジンLT]] (PI-TG9) 1991年12月発売 メーカー希望小売価格 99,800円&lt;br /&gt;
: 従来のPCエンジンと同様の筐体に、開閉式の液晶モニター、スピーカー、TVチューナー、コントローラー等を内蔵し、なおかつ従来機同等の拡張性を持たせた、当時としては極めて特異な設計であった。しかしその仕様からも推測出来る通り、非常に高価な機種となった。&lt;br /&gt;
; [[PCエンジンDuo|PCエンジンDuo-R]] (PI-TG10) 1993年3月発売 メーカー希望小売価格 39,800円&lt;br /&gt;
: PCエンジンDuoよりヘッドホン端子やバッテリー端子等を省いて低価格化したもの。基本的な仕様は変わっていない。同梱コントローラーが本体にあわせ白色に、また連射機能が加えられている。&lt;br /&gt;
; [[レーザーアクティブ]] (PCE-LD1) メーカー希望小売価格 89,800円&lt;br /&gt;
::パイオニア製レーザーアクティブのOEM。&lt;br /&gt;
:;PC Engine Pack (PCE-LP1) メーカー希望小売価格 39,800円&lt;br /&gt;
::PCE-LD1のオプション。この機器をPCE-LD1に搭載することでHuCARD、CD-ROM&amp;amp;sup2;、SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;、アーケードカード専用CD-ROM&amp;amp;sup2;、LD-ROM&amp;amp;sup2;メディアのソフトがプレイ可能（CD-ROMメディアソフトの一部はプレイ不可）。専用カラーリングの連射機能付きコントロールパッド同梱。&lt;br /&gt;
; [[PCエンジンDuo|PCエンジンDuo-RX]] (PCE-DUORX) メーカー希望小売価格 29,800円&lt;br /&gt;
: Duo-Rのマイナーチェンジ版。さらなる低価格化の上、本体のカラーリングの一部変更と同梱コントロールパッドを6ボタン仕様に変更したもの。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 各種ソフトを遊ぶために必要な環境 ==&lt;br /&gt;
[[画像:PC Engine CD-ROM2 Interface Unit.jpg|thumb|200px|標準クラスのプレイ環境の一例:&amp;lt;br /&amp;gt;コアマシン + CD-ROM&amp;amp;sup2; + 各種システムカード]] &lt;br /&gt;
[[画像:PCEngine FirstModel with SuperCDRom2.jpg|thumb|200px|標準クラスのプレイ環境の一例:&amp;lt;br /&amp;gt;初代機 + SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;]] &lt;br /&gt;
[[画像:PCEngine SuperGrafx with SuperCDRom2.jpg|thumb|200px|スーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;。アーケードカードがあればLD-ROM&amp;amp;sup2;以外の全ソフトのプレイが可能]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一般に多く流通したソフトを遊ぶにはSUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;が可動する環境があれば良いが、本体、周辺機器共に多くのバリエーションが存在するため、システムの組み合わせパターンは膨大になり注意が必要である。分類すると下記のようになる。なお、下記において初代機、[[PCエンジンコアグラフィックス]]、[[PCエンジンコアグラフィックスII]]を合わせ「コアマシン」と称する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* '''発売されたソフトの規格'''&lt;br /&gt;
** 動作可能な本体、ハード、システムの組み合わせ&lt;br /&gt;
* [[HuCARD]]&lt;br /&gt;
** 全PCエンジンハード&lt;br /&gt;
* HuCARD（[[PCエンジンスーパーグラフィックス]]専用）&lt;br /&gt;
** PCエンジンスーパーグラフィックスのみ&lt;br /&gt;
* [[CD-ROM&amp;amp;sup2;]]&lt;br /&gt;
** コアマシン + CD-ROM&amp;amp;sup2; + 各種システムカード&lt;br /&gt;
** コアマシン + SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;&lt;br /&gt;
** PCエンジンスーパーグラフィックス + ROM&amp;amp;sup2; Adapter + CD-ROM&amp;amp;sup2; + 各種システムカード&lt;br /&gt;
** PCエンジンスーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;&lt;br /&gt;
** [[PCエンジンLT]] + SUPER ROM&amp;amp;sup2; ADAPTER + SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;&lt;br /&gt;
** [[PCエンジンDuo]]系列機（R・RXを含む。以下同様）&lt;br /&gt;
* [[SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;]]&lt;br /&gt;
** コアマシン + CD-ROM&amp;amp;sup2; + システムカードVer.3.00（SUPER SYSTEM CARD） or [[アーケードカード]]PRO&lt;br /&gt;
** コアマシン + SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;&lt;br /&gt;
** PCエンジンスーパーグラフィックス + ROM&amp;amp;sup2; Adapter + CD-ROM&amp;amp;sup2; + システムカードVer.3.00（SUPER SYSTEM CARD）or アーケードカードPRO&lt;br /&gt;
** PCエンジンスーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;&lt;br /&gt;
** PCエンジンLT + SUPER ROM&amp;amp;sup2; ADAPTER + SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;&lt;br /&gt;
** PCエンジンDuo系列機&lt;br /&gt;
* [[アーケードカード]]専用CD-ROM&lt;br /&gt;
** コアマシン + CD-ROM&amp;amp;sup2; + アーケードカードPRO&lt;br /&gt;
** コアマシン + SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2; + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO&lt;br /&gt;
** 以下も含め、SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;上（Duo系列機含む）でのアーケードカードPROの使用は公式にはサポート外&lt;br /&gt;
** PCエンジンスーパーグラフィックス + ROM&amp;amp;sup2; Adapter + CD-ROM&amp;amp;sup2; + アーケードカードPRO&lt;br /&gt;
** PCエンジンスーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2; + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO&lt;br /&gt;
** PCエンジンLT + SUPER ROM² ADAPTER + SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2; + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO&lt;br /&gt;
** PCエンジンDuo系列機 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 周辺機器 ==&lt;br /&gt;
コア構想を標榜して販売されたPCエンジンは、逆に言えば単体ではゲームを遊ぶための最小限の機能しかなかった。それゆえ、[[純正]]の周辺機器は非常に多岐に渡って発売されたが、その多くはゲームと無関係で需要が少なく、価格が非常に高い企画先行の商品が多かった。ゲームに関係のあるものでも[[サードパーティー]]製のもののほうが安く流通量が多いため買いやすいという状況が目立った。また、本体の種類が多く、仕様も頻繁に変更されるので、その度に変換アダプターや仕様変更などで対応するという、泥縄的な展開が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== CD-ROM ===&lt;br /&gt;
; [[CD-ROM&amp;amp;sup2;]]システム (CDR-30) 1988年12月発売 メーカー希望小売価格 57,300円&lt;br /&gt;
: PCエンジンを代表する周辺機器。PCエンジン中期以降のソフトは、そのほとんどがHuCARDではなくCD-ROMでの供給となった。CD部は単体で[[CDプレーヤー]]としても使用可能であり、発売当時、まだCDが普及途上の規格だったため、CDプレーヤーとして利用する人も多かった。CDプレーヤーが当時施行されていた[[物品税]]の課税対象だったためCDプレーヤー部と本体を接続するインターフェースユニット IFU-30が（形式上）別に販売されていた。もちろん両方ないとCD-ROM&amp;amp;sup2;としては機能しない。本体を合わせて購入する場合、定価で10万円近くになるという非常に高価な物であった。システムカードはインターフェイスユニットに付属している。SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;対応ソフトをプレイするためにはスーパーシステムカードが別途必要になったが、システム自体の買い換えを伴わず、比較的少ない出費で済んだためにユーザの批判は少なかった。コアシステム対応の本体は全て接続可能だが、スーパーグラフィックスはROM&amp;amp;sup2;アダプター RAU・30が必要。&lt;br /&gt;
:*商品構成は、初期型はCDR-30（CD-ROMプレイヤー）+IFU-30（インターフェースユニット システムカード ver1.0同梱）。中期型はCD-R30（CD-ROMプレイヤー、インターフェースユニット、システムカード ver2.0[CD-G再生機能付]）、後期型はCD-R30A（CD-ROMプレイヤー、インターフェースユニット、システムカード ver2.1[CD-G再生機能、CDオートディスクチェンジ機能付]）。CD-ROMプレイヤーとインターフェースユニットが同梱して発売された際にCD-ROMプレイヤーは型番を削除された。なお型番の最後に&amp;quot;A&amp;quot;が付けられた物はCDアクセスエラー対策として内部基板などへのアース処理が強化されている。&lt;br /&gt;
:*CD-ROM&amp;amp;sup2;ソフト、SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;ソフト、アーケードカード必須CD-ROM&amp;amp;sup2;ソフトのトラック1には全てCD-DA（音楽CDの形式。音楽再生用CDプレイヤーで聴くことが出来る。）で&amp;quot;このCDはHEシステム専用のCD-ROMです。音楽再生用CDプレイヤーでは絶対に再生しないでください。&amp;quot;という警告メッセージが記録されている。メーカーのNECホームエレクトロニクスが準備したと思われる女性の声&amp;lt;ref&amp;gt;この声の主が誰かはNECホームエレクトロニクスにも記録がなく、全く分からないらしい。&amp;lt;/ref&amp;gt;による標準メッセージが多く使われたが、ソフトごとにCDドラマ形式などで特別に録音されたものが記録されていることも多かった。なおこの&amp;quot;1トラック目の音楽CD形式での再生継続禁止メッセージ&amp;quot;は後のCD-ROM（及びそれに準ずる物）をメディアとして使用するゲームソフトには機種を問わず必ず収録されるようになった。&lt;br /&gt;
; [[SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;]]システム (PI-CD1) 1991年12月発売 メーカー希望小売価格 47,800円&lt;br /&gt;
: コアグラフィックスII等と同時期に発売された上位規格のCD-ROM&amp;amp;sup2;システム。旧CD-ROM&amp;amp;sup2;システムにおいてシステムカードとインターフェイスユニットに当たる機構が内蔵されており、上位機種で有りながら定価は大きく下がった。発売当時、既にPCエンジンのソフトの主流はCD-ROMに移行していたため、旧CD-ROM&amp;amp;sup2;システムがそれなりに普及済みで有った事、さらに新規PCエンジンユーザ向けには既にPCエンジンDuoが発売された後だった事も有り、この機器自体はセールス的にはヒットには至らなかった。本体の色調はコアグラフィックスIIに合わせたもの。コアシステム対応の本体は全て接続可能だが、LTはSUPER ROM&amp;amp;sup2;ADAPTER (PI-AD18) が必要。&lt;br /&gt;
; システムカード&lt;br /&gt;
: 初代CD-ROM&amp;amp;sup2;付属のもの。発売時期によりバージョン違いがある。&amp;lt;ref&amp;gt;最初のバージョンの&amp;quot;ver 1.0&amp;quot;にはシステムカードのタイトル画面でI+II+右上+SELECTで入ることの出来る、バックアップメモリを直接編集できる機能がある。ただしバイナリエディタを使用した経験がないと有効利用は無理。&amp;quot;ver 2.0&amp;quot;にはエディタによるデバッグ機能は削除。その代わり[[CD-G]]機能が追加されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*完全上位互換であるPCエンジンDuoやSUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;には通常ゲームを遊ぶ分には意味のないものだが&amp;lt;ref&amp;gt;建前上はそうであるが、CD-ROM&amp;amp;sup2;向けに発売された初期のソフトでは&amp;quot;ver 1.0&amp;quot;でないと正常動作しない物がある。具体的には獣王記とラストハルマゲドンの2本。&amp;lt;/ref&amp;gt;、HuCARDスロットにセットしたシステムカードはシステム内蔵の物より優先されて認識されるため、この方法により旧CD-ROM&amp;amp;sup2;にてSUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;専用ソフトを起動させた際の警告画面をPCエンジンDuo以降の本体を使用して見ることができる。しかし起動されたシステムカードを全くチェックせず、当然正常動作しないソフトもある&amp;lt;ref&amp;gt;卒業II Neo Generationなど&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;システムカード ver 2.1 メーカー希望小売価格 4,800円&lt;br /&gt;
: スーパーシステムカード以降の物を除けば唯一別売りされたシステムカード。機能的にはver 2.0と同等。&lt;br /&gt;
; スーパーシステムカード (PI-SC1) 1991年10月発売 メーカー希望小売価格 9,800円&lt;br /&gt;
: 旧CD-ROM&amp;amp;sup2;システムにPCエンジンDuoやSUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;システムと同等の能力を持たせることができ、SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;システム対応のソフトを遊ぶためには必須となる。従来のシステムカードをこれに交換することで使用する。余談だがこのシステムカード以降（及び同等品）にて内蔵フォントが微妙に変更されている。&amp;lt;!--日本語BIOS-ROM内蔵。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
; [[アーケードカード]]&lt;br /&gt;
: 晩年、最後の大きなバージョンアップとして登場した規格であり、SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;内蔵のSRAM 2MbitにDRAM 16Mbitをプラスした計18Mbitに大容量化したもの。導入する機種のシステムカード機能内蔵の有無に対応するため、2種類のカードが用意された（機能自体はどちらも同じ）。&lt;br /&gt;
:; アーケードカードDUO (PCE-AC1) メーカー希望小売価格 12,800円&lt;br /&gt;
:: PCエンジンDuo系の機種やSUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;用のアーケードカード。カードには増設RAM(16MBit)のみ搭載されている。&lt;br /&gt;
:; アーケードカードPRO (PCE-AC2) メーカー希望小売価格 17,800円&lt;br /&gt;
:: 旧CD-ROM&amp;amp;sup2;専用のアーケードカードで、2Mbit容量を持つスーパーシステムカード機能も内蔵されている。よって、アーケードカードDuoと同様の18Mbitとなる。サポート外だがPCエンジンDuo系の機種やSUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;システムでも使用可能。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--アーケードカードのページに詳細を記述したため、こちらは概略のみに簡略化しました--&amp;gt;&lt;br /&gt;
; HACKER CD CARD&lt;br /&gt;
: [[ハッカーインターナショナル|GAME EXPRESS]]社製ゲーム専用システムカード、同社はNECホームエレクトロニクスとの正式ライセンスを結んでおらず、CD-ROM&amp;amp;sup2;を（法的に）利用できない為、その解消方法として開発された。カード自体はアーケードカードDUO扱いで、旧CD-ROM&amp;amp;sup2;では動作せず、SUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;/Duo専用。緑と青の色違いの二種類があるが、性能は同格である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== セーブシステム ===&lt;br /&gt;
; バックアップブースター (PI-AD7) 1989年11月発売 メーカー希望小売価格 7,800円&lt;br /&gt;
: 外部記憶ユニット。PCエンジンのソフトは[[ロムカセット]]ではなくカード形態だったため、電池などを搭載するバッテリーバックアップが困難で、それを補うために出たアイテム。容量は2KBで単3電池を使用し、電池が切れたらデータも消失してしまう。本体通電中であればデータを消さずに電池交換可能。AVブースターとしての機能を併せ持っている。&lt;br /&gt;
; バックアップブースターII (PI-AD8) 1989年12月発売 メーカー希望小売価格 5,800円&lt;br /&gt;
: バックアップ用電源がキャパシタ（[[コンデンサ]]）に変更され、通電により充電されるようになった。また、AVブースター機能を削除し、価格も下げられた。&lt;br /&gt;
; シャトル専用バックアップユニット (PI-AD9) 1989年11月発売 メーカー希望小売価格 5,800円&lt;br /&gt;
: シャトルは拡張バスが削除されたことから通常のバックアップブースターが使用出来なかったため、専用端子を使うユニットが発売された。&lt;br /&gt;
; 天の声2 (HC66-6) &lt;br /&gt;
: [[ハドソン]]が発売した外部記憶ユニット。純正品であるバックアップブースターからAVブースターの機能を省いた廉価品。初代本体においてはAVブースターと同じ後部端子に接続するため、同時使用が不可能という弱点があった。値段の安さ、流通量の多さから、バックアップブースターよりもこちらを使用していた人が多い。名前は、ハドソンの[[コンピュータRPG|RPG]]『[[桃太郎伝説]]』の[[パスワード (コンピュータゲーム)|パスワード]]が「天の声」という名称だったことに由来する。&lt;br /&gt;
; 天の声BANK (HC692) メーカー希望小売価格 3,880円&lt;br /&gt;
: HuCARD型の外部記憶ユニット。天の声2や、CD-ROM&amp;amp;sup2;本体のセーブデータを4台分バックアップすることができる（[[バンク切り換え]]式でゲームタイトルごとの管理はできない）。[[リチウム電池]]内蔵。電池はユーザでは交換不可能なため電池の寿命が尽きるとデータが消えてしまうのだが、非常に長持ちであり、PCエンジンのハード・ソフトが商品寿命を終えるころまではその役割を果たしたと思われる。なお、隠し要素としてハドソンの人気ゲームのデータが初めから記録されていた。&lt;br /&gt;
; メモリーベース128 (PI-AD19) 1993年3月発売 メーカー希望小売価格 5,980円&lt;br /&gt;
: 後期、ゲームの複雑化によるセーブ容量の増大に対応するべく登場した外部記憶ユニット。パッド端子に接続して使用する。容量は128KBとそれまでと比べると非常に大容量。ただし、対応ソフト以外に使用することはできない。&amp;lt;ref&amp;gt;エメラルドドラゴン、リンダキューブ、プライベートアイドル、ぽっぷるメイルの4本には本体のバックアップメモリとの間でセーブデータをコピーするなどの操作が出来る管理ツールが組み込まれている。エメラルドドラゴンとリンダキューブは共通のツールなのでデータの互換性があるが、プライベートアイドル、ぽっぷるメイルは両者との互換性はない。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
; セーブくん (KH-1001) メーカー希望小売価格 5,980円&lt;br /&gt;
: 光栄（現・[[コーエー]]）が発売したバックアップユニット。価格・性能ともにメモリーベース128と同等であり、主に『[[信長の野望・武将風雲録]]』に同梱発売された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 映像/音声出力 ===&lt;br /&gt;
; AVケーブル (PI-AN2)&lt;br /&gt;
: 初代本体以外で使用可能なステレオAVケーブル。部品の調達・[http://dempa.jp/rgb/graveyard/pceav.html 自作]は割と容易で、近年では社外製の互換品もみられる。&lt;br /&gt;
; AVブースター (PI-AD2)&lt;br /&gt;
: 初代本体でビデオ端子出力するための機器。専用のDIN5ピンコネクタで本体と接続するコアグラフィックスと違い、汎用のAVケーブルをダイレクトに挿すことができる。本体の後部拡張スロットに接続するため、天の声2などの機器とは排他仕様となる。&lt;br /&gt;
; RFユニット (PI-AN3)&lt;br /&gt;
: AVブースターとは逆に、RF出力がオプションとなったコアグラフィックス以降のマシンをRF出力するための機器。&lt;br /&gt;
; バーチャルクッション (PI-AD20) 1992年12月発売 メーカー希望小売価格 14,800円&lt;br /&gt;
: エアークッションに[[サブウーファー]]を内蔵し、それに音声が出力されるとクッション内の空気が振動する機器。アンプ・エアークッション本体・カバーに別れている。AVブースター等が付いたPCエンジンと直接接続するのは困難で、TV側の外部出力端子から接続されるのが一般的。発想は先進的だが、本体価格が高く、長期間使用するとエアークッションの空気が漏れる、接触不良で音声や振動が出ない等の影響か普及には至らなかった。&lt;br /&gt;
; PCエンジンコネクターケーブル (CA-54)&lt;br /&gt;
