<?xml version="1.0"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xml:lang="ja">
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/api.php?action=feedcontributions&amp;feedformat=atom&amp;user=106.154.133.244</id>
		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
		<link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://18.236.240.21/mediawiki/api.php?action=feedcontributions&amp;feedformat=atom&amp;user=106.154.133.244"/>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/106.154.133.244"/>
		<updated>2026-05-17T07:26:03Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
		<generator>MediaWiki 1.25.1</generator>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%BF%E3%83%A2%E3%83%AA&amp;diff=372742</id>
		<title>タモリ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%82%BF%E3%83%A2%E3%83%AA&amp;diff=372742"/>
				<updated>2019-11-19T00:37:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;106.154.133.244: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:タモリ1.jpg|350px|thumb|タモリ]]&lt;br /&gt;
'''タモリ'''（[[1945年]]〈昭和20年〉[[8月22日]] - ）は、[[日本]]の[[お笑いタレント]]、[[司会|司会者]]、[[俳優]]、[[ラジオパーソナリティー]]、[[作詞家]]、[[作家]]、[[実業家]]。本名、'''森田 一義'''（もりた かずよし）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[福岡県]][[福岡市]]出身。[[田辺エージェンシー]]所属。[[女優]]の[[伊佐山ひろ子]]とは遠戚。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
[[1945年]][[8月22日]]に[[福岡県]][[福岡市]]、現在の[[南区 (福岡市)|南区]]に誕生する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本名は「一義」だが生まれる前までは「義一」と名付けられる予定だった。[[占い師]]から「義一」では頭でっかちな子が産まれると言われたため、「一義」になった。これは血の繋がりのない祖父が、尊敬している[[田中義一]]元[[首相]]にあやかって名付けようとしたが、「畏れ多い」と名を逆にしたもの。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本人曰く、幼少時代より[[大人]]びており、「[[偽善]]」という言葉を知っていたと語り、[[幼稚園]]入園時期が迫り、園を見に行ったおり「ギンギンギラギラ夕日が沈む（童謡『夕日』[[葛原しげる]][[作詞]]・室崎琴月[[作曲]]）」を両手を回転しながらお遊戯している園児達を見て、入園を拒否。[[小学校]]入学に至るまで、毎日、一日中坂道に立って[[人間]]観察を行っていた。また「5歳が俺の精神的ピークだったんだから」と、冗談めかして語ってもいる。このため坂道好きとなり、後に「[[日本坂道学会]]」を設立している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 少年時代 ===&lt;br /&gt;
小学校3年生の時、下校途中に[[電柱]]のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。2か月休校して治療したものの、視力は戻らなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小学校5年生の頃、予餞会（卒業生を送る会）で「喜劇カラス天狗」の台本を書いて披露したが、受けなかった。しかし[[脚本家]]として活躍している同級生と再会した際、「面白かった」と評された。[[スポーツ]]にも興味があり、[[野球]]をやっていた。現在は[[ラグビー]]などの[[スポーツ]]観戦も興味があるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小学生の頃、祖母に「今の内から[[男]]も料理ができるようにならないと、後々奥さんがいざと言う時に困るでしょ。私が料理をしている姿を見ていなさい」と言われ、毎日祖母が支度する姿を見ていたことが料理を始めたきっかけだという。この頃のことをタモリは「小学生時代は、学校から帰ると暇でテレビゲームもなければ、習いごともなく、人を見ているか、坂道を見たり、船を見たり、（祖母の料理支度の見学は）暇つぶしにはもってこいだった」と述懐している。その為、金銭面にも余裕がなかった学生時代に友人らと料理を作ろうとした時には、タモリ一人で大体の料理を作ったり、だしの取り方まで全部覚えていたと語っている。（小学校時代は1952年から1957年頃）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[陸上部]]で短距離200mを走っていた。4年間、近所の[[バプテスト派]]の[[キリスト教会]]に通ったという。本人曰く「[[牧師]]を[[芸人]]のように見ていた」とのこと。船が好きで、良く地元の港に行って船をずっと見ていた。そこで、どこの船なのかを全部知っていたとも話している。中学3年間は丸刈り頭であった。部活動は主に[[剣道]]と[[陸上競技]]を行っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 学生時代 ===&lt;br /&gt;
[[福岡県立筑紫丘高等学校]]へ入学。高校時代は、[[剣道部]]と[[吹奏楽部]]を両立して[[トランペット]]兼司会を担当していた。[[アマチュア無線]]クラブにも入っていて、船の無線通信士にもあこがれた。さらに[[居合道]]場にも通い、二段を取得した。ファンだった地元球団・[[西鉄ライオンズ]]が身売りをしたため、野球への興味を失う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高校を卒業後、1年間の浪人生活を送る。[[大学]][[浪人]]中はしばしば押入に潜り込み、[[大韓民国|韓国]]や[[中華人民共和国|中国]]からのラジオ放送を長時間聴いていた。これが「[[藤村有弘]]以来」と言われた、「6か国語マージャン」などの「[[インチキ外国語]]芸」へとつながった。また、座禅を組んで極度の瞑想に近い経験をしたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無線に興味があったため[[電気通信大学]]を目指したが、[[物理]]が克服できず、1年間の浪人生活を送ったのちに、[[1965年]]に[[早稲田大学]][[第二文学部]]西洋哲学専修へ入学。その後学費未納のため抹籍処分となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[早稲田大学]][[第二文学部]]部西洋哲学専修在学中は[[モダン・ジャズ]]研究会に在籍し、トランペットを演奏。同期に[[増尾好秋]]、1年先輩には[[鈴木良雄]]らがいた。しかし「[[マイルス・デイヴィス]]のラッパは泣いているが、お前のラッパは笑っている」などの批評を受け、トランペットは3日でクビ、代わってマネージャー・司会を担当することになった。タモリはこの時期に付けられたニックネームであり、森田のバンドマン読み（銀座がザギンになるのと同様）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、学生バンドの司会として[[TBSラジオ&amp;amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]]の番組「大学対抗バンド合戦」に出演し、MCの[[大橋巨泉]]からその才能を認められている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学2年次の5月の連休、友人2人と旅行を計画し、学費用に仕送りされた資金を旅行用に一旦充てたが返済されず、自分の授業料が払えなくなったため、[[早稲田大学]]を去った。3年次に学費未納のため抹籍という処分となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 福岡時代 ===&lt;br /&gt;
大学を抹籍処分になった後もタモリはモダン・ジャズ研究会のマネージャー役を続行。かなりの収入を得ていたが、間もなく叔父に福岡に引き戻され、[[朝日生命]]で3年近く保険外交員として勤める。この時期に同僚の一般女性と結婚。その後、旅行会社に転職するが、系列のボウリング場（[[大分県]][[日田市]]）に転属される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1972年、[[渡辺貞夫]]の福岡でのコンサートのスタッフに大学時代のジャズ仲間がいたことから、コンサート終了後、その友人が泊まっていたホテルで終電がなくなる時間ギリギリまで飲みながら話し込んでいた。いざ帰ろうと部屋から出た際、やけに騒がしい一室があり、通りがかり様に半開きになっていたドアから中を覗いた。室内ではナベサダのコンサートに同行していた[[山下洋輔]]トリオ（山下、[[中村誠一 (ミュージシャン)|中村誠一]]、[[森山威男]]）が[[歌舞伎]]の踊り、[[狂言]]、[[虚無僧]]ごっこなど乱痴気騒ぎをしていた。そこにタモリは乱入する。[[中村誠一 (ミュージシャン)|中村誠一]]が被っていたゴミ箱を取り上げるとそれを鼓にして歌舞伎の舞を踊り始めた。山下トリオの面々は「誰だこいつ？」と動揺するが、中村は機転を利かせてその非礼をデタラメ朝鮮語でなじった。しかしタモリはそれより上手なデタラメ朝鮮語で切り返し、その後、タモリと中村のデタラメ外国語の応酬が始まる。タモリが表情を付けてデタラメなアフリカ語を話し始めた際には山下は呼吸困難になるほど笑ったという。始発が出る時間まで共に騒ぎ、タモリは「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「この男はジャズ・ファンに違いない」と確信した山下は、博多のジャズバーに「モリタ」という名前の男はいないかと片っ端から問い合わせたという。その後、とあるジャズバーから「喫茶店の変人マスターでは」という情報が入り、タモリと山下は再会することになる。この時期、タモリは転職して喫茶店のマスターであり、ウィンナ・コーヒーを注文すると、ウィンナーソーセージが入ったコーヒーを出すなど、地元では奇妙なマスターとして有名であった。[[武田鉄矢]]もアマチュア時代に店に行ったことがあるという。再会後は山下トリオが九州に行く際に共に遊ぶ仲間となり、山下のエッセイでしばしば取り上げられる、知る人ぞ知る存在となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1975年春には山下が行きつけだった[[新宿ゴールデン街]]のバー「ジャックの豆の木」で、「山下がそんなに面白いというのなら一度見てみたい」とタモリを上京させる機運が高まり、バーの常連（[[奥成達]]、[[高信太郎]]、[[長谷邦夫]]、[[山下洋輔]]、[[森山威男]]、[[坂田明]]、[[三上寛]]、[[長谷川法世]]、[[南伸坊]]ら）により「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成され、同会のカンパによって、[[1975年]][[6月]]に上京を果たす。開かれた独演会では「4か国語麻雀」や、「中国で作られたターザン映画に出演した[[大河内伝次郎]]の宇宙飛行士が、宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」などのリクエストを含めた即興芸を披露し、[[筒井康隆]]、[[唐十郎]]ら臨席した全員を感動させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 居候時代 ===&lt;br /&gt;
福岡で生活しつつ、カンパの資金で月1で上京して「素人芸人」として即興芸を披露するという一種の二重生活を送り始めたタモリだったが、同年夏、面白い事をやっている人間がいるという噂を聞きつけた[[赤塚不二夫]]がタモリの元を訪れる。赤塚はタモリの即興芸に心酔し、8月末に生放送が決定していた自らの特番にタモリを出演させる事を決意。放送までまだかなり日数があったため、タモリは福岡に帰ることを望んでいたが、「タモリの芸をもっと見たい、福岡に帰したくない」と考えた赤塚は、常人ではありえない発想でタモリを引き止めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1975年当時、赤塚は4LDKのマンションに住み、[[ベンツ]]のスポーツタイプなどを保有する売れっ子漫画家だったが、それら全てを自由に使っていいからと東京に残ってくれとタモリに懇願。タモリはこれを了承し、赤塚宅での居候生活が始まる（タモリや赤塚らは「居候」と言っているが、実質的には居候ではなく「生活スペースの交換」）。赤塚宅に住み始めたタモリは、「ジャックの豆の木」を始めとした飲み屋で赤塚や山下らと馬鹿騒ぎする日々を送り、赤塚からは月に20～30万円の小遣いが渡されるという破格の居候生活を送った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、生活スペースをタモリに譲ることになった赤塚は、仕事場のロッカーを倒し、それに布団を敷いて寝場所を確保するなど、侘しい生活を送った。赤塚が着る服がなくなりやむなく「赤塚宅」に一時帰宅した際に、探していた服をタモリが着ていたという笑い話がある。タモリが考える居候の秘訣は、「卑屈になるな」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『マンガ大行進 赤塚不二夫ショー』（1975年8月30日、[[テレビ朝日|NET]]）に出演し、インチキ牧師などのパフォーマンスでテレビ初出演。たまたま、番組を見ていた[[黒柳徹子]]から「今の人、誰? すごいじゃない」とその夜のうちに照会があり、次いで『[[徹子の部屋]]』（テレビ朝日系列）に赤塚とともに出演した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤塚の特番に出るという当初の目的は達成したものの、赤塚らは次の目的を「タモリを芸能界入りさせる」に設定し、赤塚宅での居候生活は続行。タモリの居候期間はデビュー直前までの9ヶ月近くに及び、居候の途中には妻も呼び寄せている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤塚らと飲み屋で騒ぐ素人芸人時代に、[[高平哲郎]]らとも知り合うなど、芸能界的な人脈も増えていく。売り出すための算段などが練られて、「戦後最大の素人芸人」というキャッチフレーズが作られたり、[[アイパッチ]]姿（[[浅井慎平]]がサイレント映画の大スター[[ルドルフ・バレンチノ]]風にスタイリングしたもの）にされるなど徐々にキャラクターが作りこまれていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特異な芸風から所属事務所がなかなか決まらなかったが、後に[[田辺エージェンシー]]と契約。大恩人ともいえる社長の[[田邊昭知]]とは、後に親友になっている。（1980年代半ばに田辺エージェンシーが業界関係者に配っていた新年挨拶のビデオにはタモリが2年連続で出演。『いいとも』の[[テレフォンショッキング]]のセットで田邊社長と世間話をするという形が取られた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[芸能界]]入りする際、4つの戒律を自らに掲げたという。&lt;br /&gt;
# だれの弟子にもならない&lt;br /&gt;
# 組織には属さない&lt;br /&gt;
# [[頭]]をなるべくさげずにカネをもうける&lt;br /&gt;
# [[色紙]]に[[サイン]]をするときは、名前の横に添えるモットーのようなものは持たない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの方針により、芸人として先輩にあたる人物でも年下相手には敬語を使っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 芸能界入り ===&lt;br /&gt;
1976年4月、[[テレビ東京|東京12チャンネル]]（現:[[テレビ東京]]系列）の[[深夜番組]]『[[空飛ぶモンティ・パイソン]]』で正式にデビュー。その後、『[[金曜10時!うわさのチャンネル!!]]』（[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列）にもレギュラー出演が決まるが、この時期は「タモリ専用のコーナー」で密室芸をするという形が取られていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の芸はイグアナのような体芸、反知性を打ち出した中州産業大学教授、デタラメ言語[[ハナモゲラ]]など、他の芸人とは一線を画しており、テレビ的にはキワモノ芸人的存在と考えられていた。しかし、ラジオ『[[タモリのオールナイトニッポン|オールナイトニッポン]]』（[[ニッポン放送]]）で徐々にマニアックな層からのの支持を集めていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またテレビやラジオ以外にも活動の場を拡大。[[山下洋輔]]の[[冷やし中華#全日本冷し中華愛好会|全日本冷し中華愛好会]]に参加。1977年には[[赤塚不二夫]]、[[滝大作]]、[[高平哲郎]]らと「面白グループ」を結成。週3回以上の宴会を催し、その成果を何らかの方法で発表することを目的にした団体であり、まもなく[[坂田明]]、[[内藤陳]]、[[小松政夫]]、[[団しん也]]、[[たこ八郎]]、[[三上寛]]、[[研ナオコ]]、[[柄本明]]、[[所ジョージ]]、[[THE ALFEE|アルフィー]]、[[劇団東京ヴォードヴィルショー]]の一部メンバーも参加。[[ビートたけし]]も参加しようとしていたが、たけしはタモリの芸風を嫌ってすぐに脱退したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1979年には映画『[[下落合焼とりムービー]]』に出演。同年、[[渋谷公会堂]]で「第一回いたいけ祭り」という、タモリや赤塚の「宴会芸」を見せるイベントを行う。また、面白グループ名義で、当時ヒットしていた女子大生二人が執筆した書籍『ANO・ANO（アノアノ）』のパロディ本、『SONO・SONO（ソノソノ）』を刊行するなどしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1980年代の飛躍 ===&lt;br /&gt;
1980年代に入ってからは密室芸の披露の場を減らし、『[[今夜は最高!]]』などで知性的な部分を前面に打ち出すようになり、ファン層を拡大。ただし、当時は下ネタ発言が多く、夜の番組の芸人というイメージが強かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1982年、フジのプロデューサー[[横澤彪]]が「夜の顔を昼に」とタモリを昼の帯番組に起用するという荒業に出る。『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』は当初は低迷したものの、間もなく人気が沸騰。30年以上続く人気番組となる。またこの時期、深夜のタモリをなくさないという目的で『[[タモリ倶楽部]]』も放送開始、これもまた30年以上続く人気番組となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『いいとも』で司会術を磨いたタモリは、1983年には『第34回NHK紅白歌合戦』（NHK）の総合司会を務めることになる。NHKアナウンサー以外が紅白の総合司会を務めたのはタモリが初という異例の起用である。1986年10月24日からは『[[ミュージックステーション]]』（テレビ朝日系列）でメイン司会を務め、25年以上続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年以降は、日本のお笑いBIG3（タモリ・[[ビートたけし]]・[[明石屋さんま]]）と呼ばれる存在になる。ただし、この時期女性からの人気はほぼなく、週刊誌などの「抱かれたくない芸人」ランキングでは常連だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1990年代以降の趣味路線 ===&lt;br /&gt;
1990年代以降は趣味や知識（タモリ本人曰く「広く浅く」）を前面に打ち出すようになり、『タモリ倶楽部』の他にも、『[[タモリの音楽は世界だ!]]』（[[テレビ東京]]系列）、『[[タモリのボキャブラ天国]]』『[[タモリのジャポニカロゴス]]』（[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列）、『[[ブラタモリ]]』（[[日本放送協会|NHK]]）などが人気番組となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代半ばには女子高生の間で人気が出るなどし、かつての女性からの不人気を解消している。ただし本人は「テレビの中に居る人物だと思われている」と分析している。プライベートで街で歩いている時に、指をさされて「マジでタモリ！」と言われてたとぼやいている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
* 座右の銘は「'''適当'''」「'''現状維持'''」「'''やる気のある者は去れ'''」など多数。好きな[[言葉]]は「'''[[妄想]]'''」。&lt;br /&gt;
* 仕事も何でも「反省はしない」。「反省ばかりしてるとバカバカしくてこれから先、やっていけない」「過去を振り返らない」と語る。自ら出演している番組は恥ずかしくて一切観ない。『[[週刊朝日]]』の取材に答えた際、『笑っていいとも!』（フジテレビ系列）の長寿の秘訣について、「番組についての反省を一切しないこと」と述べている。&lt;br /&gt;
* デビュー当時は、[[眼帯]]（[[アイパッチ]]）を着用していたが、後に[[1978年]]頃から主に黒色の[[サングラス]]を使用し始め、『いいとも!』が始まって以降は、主に[[レイバン]]サングラスのみを使用し、サングラスはタモリのトレードマークとなっている。（目が細いのでコンプレックスになっているため、それを隠している）&lt;br /&gt;
* デビュー当初はディップ（整髪料）で固めて、頭の真ん中分けで、[[中州産業大学]][[教授]]を演じる時のみボサボサとした髪型にしていた。その後『いいとも!』のみ、ディップで固めた7:3分けで出演していたが、[[1990年]][[7月22日]]放送分の『[[FNSの日|FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'90]]・笑っていいとも!増刊号生スペシャル』以降から髪型を現在のオールバックに変更。この髪型もまたタモリのトレードマークとなっている。またこの時に共演者の[[明石屋さんま]]がカツラだとネタにしたことから「カツラ疑惑」が生まれた。本人もしばしばネタにのることがある。&lt;br /&gt;
タモリがいつもサングラス姿なのは、目が細いのがコンプレックスになっているから。&lt;br /&gt;
* 「[[吉永小百合#サユリスト|サユリスト]]（[[吉永小百合]]愛好家）」の一人として知られる。吉永と同年齢（学年は、早生まれの吉永が1つ上）のタモリは、[[早稲田大学]]第二[[文学部]]においては、吉永と在学時期が重なっている（タモリは西洋哲学専修、吉永は西洋史学専修）。&lt;br /&gt;
* オールナイトニッポンで「[[根暗]]」という言葉を発明。タモリは「こう見えて、オレは根が暗いから」等と「表面的に明るいが、根は暗い人」という意味で使用していたが、世間的には「根っから暗い人」という意味で、「[[ネアカ]]」「[[ネクラ]]」と対比されて、悪口として流行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 芸風 ==&lt;br /&gt;
=== 密室芸 ===&lt;br /&gt;
居候時代に培った芸は「密室芸」と呼ばれる。命名者は[[奥成達]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
タモリは上京当初、「北京放送」や[[形態模写]]くらいしか持ちネタがなかったが、臨席した人物からの無茶振りをそつなくこなし、それを自らの芸として確立させていった。前述の「中国で作られたターザン映画に出演した大河内伝次郎の宇宙飛行士が、宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」は「宇宙飛行士→大河内伝次郎の宇宙飛行士→ターザン映画に出演した大河内伝次郎の宇宙飛行士…」と客の指示により、状況が変わっていく即興芸。「4カ国麻雀」は「北京放送が出来るのならこういうの出来ない？」という[[山下洋輔]]の要望による。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、放送できない部類の[[パロディ]]・[[ブラックジョーク|ブラックユーモア]]が特徴であり、テレビなどで密室芸と称して行う場合は放送して差しさわりの無い程度に表現を緩和あるいは差し替えている。「4カ国麻雀」は元々は、[[毛沢東]]・[[マッカーサー]]・[[ヒトラー]]・[[昭和天皇]]の麻雀対局であり、最後に昭和天皇が「結局○○人が悪い!」と民族差別的な発言をして終わるものだった。「イグアナ」も元々は全裸。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、知識人を揶揄した「[[中洲産業大学]]教授」などのネタや「'''思想模写'''」などがあり、これらは放送に適しているものの、[[1970年]]代半ばは番組製作側に[[パロディ]]の概念が皆無であり、[[赤塚不二夫]]の仲介で[[NHK]]の幹部に面会する機会を持った際に、NHK[[アナウンサー]]のパロディを披露したところ全く理解されないどころか激怒された経験を持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代以降はテレビではほぼやらなくなり『徹子の部屋』の年末最後の放送にゲスト出演し、密室芸を披露するのが恒例になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 思想模写 ====&lt;br /&gt;
[[寺山修司]]の[[モノマネ]]は、しゃべり方や身振りの模写のみならず、話す内容自体はインタモ自身が考えたものでありながら「いかにも寺山修司が語りそうな物言い」をするという点（寺山自身が生前、喋る内容や論理の組み立て方が自分と同じと語っていた）で画期的であり、それ以前の政治家のモノマネや歌手の歌真似を中心とする「[[声帯模写]]」芸とは題材やアイデアの面で一線を画し、後のモノマネに多大な影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした芸は「思想模写」と称され、レパートリーとして[[野坂昭如]]や[[竹村健一]]、[田中角栄]]、[[大橋巨泉]]、[[永六輔]]、[[横井庄一]]、[[浦辺粂子]]、[[久米明]]、[[安藤忠雄]]など他多数存在する。また封印したものとして[[昭和天皇]]がある。筒井康隆全集の打ち上げパーティーで披露した後、一部メディアが報じてしまったために、事務所の社長が右翼に監禁される事件が起きた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[筒井康隆]]は「奇人タモリの演じる文化人たちの物真似が受けるのは、何を言っているのかわからないことは本物とまったく同じでありながら、何よりも本物より面白いことだけははっきりしているからである」と評する&amp;lt;ref&amp;gt;筒井康隆、山下洋輔、タモリ他『定本ハナモゲラの研究』講談社、1982年。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
モノマネでは他に、[[麻生太郎]]（衆議院議員・元内閣総理大臣）の口と声マネ、[[森山周一郎]]（声マネ）、[[滝口順平]]（声マネ）、[[笑福亭鶴瓶]]、[[おすぎ]]&amp;amp;[[ピーコ]]、[[三宅裕司]]、[[横山昭二|横山弁護士]]、[[GACKT]]、[[DAIGO]]、[[渡部陽一]]、[[コカドケンタロウ]]（[[ロッチ]]）のアゴまね、生まれたての子馬、ハゲタカの着地、[[バグパイプ]]、携帯電話のバイブ、ジャングルにいるオランウータン、毛玉が喉に詰まった猫、童謡の女性の歌い方、トロを食う男、ハエ、ハイエナ、コンドルの着地など、多彩なレパートリーがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1980年代初期の悪口 ===&lt;br /&gt;
上記の密室芸の他に、他者（権威的な物や自分の嫌いな物）への悪口が多かった。テレビ番組よりもラジオ番組『[[タモリのオールナイトニッポン]]』や各種イベントなどで顕著。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
標的になったのはオフコース（[[小田和正]]）、[[さだまさし]]、[[アリス (フォークグループ)|アリス]]、[[名古屋]]及び名古屋人、作家の[[五木寛之]]など。オフコースについては「軟弱なフォーク、根暗なヤツが聞く音楽、歌詞が嘘くさい」、さだまさしは「女々しい、わざとらしい、歌よりトークが長い」、アリスは当時行なわれたハンド・イン・ハンド運動（[[谷村新司]]が提唱し、音楽ファンのための音楽ホール「シアター・フレンズ」建設を合言葉にした募金運動）を「もてない根暗ファンの自己満足」、そして名古屋と名古屋人は「東京と大阪に挟まれ独特のコンプレックスがある、田舎なのに都会ぶる、人間がずうずうしい、エビフライをごちそうだと思っている、[[名古屋弁]]は響きが汚い」、五木寛之は「文化人づらをして、自分が書いた作品に出演する女優をくどいてばかりいる」。その他、『いいとも!』では[[明石家さんま]]とともに[[佐賀県]]をこき下ろす発言を繰り返していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、後日談もあり、[[筒井康隆]]の「ジャズ大名セッションザ・ウチアゲ」に出演した際、他のミュージシャンが演奏している中、タモリがマイクをオンにして[[五木寛之]]の悪口をつぶやき始め、それがばっちり録音されてしまったため、レコード化が見送られたというエピソードがある。また、[[小田和正]]とは1984年に[[テレフォンショッキング]]で共演するが、終始冷たい空気が流れていた。その共演から約30年間一度も会っていないという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 司会芸 ===&lt;br /&gt;
司会者としては、多趣味を生かした話のフリと、相手の話をきちんと理解しきちんと切り返すという技術に確かなものがある。ただし、バラエティ番組の司会、特に『いいとも』においては、要所を押さえながらも自由すぎる行動や発言を織り交ぜるのを特徴としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表的な発言は「俺は[[ジャニーズ事務所|ジャニーズ]]シニアの一員」「俺は『[[ZOO (ダンス&amp;amp;ボーカルユニット)|ZOO]]』にKAZU（カズ）の名前で所属していた」など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由すぎる行動としては、番組の効果音やBGMや特徴のある共演者などの声真似、何も用意されていないのにもかかわらず用意されている雰囲気を出しながら何もない場所を指す（共演者は思わず振り向く）など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 音楽芸 ===&lt;br /&gt;
「誰でも弾けるチック・コリア」「誰でも弾けるハービー・ハンコック」など誰でも弾けるシリーズや、[[中国人]]の弾き語りなど、[[ピアノ]]の[[鍵盤]]を使った芸を数多く持つ。また、[[ラップ]]やボイス・パーカッションなども得意としている。&lt;br /&gt;
笑っていいとも祭典のアーチェリーでは法螺貝の真似した&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 安産祈願 ===&lt;br /&gt;
ネタのひとつとして安産[[祈願]]をする。元々『いいとも!』の「[[テレフォンショッキング]]」で紹介されたテレフォンゲストへのメッセージのメモをとるふりをしていたが、本当にとっているわけではなく、放送禁止の[[おまんこマーク|女性器を簡素化した図形]]を描き、テレフォンゲストに見せて、その反応を楽しんでいた。次第に、その図柄にちなみ安産祈願と称しそのメモをテレフォンゲストが持ち帰るようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在でも、インタモの持つ番組などで身近に出産を間近にしている[[著名人]]（[[女優]]や[[素人]]）等に書いている場面があり、その際、妊婦のお腹に手を当てて、「安産スッポン!」と何度も言葉を口にすることもある。また[[めちゃイケ]]において[[加藤浩次]]夫人の安産祈願に押し掛ける企画をしたこともある。安産祈願第1号は、[[坂東三津五郎 (10代目)|坂東三津五郎（当時・坂東八十助）]]の[[守田菜生|長女]]。安産祈願を行う際、インタモは「4人の逆子を治したことがある」「安産祈願の成功率は90%だ」などとその「霊験」を大げさに語ることがあるが、もちろんこれもネタの一環である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 音楽 ==&lt;br /&gt;
前述の通りジャズをこよなく愛しており、レコードも数多く所有している。また奏者としては、各種セッションへの参加は勿論、テレビの場でもトランペットを度々演奏している。他方、「意味性」のある音楽については苦手としており、自身は数多くの音楽番組の司会を長年務めているものの、ポップスなどのミュージシャンについてコメントすることはほとんどない。例外として、『笑っていいとも！』の「テレフォンショッキング」に出演した[[小沢健二]]について「いいと思う歌詞は小沢くんだけ」と公言したことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 仕事 ==&lt;br /&gt;
