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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>重信房子</title>
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				<updated>2014-11-24T12:36:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;106.140.234.190: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox 革命家&lt;br /&gt;
|名前=重信 房子&lt;br /&gt;
|画像=&lt;br /&gt;
|説明=&lt;br /&gt;
|通称=&lt;br /&gt;
|生年={{生年月日と年齢|1945|09|28}}&lt;br /&gt;
|生地={{JPN}} [[東京都]][[世田谷区]]&lt;br /&gt;
|没年=&lt;br /&gt;
|没地=&lt;br /&gt;
|思想=[[マルクス主義]]&lt;br /&gt;
|活動=[[ハーグ事件]]ほか&lt;br /&gt;
|組織=（[[共産主義者同盟]](第二次)→）&amp;lt;br /&amp;gt;（関西派→）&amp;lt;br /&amp;gt;（[[共産主義者同盟赤軍派]]→）&amp;lt;br /&amp;gt;（赤軍派アラブ委→）&amp;lt;br /&amp;gt;（[[日本赤軍]]→）&amp;lt;br /&amp;gt;無所属&lt;br /&gt;
|藩=&lt;br /&gt;
|受賞=&lt;br /&gt;
|裁判=懲役20年&lt;br /&gt;
|投獄=&lt;br /&gt;
|刑場=&lt;br /&gt;
|信教=&lt;br /&gt;
|現職=&lt;br /&gt;
|記念碑=&lt;br /&gt;
|廟=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
[[Image:重信房子　1.jpg|400px|thumb|重信　房子]]&lt;br /&gt;
'''重信 房子'''（しげのぶ ふさこ、現姓：奥平、[[1945年]][[9月28日]] - ）は[[日本]]の[[新左翼]]活動家、[[テロリスト]]。元[[日本赤軍]]の最高指導者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
===生い立ち===&lt;br /&gt;
[[日本の降伏|ポツダム宣言調印]]の翌日に[[東京都]][[世田谷区]]で4人兄弟の次女として生まれた。父親は[[四元義隆]]とは同郷の同志の[[鹿児島県]]出身で[[戦前|第二次世界大戦前]]の[[血盟団事件]]に関与した右翼団体[[金鶏学院]]の門下生であった[[重信末夫]]（[[血盟団]]メンバーと報じられることがあるが、メンバーではなく事件にも一切関与していない）。[[東京都立第一商業高等学校]]卒業後、[[キッコーマン]]で働きながら[[明治大学]][[文学部]]史学地理学科（二部日本史学）に通った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===学生運動===&lt;br /&gt;
この時、学費値上げに絡んで[[学生運動]]に参加した。この際、後に[[連合赤軍]][[山岳ベース事件]]でリンチ殺人の犠牲となった[[遠山美枝子]]（二部法学部、[[麒麟麦酒]]勤務）と知り合う。第二次ブント(共産主義者同盟)に加入し、その後分裂した[[赤軍派]](共産主義者同盟赤軍派)に創立メンバーとして加わる。[[塩見孝也]]ら幹部が逮捕され弱体化する中で主導権を握った[[森恒夫]]と対立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===日本赤軍===&lt;br /&gt;
[[Image:日本赤軍メンバー.jpg|400px|thumb|[[日本赤軍]]のメンバー]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1971年]]に「[[国際根拠地論]]」に基づいて、[[パレスチナ]]に[[赤軍派]]の海外基地を作ろうとする。[[奥平剛士]]と[[偽装結婚]]（奥平剛士は[[1972年]]5月、民間人ら23人を殺害、計100人以上を無差別殺傷した[[テルアビブ空港乱射事件]]のテロ行為で死亡）をし、「奥平房子」という戸籍を得て[[2月28日]]に出国した。なお重信は、後にパレスチナ人[[男性]]と[[結婚]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年]]に長女・[[重信メイ|命]]（メイ）を出産。その後、次女の革（アラタ）、長男の強（ツヨシ）を出産。三人の名を合わせると「強い革命」となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後パレスチナで[[日本赤軍]]を結成する。創設当初は「アラブ赤軍」、「赤軍派アラブ委員会」、「革命赤軍」等と称し、その名称さえきちんと定まっていなかったが、[[1974年]]以降、「日本赤軍」を正式名称とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
重信が「最高指導者」となった日本赤軍は、[[レバノン]]の[[ベカー高原]]を主な根拠地に、「革命運動」を自称し[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけて、[[パレスチナ解放人民戦線]]（PFLP）など[[パレスチナ]]の極左過激派と連携し、一連の[[ハイジャック]]や[[空港]]内での乱射事件などの無差別殺人を起こした。さらに外国公館の政府要人やハイジャックした飛行機の乗客を人質に取って、身代金や仲間の奪還を目論む事件を起こしたり、外国公館に攻撃をするなど、民間人をも巻き込んだテロ事件を繰り返した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===逮捕===&lt;br /&gt;
[[Image:重信房子　2.jpg|400px|thumb|逮捕時の重信　房子]]&lt;br /&gt;
その後重信は「[[ハーグ事件]]」への関与で[[国際指名手配]]を受けたものの、[[逃亡]]を続けた。その後、不法に入手した偽造[[パスポート]]を使って日本に帰国。2000年に重信が日本の[[大阪府]][[高槻市]]に潜伏しているとの情報が警察に入ってきた。重信はホクロが特徴となっていたが、化粧でホクロを隠していた。内偵する内に、特有のタバコの吸い方から重信本人と突き止めた。[[11月8日]]に潜伏していた高槻市で[[旅券法]]違反容疑で[[警視庁公安部]]によって逮捕される。なお、大阪から警視庁への移送には[[東海道新幹線]]が用いられ、当時運用されていた[[新幹線100系電車|100系]]で移送された。その際は逃亡を防止する為[[グリーン車]]の個室に閉じ込めての移送となった。押収された偽造パスポートには、1997年12月から2000年9月には自らが他人になりすまして旅券を取得し、関西国際空港から計16回にわたって[[中華人民共和国]]などに出入国を繰り返したことが確認されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕の際に押収された資料により、[[1991年]]から日本での「武力革命」を目的とした「人民革命党」及びその公然活動部門を担当する覆面組織「希望の21世紀」を設立していたこと、またそれを足がかりとして[[日本社会党]]との連携を計画していたことが判明したと新聞等で報じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、「希望の21世紀」は同事件に関連し[[警視庁]]と大阪府警の家宅捜索を受けたが、日本赤軍との関係を否定している。社民党区議の自宅なども「希望の21世紀」の関連先として同時に捜索を受けたが、社民党は「何も知らなかったが事実関係を調査する」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===解散===&lt;br /&gt;
[[2001年]]には獄中から日本赤軍の解散を発表している。[[2009年]]6月に、初めて[[産経新聞]]のインタビューに応じ、過去の活動について「世界を変えるといい気になっていた」と語った。一方で「運動が行き詰まったとき、武装闘争に走った。世界で学生運動が盛り上がっていたが、故郷に戻り、運動を続けたところもあった。私たちも故郷に戻って運動を続けていれば、変わった結果になったかもしれない」と自責の念にも駆られていたとも述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ハーグ事件裁判 ==&lt;br /&gt;
[[Image:重信房子　3.jpg|400px|thumb|[[昭和48年]]の重信　房子]]&lt;br /&gt;
[[Image:重信房子　4.jpg|400px|thumb|[[1975年]]5月の重信　房子]]&lt;br /&gt;
[[1974年]][[9月13日]]に、日本赤軍が[[フランス]]当局に逮捕されたメンバー([[山田義昭]])を奪還するために、[[オランダ]]の[[デン・ハーグ|ハーグ]]で起こした[[フランス]][[大使館]]占拠事件、いわゆる「[[ハーグ事件]]」への関与をめぐり、[[監禁]]、[[殺人罪 (日本)|殺人未遂]]などでの[[共謀共同正犯]]で起訴される。検察側は日本赤軍が実行翌日に犯行声明を出したり、その他の日本赤軍の刊行物から[[パレスチナ解放人民戦線]](PFLP)に武器調達や解放された仲間を受け入れる国との調整を依頼していたこと、事件後の会議で重信が準備不足などを反省する発言をしたとする元メンバーらの供述などの証拠から、ハーグ事件について首謀者として犯行を主導したと主張し無期懲役を求刑した。弁護側は「ハーグ事件当時、日本赤軍が組織体制を確立しておらず、PFLPの作戦であったから重信が指示・指導する立場ではなかったうえ、謀議があったとされる時期には[[リビア]]にいて[[アリバイ]]がある」と無罪を主張した。[[東京地方裁判所]]は[[2006年]]2月23日に、「重信被告は武器調達や解放された仲間を受け入れる国との調整をPELPに依頼するという重要な役割を担っていた」と認定し、さらにアリバイについては「共謀の詳しい内容や時期、場所は明らかではないが、被告がアラブ諸国の協力組織を介するなどして実行犯と共謀しており、アリバイとして成立しない」と認定した。量刑は「自らの主義や主張を絶対視し、多数の生命、身体への危険を意に介さない身勝手な犯行であり、真摯な反省がみられない」としたが、一方で「犯行の重要事項については実行犯の[[和光晴生]]が決定しており、被告は中核的立場を担ったものの犯行を主導したと断言できない」とし、検察が求刑していた無期懲役を退けて懲役20年判決を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
重信は判決後の法廷で、ガッツポーズをみせ「がんばります」と傍聴席に声をかけた。弁護側と娘のメイと主任[[弁護人]]の[[大谷恭子]]は同日司法記者クラブで記者会見し判決を非難し、ただちに[[控訴]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
控訴審では弁護側と検察側双方が、[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけ世界各国でテロ事件を起こし、フランスで終身刑を受けているテロリストの「[[カルロス (テロリスト)|カルロス]]」受刑者から、「ハーグ事件」の指揮系統や武器提供の経緯についての証言を得て、裁判所に提出された。[[2007年]]12月20日に[[東京高等裁判所]]は一審判決を支持し、控訴棄却。重信は上告したが[[2010年]]7月15日に棄却が決定し刑が確定した。重信は上告棄却決定に対する異議申し立てを行ったが、[[2010年]]8月4日に最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)は棄却する決定をし、懲役20年とした一、二審判決が確定した。出所予定は2022年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