: NEC製テレビ専用の接続ケーブル。一部のNECのTVに「PCエンジン端子」があり、ケーブル一本で映像/音声の入力・電源供給が可能。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== コントローラ拡張 ===&lt;br /&gt;
[[画像:PC Engine Controller.png|thumb|180px|PCエンジン用コントローラ&amp;lt;br /&amp;gt;(PI-PD001)]] &lt;br /&gt;
; マルチタップ (PI-PD003)&lt;br /&gt;
: パッドを5つまで接続できる純正機器。本体のみではパッドを1つしか接続できなかった弱点が、逆にマルチタップの普及を広げ、ファミコンにはなかった数々の多人数同時プレイソフトを登場させることとなった。2人用や4人用のサードパーティ製のものもあった。&lt;br /&gt;
; ジョイタップ3 (HC63-8)&lt;br /&gt;
: 純正品。マルチタップの廉価版で、3つまでしかパッドを接続できない。&lt;br /&gt;
; コードレスマルチタップセット (PI-PD11) 1992年12月発売 メーカー希望小売価格 9,980円&lt;br /&gt;
: 純正品。パット信号を[[赤外線]]で伝達することでコントローラのコードレス化を実現。コードレスマルチタップはPCエンジン本体のパッド端子に接続する。コードレスパットを5本揃えれば5人同時プレイ可能である。受信可能距離は約3m迄。&lt;br /&gt;
; コードレスパッド (PI-PD12)&lt;br /&gt;
: コードレスマルチタップ用のコントローラ。&lt;br /&gt;
; PCエンジンマウス (PI-PD10) 1992年11月発売 メーカー希望小売価格 4,980円&lt;br /&gt;
: 後期、PCから移植等の一部ゲームに対応。親指で押せるセレクトボタン・ランボタンも付いており、当時としては珍しい4ボタンマウスだった。&lt;br /&gt;
; テンキーコントロールパッド(KS-PD10)&lt;br /&gt;
: キッズステーション専用コントローラ。詳しくは脚注を参照&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.geocities.jp/takidsawa/ 幻のPCエンジン 幼児向け学習ゲームソフト]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
; パワーコンソール（未発売）&lt;br /&gt;
: スーパーグラフィクス専用の大型コントローラ。[[ジョイスティック]]や用途不明の電卓などさまざまな装備が施されている。なお、アナログスティック機能はない。大変高価な商品になる予定だったが実際には発売されなかった。&lt;br /&gt;
: [[コミックマーケット]]でNECがブース出展した際に、試作機をオークションに出したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他オプション ===&lt;br /&gt;
;ROM&amp;amp;sup2;アダプター (RAU-30) メーカー希望小売価格 6,900円&lt;br /&gt;
: PCエンジンスーパーグラフィックスをCD-ROM&amp;amp;sup2;と接続する際に使用するアダプタ。&lt;br /&gt;
;SUPER ROM&amp;amp;sup2;アダプター (PI-AD18) メーカー希望小売価格 5,900円&lt;br /&gt;
: PCエンジンLTをSUPER CD-ROM&amp;amp;sup2;と接続する際に使用するアダプタ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== グラフィック ===&lt;br /&gt;
; アーティストツール (PI-AS1) メーカー希望小売価格 5,800円&lt;br /&gt;
: グラフィックソフト。イラストブースターがなくてもパッドで描画可能、画像の保存機能は無し。&lt;br /&gt;
; プリントブースター (PI-AD3) 1989年9月発売 メーカー希望小売価格 24,800円&lt;br /&gt;
: 本体に接続できるプリンター。ペンを差し込んで使う[[プリンター#プロッター|ペンプロッター]]式。ごく初期に出た周辺機器で、高価な上性能もお粗末、実用性に乏しく、ほとんど売れなかった。&lt;br /&gt;
; イラストブースター　(PI-AD4) 1989年9月発売 メーカー希望小売価格 9,800円&lt;br /&gt;
: 専用[[ペンタブレット]]。透明なので下絵をなぞることができる。&lt;br /&gt;
; フォトリーダー (PI-AD5) 1989年9月発売 メーカー希望小売価格 5,000円&lt;br /&gt;
: ペン型単色[[イメージスキャナ]]。プリントブースターのリーダ端子に接続して使用する。取り込みにはとても時間がかかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 通信装置 ===&lt;br /&gt;
; 通信ブースター（未発売）&lt;br /&gt;
: 通信ツールというソフトと併用し、NECが運営していたテキストベースの[[パソコン通信]]「[[PC-VAN]]」に接続出来るというもの。[[BASIC]]の[[プログラミング (コンピュータ)|プログラミング]]なども可能になる予定であり、当然同時期に[[キーボード (コンピュータ)|キーボード]]が発売される予定も有った。モニタ試験も行っていたが、開発期間が長引き性能が陳腐化した等の理由で発売中止となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== カラオケ装置 ===&lt;br /&gt;
; カラオケシステム&lt;br /&gt;
: 初代CD-ROM&amp;amp;sup2;専用のシステム。カラオケソフトは別売り。&lt;br /&gt;
;: ROM&amp;amp;sup2;アンプ (AMP-30) 1989年10月発売 メーカー希望小売価格 24,800円&lt;br /&gt;
;: ROM&amp;amp;sup2;スピーカー (SPK-30) ROM&amp;amp;sup2;アンプ同梱&lt;br /&gt;
; マイク (MIC-30) メーカー希望小売価格 5,500円&lt;br /&gt;
:特にROM&amp;amp;sup2;アンプシステム専用ではない普通のカラオケ用マイク。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 追記 ==&lt;br /&gt;
*PCエンジン各機種、各外部機器に同梱された純正AVケーブルの純正[[RCA端子|RCAピンプラグ]]は非常にもろい構造をしており、[[RCA端子|RCAジャック]]との脱着を繰り返すうちに必ず内部断線を起こす欠陥があった。この点は何故か最後まで改善されることはなかった。&lt;br /&gt;
*初代PCエンジン、PCエンジンコアグラフィックス、PCエンジンスーパーグラフィックス、PCエンジンコアグラフィックスIIの背面にある専用拡張端子には[[RGB21ピン|RGB映像信号]]が出力されている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://dempa.jp/rgb/heaven/g_pce.html TOKYO RGB HOSPICE]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[電波新聞社]]よりこの端子からRGB信号を取り出すコネクターの発売が予定されていたが結局発売されなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== メディア展開 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 専門誌 ===&lt;br /&gt;
* [[月刊PCエンジン]]（[[小学館]]）&lt;br /&gt;
* [[マル勝PCエンジン]]（[[角川書店]]）&lt;br /&gt;
* 電撃PCエンジン（[[メディアワークス]]）- 『[[電撃G's magazine]]』として現存&lt;br /&gt;
* [[PC Engine FAN]]（[[徳間書店インターメディア]]）&lt;br /&gt;
* [[ファミ通|ファミコン通信]]増刊 PCエンジン通信（[[アスキー (企業)|アスキー]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テレビ番組 ===&lt;br /&gt;
* [[さきどり!PC遊び塾]]&lt;br /&gt;
* [[大竹まことのただいま!PCランド]]&lt;br /&gt;
* [[聖PCハイスクール]]&lt;br /&gt;
* [[そのまんま東のバーチャル情報局]]&lt;br /&gt;
* バーチャルZ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ソフト一覧 ===&lt;br /&gt;
* [[:Category:PCエンジン用ソフト]] - 日本語版ウィキペディアに記事の作成されているタイトルのリスト（タイトルでの五十音順）&lt;br /&gt;
** [[PCエンジンのゲームタイトル一覧]] - 日本で公式発売された全タイトルのリスト（発売日順）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
* [[コア構想]]&lt;br /&gt;
* [[ドリームライブラリ]]&lt;br /&gt;
* [[バーチャルコンソール]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|PC Engine}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [http://vc-pce.com/ PCエンジン - バーチャルコンソール]&lt;br /&gt;
* [http://www.g-mark.org/search/Detail?id=14421 Good Design Award - PCエンジン]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{家庭用ゲーム機/NEC}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:PCエンジン|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:1987年のコンピュータゲーム|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本電気|ひいしいえんしん]]&lt;br /&gt;
[[Category:ハドソン|ひいしいえんしん]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.236.20.244</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%82%B3%E3%83%B3&amp;diff=40279</id>
		<title>スーパーファミコン</title>
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				<updated>2008-09-26T12:26:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.236.20.244: そ○や (会話) の編集 ( 40172 版 ) を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[画像:Super_Famicom.jpg|thumb|right|200px|スーパーファミコン (SHVC-001)]]&lt;br /&gt;
[[画像:Super_Famicom_Controller.jpg|thumb|right|200px|スーパーファミコン用コントローラ (SHVC-005)]]  &lt;br /&gt;
'''スーパーファミコン'''（Super Famicom）は、[[任天堂]]より発売されていた家庭用[[ゲーム機]]である。[[ファミリーコンピュータ]]の後継機種。発売日は[[1990年]][[11月21日]]。[[メーカー希望小売価格]]は25,000円。&lt;br /&gt;
型番はSHVC-001（SHVCは'''S'''uper '''H'''ome '''V'''ideo '''C'''omputerの略）。略記・略称は '''SF'''、'''SFC'''（'''S'''uper '''F'''ami'''c'''omの略）、'''スーファミ'''など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
機器名称には[[ファミリーコンピュータ]]の略称として広く親しまれた''ファミコン''の語句を採り入れ、後継機としての位置付けを明確にした。なお、「ファミコン」は「'''ファミ'''リー'''コン'''ピュータ」の省略形だが、「スーパーファミコン」の名称内の「ファミコン」は正式なものであり、「スーパーファミリーコンピュータ」という名称のゲーム機は存在しない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ファミリーコンピュータとくらべ、表示や音源の処理能力が格段に向上していた。ハードウェアのスペックとしては、16bit[[CPU]] の搭載、32768色（15bit[[カラー深度]]）から選択可能な多数の16色カラーパレットと、それらのカラーを適用可能な16色[[スプライト]]、数十個以上のスプライト同時表示数、背景の多重スクロールと拡大・縮小・回転表示機能、[[ソニー]]の[[DSP]]による[[PCM音源]]の採用など、カタログスペックとしては同時代の一線級のものを取り揃えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コントローラは、ファミリーコンピュータから変更された点として、本体からの着脱が可能で、I・IIコントローラの区別はない。&lt;br /&gt;
右側にあるボタンはA・B・X・Yの4つとなり、上部の左右にはL・Rボタンが追加された。内蔵マイクは廃止された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「SUPER FAMICOM」のロゴはHandel Gothicの小文字と大文字を混ぜたもの、「スーパーファミコン」のロゴは「ファミリーコンピュータ」と同一のロゴタイプとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（それはスーファミに関する情報というよりスペースシャトルに関する知識なのでは？）&lt;br /&gt;
余談だが、コンピュータとしての性能は現在[[スペースシャトル]]に搭載されているものとほぼ同等の性能であると言われている。宇宙線によって、高クロックのCPUでは誤差が大きくなるという問題があり、極めて低いクロックのCPUが使われる。(参考:[[アポロ誘導コンピュータ#覚え書き]]の3)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 仕様 ==&lt;br /&gt;
* CPU: 5A22 [[65816 (コンピュータ)|65C816]]互換, カスタム 16bit&lt;br /&gt;
** SRAM: 128KB&lt;br /&gt;
** クロック周波数: 1.79MHz、2.68MHz、3.58MHzの三段階切替え &lt;br /&gt;
* グラフィック: S-PPU1および2（生産途中からワンチップ化）&lt;br /&gt;
** SRAM: 128KB&lt;br /&gt;
** 最大スプライト数: 128&lt;br /&gt;
** 解像度: 256×224 ／ 512×448 &lt;br /&gt;
** 色: 32,768色中4096色 または&lt;br /&gt;
** 画面: スプライトとBG面最大5枚&lt;br /&gt;
** 特殊エフェクト: BG面拡大縮小回転（1軸）、半透明、モザイク、ウインドウ、ラスター&lt;br /&gt;
*** 2軸回転はラスターとの組み合わせによる&lt;br /&gt;
* 音源チップ([[DSP]]): [[ソニー]]製 [[SPU|SPC700]]（[[PCM音源]]）&lt;br /&gt;
** SRAM: 64KB&lt;br /&gt;
** サンプリング周波数: 32KHz&lt;br /&gt;
** 同時発音数: 8チャンネル&lt;br /&gt;
** 16bit PCM ステレオ&lt;br /&gt;
* メディア: カートリッジ式&lt;br /&gt;
* AV出力: [[RGB|RGB21ピン]]/[[S端子]]/[[ビデオ]]/[[RF端子|RF]]&lt;br /&gt;
* [[拡張コネクタ]]&lt;br /&gt;
* 寸法: 200×242×72mm&lt;br /&gt;
* 重量: 約1Kg&lt;br /&gt;
スーパーファミコンの基板(SNS-RGB-01)に実装されているLSIの例。&amp;lt;ref&amp;gt;※基板バージョンによってはLSIが異なる。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:5A22-02_01.jpg|S-CPU B(5A22-02)&lt;br /&gt;
画像:5C77-01 01.jpg|S-PPU1(5C77-01)&lt;br /&gt;
画像:5C78-03_01.jpg|S-PPU2 C(5C78-03)&lt;br /&gt;
画像:S-DSP A_01.jpg|S-DSP A&lt;br /&gt;
画像:S-SMP_01.jpg|S-SMP&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
== シェア ==&lt;br /&gt;
日本での出荷台数約1717万台、日本以外では約3193万台、全世界累計出荷台数約4910万台。対応ソフトは[[1990年]]から[[2000年]]の間に1388タイトル（非ライセンス品を含まず）発売された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開発当初は、当時最大の市場シェアを持っていた[[ファミリーコンピュータ]]との互換性を維持するための開発努力も試みられた。実際に一部では[[上位互換]]などとも宣伝されており、発売前の[[モックアップ]]では本体横に接続する「ファミコンアダプタ」というもので互換性を保つという案も提示されていた。最終的には互換性の維持を断念し、新規プラットフォームとして発売された。しかしライトユーザーや大手ソフトメーカーの取り込みには成功し、既に発売されていた[[PCエンジン]]、[[メガドライブ]]を超える規模のシェアを獲得。結果的に、第二世代、16bitゲーム機の時代でも、任天堂はメインプレーヤーの座を堅持した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、ゲームの大容量化への対応、さらに競合他社への対抗策としてソニーと共同で専用[[CD-ROM]]システムの開発が進められていた。しかし、ソニーが米国のゲームショーでスーパーファミコンとの互換性を持つ[[CD-ROM]]機を発表し、新聞でも報道された翌日、任天堂は記者会見で[[フィリップス]]社と[[CD-ROM]]機の共同開発を発表し、ソニーに釘を刺す形となった。ソニーにとって任天堂はスーパーファミコン用の部品を卸していた顧客でもあったため、法的な手段には訴えず交渉を続けた結果、販売元がソニーから任天堂に移行するなど契約の変更が為され、その後、両者は決裂した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公的な場では、ソニーは任天堂の変心を訴え、任天堂は2倍速のCD-ROMでも、十分な読み込み速度を達成しなかった事を挙げている。その後の1992年に任天堂の[[山内溥]]社長（当時）が[[初心会]]演説で[[CD-ROM]]機に対して否定的なコメントをしている。さらに、フィリップス社との[[CD-ROM]]機が世に出る事もなかった。任天堂とソニーのスーパーファミコン互換[[CD-ROM]]機の[[コードネーム]]は[[プレイステーション]]であり、ソニーが自社のゲーム機にこの名前をつけたことは、ソニーの意趣返しであると評されることも多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ユーザーサイドの評価 ==&lt;br /&gt;
当初は[[スーパーマリオワールド]]で従来のゲームユーザーを安定して引き寄せたが、同作は堅実な内容ではあったものの、従来のシリーズの焼き直し的な雰囲気が強くそれほど派手なゲームではなかった。しかし、[[F-ZERO]]や[[パイロットウイングス]]は、当時の他のゲーム機には無かった、画像の拡大縮小回転といったスーパーファミコンの性能をフルに生かした内容で、ゲームユーザーに衝撃を与え、スーパーファミコンの性能の高さを多くのゲームユーザーに認識させた。また、初期に発売された[[アクトレイザー]]では、素晴らしいサウンドでゲームファンを魅了した。[[アクトレイザー]]のサウンドに衝撃を受けたスクウェアのスタッフが[[ファイナルファンタジーIV]]の音源ドライバーを作り直した逸話が残っている&amp;lt;ref&amp;gt;DTM Magazine, 寺島情報企画, Vol.140 Feb. 2006, p.15&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中期以降は、[[ドラゴンクエストシリーズ]]や[[ファイナルファンタジーシリーズ]]の影響もあり、圧倒的なシェアを得た。&lt;br /&gt;
どちらかというと、[[コンピュータRPG|ロールプレイングゲーム]]や[[シミュレーションゲーム]]に名作が多く、それらのジャンル好きのユーザーから高い支持を受けた。特に[[トルネコの大冒険]]、[[風来のシレン]]、[[伝説のオウガバトル]]、[[タクティクスオウガ]]、[[ロマンシング サ・ガ]]などは評価が高く、熱狂的なファンを獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
しかし、[[アクションゲーム]]や[[シューティングゲーム]]好きのユーザーは、[[PCエンジン]]や[[メガドライブ]]を支持する傾向が強かった。&lt;br /&gt;
本体発売の約1ヵ月後に発売された移植作の[[グラディウスIII]]では[[処理落ち]]が非常に多く、また[[ファイナルファイト]]では2人同時プレイができないこともあり、「スーパーファミコンはアクションゲームやシューティングゲームには向いていない」といったイメージが作られる原因になってしまった。&lt;br /&gt;
以下ヲタクの妄想につきコメントアウト--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[アクションゲーム]]や[[シューティングゲーム]]は初期はヲタクによって「向いていない」と言われたがスーパーファミコンの開発に慣れた中期以降はプログラム技術も改善され、アーケードで高い評価を得ていた[[ストリートファイターII]]は高い移植度でファンを狂喜させ、[[パロディウスだ!]]や[[ソニックウィングス]]ではスーパーファミコンでも十分に優秀なシューティングゲームが作れると言うところを見せた。1993年に発売されたファイナルファイト2でも2人同時プレイが可能となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中期辺りから大容量化やライセンス料の高騰により、ソフトの値段が1万円を超え始める。定価14,800円ほどのものも存在し、ライトユーザーの第1次ゲーム離れの原因にもなった。前世代機の[[ファミリーコンピュータ]]や、次世代機の[[プレイステーション]]などのソフトは主に3,800円～6,800円ほどで販売されていたことを考えると、かなりの割高感があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 開発サイドから見た問題点 ==&lt;br /&gt;
スーパーファミコンでは技術上の制限から性能を発揮するための制約が非常に多く、特にPPUの画面モードによる制限の複雑さと、CPUの特性などがプログラマを悩ませ、決して扱い易い環境とは言えなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サウンドについても、波形メモリやサウンドドライバなども含め使用可能な容量が僅か64KBしか用意されていないなど、PCM音源としては扱いにくく、サウンドコンポーザやプログラマーたちの頭を悩ませた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開発環境としては、当初[[ソニー]]の32ビット[[ワークステーション]]・NEWS（ニューズ）が用意されたが、当時のワークステーションは非常に高価であり、体力のある大手のソフトメーカー以外は参入しづらかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ファミコン時代より高額化したライセンス料金、ROMの大容量化や独占製造による製造コスト増大によりソフトの価格は高額化した。&lt;br /&gt;
