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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>前田希美</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''村上水軍'''（'''むらかみすいぐん'''（本名：村上星児））は、日本の[[イラストレーター]]。[[山口県]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本ファルコム]]在籍時代には、「[[ブランディッシュ#ブランディッシュ3 SPRIT OF BALCAN|ブランディッシュ3]]」「[[風の伝説ザナドゥII]]」「[[ガガーブトリロジー#英雄伝説III 白き魔女|英雄伝説 白き魔女]]」「[[ガガーブトリロジー#英雄伝説IV 朱紅い雫|朱紅い雫]]」「[[ガガーブトリロジー#英雄伝説V 海の檻歌|海の檻歌]]」などの制作に携わっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本ファルコム退社後は、[[1998年]]の「[[紺碧塔組合]]」（[[アウトロー (ブランド)|アウトロー]]）以降、多数の[[アダルトゲーム]]及び[[家庭用ゲーム]]の[[キャラクターデザイン]]や出版物の挿絵を担当する。&lt;br /&gt;
[[メイド]]をこよなく愛し、描くイラストもメイドが非常に多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==主な作品==&lt;br /&gt;
;アダルトゲーム&lt;br /&gt;
*紺碧塔組合（アウトロー）&lt;br /&gt;
*上海侍女物語（ライトプラン）&lt;br /&gt;
*メイド狩り（evolution）&lt;br /&gt;
*連鎖 ～裏切りの鎖～（[[Selen (ゲームブランド)|Selen]]）&lt;br /&gt;
*ドリル少女スパイラル・なみ（evolution）&lt;br /&gt;
*Natural Zero plus ～はじまりと終わりの場所で～（[[F&amp;amp;C]]）※一部&lt;br /&gt;
*お約束LOVE（林組）&lt;br /&gt;
*Toon（TEATIME）&lt;br /&gt;
*[[Piaキャロットへようこそ!!|Piaキャロットへようこそ!! G.O.]]（[[F&amp;amp;C]]）※一部&lt;br /&gt;
*SilveryWhite ～君と出逢った理由～（桜月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;一般ゲーム&lt;br /&gt;
*[[夏色の砂時計]]（[[プリンセスソフト]]）※逆移植の18禁版アリ&lt;br /&gt;
*[[D→A:BLACK]]（[[トンキンハウス]]）&lt;br /&gt;
*[[D→A:WHITE]]（トンキンハウス）&lt;br /&gt;
*[[レッスルエンジェルス|レッスルエンジェルス サバイバー]]（[[サクセス (ゲーム会社)|サクセス]]）※一部&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;挿絵&lt;br /&gt;
*[[With You ～みつめていたい～]]（作：[[文野ヒカル]]・[[キャロットブックス]]）&lt;br /&gt;
*天使のよろこび（マシス）&lt;br /&gt;
*雑誌『[[パソコンパラダイス]]』表紙（[[メディアックス]]、[[2007年]]5月号～）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://ww5.tiki.ne.jp/~msuigun/ 村上水軍の館] （公式サイト）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{People-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本のイラストレーター|むらかみすいくん]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県出身の人物|むらかみすいくん]]&lt;br /&gt;
[[Category:ゲームのグラフィッカー・原画家|むらかみすいくん]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本ファルコム|むらかみすいくん]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;margin:0.5em 0;background-color:#f6f6f6;border:1px solid #ccc;padding:3px;font-size:80%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
このページは [http://ja.wikipedia.org/ Wikipedia日本語版]由来のコンテンツを利用しています。もとの記事は[http://ja.wikipedia.org/wiki/村上水軍 (イラストレーター) '''村上水軍 (イラストレーター)''']にあります。執筆者のリストは[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=村上水軍 (イラストレーター)&amp;amp;amp;action=history '''履歴''']をご覧ください。 &lt;br /&gt;
[[Yourpedia]]と同じく、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia Wikipedia]は[http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html GFDLのライセンス]で提供されています。&lt;br /&gt;
コンテンツを再利用する際には同じくGFDLのライセンスを採用してください。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:Wikipedia出典元の記事|{{PAGENAME}}]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%B0%B4%E8%BB%8D_(%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC)&amp;diff=96761</id>
		<title>村上水軍 (イラストレーター)</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: ページの白紙化&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>神童</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:Supplice des Amauriciens.jpg|270px|thumb|火刑]]&lt;br /&gt;
'''火刑'''（かけい）とは受刑者に火をつける、あるいは火であぶることにより殺害する[[死刑]]のひとつ。'''火罪'''（かざい）、'''火焙り'''（ひあぶり）、'''焚刑'''（ふんけい）とも呼ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
火刑は、[[公開処刑]]で見せしめ（一般予防）的要素が強く、一度の処刑で多数の人間に対し、凶悪犯罪の結果は悲惨な死であるというメッセージを与える事が出来るという点で、非常に効率的である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
また多数の受刑者を一時に処刑できるという点も効率的だが、処刑準備に時間がかかるという欠点も持ち合わせている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
日本では縦杭状の死刑用具に囚人を縛り付け、周りに藁を積み上げて覆い隠し、その上で火をつけて焼く。警吏が最後に止め焼き―男性は[[陰嚢]]、女性は[[乳房]]を火で焼く―という動作を行って処刑は完了となる。[[江戸]]では[[鈴が森刑場]]で執行された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
火刑では、火傷で死ぬことより、煙で窒息死したり、ショック死することのほうが多い。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、あらかじめ絞首刑などで殺した死刑囚を焼くために行われることもある。また生きている人間を焼き殺すというのはあまりにも残酷なので、「温情」という名目で刑吏が火をつける前に絞殺したり、胸に杭を打ち込み殺害することもあったようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 魔女狩り ==&lt;br /&gt;
[[Image:Joan of arc burning at stake.jpg|250px|thumb|魔女として火刑にされるジャンヌ・ダルク]]&lt;br /&gt;
[[ヨーロッパ]]では、火刑は宗教的異端者や[[魔女狩り]]などで魔女とされた者に対して科せられることが多かった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
もちろん[[悪魔]]と契約し[[黒魔術]]で人を病気にさせた魔女など現実に存在するわけがない。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--魔女術は実在しているので（もちろん悪魔と契約はしていませんが）表現変えました--&amp;gt;&amp;lt;!--魔女は女性とは限らず男性の魔女もいたので以降の女性は書き換えしました。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
魔女の疑いをかけられた人間は、水を何百リットルも飲まされる、親指つぶしという拷器で指を潰されるなどの拷問を受けた。魔女として魔術を行ったり、悪魔と性行為を行ったという自白をさせられてから、火刑の判決を受けた。拷問中の死亡も多かった。また、拷問に耐えかねて他の女性などを魔女として告発する容疑者もおり、これで芋づる式に逮捕された容疑者が同じ拷問にあい、魔女に仕立て上げられるケースもあった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
この場合の火刑は、被疑者の姿がよく見えるよう、棒に縛り付けた上で足元に可燃物を置く形で準備が進められ、受刑者は衆人環視のなか、火をつけられて焼き殺された。また、このときの火刑にも「慈悲を与える」との名目で予め別の方法で殺害する方法が取られることもあった。&lt;br /&gt;
{{Commons|Category:Stake|Bûcher}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[刑罰]]&lt;br /&gt;
*[[刑罰の一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:死刑|かけい]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;margin:0.5em 0;background-color:#f6f6f6;border:1px solid #ccc;padding:3px;font-size:80%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
このページは [http://ja.wikipedia.org/ Wikipedia日本語版]由来のコンテンツを利用しています。もとの記事は[http://ja.wikipedia.org/wiki/火刑 '''火刑''']にあります。執筆者のリストは[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=火刑&amp;amp;amp;action=history '''履歴''']をご覧ください。 &lt;br /&gt;
[[Yourpedia]]と同じく、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia Wikipedia]は[http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html GFDLのライセンス]で提供されています。&lt;br /&gt;
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&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:Wikipedia出典元の記事|{{PAGENAME}}]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<title>小原鎮実</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:Supplice des Amauriciens.jpg|270px|thumb|火刑]]&lt;br /&gt;
'''火刑'''（かけい）とは受刑者に火をつける、あるいは火であぶることにより殺害する[[死刑]]のひとつ。'''火罪'''（かざい）、'''火焙り'''（ひあぶり）、'''焚刑'''（ふんけい）とも呼ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
火刑は、[[公開処刑]]で見せしめ（一般予防）的要素が強く、一度の処刑で多数の人間に対し、凶悪犯罪の結果は悲惨な死であるというメッセージを与える事が出来るという点で、非常に効率的である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
また多数の受刑者を一時に処刑できるという点も効率的だが、処刑準備に時間がかかるという欠点も持ち合わせている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
日本では縦杭状の死刑用具に囚人を縛り付け、周りに藁を積み上げて覆い隠し、その上で火をつけて焼く。警吏が最後に止め焼き―男性は[[陰嚢]]、女性は[[乳房]]を火で焼く―という動作を行って処刑は完了となる。[[江戸]]では[[鈴が森刑場]]で執行された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
火刑では、火傷で死ぬことより、煙で窒息死したり、ショック死することのほうが多い。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、あらかじめ絞首刑などで殺した死刑囚を焼くために行われることもある。また生きている人間を焼き殺すというのはあまりにも残酷なので、「温情」という名目で刑吏が火をつける前に絞殺したり、胸に杭を打ち込み殺害することもあったようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 魔女狩り ==&lt;br /&gt;
[[Image:Joan of arc burning at stake.jpg|250px|thumb|魔女として火刑にされるジャンヌ・ダルク]]&lt;br /&gt;
[[ヨーロッパ]]では、火刑は宗教的異端者や[[魔女狩り]]などで魔女とされた者に対して科せられることが多かった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
もちろん[[悪魔]]と契約し[[黒魔術]]で人を病気にさせた魔女など現実に存在するわけがない。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--魔女術は実在しているので（もちろん悪魔と契約はしていませんが）表現変えました--&amp;gt;&amp;lt;!--魔女は女性とは限らず男性の魔女もいたので以降の女性は書き換えしました。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
魔女の疑いをかけられた人間は、水を何百リットルも飲まされる、親指つぶしという拷器で指を潰されるなどの拷問を受けた。魔女として魔術を行ったり、悪魔と性行為を行ったという自白をさせられてから、火刑の判決を受けた。拷問中の死亡も多かった。また、拷問に耐えかねて他の女性などを魔女として告発する容疑者もおり、これで芋づる式に逮捕された容疑者が同じ拷問にあい、魔女に仕立て上げられるケースもあった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
この場合の火刑は、被疑者の姿がよく見えるよう、棒に縛り付けた上で足元に可燃物を置く形で準備が進められ、受刑者は衆人環視のなか、火をつけられて焼き殺された。また、このときの火刑にも「慈悲を与える」との名目で予め別の方法で殺害する方法が取られることもあった。&lt;br /&gt;
{{Commons|Category:Stake|Bûcher}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[刑罰]]&lt;br /&gt;
*[[刑罰の一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:死刑|かけい]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;margin:0.5em 0;background-color:#f6f6f6;border:1px solid #ccc;padding:3px;font-size:80%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
このページは [http://ja.wikipedia.org/ Wikipedia日本語版]由来のコンテンツを利用しています。もとの記事は[http://ja.wikipedia.org/wiki/火刑 '''火刑''']にあります。執筆者のリストは[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=火刑&amp;amp;amp;action=history '''履歴''']をご覧ください。 &lt;br /&gt;
[[Yourpedia]]と同じく、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia Wikipedia]は[http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html GFDLのライセンス]で提供されています。&lt;br /&gt;
コンテンツを再利用する際には同じくGFDLのライセンスを採用してください。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:Wikipedia出典元の記事|{{PAGENAME}}]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<title>火刑</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: ページの白紙化&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>ホルミウム</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''日本国憲法 第2章'''は、[[日本国憲法]]の三大原則のひとつである平和主義「'''戦争の放棄'''」を規定している章である。一般的には「[[日本国憲法第9条|第九条]]」が有名であり、この条文だけで第2章を構成している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]][[11月22日]]に発表された[[自由民主党]][[新憲法制定推進本部]]による「新憲法草案」では、この章のタイトル（戦争の放棄）を「'''[[安全保障]]'''」としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 構成 ==&lt;br /&gt;
* [[日本国憲法第9条|第9条]] 戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連条文 ==&lt;br /&gt;
* [[日本国憲法前文]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 他の国々の場合 ==&lt;br /&gt;
基本的に、独立した章で平和主義を述べている憲法は少ない。近い内容の章をあげると、&lt;br /&gt;
* [[ドイツ連邦共和国基本法]]第10a章 '''防衛事態'''&lt;br /&gt;
:※ただしこの章とは別に、第26条に平和主義についての条文がある。&lt;br /&gt;
* [[中華民国憲法]]第13章 基本国策 - 第1節 国防&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように'''[[有事]]'''や'''[[国防]]'''に関する内容となっている。&lt;br /&gt;
またその他の国も大抵は[[侵略戦争]]・[[征服戦争]]を禁止している。&lt;br /&gt;
なお日本のように「戦争の放棄」をうたっている憲法は稀有である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[パラオ]]:アメリカ合衆国の[[信託統治]]下にあった1980年に「非核憲法」を住民投票によって成立され注目された。1992年以後、非核化の条文は凍結されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[日本国憲法]]&lt;br /&gt;
*[[日本国憲法第9条]]&lt;br /&gt;
*[[日本国憲法前文]]&lt;br /&gt;
*[[自衛権]]&lt;br /&gt;
*[[非核三原則]]&lt;br /&gt;
*[[武器輸出三原則]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本国憲法}}&lt;br /&gt;
{{stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja|日本国憲法第2章}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本国憲法|*02]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<title>日本国憲法第2章</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>ポケットモンスター (ゲーム)/通信・特性</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{統合文字|噌}}&lt;br /&gt;
[[Image:Miso Soup.jpg|200px|thumb|right|豆腐、わかめ、たまねぎの味噌汁]]&lt;br /&gt;
'''味噌汁'''（みそしる）は、[[出汁|だし]]に[[野菜]]や[[魚介類]]などの具を加え、煮て、[[味噌]]で調味した[[日本料理]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[日本]]の食文化において、[[主食]]とされる[[飯|米飯]]や雑穀飯の[[副食]]として、主要な位置を占める。伝統的な食生活において、日常生活（[[ハレとケ|ケ]]）の食事は「[[一汁一菜]]」と表現され、主食に味噌汁のような汁物と、「菜（さい）」、「[[おかず]]」と称される固形の副食を一品ずつ組み合わせるのが一般的であった。主食を食べるに際しての食欲増進の役割をおかずと共に果たすと同時に、味噌に含まれる[[大豆]]の[[蛋白質]]は、かつての低蛋白の日本食における主要な蛋白源であったし、労働で[[汗]]とともに消耗する塩分の補給に大きな役割を果たしていた。[[西洋料理]]の[[スープ]]に相当する側面があるが、狭義のヨーロッパのスープは硬くなった[[パン]]に[[鍋物]]の汁をかけてふやかしたものを起源とするため、日本の味噌汁と食事の中の位置づけが多少異なり、より主食的な意味合いが強い。ただし、飯に味噌汁をかけて食べるいわゆる「汁かけ飯」は、まさにヨーロッパのスープの元来の形に酷似する。なお日本食に慣れていない外国人には味噌汁のにおいが受付けられない人も多く、注意が必要である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
調理に際しては、味噌を加えた後に強く煮立たせると、味噌の香りが揮発して風味が減じることに気を配る必要がある。具材によっては「鱈汁」、「[[豚汁]]」「[[三平汁]]」などのように名称が変化することもあり、[[鍋物]]を味噌で仕立てた場合にも味噌汁とは言わないのが普通である。一般的には日本の一般家庭の朝食時にご飯と共に供される感も強いが、朝食に限らず食事の時の白米のご飯の付け合せの汁物として飲まれている。日本人の食に一番密接している料理ともいえ、欠かすことの出来ない存在である。味噌汁、特に[[シジミ]]の味噌汁は[[アルコール]]の分解を助け[[二日酔い]]に効果があるとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京近郊では'''おみおつけ'''（御味御付。「おみ」は「味噌」、「おつけ」は「汁」を意味する[[女房言葉]]。[[江戸時代]]に[[江戸]]の地で使用されていた）、[[京阪神]]や一部の地域では'''おつゆ'''（他の地域では[[吸い物|すまし汁]]のみを指すことが多い）とも呼ばれる。なお、「おみおつけ」について、[[タケヤ]]のCMに出演している[[森光子]]のように“御御御付”と解し、敬語が過剰についた例とする者も少なくないが、典型的な[[民間語源]]的解釈に過ぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
味噌汁が食卓に登場したのは[[室町時代]]の頃と言われている。元々は田舎料理で主に[[農家]]などで作られていたものであったが、時期が経つにつれ様々な階層にも次第に普及し、やがて日本人の食卓に欠かせないものになる。料亭で出されることもあるが、たいていは家庭で作られる家庭料理の代表である。[[鰹節]]や[[煮干し]]などで出汁をとり、食材と味噌で味を作るという、調理法としてはシンプルな料理であるといえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
調理時間も十分ほどと、食事をする少し前でも作ることが出来る。そのため朝の忙しい時間帯のご飯のお供にと日本家庭で毎日のように作られ、食べられるようになり、日本料理の代表的なものと言われるほどに普及するに至った。しかし、調理法はシンプルながらもこの料理の味は非常に繊細で奥深い。[[おふくろの味]]と称されるように、作る家庭によって十人十色の味となる非常に特徴的な料理でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
味噌の種類・[[出汁]]のとり方・出汁に使う材料は各家庭レベルで千差万別で、日本人の個々のアイデンティティをも示す食物の代表的な存在にまでになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
味噌汁は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に陣中食として普及したとする意見もある。その根拠としては、各地に残る味噌には、戦国武将の考案によるものとされるものがあること（[[上杉謙信]]の[[越後国|越後]][[味噌]]、[[伊達政宗]]の[[仙台]][[味噌]]など）、保存が利く味噌が陣中では重宝されたことが挙げられる。調理が簡単で大量に作れるみそ汁は陣中食として考案されたとする説もある。里芋の茎を味噌で煮しめた[[芋がら縄]]は、ちぎって[[陣笠]]に入れて熱湯をかければ簡単に味噌汁ができる陣中食だった。[[石田三成]]は、「熱湯に焼き味噌をかき立てて飲めば、終日米がなくとも飢えたることなし」と語ったとの言い伝えもある。陣中食としての味噌汁は、むしろご飯に味噌をかけて湯を入れたものである事も多く、元々「汁かけ飯」だったものが、後にご飯と味噌汁の組み合わせに変化していったとも言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出汁・味噌 ==&lt;br /&gt;
使用する味噌は各家庭によりまちまちだが、地域レベルで見ると相対的に赤味噌が好まれる地域・白味噌が好まれる地域などにブロック化することができ、それがそのままその地域の代表的な味噌の銘柄にもなっていることも多い（[[味噌]]を参照）。しかし、戦後は流通経路の発達に伴って特に[[信州味噌]]が全国的に普及し、これを使う家庭も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出汁は、主に[[コンブ|昆布]]・[[煮干し]]・[[鰹節]]が多く使われる。これも、各家庭で千差万別であるが、近年は[[うま味調味料|化学調味料]]の発達から、化学調味料でとる家も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一杯分の味噌の使用量は15gが標準とされているが、好みや使用する味噌の違いなどによって若干幅がある。汁としての塩分濃度は概ね1%程度である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な味噌汁の具 ==&lt;br /&gt;
地方風土により様々な差異がある。ここに一例を記す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 魚介類・海藻類 ===&lt;br /&gt;
* [[ワカメ]] -- 乾物の場合、水で戻し、切ってから使う。塩ワカメは塩抜きをする。&lt;br /&gt;
* [[シジミ]] -- 貝ごと洗って水から入れ、全てが口を開いたら味噌を加える。&lt;br /&gt;
* [[アサリ]] -- 貝ごと洗って水から入れ、全てが口を開いたら味噌を加える。&lt;br /&gt;
* [[白子 (精巣)|白子]]&lt;br /&gt;
* [[タラ]]&lt;br /&gt;
* [[甘エビ]] -- 身を刺身で食べた後に、頭部の残殻を具にする。独特の風味が楽しめる。&lt;br /&gt;
* [[アオノリ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 野菜・加工品 ===&lt;br /&gt;
* [[ナメコ]] -- ぬめりを落として入れる。独特の舌触りを楽しむ。&lt;br /&gt;
* [[ダイコン|大根]] -- 水から入れる。厚めの輪切りにするほか、細長く切って入れる場合もある。&lt;br /&gt;
* [[エノキダケ|えのき]]&lt;br /&gt;
* [[シイタケ]]&lt;br /&gt;
* [[ネギ]] -- 小口切りにして吸い口として使われる。また、ザクきりにして、主たる具材としても使われる。&lt;br /&gt;
* [[ミョウガ]] -- 小口切りにして吸い口として使われる。&lt;br /&gt;
* [[ニンジン]] -- 水から入れる。&lt;br /&gt;
* [[ジャガイモ]] -- 水から入れる。&lt;br /&gt;
* [[ゴボウ]] -- 水から入れる。豚汁には欠かせない食材。&lt;br /&gt;
* [[タマネギ]]&lt;br /&gt;
* [[キャベツ]]&lt;br /&gt;
* [[カブ]]&lt;br /&gt;
* [[ナス]]&lt;br /&gt;
* [[ミツバ]] -- 最後に入れる&lt;br /&gt;
* [[ハクサイ|白菜]]&lt;br /&gt;
* [[カボチャ]] -- 水から入れる。&lt;br /&gt;
* [[油揚げ]] -- 油抜きのため一度ざるの上にのせ、熱湯をかけるとよい。&lt;br /&gt;
* [[豆腐]] -- 手の上でさいの目切りにする。手を切ってしまわぬように注意が必要である&lt;br /&gt;
* [[納豆]] --包丁で叩き割ったり、すりつぶしてから入れることが多い（[[納豆汁]]）。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--*[[マーガリン]]--椀に盛ってから入れる。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[麩]]--焼き麩。&lt;br /&gt;
* [[そうめん]]--ゆでてから入れる。&lt;br /&gt;
* [[モヤシ|もやし]]&lt;br /&gt;
* [[ヘチマ]]--沖縄地方などで見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 肉・加工品 ===&lt;br /&gt;
* [[豚肉]]&lt;br /&gt;
* [[ソーセージ]]--ウィンナーソーセージ、[[魚肉ソーセージ]]&lt;br /&gt;
* [[カマボコ]]&lt;br /&gt;
* [[鶏卵]]--味噌を入れてから入れる。椀に盛った状態で半熟になるタイミングで入れる。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--* [[バター]]--椀に盛ってから入れる。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[ちくわ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沖縄の「味噌汁」 ==&lt;br /&gt;
[[沖縄]]の[[食堂]]では「'''味噌汁'''」というメニューがある。読みは「'''みそじる'''」で、大きな汁物椀に豚肉、ポーク（[[ランチョンミート]]）、ソーセージ、豆腐、[[野菜]]類、[[鶏卵]]などが盛りだくさんに入った汁である。さらにこれを頼むと、どんぶりに盛ったご飯も一緒に出てくるので、注文する際は注意が必要である。逆に沖縄出身者が本土で味噌汁を注文すると、具や量のあまりの少なさに驚くことになる。なお、沖縄のみそ汁では調理時に油を入れるのが普通であり、具に肉が含まれない場合はラードを入れるなどする。これは野菜を軟らかく煮るのに効果があるという。また、沖縄では豚肉、[[かまぼこ]]、[[こんにゃく]]、[[しいたけ]]などを白味噌仕立てにした'''イナムドゥチ'''や、'''魚汁'''（さかなじる）という魚（まるごと、あるいはぶつ切り）を具材とした味噌汁などもポピュラーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 即席味噌汁 ==&lt;br /&gt;
[[1974年]]、[[永谷園]]から世界初のインスタント味噌汁「あさげ」が発売された。フリーズドライの具と粉末味噌をお椀に入れ、熱湯をかけるだけで出来るため、単身者や料理の時間がない消費者から受け入れられ、「あさげ」「ひるげ」「ゆうげ」のシリーズも販売された。[[1981年]]、[[旭松食品]]が生の味噌を用いた「なまみそずい」の全国発売を開始し、関西圏で[[永谷園]]からトップシェアを奪うほどのヒット商品となった。その後、インスタント味噌汁は生味噌を用いた製品が主流となる。現在、[[ハナマルキ]]や[[マルコメ]]、[[宮坂醸造]]（信州一味噌）などの老舗の味噌醸造メーカーもインスタント味噌汁を発売し、[[豚汁]]や殻付きの[[あさり]]が入ったカップ味噌汁など品揃えも豊富になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Miso_soup}}&lt;br /&gt;
* [[ねこまんま]] - ねこまんまのバリエーションのうち汁を掛けた物。&lt;br /&gt;
* [[芋がら縄]] - 昔食べられていた、今で言う「インスタント味噌汁」のようなもの&lt;br /&gt;
* [[すまし汁]]&lt;br /&gt;
* [[雑煮]]&lt;br /&gt;
* [[豚汁]]&lt;br /&gt;
* [[冷や汁]]&lt;br /&gt;
* [[かぐや姫 (フォークグループ)|かぐや姫]] - 曲『妹よ』のなかで嫁ぐ妹にあの味噌汁の作り方を書いてゆけと頼む。&lt;br /&gt;
* [[千昌夫]] - 『味噌汁の詩』という曲を発表。&lt;br /&gt;
* [[テゴマス]] - 『[[ミソスープ (テゴマス)|ミソスープ]]』という曲でデビュー。&lt;br /&gt;
* [[太宰治]] - 学生時代は味噌汁を魔法瓶に携帯していたほど好物であった。&lt;br /&gt;
* [[蛤女房]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.365miso.com/ 365日味噌汁レシピ]　かなりの味噌汁レシピがある&lt;br /&gt;
*[http://homepage2.nifty.com/mass/ 味噌汁の鉄人]　必ずしも味噌汁にする必要がない味噌汁&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:みそしる}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の汁物]]&lt;br /&gt;
[[Category:沖縄県の食文化]]&lt;br /&gt;
{{Food-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[de:Misosuppe]]&lt;br /&gt;
[[en:Miso soup]]&lt;br /&gt;
[[es:Sopa de miso]]&lt;br /&gt;
[[fr:Soupe de miso]]&lt;br /&gt;
[[id:Sup miso]]&lt;br /&gt;
[[ms:Sup miso]]&lt;br /&gt;
[[pt:Sopa de miso]]&lt;br /&gt;
[[simple:Miso soup]]&lt;br /&gt;
[[sv:Misosoppa]]&lt;br /&gt;
[[zh:味噌湯]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<title>味噌汁</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: ページの白紙化&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>アーツビジョン</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''マイヤ・ミハイロフナ・プリセツカヤ'''（[[ロシア語|露]]: '''Майя Михайловна Плисецкая'''、1925年11月20日生まれ）は[[ロシア]]の[[バレエダンサー]]。しばしば現代最高のバレリーナと呼ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生い立ち==&lt;br /&gt;
[[モスクワ]]の芸術家を多く輩出する有名な[[ユダヤ人]]一家に生まれた。エンジニアの父の仕事の都合で、[[スピッツベルゲン島]]の学校へ通う。1938年、父親は[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の粛正により処刑され、サイレント映画女優だった母親は[[カザフスタン]]へ強制送致され、母方のおばにあたるバレリーナ[[スラミフィ・メッセレル]]の養子となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1934年、一家は休暇のためモスクワに帰りその期間中に、帝室バレエ学校のエフゲニヤ・イワノヴナ・ドリンスカヤのクラスに編入する。バレエを始めて1年目で「軍縮会議」という演目の中国人役で舞台に舞台に立つ。その後再びモスクワに戻り、教師は変わりバレリーナであった[[エリザヴェータ・ゲルト]]のもとで6年間学ぶ。1943年にバレエ学校を卒業し、[[ボリショイ・バレエ]]に入団した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==活動歴==&lt;br /&gt;
バレエ学校卒業後、ボリショイバレエ団にコール・ド・バレエ（群舞を担当するダンサー集団）として入団。ボリショイ劇場以外での公演に積極的に出演し経験を積む。入団1年目を終えるころに、欠員のため「くるみ割り人形」のマーシャ役に抜擢された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[アンナ・パヴロワ]]の代表作「[[瀕死の白鳥]]」を演じ、当たり役とする。また最大の当たり役は、「[[白鳥の湖]]」のオデット／オディール（1947年）、「[[眠れる森の美女 (チャイコフスキー)|眠れる森の美女]]」のオーロラ姫（1961年）である。跳躍の高さ、柔軟で大きく反る背中、技術の確かさ、カリスマ性すべてにおいて高く評価されたが、劇場上層部の彼女への待遇はあまりよいものではなかった。[[反ユダヤ主義]]的風潮のなかで1956年の国外公演には同行が許されなかった。1958年、作曲家[[ロディオン・シチェドリン]]と結婚、翌年には[[ソ連人民芸術家]]として表彰される。1959年に彼女が西側世界に初めて登場すると、バレエ界は大きな衝撃を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1960年、[[ガリーナ・ウラノワ]]が引退すると、ボリショイ劇場の[[バレリーナ|プリマ・バレリーナ]]（首席バレリーナ）に任命される。1967年ソヴィエトで制作された『[[アンナ・カレーニナ]]』の映画版では、トヴェルスコイ公爵夫人（ヴェッツィ）を演じ、1971年には、シチェドリンの作曲、自身の振り付けによるバレエ版「アンナ・カレーニナ」を発表し、主役アンナを演じた。他に[[ユーリー・グリゴローヴィチ]]、[[ローラン・プティ]]、[[アルベルト・アロンソ]]、[[モーリス・ベジャール]]などの著名な振り付け師が彼女のために作品を振り付けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1980年代には、シチェドリンとともに海外で過ごすことが多くなり、ローマ・オペラ・バレエや、[[マドリッド]]のスペイン国立バレエの芸術監督を務める。65歳で、ついにボリショイ劇場のソリストから引退したが、その後も芸術活動を続けている。70歳の誕生日には、ベジャールの振り付けによる「アヴェ・マイヤ」を初演。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1994年からは自身の名を冠したマイヤ・プリセツカヤ国際バレエコンクールの審査員長を務めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年、宝塚歌劇星組公演「[[アイーダ|王家に捧ぐ歌]]」の振付を担当し話題になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年、第18回[[高松宮殿下記念世界文化賞]]の演劇・映像部門を受賞した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==DVD・書籍==&lt;br /&gt;
*「闘う白鳥」（自伝）&lt;br /&gt;
*「アンナ・カレーニナ」（1967年モスフィルム製作 - DVD出版元　RUSCICO（ロシア映画評議会））&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
{{commonscat|Maya Plisetskaya}}&lt;br /&gt;
*[http://www.shchedrin.de/ プリセツカヤ・シチェドリン国際財団公式サイト（ドイツ語・英語・ロシア語）]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ふりせつかや まいや}}&lt;br /&gt;
[[Category:ロシアのバレエダンサー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユダヤ系ロシア人]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソ連人民芸術家]]&lt;br /&gt;
[[Category:1925年生]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%BB%E3%83%84%E3%82%AB%E3%83%A4&amp;diff=96752</id>
		<title>マイヤ・プリセツカヤ</title>
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				<updated>2010-08-10T09:54:50Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: ページの白紙化&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8C%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%83%AB&amp;diff=96751</id>
		<title>エクストリーム・ヌルヌル</title>
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				<updated>2010-08-10T09:53:42Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''自由民主党'''（'''じゆうみんしゅとう'''）は[[日本]]の[[政党]]。[[党首]]（呼称：[[自由民主党総裁|総裁]]）は、[[谷垣禎一]]（第24代）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
党名に“自由民主”を掲げるものの、実際は[[自由党]]と[[日本民主党]]が合同して両者の党名をくっつけただけに過ぎず、その政策は真の「自由民主主義」とは程遠い、世界一の役立たずな親米売国似非保守政党である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[反共]]の観点から、自由主義であると認定する[[アメリカ]]の傘の下に入り、アメリカが押し付けた軍事的無能力化を明記した第9条を含む現行憲法を改正し、アメリカと共同で戦争を行うための[[集団的自衛権]]の行使をするための権利獲得を目指すという、現行憲法時におけるアメリカの支配から独立して軍事的にアメリカに付き従う従属国家、傀儡国家になることがなんら独立、主体性の確保ではないとする指摘されてもまともに反論できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結党した1955年から現在に至るまで[[中央情報局]]の金銭・政策両面における支援を受けており、内閣総理大臣も務めた歴代総裁の一人・[[岸信介]]に至ってはアメリカ政府のエージェントであった事が、[[ニューヨーク・タイムス]]のティム・ワイナーによって暴露された（「CIA秘録」）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
党の運営がかなり派閥の力量に左右されている点は、思想的にも対極にある[[日本共産党]]とは対照的である。主要な派閥は[[清和政策研究会]]と[[宏池会]]。なお宏池会は分裂している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の政策を批判するが、与党時代の政策は全て行き当たりばったりで、民主党等から批判されると、支離滅裂な応答をする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
多くの議員が疑獄事件・汚職に関与しており、脛に傷を持つ者だらけの金権政党である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一部で「“国家正義党”と改称すべきだ」とその右派ぶりを揶揄されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年9月、[[麻生太郎]]の無能ぶりに激怒した有権者の総スカンを受け、野党に転落した。下野は1993年の細川内閣以来2度目である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
統一教会の支援を受けている議員が多数居り、統一教会に有利になる法案を多数通してきた。また、[[朝鮮玉入れ]]の企業から旧社会党の10倍以上の額の献金を受けてきたことは周知の事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[親米保守]]&lt;br /&gt;
*[[対米従属]]&lt;br /&gt;
*[[売国奴]] - 左翼への蔑称であったが、自民は右翼型売国奴である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の自由民主党|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫|しゆうみんしゆとう]]&lt;br /&gt;
[[Category:シロアリ|しゆうみんしゆとう]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政党|腐敗]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%8F%88%E5%90%89%E5%85%89%E9%9B%84&amp;diff=96750</id>
		<title>又吉光雄</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%8F%88%E5%90%89%E5%85%89%E9%9B%84&amp;diff=96750"/>
				<updated>2010-08-10T09:53:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''自由民主党'''（'''じゆうみんしゅとう'''）は[[日本]]の[[政党]]。[[党首]]（呼称：[[自由民主党総裁|総裁]]）は、[[谷垣禎一]]（第24代）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
党名に“自由民主”を掲げるものの、実際は[[自由党]]と[[日本民主党]]が合同して両者の党名をくっつけただけに過ぎず、その政策は真の「自由民主主義」とは程遠い、世界一の役立たずな親米売国似非保守政党である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[反共]]の観点から、自由主義であると認定する[[アメリカ]]の傘の下に入り、アメリカが押し付けた軍事的無能力化を明記した第9条を含む現行憲法を改正し、アメリカと共同で戦争を行うための[[集団的自衛権]]の行使をするための権利獲得を目指すという、現行憲法時におけるアメリカの支配から独立して軍事的にアメリカに付き従う従属国家、傀儡国家になることがなんら独立、主体性の確保ではないとする指摘されてもまともに反論できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結党した1955年から現在に至るまで[[中央情報局]]の金銭・政策両面における支援を受けており、内閣総理大臣も務めた歴代総裁の一人・[[岸信介]]に至ってはアメリカ政府のエージェントであった事が、[[ニューヨーク・タイムス]]のティム・ワイナーによって暴露された（「CIA秘録」）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
党の運営がかなり派閥の力量に左右されている点は、思想的にも対極にある[[日本共産党]]とは対照的である。主要な派閥は[[清和政策研究会]]と[[宏池会]]。なお宏池会は分裂している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の政策を批判するが、与党時代の政策は全て行き当たりばったりで、民主党等から批判されると、支離滅裂な応答をする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
多くの議員が疑獄事件・汚職に関与しており、脛に傷を持つ者だらけの金権政党である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一部で「“国家正義党”と改称すべきだ」とその右派ぶりを揶揄されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年9月、[[麻生太郎]]の無能ぶりに激怒した有権者の総スカンを受け、野党に転落した。下野は1993年の細川内閣以来2度目である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
統一教会の支援を受けている議員が多数居り、統一教会に有利になる法案を多数通してきた。また、[[朝鮮玉入れ]]の企業から旧社会党の10倍以上の額の献金を受けてきたことは周知の事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[親米保守]]&lt;br /&gt;
*[[対米従属]]&lt;br /&gt;
*[[売国奴]] - 左翼への蔑称であったが、自民は右翼型売国奴である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の自由民主党|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫|しゆうみんしゆとう]]&lt;br /&gt;
[[Category:シロアリ|しゆうみんしゆとう]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政党|腐敗]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<title>自由民主党 (日本)</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: ページの白紙化&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>山下未亜</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{日本の内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|[[第1次岸内閣|56]]・[[第2次岸内閣|57]]&lt;br /&gt;
|岸 信介&amp;lt;br/&amp;gt;（きし のぶすけ）&amp;lt;br/&amp;gt;[[画像:Nobusuke Kishi 1956.jpg|200px]]&lt;br /&gt;
|[[1896年]][[11月13日]]&lt;br /&gt;
|[[山口県]]吉敷郡山口町&amp;lt;br/&amp;gt;（現在の[[山口市]]）&lt;br /&gt;
|[[東京大学|東京帝国大学]]&lt;br /&gt;
|[[正二位]][[大勲位]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[法学士]]&lt;br /&gt;
|[[衆議院議員]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[自由民主党幹事長]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[外務大臣]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
|[[#家族・親族|家族・親族]]参照&lt;br /&gt;
|[[1957年]][[2月25日]]|[[1960年]][[7月19日]]&lt;br /&gt;
|旧山口2区&lt;br /&gt;
|衆10回&lt;br /&gt;
|[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]&lt;br /&gt;
|[[1987年]][[8月7日]]}}&lt;br /&gt;
'''岸 信介'''（きし のぶすけ、{{和暦|1896}}[[11月13日]] - {{和暦|1987}}[[8月7日]]）は、[[日本]]の[[農商務省 (日本)|農商務]][[官僚]]、[[政治家]]。第56、57代[[内閣総理大臣]]。[[位階|正二位]][[大勲位]]。旧姓は佐藤。第61、62、63代内閣総理大臣[[佐藤栄作]]の実兄。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 青年期まで ===&lt;br /&gt;
[[山口県]][[吉敷郡]]山口町八軒家（現在の[[山口市]]）に、山口県庁[[官吏]]であった佐藤秀助と茂世（もよ）夫妻の第5子（次男）として生まれる（[[本籍地]]は[[熊毛郡 (山口県)|熊毛郡]][[田布施町]]）&amp;lt;ref&amp;gt;信介が物心ついて、田布施の家で、冬の夜など、兄弟姉妹が[[炬燵]]をとり囲んで、雑談などしている時、信介少年は自分だけが山口の八軒家で生まれたということにより、ちょっと仲間はずれになったような感じがしたこともあったという（吉本重義著『岸信介傳』19-20頁）&amp;lt;/ref&amp;gt;。信介が生まれた時、曽祖父の[[佐藤信寛]]もちょうど山口に来ており、早速“名付親になる”といって自分の名前の一字を取って｢信介｣という名が付けられた&amp;lt;ref name=&amp;quot;damareheitai&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kajika.net/furusawa/980304.htm|title=「黙れ兵隊」と一喝 - [[古澤襄]] 杜父魚文庫|accessdate=8月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。数え年3歳になった頃、一家は田布施に帰郷し、[[造り酒屋]]を営む。佐藤家には酒造の権利が昔からあった。その権利は他家に貸していたものだったが母茂世（もよ）が分家するに当たって酒造の権利を取り戻して茂世（もよ）に与えられていた。秀助、茂世（もよ）夫妻は、本家のある田縫のすぐそばの岸田で酒造りに従事した。&amp;lt;ref&amp;gt;『正伝 佐藤栄作（上）』 23頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学3年の時、婿養子だった父の実家・岸家の養子となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡山県立岡山朝日高等学校|旧制岡山中学]]に学んだが、2年生になったばかりの頃、叔父の松介が[[肺炎]]に依り急逝したため山口に戻り、旧制山口中学（戦後の[[山口県立山口高等学校]]）に転校。岡山中学では10番前後だったが山口中学では首席だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1914}}、山口中学を卒業。間もなく上京して、高等学校受験準備のため[[予備校]]に通ったが、勉強より遊び癖の方がつきやすく、受験勉強そっちのけでしばしば映画や芝居を見に行ったりした。このため[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]の入学試験の成績は最下位から2、3番目だった&amp;lt;ref&amp;gt;『岸信介傳』54､55頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高等学校から大学にかけての秀才ぶりは様々に語り継がれ、同窓で親友であった[[我妻栄]]、[[三輪寿壮]]とは常に成績を争った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1917}}、[[東京大学|東京帝国大学]]に入学。大学の入学試験は[[ドイツ語]]の筆記試験だけで、難なく合格した。大学時代は精力を[[法律]]の勉強に集中し、ノートと参考書のほか一般の読書は雑誌や小説を読む程度で、一高時代のように旺盛な多読濫読主義ではなく、遊びまわることもほとんどなかった&amp;lt;ref name=damareheitai/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『岸信介傳』62頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。他の高校からやってきた者たちは俊英ぶりに驚かされたという。このころ岸を魅了していたのは[[北一輝]]の存在であった。中込に北を訪ねている。のちに岸は北について「大学時代に私に最も深い印象を与えた一人」と認め、「おそらくは、のちに輩出した[[右翼]]の連中とはその人物識見においてとうてい同日に論じることはできない」と語っている&amp;lt;ref&amp;gt;『巨魁 &amp;lt;small&amp;gt;&amp;lt;岸信介研究&amp;gt;&amp;lt;/small&amp;gt;』 37頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。{{和暦|1920}}7月に[[東京大学|東京帝国大学]][[法学部]]法律学科（[[ドイツ|独]]法）を卒業。憲法学の[[上杉慎吉]]から大学に残ることを強く求められ、我妻もそれを勧めるが岸は[[農商務省 (日本)|農商務省]]に入省した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 農商務省時代〜満州国時代 ===&lt;br /&gt;
農商務省へ入ると、当時商務局商事課長だった同郷の先輩、[[伊藤文吉 (官僚)|伊藤文吉]]（元首相[[伊藤博文]]の養子）から「外国貿易に関する調査の事務を嘱託し月手当45円を給す」という辞令をもらった。同期には[[平岡梓]]（作家・[[三島由紀夫]]の父）、[[三浦一雄]]、[[吉田清二]]などがいたが、入って間もなく、岸は同期生およそ20名のリーダー格となった&amp;lt;ref&amp;gt;『岸信介傳』 78-80頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1925}}に農商務省が[[商工省]]と[[農林省]]に分割されると商工省に配属され、{{和暦|1933}}2月に商工大臣官房文書課長、{{和暦|1935}}4月には商工省工務局長に就任。{{和暦|1936}}10月に[[満州国国務院]]実業部総務司長に就任して渡満。{{和暦|1937}}7月には産業部次長、{{和暦|1939}}3月には[[総務庁 (満州国)| 総務庁]]次長に就任。この間に[[計画経済]]・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した[[星野直樹]]らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、[[関東軍]]参謀長であった[[東條英機]]や、[[日産コンツェルン]]の総帥[[鮎川義介]]、里見機関の[[里見甫]]の他、[[椎名悦三郎]]、[[大平正芳]]、[[伊東正義]]、[[十河信二]]らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「[[弐キ参スケ]]」の1人に数えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東條内閣の閣僚時代 ===&lt;br /&gt;
[[Image:cabinet of Hideki Tojo.jpg|right|thumb|250px|東條内閣の閣僚の中の岸信介（中央の東條英機の左後ろの人物）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[伍堂卓雄]][[商工大臣]]が当時の商工次官だった[[村瀬直養]]の反対を押し切って岸の次官起用を決定し、{{和暦|1939}}10月に帰国して商工次官に就任する。その後、商工大臣に座った[[小林一三]]と対立、直後に発生した[[企画院事件]]の責任を取り辞任する。{{和暦|1941}}10月に発足した[[東條内閣]]に[[商工大臣]]として入閣。[[太平洋戦争]]中の物資動員の全てを扱った。{{和暦|1942}}の[[第21回衆議院議員総選挙]]で当選し、[[政治家]]としての一歩を踏み出した。{{和暦|1943}}、戦局悪化への対応として[[商工省]]が廃止され[[軍需省]]へと改組。軍需大臣は東條首相の兼務となり、岸は軍需[[次官]]（無任所[[国務大臣|国務相]]兼務）に就任。半ば降格に近い処遇により、東條との関係に溝が生じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1944}}[[7月22日]]には[[サイパン島]]が陥落し、日本軍の敗色が濃厚となった。宮中の重臣間では、[[木戸幸一]]内大臣を中心に早期和平を望む声が上がり、木戸と[[岡田啓介]]予備役海軍大将、[[米内光政]]海軍大将らを中心に、東條内閣の[[倒閣]]工作が密かに進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月13日]]には、難局打開のため内閣改造の意向を示した東條に対し木戸は、東條自身の[[陸軍大臣]]と[[参謀本部 (日本)|参謀総長]]の兼任を解くこと、[[嶋田繁太郎]]海軍大臣の更迭と重臣の入閣を求めた。東條は木戸の要求を受け入れ、内閣改造に着手しようとしたが、すでに岡田と気脈を通じていた岸が、閣僚辞任を拒否し内閣総辞職を要求する。東條側近の[[四方諒二]]（しかた りょうじ）東京憲兵隊長が岸宅に押しかけ恫喝するも、「黙れ、兵隊」と逆に四方を一喝して追い返した&amp;lt;ref name=&amp;quot;damareheitai&amp;quot;/&amp;gt;。この動きと並行して木戸と申し合わせていた重臣らも入閣要請を拒否。東條は内閣改造を断念し、7月18日に[[内閣総辞職]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1945}}年[[3月11日]]、岸は[[翼賛政治会]]から衣替えした親東條の[[大日本政治会]]には加わらず、反東條の[[護国同志会]]を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦犯容疑者から復権まで ===&lt;br /&gt;
[[Image:Kishi and Sato.jpg|thumb|175px|巣鴨プリズンから釈放直後&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&amp;lt;small&amp;gt;官房長官だった実弟の佐藤榮作と共に、長官官邸にて（1948年12月24日）&amp;lt;/small&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
{{和暦|1945}}[[8月15日]]に[[太平洋戦争]]が終結した後、故郷の山口市に帰郷していた所を[[A級戦犯]][[容疑者]]として逮捕された。[[東京都|東京]]の[[巣鴨拘置所]]に収監されたが、[[冷戦]]の激化に伴い[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の対日政策が大きく転換（[[逆コース]]）。日本を「[[共産主義]]に対する防波堤」と位置づけ、旧体制側の人物を復権させたため、戦犯不起訴となる。東條ら7名の処刑の翌日の{{和暦|1948}}12月24日に釈放、[[公職追放]]となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1952}}公職追放解除となり、4月に「自主憲法制定」、「自主軍備確立」、「自主外交展開」を[[スローガン]]に掲げ、[[日本再建連盟]]を設立、会長に就任した&amp;lt;ref name=tosikawatakao&amp;gt;{{cite web|url=http://www.insideline.co.jp/column/co_060130.htm|title=小泉・安倍・中川の“政治的DNA” 『歳川隆雄のコンフィデンシャル情報』|accessdate=8月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。{{和暦|1953}}、日本再建連盟の選挙大敗により[[日本社会党]]に入党しようと[[三輪寿壮]]に働きかけるも党内の反対が激しく入党はできず、[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]に入党、公認候補として衆議院選挙に当選したが、{{和暦|1954}}に[[吉田茂]]首相の「軽武装、対米協調」路線に反発したため自由党を除名された。11月に[[鳩山一郎]]と共に[[日本民主党]]を結成し幹事長に就任。かねて[[二大政党制]]を標榜していた岸は、鳩山一郎や[[三木武吉]]らと共に、自由党と民主党の[[保守合同]]を主導、{{和暦|1955}}に新たに結成された[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の初代[[自由民主党幹事長|幹事長]]に就任した。同年には左右両派に分裂していた[[日本社会党]]が再び合同し「[[55年体制]]」が始まる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 岸内閣誕生 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--[[Image:Kisi.cv56.jpg|right|thumb|250px|石橋退陣を受け、1957年2月25日に成立した第一次岸内閣。国会会期中であったため、[[石井光次郎]]（前列左）を[[副総理]]に加えた他は全閣僚が留任した]]--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1956}}12月14日、自民党総裁に立候補するが7票差で[[石橋湛山]]に敗れた（岸251票、石橋258票）が、[[外務大臣]]として[[石橋内閣]]に入閣した。2か月後に石橋が[[脳軟化症]]に倒れ、[[内閣総理大臣臨時代理|首相臨時代理]]を務めた。巣鴨プリズンに一緒にいた[[児玉誉士夫]]の金と影響力を背景に石橋により後継首班に指名された。国会の首班指名時において自民党総裁以外の自民党議員が指名された形となった（首相就任の1ヵ月後の3月21日に自民党総裁に就任）。石橋内閣を引き継ぐ形で、前内閣の全閣僚を留任、外相兼任のまま第56代[[内閣総理大臣]]に就任した。就任記者会見では「[[汚職]]、[[貧乏]]、[[暴力]]の三悪を追放したい。」と抱負を述べ、三悪追放が流行語にまでなった。また石橋内閣が提唱していた1千億減税も就任直後に実施している。{{和暦|1958}}[[4月25日]]に[[衆議院解散|衆議院を解散]]。5月22日の[[第28回衆議院議員総選挙|総選挙]]で勝利し（自民党は[[絶対安定多数]]となる287議席を獲得）、[[6月12日]]に第57代内閣総理大臣に就任し、[[第2次岸内閣]]が発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1958年に日米安全保障条約改定にあたり、米側は『[[在日米軍裁判権放棄密約事件]]』で露見した裁判権放棄を公的に表明するよう要求したが、岸は国内の反発を恐れ認めなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の岸内閣は、[[警察官職務執行法]]（警職法）の改正案を出したが、「デートもできない警職法」と揶揄され、[[日本社会党|社会党]]や[[総評]]を初めとして反対運動が高まり、撤回に追い込まれた。また、[[日本教職員組合]]（日教組）との政治闘争においては、封じ込め策として教職員への[[勤務評定]]の導入を強行した（これに反発する教職員により「勤評闘争」が起こった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この他、[[最低賃金]]制や[[国民年金]]制度など[[社会保障制度]]を導入し、後の[[高度経済成長]]の礎を構築した。また、鳩山とともに[[復古的改憲論]]を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 六十年安保騒動 ===&lt;br /&gt;
岸の総理大臣在任中の最大の事項は、[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安全保障条約・新条約]]の調印・批准と、それを巡る[[安保闘争]]である。{{和暦|1960}}1月に全権団を率いて訪米した岸は、[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]と会談し、新安保条約の調印と同大統領の訪日で合意した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新条約の承認をめぐる国会審議は、安保廃棄を掲げる社会党の抵抗により紛糾。5月19日には[[日本社会党]]議員を国会会議場に入れないようにして新条約案を強行採決するが、国会外での安保闘争も次第に激化の一途をたどった。警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、[[児玉誉士夫]]を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の[[橋本登美三郎]]を使者に立て、暗黒街の親分衆（＝[[暴力団]]組長）の会合に派遣。[[錦政会]]会長[[稲川角二]]、[[住吉会]]会長[[磧上義光]]や[[的屋|テキヤ]]大連合のリーダーで[[関東尾津組]]組長・[[尾津喜之助]]ら全員が手を貸すことに合意。さらに3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請。ひとつは岸自身が1958年に組織した[[木村篤太郎]]率いる[[新日本協議会]]、[[右翼]]の連合体である[[全日本愛国者団体会議]]、戦時中の超[[国家主義]]者もいる[[日本郷友会]]である。「[[博徒]]、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8千人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。彼らは政府提供の[[ヘリコプター]]、[[セスナ]]機、[[貨物自動車|トラック]]、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円（約230万ドル）の『活動資金』が支給されていた」（『ファーイースタン・エコノミック・レビュー』）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
連日デモ隊に包囲され、[[6月10日]]には大統領来日の準備をするために来日した特使、[[ジェイムズ・ハガティ]]新聞係秘書（[[ホワイトハウス報道官]]）が羽田で群衆に包囲されてヘリコプターで救出され避難する騒ぎになった。[[6月15日]]には、ヤクザと右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの重傷者を出し、国会構内では警官隊との衝突により、デモに参加していた[[東京大学]]学生[[樺美智子]]の死亡事件が発生した。こうした政府の強硬な姿勢を受けて、反安保闘争は次第に反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。岸は、「国会周辺は騒がしいが、[[銀座]]や[[後楽園球場]]はいつも通りである。''私には“声なき声”が聞こえる''」（[[サイレント・マジョリティ]]発言）と沈静化を図るが、[[東久邇宮稔彦王|東久邇]]・[[片山哲|片山]]・石橋の3人の元首相が岸に退陣勧告をするに及んで事態は更に深刻化し、遂にはアイゼンハワーの訪日を中止せざるを得ない状況となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月15日]]と18日には、岸から[[自衛隊]]の[[治安出動]]を打診された[[防衛庁長官]]・[[赤城宗徳]]が拒否&amp;lt;ref name=&amp;quot;nihonnohimitu&amp;quot;&amp;gt;[[副島隆彦]]『日本の秘密』（[[弓立社]]、1999年、ISBN 4772703616）&amp;lt;/ref&amp;gt;。安保反対のデモが続く中、一時は[[首相官邸]]で実弟の[[佐藤栄作]]と死を覚悟する所まで追いつめられたが、6月18日深夜、条約の自然成立。6月21日には[[批准]]、[[昭和天皇]]が調印した。「私のやったことは歴史が判断してくれる」の一言を残し、新安保条約の批准書交換の日の[[6月23日]]、混乱の責任を取る形で岸内閣は総辞職した。その言葉通り岸の成し遂げた功績は現代では高く評価する声が多い（安保闘争を起こした全学連世代の学生のほとんどが日米安保の内容すら知らずに暴動を起こしており、安保改正の内容自体は紛れもなく日本側にとって完全に有利なものであった）。文芸評論家の[[福田和也]]などが「本物の責任感と国家戦略を持った戦後唯一の総理」として高く評価している。辞任直前には暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日韓国交回復 ===&lt;br /&gt;
岸は首相退陣後も政界に強い影響力を保持し、日韓国交回復にも強く関与した。時の韓国大統領[[朴正煕]]もまた[[満州国軍]]将校として満州国と関わりを持ったことがあり、岸信介・[[椎名悦三郎]]・[[瀬島龍三]]・[[笹川良一]]・[[児玉誉士夫]]らとは満州人脈が形成される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日韓国交回復後、岸・椎名・瀬島らと[[日韓協力委員会]]を組織する。また日韓の[[反共主義|反共]]政策を推進する過程で「[[世界基督教統一神霊協会|統一協会]]」とも{{和暦|1973}}より親交を持ち「[[国際勝共連合]]」結成に協力、{{和暦|1984}}に関連団体「世界言論人会議」開催の議長を務めた際[http://www.chojin.com/history/kishi.htm]、米国で脱税容疑により投獄されていた教祖[[文鮮明]]の釈放を求める意見書を[[ロナルド・レーガン|レーガン]]大統領（当時）を連名で送るなど[http://www.chojin.com/danbury/kishisyojou.htm]、同教団が政界へ影響力を広げるにあたって重要な役割を果たしたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中華民国・蒋介石との関係 ===&lt;br /&gt;
岸は[[中華民国]]の[[蒋介石]]総統とは勝共連合の設立（1954年）を通じて親密であり、1957年首相就任3ヵ月後には台湾を訪問、蒋介石と会談し日華協力委員会を作った。また日本で活動する反蒋介石・[[台湾独立運動|台湾独立運動家]]の強制送還も、胸三寸で決められるほどの影響力を行使した。その蒋介石死後も岸は「[[蒋介石総統遺徳顕彰会]]」の中心として日本各地に蒋介石を讃える石碑を建立する活動を行った。[[古沢襄]]は、岸の名刺を示すだけで蒋介石や息子の[[蒋経国]]に面会できたと語っている&amp;lt;ref name=&amp;quot;syowanoyoukainosugao&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kajika.net/furusawa/20030222-2.htm|title=「昭和の妖怪」の素顔 [[古沢襄]]（杜父魚文庫）|accessdate=8月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 晩年 ===&lt;br /&gt;
政財界に幅広い人脈を持ち、愛弟子の[[福田赳夫]]と[[田中角栄]]による自民党内の主導権争い（[[角福戦争]]）が勃発した際も、福田の後見人として存在感を示した。{{和暦|1969}}の[[第32回衆議院議員総選挙]]では、側近の1人[[今松治郎]]の秘書だった[[森喜朗]]が自民党の公認得られず無所属新人として[[石川県第1区_(中選挙区)|旧石川1区]]で出馬する際、岸の秘書[[中村長芳]]に岸の応援を懇願してきた森の要望を快諾し、岸の応援で陣営に勢いがつき初当選果たした森は生涯恩義を忘れていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1972}}7月、[[第3次佐藤内閣改造内閣]]が倒れた後、憲法改正を目指し密かに政権復帰を狙った&amp;lt;ref name=&amp;quot;kishishinsuke&amp;quot;&amp;gt;[[原彬久]]『岸信介』（[[岩波新書]] 1995年1月20日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。自民党総裁選挙で福田赳夫が田中角栄に完敗したことで、大変落胆した&amp;lt;ref name=&amp;quot;musume&amp;quot;&amp;gt;安倍洋子『わたしの安倍晋太郎―岸信介の娘として』（『[[ネスコ]]』1992年4月）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1979}}[[10月7日]]の[[衆議院解散]]を機に、派閥を福田に、地盤を[[吹田あきら]]に譲り、政界引退。[[国際連合]]から「国連の人口活動の理想を深く理解し、推進のためにたゆまぬ努力をされた」と評価された&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00356/contents/015.htm|title=日本財団図書館 「興四海野春風―2002 20年の歩み―」|accessdate=8月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
晩年は[[御殿場市|御殿場]]の別邸で悠々自適の生活を送る一方、保守論壇の大立者として、[[自主憲法論|自主憲法]]制定などに関し積極的な発言を続けた。これは[[女婿]][[安倍晋太郎]]、[[外孫]][[安倍晋三]]など後世に大きな影響を与え、自民党[[清和政策研究会]]の基本政策となって現在まで受け継がれている。{{和暦|1976}}10月には“民主主義・自由主義体制を尊重しつつ、政党・派閥を超えて、国家的課題を検討・推進する”[[政治団体]]「時代を刷新する会」を設立。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死ぬまで自民党内で影響力は衰えを見せず、事実上の安倍派（福田派）の[[元老]]であり、[[フィクサー]]、[[黒幕]]とも呼ばれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略年譜 ==&lt;br /&gt;
*{{和暦|1896}}11月13日、[[山口県]][[吉敷郡]]山口町八軒家（現在の[[山口市]]）に生まれる。&lt;br /&gt;
**[[本籍地]]は山口県[[熊毛郡 (山口県)|熊毛郡]][[田布施町]]。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1919}}11月、岸良子と[[結婚]]する&lt;br /&gt;
*{{和暦|1920}}7月、[[東京大学|東京帝国大学]][[法学部]]法律学科（独法）を卒業。外国貿易に関する事項の調査を嘱託。9月、外国貿易に関する事項の調査嘱託を解かれ任[[農商務省 (日本)|農商務]]属、商務局勤務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1921}}5月 - 任農商務事務官、叙高等官七等商務局勤務、監理課勤務、叙従七位。11月、長男[[岸信和|信和]]誕生&lt;br /&gt;
**{{和暦|1922}}7月、兼任農商務参事官、叙高等官七等、農商務事務官として山林局勤務、大臣官房文書課勤務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1923}}5月、鉱山局勤務、陞叙高等官六等。10月、叙正七位&lt;br /&gt;
*{{和暦|1924}}12月、水産局勤務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1925}}3月、大臣官房文書課兼務を免ぜらる、農林事務官。4月、任特許局事務官兼商工書記官、叙高等官六等、大臣官房文書課勤務（兼）。7月、叙高等官五等。8月、叙従六位&lt;br /&gt;
*{{和暦|1926t}}2月、商務局兼務。4月、[[欧米]]各国へ出張。5月、[[アメリカ合衆国|米国]]に於ける製鉄事業の企業、組織及[[インド|印度]]に於ける製鉄事業の情況並[[イギリス|英]]本国との斯業関係調査を嘱託&lt;br /&gt;
*{{和暦|1927}}4月、帰朝。7月、陞叙高等官四等。9月、叙正六位&lt;br /&gt;
*{{和暦|1928}}6月、長女洋子生る。11月、昭和三年勅令第百八十八号旨に依り大礼記念章を授与さる&lt;br /&gt;
*{{和暦|1929}}4月、木戸大臣官房文書課長海外出張中代理、商工審議会幹事被仰付。8月、陞叙高等官三等。9月、叙従五位。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1930}}5月、工務局兼務、欧州各国へ出張。6月、任臨時産業合理局事務官兼特許局事務官兼商工書記官、叙高等官三等、臨時産業合理局第一部勤務。12月、臨時産業合理局第二部兼務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1932}}1月、任商工書記官兼臨時産業合理局事務官叙高等官三等、工務局工政課長、臨時産業合理局第一部勤務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1933}}2月、兼任外務書記官（〜1934年3月）、通商局勤務。12月、大臣官房文書課長、工務局工政課長兼務&lt;br /&gt;
*{{和暦|1934}}1月、大臣官房統計課長兼務、統計主任、工務局工務課長兼務。4月、叙勲五等授瑞宝章、従軍記章を授与さる。9月、叙正五位&lt;br /&gt;
*{{和暦|1935}}1月、[[対満事務局]]事務官被仰付。3月、第六十七回帝国議会商工省所管事務政府委員被仰付。4月、商工省工務局長心得、臨時産業合理局第二部長、叙高等官二等、臨時産業合理局第二部長、任臨時産業合理局事務官兼商工省工務局長&lt;br /&gt;
*{{和暦|1936}}4月、任商工省工務局長兼臨時産業合理局事務官、臨時産業合理局第二部長。10月、満州重工実業部次長として渡満&lt;br /&gt;
*{{和暦|1937}}7月、産業部次長　満州開発五ヶ年計画の立案など経済政策に辣腕&lt;br /&gt;
*{{和暦|1939}}10月、商工省へ復帰、任商工次官、叙高等官二等&lt;br /&gt;
*{{和暦|1941}}10月、東条内閣で商工大臣&lt;br /&gt;
*{{和暦|1942}}4月、衆議院議員（〜1943年10月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1943}}10月、任国務大臣、商工次官兼任、叙高等官一等。11月、国務相、軍需次官（〜1944年7月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1945}}9月、戦犯容疑者として[[巣鴨拘置所]]入所（〜1948年12月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1950}}3月、東洋パルプ会長（〜1953年1月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1953}}3月、[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]入党 4月 - 衆議院議員（〜1979年9月） 12月　-　憲法調査会会長&lt;br /&gt;
*{{和暦|1954}}11月、自由党を除名、[[日本民主党]]幹事長&lt;br /&gt;
*{{和暦|1955}}11月、自由民主党幹事長&lt;br /&gt;
*{{和暦|1956}}12月、石橋内閣で外務大臣（〜1957年2月）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1957}}2月、内閣総理大臣（〜1960年7月）。3月、自由民主党大会開催、総裁に当選&lt;br /&gt;
*{{和暦|1979}}10月、政界引退、日本人初の[[国連平和賞]]受賞。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1987}}8月7日、死去、{{没年齢|1896|11|13|1987|8|7}}。&lt;br /&gt;
:[[墓]]は[[山口県]][[田布施町]]及び[[静岡県]][[御殿場市]]の[[冨士霊園]]にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== メモ ==&lt;br /&gt;
*岸は自伝の中で「佐藤家は貧乏でこそあれ[[家柄]]としては断然飛び離れた[[長州藩|旧藩]]時代からの[[士族]]で、ことに曽祖父・[[佐藤信寛|信寛]]の威光がまだ輝いていた。また、叔父、叔母、兄、姉など、いずれも中学校や女学校などに入学し、いわゆる学問をするほとんど唯一の家柄だったのである&amp;lt;ref&amp;gt;『岸信介傳』 27頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『巨魁――&amp;lt;small&amp;gt;岸信介研究&amp;lt;/small&amp;gt;』 15-16頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。」、「佐藤の子供だというので、自然に一目も二目も置いて付き合われたので、好い気になって威張っていた傾きもあった&amp;lt;ref&amp;gt;『巨魁――&amp;lt;small&amp;gt;岸信介研究&amp;lt;/small&amp;gt;』 16頁&amp;lt;/ref&amp;gt;」と述べている。子供たちの教育はすべて母・茂世の手で行われ、[[スパルタ]]式の教育で信介ら兄弟が泣いたりして家へ帰ろうものなら叱りつけて家の中に入れなかったという。また、佐藤家の家運が傾き貧乏になった時も「ウチは[[県令]]と[[士族]]の[[家柄]]ですからね!」と頑として挫けず、対外的な意地を張り通したという（武士は食わねど高楊枝）&amp;lt;ref&amp;gt;『岸信介傳』25、26頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&amp;lt;!-- 岸信介の生い立ちが理解できる有名なエピソードなので勝手に削除しないでください--&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[東京都]][[渋谷区]]南平台（地区は[[松涛]]）の岸邸隣に[[世界基督教統一神霊協会]]（統一教会）があり、岸も、統一教会本部やその関連団体「[[国際勝共連合]]」本部に足を運んだ&amp;lt;ref name=&amp;quot;aitenaikokuaijin&amp;quot;&amp;gt;[[久保木修己]]『愛天愛国愛人 ─母性国家、日本のゆくえ─』（世界日報社、1996年発行）&amp;lt;/ref&amp;gt;。日本での「国際勝共連合」の設立の際に[[児玉誉士夫]]、[[笹川良一]]と共に協力した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/078/1110/07810211110004c.html|title=第078回国会 外務委員会 第4号 [[1976年]]（昭和51年）10月21日 |accessdate=8月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*[[1974年]]（昭和49年）5月7日、東京の[[帝国ホテル]]で開かれた、統一教会の教祖[[文鮮明]]の講演会「希望の日晩餐会」の名誉実行委員長となった&amp;lt;ref name=&amp;quot;k19811022&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/095/1170/09510221170002a.html|title=第095回国会 文教委員会 第2号 1981年（昭和56年）10月22日|accessdate=8月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*戦後政治史上において[[吉田茂]]とは鋭く対立したが、安保改定に当たっては、同条約締結時首相の任にあった吉田に敬意を表し、[[神奈川県]]の[[大磯町]]の別荘に隠棲していた吉田の元に度々足を運び、吉田もその都度丁重な礼状をしたため、家人をもって岸邸に届けさせたという&amp;lt;ref&amp;gt;[[原彬久]]「ポスト小泉の麻生氏と安倍氏、祖父が争った国のかたち―闘い方が時代を占う指標に」（『[[朝日新聞]]』2005年12月15日夕刊14面）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*旧[[満州国]]官僚時代、軍・財界の実力者[[東條英機]]、[[星野直樹]]、[[鮎川義介]]、[[松岡洋右]]らと共に、満州の「[[弐キ参スケ]]」、長州出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。晩年も政財界に隠然たる影響力を有した事から、「昭和の妖怪」（元々は[[西園寺公望]]の綽名）などと称された。&lt;br /&gt;
*『[[週刊文春]]』2007年10月4日号に、岸が[[中央情報局]]（CIA）から資金提供を受けていたという記事が掲載された。筆者は[[ニューヨーク・タイムス]]記者のティム・ワイナー。文春では『LEGACY of ASHES The History of the CIA』の紹介がなされている。翌年に文藝春秋で邦訳『CIA秘録』が出版された。&lt;br /&gt;
*岸は[[内閣総理大臣]]として3度、通常国会で[[施政方針演説]]を行ったが、{{和暦|1957}}の[[石橋湛山内閣]]時に[[内閣総理大臣臨時代理]]として石橋総理大臣の代役で施政方針演説を行っている。日本政治史上、内閣総理大臣以外の人物が施政方針演説を行った唯一の例である。&lt;br /&gt;
*晩年は福田派のプリンスとなっていた娘婿の安倍晋太郎を総理にすることに執念を燃やし、「岸の安倍狂い」と言われた。&lt;br /&gt;
*血液型O。&lt;br /&gt;
*首相在任中は[[自虐史観]]に否定的だったが、政界引退後の最晩年のインタビューでは「まあ[[大東亜戦争]]は侵略か進出かといえば結果的には[[侵略]]でしょうな」と述べた事がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 栄典 ==&lt;br /&gt;
*[[1967年]]4月29日：[[勲一等旭日桐花大綬章]]&lt;br /&gt;
*[[1987年]]8月7日：[[大勲位菊花大綬章]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
; 実家（佐藤家）&lt;br /&gt;
*曾祖父 [[佐藤信寛|信寛]]（[[長州藩]][[武士|士]]、島根県令）- 佐藤家第10代当主&amp;lt;ref&amp;gt;吉本重義著『岸信介傳』21頁に｢この曽祖父は、佐藤家の歴史においては最も傑出した人であった。もっとも、その[[叔父]]の[[坪井九右衛門|九右衛門]]は坪井家に養われて[[長井雅楽]]の一味として当時、藩政の要路にあり、非常な傑物だったといわれる。佐藤家に伝わる政治家的な性格は、この[[坪井九右衛門]]や、曾祖父の[[佐藤信寛|信寛]]によって最も顕著にあらわれた。｣とある。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*祖父 信彦（漢学者、県会議員）&lt;br /&gt;
*祖母 みね（[[徳山藩]]士・国広治左衛門娘）&lt;br /&gt;
*実父 秀助（山口県庁官吏、酒造業:田布施・岸要蔵三男）&lt;br /&gt;
*実母 モヨ（佐藤信彦長女）&lt;br /&gt;
*兄 [[佐藤市郎|市郎]]（軍人・海軍中将）&lt;br /&gt;
*弟 [[佐藤栄作|栄作]]（政治家・首相）&lt;br /&gt;
; 養家（岸家）&lt;br /&gt;
*養父・伯父・岳父 信政（山口県[[士族]]）&lt;br /&gt;
*従妹・妻 良子&lt;br /&gt;
; 自家&lt;br /&gt;
*従妹・妻:良子&lt;br /&gt;
*長男 [[岸信和|信和]]（妻・仲子は山口県議会議長を務めた[[田辺護]]の二女。田辺は[[日産コンツェルン]]創始者[[鮎川義介]]の[[従兄]]に当たる）&lt;br /&gt;
*長女 洋子（山口県、政治家[[安倍晋太郎]]に嫁する）&amp;lt;ref&amp;gt;歌手[[岸洋子]]の方は芸名であり[[同姓同名]]の別人である。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
; 他家&lt;br /&gt;
*外孫 [[安倍晋三]]（政治家・首相）、[[岸信夫]]（政治家:長男・信和の養子となって岸家を継いでいる）など&lt;br /&gt;
*その他の親戚：[[吉田茂]]（外交官､政治家・首相）、[[松岡洋右]]（[[満州鉄道]][[総裁]]・[[外務大臣]]）など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
; 岸家&lt;br /&gt;
: [[毛利元就]]が[[陶晴賢]]と[[厳島]]沖で戦って大勝を収めた際､寝返って毛利方についた船の調達人が“ガン”と称する[[帰化人]]であったという。毛利はその功績によって“ガン”を[[田布施町|田布施]]周辺の[[代官]]に召し立てた。この“ガン”を岸家の先祖とする説がある&amp;lt;ref&amp;gt;『忍魁･佐藤栄作研究』 58-59頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 佐藤家（[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sato_sin.html 佐藤氏系譜（武家家伝）]）&lt;br /&gt;
: 佐藤家の祖先について、確証はないが、遠祖は[[源義経]]の家臣[[佐藤忠信]]であるという口伝がある。確認できる佐藤家の初代は市郎右衛門信久といい、寛文2年（[[1662年]]）頃から[[萩藩]]の[[武士|士]]となり、扶持方2人・米2石4斗を受けた。下級[[武士]]であり、この待遇はその後もあまり変わらない。役によって4石5斗あるいは6石に加増されたこともある。代々、市郎右衛門あるいは源右衛門を名乗った。歴代佐藤家の当主の中で世に出たのは、まず4代目の源右衛門信早である。その功を認められて禄高を6石に加増されている。熊毛郡下田布施村の「宝暦検地絵図」などの文書も残した。7代目の佐藤嘉津馬は安永8年（[[1779年]]）12歳で病死する。佐藤家はこの7代まで現在の[[山口市]]南部にあたる大内町御堀の周辺に住んだ。7代目の嘉津馬夭折の後、佐藤家は[[萩]]に住む一族吉田八兵衛の3男菊三郎に別の親戚福田某の娘を嫁に迎え、夫婦養子とする。8代目市郎右衛門信孝であり、この信孝の時代から、佐藤家は田布施に移った。&lt;br /&gt;
: 曽祖父・[[佐藤信寛|寛作信寛]]は[[長州藩]]士として御蔵元本締役、大検使役等を歴任、長沼流兵学を修め、[[幕末]]期の思想家[[吉田松陰]]に兵要録を授けた。[[明治]]になると、[[島根県]]県令、浜田県権知事等の要職に就いた。&lt;br /&gt;
: 祖父・信彦は山口県議会議員を2期務め、優れた漢学者でもあった。父・秀助は山口県庁に奉職し、勤めを辞めてからは酒造業を始めた&amp;lt;ref&amp;gt;栄作は父について「父は非常に勉強好きな人で、寡黙な人だった。私があまり口をきかないのも、性質が父親に似たせいだろう」と述べている（『忍魁・佐藤栄作研究』 19頁）&amp;lt;/ref&amp;gt;。佐藤家の家紋は“源氏車”である&amp;lt;ref&amp;gt;山田栄三『正伝 佐藤栄作』（上）新潮社 15-26頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『正伝 佐藤栄作』（上）15-26頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏昭和天皇━━━━━━━━━今上天皇&lt;br /&gt;
　　　　明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┏彬子女王 &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　麻生太賀吉　　┃　　　　　┗瑶子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┏信子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┗麻生太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏和子　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田茂━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗桜子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田祥朔　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━吉田寛&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏さわ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┏寛子（栄作夫人）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤松介━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┗正子&lt;br /&gt;
佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃（池上）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤作造　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗茂世　　　　　安倍晋太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━┳佐藤市郎　　┣━━安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　┃　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（佐藤）┃　┃（岸）　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助　┣佐藤信介━━洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　岸要蔵━━┫　　　　┗佐藤栄作━┳佐藤龍太郎━━佐藤栄治&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┗佐藤信二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━━良子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（信介夫人）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&amp;lt;pre&amp;gt;　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　吉田茂━━桜子　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　（元首相）　　　┃　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　吉田祥朔　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┣━━━吉田寛&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┏さわ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┣佐藤寛造&lt;br /&gt;
佐藤信寛━━佐藤信彦━┫　　　　　（栄作夫人）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┣佐藤松介━━寛子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┗茂世　┏佐藤市郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　┃　　　　　　┏岸信和&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┣━━╋岸信介━━━┫　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　┃（元首相①）┗洋子　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　┃　　　　　　　　┃　　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　┏岸秀助　┗佐藤栄作　　　　┃　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　岸要蔵━━┫　　　　　　（元首相）　　┣━━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　┗岸信政━良子　　　　　　　┃　　　┃（前首相）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　安倍寛━━安倍晋太郎　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（岸信和養子）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　┏井上馨&lt;br /&gt;
　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　┗つね　　鮎川弥八━━鮎川義介&lt;br /&gt;
　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　┃　　　┏なか&lt;br /&gt;
　　　　　　小沢正路━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗辰&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　田辺誠民━━田辺譲━━━仲子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┏岸信政━━良子　　　　　┣……岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　岸要蔵━━┫　　　　　　┣━━━┳岸信和　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┃　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┗岸秀助━━岸信介　　┗洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　①&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 陽一さん、たいへんな力作をこのようにするのも心苦しいのですが、系図は必要不可欠な情報だけを簡素に載せませんと、かえって分りにくいものになってしまいます。一つの系図ですむなら、二つにする必要はありません。①の意味もよくわかりません。系図の中に自明な役職を書き込む必要もありません。また姻戚はどんどん広げていきますと、それこそ誰でもどこかで岸家とつながることになるわけでして、どこかで区切りをつけないといけません。決して陽一さんの力作を貶めている訳ではありません。[[岸信介＃系譜]]に直接リンクしている記事もあるので、できるだけ誰にでも分るようにしたいだけなのです。どうかこの点を御理解ください。よろしくお願いいたします。PANYNJ--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 資料館・旧宅 ==&lt;br /&gt;
;岸信介・佐藤栄作兄弟宰相の遺品展示室（田布施町郷土館）&lt;br /&gt;
:岸信介、佐藤栄作兄弟の出身地、[[田布施町]]郷土館内に設置。[[国連平和賞]]、[[ノーベル平和賞]]などの遺品や関連文書を展示し、両元首相を顕彰している。&lt;br /&gt;
:*所在地：〒742-1511　山口県熊毛郡[[田布施町]]大字下田布施875番地6&lt;br /&gt;
:*電話：0820（52）2620&lt;br /&gt;
:*FAX：0820（52）4904（田布施町教育委員会）&lt;br /&gt;
:*[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;WIT_oid=icityv2::Contents::1603 田布施町郷土館ホームページ]&lt;br /&gt;
;御殿場の旧岸信介邸&lt;br /&gt;
:所在地：静岡県[[御殿場市]]東山1082-1&lt;br /&gt;
:岸が晩年の17年間を過ごした[[静岡県]]の邸宅は、[[2003年]]（平成15年）に長女によって地元[[御殿場市]]へ建物が寄贈され、土地は御殿場市の[[特別地方公共団体#財産区|財産区]]が購入した。現在同市では、2年後の公開を目標に文化施設「[[御殿場東山ミュージアムパーク]]（仮称）」として整備を進めている。なお、御殿場市の市制50周年を記念して、[[2005年]]（平成17年）10月5日から10月10日まで一般公開された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連人物 ==&lt;br /&gt;
*[[美濃部洋次]]（満州国時代の同僚）&lt;br /&gt;
*[[甘粕正彦]]（満州国時代の同僚）&lt;br /&gt;
*[[中安閑一]]（山口中学時代からの親友）&lt;br /&gt;
*[[笹川良一]]（戦後、協力関係があった）&lt;br /&gt;
*[[北一輝]]（岸に思想的影響を与えたとされている）&lt;br /&gt;
*[[町村金五]]&lt;br /&gt;
*[[児玉誉士夫]]&lt;br /&gt;
*[[平岡梓]]（農商務省の同期官僚）&lt;br /&gt;
*[[我妻栄]]（東京帝国大学の同期）&lt;br /&gt;
*[[土井正治]]（東京帝国大学の同期）&lt;br /&gt;
*[[田路舜哉]]（東京帝国大学の同期）&lt;br /&gt;
*[[三好英之]]（政治家仲間）&lt;br /&gt;
*[[東條英機]]（東条内閣で岸は商工大臣を務めた）&lt;br /&gt;
*[[小林一三]]（経済政策で対立した実業家・商工大臣）&lt;br /&gt;
*[[石橋湛山]]（自民党総裁選でのライバル候補。石橋内閣で岸は副総理）&lt;br /&gt;
*[[椎名悦三郎]]（岸内閣での内閣官房長官）&lt;br /&gt;
*[[吹田あきら]]（地盤継承者）&lt;br /&gt;
*[[前原誠司]]（安倍晋三と93年衆院初当選同期で親しく、岸が使っていた議員会館の部屋の現住人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[士族]]&lt;br /&gt;
*[[佐藤氏]]&lt;br /&gt;
*[[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
*[[第1次岸内閣]]&lt;br /&gt;
*[[第1次岸内閣改造内閣]]&lt;br /&gt;
*[[第2次岸内閣]]&lt;br /&gt;
*[[第2次岸内閣改造内閣]]&lt;br /&gt;
*[[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
*[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約]]（新・安保条約）&lt;br /&gt;
*[[伊藤忠商事]]&lt;br /&gt;
*[[護国同志会]]&lt;br /&gt;
*[[弐キ参スケ]]&lt;br /&gt;
*[[満州人脈]]・[[朴正煕]]・[[児玉誉士夫]]&lt;br /&gt;
*[[世界基督教統一神霊協会]]・[[国際勝共連合]]・[[文鮮明]]&lt;br /&gt;
*[[TSK・CCCターミナルビル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
=== 著書 ===&lt;br /&gt;
*『現代法学全集(23) 保険業法・取引所法・税法・担保附社債信託法』（[[南正樹]]・[[星野直樹]]・[[栗栖赳夫]]共著、[[日本評論社]]、1928年）&lt;br /&gt;
*『日本戦時経済の進む途』（研進社、1942年）&lt;br /&gt;
*『岸信介の回想』（[[矢次一夫]]、[[伊藤隆 (歴史学者)|伊藤隆]]との鼎談、[[文藝春秋]]、1981年）&lt;br /&gt;
*『二十世紀のリーダーたち』（サンケイ出版、1982年）&lt;br /&gt;
*『岸信介回顧録――保守合同と安保改定』（廣済堂出版、1983年、ISBN 433150171X）&lt;br /&gt;
*『我が青春――生い立ちの記・思い出の記』（廣済堂出版、1983年、ISBN 4331501728）&lt;br /&gt;
**岸信介の後援会誌『風声』に昭和28年第2号から昭和31年第11号にわたって連載された「我が生い立ちの記」の全文から成るもの。&lt;br /&gt;
*『耐雪―岸信介幽窗の詩歌集』（[[山口県]]）[[田布施町]]郷土館 研究紀要別冊 2001年  &lt;br /&gt;
*『岸信介証言録』（[[原彬久]]編、毎日新聞社、2003年、ISBN 4620316229）&lt;br /&gt;
*『青年に望む』&lt;br /&gt;
*『日本の進路と安保条約』　自民党発行のブックレット&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 伝記研究 ===&lt;br /&gt;
*吉本重義 『岸信介傳』 東洋書館、[[1957年]]&lt;br /&gt;
*[[伊藤整]]「岸信介氏における人間の研究」『[[中央公論]]』1960年8月号 &lt;br /&gt;
*荒井荒雄『原理運動の謀略と自民党―岸信介原罪論』（青村出版社、1976年）&lt;br /&gt;
*[[岩川隆]] 『巨魁 岸信介研究』徳間文庫 1982年、[[ちくま文庫]] 2006年&lt;br /&gt;
*[[原彬久]] 『岸信介』 [[岩波新書]]、1995年&lt;br /&gt;
*[[塩田潮]] 『岸信介』 [[講談社]] 1996年、ワックブックス 2006年 &lt;br /&gt;
*[[岩見隆夫]]『昭和の妖怪 岸信介』（[[朝日ソノラマ]]、1994年／学陽書房・人物文庫、1999年）&lt;br /&gt;
*[[安倍洋子]]「父岸信介の素顔」『[[中央公論]]』1987年10月号、のち『わたしの安倍晋太郎 岸信介の娘として』 文春ネスコ 1992年&lt;br /&gt;
*[[中村長芳]]「岸信介に仕えた35年」『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』1987年10月号&lt;br /&gt;
*[[細川隆一郎]]『岸信介 日本宰相列伝.20』（[[時事通信社]]、1986年）&lt;br /&gt;
*岸信介伝記編纂委員会編 『人間岸信介 波瀾の九十年』（岸信介遺徳顕彰会、1989年）&lt;br /&gt;
*高橋正則 『昭和の巨魁 岸信介と日米関係通史』（[[三笠書房]]、2000年）     &lt;br /&gt;
*[[渡辺昭夫]]編『戦後日本の宰相たち』（[[中央公論社]]、1995年／[[中公文庫]]、2001年）ISBN 9784120024955&lt;br /&gt;
*[[坂元一哉]]『日米同盟の絆―安保条約と相互性の模索』（[[有斐閣]]、2000年）&lt;br /&gt;
*[[秦郁彦]]『日本近現代人物履歴事典』（東京大学出版会、2002年 180-181頁）&lt;br /&gt;
*神一行 『閨閥 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』 （[[角川書店]] 2002年 61-75頁）&lt;br /&gt;
*[[中村隆英]]・[[宮崎正康]]編『岸信介政権と高度経済成長』（[[東洋経済新報社]]、2003年）&lt;br /&gt;
*池田慎太郎『日米同盟の政治史―アリソン大使と「1955年体制」の成立』（国際書院、2004年）&lt;br /&gt;
*城下賢一「岸信介と保守合同（1・2）」『法学論叢』157巻3・5号（2005年）&lt;br /&gt;
*[[小林英夫 (経済学者)|小林英夫]] 『「昭和」をつくった男 石原莞爾、北一輝、そして岸信介』 ビジネス社 2006年 &lt;br /&gt;
*[[太田尚樹]] 『満州裏史－[[甘粕正彦]]と岸信介が背負ったもの』（講談社、2005年）&lt;br /&gt;
*[[春名幹男]] 『秘密のファイル―[[CIA]]の対日工作』（上下）（[[共同通信社]]、2000年／新潮文庫、2003年）&lt;br /&gt;
*ティム・ワイナー 『CIA秘録』（文藝春秋、上下 2008年）&lt;br /&gt;
*[[福田和也]] 『悪と徳と―岸信介と未完の日本』、『[[正論]]』2003年2月号より断続連載中&lt;br /&gt;
*[[マイケル・シャラー]] “America's Favorite War Criminal: Kishi Nobusuke and the Transformation of U.S.-Japan Relations”（[[日本政策研究所]]）、『「日米関係」とは何だったのか 占領期から冷戦終結後まで』（市川洋一訳、[[草思社]]、2004年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{commonscat|Nobusuke Kishi}}&lt;br /&gt;
*[http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20061101A/ 「安倍首相の祖父・岸信介とは？」]（[[All About]]）&lt;br /&gt;
*[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;Cc=7d43160f3b3a10b 岸信介先生の生い立ちと主な功績] （[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;WIT_oid=icityv2::Contents::1758 西田布施公民館のホームページ]）&lt;br /&gt;
*[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;Cc=7d430b10031e351 岸信介・佐藤栄作両宰相　略年譜] （[http://www.town.tabuse.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&amp;amp;WIT_oid=icityv2::Contents::1603 田布施町郷土館のホームページ]）&lt;br /&gt;
*[http://www.jmca.net/booky/watanabe/027.html ｢岸信介」]（[http://www.jmca.net/booky/watanabe/100top.html 渡部昇一の「百人の指導者たち」]）&lt;br /&gt;
*[http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/kensei/kishinobusuke.html 岸信介関係文書（寄託） | 国立国会図書館]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 上を2行あける--&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[石橋湛山]]&lt;br /&gt;
| years  = 第56・57代：1957年 - 1960年&lt;br /&gt;
| after  = [[池田勇人]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[内閣総理大臣臨時代理]]&lt;br /&gt;
| before = ー&lt;br /&gt;
| years  = 1957年&lt;br /&gt;
| after  = [[伊東正義]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[外務大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[重光葵]]&lt;br /&gt;
| years  = 第86・87代：1956年 - 1957年&lt;br /&gt;
| after  = [[藤山愛一郎]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[商工大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[左近司政三]]&lt;br /&gt;
| years  = 第24代：1941年 - 1943年&lt;br /&gt;
| after  = [[東條英機]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
| before = [[石橋湛山]]&lt;br /&gt;
| years  = 第3代 : 1957年 - 1960年&lt;br /&gt;
| after  = [[池田勇人]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1955年 - 1956年&lt;br /&gt;
| after  = [[三木武夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本国歴代内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|当代=[[第1次岸内閣|56]]･[[第2次岸内閣|57]]&lt;br /&gt;
|在任期間=1957年 - 1960年&lt;br /&gt;
|前代=55&lt;br /&gt;
|前首相名=石橋湛山&lt;br /&gt;
|次代=58&lt;br /&gt;
|次首相名=池田勇人}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{外務大臣}}&lt;br /&gt;
{{自民幹事長}}&lt;br /&gt;
{{自由民主党 (日本)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きし のふすけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の官僚 (農商務省・商工省)]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員 (帝国議会)]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:官僚出身の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:ファシズム]]&lt;br /&gt;
[[Category:太平洋戦争の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:満州国の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:A級戦犯容疑者]]&lt;br /&gt;
[[Category:冷戦に関わった人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:田布施町]]&lt;br /&gt;
[[Category:1896年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1987年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''軽便鉄道'''（けいべんてつどう）とは、その国・地域を代表する[[鉄道]]の規格よりも低い水準の規格で建設された鉄道を指す用語である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;text-align:right;float:right;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[画像:Nishihino stn 2.jpg|thumb|200px|none|近鉄内部・八王子線の車輌]]&lt;br /&gt;
[[画像:近鉄ナロー車輌の車内.jpg|thumb|170px|none|近鉄内部線260系の車内]]&lt;br /&gt;
[[Image:Mikasa narrow-gauge railway.JPG|thumb|none|200px|三笠鉄道記念館に保存されている炭鉱用機関車]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
軽便鉄道には、建設費や維持費が抑えられるという長所があるが、線路幅が違う場合は積み替え・乗り換えの不便が生じ、線路幅が同じでも最高速度・輸送力が低く、過大な要求には応えることができないが、大きな資本を集める必要がないため、産業の未成熟な地方において限定的な発展を遂げた事例が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本]]において軽便鉄道とは、狭義には「[[軽便鉄道法]]」に基づいて建設された鉄道のみを指し、広義には[[森林鉄道]]・[[殖民軌道]]・[[鉱山鉄道]]など、鉄道法規の規定によらない低規格の鉄道も含める。通常は1067mm（3フィート6インチ）未満の狭い[[軌間|線路幅（軌間）]]で敷設されたものを指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
軌間は日本の場合は762mm（2フィート6インチ）の場合が多いが、軽便鉄道法では軌間の制限がなかったため、軽便鉄道扱いで建設されたが国鉄並みの1067mmの路線や1435mm（4フィート8 1/2インチ）標準軌の路線も存在した。日本では1067mm軌間の路線は社会通念上の「軽便鉄道」に含まれない場合が多い。軌間にはこのほか、&amp;lt;!--ミニマムさの極限である--&amp;gt;&amp;lt;!--ミニマムという意味では508mm軌間も存在したので。--&amp;gt;ポール・アルマン・ドコービル（[[:en:Decauville|Paul Decauville]]）の可搬式軌道システムに由来し、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[鉄道連隊]]でも採用された600mm（1フィート11 1/2インチ）～610mm（2フィート）、北九州地方で1930年代まで盛んに使われた914mm（3フィート）の例があり、それ以外の軌間も僅少ながら存在した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本における歴史 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--幹線鉄道を意識した上で、あえて接続する必要を重視せず （理解しにくいのでは？）--&amp;gt;&amp;lt;!--既存の幹線鉄道との接続に固執せず、あえて軽便であることを選んだ最初の鉄道は、[[1888年]]に開業した[[伊予鉄道]]である（接続する路線が、そもそも存在しないという理由もある）。 ←伊予鉄道の前に、南海の前身の阪堺鉄道と工部省釜石鉱山鉄道(838mm)があります。一体、「接続」とは「直通運転」を考慮しないことですか？それとも他の路線と連絡しない「独立路線」であるということですか？鉄道網が形成されていない黎明期に、「接続」を考えること自体無駄な気がするのですが。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
=== 初期の歴史 ===&lt;br /&gt;
日本において、初めて1067mm以外の軌間を採用した鉄道が現れたのは、[[1880年]]の[[工部省]][[釜石鉱山鉄道]]である。この鉄道は、イギリスからの資材輸入で建設され、同国の一部で見られた838mm（2フィート9インチ）軌間を採用した鉱石輸送用の[[専用鉄道]]であったが、開業からまもなくして廃線になり、資材は[[1885年]]に開業した[[阪堺鉄道]]（[[南海電気鉄道]]の前身）へ譲渡された。なおこの鉄道は民営であり、軌間も釜石鉱山鉄道と同じで、[[日本鉄道]]や[[東京馬車鉄道]]に続く3番目の[[私鉄]]、1067mm未満の軌間を採用した初の私鉄となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしその後、[[私設鉄道条例]]（[[1887年]]制定）など私鉄設立を監査する法が制定され、さらに鉄道の軌間は原則として国鉄と同じ1067mmにする事が政府の方針（国鉄との[[直通運転]]を前提とし、将来は国有化する方針であったため）となったため、[[1888年]]に開業した[[伊予鉄道]]（国鉄線と接続しない独立路線であり、かつ創業者がドコービルのシステムに感銘を受けたのが、採用の理由であったという）などを除いて、簡易規格の鉄道は[[軌道法]]に基づいた物を除き、ほとんど現れなくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 普及と発展 ===&lt;br /&gt;
だが[[1906年]]の[[鉄道国有法]]公布後、私設鉄道条例改め[[私設鉄道法]]（[[1900年]]制定）は条件が厳しすぎるとして、ほとんど新規に私設鉄道を敷こうという者がいなくなってしまった。これは国有化で金を使い、地方開発に大きな資金を使えない政府としては由々しき事態で、結局政府もより簡易な法律に基づいた鉄道の敷設を容認せざる得なくなり、結果的には「軽便鉄道」を推進する事となったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1909年]]に、「[[軽便鉄道法]]」という8条しかない法律が公布され、これを追いかけて国鉄線の収益を財源とする[[軽便鉄道補助法]]が制定されると、軽便鉄道は[[北海道]]を除く全国に爆発的に普及していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、軽便鉄道法の規定はあまりにも緩やか過ぎたため、[[1919年]]に「[[地方鉄道法]]」による[[地方鉄道]]に統合され、制度としての軽便鉄道は廃止された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北海道では開拓入植の促進のため、主に762mm規格の「[[殖民軌道]]」が1920年代中期以降盛んに敷設された。湿地や泥濘地の多い未開拓地域では大規模な客土工事を必要とする道路建設よりも軌道敷設の方が容易であり、自動車交通の普及以前でもあることから普及した手法であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また[[モータリゼーション]]以前は、物資輸送の為に各地の工場や鉱山などで多数軌道が引かれており、ほとんどで設備投資が容易な762mm以下の軌道として専用鉄道が多数敷設されている。現在もごくわずかだが工場内などの専用軌道が残っており、また[[利根川]]や[[淀川]]など大規模河川改修やトンネル工事などでは簡易的に軌道が引かれていた、トンネル工事などでは現在でも軌道が引かれる場合が多い。大規模な例としては[[国土交通省立山砂防工事専用軌道]]などが有名である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
忘れてはならない存在が[[森林鉄道]]である。林業の発展と共に、明治時代後期から日本全国各地に軌道が引かれた。[[木曽森林鉄道]]は有名な例である。こちらも1970年代までに、国内林業の衰退やモータリゼーション進展によって廃止に追い込まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 衰退の時代 ===&lt;br /&gt;
軽便鉄道は、鉄道の最大の長所である高速大量輸送の能力を持たない。そのため、1920年代以降は[[路線バス]]の普及によって縮小傾向を迎え、1930年代に入ってからの新規開業例はほぼ途絶える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
早くも1930年代末期までに多くの零細軽便鉄道が淘汰されている。[[第二次世界大戦]]中の戦時体制下では、短距離の観光路線である私鉄線が政策的に「[[不要不急線]]」として廃止を余儀なくされた例があり、軽便鉄道にもその被害を受けた路線があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦後まで残存した軽便鉄道は、燃料不足で自動車輸送が機能不全に陥っていた1940年代後半こそ買い出し客などの増加によって一時的に輸送量を増大させたものの、1950年代以降は[[モータリゼーション]]の進展によってバス・トラックや自家用車からの圧迫を受けるようになり、経営を悪化させ、1970年代までにほとんどが廃止された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北海道の殖民軌道は、その敷設地域の道路事情のあまりの劣悪さ故に第二次世界大戦後も地元町村に運営移管される形で存続した例が多く、1960年代中期に至っても路線延長がなされた例があったが、道路網の整備とモータリゼーションによって急速にその役割を失い、最後に残った[[浜中町営軌道]]が1972年3月限りで廃止された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 軽便鉄道の改軌・規格向上 ===&lt;br /&gt;
軽便鉄道が輸送需要の増大などに応えるため、1067mm以上の軌間への[[改軌]]や[[鉄道の電化|電化]]など、より高い規格に改修される例は古くから見られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に客貨車の全国直通が可能な体制構築に努めていた鉄道省→[[日本国有鉄道]]は、私鉄買収によって国鉄線となった762mm軌間路線について、買収後早期に改軌工事を進めており、それは資材供給状況の厳しかった戦時中にも[[松浦鉄道西九州線|松浦線（現・松浦鉄道西九州線]]。旧・[[佐世保鉄道|佐世保軽便鉄道]]）などで敢行されていた。1950年10月の[[釜石線]]全通に伴う旧・釜石西線区間（旧・岩手軽便鉄道）の改軌および一部廃止を最後に、762mm軌間の国鉄線は消滅している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしこのような工事は、ややもすれば新線建設に近い投資を必要とするため、資本力に乏しい民営鉄道では着手困難なことが多く、規格向上に踏み切れないうちにモータリゼーションの影響を受けるようになって廃止された軽便鉄道も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
非電化軽便鉄道が、軌間はそのままに電化のみ行った例は多数存在する。戦前には輸送力増強目的で、また戦中戦後には石炭・石油燃料不足への対策として実例が多数生じた。だが1067mm以上へ改軌した例と比較すると、輸送力や速度の制約が大きいために、根本的な体質改善を遂げたとは言い難かった。電化された軽便鉄道もその後の改軌を伴わなかった場合、[[三重交通]]から[[近畿日本鉄道]]に移管された一部路線を例外として、結局全て廃止されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお762mm軌間からより高規格への改軌を行ったもっとも遅い例は、1962年の[[小坂製錬小坂線|同和鉱業小坂鉄道]]（1067mm化および電化区間の非電化への変更）、1964年の[[近鉄湯の山線|三重電気鉄道三重線（湯の山線区間）]]（1435mm化。同時に架線昇圧）であるが、前者は大規模な新鉱床発見に伴う貨物輸送能力の強化策、後者は観光開発需要に伴う規格向上であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 現存例 ==&lt;br /&gt;
軽便鉄道の規格のままの鉄道は、[[近鉄内部・八王子線]]、[[三岐鉄道北勢線]]が残るのみである。[[黒部峡谷鉄道本線|黒部峡谷鉄道]]も[[狭軌|ナローゲージ]]の鉄道ではあるが、これは産業用の軌道が由来であり、広義の軽便鉄道の範疇に入る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1067mm軌間の[[大井川鐵道井川線]]は、もともと762mm軌間の[[千頭森林鉄道]]を起源にしており、現在でも軽便鉄道級サイズの特殊な車両・路線規格で運行されていることから、類例に含めることもできよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、これは軽便鉄道そのものではないが、1372mm軌間、1435mm軌間を走る車両であっても、路面電車は車体の大きさからすれば軽便鉄道に近い存在と言え、過去には四日市鉄道で1372mm軌間の路面電車を譲受し、車体はほぼそのままで台車だけ762mm軌間に改軌して使用した事例があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
産業用としては上記にもある国土交通省立山砂防工事専用軌道が工事用として、黒部峡谷鉄道の支線にあたる[[関西電力黒部専用鉄道]]はダムへの資材輸送用に森林鉄道では[[屋久島]]の[[安房森林軌道]]が現存している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その他、現在は[[私鉄]]線あるいは[[JR線]]となってはいるが、歴史を遡れば軽便鉄道として建設された路線は意外に多く存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 保存活動ほか ==&lt;br /&gt;
軽便鉄道については、施設規模や車両の小ささを生かして、各地で[[静態保存|動態保存]]の活動が活発に行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 代表的な保存事例 ===&lt;br /&gt;
*[[北海道]][[遠軽町]]丸瀬布の森林公園「いこいの森」　蒸気機関車を含む森林鉄道車輌の保存運転&lt;br /&gt;
*[[石川県]]立小松児童会館　旧[[尾小屋鉄道]]車両の保存運転&lt;br /&gt;
*[[千葉県]]「[[成田ゆめ牧場]]」　[[羅須地人鉄道協会]]による蒸気機関車を含む産業用車輌の保存運転&lt;br /&gt;
*[[長野県]][[野辺山SLランド]] 台湾製糖で使用された蒸気機関車や木曽森林鉄道の車両の保存運転&lt;br /&gt;
*長野県[[赤沢自然休養林]]　[[木曽森林鉄道]]の保存運転&lt;br /&gt;
*[[高知県]][[馬路村]]　[[魚梁瀬森林鉄道]]の保存運転&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1971年に廃止になった新潟県の[[頸城鉄道線|頸城鉄道]]の車輌のうち数両は、これを譲り受けた熱心な鉄道愛好者によって兵庫県内の山中に長年保管されていたが、2004年にその存在が明らかにされ、大きな反響を呼んだ。現車は新潟県に里帰りしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも鉱山軌道を利用した紀州鉱山跡の[[湯ノ口温泉]]にあるトロッコ列車等のいくつかの保存活用例がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 遊覧鉄道等 ===&lt;br /&gt;
その他、遊戯鉄道の部類ではあるものの、[[福島県]][[伊達市 (福島県)|伊達市]]の[[やながわ希望の森公園前駅|やながわ希望の森公園]]や[[スカイピアあだたら]]（旧[[グリーンピア二本松]]）、[[千葉県]]の[[東京ディズニーランド]]、、[[愛知県]]の[[愛知こどもの国]]などには、軽便鉄道規格の鉄道が設けられて蒸気機関車が運行され、往時の雰囲気を偲ばせている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊予鉄道では、復刻した軽便鉄道の機関車を、[[明治時代]]の[[松山市|松山]]に滞在していた[[夏目漱石]]にちなんで「[[坊っちゃん列車]]」として走らせている。牽引車両は当時の[[蒸気機関車]]そっくりの外見であるが、現代の都市の路面を走行することからディーゼル動力であり、また軌道は既存の1067mm軌間である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
{{commons|Category:Narrow gauge railways|{{PAGENAME}}}}&lt;br /&gt;
*[[軽便鉄道法]]&lt;br /&gt;
*[[軽便鉄道補助法]]&lt;br /&gt;
*[[地方鉄道法]]&lt;br /&gt;
*[[軌道法]]&lt;br /&gt;
*[[:en:Narrow_gauge_railway]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.yumebokujo.com/ 成田ゆめ牧場]&lt;br /&gt;
*[http://www.rass-rail.org/ 羅須地人鉄道協会]&lt;br /&gt;
*[http://www.avis.ne.jp/~hinoki/page3_1_2_1.html 赤沢自然休養林]&lt;br /&gt;
*[http://www.ytg.janis.or.jp/~slland/ 野辺山SLランド]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Rail-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:軽便鉄道|*けいへんてつとう]]&lt;br /&gt;
[[Category:鉄道の歴史|けいへんてつとう]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[de:Feldbahn]]&lt;br /&gt;
[[en:light_railway]]&lt;br /&gt;
[[en:Feldbahn]]&lt;br /&gt;
[[it:Ferrovia Decauville]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%8D%94%E5%90%8C%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A&amp;diff=96743</id>
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				<updated>2010-08-10T09:50:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''軽便鉄道'''（けいべんてつどう）とは、その国・地域を代表する[[鉄道]]の規格よりも低い水準の規格で建設された鉄道を指す用語である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;text-align:right;float:right;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[画像:Nishihino stn 2.jpg|thumb|200px|none|近鉄内部・八王子線の車輌]]&lt;br /&gt;
[[画像:近鉄ナロー車輌の車内.jpg|thumb|170px|none|近鉄内部線260系の車内]]&lt;br /&gt;
[[Image:Mikasa narrow-gauge railway.JPG|thumb|none|200px|三笠鉄道記念館に保存されている炭鉱用機関車]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
軽便鉄道には、建設費や維持費が抑えられるという長所があるが、線路幅が違う場合は積み替え・乗り換えの不便が生じ、線路幅が同じでも最高速度・輸送力が低く、過大な要求には応えることができないが、大きな資本を集める必要がないため、産業の未成熟な地方において限定的な発展を遂げた事例が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本]]において軽便鉄道とは、狭義には「[[軽便鉄道法]]」に基づいて建設された鉄道のみを指し、広義には[[森林鉄道]]・[[殖民軌道]]・[[鉱山鉄道]]など、鉄道法規の規定によらない低規格の鉄道も含める。通常は1067mm（3フィート6インチ）未満の狭い[[軌間|線路幅（軌間）]]で敷設されたものを指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
軌間は日本の場合は762mm（2フィート6インチ）の場合が多いが、軽便鉄道法では軌間の制限がなかったため、軽便鉄道扱いで建設されたが国鉄並みの1067mmの路線や1435mm（4フィート8 1/2インチ）標準軌の路線も存在した。日本では1067mm軌間の路線は社会通念上の「軽便鉄道」に含まれない場合が多い。軌間にはこのほか、&amp;lt;!--ミニマムさの極限である--&amp;gt;&amp;lt;!--ミニマムという意味では508mm軌間も存在したので。--&amp;gt;ポール・アルマン・ドコービル（[[:en:Decauville|Paul Decauville]]）の可搬式軌道システムに由来し、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[鉄道連隊]]でも採用された600mm（1フィート11 1/2インチ）～610mm（2フィート）、北九州地方で1930年代まで盛んに使われた914mm（3フィート）の例があり、それ以外の軌間も僅少ながら存在した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本における歴史 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--幹線鉄道を意識した上で、あえて接続する必要を重視せず （理解しにくいのでは？）--&amp;gt;&amp;lt;!--既存の幹線鉄道との接続に固執せず、あえて軽便であることを選んだ最初の鉄道は、[[1888年]]に開業した[[伊予鉄道]]である（接続する路線が、そもそも存在しないという理由もある）。 ←伊予鉄道の前に、南海の前身の阪堺鉄道と工部省釜石鉱山鉄道(838mm)があります。一体、「接続」とは「直通運転」を考慮しないことですか？それとも他の路線と連絡しない「独立路線」であるということですか？鉄道網が形成されていない黎明期に、「接続」を考えること自体無駄な気がするのですが。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
=== 初期の歴史 ===&lt;br /&gt;
日本において、初めて1067mm以外の軌間を採用した鉄道が現れたのは、[[1880年]]の[[工部省]][[釜石鉱山鉄道]]である。この鉄道は、イギリスからの資材輸入で建設され、同国の一部で見られた838mm（2フィート9インチ）軌間を採用した鉱石輸送用の[[専用鉄道]]であったが、開業からまもなくして廃線になり、資材は[[1885年]]に開業した[[阪堺鉄道]]（[[南海電気鉄道]]の前身）へ譲渡された。なおこの鉄道は民営であり、軌間も釜石鉱山鉄道と同じで、[[日本鉄道]]や[[東京馬車鉄道]]に続く3番目の[[私鉄]]、1067mm未満の軌間を採用した初の私鉄となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしその後、[[私設鉄道条例]]（[[1887年]]制定）など私鉄設立を監査する法が制定され、さらに鉄道の軌間は原則として国鉄と同じ1067mmにする事が政府の方針（国鉄との[[直通運転]]を前提とし、将来は国有化する方針であったため）となったため、[[1888年]]に開業した[[伊予鉄道]]（国鉄線と接続しない独立路線であり、かつ創業者がドコービルのシステムに感銘を受けたのが、採用の理由であったという）などを除いて、簡易規格の鉄道は[[軌道法]]に基づいた物を除き、ほとんど現れなくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 普及と発展 ===&lt;br /&gt;
だが[[1906年]]の[[鉄道国有法]]公布後、私設鉄道条例改め[[私設鉄道法]]（[[1900年]]制定）は条件が厳しすぎるとして、ほとんど新規に私設鉄道を敷こうという者がいなくなってしまった。これは国有化で金を使い、地方開発に大きな資金を使えない政府としては由々しき事態で、結局政府もより簡易な法律に基づいた鉄道の敷設を容認せざる得なくなり、結果的には「軽便鉄道」を推進する事となったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1909年]]に、「[[軽便鉄道法]]」という8条しかない法律が公布され、これを追いかけて国鉄線の収益を財源とする[[軽便鉄道補助法]]が制定されると、軽便鉄道は[[北海道]]を除く全国に爆発的に普及していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、軽便鉄道法の規定はあまりにも緩やか過ぎたため、[[1919年]]に「[[地方鉄道法]]」による[[地方鉄道]]に統合され、制度としての軽便鉄道は廃止された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北海道では開拓入植の促進のため、主に762mm規格の「[[殖民軌道]]」が1920年代中期以降盛んに敷設された。湿地や泥濘地の多い未開拓地域では大規模な客土工事を必要とする道路建設よりも軌道敷設の方が容易であり、自動車交通の普及以前でもあることから普及した手法であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また[[モータリゼーション]]以前は、物資輸送の為に各地の工場や鉱山などで多数軌道が引かれており、ほとんどで設備投資が容易な762mm以下の軌道として専用鉄道が多数敷設されている。現在もごくわずかだが工場内などの専用軌道が残っており、また[[利根川]]や[[淀川]]など大規模河川改修やトンネル工事などでは簡易的に軌道が引かれていた、トンネル工事などでは現在でも軌道が引かれる場合が多い。大規模な例としては[[国土交通省立山砂防工事専用軌道]]などが有名である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
忘れてはならない存在が[[森林鉄道]]である。林業の発展と共に、明治時代後期から日本全国各地に軌道が引かれた。[[木曽森林鉄道]]は有名な例である。こちらも1970年代までに、国内林業の衰退やモータリゼーション進展によって廃止に追い込まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 衰退の時代 ===&lt;br /&gt;
軽便鉄道は、鉄道の最大の長所である高速大量輸送の能力を持たない。そのため、1920年代以降は[[路線バス]]の普及によって縮小傾向を迎え、1930年代に入ってからの新規開業例はほぼ途絶える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
早くも1930年代末期までに多くの零細軽便鉄道が淘汰されている。[[第二次世界大戦]]中の戦時体制下では、短距離の観光路線である私鉄線が政策的に「[[不要不急線]]」として廃止を余儀なくされた例があり、軽便鉄道にもその被害を受けた路線があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦後まで残存した軽便鉄道は、燃料不足で自動車輸送が機能不全に陥っていた1940年代後半こそ買い出し客などの増加によって一時的に輸送量を増大させたものの、1950年代以降は[[モータリゼーション]]の進展によってバス・トラックや自家用車からの圧迫を受けるようになり、経営を悪化させ、1970年代までにほとんどが廃止された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北海道の殖民軌道は、その敷設地域の道路事情のあまりの劣悪さ故に第二次世界大戦後も地元町村に運営移管される形で存続した例が多く、1960年代中期に至っても路線延長がなされた例があったが、道路網の整備とモータリゼーションによって急速にその役割を失い、最後に残った[[浜中町営軌道]]が1972年3月限りで廃止された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 軽便鉄道の改軌・規格向上 ===&lt;br /&gt;
軽便鉄道が輸送需要の増大などに応えるため、1067mm以上の軌間への[[改軌]]や[[鉄道の電化|電化]]など、より高い規格に改修される例は古くから見られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に客貨車の全国直通が可能な体制構築に努めていた鉄道省→[[日本国有鉄道]]は、私鉄買収によって国鉄線となった762mm軌間路線について、買収後早期に改軌工事を進めており、それは資材供給状況の厳しかった戦時中にも[[松浦鉄道西九州線|松浦線（現・松浦鉄道西九州線]]。旧・[[佐世保鉄道|佐世保軽便鉄道]]）などで敢行されていた。1950年10月の[[釜石線]]全通に伴う旧・釜石西線区間（旧・岩手軽便鉄道）の改軌および一部廃止を最後に、762mm軌間の国鉄線は消滅している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしこのような工事は、ややもすれば新線建設に近い投資を必要とするため、資本力に乏しい民営鉄道では着手困難なことが多く、規格向上に踏み切れないうちにモータリゼーションの影響を受けるようになって廃止された軽便鉄道も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
非電化軽便鉄道が、軌間はそのままに電化のみ行った例は多数存在する。戦前には輸送力増強目的で、また戦中戦後には石炭・石油燃料不足への対策として実例が多数生じた。だが1067mm以上へ改軌した例と比較すると、輸送力や速度の制約が大きいために、根本的な体質改善を遂げたとは言い難かった。電化された軽便鉄道もその後の改軌を伴わなかった場合、[[三重交通]]から[[近畿日本鉄道]]に移管された一部路線を例外として、結局全て廃止されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお762mm軌間からより高規格への改軌を行ったもっとも遅い例は、1962年の[[小坂製錬小坂線|同和鉱業小坂鉄道]]（1067mm化および電化区間の非電化への変更）、1964年の[[近鉄湯の山線|三重電気鉄道三重線（湯の山線区間）]]（1435mm化。同時に架線昇圧）であるが、前者は大規模な新鉱床発見に伴う貨物輸送能力の強化策、後者は観光開発需要に伴う規格向上であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 現存例 ==&lt;br /&gt;
軽便鉄道の規格のままの鉄道は、[[近鉄内部・八王子線]]、[[三岐鉄道北勢線]]が残るのみである。[[黒部峡谷鉄道本線|黒部峡谷鉄道]]も[[狭軌|ナローゲージ]]の鉄道ではあるが、これは産業用の軌道が由来であり、広義の軽便鉄道の範疇に入る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1067mm軌間の[[大井川鐵道井川線]]は、もともと762mm軌間の[[千頭森林鉄道]]を起源にしており、現在でも軽便鉄道級サイズの特殊な車両・路線規格で運行されていることから、類例に含めることもできよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、これは軽便鉄道そのものではないが、1372mm軌間、1435mm軌間を走る車両であっても、路面電車は車体の大きさからすれば軽便鉄道に近い存在と言え、過去には四日市鉄道で1372mm軌間の路面電車を譲受し、車体はほぼそのままで台車だけ762mm軌間に改軌して使用した事例があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
産業用としては上記にもある国土交通省立山砂防工事専用軌道が工事用として、黒部峡谷鉄道の支線にあたる[[関西電力黒部専用鉄道]]はダムへの資材輸送用に森林鉄道では[[屋久島]]の[[安房森林軌道]]が現存している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その他、現在は[[私鉄]]線あるいは[[JR線]]となってはいるが、歴史を遡れば軽便鉄道として建設された路線は意外に多く存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 保存活動ほか ==&lt;br /&gt;
軽便鉄道については、施設規模や車両の小ささを生かして、各地で[[静態保存|動態保存]]の活動が活発に行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 代表的な保存事例 ===&lt;br /&gt;
*[[北海道]][[遠軽町]]丸瀬布の森林公園「いこいの森」　蒸気機関車を含む森林鉄道車輌の保存運転&lt;br /&gt;
*[[石川県]]立小松児童会館　旧[[尾小屋鉄道]]車両の保存運転&lt;br /&gt;
*[[千葉県]]「[[成田ゆめ牧場]]」　[[羅須地人鉄道協会]]による蒸気機関車を含む産業用車輌の保存運転&lt;br /&gt;
*[[長野県]][[野辺山SLランド]] 台湾製糖で使用された蒸気機関車や木曽森林鉄道の車両の保存運転&lt;br /&gt;
*長野県[[赤沢自然休養林]]　[[木曽森林鉄道]]の保存運転&lt;br /&gt;
*[[高知県]][[馬路村]]　[[魚梁瀬森林鉄道]]の保存運転&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1971年に廃止になった新潟県の[[頸城鉄道線|頸城鉄道]]の車輌のうち数両は、これを譲り受けた熱心な鉄道愛好者によって兵庫県内の山中に長年保管されていたが、2004年にその存在が明らかにされ、大きな反響を呼んだ。現車は新潟県に里帰りしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも鉱山軌道を利用した紀州鉱山跡の[[湯ノ口温泉]]にあるトロッコ列車等のいくつかの保存活用例がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 遊覧鉄道等 ===&lt;br /&gt;
その他、遊戯鉄道の部類ではあるものの、[[福島県]][[伊達市 (福島県)|伊達市]]の[[やながわ希望の森公園前駅|やながわ希望の森公園]]や[[スカイピアあだたら]]（旧[[グリーンピア二本松]]）、[[千葉県]]の[[東京ディズニーランド]]、、[[愛知県]]の[[愛知こどもの国]]などには、軽便鉄道規格の鉄道が設けられて蒸気機関車が運行され、往時の雰囲気を偲ばせている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊予鉄道では、復刻した軽便鉄道の機関車を、[[明治時代]]の[[松山市|松山]]に滞在していた[[夏目漱石]]にちなんで「[[坊っちゃん列車]]」として走らせている。牽引車両は当時の[[蒸気機関車]]そっくりの外見であるが、現代の都市の路面を走行することからディーゼル動力であり、また軌道は既存の1067mm軌間である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
{{commons|Category:Narrow gauge railways|{{PAGENAME}}}}&lt;br /&gt;
*[[軽便鉄道法]]&lt;br /&gt;
*[[軽便鉄道補助法]]&lt;br /&gt;
*[[地方鉄道法]]&lt;br /&gt;
*[[軌道法]]&lt;br /&gt;
*[[:en:Narrow_gauge_railway]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.yumebokujo.com/ 成田ゆめ牧場]&lt;br /&gt;
*[http://www.rass-rail.org/ 羅須地人鉄道協会]&lt;br /&gt;
*[http://www.avis.ne.jp/~hinoki/page3_1_2_1.html 赤沢自然休養林]&lt;br /&gt;
*[http://www.ytg.janis.or.jp/~slland/ 野辺山SLランド]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Rail-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:軽便鉄道|*けいへんてつとう]]&lt;br /&gt;
[[Category:鉄道の歴史|けいへんてつとう]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[de:Feldbahn]]&lt;br /&gt;
[[en:light_railway]]&lt;br /&gt;
[[en:Feldbahn]]&lt;br /&gt;
[[it:Ferrovia Decauville]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>爆笑レッドカーペット出演芸人一覧</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''尼崎児童暴行事件'''（あまがさきじどうぼうこうじけん）とは、[[2006年]][[11月]]に発生した[[兵庫県]][[尼崎市]]の小学4年生の男子児童が主犯格となり、同級生の女子児童に対し、[[性的いじめ]]を加えた事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
小学4年生の男子児童が親が所有している[[アダルトビデオ]]を見た影響（男児が主張）により、2006年11月半ばに同級生の女子児童を呼び出し[[性的暴行]]を加えた。この際には複数の男児がその場に居合わせていた。事件を報じた[[週刊新潮]]の記事によれば、下半身を触る、舐める、指を入れる、などはしたものの、[[性交]]自体は無かった。この行為の後、親に言うなと加害者は被害者に口止めを行った。その後男児は足を蹴る、石を投げるなどの行為を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12月8日に、女児が被害の内容を話していた友人の家族が事件を知り学校に通報、12月11日に、関係者が呼び出された。この時点で女児の母親が初めて娘が性的暴行を訴えていると知る。だが、男児は教師の聴取に対し行っていないと否定。だがその夜、男児の父親から「息子が認めた」という電話がかかった。[[夕刊フジ]]は学校側は12月11日に尼崎市[[教育委員会]]（以下市教委）に報告したと報道したが、週刊新潮の報道では、12月12日の母親の学校への問い合わせによれば、学校は市教委へ連絡していなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件後の経緯 ==&lt;br /&gt;
加害児の父親は「あなたの子どもが同じような目にあったらどうしますか?」という学校側の問いに対し「殺す」と答えた。被害女児の母親は転校を希望していたが、[[母子家庭]]であり資金面の問題で転校が出来ないため、加害児童の親と学校側で転校にかかる費用を負担することで一時期合意がまとまりかけた。加害者と被害者の両母親も面会し和解は成立したと思われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、母親同士の面会翌日、加害男児の父親が「（被害女児の母親が）妻を脅迫してきた」と主張し、事態が一変した。さらに男児の父親は「うちの息子に子供に手を出したらただでは済まんぞ」と女児の母親を恫喝。これを重く見た学校側により、転校の話は破談した。現在も女児と男児は同じ学校に通うことを余儀なくされている。また、尼崎市教育委員会は女児が被害者であるにもかかわらず「娘に問題がある」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尼崎市教育委員会学校教育課は、男児の保護者が女児の保護者に謝る場を設けたり、[[カウンセラー]]を付けたりなどしていると主張したが、女児の母親はカウンセラーも付けてくれず何もしてくれないと述べた。週刊新潮はこれらを「見事なまでの隠蔽体質と事なかれ主義」と表現した。教育評論家[[尾木直樹]]は現実にはこういった事で学校を替えたり引っ越したりしたら、際限がなくなってしまう（数からすれば紛れも無い事実である）とは述べたが、同時に学校や市教委の対応については「言語道断」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、[[週刊実話]]5月3日号によれば、加害男児ら複数の児童は事件後も相変わらず被害女児への集団性的暴行を繰り返した模様である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 報道など ==&lt;br /&gt;
こういった事件に毎度の如く見られる報道統制（実際には小学生による性的暴行事件は大量に起こっており、2005年の犯罪データでは13歳以下の強姦犯は11人で強制猥褻犯は116人であった）により、この事件も騒がれずに終わるものと思われた。しかし、この事件を知った週刊新潮や夕刊フジが翌2007年3月から4月にかけ記事にする。この事件では事件後の周囲の対応に問題があり、被害者側が一方的に泣き寝入りせざるを得ない様子が報道された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
丁度『[[ムーブ!]]』の報道で居合わせていた[[橋下徹]]弁護士（当時）はこの事件に対し「同意があったかどうかを確かめるべき」という発言をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネット上で、この事件を[[Infoseek]]の検索キーワードランキングに掲載する事で事件の認知度を上げようとする動きがおこったが、Infoseekは2007年4月24日～4月30日集計の5月3日掲載分を休載としたため、キーワードランキングには掲載されなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
*週刊新潮4月19日号（朝日放送「[[ムーブ!]]」でも放送）&lt;br /&gt;
*インターネットニュースサイトZAKZAK 3月27日配信「AVと同じことしたかった…小4男児が同級生を暴行」[http://www.zakzak.co.jp/top/2007_03/t2007032701.html]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[少年犯罪]]&lt;br /&gt;
* [[児童虐待]]&lt;br /&gt;
* [[性的虐待]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あまかさきしとうほうこうしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:2006年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:いじめ]]&lt;br /&gt;
[[Category:児童虐待]]&lt;br /&gt;
[[Category:教育問題]]&lt;br /&gt;
[[Category:尼崎市の歴史|しとうほうこうしけん]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>尼崎児童暴行事件</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>上戸彩</title>
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&lt;hr /&gt;
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		<title>草刈民代</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;「'''RESCUE'''」（レスキュー）は、[[日本]]の男性アイドルグループ・[[KAT-TUN]]の10枚目の[[シングル]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[中丸雄一]]主演のドラマ「[[RESCUE〜特別高度救助隊]]」の主題歌。彼らの楽曲にしては珍しくサビが全て英語詞であり、カップリングの「7 DAYS BATTLE」（[[日本テレビ]]系列『[[カートゥンKAT-TUN]]』エンディングタイアップ）はラップ詞以外全てが英語詞である。前作からの発売はちょうど1カ月であり、KAT-TUNデビュー以降、最も短い間隔での発売となっている。シングルを2ヶ月連続でリリースすることは珍しくないが、[[ジャニーズ事務所]]所属のアーティストとしては、異例である。また、前作の「[[ONE DROP]]」と今作は、共に同じクールのドラマ「[[神の雫]]」と、「RESCUE〜特別高度救助隊」の主題歌であり、同一アーティストが、1クールに異なるドラマの主題歌を担当するのは、共にメンバーが主演を務めているとはいえ、異例中の異例である。イントロ部分の心臓の音は、中丸の[[ヒューマンビートボックス]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[オリコン]][[シングル]]週間チャート初登場1位を獲得。デビューから10作連続1位であり、[[NEWS (ジャニーズ)|NEWS]]と並ぶ歴代2位タイとなった。初動売上も3作振りに30万枚を突破した。だが、月間ランキングでは初めて1位を逃した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 収録曲 ==&lt;br /&gt;
=== 初回限定盤 ===&lt;br /&gt;
;CD&lt;br /&gt;
#'''RESCUE'''(4:43)&lt;br /&gt;
#*作詞:ECO、Rap詞：JOKER、作曲:Shusui/Tord Bäckström/Bengt Girell/Jan Nilsson、編曲：Stefan Åberg / ha-j&lt;br /&gt;
#'''7 DAYS BATTLE'''(3:59)&lt;br /&gt;
#*作詞:Sean-D、Rap詞:JOKER、作曲・編曲:Fredrik Hult / Sebastian Thott / Didrik Thott&lt;br /&gt;
;DVD&lt;br /&gt;
#「RESCUE」ビデオ・クリップ+メイキング&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 初回プレス仕様 ===&lt;br /&gt;
#'''RESCUE'''(4:43)&lt;br /&gt;
#'''7 DAYS BATTLE'''(3:59)&lt;br /&gt;
#'''On Your Mind - Please come back to me -'''&lt;br /&gt;
#*作詞:SPIN、作曲:Sharon Vaughn / Harry Sommerdahl / Niklas Jarl、編曲:Yoshinao Mikami&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 通常盤 ===&lt;br /&gt;
#'''RESCUE'''(4:43)&lt;br /&gt;
#'''7 DAYS BATTLE'''(3:59)&lt;br /&gt;
#'''RESCUE(オリジナル・カラオケ)'''(4:43)&lt;br /&gt;
#'''7 DAYS BATTLE(オリジナル・カラオケ)'''(3:59)&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:れすきゆ}}&lt;br /&gt;
[[category:KAT-TUNの楽曲]]&lt;br /&gt;
[[category:2009年のシングル]]&lt;br /&gt;
[[Category:テレビドラマ主題歌]]&lt;br /&gt;
[[Category:オリコンシングルチャート1位獲得作品]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Rescue (KAT-TUN song)]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<title>RESCUE (KAT-TUN)</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>2011年問題 (日本のテレビジョン放送)</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>フジテレビ火曜夜7時枠</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|人名 = 小沢 一郎&lt;br /&gt;
|各国語表記 = おざわ いちろう&lt;br /&gt;
|画像 = [[Image:小沢一郎　1.jpg]]&lt;br /&gt;
|画像説明 =&lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1942|5|24}}&lt;br /&gt;
|出生地 = [[東京府]][[東京市]][[下谷区]]&lt;br /&gt;
（現在の[[東京都]][[台東区]]）&lt;br /&gt;
|没年月日 =&lt;br /&gt;
|死没地 =&lt;br /&gt;
|出身校 = [[慶應義塾大学]][[経済学部]]卒業&amp;lt;br/&amp;gt;[[日本大学]][[大学院]][[法学研究科]]中途退学&lt;br /&gt;
|前職 = [[大学院生]]&lt;br /&gt;
|現職 =&lt;br /&gt;
