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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>アイドル冬の時代</title>
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				<updated>2009-07-20T14:59:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.197.148.120: /* この頃にエンターテインメント界で起こった現象 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア削除}}&lt;br /&gt;
'''アイドル冬の時代'''とは、盛んに正統派[[アイドル]]がデビューした時期の後に、その数が急減もしくは不在の時期が発生・持続する事を言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
日本におけるアイドル冬の時代は3期に区別される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 冬の時代 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第1次冬の時代(1975年～1977年) 〔停滞期説もあり〕===&lt;br /&gt;
* [[1970年代]]前半に[[三人娘|新三人娘]]・[[新御三家]]・[[花の中三トリオ]]・[[キャンディーズ]]・[[太田裕美]]などがデビューしたのに対し、1970年代半ば頃は[[岩崎宏美]]・[[岡田奈々]]・[[ピンクレディー]]などが登場したものの1970年代前半に比べ平均的にアイドルが盛んに登場したとは言えず、一部の評論家からは冬の時代もしくは停滞期と言われている。ただ、この時期には前者のアイドル達が第一線で活躍しているために疑問に思う者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====第1次冬の時代の終焉====&lt;br /&gt;
* [[1978年]][[1月]]にアイドルの活躍が芽生えるきっかけとなった[[歌番組]]「[[ザ・ベストテン]]」が放送開始し、冬の時代は終焉を迎え、[[1980年代]]のアイドル黄金時代へ突入する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第2次冬の時代(1989年～1993年) ===&lt;br /&gt;
単に「アイドル冬の時代」と言った際、'''一般に最も多く指すのはこの時期'''であり、特にこの時期を指す言葉として「'''アイドル[[氷河期]]'''」などというものも存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====第2次冬の時代に至った要因====&lt;br /&gt;
このアイドル氷河期を引き起こす要因となったものとして、代表的に挙げられる要素が3つある。&lt;br /&gt;
* 新機軸として素人性を強く打ち出した[[おニャン子クラブ]]が[[1985年]]にデビュー、[[フジサンケイグループ]]の強力なバックアップにより台頭させる事に成功した。だが、その手法により、それまで世間から手に届かない聖域にあったアイドルの存在を、世間の手が届くものへと降ろし、アイドル性・タレントを大量消費してゆくスタイルを作り上げてしまい、また、これの亜流のアイドルグループが次々と現れては消えていった。&lt;br /&gt;
* この頃から各芸能プロダクションは正統派アイドルをデビューさせる事をやめて[[J-ROCK]]に力を入れる様になった。これにより[[コンサート]]や[[ライブ]]だけで人気を掴められる事で[[音楽番組]]が衰退、ひいては放送終了となり、従来型のアイドル歌手の活躍の場が失われてしまった。&lt;br /&gt;
* この時期、[[写真週刊誌]]業界が過当競争状態で、[[女性週刊誌]]、[[ワイドショー]]なども巻き込んで有名人のゴシップなどを巡る取材合戦が過激化の一途を辿っていた。その事から、アイドルタレントといえどもこれらマスコミから狙われ恋愛などのスキャンダル記事にされる事が多く（一部には捏造さえあった）、従来の様なタレント管理やマスコミ対応だけでは「アイドル性」の維持ができなくなってしまった。&lt;br /&gt;
*決定打は[[岡田有希子]]の自殺（「遺作―ミュージシャンの死とラスト・アルバム」の中で“プロのアイドル歌手の時代は岡田の死により終わった”と評されている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====この頃にエンターテインメント界で起こった現象====&lt;br /&gt;
* 「バンドブーム」が起こり、女性アイドルに代わって[[渡辺美里]]などに代表される女性ロック歌手がブレイクした。&lt;br /&gt;
* その隙間を縫うように、『[[美少女戦士セーラームーン]]』（[[テレビ朝日]]、[[1992年]]～[[1997年]]）や『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』（[[テレビ東京]]、[[1995年]]～[[1996年]]）等のTVアニメに出演した主役の女性声優（[[三石琴乃]]･[[林原めぐみ]]･[[椎名へきる]]など）が新世代のアイドルとして注目され、彼女達の演じた2次元の美少女キャラクターと共に人気を博し、21世紀に[[秋葉原]]･[[日本橋 (大阪府)|日本橋]]を中心に発生する所謂｢[[萌え]]ブーム｣への原動力的なものと思われる「声優アイドルブーム」を巻き起こし、ひいては、ある意味ではアイドル産業と競合関係に位置する[[萌え]]産業の萌芽もここに形成されていった。&lt;br /&gt;
* この時期、アイドル調のスタイルで継続的に人気を集める事ができたのは、アイドル的なキャラクター性以上に極めて個性的なポップス・デュオとしての性格を打ち出して成功した[[Wink]]のみであった。アイドルとして1980年代後半にデビューしたタレントの多くは、芸能界・テレビ業界で生き残る為に本格的な歌手か俳優を目指す路線転換を行い、また、[[バラドル]]や[[ミュージカル]]などへ活動の軸足を移し、[[工藤夕貴]]や[[田村英里子]]の様に[[ハリウッド]]に活動の拠点を移した者も見られる。そして、所属事務所の意向などもあるが、一部ではアイドルタレントとして活動した時代の事を、事実上「なかったこと」や「空白の時代」の様に扱う者も見られる様になった（[[岩男潤子]]。元「セイントフォー」のメンバー・いわお潤である）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====第2次冬の時代の終焉====&lt;br /&gt;
* このアイドル氷河期とも言われる時代の終焉は、おニャン子クラブやその他80年代アイドル達の全盛期を知らない1970年代末期～1980年代初頭に生まれた世代が成長し、[[1990年代]]半ばに[[中学生]]・[[高校生]]となるのを待たねばならなかった。&lt;br /&gt;
* この時期に至り、ようやく正統派アイドルが少しながら復活し、役者業・[[バラエティー]]番組出演に力を入れた[[ジャニーズ事務所]]や実力派の[[沖縄アクターズスクール]]出身のアイドル達が次々とデビューし活躍した。&lt;br /&gt;
* だが、その一方で価値観の多様化が急激に進んだしたこの時代にあっては、アイドルタレントが芸能界において大きな存在を占め、アイドルそのものが一大産業となっていた1980年代前半の様な状況が再来する事は無かった。&lt;br /&gt;
** この時期以降にもアイドル路線やそれに近い販売戦略を狙った芸能プロダクション・タレントは少なくない。だが、往時と比べれば極めて小さくなったアイドル産業の市場では活躍の場自体が少なく、芸能活動に行き詰まりをきたす者が続出した。&lt;br /&gt;
** その為、この第2次冬の時代以降の女性アイドルについては、前述した「声優アイドルブーム」や「[[萌え]]ブーム」の先駆け的なものとの絡みからか、デビュー当初から[[テレビアニメ|アニメ]]や[[テレビゲーム]]とその関連産業（[[声優]]や[[主題歌]]）などに市場を求めたり、芸能活動の維持継続の為にも20歳前という早い段階から脱アイドル化（[[女優]]、[[声優#アイドル声優|アイドル声優]]などへの路線変更）を模索し始める例が相次ぐなど、清純派アイドルという存在の芸能界に於ける位置づけ自体が微妙なものになっていった。例としては[[高橋由美子]]、[[仲間由紀恵]]、[[千葉紗子]]などが挙げられる。いずれもアイドル時代にアニメ産業と何らかの関わりを持ち、千葉に至っては後に声優業に転じている。&lt;br /&gt;
* かつての様な幅広い層から支持を集めるビッグアイドルが作り出せなくなった状況下で、逆にある意味では[[ニッチ市場|ニッチ]]的な存在としてマニアックな層での市場開拓を狙う者が現れ始めたのもこの時期からである。代表的な例としては、「'''電脳アイドル'''」と呼ばれ、子供向け[[特撮]]番組にも主役としてレギュラー出演した[[千葉麗子]]が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この「第2次」と言われる期間については、人によっても見方が大きく異なる。中には後述する「第3次」に至るまでの間にアイドル産業が立ち直れたとはっきり言える時代は無く、「第2次」から継続してそのまま「第3次」に突入しているとする見方をしている者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第3次冬の時代(2000年～現在) ===&lt;br /&gt;
====第3次冬の時代に至った要因====&lt;br /&gt;
* 1990年代末期にダンス＆ヴォーカルグループの[[モーニング娘。]]が登場した事と、その一方で[[2000年]][[3月]]に実力女性アイドル[[ユニット]]の[[SPEED]]が解散したのをきっかけとして、再びアイドルは冬の時代を迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====この頃にエンターテインメント界で起こった現象====&lt;br /&gt;
* [[宇多田ヒカル]]や[[倉木麻衣]]に代表される実力派ボーカリスト、いわゆる[[歌姫]]が次々とデビューし、いづれもかつてアイドル歌手の平均デビュー年齢と思われる15~16歳（当時）でデビューしており、更に[[林明日香]]に至っては2003年に当時13歳でデビューしている。 &lt;br /&gt;
** この他にも、時代が時代ならば、当初はアイドル歌手としてデビューさせ、知名度を得てから本格歌手へ移行する販売戦略が取られても不思議ではなかった様な者たちが、当初より本格的な歌手としてデビューを果たししている。&lt;br /&gt;
* 同じ頃、｢[[仮面ライダーシリーズ]]｣や｢[[スーパー戦隊シリーズ]]｣や｢[[ウルトラシリーズ]]｣等の特撮ヒーロー作品で、劇中の（正義･悪ともに）ヒロインを演じた女優（[[秋山莉奈]]･[[山本梓]]・[[加藤夏希]]など）がアイドル的人気を博し、バラエティ番組を始め、CM出演したりと、子供達だけではなく一般層（特に成人男性）のファンをも獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第2次と第3次との共通点 ===&lt;br /&gt;
* いづれも、オタク文化（子供向け番組）から派生しているものが正統派アイドルよりも圧倒的な(？)人気を得ている。&lt;br /&gt;
** 第2次＝アニメ（TV･ビデオ･映画）&lt;br /&gt;
** 第3次＝TV特撮ヒーロー番組若しくは特撮映画&lt;br /&gt;
* アイドルファンの主な年齢層が高齢化(10~20代→30~40代)しており、今日ではこれに併せて若手女性タレントの平均年齢も上昇している。&lt;br /&gt;