* [[八尾恵]]（[[よど号グループ]]の[[柴田泰弘]]の元妻）の『謝罪します』には、「[[1970年代]]後半に北朝鮮に在住し始めた時の夫の柴田のアルバムに、日本赤軍の重信房子が[[チマチョゴリ]]を着て2歳くらいの娘と一緒の写真があった」と書かれており、重信と[[よど号グループ]]との関係が指摘されている。&lt;br /&gt;
* 2011年2月現在、[[八王子医療刑務所]]で、[[抗がん剤]]の治療を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連する作品 ==&lt;br /&gt;
[[Image:重信メイ.jpg|400px|thumb|重信　房子の娘でジャーナリストの[[重信メイ]]]]&lt;br /&gt;
;『赤軍－PFLP・世界戦争宣言』: [[カンヌ国際映画祭]]の帰途で[[足立正生]]と[[若松孝二]]の両監督が、[[レバノン]]の[[ベイルート]]に滞在する重信とPFLPの協力を得て撮影した映画。[[若松プロダクション]]製作の[[1971年]][[ドキュメンタリー]]作品。監督は足立と若松の共同で行ない、重信は両監督とともにPFLPの日常をルポし、日本語版作品の音声も担当している。[[2007年]]ニュープリント上映された。&lt;br /&gt;
;『オリーブの樹の下で』: [[ロック (音楽)|ロック]][[ボーカリスト|ヴォーカリスト]]の[[パンタ (歌手)|パンタ]]がアコースティックユニット「響」の作品として、2007年8月に発表したアルバム。アルバム中の歌詞は重信房子とパンタとの往復書簡を利用して作詞されている。娘の重信メイが、「母への花束」の作詞を、また''[[:en:Leila Khaled|Leila]]'s Ballade'' （『[[ライラ・カリド|ライラ]]の[[バラード]]』）で英語訳詞も担当している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文献 ==&lt;br /&gt;
=== 著書 ===&lt;br /&gt;
* 1974年 『わが愛わが革命』講談社、&lt;br /&gt;
** パレスチナ解放闘争史: p.260 - 263&lt;br /&gt;
* 1983年1月 『十年目の眼差から』話の特集、ISBN 4826400667&lt;br /&gt;
* 1984年7月 『大地に耳をつければ日本の音がする　日本共産主義運動の教訓』ウニタ書舗、ISBN 4750584096&lt;br /&gt;
* 1984年10月 『ベイルート1982年夏』話の特集、ISBN 4826400829&lt;br /&gt;
* 1985年12月 『資料・中東レポート』1（日本赤軍との共編著）、ウニタ書舗&lt;br /&gt;
* 1986年4月 『資料・中東レポート』2（日本赤軍との共編著）、ウニタ書舗&lt;br /&gt;
* 2001年4月 『りんごの木の下であなたを産もうと決めた』幻冬舎、ISBN 434400082X&lt;br /&gt;
* 2005年7月 『ジャスミンを銃口に　重信房子歌集』幻冬舎、ISBN 4344010159&lt;br /&gt;
* 2009年7月 『日本赤軍私史　パレスチナと共に』河出書房新社、ISBN 978-4309244662&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連文献 ===&lt;br /&gt;
* 2002年5月 [[重信メイ]]著『秘密 パレスチナから桜の国へ母と私の28年』（講談社） - ISBN 4062108593&lt;br /&gt;
* 2003年2月 重信メイ著『中東のゲットーから』（ウェイツ） - ISBN 4901391313&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 2007年 [[婦人公論]]: 島﨑今日子『重信房子　この空を飛べたら』&lt;br /&gt;
** (1)「父の娘」（2007年11月22日号）【抜粋＠婦人公論公式サイト】&lt;br /&gt;
** (2)「青春の闘争」（2007年12月7日号）&lt;br /&gt;
** (3)「運命の同志」（2008年1月7日号）&lt;br /&gt;
** (4)「戦火に生きて」（2008年1月22日号）&lt;br /&gt;
* 2008年 「重信房子氏に聞く（上） 60年代・70年代を検証する　全共闘の魂はアラブを駆け巡った」（『図書新聞』第2885号　2008年09月13日、聞き手・小嵐九八郎）【冒頭＠『図書新聞』公式サイト]】、「重信房子氏に聞く（下）」（『図書新聞』第2886号 2008年09月20日、聞き手・小嵐九八郎）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[学生運動]]&lt;br /&gt;
* [[過激派]]&lt;br /&gt;
* [[新左翼]]&lt;br /&gt;
* [[ダッカ日航機ハイジャック事件]]&lt;br /&gt;
* [[人民新聞]] -寄稿&lt;br /&gt;
* [[伴杏里]]　-映画「[[実録・連合赤軍 あさま山荘への道程]]」で重信を演じ、「重信さんは、すごいパワーの持ち主、今の私と同じくらいの年齢の学生が、力を合わせて革命をおこそうとした。それを後の世代に伝えられることを幸せに感じた」などと[[朝日新聞]]のインタビューで答え朝日シネマ倶楽部: 一回、一瞬　すべてを込める　俳優　伴杏里（2008／4／7夕刊be　ブレイク5秒前）、重信が関与したテロの被害者やその遺族などから非難された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しけのふ ふさこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本赤軍の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:共産同赤軍派の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1945年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の左翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の刑務所に服役中の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の反共主義者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>106.140.234.190</name></author>	</entry>

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		<title>松本智津夫</title>
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				<updated>2014-11-24T12:33:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;106.140.234.190: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松本 智津夫'''（まつもと ちづお、別名：'''[[麻原彰晃|麻原 彰晃]]'''（あさはら しょうこう）、[[1955年]][[3月2日]] - ）とは、[[宗教団体]][[オウム真理教]]（現[[アレフ (宗教団体)|Aleph]]）の元代表で[[教祖]]である。[[1996年]][[6月19日]]以降は、教団内部での地位は[[開祖]]。同団体は宗教団体「アレフ」に一旦改組され「アーレフ」にすぐに再度改称するも、さらに「Aleph」に改称。Alephにおいての公式呼称は「旧団体代表」とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
著書では「真理の御魂 最聖 麻原彰晃尊師」名義を用いていた。宗教団体オウム真理教の信者からは'''尊師'''、もしくは本来[[ヒンドゥー教]]の導師を指す'''[[グル]]'''と呼ばれ、[[信仰|崇拝]]の対象となっていた（宗教団体Alephでは、尊師・グルの呼称の使用及び、写真・イラスト・その他その肖像を表わしたものを団体施設の祭壇及び個人所有の祭壇に備え付けることを禁じた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
教団は[[日本シャンバラ化計画|日本支配を画策]]しており、その[[真理国基本律|憲法草案]]の中では'''神聖法皇'''と呼称されていた。また、神や死者の声が聞こえる[[霊能者]]であるとも自称していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 成年前 ===&lt;br /&gt;
麻原こと松本智津夫は、1955年3月2日[[熊本県]][[八代市]]高植本町（旧・[[八代郡]][[金剛村]]）の[[畳]]職人の家庭に、9人兄弟の第7子（4男）として生まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[週刊文春]]』2000年新年合併号によれば、「松本の祖父は熊本県出身の警官で、戦前に[[朝鮮半島]]に渡り、その地で警察署長を務めた後、終戦後、熊本に引き揚げた」という。[[週刊現代]]1995年5月27日号「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」記事中で「父親は、[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]である」と[[栗本慎一郎]]が主張しているが、オウム真理教大辞典（東京キララ社）の『麻原彰晃』の項によれば「本人による『在日』発言があるという『噂』があったため、『在日説』が浮上したが、これはデマである」と『在日説』を否定している。また、[[高山文彦 (作家)|高山文彦]]は『麻原彰晃の誕生』で、「松本家は朝鮮半島の出自ではなく、[[朝鮮]]から引き揚げてきた日本人」との親族の言葉を紹介しており、松本の父は現在の[[大韓民国]][[全羅北道]]益山郡春浦面の生まれであるとしている。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
1961年4月に、[[八代市立金剛小学校]]に入学するも、[[視覚障害者]]（[[隻眼]]）であるために同年秋（6歳）より当時[[熊本市]]出水町今（現在の熊本市[[水前寺]]）に所在した[[熊本県立盲学校]]に転校、寄宿舎に移住（智津夫の長兄の証言によると、この視覚障害は[[水俣病]]による被害の結果だったという&amp;lt;ref&amp;gt;[[藤原新也]]『黄泉の犬』[[文藝春秋]]、[[2006年]]、pp.71-80&amp;lt;/ref&amp;gt;。ただし智津夫は水俣病患者と しての公的認定を受けていない）。部活動は[[柔道]]に打ち込む一方で、小学部5年時に児童会長、中学部在籍時と高等部在籍時に生徒会長に立候補するが、3度とも落選している。その後、成績は中程度であったにもかかわらず、[[熊本大学]][[医学部]]を志望するようになり、高等部3年の3月に同医学部を受験するが失敗。高等部[[専攻科#特別支援教育諸学校の専攻科|専攻科]]に進学する。1975年1月12日には、盲学校の生徒としては異例の柔道二段（[[講道館]]）を取得（一連のオウム事件後に講道館より剥奪）。[[鍼灸]]免許も取得した松本は、この頃より「東大法学部卒の政治家となりゆくゆくは総理大臣の座に就くこと」を志すようになる。1975年3月（20歳）、熊本県立盲学校を卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 成人後 ===&lt;br /&gt;