基本的に弟子は取らない方針で、希望者が来ても「自分の芸は誰かに教えてもらったものではないので、人に教えようが無い」と断るという。ただし付き人や運転手は存在する。1980年代後半には岡村という運転手がいて、たびたび『いいとも!』などに出演させていた。その後、[[イワイガワ]]のジョニ夫も運転手を勤めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の伝統ともいえるペーソスのある笑いが大嫌いという立場をデビュー時から崩していない。なお、芸人が自ら泣く、あるいは人を泣かせることにも否定的であり、[[2005年]]度の『[[FNS25時間テレビ]]』（フジテレビ系列）の終盤で、総合司会の[[笑福亭鶴瓶]]が出演者やスタッフに向けて涙ながらにメッセージを送ったことがあったが、後に「なんで泣くの?」とたしなめたという（同様の考えはたけし・さんまも番組などで語っている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
所属している[[田辺エージェンシー]]の公式サイト内におけるタレント紹介ページでは、タモリのみ写真が掲載されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出演番組の公式サイト上では『いいとも!』でも一切顔出しを行っていない（『いいとも!』については、他のレギュラー出演者も、テレフォンアナや例外のケースを除いて一切顔出しをしていない）。反面、『いいとも!』以外のサイトでは顔出しを行っている（『タモリ倶楽部』にはテレビ朝日のサイトの中に一応公式ホームページがあるが、1ページのみで構成される極めて簡素なもので、タモリの顔写真もない）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、不定期で母校の[[早稲田大学]]へ、学園祭の講演会などで訪れることがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 副業 ===&lt;br /&gt;
タレント活動の他に、経営者・実業家としての顔もある。かつては、お好み焼きや海鮮もんじゃ焼の専門店・太助を[[静岡県]][[沼津市]]・駿東郡清水町・静岡市清水区に3店舗出店していたが後にすべて閉店している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おすすめ料理（メニュー）として、自身が練りに練って考案し試食を重ねたという「タモちゃん焼餃子」がある。休日には3店舗に顔を出して、自前のエプロンを着て従業員のように手伝っていることもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== タモリカップ ===&lt;br /&gt;
後述するように[[小型船舶操縦士|一級小型船舶操縦士]]の資格を持ち、沼津市にヨットを保有していることなど、近年ヨットとの繋がりが深くなっていることから、[[2008年]]よりヨットレースとして、自らの名前を冠した「タモリカップ」を開催している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年から2012年にかけては自らのヨットがあるヤマハマリーナ沼津での開催となっていたが、2013年は沼津での開催を休止する代わりに横浜・福岡の2ヶ所で開催された（ただし横浜・福岡ともレースは荒天のため中止）。2013年は横浜で192艇・福岡で84艇ものエントリーを集め、国内最大級のヨットレースに成長している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 資格・免許 ===&lt;br /&gt;
* [[一級小型船舶操縦士]]&lt;br /&gt;
* [[第一級海上特殊無線技士]]&lt;br /&gt;
* [[防火管理責任者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 交友関係 ==&lt;br /&gt;
=== 恩人である赤塚不二夫の死 ===&lt;br /&gt;
[[2008年]][[8月2日]]、タモリの才能を見抜き、地元・福岡から上京させて、自宅マンションに居候までさせた漫画家・[[赤塚不二夫]]が逝去。死去の2日後に事務所を通じて追悼のコメントを発表し、「物心両面の援助は肉親以上のものでした」と赤塚の死を悼み、感謝の言葉も載せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[8月6日]]の赤塚の通夜、及び[[8月7日]]の葬儀・告別式に参列。その告別式では「'''私もあなたの数多くの作品の一つです。'''」との弔辞を読み上げた。この弔辞は7分56秒にも及ぶものであり、手にしていた紙を何度も見ながら時折涙声で読んでいたが、実際にはその紙は全くの「白紙」で、何も書いていなかったとの報道が一部でなされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、横澤彪によると、後日行われた『いいとも!』スタッフの通夜でタモリと会っており、横澤が尋ねるとこの事実を認め、前夜に書こうとしたが面倒になったので[[勧進帳]]のギャグをやることにしたとのこと。ちなみにオチは「自分のマネージャの名前がトガシ」だから（詳細は[[勧進帳]]、および原作の[[安宅]]の項をそれぞれ参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== プロデューサー横澤彪 ===&lt;br /&gt;
[[2011年]][[1月8日]]、『いいとも!』初代[[プロデューサー]]を務めていた[[横澤彪]]が[[肺炎]]のために亡くなった。タモリは「夜の番組しか出演出来ないと言われていた私をいきなり昼の真ん中に起用してくれました。私自身は昼も夜も意識したことはありませんでしたが、私で大丈夫なのかと不安でした。『笑っていいとも!』は今秋30周年を迎えます。大変お世話になりました」とコメントを寄せ、恩人の死を悼んだ。葬式や通夜には参列しなかったが、[[1月12日]]に横澤の[[自宅]]で対面した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、タモリ・[[ビートたけし|たけし]]・[[明石家さんま|さんま]]の「[[ビッグ3 (日本のお笑いタレント)|BIG3]]」を人気者へと押し上げた一人でもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 各番組におけるタモリ ==&lt;br /&gt;
=== 長寿番組 ===&lt;br /&gt;
* 『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』（1982年放送開始）&lt;br /&gt;
* 『[[笑っていいとも!増刊号]]』（1982年放送開始）&lt;br /&gt;
* 『[[笑っていいとも!特大号]]』（1982年放送開始）&lt;br /&gt;
* 『[[タモリ倶楽部]]』（1982年放送開始）&lt;br /&gt;
* 『[[ミュージックステーション]]』（1986年放送開始）&lt;br /&gt;
* 『[[ミュージックステーションスーパーライブ]]』（1992年放送開始）&lt;br /&gt;
* 『[[世にも奇妙な物語]]』（1990年放送開始）&lt;br /&gt;
といった、現在に至っても放送がされている代表的な数多くの[[長寿番組]]を持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
番組を長く続ける秘訣につき、「自分の番組を好きでいなければいけない」「一々、反省はしない」「自分が出演しているテレビ番組は一切観ない」と述べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
レギュラー番組の司会で、[[マイクロフォン|マイク]]を使用する。タモリは「俺はいつも欠かさずマイクは何処に行くにしろ持っている」と述べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 冠番組 ===&lt;br /&gt;
『いいとも!』が放送開始した[[1982年]]ごろからバラエティ番組の司会が増え、冠番組が続々と誕生。『いいとも!』、『タモリ倶楽部』、『ミュージックステーション』に加えて、ゴールデンタイム・プライムタイム、ラジオ番組のレギュラー番組を週に7 - 8本はこなす時期があった。『[[今夜は最高!]]』（[[日本テレビ放送網|NTV系列]]）、『[[ジャングルTV〜タモリの法則〜]]』（[[TBSテレビ|TBS系]] [[MBSテレビ|MBS]]制作）、『[[タモリの音楽は世界だ!]]』（[[テレビ東京]]系列）等が開始されていった。また、博識が評価され『今夜は最高!』の「オペラ昭和任侠伝」が、同年の[[日本民間放送連盟|民間放送連盟賞]]のテレビ娯楽番組部門最優秀賞を受賞した。&lt;br /&gt;
NHK。ブラタモリ&lt;br /&gt;
* 日本テレビ系列 = 『今夜は最高!』&lt;br /&gt;
* テレビ東京系列 = 『タモリの音楽は世界だ!』&lt;br /&gt;
* TBS系列 = 『ジャングルTV〜タモリの法則〜』（毎日放送制作）&lt;br /&gt;
* フジテレビ系列 = 『タモリのボキャブラ天国』夜タモリ&lt;br /&gt;
* フジテレビ系列 = 『タモリのネタでNIGHTフィーバー!』&lt;br /&gt;
* [[ニッポン放送]] = 『[[タモリの週刊ダイナマイク]]』（ラジオ） など多数&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記は[[1980年|1980]] - [[1990年]]代当時のレギュラー番組であるが、このうちNTV、TBS、CX全ての番組の視聴率が10 - 20%をマークした。その他、テレビ番組以外にも歌手としてのCD・レコードリリースとライブ活動なども行っていた。この頃により、[[ビートたけし]]・[[明石家さんま]]とともに、「[[ビッグ3 (日本のお笑いタレント)|日本のお笑いタレントBIG3]]」と称されることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ドラマ出演 ===&lt;br /&gt;
主にバラエティ番組で活躍しているが、テレビドラマにも出演してきた。テレビドラマ初出演作品は[[ドラマ人間模様]]『[[詐欺師 (テレビドラマ)|詐欺師]]』（[[日本放送協会|NHK]]）であった。このドラマは連続ドラマであり、[[大谷直子]]とのベッドシーンやキスシーンもあった。他には[[月曜スター劇場]]『[[なぜか、ドラキュラ]]』『[[今夜は営業中!]]』（日本テレビ系列）、『[[代議士秘書の犯罪]]』『[[不連続爆破事件]]』『ミセスとぼくとセニョールと!』『[[自主退学 (テレビドラマ)|自主退学]]』（TBS系列）などで主演している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年でもストーリーテラーを務める『[[世にも奇妙な物語]]』（フジテレビ系列）にエキストラで出演したり、[[2004年]]に『[[X'smap〜虎とライオンと五人の男〜]]』（フジテレビ系列）にてデビュー時の眼帯をつけた姿で登場、[[2007年]]に『[[和田アキ子殺人事件]]』（TBS系列）に本人（森田一義）役で出演、[[2012年]]に『[[ATARU]]』最終話（TBS系列）に宝飾店店員役でゲスト出演している。2014年12月29日に再放送放送された。また『[[HERO (2007年の映画)|HERO]]』劇場版では悪徳政治家を演じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 報道番組出演 ===&lt;br /&gt;
バラエティ番組以外に、報道・情報番組に登場することもある。&lt;br /&gt;
*『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|選挙でいいとも!]]』（フジテレビ系列）&lt;br /&gt;
*:[[1983年]][[6月26日]]に実施された[[第13回参議院議員通常選挙]]では、タモリが選挙メインキャスターとなり、フジテレビ系列・[[フジニュースネットワーク|FNN]]系列にて『いいとも!』をアレンジとした『選挙でいいとも!』が放送された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*『[[FNN DATE LINE]]』（フジテレビ系列）&lt;br /&gt;
*:1987年と1988年の2回、タモリが司会を務めた[[FNSの日]]「FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'87・'88」の内包コーナーとして、「DAТE LINEデラックス」をメインキャスターの[[露木茂]]と担当（その他では、いいとも!の「テレフォンショッキング」でも共演）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*『[[FNNスーパーニュース]]』（フジテレビ系列）&lt;br /&gt;
*:3回程度出演し、メインキャスターの[[安藤優子]]と共演（その他では露木同様、いいとも!の「テレフォンショッキング」でも共演）。『[[FNNスーパータイム|スーパータイムスペシャル]]』『[[タモリ&amp;amp;安藤優子のSuperスーパーニュースSpecial]]』にも出演している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事故 ==&lt;br /&gt;
=== ヨット事故 ===&lt;br /&gt;
* [[1990年]][[7月]]、ヨットの柱に額をぶつける事故があった。この事故でタモリは髪型を真ん中分け（『いいとも!』の番組内では7:3分け）のオールバックから、現在の分け目のないオールバックへ変えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人身事故 ===&lt;br /&gt;
* [[2000年]][[5月6日]]、[[東京]]・[[目黒区]]で[[人身事故]]を起こした。タモリの[[車]]が左折した際、右から直進してきた[[オートバイ]]と接触、オートバイは弾みで別の車にも接触した。運転していた男性と同乗女性が足に軽い打撲し、タモリに怪我は無かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ゴルフ事故 ===&lt;br /&gt;
* [[2001年]][[11月4日]]（[[日曜日]]）、[[関東]][[近郊]]の[[ゴルフ場]]でタモリが複数の友人とプレイ（ラウンド）中、[[ゴルフボール]]がタモリが掛ける[[サングラス]]の左目のつるに当たり、左こめかみ付近を負傷。都内の[[病院]]に検査入院を1週間程度行った。[[1995年]]の[[小型船舶]][[免許]]取得時以来、6年ぶりの番組欠勤となった。レギュラー番組を持つ『いいとも!』は当時の各曜日レギュラー陣が代役を務め、『[[ミュージックステーション]]』ではタモリと共に司会を務めていた[[テレビ朝日]]の[[武内絵美]][[アナウンサー]]（2000年4月 - 2004年3月まで担当）とゲストアーティストの[[KinKi Kids]]が司会を務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
* [[1985年]]、第1回[[東京国際映画祭]]において[[明石家さんま]]とともに司会を務めた。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「タモリの下品な司会」と新聞紙面上で非難される。&lt;br /&gt;
* 芸人仲間だった[[たこ八郎]]が急逝した時、[[赤塚不二夫]]らと参列した葬儀の席で「たこが海で死んだ。何も悲しいことはない」とコメントした（この経緯については[[たこ八郎]]の項を参照のこと）。&lt;br /&gt;
* [[大地真央]]が[[宝塚歌劇団]]に在籍した頃に、作詞・作曲を手掛けたことがある。曲名は「タモリさんが作った歌」で、編曲は[[小笠原寛]]。CD『この愛よ永遠に〜TAKARAZUKA FOREVER〜』に収録されている。&lt;br /&gt;
* 旅行好きである。行ってみたい場所は[[イギリス]]、[[アフリカ]]、[[カリブ海]]、[[グアテマラ]]など。タモリ曰く、「お酒を浴びるように呑みながら旅がしたい」。&lt;br /&gt;
* [[象印スターものまね大合戦|象印賞]]を受賞した経験がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
当初自分の独特の芸風が壊されるという理由で師匠につかず事務所に入らずの方針で活動していたが、現在の所属事務所である田辺エージェンシー社長の田邊昭知が、芸風は自由にやらせるという条件付で自ら直々に口説き落としたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在でこそ[[ビデオリサーチ]]の企業などがおこなうタレントの好感度ランキングでは、[[ビートたけし]]・[[明石家さんま]]・[[笑福亭鶴瓶]]・[[所ジョージ]]らとともに現在に至っても上位にランクされることも多いが、デビューした[[1975年]]から[[1980年代]]初頭にかけては、逆に嫌いなタレントランキングの上位にいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
笑福亭鶴瓶はかつて、タモリに「なんで人の笑いを邪魔するのか」と尋ねたことがある。これに対し、「お前やさんまは笑いを取りに行こうとする。それが当たり前になると帯番組はマンネリになる。だから一番山のところで叩く。そうすれば何かを考えるだろう。それがマンネリ解消になる」と答えた。鶴瓶はその予定調和を嫌う態度こそがタモリがトップに君臨する理由と見抜き、「テレビの師匠」として仰いでいると語った&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊文春]]』2007年8月30日号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作家の小林信彦は著書『日本の喜劇人』で、トニー谷などの系譜に位置する「下半身の弱い」芸人と批評。本来異端だったのに一般人気が高まった現象を、似非インテリ受けと切り捨てている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]、優れた芸術活動を表彰する[[伊丹十三賞]]を受賞。[[2010年]][[4月9日]]に第2回贈呈式が行われ、賞金100万円が贈られた。受賞理由は「テレビというメディアに『タモリ』としか名づけようのないメディアを持ち込み、独自の話芸と存在感を発揮する稀な才能」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 受賞歴 ==&lt;br /&gt;
* [[1981年]] 第10回「[[ベストドレッサー賞]]」[[スポーツ]]・[[芸能]]部門受賞&lt;br /&gt;
* [[1982年]] 第19回「[[ゴールデン・アロー賞]]」芸能賞受賞&lt;br /&gt;
* [[1984年]] 第21回「ゴールデン・アロー賞」放送賞受賞 &lt;br /&gt;
* 1984年 第12回「[[日本放送演芸大賞]]」受賞&lt;br /&gt;
* [[1986年]] 「[[流行語]]大賞」受賞&lt;br /&gt;
* 1986年 「[[ゆうもあ大賞]]」受賞&lt;br /&gt;
* [[2003年]] 「[[ギネス・ワールド・レコーズ]]」（2003年度版『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』[[生放送]]単独[[司会]]最高記録受賞）&lt;br /&gt;
* [[2010年]] 第2回「[[伊丹十三賞]]」受賞&lt;br /&gt;
2014年。菊地受賞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 現在の出演番組 ==&lt;br /&gt;
=== レギュラー番組 ==&lt;br /&gt;
* [[ミュージックステーション]]（[[テレビ朝日]][[All-nippon News Network|系列]] / [[金曜日]] 20:00 - 20:54）&lt;br /&gt;
* [[タモリ倶楽部]]（テレビ朝日系列 / 金曜日 24:20 - 24:50）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 単発・不定期番組 ===&lt;br /&gt;
* [[世にも奇妙な物語|世にも奇妙な物語 春・秋の特別編]]（フジテレビ系列 / 番組改編時期の春・秋に放送。ストーリーテラー役として出演）&lt;br /&gt;
* [[ミュージックステーションスーパーライブ|ミュージックステーションスペシャルスーパーライブ]]（テレビ朝日系列 / 年末年始特番）&lt;br /&gt;
* [[徹子の部屋]]（テレビ朝日系列 / 年内最後のゲストとして必ず出演する）2014年は総集編だった為出演しなかった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 過去の出演番組 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;[[日本放送協会|NHK]]&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;[[みんなのうた]]（[[1980年]][[10月]]、「[[ミスターシンセサイザー]]」の楽曲を披露）&lt;br /&gt;
* [[ばらえてい テレビファソラシド]]&lt;br /&gt;
* [[ウオッチング (テレビ番組)|ウオッチング]]（[[1985年]][[4月]] - [[1989年]][[3月]]）&lt;br /&gt;
* [[驚異の小宇宙 人体|驚異の小宇宙・人体]]（1989年6月10日 - 1989年6月12日、1989年9月10日 - 1989年9月12日）&lt;br /&gt;
* [[音楽の広場]]（ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[第31回NHK紅白歌合戦]]（ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[第34回NHK紅白歌合戦]]（総合司会担当）&lt;br /&gt;
* [[テレビドラマ|ドラマ]]「[[ドラマ人間模様]] 『[[詐欺師 (テレビドラマ)|詐欺師]]』」&lt;br /&gt;
* [[土曜特集]]〜驚異の世界〜深海大冒険（[[1999年]][[12月18日]]）&lt;br /&gt;
* [[J-MELO]]（2008年6月15日、ゲストの[[ジャズ]][[ピアニスト]]：[[山下洋輔]]へスペシャルコメント）&lt;br /&gt;
* [[ブラタモリ]]（2008年12月13日、2009年10月1日 - 2010年3月11日、2010年10月7日 - 2011年3月31日、2011年11月10日 - 2012年4月5日 ）&lt;br /&gt;
* [[ETV特集]]『全身漫画家〜真説・[[赤塚不二夫]]論〜』（2009年[[3月29日]]、インタビュー出演）&lt;br /&gt;
NHKスペシャル。(2014年8月30日)土曜日スタジオで会見放送された&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
紅白(2014年12月23日)23日のYahoo!で明らかになった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
特記のないものは[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]製作&lt;br /&gt;
* [[金曜10時!うわさのチャンネル!!]]&lt;br /&gt;
* [[お笑いスター誕生!!]]&lt;br /&gt;
* [[スター誕生!]]&lt;br /&gt;
* [[今夜は最高!]]&lt;br /&gt;
* [[11PM]]（1975年、1976年、1979年8月8日・11月12日、1982年6月30日）&lt;br /&gt;
* [[おしゃれ]]（1980年代頃、[[久米宏]]が司会でゲスト出演）&lt;br /&gt;
* ドラマ「[[月曜スター劇場]]」『[[なぜか、ドラキュラ]]』&lt;br /&gt;
* ドラマ「[[真夜中のヒーロー]]」（1980年3月）&lt;br /&gt;
* [[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]（1978年 - 1984年）&lt;br /&gt;
* ピンクレディー 汗と涙の大晦日150分!! 紅白歌合戦をぶっとばせ! ビキニでフィーバー（1978年12月31日）&lt;br /&gt;
* [[木曜スペシャル]] [[タモリのいたずら大全集]]&lt;br /&gt;
* [[タモリ&amp;amp;さんまの爆笑タッグマッチ]]（1987年 - 1992年頃）&lt;br /&gt;
* 木曜スペシャル [[世界のドッキリNG大全集]]&lt;br /&gt;
* 木曜スペシャル [[タモリの世界そっくり決定戦]]&lt;br /&gt;
* [[シャボン玉ホリデー|シャボン玉が消えた日]]（1986年3月6日、1989年）&lt;br /&gt;
* 講演大王!（第1回ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[投稿!特ホウ王国]]スペシャル（1994年秋のスペシャルに審査委員長として出演）&lt;br /&gt;
* [[欽ちゃんの仮装大賞]]（第2回・第3回は審査員、第80回は80回記念のお祝いメッセージの[[VTR]]出演）&lt;br /&gt;
* ドラマ『[[今夜は営業中!]]』（1999年9月18日、劇中劇ならぬ劇中[[バラエティ]]のゾーンがある）&lt;br /&gt;
* [[ズームイン!!SUPER]]（2008年11月28日、インタビュー出演）&lt;br /&gt;
* [[タモリ教授のハテナの殿堂?]]（2008年11月29日、日本テレビ系列の番組には9年ぶりに出演）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;[[テレビ朝日]]系列&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
特記のないものは[[テレビ朝日]]製作&lt;br /&gt;
*マンガ大行進 赤塚不二夫ショー(NET：1975年8月30日、テレビ初出演)&lt;br /&gt;
* 刑事マチャアキ 謎の犯人タモリを追え!!（[[名古屋テレビ]]制作、1979年1月）&lt;br /&gt;
* [[のってシーベンチャー]]&lt;br /&gt;
* [[タモリ倶楽部|夕刊タモリ!こちらデス]]（1981年10月4日 - 1982年9月26日）&lt;br /&gt;
* [[武田鉄矢・タモリスペシャル|タモリスペシャル]]（1982年1月21日）&lt;br /&gt;
* [[夢のビッグスタジオ]]（1982年4月8日 - 5月13日、初のテレ朝音楽番組レギュラー司会。 わずか6回で降板。 5月20日から[[南美希子]]が司会。）&lt;br /&gt;
* 月曜スペシャル エイプリルフールだ 生放送! だますぜ一気うそつきグランプリ（1985年4月1日）&lt;br /&gt;
* 水曜特バン!タモリのUFO緊急スペシャルI、II（1990、1991年頃）&lt;br /&gt;
* タモリ&amp;amp;[[井上陽水]]の大人のお正月 （1995年1月1日）&lt;br /&gt;
* [[27時間チャレンジテレビ]]「タモリとチャレンジ」（1997年11月9日）&lt;br /&gt;
* 1998年春の人気番組対抗「炎の熱血バトル'98」（1998年3月17日）&lt;br /&gt;
* 祝「[[徹子の部屋]]」30周年記念スペシャル（2005年5月8日）&lt;br /&gt;
* [[愛のエプロン]]（2006年12月、[[堂真理子]]アナへの応援メッセージ）&lt;br /&gt;
* [[SMAP☆がんばりますっ!!]]（[[2009年]][[1月31日]]）&lt;br /&gt;
* ドスペ2「[[木村拓哉]]の[[全力坂]] 完全版」（2009年4月4日）&lt;br /&gt;
* [[題名のない音楽会]]（1977年、2009年6月28日・7月5日、[[山下洋輔]]、[[坂田明]]と共に32年ぶりのゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[50時間テレビ]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;[[TBSテレビ|TBS]]系列&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
特記のないものは[[TBSテレビ|TBS]]製作&lt;br /&gt;
* 大学対抗バンド合戦&lt;br /&gt;
* 素晴らしき仲間（数回ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* スター対抗クイズ番組大集合 熱狂!興奮!タモリの司会でクイズを100倍楽しもう!（1983年）&lt;br /&gt;
* タモリのスター対抗クイズ番組大集合（1984年）&lt;br /&gt;
* [[サンデーお笑い生中継]]（制作：[[MBSテレビ|毎日放送]]）&lt;br /&gt;
* [[ジャングルTV 〜タモリの法則〜]]（制作：毎日放送）&lt;br /&gt;
* [[タモリのグッジョブ!胸張ってこの仕事]]（制作：毎日放送）&lt;br /&gt;
* [[ザ・ベストテン]]（1981年2月5日に[[久米宏]]の代行司会、1983年8月25日はゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[クイズダービー]] （1980年11月8日、1982年までは毎年のようにゲスト出演していた常連中の常連。）&lt;br /&gt;
{{main2|その他のエピソードについては[[クイズダービー#タモリのエピソード]]を}}&lt;br /&gt;
* ドラマ『[[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]]』（1990年）&lt;br /&gt;
* ドラマ『[[三男三女婿一匹#三男三女婿一匹（第2シリーズ）|三男三女婿一匹（第2シリーズ）]]』&lt;br /&gt;
* ドラマ『水曜劇場・[[家路〜ママ・ドント・クライ]]』&lt;br /&gt;
* ドラマ『水曜劇場・[[家路PART2]]』&lt;br /&gt;
* ドラマ『[[代議士秘書の犯罪]]』&lt;br /&gt;
* ドラマ『[[不連続爆破事件]]』&lt;br /&gt;
* ドラマ『[[ミセスとぼくとセニョールと!]]』&lt;br /&gt;
* ドラマ『[[自主退学 (テレビドラマ)|月曜ドラマスペシャル『自主退学』]]』&lt;br /&gt;
* [[人形劇]]『[[飛べ!孫悟空]]』（1977年・1978年、ヘレヒッパリケ大魔王役で声の出演）&lt;br /&gt;
* [[Ryu's Bar 気ままにいい夜]]（ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[アッコにおまかせ!]]（ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* スペシャルドラマ『[[和田アキ子殺人事件]]』（本人役で出演）&lt;br /&gt;
* ドラマ[[日曜劇場]]『[[ATARU]]』（[[2012年]][[6月24日]]、ジュエリー店店員役で本名の森田一義で大物ゲスト出演）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;[[テレビ東京]]系列&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
特記のないものは[[テレビ東京]]製作&lt;br /&gt;
* チャンネル泥棒! 快感ギャグ番組! [[空飛ぶモンティ・パイソン]]（[[テレビ東京|東京12チャンネル時代]]、[[1976年]][[4月9日]] - [[9月24日]]）&lt;br /&gt;
* [[タモリの突撃ナマ放送]]（東京12チャンネル時代、[[1980年]][[10月5日]] - [[1981年]][[6月28日]]、[[日曜日]][[正午]]・[[スタジオアルタ]]から[[生放送]]）&lt;br /&gt;
* [[タモリの歌謡スター笑]]（東京12チャンネル時代・[[1981年]][[7月5日]] - [[9月27日]]、日曜日正午・スタジオアルタから生放送）&lt;br /&gt;
* [[赤塚不二夫]]とトンデモない仲間達（[[1995年]][[12月30日]]、タモリを生んだ仲間が一挙に登場した）&lt;br /&gt;
* [[開運!なんでも鑑定団]]（ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[タモリの音楽は世界だ!]]&lt;br /&gt;
* [[タモリのギャップ丼]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
特記のないものは[[フジテレビジョン|フジテレビ]]製作&lt;br /&gt;
* [[FNSの日]]&lt;br /&gt;
** [[FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島]]（1987年 - 1990年、1987年から1989年まで総合司会を担当）&lt;br /&gt;
** [[平成教育テレビ]]（1991年 - 1997年）&lt;br /&gt;
** [[27時間テレビ]]（1998年 - 2001年、2004年 - 現在）2014年7月14日の目覚ましで2014年も出る事発表された&lt;br /&gt;
** [[FNS27時間テレビ (2004年)|FNS27時間テレビ めちゃ×2オキてるッ!楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!]]&lt;br /&gt;
** [[FNS25時間テレビ|FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビ やっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!]]&lt;br /&gt;
** [[FNS26時間テレビ (2006年)|FNS26時間テレビ 国民的なおもしろさ!史上最大!!真夏のクイズ祭り26時間ぶっ通しスペシャル]]&lt;br /&gt;
** [[FNS27時間テレビ (2007年)|FNS27時間テレビ みんな なまか だっ! ウッキー!ハッピー!西遊記!]]&lt;br /&gt;
** [[FNS27時間テレビ (2008年)|FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!]]&lt;br /&gt;
** [[FNS26時間テレビ (2009年)|FNSの日26時間テレビ2009 超笑顔パレード爆笑!お台場合宿!!]]&lt;br /&gt;
** [[FNS26時間テレビ (2010年)|FNSの日26時間テレビ2010 超笑顔パレード 絆 爆笑!お台場合宿!!]]&lt;br /&gt;
** [[FNS27時間テレビ (2011年)|FNS27時間テレビ めちゃ×2デジッてるッ!笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!]]&lt;br /&gt;
** [[FNS27時間テレビ (2012年)|FNS27時間テレビ 笑っていいとも!真夏の超団結特大号!!徹夜でがんばっちゃってもいいかな?]]（総合司会を担当）&lt;br /&gt;
** [[FNS27時間テレビ (2013年)|FNS27時間テレビ 女子力全開2013 乙女の笑顔が明日をつくる!!]]&lt;br /&gt;
27時間2014&lt;br /&gt;