|所属政党 = （[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[新生党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[新進党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]&lt;br /&gt;
|称号・勲章 = [[学士|経済学士]]（慶應義塾大学・[[1967年]]）&lt;br /&gt;
|世襲の有無 = 有&lt;br /&gt;
|親族（政治家） = [[小沢佐重喜]]（[[父]]）&lt;br /&gt;
|配偶者 =&lt;br /&gt;
|サイン =&lt;br /&gt;
|ウェブサイト = http://www.ozawa-ichiro.jp/&lt;br /&gt;
|サイトタイトル = ■小沢一郎ウェブサイト■&lt;br /&gt;
|国旗 = JPN&lt;br /&gt;
|職名 = 第34代 [[自治大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣 = [[第2次中曾根第2次改造内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区 =&lt;br /&gt;
|当選回数 =&lt;br /&gt;
|就任日 = [[1985年]][[12月28日]]&lt;br /&gt;
|退任日 = [[1986年]][[7月22日]]&lt;br /&gt;
|退任理由 =&lt;br /&gt;
|所属委員会 =&lt;br /&gt;
|議員会館 =&lt;br /&gt;
|元首職 =&lt;br /&gt;
|元首 =&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↓省略可↓ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
|国旗2 = JPN&lt;br /&gt;
|職名2 = 第44代 [[国家公安委員会委員長]]&lt;br /&gt;
|内閣2 = 第2次中曾根第2次改造内閣&lt;br /&gt;
|選挙区2 =&lt;br /&gt;
|当選回数2 =&lt;br /&gt;
|就任日2 = 1985年12月28日&lt;br /&gt;
|退任日2 = 1986年7月22日&lt;br /&gt;
|退任理由2 =&lt;br /&gt;
|元首職2 =&lt;br /&gt;
|元首2 =&lt;br /&gt;
|国旗3 = JPN&lt;br /&gt;
|職名3 = [[衆議院議員]]&lt;br /&gt;
|内閣3 =&lt;br /&gt;
|選挙区3 = （[[岩手県第2区 (中選挙区)|岩手県第2区]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;[[岩手県第4区]]&lt;br /&gt;
|当選回数3 = 14回&lt;br /&gt;
|就任日3 = [[1969年]]&lt;br /&gt;
|退任日3 = 現職&lt;br /&gt;
|退任理由3 =&lt;br /&gt;
|元首職3 =&lt;br /&gt;
|元首3 =&lt;br /&gt;
|国旗4 =&lt;br /&gt;
|職名4 =&lt;br /&gt;
|内閣4 =&lt;br /&gt;
|選挙区4 =&lt;br /&gt;
|当選回数4 =&lt;br /&gt;
|就任日4 =&lt;br /&gt;
|退任日4 =&lt;br /&gt;
|退任理由4 =&lt;br /&gt;
|元首職4 =&lt;br /&gt;
|元首4 =&lt;br /&gt;
|国旗5 =&lt;br /&gt;
|職名5 =&lt;br /&gt;
|内閣5 =&lt;br /&gt;
|選挙区5 =&lt;br /&gt;
|当選回数5 =&lt;br /&gt;
|就任日5 =&lt;br /&gt;
|退任日5 =&lt;br /&gt;
|退任理由5 =&lt;br /&gt;
|元首職5 =&lt;br /&gt;
|元首5 =&lt;br /&gt;
|国旗6 =&lt;br /&gt;
|その他職歴1 =&lt;br /&gt;
|就任日6 =&lt;br /&gt;
|退任日6 =&lt;br /&gt;
|国旗7 =&lt;br /&gt;
|その他職歴2 =&lt;br /&gt;
|就任日7 =&lt;br /&gt;
|退任日7 =&lt;br /&gt;
|国旗8 =&lt;br /&gt;
|その他職歴3 =&lt;br /&gt;
|就任日8 =&lt;br /&gt;
|退任日8 =&lt;br /&gt;
|国旗9 =&lt;br /&gt;
|その他職歴4 =&lt;br /&gt;
|就任日9 =&lt;br /&gt;
|退任日9 =&lt;br /&gt;
|国旗10 =&lt;br /&gt;
|その他職歴5 =&lt;br /&gt;
|就任日10 =&lt;br /&gt;
|退任日10 =&lt;br /&gt;
|国旗11 =&lt;br /&gt;
|その他職歴6 =&lt;br /&gt;
|就任日11 =&lt;br /&gt;
|退任日11 =&lt;br /&gt;
|国旗12 =&lt;br /&gt;
|その他職歴7 =&lt;br /&gt;
|就任日12 =&lt;br /&gt;
|退任日12 =&lt;br /&gt;
|国旗13 =&lt;br /&gt;
|その他職歴8 =&lt;br /&gt;
|就任日13 =&lt;br /&gt;
|退任日13 =&lt;br /&gt;
|国旗14 =&lt;br /&gt;
|その他職歴9 =&lt;br /&gt;
|就任日14 =&lt;br /&gt;
|退任日14 =&lt;br /&gt;
|国旗15 =&lt;br /&gt;
|その他職歴10 =&lt;br /&gt;
|就任日15 =&lt;br /&gt;
|退任日15 =&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↑省略可↑ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''小沢 一郎'''（おざわ いちろう、[[1942年]][[5月24日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[衆議院議員]]（14期）。民主党幹事長（第9代）。'''小澤 一郎'''（おざわ いちろう）とも表記されることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[自治大臣]]（[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣|第34代]]）、[[国家公安委員会委員長|国家公安委員長]]（[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣|第44代]]）。[[自由民主党]][[自由民主党幹事長|幹事長]]、[[新生党]]代表幹事、[[新進党]][[党首]]（第2代）、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]党首、[[民主党 (日本 1998-)|民主党]][[民主党代表|代表]]（第6代）、民主党代表代行（筆頭・選挙担当）、民主党幹事長を歴任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;toclimit-3&amp;quot;&amp;gt;__TOC__&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
[[東京府]][[東京市]][[下谷区]]（現在の[[東京都]][[台東区]]）[[御徒町]]に[[弁護士]]で東京府会議員だった父・[[小沢佐重喜]]、母・みちの[[長男]]として生まれる。父は44歳、母は42歳という高齢で生まれたため、まるで“[[孫]]みたいな”子供だったという&amp;lt;ref&amp;gt;[[奥野修司]]『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。母・みちは元千葉県会議員[[荒木儀助]]の四女である。一郎は、みちにとってははじめて生んだ子供である。[[本籍地]]は[[岩手県]][[奥州市]]（旧[[水沢市]]）。3歳から14歳まで郷里の水沢で育った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
水沢市立常磐中学校（現在の奥州市立東水沢中学校）の2年生を終了すると、東京の[[文京区立第六中学校]]に[[転学|転校]]する。言葉も[[東北弁|東北訛り]]の一郎は、なかなか級友たちの中に入っていけず、いつも教室の片隅でひとりぽつんと座っていたという&amp;lt;ref&amp;gt;奥野修司『小沢一郎 覇者の履歴書』132頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京都立小石川高等学校]]卒業後、父と同じ弁護士を目指して[[東京大学]]を志望し、2年間[[過年度生|浪人]]したが断念して、[[慶應義塾大学]][[経済学部]]、[[日本大学]][[大学院]][[法学研究科]]へと進学した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自由民主党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 田中派時代 ====&lt;br /&gt;
大学院在学中の{{和暦|1969}}、父・佐重喜の急死に伴い[[第32回衆議院議員総選挙|第32回衆院選]]に旧岩手2区から[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認で立候補し、27歳の若さで当選した。この総選挙を[[自由民主党幹事長|党幹事長]]として指揮したのが[[田中角栄]]で、以後[[木曜クラブ]]（田中派）に所属し、田中の下で薫陶を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自民党総務局長、[[議院運営委員会|衆議院議院運営委員長]]を歴任し、{{和暦|1985}}に[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣]]で[[自治大臣]]兼[[国家公安委員長]]として初入閣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 竹下派時代 ====&lt;br /&gt;
[[Image:小渕・小沢・海部.jpg|300px|thumb|[[自民党総務会]]で新幹事長が了承され握手する[[小渕恵三]]幹事長、[[小沢一郎]]前幹事長、[[海部俊樹]]首相。[[1991年]][[4月8日]]撮影]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年、木曜クラブの領袖として影響力を保持していた田中に、反旗を翻した[[竹下登]]、[[金丸信]]らと共に派内勉強会「[[創政会]]」を結成。のちに[[経世会]]（竹下派）として独立した。竹下の総裁就任に奔走し[[日本皇民党]]事件の際には金丸とともに[[稲川会]]幹部の元に出向いている。[[竹下内閣]]の発足後、小沢は党・[[政府]]の要職を歴任し[[竹下派七奉行]]の一人に数えられ、[[官房副長官]]にも就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第1次海部内閣|第1次海部俊樹内閣]]では[[自由民主党幹事長|党幹事長]]に就任。苦戦が予想された[[第39回衆議院議員総選挙|第39回衆院選]]を、[[自由主義]]体制の維持を名目に[[経済団体連合会]]（経団連）傘下の企業から選挙資金300億円を集め、勝利したなどの実績から'''「剛腕」'''と称された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1990}}、金丸を代表とする[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問団（金丸訪朝団）に参加する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[8月]]、[[湾岸戦争]]が勃発し、小沢は[[ペルシャ湾]]への[[自衛隊]]派遣を模索した。「アジアへの配慮が必要だ」と反対する[[外務省]]を抑え法案を提出した（なお、この法案は[[野党]]の反対で廃案となり、後に[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律]]（PKO協力法）が成立）&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』、{{和暦|2008}}[[2月22日]]付[[夕刊]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。自衛隊派遣について国会で[[公明党]]の協力を得るため、[[東京都知事選挙]]で自民党東京都総支部連合会が推す現職の[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]に代わり、新人の[[磯村尚徳]]を擁立するも都連が鈴木を支援した事もあり敗北。なおこの都知事選公示直前に出馬に意欲的であった[[アントニオ猪木]]と会談し猪木を出馬断念に追い込んだがこの際に多額の金銭が動いたと一部報道で報じられた。{{和暦|1991}}[[4月]]、責任を取り党幹事長を辞任した。直後に経世会会長代行に就任し、名実とともに派閥のNo.2となった。しかし、次第に金丸は小沢に派閥を譲ろうと企図するようになり、竹下との確執を深めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、政治改革法案が国会で廃案となったことを受け、首相の海部が衆議院の解散総選挙をぶち上げたが、党内の反発を招き、海部は首相辞任に追い込まれた（[[海部おろし]]）。その際、金丸が小沢に対し後継首相となるよう命じ、金丸の意を受けた[[渡部恒三]]なども小沢を説得したが、当時49歳という年齢や心臓病（[[狭心症]]）で[[6月]]に倒れたことなどを理由にこれを固辞したとされる。だが、[[田勢康弘]]から「この逸話は実は真実ではない」&amp;lt;ref&amp;gt;[[田勢康弘]]「『緊迫』も『躍動』も消えた政治――大難を前に沈黙・保身…」 『[[日本経済新聞]]』、[[2008年]][[7月21日]]5面。&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘されており、このようなやり取りは実際には存在せず、金丸や竹下は当初から[[宮澤喜一]]擁立を目指していたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月10日]]、[[自由民主党総裁選挙]]での派閥が支持する候補者を決定するため、出馬表明していた宮沢、[[渡辺美智雄]]、[[三塚博]]と自身の個人事務所でそれぞれ面談した（小沢面接）。しかし宮沢や渡辺のような当選回数・年齢も上の者（三塚は当選回数こそ小沢よりも一回少ないが、年齢は小沢より上だった）を自分の事務所に招いたことは傲慢であると批判された。このことは後々まで「経世会支配」「剛腕小沢」の象徴的シーンとして取り上げられた（実際は当日[[ホテル]]の会場が満室でどこも予約できず、3人の事務所を小沢が訪ねる予定だったのだが、推薦を受ける立場の人間を訪ねてもらうのは失礼だという話になり、小沢の事務所で面談することになったという&amp;lt;ref&amp;gt;平野貞夫 『虚構に囚われた政治家―小沢一郎の真実』 講談社&amp;lt;講談社α文庫&amp;gt;、2007年、242頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。宮沢も後に『日本経済新聞』連載の「[[私の履歴書]]」の中で、「支持をこちらからお願いしているのだから、出向くのが筋であった」と回顧した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 竹下派分裂、羽田派結成 ====&lt;br /&gt;
{{和暦|1992}}、[[東京佐川急便事件]]を巡り、金丸が世論から激しい批判を受け派閥会長を辞任、議員辞職した（東京佐川急便事件に関しては、小沢も{{和暦|1993}}[[2月17日]]に[[証人喚問]]を受けている）。後継会長に小沢は金丸に近かった渡部恒三、[[奥田敬和]]らと共に[[羽田孜]]を擁立し、竹下直系の[[小渕恵三]]を推す[[橋本龍太郎]]、[[梶山静六]]らと対立。当初中立であった参院竹下派に竹下自らが関与して小渕支持を決定。この結果として後継会長は小渕に内定した。敗れた小沢は羽田、渡部、奥田らと[[改革フォーラム21]]（羽田派）を旗揚げし、派閥は分裂した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宮沢内閣改造内閣|宮沢喜一改造内閣]]における羽田派の閣僚ポストは、[[経済企画庁長官]]（[[船田元]]）と[[科学技術庁長官]]（[[中島衛]]）の2つだけと冷遇された。さらに党幹事長には派閥の後継会長を巡り激しい闘争を演じた小渕派の梶山が就任したことで、羽田派は反主流派に転落した。これに対し小沢は主流派を「[[守旧派]]」と、自らを「改革派」と呼び、持論であった[[政治改革]]の主張を全面に訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で小沢は、[[5月20日]]に、著書『[[日本改造計画]]』を発表した（実際に店頭に並んだのは6月下旬）。同書は政治家の著作としては異例の70万部を超える売上を記録し、1993年を代表する[[ベストセラー]]になった。自らの政策・政見を広く国民に問うもので、小沢の理念を基に官僚や専門家を中心に政策としてまとめた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自民党離党、非自民連立政権成立 ===&lt;br /&gt;
{{和暦|1993}}[[6月18日]]、野党から宮沢[[内閣不信任決議|内閣不信任案]]が上程され、羽田・小沢派ら自民党議員39名が賛成、16名が欠席する造反により不信任案は255対220で可決された。宮沢内閣は衆議院を解散した（[[嘘つき解散]]）。同年[[6月21日]]に[[武村正義]]らが自民党を離党（[[新党さきがけ]]を結党）した。これが羽田・小沢派の議員に離党を決断させる一因となり、[[6月23日]]、[[新生党]]を結成した。小沢は幹事長にあたる党代表幹事に就任するが、党結成の記者会見を行ったとき会場に姿が見えず「党首（羽田）の陰に隠れて暗躍している」との批判を受けた。[[新生党]]代表幹事時代には[[番記者]]との懇談会を廃止し、これまでの[[記者クラブ]]中心の会見から海外[[マスメディア|メディア]]や[[週刊誌]]記者なども会見に参加できるようにし注目を集めた。一方、自分の意に沿わぬ記事を書いたメディアと対立を起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月18日]]、[[第40回衆議院議員総選挙|第40回衆院選]]において自民党は過半数割れし、新生党、[[日本新党]]、新党さきがけの3新党は躍進した。宮沢内閣は総辞職した（後任の自民党総裁に[[河野洋平]]が選出）。小沢は総選挙直後から日本新党代表の[[細川護煕]]と非公式に会談した。細川は自民党との連立を検討していたが、小沢から首相就任を打診されたことで非自民勢力へと傾斜した。[[8月9日]]、8党派連立の[[細川内閣]]が成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細川政権下で小沢は内閣とは別に与党の意思決定機関である「連立与党代表者会議」を開き、公明党[[書記長]]の[[市川雄一]]とともに政権の主導権を握ろうとし（[[一一ライン]]）、官邸主導の政治を目論む[[内閣官房長官]]の[[武村正義]]と激しく対立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]]、小沢と[[大蔵事務次官]]の[[斎藤次郎]]が中心となり、[[消費税]]を廃止し7%の福祉目的税を創設するという「国民福祉税」構想を決定した。[[2月3日]]未明、細川は突如、「国民福祉税」構想を発表し、世論の激しい反発を受けた。また、[[日本社会党|社会]]・さきがけ・[[民社党|民社]]各党の批判に合い、翌日、細川は「国民福祉税」構想を白紙撤回するに至った。内閣官房長官の武村は、公然と「国民福祉税構想は事前に聞いていない」と発言、小沢との対立はますます先鋭化した。武村か小沢かの選択を迫られた細川は小沢に軍配を上げ、政権の主導権を奪われた武村や武村率いるさきがけは与党内で孤立し、武村と細川の仲も急速に冷却する。一連の動きに嫌気がさした細川は、[[4月]]に突然辞意を表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細川の首相辞任を受けて、小沢は[[渡辺美智雄]]との提携を企図するが、渡辺は自民党離党を決断できず構想は頓挫。連立与党は羽田の後継首班に合意した。しかし、[[1994年]][[4月25日]]の[[首班指名]]直後に、新生党、日本新党、民社党などが社会党を除く形で統一会派「改新」を結成したため、社会党の反発を招き、社会党は連立政権を離脱し、[[羽田内閣]]は少数与党となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
羽田内閣は1994年度[[予算]]を成立させたが、少数与党状態の解消をねらって行われた連立与党と社会党との間の政策協議は決裂し、自民党によって内閣不信任案が衆院に提出された。当初は羽田も解散する腹で小沢も同調していたが、結局は解散総選挙を断念。[[6月25日]]に内閣総辞職し、羽田内閣は在任期間64日、戦後2番目の短命政権に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は羽田の後継として、かつて自民党幹事長としてタッグを組んだ元首相の[[海部俊樹]]を担ぐことを決めた。海部は当時自民党政治改革議員連盟会長で、[[番町政策研究所|新政策研究会]]（河本派）代表世話人でもあった。[[1994年]][[6月29日]]、自民党は[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]で社会党委員長の[[村山富市]]に投票する方針を示したため、海部は自民党を離党し、「[[自由改革連合]]」を結成、連立与党の首班候補となった。しかし決選投票で261対214で村山に敗れ、小沢は政治家人生において初めて野党の立場に落ちた。新生党内では小沢の責任を追及する声も出たが、旧連立与党を糾合して新・新党の結成を実現するために、小沢の豪腕が必要とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 新進党時代 ===&lt;br /&gt;
1994年[[9月28日]]、[[日本共産党]]を除く野党各党187人により、衆院会派「改革」が結成された。また同日、衆議院議員186人、参議院議員39人、計225人の国会議員による「新党準備会」が正式に発足し、新党準備実行委員長に小沢が選出された。こうして小沢を中心に新・新党結成が準備され、同年[[12月10日]]に[[新進党]]結成大会が行われた。海部が党首となり、小沢は党幹事長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]][[7月]]、[[第17回参議院議員通常選挙|第17回参院選]]で、改選議席19議席を大幅に上回る40議席を獲得した。同年[[12月]]に行われた党首選挙では、羽田・細川らを中心に「小沢外し」の動きがあったため、自ら立候補することを決断、長年の盟友である羽田と激突し、小沢は羽田を破り、第2代党首に選出された。しかし、この党首選挙直後に投票者名簿が破棄されるなど、選挙結果が不明瞭であったため、羽田との決裂は決定的なものとなり、党内に更なる亀裂を生じさせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1996年]][[10月20日]]に[[第41回衆議院議員総選挙|第41回衆院選]]が行われ、新進党は小沢の党党首選での主張を党公約「国民との五つの契約」として[[消費税]]率の3%据え置き、18兆円[[減税]]を[[公約]]したものの、改選前の160議席を4議席減らして156議席に止まり、事実上敗北した。原則比例代表との重複出馬を禁止とし、比例区で[[創価学会]]の支援を期待し[[公明党]]系の議員を優遇したため選挙地盤の弱い若手の[[新党ブーム]]世代の議員が多数落選したため、強い反発を浴びこれが後の政局においても禍根を残す事になった。また選挙直後開票中にも関わらず深夜になるまで党本部に姿を見せず雲隠れするなど党首としてあるまじき態度を取った事も強い批判を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総選挙後、党内に小沢に対する反発が強まり、離党者が続出した。羽田孜や細川護熙らは非主流派を構成し、1996年[[12月26日]]、羽田は奥田敬和、[[岩國哲人]]ら衆参議員13名と共に新進党を離党、[[太陽党]]を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1997年]]、小沢は自民党の[[亀井静香]]らと提携する、いわゆる[[保保連合構想]]に大きく舵を切った。しかし、新進党内には、こうした保保連合路線に対して[[二大政党制]]を志向する立場から反対する勢力も顕在化し、[[鹿野道彦]]は政策研究会「改革会議」を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月18日]]の党首選挙で小沢は鹿野を破り再選された。この党首選に先立ち公明が[[第18回参議院議員通常選挙|次期参院選]]を独自で闘う方針を決定し、新進党離れが加速した。党首に再選された小沢は、純化路線を取り、新進党内の旧公明党グループ・公友会、旧民社党グループ・民友会にそれぞれ解散を要求。[[12月27日]]に小沢は旧公明党の参院議員を分党し公明に合流させるとし、新進党の分党と新党の結成を発表した。新進党内は混乱に陥り、分党を決定した[[両院議員総会]]は、混沌のうちに終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自由党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 結党・与党復帰 ====&lt;br /&gt;
[[1998年]][[1月6日]]、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]を結成、小沢は党首に就任した。当初、100名以上の衆参両議員が集まると思われたが、結局、衆院議員42名、参院議員12名の計54名が参加するに留まり、野党第1党の座を[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]に譲り渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月12日]]の[[第18回参議院議員通常選挙|第18回参院選]]では苦戦必至と思われていたが小沢人気もあり[[比例代表制|比例代表]]で514万票、合計6議席を獲得し善戦した。参院選後の[[臨時会|臨時国会]]では、首班指名に民主党代表の[[菅直人]]を野党統一候補に臨み、参院では自民党の[[小渕恵三]]を抑え菅が指名された（衆院では小渕が指名されたため、[[衆議院の優越]]の原則から小渕が首相に就任した）。&lt;br /&gt;
小沢は参院での野党共闘により政府・自民党を追い込む戦略であったが、菅は「政局にしない」と発言、金融再生法の制定で自民党と協力したことにより野党共闘はほころびを見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1998年[[10月]]、小沢は内閣官房長官[[野中広務]]と会談、連立交渉を開始し、同年[[11月19日]]、小渕内閣との間での連立政権について合意した。そして[[1999年]][[1月14日]]正式に[[自自連立政権]]が成立し、党幹事長の[[野田毅]]が[[自治省|自治大臣]]として入閣、小沢は5年ぶりに与党へ復帰した。この連立の間に衆議院[[議員定数]]20の削減、閣僚ポストの削減、および[[政府参考人|政府委員]]制度の廃止と[[党首討論]]設置を含む国会改革が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年7月、公明党が政権に入り、[[自自公連立政権]]が成立した。自民、公明両党で参院の過半数を抑えることになったため政権内部での自由党の存在感は低下した。自自両党の選挙協力も遅々として進まず、小沢は自民党総裁の小渕総理大臣に対して自自両党の解散、新しい保守政党の結成を要求した。[[中曽根康弘]]、[[亀井静香]]等は小沢の復党を認める方針であったが党内の反小沢勢力は「小沢の復党は認められない、小沢抜きでの復党は認められる。」とし小沢自身も「復党が認められなければ連立解消だ。」と珍奇ともいえる主張を行い両者は[[2000年]][[4月1日]]、会談するが、合意に達せず、結局連立を解消した（なお、この後に小渕は[[脳梗塞]]で倒れ、[[5月14日]]に死去した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 分裂 ====&lt;br /&gt;
自由党は、小沢を支持する連立離脱派と、[[野田毅]]・[[二階俊博]]などの連立残留派に分裂し、残留派は[[保守新党|保守党]]を結成した（分裂の結果、自由党は衆院議員18名、参院議員4名の計22名に半減、保守党には26名が参加）。小沢と袂を分かった保守党は[[政党助成金]]を半分ずつ分け合うために[[分党]]を要求したが、自由党はこれを拒否。保守党議員は離党扱いになり、政党助成金を全く得られず総選挙を迎えることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]][[6月25日]]の分裂直後に行われた[[第42回衆議院議員総選挙|第42回衆院選]]で、小沢人気もあり比例代表で約660万票を獲得、現有議席を上回る22議席を獲得し善戦した。このとき、約20億円を投じたとされる[[テレビ]][[コマーシャルメッセージ|CM]]（小沢が顔を殴られる）は話題となった（一方、保守党は7議席へと激減）。連立離脱後は野党共闘路線へ舵を切ることを余儀なくされたが、（過去に小沢から酷い目に合わされたと感ずる）旧新進党や旧社会党出身者が多い民主党を始めとした野党との関係は当然ギクシャクしたものにならざるを得なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]][[1月]]、将来の指導者育成を目指し、党内に[[小沢一郎政治塾]]（小沢塾）を開設した。なお、小沢塾は民主党との合併後は小沢個人の私塾として運営。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月29日]]の[[第19回参議院議員通常選挙|第19回参院選]]では、自民党に[[小泉旋風]]が吹き、小沢の地元・[[岩手県選挙区]]でも大苦戦を強いられたが、僅差で勝利した。議席数は前回と同じ6を維持したものの、自由党の比例代表は約420万票に止まった（第18回参議院選挙より約100万票、第42回衆議院選挙より約220万票の減少）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党へ合流 ===&lt;br /&gt;
[[2002年]]、第19回参議院選挙での結果もあって、小沢は[[鳩山由紀夫]]（当時[[民主党代表]]）からの民主・自由両党の合併に向けた協議提案を受け入れた。しかし、民主党内の調整が不十分であったこと及び民主党内の小沢に対する拒否反応の為に頓挫した（なお、鳩山は代表辞任に追い込まれた）。鳩山辞任後に[[民主党代表]]に選出された[[菅直人]]によって、いったん合併構想は白紙に戻ったが、小沢は党名・綱領・役員は民主党の現体制維持を受入れることを打診し、両党間で合併に合意した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dpj.or.jp/news/?num=4562 民主党・菅代表と自由党・小沢党首が9月末までの合併で合意]民主党公式HP、2003年7月23日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由党と民主党の合併の直前に、自由党から13億6816万円の寄付が[[改革国民会議]]に対して行われた。改革国民会議は小沢一郎が代表を務めており小沢の関連団体である。13億6816万円のうち5億6096万円が税金を原資とする[[政党助成金]]であった。後にこの行為は問題視され、政党助成金法改正案として議論された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090708/stt0907081016002-n1.htm 産経ニュース 2009年7月8日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]][[9月26日]]、自由党は民主党と正式に合併し、小沢は民主党の代表代行に就任した。[[11月9日]]の[[第43回衆議院議員総選挙|第43回衆院選]]で民主党は、公示前議席よりも40議席増の177議席を獲得。民由合併後、小沢が最初に提携したのが旧社会党系の[[横路孝弘]]だった。小沢と横路は安全保障面での政策を擦り合わせ、その後横路と旧社民勢力は小沢と行動を共にした。また、小沢は野党結集のために社民党へも民主党への合流を呼びかけたが失敗に終わった。経済政策では、それまでの[[新自由主義]]から「地方経済」と「[[雇用]]」の重視の方針へ転換した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初、小沢派になると見られていた新自由主義的な「小さな政府研究会」には参加せず、[[東北地方]]出身議員だけをあつめて「東北議員団連盟」を結成し、地域主義への転向の姿勢を見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]][[5月]]、[[政治家の年金未納問題|年金未納問題]]による混乱の責任を取り党代表を辞任した菅の後継代表に小沢が内定したが、直後に小沢自身も[[国民年金]]が強制加入制度になる[[1986年]]以前に未加入だったとして代表就任を辞退した（結局、[[岡田克也]]が後任代表となった）。2004年[[7月11日]]に行われた[[第20回参議院議員通常選挙|第20回参院選]]の後、岡田の要請により党副代表に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]][[9月11日]]、[[第44回衆議院議員総選挙|第44回衆院選]]で民主党は現有議席を60近く減らす惨敗を喫し、岡田は代表を引責辞任し、小沢も党副代表の職を辞任した。岡田の後任代表となった[[前原誠司]]は、小沢に党代表代行への就任を依頼したが、これを固辞した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党代表 ===&lt;br /&gt;
==== 代表就任 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Ichiro Ozawa election.jpg|200px|thumb|民主党ポスターの張られた様子（[[2008年]]1月、[[広島県]][[甲奴町]]）]]&lt;br /&gt;
[[2006年]][[3月31日]]に前原が、「[[堀江メール問題]]」の責任を取って党代表を辞任、[[4月7日]]の民主党代表選で小沢は119票を獲得し[[菅直人]]を破り、第6代の民主党代表に選出された。両院議員総会の演説で小沢は、「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」という19世紀のイタリア貴族の没落を描いた映画『[[山猫 (映画)|山猫]]』の一節を引用し、その上で「まず、私自身が変わらなければなりません」と述べ、「ニュー・小沢」を印象づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表選後、小沢は菅を党代表代行、鳩山由紀夫を党幹事長にする[[トロイカ体制]]を敷いた。また、前執行部と[[民主党の次の内閣一覧|次の内閣]]メンバー全員を残留させた。小沢は[[政令指定都市]]・[[都道府県]]の[[首長]][[選挙]]に関しては原則として[[相乗り]]禁止の方針を打ち出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大半の民主党議員は、小沢の代表就任まで自民党幹事長時代はおろか、つい最近の小沢の動向すら知らず、「選挙に強い」という噂を頼り半信半疑で眺めている者も少なくなかったが、小沢が党代表に就任した直後の[[4月23日]]に、メール問題での逆風下にあった衆議院[[千葉県第7区|千葉7区]][[補欠選挙]]で、僅差ながら勝利を収めた。半年後の[[9月12日]]の民主党代表選に[[無投票]]で再選された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月9日]]の会見で、衆院本会議を欠席しがちな理由として「食後すぐに仕事にとりかからないなど、医者の忠告を守っている」と、自身の体調管理を理由に挙げたことに関し、「議会軽視だ」と各方面から厳しい批判を受けた。また、自身の健康状態を語ったことに対して様々な憶測が流れた。[[9月25日]]臨時党大会で正式に代表に再選された後、[[狭心症]]の発作の兆候を感じたため、都内の病院に検査入院した。[[10月5日]]に退院し、自身の[[動脈硬化]]が進んでいることを明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 国会運営 ====&lt;br /&gt;
民主党代表時代の小沢の国会での論戦は、前原時代の「対案路線」ではなく、「対立軸路線」で与党とは対決姿勢を鮮明にした。自著『[[日本改造計画]]』では、「過半数が賛成している案を、少数のダダっ子がいて、その子をなだめるために、いいなりになってすべてを変えてしまう」のは「少数者の横暴」だと述べている。小沢は「審議を十分に行えば」与党による採決も止むを得ないという立場を取った。一方、議員数の多さを背景に[[強行採決]]した場合には徹底抗戦や[[審議拒否]]も辞さない戦う野党の姿勢も示した。ただし、この姿勢は審議拒否を度々行うことで「充分な審議を放棄した」「与党案の成立を手助けしている」との批判を生むことがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 外交政策での党内対立 ====&lt;br /&gt;
2006年10月に北朝鮮が[[核実験]]を行った後の[[朝鮮半島]]情勢は「[[周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態法]]」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら[[トロイカ体制]]の見解を発表した。しかし、これに対して前代表である前原誠司を始めとする党内の若手から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表し、安全保障政策をめぐる民主党内の対立・不一致が表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は「[[核武装論|核武装の論議]]を是認すれば『[[非核三原則]]を守る』という言葉も国民や国際社会に受け入れられない」と指摘した。しかし、その考えに不満を持つ一部[[保守]]層などが、自由党党首時代[[2002年]]の小沢の発言である「日本は一朝で数千発の[[核弾頭]]を持てる。」と日本の核保有能力について発言したことと比較して批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[防衛庁]]の「省」昇格に対し、自由党時代から防衛庁の省への昇格を主張していた小沢は「国防の任に当たる省庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」と述べた。民主党内には依然反対の声があったため衆院安全保障委員会での防衛「省」昇格関連法案の審議に欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 統一地方選、参院選 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[4月8日]]に[[統一地方選挙]]（前半）が行われ、地元・岩手県の[[岩手県知事|知事]]選挙で'''小沢チルドレン'''の代表格である[[達増拓也]]が当選。[[岩手県議会]]議員選挙でも、議席を増やし第1党を維持し、その他の道府県議選・政令市議選でも民主党は230議席（合併前の自由党含む）から145議席増え375議席に躍進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[4月22日]]に行われた[[統一地方選挙]]（後半）では、[[地方議会|市町村議会選挙]]で、自民党が過去最低議席数になった他、他党が前回議席を割り込む中、民主党は3割近く議席を伸ばした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月29日]]に行われた、[[第21回参議院議員通常選挙]]で民主党は60議席を獲得、参議院第1党となり、野党全体（共産党を含む）で過半数を得た。選挙開票当日は「医者からの忠告」を理由に休養を取っていたとし、小沢はマスコミの前に姿を見せなかったが、[[7月31日]]の党常任幹事会に多くの報道陣が駆けつける中で出席、小沢は公約通り衆議院議員を今後も続けるとした。また、8月に前代表・前原、元代表・岡田等が党副代表に就任し、挙党体制を構築した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ねじれ国会 ====&lt;br /&gt;
[[8月8日]]には、[[11月]]に期限切れとなる[[テロ対策特別措置法]]（テロ特措法）問題についてマスコミ公開の中、アメリカの駐日大使[[ジョン・トーマス・シーファー]]と会談した。シーファーは小沢にテロ対策特別措置法の期限延長に対する理解を求めたが、小沢は[[アフガン戦争]]が国際社会の[[コンセンサス]]を得ていないとして[[海上自衛隊]]の支援活動は認められないと主張し、反対の意向を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe7700/news/20070808i113.htm 小沢代表、シーファー米大使が初会談…テロ特措法で平行線]」 [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]、2007年8月8日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[8月30日]]にはドイツ首相[[アンゲラ・メルケル]]と会談したが、この席でも改めてアフガン戦争が国連によるコンセンサスを得たものではないと主張した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=10873 環境、テロ対策などで意見一致 小沢代表メルケル・ドイツ首相と会談]」 民主党ホームページ、2007年8月30日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。結局テロ特措法は[[安倍改造内閣|安倍内閣]]の突然の総辞職で、有効期限の延長が出来なくなり、そのまま失効した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月12日]]に首相辞任を表明した[[安倍晋三]]の後任となる、[[内閣総理大臣指名選挙]]が[[9月25日]]に行われ、参議院で決選投票の末に[[福田康夫]]（自民党総裁）を抑えて、小沢が指名された（小沢133票、福田106票）。なお、衆議院で指名された福田が[[衆議院の優越]]規定に基づき首相となった。なお、両院の指名が異なったのは[[小渕恵三]]内閣下で民主党の[[菅直人]]が指名されて以来、9年ぶり4度目であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[11月2日]]、小沢は福田と会談し、連立政権について提案があった為、意見を党に持ち帰り臨時役員会に諮ったが、民主党内の反対を受け連立を拒否した。[[11月4日]]、連立騒動の責任を取り代表辞任を表明したが、民主党内の慰留を受け、[[11月6日]]代表続投を表明。[[11月7日]]の両院議員懇談会で代表続投が承認された。{{main|大連立構想 (日本 2007)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、テロ特措法の後継の法律として衆議院に提出されていた[[テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案]]（新テロ特措法）に対する議決が行われ、民主党が多数を占める参議院では反対多数で否決されたが、[[2008年]][[1月11日]]に衆議院本会議で与党の3分の2以上の賛成多数で再び可決・成立した。この再可決の本会議で小沢は採決直前に退席し、党内の一部や他の政党の議員から批判された。対して小沢は「前からの約束で、選挙の約束は一番たがえてはいけないものだ」と強調。[[2008年大阪府知事選挙|大阪府知事選挙]]の応援があったこともあげ、新テロ対策特措法について、「国民にとっても民主党にとっても大事な法案ではない。反対の意思表示は既にしている。後は数あわせの本会議でしかない。結果は目に見えている。批判は理解できない。国民は理解してくれていると思う」と反論した&amp;lt;ref&amp;gt;こうした日本の状況に対して米国や英国では、採決に議員全員が出席しないことを前提としたシステムで議会が運営されており、議員は自分の仕事の優先順位によってはあらかじめ投票を行い採決には欠席するのが普通であるが、[[党議拘束]]のある日本では採決前から結果が決まっていることがほとんどである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月29日]]、衆議院で2008年度予算案が野党3党の欠席のなかで強行採決された。小沢はこれに対し「信頼関係が完全に崩壊した」と発言し、強行採決をしたことで[[日本銀行総裁]]人事に影響を及ぼすのは、避けられないとの態度を示す&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=12799 「信頼関係が完全に崩壊」小沢代表、与党の予算案強行採決を批判]」 民主党ホームページ、2008年3月1日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党も強行採決されたのを受け[[武藤敏郎]]副総裁の[[日本銀行]]総裁への昇格を拒否する方針を決め、参議院で日銀総裁人事を否決した。[[3月18日]]、政府与党は改めて[[田波耕治]]を総裁候補として提示したが、この人事案も参議院で不同意となり、結果として[[白川方明]]が総裁に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月22日]]、民主党代表選で小沢が無投票での3選を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月23日]]、前日まで衆院選対策のため福岡を訪れていたが、予定されていた[[インドの歴代首相|インド首相]][[マンモハン・シン]]との会談を、体調不良を理由に欠席、「会談の頭だけでも出た方がいいと代表にいってほしい」との[[鳩山由紀夫]]幹事長の説得も受け付けず、党役員会などの公務もキャンセルし、鳩山が代わって会談した。翌24日に公務へ復帰、衆院選対策のため青森へ出張した&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢代表、また体調不良&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081024/stt0810240001000-n1.htm 小沢代表、また体調不良 「首相務まるのか」との指摘も] 産経ニュース 2008年10月24日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[5月11日]]、西松建設疑惑関連で公設秘書が逮捕された件で、民主党代表を辞任した。自身の後継を決める代表選挙では、側近として共に[[トロイカ体制]]を支えた[[鳩山由紀夫]]を支持し勝利に導いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党代表代行 ===&lt;br /&gt;
[[5月17日]]、選挙担当の代表代行に就任。[[菅直人]]が代行が多くなったことから小沢に筆頭となるよう要請し、3名の代表代行の中では筆頭扱いとなった。代表代行への就任は実に5年ぶりとなる&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090517/stt0905172147016-n3.htm&lt;br /&gt;
|title=【鳩山新代表会見詳報】「5人が常に心を合わせていく」&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY200905170106.html&lt;br /&gt;
|title=民主幹事長に岡田氏、小沢前代表は代表代行に&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090517/stt0905172035015-n1.htm&lt;br /&gt;
|title=【鳩山新代表】小沢氏が筆頭代表代行 岡田氏は幹事長に&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第45回衆議院議員総選挙]]で政権交代を果たした後の[[9月3日]]、[[鳩山由紀夫]]民主党代表が小沢に幹事長就任を要請した。これに対し「代表から幹事長の就任を要請された。私は党人だから、お受けすると返事をしてまいりました」と述べ、要請を受け入れる意向を表明した。小沢の幹事長就任については、鳩山の掲げる「政策決定の内閣への一元化」に反して政府と与党の「権力の二重構造」となり、政策面で小沢の影響を排除できなくなるとの見方がでたが、これについて鳩山は「幹事長は党務だ。政策の決定は政府でやると確認した」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090903-OYT1T00998.htm&lt;br /&gt;
|title=小沢氏が民主幹事長、岡田氏は主要閣僚か&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0903/TKY200909030376.html&lt;br /&gt;
|title=小沢氏、民主幹事長に　菅・岡田氏の入閣確実な情勢&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090903NTE2INK0803092009.html&lt;br /&gt;
|title=民主幹事長に小沢氏　岡田氏、重要閣僚で処遇 &lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;rel=j7&amp;amp;k=2009090300991&lt;br /&gt;
|title=盤石政権へ「剛腕」起用＝「二重権力」再来懸念も&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党幹事長 ===&lt;br /&gt;
[[2009年]][[9月15日]]の民主党両院議員総会において、正式に幹事長に就任した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-15&lt;br /&gt;
|url=http://mainichi.jp/select/seiji/seikenkotai/news/20090916k0000m010104000c.html&lt;br /&gt;
|title=民主党：小沢幹事長就任を正式決定　両院議員総会&lt;br /&gt;
|accessdate=9月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な政治的主張 ==&lt;br /&gt;
最初の著作である「日本改造計画」では[[新自由主義]]を主張したが、民主党代表に就任すると[[リベラル]]色を強めた。一方、2004年に公表した現行憲法の下での国連派遣部隊構想、さらにそれを発展させ2007年10月に公表した国際安全保障政策では、現行憲法との論理的整合性を維持しながら日本の国際安全保障政策（[[国連中心主義]]）を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交、防衛政策 ===&lt;br /&gt;
; 基本姿勢&lt;br /&gt;
: 外交では、[[太平洋戦争]]に対する反省を踏まえて二つの「共生」を主張している。一つは人間と人間、国家と国家との「共生」、つまり日本及び世界の平和を確保すること、もう一つは人間と自然との「共生」、つまり日本が率先して地球環境の保全を進めることである。それ以上に重要なのは、安全保障については、日本の法律より国連決議が風船すると「世界」で述べたことである。その結果、小沢氏は多くの批判を受けることとなった（日本国民が民主主義で選択した日本の法律が、国連の常任安保理事国のせめぎ合いによる決定より劣る、という発言であったため）。&lt;br /&gt;
: また、世界の国々、特に[[アメリカ合衆国|米国]]とは相互の信頼に基づく対等な関係を積み上げ、[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]をはじめ[[アジア]]諸国と平和で自由で開かれた信頼関係の実現を主張した。具体的には、米国との真の[[日米同盟]]の確立、核廃絶、アジア外交の強化、貿易・投資の自由化、[[政府開発援助]]（[[政府開発援助|ODA]]）の抜本的見直し等。[[2009年]][[2月24日]]には「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ…あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う…米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090225/stt0902250151000-n1.htm 「駐留米軍は第7艦隊で十分」 民主・小沢代表] 産経ニュース 2009.2.25&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[A級戦犯]]、[[靖国神社]]&lt;br /&gt;
: [[東京裁判]]は不当な報復裁判であり、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない。しかし当時の国家指導者は敗戦責任があり、[[天皇]]陛下が参拝できるよう靖国神社から削除すべき。行く行かないは個人の自由だが、公約をし、政治信念で行くのならば[[8月15日]]に公式参拝を行うべき。ただし靖国神社は[[戊辰戦争]]の招魂社だという問題がある。小沢自身は[[賊軍]]とされる岩手の出身である。&lt;br /&gt;
: 1986年4月2日の国会答弁では「誰もが自然の気持ちで行くべきであると思う。私もそのような自分の気持ちが沸いてきた時今までも参拝してきたしするつもりである」、「国務大臣であろうがなかろうが今後も行きたい」、「A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない」、「たまたま敗戦によって戦勝国から戦犯とされた人もいる」などの発言があった。&lt;br /&gt;
: また、2008年2月21日の[[朝鮮日報]]からのインタビューでは、「靖国神社問題は日本側が大きな間違いをしている。民主党が政権を取ったら、戦争責任者を靖国神社から分祀し、韓国と中国に強力な信頼関係を築く」と述べた。&lt;br /&gt;
; 核武装&lt;br /&gt;
: 日本には数千発の核兵器を製造する能力がある（2002年）ものの、軍事的、政治的にも何のプラスにもならない。議論もしてはいけない（2006年）。党内には、核保有を認める意見や核武装を議論すべきとの意見があった。&lt;br /&gt;
; [[日本国憲法第9条|憲法9条]]&lt;br /&gt;
: 「[[専守防衛]]」に徹し、憲法前文の平和主義と憲法9条の第一項と第二項は保持。第9.5条として平和のための国際協力と国連待機軍の設置を付加。自衛隊は国防に専念させる。なお、自衛権は、個別的であれ集団的であれ、我が国が急迫不正の侵害を受けた場合に限って行使。急迫不正の定義は明確にしない。&lt;br /&gt;
; [[自衛隊]]の海外派遣&lt;br /&gt;
: 小沢は[[国際治安支援部隊]]に対しては容認しており、[[ダルフール紛争]]への部隊の参加、国連治安支援部隊（[[ISAF]]）への参加など国連中心主義を強調した。ただし、その際の武器の使用基準見直しについては明言していなかった。なお政府は、ISAF本体への護衛参加については、合憲であるとの見解をまとめている。&amp;lt;ref&amp;gt;「自衛隊のアフガン派遣、政府が『合憲』解釈」 『読売新聞』、2007年12月22日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[集団的自衛権]]と[[集団安全保障]]&lt;br /&gt;
: [[イラク戦争]]型 （集団的自衛権の行使）‐ 他国が自衛権を発動して開始した戦争に参戦する[[有志国軍]]（[[OEF]]）への参加は憲法違反だとし、[[テロ対策特別措置法]]の延長にも反対した。&lt;br /&gt;
: [[湾岸戦争]]型（集団安全保障に基づく武力行使） ‐ 国連が承認した[[国連軍]]、[[多国籍軍]]の参加には賛成。&lt;br /&gt;
; [[周辺事態法]]について&lt;br /&gt;
: 2006年10月に北朝鮮が[[核実験]]を行った後の[[朝鮮半島]]情勢は「[[周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態法]]」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら[[トロイカ体制]]の見解を発表した。しかし、これに対して前原誠司を始めとする党内から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表し、安全保障政策をめぐる民主党内の対立・不一致が表面化した。&lt;br /&gt;
; [[北朝鮮による日本人拉致|北朝鮮拉致]]について&lt;br /&gt;
: 「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と述べたと報道された。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n1.htm 【民主党解剖】第1部「政権のかたち」（1）「小沢首相」は大丈夫か] 産経ニュース 2009.3.2&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
; 領土問題&lt;br /&gt;
: 「われわれが与党になったら領土問題にケリをつける」「例えば、[[尖閣諸島]]は歴史的に見ても日本の固有の領土だ。それを明確にさせる。自公政権のように弥縫策で先送りすることはしない」と述べ、領土問題の速やかな解決を宣言している&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008062334_all.html 小沢代表直撃インタビュー]{{リンク切れ|date=2009年5月}}」 [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2008年6月23日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、2008年7月15日には、 記者会見で学習指導要領の竹島問題について問われ、「教科書云々の前に日韓の考え方の差を埋めるために、しっかり話し合いをすべきだ。話し合いを避けて教科書に載せる載せないの類は順序が違う。事実上韓国が実力支配しているわけですから、それを放置しておいて俺の領土だと言ってもどうしようもないでしょう」と日本政府を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&amp;amp;num=13674 2008年7月15日 記者会見]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[チベット]]と中華人民共和国&lt;br /&gt;
: [[2008年のチベット動乱]]の後、2008年4月17日の講演で、チベット問題について「中国の政権が抱える矛盾が民族問題を契機として持ち上がった。共産主義独裁の政権と政治の自由は、原理からいって成り立たない」と発言し、「共産党政権が時代の変化に応じて生き延びようとするなら、自分自身が変化しなければいけない」と中国を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.asahi.com/special/080315/TKY200804170263.html 小沢代表、チベット問題で中国批判 『独裁政権の矛盾』]」 [[朝日新聞|asahi.com]]、2008年4月17日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 防衛庁の省への昇格&lt;br /&gt;
: [[防衛省|防衛庁]]の「省」昇格に対し、自由党時代から防衛庁の省への昇格を主張していた小沢は「国防の任に当たる省庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」と述べた。ただし、民主党内に反対の声があったため衆院安全保障委員会での防衛「省」昇格関連法案の審議は欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 法務 ===&lt;br /&gt;
; 憲法改正（憲法96条）の為の国民投票法案&lt;br /&gt;
: 与党提出の法案に反対した。その後民主党案との修正協議を経て修正与党案が成立した。なお社民・共産は法案そのものに反対した。&lt;br /&gt;
{{main2|国民投票法案については[[日本国憲法の改正手続に関する法律]]を}}&lt;br /&gt;
; [[外国人参政権|永住外国人の地方参政権]]&lt;br /&gt;
: 旧植民地政策により日本に移住、戦後そのまま在住した永住外国人・その家族が日本国籍を獲得しにくい場合でも、その歴史的事情を勘案し、また地域の住民との連帯感を醸成するために地方参政権を与えるべきと主張している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ozawa-ichiro.jp/policy/05.htm 永住外国人の地方参政権について]&amp;lt;/ref&amp;gt;。外国人参政権の獲得を目的に[[在日本大韓民国民団]]から支援の言葉を貰い、小沢もそれに謝意を表明し「帰化した韓国系」の投票を期待しているとの発言をしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://s02.megalodon.jp/2008-1212-1234-59/www.asahi.com/politics/update/1211/TKY200812110336.html 民団、民主・公明支援へ 次期衆院選 選挙権付与めざす]2008年12月12日 朝日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 公務員改革&lt;br /&gt;
: 幹部職員の内閣一元管理。公務員に対しては、スト権の付与と守秘義務違反の軽減を行う。また、政官接触を自由化する。[[特殊法人]]、[[独立行政法人]]、[[特別会計]]は見直す方向。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 経済、財政政策 ===&lt;br /&gt;
[[小さな政府]]ではなく、「官で出来ることは官で、民で出来ることは民で」。過疎化した地方など無駄な[[公共事業]]を極力減らしていく方針。&lt;br /&gt;
; 税制&lt;br /&gt;
: [[年金]]の特定財源化を行い、すべての年金を一元化する。1人月額6万円を支給する基礎年金と従来の保険料方式を維持した所得比例年金の2階建て。[[消費税]]は5%に維持するが、その税収はすべて全額を福祉目的税化し、基礎年金に割り当てる。しかし、消費税5%分（約13兆円）だけでは年金の基礎部分を賄えないため、必要な財源は既存予算から捻出するように努力する。13兆円では、国民の半数にしか年金が支給できないとの批判があったが、「給付する人を低所得者に限るため、13兆円で足りる」と反論した。&lt;br /&gt;
: [[道路特定財源]]の一般財源化を行い、[[揮発油税]]（ガソリン税）の暫定税率を廃止する。2008年[[3月28日]]にはこれに関して「暫定税率を延長する必要はなく、国民生活のために還元をしたほうが良い」と主張した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=12977 『暫定税率を延長する必要はない。むしろ国民に還元すべき』小沢代表]」 民主党ホームページ、2008年3月28日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。廃止に伴う地方財政への影響に関しては、道路特定財源の内で地方へ行くと予定されているのは9000億円であるが、そのうち市町村分の3000億円には手当てが必要であるとの見解を示し、その手当てを[[一般会計]]・[[特別会計]]の余剰金の利用や無駄の削減で市町村分へ配分することは可能だとした&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=13128 首相の一般財源化では理解得られない 国民に信を問うべき 小沢代表]」 民主党ホームページ、2008年4月20日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[地方分権]]&lt;br /&gt;
: [[中央集権]]体制から地方主権体制への移行。中央政府の権限は外交・治安などに限定し、その他の権限を地方に移譲する。また、個別[[補助金]]は官僚支配を生み[[利権]]の温床となるため廃止し、自主財源として一括交付する。財源・権限を地方に移譲することで地域経済の活性化につながる。地方分権を推進するため、市町村の300程度への集約を行う。&lt;br /&gt;
; 格差是正&lt;br /&gt;
: 社会的格差を是正する。子育て支援をし、親と同居している世帯に対して「親手当」、子供がいる世帯に対して「子ども手当」を交付する。[[管理職]]は自由競争だが、非管理職は[[終身雇用]]にする。[[労働法]]は長期安定雇用を基本とするべき。挫折した経営者・労働者の再起、再就職の支援制度を拡充する。&lt;br /&gt;
; [[移民]]政策&lt;br /&gt;
: 自民党と財界一部に「移民受け入れ」を検討する動きがある事を受け、「まったくダメだ。現在でも『奴隷労働』と言われる非正規労働者の問題が深刻なのに。発展途上国から単純労働者を受け入れることは、一種の奴隷制度ではないか。治安問題を心配する声もあるが、それ以前に、そういう形での移民受け入れは人間の尊厳に対する冒涜であり、人道的にとても認められない。」と述べ、与党の移民政策を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008062334_all.html 小沢代表直撃インタビュー]{{リンク切れ|date=2009年5月}}」 [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2008年6月23日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育政策 ===&lt;br /&gt;
与党案とは異なる民主党独自の「教育基本法」の制定。教育予算は先進国中低位の現状を是正し引き上げる。5歳から高校まで義務教育を広げる。すべての国民に[[高等教育]]の機会を与えるため、[[奨学金]]制度を拡充する。教師などの教育職員は[[国家公務員]]として身分を安定させ、[[労働争議|争議]]権を認めない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 農業政策 ===&lt;br /&gt;
わが国の安全保障を確保するためには現在39%&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/fbs/dat-fy18/sankou2.pdf PFC供給熱量比率、食料自給率及び飼料需給表]」 [[農林水産省]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;に低下している食料自給率を他の先進国並みに高める。農家、農村の活力を再生するために、穀物などの主要農産物について[[戸別所得補償制度]]を導入する。[[トレーサビリティ (流通)|トレーサビリティ制度]]の拡充と加工食品の原材料も含めた原産地表示の義務づけを行い、食の安全を確保する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 他党、支持母体との関係 ===&lt;br /&gt;
; 選挙協力&lt;br /&gt;
: 思想的には保守であるが、自公政権打倒のためには'''共産党を含めた全野党による選挙協力'''も辞さないことを表明した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2006/ar20060412155540.html 参院選候補選定『直接やる。カギは1人区』]」 『産経新聞』、2007年4月11日付朝刊。&amp;lt;/ref&amp;gt;。社会党の[[社公民路線]]以来、「非自民・非共産」として、共産外しが常態となっていた野党第一党の代表としては異例の見解であった。そのため、自公からはもちろん、党内の[[反共主義]]者からの批判が見られた。共産党は現時点では「市場主義重視」の民主党の「[[第三の道]]」路線に対して自公共々批判的であるため、実現しなかった。&lt;br /&gt;
; 大連立&lt;br /&gt;
: 2007年末に取り沙汰された大連立騒動（[[大連立構想 (日本 2007)]]）では、民主党が政権を取る為には、自民党と連立し、連立政権の中で民主党のマニフェストを実現して、実績と政権担当能力を示す必要があると主張した。大連立構想が立ち消えになった後は自民党との対決姿勢を強め、選挙による政権交代を目指している。&lt;br /&gt;
; [[労働組合]]との関係&lt;br /&gt;
: 未組織労働者や市民層からの支持を増やすことで協調的に労組との関係を維持した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 小沢グループ ==&lt;br /&gt;
小沢一郎を支持する民主党のグループ。もともとは旧自由党出身の議員のみであった。合併当初は「党中党」は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、2004年6月に当時当選1回～2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会「一新会」が発足。これ以降徐々に会合等を開くようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一新会に加え、2005年秋に発足した落選者や候補者を対象とした「一新会倶楽部」に加え、2001年から続く「小沢一郎政治塾」の存在もあって選挙ごとに勢力を拡大。[[2007年]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]で当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。小沢を中心に旧自由党出身の議員の結束は固いが、[[渡辺秀央]]、[[大江康弘]]のように小沢と選挙等をめぐって対立し離党した議員もいる。一方、一新会のメンバーの場合他のグループに参加しているメンバーも多く結束は自由党出身議員と比べ幾分緩い傾向がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政策的にはかつては右派的、新自由主義的なものが多かったが小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れつつある。小沢同様、政策よりも選挙や政局を重視する傾向があり、政策重視を掲げる「凌雲会」や「花斉会」とは対立することが多い&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; [[一新会]] - 約20名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[三井辨雄]]、[[仲野博子]]、[[松木謙公]]、[[石川知裕]]、[[横山北斗]]、[[田名部匡代]]、[[階猛]]、[[石関貴史]]、[[武正公一]]、[[神風英男]]、[[小宮山泰子]]、[[高山智司]]、[[内山晃]]、[[菊田真紀子]]、[[村井宗明]]、[[篠原孝]]、[[牧義夫]]、[[鈴木克昌]]、[[吉良州司]]&lt;br /&gt;
; 旧[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]グループ - 約10名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[藤井裕久]]、[[中井洽]]、[[山岡賢次]]、[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]]、[[黄川田徹]]&lt;br /&gt;
:* 参議院議員 - [[西岡武夫]]、[[一川保夫]]、[[工藤堅太郎]]、[[佐藤公治]]、[[平野達男]]、[[森ゆうこ]]、[[室井邦彦]]、[[広野允士]]&lt;br /&gt;
; その他 - 約10名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[奥村展三]]、[[青木愛]]、[[太田和美 (政治家)|太田和美]]&lt;br /&gt;
:* 参議院議員 - [[川上義博]]、[[主濱了]]、[[喜納昌吉]]、[[藤原良信]]、[[大久保潔重]]、[[平山幸司]]、[[米長晴信]]、[[谷岡郁子]]、[[藤原良信]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 小沢ガールズは特に定義のないまま第45回衆院選で注目区を制した女性新議員の総称で使われており、また40名と断定するのは不明確だと思われるためコメントアウト &lt;br /&gt;
; [[小沢ガールズ]] - 40名&lt;br /&gt;
: 2009年8月30日[[衆議院]]議員総選挙にに当選した民主党女性[[代議士]]&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 不祥事 ==&lt;br /&gt;
=== 事務所費問題 ===&lt;br /&gt;
[[2007年]][[1月]]、自身の資金管理団体「陸山会」が2005年分の[[政治資金収支報告書]]に4億円を超える不透明な[[事務所費]]を計上していることが発覚した。鳩山幹事長は『（小沢から）「東京都世田谷区内に約3億6500万円相当の土地と建物を購入し、費用を事務所費として計上した」と聞いており「全く問題ない」』と反論した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、自身の資金管理団体が10億円を超す不動産を保有し（小沢個人名義で保有）、またその一部を賃貸運用していることなどが発覚し、物議を醸した。それに対し小沢は1月の衆院代表質問で、これらの「支出の詳細、領収書、関係書類を含め公表する用意がある」とし、同じく事務所費問題を抱える自民党に対し、大臣など責任ある立場の議員に公表を迫った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月20日]]、国会内での記者会見で、東京・世田谷区に約3億7000万円の秘書宿舎を建設し、加えて不動産取引の仲介手数料や[[登記]]費用として1100万円を計上したという、2003年〜2005年の事務所費などを公開した。一方、10億円は国民の常識からかけ離れているとの批判もあるが、それだけ支援者からの寄付金が多かったということであり、また不動産を所有しても政治資金団体の財産なので問題はないと主張した。同時に、資金管理団体の小沢名義の資産を個人資産にしないという確認書を公開した。なお、陸山会の代表は小沢自身であり、この確認書は「陸山会代表である小沢一郎」と「個人である小沢一郎」の間で交わされたものになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後2007年[[10月9日]]、[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]で与野党逆転した後、初の本格的論戦で注目されていた衆議院予算委員会総括質疑の初日、「陸山会」が政治資金で購入したマンションの部屋をコンサルタント会社と財団法人に事務所として貸し、2002年から2006年の間に賃料計980万円を得ていたことが報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9日に民主党幹事長の[[鳩山由紀夫]]は「法に触れるようなことは何もしていない」とコメントし、「このタイミングで問題化させるのは政治的意図があるからではないのか」とも切り返した。また小沢代表も翌10日の記者会見で「1円単位で領収書を公開した2月時点で（メディアから）追及は全く無かった。それが半年以上も経過した今回一面トップで報じることは、政治的思惑でもって意図的に[[誹謗中傷]]した報道であると認識している」とし、これを一面で報じた毎日新聞をはじめ報道を批判するなど強く不快感を示した。なおこれらの違法性を強く否定しつつも今後不動産の売却を進めていく考えを表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この件を報じた週刊現代を名誉毀損で小沢は出版社を提訴。しかし、一審二審ともに小沢側の全面敗訴の判決が出され、上告をしなかったため、小沢の全面敗訴が確定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月13日参議院決算委員会で自民党西田議員が本件について詳細に発表したとき、民主党議員からの野次により委員会が一時中断した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=jKWnCWyRpuc 小沢一郎のマンション疑惑 2009年4月13日参議院決算委員会]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政策秘書公職選挙法違反容疑 ===&lt;br /&gt;
[[第21回参議院議員通常選挙]]で当選した同党の[[青木愛]]の選挙運動員が事務所の指示を受け、参院選公示前日の7月11日、業者に依頼して選挙ポスター付きの看板設置に関する契約を1本当たり500円で千数百万円分の契約を結んだ疑いで逮捕された。印刷会社社長が警察からの事情聴取で、小沢の政策秘書に報告しその内容を掴んでいたのではないかとも取れる供述を行なった。これに対し、小沢自身は8月31日の記者会見で「選挙違反に当たるような行為は一切していないという（秘書からの）報告で、私もそう思っている」と捜査や報道を批判し強く不快感を示した。9月14日、千葉地検は逮捕した印刷会社社長らを「選挙違反にはあたるが、違法性の程度が比較的軽かった」と判断して起訴猶予処分とし、小沢の政策秘書も立件せず捜査を終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政治資金規正法違反疑惑 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float:right&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| id=&amp;quot;toc sub&amp;quot; class=&amp;quot;toc&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;div style=&amp;quot;text-align: center&amp;quot;&amp;gt;'''目次'''&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ul&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#概略|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;1&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;概略&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#経過|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;2&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;経過&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#献金の背景とルート|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;3&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;献金の背景とルート&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#ダミー団体との認識|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;4&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;ダミー団体との認識&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#小沢に対する弁護と批判|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;5&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;小沢に対する弁護と批判&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#報道における問題|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;6&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;報道における問題&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#検察の捜査姿勢に対する賛否|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;7&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;検察の捜査姿勢に対する賛否&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ul&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{see also|西松建設#政治資金規正法違反}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 概略 ====&lt;br /&gt;
準大手[[ゼネコン]]の[[西松建設]]が、OBらを代表とした政治団体を通じて、小沢や[[森喜朗]]・[[二階俊博]]など、与野党の国会議員の資金管理団体へ多額の政治献金を継続していたことが{{和暦|2008}}12月末に表面化した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-12-21/2008122115_01_0.html 裏金疑惑の西松建設 関連政治団体政界に4億2000万円 森・二階・小沢氏ら] しんぶん赤旗 2008年12月21日（2009年3月12日閲覧）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081231-OYT1T00021.htm 西松建設が違法献金か、政治団体隠れみのに4億8千万円 読売新聞 2008年12月31日]{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。これに関連して{{和暦|2009}}[[3月3日]]に陸山会（小沢の資金管理団体）の会計責任者兼公設第一秘書が[[政治資金規正法]]違反の容疑で逮捕された&amp;lt;ref name=sankei090304&amp;gt;『産経新聞』は[[政治資金規正法#トンネル献金|トンネル献金]]の疑いがあることを報じている（「小沢氏秘書ら逮捕 規正法違反容疑で3人 西松トンネル献金」産経新聞 2009年3月4日朝刊1面[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903041340016-n1.htm]）。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/national/update/0303/TKY200903030171.html 民主・小沢代表の秘書逮捕、規正法違反の疑い東京地検 朝日新聞 2009年3月3日]{{リンク切れ|date=2009年4月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 経過 ====&lt;br /&gt;
[[2008年]]12月下旬、[[西松建設]]がOBらを代表とした政治団体（「新政治問題研究会」・「未来産業研究会」&amp;lt;ref&amp;gt;いずれも{{和暦|2006}}末に解散。&amp;lt;/ref&amp;gt;）を通じて、小沢や[[森喜朗]]・[[二階俊博]]など、与野党の国会議員の資金管理団体へ多額の政治献金を継続していたことが表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]3月3日、陸山会（小沢の資金管理団体）の会計責任者兼公設第一秘書が[[政治資金規正法]]違反の容疑で逮捕され、東京にある小沢の資金管理団体「陸山会」事務所には家宅捜索が行われた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-03|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090303/crm0903031826030-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】警察官も出動 赤坂の「陸山会」捜索|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月4日、東京地検特捜部は小沢の地元事務所を家宅捜索&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-04|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903041305014-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】小沢氏の地元事務所を捜索 東京地検特捜部|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月4日、小沢は「献金が違法ということが明らかになったときに返却するつもりだ」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903050043001-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】「献金の早期返却望ましい」鳩山氏|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;（政治資金規正法の第二十二条の六の第四項において他人名義による寄附は国庫に帰属するものと定められているため、違法の場合は受取った献金を国庫に納めなければならない&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO194.html#1000000000000000000000000000000000000000000000002200600000000000000000000000000|title=政治資金規正法 第二十二条の六|publisher=総務省法令データ提供システム|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月5日、自民党では二階派及び森が西松建設からの献金の返還を表明&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903051736007-n1.htm|title=自民で次々に「西松献金返還」 でも、団体解散で方法は…|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903052009011-n1.htm|title=森元首相も300万円返還 西松献金|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。大阪府吹田市の阪口善雄市長も「違法性のある献金ならば何らかの形で返したい」と西松建設が購入した70万円分のパーティー券について述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090305/crm0903050145004-n1.htm|title= 【西松献金】吹田市長後援会が100万円分パーティー券購入|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方、衆議院議員時代に西松建設に20万円のパーティー券を購入してもらった長野県知事[[村井仁]]は西松建設からの献金の返却について考慮しないと答えている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090305/lcl0903051853004-n1.htm|title=長野県知事、西松献金返還の考えなし|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月10日、民主党の[[西岡武夫]]参院議院運営委員長が「党執行部と相談した上で検事総長の証人喚問を考えたい」とコメント&amp;lt;ref name=asahi_090313&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-13|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903130121.html|title=検事総長喚問、森法相が反対姿勢 「検察の独立脅かす」|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月12日、東京地検特捜部は小沢の元秘書・[[石川知裕]]衆院議員を参考人聴取した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-12|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903120256.html|title=小沢氏の元秘書・石川知裕衆院議員を参考人聴取 特捜部|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月13日、西松建設の捜査について民主党内から検事総長の証人喚問を求められていることに対して[[森英介|森法相]]は「検察官を証人として国会に出頭させることは、検察官の独立性と公正性の保持の観点から悪影響を及ぼす」として反対を表明した&amp;lt;ref name=asahi_090313 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Nishimatsu Ozawa.PNG|thumb|right|200px|西松建設から小沢側へ行われたとする[[トンネル献金]]（検察による起訴内容）&amp;lt;ref name=sankei090304/&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
2009年3月24日、東京地検は政治資金規正法違反として小沢の公設第一秘書と西松建設前社長を起訴&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm|title=小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。起訴状によると、公設第一秘書は2003年から2006年にかけて西松建設からの献金と知りながらダミーの政治団体「新政治問題研究会」「未来産業研究会」の名義で小沢の資金管理団体である陸山会には2,100万円&amp;lt;!--新しい出典に基づき金額修正--&amp;gt;、小沢が代表を務める民主党岩手県第四区総支部には1,400万円の寄付を受取り、その上で政治資金収支報告書に虚偽の記載を行ったとされた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009032502000073.html 小沢代表続投表明 虚偽記載で秘書起訴「東京新聞」2009年3月25日]{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=https://www.nnn.co.jp/knews/090324/20090324146.html|title=大久保被告の起訴状要旨|publisher=日本海新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月27日、民主党代議士会は小沢の代表続投を了承した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-27|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090327/stt0903271901012-n1.htm|title= 【民主代議士会詳報】（3）完 鳩山氏「政権交代を一番願っているのは小沢代表」（27日午後）|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月28日、党本部で記者会見を行い、企業・団体献金の即時全面禁止を表明した。企業・団体献金の取り扱いについて「ディスクロージャー（情報開示）が大事だが、解釈の違いが起きたりすると、政治に間違った影響を与える。即時に全面禁止すべきだ」と述べた。民主党として「即時全面禁止」を盛り込んだ政治資金規正法改正案の提出を検討するとともに、次期衆院選の政権公約（マニフェスト）に盛り込む見通し。一方、法案化については、即座禁止ではなく「5年以内の禁止」を盛り込んだ政治資金規正法改正案の提出を目指している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-04-28|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090428/stt0904281811002-n1.htm|title=もう企業・団体献金はいらない!? 小沢氏が「即時全面禁止」を表明|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党のマニフェストは、菅直人代表代行と岡田克也副代表がそれぞれ党代表を務めていた2002年と2004年の衆院選のマニフェスト（政権公約）では「公共事業受注企業からの政治献金全面禁止」が明記されていたが、小沢が代表に就任した際「個人献金より企業献金の方が癒着が少なく、望ましい」と持論を述べ、2007年の参院選のマニフェストからは削除された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090316/stt0903162150004-n1.htm 企業献金見直し、民主は不一致、与党は様子見 2009.3.16 21:43]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 献金の背景とルート ====&lt;br /&gt;
[[ファイル:Money flow to Ozawa.png|thumb|right|400px|検察側が主張する下請け業者ルート（『産経新聞』による解説）&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090313&amp;quot;/&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1993年の鹿島建設東北支店の談合の仕切り役交代を契機に、公共事業の受注調整に際して小沢側の意向が大きな影響力をもつようになったとされる。一方、西松建設は東北地方を不得手としていたことから、受注の便宜を目的として1995年頃に小沢側と毎年2500万程度の献金を行う約束を行った。その後、東北地方での西松建設の受注高は増加したが、西松内部でも小沢側への献金の効果とする見方&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm|title=小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件|publisher=産経ニュース|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と談合の結果とする見方&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-07|url=http://mainichi.jp/select/jiken/nishimatuuragane/archive/news/2009/03/20090307org00m040042000c.html|title=西松建設裏金：東北の大型工事狙い…小沢氏の影響力期待|publisher=毎日JP|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に分かれているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-22|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903210253.html&lt;br /&gt;
|title=談合事件後の新仕切り役「小沢氏側寄り」 影響力拡大か|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;一方、小沢は献金と工事受注の結果とは関係がないとの認識を表明している&amp;lt;ref name=asahi_090322&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-10|url=http://www.asahi.com/special/plus/TKY200903100290.html|title=「ご迷惑、ご心配、この機会におわび」小沢代表定例会見|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西松建設側の供述によれば、公設秘書は西松建設に対して小沢の地盤である岩手県奥州市で建設中の[[胆沢ダム]]について「胆沢ダムは小沢ダム｣と発言し、献金を要請していたという&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月29日 毎日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
献金は1999年ごろまでは西松建設名義で行われていたが、2003年以降は以下の2ルートで献金が行われている。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903050174.html|title=小沢氏秘書、下請け迂回献金も認識 西松側に入金催促|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* 西松建設→政治団体（『新政治問題研究会』・『未来産業研究会』）→陸山会・民主党岩手県第4区総支部等（毎年1500万円）&lt;br /&gt;
:* 西松建設→下請け業者（松和会）→民主党岩手県第4区総支部（毎年1000万円）&lt;br /&gt;
この内、起訴されたのは政治団体経由の献金であり、下請け業者ルートの献金については起訴されていない。なお、談合決別宣言等の影響により2006年の500万を最後に政治団体経由の献金も打ち切られ、政治団体も既に解散している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090324-OYT1T00034.htm|title=大久保容疑者「どうにか続けて」、西松の献金中止申し出に|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
また西松建設に限らず複数のゼネコンからの下請け業者ルートも報告された&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090313&amp;quot;&amp;gt;「ゼネコンから年2億円」『産経新聞』2009年3月13日朝刊、一面({{Cite web|date=2009-03-13|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090313/crm0903130203002-n1.htm|title=ゼネコンから年2億円 小沢氏側 下請けダミーに？|publisher=産経新聞|accessdate=2009-05-28}})&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、西松建設がおこなった内部調査によれば、政治家への献金目的について「発注を得たいというより、受注活動を妨害しないでほしかった」と供述する社員がいたとしている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-05-15|url=http://s04.megalodon.jp/2009-0616-2217-59/www.asahi.com/special/09002/TKY200905150303.html|title=「受注のため違法献金」 西松建設、内部調査結果を公表|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-06-16}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『毎日新聞』 2009年5月16日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ダミー団体との認識 ====&lt;br /&gt;
小沢は秘書逮捕を受けた2009年3月4日の会見で「政治団体の原資がどういう形でどういうところから入ってくるのか、それは知るすべもありません」としていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041118010-n1.htm 【小沢代表会見詳報（4）】「どっかから持ってきたカネだとか、詮索しない」 MSN産経ニュース 2009年3月4日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。この小沢会見の直後、捜査関係者及び西松関係者を情報源として、小沢側が献金に際し直接西松建設と献金額の調整を行い、同社宛てに請求書を送付していたとの報道がなされた。また、検察はこの請求書や西松側の供述を証拠に小沢秘書が西松建設のダミー団体であることを十分認識していたと判断しているとされた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-08|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090308-OYT1T00084.htm|title=西松献金…小沢氏秘書が直接メモやり取り、額決定|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-23|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903220169.html|title=小沢氏秘書を24日起訴 違法献金認識と判断 東京地検|publisher=ASAHI.COM|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-08|url=http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009030801000497.html|title=小沢代表側が西松建設に請求書 ダミー団体献金で、違法性認識か|publisher=共同通信|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。西松建設への請求書報道に対し、小沢は3月22日の会見で、秘書に任せていたため小沢自身は当該政治団体からの献金の存在も知らず、請求書の送付についても「わからない」とした&amp;lt;ref name=asahi_090322/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年[[6月19日]]、検察は国沢前社長の初公判において「新政治問題研究会・未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていた」、「西松建設側からの支援は会社として行われてきたもので、窓口となっていた幹部の一存ではなく、西松の社長やしかるべく役職の人が決裁し、会社の経営判断で行われてきたと認識していた」とする小沢秘書の供述調書を明らかにした&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n3.htm|title=【西松事件公判（5）】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」（11：05~11：15）|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090620ddm012040059000c.html|title=西松建設献金事件：検察側冒頭陳述（要旨）|publisher=毎日JP|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090619-OYT1T00830.htm|title=談合が成立し4件を受注…西松事件・検察の冒頭陳述要旨3|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-07-01}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 小沢に対する弁護と批判 ====&lt;br /&gt;
小沢は[[事件]]について自ら説明をおこなった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304a&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041028006-n1.htm 【小沢代表会見詳報（1）】「（捜査は）不公正な国家権力、検察権力の行使」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041029007-n1.htm 【小沢代表会見詳報（2）】「規正法にのっとってオープンになっている問題」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041110009-n1.htm 【小沢代表会見詳報（3）】「何らやましいことはない」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041148013-n1.htm 【小沢代表会見詳報（5）完】「必ず近いうちに嫌疑は晴れる」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;が、この中で小沢が[[捜査]]について「不公正な[[国家権力]]、[[検察]][[権力]]の行使」と述べていることについては[[民主党]]の内外から批判の声が出ている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090305-OYT1T00929.htm 「検察批判「すべきでない」と前原氏、菅氏は小沢代表に理解」]読売オンライン [[2009年]][[3月5日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903042154023-n1.htm 反発と警戒…自民交錯 小沢氏の「検察批判」発言] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月5日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。また[[報道機関]]による[[世論調査]]では、国民が納得していないとの結果が得られたとしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090309/stt0903091139003-n1.htm 【産経FNN合同世論調査】小沢氏「辞任すべき」47・4% MSN産経ニュース] [[2009年]][[3月9日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090309/stt0903092047010-n1.htm 【産経・FNN合同世論調査】逆風で小沢氏凋落「説明責任果たさず」約8割] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月9日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090326/stt0903261641005-n1.htm 小沢代表「辞任を」66% 79%が「説明納得できず」共同通信調査] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月26日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090330/plc0903301140002-n1.htm 【産経FNN世論調査】「小沢代表辞任を」62% 内閣支持率は上昇] MSN産経ニュース 2009年3月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。3月27日にも民主党の参院議員総会と代議士会で説明しているが、代議士会において[[小宮山洋子]]議員からは「法廷闘争と選挙戦略は全く別だ。地元では『新しい体制を作ってほしい』という声が多い」 と小沢の代表続投に異議を唱えられ、[[近藤洋介 (政治家)|近藤洋介]]議員からは「世論調査では説明に納得していない国民が8割いる。なぜ数千万円の献金をもらい続けたのか」と説明を求められ、一方[[小沢鋭仁]]、[[小宮山泰子]]両議員には代表の続投を支持され、全体として代表続投が決まった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090327-OYT1T01028.htm 小沢代表が党所属国会議員に説明、続投了承される] 読売新聞 [[2009年]][[3月27日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[達増拓也]][[岩手県知事]]は小沢の[[公設秘書|公設第一秘書]]が逮捕された翌日、その[[政治資金規正法]][[違反]]事件について「これほど疑念を持たれている捜査はないんじゃないか。現段階では、よほどのことがないまま政治活動の自由が大きく制限されている」と[[東京地検特捜部]]の捜査を批判し、小沢の[[記者会見]]における[[政治献金|献金]]の違法性の否定については「非常に分かりやすく、得心できた」と大きな意味があったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;のちに達増拓也知事自身も西松建設との関連を指摘されている。[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090306/crm0903061324012-n1.htm 岩手県知事「報道で初めて知った」 西松建設規正法違反事件] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月6日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903042229029-n1.htm 【小沢氏秘書逮捕】「政治活動の自由制限」 岩手知事も批判] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の[[機関誌]]「プレス民主」[[2009年|09年]][[4月17日]]号で、[[ジャーナリスト]][[高野孟]]と[[田中康夫]][[新党日本#歴代代表|新党日本代表]]がこの捜査や小沢一郎代表交代論を批判した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.smn.co.jp/pod/090420.pdf 代表続投論]「プレス民主」[[2009年|09年]][[4月17日]]号&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の[[枝野幸男]]元[[政調会長]]は小沢の[[民主党代表|代表]]続投の判断について「今後も説明の努力をされ、（世論調査結果に表れる）納得できないとか辞めるべきだというのを大幅に下げる政治責任がある」とコメントし、小沢が多額の企業献金を得ていることについては「政治体質が私と百八十度違う。我が党の党首にはふさわしくないと一貫して思っている」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903280212.html 小沢氏の進退、世論の受け止め次第と強調 民主・枝野氏] 朝日新聞 [[2009年]][[3月28日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党員である[[小宮山洋子]]議員は公然と小沢の代表辞任を要求していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090325/stt0903251253007-n1.htm 民主、小宮山洋子衆院議員、小沢代表の辞任を要求] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月25日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、民主党の[[菅直人]]代表代行も小沢代表の辞任を求めたと伝えられたが後に釈明している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090403k0000m010071000c.html 民主・菅氏：小沢氏へ辞任求めた発言で釈明] 毎日新聞 [[2009年]][[4月2日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
盟友とされる[[国民新党]]の[[亀井静香]]代表代行は小沢の代表辞任を求めた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090417/stt0904172041005-n1.htm 亀井氏「身を捨てろ」小沢氏に辞任促す MSN産経ニュース 2009年4月17日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[日本共産党|共産党]]の[[志位和夫]][[日本共産党委員長|委員長]]は小沢には「長年多額の企業献金を受けてきたことの総括」と「国民が納得できる説明」が必要とした&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090319/stt0903191632003-n1.htm 企業献金廃止「まず小沢氏から」 共産・志位委員長] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月19日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は、この問題における党内の動揺を受け、[[5月11日]]に民主党代表を辞任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 報道における問題 ====&lt;br /&gt;
公設第一秘書の起訴直後、各報道機関によって『秘書が起訴内容を大筋認める』との報道がなされたが、秘書の弁護人は『大筋を認めたとする報道と弁護人らの認識は全く異なっている』とするコメントを発表した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903270484.html 小沢氏秘書の弁護人、報道機関へのコメント公表 - asahi.com 2009年3月27日23時39分] 2009年6月22日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;その後、西松の国沢前社長の公判で『私は新政治問題研究会、未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていました』と秘書が供述したことが判明した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n3.htm|title=【西松事件公判（5）】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」（11：05～11：15）|publisher=産経ニュース|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、報道が[[検察]]や与党の意を汲んだマスメディアによる[[情報操作]]であるとの指摘もある&amp;lt;ref name=&amp;quot;sapio20090422&amp;quot;&amp;gt;『[[SAPIO]]』2009年[[4月22日]]号 p.6-11&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、『[[東京新聞]]』が西松から献金を受け取った与党政治家の件について記事にしたところ、東京検察（[[東京地方検察庁]]？）はそれが望ましくない内容であるという理由で、3週間『東京新聞』の取材拒否をしたという&amp;lt;ref&amp;gt;『[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]』2009年[[5月28日]]号 [[:en:MARTIN FACKLER]][http://www.nytimes.com/2009/05/29/world/asia/29japan.html In Reporting a Scandal, the Media Are Accused of Just Listening] なお、東京地検は、同紙が記者クラブに加盟していないことを理由に取材を拒否している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 検察の捜査姿勢に対する賛否 ====&lt;br /&gt;
{{see also|国策捜査}}&lt;br /&gt;
小沢側は事件に対する検察の捜査が[[国策捜査]]に当たると非難した&amp;lt;ref name=FNN_report&amp;gt;[http://s03.megalodon.jp/2009-0422-2011-01/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090331-00000106-san-pol 【本社・FNN合同世論調査】検察捜査 「不公平」46%、「公平」は40% MSN産経ニュース 2009年3月31日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党の[[原口一博]]衆議院議員はこれを否定する一方で捜査当局でしか知り得ない情報がメディアから流布されることを問題とし、国家公務員による秘密漏えいの疑いを指摘している&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月25日衆議院総務委員会&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[上杉隆]]によれば、[[週刊朝日]]をはじめとした一部のマスコミが、小沢よりも検察側に疑義があるとキャンペーンを張ったことで、小沢への批判は弱まったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;ダイアモンドオンライン「週間 上杉隆」2009年09月17日[http://diamond.jp/series/uesugi/10094/?page=3 非記者クラブメディアを排除した鳩山首相初会見への落胆]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公設第一秘書らの起訴の際、東京地検の次席検事は記者会見において「国会議員の政治団体が、特定の建設業者から長年にわたり多額の金銭提供を受けてきた事実を、国民の目から覆い隠したもの。規正法の趣旨に照らして見過ごせない重大で悪質な事案と判断した」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm 小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件 MSN産経ニュース 2009年3月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;と説明し、記者から「なぜ悪質といえるのか」「被告の認識は」との質問がなされていたが、特捜部長は刑事訴訟法第47条において公判前の書類開示は禁止されていることから&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO131.html#1001000000006000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000|title=刑事訴訟法 第四十七条|publisher=総務省法令データ提供システム|accessdate=2009-05-11}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、公判において明らかにすると回答した。また、収支報告書上に記載された献金についての立件については「寄付者の名義を変えてしまうことをどう評価するか。みなさんにご判断いただきたい」と答えている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20090325ddn003040028000c.html クローズアップ2009：小沢氏秘書起訴 異例の立件に波紋 毎日新聞 2009年3月25日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、小沢と同様に西松建設から献金を受け取った議員のうち、二階を除く自民党議員（森、尾身など）に対し検察側が捜査の動きを見せていないことについて、[[角福戦争]]以降、歴史的に旧田中派と敵対して来た[[清和政策研究会]]の意向が検察の捜査に反映されているとの指摘がある&amp;lt;ref name=&amp;quot;sapio20090422&amp;quot;/&amp;gt;一方、「政治家側がダミー団体と認識していた明確な証拠がないだけ」とする報道もある&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-05-12|url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090512k0000m040124000c.html|title=小沢代表辞任：検察幹部「証拠は十分」、公判に自信|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『産経新聞』が[[フジニュースネットワーク|FNN]]と合同でおこなった世論調査では、半数近くが「検察側の捜査は政治的に不公平」と回答し、「公平」とする回答を上回った（次期衆院選が近づく時期に国政に影響する捜査が不適切かという件については、「思わない」が「思う」を上回った）&amp;lt;ref name=FNN_report/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 労働保険未加入問題 ===&lt;br /&gt;
{{現在進行|section=1}}&lt;br /&gt;
2009年3月3日、小沢の事務所が雇用しているアルバイトや私設秘書について、労働保険に未加入だったことが分かった。同事務所は「少なくとも3、4年は未加入になっており、かなりの人数分の未納保険料を納付することになる」と説明、今後、過去の雇用状況を調べた上で労働局に届け出る予定としているが、労働保険未加入発覚時のペナルティは、発覚時の前年度と前々年度分の保険料と、10%の追徴金のみであり、未加入分の多くは問責されないこととなる。 同事務所では、小沢の初当選以来、「正規の秘書」以外は届け出ていない可能性もあり、対象者は数百人規模になるという&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/090305/wlf0903050058000-n2.htm 小沢事務所 労働保険未加入も 社民・福島党首も数年間]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== 人物評 ===&lt;br /&gt;
{{独自研究|section=1}}&lt;br /&gt;
かつては「豪腕」、「壊し屋」、と称され、「政治とは権力闘争である」という政治観の持ち主であった。[[金丸信]]は小沢、[[羽田孜]]、[[梶山静六]]の3人を「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と評した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党内外では小沢[[アレルギー]]の存在が指摘され、これは若手議員よりも自民党当時を知る議員により強いとされた。「独断専行、側近政治、顔が見えない」との批判や、自民党分裂とその後の分裂工作、新進党分裂・解党等がその原因とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
周囲からは東北人気質も相まって朴訥な人物と評された。そのことから説明する努力に欠け、側近が離れる一因となっているとも指摘された。本人曰く「去るもの追わず。来るもの拒まず」。また、強面のイメージであるが私生活では[[恐妻家]]として知られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 健康管理 ===&lt;br /&gt;
1991年に狭心症で入院して以来は健康管理に余念がなく、早朝に30分ほどの散歩をすることを日課とし、アルコールは日本酒を3合までに控えるよう心がけ、約2時間の昼寝を欠かさない&amp;lt;ref name=&amp;quot;産経ニュース2009.3.2 5/5ページ&amp;quot;/&amp;gt;。2008年10月6日から13日まで風邪で入院、同月23日に予定されていた[[インド]]の[[マンモハン・シン|シン]]首相との会談を含む党役員会などの公務も体調不良ということでキャンセルし、シン首相との会談は[[鳩山由紀夫|鳩山]]幹事長が代理を務めたものの健康不安説も再燃した&amp;lt;ref&amp;gt;『産経新聞』2008年10月24日朝刊&amp;lt;/ref&amp;gt;。第171回国会（会期2009年1月5日 - 6月3日）では、2月末までに11回開かれた衆院本会議のうち4回欠席している。&amp;lt;ref name=&amp;quot;産経ニュース2009.3.2 5/5ページ&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|title=【民主党解剖】第1部「政権のかたち」（1）「小沢首相」は大丈夫か （5/5ページ） |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n5.htm |publisher=産経ニュース |accessdate=2009年3月2日 |date=2009年3月2日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 信条 ===&lt;br /&gt;
[[田中角榮]]を『'''オヤジ'''』として慕い、政治のイロハと人生の薫陶を受けたと語る。それは「どぶ板」とも言われる、[[人口密度]]の低い農村部から始め有権者の家を一戸一戸回っていく地道な選挙活動を決して怠らない事をオヤジから学んだという。歴史上の人物では、[[福澤諭吉]]を日本文明の祖として尊敬し、[[西郷隆盛]]を尊敬するものの、政治家・人物としては[[大久保利通]]を目指していると述べた&amp;lt;ref&amp;gt;『小沢主義志を持て、日本人』 ISBN 4797671297 より&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[司馬遼太郎]]を愛読している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自民党離党 ===&lt;br /&gt;
小沢が自民党を離党した理由は、「談合政治」と言われる旧来型政治の打破と、[[イギリス]]や[[アメリカ]]のような[[二大政党制]]に持って行きたいという明確なビジョンがあったという。その思惑は、小沢が[[自由党]]を[[民主党]]に合流させることで成就するのだが、[[小選挙区制]]を導入すれば同じ選挙区から[[自民党]]と[[社会党]]の政治家が選ばれるということが無くなるためであった。小沢は、自ら進んで自民党を離党したのでは無く、既得権益を持った一部の議員に追い出されたのだと述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
; 実家&lt;br /&gt;
* 父・[[小沢佐重喜|佐重喜]]（弁護士、政治家）&lt;br /&gt;
* 母・みち（元千葉県会議員[[荒木儀助]]の四女）&lt;br /&gt;
:[[奥野修司]]の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁には｢みちは[[明治]]三十四年二月十五日に[[千葉県]]の元[[庄屋]]の娘として生まれている。実家はかなりの[[豪農]]で生まれたときからお嬢様として育てられたという。九段の精華高等女学校では、のちの[[鹿島建設]]会長夫人になる[[鹿島卯女]]も同窓だった。｣、85頁には｢このみちは[[明治]]三十四年に[[荒木儀助]]と妻かのの四女として[[千葉県]][[東葛飾郡]][[風早村]]で生まれているが生家は“[[駅]]からよその土地を踏まずに家まで帰ることができた”といわれるほどの大[[地主]]だったようだ。父親の儀助も[[千葉県]]の県会議員になっているほどだからかなり裕福だったことは推測できる。両親はともに教育熱心だった。のちに[[医者]]や[[弁護士]]になっている家族もたくさんいて、みち自身も東京九段の精華高等女学校を[[卒業]]しているほどである。｣とある&lt;br /&gt;
* 姉（2人）&lt;br /&gt;
; 自家&lt;br /&gt;
* 妻・和子（[[新潟県]]の建設会社[[福田組]]会長・福田正の長女）&lt;br /&gt;
* 三男あり&lt;br /&gt;
; 他家&lt;br /&gt;
* その他の親戚・[[竹下亘]]（政治家、元[[首相]][[竹下登]]の異母弟、妻は福田正の二女）、[[金丸信]]（政治家）など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
; 小沢家&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0001/05805140001033c.html 衆議院会議録情報　第058回国会　本会議　第33号]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:小沢一郎は自身の[[家系]]について、[[古代]]東北の英雄として知られた[[蝦夷]]･[[アテルイ]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://homepage2.nifty.com/tanizoko/aterui.html アテルイ]&amp;lt;/ref&amp;gt;の末裔であるため“反骨精神が旺盛だ”と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/2005/05.01.21.htm 小沢一郎（下） アテルイの末裔 だから反骨精神旺盛 ]&amp;lt;/ref&amp;gt;。父[[小沢佐重喜]]は[[岩手県]][[胆沢郡]]水沢町（現[[奥州市]]）の[[農家]]に生まれ、{{和暦|1923}}、[[日本大学]][[法学部]]を卒業するとその年の12月に25歳の若さで[[司法試験|弁護士試験]]に合格し翌年弁護士事務所を開業する。[[東京市]]会議員、[[東京府]]会議員を経て、{{和暦|1946}}、衆議院議員に当選する。[[第2次吉田茂内閣]]の[[運輸大臣]]、[[第3次吉田茂内閣]]の[[逓信大臣]]、初代[[郵政大臣]]兼初代[[電気通信大臣]]、[[第5次吉田茂内閣]]の[[建設大臣]]、第2次池田内閣で[[行政管理庁]]長官、[[北海道開発庁]]長官等を歴任する。父・[[小沢佐重喜|佐重喜]]について一郎は｢親父は、じいさまが[[酒]]に溺れて身上をつぶして[[水呑百姓|水飲み百姓]]の[[小作人]]のせがれとして食うや食わずで育ったんだ。それで、ものすごく貧乏だったせいかどちらかというと反体制的な考え方だった。[[戦後]]の[[経済]]万能主義の社会や政治を嫌悪していたし、エスタプリッシュメントというものに対する反発を非常に強くもっている男でした｣と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;奥野修司の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』105頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　（14代）&lt;br /&gt;
　　　竹中藤右衛門━━┳寿美&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┣竹中宏平━━竹中祐二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┗竹中錬一　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　米内光政━━━━和子　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　（元首相）　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　（元首相）　　┃　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　┏竹下勇造━━━━┳竹下登━━┳公子&lt;br /&gt;
　　　┃　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　┗武永貞一　　　　┣竹下三郎　┣まる子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┗一子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃金丸信━━━金丸康信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗竹下亘　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　&lt;br /&gt;
　　　　福田正━━━━━┳雅子　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┣福田実　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗和子　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┏男　&lt;br /&gt;
　　　　小沢佐重喜　　　　　┣━━━━╋男　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　┃　　　　　　　┃　　　　┗男&lt;br /&gt;
　　　　　　┣━━━━━小沢一郎&lt;br /&gt;
　　　　　　┃&lt;br /&gt;
荒木儀助━━みち　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
; 田中角栄&lt;br /&gt;
:* [[田中角栄]]の長男である正法（1947年、5歳で夭折）と小沢が同じ1942年生まれであったため、角栄は小沢を息子のように可愛がったとされた。それに対して小沢も角栄を慕い、田中派から独立した経世会に所属した国会議員で唯一、田中の[[裁判]]をすべて欠かさず傍聴した。旧竹下派の中では唯一田中家・[[田中真紀子]]から許されているため、[[命日]]には田中家を訪問した。そのため親交が深く、真紀子の自民党離党、民主党会派入りに小沢は尽力した。また、「政治の父は田中角栄」と公言した。&lt;br /&gt;
:* かつて田中角栄の懐刀だった小沢と福田の因縁の戦いは、'''「第二の[[角福戦争]]」'''と呼ばれた。しかし当人たちにはそのつもりが全く無く、福田を舌鋒鋭く批判する角栄の娘の[[田中真紀子]]元外相の方が注目され、これが真の「第二の[[角福戦争]]」だと見る向きもあった。&lt;br /&gt;
; 囲碁&lt;br /&gt;
: 2007年10月、[[自民党]]元官房長官の[[与謝野馨]]と囲碁で対決した。二人は政界きっての囲碁の実力者で2時間半の激戦の末、小沢が勝負を制した。小沢は「こっち（与謝野氏）は正統派だしね」、与謝野も「（小沢氏との）最後の一局は、4、5年前、私が負けたんですよ」と互いに勝負の感想を述べた。また、12月には作家の[[渡辺淳一]]と囲碁で対決し、小差ながらも勝利した。&lt;br /&gt;
; 愛犬&lt;br /&gt;
: 2006年4月の衆議院[[千葉7区]][[補欠選挙]]で党の広告に[[柴犬]]の「もも」を起用。補選で「もも」は小沢や候補者たちの応援に出向き話題をさらった。小沢によれば当時の小沢の飼い犬であった柴犬「ちび」と似ているという。2007年10月、その「チビ」を失うが、2008年、新たに柴犬の子犬2匹を飼い始め、毛並みの色から「クロ」、「チャイ」と名付けた&amp;lt;ref&amp;gt;「元気の源？かわいい子犬2匹 民主・小沢氏を毎晩お出迎え」 『朝日新聞』、2008年5月22日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; ニートについて&lt;br /&gt;
: 2005年3月の夕刊フジのコラムにて、[[ニート]]について以下のような見解を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/fuji/2005/fuji20050419134025.html 剛腕コラム 第226回]」 『夕刊フジ』、2005年3月25日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:: 「本人たちは「誰の迷惑にもなっていない」と言うかもしれないが、親の稼ぎで食わしてもらっているうえ、国民全体で支える公共的サービスは享受している。病気でもない働き盛りの若者が、漠然と他人に寄生して生きているなど、とんでもない。」&lt;br /&gt;
:: 「政府は「[[少子化|少子]][[高齢化社会|高齢化]]の進む人口減少社会で、経済の活力を一段と失わせかねない」として、今後、ニートの就職支援に本腰を入れるというが、果たしてそんな次元の話なのか。僕に言わせれば対策は簡単だ。一定の猶予を与えて、親が子供を家から追い出せばいい。無理矢理でも自分の力で人生を生きさせるのだ。追い詰められれば、彼らも必死に考えて行動するはずだ。それでも働きたくないというなら、勝手にすればいい。その代わり、親の世話には一切ならず、他人に迷惑（犯罪も含む）もかけず、公共的サービスも受けないことだ。[[無人島]]でも行って[[自給自足]]の生活でもすればいい。」&lt;br /&gt;
: またニートの親については、「僕は自宅で小鳥を飼っているが、親鳥はヒナが大きくなるまでは一生懸命に世話をするが、一定の時期がくると冷たいほど突き放して巣立ちさせる。ニートの親は動物にも劣るといっても過言ではない」と評し、その責任を激しく糾弾した。&lt;br /&gt;
; 韓国をめぐるエピソード&lt;br /&gt;
:* [[1999年]]4月に[[大韓民国|韓国]]を訪問した際、同月18日に日本の党幹部・閣僚クラスの政治家としては初めて（当時）となる、[[ソウル特別市|ソウル]]にある[[金九]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://english.hani.co.kr/arti/english_edition/e_international/374021.html 【Japan’s Election】 Japan’s Democratic Party foreign policy platform prioritizes Korean peninsula] Hankyoreh Aug.31,2009&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[尹奉吉]]、[[李奉昌]]、[[白貞基]]といった、抗日[[独立運動家]]の墓地を参拝した。この事に関して、[[東亜日報]]は「新しい韓日関係のため韓国に近づこうとする努力の一環として評価している」と報じ、[[文化日報]]は「[[極右]]保守的なカラーを薄めるための高度の計算だとの指摘もある」と述べた。&lt;br /&gt;
:* 小沢は日本の政治家としてはじめて韓国人秘書を正式に受け入れた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;/&amp;gt;。2000年に登用された韓国人女性である[[金淑賢]]は国際担当秘書を務めており、海外の要人との会談時には通訳をしていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|title=小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書 |url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2007/08/09/0400000000AJP20070809003300882.HTML |publisher=[[聯合ニュース]] |accessdate=2009年3月2日 |date=2007年8月9日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。身分として国が雇い給与が高い公設秘書（公設第1・第2・政策担当）ではなく、私費で雇い給与の安い数十人の私設秘書の中の一人であった{{fact|2009年2月}}。また、この女性は日本の政界に従事するという関係から、駐日韓国大使館とも随時政局などについて情報交換を行っていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;/&amp;gt;。この韓国人秘書は2007年7月に韓国政府の[[大韓民国女性部|女性部]]主催の「世界韓民族女性ネットワーク」に日本側代表として参加している&amp;lt;ref name=sougou&amp;gt;{{cite news|title=한국 여성、 日 오자와 대표 비서로 맹활약（韓国女性、日本小沢代表秘書として活躍） |url=http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/08/09/0200000000AKR20070809140900073.HTML |publisher=[[聯合ニュース]] |language=朝鮮語 |accessdate=2009年3月2日 |date=2007年8月9日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。この団体は、欧米各国で[[従軍慰安婦]]に関する日本政府への抗議デモや集会を700回以上行っている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|title= &amp;quot;사과하라!&amp;quot; 베를린에 울려퍼진 '700회 수요집회' |url=http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000316972 |publisher=[[OhmyNews]] |accessdate=2009年3月2日 |date=2006年3月16日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。なおこの女性は小沢の秘書を務める傍ら東京大学の博士号を取得し、[[2008年]]5月に秘書を離職した後は大学院の教員に就任している。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/misc/brochure/brochure_2009.pdf 東北大学公共政策大学院 2009年度大学院案内] 2009年3月2日 閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* 小沢は、韓国人の一部が領有権を主張し、韓国資本に土地が買収されている問題が発生している[[対馬]]について、前連合会長の[[笹森清]]に「どう思うか？」との質問をし、笹森が「私は対馬のことを心配している。ウォン経済に買い占められそうだ」と答えると、小沢は「今は絶好のチャンスだ。円高だから（韓国領の）[[済州島]]を買っちまえ」と[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]][[衆議院議員]]の[[パーティー]]で行ったあいさつで語ったことが各報道機関によって伝えられた&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月11日 時事通信&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090313/stt0903130116000-n1.htm 波紋呼ぶ小沢氏の「済州島買っちまえ」発言][[産経新聞]][[2009年]][[3月13日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;、小沢自身はこの発言の存在を否定している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090312/stt0903121344006-n1.htm 【小沢代表ぶら下がり詳報】「済州島買え？　そんなこと言ってない」１２日昼][[産経新聞]][[2009年]][[3月12日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 米国、中国との国際交流&lt;br /&gt;
: 小沢は、日米、日中の交流が世界の平和と安定に不可欠と考えて、政治家としての公的な仕事とは別に自分のライフワークとして草の根レベルの国際交流活動を続けた。米国とは1990年に「ジョン万次郎の会」を立ち上げ、1992年に財団法人ジョン万次郎ホイットフールド記念国際草の根交流センターを設立した。2001年、日本に関心の高い[[シカゴ]]市の特定中学校の生徒を毎年20人程度日本に招待した。中国とは、1986年に第1回長城計画が中華全国青年連合会の協力を得て開催され、青年指導者、大学生を毎年数十名を招待した。国際交流活動は、実施団体とともに小沢事務所が担当したため、複数の外国人の大学院留学生が事務所で働いていた。&lt;br /&gt;
; ニコニコ動画&lt;br /&gt;
: [[2007年]]7月、[[第21回参議院議員通常選挙]]の直前に[[ニコニコ動画]]へ出演し、話題となった。その後も[[2008年]]11月や[[2009年]]元旦に「1万人ネット会見」を行った。また、2008年9月から公式動画コーナー「小沢一郎チャンネル」を開設した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発言 ==&lt;br /&gt;
* 「公約は膏薬（こうやく）。張り替えれば効き目がでる」（新進党時代の同僚議員への口癖）&lt;br /&gt;
* 「どの女と寝ようといいじゃないか」（1994年、野党連合政権時代に新会派設立への動きを例えて）&lt;br /&gt;
* 「記者会見はサービス」（1993年、記者団に）&lt;br /&gt;
* 「日本人は特殊な人種だ。（世界から）特殊学級扱いされている。ばかじゃないかと」（2003年 [[小泉純一郎]]首相の自民党総裁再選を批判して）&lt;br /&gt;
* 「安倍内閣は脳死状態」（2007年、参院選敗北後の安倍晋三内閣の求心力低下を皮肉り）&lt;br /&gt;
* 「給油法案は、国民にとって重要な法案ではない」（2008年、同法案の衆院再議決を欠席したことについて）&lt;br /&gt;
* 「日本がもたもたして在日韓国人の地方参政権を認めないのは遺憾だ」（2008年、韓国の李明博大統領との会談で）&lt;br /&gt;
* 「総理大臣になって首脳会談ということなら、多少体調が悪くても欠席することはない。私、野党だから。総理大臣じゃない。国務大臣でもない。勘違いしないでください」（2008年、インド・シン首相との会談をドタキャンしたことについて）&lt;br /&gt;
* 「おれはまったく米国のことは信用していない。日本の国益を守るために言うべきことは言わないといけない」（2009年2月14日都内の料理屋で国民新党の亀井静香代表代行らと会談において、クリントン米国務長官から会談を打診されていることに関して）&lt;br /&gt;
* 「私は、日米同盟がなによりも大事であるということをずーっと以前から、最初から唱えてきたひとりでありますと。」 （2009年2月17日クリントン国務長官との会談後のインタビューで）&lt;br /&gt;
* 「政治の細かいことを知る必要はない。自分たちの1票で政権を代えることができる。それだけを分かってもらえたらいい」（2008年10月19日 インターネットのテレビ番組にて）&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081019/stt0810192254004-n1.htm 小沢氏、ネットで若者に政権交代アピール]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「僕は選挙担当だから。選挙以外のことは他の人に聞いてください。」（2009年05月30日TBS[[知っとこ!]]西松問題の説明責任を問われて）&lt;br /&gt;
* 「担ぐ神輿は軽くてパーなのが一番だ。」（但し、これは実際には側近平野貞夫の発言「担ぐ神輿は軽いほうがいい」を誇張して小沢の発言として伝えられたもの）&lt;br /&gt;
* 「自民党に投票したら投票に行かなかった人と同じで政治について文句を言う資格はない」&lt;br /&gt;
* 「これ以上何を謝ればいいんだ。」[[盧泰愚]]大統領訪日の際に。&lt;br /&gt;
* 「じゃあやり直したらいいじゃねえか、そんな事を言うんだったらやりなそうじゃないか。」[[宗教法人法]]改正問題で[[大久保直彦]]議員らに小沢の姿勢は弱腰と詰問され野次に対しての応酬で。&lt;br /&gt;
=== 拉致問題に関する発言 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月2日付産経新聞朝刊1面における「民主党解剖1」の記事中において、小沢が、2月上旬、都内で開かれた民主党議員と支持者による会合において「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と発言したことが報じられた。&lt;br /&gt;
この記事を受けて、救う会には、電話やメールで問合せが殺到し、救う会では、西岡力会長代行が「小沢民主党代表発言は事実なのか」と題するコメント&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1808] 小沢民主党代表発言は事実なのか（救う会全国協議会ニュース、2009.03.02）&amp;lt;/ref&amp;gt;を発表した。&lt;br /&gt;
これに対して民主党は、民主党幹事長代理から産経新聞社編集局長と政治部長宛に「記事は『事実無根の報道』」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1809] 記事は「事実無根の報道」と民主党が反論（救う会全国協議会ニュース、2009.03.03）&amp;lt;/ref&amp;gt;として記事の訂正と謝罪を求め、3月4日中に回答することを要請した。&lt;br /&gt;
この要請に対して、産経新聞政治部長は、3月4日、文書で民主党幹事長代理宛に「正当な取材の結果得られたもので、かつ裏づけもとれているもの」という旨を回答&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1810 記事は「正当な取材の結果」と産経新聞が回答] （救う会全国協議会ニュース、2009.03.05）&amp;lt;/ref&amp;gt;している。なお、小沢のこの発言については、産経新聞以外のメディアではほとんど取り上げられず、民主党も、救う会へ宛てたFAX以外では、反論も含めて一切触れていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所属議員連盟 ==&lt;br /&gt;
* [[憲法調査推進議員連盟]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.kenpoukaigi.gr.jp/tyousakai/20040414kenpougiren-kiyaku&amp;amp;meibo.pdf#search='憲法調査推進議員連盟 憲法調査推進議員連盟規約]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 民主党東北議員団連盟&lt;br /&gt;
* 民主党日英議員連盟&lt;br /&gt;
* [[北京オリンピックを支援する議員の会]]顧問など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 選挙歴 ==&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!当落!!選挙!!施行日!!選挙区!!政党!!得票数!!得票率!!&amp;lt;small&amp;gt;得票順位&amp;lt;br/&amp;gt;/候補者数&amp;lt;/small&amp;gt;!!比例区!!&amp;lt;small&amp;gt;比例順位&amp;lt;br/&amp;gt;/候補者数&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第32回衆議院議員総選挙]]||1969年12月27日||[[岩手県第2区 (中選挙区)|岩手県第2区]]||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''71,520'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''26.71'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第33回衆議院議員総選挙]]||1972年12月10日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''60,675'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''19.18'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''2'''/8|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第34回衆議院議員総選挙]]||1976年12月5日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''71,449'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''21.98'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第35回衆議院議員総選挙]]||1979年10月7日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''70,183'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''21.52'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第36回衆議院議員総選挙]]||1980年6月22日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''72,838'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''22.27'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/8|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第37回衆議院議員総選挙]]||1983年12月18日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''63,212'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''18.87'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''4'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第38回衆議院議員総選挙]]||1986年7月6日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''95,208'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''24.80'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第39回衆議院議員総選挙]]||1990年2月18日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''89,449'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''24.08'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第40回衆議院議員総選挙]]||1993年7月18日||岩手県第2区||新生党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''142,451'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''40.82'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第41回衆議院議員総選挙]]||1996年10月20日||[[岩手県第4区]]||新進党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''125,619'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''64.68'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第42回衆議院議員総選挙]]||2000年6月25日||岩手県第4区||自由党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''119,099'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''59.70'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第43回衆議院議員総選挙]]||2003年11月9日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''128,458'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''65.11'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第44回衆議院議員総選挙]]||2005年9月11日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''124,578'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''59.95'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第45回衆議院議員総選挙]]||2009年8月30日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''133,978'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''62.55'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/5|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;11&amp;quot;|当選回数14回 （衆議院議員14）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文献 ==&lt;br /&gt;
=== 著作 ===&lt;br /&gt;
; 単著&lt;br /&gt;
* 『[[日本改造計画]]』（[[講談社]]、1993年5月、ISBN 4062064820）&lt;br /&gt;
* 『語る』（小林泰一郎構成、[[文藝春秋]]、1996年4月、ISBN 4163502106）&lt;br /&gt;
* 『男の行動美学』（[[プラネット出版]]、1999年9月、ISBN 4939110028）&lt;br /&gt;
* 『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』（[[五百旗頭真]]・[[伊藤元重]]・[[薬師寺克行]]編、[[朝日新聞社]]、2006年6月、ISBN 4022501634）&lt;br /&gt;
* 『剛腕維新』（[[角川学芸出版]]、2006年8月、ISBN 4046210885）&lt;br /&gt;
* 『小沢主義（オザワイズム）―志を持て、日本人』（[[集英社]]、2006年9月、ISBN 4797671297）&lt;br /&gt;
; 共著&lt;br /&gt;
* 『日米関係を読む』（アジア調査会編、[[ジェームズ・ファローズ]]・[[松永信雄]]共著、プラネット出版、1990年11月、ISBN 4881913123）&lt;br /&gt;
* 『ジョン万次郎とその時代』（[[川澄哲夫]]編、[[廣済堂出版]]、2001年7月、ISBN 4331507963）&lt;br /&gt;
* 『政権交代のシナリオ―「新しい日本」をつくるために』（[[菅直人]]共著、[[PHP研究所]]、2003年11月、ISBN 4569631908）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連文献 ===&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の「真実」―金丸、竹下を手玉にとる剛腕幹事長』（[[アイペック]]、1990年、ISBN 4870471000）&lt;br /&gt;
* 『平成名勝負物語—橋本龍太郎vs小沢一郎』（[[小林吉弥]]著、[[勁文社]]、1990年、ISBN 4766912497）&lt;br /&gt;
* 『劇画 橋本龍太郎VS小沢一郎—激闘譜』（[[さいとうたかを]]著、日本フローラルアート出版局、1991年、ISBN 4930831008）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の政治謀略―政界の裏の裏がわかる本』（菊池久著、[[山手書房新社]]、1991年、ISBN 4841300228 ）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎探検』（朝日新聞政治部編、[[朝日新聞社]]、1991年、ISBN 4022563435）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎・全人像』（小田甫著、[[行政問題研究所出版局]]、1992年、ISBN 4905786908）&lt;br /&gt;
* 『平成動乱 小沢一郎の野望』（[[板垣英憲]]著、[[DHC]]、1993年、ISBN 4887240023）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の秘密』（[[佐藤淳一]]著、[[データハウス]]、1993年、ISBN 4887181698）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎・日本改造計画の危険性』（[[本澤二郎]]著、[[エール出版社]]、1993年、ISBN 4753912345）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の逆襲―ベールに包まれた政界再編のシナリオを読む!』（[[竜崎孝]]著、サンドケー出版局、1993年、ISBN 491493809X）&lt;br /&gt;
* 『あの人 ひとつの小沢一郎論』（[[渡辺乾介]]著、[[飛鳥新社]]、1993年、ISBN 4870311291）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の腕力ポイント読み』（[[伊勢暁史]]著、[[明日香出版社]]、1994年、ISBN 4870307081）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎総理大臣待望論』（板垣英憲著、ジャパン・ミックス、1994年、ISBN 4883211541）&lt;br /&gt;
* 『どっこい小沢一郎は生きている 全発言で探る、この男の次の一手』（[[上之二郎]]著、[[ベストセラーズ]]、1994年、ISBN 4584191131）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎真実の叫び―これだけはいいたい 小沢は日本の未来に危惧を抱き、平和な国と社会のために改革を図る』（[[蒲生輝]]著、[[三心堂出版社]]、1994年、ISBN 4915620778）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎日本国崩壊をすくう』（蒲生輝著、三心堂出版社、1994年、ISBN 4915620956）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎―覇者の履歴書』（[[奥野修司]]著、データハウス、1994年、ISBN 4887182457）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の日本vs.武村正義の日本―あなたはどちらの国に住みたいか この2人がわかれば日本の将来が見えてくる』（[[小板橋二郎]]著、[[こう書房]]、1994年、ISBN 4769605080）&lt;br /&gt;
* 『池田大作vs小沢一郎 どうなる日本どうなる両雄の展開』（[[後藤寿一]]著、[[銀河出版]]、1994年、ISBN 4906436412）&lt;br /&gt;
* 『「小沢一郎日本改造計画」への挑戦状! 20代議員の描くキラリと光る改造計画』（「新党20代議員の会」編著、[[マネジメント社]]、1994年、ISBN 4837803431）&lt;br /&gt;
* 『河野洋平と小沢一郎の大戦略―宿命のライバル』（[[本沢二郎]]著、[[総合法令]]、1994年、ISBN 4893463829）&lt;br /&gt;
* 『悪魔の使者小沢一郎―あの強腕を裏で操るのは何者か 日本改造なんてとんでもない』（[[ヤコブ・モルガン]]著・[[忍野昭太郎]]訳、[[第一企画出版]]、1994年、ISBN 4887190166）&lt;br /&gt;
* 『小沢ウオッチング』（[[立尾良二]]著、[[東京新聞]]出版局、1995年、ISBN 4808305216）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の時代』（板垣英憲著、[[同文書院]]、1996年、ISBN 4810380300）&lt;br /&gt;
* 『お笑い大蔵省極秘情報』（[[テリー伊藤]]著、飛鳥新社、1996年、ISBN 4-87031-293-X）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎―その「恐怖支配」の実態』（[[久慈力]]著、[[マルジュ社]]、1996年、ISBN 4896161017）&lt;br /&gt;
* 『政治が歪める公共事業―小沢一郎[[ゼネコン]]政治の構造』（久慈力・[[横田一]]著、[[緑風出版]]、1996年、ISBN 4846196143）&lt;br /&gt;
* 『盛岡大学疑惑を追及する―教育を食い物にする紳士たち』（久慈力著、[[新泉社]]、1997年、ISBN 4787797158）&lt;br /&gt;
* 『拝啓小沢一郎党首殿』（[[松沢成文]]著、[[ごま書房]]、1997年、ISBN 4341017748）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の行動美学』（三菟雅文著 プラネット出版社 1999年 ISBN 4939110028）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の大勝負 竜馬か!? 悪魔か!?』 （板垣英憲著、[[リヨン社]]、2003年、ISBN 4576031910）&lt;br /&gt;
* 『日本変革 菅直人+小沢一郎は政治をどう変えるのか』（板垣英憲著、ベストセラーズ、2003年、ISBN 4584159769）&lt;br /&gt;
* 『政党崩壊―永田町の失われた十年』（[[伊藤惇夫]]著、[[新潮社]]［[[新潮新書]]］、2003年、ISBN 4106100231）&lt;br /&gt;
* 『闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体』（[[松田賢弥]]著、講談社、2003年、ISBN 4062117061）&lt;br /&gt;
* 『永田町「悪魔の辞典」』（伊藤惇夫著、文藝春秋、2004年、ISBN 4166603884 ）&lt;br /&gt;
* 『政治の数字―日本一腹が立つデータブック』（伊藤惇夫著、文藝春秋［[[文春新書]]］、2005年、ISBN 4106101173）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の政権奪取戦略』（[[大下英治]]著、[[河出書房新社]]、2005年3月、ISBN 4309243347）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の日本をぶっ壊す』（大下英治著、[[幻冬舎]]、2006年8月、ISBN 4344408217）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の真実』（[[平野貞夫]]著、講談社、 2006年9月、 ISBN 4066213557）&lt;br /&gt;
* 『「小沢一郎」入門―カリスマの原点 小沢一郎は何を考えているのか』（[[森田実]]著、[[三笠書房]]［知的生き方文庫］、 2006年10月、 ISBN 4837975887）&lt;br /&gt;
* 『政権交代―小沢一郎最後の戦い』（板垣秀憲著、 [[共栄書房]]、2007年7月、ISBN 4763410334）&lt;br /&gt;
* 『[[小沢民主党は信用できるか]]』（[[高市早苗]]編著、[[PHP研究所]]、2008年2月 ISBN 9784569697949）&lt;br /&gt;
雑誌関連文献抄&lt;br /&gt;
* 『[[月刊現代|現代]]』2004年2月号、小沢一郎・[[横路孝弘]]・伊藤達美「小沢一郎×横路孝弘―民主党の両極 安全保障論で合意する」&lt;br /&gt;
* 『[[週刊金曜日]]』2005年1月14日号、「本多勝一の憂刻ニッポン―小沢一郎（上）現行憲法の下で「無血革命」を目指す」[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2005/ar20050308142225.html]&lt;br /&gt;
* 『[[AERA]]』2006年1月23日号、[[後藤正治]]「小沢一郎 思想政治家で終わるのか」&lt;br /&gt;
* 『[[世界 (雑誌)|世界]]』2007年11月号、小沢一郎「公開書簡 今こそ国際安全保障の原則確立を」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist|3}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党国会議員一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の閣僚経験者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の次の内閣一覧]]&lt;br /&gt;
* [[一新会]]&lt;br /&gt;
* [[金竹小]]&lt;br /&gt;
* [[一龍戦争]]&lt;br /&gt;
* [[ネオ・ニューリーダー]]&lt;br /&gt;