[[東京大学]][[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|文科1類]]受験を目指すため、1975年3月末に[[東京都]][[江東区]][[大島 (江東区)|大島]]、8月に[[品川区]][[戸越]]に移住するが、9月には八代市の実家に戻る。1976年1月熊本市春日に移住し長兄の漢方薬店の助手を務める。3月、受験勉強をするために学生街のある熊本市[[黒髪 (熊本市)|黒髪町]]に下宿するが、5月にはまた実家に戻り、長兄の店を手伝う。[[1976年]][[7月20日]]、長兄の店の元従業員が兄を侮辱したため頭部を殴打、[[9月6日]]、[[傷害罪]]で1万5千円の[[罰金]]刑を受ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]][[4月]]（22歳）に再上京し、[[代々木ゼミナール]]渋谷校（現在はない）に入学したが、東大受験に失敗する。同年頃から[[仙人|仙道]]や[[ヨーガ]]の修行を始める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1978年]][[1月7日]]、代々木ゼミナール渋谷校で知り合った妻、[[松本知子]]（旧姓石井）と[[結婚]]し、[[千葉県]][[船橋市]][[湊町 (船橋市)|湊町]]に新居を構え、そこに鍼灸院「松本鍼灸院」を開院。同年[[9月15日]]「松本鍼灸院」を廃し、同市[[本町 (船橋市)|本町]]に診察室兼[[漢方医学|漢方]][[薬局]]の「亜細亜堂」を開業したが、[[1980年]]7月に保険料の不正請求が発覚し、670万円の返還を要求される。同年[[8月25日]]（25歳）、[[新宗教|新興宗教]]団体[[阿含宗]]に入信し、以後3年ほど在籍する。同年12月、船橋市[[新高根]]に新居を購入し移住。[[1981年]]2月、船橋市[[高根台]]に健康薬品販売店「BMA薬局」を開局したものの、[[1982年]]に無許可の[[医薬品]]を製造販売したため同年[[6月22日]]に[[薬事法]]違反で[[逮捕]]され、20万円の[[罰金|罰金刑]]を受ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オウム真理教 ===&lt;br /&gt;
1983年夏（28歳）、東京都[[渋谷区]][[桜丘町 (渋谷区)|桜丘]]に、仙道・ヨーガ・[[伝統中国医学|東洋医学]]などを統合した（超）能力開発の指導を行う学習塾「鳳凰慶林館」を開設、松本は「麻原彰晃」と名乗り始める。[[1984年]]2月、学習塾「鳳凰慶林館」をヨガ道場「オウムの会」に変更し、[[5月28日]]には[[株式会社]]オウムを設立。[[1986年]]4月、ヨガ道場「オウムの会」を宗教団体「オウム神仙の会」と改称。同年7月、[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]で最終[[解脱]]と称す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1987年]]7月（32歳）には「オウム神仙の会」を「[[オウム真理教]]」に改称し、[[空中浮揚]]などのショー的なアピールで徐々に信者を獲得していった。[[1990年]]2月の[[第39回衆議院議員総選挙|衆議院議員選挙]]では、[[真理党]]代表として[[東京都第4区 (中選挙区)|東京4区]]（5人区）から出馬したが、13位で落選。その数日後に弟子対し「この世はもはや救えない、これからは武力で行く」と述べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 逮捕・裁判 ===&lt;br /&gt;
[[1995年]][[5月16日]]（40歳）に[[山梨県]][[西八代郡]][[上九一色村]]（現・[[南都留郡]][[富士河口湖町]]）のオウム真理教の教団施設で[[地下鉄サリン事件]]の首謀者として逮捕された。麻原は現金960万円の札束と[[シュラフザック|寝袋]]を抱えて、第6[[サティアン]]の南側入り口1階から2階への階段天井部分に造られた隠し部屋に隠れており、逮捕された際は[[失禁]]していたと伝えられている。逮捕後[[警視庁]]への護送は、迅速かつ安全を考え当初警視庁が当時保有していた[[V-107|大型ヘリコプター]]で護送させる予定だったが、当日は悪天候の為で飛べず、[[護送車|警察車両]]での護送に切り替えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最終的には13事件で27人殺人（裁判では殺人26人と監禁致死1人）の首謀者として起訴される。[[1996年]][[4月24日]]に[[東京地方裁判所]]で初公判が行われたが、僅か48席の一般傍聴席に対して、'''12,292人という、日本の[[裁判|刑事裁判]]史上最も多い傍聴希望者'''が東京地裁前に殺到した。弁護側は「事件は[[村井秀夫|村井元幹部]]を中心とした、弟子たちの暴走によるもので、松本自身は一切指示をしていない」と[[無罪]]を主張したが、[[2004年]][[2月27日]]、東京地裁は「救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で一連の事件を起こした」と認定し、[[死刑]]判決を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[9月15日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]は[[抗告|特別抗告]]を棄却し、1審通り松本への死刑判決が確定した。死刑が執行されていないのは、共犯者の裁判が終了していないことと逃亡者が存在するためと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逮捕後の経過 ==&lt;br /&gt;
=== 第一審 ===&lt;br /&gt;
1審の初公判は当初は1995年10月26日に設定されたものの、麻原は初公判前日の10月25日に私選弁護人の[[横山昭二]]を解任。裁判所は期日を取り消し、国選弁護団の選任に踏み切ったが、初公判は延期を余儀なくされた。[[1996年]][[4月24日]]、1審の初公判（[[阿部文洋]]裁判長）が開かれた。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]はこの時点から、「麻原-」から「松本-」と本名で報道するようになった。その後、[[民間放送|民放]]全局・[[産経新聞]]・[[中日新聞]]（[[東京新聞]]）などを除くほとんどの[[新聞|新聞社]]も本名で報道するようになった。[[日本放送協会|NHK]]は結審までは松本を[[芸能人]]として扱い、「麻原-」を使用していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判では初公判で阿部裁判長は「全世界がこの事件に注目している。判決は5年以内に出したい」と述べたが、弁護側が引き延ばし戦術を展開したために[[長期裁判]]の様相を見せ、一時は1審に30年はかかると言われた。事件ごとの並行審理を提案したが、弁護団側が拒否したため、一事件ずつの審理となった。月4回の開廷ペースに反発し、審理をボイコットする騒ぎもあった。また、弁護側は検察側が申請した被害調書や共犯者の供述調書などの1万5687点の証拠に対し1万5472点と98%に不同意。そのために171人の検察側の証人を直接出廷させて証言させることになったが、検察側の尋問時間が計206時間であったのに対し、弁護側の尋問時間は1053時間 （検察側の5倍） に及んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は長期裁判を避けるため、1997年12月に松本・地下鉄両サリン事件の重軽症者を約4000人から18人に減らす訴因変更を行い、2000年10月に被害者がいない薬物密造など4事件の起訴を2000年10月に取下げて案件を13事件に絞り込むなど、裁判の迅速化を余儀なくされた。被告人の麻原は公判では突如[[英語]]を話したり、居眠りをするなどの異常行動が目立ち、しばしば裁判長から注意や退廷命令を受けた。当初は[[起訴]]案件の[[罪状認否]]に関しては留保したが、[[1997年]][[4月]]に保留していた罪状認否について、起訴された17事件のうち16事件で無罪を主張した（[[駐車場経営者VX襲撃事件]]のみ留保）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]][[4月]]、1審の検察の論告で「'''わが国の犯罪史上最も凶悪な犯罪者'''」と指弾して死刑を求刑。同年[[10月31日]]、弁護側が「一連の事件は弟子たちの暴走であり被告は無罪」旨の最終弁論を行い結審。地裁の公判回数は254回となり第1審の判決まで8年を要した。[[2004年]][[2月27日]]、一連の事件を首謀したと認定して[[東京地方裁判所]]（[[小川正持]]裁判長）は求刑通り死刑の判決を言渡した。これに対し弁護側は[[東京高等裁判所]]に即日[[控訴]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 控訴審 ===&lt;br /&gt;
1審を担当した国選弁護団は終了後に全員が辞任。12人の国選弁護人に支払われた弁護士報酬は計4億5200万円になった。後を引き継いだ私選弁護団は1審判決後、松本が弁護団の問いかけに一切反応せず意思疎通が不可能であることや、弁護側が依頼した6人の[[精神医学|精神科医]]が彼には裁判を受ける能力がないと意見していることなどを挙げ、裁判の停止を求め、控訴審の開始のために必要な控訴趣意書の提出を拒み続けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
控訴審の開始手続きに関連して、裁判所側が依頼した[[医師]]による[[精神鑑定]]も行われ、12月10日には東京高裁の須田賢裁判長を含めた裁判官3人が弁護人抜きで東京拘置所で松本被告に面会する異例の事態となる。医師の鑑定で松本には裁判を受ける能力があるとされたことを受け、東京高裁は提出されなかった控訴趣意書の提出期限を再度指定し、[[2005年]][[1月11日]]までに提出するよう弁護側に通達した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
控訴趣意書の提出期限が近づいても、弁護側が控訴趣意書が出されなかったが、[[2005年]][[1月6日]]、東京高裁は1月11日に設定されていた控訴趣意書の提出期限を弁護団の要請に応じる形で、[[2005年]][[8月31日]]まで延長することを決めた。提出期限の[[2005年]][[8月31日]]、弁護側は控訴趣意書を持参したが、被告の精神鑑定方法に関する要望が受け入れられなかったことを理由に提出を拒んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[3月27日]]に東京高等裁判所は弁護側の控訴棄却を決定。この'''控訴棄却の[[決定 (裁判)|決定]]'''は、控訴審の審理が結審した後に下される'''控訴棄却の[[判決]]'''とは異なり、控訴趣意書が正当な理由なく期限までに提出されなかったため、[[刑事訴訟法]]の規定に従って、控訴審を開始せずに裁判を打ち切るという決定である。弁護団はこの決定に対し、同年[[3月30日]]に東京高等裁判所へ異議申立てを行ったが棄却された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 特別抗告 ===&lt;br /&gt;
弁護側は[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]へ[[抗告|特別抗告]]を行った。最高裁では死刑判決の是非ではなく、被告人の訴訟能力の有無、弁護側の控訴趣意書の提出遅れが「やむを得ない事情」に該当するかの有無、提出遅れという弁護活動の不備による不利益を被告に負わせることの可否の3点が争われた。同年[[9月15日]]に最高裁は特別抗告を棄却し、松本への'''死刑判決が確定'''した。27人殺人（司法の認定としては26人殺人と1人監禁致死）は死刑囚としては戦後最悪の数字である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また東京高裁は2006年[[9月25日]]に控訴趣意書の提出遅延に関して、[[日本弁護士連合会|日弁連]]に対し「審理の進行を妨げた」として、[[刑事訴訟法]]に基づく処置請求を行い、担当した弁護士2人の処分を求めた。2008年9月に弁護士1人に戒告の懲戒処分が、2009年7月27日に弁護士1人に業務停止1カ月の懲戒処分が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 再審請求 ===&lt;br /&gt;
* [[2008年]]11月に[[遠藤誠一]]の供述を元に再審請求を行ったが、2009年3月に東京地裁が棄却、同年7月に東京高裁が抗告を棄却&lt;br /&gt;
* [[2010年]][[9月13日]]に最高裁が特別抗告を棄却し、再審は認められなかった。現在、死刑執行はされていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 起訴された罪状 ==&lt;br /&gt;
=== 最後まで起訴されていた罪状 ===&lt;br /&gt;