* [[小川宏ショー]]（1976年、ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[スター千一夜]]（1979年、ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* チャレンジ・ザ・ギネス’79（1979年10月3日）&lt;br /&gt;
* 爆笑スタジオ1980 〜雨に笑えば〜（1980年6月3日）&lt;br /&gt;
* [[ミュージックフェア]]（1980年頃、ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]]&lt;br /&gt;
* [[笑っていいとも!新春祭]]&lt;br /&gt;
* [[タモリのボキャブラ天国|ボキャブラ天国]]&lt;br /&gt;
* タモリのsuperボキャブラ天国&lt;br /&gt;
* タモリの超ボキャブラ天国&lt;br /&gt;
* 祝!タモリのボキャブラ天国・新春復活スペシャル&lt;br /&gt;
* タモリのボキャブラ天国大復活祭（2008年9月28日）&lt;br /&gt;
* ドラマ『ぼくたちアダルトKIDS』（1985年8月）&lt;br /&gt;
* ドラマ『[[世にも奇妙な物語]]』&lt;br /&gt;
* ドラマ『[[if もしも]]』&lt;br /&gt;
* スペシャルドラマ『[[X'smap～虎とライオンと五人の男～]]』&lt;br /&gt;
* [[タモリの未来予測TV]]&lt;br /&gt;
* [[タモリの新・哲学大王!]]&lt;br /&gt;
* [[タモリのネタでNIGHTフィーバー!]]&lt;br /&gt;
* [[オレたちひょうきん族]]（ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[ひょうきん予備校]]（講師としてゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[新春かくし芸大会]]（1980年1月1日）&lt;br /&gt;
* [[ザッツお台場エンターテイメント!]]&lt;br /&gt;
* スペシャルドラマ『[[アナウンサーぷっつん物語]]スペシャル』（1987年4月・10月1日）&lt;br /&gt;
* [[FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル]]&lt;br /&gt;
* [[なるほど!ザ・ワールド]]（ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[FNS番組対抗!春秋の祭典スペシャル]]&lt;br /&gt;
* [[初詣!爆笑ヒットパレード]]&lt;br /&gt;
* [[フジニュースネットワーク|FNN]]『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|選挙でいいとも!]]』（タモリが選挙キャスターに。1983年6月26日、[[第13回参議院議員通常選挙]]）&lt;br /&gt;
* [[バレーボールワールドカップ|ワールドカップバレーボール]]'99直前 タモリの応援団長なんてやるもんじゃないスペシャル （1999年10月31日）&lt;br /&gt;
* [[FNNスーパータイム|スーパータイムスペシャル]]（[[安藤優子]]とともに司会）&lt;br /&gt;
* [[タモリ&amp;amp;安藤優子のSuperスーパーニュースSpecial]]&lt;br /&gt;
* [[タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ]]（1988年、1989年、1991年 - 1994年、1996年 - 1999年）&lt;br /&gt;
* [[さんまのまんま]]（制作：[[関西テレビ放送|関西テレビ]]・2001年新年スペシャル・ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[SMAP×SMAP]]（1996年12月30日、2006年4月14日、2010年1月4日、2014年3月[[SMAP×SMAP#ビストロ・スマップ（BISTRO SMAP）|ビストロSMAP]]ゲスト出演ほか）&lt;br /&gt;
* [[サタ☆スマ]]（2002年1月12日）&lt;br /&gt;
* [[めちゃ×2イケてるッ!|めちゃ×2イケてるッ!SP]]（[[2002年]][[3月16日]]「[[極楽とんぼ]]・[[加藤浩次]]の[[結婚]]お祝いコメント出演」、[[2011年]][[10月8日]]「[[近くへ行きたい]]」スペシャルゲスト、[[2013年]][[4月6日]]「[[ナインティンナイン]]・[[矢部浩之]]の結婚お祝いコメント出演、[[笑福亭鶴瓶]]と共に」）&lt;br /&gt;
* [[FNS25時間テレビ]]事件の予感!?予習SP （2005年7月20日、[[笑福亭鶴瓶]]がタモリにインタビュー）&lt;br /&gt;
* [[タモリの雑学の祭典!]]（2007年5月12日）&lt;br /&gt;
* [[とんねるずのみなさんのおかげでした]]（2007年10月4日、「新・食わず嫌い王座決定戦」にて[[松田聖子]]と対決）2014年3月はいいともチームとして出演&lt;br /&gt;
* [[タモリのヒストリーX]]（2007年 - 2008年）&lt;br /&gt;
* [[土曜プレミアム]]「これでいいのだ!!赤塚不二夫伝説」（2008年11月1日、インタビュー出演）&lt;br /&gt;
* [[タモリのジャポニカロゴス]]（2005年 - 2008年）&lt;br /&gt;
* [[SMAP PRESENTS ドラマの裏の本当のドラマ|フジテレビ開局50周年 名作ドラマ&amp;amp;映画全て見せます!SMAP PRESENTS ドラマの裏の本当のドラマ]]&lt;br /&gt;
: （2009年4月6日、「世にも奇妙な物語」のVTR出演）&lt;br /&gt;
* [[笑っていいとも!春・秋の祭典スペシャル]]（[[番組]][[改編]]時期の[[春]]と[[秋]]に放送）&lt;br /&gt;
* [[エチカの鏡〜ココロにキクTV〜]]（2008年10月19日 - 2010年9月19日）&lt;br /&gt;
* フジテレビ夢スペシャル タモリ×SMAP 僕らは未来を信じよう! 〜宇宙への挑戦と奇跡の物語〜（2011年4月4日）&lt;br /&gt;
* [[ニッポン小意見センタ〜♪]]（2011年[[10月9日]]）&lt;br /&gt;
* [[タモリ・中居の手ぶらでイイのに…!?〜ドラマチック・リビングルーム〜]]（2011年[[10月10日]]）&lt;br /&gt;
* [[夜の笑っていいとも!春・秋のドラマ特大号]]（番組改編時期の春・秋に放送）&lt;br /&gt;
* [[カスペ!]] &lt;br /&gt;
** [[FNS27時間テレビ FNSアナウンサー歌謡大賞 全国歌うまNO.1アナ決定! 爆笑オーディション!!]]（2012年7月10日） - FNS対抗企画「FNSアナウンサーがんばった歌謡大賞」の事前オーディション企画。&lt;br /&gt;
** [[プレタモリ]]（2012年7月17日） - 司会のタモリが[[西山喜久恵]]（フジテレビアナウンサー）と『[[ブラタモリ]]』よろしく各番組の出演者に挨拶に赴く。&lt;br /&gt;
* [[ミタパンブー]] - 2012年7月16日 - 19日放送分にて「笑っていいとも!」総合司会の森田一義（タモリ）と各曜日レギュラー陣が総出演し、「FNS27時間テレビ」の見所を紹介する。当日の生放送終了後に[[スタジオアルタ]]で収録している。&lt;br /&gt;
* FNS27時間テレビ団結直前見どころスペシャル（2012年7月21日 15:00 - 17:00） - 2012年7月10日放送の「FNSアナウンサー歌謡大賞 全国歌うまNO.1アナ決定! 爆笑オーディション!!」の再編集版。&lt;br /&gt;
* [[SMAP×SMAP]]（2012年7月23日）- 草彅剛100kmマラソン企画の密着ドキュメント企画「27時間テレビ 草彅剛 100kmマラソンの裏側 全部見せますスペシャル!」&lt;br /&gt;
* [[タモリ・中居のドラマチック・リビングルーム]]（番組改編時期の春・秋に放送）&lt;br /&gt;
笑っていいとも。増刊号。(1982年10月から2014年3月)&lt;br /&gt;
夜タモリ&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;[[BS]]系列&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* タモリの[[ジャズ]][[スタジオ]] （[[1995年]][[2月20日]] - [[2月23日]]）&lt;br /&gt;
* [[横澤彪]]の笑いは世界を救えるか!?（[[2000年]][[12月4日]]、ゲスト出演）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
2015年1月29日のエブリと超報道及び翌日のワイドショー&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;[[ラジオ]]&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
; [[ニッポン放送]]（[[全国ラジオネットワーク|NRN]]）&lt;br /&gt;
* [[ブリタモリ大百科事典]]&lt;br /&gt;
* [[タモリの週刊ダイナマイク]]&lt;br /&gt;
* [[タモリのオールナイトニッポン]]&lt;br /&gt;
* [[だんとつタモリ おもしろ大放送!]]&lt;br /&gt;
* タモリの世界最大ポップス電話リクエスト&lt;br /&gt;
* 拝啓!青春諸君&lt;br /&gt;
* タモリのベルジャンジャンジャン（[[石川ひとみ]]と共演）&lt;br /&gt;
* [[ヨッ!お疲れさん|タモリのヨッ!お疲れさん]]&lt;br /&gt;
* [[美女対談|タモリの美女対談]]&lt;br /&gt;
* [[アッコのいいかげんに1000回]]（ゲスト出演、[[2000年]][[11月18日]]）&lt;br /&gt;
* [[笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ]]（ゲスト出演、[[2004年]][[8月1日]]）&lt;br /&gt;
* [[俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル]]（[[2008年]][[2月24日]]）&lt;br /&gt;
* [[ニッポン放送開局60周年記念番組「われらラジオ世代」]]（[[2013年]][[10月23日]] - [[10月25日|25日]]）&lt;br /&gt;
; [[文化放送]]&lt;br /&gt;
* タモリと理恵の音楽専科&lt;br /&gt;
* [[赤塚不二夫]]のギャグラジオ （ゲスト出演、[[1993年]][[6月29日]]）&lt;br /&gt;
; [[TBSラジオ&amp;amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]] &lt;br /&gt;
* タモリで失敬!&lt;br /&gt;
* [[るんるんナイト ワオ!|タモリの事件ダヨ!]]（[[1982年]][[10月4日]] - [[1983年]][[10月7日]]）&lt;br /&gt;
* [[小島一慶の耳コミランチタイムぴぃぷる]]（ゲスト出演）&lt;br /&gt;
; [[日経ラジオ社|ラジオたんぱ]]&lt;br /&gt;
* [[BCLワールドタムタム]]&lt;br /&gt;
; [[エフエム東京|FM東京]]&lt;br /&gt;
* タモリ博士の自叙伝的ジャズ講座（[[1979年]] - [[1980年]]頃）&lt;br /&gt;
; セントギガ・[[サテラビュー]]&lt;br /&gt;
* サバチーチカレッジ タモロス博士のサンデーゼミナール&lt;br /&gt;
; [[NHKラジオ第1放送]]&lt;br /&gt;
* [[ブラタモリ|ラジオでブラタモリ]]（[[2010年]][[9月20日]]） &lt;br /&gt;
ほか&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== CM ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;過去&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 松下電器（現・[[パナソニック]]） [[パナソニックのテレビブランドの変遷#パナカラー クイントリックス|クイントリックス]]（1979年頃）&lt;br /&gt;
* [[サントリー]] ポップタイム （1978年 - 1980年代前半）&lt;br /&gt;
* [[キヤノン]] デートマチック （1979年 - 1982年代前半）&lt;br /&gt;
* [[東洋水産]] マルちゃん 麦味噌、塩、醤油ラーメン（1980年 - 1981年頃）&lt;br /&gt;
* [[象印マホービン]] （1982年 - 1983年頃？）&lt;br /&gt;
* [[富士通]] パソコンFM-7シリーズ（1980年代前半）&lt;br /&gt;
* [[新生フィナンシャル|GCカード]]（1982年 - 1983年頃）&lt;br /&gt;
* [[東洋水産]] 一醤麺（思想模写：[[寺山修司]]、[[野坂昭如]] 1980年代前半）&lt;br /&gt;
* [[ソニー|SONY]] ビデオテープ（1981年頃）&lt;br /&gt;
* [[片岡物産]] アストリアコーヒー（1982年 - 1984年）&lt;br /&gt;
* [[コーセー化粧品]] ダモンモイスチュアライジング（1982年 - 1984年9月、[[日野皓正]]と共演）&lt;br /&gt;
* [[佐藤製薬]] [[ユンケル黄帝液]]シリーズ（1984年 - 2002年）&lt;br /&gt;
* [[寿がきや食品]]えび天鍋うどん（1980年代前半頃？）&lt;br /&gt;
* [[パイオニア]] （1983年 - 84年）&lt;br /&gt;
* [[本田技研工業|本田技研]] スカッシュスクーター（1985年 - 1987年）&lt;br /&gt;
* [[理想科学工業]] リソグラフ（1986年頃）&lt;br /&gt;
* [[東京ニュース通信社]] [[TVガイド]]40周年御礼記念（1982年、1983年 - 1984年、2001年 - 2003年3月）&lt;br /&gt;
* [[ソフトバンクテレコム|日本テレコム]] おとくライン（2004年11月 - 2005年3月）&lt;br /&gt;
* [[サントリー]] BOSSレインボーマウンテン（[[石原さとみ]]と共演、2005年9月 - 2006年1月頃）&lt;br /&gt;
* [[トヨタ自動車]] [[あしたのハーモニー]]（編集長役、※「森田一義」名義、2007年5月 - 2008年6月）&lt;br /&gt;
* [[佐藤製薬]] [[アセス]]（2003年10月 - 2008年9月）&lt;br /&gt;
* [[三菱UFJフィナンシャル・グループ]] [[アコム]]（2009年3月23日 - 2013年3月31日）&amp;lt;ref&amp;gt;2009年4月より、タモリのレギュラー番組『笑っていいとも!』（フジテレビ系列）・『タモリ倶楽部』（テレビ朝日系列）の番組スポンサーとなっている。しかし、2010年3月で『笑っていいとも!』（フジテレビ系列）の番組スポンサーは終了した。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
サントリーボス。(2014年)8月28日の超報道とエブリと翌日のワイドショーと翌日の知っとこで放送された。2015年9月26日のズームインとめざましテレビで京都放送された&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;映画出演作品&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 喜劇役者たち 九八とゲイブル（[[1978年]]3月21日公開・[[松竹]]、[[愛川欽也]]らと共演）&lt;br /&gt;
* [[博多っ子純情]]（1978年12月2日公開・松竹）&lt;br /&gt;
* [[下落合焼とりムービー]]（[[1979年]]6月23日公開・[[東映]]、[[所ジョージ]]らと共演）&lt;br /&gt;
* [['80アニメーション ザ・ベストテン]]（[[1980年]][[12月20日]]公開・[[東映]]、[[児島美ゆき]]ほかと共演） &lt;br /&gt;
* [[水のないプール]]（[[1982年]]1月23日公開・東映）&lt;br /&gt;
* キッドナップ・ブルース（1982年10月9日公開・[[日本アート・シアター・ギルド|ATG]]）タモリ一義名義&lt;br /&gt;
* だいじょうぶマイ・フレンド（[[1983年]]4月29日公開・ 東映）&lt;br /&gt;
* [[刑事物語#刑事物語2 りんごの詩|刑事物語2 りんごの詩]]（1983年7月2日公開・東宝）&lt;br /&gt;
* [[愛染恭子]]の未亡人下宿 （[[1984年]]12月22日公開・[[日活]]）&lt;br /&gt;
* スタア（[[1986年]]3月21日公開・ 東映、[[筒井康隆]]らと出演）&lt;br /&gt;
* [[ジャズ大名]] （1986年4月19日公開・大映） など&lt;br /&gt;
* [[片翼だけの天使]] （1986年5月24日公開・松竹）&lt;br /&gt;
* [[丹波哲郎]]の大霊界 死んだらどうなる（[[1989年]]12月3日公開・松竹）&lt;br /&gt;
* 丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!（[[1990年]]1月13日公開・松竹）&lt;br /&gt;
* [[世にも奇妙な物語 映画の特別編]]（[[2000年]]11月3日公開・東宝、ストーリーテラー役）&lt;br /&gt;
* [[やどさがし]] （[[2006年]]1月3日公開・東宝、声優に初挑戦）&lt;br /&gt;
* [[HERO (2007年の映画)|映画版 HERO]]（[[2007年]]9月8日公開・東宝、大物代議士役、※「森田一義」名義）2014年6月30日に放送された&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== レコード・CD作品 ==&lt;br /&gt;
=== アルバム ===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;font-size:smaller;&amp;quot;&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;width:3%;&amp;quot;| NO.&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;width:15%;&amp;quot;|ジャケットタイトル&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;width:27%;&amp;quot;|形態・発売日&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;width:25%;&amp;quot;|品番・発売元&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;width:30%;&amp;quot;|備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|1st&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|タモリ&lt;br /&gt;
| LP：1977年03月20日&lt;br /&gt;
| ETP-72227（東芝EMI/Alfa）&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|[[毛沢東]]風中国人・[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]風アメリカ人・[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]風ドイツ人・[[寺山修司]]風日本人のモノマネによる「四カ国親善麻雀」が収録されているが、元々は寺山修司ではなく[[昭和天皇]]のモノマネだった。発売になったのは修正版。2007年発売版では「ブラジャー・ミシン」（[[ブラザー工業]]風のパロディCM）のセリフの一部がカットされて収録されている（[[乳がん]]患者への配慮と思われる）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| LP：1980年（再発）&lt;br /&gt;
| ALR-4013（アルファ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|CD：1995年06年16日（初CD化）&lt;br /&gt;
| ALCA-9159（アルファ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|CD：2007年12年20日（CD再発）&lt;br /&gt;
※初回のみ紙ジャケ仕様&lt;br /&gt;
| MHCL-1238（Sony Music Direct）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|2nd&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|タモリ2&lt;br /&gt;
| LP：1978年12月20日&lt;br /&gt;
| ETP-80060（東芝EMI/Alfa）&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|講師として[[中州産業大学]]芸術学部西洋音楽理論の森田一義助教授の音源が収録されている。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| LP：1980年（再発）&lt;br /&gt;
| ALR-4007（アルファ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|CD：1995年06年16日（初CD化）&lt;br /&gt;
| ALCA-9160（アルファ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|CD：2007年12年20日（CD再発）&lt;br /&gt;
※初回のみ紙ジャケ仕様&lt;br /&gt;
| MHCL-1239（Sony Music Direct）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 3rd&lt;br /&gt;
| タモリ3&lt;br /&gt;
- 戦後日本歌謡史 -&lt;br /&gt;
| LP：1981年9月10日&lt;br /&gt;
| TAMORI-3（アルファ）&lt;br /&gt;
| 実際には『タモリ2』発売以前より録音されており、当初はこの内容が『タモリ2』になるはずだった。戦後の名曲をパロディーにしているため著作権上の疑義が指摘され、初回プレス分の3万5000枚だけを[[新星堂]]で限定発売し直ちに絶版という運命をたどる&amp;lt;ref&amp;gt;[[レコード・コレクターズ]]2007年9月号&amp;lt;/ref&amp;gt;。未CD化。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|4th&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|ラジカル・ヒステリー・ツアー&lt;br /&gt;
| LP：1981年05月01日&lt;br /&gt;
| 27AH-1237（CBS/SONY）&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[サザンオールスターズ]]の[[桑田佳祐]]、THE SQUARE（現：[[T-SQUARE]]）の安藤まさひろ（本名の安藤正容名義で）と当時メンバーだった[[久米大作]]が楽曲を提供。安藤、久米の提供曲はTHE SQUAREがバック演奏を担当している。CD化の際にシングル「タモリのワーク・ソング」AB面を追加収録。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|CD：2007年12年20日（初CD化）&lt;br /&gt;
※初回のみ紙ジャケ仕様&lt;br /&gt;
| MHCL-1240（Sony Music Direct）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;| 5th&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;| HOW ABOUT THIS&lt;br /&gt;
| LP：1986年09月21日&lt;br /&gt;
| VIH-28272（ビクター）&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;| 大マジなジャズ・アルバム。LPとCDで一部収録曲が異なる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| CD：1986年09月21日&lt;br /&gt;
| VDR-1276（ビクター）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;シングル&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「狂い咲きフライデイ・ナイト」1981年&lt;br /&gt;
* 「タモリのワーク・ソング」1981年&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;その他アルバム&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[ミスターシンセサイザー]]（1980年10月に『[[みんなのうた]]』（[[日本放送協会|NHK]]）に出演時に熱唱）&lt;br /&gt;
* おうちでデジタモドン（初級編）TOCT-8272・[[東芝]]EMI（1993年、テレビ東京系列『[[タモリの音楽は世界だ!]]』）&lt;br /&gt;
* おうちでデジタモドン（中級編）TOCT-8273・東芝EMI&lt;br /&gt;
* おうちでデジタモドン（上級編）TOCT-8274・東芝EMI&lt;br /&gt;
* TAMORI'S DREAM REMIXED BY TACKHEAD&lt;br /&gt;
* [[大瀧詠一]]がプロデューサーとして招かれたものの、タモリがヴォーカル録りをしないまま終わった幻のアルバムの企画があったと言われている。&lt;br /&gt;
* 『永遠の絆』・[[なぎら健壱]]コンサート（MC・Mr.タモリとして参加。）&lt;br /&gt;
* [[T-SQUARE|THE SQUARE]]のアルバム『[[MAGIC (THE SQUAREのアルバム)|MAGIC]]』内の2曲にトランペットおよびバックボーカルで参加している。&lt;br /&gt;
* パイパー（PIPER:山本圭右がリーダーを務めた1980年代のJ-POPグループ）のサードアルバム『GENTLE BREEZE』のジャケット写真（古風な赤い消防車に雪が降り積もっている）の撮影を担当。&lt;br /&gt;
* 決定盤「NHKみんなのうた」より大全集8 タモリが唄う「ミスターシンセサイザー」を収録&lt;br /&gt;
* TAMORI'S DREAM REMIXED BY TACKHEAD（「タモリ」「タモリ2」音源によるリミックス盤）&lt;br /&gt;
* 『ライヴ・イン・ハトヤ 赤塚不二夫と全日本満足問題研究会』 （[[赤塚不二夫]]、[[赤瀬川原平]]、[[奥成達]]、[[高信太郎]]、[[長谷邦夫]]による満足問題研究会。プロデューサー[[高平哲郎]]、作曲[[小林亜星]]らが担当）&lt;br /&gt;
* 『[[発表!知らなきゃイケない!?最新ワード展覧会|笑っていいとも!コンピレーション・マイクロミニアルバム 発表!知らなきゃイケない!?最新ワード展覧会]]』（[[2010年]][[5月12日]][[CD]]発売）&lt;br /&gt;
* けさめらの親王むれさのはけ姫に詠む（アルバム『ジョージのセロリ・パセリ』収録）所ジョージ（作詞）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== プロデュース ===&lt;br /&gt;
* [[大地真央]]が[[宝塚歌劇団]]時代に、タモリが作詞・作曲家を手掛けた。「タモリさんが作った歌」編曲は[[小笠原寛]]。CD「この愛よ永遠に～TAKARAZUKA FOREVER～」の1曲に入っている。&lt;br /&gt;
====その他====&lt;br /&gt;
バカボンのテーマ。ドラマ版で担当した。2016年。2月19日のエブリ以外の日本テレビワイドショーと21日のシュウイチでレコーディング放送された&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ゆかりの地・愛好地 ==&lt;br /&gt;
* 出身地：[[福岡県]][[福岡市]]&lt;br /&gt;
** 現在の福岡市 - [[博多弁]]なのはこの地に出生したから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* その他&lt;br /&gt;
** 主に[[東京]]全域（中でも[[江戸]]の雰囲気が出ている場所）&lt;br /&gt;
** [[静岡県]][[沼津市]] - 同市内浦湾に[[ヨット]]を置いている。『笑っていいとも!』の「[[テレフォンショッキング]]」のトーク内でも、度々[[沼津]]の話が出てくる。&lt;br /&gt;
** 同県[[伊豆市]] - 別荘を構えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== VHS・DVD ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;VHS・DVD&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 『タモリの大宴会』&lt;br /&gt;
* 『NHKスペシャル 驚異の小宇宙人体全6巻』&lt;br /&gt;
* 『下落合焼とりムービー』（[[所ジョージ]]らと共演）&lt;br /&gt;
* 『水のないプール』&lt;br /&gt;
* 『キッドナップ・ブルース』&lt;br /&gt;
* 『片翼だけの天使』&lt;br /&gt;
* 『喜劇役者たち九八とゲイブル』（[[愛川欽也]]らと共演）&lt;br /&gt;
* 『タモリ倶楽部 THEビデオ』（1986年7月21日、ポニーキャニオン）&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 vol.1 ~4』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 SMAPの特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 15周年の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 2006秋の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 2007春の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 2007秋の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 DVDの特別編 vol.1~3』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 2008春の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 2008秋の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 2009春の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 2009秋の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 2010春の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 2010秋の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 2011春の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 2011秋の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 2012春の特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 無料ビデオの特別編』&lt;br /&gt;
* 『世にも奇妙な物語 映画の特別編』&lt;br /&gt;
* 『代議士秘書の犯罪』（TBS、パック・イン・ビデオ、SRVE-87B）&lt;br /&gt;
* 『不連続爆破事件』（同上、SRVE-87B）&lt;br /&gt;
* 『THE ボキャブラ天国 公式ビデオ 寿』（[[ポニーキャニオン]]）&lt;br /&gt;
* 『THE ボキャブラ天国 公式ビデオ 誉』（ポニーキャニオン）&lt;br /&gt;
* 『THE ボキャブラ天国 公式ビデオ 雅』（ポニーキャニオン）&lt;br /&gt;
: 3巻同時に1998年[[12月18日]]発売 ほか&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書籍 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;書籍&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* タモリ『21世紀ブックス タモリのカセット面白術 : もてる!ウケル!きわめつけ実例94』、主婦と生活社、1977年。&lt;br /&gt;
* タモリ『タモリのケンカに強くなる本』、ベストセラーズ、1978年。&lt;br /&gt;
* タモリ『タモリのちょっとアレですが』、エイプリル・ミュージック、1978年。&lt;br /&gt;
* タモリ『行ってから読むか読んでから行くか : タモリのNew York旅行術』、[[講談社]]、1980年。&lt;br /&gt;
* タモリ『ミステリーカセットブック』「タモリのシャーロック・ホームズまだらのひも」（小学館）&lt;br /&gt;
* 『タモリのニューヨーク旅行記（1980年3月、講談社）&lt;br /&gt;
* 『タモリだよ! (ISBN 4-7897-0003-8)（平岡正明、1981年12月、ソニー出版）&lt;br /&gt;
* 『ぼくはタモリの運転手』（ガブリエル・ウッシー） (ISBN 4-8973-0005-3)（ライフ社、1982年2月）&lt;br /&gt;
* 『ぴーぷる最前線・タモリ』 (ISBN 4-8288-0314-9)[[福武書店]]（1983年12月）&lt;br /&gt;