ソフトメーカーにとっては原価が高額化したソフトを買い取って販売しなければならないため、経営的な負担が増大し、ソフトが予想以上にヒットした場合も、ROMの増産に時間が掛かることによる機会損失の問題が生じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それらの問題が元となり、一部の大手ソフトメーカーは競合各社にも参入、また日本国外では他社にリードを許すこととなった。これは、その後の[[NINTENDO64]]の不振にもつながった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
''[[コンピュータゲームの歴史]]も参照''&lt;br /&gt;
* [[1990年]][[11月21日]] - 発売。当初[[1989年]]7月発売予定だったが、秋に延長され、さらに再度延期された。セット内容は本体のほかコントローラ2個と取扱説明書のみで、テレビとの接続ケーブルやACアダプタは含まれていない。これらはファミリーコンピュータと共用できるという理由で同梱されなかった。同時発売ソフトは『[[スーパーマリオワールド]]』と『[[F-ZERO]]』。人気により売り切れが相次ぎ、品薄状態が続く。&lt;br /&gt;
* 1990年12月 - [[シャープ]] よりスーパーファミコン内蔵テレビ「SF-1」発売。画面サイズは14型と21型の2種類。&lt;br /&gt;
* [[1991年]]7月 -　『[[ファイナルファンタジーIV]]』発売。本体の普及に大きく貢献する。&lt;br /&gt;
* [[1992年]] - ゲームの大容量化によりソフトの価格が高騰。定価を1万円程度とするソフトが多くなる。しかし『[[ストリートファイターII]]』、『[[スーパーマリオカート]]』、『[[ドラゴンクエストV 天空の花嫁]]』などの人気ソフトが相次いで発売されたことでゲーム機市場の主導権を握ることとなった。この状態は[[次世代機]]への世代交代となった1996年頃まで続く。&lt;br /&gt;
* [[1993年]]春 - [[味の素]]マヨネーズの[[懸賞]]に非売品スーパーファミコンソフト『もと子ちゃんのワンダーキッチン』が登場。以降非売品ソフトを景品として採用する動きが盛んに。&amp;lt;br&amp;gt;ファミコン初の[[スーパーFXチップ]]搭載ソフト『[[スターフォックス]]』発売。&lt;br /&gt;
* [[1994年]] - ソフトの価格がさらに高騰。1万円を超えるソフトが出始める。しかしその中でも『[[ファイナルファンタジーVI]]』のように出荷本数の多いものもある。&lt;br /&gt;
* 1994年[[6月14日]] - スーパーファミコンを使用してテレビで[[ゲームボーイ]]ソフトが遊べるアダプタ「[[スーパーゲームボーイ]]」発売。&lt;br /&gt;
* [[1995年]] - 大多数のソフトが定価を1万円以上としたことでソフトの価格高騰が深刻化。&lt;br /&gt;
* 1995年[[4月23日]] - 任天堂がBS音声放送局[[衛星デジタル音楽放送|セントギガ]]と共同でスーパーファミコン向け[[衛星データ放送]]を開始。専用アダプタ「[[サテラビュー]]」を接続したスーパーファミコンを受信端末とした。&lt;br /&gt;
* 1995年9月 - [[プレイステーション]]と[[セガサターン]]間で繰り広げられていた次世代機の値下げ競争に合わせ『マリオのスーパーピクロス』に店頭価格より4,000円安く本体が購入できるクーポン券を同梱。以降発売となる『[[スーパードンキーコング2]]』『[[スーパーマリオRPG]]』『[[星のカービィ スーパーデラックス]]』にも同様のクーポン券が同梱される。&lt;br /&gt;
* [[1996年]]1月ごろ - 任天堂が自社ソフトの価格上限を7,800円に引き下げるとともに、ソフト評価機関スーパーマリオクラブで一定の評価を得たサードパーティ製ソフトのロイヤリティを引き下げると発表。ソフト定価を1万円弱に設定した次世代機[[NINTENDO64]]の発売を見据えた措置であったが、これによりソフトの価格高騰に歯止めがかかる。&lt;br /&gt;
* 1996年8月 - 希望小売価格を9,800円に引き下げ。すでに店頭実売価格は1万円台で推移していた&amp;lt;!--ものの、メーカーにより希望小売価格の値下げが行われたのは初めて--&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1997年]]9月 - 東京都内の[[ローソン]]にてゲーム書き換えサービス「[[ニンテンドウパワー]]」開始。順次全国に拡大。&lt;br /&gt;
* 1997年[[12月1日]] - ニンテンドウパワーで『[[新・鬼ヶ島|平成 新・鬼ヶ島]] 前編』『平成 新・鬼ヶ島 後編』『[[同級生2]]』の3作が初の書き換え専用新作ソフトとして供給開始。&lt;br /&gt;
* [[1998年]][[1月30日]] - [[ポケットモンスター|ポケモン]]人気を受けスーパーゲームボーイに通信コネクタを追加した上位機種「スーパーゲームボーイ2」発売。&lt;br /&gt;
* 1998年[[3月27日]] - 基本性能はそのままにデザインを一新し、[[RGB|RGB21ピン]]ケーブル、[[S端子]]ケーブルによる映像出力、カセットイジェクト機構、サテラビューとの接続端子を廃した廉価機[[スーパーファミコン ジュニア]]が発売。セット内容は本体とコントローラ1個、取扱説明書のみだった。同時発売ソフトは『[[星のカービィ3]]』。&lt;br /&gt;
* [[1999年]][[3月31日]] - 任天堂、衛星データ放送事業から撤退。4月以降放送サービスはセントギガのみで継続。&lt;br /&gt;
* [[2000年]][[6月30日]] - セントギガ、サテラビュー向け衛星データ放送終了。&lt;br /&gt;
* 2000年[[12月1日]] - ニンテンドウパワーにて『[[メタルスレイダーグローリー]] ディレクターズカット』書き換え開始。最後のスーパーファミコンソフトとなる。&lt;br /&gt;
* [[2002年]][[8月31日]] - ニンテンドウパワー、ローソン店頭でのサービスを終了。以降は任天堂本社、各営業所へ引き継がれる。&lt;br /&gt;
* [[2003年]][[9月30日]] - 部材調達の困難等を理由に[[ファミリーコンピュータ]]とともに本体の生産を打ち切った。累計販売台数は約4,900万台であった。&lt;br /&gt;
* [[2007年]][[2月28日]] - ニンテンドーパワーサービス終了。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== Super Nintendo Entertainment System ==&lt;br /&gt;
'''Super Nintendo Entertainment System''' （スーパーニンテンドー エンタテイメントシステム）は、スーパーファミコンの[[北米]]および[[ヨーロッパ]]版である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コンソールに ''Super Nintendo'' の部分が大きく表記されていたため、現地では「スーパーニンテンドー」の愛称で親しまれた。'''SNES''' もしくは'''Super NES'''と略されることが多い。メーカー型番はSNS（北米）および SPAL（ヨーロッパ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
基本スペックはスーパーファミコンと同一だが、以下の点が異なる。&lt;br /&gt;
* 北米版は本体およびカセットの外形、配色が変更されている。一方ヨーロッパ版の本体・カセット形状はロゴ類を除き日本のスーパーファミコンと共通する。&lt;br /&gt;
* ヨーロッパ版では[[PAL]]または[[SECAM]]出力。&lt;br /&gt;
* CICが異なるため、仕向地の異なるカセット間の互換性はない。ただし、非ライセンス品の変換アダプタの使用や本体もしくはカートリッジの加工で、仕向地の異なるカセットを使うことは可能。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 代表的なゲーム ==&lt;br /&gt;
; [[アクションゲーム]]&lt;br /&gt;
* [[スーパーマリオワールド]]&lt;br /&gt;
* [[スーパーマリオコレクション]]&lt;br /&gt;
* [[スーパーマリオ ヨッシーアイランド]]&lt;br /&gt;
* [[ストリートファイターII]]シリーズ&lt;br /&gt;
* [[スーパードンキーコング]]シリーズ&lt;br /&gt;
* [[星のカービィ]]シリーズ&lt;br /&gt;
* [[がんばれゴエモン]]シリーズ&lt;br /&gt;
* [[ロックマンX]]シリーズ&lt;br /&gt;
* [[ボンバーマン|スーパーボンバーマン]]シリーズ&lt;br /&gt;
* [[ドラゴンボールZ 超武闘伝]]シリーズ&lt;br /&gt;
; [[レースゲーム]]&lt;br /&gt;
* [[F-ZERO]]&lt;br /&gt;
* [[スーパーマリオカート]]&lt;br /&gt;
; [[コンピュータRPG|ロールプレイングゲーム]]&lt;br /&gt;
* [[ファイナルファンタジーシリーズ]] ファイナルファンタジー4,5,6など。&lt;br /&gt;
* [[ゼルダの伝説 神々のトライフォース]]&lt;br /&gt;
* [[ドラゴンクエストシリーズ]] ドラゴンクエスト1,2,3,5,6など。&lt;br /&gt;
* [[真・女神転生]]シリーズ&lt;br /&gt;
* [[ロマンシング サ・ガ]]シリーズ&lt;br /&gt;
* 不思議のダンジョンシリーズ&lt;br /&gt;
** [[トルネコの大冒険]]&lt;br /&gt;
** [[風来のシレン]]&lt;br /&gt;
* [[聖剣伝説]]シリーズ&lt;br /&gt;
* [[クロノ・トリガー]]&lt;br /&gt;
* [[MOTHER2 ギーグの逆襲]]&lt;br /&gt;
* [[スターオーシャン]]&lt;br /&gt;
* [[テイルズオブファンタジア]]&lt;br /&gt;
* [[スーパーマリオRPG]]&lt;br /&gt;
; [[シミュレーションRPG]]&lt;br /&gt;
* [[ファイアーエムブレム]]シリーズ&lt;br /&gt;
* [[スーパーロボット大戦シリーズ]]&lt;br /&gt;
* [[オウガバトルサーガ]]シリーズ&lt;br /&gt;
; [[シューティングゲーム]]&lt;br /&gt;
* [[グラディウスIII_-伝説から神話へ-|グラディウスIII]]&lt;br /&gt;
* [[アクスレイ]]&lt;br /&gt;
* [[Pop'nツインビー]]&lt;br /&gt;
* [[パロディウス]]シリーズ&lt;br /&gt;
* [[スーパーアレスタ]]&lt;br /&gt;
* [[スターフォックス]]&lt;br /&gt;
; [[アドベンチャーゲーム]]&lt;br /&gt;
* [[かまいたちの夜]]&lt;br /&gt;
; [[パズルゲーム]]&lt;br /&gt;
* [[ぷよぷよ|すーぱーぷよぷよ]]シリーズ&lt;br /&gt;
* [[パネルでポン]]&lt;br /&gt;
; [[シミュレーションゲーム]]&lt;br /&gt;
* [[シムシティ]]&lt;br /&gt;
* [[三國志シリーズ (コーエー)|三國志シリーズ]]&lt;br /&gt;
* [[信長の野望シリーズ]]&lt;br /&gt;
* [[ダービースタリオン]]シリーズ&lt;br /&gt;
; その他&lt;br /&gt;
* [[桃太郎電鉄]]シリーズ&lt;br /&gt;
* [[いただきストリート|いただきストリート2]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 周辺機器 ==&lt;br /&gt;
* [[スーパーファミコンマウス]]&lt;br /&gt;
* [[スーパースコープ]]&lt;br /&gt;
* [[スーパーゲームボーイ]] ・[[スーパーゲームボーイ2]]&lt;br /&gt;
* [[サテラビュー]]&lt;br /&gt;
* [[スーファミターボ]]（バンダイ）&lt;br /&gt;
* [[ターボファイルツイン]]（アスキー）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スーパーマルチタップ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[スーパーファミコンのゲームタイトル一覧]]&lt;br /&gt;
* [[:Category:スーパーファミコン用ソフト]]&lt;br /&gt;
* [[ファミリーコンピュータ]]&lt;br /&gt;
* [[プレイステーション]]&lt;br /&gt;
* [[NINTENDO64]]&lt;br /&gt;
* [[ニンテンドウパワー]]&lt;br /&gt;
* [[上村雅之]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.nintendo.co.jp/n02/shvc/index.html 任天堂ホームページ スーパーファミコン]&lt;br /&gt;
* [http://www.tomorege.com/contents2_katei_sfc_abake_syodai.html スーパーファミコンを暴け！]&lt;br /&gt;
* [http://www.vgden.com/vgden_sfc.htm Video Game Den - スーパーファミコンのゲーム]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Template:stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:スーパーファミコン|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:1990年のコンピュータゲーム|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:Wikipedia出典元の記事|{{PAGENAME}}]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;margin:0.5em 0;background-color:#f6f6f6;border:1px solid #ccc;padding:3px;font-size:80%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
このページは [http://ja.wikipedia.org/ Wikipedia日本語版]由来のコンテンツを利用しています。もとの記事は[http://ja.wikipedia.org/wiki/スーパーファミコン '''スーパーファミコン''']にあります。執筆者のリストは[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%82%B3%E3%83%B3&amp;amp;action=history'''履歴''']をご覧ください。 &lt;br /&gt;
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| style=&amp;quot;width:250px; text-align:center; margin:auto; border:1px solid #000000; font-size:small;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;background-color:#CCCCFF;&amp;quot; | '''[[日本プロ野球]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;width:125px; background-color:#88BB88;&amp;quot; | '''セントラル・リーグ'''&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;width:125px; background-color:#88CCEE;&amp;quot; | '''パシフィック・リーグ'''&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;text-align:left;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
&amp;lt;span style=&amp;quot;white-space: nowrap;&amp;quot;&amp;gt;[[読売ジャイアンツ]]&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;span style=&amp;quot;white-space: nowrap;&amp;quot;&amp;gt;[[中日ドラゴンズ]]&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;span style=&amp;quot;white-space: nowrap;&amp;quot;&amp;gt;[[阪神タイガース]]&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
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&amp;lt;span style=&amp;quot;white-space: nowrap;&amp;quot;&amp;gt;[[広島東洋カープ]]&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;span style=&amp;quot;white-space: nowrap;&amp;quot;&amp;gt;[[東京ヤクルトスワローズ]]&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
&amp;lt;span style=&amp;quot;white-space: nowrap;&amp;quot;&amp;gt;[[北海道日本ハムファイターズ]]&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;span style=&amp;quot;white-space: nowrap;&amp;quot;&amp;gt;[[千葉ロッテマリーンズ]]&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;span style=&amp;quot;white-space: nowrap;&amp;quot;&amp;gt;[[福岡ソフトバンクホークス]]&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;span style=&amp;quot;white-space: nowrap;&amp;quot;&amp;gt;[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;span style=&amp;quot;white-space: nowrap;&amp;quot;&amp;gt;[[埼玉西武ライオンズ]]&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;span style=&amp;quot;white-space: nowrap;&amp;quot;&amp;gt;[[オリックス・バファローズ]]&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&amp;lt;noinclude&amp;gt;[[Category:汎用テンプレート]]&lt;br /&gt;
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		<title>カテゴリ:クソゲー</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;118.236.20.244: そ○や (会話) の編集 ( 40170 版 ) を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ファミコンの時代が最も多かったが現在でも出続けているクソゲーのカテゴリ。 &lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫|くそけえ]]&lt;br /&gt;
[[Category:ゲーム|くそけえ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.236.20.244</name></author>	</entry>

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		<title>大東亜戦争</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;118.236.20.244: そ○や (会話) の編集 ( 40173 版 ) を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses|右派の視点から見た大東亜戦争|左派の視点から見た大東亜戦争|太平洋戦争}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1941年]]に[[日本]]が[[欧米列強]]が占領していた[[東南アジア]]や[[南アジア]]を開放するために開いた戦争。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やはり最強の国[[アメリカ合衆国|アメリカ]]には敵わなかったが終戦後多くの[[東南アジア]]や[[南アジア]]の国が独立した。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.236.20.244</name></author>	</entry>

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		<title>もし中国が分裂するとしたら</title>
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				<updated>2008-09-26T12:23:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.236.20.244: そ○や (会話) の編集 ( 40175 版 ) を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==分裂への道==&lt;br /&gt;
#台湾、チベット、東トルキスタン、南モンゴルは念願の独立を果たす。&lt;br /&gt;
#中国崩壊と同時に北朝鮮もめでたく崩壊し朝鮮統一、ついでに朝鮮族の居住区域を切り取る。&lt;br /&gt;
#上海、重慶、香港は都市国家として独立。&lt;br /&gt;
#*[[マカオ]]のことも忘れないでください。&lt;br /&gt;
#*重慶は都市国家としての独立はきついと思う！&lt;br /&gt;
#旧満州、広東省、雲南省、四川省等も独立&lt;br /&gt;
#*ていうか全ての省が独立し、分裂・合併を繰り返す。&lt;br /&gt;
#平和憲法を改正する必要がなくなる。&lt;br /&gt;
#*それでも改正（改定？）して欲しい。&lt;br /&gt;
#*最大の危険物が無くなったから改正しなくても無問題！&lt;br /&gt;
#沖縄米軍基地の意義が六割方なくなる。&lt;br /&gt;
#*2で誕生した統一朝鮮が新たな脅威に。竹島は完全に取られる。&lt;br /&gt;
#**統一朝鮮が米軍追放　→　日本遠慮なく竹島奪還　もあるかもよ&lt;br /&gt;
#**沖縄の米軍の7割が佐世保・対馬に移動。&lt;br /&gt;
#中国は北京を首都とする北方勢力と南京または上海を首都とする東南勢力との南北二大勢力時代をむかえる。（後の勢力は中国を統一する程の力をもっていない）&lt;br /&gt;
#*上海はシンガポールのような都市国家になっているかも。&lt;br /&gt;
#**チベット・東トルキスタン・南モンゴル・満州・台湾はカヤの外（であって欲しい）&lt;br /&gt;
#広東勢力が香港制圧に成功した場合、当初広州でやる予定だった夏季五輪を（香港の人々の不満を抑える為）香港に変更して選考では東京と互角の勝負を勝負を繰り広げる！！なお五輪の費用は全て広東勢力もちである。&lt;br /&gt;