* 多くの実力派の女性ボーカリストが、当初からアイドル的な販売戦略を全く取らずにデビューしている。&lt;br /&gt;
（この傾向は一覧には時代的に出て来ないが、小室哲哉が1994年～1997年までの全盛期に構築したものであり小室衰退後の今日でも継続している。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[おニャン子クラブ]]&lt;br /&gt;
* [[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
* [[アイドル黄金時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あいとるふゆのしたい}}&lt;br /&gt;
{{stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:芸能]]&lt;br /&gt;
[[Category:アイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:Wikipediaで削除された記事]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.197.148.120</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AB%E5%86%AC%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3&amp;diff=54521</id>
		<title>アイドル冬の時代</title>
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				<updated>2009-07-20T14:59:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.197.148.120: /* この頃にエンターテインメント界で起こった現象 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア削除}}&lt;br /&gt;
'''アイドル冬の時代'''とは、盛んに正統派[[アイドル]]がデビューした時期の後に、その数が急減もしくは不在の時期が発生・持続する事を言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
日本におけるアイドル冬の時代は3期に区別される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 冬の時代 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第1次冬の時代(1975年～1977年) 〔停滞期説もあり〕===&lt;br /&gt;
* [[1970年代]]前半に[[三人娘|新三人娘]]・[[新御三家]]・[[花の中三トリオ]]・[[キャンディーズ]]・[[太田裕美]]などがデビューしたのに対し、1970年代半ば頃は[[岩崎宏美]]・[[岡田奈々]]・[[ピンクレディー]]などが登場したものの1970年代前半に比べ平均的にアイドルが盛んに登場したとは言えず、一部の評論家からは冬の時代もしくは停滞期と言われている。ただ、この時期には前者のアイドル達が第一線で活躍しているために疑問に思う者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====第1次冬の時代の終焉====&lt;br /&gt;
* [[1978年]][[1月]]にアイドルの活躍が芽生えるきっかけとなった[[歌番組]]「[[ザ・ベストテン]]」が放送開始し、冬の時代は終焉を迎え、[[1980年代]]のアイドル黄金時代へ突入する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第2次冬の時代(1989年～1993年) ===&lt;br /&gt;
単に「アイドル冬の時代」と言った際、'''一般に最も多く指すのはこの時期'''であり、特にこの時期を指す言葉として「'''アイドル[[氷河期]]'''」などというものも存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====第2次冬の時代に至った要因====&lt;br /&gt;
このアイドル氷河期を引き起こす要因となったものとして、代表的に挙げられる要素が3つある。&lt;br /&gt;
* 新機軸として素人性を強く打ち出した[[おニャン子クラブ]]が[[1985年]]にデビュー、[[フジサンケイグループ]]の強力なバックアップにより台頭させる事に成功した。だが、その手法により、それまで世間から手に届かない聖域にあったアイドルの存在を、世間の手が届くものへと降ろし、アイドル性・タレントを大量消費してゆくスタイルを作り上げてしまい、また、これの亜流のアイドルグループが次々と現れては消えていった。&lt;br /&gt;
* この頃から各芸能プロダクションは正統派アイドルをデビューさせる事をやめて[[J-ROCK]]に力を入れる様になった。これにより[[コンサート]]や[[ライブ]]だけで人気を掴められる事で[[音楽番組]]が衰退、ひいては放送終了となり、従来型のアイドル歌手の活躍の場が失われてしまった。&lt;br /&gt;
* この時期、[[写真週刊誌]]業界が過当競争状態で、[[女性週刊誌]]、[[ワイドショー]]なども巻き込んで有名人のゴシップなどを巡る取材合戦が過激化の一途を辿っていた。その事から、アイドルタレントといえどもこれらマスコミから狙われ恋愛などのスキャンダル記事にされる事が多く（一部には捏造さえあった）、従来の様なタレント管理やマスコミ対応だけでは「アイドル性」の維持ができなくなってしまった。&lt;br /&gt;
*決定打は[[岡田有希子]]の自殺（「遺作―ミュージシャンの死とラスト・アルバム」の中で“プロのアイドル歌手の時代は岡田の死により終わった”と評されている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====この頃にエンターテインメント界で起こった現象====&lt;br /&gt;
* 「バンドブーム」が起こり、女性アイドルに代わって[[渡辺美里]]などに代表される女性ロック歌手がブレイクした。&lt;br /&gt;
* その隙間を縫うように、『[[美少女戦士セーラームーン]]』（[[テレビ朝日]]、[[1992年]]～[[1997年]]）や『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』（[[テレビ東京]]、[[1995年]]～[[1996年]]）等のTVアニメに出演した主役の女性声優（[[三石琴乃]]･[[林原めぐみ]]･[[椎名へきる]]など）が新世代のアイドルとして注目され、彼女達の演じた2次元の美少女キャラクターと共に人気を博し、21世紀に[[秋葉原]]･[[日本橋 (大阪府)|日本橋]]を中心に発生する所謂｢[[萌え]]ブーム｣への原動力的なものと思われる「声優アイドルブーム」を巻き起こし、ひいては、ある意味ではアイドル産業と競合関係に位置する[[萌え]]産業の萌芽もここに形成されていった。&lt;br /&gt;
* この時期、アイドル調のスタイルで継続的に人気を集める事ができたのは、アイドル的なキャラクター性以上に極めて個性的なポップス・デュオとしての性格を打ち出して成功した[[Wink]]のみであった。アイドルとして1980年代後半にデビューしたタレントの多くは、芸能界・テレビ業界で生き残る為に本格的な歌手か俳優を目指す路線転換を行い、また、[[バラドル]]や[[ミュージカル]]などへ活動の軸足を移し、[[工藤夕貴]]や[[田村英里子]]の様に[[ハリウッド]]に活動の拠点を移した者も見られる。そして、所属事務所の意向などもあるが、一部ではアイドルタレントとして活動した時代の事を、事実上「なかったこと」や「空白の時代」の様に扱う者も見られる様になった（[[岩男潤子]]。元「セイントフォー」のメンバー・いわお潤である）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====第2次冬の時代の終焉====&lt;br /&gt;
* このアイドル氷河期とも言われる時代の終焉は、おニャン子クラブやその他80年代アイドル達の全盛期を知らない1970年代末期～1980年代初頭に生まれた世代が成長し、[[1990年代]]半ばに[[中学生]]・[[高校生]]となるのを待たねばならなかった。&lt;br /&gt;
* この時期に至り、ようやく正統派アイドルが少しながら復活し、役者業・[[バラエティー]]番組出演に力を入れた[[ジャニーズ事務所]]や実力派の[[沖縄アクターズスクール]]出身のアイドル達が次々とデビューし活躍した。&lt;br /&gt;
* だが、その一方で価値観の多様化が急激に進んだしたこの時代にあっては、アイドルタレントが芸能界において大きな存在を占め、アイドルそのものが一大産業となっていた1980年代前半の様な状況が再来する事は無かった。&lt;br /&gt;
** この時期以降にもアイドル路線やそれに近い販売戦略を狙った芸能プロダクション・タレントは少なくない。だが、往時と比べれば極めて小さくなったアイドル産業の市場では活躍の場自体が少なく、芸能活動に行き詰まりをきたす者が続出した。&lt;br /&gt;
** その為、この第2次冬の時代以降の女性アイドルについては、前述した「声優アイドルブーム」や「[[萌え]]ブーム」の先駆け的なものとの絡みからか、デビュー当初から[[テレビアニメ|アニメ]]や[[テレビゲーム]]とその関連産業（[[声優]]や[[主題歌]]）などに市場を求めたり、芸能活動の維持継続の為にも20歳前という早い段階から脱アイドル化（[[女優]]、[[声優#アイドル声優|アイドル声優]]などへの路線変更）を模索し始める例が相次ぐなど、清純派アイドルという存在の芸能界に於ける位置づけ自体が微妙なものになっていった。例としては[[高橋由美子]]、[[仲間由紀恵]]、[[千葉紗子]]などが挙げられる。いずれもアイドル時代にアニメ産業と何らかの関わりを持ち、千葉に至っては後に声優業に転じている。&lt;br /&gt;
* かつての様な幅広い層から支持を集めるビッグアイドルが作り出せなくなった状況下で、逆にある意味では[[ニッチ市場|ニッチ]]的な存在としてマニアックな層での市場開拓を狙う者が現れ始めたのもこの時期からである。代表的な例としては、「'''電脳アイドル'''」と呼ばれ、子供向け[[特撮]]番組にも主役としてレギュラー出演した[[千葉麗子]]が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この「第2次」と言われる期間については、人によっても見方が大きく異なる。中には後述する「第3次」に至るまでの間にアイドル産業が立ち直れたとはっきり言える時代は無く、「第2次」から継続してそのまま「第3次」に突入しているとする見方をしている者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第3次冬の時代(2000年～現在) ===&lt;br /&gt;
====第3次冬の時代に至った要因====&lt;br /&gt;
* 1990年代末期にダンス＆ヴォーカルグループの[[モーニング娘。]]が登場した事と、その一方で[[2000年]][[3月]]に実力女性アイドル[[ユニット]]の[[SPEED]]が解散したのをきっかけとして、再びアイドルは冬の時代を迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====この頃にエンターテインメント界で起こった現象====&lt;br /&gt;