* [[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]（[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]）&lt;br /&gt;
* [[坂本堤弁護士一家殺害事件]]（殺人罪）&lt;br /&gt;
* [[サリンプラント建設事件]]（殺人予備罪）&lt;br /&gt;
* [[薬剤師リンチ殺人事件]]（殺人罪・[[死体遺棄|死体損壊罪]]）&lt;br /&gt;
* [[滝本弁護士サリン襲撃事件]]（殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
* [[自動小銃密造事件]]（[[武器等製造法]]違反）&lt;br /&gt;
* [[松本サリン事件]]（殺人罪・殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
* [[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件|男性現役信者リンチ殺人事件]]（殺人罪・死体損壊罪）&lt;br /&gt;
* [[駐車場経営者VX襲撃事件]]（殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
* [[会社員VX殺害事件]]（殺人罪）&lt;br /&gt;
* [[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件|被害者の会会長VX襲撃事件]]（殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
* [[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]（[[逮捕・監禁罪|逮捕監禁致死罪]]）&lt;br /&gt;
* [[地下鉄サリン事件]]（殺人罪・殺人未遂罪）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 途中で取り下げた罪状 ===&lt;br /&gt;
* チオペンタール密造事件（[[薬事法]]違反）&lt;br /&gt;
* LSD密造事件（[[麻薬及び向精神薬取締法]]違反）&lt;br /&gt;
* 覚醒剤密造事件（[[覚せい剤取締法]]違反）&lt;br /&gt;
* メスカリン密造事件（麻薬及び向精神薬取締法違反）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 子供 ==&lt;br /&gt;
; 長女&lt;br /&gt;
: 1978年生まれ。省庁制の際には流通監視省大臣であった。&lt;br /&gt;
; 次女&lt;br /&gt;
: 1981年生まれ。2000年1月に長男を連れ去ろうとした事件&amp;lt;!--この事件は教祖と扱われていた長男をめぐって教団での内部争いが行われている可能性として注目された事件--&amp;gt;で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。&lt;br /&gt;
; 三女&lt;br /&gt;
: 1983年生まれ。家庭教師は[[石川公一]]。省庁制の際には法皇官房長官であった。2000年1月に長男を連れ去ろうとした事件&amp;lt;!--この事件は教祖と扱われていた長男をめぐって教団での内部争いが行われている可能性として注目された事件--&amp;gt;で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。2004年3月に合格した[[和光大学]]から入学拒否されたとして提訴し、[[東京地方裁判所|東京地裁]]は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に30万円の[[損害賠償|慰謝料]]支払を命じた。&lt;br /&gt;
; 四女&lt;br /&gt;
: 1989年生まれ。2003年に教団との関係を保つ家族のあり方に疑問を抱き、後見人となった[[江川紹子]]の元に身を寄せる（後に江川は後見人を辞任している）。2010年、ペンネーム「松本聡香」名義で著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』（徳間書店）を刊行。&lt;br /&gt;
; 長男&lt;br /&gt;
: 1992年生まれ。[[日本シャンバラ化計画]]に於いて[[皇子]]の称号を与えられた。1996年6月に教団の教祖となる。&lt;br /&gt;
; 次男&lt;br /&gt;
: 1994年生まれ。日本シャンバラ化計画に於いて皇子の称号を与えられた。1996年6月に教団の教祖となる。2006年に[[春日部共栄中学高等学校|春日部共栄中学校]]に合格したものの、麻原の息子だという理由で入学を拒否された。次男らは、憲法で禁止された不当な差別によって精神的苦痛を受けたとして、共栄中学校に損害賠償を求める訴えを起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書籍 ==&lt;br /&gt;
1990年代前半に多くの著書を出し、[[ベストセラー]]になった。中でも『キリスト宣言』は[[1991年]]11月の全国月間ベストセラーランキングで3位を記録した。『麻原彰晃の世界パート13・これが尊師!』は[[1992年]]2月の全国月間ベストセラーランキングで4位を記録し、以後5月までベストセラーのトップテンにランクインし続けた（ランキングは[[日経産業新聞]]に掲載されていた[[トーハン]]・[[日本出版販売|日販]]調べによるもの）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
=== 「修行」 ===&lt;br /&gt;
* [[空中浮揚]]で40cm飛んだことがあると自称していた。3秒間の滞空時間があったともされるが、[[自由落下]]する限りは11m跳ね上がる必要がある。&lt;br /&gt;
* 「水中クンバカ」の修行で5分近く水中に潜った信者に対して、麻原は「何を怖がっているんだよ」と発言したが、その割に自身の記録はたったの約15秒だった（最高記録は約11分）。&lt;br /&gt;
* 「麻原の[[前世]]が[[エジプト]]の王であった」ということから、エジプトツアーを行ったことがあった。&lt;br /&gt;
* [[インド]]では、[[釈迦]]が[[悟り]]を開く[[瞑想]]に入った最高の[[聖地]]である[[ブッダガヤ]]の「金剛宝座」に座り、地元住民に引き摺り下ろされた。また高級ホテルのスイート・ルームに宿泊したが、連れて行った信者をみなその部屋に雑魚寝させたことで、現地関係者の失笑を買った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== マスメディア関連 ===&lt;br /&gt;
* [[衆議院議員総選挙|衆院選]]出馬していた時、女性記者から「もしも、麻原さんが[[内閣総理大臣|総理大臣]]になった場合、日本の国民の全員がオウム真理教に入信しなければならないのか」と尋ねられ、麻原は苦笑いをしていた。&lt;br /&gt;
* 日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』内のコーナー「[[とんねるずの生でダラダラいかせて!!#名物コーナー|麻原彰晃の青春人生相談]]」で、女性視聴者からの「尊師は髪を洗う時に[[リンス]]は使っているんですか?」という質問に対して「リンスは使っていません。[[シャンプー]]はベビーシャンプーを使っています」と笑顔で返答した。&lt;br /&gt;
* 『[[おはよう!ナイスデイ]]』（フジテレビ）に出演した際、被害者の会と口論となり、「'''あなた方がやっている事は[[宗教的迫害|宗教弾圧]]じゃないですか! 完全に!'''」と激怒。被害者の会の一人の「あなたがたは[[ヤクザ]]ですか?」との反論に対して「あなたたちがこの[[マスメディア]]を使って宗教弾圧をしていることはまちがいないでしょう?」と答えた。&lt;br /&gt;
* [[タイム (雑誌)|タイム誌]]の[[1995年]]4月3日号において、日本人としては[[1971年]]10月4日号の[[昭和天皇]]以来、23年半振りのカバーパーソンとなった（ただし犯罪容疑者として）。&lt;br /&gt;
* [[TBSテレビ|TBS]]で放送された[[オウム真理教]]のドキュメンタリーで、関係のないシーンで30分の1秒という知覚できない速度で急に麻原の顔写真や[[キリスト教]]の[[裏切り]]者をあらわす[[イスカリオテのユダ]]の[[サブリミナル効果|サブリミナル]]カットが何度も放映された。&lt;br /&gt;
* [[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]、[[サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ]]が製作したアニメ『[[シティーハンター (アニメ)#シティーハンター3|シティーハンター3]]』第11話（[[1989年]][[12月24日]]放送）の中で麻原の画像のカットが使用され、後年問題になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女性関係 ===&lt;br /&gt;
* 結婚した[[松本知子]]のほかにも、[[石井久子]]、タントラギーター、スメーダー、イシュタ・ヴァジリニー、マハームドラー・ダーキニーの愛人がいた。目が見えないと語っていた割には美人を見つけ、出家させて[[ダーキニー (オウム真理教)|ダーキニー]]にしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 嗜好 ===&lt;br /&gt;
* 裕福な家庭というわけではなかったが、父が旧[[金剛村]]で最初にテレビを購入しており、子供のころ、そのテレビで『[[あんみつ姫]]』や『[[8マン]]』をよく観ていたという。[[ハルマゲドン]]思想は『[[幻魔大戦]]』『[[宇宙戦艦ヤマト]]』から影響を受けたとされる。&lt;br /&gt;
* 盲学校中学部・高等部時代に、他の寄宿生らを集め[[西城秀樹]]や[[尾崎紀世彦]]の歌を歌う「松本智津夫ショー」を何度も開催していた。空き缶をマイクの代わりにして西城秀樹の当時のヒット曲「[[傷だらけのローラ]]」を歌ったこともある。&lt;br /&gt;
* 専攻科時代、運動会の応援団長を務めることになった松本は、運動会当日[[モヒカン刈り|モヒカン頭]]の出立ちで現れ周囲を驚かせた。&lt;br /&gt;
* 信者たちとナイター中継を観賞しながら「私の前世は巨人軍のピッチャーだった!」と語った。好きな球団は[[読売ジャイアンツ]]という説があるが、真相は不明。拘置所の運動場では、「[[全国高等学校野球選手権大会|甲子園]]の優勝投手だ。[[魔球|大リーグボール]]3号だ」と発言した。&lt;br /&gt;
* 逮捕前、[[メロン]]と[[排骨|パーコー麺]]と[[ステーキ]]を好んで食べていたという。しかし、本人は「私が好きなのは[[バナナ]]なのに」と主任弁護人に伝えていた。留置所では、家族から[[弁当]]の差し入れを毎日もらっていたが「今日の弁当は鮭が小さかった」と残念がる時もあった。&lt;br /&gt;
* [[フラッグキャリア]]の[[日本航空インターナショナル|日本航空]]に搭乗を拒否されたため、海外移動の際には[[全日本空輸|全日空]]や[[アエロフロート・ロシア航空|アエロフロート]]へ搭乗していた。なお、全日空に搭乗する際は[[ファーストクラス]]を貸し切りにすることが多かった&amp;lt;ref&amp;gt;『[[噂の眞相|噂の真相]]』1998年2月号&amp;lt;/ref&amp;gt;が、専用の椅子を持ち込もうとして拒否されたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 視力 ===&lt;br /&gt;
* 「[[視力]]がない」と自称していたが、他のオウム関連の裁判に証人として出廷した際、宣誓書を弁護士の言う通りに比較的短時間で書き上げた。裁判長も一瞬で麻原の書いた宣誓書を判読できたため、視力障害者特有の文字の重なりなどはなかったと思われる。また、「目が見えない」のに宮沢りえの[[ヌード]]写真集を持っていたとの報道もあり、視力に関しては非常に疑わしいと言える&amp;lt;ref&amp;gt;青沼陽一郎『オウム裁判傍笑記』[[新潮社]]、2004年2月&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 取調べの際も目が見えないことを強調していたが、その一方で「刑事さんは[[竜雷太]]みたいでカッコイイですね」や「刑事さん、[[太陽にほえろ!|太陽にほえろ]]のボスみたいですね」と語ったり、的確に障害物を避けるなどをしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