#*でもあの手この手で中共に妨害されて結局東京になったりしてｗｗｗ&lt;br /&gt;
#*香港の件で上海東方共和国首脳陣に危機感が広がりアメリカに急接近して、沖縄の米軍基地を自国に移すように要請する。&lt;br /&gt;
#**というわけで上海は事実上、アメリカの52番目の州になってしまう。（51番目は某列島）&lt;br /&gt;
#***ちなみにその後、｢'''米軍よりも台湾軍を進駐させよう。'''｣という意見が出てくる。&lt;br /&gt;
#フフホトは北の南モンゴル勢力と南の北方中華政権とに二分される。&lt;br /&gt;
#*そしてベルリンの壁ならぬ'''フフホトの壁'''が築かれる。&lt;br /&gt;
#上海東方共和国政権の某政治家は自国が漢人比率が99,999…（以下略）を超えていた為、言語が四つ以上（北京語、上海語等）あるにも関わらず単一民族国家である事を主張！！隣国の政権は「訳の分からない他民族国家」と言う発言が問題に・・・&lt;br /&gt;
#チベット王国はインドと、満州国と東トルキスタンはロシアとの領土係争を開始。&lt;br /&gt;
#*満州国はロシアの沿海州の領有権を主張！&lt;br /&gt;
#**そしてロマン(露満)戦争勃発。&lt;br /&gt;
#***その隙に，モンゴル、ロシアと密約し南モンゴルを占領（するかも）。&lt;br /&gt;
#雲貴連邦はミャンマーとベトナムに攻め込まれる……&lt;br /&gt;
#台湾は中国大陸の動乱を高みの見物。&lt;br /&gt;
#*何となく琉球王国独立を主張。&lt;br /&gt;
#四川省はコンカ山を境に東西でチベットと四川政府に分断される。&lt;br /&gt;
#*四川政府は国号を「蜀共和国」と制定！ついでに重慶を併合！&lt;br /&gt;
#**序にパンダの居住区も分割されている。&lt;br /&gt;
#チベット独立後、ラサの残留中国人が反乱を起す。&lt;br /&gt;
#*しかしラサ陥落後、チベット政府がラサを見事奪回！！！&lt;br /&gt;
#**混乱に乗じて乗り込んできたインド軍もゲリラ戦法で撃破！！！！&lt;br /&gt;
#大陸各地で青天白日満地紅旗が復活！！民主化の象徴となる。&lt;br /&gt;
#リアルに三国志が再現される。&lt;br /&gt;
#*'''第二次惨獄時代'''&lt;br /&gt;
#両湖地方は一度は一つの国になったが南北の対立により武漢政権と長沙政権に分裂！&lt;br /&gt;
#*下手すると混乱に乗じて上海・四川・広東の三カ国政権が両湖を分割！併合する&lt;br /&gt;
#南京は建業に、西安は長安に、広州は番寓にそれぞれ戻される。&lt;br /&gt;
#日本では支那諸国（ウヨ推薦）と呼ぶか中華諸国（サヨ推薦）と呼ぶかで延々と議論が続く。&lt;br /&gt;
#*色々考えた結果、どちらも採用せずに震旦諸国と呼ぶことに。&lt;br /&gt;
#**朝日は今まで通り。産経はシナと呼び始める。&lt;br /&gt;
#上海政権は福建省を併合した勢いで金門島と馬祖島に侵攻。&lt;br /&gt;
#*むしろ福建は台湾の属国化してるｗｗ&lt;br /&gt;
#*じゃあ上海政権と台湾との間で福建戦争が勃発するというので&lt;br /&gt;
#*いつの間にか広東（閲）政権も乱入&lt;br /&gt;
#広東・広西・海南・福建はまとまって「大越合衆国」を建国！&lt;br /&gt;
#*ガチで攻め込んできた台湾・ベトナムと戦争開始！！&lt;br /&gt;
#甘粛・青海北部は｢西涼共和国｣を建国するが……&lt;br /&gt;
#中国分裂の混乱が周辺諸国に波及！ロシア・インド・インドネシアなどの国々を中心に独立運動が激化！！&lt;br /&gt;
#*取り敢えず、日本では沖縄を沖縄（琉球）特別府として大幅な自治権を与えざるをえなくなる、かな・・・&lt;br /&gt;
#**北海道でもアイヌ達の先住権を認めざるをえなくなる、かも（カナダのヌナブトみたいに）&lt;br /&gt;
#***というか，先に北方領土を求めてくるでしょう，強気に（北千島まで要求しそう）。&lt;br /&gt;
#ウイグルは初めは漢族主体の新疆中華共和国として独立する。&lt;br /&gt;
#*しかし今まで散々軽視していたトルコ系諸民族やイスラム教徒が革命を起す。&lt;br /&gt;
#チベット＆東トルキスタンから追い出されてきた中国人が23の西涼共和国になだれ込む。&lt;br /&gt;
#寧夏回族自治区も独立し｢ニンシア・イスラム国｣に、だが誰にも気づかれなかった。&lt;br /&gt;
#*そして、内陸部から少しずつイスラム化が進んでいく。だが誰も気づかなかった。&lt;br /&gt;
#浙江も単独で｢浙江共和国｣（首都寧波）に。&lt;br /&gt;
#新しくできる国は先進国と発展途上国にわかれる。&lt;br /&gt;
#混乱によって人口が減る（汗）&lt;br /&gt;
#*下手すれば十億人ほどが{{あきまへん}}&lt;br /&gt;
#共産党勢力は他の勢力との差別化のために再び中共の略称が広く使われるようになる。&lt;br /&gt;
#中共が仮に常任のままだったら他の勢力の国連加盟は認めない。&lt;br /&gt;
#*之にぶち切れた上海東方政権（実は中共と国力がほぼ一緒）が「'''核ミサイルを黄海'''｣（しかも中共の領海）にぶち込むと言う暴拳を行う。&lt;br /&gt;
#**結果：特定アジアは中国･韓国･北朝鮮の三国から中共（北中国）･上海政権･統一朝鮮の三国となる。&lt;br /&gt;
#***補足として他の勢力は日本に迷惑を掛けるほど隣国と言う訳ではないので無視された模様&lt;br /&gt;
#結局1省1カ国ではどうにもならないので複数の共和国が連邦制をとる大勢力がいくつも乱立する事となる。&lt;br /&gt;
#難民が数億を越え。日本、朝鮮、台湾になだれ込み、さらに全世界に華僑が広まる。&lt;br /&gt;
#*日本各地に中華街が乱立。&lt;br /&gt;
#*北米に数千万人が押し寄せる（汗）&lt;br /&gt;
#混乱の中で大量の核兵器が紛失し、そのうちいくらかはテロリストの手にも{{あきまへん}}&lt;br /&gt;
#仮に中華人民共和国が完全に消滅したら国連の常任理事国制が崩れるかもしれない。&lt;br /&gt;
#'''きっかけは中国バブル崩壊から。'''&lt;br /&gt;
#中国全土で暴動が起き、人民解放軍が治安維持の名目で人民を弾圧。&lt;br /&gt;
#*それに反発した人民が激しく抵抗、各地で独立機運が高まる。&lt;br /&gt;
#*法輪功が混乱に乗じて大規模な反乱を起こす。のちに「'''法輪功の乱'''」と呼ばれる。&lt;br /&gt;
#*中国に進出していた日本企業にも被害が及ぶ。日本人数十名が殺害される。&lt;br /&gt;
#北京政府に反感を抱く上海シンパによる軍事クーデターが勃発。北京政府vs上海閥による2大勢力が対立。&lt;br /&gt;
#*そこに台湾の国民党政府も参戦。現代版三国志と化す。&lt;br /&gt;
#いつしか混乱がロシアまで波及。同じような運命をたどる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==戦後処理（終戦･休戦後）==&lt;br /&gt;
#キリスト教に帰依する人多数。&lt;br /&gt;
#法輪抗も大手を振って帰還。&lt;br /&gt;
#とりあえず米軍基地が各地に設置される。&lt;br /&gt;
#分裂後のいくつかの国では跪いて頭を垂れた毛沢東の像が各地で作られ、秦檜の像の代わりになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==広州共和国==&lt;br /&gt;
#広東省が独立してできた国。&lt;br /&gt;
#首都は、やはり広州。&lt;br /&gt;
#公用語は広東語、客家語、潮汕語、北京語。&lt;br /&gt;
#*主流は広東語。&lt;br /&gt;
#*実質的に別言語である北京語は廃止しようと思ったが、他の震旦諸国との貿易に便利なので残しておくことにした。&lt;br /&gt;
#中国が分裂してしまい、人民元のレートが不安定になったので香港ドルが流通。&lt;br /&gt;
#モウマンタイ(無問題)が国是。&lt;br /&gt;
#この国の市場に売られていないものはない。&lt;br /&gt;
#*ただし本当に買えるかどうかは、また別の問題である。&lt;br /&gt;
#この国の食堂では食べられるものは全て料理されている。&lt;br /&gt;
#*たまに[[珍味・ゲテモノ食大全|食べられないものも調理されている。]]&lt;br /&gt;
#*もちろん糸瓜だって食べちゃう。&lt;br /&gt;
#最近、国名を'''大粤合衆国'''に変更しようと考えてる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===香港共和国===&lt;br /&gt;
#香港が独立してできた国&lt;br /&gt;
#公用語は広東語&lt;br /&gt;
#中国の混乱に乗じて独立を宣言するも1ヶ月あまりで広州共和国に侵略され崩壊してしまう。&lt;br /&gt;
#*この戦闘で政府関係者を含め数10万人が亡命したそうである。&lt;br /&gt;
#**のちにロスで亡命政権を結成する。&lt;br /&gt;
#*ちなみに広州共和国が侵攻した言い訳は'''香港は歴史的に広東省の一部でありイギリスによって引き裂かれたから'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==上海東方共和国==&lt;br /&gt;
#自分たちの払った税金を自分たちで使うために独立した。&lt;br /&gt;
#しょっちゅう出国ラッシュが起こっている。&lt;br /&gt;
#南京人は「上海東方共和国」という国名を大変不満に思っている。&lt;br /&gt;
#*蘇州人と杭州人もなんか釈然としない。&lt;br /&gt;
#都市国家だったが米軍を受け入れた事によりアメリカの後ろ盾を得て周辺国を次々と併合した。&lt;br /&gt;
#自国を中心とした'''中華連合'''（略してＣＵ）の設立を目論む。&lt;br /&gt;
#実はアメリカ52番目の州。だから[[日本|51番目の州]]とは仲良くせざるをえない。&lt;br /&gt;
#黄海に核をぶち込んだとんでもない国。&lt;br /&gt;
#ただ今、キリスト教が勢力を拡大中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大蘇共和国===&lt;br /&gt;
#首都は南京。江蘇省と安徽省で構成。&lt;br /&gt;
#上海東方共和国に併合された国のひとつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===浙江共和国===&lt;br /&gt;
#首都は杭州。浙江省のみで構成。&lt;br /&gt;
#上海東方共和国に併合された国のひとつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==福建民国==&lt;br /&gt;
#首都は福州。福建省のみで構成。&lt;br /&gt;
#台湾の傀儡国家。戦後処理の過程で広州政権と上海政権に南北分割され消滅した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==両湖人民共和国==&lt;br /&gt;
#首都は武漢。湖北省、湖南省、江西省西部で構成。&lt;br /&gt;
#群雄割拠の様相を呈していたが、国連の介入によって統一された。&lt;br /&gt;
#なお、文字どうり'''人民の共和国'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==大蜀民主共和国==&lt;br /&gt;
#首都は成都。四川盆地と重慶直轄市で構成。&lt;br /&gt;
#四川共和国と重慶民国の合邦によって誕生した。&lt;br /&gt;
#なお世界でも珍しい'''国獣'''を定めている。因みに大蜀の国獣はパンダである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===四川共和国===&lt;br /&gt;
#首都は成都。四川省のみで構成されてた。&lt;br /&gt;
#チベットにコンカ山以西の地域を取り返された為に国力が半減。生き残りを賭けて重慶民国との合邦に望んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===重慶民国===&lt;br /&gt;
#首都は重慶。重慶直轄市がそのまま独立した。&lt;br /&gt;
#隣国の四川から合邦のラヴコールを素直に受け入れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==雲貴連邦==&lt;br /&gt;
#首都は昆明。雲南省と貴州省で構成。&lt;br /&gt;
#独立早々、ミャンマーに侵攻される。&lt;br /&gt;
#*タイにも密かに狙ってる。&lt;br /&gt;
#レアメタルの産出で財政は豊か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==大満洲国==&lt;br /&gt;
#首都は長春。旧満州および[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E6%BA%80%E5%B7%9E　/ 外満洲]（アムール州、ハバフロスク地方南部、沿海州）で構成。&lt;br /&gt;
#*一時期はロマン戦争によって手に入れた極東の地域のサハ自治共和国（後に独立させた）、樺太と千島（日本に自国がその地域に軍事基地を置く事を容認させてから日本に返還）、カムチャッカ等（アメリカに割譲）も版図に収めていた。&lt;br /&gt;
#上記の事から日本とは意外と仲がいい。&lt;br /&gt;
#'''その気になれば中共なんぞ簡単に潰せる。'''&lt;br /&gt;
#北東アジアの大国。日本の対抗馬である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==大連市国==&lt;br /&gt;
#首都は大連。大連と旅順地域を大満洲国から都市国家として独立。&lt;br /&gt;
#*外国資本が大きく流れてきており、そのパワーで日本やアメリカとの関係も良好。&lt;br /&gt;
#もともと中共としての位置づけはリゾート都市でしかない低評価だが、潜在能力は上海東方共和国にひけを取らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==台湾国==&lt;br /&gt;
*詳しくは[[もし台湾が独立したら]]へ&lt;br /&gt;
#自称親日国。だったが中共崩壊によって反日と親日の対立が問題になり始めた。&lt;br /&gt;
#*それでも中華人民共和国は嫌い。&lt;br /&gt;
#*反日が増えたのは中国内戦の難民を受け入れたためである。&lt;br /&gt;
#*反日はこれまで通り、親日派は日本に併合してもらいたいと考えてる。&lt;br /&gt;
#混乱期に自国に有利な様に中国大陸をかき回した為に大陸の人々からは'''日本で言う特定アジア的な扱いを受けている。'''&lt;br /&gt;
#中華民国はどうなったのやら…。&lt;br /&gt;
#*外省人と国民党は上海に追放した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==新漢連邦共和国==&lt;br /&gt;
#首都は長安。陝西省と甘粛省で構成。&lt;br /&gt;
#ここまできて未だに自らを改めようとしない共産党にキレた人民が叛乱で立てた国。&lt;br /&gt;
#最近は中原との合邦を検討中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==中原人民共和国==&lt;br /&gt;
#首都は洛陽と開封。山西省南部、河南省、河北省南部、山東省で構成。&lt;br /&gt;
#まともな共産党員達の裏切りによって立てられた国。&lt;br /&gt;
#*因みにこの国を立てた共産党謀反組は後に解散したため、この国は資本主義国家。&lt;br /&gt;
#最近は満洲と手を組んで中共を滅ぼす事を検討中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==中華人民共和国==&lt;br /&gt;
#首都は北京。&lt;br /&gt;
#もはや領土は河北省と山西省の北部のみになってしまった。&lt;br /&gt;
#でも、核はきっちり掴んでいる。&lt;br /&gt;
#天津にまで裏切られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==チベット王国==&lt;br /&gt;
*詳しくは[[もしチベットが独立するとしたら]]&lt;br /&gt;
#首都はラサ。チベット自治区は勿論、青海省(アムド地方)や旧西蔵自治区も版図に納めている。&lt;br /&gt;
#実は核を保有しているが、正直手放したいと思っている。&lt;br /&gt;
#*最近、台湾か日本に売りつけることを検討中。&lt;br /&gt;
#ドサクサにまぎれて攻め込んできたインドをゲリラ戦で打ち破った。&lt;br /&gt;
#そのインドとは今は同盟中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==東トルキスタン共和国==&lt;br /&gt;
#首都はウルムチ。新疆ウイグル自治区がそのまま独立。&lt;br /&gt;
#実は核兵器を保有している。&lt;br /&gt;
#イスラム原理主義者と世俗派の対立が問題化してる。&lt;br /&gt;
#寧夏は事実上の飛び地。&lt;br /&gt;
#南隣の国と比べると結構危険。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==南モンゴル国==&lt;br /&gt;
#首都はパオトウ。旧満州を除く内モンゴル自治区が独立。&lt;br /&gt;
#北のモンゴル国と合邦したい。&lt;br /&gt;
#*そのモンゴルは旧式戦車で国境の都市に攻撃をしかけている。&lt;br /&gt;
#砂漠化の賠償を中共に請求することを考えてる。&lt;br /&gt;
#*でも一番頼りにしてるのは日本☆&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==寧夏回教国==&lt;br /&gt;
#首都は銀川。寧夏自治区がそのまま独立。&lt;br /&gt;
#国名の通り、回教を国教としている。&lt;br /&gt;
#新漢の一部と思われているのが不満。&lt;br /&gt;
#影の薄さでは震旦諸国随一。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==天津市国==&lt;br /&gt;
#中共の巻き添えが嫌で独立。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==マカオ市国==&lt;br /&gt;
#広州の魔の手から逃れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:もしあの地域が独立するとしたら|ちゆうこくかふんれつしたら]]&lt;br /&gt;
[[Category:中華人民共和国|ふんれつ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.236.20.244</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AF%E3%82%BD%E5%8E%A8%E6%88%BF%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=40270</id>
		<title>クソ厨房の一覧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AF%E3%82%BD%E5%8E%A8%E6%88%BF%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=40270"/>
				<updated>2008-09-26T12:23:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.236.20.244: そ○や (会話) の編集 ( 39980 版 ) を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Notice|この記事には先編集権が宣言されています。初版投稿者以外の投稿は制限されます。}}&lt;br /&gt;
かっこ悪いチンカスの一覧。このアホどもについての説明は要らないだろう。説明するだけの労力が無駄である。どうしても知りたいモノズキは、ググるか、各項目を参照のこと。&lt;br /&gt;
== あ行 ==&lt;br /&gt;
*[[稲村良光]]&lt;br /&gt;
*[[おかやまりゅうせい]]&lt;br /&gt;
== か行 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== さ行 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== た行 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== な行 ==&lt;br /&gt;
*[[利用者:七星|七星]]&lt;br /&gt;
*[[野田憲太郎]]&lt;br /&gt;
== は行 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ま行 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== や行 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ら行 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== わ行 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:かっこ悪いチンカス|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.236.20.244</name></author>	</entry>

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		<title>阪神タイガース</title>
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				<updated>2008-09-26T12:22:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;118.236.20.244: そ○や (会話) の編集 ( 39975 版 ) を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''阪神タイガース'''（はんしん-、'''Hanshin Tigers'''）とは、[[日本]]の[[日本プロ野球|プロ野球]]球団で、[[セントラル・リーグ]]の球団のひとつ。2005・2006年度ペナントレース実数での観客動員数は12球団の中で唯一300万人を超え最多。[[阪急阪神東宝グループ]]の系列。なお「'''Tigers'''」の英語での発音は「'''タイガーズ'''」の方が正しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==球団の歴史==&lt;br /&gt;
===戦前期===&lt;br /&gt;
*[[1935年]]、前年末の大日本東京野球倶楽部（[[読売ジャイアンツ|東京ジャイアンツ]]）設立をうけて、[[阪神電気鉄道]]が職業野球団を組織する準備を始めた。ジャイアンツは[[読売新聞]]が部数の拡大を目的として設立した球団で、特定のリーグに所属しないそれまでのプロ球団とは違い、数チームでリーグを結成した上で安定した興行を行いたいという[[新聞]]本社の考えから対戦相手を探していた。特に、[[東京]]、[[大阪]]、[[名古屋]]の三大都市圏で試合を行うことを目指していたので、大阪近郊に[[阪神甲子園球場|甲子園球場]]という日本最大の球場を持っていた阪神電気鉄道が球団を設立することになったのである。&lt;br /&gt;
*1935年[[10月25日]]の[[門前眞佐人]]との入団契約を皮切りに[[山口政信]]、[[藤村富美男]]、[[藤井勇]]といった[[高校野球|甲子園]]のスター選手と[[都市対抗野球]]の強豪・大連実業の[[松木謙治郎]]らを集め、同年[[12月10日]]に「株式会社大阪野球倶楽部」、球団名'''大阪タイガース'''（おおさか-）が発足した。日本運動協会（のち[[宝塚運動協会]]）、[[天勝野球団]]、大日本東京野球倶楽部に続く日本で4番目のプロ野球チームであった。&lt;br /&gt;