* [[宇多田ヒカル]]や[[倉木麻衣]]に代表される実力派ボーカリストが次々とデビューし、いづれもかつてアイドル歌手の平均デビュー年齢と思われる15~16歳（当時）でデビューしており、更に[[林明日香]]に至っては2003年に当時13歳でデビューしている。 &lt;br /&gt;
** この他にも、時代が時代ならば、当初はアイドル歌手としてデビューさせ、知名度を得てから本格歌手へ移行する販売戦略が取られても不思議ではなかった様な者たちが、当初より本格的な歌手としてデビューを果たししている。&lt;br /&gt;
* 同じ頃、｢[[仮面ライダーシリーズ]]｣や｢[[スーパー戦隊シリーズ]]｣や｢[[ウルトラシリーズ]]｣等の特撮ヒーロー作品で、劇中の（正義･悪ともに）ヒロインを演じた女優（[[秋山莉奈]]･[[山本梓]]・[[加藤夏希]]など）がアイドル的人気を博し、バラエティ番組を始め、CM出演したりと、子供達だけではなく一般層（特に成人男性）のファンをも獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第2次と第3次との共通点 ===&lt;br /&gt;
* いづれも、オタク文化（子供向け番組）から派生しているものが正統派アイドルよりも圧倒的な(？)人気を得ている。&lt;br /&gt;
** 第2次＝アニメ（TV･ビデオ･映画）&lt;br /&gt;
** 第3次＝TV特撮ヒーロー番組若しくは特撮映画&lt;br /&gt;
* アイドルファンの主な年齢層が高齢化(10~20代→30~40代)しており、今日ではこれに併せて若手女性タレントの平均年齢も上昇している。&lt;br /&gt;
* 多くの実力派の女性ボーカリストが、当初からアイドル的な販売戦略を全く取らずにデビューしている。&lt;br /&gt;
（この傾向は一覧には時代的に出て来ないが、小室哲哉が1994年～1997年までの全盛期に構築したものであり小室衰退後の今日でも継続している。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[おニャン子クラブ]]&lt;br /&gt;
* [[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
* [[アイドル黄金時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あいとるふゆのしたい}}&lt;br /&gt;
{{stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:芸能]]&lt;br /&gt;
[[Category:アイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:Wikipediaで削除された記事]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.197.148.120</name></author>	</entry>

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		<title>アイドル冬の時代</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;113.197.148.120: /* 第2次冬の時代に至った要因 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア削除}}&lt;br /&gt;
'''アイドル冬の時代'''とは、盛んに正統派[[アイドル]]がデビューした時期の後に、その数が急減もしくは不在の時期が発生・持続する事を言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
日本におけるアイドル冬の時代は3期に区別される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 冬の時代 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第1次冬の時代(1975年～1977年) 〔停滞期説もあり〕===&lt;br /&gt;
* [[1970年代]]前半に[[三人娘|新三人娘]]・[[新御三家]]・[[花の中三トリオ]]・[[キャンディーズ]]・[[太田裕美]]などがデビューしたのに対し、1970年代半ば頃は[[岩崎宏美]]・[[岡田奈々]]・[[ピンクレディー]]などが登場したものの1970年代前半に比べ平均的にアイドルが盛んに登場したとは言えず、一部の評論家からは冬の時代もしくは停滞期と言われている。ただ、この時期には前者のアイドル達が第一線で活躍しているために疑問に思う者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====第1次冬の時代の終焉====&lt;br /&gt;
* [[1978年]][[1月]]にアイドルの活躍が芽生えるきっかけとなった[[歌番組]]「[[ザ・ベストテン]]」が放送開始し、冬の時代は終焉を迎え、[[1980年代]]のアイドル黄金時代へ突入する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第2次冬の時代(1989年～1993年) ===&lt;br /&gt;
単に「アイドル冬の時代」と言った際、'''一般に最も多く指すのはこの時期'''であり、特にこの時期を指す言葉として「'''アイドル[[氷河期]]'''」などというものも存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====第2次冬の時代に至った要因====&lt;br /&gt;
このアイドル氷河期を引き起こす要因となったものとして、代表的に挙げられる要素が3つある。&lt;br /&gt;
* 新機軸として素人性を強く打ち出した[[おニャン子クラブ]]が[[1985年]]にデビュー、[[フジサンケイグループ]]の強力なバックアップにより台頭させる事に成功した。だが、その手法により、それまで世間から手に届かない聖域にあったアイドルの存在を、世間の手が届くものへと降ろし、アイドル性・タレントを大量消費してゆくスタイルを作り上げてしまい、また、これの亜流のアイドルグループが次々と現れては消えていった。&lt;br /&gt;
* この頃から各芸能プロダクションは正統派アイドルをデビューさせる事をやめて[[J-ROCK]]に力を入れる様になった。これにより[[コンサート]]や[[ライブ]]だけで人気を掴められる事で[[音楽番組]]が衰退、ひいては放送終了となり、従来型のアイドル歌手の活躍の場が失われてしまった。&lt;br /&gt;
* この時期、[[写真週刊誌]]業界が過当競争状態で、[[女性週刊誌]]、[[ワイドショー]]なども巻き込んで有名人のゴシップなどを巡る取材合戦が過激化の一途を辿っていた。その事から、アイドルタレントといえどもこれらマスコミから狙われ恋愛などのスキャンダル記事にされる事が多く（一部には捏造さえあった）、従来の様なタレント管理やマスコミ対応だけでは「アイドル性」の維持ができなくなってしまった。&lt;br /&gt;
*決定打は[[岡田有希子]]の自殺（「遺作―ミュージシャンの死とラスト・アルバム」の中で“プロのアイドル歌手の時代は岡田の死により終わった”と評されている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====この頃にエンターテインメント界で起こった現象====&lt;br /&gt;
* 「バンドブーム」が起こり、女性アイドルに代わって[[渡辺美里]]などに代表される女性ロック歌手がブレイクした。&lt;br /&gt;
* その隙間を縫うように、『[[美少女戦士セーラームーン]]』（[[テレビ朝日]]、[[1992年]]～[[1997年]]）や『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』（[[テレビ東京]]、[[1995年]]～[[1996年]]）等のTVアニメに出演した主役の女性声優（[[三石琴乃]]･[[林原めぐみ]]･[[椎名へきる]]など）が新世代のアイドルとして注目され、彼女達の演じた2次元の美少女キャラクターと共に人気を博し、21世紀に[[秋葉原]]･[[日本橋 (大阪府)|日本橋]]を中心に発生する所謂｢[[萌え]]ブーム｣への原動力的なものと思われる「声優アイドルブーム」を巻き起こし、ひいては、ある意味ではアイドル産業と競合関係に位置する[[萌え]]産業の萌芽もここに形成されていった。&lt;br /&gt;
* この時期、アイドル調のスタイルで継続的に人気を集める事ができたのは、アイドル的なキャラクター性以上に極めて個性的なポップス・デュオとしての性格を打ち出して成功した[[Wink]]のみであった。アイドルとして1980年代後半にデビューしたタレントの多くは、芸能界・テレビ業界で生き残る為に本格的な歌手か俳優を目指す路線転換を行い、また、[[バラドル]]や[[ミュージカル]]などへ活動の軸足を移し、[[工藤夕貴]]や[[田村英里子]]の様に[[ハリウッド]]に活動の拠点を移した者も見られる。そして、所属事務所の意向などもあるが、一部ではアイドルタレントとして活動した時代の事を、事実上「なかったこと」や「空白の時代」の様に扱う者も見られる様になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====第2次冬の時代の終焉====&lt;br /&gt;
* このアイドル氷河期とも言われる時代の終焉は、おニャン子クラブやその他80年代アイドル達の全盛期を知らない1970年代末期～1980年代初頭に生まれた世代が成長し、[[1990年代]]半ばに[[中学生]]・[[高校生]]となるのを待たねばならなかった。&lt;br /&gt;
* この時期に至り、ようやく正統派アイドルが少しながら復活し、役者業・[[バラエティー]]番組出演に力を入れた[[ジャニーズ事務所]]や実力派の[[沖縄アクターズスクール]]出身のアイドル達が次々とデビューし活躍した。&lt;br /&gt;
* だが、その一方で価値観の多様化が急激に進んだしたこの時代にあっては、アイドルタレントが芸能界において大きな存在を占め、アイドルそのものが一大産業となっていた1980年代前半の様な状況が再来する事は無かった。&lt;br /&gt;
** この時期以降にもアイドル路線やそれに近い販売戦略を狙った芸能プロダクション・タレントは少なくない。だが、往時と比べれば極めて小さくなったアイドル産業の市場では活躍の場自体が少なく、芸能活動に行き詰まりをきたす者が続出した。&lt;br /&gt;
** その為、この第2次冬の時代以降の女性アイドルについては、前述した「声優アイドルブーム」や「[[萌え]]ブーム」の先駆け的なものとの絡みからか、デビュー当初から[[テレビアニメ|アニメ]]や[[テレビゲーム]]とその関連産業（[[声優]]や[[主題歌]]）などに市場を求めたり、芸能活動の維持継続の為にも20歳前という早い段階から脱アイドル化（[[女優]]、[[声優#アイドル声優|アイドル声優]]などへの路線変更）を模索し始める例が相次ぐなど、清純派アイドルという存在の芸能界に於ける位置づけ自体が微妙なものになっていった。例としては[[高橋由美子]]、[[仲間由紀恵]]、[[千葉紗子]]などが挙げられる。いずれもアイドル時代にアニメ産業と何らかの関わりを持ち、千葉に至っては後に声優業に転じている。&lt;br /&gt;
* かつての様な幅広い層から支持を集めるビッグアイドルが作り出せなくなった状況下で、逆にある意味では[[ニッチ市場|ニッチ]]的な存在としてマニアックな層での市場開拓を狙う者が現れ始めたのもこの時期からである。代表的な例としては、「'''電脳アイドル'''」と呼ばれ、子供向け[[特撮]]番組にも主役としてレギュラー出演した[[千葉麗子]]が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この「第2次」と言われる期間については、人によっても見方が大きく異なる。中には後述する「第3次」に至るまでの間にアイドル産業が立ち直れたとはっきり言える時代は無く、「第2次」から継続してそのまま「第3次」に突入しているとする見方をしている者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第3次冬の時代(2000年～現在) ===&lt;br /&gt;