* 『タモリのこれが世界の珍商売』 (ISBN 4-9055-8789-1)[[笠倉出版社]]（1984年2月）&lt;br /&gt;
* 『タモリが本屋にやってきた』(ISBN 4-9476-0909-5)[[オールナイトニッポン]]編&lt;br /&gt;
* タモリ『[[今夜は最高!]]』、[[日本テレビ放送網]]、1982年1月。&lt;br /&gt;
* タモリ『今夜は最高! part 2』、日本テレビ放送網、1982年3月。&lt;br /&gt;
* タモリ『今夜は最高! part 3』、日本テレビ放送網、1982年4月。&lt;br /&gt;
* タモリ『今夜は最高! 傑作場面集』（日本テレビ、1982年4月）&lt;br /&gt;
* タモリ『新・今夜は最高!』、日本テレビ放送網、1983年1月。&lt;br /&gt;
* タモリ『新・今夜は最高!. part 2』、(ISBN 9-8334-2112-1)日本テレビ放送網、1983年3月。&lt;br /&gt;
* タモリ『コレが、今夜は最高だ!?』（日本テレビ放送網、1983年4月）&lt;br /&gt;
* タモリ『新・新今夜は最高!』 （日本テレビ、 （1983年12月）&lt;br /&gt;
* タモリ『新・新今夜は最高! part 2』 &amp;amp;lt;ISBN 9-8400-4392-7&amp;amp;gt;（日本テレビ、1984年2月）&lt;br /&gt;
* タモリ『タレント狂殺人事件』、[[作品社]]・[[徳間書店]]、1983年11月。(ISBN 4878938013)&lt;br /&gt;
* タモリ『タモリのおじさんは怒ってるんだぞ!』、[[徳間書店]]、1984年。(ISBN 4-19-502931-7)&lt;br /&gt;
* タモリ『タモリのこれが世界の珍商売!!』、1984年、[[笠倉出版社]]・[[フジテレビジョン]]&lt;br /&gt;
* タモリ『[[タモリのTOKYO坂道美学入門]]』 、[[講談社]]、2004年。(ISBN 4063527239)&lt;br /&gt;
: 過去に[[交友社]]より雑誌『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』への登場依頼があったが、スケジュールの関係で実現できなかった。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;共著&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 空飛ぶかくし芸（1977年11月、[[住宅新報社]]）&lt;br /&gt;
* 空飛ぶ冷やし中華part2（全冷中編）1978年5月、住宅新報社&lt;br /&gt;
* タモリ、[[松岡正剛]]『プラネタリー・ブックス16 愛の傾向と対策』、工作舎、1980年。&lt;br /&gt;
* 超時間対談 (ISBN 4-0875-0847-1)（1981年7月、[[集英社]]）&lt;br /&gt;
* ブリタモリ編纂委員会（タモリ、[[赤塚不二夫]] 他）『現代用語辞典 ブリタモリ』、[[講談社]]、1982年。(ISBN 4-061-41363-5)&lt;br /&gt;
* 定本ハナモゲラの研究（赤塚不二夫・山下洋輔・筒井康隆・赤瀬川原平・奥成達、[[講談社]]、1979年2月）&lt;br /&gt;
* 言語学のたのしみ（タモリの言語学） (ISBN 4-4692-1079-X)（1980年2月、[[大修館書店]]）&lt;br /&gt;
* タモリ、松岡正剛『コトバ・インターフェース』、ダイワアート、1985年。&lt;br /&gt;
* SONOSONO (ISBN 4-0635-2723-9)（滝大作・赤塚不二夫・高平哲郎、山手書房）&lt;br /&gt;
* タモリ、[[笑福亭鶴瓶]]『タモリ鶴瓶のおぼえてるでェ!』、フジテレビ出版、1987年。(ISBN 4-594-00180-7)&lt;br /&gt;
* タモリの、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]も世紀末クイズ それ絶対やってみよう2（1991年、扶桑社）ISBN 4594008542&lt;br /&gt;
* タモリ・[[ウッチャンナンチャン]]のダウンタウンもみんないっしょに世紀末クイズ それ絶対やってみよう3（1992年、扶桑社）ISBN 4594009255&lt;br /&gt;
* タモリ+イースト・クイズ班編『クイズ![[タモリの音楽は世界だ!]]』、マガジンハウス、1993年。(ISBN 4-8387-0313-9)&lt;br /&gt;
* 赤塚不二夫、タモリ『赤塚不二夫とタモリの西サモアに行ってこれでいいのだ』、コミックス、1994年。(ISBN 4-06-313704-X)&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavFrame&amp;quot; style=&amp;quot;clear: both; border:0&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavHead&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;関連書籍&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;NavContent&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: left&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 家庭画報編『タモリと賢女・美女・烈女』、世界文化社、1982年。&lt;br /&gt;
* 武市好古編『ぴーぷる最前線 タモリ』、[[福武書店]]、1983年。(ISBN 4-8288-0314-9)&lt;br /&gt;
* 赤塚不二夫の人生これでいいのだ(ISBN 4-5370-2534-4)、[[日本文芸社]]（1996年10月）&lt;br /&gt;
* 『赤塚不二夫対談集 これでいいのだ。』2008年、(ISBN 978-4840126250)&lt;br /&gt;
; 笑っていいとも!&lt;br /&gt;
* フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 1』、サンケイ出版、1983年。(ISBN 4-383-02256-1)&lt;br /&gt;
* フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 2』、サンケイ出版、1983年。(ISBN 4-383-02272-3)&lt;br /&gt;
* フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 3』、サンケイ出版、1983年。(ISBN 4-383-02287-1)&lt;br /&gt;
* フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 4』、サンケイ出版、1984年。(ISBN 4-383-02311-8)&lt;br /&gt;
* フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 5』、サンケイ出版、1984年。(ISBN 4-383-02320-7)&lt;br /&gt;
* フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 6』、サンケイ出版、1984年。(ISBN 4-383-02332-0)&lt;br /&gt;
* 世紀末ゲーム-爆笑!オールスタータモリンピック（フジテレビ出版、ISBN 4594-010806、1992年11月）&lt;br /&gt;
* 笑っていいとも!編『タモリの世紀末伝説 : 関根くん家とマチャミん家のおかしな人々』&lt;br /&gt;
: フジテレビ出版、1993年。(ISBN 4-594-01321-X)&lt;br /&gt;
* 笑っていいとも!あー（学研、ISBN 4054009336、1997年11月）&lt;br /&gt;
* LOVE LETTERS-すばらしいラブレターの世界（ワニブックス、ISBN 4847032691、1997年12月）&lt;br /&gt;
* 秘密のつながりグランプリ（興陽館、ISBN 4877231285、1998年12月）&lt;br /&gt;
* 森田一義アワー 笑っていいとも! インスタントイングリッシュ〜おばちゃん海外輸出計画〜&lt;br /&gt;
: （フジテレビ出版、[[扶桑社]]出版、ISBN 4-594-02711-3、1999年5月30日）&lt;br /&gt;
* 森田一義アワー 笑っていいとも!「Mr.ビジョアル」写真集(ISBN 4-8342-5203-5)（[[集英社]]、1999年6月）&lt;br /&gt;
* 科学実験で笑っていいとも!（学研（学研M文庫）、ISBN 405902015X、2000年11月）&lt;br /&gt;
* 森田一義アワー 笑っていいとも! 曜日対抗いいとも選手権!!BESTゲーム集88&lt;br /&gt;
: （河出書房新社、ISBN 4309265960、2002年10月20日）&lt;br /&gt;
* 目指せ!達筆王〜すぐに上達する132のコツ〜（扶桑社、ISBN 4594051138、2006年3月23日）&lt;br /&gt;
* 私服だらけの『[[中居正広]]増刊号』〜輝いて〜（扶桑社刊、ISBN 9784594060183、2009年8月18日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; タモリ倶楽部&lt;br /&gt;
* 夜の英会話：タモリ倶楽部（男と女）(ISBN 4-8813-1101-8)（1987年12月）&lt;br /&gt;
* 窪田ひろ子『「タモリ倶楽部」夜の英会話 : 夜だけでなく、昼間も役に立つ!』、全国朝日放送、1988年。(ISBN 4-88131-086-0)&lt;br /&gt;
* タモリ倶楽部 東京トワイライトゾーン（日之出出版、久住昌之・滝本淳助 ISBN 4-89198-073-7、1989年1月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; タモリのボキャブラ天国&lt;br /&gt;
* タモリのボキャブラ天国（発行：フジテレビ出版、発売：[[扶桑社]]、ISBN 4-594-01186-1）&lt;br /&gt;
: 1993年[[7月10日]]初版第1刷発行&lt;br /&gt;
* タモリのSuperボキャブラ天国&lt;br /&gt;
: 1994年初版第1刷発行&lt;br /&gt;
* タモリのスーパーボキャブラ天国 お・と・なスペシャル版（発行：フジテレビ出版、発売：扶桑社、ISBN 4-594-01638-3）&lt;br /&gt;
: 1995年[[1月10日]]初版第1刷発行&lt;br /&gt;
* タモリのスーパーボキャブラ天国・2（発行：フジテレビ出版、発売：扶桑社、ISBN 4-594-01728-2）&lt;br /&gt;
: 1995年[[4月30日]]初版第1刷発行&lt;br /&gt;
* 黄金ボキャブラ天国（発行：フジテレビ出版、発売：扶桑社、ISBN 4-59402-429-7）&lt;br /&gt;
: 1998年[[1月30日]]初版第1刷発行&lt;br /&gt;
* フジテレビ「タモリのボキャブラ天国」編『タモリのボキャブラ天国 : フジテレビオフィシャル』&lt;br /&gt;
: フジテレビ出版、1993年。(ISBN 4-594-01186-1)&lt;br /&gt;
* フジテレビ「タモリのスーパーボキャブラ天国」編『タモリのスーパーボキャブラ天国 : フジテレビオフィシャル』&lt;br /&gt;
: フジテレビ出版、1994年。(ISBN 4-594-01494-1)&lt;br /&gt;
* フジテレビ「タモリのスーパーボキャブラ天国」編『タモリのスーパーボキャブラ天国 : お・と・なスペシャル版』&lt;br /&gt;
: フジテレビ出版、1995年。(ISBN 4-594-01638-3)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; タモリのジャポニカロゴス&lt;br /&gt;
* タモリのジャポニカロゴス国語辞典編集部編『タモリのジャポニカロゴス国語辞典』、フジテレビ出版、2006年。(ISBN 4-594-05174-X)&lt;br /&gt;
* タモリのジャポニカロゴス国語辞典編集部編『タモリのジャポニカロゴス国語辞典第二版』、[[扶桑社]]出版、2007年。:(ISBN 978-4-594-05493-9)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜&lt;br /&gt;
* 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本』 第1巻から第19巻 - [[講談社]] / フジテレビ 〜トリビア普及委員会〜&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 1』（ISBN 4-06-352702-6） 2003年6月25日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 2』（ISBN 4-06-352703-4） 2003年6月25日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 3』（ISBN 4-06-352704-2） 2003年9月3日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 4』（ISBN 4-06-352710-7） 2004年3月24日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 5』（ISBN 4-06-352717-4） 2004年7月17日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 6』（ISBN 4-06-352702-6） 2003年6月25日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 7』（ISBN 4-06-352706-9） 2003年11月7日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 8』（ISBN 4-06-352718-2） 2004年8月8日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 9』（ISBN 4-06-352729-8） 2004年12月15日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 10』（ISBN 4-06-352728-X） 2004年12月15日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 11』（ISBN 4-06-352733-6） 2005年4月27日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 12』（ISBN 4-06-352734-4） 2005年4月27日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 13』（ISBN 4-06-352738-7） 2005年11月9日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 14』（ISBN 4-06-352739-5） 2005年11月9日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 15』（ISBN 4-06-352743-3） 2006年4月19日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 16』（ISBN 4-06-352744-1） 2006年4月19日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 17』（ISBN 4-06-352745-X） 2006年9月27日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 18』（ISBN 4-06-352746-8） 2006年9月27日発行&lt;br /&gt;
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 19』（ISBN 978-4-06-352747-6） 2007年1月25日発行&lt;br /&gt;
* 『金のへぇ〜トリビアの泉 金の脳だけセレクション〜』（講談社、ISBN 9784063527483）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ゲーム ==&lt;br /&gt;
* 「森田一義アワー 笑っていいとも!ボードゲーム」（1985年）&lt;br /&gt;
* 「森田一義アワー 笑っていいとも!タモリンピック」 [[スーパーファミコン]]専用[[ゲームソフト]]（1994年、[[アテナ]]）&lt;br /&gt;
* 「タモリのSuperボキャブラ天国 CARD GAME ヤングアダルト向カルタ的 豪華美麗カードゲーム」&lt;br /&gt;
: （発売元：[[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]]、販売元：セントラルホビー）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[福岡県出身の人物一覧]]&lt;br /&gt;
* [[お笑いタレント]]&lt;br /&gt;
* [[芸人]]&lt;br /&gt;
* [[芸能人]]&lt;br /&gt;
* [[笑っていいとも!レギュラー出演者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[インポテンツ]]&lt;br /&gt;
* [[ハナモゲラ語]]&lt;br /&gt;
* [[日本坂道学会]]&lt;br /&gt;
* [[冷やし中華|全日本冷し中華愛好会]]&lt;br /&gt;
* [[おっぱい星人]]&lt;br /&gt;
* [[勃起不全]]&lt;br /&gt;
* [[ビッグ3 (日本のお笑いタレント)|ビッグ3]]（タモリ・[[ビートたけし]]・[[明石家さんま]]）&lt;br /&gt;
* [[ギネス・ワールド・レコーズ]]&lt;br /&gt;
* [[赤塚不二夫]]&lt;br /&gt;
* [[ミスターシンセサイザー]]&lt;br /&gt;
* [[カムイトラノ屈斜路湖ジャズフェスティバル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://danmo.nobody.jp/ 早稲田大学モダンジャズ研究会]&lt;br /&gt;
* [http://www.tanabe-agency.co.jp/ 株式会社 田辺エージェンシー]&lt;br /&gt;
* [http://www.1101.com/tamori_2009/index.html ほぼ日刊イトイ新聞 タモリ先生の午後2009]&lt;br /&gt;
* [http://www.waseda.jp/student/weekly/people/obg-800.html 「早稲田ウィークリー」タモリ ロングインタビュー]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:たもり}}&lt;br /&gt;
[[Category:タモリ|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:お笑い芸人]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のタレント]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の司会者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:ケイダッシュ系列所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ラジオ番組のパーソナリティ・DJ]]&lt;br /&gt;
[[Category:赤塚不二夫]]&lt;br /&gt;
[[Category:鉄道に関係する人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:笑っていいとも!]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のギネス世界記録保持者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のコレクター]]&lt;br /&gt;
[[Category:朝日生命保険の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:福岡市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1945年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:隻眼の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>106.154.133.244</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97&amp;diff=372741</id>
		<title>ビートたけし</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97&amp;diff=372741"/>
				<updated>2019-11-19T00:27:58Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;106.154.133.244: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ビートたけし'''（本名：北野武（きたの たけし）、[[1947年]][[1月18日]] - ）は、[[東京都]][[足立区]]梅島出身のテレビ[[司会]]者、[[お笑いタレント]]、[[映画監督]]、[[俳優]]、[[東京芸術大学]][[大学院]]映像研究科[[教授]]（監督領域）、元[[漫才]]師（[[ビートキヨシ]]とともに、[[ツービート]]として活動）。情報番組の司会を数多くこなす他、[[ピアノ]]、[[タップダンス]]も行う。また、[[立川談志]]の門下生でもあり、「立川錦之助」という高座名も持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[オフィス北野]]に所属し、この事務所の中心人物でもある。[[タモリ]]・[[明石家さんま]]とともに、「[[ビッグ3 (日本のお笑いタレント)|日本のお笑いタレントBIG3]]」の一人にあげられ、また、映画監督としては世界的にも評価が高い。愛称は「たけちゃん」・「[[殿]]」・「たけし」（[[所ジョージ]]などからは「おじさん」と呼ばれている）。映画監督関係では「'''北野武'''」、それ以外では「'''ビートたけし'''」を名乗ることが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[たけしのコマネチ大学数学科]]と[[熱血!平成教育学院]]では、マス北野として登場している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 幼少時代 ===&lt;br /&gt;
[[足立区|東京都足立区]][[島根 (足立区)|島根町]]にて、ペンキ職人の父・[[北野菊次郎]]と、母・[[北野さき]]の四男（次男が夭折し、実質は三男として育つ）として誕生。「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」という願いから、「'''武（たけし）'''」と名付けられた。色白で細面、身体は小さいが俊敏で友人からは「ターチ」と渾名された。兄姉とは年が離れていたため、[[北野うし|祖母]]に非常に可愛がられて育った（家族構成は[[ビートたけし#家族・縁戚|「家族・縁戚」]]を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[足立区立梅島第一小学校]]に入学。この頃から[[野球]]に熱中するようになるが、教育熱心だった母の薫陶が功を奏し成績優秀だった。特に[[算数]]と[[図画工作]]が得意だった。鼻筋通った中々の美童だったため、近所のおばちゃん連中に「アメリカさん」と呼ばれ大変もてはやされた。小学校卒業後は母親が[[進学校]]を希望したため、近隣の十中を差し置いて、遠く離れた[[足立区立第四中学校]]に越境入学させられる。中学では野球部に入部。のちに[[東京オリオンズ]]に入団する[[成田文男]]も同時期所属していた。かつての美童も骨格逞しいニキビ面の青年に変貌。一気にもてなくなった反動で[[ニヒリズム]]へと走った。卒業後、[[東京都立足立高等学校]]に入学。高校時代は[[軟式野球|軟式野球部]]に入部。それとは別に、短期間[[ヨネクラジム]]にボクシングを習いに通っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大学時代 ===&lt;br /&gt;
[[1965年|1965年（昭和40年）]] 高校を卒業後は母親の薦めで、[[明治大学]][[工学部]]（後の[[理工学部]]）[[機械工学|機械工学科]]に現役入学。しかし大学2年の時、家出同然に一人暮らしを始め、[[新宿]]界隈でぶらぶらと日を送るようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[学生運動]]にも参加したが熱心ではなく、[[ジャズ]]や新風俗に傾倒する。“LeftyCandy”や[[ジャズ喫茶|新宿ACB（アシベ）]]、[[名曲喫茶|風月堂]]などに入り浸った。たまに来る依頼で[[ジャズ喫茶]]のボーイもしていたが、ジャズの見識は一部で有名であった。新宿のジャズ喫茶『ビザール』では、[[若松孝二]]、[[小水一男]]らと知り合う。『ヴィレッジ・ヴァンガード』で、早番のボーイとして働いていた時は、[[永山則夫連続射殺事件|連続射殺事件]]で逃走中だった[[永山則夫]]が遅番のボーイとして働いていた。『ジャズ・ビレッジ』の壁に書かれていた文章を気に入っており、後年これを基にして曲を作った&amp;lt;ref&amp;gt;店の壁に書かれていた「強く生きよと母の声、死ねと教えし父の顔、何のあてなき人生なり」に続けて「死に場所探して生きるもよし」と加えて詞を作り、これに[[泉谷しげる]]が曲をつけた。『死んだ犬』&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃は青春の葛藤期でもあり、友人の下宿に居候しアルバイト三昧の青春時代を過ごした。菓子の計り売りや[[実演販売|実演販売員]]、ビルの[[解体|解体工]]、[[クラブ]]のボーイなど仕事先を転々とする。[[羽田空港]]の[[荷役]]では、ジャズ喫茶の常連客だった[[中上健次]]と共に働いた&amp;lt;ref&amp;gt;たけしは[[日本航空|日航]]系の[[JALグランドサービス|AGS]]、中上は[[全日本空輸|全日空]]系の[[国際空港事業株式会社|IAU]]で働いていた。（ベルトコンベアの）ボタン押しの北野として有名だったという。&amp;lt;/ref&amp;gt;。のち[[通訳]]になろうと思い立ち、留学費用を稼ぐ目的で[[日本交通 (東京都)|日本交通]]早稲田営業所に入社、タクシーの運転手を務めるも半年で退社し、[[通産省]]前のガソリンスタンドでアルバイトをしていた。この間、若松孝二との縁で『新宿マッド』『腹貸し女』など、幾つかの[[若松プロダクション|若松プロ]]初期作品に[[端役]]で出演している&amp;lt;ref&amp;gt;のちに小水は『[[ほしをつぐもの]]（1990）』で、若松は『[[エロティックな関係]]（1992）』で、再びたけしを撮った。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、初期のインタビューでは一時期、学生演劇に加わっていた経歴を明かしている。[[ヴォードヴィル]]のような[[軽演劇]]で、舞台には立たず構成に携わっていたと述べる。また、これら自由気ままな生活が災いし、当時真剣交際していた彼女の両親から猛反発をくらって大失恋を経験している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学は140単位のうち106単位まで取得していたにも関わらず、結局通わなくなり[[除籍 (学籍)|除籍]]となってしまう&amp;lt;ref&amp;gt; [[2004年]][[9月7日]]、[[明治大学]]は、100単位以上を取得しながら何らかの理由で大学に行くことが出来なくなった人物に与える「特別卒業認定証」の第1号認定者とし、ならびに[[明治大学|明大]]の知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を贈ると発表した。&amp;lt;/ref&amp;gt;。たけしが通わなくなった後も母・さきは学費を納入し続けてていたため、籍は約6年残っていた。卒業後は玩具メーカー『[[バンダイ]]』の研究部に入ることが決まっていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 前座時代 ===&lt;br /&gt;
学生運動は収束に向かい新宿からは[[フーテン]]が閉め出されるようになる。自身も去就を模索する必要に迫られた。[[芸能]]分野に興味はあったものの、かつて友人達が没頭していた[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ演劇]]などには馴染むことができず、「理工系なので文学的なものはわからない、しかし[[演芸]]なら自分にも理解できるだろう&amp;lt;ref&amp;gt;『[[驚きももの木20世紀]] - 伝説の浅草芸人・深見千三郎と最後の弟子』朝日放送、1996年&amp;lt;/ref&amp;gt;」という理由で、いつしか[[芸人]]を志望するようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年|1972年（昭和47年）]]の夏、[[東京都]][[台東区]][[浅草]]にあった[[ストリップ劇場]]・[[フランス座|浅草フランス座]]で、芸人見習い志願として[[エレベーターガール|エレベーターボーイ]]を始める。地味な風貌だったため、当初は笑芸人に向かないと評されたという。当時、たけしと思しき人物を見かけた[[井上ひさし]]も「不機嫌そうな青年&amp;lt;ref&amp;gt;ビートたけし『浅草キッド』新潮社〈新潮文庫〉、1992年（文庫版解説）&amp;lt;/ref&amp;gt;」と、その印象を述べている。 やがて、同劇場の経営者兼座長「浅草の首領」こと[[深見千三郎]]に師事し、前座芸人・北千太（北野姓と師匠の名前から。尚名前は頻繁に変わった）として[[コント]]（軽演劇）を学ぶ。幕間コントに出演して腕を磨き、芸人として[[タップダンス]]の修業にも励む。座員の多くが深見を近付き難い存在として見ていたが、たけしは物怖じしなかったため深見から気に入られた。舞台では[[即興|アドリブ]]を駆使し、言葉の拾い方に独特の斬新さがあったため一目置かれるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フランス座時代は長いものではなかったが、師匠の深見をはじめ重要人物が多い。座付き作家見習いをしていた'''井上こんさい'''（[[井上雅義]]）はフリー記者に転身し、後にビートたけしの漫談エッセイにおける取材・構成を担う。また、見習い[[コメディアン]]として入座した'''ハーキー'''と呼ばれる人物は、[[ツービート]]初期のネタに多大な影響を及ぼしたとされる。一時期コンビを組むほど深い関わりがあったが心身を病み頓挫。病気の性格上その[[自殺#自殺未遂|詳細]]は多く語られる事がなく、楽曲「[[浅草キッド]]」の歌詞に面影をとどめるのみとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ツービート結成 ===&lt;br /&gt;
当時フランス座には、兼子二郎という2年先輩の芸人が出入りしていた。深見千三郎が[[ロック座|浅草ロック座]]から移籍してきた際、一緒に移ってきた男で、コントのほか[[漫才]]にも手を拡げていた人物だった。兼子は漫才の[[相方]]がトラブルで抜けたため代役を捜しており、一緒にコントを演じた経験があるたけしに白羽の矢を立てた。たけしも外世界への誘惑に勝てずフランス座を出る決心をする&amp;lt;ref&amp;gt;所属していた期間は2年に満たず早い巣立ちだった。深見千三郎と親交が深かった[[佐山淳]]によると、当時フランス座は経営難でコント役者に支払う給料さえ事欠いていた。そんな状況にも関わらず、弟子の前では散財して見せる深見の性格にたけしは憚りを感じるようになったため、負担軽減を図って劇場から離れる決意をしたのではないかと推測している。（佐山淳『女は天使である』 スパイク、1997年）&amp;lt;/ref&amp;gt;。劇場を離れたことは結果的に師匠・深見の失望と怒りを買うことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京の漫才師として[[演芸場]]に出るためには[[漫才協会|漫才協団]]に所属している必要があったため、[[松鶴家千とせ]]の紹介で[[松鶴家千代若・千代菊]]に入門。'''松鶴家二郎・次郎'''と称した。当初は正統派の掛け合い漫才で全く芽が出ず、フランス座にいた頃よりも貧窮した。兼子が一時[[コロムビア・ライト]]の[[付き人]]をして生活を凌いでいたため、その縁で'''空たかし・きよし'''&amp;lt;ref&amp;gt;[[コロムビア・トップ・ライト]]の一門は皆「青空」の家号を名乗るが、片方の弟子なので「空」だけとなった。&amp;lt;/ref&amp;gt;と名乗り[[営業]]に出たこともあった。演芸場のギャラは安いため、地方[[キャバレー (風俗)|キャバレー]]なども回るようになるが、たけしは漫才を聞こうとしない酔客相手の仕事を嫌い、出番をすっぽかしたり[[酩酊]]して舞台に上がることが多かった。しかも店をこき下ろすネタを掛けたり、客や[[ホステス]]に喧嘩を吹っ掛けたので、しょちゅう舞台から降ろされていた。そのため兼子は場繋ぎに使う[[奇術]]ネタをいつもポケットに忍ばせておかなければならなかったという。そしてこの頃から一種の開き直りをみせ、暴走ネタ・危険ネタに走るようになってゆく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
紆余曲折ののち、2人はコンビ名を変えて最初から出直す事に決めた。新しい名前の候補を考えるうちに、たけしが学生時代ジャズ喫茶でアルバイトしていた話が出た。それに絡んだコンビ名「'''[[ツービート]]'''（[[ビート (ドラム・ビート)#2ビート|two beat]]）」が選ばれる。「漫才師らしくなくていい」というのが決定理由だった。こうして兼子は「[[ビートキヨシ|ビートきよし]]」、たけしは「'''ビートたけし'''」となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな折に大阪で新進漫才師として頭角を現して来た[[B&amp;amp;B (漫才)|B&amp;amp;B]]のスタイルに触発され、スピードを早めて喋りまくるスタイルへ変貌した。&lt;br /&gt;