* 顔が料理人の[[坂井宏行]]、[[投資ジャーナル事件]]の[[中江滋樹]]、『[[オレたちひょうきん族]]』の懺悔コーナーに出ていた[[ブッチー武者]]、[[たけし軍団]]の[[グレート義太夫]]に似ていると言われている。特にグレート義太夫は一時期、麻原の弟ではないかと[[都市伝説]]になったこともある。&lt;br /&gt;
* 若いころ[[極真会館]]に入門したが、すぐ辞めてしまった。&lt;br /&gt;
* [[代々木ゼミナール]]にいた頃、「麻原彰晃を称える会」があった。&lt;br /&gt;
* 「思ったことを自由に言ってみなさい」と言ったにもかかわらず、信者がありのままに言うと「'''馬鹿野郎! そんなことは聞いていない!'''」と言った。&lt;br /&gt;
* 「裁判中に英語を話した」という記事がある。英文法的には間違いが目立っていたが、単語は難易度の高いものを使っていた。さらに基本的な単語をど忘れした時、弁護人が教える場面も見られた。&lt;br /&gt;
* 1審の初公判で裁判長に「（本名は）松本智津夫ではないのですか」と尋ねられたとき「松本智津夫という名前は捨てました。（今の名前は）麻原彰晃です」と言った。&lt;br /&gt;
* [[東京拘置所]]そばの建造物（高速道路の柱）から超望遠レンズを付けたカメラにより、[[車椅子]]に乗った麻原の姿が撮影されている（当時、東京拘置所の塀の一部が工事のため内部が見えていた。これに気づいた[[宮嶋茂樹]]は同僚と協力し撮影に成功した。週刊誌に掲載後、工事されていた塀はさらに嵩上げされ、撮影場所の建築物付近の警戒が厳しくなっており、近づいたら警察が駆けつけるようになっている）。&lt;br /&gt;
* 1審で死刑判決を受けたとき「'''何故なんだ! ちくしょう!'''」と叫んだ。[[精神鑑定]]で正常と判断された根拠の1つに、腕をひねって「'''痛い!'''」と言ったことが挙げられる。&lt;br /&gt;
* 麻原が出廷した裁判を傍聴した映画監督の[[森達也]]は、[[朝日新聞]]に寄せたコラムに「麻原は[[統合失調症]]であるように見えた」と書いた。その後[[テレビ朝日]]の『[[朝まで生テレビ!]]』に出演した際にも同様の発言をしている。&lt;br /&gt;
* 現在、[[おむつ]]を使用していると報じられている。風呂に自力で入れないので看守等に洗われる訳であるが、体に付着した[[糞]]のせいで風呂場はとんでもないことになる。掃除の際は飛び散った糞を靴で踏んで細かくして流し、[[クレンザー]]で[[殺菌]]するらしい&amp;lt;ref&amp;gt;『獄中で見た麻原彰晃』麻原控訴審弁護人/編 インパクト出版会&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 控訴審の弁護人である松井武によると、麻原は東京拘置所における松井との接見の最中に服の上から股間を擦り、さらに[[陰茎]]を露出させて[[オナニー|自慰行為]]をおこない、[[射精]]に至ったという&amp;lt;ref&amp;gt;麻原控訴審弁護人編『獄中で見た麻原彰晃』p.101（インパクト出版会、2006年）&amp;lt;/ref&amp;gt;。自分の娘たちとの接見でも自慰行為を行ったことがあるという&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊新潮]]』2008年2月7日号「独占手記『麻原彰晃四女』獄中の父が『詐病』と悟った瞬間」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 麻原彰晃の画像 ==&lt;br /&gt;
[[ファイル:麻原彰晃 1.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 2.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 3.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 4.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 5.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 6.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 7.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 8.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 9.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 10.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 11.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 12.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 13.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 14.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 15.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 16.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 17.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 18.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 19.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 20.jpg|300px]][[ファイル:麻原彰晃 21.jpg|300px]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[高山文彦 (作家)|高山文彦]] 『麻原彰晃の誕生』[[文藝春秋]]、2006年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[オウム真理教]]&lt;br /&gt;
* [[尊師マーチ]]&lt;br /&gt;
* [[泡沫候補]]&lt;br /&gt;
* [[個人崇拝]]&lt;br /&gt;
* [[とんねるずの生でダラダラいかせて!!]]&lt;br /&gt;
* [[中沢新一]]&lt;br /&gt;
* [[島田裕巳]]&lt;br /&gt;
* [[下村満子]]&lt;br /&gt;
* [[横山昭二]]&lt;br /&gt;
* [[渡辺脩]]&lt;br /&gt;
* [[安田好弘]]&lt;br /&gt;
* [[報道におけるタブー]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつもとちつお}}&lt;br /&gt;
[[Category:オウム真理教の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政治運動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:国政選挙立候補経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の宗教家]]&lt;br /&gt;
[[Category:阿含宗]]&lt;br /&gt;
[[Category:視覚障害を持つ人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:テロリスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:熊本県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1955年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:新宗教の開祖]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のシンガーソングライター]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の著作家]]&lt;br /&gt;
[[Category:画像が非常に多い記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の反共主義者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>106.140.234.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E6%8A%BC%E5%B0%BE%E5%AD%A6&amp;diff=261714</id>
		<title>押尾学</title>
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				<updated>2014-11-24T12:30:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;106.140.234.190: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:押尾学1.jpg|300px|thumb|押尾学]]&lt;br /&gt;
[[Image:押尾学2.jpg|300px|thumb|押尾学]]&lt;br /&gt;
'''押尾 学'''（おしお まなぶ、[[1978年]]〈[[昭和]]53年〉[[5月6日]] - ）は、[[日本]]の[[俳優]]、[[罪人]]、[[受刑者]]、[[歌手]]。元[[エイベックス・マネジメント]]、[[研音]]所属。フリーの時期もあった。愛称は「お塩先生」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つい数年前は[[矢田亜希子]]とセックスしていたが、現在は刑務所でヤクザに掘られることを心配するまでに落ちぶれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[東京都]]出身。元妻は[[俳優|女優]]の[[矢田亜希子]]。公称身長184cm、体重80kg。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
“幼少期にアメリカで8年過ごしていた[[帰国子女]]のため英語が堪能”、“16歳から19歳まで日本の米軍キャンプでハードコアロックのライブ活動をやっていた”と自称するがその証明は未だ為されていない。一時期、活動の拠点を[[アメリカ合衆国]]に移していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[奥菜恵]]と交際していた頃に押尾が撮影した、奥菜の上半身裸の写真が流出した&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドラマに多数出演する一方で、[[ロックバンド]]「リヴ （LIV）」の[[ボーカル]]兼[[リーダー]]もつとめていた。所属事務所は研音だったが、フリー期間を経て、エイベックス・エンタテインメントに移籍していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]（[[平成]]19年）[[7月2日]]、矢田が所属事務所を通じて妊娠4ヶ月である事を発表、自身のブログでも、結婚後初の3ショットを掲載するとともに、父になる喜びを綴った。&lt;br /&gt;