====第3次冬の時代に至った要因====&lt;br /&gt;
* 1990年代末期にダンス＆ヴォーカルグループの[[モーニング娘。]]が登場した事と、その一方で[[2000年]][[3月]]に実力女性アイドル[[ユニット]]の[[SPEED]]が解散したのをきっかけとして、再びアイドルは冬の時代を迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====この頃にエンターテインメント界で起こった現象====&lt;br /&gt;
* [[宇多田ヒカル]]や[[倉木麻衣]]に代表される実力派ボーカリストが次々とデビューし、いづれもかつてアイドル歌手の平均デビュー年齢と思われる15~16歳（当時）でデビューしており、更に[[林明日香]]に至っては2003年に当時13歳でデビューしている。 &lt;br /&gt;
** この他にも、時代が時代ならば、当初はアイドル歌手としてデビューさせ、知名度を得てから本格歌手へ移行する販売戦略が取られても不思議ではなかった様な者たちが、当初より本格的な歌手としてデビューを果たししている。&lt;br /&gt;
* 同じ頃、｢[[仮面ライダーシリーズ]]｣や｢[[スーパー戦隊シリーズ]]｣や｢[[ウルトラシリーズ]]｣等の特撮ヒーロー作品で、劇中の（正義･悪ともに）ヒロインを演じた女優（[[秋山莉奈]]･[[山本梓]]・[[加藤夏希]]など）がアイドル的人気を博し、バラエティ番組を始め、CM出演したりと、子供達だけではなく一般層（特に成人男性）のファンをも獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第2次と第3次との共通点 ===&lt;br /&gt;
* いづれも、オタク文化（子供向け番組）から派生しているものが正統派アイドルよりも圧倒的な(？)人気を得ている。&lt;br /&gt;
** 第2次＝アニメ（TV･ビデオ･映画）&lt;br /&gt;
** 第3次＝TV特撮ヒーロー番組若しくは特撮映画&lt;br /&gt;
* アイドルファンの主な年齢層が高齢化(10~20代→30~40代)しており、今日ではこれに併せて若手女性タレントの平均年齢も上昇している。&lt;br /&gt;
* 多くの実力派の女性ボーカリストが、当初からアイドル的な販売戦略を全く取らずにデビューしている。&lt;br /&gt;
（この傾向は一覧には時代的に出て来ないが、小室哲哉が1994年～1997年までの全盛期に構築したものであり小室衰退後の今日でも継続している。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[おニャン子クラブ]]&lt;br /&gt;
* [[日本現代芸能史]]&lt;br /&gt;
* [[アイドル黄金時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あいとるふゆのしたい}}&lt;br /&gt;
{{stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:芸能]]&lt;br /&gt;
[[Category:アイドル]]&lt;br /&gt;
[[Category:Wikipediaで削除された記事]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.197.148.120</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=54519</id>
		<title>西山事件</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=54519"/>
				<updated>2009-07-20T14:45:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.197.148.120: /* 事件を題材とした作品 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{現在進行}}&lt;br /&gt;
'''西山事件'''（'''にしやまじけん'''）とは[[沖縄返還]]協定を巡って、[[1972年]]に[[毎日新聞]]政治部記者・[[西山太吉]]と[[外務省]]の安川壮外務[[審議官]]付[[事務官]]・蓮見喜久子が[[逮捕]]された事件。'''沖縄密約事件'''、'''外務省機密漏洩事件'''とも言う。[[報道の自由]]について、いかなる取材方法であっても無制限に認められるかが裁判上の争点となったが、西山に[[懲役]]4月[[執行猶予]]1年、蓮見に懲役6月執行猶予1年の有罪が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
30年後、[[米国]]外交文書の公開で、当時の外務省・[[大蔵省]]高官の[[偽証]]と、[[検察官]]の証拠隠しが明らかになったとして、[[国家賠償]]請求[[民事訴訟|訴訟]]が提起されたが、[[民法]]の[[除斥期間]]を適用され、請求は[[棄却]]された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の経過 ==&lt;br /&gt;
*1972年3月27日　[[衆議院]][[予算委員会]]で[[日本社会党|社会党]]の[[横路孝弘]]議員・[[楢崎弥之助]]議員が外務省極秘[[電信]]を暴露。&lt;br /&gt;
**暴露されたのは1971年5月28日付けで[[愛知揆一]][[外務大臣|外相]]が[[牛場信彦]]駐米[[特命全権大使|大使]]に宛てた、アーミン・H・マイヤー駐日大使と自分の会談の内容及び、同年6月9日付けで[[福田赳夫]]外相臨時代理と中山駐仏大使の間で交わされた井川外務省条約局長とリチャード・スナイダー駐日米公使との交渉内容の合計3通。&lt;br /&gt;
**上記電信では、返還に伴う軍用地の復元補償で、[[米国]]が自発的に払う事となっている400万ドルを実際には日本が肩代わりする旨の密約の存在が露呈した。&lt;br /&gt;
**これらは西山が横路に手渡したものだったが、結果として与野党の政争の具となる。誰が・なぜ・いかなる目的を持って機密文書を漏洩したのか、その背後関係に社会の関心が集まった。&lt;br /&gt;
*1972年3月30日　外務省の内部調査で、蓮見は「私は騙された」と泣き崩れ、ホテルで西山に機密電信を手渡したことを自白。&lt;br /&gt;
*1972年4月4日　外務省職員に伴われて蓮見が出頭、[[国家公務員法]]100条（秘密を守る義務）違反で逮捕。同日、同111条（秘密漏洩をそそのかす罪）で西山も逮捕される。&lt;br /&gt;
*1972年4月5日　毎日新聞は朝刊紙上、「国民の『知る権利』どうなる」との見出しで、取材活動の正当性を主張。政府批判のキャンペーンを展開。&lt;br /&gt;
*1972年4月6日　毎日新聞側は西山が蓮見との[[情交]]関係によって機密を入手したことを知る。しかしこの事実が公になることは無いと考え、「言論の自由」を掲げてキャンペーンを継続。&lt;br /&gt;
*1972年4月15日　起訴状の「'''女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して'''」というくだりで、被告人両名の情交関係を世間が広く知るところとなる。ちなみに、この起訴状を書いたのは当時東京地検検事の[[佐藤道夫]]（現[[民主党 (1996-)|民主党]][[参議院]]議員）であった。&lt;br /&gt;
**毎日新聞は夕刊紙上で「道義的に遺憾な点があった」とし、病身の夫を持ちながらスキャンダルに巻き込まれた蓮見にも謝罪したが、人妻との不倫によって情報を入手しながら「知る権利」による正当性を主張し続けたことに世間の非難を浴び、抗議の電話が殺到。社会的反響の大きさに慌てた毎日新聞は編集局長を解任、西山を休職処分とした。&lt;br /&gt;
*1974年1月30日 一審[[判決]]。事実を認めた蓮見には懲役6月執行猶予1年の、西山には無罪の判決が下される。検察は西山について[[控訴]]。&lt;br /&gt;
**ここまでの過程で、核心の「密約」に関するマスメディアの疑惑追及は完全に失速。草の根的不買運動と[[オイルショック|石油ショック]]で経営不振に見舞われた毎日新聞は翌年に[[会社更生法]]適用を申請することになる。&lt;br /&gt;
*1976年7月20日　二審判決。西山に懲役4月執行猶予1年の有罪判決。西山側が[[上告]]。&lt;br /&gt;
*1978年5月30日　[[最高裁判所]]が上告棄却。西山の有罪が確定。&lt;br /&gt;
**最高裁は、報道機関が取材目的で公務員に対し国家機密を聞き出す行為が、[[正当業務行為]]と言えるかに付き「それが真に報道の目的から出たものであり、その手段や方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、正当な業務行為というべきであるが、その方法が刑罰法令に触れる行為や、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙する等、法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合には、正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びる。」とし、取材の自由が無制限なものではないことを示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の影響 ==&lt;br /&gt;
*毎日新聞社の取材方法について'''国民的不信を買ってしまった'''こと、言うなれば庶民に対していかに報道の正義を理解させ、且つ、庶民の正義感を鼓舞すべき新聞社が、その正義を否定する不倫問題を取材記者が起してしまい、'''密約問題よりも男女関係のスキャンダルが注目されてしまった。'''*密約の追及を尻すぼみに終わらせてしまったこともあり、政府は今も密約の存在を認めていない。&lt;br /&gt;
*事件後30年を経て「[[アメリカ国立公文書記録管理局]]保管文書の秘密指定解除措置」で公開された「[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]政権関連公文書」の中から'''密約の存在を示す文書が見つかった。'''しかし政府の態度は不変。&lt;br /&gt;
*マスメディアが金科玉条の如く唱えてきた「報道の自由」が、決して無制約なものではないということを自ら明らかにしてしまった。&lt;br /&gt;
*マスメディアの間にも思惑の違いがあった。事件に及んで報道の自由を主張するよりも、毎日新聞を批判することに多くのメディアは力を入れた。新聞系メディアへの対抗意識もあり、週刊誌、特に[[週刊新潮]]は[[川端康成]]の「美しい日本の私」に引っ掛けて「機密漏洩事件 ―美しい日本の美しくない日本人」と題した記事を掲載するなど、大々的に西山と毎日新聞叩きのキャンペーンを行った。新潮には毎日新聞社の内情などが次々に（しかも社員により）通報され、大成功を収めた。この事件で新潮は「一つの大新聞社が傾き、崩壊」するほどの成果を上げ、「言論による[[テロリズム]]の効果」を会得したとさえ言われている（[[亀井淳]]「[http://kamei.cside.com/zakki/038.html 週刊新潮「50年」と沖縄密約報道]」）。&lt;br /&gt;