服装も[[タキシード]]に[[蝶ネクタイ]]から[[アイビー|アイビー・ルック]]に変えて、古臭い漫才師の様式から脱却を図った。当初ツービートは代演などで[[浅草松竹演芸場|松竹演芸場]]の舞台に上がっていたが、支配人に認められてからは出演回数も安定するようになる。[[毒舌]]の限りを尽くした掟破りのネタもさることながら、[[ボーイズ (演芸)|ボーイズグループ]]の楽器を拝借して現れたり、座布団の上に座って漫才を行なうなど型破りな舞台が多く、ツービートが漫才を始めると（他の芸人が観に行くので）楽屋が空っぽになると評判になった。浅草では[[コント55号]]以来の珍事だったため、いずれ世に出ると噂されるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 黎明期 ===&lt;br /&gt;
演芸場での人気とは裏腹に、その破壊的な芸風は一部の関係者に受け入れられず激しい[[抑圧]]を受けた&amp;lt;ref&amp;gt;「もう一度浅草でやれっていうやつがいるけどさ、冗談じゃないっていうの。オレが浅草にいたとき、テメエらオレになにしてくれたってんだよ。ツービートをいちばんお客のいないところに出したりしたじゃないかってさ。オレがさ、自分で絶好調だと思った時代がいっぱいあるわけ。他の芸人連中もおもしろいっていってくれて、お客もいちばんおもしろいっていってくれたときに、オレは客のいねえところばっか出されたんだからさ。」ビートたけし「午前3時25分！」『平凡パンチ』平凡出版株式会社、1983年&amp;lt;/ref&amp;gt;。漫才協団から脱退を求める声すら起きたという。[[1976年|1976年（昭和51年）]]協団が主催する[[NHK新人演芸大賞|NHK新人漫才コンクール]]に出場、客の反応は抜群に良かったものの、審査員は序列を考慮した選定で[[昭和のいる・こいる]]に賞を与えた。以降ツービートは3年連続で出場したが、ついに最優秀賞を獲得することはなかった。場内の爆笑をさらったにも関わらず評価されなかった理不尽は[[トラウマ]]となり、後々まで遺恨を残すこととなった。一方、のちに[[ライバル]]と目される[[星セント・ルイス|セント・ルイス]]は[[1977年|1977年（昭和52年）]]のコンクールで最優秀賞に輝き、一足先にその名を知られるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1978年|1978年（昭和53年）]]、[[新宿区]][[高田馬場]]の芳林堂書店前で持ちネタの全てを披露する漫才ライブを開催。「マラソン漫才・ギャグデスマッチ」と題されたこのイベントには各界著名人や雑誌編集者などが訪れ話題を呼んだ。たけしはこのライブでおよそ2時間近く毒舌漫才を繰り広げ観客の喝采を浴びた。後日、[[短波放送]]の番組でこのライブ録音をオンエアする予定があったが、あまりにも凄まじい内容のため放送が見送られてしまうという逸話を残している。企画したのは[[高信太郎]]という演芸マニアの[[漫画家]]で、漫才コンクールでの奮闘にいちはやく注目しその売り出しに参与するようになった。高はその活動範囲から[[文化人]]と多く交友があり、たけしもその繋がりで[[高平哲郎]]、[[赤塚不二夫]]、[[タモリ]]ら異種の笑いを形成するグループと一時期交わっていたが（このころ「[[タモリのオールナイトニッポン]]」の中でツービートの漫才が紹介された事もあった）、[[新宿ゴールデン街]]的な「酒を飲んで軽いジョークを言いあったりする、あのシャレた笑い」が肌に合わずじきに離れている。ただし、[[赤瀬川原平]]を介して知り合った[[篠原勝之]]とは長きに渡る縁となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1979年|1979年（昭和54年）]]、「[[大正テレビ寄席]]」で司会・[[牧伸二]]のアシスタントをしていた[[女流漫才師]]「ミキ&amp;amp;ミチ」の[[北野幹子|内海ミキ]]と[[結婚]]。[[千葉県]][[犬吠埼]]にてささやかな[[新婚旅行]]を済ませたのち、[[亀有]]のアパートで生活を始める。高信太郎がツービートの所属事務所・[[太田プロ]]から疎まれるようになると、代わって[[塚田茂]]の弟子で芸人肌の[[放送作家]]・[[高田文夫]]と親密になってゆく。高田は番組出演者の[[ポール牧]]や[[青空球児・好児]]の口から度々話題に上がっていた浅草の芸人・ツービートのたけしに興味を抱いており、対面が実現した際は同じ東京育ちで年齢も近かったことから意気投合した。以来、[[ブレーントラスト|ブレーン]]兼親友のような関係となる。のちに高田はたけしから「日本一の客」と敬意を表される程の存在となった。当時、高田が[[三波伸介]]のお気に入り作家だった縁で「[[三波伸介の凸凹大学校]]」へのレギュラー出演も決定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
11月「[[花王名人劇場]]」において、人気落語家・[[月の家圓鏡|月の家円鏡]]（8代目・[[橘家圓蔵 (8代目)|橘家圓蔵]]）の共演者に抜擢される。才気絶倫だが古典派からは「[[邪道]]」と言われていた円鏡と、目下売り出し中の「邪道漫才師」ツービートを競演させる試み。番組制作者が苦慮したのはツービートの毒が[[ゴールデンタイム]]の視聴者に受け入れられるかという点で、緩和案としてネタの継ぎ目にお年寄りを気遣う台詞を挟みこむという苦肉の策が取られた。「円鏡 VS ツービート」と銘打って放送されたこの企画が好感触を得たことで、翌年の「[[激突!漫才新幹線]]」制作への[[布石]]となり、のちの漫才ブームへと繋がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 漫才ブーム ===&lt;br /&gt;
[[1980年|1980年（昭和55年）]]『[[漫才ブーム|マンザイブーム]]』（旧来の“漫才”と区別される為にカタカナ表記）のムーブメントが起こり、ツービートは毒舌漫才と毒舌ネタを売り物に一躍茶の間でも知られる存在となる。ブームで知られるようになった漫才師の中では、[[B&amp;amp;B (漫才)|B&amp;amp;B]]、[[ザ・ぼんち]]等に続くに人気位置であったが、毒舌が故に全ての客層ではなく、新しいものを求める男性層から支持を集める傾向を見せた。中でもブームを象徴する番組となったのが、フジテレビ『[[THE MANZAI]]』である。これは『東西対抗漫才大会』という捨て企画を下敷きに制作された[[改編期|期首]][[特別番組|特番]]で、この番組で[[プロデューサー]]の[[横澤彪]]は時代遅れの存在だった『漫才』を徹底的に若者向けに作り替えてしまう。このとき新進気鋭の上方漫才師に対抗する東の代表として選ばれたのが『[[星セント・ルイス|セント・ルイス]]』『[[B&amp;amp;B (漫才)|B&amp;amp;B]]』『ツービート』の3組である。しかし一番人気のB&amp;amp;Bは昨年まで[[関西]]を本拠としていたコンビで、視聴者に関東の漫才師として認識されることは殆どなく、セント・ルイスも客層とのギャップに悩んだあげく[[棄権|リタイア]]してしまうため、人気が上がるにつれて「上方漫才勢 VS ツービート」のような印象を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[速射砲]]さながらに喋りまくり、時おり[[弾倉]]を交換するかのごとく首を「くっ」と捻る様は、個性派揃いの漫才師の中でも異彩を放った。その毒舌が織りなすネタの主題となったのは[[おじいさん|ジジイ]]・[[おばあさん|ババア]]・[[不細工|ブス]]・カッペ（田舎者）で、さらに[[ウンコ]]と[[ヤクザ]]と[[ガキ]]が頻繁に登場した。また、[[神奈川金属バット両親殺害事件|金属バット殺人事件]]や[[深川通り魔殺人事件]]といった時事性の高い話題をいちはやくギャグに取り入れ、冒頭から人が死にまくる漫才として知られた。これら不謹慎ネタは総称して「'''残酷ギャグ'''」などと呼ばれ、巻き起こる批判に対しては「たかが漫才師の言う事に腹を立てるバカ」と言ってのけた。[[日本船舶振興会]]のCMを皮肉って作られた一連の[[標語]]ネタは「'''毒ガス標語'''」と言われ、ブーム初期の定番ネタとなった。「注意一秒ケガ一生、車に飛び込め元気な子」「気をつけよう、ブスが痴漢を待っている」「寝る前にきちんと絞めよう親の首」中でも「'''赤信号みんなで渡れば恐くない'''」は[[PTA]]や[[交通遺児育英会]]から猛抗議を受けた一方で、日本社会の実相を明瞭端的に表現したフレーズとして評価する声も多く、ツービートの代名詞のようなギャグとなった。当時[[モスクワオリンピック]]の各国[[ボイコット]]が物議を醸していた最中で、[[右翼]]の[[街宣車]]が「''漫才師が『赤信号みんなで渡れば恐くない』と言っているように『[[ソビエト連邦|ソ連]]もみんなで攻めれば怖くない！』''」と[[渋谷]]の駅前で連呼していたという。のちに番組の中で新作標語を披露するコーナーが生まれたため、100個近くも標語ネタをひねり出す羽目になってしまった（そもそも、たけし自身は標語ネタがあまり好きではなかった）。&amp;lt;!-- 舞台上から受ける図太い印象とは正反対に、舞台裏でのたけしは極度にナーバスで躁鬱が激しく、鬱状態に陥ると楽屋に鍵をかけて閉じこもったり、出番寸前に失踪してしまうことがよくあったという。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このころツービートは、TBSの『スター爆笑座』という番組にアシスタントとして出演しており、司会の[[せんだみつお]]と仲が良かった。楽屋での雑談中に、たけしは「[[ナディア・コマネチ|'''コマネチ！''']]」対となる「[[ニコライ・アンドリアノフ|'''アンドリアノフ！''']]」を生みだしている&amp;lt;ref&amp;gt;せんだみつお『ナハ』東京書籍、 2002年。ISBN 4487797144&amp;lt;/ref&amp;gt;。このオリンピック体操選手名の語感（股間）を表現するアクションは、ビートたけしの[[金字塔]]的ギャグとして非常によく知られるようになった（ほかに「[[:en:Nellie Kim|ネリーキム]]」および「[[アレクサンドル・ディチャーチン|ディチャーチン]]」などが存在したが、こちらは浸透するには至っていない）。さらにその後、せんだが「コマネチ」を拝借し、たけしが『[[タケちゃんマン]]』の中で「ナハナハ」を借用するという一種の貸借関係が生まれた&amp;lt;ref&amp;gt;'''山藤'''「一時期コマネチやってたでしょ」'''せんだ'''「えェ」'''山藤'''「あれは、オリジナルはたけしでしょう」'''せんだ'''「そうです。ある日たけしに『面白いな。それ、俺にも貸してくれよ』って。」'''山藤'''「貸してくれってのが凄いね（笑）」'''せんだ'''「『オレはね、ギャグ取ってんじゃないんだよ。おまえがテレビでギャグ出てる。オレがやったら二倍広まるだろ。オレ、おまえのギャグのパウロ二世伝道師だ。おまえのために広めてあげてんだ』と（笑）どこかの舞台で…あッ、あれは絵画館前だ、神宮のね。生放送で『コマネチ、コマネチ、コォマネチィー』ってやったらけっこうウケんですよ。そしたらたけしがゲストでいきなり出てきてね、一言『元祖コマネチ！』って（笑）」山藤章二『対談「笑い」の混沌』講談社、 1990年。ISBN 4062046210&amp;lt;/ref&amp;gt;。ちなみに後年、[[ヴェネツィア国際映画祭]]でグランプリを受賞した際には、[[ナディア・コマネチ]]本人より祝福の手紙が寄せられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ブームの只中に発売したネタ本「ツービートのわッ毒ガスだ」は、年間6位という売り上げで最初のヒット著作となった。本の出版元である[[KKベストセラーズ]]はビルを新築し「毒ガスビル」などと呼ばれた。たけしはその[[印税]]で[[ポルシェ]]を購入、[[三宅一生]]の服を着て舞台に現れるようになり、[[報知新聞]]に「アイツに俺の服、着ないように頼んでくれ！」という記事が載った。（三宅自身は後の雑誌インタビューで”発言”を否定している）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フジテレビは「THE MANZAI」の成功に乗り、漫才師による昼の帯番組「[[笑ってる場合ですよ!]]」の放送を開始する。ツービートは火曜日のレギュラーとなり、漫才のネタであった架空のコンテスト「勝ち抜きブス合戦」を現実化させた。ブームの終焉と共にこの番組も終わりを告げたが、最終回でたけしは[[スタジオアルタ]]の客に向かい「何でもゲラゲラ笑いやがって！本当はお前らみたいな客、大っ嫌いだったんだよ！」と毒ずいた。[[プロデューサー]]・[[横澤彪]]は後番組の司会をたけしに依頼したが「俺は躁鬱気味だから、毎日の昼番組の司会なんかできません」と断られた。代わってタモリが抜擢され「[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも]]」が生まれることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1981年|1981年（昭和56年）]]の元旦から始まった[[オールナイトニッポン]]での単独DJも好評で、同様のファン層に支持された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1982年|1982年（昭和57年）]]の夏頃にはブームは完全に鎮火。漫才ブームから成功の兆しを感じ、“タレントビートたけし”として漫才以外でも世間に知られるようになる。以降、単独で司会をする番組を多く持つようになった。のちに漫才ブームの仕掛人・[[澤田隆治]]はブームを振り返り「漫才で一番稼いだのは誰だかよく判らないが、このブームにはずみをつけ、トータルで一番稼いだのがツービートであることは間違いない」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オールナイトニッポン ===&lt;br /&gt;
[[ニッポン放送]]系の深夜放送ラジオ番組「[[ビートたけしのオールナイトニッポン]]」でビートたけしの評価は一気に高まる。本人が当時を述懐するに『とにかく一人で喋ると間が空く事がものすごく恐かった』と言う通り、トークの速度はものすごく密度が濃い。当時のファンの中心層であった大学生は必ずテープに録音してから何度も聞き直さないと全内容が捕捉出来なかった程であった。ただ横で笑っているだけのように見られていた[[放送作家]]の[[高田文夫]]は、実はたけしのハイテンションを絶妙な間合いの合いの手で支えていた。当時は同じ事務所の（たけしが紹介した）[[片岡鶴太郎]]も共に参加していた。この番組から出た本は今で言う“語り起こし”で構成は主に高田によるものであった。また、[[ハガキ職人]]と呼ばれた熱心な投稿者の存在も大きく、このスタイルは後の「[[とんねるずのオールナイトニッポン]]」「[[ナインティナインのオールナイトニッポン]]」「[[伊集院光 深夜の馬鹿力]]」等、お笑い系パーソナリティの放送構成モデルとなった。次第に[[東国原英夫|そのまんま東]]をはじめとした弟子志願者が現れはじめ、日本一周をラジオで中継させたりする『弟子やめさせコーナー』もあり、鶴太郎と交代するように[[たけし軍団]]も放送に加わる様になった。放送の構成は週の出来事をおもしろおかしく話す内容が大半だが、時に[[三島由紀夫]]に傾倒するや、2時間三島を語る等の“講義モード”になったときもあった。また、中国で日本人修学旅行生が鉄道の大事故で亡くなる等の社会的な問題が起こった際には放送をボイコットしたり、風邪による体調不良で休んだこともあった（このときは急遽軍団が番組を引き受けていた）。ほかにも、たけしが放送中ずっと[[ファミコン]]の「[[ポートピア連続殺人事件]]」をプレイしていたこともあった。この時も基本的に軍団が放送していたが、たけしは時折ゲームについて話し、その会話の中で偶然犯人を名指ししてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オレたちひょうきん族 ===&lt;br /&gt;
[[明石家さんま]]、[[島田紳助]]、[[片岡鶴太郎]]たちと出演した『[[オレたちひょうきん族]]』（[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、メインはたけし）は、当時のお化け番組『[[8時だョ!全員集合]]』 ([[東京放送|TBS]]) を放送終了に追い込み、80年代のバラエティ番組の金字塔となった。なお同番組の収録をしょっちゅう休み、そのたびに[[明石家さんま]]や[[島田紳助]]にネタにされた。来なかった理由を「'''オバケが出たから'''」と言い訳したこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同番組の人気コーナーで、たけしが主役のヒーローコント『THE タケちゃんMAN』は当時一世を風靡し、これにあやかって[[学校給食]]に「[[タケちゃんマン#タケチャンマンライス|タケちゃんマンライス]]」なる料理が登場するようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== バラエティの黄金期===&lt;br /&gt;
1982-1984あたりから[[テレビ東京|TX]][[気分はパラダイス]]等に出演している最中[[たけし軍団]]という弟子志願者（正式な門下は取らない主義の為“ボーヤ”と呼ばれる）の人数が集まって来た事から、集団で行うバラエティの展開を模索し[[日本テレビ放送網|NTV系]][[スーパージョッキー]]、[[東京放送|TBS系]][[笑ってポン]]、[[お笑いサドンデス]]等と相まって各種のスペシャル番組にも取り組むも、まだファン層は新しいものを求める男性の大学生や若年層社会人に限られたコアな認知度だった。また博識が評価されTBS[[世界まるごとHOWマッチ]]等で文化人的な出演要請も増えて来た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年から過去の経験や蓄積したアイディアからバラエティの黄金期を迎える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* NTV＝スーパーJOCKEY&lt;br /&gt;
* NTV＝天才！たけしの元気が出るテレビ&lt;br /&gt;
* ANB＝ビートたけしのスポーツ大将&lt;br /&gt;
* TBS＝風雲！たけし城&lt;br /&gt;
* NTV＝OH!たけし&lt;br /&gt;
* TBS＝世界まるごとHOWマッチ（[[毎日放送|MBS]]制作）&lt;br /&gt;
* CX＝オレたちひょうきん族&lt;br /&gt;
* LF＝オールナイトニッポン&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時のレギュラー番組全てであるが、このうちNTV [[テレビ朝日|ANB]] TBS [[フジテレビジョン|CX]]全ての20時台の最高視聴率をマークした。尚、たけし城、元気、スポーツ大将は全て実質ビートたけし本人の企画・構成によるものである。その他放送以外に歌手としてのレコードリリースとライブ活動、文学小説の出版、“たけしの挑戦状”等のゲーム制作も行っており、[[フライデー襲撃事件]]が起こる迄の期間はバラエティ時代の黄金期と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ビートたけしバイク事故===&lt;br /&gt;
[[Image:細川ふみえ1.jpg|300px|thumb|たけしと肉体関係にあった[[細川ふみえ]]]]&lt;br /&gt;
たけしは[[1994年]]（平成6年）[[8月2日]]午前1時40分、当時関係を持っていた[[細川ふみえ]]のマンションへ向かうため[[原動機付自転車|原付バイク]]で東京都新宿区の[[安鎮坂]]付近を走行中に自損事故を起こして重傷を負った。事故後は[[東京医科大学病院]]に救急搬送されて一命を取り留めたものの、長期の入院などにより約半年間に渡ってテレビ出演が出来なくなった。また、事故は酒気帯び運転によるものであったために[[書類送検]]され、起訴猶予処分を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
退院時、暫くは顔面の半分が麻痺した状態であった。リハビリにより回復したが、退院会見では「頭にボルトが入っていて飛行機の金属探知機に引っかかる」「顔面麻痺が治らなかったら芸名を顔面[[和田弘とマヒナスターズ|マヒナスターズ]]にします」と、自らの怪我をネタにした。翌年[[3月4日]]の平成教育委員会でテレビ復帰し、その後レギュラー番組にも復帰した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
テレビ朝日『[[やじうまワイド]]』で、大島渚は「僕は彼の心情を想うと、友人として何も言う気にはなれない」とコメントした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事故で生死の境を彷徨っていた時、たけしの夢の中に、[[1993年|事故の前年]]に亡くなった親友の[[逸見政孝]]が出てきたという。たけしは、「あれは、まだ俺は死んじゃいけない。って逸見さんが言いに来てくれたんじゃないかな」と、退院後のインタビューで答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ジョージア (缶コーヒー)|ジョージア]]のCMへの出演が決定していたが、この事故のために撮影が中止された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== バイク事故〜金獅子賞受賞以降 ===&lt;br /&gt;
[[1997年|1997年（平成9年）]]、映画「[[HANA-BI]]」で、第54回・[[ヴェネツィア国際映画祭]]でグランプリに相当する[[金獅子賞]]を受賞する。本映画祭における日本作品のグランプリ受賞は39年ぶり。発表直後、たけしは「これでやっと、新人とか違う分野から出てきて映画撮ってもここまで行けるんだってのがわかったから、これから映画目指す奴にはいい刺激になったと思う」と語った。授賞式では「また日伊同盟を組んで他国を攻めようぜ」と英語でスピーチ。翌朝のスポーツ紙には「たけし、ズッコケ授賞式」という見出しが踊った。ニュースとしては[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ元王妃]]の葬儀と重なったことで2番目の扱い。帰国時の記者会見では現地の土産物屋で購入した金獅子像のミニチュア（約280円）を披露して笑いをとった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自著「時効」の中で四十代中盤を迎えたあたりから頭の回転が鈍り言葉が出にくくなる、突っ込みが鈍くなるなどの年齢からくる衰えが出始めたが当時はまだまだタレントとして盛りで世間が俄然たけしの[[毒舌]]を期待していたためギャップで悩んだと述べている。そして同著の中ではもう若いときのような毒舌は出来ないからテレビに出る時はおもしろいおじさん的な立場で出られればいいとも述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ビートたけし登場以後、TV業界へ与えた影響 ===&lt;br /&gt;
マンザイブームは、それまでドリフターズや萩本欽一などお笑いスターを中心に据えて存立していたバラエティ番組を大きく変えるきっかけになった。&amp;lt;!--「オレたちひょうきん族」は関西系タレントが多かった事もあり、その'しゃべくり'の伝統を受けてフリートークが重視された。--&amp;gt;「[[オレたちひょうきん族]]」で茶の間に認知されたビートたけしは、その「ひょうきん族」自体では明石家さんまへの突っ込み役に徹することが多かったが、「[[お笑いサドンデス]]」「[[笑ってポン]]」等でそれまでの平和型のコントやギャグよりも、むしろ過激で無謀な方向性のギャグを志向した。 そして1985年以降のバラエティ黄金期では一般視聴者（素人）を重要な役割で参加させる番組を提示する。それまでバラエティ番組は（欽ちゃんファミリーの「気仙沼ちゃん」などごく一部の例外を除いて）あくまで芸人主導のものとされていた常識を覆し、ビートたけしは素人とたけし軍団を対抗させる形で、素人も主役に据えているのが最大の特徴である。「[[風雲!たけし城]]」では、たけしと軍団が構える『たけし城』に様々なゲーム形式の障害を乗り越えて行くという「攻略ドラマ」を中心に据えた番組構成を示した。考え抜かれた各ステージにおける参加者のリアクションの面白さは世界的な普遍性を持ち、世界各国で吹き替え版はもとより、権利を購入して現地キャストで製作した番組が放送されて人気を博した（一方本家のTBSは、同じ緑山スタジオを舞台に「[[筋肉番付]]」「[[SASUKE]]」等、「たけし城」をヒントにしたフォロワー番組を作り続けている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[スポーツ大将]]」では陸上競技、草野球、ママさんバレー、サッカー、水泳等の『昔取った杵柄』自慢の素人とたけし軍団が競う趣向をとった。たけし軍団では歯が立たない場合は100m走ではカール君、水泳ではトビウオ君、野球では球道君といった機械仕掛けのキャラクターが登場し、シュールな笑いを喚起した。「[[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]]」では様々な素人を『街の話題』的に取り上げたり、ダンスが若者に浸透してきているニーズをいち早く察知し「ダンス甲子園」のコーナーを設けるなどの企画が光った。象徴的なのは番組内の企画コーナー「たけしサンタ」であり、子供が寝静まった枕元にサンタの扮装をしたたけしがプレゼントを届け、気づいて起きた子供のリアクションを愉しむというもの（この「元気が出る…」のスタイルは「[[ねるとん紅鯨団]]」や「[[浅草橋ヤング用品店]]」へ引き継がれる。いずれも制作会社が[[IVSテレビ制作]]、[[テリー伊藤]]の演出）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これら各局視聴率トップを誇った番組のほとんどがビートたけし本人の企画と構成であり、そのキーワードは『夢』であるといえる。一般視聴者が様々な形で参加し愉しむというコンセプトはどれも一貫したもので、ファミリー参加型の家族リレーや家族大会等、視聴者が後々までも自らの語り草にできるような良質な番組であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バラエティの中でビートたけしが用いる言葉も業界で浸透した。{{fact}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
オープントークで『と、言うわけで』から始まる独特のフレーズは当初「どういう訳なんだよ！」と突っ込みを貰う為のものであったが、今では疑問を持たずにそれ以後のタレントが当たり前のように用いている。『肉付けされた白骨死体みてぇな顔じゃねぇか』のように『〜みたいな〜』の例え表現形式もツービート時代にビートたけしが使い始めたもので、以後のお笑い系タレントがやはり当たり前に用いている。『わけのわからねぇ事言ってんじゃねえ！』の『わけのわからない』の表現も以前は日常で用いられる事はさほど無かったが、常用されるようになったのはビートたけし以後である。{{fact}}余りに浸透しすぎて居るが故にこれらの言葉を今日では誰も意識する事がなくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画監督 ==&lt;br /&gt;
当初は売れっ子芸能人であることで撮らせてもらっていたが、[[ヴェネチア国際映画祭]] 金獅子賞をはじめ国際的な賞も得ている。（各作品の詳細は[[ビートたけし#監督作品|「監督作品」]]を参照のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1989年]]、北野が初めて[[メガホン]]を取った「[[その男、凶暴につき]]」は、当初 監督：[[深作欣二]] 主演：ビートたけしで映画化されるはずであった。[[松竹]]の[[映画プロデューサー]]・[[奥山和由]]は両者の間で交渉を進めたが、たけしのスケジュールが合わず「[[リハーサル]]はしない」「演技は[[本番]]一回きり」という難しい条件が提示された。深作は60日間の拘束を主張したため交渉は決裂、監督を辞退した。そこで奥山は人物的魅力と話題性から、たけし自身に監督の依頼を持ちかけたところ、テレビの仕事と両立させることを前提として承諾。一週間おきの撮影という珍しい形態が採用され、ここに映画監督・北野武が誕生した。&amp;lt;!-- 奥山は宣伝活動において「ビートたけしが撮った映画」という要素を最大限に活用、その甲斐もあって初監督作品は満足のいく成績を納めることとなる&amp;lt; ref&amp;gt;『その男、凶暴につき』制作費等総原価4億6千万、収入7億8千万&amp;lt;/ref&amp;gt;。出資元の[[バンダイビジュアル]]からは次回作の要望が打診され、この時点において奥山と北野は良好な関係が続くように思われた。 --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ビジュアル面での最大の特徴は、「'''キタノブルー'''」と評される青の色使い。また、多くの作品で登場人物の「死」が描かれ、青みの深い画面のもたらすひんやりした映像感覚とあいまって、全編に静謐な不気味さを醸し出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした一貫したカラーを持つ一方で、撮影時のアングルや編集のリズム、自身の絵画の導入、CGによるエフェクトなど、一作ごとに新たなチャレンジや創意も感じさせる。映像に一層の格調高さを与えている久石譲の音楽（3作目以降）も重要な存在である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京芸術大学]]に[[2005年]]4月に新設された大学院映像研究科の教授および映画専攻長に就任した。監督領域の教授は北野武と[[黒沢清]]の二名のみである。また、次兄の北野大も淑徳大学の教授だったので兄弟で教授となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]、[[第60回カンヌ国際映画祭]]に招待された。その際、マスコミをシャットアウトした上で[[松本人志]]（同じくカンヌ国際映画祭に招待された）と対談を行った。松本は、自らの初監督作品である『[[大日本人]]』の上映途中で席を立つ観客にショックを受けたと語り、たけしは「こんなことは当たり前だ。10年も映画監督をやればどうにかなる。他の監督より才能がある」と慰めた。（たけし自身は第52回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式参加した『[[菊次郎の夏]]』で約10分間の[[スタンディングオベーション]]を受けている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[2007年]]8月、カンヌ映画祭にて「GLORY TO THE FILMMAKER」賞が新設されることとなった。これは「監督!ばんざい」に基づいてつくられたもので、現地時間の8月30日に行われた表彰式に出席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の映画監督故・[[黒澤明]]とも会った事があり、たけしは黒澤を[[大島渚]]と共に敬愛している。たけしのベスト映画は『[[七人の侍]]』である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他プロフィール ==&lt;br /&gt;
[[明治大学]]特別卒業認定者（[[2004年]]）。[[血液型]]O型。趣味は[[野球]]、[[音楽]]、[[映画]]、[[ゴルフ]]、[[数学]]の勉強。好きな食べ物は[[おにぎり]]、九州[[ラーメン]]、[[から揚げ]]、コロッケパンなど。[[星座]]は山羊座。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 数学 ===&lt;br /&gt;
大学が理系であった事からも分かるように、[[数学]]に対する造詣も深く、「もし道を間違えなかったら、数学の研究者になりたかった」とも語っている。また、かつて「[[ここがヘンだよ日本人]]」に出演した少女の、「数学なんか学んで何になる」という言葉に対し、「世の中の全ての現象は数学に支配されており、数学で説明できる」と反論した。しかし「[[平成教育委員会]]」の[[算数]]の授業で、「数学は答えさえ合ってれば良い」との理系出身者とは思えない理由で、論拠が誤っている正解者を優等生に選出したこともある。ただしこの発言は「数学は答えを導くための式は何通りも存在し、解答として掲載されている計算式に必ずしもこだわる必要はない」あるいは「解答した理由も合わせて答えよ、という設問ではないことから、時にはこういった手段を限定的に用いることもかまわない」といった意味に過ぎない、との解釈も成立する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== スポーツ ===&lt;br /&gt;
[[サッカー]]（Jリーグより以前の国内・海外選手に詳しい）や[[野球]]をこよなく好み、[[長嶋茂雄]]を敬愛している。たけし自身は野球が好きな理由として、誰しもが平等にスターになれるチャンスがあること、どんなに立派な人でも正直に必死にやれるところがいいと述べる。少年時代は『島根イーグルス』、演芸場時代は漫才師の野球チーム『メダトーズ』に所属しておりキャリアは非常に長い。また、草野球チームとしての『[[たけし軍団]]』ではピッチャーを務め、マウンドに立つこともある。野球をする時の彼は真剣で、軍団に本気で恐れられた。[[川崎球場]]で番組収録中、グラウンドに人気絶頂の[[光GENJI]]が登場したため女性ファンの歓声が巻き起こり、試合どころではなくなってしまった。その際に誰よりも早く「ここはグラウンドで野球をやってるんだぞ！コンサートじゃねえんだ！」とスタッフに怒号を発して、場内にいた[[江夏豊]]を始めとするプロ選手達を感動させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[明治神宮外苑|神宮外苑]]の軟式球場が一種のホームグラウンドで、最盛期は年間70試合近くもこなしていたという。その勝率は高く芸能人チームでは最強と言われた。[[1991年]]の[[阪神タイガース]]・ファン感謝デーでは余興の試合（[[軟式野球|軟式]]）とはいえ勝利を収め「阪神13位」とスポーツ紙を賑わせている。『スナック・茜』のマスターが主催する『茜リーグ』では漫画家・[[水島新司]]率いる『ボッツ』が[[好敵手]]で、[[1986年]]に[[講談社]]が企画した試合では[[後楽園球場]]を舞台に激戦を繰り広げた。また、長らく続いていた[[東京スポーツ]]との確執も草野球で爽やかに[[手打ち]]が行われ、この試合における勝利によって同紙客員編集長の座を得たことになっている。作家・[[伊集院静]]が連載していたエッセイ『二日酔い主義』の中には、たけしと一緒にプレーをした記憶に触れる回が幾つかあり、『たけしのグローブ（伊集院静『あの子のカーネーション』文藝春秋、 1989年。）』では、どこか懐かしさを感じさせるユニフォーム姿と使い込まれた内野手用のグローブに強かな野球少年の面影を重ねて描かれている。本作で[[三原脩]]に準えられたそのユニフォーム姿は、[[イラストレーター]]・[[佐々木悟郎]]の手によって水彩画に仕立てられ『[[スポーツシャワー〜ヒーローに花束を〜]]』の中で使用されていたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[格闘技]]では[[ボクシング]]を好み、自身もジムに通った経験を持つ。映画の中で人を殴るシーンや『座頭市』における逆手切りのフォームには影響が垣間見える。浅草時代を知る[[石倉三郎]]も「タケちゃんのケンカはボクシングスタイルで結構パンチも早かった」と述べている。[[ガッツ石松]]ネタはラジオの人気コーナーとなった。当時、暴走激しいネタの数々に所属事務所は憤慨していたが、ガッツ自身は鷹揚な態度でたけしに接したという。「トカちゃん」こと[[渡嘉敷勝男]]は莫逆の友と呼べる仲で、その純情可憐な性格をたけしに愛された。『[[天才たけしの元気が出るテレビ]]』のボクシング予備校からは[[飯田覚士]]・[[松島二郎]]を輩出。[[辰吉丈一郎]]とは『[[Sports Graphic Number|Number]]』誌上の対談などで懇意となった。映画『キッズ・リターン』ラストシーンの台詞は辰吉に贈られたものでもある。人生のバイオリズムが同期した[[1997年]]は運命の不思議を笑いあった。なお、たけし自身は[[1963年]]の[[高山一夫]] vs [[勝又行雄]]戦、[[1971年]]の[[金沢和良]] vs [[ルーベン・オリバレス]]戦をベストマッチに挙げている。その一方で、[[1987年]]の[[たけしプロレス軍団]]にまつわる騒動において苦い経験もした。また、[[空手]]で骨折し拳の一部が変形している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他方、あまり好きでないスポーツとして、[[バドミントン]]・[[バレーボール]]を挙げている。また器械体操の類も不得意で、子供の頃から[[鉄棒]]の[[逆上がり]]や[[跳び箱]]が不得手だった。跳び箱ができないことは後に『[[ビートたけしのオールナイトニッポン]]』や『[[ビートたけしのスポーツ大将]]』内でネタにされ、「ビートたけしの跳び箱オリンピック」と題した苦手克服企画が放送された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== タップダンス・ピアノ ===&lt;br /&gt;