*翌[[1936年]]にも、川崎コロムビアの[[若林忠志]]（[[1月9日]]）や[[立教大学]]の[[景浦將]]（[[2月28日]]）等の有力選手と契約し、同年4月の球団結成記念試合までに17名の選手を獲得した。同年[[2月5日]]には、東京ジャイアンツ、[[中日ドラゴンズ|名古屋]]、[[オリックス・バファローズ|阪急]]等とともに[[日本野球連盟 (プロ野球)|日本職業野球連盟]]を結成している。これは、現在の[[日本野球機構]]にあたる組織であり、同日が日本プロ野球リーグのはじまりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*1936年の公式戦は、春（第1回日本職業野球リーグ戦）・夏（連盟結成記念全日本野球選手権）・秋（第2回全日本野球選手権）の3シーズンに分けて東京、大阪、名古屋の各都市圏でいくつかの大会を開催する方式だった。最初のシーズンである春は、東京ジャイアンツが[[アメリカ合衆国]]遠征を行っていて出場しなかった（後に[[名古屋金鯱軍]]も内外遠征を行っている）ためシーズン優勝は決めなかったが、開催された3大会でタイガースはいずれも1位を逃した。松木や景浦率いる打線にエース若林といった豪華な布陣を考えれば、これは芳しくない成績であった。&lt;br /&gt;
*1936年夏と秋のシーズンは、各大会で1位になった回数でシーズン優勝を決める勝ち点制だった。夏、名古屋大会で1位になったタイガースは、東京大会、大阪大会で1位になった名古屋、阪急と優勝決定戦を行うこととなっていたが、直前になって中止され、初優勝を逃した。また親会社同士が競争関係にある阪急に勝てなかったことから、初代[[プロ野球監督|監督]]の[[森茂雄]]が解任され、[[石本秀一]]が新監督に就任した。同年秋、打倒[[沢村栄治]]に闘志を燃やす松木や景浦を中心として各大会を戦い抜き、24勝6敗1分と抜群の成績を残したが、優勝を決める勝ち点は2.5で東京ジャイアンツと並んだ。このため、同年[[12月]]に[[洲崎球場]]で優勝決定戦が行われたが、1勝2敗で惜敗した。&lt;br /&gt;
*[[戦前]]・[[戦中]]は常に東京ジャイアンツ（[[1940年]]に[[読売ジャイアンツ|東京巨人]]に改称）と優勝争いを繰り広げた強豪チームであった。特に[[1937年]]秋、[[1938年]]春には、[[御園生崇男]]に加えて1937年春から豪腕[[西村幸生]]が加入した磐石の投手陣と、松木、山口、景浦、藤井、[[田中義雄]]らの強力打線を擁してプロ野球初の2連覇を達成した。さらに、春秋2シーズン制を採用していたこの2年間は、春と秋のシーズン優勝チーム同士が戦う年度優勝決定戦でいずれもジャイアンツを破り、年度優勝に輝いた。&lt;br /&gt;
*[[1940年]]9月、戦局悪化による敵性[[英語]]の使用禁止をうけ球団名を大阪タイガースから'''阪神'''に改称した。軍の召集により選手数が不足する苦しい状況で、[[1944年]]には監督兼主戦投手の若林忠志が35試合中31試合に登板してタイトルを総なめにし、3度目の優勝を遂げた。戦争が激化するなか、[[1944年]]の[[総進軍大会]]、ならびに[[1945年]]1月の正月大会（非公式大会）に「猛虎（阪神と産業の合同チーム）」の名称で参加したのを最後に、同年3月に活動を停止した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===戦後期（40年代、50年代）===&lt;br /&gt;
*[[戦後]]、1945年11月の東西対抗戦（非公式大会）より復帰し、翌年3月に球団名を大阪タイガースに戻した。したがって、翌[[1947年]]に大リーグに倣って職業野球全球団がニックネームを導入したさい、タイガースだけは球団名の変更を行う必要がなかった。1946年の愛称は「猛虎」（[[日本野球連盟 (プロ野球)#1946年の球団愛称|参照]]）。&lt;br /&gt;
*1947年、若林が1944年と同様に投手兼監督として[[最優秀選手 (野球)|最高殊勲選手賞]]（MVP）を受賞する活躍をみせ、戦後初優勝となる通算4度目の優勝を飾った。1番打者・[[呉昌征]]から始まり[[金田正泰]]、藤村、[[土井垣武]]などリーグ屈指の強打者を並べた打線は「ダイナマイト打線」と呼ばれた。特に4番打者であった藤村は、物干し竿と呼ばれる長いバットを用いて本塁打を量産し、ミスタータイガースと呼ばれた。[[1949年]]には、チーム順位が6位にもかかわらず藤村が最高殊勲選手賞を受賞した。&lt;br /&gt;
*1949年オフの[[プロ野球再編問題 (1949年)|新球団加盟問題]]では、当初は[[千葉ロッテマリーンズ|毎日オリオンズ]]ら新球団の加盟に消極的ながら賛成していた。しかし最終的には反対派にまわり、2リーグ分立に際して読売ジャイアンツ等とともに[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]を創設した。阪神に裏切られた形となった新球団毎日は、戦力確保のためにタイガースの選手を集中的に引き抜いた。監督兼主戦投手の若林を始め、打撃、守備の中心である呉（1番[[中堅手]]）、[[別当薫]]（3番[[右翼手]]）、土井垣（5番[[捕手]]）、[[本堂保次]]（6番[[二塁手]]）ら6名が毎日に移籍した（ちなみに別府星野組の左腕投手・[[荒巻淳]]もタイガース入団が内定していたが、毎日に奪われている）。さらに[[遊撃手]]・[[長谷川善三]]までもが[[西武ライオンズ|西鉄クリッパース]]へ移籍。[[門前眞佐人]]が[[横浜ベイスターズ|大洋ホエールズ]]へ移籍するなど、ダイナマイト打線は崩壊した。&lt;br /&gt;
*セ・リーグ元年の[[1950年]]、阪神は移籍した若林にかわり松木が監督に就任し、毎日の引き抜きにあわずに残留した藤村、金田、[[後藤次男]]、[[藤村隆男]]、[[梶岡忠義]]、[[白坂長栄]]らを中心にチームを構成して前年を上回る4位という順位を確保した。しかし新規に加盟した球団を除けば最下位であり、レギュラーの3分の2が流出した影響は深刻であった。&lt;br /&gt;
*一方、チームの再建のため、ファームの結成や本格的なスカウト制度の導入などの改革により、世代交代の準備を進めた結果、[[1950年代]]には[[吉田義男]]、[[渡辺省三]]、[[小山正明]]、[[田宮謙次郎]]、[[藤本勝巳]]などの若手選手達が次々と主力になり、好成績を収めた。しかし投打が今一歩噛み合わず、[[水原茂]]監督率いる巨人が黄金時代の真っ直中にあるなかでタイガースは優勝から遠ざかることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2度のリーグ制覇（60年代）===&lt;br /&gt;
*[[プロ野球地域保護権|フランチャイズ制度]]の正式導入に伴い保護地域が[[兵庫県]]となったことから、[[1961年]]に社名を「株式会社阪神タイガース」、チーム名も'''阪神タイガース'''に変更して、心機一転をはかった。しかし同年はチームの成績が低迷した上に、主力選手と度々衝突を繰り返した[[金田正泰]]監督がシーズン中に解任されるなど、チームは混乱した。金田の後任として、巨人時代に7度のシーズン優勝を誇る名将・[[藤本定義]]ヘッドコーチが監督に就任した。&lt;br /&gt;
*[[1962年]]、藤本監督の下、小山、[[村山実]]の両エースの力投と遊撃手・吉田、三塁手・[[三宅秀史]]、二塁手・[[鎌田実]]らによる守りの野球で2リーグ分立後では初となる通算5度目の優勝を果たした。[[1962年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では[[北海道日本ハムファイターズ|東映フライヤーズ]]と対戦したが、2勝4敗1分で敗退した。村山の最高殊勲選手賞（MVP）選出が当時の慣行で日本シリーズ開催の直前に発表されたため、両輪として活躍した小山をはじめとして、チーム内の雰囲気が悪かったことが大きく影響したといわれる（シーズンMVP発表は翌年よりシリーズ後に変更）。&lt;br /&gt;
*[[1964年]]、エース小山と[[千葉ロッテマリーンズ|大毎オリオンズ]]の4番打者[[山内一弘]]とのトレードを成立させて打撃を強化する一方、[[ジーン・バッキー]]らが小山の穴を埋め、6度目の優勝を果たした。[[横浜ベイスターズ|大洋ホエールズ]]があと1勝すれば優勝という絶体絶命のピンチに追い詰められながらも、最後に9連勝で逆転優勝を決めた奇跡的なシーズンであった。しかし、[[東京オリンピック]]の影響で早く始まった[[1964年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]相手に先に王手を掛けながら[[ジョー・スタンカ]]に2試合連続完封負けを喫し、3勝4敗で惜敗した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===迷走から日本一へ（1970年～1985年）===&lt;br /&gt;
*[[1970年]]、村山が[[選手兼任監督]]に就任。[[江夏豊]]と[[田淵幸一]]の「黄金のバッテリー」や吉田からレギュラーを奪った[[藤田平]]といった個性的で人気と実力を兼ね備えた選手達とミスタータイガース村山監督をそろえたチームは、1964年以来の優勝を期待させた。しかし、当時は[[王貞治]]や[[長嶋茂雄]]ら群を抜いた戦力を持つ巨人が絶頂期を迎えていた。そのため、1970年2位、[[1971年]]5位、[[1972年]]2位と期待に応えられなかった。1972年には村山が監督の肩書のまま投手に専念したため、[[金田正泰]]が監督代行を務めている。村山はこの年限りで引退。&lt;br /&gt;
*[[1973年]]、金田監督が復帰。同年、9連覇を目指す巨人と激しい優勝争いを行い、残り2試合で1勝すれば優勝というところまでこぎつけたものの[[ナゴヤ球場|中日球場]]での[[中日ドラゴンズ]]戦では[[星野仙一]]を攻略できずに2-4で敗れ、地元甲子園での最終戦では巨人に0-9と完敗して優勝を逃した。試合終了後敗戦に怒ったファンが球場に乱入し、巨人の主力選手に殴る蹴るの暴行を加えるなど混乱した。&lt;br /&gt;
*[[1975年]]、吉田が監督に就任。優勝が期待されたが、エース江夏の不調などから3位に終わった。その年のオフに江夏を[[江本孟紀]]、[[島野育夫]]らとのトレードで南海へ放出。翌[[1976年]]は当時新記録のシーズン193本塁打など打撃陣は好調。[[ハル・ブリーデン]]、[[マイク・ラインバック]]、[[掛布雅之]]らの活躍により、巨人と激しく優勝争いを演じるが結局2ゲーム差の2位に終わる。[[後藤次男]]監督時代の[[1978年]]には球団初の最下位に沈み、後藤は責任を取る形で辞任した。&lt;br /&gt;
*1978年オフ、小津球団社長が就任。小津は低迷するチームの改革を図るためには大規模な改革が必要と考え、正捕手・4番打者の田淵とエース級の[[古沢憲司]]を[[西武ライオンズ]]の[[竹之内雅史]]、[[真弓明信]]、[[若菜嘉晴]]との交換トレードで放出。さらに[[江川事件]]で巨人が[[江川卓 (野球)|江川卓]]と契約しようとすると、これに対抗して[[ドラフト会議]]で江川を1位指名した。しかし巨人入団を強く望む江川との交渉に難航し、結局江川を巨人に移籍させ、その見返りとして巨人のエース・[[小林繁]]を獲得した。&lt;br /&gt;
*主力級選手の放出獲得を次々と行ったことで批判を浴びた上、[[1979年]]以降も最下位は免れたもののチーム成績は低迷が続いた。この間、監督は[[ドン・ブレイザー]]、[[1980年]]途中からの[[中西太]]と監督がめまぐるしく交代するがチームは3～5位という状況であった。&lt;br /&gt;
*[[1982年]]、[[安藤統男]]が監督に就任。成績は奮わなかったが、戦力が厚みを増し[[1985年]]の日本一につながった。&lt;br /&gt;
*[[1985年]]、吉田が監督に復帰。この年は21年ぶりのリーグ優勝を果たすが、それを目前にした[[8月12日]]、[[中埜肇]]球団社長が[[日本航空123便墜落事故|日航機墜落事故]]で死亡するという悲劇も起こる。結果的にはこの大事件により、阪神ナインは一層奮起したとも言われる。1番・真弓、3番・[[ランディ・バース]]、4番・掛布、5番・[[岡田彰布]]らの強力打線（第2次ダイナマイト打線）がシーズン219本塁打を記録（[[2004年]]に[[読売ジャイアンツ]]に破られるまではセ・リーグ記録だった）し、[[中西清起]]、[[福間納]]、[[山本和行]]らがリリーフ投手として大車輪の活躍をした。[[1985年の日本シリーズ]]では、4勝2敗で西武を下し'''日本一'''を達成した。同年の最優秀選手（MVP）となったバースは同年、翌年にわたり、2年連続で[[三冠 (野球)|三冠王]]という偉業を成し遂げた。[[1986年]]にはシーズン打率.389・シーズン長打率.777・７試合連続本塁打・13試合連続打点の日本新記録をマークし、いずれの記録も現在でも破られていない。&lt;br /&gt;
*また、阪神は1985年の日本シリーズで[[西武ドーム|西武ライオンズ球場]]では3戦（第1戦、第2戦、第6戦）全勝しており、[[2005年]]の[[インターリーグ|交流戦]]においても（ただし球場は[[西武ドーム|グッドウィルドーム]]となっている）2連勝して20年越しでの所沢5連勝を飾った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===低迷期（1986年～2001年）===&lt;br /&gt;
*日本一になった1985年からわずか1年後の[[1986年]]は、掛布の骨折と平田の負傷による戦線離脱、岡田などの主力選手の不振が影響し、夏のロードで[[広島東洋カープ|広島]]・巨人との優勝争いから脱落して、3位に。その翌年の[[1987年]]に最下位に沈み、吉田監督は辞任。その後長らく成績不振がつづいた。&lt;br /&gt;
*[[1988年]]、村山監督が復帰。「少年隊」トリオの[[和田豊]]、[[大野久]]、[[中野佐資]]を登用するなど若手への世代交代を進める。しかし、バースの帰国、掛布の引退などアクシデントが重なり最下位に沈む。[[1989年]]は新外国人の[[セシル・フィルダー]]が大活躍するも三振してバットを叩きつけた際に骨折して帰国。シーズン中から監督問題が浮上し、村山監督が辞任。&lt;br /&gt;
*[[1990年]]、[[中村勝広]]監督が就任。ヤクルトを解雇された[[ラリー・パリッシュ]]を獲得し、打ち勝つ野球を目指し、5月中盤までは岡田・パリッシュが好調だったが、両名の失速と投手陣の不振とともに順位を下げ、6月20日に最下位に転落して以降、2度と浮上することはなく、最下位に終わる。[[1991年]]は開幕55試合で15勝40敗という目を覆わんばかりの成績不振で、中村監督の途中解任まで取り沙汰されたほどであった。しかし、この年の後半戦は、[[猪俣隆]]、[[葛西稔]]といった若手投手が台頭し、5連続先発投手完投勝利を収めたこともある。&lt;br /&gt;
*[[1992年]]、不振に陥っていた主砲の岡田に代わり、それまでほとんど実績がなかった[[亀山努]]、[[新庄剛志]]の両俊足外野手が大活躍（[[亀新フィーバー]]）。甲子園の[[ラッキーゾーン]]が撤去されて外野が広くなったこともあり、[[仲田幸司]]、[[中込伸]]、[[湯舟敏郎]]、[[野田浩司]]、[[弓長起浩]]、[[田村勤]]ら投手陣も大活躍し、和田豊、[[トーマス・オマリー]]、[[ジム・パチョレック]]、[[八木裕]]らと共に、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]と久々に優勝争いを繰り広げ最終カードまで優勝争いを持ち込んだが、惜しくも2位に終わった。&lt;br /&gt;
*中村監督は[[1995年]]シーズン途中で辞任。&lt;br /&gt;
*[[1996年]]、藤田監督が就任。怪我の亀山に代わり[[桧山進次郎]]が台頭するも、新庄や主力選手との確執によりシーズン途中で辞任。&lt;br /&gt;
*[[1997年]]に吉田監督が再復帰。しかしチームを再生することはできず[[1998年]]限りで辞任。&lt;br /&gt;
*[[1999年]]、「ID野球」の教祖・[[野村克也]]監督を招聘して猛虎再生を託した。野村は新庄の投手起用や、[[伊藤敦規]]、葛西稔、[[遠山奨志]]らの奇抜な投手交代、[[赤星憲広]]をはじめとする俊足選手の獲得、エース[[井川慶]]（現・[[ニューヨーク・ヤンキース]]）、若き主砲[[濱中治]]の育成、不逞選手の解雇など手を尽くし低迷脱出を図った。しかし、チームの柱となる選手の獲得をたびたび球団に要請するも金銭的な理由で断られ、深刻な戦力不足から3年連続最下位に沈むと、[[野村沙知代|沙知代]]夫人の脱税の責任を取って[[2001年]]シーズン限りで退団した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猛虎復活（2001年～2006年 ）===&lt;br /&gt;
*2001年オフ、野村の後任監督に中日監督を辞任したばかりの[[星野仙一]]が就任。&lt;br /&gt;
*2002年は、開幕7連勝と好スタートを切り、優勝争いに絡んだが、その年に開催されたサッカーワールドカップの日本開催による変則スケジュール後にバテてしまい、また夏場以降[[読売ジャイアンツ]]に圧倒され4位に終わった。それでも最下位脱出には成功し、オフにはチームの活性化を目的とした選手の入れ替えを実施し、実績のない選手を解雇や2軍へまわす等の血の入れ替えを行い、[[伊良部秀輝]]、[[金本知憲]]、[[下柳剛]]の獲得など、積極的な補強を進めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[2003年]]、[[桧山進次郎]]、[[今岡誠]]、[[赤星憲広]]、[[金本知憲]]、[[矢野輝弘]]、[[藤本敦士]]、[[井川慶]]ら充実した戦力で開幕より快進撃を続け、稀にみる独走で18年ぶりのリーグ優勝を果たした。その後の日本シリーズでは[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]と戦い、金本、桧山、[[吉野誠]]らの活躍で10年ぶりに第7戦までもつれ込むなどシリーズを盛り上げたが、惜しくも3勝4敗で敗れた。日本シリーズ終了後、星野は体調不良を理由に勇退し、星野によって招聘されたコーチ陣のうち、[[島野育夫]]はフロントに転出して管理部長として、オマリーは駐米スカウトとして球団に残ったが、田淵、[[達川光男]]、[[西本聖]]は退団した。&lt;br /&gt;
*後任には岡田コーチが監督に就任。1年目の[[2004年]]は、主力選手の不振、更に藤本、安藤、ウィリアムスのアテネ五輪出場による離脱で、大幅な戦力低下が響き4位であった。&lt;br /&gt;
*[[2005年]]は、「'''JFK'''」（[[ジェフ・ウィリアムス]]、[[藤川球児]]、[[久保田智之]]の頭文字）や「'''SHE'''」（[[桟原将司]]、[[橋本健太郎]]、[[江草仁貴]]の頭文字）などの救援陣の活躍や、[[アンディ・シーツ]]、金本、今岡による[[クリーンナップ]]の安定した成績により、同年導入された[[インターリーグ|交流戦]]で好成績を収めて首位に立つとシーズン終了まで1度も譲ることなく、9度目のリーグ優勝を飾った。[[2005年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]に四連敗を喫してしまった。（ちなみに、[[千葉マリンスタジアム]]で行われたこの日本シリーズの第一試合は7回裏途中（一死無走者）で濃霧コールドゲームという椿事が起きた。）しかし、翌年の2006年の交流戦では、ロッテに5勝1敗で勝ち越し日本シリーズでの雪辱を晴らしている。この年のオフ、島野の2軍監督就任と[[木戸克彦]]2軍監督の退団を発表。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[2006年]]は、シーズンの最後まで[[中日ドラゴンズ]]との優勝争いを繰り広げ、シーズン終盤に9連勝を飾るも、今岡の不振と負傷、久保田の負傷等、主力選手の不振が響き、2位となった。だが、[[1985年]]（首位）～[[1986年]]（3位）以来20年ぶりに2年連続のAクラス及び球団史上初の2年連続80勝を達成。2005年から実施された実数での観客動員数も2年連続300万人を超え、1試合平均観客動員数も4万3千人台と何れも12球団一の動員数であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==チーム成績・記録==&lt;br /&gt;
*リーグ優勝 9回&lt;br /&gt;
:（1937年秋、1938年春、1944年、1947年、1962年、1964年、1985年、2003年、2005年）&lt;br /&gt;
*日本一 1回&lt;br /&gt;
:（1985年）&lt;br /&gt;
*Aクラス 42回&lt;br /&gt;
:（1937春～1940年、1942年～1948年、1951年～1960年、1962年～1970年、1972年～1973年、1975年～1976年、1981年～1982年、1985年～1986年、1992年、2003年、2005年～2006年）&lt;br /&gt;
*Bクラス 28回&lt;br /&gt;
:（1941年、1949年、1950年、1961年、1971年、1974年、1977年～1980年、1983年～1984年、1987年～1991年、1993年～2002年、2004年）&lt;br /&gt;
*最多勝利　87勝（2003年、2005年）&lt;br /&gt;
*最多敗戦　84敗（1995年）&lt;br /&gt;
*最多引分　13分（1976年）&lt;br /&gt;
*最高勝率　.829（1938年春）&lt;br /&gt;
*最低勝率　.331（1987年）&lt;br /&gt;
*最多連勝　14連勝（1937年、1946年）&lt;br /&gt;
*最多連敗　12連敗（1998年、1999年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他の記録 ===&lt;br /&gt;
*最小ゲーム差　0.5ゲーム（1937年春、1973年）&lt;br /&gt;
*最大ゲーム差　37.5ゲーム（1987年）&lt;br /&gt;
*最多本塁打　219本（1985年）&lt;br /&gt;
*最少本塁打　1本（1944年）&lt;br /&gt;
*最高打率　.345（1936年夏）&lt;br /&gt;
*最低打率　.197（1941年）&lt;br /&gt;
*最高防御率　1.53（1944年）&lt;br /&gt;
*最低防御率　4.79（1978年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==チーム特徴==&lt;br /&gt;
*ニックネームの「'''タイガース'''」は阪神電鉄社員の公募によって決定した。この際、何人かが「タイガース」という名称を応募したが、抽選の結果、事業課所属の松原三郎が考案者として認定された。松原は[[大阪市|大阪]]の姉妹都市である[[デトロイト]]を本拠地としていた[[デトロイト・タイガース]]を参考にしてこの名称を応募したとされているが、デトロイト・タイガースとは無関係に「タイガース」というニックネームを考えた者も多数いたと言われている。このニックネームについては、英語表記「Tigers」を正しく発音すると「タイガーズ」であるが、正式名称は片仮名表記であるため、タイガーズとするのは誤りである。当時の球団名においては、複数形のsを英語で「ズ」と発音する場合にも正式名称を「ス」とすることは一般的であった。&lt;br /&gt;
*球団名「'''阪神'''タイガース」は、親会社が「阪神」電鉄である事と、本拠地である[[阪神甲子園球場|甲子園球場]]が大阪市と神戸市の間の「阪神」地区に位置している事との2つの意味をあわせもった球団名である（ちなみに西宮市を所轄する兵庫県の県民局は「阪神南県民局」である）。設立当初は「大阪タイガース」という球団名であったが、タイガース以外にも[[オリックス・バファローズ|阪急]]、[[福岡ソフトバンクホークス|南海]]が大阪にあったことから略称として「阪神」が使われており、さらに甲子園球場が大阪府ではなく兵庫県に位置していたため、当時ヘッドコーチだった[[青田昇]]等の意見により、[[1961年]]に改称した。改称以前の[[1954年]]に発足したファームの[[新日本リーグ]]にも、神戸を本拠とした事もあり、阪神ジャガースの名称でチームを組織していた。&lt;br /&gt;
*球団名を一文字で表記する時は一般的に「'''神'''」とする。本来であれば略称「阪神」の一文字目の「阪」の字を用いるべきだが、かつて[[オリックス・バファローズ|阪急]]との混乱を避けるために、阪神は「神」、阪急は「急」としていた名残りである。[[1993年]]に横浜大洋ホエールズ（「洋」）が[[横浜ベイスターズ]]となって以降は、現存するプロ野球チームの中では略称に最初の文字を使わない唯一の球団となっている。&amp;lt;br /&amp;gt;またプロ野球の歴史に関して記述した本の中では球団名が「大阪タイガース」だった頃にも球団名を「大阪」ではなく「阪神」としているものもあるが、これは一文字で表記した場合に「大」だと大洋・[[大映ユニオンズ|大映]]・[[千葉ロッテマリーンズ|大毎]]・[[西武ライオンズ|太平洋クラブ]]など、また「阪」では前述のように阪急と混同する可能性があるためのやむをえない措置である。&lt;br /&gt;