*事件から経営危機に陥った毎日新聞は、[[日本共産党]]と[[創価学会]]との「和解」（[[宮本顕治|宮本]]委員長と[[池田大作|池田]]会長の会見）を仲介することを手土産に創価学会機関紙「[[聖教新聞]]」の印刷代行を受注。以後、創価学会の影響を排除しきれなくなった。&lt;br /&gt;
*毎日新聞は経営難で[[1977年]]に[[東京放送]](TBS)の株式を売却し、TBSは新聞社系の安定株主がいない放送局となってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事件のその後==&lt;br /&gt;
2002年、米国公文書館の機密指定解除に伴う公開で日本政府が否定し続ける密約の存在を示す文書が見つかり、西山は「違法な起訴で記者人生を閉ざされた」などとして、2005年4月、政府に対し3300万円の損害賠償と謝罪を求めて提訴したが、2007年3月27日、東京地裁（加藤謙一裁判長）は「起訴から20年以上が経過した後の提訴で、原告の損害賠償請求権は消滅している」と、民法の[[除斥期間]]を適用し、密約の有無については判断を示さず請求を棄却した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年2月8日、対米交渉を担当した当時の外務省アメリカ局長[[吉野文六]]が、「復元費用400万ドル（当時の換算で約10億円）は、日本が肩代わりしたものだ」と発言したと[[北海道新聞]]が報じ、同日の[[共同通信]]の取材に対し「返還時に米国に支払った総額3億2000万ドルの中に、原状回復費用400万ドルが含まれていた」と述べ、関係者として初めて密約の存在を認めた。また24日、[[朝日新聞]]の取材に対し、当時の[[河野洋平]]外相から沖縄密約の存在を否定するよう要請されたと証言。これに対し河野元外相は「記憶にない」とコメントした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本政府が密約の存在自体を否定し続ける背景ならびに根拠については、全く不明となっている。すなわち、密約を否定する理由についても日本政府は一切明らかにしていないのである。この事をマスメディアから追及された際にも、日本政府及び外務省は｢とにかく無いから無いのだ｣と[[同語反復]]によって否定し、回答拒否を貫いている。このような政府の全面否定に対して、マスメディア側も最近は｢なぜ否定し続けるのか、理由がわからない｣と簡潔に批判するに留まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件はマスメディアが金科玉条の如く唱えてきた「報道の自由」が、決して無制約なものではないということを自ら明らかにしたばかりか、報道被害に対しての責任追及もまた不可避の存在であることをも明白にした。実際、[[名誉毀損]]その他の報道被害に対しての訴訟がこの事件以降相次ぐようになっている。西山事件はマスメディアが政府機関のみならず、一般大衆に対しても脇を見せてしまった最悪の事例という側面も持ち合わせているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年9月2日、西山、[[筑紫哲也]]、[[原寿雄]]、[[澤地久枝]]、[[我部政明]]など支援者63人からなる『沖縄密約文書開示請求の会』が、沖縄密約に密接に関連する3件の秘密書簡について外務財務両省に対し開示請求を行なった。なおこれらは[[アメリカ国立公文書記録管理局]]において既に実在が確認されている。10月3日、外務省が「不存在」の回答をし、西山サイドは行政処分取り消しを求めて提訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年6月、元外務事務次官4人が密約の存在を肯定。このうち村田良平は共同通信の取材に実名で証言した。更にこの4人は密約の存在を“伝えるべき首相・外相”と“伝えてはならない大臣”を選別していた事も明らかになった（伝えられていたのは自民党出身の大臣のみで、社会民主党の[[村山富市]]には伝えていなかった）。7月、2001年4月の[[情報公開法]]施行を前に、各省庁で文書廃棄が行なわれたが、外務省の処分量が頭抜けて多く、しかも処分・再生紙化された中には密約関連の文書も含まれていた疑いがある事を朝日新聞がスクープ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件を題材とした作品 ==&lt;br /&gt;
*『密約 外務省機密漏洩事件』[[澤地久枝]]/岩波現代文庫（中公文庫版は絶版　テレビドラマ化までされ更に劇場公開）[http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17976/ goo映画]&lt;br /&gt;
*『運命の人』[[山崎豊子]]/文藝春秋&lt;br /&gt;
*『加治隆介の議 12巻』[[弘兼憲史]]/講談社ミスターマガジンKC&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[外務省]] - [[佐藤栄作]]&lt;br /&gt;
*[[知る権利]] - [[ジャーナリズム]] - [[情報公開]]&lt;br /&gt;
*[[日米地位協定]] - [[非核三原則]]&amp;lt;!--協定違反がありながら政府が“知らぬ・存ぜぬ”を繰り返している例。--&amp;gt; - [[思いやり予算]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://plaza.across.or.jp/~fujimori/nt01.html 西山太吉国賠訴訟]（藤森克美法律事務所）&lt;br /&gt;
*[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/068/0380/06803270380019a.html 国会議事録]&lt;br /&gt;
*[http://www.kinyobi.co.jp/MiscPages/rupo17th_4 ルポ　西山太吉国賠訴訟]（週刊金曜日）&lt;br /&gt;
*ビデオニュース・ドットコム&lt;br /&gt;
**[http://www.videonews.com/on-demand/251260/000381.php （第256回）日米偽装同盟はここから始まった]&lt;br /&gt;
**[http://www.videonews.com/press-club/0704/001057.php 未だに密約の存在を認めない政府を厳しく批判]&lt;br /&gt;
**[http://www.videonews.com/press-club/0701/001029.php 「まともな裁判官に出会うまで闘う」]&lt;br /&gt;
* [[天木直人]]のホームページ『メディアを創る』: 「[http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/547.html 元毎日新聞記者西山太吉氏の言葉]」（2006年5月20日）&lt;br /&gt;
* [[東京新聞]]：「憲法は、今　沖縄「密約」の果てに　在日米軍再編の原点」上・[http://www.tokyo-np.co.jp/kenpou/txt/20060501.html “国家犯罪”再び問う]（2006年5月1日）、中・[http://www.tokyo-np.co.jp/kenpou/txt/20060502.html 『きれいごとすぎた』]（2006年5月2日）、下・[http://www.tokyo-np.co.jp/kenpou/txt/20060503.html 『米の言いなり』今も]（2006年5月3日）&lt;br /&gt;
* 日刊ベリタ：「[http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200604010932026 沖縄返還密約『吉野文六証言』の衝撃と米軍再編]」（2006年4月1日）&lt;br /&gt;
* [[朝日新聞]]:別刷　be　連載　逆風満帆「元毎日新聞記者　西山太吉」[http://www.be.asahi.com/20060715/W14/20060705TTOH0004A.html (1)][http://www.be.asahi.com/20060722/W14/20060713TTOH0001A.html (2)][http://www.be.asahi.com/20060729/W14/20060720TTOH0001A.html (3)][http://www.be.asahi.com/20060805/W14/20060725TTOH0004A.html (4)]&lt;br /&gt;
* [[福島瑞穂|福島みずほ]]公式ホームページ「参議院予算委員会質問」: 「[http://www.mizuhoto.org/01/04back_n/060313.html#02 沖縄返還に関する密約問題について]」（参・予算委員会、2006年3月13日）&lt;br /&gt;
* [[北海道新聞]]：「[http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/okinawa/ 1971年　沖縄返還協定　『米との密約あった』]」（2006年2月8日）&lt;br /&gt;
* 衆議院第68国会：[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/068/0380/06803270380019a.html 予算委員会議事録第19号]（1972年3月27日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政治史|にしやましけん]]&lt;br /&gt;
[[Category:戦後の事件|にしやましけん]]&lt;br /&gt;
[[Category:報道|にしやましけん]]&lt;br /&gt;
[[Category:判例|にしやましけん]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;margin:0.5em 0;background-color:#f6f6f6;border:1px solid #ccc;padding:3px;font-size:80%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
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[[Category:Wikipediaで削除された記事|{{PAGENAME}}]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>113.197.148.120</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=54518</id>
		<title>西山事件</title>
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				<updated>2009-07-20T14:44:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.197.148.120: /* 事件のその後 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{現在進行}}&lt;br /&gt;