* [[ワン・ワン・ライス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.ozawa-ichiro.jp/ ■小沢一郎ウェブサイト■]（公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.mag2.com/m/0000033978.htm 小沢一郎メールマガジン]（公式メルマガ）&lt;br /&gt;
* [http://www.minshu-iwate.com/ 民主党岩手県連]&lt;br /&gt;
* [http://mainichi.jp/select/wadai/graph/ozawa/ 小沢一郎 写真特集 （小沢ショック-毎日jp）]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[自治大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[古屋亨]]&lt;br /&gt;
| years  = 第34代 : 1985年 - 1986年&lt;br /&gt;
| after  = [[葉梨信行]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[国家公安委員会委員長]]&lt;br /&gt;
| before = [[古屋亨]]&lt;br /&gt;
| years  = 第44代 : 1985年 - 1986年&lt;br /&gt;
| after  = [[葉梨信行]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党代表]]&lt;br /&gt;
| before = [[前原誠司]]&lt;br /&gt;
| years  = 第6代 : 2006年 - 2009年&lt;br /&gt;
| after  = [[鳩山由紀夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党代表代行]]&lt;br /&gt;
| before = [[中野寛成]]&amp;lt;br/&amp;gt;増員&lt;br /&gt;
| years  = 2003年 - 2004年&amp;lt;br/&amp;gt;2009年（筆頭）&lt;br /&gt;
| after  = [[藤井裕久]]&amp;lt;br/&amp;gt;減員&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[岡田克也]]&lt;br /&gt;
| years  = 第9代 : 2009年 -&lt;br /&gt;
| after  = 現職&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[自由党 (日本 1998-2003)|自由党党首]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1998年 - 2003年&lt;br /&gt;
| after  = [[民主党 (日本 1998-)|民主党]]へ合流&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新進党|新進党党首]]&lt;br /&gt;
| before = [[海部俊樹]]&lt;br /&gt;
| years  = 第2代 : 1995年 - 1997年&lt;br /&gt;
| after  = 解散&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新進党|新進党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1994年 - 1995年&lt;br /&gt;
| after  = [[米沢隆]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新生党|新生党代表幹事]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1993年 - 1994年&lt;br /&gt;
| after  = [[新進党]]へ&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[橋本龍太郎]]&lt;br /&gt;
| years  = 第26代 : 1989年 - 1991年&lt;br /&gt;
| after  = [[小渕恵三]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{総務大臣}}&lt;br /&gt;
{{国家公安委員会委員長}}&lt;br /&gt;
{{自民幹事長}}&lt;br /&gt;
{{竹下派七奉行}}&lt;br /&gt;
{{民主党}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:小沢一郎|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:岩手県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:革命家]]&lt;br /&gt;
{{Lifetime|1942||おさわ いちろう}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E9%99%B0%E8%8C%8E&amp;diff=96732</id>
		<title>陰茎</title>
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				<updated>2010-08-10T09:44:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|人名 = 小沢 一郎&lt;br /&gt;
|各国語表記 = おざわ いちろう&lt;br /&gt;
|画像 = [[Image:小沢一郎　1.jpg]]&lt;br /&gt;
|画像説明 =&lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1942|5|24}}&lt;br /&gt;
|出生地 = [[東京府]][[東京市]][[下谷区]]&lt;br /&gt;
（現在の[[東京都]][[台東区]]）&lt;br /&gt;
|没年月日 =&lt;br /&gt;
|死没地 =&lt;br /&gt;
|出身校 = [[慶應義塾大学]][[経済学部]]卒業&amp;lt;br/&amp;gt;[[日本大学]][[大学院]][[法学研究科]]中途退学&lt;br /&gt;
|前職 = [[大学院生]]&lt;br /&gt;
|現職 =&lt;br /&gt;
|所属政党 = （[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[新生党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[新進党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]&lt;br /&gt;
|称号・勲章 = [[学士|経済学士]]（慶應義塾大学・[[1967年]]）&lt;br /&gt;
|世襲の有無 = 有&lt;br /&gt;
|親族（政治家） = [[小沢佐重喜]]（[[父]]）&lt;br /&gt;
|配偶者 =&lt;br /&gt;
|サイン =&lt;br /&gt;
|ウェブサイト = http://www.ozawa-ichiro.jp/&lt;br /&gt;
|サイトタイトル = ■小沢一郎ウェブサイト■&lt;br /&gt;
|国旗 = JPN&lt;br /&gt;
|職名 = 第34代 [[自治大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣 = [[第2次中曾根第2次改造内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区 =&lt;br /&gt;
|当選回数 =&lt;br /&gt;
|就任日 = [[1985年]][[12月28日]]&lt;br /&gt;
|退任日 = [[1986年]][[7月22日]]&lt;br /&gt;
|退任理由 =&lt;br /&gt;
|所属委員会 =&lt;br /&gt;
|議員会館 =&lt;br /&gt;
|元首職 =&lt;br /&gt;
|元首 =&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↓省略可↓ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
|国旗2 = JPN&lt;br /&gt;
|職名2 = 第44代 [[国家公安委員会委員長]]&lt;br /&gt;
|内閣2 = 第2次中曾根第2次改造内閣&lt;br /&gt;
|選挙区2 =&lt;br /&gt;
|当選回数2 =&lt;br /&gt;
|就任日2 = 1985年12月28日&lt;br /&gt;
|退任日2 = 1986年7月22日&lt;br /&gt;
|退任理由2 =&lt;br /&gt;
|元首職2 =&lt;br /&gt;
|元首2 =&lt;br /&gt;
|国旗3 = JPN&lt;br /&gt;
|職名3 = [[衆議院議員]]&lt;br /&gt;
|内閣3 =&lt;br /&gt;
|選挙区3 = （[[岩手県第2区 (中選挙区)|岩手県第2区]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;[[岩手県第4区]]&lt;br /&gt;
|当選回数3 = 14回&lt;br /&gt;
|就任日3 = [[1969年]]&lt;br /&gt;
|退任日3 = 現職&lt;br /&gt;
|退任理由3 =&lt;br /&gt;
|元首職3 =&lt;br /&gt;
|元首3 =&lt;br /&gt;
|国旗4 =&lt;br /&gt;
|職名4 =&lt;br /&gt;
|内閣4 =&lt;br /&gt;
|選挙区4 =&lt;br /&gt;
|当選回数4 =&lt;br /&gt;
|就任日4 =&lt;br /&gt;
|退任日4 =&lt;br /&gt;
|退任理由4 =&lt;br /&gt;
|元首職4 =&lt;br /&gt;
|元首4 =&lt;br /&gt;
|国旗5 =&lt;br /&gt;
|職名5 =&lt;br /&gt;
|内閣5 =&lt;br /&gt;
|選挙区5 =&lt;br /&gt;
|当選回数5 =&lt;br /&gt;
|就任日5 =&lt;br /&gt;
|退任日5 =&lt;br /&gt;
|退任理由5 =&lt;br /&gt;
|元首職5 =&lt;br /&gt;
|元首5 =&lt;br /&gt;
|国旗6 =&lt;br /&gt;
|その他職歴1 =&lt;br /&gt;
|就任日6 =&lt;br /&gt;
|退任日6 =&lt;br /&gt;
|国旗7 =&lt;br /&gt;
|その他職歴2 =&lt;br /&gt;
|就任日7 =&lt;br /&gt;
|退任日7 =&lt;br /&gt;
|国旗8 =&lt;br /&gt;
|その他職歴3 =&lt;br /&gt;
|就任日8 =&lt;br /&gt;
|退任日8 =&lt;br /&gt;
|国旗9 =&lt;br /&gt;
|その他職歴4 =&lt;br /&gt;
|就任日9 =&lt;br /&gt;
|退任日9 =&lt;br /&gt;
|国旗10 =&lt;br /&gt;
|その他職歴5 =&lt;br /&gt;
|就任日10 =&lt;br /&gt;
|退任日10 =&lt;br /&gt;
|国旗11 =&lt;br /&gt;
|その他職歴6 =&lt;br /&gt;
|就任日11 =&lt;br /&gt;
|退任日11 =&lt;br /&gt;
|国旗12 =&lt;br /&gt;
|その他職歴7 =&lt;br /&gt;
|就任日12 =&lt;br /&gt;
|退任日12 =&lt;br /&gt;
|国旗13 =&lt;br /&gt;
|その他職歴8 =&lt;br /&gt;
|就任日13 =&lt;br /&gt;
|退任日13 =&lt;br /&gt;
|国旗14 =&lt;br /&gt;
|その他職歴9 =&lt;br /&gt;
|就任日14 =&lt;br /&gt;
|退任日14 =&lt;br /&gt;
|国旗15 =&lt;br /&gt;
|その他職歴10 =&lt;br /&gt;
|就任日15 =&lt;br /&gt;
|退任日15 =&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↑省略可↑ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''小沢 一郎'''（おざわ いちろう、[[1942年]][[5月24日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[衆議院議員]]（14期）。民主党幹事長（第9代）。'''小澤 一郎'''（おざわ いちろう）とも表記されることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[自治大臣]]（[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣|第34代]]）、[[国家公安委員会委員長|国家公安委員長]]（[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣|第44代]]）。[[自由民主党]][[自由民主党幹事長|幹事長]]、[[新生党]]代表幹事、[[新進党]][[党首]]（第2代）、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]党首、[[民主党 (日本 1998-)|民主党]][[民主党代表|代表]]（第6代）、民主党代表代行（筆頭・選挙担当）、民主党幹事長を歴任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;toclimit-3&amp;quot;&amp;gt;__TOC__&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
[[東京府]][[東京市]][[下谷区]]（現在の[[東京都]][[台東区]]）[[御徒町]]に[[弁護士]]で東京府会議員だった父・[[小沢佐重喜]]、母・みちの[[長男]]として生まれる。父は44歳、母は42歳という高齢で生まれたため、まるで“[[孫]]みたいな”子供だったという&amp;lt;ref&amp;gt;[[奥野修司]]『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。母・みちは元千葉県会議員[[荒木儀助]]の四女である。一郎は、みちにとってははじめて生んだ子供である。[[本籍地]]は[[岩手県]][[奥州市]]（旧[[水沢市]]）。3歳から14歳まで郷里の水沢で育った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
水沢市立常磐中学校（現在の奥州市立東水沢中学校）の2年生を終了すると、東京の[[文京区立第六中学校]]に[[転学|転校]]する。言葉も[[東北弁|東北訛り]]の一郎は、なかなか級友たちの中に入っていけず、いつも教室の片隅でひとりぽつんと座っていたという&amp;lt;ref&amp;gt;奥野修司『小沢一郎 覇者の履歴書』132頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京都立小石川高等学校]]卒業後、父と同じ弁護士を目指して[[東京大学]]を志望し、2年間[[過年度生|浪人]]したが断念して、[[慶應義塾大学]][[経済学部]]、[[日本大学]][[大学院]][[法学研究科]]へと進学した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自由民主党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 田中派時代 ====&lt;br /&gt;
大学院在学中の{{和暦|1969}}、父・佐重喜の急死に伴い[[第32回衆議院議員総選挙|第32回衆院選]]に旧岩手2区から[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認で立候補し、27歳の若さで当選した。この総選挙を[[自由民主党幹事長|党幹事長]]として指揮したのが[[田中角栄]]で、以後[[木曜クラブ]]（田中派）に所属し、田中の下で薫陶を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自民党総務局長、[[議院運営委員会|衆議院議院運営委員長]]を歴任し、{{和暦|1985}}に[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣]]で[[自治大臣]]兼[[国家公安委員長]]として初入閣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 竹下派時代 ====&lt;br /&gt;
[[Image:小渕・小沢・海部.jpg|300px|thumb|[[自民党総務会]]で新幹事長が了承され握手する[[小渕恵三]]幹事長、[[小沢一郎]]前幹事長、[[海部俊樹]]首相。[[1991年]][[4月8日]]撮影]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年、木曜クラブの領袖として影響力を保持していた田中に、反旗を翻した[[竹下登]]、[[金丸信]]らと共に派内勉強会「[[創政会]]」を結成。のちに[[経世会]]（竹下派）として独立した。竹下の総裁就任に奔走し[[日本皇民党]]事件の際には金丸とともに[[稲川会]]幹部の元に出向いている。[[竹下内閣]]の発足後、小沢は党・[[政府]]の要職を歴任し[[竹下派七奉行]]の一人に数えられ、[[官房副長官]]にも就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第1次海部内閣|第1次海部俊樹内閣]]では[[自由民主党幹事長|党幹事長]]に就任。苦戦が予想された[[第39回衆議院議員総選挙|第39回衆院選]]を、[[自由主義]]体制の維持を名目に[[経済団体連合会]]（経団連）傘下の企業から選挙資金300億円を集め、勝利したなどの実績から'''「剛腕」'''と称された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1990}}、金丸を代表とする[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問団（金丸訪朝団）に参加する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[8月]]、[[湾岸戦争]]が勃発し、小沢は[[ペルシャ湾]]への[[自衛隊]]派遣を模索した。「アジアへの配慮が必要だ」と反対する[[外務省]]を抑え法案を提出した（なお、この法案は[[野党]]の反対で廃案となり、後に[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律]]（PKO協力法）が成立）&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』、{{和暦|2008}}[[2月22日]]付[[夕刊]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。自衛隊派遣について国会で[[公明党]]の協力を得るため、[[東京都知事選挙]]で自民党東京都総支部連合会が推す現職の[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]に代わり、新人の[[磯村尚徳]]を擁立するも都連が鈴木を支援した事もあり敗北。なおこの都知事選公示直前に出馬に意欲的であった[[アントニオ猪木]]と会談し猪木を出馬断念に追い込んだがこの際に多額の金銭が動いたと一部報道で報じられた。{{和暦|1991}}[[4月]]、責任を取り党幹事長を辞任した。直後に経世会会長代行に就任し、名実とともに派閥のNo.2となった。しかし、次第に金丸は小沢に派閥を譲ろうと企図するようになり、竹下との確執を深めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、政治改革法案が国会で廃案となったことを受け、首相の海部が衆議院の解散総選挙をぶち上げたが、党内の反発を招き、海部は首相辞任に追い込まれた（[[海部おろし]]）。その際、金丸が小沢に対し後継首相となるよう命じ、金丸の意を受けた[[渡部恒三]]なども小沢を説得したが、当時49歳という年齢や心臓病（[[狭心症]]）で[[6月]]に倒れたことなどを理由にこれを固辞したとされる。だが、[[田勢康弘]]から「この逸話は実は真実ではない」&amp;lt;ref&amp;gt;[[田勢康弘]]「『緊迫』も『躍動』も消えた政治――大難を前に沈黙・保身…」 『[[日本経済新聞]]』、[[2008年]][[7月21日]]5面。&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘されており、このようなやり取りは実際には存在せず、金丸や竹下は当初から[[宮澤喜一]]擁立を目指していたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月10日]]、[[自由民主党総裁選挙]]での派閥が支持する候補者を決定するため、出馬表明していた宮沢、[[渡辺美智雄]]、[[三塚博]]と自身の個人事務所でそれぞれ面談した（小沢面接）。しかし宮沢や渡辺のような当選回数・年齢も上の者（三塚は当選回数こそ小沢よりも一回少ないが、年齢は小沢より上だった）を自分の事務所に招いたことは傲慢であると批判された。このことは後々まで「経世会支配」「剛腕小沢」の象徴的シーンとして取り上げられた（実際は当日[[ホテル]]の会場が満室でどこも予約できず、3人の事務所を小沢が訪ねる予定だったのだが、推薦を受ける立場の人間を訪ねてもらうのは失礼だという話になり、小沢の事務所で面談することになったという&amp;lt;ref&amp;gt;平野貞夫 『虚構に囚われた政治家―小沢一郎の真実』 講談社&amp;lt;講談社α文庫&amp;gt;、2007年、242頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。宮沢も後に『日本経済新聞』連載の「[[私の履歴書]]」の中で、「支持をこちらからお願いしているのだから、出向くのが筋であった」と回顧した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 竹下派分裂、羽田派結成 ====&lt;br /&gt;
{{和暦|1992}}、[[東京佐川急便事件]]を巡り、金丸が世論から激しい批判を受け派閥会長を辞任、議員辞職した（東京佐川急便事件に関しては、小沢も{{和暦|1993}}[[2月17日]]に[[証人喚問]]を受けている）。後継会長に小沢は金丸に近かった渡部恒三、[[奥田敬和]]らと共に[[羽田孜]]を擁立し、竹下直系の[[小渕恵三]]を推す[[橋本龍太郎]]、[[梶山静六]]らと対立。当初中立であった参院竹下派に竹下自らが関与して小渕支持を決定。この結果として後継会長は小渕に内定した。敗れた小沢は羽田、渡部、奥田らと[[改革フォーラム21]]（羽田派）を旗揚げし、派閥は分裂した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宮沢内閣改造内閣|宮沢喜一改造内閣]]における羽田派の閣僚ポストは、[[経済企画庁長官]]（[[船田元]]）と[[科学技術庁長官]]（[[中島衛]]）の2つだけと冷遇された。さらに党幹事長には派閥の後継会長を巡り激しい闘争を演じた小渕派の梶山が就任したことで、羽田派は反主流派に転落した。これに対し小沢は主流派を「[[守旧派]]」と、自らを「改革派」と呼び、持論であった[[政治改革]]の主張を全面に訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で小沢は、[[5月20日]]に、著書『[[日本改造計画]]』を発表した（実際に店頭に並んだのは6月下旬）。同書は政治家の著作としては異例の70万部を超える売上を記録し、1993年を代表する[[ベストセラー]]になった。自らの政策・政見を広く国民に問うもので、小沢の理念を基に官僚や専門家を中心に政策としてまとめた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自民党離党、非自民連立政権成立 ===&lt;br /&gt;
{{和暦|1993}}[[6月18日]]、野党から宮沢[[内閣不信任決議|内閣不信任案]]が上程され、羽田・小沢派ら自民党議員39名が賛成、16名が欠席する造反により不信任案は255対220で可決された。宮沢内閣は衆議院を解散した（[[嘘つき解散]]）。同年[[6月21日]]に[[武村正義]]らが自民党を離党（[[新党さきがけ]]を結党）した。これが羽田・小沢派の議員に離党を決断させる一因となり、[[6月23日]]、[[新生党]]を結成した。小沢は幹事長にあたる党代表幹事に就任するが、党結成の記者会見を行ったとき会場に姿が見えず「党首（羽田）の陰に隠れて暗躍している」との批判を受けた。[[新生党]]代表幹事時代には[[番記者]]との懇談会を廃止し、これまでの[[記者クラブ]]中心の会見から海外[[マスメディア|メディア]]や[[週刊誌]]記者なども会見に参加できるようにし注目を集めた。一方、自分の意に沿わぬ記事を書いたメディアと対立を起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月18日]]、[[第40回衆議院議員総選挙|第40回衆院選]]において自民党は過半数割れし、新生党、[[日本新党]]、新党さきがけの3新党は躍進した。宮沢内閣は総辞職した（後任の自民党総裁に[[河野洋平]]が選出）。小沢は総選挙直後から日本新党代表の[[細川護煕]]と非公式に会談した。細川は自民党との連立を検討していたが、小沢から首相就任を打診されたことで非自民勢力へと傾斜した。[[8月9日]]、8党派連立の[[細川内閣]]が成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細川政権下で小沢は内閣とは別に与党の意思決定機関である「連立与党代表者会議」を開き、公明党[[書記長]]の[[市川雄一]]とともに政権の主導権を握ろうとし（[[一一ライン]]）、官邸主導の政治を目論む[[内閣官房長官]]の[[武村正義]]と激しく対立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]]、小沢と[[大蔵事務次官]]の[[斎藤次郎]]が中心となり、[[消費税]]を廃止し7%の福祉目的税を創設するという「国民福祉税」構想を決定した。[[2月3日]]未明、細川は突如、「国民福祉税」構想を発表し、世論の激しい反発を受けた。また、[[日本社会党|社会]]・さきがけ・[[民社党|民社]]各党の批判に合い、翌日、細川は「国民福祉税」構想を白紙撤回するに至った。内閣官房長官の武村は、公然と「国民福祉税構想は事前に聞いていない」と発言、小沢との対立はますます先鋭化した。武村か小沢かの選択を迫られた細川は小沢に軍配を上げ、政権の主導権を奪われた武村や武村率いるさきがけは与党内で孤立し、武村と細川の仲も急速に冷却する。一連の動きに嫌気がさした細川は、[[4月]]に突然辞意を表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細川の首相辞任を受けて、小沢は[[渡辺美智雄]]との提携を企図するが、渡辺は自民党離党を決断できず構想は頓挫。連立与党は羽田の後継首班に合意した。しかし、[[1994年]][[4月25日]]の[[首班指名]]直後に、新生党、日本新党、民社党などが社会党を除く形で統一会派「改新」を結成したため、社会党の反発を招き、社会党は連立政権を離脱し、[[羽田内閣]]は少数与党となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
羽田内閣は1994年度[[予算]]を成立させたが、少数与党状態の解消をねらって行われた連立与党と社会党との間の政策協議は決裂し、自民党によって内閣不信任案が衆院に提出された。当初は羽田も解散する腹で小沢も同調していたが、結局は解散総選挙を断念。[[6月25日]]に内閣総辞職し、羽田内閣は在任期間64日、戦後2番目の短命政権に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は羽田の後継として、かつて自民党幹事長としてタッグを組んだ元首相の[[海部俊樹]]を担ぐことを決めた。海部は当時自民党政治改革議員連盟会長で、[[番町政策研究所|新政策研究会]]（河本派）代表世話人でもあった。[[1994年]][[6月29日]]、自民党は[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]で社会党委員長の[[村山富市]]に投票する方針を示したため、海部は自民党を離党し、「[[自由改革連合]]」を結成、連立与党の首班候補となった。しかし決選投票で261対214で村山に敗れ、小沢は政治家人生において初めて野党の立場に落ちた。新生党内では小沢の責任を追及する声も出たが、旧連立与党を糾合して新・新党の結成を実現するために、小沢の豪腕が必要とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 新進党時代 ===&lt;br /&gt;
1994年[[9月28日]]、[[日本共産党]]を除く野党各党187人により、衆院会派「改革」が結成された。また同日、衆議院議員186人、参議院議員39人、計225人の国会議員による「新党準備会」が正式に発足し、新党準備実行委員長に小沢が選出された。こうして小沢を中心に新・新党結成が準備され、同年[[12月10日]]に[[新進党]]結成大会が行われた。海部が党首となり、小沢は党幹事長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]][[7月]]、[[第17回参議院議員通常選挙|第17回参院選]]で、改選議席19議席を大幅に上回る40議席を獲得した。同年[[12月]]に行われた党首選挙では、羽田・細川らを中心に「小沢外し」の動きがあったため、自ら立候補することを決断、長年の盟友である羽田と激突し、小沢は羽田を破り、第2代党首に選出された。しかし、この党首選挙直後に投票者名簿が破棄されるなど、選挙結果が不明瞭であったため、羽田との決裂は決定的なものとなり、党内に更なる亀裂を生じさせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1996年]][[10月20日]]に[[第41回衆議院議員総選挙|第41回衆院選]]が行われ、新進党は小沢の党党首選での主張を党公約「国民との五つの契約」として[[消費税]]率の3%据え置き、18兆円[[減税]]を[[公約]]したものの、改選前の160議席を4議席減らして156議席に止まり、事実上敗北した。原則比例代表との重複出馬を禁止とし、比例区で[[創価学会]]の支援を期待し[[公明党]]系の議員を優遇したため選挙地盤の弱い若手の[[新党ブーム]]世代の議員が多数落選したため、強い反発を浴びこれが後の政局においても禍根を残す事になった。また選挙直後開票中にも関わらず深夜になるまで党本部に姿を見せず雲隠れするなど党首としてあるまじき態度を取った事も強い批判を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総選挙後、党内に小沢に対する反発が強まり、離党者が続出した。羽田孜や細川護熙らは非主流派を構成し、1996年[[12月26日]]、羽田は奥田敬和、[[岩國哲人]]ら衆参議員13名と共に新進党を離党、[[太陽党]]を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1997年]]、小沢は自民党の[[亀井静香]]らと提携する、いわゆる[[保保連合構想]]に大きく舵を切った。しかし、新進党内には、こうした保保連合路線に対して[[二大政党制]]を志向する立場から反対する勢力も顕在化し、[[鹿野道彦]]は政策研究会「改革会議」を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月18日]]の党首選挙で小沢は鹿野を破り再選された。この党首選に先立ち公明が[[第18回参議院議員通常選挙|次期参院選]]を独自で闘う方針を決定し、新進党離れが加速した。党首に再選された小沢は、純化路線を取り、新進党内の旧公明党グループ・公友会、旧民社党グループ・民友会にそれぞれ解散を要求。[[12月27日]]に小沢は旧公明党の参院議員を分党し公明に合流させるとし、新進党の分党と新党の結成を発表した。新進党内は混乱に陥り、分党を決定した[[両院議員総会]]は、混沌のうちに終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自由党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 結党・与党復帰 ====&lt;br /&gt;
[[1998年]][[1月6日]]、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]を結成、小沢は党首に就任した。当初、100名以上の衆参両議員が集まると思われたが、結局、衆院議員42名、参院議員12名の計54名が参加するに留まり、野党第1党の座を[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]に譲り渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月12日]]の[[第18回参議院議員通常選挙|第18回参院選]]では苦戦必至と思われていたが小沢人気もあり[[比例代表制|比例代表]]で514万票、合計6議席を獲得し善戦した。参院選後の[[臨時会|臨時国会]]では、首班指名に民主党代表の[[菅直人]]を野党統一候補に臨み、参院では自民党の[[小渕恵三]]を抑え菅が指名された（衆院では小渕が指名されたため、[[衆議院の優越]]の原則から小渕が首相に就任した）。&lt;br /&gt;
小沢は参院での野党共闘により政府・自民党を追い込む戦略であったが、菅は「政局にしない」と発言、金融再生法の制定で自民党と協力したことにより野党共闘はほころびを見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1998年[[10月]]、小沢は内閣官房長官[[野中広務]]と会談、連立交渉を開始し、同年[[11月19日]]、小渕内閣との間での連立政権について合意した。そして[[1999年]][[1月14日]]正式に[[自自連立政権]]が成立し、党幹事長の[[野田毅]]が[[自治省|自治大臣]]として入閣、小沢は5年ぶりに与党へ復帰した。この連立の間に衆議院[[議員定数]]20の削減、閣僚ポストの削減、および[[政府参考人|政府委員]]制度の廃止と[[党首討論]]設置を含む国会改革が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年7月、公明党が政権に入り、[[自自公連立政権]]が成立した。自民、公明両党で参院の過半数を抑えることになったため政権内部での自由党の存在感は低下した。自自両党の選挙協力も遅々として進まず、小沢は自民党総裁の小渕総理大臣に対して自自両党の解散、新しい保守政党の結成を要求した。[[中曽根康弘]]、[[亀井静香]]等は小沢の復党を認める方針であったが党内の反小沢勢力は「小沢の復党は認められない、小沢抜きでの復党は認められる。」とし小沢自身も「復党が認められなければ連立解消だ。」と珍奇ともいえる主張を行い両者は[[2000年]][[4月1日]]、会談するが、合意に達せず、結局連立を解消した（なお、この後に小渕は[[脳梗塞]]で倒れ、[[5月14日]]に死去した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 分裂 ====&lt;br /&gt;
自由党は、小沢を支持する連立離脱派と、[[野田毅]]・[[二階俊博]]などの連立残留派に分裂し、残留派は[[保守新党|保守党]]を結成した（分裂の結果、自由党は衆院議員18名、参院議員4名の計22名に半減、保守党には26名が参加）。小沢と袂を分かった保守党は[[政党助成金]]を半分ずつ分け合うために[[分党]]を要求したが、自由党はこれを拒否。保守党議員は離党扱いになり、政党助成金を全く得られず総選挙を迎えることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]][[6月25日]]の分裂直後に行われた[[第42回衆議院議員総選挙|第42回衆院選]]で、小沢人気もあり比例代表で約660万票を獲得、現有議席を上回る22議席を獲得し善戦した。このとき、約20億円を投じたとされる[[テレビ]][[コマーシャルメッセージ|CM]]（小沢が顔を殴られる）は話題となった（一方、保守党は7議席へと激減）。連立離脱後は野党共闘路線へ舵を切ることを余儀なくされたが、（過去に小沢から酷い目に合わされたと感ずる）旧新進党や旧社会党出身者が多い民主党を始めとした野党との関係は当然ギクシャクしたものにならざるを得なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]][[1月]]、将来の指導者育成を目指し、党内に[[小沢一郎政治塾]]（小沢塾）を開設した。なお、小沢塾は民主党との合併後は小沢個人の私塾として運営。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月29日]]の[[第19回参議院議員通常選挙|第19回参院選]]では、自民党に[[小泉旋風]]が吹き、小沢の地元・[[岩手県選挙区]]でも大苦戦を強いられたが、僅差で勝利した。議席数は前回と同じ6を維持したものの、自由党の比例代表は約420万票に止まった（第18回参議院選挙より約100万票、第42回衆議院選挙より約220万票の減少）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党へ合流 ===&lt;br /&gt;
[[2002年]]、第19回参議院選挙での結果もあって、小沢は[[鳩山由紀夫]]（当時[[民主党代表]]）からの民主・自由両党の合併に向けた協議提案を受け入れた。しかし、民主党内の調整が不十分であったこと及び民主党内の小沢に対する拒否反応の為に頓挫した（なお、鳩山は代表辞任に追い込まれた）。鳩山辞任後に[[民主党代表]]に選出された[[菅直人]]によって、いったん合併構想は白紙に戻ったが、小沢は党名・綱領・役員は民主党の現体制維持を受入れることを打診し、両党間で合併に合意した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dpj.or.jp/news/?num=4562 民主党・菅代表と自由党・小沢党首が9月末までの合併で合意]民主党公式HP、2003年7月23日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由党と民主党の合併の直前に、自由党から13億6816万円の寄付が[[改革国民会議]]に対して行われた。改革国民会議は小沢一郎が代表を務めており小沢の関連団体である。13億6816万円のうち5億6096万円が税金を原資とする[[政党助成金]]であった。後にこの行為は問題視され、政党助成金法改正案として議論された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090708/stt0907081016002-n1.htm 産経ニュース 2009年7月8日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]][[9月26日]]、自由党は民主党と正式に合併し、小沢は民主党の代表代行に就任した。[[11月9日]]の[[第43回衆議院議員総選挙|第43回衆院選]]で民主党は、公示前議席よりも40議席増の177議席を獲得。民由合併後、小沢が最初に提携したのが旧社会党系の[[横路孝弘]]だった。小沢と横路は安全保障面での政策を擦り合わせ、その後横路と旧社民勢力は小沢と行動を共にした。また、小沢は野党結集のために社民党へも民主党への合流を呼びかけたが失敗に終わった。経済政策では、それまでの[[新自由主義]]から「地方経済」と「[[雇用]]」の重視の方針へ転換した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初、小沢派になると見られていた新自由主義的な「小さな政府研究会」には参加せず、[[東北地方]]出身議員だけをあつめて「東北議員団連盟」を結成し、地域主義への転向の姿勢を見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]][[5月]]、[[政治家の年金未納問題|年金未納問題]]による混乱の責任を取り党代表を辞任した菅の後継代表に小沢が内定したが、直後に小沢自身も[[国民年金]]が強制加入制度になる[[1986年]]以前に未加入だったとして代表就任を辞退した（結局、[[岡田克也]]が後任代表となった）。2004年[[7月11日]]に行われた[[第20回参議院議員通常選挙|第20回参院選]]の後、岡田の要請により党副代表に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]][[9月11日]]、[[第44回衆議院議員総選挙|第44回衆院選]]で民主党は現有議席を60近く減らす惨敗を喫し、岡田は代表を引責辞任し、小沢も党副代表の職を辞任した。岡田の後任代表となった[[前原誠司]]は、小沢に党代表代行への就任を依頼したが、これを固辞した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党代表 ===&lt;br /&gt;
==== 代表就任 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Ichiro Ozawa election.jpg|200px|thumb|民主党ポスターの張られた様子（[[2008年]]1月、[[広島県]][[甲奴町]]）]]&lt;br /&gt;
[[2006年]][[3月31日]]に前原が、「[[堀江メール問題]]」の責任を取って党代表を辞任、[[4月7日]]の民主党代表選で小沢は119票を獲得し[[菅直人]]を破り、第6代の民主党代表に選出された。両院議員総会の演説で小沢は、「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」という19世紀のイタリア貴族の没落を描いた映画『[[山猫 (映画)|山猫]]』の一節を引用し、その上で「まず、私自身が変わらなければなりません」と述べ、「ニュー・小沢」を印象づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表選後、小沢は菅を党代表代行、鳩山由紀夫を党幹事長にする[[トロイカ体制]]を敷いた。また、前執行部と[[民主党の次の内閣一覧|次の内閣]]メンバー全員を残留させた。小沢は[[政令指定都市]]・[[都道府県]]の[[首長]][[選挙]]に関しては原則として[[相乗り]]禁止の方針を打ち出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大半の民主党議員は、小沢の代表就任まで自民党幹事長時代はおろか、つい最近の小沢の動向すら知らず、「選挙に強い」という噂を頼り半信半疑で眺めている者も少なくなかったが、小沢が党代表に就任した直後の[[4月23日]]に、メール問題での逆風下にあった衆議院[[千葉県第7区|千葉7区]][[補欠選挙]]で、僅差ながら勝利を収めた。半年後の[[9月12日]]の民主党代表選に[[無投票]]で再選された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月9日]]の会見で、衆院本会議を欠席しがちな理由として「食後すぐに仕事にとりかからないなど、医者の忠告を守っている」と、自身の体調管理を理由に挙げたことに関し、「議会軽視だ」と各方面から厳しい批判を受けた。また、自身の健康状態を語ったことに対して様々な憶測が流れた。[[9月25日]]臨時党大会で正式に代表に再選された後、[[狭心症]]の発作の兆候を感じたため、都内の病院に検査入院した。[[10月5日]]に退院し、自身の[[動脈硬化]]が進んでいることを明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 国会運営 ====&lt;br /&gt;
民主党代表時代の小沢の国会での論戦は、前原時代の「対案路線」ではなく、「対立軸路線」で与党とは対決姿勢を鮮明にした。自著『[[日本改造計画]]』では、「過半数が賛成している案を、少数のダダっ子がいて、その子をなだめるために、いいなりになってすべてを変えてしまう」のは「少数者の横暴」だと述べている。小沢は「審議を十分に行えば」与党による採決も止むを得ないという立場を取った。一方、議員数の多さを背景に[[強行採決]]した場合には徹底抗戦や[[審議拒否]]も辞さない戦う野党の姿勢も示した。ただし、この姿勢は審議拒否を度々行うことで「充分な審議を放棄した」「与党案の成立を手助けしている」との批判を生むことがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 外交政策での党内対立 ====&lt;br /&gt;
2006年10月に北朝鮮が[[核実験]]を行った後の[[朝鮮半島]]情勢は「[[周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態法]]」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら[[トロイカ体制]]の見解を発表した。しかし、これに対して前代表である前原誠司を始めとする党内の若手から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表し、安全保障政策をめぐる民主党内の対立・不一致が表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は「[[核武装論|核武装の論議]]を是認すれば『[[非核三原則]]を守る』という言葉も国民や国際社会に受け入れられない」と指摘した。しかし、その考えに不満を持つ一部[[保守]]層などが、自由党党首時代[[2002年]]の小沢の発言である「日本は一朝で数千発の[[核弾頭]]を持てる。」と日本の核保有能力について発言したことと比較して批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[防衛庁]]の「省」昇格に対し、自由党時代から防衛庁の省への昇格を主張していた小沢は「国防の任に当たる省庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」と述べた。民主党内には依然反対の声があったため衆院安全保障委員会での防衛「省」昇格関連法案の審議に欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 統一地方選、参院選 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[4月8日]]に[[統一地方選挙]]（前半）が行われ、地元・岩手県の[[岩手県知事|知事]]選挙で'''小沢チルドレン'''の代表格である[[達増拓也]]が当選。[[岩手県議会]]議員選挙でも、議席を増やし第1党を維持し、その他の道府県議選・政令市議選でも民主党は230議席（合併前の自由党含む）から145議席増え375議席に躍進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[4月22日]]に行われた[[統一地方選挙]]（後半）では、[[地方議会|市町村議会選挙]]で、自民党が過去最低議席数になった他、他党が前回議席を割り込む中、民主党は3割近く議席を伸ばした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月29日]]に行われた、[[第21回参議院議員通常選挙]]で民主党は60議席を獲得、参議院第1党となり、野党全体（共産党を含む）で過半数を得た。選挙開票当日は「医者からの忠告」を理由に休養を取っていたとし、小沢はマスコミの前に姿を見せなかったが、[[7月31日]]の党常任幹事会に多くの報道陣が駆けつける中で出席、小沢は公約通り衆議院議員を今後も続けるとした。また、8月に前代表・前原、元代表・岡田等が党副代表に就任し、挙党体制を構築した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ねじれ国会 ====&lt;br /&gt;
[[8月8日]]には、[[11月]]に期限切れとなる[[テロ対策特別措置法]]（テロ特措法）問題についてマスコミ公開の中、アメリカの駐日大使[[ジョン・トーマス・シーファー]]と会談した。シーファーは小沢にテロ対策特別措置法の期限延長に対する理解を求めたが、小沢は[[アフガン戦争]]が国際社会の[[コンセンサス]]を得ていないとして[[海上自衛隊]]の支援活動は認められないと主張し、反対の意向を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe7700/news/20070808i113.htm 小沢代表、シーファー米大使が初会談…テロ特措法で平行線]」 [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]、2007年8月8日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[8月30日]]にはドイツ首相[[アンゲラ・メルケル]]と会談したが、この席でも改めてアフガン戦争が国連によるコンセンサスを得たものではないと主張した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=10873 環境、テロ対策などで意見一致 小沢代表メルケル・ドイツ首相と会談]」 民主党ホームページ、2007年8月30日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。結局テロ特措法は[[安倍改造内閣|安倍内閣]]の突然の総辞職で、有効期限の延長が出来なくなり、そのまま失効した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月12日]]に首相辞任を表明した[[安倍晋三]]の後任となる、[[内閣総理大臣指名選挙]]が[[9月25日]]に行われ、参議院で決選投票の末に[[福田康夫]]（自民党総裁）を抑えて、小沢が指名された（小沢133票、福田106票）。なお、衆議院で指名された福田が[[衆議院の優越]]規定に基づき首相となった。なお、両院の指名が異なったのは[[小渕恵三]]内閣下で民主党の[[菅直人]]が指名されて以来、9年ぶり4度目であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[11月2日]]、小沢は福田と会談し、連立政権について提案があった為、意見を党に持ち帰り臨時役員会に諮ったが、民主党内の反対を受け連立を拒否した。[[11月4日]]、連立騒動の責任を取り代表辞任を表明したが、民主党内の慰留を受け、[[11月6日]]代表続投を表明。[[11月7日]]の両院議員懇談会で代表続投が承認された。{{main|大連立構想 (日本 2007)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、テロ特措法の後継の法律として衆議院に提出されていた[[テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案]]（新テロ特措法）に対する議決が行われ、民主党が多数を占める参議院では反対多数で否決されたが、[[2008年]][[1月11日]]に衆議院本会議で与党の3分の2以上の賛成多数で再び可決・成立した。この再可決の本会議で小沢は採決直前に退席し、党内の一部や他の政党の議員から批判された。対して小沢は「前からの約束で、選挙の約束は一番たがえてはいけないものだ」と強調。[[2008年大阪府知事選挙|大阪府知事選挙]]の応援があったこともあげ、新テロ対策特措法について、「国民にとっても民主党にとっても大事な法案ではない。反対の意思表示は既にしている。後は数あわせの本会議でしかない。結果は目に見えている。批判は理解できない。国民は理解してくれていると思う」と反論した&amp;lt;ref&amp;gt;こうした日本の状況に対して米国や英国では、採決に議員全員が出席しないことを前提としたシステムで議会が運営されており、議員は自分の仕事の優先順位によってはあらかじめ投票を行い採決には欠席するのが普通であるが、[[党議拘束]]のある日本では採決前から結果が決まっていることがほとんどである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月29日]]、衆議院で2008年度予算案が野党3党の欠席のなかで強行採決された。小沢はこれに対し「信頼関係が完全に崩壊した」と発言し、強行採決をしたことで[[日本銀行総裁]]人事に影響を及ぼすのは、避けられないとの態度を示す&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=12799 「信頼関係が完全に崩壊」小沢代表、与党の予算案強行採決を批判]」 民主党ホームページ、2008年3月1日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党も強行採決されたのを受け[[武藤敏郎]]副総裁の[[日本銀行]]総裁への昇格を拒否する方針を決め、参議院で日銀総裁人事を否決した。[[3月18日]]、政府与党は改めて[[田波耕治]]を総裁候補として提示したが、この人事案も参議院で不同意となり、結果として[[白川方明]]が総裁に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月22日]]、民主党代表選で小沢が無投票での3選を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月23日]]、前日まで衆院選対策のため福岡を訪れていたが、予定されていた[[インドの歴代首相|インド首相]][[マンモハン・シン]]との会談を、体調不良を理由に欠席、「会談の頭だけでも出た方がいいと代表にいってほしい」との[[鳩山由紀夫]]幹事長の説得も受け付けず、党役員会などの公務もキャンセルし、鳩山が代わって会談した。翌24日に公務へ復帰、衆院選対策のため青森へ出張した&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢代表、また体調不良&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081024/stt0810240001000-n1.htm 小沢代表、また体調不良 「首相務まるのか」との指摘も] 産経ニュース 2008年10月24日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[5月11日]]、西松建設疑惑関連で公設秘書が逮捕された件で、民主党代表を辞任した。自身の後継を決める代表選挙では、側近として共に[[トロイカ体制]]を支えた[[鳩山由紀夫]]を支持し勝利に導いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党代表代行 ===&lt;br /&gt;
[[5月17日]]、選挙担当の代表代行に就任。[[菅直人]]が代行が多くなったことから小沢に筆頭となるよう要請し、3名の代表代行の中では筆頭扱いとなった。代表代行への就任は実に5年ぶりとなる&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090517/stt0905172147016-n3.htm&lt;br /&gt;
|title=【鳩山新代表会見詳報】「5人が常に心を合わせていく」&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY200905170106.html&lt;br /&gt;
|title=民主幹事長に岡田氏、小沢前代表は代表代行に&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090517/stt0905172035015-n1.htm&lt;br /&gt;
|title=【鳩山新代表】小沢氏が筆頭代表代行 岡田氏は幹事長に&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第45回衆議院議員総選挙]]で政権交代を果たした後の[[9月3日]]、[[鳩山由紀夫]]民主党代表が小沢に幹事長就任を要請した。これに対し「代表から幹事長の就任を要請された。私は党人だから、お受けすると返事をしてまいりました」と述べ、要請を受け入れる意向を表明した。小沢の幹事長就任については、鳩山の掲げる「政策決定の内閣への一元化」に反して政府と与党の「権力の二重構造」となり、政策面で小沢の影響を排除できなくなるとの見方がでたが、これについて鳩山は「幹事長は党務だ。政策の決定は政府でやると確認した」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090903-OYT1T00998.htm&lt;br /&gt;
|title=小沢氏が民主幹事長、岡田氏は主要閣僚か&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0903/TKY200909030376.html&lt;br /&gt;
|title=小沢氏、民主幹事長に　菅・岡田氏の入閣確実な情勢&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090903NTE2INK0803092009.html&lt;br /&gt;
|title=民主幹事長に小沢氏　岡田氏、重要閣僚で処遇 &lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;rel=j7&amp;amp;k=2009090300991&lt;br /&gt;
|title=盤石政権へ「剛腕」起用＝「二重権力」再来懸念も&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党幹事長 ===&lt;br /&gt;
[[2009年]][[9月15日]]の民主党両院議員総会において、正式に幹事長に就任した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-15&lt;br /&gt;
|url=http://mainichi.jp/select/seiji/seikenkotai/news/20090916k0000m010104000c.html&lt;br /&gt;
|title=民主党：小沢幹事長就任を正式決定　両院議員総会&lt;br /&gt;
|accessdate=9月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な政治的主張 ==&lt;br /&gt;
最初の著作である「日本改造計画」では[[新自由主義]]を主張したが、民主党代表に就任すると[[リベラル]]色を強めた。一方、2004年に公表した現行憲法の下での国連派遣部隊構想、さらにそれを発展させ2007年10月に公表した国際安全保障政策では、現行憲法との論理的整合性を維持しながら日本の国際安全保障政策（[[国連中心主義]]）を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交、防衛政策 ===&lt;br /&gt;
; 基本姿勢&lt;br /&gt;
: 外交では、[[太平洋戦争]]に対する反省を踏まえて二つの「共生」を主張している。一つは人間と人間、国家と国家との「共生」、つまり日本及び世界の平和を確保すること、もう一つは人間と自然との「共生」、つまり日本が率先して地球環境の保全を進めることである。それ以上に重要なのは、安全保障については、日本の法律より国連決議が風船すると「世界」で述べたことである。その結果、小沢氏は多くの批判を受けることとなった（日本国民が民主主義で選択した日本の法律が、国連の常任安保理事国のせめぎ合いによる決定より劣る、という発言であったため）。&lt;br /&gt;
: また、世界の国々、特に[[アメリカ合衆国|米国]]とは相互の信頼に基づく対等な関係を積み上げ、[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]をはじめ[[アジア]]諸国と平和で自由で開かれた信頼関係の実現を主張した。具体的には、米国との真の[[日米同盟]]の確立、核廃絶、アジア外交の強化、貿易・投資の自由化、[[政府開発援助]]（[[政府開発援助|ODA]]）の抜本的見直し等。[[2009年]][[2月24日]]には「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ…あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う…米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090225/stt0902250151000-n1.htm 「駐留米軍は第7艦隊で十分」 民主・小沢代表] 産経ニュース 2009.2.25&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[A級戦犯]]、[[靖国神社]]&lt;br /&gt;
: [[東京裁判]]は不当な報復裁判であり、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない。しかし当時の国家指導者は敗戦責任があり、[[天皇]]陛下が参拝できるよう靖国神社から削除すべき。行く行かないは個人の自由だが、公約をし、政治信念で行くのならば[[8月15日]]に公式参拝を行うべき。ただし靖国神社は[[戊辰戦争]]の招魂社だという問題がある。小沢自身は[[賊軍]]とされる岩手の出身である。&lt;br /&gt;
: 1986年4月2日の国会答弁では「誰もが自然の気持ちで行くべきであると思う。私もそのような自分の気持ちが沸いてきた時今までも参拝してきたしするつもりである」、「国務大臣であろうがなかろうが今後も行きたい」、「A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない」、「たまたま敗戦によって戦勝国から戦犯とされた人もいる」などの発言があった。&lt;br /&gt;
: また、2008年2月21日の[[朝鮮日報]]からのインタビューでは、「靖国神社問題は日本側が大きな間違いをしている。民主党が政権を取ったら、戦争責任者を靖国神社から分祀し、韓国と中国に強力な信頼関係を築く」と述べた。&lt;br /&gt;
; 核武装&lt;br /&gt;
: 日本には数千発の核兵器を製造する能力がある（2002年）ものの、軍事的、政治的にも何のプラスにもならない。議論もしてはいけない（2006年）。党内には、核保有を認める意見や核武装を議論すべきとの意見があった。&lt;br /&gt;
; [[日本国憲法第9条|憲法9条]]&lt;br /&gt;
: 「[[専守防衛]]」に徹し、憲法前文の平和主義と憲法9条の第一項と第二項は保持。第9.5条として平和のための国際協力と国連待機軍の設置を付加。自衛隊は国防に専念させる。なお、自衛権は、個別的であれ集団的であれ、我が国が急迫不正の侵害を受けた場合に限って行使。急迫不正の定義は明確にしない。&lt;br /&gt;
; [[自衛隊]]の海外派遣&lt;br /&gt;
: 小沢は[[国際治安支援部隊]]に対しては容認しており、[[ダルフール紛争]]への部隊の参加、国連治安支援部隊（[[ISAF]]）への参加など国連中心主義を強調した。ただし、その際の武器の使用基準見直しについては明言していなかった。なお政府は、ISAF本体への護衛参加については、合憲であるとの見解をまとめている。&amp;lt;ref&amp;gt;「自衛隊のアフガン派遣、政府が『合憲』解釈」 『読売新聞』、2007年12月22日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[集団的自衛権]]と[[集団安全保障]]&lt;br /&gt;
: [[イラク戦争]]型 （集団的自衛権の行使）‐ 他国が自衛権を発動して開始した戦争に参戦する[[有志国軍]]（[[OEF]]）への参加は憲法違反だとし、[[テロ対策特別措置法]]の延長にも反対した。&lt;br /&gt;
: [[湾岸戦争]]型（集団安全保障に基づく武力行使） ‐ 国連が承認した[[国連軍]]、[[多国籍軍]]の参加には賛成。&lt;br /&gt;
; [[周辺事態法]]について&lt;br /&gt;
: 2006年10月に北朝鮮が[[核実験]]を行った後の[[朝鮮半島]]情勢は「[[周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態法]]」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら[[トロイカ体制]]の見解を発表した。しかし、これに対して前原誠司を始めとする党内から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表し、安全保障政策をめぐる民主党内の対立・不一致が表面化した。&lt;br /&gt;
; [[北朝鮮による日本人拉致|北朝鮮拉致]]について&lt;br /&gt;
: 「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と述べたと報道された。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n1.htm 【民主党解剖】第1部「政権のかたち」（1）「小沢首相」は大丈夫か] 産経ニュース 2009.3.2&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
; 領土問題&lt;br /&gt;
: 「われわれが与党になったら領土問題にケリをつける」「例えば、[[尖閣諸島]]は歴史的に見ても日本の固有の領土だ。それを明確にさせる。自公政権のように弥縫策で先送りすることはしない」と述べ、領土問題の速やかな解決を宣言している&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008062334_all.html 小沢代表直撃インタビュー]{{リンク切れ|date=2009年5月}}」 [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2008年6月23日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、2008年7月15日には、 記者会見で学習指導要領の竹島問題について問われ、「教科書云々の前に日韓の考え方の差を埋めるために、しっかり話し合いをすべきだ。話し合いを避けて教科書に載せる載せないの類は順序が違う。事実上韓国が実力支配しているわけですから、それを放置しておいて俺の領土だと言ってもどうしようもないでしょう」と日本政府を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&amp;amp;num=13674 2008年7月15日 記者会見]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[チベット]]と中華人民共和国&lt;br /&gt;
: [[2008年のチベット動乱]]の後、2008年4月17日の講演で、チベット問題について「中国の政権が抱える矛盾が民族問題を契機として持ち上がった。共産主義独裁の政権と政治の自由は、原理からいって成り立たない」と発言し、「共産党政権が時代の変化に応じて生き延びようとするなら、自分自身が変化しなければいけない」と中国を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.asahi.com/special/080315/TKY200804170263.html 小沢代表、チベット問題で中国批判 『独裁政権の矛盾』]」 [[朝日新聞|asahi.com]]、2008年4月17日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 防衛庁の省への昇格&lt;br /&gt;
: [[防衛省|防衛庁]]の「省」昇格に対し、自由党時代から防衛庁の省への昇格を主張していた小沢は「国防の任に当たる省庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」と述べた。ただし、民主党内に反対の声があったため衆院安全保障委員会での防衛「省」昇格関連法案の審議は欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 法務 ===&lt;br /&gt;
; 憲法改正（憲法96条）の為の国民投票法案&lt;br /&gt;
: 与党提出の法案に反対した。その後民主党案との修正協議を経て修正与党案が成立した。なお社民・共産は法案そのものに反対した。&lt;br /&gt;
{{main2|国民投票法案については[[日本国憲法の改正手続に関する法律]]を}}&lt;br /&gt;
; [[外国人参政権|永住外国人の地方参政権]]&lt;br /&gt;
: 旧植民地政策により日本に移住、戦後そのまま在住した永住外国人・その家族が日本国籍を獲得しにくい場合でも、その歴史的事情を勘案し、また地域の住民との連帯感を醸成するために地方参政権を与えるべきと主張している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ozawa-ichiro.jp/policy/05.htm 永住外国人の地方参政権について]&amp;lt;/ref&amp;gt;。外国人参政権の獲得を目的に[[在日本大韓民国民団]]から支援の言葉を貰い、小沢もそれに謝意を表明し「帰化した韓国系」の投票を期待しているとの発言をしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://s02.megalodon.jp/2008-1212-1234-59/www.asahi.com/politics/update/1211/TKY200812110336.html 民団、民主・公明支援へ 次期衆院選 選挙権付与めざす]2008年12月12日 朝日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 公務員改革&lt;br /&gt;
: 幹部職員の内閣一元管理。公務員に対しては、スト権の付与と守秘義務違反の軽減を行う。また、政官接触を自由化する。[[特殊法人]]、[[独立行政法人]]、[[特別会計]]は見直す方向。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 経済、財政政策 ===&lt;br /&gt;
[[小さな政府]]ではなく、「官で出来ることは官で、民で出来ることは民で」。過疎化した地方など無駄な[[公共事業]]を極力減らしていく方針。&lt;br /&gt;
; 税制&lt;br /&gt;
: [[年金]]の特定財源化を行い、すべての年金を一元化する。1人月額6万円を支給する基礎年金と従来の保険料方式を維持した所得比例年金の2階建て。[[消費税]]は5%に維持するが、その税収はすべて全額を福祉目的税化し、基礎年金に割り当てる。しかし、消費税5%分（約13兆円）だけでは年金の基礎部分を賄えないため、必要な財源は既存予算から捻出するように努力する。13兆円では、国民の半数にしか年金が支給できないとの批判があったが、「給付する人を低所得者に限るため、13兆円で足りる」と反論した。&lt;br /&gt;
: [[道路特定財源]]の一般財源化を行い、[[揮発油税]]（ガソリン税）の暫定税率を廃止する。2008年[[3月28日]]にはこれに関して「暫定税率を延長する必要はなく、国民生活のために還元をしたほうが良い」と主張した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=12977 『暫定税率を延長する必要はない。むしろ国民に還元すべき』小沢代表]」 民主党ホームページ、2008年3月28日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。廃止に伴う地方財政への影響に関しては、道路特定財源の内で地方へ行くと予定されているのは9000億円であるが、そのうち市町村分の3000億円には手当てが必要であるとの見解を示し、その手当てを[[一般会計]]・[[特別会計]]の余剰金の利用や無駄の削減で市町村分へ配分することは可能だとした&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=13128 首相の一般財源化では理解得られない 国民に信を問うべき 小沢代表]」 民主党ホームページ、2008年4月20日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[地方分権]]&lt;br /&gt;
: [[中央集権]]体制から地方主権体制への移行。中央政府の権限は外交・治安などに限定し、その他の権限を地方に移譲する。また、個別[[補助金]]は官僚支配を生み[[利権]]の温床となるため廃止し、自主財源として一括交付する。財源・権限を地方に移譲することで地域経済の活性化につながる。地方分権を推進するため、市町村の300程度への集約を行う。&lt;br /&gt;
; 格差是正&lt;br /&gt;
: 社会的格差を是正する。子育て支援をし、親と同居している世帯に対して「親手当」、子供がいる世帯に対して「子ども手当」を交付する。[[管理職]]は自由競争だが、非管理職は[[終身雇用]]にする。[[労働法]]は長期安定雇用を基本とするべき。挫折した経営者・労働者の再起、再就職の支援制度を拡充する。&lt;br /&gt;
; [[移民]]政策&lt;br /&gt;
: 自民党と財界一部に「移民受け入れ」を検討する動きがある事を受け、「まったくダメだ。現在でも『奴隷労働』と言われる非正規労働者の問題が深刻なのに。発展途上国から単純労働者を受け入れることは、一種の奴隷制度ではないか。治安問題を心配する声もあるが、それ以前に、そういう形での移民受け入れは人間の尊厳に対する冒涜であり、人道的にとても認められない。」と述べ、与党の移民政策を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008062334_all.html 小沢代表直撃インタビュー]{{リンク切れ|date=2009年5月}}」 [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2008年6月23日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育政策 ===&lt;br /&gt;
与党案とは異なる民主党独自の「教育基本法」の制定。教育予算は先進国中低位の現状を是正し引き上げる。5歳から高校まで義務教育を広げる。すべての国民に[[高等教育]]の機会を与えるため、[[奨学金]]制度を拡充する。教師などの教育職員は[[国家公務員]]として身分を安定させ、[[労働争議|争議]]権を認めない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 農業政策 ===&lt;br /&gt;
わが国の安全保障を確保するためには現在39%&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/fbs/dat-fy18/sankou2.pdf PFC供給熱量比率、食料自給率及び飼料需給表]」 [[農林水産省]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;に低下している食料自給率を他の先進国並みに高める。農家、農村の活力を再生するために、穀物などの主要農産物について[[戸別所得補償制度]]を導入する。[[トレーサビリティ (流通)|トレーサビリティ制度]]の拡充と加工食品の原材料も含めた原産地表示の義務づけを行い、食の安全を確保する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 他党、支持母体との関係 ===&lt;br /&gt;
; 選挙協力&lt;br /&gt;
: 思想的には保守であるが、自公政権打倒のためには'''共産党を含めた全野党による選挙協力'''も辞さないことを表明した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2006/ar20060412155540.html 参院選候補選定『直接やる。カギは1人区』]」 『産経新聞』、2007年4月11日付朝刊。&amp;lt;/ref&amp;gt;。社会党の[[社公民路線]]以来、「非自民・非共産」として、共産外しが常態となっていた野党第一党の代表としては異例の見解であった。そのため、自公からはもちろん、党内の[[反共主義]]者からの批判が見られた。共産党は現時点では「市場主義重視」の民主党の「[[第三の道]]」路線に対して自公共々批判的であるため、実現しなかった。&lt;br /&gt;
; 大連立&lt;br /&gt;
: 2007年末に取り沙汰された大連立騒動（[[大連立構想 (日本 2007)]]）では、民主党が政権を取る為には、自民党と連立し、連立政権の中で民主党のマニフェストを実現して、実績と政権担当能力を示す必要があると主張した。大連立構想が立ち消えになった後は自民党との対決姿勢を強め、選挙による政権交代を目指している。&lt;br /&gt;
; [[労働組合]]との関係&lt;br /&gt;
: 未組織労働者や市民層からの支持を増やすことで協調的に労組との関係を維持した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 小沢グループ ==&lt;br /&gt;
小沢一郎を支持する民主党のグループ。もともとは旧自由党出身の議員のみであった。合併当初は「党中党」は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、2004年6月に当時当選1回～2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会「一新会」が発足。これ以降徐々に会合等を開くようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一新会に加え、2005年秋に発足した落選者や候補者を対象とした「一新会倶楽部」に加え、2001年から続く「小沢一郎政治塾」の存在もあって選挙ごとに勢力を拡大。[[2007年]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]で当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。小沢を中心に旧自由党出身の議員の結束は固いが、[[渡辺秀央]]、[[大江康弘]]のように小沢と選挙等をめぐって対立し離党した議員もいる。一方、一新会のメンバーの場合他のグループに参加しているメンバーも多く結束は自由党出身議員と比べ幾分緩い傾向がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政策的にはかつては右派的、新自由主義的なものが多かったが小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れつつある。小沢同様、政策よりも選挙や政局を重視する傾向があり、政策重視を掲げる「凌雲会」や「花斉会」とは対立することが多い&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; [[一新会]] - 約20名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[三井辨雄]]、[[仲野博子]]、[[松木謙公]]、[[石川知裕]]、[[横山北斗]]、[[田名部匡代]]、[[階猛]]、[[石関貴史]]、[[武正公一]]、[[神風英男]]、[[小宮山泰子]]、[[高山智司]]、[[内山晃]]、[[菊田真紀子]]、[[村井宗明]]、[[篠原孝]]、[[牧義夫]]、[[鈴木克昌]]、[[吉良州司]]&lt;br /&gt;
; 旧[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]グループ - 約10名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[藤井裕久]]、[[中井洽]]、[[山岡賢次]]、[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]]、[[黄川田徹]]&lt;br /&gt;
:* 参議院議員 - [[西岡武夫]]、[[一川保夫]]、[[工藤堅太郎]]、[[佐藤公治]]、[[平野達男]]、[[森ゆうこ]]、[[室井邦彦]]、[[広野允士]]&lt;br /&gt;
; その他 - 約10名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[奥村展三]]、[[青木愛]]、[[太田和美 (政治家)|太田和美]]&lt;br /&gt;
:* 参議院議員 - [[川上義博]]、[[主濱了]]、[[喜納昌吉]]、[[藤原良信]]、[[大久保潔重]]、[[平山幸司]]、[[米長晴信]]、[[谷岡郁子]]、[[藤原良信]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 小沢ガールズは特に定義のないまま第45回衆院選で注目区を制した女性新議員の総称で使われており、また40名と断定するのは不明確だと思われるためコメントアウト &lt;br /&gt;
; [[小沢ガールズ]] - 40名&lt;br /&gt;
: 2009年8月30日[[衆議院]]議員総選挙にに当選した民主党女性[[代議士]]&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 不祥事 ==&lt;br /&gt;
=== 事務所費問題 ===&lt;br /&gt;
[[2007年]][[1月]]、自身の資金管理団体「陸山会」が2005年分の[[政治資金収支報告書]]に4億円を超える不透明な[[事務所費]]を計上していることが発覚した。鳩山幹事長は『（小沢から）「東京都世田谷区内に約3億6500万円相当の土地と建物を購入し、費用を事務所費として計上した」と聞いており「全く問題ない」』と反論した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、自身の資金管理団体が10億円を超す不動産を保有し（小沢個人名義で保有）、またその一部を賃貸運用していることなどが発覚し、物議を醸した。それに対し小沢は1月の衆院代表質問で、これらの「支出の詳細、領収書、関係書類を含め公表する用意がある」とし、同じく事務所費問題を抱える自民党に対し、大臣など責任ある立場の議員に公表を迫った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月20日]]、国会内での記者会見で、東京・世田谷区に約3億7000万円の秘書宿舎を建設し、加えて不動産取引の仲介手数料や[[登記]]費用として1100万円を計上したという、2003年〜2005年の事務所費などを公開した。一方、10億円は国民の常識からかけ離れているとの批判もあるが、それだけ支援者からの寄付金が多かったということであり、また不動産を所有しても政治資金団体の財産なので問題はないと主張した。同時に、資金管理団体の小沢名義の資産を個人資産にしないという確認書を公開した。なお、陸山会の代表は小沢自身であり、この確認書は「陸山会代表である小沢一郎」と「個人である小沢一郎」の間で交わされたものになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後2007年[[10月9日]]、[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]で与野党逆転した後、初の本格的論戦で注目されていた衆議院予算委員会総括質疑の初日、「陸山会」が政治資金で購入したマンションの部屋をコンサルタント会社と財団法人に事務所として貸し、2002年から2006年の間に賃料計980万円を得ていたことが報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9日に民主党幹事長の[[鳩山由紀夫]]は「法に触れるようなことは何もしていない」とコメントし、「このタイミングで問題化させるのは政治的意図があるからではないのか」とも切り返した。また小沢代表も翌10日の記者会見で「1円単位で領収書を公開した2月時点で（メディアから）追及は全く無かった。それが半年以上も経過した今回一面トップで報じることは、政治的思惑でもって意図的に[[誹謗中傷]]した報道であると認識している」とし、これを一面で報じた毎日新聞をはじめ報道を批判するなど強く不快感を示した。なおこれらの違法性を強く否定しつつも今後不動産の売却を進めていく考えを表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この件を報じた週刊現代を名誉毀損で小沢は出版社を提訴。しかし、一審二審ともに小沢側の全面敗訴の判決が出され、上告をしなかったため、小沢の全面敗訴が確定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月13日参議院決算委員会で自民党西田議員が本件について詳細に発表したとき、民主党議員からの野次により委員会が一時中断した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=jKWnCWyRpuc 小沢一郎のマンション疑惑 2009年4月13日参議院決算委員会]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政策秘書公職選挙法違反容疑 ===&lt;br /&gt;
[[第21回参議院議員通常選挙]]で当選した同党の[[青木愛]]の選挙運動員が事務所の指示を受け、参院選公示前日の7月11日、業者に依頼して選挙ポスター付きの看板設置に関する契約を1本当たり500円で千数百万円分の契約を結んだ疑いで逮捕された。印刷会社社長が警察からの事情聴取で、小沢の政策秘書に報告しその内容を掴んでいたのではないかとも取れる供述を行なった。これに対し、小沢自身は8月31日の記者会見で「選挙違反に当たるような行為は一切していないという（秘書からの）報告で、私もそう思っている」と捜査や報道を批判し強く不快感を示した。9月14日、千葉地検は逮捕した印刷会社社長らを「選挙違反にはあたるが、違法性の程度が比較的軽かった」と判断して起訴猶予処分とし、小沢の政策秘書も立件せず捜査を終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政治資金規正法違反疑惑 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float:right&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| id=&amp;quot;toc sub&amp;quot; class=&amp;quot;toc&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;div style=&amp;quot;text-align: center&amp;quot;&amp;gt;'''目次'''&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ul&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#概略|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;1&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;概略&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#経過|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;2&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;経過&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#献金の背景とルート|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;3&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;献金の背景とルート&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#ダミー団体との認識|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;4&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;ダミー団体との認識&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#小沢に対する弁護と批判|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;5&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;小沢に対する弁護と批判&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#報道における問題|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;6&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;報道における問題&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#検察の捜査姿勢に対する賛否|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;7&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;検察の捜査姿勢に対する賛否&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ul&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{see also|西松建設#政治資金規正法違反}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 概略 ====&lt;br /&gt;
準大手[[ゼネコン]]の[[西松建設]]が、OBらを代表とした政治団体を通じて、小沢や[[森喜朗]]・[[二階俊博]]など、与野党の国会議員の資金管理団体へ多額の政治献金を継続していたことが{{和暦|2008}}12月末に表面化した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-12-21/2008122115_01_0.html 裏金疑惑の西松建設 関連政治団体政界に4億2000万円 森・二階・小沢氏ら] しんぶん赤旗 2008年12月21日（2009年3月12日閲覧）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081231-OYT1T00021.htm 西松建設が違法献金か、政治団体隠れみのに4億8千万円 読売新聞 2008年12月31日]{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。これに関連して{{和暦|2009}}[[3月3日]]に陸山会（小沢の資金管理団体）の会計責任者兼公設第一秘書が[[政治資金規正法]]違反の容疑で逮捕された&amp;lt;ref name=sankei090304&amp;gt;『産経新聞』は[[政治資金規正法#トンネル献金|トンネル献金]]の疑いがあることを報じている（「小沢氏秘書ら逮捕 規正法違反容疑で3人 西松トンネル献金」産経新聞 2009年3月4日朝刊1面[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903041340016-n1.htm]）。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/national/update/0303/TKY200903030171.html 民主・小沢代表の秘書逮捕、規正法違反の疑い東京地検 朝日新聞 2009年3月3日]{{リンク切れ|date=2009年4月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 経過 ====&lt;br /&gt;
[[2008年]]12月下旬、[[西松建設]]がOBらを代表とした政治団体（「新政治問題研究会」・「未来産業研究会」&amp;lt;ref&amp;gt;いずれも{{和暦|2006}}末に解散。&amp;lt;/ref&amp;gt;）を通じて、小沢や[[森喜朗]]・[[二階俊博]]など、与野党の国会議員の資金管理団体へ多額の政治献金を継続していたことが表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]3月3日、陸山会（小沢の資金管理団体）の会計責任者兼公設第一秘書が[[政治資金規正法]]違反の容疑で逮捕され、東京にある小沢の資金管理団体「陸山会」事務所には家宅捜索が行われた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-03|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090303/crm0903031826030-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】警察官も出動 赤坂の「陸山会」捜索|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月4日、東京地検特捜部は小沢の地元事務所を家宅捜索&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-04|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903041305014-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】小沢氏の地元事務所を捜索 東京地検特捜部|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月4日、小沢は「献金が違法ということが明らかになったときに返却するつもりだ」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903050043001-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】「献金の早期返却望ましい」鳩山氏|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;（政治資金規正法の第二十二条の六の第四項において他人名義による寄附は国庫に帰属するものと定められているため、違法の場合は受取った献金を国庫に納めなければならない&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO194.html#1000000000000000000000000000000000000000000000002200600000000000000000000000000|title=政治資金規正法 第二十二条の六|publisher=総務省法令データ提供システム|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月5日、自民党では二階派及び森が西松建設からの献金の返還を表明&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903051736007-n1.htm|title=自民で次々に「西松献金返還」 でも、団体解散で方法は…|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903052009011-n1.htm|title=森元首相も300万円返還 西松献金|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。大阪府吹田市の阪口善雄市長も「違法性のある献金ならば何らかの形で返したい」と西松建設が購入した70万円分のパーティー券について述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090305/crm0903050145004-n1.htm|title= 【西松献金】吹田市長後援会が100万円分パーティー券購入|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方、衆議院議員時代に西松建設に20万円のパーティー券を購入してもらった長野県知事[[村井仁]]は西松建設からの献金の返却について考慮しないと答えている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090305/lcl0903051853004-n1.htm|title=長野県知事、西松献金返還の考えなし|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月10日、民主党の[[西岡武夫]]参院議院運営委員長が「党執行部と相談した上で検事総長の証人喚問を考えたい」とコメント&amp;lt;ref name=asahi_090313&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-13|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903130121.html|title=検事総長喚問、森法相が反対姿勢 「検察の独立脅かす」|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月12日、東京地検特捜部は小沢の元秘書・[[石川知裕]]衆院議員を参考人聴取した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-12|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903120256.html|title=小沢氏の元秘書・石川知裕衆院議員を参考人聴取 特捜部|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月13日、西松建設の捜査について民主党内から検事総長の証人喚問を求められていることに対して[[森英介|森法相]]は「検察官を証人として国会に出頭させることは、検察官の独立性と公正性の保持の観点から悪影響を及ぼす」として反対を表明した&amp;lt;ref name=asahi_090313 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Nishimatsu Ozawa.PNG|thumb|right|200px|西松建設から小沢側へ行われたとする[[トンネル献金]]（検察による起訴内容）&amp;lt;ref name=sankei090304/&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
2009年3月24日、東京地検は政治資金規正法違反として小沢の公設第一秘書と西松建設前社長を起訴&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm|title=小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。起訴状によると、公設第一秘書は2003年から2006年にかけて西松建設からの献金と知りながらダミーの政治団体「新政治問題研究会」「未来産業研究会」の名義で小沢の資金管理団体である陸山会には2,100万円&amp;lt;!--新しい出典に基づき金額修正--&amp;gt;、小沢が代表を務める民主党岩手県第四区総支部には1,400万円の寄付を受取り、その上で政治資金収支報告書に虚偽の記載を行ったとされた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009032502000073.html 小沢代表続投表明 虚偽記載で秘書起訴「東京新聞」2009年3月25日]{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=https://www.nnn.co.jp/knews/090324/20090324146.html|title=大久保被告の起訴状要旨|publisher=日本海新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月27日、民主党代議士会は小沢の代表続投を了承した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-27|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090327/stt0903271901012-n1.htm|title= 【民主代議士会詳報】（3）完 鳩山氏「政権交代を一番願っているのは小沢代表」（27日午後）|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月28日、党本部で記者会見を行い、企業・団体献金の即時全面禁止を表明した。企業・団体献金の取り扱いについて「ディスクロージャー（情報開示）が大事だが、解釈の違いが起きたりすると、政治に間違った影響を与える。即時に全面禁止すべきだ」と述べた。民主党として「即時全面禁止」を盛り込んだ政治資金規正法改正案の提出を検討するとともに、次期衆院選の政権公約（マニフェスト）に盛り込む見通し。一方、法案化については、即座禁止ではなく「5年以内の禁止」を盛り込んだ政治資金規正法改正案の提出を目指している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-04-28|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090428/stt0904281811002-n1.htm|title=もう企業・団体献金はいらない!? 小沢氏が「即時全面禁止」を表明|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党のマニフェストは、菅直人代表代行と岡田克也副代表がそれぞれ党代表を務めていた2002年と2004年の衆院選のマニフェスト（政権公約）では「公共事業受注企業からの政治献金全面禁止」が明記されていたが、小沢が代表に就任した際「個人献金より企業献金の方が癒着が少なく、望ましい」と持論を述べ、2007年の参院選のマニフェストからは削除された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090316/stt0903162150004-n1.htm 企業献金見直し、民主は不一致、与党は様子見 2009.3.16 21:43]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 献金の背景とルート ====&lt;br /&gt;
[[ファイル:Money flow to Ozawa.png|thumb|right|400px|検察側が主張する下請け業者ルート（『産経新聞』による解説）&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090313&amp;quot;/&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1993年の鹿島建設東北支店の談合の仕切り役交代を契機に、公共事業の受注調整に際して小沢側の意向が大きな影響力をもつようになったとされる。一方、西松建設は東北地方を不得手としていたことから、受注の便宜を目的として1995年頃に小沢側と毎年2500万程度の献金を行う約束を行った。その後、東北地方での西松建設の受注高は増加したが、西松内部でも小沢側への献金の効果とする見方&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm|title=小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件|publisher=産経ニュース|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と談合の結果とする見方&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-07|url=http://mainichi.jp/select/jiken/nishimatuuragane/archive/news/2009/03/20090307org00m040042000c.html|title=西松建設裏金：東北の大型工事狙い…小沢氏の影響力期待|publisher=毎日JP|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に分かれているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-22|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903210253.html&lt;br /&gt;
|title=談合事件後の新仕切り役「小沢氏側寄り」 影響力拡大か|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;一方、小沢は献金と工事受注の結果とは関係がないとの認識を表明している&amp;lt;ref name=asahi_090322&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-10|url=http://www.asahi.com/special/plus/TKY200903100290.html|title=「ご迷惑、ご心配、この機会におわび」小沢代表定例会見|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西松建設側の供述によれば、公設秘書は西松建設に対して小沢の地盤である岩手県奥州市で建設中の[[胆沢ダム]]について「胆沢ダムは小沢ダム｣と発言し、献金を要請していたという&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月29日 毎日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
献金は1999年ごろまでは西松建設名義で行われていたが、2003年以降は以下の2ルートで献金が行われている。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903050174.html|title=小沢氏秘書、下請け迂回献金も認識 西松側に入金催促|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* 西松建設→政治団体（『新政治問題研究会』・『未来産業研究会』）→陸山会・民主党岩手県第4区総支部等（毎年1500万円）&lt;br /&gt;
:* 西松建設→下請け業者（松和会）→民主党岩手県第4区総支部（毎年1000万円）&lt;br /&gt;
この内、起訴されたのは政治団体経由の献金であり、下請け業者ルートの献金については起訴されていない。なお、談合決別宣言等の影響により2006年の500万を最後に政治団体経由の献金も打ち切られ、政治団体も既に解散している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090324-OYT1T00034.htm|title=大久保容疑者「どうにか続けて」、西松の献金中止申し出に|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
また西松建設に限らず複数のゼネコンからの下請け業者ルートも報告された&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090313&amp;quot;&amp;gt;「ゼネコンから年2億円」『産経新聞』2009年3月13日朝刊、一面({{Cite web|date=2009-03-13|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090313/crm0903130203002-n1.htm|title=ゼネコンから年2億円 小沢氏側 下請けダミーに？|publisher=産経新聞|accessdate=2009-05-28}})&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、西松建設がおこなった内部調査によれば、政治家への献金目的について「発注を得たいというより、受注活動を妨害しないでほしかった」と供述する社員がいたとしている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-05-15|url=http://s04.megalodon.jp/2009-0616-2217-59/www.asahi.com/special/09002/TKY200905150303.html|title=「受注のため違法献金」 西松建設、内部調査結果を公表|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-06-16}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『毎日新聞』 2009年5月16日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ダミー団体との認識 ====&lt;br /&gt;
小沢は秘書逮捕を受けた2009年3月4日の会見で「政治団体の原資がどういう形でどういうところから入ってくるのか、それは知るすべもありません」としていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041118010-n1.htm 【小沢代表会見詳報（4）】「どっかから持ってきたカネだとか、詮索しない」 MSN産経ニュース 2009年3月4日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。この小沢会見の直後、捜査関係者及び西松関係者を情報源として、小沢側が献金に際し直接西松建設と献金額の調整を行い、同社宛てに請求書を送付していたとの報道がなされた。また、検察はこの請求書や西松側の供述を証拠に小沢秘書が西松建設のダミー団体であることを十分認識していたと判断しているとされた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-08|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090308-OYT1T00084.htm|title=西松献金…小沢氏秘書が直接メモやり取り、額決定|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-23|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903220169.html|title=小沢氏秘書を24日起訴 違法献金認識と判断 東京地検|publisher=ASAHI.COM|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-08|url=http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009030801000497.html|title=小沢代表側が西松建設に請求書 ダミー団体献金で、違法性認識か|publisher=共同通信|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。西松建設への請求書報道に対し、小沢は3月22日の会見で、秘書に任せていたため小沢自身は当該政治団体からの献金の存在も知らず、請求書の送付についても「わからない」とした&amp;lt;ref name=asahi_090322/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年[[6月19日]]、検察は国沢前社長の初公判において「新政治問題研究会・未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていた」、「西松建設側からの支援は会社として行われてきたもので、窓口となっていた幹部の一存ではなく、西松の社長やしかるべく役職の人が決裁し、会社の経営判断で行われてきたと認識していた」とする小沢秘書の供述調書を明らかにした&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n3.htm|title=【西松事件公判（5）】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」（11：05~11：15）|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090620ddm012040059000c.html|title=西松建設献金事件：検察側冒頭陳述（要旨）|publisher=毎日JP|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090619-OYT1T00830.htm|title=談合が成立し4件を受注…西松事件・検察の冒頭陳述要旨3|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-07-01}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 小沢に対する弁護と批判 ====&lt;br /&gt;
小沢は[[事件]]について自ら説明をおこなった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304a&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041028006-n1.htm 【小沢代表会見詳報（1）】「（捜査は）不公正な国家権力、検察権力の行使」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041029007-n1.htm 【小沢代表会見詳報（2）】「規正法にのっとってオープンになっている問題」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041110009-n1.htm 【小沢代表会見詳報（3）】「何らやましいことはない」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041148013-n1.htm 【小沢代表会見詳報（5）完】「必ず近いうちに嫌疑は晴れる」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;が、この中で小沢が[[捜査]]について「不公正な[[国家権力]]、[[検察]][[権力]]の行使」と述べていることについては[[民主党]]の内外から批判の声が出ている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090305-OYT1T00929.htm 「検察批判「すべきでない」と前原氏、菅氏は小沢代表に理解」]読売オンライン [[2009年]][[3月5日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903042154023-n1.htm 反発と警戒…自民交錯 小沢氏の「検察批判」発言] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月5日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。また[[報道機関]]による[[世論調査]]では、国民が納得していないとの結果が得られたとしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090309/stt0903091139003-n1.htm 【産経FNN合同世論調査】小沢氏「辞任すべき」47・4% MSN産経ニュース] [[2009年]][[3月9日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090309/stt0903092047010-n1.htm 【産経・FNN合同世論調査】逆風で小沢氏凋落「説明責任果たさず」約8割] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月9日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090326/stt0903261641005-n1.htm 小沢代表「辞任を」66% 79%が「説明納得できず」共同通信調査] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月26日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090330/plc0903301140002-n1.htm 【産経FNN世論調査】「小沢代表辞任を」62% 内閣支持率は上昇] MSN産経ニュース 2009年3月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。3月27日にも民主党の参院議員総会と代議士会で説明しているが、代議士会において[[小宮山洋子]]議員からは「法廷闘争と選挙戦略は全く別だ。地元では『新しい体制を作ってほしい』という声が多い」 と小沢の代表続投に異議を唱えられ、[[近藤洋介 (政治家)|近藤洋介]]議員からは「世論調査では説明に納得していない国民が8割いる。なぜ数千万円の献金をもらい続けたのか」と説明を求められ、一方[[小沢鋭仁]]、[[小宮山泰子]]両議員には代表の続投を支持され、全体として代表続投が決まった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090327-OYT1T01028.htm 小沢代表が党所属国会議員に説明、続投了承される] 読売新聞 [[2009年]][[3月27日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[達増拓也]][[岩手県知事]]は小沢の[[公設秘書|公設第一秘書]]が逮捕された翌日、その[[政治資金規正法]][[違反]]事件について「これほど疑念を持たれている捜査はないんじゃないか。現段階では、よほどのことがないまま政治活動の自由が大きく制限されている」と[[東京地検特捜部]]の捜査を批判し、小沢の[[記者会見]]における[[政治献金|献金]]の違法性の否定については「非常に分かりやすく、得心できた」と大きな意味があったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;のちに達増拓也知事自身も西松建設との関連を指摘されている。[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090306/crm0903061324012-n1.htm 岩手県知事「報道で初めて知った」 西松建設規正法違反事件] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月6日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903042229029-n1.htm 【小沢氏秘書逮捕】「政治活動の自由制限」 岩手知事も批判] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の[[機関誌]]「プレス民主」[[2009年|09年]][[4月17日]]号で、[[ジャーナリスト]][[高野孟]]と[[田中康夫]][[新党日本#歴代代表|新党日本代表]]がこの捜査や小沢一郎代表交代論を批判した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.smn.co.jp/pod/090420.pdf 代表続投論]「プレス民主」[[2009年|09年]][[4月17日]]号&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の[[枝野幸男]]元[[政調会長]]は小沢の[[民主党代表|代表]]続投の判断について「今後も説明の努力をされ、（世論調査結果に表れる）納得できないとか辞めるべきだというのを大幅に下げる政治責任がある」とコメントし、小沢が多額の企業献金を得ていることについては「政治体質が私と百八十度違う。我が党の党首にはふさわしくないと一貫して思っている」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903280212.html 小沢氏の進退、世論の受け止め次第と強調 民主・枝野氏] 朝日新聞 [[2009年]][[3月28日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党員である[[小宮山洋子]]議員は公然と小沢の代表辞任を要求していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090325/stt0903251253007-n1.htm 民主、小宮山洋子衆院議員、小沢代表の辞任を要求] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月25日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、民主党の[[菅直人]]代表代行も小沢代表の辞任を求めたと伝えられたが後に釈明している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090403k0000m010071000c.html 民主・菅氏：小沢氏へ辞任求めた発言で釈明] 毎日新聞 [[2009年]][[4月2日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
盟友とされる[[国民新党]]の[[亀井静香]]代表代行は小沢の代表辞任を求めた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090417/stt0904172041005-n1.htm 亀井氏「身を捨てろ」小沢氏に辞任促す MSN産経ニュース 2009年4月17日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[日本共産党|共産党]]の[[志位和夫]][[日本共産党委員長|委員長]]は小沢には「長年多額の企業献金を受けてきたことの総括」と「国民が納得できる説明」が必要とした&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090319/stt0903191632003-n1.htm 企業献金廃止「まず小沢氏から」 共産・志位委員長] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月19日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は、この問題における党内の動揺を受け、[[5月11日]]に民主党代表を辞任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 報道における問題 ====&lt;br /&gt;
公設第一秘書の起訴直後、各報道機関によって『秘書が起訴内容を大筋認める』との報道がなされたが、秘書の弁護人は『大筋を認めたとする報道と弁護人らの認識は全く異なっている』とするコメントを発表した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903270484.html 小沢氏秘書の弁護人、報道機関へのコメント公表 - asahi.com 2009年3月27日23時39分] 2009年6月22日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;その後、西松の国沢前社長の公判で『私は新政治問題研究会、未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていました』と秘書が供述したことが判明した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n3.htm|title=【西松事件公判（5）】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」（11：05～11：15）|publisher=産経ニュース|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、報道が[[検察]]や与党の意を汲んだマスメディアによる[[情報操作]]であるとの指摘もある&amp;lt;ref name=&amp;quot;sapio20090422&amp;quot;&amp;gt;『[[SAPIO]]』2009年[[4月22日]]号 p.6-11&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、『[[東京新聞]]』が西松から献金を受け取った与党政治家の件について記事にしたところ、東京検察（[[東京地方検察庁]]？）はそれが望ましくない内容であるという理由で、3週間『東京新聞』の取材拒否をしたという&amp;lt;ref&amp;gt;『[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]』2009年[[5月28日]]号 [[:en:MARTIN FACKLER]][http://www.nytimes.com/2009/05/29/world/asia/29japan.html In Reporting a Scandal, the Media Are Accused of Just Listening] なお、東京地検は、同紙が記者クラブに加盟していないことを理由に取材を拒否している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 検察の捜査姿勢に対する賛否 ====&lt;br /&gt;
{{see also|国策捜査}}&lt;br /&gt;
小沢側は事件に対する検察の捜査が[[国策捜査]]に当たると非難した&amp;lt;ref name=FNN_report&amp;gt;[http://s03.megalodon.jp/2009-0422-2011-01/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090331-00000106-san-pol 【本社・FNN合同世論調査】検察捜査 「不公平」46%、「公平」は40% MSN産経ニュース 2009年3月31日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党の[[原口一博]]衆議院議員はこれを否定する一方で捜査当局でしか知り得ない情報がメディアから流布されることを問題とし、国家公務員による秘密漏えいの疑いを指摘している&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月25日衆議院総務委員会&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[上杉隆]]によれば、[[週刊朝日]]をはじめとした一部のマスコミが、小沢よりも検察側に疑義があるとキャンペーンを張ったことで、小沢への批判は弱まったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;ダイアモンドオンライン「週間 上杉隆」2009年09月17日[http://diamond.jp/series/uesugi/10094/?page=3 非記者クラブメディアを排除した鳩山首相初会見への落胆]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公設第一秘書らの起訴の際、東京地検の次席検事は記者会見において「国会議員の政治団体が、特定の建設業者から長年にわたり多額の金銭提供を受けてきた事実を、国民の目から覆い隠したもの。規正法の趣旨に照らして見過ごせない重大で悪質な事案と判断した」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm 小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件 MSN産経ニュース 2009年3月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;と説明し、記者から「なぜ悪質といえるのか」「被告の認識は」との質問がなされていたが、特捜部長は刑事訴訟法第47条において公判前の書類開示は禁止されていることから&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO131.html#1001000000006000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000|title=刑事訴訟法 第四十七条|publisher=総務省法令データ提供システム|accessdate=2009-05-11}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、公判において明らかにすると回答した。また、収支報告書上に記載された献金についての立件については「寄付者の名義を変えてしまうことをどう評価するか。みなさんにご判断いただきたい」と答えている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20090325ddn003040028000c.html クローズアップ2009：小沢氏秘書起訴 異例の立件に波紋 毎日新聞 2009年3月25日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、小沢と同様に西松建設から献金を受け取った議員のうち、二階を除く自民党議員（森、尾身など）に対し検察側が捜査の動きを見せていないことについて、[[角福戦争]]以降、歴史的に旧田中派と敵対して来た[[清和政策研究会]]の意向が検察の捜査に反映されているとの指摘がある&amp;lt;ref name=&amp;quot;sapio20090422&amp;quot;/&amp;gt;一方、「政治家側がダミー団体と認識していた明確な証拠がないだけ」とする報道もある&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-05-12|url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090512k0000m040124000c.html|title=小沢代表辞任：検察幹部「証拠は十分」、公判に自信|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『産経新聞』が[[フジニュースネットワーク|FNN]]と合同でおこなった世論調査では、半数近くが「検察側の捜査は政治的に不公平」と回答し、「公平」とする回答を上回った（次期衆院選が近づく時期に国政に影響する捜査が不適切かという件については、「思わない」が「思う」を上回った）&amp;lt;ref name=FNN_report/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 労働保険未加入問題 ===&lt;br /&gt;
{{現在進行|section=1}}&lt;br /&gt;
2009年3月3日、小沢の事務所が雇用しているアルバイトや私設秘書について、労働保険に未加入だったことが分かった。同事務所は「少なくとも3、4年は未加入になっており、かなりの人数分の未納保険料を納付することになる」と説明、今後、過去の雇用状況を調べた上で労働局に届け出る予定としているが、労働保険未加入発覚時のペナルティは、発覚時の前年度と前々年度分の保険料と、10%の追徴金のみであり、未加入分の多くは問責されないこととなる。 同事務所では、小沢の初当選以来、「正規の秘書」以外は届け出ていない可能性もあり、対象者は数百人規模になるという&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/090305/wlf0903050058000-n2.htm 小沢事務所 労働保険未加入も 社民・福島党首も数年間]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== 人物評 ===&lt;br /&gt;
{{独自研究|section=1}}&lt;br /&gt;
かつては「豪腕」、「壊し屋」、と称され、「政治とは権力闘争である」という政治観の持ち主であった。[[金丸信]]は小沢、[[羽田孜]]、[[梶山静六]]の3人を「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と評した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党内外では小沢[[アレルギー]]の存在が指摘され、これは若手議員よりも自民党当時を知る議員により強いとされた。「独断専行、側近政治、顔が見えない」との批判や、自民党分裂とその後の分裂工作、新進党分裂・解党等がその原因とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
周囲からは東北人気質も相まって朴訥な人物と評された。そのことから説明する努力に欠け、側近が離れる一因となっているとも指摘された。本人曰く「去るもの追わず。来るもの拒まず」。また、強面のイメージであるが私生活では[[恐妻家]]として知られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 健康管理 ===&lt;br /&gt;
1991年に狭心症で入院して以来は健康管理に余念がなく、早朝に30分ほどの散歩をすることを日課とし、アルコールは日本酒を3合までに控えるよう心がけ、約2時間の昼寝を欠かさない&amp;lt;ref name=&amp;quot;産経ニュース2009.3.2 5/5ページ&amp;quot;/&amp;gt;。2008年10月6日から13日まで風邪で入院、同月23日に予定されていた[[インド]]の[[マンモハン・シン|シン]]首相との会談を含む党役員会などの公務も体調不良ということでキャンセルし、シン首相との会談は[[鳩山由紀夫|鳩山]]幹事長が代理を務めたものの健康不安説も再燃した&amp;lt;ref&amp;gt;『産経新聞』2008年10月24日朝刊&amp;lt;/ref&amp;gt;。第171回国会（会期2009年1月5日 - 6月3日）では、2月末までに11回開かれた衆院本会議のうち4回欠席している。&amp;lt;ref name=&amp;quot;産経ニュース2009.3.2 5/5ページ&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|title=【民主党解剖】第1部「政権のかたち」（1）「小沢首相」は大丈夫か （5/5ページ） |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n5.htm |publisher=産経ニュース |accessdate=2009年3月2日 |date=2009年3月2日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 信条 ===&lt;br /&gt;
[[田中角榮]]を『'''オヤジ'''』として慕い、政治のイロハと人生の薫陶を受けたと語る。それは「どぶ板」とも言われる、[[人口密度]]の低い農村部から始め有権者の家を一戸一戸回っていく地道な選挙活動を決して怠らない事をオヤジから学んだという。歴史上の人物では、[[福澤諭吉]]を日本文明の祖として尊敬し、[[西郷隆盛]]を尊敬するものの、政治家・人物としては[[大久保利通]]を目指していると述べた&amp;lt;ref&amp;gt;『小沢主義志を持て、日本人』 ISBN 4797671297 より&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[司馬遼太郎]]を愛読している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自民党離党 ===&lt;br /&gt;
小沢が自民党を離党した理由は、「談合政治」と言われる旧来型政治の打破と、[[イギリス]]や[[アメリカ]]のような[[二大政党制]]に持って行きたいという明確なビジョンがあったという。その思惑は、小沢が[[自由党]]を[[民主党]]に合流させることで成就するのだが、[[小選挙区制]]を導入すれば同じ選挙区から[[自民党]]と[[社会党]]の政治家が選ばれるということが無くなるためであった。小沢は、自ら進んで自民党を離党したのでは無く、既得権益を持った一部の議員に追い出されたのだと述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
; 実家&lt;br /&gt;
* 父・[[小沢佐重喜|佐重喜]]（弁護士、政治家）&lt;br /&gt;
* 母・みち（元千葉県会議員[[荒木儀助]]の四女）&lt;br /&gt;
:[[奥野修司]]の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁には｢みちは[[明治]]三十四年二月十五日に[[千葉県]]の元[[庄屋]]の娘として生まれている。実家はかなりの[[豪農]]で生まれたときからお嬢様として育てられたという。九段の精華高等女学校では、のちの[[鹿島建設]]会長夫人になる[[鹿島卯女]]も同窓だった。｣、85頁には｢このみちは[[明治]]三十四年に[[荒木儀助]]と妻かのの四女として[[千葉県]][[東葛飾郡]][[風早村]]で生まれているが生家は“[[駅]]からよその土地を踏まずに家まで帰ることができた”といわれるほどの大[[地主]]だったようだ。父親の儀助も[[千葉県]]の県会議員になっているほどだからかなり裕福だったことは推測できる。両親はともに教育熱心だった。のちに[[医者]]や[[弁護士]]になっている家族もたくさんいて、みち自身も東京九段の精華高等女学校を[[卒業]]しているほどである。｣とある&lt;br /&gt;
* 姉（2人）&lt;br /&gt;
; 自家&lt;br /&gt;
* 妻・和子（[[新潟県]]の建設会社[[福田組]]会長・福田正の長女）&lt;br /&gt;
* 三男あり&lt;br /&gt;
; 他家&lt;br /&gt;
* その他の親戚・[[竹下亘]]（政治家、元[[首相]][[竹下登]]の異母弟、妻は福田正の二女）、[[金丸信]]（政治家）など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
; 小沢家&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0001/05805140001033c.html 衆議院会議録情報　第058回国会　本会議　第33号]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:小沢一郎は自身の[[家系]]について、[[古代]]東北の英雄として知られた[[蝦夷]]･[[アテルイ]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://homepage2.nifty.com/tanizoko/aterui.html アテルイ]&amp;lt;/ref&amp;gt;の末裔であるため“反骨精神が旺盛だ”と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/2005/05.01.21.htm 小沢一郎（下） アテルイの末裔 だから反骨精神旺盛 ]&amp;lt;/ref&amp;gt;。父[[小沢佐重喜]]は[[岩手県]][[胆沢郡]]水沢町（現[[奥州市]]）の[[農家]]に生まれ、{{和暦|1923}}、[[日本大学]][[法学部]]を卒業するとその年の12月に25歳の若さで[[司法試験|弁護士試験]]に合格し翌年弁護士事務所を開業する。[[東京市]]会議員、[[東京府]]会議員を経て、{{和暦|1946}}、衆議院議員に当選する。[[第2次吉田茂内閣]]の[[運輸大臣]]、[[第3次吉田茂内閣]]の[[逓信大臣]]、初代[[郵政大臣]]兼初代[[電気通信大臣]]、[[第5次吉田茂内閣]]の[[建設大臣]]、第2次池田内閣で[[行政管理庁]]長官、[[北海道開発庁]]長官等を歴任する。父・[[小沢佐重喜|佐重喜]]について一郎は｢親父は、じいさまが[[酒]]に溺れて身上をつぶして[[水呑百姓|水飲み百姓]]の[[小作人]]のせがれとして食うや食わずで育ったんだ。それで、ものすごく貧乏だったせいかどちらかというと反体制的な考え方だった。[[戦後]]の[[経済]]万能主義の社会や政治を嫌悪していたし、エスタプリッシュメントというものに対する反発を非常に強くもっている男でした｣と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;奥野修司の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』105頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　（14代）&lt;br /&gt;
　　　竹中藤右衛門━━┳寿美&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┣竹中宏平━━竹中祐二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┗竹中錬一　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　米内光政━━━━和子　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　（元首相）　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　（元首相）　　┃　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　┏竹下勇造━━━━┳竹下登━━┳公子&lt;br /&gt;
　　　┃　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　┗武永貞一　　　　┣竹下三郎　┣まる子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┗一子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃金丸信━━━金丸康信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗竹下亘　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　&lt;br /&gt;
　　　　福田正━━━━━┳雅子　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┣福田実　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗和子　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┏男　&lt;br /&gt;
　　　　小沢佐重喜　　　　　┣━━━━╋男　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　┃　　　　　　　┃　　　　┗男&lt;br /&gt;
　　　　　　┣━━━━━小沢一郎&lt;br /&gt;
　　　　　　┃&lt;br /&gt;
荒木儀助━━みち　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
; 田中角栄&lt;br /&gt;
:* [[田中角栄]]の長男である正法（1947年、5歳で夭折）と小沢が同じ1942年生まれであったため、角栄は小沢を息子のように可愛がったとされた。それに対して小沢も角栄を慕い、田中派から独立した経世会に所属した国会議員で唯一、田中の[[裁判]]をすべて欠かさず傍聴した。旧竹下派の中では唯一田中家・[[田中真紀子]]から許されているため、[[命日]]には田中家を訪問した。そのため親交が深く、真紀子の自民党離党、民主党会派入りに小沢は尽力した。また、「政治の父は田中角栄」と公言した。&lt;br /&gt;
:* かつて田中角栄の懐刀だった小沢と福田の因縁の戦いは、'''「第二の[[角福戦争]]」'''と呼ばれた。しかし当人たちにはそのつもりが全く無く、福田を舌鋒鋭く批判する角栄の娘の[[田中真紀子]]元外相の方が注目され、これが真の「第二の[[角福戦争]]」だと見る向きもあった。&lt;br /&gt;
; 囲碁&lt;br /&gt;
: 2007年10月、[[自民党]]元官房長官の[[与謝野馨]]と囲碁で対決した。二人は政界きっての囲碁の実力者で2時間半の激戦の末、小沢が勝負を制した。小沢は「こっち（与謝野氏）は正統派だしね」、与謝野も「（小沢氏との）最後の一局は、4、5年前、私が負けたんですよ」と互いに勝負の感想を述べた。また、12月には作家の[[渡辺淳一]]と囲碁で対決し、小差ながらも勝利した。&lt;br /&gt;
; 愛犬&lt;br /&gt;
: 2006年4月の衆議院[[千葉7区]][[補欠選挙]]で党の広告に[[柴犬]]の「もも」を起用。補選で「もも」は小沢や候補者たちの応援に出向き話題をさらった。小沢によれば当時の小沢の飼い犬であった柴犬「ちび」と似ているという。2007年10月、その「チビ」を失うが、2008年、新たに柴犬の子犬2匹を飼い始め、毛並みの色から「クロ」、「チャイ」と名付けた&amp;lt;ref&amp;gt;「元気の源？かわいい子犬2匹 民主・小沢氏を毎晩お出迎え」 『朝日新聞』、2008年5月22日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; ニートについて&lt;br /&gt;
: 2005年3月の夕刊フジのコラムにて、[[ニート]]について以下のような見解を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/fuji/2005/fuji20050419134025.html 剛腕コラム 第226回]」 『夕刊フジ』、2005年3月25日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:: 「本人たちは「誰の迷惑にもなっていない」と言うかもしれないが、親の稼ぎで食わしてもらっているうえ、国民全体で支える公共的サービスは享受している。病気でもない働き盛りの若者が、漠然と他人に寄生して生きているなど、とんでもない。」&lt;br /&gt;
:: 「政府は「[[少子化|少子]][[高齢化社会|高齢化]]の進む人口減少社会で、経済の活力を一段と失わせかねない」として、今後、ニートの就職支援に本腰を入れるというが、果たしてそんな次元の話なのか。僕に言わせれば対策は簡単だ。一定の猶予を与えて、親が子供を家から追い出せばいい。無理矢理でも自分の力で人生を生きさせるのだ。追い詰められれば、彼らも必死に考えて行動するはずだ。それでも働きたくないというなら、勝手にすればいい。その代わり、親の世話には一切ならず、他人に迷惑（犯罪も含む）もかけず、公共的サービスも受けないことだ。[[無人島]]でも行って[[自給自足]]の生活でもすればいい。」&lt;br /&gt;
: またニートの親については、「僕は自宅で小鳥を飼っているが、親鳥はヒナが大きくなるまでは一生懸命に世話をするが、一定の時期がくると冷たいほど突き放して巣立ちさせる。ニートの親は動物にも劣るといっても過言ではない」と評し、その責任を激しく糾弾した。&lt;br /&gt;
; 韓国をめぐるエピソード&lt;br /&gt;
:* [[1999年]]4月に[[大韓民国|韓国]]を訪問した際、同月18日に日本の党幹部・閣僚クラスの政治家としては初めて（当時）となる、[[ソウル特別市|ソウル]]にある[[金九]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://english.hani.co.kr/arti/english_edition/e_international/374021.html 【Japan’s Election】 Japan’s Democratic Party foreign policy platform prioritizes Korean peninsula] Hankyoreh Aug.31,2009&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[尹奉吉]]、[[李奉昌]]、[[白貞基]]といった、抗日[[独立運動家]]の墓地を参拝した。この事に関して、[[東亜日報]]は「新しい韓日関係のため韓国に近づこうとする努力の一環として評価している」と報じ、[[文化日報]]は「[[極右]]保守的なカラーを薄めるための高度の計算だとの指摘もある」と述べた。&lt;br /&gt;
:* 小沢は日本の政治家としてはじめて韓国人秘書を正式に受け入れた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;/&amp;gt;。2000年に登用された韓国人女性である[[金淑賢]]は国際担当秘書を務めており、海外の要人との会談時には通訳をしていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|title=小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書 |url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2007/08/09/0400000000AJP20070809003300882.HTML |publisher=[[聯合ニュース]] |accessdate=2009年3月2日 |date=2007年8月9日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。身分として国が雇い給与が高い公設秘書（公設第1・第2・政策担当）ではなく、私費で雇い給与の安い数十人の私設秘書の中の一人であった{{fact|2009年2月}}。また、この女性は日本の政界に従事するという関係から、駐日韓国大使館とも随時政局などについて情報交換を行っていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;/&amp;gt;。この韓国人秘書は2007年7月に韓国政府の[[大韓民国女性部|女性部]]主催の「世界韓民族女性ネットワーク」に日本側代表として参加している&amp;lt;ref name=sougou&amp;gt;{{cite news|title=한국 여성、 日 오자와 대표 비서로 맹활약（韓国女性、日本小沢代表秘書として活躍） |url=http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/08/09/0200000000AKR20070809140900073.HTML |publisher=[[聯合ニュース]] |language=朝鮮語 |accessdate=2009年3月2日 |date=2007年8月9日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。この団体は、欧米各国で[[従軍慰安婦]]に関する日本政府への抗議デモや集会を700回以上行っている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|title= &amp;quot;사과하라!&amp;quot; 베를린에 울려퍼진 '700회 수요집회' |url=http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000316972 |publisher=[[OhmyNews]] |accessdate=2009年3月2日 |date=2006年3月16日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。なおこの女性は小沢の秘書を務める傍ら東京大学の博士号を取得し、[[2008年]]5月に秘書を離職した後は大学院の教員に就任している。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/misc/brochure/brochure_2009.pdf 東北大学公共政策大学院 2009年度大学院案内] 2009年3月2日 閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* 小沢は、韓国人の一部が領有権を主張し、韓国資本に土地が買収されている問題が発生している[[対馬]]について、前連合会長の[[笹森清]]に「どう思うか？」との質問をし、笹森が「私は対馬のことを心配している。ウォン経済に買い占められそうだ」と答えると、小沢は「今は絶好のチャンスだ。円高だから（韓国領の）[[済州島]]を買っちまえ」と[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]][[衆議院議員]]の[[パーティー]]で行ったあいさつで語ったことが各報道機関によって伝えられた&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月11日 時事通信&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090313/stt0903130116000-n1.htm 波紋呼ぶ小沢氏の「済州島買っちまえ」発言][[産経新聞]][[2009年]][[3月13日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;、小沢自身はこの発言の存在を否定している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090312/stt0903121344006-n1.htm 【小沢代表ぶら下がり詳報】「済州島買え？　そんなこと言ってない」１２日昼][[産経新聞]][[2009年]][[3月12日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 米国、中国との国際交流&lt;br /&gt;
: 小沢は、日米、日中の交流が世界の平和と安定に不可欠と考えて、政治家としての公的な仕事とは別に自分のライフワークとして草の根レベルの国際交流活動を続けた。米国とは1990年に「ジョン万次郎の会」を立ち上げ、1992年に財団法人ジョン万次郎ホイットフールド記念国際草の根交流センターを設立した。2001年、日本に関心の高い[[シカゴ]]市の特定中学校の生徒を毎年20人程度日本に招待した。中国とは、1986年に第1回長城計画が中華全国青年連合会の協力を得て開催され、青年指導者、大学生を毎年数十名を招待した。国際交流活動は、実施団体とともに小沢事務所が担当したため、複数の外国人の大学院留学生が事務所で働いていた。&lt;br /&gt;
; ニコニコ動画&lt;br /&gt;
: [[2007年]]7月、[[第21回参議院議員通常選挙]]の直前に[[ニコニコ動画]]へ出演し、話題となった。その後も[[2008年]]11月や[[2009年]]元旦に「1万人ネット会見」を行った。また、2008年9月から公式動画コーナー「小沢一郎チャンネル」を開設した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発言 ==&lt;br /&gt;
* 「公約は膏薬（こうやく）。張り替えれば効き目がでる」（新進党時代の同僚議員への口癖）&lt;br /&gt;
* 「どの女と寝ようといいじゃないか」（1994年、野党連合政権時代に新会派設立への動きを例えて）&lt;br /&gt;
* 「記者会見はサービス」（1993年、記者団に）&lt;br /&gt;
* 「日本人は特殊な人種だ。（世界から）特殊学級扱いされている。ばかじゃないかと」（2003年 [[小泉純一郎]]首相の自民党総裁再選を批判して）&lt;br /&gt;
* 「安倍内閣は脳死状態」（2007年、参院選敗北後の安倍晋三内閣の求心力低下を皮肉り）&lt;br /&gt;
* 「給油法案は、国民にとって重要な法案ではない」（2008年、同法案の衆院再議決を欠席したことについて）&lt;br /&gt;
* 「日本がもたもたして在日韓国人の地方参政権を認めないのは遺憾だ」（2008年、韓国の李明博大統領との会談で）&lt;br /&gt;
* 「総理大臣になって首脳会談ということなら、多少体調が悪くても欠席することはない。私、野党だから。総理大臣じゃない。国務大臣でもない。勘違いしないでください」（2008年、インド・シン首相との会談をドタキャンしたことについて）&lt;br /&gt;
* 「おれはまったく米国のことは信用していない。日本の国益を守るために言うべきことは言わないといけない」（2009年2月14日都内の料理屋で国民新党の亀井静香代表代行らと会談において、クリントン米国務長官から会談を打診されていることに関して）&lt;br /&gt;
* 「私は、日米同盟がなによりも大事であるということをずーっと以前から、最初から唱えてきたひとりでありますと。」 （2009年2月17日クリントン国務長官との会談後のインタビューで）&lt;br /&gt;
* 「政治の細かいことを知る必要はない。自分たちの1票で政権を代えることができる。それだけを分かってもらえたらいい」（2008年10月19日 インターネットのテレビ番組にて）&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081019/stt0810192254004-n1.htm 小沢氏、ネットで若者に政権交代アピール]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「僕は選挙担当だから。選挙以外のことは他の人に聞いてください。」（2009年05月30日TBS[[知っとこ!]]西松問題の説明責任を問われて）&lt;br /&gt;
* 「担ぐ神輿は軽くてパーなのが一番だ。」（但し、これは実際には側近平野貞夫の発言「担ぐ神輿は軽いほうがいい」を誇張して小沢の発言として伝えられたもの）&lt;br /&gt;
* 「自民党に投票したら投票に行かなかった人と同じで政治について文句を言う資格はない」&lt;br /&gt;
* 「これ以上何を謝ればいいんだ。」[[盧泰愚]]大統領訪日の際に。&lt;br /&gt;
* 「じゃあやり直したらいいじゃねえか、そんな事を言うんだったらやりなそうじゃないか。」[[宗教法人法]]改正問題で[[大久保直彦]]議員らに小沢の姿勢は弱腰と詰問され野次に対しての応酬で。&lt;br /&gt;
=== 拉致問題に関する発言 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月2日付産経新聞朝刊1面における「民主党解剖1」の記事中において、小沢が、2月上旬、都内で開かれた民主党議員と支持者による会合において「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と発言したことが報じられた。&lt;br /&gt;
この記事を受けて、救う会には、電話やメールで問合せが殺到し、救う会では、西岡力会長代行が「小沢民主党代表発言は事実なのか」と題するコメント&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1808] 小沢民主党代表発言は事実なのか（救う会全国協議会ニュース、2009.03.02）&amp;lt;/ref&amp;gt;を発表した。&lt;br /&gt;
これに対して民主党は、民主党幹事長代理から産経新聞社編集局長と政治部長宛に「記事は『事実無根の報道』」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1809] 記事は「事実無根の報道」と民主党が反論（救う会全国協議会ニュース、2009.03.03）&amp;lt;/ref&amp;gt;として記事の訂正と謝罪を求め、3月4日中に回答することを要請した。&lt;br /&gt;
この要請に対して、産経新聞政治部長は、3月4日、文書で民主党幹事長代理宛に「正当な取材の結果得られたもので、かつ裏づけもとれているもの」という旨を回答&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1810 記事は「正当な取材の結果」と産経新聞が回答] （救う会全国協議会ニュース、2009.03.05）&amp;lt;/ref&amp;gt;している。なお、小沢のこの発言については、産経新聞以外のメディアではほとんど取り上げられず、民主党も、救う会へ宛てたFAX以外では、反論も含めて一切触れていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所属議員連盟 ==&lt;br /&gt;
* [[憲法調査推進議員連盟]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.kenpoukaigi.gr.jp/tyousakai/20040414kenpougiren-kiyaku&amp;amp;meibo.pdf#search='憲法調査推進議員連盟 憲法調査推進議員連盟規約]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 民主党東北議員団連盟&lt;br /&gt;
* 民主党日英議員連盟&lt;br /&gt;
* [[北京オリンピックを支援する議員の会]]顧問など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 選挙歴 ==&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!当落!!選挙!!施行日!!選挙区!!政党!!得票数!!得票率!!&amp;lt;small&amp;gt;得票順位&amp;lt;br/&amp;gt;/候補者数&amp;lt;/small&amp;gt;!!比例区!!&amp;lt;small&amp;gt;比例順位&amp;lt;br/&amp;gt;/候補者数&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第32回衆議院議員総選挙]]||1969年12月27日||[[岩手県第2区 (中選挙区)|岩手県第2区]]||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''71,520'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''26.71'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第33回衆議院議員総選挙]]||1972年12月10日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''60,675'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''19.18'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''2'''/8|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第34回衆議院議員総選挙]]||1976年12月5日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''71,449'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''21.98'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第35回衆議院議員総選挙]]||1979年10月7日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''70,183'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''21.52'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第36回衆議院議員総選挙]]||1980年6月22日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''72,838'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''22.27'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/8|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第37回衆議院議員総選挙]]||1983年12月18日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''63,212'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''18.87'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''4'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第38回衆議院議員総選挙]]||1986年7月6日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''95,208'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''24.80'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第39回衆議院議員総選挙]]||1990年2月18日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''89,449'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''24.08'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第40回衆議院議員総選挙]]||1993年7月18日||岩手県第2区||新生党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''142,451'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''40.82'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第41回衆議院議員総選挙]]||1996年10月20日||[[岩手県第4区]]||新進党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''125,619'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''64.68'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第42回衆議院議員総選挙]]||2000年6月25日||岩手県第4区||自由党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''119,099'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''59.70'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第43回衆議院議員総選挙]]||2003年11月9日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''128,458'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''65.11'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第44回衆議院議員総選挙]]||2005年9月11日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''124,578'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''59.95'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第45回衆議院議員総選挙]]||2009年8月30日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''133,978'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''62.55'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/5|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;11&amp;quot;|当選回数14回 （衆議院議員14）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文献 ==&lt;br /&gt;
=== 著作 ===&lt;br /&gt;
; 単著&lt;br /&gt;
* 『[[日本改造計画]]』（[[講談社]]、1993年5月、ISBN 4062064820）&lt;br /&gt;
* 『語る』（小林泰一郎構成、[[文藝春秋]]、1996年4月、ISBN 4163502106）&lt;br /&gt;
* 『男の行動美学』（[[プラネット出版]]、1999年9月、ISBN 4939110028）&lt;br /&gt;
* 『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』（[[五百旗頭真]]・[[伊藤元重]]・[[薬師寺克行]]編、[[朝日新聞社]]、2006年6月、ISBN 4022501634）&lt;br /&gt;
* 『剛腕維新』（[[角川学芸出版]]、2006年8月、ISBN 4046210885）&lt;br /&gt;
* 『小沢主義（オザワイズム）―志を持て、日本人』（[[集英社]]、2006年9月、ISBN 4797671297）&lt;br /&gt;
; 共著&lt;br /&gt;
* 『日米関係を読む』（アジア調査会編、[[ジェームズ・ファローズ]]・[[松永信雄]]共著、プラネット出版、1990年11月、ISBN 4881913123）&lt;br /&gt;
* 『ジョン万次郎とその時代』（[[川澄哲夫]]編、[[廣済堂出版]]、2001年7月、ISBN 4331507963）&lt;br /&gt;
* 『政権交代のシナリオ―「新しい日本」をつくるために』（[[菅直人]]共著、[[PHP研究所]]、2003年11月、ISBN 4569631908）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連文献 ===&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の「真実」―金丸、竹下を手玉にとる剛腕幹事長』（[[アイペック]]、1990年、ISBN 4870471000）&lt;br /&gt;
* 『平成名勝負物語—橋本龍太郎vs小沢一郎』（[[小林吉弥]]著、[[勁文社]]、1990年、ISBN 4766912497）&lt;br /&gt;
* 『劇画 橋本龍太郎VS小沢一郎—激闘譜』（[[さいとうたかを]]著、日本フローラルアート出版局、1991年、ISBN 4930831008）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の政治謀略―政界の裏の裏がわかる本』（菊池久著、[[山手書房新社]]、1991年、ISBN 4841300228 ）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎探検』（朝日新聞政治部編、[[朝日新聞社]]、1991年、ISBN 4022563435）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎・全人像』（小田甫著、[[行政問題研究所出版局]]、1992年、ISBN 4905786908）&lt;br /&gt;
* 『平成動乱 小沢一郎の野望』（[[板垣英憲]]著、[[DHC]]、1993年、ISBN 4887240023）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の秘密』（[[佐藤淳一]]著、[[データハウス]]、1993年、ISBN 4887181698）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎・日本改造計画の危険性』（[[本澤二郎]]著、[[エール出版社]]、1993年、ISBN 4753912345）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の逆襲―ベールに包まれた政界再編のシナリオを読む!』（[[竜崎孝]]著、サンドケー出版局、1993年、ISBN 491493809X）&lt;br /&gt;
* 『あの人 ひとつの小沢一郎論』（[[渡辺乾介]]著、[[飛鳥新社]]、1993年、ISBN 4870311291）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の腕力ポイント読み』（[[伊勢暁史]]著、[[明日香出版社]]、1994年、ISBN 4870307081）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎総理大臣待望論』（板垣英憲著、ジャパン・ミックス、1994年、ISBN 4883211541）&lt;br /&gt;
* 『どっこい小沢一郎は生きている 全発言で探る、この男の次の一手』（[[上之二郎]]著、[[ベストセラーズ]]、1994年、ISBN 4584191131）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎真実の叫び―これだけはいいたい 小沢は日本の未来に危惧を抱き、平和な国と社会のために改革を図る』（[[蒲生輝]]著、[[三心堂出版社]]、1994年、ISBN 4915620778）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎日本国崩壊をすくう』（蒲生輝著、三心堂出版社、1994年、ISBN 4915620956）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎―覇者の履歴書』（[[奥野修司]]著、データハウス、1994年、ISBN 4887182457）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の日本vs.武村正義の日本―あなたはどちらの国に住みたいか この2人がわかれば日本の将来が見えてくる』（[[小板橋二郎]]著、[[こう書房]]、1994年、ISBN 4769605080）&lt;br /&gt;