*球団歌は『[[阪神タイガースの歌|阪神タイガースの歌（旧：大阪タイガースの歌）]]』である。空をかける太陽と、輝く選手達を掛けて覇気を歌い上げる見事な歌詞と美しい曲調で知られ、阪神ファンのみならず、プロ野球ファンの間で最も有名な応援歌とされる。特に阪神地域では、野球に興味が無かったり、他球団のファンであっても歌う事が出来るほどである。歌詞の冒頭をとって'''六甲颪'''（ろっこうおろし）と呼ばれる。&lt;br /&gt;
*球団[[マスコット]]は次の2人である。ともに、チーム名「タイガース」にちなんで虎をモチーフとしている。初期のトラッキーには初登場の年を表す背番号があったが、背中には名前を書くようになり、初登場の年は胸番号に移行した。なお、親会社の阪神電気鉄道およびその関連企業のマスコットとしても使われている。&lt;br /&gt;
**[[トラッキー]]（TO-LUCKY） - 胸番号1985&lt;br /&gt;
**[[トラッキー#特徴|ラッキー]]（LUCKY） - 胸番号1994&lt;br /&gt;
*[[ホーム・アンド・アウェー|ホームゲーム]]では本拠地である阪神甲子園球場を使う事が多いが、[[1948年]]の[[プロ野球地域保護権|フランチャイズ制]]仮導入までは、ホームゲームを本拠地で行う習慣はなく、甲子園球場や[[後楽園球場]]、[[西宮球場]]などの中から日程上都合のいい球場を選んで行っていた。又、フランチャイズ制導入後も、甲子園球場のナイター設備が導入されるまでは[[大阪球場]]でナイターを行うなど、他球場での主催試合も行った。また、[[大阪ドーム]]（[[2006年]][[7月1日]]より「京セラドーム大阪」）でも[[1997年]]の開場から主催試合を行っているが、[[2005年]]から[[2007年]]までの3年間は準本拠地として使用する。甲子園球場以外での主催試合でも関西を中心とした西日本を主にしている事が特徴である。&lt;br /&gt;
*大阪ドーム開場以前は、1988～90年には[[スカイマークスタジアム|グリーンスタジアム神戸（現：スカイマークスタジアム）]]、91～96年には西宮球場で年間数試合が行われた。&lt;br /&gt;
*現在では、大阪ドームの他に[[倉敷マスカットスタジアム]]や[[松山坊ちゃんスタジアム]]（2007年は主催試合なし）で年1～2試合程度主催試合を行う。以前は[[西京極球場]]でも毎年一試合を行っていたが、2005年（西武戦）を最後に主催試合を行っていない（2006年は一試合を予定していたが甲子園球場に振りかえ、2007年はオープン戦すら行っていない）。&lt;br /&gt;
*選手寮は兵庫県西宮市の虎風荘であり、隣接するファームの本拠地[[阪神鳴尾浜球場]]と合わせて「'''タイガースデン'''（Tigers Den、虎の穴）」と称する。当初は、虎の穴とガーデンとを掛け合わせて「タイガーデン（Tiger Den）」としていたが、[[タイガー魔法瓶]]との商標権の関係で、[[2003年]]末に改称した。&lt;br /&gt;
*監督はチームの生え抜き選手が就任する事が多いが、優勝から遠ざかっていた[[1960年代]]には[[藤本定義]]が、低迷が続いた近年は[[野村克也]]、[[星野仙一]]といった他球団の監督として実績を残した人材を起用することにより、両時期とも低迷を脱した。&lt;br /&gt;
*セントラル・リーグでは唯一の[[近畿地方|関西]]の球団である。1リーグ時代には[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]、[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]なども関西の人気チームであったが、2リーグ分立後は[[読売ジャイアンツ]]の試合は常にテレビ中継が行われるようになり、同一リーグのために[[日本シリーズ (野球)|日本シリーズ]]や[[インターリーグ|交流戦]]以外でも巨人と対戦するタイガースは、関西の野球ファンの人気を一身に集めるようになった。そのため、'''[[読売新聞]]系の「[[スポーツ報知]]」を除く関西版の[[スポーツ新聞]]の1面を飾る事が多い。'''&lt;br /&gt;
*巨人と阪神の設立当時の名称は東京ジャイアンツと大阪タイガースであり、'''「アンチ東京」'''という意味で阪神タイガースは関西を代表する団体といえる。'''&lt;br /&gt;
*[[ドラフト会議]]においては、長期的視野を要する高校生よりも大学生、社会人選手を進んで取る傾向にあり、逆指名制度、自由獲得枠、希望選手枠といった即戦力を獲得するための制度を最も積極的に使っているため、選手の平均年齢が比較的高い。しかし、2004年ドラフト会議において指名した[[辻本賢人]]はドラフト会議史上最年少の15歳であり、球界関係者を驚かせた。&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[10月16日]]に[[関西テレビ放送]]が放映した阪神戦（[[明治神宮野球場]]での[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦で、21年ぶりの優勝が決まった試合）の関西地区での視聴率は56.7%（[[ビデオリサーチ]]調べ）。これは関西地区におけるプロ野球中継の最高視聴率である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==球団の伝統==&lt;br /&gt;
*時代に合わせて本拠地球場・応援歌など球団のあり方を変化させてきた[[読売ジャイアンツ]]などの他球団に対し、タイガースは常に伝統を重んじるとして大きな変更が行われないのが伝統となっている。&lt;br /&gt;
*球団名「タイガース」は、戦前戦中の英語が使用出来なかった時期を除き、一貫して使われてきた愛称である。戦前のプロ野球チームでは「[[翼軍|セネタース]]」「[[大和軍|イーグルス]]」などの愛称があったが、球団の消滅にともないこれらの愛称もなくなり、現在でも使われているものは、「ジャイアンツ」と「タイガース」だけである。ただし、2005年に「[[東北楽天ゴールデンイーグルス|イーグルス]]」が復活した。&lt;br /&gt;
*球団歌、『[[阪神タイガースの歌]]』（六甲おろし）は球団結成と同時に『大阪タイガースの歌』として作られたもので、戦前から現在まで用いられている球団歌は他にない。他球団の応援歌は、歌詞に問題があったり、球団が消滅するなどして、いずれも現在では使われていないが、『大阪タイガースの歌』だけは、歌詞中の大阪タイガースという単語を阪神タイガースに変えただけで現在も使われている。なお、歌詞の中で連呼される感嘆詞「オウ」は大阪タイガースの「大」に掛けたものであるが、[http://enbbs.jp/ 掲示板]によると、球団名を改めた後もそのまま残った。&lt;br /&gt;
*[[阪神甲子園球場]]は球団結成時からの本拠地であり、現在のプロ野球で本拠地となっているものの中では最古である。元々は[[高校野球]]で使用する事を目的として造られた球場だが、甲子園球場を傘下に持つ阪神電鉄の球団という事で、阪神タイガースの本拠地となり、現在にいたっている。&lt;br /&gt;
*プロ野球最初の公式リーグ戦である1936年春から現在まで戦争による中断を除いた全公式シーズンに参加しており、かつ創立当時から親会社が変わっていないのはタイガースのみである。同様の球団は他に読売ジャイアンツがあるが、アメリカ合衆国遠征のために1936年春のシーズンを欠場している。タイガースのように、非常に長い期間経営母体がかわらずに存続するプロ野球チームというのは、世界的にも極めて少ない。テレビ中継などでは阪神巨人戦は「伝統の一戦」と紹介される。&lt;br /&gt;
*球団旗も結成当初から黒と黄色の横縞に、左上に赤い丸で囲まれた猛虎のマークが使われているが、[[1984年]]に虎のイラストと丸の大きさが変更され、「HANSHIN Tigers」の球団ロゴが付け加えられるというマイナーチェンジが施されただけである。しかし、[[版権]]という概念が確立されていなかった[[1960年代]]には他球団も含めていい加減な扱われ方をされており、正面を向いた猛虎のイラストが黄色い丸で囲まれた球団旗も当時出版された選手名鑑などで見受けられる。また、ホーム用ユニフォームの胸に描かれる&amp;quot;Tigers&amp;quot;の書体も、[[1960年]]に細部が変更されたのみで創設以来一貫して使用され続けている。&lt;br /&gt;
*タイガースが全選手・監督・コーチをそろえて毎年キャンプイン前の1月に[[広田神社]]（武運長久⇒優勝を祈願）に参拝する行事は、球団創立時からの伝統である。又、現在では、開幕前の3月に[[西宮神社]]（商売繁盛⇒球団収益を祈願）に参拝する事も伝統的な行事となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==阪神ファン・応援スタイル==&lt;br /&gt;
{{See|阪神ファン}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ユニフォームの変遷==&lt;br /&gt;
*[[1936年]]～[[1940年]]　球団創設時は「Tigers」2種類、「OSAKA」1種類のユニフォームを使用。縞帽子はこの頃から登場している。ロゴは黒で縁取りは黄色。&lt;br /&gt;
*1940年～[[1944年]]★　軍部の指導によりロゴを「阪神」に変更。1944年からは国防色の採用が義務付けられ、グレーの縦縞が廃止される。ホーム用はラインを廃止（袖の猛虎マークは消滅しなかったが戦後に入ってからいったん消滅している）。&lt;br /&gt;
*[[1945年]]～[[1948年]]　戦前期の縦縞ユニフォームを復活。しかし、耐用期間が短くわずか3年間で廃止された。&lt;br /&gt;
*[[1947年]]～[[1951年]]　縦縞なしの無地で前立てライン付きのユニフォームを採用。2リーグ分裂後も使用されたが1951年夏で廃止。&lt;br /&gt;
*1948年～[[1949年]]★　ユニフォームの生地に濃紺を採用。&lt;br /&gt;
**このユニフォームは縦縞の生地が手に入らなかったために間に合わせで作られたものだが、[[阪神タイガース#ダイナマイト打線|第1次ダイナマイト打線]]の時代と重なったこともあって老若男女問わずファンの認知度は高い。&lt;br /&gt;
*1951年～[[1953年]]　オールスターを境に前立てラインのないユニフォームに変更。ホーム・ビジターともに同一スタイル。&lt;br /&gt;
*1953年～[[1960年]]　伝統の縦縞と白地の縞帽子が復活。&lt;br /&gt;
*[[1954年]] ビジター用のロゴが「OSAKA」となる。&lt;br /&gt;
*[[1958年]]★　ロゴの黄色の縁取りがなくなる。ホーム用の白地の帽子とストッキングを廃止し、ビジター用と同じものに統一。&lt;br /&gt;
*[[1960年]]　ホーム用ユニフォームの「Tigers」の書体変更。胸番号を採用。帽子のマークをOからOTに変更。&lt;br /&gt;
*[[1961年]]～[[1965年]]　球団名改称によりビジター用ユニフォームを「HANSHIN」に変更。帽子はHTマークに。&lt;br /&gt;
*[[1962年]]夏からビジター用胸番号は背番号と同じ丸い字体に。&lt;br /&gt;
*1965年～[[1973年]]★　襟・袖・パンツに太いラインが登場。背番号書体変更。&lt;br /&gt;
*[[1970年]]　虎のワッペンが変更され、背中に名前が入る。背番号書体変更。&lt;br /&gt;
*[[1972年]]　HTマークのTが白、Hが黄色となる。&lt;br /&gt;
*[[1974年]]～[[1975年]]★　それまでの黒に加えて黄色のストライプを採用。ビジター用は1年間のみの使用だったが、1975年からギザギザラインが登場し、派手な印象となった。このユニフォームからニットで作られるようになる。帽子のHTマークのデザインも変更され、従来よりやや大きめの現在の形となる。&lt;br /&gt;
**ギザギザラインは[[永井一正]]がデザインしたもので、「輝流ライン」と呼ばれた。このラインの由来には「[[トラ|虎]]の牙」と「[[赤穂浪士]]の法被」の2つの説がある。&lt;br /&gt;
*1975年～[[1978年]]★　ホーム用にギザギザラインが登場。また、ビジター用がグレーからブルーに変更される。ブルーの生地は[[1983年]]まで使用された。なお、[[2006年]]の交流戦での阪神主催試合では、この復刻版ユニフォームを使用。&lt;br /&gt;
*[[1979年]]～[[1981年]]　プルオーバー・タイプ初登場。黒と黄色のノーマルラインに変更。同時にホーム用からパンツのラインが消え地味な印象となった（ビジター用は1983年まで使用）。また、この年からストッキングの黄色のストライプも廃止され、黒一色となっている。なお、[[2005年]]の[[交流戦]]での阪神主催試合と2006年の交流戦のビジター用では、この復刻版ユニフォームが使用され、交流戦終了後にチャリティーオークションに出された。&lt;br /&gt;
*[[1982年]]～[[1987年]]　黄色を排してモノトーンスタイルと縞帽子を復活。また、[[1984年]]からホーム用の背番号の書体が角型となる。同時にビジター用もグレーの縦縞となった。&lt;br /&gt;
*[[1988年]]～[[1990年]]　ボタン・タイプのユニフォームが登場。ビジター用のHTマークが白色から銀色に変更される。&lt;br /&gt;
*[[1991年]]～[[2000年]]　[[1985年]]優勝時のプルオーバー・タイプが復活。ホーム用の縞帽子が[[1999年]]限りで廃止され、2000年からビジター用の黒帽子に統一された。&lt;br /&gt;
*[[2001年]]～[[2006年]]　プルオーバータイプに代わって、ボタン付きプルオーバータイプ（ボタンが外れるのは上から数個、後の残りはダミー）を採用。ビジター用デザインが大きく一新され、[[サンディエゴ・パドレス]]風のスタイルとなった。背中のネームを廃止し、左袖の虎のマークをモノトーンに変更。しかし背中のネームは2年後に復活し、虎のマークは1年でカラーに戻っている。[[2004年]]からは球団のスポンサー企業である[[上新電機]]のロゴ『'''Joshin'''』が右袖に入るようになった。なお、左袖の虎のマークは[[2005年]]の1年間に限りホーム・ビジターとも70周年記念ロゴに変更されている。&lt;br /&gt;
*[[2007年]]～　前年までのユニフォームに引き続き、ボタン付きプルオーバータイプを採用。ホーム用にはチームカラーである黄色が[[1981年]]以来久々に取り入れられ、袖の下（わき腹にあたる部分）には黒色を配したデザインとなった。ビジター用は前年まで用いられてきたラケットラインを廃止し、ホーム用と同じくわき腹部分に黒色を配したデザインとなる。背番号の書体が丸みを帯び、1962年夏～65年まで使用された書体（いわゆる“オタマジャクシ”）を彷彿させるデザインとなった。帽子もデザイン変更が行われ、ホーム用が2005年・2006年の交流戦でも使用された1974年～1981年（ビジター用は1983年）タイプが復活、ビジター用は従来の黒帽子のつばのフチに白のラインが入れられている。なお、素材は従来のものに比べ軽量化が施されており、更に防汚性に強い素材となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*年代の後に★がついているものに関しては、[http://shop.hanshintigers.jp/ 阪神タイガース公式サイト内・T-SHOP]と以下の阪神タイガースショップにて「クラシックコレクション」として復刻版ユニフォームが販売されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
**アルプス（[[兵庫県]][[西宮市]]、[[阪神甲子園球場]]6号門向かい）&lt;br /&gt;
**阪神甲子園球場（兵庫県西宮市）&lt;br /&gt;
**[[阪神百貨店]]8階（[[大阪府]][[大阪市]]）&lt;br /&gt;
**[[ヤマトヤシキ]]姫路店7階（兵庫県[[姫路市]]）&lt;br /&gt;
**ヤマトヤシキ加古川店5階（兵庫県[[加古川市]]）&lt;br /&gt;
**[[山陽百貨店]]本館6階（兵庫県姫路市）&lt;br /&gt;
**[[京王百貨店]]新宿店7階（[[東京都]][[新宿区]]）&lt;br /&gt;
**[[くまもと阪神]]7階（[[熊本県]][[熊本市]]）&lt;br /&gt;
**岡山店（[[岡山県]][[岡山市]]）&lt;br /&gt;
**京都店（[[京都府]][[京都市]]）&lt;br /&gt;
**尼崎店（兵庫県[[尼崎市]]）&lt;br /&gt;
**和歌山モンティグレ店（[[和歌山県]][[和歌山市]]）&lt;br /&gt;
**横濱店（[[神奈川県]][[横浜市]]）&lt;br /&gt;
*なおデザインの詳細は[http://hanshintigers.jp/data/uniform/u_story_top.html 阪神タイガース公式サイト内・綱島理友のユニフォーム物語]を参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==スポンサー==&lt;br /&gt;
セ・リーグでは、各球団の申し合わせにより、[[2002年]]度からホーム用ユニフォームに限定して、スポンサー広告を掲載できるようになった。&lt;br /&gt;
*ユニフォーム袖　[[上新電機]]（2003年度～）&lt;br /&gt;
*ヘルメット　[[あしなが育英会]]（2002年度。スポンサーではなく球団がボランティアで）、上新電機（2003年度～）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴代本拠地==&lt;br /&gt;
*1936年～現在　[[阪神甲子園球場]]（1936年から1963年までは甲子園球場、1964年から現球場名に変更）&lt;br /&gt;
:※2005～2007年は、兵庫県の[[オリックス・バファローズ|オリックス]]が大阪府の[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]を[[プロ野球再編問題 (2004年)|吸収合併]]した事によるダブル[[プロ野球地域保護権|フランチャイズ]]問題の暫定処置として、[[大阪ドーム]]（2006年7月1日から「京セラドーム大阪」に変更）を準本拠地として使用する事が認められている。このため、[[高校野球]]で阪神甲子園球場が使えない時期などには、大阪ドーム（京セラドーム大阪）で主催試合を行う。（実際はドーム開場年から毎年使用している）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2軍の本拠地は[[阪神鳴尾浜球場]]（同県同市）を使用している。尚、阪神甲子園球場と鳴尾浜球場は互いに徒歩圏内にあり、2軍の選手も1軍から声がかかれば自転車でもすぐにファーム本拠地から1軍本拠地に行く事ができ非常に利便性が高い。12球団の中でも1軍の本拠地とファーム本拠地間の距離は[[西武ライオンズ]]の次に短く、互いの球場を徒歩で行き来出来るのも12球団の中では阪神と西武の2球団のみである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴代監督==&lt;br /&gt;
※太字は優勝達成監督を表す。登録上の監督ではなく、監督代行など実際の指揮権を持っていた者を記す。&lt;br /&gt;
*[[森茂雄]]（1936年春～1936年夏）&lt;br /&gt;
*'''[[石本秀一]]'''（1936年秋～1939年）&lt;br /&gt;
*[[松木謙治郎]]（1940年～1941年【第1次】）※1&lt;br /&gt;
*'''[[若林忠志]]'''（1942年～1944年【第1次】）&lt;br /&gt;
*[[藤村富美男]]（1946年【第1次】）※2&lt;br /&gt;
*'''若林忠志'''（1947年～1949年【第2次】）&lt;br /&gt;
*松木謙治郎（1950年～1954年【第2次】）&lt;br /&gt;
*[[岸一郎]]（1955年）&lt;br /&gt;
*藤村富美男（1955年～1957年【第2次】）&lt;br /&gt;
*[[田中義雄]]（1958年～1959年）&lt;br /&gt;
*[[金田正泰]]（1960年～1961年【第1次】）※3&lt;br /&gt;
*'''[[藤本定義]]'''（1961年～1965年【第1次】）&lt;br /&gt;
*[[杉下茂]]（1966年）&lt;br /&gt;
*藤本定義（1966年～1968年【第2次】）&lt;br /&gt;
*[[後藤次男]]（1969年【第1次】）&lt;br /&gt;
*[[村山実]]（1970年～1972年4月21日【第1次】）&lt;br /&gt;
*金田正泰（1972年4月22日～1974年【第2次】）&lt;br /&gt;
*[[吉田義男]]（1975年～1977年【第1次】）&lt;br /&gt;
*後藤次男（1978年【第2次】）&lt;br /&gt;
*[[ドン・ブレイザー]]（1979年～1980年）&lt;br /&gt;
*[[中西太]]（1980年～1981年）&lt;br /&gt;
*[[安藤統男]]（1982年～1984年）&lt;br /&gt;
**''6月13日～6月15日は[[佐藤孝夫]]が監督代行''&lt;br /&gt;
*'''吉田義男'''（1985年～1987年【第2次】）&lt;br /&gt;
*村山実（1988年～1989年【第2次】）&lt;br /&gt;
*[[中村勝広]]（1990年～1995年7月23日）&lt;br /&gt;
*[[藤田平]]（1995年7月24～1996年9月11日）&lt;br /&gt;
*[[柴田猛]]（1996年9月12日～1996年末）&lt;br /&gt;
*吉田義男（1997年～1998年【第3次】）&lt;br /&gt;
*[[野村克也]]（1999年～2001年）&lt;br /&gt;
*'''[[星野仙一]]'''（2002年～2003年）&lt;br /&gt;
*'''[[岡田彰布]]'''（2004年～）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;※1　ここから阪神&lt;br /&gt;
;※2　ここから大阪タイガース（第2次）&lt;br /&gt;
;※3　ここから阪神タイガース&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==永久欠番==&lt;br /&gt;
*'''＃10 [[藤村富美男]]（[[1959年]]～）'''&lt;br /&gt;
:球団初の永久欠番を与えられた藤村は球団創設時に入団し、兵役でチームを抜けた時も欠番となっていたため、'''藤村以外にタイガースで'''＃10'''をつけた者は存在しない。'''日本プロ野球において、'''ただ1人だけが付けた永久欠番は、藤村の＃10だけである'''（現存するチームにおいて。なお[[2005年]]創設の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]を除く）。「'''藤村の前に藤村なし、藤村の後に藤村なし'''」といわれる所以であり、彼がタイガース最大の功労者である証であろう。&lt;br /&gt;
*'''＃11 [[村山実]]（[[1973年]]～）'''&lt;br /&gt;
:阪神一筋・不滅の大エース。[[1960年代]]・[[1970年代]]の阪神は、村山の存在なくしては語れない。[[1959年]]の'''[[天覧試合]]での巨人・[[長嶋茂雄]]との名勝負'''や、[[1970年]]には、先発投手でありながら、'''シーズンを通して[[防御率]]が1点を切る不滅の大記録（0.98）'''など、記録にも記憶にも残る名投手であった。&lt;br /&gt;
*'''＃23 [[吉田義男]]（[[1987年]]～）'''&lt;br /&gt;
:吉田の背番号'''＃23'''については、'''球史に残る名遊撃手'''の番号を付けるに値する実力を持った選手がいないとして、吉田が引退した[[1970年]]以降欠番となっていたが、'''監督としての球団史上初の日本一への貢献'''などが評価され、[[1987年]]に永久欠番となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:タイガースにおいて、その功績をたたえて[[永久欠番]]が認定されているのは上の3名のみである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==欠番扱い==&lt;br /&gt;
*[[1993年]]に所属した[[松永浩美]]が背負った02番については（入団当初は2番だがシーズン途中から02番になる）、現在は日本野球機構が0と00を除く0番台と100番台以上の番号を（支配下登録選手の背番号としては）使わない方針に変更されたため、今後使用される事はないと考えられる（なお、[[西武ライオンズ]]ではチームスタッフの背番号として0番台の背番号が使われている。また、マンガ[[ドカベンプロ野球編]]では、マンガなので、実在の背番号と重ならないように01, 02, 03, 04, 05が使われている）。&lt;br /&gt;