'''西山事件'''（'''にしやまじけん'''）とは[[沖縄返還]]協定を巡って、[[1972年]]に[[毎日新聞]]政治部記者・[[西山太吉]]と[[外務省]]の安川壮外務[[審議官]]付[[事務官]]・蓮見喜久子が[[逮捕]]された事件。'''沖縄密約事件'''、'''外務省機密漏洩事件'''とも言う。[[報道の自由]]について、いかなる取材方法であっても無制限に認められるかが裁判上の争点となったが、西山に[[懲役]]4月[[執行猶予]]1年、蓮見に懲役6月執行猶予1年の有罪が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
30年後、[[米国]]外交文書の公開で、当時の外務省・[[大蔵省]]高官の[[偽証]]と、[[検察官]]の証拠隠しが明らかになったとして、[[国家賠償]]請求[[民事訴訟|訴訟]]が提起されたが、[[民法]]の[[除斥期間]]を適用され、請求は[[棄却]]された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の経過 ==&lt;br /&gt;
*1972年3月27日　[[衆議院]][[予算委員会]]で[[日本社会党|社会党]]の[[横路孝弘]]議員・[[楢崎弥之助]]議員が外務省極秘[[電信]]を暴露。&lt;br /&gt;
**暴露されたのは1971年5月28日付けで[[愛知揆一]][[外務大臣|外相]]が[[牛場信彦]]駐米[[特命全権大使|大使]]に宛てた、アーミン・H・マイヤー駐日大使と自分の会談の内容及び、同年6月9日付けで[[福田赳夫]]外相臨時代理と中山駐仏大使の間で交わされた井川外務省条約局長とリチャード・スナイダー駐日米公使との交渉内容の合計3通。&lt;br /&gt;
**上記電信では、返還に伴う軍用地の復元補償で、[[米国]]が自発的に払う事となっている400万ドルを実際には日本が肩代わりする旨の密約の存在が露呈した。&lt;br /&gt;
**これらは西山が横路に手渡したものだったが、結果として与野党の政争の具となる。誰が・なぜ・いかなる目的を持って機密文書を漏洩したのか、その背後関係に社会の関心が集まった。&lt;br /&gt;
*1972年3月30日　外務省の内部調査で、蓮見は「私は騙された」と泣き崩れ、ホテルで西山に機密電信を手渡したことを自白。&lt;br /&gt;
*1972年4月4日　外務省職員に伴われて蓮見が出頭、[[国家公務員法]]100条（秘密を守る義務）違反で逮捕。同日、同111条（秘密漏洩をそそのかす罪）で西山も逮捕される。&lt;br /&gt;
*1972年4月5日　毎日新聞は朝刊紙上、「国民の『知る権利』どうなる」との見出しで、取材活動の正当性を主張。政府批判のキャンペーンを展開。&lt;br /&gt;
*1972年4月6日　毎日新聞側は西山が蓮見との[[情交]]関係によって機密を入手したことを知る。しかしこの事実が公になることは無いと考え、「言論の自由」を掲げてキャンペーンを継続。&lt;br /&gt;
*1972年4月15日　起訴状の「'''女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して'''」というくだりで、被告人両名の情交関係を世間が広く知るところとなる。ちなみに、この起訴状を書いたのは当時東京地検検事の[[佐藤道夫]]（現[[民主党 (1996-)|民主党]][[参議院]]議員）であった。&lt;br /&gt;
**毎日新聞は夕刊紙上で「道義的に遺憾な点があった」とし、病身の夫を持ちながらスキャンダルに巻き込まれた蓮見にも謝罪したが、人妻との不倫によって情報を入手しながら「知る権利」による正当性を主張し続けたことに世間の非難を浴び、抗議の電話が殺到。社会的反響の大きさに慌てた毎日新聞は編集局長を解任、西山を休職処分とした。&lt;br /&gt;
*1974年1月30日 一審[[判決]]。事実を認めた蓮見には懲役6月執行猶予1年の、西山には無罪の判決が下される。検察は西山について[[控訴]]。&lt;br /&gt;
**ここまでの過程で、核心の「密約」に関するマスメディアの疑惑追及は完全に失速。草の根的不買運動と[[オイルショック|石油ショック]]で経営不振に見舞われた毎日新聞は翌年に[[会社更生法]]適用を申請することになる。&lt;br /&gt;
*1976年7月20日　二審判決。西山に懲役4月執行猶予1年の有罪判決。西山側が[[上告]]。&lt;br /&gt;
*1978年5月30日　[[最高裁判所]]が上告棄却。西山の有罪が確定。&lt;br /&gt;
**最高裁は、報道機関が取材目的で公務員に対し国家機密を聞き出す行為が、[[正当業務行為]]と言えるかに付き「それが真に報道の目的から出たものであり、その手段や方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、正当な業務行為というべきであるが、その方法が刑罰法令に触れる行為や、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙する等、法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合には、正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びる。」とし、取材の自由が無制限なものではないことを示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の影響 ==&lt;br /&gt;
*毎日新聞社の取材方法について'''国民的不信を買ってしまった'''こと、言うなれば庶民に対していかに報道の正義を理解させ、且つ、庶民の正義感を鼓舞すべき新聞社が、その正義を否定する不倫問題を取材記者が起してしまい、'''密約問題よりも男女関係のスキャンダルが注目されてしまった。'''*密約の追及を尻すぼみに終わらせてしまったこともあり、政府は今も密約の存在を認めていない。&lt;br /&gt;
*事件後30年を経て「[[アメリカ国立公文書記録管理局]]保管文書の秘密指定解除措置」で公開された「[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]政権関連公文書」の中から'''密約の存在を示す文書が見つかった。'''しかし政府の態度は不変。&lt;br /&gt;
*マスメディアが金科玉条の如く唱えてきた「報道の自由」が、決して無制約なものではないということを自ら明らかにしてしまった。&lt;br /&gt;
*マスメディアの間にも思惑の違いがあった。事件に及んで報道の自由を主張するよりも、毎日新聞を批判することに多くのメディアは力を入れた。新聞系メディアへの対抗意識もあり、週刊誌、特に[[週刊新潮]]は[[川端康成]]の「美しい日本の私」に引っ掛けて「機密漏洩事件 ―美しい日本の美しくない日本人」と題した記事を掲載するなど、大々的に西山と毎日新聞叩きのキャンペーンを行った。新潮には毎日新聞社の内情などが次々に（しかも社員により）通報され、大成功を収めた。この事件で新潮は「一つの大新聞社が傾き、崩壊」するほどの成果を上げ、「言論による[[テロリズム]]の効果」を会得したとさえ言われている（[[亀井淳]]「[http://kamei.cside.com/zakki/038.html 週刊新潮「50年」と沖縄密約報道]」）。&lt;br /&gt;
*事件から経営危機に陥った毎日新聞は、[[日本共産党]]と[[創価学会]]との「和解」（[[宮本顕治|宮本]]委員長と[[池田大作|池田]]会長の会見）を仲介することを手土産に創価学会機関紙「[[聖教新聞]]」の印刷代行を受注。以後、創価学会の影響を排除しきれなくなった。&lt;br /&gt;
*毎日新聞は経営難で[[1977年]]に[[東京放送]](TBS)の株式を売却し、TBSは新聞社系の安定株主がいない放送局となってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事件のその後==&lt;br /&gt;
2002年、米国公文書館の機密指定解除に伴う公開で日本政府が否定し続ける密約の存在を示す文書が見つかり、西山は「違法な起訴で記者人生を閉ざされた」などとして、2005年4月、政府に対し3300万円の損害賠償と謝罪を求めて提訴したが、2007年3月27日、東京地裁（加藤謙一裁判長）は「起訴から20年以上が経過した後の提訴で、原告の損害賠償請求権は消滅している」と、民法の[[除斥期間]]を適用し、密約の有無については判断を示さず請求を棄却した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年2月8日、対米交渉を担当した当時の外務省アメリカ局長[[吉野文六]]が、「復元費用400万ドル（当時の換算で約10億円）は、日本が肩代わりしたものだ」と発言したと[[北海道新聞]]が報じ、同日の[[共同通信]]の取材に対し「返還時に米国に支払った総額3億2000万ドルの中に、原状回復費用400万ドルが含まれていた」と述べ、関係者として初めて密約の存在を認めた。また24日、[[朝日新聞]]の取材に対し、当時の[[河野洋平]]外相から沖縄密約の存在を否定するよう要請されたと証言。これに対し河野元外相は「記憶にない」とコメントした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本政府が密約の存在自体を否定し続ける背景ならびに根拠については、全く不明となっている。すなわち、密約を否定する理由についても日本政府は一切明らかにしていないのである。この事をマスメディアから追及された際にも、日本政府及び外務省は｢とにかく無いから無いのだ｣と[[同語反復]]によって否定し、回答拒否を貫いている。このような政府の全面否定に対して、マスメディア側も最近は｢なぜ否定し続けるのか、理由がわからない｣と簡潔に批判するに留まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件はマスメディアが金科玉条の如く唱えてきた「報道の自由」が、決して無制約なものではないということを自ら明らかにしたばかりか、報道被害に対しての責任追及もまた不可避の存在であることをも明白にした。実際、[[名誉毀損]]その他の報道被害に対しての訴訟がこの事件以降相次ぐようになっている。西山事件はマスメディアが政府機関のみならず、一般大衆に対しても脇を見せてしまった最悪の事例という側面も持ち合わせているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年9月2日、西山、[[筑紫哲也]]、[[原寿雄]]、[[澤地久枝]]、[[我部政明]]など支援者63人からなる『沖縄密約文書開示請求の会』が、沖縄密約に密接に関連する3件の秘密書簡について外務財務両省に対し開示請求を行なった。なおこれらは[[アメリカ国立公文書記録管理局]]において既に実在が確認されている。10月3日、外務省が「不存在」の回答をし、西山サイドは行政処分取り消しを求めて提訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年6月、元外務事務次官4人が密約の存在を肯定。このうち村田良平は共同通信の取材に実名で証言した。更にこの4人は密約の存在を“伝えるべき首相・外相”と“伝えてはならない大臣”を選別していた事も明らかになった（伝えられていたのは自民党出身の大臣のみで、社会民主党の[[村山富市]]には伝えていなかった）。7月、2001年4月の[[情報公開法]]施行を前に、各省庁で文書廃棄が行なわれたが、外務省の処分量が頭抜けて多く、しかも処分・再生紙化された中には密約関連の文書も含まれていた疑いがある事を朝日新聞がスクープ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件を題材とした作品 ==&lt;br /&gt;
*『密約 外務省機密漏洩事件』[[澤地久枝]]/岩波現代文庫（中公文庫版は絶版）&lt;br /&gt;
*『密約 外務省機密漏洩事件』（上記のテレビドラマ化作品、のちに劇場公開）[http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17976/ goo映画]&lt;br /&gt;