ボディメーカーのイメージキャラクター就任記者会見で息子の名前を「りあむ」と名づけたことを発表。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 音楽活動 ===&lt;br /&gt;
[[Image:押尾学3.jpg|300px|thumb|押尾学]]&lt;br /&gt;
LIVとしてインディーズに移行後も、オリコンインディーズチャートで1位を獲得（総合チャートでは54位）したことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]（平成18年）初頭、渋谷[[Shibuya O-WEST|O-WEST]]にてベスト盤『コレクシオン・デ・オロ』の購入者を招待したマスコミシャットアウトのシークレットライブを行った。ライブには親交のある俳優の[[金子賢]]やタレントの[[あびる優]]、[[山崎裕太]]らがゲスト出演し、俳優の[[伊藤英明]]は同グループの活動に際し、花束を贈っている。&lt;br /&gt;
LIVとしてミュージックステーション出演した時、自分たちのジャンルを[[ハードコア・パンク|ハードコア]]だと宣言する。その直後の[[スペースシャワーTV]]で[[横山健]]から「あんなのはハードコアじゃないよ」とにべもなく切り捨てられた。更に横山はインタビュアーに「子供につけたい名前は何ですか？」と聞かれると「お塩」と顔モノマネをし盛大に批判していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ガンズ・アンド・ローゼズ]]のファンであり、特に[[ボーカリスト]]の[[アクセル・ローズ]]を「永遠のヒーロー」として尊敬している。少年時代に彼らのライブを見たことで「アクセルローズの全てに惚れ、その衝撃が音楽を目指すきっかけになった」と公式ブログに綴っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人物 ===&lt;br /&gt;
[[Image:押尾学4.jpg|300px|thumb|押尾学に殺されたホステスの田中さん]]&lt;br /&gt;
傲慢かつ不遜な言動で周囲と軋轢を生むことが多く、奇抜な発言は「'''押尾語録'''」と呼ばれている。また、事あるごとに舌打ちをする癖もある。これらの行動・態度により、芸能界では押尾を忌避したり嫌悪する者が多く、[[芸能人]]との交友関係がほとんどない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[暴走族]]のヘッドをやってた」、「在日米軍基地で大暴れしたことがある」、「サッカーでヨーロッパ留学していた」などの発言などから、「[[虚言癖]]」と揶揄されることもあり、その発言の数々は[[2ちゃんねる]]をはじめとする[[インターネット]]上では「お塩先生語録」などと呼ばれ、注目を集めている。ただ、本人は「報道されている俺の語録は、98％が勝手に造られたもの」と否定しており、他人が創作した発言も多数存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両腕、左胸、へその右側、背中、臀部にタトゥーを入れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小学生時代以来[[X JAPAN]]のファンで、邦楽では一番好きなアーティストと公言している。ライブにも度々足を運び、1997年の解散ライブも見届けた。2008年3月28日にはバンド再結成後初のライブ「[[攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜]]」に来場し、同年5月4日には「[[hide memorial summit]]」にも来場している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 薬物事件と解雇、芸能界追放へ ===&lt;br /&gt;
[[2009年]]（平成21年）[[8月2日]]、借りていたマンションの同室でホステスとMDMAを服用してホステスが死亡した事件が発覚し（[[押尾学事件]]）、MDMA服用の容疑で逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを受けて、妻の矢田と[[8月7日]]に[[離婚]]。事件発表直前に[[エイベックスグループ|エイベックス]]からマネジメント契約を解除されているが、関係者が本件を発覚前に知っていたのかは不明。&lt;br /&gt;
家宅捜索でドラッグが押収された。&lt;br /&gt;
同年[[10月]]から始まった[[東京地方裁判所|東京地裁]]で、麻薬取締法違反（自己使用）について、[[11月2日]]の判決公判で[[懲役]]1年6月・[[執行猶予]]5年の有罪判決を言い渡された。その後、ホステスを死なせた保護責任者遺棄致死罪で逮捕、起訴された。翌[[2010年]]（平成22年）[[9月]]から始まった保護責任者遺棄致死罪の[[裁判員制度|裁判員裁判]]では致死罪は認めなかったが保護責任者遺棄罪を認めて、懲役2年6月の[[実刑]]判決を言い渡された。押尾は判決を不服として[[東京高等裁判所|東京高裁]]に即日[[控訴]]した。[[10月4日]]に保釈保証金1000万円を納付し[[保釈]]された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2011年]]（平成23年）[[4月18日]]、[[東京高等裁判所|東京高裁]]は一審判決を支持し、控訴を棄却した。押尾は判決を不服として[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]に即日[[上告]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]]（平成24年）[[2月13日]]、最高裁第一小法廷（[[宮川光治]]裁判長）は上告を棄却する決定をした。これにより、[[懲役]]2年6月の一審[[実刑]]判決が確定する。近く、収監される見通し。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== [[Nanami]]（25才）と獄中婚か ==&lt;br /&gt;
[[Image:Nanami1.jpg|300px|thumb|[[Nanami]]]]&lt;br /&gt;
[[Image:Nanami2.jpg|300px|thumb|[[Nanami]]]]&lt;br /&gt;
「彼女のショックは相当なものでした。浮気どころか逮捕までされちゃったんだから。でも、Nanamiちゃんは、日本中から非難されていた押尾さんを見て、“彼の寂しさや弱さをわかってあげられるのは自分だけ”だと思っちゃったんですよね…」（押尾被告の知人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、押尾被告をめぐって家族と衝突したNanamiは、とうとう家を出て行ってしまう。連絡もまったく取れなくなり、なす術がなくなった両親は、必死でNanamiのスケジュールを調べた。そして昨年9月、都内で行われた『神戸コレクション』に娘が出演することを突き止めたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「両親はNanamiのマネジャーと一緒に楽屋で待ち伏せしたんです。ショーを終えた彼女はそこで、押尾さんと結婚を考えていることをはっきり伝えました。両親はなんとしても押尾さんから娘を奪還したい一心で、涙ながらに説得したんです。マネジャーさんや他のスタッフも“彼と一緒になるなら仕事ができなくなる。どっちをとるんだ！”と迫った。それでも彼女の決意は揺るがなかったそうです」（Nanamiの知人） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
所属事務所は昨年末で退社し、仕事より押尾被告を選んだNanami。現在の彼女の住まいは、神奈川県内にあるファミリー向けマンションだった。大きなリビングのある3LDKの部屋だ。彼女はここで押尾被告の帰りを待つのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 収監(2012年3月29日) ==&lt;br /&gt;
3月29日、元俳優の押尾学受刑者が、保護責任者遺棄と麻薬取締法違反の罪により収監された。押尾は刑務所で最長3年6カ月余り、服役することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
収監前に押尾は「[[女性自身]]」（[[光文社]]）の取材に応え、一部マスコミに報道されたモデルの[[Nanami]]との獄中結婚の記事について、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「なんでわざわざ刑務所の中で結婚しないといけないんですかね。普通は獄中に入る前にするでしょ。確かに彼女は友人だけれど、結婚とか恋愛とかそんな関係じゃありません。その記事で、その女性にどれだけ迷惑がかかっているか、わからないんでしょうかね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と否定した。事実ではないことを書かれることは不本意だろうが、それでも「何をいまさら、きれいごとを言っているな」とあきれざるを得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Nanamiさんに迷惑をかけたのは押尾自身だ。押尾は麻薬取締法違反で逮捕され、保釈後、田中香織さんへの保護責任者遺棄致死罪容疑で逮捕状が出た際に潜伏していたのが、横浜市内にあったNanamiさん名義のマンションだった。この時点でNanamiさんの存在は公になってしまい、彼女はマスコミに追われ、両親との関係も悪化。今は断絶状態だという。押尾が自身の立場をわきまえ、マンションに潜伏しなかったら、こんなことにはならなかったはず。そもそも、田中さんの事件も他人のマンションで起こしたことで、周囲にあれだけの迷惑をかけたのにもかかわらず、自覚に欠けているとしか思えない。その結果、押尾はNanamiさんの家族まで崩壊させてしまったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
押尾は出所後についても&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「芸能界には戻らないので、出所後は新しいことを始めたいと思います。24歳くらいから考えているビジネスがあるんです。その夢を実現するには、もっともっと勉強しないといけないし、お金だっている。時間はすごくかかるかもしれないけれども、刑務所を出たら、絶対にこれを成し遂げたいと思っています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と語っているが、この発言はまたしても田中さんの遺族感情を逆なでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
押尾は、田中さんの保護責任者遺棄罪で拘留中、「保釈されたら、田中さんの墓参りと、遺族への説明と謝罪をしたい」と語ったが、保釈後、「遺族が会ってくれない」と、平然とウソをついた。当然、墓参りもしていない。押尾が出所後、まずやるべきことは田中さんへの墓参りと遺族への謝罪。&amp;quot;夢を実現&amp;quot;とはあまりに身勝手すぎる。収監後に弁護士が発表した押尾のコメントでも、反省や謝罪の弁は一言もなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな押尾に、遺族は裁判で明らかにならなった真相を民事訴訟で明らかにするために、損害賠償を求める訴訟を起こす。以前から計画はされていたが、押尾が有罪確定後、収監されてしまっては、事件の真相究明のための審議が法廷で十分行われることは厳しくなるため、ペンディングされていた。実際に収監されたことで、民事訴訟は出所後に行われる予定だ。押尾は、人一人の命が失われた事実からはそう簡単に逃げられないことを、刑務所の中でじっくりと思い知るべきだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 獄中からの手紙…出所後に備え「職業訓練や通信教育も」(2013年5月) ==&lt;br /&gt;
[[Image:矢田亜希子1.jpg|350px|thumb|矢田　亜希子]]&lt;br /&gt;
[[Image:矢田亜希子2.jpg|350px|thumb|矢田　亜希子]]&lt;br /&gt;