*この他、正式な永久欠番ではないが、[[星野仙一]]（前監督・現シニアディレクター）の'''＃77'''についても、タイガースを建て直し[[2003年]]にリーグ優勝を果たした功労者として称えるため、事実上欠番とすることを当時の球団社長が述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ノーヒットノーラン達成者==&lt;br /&gt;
阪神には球団史上9人の投手がこれまでに[[ノーヒットノーラン]]を達成している。&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot;&lt;br /&gt;
|- align=&amp;quot;center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|年月日||選手名||スコア||相手||球場&lt;br /&gt;
|- align=&amp;quot;center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|bgcolor=&amp;quot;yellow&amp;quot;|[[1940年]][[8月3日]]||[[三輪八郎]]||1-0||巨人||大連&lt;br /&gt;
|- align=&amp;quot;center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|bgcolor=&amp;quot;yellow&amp;quot;|[[1946年]][[6月16日]]||[[呉昌征]]||11-0||セネタース||西宮&lt;br /&gt;
|- align=&amp;quot;center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|bgcolor=&amp;quot;yellow&amp;quot;|[[1948年]][[8月24日]]||[[梶岡忠義]]||3-0||南海||神宮&lt;br /&gt;
|- align=&amp;quot;center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|bgcolor=&amp;quot;yellow&amp;quot;|[[1952年]][[5月7日]]||[[真田重蔵|真田重男]]||12-0||広島||甲子園&lt;br /&gt;
|- align=&amp;quot;center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|bgcolor=&amp;quot;yellow&amp;quot;|[[1965年]][[6月28日]]||[[ジーン・バッキー|G.バッキー]]||7-0||巨人||甲子園&lt;br /&gt;
|- align=&amp;quot;center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|bgcolor=&amp;quot;yellow&amp;quot;|[[1973年]][[8月30日]]||[[江夏豊]]||1-0||中日||甲子園&lt;br /&gt;
|- align=&amp;quot;center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|bgcolor=&amp;quot;yellow&amp;quot;|[[1992年]][[6月14日]]||[[湯舟敏郎]]||6-0||広島||甲子園&lt;br /&gt;
|- align=&amp;quot;center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|bgcolor=&amp;quot;yellow&amp;quot;|[[1998年]][[5月26日]]||[[川尻哲郎]]||2-0||中日||倉敷&lt;br /&gt;
|- align=&amp;quot;center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|bgcolor=&amp;quot;yellow&amp;quot;|[[2004年]][[10月4日]]||[[井川慶]]||1-0||広島||広島&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
*特に江夏のケースは11回裏に自らサヨナラホームランを放ちノーヒットノーランを達成するという名勝負となった。延長でのノーヒットノーランはこれが唯一の記録である。&lt;br /&gt;
*[[完全試合]]についてはまだ誰も達成していない。&lt;br /&gt;
*これまでノーヒットノーランを記録したシーズンはいずれも優勝を逃している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴代の球団歌==&lt;br /&gt;
*大阪タイガースの歌（作詞:[[佐藤惣之助]] 作曲:[[古関裕而]] 歌:[[中野忠晴]]とコロムビア・ナカノリズムボーイズ、[[若山彰]]）&lt;br /&gt;
*[[阪神タイガースの歌]]（球団名変更にともなう改題、歌詞変更　歌:[[立川清登]]、[[中村鋭一]]、[[道上洋三]]、[[唐渡吉則]]ら多数）&lt;br /&gt;
:公認の球団歌はこの「タイガースの歌」（別称・[[六甲颪]]）だけだが、その他に球団応援歌も多数ある。&lt;br /&gt;
:*タイガース音頭/進め!タイガース（歌:中村鋭一）&lt;br /&gt;
:*トラトラマーチ（歌:[[植草貞夫]]）&lt;br /&gt;
:*阪神タイガース数え歌（歌:道上洋三）&lt;br /&gt;
:*トラトラ阪神応援歌（同上）&lt;br /&gt;
:*タイガースよ永遠に/今日も勝ったよタイガース（歌:[[平田勝男]]、[[吉竹春樹]]、[[池田親興]]=1985年タイガース所属選手）&lt;br /&gt;
:*阪神タイガースの優勝を知らない子供たち（[[戦争を知らない子供たち (楽曲)|戦争を知らない子供たち]]のパロディー替え歌。歌:[[リリアン]]、[[板東英二]]=元[[中日ドラゴンズ]]、[[やしきたかじん]]、[[桂雀々]]）&lt;br /&gt;
:他多数&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==キーワード==&lt;br /&gt;
===ミスタータイガース===&lt;br /&gt;
{{main|ミスタータイガース}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元は、球団創設時から在籍し、1940年代後半に不動の4番打者となった[[藤村富美男]]をたたえてファンが付けた呼称。藤村の引退後に何人かの選手が後継者として同様に呼ばれた。一般的には藤村の他、[[村山実]]、[[田淵幸一]]、[[掛布雅之]]の4人を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ダイナマイト打線===&lt;br /&gt;
{{main|ダイナマイト打線}}&lt;br /&gt;
タイガース打線の代名詞。[[1946年]]に[[日刊スポーツ]]の記者が命名し、[[1947年]]の優勝時に広まった。[[1940年代]]後半を第1次、[[1985年]]を第2次、[[2003年]]を第3次という。また、命名前の[[1930年代]]後半を第0次と呼ぶこともある。&lt;br /&gt;
*'''第0次''' [[松木謙治郎]]-[[藤村富美男]]-[[山口政信]]-[[景浦將]]-[[藤井勇]]-[[伊賀上潤伍|伊賀上良平]]-[[田中義雄]]-[[西村幸生]]-[[岡田宗芳]]&lt;br /&gt;
*'''[[ダイナマイト打線|第1次]]''' [[呉昌征]]-[[金田正泰]]-[[別当薫]]-藤村富美男-[[土井垣武]]-[[本堂保次]]-[[安居玉一]]-[[若林忠志]]-[[長谷川善三]]&lt;br /&gt;
*'''[[ニューダイナマイト打線|第2次]]''' [[真弓明信]]-[[弘田澄男]]-[[ランディ・バース|バース]]-[[掛布雅之]]-[[岡田彰布]]-[[佐野仙好]]-[[平田勝男]]-[[木戸克彦]]-[[リッチ・ゲイル|ゲイル]]&lt;br /&gt;
*'''第3次'''[[今岡誠]]-[[赤星憲広]]-[[金本知憲]]-[[桧山進次郎]]-[[ジョージ・アリアス|アリアス]]-[[片岡篤史]]-[[矢野輝弘]]-[[藤本敦士]]-[[トレイ・ムーア|ムーア]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===バックスクリーン三連発===&lt;br /&gt;
{{main|バックスクリーン3連発}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1985年]][[4月17日]]、甲子園球場での巨人戦の7回裏。巨人の[[槙原寛己|槙原]]から、3番[[ランディ・バース|バース]]、4番[[掛布雅之|掛布]]、5番[[岡田彰布|岡田]]がバックスクリーンへ三者連続ホームランを放ち、阪神21年ぶり優勝への勢いを決定づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[2003年]][[5月9日]]、横浜スタジアムでの横浜戦。横浜の[[吉見祐治|吉見]]から、4番[[濱中治|濱中]]、5番[[片岡篤史|片岡]]、6番[[ジョージ・アリアス|アリアス]]がバックスクリーンではないものの、レフト方向に三者連続ホームランを放ち、18年前のバックスクリーン三連発を彷彿させた。こちらは「'''平成の三連発'''」とも称される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===いろは順背番号とポジション順背番号===&lt;br /&gt;
*[[1936年]]春、設立したばかりのタイガースは在籍していた選手17名の[[背番号]]を名前のいろは順で決めた。ただし、[[若林忠志]]と[[佐藤武夫_(野球)|佐藤武夫]]は、当初与えられた背番号4と背番号13は縁起が悪いと考え、空き番号であった18、19にそれぞれ変更している。エース若林が偶然付けた18番は、後にエースナンバーと呼ばれるようになった。&lt;br /&gt;
*[[1950年]]、リーグが分立し、ファームの結成などの改革を行ったタイガースは背番号をポジション別に改めた。1～8が投手、9～11が監督、助監督、主将、12～14が捕手、15～20が内野手、21～24が外野手、それ以降をファームの選手とした。9～11が捕手に使われていないのは、1リーグ時代からの功労者である背番号9の[[松木謙治郎]]と背番号10の[[藤村富美男]]の番号を変えないように配慮したためである。後に背番号10は藤村の永久欠番となった。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
===11は不吉な背番号?===&lt;br /&gt;
*[[1959年]]に[[関西大学]]から入団、大卒入団投手としては[[名球会]]入会資格者最多となる通算222勝をマークし[[1972年]]限りで引退、背番号11を自らの手で[[永久欠番]]にした[[村山実]]は入団した際「'''背番号11は過去に故障した選手がいるからやめとけ'''」と周囲から言われたというエピソードがある。というのも村山以前の背番号11は故障を含め何らかの形で必ず不幸な目にあっていて、故に不吉な番号といわれていたからである。&lt;br /&gt;
*背番号11を最初につけたのは[[藤井勇]]（[[1935年]]～[[1939年]]、[[1942年]]）。藤井は戦前のチームの中心打者だったが2度も応召され、戦後は[[松竹ロビンス|パシフィック]]に移籍したためタイガースに復帰出来ずに終わっている。2代目の[[野崎泰一]]（[[1946年]]～[[1949年]]）は満足な成績を残せない所に肩痛に襲われ最後の年に背番号を3に変更する羽目に。3代目の[[御園生崇男]]（[[1950年]]のみ）は入団以来つけていた15からの変更だったが前年に体調が悪化していたのがさらに悪化したため翌年元に戻す羽目に。4代目の[[三船正俊]]（[[1952年]]～[[1954年]]）はエースとして期待されていたが炎上癖（打たれやすい）が仇となって[[北海道日本ハムファイターズ|東映フライヤーズ]]にトレードされた。5代目の[[山中雅博]]（[[1955年]]のみ）は50から変更した途端体力不足に見舞われ退団。前任＝6代目の[[内司正弘]]（[[1957年]]のみ）も40から変更した途端に退団している。変更した途端に不幸に見舞われた体験を知る御園生は大学での村山の先輩にあたる。そのためか村山に「自分がつけていた背番号15を譲るから'''絶対に11はつけるな'''」と説得したが村山は「すみません。自分は'''[[1936年|昭和11年]]'''生まれなので、あくまでも11にこだわりたいんです」と頑としてはねつけている。しかし村山は自身の活躍によって永久欠番としたことでこのジンクスを跳ね除けた。&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
===伝統の一戦・阪神vs巨人戦===&lt;br /&gt;
====概要====&lt;br /&gt;
*阪神と[[読売ジャイアンツ|巨人]]の対戦カードを[[伝統の一戦]]と呼ぶ。創立当初の阪神は、阪神電鉄のライバル会社の阪急電鉄の球団である[[オリックス・バファローズ|阪急]]を最大のライバルとしていたが、毎年のように巨人と優勝争いを行い熱戦をみせたため、対巨人戦はこう呼ばれて特別視されるようになった。「西の景浦、東の沢村」「職業野球は沢村が投げて、景浦が打ってはじまった」と呼ばれて戦前の野球ファンの注目の的となった豪腕[[沢村栄治]]と強打者[[景浦將]]の対戦にはじまり、ミスタータイガース[[村山実]]とミスタージャイアンツ[[長嶋茂雄]]、奪三振王[[江夏豊]]と本塁打王[[王貞治]]、ミスタータイガース[[掛布雅之]]と巨人のエース[[江川卓 (野球)|江川卓]]といった幾多の名勝負を生んだ。しかし近年はどちらかのチームが一方的に強い情勢が続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====年度優勝決定戦と太平洋ホームラン====&lt;br /&gt;
*[[1936年]]秋は複数大会開催による勝ち点制だった。各大会ごとに単独1位のチームに勝ち点1、同率1位のチームに勝ち点0.5を与え、6大会の勝ち点の合計でシーズン優勝を争った。タイガースは最後の東京第2次リーグ戦（第2次東京大会）を残して勝ち点2となり、首位の[[読売ジャイアンツ|巨人]]の勝ち点2.5に迫っていた。第2次東京大会ではタイガースと[[オリックス・バファローズ|阪急]]が1位を争っていたが、巨人が故意に阪急に敗退する公認の八百長試合を行ったことで、タイガースは単独1位を逃し、勝ち点2.5で巨人と並んだため年度優勝決定戦を行うことになった。&lt;br /&gt;
*同年[[12月]]に[[洲崎球場]]で行われた年度優勝決定戦では、1勝2敗で惜敗したものの、[[景浦將]]が打者として12打数6安打、投手として13回を自責点1に抑える驚異的な活躍をみせた。特に第1戦で巨人のエース[[沢村栄治]]から放った場外[[ホームラン]]は東京湾に落ち、「太平洋ホームラン」と呼ばれた。当時のボールは本塁打さえ滅多に出ないほどに飛びにくいもので、その上景浦が打ち返した球が魔球として知られる沢村の三段ドロップだったことから、この場外ホームランは多くの野球ファンを驚かせた。&lt;br /&gt;
*1936年秋の優勝決定戦では破れたものの、翌[[1937年]]秋のシーズンに初優勝して臨んだ春優勝チーム・ジャイアンツとの年度優勝決定戦（7戦4勝制）では、沢村栄治を打ち崩して4勝2敗で前年の雪辱を果たした。さらに、翌年春のシーズンを制して迎えた年度優勝決定戦ではまたも巨人と対戦し、初戦のサヨナラ勝ちで勢いに乗ると4連勝で年度連覇を果たした。同年限りで2シーズン制は終了し、年度優勝決定戦は廃止された。&lt;br /&gt;
*なお、1937年と38年の日本一はリーグの通算優勝回数には数えられていない。これはこの2年間のリーグ戦はそれぞれ独立したシーズンであるためで、阪神の通算優勝は1937年秋季大会、1938年の春季大会でそれぞれカウントされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====世紀の落球とV9====&lt;br /&gt;
*[[1973年]]、[[江夏豊]]と[[上田次朗]]の両エースや主砲[[田淵幸一]]らの活躍により、[[東京オリンピック]]が開催された[[1964年]]以来9年ぶりの優勝に向けて、8連覇中の[[読売ジャイアンツ|巨人]]と激しい優勝争いをしていた。そのような状況下で、[[8月5日]]の巨人戦、9回2死から[[池田純一]]がセンターフライを落球して逆転負けを喫した。この年、阪神が僅差で優勝を逃したことから、これを世紀の落球と呼ぶようになり、池田が戦犯のごとく扱われた。実際には、グラウンドの状態が悪かったことから足をとられて転倒してしまっただけであり、特別ひどい守備だったわけではない。この年、池田は勝負強い打撃と好守でチームの優勝争いに貢献した（詳しくは池田の項目を参照）。その後、[[8月30日]]に江夏の[[ノーヒットノーラン]]で[[中日ドラゴンズ|中日]]を事実上優勝戦線から脱落させたが、翌[[8月31日]]には巨人が首位に立った。[[10月10日]]の後楽園での巨人－阪神戦では、田淵が[[倉田誠]]から逆転満塁ホームランを放ち、江夏が最後を締めて勝利、流れは阪神に傾いたかに見えた。翌[[10月11日]]の同カードは、一時は7-0とリードしながら巨人が追い上げ、逆転に次ぐ逆転で10-10の引き分けに終わった。&lt;br /&gt;
*残り2試合を残して僅差の首位、あと1勝で優勝というところまでせまっていた[[10月20日]]の中日戦（[[ナゴヤ球場|中日球場]]）では、中日キラー上田の先発が予想されたが、[[金田正泰]]監督は裏をかいて先発投手に江夏を指名した（この時、オーダー表を提出する役目を担っていた当時の[[岡本伊三美]]ヘッドコーチは、先発投手の名前に「江夏」と書かれているのを見て「本当にこれでいいんですか?」と金田監督に念押ししている）。しかし、江夏が[[木俣達彦]]にホームランを打たれて勝ち越されると、打線は[[星野仙一]]（後の中日、阪神監督）らに抑え込まれて2-4で敗戦した（星野は巨人への反骨心とすでにAクラス入りが決まっていたことから真ん中にボールを集めたといわれるが、かちかちになった阪神打線はこれを打てなかった。詳しくは[[中田潤]]の「新庄くんは、アホじゃない!」を参照）。&lt;br /&gt;
*この試合が間もなく終わろうとする時間に、中日球場のそばを通る[[新幹線]]に巨人ナインを乗せた「ひかり」が通り過ぎた話は有名である。「ひかり」号が通過していくのが映った試合映像は今でも保存されている。ナインの一人はスコアボードを見ようと頑張ったが果たせず、[[名古屋駅]]到着時に巨人ファンが試合経過を知らせ、それを聞いて車内のムードが明るくなったと伝えられている（[[山際淳司]]のドキュメント小説では、新幹線車内で選手が持ち込んだラジオの試合中継をナインが聞いており、中日勝利が決まった途端[[王貞治]]がうれしさのあまり叫んだ、と描写されている）。こうして、[[10月22日]]（本来は21日であったが雨天で順延）の対巨人最終戦で勝ったチームが優勝ということになった。&lt;br /&gt;
*48,000人の大観衆を集めたこの試合も阪神は0-9でまさかの大敗を喫し、巨人のV9を許した。午後4時18分、最後の打者・[[ウィリー・カークランド|カークランド]]が三振に倒れた瞬間、敗戦と不甲斐なさ過ぎる阪神に怒り、7回辺りからベンチ上などで暴れたり危険物を投げ飛ばしていたりしていたファンが暴徒と化し、一塁側スタンドから乱入したファンは巨人ベンチに襲い掛かった。このため、近所の甲子園署から200人、また兵庫県警の[[機動隊]]が70人出動し、県警からの要請で金田監督がファンの前で「お詫び」をするおまけまで付いた。県警に追い散らされたファンは「帰れ!」コールを浴びせかけ、最後は阪神選手を翌日までロッカールームに缶詰めにした（[[後藤和昭]]談）。&lt;br /&gt;
*この「世紀の試合」はテレビは[[よみうりテレビ]]により[[日本テレビ]]系列（解説・[[村山実]]）で、またラジオは数局が中継していたが、途中から実況席にも危険物などが投げ込まれ、500人ほどのファンが襲い掛かってきた。テレビはマイクコードを抜かれたため、中継の最後の方では荒れ狂う甲子園のグラウンドの映像のみとなってしまい、放送終了後テレビカメラや当時高価だった[[VTR]]機材といった放送機材はファンによって徹底的に破壊されてしまった（ちなみによみうりテレビは犯人が誰か特定できなかったため弁償請求できなかったという。またこの暴挙のため優勝の瞬間は鮮明なVTR映像では残っていない）。なお当時の映像は映画フィルムに転写したものが残っている。&lt;br /&gt;
*阪神は「優勝するもの」と想定して、田淵を起用した日本シリーズ用のポスターもあらかじめ大量に印刷していたが（制作時点では[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]の覇者が決まっていなかったため、「阪神－パリーグ優勝チーム」という表記だった）、当然[[お蔵入り]]となった。もっとも、阪神ファンの有名人による目撃談があることから、ごく少数のみ早々と阪神電鉄の駅などに貼られていたという説もある。また、優勝記念に作られたマッチも外に配れず、阪神電鉄の保養所で使われていた。&lt;br /&gt;
*一方、江夏は自伝「左腕の誇り」の中で、「阪神の長田球団社長から10月20日の中日戦の前日に呼び出され、明日の中日戦には勝つなと八百長を指示された」と記している。当時は広告収入という考えがなく、阪神や巨人のような人気球団は優勝したところで大して収入は増えないばかりか、選手の年俸が上がるため利益は下がるという現象が起きていた。そのことを踏まえると現実味のある話だが、それではなぜポスターが製作されたのかという矛盾が生じる。もし八百長指示が事実だったとしたら、考えられるのは阪神本社と球団との意見の不一致であろう。この話は世間に伝わり「阪神は優勝戦線に最後まで残って結局優勝できないという結果を望んでいる」という噂がたった。現在では広告収入が得られるようになったのでまず考えられないことである。それから32年後の2005年、優勝を決めた試合で、巨人の前で胴上げをし、32年前の雪辱をはたした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===史上最短試合と史上最長試合===&lt;br /&gt;
*[[1946年]][[7月26日]]の対[[松竹ロビンス|パシフィック]]戦（[[西宮球場|西宮]]）では13:15の開始から14:10の終了まで試合時間わずか55分という日本プロ野球史上最短試合時間記録を達成した（1-0で勝利）。この試合では先発の[[渡辺誠太郎]]が5安打・88球で完封勝利、またパシフィック先発・[[湯浅芳彰]]も7安打・93球で完投したが、両軍合わせてファウルが6球しかなかったことがこの記録につながった（ファウルが少ないのは当時のプロ野球の特徴で、1時間以内で終わった12試合はいずれも1リーグ時代のものである）。なお[[1940年]][[8月11日]]の対[[オリックス・バファローズ|阪急]]戦（[[大連満鉄球場|大連]]、1-0で勝利）は史上2番目となる試合時間56分（開始16:55、終了17:51）の記録が残っているが、この中には阪急[[捕手]]・[[井野川利春]]の突き指の手当ての時間が含まれており、これがなければ試合時間は52分ぐらいで済んだのではないかと言われている。現在では、投手の投球間隔の変化やグラウンド整備、投球練習などの多用により、コールドゲームであっても更新は絶望的である。&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[9月11日]]、優勝をかけての直接対決となった対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦（甲子園）では日本プロ野球史上最長試合時間も記録した。この試合では9回、[[八木裕]]の打球がレフトフェンスのラバーに当たった上でスタンドに入り、いったんはサヨナラ本塁打とされ、スコアボードにも9回裏にスコアが表示されたが、ヤクルトのレフト・[[城友博]]とセンター・[[飯田哲也]]が即座に猛抗議した。このようなケースは[[公認野球規則]]の想定外の出来事であったため、審判団の協議により[[エンタイトルツーベース]]に訂正された（ルールブックに記載されていない出来事を審判団がその場で判断するのは妥当であり誤審ではない）。しかし[[中村勝広]]監督は当然この判定に納得せず、37分間にわたって試合が中断した。そのまま延長戦となったが決着はつかず、延長15回（当時は時間無制限で延長15回引き分け再試合制）6時間26分の熱戦の末、3-3の引き分けとなった。後々、この試合で勝てなかったことが優勝を逃した原因と言われた。また、この試合の終了時刻である翌日午前0時26分は日本プロ野球史上最も遅い試合終了時刻である。なお、この試合を中継していた[[サンテレビ]]は「試合開始から終了まで」ノーカット完全生中継を行った。[[2001年]]にパ・リーグだけでなく、セ・リーグにおいても延長戦が12回に短縮されたため、試合時間の更新は見込めない（※）。なお、後日談として、このとき最初に「ホームラン」のジャッジをしていた二塁塁審・[[平光清]]は長時間にわたる中断を招いた責任をとり、このシーズン限りでセ・リーグ審判員を退職している。&lt;br /&gt;