*『運命の人』[[山崎豊子]]/文藝春秋&lt;br /&gt;
*『加治隆介の議 12巻』[[弘兼憲史]]/講談社ミスターマガジンKC&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[外務省]] - [[佐藤栄作]]&lt;br /&gt;
*[[知る権利]] - [[ジャーナリズム]] - [[情報公開]]&lt;br /&gt;
*[[日米地位協定]] - [[非核三原則]]&amp;lt;!--協定違反がありながら政府が“知らぬ・存ぜぬ”を繰り返している例。--&amp;gt; - [[思いやり予算]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://plaza.across.or.jp/~fujimori/nt01.html 西山太吉国賠訴訟]（藤森克美法律事務所）&lt;br /&gt;
*[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/068/0380/06803270380019a.html 国会議事録]&lt;br /&gt;
*[http://www.kinyobi.co.jp/MiscPages/rupo17th_4 ルポ　西山太吉国賠訴訟]（週刊金曜日）&lt;br /&gt;
*ビデオニュース・ドットコム&lt;br /&gt;
**[http://www.videonews.com/on-demand/251260/000381.php （第256回）日米偽装同盟はここから始まった]&lt;br /&gt;
**[http://www.videonews.com/press-club/0704/001057.php 未だに密約の存在を認めない政府を厳しく批判]&lt;br /&gt;
**[http://www.videonews.com/press-club/0701/001029.php 「まともな裁判官に出会うまで闘う」]&lt;br /&gt;
* [[天木直人]]のホームページ『メディアを創る』: 「[http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/547.html 元毎日新聞記者西山太吉氏の言葉]」（2006年5月20日）&lt;br /&gt;
* [[東京新聞]]：「憲法は、今　沖縄「密約」の果てに　在日米軍再編の原点」上・[http://www.tokyo-np.co.jp/kenpou/txt/20060501.html “国家犯罪”再び問う]（2006年5月1日）、中・[http://www.tokyo-np.co.jp/kenpou/txt/20060502.html 『きれいごとすぎた』]（2006年5月2日）、下・[http://www.tokyo-np.co.jp/kenpou/txt/20060503.html 『米の言いなり』今も]（2006年5月3日）&lt;br /&gt;
* 日刊ベリタ：「[http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200604010932026 沖縄返還密約『吉野文六証言』の衝撃と米軍再編]」（2006年4月1日）&lt;br /&gt;
* [[朝日新聞]]:別刷　be　連載　逆風満帆「元毎日新聞記者　西山太吉」[http://www.be.asahi.com/20060715/W14/20060705TTOH0004A.html (1)][http://www.be.asahi.com/20060722/W14/20060713TTOH0001A.html (2)][http://www.be.asahi.com/20060729/W14/20060720TTOH0001A.html (3)][http://www.be.asahi.com/20060805/W14/20060725TTOH0004A.html (4)]&lt;br /&gt;
* [[福島瑞穂|福島みずほ]]公式ホームページ「参議院予算委員会質問」: 「[http://www.mizuhoto.org/01/04back_n/060313.html#02 沖縄返還に関する密約問題について]」（参・予算委員会、2006年3月13日）&lt;br /&gt;
* [[北海道新聞]]：「[http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/okinawa/ 1971年　沖縄返還協定　『米との密約あった』]」（2006年2月8日）&lt;br /&gt;
* 衆議院第68国会：[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/068/0380/06803270380019a.html 予算委員会議事録第19号]（1972年3月27日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政治史|にしやましけん]]&lt;br /&gt;
[[Category:戦後の事件|にしやましけん]]&lt;br /&gt;
[[Category:報道|にしやましけん]]&lt;br /&gt;
[[Category:判例|にしやましけん]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;margin:0.5em 0;background-color:#f6f6f6;border:1px solid #ccc;padding:3px;font-size:80%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
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		<author><name>113.197.148.120</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=54517</id>
		<title>西山事件</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=54517"/>
				<updated>2009-07-20T14:40:56Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;113.197.148.120: /* 事件のその後 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{現在進行}}&lt;br /&gt;
'''西山事件'''（'''にしやまじけん'''）とは[[沖縄返還]]協定を巡って、[[1972年]]に[[毎日新聞]]政治部記者・[[西山太吉]]と[[外務省]]の安川壮外務[[審議官]]付[[事務官]]・蓮見喜久子が[[逮捕]]された事件。'''沖縄密約事件'''、'''外務省機密漏洩事件'''とも言う。[[報道の自由]]について、いかなる取材方法であっても無制限に認められるかが裁判上の争点となったが、西山に[[懲役]]4月[[執行猶予]]1年、蓮見に懲役6月執行猶予1年の有罪が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
30年後、[[米国]]外交文書の公開で、当時の外務省・[[大蔵省]]高官の[[偽証]]と、[[検察官]]の証拠隠しが明らかになったとして、[[国家賠償]]請求[[民事訴訟|訴訟]]が提起されたが、[[民法]]の[[除斥期間]]を適用され、請求は[[棄却]]された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の経過 ==&lt;br /&gt;
*1972年3月27日　[[衆議院]][[予算委員会]]で[[日本社会党|社会党]]の[[横路孝弘]]議員・[[楢崎弥之助]]議員が外務省極秘[[電信]]を暴露。&lt;br /&gt;
**暴露されたのは1971年5月28日付けで[[愛知揆一]][[外務大臣|外相]]が[[牛場信彦]]駐米[[特命全権大使|大使]]に宛てた、アーミン・H・マイヤー駐日大使と自分の会談の内容及び、同年6月9日付けで[[福田赳夫]]外相臨時代理と中山駐仏大使の間で交わされた井川外務省条約局長とリチャード・スナイダー駐日米公使との交渉内容の合計3通。&lt;br /&gt;
**上記電信では、返還に伴う軍用地の復元補償で、[[米国]]が自発的に払う事となっている400万ドルを実際には日本が肩代わりする旨の密約の存在が露呈した。&lt;br /&gt;
**これらは西山が横路に手渡したものだったが、結果として与野党の政争の具となる。誰が・なぜ・いかなる目的を持って機密文書を漏洩したのか、その背後関係に社会の関心が集まった。&lt;br /&gt;
*1972年3月30日　外務省の内部調査で、蓮見は「私は騙された」と泣き崩れ、ホテルで西山に機密電信を手渡したことを自白。&lt;br /&gt;
*1972年4月4日　外務省職員に伴われて蓮見が出頭、[[国家公務員法]]100条（秘密を守る義務）違反で逮捕。同日、同111条（秘密漏洩をそそのかす罪）で西山も逮捕される。&lt;br /&gt;
*1972年4月5日　毎日新聞は朝刊紙上、「国民の『知る権利』どうなる」との見出しで、取材活動の正当性を主張。政府批判のキャンペーンを展開。&lt;br /&gt;
*1972年4月6日　毎日新聞側は西山が蓮見との[[情交]]関係によって機密を入手したことを知る。しかしこの事実が公になることは無いと考え、「言論の自由」を掲げてキャンペーンを継続。&lt;br /&gt;
*1972年4月15日　起訴状の「'''女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して'''」というくだりで、被告人両名の情交関係を世間が広く知るところとなる。ちなみに、この起訴状を書いたのは当時東京地検検事の[[佐藤道夫]]（現[[民主党 (1996-)|民主党]][[参議院]]議員）であった。&lt;br /&gt;
**毎日新聞は夕刊紙上で「道義的に遺憾な点があった」とし、病身の夫を持ちながらスキャンダルに巻き込まれた蓮見にも謝罪したが、人妻との不倫によって情報を入手しながら「知る権利」による正当性を主張し続けたことに世間の非難を浴び、抗議の電話が殺到。社会的反響の大きさに慌てた毎日新聞は編集局長を解任、西山を休職処分とした。&lt;br /&gt;
*1974年1月30日 一審[[判決]]。事実を認めた蓮見には懲役6月執行猶予1年の、西山には無罪の判決が下される。検察は西山について[[控訴]]。&lt;br /&gt;
**ここまでの過程で、核心の「密約」に関するマスメディアの疑惑追及は完全に失速。草の根的不買運動と[[オイルショック|石油ショック]]で経営不振に見舞われた毎日新聞は翌年に[[会社更生法]]適用を申請することになる。&lt;br /&gt;
*1976年7月20日　二審判決。西山に懲役4月執行猶予1年の有罪判決。西山側が[[上告]]。&lt;br /&gt;
*1978年5月30日　[[最高裁判所]]が上告棄却。西山の有罪が確定。&lt;br /&gt;
**最高裁は、報道機関が取材目的で公務員に対し国家機密を聞き出す行為が、[[正当業務行為]]と言えるかに付き「それが真に報道の目的から出たものであり、その手段や方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、正当な業務行為というべきであるが、その方法が刑罰法令に触れる行為や、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙する等、法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合には、正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びる。」とし、取材の自由が無制限なものではないことを示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の影響 ==&lt;br /&gt;
*毎日新聞社の取材方法について'''国民的不信を買ってしまった'''こと、言うなれば庶民に対していかに報道の正義を理解させ、且つ、庶民の正義感を鼓舞すべき新聞社が、その正義を否定する不倫問題を取材記者が起してしまい、'''密約問題よりも男女関係のスキャンダルが注目されてしまった。'''*密約の追及を尻すぼみに終わらせてしまったこともあり、政府は今も密約の存在を認めていない。&lt;br /&gt;