* 『池田大作vs小沢一郎 どうなる日本どうなる両雄の展開』（[[後藤寿一]]著、[[銀河出版]]、1994年、ISBN 4906436412）&lt;br /&gt;
* 『「小沢一郎日本改造計画」への挑戦状! 20代議員の描くキラリと光る改造計画』（「新党20代議員の会」編著、[[マネジメント社]]、1994年、ISBN 4837803431）&lt;br /&gt;
* 『河野洋平と小沢一郎の大戦略―宿命のライバル』（[[本沢二郎]]著、[[総合法令]]、1994年、ISBN 4893463829）&lt;br /&gt;
* 『悪魔の使者小沢一郎―あの強腕を裏で操るのは何者か 日本改造なんてとんでもない』（[[ヤコブ・モルガン]]著・[[忍野昭太郎]]訳、[[第一企画出版]]、1994年、ISBN 4887190166）&lt;br /&gt;
* 『小沢ウオッチング』（[[立尾良二]]著、[[東京新聞]]出版局、1995年、ISBN 4808305216）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の時代』（板垣英憲著、[[同文書院]]、1996年、ISBN 4810380300）&lt;br /&gt;
* 『お笑い大蔵省極秘情報』（[[テリー伊藤]]著、飛鳥新社、1996年、ISBN 4-87031-293-X）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎―その「恐怖支配」の実態』（[[久慈力]]著、[[マルジュ社]]、1996年、ISBN 4896161017）&lt;br /&gt;
* 『政治が歪める公共事業―小沢一郎[[ゼネコン]]政治の構造』（久慈力・[[横田一]]著、[[緑風出版]]、1996年、ISBN 4846196143）&lt;br /&gt;
* 『盛岡大学疑惑を追及する―教育を食い物にする紳士たち』（久慈力著、[[新泉社]]、1997年、ISBN 4787797158）&lt;br /&gt;
* 『拝啓小沢一郎党首殿』（[[松沢成文]]著、[[ごま書房]]、1997年、ISBN 4341017748）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の行動美学』（三菟雅文著 プラネット出版社 1999年 ISBN 4939110028）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の大勝負 竜馬か!? 悪魔か!?』 （板垣英憲著、[[リヨン社]]、2003年、ISBN 4576031910）&lt;br /&gt;
* 『日本変革 菅直人+小沢一郎は政治をどう変えるのか』（板垣英憲著、ベストセラーズ、2003年、ISBN 4584159769）&lt;br /&gt;
* 『政党崩壊―永田町の失われた十年』（[[伊藤惇夫]]著、[[新潮社]]［[[新潮新書]]］、2003年、ISBN 4106100231）&lt;br /&gt;
* 『闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体』（[[松田賢弥]]著、講談社、2003年、ISBN 4062117061）&lt;br /&gt;
* 『永田町「悪魔の辞典」』（伊藤惇夫著、文藝春秋、2004年、ISBN 4166603884 ）&lt;br /&gt;
* 『政治の数字―日本一腹が立つデータブック』（伊藤惇夫著、文藝春秋［[[文春新書]]］、2005年、ISBN 4106101173）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の政権奪取戦略』（[[大下英治]]著、[[河出書房新社]]、2005年3月、ISBN 4309243347）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の日本をぶっ壊す』（大下英治著、[[幻冬舎]]、2006年8月、ISBN 4344408217）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の真実』（[[平野貞夫]]著、講談社、 2006年9月、 ISBN 4066213557）&lt;br /&gt;
* 『「小沢一郎」入門―カリスマの原点 小沢一郎は何を考えているのか』（[[森田実]]著、[[三笠書房]]［知的生き方文庫］、 2006年10月、 ISBN 4837975887）&lt;br /&gt;
* 『政権交代―小沢一郎最後の戦い』（板垣秀憲著、 [[共栄書房]]、2007年7月、ISBN 4763410334）&lt;br /&gt;
* 『[[小沢民主党は信用できるか]]』（[[高市早苗]]編著、[[PHP研究所]]、2008年2月 ISBN 9784569697949）&lt;br /&gt;
雑誌関連文献抄&lt;br /&gt;
* 『[[月刊現代|現代]]』2004年2月号、小沢一郎・[[横路孝弘]]・伊藤達美「小沢一郎×横路孝弘―民主党の両極 安全保障論で合意する」&lt;br /&gt;
* 『[[週刊金曜日]]』2005年1月14日号、「本多勝一の憂刻ニッポン―小沢一郎（上）現行憲法の下で「無血革命」を目指す」[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2005/ar20050308142225.html]&lt;br /&gt;
* 『[[AERA]]』2006年1月23日号、[[後藤正治]]「小沢一郎 思想政治家で終わるのか」&lt;br /&gt;
* 『[[世界 (雑誌)|世界]]』2007年11月号、小沢一郎「公開書簡 今こそ国際安全保障の原則確立を」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist|3}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党国会議員一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の閣僚経験者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の次の内閣一覧]]&lt;br /&gt;
* [[一新会]]&lt;br /&gt;
* [[金竹小]]&lt;br /&gt;
* [[一龍戦争]]&lt;br /&gt;
* [[ネオ・ニューリーダー]]&lt;br /&gt;
* [[ワン・ワン・ライス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.ozawa-ichiro.jp/ ■小沢一郎ウェブサイト■]（公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.mag2.com/m/0000033978.htm 小沢一郎メールマガジン]（公式メルマガ）&lt;br /&gt;
* [http://www.minshu-iwate.com/ 民主党岩手県連]&lt;br /&gt;
* [http://mainichi.jp/select/wadai/graph/ozawa/ 小沢一郎 写真特集 （小沢ショック-毎日jp）]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[自治大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[古屋亨]]&lt;br /&gt;
| years  = 第34代 : 1985年 - 1986年&lt;br /&gt;
| after  = [[葉梨信行]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[国家公安委員会委員長]]&lt;br /&gt;
| before = [[古屋亨]]&lt;br /&gt;
| years  = 第44代 : 1985年 - 1986年&lt;br /&gt;
| after  = [[葉梨信行]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党代表]]&lt;br /&gt;
| before = [[前原誠司]]&lt;br /&gt;
| years  = 第6代 : 2006年 - 2009年&lt;br /&gt;
| after  = [[鳩山由紀夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党代表代行]]&lt;br /&gt;
| before = [[中野寛成]]&amp;lt;br/&amp;gt;増員&lt;br /&gt;
| years  = 2003年 - 2004年&amp;lt;br/&amp;gt;2009年（筆頭）&lt;br /&gt;
| after  = [[藤井裕久]]&amp;lt;br/&amp;gt;減員&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[岡田克也]]&lt;br /&gt;
| years  = 第9代 : 2009年 -&lt;br /&gt;
| after  = 現職&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[自由党 (日本 1998-2003)|自由党党首]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1998年 - 2003年&lt;br /&gt;
| after  = [[民主党 (日本 1998-)|民主党]]へ合流&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新進党|新進党党首]]&lt;br /&gt;
| before = [[海部俊樹]]&lt;br /&gt;
| years  = 第2代 : 1995年 - 1997年&lt;br /&gt;
| after  = 解散&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新進党|新進党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1994年 - 1995年&lt;br /&gt;
| after  = [[米沢隆]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新生党|新生党代表幹事]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1993年 - 1994年&lt;br /&gt;
| after  = [[新進党]]へ&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[橋本龍太郎]]&lt;br /&gt;
| years  = 第26代 : 1989年 - 1991年&lt;br /&gt;
| after  = [[小渕恵三]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{総務大臣}}&lt;br /&gt;
{{国家公安委員会委員長}}&lt;br /&gt;
{{自民幹事長}}&lt;br /&gt;
{{竹下派七奉行}}&lt;br /&gt;
{{民主党}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:小沢一郎|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:岩手県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:革命家]]&lt;br /&gt;
{{Lifetime|1942||おさわ いちろう}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%95%85%E9%83%B7&amp;diff=96730</id>
		<title>故郷</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%95%85%E9%83%B7&amp;diff=96730"/>
				<updated>2010-08-10T09:42:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|人名 = 小沢 一郎&lt;br /&gt;
|各国語表記 = おざわ いちろう&lt;br /&gt;
|画像 = [[Image:小沢一郎　1.jpg]]&lt;br /&gt;
|画像説明 =&lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1942|5|24}}&lt;br /&gt;
|出生地 = [[東京府]][[東京市]][[下谷区]]&lt;br /&gt;
（現在の[[東京都]][[台東区]]）&lt;br /&gt;
|没年月日 =&lt;br /&gt;
|死没地 =&lt;br /&gt;
|出身校 = [[慶應義塾大学]][[経済学部]]卒業&amp;lt;br/&amp;gt;[[日本大学]][[大学院]][[法学研究科]]中途退学&lt;br /&gt;
|前職 = [[大学院生]]&lt;br /&gt;
|現職 =&lt;br /&gt;
|所属政党 = （[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[新生党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[新進党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]&lt;br /&gt;
|称号・勲章 = [[学士|経済学士]]（慶應義塾大学・[[1967年]]）&lt;br /&gt;
|世襲の有無 = 有&lt;br /&gt;
|親族（政治家） = [[小沢佐重喜]]（[[父]]）&lt;br /&gt;
|配偶者 =&lt;br /&gt;
|サイン =&lt;br /&gt;
|ウェブサイト = http://www.ozawa-ichiro.jp/&lt;br /&gt;
|サイトタイトル = ■小沢一郎ウェブサイト■&lt;br /&gt;
|国旗 = JPN&lt;br /&gt;
|職名 = 第34代 [[自治大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣 = [[第2次中曾根第2次改造内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区 =&lt;br /&gt;
|当選回数 =&lt;br /&gt;
|就任日 = [[1985年]][[12月28日]]&lt;br /&gt;
|退任日 = [[1986年]][[7月22日]]&lt;br /&gt;
|退任理由 =&lt;br /&gt;
|所属委員会 =&lt;br /&gt;
|議員会館 =&lt;br /&gt;
|元首職 =&lt;br /&gt;
|元首 =&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↓省略可↓ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
|国旗2 = JPN&lt;br /&gt;
|職名2 = 第44代 [[国家公安委員会委員長]]&lt;br /&gt;
|内閣2 = 第2次中曾根第2次改造内閣&lt;br /&gt;
|選挙区2 =&lt;br /&gt;
|当選回数2 =&lt;br /&gt;
|就任日2 = 1985年12月28日&lt;br /&gt;
|退任日2 = 1986年7月22日&lt;br /&gt;
|退任理由2 =&lt;br /&gt;
|元首職2 =&lt;br /&gt;
|元首2 =&lt;br /&gt;
|国旗3 = JPN&lt;br /&gt;
|職名3 = [[衆議院議員]]&lt;br /&gt;
|内閣3 =&lt;br /&gt;
|選挙区3 = （[[岩手県第2区 (中選挙区)|岩手県第2区]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;[[岩手県第4区]]&lt;br /&gt;
|当選回数3 = 14回&lt;br /&gt;
|就任日3 = [[1969年]]&lt;br /&gt;
|退任日3 = 現職&lt;br /&gt;
|退任理由3 =&lt;br /&gt;
|元首職3 =&lt;br /&gt;
|元首3 =&lt;br /&gt;
|国旗4 =&lt;br /&gt;
|職名4 =&lt;br /&gt;
|内閣4 =&lt;br /&gt;
|選挙区4 =&lt;br /&gt;
|当選回数4 =&lt;br /&gt;
|就任日4 =&lt;br /&gt;
|退任日4 =&lt;br /&gt;
|退任理由4 =&lt;br /&gt;
|元首職4 =&lt;br /&gt;
|元首4 =&lt;br /&gt;
|国旗5 =&lt;br /&gt;
|職名5 =&lt;br /&gt;
|内閣5 =&lt;br /&gt;
|選挙区5 =&lt;br /&gt;
|当選回数5 =&lt;br /&gt;
|就任日5 =&lt;br /&gt;
|退任日5 =&lt;br /&gt;
|退任理由5 =&lt;br /&gt;
|元首職5 =&lt;br /&gt;
|元首5 =&lt;br /&gt;
|国旗6 =&lt;br /&gt;
|その他職歴1 =&lt;br /&gt;
|就任日6 =&lt;br /&gt;
|退任日6 =&lt;br /&gt;
|国旗7 =&lt;br /&gt;
|その他職歴2 =&lt;br /&gt;
|就任日7 =&lt;br /&gt;
|退任日7 =&lt;br /&gt;
|国旗8 =&lt;br /&gt;
|その他職歴3 =&lt;br /&gt;
|就任日8 =&lt;br /&gt;
|退任日8 =&lt;br /&gt;
|国旗9 =&lt;br /&gt;
|その他職歴4 =&lt;br /&gt;
|就任日9 =&lt;br /&gt;
|退任日9 =&lt;br /&gt;
|国旗10 =&lt;br /&gt;
|その他職歴5 =&lt;br /&gt;
|就任日10 =&lt;br /&gt;
|退任日10 =&lt;br /&gt;
|国旗11 =&lt;br /&gt;
|その他職歴6 =&lt;br /&gt;
|就任日11 =&lt;br /&gt;
|退任日11 =&lt;br /&gt;
|国旗12 =&lt;br /&gt;
|その他職歴7 =&lt;br /&gt;
|就任日12 =&lt;br /&gt;
|退任日12 =&lt;br /&gt;
|国旗13 =&lt;br /&gt;
|その他職歴8 =&lt;br /&gt;
|就任日13 =&lt;br /&gt;
|退任日13 =&lt;br /&gt;
|国旗14 =&lt;br /&gt;
|その他職歴9 =&lt;br /&gt;
|就任日14 =&lt;br /&gt;
|退任日14 =&lt;br /&gt;
|国旗15 =&lt;br /&gt;
|その他職歴10 =&lt;br /&gt;
|就任日15 =&lt;br /&gt;
|退任日15 =&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↑省略可↑ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''小沢 一郎'''（おざわ いちろう、[[1942年]][[5月24日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[衆議院議員]]（14期）。民主党幹事長（第9代）。'''小澤 一郎'''（おざわ いちろう）とも表記されることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[自治大臣]]（[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣|第34代]]）、[[国家公安委員会委員長|国家公安委員長]]（[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣|第44代]]）。[[自由民主党]][[自由民主党幹事長|幹事長]]、[[新生党]]代表幹事、[[新進党]][[党首]]（第2代）、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]党首、[[民主党 (日本 1998-)|民主党]][[民主党代表|代表]]（第6代）、民主党代表代行（筆頭・選挙担当）、民主党幹事長を歴任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;toclimit-3&amp;quot;&amp;gt;__TOC__&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
[[東京府]][[東京市]][[下谷区]]（現在の[[東京都]][[台東区]]）[[御徒町]]に[[弁護士]]で東京府会議員だった父・[[小沢佐重喜]]、母・みちの[[長男]]として生まれる。父は44歳、母は42歳という高齢で生まれたため、まるで“[[孫]]みたいな”子供だったという&amp;lt;ref&amp;gt;[[奥野修司]]『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。母・みちは元千葉県会議員[[荒木儀助]]の四女である。一郎は、みちにとってははじめて生んだ子供である。[[本籍地]]は[[岩手県]][[奥州市]]（旧[[水沢市]]）。3歳から14歳まで郷里の水沢で育った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
水沢市立常磐中学校（現在の奥州市立東水沢中学校）の2年生を終了すると、東京の[[文京区立第六中学校]]に[[転学|転校]]する。言葉も[[東北弁|東北訛り]]の一郎は、なかなか級友たちの中に入っていけず、いつも教室の片隅でひとりぽつんと座っていたという&amp;lt;ref&amp;gt;奥野修司『小沢一郎 覇者の履歴書』132頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京都立小石川高等学校]]卒業後、父と同じ弁護士を目指して[[東京大学]]を志望し、2年間[[過年度生|浪人]]したが断念して、[[慶應義塾大学]][[経済学部]]、[[日本大学]][[大学院]][[法学研究科]]へと進学した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自由民主党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 田中派時代 ====&lt;br /&gt;
大学院在学中の{{和暦|1969}}、父・佐重喜の急死に伴い[[第32回衆議院議員総選挙|第32回衆院選]]に旧岩手2区から[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認で立候補し、27歳の若さで当選した。この総選挙を[[自由民主党幹事長|党幹事長]]として指揮したのが[[田中角栄]]で、以後[[木曜クラブ]]（田中派）に所属し、田中の下で薫陶を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自民党総務局長、[[議院運営委員会|衆議院議院運営委員長]]を歴任し、{{和暦|1985}}に[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣]]で[[自治大臣]]兼[[国家公安委員長]]として初入閣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 竹下派時代 ====&lt;br /&gt;
[[Image:小渕・小沢・海部.jpg|300px|thumb|[[自民党総務会]]で新幹事長が了承され握手する[[小渕恵三]]幹事長、[[小沢一郎]]前幹事長、[[海部俊樹]]首相。[[1991年]][[4月8日]]撮影]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年、木曜クラブの領袖として影響力を保持していた田中に、反旗を翻した[[竹下登]]、[[金丸信]]らと共に派内勉強会「[[創政会]]」を結成。のちに[[経世会]]（竹下派）として独立した。竹下の総裁就任に奔走し[[日本皇民党]]事件の際には金丸とともに[[稲川会]]幹部の元に出向いている。[[竹下内閣]]の発足後、小沢は党・[[政府]]の要職を歴任し[[竹下派七奉行]]の一人に数えられ、[[官房副長官]]にも就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第1次海部内閣|第1次海部俊樹内閣]]では[[自由民主党幹事長|党幹事長]]に就任。苦戦が予想された[[第39回衆議院議員総選挙|第39回衆院選]]を、[[自由主義]]体制の維持を名目に[[経済団体連合会]]（経団連）傘下の企業から選挙資金300億円を集め、勝利したなどの実績から'''「剛腕」'''と称された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1990}}、金丸を代表とする[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問団（金丸訪朝団）に参加する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[8月]]、[[湾岸戦争]]が勃発し、小沢は[[ペルシャ湾]]への[[自衛隊]]派遣を模索した。「アジアへの配慮が必要だ」と反対する[[外務省]]を抑え法案を提出した（なお、この法案は[[野党]]の反対で廃案となり、後に[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律]]（PKO協力法）が成立）&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』、{{和暦|2008}}[[2月22日]]付[[夕刊]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。自衛隊派遣について国会で[[公明党]]の協力を得るため、[[東京都知事選挙]]で自民党東京都総支部連合会が推す現職の[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]に代わり、新人の[[磯村尚徳]]を擁立するも都連が鈴木を支援した事もあり敗北。なおこの都知事選公示直前に出馬に意欲的であった[[アントニオ猪木]]と会談し猪木を出馬断念に追い込んだがこの際に多額の金銭が動いたと一部報道で報じられた。{{和暦|1991}}[[4月]]、責任を取り党幹事長を辞任した。直後に経世会会長代行に就任し、名実とともに派閥のNo.2となった。しかし、次第に金丸は小沢に派閥を譲ろうと企図するようになり、竹下との確執を深めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、政治改革法案が国会で廃案となったことを受け、首相の海部が衆議院の解散総選挙をぶち上げたが、党内の反発を招き、海部は首相辞任に追い込まれた（[[海部おろし]]）。その際、金丸が小沢に対し後継首相となるよう命じ、金丸の意を受けた[[渡部恒三]]なども小沢を説得したが、当時49歳という年齢や心臓病（[[狭心症]]）で[[6月]]に倒れたことなどを理由にこれを固辞したとされる。だが、[[田勢康弘]]から「この逸話は実は真実ではない」&amp;lt;ref&amp;gt;[[田勢康弘]]「『緊迫』も『躍動』も消えた政治――大難を前に沈黙・保身…」 『[[日本経済新聞]]』、[[2008年]][[7月21日]]5面。&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘されており、このようなやり取りは実際には存在せず、金丸や竹下は当初から[[宮澤喜一]]擁立を目指していたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月10日]]、[[自由民主党総裁選挙]]での派閥が支持する候補者を決定するため、出馬表明していた宮沢、[[渡辺美智雄]]、[[三塚博]]と自身の個人事務所でそれぞれ面談した（小沢面接）。しかし宮沢や渡辺のような当選回数・年齢も上の者（三塚は当選回数こそ小沢よりも一回少ないが、年齢は小沢より上だった）を自分の事務所に招いたことは傲慢であると批判された。このことは後々まで「経世会支配」「剛腕小沢」の象徴的シーンとして取り上げられた（実際は当日[[ホテル]]の会場が満室でどこも予約できず、3人の事務所を小沢が訪ねる予定だったのだが、推薦を受ける立場の人間を訪ねてもらうのは失礼だという話になり、小沢の事務所で面談することになったという&amp;lt;ref&amp;gt;平野貞夫 『虚構に囚われた政治家―小沢一郎の真実』 講談社&amp;lt;講談社α文庫&amp;gt;、2007年、242頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。宮沢も後に『日本経済新聞』連載の「[[私の履歴書]]」の中で、「支持をこちらからお願いしているのだから、出向くのが筋であった」と回顧した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 竹下派分裂、羽田派結成 ====&lt;br /&gt;
{{和暦|1992}}、[[東京佐川急便事件]]を巡り、金丸が世論から激しい批判を受け派閥会長を辞任、議員辞職した（東京佐川急便事件に関しては、小沢も{{和暦|1993}}[[2月17日]]に[[証人喚問]]を受けている）。後継会長に小沢は金丸に近かった渡部恒三、[[奥田敬和]]らと共に[[羽田孜]]を擁立し、竹下直系の[[小渕恵三]]を推す[[橋本龍太郎]]、[[梶山静六]]らと対立。当初中立であった参院竹下派に竹下自らが関与して小渕支持を決定。この結果として後継会長は小渕に内定した。敗れた小沢は羽田、渡部、奥田らと[[改革フォーラム21]]（羽田派）を旗揚げし、派閥は分裂した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宮沢内閣改造内閣|宮沢喜一改造内閣]]における羽田派の閣僚ポストは、[[経済企画庁長官]]（[[船田元]]）と[[科学技術庁長官]]（[[中島衛]]）の2つだけと冷遇された。さらに党幹事長には派閥の後継会長を巡り激しい闘争を演じた小渕派の梶山が就任したことで、羽田派は反主流派に転落した。これに対し小沢は主流派を「[[守旧派]]」と、自らを「改革派」と呼び、持論であった[[政治改革]]の主張を全面に訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で小沢は、[[5月20日]]に、著書『[[日本改造計画]]』を発表した（実際に店頭に並んだのは6月下旬）。同書は政治家の著作としては異例の70万部を超える売上を記録し、1993年を代表する[[ベストセラー]]になった。自らの政策・政見を広く国民に問うもので、小沢の理念を基に官僚や専門家を中心に政策としてまとめた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自民党離党、非自民連立政権成立 ===&lt;br /&gt;
{{和暦|1993}}[[6月18日]]、野党から宮沢[[内閣不信任決議|内閣不信任案]]が上程され、羽田・小沢派ら自民党議員39名が賛成、16名が欠席する造反により不信任案は255対220で可決された。宮沢内閣は衆議院を解散した（[[嘘つき解散]]）。同年[[6月21日]]に[[武村正義]]らが自民党を離党（[[新党さきがけ]]を結党）した。これが羽田・小沢派の議員に離党を決断させる一因となり、[[6月23日]]、[[新生党]]を結成した。小沢は幹事長にあたる党代表幹事に就任するが、党結成の記者会見を行ったとき会場に姿が見えず「党首（羽田）の陰に隠れて暗躍している」との批判を受けた。[[新生党]]代表幹事時代には[[番記者]]との懇談会を廃止し、これまでの[[記者クラブ]]中心の会見から海外[[マスメディア|メディア]]や[[週刊誌]]記者なども会見に参加できるようにし注目を集めた。一方、自分の意に沿わぬ記事を書いたメディアと対立を起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月18日]]、[[第40回衆議院議員総選挙|第40回衆院選]]において自民党は過半数割れし、新生党、[[日本新党]]、新党さきがけの3新党は躍進した。宮沢内閣は総辞職した（後任の自民党総裁に[[河野洋平]]が選出）。小沢は総選挙直後から日本新党代表の[[細川護煕]]と非公式に会談した。細川は自民党との連立を検討していたが、小沢から首相就任を打診されたことで非自民勢力へと傾斜した。[[8月9日]]、8党派連立の[[細川内閣]]が成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細川政権下で小沢は内閣とは別に与党の意思決定機関である「連立与党代表者会議」を開き、公明党[[書記長]]の[[市川雄一]]とともに政権の主導権を握ろうとし（[[一一ライン]]）、官邸主導の政治を目論む[[内閣官房長官]]の[[武村正義]]と激しく対立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]]、小沢と[[大蔵事務次官]]の[[斎藤次郎]]が中心となり、[[消費税]]を廃止し7%の福祉目的税を創設するという「国民福祉税」構想を決定した。[[2月3日]]未明、細川は突如、「国民福祉税」構想を発表し、世論の激しい反発を受けた。また、[[日本社会党|社会]]・さきがけ・[[民社党|民社]]各党の批判に合い、翌日、細川は「国民福祉税」構想を白紙撤回するに至った。内閣官房長官の武村は、公然と「国民福祉税構想は事前に聞いていない」と発言、小沢との対立はますます先鋭化した。武村か小沢かの選択を迫られた細川は小沢に軍配を上げ、政権の主導権を奪われた武村や武村率いるさきがけは与党内で孤立し、武村と細川の仲も急速に冷却する。一連の動きに嫌気がさした細川は、[[4月]]に突然辞意を表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細川の首相辞任を受けて、小沢は[[渡辺美智雄]]との提携を企図するが、渡辺は自民党離党を決断できず構想は頓挫。連立与党は羽田の後継首班に合意した。しかし、[[1994年]][[4月25日]]の[[首班指名]]直後に、新生党、日本新党、民社党などが社会党を除く形で統一会派「改新」を結成したため、社会党の反発を招き、社会党は連立政権を離脱し、[[羽田内閣]]は少数与党となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
羽田内閣は1994年度[[予算]]を成立させたが、少数与党状態の解消をねらって行われた連立与党と社会党との間の政策協議は決裂し、自民党によって内閣不信任案が衆院に提出された。当初は羽田も解散する腹で小沢も同調していたが、結局は解散総選挙を断念。[[6月25日]]に内閣総辞職し、羽田内閣は在任期間64日、戦後2番目の短命政権に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は羽田の後継として、かつて自民党幹事長としてタッグを組んだ元首相の[[海部俊樹]]を担ぐことを決めた。海部は当時自民党政治改革議員連盟会長で、[[番町政策研究所|新政策研究会]]（河本派）代表世話人でもあった。[[1994年]][[6月29日]]、自民党は[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]で社会党委員長の[[村山富市]]に投票する方針を示したため、海部は自民党を離党し、「[[自由改革連合]]」を結成、連立与党の首班候補となった。しかし決選投票で261対214で村山に敗れ、小沢は政治家人生において初めて野党の立場に落ちた。新生党内では小沢の責任を追及する声も出たが、旧連立与党を糾合して新・新党の結成を実現するために、小沢の豪腕が必要とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 新進党時代 ===&lt;br /&gt;
1994年[[9月28日]]、[[日本共産党]]を除く野党各党187人により、衆院会派「改革」が結成された。また同日、衆議院議員186人、参議院議員39人、計225人の国会議員による「新党準備会」が正式に発足し、新党準備実行委員長に小沢が選出された。こうして小沢を中心に新・新党結成が準備され、同年[[12月10日]]に[[新進党]]結成大会が行われた。海部が党首となり、小沢は党幹事長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]][[7月]]、[[第17回参議院議員通常選挙|第17回参院選]]で、改選議席19議席を大幅に上回る40議席を獲得した。同年[[12月]]に行われた党首選挙では、羽田・細川らを中心に「小沢外し」の動きがあったため、自ら立候補することを決断、長年の盟友である羽田と激突し、小沢は羽田を破り、第2代党首に選出された。しかし、この党首選挙直後に投票者名簿が破棄されるなど、選挙結果が不明瞭であったため、羽田との決裂は決定的なものとなり、党内に更なる亀裂を生じさせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1996年]][[10月20日]]に[[第41回衆議院議員総選挙|第41回衆院選]]が行われ、新進党は小沢の党党首選での主張を党公約「国民との五つの契約」として[[消費税]]率の3%据え置き、18兆円[[減税]]を[[公約]]したものの、改選前の160議席を4議席減らして156議席に止まり、事実上敗北した。原則比例代表との重複出馬を禁止とし、比例区で[[創価学会]]の支援を期待し[[公明党]]系の議員を優遇したため選挙地盤の弱い若手の[[新党ブーム]]世代の議員が多数落選したため、強い反発を浴びこれが後の政局においても禍根を残す事になった。また選挙直後開票中にも関わらず深夜になるまで党本部に姿を見せず雲隠れするなど党首としてあるまじき態度を取った事も強い批判を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総選挙後、党内に小沢に対する反発が強まり、離党者が続出した。羽田孜や細川護熙らは非主流派を構成し、1996年[[12月26日]]、羽田は奥田敬和、[[岩國哲人]]ら衆参議員13名と共に新進党を離党、[[太陽党]]を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1997年]]、小沢は自民党の[[亀井静香]]らと提携する、いわゆる[[保保連合構想]]に大きく舵を切った。しかし、新進党内には、こうした保保連合路線に対して[[二大政党制]]を志向する立場から反対する勢力も顕在化し、[[鹿野道彦]]は政策研究会「改革会議」を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月18日]]の党首選挙で小沢は鹿野を破り再選された。この党首選に先立ち公明が[[第18回参議院議員通常選挙|次期参院選]]を独自で闘う方針を決定し、新進党離れが加速した。党首に再選された小沢は、純化路線を取り、新進党内の旧公明党グループ・公友会、旧民社党グループ・民友会にそれぞれ解散を要求。[[12月27日]]に小沢は旧公明党の参院議員を分党し公明に合流させるとし、新進党の分党と新党の結成を発表した。新進党内は混乱に陥り、分党を決定した[[両院議員総会]]は、混沌のうちに終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自由党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 結党・与党復帰 ====&lt;br /&gt;
[[1998年]][[1月6日]]、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]を結成、小沢は党首に就任した。当初、100名以上の衆参両議員が集まると思われたが、結局、衆院議員42名、参院議員12名の計54名が参加するに留まり、野党第1党の座を[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]に譲り渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月12日]]の[[第18回参議院議員通常選挙|第18回参院選]]では苦戦必至と思われていたが小沢人気もあり[[比例代表制|比例代表]]で514万票、合計6議席を獲得し善戦した。参院選後の[[臨時会|臨時国会]]では、首班指名に民主党代表の[[菅直人]]を野党統一候補に臨み、参院では自民党の[[小渕恵三]]を抑え菅が指名された（衆院では小渕が指名されたため、[[衆議院の優越]]の原則から小渕が首相に就任した）。&lt;br /&gt;
小沢は参院での野党共闘により政府・自民党を追い込む戦略であったが、菅は「政局にしない」と発言、金融再生法の制定で自民党と協力したことにより野党共闘はほころびを見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1998年[[10月]]、小沢は内閣官房長官[[野中広務]]と会談、連立交渉を開始し、同年[[11月19日]]、小渕内閣との間での連立政権について合意した。そして[[1999年]][[1月14日]]正式に[[自自連立政権]]が成立し、党幹事長の[[野田毅]]が[[自治省|自治大臣]]として入閣、小沢は5年ぶりに与党へ復帰した。この連立の間に衆議院[[議員定数]]20の削減、閣僚ポストの削減、および[[政府参考人|政府委員]]制度の廃止と[[党首討論]]設置を含む国会改革が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年7月、公明党が政権に入り、[[自自公連立政権]]が成立した。自民、公明両党で参院の過半数を抑えることになったため政権内部での自由党の存在感は低下した。自自両党の選挙協力も遅々として進まず、小沢は自民党総裁の小渕総理大臣に対して自自両党の解散、新しい保守政党の結成を要求した。[[中曽根康弘]]、[[亀井静香]]等は小沢の復党を認める方針であったが党内の反小沢勢力は「小沢の復党は認められない、小沢抜きでの復党は認められる。」とし小沢自身も「復党が認められなければ連立解消だ。」と珍奇ともいえる主張を行い両者は[[2000年]][[4月1日]]、会談するが、合意に達せず、結局連立を解消した（なお、この後に小渕は[[脳梗塞]]で倒れ、[[5月14日]]に死去した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 分裂 ====&lt;br /&gt;
自由党は、小沢を支持する連立離脱派と、[[野田毅]]・[[二階俊博]]などの連立残留派に分裂し、残留派は[[保守新党|保守党]]を結成した（分裂の結果、自由党は衆院議員18名、参院議員4名の計22名に半減、保守党には26名が参加）。小沢と袂を分かった保守党は[[政党助成金]]を半分ずつ分け合うために[[分党]]を要求したが、自由党はこれを拒否。保守党議員は離党扱いになり、政党助成金を全く得られず総選挙を迎えることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]][[6月25日]]の分裂直後に行われた[[第42回衆議院議員総選挙|第42回衆院選]]で、小沢人気もあり比例代表で約660万票を獲得、現有議席を上回る22議席を獲得し善戦した。このとき、約20億円を投じたとされる[[テレビ]][[コマーシャルメッセージ|CM]]（小沢が顔を殴られる）は話題となった（一方、保守党は7議席へと激減）。連立離脱後は野党共闘路線へ舵を切ることを余儀なくされたが、（過去に小沢から酷い目に合わされたと感ずる）旧新進党や旧社会党出身者が多い民主党を始めとした野党との関係は当然ギクシャクしたものにならざるを得なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]][[1月]]、将来の指導者育成を目指し、党内に[[小沢一郎政治塾]]（小沢塾）を開設した。なお、小沢塾は民主党との合併後は小沢個人の私塾として運営。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月29日]]の[[第19回参議院議員通常選挙|第19回参院選]]では、自民党に[[小泉旋風]]が吹き、小沢の地元・[[岩手県選挙区]]でも大苦戦を強いられたが、僅差で勝利した。議席数は前回と同じ6を維持したものの、自由党の比例代表は約420万票に止まった（第18回参議院選挙より約100万票、第42回衆議院選挙より約220万票の減少）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党へ合流 ===&lt;br /&gt;
[[2002年]]、第19回参議院選挙での結果もあって、小沢は[[鳩山由紀夫]]（当時[[民主党代表]]）からの民主・自由両党の合併に向けた協議提案を受け入れた。しかし、民主党内の調整が不十分であったこと及び民主党内の小沢に対する拒否反応の為に頓挫した（なお、鳩山は代表辞任に追い込まれた）。鳩山辞任後に[[民主党代表]]に選出された[[菅直人]]によって、いったん合併構想は白紙に戻ったが、小沢は党名・綱領・役員は民主党の現体制維持を受入れることを打診し、両党間で合併に合意した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dpj.or.jp/news/?num=4562 民主党・菅代表と自由党・小沢党首が9月末までの合併で合意]民主党公式HP、2003年7月23日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由党と民主党の合併の直前に、自由党から13億6816万円の寄付が[[改革国民会議]]に対して行われた。改革国民会議は小沢一郎が代表を務めており小沢の関連団体である。13億6816万円のうち5億6096万円が税金を原資とする[[政党助成金]]であった。後にこの行為は問題視され、政党助成金法改正案として議論された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090708/stt0907081016002-n1.htm 産経ニュース 2009年7月8日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]][[9月26日]]、自由党は民主党と正式に合併し、小沢は民主党の代表代行に就任した。[[11月9日]]の[[第43回衆議院議員総選挙|第43回衆院選]]で民主党は、公示前議席よりも40議席増の177議席を獲得。民由合併後、小沢が最初に提携したのが旧社会党系の[[横路孝弘]]だった。小沢と横路は安全保障面での政策を擦り合わせ、その後横路と旧社民勢力は小沢と行動を共にした。また、小沢は野党結集のために社民党へも民主党への合流を呼びかけたが失敗に終わった。経済政策では、それまでの[[新自由主義]]から「地方経済」と「[[雇用]]」の重視の方針へ転換した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初、小沢派になると見られていた新自由主義的な「小さな政府研究会」には参加せず、[[東北地方]]出身議員だけをあつめて「東北議員団連盟」を結成し、地域主義への転向の姿勢を見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]][[5月]]、[[政治家の年金未納問題|年金未納問題]]による混乱の責任を取り党代表を辞任した菅の後継代表に小沢が内定したが、直後に小沢自身も[[国民年金]]が強制加入制度になる[[1986年]]以前に未加入だったとして代表就任を辞退した（結局、[[岡田克也]]が後任代表となった）。2004年[[7月11日]]に行われた[[第20回参議院議員通常選挙|第20回参院選]]の後、岡田の要請により党副代表に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]][[9月11日]]、[[第44回衆議院議員総選挙|第44回衆院選]]で民主党は現有議席を60近く減らす惨敗を喫し、岡田は代表を引責辞任し、小沢も党副代表の職を辞任した。岡田の後任代表となった[[前原誠司]]は、小沢に党代表代行への就任を依頼したが、これを固辞した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党代表 ===&lt;br /&gt;
==== 代表就任 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Ichiro Ozawa election.jpg|200px|thumb|民主党ポスターの張られた様子（[[2008年]]1月、[[広島県]][[甲奴町]]）]]&lt;br /&gt;
[[2006年]][[3月31日]]に前原が、「[[堀江メール問題]]」の責任を取って党代表を辞任、[[4月7日]]の民主党代表選で小沢は119票を獲得し[[菅直人]]を破り、第6代の民主党代表に選出された。両院議員総会の演説で小沢は、「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」という19世紀のイタリア貴族の没落を描いた映画『[[山猫 (映画)|山猫]]』の一節を引用し、その上で「まず、私自身が変わらなければなりません」と述べ、「ニュー・小沢」を印象づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表選後、小沢は菅を党代表代行、鳩山由紀夫を党幹事長にする[[トロイカ体制]]を敷いた。また、前執行部と[[民主党の次の内閣一覧|次の内閣]]メンバー全員を残留させた。小沢は[[政令指定都市]]・[[都道府県]]の[[首長]][[選挙]]に関しては原則として[[相乗り]]禁止の方針を打ち出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大半の民主党議員は、小沢の代表就任まで自民党幹事長時代はおろか、つい最近の小沢の動向すら知らず、「選挙に強い」という噂を頼り半信半疑で眺めている者も少なくなかったが、小沢が党代表に就任した直後の[[4月23日]]に、メール問題での逆風下にあった衆議院[[千葉県第7区|千葉7区]][[補欠選挙]]で、僅差ながら勝利を収めた。半年後の[[9月12日]]の民主党代表選に[[無投票]]で再選された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月9日]]の会見で、衆院本会議を欠席しがちな理由として「食後すぐに仕事にとりかからないなど、医者の忠告を守っている」と、自身の体調管理を理由に挙げたことに関し、「議会軽視だ」と各方面から厳しい批判を受けた。また、自身の健康状態を語ったことに対して様々な憶測が流れた。[[9月25日]]臨時党大会で正式に代表に再選された後、[[狭心症]]の発作の兆候を感じたため、都内の病院に検査入院した。[[10月5日]]に退院し、自身の[[動脈硬化]]が進んでいることを明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 国会運営 ====&lt;br /&gt;
民主党代表時代の小沢の国会での論戦は、前原時代の「対案路線」ではなく、「対立軸路線」で与党とは対決姿勢を鮮明にした。自著『[[日本改造計画]]』では、「過半数が賛成している案を、少数のダダっ子がいて、その子をなだめるために、いいなりになってすべてを変えてしまう」のは「少数者の横暴」だと述べている。小沢は「審議を十分に行えば」与党による採決も止むを得ないという立場を取った。一方、議員数の多さを背景に[[強行採決]]した場合には徹底抗戦や[[審議拒否]]も辞さない戦う野党の姿勢も示した。ただし、この姿勢は審議拒否を度々行うことで「充分な審議を放棄した」「与党案の成立を手助けしている」との批判を生むことがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 外交政策での党内対立 ====&lt;br /&gt;
2006年10月に北朝鮮が[[核実験]]を行った後の[[朝鮮半島]]情勢は「[[周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態法]]」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら[[トロイカ体制]]の見解を発表した。しかし、これに対して前代表である前原誠司を始めとする党内の若手から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表し、安全保障政策をめぐる民主党内の対立・不一致が表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は「[[核武装論|核武装の論議]]を是認すれば『[[非核三原則]]を守る』という言葉も国民や国際社会に受け入れられない」と指摘した。しかし、その考えに不満を持つ一部[[保守]]層などが、自由党党首時代[[2002年]]の小沢の発言である「日本は一朝で数千発の[[核弾頭]]を持てる。」と日本の核保有能力について発言したことと比較して批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[防衛庁]]の「省」昇格に対し、自由党時代から防衛庁の省への昇格を主張していた小沢は「国防の任に当たる省庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」と述べた。民主党内には依然反対の声があったため衆院安全保障委員会での防衛「省」昇格関連法案の審議に欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 統一地方選、参院選 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[4月8日]]に[[統一地方選挙]]（前半）が行われ、地元・岩手県の[[岩手県知事|知事]]選挙で'''小沢チルドレン'''の代表格である[[達増拓也]]が当選。[[岩手県議会]]議員選挙でも、議席を増やし第1党を維持し、その他の道府県議選・政令市議選でも民主党は230議席（合併前の自由党含む）から145議席増え375議席に躍進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[4月22日]]に行われた[[統一地方選挙]]（後半）では、[[地方議会|市町村議会選挙]]で、自民党が過去最低議席数になった他、他党が前回議席を割り込む中、民主党は3割近く議席を伸ばした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月29日]]に行われた、[[第21回参議院議員通常選挙]]で民主党は60議席を獲得、参議院第1党となり、野党全体（共産党を含む）で過半数を得た。選挙開票当日は「医者からの忠告」を理由に休養を取っていたとし、小沢はマスコミの前に姿を見せなかったが、[[7月31日]]の党常任幹事会に多くの報道陣が駆けつける中で出席、小沢は公約通り衆議院議員を今後も続けるとした。また、8月に前代表・前原、元代表・岡田等が党副代表に就任し、挙党体制を構築した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ねじれ国会 ====&lt;br /&gt;
[[8月8日]]には、[[11月]]に期限切れとなる[[テロ対策特別措置法]]（テロ特措法）問題についてマスコミ公開の中、アメリカの駐日大使[[ジョン・トーマス・シーファー]]と会談した。シーファーは小沢にテロ対策特別措置法の期限延長に対する理解を求めたが、小沢は[[アフガン戦争]]が国際社会の[[コンセンサス]]を得ていないとして[[海上自衛隊]]の支援活動は認められないと主張し、反対の意向を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe7700/news/20070808i113.htm 小沢代表、シーファー米大使が初会談…テロ特措法で平行線]」 [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]、2007年8月8日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[8月30日]]にはドイツ首相[[アンゲラ・メルケル]]と会談したが、この席でも改めてアフガン戦争が国連によるコンセンサスを得たものではないと主張した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=10873 環境、テロ対策などで意見一致 小沢代表メルケル・ドイツ首相と会談]」 民主党ホームページ、2007年8月30日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。結局テロ特措法は[[安倍改造内閣|安倍内閣]]の突然の総辞職で、有効期限の延長が出来なくなり、そのまま失効した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月12日]]に首相辞任を表明した[[安倍晋三]]の後任となる、[[内閣総理大臣指名選挙]]が[[9月25日]]に行われ、参議院で決選投票の末に[[福田康夫]]（自民党総裁）を抑えて、小沢が指名された（小沢133票、福田106票）。なお、衆議院で指名された福田が[[衆議院の優越]]規定に基づき首相となった。なお、両院の指名が異なったのは[[小渕恵三]]内閣下で民主党の[[菅直人]]が指名されて以来、9年ぶり4度目であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[11月2日]]、小沢は福田と会談し、連立政権について提案があった為、意見を党に持ち帰り臨時役員会に諮ったが、民主党内の反対を受け連立を拒否した。[[11月4日]]、連立騒動の責任を取り代表辞任を表明したが、民主党内の慰留を受け、[[11月6日]]代表続投を表明。[[11月7日]]の両院議員懇談会で代表続投が承認された。{{main|大連立構想 (日本 2007)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、テロ特措法の後継の法律として衆議院に提出されていた[[テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案]]（新テロ特措法）に対する議決が行われ、民主党が多数を占める参議院では反対多数で否決されたが、[[2008年]][[1月11日]]に衆議院本会議で与党の3分の2以上の賛成多数で再び可決・成立した。この再可決の本会議で小沢は採決直前に退席し、党内の一部や他の政党の議員から批判された。対して小沢は「前からの約束で、選挙の約束は一番たがえてはいけないものだ」と強調。[[2008年大阪府知事選挙|大阪府知事選挙]]の応援があったこともあげ、新テロ対策特措法について、「国民にとっても民主党にとっても大事な法案ではない。反対の意思表示は既にしている。後は数あわせの本会議でしかない。結果は目に見えている。批判は理解できない。国民は理解してくれていると思う」と反論した&amp;lt;ref&amp;gt;こうした日本の状況に対して米国や英国では、採決に議員全員が出席しないことを前提としたシステムで議会が運営されており、議員は自分の仕事の優先順位によってはあらかじめ投票を行い採決には欠席するのが普通であるが、[[党議拘束]]のある日本では採決前から結果が決まっていることがほとんどである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月29日]]、衆議院で2008年度予算案が野党3党の欠席のなかで強行採決された。小沢はこれに対し「信頼関係が完全に崩壊した」と発言し、強行採決をしたことで[[日本銀行総裁]]人事に影響を及ぼすのは、避けられないとの態度を示す&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=12799 「信頼関係が完全に崩壊」小沢代表、与党の予算案強行採決を批判]」 民主党ホームページ、2008年3月1日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党も強行採決されたのを受け[[武藤敏郎]]副総裁の[[日本銀行]]総裁への昇格を拒否する方針を決め、参議院で日銀総裁人事を否決した。[[3月18日]]、政府与党は改めて[[田波耕治]]を総裁候補として提示したが、この人事案も参議院で不同意となり、結果として[[白川方明]]が総裁に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月22日]]、民主党代表選で小沢が無投票での3選を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月23日]]、前日まで衆院選対策のため福岡を訪れていたが、予定されていた[[インドの歴代首相|インド首相]][[マンモハン・シン]]との会談を、体調不良を理由に欠席、「会談の頭だけでも出た方がいいと代表にいってほしい」との[[鳩山由紀夫]]幹事長の説得も受け付けず、党役員会などの公務もキャンセルし、鳩山が代わって会談した。翌24日に公務へ復帰、衆院選対策のため青森へ出張した&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢代表、また体調不良&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081024/stt0810240001000-n1.htm 小沢代表、また体調不良 「首相務まるのか」との指摘も] 産経ニュース 2008年10月24日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[5月11日]]、西松建設疑惑関連で公設秘書が逮捕された件で、民主党代表を辞任した。自身の後継を決める代表選挙では、側近として共に[[トロイカ体制]]を支えた[[鳩山由紀夫]]を支持し勝利に導いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党代表代行 ===&lt;br /&gt;
[[5月17日]]、選挙担当の代表代行に就任。[[菅直人]]が代行が多くなったことから小沢に筆頭となるよう要請し、3名の代表代行の中では筆頭扱いとなった。代表代行への就任は実に5年ぶりとなる&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090517/stt0905172147016-n3.htm&lt;br /&gt;
|title=【鳩山新代表会見詳報】「5人が常に心を合わせていく」&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY200905170106.html&lt;br /&gt;
|title=民主幹事長に岡田氏、小沢前代表は代表代行に&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090517/stt0905172035015-n1.htm&lt;br /&gt;
|title=【鳩山新代表】小沢氏が筆頭代表代行 岡田氏は幹事長に&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第45回衆議院議員総選挙]]で政権交代を果たした後の[[9月3日]]、[[鳩山由紀夫]]民主党代表が小沢に幹事長就任を要請した。これに対し「代表から幹事長の就任を要請された。私は党人だから、お受けすると返事をしてまいりました」と述べ、要請を受け入れる意向を表明した。小沢の幹事長就任については、鳩山の掲げる「政策決定の内閣への一元化」に反して政府と与党の「権力の二重構造」となり、政策面で小沢の影響を排除できなくなるとの見方がでたが、これについて鳩山は「幹事長は党務だ。政策の決定は政府でやると確認した」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090903-OYT1T00998.htm&lt;br /&gt;
|title=小沢氏が民主幹事長、岡田氏は主要閣僚か&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0903/TKY200909030376.html&lt;br /&gt;
|title=小沢氏、民主幹事長に　菅・岡田氏の入閣確実な情勢&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090903NTE2INK0803092009.html&lt;br /&gt;
|title=民主幹事長に小沢氏　岡田氏、重要閣僚で処遇 &lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;rel=j7&amp;amp;k=2009090300991&lt;br /&gt;
|title=盤石政権へ「剛腕」起用＝「二重権力」再来懸念も&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党幹事長 ===&lt;br /&gt;
[[2009年]][[9月15日]]の民主党両院議員総会において、正式に幹事長に就任した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-15&lt;br /&gt;
|url=http://mainichi.jp/select/seiji/seikenkotai/news/20090916k0000m010104000c.html&lt;br /&gt;
|title=民主党：小沢幹事長就任を正式決定　両院議員総会&lt;br /&gt;
|accessdate=9月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な政治的主張 ==&lt;br /&gt;
最初の著作である「日本改造計画」では[[新自由主義]]を主張したが、民主党代表に就任すると[[リベラル]]色を強めた。一方、2004年に公表した現行憲法の下での国連派遣部隊構想、さらにそれを発展させ2007年10月に公表した国際安全保障政策では、現行憲法との論理的整合性を維持しながら日本の国際安全保障政策（[[国連中心主義]]）を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交、防衛政策 ===&lt;br /&gt;
; 基本姿勢&lt;br /&gt;
: 外交では、[[太平洋戦争]]に対する反省を踏まえて二つの「共生」を主張している。一つは人間と人間、国家と国家との「共生」、つまり日本及び世界の平和を確保すること、もう一つは人間と自然との「共生」、つまり日本が率先して地球環境の保全を進めることである。それ以上に重要なのは、安全保障については、日本の法律より国連決議が風船すると「世界」で述べたことである。その結果、小沢氏は多くの批判を受けることとなった（日本国民が民主主義で選択した日本の法律が、国連の常任安保理事国のせめぎ合いによる決定より劣る、という発言であったため）。&lt;br /&gt;
: また、世界の国々、特に[[アメリカ合衆国|米国]]とは相互の信頼に基づく対等な関係を積み上げ、[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]をはじめ[[アジア]]諸国と平和で自由で開かれた信頼関係の実現を主張した。具体的には、米国との真の[[日米同盟]]の確立、核廃絶、アジア外交の強化、貿易・投資の自由化、[[政府開発援助]]（[[政府開発援助|ODA]]）の抜本的見直し等。[[2009年]][[2月24日]]には「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ…あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う…米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090225/stt0902250151000-n1.htm 「駐留米軍は第7艦隊で十分」 民主・小沢代表] 産経ニュース 2009.2.25&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[A級戦犯]]、[[靖国神社]]&lt;br /&gt;
: [[東京裁判]]は不当な報復裁判であり、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない。しかし当時の国家指導者は敗戦責任があり、[[天皇]]陛下が参拝できるよう靖国神社から削除すべき。行く行かないは個人の自由だが、公約をし、政治信念で行くのならば[[8月15日]]に公式参拝を行うべき。ただし靖国神社は[[戊辰戦争]]の招魂社だという問題がある。小沢自身は[[賊軍]]とされる岩手の出身である。&lt;br /&gt;
: 1986年4月2日の国会答弁では「誰もが自然の気持ちで行くべきであると思う。私もそのような自分の気持ちが沸いてきた時今までも参拝してきたしするつもりである」、「国務大臣であろうがなかろうが今後も行きたい」、「A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない」、「たまたま敗戦によって戦勝国から戦犯とされた人もいる」などの発言があった。&lt;br /&gt;
: また、2008年2月21日の[[朝鮮日報]]からのインタビューでは、「靖国神社問題は日本側が大きな間違いをしている。民主党が政権を取ったら、戦争責任者を靖国神社から分祀し、韓国と中国に強力な信頼関係を築く」と述べた。&lt;br /&gt;
; 核武装&lt;br /&gt;
: 日本には数千発の核兵器を製造する能力がある（2002年）ものの、軍事的、政治的にも何のプラスにもならない。議論もしてはいけない（2006年）。党内には、核保有を認める意見や核武装を議論すべきとの意見があった。&lt;br /&gt;
; [[日本国憲法第9条|憲法9条]]&lt;br /&gt;
: 「[[専守防衛]]」に徹し、憲法前文の平和主義と憲法9条の第一項と第二項は保持。第9.5条として平和のための国際協力と国連待機軍の設置を付加。自衛隊は国防に専念させる。なお、自衛権は、個別的であれ集団的であれ、我が国が急迫不正の侵害を受けた場合に限って行使。急迫不正の定義は明確にしない。&lt;br /&gt;
; [[自衛隊]]の海外派遣&lt;br /&gt;
: 小沢は[[国際治安支援部隊]]に対しては容認しており、[[ダルフール紛争]]への部隊の参加、国連治安支援部隊（[[ISAF]]）への参加など国連中心主義を強調した。ただし、その際の武器の使用基準見直しについては明言していなかった。なお政府は、ISAF本体への護衛参加については、合憲であるとの見解をまとめている。&amp;lt;ref&amp;gt;「自衛隊のアフガン派遣、政府が『合憲』解釈」 『読売新聞』、2007年12月22日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[集団的自衛権]]と[[集団安全保障]]&lt;br /&gt;
: [[イラク戦争]]型 （集団的自衛権の行使）‐ 他国が自衛権を発動して開始した戦争に参戦する[[有志国軍]]（[[OEF]]）への参加は憲法違反だとし、[[テロ対策特別措置法]]の延長にも反対した。&lt;br /&gt;
: [[湾岸戦争]]型（集団安全保障に基づく武力行使） ‐ 国連が承認した[[国連軍]]、[[多国籍軍]]の参加には賛成。&lt;br /&gt;
; [[周辺事態法]]について&lt;br /&gt;
: 2006年10月に北朝鮮が[[核実験]]を行った後の[[朝鮮半島]]情勢は「[[周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態法]]」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら[[トロイカ体制]]の見解を発表した。しかし、これに対して前原誠司を始めとする党内から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表し、安全保障政策をめぐる民主党内の対立・不一致が表面化した。&lt;br /&gt;
; [[北朝鮮による日本人拉致|北朝鮮拉致]]について&lt;br /&gt;
: 「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と述べたと報道された。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n1.htm 【民主党解剖】第1部「政権のかたち」（1）「小沢首相」は大丈夫か] 産経ニュース 2009.3.2&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
; 領土問題&lt;br /&gt;
: 「われわれが与党になったら領土問題にケリをつける」「例えば、[[尖閣諸島]]は歴史的に見ても日本の固有の領土だ。それを明確にさせる。自公政権のように弥縫策で先送りすることはしない」と述べ、領土問題の速やかな解決を宣言している&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008062334_all.html 小沢代表直撃インタビュー]{{リンク切れ|date=2009年5月}}」 [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2008年6月23日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、2008年7月15日には、 記者会見で学習指導要領の竹島問題について問われ、「教科書云々の前に日韓の考え方の差を埋めるために、しっかり話し合いをすべきだ。話し合いを避けて教科書に載せる載せないの類は順序が違う。事実上韓国が実力支配しているわけですから、それを放置しておいて俺の領土だと言ってもどうしようもないでしょう」と日本政府を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&amp;amp;num=13674 2008年7月15日 記者会見]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[チベット]]と中華人民共和国&lt;br /&gt;
: [[2008年のチベット動乱]]の後、2008年4月17日の講演で、チベット問題について「中国の政権が抱える矛盾が民族問題を契機として持ち上がった。共産主義独裁の政権と政治の自由は、原理からいって成り立たない」と発言し、「共産党政権が時代の変化に応じて生き延びようとするなら、自分自身が変化しなければいけない」と中国を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.asahi.com/special/080315/TKY200804170263.html 小沢代表、チベット問題で中国批判 『独裁政権の矛盾』]」 [[朝日新聞|asahi.com]]、2008年4月17日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 防衛庁の省への昇格&lt;br /&gt;
: [[防衛省|防衛庁]]の「省」昇格に対し、自由党時代から防衛庁の省への昇格を主張していた小沢は「国防の任に当たる省庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」と述べた。ただし、民主党内に反対の声があったため衆院安全保障委員会での防衛「省」昇格関連法案の審議は欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 法務 ===&lt;br /&gt;
; 憲法改正（憲法96条）の為の国民投票法案&lt;br /&gt;
: 与党提出の法案に反対した。その後民主党案との修正協議を経て修正与党案が成立した。なお社民・共産は法案そのものに反対した。&lt;br /&gt;
{{main2|国民投票法案については[[日本国憲法の改正手続に関する法律]]を}}&lt;br /&gt;
; [[外国人参政権|永住外国人の地方参政権]]&lt;br /&gt;
: 旧植民地政策により日本に移住、戦後そのまま在住した永住外国人・その家族が日本国籍を獲得しにくい場合でも、その歴史的事情を勘案し、また地域の住民との連帯感を醸成するために地方参政権を与えるべきと主張している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ozawa-ichiro.jp/policy/05.htm 永住外国人の地方参政権について]&amp;lt;/ref&amp;gt;。外国人参政権の獲得を目的に[[在日本大韓民国民団]]から支援の言葉を貰い、小沢もそれに謝意を表明し「帰化した韓国系」の投票を期待しているとの発言をしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://s02.megalodon.jp/2008-1212-1234-59/www.asahi.com/politics/update/1211/TKY200812110336.html 民団、民主・公明支援へ 次期衆院選 選挙権付与めざす]2008年12月12日 朝日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 公務員改革&lt;br /&gt;
: 幹部職員の内閣一元管理。公務員に対しては、スト権の付与と守秘義務違反の軽減を行う。また、政官接触を自由化する。[[特殊法人]]、[[独立行政法人]]、[[特別会計]]は見直す方向。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 経済、財政政策 ===&lt;br /&gt;
[[小さな政府]]ではなく、「官で出来ることは官で、民で出来ることは民で」。過疎化した地方など無駄な[[公共事業]]を極力減らしていく方針。&lt;br /&gt;
; 税制&lt;br /&gt;
: [[年金]]の特定財源化を行い、すべての年金を一元化する。1人月額6万円を支給する基礎年金と従来の保険料方式を維持した所得比例年金の2階建て。[[消費税]]は5%に維持するが、その税収はすべて全額を福祉目的税化し、基礎年金に割り当てる。しかし、消費税5%分（約13兆円）だけでは年金の基礎部分を賄えないため、必要な財源は既存予算から捻出するように努力する。13兆円では、国民の半数にしか年金が支給できないとの批判があったが、「給付する人を低所得者に限るため、13兆円で足りる」と反論した。&lt;br /&gt;
: [[道路特定財源]]の一般財源化を行い、[[揮発油税]]（ガソリン税）の暫定税率を廃止する。2008年[[3月28日]]にはこれに関して「暫定税率を延長する必要はなく、国民生活のために還元をしたほうが良い」と主張した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=12977 『暫定税率を延長する必要はない。むしろ国民に還元すべき』小沢代表]」 民主党ホームページ、2008年3月28日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。廃止に伴う地方財政への影響に関しては、道路特定財源の内で地方へ行くと予定されているのは9000億円であるが、そのうち市町村分の3000億円には手当てが必要であるとの見解を示し、その手当てを[[一般会計]]・[[特別会計]]の余剰金の利用や無駄の削減で市町村分へ配分することは可能だとした&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=13128 首相の一般財源化では理解得られない 国民に信を問うべき 小沢代表]」 民主党ホームページ、2008年4月20日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[地方分権]]&lt;br /&gt;
: [[中央集権]]体制から地方主権体制への移行。中央政府の権限は外交・治安などに限定し、その他の権限を地方に移譲する。また、個別[[補助金]]は官僚支配を生み[[利権]]の温床となるため廃止し、自主財源として一括交付する。財源・権限を地方に移譲することで地域経済の活性化につながる。地方分権を推進するため、市町村の300程度への集約を行う。&lt;br /&gt;
; 格差是正&lt;br /&gt;
: 社会的格差を是正する。子育て支援をし、親と同居している世帯に対して「親手当」、子供がいる世帯に対して「子ども手当」を交付する。[[管理職]]は自由競争だが、非管理職は[[終身雇用]]にする。[[労働法]]は長期安定雇用を基本とするべき。挫折した経営者・労働者の再起、再就職の支援制度を拡充する。&lt;br /&gt;
; [[移民]]政策&lt;br /&gt;
: 自民党と財界一部に「移民受け入れ」を検討する動きがある事を受け、「まったくダメだ。現在でも『奴隷労働』と言われる非正規労働者の問題が深刻なのに。発展途上国から単純労働者を受け入れることは、一種の奴隷制度ではないか。治安問題を心配する声もあるが、それ以前に、そういう形での移民受け入れは人間の尊厳に対する冒涜であり、人道的にとても認められない。」と述べ、与党の移民政策を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008062334_all.html 小沢代表直撃インタビュー]{{リンク切れ|date=2009年5月}}」 [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2008年6月23日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育政策 ===&lt;br /&gt;
与党案とは異なる民主党独自の「教育基本法」の制定。教育予算は先進国中低位の現状を是正し引き上げる。5歳から高校まで義務教育を広げる。すべての国民に[[高等教育]]の機会を与えるため、[[奨学金]]制度を拡充する。教師などの教育職員は[[国家公務員]]として身分を安定させ、[[労働争議|争議]]権を認めない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 農業政策 ===&lt;br /&gt;
わが国の安全保障を確保するためには現在39%&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/fbs/dat-fy18/sankou2.pdf PFC供給熱量比率、食料自給率及び飼料需給表]」 [[農林水産省]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;に低下している食料自給率を他の先進国並みに高める。農家、農村の活力を再生するために、穀物などの主要農産物について[[戸別所得補償制度]]を導入する。[[トレーサビリティ (流通)|トレーサビリティ制度]]の拡充と加工食品の原材料も含めた原産地表示の義務づけを行い、食の安全を確保する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 他党、支持母体との関係 ===&lt;br /&gt;
; 選挙協力&lt;br /&gt;
: 思想的には保守であるが、自公政権打倒のためには'''共産党を含めた全野党による選挙協力'''も辞さないことを表明した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2006/ar20060412155540.html 参院選候補選定『直接やる。カギは1人区』]」 『産経新聞』、2007年4月11日付朝刊。&amp;lt;/ref&amp;gt;。社会党の[[社公民路線]]以来、「非自民・非共産」として、共産外しが常態となっていた野党第一党の代表としては異例の見解であった。そのため、自公からはもちろん、党内の[[反共主義]]者からの批判が見られた。共産党は現時点では「市場主義重視」の民主党の「[[第三の道]]」路線に対して自公共々批判的であるため、実現しなかった。&lt;br /&gt;
; 大連立&lt;br /&gt;
: 2007年末に取り沙汰された大連立騒動（[[大連立構想 (日本 2007)]]）では、民主党が政権を取る為には、自民党と連立し、連立政権の中で民主党のマニフェストを実現して、実績と政権担当能力を示す必要があると主張した。大連立構想が立ち消えになった後は自民党との対決姿勢を強め、選挙による政権交代を目指している。&lt;br /&gt;
; [[労働組合]]との関係&lt;br /&gt;
: 未組織労働者や市民層からの支持を増やすことで協調的に労組との関係を維持した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 小沢グループ ==&lt;br /&gt;
小沢一郎を支持する民主党のグループ。もともとは旧自由党出身の議員のみであった。合併当初は「党中党」は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、2004年6月に当時当選1回～2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会「一新会」が発足。これ以降徐々に会合等を開くようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一新会に加え、2005年秋に発足した落選者や候補者を対象とした「一新会倶楽部」に加え、2001年から続く「小沢一郎政治塾」の存在もあって選挙ごとに勢力を拡大。[[2007年]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]で当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。小沢を中心に旧自由党出身の議員の結束は固いが、[[渡辺秀央]]、[[大江康弘]]のように小沢と選挙等をめぐって対立し離党した議員もいる。一方、一新会のメンバーの場合他のグループに参加しているメンバーも多く結束は自由党出身議員と比べ幾分緩い傾向がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政策的にはかつては右派的、新自由主義的なものが多かったが小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れつつある。小沢同様、政策よりも選挙や政局を重視する傾向があり、政策重視を掲げる「凌雲会」や「花斉会」とは対立することが多い&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; [[一新会]] - 約20名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[三井辨雄]]、[[仲野博子]]、[[松木謙公]]、[[石川知裕]]、[[横山北斗]]、[[田名部匡代]]、[[階猛]]、[[石関貴史]]、[[武正公一]]、[[神風英男]]、[[小宮山泰子]]、[[高山智司]]、[[内山晃]]、[[菊田真紀子]]、[[村井宗明]]、[[篠原孝]]、[[牧義夫]]、[[鈴木克昌]]、[[吉良州司]]&lt;br /&gt;
; 旧[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]グループ - 約10名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[藤井裕久]]、[[中井洽]]、[[山岡賢次]]、[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]]、[[黄川田徹]]&lt;br /&gt;
:* 参議院議員 - [[西岡武夫]]、[[一川保夫]]、[[工藤堅太郎]]、[[佐藤公治]]、[[平野達男]]、[[森ゆうこ]]、[[室井邦彦]]、[[広野允士]]&lt;br /&gt;
; その他 - 約10名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[奥村展三]]、[[青木愛]]、[[太田和美 (政治家)|太田和美]]&lt;br /&gt;
:* 参議院議員 - [[川上義博]]、[[主濱了]]、[[喜納昌吉]]、[[藤原良信]]、[[大久保潔重]]、[[平山幸司]]、[[米長晴信]]、[[谷岡郁子]]、[[藤原良信]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 小沢ガールズは特に定義のないまま第45回衆院選で注目区を制した女性新議員の総称で使われており、また40名と断定するのは不明確だと思われるためコメントアウト &lt;br /&gt;
; [[小沢ガールズ]] - 40名&lt;br /&gt;
: 2009年8月30日[[衆議院]]議員総選挙にに当選した民主党女性[[代議士]]&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 不祥事 ==&lt;br /&gt;
=== 事務所費問題 ===&lt;br /&gt;
[[2007年]][[1月]]、自身の資金管理団体「陸山会」が2005年分の[[政治資金収支報告書]]に4億円を超える不透明な[[事務所費]]を計上していることが発覚した。鳩山幹事長は『（小沢から）「東京都世田谷区内に約3億6500万円相当の土地と建物を購入し、費用を事務所費として計上した」と聞いており「全く問題ない」』と反論した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、自身の資金管理団体が10億円を超す不動産を保有し（小沢個人名義で保有）、またその一部を賃貸運用していることなどが発覚し、物議を醸した。それに対し小沢は1月の衆院代表質問で、これらの「支出の詳細、領収書、関係書類を含め公表する用意がある」とし、同じく事務所費問題を抱える自民党に対し、大臣など責任ある立場の議員に公表を迫った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月20日]]、国会内での記者会見で、東京・世田谷区に約3億7000万円の秘書宿舎を建設し、加えて不動産取引の仲介手数料や[[登記]]費用として1100万円を計上したという、2003年〜2005年の事務所費などを公開した。一方、10億円は国民の常識からかけ離れているとの批判もあるが、それだけ支援者からの寄付金が多かったということであり、また不動産を所有しても政治資金団体の財産なので問題はないと主張した。同時に、資金管理団体の小沢名義の資産を個人資産にしないという確認書を公開した。なお、陸山会の代表は小沢自身であり、この確認書は「陸山会代表である小沢一郎」と「個人である小沢一郎」の間で交わされたものになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後2007年[[10月9日]]、[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]で与野党逆転した後、初の本格的論戦で注目されていた衆議院予算委員会総括質疑の初日、「陸山会」が政治資金で購入したマンションの部屋をコンサルタント会社と財団法人に事務所として貸し、2002年から2006年の間に賃料計980万円を得ていたことが報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9日に民主党幹事長の[[鳩山由紀夫]]は「法に触れるようなことは何もしていない」とコメントし、「このタイミングで問題化させるのは政治的意図があるからではないのか」とも切り返した。また小沢代表も翌10日の記者会見で「1円単位で領収書を公開した2月時点で（メディアから）追及は全く無かった。それが半年以上も経過した今回一面トップで報じることは、政治的思惑でもって意図的に[[誹謗中傷]]した報道であると認識している」とし、これを一面で報じた毎日新聞をはじめ報道を批判するなど強く不快感を示した。なおこれらの違法性を強く否定しつつも今後不動産の売却を進めていく考えを表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この件を報じた週刊現代を名誉毀損で小沢は出版社を提訴。しかし、一審二審ともに小沢側の全面敗訴の判決が出され、上告をしなかったため、小沢の全面敗訴が確定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月13日参議院決算委員会で自民党西田議員が本件について詳細に発表したとき、民主党議員からの野次により委員会が一時中断した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=jKWnCWyRpuc 小沢一郎のマンション疑惑 2009年4月13日参議院決算委員会]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政策秘書公職選挙法違反容疑 ===&lt;br /&gt;
[[第21回参議院議員通常選挙]]で当選した同党の[[青木愛]]の選挙運動員が事務所の指示を受け、参院選公示前日の7月11日、業者に依頼して選挙ポスター付きの看板設置に関する契約を1本当たり500円で千数百万円分の契約を結んだ疑いで逮捕された。印刷会社社長が警察からの事情聴取で、小沢の政策秘書に報告しその内容を掴んでいたのではないかとも取れる供述を行なった。これに対し、小沢自身は8月31日の記者会見で「選挙違反に当たるような行為は一切していないという（秘書からの）報告で、私もそう思っている」と捜査や報道を批判し強く不快感を示した。9月14日、千葉地検は逮捕した印刷会社社長らを「選挙違反にはあたるが、違法性の程度が比較的軽かった」と判断して起訴猶予処分とし、小沢の政策秘書も立件せず捜査を終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政治資金規正法違反疑惑 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float:right&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| id=&amp;quot;toc sub&amp;quot; class=&amp;quot;toc&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;div style=&amp;quot;text-align: center&amp;quot;&amp;gt;'''目次'''&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ul&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#概略|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;1&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;概略&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#経過|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;2&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;経過&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#献金の背景とルート|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;3&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;献金の背景とルート&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#ダミー団体との認識|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;4&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;ダミー団体との認識&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#小沢に対する弁護と批判|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;5&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;小沢に対する弁護と批判&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#報道における問題|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;6&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;報道における問題&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#検察の捜査姿勢に対する賛否|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;7&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;検察の捜査姿勢に対する賛否&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ul&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{see also|西松建設#政治資金規正法違反}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 概略 ====&lt;br /&gt;
準大手[[ゼネコン]]の[[西松建設]]が、OBらを代表とした政治団体を通じて、小沢や[[森喜朗]]・[[二階俊博]]など、与野党の国会議員の資金管理団体へ多額の政治献金を継続していたことが{{和暦|2008}}12月末に表面化した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-12-21/2008122115_01_0.html 裏金疑惑の西松建設 関連政治団体政界に4億2000万円 森・二階・小沢氏ら] しんぶん赤旗 2008年12月21日（2009年3月12日閲覧）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081231-OYT1T00021.htm 西松建設が違法献金か、政治団体隠れみのに4億8千万円 読売新聞 2008年12月31日]{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。これに関連して{{和暦|2009}}[[3月3日]]に陸山会（小沢の資金管理団体）の会計責任者兼公設第一秘書が[[政治資金規正法]]違反の容疑で逮捕された&amp;lt;ref name=sankei090304&amp;gt;『産経新聞』は[[政治資金規正法#トンネル献金|トンネル献金]]の疑いがあることを報じている（「小沢氏秘書ら逮捕 規正法違反容疑で3人 西松トンネル献金」産経新聞 2009年3月4日朝刊1面[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903041340016-n1.htm]）。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/national/update/0303/TKY200903030171.html 民主・小沢代表の秘書逮捕、規正法違反の疑い東京地検 朝日新聞 2009年3月3日]{{リンク切れ|date=2009年4月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 経過 ====&lt;br /&gt;
[[2008年]]12月下旬、[[西松建設]]がOBらを代表とした政治団体（「新政治問題研究会」・「未来産業研究会」&amp;lt;ref&amp;gt;いずれも{{和暦|2006}}末に解散。&amp;lt;/ref&amp;gt;）を通じて、小沢や[[森喜朗]]・[[二階俊博]]など、与野党の国会議員の資金管理団体へ多額の政治献金を継続していたことが表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]3月3日、陸山会（小沢の資金管理団体）の会計責任者兼公設第一秘書が[[政治資金規正法]]違反の容疑で逮捕され、東京にある小沢の資金管理団体「陸山会」事務所には家宅捜索が行われた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-03|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090303/crm0903031826030-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】警察官も出動 赤坂の「陸山会」捜索|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月4日、東京地検特捜部は小沢の地元事務所を家宅捜索&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-04|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903041305014-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】小沢氏の地元事務所を捜索 東京地検特捜部|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月4日、小沢は「献金が違法ということが明らかになったときに返却するつもりだ」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903050043001-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】「献金の早期返却望ましい」鳩山氏|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;（政治資金規正法の第二十二条の六の第四項において他人名義による寄附は国庫に帰属するものと定められているため、違法の場合は受取った献金を国庫に納めなければならない&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO194.html#1000000000000000000000000000000000000000000000002200600000000000000000000000000|title=政治資金規正法 第二十二条の六|publisher=総務省法令データ提供システム|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月5日、自民党では二階派及び森が西松建設からの献金の返還を表明&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903051736007-n1.htm|title=自民で次々に「西松献金返還」 でも、団体解散で方法は…|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903052009011-n1.htm|title=森元首相も300万円返還 西松献金|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。大阪府吹田市の阪口善雄市長も「違法性のある献金ならば何らかの形で返したい」と西松建設が購入した70万円分のパーティー券について述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090305/crm0903050145004-n1.htm|title= 【西松献金】吹田市長後援会が100万円分パーティー券購入|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方、衆議院議員時代に西松建設に20万円のパーティー券を購入してもらった長野県知事[[村井仁]]は西松建設からの献金の返却について考慮しないと答えている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090305/lcl0903051853004-n1.htm|title=長野県知事、西松献金返還の考えなし|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月10日、民主党の[[西岡武夫]]参院議院運営委員長が「党執行部と相談した上で検事総長の証人喚問を考えたい」とコメント&amp;lt;ref name=asahi_090313&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-13|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903130121.html|title=検事総長喚問、森法相が反対姿勢 「検察の独立脅かす」|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月12日、東京地検特捜部は小沢の元秘書・[[石川知裕]]衆院議員を参考人聴取した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-12|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903120256.html|title=小沢氏の元秘書・石川知裕衆院議員を参考人聴取 特捜部|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月13日、西松建設の捜査について民主党内から検事総長の証人喚問を求められていることに対して[[森英介|森法相]]は「検察官を証人として国会に出頭させることは、検察官の独立性と公正性の保持の観点から悪影響を及ぼす」として反対を表明した&amp;lt;ref name=asahi_090313 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Nishimatsu Ozawa.PNG|thumb|right|200px|西松建設から小沢側へ行われたとする[[トンネル献金]]（検察による起訴内容）&amp;lt;ref name=sankei090304/&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
2009年3月24日、東京地検は政治資金規正法違反として小沢の公設第一秘書と西松建設前社長を起訴&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm|title=小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。起訴状によると、公設第一秘書は2003年から2006年にかけて西松建設からの献金と知りながらダミーの政治団体「新政治問題研究会」「未来産業研究会」の名義で小沢の資金管理団体である陸山会には2,100万円&amp;lt;!--新しい出典に基づき金額修正--&amp;gt;、小沢が代表を務める民主党岩手県第四区総支部には1,400万円の寄付を受取り、その上で政治資金収支報告書に虚偽の記載を行ったとされた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009032502000073.html 小沢代表続投表明 虚偽記載で秘書起訴「東京新聞」2009年3月25日]{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=https://www.nnn.co.jp/knews/090324/20090324146.html|title=大久保被告の起訴状要旨|publisher=日本海新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月27日、民主党代議士会は小沢の代表続投を了承した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-27|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090327/stt0903271901012-n1.htm|title= 【民主代議士会詳報】（3）完 鳩山氏「政権交代を一番願っているのは小沢代表」（27日午後）|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月28日、党本部で記者会見を行い、企業・団体献金の即時全面禁止を表明した。企業・団体献金の取り扱いについて「ディスクロージャー（情報開示）が大事だが、解釈の違いが起きたりすると、政治に間違った影響を与える。即時に全面禁止すべきだ」と述べた。民主党として「即時全面禁止」を盛り込んだ政治資金規正法改正案の提出を検討するとともに、次期衆院選の政権公約（マニフェスト）に盛り込む見通し。一方、法案化については、即座禁止ではなく「5年以内の禁止」を盛り込んだ政治資金規正法改正案の提出を目指している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-04-28|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090428/stt0904281811002-n1.htm|title=もう企業・団体献金はいらない!? 小沢氏が「即時全面禁止」を表明|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党のマニフェストは、菅直人代表代行と岡田克也副代表がそれぞれ党代表を務めていた2002年と2004年の衆院選のマニフェスト（政権公約）では「公共事業受注企業からの政治献金全面禁止」が明記されていたが、小沢が代表に就任した際「個人献金より企業献金の方が癒着が少なく、望ましい」と持論を述べ、2007年の参院選のマニフェストからは削除された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090316/stt0903162150004-n1.htm 企業献金見直し、民主は不一致、与党は様子見 2009.3.16 21:43]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 献金の背景とルート ====&lt;br /&gt;
[[ファイル:Money flow to Ozawa.png|thumb|right|400px|検察側が主張する下請け業者ルート（『産経新聞』による解説）&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090313&amp;quot;/&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1993年の鹿島建設東北支店の談合の仕切り役交代を契機に、公共事業の受注調整に際して小沢側の意向が大きな影響力をもつようになったとされる。一方、西松建設は東北地方を不得手としていたことから、受注の便宜を目的として1995年頃に小沢側と毎年2500万程度の献金を行う約束を行った。その後、東北地方での西松建設の受注高は増加したが、西松内部でも小沢側への献金の効果とする見方&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm|title=小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件|publisher=産経ニュース|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と談合の結果とする見方&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-07|url=http://mainichi.jp/select/jiken/nishimatuuragane/archive/news/2009/03/20090307org00m040042000c.html|title=西松建設裏金：東北の大型工事狙い…小沢氏の影響力期待|publisher=毎日JP|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に分かれているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-22|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903210253.html&lt;br /&gt;
|title=談合事件後の新仕切り役「小沢氏側寄り」 影響力拡大か|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;一方、小沢は献金と工事受注の結果とは関係がないとの認識を表明している&amp;lt;ref name=asahi_090322&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-10|url=http://www.asahi.com/special/plus/TKY200903100290.html|title=「ご迷惑、ご心配、この機会におわび」小沢代表定例会見|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西松建設側の供述によれば、公設秘書は西松建設に対して小沢の地盤である岩手県奥州市で建設中の[[胆沢ダム]]について「胆沢ダムは小沢ダム｣と発言し、献金を要請していたという&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月29日 毎日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
献金は1999年ごろまでは西松建設名義で行われていたが、2003年以降は以下の2ルートで献金が行われている。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903050174.html|title=小沢氏秘書、下請け迂回献金も認識 西松側に入金催促|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* 西松建設→政治団体（『新政治問題研究会』・『未来産業研究会』）→陸山会・民主党岩手県第4区総支部等（毎年1500万円）&lt;br /&gt;
:* 西松建設→下請け業者（松和会）→民主党岩手県第4区総支部（毎年1000万円）&lt;br /&gt;
この内、起訴されたのは政治団体経由の献金であり、下請け業者ルートの献金については起訴されていない。なお、談合決別宣言等の影響により2006年の500万を最後に政治団体経由の献金も打ち切られ、政治団体も既に解散している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090324-OYT1T00034.htm|title=大久保容疑者「どうにか続けて」、西松の献金中止申し出に|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
また西松建設に限らず複数のゼネコンからの下請け業者ルートも報告された&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090313&amp;quot;&amp;gt;「ゼネコンから年2億円」『産経新聞』2009年3月13日朝刊、一面({{Cite web|date=2009-03-13|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090313/crm0903130203002-n1.htm|title=ゼネコンから年2億円 小沢氏側 下請けダミーに？|publisher=産経新聞|accessdate=2009-05-28}})&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、西松建設がおこなった内部調査によれば、政治家への献金目的について「発注を得たいというより、受注活動を妨害しないでほしかった」と供述する社員がいたとしている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-05-15|url=http://s04.megalodon.jp/2009-0616-2217-59/www.asahi.com/special/09002/TKY200905150303.html|title=「受注のため違法献金」 西松建設、内部調査結果を公表|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-06-16}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『毎日新聞』 2009年5月16日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ダミー団体との認識 ====&lt;br /&gt;
小沢は秘書逮捕を受けた2009年3月4日の会見で「政治団体の原資がどういう形でどういうところから入ってくるのか、それは知るすべもありません」としていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041118010-n1.htm 【小沢代表会見詳報（4）】「どっかから持ってきたカネだとか、詮索しない」 MSN産経ニュース 2009年3月4日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。この小沢会見の直後、捜査関係者及び西松関係者を情報源として、小沢側が献金に際し直接西松建設と献金額の調整を行い、同社宛てに請求書を送付していたとの報道がなされた。また、検察はこの請求書や西松側の供述を証拠に小沢秘書が西松建設のダミー団体であることを十分認識していたと判断しているとされた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-08|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090308-OYT1T00084.htm|title=西松献金…小沢氏秘書が直接メモやり取り、額決定|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-23|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903220169.html|title=小沢氏秘書を24日起訴 違法献金認識と判断 東京地検|publisher=ASAHI.COM|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-08|url=http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009030801000497.html|title=小沢代表側が西松建設に請求書 ダミー団体献金で、違法性認識か|publisher=共同通信|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。西松建設への請求書報道に対し、小沢は3月22日の会見で、秘書に任せていたため小沢自身は当該政治団体からの献金の存在も知らず、請求書の送付についても「わからない」とした&amp;lt;ref name=asahi_090322/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年[[6月19日]]、検察は国沢前社長の初公判において「新政治問題研究会・未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていた」、「西松建設側からの支援は会社として行われてきたもので、窓口となっていた幹部の一存ではなく、西松の社長やしかるべく役職の人が決裁し、会社の経営判断で行われてきたと認識していた」とする小沢秘書の供述調書を明らかにした&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n3.htm|title=【西松事件公判（5）】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」（11：05~11：15）|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090620ddm012040059000c.html|title=西松建設献金事件：検察側冒頭陳述（要旨）|publisher=毎日JP|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090619-OYT1T00830.htm|title=談合が成立し4件を受注…西松事件・検察の冒頭陳述要旨3|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-07-01}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 小沢に対する弁護と批判 ====&lt;br /&gt;
小沢は[[事件]]について自ら説明をおこなった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304a&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041028006-n1.htm 【小沢代表会見詳報（1）】「（捜査は）不公正な国家権力、検察権力の行使」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041029007-n1.htm 【小沢代表会見詳報（2）】「規正法にのっとってオープンになっている問題」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041110009-n1.htm 【小沢代表会見詳報（3）】「何らやましいことはない」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041148013-n1.htm 【小沢代表会見詳報（5）完】「必ず近いうちに嫌疑は晴れる」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;が、この中で小沢が[[捜査]]について「不公正な[[国家権力]]、[[検察]][[権力]]の行使」と述べていることについては[[民主党]]の内外から批判の声が出ている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090305-OYT1T00929.htm 「検察批判「すべきでない」と前原氏、菅氏は小沢代表に理解」]読売オンライン [[2009年]][[3月5日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903042154023-n1.htm 反発と警戒…自民交錯 小沢氏の「検察批判」発言] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月5日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。また[[報道機関]]による[[世論調査]]では、国民が納得していないとの結果が得られたとしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090309/stt0903091139003-n1.htm 【産経FNN合同世論調査】小沢氏「辞任すべき」47・4% MSN産経ニュース] [[2009年]][[3月9日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090309/stt0903092047010-n1.htm 【産経・FNN合同世論調査】逆風で小沢氏凋落「説明責任果たさず」約8割] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月9日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090326/stt0903261641005-n1.htm 小沢代表「辞任を」66% 79%が「説明納得できず」共同通信調査] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月26日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090330/plc0903301140002-n1.htm 【産経FNN世論調査】「小沢代表辞任を」62% 内閣支持率は上昇] MSN産経ニュース 2009年3月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。3月27日にも民主党の参院議員総会と代議士会で説明しているが、代議士会において[[小宮山洋子]]議員からは「法廷闘争と選挙戦略は全く別だ。地元では『新しい体制を作ってほしい』という声が多い」 と小沢の代表続投に異議を唱えられ、[[近藤洋介 (政治家)|近藤洋介]]議員からは「世論調査では説明に納得していない国民が8割いる。なぜ数千万円の献金をもらい続けたのか」と説明を求められ、一方[[小沢鋭仁]]、[[小宮山泰子]]両議員には代表の続投を支持され、全体として代表続投が決まった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090327-OYT1T01028.htm 小沢代表が党所属国会議員に説明、続投了承される] 読売新聞 [[2009年]][[3月27日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[達増拓也]][[岩手県知事]]は小沢の[[公設秘書|公設第一秘書]]が逮捕された翌日、その[[政治資金規正法]][[違反]]事件について「これほど疑念を持たれている捜査はないんじゃないか。現段階では、よほどのことがないまま政治活動の自由が大きく制限されている」と[[東京地検特捜部]]の捜査を批判し、小沢の[[記者会見]]における[[政治献金|献金]]の違法性の否定については「非常に分かりやすく、得心できた」と大きな意味があったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;のちに達増拓也知事自身も西松建設との関連を指摘されている。[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090306/crm0903061324012-n1.htm 岩手県知事「報道で初めて知った」 西松建設規正法違反事件] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月6日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903042229029-n1.htm 【小沢氏秘書逮捕】「政治活動の自由制限」 岩手知事も批判] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の[[機関誌]]「プレス民主」[[2009年|09年]][[4月17日]]号で、[[ジャーナリスト]][[高野孟]]と[[田中康夫]][[新党日本#歴代代表|新党日本代表]]がこの捜査や小沢一郎代表交代論を批判した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.smn.co.jp/pod/090420.pdf 代表続投論]「プレス民主」[[2009年|09年]][[4月17日]]号&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の[[枝野幸男]]元[[政調会長]]は小沢の[[民主党代表|代表]]続投の判断について「今後も説明の努力をされ、（世論調査結果に表れる）納得できないとか辞めるべきだというのを大幅に下げる政治責任がある」とコメントし、小沢が多額の企業献金を得ていることについては「政治体質が私と百八十度違う。我が党の党首にはふさわしくないと一貫して思っている」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903280212.html 小沢氏の進退、世論の受け止め次第と強調 民主・枝野氏] 朝日新聞 [[2009年]][[3月28日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党員である[[小宮山洋子]]議員は公然と小沢の代表辞任を要求していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090325/stt0903251253007-n1.htm 民主、小宮山洋子衆院議員、小沢代表の辞任を要求] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月25日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、民主党の[[菅直人]]代表代行も小沢代表の辞任を求めたと伝えられたが後に釈明している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090403k0000m010071000c.html 民主・菅氏：小沢氏へ辞任求めた発言で釈明] 毎日新聞 [[2009年]][[4月2日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
盟友とされる[[国民新党]]の[[亀井静香]]代表代行は小沢の代表辞任を求めた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090417/stt0904172041005-n1.htm 亀井氏「身を捨てろ」小沢氏に辞任促す MSN産経ニュース 2009年4月17日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[日本共産党|共産党]]の[[志位和夫]][[日本共産党委員長|委員長]]は小沢には「長年多額の企業献金を受けてきたことの総括」と「国民が納得できる説明」が必要とした&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090319/stt0903191632003-n1.htm 企業献金廃止「まず小沢氏から」 共産・志位委員長] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月19日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は、この問題における党内の動揺を受け、[[5月11日]]に民主党代表を辞任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 報道における問題 ====&lt;br /&gt;
公設第一秘書の起訴直後、各報道機関によって『秘書が起訴内容を大筋認める』との報道がなされたが、秘書の弁護人は『大筋を認めたとする報道と弁護人らの認識は全く異なっている』とするコメントを発表した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903270484.html 小沢氏秘書の弁護人、報道機関へのコメント公表 - asahi.com 2009年3月27日23時39分] 2009年6月22日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;その後、西松の国沢前社長の公判で『私は新政治問題研究会、未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていました』と秘書が供述したことが判明した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n3.htm|title=【西松事件公判（5）】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」（11：05～11：15）|publisher=産経ニュース|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、報道が[[検察]]や与党の意を汲んだマスメディアによる[[情報操作]]であるとの指摘もある&amp;lt;ref name=&amp;quot;sapio20090422&amp;quot;&amp;gt;『[[SAPIO]]』2009年[[4月22日]]号 p.6-11&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、『[[東京新聞]]』が西松から献金を受け取った与党政治家の件について記事にしたところ、東京検察（[[東京地方検察庁]]？）はそれが望ましくない内容であるという理由で、3週間『東京新聞』の取材拒否をしたという&amp;lt;ref&amp;gt;『[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]』2009年[[5月28日]]号 [[:en:MARTIN FACKLER]][http://www.nytimes.com/2009/05/29/world/asia/29japan.html In Reporting a Scandal, the Media Are Accused of Just Listening] なお、東京地検は、同紙が記者クラブに加盟していないことを理由に取材を拒否している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 検察の捜査姿勢に対する賛否 ====&lt;br /&gt;
{{see also|国策捜査}}&lt;br /&gt;
小沢側は事件に対する検察の捜査が[[国策捜査]]に当たると非難した&amp;lt;ref name=FNN_report&amp;gt;[http://s03.megalodon.jp/2009-0422-2011-01/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090331-00000106-san-pol 【本社・FNN合同世論調査】検察捜査 「不公平」46%、「公平」は40% MSN産経ニュース 2009年3月31日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党の[[原口一博]]衆議院議員はこれを否定する一方で捜査当局でしか知り得ない情報がメディアから流布されることを問題とし、国家公務員による秘密漏えいの疑いを指摘している&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月25日衆議院総務委員会&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[上杉隆]]によれば、[[週刊朝日]]をはじめとした一部のマスコミが、小沢よりも検察側に疑義があるとキャンペーンを張ったことで、小沢への批判は弱まったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;ダイアモンドオンライン「週間 上杉隆」2009年09月17日[http://diamond.jp/series/uesugi/10094/?page=3 非記者クラブメディアを排除した鳩山首相初会見への落胆]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公設第一秘書らの起訴の際、東京地検の次席検事は記者会見において「国会議員の政治団体が、特定の建設業者から長年にわたり多額の金銭提供を受けてきた事実を、国民の目から覆い隠したもの。規正法の趣旨に照らして見過ごせない重大で悪質な事案と判断した」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm 小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件 MSN産経ニュース 2009年3月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;と説明し、記者から「なぜ悪質といえるのか」「被告の認識は」との質問がなされていたが、特捜部長は刑事訴訟法第47条において公判前の書類開示は禁止されていることから&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO131.html#1001000000006000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000|title=刑事訴訟法 第四十七条|publisher=総務省法令データ提供システム|accessdate=2009-05-11}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、公判において明らかにすると回答した。また、収支報告書上に記載された献金についての立件については「寄付者の名義を変えてしまうことをどう評価するか。みなさんにご判断いただきたい」と答えている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20090325ddn003040028000c.html クローズアップ2009：小沢氏秘書起訴 異例の立件に波紋 毎日新聞 2009年3月25日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、小沢と同様に西松建設から献金を受け取った議員のうち、二階を除く自民党議員（森、尾身など）に対し検察側が捜査の動きを見せていないことについて、[[角福戦争]]以降、歴史的に旧田中派と敵対して来た[[清和政策研究会]]の意向が検察の捜査に反映されているとの指摘がある&amp;lt;ref name=&amp;quot;sapio20090422&amp;quot;/&amp;gt;一方、「政治家側がダミー団体と認識していた明確な証拠がないだけ」とする報道もある&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-05-12|url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090512k0000m040124000c.html|title=小沢代表辞任：検察幹部「証拠は十分」、公判に自信|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『産経新聞』が[[フジニュースネットワーク|FNN]]と合同でおこなった世論調査では、半数近くが「検察側の捜査は政治的に不公平」と回答し、「公平」とする回答を上回った（次期衆院選が近づく時期に国政に影響する捜査が不適切かという件については、「思わない」が「思う」を上回った）&amp;lt;ref name=FNN_report/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 労働保険未加入問題 ===&lt;br /&gt;
{{現在進行|section=1}}&lt;br /&gt;
2009年3月3日、小沢の事務所が雇用しているアルバイトや私設秘書について、労働保険に未加入だったことが分かった。同事務所は「少なくとも3、4年は未加入になっており、かなりの人数分の未納保険料を納付することになる」と説明、今後、過去の雇用状況を調べた上で労働局に届け出る予定としているが、労働保険未加入発覚時のペナルティは、発覚時の前年度と前々年度分の保険料と、10%の追徴金のみであり、未加入分の多くは問責されないこととなる。 同事務所では、小沢の初当選以来、「正規の秘書」以外は届け出ていない可能性もあり、対象者は数百人規模になるという&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/090305/wlf0903050058000-n2.htm 小沢事務所 労働保険未加入も 社民・福島党首も数年間]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== 人物評 ===&lt;br /&gt;
{{独自研究|section=1}}&lt;br /&gt;
かつては「豪腕」、「壊し屋」、と称され、「政治とは権力闘争である」という政治観の持ち主であった。[[金丸信]]は小沢、[[羽田孜]]、[[梶山静六]]の3人を「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と評した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党内外では小沢[[アレルギー]]の存在が指摘され、これは若手議員よりも自民党当時を知る議員により強いとされた。「独断専行、側近政治、顔が見えない」との批判や、自民党分裂とその後の分裂工作、新進党分裂・解党等がその原因とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
周囲からは東北人気質も相まって朴訥な人物と評された。そのことから説明する努力に欠け、側近が離れる一因となっているとも指摘された。本人曰く「去るもの追わず。来るもの拒まず」。また、強面のイメージであるが私生活では[[恐妻家]]として知られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 健康管理 ===&lt;br /&gt;
1991年に狭心症で入院して以来は健康管理に余念がなく、早朝に30分ほどの散歩をすることを日課とし、アルコールは日本酒を3合までに控えるよう心がけ、約2時間の昼寝を欠かさない&amp;lt;ref name=&amp;quot;産経ニュース2009.3.2 5/5ページ&amp;quot;/&amp;gt;。2008年10月6日から13日まで風邪で入院、同月23日に予定されていた[[インド]]の[[マンモハン・シン|シン]]首相との会談を含む党役員会などの公務も体調不良ということでキャンセルし、シン首相との会談は[[鳩山由紀夫|鳩山]]幹事長が代理を務めたものの健康不安説も再燃した&amp;lt;ref&amp;gt;『産経新聞』2008年10月24日朝刊&amp;lt;/ref&amp;gt;。第171回国会（会期2009年1月5日 - 6月3日）では、2月末までに11回開かれた衆院本会議のうち4回欠席している。&amp;lt;ref name=&amp;quot;産経ニュース2009.3.2 5/5ページ&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|title=【民主党解剖】第1部「政権のかたち」（1）「小沢首相」は大丈夫か （5/5ページ） |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n5.htm |publisher=産経ニュース |accessdate=2009年3月2日 |date=2009年3月2日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 信条 ===&lt;br /&gt;
[[田中角榮]]を『'''オヤジ'''』として慕い、政治のイロハと人生の薫陶を受けたと語る。それは「どぶ板」とも言われる、[[人口密度]]の低い農村部から始め有権者の家を一戸一戸回っていく地道な選挙活動を決して怠らない事をオヤジから学んだという。歴史上の人物では、[[福澤諭吉]]を日本文明の祖として尊敬し、[[西郷隆盛]]を尊敬するものの、政治家・人物としては[[大久保利通]]を目指していると述べた&amp;lt;ref&amp;gt;『小沢主義志を持て、日本人』 ISBN 4797671297 より&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[司馬遼太郎]]を愛読している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自民党離党 ===&lt;br /&gt;
小沢が自民党を離党した理由は、「談合政治」と言われる旧来型政治の打破と、[[イギリス]]や[[アメリカ]]のような[[二大政党制]]に持って行きたいという明確なビジョンがあったという。その思惑は、小沢が[[自由党]]を[[民主党]]に合流させることで成就するのだが、[[小選挙区制]]を導入すれば同じ選挙区から[[自民党]]と[[社会党]]の政治家が選ばれるということが無くなるためであった。小沢は、自ら進んで自民党を離党したのでは無く、既得権益を持った一部の議員に追い出されたのだと述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
; 実家&lt;br /&gt;
* 父・[[小沢佐重喜|佐重喜]]（弁護士、政治家）&lt;br /&gt;
* 母・みち（元千葉県会議員[[荒木儀助]]の四女）&lt;br /&gt;
:[[奥野修司]]の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁には｢みちは[[明治]]三十四年二月十五日に[[千葉県]]の元[[庄屋]]の娘として生まれている。実家はかなりの[[豪農]]で生まれたときからお嬢様として育てられたという。九段の精華高等女学校では、のちの[[鹿島建設]]会長夫人になる[[鹿島卯女]]も同窓だった。｣、85頁には｢このみちは[[明治]]三十四年に[[荒木儀助]]と妻かのの四女として[[千葉県]][[東葛飾郡]][[風早村]]で生まれているが生家は“[[駅]]からよその土地を踏まずに家まで帰ることができた”といわれるほどの大[[地主]]だったようだ。父親の儀助も[[千葉県]]の県会議員になっているほどだからかなり裕福だったことは推測できる。両親はともに教育熱心だった。のちに[[医者]]や[[弁護士]]になっている家族もたくさんいて、みち自身も東京九段の精華高等女学校を[[卒業]]しているほどである。｣とある&lt;br /&gt;
* 姉（2人）&lt;br /&gt;
; 自家&lt;br /&gt;
* 妻・和子（[[新潟県]]の建設会社[[福田組]]会長・福田正の長女）&lt;br /&gt;
* 三男あり&lt;br /&gt;
; 他家&lt;br /&gt;
* その他の親戚・[[竹下亘]]（政治家、元[[首相]][[竹下登]]の異母弟、妻は福田正の二女）、[[金丸信]]（政治家）など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
; 小沢家&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0001/05805140001033c.html 衆議院会議録情報　第058回国会　本会議　第33号]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:小沢一郎は自身の[[家系]]について、[[古代]]東北の英雄として知られた[[蝦夷]]･[[アテルイ]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://homepage2.nifty.com/tanizoko/aterui.html アテルイ]&amp;lt;/ref&amp;gt;の末裔であるため“反骨精神が旺盛だ”と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/2005/05.01.21.htm 小沢一郎（下） アテルイの末裔 だから反骨精神旺盛 ]&amp;lt;/ref&amp;gt;。父[[小沢佐重喜]]は[[岩手県]][[胆沢郡]]水沢町（現[[奥州市]]）の[[農家]]に生まれ、{{和暦|1923}}、[[日本大学]][[法学部]]を卒業するとその年の12月に25歳の若さで[[司法試験|弁護士試験]]に合格し翌年弁護士事務所を開業する。[[東京市]]会議員、[[東京府]]会議員を経て、{{和暦|1946}}、衆議院議員に当選する。[[第2次吉田茂内閣]]の[[運輸大臣]]、[[第3次吉田茂内閣]]の[[逓信大臣]]、初代[[郵政大臣]]兼初代[[電気通信大臣]]、[[第5次吉田茂内閣]]の[[建設大臣]]、第2次池田内閣で[[行政管理庁]]長官、[[北海道開発庁]]長官等を歴任する。父・[[小沢佐重喜|佐重喜]]について一郎は｢親父は、じいさまが[[酒]]に溺れて身上をつぶして[[水呑百姓|水飲み百姓]]の[[小作人]]のせがれとして食うや食わずで育ったんだ。それで、ものすごく貧乏だったせいかどちらかというと反体制的な考え方だった。[[戦後]]の[[経済]]万能主義の社会や政治を嫌悪していたし、エスタプリッシュメントというものに対する反発を非常に強くもっている男でした｣と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;奥野修司の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』105頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　（14代）&lt;br /&gt;
　　　竹中藤右衛門━━┳寿美&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┣竹中宏平━━竹中祐二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┗竹中錬一　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　米内光政━━━━和子　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　（元首相）　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　（元首相）　　┃　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　┏竹下勇造━━━━┳竹下登━━┳公子&lt;br /&gt;
　　　┃　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　┗武永貞一　　　　┣竹下三郎　┣まる子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┗一子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃金丸信━━━金丸康信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗竹下亘　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　&lt;br /&gt;
　　　　福田正━━━━━┳雅子　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┣福田実　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗和子　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┏男　&lt;br /&gt;
　　　　小沢佐重喜　　　　　┣━━━━╋男　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　┃　　　　　　　┃　　　　┗男&lt;br /&gt;
　　　　　　┣━━━━━小沢一郎&lt;br /&gt;
　　　　　　┃&lt;br /&gt;
荒木儀助━━みち　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
; 田中角栄&lt;br /&gt;
:* [[田中角栄]]の長男である正法（1947年、5歳で夭折）と小沢が同じ1942年生まれであったため、角栄は小沢を息子のように可愛がったとされた。それに対して小沢も角栄を慕い、田中派から独立した経世会に所属した国会議員で唯一、田中の[[裁判]]をすべて欠かさず傍聴した。旧竹下派の中では唯一田中家・[[田中真紀子]]から許されているため、[[命日]]には田中家を訪問した。そのため親交が深く、真紀子の自民党離党、民主党会派入りに小沢は尽力した。また、「政治の父は田中角栄」と公言した。&lt;br /&gt;
:* かつて田中角栄の懐刀だった小沢と福田の因縁の戦いは、'''「第二の[[角福戦争]]」'''と呼ばれた。しかし当人たちにはそのつもりが全く無く、福田を舌鋒鋭く批判する角栄の娘の[[田中真紀子]]元外相の方が注目され、これが真の「第二の[[角福戦争]]」だと見る向きもあった。&lt;br /&gt;
; 囲碁&lt;br /&gt;
: 2007年10月、[[自民党]]元官房長官の[[与謝野馨]]と囲碁で対決した。二人は政界きっての囲碁の実力者で2時間半の激戦の末、小沢が勝負を制した。小沢は「こっち（与謝野氏）は正統派だしね」、与謝野も「（小沢氏との）最後の一局は、4、5年前、私が負けたんですよ」と互いに勝負の感想を述べた。また、12月には作家の[[渡辺淳一]]と囲碁で対決し、小差ながらも勝利した。&lt;br /&gt;
; 愛犬&lt;br /&gt;
: 2006年4月の衆議院[[千葉7区]][[補欠選挙]]で党の広告に[[柴犬]]の「もも」を起用。補選で「もも」は小沢や候補者たちの応援に出向き話題をさらった。小沢によれば当時の小沢の飼い犬であった柴犬「ちび」と似ているという。2007年10月、その「チビ」を失うが、2008年、新たに柴犬の子犬2匹を飼い始め、毛並みの色から「クロ」、「チャイ」と名付けた&amp;lt;ref&amp;gt;「元気の源？かわいい子犬2匹 民主・小沢氏を毎晩お出迎え」 『朝日新聞』、2008年5月22日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; ニートについて&lt;br /&gt;
: 2005年3月の夕刊フジのコラムにて、[[ニート]]について以下のような見解を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/fuji/2005/fuji20050419134025.html 剛腕コラム 第226回]」 『夕刊フジ』、2005年3月25日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:: 「本人たちは「誰の迷惑にもなっていない」と言うかもしれないが、親の稼ぎで食わしてもらっているうえ、国民全体で支える公共的サービスは享受している。病気でもない働き盛りの若者が、漠然と他人に寄生して生きているなど、とんでもない。」&lt;br /&gt;
:: 「政府は「[[少子化|少子]][[高齢化社会|高齢化]]の進む人口減少社会で、経済の活力を一段と失わせかねない」として、今後、ニートの就職支援に本腰を入れるというが、果たしてそんな次元の話なのか。僕に言わせれば対策は簡単だ。一定の猶予を与えて、親が子供を家から追い出せばいい。無理矢理でも自分の力で人生を生きさせるのだ。追い詰められれば、彼らも必死に考えて行動するはずだ。それでも働きたくないというなら、勝手にすればいい。その代わり、親の世話には一切ならず、他人に迷惑（犯罪も含む）もかけず、公共的サービスも受けないことだ。[[無人島]]でも行って[[自給自足]]の生活でもすればいい。」&lt;br /&gt;
: またニートの親については、「僕は自宅で小鳥を飼っているが、親鳥はヒナが大きくなるまでは一生懸命に世話をするが、一定の時期がくると冷たいほど突き放して巣立ちさせる。ニートの親は動物にも劣るといっても過言ではない」と評し、その責任を激しく糾弾した。&lt;br /&gt;
; 韓国をめぐるエピソード&lt;br /&gt;
:* [[1999年]]4月に[[大韓民国|韓国]]を訪問した際、同月18日に日本の党幹部・閣僚クラスの政治家としては初めて（当時）となる、[[ソウル特別市|ソウル]]にある[[金九]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://english.hani.co.kr/arti/english_edition/e_international/374021.html 【Japan’s Election】 Japan’s Democratic Party foreign policy platform prioritizes Korean peninsula] Hankyoreh Aug.31,2009&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[尹奉吉]]、[[李奉昌]]、[[白貞基]]といった、抗日[[独立運動家]]の墓地を参拝した。この事に関して、[[東亜日報]]は「新しい韓日関係のため韓国に近づこうとする努力の一環として評価している」と報じ、[[文化日報]]は「[[極右]]保守的なカラーを薄めるための高度の計算だとの指摘もある」と述べた。&lt;br /&gt;
:* 小沢は日本の政治家としてはじめて韓国人秘書を正式に受け入れた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;/&amp;gt;。2000年に登用された韓国人女性である[[金淑賢]]は国際担当秘書を務めており、海外の要人との会談時には通訳をしていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|title=小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書 |url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2007/08/09/0400000000AJP20070809003300882.HTML |publisher=[[聯合ニュース]] |accessdate=2009年3月2日 |date=2007年8月9日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。身分として国が雇い給与が高い公設秘書（公設第1・第2・政策担当）ではなく、私費で雇い給与の安い数十人の私設秘書の中の一人であった{{fact|2009年2月}}。また、この女性は日本の政界に従事するという関係から、駐日韓国大使館とも随時政局などについて情報交換を行っていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;/&amp;gt;。この韓国人秘書は2007年7月に韓国政府の[[大韓民国女性部|女性部]]主催の「世界韓民族女性ネットワーク」に日本側代表として参加している&amp;lt;ref name=sougou&amp;gt;{{cite news|title=한국 여성、 日 오자와 대표 비서로 맹활약（韓国女性、日本小沢代表秘書として活躍） |url=http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/08/09/0200000000AKR20070809140900073.HTML |publisher=[[聯合ニュース]] |language=朝鮮語 |accessdate=2009年3月2日 |date=2007年8月9日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。この団体は、欧米各国で[[従軍慰安婦]]に関する日本政府への抗議デモや集会を700回以上行っている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|title= &amp;quot;사과하라!&amp;quot; 베를린에 울려퍼진 '700회 수요집회' |url=http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000316972 |publisher=[[OhmyNews]] |accessdate=2009年3月2日 |date=2006年3月16日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。なおこの女性は小沢の秘書を務める傍ら東京大学の博士号を取得し、[[2008年]]5月に秘書を離職した後は大学院の教員に就任している。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/misc/brochure/brochure_2009.pdf 東北大学公共政策大学院 2009年度大学院案内] 2009年3月2日 閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* 小沢は、韓国人の一部が領有権を主張し、韓国資本に土地が買収されている問題が発生している[[対馬]]について、前連合会長の[[笹森清]]に「どう思うか？」との質問をし、笹森が「私は対馬のことを心配している。ウォン経済に買い占められそうだ」と答えると、小沢は「今は絶好のチャンスだ。円高だから（韓国領の）[[済州島]]を買っちまえ」と[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]][[衆議院議員]]の[[パーティー]]で行ったあいさつで語ったことが各報道機関によって伝えられた&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月11日 時事通信&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090313/stt0903130116000-n1.htm 波紋呼ぶ小沢氏の「済州島買っちまえ」発言][[産経新聞]][[2009年]][[3月13日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;、小沢自身はこの発言の存在を否定している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090312/stt0903121344006-n1.htm 【小沢代表ぶら下がり詳報】「済州島買え？　そんなこと言ってない」１２日昼][[産経新聞]][[2009年]][[3月12日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 米国、中国との国際交流&lt;br /&gt;
: 小沢は、日米、日中の交流が世界の平和と安定に不可欠と考えて、政治家としての公的な仕事とは別に自分のライフワークとして草の根レベルの国際交流活動を続けた。米国とは1990年に「ジョン万次郎の会」を立ち上げ、1992年に財団法人ジョン万次郎ホイットフールド記念国際草の根交流センターを設立した。2001年、日本に関心の高い[[シカゴ]]市の特定中学校の生徒を毎年20人程度日本に招待した。中国とは、1986年に第1回長城計画が中華全国青年連合会の協力を得て開催され、青年指導者、大学生を毎年数十名を招待した。国際交流活動は、実施団体とともに小沢事務所が担当したため、複数の外国人の大学院留学生が事務所で働いていた。&lt;br /&gt;
; ニコニコ動画&lt;br /&gt;
: [[2007年]]7月、[[第21回参議院議員通常選挙]]の直前に[[ニコニコ動画]]へ出演し、話題となった。その後も[[2008年]]11月や[[2009年]]元旦に「1万人ネット会見」を行った。また、2008年9月から公式動画コーナー「小沢一郎チャンネル」を開設した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発言 ==&lt;br /&gt;
* 「公約は膏薬（こうやく）。張り替えれば効き目がでる」（新進党時代の同僚議員への口癖）&lt;br /&gt;
* 「どの女と寝ようといいじゃないか」（1994年、野党連合政権時代に新会派設立への動きを例えて）&lt;br /&gt;
* 「記者会見はサービス」（1993年、記者団に）&lt;br /&gt;
* 「日本人は特殊な人種だ。（世界から）特殊学級扱いされている。ばかじゃないかと」（2003年 [[小泉純一郎]]首相の自民党総裁再選を批判して）&lt;br /&gt;
* 「安倍内閣は脳死状態」（2007年、参院選敗北後の安倍晋三内閣の求心力低下を皮肉り）&lt;br /&gt;
* 「給油法案は、国民にとって重要な法案ではない」（2008年、同法案の衆院再議決を欠席したことについて）&lt;br /&gt;
* 「日本がもたもたして在日韓国人の地方参政権を認めないのは遺憾だ」（2008年、韓国の李明博大統領との会談で）&lt;br /&gt;
* 「総理大臣になって首脳会談ということなら、多少体調が悪くても欠席することはない。私、野党だから。総理大臣じゃない。国務大臣でもない。勘違いしないでください」（2008年、インド・シン首相との会談をドタキャンしたことについて）&lt;br /&gt;
* 「おれはまったく米国のことは信用していない。日本の国益を守るために言うべきことは言わないといけない」（2009年2月14日都内の料理屋で国民新党の亀井静香代表代行らと会談において、クリントン米国務長官から会談を打診されていることに関して）&lt;br /&gt;
* 「私は、日米同盟がなによりも大事であるということをずーっと以前から、最初から唱えてきたひとりでありますと。」 （2009年2月17日クリントン国務長官との会談後のインタビューで）&lt;br /&gt;
* 「政治の細かいことを知る必要はない。自分たちの1票で政権を代えることができる。それだけを分かってもらえたらいい」（2008年10月19日 インターネットのテレビ番組にて）&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081019/stt0810192254004-n1.htm 小沢氏、ネットで若者に政権交代アピール]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「僕は選挙担当だから。選挙以外のことは他の人に聞いてください。」（2009年05月30日TBS[[知っとこ!]]西松問題の説明責任を問われて）&lt;br /&gt;
* 「担ぐ神輿は軽くてパーなのが一番だ。」（但し、これは実際には側近平野貞夫の発言「担ぐ神輿は軽いほうがいい」を誇張して小沢の発言として伝えられたもの）&lt;br /&gt;
* 「自民党に投票したら投票に行かなかった人と同じで政治について文句を言う資格はない」&lt;br /&gt;
* 「これ以上何を謝ればいいんだ。」[[盧泰愚]]大統領訪日の際に。&lt;br /&gt;
* 「じゃあやり直したらいいじゃねえか、そんな事を言うんだったらやりなそうじゃないか。」[[宗教法人法]]改正問題で[[大久保直彦]]議員らに小沢の姿勢は弱腰と詰問され野次に対しての応酬で。&lt;br /&gt;
=== 拉致問題に関する発言 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月2日付産経新聞朝刊1面における「民主党解剖1」の記事中において、小沢が、2月上旬、都内で開かれた民主党議員と支持者による会合において「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と発言したことが報じられた。&lt;br /&gt;
この記事を受けて、救う会には、電話やメールで問合せが殺到し、救う会では、西岡力会長代行が「小沢民主党代表発言は事実なのか」と題するコメント&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1808] 小沢民主党代表発言は事実なのか（救う会全国協議会ニュース、2009.03.02）&amp;lt;/ref&amp;gt;を発表した。&lt;br /&gt;
これに対して民主党は、民主党幹事長代理から産経新聞社編集局長と政治部長宛に「記事は『事実無根の報道』」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1809] 記事は「事実無根の報道」と民主党が反論（救う会全国協議会ニュース、2009.03.03）&amp;lt;/ref&amp;gt;として記事の訂正と謝罪を求め、3月4日中に回答することを要請した。&lt;br /&gt;
この要請に対して、産経新聞政治部長は、3月4日、文書で民主党幹事長代理宛に「正当な取材の結果得られたもので、かつ裏づけもとれているもの」という旨を回答&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1810 記事は「正当な取材の結果」と産経新聞が回答] （救う会全国協議会ニュース、2009.03.05）&amp;lt;/ref&amp;gt;している。なお、小沢のこの発言については、産経新聞以外のメディアではほとんど取り上げられず、民主党も、救う会へ宛てたFAX以外では、反論も含めて一切触れていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所属議員連盟 ==&lt;br /&gt;
* [[憲法調査推進議員連盟]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.kenpoukaigi.gr.jp/tyousakai/20040414kenpougiren-kiyaku&amp;amp;meibo.pdf#search='憲法調査推進議員連盟 憲法調査推進議員連盟規約]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 民主党東北議員団連盟&lt;br /&gt;
* 民主党日英議員連盟&lt;br /&gt;
* [[北京オリンピックを支援する議員の会]]顧問など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 選挙歴 ==&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!当落!!選挙!!施行日!!選挙区!!政党!!得票数!!得票率!!&amp;lt;small&amp;gt;得票順位&amp;lt;br/&amp;gt;/候補者数&amp;lt;/small&amp;gt;!!比例区!!&amp;lt;small&amp;gt;比例順位&amp;lt;br/&amp;gt;/候補者数&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第32回衆議院議員総選挙]]||1969年12月27日||[[岩手県第2区 (中選挙区)|岩手県第2区]]||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''71,520'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''26.71'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第33回衆議院議員総選挙]]||1972年12月10日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''60,675'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''19.18'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''2'''/8|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第34回衆議院議員総選挙]]||1976年12月5日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''71,449'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''21.98'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第35回衆議院議員総選挙]]||1979年10月7日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''70,183'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''21.52'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第36回衆議院議員総選挙]]||1980年6月22日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''72,838'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''22.27'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/8|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第37回衆議院議員総選挙]]||1983年12月18日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''63,212'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''18.87'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''4'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第38回衆議院議員総選挙]]||1986年7月6日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''95,208'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''24.80'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第39回衆議院議員総選挙]]||1990年2月18日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''89,449'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''24.08'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第40回衆議院議員総選挙]]||1993年7月18日||岩手県第2区||新生党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''142,451'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''40.82'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第41回衆議院議員総選挙]]||1996年10月20日||[[岩手県第4区]]||新進党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''125,619'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''64.68'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第42回衆議院議員総選挙]]||2000年6月25日||岩手県第4区||自由党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''119,099'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''59.70'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第43回衆議院議員総選挙]]||2003年11月9日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''128,458'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''65.11'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第44回衆議院議員総選挙]]||2005年9月11日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''124,578'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''59.95'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第45回衆議院議員総選挙]]||2009年8月30日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''133,978'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''62.55'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/5|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;11&amp;quot;|当選回数14回 （衆議院議員14）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文献 ==&lt;br /&gt;