漫才ブームが過ぎ、次代に生き残る為の材料を思索していた時期、たけしはテレビの更なる[[バラエティ番組|バラエティショー]]化が進むと予想していた。そこから「タップとピアノ位はやれないとみっともねえだろ」という発想が生まれる&amp;lt;ref&amp;gt;「ただ漫才しか出来ねぇ奴とかさ、下手な歌やってるアイドルなんて、それ以下になっちゃうの。（中略）お笑いやってる奴の方が、歌を唄ってる奴より音楽性が豊かだったら『おめーら何やってんだよ』って言えちゃうわけよ」景山民夫『極楽TV』JICC出版局、1985年。ISBN 4880631361&amp;lt;/ref&amp;gt;。&amp;lt;!-- 芸の中でもタップとピアノという選択にいきついた詳細な理由は不明だが、「[[:en:The David Letterman Show|デヴィッド・レターマン・ショー]]（おそらくは&amp;quot;[[:en:Late Night with David Letterman|Late Night with David Letterman]]&amp;quot;）」のような番組をやりたいなどと述べていたことから、海外のエンターテイメント番組に近づいて行くと想像していた可能性はある。--&amp;gt;以降、弟子のたけし軍団もタップ・楽器・[[神楽#芸能としての神楽|太神楽]]（[[ジャグリング]]）の練習が[[必修科目]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[タップダンス]]に対する思い入れは深く、毎日練習を欠かさず行なう。映画「[[座頭市 (2003年の映画)|座頭市]]」の撮影では踊るシーンが無いのにも関わらず練習をしていた。海外に渡航する際ですらタップシューズを持参するという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ピアノを弾くのは[[フェルディナント・バイエル|バイエル]]、[[カール・ツェルニー|ツェルニー]]、そして[[ソナチネ]]（練習曲から本格的な楽曲へ移る分岐点にあたる）までで、それ以上の域に到達する必要はないと言う。ピアノ奏者レベルまで目指すのは本末転倒で、タップもピアノも「真剣にやろうと思えばやれる」ところまで到達し、それ以降はいかにアレンジして見せるかを考えるのが芸人の仕事だと語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・縁戚 ==&lt;br /&gt;
父の叔母で実質の祖母である[[北野うし]]（[[1877年]]生）は[[明治時代]]に娘[[義太夫]]の花形であった。2人の兄と1人の姉がおり、次兄は[[タレント]]で[[明治大学]]教授、[[博士 (工学)|工学博士]]の[[北野大]]である。また長兄も若い頃から秀才で[[機械工学]]に造詣が深かったらしい。妻は元漫才師の[[北野幹子]]（旧姓・松田）、長男、長女の[[北野井子|井子]]（しょうこ）。[[レーサー|レーシングドライバー]]の[[松田秀士]]は[[義弟]]である。&lt;br /&gt;
たけしが芸人を志したとき北野家の誰もが反対したが、長兄の妻（たけしにとっては義理の姉）だけは「武さんは必ず出世する」と断言したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]]10月に長女の[[北野井子]]が調理師と入籍し、[[2005年]][[3月9日]]に女児を出産し、たけしは「'''おじいちゃん'''」となった。しかし同年6月、離婚調停中であることが発覚した。孫誕生後は自宅にちょっと顔を出して、娘の住む家に帰宅。孫をおんぶしたりと面倒を見ているらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件・事故 ==&lt;br /&gt;
=== フライデー襲撃事件 ===&lt;br /&gt;
{{main|フライデー襲撃事件}}&lt;br /&gt;
[[1986年]][[12月9日]]に、[[たけし軍団]]とともに[[フライデー襲撃事件]]を起こし逮捕。[[懲役]]6ヶ月、[[執行猶予]]2年判決（[[東京地方裁判所|東京地裁]]、確定）。たけしのレギュラー番組で人気だった[[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]]や[[風雲!たけし城|痛快なりゆき番組 風雲!たけし城]]、[[スーパーJOCKEY]]への出演を謹慎のために半年間欠席した。襲撃した理由は、当時たけしが交際していた女子大生にフライデー記者が校門で急襲取材をしたための報復と言われている。女子大生に暴行で告訴された記者は[[罰金１０万円]]の判決を受けた。また、たけしを弟子の様に可愛がっていた[[横山やすし]]は「悪いのは、たけしやない!悪いのは雑誌『フライデー』や!」とフライデーの取材方法に対して痛烈に批判をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに襲撃直前のたけしと軍団を、車で通りがかった[[堺正章]]が発見、会話を交わしている。また、襲撃後に連行されて行くたけしと軍団を、講談社「[[ホットドッグ・プレス]]」の編集部にいた[[山田五郎]]が目撃している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1987年]]、[[映画監督]]・[[深作欣二]]は、謹慎中の身にあったたけしと京都において初対面。その印象を「非常に鋭い顔をしている。笑っていても目は笑わんし、顔立ちが独特だ。いろんな人間とシビアな闘争をしてきた男の顔だ」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== バイク事故 ===&lt;br /&gt;
[[1994年]][[8月2日]]午前1時40分。[[東京都]][[新宿区]]の[[都道府県道|都道]]で[[飲酒運転]]での[[原動機付自転車|原付バイク]]事故を起こし、入院生活などで半年間ブラウン管から姿を消していた（反則点数7点、免許停止30日）。酒気帯び運転にて[[書類送検]]されるも起訴猶予。退院時、顔面は半分麻痺した状態だったが、リハビリにより回復し、復帰当時は「頭にボルトが入っていて飛行機の金属探知機に引っかかる」「顔面麻痺が治らなかったら芸名を'''顔面マヒ'''ナスターズにします」と自らの怪我をネタにした。また、たけしが司会を行っている番組は他の出演者が司会代理を行っていたが、[[平成教育委員会]]はたけしと仲の良い[[明石家さんま]]、[[所ジョージ]]、[[大橋巨泉]]が代理講師を務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事故の朝、フジテレビ「[[おはようナイスデイ]]」（当時司会・[[生島ヒロシ]]）は時間を延長して放送。[[東京放送|TBS]]「[[モーニングEye]]」では、まだ生死が判明していない段階であるにも関わらず、司会の[[渡辺真理]]が号泣してしまった。テレビ朝日「[[やじうまワイド]]」の[[コメンテーター]]だった[[大島渚]]は「僕は彼の心情を想うと、友人として何も言う気にはなれない」とコメントを差し控えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記事故で生死の境を彷徨っていた時、たけしの夢の中に既に亡くなっていた[[逸見政孝]]が出てきたという。たけしは、「あれは、まだ俺が死んじゃいけない。って逸見さんが言いに来てくれたんだろうな」と、退院後のインタビューで答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
人間は「振り子」であるとして、「思い切り悪いことのできる奴は思い切りいいこともできる、思い切りバカなことのできる奴は思い切り真面目なこともできる」旨の発言をしている。映画監督として評価を得た後もバラエティ番組に出演することにはそうした理由もあると明言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[一人称|自称]]は「俺」「僕」「オイラ」。「[[元気が出るテレビ]]」最終回の挨拶では「僕は…僕ってのはおかしいか。俺は…」と途中から言い直しているように、かなり意識的に使い分けている。「オイラ」は下町・職人言葉の位置づけで、自身が育った島根町が職人街だったことと関連する。また、[[近畿方言]]に圧倒されていた放送・演芸業界で、意図的に[[東京方言]]を使うように心がけていたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たけしの[[物真似]]をする際の動作として定番化している頻繁に首をひねる動作（ただし、たけし本人は1990年代以降はあまり見せなくなっている）は、癖ではなく若手時代に負った怪我の後遺症である。『[[週刊ポスト]]』での連載コラムの一節で本人が明らかにした。それによればツービート時代、「トランポリンで飛び跳ねながら漫才をやってくれ」と頼まれ、稽古中に頭から落下してしまい頚椎を負傷。幸い大事には至らなかったが、しばらくの年月にわたり首に違和感があったとの事。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
テレビ朝日「[[やじうまワイド]]」がお気に入りの朝番組で、他局の番組中でも頻繁にネタにした。あまりにもあちこちで吹聴するので、司会の[[吉澤一彦]]アナウンサーが「今日はたけしさん見てますかね」と放送中に呼びかけるほどであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 長年、パンツはブリーフ派であったが、体型を気にしてか、長じてからはトランクスを履くようになった。 --&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
[[色川武大]]はビートたけしを評して「才能は切れるが、それだけにいいところを一人占めしようとしすぎる」とし、[[榎本健一]]・[[藤山寛美]]・[[萩本欽一]]と並べて「自分の手足を切ってゆく」タイプの芸人に分類した&amp;lt;ref&amp;gt;色川武大『なつかしい芸人たち』新潮社、1989年（「銀座百点」掲載、1987年）&amp;lt;/ref&amp;gt;。（対極として、[[古川ロッパ]]・[[森繁久彌]]・[[タモリ]]の名を挙げた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1983年]]、[[思想家]]・[[吉本隆明]]は[[三浦雅士]]との対談や[[信濃毎日新聞]]の連載などで、しばしばビートたけしの事について触れた。そして[[栗本慎一郎]]との対談集の中で、たけしの話芸を「自分を[[異化]]することによって[[自然]]の流れとしてしまう芸風」と評した&amp;lt;ref&amp;gt;栗本慎一郎・吉本隆明『相対幻論』冬樹社、1983年&amp;lt;/ref&amp;gt;。のちに吉本が「[[海燕]]」誌上で[[埴谷雄高]]と論争になった際、たけしは『もっと阿呆になれ、吉本！』という文章を発表し「吉本さんは言い回しが難解」と指摘した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たけしに対しては進歩派を自認する人の中には否定的な評価をする人物もいる。古くは漫才ブームのころ、不道徳漫才の筆頭ツービートを槍玉にあげて倫理崩壊を論じあげる文章が多く見られた。そしてそういった論調の文章を、笑いが多様化する現代において「化石化した評論」として嗤う図式も幾度となく繰り返された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1981年]]、[[ルポライター]]・[[鎌田慧]]が「ツービートの残酷ギャグは[[ファシズム]]の兆し」と、『[[朝日ジャーナル]]』に批判論を執筆&amp;lt;ref&amp;gt;「ファシズムみんなで進めば怖くない」『朝日ジャーナル』朝日新聞社、1981年&amp;lt;/ref&amp;gt;。『[[広告批評]]』でツービート擁護論を展開していた[[鶴見俊輔]]と論争を繰り広げた（鎌田は[[志村けん]]が流行させた「[[七つの子|カラスの勝手でしょ]]」についても触れ「[[コミュニケーション]]の遮断である」と指摘）。もっともこの論争自体も、『[[夕刊フジ]]』にエッセイを連載していた[[小林信彦]]から、「要は漫才ブームに便乗して、いたいけな学生に週刊誌を売りつけようという」魂胆、と評された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それ以外にも[[辛淑玉]]がたけしの軍団に対する態度について権威主義的で弱い者いじめをしていると主張しているほか、[[利用者:佐高信|佐高信]]や[[本多光夫|諸井薫]]も同様の主張をコラムなどで主張している。また、これ以外でもフライデーを発行している[[講談社]]系列の雑誌はたけしの言動について肯定的なスタンスよりも否定的なスタンスで記事を書くことが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これら批判的な論評は「お笑い文化」を余り理解していない論者による物が多く、たけし自身が「冗談と本気の区別が付かない奴らがいる」と評したり、番組内で[[テリー伊藤]]が代表的ギャグである「赤信号みんなで渡れば怖くない」について「赤信号を渡ってはいけないという遵法意識やモラルを充分分かった上でのパロディー的な冗談なのに、冗談と受け取らずまともに受け取る世代がいた」と批判している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また[[田中康夫]]とは[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]の「五つの焦点」コーナー中にたけしが乱入する騒動を起こして以来の因縁があり、たけしを自らと同じく「価値紊乱者」、すなわち既存の権威への挑戦者としつつも、1980年代中盤にはたけしの[[落語立川流|立川流]]への入門や軍団創設について『ファッディッデュ考現学』にて「肩書きや権威など、精神的ブランドに依拠しており（当時たけしがなりたいと語っていた）日本の[[:en:Lenny Bruce|レニー・ブルース]]になりそこねた」と評していた。ただし田中はフライデー襲撃事件の際にはたけしを擁護する見解を述べ（事件の記録をまとめた『たけし事件』に収録されている）、たけし側も著書中に「田中の康夫ちゃん」との記述が見られ、「[[平成教育委員会]]」にも出演するなど、親交も持った。一方で「ドナルドダックのように嫌われることも厭わず本音で周囲に毒を吐く存在であったはずが、ミッキーマウスのように嫌われることを恐れ優等生的発言しか行わなくなりつつある」といった意味の論評も『神なき国のガリバー』や『ニッポンご託宣』にて並行して行っている。また、一時公私共での交際のあった[[宮沢りえ]]が[[貴乃花光司|貴花田]]と一時期婚約した際に、「オイラは捨てられた」と疲れきった扮装で会見に臨んだことや、バイク事故直後にあえて顔面麻痺状態で会見に臨んだことに関しては評価したが、その後の本格復帰を決めた際は「芸能界の一線からは退いた方が良かったのではないか、取り巻きや軍団を養うためだとすれば自活を促すべきだった」と書いている。たけしの方も田中の長野県知事就任直後の「名刺折り曲げ事件」の際には『週刊ポスト』の連載にて「バカなことしている」と田中を批判している。ただしこれはコラム内での放言で、たけしなりの田中への賛辞と捉えることもできる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画作品 ==&lt;br /&gt;
=== 監督作品 ===&lt;br /&gt;
監督作品には一部の作品を除き、自らも出演している。その際は原則として、出演は「ビートたけし」名義、映画監督活動は「北野武」名義となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*『[[その男、凶暴につき]]』（[[1989年]]）&lt;br /&gt;
*:映画監督としてのキャリアスタートは、主演映画に当初予定されていた[[深作欣二]]監督の降板に伴って実現する事となった。既存の刑事ドラマへの挑発とも言える、アンチヒロイックな意欲作。警察の実態は[[フライデー襲撃事件]]での逮捕時に目にした事実を存分に盛り込んで、リアリティを追求した描写となっている。&lt;br /&gt;
*『[[3-4×10月]]』（さんたいよんえっくすじゅうがつ）（[[1990年]]）&lt;br /&gt;
*:観客の解釈にチャレンジするかのような謎めいたストーリー。タイトルの意味も映画の中で語られることはない。前作も不条理な結末であったが、本作も引き続き生々しい暴力表現と不条理な展開が盛り込まれており、北野武の映画における暴力のイメージ追求がうかがえる。&lt;br /&gt;
*『[[あの夏、いちばん静かな海。]]』（[[1991年]]）&lt;br /&gt;
*:それまでの暴力的なイメージを一新し、「“死”は誰にでも平等に訪れるもの」をテーマに、聾唖者の純粋な恋愛悲喜劇と、理不尽の存在を描いた。それまで北野作品＝暴力という先入観から彼の作品を疎んじていた[[淀川長治]]が、評価を180度変えて熱烈に支持。この頃から「映画も作るビートたけし」ではなく「映像作家・北野武」のイメージと評価が形成され始める。また、久石譲と初めてタッグを組んだ作品。&lt;br /&gt;
*『[[ソナチネ_(映画)|ソナチネ]]』（[[1993年]]）&lt;br /&gt;
*:沖縄の海と空の鮮やかなブルー、その中に終始ただよう濃厚な死の雰囲気が鮮烈な傑作。シネフィルや多くの批評家達から熱狂的な支持を得て、日本を代表する映画作家の一人としての地位を主に海外で確立した。&lt;br /&gt;
*『[[みんな～やってるか!]]』（[[1995年]]）&lt;br /&gt;
*:これまでの賞賛・評価を真っ向から否定するようなナンセンス・コメディ映画。「ビートたけし第一回監督作品」とクレジットされ、バイク事故を起こす直前に完成、復帰後に公開された。のちに曰く「映画とかお笑い自体も全部馬鹿にするような映画にしたいと思ってやったのに、なんにも馬鹿にできなくて、単なる出来の悪い、お笑いにもならないような映画になってしまった&amp;lt;ref&amp;gt;『コマネチ！』新潮社、1998年（対談・[[今村昌平]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;」。多くの映画評論家に黙殺される結果となったが、[[淀川長治]]は「[[斎藤寅次郎]]、[[:en:Mack Sennett|マック・セネット]]の再来」と絶賛した。&lt;br /&gt;
*『[[キッズ・リターン]]』（[[1996年]]）&lt;br /&gt;
*:1994年のバイク事故からの生還・復帰作。&amp;lt;!--人生に挫折した青年二人が高校生時代と同じように授業を無視して自転車で二人乗りして校庭を走り回り、「オレ達もう終わっちゃったのかなぁ…」「バカ野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」と呟くラストシーンが印象的。--&amp;gt;ボクシングジムのシーンは北野自身のボクサー経験を活かし、現役ボクサーが観ても耐えうる作り込みがなされている。&lt;br /&gt;
*『[[HANA-BI]]』（[[1998年]]）&lt;br /&gt;
*:「死」と「暴力」を、詩情豊かに提示するという難題を形にした北野の代表作。[[ヴェネチア国際映画祭]]でグランプリ（金獅子賞）を受賞したのを筆頭に、日本を含め世界各国で数々の賞を受賞。フランスの権威ある映画批評誌『[[カイエ・デュ・シネマ]]』誌で北野武自身が表紙を飾った特集が組まれたことや、ヨーロッパでは大学の卒業論文に北野映画の研究を取り上げる学生もいるなど『'''キタニスト'''』と呼ばれる熱烈なファンも登場した。海外主要映画賞の受賞をきっかけに、北野武監督に対する日本での評価が手のひらを返すように一変。興行面でも、配給網がぜい弱な松竹系から、足かせのない独立系制作へ移行し、商業的成功と無縁だった状況が好転する事になった。&lt;br /&gt;
*『[[菊次郎の夏]]』（[[1999年]]）&lt;br /&gt;
*:道楽者の菊次郎と武少年の奇妙で愛情あふれる関係を丹念に描いた、北野作品では異色の「私小説的」映画。高齢の母さきが入院したのをきっかけに、亡き父、北野菊次郎へのオマージュとして、また[[HANA-BI]]で成功した自分への重要な区切りとして、マーケットを意識せずに「今どうしても撮りたいシャシン」として製作。しかし、単に中年男と子供のロードムービーには終わらず、後半は延々とコントが描かれるなど、北野ならではの分裂的な展開を見せる。&lt;br /&gt;
*『[[BROTHER]]』（[[2001年]]）&lt;br /&gt;
*:初の海外ロケ作品で、アメリカに攻め込んだヤクザを描く。今まで評価されなかった北米市場にチャレンジしたが、結局商業的には成功を収めるには至らなかった。&amp;lt;!--しかし様々な定義のBROTHER=兄弟が交錯するストーリーテリングは秀逸。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
*『[[Dolls (映画)|Dolls]]』（[[2002年]]）&lt;br /&gt;
*:「文楽が操る人間の道行き物語」をテーマにした実験作。『[[キッズ・リターン]]』以来の、複数の人間ドラマを同時進行させる構成をとる。赤い紐でつながれた登場人物像は、浅草修業時代に実在した、二人が紐で繋がっている乞食夫婦「つながり乞食」をヒントにしている。長期ロケにより美しい日本の四季をフレームに収め、芸術性も高く評価されたが、冒頭の文楽とその後のドラマのつながりなど、構成的バランスを欠く面もある。ともあれ常に新しいチャレンジの見られる北野作品の中でも、その内容、映像作りは大きなターニング・ポイントとなっている。&lt;br /&gt;
*『[[座頭市 (2003年)|座頭市]]』（[[2003年]]）&lt;br /&gt;
*:[[シッチェス・カタロニア国際映画祭]]グランプリ、[[ヴェネチア国際映画祭]]監督賞を受賞。北野が「おかあさん」と呼び、かつて出入りしていた浅草六区の大勝館会長、斎藤智恵子&amp;lt;!--(80)--&amp;gt;の誕生パーティーで呼ばれて『頼み事があるけど、断っちゃだめ』と製作するように頼み込まれ、前作より短期間で製作された作品。勝新太郎が演じたキャラクターの印象を払拭するかのような金髪、赤の仕込み杖の座頭市が型破りの活躍を見せる。全体に貫かれる「青」のイメージとリズム感あふれる編集。エンディングのタップや師匠深見千三郎仕込みの殺陣技術など、浅草演芸の伝統もたっぷり織り込まれている。依頼された企画であるがゆえに肩の力の抜けた娯楽作品に仕上がり、アメリカ人にも分かりやすいアクション、時代劇であることもあいまって念願の北米での評価も一気に高まった。&lt;br /&gt;
*『[[TAKESHIS']]』（[[2005年]]）&lt;br /&gt;
*:前作から一転、観客を突き放し、解釈を拒絶するかのような難解な作品。&lt;br /&gt;
*『[[監督・ばんざい!]]』（2007年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 出演作品 ===&lt;br /&gt;
[[戦場のメリークリスマス]]で注目される。映画監督となってからは、[[JM|Johnny Mnemonic]]でハリウッド･デビューも果たしているが、[[バトル・ロワイアル]]など、監督作品同様、その評価は賛否が分かれる。自分以外の作品に出演する際は監督に意見しないようにしているという。上述の自らの監督作品は除いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ゆけゆけ二度目の処女（1969年、[[エキストラ]]出演）&lt;br /&gt;
* [[まことちゃん]]（1980年、[[アニメ映画]]に[[声優]]で本人役[[カメオ出演]]）&lt;br /&gt;
* すっかり・・・その気で!（1981年、初主演作品）&lt;br /&gt;
* マノン（1981年、主演：[[烏丸せつこ]]）&lt;br /&gt;
* [[戦場のメリークリスマス]]（1983年、[[大島渚]]監督、[[坂本龍一]]と共演、[[友川かずき]]の代役に選ばれた。）&lt;br /&gt;
* [[十階のモスキート]]（1983年、[[崔洋一]]監督、[[内田裕也]]と共演）&lt;br /&gt;
* [[コミック雑誌なんかいらない]]（[[滝田洋二郎]]監督、内田裕也と共演）&lt;br /&gt;
* 哀しい気分でジョーク（1985年）&lt;br /&gt;
* 夜叉（1985年、[[高倉健]]と共演）&lt;br /&gt;
* 教祖誕生（1993年、たけし原作、[[萩原聖人]]と共演）&lt;br /&gt;
* [[JM|Johnny Mnemonic]]（1995年、[[キアヌ・リーブス]]と共演）&lt;br /&gt;
* [[Tokyo Eyes]]（1998年、ジャン・ピエール・リモザン監督、[[武田真治]]と共演）&lt;br /&gt;
* [[御法度 (映画)|御法度]]（1999年、[[大島渚]]監督）&lt;br /&gt;
* [[バトル・ロワイアル (映画)]]（2000年、[[深作欣二]]監督）&lt;br /&gt;
* バトル・ロワイアル 【特別篇】（2001年、[[深作欣二]]監督）&lt;br /&gt;
* [[バトル・ロワイアルII 鎮魂歌|バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】]]（2003年、[[深作欣二]]・[[深作健太]]監督）&lt;br /&gt;
* [[血と骨]]（2004年、[[崔洋一]]監督）&lt;br /&gt;
あなた(2012年)2014年11月23日に放送されたがオモクロと被ってしまった&lt;br /&gt;
モズ。（2015年11月7日。ダルマ役。）。9月19日のブランチで明らかになった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== テレビ出演番組 ==&lt;br /&gt;
=== {{LOCALYEAR}}年現在出演中の番組 ===&lt;br /&gt;
* [[世界まる見え!テレビ特捜部]]（[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]）2014年7月6日の世界一で出演シーン放送された&lt;br /&gt;
* [[たけしのコマネチ大学数学科]]（[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）&lt;br /&gt;
* [[奇跡体験!アンビリバボー]]（フジテレビ）&lt;br /&gt;
* [[ビートたけしのTVタックル]]（[[テレビ朝日]]）&lt;br /&gt;
* [[最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学]]（[[朝日放送|ABC]]）&lt;br /&gt;
* [[チャンネル北野eX]]（[[フジテレビ721]]）&lt;br /&gt;
* [[平成教育委員会]]スペシャル（フジテレビ）&lt;br /&gt;
アンビリ(フジテレビ)&lt;br /&gt;
報道キャスター、(TBS&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 過去に出演した番組 ===&lt;br /&gt;
2014年5月23日のワイドショー&lt;br /&gt;
5月29日のPON以外のワイドショー及び31日の知っとこと報道キャスター&lt;br /&gt;
2014年10月16日のワイドショー&lt;br /&gt;
2014年10月27日のPON以外のワイドショー。映画イベント&lt;br /&gt;
2015年2月23日のワイドショー&lt;br /&gt;
2015年9月23日のワイドショー&lt;br /&gt;
2015年10月1日のワイドショー&lt;br /&gt;
フジテレビ&lt;br /&gt;
(良い友。1986年9月5日。2014年3月31日)特種で86年のオープニングが放送された&lt;br /&gt;
TBS&lt;br /&gt;
水曜日のダウンタウン。(2014年4月23日。7月9日。)この事は翌日のYahoo!に乗っていた&lt;br /&gt;
'''[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]'''&lt;br /&gt;
* [[北野武の宵越しスーパートーク]]（1998年元旦、[[井上ひさし]]・[[諏訪内晶子]]・[[市川猿之助 (3代目)|市川猿之助]]との対談）&lt;br /&gt;
*: 井上ひさしとの対談は（井上ひさし『浅草フランス座の時間』文春ネスコ、2001年。ISBN 4890361235）に再録されている。&lt;br /&gt;
'''[[日本テレビ放送網|日テレ]]'''&lt;br /&gt;
* ルーブル。&lt;br /&gt;
[[テレビに出たいやつみんな来い!!]]&lt;br /&gt;
* [[わっ!!ツービートだ]]&lt;br /&gt;
* [[OH!たけし]]&lt;br /&gt;
* [[蝶々・たけしの21世紀まで待てない!]]&lt;br /&gt;
*: この番組で[[ミヤコ蝶々]]と初共演し自宅にまで招かれた。のちに蝶々は木曜「[[EXテレビ]]」でたけしの人物像を語った。&lt;br /&gt;
* [[スーパージョッキー]]&lt;br /&gt;
2013年12月30日の&lt;br /&gt;
成功の遺伝子で&lt;br /&gt;
熱湯の落下シーンが放送された&lt;br /&gt;
* [[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]]&lt;br /&gt;
* [[ビートたけしの全日本お笑い研究所|ビートたけしの全日本お笑い研究所→番組の途中ですが…再びたけしです]]&lt;br /&gt;
* [[ビートたけしのお笑いウルトラクイズ]]&lt;br /&gt;
2013年12月30日&lt;br /&gt;
の成功の遺伝子で&lt;br /&gt;
お好み焼きのシーンが放送された&lt;br /&gt;
* [[新橋ミュージックホール]]&lt;br /&gt;
* [[世界超偉人伝説]]&lt;br /&gt;
*   20年大河バラエティ！目からウロコ…1986年バブル経済から2007年超近現代史さんま＆所が解明!?人間は相変わらずアホか？ (日本テレビ系2007年4月30日放送）&lt;br /&gt;
* [[たかじんnoばぁ～]]（飛び入りゲスト、最終回にも出演）&lt;br /&gt;
ズームイン&lt;br /&gt;
ウィッキーの英会話に出演した&lt;br /&gt;
2013年12月30日&lt;br /&gt;
の成功の遺伝子&lt;br /&gt;
でも放送された&lt;br /&gt;
スッキリ(2014年11月24日)&lt;br /&gt;
笑ってこらえて。（2016年7月6日）&lt;br /&gt;
'''[[東京放送|TBS]]'''&lt;br /&gt;
* [[たけしのお笑いサドンデス]]([[お笑いサドンデス]])&lt;br /&gt;
*: 日本版[[:en:The Gong Show|ゴングショー]]。審査員には[[落語協会]]を脱退した直後の[[立川談志]]がキャスティングされ、たけしが[[落語立川流|立川流]]に入門するきっかけとなった。&lt;br /&gt;
* [[たけしのホッカホッカタイム]]&lt;br /&gt;
* [[笑ってポン!]]&lt;br /&gt;
* [[世界まるごとHOWマッチ!!]]&lt;br /&gt;
* [[ギミア・ぶれいく]]&lt;br /&gt;
* [[たけし・所のドラキュラが狙ってる]]&lt;br /&gt;
* [[二百三高地]]&lt;br /&gt;
* [[風雲!たけし城]]2015年1月7日の日本で一部のシーン放送された&lt;br /&gt;
* [[ここがヘンだよ日本人]]&lt;br /&gt;
* [[総天然色バラエティー 北野テレビ]]&lt;br /&gt;
炎の体育会&lt;br /&gt;
'''[[フジテレビジョン|フジテレビ]]'''&lt;br /&gt;
* [[たけし・逸見の平成教育委員会]]（※この番組では北野武名義。）&lt;br /&gt;
* [[FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島]]（1987、90）→FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島91’→[[平成教育テレビ]]→[[FNSの日]]&lt;br /&gt;
*: 1992年～1996年は総合司会として参加、1987年は深夜に飛び入り参加。これにより[[ビッグスリー|BIG3]]が誕生した。また1992年の平成教育テレビの前日、笑っていいとも!に登場し、当時は明石家さんまも金曜レギュラーだった為、タモリ、たけし、さんまが正月のスペシャル、FNSの日以外で珍しく3人が集まったこともあった。1997年以降はFNSの日に登場していない。なお「タモリと俺って言ったら20年くらい前なら嫌いな芸人のベスト3に必ずいる芸人だった、さんまもかつてはそうだったね。けど、今はみんな好きな芸人ベスト10に入っている。世の中不思議なもんだね。」と以前番組中に述べたことがある。&lt;br /&gt;
* [[ビートたけしのつくり方]]&lt;br /&gt;
* [[FNN DATE LINE|FNNデイトライン特別版]]&lt;br /&gt;
* [[たけしのここだけの話]]&lt;br /&gt;
* [[北野ファンクラブ]]&lt;br /&gt;
* [[北野富士]]&lt;br /&gt;
* [[足立区のたけし、世界の北野]]&lt;br /&gt;
* [[たけしの斉藤寝具店]]&lt;br /&gt;
* [[タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ]]&lt;br /&gt;
* [[FNS超テレビの祭典]]&lt;br /&gt;
* [[加ト・けん・たけしの世紀末スペシャル!!]]&lt;br /&gt;
* [[たかじん胸いっぱい]]（2003年大晦日スペシャルにゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[たけしの日本教育白書]]&lt;br /&gt;