*事件後30年を経て「[[アメリカ国立公文書記録管理局]]保管文書の秘密指定解除措置」で公開された「[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]政権関連公文書」の中から'''密約の存在を示す文書が見つかった。'''しかし政府の態度は不変。&lt;br /&gt;
*マスメディアが金科玉条の如く唱えてきた「報道の自由」が、決して無制約なものではないということを自ら明らかにしてしまった。&lt;br /&gt;
*マスメディアの間にも思惑の違いがあった。事件に及んで報道の自由を主張するよりも、毎日新聞を批判することに多くのメディアは力を入れた。新聞系メディアへの対抗意識もあり、週刊誌、特に[[週刊新潮]]は[[川端康成]]の「美しい日本の私」に引っ掛けて「機密漏洩事件 ―美しい日本の美しくない日本人」と題した記事を掲載するなど、大々的に西山と毎日新聞叩きのキャンペーンを行った。新潮には毎日新聞社の内情などが次々に（しかも社員により）通報され、大成功を収めた。この事件で新潮は「一つの大新聞社が傾き、崩壊」するほどの成果を上げ、「言論による[[テロリズム]]の効果」を会得したとさえ言われている（[[亀井淳]]「[http://kamei.cside.com/zakki/038.html 週刊新潮「50年」と沖縄密約報道]」）。&lt;br /&gt;
*事件から経営危機に陥った毎日新聞は、[[日本共産党]]と[[創価学会]]との「和解」（[[宮本顕治|宮本]]委員長と[[池田大作|池田]]会長の会見）を仲介することを手土産に創価学会機関紙「[[聖教新聞]]」の印刷代行を受注。以後、創価学会の影響を排除しきれなくなった。&lt;br /&gt;
*毎日新聞は経営難で[[1977年]]に[[東京放送]](TBS)の株式を売却し、TBSは新聞社系の安定株主がいない放送局となってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事件のその後==&lt;br /&gt;
2002年、米国公文書館の機密指定解除に伴う公開で日本政府が否定し続ける密約の存在を示す文書が見つかり、西山は「違法な起訴で記者人生を閉ざされた」などとして、2005年4月、政府に対し3300万円の損害賠償と謝罪を求めて提訴したが、2007年3月27日、東京地裁（加藤謙一裁判長）は「起訴から20年以上が経過した後の提訴で、原告の損害賠償請求権は消滅している」と、民法の[[除斥期間]]を適用し、密約の有無については判断を示さず請求を棄却した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年2月8日、対米交渉を担当した当時の外務省アメリカ局長[[吉野文六]]が、「復元費用400万ドル（当時の換算で約10億円）は、日本が肩代わりしたものだ」と発言したと[[北海道新聞]]が報じ、同日の[[共同通信]]の取材に対し「返還時に米国に支払った総額3億2000万ドルの中に、原状回復費用400万ドルが含まれていた」と述べ、関係者として初めて密約の存在を認めた。また24日、[[朝日新聞]]の取材に対し、当時の[[河野洋平]]外相から沖縄密約の存在を否定するよう要請されたと証言。これに対し河野元外相は「記憶にない」とコメントした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本政府が密約の存在自体を否定し続ける背景ならびに根拠については、全く不明となっている。すなわち、密約を否定する理由についても日本政府は一切明らかにしていないのである。この事をマスメディアから追及された際にも、日本政府及び外務省は｢とにかく無いから無いのだ｣と[[同語反復]]によって否定し、回答拒否を貫いている。このような政府の全面否定に対して、マスメディア側も最近は｢なぜ否定し続けるのか、理由がわからない｣と簡潔に批判するに留まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件はマスメディアが金科玉条の如く唱えてきた「報道の自由」が、決して無制約なものではないということを自ら明らかにしたばかりか、報道被害に対しての責任追及もまた不可避の存在であることをも明白にした。実際、[[名誉毀損]]その他の報道被害に対しての訴訟がこの事件以降相次ぐようになっている。西山事件はマスメディアが政府機関のみならず、一般大衆に対しても脇を見せてしまった最悪の事例という側面も持ち合わせているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年9月2日、西山、[[筑紫哲也]]、[[原寿雄]]、[[澤地久枝]]、[[我部政明]]など支援者63人からなる『沖縄密約文書開示請求の会』が、沖縄密約に密接に関連する3件の秘密書簡について外務財務両省に対し開示請求を行なった。なおこれらは[[アメリカ国立公文書記録管理局]]において既に実在が確認されている。10月3日、外務省が「不存在」の回答をし、西山サイドは行政処分取り消しを求めて提訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年6月、元外務事務次官4人が密約の存在を肯定。このうち村田良平は共同通信の取材に実名で証言した。更にこの4人は密約の存在を“伝えるべき首相・外相”と“伝えてはならない大臣”を選別していた事も明らかになった（伝えられていたのは自民党出身の大臣のみで、社会民主党の[[村山富市]]には伝えていなかった）。7月、2001年4月の[[情報公開法]]施行を前に、外務省で大量の文書廃棄が行なわれ、処分・再生紙化された中には密約関連の文書も含まれていた疑いがある事を朝日新聞がスクープ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件を題材とした作品 ==&lt;br /&gt;
*『密約 外務省機密漏洩事件』[[澤地久枝]]/岩波現代文庫（中公文庫版は絶版）&lt;br /&gt;
*『密約 外務省機密漏洩事件』（上記のテレビドラマ化作品、のちに劇場公開）[http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17976/ goo映画]&lt;br /&gt;
*『運命の人』[[山崎豊子]]/文藝春秋&lt;br /&gt;
*『加治隆介の議 12巻』[[弘兼憲史]]/講談社ミスターマガジンKC&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[外務省]] - [[佐藤栄作]]&lt;br /&gt;
*[[知る権利]] - [[ジャーナリズム]] - [[情報公開]]&lt;br /&gt;
*[[日米地位協定]] - [[非核三原則]]&amp;lt;!--協定違反がありながら政府が“知らぬ・存ぜぬ”を繰り返している例。--&amp;gt; - [[思いやり予算]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://plaza.across.or.jp/~fujimori/nt01.html 西山太吉国賠訴訟]（藤森克美法律事務所）&lt;br /&gt;
*[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/068/0380/06803270380019a.html 国会議事録]&lt;br /&gt;
*[http://www.kinyobi.co.jp/MiscPages/rupo17th_4 ルポ　西山太吉国賠訴訟]（週刊金曜日）&lt;br /&gt;
*ビデオニュース・ドットコム&lt;br /&gt;
**[http://www.videonews.com/on-demand/251260/000381.php （第256回）日米偽装同盟はここから始まった]&lt;br /&gt;
**[http://www.videonews.com/press-club/0704/001057.php 未だに密約の存在を認めない政府を厳しく批判]&lt;br /&gt;
**[http://www.videonews.com/press-club/0701/001029.php 「まともな裁判官に出会うまで闘う」]&lt;br /&gt;
* [[天木直人]]のホームページ『メディアを創る』: 「[http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/547.html 元毎日新聞記者西山太吉氏の言葉]」（2006年5月20日）&lt;br /&gt;
* [[東京新聞]]：「憲法は、今　沖縄「密約」の果てに　在日米軍再編の原点」上・[http://www.tokyo-np.co.jp/kenpou/txt/20060501.html “国家犯罪”再び問う]（2006年5月1日）、中・[http://www.tokyo-np.co.jp/kenpou/txt/20060502.html 『きれいごとすぎた』]（2006年5月2日）、下・[http://www.tokyo-np.co.jp/kenpou/txt/20060503.html 『米の言いなり』今も]（2006年5月3日）&lt;br /&gt;
* 日刊ベリタ：「[http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200604010932026 沖縄返還密約『吉野文六証言』の衝撃と米軍再編]」（2006年4月1日）&lt;br /&gt;
* [[朝日新聞]]:別刷　be　連載　逆風満帆「元毎日新聞記者　西山太吉」[http://www.be.asahi.com/20060715/W14/20060705TTOH0004A.html (1)][http://www.be.asahi.com/20060722/W14/20060713TTOH0001A.html (2)][http://www.be.asahi.com/20060729/W14/20060720TTOH0001A.html (3)][http://www.be.asahi.com/20060805/W14/20060725TTOH0004A.html (4)]&lt;br /&gt;
* [[福島瑞穂|福島みずほ]]公式ホームページ「参議院予算委員会質問」: 「[http://www.mizuhoto.org/01/04back_n/060313.html#02 沖縄返還に関する密約問題について]」（参・予算委員会、2006年3月13日）&lt;br /&gt;
* [[北海道新聞]]：「[http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/okinawa/ 1971年　沖縄返還協定　『米との密約あった』]」（2006年2月8日）&lt;br /&gt;
* 衆議院第68国会：[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/068/0380/06803270380019a.html 予算委員会議事録第19号]（1972年3月27日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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