=== 著作 ===&lt;br /&gt;
; 単著&lt;br /&gt;
* 『[[日本改造計画]]』（[[講談社]]、1993年5月、ISBN 4062064820）&lt;br /&gt;
* 『語る』（小林泰一郎構成、[[文藝春秋]]、1996年4月、ISBN 4163502106）&lt;br /&gt;
* 『男の行動美学』（[[プラネット出版]]、1999年9月、ISBN 4939110028）&lt;br /&gt;
* 『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』（[[五百旗頭真]]・[[伊藤元重]]・[[薬師寺克行]]編、[[朝日新聞社]]、2006年6月、ISBN 4022501634）&lt;br /&gt;
* 『剛腕維新』（[[角川学芸出版]]、2006年8月、ISBN 4046210885）&lt;br /&gt;
* 『小沢主義（オザワイズム）―志を持て、日本人』（[[集英社]]、2006年9月、ISBN 4797671297）&lt;br /&gt;
; 共著&lt;br /&gt;
* 『日米関係を読む』（アジア調査会編、[[ジェームズ・ファローズ]]・[[松永信雄]]共著、プラネット出版、1990年11月、ISBN 4881913123）&lt;br /&gt;
* 『ジョン万次郎とその時代』（[[川澄哲夫]]編、[[廣済堂出版]]、2001年7月、ISBN 4331507963）&lt;br /&gt;
* 『政権交代のシナリオ―「新しい日本」をつくるために』（[[菅直人]]共著、[[PHP研究所]]、2003年11月、ISBN 4569631908）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連文献 ===&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の「真実」―金丸、竹下を手玉にとる剛腕幹事長』（[[アイペック]]、1990年、ISBN 4870471000）&lt;br /&gt;
* 『平成名勝負物語—橋本龍太郎vs小沢一郎』（[[小林吉弥]]著、[[勁文社]]、1990年、ISBN 4766912497）&lt;br /&gt;
* 『劇画 橋本龍太郎VS小沢一郎—激闘譜』（[[さいとうたかを]]著、日本フローラルアート出版局、1991年、ISBN 4930831008）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の政治謀略―政界の裏の裏がわかる本』（菊池久著、[[山手書房新社]]、1991年、ISBN 4841300228 ）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎探検』（朝日新聞政治部編、[[朝日新聞社]]、1991年、ISBN 4022563435）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎・全人像』（小田甫著、[[行政問題研究所出版局]]、1992年、ISBN 4905786908）&lt;br /&gt;
* 『平成動乱 小沢一郎の野望』（[[板垣英憲]]著、[[DHC]]、1993年、ISBN 4887240023）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の秘密』（[[佐藤淳一]]著、[[データハウス]]、1993年、ISBN 4887181698）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎・日本改造計画の危険性』（[[本澤二郎]]著、[[エール出版社]]、1993年、ISBN 4753912345）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の逆襲―ベールに包まれた政界再編のシナリオを読む!』（[[竜崎孝]]著、サンドケー出版局、1993年、ISBN 491493809X）&lt;br /&gt;
* 『あの人 ひとつの小沢一郎論』（[[渡辺乾介]]著、[[飛鳥新社]]、1993年、ISBN 4870311291）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の腕力ポイント読み』（[[伊勢暁史]]著、[[明日香出版社]]、1994年、ISBN 4870307081）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎総理大臣待望論』（板垣英憲著、ジャパン・ミックス、1994年、ISBN 4883211541）&lt;br /&gt;
* 『どっこい小沢一郎は生きている 全発言で探る、この男の次の一手』（[[上之二郎]]著、[[ベストセラーズ]]、1994年、ISBN 4584191131）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎真実の叫び―これだけはいいたい 小沢は日本の未来に危惧を抱き、平和な国と社会のために改革を図る』（[[蒲生輝]]著、[[三心堂出版社]]、1994年、ISBN 4915620778）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎日本国崩壊をすくう』（蒲生輝著、三心堂出版社、1994年、ISBN 4915620956）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎―覇者の履歴書』（[[奥野修司]]著、データハウス、1994年、ISBN 4887182457）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の日本vs.武村正義の日本―あなたはどちらの国に住みたいか この2人がわかれば日本の将来が見えてくる』（[[小板橋二郎]]著、[[こう書房]]、1994年、ISBN 4769605080）&lt;br /&gt;
* 『池田大作vs小沢一郎 どうなる日本どうなる両雄の展開』（[[後藤寿一]]著、[[銀河出版]]、1994年、ISBN 4906436412）&lt;br /&gt;
* 『「小沢一郎日本改造計画」への挑戦状! 20代議員の描くキラリと光る改造計画』（「新党20代議員の会」編著、[[マネジメント社]]、1994年、ISBN 4837803431）&lt;br /&gt;
* 『河野洋平と小沢一郎の大戦略―宿命のライバル』（[[本沢二郎]]著、[[総合法令]]、1994年、ISBN 4893463829）&lt;br /&gt;
* 『悪魔の使者小沢一郎―あの強腕を裏で操るのは何者か 日本改造なんてとんでもない』（[[ヤコブ・モルガン]]著・[[忍野昭太郎]]訳、[[第一企画出版]]、1994年、ISBN 4887190166）&lt;br /&gt;
* 『小沢ウオッチング』（[[立尾良二]]著、[[東京新聞]]出版局、1995年、ISBN 4808305216）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の時代』（板垣英憲著、[[同文書院]]、1996年、ISBN 4810380300）&lt;br /&gt;
* 『お笑い大蔵省極秘情報』（[[テリー伊藤]]著、飛鳥新社、1996年、ISBN 4-87031-293-X）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎―その「恐怖支配」の実態』（[[久慈力]]著、[[マルジュ社]]、1996年、ISBN 4896161017）&lt;br /&gt;
* 『政治が歪める公共事業―小沢一郎[[ゼネコン]]政治の構造』（久慈力・[[横田一]]著、[[緑風出版]]、1996年、ISBN 4846196143）&lt;br /&gt;
* 『盛岡大学疑惑を追及する―教育を食い物にする紳士たち』（久慈力著、[[新泉社]]、1997年、ISBN 4787797158）&lt;br /&gt;
* 『拝啓小沢一郎党首殿』（[[松沢成文]]著、[[ごま書房]]、1997年、ISBN 4341017748）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の行動美学』（三菟雅文著 プラネット出版社 1999年 ISBN 4939110028）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の大勝負 竜馬か!? 悪魔か!?』 （板垣英憲著、[[リヨン社]]、2003年、ISBN 4576031910）&lt;br /&gt;
* 『日本変革 菅直人+小沢一郎は政治をどう変えるのか』（板垣英憲著、ベストセラーズ、2003年、ISBN 4584159769）&lt;br /&gt;
* 『政党崩壊―永田町の失われた十年』（[[伊藤惇夫]]著、[[新潮社]]［[[新潮新書]]］、2003年、ISBN 4106100231）&lt;br /&gt;
* 『闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体』（[[松田賢弥]]著、講談社、2003年、ISBN 4062117061）&lt;br /&gt;
* 『永田町「悪魔の辞典」』（伊藤惇夫著、文藝春秋、2004年、ISBN 4166603884 ）&lt;br /&gt;
* 『政治の数字―日本一腹が立つデータブック』（伊藤惇夫著、文藝春秋［[[文春新書]]］、2005年、ISBN 4106101173）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の政権奪取戦略』（[[大下英治]]著、[[河出書房新社]]、2005年3月、ISBN 4309243347）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の日本をぶっ壊す』（大下英治著、[[幻冬舎]]、2006年8月、ISBN 4344408217）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の真実』（[[平野貞夫]]著、講談社、 2006年9月、 ISBN 4066213557）&lt;br /&gt;
* 『「小沢一郎」入門―カリスマの原点 小沢一郎は何を考えているのか』（[[森田実]]著、[[三笠書房]]［知的生き方文庫］、 2006年10月、 ISBN 4837975887）&lt;br /&gt;
* 『政権交代―小沢一郎最後の戦い』（板垣秀憲著、 [[共栄書房]]、2007年7月、ISBN 4763410334）&lt;br /&gt;
* 『[[小沢民主党は信用できるか]]』（[[高市早苗]]編著、[[PHP研究所]]、2008年2月 ISBN 9784569697949）&lt;br /&gt;
雑誌関連文献抄&lt;br /&gt;
* 『[[月刊現代|現代]]』2004年2月号、小沢一郎・[[横路孝弘]]・伊藤達美「小沢一郎×横路孝弘―民主党の両極 安全保障論で合意する」&lt;br /&gt;
* 『[[週刊金曜日]]』2005年1月14日号、「本多勝一の憂刻ニッポン―小沢一郎（上）現行憲法の下で「無血革命」を目指す」[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2005/ar20050308142225.html]&lt;br /&gt;
* 『[[AERA]]』2006年1月23日号、[[後藤正治]]「小沢一郎 思想政治家で終わるのか」&lt;br /&gt;
* 『[[世界 (雑誌)|世界]]』2007年11月号、小沢一郎「公開書簡 今こそ国際安全保障の原則確立を」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist|3}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党国会議員一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の閣僚経験者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の次の内閣一覧]]&lt;br /&gt;
* [[一新会]]&lt;br /&gt;
* [[金竹小]]&lt;br /&gt;
* [[一龍戦争]]&lt;br /&gt;
* [[ネオ・ニューリーダー]]&lt;br /&gt;
* [[ワン・ワン・ライス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.ozawa-ichiro.jp/ ■小沢一郎ウェブサイト■]（公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.mag2.com/m/0000033978.htm 小沢一郎メールマガジン]（公式メルマガ）&lt;br /&gt;
* [http://www.minshu-iwate.com/ 民主党岩手県連]&lt;br /&gt;
* [http://mainichi.jp/select/wadai/graph/ozawa/ 小沢一郎 写真特集 （小沢ショック-毎日jp）]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[自治大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[古屋亨]]&lt;br /&gt;
| years  = 第34代 : 1985年 - 1986年&lt;br /&gt;
| after  = [[葉梨信行]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[国家公安委員会委員長]]&lt;br /&gt;
| before = [[古屋亨]]&lt;br /&gt;
| years  = 第44代 : 1985年 - 1986年&lt;br /&gt;
| after  = [[葉梨信行]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党代表]]&lt;br /&gt;
| before = [[前原誠司]]&lt;br /&gt;
| years  = 第6代 : 2006年 - 2009年&lt;br /&gt;
| after  = [[鳩山由紀夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党代表代行]]&lt;br /&gt;
| before = [[中野寛成]]&amp;lt;br/&amp;gt;増員&lt;br /&gt;
| years  = 2003年 - 2004年&amp;lt;br/&amp;gt;2009年（筆頭）&lt;br /&gt;
| after  = [[藤井裕久]]&amp;lt;br/&amp;gt;減員&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[岡田克也]]&lt;br /&gt;
| years  = 第9代 : 2009年 -&lt;br /&gt;
| after  = 現職&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[自由党 (日本 1998-2003)|自由党党首]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1998年 - 2003年&lt;br /&gt;
| after  = [[民主党 (日本 1998-)|民主党]]へ合流&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新進党|新進党党首]]&lt;br /&gt;
| before = [[海部俊樹]]&lt;br /&gt;
| years  = 第2代 : 1995年 - 1997年&lt;br /&gt;
| after  = 解散&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新進党|新進党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1994年 - 1995年&lt;br /&gt;
| after  = [[米沢隆]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新生党|新生党代表幹事]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1993年 - 1994年&lt;br /&gt;
| after  = [[新進党]]へ&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[橋本龍太郎]]&lt;br /&gt;
| years  = 第26代 : 1989年 - 1991年&lt;br /&gt;
| after  = [[小渕恵三]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{総務大臣}}&lt;br /&gt;
{{国家公安委員会委員長}}&lt;br /&gt;
{{自民幹事長}}&lt;br /&gt;
{{竹下派七奉行}}&lt;br /&gt;
{{民主党}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:小沢一郎|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:岩手県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:革命家]]&lt;br /&gt;
{{Lifetime|1942||おさわ いちろう}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E9%81%9363%E5%8F%B7%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E5%8E%9F%E5%A4%A7%E7%A3%AF%E7%B7%9A&amp;diff=96728</id>
		<title>神奈川県道63号相模原大磯線</title>
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				<updated>2010-08-10T09:40:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|人名 = 小沢 一郎&lt;br /&gt;
|各国語表記 = おざわ いちろう&lt;br /&gt;
|画像 = [[Image:小沢一郎　1.jpg]]&lt;br /&gt;
|画像説明 =&lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1942|5|24}}&lt;br /&gt;
|出生地 = [[東京府]][[東京市]][[下谷区]]&lt;br /&gt;
（現在の[[東京都]][[台東区]]）&lt;br /&gt;
|没年月日 =&lt;br /&gt;
|死没地 =&lt;br /&gt;
|出身校 = [[慶應義塾大学]][[経済学部]]卒業&amp;lt;br/&amp;gt;[[日本大学]][[大学院]][[法学研究科]]中途退学&lt;br /&gt;
|前職 = [[大学院生]]&lt;br /&gt;
|現職 =&lt;br /&gt;
|所属政党 = （[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[新生党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[新進党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]&lt;br /&gt;
|称号・勲章 = [[学士|経済学士]]（慶應義塾大学・[[1967年]]）&lt;br /&gt;
|世襲の有無 = 有&lt;br /&gt;
|親族（政治家） = [[小沢佐重喜]]（[[父]]）&lt;br /&gt;
|配偶者 =&lt;br /&gt;
|サイン =&lt;br /&gt;
|ウェブサイト = http://www.ozawa-ichiro.jp/&lt;br /&gt;
|サイトタイトル = ■小沢一郎ウェブサイト■&lt;br /&gt;
|国旗 = JPN&lt;br /&gt;
|職名 = 第34代 [[自治大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣 = [[第2次中曾根第2次改造内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区 =&lt;br /&gt;
|当選回数 =&lt;br /&gt;
|就任日 = [[1985年]][[12月28日]]&lt;br /&gt;
|退任日 = [[1986年]][[7月22日]]&lt;br /&gt;
|退任理由 =&lt;br /&gt;
|所属委員会 =&lt;br /&gt;
|議員会館 =&lt;br /&gt;
|元首職 =&lt;br /&gt;
|元首 =&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↓省略可↓ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
|国旗2 = JPN&lt;br /&gt;
|職名2 = 第44代 [[国家公安委員会委員長]]&lt;br /&gt;
|内閣2 = 第2次中曾根第2次改造内閣&lt;br /&gt;
|選挙区2 =&lt;br /&gt;
|当選回数2 =&lt;br /&gt;
|就任日2 = 1985年12月28日&lt;br /&gt;
|退任日2 = 1986年7月22日&lt;br /&gt;
|退任理由2 =&lt;br /&gt;
|元首職2 =&lt;br /&gt;
|元首2 =&lt;br /&gt;
|国旗3 = JPN&lt;br /&gt;
|職名3 = [[衆議院議員]]&lt;br /&gt;
|内閣3 =&lt;br /&gt;
|選挙区3 = （[[岩手県第2区 (中選挙区)|岩手県第2区]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;[[岩手県第4区]]&lt;br /&gt;
|当選回数3 = 14回&lt;br /&gt;
|就任日3 = [[1969年]]&lt;br /&gt;
|退任日3 = 現職&lt;br /&gt;
|退任理由3 =&lt;br /&gt;
|元首職3 =&lt;br /&gt;
|元首3 =&lt;br /&gt;
|国旗4 =&lt;br /&gt;
|職名4 =&lt;br /&gt;
|内閣4 =&lt;br /&gt;
|選挙区4 =&lt;br /&gt;
|当選回数4 =&lt;br /&gt;
|就任日4 =&lt;br /&gt;
|退任日4 =&lt;br /&gt;
|退任理由4 =&lt;br /&gt;
|元首職4 =&lt;br /&gt;
|元首4 =&lt;br /&gt;
|国旗5 =&lt;br /&gt;
|職名5 =&lt;br /&gt;
|内閣5 =&lt;br /&gt;
|選挙区5 =&lt;br /&gt;
|当選回数5 =&lt;br /&gt;
|就任日5 =&lt;br /&gt;
|退任日5 =&lt;br /&gt;
|退任理由5 =&lt;br /&gt;
|元首職5 =&lt;br /&gt;
|元首5 =&lt;br /&gt;
|国旗6 =&lt;br /&gt;
|その他職歴1 =&lt;br /&gt;
|就任日6 =&lt;br /&gt;
|退任日6 =&lt;br /&gt;
|国旗7 =&lt;br /&gt;
|その他職歴2 =&lt;br /&gt;
|就任日7 =&lt;br /&gt;
|退任日7 =&lt;br /&gt;
|国旗8 =&lt;br /&gt;
|その他職歴3 =&lt;br /&gt;
|就任日8 =&lt;br /&gt;
|退任日8 =&lt;br /&gt;
|国旗9 =&lt;br /&gt;
|その他職歴4 =&lt;br /&gt;
|就任日9 =&lt;br /&gt;
|退任日9 =&lt;br /&gt;
|国旗10 =&lt;br /&gt;
|その他職歴5 =&lt;br /&gt;
|就任日10 =&lt;br /&gt;
|退任日10 =&lt;br /&gt;
|国旗11 =&lt;br /&gt;
|その他職歴6 =&lt;br /&gt;
|就任日11 =&lt;br /&gt;
|退任日11 =&lt;br /&gt;
|国旗12 =&lt;br /&gt;
|その他職歴7 =&lt;br /&gt;
|就任日12 =&lt;br /&gt;
|退任日12 =&lt;br /&gt;
|国旗13 =&lt;br /&gt;
|その他職歴8 =&lt;br /&gt;
|就任日13 =&lt;br /&gt;
|退任日13 =&lt;br /&gt;
|国旗14 =&lt;br /&gt;
|その他職歴9 =&lt;br /&gt;
|就任日14 =&lt;br /&gt;
|退任日14 =&lt;br /&gt;
|国旗15 =&lt;br /&gt;
|その他職歴10 =&lt;br /&gt;
|就任日15 =&lt;br /&gt;
|退任日15 =&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↑省略可↑ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''小沢 一郎'''（おざわ いちろう、[[1942年]][[5月24日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[衆議院議員]]（14期）。民主党幹事長（第9代）。'''小澤 一郎'''（おざわ いちろう）とも表記されることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[自治大臣]]（[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣|第34代]]）、[[国家公安委員会委員長|国家公安委員長]]（[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣|第44代]]）。[[自由民主党]][[自由民主党幹事長|幹事長]]、[[新生党]]代表幹事、[[新進党]][[党首]]（第2代）、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]党首、[[民主党 (日本 1998-)|民主党]][[民主党代表|代表]]（第6代）、民主党代表代行（筆頭・選挙担当）、民主党幹事長を歴任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;toclimit-3&amp;quot;&amp;gt;__TOC__&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
[[東京府]][[東京市]][[下谷区]]（現在の[[東京都]][[台東区]]）[[御徒町]]に[[弁護士]]で東京府会議員だった父・[[小沢佐重喜]]、母・みちの[[長男]]として生まれる。父は44歳、母は42歳という高齢で生まれたため、まるで“[[孫]]みたいな”子供だったという&amp;lt;ref&amp;gt;[[奥野修司]]『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。母・みちは元千葉県会議員[[荒木儀助]]の四女である。一郎は、みちにとってははじめて生んだ子供である。[[本籍地]]は[[岩手県]][[奥州市]]（旧[[水沢市]]）。3歳から14歳まで郷里の水沢で育った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
水沢市立常磐中学校（現在の奥州市立東水沢中学校）の2年生を終了すると、東京の[[文京区立第六中学校]]に[[転学|転校]]する。言葉も[[東北弁|東北訛り]]の一郎は、なかなか級友たちの中に入っていけず、いつも教室の片隅でひとりぽつんと座っていたという&amp;lt;ref&amp;gt;奥野修司『小沢一郎 覇者の履歴書』132頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京都立小石川高等学校]]卒業後、父と同じ弁護士を目指して[[東京大学]]を志望し、2年間[[過年度生|浪人]]したが断念して、[[慶應義塾大学]][[経済学部]]、[[日本大学]][[大学院]][[法学研究科]]へと進学した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自由民主党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 田中派時代 ====&lt;br /&gt;
大学院在学中の{{和暦|1969}}、父・佐重喜の急死に伴い[[第32回衆議院議員総選挙|第32回衆院選]]に旧岩手2区から[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認で立候補し、27歳の若さで当選した。この総選挙を[[自由民主党幹事長|党幹事長]]として指揮したのが[[田中角栄]]で、以後[[木曜クラブ]]（田中派）に所属し、田中の下で薫陶を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自民党総務局長、[[議院運営委員会|衆議院議院運営委員長]]を歴任し、{{和暦|1985}}に[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣]]で[[自治大臣]]兼[[国家公安委員長]]として初入閣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 竹下派時代 ====&lt;br /&gt;
[[Image:小渕・小沢・海部.jpg|300px|thumb|[[自民党総務会]]で新幹事長が了承され握手する[[小渕恵三]]幹事長、[[小沢一郎]]前幹事長、[[海部俊樹]]首相。[[1991年]][[4月8日]]撮影]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年、木曜クラブの領袖として影響力を保持していた田中に、反旗を翻した[[竹下登]]、[[金丸信]]らと共に派内勉強会「[[創政会]]」を結成。のちに[[経世会]]（竹下派）として独立した。竹下の総裁就任に奔走し[[日本皇民党]]事件の際には金丸とともに[[稲川会]]幹部の元に出向いている。[[竹下内閣]]の発足後、小沢は党・[[政府]]の要職を歴任し[[竹下派七奉行]]の一人に数えられ、[[官房副長官]]にも就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第1次海部内閣|第1次海部俊樹内閣]]では[[自由民主党幹事長|党幹事長]]に就任。苦戦が予想された[[第39回衆議院議員総選挙|第39回衆院選]]を、[[自由主義]]体制の維持を名目に[[経済団体連合会]]（経団連）傘下の企業から選挙資金300億円を集め、勝利したなどの実績から'''「剛腕」'''と称された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1990}}、金丸を代表とする[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問団（金丸訪朝団）に参加する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[8月]]、[[湾岸戦争]]が勃発し、小沢は[[ペルシャ湾]]への[[自衛隊]]派遣を模索した。「アジアへの配慮が必要だ」と反対する[[外務省]]を抑え法案を提出した（なお、この法案は[[野党]]の反対で廃案となり、後に[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律]]（PKO協力法）が成立）&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』、{{和暦|2008}}[[2月22日]]付[[夕刊]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。自衛隊派遣について国会で[[公明党]]の協力を得るため、[[東京都知事選挙]]で自民党東京都総支部連合会が推す現職の[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]に代わり、新人の[[磯村尚徳]]を擁立するも都連が鈴木を支援した事もあり敗北。なおこの都知事選公示直前に出馬に意欲的であった[[アントニオ猪木]]と会談し猪木を出馬断念に追い込んだがこの際に多額の金銭が動いたと一部報道で報じられた。{{和暦|1991}}[[4月]]、責任を取り党幹事長を辞任した。直後に経世会会長代行に就任し、名実とともに派閥のNo.2となった。しかし、次第に金丸は小沢に派閥を譲ろうと企図するようになり、竹下との確執を深めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、政治改革法案が国会で廃案となったことを受け、首相の海部が衆議院の解散総選挙をぶち上げたが、党内の反発を招き、海部は首相辞任に追い込まれた（[[海部おろし]]）。その際、金丸が小沢に対し後継首相となるよう命じ、金丸の意を受けた[[渡部恒三]]なども小沢を説得したが、当時49歳という年齢や心臓病（[[狭心症]]）で[[6月]]に倒れたことなどを理由にこれを固辞したとされる。だが、[[田勢康弘]]から「この逸話は実は真実ではない」&amp;lt;ref&amp;gt;[[田勢康弘]]「『緊迫』も『躍動』も消えた政治――大難を前に沈黙・保身…」 『[[日本経済新聞]]』、[[2008年]][[7月21日]]5面。&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘されており、このようなやり取りは実際には存在せず、金丸や竹下は当初から[[宮澤喜一]]擁立を目指していたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月10日]]、[[自由民主党総裁選挙]]での派閥が支持する候補者を決定するため、出馬表明していた宮沢、[[渡辺美智雄]]、[[三塚博]]と自身の個人事務所でそれぞれ面談した（小沢面接）。しかし宮沢や渡辺のような当選回数・年齢も上の者（三塚は当選回数こそ小沢よりも一回少ないが、年齢は小沢より上だった）を自分の事務所に招いたことは傲慢であると批判された。このことは後々まで「経世会支配」「剛腕小沢」の象徴的シーンとして取り上げられた（実際は当日[[ホテル]]の会場が満室でどこも予約できず、3人の事務所を小沢が訪ねる予定だったのだが、推薦を受ける立場の人間を訪ねてもらうのは失礼だという話になり、小沢の事務所で面談することになったという&amp;lt;ref&amp;gt;平野貞夫 『虚構に囚われた政治家―小沢一郎の真実』 講談社&amp;lt;講談社α文庫&amp;gt;、2007年、242頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。宮沢も後に『日本経済新聞』連載の「[[私の履歴書]]」の中で、「支持をこちらからお願いしているのだから、出向くのが筋であった」と回顧した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 竹下派分裂、羽田派結成 ====&lt;br /&gt;
{{和暦|1992}}、[[東京佐川急便事件]]を巡り、金丸が世論から激しい批判を受け派閥会長を辞任、議員辞職した（東京佐川急便事件に関しては、小沢も{{和暦|1993}}[[2月17日]]に[[証人喚問]]を受けている）。後継会長に小沢は金丸に近かった渡部恒三、[[奥田敬和]]らと共に[[羽田孜]]を擁立し、竹下直系の[[小渕恵三]]を推す[[橋本龍太郎]]、[[梶山静六]]らと対立。当初中立であった参院竹下派に竹下自らが関与して小渕支持を決定。この結果として後継会長は小渕に内定した。敗れた小沢は羽田、渡部、奥田らと[[改革フォーラム21]]（羽田派）を旗揚げし、派閥は分裂した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宮沢内閣改造内閣|宮沢喜一改造内閣]]における羽田派の閣僚ポストは、[[経済企画庁長官]]（[[船田元]]）と[[科学技術庁長官]]（[[中島衛]]）の2つだけと冷遇された。さらに党幹事長には派閥の後継会長を巡り激しい闘争を演じた小渕派の梶山が就任したことで、羽田派は反主流派に転落した。これに対し小沢は主流派を「[[守旧派]]」と、自らを「改革派」と呼び、持論であった[[政治改革]]の主張を全面に訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で小沢は、[[5月20日]]に、著書『[[日本改造計画]]』を発表した（実際に店頭に並んだのは6月下旬）。同書は政治家の著作としては異例の70万部を超える売上を記録し、1993年を代表する[[ベストセラー]]になった。自らの政策・政見を広く国民に問うもので、小沢の理念を基に官僚や専門家を中心に政策としてまとめた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自民党離党、非自民連立政権成立 ===&lt;br /&gt;
{{和暦|1993}}[[6月18日]]、野党から宮沢[[内閣不信任決議|内閣不信任案]]が上程され、羽田・小沢派ら自民党議員39名が賛成、16名が欠席する造反により不信任案は255対220で可決された。宮沢内閣は衆議院を解散した（[[嘘つき解散]]）。同年[[6月21日]]に[[武村正義]]らが自民党を離党（[[新党さきがけ]]を結党）した。これが羽田・小沢派の議員に離党を決断させる一因となり、[[6月23日]]、[[新生党]]を結成した。小沢は幹事長にあたる党代表幹事に就任するが、党結成の記者会見を行ったとき会場に姿が見えず「党首（羽田）の陰に隠れて暗躍している」との批判を受けた。[[新生党]]代表幹事時代には[[番記者]]との懇談会を廃止し、これまでの[[記者クラブ]]中心の会見から海外[[マスメディア|メディア]]や[[週刊誌]]記者なども会見に参加できるようにし注目を集めた。一方、自分の意に沿わぬ記事を書いたメディアと対立を起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月18日]]、[[第40回衆議院議員総選挙|第40回衆院選]]において自民党は過半数割れし、新生党、[[日本新党]]、新党さきがけの3新党は躍進した。宮沢内閣は総辞職した（後任の自民党総裁に[[河野洋平]]が選出）。小沢は総選挙直後から日本新党代表の[[細川護煕]]と非公式に会談した。細川は自民党との連立を検討していたが、小沢から首相就任を打診されたことで非自民勢力へと傾斜した。[[8月9日]]、8党派連立の[[細川内閣]]が成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細川政権下で小沢は内閣とは別に与党の意思決定機関である「連立与党代表者会議」を開き、公明党[[書記長]]の[[市川雄一]]とともに政権の主導権を握ろうとし（[[一一ライン]]）、官邸主導の政治を目論む[[内閣官房長官]]の[[武村正義]]と激しく対立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]]、小沢と[[大蔵事務次官]]の[[斎藤次郎]]が中心となり、[[消費税]]を廃止し7%の福祉目的税を創設するという「国民福祉税」構想を決定した。[[2月3日]]未明、細川は突如、「国民福祉税」構想を発表し、世論の激しい反発を受けた。また、[[日本社会党|社会]]・さきがけ・[[民社党|民社]]各党の批判に合い、翌日、細川は「国民福祉税」構想を白紙撤回するに至った。内閣官房長官の武村は、公然と「国民福祉税構想は事前に聞いていない」と発言、小沢との対立はますます先鋭化した。武村か小沢かの選択を迫られた細川は小沢に軍配を上げ、政権の主導権を奪われた武村や武村率いるさきがけは与党内で孤立し、武村と細川の仲も急速に冷却する。一連の動きに嫌気がさした細川は、[[4月]]に突然辞意を表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細川の首相辞任を受けて、小沢は[[渡辺美智雄]]との提携を企図するが、渡辺は自民党離党を決断できず構想は頓挫。連立与党は羽田の後継首班に合意した。しかし、[[1994年]][[4月25日]]の[[首班指名]]直後に、新生党、日本新党、民社党などが社会党を除く形で統一会派「改新」を結成したため、社会党の反発を招き、社会党は連立政権を離脱し、[[羽田内閣]]は少数与党となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
羽田内閣は1994年度[[予算]]を成立させたが、少数与党状態の解消をねらって行われた連立与党と社会党との間の政策協議は決裂し、自民党によって内閣不信任案が衆院に提出された。当初は羽田も解散する腹で小沢も同調していたが、結局は解散総選挙を断念。[[6月25日]]に内閣総辞職し、羽田内閣は在任期間64日、戦後2番目の短命政権に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は羽田の後継として、かつて自民党幹事長としてタッグを組んだ元首相の[[海部俊樹]]を担ぐことを決めた。海部は当時自民党政治改革議員連盟会長で、[[番町政策研究所|新政策研究会]]（河本派）代表世話人でもあった。[[1994年]][[6月29日]]、自民党は[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]で社会党委員長の[[村山富市]]に投票する方針を示したため、海部は自民党を離党し、「[[自由改革連合]]」を結成、連立与党の首班候補となった。しかし決選投票で261対214で村山に敗れ、小沢は政治家人生において初めて野党の立場に落ちた。新生党内では小沢の責任を追及する声も出たが、旧連立与党を糾合して新・新党の結成を実現するために、小沢の豪腕が必要とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 新進党時代 ===&lt;br /&gt;
1994年[[9月28日]]、[[日本共産党]]を除く野党各党187人により、衆院会派「改革」が結成された。また同日、衆議院議員186人、参議院議員39人、計225人の国会議員による「新党準備会」が正式に発足し、新党準備実行委員長に小沢が選出された。こうして小沢を中心に新・新党結成が準備され、同年[[12月10日]]に[[新進党]]結成大会が行われた。海部が党首となり、小沢は党幹事長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]][[7月]]、[[第17回参議院議員通常選挙|第17回参院選]]で、改選議席19議席を大幅に上回る40議席を獲得した。同年[[12月]]に行われた党首選挙では、羽田・細川らを中心に「小沢外し」の動きがあったため、自ら立候補することを決断、長年の盟友である羽田と激突し、小沢は羽田を破り、第2代党首に選出された。しかし、この党首選挙直後に投票者名簿が破棄されるなど、選挙結果が不明瞭であったため、羽田との決裂は決定的なものとなり、党内に更なる亀裂を生じさせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1996年]][[10月20日]]に[[第41回衆議院議員総選挙|第41回衆院選]]が行われ、新進党は小沢の党党首選での主張を党公約「国民との五つの契約」として[[消費税]]率の3%据え置き、18兆円[[減税]]を[[公約]]したものの、改選前の160議席を4議席減らして156議席に止まり、事実上敗北した。原則比例代表との重複出馬を禁止とし、比例区で[[創価学会]]の支援を期待し[[公明党]]系の議員を優遇したため選挙地盤の弱い若手の[[新党ブーム]]世代の議員が多数落選したため、強い反発を浴びこれが後の政局においても禍根を残す事になった。また選挙直後開票中にも関わらず深夜になるまで党本部に姿を見せず雲隠れするなど党首としてあるまじき態度を取った事も強い批判を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総選挙後、党内に小沢に対する反発が強まり、離党者が続出した。羽田孜や細川護熙らは非主流派を構成し、1996年[[12月26日]]、羽田は奥田敬和、[[岩國哲人]]ら衆参議員13名と共に新進党を離党、[[太陽党]]を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1997年]]、小沢は自民党の[[亀井静香]]らと提携する、いわゆる[[保保連合構想]]に大きく舵を切った。しかし、新進党内には、こうした保保連合路線に対して[[二大政党制]]を志向する立場から反対する勢力も顕在化し、[[鹿野道彦]]は政策研究会「改革会議」を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月18日]]の党首選挙で小沢は鹿野を破り再選された。この党首選に先立ち公明が[[第18回参議院議員通常選挙|次期参院選]]を独自で闘う方針を決定し、新進党離れが加速した。党首に再選された小沢は、純化路線を取り、新進党内の旧公明党グループ・公友会、旧民社党グループ・民友会にそれぞれ解散を要求。[[12月27日]]に小沢は旧公明党の参院議員を分党し公明に合流させるとし、新進党の分党と新党の結成を発表した。新進党内は混乱に陥り、分党を決定した[[両院議員総会]]は、混沌のうちに終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自由党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 結党・与党復帰 ====&lt;br /&gt;
[[1998年]][[1月6日]]、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]を結成、小沢は党首に就任した。当初、100名以上の衆参両議員が集まると思われたが、結局、衆院議員42名、参院議員12名の計54名が参加するに留まり、野党第1党の座を[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]に譲り渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月12日]]の[[第18回参議院議員通常選挙|第18回参院選]]では苦戦必至と思われていたが小沢人気もあり[[比例代表制|比例代表]]で514万票、合計6議席を獲得し善戦した。参院選後の[[臨時会|臨時国会]]では、首班指名に民主党代表の[[菅直人]]を野党統一候補に臨み、参院では自民党の[[小渕恵三]]を抑え菅が指名された（衆院では小渕が指名されたため、[[衆議院の優越]]の原則から小渕が首相に就任した）。&lt;br /&gt;
小沢は参院での野党共闘により政府・自民党を追い込む戦略であったが、菅は「政局にしない」と発言、金融再生法の制定で自民党と協力したことにより野党共闘はほころびを見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1998年[[10月]]、小沢は内閣官房長官[[野中広務]]と会談、連立交渉を開始し、同年[[11月19日]]、小渕内閣との間での連立政権について合意した。そして[[1999年]][[1月14日]]正式に[[自自連立政権]]が成立し、党幹事長の[[野田毅]]が[[自治省|自治大臣]]として入閣、小沢は5年ぶりに与党へ復帰した。この連立の間に衆議院[[議員定数]]20の削減、閣僚ポストの削減、および[[政府参考人|政府委員]]制度の廃止と[[党首討論]]設置を含む国会改革が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年7月、公明党が政権に入り、[[自自公連立政権]]が成立した。自民、公明両党で参院の過半数を抑えることになったため政権内部での自由党の存在感は低下した。自自両党の選挙協力も遅々として進まず、小沢は自民党総裁の小渕総理大臣に対して自自両党の解散、新しい保守政党の結成を要求した。[[中曽根康弘]]、[[亀井静香]]等は小沢の復党を認める方針であったが党内の反小沢勢力は「小沢の復党は認められない、小沢抜きでの復党は認められる。」とし小沢自身も「復党が認められなければ連立解消だ。」と珍奇ともいえる主張を行い両者は[[2000年]][[4月1日]]、会談するが、合意に達せず、結局連立を解消した（なお、この後に小渕は[[脳梗塞]]で倒れ、[[5月14日]]に死去した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 分裂 ====&lt;br /&gt;
自由党は、小沢を支持する連立離脱派と、[[野田毅]]・[[二階俊博]]などの連立残留派に分裂し、残留派は[[保守新党|保守党]]を結成した（分裂の結果、自由党は衆院議員18名、参院議員4名の計22名に半減、保守党には26名が参加）。小沢と袂を分かった保守党は[[政党助成金]]を半分ずつ分け合うために[[分党]]を要求したが、自由党はこれを拒否。保守党議員は離党扱いになり、政党助成金を全く得られず総選挙を迎えることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]][[6月25日]]の分裂直後に行われた[[第42回衆議院議員総選挙|第42回衆院選]]で、小沢人気もあり比例代表で約660万票を獲得、現有議席を上回る22議席を獲得し善戦した。このとき、約20億円を投じたとされる[[テレビ]][[コマーシャルメッセージ|CM]]（小沢が顔を殴られる）は話題となった（一方、保守党は7議席へと激減）。連立離脱後は野党共闘路線へ舵を切ることを余儀なくされたが、（過去に小沢から酷い目に合わされたと感ずる）旧新進党や旧社会党出身者が多い民主党を始めとした野党との関係は当然ギクシャクしたものにならざるを得なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]][[1月]]、将来の指導者育成を目指し、党内に[[小沢一郎政治塾]]（小沢塾）を開設した。なお、小沢塾は民主党との合併後は小沢個人の私塾として運営。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月29日]]の[[第19回参議院議員通常選挙|第19回参院選]]では、自民党に[[小泉旋風]]が吹き、小沢の地元・[[岩手県選挙区]]でも大苦戦を強いられたが、僅差で勝利した。議席数は前回と同じ6を維持したものの、自由党の比例代表は約420万票に止まった（第18回参議院選挙より約100万票、第42回衆議院選挙より約220万票の減少）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党へ合流 ===&lt;br /&gt;
[[2002年]]、第19回参議院選挙での結果もあって、小沢は[[鳩山由紀夫]]（当時[[民主党代表]]）からの民主・自由両党の合併に向けた協議提案を受け入れた。しかし、民主党内の調整が不十分であったこと及び民主党内の小沢に対する拒否反応の為に頓挫した（なお、鳩山は代表辞任に追い込まれた）。鳩山辞任後に[[民主党代表]]に選出された[[菅直人]]によって、いったん合併構想は白紙に戻ったが、小沢は党名・綱領・役員は民主党の現体制維持を受入れることを打診し、両党間で合併に合意した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dpj.or.jp/news/?num=4562 民主党・菅代表と自由党・小沢党首が9月末までの合併で合意]民主党公式HP、2003年7月23日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由党と民主党の合併の直前に、自由党から13億6816万円の寄付が[[改革国民会議]]に対して行われた。改革国民会議は小沢一郎が代表を務めており小沢の関連団体である。13億6816万円のうち5億6096万円が税金を原資とする[[政党助成金]]であった。後にこの行為は問題視され、政党助成金法改正案として議論された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090708/stt0907081016002-n1.htm 産経ニュース 2009年7月8日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]][[9月26日]]、自由党は民主党と正式に合併し、小沢は民主党の代表代行に就任した。[[11月9日]]の[[第43回衆議院議員総選挙|第43回衆院選]]で民主党は、公示前議席よりも40議席増の177議席を獲得。民由合併後、小沢が最初に提携したのが旧社会党系の[[横路孝弘]]だった。小沢と横路は安全保障面での政策を擦り合わせ、その後横路と旧社民勢力は小沢と行動を共にした。また、小沢は野党結集のために社民党へも民主党への合流を呼びかけたが失敗に終わった。経済政策では、それまでの[[新自由主義]]から「地方経済」と「[[雇用]]」の重視の方針へ転換した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初、小沢派になると見られていた新自由主義的な「小さな政府研究会」には参加せず、[[東北地方]]出身議員だけをあつめて「東北議員団連盟」を結成し、地域主義への転向の姿勢を見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]][[5月]]、[[政治家の年金未納問題|年金未納問題]]による混乱の責任を取り党代表を辞任した菅の後継代表に小沢が内定したが、直後に小沢自身も[[国民年金]]が強制加入制度になる[[1986年]]以前に未加入だったとして代表就任を辞退した（結局、[[岡田克也]]が後任代表となった）。2004年[[7月11日]]に行われた[[第20回参議院議員通常選挙|第20回参院選]]の後、岡田の要請により党副代表に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]][[9月11日]]、[[第44回衆議院議員総選挙|第44回衆院選]]で民主党は現有議席を60近く減らす惨敗を喫し、岡田は代表を引責辞任し、小沢も党副代表の職を辞任した。岡田の後任代表となった[[前原誠司]]は、小沢に党代表代行への就任を依頼したが、これを固辞した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党代表 ===&lt;br /&gt;
==== 代表就任 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Ichiro Ozawa election.jpg|200px|thumb|民主党ポスターの張られた様子（[[2008年]]1月、[[広島県]][[甲奴町]]）]]&lt;br /&gt;
[[2006年]][[3月31日]]に前原が、「[[堀江メール問題]]」の責任を取って党代表を辞任、[[4月7日]]の民主党代表選で小沢は119票を獲得し[[菅直人]]を破り、第6代の民主党代表に選出された。両院議員総会の演説で小沢は、「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」という19世紀のイタリア貴族の没落を描いた映画『[[山猫 (映画)|山猫]]』の一節を引用し、その上で「まず、私自身が変わらなければなりません」と述べ、「ニュー・小沢」を印象づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表選後、小沢は菅を党代表代行、鳩山由紀夫を党幹事長にする[[トロイカ体制]]を敷いた。また、前執行部と[[民主党の次の内閣一覧|次の内閣]]メンバー全員を残留させた。小沢は[[政令指定都市]]・[[都道府県]]の[[首長]][[選挙]]に関しては原則として[[相乗り]]禁止の方針を打ち出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大半の民主党議員は、小沢の代表就任まで自民党幹事長時代はおろか、つい最近の小沢の動向すら知らず、「選挙に強い」という噂を頼り半信半疑で眺めている者も少なくなかったが、小沢が党代表に就任した直後の[[4月23日]]に、メール問題での逆風下にあった衆議院[[千葉県第7区|千葉7区]][[補欠選挙]]で、僅差ながら勝利を収めた。半年後の[[9月12日]]の民主党代表選に[[無投票]]で再選された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月9日]]の会見で、衆院本会議を欠席しがちな理由として「食後すぐに仕事にとりかからないなど、医者の忠告を守っている」と、自身の体調管理を理由に挙げたことに関し、「議会軽視だ」と各方面から厳しい批判を受けた。また、自身の健康状態を語ったことに対して様々な憶測が流れた。[[9月25日]]臨時党大会で正式に代表に再選された後、[[狭心症]]の発作の兆候を感じたため、都内の病院に検査入院した。[[10月5日]]に退院し、自身の[[動脈硬化]]が進んでいることを明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 国会運営 ====&lt;br /&gt;
民主党代表時代の小沢の国会での論戦は、前原時代の「対案路線」ではなく、「対立軸路線」で与党とは対決姿勢を鮮明にした。自著『[[日本改造計画]]』では、「過半数が賛成している案を、少数のダダっ子がいて、その子をなだめるために、いいなりになってすべてを変えてしまう」のは「少数者の横暴」だと述べている。小沢は「審議を十分に行えば」与党による採決も止むを得ないという立場を取った。一方、議員数の多さを背景に[[強行採決]]した場合には徹底抗戦や[[審議拒否]]も辞さない戦う野党の姿勢も示した。ただし、この姿勢は審議拒否を度々行うことで「充分な審議を放棄した」「与党案の成立を手助けしている」との批判を生むことがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 外交政策での党内対立 ====&lt;br /&gt;
2006年10月に北朝鮮が[[核実験]]を行った後の[[朝鮮半島]]情勢は「[[周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態法]]」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら[[トロイカ体制]]の見解を発表した。しかし、これに対して前代表である前原誠司を始めとする党内の若手から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表し、安全保障政策をめぐる民主党内の対立・不一致が表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は「[[核武装論|核武装の論議]]を是認すれば『[[非核三原則]]を守る』という言葉も国民や国際社会に受け入れられない」と指摘した。しかし、その考えに不満を持つ一部[[保守]]層などが、自由党党首時代[[2002年]]の小沢の発言である「日本は一朝で数千発の[[核弾頭]]を持てる。」と日本の核保有能力について発言したことと比較して批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[防衛庁]]の「省」昇格に対し、自由党時代から防衛庁の省への昇格を主張していた小沢は「国防の任に当たる省庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」と述べた。民主党内には依然反対の声があったため衆院安全保障委員会での防衛「省」昇格関連法案の審議に欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 統一地方選、参院選 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[4月8日]]に[[統一地方選挙]]（前半）が行われ、地元・岩手県の[[岩手県知事|知事]]選挙で'''小沢チルドレン'''の代表格である[[達増拓也]]が当選。[[岩手県議会]]議員選挙でも、議席を増やし第1党を維持し、その他の道府県議選・政令市議選でも民主党は230議席（合併前の自由党含む）から145議席増え375議席に躍進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[4月22日]]に行われた[[統一地方選挙]]（後半）では、[[地方議会|市町村議会選挙]]で、自民党が過去最低議席数になった他、他党が前回議席を割り込む中、民主党は3割近く議席を伸ばした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月29日]]に行われた、[[第21回参議院議員通常選挙]]で民主党は60議席を獲得、参議院第1党となり、野党全体（共産党を含む）で過半数を得た。選挙開票当日は「医者からの忠告」を理由に休養を取っていたとし、小沢はマスコミの前に姿を見せなかったが、[[7月31日]]の党常任幹事会に多くの報道陣が駆けつける中で出席、小沢は公約通り衆議院議員を今後も続けるとした。また、8月に前代表・前原、元代表・岡田等が党副代表に就任し、挙党体制を構築した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ねじれ国会 ====&lt;br /&gt;
[[8月8日]]には、[[11月]]に期限切れとなる[[テロ対策特別措置法]]（テロ特措法）問題についてマスコミ公開の中、アメリカの駐日大使[[ジョン・トーマス・シーファー]]と会談した。シーファーは小沢にテロ対策特別措置法の期限延長に対する理解を求めたが、小沢は[[アフガン戦争]]が国際社会の[[コンセンサス]]を得ていないとして[[海上自衛隊]]の支援活動は認められないと主張し、反対の意向を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe7700/news/20070808i113.htm 小沢代表、シーファー米大使が初会談…テロ特措法で平行線]」 [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]、2007年8月8日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[8月30日]]にはドイツ首相[[アンゲラ・メルケル]]と会談したが、この席でも改めてアフガン戦争が国連によるコンセンサスを得たものではないと主張した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=10873 環境、テロ対策などで意見一致 小沢代表メルケル・ドイツ首相と会談]」 民主党ホームページ、2007年8月30日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。結局テロ特措法は[[安倍改造内閣|安倍内閣]]の突然の総辞職で、有効期限の延長が出来なくなり、そのまま失効した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月12日]]に首相辞任を表明した[[安倍晋三]]の後任となる、[[内閣総理大臣指名選挙]]が[[9月25日]]に行われ、参議院で決選投票の末に[[福田康夫]]（自民党総裁）を抑えて、小沢が指名された（小沢133票、福田106票）。なお、衆議院で指名された福田が[[衆議院の優越]]規定に基づき首相となった。なお、両院の指名が異なったのは[[小渕恵三]]内閣下で民主党の[[菅直人]]が指名されて以来、9年ぶり4度目であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[11月2日]]、小沢は福田と会談し、連立政権について提案があった為、意見を党に持ち帰り臨時役員会に諮ったが、民主党内の反対を受け連立を拒否した。[[11月4日]]、連立騒動の責任を取り代表辞任を表明したが、民主党内の慰留を受け、[[11月6日]]代表続投を表明。[[11月7日]]の両院議員懇談会で代表続投が承認された。{{main|大連立構想 (日本 2007)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、テロ特措法の後継の法律として衆議院に提出されていた[[テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案]]（新テロ特措法）に対する議決が行われ、民主党が多数を占める参議院では反対多数で否決されたが、[[2008年]][[1月11日]]に衆議院本会議で与党の3分の2以上の賛成多数で再び可決・成立した。この再可決の本会議で小沢は採決直前に退席し、党内の一部や他の政党の議員から批判された。対して小沢は「前からの約束で、選挙の約束は一番たがえてはいけないものだ」と強調。[[2008年大阪府知事選挙|大阪府知事選挙]]の応援があったこともあげ、新テロ対策特措法について、「国民にとっても民主党にとっても大事な法案ではない。反対の意思表示は既にしている。後は数あわせの本会議でしかない。結果は目に見えている。批判は理解できない。国民は理解してくれていると思う」と反論した&amp;lt;ref&amp;gt;こうした日本の状況に対して米国や英国では、採決に議員全員が出席しないことを前提としたシステムで議会が運営されており、議員は自分の仕事の優先順位によってはあらかじめ投票を行い採決には欠席するのが普通であるが、[[党議拘束]]のある日本では採決前から結果が決まっていることがほとんどである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月29日]]、衆議院で2008年度予算案が野党3党の欠席のなかで強行採決された。小沢はこれに対し「信頼関係が完全に崩壊した」と発言し、強行採決をしたことで[[日本銀行総裁]]人事に影響を及ぼすのは、避けられないとの態度を示す&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=12799 「信頼関係が完全に崩壊」小沢代表、与党の予算案強行採決を批判]」 民主党ホームページ、2008年3月1日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党も強行採決されたのを受け[[武藤敏郎]]副総裁の[[日本銀行]]総裁への昇格を拒否する方針を決め、参議院で日銀総裁人事を否決した。[[3月18日]]、政府与党は改めて[[田波耕治]]を総裁候補として提示したが、この人事案も参議院で不同意となり、結果として[[白川方明]]が総裁に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月22日]]、民主党代表選で小沢が無投票での3選を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月23日]]、前日まで衆院選対策のため福岡を訪れていたが、予定されていた[[インドの歴代首相|インド首相]][[マンモハン・シン]]との会談を、体調不良を理由に欠席、「会談の頭だけでも出た方がいいと代表にいってほしい」との[[鳩山由紀夫]]幹事長の説得も受け付けず、党役員会などの公務もキャンセルし、鳩山が代わって会談した。翌24日に公務へ復帰、衆院選対策のため青森へ出張した&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢代表、また体調不良&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081024/stt0810240001000-n1.htm 小沢代表、また体調不良 「首相務まるのか」との指摘も] 産経ニュース 2008年10月24日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[5月11日]]、西松建設疑惑関連で公設秘書が逮捕された件で、民主党代表を辞任した。自身の後継を決める代表選挙では、側近として共に[[トロイカ体制]]を支えた[[鳩山由紀夫]]を支持し勝利に導いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党代表代行 ===&lt;br /&gt;
[[5月17日]]、選挙担当の代表代行に就任。[[菅直人]]が代行が多くなったことから小沢に筆頭となるよう要請し、3名の代表代行の中では筆頭扱いとなった。代表代行への就任は実に5年ぶりとなる&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090517/stt0905172147016-n3.htm&lt;br /&gt;
|title=【鳩山新代表会見詳報】「5人が常に心を合わせていく」&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY200905170106.html&lt;br /&gt;
|title=民主幹事長に岡田氏、小沢前代表は代表代行に&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090517/stt0905172035015-n1.htm&lt;br /&gt;
|title=【鳩山新代表】小沢氏が筆頭代表代行 岡田氏は幹事長に&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第45回衆議院議員総選挙]]で政権交代を果たした後の[[9月3日]]、[[鳩山由紀夫]]民主党代表が小沢に幹事長就任を要請した。これに対し「代表から幹事長の就任を要請された。私は党人だから、お受けすると返事をしてまいりました」と述べ、要請を受け入れる意向を表明した。小沢の幹事長就任については、鳩山の掲げる「政策決定の内閣への一元化」に反して政府と与党の「権力の二重構造」となり、政策面で小沢の影響を排除できなくなるとの見方がでたが、これについて鳩山は「幹事長は党務だ。政策の決定は政府でやると確認した」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090903-OYT1T00998.htm&lt;br /&gt;
|title=小沢氏が民主幹事長、岡田氏は主要閣僚か&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0903/TKY200909030376.html&lt;br /&gt;
|title=小沢氏、民主幹事長に　菅・岡田氏の入閣確実な情勢&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090903NTE2INK0803092009.html&lt;br /&gt;
|title=民主幹事長に小沢氏　岡田氏、重要閣僚で処遇 &lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;rel=j7&amp;amp;k=2009090300991&lt;br /&gt;
|title=盤石政権へ「剛腕」起用＝「二重権力」再来懸念も&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党幹事長 ===&lt;br /&gt;
[[2009年]][[9月15日]]の民主党両院議員総会において、正式に幹事長に就任した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-15&lt;br /&gt;
|url=http://mainichi.jp/select/seiji/seikenkotai/news/20090916k0000m010104000c.html&lt;br /&gt;
|title=民主党：小沢幹事長就任を正式決定　両院議員総会&lt;br /&gt;
|accessdate=9月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な政治的主張 ==&lt;br /&gt;
最初の著作である「日本改造計画」では[[新自由主義]]を主張したが、民主党代表に就任すると[[リベラル]]色を強めた。一方、2004年に公表した現行憲法の下での国連派遣部隊構想、さらにそれを発展させ2007年10月に公表した国際安全保障政策では、現行憲法との論理的整合性を維持しながら日本の国際安全保障政策（[[国連中心主義]]）を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交、防衛政策 ===&lt;br /&gt;
; 基本姿勢&lt;br /&gt;
: 外交では、[[太平洋戦争]]に対する反省を踏まえて二つの「共生」を主張している。一つは人間と人間、国家と国家との「共生」、つまり日本及び世界の平和を確保すること、もう一つは人間と自然との「共生」、つまり日本が率先して地球環境の保全を進めることである。それ以上に重要なのは、安全保障については、日本の法律より国連決議が風船すると「世界」で述べたことである。その結果、小沢氏は多くの批判を受けることとなった（日本国民が民主主義で選択した日本の法律が、国連の常任安保理事国のせめぎ合いによる決定より劣る、という発言であったため）。&lt;br /&gt;
: また、世界の国々、特に[[アメリカ合衆国|米国]]とは相互の信頼に基づく対等な関係を積み上げ、[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]をはじめ[[アジア]]諸国と平和で自由で開かれた信頼関係の実現を主張した。具体的には、米国との真の[[日米同盟]]の確立、核廃絶、アジア外交の強化、貿易・投資の自由化、[[政府開発援助]]（[[政府開発援助|ODA]]）の抜本的見直し等。[[2009年]][[2月24日]]には「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ…あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う…米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090225/stt0902250151000-n1.htm 「駐留米軍は第7艦隊で十分」 民主・小沢代表] 産経ニュース 2009.2.25&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[A級戦犯]]、[[靖国神社]]&lt;br /&gt;
: [[東京裁判]]は不当な報復裁判であり、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない。しかし当時の国家指導者は敗戦責任があり、[[天皇]]陛下が参拝できるよう靖国神社から削除すべき。行く行かないは個人の自由だが、公約をし、政治信念で行くのならば[[8月15日]]に公式参拝を行うべき。ただし靖国神社は[[戊辰戦争]]の招魂社だという問題がある。小沢自身は[[賊軍]]とされる岩手の出身である。&lt;br /&gt;
: 1986年4月2日の国会答弁では「誰もが自然の気持ちで行くべきであると思う。私もそのような自分の気持ちが沸いてきた時今までも参拝してきたしするつもりである」、「国務大臣であろうがなかろうが今後も行きたい」、「A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない」、「たまたま敗戦によって戦勝国から戦犯とされた人もいる」などの発言があった。&lt;br /&gt;
: また、2008年2月21日の[[朝鮮日報]]からのインタビューでは、「靖国神社問題は日本側が大きな間違いをしている。民主党が政権を取ったら、戦争責任者を靖国神社から分祀し、韓国と中国に強力な信頼関係を築く」と述べた。&lt;br /&gt;
; 核武装&lt;br /&gt;
: 日本には数千発の核兵器を製造する能力がある（2002年）ものの、軍事的、政治的にも何のプラスにもならない。議論もしてはいけない（2006年）。党内には、核保有を認める意見や核武装を議論すべきとの意見があった。&lt;br /&gt;
; [[日本国憲法第9条|憲法9条]]&lt;br /&gt;
: 「[[専守防衛]]」に徹し、憲法前文の平和主義と憲法9条の第一項と第二項は保持。第9.5条として平和のための国際協力と国連待機軍の設置を付加。自衛隊は国防に専念させる。なお、自衛権は、個別的であれ集団的であれ、我が国が急迫不正の侵害を受けた場合に限って行使。急迫不正の定義は明確にしない。&lt;br /&gt;
; [[自衛隊]]の海外派遣&lt;br /&gt;
: 小沢は[[国際治安支援部隊]]に対しては容認しており、[[ダルフール紛争]]への部隊の参加、国連治安支援部隊（[[ISAF]]）への参加など国連中心主義を強調した。ただし、その際の武器の使用基準見直しについては明言していなかった。なお政府は、ISAF本体への護衛参加については、合憲であるとの見解をまとめている。&amp;lt;ref&amp;gt;「自衛隊のアフガン派遣、政府が『合憲』解釈」 『読売新聞』、2007年12月22日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[集団的自衛権]]と[[集団安全保障]]&lt;br /&gt;
: [[イラク戦争]]型 （集団的自衛権の行使）‐ 他国が自衛権を発動して開始した戦争に参戦する[[有志国軍]]（[[OEF]]）への参加は憲法違反だとし、[[テロ対策特別措置法]]の延長にも反対した。&lt;br /&gt;
: [[湾岸戦争]]型（集団安全保障に基づく武力行使） ‐ 国連が承認した[[国連軍]]、[[多国籍軍]]の参加には賛成。&lt;br /&gt;
; [[周辺事態法]]について&lt;br /&gt;
: 2006年10月に北朝鮮が[[核実験]]を行った後の[[朝鮮半島]]情勢は「[[周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態法]]」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら[[トロイカ体制]]の見解を発表した。しかし、これに対して前原誠司を始めとする党内から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表し、安全保障政策をめぐる民主党内の対立・不一致が表面化した。&lt;br /&gt;
; [[北朝鮮による日本人拉致|北朝鮮拉致]]について&lt;br /&gt;
: 「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と述べたと報道された。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n1.htm 【民主党解剖】第1部「政権のかたち」（1）「小沢首相」は大丈夫か] 産経ニュース 2009.3.2&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
; 領土問題&lt;br /&gt;
: 「われわれが与党になったら領土問題にケリをつける」「例えば、[[尖閣諸島]]は歴史的に見ても日本の固有の領土だ。それを明確にさせる。自公政権のように弥縫策で先送りすることはしない」と述べ、領土問題の速やかな解決を宣言している&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008062334_all.html 小沢代表直撃インタビュー]{{リンク切れ|date=2009年5月}}」 [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2008年6月23日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、2008年7月15日には、 記者会見で学習指導要領の竹島問題について問われ、「教科書云々の前に日韓の考え方の差を埋めるために、しっかり話し合いをすべきだ。話し合いを避けて教科書に載せる載せないの類は順序が違う。事実上韓国が実力支配しているわけですから、それを放置しておいて俺の領土だと言ってもどうしようもないでしょう」と日本政府を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&amp;amp;num=13674 2008年7月15日 記者会見]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[チベット]]と中華人民共和国&lt;br /&gt;
: [[2008年のチベット動乱]]の後、2008年4月17日の講演で、チベット問題について「中国の政権が抱える矛盾が民族問題を契機として持ち上がった。共産主義独裁の政権と政治の自由は、原理からいって成り立たない」と発言し、「共産党政権が時代の変化に応じて生き延びようとするなら、自分自身が変化しなければいけない」と中国を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.asahi.com/special/080315/TKY200804170263.html 小沢代表、チベット問題で中国批判 『独裁政権の矛盾』]」 [[朝日新聞|asahi.com]]、2008年4月17日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 防衛庁の省への昇格&lt;br /&gt;
: [[防衛省|防衛庁]]の「省」昇格に対し、自由党時代から防衛庁の省への昇格を主張していた小沢は「国防の任に当たる省庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」と述べた。ただし、民主党内に反対の声があったため衆院安全保障委員会での防衛「省」昇格関連法案の審議は欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 法務 ===&lt;br /&gt;
; 憲法改正（憲法96条）の為の国民投票法案&lt;br /&gt;
: 与党提出の法案に反対した。その後民主党案との修正協議を経て修正与党案が成立した。なお社民・共産は法案そのものに反対した。&lt;br /&gt;
{{main2|国民投票法案については[[日本国憲法の改正手続に関する法律]]を}}&lt;br /&gt;
; [[外国人参政権|永住外国人の地方参政権]]&lt;br /&gt;
: 旧植民地政策により日本に移住、戦後そのまま在住した永住外国人・その家族が日本国籍を獲得しにくい場合でも、その歴史的事情を勘案し、また地域の住民との連帯感を醸成するために地方参政権を与えるべきと主張している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ozawa-ichiro.jp/policy/05.htm 永住外国人の地方参政権について]&amp;lt;/ref&amp;gt;。外国人参政権の獲得を目的に[[在日本大韓民国民団]]から支援の言葉を貰い、小沢もそれに謝意を表明し「帰化した韓国系」の投票を期待しているとの発言をしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://s02.megalodon.jp/2008-1212-1234-59/www.asahi.com/politics/update/1211/TKY200812110336.html 民団、民主・公明支援へ 次期衆院選 選挙権付与めざす]2008年12月12日 朝日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 公務員改革&lt;br /&gt;
: 幹部職員の内閣一元管理。公務員に対しては、スト権の付与と守秘義務違反の軽減を行う。また、政官接触を自由化する。[[特殊法人]]、[[独立行政法人]]、[[特別会計]]は見直す方向。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 経済、財政政策 ===&lt;br /&gt;
[[小さな政府]]ではなく、「官で出来ることは官で、民で出来ることは民で」。過疎化した地方など無駄な[[公共事業]]を極力減らしていく方針。&lt;br /&gt;
; 税制&lt;br /&gt;
: [[年金]]の特定財源化を行い、すべての年金を一元化する。1人月額6万円を支給する基礎年金と従来の保険料方式を維持した所得比例年金の2階建て。[[消費税]]は5%に維持するが、その税収はすべて全額を福祉目的税化し、基礎年金に割り当てる。しかし、消費税5%分（約13兆円）だけでは年金の基礎部分を賄えないため、必要な財源は既存予算から捻出するように努力する。13兆円では、国民の半数にしか年金が支給できないとの批判があったが、「給付する人を低所得者に限るため、13兆円で足りる」と反論した。&lt;br /&gt;
: [[道路特定財源]]の一般財源化を行い、[[揮発油税]]（ガソリン税）の暫定税率を廃止する。2008年[[3月28日]]にはこれに関して「暫定税率を延長する必要はなく、国民生活のために還元をしたほうが良い」と主張した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=12977 『暫定税率を延長する必要はない。むしろ国民に還元すべき』小沢代表]」 民主党ホームページ、2008年3月28日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。廃止に伴う地方財政への影響に関しては、道路特定財源の内で地方へ行くと予定されているのは9000億円であるが、そのうち市町村分の3000億円には手当てが必要であるとの見解を示し、その手当てを[[一般会計]]・[[特別会計]]の余剰金の利用や無駄の削減で市町村分へ配分することは可能だとした&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=13128 首相の一般財源化では理解得られない 国民に信を問うべき 小沢代表]」 民主党ホームページ、2008年4月20日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[地方分権]]&lt;br /&gt;
: [[中央集権]]体制から地方主権体制への移行。中央政府の権限は外交・治安などに限定し、その他の権限を地方に移譲する。また、個別[[補助金]]は官僚支配を生み[[利権]]の温床となるため廃止し、自主財源として一括交付する。財源・権限を地方に移譲することで地域経済の活性化につながる。地方分権を推進するため、市町村の300程度への集約を行う。&lt;br /&gt;
; 格差是正&lt;br /&gt;
: 社会的格差を是正する。子育て支援をし、親と同居している世帯に対して「親手当」、子供がいる世帯に対して「子ども手当」を交付する。[[管理職]]は自由競争だが、非管理職は[[終身雇用]]にする。[[労働法]]は長期安定雇用を基本とするべき。挫折した経営者・労働者の再起、再就職の支援制度を拡充する。&lt;br /&gt;
; [[移民]]政策&lt;br /&gt;
: 自民党と財界一部に「移民受け入れ」を検討する動きがある事を受け、「まったくダメだ。現在でも『奴隷労働』と言われる非正規労働者の問題が深刻なのに。発展途上国から単純労働者を受け入れることは、一種の奴隷制度ではないか。治安問題を心配する声もあるが、それ以前に、そういう形での移民受け入れは人間の尊厳に対する冒涜であり、人道的にとても認められない。」と述べ、与党の移民政策を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008062334_all.html 小沢代表直撃インタビュー]{{リンク切れ|date=2009年5月}}」 [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2008年6月23日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育政策 ===&lt;br /&gt;
与党案とは異なる民主党独自の「教育基本法」の制定。教育予算は先進国中低位の現状を是正し引き上げる。5歳から高校まで義務教育を広げる。すべての国民に[[高等教育]]の機会を与えるため、[[奨学金]]制度を拡充する。教師などの教育職員は[[国家公務員]]として身分を安定させ、[[労働争議|争議]]権を認めない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 農業政策 ===&lt;br /&gt;
わが国の安全保障を確保するためには現在39%&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/fbs/dat-fy18/sankou2.pdf PFC供給熱量比率、食料自給率及び飼料需給表]」 [[農林水産省]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;に低下している食料自給率を他の先進国並みに高める。農家、農村の活力を再生するために、穀物などの主要農産物について[[戸別所得補償制度]]を導入する。[[トレーサビリティ (流通)|トレーサビリティ制度]]の拡充と加工食品の原材料も含めた原産地表示の義務づけを行い、食の安全を確保する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 他党、支持母体との関係 ===&lt;br /&gt;
; 選挙協力&lt;br /&gt;
: 思想的には保守であるが、自公政権打倒のためには'''共産党を含めた全野党による選挙協力'''も辞さないことを表明した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2006/ar20060412155540.html 参院選候補選定『直接やる。カギは1人区』]」 『産経新聞』、2007年4月11日付朝刊。&amp;lt;/ref&amp;gt;。社会党の[[社公民路線]]以来、「非自民・非共産」として、共産外しが常態となっていた野党第一党の代表としては異例の見解であった。そのため、自公からはもちろん、党内の[[反共主義]]者からの批判が見られた。共産党は現時点では「市場主義重視」の民主党の「[[第三の道]]」路線に対して自公共々批判的であるため、実現しなかった。&lt;br /&gt;
; 大連立&lt;br /&gt;
: 2007年末に取り沙汰された大連立騒動（[[大連立構想 (日本 2007)]]）では、民主党が政権を取る為には、自民党と連立し、連立政権の中で民主党のマニフェストを実現して、実績と政権担当能力を示す必要があると主張した。大連立構想が立ち消えになった後は自民党との対決姿勢を強め、選挙による政権交代を目指している。&lt;br /&gt;
; [[労働組合]]との関係&lt;br /&gt;
: 未組織労働者や市民層からの支持を増やすことで協調的に労組との関係を維持した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 小沢グループ ==&lt;br /&gt;
小沢一郎を支持する民主党のグループ。もともとは旧自由党出身の議員のみであった。合併当初は「党中党」は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、2004年6月に当時当選1回～2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会「一新会」が発足。これ以降徐々に会合等を開くようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一新会に加え、2005年秋に発足した落選者や候補者を対象とした「一新会倶楽部」に加え、2001年から続く「小沢一郎政治塾」の存在もあって選挙ごとに勢力を拡大。[[2007年]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]で当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。小沢を中心に旧自由党出身の議員の結束は固いが、[[渡辺秀央]]、[[大江康弘]]のように小沢と選挙等をめぐって対立し離党した議員もいる。一方、一新会のメンバーの場合他のグループに参加しているメンバーも多く結束は自由党出身議員と比べ幾分緩い傾向がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政策的にはかつては右派的、新自由主義的なものが多かったが小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れつつある。小沢同様、政策よりも選挙や政局を重視する傾向があり、政策重視を掲げる「凌雲会」や「花斉会」とは対立することが多い&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; [[一新会]] - 約20名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[三井辨雄]]、[[仲野博子]]、[[松木謙公]]、[[石川知裕]]、[[横山北斗]]、[[田名部匡代]]、[[階猛]]、[[石関貴史]]、[[武正公一]]、[[神風英男]]、[[小宮山泰子]]、[[高山智司]]、[[内山晃]]、[[菊田真紀子]]、[[村井宗明]]、[[篠原孝]]、[[牧義夫]]、[[鈴木克昌]]、[[吉良州司]]&lt;br /&gt;
; 旧[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]グループ - 約10名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[藤井裕久]]、[[中井洽]]、[[山岡賢次]]、[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]]、[[黄川田徹]]&lt;br /&gt;
:* 参議院議員 - [[西岡武夫]]、[[一川保夫]]、[[工藤堅太郎]]、[[佐藤公治]]、[[平野達男]]、[[森ゆうこ]]、[[室井邦彦]]、[[広野允士]]&lt;br /&gt;
; その他 - 約10名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[奥村展三]]、[[青木愛]]、[[太田和美 (政治家)|太田和美]]&lt;br /&gt;
:* 参議院議員 - [[川上義博]]、[[主濱了]]、[[喜納昌吉]]、[[藤原良信]]、[[大久保潔重]]、[[平山幸司]]、[[米長晴信]]、[[谷岡郁子]]、[[藤原良信]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 小沢ガールズは特に定義のないまま第45回衆院選で注目区を制した女性新議員の総称で使われており、また40名と断定するのは不明確だと思われるためコメントアウト &lt;br /&gt;
; [[小沢ガールズ]] - 40名&lt;br /&gt;
: 2009年8月30日[[衆議院]]議員総選挙にに当選した民主党女性[[代議士]]&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 不祥事 ==&lt;br /&gt;
=== 事務所費問題 ===&lt;br /&gt;
[[2007年]][[1月]]、自身の資金管理団体「陸山会」が2005年分の[[政治資金収支報告書]]に4億円を超える不透明な[[事務所費]]を計上していることが発覚した。鳩山幹事長は『（小沢から）「東京都世田谷区内に約3億6500万円相当の土地と建物を購入し、費用を事務所費として計上した」と聞いており「全く問題ない」』と反論した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、自身の資金管理団体が10億円を超す不動産を保有し（小沢個人名義で保有）、またその一部を賃貸運用していることなどが発覚し、物議を醸した。それに対し小沢は1月の衆院代表質問で、これらの「支出の詳細、領収書、関係書類を含め公表する用意がある」とし、同じく事務所費問題を抱える自民党に対し、大臣など責任ある立場の議員に公表を迫った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月20日]]、国会内での記者会見で、東京・世田谷区に約3億7000万円の秘書宿舎を建設し、加えて不動産取引の仲介手数料や[[登記]]費用として1100万円を計上したという、2003年〜2005年の事務所費などを公開した。一方、10億円は国民の常識からかけ離れているとの批判もあるが、それだけ支援者からの寄付金が多かったということであり、また不動産を所有しても政治資金団体の財産なので問題はないと主張した。同時に、資金管理団体の小沢名義の資産を個人資産にしないという確認書を公開した。なお、陸山会の代表は小沢自身であり、この確認書は「陸山会代表である小沢一郎」と「個人である小沢一郎」の間で交わされたものになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後2007年[[10月9日]]、[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]で与野党逆転した後、初の本格的論戦で注目されていた衆議院予算委員会総括質疑の初日、「陸山会」が政治資金で購入したマンションの部屋をコンサルタント会社と財団法人に事務所として貸し、2002年から2006年の間に賃料計980万円を得ていたことが報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9日に民主党幹事長の[[鳩山由紀夫]]は「法に触れるようなことは何もしていない」とコメントし、「このタイミングで問題化させるのは政治的意図があるからではないのか」とも切り返した。また小沢代表も翌10日の記者会見で「1円単位で領収書を公開した2月時点で（メディアから）追及は全く無かった。それが半年以上も経過した今回一面トップで報じることは、政治的思惑でもって意図的に[[誹謗中傷]]した報道であると認識している」とし、これを一面で報じた毎日新聞をはじめ報道を批判するなど強く不快感を示した。なおこれらの違法性を強く否定しつつも今後不動産の売却を進めていく考えを表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この件を報じた週刊現代を名誉毀損で小沢は出版社を提訴。しかし、一審二審ともに小沢側の全面敗訴の判決が出され、上告をしなかったため、小沢の全面敗訴が確定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月13日参議院決算委員会で自民党西田議員が本件について詳細に発表したとき、民主党議員からの野次により委員会が一時中断した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=jKWnCWyRpuc 小沢一郎のマンション疑惑 2009年4月13日参議院決算委員会]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政策秘書公職選挙法違反容疑 ===&lt;br /&gt;
[[第21回参議院議員通常選挙]]で当選した同党の[[青木愛]]の選挙運動員が事務所の指示を受け、参院選公示前日の7月11日、業者に依頼して選挙ポスター付きの看板設置に関する契約を1本当たり500円で千数百万円分の契約を結んだ疑いで逮捕された。印刷会社社長が警察からの事情聴取で、小沢の政策秘書に報告しその内容を掴んでいたのではないかとも取れる供述を行なった。これに対し、小沢自身は8月31日の記者会見で「選挙違反に当たるような行為は一切していないという（秘書からの）報告で、私もそう思っている」と捜査や報道を批判し強く不快感を示した。9月14日、千葉地検は逮捕した印刷会社社長らを「選挙違反にはあたるが、違法性の程度が比較的軽かった」と判断して起訴猶予処分とし、小沢の政策秘書も立件せず捜査を終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政治資金規正法違反疑惑 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float:right&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| id=&amp;quot;toc sub&amp;quot; class=&amp;quot;toc&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;div style=&amp;quot;text-align: center&amp;quot;&amp;gt;'''目次'''&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ul&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#概略|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;1&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;概略&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#経過|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;2&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;経過&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#献金の背景とルート|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;3&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;献金の背景とルート&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#ダミー団体との認識|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;4&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;ダミー団体との認識&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#小沢に対する弁護と批判|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;5&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;小沢に対する弁護と批判&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#報道における問題|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;6&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;報道における問題&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#検察の捜査姿勢に対する賛否|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;7&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;検察の捜査姿勢に対する賛否&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ul&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{see also|西松建設#政治資金規正法違反}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 概略 ====&lt;br /&gt;
準大手[[ゼネコン]]の[[西松建設]]が、OBらを代表とした政治団体を通じて、小沢や[[森喜朗]]・[[二階俊博]]など、与野党の国会議員の資金管理団体へ多額の政治献金を継続していたことが{{和暦|2008}}12月末に表面化した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-12-21/2008122115_01_0.html 裏金疑惑の西松建設 関連政治団体政界に4億2000万円 森・二階・小沢氏ら] しんぶん赤旗 2008年12月21日（2009年3月12日閲覧）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081231-OYT1T00021.htm 西松建設が違法献金か、政治団体隠れみのに4億8千万円 読売新聞 2008年12月31日]{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。これに関連して{{和暦|2009}}[[3月3日]]に陸山会（小沢の資金管理団体）の会計責任者兼公設第一秘書が[[政治資金規正法]]違反の容疑で逮捕された&amp;lt;ref name=sankei090304&amp;gt;『産経新聞』は[[政治資金規正法#トンネル献金|トンネル献金]]の疑いがあることを報じている（「小沢氏秘書ら逮捕 規正法違反容疑で3人 西松トンネル献金」産経新聞 2009年3月4日朝刊1面[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903041340016-n1.htm]）。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/national/update/0303/TKY200903030171.html 民主・小沢代表の秘書逮捕、規正法違反の疑い東京地検 朝日新聞 2009年3月3日]{{リンク切れ|date=2009年4月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 経過 ====&lt;br /&gt;
[[2008年]]12月下旬、[[西松建設]]がOBらを代表とした政治団体（「新政治問題研究会」・「未来産業研究会」&amp;lt;ref&amp;gt;いずれも{{和暦|2006}}末に解散。&amp;lt;/ref&amp;gt;）を通じて、小沢や[[森喜朗]]・[[二階俊博]]など、与野党の国会議員の資金管理団体へ多額の政治献金を継続していたことが表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]3月3日、陸山会（小沢の資金管理団体）の会計責任者兼公設第一秘書が[[政治資金規正法]]違反の容疑で逮捕され、東京にある小沢の資金管理団体「陸山会」事務所には家宅捜索が行われた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-03|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090303/crm0903031826030-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】警察官も出動 赤坂の「陸山会」捜索|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月4日、東京地検特捜部は小沢の地元事務所を家宅捜索&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-04|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903041305014-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】小沢氏の地元事務所を捜索 東京地検特捜部|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月4日、小沢は「献金が違法ということが明らかになったときに返却するつもりだ」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903050043001-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】「献金の早期返却望ましい」鳩山氏|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;（政治資金規正法の第二十二条の六の第四項において他人名義による寄附は国庫に帰属するものと定められているため、違法の場合は受取った献金を国庫に納めなければならない&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO194.html#1000000000000000000000000000000000000000000000002200600000000000000000000000000|title=政治資金規正法 第二十二条の六|publisher=総務省法令データ提供システム|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月5日、自民党では二階派及び森が西松建設からの献金の返還を表明&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903051736007-n1.htm|title=自民で次々に「西松献金返還」 でも、団体解散で方法は…|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903052009011-n1.htm|title=森元首相も300万円返還 西松献金|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。大阪府吹田市の阪口善雄市長も「違法性のある献金ならば何らかの形で返したい」と西松建設が購入した70万円分のパーティー券について述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090305/crm0903050145004-n1.htm|title= 【西松献金】吹田市長後援会が100万円分パーティー券購入|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方、衆議院議員時代に西松建設に20万円のパーティー券を購入してもらった長野県知事[[村井仁]]は西松建設からの献金の返却について考慮しないと答えている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090305/lcl0903051853004-n1.htm|title=長野県知事、西松献金返還の考えなし|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月10日、民主党の[[西岡武夫]]参院議院運営委員長が「党執行部と相談した上で検事総長の証人喚問を考えたい」とコメント&amp;lt;ref name=asahi_090313&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-13|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903130121.html|title=検事総長喚問、森法相が反対姿勢 「検察の独立脅かす」|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月12日、東京地検特捜部は小沢の元秘書・[[石川知裕]]衆院議員を参考人聴取した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-12|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903120256.html|title=小沢氏の元秘書・石川知裕衆院議員を参考人聴取 特捜部|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月13日、西松建設の捜査について民主党内から検事総長の証人喚問を求められていることに対して[[森英介|森法相]]は「検察官を証人として国会に出頭させることは、検察官の独立性と公正性の保持の観点から悪影響を及ぼす」として反対を表明した&amp;lt;ref name=asahi_090313 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Nishimatsu Ozawa.PNG|thumb|right|200px|西松建設から小沢側へ行われたとする[[トンネル献金]]（検察による起訴内容）&amp;lt;ref name=sankei090304/&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
2009年3月24日、東京地検は政治資金規正法違反として小沢の公設第一秘書と西松建設前社長を起訴&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm|title=小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。起訴状によると、公設第一秘書は2003年から2006年にかけて西松建設からの献金と知りながらダミーの政治団体「新政治問題研究会」「未来産業研究会」の名義で小沢の資金管理団体である陸山会には2,100万円&amp;lt;!--新しい出典に基づき金額修正--&amp;gt;、小沢が代表を務める民主党岩手県第四区総支部には1,400万円の寄付を受取り、その上で政治資金収支報告書に虚偽の記載を行ったとされた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009032502000073.html 小沢代表続投表明 虚偽記載で秘書起訴「東京新聞」2009年3月25日]{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=https://www.nnn.co.jp/knews/090324/20090324146.html|title=大久保被告の起訴状要旨|publisher=日本海新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月27日、民主党代議士会は小沢の代表続投を了承した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-27|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090327/stt0903271901012-n1.htm|title= 【民主代議士会詳報】（3）完 鳩山氏「政権交代を一番願っているのは小沢代表」（27日午後）|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月28日、党本部で記者会見を行い、企業・団体献金の即時全面禁止を表明した。企業・団体献金の取り扱いについて「ディスクロージャー（情報開示）が大事だが、解釈の違いが起きたりすると、政治に間違った影響を与える。即時に全面禁止すべきだ」と述べた。民主党として「即時全面禁止」を盛り込んだ政治資金規正法改正案の提出を検討するとともに、次期衆院選の政権公約（マニフェスト）に盛り込む見通し。一方、法案化については、即座禁止ではなく「5年以内の禁止」を盛り込んだ政治資金規正法改正案の提出を目指している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-04-28|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090428/stt0904281811002-n1.htm|title=もう企業・団体献金はいらない!? 小沢氏が「即時全面禁止」を表明|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党のマニフェストは、菅直人代表代行と岡田克也副代表がそれぞれ党代表を務めていた2002年と2004年の衆院選のマニフェスト（政権公約）では「公共事業受注企業からの政治献金全面禁止」が明記されていたが、小沢が代表に就任した際「個人献金より企業献金の方が癒着が少なく、望ましい」と持論を述べ、2007年の参院選のマニフェストからは削除された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090316/stt0903162150004-n1.htm 企業献金見直し、民主は不一致、与党は様子見 2009.3.16 21:43]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 献金の背景とルート ====&lt;br /&gt;
[[ファイル:Money flow to Ozawa.png|thumb|right|400px|検察側が主張する下請け業者ルート（『産経新聞』による解説）&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090313&amp;quot;/&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1993年の鹿島建設東北支店の談合の仕切り役交代を契機に、公共事業の受注調整に際して小沢側の意向が大きな影響力をもつようになったとされる。一方、西松建設は東北地方を不得手としていたことから、受注の便宜を目的として1995年頃に小沢側と毎年2500万程度の献金を行う約束を行った。その後、東北地方での西松建設の受注高は増加したが、西松内部でも小沢側への献金の効果とする見方&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm|title=小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件|publisher=産経ニュース|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と談合の結果とする見方&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-07|url=http://mainichi.jp/select/jiken/nishimatuuragane/archive/news/2009/03/20090307org00m040042000c.html|title=西松建設裏金：東北の大型工事狙い…小沢氏の影響力期待|publisher=毎日JP|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に分かれているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-22|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903210253.html&lt;br /&gt;
|title=談合事件後の新仕切り役「小沢氏側寄り」 影響力拡大か|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;一方、小沢は献金と工事受注の結果とは関係がないとの認識を表明している&amp;lt;ref name=asahi_090322&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-10|url=http://www.asahi.com/special/plus/TKY200903100290.html|title=「ご迷惑、ご心配、この機会におわび」小沢代表定例会見|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西松建設側の供述によれば、公設秘書は西松建設に対して小沢の地盤である岩手県奥州市で建設中の[[胆沢ダム]]について「胆沢ダムは小沢ダム｣と発言し、献金を要請していたという&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月29日 毎日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
献金は1999年ごろまでは西松建設名義で行われていたが、2003年以降は以下の2ルートで献金が行われている。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903050174.html|title=小沢氏秘書、下請け迂回献金も認識 西松側に入金催促|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* 西松建設→政治団体（『新政治問題研究会』・『未来産業研究会』）→陸山会・民主党岩手県第4区総支部等（毎年1500万円）&lt;br /&gt;
:* 西松建設→下請け業者（松和会）→民主党岩手県第4区総支部（毎年1000万円）&lt;br /&gt;
この内、起訴されたのは政治団体経由の献金であり、下請け業者ルートの献金については起訴されていない。なお、談合決別宣言等の影響により2006年の500万を最後に政治団体経由の献金も打ち切られ、政治団体も既に解散している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090324-OYT1T00034.htm|title=大久保容疑者「どうにか続けて」、西松の献金中止申し出に|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
また西松建設に限らず複数のゼネコンからの下請け業者ルートも報告された&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090313&amp;quot;&amp;gt;「ゼネコンから年2億円」『産経新聞』2009年3月13日朝刊、一面({{Cite web|date=2009-03-13|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090313/crm0903130203002-n1.htm|title=ゼネコンから年2億円 小沢氏側 下請けダミーに？|publisher=産経新聞|accessdate=2009-05-28}})&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、西松建設がおこなった内部調査によれば、政治家への献金目的について「発注を得たいというより、受注活動を妨害しないでほしかった」と供述する社員がいたとしている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-05-15|url=http://s04.megalodon.jp/2009-0616-2217-59/www.asahi.com/special/09002/TKY200905150303.html|title=「受注のため違法献金」 西松建設、内部調査結果を公表|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-06-16}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『毎日新聞』 2009年5月16日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ダミー団体との認識 ====&lt;br /&gt;
小沢は秘書逮捕を受けた2009年3月4日の会見で「政治団体の原資がどういう形でどういうところから入ってくるのか、それは知るすべもありません」としていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041118010-n1.htm 【小沢代表会見詳報（4）】「どっかから持ってきたカネだとか、詮索しない」 MSN産経ニュース 2009年3月4日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。この小沢会見の直後、捜査関係者及び西松関係者を情報源として、小沢側が献金に際し直接西松建設と献金額の調整を行い、同社宛てに請求書を送付していたとの報道がなされた。また、検察はこの請求書や西松側の供述を証拠に小沢秘書が西松建設のダミー団体であることを十分認識していたと判断しているとされた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-08|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090308-OYT1T00084.htm|title=西松献金…小沢氏秘書が直接メモやり取り、額決定|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-23|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903220169.html|title=小沢氏秘書を24日起訴 違法献金認識と判断 東京地検|publisher=ASAHI.COM|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-08|url=http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009030801000497.html|title=小沢代表側が西松建設に請求書 ダミー団体献金で、違法性認識か|publisher=共同通信|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。西松建設への請求書報道に対し、小沢は3月22日の会見で、秘書に任せていたため小沢自身は当該政治団体からの献金の存在も知らず、請求書の送付についても「わからない」とした&amp;lt;ref name=asahi_090322/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年[[6月19日]]、検察は国沢前社長の初公判において「新政治問題研究会・未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていた」、「西松建設側からの支援は会社として行われてきたもので、窓口となっていた幹部の一存ではなく、西松の社長やしかるべく役職の人が決裁し、会社の経営判断で行われてきたと認識していた」とする小沢秘書の供述調書を明らかにした&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n3.htm|title=【西松事件公判（5）】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」（11：05~11：15）|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090620ddm012040059000c.html|title=西松建設献金事件：検察側冒頭陳述（要旨）|publisher=毎日JP|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090619-OYT1T00830.htm|title=談合が成立し4件を受注…西松事件・検察の冒頭陳述要旨3|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-07-01}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 小沢に対する弁護と批判 ====&lt;br /&gt;
小沢は[[事件]]について自ら説明をおこなった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304a&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041028006-n1.htm 【小沢代表会見詳報（1）】「（捜査は）不公正な国家権力、検察権力の行使」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041029007-n1.htm 【小沢代表会見詳報（2）】「規正法にのっとってオープンになっている問題」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041110009-n1.htm 【小沢代表会見詳報（3）】「何らやましいことはない」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041148013-n1.htm 【小沢代表会見詳報（5）完】「必ず近いうちに嫌疑は晴れる」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;が、この中で小沢が[[捜査]]について「不公正な[[国家権力]]、[[検察]][[権力]]の行使」と述べていることについては[[民主党]]の内外から批判の声が出ている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090305-OYT1T00929.htm 「検察批判「すべきでない」と前原氏、菅氏は小沢代表に理解」]読売オンライン [[2009年]][[3月5日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903042154023-n1.htm 反発と警戒…自民交錯 小沢氏の「検察批判」発言] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月5日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。また[[報道機関]]による[[世論調査]]では、国民が納得していないとの結果が得られたとしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090309/stt0903091139003-n1.htm 【産経FNN合同世論調査】小沢氏「辞任すべき」47・4% MSN産経ニュース] [[2009年]][[3月9日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090309/stt0903092047010-n1.htm 【産経・FNN合同世論調査】逆風で小沢氏凋落「説明責任果たさず」約8割] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月9日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090326/stt0903261641005-n1.htm 小沢代表「辞任を」66% 79%が「説明納得できず」共同通信調査] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月26日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090330/plc0903301140002-n1.htm 【産経FNN世論調査】「小沢代表辞任を」62% 内閣支持率は上昇] MSN産経ニュース 2009年3月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。3月27日にも民主党の参院議員総会と代議士会で説明しているが、代議士会において[[小宮山洋子]]議員からは「法廷闘争と選挙戦略は全く別だ。地元では『新しい体制を作ってほしい』という声が多い」 と小沢の代表続投に異議を唱えられ、[[近藤洋介 (政治家)|近藤洋介]]議員からは「世論調査では説明に納得していない国民が8割いる。なぜ数千万円の献金をもらい続けたのか」と説明を求められ、一方[[小沢鋭仁]]、[[小宮山泰子]]両議員には代表の続投を支持され、全体として代表続投が決まった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090327-OYT1T01028.htm 小沢代表が党所属国会議員に説明、続投了承される] 読売新聞 [[2009年]][[3月27日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[達増拓也]][[岩手県知事]]は小沢の[[公設秘書|公設第一秘書]]が逮捕された翌日、その[[政治資金規正法]][[違反]]事件について「これほど疑念を持たれている捜査はないんじゃないか。現段階では、よほどのことがないまま政治活動の自由が大きく制限されている」と[[東京地検特捜部]]の捜査を批判し、小沢の[[記者会見]]における[[政治献金|献金]]の違法性の否定については「非常に分かりやすく、得心できた」と大きな意味があったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;のちに達増拓也知事自身も西松建設との関連を指摘されている。[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090306/crm0903061324012-n1.htm 岩手県知事「報道で初めて知った」 西松建設規正法違反事件] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月6日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903042229029-n1.htm 【小沢氏秘書逮捕】「政治活動の自由制限」 岩手知事も批判] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の[[機関誌]]「プレス民主」[[2009年|09年]][[4月17日]]号で、[[ジャーナリスト]][[高野孟]]と[[田中康夫]][[新党日本#歴代代表|新党日本代表]]がこの捜査や小沢一郎代表交代論を批判した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.smn.co.jp/pod/090420.pdf 代表続投論]「プレス民主」[[2009年|09年]][[4月17日]]号&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の[[枝野幸男]]元[[政調会長]]は小沢の[[民主党代表|代表]]続投の判断について「今後も説明の努力をされ、（世論調査結果に表れる）納得できないとか辞めるべきだというのを大幅に下げる政治責任がある」とコメントし、小沢が多額の企業献金を得ていることについては「政治体質が私と百八十度違う。我が党の党首にはふさわしくないと一貫して思っている」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903280212.html 小沢氏の進退、世論の受け止め次第と強調 民主・枝野氏] 朝日新聞 [[2009年]][[3月28日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党員である[[小宮山洋子]]議員は公然と小沢の代表辞任を要求していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090325/stt0903251253007-n1.htm 民主、小宮山洋子衆院議員、小沢代表の辞任を要求] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月25日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、民主党の[[菅直人]]代表代行も小沢代表の辞任を求めたと伝えられたが後に釈明している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090403k0000m010071000c.html 民主・菅氏：小沢氏へ辞任求めた発言で釈明] 毎日新聞 [[2009年]][[4月2日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
盟友とされる[[国民新党]]の[[亀井静香]]代表代行は小沢の代表辞任を求めた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090417/stt0904172041005-n1.htm 亀井氏「身を捨てろ」小沢氏に辞任促す MSN産経ニュース 2009年4月17日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[日本共産党|共産党]]の[[志位和夫]][[日本共産党委員長|委員長]]は小沢には「長年多額の企業献金を受けてきたことの総括」と「国民が納得できる説明」が必要とした&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090319/stt0903191632003-n1.htm 企業献金廃止「まず小沢氏から」 共産・志位委員長] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月19日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は、この問題における党内の動揺を受け、[[5月11日]]に民主党代表を辞任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 報道における問題 ====&lt;br /&gt;
公設第一秘書の起訴直後、各報道機関によって『秘書が起訴内容を大筋認める』との報道がなされたが、秘書の弁護人は『大筋を認めたとする報道と弁護人らの認識は全く異なっている』とするコメントを発表した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903270484.html 小沢氏秘書の弁護人、報道機関へのコメント公表 - asahi.com 2009年3月27日23時39分] 2009年6月22日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;その後、西松の国沢前社長の公判で『私は新政治問題研究会、未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていました』と秘書が供述したことが判明した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n3.htm|title=【西松事件公判（5）】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」（11：05～11：15）|publisher=産経ニュース|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、報道が[[検察]]や与党の意を汲んだマスメディアによる[[情報操作]]であるとの指摘もある&amp;lt;ref name=&amp;quot;sapio20090422&amp;quot;&amp;gt;『[[SAPIO]]』2009年[[4月22日]]号 p.6-11&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、『[[東京新聞]]』が西松から献金を受け取った与党政治家の件について記事にしたところ、東京検察（[[東京地方検察庁]]？）はそれが望ましくない内容であるという理由で、3週間『東京新聞』の取材拒否をしたという&amp;lt;ref&amp;gt;『[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]』2009年[[5月28日]]号 [[:en:MARTIN FACKLER]][http://www.nytimes.com/2009/05/29/world/asia/29japan.html In Reporting a Scandal, the Media Are Accused of Just Listening] なお、東京地検は、同紙が記者クラブに加盟していないことを理由に取材を拒否している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 検察の捜査姿勢に対する賛否 ====&lt;br /&gt;
{{see also|国策捜査}}&lt;br /&gt;
小沢側は事件に対する検察の捜査が[[国策捜査]]に当たると非難した&amp;lt;ref name=FNN_report&amp;gt;[http://s03.megalodon.jp/2009-0422-2011-01/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090331-00000106-san-pol 【本社・FNN合同世論調査】検察捜査 「不公平」46%、「公平」は40% MSN産経ニュース 2009年3月31日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党の[[原口一博]]衆議院議員はこれを否定する一方で捜査当局でしか知り得ない情報がメディアから流布されることを問題とし、国家公務員による秘密漏えいの疑いを指摘している&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月25日衆議院総務委員会&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[上杉隆]]によれば、[[週刊朝日]]をはじめとした一部のマスコミが、小沢よりも検察側に疑義があるとキャンペーンを張ったことで、小沢への批判は弱まったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;ダイアモンドオンライン「週間 上杉隆」2009年09月17日[http://diamond.jp/series/uesugi/10094/?page=3 非記者クラブメディアを排除した鳩山首相初会見への落胆]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公設第一秘書らの起訴の際、東京地検の次席検事は記者会見において「国会議員の政治団体が、特定の建設業者から長年にわたり多額の金銭提供を受けてきた事実を、国民の目から覆い隠したもの。規正法の趣旨に照らして見過ごせない重大で悪質な事案と判断した」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm 小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件 MSN産経ニュース 2009年3月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;と説明し、記者から「なぜ悪質といえるのか」「被告の認識は」との質問がなされていたが、特捜部長は刑事訴訟法第47条において公判前の書類開示は禁止されていることから&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO131.html#1001000000006000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000|title=刑事訴訟法 第四十七条|publisher=総務省法令データ提供システム|accessdate=2009-05-11}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、公判において明らかにすると回答した。また、収支報告書上に記載された献金についての立件については「寄付者の名義を変えてしまうことをどう評価するか。みなさんにご判断いただきたい」と答えている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20090325ddn003040028000c.html クローズアップ2009：小沢氏秘書起訴 異例の立件に波紋 毎日新聞 2009年3月25日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、小沢と同様に西松建設から献金を受け取った議員のうち、二階を除く自民党議員（森、尾身など）に対し検察側が捜査の動きを見せていないことについて、[[角福戦争]]以降、歴史的に旧田中派と敵対して来た[[清和政策研究会]]の意向が検察の捜査に反映されているとの指摘がある&amp;lt;ref name=&amp;quot;sapio20090422&amp;quot;/&amp;gt;一方、「政治家側がダミー団体と認識していた明確な証拠がないだけ」とする報道もある&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-05-12|url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090512k0000m040124000c.html|title=小沢代表辞任：検察幹部「証拠は十分」、公判に自信|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『産経新聞』が[[フジニュースネットワーク|FNN]]と合同でおこなった世論調査では、半数近くが「検察側の捜査は政治的に不公平」と回答し、「公平」とする回答を上回った（次期衆院選が近づく時期に国政に影響する捜査が不適切かという件については、「思わない」が「思う」を上回った）&amp;lt;ref name=FNN_report/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 労働保険未加入問題 ===&lt;br /&gt;
{{現在進行|section=1}}&lt;br /&gt;
2009年3月3日、小沢の事務所が雇用しているアルバイトや私設秘書について、労働保険に未加入だったことが分かった。同事務所は「少なくとも3、4年は未加入になっており、かなりの人数分の未納保険料を納付することになる」と説明、今後、過去の雇用状況を調べた上で労働局に届け出る予定としているが、労働保険未加入発覚時のペナルティは、発覚時の前年度と前々年度分の保険料と、10%の追徴金のみであり、未加入分の多くは問責されないこととなる。 同事務所では、小沢の初当選以来、「正規の秘書」以外は届け出ていない可能性もあり、対象者は数百人規模になるという&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/090305/wlf0903050058000-n2.htm 小沢事務所 労働保険未加入も 社民・福島党首も数年間]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== 人物評 ===&lt;br /&gt;
{{独自研究|section=1}}&lt;br /&gt;
かつては「豪腕」、「壊し屋」、と称され、「政治とは権力闘争である」という政治観の持ち主であった。[[金丸信]]は小沢、[[羽田孜]]、[[梶山静六]]の3人を「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と評した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党内外では小沢[[アレルギー]]の存在が指摘され、これは若手議員よりも自民党当時を知る議員により強いとされた。「独断専行、側近政治、顔が見えない」との批判や、自民党分裂とその後の分裂工作、新進党分裂・解党等がその原因とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
周囲からは東北人気質も相まって朴訥な人物と評された。そのことから説明する努力に欠け、側近が離れる一因となっているとも指摘された。本人曰く「去るもの追わず。来るもの拒まず」。また、強面のイメージであるが私生活では[[恐妻家]]として知られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 健康管理 ===&lt;br /&gt;
1991年に狭心症で入院して以来は健康管理に余念がなく、早朝に30分ほどの散歩をすることを日課とし、アルコールは日本酒を3合までに控えるよう心がけ、約2時間の昼寝を欠かさない&amp;lt;ref name=&amp;quot;産経ニュース2009.3.2 5/5ページ&amp;quot;/&amp;gt;。2008年10月6日から13日まで風邪で入院、同月23日に予定されていた[[インド]]の[[マンモハン・シン|シン]]首相との会談を含む党役員会などの公務も体調不良ということでキャンセルし、シン首相との会談は[[鳩山由紀夫|鳩山]]幹事長が代理を務めたものの健康不安説も再燃した&amp;lt;ref&amp;gt;『産経新聞』2008年10月24日朝刊&amp;lt;/ref&amp;gt;。第171回国会（会期2009年1月5日 - 6月3日）では、2月末までに11回開かれた衆院本会議のうち4回欠席している。&amp;lt;ref name=&amp;quot;産経ニュース2009.3.2 5/5ページ&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|title=【民主党解剖】第1部「政権のかたち」（1）「小沢首相」は大丈夫か （5/5ページ） |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n5.htm |publisher=産経ニュース |accessdate=2009年3月2日 |date=2009年3月2日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 信条 ===&lt;br /&gt;
[[田中角榮]]を『'''オヤジ'''』として慕い、政治のイロハと人生の薫陶を受けたと語る。それは「どぶ板」とも言われる、[[人口密度]]の低い農村部から始め有権者の家を一戸一戸回っていく地道な選挙活動を決して怠らない事をオヤジから学んだという。歴史上の人物では、[[福澤諭吉]]を日本文明の祖として尊敬し、[[西郷隆盛]]を尊敬するものの、政治家・人物としては[[大久保利通]]を目指していると述べた&amp;lt;ref&amp;gt;『小沢主義志を持て、日本人』 ISBN 4797671297 より&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[司馬遼太郎]]を愛読している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自民党離党 ===&lt;br /&gt;
小沢が自民党を離党した理由は、「談合政治」と言われる旧来型政治の打破と、[[イギリス]]や[[アメリカ]]のような[[二大政党制]]に持って行きたいという明確なビジョンがあったという。その思惑は、小沢が[[自由党]]を[[民主党]]に合流させることで成就するのだが、[[小選挙区制]]を導入すれば同じ選挙区から[[自民党]]と[[社会党]]の政治家が選ばれるということが無くなるためであった。小沢は、自ら進んで自民党を離党したのでは無く、既得権益を持った一部の議員に追い出されたのだと述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
; 実家&lt;br /&gt;
* 父・[[小沢佐重喜|佐重喜]]（弁護士、政治家）&lt;br /&gt;
* 母・みち（元千葉県会議員[[荒木儀助]]の四女）&lt;br /&gt;
:[[奥野修司]]の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁には｢みちは[[明治]]三十四年二月十五日に[[千葉県]]の元[[庄屋]]の娘として生まれている。実家はかなりの[[豪農]]で生まれたときからお嬢様として育てられたという。九段の精華高等女学校では、のちの[[鹿島建設]]会長夫人になる[[鹿島卯女]]も同窓だった。｣、85頁には｢このみちは[[明治]]三十四年に[[荒木儀助]]と妻かのの四女として[[千葉県]][[東葛飾郡]][[風早村]]で生まれているが生家は“[[駅]]からよその土地を踏まずに家まで帰ることができた”といわれるほどの大[[地主]]だったようだ。父親の儀助も[[千葉県]]の県会議員になっているほどだからかなり裕福だったことは推測できる。両親はともに教育熱心だった。のちに[[医者]]や[[弁護士]]になっている家族もたくさんいて、みち自身も東京九段の精華高等女学校を[[卒業]]しているほどである。｣とある&lt;br /&gt;
* 姉（2人）&lt;br /&gt;
; 自家&lt;br /&gt;
* 妻・和子（[[新潟県]]の建設会社[[福田組]]会長・福田正の長女）&lt;br /&gt;
* 三男あり&lt;br /&gt;
; 他家&lt;br /&gt;
* その他の親戚・[[竹下亘]]（政治家、元[[首相]][[竹下登]]の異母弟、妻は福田正の二女）、[[金丸信]]（政治家）など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
; 小沢家&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0001/05805140001033c.html 衆議院会議録情報　第058回国会　本会議　第33号]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:小沢一郎は自身の[[家系]]について、[[古代]]東北の英雄として知られた[[蝦夷]]･[[アテルイ]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://homepage2.nifty.com/tanizoko/aterui.html アテルイ]&amp;lt;/ref&amp;gt;の末裔であるため“反骨精神が旺盛だ”と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/2005/05.01.21.htm 小沢一郎（下） アテルイの末裔 だから反骨精神旺盛 ]&amp;lt;/ref&amp;gt;。父[[小沢佐重喜]]は[[岩手県]][[胆沢郡]]水沢町（現[[奥州市]]）の[[農家]]に生まれ、{{和暦|1923}}、[[日本大学]][[法学部]]を卒業するとその年の12月に25歳の若さで[[司法試験|弁護士試験]]に合格し翌年弁護士事務所を開業する。[[東京市]]会議員、[[東京府]]会議員を経て、{{和暦|1946}}、衆議院議員に当選する。[[第2次吉田茂内閣]]の[[運輸大臣]]、[[第3次吉田茂内閣]]の[[逓信大臣]]、初代[[郵政大臣]]兼初代[[電気通信大臣]]、[[第5次吉田茂内閣]]の[[建設大臣]]、第2次池田内閣で[[行政管理庁]]長官、[[北海道開発庁]]長官等を歴任する。父・[[小沢佐重喜|佐重喜]]について一郎は｢親父は、じいさまが[[酒]]に溺れて身上をつぶして[[水呑百姓|水飲み百姓]]の[[小作人]]のせがれとして食うや食わずで育ったんだ。それで、ものすごく貧乏だったせいかどちらかというと反体制的な考え方だった。[[戦後]]の[[経済]]万能主義の社会や政治を嫌悪していたし、エスタプリッシュメントというものに対する反発を非常に強くもっている男でした｣と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;奥野修司の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』105頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　（14代）&lt;br /&gt;
　　　竹中藤右衛門━━┳寿美&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┣竹中宏平━━竹中祐二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┗竹中錬一　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　米内光政━━━━和子　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　（元首相）　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　（元首相）　　┃　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　┏竹下勇造━━━━┳竹下登━━┳公子&lt;br /&gt;
　　　┃　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　┗武永貞一　　　　┣竹下三郎　┣まる子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┗一子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃金丸信━━━金丸康信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗竹下亘　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　&lt;br /&gt;
　　　　福田正━━━━━┳雅子　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┣福田実　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗和子　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┏男　&lt;br /&gt;
　　　　小沢佐重喜　　　　　┣━━━━╋男　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　┃　　　　　　　┃　　　　┗男&lt;br /&gt;
　　　　　　┣━━━━━小沢一郎&lt;br /&gt;
　　　　　　┃&lt;br /&gt;
荒木儀助━━みち　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
; 田中角栄&lt;br /&gt;
:* [[田中角栄]]の長男である正法（1947年、5歳で夭折）と小沢が同じ1942年生まれであったため、角栄は小沢を息子のように可愛がったとされた。それに対して小沢も角栄を慕い、田中派から独立した経世会に所属した国会議員で唯一、田中の[[裁判]]をすべて欠かさず傍聴した。旧竹下派の中では唯一田中家・[[田中真紀子]]から許されているため、[[命日]]には田中家を訪問した。そのため親交が深く、真紀子の自民党離党、民主党会派入りに小沢は尽力した。また、「政治の父は田中角栄」と公言した。&lt;br /&gt;
:* かつて田中角栄の懐刀だった小沢と福田の因縁の戦いは、'''「第二の[[角福戦争]]」'''と呼ばれた。しかし当人たちにはそのつもりが全く無く、福田を舌鋒鋭く批判する角栄の娘の[[田中真紀子]]元外相の方が注目され、これが真の「第二の[[角福戦争]]」だと見る向きもあった。&lt;br /&gt;
; 囲碁&lt;br /&gt;
: 2007年10月、[[自民党]]元官房長官の[[与謝野馨]]と囲碁で対決した。二人は政界きっての囲碁の実力者で2時間半の激戦の末、小沢が勝負を制した。小沢は「こっち（与謝野氏）は正統派だしね」、与謝野も「（小沢氏との）最後の一局は、4、5年前、私が負けたんですよ」と互いに勝負の感想を述べた。また、12月には作家の[[渡辺淳一]]と囲碁で対決し、小差ながらも勝利した。&lt;br /&gt;
; 愛犬&lt;br /&gt;
: 2006年4月の衆議院[[千葉7区]][[補欠選挙]]で党の広告に[[柴犬]]の「もも」を起用。補選で「もも」は小沢や候補者たちの応援に出向き話題をさらった。小沢によれば当時の小沢の飼い犬であった柴犬「ちび」と似ているという。2007年10月、その「チビ」を失うが、2008年、新たに柴犬の子犬2匹を飼い始め、毛並みの色から「クロ」、「チャイ」と名付けた&amp;lt;ref&amp;gt;「元気の源？かわいい子犬2匹 民主・小沢氏を毎晩お出迎え」 『朝日新聞』、2008年5月22日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; ニートについて&lt;br /&gt;
: 2005年3月の夕刊フジのコラムにて、[[ニート]]について以下のような見解を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/fuji/2005/fuji20050419134025.html 剛腕コラム 第226回]」 『夕刊フジ』、2005年3月25日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:: 「本人たちは「誰の迷惑にもなっていない」と言うかもしれないが、親の稼ぎで食わしてもらっているうえ、国民全体で支える公共的サービスは享受している。病気でもない働き盛りの若者が、漠然と他人に寄生して生きているなど、とんでもない。」&lt;br /&gt;
:: 「政府は「[[少子化|少子]][[高齢化社会|高齢化]]の進む人口減少社会で、経済の活力を一段と失わせかねない」として、今後、ニートの就職支援に本腰を入れるというが、果たしてそんな次元の話なのか。僕に言わせれば対策は簡単だ。一定の猶予を与えて、親が子供を家から追い出せばいい。無理矢理でも自分の力で人生を生きさせるのだ。追い詰められれば、彼らも必死に考えて行動するはずだ。それでも働きたくないというなら、勝手にすればいい。その代わり、親の世話には一切ならず、他人に迷惑（犯罪も含む）もかけず、公共的サービスも受けないことだ。[[無人島]]でも行って[[自給自足]]の生活でもすればいい。」&lt;br /&gt;
: またニートの親については、「僕は自宅で小鳥を飼っているが、親鳥はヒナが大きくなるまでは一生懸命に世話をするが、一定の時期がくると冷たいほど突き放して巣立ちさせる。ニートの親は動物にも劣るといっても過言ではない」と評し、その責任を激しく糾弾した。&lt;br /&gt;
; 韓国をめぐるエピソード&lt;br /&gt;
:* [[1999年]]4月に[[大韓民国|韓国]]を訪問した際、同月18日に日本の党幹部・閣僚クラスの政治家としては初めて（当時）となる、[[ソウル特別市|ソウル]]にある[[金九]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://english.hani.co.kr/arti/english_edition/e_international/374021.html 【Japan’s Election】 Japan’s Democratic Party foreign policy platform prioritizes Korean peninsula] Hankyoreh Aug.31,2009&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[尹奉吉]]、[[李奉昌]]、[[白貞基]]といった、抗日[[独立運動家]]の墓地を参拝した。この事に関して、[[東亜日報]]は「新しい韓日関係のため韓国に近づこうとする努力の一環として評価している」と報じ、[[文化日報]]は「[[極右]]保守的なカラーを薄めるための高度の計算だとの指摘もある」と述べた。&lt;br /&gt;
:* 小沢は日本の政治家としてはじめて韓国人秘書を正式に受け入れた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;/&amp;gt;。2000年に登用された韓国人女性である[[金淑賢]]は国際担当秘書を務めており、海外の要人との会談時には通訳をしていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|title=小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書 |url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2007/08/09/0400000000AJP20070809003300882.HTML |publisher=[[聯合ニュース]] |accessdate=2009年3月2日 |date=2007年8月9日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。身分として国が雇い給与が高い公設秘書（公設第1・第2・政策担当）ではなく、私費で雇い給与の安い数十人の私設秘書の中の一人であった{{fact|2009年2月}}。また、この女性は日本の政界に従事するという関係から、駐日韓国大使館とも随時政局などについて情報交換を行っていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;/&amp;gt;。この韓国人秘書は2007年7月に韓国政府の[[大韓民国女性部|女性部]]主催の「世界韓民族女性ネットワーク」に日本側代表として参加している&amp;lt;ref name=sougou&amp;gt;{{cite news|title=한국 여성、 日 오자와 대표 비서로 맹활약（韓国女性、日本小沢代表秘書として活躍） |url=http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/08/09/0200000000AKR20070809140900073.HTML |publisher=[[聯合ニュース]] |language=朝鮮語 |accessdate=2009年3月2日 |date=2007年8月9日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。この団体は、欧米各国で[[従軍慰安婦]]に関する日本政府への抗議デモや集会を700回以上行っている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|title= &amp;quot;사과하라!&amp;quot; 베를린에 울려퍼진 '700회 수요집회' |url=http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000316972 |publisher=[[OhmyNews]] |accessdate=2009年3月2日 |date=2006年3月16日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。なおこの女性は小沢の秘書を務める傍ら東京大学の博士号を取得し、[[2008年]]5月に秘書を離職した後は大学院の教員に就任している。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/misc/brochure/brochure_2009.pdf 東北大学公共政策大学院 2009年度大学院案内] 2009年3月2日 閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* 小沢は、韓国人の一部が領有権を主張し、韓国資本に土地が買収されている問題が発生している[[対馬]]について、前連合会長の[[笹森清]]に「どう思うか？」との質問をし、笹森が「私は対馬のことを心配している。ウォン経済に買い占められそうだ」と答えると、小沢は「今は絶好のチャンスだ。円高だから（韓国領の）[[済州島]]を買っちまえ」と[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]][[衆議院議員]]の[[パーティー]]で行ったあいさつで語ったことが各報道機関によって伝えられた&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月11日 時事通信&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090313/stt0903130116000-n1.htm 波紋呼ぶ小沢氏の「済州島買っちまえ」発言][[産経新聞]][[2009年]][[3月13日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;、小沢自身はこの発言の存在を否定している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090312/stt0903121344006-n1.htm 【小沢代表ぶら下がり詳報】「済州島買え？　そんなこと言ってない」１２日昼][[産経新聞]][[2009年]][[3月12日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 米国、中国との国際交流&lt;br /&gt;
: 小沢は、日米、日中の交流が世界の平和と安定に不可欠と考えて、政治家としての公的な仕事とは別に自分のライフワークとして草の根レベルの国際交流活動を続けた。米国とは1990年に「ジョン万次郎の会」を立ち上げ、1992年に財団法人ジョン万次郎ホイットフールド記念国際草の根交流センターを設立した。2001年、日本に関心の高い[[シカゴ]]市の特定中学校の生徒を毎年20人程度日本に招待した。中国とは、1986年に第1回長城計画が中華全国青年連合会の協力を得て開催され、青年指導者、大学生を毎年数十名を招待した。国際交流活動は、実施団体とともに小沢事務所が担当したため、複数の外国人の大学院留学生が事務所で働いていた。&lt;br /&gt;
; ニコニコ動画&lt;br /&gt;
: [[2007年]]7月、[[第21回参議院議員通常選挙]]の直前に[[ニコニコ動画]]へ出演し、話題となった。その後も[[2008年]]11月や[[2009年]]元旦に「1万人ネット会見」を行った。また、2008年9月から公式動画コーナー「小沢一郎チャンネル」を開設した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発言 ==&lt;br /&gt;
* 「公約は膏薬（こうやく）。張り替えれば効き目がでる」（新進党時代の同僚議員への口癖）&lt;br /&gt;
* 「どの女と寝ようといいじゃないか」（1994年、野党連合政権時代に新会派設立への動きを例えて）&lt;br /&gt;
* 「記者会見はサービス」（1993年、記者団に）&lt;br /&gt;
* 「日本人は特殊な人種だ。（世界から）特殊学級扱いされている。ばかじゃないかと」（2003年 [[小泉純一郎]]首相の自民党総裁再選を批判して）&lt;br /&gt;
* 「安倍内閣は脳死状態」（2007年、参院選敗北後の安倍晋三内閣の求心力低下を皮肉り）&lt;br /&gt;
* 「給油法案は、国民にとって重要な法案ではない」（2008年、同法案の衆院再議決を欠席したことについて）&lt;br /&gt;
* 「日本がもたもたして在日韓国人の地方参政権を認めないのは遺憾だ」（2008年、韓国の李明博大統領との会談で）&lt;br /&gt;
* 「総理大臣になって首脳会談ということなら、多少体調が悪くても欠席することはない。私、野党だから。総理大臣じゃない。国務大臣でもない。勘違いしないでください」（2008年、インド・シン首相との会談をドタキャンしたことについて）&lt;br /&gt;
* 「おれはまったく米国のことは信用していない。日本の国益を守るために言うべきことは言わないといけない」（2009年2月14日都内の料理屋で国民新党の亀井静香代表代行らと会談において、クリントン米国務長官から会談を打診されていることに関して）&lt;br /&gt;
* 「私は、日米同盟がなによりも大事であるということをずーっと以前から、最初から唱えてきたひとりでありますと。」 （2009年2月17日クリントン国務長官との会談後のインタビューで）&lt;br /&gt;
* 「政治の細かいことを知る必要はない。自分たちの1票で政権を代えることができる。それだけを分かってもらえたらいい」（2008年10月19日 インターネットのテレビ番組にて）&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081019/stt0810192254004-n1.htm 小沢氏、ネットで若者に政権交代アピール]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「僕は選挙担当だから。選挙以外のことは他の人に聞いてください。」（2009年05月30日TBS[[知っとこ!]]西松問題の説明責任を問われて）&lt;br /&gt;
* 「担ぐ神輿は軽くてパーなのが一番だ。」（但し、これは実際には側近平野貞夫の発言「担ぐ神輿は軽いほうがいい」を誇張して小沢の発言として伝えられたもの）&lt;br /&gt;
* 「自民党に投票したら投票に行かなかった人と同じで政治について文句を言う資格はない」&lt;br /&gt;
* 「これ以上何を謝ればいいんだ。」[[盧泰愚]]大統領訪日の際に。&lt;br /&gt;
* 「じゃあやり直したらいいじゃねえか、そんな事を言うんだったらやりなそうじゃないか。」[[宗教法人法]]改正問題で[[大久保直彦]]議員らに小沢の姿勢は弱腰と詰問され野次に対しての応酬で。&lt;br /&gt;
=== 拉致問題に関する発言 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月2日付産経新聞朝刊1面における「民主党解剖1」の記事中において、小沢が、2月上旬、都内で開かれた民主党議員と支持者による会合において「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と発言したことが報じられた。&lt;br /&gt;
この記事を受けて、救う会には、電話やメールで問合せが殺到し、救う会では、西岡力会長代行が「小沢民主党代表発言は事実なのか」と題するコメント&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1808] 小沢民主党代表発言は事実なのか（救う会全国協議会ニュース、2009.03.02）&amp;lt;/ref&amp;gt;を発表した。&lt;br /&gt;
これに対して民主党は、民主党幹事長代理から産経新聞社編集局長と政治部長宛に「記事は『事実無根の報道』」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1809] 記事は「事実無根の報道」と民主党が反論（救う会全国協議会ニュース、2009.03.03）&amp;lt;/ref&amp;gt;として記事の訂正と謝罪を求め、3月4日中に回答することを要請した。&lt;br /&gt;
この要請に対して、産経新聞政治部長は、3月4日、文書で民主党幹事長代理宛に「正当な取材の結果得られたもので、かつ裏づけもとれているもの」という旨を回答&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1810 記事は「正当な取材の結果」と産経新聞が回答] （救う会全国協議会ニュース、2009.03.05）&amp;lt;/ref&amp;gt;している。なお、小沢のこの発言については、産経新聞以外のメディアではほとんど取り上げられず、民主党も、救う会へ宛てたFAX以外では、反論も含めて一切触れていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所属議員連盟 ==&lt;br /&gt;