**※但し終了時間としては、[[2006年]][[5月21日]]のヤクルト－[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]戦において0時12分という終了時刻が出たことから、上記のような抗議が長引けばあり得るかもしれない。なお、この時は[[東都大学野球連盟|東都大学野球]]が長引き、試合開始時刻が30分遅れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===投手の偵察メンバー第1号===&lt;br /&gt;
*[[1950年]][[4月22日]]、[[熊本市営水前寺野球場|熊本・水前寺]]での対[[中日ドラゴンズ]]戦でのこと。中日の先発投手が左の[[清水秀雄]]か右の[[服部受弘]]か迷った[[松木謙治郎]]監督はメンバー表の1番に「[[左翼手]]・[[干場一夫]]」と書いて提出、服部の先発が分かると干場に代えて左打者の[[金田正泰]]を送った。&amp;lt;br /&amp;gt;この策は成功し、金田の二塁打を足がかりに阪神が1点を先制した（ただし、試合は7-9で敗れている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2度の放棄試合===&lt;br /&gt;
*プロ野球において、複数の試合を[[放棄試合]]として没収されたのは[[松竹ロビンス|パシフィック]]とタイガースの2チームだけである。パシフィックについては、プロ野球が再開された[[1946年]]に、戦前までタイガースに所属していた[[藤井勇]]らを強行出場させたため、彼らが出場した4試合ともに試合終了後に没収試合（試合記録は成立したがスコアは0-9でパシフィックの負け）となっただけであり、試合途中で複数回にわたって試合を没収されたのは2度の放棄試合を記録したタイガースだけである。&lt;br /&gt;
*1回目の放棄試合は[[1954年]][[7月25日]]、[[中日ドラゴンズ|中日]]を[[大阪球場]]（当時甲子園には設備がなかったため、ナイターは大阪球場で行った）に迎えた試合。10回裏の攻撃で[[杉村正一郎]]球審へ暴力行為をはたらいた[[藤村富美男]]が退場を宣告されたが、杉村球審は「退場」とは言わず「風呂で汗を流しては」などと言い、これを藤村が理解していなかったため、本当に風呂で汗を流した後再び打席に立とうとして杉村球審に阻止された。この光景が奇異に写ったのか、事情を理解していないファンがグラウンドになだれ込んで抗議を行い、事態収拾が付かなくなったため、ホームチームであるタイガースに責任があるとして没収試合となった。この騒動で藤村は出場停止20日制裁金5万円、[[松木謙治郎]]監督は出場停止5日制裁金3万円の処分を受けた。&lt;br /&gt;
*2度目は[[1967年]][[9月23日]]、地元甲子園に[[横浜ベイスターズ|大洋]]を迎えた試合。1回表に大洋が3点を奪い、なお2死満塁で[[森中千香良]]を打席に迎える。2ナッシングから[[ジーン・バッキー]]の投げた3球目を森中は空振りし、[[捕手]]の[[和田徹]]がショートバウンドで捕球し森中にタッチしようとしたが、森中はベンチに引き上げようとしていたため「1塁に行く意思がない」と判断。森中にタッチ、ホームベースを踏む、1塁送球のいずれも行わずにボールをマウンドに転がしてベンチに引き上げた。これを見た大洋ベンチは森中に1塁に走るよう、また3塁走者の[[松原誠]]には本塁突入を指示。松原が生還したことで大洋に追加点が入った。&amp;lt;br /&amp;gt;ここで[[大谷泰司]]球審が阪神ベンチへ行き、[[藤本定義]]監督に「今のは3ストライクのジェスチャーで、アウトの成立ではない」と説明（この場面では振り逃げが成立するため、スリーストライクをとられた時点ではアウトとならない）し、阪神ナインに再び守備につくように命じた。これに対し藤本は「スリーアウトと言ったから和田は引き上げた」と反論し、[[後藤次男]]・[[山田伝]]両コーチを交えて抗議。その際に大谷の胸を何度か突いた。33分の中断後、大谷が「暴行を働いた藤本監督を退場させることを条件に試合を再開する」と説明したが、これに対し阪神側の態度が再び硬化。その後も阪神ナインは守備につくのを拒否し続けたため、放棄試合が成立した。&lt;br /&gt;
*[[2005年]][[9月7日]]にも対中日戦（[[ナゴヤドーム]]）で[[岡田彰布]]監督が審判の判定に不服を申し立て、放棄試合になりかけた試合があった。&amp;lt;br /&amp;gt;3-1で迎えた9回裏・無死2・3塁の場面で、[[谷繁元信]]が2塁ゴロを放った。[[二塁手|2塁手]]の[[関本健太郎]]がバックホームしたが判定はセーフとなり、3塁走者の[[アレックス・オチョア]]が生還。これに対して岡田監督がベンチを飛び出して猛抗議、選手をベンチに引き上げさせてしまった。その際に、[[橘高淳]]主審に暴力行為を振るおうとした岡田監督を止めに入った[[平田勝男]]ヘッドコーチが橘高を突く形になり退場処分を受けた。結局、18分の中断の後に試合が再開された。この後、延長11回中村豊のホームランで阪神が勝ち越し勝利を収めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐野事件===&lt;br /&gt;
*[[1977年]][[4月29日]]、[[川崎球場]]での[[横浜ベイスターズ|大洋]]戦で起きた事故。阪神が7-6とリードした9回裏1死1塁で、大洋の[[清水宏悦|清水透]]が打った大飛球を左翼手の[[佐野仙好]]がフェンスに激突しながら好捕した。しかし、当時の川崎球場のフェンスはコンクリートが剥き出しだったため、佐野は頭蓋骨を陥没骨折して、ボールを捕球したままうずくまった。捕球を確認してレフト[[線審]]の[[田中俊幸]]はアウトを宣告したうえで担架を要請するしぐさを行った。佐野の目は剥いており、ただ事ではないと思った中堅手[[池辺巌]]も外野から同様の合図をしたため（重傷者が出たのだから当然ボールデッドになるものと思っていた）選手、コーチが心配して佐野に駆け寄った。その間に、一塁走者の[[野口善男]]がタッチアップして本塁に到達し、7-7の同点となった。これに対し、[[吉田義男]]監督は「突発事故の発生によりタイムが宣告されるケースだから得点は認められない」と田中線審に抗議したが、審判団は「守備側プレーヤーの負傷ではプレー中にタイムを宣告することができない」として抗議を退けた。結局、吉田監督は提訴試合とすることを条件に試合再開を認め試合は時間切れのため7-7の引き分けに終わった。提訴を受けたリーグはこの件は規則に定められた突発事故に当たらないと結論づけ阪神の提訴は取り下げられた。&lt;br /&gt;
**野球規則5.10(c)には「突発事故によりプレーヤーがプレイできなくなるか、あるいは審判員がその職務を果たせなくなった場合（球審は&amp;quot;タイム&amp;quot;を宣告しなければならない）」とある。しかし同時に、同5.10(h)に「審判員はプレイの進行中に、&amp;quot;タイム&amp;quot;を宣告してはならない。ただし、本条(b)項、 または(c)項の〔付記〕に該当するときは、この限りではない」となっている。(b)項は「ライトの故障のために、審判員がプレイを見るのに困難となるか不可能となった場合」であり付記もライト故障に準じるもののである。(c)項付記は「プレイングフィールド外への本塁打、または死球の場合のように、一個またはそれ以上の安全進塁権が認められた場合、走者が不慮の事故のために、その安全進塁権を行使することが出来なくなったときは、その場から控えのプレーヤーに代走させる事ができる。」という攻撃側の突発事故を想定したものとなっている。つまり審判が試合中にタイムをかけられるのはこの2つに限られており佐野負傷という守備側に問題が発生した状況は野球規則上に書かれている審判がタイムをかけられる状況ではなく、タイムを宣告しなかったのは規則に則った正しい処置であった、と結論付けられた。&lt;br /&gt;
*しかしながら規則上は正しい処置ではあったとしても人道上の問題ありとして規則が再検討され、人命に関わるような事態の場合にはプレイ中であっても審判がタイムを宣告できるように内規が定められた。この事件以降、川崎球場をはじめとしたフェンスが剥き出しになっていた球場は安全のためにラバーを張ることとなった。なお、佐野はグラウンド内に乗り入れた救急車で病院へと運ばれて一命をとりとめ、その後復帰し、85年の優勝にも貢献した。現在はスカウトとして阪神で活躍している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===前年Aクラス時の開幕戦===&lt;br /&gt;
長期ロードは本拠地が「高校野球の聖地」であるが故のタイガースにとっては辛い風物詩だが、前年（[[2003年]]以降は前々年）Aクラスに入り本拠地開幕権を得ても、甲子園で開幕を迎えられない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[選抜高等学校野球大会]]は毎年3月下旬から4月上旬まで甲子園で行われるが、[[セントラル・リーグ]]の開幕がこの時期になると当然甲子園でのプロ野球開催が不可能になってしまう。従ってこの間に第1節が設定されてしまうと地元開催ができなくなるわけで、実際に選抜が行われている時期に第1節が設定されると開幕を地元で迎えられなくなる。そのような場合の対処法として、以下の4つのパターンがあった（フランチャイズ制が確立し、現行の6球団制となった1953年以降、大阪ドームで開幕戦を行った2005年以前に絞る。なお2002年は[[FIFAワールドカップ]]日韓大会対策の特例処置だったが、阪神はビジター開幕。2003年以後、新シーズン開幕のホーム開催権利は2年前のリーグ戦上位3球団に与えられる）。&lt;br /&gt;
# 前年Bクラスチームの本拠地で開幕を迎える&lt;br /&gt;
#*[[1953年]]：[[後楽園球場]]（国鉄スワローズ本拠地）&lt;br /&gt;
#*[[1955年]]・[[1958年]]：[[川崎球場]]（大洋ホエールズ本拠地）&lt;br /&gt;
#*[[1960年]]：[[広島市民球場]]（広島カープ本拠地）&lt;br /&gt;
#*[[1977年]]：[[明治神宮野球場]]（ヤクルトスワローズ本拠地）&lt;br /&gt;
#*[[1982年]]・[[1986年]]：[[横浜スタジアム]]（横浜大洋ホエールズ本拠地）&lt;br /&gt;
# 前年Aクラスチームの本拠地で開幕を迎える&lt;br /&gt;
#*[[1957年]]：[[ナゴヤ球場|中日球場]]（前年3位の中日ドラゴンズ本拠地）&lt;br /&gt;
#*[[1976年]]：広島市民球場（前年1位の広島東洋カープ本拠地）&lt;br /&gt;
# 地方球場での主催ゲームで開幕を迎える&lt;br /&gt;
#*[[1968年]]・[[1974年]]：[[岡山県営球場]]（1968年は対広島東洋カープ、1974年は対大洋ホエールズ）&lt;br /&gt;
#地方球場でのビジター試合で開幕戦を迎える&lt;br /&gt;
#*[[1954年]]：[[中津市営球場]]（大洋松竹ロビンス主催　当時のロビンズは[[大阪球場]]が本拠だった）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう事態が考えられるから、かつては連盟が阪神に配慮して第1節を選抜開幕前、もしくは終了後に設定したというケースがあったが、開幕前は[[1956年]]のみ（対戦相手は広島）で、それ以外のケースはすべて終了後。すなわち配慮を得られない限り阪神の地元開幕は無理というわけであり、これが高校野球の聖地を本拠にするが故の悲しい風物詩と呼ばれる所以である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年・2007年は[[大阪ドーム]]（京セラドーム大阪）で開催したが、[[オリックス・バファローズ]]の[[専用球場|専用球場の使用権]]も絡んでいるため2008年以降が注目される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===道頓堀===&lt;br /&gt;
{{main|阪神ファン#道頓堀}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大阪市を流れる川の名前。21年ぶりのリーグ優勝が決まった[[1985年]][[10月16日]]、[[道頓堀]]川では熱狂的なタイガースファンが優勝を祝って夜中にもかかわらず[[戎橋]]の橋梁から飛び込む姿が相次ぎ注目を浴びた。更に[[2003年]]、18年ぶりのリーグ優勝を決めた際にも5300人を越すファンが戎橋から道頓堀川に飛び込み、うち1人が溺死、遺体で発見されるという事件が起きた。そのため[[2005年]]には[[大阪市]]と[[大阪府警察]]本部などが対策をとり、その結果飛び込みがなくなることはなかったが少数にとどめる事ができた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、道頓堀と甲子園球場はかなり離れており、少なくとも徒歩で移動できるような距離ではない。道頓堀は、甲子園球場へのアクセスである[[阪神電気鉄道|阪神電車]]のターミナル・梅田駅のある[[キタ]]ではなく、[[南海ホークス]]の本拠地であった[[大阪球場]]や、[[大阪近鉄バファローズ]]の本拠地であった[[大阪ドーム]]に近い[[ミナミ]]に位置する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「阪神優勝」のロゴ商標問題===&lt;br /&gt;
*[[2003年]]、18年ぶりのリーグ優勝で大きく話題になった際、「'''阪神優勝'''」のロゴを[[千葉県]]在住の男性が登録商標届出を出し、Tシャツや靴下などの商品を全国量販店などに発売した。しかし、これが阪神タイガース球団から商標権侵害となる恐れがあるとして係争となった。当初男性は「阪神地区の優勝の意味」と主張したが、同年末、特許庁は商標を無効とする判断をした。(なお、この男性は同時に「'''巨人優勝'''」の登録商標を申請したが'''即座に却下された'''と言う。)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===JFK===&lt;br /&gt;
{{main|JFK (阪神タイガース)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
阪神タイガースにおいては、左投手の[[ジェフ・ウィリアムス]]、右投手の[[藤川球児]]の2人のセットアッパーと、守護神[[久保田智之]]の3名のことを指す。2005年優勝への原動力の一つとなった。&lt;br /&gt;
なお2007年現在は、[[久保田智之]]と[[ジェフ・ウィリアムス]]がセットアッパー、[[藤川球児]]がクローザーという順番になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===村上ファンドと阪神電鉄の阪急との経営統合===&lt;br /&gt;
*2005年の優勝フィーバーの裏で、親企業・阪神電鉄の株式を[[村上世彰]]率いる[[投資会社]]「[[村上ファンド|MACアセットマネージメント]]」（通称・村上ファンド）が買い増しし、同電鉄の筆頭株主になった。&lt;br /&gt;
*村上ファンド側は「既成権力に立ち向かう反骨精神や関西人の気骨がグループ全体に影響をもたらすだろう」として、当球団の株式上場を提案。&lt;br /&gt;
**これに[[星野仙一]]シニアディレクターは「タイガースはファンのもの」だと反論し、更に牧田俊洋球団代表も株式上場の計画がないことを公言。&lt;br /&gt;
*これを受けて10月11日に行われた村上と阪神電鉄・西川恭爾社長とのトップ会談後に、村上は「（タイガースの株式上場は）ファンの意見を聴いた上で考慮したい」と発表。だが、その2日後の13日に[[東京放送|東京放送(TBS)]]の[[株式]]7%を購入したことまで発覚し、更に事態は急転している。&lt;br /&gt;
*[[楽天]]は[[東京放送|TBS]]に共同[[持株会社]]の設立を提案しているが、既に両企業はそれぞれにプロ野球チーム（TBSが[[横浜ベイスターズ]]、楽天が[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天イーグルス]]）を保有しており、村上ファンドも阪神電鉄（阪神タイガース親会社）・TBS（横浜ベイスターズ親会社）・[[西武鉄道]]（[[西武ライオンズ]]親会社）の株式を保有していることから、結果的には複数のプロ野球チームを保有してしまうことになるため、野球協約で定められた「1企業（関連企業含む）の複数のプロ野球チーム経営の禁止」に抵触する恐れがあり、場合によっては球界再々編の可能性もありうる。この協約抵触問題はすでに[[フジサンケイグループ]]内での複数球団の株式保有問題（[[フジテレビジョン|フジテレビ]]が[[東京ヤクルトスワローズ]]の、[[ニッポン放送]]が横浜ベイスターズの株式を保有している。詳細は両球団の項目参照）が前々からあった他、さらに村上ファンドに出資している企業の一つに[[オリックス (企業)|オリックス]]（[[オリックス・バファローズ]]親会社）があげられていることから、事態は一層混沌化している。&lt;br /&gt;
*この騒動で村上側を支持したファンは少なく、マスコミも[[マンチェスター・ユナイテッド]]などの例を出して、スポーツチームの株式上場に否定的であった。実質的に村上はタイガースファンを敵に回した形であった。&lt;br /&gt;
*その後、村上ファンドはインサイダー取引容疑の発覚により解散した。&lt;br /&gt;
**この結果に「村上が捕まったのは阪神電鉄買収騒動で警視庁内部のタイガースファンを敵に回したからだ」というジョークが広まった。&lt;br /&gt;
*その後[[2006年]]6月19日に[[阪急電鉄]]グループの[[持株会社]]・阪急ホールディングス（現：[[阪急阪神ホールディングス]]）がTOBにより阪急・阪神の経営統合が事実上決定した（この経緯は[[阪急・阪神経営統合]]参照）。その結果、阪神電鉄を子会社化し阪神タイガースの経営権を獲得。経営統合の話し合いの中で、タイガースに関しては「阪神タイガース」のままで存続させることにしたものの、7月5日に行われたプロ野球オーナー会議において[[西武ライオンズ|西武]]と[[広島東洋カープ|広島]]以外の賛成で、経営譲渡（表面上、阪神電鉄から阪急阪神ホールディングスに経営スポンサーが変更される）と見なされ、阪急ホールディングス（当時）は加盟料30億円の支払いを課されることとなった。しかしこの決定には十分な論議がなされておらず、阪神側はこの対応を不服として減免措置を含め再検討を要求した。この結果、同年[[11月14日]]に加盟手数料1億円を除く29億円を免除することが[[オーナー会議]]で決定され、12月中に正式決定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交流戦専用ユニフォーム===&lt;br /&gt;
*[[2005年]]から[[インターリーグ|日本版インターリーグ（交流戦）]]が開始された事を受けて、タイガースではこの期間中に限り、専用ユニフォームを着用してゲームを行っている。これは交流戦が開始された2005年が球団創立70周年という記念の年に当たる事、また[[綱島理友]]が[[1999年]]から[[2004年]]まで[[週刊ベースボール]]で連載していた「ユニフォーム物語」で歴代のユニフォームが紹介され、それによって「オールドユニフォームを着て闘う選手の姿が見てみたい」というファンの声が高まった事、さらに[[岡田彰布]]監督の「交流戦では普段見られないものを見せるべきだ」という考えが一致したことに起因する。&lt;br /&gt;
:2005年はホーム用のみ過去のデザインを復刻させた“'''復刻版ユニフォーム'''”を専用ユニフォームとして使用。縦縞に黄色と黒色の縁取りを施した、[[1979年]]～[[1981年]]までのモデルを採用した。[[ホーム・アンド・アウェー|ビジター]]では復刻版ユニフォームは着用せず、通常のビジター用ユニフォームで試合を行っている。&lt;br /&gt;
:[[2006年]]は「縦縞をビジターでも見てみたい」というファンからの要望が多かったため、2005年度に使用した復刻版ユニフォームをビジターの試合で着用した。ホームでは逆に、同時期（1979年～[[1983年]]）にビジターで着用していた水色地のモデルを使用。従って、ホームゲームでは結果的に「ビジターvsビジター」、ビジターゲームでは「ホームvsホーム」という趣で行われた（[[東北楽天ゴールデンイーグルス#カラーユニフォーム対決|東北楽天ゴールデンイーグルス・カラーユニフォーム対決の項]]を参照）。&lt;br /&gt;
:[[2007年]]の交流戦用ユニフォームは復刻版ではなく、[[服飾]][[デザイナー]]の[[コシノヒロコ]]がユニフォームをデザイン。70年以上一度も変更されることの無かった胸のロゴデザインが改められ筆記体となり、背番号は彼女がかつて手がけた[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]のユニフォームと同じ書体になった。どちらも文字色は黄色であり、ホーム用・ビジター用共に同じものを用いている。[[藤井寺球場|藤井寺]]時代の[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]と同じラグランスタイルが採用されており、ホーム用は白地に黒の縦縞、ビジター用は黒地に黄色の縦縞が入っている。ラグランスリーブは共に黒で、黄色のラインが配されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
* [[阪神ファン]]&lt;br /&gt;
* [[阪神タイガースの選手一覧]]&lt;br /&gt;
* [[阪神タイガース歴代4番打者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[阪神タイガース主催試合の地方球場一覧]]&lt;br /&gt;
* [[死のロード]]&lt;br /&gt;
* [[オール阪神・巨人]]&lt;br /&gt;
** オール阪神&lt;br /&gt;
** オール巨人&lt;br /&gt;
* [[尼崎中央・三和・出屋敷商店街]]&lt;br /&gt;
* [[阪神電鉄バス]]&lt;br /&gt;
*[[男どアホウ甲子園]]&lt;br /&gt;
;ホームゲーム中継制作局&lt;br /&gt;
*[[毎日放送]]（[[ラジオ]]・[[テレビ]]）&lt;br /&gt;
**[[GAORA]]&lt;br /&gt;
*[[朝日放送]]（ラジオ・テレビ）&lt;br /&gt;
**[[スカイ・エー|skyAsports+]]&lt;br /&gt;
*[[関西テレビ放送|関西テレビ]]&lt;br /&gt;
**[[フジテレビ739]]&lt;br /&gt;
*[[読売テレビ放送|読売テレビ]]&lt;br /&gt;
**[[日テレG＋]]&lt;br /&gt;
*[[サンテレビジョン|サンテレビ]]&lt;br /&gt;
*[[テレビ大阪]]&lt;br /&gt;
*[[大阪放送|ラジオ大阪]]&lt;br /&gt;
*[[Tigers-ai]]（[[阪神コンテンツリンク]]による阪神戦中継、[[衛星放送]]向けに制作）&lt;br /&gt;
;ビジターゲーム中継制作局&lt;br /&gt;
*[[毎日放送]]（[[ラジオ]]・[[テレビ]]）&lt;br /&gt;
*[[朝日放送]]（ラジオ・テレビ）&lt;br /&gt;
*[[関西テレビ放送|関西テレビ]]&lt;br /&gt;
*[[読売テレビ放送|読売テレビ]]&lt;br /&gt;
*[[サンテレビジョン|サンテレビ]]&lt;br /&gt;
*[[テレビ大阪]]&lt;br /&gt;
*[[大阪放送|ラジオ大阪]]&lt;br /&gt;
;地元ケーブルテレビ局&lt;br /&gt;
*[[ベイ・コミュニケーションズ]]（オリジナル番組制作）&lt;br /&gt;
検定&lt;br /&gt;
*[[タイガース検定]]：12球団初の球団公認の検定試験。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://hanshintigers.jp/ 阪神タイガース公式サイト]&lt;br /&gt;
*[http://www.tora-data.net/ 阪神タイガース資料室]&lt;br /&gt;
*[http://www.takuma-stone.co.jp/tamkaz/tigers/people.html 阪神ファンの有名人]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:阪神タイガース|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:阪神電気鉄道|球]]&lt;br /&gt;
[[Category:阪急阪神東宝グループ|はんしんたいかあす]]&lt;br /&gt;
[[Category:神|はんしんたいかあす]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
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