* [[北野タレント名鑑]]&lt;br /&gt;
オモクロ。ヤフーに最終回乗っていた&lt;br /&gt;
バカ殿様。2016年6月15日に再放送放送された。&lt;br /&gt;
'''[[テレビ朝日]]'''&lt;br /&gt;
* [[ビートたけしのアイドルパンチ]]&lt;br /&gt;
* [[ビートたけしのスポーツ大将]]&lt;br /&gt;
* [[スポーツシャワー~ヒーローに花束を~]]&lt;br /&gt;
* [[神出鬼没!タケシムケン]]&lt;br /&gt;
* [[たけしの万物創世紀]]&lt;br /&gt;
* [[たけし・所のWA風が来た!]]&lt;br /&gt;
* [[ビートたけしの!こんなはずでは!!]]&lt;br /&gt;
* [[たけしのポリスアカデミー]]&lt;br /&gt;
スポーツ大賞2015(2015年3月22日)2月23日のワイドショーで予告放送された&lt;br /&gt;
'''[[テレビ東京]]'''&lt;br /&gt;
* [[気分はパラダイス!]]&lt;br /&gt;
*: [[イースト (テレビ制作会社)|イースト]]が初めて携わったたけしの番組。81年10月開始当初は[[宮崎美子]]の音楽番組だったが、82年4月からたけしにバトンタッチ。開始前に構成の[[景山民夫]]が会いたい人物の名を訊くと、たけしは[[田中角栄]]と[[江川卓]]の名をあげた（江川は実現）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ラジオ出演番組 ==&lt;br /&gt;
* [[ビートたけしのオールナイトニッポン]]（[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
* [[街でいちばんの男 ビートニクラジオ]]（[[エフエム東京|TOKYO-FM]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== CM出演 ==&lt;br /&gt;
CM出演はこのクラスの芸能人としては少ない部類に入る。アサヒビール「Z」のCMに出演した際にはキャッチフレーズを口ずさんでいたが、ある番組中において話が及ぶと、「あのまずいビール」などと語ったり、[[コーラ]]のCMに出演中だったにもかかわらず、別の会社のコーラを飲んでいたりしたこともある。大橋巨泉と共演した「アサヒ生ビール」のCMは撮影終了していたにも関わらず、フライデー襲撃事件の影響でお蔵入りしてしまった（CMのスナップショットは大橋の自伝『ゲバゲバ70年!』の中で見る事が可能）。[[1984年]]、「スーしませう」のキャッチコピーで発売された「白仁丹」や、ペプシの比較CMをパロディ化した『デミュートサンスター』では企画・演出にも深く関わる。他にも[[資生堂]]「アウスレーゼ」のCM企画を出していたが実現しなかった。[[1992年]]、宮沢りえが出演した[[エドウイン]]のCMでは企画のほかディレクションも自身が行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]から[[ロシア]][[CIS]]地域でPANASONICブランドの薄型テレビのCMに出演している。ロシアでは『風雲たけし城』や北野武名義の映画が好評で、ロシア人にも知名度が高い事から起用された。同CM広告担当者によると、「日本の有名人が単独で海外の国々でCMモデルになるのは初めてではないか」との事である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== CM出演作 ===&lt;br /&gt;
*[[サントリーフーズ |サントリー]] バイオミンX ※母親・北野さきと共演。&lt;br /&gt;
*[[森下仁丹]] 白仁丹&lt;br /&gt;
*[[サンスター]] デミュートサンスター&lt;br /&gt;
*[[新進]] 北野印度福神漬&lt;br /&gt;
*[[エスエス製薬]] エスファイト&lt;br /&gt;
*[[エースコック]] スーパーカップ ※宮沢りえと共演。&lt;br /&gt;
*[[UCC上島珈琲]] ジョルトコーラ&lt;br /&gt;
*[[トヨタ自動車]] カローラ ※BGMには[[菊次郎の夏]]のBGMが流れた。&lt;br /&gt;
*[[アサヒビール]] Z&lt;br /&gt;
*[[:en:Diageo|MHD ディアジオ モエ ヘネシー]] ジョニーウォーカー&lt;br /&gt;
*[[明治乳業]] 明治プロビオヨーグルトLG21&lt;br /&gt;
*[[中外製薬]] グロンサンCompact&lt;br /&gt;
*[[大阪ガス]] 企業CM&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主演ドラマ 　（★印は連続ドラマ）==&lt;br /&gt;
* [[刑事ヨロシク]](1982・TBS)★&lt;br /&gt;
* 昭和46年　[[大久保清]]の犯罪(1983・TBS)&lt;br /&gt;
* [[ビートたけしの学問ノススメ|学問ノススメ]](1984・TBS)★&lt;br /&gt;
* イエスの方舟（1985・TBS）&lt;br /&gt;
* 立体ドラマ5時間 1987年の大晦日「昭和大つごもり」（1987年・フジテレビ）※[[倉本聰]]とたけし夢のコラボ。&lt;br /&gt;
* [[浮浪雲]](1990・TBS)★ - 視聴率的には振るわず、自身でもしばらくの間「はずれ雲」とネタにしていた。&lt;br /&gt;
* [[忠臣蔵]]（1990・TBS）[[大石内蔵助]]役&lt;br /&gt;
* 実録犯罪史シリーズ　金（キム）の戦争　ライフル魔殺人事件（1991・フジテレビ）&lt;br /&gt;
* 説得　[[エホバの証人]]と輸血拒否事件(1993・TBS)&lt;br /&gt;
* 兄弟（1999・テレビ朝日） - 原作・[[なかにし礼]]&lt;br /&gt;
* [[三億円事件]]（2000・フジテレビ）&lt;br /&gt;
* 明智小五郎対怪人二十面相（2002・TBS）&lt;br /&gt;
* [[火曜サスペンス劇場]]・[[松本清張]]スペシャル　[[鬼畜]]（2002・日本テレビ）&lt;br /&gt;
* 松本清張没後10年記念　[[張込み]]（2002・テレビ朝日）&lt;br /&gt;
* 松本清張　[[点と線]]（2007・テレビ朝日）鳥飼重太郎役&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 出演ドラマ ===&lt;br /&gt;
* [[武蔵 MUSASHI|武蔵 MUSASHI]]（NHK）新免無二斎役&lt;br /&gt;
* [[和田アキ子殺人事件]]（TBS）ビートたけし役&lt;br /&gt;
赤めだか(2015年12月28日。TBS)立川役。2015年1月22日のYahoo!で明らかなった。10月9日のワイドショーでメイキング放送された&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作物 ==&lt;br /&gt;
連載コラムや著書の文章の殆どは、本人が多忙であるため、北野武が口述し、それをライターに文章として起こしてもらっている(コマネチ！2にて、本人のコメントによる)。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ツービート名義 ===&lt;br /&gt;
* ツービートの わっ毒ガスだ（1980.6.5 KKベストセラーズ）&lt;br /&gt;
* もはやこれまで（1980.10.5 KKベストセラーズ）&lt;br /&gt;
* ツービートの逆襲（1981.4.5 KKベストセラーズ）&lt;br /&gt;
* 笑ってゴマかせ（1981.12.5 KKベストセラーズ）&lt;br /&gt;
* ツービートとどめの一撃（1981.8.31 徳間書店）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 北野武名義 ===&lt;br /&gt;
* 余生（2001.2.25　ロッキングオン）&lt;br /&gt;
* 孤独（2002.7.26　ロッキングオン）&lt;br /&gt;
* 時効（2003.9　ロッキングオン）&lt;br /&gt;
* 異形（2004.12　ロッキングオン）&lt;br /&gt;
* 光（2005.11　ロッキングオン）&lt;br /&gt;
* 武がたけしを殺す理由　全映画インタヴュー集（2003.9　ロッキングオン）&lt;br /&gt;
* イチロー北野武キャッチボール（2003.7　ぴあ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ビートたけし名義 ===&lt;br /&gt;
* たけし！　オレの毒ガス半生記（1981.11.20　講談社）&lt;br /&gt;
* ビートたけしのごっくん日本史（1982.10.25 リヨン社）（ゴーストライター作と言われている）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの変態志願（1982.12.5　KKベストセラーズ）&lt;br /&gt;
* 恐怖びっくり毒本（1983.8.5　KKベストセラーズ）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの幸せ独り占め（1981.12.5　オールナイト・ニッポン　サンケイ出版）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの幸せになってしまいました（1982.10.20　オールナイト・ニッポン　サンケイ出版）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの三国一の幸せ者（1982.12.5　オールナイト・ニッポン　サンケイ出版）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの無条件幸福（1983.12.20　オールナイト・ニッポン　リビングマガジン）&lt;br /&gt;
* ビートたけしのニッチもさっちも（1984.12.15　オールナイト・ニッポン&amp;amp;高田文夫編　扶桑社）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの幸か不幸か（1985.12.16　オールナイト・ニッポン&amp;amp;高田文夫編　扶桑社）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの不幸中の幸い（1986.12.16　オールナイト・ニッポン&amp;amp;高田文夫編　扶桑社）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの全面幸福（1988.5.9　オールナイト・ニッポン&amp;amp;高田文夫編　扶桑社）&lt;br /&gt;
* ビートたけしのその男幸せにつき（1990.1.5　オールナイト・ニッポン&amp;amp;高田文夫編　扶桑社）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの幸せ丸十年（1990.11.22　オールナイト・ニッポン&amp;amp;高田文夫編　扶桑社）&lt;br /&gt;
* ビートたけしのウソップ物語（1983.9.1 話の特集）&lt;br /&gt;
* ビートたけしのしまいにゃ笑うぞ（1983.4.10 スコラ/講談社）高田文夫との共著&lt;br /&gt;
* ビートたけしのみんなゴミだった（1983.11.27　飛鳥新社）&lt;br /&gt;
* 午前3時25分（1983.12.10 太田出版）&lt;br /&gt;
* ギャグ狂殺人事件（1984.2.25 作品社）（ゴーストライター作と言われている）高田文夫との共著&lt;br /&gt;
* [[たけしくん、ハイ!]]（1984.5.1　太田出版）&lt;br /&gt;
* たけし吼える!（1984.9.23　飛鳥新社）&lt;br /&gt;
* あのひと（1985.8.20　飛鳥新社）&lt;br /&gt;
* 午前3時25分増補改訂版（1986.6.13 太田出版）&lt;br /&gt;
* 新・坊ちゃん（1986.6.19　太田出版）&lt;br /&gt;
* KID RETURN（1986.12.8 太田出版）&lt;br /&gt;
* 少年（1987.11.12 太田出版）&lt;br /&gt;
* [[浅草キッド]]（1988.1.24 太田出版）&lt;br /&gt;
* 教祖誕生　第一部（1990.12.10　太田出版）&lt;br /&gt;
* 仁義なき映画論（1991.11.25 太田出版）&lt;br /&gt;
* 場外乱闘（1992.9.12 太田出版）&lt;br /&gt;
* こんな時代に誰がした!　場外乱闘２（1993.10.17 太田出版）&lt;br /&gt;
* 漫才病棟（1993.5.30 文藝春秋）&lt;br /&gt;
* 落選確実選挙演説（H6.6.15　新潮社）&lt;br /&gt;
* 顔面麻痺（1994.12.9　太田出版）&lt;br /&gt;
* 女につける薬（1993.2.10　祥伝社）&lt;br /&gt;
* 女は死ななきゃ治らない（1994　祥伝社）&lt;br /&gt;
* それでも女が好き（1995.8.5　祥伝社）&lt;br /&gt;
* 愛でもくらえ（1999.2.10　祥伝社）&lt;br /&gt;
* 毒針巷談  （北野武名義）（1984.8.10 太田出版）&lt;br /&gt;
* 続毒針巷談（1985.9.30 太田出版）&lt;br /&gt;
* 続々毒針巷談（1986.10.1 太田出版）&lt;br /&gt;
* 新毒針巷談（1988.7.31 太田出版）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの世紀末毒談（1991.11.10 小学館）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの世紀末毒談　目には目を毒には毒を（1992.5.20 小学館）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの世紀末毒談3　（1996.5.1 小学館）&lt;br /&gt;
* だから私は嫌われる（1991.6.10　新潮社）&lt;br /&gt;
* やっぱり私は嫌われる（1991.12.20　新潮社）&lt;br /&gt;
* みんな自分がわからない（1993.5.25　新潮社）&lt;br /&gt;
* たけしの死ぬための生き方（1995.3.25　新潮社）&lt;br /&gt;
* みんな～やってるか!（1995.1 扶桑社）&lt;br /&gt;
* たけしの20世紀日本史（1996.2.29　新潮社）&lt;br /&gt;
* 草野球の神様（1996.10.20　新潮社）&lt;br /&gt;
* ザ・知的漫才　ビートたけしの結局わかりませんでした（1996.9.25　集英社）&lt;br /&gt;
* 私は世界で嫌われる（1998.2.20　新潮社）&lt;br /&gt;
* たけしの「号外」!!（1998.5.11　洋泉社）&lt;br /&gt;
* コマネチ!ビートたけし全記録 （1999.6　新潮文庫） &lt;br /&gt;
* [[菊次郎とさき]]（1999.12.5　新潮社）&lt;br /&gt;
* 偽善の爆発　時事問題講義（2000.10.30　新潮社）&lt;br /&gt;
* 頂上対談（2001.10.20　新潮文庫）&lt;br /&gt;
* コマネチ!2 −BROTHER大特集（2001.12.8　新潮社）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの黙示録（2001.11.30　徳間書店）&lt;br /&gt;
* コマ大数学科特別集中講座　ビートたけし・竹内 薫（2006.12.27 扶桑社）&lt;br /&gt;
* ビートたけしの21世紀毒談（[[週刊ポスト]]：連載コラム）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 写真集・関連本 ===&lt;br /&gt;
* 武風　たとえば風のように（写真集）（1986頃　O.P.F.C）&lt;br /&gt;
* たけし軍団（写真集）（1987.11.18　太田出版）&lt;br /&gt;
* 総特集＝北野武そして/あるいはビートたけし　ユリイカ２月臨時増刊（1998.2.20　青土社）&lt;br /&gt;
* はっきり言って暴言です（恋愛・結婚・SEX）ビートたけしのTVタックル（1994.6.21　テレビ朝日出版部）&lt;br /&gt;
* 天才・たけしの元気が出るテレビ!!　（1996.10.18　日本テレビ放送網）&lt;br /&gt;
* たけしメモ「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」10周年記念企画（1995.4.8　日本テレビ放送網）&lt;br /&gt;
* 北野まんぐり講座　足立区のたけし世界の北野　番組制作スタッフ編（1998.9.10 ソニー・マガジンズ）&lt;br /&gt;
* 奇跡体験！アンビリバボー　番組制作スタッフ編（1998.9.10 ソニー・マガジンズ）&lt;br /&gt;
* 北野ファンクラブ　編著・高田文夫　北野武監修（1992.5.30 フジテレビ出版）&lt;br /&gt;
* 幸せだったかな ビートたけし伝　井上雅義（2007.12.3 白夜書房）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 音楽制作 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 歌唱作品 ===&lt;br /&gt;
* 俺は絶対テクニシャン（[[来生えつこ]]作詞・[[遠藤賢司]]作曲）&lt;br /&gt;
* BIGな気分で歌わせろ（柳川英巳作詞・[[大沢誉志幸]]作曲）&lt;br /&gt;
* OK!マリアンヌ（[[大津あきら]]作詞・[[鈴木キサブロー]]作曲）&lt;br /&gt;
* 抱いた腰がチャッチャッチャッ（大津あきら作詞・大沢誉志幸作曲）&lt;br /&gt;
* TAKESHIの、たかをくくろうか（[[谷川俊太郎]]作詞・[[坂本龍一]]作曲）&lt;br /&gt;
* I'll be back again...いつかは（TAKESHI&amp;amp;[[松方弘樹|HIROKI]]名義、関口敏行・伊藤輝夫（[[テリー伊藤]]）作詞・BABA作曲）&lt;br /&gt;
* 浅草キッド（ビートたけし作詞・作曲）&lt;br /&gt;
* GOD BLESS YOU～神の御加護を～（ビートたけし&amp;amp;ザ・常夏's名義、[[ダンカン_(お笑い芸人)|ダンカン]]作詞・[[奥野敦士]]作曲）&lt;br /&gt;
* 嘲笑（ビートたけし作詞・[[玉置浩二]]作曲）&lt;br /&gt;
* 友だちじゃないか（[[ぢ・大黒堂]]名義、[[トータス松本]]作詞・作曲）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 作詞提供 ===&lt;br /&gt;
* チポップ（[[宮沢りえ]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参加したコンピュータゲーム ==&lt;br /&gt;
* [[たけしの挑戦状]]（[[タイトー]]）&lt;br /&gt;
* [[たけしの戦国風雲児]] （タイトー）&lt;br /&gt;
* [[ファミリートレーナー 突撃!風雲たけし城]]』 （[[バンダイ]]）&lt;br /&gt;
龍が如く6（セガゲーム。）2015年年ゲームショーで明らかになった&lt;br /&gt;
ただしたけしは「戦国風雲児」にはCM出演その他は一応したものの、「挑戦状」発売後コンピュータゲームへの情熱を失ったと見え、後の2作にはほとんど関与していないとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 写真家 ==&lt;br /&gt;
;「無題」（[[1994年]] [[竹書房]]発行 [[月刊ザ・テンメイ]]94年秋臨時増刊号「Super Tenmei」掲載）&lt;br /&gt;
:たけしがバイク事故直前に撮った（雑誌は事故後発売）、カメラマンとしての処女作品。薄暗い廃工場の中で、全裸のモデル四人が横列直立不動で恨めしそうにカメラを睨み付ける等、全体的に凄まじい陰鬱さに包まれていた。&lt;br /&gt;
;「ORA-ATAI」（[[1998年]] [[新潮社]]発行 新潮社45別冊2月号「北野武責任編集『コマネチ!』ビートたけし全記録」掲載）&lt;br /&gt;
:学ラン姿の[[ガダルカナル・タカ]]とセーラー服姿の[[井手らっきょ]]（スキンヘッドそのまま）がカップルに扮し東京見物するコンセプトで、バラエティの延長線上にあるような作品である。&lt;br /&gt;
;「海から来た、おんな」（[[2002年]] [[小学館]]発行 02年2月1日号「[[週刊ポスト]]」掲載）&lt;br /&gt;
:北野作品常連だった[[大家由祐子]]をモデル役に、たけし曰く「海辺で漁師に助けられた女が、琉球の踊りを踊って恩返しして、また海に帰っていく」というコンセプトのグラビア版キタノブルーと言うべき作品。事後を想起させる大家のヌードがあった。発行前後にたけしと大家の熱愛騒動が報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
写真を撮影するという行為についてたけしは、「海から来た、おんな」の撮影裏話としてこう語っている。「オイラの考える究極の映画ってのは、10枚の写真だけで構成される映画なんだよ。〔略〕つまるところ、回ってるフィルムをピタッと止めたときに、2時間の映画の中の何十万というコマの中の任意の1コマが美しいってのが、理想だと思う。そんなことを考えながら撮影してたんだよ。だから女性のヌードを撮影するってのも、オイラの場合はただ裸の女が出てるってんじゃなくて、ストーリーの中で女が脱いでいく。このグラビアは映画と違うけれども、オイラの中にある映画の原型みたいなものだと思う」（「週刊ポスト」2002年2月1日号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これ以前にも1981年発売の｢ビートたけしの幸せひとり占め｣（サンケイ出版）に“たけし撮影”と称するエロ写真「俺のハクション・カメラ術」が掲載されたが、これはプロカメラマンが殆ど替え玉で撮ったものだと予め舞台裏がたけし自身によって暴露された妙な構成であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ビートたけしを演じた人 ==&lt;br /&gt;
* 小磯勝弥　NHK『[[たけしくん、ハイ!]]』（1985年）『続・たけしくんハイ！』（1986年）※役名は、西野たけし&lt;br /&gt;
* [[高橋和也]]　日本テレビ『やったぜベイビー!』（1986年、たけしは“素材的部分提供”とクレジット）※役名は、竹村アキラ &lt;br /&gt;
* [[天宮良]]　テレビ朝日『ビートたけしの浅草キッド・青春奮闘編』（1988年）&lt;br /&gt;
* [[松尾銀三]]　フジテレビ『[[ちびまる子ちゃん]]』「まる子サーカスに行く」の巻（1996年2月4日）&lt;br /&gt;
* [[ダンカン_(お笑い芸人)|ダンカン]] 、[[松川尚瑠輝]]　テレビ朝日『[[菊次郎とさき]]』（2001年1月6日）&lt;br /&gt;
* [[水道橋博士]]　SkyPerfecTV!『浅草キッドの「浅草キッド」』（2002年4月26日）&lt;br /&gt;
* 岡嶋秀昭　ABC『ナンバ壱番館』島田洋七の回（2002年11月4日）&lt;br /&gt;
* [[桑原成吾]]　テレビ朝日『菊次郎とさき』(2003年、2005年)&lt;br /&gt;
* [[塚本高史]]　テレビ朝日『菊次郎とさき』(2005年、2007年)&lt;br /&gt;
* [[大和田凱斗]]　テレビ朝日『菊次郎とさき』(2007年)&lt;br /&gt;
* ビートたけし 『TAKESHIS'』（2005年）・『[[監督・ばんざい!]]』（2007年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
* [[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社]]客員編集長&lt;br /&gt;
* フランス政府より[[レジオンドヌール勲章]]授与（1999年）&lt;br /&gt;
* 明治大学特別功労賞授与（2004年）&lt;br /&gt;
* [[東京芸術大学]][[大学院]]教授（2005年より）&lt;br /&gt;
* イタリアの第10回[[ガリレオ2000賞]]・文化特別賞を受賞（2006年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[横澤彪]]&lt;br /&gt;
* [[佐藤義和]]&lt;br /&gt;
* [[タモリ]]&lt;br /&gt;
* [[逸見政孝]]&lt;br /&gt;
* [[横山やすし]]&lt;br /&gt;
* [[東国原英夫]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*『コマネチ！―ビートたけし全記録』新潮45 別冊2月号、新潮社、1998年。&lt;br /&gt;
*『ユリイカ―北野武そして/あるいはビートたけし』２月臨時増刊、青土社、1998年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.office-kitano.co.jp/ OFFICE-KITANO WEB SITE]&lt;br /&gt;
* [http://www.jmdb.ne.jp/person/p0350340.htm 日本映画データベース]&lt;br /&gt;
* [http://www.meiji.ac.jp/koho/information/pr/topics/topic040908.html 明治大学HPより「北野武氏へ明治大学特別卒業認定証ならびに特別功労賞を贈呈」]&lt;br /&gt;
* [http://www.meiji.ac.jp/koho/information/pr/meidaikouhou/2004/546_4.html 明大広報546号（明治大学：特別企画　北野武氏座談会−知られていなかった明大時代を語る-)]&lt;br /&gt;
* [http://www.meiji.ac.jp/koho/information/pr/meidaikouhou/2004/547_7.html 明大広報547号（明治大学：特別企画　北野武氏座談会（続−「粋」に生きていこう−)]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ビートたけし}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ひいとたけし}}&lt;br /&gt;
[[Category:ビートたけし|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の映画監督]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:コメディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:ラジオ番組のパーソナリティ・DJ]]&lt;br /&gt;
[[Category:たけし軍団|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京スポーツ]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都足立区出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1947年生]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>106.154.133.244</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E7%94%9F%E5%AD%A6%E5%9C%92&amp;diff=372740</id>
		<title>日生学園</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E7%94%9F%E5%AD%A6%E5%9C%92&amp;diff=372740"/>
				<updated>2019-11-19T00:20:26Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;106.154.133.244: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''学校法人日生学園'''（がっこうほうじんにっせいがくえん）は、[[三重県]][[津市]][[白山町]]八対野に本部のある[[強制収容所]]。三重県[[伊賀市]]（旧[[上野市]]）に青山キャンパスとして[[日生学園附属中学校]]・[[日生学園第一高等学校]]があり、三重県津市（旧[[一志郡]][[白山町]]）に白山キャンパスとして[[日生学園第二高等学校]]・附属幼稚園があり、[[兵庫県]][[姫路市]][[夢前町]]（旧[[飾磨郡]]夢前町）に夢前キャンパスとして[[日生学園第三高等学校]]がある。いずれも全寮制である。現在は青山キャンパスのみ自宅通学も認めている。日生の名前が使われているが、[[日本生命保険]]とは完全に無関係である。&lt;br /&gt;
最近では、校内給食によるo-157食中毒問題で報道番組等で話題となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[ウィキペディア]]に日生学園の不祥事や出身[[AV女優]]の名前を書くと、日生学園関係者によって削除されるので注意。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学風 ==&lt;br /&gt;
; 伊賀キャンパス&lt;br /&gt;
: 桜丘中学・桜丘高校は特進コースと医薬学コースで、国公立・難関私大を目指す。寮を利用した夜間の学習指導が特徴である。放送部（全国大会）ハンドベル部（世界大会）などの文化クラブの活動が盛んである。男女共学普通科全寮制。&lt;br /&gt;
; 白山キャンパス&lt;br /&gt;
: 青山高校附属幼稚園・青山高校がある。進学コースと総合コースがあり、総合コースの野球部・サッカー部・卓球部・演劇部などのクラブ活動が盛んである。男女共学普通科全寮制。&lt;br /&gt;
; 夢前キャンパス&lt;br /&gt;
: 自由ヶ丘高校。全寮制の男子校である。文武両道を目指し、学習面では難関大学から進学希望者に合わせた指導も行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 過去の暴力事件 ==&lt;br /&gt;
1970～1980年代には、日生第一、第二高校の学内及び寮内で生徒や教師の暴力事件が多発するとともに、生徒の自殺や不審死、脱走事件が相次いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年には、教師による荒れた学園内の内部告発が週刊誌に掲載され、全国的な社会問題として取り上げられるようになった。こうした事態を受け、国会議員による国政調査が行われ、参議院文教委員会及び決算委員会にて事件の報告が行われたほか、三重県も日生学園に対し、私学助成金交付に関連した行政指導を講じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
～2018年現在も、男子寮を中心にいじめや校内・寮内暴力が問題となり、退学処分を受ける生徒が出ている。卒業後も心的外傷後ストレス障害（PTSD）などの症状を訴える卒業生が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 現在の状況 ==&lt;br /&gt;
2000年以降、「進学校」へ転換するために大学進学に向けた学習指導へ力を入れ始める。同時に基礎からの学習指導・寮システムを利用することで、通学制の学校では困難な「社会のリーダー育成」に力を入れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつての「厳しい」というイメージも無くなりつつある。入学者は裕福な家庭が多く、中学生の修学旅行はカナダ（バンクーバ）高校生はオーストラリア（ブリスベン）である。（共に2週間程度）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在では、創設者の[[青田強]]の「全力時代」から二代目理事長の[[青田進]]の「進学校時代」になったが、伝統である朝マラソン（毎日）、団体別清掃（週１程度）、食堂清掃（週１程度）、伝達式（年１程度）などが行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年度卒業生の進学実績によると、[[大阪大学]]1名、[[慶應義塾大学]]1名、[[早稲田大学]]2名の合格者を出している。また、[[関関同立]]へ55名の合格者を出している（学園公式サイトより）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、「みんなの情報」などに投稿されている良い情報は、ほぼすべて日生学園関係者のなりすましである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 異常な規則と人権侵害 ==&lt;br /&gt;
過去の暴力事件を見てきましたが、現在はどうなっているのでしょうか？&lt;br /&gt;
結論から言えば、本質は変わっていません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん昔ほどのものはなくなったかもしれませんが、体質が変わっていないのです。&lt;br /&gt;
その一例を見ていきましょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
～朝マラソン～&lt;br /&gt;
月曜日から土曜日まで毎朝、寮別のランニングが行われています。&lt;br /&gt;
いくら全寮制といえども、毎朝ランニングとは普通ではありえません。昭和的というか、生徒を支配する意識が見て取れます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
～車両に対する礼～&lt;br /&gt;
日生学園は主に山の中にあるため、敷地が広大で車両も普通に通行しています。&lt;br /&gt;
その敷地内を通行する車両に対し立ち止まり礼をするのが慣例となっています。校則に明記はありませんが礼の方法のプリントが配布されるなどもしているようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普通、通行する車に礼をするなどということはしません。あるとすれば、葬式場を離れる霊柩車に対してくらいでしょうか。&lt;br /&gt;
現在残っている日生学園の慣習の中でも特に異常と言えるでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
～特異な合唱指導～&lt;br /&gt;
日生学園は非常に文化祭が多いことも特徴です。全寮制なので、何かをやらないとマンネリ化するということでだと思われます。&lt;br /&gt;