* [[憲法調査推進議員連盟]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.kenpoukaigi.gr.jp/tyousakai/20040414kenpougiren-kiyaku&amp;amp;meibo.pdf#search='憲法調査推進議員連盟 憲法調査推進議員連盟規約]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 民主党東北議員団連盟&lt;br /&gt;
* 民主党日英議員連盟&lt;br /&gt;
* [[北京オリンピックを支援する議員の会]]顧問など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 選挙歴 ==&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!当落!!選挙!!施行日!!選挙区!!政党!!得票数!!得票率!!&amp;lt;small&amp;gt;得票順位&amp;lt;br/&amp;gt;/候補者数&amp;lt;/small&amp;gt;!!比例区!!&amp;lt;small&amp;gt;比例順位&amp;lt;br/&amp;gt;/候補者数&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第32回衆議院議員総選挙]]||1969年12月27日||[[岩手県第2区 (中選挙区)|岩手県第2区]]||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''71,520'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''26.71'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第33回衆議院議員総選挙]]||1972年12月10日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''60,675'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''19.18'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''2'''/8|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第34回衆議院議員総選挙]]||1976年12月5日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''71,449'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''21.98'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第35回衆議院議員総選挙]]||1979年10月7日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''70,183'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''21.52'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第36回衆議院議員総選挙]]||1980年6月22日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''72,838'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''22.27'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/8|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第37回衆議院議員総選挙]]||1983年12月18日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''63,212'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''18.87'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''4'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第38回衆議院議員総選挙]]||1986年7月6日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''95,208'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''24.80'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第39回衆議院議員総選挙]]||1990年2月18日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''89,449'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''24.08'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第40回衆議院議員総選挙]]||1993年7月18日||岩手県第2区||新生党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''142,451'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''40.82'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第41回衆議院議員総選挙]]||1996年10月20日||[[岩手県第4区]]||新進党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''125,619'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''64.68'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第42回衆議院議員総選挙]]||2000年6月25日||岩手県第4区||自由党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''119,099'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''59.70'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第43回衆議院議員総選挙]]||2003年11月9日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''128,458'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''65.11'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第44回衆議院議員総選挙]]||2005年9月11日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''124,578'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''59.95'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第45回衆議院議員総選挙]]||2009年8月30日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''133,978'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''62.55'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/5|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;11&amp;quot;|当選回数14回 （衆議院議員14）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文献 ==&lt;br /&gt;
=== 著作 ===&lt;br /&gt;
; 単著&lt;br /&gt;
* 『[[日本改造計画]]』（[[講談社]]、1993年5月、ISBN 4062064820）&lt;br /&gt;
* 『語る』（小林泰一郎構成、[[文藝春秋]]、1996年4月、ISBN 4163502106）&lt;br /&gt;
* 『男の行動美学』（[[プラネット出版]]、1999年9月、ISBN 4939110028）&lt;br /&gt;
* 『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』（[[五百旗頭真]]・[[伊藤元重]]・[[薬師寺克行]]編、[[朝日新聞社]]、2006年6月、ISBN 4022501634）&lt;br /&gt;
* 『剛腕維新』（[[角川学芸出版]]、2006年8月、ISBN 4046210885）&lt;br /&gt;
* 『小沢主義（オザワイズム）―志を持て、日本人』（[[集英社]]、2006年9月、ISBN 4797671297）&lt;br /&gt;
; 共著&lt;br /&gt;
* 『日米関係を読む』（アジア調査会編、[[ジェームズ・ファローズ]]・[[松永信雄]]共著、プラネット出版、1990年11月、ISBN 4881913123）&lt;br /&gt;
* 『ジョン万次郎とその時代』（[[川澄哲夫]]編、[[廣済堂出版]]、2001年7月、ISBN 4331507963）&lt;br /&gt;
* 『政権交代のシナリオ―「新しい日本」をつくるために』（[[菅直人]]共著、[[PHP研究所]]、2003年11月、ISBN 4569631908）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連文献 ===&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の「真実」―金丸、竹下を手玉にとる剛腕幹事長』（[[アイペック]]、1990年、ISBN 4870471000）&lt;br /&gt;
* 『平成名勝負物語—橋本龍太郎vs小沢一郎』（[[小林吉弥]]著、[[勁文社]]、1990年、ISBN 4766912497）&lt;br /&gt;
* 『劇画 橋本龍太郎VS小沢一郎—激闘譜』（[[さいとうたかを]]著、日本フローラルアート出版局、1991年、ISBN 4930831008）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の政治謀略―政界の裏の裏がわかる本』（菊池久著、[[山手書房新社]]、1991年、ISBN 4841300228 ）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎探検』（朝日新聞政治部編、[[朝日新聞社]]、1991年、ISBN 4022563435）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎・全人像』（小田甫著、[[行政問題研究所出版局]]、1992年、ISBN 4905786908）&lt;br /&gt;
* 『平成動乱 小沢一郎の野望』（[[板垣英憲]]著、[[DHC]]、1993年、ISBN 4887240023）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の秘密』（[[佐藤淳一]]著、[[データハウス]]、1993年、ISBN 4887181698）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎・日本改造計画の危険性』（[[本澤二郎]]著、[[エール出版社]]、1993年、ISBN 4753912345）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の逆襲―ベールに包まれた政界再編のシナリオを読む!』（[[竜崎孝]]著、サンドケー出版局、1993年、ISBN 491493809X）&lt;br /&gt;
* 『あの人 ひとつの小沢一郎論』（[[渡辺乾介]]著、[[飛鳥新社]]、1993年、ISBN 4870311291）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の腕力ポイント読み』（[[伊勢暁史]]著、[[明日香出版社]]、1994年、ISBN 4870307081）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎総理大臣待望論』（板垣英憲著、ジャパン・ミックス、1994年、ISBN 4883211541）&lt;br /&gt;
* 『どっこい小沢一郎は生きている 全発言で探る、この男の次の一手』（[[上之二郎]]著、[[ベストセラーズ]]、1994年、ISBN 4584191131）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎真実の叫び―これだけはいいたい 小沢は日本の未来に危惧を抱き、平和な国と社会のために改革を図る』（[[蒲生輝]]著、[[三心堂出版社]]、1994年、ISBN 4915620778）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎日本国崩壊をすくう』（蒲生輝著、三心堂出版社、1994年、ISBN 4915620956）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎―覇者の履歴書』（[[奥野修司]]著、データハウス、1994年、ISBN 4887182457）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の日本vs.武村正義の日本―あなたはどちらの国に住みたいか この2人がわかれば日本の将来が見えてくる』（[[小板橋二郎]]著、[[こう書房]]、1994年、ISBN 4769605080）&lt;br /&gt;
* 『池田大作vs小沢一郎 どうなる日本どうなる両雄の展開』（[[後藤寿一]]著、[[銀河出版]]、1994年、ISBN 4906436412）&lt;br /&gt;
* 『「小沢一郎日本改造計画」への挑戦状! 20代議員の描くキラリと光る改造計画』（「新党20代議員の会」編著、[[マネジメント社]]、1994年、ISBN 4837803431）&lt;br /&gt;
* 『河野洋平と小沢一郎の大戦略―宿命のライバル』（[[本沢二郎]]著、[[総合法令]]、1994年、ISBN 4893463829）&lt;br /&gt;
* 『悪魔の使者小沢一郎―あの強腕を裏で操るのは何者か 日本改造なんてとんでもない』（[[ヤコブ・モルガン]]著・[[忍野昭太郎]]訳、[[第一企画出版]]、1994年、ISBN 4887190166）&lt;br /&gt;
* 『小沢ウオッチング』（[[立尾良二]]著、[[東京新聞]]出版局、1995年、ISBN 4808305216）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の時代』（板垣英憲著、[[同文書院]]、1996年、ISBN 4810380300）&lt;br /&gt;
* 『お笑い大蔵省極秘情報』（[[テリー伊藤]]著、飛鳥新社、1996年、ISBN 4-87031-293-X）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎―その「恐怖支配」の実態』（[[久慈力]]著、[[マルジュ社]]、1996年、ISBN 4896161017）&lt;br /&gt;
* 『政治が歪める公共事業―小沢一郎[[ゼネコン]]政治の構造』（久慈力・[[横田一]]著、[[緑風出版]]、1996年、ISBN 4846196143）&lt;br /&gt;
* 『盛岡大学疑惑を追及する―教育を食い物にする紳士たち』（久慈力著、[[新泉社]]、1997年、ISBN 4787797158）&lt;br /&gt;
* 『拝啓小沢一郎党首殿』（[[松沢成文]]著、[[ごま書房]]、1997年、ISBN 4341017748）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の行動美学』（三菟雅文著 プラネット出版社 1999年 ISBN 4939110028）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の大勝負 竜馬か!? 悪魔か!?』 （板垣英憲著、[[リヨン社]]、2003年、ISBN 4576031910）&lt;br /&gt;
* 『日本変革 菅直人+小沢一郎は政治をどう変えるのか』（板垣英憲著、ベストセラーズ、2003年、ISBN 4584159769）&lt;br /&gt;
* 『政党崩壊―永田町の失われた十年』（[[伊藤惇夫]]著、[[新潮社]]［[[新潮新書]]］、2003年、ISBN 4106100231）&lt;br /&gt;
* 『闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体』（[[松田賢弥]]著、講談社、2003年、ISBN 4062117061）&lt;br /&gt;
* 『永田町「悪魔の辞典」』（伊藤惇夫著、文藝春秋、2004年、ISBN 4166603884 ）&lt;br /&gt;
* 『政治の数字―日本一腹が立つデータブック』（伊藤惇夫著、文藝春秋［[[文春新書]]］、2005年、ISBN 4106101173）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の政権奪取戦略』（[[大下英治]]著、[[河出書房新社]]、2005年3月、ISBN 4309243347）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の日本をぶっ壊す』（大下英治著、[[幻冬舎]]、2006年8月、ISBN 4344408217）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の真実』（[[平野貞夫]]著、講談社、 2006年9月、 ISBN 4066213557）&lt;br /&gt;
* 『「小沢一郎」入門―カリスマの原点 小沢一郎は何を考えているのか』（[[森田実]]著、[[三笠書房]]［知的生き方文庫］、 2006年10月、 ISBN 4837975887）&lt;br /&gt;
* 『政権交代―小沢一郎最後の戦い』（板垣秀憲著、 [[共栄書房]]、2007年7月、ISBN 4763410334）&lt;br /&gt;
* 『[[小沢民主党は信用できるか]]』（[[高市早苗]]編著、[[PHP研究所]]、2008年2月 ISBN 9784569697949）&lt;br /&gt;
雑誌関連文献抄&lt;br /&gt;
* 『[[月刊現代|現代]]』2004年2月号、小沢一郎・[[横路孝弘]]・伊藤達美「小沢一郎×横路孝弘―民主党の両極 安全保障論で合意する」&lt;br /&gt;
* 『[[週刊金曜日]]』2005年1月14日号、「本多勝一の憂刻ニッポン―小沢一郎（上）現行憲法の下で「無血革命」を目指す」[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2005/ar20050308142225.html]&lt;br /&gt;
* 『[[AERA]]』2006年1月23日号、[[後藤正治]]「小沢一郎 思想政治家で終わるのか」&lt;br /&gt;
* 『[[世界 (雑誌)|世界]]』2007年11月号、小沢一郎「公開書簡 今こそ国際安全保障の原則確立を」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist|3}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党国会議員一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の閣僚経験者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の次の内閣一覧]]&lt;br /&gt;
* [[一新会]]&lt;br /&gt;
* [[金竹小]]&lt;br /&gt;
* [[一龍戦争]]&lt;br /&gt;
* [[ネオ・ニューリーダー]]&lt;br /&gt;
* [[ワン・ワン・ライス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.ozawa-ichiro.jp/ ■小沢一郎ウェブサイト■]（公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.mag2.com/m/0000033978.htm 小沢一郎メールマガジン]（公式メルマガ）&lt;br /&gt;
* [http://www.minshu-iwate.com/ 民主党岩手県連]&lt;br /&gt;
* [http://mainichi.jp/select/wadai/graph/ozawa/ 小沢一郎 写真特集 （小沢ショック-毎日jp）]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[自治大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[古屋亨]]&lt;br /&gt;
| years  = 第34代 : 1985年 - 1986年&lt;br /&gt;
| after  = [[葉梨信行]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[国家公安委員会委員長]]&lt;br /&gt;
| before = [[古屋亨]]&lt;br /&gt;
| years  = 第44代 : 1985年 - 1986年&lt;br /&gt;
| after  = [[葉梨信行]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党代表]]&lt;br /&gt;
| before = [[前原誠司]]&lt;br /&gt;
| years  = 第6代 : 2006年 - 2009年&lt;br /&gt;
| after  = [[鳩山由紀夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党代表代行]]&lt;br /&gt;
| before = [[中野寛成]]&amp;lt;br/&amp;gt;増員&lt;br /&gt;
| years  = 2003年 - 2004年&amp;lt;br/&amp;gt;2009年（筆頭）&lt;br /&gt;
| after  = [[藤井裕久]]&amp;lt;br/&amp;gt;減員&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[岡田克也]]&lt;br /&gt;
| years  = 第9代 : 2009年 -&lt;br /&gt;
| after  = 現職&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[自由党 (日本 1998-2003)|自由党党首]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1998年 - 2003年&lt;br /&gt;
| after  = [[民主党 (日本 1998-)|民主党]]へ合流&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新進党|新進党党首]]&lt;br /&gt;
| before = [[海部俊樹]]&lt;br /&gt;
| years  = 第2代 : 1995年 - 1997年&lt;br /&gt;
| after  = 解散&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新進党|新進党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1994年 - 1995年&lt;br /&gt;
| after  = [[米沢隆]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新生党|新生党代表幹事]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1993年 - 1994年&lt;br /&gt;
| after  = [[新進党]]へ&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[橋本龍太郎]]&lt;br /&gt;
| years  = 第26代 : 1989年 - 1991年&lt;br /&gt;
| after  = [[小渕恵三]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{総務大臣}}&lt;br /&gt;
{{国家公安委員会委員長}}&lt;br /&gt;
{{自民幹事長}}&lt;br /&gt;
{{竹下派七奉行}}&lt;br /&gt;
{{民主党}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:小沢一郎|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:岩手県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:革命家]]&lt;br /&gt;
{{Lifetime|1942||おさわ いちろう}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A9%BA%E8%AA%BF&amp;diff=96727</id>
		<title>新日本空調</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A9%BA%E8%AA%BF&amp;diff=96727"/>
				<updated>2010-08-10T09:39:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|人名 = 小沢 一郎&lt;br /&gt;
|各国語表記 = おざわ いちろう&lt;br /&gt;
|画像 = [[Image:小沢一郎　1.jpg]]&lt;br /&gt;
|画像説明 =&lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1942|5|24}}&lt;br /&gt;
|出生地 = [[東京府]][[東京市]][[下谷区]]&lt;br /&gt;
（現在の[[東京都]][[台東区]]）&lt;br /&gt;
|没年月日 =&lt;br /&gt;
|死没地 =&lt;br /&gt;
|出身校 = [[慶應義塾大学]][[経済学部]]卒業&amp;lt;br/&amp;gt;[[日本大学]][[大学院]][[法学研究科]]中途退学&lt;br /&gt;
|前職 = [[大学院生]]&lt;br /&gt;
|現職 =&lt;br /&gt;
|所属政党 = （[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[新生党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[新進党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]&lt;br /&gt;
|称号・勲章 = [[学士|経済学士]]（慶應義塾大学・[[1967年]]）&lt;br /&gt;
|世襲の有無 = 有&lt;br /&gt;
|親族（政治家） = [[小沢佐重喜]]（[[父]]）&lt;br /&gt;
|配偶者 =&lt;br /&gt;
|サイン =&lt;br /&gt;
|ウェブサイト = http://www.ozawa-ichiro.jp/&lt;br /&gt;
|サイトタイトル = ■小沢一郎ウェブサイト■&lt;br /&gt;
|国旗 = JPN&lt;br /&gt;
|職名 = 第34代 [[自治大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣 = [[第2次中曾根第2次改造内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区 =&lt;br /&gt;
|当選回数 =&lt;br /&gt;
|就任日 = [[1985年]][[12月28日]]&lt;br /&gt;
|退任日 = [[1986年]][[7月22日]]&lt;br /&gt;
|退任理由 =&lt;br /&gt;
|所属委員会 =&lt;br /&gt;
|議員会館 =&lt;br /&gt;
|元首職 =&lt;br /&gt;
|元首 =&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↓省略可↓ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
|国旗2 = JPN&lt;br /&gt;
|職名2 = 第44代 [[国家公安委員会委員長]]&lt;br /&gt;
|内閣2 = 第2次中曾根第2次改造内閣&lt;br /&gt;
|選挙区2 =&lt;br /&gt;
|当選回数2 =&lt;br /&gt;
|就任日2 = 1985年12月28日&lt;br /&gt;
|退任日2 = 1986年7月22日&lt;br /&gt;
|退任理由2 =&lt;br /&gt;
|元首職2 =&lt;br /&gt;
|元首2 =&lt;br /&gt;
|国旗3 = JPN&lt;br /&gt;
|職名3 = [[衆議院議員]]&lt;br /&gt;
|内閣3 =&lt;br /&gt;
|選挙区3 = （[[岩手県第2区 (中選挙区)|岩手県第2区]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;[[岩手県第4区]]&lt;br /&gt;
|当選回数3 = 14回&lt;br /&gt;
|就任日3 = [[1969年]]&lt;br /&gt;
|退任日3 = 現職&lt;br /&gt;
|退任理由3 =&lt;br /&gt;
|元首職3 =&lt;br /&gt;
|元首3 =&lt;br /&gt;
|国旗4 =&lt;br /&gt;
|職名4 =&lt;br /&gt;
|内閣4 =&lt;br /&gt;
|選挙区4 =&lt;br /&gt;
|当選回数4 =&lt;br /&gt;
|就任日4 =&lt;br /&gt;
|退任日4 =&lt;br /&gt;
|退任理由4 =&lt;br /&gt;
|元首職4 =&lt;br /&gt;
|元首4 =&lt;br /&gt;
|国旗5 =&lt;br /&gt;
|職名5 =&lt;br /&gt;
|内閣5 =&lt;br /&gt;
|選挙区5 =&lt;br /&gt;
|当選回数5 =&lt;br /&gt;
|就任日5 =&lt;br /&gt;
|退任日5 =&lt;br /&gt;
|退任理由5 =&lt;br /&gt;
|元首職5 =&lt;br /&gt;
|元首5 =&lt;br /&gt;
|国旗6 =&lt;br /&gt;
|その他職歴1 =&lt;br /&gt;
|就任日6 =&lt;br /&gt;
|退任日6 =&lt;br /&gt;
|国旗7 =&lt;br /&gt;
|その他職歴2 =&lt;br /&gt;
|就任日7 =&lt;br /&gt;
|退任日7 =&lt;br /&gt;
|国旗8 =&lt;br /&gt;
|その他職歴3 =&lt;br /&gt;
|就任日8 =&lt;br /&gt;
|退任日8 =&lt;br /&gt;
|国旗9 =&lt;br /&gt;
|その他職歴4 =&lt;br /&gt;
|就任日9 =&lt;br /&gt;
|退任日9 =&lt;br /&gt;
|国旗10 =&lt;br /&gt;
|その他職歴5 =&lt;br /&gt;
|就任日10 =&lt;br /&gt;
|退任日10 =&lt;br /&gt;
|国旗11 =&lt;br /&gt;
|その他職歴6 =&lt;br /&gt;
|就任日11 =&lt;br /&gt;
|退任日11 =&lt;br /&gt;
|国旗12 =&lt;br /&gt;
|その他職歴7 =&lt;br /&gt;
|就任日12 =&lt;br /&gt;
|退任日12 =&lt;br /&gt;
|国旗13 =&lt;br /&gt;
|その他職歴8 =&lt;br /&gt;
|就任日13 =&lt;br /&gt;
|退任日13 =&lt;br /&gt;
|国旗14 =&lt;br /&gt;
|その他職歴9 =&lt;br /&gt;
|就任日14 =&lt;br /&gt;
|退任日14 =&lt;br /&gt;
|国旗15 =&lt;br /&gt;
|その他職歴10 =&lt;br /&gt;
|就任日15 =&lt;br /&gt;
|退任日15 =&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↑省略可↑ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''小沢 一郎'''（おざわ いちろう、[[1942年]][[5月24日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[衆議院議員]]（14期）。民主党幹事長（第9代）。'''小澤 一郎'''（おざわ いちろう）とも表記されることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[自治大臣]]（[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣|第34代]]）、[[国家公安委員会委員長|国家公安委員長]]（[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣|第44代]]）。[[自由民主党]][[自由民主党幹事長|幹事長]]、[[新生党]]代表幹事、[[新進党]][[党首]]（第2代）、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]党首、[[民主党 (日本 1998-)|民主党]][[民主党代表|代表]]（第6代）、民主党代表代行（筆頭・選挙担当）、民主党幹事長を歴任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;toclimit-3&amp;quot;&amp;gt;__TOC__&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
[[東京府]][[東京市]][[下谷区]]（現在の[[東京都]][[台東区]]）[[御徒町]]に[[弁護士]]で東京府会議員だった父・[[小沢佐重喜]]、母・みちの[[長男]]として生まれる。父は44歳、母は42歳という高齢で生まれたため、まるで“[[孫]]みたいな”子供だったという&amp;lt;ref&amp;gt;[[奥野修司]]『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。母・みちは元千葉県会議員[[荒木儀助]]の四女である。一郎は、みちにとってははじめて生んだ子供である。[[本籍地]]は[[岩手県]][[奥州市]]（旧[[水沢市]]）。3歳から14歳まで郷里の水沢で育った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
水沢市立常磐中学校（現在の奥州市立東水沢中学校）の2年生を終了すると、東京の[[文京区立第六中学校]]に[[転学|転校]]する。言葉も[[東北弁|東北訛り]]の一郎は、なかなか級友たちの中に入っていけず、いつも教室の片隅でひとりぽつんと座っていたという&amp;lt;ref&amp;gt;奥野修司『小沢一郎 覇者の履歴書』132頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京都立小石川高等学校]]卒業後、父と同じ弁護士を目指して[[東京大学]]を志望し、2年間[[過年度生|浪人]]したが断念して、[[慶應義塾大学]][[経済学部]]、[[日本大学]][[大学院]][[法学研究科]]へと進学した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自由民主党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 田中派時代 ====&lt;br /&gt;
大学院在学中の{{和暦|1969}}、父・佐重喜の急死に伴い[[第32回衆議院議員総選挙|第32回衆院選]]に旧岩手2区から[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認で立候補し、27歳の若さで当選した。この総選挙を[[自由民主党幹事長|党幹事長]]として指揮したのが[[田中角栄]]で、以後[[木曜クラブ]]（田中派）に所属し、田中の下で薫陶を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自民党総務局長、[[議院運営委員会|衆議院議院運営委員長]]を歴任し、{{和暦|1985}}に[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣]]で[[自治大臣]]兼[[国家公安委員長]]として初入閣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 竹下派時代 ====&lt;br /&gt;
[[Image:小渕・小沢・海部.jpg|300px|thumb|[[自民党総務会]]で新幹事長が了承され握手する[[小渕恵三]]幹事長、[[小沢一郎]]前幹事長、[[海部俊樹]]首相。[[1991年]][[4月8日]]撮影]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年、木曜クラブの領袖として影響力を保持していた田中に、反旗を翻した[[竹下登]]、[[金丸信]]らと共に派内勉強会「[[創政会]]」を結成。のちに[[経世会]]（竹下派）として独立した。竹下の総裁就任に奔走し[[日本皇民党]]事件の際には金丸とともに[[稲川会]]幹部の元に出向いている。[[竹下内閣]]の発足後、小沢は党・[[政府]]の要職を歴任し[[竹下派七奉行]]の一人に数えられ、[[官房副長官]]にも就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第1次海部内閣|第1次海部俊樹内閣]]では[[自由民主党幹事長|党幹事長]]に就任。苦戦が予想された[[第39回衆議院議員総選挙|第39回衆院選]]を、[[自由主義]]体制の維持を名目に[[経済団体連合会]]（経団連）傘下の企業から選挙資金300億円を集め、勝利したなどの実績から'''「剛腕」'''と称された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1990}}、金丸を代表とする[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問団（金丸訪朝団）に参加する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[8月]]、[[湾岸戦争]]が勃発し、小沢は[[ペルシャ湾]]への[[自衛隊]]派遣を模索した。「アジアへの配慮が必要だ」と反対する[[外務省]]を抑え法案を提出した（なお、この法案は[[野党]]の反対で廃案となり、後に[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律]]（PKO協力法）が成立）&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』、{{和暦|2008}}[[2月22日]]付[[夕刊]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。自衛隊派遣について国会で[[公明党]]の協力を得るため、[[東京都知事選挙]]で自民党東京都総支部連合会が推す現職の[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]に代わり、新人の[[磯村尚徳]]を擁立するも都連が鈴木を支援した事もあり敗北。なおこの都知事選公示直前に出馬に意欲的であった[[アントニオ猪木]]と会談し猪木を出馬断念に追い込んだがこの際に多額の金銭が動いたと一部報道で報じられた。{{和暦|1991}}[[4月]]、責任を取り党幹事長を辞任した。直後に経世会会長代行に就任し、名実とともに派閥のNo.2となった。しかし、次第に金丸は小沢に派閥を譲ろうと企図するようになり、竹下との確執を深めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、政治改革法案が国会で廃案となったことを受け、首相の海部が衆議院の解散総選挙をぶち上げたが、党内の反発を招き、海部は首相辞任に追い込まれた（[[海部おろし]]）。その際、金丸が小沢に対し後継首相となるよう命じ、金丸の意を受けた[[渡部恒三]]なども小沢を説得したが、当時49歳という年齢や心臓病（[[狭心症]]）で[[6月]]に倒れたことなどを理由にこれを固辞したとされる。だが、[[田勢康弘]]から「この逸話は実は真実ではない」&amp;lt;ref&amp;gt;[[田勢康弘]]「『緊迫』も『躍動』も消えた政治――大難を前に沈黙・保身…」 『[[日本経済新聞]]』、[[2008年]][[7月21日]]5面。&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘されており、このようなやり取りは実際には存在せず、金丸や竹下は当初から[[宮澤喜一]]擁立を目指していたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月10日]]、[[自由民主党総裁選挙]]での派閥が支持する候補者を決定するため、出馬表明していた宮沢、[[渡辺美智雄]]、[[三塚博]]と自身の個人事務所でそれぞれ面談した（小沢面接）。しかし宮沢や渡辺のような当選回数・年齢も上の者（三塚は当選回数こそ小沢よりも一回少ないが、年齢は小沢より上だった）を自分の事務所に招いたことは傲慢であると批判された。このことは後々まで「経世会支配」「剛腕小沢」の象徴的シーンとして取り上げられた（実際は当日[[ホテル]]の会場が満室でどこも予約できず、3人の事務所を小沢が訪ねる予定だったのだが、推薦を受ける立場の人間を訪ねてもらうのは失礼だという話になり、小沢の事務所で面談することになったという&amp;lt;ref&amp;gt;平野貞夫 『虚構に囚われた政治家―小沢一郎の真実』 講談社&amp;lt;講談社α文庫&amp;gt;、2007年、242頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。宮沢も後に『日本経済新聞』連載の「[[私の履歴書]]」の中で、「支持をこちらからお願いしているのだから、出向くのが筋であった」と回顧した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 竹下派分裂、羽田派結成 ====&lt;br /&gt;
{{和暦|1992}}、[[東京佐川急便事件]]を巡り、金丸が世論から激しい批判を受け派閥会長を辞任、議員辞職した（東京佐川急便事件に関しては、小沢も{{和暦|1993}}[[2月17日]]に[[証人喚問]]を受けている）。後継会長に小沢は金丸に近かった渡部恒三、[[奥田敬和]]らと共に[[羽田孜]]を擁立し、竹下直系の[[小渕恵三]]を推す[[橋本龍太郎]]、[[梶山静六]]らと対立。当初中立であった参院竹下派に竹下自らが関与して小渕支持を決定。この結果として後継会長は小渕に内定した。敗れた小沢は羽田、渡部、奥田らと[[改革フォーラム21]]（羽田派）を旗揚げし、派閥は分裂した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宮沢内閣改造内閣|宮沢喜一改造内閣]]における羽田派の閣僚ポストは、[[経済企画庁長官]]（[[船田元]]）と[[科学技術庁長官]]（[[中島衛]]）の2つだけと冷遇された。さらに党幹事長には派閥の後継会長を巡り激しい闘争を演じた小渕派の梶山が就任したことで、羽田派は反主流派に転落した。これに対し小沢は主流派を「[[守旧派]]」と、自らを「改革派」と呼び、持論であった[[政治改革]]の主張を全面に訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で小沢は、[[5月20日]]に、著書『[[日本改造計画]]』を発表した（実際に店頭に並んだのは6月下旬）。同書は政治家の著作としては異例の70万部を超える売上を記録し、1993年を代表する[[ベストセラー]]になった。自らの政策・政見を広く国民に問うもので、小沢の理念を基に官僚や専門家を中心に政策としてまとめた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自民党離党、非自民連立政権成立 ===&lt;br /&gt;
{{和暦|1993}}[[6月18日]]、野党から宮沢[[内閣不信任決議|内閣不信任案]]が上程され、羽田・小沢派ら自民党議員39名が賛成、16名が欠席する造反により不信任案は255対220で可決された。宮沢内閣は衆議院を解散した（[[嘘つき解散]]）。同年[[6月21日]]に[[武村正義]]らが自民党を離党（[[新党さきがけ]]を結党）した。これが羽田・小沢派の議員に離党を決断させる一因となり、[[6月23日]]、[[新生党]]を結成した。小沢は幹事長にあたる党代表幹事に就任するが、党結成の記者会見を行ったとき会場に姿が見えず「党首（羽田）の陰に隠れて暗躍している」との批判を受けた。[[新生党]]代表幹事時代には[[番記者]]との懇談会を廃止し、これまでの[[記者クラブ]]中心の会見から海外[[マスメディア|メディア]]や[[週刊誌]]記者なども会見に参加できるようにし注目を集めた。一方、自分の意に沿わぬ記事を書いたメディアと対立を起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月18日]]、[[第40回衆議院議員総選挙|第40回衆院選]]において自民党は過半数割れし、新生党、[[日本新党]]、新党さきがけの3新党は躍進した。宮沢内閣は総辞職した（後任の自民党総裁に[[河野洋平]]が選出）。小沢は総選挙直後から日本新党代表の[[細川護煕]]と非公式に会談した。細川は自民党との連立を検討していたが、小沢から首相就任を打診されたことで非自民勢力へと傾斜した。[[8月9日]]、8党派連立の[[細川内閣]]が成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細川政権下で小沢は内閣とは別に与党の意思決定機関である「連立与党代表者会議」を開き、公明党[[書記長]]の[[市川雄一]]とともに政権の主導権を握ろうとし（[[一一ライン]]）、官邸主導の政治を目論む[[内閣官房長官]]の[[武村正義]]と激しく対立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]]、小沢と[[大蔵事務次官]]の[[斎藤次郎]]が中心となり、[[消費税]]を廃止し7%の福祉目的税を創設するという「国民福祉税」構想を決定した。[[2月3日]]未明、細川は突如、「国民福祉税」構想を発表し、世論の激しい反発を受けた。また、[[日本社会党|社会]]・さきがけ・[[民社党|民社]]各党の批判に合い、翌日、細川は「国民福祉税」構想を白紙撤回するに至った。内閣官房長官の武村は、公然と「国民福祉税構想は事前に聞いていない」と発言、小沢との対立はますます先鋭化した。武村か小沢かの選択を迫られた細川は小沢に軍配を上げ、政権の主導権を奪われた武村や武村率いるさきがけは与党内で孤立し、武村と細川の仲も急速に冷却する。一連の動きに嫌気がさした細川は、[[4月]]に突然辞意を表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細川の首相辞任を受けて、小沢は[[渡辺美智雄]]との提携を企図するが、渡辺は自民党離党を決断できず構想は頓挫。連立与党は羽田の後継首班に合意した。しかし、[[1994年]][[4月25日]]の[[首班指名]]直後に、新生党、日本新党、民社党などが社会党を除く形で統一会派「改新」を結成したため、社会党の反発を招き、社会党は連立政権を離脱し、[[羽田内閣]]は少数与党となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
羽田内閣は1994年度[[予算]]を成立させたが、少数与党状態の解消をねらって行われた連立与党と社会党との間の政策協議は決裂し、自民党によって内閣不信任案が衆院に提出された。当初は羽田も解散する腹で小沢も同調していたが、結局は解散総選挙を断念。[[6月25日]]に内閣総辞職し、羽田内閣は在任期間64日、戦後2番目の短命政権に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は羽田の後継として、かつて自民党幹事長としてタッグを組んだ元首相の[[海部俊樹]]を担ぐことを決めた。海部は当時自民党政治改革議員連盟会長で、[[番町政策研究所|新政策研究会]]（河本派）代表世話人でもあった。[[1994年]][[6月29日]]、自民党は[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]で社会党委員長の[[村山富市]]に投票する方針を示したため、海部は自民党を離党し、「[[自由改革連合]]」を結成、連立与党の首班候補となった。しかし決選投票で261対214で村山に敗れ、小沢は政治家人生において初めて野党の立場に落ちた。新生党内では小沢の責任を追及する声も出たが、旧連立与党を糾合して新・新党の結成を実現するために、小沢の豪腕が必要とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 新進党時代 ===&lt;br /&gt;
1994年[[9月28日]]、[[日本共産党]]を除く野党各党187人により、衆院会派「改革」が結成された。また同日、衆議院議員186人、参議院議員39人、計225人の国会議員による「新党準備会」が正式に発足し、新党準備実行委員長に小沢が選出された。こうして小沢を中心に新・新党結成が準備され、同年[[12月10日]]に[[新進党]]結成大会が行われた。海部が党首となり、小沢は党幹事長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]][[7月]]、[[第17回参議院議員通常選挙|第17回参院選]]で、改選議席19議席を大幅に上回る40議席を獲得した。同年[[12月]]に行われた党首選挙では、羽田・細川らを中心に「小沢外し」の動きがあったため、自ら立候補することを決断、長年の盟友である羽田と激突し、小沢は羽田を破り、第2代党首に選出された。しかし、この党首選挙直後に投票者名簿が破棄されるなど、選挙結果が不明瞭であったため、羽田との決裂は決定的なものとなり、党内に更なる亀裂を生じさせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1996年]][[10月20日]]に[[第41回衆議院議員総選挙|第41回衆院選]]が行われ、新進党は小沢の党党首選での主張を党公約「国民との五つの契約」として[[消費税]]率の3%据え置き、18兆円[[減税]]を[[公約]]したものの、改選前の160議席を4議席減らして156議席に止まり、事実上敗北した。原則比例代表との重複出馬を禁止とし、比例区で[[創価学会]]の支援を期待し[[公明党]]系の議員を優遇したため選挙地盤の弱い若手の[[新党ブーム]]世代の議員が多数落選したため、強い反発を浴びこれが後の政局においても禍根を残す事になった。また選挙直後開票中にも関わらず深夜になるまで党本部に姿を見せず雲隠れするなど党首としてあるまじき態度を取った事も強い批判を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総選挙後、党内に小沢に対する反発が強まり、離党者が続出した。羽田孜や細川護熙らは非主流派を構成し、1996年[[12月26日]]、羽田は奥田敬和、[[岩國哲人]]ら衆参議員13名と共に新進党を離党、[[太陽党]]を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1997年]]、小沢は自民党の[[亀井静香]]らと提携する、いわゆる[[保保連合構想]]に大きく舵を切った。しかし、新進党内には、こうした保保連合路線に対して[[二大政党制]]を志向する立場から反対する勢力も顕在化し、[[鹿野道彦]]は政策研究会「改革会議」を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月18日]]の党首選挙で小沢は鹿野を破り再選された。この党首選に先立ち公明が[[第18回参議院議員通常選挙|次期参院選]]を独自で闘う方針を決定し、新進党離れが加速した。党首に再選された小沢は、純化路線を取り、新進党内の旧公明党グループ・公友会、旧民社党グループ・民友会にそれぞれ解散を要求。[[12月27日]]に小沢は旧公明党の参院議員を分党し公明に合流させるとし、新進党の分党と新党の結成を発表した。新進党内は混乱に陥り、分党を決定した[[両院議員総会]]は、混沌のうちに終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自由党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 結党・与党復帰 ====&lt;br /&gt;
[[1998年]][[1月6日]]、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]を結成、小沢は党首に就任した。当初、100名以上の衆参両議員が集まると思われたが、結局、衆院議員42名、参院議員12名の計54名が参加するに留まり、野党第1党の座を[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]に譲り渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月12日]]の[[第18回参議院議員通常選挙|第18回参院選]]では苦戦必至と思われていたが小沢人気もあり[[比例代表制|比例代表]]で514万票、合計6議席を獲得し善戦した。参院選後の[[臨時会|臨時国会]]では、首班指名に民主党代表の[[菅直人]]を野党統一候補に臨み、参院では自民党の[[小渕恵三]]を抑え菅が指名された（衆院では小渕が指名されたため、[[衆議院の優越]]の原則から小渕が首相に就任した）。&lt;br /&gt;
小沢は参院での野党共闘により政府・自民党を追い込む戦略であったが、菅は「政局にしない」と発言、金融再生法の制定で自民党と協力したことにより野党共闘はほころびを見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1998年[[10月]]、小沢は内閣官房長官[[野中広務]]と会談、連立交渉を開始し、同年[[11月19日]]、小渕内閣との間での連立政権について合意した。そして[[1999年]][[1月14日]]正式に[[自自連立政権]]が成立し、党幹事長の[[野田毅]]が[[自治省|自治大臣]]として入閣、小沢は5年ぶりに与党へ復帰した。この連立の間に衆議院[[議員定数]]20の削減、閣僚ポストの削減、および[[政府参考人|政府委員]]制度の廃止と[[党首討論]]設置を含む国会改革が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年7月、公明党が政権に入り、[[自自公連立政権]]が成立した。自民、公明両党で参院の過半数を抑えることになったため政権内部での自由党の存在感は低下した。自自両党の選挙協力も遅々として進まず、小沢は自民党総裁の小渕総理大臣に対して自自両党の解散、新しい保守政党の結成を要求した。[[中曽根康弘]]、[[亀井静香]]等は小沢の復党を認める方針であったが党内の反小沢勢力は「小沢の復党は認められない、小沢抜きでの復党は認められる。」とし小沢自身も「復党が認められなければ連立解消だ。」と珍奇ともいえる主張を行い両者は[[2000年]][[4月1日]]、会談するが、合意に達せず、結局連立を解消した（なお、この後に小渕は[[脳梗塞]]で倒れ、[[5月14日]]に死去した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 分裂 ====&lt;br /&gt;
自由党は、小沢を支持する連立離脱派と、[[野田毅]]・[[二階俊博]]などの連立残留派に分裂し、残留派は[[保守新党|保守党]]を結成した（分裂の結果、自由党は衆院議員18名、参院議員4名の計22名に半減、保守党には26名が参加）。小沢と袂を分かった保守党は[[政党助成金]]を半分ずつ分け合うために[[分党]]を要求したが、自由党はこれを拒否。保守党議員は離党扱いになり、政党助成金を全く得られず総選挙を迎えることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]][[6月25日]]の分裂直後に行われた[[第42回衆議院議員総選挙|第42回衆院選]]で、小沢人気もあり比例代表で約660万票を獲得、現有議席を上回る22議席を獲得し善戦した。このとき、約20億円を投じたとされる[[テレビ]][[コマーシャルメッセージ|CM]]（小沢が顔を殴られる）は話題となった（一方、保守党は7議席へと激減）。連立離脱後は野党共闘路線へ舵を切ることを余儀なくされたが、（過去に小沢から酷い目に合わされたと感ずる）旧新進党や旧社会党出身者が多い民主党を始めとした野党との関係は当然ギクシャクしたものにならざるを得なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]][[1月]]、将来の指導者育成を目指し、党内に[[小沢一郎政治塾]]（小沢塾）を開設した。なお、小沢塾は民主党との合併後は小沢個人の私塾として運営。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月29日]]の[[第19回参議院議員通常選挙|第19回参院選]]では、自民党に[[小泉旋風]]が吹き、小沢の地元・[[岩手県選挙区]]でも大苦戦を強いられたが、僅差で勝利した。議席数は前回と同じ6を維持したものの、自由党の比例代表は約420万票に止まった（第18回参議院選挙より約100万票、第42回衆議院選挙より約220万票の減少）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党へ合流 ===&lt;br /&gt;
[[2002年]]、第19回参議院選挙での結果もあって、小沢は[[鳩山由紀夫]]（当時[[民主党代表]]）からの民主・自由両党の合併に向けた協議提案を受け入れた。しかし、民主党内の調整が不十分であったこと及び民主党内の小沢に対する拒否反応の為に頓挫した（なお、鳩山は代表辞任に追い込まれた）。鳩山辞任後に[[民主党代表]]に選出された[[菅直人]]によって、いったん合併構想は白紙に戻ったが、小沢は党名・綱領・役員は民主党の現体制維持を受入れることを打診し、両党間で合併に合意した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dpj.or.jp/news/?num=4562 民主党・菅代表と自由党・小沢党首が9月末までの合併で合意]民主党公式HP、2003年7月23日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由党と民主党の合併の直前に、自由党から13億6816万円の寄付が[[改革国民会議]]に対して行われた。改革国民会議は小沢一郎が代表を務めており小沢の関連団体である。13億6816万円のうち5億6096万円が税金を原資とする[[政党助成金]]であった。後にこの行為は問題視され、政党助成金法改正案として議論された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090708/stt0907081016002-n1.htm 産経ニュース 2009年7月8日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]][[9月26日]]、自由党は民主党と正式に合併し、小沢は民主党の代表代行に就任した。[[11月9日]]の[[第43回衆議院議員総選挙|第43回衆院選]]で民主党は、公示前議席よりも40議席増の177議席を獲得。民由合併後、小沢が最初に提携したのが旧社会党系の[[横路孝弘]]だった。小沢と横路は安全保障面での政策を擦り合わせ、その後横路と旧社民勢力は小沢と行動を共にした。また、小沢は野党結集のために社民党へも民主党への合流を呼びかけたが失敗に終わった。経済政策では、それまでの[[新自由主義]]から「地方経済」と「[[雇用]]」の重視の方針へ転換した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初、小沢派になると見られていた新自由主義的な「小さな政府研究会」には参加せず、[[東北地方]]出身議員だけをあつめて「東北議員団連盟」を結成し、地域主義への転向の姿勢を見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]][[5月]]、[[政治家の年金未納問題|年金未納問題]]による混乱の責任を取り党代表を辞任した菅の後継代表に小沢が内定したが、直後に小沢自身も[[国民年金]]が強制加入制度になる[[1986年]]以前に未加入だったとして代表就任を辞退した（結局、[[岡田克也]]が後任代表となった）。2004年[[7月11日]]に行われた[[第20回参議院議員通常選挙|第20回参院選]]の後、岡田の要請により党副代表に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]][[9月11日]]、[[第44回衆議院議員総選挙|第44回衆院選]]で民主党は現有議席を60近く減らす惨敗を喫し、岡田は代表を引責辞任し、小沢も党副代表の職を辞任した。岡田の後任代表となった[[前原誠司]]は、小沢に党代表代行への就任を依頼したが、これを固辞した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党代表 ===&lt;br /&gt;
==== 代表就任 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Ichiro Ozawa election.jpg|200px|thumb|民主党ポスターの張られた様子（[[2008年]]1月、[[広島県]][[甲奴町]]）]]&lt;br /&gt;
[[2006年]][[3月31日]]に前原が、「[[堀江メール問題]]」の責任を取って党代表を辞任、[[4月7日]]の民主党代表選で小沢は119票を獲得し[[菅直人]]を破り、第6代の民主党代表に選出された。両院議員総会の演説で小沢は、「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」という19世紀のイタリア貴族の没落を描いた映画『[[山猫 (映画)|山猫]]』の一節を引用し、その上で「まず、私自身が変わらなければなりません」と述べ、「ニュー・小沢」を印象づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表選後、小沢は菅を党代表代行、鳩山由紀夫を党幹事長にする[[トロイカ体制]]を敷いた。また、前執行部と[[民主党の次の内閣一覧|次の内閣]]メンバー全員を残留させた。小沢は[[政令指定都市]]・[[都道府県]]の[[首長]][[選挙]]に関しては原則として[[相乗り]]禁止の方針を打ち出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大半の民主党議員は、小沢の代表就任まで自民党幹事長時代はおろか、つい最近の小沢の動向すら知らず、「選挙に強い」という噂を頼り半信半疑で眺めている者も少なくなかったが、小沢が党代表に就任した直後の[[4月23日]]に、メール問題での逆風下にあった衆議院[[千葉県第7区|千葉7区]][[補欠選挙]]で、僅差ながら勝利を収めた。半年後の[[9月12日]]の民主党代表選に[[無投票]]で再選された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月9日]]の会見で、衆院本会議を欠席しがちな理由として「食後すぐに仕事にとりかからないなど、医者の忠告を守っている」と、自身の体調管理を理由に挙げたことに関し、「議会軽視だ」と各方面から厳しい批判を受けた。また、自身の健康状態を語ったことに対して様々な憶測が流れた。[[9月25日]]臨時党大会で正式に代表に再選された後、[[狭心症]]の発作の兆候を感じたため、都内の病院に検査入院した。[[10月5日]]に退院し、自身の[[動脈硬化]]が進んでいることを明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 国会運営 ====&lt;br /&gt;
民主党代表時代の小沢の国会での論戦は、前原時代の「対案路線」ではなく、「対立軸路線」で与党とは対決姿勢を鮮明にした。自著『[[日本改造計画]]』では、「過半数が賛成している案を、少数のダダっ子がいて、その子をなだめるために、いいなりになってすべてを変えてしまう」のは「少数者の横暴」だと述べている。小沢は「審議を十分に行えば」与党による採決も止むを得ないという立場を取った。一方、議員数の多さを背景に[[強行採決]]した場合には徹底抗戦や[[審議拒否]]も辞さない戦う野党の姿勢も示した。ただし、この姿勢は審議拒否を度々行うことで「充分な審議を放棄した」「与党案の成立を手助けしている」との批判を生むことがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 外交政策での党内対立 ====&lt;br /&gt;
2006年10月に北朝鮮が[[核実験]]を行った後の[[朝鮮半島]]情勢は「[[周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態法]]」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら[[トロイカ体制]]の見解を発表した。しかし、これに対して前代表である前原誠司を始めとする党内の若手から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表し、安全保障政策をめぐる民主党内の対立・不一致が表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は「[[核武装論|核武装の論議]]を是認すれば『[[非核三原則]]を守る』という言葉も国民や国際社会に受け入れられない」と指摘した。しかし、その考えに不満を持つ一部[[保守]]層などが、自由党党首時代[[2002年]]の小沢の発言である「日本は一朝で数千発の[[核弾頭]]を持てる。」と日本の核保有能力について発言したことと比較して批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[防衛庁]]の「省」昇格に対し、自由党時代から防衛庁の省への昇格を主張していた小沢は「国防の任に当たる省庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」と述べた。民主党内には依然反対の声があったため衆院安全保障委員会での防衛「省」昇格関連法案の審議に欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 統一地方選、参院選 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[4月8日]]に[[統一地方選挙]]（前半）が行われ、地元・岩手県の[[岩手県知事|知事]]選挙で'''小沢チルドレン'''の代表格である[[達増拓也]]が当選。[[岩手県議会]]議員選挙でも、議席を増やし第1党を維持し、その他の道府県議選・政令市議選でも民主党は230議席（合併前の自由党含む）から145議席増え375議席に躍進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[4月22日]]に行われた[[統一地方選挙]]（後半）では、[[地方議会|市町村議会選挙]]で、自民党が過去最低議席数になった他、他党が前回議席を割り込む中、民主党は3割近く議席を伸ばした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月29日]]に行われた、[[第21回参議院議員通常選挙]]で民主党は60議席を獲得、参議院第1党となり、野党全体（共産党を含む）で過半数を得た。選挙開票当日は「医者からの忠告」を理由に休養を取っていたとし、小沢はマスコミの前に姿を見せなかったが、[[7月31日]]の党常任幹事会に多くの報道陣が駆けつける中で出席、小沢は公約通り衆議院議員を今後も続けるとした。また、8月に前代表・前原、元代表・岡田等が党副代表に就任し、挙党体制を構築した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ねじれ国会 ====&lt;br /&gt;
[[8月8日]]には、[[11月]]に期限切れとなる[[テロ対策特別措置法]]（テロ特措法）問題についてマスコミ公開の中、アメリカの駐日大使[[ジョン・トーマス・シーファー]]と会談した。シーファーは小沢にテロ対策特別措置法の期限延長に対する理解を求めたが、小沢は[[アフガン戦争]]が国際社会の[[コンセンサス]]を得ていないとして[[海上自衛隊]]の支援活動は認められないと主張し、反対の意向を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe7700/news/20070808i113.htm 小沢代表、シーファー米大使が初会談…テロ特措法で平行線]」 [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]、2007年8月8日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[8月30日]]にはドイツ首相[[アンゲラ・メルケル]]と会談したが、この席でも改めてアフガン戦争が国連によるコンセンサスを得たものではないと主張した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=10873 環境、テロ対策などで意見一致 小沢代表メルケル・ドイツ首相と会談]」 民主党ホームページ、2007年8月30日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。結局テロ特措法は[[安倍改造内閣|安倍内閣]]の突然の総辞職で、有効期限の延長が出来なくなり、そのまま失効した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月12日]]に首相辞任を表明した[[安倍晋三]]の後任となる、[[内閣総理大臣指名選挙]]が[[9月25日]]に行われ、参議院で決選投票の末に[[福田康夫]]（自民党総裁）を抑えて、小沢が指名された（小沢133票、福田106票）。なお、衆議院で指名された福田が[[衆議院の優越]]規定に基づき首相となった。なお、両院の指名が異なったのは[[小渕恵三]]内閣下で民主党の[[菅直人]]が指名されて以来、9年ぶり4度目であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[11月2日]]、小沢は福田と会談し、連立政権について提案があった為、意見を党に持ち帰り臨時役員会に諮ったが、民主党内の反対を受け連立を拒否した。[[11月4日]]、連立騒動の責任を取り代表辞任を表明したが、民主党内の慰留を受け、[[11月6日]]代表続投を表明。[[11月7日]]の両院議員懇談会で代表続投が承認された。{{main|大連立構想 (日本 2007)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、テロ特措法の後継の法律として衆議院に提出されていた[[テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案]]（新テロ特措法）に対する議決が行われ、民主党が多数を占める参議院では反対多数で否決されたが、[[2008年]][[1月11日]]に衆議院本会議で与党の3分の2以上の賛成多数で再び可決・成立した。この再可決の本会議で小沢は採決直前に退席し、党内の一部や他の政党の議員から批判された。対して小沢は「前からの約束で、選挙の約束は一番たがえてはいけないものだ」と強調。[[2008年大阪府知事選挙|大阪府知事選挙]]の応援があったこともあげ、新テロ対策特措法について、「国民にとっても民主党にとっても大事な法案ではない。反対の意思表示は既にしている。後は数あわせの本会議でしかない。結果は目に見えている。批判は理解できない。国民は理解してくれていると思う」と反論した&amp;lt;ref&amp;gt;こうした日本の状況に対して米国や英国では、採決に議員全員が出席しないことを前提としたシステムで議会が運営されており、議員は自分の仕事の優先順位によってはあらかじめ投票を行い採決には欠席するのが普通であるが、[[党議拘束]]のある日本では採決前から結果が決まっていることがほとんどである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月29日]]、衆議院で2008年度予算案が野党3党の欠席のなかで強行採決された。小沢はこれに対し「信頼関係が完全に崩壊した」と発言し、強行採決をしたことで[[日本銀行総裁]]人事に影響を及ぼすのは、避けられないとの態度を示す&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=12799 「信頼関係が完全に崩壊」小沢代表、与党の予算案強行採決を批判]」 民主党ホームページ、2008年3月1日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党も強行採決されたのを受け[[武藤敏郎]]副総裁の[[日本銀行]]総裁への昇格を拒否する方針を決め、参議院で日銀総裁人事を否決した。[[3月18日]]、政府与党は改めて[[田波耕治]]を総裁候補として提示したが、この人事案も参議院で不同意となり、結果として[[白川方明]]が総裁に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月22日]]、民主党代表選で小沢が無投票での3選を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月23日]]、前日まで衆院選対策のため福岡を訪れていたが、予定されていた[[インドの歴代首相|インド首相]][[マンモハン・シン]]との会談を、体調不良を理由に欠席、「会談の頭だけでも出た方がいいと代表にいってほしい」との[[鳩山由紀夫]]幹事長の説得も受け付けず、党役員会などの公務もキャンセルし、鳩山が代わって会談した。翌24日に公務へ復帰、衆院選対策のため青森へ出張した&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢代表、また体調不良&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081024/stt0810240001000-n1.htm 小沢代表、また体調不良 「首相務まるのか」との指摘も] 産経ニュース 2008年10月24日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[5月11日]]、西松建設疑惑関連で公設秘書が逮捕された件で、民主党代表を辞任した。自身の後継を決める代表選挙では、側近として共に[[トロイカ体制]]を支えた[[鳩山由紀夫]]を支持し勝利に導いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党代表代行 ===&lt;br /&gt;
[[5月17日]]、選挙担当の代表代行に就任。[[菅直人]]が代行が多くなったことから小沢に筆頭となるよう要請し、3名の代表代行の中では筆頭扱いとなった。代表代行への就任は実に5年ぶりとなる&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090517/stt0905172147016-n3.htm&lt;br /&gt;
|title=【鳩山新代表会見詳報】「5人が常に心を合わせていく」&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY200905170106.html&lt;br /&gt;
|title=民主幹事長に岡田氏、小沢前代表は代表代行に&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090517/stt0905172035015-n1.htm&lt;br /&gt;
|title=【鳩山新代表】小沢氏が筆頭代表代行 岡田氏は幹事長に&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第45回衆議院議員総選挙]]で政権交代を果たした後の[[9月3日]]、[[鳩山由紀夫]]民主党代表が小沢に幹事長就任を要請した。これに対し「代表から幹事長の就任を要請された。私は党人だから、お受けすると返事をしてまいりました」と述べ、要請を受け入れる意向を表明した。小沢の幹事長就任については、鳩山の掲げる「政策決定の内閣への一元化」に反して政府と与党の「権力の二重構造」となり、政策面で小沢の影響を排除できなくなるとの見方がでたが、これについて鳩山は「幹事長は党務だ。政策の決定は政府でやると確認した」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090903-OYT1T00998.htm&lt;br /&gt;
|title=小沢氏が民主幹事長、岡田氏は主要閣僚か&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0903/TKY200909030376.html&lt;br /&gt;
|title=小沢氏、民主幹事長に　菅・岡田氏の入閣確実な情勢&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090903NTE2INK0803092009.html&lt;br /&gt;
|title=民主幹事長に小沢氏　岡田氏、重要閣僚で処遇 &lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;rel=j7&amp;amp;k=2009090300991&lt;br /&gt;
|title=盤石政権へ「剛腕」起用＝「二重権力」再来懸念も&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党幹事長 ===&lt;br /&gt;
[[2009年]][[9月15日]]の民主党両院議員総会において、正式に幹事長に就任した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-15&lt;br /&gt;
|url=http://mainichi.jp/select/seiji/seikenkotai/news/20090916k0000m010104000c.html&lt;br /&gt;
|title=民主党：小沢幹事長就任を正式決定　両院議員総会&lt;br /&gt;
|accessdate=9月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な政治的主張 ==&lt;br /&gt;
最初の著作である「日本改造計画」では[[新自由主義]]を主張したが、民主党代表に就任すると[[リベラル]]色を強めた。一方、2004年に公表した現行憲法の下での国連派遣部隊構想、さらにそれを発展させ2007年10月に公表した国際安全保障政策では、現行憲法との論理的整合性を維持しながら日本の国際安全保障政策（[[国連中心主義]]）を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交、防衛政策 ===&lt;br /&gt;
; 基本姿勢&lt;br /&gt;
: 外交では、[[太平洋戦争]]に対する反省を踏まえて二つの「共生」を主張している。一つは人間と人間、国家と国家との「共生」、つまり日本及び世界の平和を確保すること、もう一つは人間と自然との「共生」、つまり日本が率先して地球環境の保全を進めることである。それ以上に重要なのは、安全保障については、日本の法律より国連決議が風船すると「世界」で述べたことである。その結果、小沢氏は多くの批判を受けることとなった（日本国民が民主主義で選択した日本の法律が、国連の常任安保理事国のせめぎ合いによる決定より劣る、という発言であったため）。&lt;br /&gt;
: また、世界の国々、特に[[アメリカ合衆国|米国]]とは相互の信頼に基づく対等な関係を積み上げ、[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]をはじめ[[アジア]]諸国と平和で自由で開かれた信頼関係の実現を主張した。具体的には、米国との真の[[日米同盟]]の確立、核廃絶、アジア外交の強化、貿易・投資の自由化、[[政府開発援助]]（[[政府開発援助|ODA]]）の抜本的見直し等。[[2009年]][[2月24日]]には「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ…あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う…米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090225/stt0902250151000-n1.htm 「駐留米軍は第7艦隊で十分」 民主・小沢代表] 産経ニュース 2009.2.25&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[A級戦犯]]、[[靖国神社]]&lt;br /&gt;
: [[東京裁判]]は不当な報復裁判であり、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない。しかし当時の国家指導者は敗戦責任があり、[[天皇]]陛下が参拝できるよう靖国神社から削除すべき。行く行かないは個人の自由だが、公約をし、政治信念で行くのならば[[8月15日]]に公式参拝を行うべき。ただし靖国神社は[[戊辰戦争]]の招魂社だという問題がある。小沢自身は[[賊軍]]とされる岩手の出身である。&lt;br /&gt;
: 1986年4月2日の国会答弁では「誰もが自然の気持ちで行くべきであると思う。私もそのような自分の気持ちが沸いてきた時今までも参拝してきたしするつもりである」、「国務大臣であろうがなかろうが今後も行きたい」、「A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない」、「たまたま敗戦によって戦勝国から戦犯とされた人もいる」などの発言があった。&lt;br /&gt;
: また、2008年2月21日の[[朝鮮日報]]からのインタビューでは、「靖国神社問題は日本側が大きな間違いをしている。民主党が政権を取ったら、戦争責任者を靖国神社から分祀し、韓国と中国に強力な信頼関係を築く」と述べた。&lt;br /&gt;
; 核武装&lt;br /&gt;
: 日本には数千発の核兵器を製造する能力がある（2002年）ものの、軍事的、政治的にも何のプラスにもならない。議論もしてはいけない（2006年）。党内には、核保有を認める意見や核武装を議論すべきとの意見があった。&lt;br /&gt;
; [[日本国憲法第9条|憲法9条]]&lt;br /&gt;
: 「[[専守防衛]]」に徹し、憲法前文の平和主義と憲法9条の第一項と第二項は保持。第9.5条として平和のための国際協力と国連待機軍の設置を付加。自衛隊は国防に専念させる。なお、自衛権は、個別的であれ集団的であれ、我が国が急迫不正の侵害を受けた場合に限って行使。急迫不正の定義は明確にしない。&lt;br /&gt;
; [[自衛隊]]の海外派遣&lt;br /&gt;
: 小沢は[[国際治安支援部隊]]に対しては容認しており、[[ダルフール紛争]]への部隊の参加、国連治安支援部隊（[[ISAF]]）への参加など国連中心主義を強調した。ただし、その際の武器の使用基準見直しについては明言していなかった。なお政府は、ISAF本体への護衛参加については、合憲であるとの見解をまとめている。&amp;lt;ref&amp;gt;「自衛隊のアフガン派遣、政府が『合憲』解釈」 『読売新聞』、2007年12月22日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[集団的自衛権]]と[[集団安全保障]]&lt;br /&gt;
: [[イラク戦争]]型 （集団的自衛権の行使）‐ 他国が自衛権を発動して開始した戦争に参戦する[[有志国軍]]（[[OEF]]）への参加は憲法違反だとし、[[テロ対策特別措置法]]の延長にも反対した。&lt;br /&gt;
: [[湾岸戦争]]型（集団安全保障に基づく武力行使） ‐ 国連が承認した[[国連軍]]、[[多国籍軍]]の参加には賛成。&lt;br /&gt;
; [[周辺事態法]]について&lt;br /&gt;
: 2006年10月に北朝鮮が[[核実験]]を行った後の[[朝鮮半島]]情勢は「[[周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態法]]」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら[[トロイカ体制]]の見解を発表した。しかし、これに対して前原誠司を始めとする党内から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表し、安全保障政策をめぐる民主党内の対立・不一致が表面化した。&lt;br /&gt;
; [[北朝鮮による日本人拉致|北朝鮮拉致]]について&lt;br /&gt;
: 「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と述べたと報道された。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n1.htm 【民主党解剖】第1部「政権のかたち」（1）「小沢首相」は大丈夫か] 産経ニュース 2009.3.2&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
; 領土問題&lt;br /&gt;
: 「われわれが与党になったら領土問題にケリをつける」「例えば、[[尖閣諸島]]は歴史的に見ても日本の固有の領土だ。それを明確にさせる。自公政権のように弥縫策で先送りすることはしない」と述べ、領土問題の速やかな解決を宣言している&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008062334_all.html 小沢代表直撃インタビュー]{{リンク切れ|date=2009年5月}}」 [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2008年6月23日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、2008年7月15日には、 記者会見で学習指導要領の竹島問題について問われ、「教科書云々の前に日韓の考え方の差を埋めるために、しっかり話し合いをすべきだ。話し合いを避けて教科書に載せる載せないの類は順序が違う。事実上韓国が実力支配しているわけですから、それを放置しておいて俺の領土だと言ってもどうしようもないでしょう」と日本政府を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&amp;amp;num=13674 2008年7月15日 記者会見]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[チベット]]と中華人民共和国&lt;br /&gt;
: [[2008年のチベット動乱]]の後、2008年4月17日の講演で、チベット問題について「中国の政権が抱える矛盾が民族問題を契機として持ち上がった。共産主義独裁の政権と政治の自由は、原理からいって成り立たない」と発言し、「共産党政権が時代の変化に応じて生き延びようとするなら、自分自身が変化しなければいけない」と中国を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.asahi.com/special/080315/TKY200804170263.html 小沢代表、チベット問題で中国批判 『独裁政権の矛盾』]」 [[朝日新聞|asahi.com]]、2008年4月17日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 防衛庁の省への昇格&lt;br /&gt;
: [[防衛省|防衛庁]]の「省」昇格に対し、自由党時代から防衛庁の省への昇格を主張していた小沢は「国防の任に当たる省庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」と述べた。ただし、民主党内に反対の声があったため衆院安全保障委員会での防衛「省」昇格関連法案の審議は欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 法務 ===&lt;br /&gt;
; 憲法改正（憲法96条）の為の国民投票法案&lt;br /&gt;
: 与党提出の法案に反対した。その後民主党案との修正協議を経て修正与党案が成立した。なお社民・共産は法案そのものに反対した。&lt;br /&gt;
{{main2|国民投票法案については[[日本国憲法の改正手続に関する法律]]を}}&lt;br /&gt;
; [[外国人参政権|永住外国人の地方参政権]]&lt;br /&gt;
: 旧植民地政策により日本に移住、戦後そのまま在住した永住外国人・その家族が日本国籍を獲得しにくい場合でも、その歴史的事情を勘案し、また地域の住民との連帯感を醸成するために地方参政権を与えるべきと主張している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ozawa-ichiro.jp/policy/05.htm 永住外国人の地方参政権について]&amp;lt;/ref&amp;gt;。外国人参政権の獲得を目的に[[在日本大韓民国民団]]から支援の言葉を貰い、小沢もそれに謝意を表明し「帰化した韓国系」の投票を期待しているとの発言をしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://s02.megalodon.jp/2008-1212-1234-59/www.asahi.com/politics/update/1211/TKY200812110336.html 民団、民主・公明支援へ 次期衆院選 選挙権付与めざす]2008年12月12日 朝日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 公務員改革&lt;br /&gt;
: 幹部職員の内閣一元管理。公務員に対しては、スト権の付与と守秘義務違反の軽減を行う。また、政官接触を自由化する。[[特殊法人]]、[[独立行政法人]]、[[特別会計]]は見直す方向。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 経済、財政政策 ===&lt;br /&gt;
[[小さな政府]]ではなく、「官で出来ることは官で、民で出来ることは民で」。過疎化した地方など無駄な[[公共事業]]を極力減らしていく方針。&lt;br /&gt;
; 税制&lt;br /&gt;
: [[年金]]の特定財源化を行い、すべての年金を一元化する。1人月額6万円を支給する基礎年金と従来の保険料方式を維持した所得比例年金の2階建て。[[消費税]]は5%に維持するが、その税収はすべて全額を福祉目的税化し、基礎年金に割り当てる。しかし、消費税5%分（約13兆円）だけでは年金の基礎部分を賄えないため、必要な財源は既存予算から捻出するように努力する。13兆円では、国民の半数にしか年金が支給できないとの批判があったが、「給付する人を低所得者に限るため、13兆円で足りる」と反論した。&lt;br /&gt;
: [[道路特定財源]]の一般財源化を行い、[[揮発油税]]（ガソリン税）の暫定税率を廃止する。2008年[[3月28日]]にはこれに関して「暫定税率を延長する必要はなく、国民生活のために還元をしたほうが良い」と主張した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=12977 『暫定税率を延長する必要はない。むしろ国民に還元すべき』小沢代表]」 民主党ホームページ、2008年3月28日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。廃止に伴う地方財政への影響に関しては、道路特定財源の内で地方へ行くと予定されているのは9000億円であるが、そのうち市町村分の3000億円には手当てが必要であるとの見解を示し、その手当てを[[一般会計]]・[[特別会計]]の余剰金の利用や無駄の削減で市町村分へ配分することは可能だとした&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=13128 首相の一般財源化では理解得られない 国民に信を問うべき 小沢代表]」 民主党ホームページ、2008年4月20日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[地方分権]]&lt;br /&gt;
: [[中央集権]]体制から地方主権体制への移行。中央政府の権限は外交・治安などに限定し、その他の権限を地方に移譲する。また、個別[[補助金]]は官僚支配を生み[[利権]]の温床となるため廃止し、自主財源として一括交付する。財源・権限を地方に移譲することで地域経済の活性化につながる。地方分権を推進するため、市町村の300程度への集約を行う。&lt;br /&gt;
; 格差是正&lt;br /&gt;
: 社会的格差を是正する。子育て支援をし、親と同居している世帯に対して「親手当」、子供がいる世帯に対して「子ども手当」を交付する。[[管理職]]は自由競争だが、非管理職は[[終身雇用]]にする。[[労働法]]は長期安定雇用を基本とするべき。挫折した経営者・労働者の再起、再就職の支援制度を拡充する。&lt;br /&gt;
; [[移民]]政策&lt;br /&gt;
: 自民党と財界一部に「移民受け入れ」を検討する動きがある事を受け、「まったくダメだ。現在でも『奴隷労働』と言われる非正規労働者の問題が深刻なのに。発展途上国から単純労働者を受け入れることは、一種の奴隷制度ではないか。治安問題を心配する声もあるが、それ以前に、そういう形での移民受け入れは人間の尊厳に対する冒涜であり、人道的にとても認められない。」と述べ、与党の移民政策を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008062334_all.html 小沢代表直撃インタビュー]{{リンク切れ|date=2009年5月}}」 [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2008年6月23日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育政策 ===&lt;br /&gt;
与党案とは異なる民主党独自の「教育基本法」の制定。教育予算は先進国中低位の現状を是正し引き上げる。5歳から高校まで義務教育を広げる。すべての国民に[[高等教育]]の機会を与えるため、[[奨学金]]制度を拡充する。教師などの教育職員は[[国家公務員]]として身分を安定させ、[[労働争議|争議]]権を認めない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 農業政策 ===&lt;br /&gt;
わが国の安全保障を確保するためには現在39%&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/fbs/dat-fy18/sankou2.pdf PFC供給熱量比率、食料自給率及び飼料需給表]」 [[農林水産省]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;に低下している食料自給率を他の先進国並みに高める。農家、農村の活力を再生するために、穀物などの主要農産物について[[戸別所得補償制度]]を導入する。[[トレーサビリティ (流通)|トレーサビリティ制度]]の拡充と加工食品の原材料も含めた原産地表示の義務づけを行い、食の安全を確保する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 他党、支持母体との関係 ===&lt;br /&gt;
; 選挙協力&lt;br /&gt;
: 思想的には保守であるが、自公政権打倒のためには'''共産党を含めた全野党による選挙協力'''も辞さないことを表明した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2006/ar20060412155540.html 参院選候補選定『直接やる。カギは1人区』]」 『産経新聞』、2007年4月11日付朝刊。&amp;lt;/ref&amp;gt;。社会党の[[社公民路線]]以来、「非自民・非共産」として、共産外しが常態となっていた野党第一党の代表としては異例の見解であった。そのため、自公からはもちろん、党内の[[反共主義]]者からの批判が見られた。共産党は現時点では「市場主義重視」の民主党の「[[第三の道]]」路線に対して自公共々批判的であるため、実現しなかった。&lt;br /&gt;
; 大連立&lt;br /&gt;
: 2007年末に取り沙汰された大連立騒動（[[大連立構想 (日本 2007)]]）では、民主党が政権を取る為には、自民党と連立し、連立政権の中で民主党のマニフェストを実現して、実績と政権担当能力を示す必要があると主張した。大連立構想が立ち消えになった後は自民党との対決姿勢を強め、選挙による政権交代を目指している。&lt;br /&gt;
; [[労働組合]]との関係&lt;br /&gt;
: 未組織労働者や市民層からの支持を増やすことで協調的に労組との関係を維持した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 小沢グループ ==&lt;br /&gt;
小沢一郎を支持する民主党のグループ。もともとは旧自由党出身の議員のみであった。合併当初は「党中党」は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、2004年6月に当時当選1回～2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会「一新会」が発足。これ以降徐々に会合等を開くようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一新会に加え、2005年秋に発足した落選者や候補者を対象とした「一新会倶楽部」に加え、2001年から続く「小沢一郎政治塾」の存在もあって選挙ごとに勢力を拡大。[[2007年]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]で当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。小沢を中心に旧自由党出身の議員の結束は固いが、[[渡辺秀央]]、[[大江康弘]]のように小沢と選挙等をめぐって対立し離党した議員もいる。一方、一新会のメンバーの場合他のグループに参加しているメンバーも多く結束は自由党出身議員と比べ幾分緩い傾向がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政策的にはかつては右派的、新自由主義的なものが多かったが小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れつつある。小沢同様、政策よりも選挙や政局を重視する傾向があり、政策重視を掲げる「凌雲会」や「花斉会」とは対立することが多い&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; [[一新会]] - 約20名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[三井辨雄]]、[[仲野博子]]、[[松木謙公]]、[[石川知裕]]、[[横山北斗]]、[[田名部匡代]]、[[階猛]]、[[石関貴史]]、[[武正公一]]、[[神風英男]]、[[小宮山泰子]]、[[高山智司]]、[[内山晃]]、[[菊田真紀子]]、[[村井宗明]]、[[篠原孝]]、[[牧義夫]]、[[鈴木克昌]]、[[吉良州司]]&lt;br /&gt;
; 旧[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]グループ - 約10名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[藤井裕久]]、[[中井洽]]、[[山岡賢次]]、[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]]、[[黄川田徹]]&lt;br /&gt;
:* 参議院議員 - [[西岡武夫]]、[[一川保夫]]、[[工藤堅太郎]]、[[佐藤公治]]、[[平野達男]]、[[森ゆうこ]]、[[室井邦彦]]、[[広野允士]]&lt;br /&gt;
; その他 - 約10名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[奥村展三]]、[[青木愛]]、[[太田和美 (政治家)|太田和美]]&lt;br /&gt;
:* 参議院議員 - [[川上義博]]、[[主濱了]]、[[喜納昌吉]]、[[藤原良信]]、[[大久保潔重]]、[[平山幸司]]、[[米長晴信]]、[[谷岡郁子]]、[[藤原良信]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 小沢ガールズは特に定義のないまま第45回衆院選で注目区を制した女性新議員の総称で使われており、また40名と断定するのは不明確だと思われるためコメントアウト &lt;br /&gt;
; [[小沢ガールズ]] - 40名&lt;br /&gt;
: 2009年8月30日[[衆議院]]議員総選挙にに当選した民主党女性[[代議士]]&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 不祥事 ==&lt;br /&gt;
=== 事務所費問題 ===&lt;br /&gt;
[[2007年]][[1月]]、自身の資金管理団体「陸山会」が2005年分の[[政治資金収支報告書]]に4億円を超える不透明な[[事務所費]]を計上していることが発覚した。鳩山幹事長は『（小沢から）「東京都世田谷区内に約3億6500万円相当の土地と建物を購入し、費用を事務所費として計上した」と聞いており「全く問題ない」』と反論した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、自身の資金管理団体が10億円を超す不動産を保有し（小沢個人名義で保有）、またその一部を賃貸運用していることなどが発覚し、物議を醸した。それに対し小沢は1月の衆院代表質問で、これらの「支出の詳細、領収書、関係書類を含め公表する用意がある」とし、同じく事務所費問題を抱える自民党に対し、大臣など責任ある立場の議員に公表を迫った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月20日]]、国会内での記者会見で、東京・世田谷区に約3億7000万円の秘書宿舎を建設し、加えて不動産取引の仲介手数料や[[登記]]費用として1100万円を計上したという、2003年〜2005年の事務所費などを公開した。一方、10億円は国民の常識からかけ離れているとの批判もあるが、それだけ支援者からの寄付金が多かったということであり、また不動産を所有しても政治資金団体の財産なので問題はないと主張した。同時に、資金管理団体の小沢名義の資産を個人資産にしないという確認書を公開した。なお、陸山会の代表は小沢自身であり、この確認書は「陸山会代表である小沢一郎」と「個人である小沢一郎」の間で交わされたものになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後2007年[[10月9日]]、[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]で与野党逆転した後、初の本格的論戦で注目されていた衆議院予算委員会総括質疑の初日、「陸山会」が政治資金で購入したマンションの部屋をコンサルタント会社と財団法人に事務所として貸し、2002年から2006年の間に賃料計980万円を得ていたことが報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9日に民主党幹事長の[[鳩山由紀夫]]は「法に触れるようなことは何もしていない」とコメントし、「このタイミングで問題化させるのは政治的意図があるからではないのか」とも切り返した。また小沢代表も翌10日の記者会見で「1円単位で領収書を公開した2月時点で（メディアから）追及は全く無かった。それが半年以上も経過した今回一面トップで報じることは、政治的思惑でもって意図的に[[誹謗中傷]]した報道であると認識している」とし、これを一面で報じた毎日新聞をはじめ報道を批判するなど強く不快感を示した。なおこれらの違法性を強く否定しつつも今後不動産の売却を進めていく考えを表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この件を報じた週刊現代を名誉毀損で小沢は出版社を提訴。しかし、一審二審ともに小沢側の全面敗訴の判決が出され、上告をしなかったため、小沢の全面敗訴が確定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月13日参議院決算委員会で自民党西田議員が本件について詳細に発表したとき、民主党議員からの野次により委員会が一時中断した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=jKWnCWyRpuc 小沢一郎のマンション疑惑 2009年4月13日参議院決算委員会]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政策秘書公職選挙法違反容疑 ===&lt;br /&gt;
[[第21回参議院議員通常選挙]]で当選した同党の[[青木愛]]の選挙運動員が事務所の指示を受け、参院選公示前日の7月11日、業者に依頼して選挙ポスター付きの看板設置に関する契約を1本当たり500円で千数百万円分の契約を結んだ疑いで逮捕された。印刷会社社長が警察からの事情聴取で、小沢の政策秘書に報告しその内容を掴んでいたのではないかとも取れる供述を行なった。これに対し、小沢自身は8月31日の記者会見で「選挙違反に当たるような行為は一切していないという（秘書からの）報告で、私もそう思っている」と捜査や報道を批判し強く不快感を示した。9月14日、千葉地検は逮捕した印刷会社社長らを「選挙違反にはあたるが、違法性の程度が比較的軽かった」と判断して起訴猶予処分とし、小沢の政策秘書も立件せず捜査を終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政治資金規正法違反疑惑 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float:right&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| id=&amp;quot;toc sub&amp;quot; class=&amp;quot;toc&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;div style=&amp;quot;text-align: center&amp;quot;&amp;gt;'''目次'''&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ul&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#概略|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;1&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;概略&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#経過|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;2&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;経過&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#献金の背景とルート|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;3&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;献金の背景とルート&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#ダミー団体との認識|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;4&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;ダミー団体との認識&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#小沢に対する弁護と批判|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;5&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;小沢に対する弁護と批判&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#報道における問題|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;6&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;報道における問題&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#検察の捜査姿勢に対する賛否|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;7&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;検察の捜査姿勢に対する賛否&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ul&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{see also|西松建設#政治資金規正法違反}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 概略 ====&lt;br /&gt;
準大手[[ゼネコン]]の[[西松建設]]が、OBらを代表とした政治団体を通じて、小沢や[[森喜朗]]・[[二階俊博]]など、与野党の国会議員の資金管理団体へ多額の政治献金を継続していたことが{{和暦|2008}}12月末に表面化した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-12-21/2008122115_01_0.html 裏金疑惑の西松建設 関連政治団体政界に4億2000万円 森・二階・小沢氏ら] しんぶん赤旗 2008年12月21日（2009年3月12日閲覧）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081231-OYT1T00021.htm 西松建設が違法献金か、政治団体隠れみのに4億8千万円 読売新聞 2008年12月31日]{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。これに関連して{{和暦|2009}}[[3月3日]]に陸山会（小沢の資金管理団体）の会計責任者兼公設第一秘書が[[政治資金規正法]]違反の容疑で逮捕された&amp;lt;ref name=sankei090304&amp;gt;『産経新聞』は[[政治資金規正法#トンネル献金|トンネル献金]]の疑いがあることを報じている（「小沢氏秘書ら逮捕 規正法違反容疑で3人 西松トンネル献金」産経新聞 2009年3月4日朝刊1面[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903041340016-n1.htm]）。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/national/update/0303/TKY200903030171.html 民主・小沢代表の秘書逮捕、規正法違反の疑い東京地検 朝日新聞 2009年3月3日]{{リンク切れ|date=2009年4月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 経過 ====&lt;br /&gt;
[[2008年]]12月下旬、[[西松建設]]がOBらを代表とした政治団体（「新政治問題研究会」・「未来産業研究会」&amp;lt;ref&amp;gt;いずれも{{和暦|2006}}末に解散。&amp;lt;/ref&amp;gt;）を通じて、小沢や[[森喜朗]]・[[二階俊博]]など、与野党の国会議員の資金管理団体へ多額の政治献金を継続していたことが表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]3月3日、陸山会（小沢の資金管理団体）の会計責任者兼公設第一秘書が[[政治資金規正法]]違反の容疑で逮捕され、東京にある小沢の資金管理団体「陸山会」事務所には家宅捜索が行われた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-03|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090303/crm0903031826030-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】警察官も出動 赤坂の「陸山会」捜索|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月4日、東京地検特捜部は小沢の地元事務所を家宅捜索&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-04|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903041305014-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】小沢氏の地元事務所を捜索 東京地検特捜部|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月4日、小沢は「献金が違法ということが明らかになったときに返却するつもりだ」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903050043001-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】「献金の早期返却望ましい」鳩山氏|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;（政治資金規正法の第二十二条の六の第四項において他人名義による寄附は国庫に帰属するものと定められているため、違法の場合は受取った献金を国庫に納めなければならない&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO194.html#1000000000000000000000000000000000000000000000002200600000000000000000000000000|title=政治資金規正法 第二十二条の六|publisher=総務省法令データ提供システム|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月5日、自民党では二階派及び森が西松建設からの献金の返還を表明&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903051736007-n1.htm|title=自民で次々に「西松献金返還」 でも、団体解散で方法は…|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903052009011-n1.htm|title=森元首相も300万円返還 西松献金|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。大阪府吹田市の阪口善雄市長も「違法性のある献金ならば何らかの形で返したい」と西松建設が購入した70万円分のパーティー券について述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090305/crm0903050145004-n1.htm|title= 【西松献金】吹田市長後援会が100万円分パーティー券購入|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方、衆議院議員時代に西松建設に20万円のパーティー券を購入してもらった長野県知事[[村井仁]]は西松建設からの献金の返却について考慮しないと答えている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090305/lcl0903051853004-n1.htm|title=長野県知事、西松献金返還の考えなし|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月10日、民主党の[[西岡武夫]]参院議院運営委員長が「党執行部と相談した上で検事総長の証人喚問を考えたい」とコメント&amp;lt;ref name=asahi_090313&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-13|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903130121.html|title=検事総長喚問、森法相が反対姿勢 「検察の独立脅かす」|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月12日、東京地検特捜部は小沢の元秘書・[[石川知裕]]衆院議員を参考人聴取した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-12|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903120256.html|title=小沢氏の元秘書・石川知裕衆院議員を参考人聴取 特捜部|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月13日、西松建設の捜査について民主党内から検事総長の証人喚問を求められていることに対して[[森英介|森法相]]は「検察官を証人として国会に出頭させることは、検察官の独立性と公正性の保持の観点から悪影響を及ぼす」として反対を表明した&amp;lt;ref name=asahi_090313 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Nishimatsu Ozawa.PNG|thumb|right|200px|西松建設から小沢側へ行われたとする[[トンネル献金]]（検察による起訴内容）&amp;lt;ref name=sankei090304/&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
2009年3月24日、東京地検は政治資金規正法違反として小沢の公設第一秘書と西松建設前社長を起訴&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm|title=小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。起訴状によると、公設第一秘書は2003年から2006年にかけて西松建設からの献金と知りながらダミーの政治団体「新政治問題研究会」「未来産業研究会」の名義で小沢の資金管理団体である陸山会には2,100万円&amp;lt;!--新しい出典に基づき金額修正--&amp;gt;、小沢が代表を務める民主党岩手県第四区総支部には1,400万円の寄付を受取り、その上で政治資金収支報告書に虚偽の記載を行ったとされた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009032502000073.html 小沢代表続投表明 虚偽記載で秘書起訴「東京新聞」2009年3月25日]{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=https://www.nnn.co.jp/knews/090324/20090324146.html|title=大久保被告の起訴状要旨|publisher=日本海新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月27日、民主党代議士会は小沢の代表続投を了承した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-27|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090327/stt0903271901012-n1.htm|title= 【民主代議士会詳報】（3）完 鳩山氏「政権交代を一番願っているのは小沢代表」（27日午後）|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月28日、党本部で記者会見を行い、企業・団体献金の即時全面禁止を表明した。企業・団体献金の取り扱いについて「ディスクロージャー（情報開示）が大事だが、解釈の違いが起きたりすると、政治に間違った影響を与える。即時に全面禁止すべきだ」と述べた。民主党として「即時全面禁止」を盛り込んだ政治資金規正法改正案の提出を検討するとともに、次期衆院選の政権公約（マニフェスト）に盛り込む見通し。一方、法案化については、即座禁止ではなく「5年以内の禁止」を盛り込んだ政治資金規正法改正案の提出を目指している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-04-28|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090428/stt0904281811002-n1.htm|title=もう企業・団体献金はいらない!? 小沢氏が「即時全面禁止」を表明|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党のマニフェストは、菅直人代表代行と岡田克也副代表がそれぞれ党代表を務めていた2002年と2004年の衆院選のマニフェスト（政権公約）では「公共事業受注企業からの政治献金全面禁止」が明記されていたが、小沢が代表に就任した際「個人献金より企業献金の方が癒着が少なく、望ましい」と持論を述べ、2007年の参院選のマニフェストからは削除された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090316/stt0903162150004-n1.htm 企業献金見直し、民主は不一致、与党は様子見 2009.3.16 21:43]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 献金の背景とルート ====&lt;br /&gt;
[[ファイル:Money flow to Ozawa.png|thumb|right|400px|検察側が主張する下請け業者ルート（『産経新聞』による解説）&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090313&amp;quot;/&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1993年の鹿島建設東北支店の談合の仕切り役交代を契機に、公共事業の受注調整に際して小沢側の意向が大きな影響力をもつようになったとされる。一方、西松建設は東北地方を不得手としていたことから、受注の便宜を目的として1995年頃に小沢側と毎年2500万程度の献金を行う約束を行った。その後、東北地方での西松建設の受注高は増加したが、西松内部でも小沢側への献金の効果とする見方&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm|title=小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件|publisher=産経ニュース|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と談合の結果とする見方&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-07|url=http://mainichi.jp/select/jiken/nishimatuuragane/archive/news/2009/03/20090307org00m040042000c.html|title=西松建設裏金：東北の大型工事狙い…小沢氏の影響力期待|publisher=毎日JP|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に分かれているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-22|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903210253.html&lt;br /&gt;
|title=談合事件後の新仕切り役「小沢氏側寄り」 影響力拡大か|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;一方、小沢は献金と工事受注の結果とは関係がないとの認識を表明している&amp;lt;ref name=asahi_090322&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-10|url=http://www.asahi.com/special/plus/TKY200903100290.html|title=「ご迷惑、ご心配、この機会におわび」小沢代表定例会見|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西松建設側の供述によれば、公設秘書は西松建設に対して小沢の地盤である岩手県奥州市で建設中の[[胆沢ダム]]について「胆沢ダムは小沢ダム｣と発言し、献金を要請していたという&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月29日 毎日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
献金は1999年ごろまでは西松建設名義で行われていたが、2003年以降は以下の2ルートで献金が行われている。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903050174.html|title=小沢氏秘書、下請け迂回献金も認識 西松側に入金催促|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* 西松建設→政治団体（『新政治問題研究会』・『未来産業研究会』）→陸山会・民主党岩手県第4区総支部等（毎年1500万円）&lt;br /&gt;
:* 西松建設→下請け業者（松和会）→民主党岩手県第4区総支部（毎年1000万円）&lt;br /&gt;
この内、起訴されたのは政治団体経由の献金であり、下請け業者ルートの献金については起訴されていない。なお、談合決別宣言等の影響により2006年の500万を最後に政治団体経由の献金も打ち切られ、政治団体も既に解散している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090324-OYT1T00034.htm|title=大久保容疑者「どうにか続けて」、西松の献金中止申し出に|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
また西松建設に限らず複数のゼネコンからの下請け業者ルートも報告された&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090313&amp;quot;&amp;gt;「ゼネコンから年2億円」『産経新聞』2009年3月13日朝刊、一面({{Cite web|date=2009-03-13|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090313/crm0903130203002-n1.htm|title=ゼネコンから年2億円 小沢氏側 下請けダミーに？|publisher=産経新聞|accessdate=2009-05-28}})&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、西松建設がおこなった内部調査によれば、政治家への献金目的について「発注を得たいというより、受注活動を妨害しないでほしかった」と供述する社員がいたとしている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-05-15|url=http://s04.megalodon.jp/2009-0616-2217-59/www.asahi.com/special/09002/TKY200905150303.html|title=「受注のため違法献金」 西松建設、内部調査結果を公表|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-06-16}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『毎日新聞』 2009年5月16日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ダミー団体との認識 ====&lt;br /&gt;
小沢は秘書逮捕を受けた2009年3月4日の会見で「政治団体の原資がどういう形でどういうところから入ってくるのか、それは知るすべもありません」としていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041118010-n1.htm 【小沢代表会見詳報（4）】「どっかから持ってきたカネだとか、詮索しない」 MSN産経ニュース 2009年3月4日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。この小沢会見の直後、捜査関係者及び西松関係者を情報源として、小沢側が献金に際し直接西松建設と献金額の調整を行い、同社宛てに請求書を送付していたとの報道がなされた。また、検察はこの請求書や西松側の供述を証拠に小沢秘書が西松建設のダミー団体であることを十分認識していたと判断しているとされた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-08|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090308-OYT1T00084.htm|title=西松献金…小沢氏秘書が直接メモやり取り、額決定|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-23|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903220169.html|title=小沢氏秘書を24日起訴 違法献金認識と判断 東京地検|publisher=ASAHI.COM|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-08|url=http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009030801000497.html|title=小沢代表側が西松建設に請求書 ダミー団体献金で、違法性認識か|publisher=共同通信|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。西松建設への請求書報道に対し、小沢は3月22日の会見で、秘書に任せていたため小沢自身は当該政治団体からの献金の存在も知らず、請求書の送付についても「わからない」とした&amp;lt;ref name=asahi_090322/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年[[6月19日]]、検察は国沢前社長の初公判において「新政治問題研究会・未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていた」、「西松建設側からの支援は会社として行われてきたもので、窓口となっていた幹部の一存ではなく、西松の社長やしかるべく役職の人が決裁し、会社の経営判断で行われてきたと認識していた」とする小沢秘書の供述調書を明らかにした&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n3.htm|title=【西松事件公判（5）】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」（11：05~11：15）|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090620ddm012040059000c.html|title=西松建設献金事件：検察側冒頭陳述（要旨）|publisher=毎日JP|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090619-OYT1T00830.htm|title=談合が成立し4件を受注…西松事件・検察の冒頭陳述要旨3|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-07-01}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 小沢に対する弁護と批判 ====&lt;br /&gt;
小沢は[[事件]]について自ら説明をおこなった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304a&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041028006-n1.htm 【小沢代表会見詳報（1）】「（捜査は）不公正な国家権力、検察権力の行使」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041029007-n1.htm 【小沢代表会見詳報（2）】「規正法にのっとってオープンになっている問題」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041110009-n1.htm 【小沢代表会見詳報（3）】「何らやましいことはない」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041148013-n1.htm 【小沢代表会見詳報（5）完】「必ず近いうちに嫌疑は晴れる」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;が、この中で小沢が[[捜査]]について「不公正な[[国家権力]]、[[検察]][[権力]]の行使」と述べていることについては[[民主党]]の内外から批判の声が出ている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090305-OYT1T00929.htm 「検察批判「すべきでない」と前原氏、菅氏は小沢代表に理解」]読売オンライン [[2009年]][[3月5日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903042154023-n1.htm 反発と警戒…自民交錯 小沢氏の「検察批判」発言] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月5日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。また[[報道機関]]による[[世論調査]]では、国民が納得していないとの結果が得られたとしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090309/stt0903091139003-n1.htm 【産経FNN合同世論調査】小沢氏「辞任すべき」47・4% MSN産経ニュース] [[2009年]][[3月9日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090309/stt0903092047010-n1.htm 【産経・FNN合同世論調査】逆風で小沢氏凋落「説明責任果たさず」約8割] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月9日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090326/stt0903261641005-n1.htm 小沢代表「辞任を」66% 79%が「説明納得できず」共同通信調査] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月26日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090330/plc0903301140002-n1.htm 【産経FNN世論調査】「小沢代表辞任を」62% 内閣支持率は上昇] MSN産経ニュース 2009年3月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。3月27日にも民主党の参院議員総会と代議士会で説明しているが、代議士会において[[小宮山洋子]]議員からは「法廷闘争と選挙戦略は全く別だ。地元では『新しい体制を作ってほしい』という声が多い」 と小沢の代表続投に異議を唱えられ、[[近藤洋介 (政治家)|近藤洋介]]議員からは「世論調査では説明に納得していない国民が8割いる。なぜ数千万円の献金をもらい続けたのか」と説明を求められ、一方[[小沢鋭仁]]、[[小宮山泰子]]両議員には代表の続投を支持され、全体として代表続投が決まった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090327-OYT1T01028.htm 小沢代表が党所属国会議員に説明、続投了承される] 読売新聞 [[2009年]][[3月27日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[達増拓也]][[岩手県知事]]は小沢の[[公設秘書|公設第一秘書]]が逮捕された翌日、その[[政治資金規正法]][[違反]]事件について「これほど疑念を持たれている捜査はないんじゃないか。現段階では、よほどのことがないまま政治活動の自由が大きく制限されている」と[[東京地検特捜部]]の捜査を批判し、小沢の[[記者会見]]における[[政治献金|献金]]の違法性の否定については「非常に分かりやすく、得心できた」と大きな意味があったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;のちに達増拓也知事自身も西松建設との関連を指摘されている。[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090306/crm0903061324012-n1.htm 岩手県知事「報道で初めて知った」 西松建設規正法違反事件] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月6日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903042229029-n1.htm 【小沢氏秘書逮捕】「政治活動の自由制限」 岩手知事も批判] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の[[機関誌]]「プレス民主」[[2009年|09年]][[4月17日]]号で、[[ジャーナリスト]][[高野孟]]と[[田中康夫]][[新党日本#歴代代表|新党日本代表]]がこの捜査や小沢一郎代表交代論を批判した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.smn.co.jp/pod/090420.pdf 代表続投論]「プレス民主」[[2009年|09年]][[4月17日]]号&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の[[枝野幸男]]元[[政調会長]]は小沢の[[民主党代表|代表]]続投の判断について「今後も説明の努力をされ、（世論調査結果に表れる）納得できないとか辞めるべきだというのを大幅に下げる政治責任がある」とコメントし、小沢が多額の企業献金を得ていることについては「政治体質が私と百八十度違う。我が党の党首にはふさわしくないと一貫して思っている」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903280212.html 小沢氏の進退、世論の受け止め次第と強調 民主・枝野氏] 朝日新聞 [[2009年]][[3月28日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党員である[[小宮山洋子]]議員は公然と小沢の代表辞任を要求していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090325/stt0903251253007-n1.htm 民主、小宮山洋子衆院議員、小沢代表の辞任を要求] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月25日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、民主党の[[菅直人]]代表代行も小沢代表の辞任を求めたと伝えられたが後に釈明している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090403k0000m010071000c.html 民主・菅氏：小沢氏へ辞任求めた発言で釈明] 毎日新聞 [[2009年]][[4月2日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
盟友とされる[[国民新党]]の[[亀井静香]]代表代行は小沢の代表辞任を求めた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090417/stt0904172041005-n1.htm 亀井氏「身を捨てろ」小沢氏に辞任促す MSN産経ニュース 2009年4月17日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[日本共産党|共産党]]の[[志位和夫]][[日本共産党委員長|委員長]]は小沢には「長年多額の企業献金を受けてきたことの総括」と「国民が納得できる説明」が必要とした&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090319/stt0903191632003-n1.htm 企業献金廃止「まず小沢氏から」 共産・志位委員長] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月19日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は、この問題における党内の動揺を受け、[[5月11日]]に民主党代表を辞任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 報道における問題 ====&lt;br /&gt;
公設第一秘書の起訴直後、各報道機関によって『秘書が起訴内容を大筋認める』との報道がなされたが、秘書の弁護人は『大筋を認めたとする報道と弁護人らの認識は全く異なっている』とするコメントを発表した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903270484.html 小沢氏秘書の弁護人、報道機関へのコメント公表 - asahi.com 2009年3月27日23時39分] 2009年6月22日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;その後、西松の国沢前社長の公判で『私は新政治問題研究会、未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていました』と秘書が供述したことが判明した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n3.htm|title=【西松事件公判（5）】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」（11：05～11：15）|publisher=産経ニュース|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、報道が[[検察]]や与党の意を汲んだマスメディアによる[[情報操作]]であるとの指摘もある&amp;lt;ref name=&amp;quot;sapio20090422&amp;quot;&amp;gt;『[[SAPIO]]』2009年[[4月22日]]号 p.6-11&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、『[[東京新聞]]』が西松から献金を受け取った与党政治家の件について記事にしたところ、東京検察（[[東京地方検察庁]]？）はそれが望ましくない内容であるという理由で、3週間『東京新聞』の取材拒否をしたという&amp;lt;ref&amp;gt;『[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]』2009年[[5月28日]]号 [[:en:MARTIN FACKLER]][http://www.nytimes.com/2009/05/29/world/asia/29japan.html In Reporting a Scandal, the Media Are Accused of Just Listening] なお、東京地検は、同紙が記者クラブに加盟していないことを理由に取材を拒否している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 検察の捜査姿勢に対する賛否 ====&lt;br /&gt;
{{see also|国策捜査}}&lt;br /&gt;
小沢側は事件に対する検察の捜査が[[国策捜査]]に当たると非難した&amp;lt;ref name=FNN_report&amp;gt;[http://s03.megalodon.jp/2009-0422-2011-01/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090331-00000106-san-pol 【本社・FNN合同世論調査】検察捜査 「不公平」46%、「公平」は40% MSN産経ニュース 2009年3月31日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党の[[原口一博]]衆議院議員はこれを否定する一方で捜査当局でしか知り得ない情報がメディアから流布されることを問題とし、国家公務員による秘密漏えいの疑いを指摘している&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月25日衆議院総務委員会&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[上杉隆]]によれば、[[週刊朝日]]をはじめとした一部のマスコミが、小沢よりも検察側に疑義があるとキャンペーンを張ったことで、小沢への批判は弱まったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;ダイアモンドオンライン「週間 上杉隆」2009年09月17日[http://diamond.jp/series/uesugi/10094/?page=3 非記者クラブメディアを排除した鳩山首相初会見への落胆]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公設第一秘書らの起訴の際、東京地検の次席検事は記者会見において「国会議員の政治団体が、特定の建設業者から長年にわたり多額の金銭提供を受けてきた事実を、国民の目から覆い隠したもの。規正法の趣旨に照らして見過ごせない重大で悪質な事案と判断した」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm 小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件 MSN産経ニュース 2009年3月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;と説明し、記者から「なぜ悪質といえるのか」「被告の認識は」との質問がなされていたが、特捜部長は刑事訴訟法第47条において公判前の書類開示は禁止されていることから&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO131.html#1001000000006000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000|title=刑事訴訟法 第四十七条|publisher=総務省法令データ提供システム|accessdate=2009-05-11}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、公判において明らかにすると回答した。また、収支報告書上に記載された献金についての立件については「寄付者の名義を変えてしまうことをどう評価するか。みなさんにご判断いただきたい」と答えている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20090325ddn003040028000c.html クローズアップ2009：小沢氏秘書起訴 異例の立件に波紋 毎日新聞 2009年3月25日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、小沢と同様に西松建設から献金を受け取った議員のうち、二階を除く自民党議員（森、尾身など）に対し検察側が捜査の動きを見せていないことについて、[[角福戦争]]以降、歴史的に旧田中派と敵対して来た[[清和政策研究会]]の意向が検察の捜査に反映されているとの指摘がある&amp;lt;ref name=&amp;quot;sapio20090422&amp;quot;/&amp;gt;一方、「政治家側がダミー団体と認識していた明確な証拠がないだけ」とする報道もある&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-05-12|url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090512k0000m040124000c.html|title=小沢代表辞任：検察幹部「証拠は十分」、公判に自信|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『産経新聞』が[[フジニュースネットワーク|FNN]]と合同でおこなった世論調査では、半数近くが「検察側の捜査は政治的に不公平」と回答し、「公平」とする回答を上回った（次期衆院選が近づく時期に国政に影響する捜査が不適切かという件については、「思わない」が「思う」を上回った）&amp;lt;ref name=FNN_report/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 労働保険未加入問題 ===&lt;br /&gt;
{{現在進行|section=1}}&lt;br /&gt;
2009年3月3日、小沢の事務所が雇用しているアルバイトや私設秘書について、労働保険に未加入だったことが分かった。同事務所は「少なくとも3、4年は未加入になっており、かなりの人数分の未納保険料を納付することになる」と説明、今後、過去の雇用状況を調べた上で労働局に届け出る予定としているが、労働保険未加入発覚時のペナルティは、発覚時の前年度と前々年度分の保険料と、10%の追徴金のみであり、未加入分の多くは問責されないこととなる。 同事務所では、小沢の初当選以来、「正規の秘書」以外は届け出ていない可能性もあり、対象者は数百人規模になるという&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/090305/wlf0903050058000-n2.htm 小沢事務所 労働保険未加入も 社民・福島党首も数年間]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== 人物評 ===&lt;br /&gt;
{{独自研究|section=1}}&lt;br /&gt;
かつては「豪腕」、「壊し屋」、と称され、「政治とは権力闘争である」という政治観の持ち主であった。[[金丸信]]は小沢、[[羽田孜]]、[[梶山静六]]の3人を「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と評した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党内外では小沢[[アレルギー]]の存在が指摘され、これは若手議員よりも自民党当時を知る議員により強いとされた。「独断専行、側近政治、顔が見えない」との批判や、自民党分裂とその後の分裂工作、新進党分裂・解党等がその原因とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
周囲からは東北人気質も相まって朴訥な人物と評された。そのことから説明する努力に欠け、側近が離れる一因となっているとも指摘された。本人曰く「去るもの追わず。来るもの拒まず」。また、強面のイメージであるが私生活では[[恐妻家]]として知られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 健康管理 ===&lt;br /&gt;
1991年に狭心症で入院して以来は健康管理に余念がなく、早朝に30分ほどの散歩をすることを日課とし、アルコールは日本酒を3合までに控えるよう心がけ、約2時間の昼寝を欠かさない&amp;lt;ref name=&amp;quot;産経ニュース2009.3.2 5/5ページ&amp;quot;/&amp;gt;。2008年10月6日から13日まで風邪で入院、同月23日に予定されていた[[インド]]の[[マンモハン・シン|シン]]首相との会談を含む党役員会などの公務も体調不良ということでキャンセルし、シン首相との会談は[[鳩山由紀夫|鳩山]]幹事長が代理を務めたものの健康不安説も再燃した&amp;lt;ref&amp;gt;『産経新聞』2008年10月24日朝刊&amp;lt;/ref&amp;gt;。第171回国会（会期2009年1月5日 - 6月3日）では、2月末までに11回開かれた衆院本会議のうち4回欠席している。&amp;lt;ref name=&amp;quot;産経ニュース2009.3.2 5/5ページ&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|title=【民主党解剖】第1部「政権のかたち」（1）「小沢首相」は大丈夫か （5/5ページ） |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n5.htm |publisher=産経ニュース |accessdate=2009年3月2日 |date=2009年3月2日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 信条 ===&lt;br /&gt;
[[田中角榮]]を『'''オヤジ'''』として慕い、政治のイロハと人生の薫陶を受けたと語る。それは「どぶ板」とも言われる、[[人口密度]]の低い農村部から始め有権者の家を一戸一戸回っていく地道な選挙活動を決して怠らない事をオヤジから学んだという。歴史上の人物では、[[福澤諭吉]]を日本文明の祖として尊敬し、[[西郷隆盛]]を尊敬するものの、政治家・人物としては[[大久保利通]]を目指していると述べた&amp;lt;ref&amp;gt;『小沢主義志を持て、日本人』 ISBN 4797671297 より&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[司馬遼太郎]]を愛読している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自民党離党 ===&lt;br /&gt;
小沢が自民党を離党した理由は、「談合政治」と言われる旧来型政治の打破と、[[イギリス]]や[[アメリカ]]のような[[二大政党制]]に持って行きたいという明確なビジョンがあったという。その思惑は、小沢が[[自由党]]を[[民主党]]に合流させることで成就するのだが、[[小選挙区制]]を導入すれば同じ選挙区から[[自民党]]と[[社会党]]の政治家が選ばれるということが無くなるためであった。小沢は、自ら進んで自民党を離党したのでは無く、既得権益を持った一部の議員に追い出されたのだと述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
; 実家&lt;br /&gt;
* 父・[[小沢佐重喜|佐重喜]]（弁護士、政治家）&lt;br /&gt;
* 母・みち（元千葉県会議員[[荒木儀助]]の四女）&lt;br /&gt;
:[[奥野修司]]の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁には｢みちは[[明治]]三十四年二月十五日に[[千葉県]]の元[[庄屋]]の娘として生まれている。実家はかなりの[[豪農]]で生まれたときからお嬢様として育てられたという。九段の精華高等女学校では、のちの[[鹿島建設]]会長夫人になる[[鹿島卯女]]も同窓だった。｣、85頁には｢このみちは[[明治]]三十四年に[[荒木儀助]]と妻かのの四女として[[千葉県]][[東葛飾郡]][[風早村]]で生まれているが生家は“[[駅]]からよその土地を踏まずに家まで帰ることができた”といわれるほどの大[[地主]]だったようだ。父親の儀助も[[千葉県]]の県会議員になっているほどだからかなり裕福だったことは推測できる。両親はともに教育熱心だった。のちに[[医者]]や[[弁護士]]になっている家族もたくさんいて、みち自身も東京九段の精華高等女学校を[[卒業]]しているほどである。｣とある&lt;br /&gt;
* 姉（2人）&lt;br /&gt;
; 自家&lt;br /&gt;
* 妻・和子（[[新潟県]]の建設会社[[福田組]]会長・福田正の長女）&lt;br /&gt;
* 三男あり&lt;br /&gt;
; 他家&lt;br /&gt;
* その他の親戚・[[竹下亘]]（政治家、元[[首相]][[竹下登]]の異母弟、妻は福田正の二女）、[[金丸信]]（政治家）など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
; 小沢家&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0001/05805140001033c.html 衆議院会議録情報　第058回国会　本会議　第33号]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:小沢一郎は自身の[[家系]]について、[[古代]]東北の英雄として知られた[[蝦夷]]･[[アテルイ]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://homepage2.nifty.com/tanizoko/aterui.html アテルイ]&amp;lt;/ref&amp;gt;の末裔であるため“反骨精神が旺盛だ”と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/2005/05.01.21.htm 小沢一郎（下） アテルイの末裔 だから反骨精神旺盛 ]&amp;lt;/ref&amp;gt;。父[[小沢佐重喜]]は[[岩手県]][[胆沢郡]]水沢町（現[[奥州市]]）の[[農家]]に生まれ、{{和暦|1923}}、[[日本大学]][[法学部]]を卒業するとその年の12月に25歳の若さで[[司法試験|弁護士試験]]に合格し翌年弁護士事務所を開業する。[[東京市]]会議員、[[東京府]]会議員を経て、{{和暦|1946}}、衆議院議員に当選する。[[第2次吉田茂内閣]]の[[運輸大臣]]、[[第3次吉田茂内閣]]の[[逓信大臣]]、初代[[郵政大臣]]兼初代[[電気通信大臣]]、[[第5次吉田茂内閣]]の[[建設大臣]]、第2次池田内閣で[[行政管理庁]]長官、[[北海道開発庁]]長官等を歴任する。父・[[小沢佐重喜|佐重喜]]について一郎は｢親父は、じいさまが[[酒]]に溺れて身上をつぶして[[水呑百姓|水飲み百姓]]の[[小作人]]のせがれとして食うや食わずで育ったんだ。それで、ものすごく貧乏だったせいかどちらかというと反体制的な考え方だった。[[戦後]]の[[経済]]万能主義の社会や政治を嫌悪していたし、エスタプリッシュメントというものに対する反発を非常に強くもっている男でした｣と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;奥野修司の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』105頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　（14代）&lt;br /&gt;
　　　竹中藤右衛門━━┳寿美&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┣竹中宏平━━竹中祐二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┗竹中錬一　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　米内光政━━━━和子　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　（元首相）　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　（元首相）　　┃　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　┏竹下勇造━━━━┳竹下登━━┳公子&lt;br /&gt;
　　　┃　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　┗武永貞一　　　　┣竹下三郎　┣まる子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┗一子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃金丸信━━━金丸康信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗竹下亘　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　&lt;br /&gt;
　　　　福田正━━━━━┳雅子　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┣福田実　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗和子　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┏男　&lt;br /&gt;
　　　　小沢佐重喜　　　　　┣━━━━╋男　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　┃　　　　　　　┃　　　　┗男&lt;br /&gt;
　　　　　　┣━━━━━小沢一郎&lt;br /&gt;
　　　　　　┃&lt;br /&gt;
荒木儀助━━みち　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
; 田中角栄&lt;br /&gt;
:* [[田中角栄]]の長男である正法（1947年、5歳で夭折）と小沢が同じ1942年生まれであったため、角栄は小沢を息子のように可愛がったとされた。それに対して小沢も角栄を慕い、田中派から独立した経世会に所属した国会議員で唯一、田中の[[裁判]]をすべて欠かさず傍聴した。旧竹下派の中では唯一田中家・[[田中真紀子]]から許されているため、[[命日]]には田中家を訪問した。そのため親交が深く、真紀子の自民党離党、民主党会派入りに小沢は尽力した。また、「政治の父は田中角栄」と公言した。&lt;br /&gt;
:* かつて田中角栄の懐刀だった小沢と福田の因縁の戦いは、'''「第二の[[角福戦争]]」'''と呼ばれた。しかし当人たちにはそのつもりが全く無く、福田を舌鋒鋭く批判する角栄の娘の[[田中真紀子]]元外相の方が注目され、これが真の「第二の[[角福戦争]]」だと見る向きもあった。&lt;br /&gt;
; 囲碁&lt;br /&gt;
: 2007年10月、[[自民党]]元官房長官の[[与謝野馨]]と囲碁で対決した。二人は政界きっての囲碁の実力者で2時間半の激戦の末、小沢が勝負を制した。小沢は「こっち（与謝野氏）は正統派だしね」、与謝野も「（小沢氏との）最後の一局は、4、5年前、私が負けたんですよ」と互いに勝負の感想を述べた。また、12月には作家の[[渡辺淳一]]と囲碁で対決し、小差ながらも勝利した。&lt;br /&gt;
; 愛犬&lt;br /&gt;
: 2006年4月の衆議院[[千葉7区]][[補欠選挙]]で党の広告に[[柴犬]]の「もも」を起用。補選で「もも」は小沢や候補者たちの応援に出向き話題をさらった。小沢によれば当時の小沢の飼い犬であった柴犬「ちび」と似ているという。2007年10月、その「チビ」を失うが、2008年、新たに柴犬の子犬2匹を飼い始め、毛並みの色から「クロ」、「チャイ」と名付けた&amp;lt;ref&amp;gt;「元気の源？かわいい子犬2匹 民主・小沢氏を毎晩お出迎え」 『朝日新聞』、2008年5月22日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; ニートについて&lt;br /&gt;
: 2005年3月の夕刊フジのコラムにて、[[ニート]]について以下のような見解を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/fuji/2005/fuji20050419134025.html 剛腕コラム 第226回]」 『夕刊フジ』、2005年3月25日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:: 「本人たちは「誰の迷惑にもなっていない」と言うかもしれないが、親の稼ぎで食わしてもらっているうえ、国民全体で支える公共的サービスは享受している。病気でもない働き盛りの若者が、漠然と他人に寄生して生きているなど、とんでもない。」&lt;br /&gt;
:: 「政府は「[[少子化|少子]][[高齢化社会|高齢化]]の進む人口減少社会で、経済の活力を一段と失わせかねない」として、今後、ニートの就職支援に本腰を入れるというが、果たしてそんな次元の話なのか。僕に言わせれば対策は簡単だ。一定の猶予を与えて、親が子供を家から追い出せばいい。無理矢理でも自分の力で人生を生きさせるのだ。追い詰められれば、彼らも必死に考えて行動するはずだ。それでも働きたくないというなら、勝手にすればいい。その代わり、親の世話には一切ならず、他人に迷惑（犯罪も含む）もかけず、公共的サービスも受けないことだ。[[無人島]]でも行って[[自給自足]]の生活でもすればいい。」&lt;br /&gt;
: またニートの親については、「僕は自宅で小鳥を飼っているが、親鳥はヒナが大きくなるまでは一生懸命に世話をするが、一定の時期がくると冷たいほど突き放して巣立ちさせる。ニートの親は動物にも劣るといっても過言ではない」と評し、その責任を激しく糾弾した。&lt;br /&gt;
; 韓国をめぐるエピソード&lt;br /&gt;
:* [[1999年]]4月に[[大韓民国|韓国]]を訪問した際、同月18日に日本の党幹部・閣僚クラスの政治家としては初めて（当時）となる、[[ソウル特別市|ソウル]]にある[[金九]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://english.hani.co.kr/arti/english_edition/e_international/374021.html 【Japan’s Election】 Japan’s Democratic Party foreign policy platform prioritizes Korean peninsula] Hankyoreh Aug.31,2009&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[尹奉吉]]、[[李奉昌]]、[[白貞基]]といった、抗日[[独立運動家]]の墓地を参拝した。この事に関して、[[東亜日報]]は「新しい韓日関係のため韓国に近づこうとする努力の一環として評価している」と報じ、[[文化日報]]は「[[極右]]保守的なカラーを薄めるための高度の計算だとの指摘もある」と述べた。&lt;br /&gt;
:* 小沢は日本の政治家としてはじめて韓国人秘書を正式に受け入れた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;/&amp;gt;。2000年に登用された韓国人女性である[[金淑賢]]は国際担当秘書を務めており、海外の要人との会談時には通訳をしていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|title=小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書 |url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2007/08/09/0400000000AJP20070809003300882.HTML |publisher=[[聯合ニュース]] |accessdate=2009年3月2日 |date=2007年8月9日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。身分として国が雇い給与が高い公設秘書（公設第1・第2・政策担当）ではなく、私費で雇い給与の安い数十人の私設秘書の中の一人であった{{fact|2009年2月}}。また、この女性は日本の政界に従事するという関係から、駐日韓国大使館とも随時政局などについて情報交換を行っていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;/&amp;gt;。この韓国人秘書は2007年7月に韓国政府の[[大韓民国女性部|女性部]]主催の「世界韓民族女性ネットワーク」に日本側代表として参加している&amp;lt;ref name=sougou&amp;gt;{{cite news|title=한국 여성、 日 오자와 대표 비서로 맹활약（韓国女性、日本小沢代表秘書として活躍） |url=http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/08/09/0200000000AKR20070809140900073.HTML |publisher=[[聯合ニュース]] |language=朝鮮語 |accessdate=2009年3月2日 |date=2007年8月9日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。この団体は、欧米各国で[[従軍慰安婦]]に関する日本政府への抗議デモや集会を700回以上行っている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|title= &amp;quot;사과하라!&amp;quot; 베를린에 울려퍼진 '700회 수요집회' |url=http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000316972 |publisher=[[OhmyNews]] |accessdate=2009年3月2日 |date=2006年3月16日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。なおこの女性は小沢の秘書を務める傍ら東京大学の博士号を取得し、[[2008年]]5月に秘書を離職した後は大学院の教員に就任している。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/misc/brochure/brochure_2009.pdf 東北大学公共政策大学院 2009年度大学院案内] 2009年3月2日 閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* 小沢は、韓国人の一部が領有権を主張し、韓国資本に土地が買収されている問題が発生している[[対馬]]について、前連合会長の[[笹森清]]に「どう思うか？」との質問をし、笹森が「私は対馬のことを心配している。ウォン経済に買い占められそうだ」と答えると、小沢は「今は絶好のチャンスだ。円高だから（韓国領の）[[済州島]]を買っちまえ」と[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]][[衆議院議員]]の[[パーティー]]で行ったあいさつで語ったことが各報道機関によって伝えられた&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月11日 時事通信&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090313/stt0903130116000-n1.htm 波紋呼ぶ小沢氏の「済州島買っちまえ」発言][[産経新聞]][[2009年]][[3月13日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;、小沢自身はこの発言の存在を否定している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090312/stt0903121344006-n1.htm 【小沢代表ぶら下がり詳報】「済州島買え？　そんなこと言ってない」１２日昼][[産経新聞]][[2009年]][[3月12日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 米国、中国との国際交流&lt;br /&gt;