懲役3年6カ月の実刑となり、2012年3月末に[[東京高等検察庁]]に出頭した押尾学（35）。[[5月6日]]、彼は刑務所の独房で35歳の誕生日を迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼はいま、刑務所のなかでどのような生活を送っているのかーー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
収監１年を前に、獄中の彼に文書で取材を申し込んだ。そして文書を送ってから1か月半。A4版便箋4枚に綴られた、押尾からの手紙が返ってきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文書で送った質問に、彼は丁寧に回答を寄せた。ここでは刑務所の独房で綴られた『押尾の告白』の一部を公開する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーー刑務所での一日のスケジュールは？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「（午前）4時30分起床、5時工場で作業開始、18時過ぎに作業終了。その後入浴。18時50分ぐらいに部屋（に戻り）、20時55分まで一人の時間。一日の時間が長いけど、とても忙しいから一日が早く終わる感じがします」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
消灯・就寝は午後９時という。孤独な夜は長いようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーー独房の様子は？　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「部屋の居室面積は5.7平米。独房。ものすごく古い部屋。トイレが長方形の木のトイレでものすごく臭い。畳もボロボロで虫がいっぱい。洗面台の排水溝から大量の小バエが発生してきて汚い」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
劣悪な環境は衛生面だけではない。彼がすごす独房には、もちろん冷暖房もない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーー刑務所での作業は？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「体力、気力が一番過酷と言われている炊場工場です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
炊場工場とは、収監されている受刑者の食事を作る土日も休みの無い工場だ。ほかの工場作業に先駆けて、午前5時から朝食作りが始まる。そんな厳しい作業を担当させられているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
押尾が収監されている刑務所では、夕食後の約2時間が余暇とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーー余暇の過ごし方は？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「余暇時間は考え事をしたり、ノートにいろいろ書き込んだり、本を読んだり、テレビを見たりしています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕後、彼には11カ月に及ぶ拘置所での生活があった。このときも独房で、悲しみ、怒り、家族への思いをA4ノートに綴ってきた。「書くこと」は彼にとって日課となっているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーー休日の過ごし方は？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ノートにいろいろ書き込んでいます。あとはひたすら本を読んでいます。職業訓練や通信教育も始めたので、それらの勉強もしています」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《もう芸能界には戻らないので、出所後は、新しいことを始めたい》と収監前に明かしていた押尾。出所後に向けた勉強も始めているようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつて、彼の公式プロフィールには《身長184センチ　体重78キロ》と書かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーー現在の体重、そして体調は？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「（体重）70.4キロ。栄養不足で爪は割れ、冬は霜焼け、たまに立ちくらみを起こしてしまいます。一日の作業時間に対してのカロリーが、まったく足りていない現状です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼に下された実刑は懲役3年6か月。まだ自由を奪われた日々は2年以上も続くことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーー出所したら、まずしたいことは？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「数年間、深い闇の中に沈み込んでしまったから、静かな所で光に当たりたい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーー出所後の人生計画は？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「しっかりと次の人生を生きていきます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
収監前は“夢”を語ることも多かった押尾。だが、いまは噛みしめるように、静かにそう綴るだけだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年8月の逮捕劇から、間もなく4年。彼は最後の質問に、こう答える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーー事件についてあらためて思うことはありますか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「いろいろな人に思うことや言いたいことは、いっぱいあります。だけど今は何も言いません」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
過酷な生活、尽きない苦悩……。これからも彼はそれを孤独に受け止め続けていくしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発言集 ==&lt;br /&gt;
=== 事件前 ===&lt;br /&gt;
*「ウーマン・リブって、女はみんなリブを好きってこと？」&lt;br /&gt;
*「リブなら人を救える気がした」&lt;br /&gt;
*「Livの熱さなら、この寒さを乗り切れる」&lt;br /&gt;
*「[[リーブ21|Liv 21]]は発毛専門」&lt;br /&gt;
*「I live in Liv.」&lt;br /&gt;
*「Livは俺だけのもんじゃない。かといって、お前らのもんでもない」&lt;br /&gt;
*「Livの奴らといると、ここが俺の居場所なんだなって感じる」&lt;br /&gt;
*「Livはまだ「生きていない」。生まれたばかりなんだ」&lt;br /&gt;
*「電車の中で、Livの[[着メロ]]がいたよ」&lt;br /&gt;
*「Livは、爆音で聴けよ」&lt;br /&gt;
*「LivとLoveは、紙一重」&lt;br /&gt;
*「Believe Liv。 Believe 押尾。俺、[[ブリーフ]]」&lt;br /&gt;
*「Livが解散するとしたら、『[[音楽性の違い|愛をめぐる方向性の違い]]』だろうな」&lt;br /&gt;
*「[[機動戦士ガンダム00|ガンダムOO]]の主題歌（[[Gackt|ガクト]]）不評だね。LIVがやったほうが良かったんじゃない？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 逮捕後 ===&lt;br /&gt;
[[Image:押尾学5.jpg|350px|thumb|押尾 学]]&lt;br /&gt;
[[Image:野口美佳5.jpg|350px|thumb|[[野口美佳]]と押尾学]]&lt;br /&gt;
* 「警察署に入ったら婦警にサインねだられた」 &lt;br /&gt;
* 「取り調べ？もちろん第一声は”It keeps silent.”」 &lt;br /&gt;
* 「その辺の総務課の人間にメンチ切ったら失神した」 &lt;br /&gt;
* 「指紋採取後の撮影でギャラもらった」 &lt;br /&gt;
* 「取り調べでカツ丼は無粋。俺はＲＯＣKだから天丼だけ」 &lt;br /&gt;
* 「配属されてたキャリアに国家1種の問題出してもらったら全問不正解だった」 &lt;br /&gt;
* 「自弁？俺はいつでも婦警の差し入れで特上寿司だったよ」 &lt;br /&gt;
* 「ちょっと力入れると壊れるから、手錠はかけられなかった」 &lt;br /&gt;
* 「留置場のやつにメンチきったら次の日カツをくれた」 &lt;br /&gt;
* 「布団はいつも署長が運んでくれてた」 &lt;br /&gt;
* 「俺だけ運動の時間は無し」 &lt;br /&gt;
* 「もちろん風呂も無し」 &lt;br /&gt;
* 「朝の音楽はＬＩＶにしてもらった」 &lt;br /&gt;
* 「検察まで、護送車なんていやだっていったら、リヤカーで送迎になった」 &lt;br /&gt;
* 「検察でも俺だけ個室トイレを自由に使える」 &lt;br /&gt;
* 「よく見たら昔ボコった奴がいた。どうやら今は山口組直系の組長らしい」 &lt;br /&gt;
* 「検察官が新米の男だったんで、検察調べの時は毎回ヤってた」 &lt;br /&gt;
* 「三田署には俺の銅像が建っている」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『A.I.G.H』光進社、2001年3月、ISBN 4877610588&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[押尾学事件]]&lt;br /&gt;
ASKA。押尾学逮捕の5年後に同じ理由で逮捕された&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.universal-music.co.jp/universal/artist/liv/ LIV 押尾 学]（2006年以降新情報なし）&lt;br /&gt;
* [http://myspace.com/manabuoshio LIV-Myspace]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:おしお まなふ}}&lt;br /&gt;
[[Category:過去の研音グループ所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のエイベックス所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1978年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:転落人生]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の反共主義者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>106.140.234.190</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://18.236.240.21/mediawiki/index.php?title=%E5%BB%BF%E6%97%A5%E5%B8%82%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=261706</id>
		<title>廿日市女子高生殺人事件</title>