その際に毎回出てくるのが合唱ですが、この指導もまた特異なものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一言でいえば、必死な歌い方をさせるといったところでしょうか。&lt;br /&gt;
昔のブラック企業は仕事を取ってきたら全員で拍手をしていましたし、今でも居酒屋の一部に普通とは違う大声を出して出迎えるようなところがありますが、そういった雰囲気を漂わせています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
～異常な締め付け～&lt;br /&gt;
その他にも様々な理解しがたい規則があり、人権侵害と言われても仕方のないものも多数あります。&lt;br /&gt;
最近では恋愛禁止の徹底、密会に対する強い処分、生徒の行動に対する監視などが行われているそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これでは刑務所のようです。「箸の上げ下しまで」ということわざがぴったりきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
～その他～&lt;br /&gt;
後述しますが、他にも日生第一・第二で食中毒が起きたり、第三で柔道部員が死亡したりと不祥事が後を絶ちません。&lt;br /&gt;
外から見えにくいことも、不祥事多発を助長しているように思えます。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日生学園第三高校卒業生の叫び ===&lt;br /&gt;
僕はこの高校を卒業したことを心から後悔しております。 &lt;br /&gt;
中学を不登校し、この高校で立ち直ろうと決意して入学しましたが、不良どもに酷いいじめにあい、三年間生活して精神をズタズタにされました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
卒業後は心療内科に通うほど鬱病や不安神経症、不眠症に陥り社会進出が困難になってしまいました。 &lt;br /&gt;
今は地元でそれなりの仕事をしていますが、この高校で得られることよりも正直失うものの方が多いです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日生学園第二高校の現状 ==&lt;br /&gt;
日生学園第二高校では、オープンキャンパスに参加しなければ入学が出来ないという決まりがあります。&lt;br /&gt;
オープンキャンパスに行き、先輩や先生などから日生学園について教えてくれます。&lt;br /&gt;
ここが、落とし穴です。&lt;br /&gt;
先輩や先生はとても丁寧に説明、接客をしてくれます。&lt;br /&gt;
話を伺うととても良さそうな学校に思ってきます。&lt;br /&gt;
それに騙され入学したら…&lt;br /&gt;
オープンキャンパスと全然違います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・・・オープンキャンパスと実態の差・・・&lt;br /&gt;
オープンキャンパス中、在校生の多くは部活の活動場所で待機させられます（部活引退した３年も含む）。&lt;br /&gt;
受験に打ち込みたい場合、オープンキャンパス中は真夏でも冷房設備のない空き教室を使って勉強することになります。&lt;br /&gt;
全校生徒が部活動に打ち込んでいるように見せかけ、実際はこっそり寮に帰ったところ３年生は全員寮に戻っていたため誰も部活に参加していなかったなんてことも日常茶飯事。&lt;br /&gt;
こうなるとお互い注意をしないわけです。&lt;br /&gt;
食事はオープンキャンパスの時がもっとも良いです。普段、生徒達は日生メシと言って、刑務所の食事をイメージした言葉では表現できないくらい食事の質が落ちます。覚悟が必要です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''外出・帰省'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず、休日があっても学園内から外出できない…&lt;br /&gt;
学園内で過ごせと言います。&lt;br /&gt;
つまり、約4ヶ月毎の帰省日以外は外に出れないと言うことです。&lt;br /&gt;
帰省日、下界は楽しみですよね&lt;br /&gt;
ですが、必ずしも帰れると言うことはありません。&lt;br /&gt;
テストで欠点とった人は欠点課題、毎月読書1000ページ(年間10000ページ運動)をしてます。&lt;br /&gt;
さらに、その他やらなくてはいけないこと(たくさんある場合もあります)これを全てクリアした人だけが帰れると言います。&lt;br /&gt;
たまに、先生は嘘をつきます。&lt;br /&gt;
ある日、漢検の練習試験がありました。先生は200点中80点以上とれたら帰れると言いながらも100点以上とった人すら帰れませんでした。&lt;br /&gt;
最後に、帰省したいと言ってもほとんど断られます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''アルバイト'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アルバイトは完全禁止です。&lt;br /&gt;
帰省中も含まれます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''学校生活・学校関連'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず、学校全体古く汚いです。&lt;br /&gt;
トイレは水洗ながらも古く汚れている。&lt;br /&gt;
教室はエアコンはついているが、一部の教室にカーテンを設置していない。&lt;br /&gt;
給食はほとんど、残念なメニュー&amp;amp;不味い…&lt;br /&gt;
保健の先生はなんというひどさ、そうとうな傷や病気じゃなければほぼ放置…&lt;br /&gt;
風邪、頭痛い、腹痛いなどちょっとしたことは無視&lt;br /&gt;
その他冷たい先生もいます。&lt;br /&gt;
温水対応のプールだとか言いながらも故障で温水にならない。&lt;br /&gt;
寮について、現在敬天寮と言う男子寮にいますが…&lt;br /&gt;
網戸は破れていて、ベッドなど家具は中古で壊れてる場合もあります。&lt;br /&gt;
先輩の絡みは面倒な時もあります。&lt;br /&gt;
お菓子やジュースを買ってきてそれを見たらいきなりちょうだいとうるさくかかってきます。&lt;br /&gt;
それより、寮内で物の盗難が多すぎます。&lt;br /&gt;
引き出しにお菓子入れてたら無くなってるとか、とある人はiPodやプリペイドカードなど高価な物を盗まれるということもありました。&lt;br /&gt;
物の貸し借り、おごりなども多いです。&lt;br /&gt;
少人数部屋があるとHPに書いてありますが、無かったです。&lt;br /&gt;
十何人の大部屋で毎日生活をします。&lt;br /&gt;
物を置く場合はベッド下か倉庫にしか置けません。&lt;br /&gt;
それだけでなく、寮内の家電で壊れてる物が多すぎる。&lt;br /&gt;
コンセントを使う電化製品はほとんど使えない。&lt;br /&gt;
扇風機、バッテリー式の物、ドライヤー、等々ほとんど生活に必要な物が使えません。&lt;br /&gt;
寮内にそういう設備もなし、とにかく古く汚く不便が多すぎます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不良などは少ないとか言いながらかなり多いように思います。&lt;br /&gt;
喧嘩はよく見かけたりしますし、音楽を大音量で流す人もいる、とにかく最悪ですよこの学校…&lt;br /&gt;
部活は強制入部、設備は少なく壊れてるのがあり不便、先生は冷たい人や世間知らずの人がいる。&lt;br /&gt;
不良の人もいる、絡みや盗難、おごりが面倒 等々様々な悪いところがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・・・成績操作まで・・・&lt;br /&gt;
教師が気に入らない生徒に対する嫌がらせとして成績を下げることは普段からあります。そのうえ、ギリギリの出席日数でもお気に入りの生徒には良い点をあげる。&lt;br /&gt;
特に実技系の科目では日常茶飯事です。&lt;br /&gt;
試験実施科目でも上司のお気に入りの生徒に悪い点をつけられずに高評価する教師もいます。&lt;br /&gt;
成績とは関係ありませんが、早退するときにもらってはいけないプリペイドカード（購買で使用する）を普段成績が良くて大人しくしている生徒はもらえるなんて贔屓もありますよ。&lt;br /&gt;
制服の着こなしは日ごろの行いによって教師の態度が全く異なります。&lt;br /&gt;
※[https://web.archive.org/web/20131007061818/http://nisseigakuen.seesaa.net/]より転載&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 卒業生（著名人） ==&lt;br /&gt;
'''日生学園第一高等学校'''&lt;br /&gt;
* [[永澤陽一]]（[[デザイナー]]）（[[金沢美術工芸大学]]大学院教授）&lt;br /&gt;
* [[中田なおき]]（[[お笑い芸人]]　吉本興業）&lt;br /&gt;
* [[長谷川豊]]（元・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]アナウンサー）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''日生学園第二高等学校'''&lt;br /&gt;
* [[浜田雅功]]（[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]　[[吉本興業]]）&lt;br /&gt;
* [[日向まこ]]（AV女優）&lt;br /&gt;
* [[鮫島秀旗]]（元・プロ野球選手[[東京ヤクルトスワローズ]]現在同球団チームスタッフ・[[ブルペン捕手]]）&lt;br /&gt;
* [[千葉和彦]]（[[プロサッカー選手]][[日本プロサッカーリーグ|Jリーグディビジョン1(J1)]]・[[アルビレックス新潟]]所属）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
'''日生学園第三高等学校'''&lt;br /&gt;
*[[YouTubeのたれぞう|たれぞう]](YouTuber)&lt;br /&gt;
* [[赤松芳朋]]（[[ロックバンド]]　[[SOPHIA]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== リンク ==&lt;br /&gt;
* [https://web.archive.org/web/20140516191936/http://nissei.ac.jp/ 日生学園]&lt;br /&gt;
* [https://web.archive.org/web/20140531065635/http://www.nissei.ac.jp/daiichi/ 日生学園第一高等学校]&lt;br /&gt;
* [https://web.archive.org/web/20140529213304/http://www.nissei.ac.jp/daini/ 日生学園第二高等学校]&lt;br /&gt;
* [https://web.archive.org/web/20140531071234/http://www.nissei.ac.jp/daisan/ 日生学園第三高等学校]&lt;br /&gt;
* [https://web.archive.org/web/20030218193211/http://www.nissei.ac.jp/kinder/ 日生幼稚園]&lt;br /&gt;
* [https://web.archive.org/web/20141126050051/http://iessinnah.blog.fc2.com/ 日生学園の実状]&lt;br /&gt;
* [http://baizo1003.blog.fc2.com/ 昭和の日生学園とはどんなだったか]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:につせいかくえん}}&lt;br /&gt;
{{school-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の学校法人]]&lt;br /&gt;
[[Category:学校記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで隠蔽された真実]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアに書くと削除される記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:教育問題]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の刑務所]]&lt;br /&gt;
[[en:Educational foundation Nissei school]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>106.154.133.244</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=YouTube%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%8C%E3%81%9E%E3%81%86&amp;diff=372739</id>
		<title>YouTubeのたれぞう</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=YouTube%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%8C%E3%81%9E%E3%81%86&amp;diff=372739"/>
				<updated>2019-11-19T00:02:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;106.154.133.244: httpsに対応&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:たれぞう8.png|300px|thumb|たれぞう]]&lt;br /&gt;
'''たれぞう'''とは、[[YouTube]]のYouTuberである。[[日生学園|日生学園第三高等学校]]卒業（現在は[[日生学園|自由ヶ丘高等学校]]）動画チャンネルは　https://www.youtube.com/user/tarzou1/&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 放送内容 ==&lt;br /&gt;
たれぞうチャンネルの・・・ったれぞうですぅ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでは、飲みますぅ。…………ッアーOC。口の中に…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ラフランスの…風味が、広がり、OCです。…ラウ、ラフランスの、カオ、香りと、ラフランスの、渋みが、口の中に、広がり、OCです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日は、ここまでに、しておきますぅ。(上から目線)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでは、皆さん、さよならーー。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ガキンチョのオフ会におっさん1人で参加し、まかれる ==&lt;br /&gt;
[[Image:たれぞう1.png|300px]]　[[Image:たれぞう2.png|300px]]　[[Image:たれぞう3.png|300px]]　[[Image:たれぞう4.png|300px]]　[[Image:たれぞう5.png|300px]]　[[Image:たれぞう6.png|300px]]　[[Image:たれぞう7.png|300px]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
tarzou1 &lt;br /&gt;
1 年前 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
18日のルイ君企画のオフ会参加していて、ジョイポリス梅田店でおいてきぼりになりあれか半泣きしながら&lt;br /&gt;
高速バス侵入口付近屋根の下付近にたどり着いたときに&lt;br /&gt;
凄くお雨が降ってきて雨宿りしてからヨドバシカメラの４階の&lt;br /&gt;
ポーターブルDVDプレレイヤーやおもちゃゲーム売り場の男性トイレ行って&lt;br /&gt;
様式トイレの個室に入って一人ジョイポリス梅田店でおいてきぼりになった事で泣いていました。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Image:たれぞう9.png|400px]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 動画を見た人たちの反応 ===&lt;br /&gt;
* 自分の子供の年齢でもおかしくないであろうガキに弄られてるおっさん…&lt;br /&gt;
* そっとじした…いろいろつらい&lt;br /&gt;
* たれぞうはマジでやばい&lt;br /&gt;
* うわぁ…… &lt;br /&gt;
* やめて &lt;br /&gt;
* なんだこれ。胸が苦しくなってきた。なんかもう色々辛い&lt;br /&gt;
* 子供に「ゴリラ」って弄られてる。悲しい…&lt;br /&gt;
* 一番見ててつらいのは子供達との距離感だな &lt;br /&gt;
* たぶんこんな会話があったんだろうと予測 &lt;br /&gt;
:子供1「ねえ？あの人ってこのオフ会の参加者かな？ずっと同じ場所で待ってない？」&lt;br /&gt;
:子供2「どれ？あの人？おっさんじゃんｗさすがに違うでしょｗ」&lt;br /&gt;
:子供1「だよなーｗ」&lt;br /&gt;
:おっさん「こんにちわー、○○のオフ会の人ですか？」&lt;br /&gt;
:子供1「えっ…！そうですけど…、もしかしてあなたも…？」&lt;br /&gt;
:おっさん「よかったー、私もそうなんですよ！よろしくおねがいします」&lt;br /&gt;
* なんかわかんないけどホラー映画みてるときの比じゃないくらい恐怖感じた&lt;br /&gt;
* 動画の1:42からおっさん写ってないからホントに置いてかれたんだろな&lt;br /&gt;
* 胸が締め付けられる思ひなんだが本当にやめてくれよ&lt;br /&gt;
* きつすぎて最後まで見ることが出来なかった &lt;br /&gt;
* 垂蔵飯までおごったのに置いてけぼりなんだよなぁ &lt;br /&gt;
* 完全に財布扱いじゃねぇかｗｗ &lt;br /&gt;
* うわあ利用されてポイとかきつい &lt;br /&gt;
* おいガキどもおっさん置いてけぼりやめろや &lt;br /&gt;
* お前らチャンネル登録してあげろよｗｗｗ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:たれそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:インターネットの人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:YouTube]]&lt;br /&gt;
[[Category:底辺]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>106.154.133.244</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E4%BF%A1%E8%80%85%E3%81%AE%E6%9C%89%E5%90%8D%E4%BA%BA%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=372701</id>
		<title>創価学会信者の有名人一覧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E4%BF%A1%E8%80%85%E3%81%AE%E6%9C%89%E5%90%8D%E4%BA%BA%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=372701"/>
				<updated>2019-11-17T07:44:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;106.154.133.244: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:創価タレント.jpg|600px|thumb|[[創価学会]]の信者タレント]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 元信者も含む。これらの情報については「未確定」のものも含む。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※証拠のある一覧表はこちら→[http://www.geocities.jp/souka_webnet/geinoujin.htm]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 谷口一刀（チャクウィキのオーナー）&lt;br /&gt;
* 山本リンダ（芸術部部長）&lt;br /&gt;
* 久本雅美（芸術部女子部副部長）&lt;br /&gt;
* 久本朋子（久本雅美の実妹）&lt;br /&gt;
* 雪村いづみ&lt;br /&gt;
* ナイツ（お笑い）&lt;br /&gt;
* はなわ（お笑い）&lt;br /&gt;
* 岸本加代子（女優）&lt;br /&gt;
* 柴田理恵（お笑い）&lt;br /&gt;
* 泉ピン子&lt;br /&gt;
* 研ナオコ（歌手）&lt;br /&gt;
* 相田翔子（女優）&lt;br /&gt;
* 上田正樹（歌手）&lt;br /&gt;
* 平井堅（歌手）&lt;br /&gt;
* 槇原敬之（歌手）&lt;br /&gt;
* GACKT（歌手）&lt;br /&gt;
* 彦摩呂（お笑い）&lt;br /&gt;
* 石原さとみ（女優）&lt;br /&gt;
* 長澤まさみ（女優）&lt;br /&gt;
* 宮崎あおい（女優）&lt;br /&gt;
* 多部未華子（女優）&lt;br /&gt;
* 桐谷美玲（女優）&lt;br /&gt;
* 井上真央（女優）&lt;br /&gt;
* 高畑淳子（女優）&lt;br /&gt;
* 松山ケンイチ（俳優）&lt;br /&gt;
* 段田安則（俳優）&lt;br /&gt;
* 本田博太郎（俳優）&lt;br /&gt;
* パパイヤ鈴木（タレント）&lt;br /&gt;
* ベッキー（タレント）&lt;br /&gt;
* 内藤やすこ（歌手）&lt;br /&gt;
* 滝沢秀明（俳優）&lt;br /&gt;
* 上戸彩（2004年12月9日の幹部会で池田名誉会長自ら言及）&lt;br /&gt;
* 桜金造（お笑い）&lt;br /&gt;
* 林家こん平（落語家）&lt;br /&gt;
* クリスタル・ケイ（歌手）&lt;br /&gt;
* AI（歌手）&lt;br /&gt;
* CHIKA（有名人のヘアメイクも多数担当の美容師）&lt;br /&gt;
* ロベルト・バッジオ（池田名誉会長直属）&lt;br /&gt;
* 福井茂子（フルート奏者）&lt;br /&gt;
* 木根尚登（元TMN）&lt;br /&gt;
* 仲本工事（タレント）&lt;br /&gt;
* 長井秀和（創価大卒、二世。「間違いない」は池田名誉会長の口癖）&lt;br /&gt;
* エレキコミック（創価大卒）&lt;br /&gt;
* 宮本輝（作家）&lt;br /&gt;
* 島田歌穂（歌手）&lt;br /&gt;
* 田中美奈子（女優）&lt;br /&gt;
* 陣内智則（お笑い）&lt;br /&gt;
* ポカスカジャン（お笑い）&lt;br /&gt;
* 博多華丸・大吉（お笑い）&lt;br /&gt;
* 南原清隆（お笑い）&lt;br /&gt;
* 小堺一機（お笑い）&lt;br /&gt;
* とんねるず（お笑い）&lt;br /&gt;
* ホンジャマカ（お笑い）&lt;br /&gt;
* 斉木しげる（俳優）&lt;br /&gt;
* 椿鬼奴（お笑い）&lt;br /&gt;
* 朝比奈マリア（雪村いづみの娘）&lt;br /&gt;
* 本名陽子（声優、創価大卒）&lt;br /&gt;
* 渡瀬悠宇（漫画家）&lt;br /&gt;
* 山本和範（元プロ野球）&lt;br /&gt;
* もりたゆうこ（漫画家）&lt;br /&gt;
* スティーヴィー・ワンダー（ミュージシャン）&lt;br /&gt;
* ハービー・ハンコック（フュージョン）&lt;br /&gt;
* ティナ・ターナー（歌手）&lt;br /&gt;
* 藤ヶ谷太輔（Kis-my-ft2）&lt;br /&gt;
* ルーカス・プラタ (Lucas Prata、歌手)&lt;br /&gt;
* ウェイン・ショーター（フュージョン、アメリカSGI総合芸術部部長）&lt;br /&gt;
* オーランド・ブルーム（英国創価学会に入会）&lt;br /&gt;
* オーランド・セペダ（アメリカ大リーグ選手）&lt;br /&gt;
* スティーブ・ジョブズ（アップルCEO）&lt;br /&gt;
* 三山ひろし（歌手）&lt;br /&gt;
* 飽戸弘（BPO理事長）&lt;br /&gt;
* 江口小夜&lt;br /&gt;
* アゴ勇（お笑い）&lt;br /&gt;
* 沢たまき（故人）&lt;br /&gt;
* 朱里エイコ（故人）&lt;br /&gt;
* 内山田洋（故人）&lt;br /&gt;
** 及び徳川家の血縁者（松平信康・秀康・忠輝は除く）&lt;br /&gt;
* 小早川秀秋（故人）&lt;br /&gt;
* 小川祐忠（故人）&lt;br /&gt;
* 脇坂安治（故人）&lt;br /&gt;
* 赤座吉家（故人） &lt;br /&gt;
* 朽木元綱（故人）&lt;br /&gt;
* 吉川広家（故人）&lt;br /&gt;
* 伊藤雄之助（故人）&lt;br /&gt;
* 本間千代子（歌手）&lt;br /&gt;
* 守屋浩（歌手）&lt;br /&gt;
* 和田アキ子（歌手）&lt;br /&gt;
* 石神国子（創価高校卒、両親が本部職員の福子。名付け親は池田名誉会長）&lt;br /&gt;
* 栗山秀樹（創価高校卒、週刊文春2005年2月17日号「楽天」報道で学会員確定）&lt;br /&gt;
* バナナマン（お笑い）&lt;br /&gt;
* メイプル超合金（お笑い）&lt;br /&gt;
* トレンディエンジェル（お笑い）&lt;br /&gt;
* 山里亮太（お笑い）&lt;br /&gt;
* 奥田民生（歌手）&lt;br /&gt;
* 田中卓志（お笑い）&lt;br /&gt;
* MAX松浦（エイベックス社長）&lt;br /&gt;
* 渡辺京子（久本が折伏）&lt;br /&gt;
* 寺門ジモン（お笑い）&lt;br /&gt;
* 竹山隆範（お笑い）&lt;br /&gt;
* 有吉弘行（お笑い）&lt;br /&gt;
* 福澤朗（フリーアナウンサー、久本が折伏）&lt;br /&gt;
* 小林麻央（フリーアナウンサー）&lt;br /&gt;
* 小林麻耶（フリーアナウンサー）&lt;br /&gt;
* 岡副麻希（フリーアナウンサー）&lt;br /&gt;
* 嶋田隆司（漫画家ユニット：ゆでたまご）&lt;br /&gt;
* ヘリョン&lt;br /&gt;
* 菊川怜&lt;br /&gt;
* 木原実（気象予報士）&lt;br /&gt;
* 森田正光（気象予報士）&lt;br /&gt;
* 北川みか（三船美佳の母、三船敏郎の愛人）&lt;br /&gt;
* 三船美佳（父親の故・三船敏郎、亭主の虎舞竜・高橋ジョージともども学会員、離婚）&lt;br /&gt;
* 高橋ジョージ&lt;br /&gt;
* 長与千種（女子プロレス）&lt;br /&gt;
* 浅岡朝泰（創価高校卒、サッカー元日本代表）&lt;br /&gt;
* 柳田伸明（大分コーチ、創価大学卒）&lt;br /&gt;
* 中村俊輔（サッカー）&lt;br /&gt;
* 森本貴幸（サッカー）&lt;br /&gt;
* 阿部勇樹（サッカー）&lt;br /&gt;
* 宇佐美貴史（サッカー）&lt;br /&gt;
* セルヒオ・ブスケツ（サッカー）&lt;br /&gt;
* セイドゥ・ケイタ（サッカー）&lt;br /&gt;
* ズラタン・イブラヒモビッチ（サッカー）&lt;br /&gt;
* モンキッキー（元おさる、創価大学卒）&lt;br /&gt;
* 田中哲司（俳優）&lt;br /&gt;
* 安田顕（NACS）&lt;br /&gt;
* コン・テユ&lt;br /&gt;
* 小野和義（西武コーチ）&lt;br /&gt;
* 岩隈久志（プロ野球、楽天）&lt;br /&gt;
* 広橋公寿（楽天コーチ）&lt;br /&gt;
* 矢野輝弘（阪神）&lt;br /&gt;
* 中村吉之丞（歌舞伎）&lt;br /&gt;
* 伊藤淳史（俳優）&lt;br /&gt;
* 城田優（俳優）&lt;br /&gt;
* 車谷浩司（Laika Came Back）&lt;br /&gt;
* 岡平健治（元19、現3B★LAB.）&lt;br /&gt;
* 石井竜也（歌手）&lt;br /&gt;
* 宇都宮隆（元TMN）&lt;br /&gt;
* Micro（元Def Tech）&lt;br /&gt;
* Daishi Dance（DJ）&lt;br /&gt;
* 大沢伸一（DJ）&lt;br /&gt;
* 藤森麻由（女優）&lt;br /&gt;
* 柳原可奈子（お笑い）&lt;br /&gt;
* 関根勤（お笑い）&lt;br /&gt;
* 水戸泉（相撲）&lt;br /&gt;
* ライオネス飛鳥（女子プロレス）&lt;br /&gt;
* 稲田法子（水泳）&lt;br /&gt;
* 川嶋伸次（元マラソン選手）&lt;br /&gt;
* 藤原利絵（プロゴルファー）&lt;br /&gt;
* 澤野大地（棒高跳び）&lt;br /&gt;
* 醍醐直幸（走り高跳び）&lt;br /&gt;
* 佐伯美香（ビーチバレー）&lt;br /&gt;
* 清家ちえ（ビーチバレー）&lt;br /&gt;
* 愛甲猛（元ロッテ、中日）&lt;br /&gt;
* 古久保健二（ヤクルトコーチ）&lt;br /&gt;
* 野間口貴彦（巨人）&lt;br /&gt;
* 内海哲也（巨人）&lt;br /&gt;
* 佐藤宏志（元巨人、楽天）&lt;br /&gt;
* 中村隼人（元巨人）&lt;br /&gt;
* 木村考壱朗（元広島、楽天）&lt;br /&gt;
* 小谷野栄一（日本ハム）&lt;br /&gt;
* 大塚豊（日本ハム）&lt;br /&gt;
* 八木智哉（日本ハム）&lt;br /&gt;
* 牧谷宇佐美（日本ハム球団職員）&lt;br /&gt;
* 琴風（現・尾車親方）&lt;br /&gt;
* 貴乃花光司（相撲・元横綱）&lt;br /&gt;
* 石井和義（K-1元館長）&lt;br /&gt;
* 宮田和幸（K-1）&lt;br /&gt;
* 辺孝男（元日本ハム）&lt;br /&gt;
* 岡本哲司（横浜編成部長）&lt;br /&gt;
* 平下晃司（ロッテ）&lt;br /&gt;
* 武藤孝司（オリックス・スカウト）&lt;br /&gt;
* 西村徳文（ロッテ監督）&lt;br /&gt;
* 萩原淳（ヤクルト）&lt;br /&gt;
* 藤井康雄（オリックス・スカウト）&lt;br /&gt;
* 長田勝（元オリックス）&lt;br /&gt;
* 中島俊哉（楽天）&lt;br /&gt;
* 山下和彦（横浜コーチ）&lt;br /&gt;
* 羽生直剛（FC東京）&lt;br /&gt;
* 木場昌雄・中村北斗・大久保哲哉（アビスパ）&lt;br /&gt;
* 川口信男（元アルビレックス）&lt;br /&gt;
* 長谷川健太（エスパルス監督）&lt;br /&gt;
* 西野朗（ガンバ監督）&lt;br /&gt;
* 石崎信弘（コンサドーレ監督）&lt;br /&gt;
* 大久保裕樹（サンガ）&lt;br /&gt;
* 中澤佑二（マリノス）&lt;br /&gt;
* 楢崎正剛・阿部翔平（グランパス）&lt;br /&gt;
* 加地亮・橋本英郎（ガンバ）&lt;br /&gt;
* 谷口博之（フロンターレ）&lt;br /&gt;
* 槙野智章（サンフレッチェ）&lt;br /&gt;
* 原口元気・宇賀神友弥（レッズ）&lt;br /&gt;
* 梁勇基（ベガルタ）&lt;br /&gt;
* 佐藤修（ボクシング）&lt;br /&gt;
* 名護明彦（ボクシング）&lt;br /&gt;
* 小林聡（キックボクシング）&lt;br /&gt;
* 岡崎綾子（柔道）&lt;br /&gt;
* 三宅正信（創価大卒・ペッパーランチ事件）&lt;br /&gt;
* ねづっち（Wコロン）&lt;br /&gt;
* ネタバレ太郎&lt;br /&gt;
* 虚淵玄（エロゲライター）&lt;br /&gt;
* 高橋みなみ（歌手)&lt;br /&gt;
* 宮澤佐江&lt;br /&gt;
* 秋元才加&lt;br /&gt;
* 増田有華&lt;br /&gt;
* ヒロミ&lt;br /&gt;
* 北斗晶&lt;br /&gt;
* 佐々木健介&lt;br /&gt;
* 公明党・都議会公明党所属議員&lt;br /&gt;
* [[Muttley]]（☁）&lt;br /&gt;
* りんごちゃん&lt;br /&gt;
* 滝川クリステル&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脱会者・元信者 ==&lt;br /&gt;
* 杉田かおる&lt;br /&gt;
* 平尾昌晃&lt;br /&gt;
* にしきのあきら&lt;br /&gt;
* 落合博満&lt;br /&gt;
* 落合信子&lt;br /&gt;
* 竹入義勝&lt;br /&gt;
* 山崎正友&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[創価学会]]&lt;br /&gt;
* [[公明党]]&lt;br /&gt;
* [[電磁波]]&lt;br /&gt;
* [[超音波]]&lt;br /&gt;
* [[ストーカー]]&lt;br /&gt;
* [[盗撮]]&lt;br /&gt;
* [[日本会議]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:そうかかつかい}}&lt;br /&gt;
[[Category:創価学会|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:一覧]]&lt;br /&gt;
[[Category:☁]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>106.154.133.244</name></author>	</entry>

	</feed>