: 小沢は、日米、日中の交流が世界の平和と安定に不可欠と考えて、政治家としての公的な仕事とは別に自分のライフワークとして草の根レベルの国際交流活動を続けた。米国とは1990年に「ジョン万次郎の会」を立ち上げ、1992年に財団法人ジョン万次郎ホイットフールド記念国際草の根交流センターを設立した。2001年、日本に関心の高い[[シカゴ]]市の特定中学校の生徒を毎年20人程度日本に招待した。中国とは、1986年に第1回長城計画が中華全国青年連合会の協力を得て開催され、青年指導者、大学生を毎年数十名を招待した。国際交流活動は、実施団体とともに小沢事務所が担当したため、複数の外国人の大学院留学生が事務所で働いていた。&lt;br /&gt;
; ニコニコ動画&lt;br /&gt;
: [[2007年]]7月、[[第21回参議院議員通常選挙]]の直前に[[ニコニコ動画]]へ出演し、話題となった。その後も[[2008年]]11月や[[2009年]]元旦に「1万人ネット会見」を行った。また、2008年9月から公式動画コーナー「小沢一郎チャンネル」を開設した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発言 ==&lt;br /&gt;
* 「公約は膏薬（こうやく）。張り替えれば効き目がでる」（新進党時代の同僚議員への口癖）&lt;br /&gt;
* 「どの女と寝ようといいじゃないか」（1994年、野党連合政権時代に新会派設立への動きを例えて）&lt;br /&gt;
* 「記者会見はサービス」（1993年、記者団に）&lt;br /&gt;
* 「日本人は特殊な人種だ。（世界から）特殊学級扱いされている。ばかじゃないかと」（2003年 [[小泉純一郎]]首相の自民党総裁再選を批判して）&lt;br /&gt;
* 「安倍内閣は脳死状態」（2007年、参院選敗北後の安倍晋三内閣の求心力低下を皮肉り）&lt;br /&gt;
* 「給油法案は、国民にとって重要な法案ではない」（2008年、同法案の衆院再議決を欠席したことについて）&lt;br /&gt;
* 「日本がもたもたして在日韓国人の地方参政権を認めないのは遺憾だ」（2008年、韓国の李明博大統領との会談で）&lt;br /&gt;
* 「総理大臣になって首脳会談ということなら、多少体調が悪くても欠席することはない。私、野党だから。総理大臣じゃない。国務大臣でもない。勘違いしないでください」（2008年、インド・シン首相との会談をドタキャンしたことについて）&lt;br /&gt;
* 「おれはまったく米国のことは信用していない。日本の国益を守るために言うべきことは言わないといけない」（2009年2月14日都内の料理屋で国民新党の亀井静香代表代行らと会談において、クリントン米国務長官から会談を打診されていることに関して）&lt;br /&gt;
* 「私は、日米同盟がなによりも大事であるということをずーっと以前から、最初から唱えてきたひとりでありますと。」 （2009年2月17日クリントン国務長官との会談後のインタビューで）&lt;br /&gt;
* 「政治の細かいことを知る必要はない。自分たちの1票で政権を代えることができる。それだけを分かってもらえたらいい」（2008年10月19日 インターネットのテレビ番組にて）&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081019/stt0810192254004-n1.htm 小沢氏、ネットで若者に政権交代アピール]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「僕は選挙担当だから。選挙以外のことは他の人に聞いてください。」（2009年05月30日TBS[[知っとこ!]]西松問題の説明責任を問われて）&lt;br /&gt;
* 「担ぐ神輿は軽くてパーなのが一番だ。」（但し、これは実際には側近平野貞夫の発言「担ぐ神輿は軽いほうがいい」を誇張して小沢の発言として伝えられたもの）&lt;br /&gt;
* 「自民党に投票したら投票に行かなかった人と同じで政治について文句を言う資格はない」&lt;br /&gt;
* 「これ以上何を謝ればいいんだ。」[[盧泰愚]]大統領訪日の際に。&lt;br /&gt;
* 「じゃあやり直したらいいじゃねえか、そんな事を言うんだったらやりなそうじゃないか。」[[宗教法人法]]改正問題で[[大久保直彦]]議員らに小沢の姿勢は弱腰と詰問され野次に対しての応酬で。&lt;br /&gt;
=== 拉致問題に関する発言 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月2日付産経新聞朝刊1面における「民主党解剖1」の記事中において、小沢が、2月上旬、都内で開かれた民主党議員と支持者による会合において「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と発言したことが報じられた。&lt;br /&gt;
この記事を受けて、救う会には、電話やメールで問合せが殺到し、救う会では、西岡力会長代行が「小沢民主党代表発言は事実なのか」と題するコメント&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1808] 小沢民主党代表発言は事実なのか（救う会全国協議会ニュース、2009.03.02）&amp;lt;/ref&amp;gt;を発表した。&lt;br /&gt;
これに対して民主党は、民主党幹事長代理から産経新聞社編集局長と政治部長宛に「記事は『事実無根の報道』」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1809] 記事は「事実無根の報道」と民主党が反論（救う会全国協議会ニュース、2009.03.03）&amp;lt;/ref&amp;gt;として記事の訂正と謝罪を求め、3月4日中に回答することを要請した。&lt;br /&gt;
この要請に対して、産経新聞政治部長は、3月4日、文書で民主党幹事長代理宛に「正当な取材の結果得られたもので、かつ裏づけもとれているもの」という旨を回答&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1810 記事は「正当な取材の結果」と産経新聞が回答] （救う会全国協議会ニュース、2009.03.05）&amp;lt;/ref&amp;gt;している。なお、小沢のこの発言については、産経新聞以外のメディアではほとんど取り上げられず、民主党も、救う会へ宛てたFAX以外では、反論も含めて一切触れていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所属議員連盟 ==&lt;br /&gt;
* [[憲法調査推進議員連盟]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.kenpoukaigi.gr.jp/tyousakai/20040414kenpougiren-kiyaku&amp;amp;meibo.pdf#search='憲法調査推進議員連盟 憲法調査推進議員連盟規約]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 民主党東北議員団連盟&lt;br /&gt;
* 民主党日英議員連盟&lt;br /&gt;
* [[北京オリンピックを支援する議員の会]]顧問など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 選挙歴 ==&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!当落!!選挙!!施行日!!選挙区!!政党!!得票数!!得票率!!&amp;lt;small&amp;gt;得票順位&amp;lt;br/&amp;gt;/候補者数&amp;lt;/small&amp;gt;!!比例区!!&amp;lt;small&amp;gt;比例順位&amp;lt;br/&amp;gt;/候補者数&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第32回衆議院議員総選挙]]||1969年12月27日||[[岩手県第2区 (中選挙区)|岩手県第2区]]||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''71,520'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''26.71'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第33回衆議院議員総選挙]]||1972年12月10日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''60,675'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''19.18'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''2'''/8|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第34回衆議院議員総選挙]]||1976年12月5日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''71,449'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''21.98'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第35回衆議院議員総選挙]]||1979年10月7日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''70,183'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''21.52'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第36回衆議院議員総選挙]]||1980年6月22日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''72,838'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''22.27'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/8|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第37回衆議院議員総選挙]]||1983年12月18日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''63,212'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''18.87'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''4'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第38回衆議院議員総選挙]]||1986年7月6日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''95,208'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''24.80'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第39回衆議院議員総選挙]]||1990年2月18日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''89,449'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''24.08'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第40回衆議院議員総選挙]]||1993年7月18日||岩手県第2区||新生党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''142,451'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''40.82'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第41回衆議院議員総選挙]]||1996年10月20日||[[岩手県第4区]]||新進党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''125,619'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''64.68'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第42回衆議院議員総選挙]]||2000年6月25日||岩手県第4区||自由党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''119,099'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''59.70'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第43回衆議院議員総選挙]]||2003年11月9日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''128,458'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''65.11'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第44回衆議院議員総選挙]]||2005年9月11日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''124,578'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''59.95'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第45回衆議院議員総選挙]]||2009年8月30日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''133,978'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''62.55'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/5|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;11&amp;quot;|当選回数14回 （衆議院議員14）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文献 ==&lt;br /&gt;
=== 著作 ===&lt;br /&gt;
; 単著&lt;br /&gt;
* 『[[日本改造計画]]』（[[講談社]]、1993年5月、ISBN 4062064820）&lt;br /&gt;
* 『語る』（小林泰一郎構成、[[文藝春秋]]、1996年4月、ISBN 4163502106）&lt;br /&gt;
* 『男の行動美学』（[[プラネット出版]]、1999年9月、ISBN 4939110028）&lt;br /&gt;
* 『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』（[[五百旗頭真]]・[[伊藤元重]]・[[薬師寺克行]]編、[[朝日新聞社]]、2006年6月、ISBN 4022501634）&lt;br /&gt;
* 『剛腕維新』（[[角川学芸出版]]、2006年8月、ISBN 4046210885）&lt;br /&gt;
* 『小沢主義（オザワイズム）―志を持て、日本人』（[[集英社]]、2006年9月、ISBN 4797671297）&lt;br /&gt;
; 共著&lt;br /&gt;
* 『日米関係を読む』（アジア調査会編、[[ジェームズ・ファローズ]]・[[松永信雄]]共著、プラネット出版、1990年11月、ISBN 4881913123）&lt;br /&gt;
* 『ジョン万次郎とその時代』（[[川澄哲夫]]編、[[廣済堂出版]]、2001年7月、ISBN 4331507963）&lt;br /&gt;
* 『政権交代のシナリオ―「新しい日本」をつくるために』（[[菅直人]]共著、[[PHP研究所]]、2003年11月、ISBN 4569631908）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連文献 ===&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の「真実」―金丸、竹下を手玉にとる剛腕幹事長』（[[アイペック]]、1990年、ISBN 4870471000）&lt;br /&gt;
* 『平成名勝負物語—橋本龍太郎vs小沢一郎』（[[小林吉弥]]著、[[勁文社]]、1990年、ISBN 4766912497）&lt;br /&gt;
* 『劇画 橋本龍太郎VS小沢一郎—激闘譜』（[[さいとうたかを]]著、日本フローラルアート出版局、1991年、ISBN 4930831008）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の政治謀略―政界の裏の裏がわかる本』（菊池久著、[[山手書房新社]]、1991年、ISBN 4841300228 ）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎探検』（朝日新聞政治部編、[[朝日新聞社]]、1991年、ISBN 4022563435）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎・全人像』（小田甫著、[[行政問題研究所出版局]]、1992年、ISBN 4905786908）&lt;br /&gt;
* 『平成動乱 小沢一郎の野望』（[[板垣英憲]]著、[[DHC]]、1993年、ISBN 4887240023）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の秘密』（[[佐藤淳一]]著、[[データハウス]]、1993年、ISBN 4887181698）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎・日本改造計画の危険性』（[[本澤二郎]]著、[[エール出版社]]、1993年、ISBN 4753912345）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の逆襲―ベールに包まれた政界再編のシナリオを読む!』（[[竜崎孝]]著、サンドケー出版局、1993年、ISBN 491493809X）&lt;br /&gt;
* 『あの人 ひとつの小沢一郎論』（[[渡辺乾介]]著、[[飛鳥新社]]、1993年、ISBN 4870311291）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の腕力ポイント読み』（[[伊勢暁史]]著、[[明日香出版社]]、1994年、ISBN 4870307081）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎総理大臣待望論』（板垣英憲著、ジャパン・ミックス、1994年、ISBN 4883211541）&lt;br /&gt;
* 『どっこい小沢一郎は生きている 全発言で探る、この男の次の一手』（[[上之二郎]]著、[[ベストセラーズ]]、1994年、ISBN 4584191131）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎真実の叫び―これだけはいいたい 小沢は日本の未来に危惧を抱き、平和な国と社会のために改革を図る』（[[蒲生輝]]著、[[三心堂出版社]]、1994年、ISBN 4915620778）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎日本国崩壊をすくう』（蒲生輝著、三心堂出版社、1994年、ISBN 4915620956）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎―覇者の履歴書』（[[奥野修司]]著、データハウス、1994年、ISBN 4887182457）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の日本vs.武村正義の日本―あなたはどちらの国に住みたいか この2人がわかれば日本の将来が見えてくる』（[[小板橋二郎]]著、[[こう書房]]、1994年、ISBN 4769605080）&lt;br /&gt;
* 『池田大作vs小沢一郎 どうなる日本どうなる両雄の展開』（[[後藤寿一]]著、[[銀河出版]]、1994年、ISBN 4906436412）&lt;br /&gt;
* 『「小沢一郎日本改造計画」への挑戦状! 20代議員の描くキラリと光る改造計画』（「新党20代議員の会」編著、[[マネジメント社]]、1994年、ISBN 4837803431）&lt;br /&gt;
* 『河野洋平と小沢一郎の大戦略―宿命のライバル』（[[本沢二郎]]著、[[総合法令]]、1994年、ISBN 4893463829）&lt;br /&gt;
* 『悪魔の使者小沢一郎―あの強腕を裏で操るのは何者か 日本改造なんてとんでもない』（[[ヤコブ・モルガン]]著・[[忍野昭太郎]]訳、[[第一企画出版]]、1994年、ISBN 4887190166）&lt;br /&gt;
* 『小沢ウオッチング』（[[立尾良二]]著、[[東京新聞]]出版局、1995年、ISBN 4808305216）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の時代』（板垣英憲著、[[同文書院]]、1996年、ISBN 4810380300）&lt;br /&gt;
* 『お笑い大蔵省極秘情報』（[[テリー伊藤]]著、飛鳥新社、1996年、ISBN 4-87031-293-X）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎―その「恐怖支配」の実態』（[[久慈力]]著、[[マルジュ社]]、1996年、ISBN 4896161017）&lt;br /&gt;
* 『政治が歪める公共事業―小沢一郎[[ゼネコン]]政治の構造』（久慈力・[[横田一]]著、[[緑風出版]]、1996年、ISBN 4846196143）&lt;br /&gt;
* 『盛岡大学疑惑を追及する―教育を食い物にする紳士たち』（久慈力著、[[新泉社]]、1997年、ISBN 4787797158）&lt;br /&gt;
* 『拝啓小沢一郎党首殿』（[[松沢成文]]著、[[ごま書房]]、1997年、ISBN 4341017748）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の行動美学』（三菟雅文著 プラネット出版社 1999年 ISBN 4939110028）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の大勝負 竜馬か!? 悪魔か!?』 （板垣英憲著、[[リヨン社]]、2003年、ISBN 4576031910）&lt;br /&gt;
* 『日本変革 菅直人+小沢一郎は政治をどう変えるのか』（板垣英憲著、ベストセラーズ、2003年、ISBN 4584159769）&lt;br /&gt;
* 『政党崩壊―永田町の失われた十年』（[[伊藤惇夫]]著、[[新潮社]]［[[新潮新書]]］、2003年、ISBN 4106100231）&lt;br /&gt;
* 『闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体』（[[松田賢弥]]著、講談社、2003年、ISBN 4062117061）&lt;br /&gt;
* 『永田町「悪魔の辞典」』（伊藤惇夫著、文藝春秋、2004年、ISBN 4166603884 ）&lt;br /&gt;
* 『政治の数字―日本一腹が立つデータブック』（伊藤惇夫著、文藝春秋［[[文春新書]]］、2005年、ISBN 4106101173）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の政権奪取戦略』（[[大下英治]]著、[[河出書房新社]]、2005年3月、ISBN 4309243347）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の日本をぶっ壊す』（大下英治著、[[幻冬舎]]、2006年8月、ISBN 4344408217）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の真実』（[[平野貞夫]]著、講談社、 2006年9月、 ISBN 4066213557）&lt;br /&gt;
* 『「小沢一郎」入門―カリスマの原点 小沢一郎は何を考えているのか』（[[森田実]]著、[[三笠書房]]［知的生き方文庫］、 2006年10月、 ISBN 4837975887）&lt;br /&gt;
* 『政権交代―小沢一郎最後の戦い』（板垣秀憲著、 [[共栄書房]]、2007年7月、ISBN 4763410334）&lt;br /&gt;
* 『[[小沢民主党は信用できるか]]』（[[高市早苗]]編著、[[PHP研究所]]、2008年2月 ISBN 9784569697949）&lt;br /&gt;
雑誌関連文献抄&lt;br /&gt;
* 『[[月刊現代|現代]]』2004年2月号、小沢一郎・[[横路孝弘]]・伊藤達美「小沢一郎×横路孝弘―民主党の両極 安全保障論で合意する」&lt;br /&gt;
* 『[[週刊金曜日]]』2005年1月14日号、「本多勝一の憂刻ニッポン―小沢一郎（上）現行憲法の下で「無血革命」を目指す」[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2005/ar20050308142225.html]&lt;br /&gt;
* 『[[AERA]]』2006年1月23日号、[[後藤正治]]「小沢一郎 思想政治家で終わるのか」&lt;br /&gt;
* 『[[世界 (雑誌)|世界]]』2007年11月号、小沢一郎「公開書簡 今こそ国際安全保障の原則確立を」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist|3}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党国会議員一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の閣僚経験者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の次の内閣一覧]]&lt;br /&gt;
* [[一新会]]&lt;br /&gt;
* [[金竹小]]&lt;br /&gt;
* [[一龍戦争]]&lt;br /&gt;
* [[ネオ・ニューリーダー]]&lt;br /&gt;
* [[ワン・ワン・ライス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.ozawa-ichiro.jp/ ■小沢一郎ウェブサイト■]（公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.mag2.com/m/0000033978.htm 小沢一郎メールマガジン]（公式メルマガ）&lt;br /&gt;
* [http://www.minshu-iwate.com/ 民主党岩手県連]&lt;br /&gt;
* [http://mainichi.jp/select/wadai/graph/ozawa/ 小沢一郎 写真特集 （小沢ショック-毎日jp）]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[自治大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[古屋亨]]&lt;br /&gt;
| years  = 第34代 : 1985年 - 1986年&lt;br /&gt;
| after  = [[葉梨信行]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[国家公安委員会委員長]]&lt;br /&gt;
| before = [[古屋亨]]&lt;br /&gt;
| years  = 第44代 : 1985年 - 1986年&lt;br /&gt;
| after  = [[葉梨信行]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党代表]]&lt;br /&gt;
| before = [[前原誠司]]&lt;br /&gt;
| years  = 第6代 : 2006年 - 2009年&lt;br /&gt;
| after  = [[鳩山由紀夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党代表代行]]&lt;br /&gt;
| before = [[中野寛成]]&amp;lt;br/&amp;gt;増員&lt;br /&gt;
| years  = 2003年 - 2004年&amp;lt;br/&amp;gt;2009年（筆頭）&lt;br /&gt;
| after  = [[藤井裕久]]&amp;lt;br/&amp;gt;減員&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[岡田克也]]&lt;br /&gt;
| years  = 第9代 : 2009年 -&lt;br /&gt;
| after  = 現職&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[自由党 (日本 1998-2003)|自由党党首]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1998年 - 2003年&lt;br /&gt;
| after  = [[民主党 (日本 1998-)|民主党]]へ合流&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新進党|新進党党首]]&lt;br /&gt;
| before = [[海部俊樹]]&lt;br /&gt;
| years  = 第2代 : 1995年 - 1997年&lt;br /&gt;
| after  = 解散&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新進党|新進党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1994年 - 1995年&lt;br /&gt;
| after  = [[米沢隆]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新生党|新生党代表幹事]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1993年 - 1994年&lt;br /&gt;
| after  = [[新進党]]へ&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[橋本龍太郎]]&lt;br /&gt;
| years  = 第26代 : 1989年 - 1991年&lt;br /&gt;
| after  = [[小渕恵三]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{総務大臣}}&lt;br /&gt;
{{国家公安委員会委員長}}&lt;br /&gt;
{{自民幹事長}}&lt;br /&gt;
{{竹下派七奉行}}&lt;br /&gt;
{{民主党}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:小沢一郎|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:岩手県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:革命家]]&lt;br /&gt;
{{Lifetime|1942||おさわ いちろう}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%8D%B0%E6%9D%B1%E5%A4%8F%E5%B8%86&amp;diff=96726</id>
		<title>印東夏帆</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%8D%B0%E6%9D%B1%E5%A4%8F%E5%B8%86&amp;diff=96726"/>
				<updated>2010-08-10T09:38:40Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|人名 = 小沢 一郎&lt;br /&gt;
|各国語表記 = おざわ いちろう&lt;br /&gt;
|画像 = [[Image:小沢一郎　1.jpg]]&lt;br /&gt;
|画像説明 =&lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1942|5|24}}&lt;br /&gt;
|出生地 = [[東京府]][[東京市]][[下谷区]]&lt;br /&gt;
（現在の[[東京都]][[台東区]]）&lt;br /&gt;
|没年月日 =&lt;br /&gt;
|死没地 =&lt;br /&gt;
|出身校 = [[慶應義塾大学]][[経済学部]]卒業&amp;lt;br/&amp;gt;[[日本大学]][[大学院]][[法学研究科]]中途退学&lt;br /&gt;
|前職 = [[大学院生]]&lt;br /&gt;
|現職 =&lt;br /&gt;
|所属政党 = （[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[新生党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[新進党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;（[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]&lt;br /&gt;
|称号・勲章 = [[学士|経済学士]]（慶應義塾大学・[[1967年]]）&lt;br /&gt;
|世襲の有無 = 有&lt;br /&gt;
|親族（政治家） = [[小沢佐重喜]]（[[父]]）&lt;br /&gt;
|配偶者 =&lt;br /&gt;
|サイン =&lt;br /&gt;
|ウェブサイト = http://www.ozawa-ichiro.jp/&lt;br /&gt;
|サイトタイトル = ■小沢一郎ウェブサイト■&lt;br /&gt;
|国旗 = JPN&lt;br /&gt;
|職名 = 第34代 [[自治大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣 = [[第2次中曾根第2次改造内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区 =&lt;br /&gt;
|当選回数 =&lt;br /&gt;
|就任日 = [[1985年]][[12月28日]]&lt;br /&gt;
|退任日 = [[1986年]][[7月22日]]&lt;br /&gt;
|退任理由 =&lt;br /&gt;
|所属委員会 =&lt;br /&gt;
|議員会館 =&lt;br /&gt;
|元首職 =&lt;br /&gt;
|元首 =&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↓省略可↓ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
|国旗2 = JPN&lt;br /&gt;
|職名2 = 第44代 [[国家公安委員会委員長]]&lt;br /&gt;
|内閣2 = 第2次中曾根第2次改造内閣&lt;br /&gt;
|選挙区2 =&lt;br /&gt;
|当選回数2 =&lt;br /&gt;
|就任日2 = 1985年12月28日&lt;br /&gt;
|退任日2 = 1986年7月22日&lt;br /&gt;
|退任理由2 =&lt;br /&gt;
|元首職2 =&lt;br /&gt;
|元首2 =&lt;br /&gt;
|国旗3 = JPN&lt;br /&gt;
|職名3 = [[衆議院議員]]&lt;br /&gt;
|内閣3 =&lt;br /&gt;
|選挙区3 = （[[岩手県第2区 (中選挙区)|岩手県第2区]]→）&amp;lt;br/&amp;gt;[[岩手県第4区]]&lt;br /&gt;
|当選回数3 = 14回&lt;br /&gt;
|就任日3 = [[1969年]]&lt;br /&gt;
|退任日3 = 現職&lt;br /&gt;
|退任理由3 =&lt;br /&gt;
|元首職3 =&lt;br /&gt;
|元首3 =&lt;br /&gt;
|国旗4 =&lt;br /&gt;
|職名4 =&lt;br /&gt;
|内閣4 =&lt;br /&gt;
|選挙区4 =&lt;br /&gt;
|当選回数4 =&lt;br /&gt;
|就任日4 =&lt;br /&gt;
|退任日4 =&lt;br /&gt;
|退任理由4 =&lt;br /&gt;
|元首職4 =&lt;br /&gt;
|元首4 =&lt;br /&gt;
|国旗5 =&lt;br /&gt;
|職名5 =&lt;br /&gt;
|内閣5 =&lt;br /&gt;
|選挙区5 =&lt;br /&gt;
|当選回数5 =&lt;br /&gt;
|就任日5 =&lt;br /&gt;
|退任日5 =&lt;br /&gt;
|退任理由5 =&lt;br /&gt;
|元首職5 =&lt;br /&gt;
|元首5 =&lt;br /&gt;
|国旗6 =&lt;br /&gt;
|その他職歴1 =&lt;br /&gt;
|就任日6 =&lt;br /&gt;
|退任日6 =&lt;br /&gt;
|国旗7 =&lt;br /&gt;
|その他職歴2 =&lt;br /&gt;
|就任日7 =&lt;br /&gt;
|退任日7 =&lt;br /&gt;
|国旗8 =&lt;br /&gt;
|その他職歴3 =&lt;br /&gt;
|就任日8 =&lt;br /&gt;
|退任日8 =&lt;br /&gt;
|国旗9 =&lt;br /&gt;
|その他職歴4 =&lt;br /&gt;
|就任日9 =&lt;br /&gt;
|退任日9 =&lt;br /&gt;
|国旗10 =&lt;br /&gt;
|その他職歴5 =&lt;br /&gt;
|就任日10 =&lt;br /&gt;
|退任日10 =&lt;br /&gt;
|国旗11 =&lt;br /&gt;
|その他職歴6 =&lt;br /&gt;
|就任日11 =&lt;br /&gt;
|退任日11 =&lt;br /&gt;
|国旗12 =&lt;br /&gt;
|その他職歴7 =&lt;br /&gt;
|就任日12 =&lt;br /&gt;
|退任日12 =&lt;br /&gt;
|国旗13 =&lt;br /&gt;
|その他職歴8 =&lt;br /&gt;
|就任日13 =&lt;br /&gt;
|退任日13 =&lt;br /&gt;
|国旗14 =&lt;br /&gt;
|その他職歴9 =&lt;br /&gt;
|就任日14 =&lt;br /&gt;
|退任日14 =&lt;br /&gt;
|国旗15 =&lt;br /&gt;
|その他職歴10 =&lt;br /&gt;
|就任日15 =&lt;br /&gt;
|退任日15 =&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↑省略可↑ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''小沢 一郎'''（おざわ いちろう、[[1942年]][[5月24日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[衆議院議員]]（14期）。民主党幹事長（第9代）。'''小澤 一郎'''（おざわ いちろう）とも表記されることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[自治大臣]]（[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣|第34代]]）、[[国家公安委員会委員長|国家公安委員長]]（[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣|第44代]]）。[[自由民主党]][[自由民主党幹事長|幹事長]]、[[新生党]]代表幹事、[[新進党]][[党首]]（第2代）、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]党首、[[民主党 (日本 1998-)|民主党]][[民主党代表|代表]]（第6代）、民主党代表代行（筆頭・選挙担当）、民主党幹事長を歴任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;toclimit-3&amp;quot;&amp;gt;__TOC__&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
[[東京府]][[東京市]][[下谷区]]（現在の[[東京都]][[台東区]]）[[御徒町]]に[[弁護士]]で東京府会議員だった父・[[小沢佐重喜]]、母・みちの[[長男]]として生まれる。父は44歳、母は42歳という高齢で生まれたため、まるで“[[孫]]みたいな”子供だったという&amp;lt;ref&amp;gt;[[奥野修司]]『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。母・みちは元千葉県会議員[[荒木儀助]]の四女である。一郎は、みちにとってははじめて生んだ子供である。[[本籍地]]は[[岩手県]][[奥州市]]（旧[[水沢市]]）。3歳から14歳まで郷里の水沢で育った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
水沢市立常磐中学校（現在の奥州市立東水沢中学校）の2年生を終了すると、東京の[[文京区立第六中学校]]に[[転学|転校]]する。言葉も[[東北弁|東北訛り]]の一郎は、なかなか級友たちの中に入っていけず、いつも教室の片隅でひとりぽつんと座っていたという&amp;lt;ref&amp;gt;奥野修司『小沢一郎 覇者の履歴書』132頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京都立小石川高等学校]]卒業後、父と同じ弁護士を目指して[[東京大学]]を志望し、2年間[[過年度生|浪人]]したが断念して、[[慶應義塾大学]][[経済学部]]、[[日本大学]][[大学院]][[法学研究科]]へと進学した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自由民主党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 田中派時代 ====&lt;br /&gt;
大学院在学中の{{和暦|1969}}、父・佐重喜の急死に伴い[[第32回衆議院議員総選挙|第32回衆院選]]に旧岩手2区から[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認で立候補し、27歳の若さで当選した。この総選挙を[[自由民主党幹事長|党幹事長]]として指揮したのが[[田中角栄]]で、以後[[木曜クラブ]]（田中派）に所属し、田中の下で薫陶を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自民党総務局長、[[議院運営委員会|衆議院議院運営委員長]]を歴任し、{{和暦|1985}}に[[第2次中曽根内閣第2次改造内閣]]で[[自治大臣]]兼[[国家公安委員長]]として初入閣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 竹下派時代 ====&lt;br /&gt;
[[Image:小渕・小沢・海部.jpg|300px|thumb|[[自民党総務会]]で新幹事長が了承され握手する[[小渕恵三]]幹事長、[[小沢一郎]]前幹事長、[[海部俊樹]]首相。[[1991年]][[4月8日]]撮影]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年、木曜クラブの領袖として影響力を保持していた田中に、反旗を翻した[[竹下登]]、[[金丸信]]らと共に派内勉強会「[[創政会]]」を結成。のちに[[経世会]]（竹下派）として独立した。竹下の総裁就任に奔走し[[日本皇民党]]事件の際には金丸とともに[[稲川会]]幹部の元に出向いている。[[竹下内閣]]の発足後、小沢は党・[[政府]]の要職を歴任し[[竹下派七奉行]]の一人に数えられ、[[官房副長官]]にも就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第1次海部内閣|第1次海部俊樹内閣]]では[[自由民主党幹事長|党幹事長]]に就任。苦戦が予想された[[第39回衆議院議員総選挙|第39回衆院選]]を、[[自由主義]]体制の維持を名目に[[経済団体連合会]]（経団連）傘下の企業から選挙資金300億円を集め、勝利したなどの実績から'''「剛腕」'''と称された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{和暦|1990}}、金丸を代表とする[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問団（金丸訪朝団）に参加する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[8月]]、[[湾岸戦争]]が勃発し、小沢は[[ペルシャ湾]]への[[自衛隊]]派遣を模索した。「アジアへの配慮が必要だ」と反対する[[外務省]]を抑え法案を提出した（なお、この法案は[[野党]]の反対で廃案となり、後に[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律]]（PKO協力法）が成立）&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』、{{和暦|2008}}[[2月22日]]付[[夕刊]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。自衛隊派遣について国会で[[公明党]]の協力を得るため、[[東京都知事選挙]]で自民党東京都総支部連合会が推す現職の[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]に代わり、新人の[[磯村尚徳]]を擁立するも都連が鈴木を支援した事もあり敗北。なおこの都知事選公示直前に出馬に意欲的であった[[アントニオ猪木]]と会談し猪木を出馬断念に追い込んだがこの際に多額の金銭が動いたと一部報道で報じられた。{{和暦|1991}}[[4月]]、責任を取り党幹事長を辞任した。直後に経世会会長代行に就任し、名実とともに派閥のNo.2となった。しかし、次第に金丸は小沢に派閥を譲ろうと企図するようになり、竹下との確執を深めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、政治改革法案が国会で廃案となったことを受け、首相の海部が衆議院の解散総選挙をぶち上げたが、党内の反発を招き、海部は首相辞任に追い込まれた（[[海部おろし]]）。その際、金丸が小沢に対し後継首相となるよう命じ、金丸の意を受けた[[渡部恒三]]なども小沢を説得したが、当時49歳という年齢や心臓病（[[狭心症]]）で[[6月]]に倒れたことなどを理由にこれを固辞したとされる。だが、[[田勢康弘]]から「この逸話は実は真実ではない」&amp;lt;ref&amp;gt;[[田勢康弘]]「『緊迫』も『躍動』も消えた政治――大難を前に沈黙・保身…」 『[[日本経済新聞]]』、[[2008年]][[7月21日]]5面。&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘されており、このようなやり取りは実際には存在せず、金丸や竹下は当初から[[宮澤喜一]]擁立を目指していたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月10日]]、[[自由民主党総裁選挙]]での派閥が支持する候補者を決定するため、出馬表明していた宮沢、[[渡辺美智雄]]、[[三塚博]]と自身の個人事務所でそれぞれ面談した（小沢面接）。しかし宮沢や渡辺のような当選回数・年齢も上の者（三塚は当選回数こそ小沢よりも一回少ないが、年齢は小沢より上だった）を自分の事務所に招いたことは傲慢であると批判された。このことは後々まで「経世会支配」「剛腕小沢」の象徴的シーンとして取り上げられた（実際は当日[[ホテル]]の会場が満室でどこも予約できず、3人の事務所を小沢が訪ねる予定だったのだが、推薦を受ける立場の人間を訪ねてもらうのは失礼だという話になり、小沢の事務所で面談することになったという&amp;lt;ref&amp;gt;平野貞夫 『虚構に囚われた政治家―小沢一郎の真実』 講談社&amp;lt;講談社α文庫&amp;gt;、2007年、242頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。宮沢も後に『日本経済新聞』連載の「[[私の履歴書]]」の中で、「支持をこちらからお願いしているのだから、出向くのが筋であった」と回顧した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 竹下派分裂、羽田派結成 ====&lt;br /&gt;
{{和暦|1992}}、[[東京佐川急便事件]]を巡り、金丸が世論から激しい批判を受け派閥会長を辞任、議員辞職した（東京佐川急便事件に関しては、小沢も{{和暦|1993}}[[2月17日]]に[[証人喚問]]を受けている）。後継会長に小沢は金丸に近かった渡部恒三、[[奥田敬和]]らと共に[[羽田孜]]を擁立し、竹下直系の[[小渕恵三]]を推す[[橋本龍太郎]]、[[梶山静六]]らと対立。当初中立であった参院竹下派に竹下自らが関与して小渕支持を決定。この結果として後継会長は小渕に内定した。敗れた小沢は羽田、渡部、奥田らと[[改革フォーラム21]]（羽田派）を旗揚げし、派閥は分裂した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宮沢内閣改造内閣|宮沢喜一改造内閣]]における羽田派の閣僚ポストは、[[経済企画庁長官]]（[[船田元]]）と[[科学技術庁長官]]（[[中島衛]]）の2つだけと冷遇された。さらに党幹事長には派閥の後継会長を巡り激しい闘争を演じた小渕派の梶山が就任したことで、羽田派は反主流派に転落した。これに対し小沢は主流派を「[[守旧派]]」と、自らを「改革派」と呼び、持論であった[[政治改革]]の主張を全面に訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で小沢は、[[5月20日]]に、著書『[[日本改造計画]]』を発表した（実際に店頭に並んだのは6月下旬）。同書は政治家の著作としては異例の70万部を超える売上を記録し、1993年を代表する[[ベストセラー]]になった。自らの政策・政見を広く国民に問うもので、小沢の理念を基に官僚や専門家を中心に政策としてまとめた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自民党離党、非自民連立政権成立 ===&lt;br /&gt;
{{和暦|1993}}[[6月18日]]、野党から宮沢[[内閣不信任決議|内閣不信任案]]が上程され、羽田・小沢派ら自民党議員39名が賛成、16名が欠席する造反により不信任案は255対220で可決された。宮沢内閣は衆議院を解散した（[[嘘つき解散]]）。同年[[6月21日]]に[[武村正義]]らが自民党を離党（[[新党さきがけ]]を結党）した。これが羽田・小沢派の議員に離党を決断させる一因となり、[[6月23日]]、[[新生党]]を結成した。小沢は幹事長にあたる党代表幹事に就任するが、党結成の記者会見を行ったとき会場に姿が見えず「党首（羽田）の陰に隠れて暗躍している」との批判を受けた。[[新生党]]代表幹事時代には[[番記者]]との懇談会を廃止し、これまでの[[記者クラブ]]中心の会見から海外[[マスメディア|メディア]]や[[週刊誌]]記者なども会見に参加できるようにし注目を集めた。一方、自分の意に沿わぬ記事を書いたメディアと対立を起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月18日]]、[[第40回衆議院議員総選挙|第40回衆院選]]において自民党は過半数割れし、新生党、[[日本新党]]、新党さきがけの3新党は躍進した。宮沢内閣は総辞職した（後任の自民党総裁に[[河野洋平]]が選出）。小沢は総選挙直後から日本新党代表の[[細川護煕]]と非公式に会談した。細川は自民党との連立を検討していたが、小沢から首相就任を打診されたことで非自民勢力へと傾斜した。[[8月9日]]、8党派連立の[[細川内閣]]が成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細川政権下で小沢は内閣とは別に与党の意思決定機関である「連立与党代表者会議」を開き、公明党[[書記長]]の[[市川雄一]]とともに政権の主導権を握ろうとし（[[一一ライン]]）、官邸主導の政治を目論む[[内閣官房長官]]の[[武村正義]]と激しく対立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]]、小沢と[[大蔵事務次官]]の[[斎藤次郎]]が中心となり、[[消費税]]を廃止し7%の福祉目的税を創設するという「国民福祉税」構想を決定した。[[2月3日]]未明、細川は突如、「国民福祉税」構想を発表し、世論の激しい反発を受けた。また、[[日本社会党|社会]]・さきがけ・[[民社党|民社]]各党の批判に合い、翌日、細川は「国民福祉税」構想を白紙撤回するに至った。内閣官房長官の武村は、公然と「国民福祉税構想は事前に聞いていない」と発言、小沢との対立はますます先鋭化した。武村か小沢かの選択を迫られた細川は小沢に軍配を上げ、政権の主導権を奪われた武村や武村率いるさきがけは与党内で孤立し、武村と細川の仲も急速に冷却する。一連の動きに嫌気がさした細川は、[[4月]]に突然辞意を表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細川の首相辞任を受けて、小沢は[[渡辺美智雄]]との提携を企図するが、渡辺は自民党離党を決断できず構想は頓挫。連立与党は羽田の後継首班に合意した。しかし、[[1994年]][[4月25日]]の[[首班指名]]直後に、新生党、日本新党、民社党などが社会党を除く形で統一会派「改新」を結成したため、社会党の反発を招き、社会党は連立政権を離脱し、[[羽田内閣]]は少数与党となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
羽田内閣は1994年度[[予算]]を成立させたが、少数与党状態の解消をねらって行われた連立与党と社会党との間の政策協議は決裂し、自民党によって内閣不信任案が衆院に提出された。当初は羽田も解散する腹で小沢も同調していたが、結局は解散総選挙を断念。[[6月25日]]に内閣総辞職し、羽田内閣は在任期間64日、戦後2番目の短命政権に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は羽田の後継として、かつて自民党幹事長としてタッグを組んだ元首相の[[海部俊樹]]を担ぐことを決めた。海部は当時自民党政治改革議員連盟会長で、[[番町政策研究所|新政策研究会]]（河本派）代表世話人でもあった。[[1994年]][[6月29日]]、自民党は[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]で社会党委員長の[[村山富市]]に投票する方針を示したため、海部は自民党を離党し、「[[自由改革連合]]」を結成、連立与党の首班候補となった。しかし決選投票で261対214で村山に敗れ、小沢は政治家人生において初めて野党の立場に落ちた。新生党内では小沢の責任を追及する声も出たが、旧連立与党を糾合して新・新党の結成を実現するために、小沢の豪腕が必要とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 新進党時代 ===&lt;br /&gt;
1994年[[9月28日]]、[[日本共産党]]を除く野党各党187人により、衆院会派「改革」が結成された。また同日、衆議院議員186人、参議院議員39人、計225人の国会議員による「新党準備会」が正式に発足し、新党準備実行委員長に小沢が選出された。こうして小沢を中心に新・新党結成が準備され、同年[[12月10日]]に[[新進党]]結成大会が行われた。海部が党首となり、小沢は党幹事長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]][[7月]]、[[第17回参議院議員通常選挙|第17回参院選]]で、改選議席19議席を大幅に上回る40議席を獲得した。同年[[12月]]に行われた党首選挙では、羽田・細川らを中心に「小沢外し」の動きがあったため、自ら立候補することを決断、長年の盟友である羽田と激突し、小沢は羽田を破り、第2代党首に選出された。しかし、この党首選挙直後に投票者名簿が破棄されるなど、選挙結果が不明瞭であったため、羽田との決裂は決定的なものとなり、党内に更なる亀裂を生じさせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1996年]][[10月20日]]に[[第41回衆議院議員総選挙|第41回衆院選]]が行われ、新進党は小沢の党党首選での主張を党公約「国民との五つの契約」として[[消費税]]率の3%据え置き、18兆円[[減税]]を[[公約]]したものの、改選前の160議席を4議席減らして156議席に止まり、事実上敗北した。原則比例代表との重複出馬を禁止とし、比例区で[[創価学会]]の支援を期待し[[公明党]]系の議員を優遇したため選挙地盤の弱い若手の[[新党ブーム]]世代の議員が多数落選したため、強い反発を浴びこれが後の政局においても禍根を残す事になった。また選挙直後開票中にも関わらず深夜になるまで党本部に姿を見せず雲隠れするなど党首としてあるまじき態度を取った事も強い批判を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総選挙後、党内に小沢に対する反発が強まり、離党者が続出した。羽田孜や細川護熙らは非主流派を構成し、1996年[[12月26日]]、羽田は奥田敬和、[[岩國哲人]]ら衆参議員13名と共に新進党を離党、[[太陽党]]を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1997年]]、小沢は自民党の[[亀井静香]]らと提携する、いわゆる[[保保連合構想]]に大きく舵を切った。しかし、新進党内には、こうした保保連合路線に対して[[二大政党制]]を志向する立場から反対する勢力も顕在化し、[[鹿野道彦]]は政策研究会「改革会議」を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月18日]]の党首選挙で小沢は鹿野を破り再選された。この党首選に先立ち公明が[[第18回参議院議員通常選挙|次期参院選]]を独自で闘う方針を決定し、新進党離れが加速した。党首に再選された小沢は、純化路線を取り、新進党内の旧公明党グループ・公友会、旧民社党グループ・民友会にそれぞれ解散を要求。[[12月27日]]に小沢は旧公明党の参院議員を分党し公明に合流させるとし、新進党の分党と新党の結成を発表した。新進党内は混乱に陥り、分党を決定した[[両院議員総会]]は、混沌のうちに終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自由党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 結党・与党復帰 ====&lt;br /&gt;
[[1998年]][[1月6日]]、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]を結成、小沢は党首に就任した。当初、100名以上の衆参両議員が集まると思われたが、結局、衆院議員42名、参院議員12名の計54名が参加するに留まり、野党第1党の座を[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]に譲り渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月12日]]の[[第18回参議院議員通常選挙|第18回参院選]]では苦戦必至と思われていたが小沢人気もあり[[比例代表制|比例代表]]で514万票、合計6議席を獲得し善戦した。参院選後の[[臨時会|臨時国会]]では、首班指名に民主党代表の[[菅直人]]を野党統一候補に臨み、参院では自民党の[[小渕恵三]]を抑え菅が指名された（衆院では小渕が指名されたため、[[衆議院の優越]]の原則から小渕が首相に就任した）。&lt;br /&gt;
小沢は参院での野党共闘により政府・自民党を追い込む戦略であったが、菅は「政局にしない」と発言、金融再生法の制定で自民党と協力したことにより野党共闘はほころびを見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1998年[[10月]]、小沢は内閣官房長官[[野中広務]]と会談、連立交渉を開始し、同年[[11月19日]]、小渕内閣との間での連立政権について合意した。そして[[1999年]][[1月14日]]正式に[[自自連立政権]]が成立し、党幹事長の[[野田毅]]が[[自治省|自治大臣]]として入閣、小沢は5年ぶりに与党へ復帰した。この連立の間に衆議院[[議員定数]]20の削減、閣僚ポストの削減、および[[政府参考人|政府委員]]制度の廃止と[[党首討論]]設置を含む国会改革が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年7月、公明党が政権に入り、[[自自公連立政権]]が成立した。自民、公明両党で参院の過半数を抑えることになったため政権内部での自由党の存在感は低下した。自自両党の選挙協力も遅々として進まず、小沢は自民党総裁の小渕総理大臣に対して自自両党の解散、新しい保守政党の結成を要求した。[[中曽根康弘]]、[[亀井静香]]等は小沢の復党を認める方針であったが党内の反小沢勢力は「小沢の復党は認められない、小沢抜きでの復党は認められる。」とし小沢自身も「復党が認められなければ連立解消だ。」と珍奇ともいえる主張を行い両者は[[2000年]][[4月1日]]、会談するが、合意に達せず、結局連立を解消した（なお、この後に小渕は[[脳梗塞]]で倒れ、[[5月14日]]に死去した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 分裂 ====&lt;br /&gt;
自由党は、小沢を支持する連立離脱派と、[[野田毅]]・[[二階俊博]]などの連立残留派に分裂し、残留派は[[保守新党|保守党]]を結成した（分裂の結果、自由党は衆院議員18名、参院議員4名の計22名に半減、保守党には26名が参加）。小沢と袂を分かった保守党は[[政党助成金]]を半分ずつ分け合うために[[分党]]を要求したが、自由党はこれを拒否。保守党議員は離党扱いになり、政党助成金を全く得られず総選挙を迎えることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]][[6月25日]]の分裂直後に行われた[[第42回衆議院議員総選挙|第42回衆院選]]で、小沢人気もあり比例代表で約660万票を獲得、現有議席を上回る22議席を獲得し善戦した。このとき、約20億円を投じたとされる[[テレビ]][[コマーシャルメッセージ|CM]]（小沢が顔を殴られる）は話題となった（一方、保守党は7議席へと激減）。連立離脱後は野党共闘路線へ舵を切ることを余儀なくされたが、（過去に小沢から酷い目に合わされたと感ずる）旧新進党や旧社会党出身者が多い民主党を始めとした野党との関係は当然ギクシャクしたものにならざるを得なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]][[1月]]、将来の指導者育成を目指し、党内に[[小沢一郎政治塾]]（小沢塾）を開設した。なお、小沢塾は民主党との合併後は小沢個人の私塾として運営。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[7月29日]]の[[第19回参議院議員通常選挙|第19回参院選]]では、自民党に[[小泉旋風]]が吹き、小沢の地元・[[岩手県選挙区]]でも大苦戦を強いられたが、僅差で勝利した。議席数は前回と同じ6を維持したものの、自由党の比例代表は約420万票に止まった（第18回参議院選挙より約100万票、第42回衆議院選挙より約220万票の減少）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党へ合流 ===&lt;br /&gt;
[[2002年]]、第19回参議院選挙での結果もあって、小沢は[[鳩山由紀夫]]（当時[[民主党代表]]）からの民主・自由両党の合併に向けた協議提案を受け入れた。しかし、民主党内の調整が不十分であったこと及び民主党内の小沢に対する拒否反応の為に頓挫した（なお、鳩山は代表辞任に追い込まれた）。鳩山辞任後に[[民主党代表]]に選出された[[菅直人]]によって、いったん合併構想は白紙に戻ったが、小沢は党名・綱領・役員は民主党の現体制維持を受入れることを打診し、両党間で合併に合意した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dpj.or.jp/news/?num=4562 民主党・菅代表と自由党・小沢党首が9月末までの合併で合意]民主党公式HP、2003年7月23日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由党と民主党の合併の直前に、自由党から13億6816万円の寄付が[[改革国民会議]]に対して行われた。改革国民会議は小沢一郎が代表を務めており小沢の関連団体である。13億6816万円のうち5億6096万円が税金を原資とする[[政党助成金]]であった。後にこの行為は問題視され、政党助成金法改正案として議論された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090708/stt0907081016002-n1.htm 産経ニュース 2009年7月8日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]][[9月26日]]、自由党は民主党と正式に合併し、小沢は民主党の代表代行に就任した。[[11月9日]]の[[第43回衆議院議員総選挙|第43回衆院選]]で民主党は、公示前議席よりも40議席増の177議席を獲得。民由合併後、小沢が最初に提携したのが旧社会党系の[[横路孝弘]]だった。小沢と横路は安全保障面での政策を擦り合わせ、その後横路と旧社民勢力は小沢と行動を共にした。また、小沢は野党結集のために社民党へも民主党への合流を呼びかけたが失敗に終わった。経済政策では、それまでの[[新自由主義]]から「地方経済」と「[[雇用]]」の重視の方針へ転換した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初、小沢派になると見られていた新自由主義的な「小さな政府研究会」には参加せず、[[東北地方]]出身議員だけをあつめて「東北議員団連盟」を結成し、地域主義への転向の姿勢を見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]][[5月]]、[[政治家の年金未納問題|年金未納問題]]による混乱の責任を取り党代表を辞任した菅の後継代表に小沢が内定したが、直後に小沢自身も[[国民年金]]が強制加入制度になる[[1986年]]以前に未加入だったとして代表就任を辞退した（結局、[[岡田克也]]が後任代表となった）。2004年[[7月11日]]に行われた[[第20回参議院議員通常選挙|第20回参院選]]の後、岡田の要請により党副代表に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]][[9月11日]]、[[第44回衆議院議員総選挙|第44回衆院選]]で民主党は現有議席を60近く減らす惨敗を喫し、岡田は代表を引責辞任し、小沢も党副代表の職を辞任した。岡田の後任代表となった[[前原誠司]]は、小沢に党代表代行への就任を依頼したが、これを固辞した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党代表 ===&lt;br /&gt;
==== 代表就任 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Ichiro Ozawa election.jpg|200px|thumb|民主党ポスターの張られた様子（[[2008年]]1月、[[広島県]][[甲奴町]]）]]&lt;br /&gt;
[[2006年]][[3月31日]]に前原が、「[[堀江メール問題]]」の責任を取って党代表を辞任、[[4月7日]]の民主党代表選で小沢は119票を獲得し[[菅直人]]を破り、第6代の民主党代表に選出された。両院議員総会の演説で小沢は、「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」という19世紀のイタリア貴族の没落を描いた映画『[[山猫 (映画)|山猫]]』の一節を引用し、その上で「まず、私自身が変わらなければなりません」と述べ、「ニュー・小沢」を印象づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表選後、小沢は菅を党代表代行、鳩山由紀夫を党幹事長にする[[トロイカ体制]]を敷いた。また、前執行部と[[民主党の次の内閣一覧|次の内閣]]メンバー全員を残留させた。小沢は[[政令指定都市]]・[[都道府県]]の[[首長]][[選挙]]に関しては原則として[[相乗り]]禁止の方針を打ち出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大半の民主党議員は、小沢の代表就任まで自民党幹事長時代はおろか、つい最近の小沢の動向すら知らず、「選挙に強い」という噂を頼り半信半疑で眺めている者も少なくなかったが、小沢が党代表に就任した直後の[[4月23日]]に、メール問題での逆風下にあった衆議院[[千葉県第7区|千葉7区]][[補欠選挙]]で、僅差ながら勝利を収めた。半年後の[[9月12日]]の民主党代表選に[[無投票]]で再選された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月9日]]の会見で、衆院本会議を欠席しがちな理由として「食後すぐに仕事にとりかからないなど、医者の忠告を守っている」と、自身の体調管理を理由に挙げたことに関し、「議会軽視だ」と各方面から厳しい批判を受けた。また、自身の健康状態を語ったことに対して様々な憶測が流れた。[[9月25日]]臨時党大会で正式に代表に再選された後、[[狭心症]]の発作の兆候を感じたため、都内の病院に検査入院した。[[10月5日]]に退院し、自身の[[動脈硬化]]が進んでいることを明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 国会運営 ====&lt;br /&gt;
民主党代表時代の小沢の国会での論戦は、前原時代の「対案路線」ではなく、「対立軸路線」で与党とは対決姿勢を鮮明にした。自著『[[日本改造計画]]』では、「過半数が賛成している案を、少数のダダっ子がいて、その子をなだめるために、いいなりになってすべてを変えてしまう」のは「少数者の横暴」だと述べている。小沢は「審議を十分に行えば」与党による採決も止むを得ないという立場を取った。一方、議員数の多さを背景に[[強行採決]]した場合には徹底抗戦や[[審議拒否]]も辞さない戦う野党の姿勢も示した。ただし、この姿勢は審議拒否を度々行うことで「充分な審議を放棄した」「与党案の成立を手助けしている」との批判を生むことがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 外交政策での党内対立 ====&lt;br /&gt;
2006年10月に北朝鮮が[[核実験]]を行った後の[[朝鮮半島]]情勢は「[[周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態法]]」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら[[トロイカ体制]]の見解を発表した。しかし、これに対して前代表である前原誠司を始めとする党内の若手から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表し、安全保障政策をめぐる民主党内の対立・不一致が表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は「[[核武装論|核武装の論議]]を是認すれば『[[非核三原則]]を守る』という言葉も国民や国際社会に受け入れられない」と指摘した。しかし、その考えに不満を持つ一部[[保守]]層などが、自由党党首時代[[2002年]]の小沢の発言である「日本は一朝で数千発の[[核弾頭]]を持てる。」と日本の核保有能力について発言したことと比較して批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[防衛庁]]の「省」昇格に対し、自由党時代から防衛庁の省への昇格を主張していた小沢は「国防の任に当たる省庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」と述べた。民主党内には依然反対の声があったため衆院安全保障委員会での防衛「省」昇格関連法案の審議に欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 統一地方選、参院選 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[4月8日]]に[[統一地方選挙]]（前半）が行われ、地元・岩手県の[[岩手県知事|知事]]選挙で'''小沢チルドレン'''の代表格である[[達増拓也]]が当選。[[岩手県議会]]議員選挙でも、議席を増やし第1党を維持し、その他の道府県議選・政令市議選でも民主党は230議席（合併前の自由党含む）から145議席増え375議席に躍進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[4月22日]]に行われた[[統一地方選挙]]（後半）では、[[地方議会|市町村議会選挙]]で、自民党が過去最低議席数になった他、他党が前回議席を割り込む中、民主党は3割近く議席を伸ばした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月29日]]に行われた、[[第21回参議院議員通常選挙]]で民主党は60議席を獲得、参議院第1党となり、野党全体（共産党を含む）で過半数を得た。選挙開票当日は「医者からの忠告」を理由に休養を取っていたとし、小沢はマスコミの前に姿を見せなかったが、[[7月31日]]の党常任幹事会に多くの報道陣が駆けつける中で出席、小沢は公約通り衆議院議員を今後も続けるとした。また、8月に前代表・前原、元代表・岡田等が党副代表に就任し、挙党体制を構築した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ねじれ国会 ====&lt;br /&gt;
[[8月8日]]には、[[11月]]に期限切れとなる[[テロ対策特別措置法]]（テロ特措法）問題についてマスコミ公開の中、アメリカの駐日大使[[ジョン・トーマス・シーファー]]と会談した。シーファーは小沢にテロ対策特別措置法の期限延長に対する理解を求めたが、小沢は[[アフガン戦争]]が国際社会の[[コンセンサス]]を得ていないとして[[海上自衛隊]]の支援活動は認められないと主張し、反対の意向を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe7700/news/20070808i113.htm 小沢代表、シーファー米大使が初会談…テロ特措法で平行線]」 [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]、2007年8月8日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[8月30日]]にはドイツ首相[[アンゲラ・メルケル]]と会談したが、この席でも改めてアフガン戦争が国連によるコンセンサスを得たものではないと主張した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=10873 環境、テロ対策などで意見一致 小沢代表メルケル・ドイツ首相と会談]」 民主党ホームページ、2007年8月30日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。結局テロ特措法は[[安倍改造内閣|安倍内閣]]の突然の総辞職で、有効期限の延長が出来なくなり、そのまま失効した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月12日]]に首相辞任を表明した[[安倍晋三]]の後任となる、[[内閣総理大臣指名選挙]]が[[9月25日]]に行われ、参議院で決選投票の末に[[福田康夫]]（自民党総裁）を抑えて、小沢が指名された（小沢133票、福田106票）。なお、衆議院で指名された福田が[[衆議院の優越]]規定に基づき首相となった。なお、両院の指名が異なったのは[[小渕恵三]]内閣下で民主党の[[菅直人]]が指名されて以来、9年ぶり4度目であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[11月2日]]、小沢は福田と会談し、連立政権について提案があった為、意見を党に持ち帰り臨時役員会に諮ったが、民主党内の反対を受け連立を拒否した。[[11月4日]]、連立騒動の責任を取り代表辞任を表明したが、民主党内の慰留を受け、[[11月6日]]代表続投を表明。[[11月7日]]の両院議員懇談会で代表続投が承認された。{{main|大連立構想 (日本 2007)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、テロ特措法の後継の法律として衆議院に提出されていた[[テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案]]（新テロ特措法）に対する議決が行われ、民主党が多数を占める参議院では反対多数で否決されたが、[[2008年]][[1月11日]]に衆議院本会議で与党の3分の2以上の賛成多数で再び可決・成立した。この再可決の本会議で小沢は採決直前に退席し、党内の一部や他の政党の議員から批判された。対して小沢は「前からの約束で、選挙の約束は一番たがえてはいけないものだ」と強調。[[2008年大阪府知事選挙|大阪府知事選挙]]の応援があったこともあげ、新テロ対策特措法について、「国民にとっても民主党にとっても大事な法案ではない。反対の意思表示は既にしている。後は数あわせの本会議でしかない。結果は目に見えている。批判は理解できない。国民は理解してくれていると思う」と反論した&amp;lt;ref&amp;gt;こうした日本の状況に対して米国や英国では、採決に議員全員が出席しないことを前提としたシステムで議会が運営されており、議員は自分の仕事の優先順位によってはあらかじめ投票を行い採決には欠席するのが普通であるが、[[党議拘束]]のある日本では採決前から結果が決まっていることがほとんどである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月29日]]、衆議院で2008年度予算案が野党3党の欠席のなかで強行採決された。小沢はこれに対し「信頼関係が完全に崩壊した」と発言し、強行採決をしたことで[[日本銀行総裁]]人事に影響を及ぼすのは、避けられないとの態度を示す&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=12799 「信頼関係が完全に崩壊」小沢代表、与党の予算案強行採決を批判]」 民主党ホームページ、2008年3月1日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党も強行採決されたのを受け[[武藤敏郎]]副総裁の[[日本銀行]]総裁への昇格を拒否する方針を決め、参議院で日銀総裁人事を否決した。[[3月18日]]、政府与党は改めて[[田波耕治]]を総裁候補として提示したが、この人事案も参議院で不同意となり、結果として[[白川方明]]が総裁に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月22日]]、民主党代表選で小沢が無投票での3選を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月23日]]、前日まで衆院選対策のため福岡を訪れていたが、予定されていた[[インドの歴代首相|インド首相]][[マンモハン・シン]]との会談を、体調不良を理由に欠席、「会談の頭だけでも出た方がいいと代表にいってほしい」との[[鳩山由紀夫]]幹事長の説得も受け付けず、党役員会などの公務もキャンセルし、鳩山が代わって会談した。翌24日に公務へ復帰、衆院選対策のため青森へ出張した&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢代表、また体調不良&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081024/stt0810240001000-n1.htm 小沢代表、また体調不良 「首相務まるのか」との指摘も] 産経ニュース 2008年10月24日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[5月11日]]、西松建設疑惑関連で公設秘書が逮捕された件で、民主党代表を辞任した。自身の後継を決める代表選挙では、側近として共に[[トロイカ体制]]を支えた[[鳩山由紀夫]]を支持し勝利に導いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党代表代行 ===&lt;br /&gt;
[[5月17日]]、選挙担当の代表代行に就任。[[菅直人]]が代行が多くなったことから小沢に筆頭となるよう要請し、3名の代表代行の中では筆頭扱いとなった。代表代行への就任は実に5年ぶりとなる&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090517/stt0905172147016-n3.htm&lt;br /&gt;
|title=【鳩山新代表会見詳報】「5人が常に心を合わせていく」&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY200905170106.html&lt;br /&gt;
|title=民主幹事長に岡田氏、小沢前代表は代表代行に&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-5-17&lt;br /&gt;
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090517/stt0905172035015-n1.htm&lt;br /&gt;
|title=【鳩山新代表】小沢氏が筆頭代表代行 岡田氏は幹事長に&lt;br /&gt;
|accessdate=5月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第45回衆議院議員総選挙]]で政権交代を果たした後の[[9月3日]]、[[鳩山由紀夫]]民主党代表が小沢に幹事長就任を要請した。これに対し「代表から幹事長の就任を要請された。私は党人だから、お受けすると返事をしてまいりました」と述べ、要請を受け入れる意向を表明した。小沢の幹事長就任については、鳩山の掲げる「政策決定の内閣への一元化」に反して政府と与党の「権力の二重構造」となり、政策面で小沢の影響を排除できなくなるとの見方がでたが、これについて鳩山は「幹事長は党務だ。政策の決定は政府でやると確認した」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090903-OYT1T00998.htm&lt;br /&gt;
|title=小沢氏が民主幹事長、岡田氏は主要閣僚か&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0903/TKY200909030376.html&lt;br /&gt;
|title=小沢氏、民主幹事長に　菅・岡田氏の入閣確実な情勢&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090903NTE2INK0803092009.html&lt;br /&gt;
|title=民主幹事長に小沢氏　岡田氏、重要閣僚で処遇 &lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-3&lt;br /&gt;
|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;rel=j7&amp;amp;k=2009090300991&lt;br /&gt;
|title=盤石政権へ「剛腕」起用＝「二重権力」再来懸念も&lt;br /&gt;
|accessdate=9月4日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党幹事長 ===&lt;br /&gt;
[[2009年]][[9月15日]]の民主党両院議員総会において、正式に幹事長に就任した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|date=2009-9-15&lt;br /&gt;
|url=http://mainichi.jp/select/seiji/seikenkotai/news/20090916k0000m010104000c.html&lt;br /&gt;
|title=民主党：小沢幹事長就任を正式決定　両院議員総会&lt;br /&gt;
|accessdate=9月17日&lt;br /&gt;
|accessyear=2009年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な政治的主張 ==&lt;br /&gt;
最初の著作である「日本改造計画」では[[新自由主義]]を主張したが、民主党代表に就任すると[[リベラル]]色を強めた。一方、2004年に公表した現行憲法の下での国連派遣部隊構想、さらにそれを発展させ2007年10月に公表した国際安全保障政策では、現行憲法との論理的整合性を維持しながら日本の国際安全保障政策（[[国連中心主義]]）を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交、防衛政策 ===&lt;br /&gt;
; 基本姿勢&lt;br /&gt;
: 外交では、[[太平洋戦争]]に対する反省を踏まえて二つの「共生」を主張している。一つは人間と人間、国家と国家との「共生」、つまり日本及び世界の平和を確保すること、もう一つは人間と自然との「共生」、つまり日本が率先して地球環境の保全を進めることである。それ以上に重要なのは、安全保障については、日本の法律より国連決議が風船すると「世界」で述べたことである。その結果、小沢氏は多くの批判を受けることとなった（日本国民が民主主義で選択した日本の法律が、国連の常任安保理事国のせめぎ合いによる決定より劣る、という発言であったため）。&lt;br /&gt;
: また、世界の国々、特に[[アメリカ合衆国|米国]]とは相互の信頼に基づく対等な関係を積み上げ、[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]をはじめ[[アジア]]諸国と平和で自由で開かれた信頼関係の実現を主張した。具体的には、米国との真の[[日米同盟]]の確立、核廃絶、アジア外交の強化、貿易・投資の自由化、[[政府開発援助]]（[[政府開発援助|ODA]]）の抜本的見直し等。[[2009年]][[2月24日]]には「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ…あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う…米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090225/stt0902250151000-n1.htm 「駐留米軍は第7艦隊で十分」 民主・小沢代表] 産経ニュース 2009.2.25&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[A級戦犯]]、[[靖国神社]]&lt;br /&gt;
: [[東京裁判]]は不当な報復裁判であり、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない。しかし当時の国家指導者は敗戦責任があり、[[天皇]]陛下が参拝できるよう靖国神社から削除すべき。行く行かないは個人の自由だが、公約をし、政治信念で行くのならば[[8月15日]]に公式参拝を行うべき。ただし靖国神社は[[戊辰戦争]]の招魂社だという問題がある。小沢自身は[[賊軍]]とされる岩手の出身である。&lt;br /&gt;
: 1986年4月2日の国会答弁では「誰もが自然の気持ちで行くべきであると思う。私もそのような自分の気持ちが沸いてきた時今までも参拝してきたしするつもりである」、「国務大臣であろうがなかろうが今後も行きたい」、「A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない」、「たまたま敗戦によって戦勝国から戦犯とされた人もいる」などの発言があった。&lt;br /&gt;
: また、2008年2月21日の[[朝鮮日報]]からのインタビューでは、「靖国神社問題は日本側が大きな間違いをしている。民主党が政権を取ったら、戦争責任者を靖国神社から分祀し、韓国と中国に強力な信頼関係を築く」と述べた。&lt;br /&gt;
; 核武装&lt;br /&gt;
: 日本には数千発の核兵器を製造する能力がある（2002年）ものの、軍事的、政治的にも何のプラスにもならない。議論もしてはいけない（2006年）。党内には、核保有を認める意見や核武装を議論すべきとの意見があった。&lt;br /&gt;
; [[日本国憲法第9条|憲法9条]]&lt;br /&gt;
: 「[[専守防衛]]」に徹し、憲法前文の平和主義と憲法9条の第一項と第二項は保持。第9.5条として平和のための国際協力と国連待機軍の設置を付加。自衛隊は国防に専念させる。なお、自衛権は、個別的であれ集団的であれ、我が国が急迫不正の侵害を受けた場合に限って行使。急迫不正の定義は明確にしない。&lt;br /&gt;
; [[自衛隊]]の海外派遣&lt;br /&gt;
: 小沢は[[国際治安支援部隊]]に対しては容認しており、[[ダルフール紛争]]への部隊の参加、国連治安支援部隊（[[ISAF]]）への参加など国連中心主義を強調した。ただし、その際の武器の使用基準見直しについては明言していなかった。なお政府は、ISAF本体への護衛参加については、合憲であるとの見解をまとめている。&amp;lt;ref&amp;gt;「自衛隊のアフガン派遣、政府が『合憲』解釈」 『読売新聞』、2007年12月22日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[集団的自衛権]]と[[集団安全保障]]&lt;br /&gt;
: [[イラク戦争]]型 （集団的自衛権の行使）‐ 他国が自衛権を発動して開始した戦争に参戦する[[有志国軍]]（[[OEF]]）への参加は憲法違反だとし、[[テロ対策特別措置法]]の延長にも反対した。&lt;br /&gt;
: [[湾岸戦争]]型（集団安全保障に基づく武力行使） ‐ 国連が承認した[[国連軍]]、[[多国籍軍]]の参加には賛成。&lt;br /&gt;
; [[周辺事態法]]について&lt;br /&gt;
: 2006年10月に北朝鮮が[[核実験]]を行った後の[[朝鮮半島]]情勢は「[[周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態法]]」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら[[トロイカ体制]]の見解を発表した。しかし、これに対して前原誠司を始めとする党内から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表し、安全保障政策をめぐる民主党内の対立・不一致が表面化した。&lt;br /&gt;
; [[北朝鮮による日本人拉致|北朝鮮拉致]]について&lt;br /&gt;
: 「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と述べたと報道された。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n1.htm 【民主党解剖】第1部「政権のかたち」（1）「小沢首相」は大丈夫か] 産経ニュース 2009.3.2&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
; 領土問題&lt;br /&gt;
: 「われわれが与党になったら領土問題にケリをつける」「例えば、[[尖閣諸島]]は歴史的に見ても日本の固有の領土だ。それを明確にさせる。自公政権のように弥縫策で先送りすることはしない」と述べ、領土問題の速やかな解決を宣言している&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008062334_all.html 小沢代表直撃インタビュー]{{リンク切れ|date=2009年5月}}」 [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2008年6月23日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、2008年7月15日には、 記者会見で学習指導要領の竹島問題について問われ、「教科書云々の前に日韓の考え方の差を埋めるために、しっかり話し合いをすべきだ。話し合いを避けて教科書に載せる載せないの類は順序が違う。事実上韓国が実力支配しているわけですから、それを放置しておいて俺の領土だと言ってもどうしようもないでしょう」と日本政府を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&amp;amp;num=13674 2008年7月15日 記者会見]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[チベット]]と中華人民共和国&lt;br /&gt;
: [[2008年のチベット動乱]]の後、2008年4月17日の講演で、チベット問題について「中国の政権が抱える矛盾が民族問題を契機として持ち上がった。共産主義独裁の政権と政治の自由は、原理からいって成り立たない」と発言し、「共産党政権が時代の変化に応じて生き延びようとするなら、自分自身が変化しなければいけない」と中国を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.asahi.com/special/080315/TKY200804170263.html 小沢代表、チベット問題で中国批判 『独裁政権の矛盾』]」 [[朝日新聞|asahi.com]]、2008年4月17日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 防衛庁の省への昇格&lt;br /&gt;
: [[防衛省|防衛庁]]の「省」昇格に対し、自由党時代から防衛庁の省への昇格を主張していた小沢は「国防の任に当たる省庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」と述べた。ただし、民主党内に反対の声があったため衆院安全保障委員会での防衛「省」昇格関連法案の審議は欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 法務 ===&lt;br /&gt;
; 憲法改正（憲法96条）の為の国民投票法案&lt;br /&gt;
: 与党提出の法案に反対した。その後民主党案との修正協議を経て修正与党案が成立した。なお社民・共産は法案そのものに反対した。&lt;br /&gt;
{{main2|国民投票法案については[[日本国憲法の改正手続に関する法律]]を}}&lt;br /&gt;
; [[外国人参政権|永住外国人の地方参政権]]&lt;br /&gt;
: 旧植民地政策により日本に移住、戦後そのまま在住した永住外国人・その家族が日本国籍を獲得しにくい場合でも、その歴史的事情を勘案し、また地域の住民との連帯感を醸成するために地方参政権を与えるべきと主張している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ozawa-ichiro.jp/policy/05.htm 永住外国人の地方参政権について]&amp;lt;/ref&amp;gt;。外国人参政権の獲得を目的に[[在日本大韓民国民団]]から支援の言葉を貰い、小沢もそれに謝意を表明し「帰化した韓国系」の投票を期待しているとの発言をしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://s02.megalodon.jp/2008-1212-1234-59/www.asahi.com/politics/update/1211/TKY200812110336.html 民団、民主・公明支援へ 次期衆院選 選挙権付与めざす]2008年12月12日 朝日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 公務員改革&lt;br /&gt;
: 幹部職員の内閣一元管理。公務員に対しては、スト権の付与と守秘義務違反の軽減を行う。また、政官接触を自由化する。[[特殊法人]]、[[独立行政法人]]、[[特別会計]]は見直す方向。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 経済、財政政策 ===&lt;br /&gt;
[[小さな政府]]ではなく、「官で出来ることは官で、民で出来ることは民で」。過疎化した地方など無駄な[[公共事業]]を極力減らしていく方針。&lt;br /&gt;
; 税制&lt;br /&gt;
: [[年金]]の特定財源化を行い、すべての年金を一元化する。1人月額6万円を支給する基礎年金と従来の保険料方式を維持した所得比例年金の2階建て。[[消費税]]は5%に維持するが、その税収はすべて全額を福祉目的税化し、基礎年金に割り当てる。しかし、消費税5%分（約13兆円）だけでは年金の基礎部分を賄えないため、必要な財源は既存予算から捻出するように努力する。13兆円では、国民の半数にしか年金が支給できないとの批判があったが、「給付する人を低所得者に限るため、13兆円で足りる」と反論した。&lt;br /&gt;
: [[道路特定財源]]の一般財源化を行い、[[揮発油税]]（ガソリン税）の暫定税率を廃止する。2008年[[3月28日]]にはこれに関して「暫定税率を延長する必要はなく、国民生活のために還元をしたほうが良い」と主張した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=12977 『暫定税率を延長する必要はない。むしろ国民に還元すべき』小沢代表]」 民主党ホームページ、2008年3月28日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。廃止に伴う地方財政への影響に関しては、道路特定財源の内で地方へ行くと予定されているのは9000億円であるが、そのうち市町村分の3000億円には手当てが必要であるとの見解を示し、その手当てを[[一般会計]]・[[特別会計]]の余剰金の利用や無駄の削減で市町村分へ配分することは可能だとした&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.dpj.or.jp/news/?num=13128 首相の一般財源化では理解得られない 国民に信を問うべき 小沢代表]」 民主党ホームページ、2008年4月20日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[地方分権]]&lt;br /&gt;
: [[中央集権]]体制から地方主権体制への移行。中央政府の権限は外交・治安などに限定し、その他の権限を地方に移譲する。また、個別[[補助金]]は官僚支配を生み[[利権]]の温床となるため廃止し、自主財源として一括交付する。財源・権限を地方に移譲することで地域経済の活性化につながる。地方分権を推進するため、市町村の300程度への集約を行う。&lt;br /&gt;
; 格差是正&lt;br /&gt;
: 社会的格差を是正する。子育て支援をし、親と同居している世帯に対して「親手当」、子供がいる世帯に対して「子ども手当」を交付する。[[管理職]]は自由競争だが、非管理職は[[終身雇用]]にする。[[労働法]]は長期安定雇用を基本とするべき。挫折した経営者・労働者の再起、再就職の支援制度を拡充する。&lt;br /&gt;
; [[移民]]政策&lt;br /&gt;
: 自民党と財界一部に「移民受け入れ」を検討する動きがある事を受け、「まったくダメだ。現在でも『奴隷労働』と言われる非正規労働者の問題が深刻なのに。発展途上国から単純労働者を受け入れることは、一種の奴隷制度ではないか。治安問題を心配する声もあるが、それ以前に、そういう形での移民受け入れは人間の尊厳に対する冒涜であり、人道的にとても認められない。」と述べ、与党の移民政策を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008062334_all.html 小沢代表直撃インタビュー]{{リンク切れ|date=2009年5月}}」 [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2008年6月23日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育政策 ===&lt;br /&gt;
与党案とは異なる民主党独自の「教育基本法」の制定。教育予算は先進国中低位の現状を是正し引き上げる。5歳から高校まで義務教育を広げる。すべての国民に[[高等教育]]の機会を与えるため、[[奨学金]]制度を拡充する。教師などの教育職員は[[国家公務員]]として身分を安定させ、[[労働争議|争議]]権を認めない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 農業政策 ===&lt;br /&gt;
わが国の安全保障を確保するためには現在39%&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/fbs/dat-fy18/sankou2.pdf PFC供給熱量比率、食料自給率及び飼料需給表]」 [[農林水産省]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;に低下している食料自給率を他の先進国並みに高める。農家、農村の活力を再生するために、穀物などの主要農産物について[[戸別所得補償制度]]を導入する。[[トレーサビリティ (流通)|トレーサビリティ制度]]の拡充と加工食品の原材料も含めた原産地表示の義務づけを行い、食の安全を確保する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 他党、支持母体との関係 ===&lt;br /&gt;
; 選挙協力&lt;br /&gt;
: 思想的には保守であるが、自公政権打倒のためには'''共産党を含めた全野党による選挙協力'''も辞さないことを表明した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2006/ar20060412155540.html 参院選候補選定『直接やる。カギは1人区』]」 『産経新聞』、2007年4月11日付朝刊。&amp;lt;/ref&amp;gt;。社会党の[[社公民路線]]以来、「非自民・非共産」として、共産外しが常態となっていた野党第一党の代表としては異例の見解であった。そのため、自公からはもちろん、党内の[[反共主義]]者からの批判が見られた。共産党は現時点では「市場主義重視」の民主党の「[[第三の道]]」路線に対して自公共々批判的であるため、実現しなかった。&lt;br /&gt;
; 大連立&lt;br /&gt;
: 2007年末に取り沙汰された大連立騒動（[[大連立構想 (日本 2007)]]）では、民主党が政権を取る為には、自民党と連立し、連立政権の中で民主党のマニフェストを実現して、実績と政権担当能力を示す必要があると主張した。大連立構想が立ち消えになった後は自民党との対決姿勢を強め、選挙による政権交代を目指している。&lt;br /&gt;
; [[労働組合]]との関係&lt;br /&gt;
: 未組織労働者や市民層からの支持を増やすことで協調的に労組との関係を維持した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 小沢グループ ==&lt;br /&gt;
小沢一郎を支持する民主党のグループ。もともとは旧自由党出身の議員のみであった。合併当初は「党中党」は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、2004年6月に当時当選1回～2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会「一新会」が発足。これ以降徐々に会合等を開くようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一新会に加え、2005年秋に発足した落選者や候補者を対象とした「一新会倶楽部」に加え、2001年から続く「小沢一郎政治塾」の存在もあって選挙ごとに勢力を拡大。[[2007年]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]で当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。小沢を中心に旧自由党出身の議員の結束は固いが、[[渡辺秀央]]、[[大江康弘]]のように小沢と選挙等をめぐって対立し離党した議員もいる。一方、一新会のメンバーの場合他のグループに参加しているメンバーも多く結束は自由党出身議員と比べ幾分緩い傾向がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政策的にはかつては右派的、新自由主義的なものが多かったが小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れつつある。小沢同様、政策よりも選挙や政局を重視する傾向があり、政策重視を掲げる「凌雲会」や「花斉会」とは対立することが多い&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; [[一新会]] - 約20名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[三井辨雄]]、[[仲野博子]]、[[松木謙公]]、[[石川知裕]]、[[横山北斗]]、[[田名部匡代]]、[[階猛]]、[[石関貴史]]、[[武正公一]]、[[神風英男]]、[[小宮山泰子]]、[[高山智司]]、[[内山晃]]、[[菊田真紀子]]、[[村井宗明]]、[[篠原孝]]、[[牧義夫]]、[[鈴木克昌]]、[[吉良州司]]&lt;br /&gt;
; 旧[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]グループ - 約10名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[藤井裕久]]、[[中井洽]]、[[山岡賢次]]、[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]]、[[黄川田徹]]&lt;br /&gt;
:* 参議院議員 - [[西岡武夫]]、[[一川保夫]]、[[工藤堅太郎]]、[[佐藤公治]]、[[平野達男]]、[[森ゆうこ]]、[[室井邦彦]]、[[広野允士]]&lt;br /&gt;
; その他 - 約10名&lt;br /&gt;
:* 衆議院議員 - [[奥村展三]]、[[青木愛]]、[[太田和美 (政治家)|太田和美]]&lt;br /&gt;
:* 参議院議員 - [[川上義博]]、[[主濱了]]、[[喜納昌吉]]、[[藤原良信]]、[[大久保潔重]]、[[平山幸司]]、[[米長晴信]]、[[谷岡郁子]]、[[藤原良信]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 小沢ガールズは特に定義のないまま第45回衆院選で注目区を制した女性新議員の総称で使われており、また40名と断定するのは不明確だと思われるためコメントアウト &lt;br /&gt;
; [[小沢ガールズ]] - 40名&lt;br /&gt;
: 2009年8月30日[[衆議院]]議員総選挙にに当選した民主党女性[[代議士]]&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 不祥事 ==&lt;br /&gt;
=== 事務所費問題 ===&lt;br /&gt;
[[2007年]][[1月]]、自身の資金管理団体「陸山会」が2005年分の[[政治資金収支報告書]]に4億円を超える不透明な[[事務所費]]を計上していることが発覚した。鳩山幹事長は『（小沢から）「東京都世田谷区内に約3億6500万円相当の土地と建物を購入し、費用を事務所費として計上した」と聞いており「全く問題ない」』と反論した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、自身の資金管理団体が10億円を超す不動産を保有し（小沢個人名義で保有）、またその一部を賃貸運用していることなどが発覚し、物議を醸した。それに対し小沢は1月の衆院代表質問で、これらの「支出の詳細、領収書、関係書類を含め公表する用意がある」とし、同じく事務所費問題を抱える自民党に対し、大臣など責任ある立場の議員に公表を迫った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月20日]]、国会内での記者会見で、東京・世田谷区に約3億7000万円の秘書宿舎を建設し、加えて不動産取引の仲介手数料や[[登記]]費用として1100万円を計上したという、2003年〜2005年の事務所費などを公開した。一方、10億円は国民の常識からかけ離れているとの批判もあるが、それだけ支援者からの寄付金が多かったということであり、また不動産を所有しても政治資金団体の財産なので問題はないと主張した。同時に、資金管理団体の小沢名義の資産を個人資産にしないという確認書を公開した。なお、陸山会の代表は小沢自身であり、この確認書は「陸山会代表である小沢一郎」と「個人である小沢一郎」の間で交わされたものになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後2007年[[10月9日]]、[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]で与野党逆転した後、初の本格的論戦で注目されていた衆議院予算委員会総括質疑の初日、「陸山会」が政治資金で購入したマンションの部屋をコンサルタント会社と財団法人に事務所として貸し、2002年から2006年の間に賃料計980万円を得ていたことが報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9日に民主党幹事長の[[鳩山由紀夫]]は「法に触れるようなことは何もしていない」とコメントし、「このタイミングで問題化させるのは政治的意図があるからではないのか」とも切り返した。また小沢代表も翌10日の記者会見で「1円単位で領収書を公開した2月時点で（メディアから）追及は全く無かった。それが半年以上も経過した今回一面トップで報じることは、政治的思惑でもって意図的に[[誹謗中傷]]した報道であると認識している」とし、これを一面で報じた毎日新聞をはじめ報道を批判するなど強く不快感を示した。なおこれらの違法性を強く否定しつつも今後不動産の売却を進めていく考えを表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この件を報じた週刊現代を名誉毀損で小沢は出版社を提訴。しかし、一審二審ともに小沢側の全面敗訴の判決が出され、上告をしなかったため、小沢の全面敗訴が確定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月13日参議院決算委員会で自民党西田議員が本件について詳細に発表したとき、民主党議員からの野次により委員会が一時中断した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=jKWnCWyRpuc 小沢一郎のマンション疑惑 2009年4月13日参議院決算委員会]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政策秘書公職選挙法違反容疑 ===&lt;br /&gt;
[[第21回参議院議員通常選挙]]で当選した同党の[[青木愛]]の選挙運動員が事務所の指示を受け、参院選公示前日の7月11日、業者に依頼して選挙ポスター付きの看板設置に関する契約を1本当たり500円で千数百万円分の契約を結んだ疑いで逮捕された。印刷会社社長が警察からの事情聴取で、小沢の政策秘書に報告しその内容を掴んでいたのではないかとも取れる供述を行なった。これに対し、小沢自身は8月31日の記者会見で「選挙違反に当たるような行為は一切していないという（秘書からの）報告で、私もそう思っている」と捜査や報道を批判し強く不快感を示した。9月14日、千葉地検は逮捕した印刷会社社長らを「選挙違反にはあたるが、違法性の程度が比較的軽かった」と判断して起訴猶予処分とし、小沢の政策秘書も立件せず捜査を終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政治資金規正法違反疑惑 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float:right&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| id=&amp;quot;toc sub&amp;quot; class=&amp;quot;toc&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;div style=&amp;quot;text-align: center&amp;quot;&amp;gt;'''目次'''&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ul&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#概略|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;1&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;概略&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#経過|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;2&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;経過&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#献金の背景とルート|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;3&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;献金の背景とルート&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#ダミー団体との認識|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;4&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;ダミー団体との認識&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#小沢に対する弁護と批判|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;5&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;小沢に対する弁護と批判&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#報道における問題|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;6&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;報道における問題&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;li class=&amp;quot;toclevel-1&amp;quot;&amp;gt;[[#検察の捜査姿勢に対する賛否|&amp;lt;span class=&amp;quot;tocnumber&amp;quot;&amp;gt;7&amp;lt;/span&amp;gt; &amp;lt;span class=&amp;quot;toctext&amp;quot;&amp;gt;検察の捜査姿勢に対する賛否&amp;lt;/span&amp;gt;]]&amp;lt;/li&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ul&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{see also|西松建設#政治資金規正法違反}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 概略 ====&lt;br /&gt;
準大手[[ゼネコン]]の[[西松建設]]が、OBらを代表とした政治団体を通じて、小沢や[[森喜朗]]・[[二階俊博]]など、与野党の国会議員の資金管理団体へ多額の政治献金を継続していたことが{{和暦|2008}}12月末に表面化した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-12-21/2008122115_01_0.html 裏金疑惑の西松建設 関連政治団体政界に4億2000万円 森・二階・小沢氏ら] しんぶん赤旗 2008年12月21日（2009年3月12日閲覧）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081231-OYT1T00021.htm 西松建設が違法献金か、政治団体隠れみのに4億8千万円 読売新聞 2008年12月31日]{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。これに関連して{{和暦|2009}}[[3月3日]]に陸山会（小沢の資金管理団体）の会計責任者兼公設第一秘書が[[政治資金規正法]]違反の容疑で逮捕された&amp;lt;ref name=sankei090304&amp;gt;『産経新聞』は[[政治資金規正法#トンネル献金|トンネル献金]]の疑いがあることを報じている（「小沢氏秘書ら逮捕 規正法違反容疑で3人 西松トンネル献金」産経新聞 2009年3月4日朝刊1面[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903041340016-n1.htm]）。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/national/update/0303/TKY200903030171.html 民主・小沢代表の秘書逮捕、規正法違反の疑い東京地検 朝日新聞 2009年3月3日]{{リンク切れ|date=2009年4月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 経過 ====&lt;br /&gt;
[[2008年]]12月下旬、[[西松建設]]がOBらを代表とした政治団体（「新政治問題研究会」・「未来産業研究会」&amp;lt;ref&amp;gt;いずれも{{和暦|2006}}末に解散。&amp;lt;/ref&amp;gt;）を通じて、小沢や[[森喜朗]]・[[二階俊博]]など、与野党の国会議員の資金管理団体へ多額の政治献金を継続していたことが表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]3月3日、陸山会（小沢の資金管理団体）の会計責任者兼公設第一秘書が[[政治資金規正法]]違反の容疑で逮捕され、東京にある小沢の資金管理団体「陸山会」事務所には家宅捜索が行われた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-03|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090303/crm0903031826030-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】警察官も出動 赤坂の「陸山会」捜索|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月4日、東京地検特捜部は小沢の地元事務所を家宅捜索&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-04|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903041305014-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】小沢氏の地元事務所を捜索 東京地検特捜部|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月4日、小沢は「献金が違法ということが明らかになったときに返却するつもりだ」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903050043001-n1.htm|title=【小沢氏秘書逮捕】「献金の早期返却望ましい」鳩山氏|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;（政治資金規正法の第二十二条の六の第四項において他人名義による寄附は国庫に帰属するものと定められているため、違法の場合は受取った献金を国庫に納めなければならない&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO194.html#1000000000000000000000000000000000000000000000002200600000000000000000000000000|title=政治資金規正法 第二十二条の六|publisher=総務省法令データ提供システム|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月5日、自民党では二階派及び森が西松建設からの献金の返還を表明&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903051736007-n1.htm|title=自民で次々に「西松献金返還」 でも、団体解散で方法は…|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090305/stt0903052009011-n1.htm|title=森元首相も300万円返還 西松献金|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。大阪府吹田市の阪口善雄市長も「違法性のある献金ならば何らかの形で返したい」と西松建設が購入した70万円分のパーティー券について述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090305/crm0903050145004-n1.htm|title= 【西松献金】吹田市長後援会が100万円分パーティー券購入|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方、衆議院議員時代に西松建設に20万円のパーティー券を購入してもらった長野県知事[[村井仁]]は西松建設からの献金の返却について考慮しないと答えている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090305/lcl0903051853004-n1.htm|title=長野県知事、西松献金返還の考えなし|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月10日、民主党の[[西岡武夫]]参院議院運営委員長が「党執行部と相談した上で検事総長の証人喚問を考えたい」とコメント&amp;lt;ref name=asahi_090313&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-13|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903130121.html|title=検事総長喚問、森法相が反対姿勢 「検察の独立脅かす」|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月12日、東京地検特捜部は小沢の元秘書・[[石川知裕]]衆院議員を参考人聴取した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-12|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903120256.html|title=小沢氏の元秘書・石川知裕衆院議員を参考人聴取 特捜部|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月13日、西松建設の捜査について民主党内から検事総長の証人喚問を求められていることに対して[[森英介|森法相]]は「検察官を証人として国会に出頭させることは、検察官の独立性と公正性の保持の観点から悪影響を及ぼす」として反対を表明した&amp;lt;ref name=asahi_090313 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Nishimatsu Ozawa.PNG|thumb|right|200px|西松建設から小沢側へ行われたとする[[トンネル献金]]（検察による起訴内容）&amp;lt;ref name=sankei090304/&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
2009年3月24日、東京地検は政治資金規正法違反として小沢の公設第一秘書と西松建設前社長を起訴&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm|title=小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。起訴状によると、公設第一秘書は2003年から2006年にかけて西松建設からの献金と知りながらダミーの政治団体「新政治問題研究会」「未来産業研究会」の名義で小沢の資金管理団体である陸山会には2,100万円&amp;lt;!--新しい出典に基づき金額修正--&amp;gt;、小沢が代表を務める民主党岩手県第四区総支部には1,400万円の寄付を受取り、その上で政治資金収支報告書に虚偽の記載を行ったとされた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009032502000073.html 小沢代表続投表明 虚偽記載で秘書起訴「東京新聞」2009年3月25日]{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=https://www.nnn.co.jp/knews/090324/20090324146.html|title=大久保被告の起訴状要旨|publisher=日本海新聞|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月27日、民主党代議士会は小沢の代表続投を了承した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-27|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090327/stt0903271901012-n1.htm|title= 【民主代議士会詳報】（3）完 鳩山氏「政権交代を一番願っているのは小沢代表」（27日午後）|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年4月28日、党本部で記者会見を行い、企業・団体献金の即時全面禁止を表明した。企業・団体献金の取り扱いについて「ディスクロージャー（情報開示）が大事だが、解釈の違いが起きたりすると、政治に間違った影響を与える。即時に全面禁止すべきだ」と述べた。民主党として「即時全面禁止」を盛り込んだ政治資金規正法改正案の提出を検討するとともに、次期衆院選の政権公約（マニフェスト）に盛り込む見通し。一方、法案化については、即座禁止ではなく「5年以内の禁止」を盛り込んだ政治資金規正法改正案の提出を目指している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-04-28|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090428/stt0904281811002-n1.htm|title=もう企業・団体献金はいらない!? 小沢氏が「即時全面禁止」を表明|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-05-09}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党のマニフェストは、菅直人代表代行と岡田克也副代表がそれぞれ党代表を務めていた2002年と2004年の衆院選のマニフェスト（政権公約）では「公共事業受注企業からの政治献金全面禁止」が明記されていたが、小沢が代表に就任した際「個人献金より企業献金の方が癒着が少なく、望ましい」と持論を述べ、2007年の参院選のマニフェストからは削除された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090316/stt0903162150004-n1.htm 企業献金見直し、民主は不一致、与党は様子見 2009.3.16 21:43]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 献金の背景とルート ====&lt;br /&gt;
[[ファイル:Money flow to Ozawa.png|thumb|right|400px|検察側が主張する下請け業者ルート（『産経新聞』による解説）&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090313&amp;quot;/&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1993年の鹿島建設東北支店の談合の仕切り役交代を契機に、公共事業の受注調整に際して小沢側の意向が大きな影響力をもつようになったとされる。一方、西松建設は東北地方を不得手としていたことから、受注の便宜を目的として1995年頃に小沢側と毎年2500万程度の献金を行う約束を行った。その後、東北地方での西松建設の受注高は増加したが、西松内部でも小沢側への献金の効果とする見方&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm|title=小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件|publisher=産経ニュース|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と談合の結果とする見方&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-07|url=http://mainichi.jp/select/jiken/nishimatuuragane/archive/news/2009/03/20090307org00m040042000c.html|title=西松建設裏金：東北の大型工事狙い…小沢氏の影響力期待|publisher=毎日JP|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に分かれているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-22|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903210253.html&lt;br /&gt;
|title=談合事件後の新仕切り役「小沢氏側寄り」 影響力拡大か|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;一方、小沢は献金と工事受注の結果とは関係がないとの認識を表明している&amp;lt;ref name=asahi_090322&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-10|url=http://www.asahi.com/special/plus/TKY200903100290.html|title=「ご迷惑、ご心配、この機会におわび」小沢代表定例会見|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西松建設側の供述によれば、公設秘書は西松建設に対して小沢の地盤である岩手県奥州市で建設中の[[胆沢ダム]]について「胆沢ダムは小沢ダム｣と発言し、献金を要請していたという&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月29日 毎日新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
献金は1999年ごろまでは西松建設名義で行われていたが、2003年以降は以下の2ルートで献金が行われている。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-05|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903050174.html|title=小沢氏秘書、下請け迂回献金も認識 西松側に入金催促|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* 西松建設→政治団体（『新政治問題研究会』・『未来産業研究会』）→陸山会・民主党岩手県第4区総支部等（毎年1500万円）&lt;br /&gt;
:* 西松建設→下請け業者（松和会）→民主党岩手県第4区総支部（毎年1000万円）&lt;br /&gt;
この内、起訴されたのは政治団体経由の献金であり、下請け業者ルートの献金については起訴されていない。なお、談合決別宣言等の影響により2006年の500万を最後に政治団体経由の献金も打ち切られ、政治団体も既に解散している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-24|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090324-OYT1T00034.htm|title=大久保容疑者「どうにか続けて」、西松の献金中止申し出に|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
また西松建設に限らず複数のゼネコンからの下請け業者ルートも報告された&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090313&amp;quot;&amp;gt;「ゼネコンから年2億円」『産経新聞』2009年3月13日朝刊、一面({{Cite web|date=2009-03-13|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090313/crm0903130203002-n1.htm|title=ゼネコンから年2億円 小沢氏側 下請けダミーに？|publisher=産経新聞|accessdate=2009-05-28}})&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、西松建設がおこなった内部調査によれば、政治家への献金目的について「発注を得たいというより、受注活動を妨害しないでほしかった」と供述する社員がいたとしている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-05-15|url=http://s04.megalodon.jp/2009-0616-2217-59/www.asahi.com/special/09002/TKY200905150303.html|title=「受注のため違法献金」 西松建設、内部調査結果を公表|publisher=朝日新聞|accessdate=2009-06-16}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『毎日新聞』 2009年5月16日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ダミー団体との認識 ====&lt;br /&gt;
小沢は秘書逮捕を受けた2009年3月4日の会見で「政治団体の原資がどういう形でどういうところから入ってくるのか、それは知るすべもありません」としていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041118010-n1.htm 【小沢代表会見詳報（4）】「どっかから持ってきたカネだとか、詮索しない」 MSN産経ニュース 2009年3月4日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。この小沢会見の直後、捜査関係者及び西松関係者を情報源として、小沢側が献金に際し直接西松建設と献金額の調整を行い、同社宛てに請求書を送付していたとの報道がなされた。また、検察はこの請求書や西松側の供述を証拠に小沢秘書が西松建設のダミー団体であることを十分認識していたと判断しているとされた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-08|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090308-OYT1T00084.htm|title=西松献金…小沢氏秘書が直接メモやり取り、額決定|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-23|url=http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903220169.html|title=小沢氏秘書を24日起訴 違法献金認識と判断 東京地検|publisher=ASAHI.COM|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-03-08|url=http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009030801000497.html|title=小沢代表側が西松建設に請求書 ダミー団体献金で、違法性認識か|publisher=共同通信|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。西松建設への請求書報道に対し、小沢は3月22日の会見で、秘書に任せていたため小沢自身は当該政治団体からの献金の存在も知らず、請求書の送付についても「わからない」とした&amp;lt;ref name=asahi_090322/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年[[6月19日]]、検察は国沢前社長の初公判において「新政治問題研究会・未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていた」、「西松建設側からの支援は会社として行われてきたもので、窓口となっていた幹部の一存ではなく、西松の社長やしかるべく役職の人が決裁し、会社の経営判断で行われてきたと認識していた」とする小沢秘書の供述調書を明らかにした&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n3.htm|title=【西松事件公判（5）】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」（11：05~11：15）|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090620ddm012040059000c.html|title=西松建設献金事件：検察側冒頭陳述（要旨）|publisher=毎日JP|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090619-OYT1T00830.htm|title=談合が成立し4件を受注…西松事件・検察の冒頭陳述要旨3|publisher=YOMIURI ONLINE|accessdate=2009-07-01}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 小沢に対する弁護と批判 ====&lt;br /&gt;
小沢は[[事件]]について自ら説明をおこなった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304a&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041028006-n1.htm 【小沢代表会見詳報（1）】「（捜査は）不公正な国家権力、検察権力の行使」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041029007-n1.htm 【小沢代表会見詳報（2）】「規正法にのっとってオープンになっている問題」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041110009-n1.htm 【小沢代表会見詳報（3）】「何らやましいことはない」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090304&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903041148013-n1.htm 【小沢代表会見詳報（5）完】「必ず近いうちに嫌疑は晴れる」] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;が、この中で小沢が[[捜査]]について「不公正な[[国家権力]]、[[検察]][[権力]]の行使」と述べていることについては[[民主党]]の内外から批判の声が出ている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090305-OYT1T00929.htm 「検察批判「すべきでない」と前原氏、菅氏は小沢代表に理解」]読売オンライン [[2009年]][[3月5日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903042154023-n1.htm 反発と警戒…自民交錯 小沢氏の「検察批判」発言] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月5日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。また[[報道機関]]による[[世論調査]]では、国民が納得していないとの結果が得られたとしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090309/stt0903091139003-n1.htm 【産経FNN合同世論調査】小沢氏「辞任すべき」47・4% MSN産経ニュース] [[2009年]][[3月9日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090309/stt0903092047010-n1.htm 【産経・FNN合同世論調査】逆風で小沢氏凋落「説明責任果たさず」約8割] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月9日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090326/stt0903261641005-n1.htm 小沢代表「辞任を」66% 79%が「説明納得できず」共同通信調査] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月26日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090330/plc0903301140002-n1.htm 【産経FNN世論調査】「小沢代表辞任を」62% 内閣支持率は上昇] MSN産経ニュース 2009年3月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。3月27日にも民主党の参院議員総会と代議士会で説明しているが、代議士会において[[小宮山洋子]]議員からは「法廷闘争と選挙戦略は全く別だ。地元では『新しい体制を作ってほしい』という声が多い」 と小沢の代表続投に異議を唱えられ、[[近藤洋介 (政治家)|近藤洋介]]議員からは「世論調査では説明に納得していない国民が8割いる。なぜ数千万円の献金をもらい続けたのか」と説明を求められ、一方[[小沢鋭仁]]、[[小宮山泰子]]両議員には代表の続投を支持され、全体として代表続投が決まった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090327-OYT1T01028.htm 小沢代表が党所属国会議員に説明、続投了承される] 読売新聞 [[2009年]][[3月27日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[達増拓也]][[岩手県知事]]は小沢の[[公設秘書|公設第一秘書]]が逮捕された翌日、その[[政治資金規正法]][[違反]]事件について「これほど疑念を持たれている捜査はないんじゃないか。現段階では、よほどのことがないまま政治活動の自由が大きく制限されている」と[[東京地検特捜部]]の捜査を批判し、小沢の[[記者会見]]における[[政治献金|献金]]の違法性の否定については「非常に分かりやすく、得心できた」と大きな意味があったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;のちに達増拓也知事自身も西松建設との関連を指摘されている。[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090306/crm0903061324012-n1.htm 岩手県知事「報道で初めて知った」 西松建設規正法違反事件] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月6日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090304/crm0903042229029-n1.htm 【小沢氏秘書逮捕】「政治活動の自由制限」 岩手知事も批判] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月4日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の[[機関誌]]「プレス民主」[[2009年|09年]][[4月17日]]号で、[[ジャーナリスト]][[高野孟]]と[[田中康夫]][[新党日本#歴代代表|新党日本代表]]がこの捜査や小沢一郎代表交代論を批判した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.smn.co.jp/pod/090420.pdf 代表続投論]「プレス民主」[[2009年|09年]][[4月17日]]号&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党の[[枝野幸男]]元[[政調会長]]は小沢の[[民主党代表|代表]]続投の判断について「今後も説明の努力をされ、（世論調査結果に表れる）納得できないとか辞めるべきだというのを大幅に下げる政治責任がある」とコメントし、小沢が多額の企業献金を得ていることについては「政治体質が私と百八十度違う。我が党の党首にはふさわしくないと一貫して思っている」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903280212.html 小沢氏の進退、世論の受け止め次第と強調 民主・枝野氏] 朝日新聞 [[2009年]][[3月28日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党員である[[小宮山洋子]]議員は公然と小沢の代表辞任を要求していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090325/stt0903251253007-n1.htm 民主、小宮山洋子衆院議員、小沢代表の辞任を要求] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月25日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、民主党の[[菅直人]]代表代行も小沢代表の辞任を求めたと伝えられたが後に釈明している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090403k0000m010071000c.html 民主・菅氏：小沢氏へ辞任求めた発言で釈明] 毎日新聞 [[2009年]][[4月2日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
盟友とされる[[国民新党]]の[[亀井静香]]代表代行は小沢の代表辞任を求めた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090417/stt0904172041005-n1.htm 亀井氏「身を捨てろ」小沢氏に辞任促す MSN産経ニュース 2009年4月17日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[日本共産党|共産党]]の[[志位和夫]][[日本共産党委員長|委員長]]は小沢には「長年多額の企業献金を受けてきたことの総括」と「国民が納得できる説明」が必要とした&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090319/stt0903191632003-n1.htm 企業献金廃止「まず小沢氏から」 共産・志位委員長] MSN産経ニュース [[2009年]][[3月19日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小沢は、この問題における党内の動揺を受け、[[5月11日]]に民主党代表を辞任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 報道における問題 ====&lt;br /&gt;
公設第一秘書の起訴直後、各報道機関によって『秘書が起訴内容を大筋認める』との報道がなされたが、秘書の弁護人は『大筋を認めたとする報道と弁護人らの認識は全く異なっている』とするコメントを発表した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903270484.html 小沢氏秘書の弁護人、報道機関へのコメント公表 - asahi.com 2009年3月27日23時39分] 2009年6月22日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;その後、西松の国沢前社長の公判で『私は新政治問題研究会、未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていました』と秘書が供述したことが判明した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-06-19|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n3.htm|title=【西松事件公判（5）】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」（11：05～11：15）|publisher=産経ニュース|accessdate=2009-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、報道が[[検察]]や与党の意を汲んだマスメディアによる[[情報操作]]であるとの指摘もある&amp;lt;ref name=&amp;quot;sapio20090422&amp;quot;&amp;gt;『[[SAPIO]]』2009年[[4月22日]]号 p.6-11&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、『[[東京新聞]]』が西松から献金を受け取った与党政治家の件について記事にしたところ、東京検察（[[東京地方検察庁]]？）はそれが望ましくない内容であるという理由で、3週間『東京新聞』の取材拒否をしたという&amp;lt;ref&amp;gt;『[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]』2009年[[5月28日]]号 [[:en:MARTIN FACKLER]][http://www.nytimes.com/2009/05/29/world/asia/29japan.html In Reporting a Scandal, the Media Are Accused of Just Listening] なお、東京地検は、同紙が記者クラブに加盟していないことを理由に取材を拒否している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 検察の捜査姿勢に対する賛否 ====&lt;br /&gt;
{{see also|国策捜査}}&lt;br /&gt;
小沢側は事件に対する検察の捜査が[[国策捜査]]に当たると非難した&amp;lt;ref name=FNN_report&amp;gt;[http://s03.megalodon.jp/2009-0422-2011-01/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090331-00000106-san-pol 【本社・FNN合同世論調査】検察捜査 「不公平」46%、「公平」は40% MSN産経ニュース 2009年3月31日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。民主党の[[原口一博]]衆議院議員はこれを否定する一方で捜査当局でしか知り得ない情報がメディアから流布されることを問題とし、国家公務員による秘密漏えいの疑いを指摘している&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月25日衆議院総務委員会&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[上杉隆]]によれば、[[週刊朝日]]をはじめとした一部のマスコミが、小沢よりも検察側に疑義があるとキャンペーンを張ったことで、小沢への批判は弱まったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;ダイアモンドオンライン「週間 上杉隆」2009年09月17日[http://diamond.jp/series/uesugi/10094/?page=3 非記者クラブメディアを排除した鳩山首相初会見への落胆]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公設第一秘書らの起訴の際、東京地検の次席検事は記者会見において「国会議員の政治団体が、特定の建設業者から長年にわたり多額の金銭提供を受けてきた事実を、国民の目から覆い隠したもの。規正法の趣旨に照らして見過ごせない重大で悪質な事案と判断した」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090324/crm0903241523023-n1.htm 小沢氏秘書を起訴 東京地検 西松建設違法献金事件 MSN産経ニュース 2009年3月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;と説明し、記者から「なぜ悪質といえるのか」「被告の認識は」との質問がなされていたが、特捜部長は刑事訴訟法第47条において公判前の書類開示は禁止されていることから&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO131.html#1001000000006000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000|title=刑事訴訟法 第四十七条|publisher=総務省法令データ提供システム|accessdate=2009-05-11}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、公判において明らかにすると回答した。また、収支報告書上に記載された献金についての立件については「寄付者の名義を変えてしまうことをどう評価するか。みなさんにご判断いただきたい」と答えている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20090325ddn003040028000c.html クローズアップ2009：小沢氏秘書起訴 異例の立件に波紋 毎日新聞 2009年3月25日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、小沢と同様に西松建設から献金を受け取った議員のうち、二階を除く自民党議員（森、尾身など）に対し検察側が捜査の動きを見せていないことについて、[[角福戦争]]以降、歴史的に旧田中派と敵対して来た[[清和政策研究会]]の意向が検察の捜査に反映されているとの指摘がある&amp;lt;ref name=&amp;quot;sapio20090422&amp;quot;/&amp;gt;一方、「政治家側がダミー団体と認識していた明確な証拠がないだけ」とする報道もある&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-05-12|url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090512k0000m040124000c.html|title=小沢代表辞任：検察幹部「証拠は十分」、公判に自信|accessdate=2009-05-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『産経新聞』が[[フジニュースネットワーク|FNN]]と合同でおこなった世論調査では、半数近くが「検察側の捜査は政治的に不公平」と回答し、「公平」とする回答を上回った（次期衆院選が近づく時期に国政に影響する捜査が不適切かという件については、「思わない」が「思う」を上回った）&amp;lt;ref name=FNN_report/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 労働保険未加入問題 ===&lt;br /&gt;
{{現在進行|section=1}}&lt;br /&gt;
2009年3月3日、小沢の事務所が雇用しているアルバイトや私設秘書について、労働保険に未加入だったことが分かった。同事務所は「少なくとも3、4年は未加入になっており、かなりの人数分の未納保険料を納付することになる」と説明、今後、過去の雇用状況を調べた上で労働局に届け出る予定としているが、労働保険未加入発覚時のペナルティは、発覚時の前年度と前々年度分の保険料と、10%の追徴金のみであり、未加入分の多くは問責されないこととなる。 同事務所では、小沢の初当選以来、「正規の秘書」以外は届け出ていない可能性もあり、対象者は数百人規模になるという&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/090305/wlf0903050058000-n2.htm 小沢事務所 労働保険未加入も 社民・福島党首も数年間]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== 人物評 ===&lt;br /&gt;
{{独自研究|section=1}}&lt;br /&gt;
かつては「豪腕」、「壊し屋」、と称され、「政治とは権力闘争である」という政治観の持ち主であった。[[金丸信]]は小沢、[[羽田孜]]、[[梶山静六]]の3人を「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と評した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主党内外では小沢[[アレルギー]]の存在が指摘され、これは若手議員よりも自民党当時を知る議員により強いとされた。「独断専行、側近政治、顔が見えない」との批判や、自民党分裂とその後の分裂工作、新進党分裂・解党等がその原因とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
周囲からは東北人気質も相まって朴訥な人物と評された。そのことから説明する努力に欠け、側近が離れる一因となっているとも指摘された。本人曰く「去るもの追わず。来るもの拒まず」。また、強面のイメージであるが私生活では[[恐妻家]]として知られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 健康管理 ===&lt;br /&gt;
1991年に狭心症で入院して以来は健康管理に余念がなく、早朝に30分ほどの散歩をすることを日課とし、アルコールは日本酒を3合までに控えるよう心がけ、約2時間の昼寝を欠かさない&amp;lt;ref name=&amp;quot;産経ニュース2009.3.2 5/5ページ&amp;quot;/&amp;gt;。2008年10月6日から13日まで風邪で入院、同月23日に予定されていた[[インド]]の[[マンモハン・シン|シン]]首相との会談を含む党役員会などの公務も体調不良ということでキャンセルし、シン首相との会談は[[鳩山由紀夫|鳩山]]幹事長が代理を務めたものの健康不安説も再燃した&amp;lt;ref&amp;gt;『産経新聞』2008年10月24日朝刊&amp;lt;/ref&amp;gt;。第171回国会（会期2009年1月5日 - 6月3日）では、2月末までに11回開かれた衆院本会議のうち4回欠席している。&amp;lt;ref name=&amp;quot;産経ニュース2009.3.2 5/5ページ&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|title=【民主党解剖】第1部「政権のかたち」（1）「小沢首相」は大丈夫か （5/5ページ） |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n5.htm |publisher=産経ニュース |accessdate=2009年3月2日 |date=2009年3月2日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 信条 ===&lt;br /&gt;
[[田中角榮]]を『'''オヤジ'''』として慕い、政治のイロハと人生の薫陶を受けたと語る。それは「どぶ板」とも言われる、[[人口密度]]の低い農村部から始め有権者の家を一戸一戸回っていく地道な選挙活動を決して怠らない事をオヤジから学んだという。歴史上の人物では、[[福澤諭吉]]を日本文明の祖として尊敬し、[[西郷隆盛]]を尊敬するものの、政治家・人物としては[[大久保利通]]を目指していると述べた&amp;lt;ref&amp;gt;『小沢主義志を持て、日本人』 ISBN 4797671297 より&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[司馬遼太郎]]を愛読している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自民党離党 ===&lt;br /&gt;
小沢が自民党を離党した理由は、「談合政治」と言われる旧来型政治の打破と、[[イギリス]]や[[アメリカ]]のような[[二大政党制]]に持って行きたいという明確なビジョンがあったという。その思惑は、小沢が[[自由党]]を[[民主党]]に合流させることで成就するのだが、[[小選挙区制]]を導入すれば同じ選挙区から[[自民党]]と[[社会党]]の政治家が選ばれるということが無くなるためであった。小沢は、自ら進んで自民党を離党したのでは無く、既得権益を持った一部の議員に追い出されたのだと述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
; 実家&lt;br /&gt;
* 父・[[小沢佐重喜|佐重喜]]（弁護士、政治家）&lt;br /&gt;
* 母・みち（元千葉県会議員[[荒木儀助]]の四女）&lt;br /&gt;
:[[奥野修司]]の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁には｢みちは[[明治]]三十四年二月十五日に[[千葉県]]の元[[庄屋]]の娘として生まれている。実家はかなりの[[豪農]]で生まれたときからお嬢様として育てられたという。九段の精華高等女学校では、のちの[[鹿島建設]]会長夫人になる[[鹿島卯女]]も同窓だった。｣、85頁には｢このみちは[[明治]]三十四年に[[荒木儀助]]と妻かのの四女として[[千葉県]][[東葛飾郡]][[風早村]]で生まれているが生家は“[[駅]]からよその土地を踏まずに家まで帰ることができた”といわれるほどの大[[地主]]だったようだ。父親の儀助も[[千葉県]]の県会議員になっているほどだからかなり裕福だったことは推測できる。両親はともに教育熱心だった。のちに[[医者]]や[[弁護士]]になっている家族もたくさんいて、みち自身も東京九段の精華高等女学校を[[卒業]]しているほどである。｣とある&lt;br /&gt;
* 姉（2人）&lt;br /&gt;
; 自家&lt;br /&gt;
* 妻・和子（[[新潟県]]の建設会社[[福田組]]会長・福田正の長女）&lt;br /&gt;
* 三男あり&lt;br /&gt;
; 他家&lt;br /&gt;
* その他の親戚・[[竹下亘]]（政治家、元[[首相]][[竹下登]]の異母弟、妻は福田正の二女）、[[金丸信]]（政治家）など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
; 小沢家&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0001/05805140001033c.html 衆議院会議録情報　第058回国会　本会議　第33号]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:小沢一郎は自身の[[家系]]について、[[古代]]東北の英雄として知られた[[蝦夷]]･[[アテルイ]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://homepage2.nifty.com/tanizoko/aterui.html アテルイ]&amp;lt;/ref&amp;gt;の末裔であるため“反骨精神が旺盛だ”と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/2005/05.01.21.htm 小沢一郎（下） アテルイの末裔 だから反骨精神旺盛 ]&amp;lt;/ref&amp;gt;。父[[小沢佐重喜]]は[[岩手県]][[胆沢郡]]水沢町（現[[奥州市]]）の[[農家]]に生まれ、{{和暦|1923}}、[[日本大学]][[法学部]]を卒業するとその年の12月に25歳の若さで[[司法試験|弁護士試験]]に合格し翌年弁護士事務所を開業する。[[東京市]]会議員、[[東京府]]会議員を経て、{{和暦|1946}}、衆議院議員に当選する。[[第2次吉田茂内閣]]の[[運輸大臣]]、[[第3次吉田茂内閣]]の[[逓信大臣]]、初代[[郵政大臣]]兼初代[[電気通信大臣]]、[[第5次吉田茂内閣]]の[[建設大臣]]、第2次池田内閣で[[行政管理庁]]長官、[[北海道開発庁]]長官等を歴任する。父・[[小沢佐重喜|佐重喜]]について一郎は｢親父は、じいさまが[[酒]]に溺れて身上をつぶして[[水呑百姓|水飲み百姓]]の[[小作人]]のせがれとして食うや食わずで育ったんだ。それで、ものすごく貧乏だったせいかどちらかというと反体制的な考え方だった。[[戦後]]の[[経済]]万能主義の社会や政治を嫌悪していたし、エスタプリッシュメントというものに対する反発を非常に強くもっている男でした｣と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;奥野修司の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』105頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　（14代）&lt;br /&gt;
　　　竹中藤右衛門━━┳寿美&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┣竹中宏平━━竹中祐二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　┗竹中錬一　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　米内光政━━━━和子　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　（元首相）　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　（元首相）　　┃　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　┏竹下勇造━━━━┳竹下登━━┳公子&lt;br /&gt;
　　　┃　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　┗武永貞一　　　　┣竹下三郎　┣まる子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┗一子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃金丸信━━━金丸康信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗竹下亘　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　&lt;br /&gt;
　　　　福田正━━━━━┳雅子　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┣福田実　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┗和子　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┏男　&lt;br /&gt;
　　　　小沢佐重喜　　　　　┣━━━━╋男　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　┃　　　　　　　┃　　　　┗男&lt;br /&gt;
　　　　　　┣━━━━━小沢一郎&lt;br /&gt;
　　　　　　┃&lt;br /&gt;
荒木儀助━━みち　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
; 田中角栄&lt;br /&gt;
:* [[田中角栄]]の長男である正法（1947年、5歳で夭折）と小沢が同じ1942年生まれであったため、角栄は小沢を息子のように可愛がったとされた。それに対して小沢も角栄を慕い、田中派から独立した経世会に所属した国会議員で唯一、田中の[[裁判]]をすべて欠かさず傍聴した。旧竹下派の中では唯一田中家・[[田中真紀子]]から許されているため、[[命日]]には田中家を訪問した。そのため親交が深く、真紀子の自民党離党、民主党会派入りに小沢は尽力した。また、「政治の父は田中角栄」と公言した。&lt;br /&gt;
:* かつて田中角栄の懐刀だった小沢と福田の因縁の戦いは、'''「第二の[[角福戦争]]」'''と呼ばれた。しかし当人たちにはそのつもりが全く無く、福田を舌鋒鋭く批判する角栄の娘の[[田中真紀子]]元外相の方が注目され、これが真の「第二の[[角福戦争]]」だと見る向きもあった。&lt;br /&gt;
; 囲碁&lt;br /&gt;
: 2007年10月、[[自民党]]元官房長官の[[与謝野馨]]と囲碁で対決した。二人は政界きっての囲碁の実力者で2時間半の激戦の末、小沢が勝負を制した。小沢は「こっち（与謝野氏）は正統派だしね」、与謝野も「（小沢氏との）最後の一局は、4、5年前、私が負けたんですよ」と互いに勝負の感想を述べた。また、12月には作家の[[渡辺淳一]]と囲碁で対決し、小差ながらも勝利した。&lt;br /&gt;
; 愛犬&lt;br /&gt;
: 2006年4月の衆議院[[千葉7区]][[補欠選挙]]で党の広告に[[柴犬]]の「もも」を起用。補選で「もも」は小沢や候補者たちの応援に出向き話題をさらった。小沢によれば当時の小沢の飼い犬であった柴犬「ちび」と似ているという。2007年10月、その「チビ」を失うが、2008年、新たに柴犬の子犬2匹を飼い始め、毛並みの色から「クロ」、「チャイ」と名付けた&amp;lt;ref&amp;gt;「元気の源？かわいい子犬2匹 民主・小沢氏を毎晩お出迎え」 『朝日新聞』、2008年5月22日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; ニートについて&lt;br /&gt;