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				<updated>2014-11-24T12:18:23Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;106.140.234.190: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image: 北口聡美1.jpg|350px|thumb|学校では「天然キャラ」で愛されていた北口聡美さん。[[平成16年]]10月、自宅離れの部屋でくつろいでいたところを突然、侵入者の男に刃物で襲われ、命を落とした。卑劣な犯人はまだつかまっていない]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''廿日市女子高生殺人事件'''は[[2004年]]10月5日に[[広島県]][[廿日市市]]に住む高2女子生徒の北口聡美さん(当時17歳)が自宅で[[刺殺]]された事件。[[捜査特別報奨金制度]]対象の事件で、[[2013年]]現在も未解決となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件当日の状況、特徴 ==&lt;br /&gt;
; 2004年10月5日&lt;br /&gt;
: 午後3時ごろ、広島県廿日市市上平良の自宅にて、北口聡美さんが若い男に刃物で刺された。&lt;br /&gt;
:* 北口聡美さんは高校から帰宅後、自室で仮眠を取っていた。&lt;br /&gt;
:* 北口聡美さんの叫び声を聞き、祖母と妹（次女）が駆けつけた。男は祖母にも襲いかかり、背中や腹を10ヵ所ほど刺して逃走した。&lt;br /&gt;
:* 妹は裸足のまま、30m離れた近所の園芸店に助けを求めた。&lt;br /&gt;
:* 北口聡美さんと祖母は重体に陥って病院に運ばれた。北口聡美さんはまもなく出血多量で死亡、祖母はその後回復した。&lt;br /&gt;
: 北口聡美さんは学校内での[[トラブル]]などもなく、犯人の動機は不明。&lt;br /&gt;
: 北口聡美さんを1階の[[玄関]]まで追って刺すという、凶悪性の高い犯行。&lt;br /&gt;
; [[2008年]]&lt;br /&gt;
: 北口聡美さんの家族らは300万円の[[懸賞金]]を用意し、犯行当日の目撃者や、[[犯人]]に心当たりがある者に呼びかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 犯人像の謎 ==&lt;br /&gt;
北口聡美さんの遺品は、[[警察]]が[[捜査]]のために一時的に預かっていた。後にそのほとんどが返却されているが、[[携帯電話]]は返却されていない。&lt;br /&gt;
: 携帯電話には、北口聡美さんと何らかの関係があると思われる[[男性]]2人組の名前が登録されている。&lt;br /&gt;
: しかし、北口聡美さんの行動範囲は[[塾]]・[[学校]]・[[自宅]]周辺と非常に狭いものであり、友人や家族でさえも心当たりのない人物である。&lt;br /&gt;
: この人物は「○くん」と言う敬称から、同世代の[[男性]]であると思われているが、身元は分かっていない。&lt;br /&gt;
これらの情報は、[[奇跡の扉 TVのチカラ]]にて[[報道]]された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===犯人像===&lt;br /&gt;
* 年齢:20歳位&lt;br /&gt;
* 身長:165センチ位&lt;br /&gt;
* 体格:がっちり型&lt;br /&gt;
* 特徴:目が細い、頬にニキビ様の跡&lt;br /&gt;
* 髪型:当時は髪を立たせており、若干茶髪&lt;br /&gt;
* 靴:DUNLOP製運動靴（約26～27センチ）※アッパーはこれ以外の種類有&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「ニキビ痕の若い男」はどこへ逃げた ==&lt;br /&gt;
定期試験の緊張感から解放され、夕方のアルバイトへ行くまでの時間を、ベッドで音楽を聴きながら一休み－。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自宅でくつろいだ時間を過ごしていた[[JK画像3|女子高校生]]が突然侵入してきた男に刃物で襲われ、命を奪われた。男はマスクなどで顔を隠さず、素顔のままで凶行に及び、ツンと立った短髪にニキビ痕という特徴的な外見が判明した。「早期解決」と多くの捜査員が抱いた見込みはもろくも崩れ、有力な手がかりが得られないまま事件から9年余が過ぎた。遺族は風化を防ぐためにブログを開設し、情報を求め続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 細い目とツンと立った短髪…特徴的な容貌 ===&lt;br /&gt;
[[平成16年]][[10月5日]]。広島県立廿日市高校2年、北口聡美さんは廿日市市上平良の自宅離れ2階に1人でいたところを、部屋に入ってきた若い男に襲われた。1階に逃げたが、追ってきた男に刃物で首や胸などを刺されて死亡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
部屋の枕元の[[ミニコンポ]]に接続されていた[[イヤホン]]が外れ、あわててベッドを離れたことがうかがえる。[[母屋]]で聡美さんの小学6年の妹と一緒にいた祖母のミチヨさん(82)は、離れから悲鳴とともに階段を駆け下りる音を聞いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すぐに駆けつけたミチヨさんらは離れ1階で男と鉢合わせになった。男の刃物はミチヨさんにも向けられ、一時は意識不明の重体となったが、幸いにも回復。妹は逃げ出して無事だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「知らない人」という妹の目撃証言から、男はがっちりした体格で身長約165センチ。細い目と立たせた短髪、頬のニキビ痕といった特徴的な容貌が判明した。現場には[[ダンロップ]]社製の26～27センチの靴跡も残されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
聡美さんの交友範囲は高校と、[[小学校]]時代から通う[[学習塾]]、それに夏に始めた[[アルバイト]]の[[クリーニング店]]ぐらいだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「事件は早期に解決できるだろうという期待感があった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
発生当初から現場に入った捜査員たちの見込みは、もろくも瓦解することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被害者を知る者の犯行？ ===&lt;br /&gt;
廿日市署捜査本部はこれまでに延べ20万4385人の捜査員を投入(2013年11月末現在)し、聡美さんと接点のあった人物や不審者などを捜査。情報提供も約4400件あったが、今のところ、犯人に結びつく有力な情報は得られていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯人像も不明だ。ただ、定期試験は2年生だけ日程が前倒しで行われ、聡美さんは普段とは違う時間帯に自宅にいた。しかも同じ敷地内に母屋と別棟、離れが建つ古い民家の一室を狙って侵入していることに捜査本部は着目する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現場は市中心部から北西に約1キロ。主要幹線道路の[[国道2号]]に接続する[[国道433号]]沿いにあり、交通量は多い。近年は宅地化が進んでいるが、事件当時は田畑も多く、住民以外が目的もなく立ち寄るような場所はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ある捜査員は「全く土地勘がなく、通りがかりで犯行に及んだ感じはしない。ある程度、聡美さんのことを知っていた可能性もある」と語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 情報を…ブログ「娘への思い」開設 ===&lt;br /&gt;
家庭では妹と弟の面倒をよくみるしっかり者だったが、学校では「天然ぼけ」のキャラクターで愛されていた聡美さん。[[数学]]が得意で、[[4年制大学]]の理系学部への進学を希望していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「家から通える範囲にある大学ならいいよ」という家族に、「そろそろ志望校を決めないとね」と話していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件が起きなければ、翌週から企業訪問が日程に組み込まれた[[東京]]への研修旅行に参加することになっていた。研修旅行では初めて[[東京ディズニーランド]]に行く予定で、仲良しの友人グループで「何を見ようか」「どのルートで園内を回ろうか」と想像を膨らませていた。自宅でもインターネットで情報を集め、楽しみにしている様子だったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件から9年余が経過した今も、聡美さんの墓には多くの友人らが訪れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今夏、父の忠さん(56)は、聡美さんの好物だった[[ミルクティー]]が供えられた墓前で「ご両親へ」と書かれた手紙が置いてあるのを見つけた。親友の女性からの結婚報告だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「娘が生きていれば26歳。仕事にもようやく慣れて、そろそろ結婚を考える時期だったかもしれない」。忠さんは大人になった友人にまな娘の姿を重ねようとするが、その笑顔はあどけない17歳のままだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件を風化させず、犯人に関する情報を得るきっかけになればと、忠さんは事件から約1年後、[[インターネット]]上に[[ブログ]]「ＳＡ・ＴＯ・ＭＩ～娘への想い～」を開設。毎日のように内容を更新、聡美さんの思い出や日々の出来事などをつづる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ブログに記載しているメールアドレスには1年に10～15件の情報が届き、捜査本部にも伝えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「事件解決のため、とにかく情報がほしい。今まで話していないことがあれば、どんなに小さなことでも構わないので教えてもらいたい」。悲しみを胸に秘めた忠さんの訴えが重く響いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
情報提供は廿日市署捜査本部へ。（電）０８２９・３１・０１１０&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[未解決事件]]&lt;br /&gt;
* [[奇跡の扉 TVのチカラ]]&lt;br /&gt;
* [[殺人事件被害者遺族の会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police-hatsukaichi/108-hatsukaichi.html H16.10.5　～　女子高校生被害殺人事件（廿日市市上平良）　捜査特別報奨金対象事件 - 広島県警察]&lt;br /&gt;
*[http://mikaiketsux.web.fc2.com/file28.html 未解決事件X　広島・廿日市市女子高生殺人事件（2004年10月）]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:はつかいちしよしこうせいさつしんしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2004年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:未解決の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:廿日市市の歴史]]&lt;/div&gt;</summary>
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