: 2005年3月の夕刊フジのコラムにて、[[ニート]]について以下のような見解を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/fuji/2005/fuji20050419134025.html 剛腕コラム 第226回]」 『夕刊フジ』、2005年3月25日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:: 「本人たちは「誰の迷惑にもなっていない」と言うかもしれないが、親の稼ぎで食わしてもらっているうえ、国民全体で支える公共的サービスは享受している。病気でもない働き盛りの若者が、漠然と他人に寄生して生きているなど、とんでもない。」&lt;br /&gt;
:: 「政府は「[[少子化|少子]][[高齢化社会|高齢化]]の進む人口減少社会で、経済の活力を一段と失わせかねない」として、今後、ニートの就職支援に本腰を入れるというが、果たしてそんな次元の話なのか。僕に言わせれば対策は簡単だ。一定の猶予を与えて、親が子供を家から追い出せばいい。無理矢理でも自分の力で人生を生きさせるのだ。追い詰められれば、彼らも必死に考えて行動するはずだ。それでも働きたくないというなら、勝手にすればいい。その代わり、親の世話には一切ならず、他人に迷惑（犯罪も含む）もかけず、公共的サービスも受けないことだ。[[無人島]]でも行って[[自給自足]]の生活でもすればいい。」&lt;br /&gt;
: またニートの親については、「僕は自宅で小鳥を飼っているが、親鳥はヒナが大きくなるまでは一生懸命に世話をするが、一定の時期がくると冷たいほど突き放して巣立ちさせる。ニートの親は動物にも劣るといっても過言ではない」と評し、その責任を激しく糾弾した。&lt;br /&gt;
; 韓国をめぐるエピソード&lt;br /&gt;
:* [[1999年]]4月に[[大韓民国|韓国]]を訪問した際、同月18日に日本の党幹部・閣僚クラスの政治家としては初めて（当時）となる、[[ソウル特別市|ソウル]]にある[[金九]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://english.hani.co.kr/arti/english_edition/e_international/374021.html 【Japan’s Election】 Japan’s Democratic Party foreign policy platform prioritizes Korean peninsula] Hankyoreh Aug.31,2009&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[尹奉吉]]、[[李奉昌]]、[[白貞基]]といった、抗日[[独立運動家]]の墓地を参拝した。この事に関して、[[東亜日報]]は「新しい韓日関係のため韓国に近づこうとする努力の一環として評価している」と報じ、[[文化日報]]は「[[極右]]保守的なカラーを薄めるための高度の計算だとの指摘もある」と述べた。&lt;br /&gt;
:* 小沢は日本の政治家としてはじめて韓国人秘書を正式に受け入れた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;/&amp;gt;。2000年に登用された韓国人女性である[[金淑賢]]は国際担当秘書を務めており、海外の要人との会談時には通訳をしていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|title=小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書 |url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2007/08/09/0400000000AJP20070809003300882.HTML |publisher=[[聯合ニュース]] |accessdate=2009年3月2日 |date=2007年8月9日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。身分として国が雇い給与が高い公設秘書（公設第1・第2・政策担当）ではなく、私費で雇い給与の安い数十人の私設秘書の中の一人であった{{fact|2009年2月}}。また、この女性は日本の政界に従事するという関係から、駐日韓国大使館とも随時政局などについて情報交換を行っていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書&amp;quot;/&amp;gt;。この韓国人秘書は2007年7月に韓国政府の[[大韓民国女性部|女性部]]主催の「世界韓民族女性ネットワーク」に日本側代表として参加している&amp;lt;ref name=sougou&amp;gt;{{cite news|title=한국 여성、 日 오자와 대표 비서로 맹활약（韓国女性、日本小沢代表秘書として活躍） |url=http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/08/09/0200000000AKR20070809140900073.HTML |publisher=[[聯合ニュース]] |language=朝鮮語 |accessdate=2009年3月2日 |date=2007年8月9日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。この団体は、欧米各国で[[従軍慰安婦]]に関する日本政府への抗議デモや集会を700回以上行っている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|title= &amp;quot;사과하라!&amp;quot; 베를린에 울려퍼진 '700회 수요집회' |url=http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000316972 |publisher=[[OhmyNews]] |accessdate=2009年3月2日 |date=2006年3月16日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。なおこの女性は小沢の秘書を務める傍ら東京大学の博士号を取得し、[[2008年]]5月に秘書を離職した後は大学院の教員に就任している。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/misc/brochure/brochure_2009.pdf 東北大学公共政策大学院 2009年度大学院案内] 2009年3月2日 閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* 小沢は、韓国人の一部が領有権を主張し、韓国資本に土地が買収されている問題が発生している[[対馬]]について、前連合会長の[[笹森清]]に「どう思うか？」との質問をし、笹森が「私は対馬のことを心配している。ウォン経済に買い占められそうだ」と答えると、小沢は「今は絶好のチャンスだ。円高だから（韓国領の）[[済州島]]を買っちまえ」と[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]][[衆議院議員]]の[[パーティー]]で行ったあいさつで語ったことが各報道機関によって伝えられた&amp;lt;ref&amp;gt;2009年3月11日 時事通信&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090313/stt0903130116000-n1.htm 波紋呼ぶ小沢氏の「済州島買っちまえ」発言][[産経新聞]][[2009年]][[3月13日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;、小沢自身はこの発言の存在を否定している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090312/stt0903121344006-n1.htm 【小沢代表ぶら下がり詳報】「済州島買え？　そんなこと言ってない」１２日昼][[産経新聞]][[2009年]][[3月12日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 米国、中国との国際交流&lt;br /&gt;
: 小沢は、日米、日中の交流が世界の平和と安定に不可欠と考えて、政治家としての公的な仕事とは別に自分のライフワークとして草の根レベルの国際交流活動を続けた。米国とは1990年に「ジョン万次郎の会」を立ち上げ、1992年に財団法人ジョン万次郎ホイットフールド記念国際草の根交流センターを設立した。2001年、日本に関心の高い[[シカゴ]]市の特定中学校の生徒を毎年20人程度日本に招待した。中国とは、1986年に第1回長城計画が中華全国青年連合会の協力を得て開催され、青年指導者、大学生を毎年数十名を招待した。国際交流活動は、実施団体とともに小沢事務所が担当したため、複数の外国人の大学院留学生が事務所で働いていた。&lt;br /&gt;
; ニコニコ動画&lt;br /&gt;
: [[2007年]]7月、[[第21回参議院議員通常選挙]]の直前に[[ニコニコ動画]]へ出演し、話題となった。その後も[[2008年]]11月や[[2009年]]元旦に「1万人ネット会見」を行った。また、2008年9月から公式動画コーナー「小沢一郎チャンネル」を開設した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発言 ==&lt;br /&gt;
* 「公約は膏薬（こうやく）。張り替えれば効き目がでる」（新進党時代の同僚議員への口癖）&lt;br /&gt;
* 「どの女と寝ようといいじゃないか」（1994年、野党連合政権時代に新会派設立への動きを例えて）&lt;br /&gt;
* 「記者会見はサービス」（1993年、記者団に）&lt;br /&gt;
* 「日本人は特殊な人種だ。（世界から）特殊学級扱いされている。ばかじゃないかと」（2003年 [[小泉純一郎]]首相の自民党総裁再選を批判して）&lt;br /&gt;
* 「安倍内閣は脳死状態」（2007年、参院選敗北後の安倍晋三内閣の求心力低下を皮肉り）&lt;br /&gt;
* 「給油法案は、国民にとって重要な法案ではない」（2008年、同法案の衆院再議決を欠席したことについて）&lt;br /&gt;
* 「日本がもたもたして在日韓国人の地方参政権を認めないのは遺憾だ」（2008年、韓国の李明博大統領との会談で）&lt;br /&gt;
* 「総理大臣になって首脳会談ということなら、多少体調が悪くても欠席することはない。私、野党だから。総理大臣じゃない。国務大臣でもない。勘違いしないでください」（2008年、インド・シン首相との会談をドタキャンしたことについて）&lt;br /&gt;
* 「おれはまったく米国のことは信用していない。日本の国益を守るために言うべきことは言わないといけない」（2009年2月14日都内の料理屋で国民新党の亀井静香代表代行らと会談において、クリントン米国務長官から会談を打診されていることに関して）&lt;br /&gt;
* 「私は、日米同盟がなによりも大事であるということをずーっと以前から、最初から唱えてきたひとりでありますと。」 （2009年2月17日クリントン国務長官との会談後のインタビューで）&lt;br /&gt;
* 「政治の細かいことを知る必要はない。自分たちの1票で政権を代えることができる。それだけを分かってもらえたらいい」（2008年10月19日 インターネットのテレビ番組にて）&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081019/stt0810192254004-n1.htm 小沢氏、ネットで若者に政権交代アピール]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「僕は選挙担当だから。選挙以外のことは他の人に聞いてください。」（2009年05月30日TBS[[知っとこ!]]西松問題の説明責任を問われて）&lt;br /&gt;
* 「担ぐ神輿は軽くてパーなのが一番だ。」（但し、これは実際には側近平野貞夫の発言「担ぐ神輿は軽いほうがいい」を誇張して小沢の発言として伝えられたもの）&lt;br /&gt;
* 「自民党に投票したら投票に行かなかった人と同じで政治について文句を言う資格はない」&lt;br /&gt;
* 「これ以上何を謝ればいいんだ。」[[盧泰愚]]大統領訪日の際に。&lt;br /&gt;
* 「じゃあやり直したらいいじゃねえか、そんな事を言うんだったらやりなそうじゃないか。」[[宗教法人法]]改正問題で[[大久保直彦]]議員らに小沢の姿勢は弱腰と詰問され野次に対しての応酬で。&lt;br /&gt;
=== 拉致問題に関する発言 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月2日付産経新聞朝刊1面における「民主党解剖1」の記事中において、小沢が、2月上旬、都内で開かれた民主党議員と支持者による会合において「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と発言したことが報じられた。&lt;br /&gt;
この記事を受けて、救う会には、電話やメールで問合せが殺到し、救う会では、西岡力会長代行が「小沢民主党代表発言は事実なのか」と題するコメント&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1808] 小沢民主党代表発言は事実なのか（救う会全国協議会ニュース、2009.03.02）&amp;lt;/ref&amp;gt;を発表した。&lt;br /&gt;
これに対して民主党は、民主党幹事長代理から産経新聞社編集局長と政治部長宛に「記事は『事実無根の報道』」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1809] 記事は「事実無根の報道」と民主党が反論（救う会全国協議会ニュース、2009.03.03）&amp;lt;/ref&amp;gt;として記事の訂正と謝罪を求め、3月4日中に回答することを要請した。&lt;br /&gt;
この要請に対して、産経新聞政治部長は、3月4日、文書で民主党幹事長代理宛に「正当な取材の結果得られたもので、かつ裏づけもとれているもの」という旨を回答&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1810 記事は「正当な取材の結果」と産経新聞が回答] （救う会全国協議会ニュース、2009.03.05）&amp;lt;/ref&amp;gt;している。なお、小沢のこの発言については、産経新聞以外のメディアではほとんど取り上げられず、民主党も、救う会へ宛てたFAX以外では、反論も含めて一切触れていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所属議員連盟 ==&lt;br /&gt;
* [[憲法調査推進議員連盟]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.kenpoukaigi.gr.jp/tyousakai/20040414kenpougiren-kiyaku&amp;amp;meibo.pdf#search='憲法調査推進議員連盟 憲法調査推進議員連盟規約]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 民主党東北議員団連盟&lt;br /&gt;
* 民主党日英議員連盟&lt;br /&gt;
* [[北京オリンピックを支援する議員の会]]顧問など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 選挙歴 ==&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!当落!!選挙!!施行日!!選挙区!!政党!!得票数!!得票率!!&amp;lt;small&amp;gt;得票順位&amp;lt;br/&amp;gt;/候補者数&amp;lt;/small&amp;gt;!!比例区!!&amp;lt;small&amp;gt;比例順位&amp;lt;br/&amp;gt;/候補者数&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第32回衆議院議員総選挙]]||1969年12月27日||[[岩手県第2区 (中選挙区)|岩手県第2区]]||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''71,520'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''26.71'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第33回衆議院議員総選挙]]||1972年12月10日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''60,675'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''19.18'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''2'''/8|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第34回衆議院議員総選挙]]||1976年12月5日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''71,449'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''21.98'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第35回衆議院議員総選挙]]||1979年10月7日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''70,183'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''21.52'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第36回衆議院議員総選挙]]||1980年6月22日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''72,838'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''22.27'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/8|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第37回衆議院議員総選挙]]||1983年12月18日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''63,212'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''18.87'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''4'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第38回衆議院議員総選挙]]||1986年7月6日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''95,208'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''24.80'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第39回衆議院議員総選挙]]||1990年2月18日||岩手県第2区||自由民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''89,449'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''24.08'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/7|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第40回衆議院議員総選挙]]||1993年7月18日||岩手県第2区||新生党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''142,451'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''40.82'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/6|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第41回衆議院議員総選挙]]||1996年10月20日||[[岩手県第4区]]||新進党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''125,619'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''64.68'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第42回衆議院議員総選挙]]||2000年6月25日||岩手県第4区||自由党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''119,099'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''59.70'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第43回衆議院議員総選挙]]||2003年11月9日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''128,458'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''65.11'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第44回衆議院議員総選挙]]||2005年9月11日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''124,578'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''59.95'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/4|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|当||[[第45回衆議院議員総選挙]]||2009年8月30日||岩手県第4区||民主党||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''133,978'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''62.55'''||align=&amp;quot;right&amp;quot;|'''1'''/5|| - || -&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;11&amp;quot;|当選回数14回 （衆議院議員14）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文献 ==&lt;br /&gt;
=== 著作 ===&lt;br /&gt;
; 単著&lt;br /&gt;
* 『[[日本改造計画]]』（[[講談社]]、1993年5月、ISBN 4062064820）&lt;br /&gt;
* 『語る』（小林泰一郎構成、[[文藝春秋]]、1996年4月、ISBN 4163502106）&lt;br /&gt;
* 『男の行動美学』（[[プラネット出版]]、1999年9月、ISBN 4939110028）&lt;br /&gt;
* 『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』（[[五百旗頭真]]・[[伊藤元重]]・[[薬師寺克行]]編、[[朝日新聞社]]、2006年6月、ISBN 4022501634）&lt;br /&gt;
* 『剛腕維新』（[[角川学芸出版]]、2006年8月、ISBN 4046210885）&lt;br /&gt;
* 『小沢主義（オザワイズム）―志を持て、日本人』（[[集英社]]、2006年9月、ISBN 4797671297）&lt;br /&gt;
; 共著&lt;br /&gt;
* 『日米関係を読む』（アジア調査会編、[[ジェームズ・ファローズ]]・[[松永信雄]]共著、プラネット出版、1990年11月、ISBN 4881913123）&lt;br /&gt;
* 『ジョン万次郎とその時代』（[[川澄哲夫]]編、[[廣済堂出版]]、2001年7月、ISBN 4331507963）&lt;br /&gt;
* 『政権交代のシナリオ―「新しい日本」をつくるために』（[[菅直人]]共著、[[PHP研究所]]、2003年11月、ISBN 4569631908）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連文献 ===&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の「真実」―金丸、竹下を手玉にとる剛腕幹事長』（[[アイペック]]、1990年、ISBN 4870471000）&lt;br /&gt;
* 『平成名勝負物語—橋本龍太郎vs小沢一郎』（[[小林吉弥]]著、[[勁文社]]、1990年、ISBN 4766912497）&lt;br /&gt;
* 『劇画 橋本龍太郎VS小沢一郎—激闘譜』（[[さいとうたかを]]著、日本フローラルアート出版局、1991年、ISBN 4930831008）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の政治謀略―政界の裏の裏がわかる本』（菊池久著、[[山手書房新社]]、1991年、ISBN 4841300228 ）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎探検』（朝日新聞政治部編、[[朝日新聞社]]、1991年、ISBN 4022563435）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎・全人像』（小田甫著、[[行政問題研究所出版局]]、1992年、ISBN 4905786908）&lt;br /&gt;
* 『平成動乱 小沢一郎の野望』（[[板垣英憲]]著、[[DHC]]、1993年、ISBN 4887240023）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の秘密』（[[佐藤淳一]]著、[[データハウス]]、1993年、ISBN 4887181698）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎・日本改造計画の危険性』（[[本澤二郎]]著、[[エール出版社]]、1993年、ISBN 4753912345）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の逆襲―ベールに包まれた政界再編のシナリオを読む!』（[[竜崎孝]]著、サンドケー出版局、1993年、ISBN 491493809X）&lt;br /&gt;
* 『あの人 ひとつの小沢一郎論』（[[渡辺乾介]]著、[[飛鳥新社]]、1993年、ISBN 4870311291）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の腕力ポイント読み』（[[伊勢暁史]]著、[[明日香出版社]]、1994年、ISBN 4870307081）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎総理大臣待望論』（板垣英憲著、ジャパン・ミックス、1994年、ISBN 4883211541）&lt;br /&gt;
* 『どっこい小沢一郎は生きている 全発言で探る、この男の次の一手』（[[上之二郎]]著、[[ベストセラーズ]]、1994年、ISBN 4584191131）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎真実の叫び―これだけはいいたい 小沢は日本の未来に危惧を抱き、平和な国と社会のために改革を図る』（[[蒲生輝]]著、[[三心堂出版社]]、1994年、ISBN 4915620778）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎日本国崩壊をすくう』（蒲生輝著、三心堂出版社、1994年、ISBN 4915620956）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎―覇者の履歴書』（[[奥野修司]]著、データハウス、1994年、ISBN 4887182457）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の日本vs.武村正義の日本―あなたはどちらの国に住みたいか この2人がわかれば日本の将来が見えてくる』（[[小板橋二郎]]著、[[こう書房]]、1994年、ISBN 4769605080）&lt;br /&gt;
* 『池田大作vs小沢一郎 どうなる日本どうなる両雄の展開』（[[後藤寿一]]著、[[銀河出版]]、1994年、ISBN 4906436412）&lt;br /&gt;
* 『「小沢一郎日本改造計画」への挑戦状! 20代議員の描くキラリと光る改造計画』（「新党20代議員の会」編著、[[マネジメント社]]、1994年、ISBN 4837803431）&lt;br /&gt;
* 『河野洋平と小沢一郎の大戦略―宿命のライバル』（[[本沢二郎]]著、[[総合法令]]、1994年、ISBN 4893463829）&lt;br /&gt;
* 『悪魔の使者小沢一郎―あの強腕を裏で操るのは何者か 日本改造なんてとんでもない』（[[ヤコブ・モルガン]]著・[[忍野昭太郎]]訳、[[第一企画出版]]、1994年、ISBN 4887190166）&lt;br /&gt;
* 『小沢ウオッチング』（[[立尾良二]]著、[[東京新聞]]出版局、1995年、ISBN 4808305216）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の時代』（板垣英憲著、[[同文書院]]、1996年、ISBN 4810380300）&lt;br /&gt;
* 『お笑い大蔵省極秘情報』（[[テリー伊藤]]著、飛鳥新社、1996年、ISBN 4-87031-293-X）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎―その「恐怖支配」の実態』（[[久慈力]]著、[[マルジュ社]]、1996年、ISBN 4896161017）&lt;br /&gt;
* 『政治が歪める公共事業―小沢一郎[[ゼネコン]]政治の構造』（久慈力・[[横田一]]著、[[緑風出版]]、1996年、ISBN 4846196143）&lt;br /&gt;
* 『盛岡大学疑惑を追及する―教育を食い物にする紳士たち』（久慈力著、[[新泉社]]、1997年、ISBN 4787797158）&lt;br /&gt;
* 『拝啓小沢一郎党首殿』（[[松沢成文]]著、[[ごま書房]]、1997年、ISBN 4341017748）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の行動美学』（三菟雅文著 プラネット出版社 1999年 ISBN 4939110028）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の大勝負 竜馬か!? 悪魔か!?』 （板垣英憲著、[[リヨン社]]、2003年、ISBN 4576031910）&lt;br /&gt;
* 『日本変革 菅直人+小沢一郎は政治をどう変えるのか』（板垣英憲著、ベストセラーズ、2003年、ISBN 4584159769）&lt;br /&gt;
* 『政党崩壊―永田町の失われた十年』（[[伊藤惇夫]]著、[[新潮社]]［[[新潮新書]]］、2003年、ISBN 4106100231）&lt;br /&gt;
* 『闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体』（[[松田賢弥]]著、講談社、2003年、ISBN 4062117061）&lt;br /&gt;
* 『永田町「悪魔の辞典」』（伊藤惇夫著、文藝春秋、2004年、ISBN 4166603884 ）&lt;br /&gt;
* 『政治の数字―日本一腹が立つデータブック』（伊藤惇夫著、文藝春秋［[[文春新書]]］、2005年、ISBN 4106101173）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の政権奪取戦略』（[[大下英治]]著、[[河出書房新社]]、2005年3月、ISBN 4309243347）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の日本をぶっ壊す』（大下英治著、[[幻冬舎]]、2006年8月、ISBN 4344408217）&lt;br /&gt;
* 『小沢一郎の真実』（[[平野貞夫]]著、講談社、 2006年9月、 ISBN 4066213557）&lt;br /&gt;
* 『「小沢一郎」入門―カリスマの原点 小沢一郎は何を考えているのか』（[[森田実]]著、[[三笠書房]]［知的生き方文庫］、 2006年10月、 ISBN 4837975887）&lt;br /&gt;
* 『政権交代―小沢一郎最後の戦い』（板垣秀憲著、 [[共栄書房]]、2007年7月、ISBN 4763410334）&lt;br /&gt;
* 『[[小沢民主党は信用できるか]]』（[[高市早苗]]編著、[[PHP研究所]]、2008年2月 ISBN 9784569697949）&lt;br /&gt;
雑誌関連文献抄&lt;br /&gt;
* 『[[月刊現代|現代]]』2004年2月号、小沢一郎・[[横路孝弘]]・伊藤達美「小沢一郎×横路孝弘―民主党の両極 安全保障論で合意する」&lt;br /&gt;
* 『[[週刊金曜日]]』2005年1月14日号、「本多勝一の憂刻ニッポン―小沢一郎（上）現行憲法の下で「無血革命」を目指す」[http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2005/ar20050308142225.html]&lt;br /&gt;
* 『[[AERA]]』2006年1月23日号、[[後藤正治]]「小沢一郎 思想政治家で終わるのか」&lt;br /&gt;
* 『[[世界 (雑誌)|世界]]』2007年11月号、小沢一郎「公開書簡 今こそ国際安全保障の原則確立を」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist|3}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党国会議員一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の閣僚経験者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の次の内閣一覧]]&lt;br /&gt;
* [[一新会]]&lt;br /&gt;
* [[金竹小]]&lt;br /&gt;
* [[一龍戦争]]&lt;br /&gt;
* [[ネオ・ニューリーダー]]&lt;br /&gt;
* [[ワン・ワン・ライス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.ozawa-ichiro.jp/ ■小沢一郎ウェブサイト■]（公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.mag2.com/m/0000033978.htm 小沢一郎メールマガジン]（公式メルマガ）&lt;br /&gt;
* [http://www.minshu-iwate.com/ 民主党岩手県連]&lt;br /&gt;
* [http://mainichi.jp/select/wadai/graph/ozawa/ 小沢一郎 写真特集 （小沢ショック-毎日jp）]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[自治大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[古屋亨]]&lt;br /&gt;
| years  = 第34代 : 1985年 - 1986年&lt;br /&gt;
| after  = [[葉梨信行]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[国家公安委員会委員長]]&lt;br /&gt;
| before = [[古屋亨]]&lt;br /&gt;
| years  = 第44代 : 1985年 - 1986年&lt;br /&gt;
| after  = [[葉梨信行]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党代表]]&lt;br /&gt;
| before = [[前原誠司]]&lt;br /&gt;
| years  = 第6代 : 2006年 - 2009年&lt;br /&gt;
| after  = [[鳩山由紀夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党代表代行]]&lt;br /&gt;
| before = [[中野寛成]]&amp;lt;br/&amp;gt;増員&lt;br /&gt;
| years  = 2003年 - 2004年&amp;lt;br/&amp;gt;2009年（筆頭）&lt;br /&gt;
| after  = [[藤井裕久]]&amp;lt;br/&amp;gt;減員&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[岡田克也]]&lt;br /&gt;
| years  = 第9代 : 2009年 -&lt;br /&gt;
| after  = 現職&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[自由党 (日本 1998-2003)|自由党党首]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1998年 - 2003年&lt;br /&gt;
| after  = [[民主党 (日本 1998-)|民主党]]へ合流&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新進党|新進党党首]]&lt;br /&gt;
| before = [[海部俊樹]]&lt;br /&gt;
| years  = 第2代 : 1995年 - 1997年&lt;br /&gt;
| after  = 解散&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新進党|新進党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1994年 - 1995年&lt;br /&gt;
| after  = [[米沢隆]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[新生党|新生党代表幹事]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1993年 - 1994年&lt;br /&gt;
| after  = [[新進党]]へ&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[橋本龍太郎]]&lt;br /&gt;
| years  = 第26代 : 1989年 - 1991年&lt;br /&gt;
| after  = [[小渕恵三]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{総務大臣}}&lt;br /&gt;
{{国家公安委員会委員長}}&lt;br /&gt;
{{自民幹事長}}&lt;br /&gt;
{{竹下派七奉行}}&lt;br /&gt;
{{民主党}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:小沢一郎|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:岩手県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:革命家]]&lt;br /&gt;
{{Lifetime|1942||おさわ いちろう}}&lt;/div&gt;</summary>
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&lt;hr /&gt;
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&lt;hr /&gt;
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''学園ドラマ'''（がくえんドラマ）は、[[学校]]を舞台にした[[テレビドラマ]]の[[ジャンル]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
学園ドラマの形態は大きく分けて&lt;br /&gt;
#学校全体、クラス、部活動など集団がひとつの方向に向ってゆく様を描いたもの&lt;br /&gt;
#ひとりの[[教師]]にスポットを当て、教師としての成長過程や奮闘振りを描いたもの&lt;br /&gt;
#ひとりの児童・生徒・学生にスポットを当て、学園生活の様子や人間としての成長過程を描いたもの&lt;br /&gt;
:に大別できる。&lt;br /&gt;
[[小学校]]や[[大学]]よりも[[中学校]]あるいは[[高等学校]]が舞台となることが多いが、これは中学・高校というの時期が[[人生]]の大きな[[分岐点]]のひとつであると同時に[[恋愛]]や[[友情]]、あるいは[[部活]]などに打ち込む[[青春]]時代だからという理由もある。[[運動部]]を[[テーマ]]にしたものは、スポ根ドラマに含まれ別扱いとなることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、これらのドラマの[[性格]]上登場人物はそのほとんどが[[未成年者|未成年]]となり扱う内容に制限が出てくる。このため、[[定時制高校]]や[[自動車教習所]]など未成年と[[大人]]が同じ条件のもとで学ぶ空間を舞台とし、通常の学園ドラマよりも内容に幅をきかせたものもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドラマの[[アクセント]]として、それぞれの[[生徒]]の[[家庭]]事情、[[非行]]、[[いじめ]]、なども頻繁に扱われる。&lt;br /&gt;
また、定番キャラとして[[悪役]][[教頭]]とその腰巾着が出てくるのは「[[坊っちゃん]]」以来の伝統であろうか。[[男性]]教師が主人公の場合は[[マドンナ]]役の[[美人]]教師もよく登場する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主として、青春群像劇を描いたものを学園ドラマと呼び、たとえ学校を舞台としていてもたとえば教師と[[生徒]]の恋愛を描いたものや、[[ミステリー]]を描いたものなどは学園ドラマとは呼ばれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
学園ドラマでは無名の生徒役だった俳優がにわかに注目を浴びる事が多く、これまでに数多くのスターを輩出してきた。いかに個性的な生徒役を集めるかは学園ドラマの成否を決定付ける重要な一因になるが、時に美男美女だらけのクラスが出来上がってしまう事もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 特徴 ==&lt;br /&gt;
=== 時間帯 ===&lt;br /&gt;
学園ドラマの本放送が行われる時間帯は、主にプライムタイムである。&amp;lt;br&amp;gt;現在は午後9時・10時台が多い。&amp;lt;br&amp;gt;過去においては、1980年代までは午後8時台も多かった。また、午後7時台の30分番組枠での放送も若干見られた。一方、午後10時台の放送は、1990年代前半まではまれだった。（ただし、学校やその教師を扱った2時間ドラマなどが午後9時～11時に放送されることはしばしばあった。）これは、学園ドラマの主な視聴者層が10代・10歳未満の層なので、大人向けの時間となる夜遅い（当時の生活習慣では）時間帯の放送は適さず、むしろ夜早い時間帯が当時の青少年の視聴には適していたためであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
曜日としては、歴史的に日曜日のプライムタイムの放送は少ない傾向にある。1960年代～70年代の日本テレビの午後8時台や1990年代後半以降のTBSの「[[日曜劇場]]」枠、および1990年代のフジテレビの「[[花王ファミリースペシャル]]」枠には若干見られるが、NHK総合テレビ・テレビ朝日・テレビ東京では歴史的にも皆無に近いようである。日曜日のプライムタイムに各種の長寿番組枠が多いことと、青少年の父親も在宅する時間帯なので中高年男性を意識した重厚な番組が好まれることなどが、日曜日のプライムタイムに学園ドラマがあまり放送されない一因と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
したがって、学園ドラマの本放送が多い時間帯とは、平日または土曜日のプライムタイムになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 視聴者層 ===&lt;br /&gt;
学園ドラマの視聴者として想定される層は、主に当該学校の生徒と同年代または前後する年代の青少年である。しかし、古くから大人（青年・壮年・中高年を問わず）の視聴者も多いジャンルでもある。特に近年では、青少年期に学園ドラマを見ていた大人が見る例が増えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 設定 ==&lt;br /&gt;
以下に挙げる設定は、学園ドラマのみならず、学園ドラマ以外のジャンルのドラマや、テレビアニメ・劇映画などドラマ以外の映像作品でも多い設定である。&lt;br /&gt;
=== 地域 ===&lt;br /&gt;
ほかのドラマと同様、製作する放送局などが近い首都圏（特に東京23区やその周辺部）の学校が舞台となることが多い。&amp;lt;br&amp;gt;しかし、それ以外の地域を扱う作品も多い。首都圏以外の地域を扱い場合は、地方の中小都市を舞台とすることが多い。地方中核都市圏を舞台とする作品は比較的少ない。&amp;lt;br&amp;gt;また、関西都市圏を舞台とした作品は非常に少ない。&lt;br /&gt;
=== 学校の特性 ===&lt;br /&gt;
小学校については、一般の公立校がほとんどである。私立小学校を扱った学園ドラマは少ない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
中学校についても、大半は一般の公立校である。ただし、私立中学・中高一貫校を取り上げた作品も、少ないながら存在する。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
高等学校については、公立校・私立校はほぼ同等で存在する。普通科の高校が多いが、職業高校も若干扱われる。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
なお、学園ドラマで取り上げられる学校の大半は男女共学である。（一般の公立の小学校・中学校は当然すべてが男女共学だが、高等学校などでも男女共学が多い。）特に男子校は少ない。原作やモデルとなった学校は男子校だがドラマでは男女共学に設定変更となった例も存在する。女子校を扱った作品は男子校よりは多く存在するが、その多くは「お嬢様学校」である。なお、「女子校ものは当たらない」という[[ジンクス]]が存在する。&lt;br /&gt;
=== 教師 ===&lt;br /&gt;
従来は、青少年が感情移入しやすい青年～壮年前期の教師が主役級の教師になることが多かった。しかし、「[[ライオン先生]]」や平成時代の「[[3年B組金八先生]]」など、中高年の教師（青年時代には熱血教師だったエピソードをもつ者も多い）を主人公とする例も存在する。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
校長・教頭（副校長）・理事などは脇役とする設定が多いが、「鬼ユリ校長、走る！」のように彼ら彼女らを主人公とした作品も、多少存在する。従来は男性が主だったが、「3年B組金八先生」の第1・第2シリーズのように古い作品でも女性校長の登場する作品があった。後年になると女性が珍しくないことは、現実世界と同様である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
中学校・高等学校の場合、主役級の教師の担当科目で扱われることが少ない科目は、[[数学 (教科)|数学]]・[[高校物理|物理]]などである。職業高校の場合、専門教科の担当教師も主役級にはなりにくい。一方、[[英語_(教科)|英語]]・[[国語_(教科)|国語]]などを担当科目とする教師は、主役級の人物となりやすい傾向にある。&lt;br /&gt;
=== [[入学試験]]の扱い ===&lt;br /&gt;
学園ドラマでは、全般的に入学試験は否定的に扱われる傾向にある。生徒らにとっての障壁として扱われることが多い。&lt;br /&gt;
学力低下が問題となる反面入学試験への合格は比較的容易となった2000年代ではそれほどではないが、現実世界で「受験戦争」「受験地獄」などの言葉が使われた1980年代以前においては特にそうであった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
小学校における[[中学受験]]は、歴史的にも近年でも特に否定的に扱われる傾向にある。それを、遊び盛りの小学生に猛勉強を強いて本来の純真さを失わせ、その結果、教師にすら生意気な態度をとるようなプレッシャーを与えるものとして扱う設定が多い。なお、主に首都圏の小学校における男子児童の難関私立中（大学受験での入学実績を誇るような学校）への進学を扱うことが多い。首都圏以外の小学校を舞台とした作品で中学受験が扱われることや、「お嬢様学校」への女子児童の進学を扱った作品は、少ない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
中学校における[[高校受験]]も、中学受験ほどではないが、内申書や偏差値のプレッシャーで生徒らを苦しめるものとして扱う傾向が多い。ただし、通過儀礼的に前向きに扱う作品も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な学園ドラマ ==&lt;br /&gt;
=== 小学校 ===&lt;br /&gt;
*[[みんななかよし]] (NHK学校放送)1962~1987&lt;br /&gt;
*[[明るいなかま]] (NHK学校放送)1962~1986&lt;br /&gt;
*[[熱中時代]]（[[主演]]：[[水谷豊]]）1979、1980&lt;br /&gt;
*[[サンキュー先生]]（主演：[[西田敏行]]）1980&lt;br /&gt;
*[[先生は一年生]]（主演：[[榊原郁恵]]）1981&lt;br /&gt;
*[[うちの子にかぎって]]（主演：[[田村正和]]）1984、1985&lt;br /&gt;
*[[あしたへジャンプ]] (NHK学校放送)1986~1996&lt;br /&gt;
*[[教師びんびん物語]]（主演：[[田原俊彦]]）1988～2001&lt;br /&gt;
*[[さわやか3組]]（NHK学校放送 年度毎に交代）1987~現在&lt;br /&gt;
*[[虹色定期便]]（NHK学校放送 年度毎に交代）1997~2006&lt;br /&gt;
*[[愛してるよ!先生]]（主演：[[山瀬まみ]]）1990&lt;br /&gt;
*[[みにくいアヒルの子 (テレビドラマ)|みにくいアヒルの子]]（主演：[[岸谷五朗]]）1996～2003&lt;br /&gt;
*[[先生知らないの?]]（主演：[[草彅剛]]）1998&lt;br /&gt;
*[[ズッコケ三人組]]（主演：[[石坂晴樹]]、[[小林宏至]]、[[米田良]]）1999～2002&lt;br /&gt;
*[[キッズ・ウォー]]（主演：[[井上真央]]）1999~2003&lt;br /&gt;
*[[浪花少年探偵団]]（主演：[[山田まりや]]）2000&lt;br /&gt;
*[[ガッコの先生]]（主演：[[堂本剛]]）2001&lt;br /&gt;
*[[みんな昔は子供だった]]（主演：[[国仲涼子]]）2005&lt;br /&gt;
*[[女王の教室]]（主演：[[天海祐希]]、[[志田未来]]）2005&lt;br /&gt;
*[[新キッズ・ウォー]]（主演：[[大河内奈々子]]）2005&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中学校 ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] 1972（前身を含めると1962）～現在&lt;br /&gt;
*[[3年B組金八先生]]（主演：[[武田鉄矢]]）1979～現在&lt;br /&gt;
**姉妹番組[[1年B組新八先生]]（主演：[[岸田敏志]]）1980&lt;br /&gt;
**[[2年B組仙八先生]]（主演：[[さとう宗幸]]）1981～1982&lt;br /&gt;
**[[3年B組貫八先生]]（主演：[[川谷拓三]]）1982～1983&lt;br /&gt;
**[[東中学3年5組]]（主演：[[南こうせつ]]）1984&lt;br /&gt;
*[[ピーマン白書]]（主演：[[岸田森]]）1980&lt;br /&gt;
*[[生徒諸君!#テレビドラマ|生徒諸君!]] (主演：[[上田美恵]])1980&lt;br /&gt;
*[[新・熱中時代宣言]]（主演：[[榊原郁恵]]）1986&lt;br /&gt;
*[[人間・失格～たとえばぼくが死んだら]]（主演：[[赤井英和]]、[[堂本剛]]）1994&lt;br /&gt;
*[[暴力教師]]（主演：[[時任三郎]]）1996&lt;br /&gt;
*[[職員室]]（主演：[[浅野温子]]）1997&lt;br /&gt;
*[[新キッズ・ウォー2]]（主演：[[大河内奈々子]]）2006&lt;br /&gt;
*[[わたしたちの教科書]]（主演：[[菅野美穂]]、[[伊藤淳史]]）2007&lt;br /&gt;
*[[生徒諸君!教師編#テレビドラマ|生徒諸君!]]（主演：[[内山理名]]）2007&lt;br /&gt;
*[[こどもの事情]]（出演：[[田中律子]]、[[柳沢慎吾]]）2007&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 高等学校 ===&lt;br /&gt;
*[[青春とはなんだ]]（主演：[[夏木陽介]]）1965-1966&lt;br /&gt;
*[[これが青春だ]]（主演：[[竜雷太]]）1966-1967&lt;br /&gt;
*[[でっかい青春]]（主演：[[竜雷太]]）1967-1968&lt;br /&gt;
*[[進め!青春]]（主演：[[浜畑賢吉]]）1968&lt;br /&gt;
*[[花子ちゃん]]（主演：[[江利チエミ]]）1968-1969&lt;br /&gt;
*[[炎の青春]]（主演：[[東山敬司]]）1969&lt;br /&gt;
*[[おれは男だ!]]（主演：[[森田健作]]）1971-1972&lt;br /&gt;
*[[飛び出せ!青春]]（主演：[[村野武範]]）1972-1973&lt;br /&gt;
*[[泣くな青春]]　（主演：[[中山仁]]）1972&lt;br /&gt;
*[[おこれ!男だ]]（主演：[[森田健作]]）1973&lt;br /&gt;
*[[高校教師]]（[[1974年]]製作版）（主演：[[加山雄三]]）1974&lt;br /&gt;
*[[われら青春!]]（主演：[[中村雅俊]]）1974&lt;br /&gt;
*純愛山河　[[愛と誠]]　（主演：池上季実子・夏夕介）1974-1975&lt;br /&gt;
*[[ゆうひが丘の総理大臣]]（主演：[[中村雅俊]]）1978&lt;br /&gt;
*[[あさひが丘の大統領]]（主演：[[宮内淳]]、[[片平なぎさ]]）1979&lt;br /&gt;
*[[メチャン子・ミッキー]]（主演：[[堀ちえみ]]）1982&lt;br /&gt;
*[[スクール☆ウォーズ]]（主演：[[山下真司]]）1984-1985&lt;br /&gt;
*[[ヤヌスの鏡]]（主演：[[杉浦幸]]）1985&lt;br /&gt;
*[[天使のアッパーカット]]（主演：[[大塚真美]]）1986&lt;br /&gt;
*[[セーラー服通り]]（主演：[[石野陽子]]）1986&lt;br /&gt;
*[[スケバン刑事 (実写版)]]（主演：[[斉藤由貴]]）1985&lt;br /&gt;
*[[スケバン刑事 (実写版)|スケバン刑事Ⅱ]]（主演：[[南野陽子]]）1985~1986&lt;br /&gt;
*[[スケバン刑事 (実写版)|スケバン刑事Ⅲ]]（主演：[[浅香唯]]）1986~1987&lt;br /&gt;
*[[同級生は13歳]]（主演：[[後藤久美子 (女優)|後藤久美子]]）1987&lt;br /&gt;
*[[アリエスの乙女たち]]（主演：[[南野陽子]]）1987&lt;br /&gt;
*[[はいすくーる落書]]（主演：[[斉藤由貴]]）1989（パート1） 1990（パート2）&lt;br /&gt;
*[[愛しあってるかい!]]（主演：[[小泉今日子]]）1990&lt;br /&gt;
*[[いけない女子高物語]]（主演：[[古手川祐子]]）1990&lt;br /&gt;
*[[ビバリーヒルズ高校白書]] 1990～2000&lt;br /&gt;
*[[学校へ行こう!_(テレビドラマ)|学校へ行こう!]]（主演：[[浅野ゆう子]]）1991&lt;br /&gt;
*[[先生のお気に入り]]（主演：[[陣内孝則]]）1991&lt;br /&gt;
*[[ボクたちのドラマシリーズ#第1シーズン|放課後]]（主演：[[観月ありさ]]、[[いしだ壱成]]）1992&lt;br /&gt;
*[[ボクたちのドラマシリーズ#第1シーズン|お願いダーリン！]]（主演：[[高橋由美子]]）1993&lt;br /&gt;
*[[じゃじゃ馬ならし]]（主演：[[観月ありさ]]）1993&lt;br /&gt;
*[[ボクたちのドラマシリーズ#第2シーズン|お願いデーモン！]]（主演：[[戸田菜穂]]）1993&lt;br /&gt;
*[[ボクたちのドラマシリーズ#第2シーズン|時をかける少女]]（主演：[[内田有紀]]）1994&lt;br /&gt;
*[[アリよさらば]]（主演：[[矢沢永吉]]）1994&lt;br /&gt;
*[[南くんの恋人]]（主演：[[高橋由美子]]、[[武田真治]]）1994  &lt;br /&gt;
*[[白線流し]]（主演：[[長瀬智也]]）1996-2005&lt;br /&gt;
*[[イグアナの娘]]（主演：[[菅野美穂]]）1996&lt;br /&gt;
*[[それが答えだ!]]（主演：[[三上博史]]）1997&lt;br /&gt;
*[[GTO (テレビドラマ)|GTO]]（主演：[[反町隆史]]）1998-1999&lt;br /&gt;
*[[ナオミ (テレビドラマ)|ナオミ]]（主演：[[藤原紀香]]）1999&lt;br /&gt;
*[[女教師 (テレビドラマ)|女教師]]（主演：[[高島礼子]]）1999&lt;br /&gt;
*[[L×I×V×E]]（主演：[[今井絵理子]]、[[新垣仁絵]]）1999&lt;br /&gt;
*[[伝説の教師]]（主演：[[松本人志]]、[[中居正広]]）2000&lt;br /&gt;
*[[お前の諭吉が泣いている]]（主演：[[東山紀之]]）2001&lt;br /&gt;
*[[R-17]]（主演：[[中谷美紀]]）2001&lt;br /&gt;
*[[さよなら、小津先生]]（主演：[[田村正和]]）2001&lt;br /&gt;
*[[HR (テレビドラマ)|HR]]（定時制高校）（主演：[[香取慎吾]]）2002&lt;br /&gt;
*[[ごくせん (テレビドラマ)|ごくせん]]（主演：[[仲間由紀恵]]）2002-2005&lt;br /&gt;
*[[ヤンキー母校に帰る]]（主演：[[竹野内豊]]）2003&lt;br /&gt;
*[[Stand Up!!]]（主演：[[二宮和也]]）2003&lt;br /&gt;
*[[ライオン先生]]（主演：[[竹中直人]]）2003&lt;br /&gt;
*[[WATER BOYS]]（主演：[[山田孝之]]）2003&lt;br /&gt;
*[[WATER BOYS2]](主演：[[市原隼人]])2004&lt;br /&gt;
*[[ディビジョン1#放課後。|放課後。]]（主演：[[堀北真希]]）2004&lt;br /&gt;
*[[めだか (テレビドラマ)|めだか]]（定時制高校）（主演：[[ミムラ (女優)|ミムラ]]）2004&lt;br /&gt;
*[[エースをねらえ!]]（主演：[[上戸彩]]）2004&lt;br /&gt;
*[[アタックNo.1]]（主演：上戸彩）2005&lt;br /&gt;
*[[南くんの恋人]]（主演：[[深田恭子]]、[[二宮和也]]）2004&lt;br /&gt;
*[[H2 (漫画)#ドラマ（H2～君といた日々）|H2～君といた日々]]（主演：[[山田孝之]]）2005&lt;br /&gt;
*[[がんばっていきまっしょい]]（主演：[[鈴木杏]]）2005&lt;br /&gt;
*[[ドラゴン桜 (テレビドラマ)|ドラゴン桜]]（主演：[[阿部寛]]）2005&lt;br /&gt;
*[[花より男子]]、花より男子2（リターンズ）（主演：[[井上真央]]）2005 2007&lt;br /&gt;
*[[野ブタ。をプロデュース]]（主演：[[亀梨和也]]）2005&lt;br /&gt;
*[[pinkの遺伝子]]（主演：[[中土居宏宜]]）2005&lt;br /&gt;
*スターライト （主演：[[星井七瀬]]）2005&lt;br /&gt;
*[[ガチバカ!]]（主演：[[高橋克典]]）2006&lt;br /&gt;
*[[2005年のロケットボーイズ|ロケットボーイズ]]（主演：[[遠藤雄弥]]）2006&lt;br /&gt;
*[[マイ★ボス マイ★ヒーロー]](主演：[[長瀬智也]])2006&lt;br /&gt;
*[[ダンドリ。～Dance☆Drill～]](主演：[[榮倉奈々]])2006&lt;br /&gt;
*[[花ざかりの君たちへ#テレビドラマ|花ざかりの君たちへ～イケメン♂パラダイス～]](主演：[[堀北真希]])2007&lt;br /&gt;
*[[ライフ (漫画)#テレビドラマ|ライフ]](主演：[[北乃きい]])2007&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大学 ===&lt;br /&gt;
*[[ふぞろいの林檎たち]]（主演：[[中井貴一]]　[[時任三郎]]　[[柳沢慎吾]]） 1983～1997&lt;br /&gt;
*[[ビバリーヒルズ青春白書]] 1990～2000&lt;br /&gt;
*[[あすなろ白書]]（主演：[[石田ひかり]]）1993&lt;br /&gt;
*[[東京大学物語]]（主演：[[稲垣吾郎]]、[[瀬戸朝香]]）1994&lt;br /&gt;
*[[キャンパスノート]]（主演：[[内田有紀]]）1996&lt;br /&gt;
*[[天才柳沢教授の生活]]（主演：[[松本幸四郎 (9代目)]]）2002&lt;br /&gt;
*[[動物のお医者さん]]（主演：[[吉沢悠]]）2003&lt;br /&gt;
*[[オレンジデイズ]]（主演：[[妻夫木聡]]、[[柴咲コウ]]）2004&lt;br /&gt;
*[[ディビジョン1#産隆大學應援團|産隆大學應援團]]（主演：[[山本太郎]]）2005&lt;br /&gt;
*[[のだめカンタービレ (テレビドラマ)|のだめカンタービレ]]（主演：[[上野樹里]]、[[玉木宏]]）2006&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他の学校（など） ===&lt;br /&gt;
*[[予備校ブギ]]（予備校）（主演：[[的場浩司]]、[[緒形直人]]、[[織田裕二]]、[[田中美佐子]]）1990&lt;br /&gt;
*[[スクール☆ウォーズ#スクールウォーズII|スクールウォーズII]]（少年院）（主演：[[山下真司]]）1990～1991&lt;br /&gt;
*[[教習所物語]]（自動車教習所）（主演：武田鉄矢、[[水前寺清子]]）2000&lt;br /&gt;
*[[勝利の女神]]（学習塾）（主演：中居正広、陣内孝則）2003&lt;br /&gt;
*[[ビギナー (テレビドラマ)|ビギナー]]（司法研修所）（主演：ミムラ）2003&lt;br /&gt;
*[[海猿]]（海上保安大学校）&lt;br /&gt;
**[[日本放送協会|NHK]]版（主演：[[国分太一]]）2002･2003&lt;br /&gt;
**[[フジテレビジョン|フジテレビ]]版（主演：[[伊藤英明]]）2005&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学校が舞台だが通常学園ドラマには含めないもの ==&lt;br /&gt;
*[[魔女の条件]]&lt;br /&gt;
*[[高校教師 (テレビドラマ)|高校教師]]&lt;br /&gt;
*[[ロング・ラブレター～漂流教室～]]（タイムスリップした高校）&lt;br /&gt;
*[[ストロベリー・オンザ・ショートケーキ]]&lt;br /&gt;
*[[ハレンチ学園]]&lt;br /&gt;
*[[銀狼怪奇ファイル]]&lt;br /&gt;
*怪奇倶楽部・悪霊学園（[[木曜の怪談]]）&lt;br /&gt;
*[[僕の生きる道]]&lt;br /&gt;
*[[冬のソナタ]]&lt;br /&gt;
*[[六番目の小夜子]]&lt;br /&gt;
*[[天国に一番近い男]]教師編&lt;br /&gt;
*[[未成年 (テレビドラマ)|未成年]]&lt;br /&gt;
*[[ホットマン|ホットマン1・2]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[テレビドラマ]]&lt;br /&gt;
*[[架空の学校一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.tvdrama-db.com/ テレビドラマデータベース]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:学園ドラマ|*]]&lt;br /&gt;
[[category:学校を舞台とした作品|*とらま]]&lt;br /&gt;
[[Category:テレビドラマのジャンル|かくえんとらま]]&lt;br /&gt;
{{tv-stub}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<title>戸塚ヨットスクールの実態</title>
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&lt;hr /&gt;
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''学園ドラマ'''（がくえんドラマ）は、[[学校]]を舞台にした[[テレビドラマ]]の[[ジャンル]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
学園ドラマの形態は大きく分けて&lt;br /&gt;
#学校全体、クラス、部活動など集団がひとつの方向に向ってゆく様を描いたもの&lt;br /&gt;
#ひとりの[[教師]]にスポットを当て、教師としての成長過程や奮闘振りを描いたもの&lt;br /&gt;
#ひとりの児童・生徒・学生にスポットを当て、学園生活の様子や人間としての成長過程を描いたもの&lt;br /&gt;
:に大別できる。&lt;br /&gt;
[[小学校]]や[[大学]]よりも[[中学校]]あるいは[[高等学校]]が舞台となることが多いが、これは中学・高校というの時期が[[人生]]の大きな[[分岐点]]のひとつであると同時に[[恋愛]]や[[友情]]、あるいは[[部活]]などに打ち込む[[青春]]時代だからという理由もある。[[運動部]]を[[テーマ]]にしたものは、スポ根ドラマに含まれ別扱いとなることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、これらのドラマの[[性格]]上登場人物はそのほとんどが[[未成年者|未成年]]となり扱う内容に制限が出てくる。このため、[[定時制高校]]や[[自動車教習所]]など未成年と[[大人]]が同じ条件のもとで学ぶ空間を舞台とし、通常の学園ドラマよりも内容に幅をきかせたものもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドラマの[[アクセント]]として、それぞれの[[生徒]]の[[家庭]]事情、[[非行]]、[[いじめ]]、なども頻繁に扱われる。&lt;br /&gt;
また、定番キャラとして[[悪役]][[教頭]]とその腰巾着が出てくるのは「[[坊っちゃん]]」以来の伝統であろうか。[[男性]]教師が主人公の場合は[[マドンナ]]役の[[美人]]教師もよく登場する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主として、青春群像劇を描いたものを学園ドラマと呼び、たとえ学校を舞台としていてもたとえば教師と[[生徒]]の恋愛を描いたものや、[[ミステリー]]を描いたものなどは学園ドラマとは呼ばれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
学園ドラマでは無名の生徒役だった俳優がにわかに注目を浴びる事が多く、これまでに数多くのスターを輩出してきた。いかに個性的な生徒役を集めるかは学園ドラマの成否を決定付ける重要な一因になるが、時に美男美女だらけのクラスが出来上がってしまう事もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 特徴 ==&lt;br /&gt;
=== 時間帯 ===&lt;br /&gt;
学園ドラマの本放送が行われる時間帯は、主にプライムタイムである。&amp;lt;br&amp;gt;現在は午後9時・10時台が多い。&amp;lt;br&amp;gt;過去においては、1980年代までは午後8時台も多かった。また、午後7時台の30分番組枠での放送も若干見られた。一方、午後10時台の放送は、1990年代前半まではまれだった。（ただし、学校やその教師を扱った2時間ドラマなどが午後9時～11時に放送されることはしばしばあった。）これは、学園ドラマの主な視聴者層が10代・10歳未満の層なので、大人向けの時間となる夜遅い（当時の生活習慣では）時間帯の放送は適さず、むしろ夜早い時間帯が当時の青少年の視聴には適していたためであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
曜日としては、歴史的に日曜日のプライムタイムの放送は少ない傾向にある。1960年代～70年代の日本テレビの午後8時台や1990年代後半以降のTBSの「[[日曜劇場]]」枠、および1990年代のフジテレビの「[[花王ファミリースペシャル]]」枠には若干見られるが、NHK総合テレビ・テレビ朝日・テレビ東京では歴史的にも皆無に近いようである。日曜日のプライムタイムに各種の長寿番組枠が多いことと、青少年の父親も在宅する時間帯なので中高年男性を意識した重厚な番組が好まれることなどが、日曜日のプライムタイムに学園ドラマがあまり放送されない一因と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
したがって、学園ドラマの本放送が多い時間帯とは、平日または土曜日のプライムタイムになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 視聴者層 ===&lt;br /&gt;
学園ドラマの視聴者として想定される層は、主に当該学校の生徒と同年代または前後する年代の青少年である。しかし、古くから大人（青年・壮年・中高年を問わず）の視聴者も多いジャンルでもある。特に近年では、青少年期に学園ドラマを見ていた大人が見る例が増えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 設定 ==&lt;br /&gt;
以下に挙げる設定は、学園ドラマのみならず、学園ドラマ以外のジャンルのドラマや、テレビアニメ・劇映画などドラマ以外の映像作品でも多い設定である。&lt;br /&gt;
=== 地域 ===&lt;br /&gt;
ほかのドラマと同様、製作する放送局などが近い首都圏（特に東京23区やその周辺部）の学校が舞台となることが多い。&amp;lt;br&amp;gt;しかし、それ以外の地域を扱う作品も多い。首都圏以外の地域を扱い場合は、地方の中小都市を舞台とすることが多い。地方中核都市圏を舞台とする作品は比較的少ない。&amp;lt;br&amp;gt;また、関西都市圏を舞台とした作品は非常に少ない。&lt;br /&gt;
=== 学校の特性 ===&lt;br /&gt;
小学校については、一般の公立校がほとんどである。私立小学校を扱った学園ドラマは少ない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
中学校についても、大半は一般の公立校である。ただし、私立中学・中高一貫校を取り上げた作品も、少ないながら存在する。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
高等学校については、公立校・私立校はほぼ同等で存在する。普通科の高校が多いが、職業高校も若干扱われる。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
なお、学園ドラマで取り上げられる学校の大半は男女共学である。（一般の公立の小学校・中学校は当然すべてが男女共学だが、高等学校などでも男女共学が多い。）特に男子校は少ない。原作やモデルとなった学校は男子校だがドラマでは男女共学に設定変更となった例も存在する。女子校を扱った作品は男子校よりは多く存在するが、その多くは「お嬢様学校」である。なお、「女子校ものは当たらない」という[[ジンクス]]が存在する。&lt;br /&gt;
=== 教師 ===&lt;br /&gt;
従来は、青少年が感情移入しやすい青年～壮年前期の教師が主役級の教師になることが多かった。しかし、「[[ライオン先生]]」や平成時代の「[[3年B組金八先生]]」など、中高年の教師（青年時代には熱血教師だったエピソードをもつ者も多い）を主人公とする例も存在する。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
校長・教頭（副校長）・理事などは脇役とする設定が多いが、「鬼ユリ校長、走る！」のように彼ら彼女らを主人公とした作品も、多少存在する。従来は男性が主だったが、「3年B組金八先生」の第1・第2シリーズのように古い作品でも女性校長の登場する作品があった。後年になると女性が珍しくないことは、現実世界と同様である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
中学校・高等学校の場合、主役級の教師の担当科目で扱われることが少ない科目は、[[数学 (教科)|数学]]・[[高校物理|物理]]などである。職業高校の場合、専門教科の担当教師も主役級にはなりにくい。一方、[[英語_(教科)|英語]]・[[国語_(教科)|国語]]などを担当科目とする教師は、主役級の人物となりやすい傾向にある。&lt;br /&gt;
=== [[入学試験]]の扱い ===&lt;br /&gt;
学園ドラマでは、全般的に入学試験は否定的に扱われる傾向にある。生徒らにとっての障壁として扱われることが多い。&lt;br /&gt;
学力低下が問題となる反面入学試験への合格は比較的容易となった2000年代ではそれほどではないが、現実世界で「受験戦争」「受験地獄」などの言葉が使われた1980年代以前においては特にそうであった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
小学校における[[中学受験]]は、歴史的にも近年でも特に否定的に扱われる傾向にある。それを、遊び盛りの小学生に猛勉強を強いて本来の純真さを失わせ、その結果、教師にすら生意気な態度をとるようなプレッシャーを与えるものとして扱う設定が多い。なお、主に首都圏の小学校における男子児童の難関私立中（大学受験での入学実績を誇るような学校）への進学を扱うことが多い。首都圏以外の小学校を舞台とした作品で中学受験が扱われることや、「お嬢様学校」への女子児童の進学を扱った作品は、少ない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
中学校における[[高校受験]]も、中学受験ほどではないが、内申書や偏差値のプレッシャーで生徒らを苦しめるものとして扱う傾向が多い。ただし、通過儀礼的に前向きに扱う作品も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な学園ドラマ ==&lt;br /&gt;
=== 小学校 ===&lt;br /&gt;
*[[みんななかよし]] (NHK学校放送)1962~1987&lt;br /&gt;
*[[明るいなかま]] (NHK学校放送)1962~1986&lt;br /&gt;
*[[熱中時代]]（[[主演]]：[[水谷豊]]）1979、1980&lt;br /&gt;
*[[サンキュー先生]]（主演：[[西田敏行]]）1980&lt;br /&gt;
*[[先生は一年生]]（主演：[[榊原郁恵]]）1981&lt;br /&gt;
*[[うちの子にかぎって]]（主演：[[田村正和]]）1984、1985&lt;br /&gt;
*[[あしたへジャンプ]] (NHK学校放送)1986~1996&lt;br /&gt;
*[[教師びんびん物語]]（主演：[[田原俊彦]]）1988～2001&lt;br /&gt;
*[[さわやか3組]]（NHK学校放送 年度毎に交代）1987~現在&lt;br /&gt;
*[[虹色定期便]]（NHK学校放送 年度毎に交代）1997~2006&lt;br /&gt;
*[[愛してるよ!先生]]（主演：[[山瀬まみ]]）1990&lt;br /&gt;
*[[みにくいアヒルの子 (テレビドラマ)|みにくいアヒルの子]]（主演：[[岸谷五朗]]）1996～2003&lt;br /&gt;
*[[先生知らないの?]]（主演：[[草彅剛]]）1998&lt;br /&gt;
*[[ズッコケ三人組]]（主演：[[石坂晴樹]]、[[小林宏至]]、[[米田良]]）1999～2002&lt;br /&gt;
*[[キッズ・ウォー]]（主演：[[井上真央]]）1999~2003&lt;br /&gt;
*[[浪花少年探偵団]]（主演：[[山田まりや]]）2000&lt;br /&gt;
*[[ガッコの先生]]（主演：[[堂本剛]]）2001&lt;br /&gt;
*[[みんな昔は子供だった]]（主演：[[国仲涼子]]）2005&lt;br /&gt;
*[[女王の教室]]（主演：[[天海祐希]]、[[志田未来]]）2005&lt;br /&gt;
*[[新キッズ・ウォー]]（主演：[[大河内奈々子]]）2005&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中学校 ===&lt;br /&gt;
*[[中学生日記]] 1972（前身を含めると1962）～現在&lt;br /&gt;
*[[3年B組金八先生]]（主演：[[武田鉄矢]]）1979～現在&lt;br /&gt;
**姉妹番組[[1年B組新八先生]]（主演：[[岸田敏志]]）1980&lt;br /&gt;
**[[2年B組仙八先生]]（主演：[[さとう宗幸]]）1981～1982&lt;br /&gt;
**[[3年B組貫八先生]]（主演：[[川谷拓三]]）1982～1983&lt;br /&gt;
**[[東中学3年5組]]（主演：[[南こうせつ]]）1984&lt;br /&gt;
*[[ピーマン白書]]（主演：[[岸田森]]）1980&lt;br /&gt;
*[[生徒諸君!#テレビドラマ|生徒諸君!]] (主演：[[上田美恵]])1980&lt;br /&gt;
*[[新・熱中時代宣言]]（主演：[[榊原郁恵]]）1986&lt;br /&gt;
*[[人間・失格～たとえばぼくが死んだら]]（主演：[[赤井英和]]、[[堂本剛]]）1994&lt;br /&gt;
*[[暴力教師]]（主演：[[時任三郎]]）1996&lt;br /&gt;
*[[職員室]]（主演：[[浅野温子]]）1997&lt;br /&gt;
*[[新キッズ・ウォー2]]（主演：[[大河内奈々子]]）2006&lt;br /&gt;
*[[わたしたちの教科書]]（主演：[[菅野美穂]]、[[伊藤淳史]]）2007&lt;br /&gt;
*[[生徒諸君!教師編#テレビドラマ|生徒諸君!]]（主演：[[内山理名]]）2007&lt;br /&gt;
*[[こどもの事情]]（出演：[[田中律子]]、[[柳沢慎吾]]）2007&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 高等学校 ===&lt;br /&gt;
*[[青春とはなんだ]]（主演：[[夏木陽介]]）1965-1966&lt;br /&gt;
*[[これが青春だ]]（主演：[[竜雷太]]）1966-1967&lt;br /&gt;
*[[でっかい青春]]（主演：[[竜雷太]]）1967-1968&lt;br /&gt;
*[[進め!青春]]（主演：[[浜畑賢吉]]）1968&lt;br /&gt;
*[[花子ちゃん]]（主演：[[江利チエミ]]）1968-1969&lt;br /&gt;
*[[炎の青春]]（主演：[[東山敬司]]）1969&lt;br /&gt;
*[[おれは男だ!]]（主演：[[森田健作]]）1971-1972&lt;br /&gt;
*[[飛び出せ!青春]]（主演：[[村野武範]]）1972-1973&lt;br /&gt;
*[[泣くな青春]]　（主演：[[中山仁]]）1972&lt;br /&gt;
*[[おこれ!男だ]]（主演：[[森田健作]]）1973&lt;br /&gt;
*[[高校教師]]（[[1974年]]製作版）（主演：[[加山雄三]]）1974&lt;br /&gt;
*[[われら青春!]]（主演：[[中村雅俊]]）1974&lt;br /&gt;
*純愛山河　[[愛と誠]]　（主演：池上季実子・夏夕介）1974-1975&lt;br /&gt;
*[[ゆうひが丘の総理大臣]]（主演：[[中村雅俊]]）1978&lt;br /&gt;
*[[あさひが丘の大統領]]（主演：[[宮内淳]]、[[片平なぎさ]]）1979&lt;br /&gt;
*[[メチャン子・ミッキー]]（主演：[[堀ちえみ]]）1982&lt;br /&gt;
*[[スクール☆ウォーズ]]（主演：[[山下真司]]）1984-1985&lt;br /&gt;
*[[ヤヌスの鏡]]（主演：[[杉浦幸]]）1985&lt;br /&gt;
*[[天使のアッパーカット]]（主演：[[大塚真美]]）1986&lt;br /&gt;
*[[セーラー服通り]]（主演：[[石野陽子]]）1986&lt;br /&gt;
*[[スケバン刑事 (実写版)]]（主演：[[斉藤由貴]]）1985&lt;br /&gt;
*[[スケバン刑事 (実写版)|スケバン刑事Ⅱ]]（主演：[[南野陽子]]）1985~1986&lt;br /&gt;
*[[スケバン刑事 (実写版)|スケバン刑事Ⅲ]]（主演：[[浅香唯]]）1986~1987&lt;br /&gt;
*[[同級生は13歳]]（主演：[[後藤久美子 (女優)|後藤久美子]]）1987&lt;br /&gt;
*[[アリエスの乙女たち]]（主演：[[南野陽子]]）1987&lt;br /&gt;
*[[はいすくーる落書]]（主演：[[斉藤由貴]]）1989（パート1） 1990（パート2）&lt;br /&gt;
*[[愛しあってるかい!]]（主演：[[小泉今日子]]）1990&lt;br /&gt;
*[[いけない女子高物語]]（主演：[[古手川祐子]]）1990&lt;br /&gt;
*[[ビバリーヒルズ高校白書]] 1990～2000&lt;br /&gt;
*[[学校へ行こう!_(テレビドラマ)|学校へ行こう!]]（主演：[[浅野ゆう子]]）1991&lt;br /&gt;
*[[先生のお気に入り]]（主演：[[陣内孝則]]）1991&lt;br /&gt;
*[[ボクたちのドラマシリーズ#第1シーズン|放課後]]（主演：[[観月ありさ]]、[[いしだ壱成]]）1992&lt;br /&gt;
*[[ボクたちのドラマシリーズ#第1シーズン|お願いダーリン！]]（主演：[[高橋由美子]]）1993&lt;br /&gt;
*[[じゃじゃ馬ならし]]（主演：[[観月ありさ]]）1993&lt;br /&gt;
*[[ボクたちのドラマシリーズ#第2シーズン|お願いデーモン！]]（主演：[[戸田菜穂]]）1993&lt;br /&gt;
*[[ボクたちのドラマシリーズ#第2シーズン|時をかける少女]]（主演：[[内田有紀]]）1994&lt;br /&gt;
*[[アリよさらば]]（主演：[[矢沢永吉]]）1994&lt;br /&gt;
*[[南くんの恋人]]（主演：[[高橋由美子]]、[[武田真治]]）1994  &lt;br /&gt;
*[[白線流し]]（主演：[[長瀬智也]]）1996-2005&lt;br /&gt;
*[[イグアナの娘]]（主演：[[菅野美穂]]）1996&lt;br /&gt;
*[[それが答えだ!]]（主演：[[三上博史]]）1997&lt;br /&gt;
*[[GTO (テレビドラマ)|GTO]]（主演：[[反町隆史]]）1998-1999&lt;br /&gt;
*[[ナオミ (テレビドラマ)|ナオミ]]（主演：[[藤原紀香]]）1999&lt;br /&gt;
*[[女教師 (テレビドラマ)|女教師]]（主演：[[高島礼子]]）1999&lt;br /&gt;
*[[L×I×V×E]]（主演：[[今井絵理子]]、[[新垣仁絵]]）1999&lt;br /&gt;
*[[伝説の教師]]（主演：[[松本人志]]、[[中居正広]]）2000&lt;br /&gt;
*[[お前の諭吉が泣いている]]（主演：[[東山紀之]]）2001&lt;br /&gt;
*[[R-17]]（主演：[[中谷美紀]]）2001&lt;br /&gt;
*[[さよなら、小津先生]]（主演：[[田村正和]]）2001&lt;br /&gt;
*[[HR (テレビドラマ)|HR]]（定時制高校）（主演：[[香取慎吾]]）2002&lt;br /&gt;
*[[ごくせん (テレビドラマ)|ごくせん]]（主演：[[仲間由紀恵]]）2002-2005&lt;br /&gt;
*[[ヤンキー母校に帰る]]（主演：[[竹野内豊]]）2003&lt;br /&gt;
*[[Stand Up!!]]（主演：[[二宮和也]]）2003&lt;br /&gt;
*[[ライオン先生]]（主演：[[竹中直人]]）2003&lt;br /&gt;
*[[WATER BOYS]]（主演：[[山田孝之]]）2003&lt;br /&gt;
*[[WATER BOYS2]](主演：[[市原隼人]])2004&lt;br /&gt;
*[[ディビジョン1#放課後。|放課後。]]（主演：[[堀北真希]]）2004&lt;br /&gt;
*[[めだか (テレビドラマ)|めだか]]（定時制高校）（主演：[[ミムラ (女優)|ミムラ]]）2004&lt;br /&gt;
*[[エースをねらえ!]]（主演：[[上戸彩]]）2004&lt;br /&gt;
*[[アタックNo.1]]（主演：上戸彩）2005&lt;br /&gt;
*[[南くんの恋人]]（主演：[[深田恭子]]、[[二宮和也]]）2004&lt;br /&gt;
*[[H2 (漫画)#ドラマ（H2～君といた日々）|H2～君といた日々]]（主演：[[山田孝之]]）2005&lt;br /&gt;
*[[がんばっていきまっしょい]]（主演：[[鈴木杏]]）2005&lt;br /&gt;
*[[ドラゴン桜 (テレビドラマ)|ドラゴン桜]]（主演：[[阿部寛]]）2005&lt;br /&gt;
*[[花より男子]]、花より男子2（リターンズ）（主演：[[井上真央]]）2005 2007&lt;br /&gt;
*[[野ブタ。をプロデュース]]（主演：[[亀梨和也]]）2005&lt;br /&gt;
*[[pinkの遺伝子]]（主演：[[中土居宏宜]]）2005&lt;br /&gt;
*スターライト （主演：[[星井七瀬]]）2005&lt;br /&gt;
*[[ガチバカ!]]（主演：[[高橋克典]]）2006&lt;br /&gt;
*[[2005年のロケットボーイズ|ロケットボーイズ]]（主演：[[遠藤雄弥]]）2006&lt;br /&gt;
*[[マイ★ボス マイ★ヒーロー]](主演：[[長瀬智也]])2006&lt;br /&gt;
*[[ダンドリ。～Dance☆Drill～]](主演：[[榮倉奈々]])2006&lt;br /&gt;
*[[花ざかりの君たちへ#テレビドラマ|花ざかりの君たちへ～イケメン♂パラダイス～]](主演：[[堀北真希]])2007&lt;br /&gt;
*[[ライフ (漫画)#テレビドラマ|ライフ]](主演：[[北乃きい]])2007&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大学 ===&lt;br /&gt;
*[[ふぞろいの林檎たち]]（主演：[[中井貴一]]　[[時任三郎]]　[[柳沢慎吾]]） 1983～1997&lt;br /&gt;
*[[ビバリーヒルズ青春白書]] 1990～2000&lt;br /&gt;
*[[あすなろ白書]]（主演：[[石田ひかり]]）1993&lt;br /&gt;
*[[東京大学物語]]（主演：[[稲垣吾郎]]、[[瀬戸朝香]]）1994&lt;br /&gt;
*[[キャンパスノート]]（主演：[[内田有紀]]）1996&lt;br /&gt;
*[[天才柳沢教授の生活]]（主演：[[松本幸四郎 (9代目)]]）2002&lt;br /&gt;
*[[動物のお医者さん]]（主演：[[吉沢悠]]）2003&lt;br /&gt;
*[[オレンジデイズ]]（主演：[[妻夫木聡]]、[[柴咲コウ]]）2004&lt;br /&gt;
*[[ディビジョン1#産隆大學應援團|産隆大學應援團]]（主演：[[山本太郎]]）2005&lt;br /&gt;
*[[のだめカンタービレ (テレビドラマ)|のだめカンタービレ]]（主演：[[上野樹里]]、[[玉木宏]]）2006&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他の学校（など） ===&lt;br /&gt;
*[[予備校ブギ]]（予備校）（主演：[[的場浩司]]、[[緒形直人]]、[[織田裕二]]、[[田中美佐子]]）1990&lt;br /&gt;
*[[スクール☆ウォーズ#スクールウォーズII|スクールウォーズII]]（少年院）（主演：[[山下真司]]）1990～1991&lt;br /&gt;
*[[教習所物語]]（自動車教習所）（主演：武田鉄矢、[[水前寺清子]]）2000&lt;br /&gt;
*[[勝利の女神]]（学習塾）（主演：中居正広、陣内孝則）2003&lt;br /&gt;
*[[ビギナー (テレビドラマ)|ビギナー]]（司法研修所）（主演：ミムラ）2003&lt;br /&gt;
*[[海猿]]（海上保安大学校）&lt;br /&gt;
**[[日本放送協会|NHK]]版（主演：[[国分太一]]）2002･2003&lt;br /&gt;
**[[フジテレビジョン|フジテレビ]]版（主演：[[伊藤英明]]）2005&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学校が舞台だが通常学園ドラマには含めないもの ==&lt;br /&gt;
*[[魔女の条件]]&lt;br /&gt;
*[[高校教師 (テレビドラマ)|高校教師]]&lt;br /&gt;
*[[ロング・ラブレター～漂流教室～]]（タイムスリップした高校）&lt;br /&gt;
*[[ストロベリー・オンザ・ショートケーキ]]&lt;br /&gt;
*[[ハレンチ学園]]&lt;br /&gt;
*[[銀狼怪奇ファイル]]&lt;br /&gt;
*怪奇倶楽部・悪霊学園（[[木曜の怪談]]）&lt;br /&gt;
*[[僕の生きる道]]&lt;br /&gt;
*[[冬のソナタ]]&lt;br /&gt;
*[[六番目の小夜子]]&lt;br /&gt;
*[[天国に一番近い男]]教師編&lt;br /&gt;
*[[未成年 (テレビドラマ)|未成年]]&lt;br /&gt;
*[[ホットマン|ホットマン1・2]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[テレビドラマ]]&lt;br /&gt;
*[[架空の学校一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.tvdrama-db.com/ テレビドラマデータベース]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:学園ドラマ|*]]&lt;br /&gt;
[[category:学校を舞台とした作品|*とらま]]&lt;br /&gt;
[[Category:テレビドラマのジャンル|かくえんとらま]]&lt;br /&gt;
{{tv-stub}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<title>学園ドラマ</title>
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&lt;hr /&gt;
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{コンピュータゲーム&lt;br /&gt;
|Title = バイオハザード0&lt;br /&gt;
|Genre = [[サバイバルホラー]]&lt;br /&gt;
|Plat = [[ニンテンドーゲームキューブ]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[Wii]]&lt;br /&gt;
|Dev = [[トーセ]]&lt;br /&gt;
|Pub = [[カプコン]]&lt;br /&gt;
|Play = 1人&lt;br /&gt;
|Media = [[ゲームキューブ]]専用[[光ディスク|8cm光ディスク]]2枚組&amp;lt;br /&amp;gt;[[Wii]]用[[光ディスク|12cm光ディスク]]&lt;br /&gt;
|Date = '''Nintendo GameCube:'''&amp;lt;br /&amp;gt;{{flagicon|USA}} [[2002年]][[11月13日]]&amp;lt;br /&amp;gt;{{Flagicon|JPN}} [[2002年]][[11月21日]]&amp;lt;br /&amp;gt;{{flagicon|Europe}} [[2003年]][[3月7日]]&amp;lt;br /&amp;gt;'''Wii:'''&amp;lt;br /&amp;gt;{{flagicon|USA}} TBA&amp;lt;br /&amp;gt;{{Flagicon|JPN}} [[2008年]][[7月10日]] &amp;lt;br /&amp;gt;{{flagicon|Europe}} TBA&lt;br /&gt;
|Price = '''Nintendo GameCube:'''&amp;lt;br /&amp;gt;{{Flagicon|JPN}} 7,800円（消費税込）&amp;lt;br /&amp;gt;'''Wii:'''&amp;lt;br /&amp;gt;{{Flagicon|JPN}} 4,190円（消費税込）&lt;br /&gt;
|Rating = [[CERO]]: C (15歳以上対象) &amp;lt;br /&amp;gt;[[ESRB]]: M (Mature)&lt;br /&gt;
|Device = &lt;br /&gt;
|Spec = &lt;br /&gt;
|Engine = &lt;br /&gt;
|Sale = &lt;br /&gt;
|etc =&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『'''バイオハザード0'''』は[[2002年]][[11月21日]]に[[カプコン]]より[[ニンテンドーゲームキューブ]]用として発売された[[ホラーゲーム|ホラー]][[アクションアドベンチャーゲーム]]。[[バイオハザードシリーズ]]の第5作である。開発は[[トーセ]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
シリーズ第一作である『[[バイオハザード (ゲーム)|バイオハザード]]』の直前の出来事を描くプレストーリー編。開発当初は[[NINTENDO64|ニンテンドウ64]]で発売される予定だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]][[7月10日]]に[[Wii]]版が発売された。追加要素の無い純粋移植作品である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ストーリー ==&lt;br /&gt;
アメリカ中西部の[[ラクーンシティ|ラクーン市]]アークレイ山地で人々が次々と食い殺されるという事件が発生し、ラクーン市警は、S.T.A.R.S.ブラヴォーチームを派遣し、事態の収拾を図る。しかし一行を乗せたヘリコプターは現場近くの森でエンジントラブルを起こして墜落する。脱出には成功したが、彼らはそこで破壊された軍の囚人護送車と惨殺された海兵隊員を発見する。そこで隊長のエンリコ・マリーニは行方不明の元海兵隊員のビリー・コーエンの捜索を指示する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宿敵アンブレラの歴史や2の重要キャラの前日譚などが盛り込まれ、1でも描かれなかったブラヴォーチームの顛末が描かれるなどシリーズ全体にかかわる物語が示されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== システムの特徴・概要 ==&lt;br /&gt;
; パートナーザッピングシステム&lt;br /&gt;
: プレイヤーは新人隊員レベッカと囚人ビリー・コーエンを操作する。ボタン一つでプレイヤーキャラをチェンジすることができ、一方のキャラクターはその間コンピューターが操作して自動的に戦う。2人が別々の部屋にいても交代が可能だが、この場合、若干切り替えに時間がかかるのが難点。&lt;br /&gt;
; レベッカの能力の特徴&lt;br /&gt;
:* HPが少ない（最大150）。&lt;br /&gt;
:* ハーブを調合できる。&lt;br /&gt;
:* 貯蔵タンクから薬品を採取したり、それらを調合できる。&lt;br /&gt;
:* せまい場所に入れる。&lt;br /&gt;
:* 火炎ビンを投げる動作が速い。&lt;br /&gt;
:* 重い物を動かせない。&lt;br /&gt;
; ビリーの能力の特徴&lt;br /&gt;
:* HPが多い（最大250）。&lt;br /&gt;
:* 武器を構えたり、弾を撃つ動作が速い。&lt;br /&gt;
:* ハンドガンの攻撃がクリティカルヒットする。&lt;br /&gt;
:* 重い物を動かせる。&lt;br /&gt;
:* ライターで点火が可能。&lt;br /&gt;
:* 走るスピードが若干速い。&lt;br /&gt;
:* 意外にもピアノが弾ける。&lt;br /&gt;
; アイテムボックスの廃止&lt;br /&gt;
: 従来の作品は所持数が多くなったら、アイテムボックスに保管することが出来たが、今作ではアイテムボックスは廃止されている。その代わり、アイテムを好きなところで置く事ができるようになった。しかし、フロアに置けるアイテムの数に制限があるため、利便性は決して高くない。&lt;br /&gt;
; クリアランクについて&lt;br /&gt;
: 今作ではクリア時のランクは、プレイ時間のみで、他作品のような回復アイテム使用回数、セーブ回数などは一切影響がない。(easyモードではクリアランクはないため、リーチハンター以外のおまけ要素がない)しかし、擬態マーカスを含めたボス戦が多めなため、Sランクを取るのは難しい。&lt;br /&gt;
; ゾンビの強化&lt;br /&gt;
: 今作のゾンビは他作品と比べると、噛みつきの攻撃力が高く(レベッカの場合では、3発も食らうと死亡)反応速度も他クリーチャーと比べると速いため、後述のこともあって、避けづらくなった。しかし、耐久力は低く、パートナーザッピングもあるため、雑魚であることに変わりはないが、基本的に倒して進まないといけないモンスターである。&lt;br /&gt;
; 戦闘の避けづらさ&lt;br /&gt;
: 共同捜索時、パートナーキャラがクリーチャーの攻撃を受けている状態で、扉に入ってしまうと共同捜索が解除されてしまい、パートナーはクリーチャーの攻撃を受けたままになってしまう。「仲間を見捨てない」という、ある意味当然のこととも言える。このため、前述のことも含めて、敵を避けて進むことは困難になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 登場人物 ==&lt;br /&gt;
=== 主人公 ===&lt;br /&gt;
; レベッカ・チェンバース (''Rebecca Chembers'')&lt;br /&gt;
: S.T.A.R.S.の新人隊員で、ブラヴォー・チームの衛生担当。薬品に関する知識や技術に秀でる。学業に関してはかなり優秀で、飛び級を重ね18歳にして大学を卒業済み。今回の作戦がS.T.A.R.S.隊員としての初任務である。可愛らしい外見とは裏腹に度胸があり、マイペース。&lt;br /&gt;
; ビリー・コーエン (''Billy Coen'')&lt;br /&gt;
: 元[[アメリカ海兵隊|海兵隊]][[少尉]]。ある軍事作戦中に23人もの民間人を虐殺した罪で死刑判決を受けた（ただしこれは冤罪で、本人は虐殺に加担していない）。処刑のため基地に移送される途中、何者かに護送車が襲われ、その隙に逃走。その後、怪物に襲われていたレベッカを助けた事から、生き残るため彼女と行動をともにする事となる。正義感が強く、意外にもピアノ演奏が得意。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ブラヴォーチーム ===&lt;br /&gt;
ヘリ不時着後すぐにレベッカと別行動になるため、作品内では彼らの詳しい足取りは不明だが、各自周辺の施設調査やクリーチャー掃討などを行っていたと思われる。最終的に生存者は全員、「洋館」（1作目の舞台）へ向かう事となる。&lt;br /&gt;
; エンリコ・マリーニ (''Enrico Marini'')&lt;br /&gt;
: S.T.A.R.S.副隊長でブラヴォー・チームのリーダー。温厚な性格で隊員から慕われている。レベッカとは別行動だが、独自にアンブレラの施設を捜査しており、工場で再会する。&lt;br /&gt;
; ケネス・J・サリバン (''Kenneth J.Sullivan'')&lt;br /&gt;
: 偵察と敵地確保を担当するベテラン隊員。今作では彼の「生きた」姿が見られる。レベッカとは別行動。&lt;br /&gt;
; フォレスト・スパイヤー (''Forest Speyer'')&lt;br /&gt;
: 整備担当。重火器の扱いに長ける。レベッカとは別行動。&lt;br /&gt;
; リチャード・エイケン (''Richard Aiken'')&lt;br /&gt;
: 通信担当。陽気な性格で、年が近いためレベッカのサポートを任されている。レベッカとは別行動。&lt;br /&gt;
; エドワード・デューイ (''Edward Dewey'')&lt;br /&gt;
: ヘリの操縦を担当(今回はケビンに任せる）。狙撃も得意だが、ビリー捜索中にケルベロスに襲われ、負傷。その後ゾンビと成り果てて、かつての同僚であるレベッカに襲いかかる。&lt;br /&gt;
; ケビン・ドゥーリー&lt;br /&gt;
: R.P.D.所属。ヘリを操縦するためにチームに派遣された。不時着したときに他の隊員を見送り、ヘリの中に待機していた。その待機中に襲撃され、『1』にてアルファチーム隊員のジョセフによって遺体が発見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アンブレラ ===&lt;br /&gt;
; アルバート・ウェスカー (''Albert Wesker'')&lt;br /&gt;
: S.T.A.R.S.隊長でアルファ・チームのリーダー。実はアンブレラがラクーン市警を監視するために送り込んだスパイである。常に冷静な切れ者で、トレードマークのサングラスは暗いところでも白衣姿でも決して外さない。アンブレラ研究員のバーキンとは旧知の仲。&lt;br /&gt;
; ウィリアム・バーキン (''William Birkin'')&lt;br /&gt;
: アンブレラ研究員。この時点ではまだG-ウィルスは完成させていない。&lt;br /&gt;
; ジェームス・マーカス (''James Marcus '')&lt;br /&gt;
: アンブレラ創立のメンバーでもあり、事件の舞台の一つである幹部養成所の初代所長。ヒルを使って始祖ウィルスからT-ウィルスを作り出した。目的のためなら手段を選ばない冷酷な性格で、彼の研究の実験台となって潰された人間は相当数に上る。その精神はウェスカーやバーキンやビンセント等のアンブレラ幹部に受け継がれているようだ。アンブレラ内の権力闘争が原因で暗殺されたはずだが……。&lt;br /&gt;
; 謎の青年&lt;br /&gt;
: T-ウィルスによって巨大化した肉食ヒルの群れを操る青年。アンブレラに何らかの恨みを持っているらしく、執拗にアンブレラの施設を襲う。正体はジェームス・マーカスが可愛がっていたヒル達のリーダー（通称・女王ヒル）がウェスカー・ウィリアムに裏切られ暗殺されたマーカスの死体と長い時間をかけて融合した存在である。なお、青年の姿はマーカスの若い時の姿を模写したものである。また、肉体の主導権はマーカスではなく女王ヒルのほうにあるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 登場する武器 ==&lt;br /&gt;
; [[ナイフ]]&lt;br /&gt;
: 何度も使うことができ、弾薬を温存するのに役立つ。威力が小さいうえにリーチも短いので、敵の攻撃をかわした直後か、敵が転倒したスキに使わないと反撃を受けやすい。なお、振った刃が障害物に当たっても、攻撃が中断されることはない。&lt;br /&gt;
; [[ハンドガン]]&lt;br /&gt;
: 登場するハンドガンは2種類。装弾数は15。レベッカ用とビリー用で見た目は違うが、武器としての性能の差はなく、交換して使うこともできる。手に入る弾薬はもっとも多いのだが、1発の威力が少なく、転倒させられる敵も少ない。&lt;br /&gt;
; [[カスタムハンドガン]]&lt;br /&gt;
: ハンドガンを改造して、スコープなどを装着させた武器。通常より、弾の威力が2～3割ほどあがり、連射の速度も速くなり、ゾンビの頭部破壊を起こすクリティカルの確率もあがる。レベッカ用とビリー用のどちらでも改造できるのだが、パーツは1つなので入手は1つまでになる。ちなみに『2』、『CODE:Veronica』のカスタムハンドガンのような三連射はできない。一発一発が早い。&lt;br /&gt;
; [[猟銃]]&lt;br /&gt;
: 序盤で入手でき、ショットガンの弾を使用する。ショットガンより発射後のスキは小さいのだが、欠点はアイテム欄を2ブロック占領するうえに、装弾数が2しかないため、ショットガンを入手したあとは使う機会は無い上、扱いにくいので無理に使用する必要はない。リーチハンターでCランクを取ると『無限猟銃』が使用可能になる。&lt;br /&gt;
; [[ショットガン]]&lt;br /&gt;
: 攻撃の性能は猟銃と同じだが、こちらのほうが装弾数が7と多く、武器を構える時間も短いので、使い勝手がいい。また、武器を低く構えるため、姿勢の低い敵や転倒中の敵にも水平攻撃でダメージを与えていける。アイテム欄を2ブロック占領する。&lt;br /&gt;
; [[火炎ビン]]&lt;br /&gt;
: 空きビンとポリタンクを組み合わせて入手する、ガソリン入りのビン。アイテム欄を1ブロックにまとめて持つことが可能で、使い切るとアイテム欄から消える。強敵の擬態マーカスを2～3回の攻撃で倒せるのが魅力、そのための武器と言っても過言ではないだろう。なお、ビンを投げるスピードはレベッカのほうが早い。&lt;br /&gt;
; [[グレネードランチャー]]&lt;br /&gt;
: 榴弾、焼夷弾、硫酸弾を発射する。入手できる弾薬の数が少ないので、有効な敵に用いよう。装弾数は255なのだが、アイテム欄を2ブロック占領する。攻撃力は強大だが、弾薬の量が少ないので『2』等と同じように扱うとあっという間に弾が尽きてしまうので注意が必要。&lt;br /&gt;
; [[マグナム]]&lt;br /&gt;
: 高性能の大型拳銃。装弾数は8。武器を構える動作はハンドガンと同じで、弾を撃ったときの反動がやや大きいが、敵に与えるダメージは数倍におよぶ。入手できる弾薬の数は極めて少ないので、ハンターを一撃で倒したり、プロトタイラントや女王ヒルを倒すのに使うべきである。&lt;br /&gt;
; [[マグナムリボルバー]]&lt;br /&gt;
: エクストラゲームをBランクを獲得した場合のみ列車内で入手可能。本編で女王ヒルに止めを刺すのに使われたリボルバー式の大型拳銃。武器の動作時間は通常のマグナムと同じだが、弾の威力は通常の武器の中では最強で、プロトタイラントも２発で倒すことができる。そのうえ敵を貫通する能力まであり、1回の攻撃で複数の敵をまとめて倒すことができる。&lt;br /&gt;
; [[サブマシンガン]]&lt;br /&gt;
: イージー以外の難易度で5時間未満でゲームをクリアしている場合のみ、ビリーの初期装備。連射性能が高く、1発の威力はハンドガンより低いが、秒間10発のペースで弾を撃てるため、短時間で敵に大ダメージを与えていける。弾数はパーセント単位で表示されているが、実際は300発。アイテムブロックを2ブロック占領する。因みに、連打したほうが素早く連射が出来る。ハンターを撃破するのはこの武器が一番向いている。&lt;br /&gt;
; [[ロケットランチャー]]&lt;br /&gt;
: イージー以外の難易度で3時間30分未満でゲームをクリアしている場合のみ、レベッカの初期装備となる。ロケット弾を使う重火器のため、スキは大きいが、弾の威力も圧倒的に大きく、ほとんどの敵を1撃で倒すことができる。（今作のものは前作までのものと比べてやや弱体化しており、ボス級の敵には2発以上当てないと倒せない）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 登場クリーチャー ==&lt;br /&gt;
; ゾンビ (Zombie)&lt;br /&gt;
: おなじみのクリーチャーである。&lt;br /&gt;
; ケルベロス(Cerberus)&lt;br /&gt;
: ゾンビ犬と同じ犬種だが、こちらは実験によって生み出されたBOWで、高い戦闘能力を持つが、制御性に問題があるらしい。また、今作では即死攻撃を持っており、体力次第では脅威になりかねない。&lt;br /&gt;
; クロウ (Crow)&lt;br /&gt;
: T-ウイルスの二次感染によって凶暴化したカラス。死肉をついばむが生きている人間を見ると嘴で攻撃してくる。&lt;br /&gt;
; スティンガー (Stinger)&lt;br /&gt;
: BOW開発当初に実験によって開発されたサソリ型BOW。巨大化し骨格も硬質化しているが、頭部の隙間が弱点であり、BOWとしての実験投下は見送られた。主人公を追い詰めると即死攻撃を行う。どの時点で走行中の列車に入り込んだかは不明。&lt;br /&gt;
; ジャイアントスパイダー (Giant spider)&lt;br /&gt;
: 自然界に生息するクモが二次感染によって、巨大化して毒を持つようになった。&lt;br /&gt;
; エリミネーター (Eliminator)&lt;br /&gt;
: マーカスの実験により開発された、大型真猿類のBOW。簡単な命令を実行することができる上、運動神経もかなり発達されており、それを生かした攻撃能力は驚異的なものといえる。マーカス曰く低下した視力を補うため聴力が発達しているそうだ。ハンターと比べると兵器としては見劣りするらしい。&lt;br /&gt;
; プレイグクローラー (Plague Crawler)&lt;br /&gt;
: BOW開発当初に実験によって開発された昆虫BOW。しかし知能の低下などにより開発が中止された。&lt;br /&gt;
; ハンター (Hunter)&lt;br /&gt;
: 最初に開発されたハンター。攻撃力が高く、簡単な命令なら聞くことができる。&lt;br /&gt;
; ラーカー (Luker)&lt;br /&gt;
: カエルにT - ウィルスを投与したもの。眼が見えず、動くものならなんでも捕食してしまうため量産は見送られた。因みに飲み込まれると即死である。&lt;br /&gt;
; インフェクティッドバット (Infected Bat)&lt;br /&gt;
: T-ウイルスに感染したコウモリの中で最も適応性が高いコウモリがイレギュラーに発達したものである。3メートルはあろうかと思われる翼を広げて飛行している。筋肉も増強されているようだ。飛んでいる為弾薬が命中しづらく、弾薬を無駄遣いしやすい。&lt;br /&gt;
; センチュリオン (Centurion)&lt;br /&gt;
: T-ウイルスの二次感染により10メートルにも巨大化した大ムカデ。レベッカが捕らわれた状態で戦闘が始まり、一定時間以内に倒さないと死亡してしまう。&lt;br /&gt;
; プロトタイラント (Proto Tyrant)&lt;br /&gt;
: T-002型タイラントの前に開発された未完成のB.O.W.で、名前通りタイラントのプロトタイプ。ウィルスの影響が強すぎたため腐敗が激しく、思考能力が低下しているので廃棄処分になったはずだったが、驚異的な生命力で活動を再開した。&lt;br /&gt;
; ヒル (Leech)&lt;br /&gt;
: マーカスがヒルにT-ウィルス実験を繰り返し完成した巨大ヒル。巨大な口により獲物の血を吸い取り死に至らしめる。&lt;br /&gt;
; 擬態マーカス (Mimicry Marcus)&lt;br /&gt;
: ヒルが集まりひとつの生命体のような格好をしている。生みの親のマーカスの姿を擬態している。攻撃力自体は大した事はないが、移動速度が速い事、倒すとヒルを出す事、狭い場所での出現が多いなど、様々な所で苦労する敵。火が苦手なので、火炎瓶や焼夷弾が有効な武器である。それ以外の武器で倒すと自爆して大ダメージを受ける。&lt;br /&gt;
; 女王ヒル第一・第二形態 (Queen Leech I, II)&lt;br /&gt;
: 死亡したマーカスの肉体にT-ウィルスを持った女王ヒルが処理場で取り付き、細胞再生と細胞分裂を10年かけ復活したものだと思われる。知能は高く、歌(?)によって、ヒルたちを統括している。&lt;br /&gt;
:; 第一形態&lt;br /&gt;
:: マーカスの意思を乗っ取り、真の姿になった女王ヒル。&lt;br /&gt;
:; 第二形態&lt;br /&gt;
:: 第一形態からさらに、ヒルを取り込んで急激な変化を遂げた女王ヒル。ヒルの細胞同士が強固に結合しているため非常に高い耐久力を持つが、日光を浴びると結合が緩んでしまうという致命的な弱点がある。最終的には弱点を突かれ倒される。&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
; type-139&lt;br /&gt;
: ゲーム未登場の試作BOW。甲殻類に極少量のTウイルスを投与したもので、全身の著しい硬化や巨大化を起こしている。詳細は不明だが毒をもっている可能性あり。弱点は頭部の装甲が異常にヤワになっていること。現在も研究開発が続行中。&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
; 謎のクリーチャー&lt;br /&gt;
: 水路に流されたビリーを襲うクリーチャー。水の中におり、全体像ははっきり見えない。ムービー中のみ登場。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.capcom.co.jp/bio0/ ゲームキューブ版公式サイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.capcom.co.jp/wii_bio0/ Wii版公式サイト]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Template:バイオハザード}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:はいおはさあと0}}&lt;br /&gt;
[[Category:バイオハザードシリーズ|0]]&lt;br /&gt;
[[Category:ゲームキューブ用ソフト]]&lt;br /&gt;
[[Category:Wii用ソフト]]&lt;br /&gt;
[[Category:2002年のコンピュータゲーム]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B&amp;diff=96717</id>
		<title>合わせ</title>
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				<updated>2010-08-10T09:33:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: ページの白紙化&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<title>バイオハザード0</title>
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				<updated>2010-08-10T09:32:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: ページの白紙化&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<title>テレビ朝日火曜夜8時枠</title>
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				<updated>2010-08-10T09:32:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア削除}}&lt;br /&gt;
大阪府立[[清水谷高等学校]]の文化系クラブの１つ。　公立の普通科高校では（特に大阪では）比較的珍しい[[オーケストラ]]（[[管弦楽]]）のクラブである。（であるが、音楽科を持つ学校や中高一貫教育を行う私立の学校には割りと存在する。理由は、難度の高い弦楽器を擁するからである。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
編成は、やや変則的な３管編成で、[[ヴァイオリン]]、[[ヴィオラ]]、[[チェロ]]、[[コントラバス]]から成る[[弦楽器]]セクション。[[フルート]]、[[オーボエ]]、[[クラリネット]]から成る[[木管楽器]]セクション。[[ホルン]]、[[トランペット]]、[[トロンボーン]]の[[金管楽器]]セクション。[[ティンパニー]]を中心とした[[打楽器]]セクション。を擁する。　２００７年春現在で部員数は約７０名。　弦楽器は、その１００％が高校入学後に初めて楽器を手にした初心者で、在籍期間２年半だけという悪条件の中でも良くがんばっており、実際、かなり弾けるようになる。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
レパートリーは、クラシック音楽はもとより、映画音楽等のポピュラー音楽、ポップスや吹奏楽曲のアレンジ版、歌謡曲　などの多岐にわたる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
過去４年間のの演奏曲から　：　[[ホルスト]]「惑星」より「木星」、[[ヨハンシュトラウス]]Ⅱ「美しく青きドナウ」、[[ベルリオーズ]]「幻想交響曲」から４楽章「断頭台への行進」、ヨハンシュトラウスⅡ「皇帝円舞曲」、[[ドヴォルザーク]]「スラヴ舞曲集」より１番、８番、10番、[[ヴェートーベン]]「交響曲第７番」から１楽章、[[チャイコフスキー]]「交響曲第２番」から４楽章。　映画音楽からパイレーツ・オブ・カリビアン、ミッションインポシブル、美女と野獣、ハリウッド映画メドレー、宮崎駿アニメメドレー、もののけ姫から「アシタカせっ記」。　ポップスから「情熱大陸」「セプテンバー」「シング・シング・シング」、その他。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
常任指揮は顧問教諭および部員による。　楽器トレーナーとして[[大阪シンフォニカー交響楽団]]のビオラ奏者とクラリネット奏者に来て頂いている。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
２００６年秋には、世界的指揮者・[[佐渡裕]]氏による直接の指導を受ける機会にも恵まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の問題点は、交響曲全曲を演奏できるような「場」を持てないでいること。と慢性的な楽器不足である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで削除された記事|しみすたに]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E8%B0%B7%E9%AB%98%E6%A0%A1%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E9%83%A8&amp;diff=96714</id>
		<title>清水谷高校オーケストラ・アンサンブル部</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E8%B0%B7%E9%AB%98%E6%A0%A1%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E9%83%A8&amp;diff=96714"/>
				<updated>2010-08-10T09:32:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: ページの白紙化&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E2%97%8B%E2%97%8B%E3%81%82%E3%81%84%E2%98%86%E3%82%B3%E3%83%A9!%E7%94%9F%E3%82%84%E3%81%90%E3%81%A1&amp;diff=96712</id>
		<title>○○あい☆コラ!生やぐち</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E2%97%8B%E2%97%8B%E3%81%82%E3%81%84%E2%98%86%E3%82%B3%E3%83%A9!%E7%94%9F%E3%82%84%E3%81%90%E3%81%A1&amp;diff=96712"/>
				<updated>2010-08-10T09:31:40Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;都営バス系統一覧&lt;br /&gt;
新小29甲 葛西駅～一之江駅～松江～新小岩駅北口～東新小岩４ 9.938km 　 &lt;br /&gt;
折1 葛西駅～一之江駅～松江（←東新小岩３、松江中学校→）新小岩駅北口 　 平土朝 &lt;br /&gt;
折2 葛西駅←一之江駅 　 　 &lt;br /&gt;
折3 一之江駅→松江→新小岩駅北口 　 平土朝 &lt;br /&gt;
折4 松江→新小岩駅北口→東新小岩４ 　 休朝 &lt;br /&gt;
折5 松江→新小岩駅北口 　 平土朝 &lt;br /&gt;
折6 新小岩駅北口←東新小岩４ 　 平土朝 &lt;br /&gt;
乙 春江町終点～一之江駅～松江～新小岩駅北口～東新小岩４ 8.538km 　 &lt;br /&gt;
折7 春江町終点～一之江駅～松江（←東新小岩３、松江中学校→）新小岩駅北口 　 平土朝 &lt;br /&gt;
出入1 葛西駅～臨海車庫（臨海２８） 　 　 &lt;br /&gt;
出入2 一之江駅～松江６～東小松川車庫 　 平 &lt;br /&gt;
新小30 東京臨海病院～葛西駅～一之江駅～松江～新小岩駅北口～東新小岩４ 　 　 &lt;br /&gt;
折8 東京臨海病院←葛西駅←一之江駅←松江←東新小岩３←新小岩駅北口 　 平土朝        &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
変遷&lt;br /&gt;
系統 施行日 所管 距離 概要 &lt;br /&gt;
77　 S38年度 江戸川 14.714km 春江町終点～東小松川１～亀戸駅通り／大島第三小（現大島駅）～新大橋～&lt;br /&gt;
茅場町～東京駅北口が開通 &lt;br /&gt;
77　 S39.12.15 江戸川 7.528km 春江町終点～松江～菅原橋～本一色～新小岩駅北口に変更短縮 &lt;br /&gt;
77　 S40. 6.15 江戸川 8.578km 新小岩駅北口～上小松町（現東新小岩３）を延長 &lt;br /&gt;
77　 S42. 6.10 江戸川 8.788km 東新小岩４～東新小岩３を延長 &lt;br /&gt;
77　 S46. 3. 7 今井 8.308km 今井支所に移管 &lt;br /&gt;
新小29 S50.12. 7 今井 10.370km 葛西駅～一之江３（現一之江駅）～一之江橋西詰～同潤会～東新小岩４が開通 &lt;br /&gt;
新小27 S58. 2. 1 今井 8.358km 東新小岩４の操車所変更による経路変更 &lt;br /&gt;
新小29 S58. 2. 1 今井 10.420km 同上 &lt;br /&gt;
新小29 S59.11.13 今井 10.350km 葛西駅ターミナルの変更による一部経路変更 &lt;br /&gt;
新小27 S62. 5. 5 臨海 8.358km 今井支所･江戸川営業所を臨海営業所へ新設統合、臨海へ移管 &lt;br /&gt;
新小29 S62. 5. 5 臨海 10.350km 同上 &lt;br /&gt;
（出入） S62. 5. 5 臨海 7.860km 臨海車庫～一之江橋西詰を開設 &lt;br /&gt;
新小29乙1&lt;br /&gt;
新小29丙 S63.12. 1 臨海 5.800km&lt;br /&gt;
3.150km 京葉線新木場延長により出入を格上げ一之江駅～葛西臨海公園駅を開設&lt;br /&gt;
同上、葛西臨海公園駅～南葛西６～コーシャハイム南葛西を開設 &lt;br /&gt;
新小29甲&lt;br /&gt;
新小29折 H 2. 3.31 臨海 9.938km&lt;br /&gt;
8.358km 新小27と統合、一之江駅～同潤会を一之江橋西詰から松江経由に変更&lt;br /&gt;
新小27は新小29折として春江町終点～松江～東新小岩４とする &lt;br /&gt;
新小29丙 H 3.11.29 臨海 2.300/ 2.380km 南葛西第三小経由に変更、南葛西６（なぎさニュータウン）を非経由とする &lt;br /&gt;
新小29乙1 H 4. 4. 1 臨海 7.810km 一之江橋西詰～一之江駅を延長 &lt;br /&gt;
新小29　 H 6. 3.31 臨海 ***　 系統を整理、新小29乙1を臨海28乙に、新小29丙を臨海28丙とする &lt;br /&gt;
新小29乙2 H 6. 3.31 臨海 8.358km 春江町終点の折返系統を新たに新小29乙とする &lt;br /&gt;
新小29出入2 H13. 9. 3 臨海 　 一之江駅～東小松川車庫を開設 &lt;br /&gt;
新小30 H14. 4. 1 臨海 12.958km 東京臨海病院～葛西駅～東新小岩４が開通 &lt;br /&gt;
新小29 H16. 3.29 江戸川 *** 江戸川に移管 &lt;br /&gt;
新小30 H16. 3.29 江戸川 12.958km 江戸川に移管 「環七」？&lt;br /&gt;
　もともとは新小27系統として、新小岩から本一色・菅原橋・松江経由で春江町終点行きという路線があった。その後、新小29系統という派生系統が出現。こちらは同潤会から先は京葉道路と一之江橋西詰・環七経由で葛西駅に達しており、松江は通っていなかった。新小27は幹線格で、当時は新小29よりもずっと本数が多かった。しかし都営新宿線の延伸で、春江町付近の客は全て地下鉄に逸走してまい、大打撃となる。これが契機となったのかは知らないが、平成2年にこれら２つを統合、経路は新小27の松江経由を踏襲し、新たに「新小29」と名乗った。現在でも方向幕は「新小29　環七・葛西駅」のように環七を途中経由地として掲出しているが、もっと適当な表示があるように思う。少なくとも環七という表記は新小20に譲ってあげたほうが良さそうだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて、このような改編で、新小27は新小29の派生系統として一つにまとめられた。平成6年には「乙」という枝番をもらえたものの、本数は当時とは比ぶべくもない本数まで減っており、もちろん元祖新小29とは本数の多少が逆転してしまった。これでもなお春江町から撤退しないのが不思議なほどである（一之江駅から先、春江町までの飛び出た区間には京成の小76：小岩駅～葛西駅が走っている）。しばらくはこのままの状態が続いたが、平成14年に東京臨海病院が開院するのに伴い、西葛26とともに、新小30系統が運転開始した。葛西駅から先は、葛西駅通りからプールガーデン側を経由する新経路となっている。しかし必要最小限の変更で済ませたためか、新小29が葛西駅で運用を終え、そのまま入庫する便を新小30として建て替えて直通運行させているだけのため、本数も少なく、非常に間隔にバラツキがあり、どう見ても使いやすいダイヤとは言い難い。まじめに走らせると大赤字確実のため、とりあえず走らせているといったほうが正しいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　なお、新小29の派生系統として、臨海28に化けた一大グループも存在する。そちらは臨海28の項を参照されたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出入庫&lt;br /&gt;
　最近誕生した新小29グループの一員に、一之江駅～（新大橋通り）～東小松川車庫という路線がある。ほとんどが独自区間であるものの、路線図の類からは全て無視されている。もともと江戸川区内の新大橋通りは新しい路線ということもあって路線もなかったが、平成11年に船31系統が京成とともに試験運行されたのが最初（→船31）である。しかしほどなく廃止され、新大橋通りには当時のそのままの姿で、停留所にポールが放置されていた。廃止後１年近く経ち、これを再利用して出来たのがこの出入庫路線である。ちなみに方向幕にも系統番号の記載はなく、なぜ新小29とされたのかは不明。本数も平日昼間数本ということで、路線権確保のためにおまけで運行しているといった意味合いが強そうだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
乗り場はどこでしょう&lt;br /&gt;
　新しい東京臨海病院への足として開業した新系統。江戸川区を縦断する主要系統である新小29が延長された形なのは、なかなか便利なものといえよう。西葛26とともに、江戸川区内と病院を結ぶ地域の足を形づくっている。&lt;br /&gt;
　新小30で臨海病院に着くと、西葛27の西葛西駅方面の乗場で降車となる。なるほど、病院の入口は目の前で、なかなか便利だ。さて、帰りの新小岩方面は、と道路の反対側の乗場に行くと、そこには新小30の文字はない。新小30の乗場は、病院の東側の道路上にあるのだ。これはの新小30専用の停留所で、上屋付。他系統の同名停留所からは随分離れており、乗換には不便だが、全ての系統がすぐ近くの臨海町一丁目に停車することもあり、あまり不都合は無い。また、この乗場側にも病院の出入口があり、到着・発車とも道路を渡ることなく利用できるメリットもある。利用者層を考えると、なかなか気の利いたやり方だといえる。&lt;br /&gt;
　ところで、この乗場の目の前を、西葛27の乗車困難系統、葛西処理場経由のバスが通過する。せっかく停留所を設置したのだから、葛西処理場経由もここに停車して、西葛27は全便東京臨海病院経由と謳った方が良いように思うのだが、いかがなものだろうか？　どうせ１日に１～２本の話なんだし…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんな役割も担ってます&lt;br /&gt;
　新小30は、病院輸送だけがその役割ではない。夏になると、一之江・葛西から中葛西七丁目付近にあるプールガーデンへの足として、子供たちが利用する。&lt;br /&gt;
　毎年、都営バスでは臨01・一之江駅～古川親水公園～葛西駅～プールガーデンという急行系統としてプールバスを運行してきた。誰でも乗車可能な一般系統扱いだったが、新小30が開業した2002年度より臨01は運転されなくなり、関係停留所には新小30を利用するよう案内が掲出された。確かに、新小30はプールバスを完全にカバーする経路の路線なのである。そう考えると、新小30が葛西南高東交叉点で左近通りに右折する単純ルートではなく葛西駅通り・中葛西七丁目経由というルートを走るのか、というカラクリがそのあたりにもひそんでいるような気がしないでもない。&lt;br /&gt;
　それにしても、新小30の本数はかなり少ない。プールバスはそこそこの本数が走っており、利用者もそこそこ多かった。プールバスの運行をやめてしまったのが正解なのかどうか、甚だ疑問ではある。&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>都営バス新小29系統</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: ページの白紙化&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>ゼネコン汚職事件</title>
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&lt;hr /&gt;
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		<title>カノッサの屈辱 (テレビ番組)で使われた通称名一覧</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>2人の愛～敵も味方もいらない～</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;人間において'''兄弟'''（きょうだい）とは、本人から見て傍系2[[親族|親等]]の男性のことを指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
通常は同じ[[母親]]の元に生まれた[[男子]]を指す。本人より年上であれば[[兄]]、年下であれば[[弟]]である。この定義の他にも様々な使われ方が存在する。なお、直系1親等である[[父親]]や母親がそれぞれの兄弟で異なる場合は、[[異父]]兄弟または[[異母]]兄弟という。また、血縁にない者同士が兄弟の契りを結んだ関係を[[義兄弟]]という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[兄]]・[[弟]]・[[姉]]・[[妹]]を合わせて[[兄弟姉妹]]（けいていしまい）という。また、男性のみの場合'''兄弟'''（きょうだい）、女性のみの場合'''[[姉妹]]'''（しまい）が用いられる。構成員が2人で男女の組み合わせである場合'''[[兄妹]]'''（けいまい）、'''[[姉弟]]'''（してい）が用いられることもある。構成員が3人以上で男女を含む場合、女性も含めて姉妹ではなく兄弟を使うこともある。また、近年は[[平仮名|ひらがな]]で「きょうだい」という表記をする場合もある。血のつながりがあることから、一般に外観や性格に共通点が多いのが普通である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、強い結びつきを持つ複数のものを指す言葉としても用いられる。[[義兄弟]]の[[契り]]を結んで兄弟となるものもいる。「船」や「機体」などは似たような能力を持っていたり同じ時期に開発された場合は、男性に例えて「兄弟船」「兄弟機」のように用いる場合もある。「都市」や「製品」などは今後の発展や繁栄を願って、その象徴である女性に例え「[[姉妹都市]]」「姉妹品」のように用いる。学校の場合も「兄弟校」「姉妹校」という表現を用いる場合もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「仲間」を意味する[[二人称]]として用いられることもあったが、最近はあまりみられない（例：「（演説で）兄弟たちよ」「仲良くやろうぜ、兄弟」など）。[[キリスト教]]の[[教会]]では、現在でも信徒に対する敬称（に相当するもの）として兄弟（女性の場合は姉妹）と呼ぶことが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==有名な兄弟==&lt;br /&gt;
{{main|兄弟有名人一覧}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Brothers}}&lt;br /&gt;
{{Wiktionary|兄弟}}&lt;br /&gt;
* [[家族]]&lt;br /&gt;
* [[姉妹]]&lt;br /&gt;
* [[兄妹]]&lt;br /&gt;
* [[姉弟]]&lt;br /&gt;
* [[同胞]]&lt;br /&gt;
* [[ブラザー]]（曖昧さ回避のページ）&lt;br /&gt;
* [[シスター]]（曖昧さ回避のページ）&lt;br /&gt;
* [[兄弟有名人一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きようたい}}&lt;br /&gt;
[[Category:親族]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<title>兄弟</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: ページの白紙化&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.33.175.235</name></author>	</entry>

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		<title>2人の愛～敵も味方もいらない～</title>
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				<updated>2010-08-10T09:29:15Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.33.175.235: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;『'''ロックマンX2'''』（‐えっくす２）は、[[1994年]][[12月16日]]に[[カプコン]]から発売された[[スーパーファミコン]]専用の[[アクションゲーム]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[ロックマンXシリーズ|シリーズ]]第二作。本作からダッシュは基本性能となり、スタート時から使用可能になった。以後の作品の定番となったOPステージでの巨大ボス戦、ステージ途中でのボス乱入、弱点武器による仰け反りの8大ボス全員への適用が行われたのも、この作品からである。また、ゼロ出生の秘密の一端が不鮮明ながら明かされる他、[[ロックマンシリーズ|本家シリーズ]]のある人物を思わせるキャラクターが登場するなど、ストーリー面でも新たな局面を迎えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本作はXシリーズ歴代二位の約43万本（国内のみの集計）を売り上げ、さらにカプコン独自に開発したDSPチップを使ったことで、従来のSFC作品とは比べ物にならないほど良質の音源、[[グラフィック]]、演出を実現した。戦闘やアイテムの隠し場所やスピード感などのゲームバランスの評価も高く、その完成度はSFC作品ないしはXシリーズ最高傑作との声も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本作は[[ロム]]によっては、普通にプレイしている際、なぜか強制的にギガクラッシュへと武器チェンジされる[[バグ]]が存在する。しかしこのバグはX1よりも問題視されることはなく、回収騒ぎには至らなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ネタバレ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ストーリー ==&lt;br /&gt;
ロックマンXの事件から半年後。一度は減少したかに見えた[[ロックマンXシリーズ#グループ|イレギュラー]]は増加の一途をたどり、各地で[[ロックマンXシリーズ#グループ|イレギュラーハンター]]の基地が破壊されるという事件が起こっていた。その事件を起こしているイレギュラーは人工的に作られたイレギュラーであり、その制御チップには滅んだはずの'''シグマ'''のマークが刻まれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第17部隊の隊長となっていた'''エックス'''はそのイレギュラーを製造しているという基地の破壊に赴き、それに成功するが、さらに各地で特Aクラスのレプリロイドが反乱を起こした。その背後には、｢'''カウンターハンター'''｣と呼ばれる3体の謎の[[ロックマンXシリーズ#グループ|レプリロイド]]の姿があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、大破した'''ゼロ'''は頭脳チップが奇跡的に無傷であったが、ボディの修復は'''ケイン博士'''にも不可能であり、基地にそのまま保管されていた。突如、首謀者であるカウンターハンターから通信が入り、「自分たちと一騎打ちを行え。もし、勝利したらゼロのボディを渡そう」というものだった。ケイン博士でも治せないボディを何故彼等が持っているのか、真意を確かめるため彼らに勝負を挑んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== キャラクター ==&lt;br /&gt;
以下のキャラクターの詳細については[[ロックマンXシリーズ#主要キャラクター|主要キャラクター]]を参照&lt;br /&gt;
*エックス&lt;br /&gt;
*ゼロ&lt;br /&gt;
*Dr.ケイン&lt;br /&gt;
*ライト博士&lt;br /&gt;
*シグマ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== イレギュラーハンター ===&lt;br /&gt;
イレギュラーハンターとして前線で活動している者以外に、彼らのサポートをする物も含む。&lt;br /&gt;
;エックス&lt;br /&gt;
:本作からシグマに代わって第17部隊の隊長に就任している。なお、前作ではＢ級ハンターということだったが、本作よりX4まではクラスについては言及されていない。&lt;br /&gt;
:シグマの反乱が終わってもイレギュラーが増え続ける中、シグマが製造したと思われるイレギュラーの製造工場を発見し、調査に向かう。&lt;br /&gt;
;ゼロ&lt;br /&gt;
:シグマ反乱時、VAVAとの決戦でVAVAもろとも大破。しかしその後、Dr.ケインの手によってパーツが修復されるが、その時点では意識を取り戻していない。本作で彼が『最後のワイリーナンバーズ』である事が明かされる。&lt;br /&gt;
:本作では、カウンターハンターに奪われてしまったゼロのパーツが、ストーリー展開を左右する重要なファクターとなる。&lt;br /&gt;
;Dr.ケイン&lt;br /&gt;
:エックスを発見した人物。そのエックスをモデルにレプリロイドを造った偉人でもあり、そしてシグマの生みの親でもある。&lt;br /&gt;
:先の戦いで大破したゼロのボディを修復しようと試みるが、後にカウンターハンターによってパーツを奪われてしまう。&lt;br /&gt;
;ライト博士&lt;br /&gt;
:エックスの製作者。本作も各地に設置されたカプセルによってエックスに[[#パワーアップパーツ|パワーアップパーツ]]を与え、エックスのサポートをする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== イレギュラー ===&lt;br /&gt;
;シグマ&lt;br /&gt;
:先の戦いでエックスによって倒されたはずだが、戦後もなおイレギュラーの製造を主動していることから、未だに影から暗躍しているようである。両手に爪を装備した新しい姿'''ネオシグマ'''となって、エックスに挑む。&lt;br /&gt;
;ブラックゼロ&lt;br /&gt;
:シグマの手によって作られた、ゼロのデットコピー。特徴として、全身が黒色にカラーリングされている。展開上、本物のゼロによって一瞬で破壊されてしまうため、実力の程は不明。&lt;br /&gt;
:余談ではあるが、一時期発売されていたソフトビニール製フィギュアでは「ゼロ（シグマヴァージョン）」との表記がされていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== カウンターハンター ===&lt;br /&gt;
シグマの手下のアジール、サーゲス、バイオレンの3人によって構成されている部隊。『カウンターハンター』とは、『イレギュラーハンターを抹殺する者』と言う意味で、その名の通りイレギュラーハンターの破壊を目的に活動しており、ここ半月の間に100体以上もの有能なイレギュラーハンターを秘密裏に葬り去ってきた。奪ったゼロのパーツを賭けてエックスに挑戦を申し込む。&lt;br /&gt;
;アジール&lt;br /&gt;
:敵地への潜入工作を担当し、巧みな剣技を誇る達人。戦いにおいて彼に地を這わせた者は一人もいないと言われた程のイレギュラー。理知的で会話も丁寧。シグマを崇拝している。スピードに突出しており、高速で移動しながら斬りつけてくるほか、剣から衝撃波を放つこともできる。ただし、カウンターハンター3人の中では唯一、パターンにハメることが可能な相手でもある。&lt;br /&gt;
:ゲーム後半のカウンターハンターステージでは、各ハンターが強化された姿でボスとして登場するのだが、彼の強化後であるアジールフライヤーは隠し要素である昇龍拳の最適の的になっている、壁蹴りをし続けることで殆どの攻撃を回避できる等の理由から、明らかに弱体化という声が多く、その奇抜な姿も相まってネタにされることが多い（名前を略して「アジフライ」と呼ばれる事も）。&lt;br /&gt;
;サーゲス&lt;br /&gt;
:科学者タイプのレプリロイド。そのため戦闘能力には乏しく、それを補うため様々なメカに乗ってエックスと戦う。冷徹かつ明晰な思考回路を持ち、その頭脳はあのシグマをも上回るとまで言われている。&lt;br /&gt;
:ライト博士の事を知っているらしく、一説では機械化したワイリー、又はプログラム化したワイリーの意思を受けて行動しているレプリロイドではないかと言われている。大破したゼロのボディの修復を担当したのもサーゲスである。&lt;br /&gt;
:カウンターハンターステージでは巨大なサーゲスタンク砲台に乗ってエックスに挑む。&lt;br /&gt;
;バイオレン&lt;br /&gt;
:指先からのマシンガン、及び頭に繋がれた巨大な鉄球を振り回して戦う。桁外れのパワーを誇り、イレギュラーハンター基地を一人で壊滅させるといった恐るべき経歴をもつイレギュラー。&lt;br /&gt;
:開発時にパワーに重点を置きすぎたために思考回路は不完全であり、性格は暴力的で凶悪。攻撃パターンは不規則で、パターンにハメることは不可能。ゲーム上でも攻略が非常に厄介な相手である。&lt;br /&gt;
:カウンターハンターステージではネオ・バイオレンにパワーアップしており、外見こそ同じだが、新たに鉄球の反射を変える為のブロックを出現させるようになっているほか、攻撃力と弱点武器への耐性が上がっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ボスキャラクター ==&lt;br /&gt;
===8大ボス===&lt;br /&gt;
斜体は異名&lt;br /&gt;
;''水晶の魔術師''　クリスター・マイマイン　&lt;br /&gt;
:(英名 Crystal Snail) &lt;br /&gt;
:[[カタツムリ]]型レプリロイド。シグマ製作。&lt;br /&gt;
:前作のボスであるアイシー・ペンギーゴと同じくらいの体格で、小柄でおっとりした気弱な性格とは裏腹に恐るべき戦闘力を秘め、特殊武器「クリスタルハンター(Crystal Hunter)｣は敵を[[水晶]]に封じ込めてしまう能力を持つ他、一定の間時間の流れを遅くする効果を持つ。また彼が背負っている殻はアーマー・アルマージの鎧並の防御力がある。エネルゲン水晶が発掘できる鉱山を占拠、蜂起した。本作の8大ボス中屈指の防御能力のため、長期戦を強いられるが、爆風で一時的に殻を外すことができ、また特定の操作をすることによって殻を移動させることができる。エネルゲン水晶は[[ロックマンゼロシリーズ]]において、通貨・レプリロイドのエネルギー源として使用されている。&lt;br /&gt;
;''深海の切り裂き魔''　バブリー・クラブロス&lt;br /&gt;
:(英名 Bubble Crab)&lt;br /&gt;
:[[カニ]]型レプリロイド。イレギュラーハンター第6艦隊に所属していた元特A級ハンター。&lt;br /&gt;
:金に貪欲な守銭奴で己の私腹を肥やすためにシグマに魂を売り反乱に加わる。反乱後は輸送部隊の隊長となり、海底基地からイレギュラーを送り出していた。同じ隊に所属する、ホイール・アリゲイツとは犬猿の仲である。特殊武器「バブルスプラッシュ(Bubble Splash)｣で泡のバリアを張って体当たりしてくる他、肩からエネルギーの角を出したり、子蟹を放って攻撃してくる。&lt;br /&gt;
;''夢の島の堕天使''　メタモル・モスミーノス&lt;br /&gt;
:(英名 Morph Moth)&lt;br /&gt;
:[[蛾]]（ガ）型レプリロイド。シグマ製作。&lt;br /&gt;
:機能を停止した他のレプリロイドを捕食吸収する事で成長する特異な性質を持ったイレギュラー。スクラップ工場を制圧し、廃品からイレギュラーを生産していた。戦闘時は最初、スクラップを纏った蓑虫のような姿だが、一定時間経つかある程度ダメージを与えると脱皮して蛾の姿になる。幼虫のときは特殊武器「スクラップシュート(Silk Shot)｣で攻撃し、成虫になると飛行しながら燐粉を撒き散らす攻撃と、レーザー攻撃を行う。何故か火が点くと燃える。&lt;br /&gt;
;''凶牙の重戦車''　ホイール・アリゲイツ　&lt;br /&gt;
:(英名 Wheel Gator)&lt;br /&gt;
:[[ワニ]]型レプリロイド。元第6艦隊副隊長。&lt;br /&gt;
:「凶牙の重戦車」と恐怖されるまでの凶暴性と膂力を持つが、仲間のハンターを傷付けてハンター仲間から追われるなど、管理職の身としては大きな問題がある。シグマの計画に参加したのも己の破壊願望を満たすのが目的であり、恐竜型巨大移動要塞を製作、意のままに操って、都市を蹂躙していた。彼のボス部屋は下半分が不透明の池となっており、特殊武器「スピンホイール(Spin Wheel)｣を2パターンで放ってくる他、潜水して噛み付き攻撃をしてくる。また体をドリルのように回転させての突撃攻撃もある。弱点武器の効果は抜群(しかしダブルチャージショットと効果は変らない)だが、弱点武器の場合は一発当たるとすぐに水面にもぐってしまうため、チャージショットまたはダブルチャージショットの方が早く倒せるという点もある。ただし潜る直前に一瞬だが攻撃判定があるので、そこを見切り攻撃すれば、潜らせることなく倒すことも可能。&lt;br /&gt;
;''砂原の韋駄天''　ソニック・オストリーグ&lt;br /&gt;
:(英名 Overdrive Ostrich)&lt;br /&gt;
:[[ダチョウ]]型レプリロイド。元々は第7空挺部隊の特A級ハンターだったが事故で飛行能力を失い、脱退していた。「砂原の韋駄天」と呼ばれるほどの脚力に目を付けたシグマによってその実力を再評価され、シグマの計画に参加する。自分の新たな能力を見出してくれたシグマに感謝しており、ミサイル発射基地を占拠、その照準をイレギュラーハンター基地に向けた。刃状の超音波である特殊武器「ソニックスライサー(Sonic Slicer)｣は1発出してくるとブーメランのように飛行し、5発出してくると上空から降ってくる。またその俊足を生かしての体当たりや蹴飛ばし攻撃の他、画面奥の遠く離れた位置から一跳びにジャンプして攻撃してくる。俊足を誇るタイプのため、動きを拘束される攻撃に弱い。&lt;br /&gt;
;''緑林の小悪魔''　ワイヤー・ヘチマール&lt;br /&gt;
:(英名 Wire Sponge)&lt;br /&gt;
:シグマの命により気象コントロールセンターを占拠した[[ヘチマ]]型レプリロイド。&lt;br /&gt;
:シグマが工場で造ったとも言われており、その意味では人間の目や思惑を離れた場所で誕生した、言わば生まれながらのイレギュラーと言える。CPUに支障がある失敗作で、知性はほとんど無く性格は至って陽気で無邪気。そして、残酷。シグマに与えられた遊び場である気象コントロールセンターで天候を気ままに変えて遊んでいる。特殊武器「ストライクチェーン(Strike Chain)を振り回して投げつけてくる他、発芽してトラップとなる草の種を吐いてくる。またダメージを蓄積すると怒り状態になって踊りを踊り、画面に落雷を起こす。植物型のため、切断(斬撃)や炎に弱い。弱点武器でとどめを刺した場合、身体が真っ二つになる（但し溜め撃ちの場合、普通に爆発する）。&lt;br /&gt;
;''紅のアサッシン''　マグネ・ヒャクレッガー &lt;br /&gt;
:(英名 Magna Centipede)&lt;br /&gt;
:[[ムカデ]]型レプリロイド。全18あるイレギュラーハンター部隊でも影の存在である第0特殊部隊に所属するエキスパートだったが、任務中シグマに拉致され、洗脳されてしまう。超大型コンピューターを制圧し、シグマウイルスを送信していた。責任感が強く、命令であれば友でもためらい無く殺す冷静さの持ち主で常に落ち着いている。テレポート能力や天井に逆さに張り付くこともでき、手裏剣やエックスの周囲を旋廻後、合体して爆発する特殊武器「マグネットマイン(Magnet Mine)｣で攻撃する。また、尻尾からウィルスを送り込み、相手のプログラムを消すことが出来る。ゲーム中におけるエックスへのウィルスの効果はチャージショットが撃てなくなったり、ジャンプ力が弱まったりといった厄介なもので、弱点武器でウィルス攻撃を封じなければ危険な相手となる。余り頑丈でなく、鉄屑に衝突すると尻尾から壊れてしまう。&lt;br /&gt;
:[[ロックマンX6]]では不完全ながらもメタルシャーク・プレイヤーに再生される。&lt;br /&gt;
;''ヒートナックルチャンピオン''　フレイム・スタッガー&lt;br /&gt;
:(英名 Flame Stag)&lt;br /&gt;
:[[鹿]]型レプリロイド。エックスが率いる第17精鋭部隊の元隊員。負けず嫌いな性格。&lt;br /&gt;
:隊内に於いてはスパーク・マンドリラーと並ぶ格闘能力を誇り「ヒートナックルチャンピオン」と称される。前回のシグマの反乱ではブーメル・クワンガーらと共にシグマの元に参じ、反乱終結後に行方不明となっていた。[[火山]]を噴火させて火山灰で地球に降り注ぐ[[太陽光線]]を遮断、地球を氷河期に陥れる計画を実行しようとした。拳を振って炎弾を飛ばすと共に地を走る炎を出す特殊武器「ラッシングバーナー(Speed Burner)｣や、壁蹴りからの体当たり、ダッシュパンチで攻撃する。ダメージが蓄積すると纏う炎が青白くなり、スピードアップする他強烈なアッパーでエックスを上空に打ち上げ、その後地面に叩きつける大技を繰り出してくる。水には弱いため泡も苦手。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大ボス===&lt;br /&gt;
;CF-0&lt;br /&gt;
:オープニングステージに登場。世界中の都市を制圧するためにイレギュラー生産工場で開発、量産されていた超大型メカニロイドであり、エックスが戦ったものの他に建造途中のものがステージ中で確認できる。Xシリーズ屈指の巨大な体格を誇るが、その重量が災いして動きが鈍い。また、当たり判定は頭部・腕部・脚部のみで、それ以外の部分はエックスが触れてもダメージは受けない。ちなみに戦闘ステージには安全地帯が存在するため、そこに移動さえしてしまえば容易に撃破できる(もっとも、オープニングステージのボスなのでそれ程の強敵でもないが)&lt;br /&gt;
;ゼロ&lt;br /&gt;
:ゼロのパーツを一つでも集め損ねた場合、ラストステージでシグマの前座として登場。&lt;br /&gt;
:エックスのダブルチャージをもってしても相殺が難しいチャージバスター2発＋ビームサーベルの衝撃波の三段攻撃（距離が充分に離れていれば、ギリギリでダブルチャージを撃つ事で3段全てを消す事は一応可能）や、地面を脅威的な腕力で殴る事により発生する広範囲攻撃（アースクラッシュ）など、その戦闘能力は他を圧倒している。防御性能も高く、ガード状態になるとバスターだけでなく、ギガクラッシュまでも防いでしまう。&lt;br /&gt;
:本来の最終ボスであるシグマよりも強敵だとする意見が一般的だが、一定の距離を保って戦うとパターンが固定化されるため、ノーダメージ撃破も十分可能。また、ガード中に足元が無防備になる為、そこを弱点武器で突く事でも容易に撃破できる。&lt;br /&gt;
;シグマウィルス&lt;br /&gt;
:本作におけるシグマの第二形態。シグマがボディを失ったことにより、シグマを侵しているウィルスが実体化したもの。目からの光線や体当たり、ザコメカニロイド4種を召喚して攻撃する。ライフが減ってくるとワープも行う。この戦いではシグマのライフが普通のボスの約2倍あるため画面にライフが表示されず、ダメージが蓄積すると色が変化していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中ボス ===&lt;br /&gt;
;オールドロボット&lt;br /&gt;
:スクラップ工場ステージ中ボス。数年前の戦争で使われ、廃棄処分になっていた戦闘用ロボット。スクラップ処理場で眠っていたが、パラロイドS-38によって蘇る。装甲が非常に厚く、唯一無防備な腹部以外は攻撃を受け付けない。ジャンプしながら移動するが、着地の衝撃で時折首や腕が取れてしまう。&lt;br /&gt;
;パラロイドS-38&lt;br /&gt;
:オールドロボットを操っている、虫のようなメカニロイド。次世代パラロイドの試作品である。オールドロボットが破壊されると飛び出すが、パラロイドS-38自身が破壊されるまでは何度でもオールドロボットに寄生する。&lt;br /&gt;
;チョップレジスター&lt;br /&gt;
:中央コンピュータステージ中ボス。シグマウィルスの一部が、大型コンピュータ内で剣の形に実体化したもの。かつてシグマが感動したという古代の美術品がモデルとなっている。刃の部分は攻撃を弾く。&lt;br /&gt;
;レイダーキラー&lt;br /&gt;
:中央コンピュータステージ中ボス。大型コンピューターの防衛システムとして、侵入者を撃退するメカニロイド。前の部屋にあるセンサーでエックスのデータを解析し、最大で３回のパワーアップが可能。センサーに3回捕まるとかなり強くなるため、センサーに捕まらないことが重要。&lt;br /&gt;
;シーキャンスラー&lt;br /&gt;
:深海基地ステージ中ボス。[[シーラカンス]]を模した大型メカニロイドで、ジェリーシーカー（雑魚）の整備や補給をするための母艦として作られた深海作業艇。現在は輸送用に改造されている。背中からミサイルを撃つほか、胸部のサーチライトで敵を発見するとレーザーで攻撃する。ステージ中ずっと頭上をついて回り、終点はカウンターハンターの部屋なので、カウンターハンターと戦う場合は、なんとしても終点に着くまでに撃沈しなければならない。&lt;br /&gt;
;マグナクォーツ&lt;br /&gt;
:水晶鉱山ステージ中ボス。巨大な水晶に埋め込まれている謎のメカニロイド。開発目的は不明。本体は移動せず、空中からレーザーを放つレーザービットで戦う。ダメージが蓄積するとビットが二機になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 特殊武器 ==&lt;br /&gt;
初期装備のエックスバスター以外に8ステージの各ボスを倒すと、そのボスが所有する特殊武器を入手できる。また、その殆どはアームパーツの入手によりチャージが可能になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
左が入手する特殊武器名、右がそれを所有するボス名。&lt;br /&gt;
;クリスタルハンター - クリスター・マイマイン&lt;br /&gt;
:*通常 -  敵を固めて足場にできる、水晶弾を発射する。射程は短く、浅い放物線上に飛ぶ。十字ボタンの上を押しながら発射すると、より高い角度で発射できる。固めた敵は足場に利用できる他、横からダッシュでぶつかる事によって破壊する事も出来、この方法で倒した敵は必ず武器エネルギーを落とす。固めた敵を足場にしないと進めない場所もある。画面内に敵を3体まで固められる。但しボスに対してはこれを弱点とするボス以外には効かない。&lt;br /&gt;
:*チャージ -  時間の流れを遅くする。ただし、自分自身も遅くなる。精密な動作を要求される場面で役に立つ。ただし、この武器自体に攻撃力は皆無。使用中、通常のクリスタルハンターを撃てる。&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
;バブルスプラッシュ - バブリー・クラブロス&lt;br /&gt;
:*通常 -  浅い斜め上に泡を発射する。武器ボタンを押した長さで、一度に出る泡の数が1～8発に変化する。射程はややランダム。水中で使うと、より上方向に高速で飛び、ダッシュ中に使うとより速く飛ぶ。一回で複数の泡をヒットさせることができるため、攻撃力は高い。&lt;br /&gt;
:*チャージ -  泡のバリアを張る。使用している間、エネルギーが減り続けるが、耐久力制限が無いため、接近した敵に連続でダメージを与えられる。やや上下に弱く、敵の弾は防げない。水中でバリアを張ると、浮力が働くからかジャンプ力が飛躍的に上がる。ちなみにチャージ中は泡が出続けるため、武器エネルギーをムダに消費する。&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
;スクラップシュート - メタモル・モスミーノス&lt;br /&gt;
:*通常 -  ヘチマールステージでは[[草]]、マイマインステージでは[[水晶]]、オストリーグステージの砂漠地帯、スタッガー、クラブロスステージでは[[石]]、その他のステージでは機械など、周りの[[スクラップ]]を利用し吸収して弾を撃つ。それぞれ性能が違う他、機械弾以外の3つはそれぞれがカウンターハンターの弱点となる。機械弾は浅い放物線上に飛び、敵や地形に当たると斜め4方向に小さく分裂する。草弾は短い距離を逆放物線上に飛び、弱くて分裂しない。岩弾は着地後に少し跳ねてから分裂し、やや強い。水晶弾は強く、着地後もバウンドしながら前進し、壁や敵に当たると分裂する。&lt;br /&gt;
:*チャージ -  よりたくさんのスクラップを集め、弾が大きくなり、射程も伸び、貫通性も加わる。着地すると8方向に小さく分裂する。スクラップを集めた状態でダメージを受けると自動的に発射される。また、特定の小部屋の中では撃っても何も出ないが、チャージするとライフエネルギーなどのアイテムを引き寄せる。&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
;スピンホイール - ホイール・アリゲイツ&lt;br /&gt;
:*通常 -  地面に沿って転がり、特定の壁・床を破壊できる回転鋸型エネルギー弾を発射する。攻撃力がかなり高く、敵に当たるとその場で留まって連続でダメージを与え、敵を倒すと更に前進し、一定時間が経つと消える。地面で壁に当たるとしばらく留まってから小さく跳ねて消滅するが、転がってから段差を落ちた場合は斜めに落ち、壁に当たると跳ね返る。一部の地形を削って破壊することが出来る。地面に沿って進む性質上、地上以外の敵には当てづらいのがネック。&lt;br /&gt;
:*チャージ -  ホイールが弾け飛び、8方向に弾が飛ぶ。一撃で倒せる敵を貫通する。&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
;ソニックスライサー - ソニック・オストリーグ&lt;br /&gt;
:*通常 -  壁に当たると斜め上に反射する超音波の刃を、一度に2発発射する。天井に当たると斜め下に跳ね返る。1発目は6回、2発目は12回跳ね返ると消滅する。2発まで連射できる。&lt;br /&gt;
:*チャージ -  より強力な刃5発を上に打ち上げ、その後落ちる刃によって画面広範囲を攻撃する。&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
;ストライクチェーン - ワイヤー・ヘチマール&lt;br /&gt;
:*通常 -  攻撃だけでなく、アイテム回収にも使えるワイヤーを放つ。壁にくっついてエックスを壁の方へ引き寄せる事も出来る。武器ボタンを押している長さで射程も変わる。鎖の部分には攻撃能力が無い。一撃で倒せる敵を貫通する。&lt;br /&gt;
:*チャージ -  通常よりさらに長く引き寄せる力が強くなった巨大なワイヤーを放つ。この技で敵を撃破すると必ずアイテムを落とす。貫通性あり。&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
;マグネットマイン - マグネ・ヒャクレッガー&lt;br /&gt;
:*通常 -  軌道を上下に[[遠隔操作]]でき、壁などに設置できるマグネット機雷を発射する。敵に命中するか、設置して一定時間経つと小さく爆発する。連射はできないが、地形に設置していても、次の弾を撃てる。連続で撃てば、最高4発設置できる。マグネットマイン同士をくっつけることが出来るので、地面などに固めてくっつけてトラップとしても使用できる。&lt;br /&gt;
:*チャージ -  敵の弾を吸収できる、弾速の遅い、軌道を上下に遠隔操作可能な[[磁力]]弾を発射する。敵の弾を打ち消せる他、敵や弾を吸い込むことで、ギガクラッシュのエネルギーが回復する。画面外に出るか、武器を変更しない限り消えない。モスミーノスステージではスクラップ、スタッガーステージでは火山弾を吸い込み、吸い込んだ量が増えるごとに弾が大きくなる。&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
;ラッシングバーナー - フレイム・スタッガー&lt;br /&gt;
:炎故に水中では著しく威力が低下する。&lt;br /&gt;
:*通常 -  水平に飛ぶ火炎弾（ミサイルのようなものが火を纏っている）を発射する。地上で使うと、弾が通過した後に細い残り火が地面を這い、それにも攻撃能力がある。水中では火を纏わずに弾だけが飛ぶ。&lt;br /&gt;
:*チャージ -  炎を纏ってのダッシュ体当たり。空中でも使えるが、飛距離は地上で使うよりも半減する。エアダッシュと併用する事で、最大3回分のエアダッシュ移動が可能。この技術を使わないと進めない場所もある。水中で発動すると攻撃能力は無く、長距離エアダッシュになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== パワーアップパーツ ==&lt;br /&gt;
前回の戦いで使用したアーマーは事件後にカプセルに返還されている。本作のパワーアップパーツは、その際の実戦のデータを参考に改良が施されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フットパーツとアームパーツを装備すると梯子の昇降速度が上がる。さらに全パーツを装備すると武器エネルギー消費量が半減される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ノーマルアーマー ===&lt;br /&gt;
;ヘッドパーツ&lt;br /&gt;
:アイテムトレイサー能力が備わる。特殊武器として使用することでカーソルを出現させ、特定の場所にあるアイテムや隠し通路を見つけ出す。武器エネルギーゲージが存在するが、いくら使ってもエネルギーは減らないため、実質意味は無い。&lt;br /&gt;
:パーツ内部が精密になったため、前作のような頭突きや落下物に対する防御効果はなくなった。&lt;br /&gt;
;フットパーツ&lt;br /&gt;
:空中を移動できればエックスの攻撃力が30％上昇するという分析の結果、空中でのダッシュ機能『エアダッシュ』が使用可能になる。また、ジャンプ力がわずかながら上昇する。&lt;br /&gt;
:ラッシングバーナーのチャージ版を組み合わせることで、ダッシュジャンプ後もしくはエアダッシュ後にもエアダッシュとほぼ同じ移動を行う事ができる。&lt;br /&gt;
;ボディパーツ&lt;br /&gt;
:ダメージをある程度軽減(半減ではない)する機能が備わる。また、強力になるイレギュラーの攻撃を半減するのは今後不可能に近いという分析の結果、ダメージによる衝撃エネルギーを溜めて一気に開放する方式が取られ、ダメージを受けたときにそのエネルギーを蓄積して、満タンになったとき一気に放出する『ギガクラッシュ』が使用可能になる。一度使用するとエネルギーは完全に空になる。ボスに対しては特筆するほどの威力はないが（全く効かないボスもいる）、特定のボスに対しては状況を有利にすることはできる。また、特定の地形を壊せる。&lt;br /&gt;
;アームパーツ&lt;br /&gt;
:前回苦戦を強いられたのは、敵に一気にとどめをさせなかったためという分析の結果、両手をバスターに変形することを可能にし、両手に1発ずつ＝合計2発のチャージショットを連射するダブルチャージショットが使用可能になる。&lt;br /&gt;
:通常のチャージショットやダブルチャージショットの1発目は｢ショットボタンを離す｣ことで発射するシステムになっているため、チャージしたままの走ったりするにはショットボタンをずっと押しっぱなしにしていなければならないが、ダブルチャージショットの2発目は｢ショットボタンを(再度)押す｣事で発射するようになっているので、ボタンを押しっぱなしにしていなくてもチャージ状態を維持できる。&lt;br /&gt;
:ダブルチャージショットの2発目は、中心のエネルギー弾が2本のエネルギーの帯を纏っている。これらは別々の攻撃判定を持っており、半端な当て方だと帯の部分だけヒットせず向こう側に飛んでいってしまう場合がある。また、2発目が1発目と重なってダメージを与えられるのは、2発目にボスなどの｢攻撃を受けた直後の無敵時間｣を無視する効果があるためである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 裏パーツ ===&lt;br /&gt;
;昇龍拳&lt;br /&gt;
:ライフエネルギー満タン時のみ、[[画像:Fightinggame_arrow_r.gif|→]] [[画像:Fightinggame_arrow_d.gif|↓]] [[画像:Fightinggame_arrow_dr.gif|&amp;amp;#8600;]]＋攻撃ボタン（コマンドは右向き時）で発動。腕を炎に包んで飛び上がり、強力なアッパーカットを放つ。一撃の威力が高い上に、敵に重なると連続でダメージを与えられるので、ボスですらも瞬殺できる威力を持つ。攻撃後は落下するのみでスキだらけになるが、着地するまで無敵という特性がある。しかし、着地するまで操作不能になるのが欠点である(足場が少ない場所での使用は注意が必要)。しかしX1と同じく、パスワードで記録できない。ちなみにボイスはついていない。元ネタは[[ストリートファイターII]]。&lt;br /&gt;
最終ステージ(中央電脳ステージ)のシグマと遭遇する部屋に少し進入してから昇龍拳を使用し、画面中央より右側の位置に着地すると、通常では画面左へ移動するエックスが移動しなくなる。ゲームの進行には影響しないものの、ゼロとの戦闘が発生しないルートでは以下の様なバグが発生する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ゼロよりも前の位置に着地した場合、ゼロがシグマに攻撃を放った時にダメージを受けてしまう。ダメージを受けると、動かせない筈のエックスを動かせるようになる。&lt;br /&gt;
*画面中央より少し右側の位置に着地した場合、ゼロが地面を破壊した時にそのまま落ちていく。更に、シグマのメーターが現れてマックスになる直前に再度昇龍拳を使うと、また昇龍拳を使うまで無敵状態になる。この場合はダブルチャージショットの色が明らかにおかしくなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== CMソング ==&lt;br /&gt;
;『世界が終わる瞬間（とき）』&lt;br /&gt;
:作詞：SHINYA　作曲：TAR　編曲：REDIEAN；MODE、GEORGE KAMATA　歌：[[REDIEAN;MODE]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ロックマンシリーズ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:アクションゲーム|ろつくまんえつくす2]]&lt;br /&gt;
[[Category:スーパーファミコン用ソフト|ろつくまんえつくす2]]&lt;br /&gt;
[[Category:1994年のコンピュータゲーム|ろつくまんえつくす2]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロックマンX|2]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
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